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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(んーと…)
 授業中にクラッとしちゃった、ぼく。軽い眩暈がしたみたい。
 このまま授業を受け続けてたら、マズイと思う。きっと途中で倒れてしまう。今はまだ最悪ってほどの気分じゃないけど、その内にだんだん悪くなってきて…。
(…そうなってからだと…)
 手遅れなんだ、って分かってる。教室はもちろん大騒ぎになるし、倒れちゃったぼくを運ぶには一人じゃ無理。意識不明じゃ、車椅子に乗せても押す人とぼくを支える人とが必要。
 だから早めに行かなきゃならない保健室。今なら歩いて行けるから。
 お昼休みが済んで、午後の一時間目の授業中。ランチの間はなんともなかったんだけど…。
(…保健室…)
 思い切って手を挙げることにした。
 これがハーレイの授業だったら未練たっぷり、倒れるまで聞いていそうだけれど。そんな前科もあったりするけど、ハーレイの授業じゃなかったから。次の時間も違うから…。
 いいや、って挙げた手、先生が「どうしたんだ?」って気付いてくれた。
「えっと…。急に気分が悪くなって…」
「それは駄目だな、保健室だな」
 行って来い、って言ってくれた先生。教科書もノートもそのまま置いて行けばいいから、って。



 一人で行けます、って立ち上がったけれど、付き添ってくれた保健委員の男子。先生も一人じゃ駄目だと心配そうだし、ここは甘えておくことにした。
 実際、平気なつもりだったのに、立った途端に眩暈がしたから。
 保健室まで歩く途中で倒れてしまっちゃ、もっと大勢に迷惑がかかる。ぼくが他のクラスの前で倒れていたなら、そこのクラスの授業は中断。縁もゆかりも無いぼくのせいで。
(…ありそうな話なんだよね…)
 春に起こした聖痕現象のせいで、ぼくはすっかり有名人。顔も名前も何処のクラスかも、誰でも一目で分かると思う。身体が弱いってことも知られているけど…。
(倒れちゃってたら、また聖痕が出たのかも、って大騒ぎなんだよ)
 ぼくのクラスの友達だったら慣れているけど、そうじゃない他所のクラスだったら、きっと。
 聖痕現象を見たい生徒が騒ぎ出しちゃって、我先に廊下に出て来ちゃうんだ。先生が止めても、大勢、野次馬。下手をしたら隣のクラスからだって。
(…聖痕、二度と出ないんだけどな…)
 でも、それを知ってるのは四人だけ。パパとママとハーレイ、それと診てくれたお医者さん。
 他の人たちは何も知らなくて、ハーレイはぼくが聖痕現象を起こさないための守り役なんだし、野次馬が来るのも仕方ない。ぼくが廊下で倒れていたら。



(野次馬防止…)
 倒れちゃ駄目だ、って支えて貰って歩いてた、ぼく。
 たまにクラッとしそうになるから、肩を借りるのが一番いい。保健委員の子には悪いけれども、やっぱり一人じゃ無理みたいだから。
 そうして廊下を歩いて行ったら、向こうからやって来たハーレイ。廊下の角を曲がって現れた。今の時間は授業が無いみたい。
 ハーレイはすぐにぼくに気付いて。
「おっ、保健室か?」
 具合が悪くなったのか、そいつ?
「そうなんです」
 保健委員の子が答えてくれた。ぼくの代わりに説明してくれた、保健室に行く途中だと。
 そうしたら…。
「よし、俺が代わろう。保健室まで連れて行っておく」
 お前は教室に帰っていいぞ。何の授業かは知らないがな。
「ハーレイ先生、いいんですか?」
「授業中だろ、保健委員の仕事とはいえ、聞き逃しちまうぞ」
 俺が代わるから、急いで戻れ。先生に訊かれたら、俺と交代したと伝えておくんだな。



 任せておけ、って交代しちゃったぼくの付き添い。保健委員の子はペコリとお辞儀して、走って教室に戻って行った。ホントは廊下を走っちゃ駄目だけど、こういう時には例外だよね。
 でも…。
「さて、どうするかな…」
 俺では肩は貸せんしなあ…。これだけ身長に違いがあるとだ、どうにも無理だ。
 運んで行くって方法もあるが、抱っこもおんぶもマズイよな?
 まるで小さな子供みたいだし、他の生徒が通り掛かったら恥ずかしいだろ?
(恥ずかしくなんかないってば…!)
 むしろ歓迎、ぼくは全然かまわないのに、ハーレイは勝手に決めちゃった。
 抱っこもおんぶも、どっちも駄目、って。
 保健委員の子から預かったぼくの身体を腕で支えながら、そういう風に決めてしまった。
(…車椅子…?)
 そうなるんだろうか、ハーレイが押して行くんだろうか。ぼくを待たせて、保健室から車椅子を借りて持って来て。
 きっとそうだ、と思ったんだけど…。



「車椅子の出番ってほどじゃないしなあ…。お前、どうにか歩けるんだろ?」
「…うん…」
 眩暈がするだけ、って頷いた。「はい」って言うのを忘れちゃってた、ハーレイ、学校では先生なのに。ハーレイじゃなくて「ハーレイ先生」なのに。
 でもハーレイは「うん」じゃないだろ、って、ぼくの右手を取って。
「俺の服、しっかり握ってろ。此処だ、此処」
 大丈夫だ、スーツの上着ってヤツは生地が頑丈に出来てるからな。そう簡単に破れやしないさ、お前の体重が少しかかったくらいじゃな。
 掴んでおけ、って握らされたハーレイの上着の端っこ。肩の代わりに上着の端。
 そして左手で支えてくれた、ぼくの背中を。大きな手を添えて。
 これなら歩ける。右手でハーレイの上着を握って、ぼくの背中にハーレイの手。倒れないように支えてくれる手。
「…ありがとう…」
「歩けそうか? よし、ゆっくりと歩いて行くからな」
 忘れるなよ、ハーレイ先生だぞ?
 学校ではハーレイ先生だ。間違えないよう、気を付けてくれよ。



 ハーレイと並んでゆっくり歩いて、連れてって貰った保健室。慣れっこの部屋。
 ぼくを保健室の先生に預けて、ハーレイは帰って行ったけど。ぼくがベッドに横になる前に姿を消してしまったけれど。
 カーテンが引かれたベッドの上に転がっていたら、背中がじんわり温かい。ぼくの背中を支えてくれてたハーレイの左手が残した温もり。それがポカポカ、温かな背中。
(ふふっ、あったかい…)
 まだ少しクラクラするけれど。眩暈は残っているんだけれども、背中に温もり。ハーレイの手が背中にくれた温もり。それが心地良くて、幸せな気分。
 あったかいよ、って思ってる内にすうっと眠ってしまって、どのくらい眠っていたんだろう?
 パチリと目を開けたら、眩暈は消えてしまっていた。起き上がってもなんともなかった。自分の身体だからハッキリと分かる、もう大丈夫、って。
(ハーレイの温もりを貰ったからかな?)
 もう消えちゃったけど、眠る時まで、眠ってる間もポカポカだった背中。温かかった背中。
 おまじないみたいに効いた温もり、ハーレイの左手がくれた温もり。
 ベッドから下りて、最後の授業の途中で戻れた、教室にちゃんと。一人で歩いて。
 ママの迎えも要らなかった。いつも通りにバスで帰れた。



 バスから降りて家まで歩く途中も、家に着いてからも何度も思い出してたハーレイ。大きな手が背中にくれた温もり。温かかったよ、って。
 保健室に行ったことはママにもきちんと報告したけど、眩暈は治ってしまったから。
 ママが用意してくれたおやつを食べて、部屋に戻って勉強机の前に座った。ベッドに入ろうって気にはならなかったし、具合が悪いわけでもないから。
 こんなに気分が良くなるだなんて、やっぱり温もりのお蔭だろうか。保健室のベッドで寝ていた間中、ポカポカしていた背中の温もり。ハーレイがくれたおまじない。
(背中のおまじない…)
 温かかったよね、ってまた思い出して。
 ハーレイの左手のお蔭で治ったんだよ、って幸せな気持ちに浸っていて…。



(…あれ?)
 ふと掠めていった、遠い遠い記憶。前のぼくの記憶。
 それと今とが重なった。前のぼくにも温もりの記憶、背中に感じた温もりの記憶。
 ぴたりと重なる温もりの大きさ、ハーレイの手としか思えない。ハーレイの左手なんだ、って。
 だけど、そんなこと、あるわけがない。前のぼくとハーレイは並んで歩きはしなかった。ただの一度も並んで歩けやしなかった。
 前のぼくはソルジャーだったから。前のハーレイはキャプテンだったから。
 ソルジャーの後ろに従うキャプテン、白いシャングリラでは常にそうだった。何処へ行くにも。
 ハーレイはぼくの後ろを歩いて、並んでなんかはいなかった。
 前のぼくの背中に温もりをくれるわけがなかった、貰える筈もなかった温もり。前のハーレイの左手がくれる温もり。
 なのに確かに背中に温もり、温かかった手の記憶。前のぼくの背中に添えられてた手。
 ぼくが間違える筈がないんだ、ハーレイの手の温もりを。
 貰えるわけがなかったものでも。貰えない筈の温もりでも。あれは確かにハーレイの手で…。



(…なんで?)
 どうしてそんな記憶があるのか、夢で見たとも思えない。
 きっとホントに起こってたことで、ハーレイがぼくを支えてた。今日みたいに。
(…ハーレイ、ぼくを連れてっていたの…?)
 シャングリラに保健室なんかは無かったけれど、と遠い記憶を手繰ってみた。ハーレイが支えてくれていたなら、行き先はメディカル・ルームだろうか、と。
(えーっと…)
 何かとうるさかったドクター・ノルディ。注射も検査も大嫌いだったぼくは、ノルディの診察も好きじゃなかった。注射と検査がつきものだから。
 行きたくない、と嫌がるぼくをハーレイが宥めて連れて行った時の記憶なんだろうか、温もりの記憶。背中に残った温もりの記憶。
 でも、もっと…。



 温かな思い出とセットなんだ、っていう気がした。
 注射や検査や薬が待ってるメディカル・ルームに行く時じゃなくて、もっと幸せを感じた時間。それがいつだったのかを思い出したくて、背中のポカポカを追い掛けていたら。
 今日のポカポカと、前のぼくが覚えてるポカポカを重ね合わせてみていたら…。
(そうだ、ハーレイ…!)
 鮮やかに蘇って来た前のぼくの記憶。キャプテンだった頃のハーレイとの思い出。
 だけどキャプテンではなかったハーレイ、キャプテンの顔をするのをやめてたハーレイ。ぼくと二人きり、シャングリラの中を並んで歩いてくれてたハーレイ。ぼくの背中に左手を添えて。



(うん、左手…)
 あの時もハーレイの左手だった。今日と同じに。
 身体が弱かった前のぼく。それでもソルジャーだったぼく。
 シャングリラの中では一番偉くて、ハーレイを従えて歩いてた。何処へ行く時も。二人で一緒に出掛ける時にはハーレイが後ろ。そういう決まりで、そういう順番。
 そのソルジャーとキャプテンとの決まり、それが崩れた時の思い出。背中のポカポカ。
 具合が悪いのを隠して視察とかに出掛けようとしたら、ハーレイが…。
(通路で支えてくれていたっけ…)
 ぼくの隣にスッと並んで、ぼくの背中に左手を当てて。肩を貸す代わりに左手だった。フラリと倒れそうになった時には腕を回して抱き留めてくれた。
 そう出来るように隣に並んで、背中に当ててくれてた左手。ぼくを支えてくれてた左手。
 誰も見ていない所でくらいは弱さを見せてもいいのですよ、って。
 行き先に辿り着くまで、ずっと。
 行った先でもさりげなく側についていてくれた、いざとなったら支えられるように。
 ぼくの後ろを歩く代わりに、何気ない風で隣に並んで。
 ソルジャーのぼくに用があるなら、後ろからでは話せないから。打ち合わせでもしているように見せかけて隣についててくれたハーレイ。
 其処から戻る時には、またぼくの隣。誰もいない通路で背中に左手、ポカポカと温かい左の手を添えて。ぼくを支えて。



(背中のポカポカ…)
 前のぼくの記憶と重なったポカポカ、ハーレイがくれた背中のポカポカ。
 保健室に行く途中で出会わなかったら、きっと思い出しさえしなかった記憶。ハーレイはぼくの後ろなんだと思い込んでいたし、そういう記憶しか無かったから。
 あんなに何度も支えて貰って歩いていたのに、まるで忘れてしまってたなんて…。
(ハーレイ、覚えているのかな?)
 前のぼくを支えて歩いていたこと。前のぼくの背中に添えてた左手。
 覚えていて欲しい、もしも忘れてしまっていたって、今日ので思い出していて欲しい。
 前のぼくよりチビだけれども、ぼくを支えてくれたんだから。前と同じに左の手で。
 ぼくがチビだから、上着の端まで握らせてくれて。



(…ハーレイに会いたい…)
 会って話をしてみたい。ぼくが思い出した背中のポカポカ、前のぼくの背中にあったポカポカ。
 その話をハーレイとしたいんだけど、って何度も何度も窓の方を見た。
 ハーレイが来てくれるかな、って。仕事が早く終わってくれたらいいんだけれど、って。
(来て欲しいな…)
 ぼくが保健室のお世話になっちゃったことを、ハーレイは知っているんだから。
 元気に帰って行ったことまで、多分、聞いてはいるんだろうけど…。
(ママの迎えで帰らなかったし、来てくれないとか?)
 あの様子なら大丈夫、って思っていたらどうしよう。ぼくの家に寄らずに帰っちゃうとか…。
 それだけは無いと思いたい。
 だけど知らないハーレイの予定。会議があるなら遅くなったら寄れないだろうし、柔道部の方の練習が長い日だってあるし…。



(…来て欲しいのに…)
 こんな日だから会いたいんだよ、って祈るような気持ち、何度も見た窓。
 神様がお祈りを聞いてくれたのか、ハーレイがチャイムを鳴らしてくれた。門扉の横の。窓から大きく手を振ってみたら、振り返してくれて。
 普段と変わらないお茶の時間の始まり、ぼくの部屋で二人、テーブルを挟んで。
「元気そうだな、思った以上に。バスで一人で帰って行った、とは聞かされたんだが…」
 最後の授業も途中から出ていたらしいな、お前。
「うん。家に帰ってからおやつも食べたよ」
 すっかり元気で、もう大丈夫。ぼくの身体だもの、自分で分かるよ。
「…保健室へお前を運んだ時には、野菜スープの出番なのかと思ったがなあ…」
 帰りに作りに行かないとな、と段取りをしていたんだが…。
 お前は一人で帰ったと聞いて、なんだか拍子抜けしたぞ。元気なのはいいことなんだがな。



「えっとね…。ハーレイのおまじないのお蔭なんだよ」
 それで元気になったんだと思う、おまじないのお蔭。
「…おまじない?」
「そう。背中にくれたよ、ハーレイの温もり」
 ぼくを支えていてくれたでしょ?
 あの手の温もり、背中に残っていたんだよ。それがポカポカ温かくって…。
 気持ち良くって、ぐっすり眠っちゃってた。寝ていた間もポカポカだったよ、ぼくの背中。
 それで目が覚めたら、眩暈が治って元気になってた。きっと幸せに眠れたからだよ、ハーレイの温もりを背中に貰って。
 だから、おまじない。背中のポカポカ、ハーレイがくれたおまじないだと思うんだ。
「おまじないって…。俺の温もりって、お前が温めて欲しい場所…」
 右手だけじゃなかったというわけなのか?
 メギドで凍えちまった右の手、そいつは俺もよく知ってるが…。背中も温めて欲しかったのか?
「そうみたい…」
 ぼくも忘れてしまっていたけど、背中のポカポカで思い出したよ。
 この温もりも大好きだった、って。ぼくの背中にハーレイの左手がくれるポカポカ。



 前のぼくが貰っていたんだよ、って話してみた。背中にハーレイの左手の温もり。
 ハーレイはそのことを覚えてる? って。
「あのね…。ハーレイはいつも、ぼくの後ろを歩いていたけど…」
 背中に温もりをくれていた時は違ったよ。ハーレイはぼくの隣にいたよ。
 並んで歩いて、背中にポカポカ。ぼくの背中を左手で支えていてくれたんだよ…。
「そういや、お前の杖代わりだったな」
 思い出したぞ、学校じゃ仕事が頭にあったし、思い出しさえしなかったが…。
 前の俺はお前の杖だったっけな、お前がヨロヨロしていた時には。
「杖!?」
 杖だって言うの、もっと素敵な言い方はないの?
 その言い方だと、杖が無くっちゃ歩けないような年寄りみたいに聞こえるじゃない…!



 酷いや、って怒ったぼくだけれども、その通りだから。
 ハーレイの左手の支えが無ければ、倒れちゃいそうな時も多かったから。
(でも、年寄り…)
 杖なんて、今の時代はお年寄りだってついてはいない。年を重ねた外見が好きな人だって少なくないけど、流石に杖を頼りに歩かなければ駄目なほどには年を取ったりしないから。
 もちろん、杖はあるけれど。
 どちらかと言えば年を重ねた人用のお洒落なアイテム、若い外見だと似合わないお洒落。好みの杖を握ってお出掛け、ちょっぴり気取った紳士なんかの御用達。
 そうでなければ、足を怪我した時につく杖、それはホントの意味での杖。
(今だと杖をつくのは怪我しちゃった人…)
 分かっているけど、ぼくの中には前のぼくの記憶がたっぷり入ってる。前のぼくが生きた時代に杖と言ったら、お年寄りの杖。怪我人よりも、お年寄り。お洒落なアイテムなんかじゃなくって、実用品として使われてた杖。
 そういう時代に生きていたぼくの杖代わりだなんて言われちゃったら…。



(どう考えても年寄りだよ…!)
 前のぼくを捕まえて年寄り扱い、酷すぎるよ、って膨れたぼく。膨れっ面になったぼく。
 なのに、ハーレイは鼻で笑って、ぼくの額をピンと弾いた。指先で軽く。
「年寄りみたい、と言うがな、お前…」
 前のお前は俺より遥かに年上だったろうが、それでも年寄りじゃないと言うのか?
 お前の方が俺より若かったなんてこと、有り得なかったと思うがな…?
「そうだけど…。ホントに年寄りだったんだけど…!」
 もう間違いなく、ハーレイよりも年寄りだったけど…!
 ハーレイが前のぼくの杖代わりだっただなんて、酷すぎない!?
 まさかハーレイ、ぼくを支えながら杖のつもりで歩いていたとか…?



 あんまりだよ、って文句をぶつけた。前のぼくが年寄りだっただなんて。
 キースに向かってそう言ったけれど、「年寄り」と自分で名乗ったけれど。
 自分で言うのと、人に言われるのは別だから。それもハーレイに言われるだなんて、ダメージが大きくて怒りたくなる。年寄りじゃない、って。
 ぷりぷり怒ったぼくだけれども、プンプン膨れていたけれど。
 ハーレイが「だがな…」って悲しそうな顔。
 いけない、怒り過ぎちゃったろうか、悲しい気持ちにさせちゃったろうか?
 ハーレイにしてみれば軽い冗談、それなのに怒っちゃったから。
 プンスカ膨れてしまっていたから、やり過ぎちゃったのかもしれない、ぼく。
 慌ててやめた膨れっ面。
 ハーレイを困らせるつもりは無くって、悲しませたいとも思わないから。



「…どうしたの?」
 ぼくが怒ったから、悲しくなった?
 ごめんね、ハーレイ。そんなつもりは無かったんだよ、ちょっぴり怒り過ぎちゃった…。
「いや、そうじゃなくて…。前のお前の頃の話だ」
 本当にお前に杖が要る時、俺は支えてやれなかった。お前は杖が欲しかったろうに…。
 すまん、杖と言ったら怒るんだったな、年寄り扱いされた、って。
「…それ、いつの話?」
 別に杖でもかまわないんだよ、もう怒ったりはしないから。
 それよりいつなの、前のぼくをハーレイが支えられなかった時っていうのは…?
「キースの脱出騒ぎの時だ」
 シャングリラ中が大混乱だった時に、お前、いきなり目覚めたろうが。
 そしてキースを止めに出掛けたぞ、たった一人で。
「ああ…!」
 そういえば、ハーレイ、いなかったっけ…。
 ぼくが呼んでも反応が無くて、誰も気付いてくれなかったっけ…。



 白い鯨で目覚めたあの日を、出来事を、一気に思い出した、ぼく。
 十五年間も眠り続けた前のぼくの側には、医療スタッフさえいなかった。あまりにも長く眠っていたから、自動でデータが取られていただけ。
 データはメディカル・ルームに絶えず送られていたんだけれども、ぼくの目覚めを示すデータは医療スタッフに届かなかった。みんな忙しくしていたから。カリナの暴走で増える怪我人、それに手を取られてデータを読んではいなかった。
 目覚めて直ぐには、何が起こったのかが分からなくて。
 だけどシャングリラの危機だというのは感じ取っていたし、そのせいで目覚めたんだから。
 とにかく状況を把握しようとベッドから下りて外に出た。スロープを歩いて青の間の外へ。
 途端に押し寄せて来た不安と混乱、それから調和を乱す存在。
 船の中に渦巻く皆の思念で、地球の男が逃げたと分かった。それを追っている者が誰もいないということも。
 地球の男が脱出するのを止められる者はぼくしかいない。ぼくしか気付いていないんだから。
 なのに無かった支えてくれる手、ぼくが歩くのを助けてくれる手。
 ハーレイは何処にも見付からなくって、思念さえ届けられなくて。仕方ないから一人で歩いた、格納庫までの長い通路をよろけながら。
 地球の男が脱出するなら、格納庫。其処しかないから、先回りをして倒そうと。



「…お前、あんな時でも一人で歩いて…」
 眠りから覚めて直ぐの身体じゃ、歩くだけでも辛かったろうに…。
 俺を呼ぶだけの思念波も送れなかったほどの身体で、どんな思いをして歩いていたのか…。
 すまない、お前を放っておいて。…キャプテンのくせに、気付きもしないで…。
「仕方ないよ、ああいう時だったから」
 ハーレイだって大変だった筈だよ、船の中はメチャメチャ、キースは逃げるし…。
 おまけにジョミーはナスカだったし、あの状況でぼくに気付けと言う方が無理。
「そうなんだが…。事実、そういう状態だったが、それでもな…」
 俺が支えてやりたかった。格納庫に向かって歩くお前を、俺が支えてやれていたなら…。
 それを散々後悔したんだ、お前がトォニィと一緒にメディカル・ルームに運ばれた後で。
「…そうだったの?」
「ああ。…しかし俺には、それを謝る暇さえ無かった」
 ようやくお前に会えた時には、ゼルたちも一緒にいたからな。個人的な話は何も出来ず仕舞いで終わっちまって、それっきりだ。
 お前のために野菜スープを作る暇さえ、俺には取れなかったんだ…。
「うん…。知ってるよ…」
 ハーレイ、何度もぼくに謝ってくれたから。
 あの時は何も出来なかった、って何度も何度も言っているよね…。



「それだけじゃないんだ、俺がお前の杖になり損なった時」
 もう一つあるんだ、俺がお前を支えてやならきゃいけなかった時が。
「まだあるの?」
 ぼくには思い付かないけれど…。いつの話?
「…お前がメギドに飛び立つ前だ」
 ブリッジまで一人で来ただろうが。もう大丈夫だ、と平気なふりを装って。
「そうだけど…」
 どうして、そこでハーレイがぼくを支える話が出て来るの?
 ぼくはジョミーと一緒に行ったし、ハーレイが来たって支えられる場所は何処にも無いよ?
「そうじゃない。…お前がブリッジに来る前のことだ」
 あの時は全く思いもしなかったんだが、今にしてみれば…。
 お前が青の間からブリッジまで歩いて来る途中。
 あそこも支えてやりたかった、と思うわけだな、きっとお前は歩き辛かった筈なんだ。
 弱った身体でブリッジまでだぞ、短い距離ではないんだから。
 お前がブリッジに来ようとしてる、って気付きさえすれば、支えてやれた。
 あんな時でも、キャプテンだからこそ「ソルジャーがお呼びだ」と飛び出せたんだ。
「…ハーレイにそれをされていたなら、飛べていないよ」
 ぼくはメギドに飛べなかったよ、ハーレイの左手から離れたくなくて。
 右手に持ってたほんの少しの温もりだけだったから、飛べたんだ。
 背中にハーレイの温もりをずうっと感じて歩いて行ったなら…。ブリッジに着く前に心が挫けて飛べなくなったよ、離れたくない、って。
「やはりな…」
 背中の温もりと聞いてピンと来たんだ、もしかしたら、と。
 俺が支えてブリッジまで一緒に行っていたなら、お前はシャングリラに残ったかも、と。



 やっぱり支えに行くべきだった、って悔しそうな顔をしているハーレイ。
 あの時の俺は色々と手一杯で頭が回らなかった、って。
「…青の間をモニターしておけば良かった、お前が動いたら分かるように」
 そうしていたなら、俺はブリッジから飛び出して支えに走ったのに…。
 お前の背中を左手で支えて、ブリッジまでの通路を一緒に歩いて。
 それでお前がメギドに飛ばずに残ってくれたら、俺はどんなに幸せだったか…。ミュウの未来がどうなっていようが、地球が死の星のままだろうが。
「…もう済んだことだよ、何もかも」
 前のぼくはとっくに死んでしまったし、そのお蔭で今があるんでしょ?
 平和な世界も、青い地球も。
 …だからハーレイは間違っていないよ、ぼくを支えなかったこと。
 支えていたなら、ぼくはメギドに飛べていないし、平和な世界も青い地球もきっと無かったよ。神様がハーレイにそうさせたんだよ、ぼくの杖になってはいけない、って。
「だが…」
 弱り切ったお前を支え損ねたことが二回だ、それも重大な場面ばかりだ。
 前のお前を支え続けた俺にしてみれば、とんでもないミスというわけなんだが…。
 悔やんでも悔やみ切れないと言うか、取り返しのつかない過ちと言うか…。



 ハーレイがあんまり辛そうだから。
 とうの昔に終わってしまったことだというのに、辛そうな顔をしているから。
「…じゃあ、今度また支えてよ」
 今のぼくを支えて、背中のポカポカ、ぼくにちょうだい。前のぼくの分も。
「学校でか?」
 上手い具合に出くわしたならば、それはもちろん支えてやるが…。
「結婚してからでもいいよ?」
 学校でチャンスが無いままだったら、結婚した後で。
「お前なあ…」
 結婚した後に支えて貰って何処へ行く気だ、何をするんだ?
 俺の嫁さんになるんだろ、お前。その後で支えろと言われてもなあ…。



 嫁さんにそんな無茶をさせる馬鹿が何処にいるか、って呆れられた。
 病気にしたって怪我にしたって、支えが無ければ歩けないような状態のお嫁さん。
 そんなお嫁さんに何かをさせるような人はいない、と言われてみれば、そうだから。
「…それじゃ、ぼくがハーレイに支えて貰えるのは学校に通ってる間だけ?」
 結婚した後には背中のポカポカ、もう貰えないの?
 あの温かさも好きなんだけど…。
「いや、結婚した後は、それよりももっと甘やかしてやる」
 背中を支えるだけなんてケチな真似はしないさ、堂々とお前を運ぶことにする。
 寝込んじまっても、どうしても何処かへ行きたいんだとか、無茶を言い出した時にはな。
 絶対に無いとは言い切れないだろ、具合が悪くても庭に出たいとか。



 そういう時には抱っこにおんぶだ、とハーレイが言ってくれたから。
 任せておけ、って逞しい胸を叩いてくれたから、大いに期待しようと思う。
(背中のポカポカも嬉しいけれど…)
 結婚した後は抱っこにおんぶ。
 ハーレイの腕に抱っこされたり、背中に背負って貰ったり。
 具合の悪い時には甘え放題、きっと治りも早いんだろう。
 ハーレイがくれた、おまじない。背中のポカポカ、ホントにとってもよく効いたから…。




           背中の温もり・了

※前のブルーが視察に行く時、傍らで支えていたハーレイ。万一に備えて、左手を添えて。
 ブルーの背中にあった温もり。思い出したら、今度も欲しくなってしまいますよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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(こう来たか…)
 親父だな、とハーレイはテーブルの上を見詰めた。
 ブルーの家には寄りそびれた金曜日のことだけれども、留守の間に父が勝手に入った証拠。この家の合鍵を持っているから、「先にやってるぞ」とダイニングで何か食べていたりもするのが父。釣りの成果を料理していたこともしばしば、最近はめっきり減ってしまったが…。
(俺が帰るとは限らんからなあ…)
 小さなブルーの守り役になって、帰宅時間が遅い日が増えた。仕事が早く終わればブルーの家に行くから、夕食はそちらで済ませてしまう。だから少なくなってしまった父の不意打ち。
 とはいえ、敵も心得たもので、ブルーの家には寄れそうもない日を選んでやって来たりもする。真っ直ぐ家に帰る日はいつだ、と予め聞き出しておいたりして。
 しかし、先日の通信は違った。今度の土曜日はブルーの家に行くのか、と訊いて来た父。行くと答えたら「分かった」の一言、他の予定は訊かれなかった。
 だから…。



(何かあるとは思っていたが…)
 予想外だ、と見下ろすダイニングのテーブル、ドンと置かれた籐製の籠。それに一杯、ドッサリ入った紫色の果実、よく熟れたアケビ。どれもパカリと口を開いて食べ頃の香り。
 手書きのメモも添えられていた。「ブルー君に持って行ってやれ」と。
(アケビなあ…)
 確かに珍しいものではある。山に行かないと採れない果実。食料品店に並びはしないし、売っている場所があるとしたなら、山から近い山菜などを扱う店。それくらいしか思い付かない。
 採りに行くにせよ、買いに行くにせよ、どちらにしてもアケビが採れる山に行くしかなくて。
(ブルーも多分、知らないだろうなあ…)
 本物のアケビは見たことが無いに違いない。アケビそのものは有名だから、写真などで知ってはいるだろうけれど、手に取ったことも一度も無ければ、食べたことだって。
 なにしろブルーは身体が弱い。アケビ狩りには向かない身体。
 山の方へと出掛けるにしても、せいぜい軽いハイキング。それも殆ど行かなかったと聞くから、アケビが売られているシーズンに山菜の店を覗いたことも無いだろう。
(あの手の店は山の近くにしか無いからな?)
 山で採って来たものを並べて売る店、けして大きな店ではない。わざわざ車で出掛ける客より、散歩のついでに立ち寄る客が多いのであろう小さな店。店の構えも素朴なもの。
 父はアケビを買って来たのか、はたまた採りに出掛けたのか。
(親父のことだし…)
 採ったんだろうな、と思いながらも通信を入れることにした。まずは着替えで、それから通信。アケビの礼を言っておかなくては。



 スーツを脱いで、夕食の支度に取り掛かる前。
 父の家へと通信を入れたら、アケビは予想通りに採って来たもの。ただしアケビ狩りに出掛けたわけではなくて…。
(釣りの土産か…)
 親父らしい、と思ってしまう。釣り好きの父は川へも海へも釣りにゆくけれど、釣りをするには情報収集、その範囲は釣りだけに留まらない。其処に行ったら何が出来るか、何があるのか。広く調べて楽しむのが釣り、釣りのついでに他にも色々。
 今日のアケビもそうだった。以前から何度も通っている場所、アケビが採れる山深い川。其処で釣りをし、釣りの合間にアケビ狩り。
(今の季節ならあるからなあ…)
 父が言うには、山ほど実っていたらしい。届けた分だけで終わりではなくて、自分の家にも沢山あるから幾つも食べた、と声が弾んでいた。甘くて美味いぞ、と。ブルー君にも是非、と。
(親父からの土産か…)
 小さなブルーの喜ぶ姿が目に見えるようだ。
 未来の家族からのプレゼント。きっと大はしゃぎで眺めるのだろう、お土産なんだ、と。



 次の日、アケビを籠ごと提げてゆくかどうか暫し考えてから。
(…籠だと中身が丸見えだしな?)
 ブルーがアケビだと気付くかどうかはともかくとして、どうせなら驚いて欲しいから。籐の籠はやめて袋に移した、中身が見えない紙の袋に。
 いい天気だから紙袋を手に歩いて出掛けて、着いた生垣に囲まれた家。
 門扉の脇のチャイムを鳴らすと二階の窓からブルーが手を振り、振り返す内にブルーの母が出て来た。門扉を開けに。
 その母に紙袋を渡し、「アケビなんです」と中身を見せた。
「この通り、沢山ありますから…。皆さんでどうぞ」
 ブルー君にも食べさせたいですし、おやつに添えて頂けますか?
「ええ。でも…。アケビに合うお茶って何ですの?」
「さあ…?」
 お茶はハーレイにも盲点だった。アケビはそれだけを食べるものだし、お茶菓子ではない。何が合うのか分からないから、お菓子の方を優先して下さい、と答えておいた。
 いつものお菓子にアケビがオマケでいいでしょう、と。



 ブルーの部屋に案内されて間もなく、運ばれて来たお菓子の皿とアケビが幾つも盛られた器と。
 お菓子が軽めのケーキだったから、お茶は紅茶になっていた。ティーカップとポット、それらがテーブルの上に揃って、ブルーの母が「ごゆっくりどうぞ」と出て行った後。
「ハーレイ、これ…」
 お土産なの、とブルーがアケビを指差したから。
「そうなんだが…。こいつは俺の土産じゃなくてだ、親父からだ」
 この前、今日はお前の家に行くのかと訊いて来たから、行くと答えておいたんだが…。
 昨日、帰ったら、こいつがあったというわけだ。お前に持って行ってやれ、とメモつきでな。
「ホント!?」
 ハーレイのお父さんからぼくにお土産?
 アケビって何処に売ってるものなの、お父さん、ぼくを覚えていてくれたんだ…!



 お土産なんて、と大喜びのブルー。
 もっと喜ばせることになってしまうけれど、アケビは買って来たものではないから。
「生憎と、こいつは売り物じゃない。売っている店も親父は知ってる筈なんだが…」
 買ったんじゃなくて採って来たんだ、釣りに出掛けた場所にドッサリあったそうだぞ。
「そうだったの? それじゃ、ホントにお土産なんだ…」
 ぼくのために採って来てくれたんだね、アケビ。こんなに沢山…!
「ついでなんだと思うがなあ…。釣りのついでにアケビ狩りだろ」
 もっと沢山持って来たんだ、お母さんに袋ごと渡しておいた。親父の家にも山ほどあるんだし、お前用ってわけではないな。親父とおふくろも食うんだからなあ、あくまでついでだ。
「でも通信があったんでしょ?」
 ぼくの家に行くのかどうか、って。
 そう訊いてから採りに出掛けてくれたんだったら、ぼくの分も入っていたんだよ。ぼくが食べる分だけ多めに採って来てくれたアケビだってば、ぼくのなんだよ。



 ぼく用のお土産、とブルーは大感激で。
 お父さんにちゃんと御礼を伝えておいてね、と何度も念を押し、それから器のアケビを眺めて。
「…食べていい?」
 御礼は言ったから食べていいよね、このアケビ。
「ああ。…って、お前、食い方、知ってるのか?」
「えっ?」
「アケビだ、アケビ。アケビの食い方を知っているのかと訊いているんだ」
「…食べ方って、このまま食べるんでしょ?」
 だって果物、とアケビを一つ手に取ったブルー。案の定、紫の皮ごと食べようとしているから。
「ほら見ろ、言わんこっちゃない。お前、分かっていないじゃないか」
 アケビってヤツは皮ごと食ったら駄目なんだ。皮じゃなくって、弾けた中身。中身だ、中身。
 中に入っている白い部分を食べるのだ、と教えてやった。
「この白いトコだ、ここだけ食うんだ。種は食えんが」
 種だらけだから気を付けて食えよ。ちゃんとこっちの皿に出すんだ、その種は。
 此処、と小さな皿を示してやった。ブルーの母が種入れ用にとつけてくれたらしい白い小皿を。
「うん、分かった。…んーと…。わあ、甘い!」
 なんだかクリームみたいだね。ねっとりしてるし、フルーツ味のクリームみたい。
 種だらけだけど…。クリームだと種は無いんだけれど…。



 美味しそうに一個を食べてしまって、皮の置き場を探しているブルー。種入れ用の小皿には皮は収まらない。ブルーの母もそこまでは気が回らなかったという所か。
「此処でいいだろ、テーブルの上で」
 皮には粘りも何も無いしな、置いておいてもいいんじゃないか?
 テーブルが汚れちまいはしないさ、器がすっかり空になったら器に戻せばいいんだしな。
「そっか、そうだね!」
 そうしようっと、と皮をテーブルに置いて、次はケーキ、とフォークを持ったブルーだけれど。ケーキを口へと運んだのだけれど、甘さが足りないと言い出した。ケーキの甘さが。
「…ママのケーキ、もっと甘いと思うんだけど…」
 お砂糖の量を間違えたのかな、ちょっぴり甘さが足りないみたい。ママ、失敗…?
「それは違うぞ、アケビのせいだな」
 甘いアケビを先に食ったから、ケーキの甘さが物足りなく思えてしまうんだ。じきに慣れるさ、そのケーキの味。そして甘いと思うんだろうが…。
 アケビの方ももっと食うだろ、大きさの割に食える部分は少ないんだしな?
「うんっ! ハーレイのお父さんのお土産だものね」
 ぼく用に採って来てくれたお土産、ちゃんと美味しく食べなくちゃ。
 種だらけでも甘いクリームみたいなんだし、もっと何個も食べるよ、ぼくは。



 その言葉通り、三個も食べたブルーだけれど。
 ケーキと紅茶も味わいながらアケビに手を伸ばし、三個も食べてしまったけれど。
 ハーレイと二人で食べたアケビの皮がテーブルの上にコロンと置かれて転がっているから。紫の色が鮮やかだから、ブルーはそれに惹かれるらしくて。
「アケビの皮…。美味しそうなのに…」
 食べられないなんて、とっても残念。中身があんなに甘いんだったら、きっと皮だって…。
「おいおい、見かけに騙されちゃいかん。確かに見た目は美味そうなんだが…」
 アケビの皮は甘くはないんだ、少し苦いぞ。
「苦いって…。ハーレイ、食べたことあるの?」
「食えるからなあ、アケビの皮は」
 もちろん何度も食ってるさ。苦いと知ってる程度にはな。
「嘘…。さっき、食べられないって言ったじゃない!」
 ぼくが皮ごと食べようとしたら、その食べ方は間違ってる、って…!
「その話だって嘘ではないぞ。このままじゃ無理だ、生では食えたもんじゃない」
 しかし、食おうと思った人はいたんだろうなあ、食い方があるって所を見ると。
「生だと駄目って…。じゃあ、どうするの?」
 茹でたりするわけ、この皮を?
 でなきゃ焼くとか、そうしたら食べられるようになるわけ、アケビの皮も?
「アケビの皮には詰め物だな」
 この通り中が空っぽだしなあ、そこを活かして食おうってトコだ。
 詰め物をする料理は色々あるだろ、それのアケビ版だな。



 中に挽肉を詰めるのだ、と話したら。
 ハンバーグのようにタマネギやキノコの刻んだのを入れて、蒸したり焼いたりして食べるのだ、と教えてやったら、ブルーはテーブルに置かれたアケビの皮を指先でチョンとつついてみて。
「…それ、食べてみたい…」
「なんだって?」
「食べてみたいよ、その…なんだったっけ、アケビの肉詰め?」
 ハーレイ、ちょっと作ってくれない?
 皮なら此処に幾つもあるし、もっと食べたらもっと増えるし…。
「なんで俺が!」
 そいつを作るということになるんだ、俺は食べ方の話をしただけでだな…!
 作るだなんて言っていないぞ、どうして俺が肉詰めなんぞを作ってやらんといかんのだ…!
「…アケビはお店で売っていないもの」
 売ってるんなら、ぼくだって食べ方を知ってるよ。皮は食べないとか、中身だけだとか。
「それはそうだが…。アケビは普通の店には無いが…」
「そうでしょ、ママだって知らないよ、きっと。アケビは皮まで食べられるなんて」
 だからお願い、アケビの肉詰め、作ってみてよ。ぼくも食べたくなってきたから。
「俺はこの家では料理をしないと言ってるだろうが!」
 手料理だって持って来ないし、野菜スープのシャングリラ風を作ってやるのがせいぜいだ。
 俺は客だという扱いだし、客に料理をさせるなんぞは論外なんだ…!



 お母さんを恐縮させちまうだけだ、と断った。
 客はキッチンには立たないものだと、もてなすべき客に料理をさせたら失礼になる、と。
 ところが、それで諦めないのが小さなブルーで。
「じゃあ、ママに言って」
「はあ?」
 料理をしてもいいですか、と言えってか?
 それはそれでお母さんも断り切れんし、もっと恐縮されそうなんだが…。
「違うよ、ママに教えてあげてよ、アケビの肉詰めの作り方を」
 ママが作れるように教えて、そしたら作って貰えるから。
「お前なあ…」
 そいつも俺はどうかと思うぞ、いくら客でも料理のリクエストはなあ…。
 何をお召し上がりになりますか、と訊かれたんなら失礼じゃないが、そうでもないのに注文か?
 厚かましすぎる客だと思われてしまいそうなんだが、レシピを話してリクエストなんて。



 それは流石にマズイだろう、とハーレイは断固拒否したけれど。
 駄目だと何度も言ったのだけれど、ブルーがあまりに食べたそうな顔をしているから。アケビの肉詰めを食べてみたい、と顔いっぱいに書いてあるから、腹を括って。
 そろそろ昼食は如何ですか、と覗きに来たブルーの母に声をかけてみた。
「すみません。アケビの料理はなさいますか?」
「…アケビ料理?」
 これはそのまま食べるものだと思っていたんですけれど…。この中身だけを。
 あらっ、すみません、皮を入れる器、用意するのを忘れてましたわ。
 申し訳ありません、とテーブルの上に転がっている皮に慌てるブルーの母。「いいえ」と笑顔で返しながら紫色の皮を示して。
「やっぱり御存知ないですよねえ…。アケビを使った料理なんかは」
 私の母は作るんですが、とアケビ料理の話をした。アケビの皮を使った肉詰め。この皮に挽肉を詰める料理だと、蒸したり焼いたりするものなのだ、と。
「知りませんでしたわ…。それじゃ、ハーレイ先生も?」
 お作りになりますの、アケビの肉詰め。お料理がお好きだと伺ってますし…。
「やらないことはないですが…」
 アケビさえあれば、もちろん作れるんですが。
 他所のお宅にお邪魔してまでアケビ料理を始めるのは、ちょっと…。
 マナー違反だと分かってますから、キッチンをお借りしようとまでは思いませんが…。



 ブルー君が食べたいそうなので、と作って貰えないかと持ち掛けた。
 アケビの皮を使った肉詰め。レシピはお話しますから、と。
「皮の味は少し苦いんです。けれどもこういう形ですから、肉詰めにはピッタリなんですよ」
 詰める中身はハンバーグの種に似てますね。タマネギやキノコを刻んで挽肉と合わせるんです。味付けは好みで醤油や、味噌や。
 それを詰めたら蒸して仕上げたり、焼いたりするというわけです。
「面白そうですわね、アケビの肉詰め」
 確かにトマトなんかと違って、くり抜かなくても中身を食べたら直ぐに器が出来ますわ。
 そういうお料理があるのでしたら、頂いたアケビが新鮮な内に。
 此処の皮も使えるというわけですわね、アケビ料理。
 せっかくですから、と乗り気のブルーの母。
 ブルーが渡したメモに早速レシピを書き付け、空いたケーキ皿を下げるついでに持って行った。テーブルの上に幾つも転がっていたアケビの皮と一緒に。



「ママ、作ってくれるみたいだけれど…」
 お昼御飯には間に合わないね、と扉の方を見ているブルー。母が閉めて行った部屋の扉を。
「当たり前だろう、材料が無けりゃ買い出しからだぞ」
 挽肉さえあればキノコだろうがタマネギだろうが、とは言っておいたが…。
 事実、そういう料理なんだが、挽肉が無けりゃ始まらん。無かったら買いに行く所からだ。
 あったとしたって、昼飯の用意は殆ど出来てる筈なんだぞ。
 アケビ料理を作っている間に、せっかくの飯が冷めちまったらどうするんだ。
 昼飯には絶対、間に合わん。作って貰えることになっただけでも有難く思っておくことだな。



 お前が我儘を言うから、お母さんの仕事が一つ増えたぞ、と額を指で弾いてやったけれども。
 罪の意識は無さそうなブルー。アケビ料理に夢中のブルー。
 間もなく母が運んで来た昼食、其処にアケビの肉詰めは無くて。
 母は「アケビ料理は晩御飯にね」と告げたのだけれど、ブルーときたら。
 その母が去って昼食のピラフを食べ始めるなり、こう言い出した。
「…アケビ、おやつに食べたいな…」
 えっと、この果物のアケビじゃなくて。アケビの肉詰め。
 これはいつでも食べられるから、とブルーが指したアケビが盛られた器。午前中に食べた分だけ減ったけれども、紫のアケビがまだ入っている。
「おやつだと!?」
 アケビ料理をおやつに食おうと言うのか、お前?
 そりゃあ、大きさはこんなモンだし…。
 おやつにコロッケってヤツだっているし、それ自体は変とは言わないが…。
 お母さんの手間を考えてみろ。夕食のつもりで支度するんだろうに、おやつまでか…!



 我儘が過ぎる、と呆れたけれども、そこはブルーで。
 昼食の皿を下げに来た母に強請り始めた。
 アケビの肉詰めをおやつの時間に食べてみたいと、一個だけでもかまわないから、と。
「…晩御飯じゃないの? アケビの肉詰めは立派なお料理よ?」
 お茶とも合わないと思うんだけれど…。緑茶ならともかく、お紅茶には。
「でも、おやつがいい!」
 一個でいいから食べてみたいよ、せっかくハーレイに聞いたんだもの。
 少しでも早く食べてみたいし、おやつにアケビの肉詰めがいいよ。
「あらあら…。食べたい気分になっちゃったのねえ、仕方ないわねえ…」
 それじゃ両方、と微笑んだ母。
 おやつ用に作って夕食にも、と。
「ありがとう、ママ!」
「どういたしまして。ブルーが食べたいお料理なんでしょ、お安い御用よ」
 おやつを楽しみにしていなさいな、と母は食後のお茶をテーブルに置いて出て行った。これから買い出しに出掛けてゆくのか、冷蔵庫に挽肉が入っているのか。
 買い出し無しでも、アケビ料理を二回も作るのは間違いないから、手間が倍だから、ハーレイはフウと溜息をついた。
「お前、とことん我儘だな」
 アケビ、アケビ、って騒がなくても、晩飯になったら食えるだろうに。
「だって…。ハーレイと二人で食べたいよ」
 晩御飯だとパパとママも一緒で、二人きりでは食べられないもの。
 せっかくのハーレイのお父さんのお土産、ハーレイと二人でゆっくり食べてみたいんだもの…。



 そしておやつに出て来たアケビ。
 ブルーの母が「お茶はやっぱりこれなんでしょうねえ…」と緑茶と一緒にトレイに載せて運んで来たアケビ。肉詰めのアケビがブルーの分とハーレイの分と、二個ずつ皿に載っていた。
 味付けは味噌にしたという。フライパンで焼いて仕上げて来た、と。
 紫色だったアケビはナスをこんがり焼いたかのように色が変わって、中に挽肉。皮の裂け目からはみ出すくらいに詰められた挽肉、タマネギとキノコもたっぷり入っているらしい。
「…ハーレイ先生、こんな具合でよろしいんでしょうか?」
 教わった通りにしてみましたけど、アケビ料理は初めてですから…。
「ええ、私が作ってもこういう感じになりますね」
 すみません、お手数をおかけしまして…。アケビを持って来たばかりに。
「いいえ、お蔭でレパートリーが広がりましたわ」
 お夕食には蒸してみようかと思ってますの。
 また味わいが変わるんでしょうし、楽しみですわ。
 ええ、試食用はもちろん作りましたし、これから主人と食べるんですのよ。主人もアケビ料理は初耳だとかで、おやつに作るならお相伴だ、って。



 ブルーの母が料理とお茶とを置いて去ってゆくなり、小さなブルーはアケビの肉詰めにガブリと皮ごと齧り付いた。モグモグと噛んで味わい、飲み下して。
「…ちょっぴり苦いね、見た目はそうでもなさそうなのに…」
 ナスみたいだ、って思ったけれども、ナスは焼いても苦くはならないし…。
「だから言ったろ、苦いって」
 アケビの皮は苦いんだから、料理したって苦さは残っちまうってな。
 肉詰めだからな、子供が好きそうな感じなんだが、どちらかと言えば大人向けだ。
 酒の肴にいいんだぞ。…って、お前は酒は駄目だったっけなあ…。
「もっと他にも詰められそうだね、挽肉じゃなくても」
 御飯を詰めたりするのはないの?
 トマトとかだとハーブライスを詰めたりするけど、アケビに御飯は詰めないの…?
「ハーブライスなあ…。俺はそいつは試したことが無いんだが…」
 あくまで肉詰め一本槍だが、バリエーションなら幾つもあるな。
 蒸した後に溜まった肉汁を使ってソースを作って餡かけ風とか、衣をつけてフライだとか。
 どれも美味いぞ、手間をかけるだけの価値があるってな。
「やっぱり…!」
 ママにスラスラ教えてたから、詳しいんじゃないかと思っていたんだ、アケビの肉詰め。
 きっと何度も作ったんだ、って。工夫も色々していそうだ、って…。



 そういう話が聞きたかった、と笑顔のブルー。嬉しそうなブルー。
 だからアケビの肉詰めをおやつに強請ったと、ハーレイと二人で食べたかった、と。
「晩御飯の時だと、パパとママに話を持って行かれてしまうんだもの…」
 二人とも、ハーレイがぼくの相手で疲れちゃってる、と思ってるから仕方ないけど…。
 でも、本当にハーレイを取られてしまうし、アケビ料理の話をしてても同じだよ、きっと。
 ぼくが訊くよりも先にママが訊くとか、パパが相槌を打っちゃうとか。
 今みたいな中身の話を聞けても、ぼくは楽しさ半分以下になっちゃうんだよ…。
「ふうむ…。その点は俺も否定出来んな」
 だが、お母さんたちは俺を気遣ってくれているんだ、そこの所を間違えるなよ?
 恨んじまったら罰が当たるぞ、家族でもない俺を夕食の席に加えてくれるんだからな。
「…分かってるけど…。でも…」
 たまには我儘言っていいでしょ、ママだって面白がってるし。
 ぼくが我儘言わなかったら、今日のアケビ料理は一回だけだよ、焼くのか蒸すのか、片方だけ。
 ママは両方試せるんだし、これでいいんだと思うんだけど…。
「そういうのを屁理屈と言うんだ、チビ」
 あれは立派な我儘だったぞ、ショーウインドウの前で欲しいと踏ん張るガキと変わらん。
 なにがおやつにアケビ料理だ、お母さんの菓子の出番を奪っちまって…。



 午後のおやつにケーキでも焼いてあっただろうに、とハーレイは嘆いてみせたけれども。
 ブルーの方はケロリとしたもので、アケビの肉詰めを頬張りながら。
「苦味に慣れたら美味しいね、これ」
 ハーレイのお父さんとアケビの話も聞きたいな。お父さんもアケビの肉詰め、作るの?
「まあな。しかし、親父はどっちかと言えばアケビを採ってくる方で…」
 レシピの工夫は主におふくろだぞ、こうすれば美味いんじゃないか、って。
 それを食って親父がアイデアを出すんだ、次はこういうのも美味いかも、とな。
 そういう意味では共同作業と言えないこともないなあ、アケビ料理は。
「…だったら、ぼくのアイデアも言ったら採用して貰えそう?」
 アケビ料理にハーブライス。挽肉の代わりに御飯を詰める、って言ったよ、ぼくは。
「悪くはないかもしれないなあ…」
 試してみるかな、まずは挽肉に米を混ぜるトコから始めてみて。
 いけるようなら米の比率をだんだん増やして、最終的にはハーブライスで。
 …米の中にナッツを入れてもいいかもしれんな、胡桃とかをな。ナッツもアケビも秋の味覚だ、ナッツをたっぷり。案外、出会い物かもしれんぞ、アケビとナッツ。
 美味いのが出来たら親父たちに教えて、元はお前のアイデアだったと伝えてやるさ。
 もっとも、アケビ。
 親父が届けに来てくれた分は丸ごと持って来ちまったしなあ、料理のチャンスはいつになるやらサッパリ謎だな、また採って来てくれないとなあ…?



 そいつもウッカリ全部届けてしまいそうだが、と苦笑しながらの幸せな時間。
 お菓子の代わりにアケビの肉詰めを食べて、紅茶の代わりに緑茶を飲んで。
 こういう午後もいいものだ、と緑茶のおかわりを注いでいたら。
「ぼくもアケビ、採りに行きたいな…」
 山に行けばドッサリ実ってるんでしょ、今日、持って来てくれたみたいなアケビが。
 普通のお店には売ってないんだし、アケビを採りに行ってみたいよ。
「いつかはな」
 お前だったら行けるだろうさ。親父も喜んで案内するんだろうし。
「ぼくだったら、って…。どういう意味?」
「俺の嫁さんになるんだろ、お前。だからこそだな」
 今の所は親父だけしか山ほど採っては来られないんだ。
 俺が教師になってからだしな、親父がアケビを一度にドッサリ採ってくるようになったのは。
 それまでは十個もあれば上等だっていう具合だったが、今じゃ御覧の通りだってな。



 親父の秘密の場所らしいから、と話してやった。
 釣り仲間の誰にも教えていないと、けれど家族なら話は別だと。
 ブルーが新しい家族になったら連れて行きたがる、と言ってやったらブルーは行く気満々。もうその場所を知ったかのように顔を輝かせるから、一応、注意はしておいた。
「…俺が思うに、とんでもない山の奥じゃないかと…」
 道があるとも限らないような場所を、川沿いに登って行くんじゃないかと思うんだがな?
 お前、そういう場所でも親父について行くのか、アケビ狩りに?
「うん。疲れちゃったら、ハーレイ、背負って」
「背負うって…。今ならともかく、デカく育ったお前をか!?」
「駄目…?」
 大きくなったら背負えないっていうこともないでしょ、ハーレイ、力持ちだから。
 今のハーレイは鍛えているから、ぼくくらい軽く背負えない…?
「まあ、いいがな…」
 くたばっちまったら背負ってやるから、アケビ狩りをする体力くらいは残しておけよ?
 せっかく着いたのに一個も採れずに座ってました、じゃ、情けないにもほどがあるからな。



 アケビ狩りには行きたいけれども、山道で疲れてしまいそうな未来のブルー。
 前と同じに大きく育っても、丈夫になりそうもない身体が弱いブルー。
 そういうブルーとアケビ狩りに行くのもいいだろう。疲れてしまったら背中に背負って。
 道案内をする父も笑うに違いない。疲れたのなら一休みするか、と釣りの道具を地面に下ろしてレジャーシートをブルーのために広げてくれるとか。
 いつかはブルーとアケビ狩りだな、と考えていたら。



「ハーレイ、アケビを沢山採って来られたら料理もしようね」
 アケビの肉詰め…。ううん、その頃にはハーブライス詰めも出来ているかも!
「お前も一緒に作るのか?」
 それとも俺が一人でやるのか、肉詰めもハーブライスの方も。…ハーブライスは試作もしてないからなあ、美味いのが出来る保証は無いが。
「蒸すとか焼くとかは難しいかもしれないけれど…」
 詰めるくらいは出来るでしょ? アケビの皮に。肉もお米も。
「確かになあ…。そのくらいは出来んと話にならんな」
 料理以前の問題だ。お前、手先までは不器用じゃなかった筈だよな?
「うん。前のぼくだと危なかったけどね、お裁縫はね」
 今度はお裁縫だって家庭科で習った程度のことは出来るし、きっとアケビに詰めるのだって…。
 前のぼくでも詰められたかもしれないよ?
 シャングリラにはアケビもアケビ料理も無かったから、詰めるチャンスが無かっただけで。
「無かったなあ、シャングリラにアケビはなあ…」
 もちろん地球にもアケビは無かった、前の俺たちが生きた頃にはな。
 いい時代に俺たちは生まれて来たなあ、地球が蘇って今ではアケビもあるんだからな。



 ブルーと二人、青い地球の上に生まれ変わって、いつかはアケビ狩りにゆく。
 結婚してブルーと家族になって、今の自分を育ててくれた父と。
 その日が来るのを夢に見ながら、小さなブルーと頬張るアケビ。肉詰めはもう食べ終えたから、器に盛られた生のアケビの甘い中身だけを。紫色の皮は残して、その中身だけを。
 夕食の席でもきっと話が弾むだろう。
 アケビの肉詰めを前に、ブルーや、ブルーの両親たちと。
 シャングリラにアケビはありませんでしたね、と、もちろんアケビ料理も、と。
 今はアケビがドッサリと実る秘密の場所があるらしい地球。
 いつかはブルーと二人きりの家で、アケビ料理を作ってみよう。
 ブルーの提案のハーブライス詰めも、美味しいかどうか試作してみて…。




           お土産のアケビ・了

※ハーレイの父からブルーへのお土産に、アケビ。そのまま食べても美味しいのですが…。
 料理も作れると聞いたブルーの我儘、お茶の時間はアケビの肉詰め。ハーレイ直伝のレシピ。
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(たまには店で買うのもいいもんだしな)
 これがまたいい、とハーレイは食料品店に立ち寄っていた。ブルーの家に寄れなかった日、何か買おうと店の駐車場に車を停めて。
 欲しいものは夜食、夕食の後にコーヒーを淹れて食べるもの。自分で作るのも好きだけれども、こうして買いたくなる日もある。食料品を買い込むついでに、一人分を作るには向かないものを。
 たとえばタコ焼き、軽くつまめて手軽な割に意外とかかってしまう手間。
(夜食じゃないなら作るんだがな…)
 夜食の分だけ作るとなったら難しい。たかが十個ほどを作るためにだけ、材料を揃えてタコ焼き器までも出してこなければいけないのだから。タコ焼き器を出せば当然、片付けだって。
 そういった食べ物は色々とあって、今日は買いたい気分になった。夜食用に何か、と。



(何にするかな…)
 店に備え付けの籠を手に提げ、野菜や肉を入れてゆきながら思案していて。
 やはりタコ焼きを買うべきだろうか、などと考えていたらパンのコーナーが目に付いた。普通の食パンやバゲットと一緒に菓子パンや調理パンなども置いている。この店の中で焼いてもいる。
 行きつけのパン屋もあるのだけれども、この店のパンも気に入っていた。時間によっては焼けたばかりのパンがズラリと並ぶし、品揃えも豊富だったから。
(サンドイッチでも買うとするか)
 カツサンドもいいな、と入って行ったパンのコーナー。店でわざわざ焼くくらいだから、他とは区切られているスペース。食料品店の中にパン屋があるような具合。
 カツサンドはカツから用意しないと作れないのだし、丁度いいな、と思ったものの。
 いざ入ってみるとサンドイッチの他にも菓子パン、調理パン。夜食に一個だけは作れそうもないパンが色々、あちこち目移りしてしまう。
 キツネ色に揚がったピロシキもいいし、ピザ風になった調理パンも…、と眺めていく内に。



(おっ、懐かしの焼きそばパンか…!)
 美味いんだよな、と頬が緩んだ。焼きそばを挟んだ調理パン。赤い生姜がアクセント。
 此処のは店で作っているから、少し値段が張るけれど。仕上がり具合もお洒落だけれども、これよりも安い焼きそばパンをよく食べていた。子供の小遣いで気軽に買える値段のものを。
(学校でも買っていたっけなあ…)
 食堂にあったパンのコーナー、外から仕入れて売っていた場所。
 今のブルーの年の頃には、焼きそばパンが定番だった。人気の高いパンだっただけに、奪い合うように買っては食べた。昼休みではなくて、クラブに出掛ける前の時間まで取っておいて。
 腹ごしらえにと頬張っていた思い出の味の焼きそばパン。此処のものより安かったパン。今でも店で売られている。焼き立てパンが並ぶ場所とは違うスペースに、安い値段で。



(どうせだったら…)
 そっちにするかな、と安価なパンのコーナーの方へ移動した。店で焼いた味にこだわらなくても安く買えれば、という客向けのコーナー。同じパンでも値段が違う。大量に焼いて作る強みで安く上げる単価、食パンでも調理パンなどでも。
(ふうむ…)
 俺は運がいい、と顔が綻ぶ。この時間ならば完売かも、と心配だった安い焼きそばパン。今でも子供たちに大人気のパンが一個だけ棚に残っていてくれた。学生時代と変わらないものが。
(うん、こいつで)
 これを今夜の夜食にしよう、と籠の中へと突っ込んだ。他に買うものは何があっただろうか、と店を一巡、それからレジへ。会計を済ませて、車で家へと。



 自動で門灯が灯った家。迎えてくれる人は誰もいなくて、鍵を開けて入る一人暮らしの家。
 いつかはブルーがこの家に住んで、「おかえりなさい」と笑顔を向けてくれるのだろうが、今はまだ一人きりの家。
(…今日は寄ってはやれなかったなあ…)
 小さなブルーが暮らす家。両親と一緒に住んでいる家。
 仕事が早く終わった時には寄って夕食を共にするけれど、今日は会議で行けなかった。寄れずに帰って来てしまった。
 夜食用にと焼きそばパンを一個、野菜や肉なども買い込んで家へ。ブルーのいない家へ。
 買い出しの成果を棚へ、冷蔵庫へと入れてゆきながら、焼きそばパンをダイニングのテーブルに置いた。今夜の夜食、とテーブルの端に。
(あいつも、これが好きなんだろうか?)
 子供に人気の焼きそばパン。おやつ代わりに食べる子供も多いパン。
 小さなブルーも好きなのだろうか、この味が。買って食べたりするのだろうか?
 ブルーが通う学校にもパンを売っているコーナーはあるし、焼きそばパンもあった筈。とはいえブルーが奪い合いになる人気商品の争奪戦に勝ち抜けそうな気は全くしないし…。



(好きでも食ってはいないかもなあ…)
 昼休みに焼きそばパンを目指して一目散に走ってゆくほど、ブルーは活発な子供ではない。争奪戦を繰り広げるより、売れ残りでよしとするタイプ。ついでにランチ派、パンよりもランチ。
(きっと栄養バランスってヤツだ)
 身体が弱い分、栄養が偏るとロクなことにはならないから。
 両親の方針でランチを選んでいるのだろう。健康作りには食事からだ、と。
(前と同じで弱いからなあ…)
 虚弱な身体に生まれたブルー。前のブルーとそっくり同じに。
 そんなブルーを思い浮かべながら夕食を作る、夜食と重ならないように。焼きそばパンを充分に楽しめるよう、似た味付けのものは避けなければ。
 買って来た魚の切り身を焼いて、それをメインに献立を組んだ。手早く作れて美味しいものを。栄養のバランスが崩れないよう、きちんと野菜も摂れるものを。



 自分一人の食卓であっても「いただきます」と合掌は忘れない。子供の頃から叩き込まれたし、学生時代もクラブの先輩たちに厳しく指導をされた。忘れるな、と。
 食べ終わったら「御馳走様でした」と同じく合掌、器などをキッチンへ運んで洗って、片付けが済んだらコーヒーの用意。
 愛用の大きなマグカップにたっぷり淹れると、焼きそばパンも持って書斎に移った。本が並んだ寛ぎの場所。リビングも好きだが書斎も好きだ。
 机の上には白い羽根ペンと、小さなブルーとお揃いの持ち物のフォトフレームと。飴色の木枠のフォトフレームの中、並んで写った自分とブルー。
(おい、焼きそばパン、お前も好きか?)
 買って食べたりしているか、と写真のブルーに語り掛ける。笑顔のブルーに。自分の左腕に抱き付いたブルーに。
 食堂に向かって駆けてゆくとは思えないブルー。焼きそばパンの奪い合いには参加しそうもないブルー。



(奪うと言えば…)
 前のブルーの得意技だった、何でも奪った。人類の船から様々なものを。食料品から物資まで。自給自足の日々になってからも、たまに奪いに出掛けていた。
 シャングリラに何かが必要になれば、他の仲間たちでは奪えないようなものならば。
 それの最たるものがフィシスで、よりにもよってマザー・システムが無から作った少女を攫って船に連れて来た。文字通り奪い取って来た。
 処分されそうになったフィシスを救ったと言えば聞こえはとてもいいのだけれども、その原因はブルーがフィシスを欲しがったからで、サイオンを与えてミュウにしたからで。
(焼きそばパンの争奪戦どころの騒ぎじゃないぞ)
 大胆すぎだ、と苦笑いした。
 マザー・システムから奪い取るなど、横から見事に掻っ攫うなど。
 あの頃のブルーの勢いだったら、焼きそばパンも…。



(きっと一番に手に入れるんだ)
 昼休みの始まりのチャイムが鳴るなり走り出す大勢の生徒たち。焼きそばパンが目当ての生徒。それを涼しい顔で出し抜き、一番最初に「これ」と手に取り、差し出して。
 争奪戦など見たこともない、と言わんばかりに悠然と去ってゆくのだろう。焼きそばパンを手にして食堂に入るか、あるいは教室で食べるのか。
(目に見えるようだな)
 あのブルーなら、と想像してみたら可笑しくなった。
 奪うことを得意としていたブルー。前のブルーが焼きそばパンに挑んだならば、と。
 挑むからには相手は人類、アルテメシアの学校の食堂で奪うのだろうか、と思ったけれど。
 ジョミーが通っていたような学校、あそこの食堂へ行くのだろうか、と考えたけれど。
(…無かったんだった…)
 焼きそばパンという食べ物は。
 白いシャングリラがあった頃には、焼きそばパンはおろか、焼きそばさえも。
 今でこそ当たり前に店に並ぶし、今日のように選べもするけれど。パンを焼いている店で作った値の張るものを買うか、大量生産の安価なものか、と好みで自由に選べるけれど。
 前の自分たちが生きた時代に、焼きそばパンは何処にも無かった。奪い取ろうにも、存在しない食べ物などは奪えない。前のブルーの腕をもってしても。
 だから…。



(おい、珍しいものを食わないか?)
 前のブルーに心でそう呼び掛けて、引き出しから出した写真集。
 憂いと悲しみを秘めた瞳で正面を見詰めるブルーが表紙に刷られたもの。『追憶』という名の、前のブルーの写真集。それを机の上へと置いた。表紙のブルーと向かい合うように。
(どうだ、お前は知らんだろう?)
 こんなパンは、と語り掛けた。
 今の俺には馴染みの味だが、前の俺たちには珍味なんだぞ、と。



(焼きそばパンと言うんだ、こいつは)
 そういう名前がついたパンだな、文字通り焼きそば入りのパンだが…。
 ん?
 焼きそばも知らんか、お前…。焼いた蕎麦だな、こんな風に…、って、蕎麦も知らんか。
 いわゆる本物の蕎麦ってヤツはだ、これとはまるで違うんだが…。
 蕎麦粉で出来てて、こう、ザルみたいなのに盛られてるヤツを蕎麦つゆで食ったり、たっぷりの出汁に浸かっているのを啜ったり…。
 それもお前には全く想像出来ないかもなあ、蕎麦からしてな。
 その本物の蕎麦とは違って、こいつは焼きそば。蕎麦粉で出来てるわけじゃない。それを焼いて好みで味をつけてだ、熱い間に食うものなんだが…。
 こうして冷めてしまったヤツでも、パンに挟むと格別なんだ。温めなくても、このままでな。
 まあ、食ってみろ。美味いんだから。
 今の俺はガキの頃から食ってたんだぞ、焼きそばパンを。学校で買う時は奪い合いでな。
 そうさ、学校でも買ったんだ。クラブの前には腹が減るから、これとか、他にも色々なパンを。
 いつでも一番人気があるのがこいつだったな、焼きそばパンだ。



 遠慮しないでお前も食え、と前のブルーと二人で食べた焼きそばパン。
 写真集の表紙に刷られたブルーと。
 一個しか買って来なかったけれど、お互い、一個ずつ手にしたつもりで。
 写真集の表紙のブルーは幻なのだし、焼きそばパンも前のブルーと同じに幻影、ハーレイだけに見える幻。それをブルーに分けてやった。お前の分だ、と。
 前のブルーと語り合いながら、焼きそばパンを食べたけれども。
(今のあいつはどうなんだろうなあ…)
 好物だろうか、焼きそばパンが。今よりももっと幼い頃から食べた思い出のパンなのだろうか。
 学校で争奪戦はしそうになくても、好きかもしれない。学生時代の自分がそうだったように。
(なんたって人気のパンなんだしな?)
 明日は土曜日だから、ブルーの家に行く日だから。
 持って行ってやろうか、焼きそばパンを。
 あの店で作っているお洒落な焼きそばパンとは違って、仕入れている方の焼きそばパンを。
 小さなブルーも好きだったならば、きっとそちらの方だから。
 子供たちばかりで店に行っても充分に買える値段で、子供の御用達だから。



 次の日は朝から晴れていたから、歩いてブルーの家まで行く途中で昨日の食料品店に寄った。
 他の棚には目もくれないで、ただ真っ直ぐにパンが並んだコーナーへ。
 早い時間だから充分な数が置かれた焼きそばパン。大量生産の安い焼きそばパン。二つ掴んで、それだけをレジに出し、小さな袋に入れて貰った。
 後は焼きそばパンとの道中、秋晴れの空の下を颯爽と。
 生垣に囲まれたブルーの家に着いて門扉の脇のチャイムを鳴らせば、二階の窓からブルーが手を振る。応えて大きく手を振り返して、門扉を開けに来たブルーの母に焼きそばパンの袋を渡した。
 「昼食にこれをお願いします」と。
 ブルー君にこれを食べさせたいので、他の料理と合わせて下さい、と頼んでおいた。
 そうしてブルーの部屋に行ったら…。



「ハーレイ、お土産は?」
 何処へ消えたの、と見回すブルー。焼きそばパンの袋に気付いていたのだろう。何処かへ隠れてしまった袋。ハーレイが持たずに現れた袋。
 もしも中身がお菓子だったら、それが反映される筈のテーブル、其処にはブルーの母の手作りの菓子が載せられた皿だけで。袋の中身は何処にも無いから、ブルーの疑問はもっともなもの。
「まあ、待ってろ」
 土産はお母さんに預けて来たから、その内に出る。
 昼飯の時間に登場するから、それまで大人しく待つことだな。
「お弁当!?」
 ハーレイお勧めのお弁当とか、そういうの?
 お昼御飯ならお弁当だよね、いつものお店で何かいいもの売っていたの…?



 食料品店の存在を知っているブルー。お弁当だと思い込んでしまった小さなブルー。
(…弁当代わりに食うヤツもいるしな?)
 訂正することもないだろう、と放っておく内に昼食の時間になったけれども。
 「お昼をどうぞ」とブルーの母が運んで来た二人分の食事、手作りのサンドイッチが載せられた皿とは別に焼きそばパンだけが乗った皿。それにサラダとポタージュスープ。
 何処から見ても、ブルーが思ったお弁当らしきものは見当たらないから。
「えーっと…?」
 他にも何か出るのだろうか、と扉の方を見ているブルー。母が閉めていった扉の方を見るから、不思議そうな顔をしているから。
 これが土産だ、と教えてやった。
 焼きそばパンを買って来たのだと、皿に乗る前には透明な袋に入っていたが、と。



「見れば分かるだろ、ごくごく普通の焼きそばパンだ」
 店で作ったパンを売ってる方に行ったら、もっとお洒落な焼きそばパンもあるんだが…。
 その店で焼いたパンを使って、焼きそばだって店で作って挟んであるヤツ。
 だがなあ、お前くらいの年で焼きそばパンと言えばコレだろ、学校でも売ってるパンだしな?
「焼きそばパンって…。なんで?」
 どうしてそんなのがお土産になるの、お洒落な方なら分かるんだけど…。
 他のお店では売ってないとか、特別な材料を使っているとか、ハーレイお勧めのパンだったら。
「お前、嫌いか? 焼きそばパンは」
 何処の学校でも人気商品だが、お前は好きじゃないのか、これは?
「好き嫌いが無いこと、知ってるくせに」
 前のぼくが酷い経験をしちゃったせいなのか、ぼくは好き嫌いをしないってこと。
 だけど好きだよ、焼きそばパンは。
 美味しいんだもの、ぼくが嫌いになるわけないじゃない。



 焼きそばも好きだし、焼きそばパンも…、とブルーが無邪気に微笑むから。
 これは好きだと嬉しそうだから、ふと気になって訊いてみた。
「好きだというのはよく分かるが…。お前、焼きそばパンはいつ食ってたんだ?」
 今の学校じゃ昼休みになったら奪い合いだろ、お前が必死に買いに行くとは思えんが…。
 それとも誰かに頼んで買うのか、焼きそばパンを?
 お前のランチ仲間の中には足の速いヤツだっているだろうから、食いたい時には頼むとか。
「違うよ、今の学校じゃなくて…」
 下の学校に行っていた頃。お昼御飯じゃなくって、おやつ。



 友達と遊んでいた時に買って食べた、と返った答え。
 そういえば下の学校に通う間は昼食は給食、焼きそばパンなど売られてはいない。争奪戦だってあるわけがない。
 ブルーが言う通り、欲しければおやつ。遊びの合間に買いに行くおやつ。
 自分が子供だった頃にもそうだったけれど、自分はともかく、小さなブルー。今よりも小さくて幼かったブルーがおやつにするには、焼きそばパンは大きすぎないだろうか?
 いくら美味しくても、子供の御用達のパンでも、相手が小さなブルーでは…。



「おやつって…。食い切れたのか、お前?」
 俺がガキだった頃からこうだぞ、焼きそばパンは。小さいサイズは無かったんだが…。
 それとも、お前が買ってた店にはもっと小さいのがあったのか?
「ううん、これだよ。この焼きそばパン」
 美味しかったし、買ったら最後まで全部食べたよ。
 その代わり、その日の晩御飯…。入らなくなって、パパとママによく叱られたけど。
 焼きそばパンを買っちゃ駄目とは言わないけれども、晩御飯が入る分だけ食べなさい、って。
 食べ切れないなら持って帰ればいいんだから、って。
 でも…。いつもすっかり食べてしまって、晩御飯の時に叱られるんだよ。
 焼きそばパンだけでは身体に悪いし、サラダくらいは食べておきなさい、って。
「そうだろうなあ…」
 食っちまっていたお前の気持ちも分かるし、お母さんたちの言い分も分かる。
 晩飯を焼きそばパンだけで済ませちまったら、野菜が足りなくなるからな。頑丈な身体を持ったガキならともかく、お前では…。食生活ってヤツも大事だからなあ、身体を丈夫にするにはな。



「…そういう話で焼きそばパンなの?」
 ぼくの思い出話を聞きたくて買って来たわけ、この焼きそばパン?
「いや、違う。俺も昨日の夜食に買うまで気付かなかったが…」
 前の俺たちがまるで知らなかった食い物なんだ。…そう思わないか、焼きそばパン?
「ホントだ…!」
 この味もそうだし、焼きそばパンだって…。
 前のぼくたちは知らなかったね、見たことも聞いたことも一度も無かったよ。
 こういう形のパンはあったけど、ソーセージとかを挟んだけれど…。
 焼きそばを挟んだことは無かったね、パンに挟むっていうだけなのにね。



 焼きそばパンが無かったシャングリラ。白い鯨には無かった食べ物。
 時代そのものが焼きそばなどは無かった時代で、焼きそばパンは作られなかった。外の世界にも焼きそばは無くて、もちろん焼きそばパンも無かった。
 今では店で売られているのに、学校の売店では人気商品なのに。
 小さなブルーは焼きそばパンを頬張り、モグモグと噛んで味わってから。
「…焼きそばパン、とても美味しいのにね?」
 こんな食べ物を知らなかったなんて、なんだか残念。前のぼくたち。
「まったくだ」
 あの時代だから仕方ないんだが…。
 誰も食ってはいなかったんだが、なんとも惜しい人生ってヤツを送ったなあ…。
 たかが焼きそばパンと言うには惜しいぞ、この美味さは。
 パンに焼きそば、ただ挟むだけで格別な美味さになるんだがなあ…。



 前の俺も思い付かなかっただなんて、と軽く両手を広げてみせた。お手上げのポーズ。
 厨房であれこれ工夫したのに、このパンは作りもしなかったと。
「仕方ないよ、焼きそばが無かった時代なんだから」
 無いものを使って作れやしないよ、いくらハーレイが頑張ったって。
「それはそうだが…」
 自分の発想の貧困さってヤツだ、パンがあるなら思い付け、ってな。
「でも…。スパゲティでやってもこれほど美味しくなかったよ、きっと」
 パンに挟んでも、焼きそばパンとは全く違う味になっちゃうんだし…。
「そこなんだよなあ…」
 スパゲティは前の俺たちの頃にもあったし、シャングリラにだってあったわけだが。
 パンもスパゲティも揃っていたのに、挟んで食おうと思わなかった。
 そいつが実に情けないんだ、もっと発想の豊かさってヤツが必要だったな。
 焼きそばパンは無理だとしてもだ、スパゲティを挟んでみるとかな。



 知ってるか? と小さなブルーに話してやった。
 遠い遠い昔、SD体制が始まるよりも前。この地域にあった小さな島国、日本で焼きそばパンが流行っていた頃、スパゲティを挟んだパンはそれほど流行っていなかったと。
 けれども、日本から遠く離れたスパゲティが誕生した地域。其処の近くにもスパゲティを挟んだパンがあったと、こういうパンではなかったのだが、と。
「…そうなの?」
 スパゲティのパン、あったんだ…。焼きそばパンと似ているヤツの他にも。
「らしいぞ、トースト用のパンを使って作るんだ」
 それならたっぷり挟めるからな。ひと手間かけるならホットサンドだ、美味かったらしい。
 日本じゃ焼きそばパンの中身がスパゲティに化ける程度だったが、スパゲティに馴染んだ連中は工夫を凝らしたようだ。
 そういう食い方、前の俺たちの頃には無かったんだが…。
 今じゃ復活してるって言うし、前の俺はどうして気付かなかったかと思いもするな。
 ほんの少しの発想の転換、そいつがあれば…。
 焼きそばパンは作れなくても、スパゲティのパンは出来たんだ。
 もっとも、今の俺にしてみれば、断然、焼きそばパンだがな。うんと小さなガキの頃から食って来たんだ、選ぶんだったら焼きそばパンだ。



 今のハーレイとブルーが生まれた地域では、焼きそばパンが馴染みの食べ物。学校の昼休みには争奪戦になるほど子供に人気で、大人も食べる。大人用にとパンから焼いて作る店もあるほど。
 スパゲティに慣れ親しんでいる地域の方では、スパゲティをパンに挟むという。トーストに使うパンを使って、時にはホットサンドにもして。
 焼きそばとスパゲティ、それぞれとパンとの組み合わせ。今では普通の組み合わせ。
 そんな食べ方を思い付きさえしない時代がSD体制が敷かれていた時代。
 多様な文化の存在を認めず、統一された文化が一つだけ。それ以外は全て消されてしまった。
 マザー・システムが消してしまった、人間を統治しやすいように。
 美味しい食べ物もゴッソリと消えた、美味しい食べ方も失われていた。
 スパゲティとパンはあったというのに、誰も挟もうとしなかったように。
 人類の世界から弾き出されて生きたミュウでさえもが、それを思い付きもしなかったように。



「…考えようってヤツによっては、だ…」
 シャングリラの中でしか生きられなくても、不自由しない程度の食文化の時代で良かったな。
 今みたいに色々な食い物があると、そいつが手に入らなくなっちまったら辛いぞ、きっと。
 船の中でだ、焼きそばパンが恋しいヤツらがいたらどうする?
 買って来るってわけにはいかんし、作らねばならん。焼きそばからな。
「そうかもね…」
 それを作る手間もそうだけど…。
 前のぼくたち、成人検査よりも前の記憶が消えちゃってたから、焼きそばパンの記憶も無いよ。
 何か美味しいものを食べていたんだ、って漠然と覚えていたなら、それだけでラッキー。
 でも、思い出せないんだ、焼きそばパンを。そういう名前の食べ物だった、って。
 調べてみたって手掛かりが無くて、どうにもこうにもならないんだよ。
 シャングリラの誰かが偶然それを作り出すまで、食べて気付くまで忘れたままだよ…。



 SD体制の頃には、皆が統一された文化で育っていたから。
 成人検査よりも前の記憶を失くしてしまった前の自分たちでも、何とかなった。
 思い出の味が見付け出せないと騒ぐまでもなく、忘れたままでも誰も困りはしなかった。
 何かの切っ掛けで思い出せる機会もまた多かった、料理の種類も味も多くはなかったから。
 失われた記憶の彼方の味に出会える確率というものが高かった。
 この料理だったと、この味だったと気付ける機会。自分の好物はこれだった、とか。
 けれども、それが今だったら。
 ありとあらゆる食文化が復活を遂げてしまった時代に記憶を失ったなら…。



「…俺は何の味を探すんだろうな、美味いものの味で」
 あれが食いたいと、確かに食った筈だったんだと、何を探そうとするんだろうなあ?
 何の手掛かりも無しに端から探して、出会えたら感動しそうな食い物。
「パウンドケーキじゃないの?」
 ぼくのママのが大好きなんでしょ、お母さんのと同じ味だ、って。
 もしもハーレイが今から必死に探すんだったら、パウンドケーキじゃないのかなあ…。
「なるほど、あれか…」
 おふくろの味だし、しかも二ヶ所で食ってるし…。おふくろが焼くのと、お前のお母さんが焼く分と。二ヶ所で食えたおふくろの味なら、確かに探そうとするかもしれんな。
 ケーキなんだと気付きもしないで、あちこちの店で飯を食いながら探しているとかな。
「あははっ、御飯を食べていたんじゃ出会えないよね、パウンドケーキ」
 デザートで出るまで分からないよね、これだったんだ、って。
「うむ。…ついでに味が同じでないとな」
 おふくろと、お前のお母さんと。その味のパウンドケーキを食わんと思い出せんぞ。
「…ぼくだと、何になるんだろ?」
 忘れちゃったら探そうとする味、そういう食べ物。焼きそばパンもそうなのかな?
 ママの料理が入らなくなるほど詰め込んだんだし、あれも思い出の味なのかも…。
「お前なあ…。まだ、おふくろの味って言い出すような年じゃないだろ」
 十四歳にしかならないチビなんだからな、思い出の味はこれからだ。おふくろの味も。
 これから色々と出来ていくのさ、おふくろの味が。
「…そうだけど…」
 多分、ハーレイの言う通りだけど、おふくろの味…。
 ぼくのママの味、絶対これだ、っていうのがいつかは出来るのかなあ…?



 どうなんだろう、と考え込んだ小さなブルーだけれど。
 突然「あっ!」と叫んだかと思うと、困ったような顔をした。
「…ぼく、おふくろの味が出来るよりも先にお嫁さん?」
 ママのあの味が食べたいよ、って思う年になるよりも先にハーレイと結婚しちゃうのかも…。
 どうしよう、おふくろの味、ぼくは頑張って探すどころか最初から一つも無かったとか…。
「その可能性は大いにあるなあ…」
 お前、今ですら、俺と一緒に飯を食ったりしているし…。
 お母さんの味を覚える代わりに、俺との思い出の味になっちまってるということもあるか。
 これはあの時に食べた味だと、この味にはこういう思い出が、とな。
「…そうなのかも…」
 ぼく、おふくろの味っていうのは一生、無いかも…。
 あれが食べたい、って思う食べ物、ずうっと出来ないままなのかも…。



「そうかもしれんが…」
 まあいいじゃないか、とハーレイはブルーの肩をポンと叩いてやった。
 家が恋しくならなくていいぞと、帰りたい気分に捕まりにくい、と。そうしたら…。
「恋しくなんかならないよ」
 ママが作る何かが食べられなくなっても、家は恋しくならないよ、きっと。
「本当か?」
 おふくろの味だぞ、懐かしくなって帰りたい気分になりそうだがな?
 特にお前は甘えん坊だし、家に帰ると言い出しそうだが…。
「言わないよ、ぼくは」
 だって、ハーレイと一緒だもの。
 ハーレイと二人で暮らしてるんだし、食べるためだけに帰りやしないよ。
 ずうっと、ハーレイの家でハーレイと一緒。いつかハーレイと結婚したら。



 そしてハーレイが作ってくれる食事を食べるんだもの、とブルーは笑顔だから。
 おふくろの味よりもハーレイの家、と心待ちにしているブルーだから。
 そんなブルーと結婚したなら、せっせと料理を作ってやろう。
 この味が好きだと、ハーレイが作るこれでないと、と言ってくれる料理を沢山、沢山。
 そういう日々も素敵だけれども、たまにはこういう焼きそばパン。
 家で作った料理ではなくて、店に行けば買える思い出の味。
 前の自分たちは一度も食べていないけれど、今は馴染みの味なのだと。
 あの頃には何処にも無かった食べ物、それを気軽に買えるのだと。
 ブルーと二人、生まれ変わって青い地球までやって来た。
 だから一緒に買い物に行こう、今だからこそ食べられるものを。
 今日はおやつに焼きそばパンだと、子供の頃から大好きな味のパンだったのだ、と…。




           焼きそばパン・了

※シャングリラには無かった焼きそばパン。今ではお馴染み、学校の昼休みには争奪戦も。
 そして焼きそばパンの他にも、「おふくろの味」があるのです。いい時代ですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








(今日はお客様…)
 そうだったっけ、とブルーは三段重ねのケーキスタンドをじっと見詰めた。
 学校から帰って、ダイニングのテーブルでおやつの時間。そこに置かれているケーキスタンド。お皿はすっかり空だけれど。綺麗に洗われ、元の通りにセットしてあるだけだけれども。
(でも、ケーキは…)
 これに載ってたケーキと同じのだよね、と自分のおやつのお皿を見てみる。それから視線を空のお皿へ、ケーキスタンドのお皿の方へ。
 母の来客、ケーキスタンドはどの部屋で出されたのだろう?
 人数によって変わるけれども、リビングか、あるいは応接室か。ダイニングが舞台になることもあるらしい。母のお茶会、友人たちを家に招いて。
 三段重ねのケーキスタンド、紅茶もたっぷり、とっておきの午後のおもてなし。



(ぼくもそんなの…)
 食べてみたいな、とふと思った。
 友達を招くというのではなくて、ハーレイと。
 ハーレイが訪ねて来てくれた日には、自分の部屋のテーブルでお茶。でなければ庭で一番大きな木の下の白いテーブル、それが定番。
 何度もお茶とお菓子を楽しんだけれど、ケーキスタンドの出番は一度も無かった。ただの一度も出て来てはくれず、ケーキはお皿に載っているだけ。一人分ずつ、一枚のお皿に。
(…これに色々、乗っけるんだよね?)
 母のお茶会は、ブルーが学校に行っている間に開かれるもの。母はブルーを放ってお茶会をするタイプではないし、帰って来る頃には終わっている。
 けれども、今より幼かった頃。下の学校の低学年だった頃は、学校が早く終わったから。帰った後にお茶会ということもあって、そういう時には覗いてみた。
(いらっしゃい、って言われたんだけど…)
 母も、お茶会をしている母の友人たちも。
 「一緒にお菓子を頂きましょう」と誘われたけれど、それもなんだか恥ずかしくて。ピョコンとお辞儀して逃げて帰った、自分の部屋へ。
 だから知らない、お茶会なるもの。知っているけれども、ブルーは参加したことがない。
 三段重ねのケーキスタンド、それを前にしてお茶の時間を過ごした思い出は一つも無くて。
(…ハーレイとこれでお茶にしたいな…)
 特別なおもてなしだから。ハーレイはブルーの特別だから。



 これでティータイムに出来ないものか、とケーキスタンドをしきりに見ていた所へ、折よく母が通り掛かったから。
「ママ、あのお皿…」
 指差すと、母は笑顔で頷いた。
「ええ、今日はお客様だったから。お客様用のお皿よ、あれは」
「知ってるけど…。あのお皿、ぼくは使っちゃ駄目?」
「えっ?」
 どうしたの、と怪訝そうな母。駄目とはどういう意味なのか、と。
「えっと…。ぼくのお客様には出せないの、あれは?」
 お客様用だよね、ママの大事なお客様。そういう時に出すんだってことは知ってるけれど…。
 ハーレイはお客様とは違うだろうか、と尋ねてみた。
 いつも訪ねて来てくれるけれど、特別なお客様の中には入らないのか、と。



「もちろん、ハーレイ先生は特別よ?」
 ブルーの守り役を引き受けて下さったんだし、何よりもキャプテン・ハーレイでしょう?
 パパとママしか知らないことでも、ブルーがずうっと遠い昔からお世話になってた人なのよ?
 特別じゃないわけがないでしょう。とても大切なお客様だわ、この家のね。
「じゃあ、あれ…」
 あのお皿でハーレイにお菓子を出して、と頼んでみた。三段重ねのケーキスタンド。
 ハーレイは特別で、ぼくのお客様なんだから、と。
「あらまあ…。ママはかまわないけれど、でも、先生が…」
 何と仰るかしら、と首を傾げた母。
 ケーキスタンドを出すのも、お菓子を作るのもかまわないけれど、ハーレイ先生が…、と。



「ママ、ハーレイがどうかしたの?」
 ハーレイ、ママのお菓子が好きだし、喜ぶだけだと思うけど…。お菓子が沢山、いろんな種類。
 それをゆっくり食べられるんだし、きっとハーレイも大喜びだよ。
「お菓子はそうかもしれないけれど…。問題はケーキスタンドなのよ」
 こういうのをお出しするお客様は女の人なの、女の人向けのものなのよ。
「…女の人向け?」
 ママのお友達だから女の人ってわけじゃなくって、これが女の人向けなの?
 三段重ねのケーキスタンド…。だからハーレイには出していないの?
「そうよ、ブルーは知らないの?」
 お茶会は女の人たちが開く集まりで、男の人のものではないんだけれど…。
 男の人が主役のお茶会だったら、ケーキと紅茶のお茶会じゃないわ。日本のお茶を使った方よ。
「…そうだったかも…」
 ぼくはお茶会、知らないけれど…。
 前のぼくの頃なら、女の人たちがやっていたかも…。



 白いシャングリラにもお茶会はあった。白い鯨が出来上がる前から、紅茶とお菓子で。
 それを開いていた顔ぶれを思い浮かべれば、エラを筆頭にした女性たち。
 男性がしてはいなかった。彼らはお茶会を開く代わりに、好きに集まって紅茶やコーヒー。昼の間は。夜ともなれば酒を酌み交わして楽しんでいたし、そちらの方が主だった筈。
(…男の人だと、お茶よりお酒…)
 前の自分は苦手だった酒。ゆえに酒宴に出ても飲めなかったから、印象に残っていなかった。
 言われてみれば気の合う男性が集まって飲むのなら酒で、ケーキよりも酒の肴の出番。チーズやハムやら、そういったもの。
(…ぼくはお茶会にも出てたけど…)
 女性たちが集まる席にも招かれたけれど、喜んで出掛けていたけれど。
 もしも自分が酒好きだったら、お茶会よりも酒宴だっただろう。ハーレイもきっと酒宴の方。
(…ハーレイ、喜ばないのかな…)
 女性向けだというケーキスタンドを出されても。
 特別なお客様なのだから、と母に頼んで、ケーキやお菓子でもてなしても。



(ハーレイ向けじゃなかったわけ…?)
 母のとっておきのおもてなし。三段重ねのケーキスタンド。
 それをハーレイに出したかったし、自分も食べてみたかったのに…。
 しょんぼりと肩を落としたブルーだけれども、考えていたらしい母が口を開いた。
「…まるで駄目ってこともないわね、男性向けのもあるそうだから」
 ママのお友達が話していたのよ、ご主人と食べに行って来た、って。
 男性向けのアフタヌーンティーのセットを出している場所へ。
「ホント!?」
 それならハーレイにも出せるよね、ママ!
 男の人用に作ってあるなら、ハーレイも何も言わないよ。だって、お菓子は好きなんだもの。
「そうなんだけど…。男性向けだと、ブルーには無理よ」
 男の人が食べに行くように出来ているのよ、何もかも男の人向けなのよ。
 ケーキスタンドに載っているものは同じものでも、サイズが違うの。



 こんな風に、と母が手で示したサンドイッチは大きすぎた。
 ブルーにとっては立派に昼食と呼べるサイズのサンドイッチ。それが幾つも出るという。他にも色々、スコーンもケーキも大きめ、多め。身体の大きい男性用のものだから。
「…ブルーのお腹には、普通の量でも多そうねえ…」
 ママたちが食べてるような量でも、お腹一杯になってしまうんじゃないかしら。
 ケーキにスコーンにサンドイッチよ、三段重ねのケーキスタンドに載せて出すものは。
 午前中のお茶に出したら、お昼御飯が入らないでしょ?
 アフタヌーンティーらしく午後に出したら、夕食が食べられなくなるわ。
 きっとそうよ、と言う母だけれど。
 自分でもそうに違いないと思うけれども、三段重ねのケーキスタンド。
 とっておきの母のおもてなし。
 だから…。



 一度はハーレイと食べてみたい。
 特別なお客様用に出されるものを。母のお茶会で使われるケーキスタンドで。
 どうしても食べたい、と強請ったら。
 ハーレイと二人でこれを使いたい、とケーキスタンドを前にして踏ん張っていたら。
 母は「仕方ないわねえ…」と呆れ顔で。
「ハーレイ先生に訊いてみなさい、お茶会をしてもいいですか、って」
 先生がいいと仰ったのなら、お茶会の用意をしてあげるわ。午前中でも、午後からでも。
 午前中からアフタヌーンティーというのも変だけれども、ブルーのお腹が一番だもの。お茶会は楽しく開ければいいの、ブルーが素敵な気分になれれば。
「うんっ!」
 ハーレイが来たら、訊いてみる!
 今日はどうだか分からないけれど、次に家まで来てくれた時に!



(ハーレイとお茶会…)
 出来るといいな、と部屋に戻って勉強机の前で頬杖をついた。
 この部屋のテーブルにもケーキスタンドは充分置ける。紅茶のカップやティーポットも。
(…あそこでお茶会…)
 やってみたいな、とテーブルをチラチラ眺めていたら、来客を知らせるチャイムの音。大急ぎで駆け寄った窓から覗くと、門扉の向こうで手を振るハーレイ。
 早速チャンスがやって来たから、これは訊くしかないだろう。ハーレイと二人でお茶会をしてもかまわないかどうか、女性向けでも気にしないかと。



 いつものように部屋で向かい合わせで座ったハーレイ。テーブルの上にはお茶とお菓子。普段と全く変わらない光景、三段重ねのケーキスタンドは欠片も無いから。
「あのね…。ハーレイ、こんなお皿を知っている?」
 こうして一枚ずつじゃなくって、三枚でセットなんだけど…。
 枠があってね、そこに一枚ずつお皿がくっついてるんだ、ケーキとかを載せるためのお皿が。
「ほほう、アフタヌーンティー用のケーキスタンドか」
「知ってるの?」
「今の俺はな」
 前の俺だと、知識くらいしか無かったわけだが…。
 今度の俺は一味違うぞ、アフタヌーンティーにも縁があるってな。



 おふくろがたまにやっているから、と語るハーレイ。
 日本の古い文化が大好きな母だけれども、アフタヌーンティーも友人たちと楽しんでいると。
「ケーキやスコーンを用意してうんと張り切っているぞ、俺のおふくろ」
 今日もやっていたかもしれないなあ…。もしかするとな。
「ハーレイ、そういうお茶会に出てた?」
「ガキの頃はな」
 サンドイッチも菓子も食べられるんだし、出くわしたら参加するべきだってな。
 道場やプールに出掛ける前にたらふく詰め込んでったさ、紅茶はともかく、食い物の方を。
「それなら、もう一度、出てくれない?」
 ぼく、ハーレイと食べてみたくって…。あのケーキスタンドでケーキやスコーンを。
 ママに訊いたら、ハーレイがかまわないなら用意してくれるって。
 ホントは女の人向けのだから、ハーレイ先生に訊いてみなさい、って…。



 ハーレイは何と答えるだろうか、とブルーは鳶色の瞳を見上げた。
 出来れば「いいぞ」と応じて欲しいけれど、と祈るような気持ちで待っていたら。
「かまわないが…。お前がやりたいのなら、俺は付き合ってやるが」
 しかしだ、アフタヌーンティーをやろうと言うなら、お前の飯はどうするんだ?
 あれは凄い量の菓子とサンドイッチがつきものなんだぞ、その後で飯が入るのか?
「ママにも言われたんだけど…。量を減らして貰おうかな…」
 御飯じゃなくって、お菓子の方。ケーキとかサンドイッチの量を。
「そいつは駄目だぞ、マナー違反だ」
「マナー違反?」
 何が駄目なの、マナーって、何が?
「菓子とかの量を減らすってヤツだ。アフタヌーンティーのマナーに反する」
 お客様をもてなすために出すんだからなあ、サンドイッチもケーキとかも。
 量が少ないと、お客様に対して失礼ってもんだ。この程度でいい、というわけだろうが。
 沢山の菓子を用意しなくても、この客にはこれだけで充分だ、とな。



 アフタヌーンティーの菓子などは食べ切れないほど出すのが正式。
 少なめは駄目だ、と教えられた。おふくろからの受け売りだが、と。
「…じゃあ、ママに頼んで午前中のお茶に出して貰って…」
 昼御飯を食べない方にしようかな、ハーレイの分だけ作って貰って。
「俺の分だけ昼飯って…。抜くのか、お前は?」
 食わないつもりか、アフタヌーンティーの方が優先で?
 午前中にやってもアフタヌーンティーと呼ぶのかどうかはともかく、午前中にお茶で。
「うん。午後に食べて晩御飯を抜くよりはマシだよ、きっと」
 しっかり食べなきゃいけない御飯は晩御飯だし…。お昼御飯を抜くことにするよ。
「よし。そう決めたのなら付き合ってやる」
 お前がそこまでしたいと言うんだ、俺も付き合ってやろうじゃないか。
 久しぶりだな、そういうものな。おふくろのお茶会、長いこと御無沙汰しているからなあ…。



 目出度くハーレイの許可を取り付けたから。
 夕食を終えたハーレイが「またな」と手を振って帰った後で母に報告、お茶会の用意をして貰う日は土曜日と決まった。ハーレイと午前中から過ごせる週末。
 心躍らせる内に土曜日、いつもより早く目が覚めたほど。
 朝食が済んだら部屋の掃除で、お茶会の場所になるテーブルを念入りに拭いた。いい天気だから歩いて来るだろうハーレイの姿が見えはしないか、と胸を高鳴らせて。
 母は昨日からケーキを焼いたり、あれこれ準備をしてくれている。スコーンを焼くための支度を覗きに行ったら、ダイニングのテーブルにケーキスタンド。三段重ねの。
(今日はこれ…)
 ぼくのお客様、と空のお皿をワクワク眺めた。このお皿に母が色々と載せてくれるのだ。
 特別なおもてなしに相応しいものを。スコーンやケーキやサンドイッチを。
 弾む足取りで階段を上り、部屋で待っていたらチャイムが鳴って…。



 訪ねて来てくれたハーレイに、挨拶もそこそこに声を掛けずにはいられない。
「ハーレイ、今日は特別だよ」
 うんと特別、ママが用意をしてくれてるから。
「アフタヌーンティー、今日なのか?」
「うん!」
 午前中だけど、アフタヌーンティー。ママもアフタヌーンティーって言ってたし…。
 その呼び方でいいんじゃないかな、お茶会って呼ぶより特別な感じがするんだもの。どうせなら名前も特別がいいよ、せっかくの特別なお茶なんだから。



 間もなく母が運んで来てくれた三段重ねのケーキスタンド。それにポットやティーカップ。
 ケーキスタンドには食べ物がギッシリ、サンドイッチにケーキにスコーン。
 幼かった頃に見てはいたけれど、ここまでだとは思わなかった。「いらっしゃい」と誘われても部屋に逃げていたから、ちょっぴり覗いただけだったから。
「…凄い…」
 サンドイッチもスコーンも一杯、それにケーキも…。
 ママが言ってた通りだったよ、ぼく、お昼御飯までは食べられないよ。
「凄いって…。お前、アフタヌーンティーは初めてなのか?」
 食べたことが無いのか、それでやたらとこだわってたのか?
「えーっと…。食べたことが無いのは本当だけど…」
 食べてみたいからハーレイを誘ったわけじゃないんだよ、それは本当。
 ママが特別なお客様に出しているから、ハーレイにも出してみたかっただけ。
 だって、ハーレイは特別だもの。誰よりも特別なんだもの…。
「そりゃまあ、なあ…?」
 特別でなくちゃ、俺だって困る。お前の特別が俺じゃないなら、俺の立場が無いってな。
 俺にとってもお前は特別なんだし、俺の大切な恋人だ。
 お前の頼みならアフタヌーンティーに付き合うくらいはお安い御用だ、午前中だが。



 午後でもないのにアフタヌーンティー。午前中からアフタヌーンティー。
 母のとっておきの三段重ねのケーキスタンド、一番下のお皿に手を伸ばした。ローストビーフや海老やサーモン、小さなサイズのサンドイッチが綺麗に盛られているけれど。
 目に付いたローストビーフのを取って、食べ始めたら。
「ふうむ…。やはり此処でもキュウリだな、うん」
 まずはこいつだ、とハーレイがキュウリのサンドイッチを手に取った。「覚えてるか?」と。
「…キュウリ?」
「俺たちにはこいつが思い出のサンドイッチだろうが。キュウリのサンドイッチ」
 シャングリラで食ったろ、一番最初の収穫祭で?
 お前の方が先に思い出したんだぞ、キュウリのサンドイッチだった、ってな。
「ホントだ、あの時のキュウリのサンドイッチだ!」
 凄いね、ハーレイ。こんなに色々揃っているのに、キュウリに最初に気が付くだなんて。
 ぼくは他のに釣られてしまって、ローストビーフを食べちゃったのに…。



 次はキュウリ、とブルーもキュウリのサンドイッチを頬張った。
 お弁当などに入るものより、ずっと小さなサンドイッチ。いわゆるフィンガーサンドイッチ。
 ハーレイの褐色の大きな手には似合わない大きさなのだけれども。
 キュウリしか入っていないサンドイッチは特別、シャングリラで食べた思い出の味。
「前の俺たちが食ってた頃から、途方もない時間が流れたわけだが…」
 今の時代も正式なアフタヌーンティーってヤツには、こいつが欠かせないってな。
 キュウリだけのサンドイッチが入っていないと始まらないそうだ、俺のおふくろも言っていた。
 俺がそいつを聞いた時には、何とも思わなかったんだが…。
 記憶が戻った今となっては、キュウリのサンドイッチは格別だな。
「うん。あのサンドイッチを食べてた時には、シャングリラはまだ白い鯨じゃなくて…」
 改造前の段階だったね、自給自足が出来るかどうか、って作ってた畑。
 それでも収穫祭をしよう、ってヒルマンとエラが色々と調べてくれたんだっけね…。



 今でも正式なアフタヌーンティーには必ず入るらしいキュウリのサンドイッチ。
 そのサンドイッチがシャングリラで最初の収穫祭を彩った。SD体制が始まるよりも遥かな昔に王侯貴族が食べたものだと、キュウリだけのサンドイッチが贅沢な時代があったのだと。
 王侯貴族になった気分で皆が味わっていたサンドイッチ。遠い昔にシャングリラで。
「…ハーレイ、この味、懐かしいね」
 キュウリだけしか入ってないけど、あの日とおんなじ味がするよね。
「そうだな、シャングリラの思い出だよなあ…」
 あの頃は、まさかお前と二人で地球で食える日が来るとは思っていなかったが…。
 それも本物のアフタヌーンティーを、チビのお前の部屋で楽しむ日が来るなんてな。
 三段重ねのケーキスタンドまで用意して貰って、ケーキもスコーンもたっぷりとはなあ…。



 実に感慨深いもんだ、とハーレイがティーカップを傾けているから。
 キュウリのサンドイッチの他にも何か無いか、と覗き込んだブルーは「そうだ!」と叫んだ。
「このスコーン…。今のハーレイとの思い出の味だよ、夏休みの一番最後の日!」
 前の日にハーレイが持って来てくれたよ、ハーレイのお母さんのマーマレードを。
 それをスコーンにつけて食べたのが夏休みの一番最後の日。庭のテーブルでハーレイと一緒に。
「うむ。お前が泣きそうになっていた日だっけなあ…」
 おふくろのマーマレードを一番に食べようと思っていたのに、先に食われてしまったとかで。
 お前へのプレゼントだとは言えなかったし、そうなるのも仕方ないんだが…。
 あの時のお前、この世の終わりみたいな顔だったっけな、食われちまった、って。
 今じゃマーマレードは定番になって、お前、毎朝、食ってるわけだが。
「そうだよ、ハーレイが届けてくれるんだもの」
 マーマレードはまだあるか、って、いつも早めに。
 夏ミカンの金色のマーマレードをキツネ色に焼けたトーストにたっぷり、それが大好き。
 ハーレイが「美味いんだぞ」って教えてくれた、バターと一緒に塗るのも好きだよ。



 今日のスコーンにはマーマレードではなかったけれど。
 イチゴのジャムを入れた器がついて来たけれど、あの日のスコーンは思い出の味。
 今のハーレイと青い地球の上で食べた、焼き立てのスコーンと夏ミカンのマーマレードの味。
 ブルーは三段重ねのケーキスタンドを見ながら呟いた。
「んーと…。キュウリのサンドイッチがあるから、サンドイッチのお皿に乗っかってるのが…」
 シャングリラの頃の思い出なんだね、他のサンドイッチも色々あるけれど。
 でもって、スコーンが乗ってるお皿が…。
「今の俺たちの思い出を一緒に載せてるってわけだな、スコーンとセットで」
 お前の言いたいことはそれだろ、サンドイッチの皿とスコーンの皿と。
 上手い具合に乗っかってるよな、誂えたように。
「…そこまでは思い付くんだけれど…」
 思い付いたんだけど、ケーキのお皿は何だと思う?
 サンドイッチとスコーンと、ケーキ。一枚ずつお皿がくっついてるけど、ケーキは何だろ?
 これっていう思い出、あったかなあ…?



 ケーキで何か…、と記憶の中を懸命に探るブルーに、ハーレイが言った。
「俺が思うに、未来じゃないか?」
 まだ出来てないんだ、ケーキの記憶は。これからの未来に出来る予定で。
「未来って…。どういう意味なの、ぼくが焼くの?」
 ハーレイのために練習しなきゃ、って思ってるけど、まだ習えていないパウンドケーキ。
 ママと同じ味のを焼くための練習、ぼくは始めてもいないから…。
 それの思い出がケーキになるわけ、未来にならなきゃ出来ないものね。
「なるほど、俺の好物のパウンドケーキか。そいつもあったな」
 お前のお母さんが焼いてくれる味、おふくろの味にそっくりだしなあ…。
 いつかお前が同じ味のを焼いてくれたら、ケーキの思い出も味わい深いのが出来るんだが…。
 それより前に、だ。
 大事なケーキを忘れていないか、俺たちの未来に出て来るケーキ。
 こいつは絶対必要なんだ、っていう特別なケーキが登場して来る筈だがな?



 ウェディングケーキがあるだろうが、と微笑まれた。
 結婚式には欠かせないケーキ。
 花嫁衣装をウェディングドレスにしようが、白無垢にしようが、ウェディングケーキ。
 二人の門出を祝うケーキで、結婚式に来てくれた人たちに配る幸福の印。
 ケーキのお皿はそれではないか、と。
 幸せな思い出を載せるお皿で、その未来はまだ来ていないのだ、と。



「そっか…。ハーレイと結婚するまで、ケーキの思い出、まだ出来ないんだ…」
 ウェディングケーキの思い出だったら、うんと楽しみに待たなくちゃ。
 どんなケーキを注文するのか、どんな結婚式になるのか。
 でも、ハーレイ…。
 ケーキスタンド、そういう意味なの?
 三枚のお皿にちゃんと意味があるの、サンドイッチもスコーンも、ケーキも。
「いや。俺たちがたまたまそうだっただけだ」
 誰でも思い出が乗っかってるとは限らないさ。これから乗っける予定の方もな。
 ついでに、こいつの食べ方ってヤツも。
 まさに順番通りだよなあ、俺たちの場合はそのものズバリだ。
「…食べ方?」
 なあに、それ?
 何を食べるのに順番があるの、ケーキ、それともスコーンの方?



 知らないよ、と目を丸くしたブルーだけれど。
 アフタヌーンティーには順番があるのさ、と褐色の肌の恋人に教えられた。
 三枚のお皿の食べ方の順番。ケーキにスコーンに、サンドイッチ。
「いいか、一番最初がサンドイッチだ。次がスコーンで…」
 ケーキを食うのは一番最後だ、この順番で食って後戻りは禁止。
 サンドイッチからスコーンに移っちまったら、もうサンドイッチには戻れないってな。
「えーっ!?」
 早く言ってよ、ぼく、好きなように食べてたよ!
 サンドイッチから食べ始めたけど、その後はもうメチャクチャだよ…!
 スコーンも食べたし、ケーキだって…。あれこれ食べてからサンドイッチだって…!
「いいんじゃないか? 好きに食っても」
 俺のおふくろもそう言っていたぞ、決まりなんかは守らなくていいと。
 ずうっと昔の、それこそ貴族だけしか食っていなかったような頃ならともかく…。
 今じゃ単なる薀蓄ってヤツだ、昔はこういう気まりでしたよ、と。話の種っていうヤツだな。



 その種のマナーにうるさい人がいる時代でもないし、とパチンと片目を瞑ったハーレイ。
 とはいえ、順番どおりがいいな、と。
「俺たちの場合だけなんだがな…。とても偶然とは思えないほど、順番に進んで来たからな」
 サンドイッチの皿には前の俺たちの思い出があって、スコーンの皿に今の俺たち。
 この皿が前の俺たちの皿で、こっちが今の俺たちだな。
 そしてケーキの皿が未来の俺たちってわけだ、順番通りに行きたいじゃないか。
 ウェディングケーキの皿に着くまで。
「…なんだか幸せ…」
 ケーキスタンドが予言してるんだね、ぼくたちの未来。
 此処まで来たから、後はウェディングケーキですよ、って。
「うむ。早くケーキの皿まで辿り着きたいな、ウェディングケーキが待ってるからな」
 スコーンの皿までは来られたわけだし、後はケーキを食うだけなんだ。
「そうだよね。ぼくも頑張ってケーキまで食べなくちゃ…。って、もう食べちゃってた!」
 どうしよう、先に食べちゃっていたよ、順番、知らなかったから…。
 ぼくの未来は狂っちゃったかも、せっかく予言をしてくれてたのに…!
「安心しろ。俺は順番に食っている」
 これからケーキだ、まだ食っていない。
 パートナーの俺が順番を守っていたなら、お前が多少間違えていたって大丈夫だろう。
 二人で一緒に人生ってヤツを歩いて行くんだ、同じ道を二人で歩くんだからな。



 ちゃんとリードをしてやるさ、とハーレイの顔に優しい笑み。
 年上な分だけリードしてやると。道を間違えていても心配無いと。
 サンドイッチにスコーンに、ケーキ。
 食べる順番をブルーが間違えた分まで、自分がしっかりカバーしてやると。
「ケーキの皿に辿り着いて結婚するまで、きちんと俺がな」
 そっちじゃないぞ、と引っ張ってやって、一緒に歩いて行けるように。
「ホント!?」
 ハーレイがぼくをリードしてくれるの、ケーキのお皿に着くまでの道。
 結婚式を挙げるまでの道…。
「もちろんだ。チビのお前に負担はかけんさ」
 いや、かけちまうかもしれないが…。
 お前はお父さんたちの大切な一人息子なんだし、俺が結婚を申し込んでも駄目かもしれん。
 そうなった時は、お前に頑張って貰うしか道が無いからなあ…。
 お父さんもお母さんも、お前には甘いだろうからな。



 結婚の許可を得る辺りでリードしてやれないかもしれないが、とは言われたけれど。
 きっとハーレイなら何があっても、ケーキが載った未来のお皿まで。
 ウェディングケーキまで連れて行ってくれるに違いないから、ブルーは頼んだ。
「ねえ、ハーレイ。…順番、ちゃんと教えてね?」
 どの順番で進んだらいいか、ぼくはどっちへ行けばいいのか。
 ウェディングケーキのお皿に着くまで、着いて結婚式を挙げてからの道も。
「ああ、うんと幸せにしてやるさ」
 お前が幸せになれる道だけを選んで歩いてゆこう。
 前と違って今度は何処へでも行けるんだ。俺たち二人で、二人だけで。
 お前と二人で手を繋ぎ合って、幸せに歩いて行かなくちゃな。
 サンドイッチとスコーンの皿まで来たんだ、ケーキの皿には幸せをたっぷり載せないとな…?



(ふふっ、幸せ…)
 順番通りに最後に食べたケーキ、母が昨日から用意してくれた美味しいケーキ。
 サンドイッチもスコーンも満喫した後、ハーレイと二人で味わったケーキ。
 母が心配していた通りに食べ過ぎてしまって、お昼御飯は入る余地が全く無かったけれど。
 ハーレイだけが「悪いな、俺はこの身体だしな?」と謝りながら一人で昼食を食べたけれども、幸せだった三枚のお皿。三段重ねのケーキスタンド。
 サンドイッチとスコーンとケーキと、ケーキスタンドに描かれた現在と過去と未来の思い出。
 未来の思い出というのは少し変だけれど、これから出来る予定の未来。
 キュウリのサンドイッチと、マーマレードで食べたスコーンと、二枚のお皿は過ぎたから。
 サンドイッチとスコーンはもう食べたのだし、いつかケーキに辿り着く。
 最後に食べると教えられたケーキに、幸せのウェディングケーキが載ったお皿に。
 ハーレイと二人、手を繋ぎながら、そのお皿までの道を歩いて…。




           お茶会のお皿・了

※アフタヌーンティー用の、三段重ねのお皿。それでハーレイとお茶を、と思ったブルー。
 三段重ねのお皿に載っているのは、過去と現在、それから未来らしいです。楽しみですよね。
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(今日はマヨネーズな気分なんだ)
 ドレッシングじゃなくて、とハーレイはマヨネーズを手に取った。
 朝の食卓、サラダにたっぷりとマヨネーズ。凝ったサラダではないけれど。キュウリやトマトやセロリにレタス、食べたい分だけ好きに盛り付けてあるのだけども。
 その日の気分で味付けを変えて楽しむサラダ。今日はマヨネーズ、と頬張りながら。
(マヨネーズもそろそろ買わんとなあ…)
 一人暮らしなだけに、大きなサイズで買っていないから減るのも早い。使い道はサラダだけでもないから、あったら重宝するものだから。
(マヨネーズに醤油も美味いしな?)
 混ぜれば和風の味になる。茹でた野菜に似合う味。他にも色々、出番の多いマヨネーズ。焼いた鮭などにそのままかけるのもいいし、タルタルソースのベースにもなるし…。
(切らしちまうと困るんだ、これが)
 まだ大丈夫、と思っていた時に限って多めに使う料理が食べたくなった苦い経験が多数、慌てて買いに走った記憶。家から歩いて行ける距離にある、いつもの食料品店へ。
 そうならないよう、早めに買っておくのがいい。マヨネーズは充分に日持ちするから。
(帰りに買うか…)
 今日は放課後に会議の予定。しかも長引きそうな内容。
 ブルーの家には寄れそうもないし、会議が終わったら買い物だ、と心のメモに書き留めた。



 案の定、閉会が遅くなった会議。ブルーの家には行けない時間。
(…買い物だったな)
 愛車に乗り込み、家の方へと走らせた。真っ直ぐに家のガレージを目指す代わりに、少し手前で食料品店の駐車場へ。車を停めると店に入って、備え付けの籠を手に取って。
 肉も野菜も籠に入れたけれど、忘れてはならない心のメモ。買い物に来ようと思った理由。
(マヨネーズ、と…)
 此処だっけな、と何の気なしに覗き込んだ棚。ズラリと並んだマヨネーズ。
 メーカーが違ったり、サイズが色々異なっていたりと、マヨネーズが顔を揃えているけれど。
 ただマヨネーズというだけではなくて、カロリーカットや卵無しなどと書かれたものも。



(有り得んぞ!)
 マヨネーズは高カロリーが身上なのだし、何より卵を使ってあるもの。卵が命。
 カロリーカットや卵無しなど、それはマヨネーズの在り様から外れた代物、まがい物。健康的な食生活を、と買い求める客が多いからこそ、こういった品があるのだけれど。
(邪道だ、邪道)
 こんなマヨネーズに用は無い、と普通のマヨネーズを籠に入れながら気が付いた。
 以前から普通のマヨネーズしか買っていないけれど、邪道とまでは思わなかった筈。好みは人の数だけあるな、と苦笑しながら見ていた程度。俺はこういうのは買わないが、と。



(なんだか妙だな…)
 有り得ない上に邪道だとまで、どうして自分は思ったのか。
 マヨネーズは重宝しているけれども、こだわる理由は何も無かった。こうでなければ、と覚える愛着、それを抱くほどのマヨネーズ好きでもないのだし…。
(…なんだ…?)
 相手はただのマヨネーズだが、と考えながら棚を眺めて。
 邪道だと思ったカロリーカットや卵無しやら、そうではない普通のマヨネーズやら。端から順に目で追っていたら、不意に浮かんだ頭の中のマヨネーズ。



(シャングリラか…!)
 思い出した、と記憶の欠片を大切に抱えて家に帰った。落とさないよう、買い込んだマヨネーズなどの品物と一緒に袋に詰めて。マヨネーズなんだ、と袋にしっかり詰め込んで。
 家のガレージに車を入れて、着替えなどを済ませたら夕食の支度。
(今夜はマヨネーズで…)
 朝と同じにサラダといこう。朝よりも野菜を綺麗に盛り付け、マヨネーズで。
 遠い記憶を思い出したから。
 懐かしい船でのマヨネーズの記憶、それが帰って来たのだから。



(うん、この味だ…)
 今も昔も同じ味だ、とマヨネーズで野菜を味わいながら噛み締めた。これがマヨネーズの持ち味なのだと、カロリーカットや卵無しでは駄目なのだと。
 白い鯨で食べた味と重なる、マヨネーズの味が。
(マヨネーズはこうでなくっちゃなあ…)
 本物でなくては、と頷いた。



 シャングリラにもあったマヨネーズ。
 アルタミラから辛くも脱出した時の船にも、マヨネーズは備えられていた。最初から載っていた食料の一部。前の自分も使っていた。サラダに、料理に。
(あの食料が尽きちまった後も…)
 食料を奪いに出掛けたブルー。前のブルーだけがこなせた役割。
 人類の船から食料を奪い、皆の胃袋を満たしていた。食材が偏ってジャガイモだらけやキャベツだらけの日々もあったけれど、やがて充実していった。
 菓子を作れるほどになるまで、嗜好品が船に揃うほどまで。
 もちろんマヨネーズもあった。食堂に置かれて、皆が自由に使うことが出来た。



 ところが奪う時代に別れを告げて、自給自足の生活に切り替えていったシャングリラ。
 白い鯨を作り上げようと、船の中だけで足りる暮らしを目指し始めたシャングリラ。
 野菜には不自由しなかったけれど、マヨネーズの方が無くなった。材料に欠かせない新鮮な卵、それが何処にも無かったから。卵を産む鶏はまだいなかったのだし、卵などあるわけがない。
 そうなることは分かっていたから、作られていた合成品のマヨネーズ。それが食堂のテーブルにあったけれども、マヨネーズはちゃんとあるのだけれど。
 卵無しではコクが足りない、合成品では物足りない味。舌が違うと訴える。マヨネーズの味とは違う味だと、本物はこういう味ではないと。



「ちゃんとしたマヨネーズが食べたいねえ…」
 卵をたっぷり使ったヤツだよ、とブラウも零した。自給自足の船にするのだと決めた会議の重要人物、船の未来を左右する立場に立っていたけれど、それとマヨネーズの味とは別で。
「まったくじゃて。わしも同じじゃ」
 どうも一味足りんわい。見た目は同じなんじゃがのう…。
 サラダがどうにも引き立たんわ、とゼルさえも言った、本物のマヨネーズが懐かしいと。
 次に食べられるのはいつになるやらと、早く鶏を飼いたいもんじゃ、と。
 合成品になってしまったマヨネーズ。卵が入らないマヨネーズ。何か足りない、足りない風味。
 前はたっぷりかけていたのに、本物の味を知っていたのに。
 たかがマヨネーズ、と鼻で笑う者は一人も無かった。
 あの味が恋しいと、本物がいいと皆が思ったマヨネーズ。合成品では駄目なのだと。



 我慢の日々が長く続いて、やっと飼育を始めた鶏。
 シャングリラでも卵が食べられるようになり、本物のマヨネーズが食堂に戻って来て。
「うん、この味だよ!」
 間違いなく本物のマヨネーズの味だ、忘れやしないよ。
 これからは毎日これを食べられるんだね、有難いねえ…。卵に御礼を言わないとね。
 卵を産んでくれた鶏にも、と顔を綻ばせたブラウ。ゼルもサラダをせっせと口に運びながら。
「やはりマヨネーズはこうでないとのう…」
 この味じゃからこそ、サラダも生きるというもんじゃ。キュウリしか無いサラダが出ても食えるわい。美味いマヨネーズをつけて野菜スティック、キュウリだけでも充分じゃて。



 美味しい、と皆が喜んでいたら。
 本物のマヨネーズが戻って来たと食堂でサラダを味わっていたら。
「美味しさの方もさることながら…。マヨネーズは優れものらしいからね」
 ヒルマンがそう口にした。マヨネーズは素晴らしい食べ物なのだ、と。
 けれども誰も意味が分からず、その点は前のブルーも同じで。
「なんでだい?」
 マヨネーズが無いと困るだろうから、合成品を作りもしたけれど…。
 どの辺がどう素晴らしいんだい、サラダにかけたりするだけじゃないか。
「それがだね…。マヨネーズさえあれば生きられるそうだよ」
 ヒルマンの言葉に、食堂に居た皆が「はあ?」とキツネにつままれたような顔をした。
 マヨネーズがあれば生きられるなどと聞いても、意味がサッパリ掴めないから。
 合成品のマヨネーズと本物のマヨネーズの味の違いは分かるけれども、人の生死を左右するとは思えないのがマヨネーズ。
 野菜サラダに欠かせない程度で、無くても死にはしないのでは…。



 誰もが顔を見合わせる中、ヒルマンはマヨネーズの器を指差して。
「もちろん、マヨネーズだけで一生を過ごせるわけではないのだがね…」
 マヨネーズはカロリーが驚くほどに高いのだよ。これ一つあれば、一週間はいけるだろう。
 脱水症状を起こさないよう、水分は必要になるのだが…。水さえあったらマヨネーズだけで。
 水とマヨネーズ、それだけで命を繋げるそうだよ、と解説を始めた博識なヒルマン。
 その昔、地球が滅びてしまう前。人類が地球の上だけで暮らしていた頃。
 持っていた一本のマヨネーズだけで、十日以上も生き延びた人がいたという。深い山の中、道を見失って帰れなくなってしまった時に。
 歩き回る内に怪我をしてしまい、側にあった小川の水を飲むのが精一杯。食料はとっくに尽きてしまって、残ったものはマヨネーズだけ。
 そのマヨネーズが命を救った、カロリーが豊富だったから。救助が来るまで命を繋いだ。それが無ければ飢えて死ぬ所を、十日以上も。



「へええ…!」
 食堂に居合わせた皆が驚き、マヨネーズの凄さを知らしめる話はシャングリラ中を駆け巡った。
 非常食として作られる食べ物は多いけれども、それは最初から非常食。栄養の補給を目的とする錠剤などにしても同じで、日々の食卓に置かれてはいない。それらは日常の食べ物ではない。
 ところが食堂のテーブルに置かれたマヨネーズ。野菜サラダや料理にかけるマヨネーズ。
 それがそのまま、非常食の役目を果たすというから凄すぎる。
 何の工夫も凝らさなくても、マヨネーズを一本、それと水だけ。それさえあれば十日以上も命を繋げるなどと聞いたら、もう特別にしか見えなくて。
 暫くの間、マヨネーズは語り草だった。あれは凄いと、実は素晴らしい食べ物なのだと。
 卵の入った本物のマヨネーズが戻って来たタイミングで披露された話、マヨネーズが秘めた真の力を伝える話。
 そんな出来事もあったものだから、シャングリラのマヨネーズは常に本物だけだった。鶏の卵を使って作ったマヨネーズ。カロリーカットなど、誰一人として言い出さなかった。



(うん、シャングリラじゃ卵無しのも、カロリーカットも…)
 有り得ないんだ、とハーレイは夕食のサラダを食べつつ考える。それは邪道なマヨネーズだと。
 白い鯨ではマヨネーズと言えば卵入り。カロリーもカットしなくて当然、それだけで命を繋げる食料なのだから。非常食として生まれたものではないのに、そういう風に使えるマヨネーズ。
 幸いにして、マヨネーズを頼りに生き延びなければならない場面は無かったけれど。
 出くわさないままで白い鯨は地球までの旅を続けたけれど…。



(せっかくだから、もう少し…)
 思い出の味をかけてみるか、とマヨネーズを取り、サラダの器に加えた途端。
 野菜サラダの残りにかかったマヨネーズの量を増やした瞬間。
(ブルー…!)
 そうだった、と鮮やかに蘇って来た記憶。
 前のブルーとマヨネーズの思い出。
 青の間で共に朝食を摂る時、サラダにマヨネーズをかけてくれたブルー。それもたっぷりと。
 恋人同士になった後の朝の食事の風景、前のブルーがかけてくれていたマヨネーズ。
(あいつ、覚えているんだろうか…)
 マヨネーズをかけていたことを。朝食の時に自分がやっていたことを。
(忘れちまったかもしれないなあ…)
 この自分でさえ、今まで忘れていたくらいだから。
 卵無しやカロリーカットのマヨネーズなどは邪道だった、と気付かなかったくらいだから。
 けれども今では思い出したし、明日はブルーの家に行く土曜日。
 小さなブルーに尋ねてみよう。
 マヨネーズのことを覚えているかと、前のお前のことなんだが、と。



 一晩眠っても、忘れなかったマヨネーズ。白い鯨に居た頃の思い出。
 天気がいいから歩いて出掛けたブルーの家で、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「おい。マヨネーズに卵無しっていうのは邪道だよな?」
「えっ?」
 キョトンとしている小さなブルー。
「マヨネーズだ、前の俺たちが暮らしたシャングリラだ」
 あの船じゃマヨネーズは一種類しか無かっただろうが、合成品の時代が終わった後は。
 それがだ、今では卵無しだの、カロリーカットだのという邪道なヤツが揃っていてだな…。
 昨日、買い物に出掛けた店で…、と品揃えのことを話したら。
「…ホントだね。そのマヨネーズは信じられないよ」
 前のぼくたちなら作りはしないよ、そんな変わったマヨネーズ。
 卵無しのマヨネーズは合成品しか無かった時代で懲りたし、カロリーカットじゃマヨネーズとは言えないし…。カロリーの高さが素晴らしいんだ、ってヒルマンが言っていたものね。
 どっちもハーレイが言う通り、邪道。シャングリラの時代だったら、だけど。



「お前の家は普通のマヨネーズなのか?」
 卵無しでもカロリーカットでもなくて、いわゆる普通のマヨネーズか?
「そうだよ。シャングリラの頃のと同じ味だよ」
「ふうむ…。それなら、そのマヨネーズ…」
 朝のサラダには多めか、と訊けば。
「なんで?」
 多めって何なの、マヨネーズをかける量のことなの?
「そうだが…。お前がかけるマヨネーズの量は普通なのか?」
「普通だと思うよ、多くはないと思うんだけど…」
 野菜サラダを食べてる日はね。
 朝からそんなに食べられないよ、ってトーストだけの日も多いけど…。
 それにマヨネーズをかけなくっても、最初からマヨネーズ味のサラダもあるでしょ?



 ポテトサラダなら入っているし、と答えたブルー。
 マヨネーズの量はけして多めではないと思う、と話すブルーは、どうやら全く覚えていないようだから。何故マヨネーズが多めなのかを思い出しさえしないから。
「忘れちまったか、前のお前のマヨネーズを?」
 朝のサラダにはたっぷりだ。とにかく多めにマヨネーズなんだ。
「ぼく!?」
 そういうサラダを食べていたっけ、とブルーの瞳が真ん丸になった。
 覚えていないと、マヨネーズが好きだった記憶は無いと。
 それはそうだろう、これはブルーの思い出だけども、ブルーのサラダのことではないから。
 同じサラダでも違うのだから、と頬を緩めてこう言ってやった。
「勘違いするなよ、お前がマヨネーズをかけていたサラダはお前のじゃなくて、俺のサラダだ」
 俺のサラダにたっぷりとかけてくれてたんだが…。
「ハーレイのに?」
 どうしてハーレイのサラダにぼくがかけるの、マヨネーズを?
「覚えていないか、ヒルマンの話」
 マヨネーズはカロリーが高くてだな…。
 それさえあったら生き延びることが出来たと聞いたろ、水分を補給出来ればな。
「ああ…!」
 山で遭難しちゃった人だね、マヨネーズだけで十日以上も生きられたって…。
 マヨネーズは凄い食べ物だっけね、非常食でもなかったのに。



 思い出した、と手を打ったブルー。小さなブルー。
 ハーレイのサラダに沢山かけたと、マヨネーズをたっぷりかけていたと。
「前のぼく…。頑張ってたっけ、朝御飯の時に」
「そうさ、自分のサラダには決して沢山かけたりしないくせにな」
 このくらいでいい、と言うんだ、お前は。
 それなのに俺の分にはたっぷり、山ほどかけてくれたんだよなあ…。



 遠い遠い昔、白いシャングリラの中だけが世界の全てだった頃。
 その船でブルーと恋をしていた、夜は青の間で共に過ごした。
 夜が明けたらソルジャーとキャプテン、そういう立場の二人だったけれど。青の間で朝食を摂る時は二人、キャプテンからの朝の報告という名目の下に二人きりの食事。
 そんなある朝、突然、それを思い立ったブルー。
 シャングリラに本物のマヨネーズが戻って来た時のヒルマンの話を、思い出したと言うべきか。
 ハーレイのサラダにたっぷりとかけた、マヨネーズを。
 何の断りもなく、ハーレイの分のサラダにだけ。



「ソルジャー!?」
 いきなりのことに、驚いたハーレイだったけれども。
「ブルーだよ、今は」
 二人きりだものね、と微笑んだブルー。
 ソルジャーの衣装は着けているけれど、今の自分はブルーだと。ただのブルーで恋人なのだと。
「しかし、これは…」
 このマヨネーズは何事なのです、どう見ても多すぎる量なのですが…。
「君のために、と思ったんだけどね?」
「はあ?」
 ますますもって訳が分からない、と瞬きをすれば。
「ヒルマンの話を忘れたのかい? マヨネーズは栄養たっぷりなんだよ」
 これと水だけで生き延びられるほどの優れものだよ、しっかりと食べて貰わないと。
 キャプテンは激務なんだから。…シャングリラの全てが君の両肩にかかっているしね?
 栄養をつけて、とブルーが指差すマヨネーズがたっぷりかかったサラダ。主役の野菜が埋もれてしまったと錯覚するほど、マヨネーズだらけになっているサラダ。
「はあ…」
 ヒルマンの話ですね、覚えております。
 お気遣い下さってありがとうございます、何事なのかと思いましたが。



 感謝します、と礼を述べたのが悪かったのか。
 それ以来、仕事が忙しくなりそうな日の朝はマヨネーズ。サラダにたっぷりとマヨネーズ。
 ブルーはこれが自分の役目とばかりに、ハーレイのサラダにだけマヨネーズを増量してかけた。自分のサラダには適量をかけて、ハーレイの分にはずっと多めに。
「ソルジャー、お気持ちは嬉しいのですが…」
 マヨネーズばかりを増やしたのでは、栄養バランスが偏りそうだと思うのですが。
 なにしろ高カロリーな食べ物ですし…。
「他の食事がバランスよく出来ているだろう?」
 ぼくよりも遥かに量が多いし、中身も充実しているじゃないか。
 トーストと卵料理は基本で、他にもハムとかソーセージとか…。それにサラダだ、完璧だよ。
 バランスが取れた食事に加えてマヨネーズを多めに、とても素晴らしいと思うけどね?
 君の朝食、と取り合おうともしなかったブルー。
 バランスがいいと主張したブルー。
 お蔭で、それからかなり長い間やられていた。野菜サラダにブルーがかけるマヨネーズ。有無を言わさず、主役の野菜も霞むほどの量を。
 忙しい日のキャプテンの朝の食卓にはマヨネーズを、と。



「あのマヨネーズ…」
 小さなブルーが目をパチクリとさせながら。
 すっかり忘れてしまっていた、と遠い記憶を手繰り寄せながら、不思議そうに。
「なんでやらなくなったんだっけ…?」
 ハーレイのために、ってマヨネーズをかけていたことは思い出したけど、やめちゃってたよ?
 朝御飯は一緒に食べていたのに、マヨネーズをかけなくなっちゃっていたよ。
 もしかしてノルディに叱られたのかな、ハーレイがあれで具合を悪くしちゃって…?
「安心しろ、俺は至って健康だった。マヨネーズをたっぷりかけられてもな」
 単にお前が飽きたってだけだ、俺にマヨネーズを振舞うことに。
「…そうなの?」
 飽きちゃったなんて、それもずいぶん酷い話に聞こえるけれど…。
 ハーレイのためにやっていたのに、飽きたからってマヨネーズをかけるのをやめちゃったの…?
「いいや、お前は酷いヤツではなかったな」
 マヨネーズをかけても大して効果は無さそうだから、と夜食の方に切り替えたんだ。
 朝にマヨネーズを増量するより、消耗した分だけ夜食で栄養補給だ、ってな。



「そういえば…」
 そうだった、とブルーが時の彼方の記憶を辿る。
 ブリッジのハーレイに思念を飛ばしたと、青の間に来る時に持って来て欲しいと、厨房に寄って料理を調達してくれるように頼んでいたと。
 さながら出前で、注文を受けたハーレイは勤務が終わると厨房に立ち寄る。内容によっては予め思念で連絡をしたり、厨房に着いてから調理を頼んだり。
 サンドイッチだったり、フルーツだったり、ブルーの注文は多岐に亘った。
 明らかにブルーが食べたいのだろう、と分かるものから、ハーレイ用だと思われるものまで。
 それらを調理する厨房の者たちは、ハーレイが何処へ出掛けてゆくのか知っていたから。
 ソルジャーの注文で料理を運ぶと知っていたから、ブルーらしくない注文を受けても「遅くまでお仕事お疲れ様です」と料理を作って渡してくれた。
 「これからソルジャーとお仕事ですか」と、「キャプテンも本当に大変ですね」と。
 そう、キャプテン用の夜食なのだと知っていた彼ら。
 仕事にゆくのだと勘違いをしてはいたのだけれども、料理を食べる人間が誰かは知っていた。
 今夜のキャプテンは青の間で夜食だと、遅くまで仕事があるらしい、と。



「夜食、運ぶのは俺だったんだがな…」
 厨房のヤツらに注文するのも、運んで行くのも俺ってわけだ。
 マヨネーズはお前がかけてくれていたが、夜食になってからは俺が自分で運んでいたし…。
 そういう意味では人使いの荒い恋人ってヤツだな、自分の分まで運ばせやがって。
 俺用に考えてくれたんだな、と分かる時には嬉しかったが、お前用のフルーツとかだとなあ…。
「だけど、ぼく用に運んでくれた時でも二人で食べていたじゃない」
 楽しかったよ、ハーレイと二人でフルーツを食べたり、サンドイッチをつまんだり。
 ハーレイ用の夜食の時には、ぼくは見ていただけだけど…。
 たまに「ぼくにも少し」って分けて貰って、味見したりはしていたけどね。
「俺としてはだ、夜食なんかを食っているより…」
 早くお前を食べたい気分だったんだがな?
 目の前にお前がいるというのに、のんびりと飯を食っているより。
「…手袋を外しちゃってたから?」
 前のぼく、ハーレイの報告が済んだら手袋を外しちゃってたし…。
 手袋をはめていない手でサンドイッチを食べたりするから、ハーレイには目の毒だった?
「まあな」
 美味そうな御馳走を前にしながらお預けの気分だ、食い終わるまでは手が出せん。
 夜食をすっかり食っちまわないと、作ってくれたヤツらに悪いし…。
 何より食べ物が無駄になるしな、美味い間に食わないと。



 次の日の朝まで放ってはおけん、と肩を竦めたら。
 サンドイッチは乾いてしまうし、フルーツも傷んでしまうから、と言ってやったら。
「…だったら、やっぱり朝御飯のサラダにマヨネーズの方が良かったかな?」
 ハーレイが忙しくなりそうな日には、朝のサラダにマヨネーズ。
 しっかり栄養をつけて貰って、それからブリッジに行って貰う方が…。夜食を食べるよりも。
「なんでそうなる?」
 どうして其処でマヨネーズの方になるんだ、お前は?
「夜食なんかを食べていないで、すぐにベッドに行けるからだよ」
 ハーレイの報告が終わりさえすれば、後はベッドに一直線で。
 朝にマヨネーズで栄養をつけておきさえしたなら、夜食の心配は要らないものね。
「そいつもなんだかつまらんなあ…」
 お預けってヤツは嬉しくないがだ、お前と二人でお茶を飲むのも好きだったし…。
 ベッドに直行したい気分の時はともかく、それ以外の時は夜食というのも悪くなかった。
 腹を満たして、それからお前。夜食を食うのとお前を食うのは別物だからな。
 …って、お前、チビのくせに!



 いつの間にこんな話になった、とブルーの額を小突いてやれば。
 小さなブルーは「さっき」と少しだけ舌を覗かせて。
「ハーレイ、今度はマヨネーズがいい?」
 朝はサラダにマヨネーズをたっぷりかけるのがいいの、仕事が忙しそうな日は?
 クラブの練習が多い時とか、そういう時にもマヨネーズがいい?
 それとも家に帰ってから夜食を食べるのがいいの、どっちが好み?
 ぼくはどっちでもいいんだけれど…。
 ハーレイが夜にぼくを食べるのに嬉しい方に合わせるよ。ねえ、マヨネーズをたっぷりがいい?
「馬鹿野郎!」
 チビのくせして、マヨネーズも何もないもんだ!
 俺がどういう飯を食おうが、チビのお前は全く関係無いんだからな。
 夜食を食いたきゃ自分で作るし、マヨネーズだって好きな量を自分でかけて食うんだ!
「でも、ハーレイ…。今じゃなくって、結婚した後」
 マヨネーズか夜食か、ちゃんと決めてよ。
 その日の気分で決めるんだったら、ぼくはマヨネーズを用意して訊いてあげるから。
 「多めがいい?」って。
「チビが気にすることじゃない!」
 なんでお前とそういう話をしなきゃならんのだ、チビのお前と!
 そういう話は育ってから言え、マヨネーズの量は多めがいいかと訊くのが似合うくらいにな!



 これ以上はもう続けてやらん、と銀色の頭をコツンと軽く叩いたけれど。
 ブルーは「痛いよ!」と大袈裟に叫んで膨れっ面になったけれども。
 小さなブルーが今日の話を、もしも覚えていたならば。
 忘れずに大きく育ってくれたら、あるいは思い出してくれたなら。
 結婚した後の朝食のサラダは、マヨネーズがたっぷりかけられていてもかまわない。
 それがブルーの気遣いだったら、主役の野菜が霞むくらいのマヨネーズ。
 「今日は仕事が忙しいんでしょ?」と、ブルーがかけてくれるマヨネーズ。
 けれども夜食も捨て難い。
 今度は厨房のスタッフはおらず、自分で作るしかないのだけれど。
 ブルーと二人でそれを食べながら、ゆっくりと疲れを癒すのもいい。
 栄養をつけたら、後はベッドへ。
 後片付けは適当に済ませてしまうのもいいし、そんな余裕も無いほどにブルーを食べたい気分になるかもしれないけれど。
 それを思えば、マヨネーズたっぷりの朝食の方がずっといいのかもしれないけれど。



(どんな食事をするにしたって…)
 きっと幸せだと思う。
 マヨネーズがたっぷりかかったサラダも、後片付けも疎かになりそうな夜食でも。
 どちらにしたって、目の前にブルー。
 今はまだ小さな姿のブルー。
 そのブルーが前とそっくり同じに育って、二人で食卓を囲める時が訪れたなら。
 結婚して二人、朝の食事も夜食も共に、幸せの中で。
 マヨネーズたっぷりのサラダであろうと、片付けも放ってブルーに溺れたい夜食だろうと…。




             マヨネーズ・了

※カロリーカットなど有り得なかった、シャングリラのマヨネーズ。栄養たっぷり。
 前のブルーが、気を使っていたハーレイのための朝食。サラダにはマヨネーズだったのです。
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