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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

家とポストと

(あれ…?)
 なんだかいつもと感じが違う、とブルーが立ち止まった場所。学校からの帰り道。
 バス停から家まで歩く途中で、普段と全く同じ道筋。其処にあるのは見慣れた生垣の家なのに。学校がある日は毎日通るし、今朝も通っていった筈。その時は感じなかった違和感。
(えーっと…?)
 この家の人は…、と住人の名前を確認しようと眺めたポストで気が付いた。門扉の隣にポストがつけてあるのだけれど…。
(変わっちゃってる…!)
 ポストに書かれた名前は同じ。幼い頃から知っている名前で、この家に住む御主人と奥さん。
 それは変わっていないのだけれど、ポストのデザインと色がすっかり。見慣れたポストは消えてしまって、違うポストがくっついていた。
(このせいなんだ…)
 家に比べれば小さいポスト。生垣のアクセントのように。
 だからポストの前に立つまで気付かなかった。小さな箱の存在に。郵便や新聞などを飲み込み、雨や風から守る箱。
 あると分かったら、前に見ていた箱との違いは…。
(大きいよね?)
 しげしげと見詰めた新しいポスト。まるで変わってしまったデザイン。前のポストは、ごくごく平凡だったと思う。特に目を引くものでもなくて。
 けれど今のは、小さな家の形のポスト。屋根の部分が蓋なのだろう。カラフルに塗られて、窓や玄関扉まで。オモチャの家かと思うくらいに。
 こんなに違うと、別の人が住んでいるかのよう。書かれた名前は同じなのに。会った時には挨拶している、顔馴染みの御主人と奥さんなのに。



 変身を遂げた郵便受け。門扉の隣の小さなポスト。家の印象が変わったくらいに、意外なほどの存在感。家の形をしているとはいえ、本物の家とは比較にならないミニサイズなのに。
 ポストでこんなに変わるなんて、と生垣や家全体を見回してから、また見たポスト。カラフルで可愛い小さな家。
(御主人の趣味かな?)
 それとも奥さんの方だろうか、と考え込んでいたら、出て来た御主人。庭の手入れをしに、家の裏からクルリと回って。
「ブルー君?」
 今、帰りかい、と穏やかな笑顔。
「こんにちは! えっと…」
 訊いていいのかな、と迷ったポスト。どう切り出せば…、と出て来ない言葉。そうしたら…。
「ポストだろう?」
 すっかり変身したからねえ、と可笑しそうに近付いて来た御主人。ポストの側まで。
 生垣越しにポストの屋根を触って、「こう開けるんだよ」と上げてくれた蓋。やっぱりパカリと屋根が開く仕掛け。窓と玄関はただの飾りで、そちらの方は開かないらしい。
 けれど、飾りの窓と玄関。それも開きそうに見えるくらいに、きちんと作り込まれたポスト。
 御主人の話では、遠い地域に住む娘さんからのプレゼント。結婚して、其処に引越して行った。その娘さんが子供たちと一緒に選んだポスト。
 「素敵なポストを見付けたから」と届けられた箱。お孫さんが描いた絵や手紙もついて。



 そういうわけで、御主人が取り付けた新しいポスト。前のポストは外してしまって。
「あっちの地域だと、こういうのが普通らしいんだけどね。娘が言うには」
 家の形は当たり前だそうだよ、他にも色々あるらしくって…。車なんかの形のも。
 せっかく送ってくれたんだから、と付けてみたけれど、この家には、どうも…。
 前のポストの方がいいような、と御主人は何処か心配そうだから。
「似合っていると思うけど…」
 このポストも、と触ってみたポスト。窓と玄関はホントに飾りだ、と。
「そうかい? これも似合うかい?」
「ホントはちょっとビックリしたけど…。気が付いた時は」
 いつもと感じが違ったから。…なんでだろう、って立ち止まっちゃった。この家の前で。
「そうだろうねえ、ポストは家の顔だから」
 家の感じも変わると思うよ、これが変わってしまっただけでね。
「え…?」
 家の顔って…。家の形のポストだから、っていう意味じゃないよね?
 キョトンとしたら、「まあね」とポストの屋根をつついた御主人。
「普通は玄関のことを言うんだけどね。…家の顔と言えば」
 ただ、この辺りだと、どの家も生垣ばかりだし…。庭もあるから、玄関は道を通る人の目には、直ぐに飛び込んでは来ないだろう?
 だからポストが顔なんだよ。こういう人が住んでいます、といった所かな。
「そっか…!」
 分かった、と顔を輝かせたら、御主人はポストを指差した。
「私はこんな顔になったらしいよ、この家の顔はこうだから。…なんだかねえ…」
「ハンサムだと思う!」
 とても素敵なポストだもの。まるで本物の家みたいで。
「ありがとう、ちょっと自信がついたよ。…このポストとも仲良くやっていけそうだ」
 実は恥ずかしかったものでね、と照れた御主人。「前のポストは地味だったのに」と。
 とはいえ、今日からはこういう顔だし、どうぞよろしく、と。



 カラフルなポストの家と別れて、自分の家まで帰って来て。
(ポストって、家の顔なんだ…)
 まじまじと眺めた、門扉の横にあるポスト。ごくありふれた形のポストで、さっきの小さな家の形のポストのようにはいかないけれど。パッと人目を引きはしないけれど…。
(でも、お隣のとは違うしね?)
 何処の家のも似たようなポスト、それでも何処か違うもの。大きさや素材や、塗ってある色で。家の前からグルリと見渡せる範囲に、そっくり同じポストは無い。ただの一つも。
 さっきの御主人が言った通りに、ポストは家の顔なのだろう。郵便物を届けてくれる人も、新聞配達をしている人も、この顔を見ながら入れるのだろう。「此処は、こういう顔の家だ」と。
 そうなってくると…。
(ハーレイが見てるの、ぼくの顔なの?)
 いつもハーレイが鳴らすチャイムも、ポストと同じに門扉の側。きっとポストも見ている筈。
 「ブルーの顔だな」と眺めているのか、それとも父か、あるいは母の顔なのか。
(…どの顔なわけ?)
 ポストには父と母の名前と、自分の名前。誰の顔でも良さそうだけれど、家の顔なら家族全員が揃うのだろうか?
(家の形のポストは、おじさんの顔だって言ってたし…)
 ならば、このポストも父の顔になるのか、悩ましい所。父らしいと言えば父らしいポスト。母の顔にも思えたりするし、なんとも謎なポストの正体。
 家の顔なのは確からしいけれど、いったい誰の顔なのかが。



 考え込みながら暫く見詰めて、門扉を開けて入った庭。本物の家の顔らしい玄関、其処を通って家の中へと。自分の部屋で着替えを済ませて、おやつを食べにダイニングに行くと…。
「ブルー、家の前で何をしてたの?」
 直ぐに入らずに立っていたでしょ、と母に訊かれた。何処かの窓から見ていたのだろう。
「ポストを見てた…」
「あら。郵便、来てた?」
 お買い物の帰りに、持って入って来たんだけれど…。あれから後にまた来たのかしら?
 それとも取り忘れた分があったかしら、と母が見ている庭の方。ポストがある辺り。
「見てただけだよ、ポストは家の顔だから」
「家の顔…?」
 ポストがそうなの、と怪訝そうな母。きっと玄関がそうだと思っているだろうから…。
「あのね…。ホントは玄関のことらしいんだけど…」
 今日の帰りに聞いたんだよ。ママも知ってるでしょ、あそこの家。
 ポストが違うのに変わっちゃってて、おじさんが「この家の顔なんだよ」って…。
 玄関は道から見えないけれども、ポストは何処も見えるから…。家の顔がポストなんだって。



 そう言ってたよ、と説明したら、「そういう意味ね」と微笑んだ母。「確かにそうね」と。
「道を通っていくだけの人なら、玄関よりもポストの方だわ」
 庭とかも見て歩くけれども、住んでいる人の名前はポストに書いてあるんだし…。
 家の顔になるわね、ポストだって。…玄関だけじゃなくて。
「そうでしょ? それでね…」
 うちのポストは、パパの顔になるの?
 それともママなの、うちのポストはどっちなの…?
「どっちって…。どうして?」
「ポストが変わっちゃってた家のおじさん、あのポストが自分の顔だって…」
 今日からこういう顔になるから、よろしく、って言っていたんだけれど…。
「それはたまたま、おじさんの方に会っちゃったからよ」
 おばさんも一緒の時に会ったら、二人分の顔ってことになるわよ。…きっと、そう。
 家の顔でしょ、おじさんもおばさんも、そのポストから分かる顔ってことね。
 うちだと、パパやママはもちろん、ブルーの顔も入るのよ。ポストの顔に。
「…ホント?」
 ぼくの名前も書いてあるけど、あのポスト、ぼくの顔にもなるの…?
「ええ、そうよ。家の顔だから、みんなの顔よ」
 パパもママもブルーも、ああいう顔ね。ポストが家の顔になるなら。
 ポストを見た人には分かるわけね、と母に教えられて、「なるほど」と納得したポスト。家族の顔は全部ポストが代表してくれて、父も母も自分も、あのポストの顔。
 特に変わったポストでなくても、ポストは家の顔だから。どの家のも、何処か違っているから。



 おやつを食べ終えて部屋に戻って、また考えてみたポストのこと。勉強机に頬杖をついて。
 門扉の脇にある小さなポストに、父や母の他に自分の顔もあるのなら…。
(ハーレイは、ぼくの顔だって見てるんだ…)
 あそこに立って待っている間に、あのポストに。チャイムを鳴らしてから、母が迎えに出てゆくまでに。ほんの少しの間だけれども、ポストを見たなら、其処にはチビの自分の顔も…。
(見えるんだよね?)
 そう思ったら、ポストを磨いてあげたい気分。柔らかな布でキュッキュッと。
 もっと素敵になるように。ポストと一緒に素敵な自分を、ハーレイに見て貰えるように。
 そのハーレイの家のポストは、どういう形だっただろう?
(えーっと…?)
 一度だけ遊びに出掛けた時に、ドキドキしながら鳴らしたチャイム。門扉の所にポストもあった筈だから、と記憶を辿って思い出してみて…。
(ハーレイらしいよ)
 一人暮らしなのに、沢山入りそうだったポスト。家族が大勢暮らしていても。
 きっと教師をやっているから、郵便物が多いのだろう。書類がギッシリ詰まった大きな封筒も。そういった物がはみ出さないよう、新聞だって奥まで入るようにと大きめのポスト。
 ハーレイならば、そうするだろう。後から困ってしまわないよう、余裕たっぷりにしておいて。
 人柄が滲み出ているハーレイのポスト。
 本当にポストは家の顔なんだね、と考えたけれど…。



(…家の顔…?)
 不意に浮かんだシャングリラ。遠く遥かな時の彼方で、前の自分が生きていた船。
 あの船にポストはあっただろうか?
 船に乗っていた仲間たちにとっては、シャングリラが家のようなもの。そのシャングリラには、ポストなんかは…。
(あるわけないよね…)
 ミュウに郵便は届かないから、シャングリラにポストを作っても無駄。家の顔ならぬ、船の顔になるポストは無かった。
 そして船の中でも無かった郵便。仲間同士で手紙を遣り取りするためのシステムは無くて、郵便配達は無かった船。だから個人の部屋にだって…。
(…ポスト、要らない…)
 届く郵便物が無いなら、作る必要が無いポスト。仲間たちの顔のポストは要らない。それぞれの部屋はあったけれども、部屋の顔になるポストは無かったと思う。
 居住区を思い浮かべてみたって、無かったポスト。通路にドアが並んでいただけ。
(それじゃ、招待状とかは…?)
 ソルジャー主催の食事会には、欠かせなかったものが招待状。エラが考案した仰々しいもの。
 出席者には招待状を出したわけだし、何処かに届けられた筈。それは何処に届いたのだろう?
 首を捻って考えたけれど、招待状を届けに行ってはいない。誰が配ったかも覚えていない。
(ぼくが貰った招待状は…)
 薔薇のジャムを作っていた女性たちからの招待状。白いシャングリラに咲いていた薔薇、それを使って香り高いジャムが作られていた。量が少ないから、希望者はクジ引きだったけれども。
 前の自分はクジを引かずに一瓶貰って、ジャムが出来る度にお茶会に招待されていた。ジャムを作る女性たちだけの内輪のお茶会、其処に招かれて行っていたものの…。
(招待状を持って来たのは、部屋付きの係…)
 ソルジャーだった自分はポストを覗いていないし、青の間にポストは無かった筈。あったなら、何度も覗いてみたろう。ソルジャーは暇だったのだから。
 何か届いていないだろうか、と覗きに行くには格好の場所が郵便受け。



 青の間には無かった、と言い切れるポスト。其処に招待状が届けられたら、係よりも先に覗きに出掛ける。何も届いていない時でも、きっと何度も覗いてみる。
(…暇だったものね?)
 部屋付きの係は常に控えているわけではないし、ポストを覗くのは格好の暇つぶし。あの部屋にポストがあったとしたなら、入口しか考えられないから。長いスロープを下りて行った先の。
(あそこまで歩いて行って、覗いて…)
 ポストに何か入っていたなら、ウキウキと手にして戻るのだろう。空だったとしても、この次は何かあるといいな、と考えながら戻ってゆく。もしもポストがあったなら。
(…覗くだけでも楽しいしね?)
 入口から離れたベッドからでも、サイオンで中は覗けるけれど。そうはしないで、歩いてゆく。これも大事な仕事とばかりに、部屋付きの係に任せはしないで。
(でも、覗いてはいないんだから…)
 青の間には存在しなかったポスト。覗きたくても、無かったポスト。前の自分の部屋の顔。
 ならば、他の仲間たちの部屋はどうだったろう?
 ポストを目にした覚えが全く無い居住区。どの部屋も全部、揃いの扉。通路にズラリと。
 其処に暮らす仲間たちに出された、ソルジャー主催の食事会への招待状。誰の部屋にもポストが無いなら、招待状は何処に届いたのだろう?
 確かにエラが印刷させていたし、御大層な封筒まであったのに。



 まるで分からない、招待状の届け方。ポストがあったら、其処に入れれば済むけれど…。
 いくら記憶を手繰り寄せてみても、見た覚えが無いポストというもの。今の時代なら、ポストは家の顔なのに。何処の家の前にもあるものなのに。
(まさか、手渡ししてたとか…?)
 白いシャングリラの仲間たちの部屋に、ポストは無かったのだから。…それでも招待状を出していたなら、出席する仲間に直接渡すしか無さそうな感じ。配る係が「どうぞ」と捕まえて。
 それだと目立ちそうだけれども、ソルジャー主催の食事会なら、いいのだろうか。
(…エラが強調していたものね、招待されるのは名誉なことだ、って…)
 他の仲間たちも見ている所で招待状を渡していたなら、余計に名誉な感じではある。招待された仲間は嬉しいだろうし、目にした仲間も「いつかは自分も」と励みに考えたりもして。
(やっぱり、手渡し…?)
 そうだったかな、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが来てくれたから、早速訊いてみることにした。今日もハーレイが見ていただろう、家のポストを思い浮かべて。
「あのね、ハーレイ…。シャングリラにポストは無かったよね?」
「はあ?」
 ポストだって、と丸くなった鳶色の瞳。「ポストというのは郵便ポストか?」と。
「郵便受けだよ、何処の家にもポストはあるでしょ?」
 ハーレイの家にも、ぼくの家にも。
 今日ね、ご近所さんが「ポストは家の顔だから」って言っていたんだよ。
 ぼくの家だと、パパとママとぼくの顔になってて、ハーレイの家だとハーレイの顔。
 でも、シャングリラだと、ポストはあった…?
 居住区の部屋には、仲間たちが住んでいたけれど…。ポスト、無かったような気がして…。
「家の顔か…。言われてみれば、ポストはそういう感じだな」
 住んでいる人の個性が出てくる代物ではある。似たようなポストでも色が違うとか。
 だが、シャングリラには、郵便というシステムそのものが無かったからな…。



 今の時代とは事情が違うぞ、とハーレイが口にする通り。前の自分の記憶でも同じ。
 シャングリラに郵便が無かったからには、きっとポストも無かっただろう。そんな船の中で何か届けるとしたら、さっき自分が考えたように…。
「…だったら、招待状は手渡しだった…?」
 ソルジャー主催の食事会には、招待状があったでしょ?
 エラが立派なのを印刷してたし、封筒だって…。あれは他の仲間も見ている前で渡してた?
 みんなの部屋にポストが無かったんなら、そういうことになっちゃうよね…?
「まさか。招待状なら、きちんと部屋に届けていたさ」
 そうでなければ変だろう。いったい何処で渡すと言うんだ、仕事場だとか食堂か?
 ただのメモならそれでもいいが、ソルジャーからの招待状だぞ?
 そいつを食堂だの、機関部だので渡すだなんて…。ソルジャーの威厳が台無しだろうが。
 エラが絶対に許しやしないぞ、「なんということをするのです!」とな。
「招待状、部屋に届けてたんだ…」
 いそうな時間に、部屋の扉をノックして?
 そういえばチャイムもついていたかな、居住区の部屋は。
「おいおい、其処まで面倒なことをしなくても…。あの部屋にだって、一応は…」
 郵便受けはあったんだ。其処に入れておけば、住人が留守でも届くってな。
「あったの、郵便受けなんか…?」
 シャングリラには郵便、無かったのに…。招待状を入れるためにだけ、作ってたとか?
「そうじゃない。郵便受けという名前がついてもいなかった」
 ただの書類の差し入れ口だな、俺の部屋にもあっただろうが。
 作っておかんと不便じゃないか。いろんな部署での会議とかもあるし、先に資料を配るとか…。
 そういった時に突っ込んでおくための場所があってだ、招待状も其処に配ったわけだな。



 部屋の住人が戻って来るまで待てるもんか、と言われてみれば確かにあった郵便受け。そういう名前は無かったけれども、留守の間にも、書類などを部屋に入れられるようにと作られたもの。
 キャプテンの部屋の扉の内側、時々、書類が入っていた。束になっていたり、一枚だったり。
(…ハーレイが部屋にいる時だって…)
 急ぎではない書類だったら、其処からコトンと入れられたもの。キャプテンの仕事は、ブリッジだけではなかったから。部屋に持ち帰って片付ける仕事や、航宙日誌を書くことだって。
 ハーレイの部屋で仕事が終わるのを待っている間に、何か書類が届いた時。「何か来たよ?」と覗きに出掛けて、「ほら」とハーレイに渡したりもした。時にはメモを読み上げたりも。
(…うん、メモだって入ってた…)
 都合のいい時間に連絡を、と書かれたメモやら、他にも色々。
 遠い記憶が蘇るけれど、やはり無かったという記憶。キャプテンの部屋には、郵便受けと呼べるものが備わっていたのだけれど…。
「…それ、青の間には無かったよ?」
 前のぼくの部屋には、郵便受けは…。あったら覗きに行った筈だし、無かったと思う…。
「お前の場合は必要無いしな、そんな仕組みは」
 ソルジャーなんだぞ、用があったら直接出向いて話をするのが礼儀ってもんだ。
 書類にしたって、渡すんだったら部屋付きの係を通さないと…。
 ソルジャーが自分で届いてるかどうかを調べに出掛けて、それを読むなんて言語道断だってな。
 エラが聞いたら、思いっ切り顔を顰めるぞ。「ソルジャーのお手を煩わせるなど、いったい何を考えているのです!」って声が何処かから聞こえて来ないか、そりゃあ物凄い剣幕でな。
 しかし、青の間には必要無くても、仲間たちの部屋には必要だった。郵便受けの親戚がな。
「だけど、それ…。家の顔にはならないね…」
 書類の差し入れ口っていうだけなんだし、何処の部屋でも同じだよ。個性はゼロ。
 扉の脇についてただけでしょ、幅も形もそっくりのが。…一番便利なサイズのヤツが。
「そもそも家じゃないからな」
 中に住んでる人間はいても、あれを家とは呼びにくいよなあ…。
 それぞれの城には違いなくても、我が家と言えるレベルにまでは達していなかったから。



 ただの部屋だ、とハーレイが指摘する通り。居住区の部屋は家とは違った。
 キャプテンなどの部屋を除けば、どの部屋も全く同じ構造。間取りはもちろん、内装でさえも。
 あの時代でも、人類が暮らす世界だったら、自由に変更出来たのに。同じ高層ビルにあっても、個人の好みで内装も間取りも変えられたのに。
 けれど、シャングリラでは不可能だった。自給自足で生きてゆく船では、個人の自由にならないことも多かったから。これが最適な構造なのだ、と決められた部屋は変えられない。
 個人で変更出来た範囲は、家具とそれを置く場所くらい。他は全く同じ部屋。
「…シャングリラ、なんだか寂しい船だね…」
 どの部屋も、まるで同じだなんて。…住んでいる人が違うだけなんて…。
 ポストを家の顔にしたくても、どの部屋も同じじゃ無理だよね。同じ部屋しか無いんだから。
「そうだな…。同じ部屋がズラリと並んでたんだし、病院みたいな感じだが…」
 考えようによってはホテルにもなる。そっちならそれほど寂しくないぞ。
「ホテル?」
「うむ。似たような部屋が並ぶだろうが、ホテルってトコも」
 豪華ホテルだと、そうでもないがな。…全部の部屋が違う内装になっていたりして。
 しかし、一般的なヤツなら、同じフロアならどの部屋も似たり寄ったりだ。…そうだろう?
 それにシャングリラには、スイートルームもあったわけだし…。其処もホテルと同じだな。
「スイートルームって?」
 あったっけ、そんな立派な部屋が?
 キャプテンの部屋とか、長老の部屋なら大きかったけど…。あれのことなの?
「そんなケチくさいヤツじゃなくって、もうとびきりのスイートルームだ」
 お前やフィシスの部屋だな、うん。…普通の仲間の部屋だったら、幾つ入ることやら…。
「あの部屋、そういう扱いになるの?」
「当然だろうが、特大だぞ?」
 青の間にしても、天体の間にしても、とてつもない広さを誇ってたわけで…。
 あれがスイートルームでなければ、なんだっていう話になるぞ。…ホテルならな。
「…スイートルーム…」
 うんと高くて豪華な部屋のことだよね、それ?
 立派なホテルとか豪華客船にあって、他の部屋とは桁違いの広さと設備がある部屋で…。



 青の間はスイートルームだったのだ、と聞かされた途端に、こけおどしだった無駄に広い部屋が立派な部屋に思えて来た。まるでフィシスの部屋のように。
 ハーレイが言うスイートルームは、フィシスの部屋の方でも同じ。天体の間の奥にあった部屋。
 天体の間は皆が集まるホールを兼ねていたのだけれども、普段は基本的には無人。其処を自由に使っていたのがフィシスで、フィシスの居間のようなもの。
 フィシスの部屋に住みたかった女性は、きっと大勢いただろう。天体の間に置かれたテーブルと椅子でお茶を楽しんだり、広い部屋をゆったり散歩してみたり。
(フィシスみたいなドレスは無くても、うんと贅沢な気分だよね…?)
 同じお茶でも、居住区の部屋で飲むより断然いい。お姫様になった気分になれる部屋。
 フィシスの部屋が女性の憧れだったら、青の間で暮らしたかった男性も多かっただろうか…?
 そちらもスイートルームなのだし、とハーレイに尋ねてみたのだけれど。
「えっとね…。前のぼくの部屋、欲しかった仲間が大勢いたかな?」
 青の間で暮らせたら素敵だよね、って思っていた男の人たち、多かったのかな…?
「お前の部屋か…。誰もいなかったんじゃないのか?」
 一度も調べてみたことは無いが、そんな仲間はいないと思うぞ。
「いないって…。青の間、スイートルームなんだよ?」
 フィシスの天体の間と同じなんだし、シャングリラの中のスイートルーム。うんと広くて。
 青の間はどうか知らないけれども、フィシスの部屋には、憧れてた女の人、多い筈だよ。
 あそこを一人で好きに使えて、お茶だってゆっくり飲めるんだから…!
「そっちは大勢いただろう。調べなくても想像がつく」
 だがな、青の間だと多分ゼロだな。…暮らしたがるヤツは誰もいなかったと思うんだが…?
「青の間の何処がいけないの?」
 フィシスの部屋と同じで広いよ、明るくないのが嫌われるのかな…?
「違うな、責任つきって所だ」
「責任…?」
 なんなの、それ…。責任つきって、どういうこと?
「その通りの意味だ。…青の間は誰の部屋なんだ?」
 あそこに住んだら、ソルジャーなんだぞ。シャングリラを守ってゆかなきゃならん。
 フィシスの方なら、ちょっとくらい夢も見られるが…。ソルジャーはなあ…。



 憧れるどころの騒ぎじゃないぞ、とハーレイは重々しく瞬きをした。
 フィシスならばミュウの女神というだけ、未来が読めれば充分な存在とも言える。そういう力を持っていたなら、誰でもなれそうな女神がフィシス。天体の間で暮らせる女性。
 タロットカードで未来を読み取り、それを告げれば良かったフィシス。告げた未来にフィシスは何の責任も無い。嵐が来ようが、災いだろうが、それを避けるのはフィシスの仕事ではない。
 だから誰でも夢を見られる。フィシスのように暮らせたら、と。
 けれど、ソルジャーはそうではない、と語るハーレイ。白いシャングリラを、仲間たちの未来を守ってゆくのがソルジャーの役目。青の間に住むなら、その仕事までがついて来る。
 居住区の部屋で暮らしていたなら、守って貰う方だったのに、ガラリと変わってしまう生活。
 守られる者から、守る者へと。
 導かれる立場から、導く者へと。
 ソルジャーはそういう存在だから。青の間を居室にするのだったら、ソルジャーとして生きねばならないから。



 そうだろうが、と真っ直ぐに見詰めるハーレイ。「違うのか?」と。
「責任ってヤツが重すぎるってな、ソルジャーの方は」
 フィシスだったら、責任はうんと軽いんだがなあ…。未来さえ読めりゃいいんだから。
 だがソルジャーだと、そうはいかない。未来さえ変えていかなきゃならん。…前のお前がやったみたいに、自分を犠牲にすることになっても。
 お前がメギドに行っちまう前から、誰だって承知していただろうさ。ソルジャーが背負っている責任ってヤツも、それがどれほど重いものかも。
 青の間に住めば、もれなくそれがついてくる。…誰も住みたがらないな、そんな部屋には。
 どんなに広くて立派だろうが、住み心地が良さそうに見えていようが。
「…青の間、スイートルームなのに…」
 嫌われちゃうわけ、少しも人気が無いってわけ…?
 フィシスの部屋なら住みたい人が大勢いるのに、青の間はゼロになっちゃうだなんて…。
「当たり前だろうが。ウッカリ其処に入ったが最後、とんでもない責任を背負うんだから」
 値段が高すぎて泊まれないような、豪華ホテルのスイートルームの方がまだマシだ。
 そっちだったら、コツコツ貯めれば泊まれる日だって来るからな。泊まる値打ちも充分にある。
 責任つきの青の間よりかは、誰だってそっちを選ぶだろうさ。
「そういうものなの?」
 青の間だって、スイートルームみたいなものなのに…。他の部屋とは違うのに。
「個性の無い居住区の部屋にいたなら、守って貰える立場だからな」
 間取りや内装を変えられなくても、住めば都というヤツだ。ミュウの楽園には違いない。其処に住んでりゃ、人類の手から一応は逃れられるんだから。
 せっかく気楽な部屋があるのに、責任つきの部屋に移りたいか?
 それも船全体を守る立場のソルジャーなんかを、やりたいヤツはいないだろうな。
 というわけでだ、青の間という名前のスイートルームは、誰一人、希望しないってな。
 フィシスの部屋なら大人気でも、青の間の方は予約どころか問い合わせも来ない状態だろうさ。
「うーん…」
 問い合わせる人もゼロってわけなの、青の間だと…?
 予約したい人だって誰もいなくて、泊まりたい人は一人もいないんだ…?



 なんとも酷い、と頭を抱えたくなった青の間。喜ばれないらしいスイートルーム。無駄に広くて立派だった部屋は、本当に役立たずで誰も欲しがらなかった部屋。
 スイートルームでもその有様か、と溜息を零していたのだけれど。
「…お前の部屋はスイートルームだったが…。とびきり上等の部屋だったんだが…」
 他の部屋にも個性はあったぞ。…青の間ほどではなかったがな。
「個性って…。何処に?」
「部屋の顔だな、家の顔とも言えるかもしれん」
 どの部屋にもあった郵便受けだ。…そういう名前じゃなかったんだが。
「無いって言っていたじゃない!」
 ただの部屋だって言ったの、ハーレイだよ?
 何処も同じで、郵便受けだって全部おんなじ。部屋の顔も何も、あるわけがないよ…!
「それがだ、少しはあったってな。…誰の部屋にも」
 中には全くこだわらないヤツもいたが、そうでなければ、ささやかな工夫はあったんだ。
 同じような扉が並ぶわけだし、此処が自分の部屋なんだ、という主張だな。
 郵便受けの所に、ネームプレートをつけているヤツが多かった。…番号の他に。
 ネームプレートをつけるって所で、まずは個性の表れだろうが。
 そのプレートの文字の書き方、それに凝ってるヤツもいた。こだわりのサインをしてみるとか。
 他にも色々、自分ならではの工夫だな。
 ちょっとした飾りをくっつけてみたり、絵をあしらったり、出来る範囲で。



 覚えていないか、と尋ねられたら、ぼんやりと浮かんで来た記憶。
 白いシャングリラの居住区の部屋と、扉の横のネームプレート。書かれた名前を確認する前に、住人が分かる部屋が幾つもあった。プレートの色とか、添えられた飾りやイラストなどで。
 女性だけではなくて、男性でも。舵輪の飾りをあしらった者や、他にも様々。
「…あったね、色々なネームプレートが…」
 シャングリラでも、ポストは家の顔だったわけ?
 家じゃなくって部屋だったけれど、それでも其処に住んでる仲間の顔だったんだ…?
「そうなるな。お前の部屋には、肝心のポストが無かったんだが…」
 住んでいます、っていうネームプレートにこだわりたくても、ポストが無いと…。
 残念だったな、前のお前は。…部屋はあっても、家の顔を貰い損なったんだな。
「そうだよ、おまけに喜ばれないスイートルームだったよ!」
 うんと広い部屋なんかを押し付けられてて、それなのにポストは無しなんだよ…!
「気持ちは分かるが、そう怒るな」
 今度は俺と同じポストを持てるだろうが。
 まだまだ先だが、俺と一緒に暮らす時には、俺たちの家の顔のポストなんだぞ?
 俺とお前の名前を書いてだ、家の前にそいつを取り付けるわけで…。
「本当だ…!」
 ハーレイとぼくの顔になるんだね、家の顔のポスト。
 今のポストから、二人用のポストに変えちゃっていいの?
「もちろんだ。こういう話にならなくてもだ、お前の好みを訊かんとなあ…」
 どういうポストを選びたいのか、まずは其処から考えないと…。
 個性溢れるポストがいいとか、地味でもいいから使い勝手のいいのだとかな。



 俺たちの家に相応しいポストにしようじゃないか、とハーレイがパチンと瞑った片目。
 「前のお前は、ポストを持ってなかったしな?」と。
 せっかく言って貰えたのだし、いつかハーレイと結婚する時は、ポストも二人で選んでみよう。
 どんなポストが売られているのか、それを調べて、あれこれ探して。
 今日の帰りに見掛けた家のポストみたいに、イメージがガラリと変わってもいい。
 ハーレイと二人で暮らし始めたら、ハーレイらしい顔をしている今のポストから、二人の顔に。
 ポストは家の顔だから。
 ハーレイと自分の顔になるのが、二人で暮らす家の前にあるポストなのだから…。




           家とポストと・了


※シャングリラには無かった、郵便ポスト。家の顔ですけど、工夫した人もいた郵便受け。
 船の中でも、個性が出ていたネームプレート。今度は、ブルーも郵便ポストを持てるのです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
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