シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
忘れた宿題
(今日はハーレイの古典の授業…)
楽しみだよね、とブルーが思ったバスの中。朝、学校へと向かう路線バス。
いつも乗っているバスだけれども、幸いなことに座席は常に一つくらいは空いているもの。朝の通勤時間帯だけれど、乗客たちの行き先のお蔭か、はたまた乗ってゆく区間のせいか。
今日も乗ったら直ぐに座れたから、通学鞄を膝の上に置いて、学校のことを考える。ハーレイに会える、古典の授業。それがあるのが今日だから。
ハーレイは学校の教師だけれども、まるで会えずに終わる日もある。お互いが通る廊下や階段、それが全く重ならなくて。姿さえもチラと見られないまま、放課後になってしまう日も。
(古典がある日は、もう絶対に会えるんだから…)
自分のクラスで座っていたなら、ハーレイの方からやって来る。「ハーレイ先生」の貌で、古典を教えに来るのだとしても。…二人きりで話は出来なくても。
(運が良ければ、当てて貰えるし…)
そうなれば、自分が答える間は、ハーレイと一対一の時間。教師と生徒の間柄でも、ハーレイを独占できるのは確か。「当てて貰えたら嬉しいよね」と出てくる欲。
早くハーレイに会えないだろうか、学校に着いて、古典の時間が始まって。
(宿題も、ちゃんとやってあるもの…)
ハーレイが出した古典の宿題。目を通すのはハーレイなのだし、宿題をするにも力が入る。他の科目で出た宿題より、ずっと真剣に取り組みたくなる。「頑張らなくちゃ」と。
(感想文だけどね?)
問題を解いてゆくのではなくて、ハーレイが指示した古典を読むだけ。普通の本と全く同じに。
読み終わったら、感想を書く。自分がそれをどう感じたか。何処が気に入ったのか、とか。
(古文が苦手な生徒だったら、うんと困るだろうけれど…)
そうでなければ、読書感想文を書くのと何処も変わらない。自分が思ったことを書くだけ。
けれど古文がとても苦手な生徒も多いし、充分に設けられていた「宿題の時間」。
提出期限が今日だっただけで、宿題はもっと前から出ていた。古文が苦手な生徒たちでも、最後まできちんと読めるように。…読み終わった後は、感想文を書くための時間も必要になる。
宿題をやる時間はたっぷりあったし、早くに仕上げた。宿題が出た日に、早速、ハーレイが指示した古典を読んで。その日の間に、気になった箇所も書き出して。
張り切って早く仕上げた宿題。感想文だから、「決まった答え」が無い宿題。何処のクラスも、生徒の数だけ違った答えがあるだろう。「こう思った」とか、「主人公は間違ってる」とか。
(そういう宿題なんだから…)
ハーレイも採点するのではなくて、皆の感想を読んでゆく。書いた生徒たちを思い浮かべては、「あいつらしいな」と笑みを浮かべたりして。
「ブルー」と名前が書いてあったら、熱心に読んで貰えるだろう。古典の授業では教え子の中の一人だけれども、本当は恋人なのだから。…それも生まれてくる前からの。
(感想文の中に、「ハーレイが好き」とは書けないけれど…)
思いをこめて書き上げた。読みやすいよう、丁寧な字で。
「頑張ったんだな」と分かって貰えるようにと、表現などにも気を付けて。「いいと思います」ばかりを繰り返すよりは、「素敵でした」とか、「感動しました」。
もちろん誤字や脱字は論外、些細なミスも見落とさないよう、何度も何度も読み返して…。
(もう完璧…)
書き直した所も幾つもあったものね、と考えた所でハタと気付いた。
欠点など、もう何処にも無いだろう感想文。会心の出来で、自信満々なのだけれども…。
(昨夜、寝る前に…)
ベッドに腰掛けて「明日は提出」と思っていたら、書き直したくなった箇所。頭に浮かんだ違う表現、そっちの方がずっといい。「どうして今まで思い付かないの?」と呆れたくらいに。
書き直さなくちゃ、と鞄から出した感想文。読み返してみて、「やっぱりこっち」と消しゴムで消して、その部分を新しく書き直した。「この方がずっといいんだから」と。
それから全体をまた読み直して、「これがピッタリ」と大満足。でも、その後に…。
(宿題、ちゃんと鞄に入れた…?)
まるで記憶に残っていなくて、心配なことに自信も無い。「鞄に入れた」という自信。
なにしろ、早くに仕上げてあった宿題。提出期限の今日が来るより、ずっと前から。
それを何度も書き直したり、読み返したりしていたものだから…。
(感想文の置き場所、机の引き出しの中で…)
其処から出しては、また戻す日々。書き直した日も、「読んだだけ」の日も。
あまりに何度も、引き出しの中に入れたり、出したりしていたのだし…。
(もしかして、あの引き出しに…)
戻しちゃってはいないよね、と慌てて鞄の中を覗いた。膝の上で開けて、手を突っ込んで…。
まずは古典のノートの隣。次は教科書の方を調べて、「こっちかな?」と他の教科の方も見た。何も考えずに突っ込んだのなら、そちらに混じっていそうだから。
鞄の中をゴソゴソ探って、底の底まで捜してみたけれど…。
何処を調べても無かった宿題。入ってはいない感想文。ノートを端から広げてみたって、中には挟まっていなかった。鞄の中に無いのなら…。
(引き出しだ…!)
書き直した後に鞄に入れずに、引き出しに入れたに違いない。何度も出し入れしていたせいで、自分でも全く意識しないで。
(やっちゃった…)
家に置いて来てしまった宿題。それの提出期限は今日。
ハーレイが古典の時間に集めて、持って帰って読む感想文。忘れて行ったら、赤っ恥で大恥。
(ぼくの宿題、出せないんだから…)
宿題を集める方のハーレイはもちろん、クラス中の生徒が見るだろう。「やってないんだ」と。「家に忘れて来たんです」は、宿題をやらずに登校した生徒の「言い訳」の定番なのだから。
普段に出される宿題もそうだし、夏休みなんかの宿題もそう。
本当は「やっていない」というのに、「家に忘れました」と答える生徒。それは堂々と、まるで宿題は「完璧に出来ている」かのように。
(…家に帰って取ってこい、って言う先生は…)
一人もいないし、皆、そうやって言い訳をする。「家に忘れて来ちゃったんです」と。
だから自分が「本当のこと」を言ったって…。
(…宿題なんかやっていなくて、宿題が出たのも忘れてて…)
提出できないというだけのこと。ハーレイから見ても、クラスメイトたちの目から見たって。
(宿題を家に忘れるなんて…)
あんまりだよ、と自分の頭を叩きたい気分。よりにもよって、それを忘れて来るなんて。
家に忘れたのが教科書だったら、他のクラスの誰かに頼めば借りられる。ノートなら別の教科のノートを使って、「古典のノートを持っている」ふり。
でも、宿題だと、そうはいかない。借りるのも、「持っているふり」も。
宿題を家に忘れて来たなら、「同じ宿題」をやるしかない。学校に着いたら、懸命に。
出された問題を解くものだったら、友達に問題用紙を借りて。…生徒によっては、その答えまで丸写しにする「宿題のやり方」。自分なら、ちゃんと解くけれど。
何かをノートに書き写すだとか、そういったものでも、頑張って書けばいいけれど…。
(感想文なんて、学校じゃ無理…!)
レポート用紙や原稿用紙は手に入っても、とても書いてはいられない。時間が足りない。課題の古典は覚えていたって、その感想が丸ごと頭にあったって。
時間が無いなら、感想文を書けはしなくて、提出することが出来ない宿題。…ハーレイが教室にやって来たって、「この前の宿題、集めるぞ」と、クラスをぐるりと見回したって。
持ってはいない宿題は「出せない」。家に忘れたのが本当でも、結果が全て。ハーレイだって、意外そうな顔をするのだろう。「お前が宿題、忘れたってか?」と。
どう聞いたって「やっていません」の意味でしかない、「家に忘れて来ました」という言い訳。かなり前から出ていた宿題だけに、余計に恥ずかしい。
(ハーレイの宿題、持って来るのを忘れるだなんて…)
そのせいで「宿題をやっていない」ことになるなんて。
ハーレイが聞いても、クラスメイトが聞いても、そうなってしまう。宿題を出さずに、「忘れて来ました」と、正直に本当のことを言っても。
(そんなの、嫌だ…)
出来るわけない、と腕の時計を眺めた。今の時間は何時だろう、と。
余裕を持って家を出るから、針が指している時間は遅くはない。学校が始まる時間を知らせる、チャイムの音。遅刻しそうな生徒が慌てる、あの音が鳴るのは、まだずっと先。
(まだ大丈夫…!)
今だったら、きっと間に合う筈。宿題を取りに家に戻って、出直して来ても。
(帰って、取って来た方が…)
宿題を忘れて恥をかくより、ずっとマシ。学校に着くのが少し遅れても、遅刻はしない。
家に帰ろう、と降車ボタンを押した。「次で降ります!」と大急ぎで。
いつもだったら、そのボタンを押すバス停には、まだ着かないのに。
学校の側にあるバス停なら、もう少し先になるというのに。
とにかく急いで帰らなきゃ、と降りたバス停。今までに降りた経験は無い。そんな所に用などは無いし、いつも窓から見ているだけ。
(初めて此処で降りちゃった…)
けれど、余分な料金などは一切かからない。何ヶ月も先まで支払い済みで、鞄につけたチップを機械が読み取るだけ。その期間だったら、いつでも何処でも、乗り降り出来る仕組みのものを。
側の横断歩道を渡って、道路の向かいのバス停に行った。家に帰るなら、そっちでないと。
(此処からだったら…)
自分が使っているバスの他に、違う路線バスもあるらしい。家の方へと走ってゆくのが。
二つもあるなら頼もしいよね、と時刻表を眺めてホッとしたけれど。じきに、どちらかのバスが走って来そうな時間なのだけれど…。
(……来ない……)
待っているのに、時間通りに来てくれないバス。いつものバスも、違う路線のも。
途中の道が混んでいるのか、ずっと向こうで道路工事でもしているか。
(街路樹の枝を切ってるのかも…)
そういう時には、車線が減ってしまうもの。「工事中」だとか「剪定中」とか、理由が書かれた看板がドンと据えられて。場合によっては、誘導係の人までがいて。
(そうなっちゃった…?)
直ぐに来そうなバスが走って来ないなら。…予定の時刻を過ぎているなら。
腕の時計に視線を遣っては、バスが走って来る方を見る。「まだ来ないの?」と伸び上がって。
何度もそれを繰り返していたら、ようやく見えた路線バス。他の車たちのずっと向こうに。早く来ないかと待って、待ち続けて、「やっと来たよ」と乗り込んで…。
(大丈夫だよね?)
家の方へと走ってゆくバス、空いていた席に腰を下ろして考える。
バスが来なくて、思った以上に無駄に時間を費やしたけれど、まだ学校には間に合う筈、と。
いつも通りに余裕を持って家を出たから、始業のチャイムが鳴り響く前に学校に着ける。此処で家まで戻って行っても、家に忘れた宿題を取りに帰っても。
けれど、遅れて走って来たバス。ずいぶん待ったし、これで戻って、またバス停から学校の方へ行くバスに乗るなら、到着時間は、多分ギリギリ。
家の近くのバス停で降りて、腕の時計を確かめた。「ホントにギリギリになっちゃいそう」と。
此処から家まで歩いて帰って、二階の部屋まで駆け上がる。引き出しに忘れた宿題を取りに。
大切な宿題を鞄に入れたら、後は学校に戻るだけ。…時間は本当にギリギリだけれど。
(パパが家にいればいいけれど…)
出勤前なら、頼んで車に乗せて貰おう。「会社に行く前に、ぼくを学校まで送ってよ」と。父の車なら速いし、安心。時刻表なんかも関係なくて、乗ったら直ぐに走り出すだけ。
(それなら、ギリギリなんかじゃなくて…)
もっと早くに着ける筈だよ、と急ぎ足で帰って行った家。本当は走りたいのだけれども、万一の時を考えたならば、体力は残した方がいい。父はとっくに出掛けてしまって、残る手段は路線バスしか無いことだってあるのだから。
急がなくちゃ、と速足で着いて、門扉を開けて庭に飛び込んだ。玄関まで一直線に走って、扉を大きく開け放ったら…。
「あら、ブルー?」
どうしたの、と母が目の前で驚いた顔。掃除の途中か、庭へ出ようとしていたのか。
「忘れ物…!」
取りに戻って来たんだよ、と返事しながら脱ぎ捨てた靴。そのままバタバタ二階に走って、机の引き出しから宿題を出して、鞄の中へ。
(これで宿題は、もう大丈夫…!)
ちゃんと提出できるんだから、と鞄の蓋を閉めて、ポンと軽く叩いた。「大丈夫!」と、忘れて出掛けた自分に言い聞かせるように。
そして大慌てで、階段を下へと駆け下りて行って…。
「ママ、パパは!?」
まだ家にいるの、と母に尋ねた。階段の下に立っていたから。…忘れ物をした一人息子を、その行動を見守るように。
「パパって…。とっくに会社に行ったわよ?」
「本当に…!?」
ど、どうしよう…。それじゃ送って貰えないよね、パパがいるかと思ってたのに…。
パパの車で送って貰えば、学校、直ぐに着けるのに…!
そう叫んだって、父は会社に出掛けた後。母は車を持っていないし、タクシーを呼んで貰うのも妙な話ではある。
(タクシーで来ちゃいけません、っていう決まりなんかは…)
無いのだけれども、学校の前でタクシーから降りたら、目立つだろう。バス通学だって、自分が例外のようなもの。丈夫な生徒は同じ距離でも、自転車だったり、歩いていたり。
(ただでも目立っているんだから…)
それがタクシーで乗り付けたならば、きっと注目を浴びる筈。「いったい何があったんだ?」と皆が眺めて、理由を訊かれるかもしれない。「今日は具合が悪いのか?」とか。
(そうだよ、って嘘はつけるけど…!)
本当は宿題を忘れて取りに戻ったわけだし、いたたまれない気分になってしまいそう。一日中、朝の出来事が頭の中でグルグル、もちろんハーレイの授業中にも。
(そんなの嫌だよ…!)
タクシーが駄目なら、残った手段は路線バスだけ。この時間ならば、本当にギリギリ。
今、バス停に向かっているだろうバス、それを逃してたまるもんか、と家を飛び出して、全力で走った。普段はのんびり歩く道筋、それをバス停までまっしぐらに。
途中で出会った近所の人にも、すれ違いざまに「おはようございます!」と叫んだだけで。
バス停が見えたら、ラストスパート。目の前でバスに行かれたくはない。
(間に合った…!?)
時刻表を見て、辺りをキョロキョロ。バスの後ろ姿などは無いから、走り去ってはいない筈。
大丈夫だよね、と確認する間に、見えて来たバス。「あれに乗らなくちゃ」と気ばかり焦って、バス停の椅子に座って休みもしないで、やって来たバスに乗り込んで…。
(席、空いてない…)
それほど混んではいないのだけれど、一つも無いのが座れる席。どの席にも先客が座っている。「次で降ります」と降車ボタンを押す人もいない。
家から走って、息を切らしたままで立ち続けて、此処にいるのに。…バスに乗ったら、座れると思い込んでいたのに。
(…それに、信号…)
いつも以上に引っ掛かる。タイミング悪く赤に変わって、其処で止まってしまうバス。
「早く」と腕の時計を見ても。「間に合うよね?」と心配しても。
どんどん過ぎてゆく時間。座れないのも辛いのだけれど、時間の方が遥かに気掛かり。
(もう本当にギリギリかも…)
もしかしたら遅刻しちゃうのかも、と焦る間に、なんとかバスは学校の近くのバス停に着いた。とうとう最後まで座れなかったし、息は乱れたままだけれども…。
(走らなくっちゃ…)
でないとチャイムに間に合わない、と鞄を手にして必死に走った。バス停から校門までの間を、もう文字通りに死力を尽くして。…これが体育の授業中なら、見学に回るだろう身体に鞭打って。
(息が苦しくて…)
心臓の鼓動も激しいけれども、遅刻は出来ない。それでは此処まで来た意味がない。遅刻してもいいと思うのだったら、走ってバスには乗らないから。のんびり出掛けて遅刻するから。
そうして目指す校門の前に、先生がいるということは…。
(ホントにギリギリ…!)
「じきに閉めるぞ?」と見張っているのが、先生の役目。チャイムが鳴ったら、閉まってしまう学校の門。それから後に登校したなら、脇の小さな門の方から…。
(入ることになって、先生が名前を確認して…)
遅刻者のリストに入れられる。大きな門から入れたならば、其処に名前は載らないのに。
その前に間に合いますように、と転がるように走り込んだ所でチャイムが鳴った。学校に入った生徒たちにも、遅刻しそうな生徒の耳にも聞こえるように、遠くの方まで木霊しながら。
(間に合った…!)
遅刻じゃないよ、とホッとした途端に、聞こえた声。
「珍しいな」というハーレイの声で、そっちの方を眺めたら…。
(もう朝練が終わった後…)
柔道着ではなくて、スーツを着込んだハーレイ。
校門を閉めている先生とは別に、小さな門の側に立っているから、遅刻した生徒のチェック係。今日はハーレイがその当番で、「名前は?」と訊いて名簿に書き込むのだろう。クラスも、遅刻の理由なんかも聞き出して。
そのハーレイに、「遅刻しないで済んで良かったな」と笑顔を向けられて、気が緩んだのか。
それとも身体が限界だったか。…走った上にバスでは座れず、今も走って来たのだから。
ぐらりと身体が傾いだ気がして、もつれた足。もう走ってはいないのに。
(…嘘……!)
スウッと視界が暗くなってしまって、ハーレイの笑顔が見えなくなった。周りの景色も、足元の地面も、何もかもが。
「ブルー!?」
ハーレイに抱き留められたようにも思うけれども、薄れてゆく意識。重い身体は自分のものではないかのようで、立っているのか、そうでないかも分からない。
(…倒れちゃったの…?)
どうなってるの、と思ったのが最後。
ハッと気付いたら、目に入ったものは白い天井。ベッドの上に寝かされていて、保健室だと直ぐ分かった。何度もお世話になった場所だし、常連と言ってもいいほどだから。
「ブルー君、大丈夫?」
目が覚めたのね、と保健室の先生がベッドの側にやって来た。「何処か痛い?」と。
壁の時計にふと目を遣ったら、もう二時間目が始まる時間。遅刻寸前に駆け込んだものの、朝のクラスでのホームルームも、一時間目も、知らずに眠っていたらしい。
それに、二時間目と言えば…。
(ハーレイの授業…!)
古典の授業は二時間目だよ、と慌てて起き上がろうとした。「宿題を持って行かなくちゃ」と。
そのために家まで帰ったのだし、早く教室に行かなくては。ハーレイが「持って来てるか?」とクラスを見渡す前に。宿題を集め始める前に。
けれどグルンと目が回って…。
(…ぼくの鞄…!)
それが何処かも分からないまま、背中からベッドに沈み込んだ。上半身を起こせもしないで。
「駄目よ、静かに寝ていないと。お母さんには連絡したわ」
じきに迎えに来て下さるから、それまでベッドで寝ていなさいね。
倒れたんだから起きちゃ駄目よ、と念を押された。
まだ宿題を提出できていないのに。
二時間目の授業に行かなかったら、それをハーレイに渡せないのに。
頑張って取りに帰った宿題。バスで戻って、懸命に走って、ちゃんと学校まで持って来たのに、渡せない。…保健室でこうして寝ているからには、「忘れた」ことにはならなくても。
このまま鞄ごと持って帰っても、誰も咎めはしなくても…。
(頑張った意味が無くなっちゃうよ…)
倒れて保健室に来たのは、その宿題を取りに帰ったせい。「ハーレイに渡そう」と、ただ一心に頑張り続けて、こうなってしまったのだから…。
「……宿題……」
「え?」
なあに、と顔を覗き込まれた。「宿題が、どうかしたのかしら?」と。
「…ハーレイ先生の宿題があって…」
今なんです、と訴えた。二時間目が古典の授業なことと、今日が提出期限なことを。その宿題が鞄に入っているから、教室まで持って行きたい、と。
「あらまあ…。やっぱり真面目ね、ブルー君は」
保健室まで来ちゃった生徒は、宿題なんか気にしないのに…。「出さなくていい」と思う生徒もいるわね、やらずに来ちゃったような時だと。
宿題だったら、ハーレイ先生に渡しておいてあげるわよ。お昼休みに。
様子を見に来ると仰ってたから、という先生の言葉は心強いけれど、宿題はちゃんとハーレイに届きそうなのだけど…。
(その時は、ぼく…)
母に連れられて早退した後。ハーレイに自分で渡せはしない。
会心の出来の宿題なのに。それを忘れて来たと気付いて、家まで取りに戻った結果が、こういうことになっているのに。
けれど、どうにもならない状況。教室に行く許可は出なくて、第一、ろくに歩けもしない。
仕方ないから、先生に頼んで鞄を受け取り、中から宿題を引っ張り出した。
「これ、お願いします。…ハーレイ先生に渡して下さい」
「分かったわ。ちゃんと忘れずに渡しておくから、安心しなさい」
あ、お母さんがいらしたみたい。
帰ったら無理をしないで寝るのよ、明日の授業とか宿題のことは気にしないでね。
「無茶は駄目よ」という先生の声に送られ、母と一緒に出た保健室。
そうして連れて帰られた家。学校の駐車場に待たせてあったタクシーに乗せられ、真っ直ぐに。
家に着くなり、押し込まれたベッド。制服を脱がされ、パジャマに着替えさせられて。
母は叱らなかったけれども、原因には気付いているだろう。宿題を取りに戻った時に会ったし、父の車が無かったからには、一人息子がどうなったかも。
(バス停まで走って行っちゃったのも、バスで座れなかったのも…)
母ならば、きっとお見通し。そうやって乗ったバスが遅れて、学校の前でも走ったことも。遅刻寸前に走り込もうと、弱い身体で全力疾走していたことも。
(大失敗…)
ホントに失敗、と情けない気分。
頑張って仕上げた宿題も出せず、ハーレイの授業にも出られずに帰って来たなんて。
昨夜、ウッカリしていたばかりに、宿題を引き出しに入れてしまって。一度は鞄に入れた宿題、それを手直ししていたせいで、家に置き忘れて出たなんて。
(途中で気付いて、取りに戻ったのはいいんだけれど…)
その宿題は、保健室の先生がハーレイに渡してくれる筈。「ブルー君から預かりました」と。
宿題をきちんと「やって来た」ことはハーレイに伝わるけれども、たったそれだけ。期限までに提出したというだけ、他には何の役にも立たない。
あんなに頑張って取りに戻ったのに、ハーレイに届けようとしたのに…。
(きっと心配させちゃっただけ…)
ハーレイは事情を知らないのだから、「ブルーが倒れた」と大慌てしたことだろう。いつもなら早い時間に登校するのに、どうしたわけだか遅刻間際のギリギリの時間に走って来て。ハアハアと息を切らせたままで、門の所で倒れたなんて。
(何があったのかと思うよね…?)
寝坊したから必死だったか、バスの中でウトウト眠ってしまって、終点まで行って戻ったのか。
まさか宿題を取りに戻ったとは思わないだろうし、思い付くのはそういったケース。
(…宿題を取りに家まで帰って、遅刻しそうなのも酷いけど…)
寝坊するのも、乗り過ごして終点から戻ってくるのも、馬鹿のよう。どちらも間抜け。
考えるほどに、涙がポロポロ零れてくる。
「ぼくって、駄目だ」と。「ホントにウッカリしてた馬鹿だよ」と、「ぼくの大馬鹿!」と。
そんな調子だから、気分はドン底。それに身体がだるくて重い。無理をし過ぎて、とても負担をかけたから。…下手な体育の授業の時より、ずっと体力を使ったから。
(ホントに馬鹿だ…)
身体まで駄目にしちゃうだなんて、と後悔したって、もう遅い。弱い身体はとうに限界、悲鳴を上げている状態。「もう動けない」と、「走るどころか、歩くのも無理」と。
それでは食欲があるわけもなくて、昼食は母が作ったスープとプリンだけ。
「何か食べられそう?」と母に訊かれても、首を横に振るしかなかったから。「欲しくない」とベッドで丸くなるだけで、本当に欲しくなかったから。
(それでスープと、甘いプリンと…)
喉ごしが良くて、栄養がつきそうなコーンのポタージュスープ。卵を使った柔らかなプリン。
なんとか食べられはしたのだけれども、夕食も食べられないかもしれない。昼と同じにスープとプリンで、他には何も口にしないで。
(明日の学校…)
保健室の先生は、「明日の授業も宿題も気にしないでね」と言っていた。具合が悪くて早退した子は、宿題をやって行かなくてもいい。欠席していて、復帰した子も。
だから自分も、その注意を受けた。登校するなら、宿題のことは気にせずに。休むのだったら、明日の授業で出される宿題、それは「やらなくてもいい」と。
(……宿題……)
それで頑張りすぎちゃったんだよ、と涙が溢れる。
ハーレイが授業で出した宿題、今日が提出期限だった感想文を「素晴らしいもの」にしたくて、何度も何度も手直しして。昨夜も「こっちの方がいいよ」と書き直したりして。
(いつも机の引き出しに…)
入れたり出したりしていたせいで、昨夜も引き出しに入れてしまった。慣れた方へと、ついついウッカリ。「鞄から出した」ことも忘れて、引き出しの方に。
(そのせいで、持って出るのを忘れて…)
途中で気付いて、取りに戻ろうと頑張った。バスから降りて、家の方へと向かうバスに乗って。
家に戻って宿題を持って、遅刻しないように全力疾走。宿題を持ってゆくために。
頑張って走って学校に着いて、其処までで力尽きてしまった。…宿題は持って行けたけれども。
頑張りすぎてしまった宿題。感想文を書いていた段階でも、それを提出する所でも。
(…家に忘れて来たんです、って…)
本当のことを告げていたなら、きっと倒れたりしなかった。「宿題、やっていないんだな?」と笑われたって、大恥をかいて、赤っ恥だって。
(ハーレイに笑われても、クラスのみんなも笑っていても…)
その方が良かったのだろう。こんな結果を招いてしまって、母やハーレイにまで、心配をかけるくらいなら。…身体がすっかり壊れてしまって、食欲も失せるくらいなら。
(ぼく、明日は…)
学校を休んじゃうんだろうか、と辛くて悲しい。古典の授業は無い日だけれども、休めば学校でハーレイに会えない。チラと姿を見掛けることさえ、チャンスそのものが無くなるから。
(そうなっちゃうの…?)
今日もハーレイに少ししか会えていないのに、と零れる涙。
本当だったら授業でたっぷり会えたのに。好きでたまらない笑顔が見られて、大好きな声が沢山聞ける授業。…それを逃して、おまけに心配までさせた。ハーレイの目の前で倒れてしまって。
(…ごめんね、ハーレイ…)
ぼくがウッカリしてたから…、と思う間に、訪れた眠気。少しでも疲れを取りたい身体が、休む時間を欲しがって。「眠って治そう」と訴え掛けて。
引き摺られるように眠ってしまって、次に意識が浮上した時は…。
「おい、大丈夫か?」
寝ちまってるのか、と聞こえた声。直ぐ耳元で。
「…ハーレイ?」
どうしたの、と目をパチクリとさせた。
ハーレイはまだ学校だろうに、どうして此処にいるのだろう、と。それともこれは夢の世界で、目が覚めたらハーレイは消えるのだろうか…?
「どうしたの、って…。そうか、寝ぼけてるのか」
時間の感覚、寝ていたせいで無くなったんだな。
学校ならとうに終わっちまったさ、いつもの柔道部の方も。
俺の仕事は終わったってわけで、お前の見舞いに来てやったんだが…?
そういえば…、とハーレイは椅子を運んで来た。いつもこの部屋で座る椅子。窓辺に置かれた、ハーレイ専用になっている椅子を、ベッドの側に。
それに座って、ハーレイが浮かべた穏やかな笑み。
「お前の宿題、ちゃんと受け取ったぞ。…保健室の先生が渡してくれた」
昼休みに様子を見に行ってみたら、お前は帰った後だったから…。
どんな具合だったか訊くよりも前に、「ブルー君からです」と渡されちまった。教室まで持って行こうとしたから、代わりに預かっておいたんだ、とな。
「ホント? ちゃんと届いたんなら良かった…。でも、失敗…」
大失敗だよ、今日のぼく…。ごめんね、心配かけちゃって…。
「失敗なあ…。朝から倒れちまったことか?」
お前が遅刻しそうだなんて、珍しい日もあるもんだ、とは思ったが…。あんな時間に、校門まで走って来るなんてな。
気分が悪くて遅れたんなら、あそこで走っているわけがないし…。
いったい何をやらかしたんだ、と鳶色の瞳が覗き込む。「寝坊でもしたか?」と。
「そうじゃなくって…。いつも通りに家を出たけど、あの宿題…」
ハーレイが前に出してた宿題、家に忘れて出ちゃったんだよ。…昨日の晩にも手直しをしてて、鞄に戻すの忘れちゃって…。机の引き出しに入れてしまってて…。
学校へ行くバスに乗ってから、忘れて来たのに気が付いたから…。
宿題を忘れて行きたくなくって、家まで取りに戻らなきゃ、って…。だって、宿題、家に忘れて来たっていうのは、「やっていません」の意味になるでしょ…?
普通はそっちの意味に取るよね、と投げ掛けた問いを、ハーレイは否定しなかった。
「まあ、そうなるのが普通だろうな。…言い訳ってヤツの王道だから」
家まで確かめに行きはしないし、宿題が本当に忘れてあるかどうかは謎ってことで。
「やったんです」と主張されたら、「嘘をつくな」と言い返すのも、教師の仕事の一つだから。
「やっぱりね…。そうなるだろうと思ったから…」
頑張って取りに帰ったんだよ、まだ間に合うよね、って時計を見て。
いつもは降りないバス停で降りて、家の方へ行くバスに乗ろう、って…。
そしたら宿題を取りに帰れて、ハーレイの授業の時にきちんと渡せるから…。
それをやってて遅刻寸前、と目の前の恋人に白状した。
時刻表の通りにバスが来なくて、家に帰るのが遅くなったこと。父は会社に出掛けた後で、車で送って貰えなかったこと。
残る手段はバスだけだから、と乗り遅れないように走ったことも。
「家からバス停まで走ったんだよ、ホントに全力疾走で…。挨拶だって走りながらで」
バス停の椅子は空いていたけど、座ろうって思い付かなくて…。バスが早く来ないか、そっちの方を立って見ていて、一度も座らないままで…。
やっとバスが来て乗り込んでみたら、空いた席、一つも無かったんだよ。…ヘトヘトなのに。
おまけに信号で止まってばかりで、うんと時間がかかってしまって…。
学校の近くのバス停に着いたら、ギリギリの時間。…先生が表に立っているような。
だから急いで走らなくちゃ、って頑張って走って、間に合ったけど…。
門を入ったら、そこでチャイムが鳴ったんだけど…。でも…。
ぼくの力も其処でおしまい、とベッドの中でシュンとした。倒れてしまって、この通りだから。学校を早退する羽目になって、ハーレイにも心配をかけたのだから。
「そうだったのか…。宿題を取りに戻ったとはなあ…」
命懸けで提出したってわけだな、お前が出した感想文。なら、心して読まないと…。
そうとも知らずに受け取って来たが、お前の命が懸かってたなら。
コーヒー片手に読んじゃ駄目だな、とハーレイが表情を引き締めるから、瞳を瞬かせた。
「…命までは懸かっていないけど…」
ぼくは倒れてしまったけれども、それだけだよ?
救急車で病院に行ってはいないし、家の近所の病院にも行っていないから…。
ちょっぴり具合が悪いだけだよ、死にそうにはなっていないってば。
命なんかは懸かってないよ、と言ったのだけれど。
「俺にしてみりゃ、似たようなモンだ」
目の前でお前が倒れたんだぞ、駆け込んで来たかと思ったら。
元気そうだな、と思った途端に、お前、倒れてしまうんだから…。
何事なのかと大慌てな上に、お前の命の心配もする。
お前、元から弱いんだしなあ…。走っちまって、急に具合が悪くなっても不思議じゃないから。
俺の寿命まで縮んじまうだろうが、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「命懸けで宿題を持って来るのは結構なんだが、身体のことも考えろよ?」と。
「お前らしいと言ってしまえば、それまでなんだが…。お前、根っから真面目だからな」
宿題の一つや二つくらいは、忘れたって死にやしないのに…。減点だって知れてるのにな?
まあ、お蔭でお前を運べたんだし、俺は文句は言わないが。
あれは役得と言えるんだろう、と不思議な言葉。いったいどういう意味なのだろう…?
「運んだって…。それに、役得って、何?」
ハーレイがぼくを運んだってことは分かるけど…。保健室まで運んだんでしょ?
先生の仕事の内なんだろうし、何処が役得なのか分からないけれど…?
「簡単なことだ、お前を運んだ方法だな。他の先生たちが、担架を取りに行こうとしたから…」
これで行けます、とお前をヒョイと持ち上げただけだ。
お前の憧れの「お姫様抱っこ」だ、普通の男子生徒だったら、アレは嫌がるものなんだが…?
「えーっ!?」
覚えていないよ、ハーレイが運んでくれていたこと…!
せっかくの、お姫様抱っこ…。前から何度も頼んでたのに…。「いつか、お願い」って。
ぼくは何にも覚えてないのに、ハーレイだけが楽しんでたの…?
お姫様抱っこで、ぼくを運んで…、と尖らせた唇。本当に欠片も覚えていなくて、思い出しさえしないから。「お姫様抱っこだ」と聞かされても。
「当然だろうが、意識不明じゃ覚えているわけがない」
ついでに言うなら、あの状態だと、アレで運んでいても誰も笑わん。何処から見たって、病人を運んでいるわけだから。…それも意識が無い状態の。
もっとも、生徒はもういなかったが…。
チャイムが鳴ったし、みんな教室に行っちまってな、という話。「お姫様抱っこ」で運んでゆく所を目撃したのは、先生たちだけ。
「大丈夫ですか?」と覗き込んでいた先生だとか、例の宿題入りの鞄を手にして、保健室までの道を一緒に歩いた先生だとか。
「聖痕を持った一年生」が「守り役の先生」に運ばれたことは、学校の先生たちしか知らない。生徒は一人も知らないままで、目撃した生徒もいないまま。
幻みたいな「お姫様抱っこ」。覚えていないのは残念だけれど、先生たちしか知らないのなら、まだ諦めがつくというもの。「誰も見ていなかったんだものね?」と。
「そっか…。生徒は誰も見ていないんなら、ホントに病人を一人運んだだけだよね…」
お姫様抱っこで運ばれてたぞ、って噂になることも無いだろうから。
ごめんね、心配かけちゃって…。役得はいいけど、寿命が縮んだらしいから…。
ホントにごめん、と謝った。悪いのは全部自分なのだし、申し訳ないと思うから。
「いや、いいが…。俺のことは気にしなくてもいい」
しかし次から無理はするなよ、宿題は忘れてもかまわないから。…今日みたいにパタリと倒れるよりかは、潔く忘れてくれた方がな…?
「やだ…!」
本当に家に忘れたのかも、って思っていたって、ハーレイ、ぼくに言うんでしょ?
「その宿題は、やっていないんだな?」って、先生なら誰でも言いそうなことを。宿題をやっていない生徒の言い訳、大抵、それなんだから…。
でも…。無茶をしたぼく、何も食べられそうにないから…。
野菜スープを作ってくれる、と尋ねてみた。母のスープとプリンでもかまわないのだけれども、ハーレイが来てくれたのだったら、あのスープがいい。
前の生から好きだったスープ、とても素朴な「野菜スープのシャングリラ風」が。
「野菜スープだな、お安い御用だ」
お前、命懸けで頑張ったんだからな、俺に宿題を提出しようと。
それに比べりゃ、スープ作りの手間は大したことじゃない。だがな…。
頑張りすぎってヤツは良くないんだ、お前だって今日ので懲りたんだろう?
明日も学校に来られるかどうか怪しいくらいで、今だって飯が食えないんだから。
命懸けの無茶をするってヤツはだ、前のお前のメギドだけで終わりにしておいてくれ。あれでも充分、今の俺にはダメージがデカい。…生まれ変わって来た今でもな。
いいな、あれがお前の最後の無茶で、最大の無茶だ。
とはいえ、今日のも命懸けの無茶だぞ、あの時と並ぶくらいにな。
二度と無茶なんかをするんじゃない。…命懸けのは、もう沢山というヤツなんだ。
前のお前は、本当に頑張りすぎちまったから。
分かったな、とハーレイが怖い顔をするから、もう無茶はしたくないけれど。
ハーレイにも、母にも、自分の無茶のせいで、心配をかけたくはないのだけれど…。
(きっと、また…)
似たようなことをやりそうだから、ハーレイの宿題には気を付けよう。ウッカリ家に置き忘れてしまわないよう、鞄の中を何度も確認して。
(…ぼくがウッカリしていて、失敗…)
せっかくの「お姫様抱っこ」を覚えていないのは、きっと神様の罰だろう。
ハーレイにも母にも心配をかけて、その原因は自分だから。
自分がウッカリしていたばかりに、酷い無茶をして、学校で倒れてしまったから。
(次から宿題…)
忘れないようにしなくっちゃ、と思いながらも、目の前のハーレイにリクエストする。
「野菜スープのシャングリラ風」は、ちゃんとスプーンで食べさせて、と。
身体がだるくて起き上がれないから、その食べ方がいいんだけれど、と。
「お姫様抱っこは覚えてないから、スプーンでスープ…。駄目…?」
「仕方ないヤツだな、甘えやがって…。だが、命懸けで宿題、持って来たしな…?」
そのくらいの我儘は許してやろう、とハーレイは優しく微笑んでくれた。
「だが、無茶はいかんぞ?」と、「それをしっかり覚えておけよ」と。
(…だけど、無茶して倒れちゃったから…)
こんな時間を持てるんだよね、と思うと、それも幸せではある。
ハーレイに甘えられる時。
「スープをスプーンで食べさせて」などと注文をして。
無茶をし過ぎた身体はだるくてたまらなくても、心の中は幸せ一杯。
ハーレイと二人きりの時間で、もう少ししたら、あの懐かしい野菜スープも食べられるから…。
忘れた宿題・了
※ハーレイの授業で出された宿題。頑張ったのに、置き忘れて家を出てしまったブルー。
懸命に取りに帰った結果は、学校でダウン。憧れだった、お姫様抱っこ、記憶に無いのです。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
楽しみだよね、とブルーが思ったバスの中。朝、学校へと向かう路線バス。
いつも乗っているバスだけれども、幸いなことに座席は常に一つくらいは空いているもの。朝の通勤時間帯だけれど、乗客たちの行き先のお蔭か、はたまた乗ってゆく区間のせいか。
今日も乗ったら直ぐに座れたから、通学鞄を膝の上に置いて、学校のことを考える。ハーレイに会える、古典の授業。それがあるのが今日だから。
ハーレイは学校の教師だけれども、まるで会えずに終わる日もある。お互いが通る廊下や階段、それが全く重ならなくて。姿さえもチラと見られないまま、放課後になってしまう日も。
(古典がある日は、もう絶対に会えるんだから…)
自分のクラスで座っていたなら、ハーレイの方からやって来る。「ハーレイ先生」の貌で、古典を教えに来るのだとしても。…二人きりで話は出来なくても。
(運が良ければ、当てて貰えるし…)
そうなれば、自分が答える間は、ハーレイと一対一の時間。教師と生徒の間柄でも、ハーレイを独占できるのは確か。「当てて貰えたら嬉しいよね」と出てくる欲。
早くハーレイに会えないだろうか、学校に着いて、古典の時間が始まって。
(宿題も、ちゃんとやってあるもの…)
ハーレイが出した古典の宿題。目を通すのはハーレイなのだし、宿題をするにも力が入る。他の科目で出た宿題より、ずっと真剣に取り組みたくなる。「頑張らなくちゃ」と。
(感想文だけどね?)
問題を解いてゆくのではなくて、ハーレイが指示した古典を読むだけ。普通の本と全く同じに。
読み終わったら、感想を書く。自分がそれをどう感じたか。何処が気に入ったのか、とか。
(古文が苦手な生徒だったら、うんと困るだろうけれど…)
そうでなければ、読書感想文を書くのと何処も変わらない。自分が思ったことを書くだけ。
けれど古文がとても苦手な生徒も多いし、充分に設けられていた「宿題の時間」。
提出期限が今日だっただけで、宿題はもっと前から出ていた。古文が苦手な生徒たちでも、最後まできちんと読めるように。…読み終わった後は、感想文を書くための時間も必要になる。
宿題をやる時間はたっぷりあったし、早くに仕上げた。宿題が出た日に、早速、ハーレイが指示した古典を読んで。その日の間に、気になった箇所も書き出して。
張り切って早く仕上げた宿題。感想文だから、「決まった答え」が無い宿題。何処のクラスも、生徒の数だけ違った答えがあるだろう。「こう思った」とか、「主人公は間違ってる」とか。
(そういう宿題なんだから…)
ハーレイも採点するのではなくて、皆の感想を読んでゆく。書いた生徒たちを思い浮かべては、「あいつらしいな」と笑みを浮かべたりして。
「ブルー」と名前が書いてあったら、熱心に読んで貰えるだろう。古典の授業では教え子の中の一人だけれども、本当は恋人なのだから。…それも生まれてくる前からの。
(感想文の中に、「ハーレイが好き」とは書けないけれど…)
思いをこめて書き上げた。読みやすいよう、丁寧な字で。
「頑張ったんだな」と分かって貰えるようにと、表現などにも気を付けて。「いいと思います」ばかりを繰り返すよりは、「素敵でした」とか、「感動しました」。
もちろん誤字や脱字は論外、些細なミスも見落とさないよう、何度も何度も読み返して…。
(もう完璧…)
書き直した所も幾つもあったものね、と考えた所でハタと気付いた。
欠点など、もう何処にも無いだろう感想文。会心の出来で、自信満々なのだけれども…。
(昨夜、寝る前に…)
ベッドに腰掛けて「明日は提出」と思っていたら、書き直したくなった箇所。頭に浮かんだ違う表現、そっちの方がずっといい。「どうして今まで思い付かないの?」と呆れたくらいに。
書き直さなくちゃ、と鞄から出した感想文。読み返してみて、「やっぱりこっち」と消しゴムで消して、その部分を新しく書き直した。「この方がずっといいんだから」と。
それから全体をまた読み直して、「これがピッタリ」と大満足。でも、その後に…。
(宿題、ちゃんと鞄に入れた…?)
まるで記憶に残っていなくて、心配なことに自信も無い。「鞄に入れた」という自信。
なにしろ、早くに仕上げてあった宿題。提出期限の今日が来るより、ずっと前から。
それを何度も書き直したり、読み返したりしていたものだから…。
(感想文の置き場所、机の引き出しの中で…)
其処から出しては、また戻す日々。書き直した日も、「読んだだけ」の日も。
あまりに何度も、引き出しの中に入れたり、出したりしていたのだし…。
(もしかして、あの引き出しに…)
戻しちゃってはいないよね、と慌てて鞄の中を覗いた。膝の上で開けて、手を突っ込んで…。
まずは古典のノートの隣。次は教科書の方を調べて、「こっちかな?」と他の教科の方も見た。何も考えずに突っ込んだのなら、そちらに混じっていそうだから。
鞄の中をゴソゴソ探って、底の底まで捜してみたけれど…。
何処を調べても無かった宿題。入ってはいない感想文。ノートを端から広げてみたって、中には挟まっていなかった。鞄の中に無いのなら…。
(引き出しだ…!)
書き直した後に鞄に入れずに、引き出しに入れたに違いない。何度も出し入れしていたせいで、自分でも全く意識しないで。
(やっちゃった…)
家に置いて来てしまった宿題。それの提出期限は今日。
ハーレイが古典の時間に集めて、持って帰って読む感想文。忘れて行ったら、赤っ恥で大恥。
(ぼくの宿題、出せないんだから…)
宿題を集める方のハーレイはもちろん、クラス中の生徒が見るだろう。「やってないんだ」と。「家に忘れて来たんです」は、宿題をやらずに登校した生徒の「言い訳」の定番なのだから。
普段に出される宿題もそうだし、夏休みなんかの宿題もそう。
本当は「やっていない」というのに、「家に忘れました」と答える生徒。それは堂々と、まるで宿題は「完璧に出来ている」かのように。
(…家に帰って取ってこい、って言う先生は…)
一人もいないし、皆、そうやって言い訳をする。「家に忘れて来ちゃったんです」と。
だから自分が「本当のこと」を言ったって…。
(…宿題なんかやっていなくて、宿題が出たのも忘れてて…)
提出できないというだけのこと。ハーレイから見ても、クラスメイトたちの目から見たって。
(宿題を家に忘れるなんて…)
あんまりだよ、と自分の頭を叩きたい気分。よりにもよって、それを忘れて来るなんて。
家に忘れたのが教科書だったら、他のクラスの誰かに頼めば借りられる。ノートなら別の教科のノートを使って、「古典のノートを持っている」ふり。
でも、宿題だと、そうはいかない。借りるのも、「持っているふり」も。
宿題を家に忘れて来たなら、「同じ宿題」をやるしかない。学校に着いたら、懸命に。
出された問題を解くものだったら、友達に問題用紙を借りて。…生徒によっては、その答えまで丸写しにする「宿題のやり方」。自分なら、ちゃんと解くけれど。
何かをノートに書き写すだとか、そういったものでも、頑張って書けばいいけれど…。
(感想文なんて、学校じゃ無理…!)
レポート用紙や原稿用紙は手に入っても、とても書いてはいられない。時間が足りない。課題の古典は覚えていたって、その感想が丸ごと頭にあったって。
時間が無いなら、感想文を書けはしなくて、提出することが出来ない宿題。…ハーレイが教室にやって来たって、「この前の宿題、集めるぞ」と、クラスをぐるりと見回したって。
持ってはいない宿題は「出せない」。家に忘れたのが本当でも、結果が全て。ハーレイだって、意外そうな顔をするのだろう。「お前が宿題、忘れたってか?」と。
どう聞いたって「やっていません」の意味でしかない、「家に忘れて来ました」という言い訳。かなり前から出ていた宿題だけに、余計に恥ずかしい。
(ハーレイの宿題、持って来るのを忘れるだなんて…)
そのせいで「宿題をやっていない」ことになるなんて。
ハーレイが聞いても、クラスメイトが聞いても、そうなってしまう。宿題を出さずに、「忘れて来ました」と、正直に本当のことを言っても。
(そんなの、嫌だ…)
出来るわけない、と腕の時計を眺めた。今の時間は何時だろう、と。
余裕を持って家を出るから、針が指している時間は遅くはない。学校が始まる時間を知らせる、チャイムの音。遅刻しそうな生徒が慌てる、あの音が鳴るのは、まだずっと先。
(まだ大丈夫…!)
今だったら、きっと間に合う筈。宿題を取りに家に戻って、出直して来ても。
(帰って、取って来た方が…)
宿題を忘れて恥をかくより、ずっとマシ。学校に着くのが少し遅れても、遅刻はしない。
家に帰ろう、と降車ボタンを押した。「次で降ります!」と大急ぎで。
いつもだったら、そのボタンを押すバス停には、まだ着かないのに。
学校の側にあるバス停なら、もう少し先になるというのに。
とにかく急いで帰らなきゃ、と降りたバス停。今までに降りた経験は無い。そんな所に用などは無いし、いつも窓から見ているだけ。
(初めて此処で降りちゃった…)
けれど、余分な料金などは一切かからない。何ヶ月も先まで支払い済みで、鞄につけたチップを機械が読み取るだけ。その期間だったら、いつでも何処でも、乗り降り出来る仕組みのものを。
側の横断歩道を渡って、道路の向かいのバス停に行った。家に帰るなら、そっちでないと。
(此処からだったら…)
自分が使っているバスの他に、違う路線バスもあるらしい。家の方へと走ってゆくのが。
二つもあるなら頼もしいよね、と時刻表を眺めてホッとしたけれど。じきに、どちらかのバスが走って来そうな時間なのだけれど…。
(……来ない……)
待っているのに、時間通りに来てくれないバス。いつものバスも、違う路線のも。
途中の道が混んでいるのか、ずっと向こうで道路工事でもしているか。
(街路樹の枝を切ってるのかも…)
そういう時には、車線が減ってしまうもの。「工事中」だとか「剪定中」とか、理由が書かれた看板がドンと据えられて。場合によっては、誘導係の人までがいて。
(そうなっちゃった…?)
直ぐに来そうなバスが走って来ないなら。…予定の時刻を過ぎているなら。
腕の時計に視線を遣っては、バスが走って来る方を見る。「まだ来ないの?」と伸び上がって。
何度もそれを繰り返していたら、ようやく見えた路線バス。他の車たちのずっと向こうに。早く来ないかと待って、待ち続けて、「やっと来たよ」と乗り込んで…。
(大丈夫だよね?)
家の方へと走ってゆくバス、空いていた席に腰を下ろして考える。
バスが来なくて、思った以上に無駄に時間を費やしたけれど、まだ学校には間に合う筈、と。
いつも通りに余裕を持って家を出たから、始業のチャイムが鳴り響く前に学校に着ける。此処で家まで戻って行っても、家に忘れた宿題を取りに帰っても。
けれど、遅れて走って来たバス。ずいぶん待ったし、これで戻って、またバス停から学校の方へ行くバスに乗るなら、到着時間は、多分ギリギリ。
家の近くのバス停で降りて、腕の時計を確かめた。「ホントにギリギリになっちゃいそう」と。
此処から家まで歩いて帰って、二階の部屋まで駆け上がる。引き出しに忘れた宿題を取りに。
大切な宿題を鞄に入れたら、後は学校に戻るだけ。…時間は本当にギリギリだけれど。
(パパが家にいればいいけれど…)
出勤前なら、頼んで車に乗せて貰おう。「会社に行く前に、ぼくを学校まで送ってよ」と。父の車なら速いし、安心。時刻表なんかも関係なくて、乗ったら直ぐに走り出すだけ。
(それなら、ギリギリなんかじゃなくて…)
もっと早くに着ける筈だよ、と急ぎ足で帰って行った家。本当は走りたいのだけれども、万一の時を考えたならば、体力は残した方がいい。父はとっくに出掛けてしまって、残る手段は路線バスしか無いことだってあるのだから。
急がなくちゃ、と速足で着いて、門扉を開けて庭に飛び込んだ。玄関まで一直線に走って、扉を大きく開け放ったら…。
「あら、ブルー?」
どうしたの、と母が目の前で驚いた顔。掃除の途中か、庭へ出ようとしていたのか。
「忘れ物…!」
取りに戻って来たんだよ、と返事しながら脱ぎ捨てた靴。そのままバタバタ二階に走って、机の引き出しから宿題を出して、鞄の中へ。
(これで宿題は、もう大丈夫…!)
ちゃんと提出できるんだから、と鞄の蓋を閉めて、ポンと軽く叩いた。「大丈夫!」と、忘れて出掛けた自分に言い聞かせるように。
そして大慌てで、階段を下へと駆け下りて行って…。
「ママ、パパは!?」
まだ家にいるの、と母に尋ねた。階段の下に立っていたから。…忘れ物をした一人息子を、その行動を見守るように。
「パパって…。とっくに会社に行ったわよ?」
「本当に…!?」
ど、どうしよう…。それじゃ送って貰えないよね、パパがいるかと思ってたのに…。
パパの車で送って貰えば、学校、直ぐに着けるのに…!
そう叫んだって、父は会社に出掛けた後。母は車を持っていないし、タクシーを呼んで貰うのも妙な話ではある。
(タクシーで来ちゃいけません、っていう決まりなんかは…)
無いのだけれども、学校の前でタクシーから降りたら、目立つだろう。バス通学だって、自分が例外のようなもの。丈夫な生徒は同じ距離でも、自転車だったり、歩いていたり。
(ただでも目立っているんだから…)
それがタクシーで乗り付けたならば、きっと注目を浴びる筈。「いったい何があったんだ?」と皆が眺めて、理由を訊かれるかもしれない。「今日は具合が悪いのか?」とか。
(そうだよ、って嘘はつけるけど…!)
本当は宿題を忘れて取りに戻ったわけだし、いたたまれない気分になってしまいそう。一日中、朝の出来事が頭の中でグルグル、もちろんハーレイの授業中にも。
(そんなの嫌だよ…!)
タクシーが駄目なら、残った手段は路線バスだけ。この時間ならば、本当にギリギリ。
今、バス停に向かっているだろうバス、それを逃してたまるもんか、と家を飛び出して、全力で走った。普段はのんびり歩く道筋、それをバス停までまっしぐらに。
途中で出会った近所の人にも、すれ違いざまに「おはようございます!」と叫んだだけで。
バス停が見えたら、ラストスパート。目の前でバスに行かれたくはない。
(間に合った…!?)
時刻表を見て、辺りをキョロキョロ。バスの後ろ姿などは無いから、走り去ってはいない筈。
大丈夫だよね、と確認する間に、見えて来たバス。「あれに乗らなくちゃ」と気ばかり焦って、バス停の椅子に座って休みもしないで、やって来たバスに乗り込んで…。
(席、空いてない…)
それほど混んではいないのだけれど、一つも無いのが座れる席。どの席にも先客が座っている。「次で降ります」と降車ボタンを押す人もいない。
家から走って、息を切らしたままで立ち続けて、此処にいるのに。…バスに乗ったら、座れると思い込んでいたのに。
(…それに、信号…)
いつも以上に引っ掛かる。タイミング悪く赤に変わって、其処で止まってしまうバス。
「早く」と腕の時計を見ても。「間に合うよね?」と心配しても。
どんどん過ぎてゆく時間。座れないのも辛いのだけれど、時間の方が遥かに気掛かり。
(もう本当にギリギリかも…)
もしかしたら遅刻しちゃうのかも、と焦る間に、なんとかバスは学校の近くのバス停に着いた。とうとう最後まで座れなかったし、息は乱れたままだけれども…。
(走らなくっちゃ…)
でないとチャイムに間に合わない、と鞄を手にして必死に走った。バス停から校門までの間を、もう文字通りに死力を尽くして。…これが体育の授業中なら、見学に回るだろう身体に鞭打って。
(息が苦しくて…)
心臓の鼓動も激しいけれども、遅刻は出来ない。それでは此処まで来た意味がない。遅刻してもいいと思うのだったら、走ってバスには乗らないから。のんびり出掛けて遅刻するから。
そうして目指す校門の前に、先生がいるということは…。
(ホントにギリギリ…!)
「じきに閉めるぞ?」と見張っているのが、先生の役目。チャイムが鳴ったら、閉まってしまう学校の門。それから後に登校したなら、脇の小さな門の方から…。
(入ることになって、先生が名前を確認して…)
遅刻者のリストに入れられる。大きな門から入れたならば、其処に名前は載らないのに。
その前に間に合いますように、と転がるように走り込んだ所でチャイムが鳴った。学校に入った生徒たちにも、遅刻しそうな生徒の耳にも聞こえるように、遠くの方まで木霊しながら。
(間に合った…!)
遅刻じゃないよ、とホッとした途端に、聞こえた声。
「珍しいな」というハーレイの声で、そっちの方を眺めたら…。
(もう朝練が終わった後…)
柔道着ではなくて、スーツを着込んだハーレイ。
校門を閉めている先生とは別に、小さな門の側に立っているから、遅刻した生徒のチェック係。今日はハーレイがその当番で、「名前は?」と訊いて名簿に書き込むのだろう。クラスも、遅刻の理由なんかも聞き出して。
そのハーレイに、「遅刻しないで済んで良かったな」と笑顔を向けられて、気が緩んだのか。
それとも身体が限界だったか。…走った上にバスでは座れず、今も走って来たのだから。
ぐらりと身体が傾いだ気がして、もつれた足。もう走ってはいないのに。
(…嘘……!)
スウッと視界が暗くなってしまって、ハーレイの笑顔が見えなくなった。周りの景色も、足元の地面も、何もかもが。
「ブルー!?」
ハーレイに抱き留められたようにも思うけれども、薄れてゆく意識。重い身体は自分のものではないかのようで、立っているのか、そうでないかも分からない。
(…倒れちゃったの…?)
どうなってるの、と思ったのが最後。
ハッと気付いたら、目に入ったものは白い天井。ベッドの上に寝かされていて、保健室だと直ぐ分かった。何度もお世話になった場所だし、常連と言ってもいいほどだから。
「ブルー君、大丈夫?」
目が覚めたのね、と保健室の先生がベッドの側にやって来た。「何処か痛い?」と。
壁の時計にふと目を遣ったら、もう二時間目が始まる時間。遅刻寸前に駆け込んだものの、朝のクラスでのホームルームも、一時間目も、知らずに眠っていたらしい。
それに、二時間目と言えば…。
(ハーレイの授業…!)
古典の授業は二時間目だよ、と慌てて起き上がろうとした。「宿題を持って行かなくちゃ」と。
そのために家まで帰ったのだし、早く教室に行かなくては。ハーレイが「持って来てるか?」とクラスを見渡す前に。宿題を集め始める前に。
けれどグルンと目が回って…。
(…ぼくの鞄…!)
それが何処かも分からないまま、背中からベッドに沈み込んだ。上半身を起こせもしないで。
「駄目よ、静かに寝ていないと。お母さんには連絡したわ」
じきに迎えに来て下さるから、それまでベッドで寝ていなさいね。
倒れたんだから起きちゃ駄目よ、と念を押された。
まだ宿題を提出できていないのに。
二時間目の授業に行かなかったら、それをハーレイに渡せないのに。
頑張って取りに帰った宿題。バスで戻って、懸命に走って、ちゃんと学校まで持って来たのに、渡せない。…保健室でこうして寝ているからには、「忘れた」ことにはならなくても。
このまま鞄ごと持って帰っても、誰も咎めはしなくても…。
(頑張った意味が無くなっちゃうよ…)
倒れて保健室に来たのは、その宿題を取りに帰ったせい。「ハーレイに渡そう」と、ただ一心に頑張り続けて、こうなってしまったのだから…。
「……宿題……」
「え?」
なあに、と顔を覗き込まれた。「宿題が、どうかしたのかしら?」と。
「…ハーレイ先生の宿題があって…」
今なんです、と訴えた。二時間目が古典の授業なことと、今日が提出期限なことを。その宿題が鞄に入っているから、教室まで持って行きたい、と。
「あらまあ…。やっぱり真面目ね、ブルー君は」
保健室まで来ちゃった生徒は、宿題なんか気にしないのに…。「出さなくていい」と思う生徒もいるわね、やらずに来ちゃったような時だと。
宿題だったら、ハーレイ先生に渡しておいてあげるわよ。お昼休みに。
様子を見に来ると仰ってたから、という先生の言葉は心強いけれど、宿題はちゃんとハーレイに届きそうなのだけど…。
(その時は、ぼく…)
母に連れられて早退した後。ハーレイに自分で渡せはしない。
会心の出来の宿題なのに。それを忘れて来たと気付いて、家まで取りに戻った結果が、こういうことになっているのに。
けれど、どうにもならない状況。教室に行く許可は出なくて、第一、ろくに歩けもしない。
仕方ないから、先生に頼んで鞄を受け取り、中から宿題を引っ張り出した。
「これ、お願いします。…ハーレイ先生に渡して下さい」
「分かったわ。ちゃんと忘れずに渡しておくから、安心しなさい」
あ、お母さんがいらしたみたい。
帰ったら無理をしないで寝るのよ、明日の授業とか宿題のことは気にしないでね。
「無茶は駄目よ」という先生の声に送られ、母と一緒に出た保健室。
そうして連れて帰られた家。学校の駐車場に待たせてあったタクシーに乗せられ、真っ直ぐに。
家に着くなり、押し込まれたベッド。制服を脱がされ、パジャマに着替えさせられて。
母は叱らなかったけれども、原因には気付いているだろう。宿題を取りに戻った時に会ったし、父の車が無かったからには、一人息子がどうなったかも。
(バス停まで走って行っちゃったのも、バスで座れなかったのも…)
母ならば、きっとお見通し。そうやって乗ったバスが遅れて、学校の前でも走ったことも。遅刻寸前に走り込もうと、弱い身体で全力疾走していたことも。
(大失敗…)
ホントに失敗、と情けない気分。
頑張って仕上げた宿題も出せず、ハーレイの授業にも出られずに帰って来たなんて。
昨夜、ウッカリしていたばかりに、宿題を引き出しに入れてしまって。一度は鞄に入れた宿題、それを手直ししていたせいで、家に置き忘れて出たなんて。
(途中で気付いて、取りに戻ったのはいいんだけれど…)
その宿題は、保健室の先生がハーレイに渡してくれる筈。「ブルー君から預かりました」と。
宿題をきちんと「やって来た」ことはハーレイに伝わるけれども、たったそれだけ。期限までに提出したというだけ、他には何の役にも立たない。
あんなに頑張って取りに戻ったのに、ハーレイに届けようとしたのに…。
(きっと心配させちゃっただけ…)
ハーレイは事情を知らないのだから、「ブルーが倒れた」と大慌てしたことだろう。いつもなら早い時間に登校するのに、どうしたわけだか遅刻間際のギリギリの時間に走って来て。ハアハアと息を切らせたままで、門の所で倒れたなんて。
(何があったのかと思うよね…?)
寝坊したから必死だったか、バスの中でウトウト眠ってしまって、終点まで行って戻ったのか。
まさか宿題を取りに戻ったとは思わないだろうし、思い付くのはそういったケース。
(…宿題を取りに家まで帰って、遅刻しそうなのも酷いけど…)
寝坊するのも、乗り過ごして終点から戻ってくるのも、馬鹿のよう。どちらも間抜け。
考えるほどに、涙がポロポロ零れてくる。
「ぼくって、駄目だ」と。「ホントにウッカリしてた馬鹿だよ」と、「ぼくの大馬鹿!」と。
そんな調子だから、気分はドン底。それに身体がだるくて重い。無理をし過ぎて、とても負担をかけたから。…下手な体育の授業の時より、ずっと体力を使ったから。
(ホントに馬鹿だ…)
身体まで駄目にしちゃうだなんて、と後悔したって、もう遅い。弱い身体はとうに限界、悲鳴を上げている状態。「もう動けない」と、「走るどころか、歩くのも無理」と。
それでは食欲があるわけもなくて、昼食は母が作ったスープとプリンだけ。
「何か食べられそう?」と母に訊かれても、首を横に振るしかなかったから。「欲しくない」とベッドで丸くなるだけで、本当に欲しくなかったから。
(それでスープと、甘いプリンと…)
喉ごしが良くて、栄養がつきそうなコーンのポタージュスープ。卵を使った柔らかなプリン。
なんとか食べられはしたのだけれども、夕食も食べられないかもしれない。昼と同じにスープとプリンで、他には何も口にしないで。
(明日の学校…)
保健室の先生は、「明日の授業も宿題も気にしないでね」と言っていた。具合が悪くて早退した子は、宿題をやって行かなくてもいい。欠席していて、復帰した子も。
だから自分も、その注意を受けた。登校するなら、宿題のことは気にせずに。休むのだったら、明日の授業で出される宿題、それは「やらなくてもいい」と。
(……宿題……)
それで頑張りすぎちゃったんだよ、と涙が溢れる。
ハーレイが授業で出した宿題、今日が提出期限だった感想文を「素晴らしいもの」にしたくて、何度も何度も手直しして。昨夜も「こっちの方がいいよ」と書き直したりして。
(いつも机の引き出しに…)
入れたり出したりしていたせいで、昨夜も引き出しに入れてしまった。慣れた方へと、ついついウッカリ。「鞄から出した」ことも忘れて、引き出しの方に。
(そのせいで、持って出るのを忘れて…)
途中で気付いて、取りに戻ろうと頑張った。バスから降りて、家の方へと向かうバスに乗って。
家に戻って宿題を持って、遅刻しないように全力疾走。宿題を持ってゆくために。
頑張って走って学校に着いて、其処までで力尽きてしまった。…宿題は持って行けたけれども。
頑張りすぎてしまった宿題。感想文を書いていた段階でも、それを提出する所でも。
(…家に忘れて来たんです、って…)
本当のことを告げていたなら、きっと倒れたりしなかった。「宿題、やっていないんだな?」と笑われたって、大恥をかいて、赤っ恥だって。
(ハーレイに笑われても、クラスのみんなも笑っていても…)
その方が良かったのだろう。こんな結果を招いてしまって、母やハーレイにまで、心配をかけるくらいなら。…身体がすっかり壊れてしまって、食欲も失せるくらいなら。
(ぼく、明日は…)
学校を休んじゃうんだろうか、と辛くて悲しい。古典の授業は無い日だけれども、休めば学校でハーレイに会えない。チラと姿を見掛けることさえ、チャンスそのものが無くなるから。
(そうなっちゃうの…?)
今日もハーレイに少ししか会えていないのに、と零れる涙。
本当だったら授業でたっぷり会えたのに。好きでたまらない笑顔が見られて、大好きな声が沢山聞ける授業。…それを逃して、おまけに心配までさせた。ハーレイの目の前で倒れてしまって。
(…ごめんね、ハーレイ…)
ぼくがウッカリしてたから…、と思う間に、訪れた眠気。少しでも疲れを取りたい身体が、休む時間を欲しがって。「眠って治そう」と訴え掛けて。
引き摺られるように眠ってしまって、次に意識が浮上した時は…。
「おい、大丈夫か?」
寝ちまってるのか、と聞こえた声。直ぐ耳元で。
「…ハーレイ?」
どうしたの、と目をパチクリとさせた。
ハーレイはまだ学校だろうに、どうして此処にいるのだろう、と。それともこれは夢の世界で、目が覚めたらハーレイは消えるのだろうか…?
「どうしたの、って…。そうか、寝ぼけてるのか」
時間の感覚、寝ていたせいで無くなったんだな。
学校ならとうに終わっちまったさ、いつもの柔道部の方も。
俺の仕事は終わったってわけで、お前の見舞いに来てやったんだが…?
そういえば…、とハーレイは椅子を運んで来た。いつもこの部屋で座る椅子。窓辺に置かれた、ハーレイ専用になっている椅子を、ベッドの側に。
それに座って、ハーレイが浮かべた穏やかな笑み。
「お前の宿題、ちゃんと受け取ったぞ。…保健室の先生が渡してくれた」
昼休みに様子を見に行ってみたら、お前は帰った後だったから…。
どんな具合だったか訊くよりも前に、「ブルー君からです」と渡されちまった。教室まで持って行こうとしたから、代わりに預かっておいたんだ、とな。
「ホント? ちゃんと届いたんなら良かった…。でも、失敗…」
大失敗だよ、今日のぼく…。ごめんね、心配かけちゃって…。
「失敗なあ…。朝から倒れちまったことか?」
お前が遅刻しそうだなんて、珍しい日もあるもんだ、とは思ったが…。あんな時間に、校門まで走って来るなんてな。
気分が悪くて遅れたんなら、あそこで走っているわけがないし…。
いったい何をやらかしたんだ、と鳶色の瞳が覗き込む。「寝坊でもしたか?」と。
「そうじゃなくって…。いつも通りに家を出たけど、あの宿題…」
ハーレイが前に出してた宿題、家に忘れて出ちゃったんだよ。…昨日の晩にも手直しをしてて、鞄に戻すの忘れちゃって…。机の引き出しに入れてしまってて…。
学校へ行くバスに乗ってから、忘れて来たのに気が付いたから…。
宿題を忘れて行きたくなくって、家まで取りに戻らなきゃ、って…。だって、宿題、家に忘れて来たっていうのは、「やっていません」の意味になるでしょ…?
普通はそっちの意味に取るよね、と投げ掛けた問いを、ハーレイは否定しなかった。
「まあ、そうなるのが普通だろうな。…言い訳ってヤツの王道だから」
家まで確かめに行きはしないし、宿題が本当に忘れてあるかどうかは謎ってことで。
「やったんです」と主張されたら、「嘘をつくな」と言い返すのも、教師の仕事の一つだから。
「やっぱりね…。そうなるだろうと思ったから…」
頑張って取りに帰ったんだよ、まだ間に合うよね、って時計を見て。
いつもは降りないバス停で降りて、家の方へ行くバスに乗ろう、って…。
そしたら宿題を取りに帰れて、ハーレイの授業の時にきちんと渡せるから…。
それをやってて遅刻寸前、と目の前の恋人に白状した。
時刻表の通りにバスが来なくて、家に帰るのが遅くなったこと。父は会社に出掛けた後で、車で送って貰えなかったこと。
残る手段はバスだけだから、と乗り遅れないように走ったことも。
「家からバス停まで走ったんだよ、ホントに全力疾走で…。挨拶だって走りながらで」
バス停の椅子は空いていたけど、座ろうって思い付かなくて…。バスが早く来ないか、そっちの方を立って見ていて、一度も座らないままで…。
やっとバスが来て乗り込んでみたら、空いた席、一つも無かったんだよ。…ヘトヘトなのに。
おまけに信号で止まってばかりで、うんと時間がかかってしまって…。
学校の近くのバス停に着いたら、ギリギリの時間。…先生が表に立っているような。
だから急いで走らなくちゃ、って頑張って走って、間に合ったけど…。
門を入ったら、そこでチャイムが鳴ったんだけど…。でも…。
ぼくの力も其処でおしまい、とベッドの中でシュンとした。倒れてしまって、この通りだから。学校を早退する羽目になって、ハーレイにも心配をかけたのだから。
「そうだったのか…。宿題を取りに戻ったとはなあ…」
命懸けで提出したってわけだな、お前が出した感想文。なら、心して読まないと…。
そうとも知らずに受け取って来たが、お前の命が懸かってたなら。
コーヒー片手に読んじゃ駄目だな、とハーレイが表情を引き締めるから、瞳を瞬かせた。
「…命までは懸かっていないけど…」
ぼくは倒れてしまったけれども、それだけだよ?
救急車で病院に行ってはいないし、家の近所の病院にも行っていないから…。
ちょっぴり具合が悪いだけだよ、死にそうにはなっていないってば。
命なんかは懸かってないよ、と言ったのだけれど。
「俺にしてみりゃ、似たようなモンだ」
目の前でお前が倒れたんだぞ、駆け込んで来たかと思ったら。
元気そうだな、と思った途端に、お前、倒れてしまうんだから…。
何事なのかと大慌てな上に、お前の命の心配もする。
お前、元から弱いんだしなあ…。走っちまって、急に具合が悪くなっても不思議じゃないから。
俺の寿命まで縮んじまうだろうが、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「命懸けで宿題を持って来るのは結構なんだが、身体のことも考えろよ?」と。
「お前らしいと言ってしまえば、それまでなんだが…。お前、根っから真面目だからな」
宿題の一つや二つくらいは、忘れたって死にやしないのに…。減点だって知れてるのにな?
まあ、お蔭でお前を運べたんだし、俺は文句は言わないが。
あれは役得と言えるんだろう、と不思議な言葉。いったいどういう意味なのだろう…?
「運んだって…。それに、役得って、何?」
ハーレイがぼくを運んだってことは分かるけど…。保健室まで運んだんでしょ?
先生の仕事の内なんだろうし、何処が役得なのか分からないけれど…?
「簡単なことだ、お前を運んだ方法だな。他の先生たちが、担架を取りに行こうとしたから…」
これで行けます、とお前をヒョイと持ち上げただけだ。
お前の憧れの「お姫様抱っこ」だ、普通の男子生徒だったら、アレは嫌がるものなんだが…?
「えーっ!?」
覚えていないよ、ハーレイが運んでくれていたこと…!
せっかくの、お姫様抱っこ…。前から何度も頼んでたのに…。「いつか、お願い」って。
ぼくは何にも覚えてないのに、ハーレイだけが楽しんでたの…?
お姫様抱っこで、ぼくを運んで…、と尖らせた唇。本当に欠片も覚えていなくて、思い出しさえしないから。「お姫様抱っこだ」と聞かされても。
「当然だろうが、意識不明じゃ覚えているわけがない」
ついでに言うなら、あの状態だと、アレで運んでいても誰も笑わん。何処から見たって、病人を運んでいるわけだから。…それも意識が無い状態の。
もっとも、生徒はもういなかったが…。
チャイムが鳴ったし、みんな教室に行っちまってな、という話。「お姫様抱っこ」で運んでゆく所を目撃したのは、先生たちだけ。
「大丈夫ですか?」と覗き込んでいた先生だとか、例の宿題入りの鞄を手にして、保健室までの道を一緒に歩いた先生だとか。
「聖痕を持った一年生」が「守り役の先生」に運ばれたことは、学校の先生たちしか知らない。生徒は一人も知らないままで、目撃した生徒もいないまま。
幻みたいな「お姫様抱っこ」。覚えていないのは残念だけれど、先生たちしか知らないのなら、まだ諦めがつくというもの。「誰も見ていなかったんだものね?」と。
「そっか…。生徒は誰も見ていないんなら、ホントに病人を一人運んだだけだよね…」
お姫様抱っこで運ばれてたぞ、って噂になることも無いだろうから。
ごめんね、心配かけちゃって…。役得はいいけど、寿命が縮んだらしいから…。
ホントにごめん、と謝った。悪いのは全部自分なのだし、申し訳ないと思うから。
「いや、いいが…。俺のことは気にしなくてもいい」
しかし次から無理はするなよ、宿題は忘れてもかまわないから。…今日みたいにパタリと倒れるよりかは、潔く忘れてくれた方がな…?
「やだ…!」
本当に家に忘れたのかも、って思っていたって、ハーレイ、ぼくに言うんでしょ?
「その宿題は、やっていないんだな?」って、先生なら誰でも言いそうなことを。宿題をやっていない生徒の言い訳、大抵、それなんだから…。
でも…。無茶をしたぼく、何も食べられそうにないから…。
野菜スープを作ってくれる、と尋ねてみた。母のスープとプリンでもかまわないのだけれども、ハーレイが来てくれたのだったら、あのスープがいい。
前の生から好きだったスープ、とても素朴な「野菜スープのシャングリラ風」が。
「野菜スープだな、お安い御用だ」
お前、命懸けで頑張ったんだからな、俺に宿題を提出しようと。
それに比べりゃ、スープ作りの手間は大したことじゃない。だがな…。
頑張りすぎってヤツは良くないんだ、お前だって今日ので懲りたんだろう?
明日も学校に来られるかどうか怪しいくらいで、今だって飯が食えないんだから。
命懸けの無茶をするってヤツはだ、前のお前のメギドだけで終わりにしておいてくれ。あれでも充分、今の俺にはダメージがデカい。…生まれ変わって来た今でもな。
いいな、あれがお前の最後の無茶で、最大の無茶だ。
とはいえ、今日のも命懸けの無茶だぞ、あの時と並ぶくらいにな。
二度と無茶なんかをするんじゃない。…命懸けのは、もう沢山というヤツなんだ。
前のお前は、本当に頑張りすぎちまったから。
分かったな、とハーレイが怖い顔をするから、もう無茶はしたくないけれど。
ハーレイにも、母にも、自分の無茶のせいで、心配をかけたくはないのだけれど…。
(きっと、また…)
似たようなことをやりそうだから、ハーレイの宿題には気を付けよう。ウッカリ家に置き忘れてしまわないよう、鞄の中を何度も確認して。
(…ぼくがウッカリしていて、失敗…)
せっかくの「お姫様抱っこ」を覚えていないのは、きっと神様の罰だろう。
ハーレイにも母にも心配をかけて、その原因は自分だから。
自分がウッカリしていたばかりに、酷い無茶をして、学校で倒れてしまったから。
(次から宿題…)
忘れないようにしなくっちゃ、と思いながらも、目の前のハーレイにリクエストする。
「野菜スープのシャングリラ風」は、ちゃんとスプーンで食べさせて、と。
身体がだるくて起き上がれないから、その食べ方がいいんだけれど、と。
「お姫様抱っこは覚えてないから、スプーンでスープ…。駄目…?」
「仕方ないヤツだな、甘えやがって…。だが、命懸けで宿題、持って来たしな…?」
そのくらいの我儘は許してやろう、とハーレイは優しく微笑んでくれた。
「だが、無茶はいかんぞ?」と、「それをしっかり覚えておけよ」と。
(…だけど、無茶して倒れちゃったから…)
こんな時間を持てるんだよね、と思うと、それも幸せではある。
ハーレイに甘えられる時。
「スープをスプーンで食べさせて」などと注文をして。
無茶をし過ぎた身体はだるくてたまらなくても、心の中は幸せ一杯。
ハーレイと二人きりの時間で、もう少ししたら、あの懐かしい野菜スープも食べられるから…。
忘れた宿題・了
※ハーレイの授業で出された宿題。頑張ったのに、置き忘れて家を出てしまったブルー。
懸命に取りに帰った結果は、学校でダウン。憧れだった、お姫様抱っこ、記憶に無いのです。
PR