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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

日時計
(えっ…?)
 なあに、とブルーが大きく見開いた瞳。学校の帰りに、バス停から家まで歩く途中で。
 庭などを見ながらの帰り道だけれど、ふと足元に視線をやったら影法師。道路の上に落ちている様々な影。木の影もあるし、家などの影も。もちろん自分の影だって。
 影を作り出す元の姿を真似ているのが影法師。木でも、自分にくっついた影も。面白いよね、と幾つもの影を見ながら歩いていたら、それが動いた。いきなり、大きく。
 だからビックリ、木は動かない筈だから。なのにゆらりと揺れ動くから。
 いったい何が、と動いている影を見詰めていたら、「ニャア?」と上の方から聞こえた声。
(…猫…)
 影の正体は猫だった。影法師みたいに真っ黒な猫。赤い首輪をくっつけた。
 木登りの途中か、それとも木から降りて来たのか。直ぐ側にある家のベランダから飛んで、木の枝にヒョイと降り立って。
 名前も知らない猫だけれども、声を掛けたら道に出て来た。木の枝を伝って下へ降りて来たら、最後は道路にジャンプで着地。生垣を飛び越えるようにして。
 影法師を身体にくっつけたまま。道路に立ったら、黒い身体を綺麗に映した影法師。
(尻尾にも影…)
 しなやかに動く誇らしげな尻尾、その影も道に描かれている。猫の動きに合わせて、揺れて。
 人懐っこい猫と暫く遊んで、「じゃあね」と撫でて別れを告げた。「ぼくは帰るから」と。猫の方でも分かったらしくて、帰って行った生垣の向こう。
 影法師を連れて、今度は生垣をくぐり抜けて。さっき登っていた木がある方へ。
 木の下に着いたら、それは素早く登って行った。みるみる内に上へ上へと、一階の屋根の高さになったら、思った通りに飛び移ったベランダ。影法師ごと空をちょっぴり飛んで。
(ビックリしちゃった…)
 見えなくなった猫の影法師。ベランダの向こうに消えてしまって。開いていた窓から部屋の中に入ったのだろう。飼い主がいる、居心地のいい家に。
 影法師には驚かされたけれども、まさか昼間からオバケが出たりもしないだろう。太陽が明るく照らす内から、黒くて大きなオバケなどは。
 けれど可笑しい、猫の影法師。オバケみたいにビックリしたのは確かだから。



 家に帰って、ダイニングでおやつを食べた後。二階の自分の部屋に戻って、また思い出した猫の影法師。「ホントにビックリしたんだっけ」と。
 正体は猫の影だったけど、と窓から見ると影が幾つも。庭の木々の影や、他の家に差す影だって見える。どの影も全部、向いているのは同じ方向。太陽の光が照らす側とは反対に。
 例外なんかは一つも無くて、お行儀よく並ぶ影法師。家の屋根のも、庭の木たちのも。
(揃ってて当たり前だよね…)
 帰り道に見た影法師だって、どれも向いていた方向は同じ。自分の影も猫の尻尾も、生垣などが落としていた影も。影法師は太陽とは逆に出来るもので、どの影だってお揃いだから。
(ぼくのも、猫のも、全部おんなじ…)
 ちゃんとお揃いになるんだから、と思ってからハッと気が付いた。
 同じ方へと向く影法師は、当たり前ではないことに。揃うとは限らないことに。
(今だからだよ…)
 影法師を見るのが今の自分だから、そうだと思い込んでいただけ。幼い頃からそれに馴染んで、影をくっつけて生きて来たから。何処に行くにもついてくる影、何にでもある影法師。
(ぼくが手を上げたら影も上げるし、猫が動いたら猫の影だって…)
 尻尾の影まで一緒に動くけれども、太陽とは逆に向くのだけれど。
 前の自分が生きた頃には違っていた。遠く遥かな時の彼方で、白いシャングリラにいた頃は。
 白い鯨になる前の船で、長く宇宙を旅した頃にも。
 船の中では、影が出来るのは同じ方向とは限らない。宇宙船の中には太陽は無くて、人工の光が照らしていただけ。太陽に似せてあった光や、単なる照明に過ぎないものや。
 光源が違っていたわけなのだし、同じ方へと向いたりはしない影法師。光源が何処かで変わった方向、ブリッジが見える一番大きな公園でさえもそうだった。
 太陽を思わせる光が照らしていたのだけれども、太陽とは違った人工の光。公園の中でも場所が変われば、違う方を向いた影法師。さっきは右にあった筈なのに、今は左にあるだとか。
 アルテメシアの地面に降りれば、もちろん影は同じ方へと揃って向いていたのだけれど…。
(船のみんなは知らないよね?)
 潜入班やら救出班の者を除けば、船の外には出られないから。
 ミュウだと知れたら殺される世界、そんな危険な地上に降りてはゆけないから。



 あの船の仲間たちは知らなかったんだ、と気付かされた、同じ方を向く影。白いシャングリラに猫はいなかったけれど、ナキネズミなら自由に走り回っているのもいた。牛や鶏とは違うから。
 けれど仲間たちやナキネズミの影。それが何処でも同じ方へと出来はしないし、公園の中でさえ違っていた船。いったい誰が気付くだろうか、影法師の向きは何処でも変わらないなんて。
(太陽が動いていくのに合わせて変わるだけだよ…)
 朝なら、日の出とは逆の方向に。夕方だったら、夕日とは逆に。
 昼の間は太陽が動いてゆくのに合わせて変わってゆく。さっきまで此処にあったのに、と思った影が動いているのはよくあること。太陽はどんどん動いてゆくから。
 その太陽を持っていなかったシャングリラ。宇宙を旅した時代は当然のことで、アルテメシアの雲海に潜んだ後だって同じ。太陽は雲を照らしたけれども、シャングリラの中は照らさないから。
 それじゃ無理だ、と思った影。同じ方向を向く影法師。
 でも、ナスカなら…、と頭に浮かんだ赤い星。トォニィたちが生まれたナスカ。
 前の自分は一度も降りずに終わったけれども、あの星だったらあった太陽。其処で色々な野菜を育てて、四年も暮らした仲間たち。若い世代が離れ難くて、そのせいで悲劇が起こったほどに。
 あそこだったら影法師だって同じ方へと向いた筈だよ、と考えたのはいいのだけれど。
(太陽が二つ…)
 そうだったっけ、と思い出した赤いナスカの太陽。
 ジルベスター星系の中心に存在していた恒星は二つ、いわゆる連星。太陽が二つあった場所。
(前のぼく、太陽は気にしてなくて…)
 そちらに背を向ける形で飛んだ、死が待つメギド。
 赤いナスカは第七惑星、人類の名ではジルベスター・セブン。それを滅ぼそうとメギドが狙いを定めていたのは、第八惑星、ジルベスター・エイトの陰だったから。
 太陽から離れる方へと向かって飛んだ自分は、全く意識していなかった。連星のことを。
(…太陽が二つある場所だったら、影法師は…)
 どうなったわけ、と想像さえも出来ない自分。
 前の自分も、連星のある惑星に降りた経験などは無かったから。
 太陽が二つある連星は今の自分も教わるけれども、「そういう星もある」という所まで。惑星の上に出来る影法師のことは習わない。どちらを向くのか、どんな具合に見えるのかは。



 これは困った、と思った赤いナスカの影法師。あの星に降りた仲間たちが見たろう幾つもの影。どちらを向いていたというのか、まるで見当もつかない自分。
 仲間たちはナスカに降りていたのに、前の自分は降りなかったから。…ただの一度も。
(…影法師のこと、ハーレイだったら分かるよね?)
 キャプテンだった前のハーレイ。古い世代はナスカを嫌ったけれども、ハーレイは別。どちらの世代の肩も持ってはいけない、仲間たちを纏め上げるためには。古い世代も、新しい世代も。
 だからナスカを嫌わなかったし、キャプテンなのに何度も降りた。船を離れて。
 そのハーレイなら影法師も知っているだろう。どちらを向いて出来ていたのか、太陽が二つある惑星ではどうなのか。
 訊いてみたくて、来てくれないかと思っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、影法師って同じ方向に出来るよね?」
 太陽が作る影法師。何の影でも、全部おんなじ方を向くでしょ。そうだよね?
「なんだ、いきなりどうしたんだ?」
 影法師ってヤツはそういうもんだが…。お前、影法師で遊んでたのか?
 帰り道とか学校とかで、とハーレイは怪訝そうな顔。「もっと小さい子なら分かるが」と。
「違うよ、影を見ていただけ。今日の帰りに、バス停から歩いてくる時に」
 いろんな影が道にあるよね、って眺めていたら、影が動いてビックリしちゃって…。
 正体は猫だったんだけど…。猫の影法師のオバケだったよ、ベランダから木に飛び移った猫。
 影が動くからオバケみたいに見えちゃった、と報告したら。
「そりゃ面白いな。しかし、オバケに影はあるのか?」
 真っ黒な影のオバケだったら聞いたこともあるが、オバケの影なあ…。
 お前は出会ったらしいがな、と質問された。「オバケに影はあるものなのか」と。
「…オバケって、影が無いものなの?」
「幽霊だと無いと言われているなあ、思念体にも影は無いだろ?」
 オバケの場合はどうなんだか…。最初から影で出来上がってるオバケには影は無さそうだぞ。
 影だと影は出来ないだろうが、木の影とかの影は無いんだから。



 他のオバケもそうかもしれん、と言われてみれば一理ある。影が無いかもしれないオバケ。猫の影法師のオバケに影は無かったから。猫にくっついた影に、もう一つ影は出来ないから。
(猫の影法師は、本物のオバケじゃないけれど…)
 本物のオバケにも影は無いかな、と考えていたら、「オバケの話じゃないだろう?」という声。
「お前が俺に話したいのは、別のことだと思うがな。…同じ影でも」
 さっき影法師と言っていたよな、その影法師がどうかしたのか?
 何か興味を引かれることでもあったのか、と尋ねられたから頷いた。訊きたいものは影法師。
「えっとね…。影って、今だと全部おんなじ方に揃って出来るけど…」
 太陽と逆の方に出来るのが影法師。誰の影でも、何の影でも。…猫でも、木や家の影だって。
 影っていうのはそういうもので、アルテメシアでもそうだったけど…。ナスカはどうなの?
「はあ? ナスカって…」
 あのナスカだよな、前の俺たちが手に入れたナスカ。…あそこの影がどうだと言うんだ?
 もちろん影法師はあったわけだが、とハーレイはやはり覚えていた。赤いナスカの影法師を。
 覚えているなら、影の向きも知っているだろう。どう見えたのか、どちらを向いていたのかも。
「影が出来るのは分かるけど…。ナスカには太陽があったんだものね」
 船の中と違って、本物の太陽。人工の照明で出来る影だと、向きはバラバラなんだけど…。
 船で一番大きな公園、あそこにあった影法師の向きも揃っていなかったんだけど…。
 今だと空に太陽は一つで、影法師が出来る方向は同じ。…アルテメシアでもそうだったよ。
 だけどナスカは、太陽が二つあったから…。あそこの太陽、連星でしょ?
 太陽が二つあったんだったら、影の方向、バラバラだった?
 二つの太陽が別々の影を作ってしまって、同じ方向には出来なかったの…?
 でなきゃ影法師がズレるとか、と問い掛けた。一つの太陽に影法師が一つ、それが二つで出来る影も二つ。重なった部分と重ならない部分、そういう二重の影だったろうか、と。
「二重の影なあ…。そんな影ではなかったな」
 上手い具合に揃ったんだろう、違和感は何も無かったから。影が二つということもなくて。
 足元を見れば影があったし、建物とかにも普通に影だ。何かあるなら影もセットで。
 太陽が二つあるからと言って、妙な星ではなかったな。…少なくとも影に関しては。
 どちらかと言えば、地面の色が奇妙な星に思えたもんだ。何処まで行っても赤いんだから。



 地球とは違う星だと思った、とハーレイが語るナスカの色。赤かった大地。二つの太陽が落とす影よりも、そちらの印象が強かったという。影が落ちる赤い地面の色が。
「太陽で出来る影の方向がズレているとか、そういうことは無かったし…。普通の影だな」
 影法師ならば、今と同じに揃ってた。太陽が昇れば影が出来るし、沈めば消える。
 だが、日時計には向かなかっただろうな、あの星は。…太陽が二つもあったんでは。
 向いちゃいない、とハーレイが口にした日時計の名前。耳慣れない時計。
「…日時計?」
 どうして日時計なのだろう、とキョトンとしたら、「知らないか?」と返った穏やかな笑み。
「日時計ってヤツは、太陽の光を使って時間を計る時計なんだが…」
 仕組みの方もごく単純でだ、棒を立てるだけでいいんだぞ。一番単純な日時計ならな。
 その辺にある棒でいいんだ、という説明。簡単な日時計の作り方。
「あるらしいよね、そういうの…。本物は見たこと無いんだけれども、本で読んだよ」
 時計が無いから日時計を作ろう、っていう話。それで時間が分かるから。
 あれも棒だったと思う、と前に読んだ本の記憶を辿る。冒険物語だっただろうか…?
「おっ、正統派のを読んだんだな。そいつが一番正しいヤツだぞ、日時計を作る目的としては」
 なんと言っても、日時計は世界最古の時計なんだから。…人間が最初に作った時計。
「ホント? 日時計が世界で一番古いの?」
 時計は色々あるけれど…、と本で読んだ色々な時計を思い浮かべてみる。水を使うものや、香が燃える時間で計るものやら、遠い昔の時計は沢山。
「日時計らしいぞ、文字の形で残っていないというだけで」
 これは昔の日時計だよな、と誰もが思う遺跡が幾つもあったらしい。滅びる前の地球の上には。
 オベリスクっていうのを聞いたことはないか、昔のエジプトに建ってた柱みたいな記念碑。
 そいつも実は日時計だった、という話だ。単なる記念碑だけではなくて。
 同じ建てるなら人間の役に立つ方がいいしな、と聞かされたオベリスクならば知っている。遠い昔のエジプトのファラオ、彼らが建てた巨大な柱。戦勝記念や、自分の権威を示すために。
「…オベリスク、日時計だったんだ…」
 それじゃ元の場所に無いと駄目だよね、日時計に使っていたんなら…。
 後の時代の人間が他所に持ってっちゃったりしたらしいけれど、それじゃ駄目だよ…。



 元の場所に置いておかないと、と心配になったオベリスク。今の時代は、もう無いけれど。
 オベリスクを建てたファラオがいなくなったら、他の国へと運ばれてしまったオベリスク。古い昔の建造物だし、値打ちがあると思われて。
 けれど運んで行けたのだったら、もう使っている人もいなかったろうか。大勢の人たちが使っていた時計ならば、強引に運んで行こうとしたなら猛反対が起きそうだから。
(…きっとそうだよね、いくら植民地とかにされてても…)
 時計は生活に欠かせないから、誰もが反対しただろう。「それが無いと何も出来ない」と。何を何時に始めればいいか、分からないなら仕事をするのも難しい。予定通りに動けなくて。
 もう使う人はいなかったんだ、と思う昔のオベリスク。砂に埋もれて忘れられていたか、もっと正確な時計が作り出されていたか。
 世界最古の時計などより役立つ時計。より正確に時を刻む時計が…、と考えた所で恋人の趣味に気が付いた。白いシャングリラでアナログの時計を好んだハーレイ。キャプテンの仕事には、その時計は向いていないのに。正確無比な時計が要るのに、それとは別に持っていた。だから…。
「じゃあ、ハーレイも日時計が好き?」
 太陽の光の時計が好きなの、今もはめてる腕時計だとか、そんなのよりも…?
「日時計って…。何処からそういうことになるんだ?」
 俺の好みが日時計だなんて、とハーレイはまるで気付いていない。自分の趣味というものに。
「ハーレイ、レトロ趣味じゃない。…前のハーレイだった頃から」
 羽根ペンが好きで、木で出来た机が大好きで…。それに時計もアナログの時計。…キャプテンの部屋にも置いていたでしょ、うんと正確な時計よりもずっと好きだから、って。
 お蔭で前のぼくまで好きになったよ、と挙げた青の間にあった置時計。文字盤の上を回る秒針、一時間で一周してくる長針。十二時間かけてやっと一周回れる短針。
 それらが静かに時を刻むのが好きだった。前のハーレイが好んだ時計。
「レトロ趣味だから日時計だってか?」
 いくら俺でも、其処までは…。レトロな趣味は変わっちゃいないが、日時計までは欲しくない。
 アナログの時計で充分だってな、前の俺だった頃と同じで。
 それに砂時計だ、こいつは前の俺の頃には持ってなかった。今ではカップ麺を作る時の友だが。
 考えてもみろよ、日時計は昼の間だけしか使えない時計なんだから。



 生活の役に立たないぞ、とハーレイが指摘した致命的な欠点。人間が昼の間しか活動しなかった時代はともかく、今は役立ってはくれない日時計。太陽が出ている間だけしか計れない時間。
「人間の生活ってヤツに合わせて、時計も進歩していったんだ。日時計から次の時代へと」
 暗い夜にも時間が分かる時計を作って、より正確で細かく計れる時計の時代がやって来た、と。
 もっとも、そういう時計が幅を利かせる今でも、地球だと凄い日時計が出来る。
 時間ピッタリ、アナログの時計の短針だったら負けません、というヤツが。
 銀河標準時間にだって…、と言われたらピンと来た時計。今の時代も時計は地球が標準だから。様々な星に標準時間が存在したって、銀河標準時間は地球の時間に合わせたもの。
「そうだね、夜の間は計れないけど、一日はキッチリ二十四時間…」
 二十四時間の間に太陽が昇ってまた沈む星は、地球が代表になってるもの。前のぼくたちだった頃から、ずっとそう。…人間が一番最初に生まれた星の、地球の時間が大切だから。
「その通りだ。ただし、銀河標準時間を計りたいなら、イギリスでないと無理なんだがな」
 あそこでないと計れやしない。ずっと昔にグリニッジ標準時を計った地点に行かないと。
 其処の地面に棒を刺したら、銀河標準時間が計れる。昼の間しか計れなくても、きちんとな。
 棒よりも正確な日時計だったら、もっと正しく計れるんだが…。
 その日時計は、ナスカじゃ無理だ。銀河標準時間でなくても、ナスカ時間でも計れやしない。
 あそこにあった二つの太陽、そいつが邪魔をしちまって…、という話。棒を立てても、ナスカの時間を計れそうな日時計を作って据え付けてみても。
「計れないって…。どうして日時計だと計れないの?」
 太陽は二つあったけれども、影の方向は同じだったんでしょ?
 バラバラの影になるんじゃなければ、日時計、使えそうだけど…。地球と同じで。
 一日が二十四時間の時計じゃないだろうけど、と首を傾げた。ナスカの自転に合わせた日時計、それならばきっと作れた筈。ナスカの一日を昼の間だけ計る時計を、赤い大地に置けたのに、と。
「其処が大いに問題なんだ。太陽が二つあったってトコが」
 影の方向は確かに同じだったが、一緒に昇って一緒に沈んだわけじゃない。…あの太陽は。
 片方が昇って影が差したら、其処から一日が始まるんだが…。
 その太陽を追い掛けるように、じきに二つ目が昇って来る。そして遅れて沈むってわけで…。
 片方が沈んでも片方が空に残っているから、日時計の影は消えないってな。



 それが連星の厄介な所というヤツで…、とハーレイは説明してくれた。二つの太陽の周りを公転していた星がナスカだけれども、自転速度と二つの太陽との関係が問題。
 二つの太陽が落とす影を頼りに時間を計るのは難しかった。アルテメシアや地球のような太陽が一つの星とは違う。必ず必要になる補正。影を頼りに計ろうとしても。
「今の時間はこのくらいだ、と計りたいなら補正が要る。此処でこれだけ、と」
 それじゃ正確に計れないじゃないか、棒を一本立てただけでは。…計る度に補正が要るんだぞ?
 人間が一々計算しては、「影が此処なら時間はこうだ」と弾き出さないといけない日時計。
 そんな日時計が役に立つのか、と言われれば無理。昔の人間たちのようには出せない、ナスカの太陽を使った時間。太陽が二つあるせいで。
「本当だ…。時間の補正をしなきゃいけない日時計なんて、日時計の意味が少しも無いよ」
 時計が無いから日時計にしよう、って作ってみたって、役に立たない…。計算しないと使えない時計じゃ、とても面倒なだけだから。…使える人だって限られちゃうよ。
 機械仕掛けの時計じゃないと無理だったんだね、ナスカでは。世界最古の時計じゃ無理…。
 太陽が昇る間だけしか使えなくても、人間が地球で生きてゆくにはピッタリの時計だったのに。
 その日時計が使えないような不自然な星だったから、入植に失敗しちゃったとか?
 シャングリラがナスカを見付けるより前に、破棄していった人類たちは…?
 人間の生活に合わない星なら仕方ないよね、と考えたナスカが捨てられた理由。いくら水などが少ない星でも、入植前には調査をした筈だから。
 その星でやってゆけるかどうか。移民団を送るだけの価値がある星か、それとも直ぐに撤退することになりそうな星か。入植するには様々な設備も必要なのだし、きちんと計算されていた筈。
 時間を無駄に費やさないよう、結果が出せると見込んだ星しか移民団など送りはしない。成果が上がりもしない星には、最初から目を向けないから。
 けれど人類はナスカを捨てた。…ジルベスター・セブンという名の星を。
 子供まで連れて移り住んだ家族もあったというのに、彼らは星を離れて去った。短い命を其処で終えた子の墓碑を残して。白いプラネット合金で出来ていたという、詩の一節が刻まれた墓碑を。
「時間だけで捨てはしないだろうが…。日時計なんかには、最初から頼っちゃいないからな」
 太陽が二つある星だろうが、一つだろうが、日時計の時代ってわけじゃないから関係ない。
 だが、日時計が無理な星だというのは、大いに関係していたかもな…。



 ナスカって星に関しては、とハーレイは窓に目をやった。もうすぐ沈んでゆく太陽の光に。
「可能性があるのは、時間の感覚というヤツか。…人類がナスカを捨てちまった理由」
 それだったかもしれないな、と繰り返された「時間の感覚」と言う言葉。ナスカにあった二つの太陽、それが災いしたかもしれない、と。
「え?」
 時間の感覚って…。それって、いったいどういう意味?
 太陽が二つあったら駄目だって言うの、それで時間を計ってたわけじゃなくっても…?
 どうして星を捨ててしまうの、と疑問をぶつけた。やはりナスカは不自然な星で、破棄せざるを得ない何かがあったのか、と。日時計が作れない星だったがゆえに。
「俺は時間の感覚という言い方をしたが…。体内時計が狂っちまったんじゃないかと思ってる」
 体内時計は知っているだろ、人間が自分の身体の中に持っている時計。自分の目で見て、時間が分かる時計じゃないが…。生きてゆくには必要な時計。起きたり、身体を休めたりして。
 前の俺たちだって船で作っていたよな、人工的に昼と夜とを。
 白い鯨に改造する前の船だった頃も、きちんと作っていただろうが。明かりの強さを調整して。
 昼の間は明るく照らして、夜になったら控えめにする。…周りは真っ暗な宇宙でもな。
 昼と夜とがあった筈だぞ、とハーレイが話す遠い昔のこと。農場も公園も無かった船でも、昼と夜とが確かにあった。窓の外はいつも暗くても。漆黒の宇宙を旅する船でも。
「そうだけど…。ああやって昼と夜とを作っておかないと…」
 決まった時間に起きて食事とか、寝る時間とかが上手くいかないから、そうしてたわけで…。
 起きたままでいたら疲れてしまうし、夜になったら寝なくっちゃ、って…。
 夜勤の人は別だけどね、と思い出す、白い鯨になる前の船。明かりが煌々と灯るのが昼で、夜は明かりが落とされていた。皆が集まる食堂さえもが暗くなっていた「夜」の時間帯。
「ほらな、時間は大切なんだ。今は昼なのか、夜かってことが」
 昼と夜とを作っておいたら、体内時計は狂わない。夜勤で働くヤツらにしたって、いつも夜勤をしちゃいなかった。シフトを組んでは、ちゃんと夜にも寝てたんだ。…船で作った夜なんだが。
 そうやって体内時計を整えていれば、健康に暮らしてゆくことが出来る。虚弱な身体でも、疲れすぎたりしないでな。…それは人類でも同じなわけで…。
 ナスカはそいつを駄目にしちまう星だったかもな、太陽が二つあったんだから。



 あの星の時間だけってことなら、それほど問題は無かっただろうが、とハーレイは語る。地球の時間と同じ二十四時間で自転するのでなくても、多少は前後していても。
「人間ってヤツは、この地球で生まれた種族だから…。二十四時間の一日が一番合うんだ」
 それを誰もが分かっているから、銀河標準時間がある。それぞれの星の時間とは別に。
 体内時計もそれと同じで、基本は二十四時間だ。今の時代も、前の俺たちが生きた時代も、そのまた前の遠い昔にも。
 俺たちがナスカと呼んでいた星に入植したのも、そういう人類たちだった。あの星で生きようと降り立ったんだが、生憎とあの太陽だ。空に二つもある太陽。
 一つ昇ったら、たちまち光が射してくる。日の出で、朝が来るってわけだ。人間の体内時計ってヤツは、狂っちまったら朝の光を浴びると元に戻ると言われたほどだから…。
 太陽が一つ昇った途端に、身体の中では朝が始まる。其処で太陽が一つだったら、それが沈んでいった後には夜なんだが…。
 ナスカって星はそうじゃなかった。朝だ、と皆に教えた太陽、それが沈んでも二つ目がまだ空にある。一日の終わりを教える代わりに、「まだ夜じゃない」と残っていてな。
 そんな星だと体内時計がメチャメチャになってしまうだろうが、というのがハーレイの説。前後して沈む太陽とはいえ、同時には沈んでゆかないから。…昇る時にも一つずつだから。
「でも…。それで人類が撤退したなら、ミュウもおんなじなんじゃない?」
 ナスカに降りようって決めたのはいいけど、人類と同じ道を辿って。
 二つの太陽に振り回されて、体内時計が狂ってしまって…。ミュウはただでも弱いんだから。
 人類よりも先に参りそうだよ、と思ったナスカの環境のこと。二つもあったナスカの太陽、その太陽が体内時計を駄目にするなら、ミュウも人類と変わらない筈、と。
 虚弱に生まれついた分だけ、早く訪れそうな終焉。あの星に定住したならば。…ナスカの悲劇が起こらなければ、人類が星を捨てたよりも早く、ナスカを離れていたのでは、と考えたけれど。
「違ったんだろうな、ミュウってヤツは」
 身体は弱く出来てたんだが、今の時代はすっかり丈夫な種族になっているだろう?
 ちゃんと進化した成果が出たのが今って時代で、前の俺たちの時代はまだ駆け出しの頃だった。
 それでもミュウは、人類よりかは進化した種族だったから…。
 恐らく有利に働いたんだろうな、同じ星に入植してみても。…太陽が二つある星だって。



 虚弱なようでも適応しやすかったのだろう、という星がナスカ。人類が捨てていった星。
 彼らに入植を諦めさせた二つの太陽、そのせいで体内時計が狂い始めても、何処かで上手く調節して。弱い身体が壊れないよう、何度も時計を整え直して生きていたミュウ。あの赤い星で。
「…そんなことって、あるの?」
 ミュウの方が人類よりも強かったなんて、適応しやすい種族だったなんて…。
 前のぼくたちが生きた頃には、みんな何処かが欠けていたのに。…それを補うためにサイオンを持っているんだ、ってヒルマンも何度も言っていたのに…。
 今のミュウだと違うけどね、と自分の周りを考えてみる。前と同じに弱く生まれた子供が自分。すぐに熱を出すし、体育の授業も見学の方が遥かに多い。けれど友人たちは丈夫だし、ハーレイも丈夫。ハーレイは前も頑丈だったけれど、聴力が弱くて前の自分と同じに補聴器で…。
(でも、ハーレイもぼくも、今は補聴器なんか要らないし…)
 本当に丈夫になったのだ、と今のミュウなら納得がいく。けれども前の自分の頃はどうだろう?
 人類よりも強い部分があったなんて、と信じられない気持ち。サイオンという力以外で、人類に勝る能力を秘めていたなんて、と。
「お前が信じられない気持ちは分かるが、あると思うぞ。…少なくとも俺は」
 今の時代は、あちこちに人が住んでるが…。もちろんジルベスター星系にだって。
 前に話してやっただろうが、牧草地に向いてる星の話を。そういう星が出来ている、とな。
 住める星の数が増えていったのは、テラフォーミングの技術が向上したお蔭だと言うが、本当は人間が一人残らずミュウになってる時代のせいなんじゃないか?
 太陽が二つある星だろうが、ちゃんと適応できる人間。ナスカでの俺たちがそうだったように。
 いいや、違うか…。元々、人類にも備わっていた力ではあるか…。
 地球の時間と全く同じな、二十四時間の間だけならな。
 その程度なら人類でも適応出来た筈なんだ、というハーレイの言葉が分からない。ミュウよりも狂いやすかったのが人類の体内時計ならば、何処でも条件は同じだろうに、と。
「…どういうこと?」
 地球の時間と同じだったら、人類でも平気だったって言うの?
 ナスカに太陽が二つあっても、ナスカの一日が地球と同じで二十四時間ほどだったら…?



 そうだと言うの、と投げ掛けた問い。本物のナスカはそうではなかった。前の自分は体験してはいないけれども、白いシャングリラにいたから分かる。目覚めていたほんの短い間に知った。
 皆が「ナスカ」と呼ぶ星のことを。シャングリラにあった昼と夜とは、ナスカのそれとは幾らか違っていたことも。
「分かりやすく説明するんなら…。白夜ってヤツを知ってるだろう?」
 お前のことだし、その目で見てはいないんだろうが…。夜になっても明るいってヤツ。
 同じ地球だが、太陽が一向に沈まない場所があるってことを。
 北極の方と南極の方だな、と聞かされた白夜。もちろん言葉は知っている。そうなる仕組みも。
「えっと…。夏になったらそうなるんだよね、お日様が高く昇ったままで、沈まなくって」
 場所によっては沈むけれども、沈んでも直ぐに昇って来ちゃって、明るいから白夜。
 昼間がうんと長いんだよね、と思い浮かべる沈まない太陽。その代わり、冬は暗くて長い。夏の明るさとは全く逆に、太陽が昇って来ない冬。昇っても見る間に沈んでしまって、真っ暗な夜。
「その白夜になる場所なんだが…。夏はとにかく日が長すぎて、冬の季節は短すぎるから…」
 慣れていないと、耐えられやしないと言われてた。人間が地球しか知らなかった遠い昔はな。
 それを見ようと旅に出掛けても、楽しめるのはほんの数日だ。明るすぎて夜も眠れやしないし、冬の方なら暗くて気分が沈んじまって。
 長い日程を組んでいたって、降参とばかりにホテルに逃げ込む人間たちも多かった。ホテルなら部屋を暗くしてゆっくり眠れもするし、暗い季節でも明るい所で過ごせるから。
 しかしだ、ホテルが建ってたくらいなんだし、その同じ場所に人間が暮らしていたんだぞ?
 それもホテルが出来る前から、人工の夜や昼を自由に作り出せる場所が生まれる前から。
 文字さえ持っていなかった頃でも、もう人類は其処で暮らしてた。他の所へ行こうともせずに、その環境に慣れて「済めば都」とばかりにな。
 元から人類が持っていた能力、そいつを更に伸ばしたのがミュウという種族なのかもしれん。
 白夜だろうが、太陽が二つの連星だろうが、その環境で生きてゆけるように進化を遂げて。
 きっとそうだな、と感慨深そうにしているハーレイ。「確証は無いが」と言いながらも。
 人類が捨てたナスカという星、其処を天国だと喜んでいた仲間たち。彼らは二つの太陽を苦にもしないで、赤いナスカに根を下ろしたから。
 その星で植物たちを育てて、自然出産児のトォニィたちまでが生まれたほどだったから。



 人類が生きるには不向きだった星を、天国のようだと称えたミュウたち。失いたくないと撤退を拒み、命を落とした者も多かった星。メギドの炎が襲った時にも、離れようとせずに。
 彼らにとっては、本当に天国だったのだろう。日時計が作れない不自然な星でも、二つの太陽が体内時計を狂わせるような星であっても。…彼らは其処に馴染んだのだから。
「ねえ、ハーレイ。ミュウはやっぱり、人類から進化したんだね」
 進化の必然だったって言うけど、本当にそう。
 人類には不向きだった星でも、ちゃんと暮らしてゆけたなら。…トォニィたちだって、みんなの身体が内側から変になっていたなら、きっと生まれて来なかったもの。
 ただでもミュウは弱かったんだし、体内時計が狂っちゃっていたら、寝込んでしまって。
 ナスカで暮らすどころじゃないよ、と仲間たちの姿を思い出す。か弱く見えても、実は強かった仲間たち。人類が破棄した赤い星でも、立派に生きてゆけたミュウたち。
「そのようだな。前の俺は気付いちゃいなかったが…」
 ナスカで生き生きしていたヤツらや、今の時代の元気なヤツらを思うとな。
 人類よりもずっと優れた適応能力、それを持っていたのがミュウだったんだろう。身体は虚弱に出来ていたって、うんと頑丈で何処にでも合う体内時計というヤツを。
 あいつらだったら白夜でもきっと平気だったぞ、と微笑むハーレイ。「昼が長くて素晴らしい」などと言いかねないと。太陽の光を燦々と浴びて、疲れ知らずではしゃぎ回って。
「そうだったかもね…。船の中には太陽は無いし、影法師だって向きがバラバラなんだもの」
 だけど白夜なら、太陽が一杯。影法師だってずっと消えずに、身体にくっついているものね。
 そうだ、日時計…。太陽で時間が分かる日時計、白夜の所でも作れるの?
 地球の上だから大丈夫だよね、と尋ねたら。きっと作れて、使える筈だと思ったら…。
「昼がある季節だったらな」
 太陽さえ昇れば使えるだろうが、暗い季節はどうにもならんぞ。肝心の太陽が出ないんだから。
 太陽が顔を出してくれなきゃ、影は何処にも出来やしない。それじゃ無理だと思わんか?
 真っ暗な夜が続く季節に日時計は無理だ、と返された。大真面目な顔で。
「うーん…」
 日時計だものね、太陽が無いと時間を計れはしないよね…。
 ナスカみたいに二つあっても困るけれども、太陽が無いと補正するのも無理みたい…。



 二つの太陽が昇るナスカなら、出来る影。棒を一本立てておいたら、影が動いて日時計になる。太陽が二つ昇るお蔭で、上手く時間は計れないけれど。補正が必要になるのだけれど。
 それでは役に立ちはしないし、無理だと思ったナスカの日時計。ハーレイにそれを教えられて。
 けれど地球なら作れる日時計、昼の間は本物の時計と同じように使えそうなのに…。
「そっか…。地球でも日時計、無理な所があるんだね」
 二十四時間できちんと回る星でも、太陽が昇ってくれないと…。棒を立てても影が無いから…。
 使えないね、と頷かざるを得ない白夜がある地域。白夜の季節は日時計が活躍しそうだけれも、太陽が沈む冬には全く使えない。やっと日の出だと思っても直ぐに、早い日暮れが訪れるから。
「俺たちが住んでる地域だったら、丁度いい感じなんだがな」
 銀河標準時間は無理だが、棒を一本、立ててやるだけで出来ちまうから。簡単なヤツは。
 昔だったら、庭の飾りにもしていたらしいぞ。色々な形の日時計を置いて。
 庭に合わせてデカい日時計から小さいのまで、とハーレイが指差す窓の向こう。暮れて来た庭が見えるけれども、ずっと昔は庭に日時計を置いていた人たちも多かったらしい。
「庭に日時計って…。本当に?」
 飾りにするわけ、棒を一本立てるだけじゃなくて…?
「お洒落なヤツだと、いいアクセントになるからな。時間も分かって一石二鳥だ」
 凝ったヤツから個性的なのまで、持ち主のセンスで飾ってた。今でも売られているんだがな。
 あまり見かけるものじゃないが…、という言葉通り、今の自分も見たことは無い。いつも帰りに歩く道でも、家から近い住宅街でも。けれど日時計は、世界最古の時計だという話だから…。
「ハーレイ、欲しい気持ちにならない?」
 庭に日時計を置きたくなったりしないの、前のハーレイだった頃からレトロな趣味じゃない。
 アナログの時計を持ってたほどだよ、今だと日時計、欲しくならない…?
「其処までは要らんと言った筈だが?」
 この腕時計だってアナログなんだし、家に帰れば砂時計もある。それで充分なんだがな、俺は。
 日時計を庭に置きたいと思ったことは無いしだ、別に欲しくもないんだが…?
 俺は要らんな、とハーレイは興味が無さそうだけれど。
 日時計を庭に飾ろうという趣味などは無くて、アナログの時計で満足しているようだけれども。



 ナスカでは無理だった太陽の時計。遥か昔に地球で生まれた、最古の時計らしい日時計。
 それに惹かれるから、そそのかしてみることにした。欲しがろうとしない恋人を。
「でも、ハーレイ…。此処は地球だよ、ぼくたちは地球に生まれ変わって来たんだよ?」
 昼の間は二十四時間の時計とそっくり同じに時間が分かる、日時計が作れるんだけど…。
 ナスカじゃ作れなかった日時計、此処なら作れる筈なんだけど…。欲しくないの?
 うんとレトロで素敵じゃない、と畳み掛けた。「庭にあったらお洒落だよね」と。
「…なんだ、お前が欲しいのか?」
 俺の話をしてるんじゃなくて、と覗き込んで来た鳶色の瞳。「日時計、お前の趣味なのか」と。
「ちょっぴりだけど…。ハーレイほど詳しくないもの、ぼくは」
 だけど世界で一番古くて、地球だから作れる時計なんでしょ。一日が二十四時間なのは…?
 地球のお日様が作る時計、と夢を見ずにはいられない。きっと素敵な時計だから。
「そういうことなら、日時計を置いてもかまわんが…」
 お前専用の野菜畑の側に作るか、野菜スープのシャングリラ風のために作っておく畑。スープの出番がまるで無ければ、お前が元気な証拠ってことで…。野菜はサラダで食えばいいしな。
「なんで畑に日時計になるの?」
「農作業の時間を知るのにいいかと思ってな。畑なら日もよく当たるから」
 ピッタリだろうが、と言われた日時計の設置場所。畑の側とは、まるで思いもしなかった。
「…日時計、ぼくはお茶の時間を知りたいんだけど…」
 お日様が教えてくれる時間に合わせてお茶。もうすぐだよね、って用意をして。
「日時計だぞ? 庭まで行っては確認するのか、お茶の時間までどのくらいあるか」
 壁の時計とか置時計の方が、現実的だと思うがな…?
 畑だったら作業しながら見られるぞ。あと少しやったらお茶にするか、といった具合に。
 丁度いいじゃないか、とハーレイが笑う日時計の置き場。畑仕事が一段落したら、二人でお茶。
「ぼく、畑仕事、そんなに出来るかな…」
 もう少ししたらお茶にしよう、って言われるくらいに頑張れるのかな…?
 途中で疲れてしまいそう、と始めない内から音を上げた。ぼくには無理そうなんだけど、と。
「さてなあ…?」
 始めてみないと分からないよな、お前の頑張り。直ぐに疲れて嫌になるのか、続けられるか。



 お茶の時間まで休憩しないで出来るといいな、と可笑しそうにしているハーレイだけれど。
 「頑張れよ」と、励ましてもくれるのだけれど…。
「お前の言うような、お茶の時間。そいつを知りたいだけだったら…」
 とても小さな日時計もあるから、そういうのを置いてもいいかもな。日の当たる窓の側とかに。
 オモチャなのかと思いそうなヤツでも、精巧なのはあるもんだ。
 このくらいだな、とハーレイが手で示す大きさ。手のひらに乗りそうなほどに小さな日時計。
「ハーレイ、とっても詳しいじゃない」
 大きさまで知っているんだったら、見に行ったことがあるんじゃないの…?
 本物を売っているお店に、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。「日時計のことに詳しすぎない?」と。
「それはまあ…。ああいったものも嫌いではないな」
 最近はめっきり御無沙汰なんだが、日時計を扱っている店なんかも。
「ほらね、レトロな趣味じゃない」
 前のハーレイだった頃から少しも変わっていないよ、今のハーレイも前とそっくりだよ。
 いつか日時計、欲しくないの、と問いを投げ掛けたら、今度は否定されなかった。「まあな」と照れたような顔だし、欲しくないわけではないらしい。太陽を使う世界最古の時計。
 いつかハーレイと暮らし始めたら、日時計を置いて使ってみようか。
 太陽が二つあるナスカでは無理だったけれど、地球なら本物の日時計が出来る。
 晴れた日にしか使えないけれど、ロマンチックで素敵だから。
 地球の太陽が今の時間を教えてくれるのが日時計だから。
 それを覗いて、「もうすぐかな?」とお茶の用意を始めてみたい。
 ハーレイと二人、ゆっくりと楽しむ午後のひと時。
 地球の太陽が照らす庭が見える窓辺や、庭に据えたテーブルと椅子などで。
 小さな日時計を持っていたなら、それが作る影が動いてゆくのを二人で眺めているのもいい。
 太陽を使った世界最古の時計。
 青い地球だからこそ使える日時計、太陽の光と逆の方に出来る影を使った時計の針を…。



               日時計・了


※太陽が二つあったナスカですけど、人類が入植を諦めた理由の一つは、それだったかも。
 人類は適応出来なかった環境、其処を天国だと喜んだミュウは、強かったのかもしれません。
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