シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
前の生の記憶
(ソルジャー・ブルー…)
ジョミーにキース、とブルーが眺めた新聞広告。学校から帰って、おやつの時間に。
それぞれの写真もついているけれど、広告に載っているのは本。写真集ではなくて、子供向けに書かれた偉人伝。「こういう立派な人たちでした」という中身。
子供向けでは定番の本で、そういえば…。
(ぼくも持ってた…)
確かに読んだ、と覚えている。今よりもずっと小さかった頃に。
人類側のキースはともかく、ソルジャー・ブルーとジョミーの分は間違いなく読んだ。どちらも買って貰ったから。何処の家でも、一冊くらいは買うものだけれど…。
(…ぼくは名前がソルジャー・ブルー…)
ソルジャー・ブルーと同じアルビノだから、と両親が「ブルー」と名付けた子供。そのお蔭で、文字が読めるようになったら、プレゼントされたのがソルジャー・ブルーの伝記。子供向けの。
(ブルーの名前は、この人から貰ったんだから、って…)
読み終わったら、ジョミーの分も買って貰えた。ソルジャー・ブルーの跡を継いだソルジャー、SD体制を倒した英雄。「こっちも読んでおかないと」と。
(だけど、キースのは…)
どうだったのか覚えていない。買って貰ったのか、そうでないのかも。
自分で強請った記憶が無いから、恐らく持っていないのだろう。SD体制崩壊の歴史だったら、ジョミーの分で分かるから。…大まかなことは。
(後は学校で教わるし…)
きっとキースの偉人伝まで強請ってはいない。欲しい本なら、他にも沢山あったのだから。
(キースには、とても悪いんだけど…)
このシリーズを読んだとしたって、学校の図書室で借りた本だと思う。一回読んだだけで満足、家にも一冊持っていたいと思いもしないで、それっきり。
父に強請って買って貰うなら、もっとワクワクする本がいい。偉人伝よりも。
多分、キースのは無いだろう本。ソルジャー・ブルーとジョミーの分だけ。
けれど家には確実にあるし、この広告とそっくりな本。表紙も、それに大きさとかも。
(あの本、何処に入れたっけ?)
文字は幼稚園の頃から読めたけれども、よく考えたら、下の学校に入ってから直ぐに読んだ本。両親はきっと、プレゼントする時期も考えてくれていたのだろう。
(幼稚園だと、歴史は習わないもんね?)
いくら「ブルー」という名前の由来にしたって、幼稚園児には難しいかもしれない。書いてあることの意味や、出来事なんかが。
(学校に上がって、直ぐに貰って…)
ソルジャー・ブルーのを読んで、お次はジョミー。ちゃんと本棚にあった筈。小さい頃の本も、お気に入りなら、今も本棚にあるけれど。たまに読んだりもするのだけれど…。
(他の本だと…)
仕舞ってある場所は物置の筈。整理用の箱に入っているのか、あるいは棚か。父の書斎に置いてあることはないだろう。なにしろ子供の本なのだから。
(…ソルジャー・ブルー…)
俄かに読んでみたくなってきた本。子供向けのソルジャー・ブルーの伝記。この本の中で、前の自分はどう書かれたのか。いったいどういう人だったのか。
(歴史の授業で教わるのとは、ちょっと違うよね?)
その人物の生涯を描き出すのが伝記だから。…歴史上の出来事だけを切り取って教える、学校の授業とは切り口がまるで違う筈。しかも伝記の方は読み物。
(…前のぼくの伝記…)
子供向けでも、ちょっぴり読みたい。前の自分がどう描かれたか、知りたい気分。読むのなら、これが丁度良さそう。わざわざ大人向けのを買うより、手軽に読めるだろうから。
読んでみたいな、と思った伝記。子供向けの偉人伝の定番、ソルジャー・ブルーを描いた一冊。前の自分が生きた人生、それが書かれている筈の本。
(でも、物置…)
あそこにあるなら、自分では捜せないように思う。棚ならまだしも、箱の中では手も足も出ない場所が物置。整理して箱に入れたのは母で、そういう箱が幾つも置いてあるのだから。
読みたいけれども、見付け出せそうにない偉人伝。どうしようか、と考え込んでいたら、開いた扉。あの本を片付けただろう母がダイニングに入って来たから、訊いてみた。
「ママ、ぼくの本って、何処にあるの?」
「本?」
部屋にあるでしょ、と当然のように返った答え。「何か見当たらない本でもあるの?」と。
「ぼくが小さかった頃の本だよ。…部屋に無い分」
大好きだった本は今も持っているけど、そうじゃない本の置き場所は何処?
「そういう本なら、物置ね」
ママが仕舞っておいたから、と微笑む母。「一冊も捨てていないわよ」とも。
「やっぱり物置だったんだ…。物置の本、ぼくでも捜せる?」
棚にあるのは見れば分かるけど、箱に仕舞ってある方の本。…何か目印が書いてあるとか。
「捜すって…。何を捜すの?」
絵本だったら、纏めて入れてあるけれど…。箱にも「絵本」と書いたんだけど…。
他の本の箱はどれも「本」だわ、と母が言うから、目印は期待出来そうにない。
「…ソルジャー・ブルーの本…。小さい頃に買ってくれたでしょ?」
この広告に載ってる本。ちょっと読みたくなっちゃって…。
「ああ、それね」
買ってあげたわね、「ブルーの名前はこの人からよ」って。読み終わったらジョミーの分も。
読みたいのなら少し待ってなさいな、と出て行った母は直ぐに戻って来た。「はい」と、頼んだ本を手にして。
「早いね、ママ…」
凄い、とテーブルに置かれた本を眺めた。広告の写真よりも少し古びている本。けれど、表紙は全く同じ。広告そのまま、ソルジャー・ブルーの偉人伝。
「早い理由は簡単よ。…物置には行っていないから」
「えっ?」
なんで、とキョトンと見開いた瞳。母は物置だと言ったのに。…小さい頃の本の置き場は。
「この本はママが読んでたの。ブルーが学校に行ってる間に」
ブルーと同じね、この広告を見付けたから…。
これを読んでた小さなブルーが、今は本物のソルジャー・ブルー。とても不思議な気分でしょ?
なんだか読みたくなっちゃったの、ママも。…あれはどういう本だったかしら、って。
それで捜しに行ったのよ、という母の種明かし。アッと言う間に本が出て来た理由。母は物置で本を見付けて、自分の部屋に置いていたらしい。
「ママ、もう読んだの?」
それとも夜に読むつもりだったの、ママの部屋に置いてあったんなら…?
「全部読んだわ、子供向けだもの。直ぐに読めるわ、ブルーでもね」
懐かしいから、ママの部屋に持って行っただけ。読むなら、部屋に持って帰るといいわ。
「ありがとう、ママ!」
読みたかったんだよ、物置で捜し出せるなら。こんなに早く出て来るだなんて…。
ママが捜していてくれたなんて。
捜してくれてありがとう、と自分の部屋に持って帰った本。おやつを食べ終えた後で。
さて、と勉強机の前に座って、懐かしい本を広げたけれど。子供向けにと大きめの活字、それが並んだページをめくり始めたけれど…。
(えーっと…?)
生き地獄だったアルタミラ時代は、「大変な苦労」と書かれているだけ。狭い檻のことも、酷い人体実験のことも、まるで触れられてはいない本。子供が怖がるからだろうか?
アルタミラからの脱出にしても、ほんの一瞬。「宇宙船を奪って逃げました」とだけ、ハンスのことは書かれていなかった。開いたままだった乗降口から、外へと放り出されたハンス。
(…大人向けの本なら、きっと書いてあるよね?)
脱出の時に死んでしまったハンスの悲劇は、歴史の授業でも教わるから。ミュウの歴史で最初の事故。それまでのミュウは、ただ「殺されていた」だけだったから。
けれど、書かれていない事故。ハンスの名前。…子供向けの本だものね、と思ったけれど。
(もうハーレイがキャプテンなの?)
ハーレイが厨房に立っていた頃も、厨房出身のキャプテンだったことも、本には無かった。白い鯨も直ぐに出来上がって、舞台はアルテメシアに移る。長く潜んだ雲海の星へ。
アルテメシアに着いたら、ミュウの子供たちを何人も救出する日々。やがてジョミーを迎えて、宇宙へ。長かった歳月が本になったら、拍子抜けするほど短くなった。
(フィシスのことも、ほんの少しだけ…)
ミュウの女神を連れて来ました、と書いてあるだけの本。フィシスの生まれについては抜きで。
考えてみれば、フィシスの正体はハーレイだけが知っていたこと。あの頃の船では。
そのハーレイは航宙日誌にも記さなかったし、フィシスの正体は後の時代に明かされただけ。
(ハーレイが本当のことを知っていたのは…)
どうやら知られていないらしい。子供向けの偉人伝ではもちろん、大人向けの歴史の世界でも。
前の自分が生きた時代に、そのことは知らせていないから。前の自分は何も残さなかったから。
それでは誰も知りようがないし、今でも誰も知らないまま。…ハーレイだけに教えた秘密。
フィシスだけでも秘密が一つ、と考えながら読んでいった本。ソルジャー・ブルーの偉人伝。
前の自分がどう生きたのかは、この本に書かれている筈だけれど…。
(なんだか一杯、欠けちゃってる…)
最後のページまで、読み終えた後に思ったこと。メギドを沈めてソルジャー・ブルーは死んだ。自分の命と、ミュウの未来を引き換えにして。「とても立派な最期でした」と結ばれた本。
(…立派なのかもしれないけれど…)
大切なことが抜け落ちていた。ハーレイとの恋も、そのせいでメギドで泣いていたことも。
子供向けの本なら、恋は余計なことだろうけれど、大人向けの本にも書かれてはいない。本当の自分が生きた記録は、どう生きてどう死んでいったのかは。
(…ぼくは、本当のことを知っているのに…)
何も話しはしないまま。ソルジャー・ブルーの生涯については、何一つとして。
それにハーレイも沈黙を守り続けている。キャプテン・ハーレイの記憶を持っているのに。
二人揃って、前の自分たちの膨大な記憶を隠したまま。…明かす予定さえもまるで無いまま。
けれど…。
(…いつかは話さなくっちゃいけない?)
ハーレイとの恋のことはともかく、歴史の真実。前の自分たちが見て来たこと。生きて、自分で作った歴史。アルタミラからの脱出はもちろん、シャングリラで旅した宇宙のことも。
どれを取っても、学者たちがとても知りたいこと。キャプテン・ハーレイの航宙日誌だけでは、明らかにならない様々な事実。
いつかは話すべきなのだろうか、本当のことを知っているなら。記憶を持ったままで今に生まれ変わって、こうして生きているのなら。
新しい命と身体だけれども、言わば歴史の生き証人。自分も、それにハーレイも。
学者たちがどんな質問をしても、本当の答えを返せる人間。「こうなのでは?」と仮説を唱える代わりに、真実を答えられる人間。どうしてそういう答えになるのか、その理由までも。
今の自分の頭の中身。ソルジャー・ブルーとして生きた時代の記憶。歴史だけでなくて、様々な分野の学者たちが知りたいだろう真実。アルタミラも、それにシャングリラのことも。
それらを話すべきなのだろうか、知りたがっている人々に。今も研究し続けている学者たちに。
(どうなんだろう…?)
考えてみても、そう簡単には出せない答え。どうすればいいのか、悩むくらいに大きな秘密。
同じ秘密を抱えた恋人、ハーレイに尋ねてみたいけれども…。
(もうこんな時間…)
夢中で本を読んでいた間に過ぎてしまった、いつもハーレイが来る時間。仕事帰りに訪ねて来てくれる時は、とうにチャイムが鳴っている。鳴らなかったということは…。
今日は来てくれないハーレイ。まだ学校に残っているのか、「今日は遅いから」と寄らずに家へ帰ったか。「遅くなったら、お母さんに迷惑かけるだろうが」が口癖だから。
(でも、明日は…)
土曜日だから、ハーレイは家に来てくれる。午前中から、此処で二人で過ごすために。
その時に訊いてみればいいや、と机の上の本を眺めた。この本が机に置いてあったら忘れない。
(…ソルジャー・ブルーの本だしね?)
何をハーレイに訊こうとしたのか、明日になっても忘れはしない。夕食を食べても、ゆっくりとお風呂に入っても。一晩ぐっすり眠ったとしても。
(ちゃんとハーレイに訊かなくちゃ…)
前の自分の記憶のこと。それを持っていることを明かすか、秘密のままにしておくか。
「ハーレイはどうすればいいと思う?」と。
自分だけでは答えが出ないし、それに自分が明かす時には、ハーレイも一緒だろうから。
ハーレイがいない夕食の後で入ったお風呂。パジャマに着替えて、もう寝るだけの時間。
窓の外はすっかり夜だけれども、勉強机の上の本を手に取った。ソルジャー・ブルーの偉人伝。気まぐれにめくってみたページ。何ヶ所か開いて少し読んでは、考え込んでしまうこと。
(やっぱり、大切な記憶なの…?)
今の自分とハーレイが持っている記憶。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、ミュウの歴史を語る上では欠かせない二人。それが自分とハーレイの前世、今も忘れていない生き様。
(いろんなことを忘れちゃってたり、思い出したりするけれど…)
重要なことは忘れていないし、忘れていたって直ぐに思い出せる。ソルジャーとしての生き方はもちろん、その生涯の中の出来事だって。他の仲間たちがしていたことも。
今の自分の頭の中身は、大勢の人が知りたいこと。真実を探し求めていること。
子供向けに書かれた伝記でなくても、謎のままで欠けた部分が多いソルジャー・ブルーの生涯。その空白を埋められるのは、今の自分の記憶だけ。
(ぼくが話せば、沢山の謎が解けるんだから…)
とても大切で重要な記憶、それを抱えているのが自分。きちんと話して謎を解くべきか、黙っていてもいいものなのか。
その答えすらも分からない上に、自分自身がどうしたいのかも…。
(分かんないよ…)
パタンと閉じて、机に戻した本。子供向けのソルジャー・ブルーの伝記。この本を買って貰った時には、自分でも気付いていなかった。本の中身が自分自身の生涯だとは。
記憶が戻った今になっても、ソルジャー・ブルーは偉大な英雄。宇宙の誰もがそういう認識。
(…今のぼくとは違いすぎるよ…)
だから余計に分からないよ、とベッドに入っても出せない答え。部屋の灯りを消したって。
今の自分が持っている記憶、前の自分はソルジャー・ブルーだったこと。
それを自分は明かしたいのか、隠したいのかも分からない。そんな単純なことさえも。
自分がどういう気持ちでいるのか、自分の意志はどうなのかも。
分からないや、と思う間に眠ってしまって、目覚めたらもう土曜日の朝。明るい日射しが部屋に射し込み、勉強机の上にあの本。それを見るなり、思い出したこと。
(ハーレイに訊いてみなくっちゃ…)
前の自分が誰だったのかを、ソルジャー・ブルーの記憶を明かすか、明かさないままか。
きっとハーレイなら答えてくれる、と考えたから、恋人が来るなり見せた本。窓辺のテーブルで向かい合わせで座るのだけれど、そのテーブルの上に運んで来て。
「あのね、これ…」
ママが物置から出してくれたんだよ、と置いたソルジャー・ブルーの本。小さかった頃に買って貰った偉人伝。昨日も読んでいたけれど。
ハーレイは「ほう…?」と少し古びた本を眺めて、それから視線をこちらに向けた。
「いったい何を持って来たかと思ったら…。なんだ、お前の伝記ってヤツか」
もっとも、前のお前のだが…。今のお前じゃ、伝記にはまだ早すぎるしな。
こんなチビでは、とハーレイが目を細めるから。
「ハーレイも読んだ? これと同じ本」
シリーズで色々あるみたいだけど、ソルジャー・ブルーのことが書いてある本。
「もちろん読んだぞ、ガキの頃にな」
子供向けの伝記の定番だろうが、とハーレイも読んでいた偉人伝。ソルジャー・ブルーの生涯が書かれた、小さな子供向けの本。
「それじゃ、ハーレイ、大人向けのも読んでみた?」
歴史好きの大人の人が読む本、沢山出ている筈だから…。そういうソルジャー・ブルーの伝記。
読んでみたの、と尋ねたけれども、「いや…」と言葉を濁したハーレイ。
「教師だったら、読むべきなのかもしれないが…。俺は歴史の教師じゃないし…」
特に興味も無かったからなあ、ソルジャー・ブルー個人には。
わざわざ本まで買って読むほど、惹かれてたわけじゃなかったってな。記憶が戻って来る前は。
そして記憶が戻っちまったら、本物のお前がいるわけだから…。
本は読まなくてもかまわんだろうが、それよりもお前の御機嫌を取ってやらないと。
本の世界よりも現実の方が大切だ、と鳶色の瞳に見詰められた。「そうじゃないのか?」と。
「お前は此処に生きてるんだし、前のお前も一緒だろうが」
すっかり小さくなっちまったが、お前は俺のブルーだから…。前のお前と同じ魂。
前のお前の本は要らんな、本物を手に入れちまったら。
「そうなっちゃうの? …前のぼくの伝記、ハーレイも子供向けしか読んでいないんだ…」
でも、この本も…。大人向けに書かれた伝記の方でも、中身、色々、欠けちゃってるよね。
ぼくも大人向けの伝記は読んでないけど、想像はつくよ。
前のぼくの伝記、幾つあっても、本当のことばかりじゃないって。
後の時代に想像で書かれたことが多くて、穴だらけ。…ソルジャーっていう名前だけでも。
「まあなあ…。今の時代も諸説あるしな」
名付けた人間の名前にしたって、一つってわけじゃないようだから…。
まさか投票で決めていたとは、どんな学者も知らんだろう。候補が幾つあったのかも。
前の俺は航宙日誌に書いていないし、トォニィどころか、ジョミーも知らないままだったから。
ソルジャーっていうのが何処から来たのか、由来はいったい何だったのかも。
あの時代に生きた俺たちから見りゃ、お前の伝記は穴ばかりってことになるんだろうが…。
それがどうかしたか?
至極当然の結果だと思うが、記録が残っていないんだから。…前の俺も残さなかったしな。
欠けた伝記でも不思議じゃないぞ、とハーレイは納得している様子。今という時代にも、沢山の穴だらけになったソルジャー・ブルーの伝記にも。
「えっと…。ハーレイが言う通り、当然なのかもしれないけれど…」
でもね、ぼくは答えを知ってるんだよ。穴だらけの伝記をきちんと直せる答えをね。
ハーレイもそうでしょ、前のぼくのことを誰よりも知っていたのは前のハーレイだから。
それでね、思ったんだけど…。
いつかは話すべきなのだろうか、と投げ掛けた問い。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、自分たち二人の頭の中身。前の生の記憶。
きっと重要な記憶だろうし、学者たちだって探し続けている筈。遠く遥かな時の彼方で、本当は何があったのか。どういう具合に時が流れて、ミュウの時代に繋がったのか。
「…今のぼくが知っている答え…。きちんと話した方がいいと思う?」
ぼくが話したら、ハーレイも話さなきゃいけないことになるけれど…。
前のハーレイが持ってた記憶も、今のハーレイが前はキャプテン・ハーレイだったことも。
ぼくの記憶が戻った切っ掛け、ハーレイに会ったことなんだから。
「…俺はともかく、お前自身はどうなんだ?」
お前の気持ちというヤツだな。そいつを抜きにして考えたって、答えは出ないぞ。
前は怖いとか言ってたが…。前のお前がやらかしたことの、責任がどうとか言ってたっけな。
お前がソルジャー・ブルーだということになれば、魂は同じなんだから…。
ソルジャー・ブルーとして下した判断、それが今では間違いだったらどうしよう、と。
前のお前が良かれと思って選んだ道がだ、結果的には失敗だったってことも有り得るからな。
歴史の研究が進んでいる分、そう考えるヤツがゼロとは言えない。全てが終わった後の時代は、何とでも言えるわけだから。結果を知っているんだからなあ、解決策も見えてくるってモンだ。
そういったことを突き付けられても、今のお前じゃ困るしかない。
ついでに、ソルジャー・ブルーだった頃ほど強くないから、責任はとても背負えそうにない、と言っていたのがお前なんだが…?
覚えていないか、と逆に訊かれて蘇った記憶。…今のハーレイとそういう話をした、と。
「それ、忘れてた…。前のぼくだった時の責任のこと…」
ぼくは誰かを話すんだったら、前のぼくのことを重ねられちゃうから…。
前のぼくがやったことの責任、取らなくちゃ駄目?
今だと間違いになっちゃってること、謝らなくっちゃいけないだとか…。
それはホントに困るんだけど、と瞬かせた瞳。
ソルジャー・ブルーだった頃に下した判断、その誤りを指摘されても、どうしようもない。時の彼方に戻れはしないし、「ごめんなさい」と詫びることしか出来ない。
前の自分が間違ったせいで、酷い目に遭った仲間たちに。…今はもういない人たちに。
そうなったならば、チビの自分は泣いてしまうし、前と同じに育っていても泣くのだろう。前の自分ほど強くないから、弱虫になってしまったから。
「…前のぼくの間違い、叱られたら、ぼく、泣いちゃうよ…」
謝る間も涙がポロポロ零れてしまって、きっと泣き声。言葉だってちゃんと出て来ないかも…。
責任なんて取れやしないよ、前のぼくが迷惑をかけた仲間は、もういないのに…。
どうすればいいの、とハーレイを見詰めた。「前のぼくの責任、取らなきゃいけない?」と。
「時効だろうと思うがな? とうの昔に」
仮に前のお前が失敗してても、その失敗から何年経ったと思ってるんだ。
死の星だった地球が青く蘇って、俺たちは其処で暮らしてるんだぞ?
とんでもない時が流れたわけだし、時効だ、時効。…誰もお前を責めやしないさ。
何か失敗してたとしても、と頼もしい保証をして貰ったから、ホッとした。前の自分だった頃の判断ミスやら、責任は問われないらしい。
「時効なんだ…。誰にも叱られないんだね、ぼく」
それなら、話した方がいい?
前のぼくの記憶を持っていること。…前のぼくはソルジャー・ブルーだったこと。
きっと大勢の人の役に立つよね、ぼくの記憶があったなら。
「どうだかなあ…。喜ばれるのは間違いないとは思うんだが…」
話しちまったら、お前は今のお前じゃいられなくなるぞ。チビでも、育った後のお前でも。
「…え?」
どういう意味、と丸くなった目。今の自分ではいられないとは、いったい何のことだろう…?
「そのままの意味だ。誰もがお前に、前のお前を重ねるからな」
今のお前であるよりも前に、ソルジャー・ブルーになるってことだ。…前のお前に。
お前自身がどう思っていても、先に立つのはソルジャー・ブルー。
俺も同じになっちまうんだがな、今の俺よりもキャプテン・ハーレイが注目を浴びて。
お互い、インタビューだけではとても済まないだろう、とハーレイはフウと溜息をついた。
実はこういう人間なのだ、と明かしたならば、最初の間はインタビュー。
大勢の新聞記者や学者がドッと押し寄せ、質問攻め。「本当ですか?」と、次から次へと。
前は本当にソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、そういう二人だったのか、と。
本物かどうか、確認が取れるまでの間は、取材とインタビューの日々。
けれど、本物だと分かったならば…。
「俺もお前も、ありとあらゆる所に引っ張り出されるぞ」
派手に取材を受けてた間は、ただ質問に答えるだけで良かったが…。
本物と決まれば、もっと色々なことを話さなければならないだろうな。前のお前や俺として。
研究会やら、講演会やら、沢山の場所が俺たちに用意されるんだろうさ。
ソルジャー・ブルーとしての話や、キャプテン・ハーレイならではの話を期待されて。
話し終わったら、次は質問が飛んで来る。俺やお前の意見を求めて、「どう思いますか?」と。
質問して来たヤツの考え、そいつを聞いては答える羽目に陥るってな。
しかもだ、今の俺やお前の考えじゃなくて、前の俺たちの考え方をしなきゃならんから…。
そいつは如何にも大変そうだ、とハーレイが軽く広げた両手。「疲れちまうぞ」と大袈裟に。
「講演会って…。ぼくが喋るの?」
誰かの講演を聞くんじゃなくって、ぼくが講演するってわけ?
ソルジャー・ブルーだった頃はこういう時代でした、ってマイクの前で…?
おまけに人が大勢だよね、と気が遠くなってしまいそう。今の学校の講堂でさえも、前に立って話すことになったら、足が竦んでしまうだろうに。
「そうなるだろうな、ソルジャー・ブルーなんだから」
キャプテン・ハーレイの俺もだろうが、喋らされることは間違いあるまい。
どういう話を聞けるだろうか、と押し掛けて来ている連中の前で。
式典だって出なきゃいけなくなるかもなあ…。記念墓地とかでやっているヤツ。
SD体制崩壊の記念日とかには、出掛けて行ってスピーチだとか、と凄い話が飛び出した。
前の自分や、ジョミーたちの墓碑がある記念墓地。ノアとアルテメシアのものが有名だけれど、他の星にも記念墓地はある。其処で行われている式典。記念日や、他にも様々な折に。
宇宙のあちこちから、式典のために集まる人々。其処でスピーチをするとなったら、講演会より多い聴衆。中継だって入るのだろうし、新聞記者たちも押し掛ける筈。
「…式典に出掛けてスピーチって…。其処までしなくちゃ駄目なわけ?」
なんだか責任重大そうだし、凄く緊張しそうなんだけど…!
とても声なんか出そうにないけど、それでもスピーチさせられちゃうの…?
ぼくが、と自分の顔を指差したけれど、ハーレイは「うむ」と重々しく頷いた。
「当然だろうが、ミュウの時代を作った大英雄が現れたんだぞ」
ソルジャー・ブルーがスピーチしたなら、式典の値打ちがグンと上がると思わんか?
きっとお前は引っ張りだこだな、キャプテン・ハーレイよりも人気で講演会も山ほどだ。
でもって、俺とは恋人同士で、結婚してるということになると…。
どうなると思う、という質問。「俺は、こいつが世間の注目の的だと思うがな?」と。
「そうだ、結婚…。それも訊かれてしまうんだっけ…!」
ハーレイと結婚しているんだから、前のぼくたちのことも訊かれるよね?
ソルジャー・ブルーだった頃にも、恋人同士だったんですか、っていう風に…。
「前の俺たちがどうだったのかは、もう確実に訊かれるな」
恋人同士の二人だったか、前はそうではなかったのか。…今は恋人同士でもな。
出会いが違えば、関係も変わってくるモンだから…。前は違った可能性だって高いんだ。
前の俺たちは親友だったが、今度は恋に落ちちまった、という展開。
それでも別に不思議じゃないが、だ…。そうだと言ったら、みんな納得するんだろうが…。
お前、そいつにどう答えたい?
「どうって…?」
「前も恋人同士だったと胸を張りたいか、「違う」と答えて隠したいのか」
答えたい言葉はどっちなんだ、と訊いている。…今のお前の気持ちってヤツを。
「…どっちだろう…?」
前のぼくたちのことだよね…。それを隠すか、話しちゃうのか…。
どちらだろう、と考え込んだ。直ぐには答えられないから。
(…前のハーレイと、前のぼくの恋…)
お互い、恋をしていたけれども、誰にも明かせなかった恋。
ソルジャーとキャプテン、そういう二人が恋に落ちたと知れてしまったら、白いシャングリラを導くことは出来ないから。…皆がついて来てくれないから。
だから懸命に隠し続けて、恋はそのまま宇宙に消えた。前の自分の命がメギドで潰えた時に。
今の時代なら明かしていいのだけれども、前の自分たちが最後まで隠し通した恋。
誰にも知られず、前のハーレイも航宙日誌に何も記しはしなかった。
その想いを無駄にしてしまう。
今、真実を語ったならば、前の自分たちの努力を踏み躙ることになる。最後まで隠して、黙って死んでいったのに。…前のハーレイも、前の自分も。
そうは思っても、知って欲しいという気もする。
二人して隠して守った恋。遠く遥かな時の彼方で、最後まで守り続けた恋。
実はそういう二人だった、と切ない想いを知って貰えたら、どれほど嬉しいことだろう。
どんな気持ちでメギドへ飛んだか、前のハーレイとの別れが悲しく辛かったか。
それを平和な今の時代に、大勢の人たちに知って貰えたら…、と。
前の自分たちの恋を隠し続けたいと考えるのも、話したいのも、どちらも自分。
答えは自由に決めていいのに、まるで選べない選択肢。二つに一つを選ぶだけなのに、隠すか、話すか、それだけなのに。
だから、俯き加減で呟いた。答えになっていない答えを。
「……分かんない……」
分からないんだよ、今のぼくには決められないみたい。どっちを選んだ方がいいのか。
最後まで隠したままだったんだし、これから先もずっと隠しておきたいのかな、前のぼく…?
それとも堂々と話して胸を張りたいかな、どっちだと思う?
ねえ、とハーレイに訊いたのだけれど。
「おいおい、そいつが俺に分かると思うのか?」
俺もお前と同じ気持ちでいるんだからな。…もしも訊かれたら、どうすればいいか。
喋っちまったら、前の俺たちの努力を無にするような気がしてなあ…。
ああやって必死に隠していたのも、俺たちの恋を大切に守るためだったから。
「じゃあ、ハーレイにも分からないの?」
ぼくに質問していたくせに、ハーレイだって答えられないわけ…?
なのに訊いたの、と意地悪な恋人を睨み付けたら、「今のトコはな」と深くなった瞳の色。
「今の俺には答えられない。…だからだ、俺が思うには…」
いつか俺たちが結婚したら、前の俺たちの想いが叶う。
やっと二人で暮らすことが出来るわけだろう…?
其処の所を考えてみろ、とハーレイは真摯な瞳で語った。
まだ婚約さえもしていないけれども、いずれ結婚する二人。結婚出来る時が来たなら。
その時ようやく成就するのが、前の自分たちが育んだ恋。
死の星だった地球が蘇るほどの、長い長い時を越えて来て、青い地球の上で。
結婚の誓いのキスを交わして、今度こそ二人、幸せな時を生きてゆく。互いの想いを、恋を隠すことなく、同じ家に住んで、家族になって。
「いいか、今度は結婚出来るんだ。…俺たちは堂々と家族になれる。誰にも遠慮しないでな」
その俺たちがだ、どう思うかが鍵になるんだろう。
平凡な恋人同士として、前のようにひっそり暮らすのがいいか、成就した恋を披露したいか。
正直、俺にも想像がつかん。…俺たちがどちらになるのかは。
「それなら、その時を待てばいいんだね?」
前のぼくたちのことを話すか、隠すか、どっちにするのか決めるのは。
ぼくたちが持ってる記憶のことも、その時までは秘密のままで。
「そうなるな。ただ…」
話さないような気がするな…。前の俺たちが誰だったのかは。
やっと二人で生きてゆけるのに、来る日も来る日も、講演会やら式典ではな。
ゆっくりする暇も無いじゃないか、とハーレイが苦い顔をするから。
「そうかもね…。忙しすぎるのは、ぼくも嫌かも…。それにスピーチも講演会も」
でも、黙っててもいいのかな?
ぼくたち、歴史の証人なのに…。ハーレイもぼくも、貴重な記憶を持っているのに。
「もう充分に頑張っただろうが、前のお前が。…ソルジャー・ブルーが」
今度のお前まで、世界のために頑張らなくても、静かに暮らしていいと思うぞ。
お前がそれを願うなら。…誰にも邪魔をされないで。
前の俺たちの時と違って、今のお前は自由なんだ。神様も許して下さるさ。…黙っていたって。
「そうだね…!」
ぼくは何にも出来ないけれども、前のぼく、頑張ったんだっけ…。
こんな本まで出して貰っているほどなんだし、今のぼくの分まで頑張ったよね、きっと…!
黙っていたって大丈夫さ、とハーレイが穏やかに微笑むから。
前の自分が今の分まで、頑張ってくれたらしいから。
(…ぼくが誰かは内緒のままで、前のぼくたちの時みたいに…)
今度もハーレイと二人でひっそり生きていこうか、静かに、けれど幸せに。
まるで目立たない、平凡な恋人同士だけれども、自分たちの恋を大切に。
互いが互いを想い続けて、しっかりと手を繋ぎ合って。
前の自分たちが隠し続けた、恋がようやく実るから。
白いシャングリラで夢に見ていた青い星の上で、二人きりで生きてゆけるのだから…。
前の生の記憶・了
※ブルーとハーレイが持っている、前の生の記憶。歴史的には、とても貴重な資料や証言。
それを明かすか、悩んだブルーですけれど…。今の生では、明かさなくても許して貰える筈。
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ジョミーにキース、とブルーが眺めた新聞広告。学校から帰って、おやつの時間に。
それぞれの写真もついているけれど、広告に載っているのは本。写真集ではなくて、子供向けに書かれた偉人伝。「こういう立派な人たちでした」という中身。
子供向けでは定番の本で、そういえば…。
(ぼくも持ってた…)
確かに読んだ、と覚えている。今よりもずっと小さかった頃に。
人類側のキースはともかく、ソルジャー・ブルーとジョミーの分は間違いなく読んだ。どちらも買って貰ったから。何処の家でも、一冊くらいは買うものだけれど…。
(…ぼくは名前がソルジャー・ブルー…)
ソルジャー・ブルーと同じアルビノだから、と両親が「ブルー」と名付けた子供。そのお蔭で、文字が読めるようになったら、プレゼントされたのがソルジャー・ブルーの伝記。子供向けの。
(ブルーの名前は、この人から貰ったんだから、って…)
読み終わったら、ジョミーの分も買って貰えた。ソルジャー・ブルーの跡を継いだソルジャー、SD体制を倒した英雄。「こっちも読んでおかないと」と。
(だけど、キースのは…)
どうだったのか覚えていない。買って貰ったのか、そうでないのかも。
自分で強請った記憶が無いから、恐らく持っていないのだろう。SD体制崩壊の歴史だったら、ジョミーの分で分かるから。…大まかなことは。
(後は学校で教わるし…)
きっとキースの偉人伝まで強請ってはいない。欲しい本なら、他にも沢山あったのだから。
(キースには、とても悪いんだけど…)
このシリーズを読んだとしたって、学校の図書室で借りた本だと思う。一回読んだだけで満足、家にも一冊持っていたいと思いもしないで、それっきり。
父に強請って買って貰うなら、もっとワクワクする本がいい。偉人伝よりも。
多分、キースのは無いだろう本。ソルジャー・ブルーとジョミーの分だけ。
けれど家には確実にあるし、この広告とそっくりな本。表紙も、それに大きさとかも。
(あの本、何処に入れたっけ?)
文字は幼稚園の頃から読めたけれども、よく考えたら、下の学校に入ってから直ぐに読んだ本。両親はきっと、プレゼントする時期も考えてくれていたのだろう。
(幼稚園だと、歴史は習わないもんね?)
いくら「ブルー」という名前の由来にしたって、幼稚園児には難しいかもしれない。書いてあることの意味や、出来事なんかが。
(学校に上がって、直ぐに貰って…)
ソルジャー・ブルーのを読んで、お次はジョミー。ちゃんと本棚にあった筈。小さい頃の本も、お気に入りなら、今も本棚にあるけれど。たまに読んだりもするのだけれど…。
(他の本だと…)
仕舞ってある場所は物置の筈。整理用の箱に入っているのか、あるいは棚か。父の書斎に置いてあることはないだろう。なにしろ子供の本なのだから。
(…ソルジャー・ブルー…)
俄かに読んでみたくなってきた本。子供向けのソルジャー・ブルーの伝記。この本の中で、前の自分はどう書かれたのか。いったいどういう人だったのか。
(歴史の授業で教わるのとは、ちょっと違うよね?)
その人物の生涯を描き出すのが伝記だから。…歴史上の出来事だけを切り取って教える、学校の授業とは切り口がまるで違う筈。しかも伝記の方は読み物。
(…前のぼくの伝記…)
子供向けでも、ちょっぴり読みたい。前の自分がどう描かれたか、知りたい気分。読むのなら、これが丁度良さそう。わざわざ大人向けのを買うより、手軽に読めるだろうから。
読んでみたいな、と思った伝記。子供向けの偉人伝の定番、ソルジャー・ブルーを描いた一冊。前の自分が生きた人生、それが書かれている筈の本。
(でも、物置…)
あそこにあるなら、自分では捜せないように思う。棚ならまだしも、箱の中では手も足も出ない場所が物置。整理して箱に入れたのは母で、そういう箱が幾つも置いてあるのだから。
読みたいけれども、見付け出せそうにない偉人伝。どうしようか、と考え込んでいたら、開いた扉。あの本を片付けただろう母がダイニングに入って来たから、訊いてみた。
「ママ、ぼくの本って、何処にあるの?」
「本?」
部屋にあるでしょ、と当然のように返った答え。「何か見当たらない本でもあるの?」と。
「ぼくが小さかった頃の本だよ。…部屋に無い分」
大好きだった本は今も持っているけど、そうじゃない本の置き場所は何処?
「そういう本なら、物置ね」
ママが仕舞っておいたから、と微笑む母。「一冊も捨てていないわよ」とも。
「やっぱり物置だったんだ…。物置の本、ぼくでも捜せる?」
棚にあるのは見れば分かるけど、箱に仕舞ってある方の本。…何か目印が書いてあるとか。
「捜すって…。何を捜すの?」
絵本だったら、纏めて入れてあるけれど…。箱にも「絵本」と書いたんだけど…。
他の本の箱はどれも「本」だわ、と母が言うから、目印は期待出来そうにない。
「…ソルジャー・ブルーの本…。小さい頃に買ってくれたでしょ?」
この広告に載ってる本。ちょっと読みたくなっちゃって…。
「ああ、それね」
買ってあげたわね、「ブルーの名前はこの人からよ」って。読み終わったらジョミーの分も。
読みたいのなら少し待ってなさいな、と出て行った母は直ぐに戻って来た。「はい」と、頼んだ本を手にして。
「早いね、ママ…」
凄い、とテーブルに置かれた本を眺めた。広告の写真よりも少し古びている本。けれど、表紙は全く同じ。広告そのまま、ソルジャー・ブルーの偉人伝。
「早い理由は簡単よ。…物置には行っていないから」
「えっ?」
なんで、とキョトンと見開いた瞳。母は物置だと言ったのに。…小さい頃の本の置き場は。
「この本はママが読んでたの。ブルーが学校に行ってる間に」
ブルーと同じね、この広告を見付けたから…。
これを読んでた小さなブルーが、今は本物のソルジャー・ブルー。とても不思議な気分でしょ?
なんだか読みたくなっちゃったの、ママも。…あれはどういう本だったかしら、って。
それで捜しに行ったのよ、という母の種明かし。アッと言う間に本が出て来た理由。母は物置で本を見付けて、自分の部屋に置いていたらしい。
「ママ、もう読んだの?」
それとも夜に読むつもりだったの、ママの部屋に置いてあったんなら…?
「全部読んだわ、子供向けだもの。直ぐに読めるわ、ブルーでもね」
懐かしいから、ママの部屋に持って行っただけ。読むなら、部屋に持って帰るといいわ。
「ありがとう、ママ!」
読みたかったんだよ、物置で捜し出せるなら。こんなに早く出て来るだなんて…。
ママが捜していてくれたなんて。
捜してくれてありがとう、と自分の部屋に持って帰った本。おやつを食べ終えた後で。
さて、と勉強机の前に座って、懐かしい本を広げたけれど。子供向けにと大きめの活字、それが並んだページをめくり始めたけれど…。
(えーっと…?)
生き地獄だったアルタミラ時代は、「大変な苦労」と書かれているだけ。狭い檻のことも、酷い人体実験のことも、まるで触れられてはいない本。子供が怖がるからだろうか?
アルタミラからの脱出にしても、ほんの一瞬。「宇宙船を奪って逃げました」とだけ、ハンスのことは書かれていなかった。開いたままだった乗降口から、外へと放り出されたハンス。
(…大人向けの本なら、きっと書いてあるよね?)
脱出の時に死んでしまったハンスの悲劇は、歴史の授業でも教わるから。ミュウの歴史で最初の事故。それまでのミュウは、ただ「殺されていた」だけだったから。
けれど、書かれていない事故。ハンスの名前。…子供向けの本だものね、と思ったけれど。
(もうハーレイがキャプテンなの?)
ハーレイが厨房に立っていた頃も、厨房出身のキャプテンだったことも、本には無かった。白い鯨も直ぐに出来上がって、舞台はアルテメシアに移る。長く潜んだ雲海の星へ。
アルテメシアに着いたら、ミュウの子供たちを何人も救出する日々。やがてジョミーを迎えて、宇宙へ。長かった歳月が本になったら、拍子抜けするほど短くなった。
(フィシスのことも、ほんの少しだけ…)
ミュウの女神を連れて来ました、と書いてあるだけの本。フィシスの生まれについては抜きで。
考えてみれば、フィシスの正体はハーレイだけが知っていたこと。あの頃の船では。
そのハーレイは航宙日誌にも記さなかったし、フィシスの正体は後の時代に明かされただけ。
(ハーレイが本当のことを知っていたのは…)
どうやら知られていないらしい。子供向けの偉人伝ではもちろん、大人向けの歴史の世界でも。
前の自分が生きた時代に、そのことは知らせていないから。前の自分は何も残さなかったから。
それでは誰も知りようがないし、今でも誰も知らないまま。…ハーレイだけに教えた秘密。
フィシスだけでも秘密が一つ、と考えながら読んでいった本。ソルジャー・ブルーの偉人伝。
前の自分がどう生きたのかは、この本に書かれている筈だけれど…。
(なんだか一杯、欠けちゃってる…)
最後のページまで、読み終えた後に思ったこと。メギドを沈めてソルジャー・ブルーは死んだ。自分の命と、ミュウの未来を引き換えにして。「とても立派な最期でした」と結ばれた本。
(…立派なのかもしれないけれど…)
大切なことが抜け落ちていた。ハーレイとの恋も、そのせいでメギドで泣いていたことも。
子供向けの本なら、恋は余計なことだろうけれど、大人向けの本にも書かれてはいない。本当の自分が生きた記録は、どう生きてどう死んでいったのかは。
(…ぼくは、本当のことを知っているのに…)
何も話しはしないまま。ソルジャー・ブルーの生涯については、何一つとして。
それにハーレイも沈黙を守り続けている。キャプテン・ハーレイの記憶を持っているのに。
二人揃って、前の自分たちの膨大な記憶を隠したまま。…明かす予定さえもまるで無いまま。
けれど…。
(…いつかは話さなくっちゃいけない?)
ハーレイとの恋のことはともかく、歴史の真実。前の自分たちが見て来たこと。生きて、自分で作った歴史。アルタミラからの脱出はもちろん、シャングリラで旅した宇宙のことも。
どれを取っても、学者たちがとても知りたいこと。キャプテン・ハーレイの航宙日誌だけでは、明らかにならない様々な事実。
いつかは話すべきなのだろうか、本当のことを知っているなら。記憶を持ったままで今に生まれ変わって、こうして生きているのなら。
新しい命と身体だけれども、言わば歴史の生き証人。自分も、それにハーレイも。
学者たちがどんな質問をしても、本当の答えを返せる人間。「こうなのでは?」と仮説を唱える代わりに、真実を答えられる人間。どうしてそういう答えになるのか、その理由までも。
今の自分の頭の中身。ソルジャー・ブルーとして生きた時代の記憶。歴史だけでなくて、様々な分野の学者たちが知りたいだろう真実。アルタミラも、それにシャングリラのことも。
それらを話すべきなのだろうか、知りたがっている人々に。今も研究し続けている学者たちに。
(どうなんだろう…?)
考えてみても、そう簡単には出せない答え。どうすればいいのか、悩むくらいに大きな秘密。
同じ秘密を抱えた恋人、ハーレイに尋ねてみたいけれども…。
(もうこんな時間…)
夢中で本を読んでいた間に過ぎてしまった、いつもハーレイが来る時間。仕事帰りに訪ねて来てくれる時は、とうにチャイムが鳴っている。鳴らなかったということは…。
今日は来てくれないハーレイ。まだ学校に残っているのか、「今日は遅いから」と寄らずに家へ帰ったか。「遅くなったら、お母さんに迷惑かけるだろうが」が口癖だから。
(でも、明日は…)
土曜日だから、ハーレイは家に来てくれる。午前中から、此処で二人で過ごすために。
その時に訊いてみればいいや、と机の上の本を眺めた。この本が机に置いてあったら忘れない。
(…ソルジャー・ブルーの本だしね?)
何をハーレイに訊こうとしたのか、明日になっても忘れはしない。夕食を食べても、ゆっくりとお風呂に入っても。一晩ぐっすり眠ったとしても。
(ちゃんとハーレイに訊かなくちゃ…)
前の自分の記憶のこと。それを持っていることを明かすか、秘密のままにしておくか。
「ハーレイはどうすればいいと思う?」と。
自分だけでは答えが出ないし、それに自分が明かす時には、ハーレイも一緒だろうから。
ハーレイがいない夕食の後で入ったお風呂。パジャマに着替えて、もう寝るだけの時間。
窓の外はすっかり夜だけれども、勉強机の上の本を手に取った。ソルジャー・ブルーの偉人伝。気まぐれにめくってみたページ。何ヶ所か開いて少し読んでは、考え込んでしまうこと。
(やっぱり、大切な記憶なの…?)
今の自分とハーレイが持っている記憶。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、ミュウの歴史を語る上では欠かせない二人。それが自分とハーレイの前世、今も忘れていない生き様。
(いろんなことを忘れちゃってたり、思い出したりするけれど…)
重要なことは忘れていないし、忘れていたって直ぐに思い出せる。ソルジャーとしての生き方はもちろん、その生涯の中の出来事だって。他の仲間たちがしていたことも。
今の自分の頭の中身は、大勢の人が知りたいこと。真実を探し求めていること。
子供向けに書かれた伝記でなくても、謎のままで欠けた部分が多いソルジャー・ブルーの生涯。その空白を埋められるのは、今の自分の記憶だけ。
(ぼくが話せば、沢山の謎が解けるんだから…)
とても大切で重要な記憶、それを抱えているのが自分。きちんと話して謎を解くべきか、黙っていてもいいものなのか。
その答えすらも分からない上に、自分自身がどうしたいのかも…。
(分かんないよ…)
パタンと閉じて、机に戻した本。子供向けのソルジャー・ブルーの伝記。この本を買って貰った時には、自分でも気付いていなかった。本の中身が自分自身の生涯だとは。
記憶が戻った今になっても、ソルジャー・ブルーは偉大な英雄。宇宙の誰もがそういう認識。
(…今のぼくとは違いすぎるよ…)
だから余計に分からないよ、とベッドに入っても出せない答え。部屋の灯りを消したって。
今の自分が持っている記憶、前の自分はソルジャー・ブルーだったこと。
それを自分は明かしたいのか、隠したいのかも分からない。そんな単純なことさえも。
自分がどういう気持ちでいるのか、自分の意志はどうなのかも。
分からないや、と思う間に眠ってしまって、目覚めたらもう土曜日の朝。明るい日射しが部屋に射し込み、勉強机の上にあの本。それを見るなり、思い出したこと。
(ハーレイに訊いてみなくっちゃ…)
前の自分が誰だったのかを、ソルジャー・ブルーの記憶を明かすか、明かさないままか。
きっとハーレイなら答えてくれる、と考えたから、恋人が来るなり見せた本。窓辺のテーブルで向かい合わせで座るのだけれど、そのテーブルの上に運んで来て。
「あのね、これ…」
ママが物置から出してくれたんだよ、と置いたソルジャー・ブルーの本。小さかった頃に買って貰った偉人伝。昨日も読んでいたけれど。
ハーレイは「ほう…?」と少し古びた本を眺めて、それから視線をこちらに向けた。
「いったい何を持って来たかと思ったら…。なんだ、お前の伝記ってヤツか」
もっとも、前のお前のだが…。今のお前じゃ、伝記にはまだ早すぎるしな。
こんなチビでは、とハーレイが目を細めるから。
「ハーレイも読んだ? これと同じ本」
シリーズで色々あるみたいだけど、ソルジャー・ブルーのことが書いてある本。
「もちろん読んだぞ、ガキの頃にな」
子供向けの伝記の定番だろうが、とハーレイも読んでいた偉人伝。ソルジャー・ブルーの生涯が書かれた、小さな子供向けの本。
「それじゃ、ハーレイ、大人向けのも読んでみた?」
歴史好きの大人の人が読む本、沢山出ている筈だから…。そういうソルジャー・ブルーの伝記。
読んでみたの、と尋ねたけれども、「いや…」と言葉を濁したハーレイ。
「教師だったら、読むべきなのかもしれないが…。俺は歴史の教師じゃないし…」
特に興味も無かったからなあ、ソルジャー・ブルー個人には。
わざわざ本まで買って読むほど、惹かれてたわけじゃなかったってな。記憶が戻って来る前は。
そして記憶が戻っちまったら、本物のお前がいるわけだから…。
本は読まなくてもかまわんだろうが、それよりもお前の御機嫌を取ってやらないと。
本の世界よりも現実の方が大切だ、と鳶色の瞳に見詰められた。「そうじゃないのか?」と。
「お前は此処に生きてるんだし、前のお前も一緒だろうが」
すっかり小さくなっちまったが、お前は俺のブルーだから…。前のお前と同じ魂。
前のお前の本は要らんな、本物を手に入れちまったら。
「そうなっちゃうの? …前のぼくの伝記、ハーレイも子供向けしか読んでいないんだ…」
でも、この本も…。大人向けに書かれた伝記の方でも、中身、色々、欠けちゃってるよね。
ぼくも大人向けの伝記は読んでないけど、想像はつくよ。
前のぼくの伝記、幾つあっても、本当のことばかりじゃないって。
後の時代に想像で書かれたことが多くて、穴だらけ。…ソルジャーっていう名前だけでも。
「まあなあ…。今の時代も諸説あるしな」
名付けた人間の名前にしたって、一つってわけじゃないようだから…。
まさか投票で決めていたとは、どんな学者も知らんだろう。候補が幾つあったのかも。
前の俺は航宙日誌に書いていないし、トォニィどころか、ジョミーも知らないままだったから。
ソルジャーっていうのが何処から来たのか、由来はいったい何だったのかも。
あの時代に生きた俺たちから見りゃ、お前の伝記は穴ばかりってことになるんだろうが…。
それがどうかしたか?
至極当然の結果だと思うが、記録が残っていないんだから。…前の俺も残さなかったしな。
欠けた伝記でも不思議じゃないぞ、とハーレイは納得している様子。今という時代にも、沢山の穴だらけになったソルジャー・ブルーの伝記にも。
「えっと…。ハーレイが言う通り、当然なのかもしれないけれど…」
でもね、ぼくは答えを知ってるんだよ。穴だらけの伝記をきちんと直せる答えをね。
ハーレイもそうでしょ、前のぼくのことを誰よりも知っていたのは前のハーレイだから。
それでね、思ったんだけど…。
いつかは話すべきなのだろうか、と投げ掛けた問い。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、自分たち二人の頭の中身。前の生の記憶。
きっと重要な記憶だろうし、学者たちだって探し続けている筈。遠く遥かな時の彼方で、本当は何があったのか。どういう具合に時が流れて、ミュウの時代に繋がったのか。
「…今のぼくが知っている答え…。きちんと話した方がいいと思う?」
ぼくが話したら、ハーレイも話さなきゃいけないことになるけれど…。
前のハーレイが持ってた記憶も、今のハーレイが前はキャプテン・ハーレイだったことも。
ぼくの記憶が戻った切っ掛け、ハーレイに会ったことなんだから。
「…俺はともかく、お前自身はどうなんだ?」
お前の気持ちというヤツだな。そいつを抜きにして考えたって、答えは出ないぞ。
前は怖いとか言ってたが…。前のお前がやらかしたことの、責任がどうとか言ってたっけな。
お前がソルジャー・ブルーだということになれば、魂は同じなんだから…。
ソルジャー・ブルーとして下した判断、それが今では間違いだったらどうしよう、と。
前のお前が良かれと思って選んだ道がだ、結果的には失敗だったってことも有り得るからな。
歴史の研究が進んでいる分、そう考えるヤツがゼロとは言えない。全てが終わった後の時代は、何とでも言えるわけだから。結果を知っているんだからなあ、解決策も見えてくるってモンだ。
そういったことを突き付けられても、今のお前じゃ困るしかない。
ついでに、ソルジャー・ブルーだった頃ほど強くないから、責任はとても背負えそうにない、と言っていたのがお前なんだが…?
覚えていないか、と逆に訊かれて蘇った記憶。…今のハーレイとそういう話をした、と。
「それ、忘れてた…。前のぼくだった時の責任のこと…」
ぼくは誰かを話すんだったら、前のぼくのことを重ねられちゃうから…。
前のぼくがやったことの責任、取らなくちゃ駄目?
今だと間違いになっちゃってること、謝らなくっちゃいけないだとか…。
それはホントに困るんだけど、と瞬かせた瞳。
ソルジャー・ブルーだった頃に下した判断、その誤りを指摘されても、どうしようもない。時の彼方に戻れはしないし、「ごめんなさい」と詫びることしか出来ない。
前の自分が間違ったせいで、酷い目に遭った仲間たちに。…今はもういない人たちに。
そうなったならば、チビの自分は泣いてしまうし、前と同じに育っていても泣くのだろう。前の自分ほど強くないから、弱虫になってしまったから。
「…前のぼくの間違い、叱られたら、ぼく、泣いちゃうよ…」
謝る間も涙がポロポロ零れてしまって、きっと泣き声。言葉だってちゃんと出て来ないかも…。
責任なんて取れやしないよ、前のぼくが迷惑をかけた仲間は、もういないのに…。
どうすればいいの、とハーレイを見詰めた。「前のぼくの責任、取らなきゃいけない?」と。
「時効だろうと思うがな? とうの昔に」
仮に前のお前が失敗してても、その失敗から何年経ったと思ってるんだ。
死の星だった地球が青く蘇って、俺たちは其処で暮らしてるんだぞ?
とんでもない時が流れたわけだし、時効だ、時効。…誰もお前を責めやしないさ。
何か失敗してたとしても、と頼もしい保証をして貰ったから、ホッとした。前の自分だった頃の判断ミスやら、責任は問われないらしい。
「時効なんだ…。誰にも叱られないんだね、ぼく」
それなら、話した方がいい?
前のぼくの記憶を持っていること。…前のぼくはソルジャー・ブルーだったこと。
きっと大勢の人の役に立つよね、ぼくの記憶があったなら。
「どうだかなあ…。喜ばれるのは間違いないとは思うんだが…」
話しちまったら、お前は今のお前じゃいられなくなるぞ。チビでも、育った後のお前でも。
「…え?」
どういう意味、と丸くなった目。今の自分ではいられないとは、いったい何のことだろう…?
「そのままの意味だ。誰もがお前に、前のお前を重ねるからな」
今のお前であるよりも前に、ソルジャー・ブルーになるってことだ。…前のお前に。
お前自身がどう思っていても、先に立つのはソルジャー・ブルー。
俺も同じになっちまうんだがな、今の俺よりもキャプテン・ハーレイが注目を浴びて。
お互い、インタビューだけではとても済まないだろう、とハーレイはフウと溜息をついた。
実はこういう人間なのだ、と明かしたならば、最初の間はインタビュー。
大勢の新聞記者や学者がドッと押し寄せ、質問攻め。「本当ですか?」と、次から次へと。
前は本当にソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、そういう二人だったのか、と。
本物かどうか、確認が取れるまでの間は、取材とインタビューの日々。
けれど、本物だと分かったならば…。
「俺もお前も、ありとあらゆる所に引っ張り出されるぞ」
派手に取材を受けてた間は、ただ質問に答えるだけで良かったが…。
本物と決まれば、もっと色々なことを話さなければならないだろうな。前のお前や俺として。
研究会やら、講演会やら、沢山の場所が俺たちに用意されるんだろうさ。
ソルジャー・ブルーとしての話や、キャプテン・ハーレイならではの話を期待されて。
話し終わったら、次は質問が飛んで来る。俺やお前の意見を求めて、「どう思いますか?」と。
質問して来たヤツの考え、そいつを聞いては答える羽目に陥るってな。
しかもだ、今の俺やお前の考えじゃなくて、前の俺たちの考え方をしなきゃならんから…。
そいつは如何にも大変そうだ、とハーレイが軽く広げた両手。「疲れちまうぞ」と大袈裟に。
「講演会って…。ぼくが喋るの?」
誰かの講演を聞くんじゃなくって、ぼくが講演するってわけ?
ソルジャー・ブルーだった頃はこういう時代でした、ってマイクの前で…?
おまけに人が大勢だよね、と気が遠くなってしまいそう。今の学校の講堂でさえも、前に立って話すことになったら、足が竦んでしまうだろうに。
「そうなるだろうな、ソルジャー・ブルーなんだから」
キャプテン・ハーレイの俺もだろうが、喋らされることは間違いあるまい。
どういう話を聞けるだろうか、と押し掛けて来ている連中の前で。
式典だって出なきゃいけなくなるかもなあ…。記念墓地とかでやっているヤツ。
SD体制崩壊の記念日とかには、出掛けて行ってスピーチだとか、と凄い話が飛び出した。
前の自分や、ジョミーたちの墓碑がある記念墓地。ノアとアルテメシアのものが有名だけれど、他の星にも記念墓地はある。其処で行われている式典。記念日や、他にも様々な折に。
宇宙のあちこちから、式典のために集まる人々。其処でスピーチをするとなったら、講演会より多い聴衆。中継だって入るのだろうし、新聞記者たちも押し掛ける筈。
「…式典に出掛けてスピーチって…。其処までしなくちゃ駄目なわけ?」
なんだか責任重大そうだし、凄く緊張しそうなんだけど…!
とても声なんか出そうにないけど、それでもスピーチさせられちゃうの…?
ぼくが、と自分の顔を指差したけれど、ハーレイは「うむ」と重々しく頷いた。
「当然だろうが、ミュウの時代を作った大英雄が現れたんだぞ」
ソルジャー・ブルーがスピーチしたなら、式典の値打ちがグンと上がると思わんか?
きっとお前は引っ張りだこだな、キャプテン・ハーレイよりも人気で講演会も山ほどだ。
でもって、俺とは恋人同士で、結婚してるということになると…。
どうなると思う、という質問。「俺は、こいつが世間の注目の的だと思うがな?」と。
「そうだ、結婚…。それも訊かれてしまうんだっけ…!」
ハーレイと結婚しているんだから、前のぼくたちのことも訊かれるよね?
ソルジャー・ブルーだった頃にも、恋人同士だったんですか、っていう風に…。
「前の俺たちがどうだったのかは、もう確実に訊かれるな」
恋人同士の二人だったか、前はそうではなかったのか。…今は恋人同士でもな。
出会いが違えば、関係も変わってくるモンだから…。前は違った可能性だって高いんだ。
前の俺たちは親友だったが、今度は恋に落ちちまった、という展開。
それでも別に不思議じゃないが、だ…。そうだと言ったら、みんな納得するんだろうが…。
お前、そいつにどう答えたい?
「どうって…?」
「前も恋人同士だったと胸を張りたいか、「違う」と答えて隠したいのか」
答えたい言葉はどっちなんだ、と訊いている。…今のお前の気持ちってヤツを。
「…どっちだろう…?」
前のぼくたちのことだよね…。それを隠すか、話しちゃうのか…。
どちらだろう、と考え込んだ。直ぐには答えられないから。
(…前のハーレイと、前のぼくの恋…)
お互い、恋をしていたけれども、誰にも明かせなかった恋。
ソルジャーとキャプテン、そういう二人が恋に落ちたと知れてしまったら、白いシャングリラを導くことは出来ないから。…皆がついて来てくれないから。
だから懸命に隠し続けて、恋はそのまま宇宙に消えた。前の自分の命がメギドで潰えた時に。
今の時代なら明かしていいのだけれども、前の自分たちが最後まで隠し通した恋。
誰にも知られず、前のハーレイも航宙日誌に何も記しはしなかった。
その想いを無駄にしてしまう。
今、真実を語ったならば、前の自分たちの努力を踏み躙ることになる。最後まで隠して、黙って死んでいったのに。…前のハーレイも、前の自分も。
そうは思っても、知って欲しいという気もする。
二人して隠して守った恋。遠く遥かな時の彼方で、最後まで守り続けた恋。
実はそういう二人だった、と切ない想いを知って貰えたら、どれほど嬉しいことだろう。
どんな気持ちでメギドへ飛んだか、前のハーレイとの別れが悲しく辛かったか。
それを平和な今の時代に、大勢の人たちに知って貰えたら…、と。
前の自分たちの恋を隠し続けたいと考えるのも、話したいのも、どちらも自分。
答えは自由に決めていいのに、まるで選べない選択肢。二つに一つを選ぶだけなのに、隠すか、話すか、それだけなのに。
だから、俯き加減で呟いた。答えになっていない答えを。
「……分かんない……」
分からないんだよ、今のぼくには決められないみたい。どっちを選んだ方がいいのか。
最後まで隠したままだったんだし、これから先もずっと隠しておきたいのかな、前のぼく…?
それとも堂々と話して胸を張りたいかな、どっちだと思う?
ねえ、とハーレイに訊いたのだけれど。
「おいおい、そいつが俺に分かると思うのか?」
俺もお前と同じ気持ちでいるんだからな。…もしも訊かれたら、どうすればいいか。
喋っちまったら、前の俺たちの努力を無にするような気がしてなあ…。
ああやって必死に隠していたのも、俺たちの恋を大切に守るためだったから。
「じゃあ、ハーレイにも分からないの?」
ぼくに質問していたくせに、ハーレイだって答えられないわけ…?
なのに訊いたの、と意地悪な恋人を睨み付けたら、「今のトコはな」と深くなった瞳の色。
「今の俺には答えられない。…だからだ、俺が思うには…」
いつか俺たちが結婚したら、前の俺たちの想いが叶う。
やっと二人で暮らすことが出来るわけだろう…?
其処の所を考えてみろ、とハーレイは真摯な瞳で語った。
まだ婚約さえもしていないけれども、いずれ結婚する二人。結婚出来る時が来たなら。
その時ようやく成就するのが、前の自分たちが育んだ恋。
死の星だった地球が蘇るほどの、長い長い時を越えて来て、青い地球の上で。
結婚の誓いのキスを交わして、今度こそ二人、幸せな時を生きてゆく。互いの想いを、恋を隠すことなく、同じ家に住んで、家族になって。
「いいか、今度は結婚出来るんだ。…俺たちは堂々と家族になれる。誰にも遠慮しないでな」
その俺たちがだ、どう思うかが鍵になるんだろう。
平凡な恋人同士として、前のようにひっそり暮らすのがいいか、成就した恋を披露したいか。
正直、俺にも想像がつかん。…俺たちがどちらになるのかは。
「それなら、その時を待てばいいんだね?」
前のぼくたちのことを話すか、隠すか、どっちにするのか決めるのは。
ぼくたちが持ってる記憶のことも、その時までは秘密のままで。
「そうなるな。ただ…」
話さないような気がするな…。前の俺たちが誰だったのかは。
やっと二人で生きてゆけるのに、来る日も来る日も、講演会やら式典ではな。
ゆっくりする暇も無いじゃないか、とハーレイが苦い顔をするから。
「そうかもね…。忙しすぎるのは、ぼくも嫌かも…。それにスピーチも講演会も」
でも、黙っててもいいのかな?
ぼくたち、歴史の証人なのに…。ハーレイもぼくも、貴重な記憶を持っているのに。
「もう充分に頑張っただろうが、前のお前が。…ソルジャー・ブルーが」
今度のお前まで、世界のために頑張らなくても、静かに暮らしていいと思うぞ。
お前がそれを願うなら。…誰にも邪魔をされないで。
前の俺たちの時と違って、今のお前は自由なんだ。神様も許して下さるさ。…黙っていたって。
「そうだね…!」
ぼくは何にも出来ないけれども、前のぼく、頑張ったんだっけ…。
こんな本まで出して貰っているほどなんだし、今のぼくの分まで頑張ったよね、きっと…!
黙っていたって大丈夫さ、とハーレイが穏やかに微笑むから。
前の自分が今の分まで、頑張ってくれたらしいから。
(…ぼくが誰かは内緒のままで、前のぼくたちの時みたいに…)
今度もハーレイと二人でひっそり生きていこうか、静かに、けれど幸せに。
まるで目立たない、平凡な恋人同士だけれども、自分たちの恋を大切に。
互いが互いを想い続けて、しっかりと手を繋ぎ合って。
前の自分たちが隠し続けた、恋がようやく実るから。
白いシャングリラで夢に見ていた青い星の上で、二人きりで生きてゆけるのだから…。
前の生の記憶・了
※ブルーとハーレイが持っている、前の生の記憶。歴史的には、とても貴重な資料や証言。
それを明かすか、悩んだブルーですけれど…。今の生では、明かさなくても許して貰える筈。
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