シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
春、真っ盛り。もうすぐ大型連休です。シャングリラ学園もお休みになりますし、今年は何処で遊ぼうか…と放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は賑やかでした。ドリームワールドもいいですけれど、混雑するに決まっています。もちろん電車も込み合っていることでしょう。
「あーあ、穴場ってないのかなぁ?」
悩んじゃうよ、とジョミー君。さっきから案はあれこれ出ていますけど、どれも決め手に欠けています。
「人の少ない所かい?」
会長さんがテーブルのお皿に手を伸ばしながら尋ねました。今日のおやつは様々な味のブッセの取り合わせ。アーモンドクリームにバタークリーム、ハスカップなんていう変わり種まで混ざっていたり…。
「うん、混んでいたんじゃ遊べないしね。行列もパス」
それで近い場所なら最高、とジョミー君は無理難題を並べ立てます。いくら会長さんが物知りであっても、こればっかりは難しいんじゃあ…?
「…人が少なくて行列もパスで、アルテメシアから近い場所…ね。心当たりがないこともないよ」
「えっ、ホント? そこって楽しい?」
「楽しいんじゃないかな、趣味と実益を兼ねてるし…。申し込んであげようか?」
携帯を取り出した会長さんですが、申し込みって…何でしょう? 予約が必要な所なのかな? ジョミー君もそれが気になったようで…。
「ちょっと待ってよ。それってどこ? ホテルか何か?」
「宿泊施設みたいなものさ。今ならもれなく写経と座禅体験がついてくる」
ぶるぅも入れて九人で、と通話ボタンを押しかけた会長さんを遮ったのはジョミー君の絶叫でした。
「嫌だ! やめてよ、なんで修行なんか!!!」
「いい機会だと思うんだけどね? 璃慕恩院の修行体験には去年の夏に参加したけど、恵須出井寺は初めてだろう? 璃慕恩院と違って座禅が出来るし、将来に向けて違う宗派も齧っておいたら勉強になるよ。キースにも参考になると思うし」
「恵須出井寺か…。確かに俺も興味はあるな」
いいかもしれん、とキース君。ジョミー君は真っ青です。
「なんでキースまで行きたがるのさ! ぼくは絶対反対だからね! サムもそうだろ?」
「俺? 俺はブルーが一緒だったら何処でもいいし、修行も別に嫌いじゃないけど? 今朝も阿弥陀様を拝んできたし」
ブルーの家で、と相好を崩すサム君の仏弟子修行は順調でした。会長さんから剃髪禁止と言われているのでサム君は坊主頭の危機とは無縁。それだけに出家コースもまるで抵抗がないのです。この調子では私たち全員、恵須出井寺で修行でしょうか? ああ、ジョミー君さえ余計なことを言い出さなければこんなことには…。
「いくら穴場でも修行は嫌だよ! ブルーが修行したお寺なんだろ? あの厳しいって評判の!」
「覚えていてくれて嬉しいよ、ジョミー。大丈夫、素人さん向けの宿泊体験講座だからさ、そんなに厳しいことはないから」
「だからお寺は嫌だってば! お坊さんになんかなりたくもないし、巻き込まれるのはもう嫌だ!」
「そうかな? 坊主頭に見せかける訓練だってしているだろう。君は未来の高僧なんだよ」
一歩も譲らない会長さんにジョミー君はどんどん追い詰められて…。
「分かったよ、行けばいいんだろ! でもその講座、子供向けってわけじゃないよね? 大人の人が多いんだよね?」
「多いというより大人が殆ど。この時期、子供はいないと思う。子供向けのコースが夏にあるから」
夏休みの自然観察を兼ねて、と会長さんは答えました。恵須出井寺はアルテメシア郊外に聳える山の上。自然が豊かに残っているのでバードウォッチングなどに人気です。子供向けコースはそういう立地条件を生かしたもので、林間学校に使われることもあるのだとか。
「やっぱり子供はいないんだ…」
ジョミー君がボソリと呟き、それからキッと顔を上げて。
「行くよ、行くから大人の付き添いをつけて! 教頭先生が引率で来てくれるんなら参加する!」
「「「教頭先生!?」」」
なんですか、その条件は? 柔道部三人組の誰かが言い出したんなら気にしませんが、ジョミー君って教頭先生を特に尊敬してましたっけ? ゼル先生やヒルマン先生の方がお年を召した外見だけにお寺にも押しが利きそうです。単に付き添いが欲しいだけならグレイブ先生でも構わないんじゃあ…?
奇妙な条件を出したジョミー君は探るような目で会長さんを見ていました。会長さんの方は複雑そうです。
「ダメかな、ブルー? 教頭先生が付き添いなのは?」
色々やらかしてきたもんねえ、と今までの悪戯を指折り数えるジョミー君。
「教頭先生は絶対に断ってくる筈なんだ。ぼくたちを連れて悪戯されに出かけるなんて、絶対嫌に決まってるもの」
なるほど。ジョミー君、今日は冴えてます。窮地に立たされたせいで脳味噌がフルに回転したのでしょうか? 教頭先生を指名したのにはそんな理由が…。
「甘いんじゃないか?」
水を差したのはキース君でした。
「どっちかと言えばその逆だ。ブルーと一緒に堂々と出掛けられるんだぞ? しかも泊まりで。むしろ嬉々としてついてくるんじゃないかと思うが」
「ぼくもそっちの方だと思うよ」
ハーレイだもの、と艶やかに微笑む会長さん。
「しかもジョミーの指名となれば喜ぶだろうね、自分の理解者が出来たと派手に勘違いして。…でも……困ったな。ジョミー、本当にハーレイでなきゃダメなのかい?」
「……えっと……」
せっかくの名案が裏目に出たのでジョミー君は元気がありません。どう転んでも修行体験に行くしかないとなっては仕方ないかもしれませんけど。
「…ジョミー?」
重ねて尋ねる会長さん。
「ハーレイでなきゃダメって言うなら、残念だけど今回は…」
「修行なんだろ、分かってるよ! え? 残念って…?」
怪訝そうなジョミー君に、会長さんは大きな溜息を一つ吐き出して。
「ハーレイは都合がつかないんだよ。せっかくのチャンスだったのに…。まあいいや、修行体験講座はいつでもあるしね」
「「「え…?」」」
会長さんが引き下がるとは誰も思っていませんでした。予想外の展開です。座禅つき宿泊講座から逃げられたのは嬉しいですけど、会長さんの頼みなら二つ返事で承諾しそうな教頭先生が今回は話を受けないだなんて…俄かには信じられません。都合が悪くても不義理をしても、それこそ地球の裏側からでも飛んできそうな気がするんですが…。
「…地球の裏側くらいだったら都合もつくってものなんだけど」
今回ばかりは流石に無理だ、と会長さんは悔しげです。
「地球の裏側って…」
もしかして、と声を上げたのはシロエ君。
「シャングリラ号で宇宙ですか? 教頭先生、長期出張なさるんですか?」
「当たりだよ。長期出張とまではいかないけどさ、二泊三日で船内視察みたいなものかな」
ぼくはのんびり留守番だけど、と会長さんは呑気そう。ソルジャーの肩書きは本当に飾りらしいです。大勢のクルーが乗っているのに教頭先生に任せっきりとは、いい御身分と言うべきでしょうか。別の世界から遊びにやって来るソルジャーの方は文字通り戦士として身体を張って生きているのに…。
「いいんだよ、ブルーはブルー、ぼくはぼく。それはブルーもそう言っている。ぼくを羨んだりはしないってね。とにかくハーレイは出張だから修行体験はまた今度。…他に穴場といえば何処かなあ…」
記憶を検索している会長さんにジョミー君が。
「…シャングリラ号には乗れないの? 教頭先生が行くんだったら、ついでに乗せてもらえないかな」
「「「シャングリラ号!?」」」
一度だけ乗った白い巨大な宇宙船。春休みにアルトちゃんとrちゃんを乗せて飛んで行くのを見送ったのが最後です。私たちも乗せてほしいと頼んだのですが、進路相談会の時には正規のクルーしか乗せないからと断られました。そのシャングリラ号に乗りたいだなんて、難しいのではないでしょうか。…乗れるものなら乗りたいですけど。
「…乗りたいのかい?」
会長さんの問いに私たちは即座に頷きました。
「そうか、君たちがシャングリラ号に…ね。いいよ、話を通しておこう」
「「「え!?」」」
そんなに簡単にオッケーしちゃっていいんですか!? けれど会長さんは「任せといて」と微笑んで。
「ぼくはこれでもソルジャーだよ? シャングリラに乗れば大歓迎を受ける立場だ。そのソルジャーと御友人の御一行様が歓迎されないわけがない。よし、今度の連休はシャングリラ号で二泊三日の旅に出ようか」
「やったあ!」
ジョミー君が拳を突き上げてはしゃいでいます。座禅と写経の修行体験が転じてシャングリラ号での宇宙の旅に。これは楽しくなりそうですし、ジョミー君に感謝しなくちゃ!
シャングリラ号への乗船許可は次の日にはもう出ていました。船長である教頭先生の耳にも入ったことでしょう。会長さんが乗船中に悪戯しなければいいんですけど…。いつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でキャラメルタルトを食べつつ、話題は自然とシャングリラ号に。
「…前から疑問に思ってたんだが…」
切り出したのはキース君です。
「あの船はどうやって造ったんだ? 資金源はもう分かったが、建造場所とか」
「無人島で造ってた。人工衛星どころか飛行船だって無かった頃だし、空からは絶対発見されない。海の方は常に見張りを置いて、近づいてきそうな船があったらサイオニック・ドリームで即、撃退」
幽霊船の噂が立っちゃったけど、と会長さんは笑いました。
「おかげで近づく船がなくなってくれて助かった。建造するのに普通の人の手を借りたことは話しただろう? みんな記憶を消しちゃったから、覚えてる人はいないんだけどね。でも手間賃は払ったよ? 記憶を書き換えて出稼ぎで得た給料だと信じ込ませたんだ。あの時代はそういう人が多かったから」
「植民地とかの時代ですしね」
分かります、とマツカ君。その時代なら人手集めも簡単だったことでしょう。腕のいい職人さんとかも今よりずっと多そうですし。
「…建造場所はそれでいいとして、技術の方は? 造り手の腕の問題じゃなくて、ワープも可能な宇宙船なんか誰がどうやって設計したんだ? こないだの…確かジルナイトと言ったな、あれがサイオンをよく通すとか、そういう研究は誰が何処で…?」
キース君が繰り出した質問に私たちは息を飲みました。シャングリラ号の性能に感心こそすれ、それを生み出した人が誰なのかまでは考えたことがなかったからです。…飛行船も無かった時代に空どころか宇宙へ飛び出せる船、時空間までも飛び越える船を考案したのは誰なんでしょう? 博識なヒルマン先生でしょうか?
「…シャングリラ号はぼくの船だよ」
「「「???」」」
会長さんの答えは答えになっていませんでした。シャングリラ号の持ち主はソルジャーである会長さんかもしれませんけど、私たちが今知りたいのは持ち主ではなく設計者です。
「ぼくの船だって言っただろう? 設計したのはぼくなんだ」
「「「えぇっ!?」」」
私たちの声は裏返っていたと思います。会長さんがあのシャングリラ号を…? 三百年以上も生きた高僧だとしか聞いてませんが、まさかの理系だったとは…。シロエ君などは口をパクパクさせていました。メカいじりが趣味なシロエ君だけにレベルの違いに度肝を抜かれているのでしょう。会長さんはクスクスと笑い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でて。
「ね、ぶるぅでも描けるよね? シャングリラ号の設計図」
「ん~と…。どこの? ブリッジ? それとも機関部?」
「「「ぶるぅ!?」」」
負けた…とシロエ君がテーブルに突っ伏し、キース君は唖然呆然。私たちは驚愕するばかりですが「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔で。
「みんなも描けるようになると思うよ、ブルーに習えば簡単だもん! 長老のみんなも描けるしね」
え? ええっ? それっていったいどういう意味…? 頭の中が混乱してきた私たちに会長さんがパチンとウインクしました。
「サイオンだよ。…今はまだ教えられないけれど、いつか必要になったら教える。サイオンは一瞬の内に情報を伝えられるだろう? その要領で主だった人にはシャングリラ号の構造を全部教えてあるんだ。万一の時に備えて…ね」
「…それじゃやっぱりシャングリラ号の設計者は…」
シロエ君の問いに会長さんは静かに頷いて。
「ぼくだ。船体も機関部もワープ・ドライブも…君たちが乗ったシャトルも含めた全てをぼくが設計した」
「「「………」」」
誰も言葉が出ませんでした。悪戯ばかりの会長さんがそんなに凄い人だったなんて…。ソルジャーと呼ばれ、仲間の人たちが尊敬するのも当然です。
「…でもね…」
沈黙を破ったのは会長さんの少し憂いを帯びた声。
「本当はぼくじゃないと思うよ。前からそういう気はしてたけど、ブルーに会って…ブルーの世界のシャングリラに行って確信した。ぼくはシャングリラ号を一から設計したんじゃなくて、設計図を丸ごと拝借したんだ」
「えっ…。どういう意味ですか?」
目を丸くするシロエ君。会長さんは唇に微かな笑みを浮かべて…。
「ぼくは宇宙に飛び出せる船が欲しかった。それは本当。もしも化け物扱いされたら地上には住める場所が無い。逃げるなら空だ、と思ったんだ。空よりも彼方へ逃げ出せるならもっといい…と。でも方法が分からなかった。どうすればいいのか悩んでいた時、シャングリラ号が頭に浮かんだ」
白くて優美な船だったのだ、と会長さんは語りました。
「シャングリラ学園の紋章がついた綺麗な船でね、それが宇宙を飛んでいたんだ。この船が欲しい、と強く願った。これさえあれば宇宙に行ける…と。そしたら設計図とかが頭の中に広がって…それに従って建造したのがシャングリラ号さ。ぼくが見たのはきっとブルーの世界のシャングリラ。設計図はブルーがくれたんだろう」
本人に自覚は無かったけどね、と視線を宙に向ける会長さん。ソルジャーが私たちの世界を時々覗き見しているように、会長さんにもソルジャーの世界が見えるのでしょう。すぐに目をそらしてしまいましたし、きっと辛い現実を見たのでしょうが…。
シャングリラ号の設計図の出どころが何処であっても設計したのは会長さん。この世界ではそうなのですし、ソルジャーの世界の存在を知っている人もごく僅かです。いえ、会長さんが設計図を描いた頃には別の世界にシャングリラ号が存在するとは会長さん本人も知らなかったわけで…。
「よく造る気になったもんだな…。動くかどうかも分からない船を」
キース君が言うと、会長さんは。
「細かい部分まで全部まとめて設計図を貰っていたからね。…最初はシャトルを造ってみたんだ。これが見事に飛んだお蔭でシャングリラ本体に取りかかれた。ワープ・ドライブとかの仕組みについてはゼルやヒルマンと何度も検討を重ねたよ。実際に使えるかどうか、危険はないか…。ステルス・デバイスも全て含めて」
「その設計図をあっちのブルーがくれたってわけか」
「多分。…でもブルーに訊いても首を傾げるばかりでさ。教えた覚えは無いって言うけど、細かい部分までそっくりだから…偶然世界が繋がったんじゃないかと思うんだ。あっちのぶるぅが掛軸の中から飛び出してきた時みたいに」
「ああ、あれな…」
世話をかけた、と頭を下げるキース君。異次元に繋がる扉が隠されていた『月下仙境』の掛軸は今も元老寺にあるのだそうです。封印したから大丈夫だと持ち込んだ人に言っても引き取って貰えなかったのだとか。
「あんた、引き取る気はないか? ブルーとの出会いの掛軸だぜ」
「う~ん…。あんまり部屋に似合わないしね…」
「そうだろうとは思ったが…。気が変わったら言ってくれ」
蔵で大切に保管しておく、とキース君は大真面目でした。虫干しもするとか言ってますけど、会長さんがあの掛軸を引き取る日なんて来るのでしょうか? 骨董に興味は無さそうですし、これがホントのお蔵入り…? シャングリラ号の設計図がお蔵入りしなくて良かったです。会長さんに人望が無ければシャトルすらも造れなかったでしょうし。
「ふふ、これでも一応ソルジャーだしね? ブルーには敵わないけどさ。で、シャングリラ号に乗る時だけど、お土産を持っていかないかい?」
「「「お土産?」」」
「うん、手土産。ほら、こどもの日が近いだろう? 端午の節句だし柏餅とか粽とか」
「かみお~ん♪ 美味しいお店、知ってるよ! ぼくが作ってもいいし、買ってもいいよね」
作りたての方がいいのかなぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が悩み出します。シャングリラのクルーって何人いるんでしたっけ? 買っていった方が楽なのでは…。
「もちろん買うさ、柏餅と粽はね。ぶるぅ一人で全員分を作るとなったら大変だ。その他に心のこもった一品があればいいな、と思って言ってみた。…草餅なんかどうだろう?」
「えっ? 草餅も手間がかかると思うけど…」
大変なのよ、とスウェナちゃん。会長さんは「分かってるさ」と頷いて。
「手土産にするのは新鮮なヨモギ。他の材料はシャングリラ号の中で調達できるし、乗り込む時に運んでもいい。臼と杵も揃っているから餅つき大会にしようかなって」
「あの船、臼まで乗っかってるのか?」
ビックリだぜ、とサム君が言うと会長さんはニッコリ微笑んで。
「色々と娯楽は必要だから、お正月前には餅つき大会。餅つき機では楽しくないし、公園で賑やかに餅をつくのさ。草餅はきっと喜ばれるよ、ヨモギは船内で栽培してはいないからね。シャングリラ号に乗る前の日にみんなでヨモギを摘みに行こうか、マザー農場へ」
あそこは間違いなく無農薬だ、と会長さん。ヨモギはあちこちに生えてますけど、言われてみれば農薬が…。マザー農場なら安心です。シャングリラ号へはヨモギを持ってお出かけということに決まりました。
シャングリラ号に乗るのは5月2日。その前日に私たちはマザー農場にお邪魔し、ヨモギをたっぷり摘ませて貰って昼食は仲間が集まる管理棟の食堂へ。去年の秋、収穫祭のお手伝いという名目で滞在したのは宿泊用の建物でしたが、今日は一般の人も泊まっているので管理棟です。えっ、平日なのに学校は…って? 特別生は出席日数を問われませんから平気ですってば。
「いらっしゃい。久しぶりですね」
外見は初老の農場長さんが迎えてくれます。管理棟の職員さんたちは平均年齢二百歳以上。会長さんをソルジャーと呼ばず、普通にブルーと呼べるくらいに年季が入った仲間でした。
「今日はヨモギ摘みにお越しだそうで…。ああ、ずいぶん沢山採れましたね。シャングリラ号にお持ちになるとか」
「うん、草餅を作ろうと思ってさ。柏餅と粽も持って行くんだ」
「皆が喜びますでしょう。で、シャングリラ号はもう地球ですか?」
「衛星軌道を回ってる。ハーレイは一足先に出発したよ」
予定では明日からだったのにね、と会長さんは窓の外の空を見上げました。
「ああいうのを仕事の虫って言うのかな。ぼくたちと同じシャトルで行けばいいのに、何を急いでいるんだか…」
「きっと気が散るからですよ。ブルーのことが気になって」
農場長さんの言葉に職員さんたちが頷いています。教頭先生が会長さんにベタ惚れなこと、ここでもバレているのでしょうか? カレーライスを食べる手が止まってしまった私たちに向かって会長さんが。
「ハーレイがぼくに惚れてることなら大抵の仲間は知ってるよ。お酒が入るとすぐに言うしね」
「そうなんですよ」
この間も…と職員さんの一人が笑いながら。
「元クルーの飲み会がありましてね。うちからも何人か行ったんですけど、やっぱりブルーを嫁に欲しいと何度も話しておられまして…」
「あーあ、すぐに調子に乗るんだから。そのくせ全く甲斐性がない。プロポーズなんて千年早いよ」
みっともないね、と会長さん。
「ぼくと一緒に船に乗ったら仕事がまともに出来ないって? そんなのでぼくと結婚したら仕事どころじゃなくなるだろうに…。それとも結婚退職かな? 船長が寿退職だなんて、後世に残るお笑い種だ」
「…そういえば…」
飲み会に参加したという職員さんが人差し指を顎に当てました。
「抱き枕がどうとか仰っておられましたっけ。ああいうのはオーダーできるのか、とか」
「…抱き枕?」
不審そうな目の会長さん。職員さんは別の職員さんたちも交えて記憶を辿り、一所懸命に手繰り寄せて。
「思い出しました、抱き枕ですよ! オーダー出来る筈だと答えた誰かがおりまして…。そしたら写真を元に作れるのかどうか、と色々尋ねておられました。ブルーの写真で抱き枕を作るつもりでおいでじゃないかと」
「「「………」」」
抱き枕といえば癒しグッズ。それを会長さんの写真を元に作ろうだなんて、教頭先生ならやりかねないな…と溜息をつく私たち。会長さんは無言で何か考えているようでしたが…。
「ありがとう、大いに参考になった。その抱き枕、発注も出来てないけどね」
「「「えっ?」」」
そんなことまで分かるのですか、と農場長さんが驚いています。
「簡単さ。ハーレイの家に残った思念を読み取った。買おうか買うまいか、散々迷って悩んでいるよ。一杯ひっかけて酔った勢いで発注しちゃえばいいのにさ。…妙な所で生真面目なんだよ、ハーレイは」
「だからこそのキャプテンなのでは?」
「そうとも言うね。…御馳走様、今日のカレーも美味しかった」
椅子を引いて立ち上がる会長さんの胸中は読めませんでした。食事の後は農場長さんとシャングリラ号に積み込む野菜などのリストをチェックし、ソルジャーらしく淡々と仕事をこなしています。私たちは職員さんたちとテラズ様の思い出話に花を咲かせて大笑い。
「あらあら、ジョミー君はてっきりお坊さんになったと思ってたのに…。まだだったのね?」
「ぼく、絶対になりませんから! あれはブルーの罠だったんです!」
「そう言うな、ジョミー。俺には御仏縁だと思えたぞ。お前は絶対出家すべきだ」
応援するぞ、とキース君が言い、サム君が笑顔でジョミー君の肩を叩いて…。
「嫌だぁぁーっ!!!」
ジョミー君が絶叫した時、会長さんがやって来ました。
「賑やかだねえ…。騒がしいと思っていたらテラズ様の話なんだ? せっかくだから少し拝んでいこうか。お十念でいいだろう。キース、サム」
会長さんの一声でサッと二人が両手を合わせ、会長さんと声を揃えて朗々とお念仏を唱え始めます。一回、二回…。
「「「…南無阿弥陀仏」」」
十回目のお念仏を唱え終わると三人はテラズ様が納められている宿泊棟の屋根裏に向かって深々と頭を下げました。ジョミー君はツンと顔を背けて知らんぷり。そりゃあ…この三人に巻き込まれたら仏弟子街道まっしぐらですが。
「ふくれていないで帰るよ、ジョミー。ヨモギはシャトルに運んでもらえるように手配したから」
明日はぼくのマンションの前に集合、と会長さんが微笑んでいます。農場のマイクロバスに乗せて貰って帰る道中、車内はとても和やかでした。いよいよシャングリラ号で宇宙の旅へ。…抱き枕の件がちょっと気になりますけど……いいえ、かなり気になりますけど、これって多分気のせいですよね…?