シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
生き続ける船
(何の音…?)
学校からの帰りに、ブルーの耳に届いた音。バス停から家まで歩く途中の、いつもの道。
バスを降りてから少し歩いたら、聞こえて来た何かを壊すような音。石が幾つも崩れるような、ガラガラという音だって。
(こっちの方…)
気になるからと道を外れて、音の方へと進んで行った。住宅街の中の道沿いに。生垣に囲まれた家の前を通って、角を曲がって、歩けば音が近付いて来る。ガシャンと何かが割れる音も。
何事だろう、と訝しみながら角を曲がった途端に、目に飛び込んで来た信じられない光景。
(壊しちゃってる…!)
通り道ではないのだけれども、自分の家から近い場所。御主人の顔もよく知っている家。
芝生の向こうに建つ、お洒落なポーチが素敵な家が好きだった。物語に出て来る家みたいで。
その大好きなポーチの辺りが、玄関や側の家の壁ごと壊されている真っ最中。ガラガラと機械に毟り取られて、窓のガラスも取り外されて。
(…嘘…)
なんで、と何度も瞬きをした。夢なのかも、と思ったから。夢なら瞬きすれば覚める筈だから。
けれども、覚めてくれない夢。自分が見ているものが現実。家は壊されてゆくところ。
まだ住めそうな家なのに。屋根も外壁も、ガラスを失くした窓枠も。
古くて駄目な家とは違って、充分に綺麗だった家。此処を通る時は、生垣越しにポーチを眺めて楽しんでいたものなのに。
燦々と日が当たるポーチは、本当にお気に入りだった。絵に描いたような其処で、この家の猫がのんびり昼寝をしていたりして。
(あのポーチ…)
なくなっちゃった、と壊されてゆくのを見ているしかない。大きな機械が毟ってゆくのを、壁や窓まで削り取られて消えてゆくのを。
天気がいいのに、もうポーチにはいない猫。こんな場所には、他の猫だって来ないだろう。怖い音がするし、近付いたら怪我もしそうだから。瓦礫を踏んだり、ぶつかったりして。
(壊しちゃうなんて…)
あんまりだよ、と思うけれども、きっと明日には家は丸ごと消えてしまっているのだろう。学校から帰って来るこの時間には、何も残っていはしない。
ポーチも家も、全部壊されて、トラックに乗せて運び去られて。何もない地面が広がるだけ。
(そんな…)
本当に好きな家だったのに。壊されるのなら、その前に見ておきたかったのに。
ゆっくり眺めて、心の中で「さよなら」を言って、目に焼き付けておきたかった。幼い頃から、此処のポーチが好きだったから。通る度に見ていた家だったから。
家は売られて、新しい人が別の家を建てて住むのだろうか。壊されてゆく家の代わりに。
こういう家に住んでみたい、と自分の好みの新しい家。
(あのまま住んであげればいいのに…)
そんなに古くない筈だよ、と子供の自分でも分かる。建て直さなければならないくらいに、古い家ではなかったこと。何十年だって住めそうなこと。
けれど、目の前で崩れてゆく家。無くなってしまったポーチの天井。柱もじきに倒される。側の床をごっそり抉り取られて、立っていることが出来なくなって。
全部消えちゃう、と呆然と其処に立ち尽くしていたら…。
「ブルー君?」
後ろからの声で振り向いた。誰、と思ったら、この家の御主人。幼い頃から知っている人。
慌ててピョコンと頭を下げて、「こんにちは」と挨拶したのだけれど。
(あれ…?)
何故、御主人が此処にいるのだろう。家は壊されてゆく所なのに。御主人が住んでいた筈の家。
今も大きな機械がせっせと、壁を、柱を毟っているのに。
家は売られてしまったんじゃあ…、と御主人と家を見比べた。「変だよね?」と。
御主人は普段と変わらない風で、引越したとは思えない。それでも家は壊されているし…。
「ブルー君、こんな所でどうしたんだい?」
今は学校の帰りだろう、と御主人も不思議そうな顔。「此処は通っていかない筈だよ」と。
制服と鞄で誰にでも分かる、学校から帰って来た生徒。確かに、通学路とは違う場所。御主人に質問されたからには、こちらも訊いていいだろう。
「えっと…。何か壊してる音がしたから、来てみたんだけど…。おじさんの家…」
なんで壊すの、とぶつけた疑問。まだ住める家の筈だから。
「ああ、これかい…! 壊してるねえ、確かにね」
悲しそうな顔をしているけれども、この家、好きな家だったのかい?
「うん、ポーチとか…。でも…」
無くなっちゃった、と視線を向けた。機械が倒している柱。あの柱がとても好きだったのに。
柱の側で猫が昼寝をしている姿は、まるで絵のようだったのに。
「ありがとう、家を気に入ってくれて。この家だって喜ぶよ」
ポーチはそっくりのを作るからねえ、今のと変わらない材料で。
「え?」
どういうこと、と丸くなった目。そっくり同じに作るのだったら、壊さなくても、と。
「改築って言葉を知ってるかい? 建て直すんじゃなくて、少し直すんだ」
元の家は残して、家の中を作り替えるとか…。こんな具合に、ちょっと壊して作り直すとか。
趣味のアトリエが欲しいんだけどね、あのままだと無理なものだから…。
家をちょっぴり広げるんだよ、と教えて貰った。
壊すのは家の一部だけ。御主人の趣味のアトリエを増やして、玄関の辺りの間取りも変えてやるために。壊さないと上手く繋がらないから、元からの家と。
必要な部分を機械が壊した後には、大工さんたちがやって来る。新しい壁や床を作りに。
新しいけれど、元からある家にしっくり合うよう、材料や色を合わせての工事。
出来上がったら、前とそっくりなポーチも戻って来るらしい。
今ある場所とは違うけれども、元通りに家の顔になるよう、玄関を作ってゆく場所に。
御主人は説明してくれた後で、まだ壊している家の方に視線をやってから…。
「工事が済んだら、こんな感じの家になる予定さ」
「わあ…!」
思念で送って貰ったイメージ。サイオンはとことん不器用だけれど、送って貰えば受け取れる。壊す前より、もっとお洒落になるらしい家。御主人の趣味のアトリエつきで。
(ポーチもホントに前のとおんなじ…)
家を広げた分、誇らしげな感じがするポーチ。「前より立派になったでしょう?」と。
「素敵だね。今、壊してる家も好きだったけど…」
今度の家もうんと素敵で、ポーチは今よりいい感じかも…。
同じポーチなのに、なんだか不思議。…何処もデザイン変えてないのに…。
「そう言って貰えると嬉しいよ。それに、ブルー君のお気に入りの家だったなんてね」
知っていたなら、変な心配をしなくて済むよう、お母さんにでも話しておいたのに…。
よく会うからねえ、買い物に行った時だって。
「玄関の辺りを少し直しますから」と工事の予定を知らせておいたら、ブルー君も安心して見ていられたのに…。ごめんよ、ちっとも気が付かなくて。
でも、この通りに、もうすぐ生まれ変わるから。…壊しているのは今だけなんだ。
ああいう機械も、明日の午前中には出番が終わって帰って行くかな。
そっちが済んだら直ぐに工事に取り掛かるんだよ、新しく増やす部分の基礎を作って。
出来上がったら、また見に来て欲しいね。
壊す時と違って大きな音はしないだろうから、出来上がっても音では分からないけれど。
「見に来る…!」
大工さんが家を作ってる音は、たまに聞こえると思うから…。
学校の帰りに回り道するよ、どのくらい出来て来たのかな、って。
前より素敵になるんだものね、と眺めた家。お気に入りだったポーチは戻って来る。
まるで壊しているようだけれど、新しく生まれ変わる家。
明日になったら壊す機械が運び出されて、代わりに大工さんたちが来て。
良かったよね、とホッとして帰った自分の家。御主人に「さよなら」と挨拶をして。
制服を脱いで、ダイニングでおやつを食べる間も、あの家のことを思い出す。
(まだ住めるのに、壊しちゃうなんて…)
可哀相、と早合点をしてしまったけれど。
あの御主人たちは家を売ってしまって何処かに引越し、新しく来る人が家を壊して、自分たちの好きな新しい家を建てるのだと勘違いしていたのだけれど。
そうではなかった、大好きな家。猫がのんびり昼寝をしていた、ポーチがとても似合う家。
(作り直すんなら、あの家だって喜ぶよ)
生まれ変わって、もっと素敵になれるから。御主人の趣味のアトリエが増えて、前のとそっくり同じポーチも玄関に作り直されて。
(きっと、おじさんたちも、あのポーチが好き…)
だから全く同じデザインにするのだろう。少しも変えずに、元あったものとそっくりに。
あの家の猫も、きっと喜ぶ。昼寝する場所がまた出来るのだし、居心地もいい筈だから。
(みんなポーチが大好きだよね?)
御主人たちも、猫も、壊されていたポーチが大好き。元の通りに作り直そうと思うくらいだし、いつも見ていた自分と同じに、あのポーチが好き。
(早くポーチが出来るといいよね)
そしたらゆっくり見に行こう、と考えながらケーキを食べて、紅茶も飲んで。空になったお皿やカップを母に渡して、戻った二階の自分の部屋。
窓の所に行って眺めた、あの家の方。他の家の屋根や庭木に隠れて見えないけれど…。
(あそこで生まれ変わるんだよ)
壊す機械が運び出されたら、大工さんたちがやって来て。
御主人が話してくれていたように、増やす部分の家を基礎から作っていって。
ポーチの基礎も一緒に作ってゆくのだろう。前とそっくり同じになるよう、計算された設計図。それの通りに基礎を作って、柱を立てて、屋根などもつけて。
そうやって立派に出来上がる家。ポーチが戻って、御主人の趣味のアトリエも増えて。
出来上がったら見に行かなくちゃ、と思う家。大工さんが工事している音が聞こえたら、帰りに回り道もして。「どのくらい出来て来たのかな?」と。
きっと通る度に、新しい顔が見えて来るのだろう。基礎が出来ていたり、柱が立ったり、屋根の梁が上に乗っていたりと。
(壊すんじゃなくて、ホントに良かった…)
元の家を少し壊すにしたって、素敵に生まれ変われるのなら、と考えていたら掠めた記憶。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたもの。
(…シャングリラ…)
あの船もあれと同じだった、と気が付いた。壊されるのだと勘違いをした、ポーチのある家と。
元は人類のものだった船がシャングリラ。前の自分たちが暮らした船。
メギドの炎で燃えるアルタミラから、あの船を使って逃げ出した。人類が捨てていった船だし、誰も乗ってはいなかったから。
充分な食料を載せていた船は、前の自分たちを生かしてくれた。コンスティテューションという名前だった船。人類はそう呼んでいたらしい。
船での暮らしに馴染んだ後に、シャングリラと名付けて長く宇宙を旅して回った。人類軍の船に出会わないよう、慎重に航路設定をして。
そうして旅を続ける間に、培った技術や生まれたアイデア。それらを生かして、ミュウの箱舟を作ろうと決めた。自給自足で何処までも飛んでゆくことが出来る、白い鯨を思わせる船を。
(元の船を改造するのが決まって…)
設計図が作られ、資材の調達なども順調。其処までは良かったし、白い鯨は立派に完成する筈。計画通りに進めさえすれば、船の中だけで全てを賄うことが可能な箱舟が。
さて、と改造に取り掛かろうとしていた時に、前の自分が気付いたこと。ある夜に、ふと。
(壊さないと…)
元からの船を壊さない限り、出来上がらないのが新しい船。白い鯨になるだろう船。
ソルジャーの自分が暮らす部屋はもちろん、食堂もブリッジも、何もかもを。
皆の憩いの場の休憩室も、それぞれが使っている部屋も。
どれも壊してしまわないと駄目で、新しい船に残せはしない。船の心臓である機関部さえもが、まるで違うものになるのだから。今とは全く違うシステム、それを組み込んでゆくためには。
無くなるのだ、と見回した自分の部屋。壁も天井も全部壊して、此処には何が出来るのだろう?
食堂も通路もブリッジだって、欠片すらも残さず壊されてしまう。白い鯨にするために。
新しく出来る白い鯨は、今の船にある部屋も設備も、必要としない船なのだから。
(ずっと、ぼくたちを守ってくれて…)
一緒に旅をして来た船。元はコンスティテューション号だった船。
白い鯨に改造した後も、船そのものは残るけれども、色々なものが無くなってしまう。邪魔だとばかりに壊されていって、別の何かが其処に生まれて。
このまま使い続けるのならば、まだまだ宇宙を飛べるだろうに。きちんとメンテナンスを施してやれば、きっと数百年だって。
(それを壊してしまうだなんて…)
自分たちの命を守ってくれた、頼もしい船。アルタミラからも脱出させてくれた船。
まだ充分に寿命があるのに、その船を壊す自分たち。改造とはいえ、船に残るのは恐らく、固有周波数だけ。元はコンスティテューション号だった、と識別可能なものはそれだけ。
今日まで守ってくれたのに。…この船で宇宙を旅して来たのに。
改造しようとさえ思わなければ、元の姿を保ったままで飛び続けることが出来るのに。
(なんだか申し訳なくて…)
いたたまれなくて、何度も部屋を眺め回した。「まだ使える」と。
改造のために壊さなければ、何十年だって使えるだろう。壁や天井が汚れて来たなら、掃除してやればいいだけのこと。床を磨くように、汚れがすっかり落ちるまで。
照明や空調などが故障したって、修理すればまた使ってゆける。必要だったら、交換用の部品を奪いに出掛ければいい。人類の輸送船を探して、「これとこれだ」と調達するだけ。
今はそういう生活なのだし、それを続けるなら、船はこのまま。
壊されはせずに、今の姿を保ってゆける。コンスティテューション号だった時の姿のままで。
けれども、それではミュウの箱舟は作れない。
自給自足で生きてゆける船を作りたいなら、壊すしかない今の船。
まだ充分に飛べるのに。…数百年だって、このままで飛んでゆけるだろうに。
新しい船を作るためとはいえ、今ある船を壊してしまう。自給自足の船にしよう、という考えを起こさなければ、この船は生きてゆけたのに。少しも形を変えることなく飛べたのに。
(なのに、壊してしまうんだから…)
船に申し訳ないような気がして、どうしてもそれが拭えない。
一度、気付いてしまったら。まだ使える船を端から壊して、白い鯨にしてしまうのだという罪の意識が生まれたら。
生きるためには必要だけれど、罪は罪。船を壊してしまうこと。命の恩人だった船なのに。今日まで守って来てくれた船。…この船の寿命は、まだ充分にある筈なのに。
何日もあれこれ考え続けて、ついに相談することにした。長老と呼ばれるヒルマンたち四人と、キャプテンを集めての会議。その席で「船が可哀相だ」と。
「そう思わないかい? この船は壊されてしまうんだよ」
今のままでも、宇宙船としては優秀なのに。…ミュウの箱舟には向かないだけで。
自給自足で生きていこうとか、ステルス・デバイスやサイオン・シールドを載せようだとか…。
そんなことさえ言い出さなければ、この船でやってゆけるのに…。
船は壊されたりしないのに、と出席した皆に訴えた。「まだ生きられる船なのに」と。
「なるほどね…。壊さなければ、改造出来はしないのだからね」
生まれ変わって新しい船になりはするのだが…、とヒルマンが顎に手をやった。
「今のままでも使える船を、壊すというのは確かではある」と。
「壊されちまう部屋ばかりだねえ、言われてみれば。…この部屋もさ」
あたしたちがいる会議室だって残らないね、とブラウも頷いた。会議室もブリッジも、機関部も全て壊されちまう、と。今ある船を壊さなければ、新しい船は作れないから。
「そうだろう? 何一つとして残らないんだよ、今の船はね」
姿もすっかり変わってしまって、まるで違う船になるのはいい。…そういう船が必要だから。
ぼくにも、それは分かっている。改造するには、壊さなくてはならないことも。
ただ…。
要らないから、と壊すだけでは可哀相だ、と曇らせた顔。ずっと暮らして来た船なのだし、命を守ってくれた船。元が優れた船でなければ、今日まで飛んではいられない。
「違うかい? アルタミラから脱出して直ぐに故障していたら…」
皆に充分な知識が無いまま、エンジントラブルを起こしていたなら、皆、死んでいる。
エンジンが止まれば、空調も全部止まるから。…船の酸素が尽きてしまうから。
そうならなかったのは船のお蔭で、ぼくたちを今日まで生かしてくれた。
新しい船を作ることまで思い付くほどに、ぼくたちが知識や技術を身に付けるまで。
その船をただ壊すなんてね…。もう用済みだと、まるでゴミでも捨てるみたいに…。
ぼくには出来ない、と溜息をついた。「必要なことでも、やりたくはない」と。
「あたしも、そんな気がして来たよ」
ブラウが言ったら、ゼルが「わしもじゃ」と声を上げた。
「長年、世話になった船じゃし、あちこち修理もしてやったんじゃ。一つしか無い船じゃから」
なんとか出来ればいいんじゃが…。この申し訳ない気持ちをじゃな…。
伝えてやれればいいんじゃが、と髭を引っ張ったゼル。「わしの気持ちを、この船にも」と。
「そういうことなら、感謝の言葉を贈るというのはどうでしょう?」
壊す前に、とエラが提案した。
元はコンスティテューション号だった船に、今日までの感謝の気持ちをこめて言葉を贈る。
ソルジャーとキャプテン、それに長老たち。他にも主だった者たちを集めて。
其処が食堂なら、厨房で働いて来た仲間たち。他の場所でも、其処に馴染みの者たちが集う。
彼らと一緒に、「今日までありがとう」と、船に御礼を。壊す前には、そういう集い。
「感謝の言葉を贈る集まり…。それはいいかもしれないね」
船も喜んでくれそうだ、と肩の荷が下りたような気がした。御礼を言うなら、この船も分かってくれるだろう。用済みだからと壊すわけではないことを。誰もが感謝していることを。
「ソルジャーが代表で御礼を言うのがいいと思うよ」
皆を纏める長なのだから、とヒルマンが述べて、エラは「キャプテンもですよ」と付け加えた。
「いい船にする、と誓いを立てるべきでしょう。今のこの船に」
きっといい船にしてみせるから、と安心させてやって下さい。今日まで守って来てくれた船を。
「良さそうじゃな」
そうするべきじゃぞ、わしも大いに賛成じゃ。…船のヤツらも、誰も文句は言わんじゃろうて。
こうして決まった、感謝の集い。元はコンスティテューション号だった船に御礼の言葉を。
船全体を一度に壊すわけではないから、あちこちを順に回って行った。
其処を壊すという予定が立ったら、食堂もブリッジも、休憩室も。皆が暮らしていた居住区も。
ソルジャーだった前の自分が、「ありがとう」と船に贈った言葉。
御礼を言いに出掛けた先で、きっと一番役立っただろう所に立って。食堂だったら、皆の食事を作った厨房。ブリッジだったら、船の進路を決め続けて来た舵の前。
「ありがとう」と御礼を言った後には、前のハーレイが誓いを立てた。キャプテンとして、船に誓っていた。「今日までの働きに感謝している」と、「きっといい船にしてみせる」と。
(そうだったっけ…)
至る所で、それまでの御礼を言って回ったシャングリラ。
壊す予定が立った時には、ハーレイたちと出掛けて行って。その場所をよく使っていた者たちも寄って、皆で感謝の気持ちを捧げた。「今日までの日々をありがとう」と。
新しくなった船で長く暮らして、すっかり忘れていたけれど。
白いシャングリラに慣れてしまって、改造前の船との別れの儀式も、記憶の海に沈んだけれど。
(…ぼくとハーレイ…)
二人で御礼を言ったんだっけ、と思い出していたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。シャングリラを改造した時のことを覚えてる?」
人類から奪った船だったのを、白い鯨に。
あれですっかり変わってしまって、元の船とは違う船になってしまったけれど…。
姿も、それに船の設備も。…誰が見たって、同じ船だとは分からないほどに。
「もちろんだ」
俺が忘れるわけがなかろう、あの船のキャプテンだったんだぞ?
改造前には何度も会議をしてたし、改造に取り掛かってからもキャプテンの俺が纏め役だ。
現場はゼルが仕切っていたがな、それにヒルマン。あいつらの独壇場ってトコか。
とはいえ、毎日報告は来るし、進捗状況も把握してなきゃいかん。
誰かに質問された時にだ、答えられなきゃ話にもなりやしないんだから。
忘れるものか、とハーレイは自信たっぷりだけれど、きっと忘れているだろう。元になった船を壊すのだから、と感謝の言葉を贈ったこと。…ハーレイも誓いを立てていたこと。
「覚えてるんなら、御礼のことも覚えてる?」
とても大事なことだったけれど…。改造するなら、その前に御礼。
「御礼だって?」
誰に御礼を言うというんだ、ゼルやヒルマンに礼を言うのか?
あいつらが設計していた船だが、わざわざ礼まで言わなくても…。あいつらの役目なんだから。
礼を言いに出掛けた覚えは無いぞ、と顔を顰めているハーレイ。やはり忘れているらしい。
「ゼルたちのことじゃないってば。…シャングリラだよ」
前の船に御礼を言いに回ってたよ、ぼくとハーレイ。
まだ使えるのに、壊して改造しちゃうから…。壊さないと改造出来ないから。
次に壊すのは此処だから、って予定が立ったら出掛けていたよ。食堂にも、他の色々な場所も。
ぼくが御礼で、ハーレイは誓い。「次の船もいい船にしてみせるから」って。
「あったっけな…!」
そういや、御礼を言う集まりがあったんだ。…壊す部分と縁が深かった仲間も集めてな。
まだ充分に役に立つのに、そいつを壊しちまうんだから…。
申し訳ない、って詫びの気持ちも含めて、船に感謝をして回ってた。壊す前には、忘れずに。
俺がお前にスケジュールを届けに行っていたのに、すっかり忘れちまってた。
「次の集まりは此処になります」と、場所と集まる時間なんかのスケジュール。
あの案内をしておかないと、ソルジャー不在になっちまうから…。他の仲間は集まっていても。
もっとも、お前、俺が知らせるのを忘れていたって、ちゃんと現れただろうが…。
皆の動きに敏感だったし、きちんとな。…でもって、後で俺に嫌味だ。「忘れただろう?」と。
しかしだ、よく思い出したな、そんなこと。何か切っ掛け、あったのか…?
「今日の帰りに、改築している家を見たから…」
ぼくが大好きなポーチのある家、壊してる所だったんだよ。
壊しちゃうんだ、ってガッカリしてたら、その家のおじさんが来てくれて…。
壊すんじゃないって教えてくれたよ、ちょっと壊して新しい部屋を増やすんだって。
出来上がったら、ぼくの好きなポーチも戻って来るよ、と説明をした。壊していたのと、何処も変わらないデザインのポーチ。それが新しく出来るのだ、と。
「ホントだよ。おじさんにイメージを見せて貰ったから」
前よりも素敵な家になりそう、ポーチもグンと立派に見えて。…同じポーチが出来るのに。
デザインも材料も前と同じので、何処も変えたりしないのにね。
「なるほどなあ…。家の前だけ改築するってことか」
新しい部屋が増えたりするから、その分、立派に見えるんだろう。お前が好きなポーチ。
シャングリラの時とはかなり違うな、前の建物のままで残る部分が殆どだから。
お洒落に生まれ変わる家か、とハーレイも笑顔なのだけど。「それは素敵だ」と頷くけれども、ふと浮かんだのがシャングリラ。白い鯨に改造した船。
(…シャングリラ…)
せっかく立派な白い鯨に生まれ変わったのに、トォニィの代で役目を終えた。
最後のソルジャーだったトォニィ、彼が決断したシャングリラを引退させること。平和になった宇宙のあちこちを旅して回った、白い鯨は消えてしまった。
アルテメシアとノアと、二つの母港を持っていた船。
どちらの星でも歓迎されたし、シャングリラを係留したかったろうに。引退したなら、もう旅に出ることは無い船を。ミュウの歴史を築いた箱舟、宇宙で一番愛された船を。
けれど、トォニィはそうしなかった。
宇宙の旅から退いた船を、母港に繋ぎはしなかった。係留しておけば、見学者がひっきりなしに訪れ、写真を撮って行っただろうに。とても人気の観光資源になっただろうに。
そうなる代わりに、解体されたシャングリラ。…トォニィがそれを決めたから。
白い鯨は、もっと宇宙を飛べただろうに。
コンスティテューション号が建造された年代は確かに古かったけれど、白いシャングリラは固有周波数くらいしか引き継がなかった。新造船と呼んでも良かったくらいの新しい船。
だから、まだまだ飛べた筈。きちんと手入れをしてやったならば、数百年でも。
トォニィの命が尽きた後にも、係留されたまま、きっと残った。
充分に飛べる船だったのだし、見学用なら、もっと寿命は延びただろう。過酷な環境とも言える宇宙空間を飛ばずにいたなら、船は傷みはしないのだから。
もっと生きられたシャングリラ。何百年でも、アルテメシアかノアの宙港で。
なのに解体されてしまって、何も残りはしなかった。改造ではなくて、解体だから。新しい船に生まれ変わりはしなくて、宇宙から消えてしまったから。
「ハーレイ、シャングリラ、可哀相…」
壊されちゃった、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。「消えちゃったよ」と。
「なんだって?」
シャングリラだったら、立派に生まれ変わっただろうが。白い鯨に。
元の船の姿は消えちまったが…。端から壊しちまったからなあ、でないと改造出来ないから。
「生まれ変わったシャングリラだよ。…ぼくが言ってるのは、白い鯨の方」
トォニィが引退させてしまって、解体を決めてしまったから…。
解体なんだよ、それって壊すのと同じことでしょ?
シャングリラ、まだ生きられたのに…。何百年でも、きっと宇宙を飛べたのに。
「そういや、そうか…」
消えちまったんだなあ、白い鯨は。
前の俺はとっくに死んじまっていたし、データくらいしか知らないが…。その後のことは。
引退したことも、解体のことも、今の俺が知っているだけだから。
「トォニィ、もっとシャングリラを生かしてあげれば良かったのに…」
今も人気の宇宙船だよ、白い鯨は。…見学用に残しておいても、大人気だったと思うけど…。
アルテメシアかノアに降ろして、宇宙の旅からは引退させて。
「そいつは無理というもんだろう。ミュウの箱舟はもう要らなかった」
人類とミュウが和解したなら、箱舟に乗っていなくてもいい。何処ででも生きてゆけるんだ。
新しい時代に過去を引き摺ることはあるまい、とトォニィは決断したんだな。
あのデカイ船は、維持するだけでも大変だっただろうから。
ミュウの世界を丸ごと乗せてた時代だったら、隅々まで目も行き届いていたし、人手ってヤツも充分すぎるくらいにあったんだがな。
「でも…。シャングリラ、いなくなっちゃった…」
ぼくたちを守ってくれていたのに、何処にもいなくなっちゃったんだよ…。
壊されちゃった、と零れた涙。白い鯨は、もっと生きられた筈だから。
あの白い船をもっと飛ばせてあげたかったと、宇宙の旅から退いた後も、母港でのんびり余生を過ごして欲しかったと。
「だってそうでしょ、まだ生きられる船だったもの」
白い鯨はとても頑丈に出来ていたから、何百年だって飛んでいられたよ。
飛ぶのをやめたら、もう傷んだりはしないから…。それこそ千年以上だって…。
きっと宇宙に残っていたよ、と溢れた涙を指で拭った。泣いてもシャングリラは戻らないから、恋人を困らせるだけだから。
「…泣くんじゃない。シャングリラは解体されたわけだが、そいつは考え方の違いで…」
平和な時代を立派に築いたトォニィだって、ちゃんと色々考えただろう。
白い鯨をどうすればいいか、もちろん、そのまま残しておくってことも含めて。
だがな、たとえ千年持ち堪えたって、シャングリラは宇宙船なんだ。星とは寿命が全く違う。
いつか間違いなく寿命を迎えるもんだから…。それを防げやしないから…。
きっとトォニィは見届けようと思ったんだろうな、白い鯨を最後まで。
自分が充分に元気な間に、あの船を送り出してやろうと。…自由に飛んでゆける世界へ。
それに、シャングリラは消えちゃいないぞ。お前、勘違いをしているようだが。
「え…?」
勘違いって…。間違えてないよ、改築していたポーチの家なら間違えたけど…。
壊してるんだと思ったけれども、シャングリラはホントにもう無いんだから。解体されて。
「其処だ、其処。…トォニィはきちんと考えていた」
船の形をしたままだったら、今の時代まで残すことはとても無理だったろうが、今も生きてる。
シャングリラは今も生きているんだ、この宇宙で。
「生きてるって…。何処に…?」
「シャングリラ・リング、忘れちまったか?」
あれはシャングリラそのものなんだぞ、白い鯨の船体の一部なんだから。
「そうだっけ…!」
シャングリラ・リングがあったんだっけね、結婚指輪になってしまったシャングリラ…。
そうだったよね、と眺めた左手の薬指。其処に嵌めたいシャングリラ・リング。
白いシャングリラの船体の一部、今も残されている金属の塊。それを使って、一年に一度、結婚指輪が作られる。決められた数だけ、対の指輪が。
結婚を決めたカップルだったら、誰でも申し込んでいい。抽選のチャンスは一度きりだけれど、当たればシャングリラ・リングが届く。白い鯨が姿を変えた、イニシャルなどが入った指輪が。
「トォニィ、今まで残してくれたんだ…。シャングリラを」
船のままだったら、とうに駄目になって、もう見ることも出来ないけれど…。
写真集の中に姿が残ってるだけで、本物は宇宙の何処を探しても、見付けられない筈だけど…。
指輪になって今でも生きてるんだね、と思いを馳せたシャングリラ・リング。
トォニィが解体を決めたからこそ、シャングリラ・リングは今も作られ続けている。白い鯨から結婚指輪に生まれ変わったシャングリラが。
「そうさ、俺たちも運が良ければ出会える。抽選で当たってくれればな」
シャングリラ・リングに会うことが出来たら、礼を言うことも出来るんだぞ。
ずいぶん時間が経っちまったが、前の俺たちを助けてくれていた、あの白い船にな。
「あちこちに連れて行けるんだっけね、シャングリラを」
旅行にも、食事にも、ぼくたちと一緒に。指に嵌めていたら、何処へだって。
良かった、シャングリラも新しく生まれ変われたんだ…。船の頃よりも、ずっと素敵な形で。
「うむ。それにだ、其処まで考えたトォニィだから…」
シャングリラを解体する時には、きっと花だの酒だの、山ほど贈ってやったんだろう。
感謝の気持ちをたっぷりとこめて、「ありがとう」とな。
トォニィは最後に酒を注いでやったそうだから。引退してゆくシャングリラにな。
「前のぼくたちがやったみたいに?」
壊す前の船に、感謝の言葉を贈って回ったみたいに。…あの船の中を、端から全部。
「言葉だけじゃなくて、間違いなく酒や花だったろうな、トォニィだから」
花も酒も手に入れられた時代だ、もう惜しみなく贈ってやったと思うぞ。シャングリラ中に。
「きっとそうだね、そして今でもシャングリラは生きているんだね…」
トォニィのお蔭で生まれ変わって、広い宇宙の色々な所に出掛けて行って、うんと幸せに…。
宇宙のあちこち、結婚指輪に姿を変えて旅を続けているシャングリラ。
懐かしい、白いシャングリラ。
今の時代まで、遥かな時を越えて来た白い鯨に、もう一度会って御礼を言いたい。
左手の薬指に嵌まる形で来てくれたならば、感謝の言葉と、御礼も沢山。
(御礼、一杯する予定だけど…)
ハーレイと二人で、山のような御礼。御馳走も旅行も、白いシャングリラにドッサリと。
いつも左手の薬指に嵌めて、何処に行く時もシャングリラを連れて出掛けて。
(…御礼を言うには、シャングリラにちゃんと会わないと…)
シャングリラは今も宇宙にいるから、指輪サイズの白いシャングリラに出会いたい。
トォニィが残してくれたお蔭で、今も生きている白い鯨に。
「前のぼくたちを守ってくれてありがとう」と御礼を言うために。
「ぼくは幸せだよ」と、「ハーレイと幸せに生きているよ」と、きちんと報告するために。
あの船が守ってくれていた恋、それが今度は実るから。青い地球にも来られたから。
いつかハーレイと二人で暮らす時には、白いシャングリラも一緒がいい。
シャングリラは今も生きているから。
新しい姿に生まれ変わって、左手の薬指に嵌めることが出来るのが今のシャングリラだから…。
生き続ける船・了
※元の船を壊さないと、改造は無理だったシャングリラ。御礼の言葉を贈った改造前の船。
そうして出来た白い箱舟が解体された後も、船は生き続けているのです。指輪の形になって。
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学校からの帰りに、ブルーの耳に届いた音。バス停から家まで歩く途中の、いつもの道。
バスを降りてから少し歩いたら、聞こえて来た何かを壊すような音。石が幾つも崩れるような、ガラガラという音だって。
(こっちの方…)
気になるからと道を外れて、音の方へと進んで行った。住宅街の中の道沿いに。生垣に囲まれた家の前を通って、角を曲がって、歩けば音が近付いて来る。ガシャンと何かが割れる音も。
何事だろう、と訝しみながら角を曲がった途端に、目に飛び込んで来た信じられない光景。
(壊しちゃってる…!)
通り道ではないのだけれども、自分の家から近い場所。御主人の顔もよく知っている家。
芝生の向こうに建つ、お洒落なポーチが素敵な家が好きだった。物語に出て来る家みたいで。
その大好きなポーチの辺りが、玄関や側の家の壁ごと壊されている真っ最中。ガラガラと機械に毟り取られて、窓のガラスも取り外されて。
(…嘘…)
なんで、と何度も瞬きをした。夢なのかも、と思ったから。夢なら瞬きすれば覚める筈だから。
けれども、覚めてくれない夢。自分が見ているものが現実。家は壊されてゆくところ。
まだ住めそうな家なのに。屋根も外壁も、ガラスを失くした窓枠も。
古くて駄目な家とは違って、充分に綺麗だった家。此処を通る時は、生垣越しにポーチを眺めて楽しんでいたものなのに。
燦々と日が当たるポーチは、本当にお気に入りだった。絵に描いたような其処で、この家の猫がのんびり昼寝をしていたりして。
(あのポーチ…)
なくなっちゃった、と壊されてゆくのを見ているしかない。大きな機械が毟ってゆくのを、壁や窓まで削り取られて消えてゆくのを。
天気がいいのに、もうポーチにはいない猫。こんな場所には、他の猫だって来ないだろう。怖い音がするし、近付いたら怪我もしそうだから。瓦礫を踏んだり、ぶつかったりして。
(壊しちゃうなんて…)
あんまりだよ、と思うけれども、きっと明日には家は丸ごと消えてしまっているのだろう。学校から帰って来るこの時間には、何も残っていはしない。
ポーチも家も、全部壊されて、トラックに乗せて運び去られて。何もない地面が広がるだけ。
(そんな…)
本当に好きな家だったのに。壊されるのなら、その前に見ておきたかったのに。
ゆっくり眺めて、心の中で「さよなら」を言って、目に焼き付けておきたかった。幼い頃から、此処のポーチが好きだったから。通る度に見ていた家だったから。
家は売られて、新しい人が別の家を建てて住むのだろうか。壊されてゆく家の代わりに。
こういう家に住んでみたい、と自分の好みの新しい家。
(あのまま住んであげればいいのに…)
そんなに古くない筈だよ、と子供の自分でも分かる。建て直さなければならないくらいに、古い家ではなかったこと。何十年だって住めそうなこと。
けれど、目の前で崩れてゆく家。無くなってしまったポーチの天井。柱もじきに倒される。側の床をごっそり抉り取られて、立っていることが出来なくなって。
全部消えちゃう、と呆然と其処に立ち尽くしていたら…。
「ブルー君?」
後ろからの声で振り向いた。誰、と思ったら、この家の御主人。幼い頃から知っている人。
慌ててピョコンと頭を下げて、「こんにちは」と挨拶したのだけれど。
(あれ…?)
何故、御主人が此処にいるのだろう。家は壊されてゆく所なのに。御主人が住んでいた筈の家。
今も大きな機械がせっせと、壁を、柱を毟っているのに。
家は売られてしまったんじゃあ…、と御主人と家を見比べた。「変だよね?」と。
御主人は普段と変わらない風で、引越したとは思えない。それでも家は壊されているし…。
「ブルー君、こんな所でどうしたんだい?」
今は学校の帰りだろう、と御主人も不思議そうな顔。「此処は通っていかない筈だよ」と。
制服と鞄で誰にでも分かる、学校から帰って来た生徒。確かに、通学路とは違う場所。御主人に質問されたからには、こちらも訊いていいだろう。
「えっと…。何か壊してる音がしたから、来てみたんだけど…。おじさんの家…」
なんで壊すの、とぶつけた疑問。まだ住める家の筈だから。
「ああ、これかい…! 壊してるねえ、確かにね」
悲しそうな顔をしているけれども、この家、好きな家だったのかい?
「うん、ポーチとか…。でも…」
無くなっちゃった、と視線を向けた。機械が倒している柱。あの柱がとても好きだったのに。
柱の側で猫が昼寝をしている姿は、まるで絵のようだったのに。
「ありがとう、家を気に入ってくれて。この家だって喜ぶよ」
ポーチはそっくりのを作るからねえ、今のと変わらない材料で。
「え?」
どういうこと、と丸くなった目。そっくり同じに作るのだったら、壊さなくても、と。
「改築って言葉を知ってるかい? 建て直すんじゃなくて、少し直すんだ」
元の家は残して、家の中を作り替えるとか…。こんな具合に、ちょっと壊して作り直すとか。
趣味のアトリエが欲しいんだけどね、あのままだと無理なものだから…。
家をちょっぴり広げるんだよ、と教えて貰った。
壊すのは家の一部だけ。御主人の趣味のアトリエを増やして、玄関の辺りの間取りも変えてやるために。壊さないと上手く繋がらないから、元からの家と。
必要な部分を機械が壊した後には、大工さんたちがやって来る。新しい壁や床を作りに。
新しいけれど、元からある家にしっくり合うよう、材料や色を合わせての工事。
出来上がったら、前とそっくりなポーチも戻って来るらしい。
今ある場所とは違うけれども、元通りに家の顔になるよう、玄関を作ってゆく場所に。
御主人は説明してくれた後で、まだ壊している家の方に視線をやってから…。
「工事が済んだら、こんな感じの家になる予定さ」
「わあ…!」
思念で送って貰ったイメージ。サイオンはとことん不器用だけれど、送って貰えば受け取れる。壊す前より、もっとお洒落になるらしい家。御主人の趣味のアトリエつきで。
(ポーチもホントに前のとおんなじ…)
家を広げた分、誇らしげな感じがするポーチ。「前より立派になったでしょう?」と。
「素敵だね。今、壊してる家も好きだったけど…」
今度の家もうんと素敵で、ポーチは今よりいい感じかも…。
同じポーチなのに、なんだか不思議。…何処もデザイン変えてないのに…。
「そう言って貰えると嬉しいよ。それに、ブルー君のお気に入りの家だったなんてね」
知っていたなら、変な心配をしなくて済むよう、お母さんにでも話しておいたのに…。
よく会うからねえ、買い物に行った時だって。
「玄関の辺りを少し直しますから」と工事の予定を知らせておいたら、ブルー君も安心して見ていられたのに…。ごめんよ、ちっとも気が付かなくて。
でも、この通りに、もうすぐ生まれ変わるから。…壊しているのは今だけなんだ。
ああいう機械も、明日の午前中には出番が終わって帰って行くかな。
そっちが済んだら直ぐに工事に取り掛かるんだよ、新しく増やす部分の基礎を作って。
出来上がったら、また見に来て欲しいね。
壊す時と違って大きな音はしないだろうから、出来上がっても音では分からないけれど。
「見に来る…!」
大工さんが家を作ってる音は、たまに聞こえると思うから…。
学校の帰りに回り道するよ、どのくらい出来て来たのかな、って。
前より素敵になるんだものね、と眺めた家。お気に入りだったポーチは戻って来る。
まるで壊しているようだけれど、新しく生まれ変わる家。
明日になったら壊す機械が運び出されて、代わりに大工さんたちが来て。
良かったよね、とホッとして帰った自分の家。御主人に「さよなら」と挨拶をして。
制服を脱いで、ダイニングでおやつを食べる間も、あの家のことを思い出す。
(まだ住めるのに、壊しちゃうなんて…)
可哀相、と早合点をしてしまったけれど。
あの御主人たちは家を売ってしまって何処かに引越し、新しく来る人が家を壊して、自分たちの好きな新しい家を建てるのだと勘違いしていたのだけれど。
そうではなかった、大好きな家。猫がのんびり昼寝をしていた、ポーチがとても似合う家。
(作り直すんなら、あの家だって喜ぶよ)
生まれ変わって、もっと素敵になれるから。御主人の趣味のアトリエが増えて、前のとそっくり同じポーチも玄関に作り直されて。
(きっと、おじさんたちも、あのポーチが好き…)
だから全く同じデザインにするのだろう。少しも変えずに、元あったものとそっくりに。
あの家の猫も、きっと喜ぶ。昼寝する場所がまた出来るのだし、居心地もいい筈だから。
(みんなポーチが大好きだよね?)
御主人たちも、猫も、壊されていたポーチが大好き。元の通りに作り直そうと思うくらいだし、いつも見ていた自分と同じに、あのポーチが好き。
(早くポーチが出来るといいよね)
そしたらゆっくり見に行こう、と考えながらケーキを食べて、紅茶も飲んで。空になったお皿やカップを母に渡して、戻った二階の自分の部屋。
窓の所に行って眺めた、あの家の方。他の家の屋根や庭木に隠れて見えないけれど…。
(あそこで生まれ変わるんだよ)
壊す機械が運び出されたら、大工さんたちがやって来て。
御主人が話してくれていたように、増やす部分の家を基礎から作っていって。
ポーチの基礎も一緒に作ってゆくのだろう。前とそっくり同じになるよう、計算された設計図。それの通りに基礎を作って、柱を立てて、屋根などもつけて。
そうやって立派に出来上がる家。ポーチが戻って、御主人の趣味のアトリエも増えて。
出来上がったら見に行かなくちゃ、と思う家。大工さんが工事している音が聞こえたら、帰りに回り道もして。「どのくらい出来て来たのかな?」と。
きっと通る度に、新しい顔が見えて来るのだろう。基礎が出来ていたり、柱が立ったり、屋根の梁が上に乗っていたりと。
(壊すんじゃなくて、ホントに良かった…)
元の家を少し壊すにしたって、素敵に生まれ変われるのなら、と考えていたら掠めた記憶。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたもの。
(…シャングリラ…)
あの船もあれと同じだった、と気が付いた。壊されるのだと勘違いをした、ポーチのある家と。
元は人類のものだった船がシャングリラ。前の自分たちが暮らした船。
メギドの炎で燃えるアルタミラから、あの船を使って逃げ出した。人類が捨てていった船だし、誰も乗ってはいなかったから。
充分な食料を載せていた船は、前の自分たちを生かしてくれた。コンスティテューションという名前だった船。人類はそう呼んでいたらしい。
船での暮らしに馴染んだ後に、シャングリラと名付けて長く宇宙を旅して回った。人類軍の船に出会わないよう、慎重に航路設定をして。
そうして旅を続ける間に、培った技術や生まれたアイデア。それらを生かして、ミュウの箱舟を作ろうと決めた。自給自足で何処までも飛んでゆくことが出来る、白い鯨を思わせる船を。
(元の船を改造するのが決まって…)
設計図が作られ、資材の調達なども順調。其処までは良かったし、白い鯨は立派に完成する筈。計画通りに進めさえすれば、船の中だけで全てを賄うことが可能な箱舟が。
さて、と改造に取り掛かろうとしていた時に、前の自分が気付いたこと。ある夜に、ふと。
(壊さないと…)
元からの船を壊さない限り、出来上がらないのが新しい船。白い鯨になるだろう船。
ソルジャーの自分が暮らす部屋はもちろん、食堂もブリッジも、何もかもを。
皆の憩いの場の休憩室も、それぞれが使っている部屋も。
どれも壊してしまわないと駄目で、新しい船に残せはしない。船の心臓である機関部さえもが、まるで違うものになるのだから。今とは全く違うシステム、それを組み込んでゆくためには。
無くなるのだ、と見回した自分の部屋。壁も天井も全部壊して、此処には何が出来るのだろう?
食堂も通路もブリッジだって、欠片すらも残さず壊されてしまう。白い鯨にするために。
新しく出来る白い鯨は、今の船にある部屋も設備も、必要としない船なのだから。
(ずっと、ぼくたちを守ってくれて…)
一緒に旅をして来た船。元はコンスティテューション号だった船。
白い鯨に改造した後も、船そのものは残るけれども、色々なものが無くなってしまう。邪魔だとばかりに壊されていって、別の何かが其処に生まれて。
このまま使い続けるのならば、まだまだ宇宙を飛べるだろうに。きちんとメンテナンスを施してやれば、きっと数百年だって。
(それを壊してしまうだなんて…)
自分たちの命を守ってくれた、頼もしい船。アルタミラからも脱出させてくれた船。
まだ充分に寿命があるのに、その船を壊す自分たち。改造とはいえ、船に残るのは恐らく、固有周波数だけ。元はコンスティテューション号だった、と識別可能なものはそれだけ。
今日まで守ってくれたのに。…この船で宇宙を旅して来たのに。
改造しようとさえ思わなければ、元の姿を保ったままで飛び続けることが出来るのに。
(なんだか申し訳なくて…)
いたたまれなくて、何度も部屋を眺め回した。「まだ使える」と。
改造のために壊さなければ、何十年だって使えるだろう。壁や天井が汚れて来たなら、掃除してやればいいだけのこと。床を磨くように、汚れがすっかり落ちるまで。
照明や空調などが故障したって、修理すればまた使ってゆける。必要だったら、交換用の部品を奪いに出掛ければいい。人類の輸送船を探して、「これとこれだ」と調達するだけ。
今はそういう生活なのだし、それを続けるなら、船はこのまま。
壊されはせずに、今の姿を保ってゆける。コンスティテューション号だった時の姿のままで。
けれども、それではミュウの箱舟は作れない。
自給自足で生きてゆける船を作りたいなら、壊すしかない今の船。
まだ充分に飛べるのに。…数百年だって、このままで飛んでゆけるだろうに。
新しい船を作るためとはいえ、今ある船を壊してしまう。自給自足の船にしよう、という考えを起こさなければ、この船は生きてゆけたのに。少しも形を変えることなく飛べたのに。
(なのに、壊してしまうんだから…)
船に申し訳ないような気がして、どうしてもそれが拭えない。
一度、気付いてしまったら。まだ使える船を端から壊して、白い鯨にしてしまうのだという罪の意識が生まれたら。
生きるためには必要だけれど、罪は罪。船を壊してしまうこと。命の恩人だった船なのに。今日まで守って来てくれた船。…この船の寿命は、まだ充分にある筈なのに。
何日もあれこれ考え続けて、ついに相談することにした。長老と呼ばれるヒルマンたち四人と、キャプテンを集めての会議。その席で「船が可哀相だ」と。
「そう思わないかい? この船は壊されてしまうんだよ」
今のままでも、宇宙船としては優秀なのに。…ミュウの箱舟には向かないだけで。
自給自足で生きていこうとか、ステルス・デバイスやサイオン・シールドを載せようだとか…。
そんなことさえ言い出さなければ、この船でやってゆけるのに…。
船は壊されたりしないのに、と出席した皆に訴えた。「まだ生きられる船なのに」と。
「なるほどね…。壊さなければ、改造出来はしないのだからね」
生まれ変わって新しい船になりはするのだが…、とヒルマンが顎に手をやった。
「今のままでも使える船を、壊すというのは確かではある」と。
「壊されちまう部屋ばかりだねえ、言われてみれば。…この部屋もさ」
あたしたちがいる会議室だって残らないね、とブラウも頷いた。会議室もブリッジも、機関部も全て壊されちまう、と。今ある船を壊さなければ、新しい船は作れないから。
「そうだろう? 何一つとして残らないんだよ、今の船はね」
姿もすっかり変わってしまって、まるで違う船になるのはいい。…そういう船が必要だから。
ぼくにも、それは分かっている。改造するには、壊さなくてはならないことも。
ただ…。
要らないから、と壊すだけでは可哀相だ、と曇らせた顔。ずっと暮らして来た船なのだし、命を守ってくれた船。元が優れた船でなければ、今日まで飛んではいられない。
「違うかい? アルタミラから脱出して直ぐに故障していたら…」
皆に充分な知識が無いまま、エンジントラブルを起こしていたなら、皆、死んでいる。
エンジンが止まれば、空調も全部止まるから。…船の酸素が尽きてしまうから。
そうならなかったのは船のお蔭で、ぼくたちを今日まで生かしてくれた。
新しい船を作ることまで思い付くほどに、ぼくたちが知識や技術を身に付けるまで。
その船をただ壊すなんてね…。もう用済みだと、まるでゴミでも捨てるみたいに…。
ぼくには出来ない、と溜息をついた。「必要なことでも、やりたくはない」と。
「あたしも、そんな気がして来たよ」
ブラウが言ったら、ゼルが「わしもじゃ」と声を上げた。
「長年、世話になった船じゃし、あちこち修理もしてやったんじゃ。一つしか無い船じゃから」
なんとか出来ればいいんじゃが…。この申し訳ない気持ちをじゃな…。
伝えてやれればいいんじゃが、と髭を引っ張ったゼル。「わしの気持ちを、この船にも」と。
「そういうことなら、感謝の言葉を贈るというのはどうでしょう?」
壊す前に、とエラが提案した。
元はコンスティテューション号だった船に、今日までの感謝の気持ちをこめて言葉を贈る。
ソルジャーとキャプテン、それに長老たち。他にも主だった者たちを集めて。
其処が食堂なら、厨房で働いて来た仲間たち。他の場所でも、其処に馴染みの者たちが集う。
彼らと一緒に、「今日までありがとう」と、船に御礼を。壊す前には、そういう集い。
「感謝の言葉を贈る集まり…。それはいいかもしれないね」
船も喜んでくれそうだ、と肩の荷が下りたような気がした。御礼を言うなら、この船も分かってくれるだろう。用済みだからと壊すわけではないことを。誰もが感謝していることを。
「ソルジャーが代表で御礼を言うのがいいと思うよ」
皆を纏める長なのだから、とヒルマンが述べて、エラは「キャプテンもですよ」と付け加えた。
「いい船にする、と誓いを立てるべきでしょう。今のこの船に」
きっといい船にしてみせるから、と安心させてやって下さい。今日まで守って来てくれた船を。
「良さそうじゃな」
そうするべきじゃぞ、わしも大いに賛成じゃ。…船のヤツらも、誰も文句は言わんじゃろうて。
こうして決まった、感謝の集い。元はコンスティテューション号だった船に御礼の言葉を。
船全体を一度に壊すわけではないから、あちこちを順に回って行った。
其処を壊すという予定が立ったら、食堂もブリッジも、休憩室も。皆が暮らしていた居住区も。
ソルジャーだった前の自分が、「ありがとう」と船に贈った言葉。
御礼を言いに出掛けた先で、きっと一番役立っただろう所に立って。食堂だったら、皆の食事を作った厨房。ブリッジだったら、船の進路を決め続けて来た舵の前。
「ありがとう」と御礼を言った後には、前のハーレイが誓いを立てた。キャプテンとして、船に誓っていた。「今日までの働きに感謝している」と、「きっといい船にしてみせる」と。
(そうだったっけ…)
至る所で、それまでの御礼を言って回ったシャングリラ。
壊す予定が立った時には、ハーレイたちと出掛けて行って。その場所をよく使っていた者たちも寄って、皆で感謝の気持ちを捧げた。「今日までの日々をありがとう」と。
新しくなった船で長く暮らして、すっかり忘れていたけれど。
白いシャングリラに慣れてしまって、改造前の船との別れの儀式も、記憶の海に沈んだけれど。
(…ぼくとハーレイ…)
二人で御礼を言ったんだっけ、と思い出していたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。シャングリラを改造した時のことを覚えてる?」
人類から奪った船だったのを、白い鯨に。
あれですっかり変わってしまって、元の船とは違う船になってしまったけれど…。
姿も、それに船の設備も。…誰が見たって、同じ船だとは分からないほどに。
「もちろんだ」
俺が忘れるわけがなかろう、あの船のキャプテンだったんだぞ?
改造前には何度も会議をしてたし、改造に取り掛かってからもキャプテンの俺が纏め役だ。
現場はゼルが仕切っていたがな、それにヒルマン。あいつらの独壇場ってトコか。
とはいえ、毎日報告は来るし、進捗状況も把握してなきゃいかん。
誰かに質問された時にだ、答えられなきゃ話にもなりやしないんだから。
忘れるものか、とハーレイは自信たっぷりだけれど、きっと忘れているだろう。元になった船を壊すのだから、と感謝の言葉を贈ったこと。…ハーレイも誓いを立てていたこと。
「覚えてるんなら、御礼のことも覚えてる?」
とても大事なことだったけれど…。改造するなら、その前に御礼。
「御礼だって?」
誰に御礼を言うというんだ、ゼルやヒルマンに礼を言うのか?
あいつらが設計していた船だが、わざわざ礼まで言わなくても…。あいつらの役目なんだから。
礼を言いに出掛けた覚えは無いぞ、と顔を顰めているハーレイ。やはり忘れているらしい。
「ゼルたちのことじゃないってば。…シャングリラだよ」
前の船に御礼を言いに回ってたよ、ぼくとハーレイ。
まだ使えるのに、壊して改造しちゃうから…。壊さないと改造出来ないから。
次に壊すのは此処だから、って予定が立ったら出掛けていたよ。食堂にも、他の色々な場所も。
ぼくが御礼で、ハーレイは誓い。「次の船もいい船にしてみせるから」って。
「あったっけな…!」
そういや、御礼を言う集まりがあったんだ。…壊す部分と縁が深かった仲間も集めてな。
まだ充分に役に立つのに、そいつを壊しちまうんだから…。
申し訳ない、って詫びの気持ちも含めて、船に感謝をして回ってた。壊す前には、忘れずに。
俺がお前にスケジュールを届けに行っていたのに、すっかり忘れちまってた。
「次の集まりは此処になります」と、場所と集まる時間なんかのスケジュール。
あの案内をしておかないと、ソルジャー不在になっちまうから…。他の仲間は集まっていても。
もっとも、お前、俺が知らせるのを忘れていたって、ちゃんと現れただろうが…。
皆の動きに敏感だったし、きちんとな。…でもって、後で俺に嫌味だ。「忘れただろう?」と。
しかしだ、よく思い出したな、そんなこと。何か切っ掛け、あったのか…?
「今日の帰りに、改築している家を見たから…」
ぼくが大好きなポーチのある家、壊してる所だったんだよ。
壊しちゃうんだ、ってガッカリしてたら、その家のおじさんが来てくれて…。
壊すんじゃないって教えてくれたよ、ちょっと壊して新しい部屋を増やすんだって。
出来上がったら、ぼくの好きなポーチも戻って来るよ、と説明をした。壊していたのと、何処も変わらないデザインのポーチ。それが新しく出来るのだ、と。
「ホントだよ。おじさんにイメージを見せて貰ったから」
前よりも素敵な家になりそう、ポーチもグンと立派に見えて。…同じポーチが出来るのに。
デザインも材料も前と同じので、何処も変えたりしないのにね。
「なるほどなあ…。家の前だけ改築するってことか」
新しい部屋が増えたりするから、その分、立派に見えるんだろう。お前が好きなポーチ。
シャングリラの時とはかなり違うな、前の建物のままで残る部分が殆どだから。
お洒落に生まれ変わる家か、とハーレイも笑顔なのだけど。「それは素敵だ」と頷くけれども、ふと浮かんだのがシャングリラ。白い鯨に改造した船。
(…シャングリラ…)
せっかく立派な白い鯨に生まれ変わったのに、トォニィの代で役目を終えた。
最後のソルジャーだったトォニィ、彼が決断したシャングリラを引退させること。平和になった宇宙のあちこちを旅して回った、白い鯨は消えてしまった。
アルテメシアとノアと、二つの母港を持っていた船。
どちらの星でも歓迎されたし、シャングリラを係留したかったろうに。引退したなら、もう旅に出ることは無い船を。ミュウの歴史を築いた箱舟、宇宙で一番愛された船を。
けれど、トォニィはそうしなかった。
宇宙の旅から退いた船を、母港に繋ぎはしなかった。係留しておけば、見学者がひっきりなしに訪れ、写真を撮って行っただろうに。とても人気の観光資源になっただろうに。
そうなる代わりに、解体されたシャングリラ。…トォニィがそれを決めたから。
白い鯨は、もっと宇宙を飛べただろうに。
コンスティテューション号が建造された年代は確かに古かったけれど、白いシャングリラは固有周波数くらいしか引き継がなかった。新造船と呼んでも良かったくらいの新しい船。
だから、まだまだ飛べた筈。きちんと手入れをしてやったならば、数百年でも。
トォニィの命が尽きた後にも、係留されたまま、きっと残った。
充分に飛べる船だったのだし、見学用なら、もっと寿命は延びただろう。過酷な環境とも言える宇宙空間を飛ばずにいたなら、船は傷みはしないのだから。
もっと生きられたシャングリラ。何百年でも、アルテメシアかノアの宙港で。
なのに解体されてしまって、何も残りはしなかった。改造ではなくて、解体だから。新しい船に生まれ変わりはしなくて、宇宙から消えてしまったから。
「ハーレイ、シャングリラ、可哀相…」
壊されちゃった、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。「消えちゃったよ」と。
「なんだって?」
シャングリラだったら、立派に生まれ変わっただろうが。白い鯨に。
元の船の姿は消えちまったが…。端から壊しちまったからなあ、でないと改造出来ないから。
「生まれ変わったシャングリラだよ。…ぼくが言ってるのは、白い鯨の方」
トォニィが引退させてしまって、解体を決めてしまったから…。
解体なんだよ、それって壊すのと同じことでしょ?
シャングリラ、まだ生きられたのに…。何百年でも、きっと宇宙を飛べたのに。
「そういや、そうか…」
消えちまったんだなあ、白い鯨は。
前の俺はとっくに死んじまっていたし、データくらいしか知らないが…。その後のことは。
引退したことも、解体のことも、今の俺が知っているだけだから。
「トォニィ、もっとシャングリラを生かしてあげれば良かったのに…」
今も人気の宇宙船だよ、白い鯨は。…見学用に残しておいても、大人気だったと思うけど…。
アルテメシアかノアに降ろして、宇宙の旅からは引退させて。
「そいつは無理というもんだろう。ミュウの箱舟はもう要らなかった」
人類とミュウが和解したなら、箱舟に乗っていなくてもいい。何処ででも生きてゆけるんだ。
新しい時代に過去を引き摺ることはあるまい、とトォニィは決断したんだな。
あのデカイ船は、維持するだけでも大変だっただろうから。
ミュウの世界を丸ごと乗せてた時代だったら、隅々まで目も行き届いていたし、人手ってヤツも充分すぎるくらいにあったんだがな。
「でも…。シャングリラ、いなくなっちゃった…」
ぼくたちを守ってくれていたのに、何処にもいなくなっちゃったんだよ…。
壊されちゃった、と零れた涙。白い鯨は、もっと生きられた筈だから。
あの白い船をもっと飛ばせてあげたかったと、宇宙の旅から退いた後も、母港でのんびり余生を過ごして欲しかったと。
「だってそうでしょ、まだ生きられる船だったもの」
白い鯨はとても頑丈に出来ていたから、何百年だって飛んでいられたよ。
飛ぶのをやめたら、もう傷んだりはしないから…。それこそ千年以上だって…。
きっと宇宙に残っていたよ、と溢れた涙を指で拭った。泣いてもシャングリラは戻らないから、恋人を困らせるだけだから。
「…泣くんじゃない。シャングリラは解体されたわけだが、そいつは考え方の違いで…」
平和な時代を立派に築いたトォニィだって、ちゃんと色々考えただろう。
白い鯨をどうすればいいか、もちろん、そのまま残しておくってことも含めて。
だがな、たとえ千年持ち堪えたって、シャングリラは宇宙船なんだ。星とは寿命が全く違う。
いつか間違いなく寿命を迎えるもんだから…。それを防げやしないから…。
きっとトォニィは見届けようと思ったんだろうな、白い鯨を最後まで。
自分が充分に元気な間に、あの船を送り出してやろうと。…自由に飛んでゆける世界へ。
それに、シャングリラは消えちゃいないぞ。お前、勘違いをしているようだが。
「え…?」
勘違いって…。間違えてないよ、改築していたポーチの家なら間違えたけど…。
壊してるんだと思ったけれども、シャングリラはホントにもう無いんだから。解体されて。
「其処だ、其処。…トォニィはきちんと考えていた」
船の形をしたままだったら、今の時代まで残すことはとても無理だったろうが、今も生きてる。
シャングリラは今も生きているんだ、この宇宙で。
「生きてるって…。何処に…?」
「シャングリラ・リング、忘れちまったか?」
あれはシャングリラそのものなんだぞ、白い鯨の船体の一部なんだから。
「そうだっけ…!」
シャングリラ・リングがあったんだっけね、結婚指輪になってしまったシャングリラ…。
そうだったよね、と眺めた左手の薬指。其処に嵌めたいシャングリラ・リング。
白いシャングリラの船体の一部、今も残されている金属の塊。それを使って、一年に一度、結婚指輪が作られる。決められた数だけ、対の指輪が。
結婚を決めたカップルだったら、誰でも申し込んでいい。抽選のチャンスは一度きりだけれど、当たればシャングリラ・リングが届く。白い鯨が姿を変えた、イニシャルなどが入った指輪が。
「トォニィ、今まで残してくれたんだ…。シャングリラを」
船のままだったら、とうに駄目になって、もう見ることも出来ないけれど…。
写真集の中に姿が残ってるだけで、本物は宇宙の何処を探しても、見付けられない筈だけど…。
指輪になって今でも生きてるんだね、と思いを馳せたシャングリラ・リング。
トォニィが解体を決めたからこそ、シャングリラ・リングは今も作られ続けている。白い鯨から結婚指輪に生まれ変わったシャングリラが。
「そうさ、俺たちも運が良ければ出会える。抽選で当たってくれればな」
シャングリラ・リングに会うことが出来たら、礼を言うことも出来るんだぞ。
ずいぶん時間が経っちまったが、前の俺たちを助けてくれていた、あの白い船にな。
「あちこちに連れて行けるんだっけね、シャングリラを」
旅行にも、食事にも、ぼくたちと一緒に。指に嵌めていたら、何処へだって。
良かった、シャングリラも新しく生まれ変われたんだ…。船の頃よりも、ずっと素敵な形で。
「うむ。それにだ、其処まで考えたトォニィだから…」
シャングリラを解体する時には、きっと花だの酒だの、山ほど贈ってやったんだろう。
感謝の気持ちをたっぷりとこめて、「ありがとう」とな。
トォニィは最後に酒を注いでやったそうだから。引退してゆくシャングリラにな。
「前のぼくたちがやったみたいに?」
壊す前の船に、感謝の言葉を贈って回ったみたいに。…あの船の中を、端から全部。
「言葉だけじゃなくて、間違いなく酒や花だったろうな、トォニィだから」
花も酒も手に入れられた時代だ、もう惜しみなく贈ってやったと思うぞ。シャングリラ中に。
「きっとそうだね、そして今でもシャングリラは生きているんだね…」
トォニィのお蔭で生まれ変わって、広い宇宙の色々な所に出掛けて行って、うんと幸せに…。
宇宙のあちこち、結婚指輪に姿を変えて旅を続けているシャングリラ。
懐かしい、白いシャングリラ。
今の時代まで、遥かな時を越えて来た白い鯨に、もう一度会って御礼を言いたい。
左手の薬指に嵌まる形で来てくれたならば、感謝の言葉と、御礼も沢山。
(御礼、一杯する予定だけど…)
ハーレイと二人で、山のような御礼。御馳走も旅行も、白いシャングリラにドッサリと。
いつも左手の薬指に嵌めて、何処に行く時もシャングリラを連れて出掛けて。
(…御礼を言うには、シャングリラにちゃんと会わないと…)
シャングリラは今も宇宙にいるから、指輪サイズの白いシャングリラに出会いたい。
トォニィが残してくれたお蔭で、今も生きている白い鯨に。
「前のぼくたちを守ってくれてありがとう」と御礼を言うために。
「ぼくは幸せだよ」と、「ハーレイと幸せに生きているよ」と、きちんと報告するために。
あの船が守ってくれていた恋、それが今度は実るから。青い地球にも来られたから。
いつかハーレイと二人で暮らす時には、白いシャングリラも一緒がいい。
シャングリラは今も生きているから。
新しい姿に生まれ変わって、左手の薬指に嵌めることが出来るのが今のシャングリラだから…。
生き続ける船・了
※元の船を壊さないと、改造は無理だったシャングリラ。御礼の言葉を贈った改造前の船。
そうして出来た白い箱舟が解体された後も、船は生き続けているのです。指輪の形になって。
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