シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
居残り掃除をさせられた後、サム君たちと合流した私たちは真っすぐ「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋へ行きました。キース君たちの部活は今日はお休みだそうです。いつものように壁を抜けると、なんだかちょっと変わった匂いが。お菓子の甘い匂いや美味しそうな匂いと違って、なんというか…古風で落ち着いた爽やかな香り。
「いい匂いだろう?」
生徒会長さんがテーブルに立派な硯を置いて、せっせと墨をすっていました。由緒ありげな大きな硯に立派な墨。キース君が近づいて硯を眺め、感心した様子で呟きます。
「端渓か。…あんた、いいのを使っているな」
「「「たんけい?」」」
「硯の種類の中の一つさ。さすがキースは目が高いね。お寺で育っただけのことはある」
「イヤでも書道をやらされるからな」
なるほど。お坊さんなら書道は必須かもしれません。卒塔婆とかの文字を墨で書かなきゃいけませんし。会長さんの硯もそっち方面から来たものなのかな?
「そうだよ。この硯は二百年ほど前に貰ったもので…」
教えてもらった故事来歴はサッパリ分かりませんでした。キース君だけが一々頷きながら聞いていましたから、お寺関係の人なら理解できるのでしょう。とにかく立派な硯だということだけは分かりました。大きさもさることながら形もお習字で使う四角い硯とは違っています。海って言うんでしたっけ…墨をする部分が楕円形みたいになってて、縁には立派な彫刻が。墨も表面が鈍い金色の大きな墨で、最近のものじゃないみたい。
「百年ほど前の墨なんだよ。松から採った煤だけを使っていてね、それだけでも値打ちがあるんだけども…」
またまた私たちには猫に小判な話になってしまいました。キース君も今度は分からない部分があるようでしたが、会長さんがとんでもなく立派な書道の道具を持っているのは確かです。横に置いてある筆とかも、さぞかし立派な故事来歴が…。
「ああ、筆はそんなに古くない。使っていると傷んでくるし…。でも、なかなか手に入らない筆なんだよ。最近は材料になる動物の毛が手に入りにくくなっているからね」
そう言いながら会長さんは筆の先に墨をたっぷりとつけ、白い紙にサラサラと漢詩を書き始めました。いや、漢詩だと思ってるだけで…もしかしたらお経かも…。
「残念、これは孫子の兵法。白文っていうのは古典で習わなかったかい?」
えっと…白文ってなんでしたっけ。ジョミー君たちと顔を見合わせていると、キース君が「返り点とかを打ってない漢文だ」と言い、シロエ君が「読み下しが難しいヤツのことですよ」と。なんとなく思い出してきましたけれど、なんでわざわざ孫子の兵法?
「筆ならし。…書きたいものは他にあるんだ」
そこへ「かみお~ん♪」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が入ってきました。
「ブルー、お待たせ!買ってきたよ、トランクスと特注熨斗袋!」
風呂敷包みを抱えた姿に私たちは居残りの原因になった紅白縞を思い出し、ギロッと睨んだのですが…。
「ごめんね、途中で美味しそうなお店が幾つもあって…。寄り道してたら遅くなっちゃった」
いそいそと包みをほどく「そるじゃぁ・ぶるぅ」には全く通じていませんでした。
唐草模様の風呂敷の中から出てきたものは包装された平たい箱と、その箱がまるっと収まりそうな特大サイズの熨斗袋。紅白の蝶結びになった立派な水引がかかっています。会長さんは熨斗袋から水引を外し、テーブルの上に広げて置いて…筆に墨を含ませてから一息に『御部屋見舞』と書きました。満足そうにそれを眺めて、おもむろに硯や筆を片付け始めますけど、もしかしてこれだけのためにあんな立派な道具を…?
「決まってるじゃないか。人をからかうには手間ひまかけないと面白くない」
「ブルー、今度も前のと違うね」
しげしげと眺める「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「前は『寿』って書いてなかった?水引もちょっと違うみたい…」
「この前は結び切りだったからね。…毎回趣向を変えているけど、今度も気付いてくれないだろうな」
会長さんは平たい箱を手に取り、綺麗に包装された箱の中身をじっと見詰めているようです。私たちには見えませんけど、このままでも中が見えるんでしょうね。そして中身は紅白縞で…。
「うん、紅白縞のトランクスが5枚。ちゃんとメッセージカードもつけてあるんだ。ブルーより、ってね」
なるほど。それで熨斗袋には名前を書かなかったというわけですか。
「毛筆じゃ、今ひとつ決まらないんだよ。片仮名じゃ間抜けだし、平仮名だとぶるぅみたいだし。…アルファベットで書いたらもっと変だし、かといって法名は書きたくないし」
「ほうみょう?」
「…坊主の名前だ。戸籍に載ってる名前の他に坊主としての名前があるんだ」
首を傾げた私たちにキース君が教えてくれました。
「へえ。じゃあ、キースにも別の名前があるってことだよね…。なんて名前?」
興味津々のジョミー君の質問はサクッと無視され、キース君はムッツリ顔です。きっとパパのアドス和尚が捻りに捻った、恐ろしく凝った名前がついているに違いありません。会長さんの法名は…教えてくれっこないですよね。
「そうだねぇ…。君たちの内の誰かが死んだら、お葬式をやってあげるけど?その時は法名を名乗ってもいい」
私たちは慌てて首を左右に振りました。三百年以上も生きている人より先に死んでたまるもんですか!
「頼もしい心がけで嬉しいよ。それでこそ、ぼくたちの仲間に相応しい」
会長さんはニッコリと笑い、紅白縞のトランクス入りの箱を熨斗袋に包んで水引を掛けて。
「さあ、できた。立派なお部屋見舞いだろう?ハーレイ、喜んでくれるかな」
「ちょっと待て!お部屋見舞いってのは発表会とかじゃなかったか!?」
「あ、そうです、そうです。踊りの発表会とかのお祝いに持って行くんだったと思いますよ」
キース君とシロエ君が言いましたけど、会長さんは「よく知っていたね」と軽く流してしまいました。
「本当はそうなんだけど、今回は…部屋は部屋でも、控え室じゃなくて教頭室見舞い。そのくらいの感じでいってみようかと。…教頭先生も毎日お仕事で大変だから」
「あんたがちょっかい出さなかったら、もう少し楽に仕事ができると思うんだがな」
「気にしない、気にしない。新学期ごとに届くこのトランクス、とても楽しみにしてるようだし」
いそいそと大きな臙脂色の袱紗を取り出し、熨斗袋を包み始めた会長さんも見るからに楽しそうでした。これから届けに行くんでしょうか?
「うん、おやつを食べたらみんなで行こうか。ぼくが一人で行くのもいいけど、たまには賑やかなのもいいよね」
ああぁぁぁ。またまた教頭室ですか!今度は何も起こらなければ嬉しいんですが…。
「この前は熨斗袋に寿とだけ書いたんだけどね…。水引は紅白の結び切りで」
会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってくれた宇治金時をスプーンですくいながら言いました。
「誰がどう見ても結婚式のお祝いじゃないか、寿なんて。でもハーレイは気付かなかった」
ぼくがチラつかせた白黒縞の意味にもね、と溜息をつく会長さん。ちらつかせた、って…。履いたことはないと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も会長さんも言いましたけど、お届け物に行く時だけは履くのかな?
「履かないよ。ぼくにだって美意識はあるし、第一、プライドが邪魔をして履けないさ。チラつかせるのはこっちの方」
風呂敷の中に小さな包みが残っていたことに私たちは気付いていませんでした。特大熨斗袋とトランクスの箱のインパクトが凄すぎて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が風呂敷包みを畳み直した時はすっかり空だと思い込んでいたのです。
「これの中身が白黒縞。いつも紅白縞と一緒に同じメーカーのを1枚だけ、ね。で、教頭室へこれを持ってって、今度もお揃いで買ってきたよ、とチラつかせるわけ」
つくづく念の入った悪戯ですが、熨斗袋を書くのにあれだけの準備をしようという人ですから、これはもう仕方ないのかも。特大熨斗袋だって特注品だと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言いましたし。
「そうなんだ。ツテを頼って作ってもらって、いつも趣向を凝らしてるのに…いつになったら気付くんだろう、紅白と白黒はお祝い事と、真逆の事のセットものだってこと」
始業式の後で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言っていたことは本当でした。会長さんは徹底的にネタを楽しんでいるみたいです。教頭先生が気付く時まで、延々と続けるつもりでしょうか。
「決まってるじゃないか。今まで本当に色々とやってきたんだよ。三学期に御年賀と書いたのは失敗したけど、表書きだってあれこれ考えて書いているんだ。袴料は我ながら傑作だったと思っているよ」
「それは結納返しだろうが!」
「うん。でも単純に喜んでたし、袴とトランクスがイコールになってたんだと思うな、頭の中で」
突っ込んだのはキース君でした。そっか、袴料ってそうなんだ…。教頭先生を笑えないかも、と思いましたが、教頭先生は立派な大人です。私たちなんかよりずっと世の中の常識ってものを御存知なのではないでしょうか。
「もちろん知らないわけがない。…でも、ぼくが紅白縞を届けに行くと舞い上がってしまうみたいだね。常識なんか吹っ飛ぶらしい。寿福って書いても感激していた」
寿福って、なに?
「…長寿のお祝い。水引は紅白の蝶結び」
ぶぶっ。私たちは思わず吹き出し、しばらく笑い転げていました。きっと毎回、あの端渓の硯と立派な墨を使って見事な書を披露しているのでしょう。今回の『御部屋見舞』も実に素晴らしい字なんですから。さんざん笑って、宇治金時をしっかり食べて…冷たいお茶を飲んだ所で会長さんが立ち上がりました。
「それじゃ、そろそろ出発しようか。ぶるぅ、袱紗はぼくが持つから、いつものようにこっちを持って」
コクンと頷いた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が受け取ったのは小さな包み。中身は例の白黒縞です。うーん、中身が分かっていると、なんだかちょっぴり恥ずかしいかも。じゃあ行こうか、と言った会長さんにキース君が…。
「さっきからずっと気になってたんだが、結局、あれはどういう意味だ」
キース君が指差したのは、会長さんが「筆ならしに」と書いていた謎の漢文でした。
「特に意味はないよ?…ぼくの座右の銘でもないし、ただ手すさびに書いてみただけ」
ふうん…と私たちはその紙を覗き込みました。『故兵以詐立 以利動 以分和為變者也 故其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山 難知如陰 動如雷震』…うーん、全く意味不明かも。
「これ、ひょっとして…風林火山?」
「ご名答」
「嘘!…まさか当たりだなんて思わなかったぁ!」
ジョミー君、凄い!…その程度なら分かるだろう、とキース君とシロエ君が笑いましたが、サム君もマツカ君もスウェナちゃんも私も、まるで分からなかったんですから…ジョミー君は冴えてます。凄いよねえ、と感心しながら私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋を出ました。行く先はもちろん教頭室です。どうか何事もありませんように!