シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
教頭先生が裸エプロンを披露してから数日が経ったある朝のこと。1年A組の教室はいつもと変わりはありませんでした。会長さんが来ているわけでもなくて、キース君は大学の朝のお勤めを終えて普段どおりに登校して来て…。本鈴と同時に現れたグレイブ先生が出席を取り、「諸君」と眼鏡を押し上げます。
「来月は学園祭がある。シャングリラ学園ではクラス単位で演劇や教室を使っての展示などをすることになっているのだが…。我が1年A組が何をするかを三日以内に決めてくれたまえ。その日が学園への届け出期限だ。以上!」
カツカツと靴音をさせて先生が立ち去った後、クラスメイトは大騒ぎ。カフェだ、お化け屋敷だと賑やかですが、グレイブ先生はそういうのはお嫌いなんですよねぇ…。どうせ今年も展示でしょう。演劇は準備や練習が大変ですから。そして放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ行くと…。
「かみお~ん♪ 今日のおやつはタルト・タタンだよ! 柔道部のみんなが来たら焼きそばにするね」
焼きたてのお菓子の匂いが漂い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が切り分けてくれます。柔道部三人組が部活を終えて到着すると今度は焼きそば。その一部を会長さんがタッパーに入れ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭室へ差し入れに出かけて行きました。持ち帰ったのはさっきのとは別の空のタッパー。
「ブルー、今日もお手紙ついてるよ」
はい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が差し出した封筒を会長さんは一瞥するなり青いサイオンの炎で燃やしてしまいました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はションボリとして。
「…やっぱり読んであげないんだ…」
「読まなくっても分かってる。差し入れのお礼にかこつけたラブレターだ。裸エプロンまでさせられたのに、全然懲りていないんだから」
「でもハーレイ、ブルーのお返事待ってるよ?」
「差し入れが貰えるだけで十分じゃないか。催促されたらそう言っといて」
会長さんにスッポン料理とスッポン入りの漢方薬の代金を毟り取られた教頭先生は今も耐乏生活です。それでも柔道部の指導を休まないのは責任感の表れかも。そんな教頭先生に会長さんは色々と差し入れをしているようで、酷い目に遭わせた自覚はあるのだろうと私たちは思っているのでした。張本人の会長さんは今日もタルトをつつきながら。
「そういえば、今日は学園祭の発表があったんだよね? 君たちは何かしたいわけ?」
「えっと…」
首を傾げる私たち。特別生の私たちと違って、クラスのみんなには一度限りの一年生です。何をやるかは好きに決めて貰えばいいし、それに従うつもりでしたが…。
「ぼく、劇がいい!」
叫んだのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」でした。
「去年も劇がやりたかったのに、クラス展示にされちゃったんだ。今年はちゃんと投票日に1年A組に行くからね! そしたら本物の投票用紙が貰えるんだもん」
「ぶるぅは劇がやりたいそうだ。君たちも演劇に投票したまえ。もちろんぼくも一票を入れる」
重々しく宣言する会長さん。うーん、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が劇をしたいなら、演劇に一票で決まりでしょうか?
いつもお世話になってますしね。
投票は三日後の終礼前のホームルーム。朝から教室の一番後ろに机が増えて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が姿を見せていましたが…クラスのみんなはお化け屋敷に熱意を燃やしているようでした。グレイブ先生が投票用紙を配り、私たちは『演劇』と書いて投票箱に入れたのですけど…。
「ふむ」
黒板に『正』の字を書いていたグレイブ先生が最後の一画を書いて振り向きました。
「圧倒的多数でお化け屋敷か。私が担任しているからには、もっと格調高い展示を行って欲しいものだが…。今までそのように指導してきた。演劇ならば演目を厳選し、クラス展示も遊びがメインと思われるものは悉く却下してきたのだ」
「「「………」」」
あーあ、やっぱり…。クラス中にガックリ感が漂います。が、グレイブ先生はニヤッと笑って。
「お化け屋敷がくだらないという自覚はあるようだな。分かっているならいいだろう。諸君、何事にも例外はある。今年は私の結婚生活一年目だ。記念すべき特別な年だ。…よろしい、特別に許可しよう。1年A組の今年の展示はお化け屋敷だ!」
「「「やったーっ!!!」」」
歓声と拍手喝采の中、後ろを見ると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がトボトボと出てゆくところでした。劇がやりたくて投票に来たのに、結果がお化け屋敷では…。案の定、終礼の後でお部屋に行くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はしょげていました。
「…ひどいや、お化け屋敷だなんて…」
モンブランが載ったお皿を配る手にも元気がありません。
「ぼく、お化けとか苦手なのに…。決まっちゃったんだし、1年A組はお化け屋敷をやるんだよね。ジョミーもサムも、みんなお化けをするんでしょ?」
ぼく行かない、と呟いて「そるじゃぁ・ぶるぅ」は隅っこの土鍋で丸くなります。
「脅かされるの嫌だもん。ブルーがやるなら凄いお化けが出てきそうだし、ぼく、ここのお部屋に隠れてるもん…」
会長さんが溜息をつき、立って行って小さな頭を撫でました。
「ぶるぅ、そんなに嫌なのかい? だったら…」
何か言いかけた所へ柔道部三人組が部活を終えて登場です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は慌てて跳ね起き、お好み焼きをせっせと焼いて、教頭先生にも差し入れに行って…。
「ブルー! ハーレイ、もうすぐお給料が出るんだって! そしたら差し入れは要らないからって言ってたよ。でね、今日もお手紙がついてるんだけど…」
「却下」
会長さんは今日も教頭先生の手紙を燃やしてしまいました。可哀想だよ、と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんは苦笑しながら。
「ぶるぅはお化けが苦手だろう? ぼくはハーレイの手紙が苦手なんだよ。…そうそう、話が途中で終わってたっけね。お化け屋敷をするのが嫌なんだったら、1年A組とは別に何かをしてみるかい?」
「別?」
まん丸い目をする「そるじゃぁ・ぶるぅ」。別って…どういう意味でしょう?
「ぶるぅ、ここにいるみんなは特別生だ。特別生はどんな時でも別行動が許される。学校に来るのも自由、来ないのも自由。だからもちろん学園祭でも、クラスメイトと一緒に動かなくてはならない理由は無いんだよ」
そういえば…そんな話を聞かされたような気もします。大学に行ったキース君まで毎日登校してきていますし、放課後はみんなで「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まって遊んでいるのですっかり忘れていましたが…。
「だからね、ぶるぅ」
会長さんが私たちをグルッと見回して言いました。
「このメンバーで何かするなら、届け出を出せば済むことなのさ。学園祭では1年A組とは別に行動します、ってね。…そうするかい? お化け屋敷をやめて劇をするとか?」
「「「劇!?」」」
ポカンとする私たちを他所に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねています。
「わーい、わーい! みんなで劇だ! みんなで劇だぁ♪」
「ちょっと待て!」
叫んだのはキース君でした。
「…みんなで何かというのを止めはしないが、俺は外して貰いたい。今は大事な時期なんだ」
「大事な時期…?」
怪訝そうな会長さんにキース君は舌打ちをして。
「あんただったら分かってくれると思っていたが…。もうすぐ二年生の先輩たちが三週間の修行に出る」
「言われるまで完全に忘れていたよ。もう秋学期の道場入りか」
「ああ。で、俺も来年の秋には是非行きたいし、そのためには必要な単位を取っておかないと。…先輩たちの修行中にある特別講座は落とせないしな」
「…なるほど…」
会長さんは納得した様子で頷きました。
「そういうわけなら仕方ない。ぼくたちだけで行動できるよう届けは出すし、キースの名前も書いておくけど…名前だけっていうことで。君は大学の方を頑張りたまえ」
「感謝する」
深々と頭を下げるキース君。こうして私たち七人組は1年A組を離れ、会長さんたちと一緒に学園祭で劇をすることに決まったのでした。
1年A組から独立するにあたって必要なのはグループ名と責任者の先生が一人。グループ名は会長さんの鶴の一声で『そるじゃぁ・ぶるぅを応援する会』という選挙活動みたいな名前になってしまいました。
「これでいいんだよ、ぶるぅが独立したがったんだし」
「……でも……」
オシャレじゃない、という私たちの不満が聞き入れられる筈もなく…グループ名はこれに決定。責任者の先生は会長さんの強力な推しで教頭先生に決定です。
「グレイブじゃ融通が効かないんだ。今年は新婚モードで甘いとはいえ、そうそう羽目は外せない。少人数でお客を呼ぶには堅い演目じゃ駄目だろう? 遊び心を分かってくれるハーレイにするのが一番なのさ。ぼくの担任だからグレイブも文句はつけられない」
届け出はぼくがしておくよ、と言った会長さんは本当に許可を貰って来ました。グループ結成が決まった次の日の放課後には「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に許可証があり、いよいよ活動開始です。柔道部三人組は特別生の立場を生かして学園祭までは休部し、劇に専念することに…。キース君は劇には出ませんけれど、特別講座の時間以外は顔を出しに来てくれるそうです。
「で、肝心の劇だけど…」
何にする? と尋ねる会長さん。何にする? と言われても…。
「キース先輩が出られないってことは八人ですよね」
シロエ君が人差し指を顎に当てました。
「裏方とかも必要ですし、大したものはできませんよ」
「ああ、裏方なら大丈夫だよ。いざとなったらリオやフィシスも助けてくれるし、ぼくの名前を出せば職員さんたちも手伝ってくれる」
生徒会長とソルジャーの名は活用すべきだ、と会長さんは自信満々でした。
「だから全員が舞台に出たって問題ない。八人でも見栄えがするものがいいね」
「でもって一人は子供なのよね…」
スウェナちゃんの言葉どおり一人は「そるじゃぁ・ぶるぅ」です。演目はかなり限られそうだ、と思った時。
「ぼくが主役のお話がいい!」
無邪気な叫びが上がりました。声の主はもちろん…。
「「「ぶるぅ!?」」」
「ぼくを応援する会だもん、ぼくが主役をやってもいいでしょ? 1年A組で劇をするんだったら脇役でも平気だったんだけど、せっかくだから主役やりたい!」
頑張っておやつ作るから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は譲りません。そりゃあ…グループの名前が名前ですから「そるじゃぁ・ぶるぅ」が主役であっても不思議に思う人はいないでしょうし、その方がいいのかもしれませんけど…。
「じゃあ、『三枚のお札』にしようか」
そう言ったのは会長さんでした。
「小僧さんが山姥に追いかけられて、三枚のお札に助けられる。小僧さんが主人公だし、ぶるぅにピッタリの役だと思うよ。お札で火や川を出すんだけれど、ぶるぅのサイオンなら迫力満点の特殊効果が…」
「やだ!!!」
かっこよくないもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は膨れっ面です。
「ぼく、そのお話、知ってるよ。一番最初はトイレの窓から逃げるんでしょ? そんなの、なんだか恥ずかしいや。もっと素敵な話がいいなぁ…」
「一寸法師は?」
ジョミー君の提案に「ナイス!」と拍手する私たち。小さい主人公が大活躍なら文句は無いと思ったのですが…。
「ぼくはいいけど、鬼は誰?」
「「「うっ…」」」
鬼をやりがたる人はいませんでした。こんな調子で演目はサッパリ決まらず、ついにブチ切れた会長さんが。
「もうシンデレラでいいよ、それにしとこう。…ぼくが王子で」
「「「えぇっ!?」」」
シンデレラといえば継母と意地悪な姉娘が二人。会長さんが王子役を持っていった以上、この三人の役は残りの誰かです。スウェナちゃんと私が二人分は引き受けるとしても、確実に誰かが女装の悪役…。ジョミー君かな? それともサム君? ああっ、魔法使いの役も要りましたっけ~!
「そっか、ブルーが王子役でシンデレラの劇だね」
ニコニコと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が頷きます。
「シンデレラだったら主役をやるより魔法使いの役がいいなあ♪ ドレスとかカボチャの馬車を出すんだよね! ぼくのサイオンも使えそうだし、それがいい!」
えっと。…もしかして「そるじゃぁ・ぶるぅ」は主役でなくても目立てばいいってことなのでしょうか? だったら他にもマシな何かがあるような気が…。それともシンデレラで決定ですか~?
シンデレラの配役は簡単には決まりませんでした。そもそも誰がシンデレラ役をするのでしょう? スウェナちゃんか私か、どちらかにするのが無難でしょうが、笑いを取るために誰かが女装でやるべきだ…なんて意見が出たから大変です。この際、女性役は全部男の子がやって、スウェナちゃんと私は男性役だとか大騒ぎ。
「…うーん…。これは宿題にした方がいいね」
会長さんが紅茶で喉を潤しながら。
「家で一晩ゆっくり考えてみるのも手だよ。何か閃きがあるかもしれないし、他にいい劇を思い付く可能性もゼロではない。それで駄目なら明日の放課後にクジ引きで配役を決定しよう。…王子と魔法使いを除いてね」
この二つはもう決まってるから、と会長さんは落ち着いたもの。ついでにキース君も劇に出ないので涼しい顔です。私たちは多分クジ引きになるであろう配役を心配しながら家へ帰って行ったのでした。そして翌日の放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい! あのね、ぼくたちの劇だけどね…」
御機嫌でパンプキン・パイを切り分けながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」が話しかけてきます。
「ブルーが考えてくれたんだ。ぼくが魔法使いになって思い切り活躍できるヤツ!」
げげっ。魔法使いが大活躍って、シンデレラは中止でファンタジーですか? 剣と魔法の冒険活劇なんて八人では無理じゃないかと思うんですが…。そこへ会長さんがとても綺麗な笑みを浮かべて。
「ファンタジーじゃなくてファッションショーだよ」
「「「は?」」」
ファッションショーと聞こえたような気がします。みんなで顔を見合わせていると…。
「だから言葉のとおりだってば。ぶるぅは魔法使いの役をやってみたいし、主役もやってみたかった。それなら魔法使いが主役の劇を作ればいい。…シンデレラの魔法使いはドレスを出すよね。みんなが舞台で次から次へと衣装替えしたらウケそうだろう? ファッションショーっていうのはそれさ」
「それって劇じゃないよ!」
ジョミー君が突っ込みましたが、会長さんは全く平気でした。
「うん、劇じゃない。劇じゃないけど、舞台を使ってやるのは確かだ。学園祭で舞台を使う催しは劇の他にもダンスに合唱、ミュージカル…と色々ある。ファッションショーもかまわないんじゃないかと思って、一応、エラたちに確認してみた」
オッケーが出たよ、と会長さんは微笑んでいます。
「エラは「楽しそうな催しですね」と言ってくれたし、ブラウは「どうせなら受注したらどうだい?」と楽しい提案をしてくれた。受注するのも面白そうだと思わないかい?」
「ファッションショーって…誰が舞台に上がるんですか?」
マツカ君の質問に、会長さんはマツカ君をスッと指差しました。
「誰って…君たちの他にはいないじゃないか」
「「「!!!」」」
ウッと息を飲む男の子たち。更に会長さんはスウェナちゃんと私にウインクして。
「ファッションショーのお客さんは女性がメインになる筈だ。君たちは会場で受注係をして欲しい。こんなドレスを着てみたい、という注文を取って回るんだ。もちろん全部は受けられないし、抽選で一名だけにプレゼントってことになるだろうけど」
ドレスですって…? この口ぶりではファッションショーの中身は全部ドレス…? 他人事だと笑って聞いていたキース君が首を捻って。
「おい、ひょっとしてドレスばかりを披露するのか? まあ、ウケるのは間違いないが」
「ドレスばかりでいいと思うよ。女の子って夢が好きだし。…ね、ぶるぅ?」
「うん! ぼく頑張って作るんだ!!」
採寸、採寸…とメジャーを取り出す「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大乗り気でした。どうやらドレスは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手作りになるみたいです。それなら受注も出来るでしょうが、女装のファッションショーですか…。
「いやだーっ、女装はもう嫌だーっ!!」
逃げようとするジョミー君を会長さんのサイオンが捕え、金縛りにしている間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が採寸します。そういえば男の子たちは去年の親睦ダンスパーティーのフィナーレで全員、ウェディング・ドレスを着せられる羽目になりましたっけ。それにジョミー君は去年の夏休みに青いベビードールも着てましたっけ…。
「ブルー、俺も手伝ってやろう。逃げるな、サム!」
キース君がサム君を羽交い締めにして、シロエ君とマツカ君に。
「お前たちも男なら逃げるんじゃない! ぶるぅのショーに協力してやれ!」
「「は、はい…っ!」」
男の子たちはキース君を除いてキッチリ採寸されました。会長さんの寸法は分かっているから必要ない…という話ですけど、本当でしょうか? 自分だけ上手く逃げおおせようと思っているかもしれません。でもウェディング・ドレスはお気に入りですし、会長さんの考えることは謎ですよねぇ…。
学園祭に向けての準備は順調でした。1年A組のクラスメイトはお化け屋敷に燃えていますし、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はファッションショーの衣装作りに夢中です。それでもお菓子を手抜きしないのが凄いかも。今日も「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋はシャルロット・ポワールの甘い香りで一杯で…。
「かみお~ん♪ お菓子、切り分けてあるから好きなのを取ってね。シロエは先に仮縫いだよ」
「…はい…」
悄然と奥の部屋に連れられてゆくシロエ君。男の子たちは毎日のようにそこへ引っ張り込まれて、何着もの衣装を試着させられたり仮縫いしたり。それ以外の時間は会長さんがモデルウォークを仕込んでいました。
「マツカ、もっと背筋を伸ばして! ジョミー、膝が曲がってる! はい、そこでターン!」
パンパンと手拍子を打つ会長さんは鬼コーチです。そんな光景を見ながらスウェナちゃんと私、そして特別講座が終わってから顔を出すキース君の三人が和やかにお茶を飲むのが日課になりつつありましたが…。
「おや、キース。今日はずいぶん早いんだね」
会長さんの指摘にキース君がビクンと肩を震わせました。
「特別講座はしばらく続くと思ってたけど、休講なのかい?」
「…いや…。それが……」
「歯切れの悪さが気になるな。ひょっとして…サボったとか…?」
いつもなら即座に言い返す筈のキース君は無言でした。会長さんがクスッと笑って。
「ふふ、図星。…あ、ジョミー、マツカ、足を止めない! 君たちはちゃんと練習したまえ」
テキパキと指示を飛ばした所へシロエ君と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が仮縫い部屋から出てきます。
「ぶるぅ、お疲れ様。それじゃ少し休憩しようか。…面白い話が聞けそうだし」
座って、という声を待たずにジョミー君たちがソファにへたり込みます。クリームたっぷりのココアが配られ、会長さんはキース君を自分の向かいに座らせました。
「さて、キース。…どうやら君は特別講座をサボッたらしい。特別講座の単位は落とせないから学園祭のグループ発表からは外してほしい、と言っていたにも関わらず…だ。理由を聞かせて貰おうか」
「…………」
「特別講座の単位を落とせば、君は来年の秋の修行ができなくなる。二年生の秋か、三年生の春に三週間の修行道場入りをしておかないと、住職になるための道場入りの最短コースは不可能だったと思うけどな」
「……そのとおりだ……」
キース君はココアのカップを手にして俯いています。住職になるための道場入りの決心がついていないことは知っていますが、それ以外の講義や朝のお勤めには熱心な筈のキース君がサボリだなんて…。しかも最近始まったばかりの特別講座をサボったなんて、いったい何が起きたのでしょう? お父さんと派手に喧嘩したとか…? 私でさえも気になることを会長さんが見逃すわけがありませんでした。
「キース、はっきり言いたまえ。特別講座を何故サボッた? あの講座は止むを得ない理由以外で欠席したら単位は貰えないと聞いている。今日サボッたということは…落第したいということかい? それとも欠席届けを出してきたとか?」
「……出していない……」
「不可解だね。ここで落第したら特別講座は春まで無いんだ。春に単位を貰ったんでは他の講座がズレ込んで…二年生の秋に修行はできない。君が三週間の修行に行けるのは三年生の春になる。住職への最短コースに間に合うためにはギリギリの時期になるというのに、そんな道をわざわざ選ぶなんて…。君らしくないな」
トップを走るんじゃなかったのかい、と尋ねる会長さんにキース君は苦渋に満ちた表情で。
「…俺だって、成績だけの問題だったらトップを切って走りたいさ。…成績だけの問題ならな…」
成績だけの問題なら…? キース君はシャングリラ学園の普通の学生だった去年、成績にこだわっていたという記憶があります。会長さんの小細工で全員が満点を取り放題だったクラスの中で、たった一人だけ実力で満点だったキース君が、それを誇りにしていたことも。そんなエリート志向のくせに、ドロップアウトを選んだなんて嘘みたい…。
「…なんとでも好きに言ってくれ。俺にも限界はあるってことだ」
キース君は左手首の数珠レットに触れ、深い溜息をつきました。会長さんがその顔を覗き込んで。
「ふうん、限界を知ったってわけ? 自分の限界を知るのはいいことだよ。でも、それを乗り越えるのが修行の道だと思うけどな」
「…………」
答えは返ってきませんでした。限界に突き当たったというキース君。学園祭の準備も大事ですけど、キース君のことも気がかりです。ジョミー君たちも心配そうにキース君の方を見ていました。せっかく大学に進学したのに、わざと成績に傷をつけただなんて…何か相当ショックなことでも…? 心が砕けてしまったとか…?