シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
木漏れ日が射す木の下に据えられたテーブルと椅子。一階に居る母の目に入る場所だけに、二階の自分の部屋でするようにハーレイの膝に座ったりは出来ないのだが、ブルーのお気に入りの席。
ハーレイがキャンプ用のテーブルと椅子とを持って来てくれて、初めて外でデートをした場所。
夏休みに入ってからも何度か設けられた特別な席は、ブルーの父が白いテーブルと椅子を買ってくれて晴れた日の定番になった。
七月の末の今日もブルーは其処で大好きなハーレイと二人で午前中のお茶を楽しんでいる。母が焼いた口当たりの軽いケーキと、よく冷えてグラスに露を浮かせたレモネード。
向かい合わせで座るハーレイを見ているだけで、溢れ出す幸せが止まらない。来月はハーレイの誕生日。まだ一ヶ月近くあるのだけれど、何を贈るかブルーはとっくに決めていた。
(…ふふっ)
ハーレイが喜んでくれそうなもの。うんと奮発して、ブルーのお小遣い一ヶ月分。
夏休みでもハーレイは柔道部の指導や研修などで来られない日が時々あった。次にそういう日が訪れたら、町の中心部にある百貨店までプレゼントを買いに出掛ける予定だ。
(きっとハーレイ、ビックリするよね)
早く贈って驚かせたい。喜ぶ顔を見てみたい。
再会してから初めてのハーレイの誕生日。ハーレイは三十八歳になる。
誕生日のお祝いはブルーの家で、と強請って約束を取り付けた。その日は母が御馳走を作って、バースデーケーキも用意して…。今から楽しみでたまらない。
三月生まれのブルーの誕生日はまだずっと先のことになるから、まずはハーレイの誕生日祝い。
来年の三月三十一日が来たら、今度はブルーが誕生日を祝ってもらう番。
ハーレイよりもずっと遅れて生まれて来たから、十五歳にしかなれないけれど…。
そういうことを考えていて、ブルーはふっと気が付いた。
この地球に自分が生まれて来た時、ハーレイはとっくに地球の上に居た。八月二十八日が来たら二十四歳も年上になってしまうハーレイ。ブルーよりも先に生まれたハーレイ。
ブルーが地球に生まれたその日に、ハーレイは何をしていたのだろう?
とうに大人になっていた筈だけれど、何処に居て何をしていたのだろう…?
一度知りたいと思い始めると止まらない。その日、ハーレイはどう過ごしたのかを。
母からも見える庭のテーブルで訊くには、特別すぎることだったから。レモネードを飲み終え、ケーキのお皿も空になって二階の自分の部屋に移動した後、ハーレイの膝の上に座って尋ねた。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
ハーレイがブルーが膝から落っこちないよう、軽く腕を回して支えながら微笑む。
「ハーレイ、二十三歳の時って何をしてたの?」
「何って…。そうだな、教師生活の一年目ってトコか」
毎日が新鮮で、初めてのことの連続で。慣れない仕事で忙しくても充実していた、とハーレイは懐かしそうに答えた。
「じゃあ、二十三歳の三月は?」
「ん? 新米教師の集大成だな、来たる新年度に向けて不安半分、期待半分だ」
「なんで不安?」
「そりゃ、お前…。そろそろ担任もするかもだしな?」
教師生活も二年目になればクラス担任をするケースもある。一人前の教師として認められた証といえども、クラス担任の責任は重い。受け持ちのクラスの生徒に目を配り、自分が担当する教科の指導も抜かりなく。どちらも手抜きは許されないし…。
「ハーレイ、二年目から担任だったの?」
「いや、そういう話も出ては来たんだが…。柔道部がいい線を行っていたんでな」
顧問だったハーレイは腕を見込まれ、そちらに専念することになった。教師生活二年目の段階でクラス担任とクラブ顧問を両立させることは難しい。まして柔道部で大会を目指すとなれば…。
「そっか…。それで、柔道部はどうなったの? 二年目」
「見事、大会に出場したぞ? 皆、いい成績を収めてくれてな、指導した俺も鼻高々だ」
そのまま柔道の話になってしまいそうだったから、ブルーは慌てて話題を元に戻した。
「じゃあ、ハーレイ。…二年目に入る前の三月の末って、何してた?」
「そうだな…。とにかく不安を吹き飛ばそうと気分転換に泳ぎまくって、走っていたな」
「三月三十一日は?」
「明日から新年度だと気分を切り替えるべく…。待て、お前は何が言いたいんだ?」
ハーレイはようやく話が自分の教師生活のことではないらしい、と気が付いたようで、瞳の色が深くなる。鳶色の瞳がブルーの瞳を覗き込み、「どうした?」と先を促した。
「妙に日付にこだわるな? そういえば三月の三十一日は…」
「うん。…そこ、ぼくが生まれて来た日なんだ…」
何か予感は無かったの? とブルーは鳶色の瞳を見上げる。赤い瞳に期待をこめて。
ブルーとハーレイ。
今は普通の十四歳の子供と、その学校の教師だけれど。
二人の前世はミュウの長のソルジャーと、ミュウたちを乗せた船の舵を握るキャプテンだった。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
三百年近い時を共に生き、愛し、愛された恋人同士の二人は運命に引き裂かれるように別れて、長い時を経た後に蘇った青い地球の上に生まれ変わり、再び出会った。
ブルーがハーレイを追うように生まれて来てから、再会するまでに十四年もの時が流れた。
十四歳という年齢が重要な鍵になったのだろう、とブルーは思っているのだけれど…。十四歳を迎えるまではブルーの記憶は蘇ってくれず、再会は叶わなかったのだろうと思うけれども。
それでも自分が生まれて来た日に、ハーレイは気付いてくれたのではないか。
予感めいた何かがあったのではないか、と期待してハーレイの顔を見上げたのに。
「…すまん。俺は昔から鈍いからな」
残念ながら何もなかった、とハーレイは済まなそうに言葉を紡いだ。
「実はな、俺もお前に出会って直ぐに調べてみたんだ。お前の生まれた日を勝手に調べて、お前を怒らせちまったが…。お前が生まれた日に何か無かったかと、その日の日記を読んでみた」
「…でも、何も起こっていなかったんだね?」
「ああ。いつもどおりの日記だったな、本当にすまん。せっかくお前がその日に生まれて来たのになあ…。俺のブルーが生まれて来たのに…」
天から宝物が降って来る夢でも見られていれば良かったのに、とハーレイが悔しげな顔をする。
「でなきゃアレだな、富士山か鷹かナスの夢だな」
「えっ?」
意味が掴めないハーレイの台詞に、ブルーの瞳が丸くなった。
「何、それ…」
「ははっ、お前は知らなかったか? 正月に見る初夢に出てくれば最高だという縁起物だぞ」
富士山は昔の地球に在った美しい形の火山だ、とハーレイは鳶色の瞳を細めた。
「その富士山が一番縁起が良かったらしい。次が鷹だな、鳥の鷹だ。三番目が野菜のナスになる。なんで富士山で鷹でナスなのか、理由は色々あるんだが…。どれも見なかったことは確かだ」
「……そっか……」
特別な夢すらも見てくれなかったらしいハーレイ。
ブルーは心底ガッカリしたが、シュンと項垂れたブルーの頭をハーレイの手が優しく撫でた。
「すまんな、ブルー…。鈍い男で本当にすまん。俺も予感が欲しかったんだが」
本当だぞ、とハーレイはブルーの瞳を見詰めた。
何よりも大切な宝物のブルーが生まれて来たのに、知らなかった自分が情けないと。
ブルーがこの地球に生まれて来た日も、ハーレイは普段通りに生きていた。
翌日から始まる新年度に向けて心身をリフレッシュするべくプールに出掛けて存分に泳ぎ、その後は軽くジョギングをした。
春の到来を告げる桜がチラホラと咲いていたかもしれない。その辺りは記憶していない。
今より十四年分ほど若い身体で颯爽と走っていたコースの途中で、ブルーが生まれた病院の脇を掠めていたかもしれない。病院に急ぐブルーの父の車とすれ違っていたかもしれない。
ブルーが生まれて来たことも知らず、足の向くままに走り続けていただけだけれど。
「本当に鈍い男だったな、俺ってヤツは…。俺の宝物が生まれて来たのに」
つくづく馬鹿だ、とハーレイは嘆く。
「おまけに十四年間も気付かなかったとは恐れ入る。とっくにこの町に来ていたくせに」
お前が生まれた日も町を走っていたんだ、と語ってから「待てよ」と暫し、考え込んで。
少し経った後、ハーレイが口にした言葉は、それまでのものとは正反対だった。
「…ブルー。ひょっとしたら、俺は気付いていたのかもしれん」
「ハーレイ、何か思い出したの?」
「そういうわけではないんだが…。あえて言うなら、この町だな」
「町?」
怪訝そうな顔をしたブルーに「この町さ」と返す。
「俺は、お前がこの町に生まれるという予感に引かれて来たのかもしれん」
「えっ…。でも、ハーレイには予知能力は…」
「無いさ、昔も今の俺もな。…だが、この町にこだわる理由は何処にも無かった。教師になるなら俺の生まれた町でも良かった。この町で教師になるにしたって、通えん距離でも無かったし…」
隣町にあるハーレイが育った家までは車で一時間もかかりはしない。充分に通勤圏内だったし、現に通っている人も少なくはない。
「…それなのに、俺はこの町に来ちまったんだ。わざわざ家まで買って貰ってな」
いつか嫁さんを貰う日のために子供部屋つきの立派な家を、とハーレイはブルーに微笑んだ。
「あの家に嫁さんは来ないだろうと思っていたのに、お前に出会った。…お前を嫁さんと呼べるかどうかはともかくとして、俺は結婚出来るんだ。いつかお前が大きくなったら」
……俺はお前に出会うためだけに、この町に来た。
そういう気持ちがしてこないか?
なあ、ブルー…。
ハーレイの褐色の手に頬を包まれ、額に優しく口付けられて。
ブルーの頬は赤く染まったけれども、それは恥ずかしさではなくて幸せが溢れそうだったから。
ある意味、自分が生まれた日に特別な夢を見たと告げられるより嬉しかったかもしれない。
予感があった、と聞かされるよりも遙かに嬉しかったかもしれない。
この地球に自分が生まれる前から、母の胎内に宿る前からハーレイは待ってくれていた。
生まれるよりも遙かに前から、この町に住んで待っていてくれた。
新しい家族を迎える家まで買って貰って、ひたすらに待っていてくれたのだ。
それが誰なのかを知らなかっただけで、ハーレイはずっと待っていた…。
ブルーが生まれるずっと前から、教師としてこの町に来た十五年も前の時から、ずっと。
ハーレイがこの町に住み始めてから、ブルーが生まれるまでに一年以上が経っている。
そうしてブルーが地球に生まれて、出会うまでの間に十四年。
十四年間も同じ町に住んで、それぞれの人生を生きて来たのだけれど。
再会してから三ヶ月にも満たないけれども、もしかしたら…。
「ねえ、ハーレイ。ぼくたち、何処かですれ違っていたかもしれないね」
十四年間もあったんだから、とブルーが見上げるとハーレイは「まさか」と苦笑した。
「お前みたいに印象的な子供を見たなら、俺は絶対に忘れないが」
「でも…。ぼくは小さい頃、大抵、帽子を被っていたよ? 大きいのを」
母が日よけにと被らせた帽子。つばが広くて、顔が日陰になる帽子。
「それは分からんかもしれないなあ…」
「でしょ? 髪の毛も目の色も見えなかったら、帽子を被ったただの子供だよ」
「確かにな。すれ違っていても気付かんだろうなあ…」
そう言ってハーレイは頭を掻いた。
銀色の髪で赤い瞳のアルビノの子供は珍しいけれど、大きな帽子は珍しくもない。
小さい頃に何処かで出会っていたかもしれない。
もっと小さい頃、ハーレイが車の中から見かけたベビーカーにブルーがいたかもしれない。
「…そうだな、会っていたかもしれないなあ…」
「ハーレイ、知らずに手を振ってたかもしれないよ。ジョギングしながら」
「それは大いに有り得るな。俺は手を振ってくれる人には必ず振り返しているからな」
うんと小さい子供だろうが、赤ん坊だろうが、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「ね、ハーレイ? ぼくは小さすぎて覚えてないけど、本当に手を振っていたかも」
「実にありそうな話だな。子供はけっこう手を振ってくれるぞ」
今でも走っていると手を振って応援してくれる、と笑うハーレイ。
そんなハーレイが若かった頃に、ブルーも手を振っていたのかもしれない。
前の生で心から愛した人とも知らずに、「頑張ってねー!」と無邪気に叫んで。
「うんと小さいお前の声援を受けて走っていたのか、俺は」
「そう考えると幸せな気持ちがしてこない?」
「ああ。…お互い気付かなかったと思っているより、うんと幸せな気分になれるな。…俺はお前に出会うためにこの町に来ていたのか。自分では全く気付かなかったが」
「きっとそうだよ、ぼくの学校にも来てくれたもの」
何処にも証拠が在りはしないけど、そう思う。
ハーレイはぼくを待つためにこの町に来て、ぼくに会うために今の学校に来た、と。
「しかしだ。…考えてみると不思議なもんだな」
ハーレイがブルーを膝の上に抱いたまま、しみじみと言った。
「お前を待つためにこの町に来たんだろうと思うし、それで間違いないとも思う。それなのに俺はソルジャー・ブルーの写真を見ても別に何とも思わなかったぞ、お前と再会するまでは」
「今は?」
「…今か? 今は駄目だな、見ないようにしている」
「なんで?」
赤い瞳を輝かせるブルーの頭をハーレイの拳がコツンと小突いた。
「お前、知ってて訊いてるだろう! 俺がソルジャー・ブルーの写真を見たらどうなるかを!」
「ふふっ」
ブルーは小さく肩を竦めてクスッと笑うと。
「ぼくはね、キャプテン・ハーレイが少し怖かったよ。…うんと小さい頃は、だけどね」
それは嘘ではなくて本当のこと。
今よりも幼かった頃のブルーは、威厳に満ちたキャプテン・ハーレイの写真が怖かった。学校の先生たちよりも厳しそうだったし、叱られたら泣いてしまうと思った。
そう話すとハーレイは「お前なあ…」と苦笑いをして。
「それで、その後はどうだったんだ?」
「意外に優しいおじさんかも、って」
「おじさんだと!?」
ハーレイの声が引っくり返るとまではいかないものの、あまりのことに裏返りそうになる。
「だって、ハーレイ。…ぼくのパパとあまり変わらないよ? おじさんだよね」
「こらっ! それが恋人を捕まえて言うことか!」
よりにもよって「おじさん」なのか、とハーレイはブルーを捕まえて銀色の頭を拳でグリグリと弄り、ブルーの軽やかな悲鳴が上がった。
「痛い、痛いよ、ハーレイ、痛いってば!」
「うるさい、俺をおじさんと呼んだお前が悪いっ!」
今度言ったらもう結婚してやらないぞ、と苛めにかかる。おじさんに用は無いだろう、と。
ハーレイをおじさん呼ばわりした罰を食らったブルー。
銀色の髪はクシャクシャにされて、グリグリされた頭も痛かったけれど。
お仕置きが済むとハーレイの大きな手で頭を撫でられ、広い胸に大切そうに抱き締められる。
「俺のブルーだ」「俺の大切な宝物だ」と。
温かな手と、逞しくて厚いハーレイの胸。
前の生と何処も変わっていない。
ソルジャー・ブルーだったぼくが愛したキャプテン・ハーレイ。
もう会えないと、二度と会えないのだと凍えた右手の冷たさに泣いて、泣きながら死んでいった遠い日のぼく。
それなのに、ぼくはハーレイに会えた。
行きたいと焦がれ続けた青い地球の上で、もう一度ハーレイに会うことが出来た。
なんて不思議な運命だろう。
あの遠い日に切れたと思った運命の糸が、ハーレイをこの町に連れて来てくれた。まだ生まれていないぼくを待つために、隣の町から連れて来てくれた…。
ぼくとハーレイとを繋ぎ続けた運命の糸。神様が結んで、切れないようにしてくれた糸。
神様はぼくとハーレイが出会えるように色々な準備をしてくれた。
その最高傑作がぼくの聖痕。
ハーレイと再会した日に、ぼくの身体を血に染めた傷痕。
あれっきり、二度と現れはしないし、もう出て来ることも無いのだろうけど…。
この地球に生まれ変われて良かった。
ハーレイと二人、地球の上で会えてホントに良かった。
ぼくは本当に幸せだよ。ねえ、ハーレイ…。
ぼくが生まれた日・了
※ブルーが地球の上に生まれて来た日。何の予感も無かったというハーレイですが…。
そこは運命の二人ですから、まるで接点が無かったわけでもなかったかも?
キーワードは、実は「サクラサク」。
第79弾、『時の有る場所で』 がソレです、第17弾『時の無い場所で』と対のお話。
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