シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
青い水の星、地球へ還る。
それはミュウたちの悲願であり、ブルーの見果てぬ夢だった。
いつかその目で地球を見たいと望み続けて、もう叶わぬと諦めたのは遠く離れたアルテメシアの
雲海の中。
後継者としてジョミーを見出し、ミュウの未来と地球への思いを託して消えようとしていた
ブルーの命はジョミーの強い願いによって繋ぎ止められ、赤い星、ナスカまで生き延びた。
ミュウたちに暫しの安らぎと踏みしめる大地を齎した星が人類軍の放った地獄の劫火に
焼き払われた時、自らの身と引き換えにメギドを沈め、永遠の眠りにつこうとしたブルーを
今度はハーレイが救い出す。
ソルジャー・シンのサイオンを無意識に操ってまでブルーを救ったハーレイの祈りがブルーを
生かし、消えかけていた命に新たな息吹を吹き込み、少しずつ力を蘇らせる……。
ブルーの命を繋ぐ祈りは、ハーレイの想い。愛しい者の手を二度と離さず、青い地球まで共に
行くのだとハーレイはブルーに幾度となく誓い、身体ごと抱き締めて耳元で熱く囁きかけた。
行きましょう、地球へ……と。
首都星ノアを無抵抗の内に制圧し、地球を擁するソル太陽系へ。
あのアルタミラが在ったガニメデを衛星としていたジュピター上空での戦いを経て……ついに
地球への道は開けた。ミュウたちの母船、シャングリラに響くソルジャー・シンの力強い
メッセージがブルーの心に染み透ってゆく。
「シャングリラの諸君。そしてミュウのみんな。人類側は遂に交渉に応じた」
今日までの道のりはブルーがソルジャーとしてミュウたちを導き、気が遠くなるような歳月を
かけて渡った星の海よりも長く果てしなく、険しく厳しいものだった。けれど主だった者たちを
誰一人として失うことなくシャングリラは此処まで辿り着き、人類たちが聖地と崇める地球に
向かって飛ぼうとしている。
「交渉に赴くため、シャングリラは最後のワープを行う。我々は遂に地球を、この目で
確かめられる距離にまで到達する」
ブリッジの中央に立ち、朗々と語るソルジャー・シンの背をブルーはハーレイと共に見ていた。
他艦のキャプテンとなったゼルとブラウ、エラの三人もスクリーンを通してメッセージに
聞き入り、ソルジャー・シンの背後に控えるブルーに温かな眼差しを向ける。
メギドから生還した後、ブルーが戦場に立つことは二度と無かった。ハーレイの祈りによって
生かされているだけの命でソルジャーを名乗ることなど出来ない。未来を拓くのに相応しいのは
生命力に満ち、自らの力で光り輝く太陽を思わせる年若き戦士、ジョミーだけだ。
ソルジャーはジョミーただ一人だから、と一線を退いたブルーの読みに誤りは無く、ジョミーの
意志と決断力は戦いを優位に進め続けた。ジョミーを慕う七人のナスカの子供たち。タイプ・
ブルーの彼らは、一人々々の力がブルーのそれに匹敵しており、窮地に陥っても切り抜けるだけの
判断力をも兼ね備えていた。
今のシャングリラとミュウたちにとって、ブルーは必要欠くべからざる存在ではない。ブルーの
思いは次の世代に確かに受け継がれ、彼らは自分たちの力と意志とで地球の喉元に歩み寄る。
それがブルーには嬉しかった。未来は若く新しい世代のものであり、ハーレイの祈りに
縋らなければ生きてゆけない自分はとうに過去のものだ。地球はミュウたちの約束の場所。青い
水の星に降り立つ命は次の世代へと繋がってゆく、未来ある者たちでなければならない。
其処へとミュウたちを導く長は、未だ遠い距離を隔てて在る星、地球を緑の瞳で見据えた。
「地球に、言葉通り交渉のテーブルが待っているのか、それとも最後の抵抗があるのか。何が
あるか、ぼくにも分からない。…それでも飛ぼう。地球へ!」
ブルーの視界に、ソルジャー・シンの真紅のマントが鮮やかに翻り。
「全艦、ワープ!」
シャングリラの船体と長老たちの船とが緑色の亜空間へと吸い込まれてゆく。ワープアウトが
完了した時、其処には月が在る筈だ。太古の昔から地球の周囲を巡り続けてきた孤独な衛星。
荒涼とした死の星の彼方にやがて現れるであろう母なる地球へと、ブルーは夢と思いを馳せる。
雲海の星アルテメシアで、赤いナスカで、その目で見ることは叶いはしないと諦めざるを
得なかった星。
そこへ向かう船に自分が生きて乗っていることは奇跡以外の何物でもない。死ぬ筈だった
自分を救い出し、今なお命を繋ぎ止めているハーレイの手をそっと握れば、温かく逞しい
褐色の手が力強く握り返してきた。ハーレイの熱く優しい想いがブルーを包み込み、思念が
心に呼び掛けてくる。
『行きましょう、ブルー。…地球へ』
あなたが焦がれ続けた、あの青い星へ。
ブルーへの愛おしさを隠そうともしないハーレイの想いに応えるように、ほんの少しだけ
身体を寄せた。腕が僅かに触れ合うほどでしかなかったけれど、それでも充分に想いは伝わる。
此処がブリッジでなく展望室であったなら…、と惜しむ気持ちが心を微かに掠めてゆくのを、
ブルーは軽く瞬きをして振り払った。
ブリッジの者たちもシャングリラの皆も、長老たちの船に乗っている者も、ブルーとハーレイを
結ぶ絆が何であるかを知ってはいるが、地球を目指そうという重大な局面に恋人同士の時は
持てない。前ソルジャーでもキャプテンでもなく、二人とも普通のミュウだったなら、青い水の
星を前に口付けを交わし、抱き合って喜び合えただろうに…。
ワープアウトする瞬間を今か、今かとブルーはハーレイの手の温もりを感じながら待ち続ける。
自分の命は地球に着くまで保たないのだ、と悟っていた頃、地球を見たくて手を絡めたのは
ハーレイではなくフィシスだった。彼女がその身の奥深く宿す青い真珠へと星々の海を渡る
記憶に、どれほど心を奪われたことか。銀河系からソル太陽系へ……幾つもの惑星の脇を
通り過ぎ、月の彼方に浮かぶ地球へと。
幾度も諦め、瞳に映すことが叶わぬ悲しみを胸に押し込めて涙を零した水の星。絡めた手と
手の間に揺蕩う儚い幻でしかなかった地球が、もうすぐ本物の海と大地を携え、質量を伴った
星になる。
フィシスのか弱い手とは異なるハーレイの大きく温かな手が、一層それを実感させた。亜空間を
越えた先に見えて来る地球は数多の生き物の生命を懐に抱いて何処までも青く、美しく、それで
いて確かな存在感を持って輝いていることだろう。
『…ありがとう、ハーレイ…。君のお蔭で此処まで来られた。君が連れて来てくれたんだ…』
君と一緒に地球へ行ける、と語りかける思念にブルーはハーレイへの抑え切れない想いを
乗せた。地球を見られることも嬉しいけれど、生きて君の側にいられることこそが何にも増して
嬉しいのだ……と。
戦いの場から離れたブルーはソルジャーの称号で呼ばれはしても、その実、既にソルジャー
ではない。戦士として戦場に赴く代わりに、戦いで心身に傷を負った者たちの心を自らの心に
呼び寄せて癒し、英気とサイオンを取り戻させるのがブルーの唯一の役目であった。
そのくらいのことはまだ出来るから、と言ったブルーにハーレイは苦い顔をしたものだったが、
戦いが続く中で何一つせず、ただ守られて生きることなど耐えられはしない。そうやって
引き受けた役目とはいえ、傷ついたミュウたちの嘆きや痛みを全て引き受け、昇華させるのは
ブルーの心の負担となって音も無く深く降り積もってゆく。
遠い昔からミュウという種族の苦しみを背負い、ソルジャーとして歩み続けてきたブルーは、
傷も痛みも独りで抱え込み、誰にも見せようとしなかった。人知れず流されるブルーの赤い血と
涙とに気付き、その孤独をも鋭く見抜いて側に寄り添い、癒そうとしたのが若き日のハーレイ。
いつしかブルーもハーレイにだけは弱さを隠さなくなり、身も心をも彼に委ねて束の間の
安らぎを得るようになり……。
そのハーレイが今のブルーを独り放っておく筈が無い。キャプテンの激務を果たしながらも
青の間でブルーを優しく抱き締めて眠り、時には心まで一つに融け合うほどに激しく求め合い、
ブルーの心を苛む痛みを温もりと熱とで跡形も無く溶かし、温かな想いを満たして傷痕を癒す。
何も言わずともハーレイが側にいてくれることが、どれほど嬉しく心強かったか。ハーレイに
救われ、生きて欲しいと望まれるままに生きてきた日々がどれほど幸せなものだったか…。
かつてブルーはソルジャーとして生き、ミュウたちの盾となって散ろうとした。その選択が
誤っていたとは思いもしないが、ハーレイの願いと祈りによって生かされる内に、望まれて
生きる喜びを知った。
ブルーの命も、心も身体も、ハーレイがこの世に繋ぎ止め、絶え間なく力を注いでいる。
愛し、愛されて共に生き続け、地球までの道を手を取り合って歩んで来た。
『ハーレイ…。ありがとう、此処まで連れて来てくれて…』
縋り付く代わりに心を添わせてハーレイへの想いを滑り込ませれば、繋いだ手を通して
ハーレイの心が流れ込む。
『もうすぐです。…もうすぐ、青い地球が見えます。あなたに地球をお見せするのが
夢でした。ずっと……ずっと遠い昔から…。シャングリラのキャプテンになった時から、
この船であなたを地球まで連れてゆこうと…』
その夢が叶う時が来ました、とブルーの手を握ってスクリーンを見上げるハーレイの
思念は喜びの涙に濡れていた。ブルーが求めてやまなかった星へ、シャングリラはついに
辿り着くのだ…と。
地球への思慕はブルーだけでなく、誰もが心に抱いている。けれどブルーが誰よりも地球に
焦がれて、其処へ還りたいと願った理由は皆とは違っていた……かもしれない。
銀河の海に浮かぶ一粒の真珠、青く輝く奇跡の星。
母なる地球を恋い慕う思いは誰の心にも焼けつくような渇望として刻まれ、それゆえに人は
地球を求める。人類もミュウも命ある限り、ただひたすらに地球に憧れ、かの星に行きたいと
願い続ける。青い水の星は地球の他に無く、まさしく夢の星だったから。
しかしブルーが夢見た地球は美しいだけの星ではなかった。遙かな昔から生命を育み、人という
種を生み出した地球。かの星ならば人から生まれた異端のミュウをも、自らが産んだ命の子として
懐に包み、その大地へと降り立つことを許し、慈母の愛で受け入れてくれるのではないか。
踏みしめる大地を持たないミュウが還れる唯一の故郷、それが地球だとブルーは信じた。
だからこそ焦がれ、その目で見たいと願い続けて、次の世代にも思いを託した。いつの日か必ず
青い地球へ……と。
「ワープアウト完了!」
亜空間を抜けた先には予想した通りに月が在った。フィシスの記憶で幾度となく見た、
クレーターに覆われた生命の無い星。ほの白い弧を描く地平の向こうに、神秘の青を湛えた
地球がもうすぐ覗く…。
(還って来たんだ、地球へ…。ぼくたちの……ミュウの、約束の場所へ…)
熱いものが瞳から溢れそうになるのを、ブルーは空いた方の手を握って堪えた。戦いはまだ
終わってはいない。本当の意味で地球に還れるのは、地球で我が物顔に振舞う人類たちが
ミュウの存在を認めた時だ。
それでも自分は此処まで来た。もう還れないと諦めていた地球まで、生き永らえて還って
来た…。
『…ハーレイ…。…今日まで生きていられて良かった…』
ずっとこの日を夢に見ていた、と告げようとしたブルーの瞳が地球の影を捉え、月の彼方に
ゆっくりと母なる星が姿を現す。青く澄み切った命の星。この目で見たいと焦がれ続けた
奇跡の青が光を失い、暗く不吉な翳りを帯びて其処に在るのを、ブルーは零れ落ちそうに
見開いた瞳で見詰めた。
「……これは……」
ジョミーの声が酷く遠くに聞こえ、ブルーの手を握ったハーレイの手に力が籠る。
「なんだ、あれは!」
ハーレイの叫びと握り締められた手の痛みとが、飛びかけていた意識をスクリーンに映る
現実へと引き戻した。巨大なスクリーンの中央に映し出された、あの星が………地球。
(……嘘だ……)
初めは夜の半球を見たのだと思った。太陽の強い光を浴びねば、如何に水に覆われた星と
言えども地球は輝くことは出来ない。しかし太陽の光の届かない場所は暗い宇宙の闇に融け込み、
地球は細い残月となって浮かんでいる。
それは月よりも惨たらしく穢れ、生命の欠片を宿すことすら適わないと知れる無残に朽ちて
腐った星。澄んだ大気と青く輝く海の代わりに、命あるものの呼吸を阻む毒素と乾き切った
砂漠に覆われた星……。
「……あれが…地球だというのか……」
呻くように掠れた声音はジョミーだった。ブルーの思いを継ぎ、ついに地球まで辿り着いた
戦士。
見る影もなく錆び、赤茶けた星が地球である事実を未だ誰もが飲み込めていない。けれど、
フィシスの地球を飽きることなく眺め続けて来たブルーには分かる。あれが本当の地球なのだと。
(…ぼくは……道を誤ったのか)
こんな星へ皆を導いたのか、と唇を噛み締め、赤黒く濁った残月を見上げるブルーは自らの
過ちを激しく悔いた。ミュウを受け入れてくれると信じた青い水の星は何処にも在りは
しなかったのだ。
分析担当のクルーが次々に報告するデータは残酷なもの。そして、赤い残月が浮かぶ座標は
間違いなく地球のそれだった。ジョミーが堪え切れずに叫び声を上げ、長老たちは涙し、
スクリーンの向こうでゼルが呟く。
「…わしらは、こんなもののために…犠牲を払ってきたのか…」
ゼルもジョミーも長老たちも、ブルーを責めはしないだろう。否、ブルーに罪があろう
などとは、微塵も思っていはしない。しかしゼルの口から零れたその言葉こそが真実だった。
こんなもののために、犠牲を払って此処まで来た。そうさせたのは……ブルー。
(……ぼくが地球へと向かわせた…。皆も、ジョミーも、ぼくが地球へと向かわせたんだ…)
焦がれ続けた地球が死の星だった衝撃よりも、己の罪深さが恐ろしかった。自分が地球を
求めなければ、他の道がきっと在ったのだろう。ジョミーがナスカを見出したように、
ミュウを包み込み受け入れてくれる星は地球でなくとも良かったのだ。
自分が地球に焦がれたばかりにミュウが進むべき道を誤り、多くの犠牲を払った果てに
死に絶えた星へと導いてしまった。取り返しのつかない愚かしい選択をしたのは他ならぬ自分。
此処へ至る道を託そうとジョミーを選び、その人生をも踏み躙った。
こんな結末を目にするために生き延びたのか、と悲しみと絶望がブルーの心を覆ってゆく。
生きてその罪を見届けよとばかりに、神は自分を生かしたのか……と。
ブルーの人生はアルタミラを脱出して間もない頃から絶望と悲しみの只中にあり、いつかそれを
越えて還り着きたいと願った星が地球だった。まさか、その地球が更なる絶望と深い悲しみとを
ブルーの心に齎そうとは…。還るべき場所として地球を示した道が誤りだったとは…。
絶望が心を覆い尽くした時、人は涙を流すことすら出来なくなる。ブルーは赤黒い残月から
目を離せないまま、自らが犯した罪をも見詰め続けるより他は無かった。ジョミーのように
絶叫することも、長老たちのように涙することも、彼らを地球へ向かわせたブルーにだけは
決して許されはしないのだから。
「ブルー!!」
強い力で肩を揺さぶられ、ハーレイの鳶色の瞳がブルーの瞳を覗き込んだ。
「大丈夫ですか、ブルー!?」
ブルーの視界から赤い地球が消え、恋人の眼差しと温かな腕が絶望の淵に囚われていた心を
引き戻す。
「…ブルー、申し訳ありません…。あれが……あのような星が地球だったとは…。あなたが
焦がれておられた星が、無残に変わり果てていようとは…」
もっと調べておくべきでした、とハーレイはブルーを抱き締めて詫びるが、罪があるのは
自分の方だ。青く輝く地球に行くのだ、と繰り返し説いてミュウの皆に壮大な夢を抱かせ、
還るべき場所だと信じ込ませた。そんな星は存在しなかったのに…。
「…ハーレイ、君のせいじゃない。悪いのは…」
ぼくだ、と胸の奥から絞り出そうとした時、ブルーのそれよりも圧倒的なサイオンが
シャングリラに満ちてゆくのを感じた。スクリーンの地球を食い入るように仰いでいた
ジョミーがブリッジのクルーやブルーたちの方を振り向き、確かな決意を秘めた声と
面持ちで静かに告げる。
「だが、行こう。地球へ」
ブルーが選んだ後継者。
強引に託されたミュウの未来に青い地球は無く、病み果てた残月があるばかりなのに、
その瞳には些かの迷いも無かった。
「過去は変えられなくても未来は築ける筈だ。ぼくらと人類の間に横たわるSD体制を打破
するために」
(…ジョミー…。行ってくれるのか……。あんな地球でも、君は行こうと言ってくれるのか)
約束の場所が無かった以上、何と責められても仕方がないと覚悟していた。ジョミーが
自分を責めることはないと分かってはいても、ミュウたちを地球へと歩ませてしまった罪を
裁いて欲しかった。
けれどジョミーの緑の瞳は地球の先にあるものを見据えている。目指すべきものは全ての
ミュウたちの還り着く故郷。人類に追われ狩られる種ではなくなり、安住の地へと降り立たねば
ならぬ。それを阻み続けるSD体制の要は地球。
だからこそ地球を目指して来たのに、いつの間にか夢だけが膨らんでいた。ミュウを受け入れて
くれる母なる星に違いないと心から信じ、その懐に還ってゆく日を思い描いて焦がれてきた。
地球に行くには人類との間に出来てしまった溝を埋めるか、戦いに勝つか、二つに一つの道しか
無いと分かっていながら、ただ憧れて夢見ていたとは、自分はどれほど愚かなのか…。
SD体制を打破するために向かうべき場所が地球であるなら、青く輝く星でなくとも行かねば
ならない。
辿り着いた地球の姿に失望しながらも僅かな時間で真実を見抜き、新たな道へと踏み出そうと
するジョミーの強さが誇らしかった。地球の幻影に囚われていた自分などより、彼こそが余程、
ソルジャーの名に相応しい。
(ジョミー…。君こそが真のソルジャーだ。…この状況でも先に進める君だからこそ、その名の
通りに戦士なんだ)
ハーレイの腕の中、微かな微笑みを浮かべたブルーに、ジョミーはスクリーンに映った赤黒い
大気と砂漠の星を指し示した。
「行きましょう、地球へ」と。
未だ再生していない事実を伏せられ、聖地と呼ばれて崇められる地球。
ミュウを聖地に踏み込ませまいとばかりに人類側の大艦隊が待ち受けていたが、どの艦からも
攻撃は無かった。今までの戦いで人類側は数多の艦隊を失っている。ここに集うのが恐らく
最後の艦隊。この艦隊が宇宙に沈めば、もはや人類には戦う術など無いのだろう。
「…まだこれだけは残っている、と誇示してきたか。…地球を前にして負けはしないが」
シャングリラのブリッジでジョミーが呟けば、人類側の旗艦と思しき大型艦から発進した一基の
シャトルが地球へと降下していった。死の星に降りて何をするのか、と訝る内に国家主席キース・
アニアンからのメッセージが入る。話し合いのために地球へ降りて来いと。
宇宙から見える地球には生命の欠片もありはしないが、会談の場所として指定されたのは地球
再生機構リボーン総本部、ユグドラシル。再生機構と銘打つからには、人類は地球の再生を諦めて
放棄したわけではないらしい。
「危険じゃ、ソルジャー。やつらは何を考えておるか…」
ゼルが自らの船からスクリーン越しに反対を唱え、騙し討ちや罠を恐れる声は他にもあった。
だが、話し合いを拒否するのならば眼前の艦隊と戦うしかない。人類側の最後の守りを殲滅
したとして、ミュウへの消えない憎しみの他に何が残るというのだろう。
「人類が本当に話し合うつもりか、聞く耳など持ちはしないのか。…彼らの真意を知ろうと
するなら、地球に行くしか方法はない。…それに戦力なら我々が上だ」
ジョミーは地球へと降りる決断を下し、船の指揮権をシドに委ねた。万一の時には残って
いる仲間の安全だけを考えろ、と。ミュウの未来を賭けて会談に向かうジョミーに同行するのは
長老たちとトォニィ、フィシス、それに……ブルー。
「…ブルー。本当に地球へ降りるのですか?」
格納庫へと向かう途中で気遣わしげに問い掛けて来たハーレイに、ブルーは硬い表情で頷いて
みせる。
「…地球を目指せと言ったのはぼくだ。青い星ではなかったからと目を逸らして済むような
話ではない。…どんな星なのか、何があるのか。…地球を示したソルジャーとして、見届け
なくてはいけないだろう」
「……ですが…。あなたが一番ショックを受けておられるのでは…」
「だからだよ、ハーレイ。あんな星へと皆を導いてしまった責任がある。生き永らえて地球に
着いたからには、地球は青いと嘘をついた事を皆に詫びねばならないんだ。…船に残れば
機会を逃す」
行こう、とマントを翻したブルーをハーレイが引き寄せ、一瞬だけ強く抱き締めた。
『…あなたのせいではありません。どうか…御自分を責めないで下さい』
決して無理はなさらぬように、と思念で伝えてハーレイの身体が離れてゆく。その優しさが
嬉しかったが、自分が犯した罪を思えば温もりに甘えてはいられない。生きて地球まで
辿り着いた仲間たちには詫びようもある。しかし、地球を夢見て死んでいった者には詫びる
術が無く、その上、死ぬ筈だった運命を覆してまで生きているのが罪深い自分だ。
(…ハーレイ…。誰が許すと言ってくれても、死んでいった仲間たちには謝りようが
無いんだよ…。青い地球へ行けると信じたからこそ、皆、歯を食いしばって理不尽な
運命に耐えていたのに)
SD体制を倒さなければ、と声高に叫んだ記憶はブルーには無い。ただ「地球へ行こう」と
呼び掛けただけ。夢の星を見たいと焦がれ続けて、その日を思い描いていただけ…。
(…現実を目にしてしまった以上、ぼくは責任を果たすしかない。どんな星でも、ぼくたちは
地球を手に入れる。SD体制を倒し、ミュウの居場所を……踏みしめる大地を手に入れるために)
青い水の星……約束の場所だった地球の代わりにミュウが大地を踏みしめる星は、地球を手に
入れてから探せばいい。SD体制さえ壊してしまえば、何処ででもミュウは暮らしていける。
ノアでも、アルテメシアでも……いくらでも星はあるのだから。
(この星が……地球)
シャングリラを離れ、地球へと向かうシャトルの窓からブルーは瞳を逸らすことなく過酷な
現実をその胸に刻みつけてゆく。
噴き上げる瘴気で濁った大気の底に何処までも広がる棄てられた高層建築群。人類が地球を
離れて何百年も経つというのに、解体され浄化されるどころか未だに屍を晒したままで何の策も
講じられてはいない。ブルーたちが信じ込んでいた偽の情報では、SD体制の開始から百年後には
帰還者が降り立った筈なのに。
(…これが本当の地球の姿か…。ぼくたちを拒み、排斥し続けて来たグランド・マザーは地球の
現状を維持するだけで精一杯で、再生する力は無いというのか…?)
会談の場所となるユグドラシルは地球再生機構の総本部。だが再生機構と冠しておきながら、
世界樹の名を持つ巨大な構造物は自らの役目を果たしているとは思えなかった。何本もの線で
地表と繋がってはいるものの、その周囲すらも浄化されてはいはしない。
(地球を再生出来ないのなら、どうしてミュウを退けたんだ…。SD体制は地球の再生の
ためのシステムなのだと聞いていたのに…。そのシステムにそぐわないからと多くのミュウが
殺されたのに……それなのに地球は……)
流された数多のミュウたちの血は何の意味も持っていなかった。その血が地球の浄化のための
供物、生贄であったのならば、まだ一欠片の救いを其処に見出すことも出来ただろう。しかし
肝心の地球がこの有様では、殺されていったミュウたちの命は何ゆえに握り潰されたのか…。
SD体制に利点など無い。根幹に据えた地球の再生すら出来ぬシステムに存在意義など
有りはしない。人類を管理し、飼い馴らすだけのコンピューターに人が従ってどうするのだ。
機械の方こそ人の意に従うべきなのに…。
ミュウを排除するシステムにしても同じこと。人類がミュウを抹殺しようとするのではない。
機械がそれを命じてきた。SD体制を維持するために、システムに相応しくないミュウの処分を。
もしも人類が自分たちの意志で行動していたならば、それでもミュウは消されただろうか?
最初は相容れぬ異端とされても、歩み寄る道が自然に生まれ、いつしか手を取り合えて
いたのではないか…。
(SD体制を終わらせなければ…。話し合いで解決出来ないのなら、力ずくで破壊するまでだ。
でなければ地球は手に入らない。…ミュウの居場所も見付かりはしない。そのために……
ぼくたちは地球まで来た)
話し合うことで道が開けるのか、それとも戦いが待っているのか。戦うとしたら相手は
上空の人類統合軍の艦隊ではなく、ユグドラシルに詰める国家騎士団員たちでもない。
(グランド・マザー…。マザー・システムのメインともなれば、どれほどの力を持って
いるのか…)
ブルーが対峙したことがあるのは末端のテラズ・ナンバーだけだった。ジョミーは戦いの中で
幾つものテラズ・ナンバーを葬ってきたが、たった一人でグランド・マザーに立ち向かうのは
無謀だろう。トォニィやナスカの子供たちが共に戦うことになるなら、その時は自分も戦線に
立つ。
(…すまない、ハーレイ…。皆は来るなと言うだろうけど、今度ばかりは譲れない。地球を
目指したソルジャーとして、SD体制だけは破壊しないと…。生きて此処まで来た以上はね。
…君が生かしてくれた命を無駄にしたくはないんだよ…)
でも、君にとっては無駄遣いの最たるものになるのだろうね…、とブルーは通路を隔てて
座るハーレイの方を密かに見遣った。厳しい顔でユグドラシルを見据えるハーレイはブルーの
眼差しに気付いてはいない。
(…ごめん。もしも、ぼくが戦いで死んでしまったら……君が悲しむのは分かってる。
ぼくだって君と一緒に生きていたくないわけじゃない…。…だけど、ぼくは今でも
ソルジャーなんだ。戦いの場を離れて久しいけれど………ぼくが地球へ行こうと言い出した
ことが、この戦いの始まりだから…)
戦わないわけにはいかないんだ、と心で詫びて、ブルーは窓の外へと視線を戻した。間近に
迫ったユグドラシルは雲を貫くほどの高さで禍々しく聳え立っている。
「世界樹と言うより、まるで巨大な毒キノコのようじゃな」
ゼルの的を射た皮肉に唇に苦い笑みが浮かんだ。病んだ地球に寄生し、人類とミュウの双方に
毒素を含んだ胞子をばら撒き続ける毒キノコ。マザー・システムを何かに譬えるならば、まさに
それだと言えるだろう。
地球をも蝕むこの忌まわしい菌類を滅ぼし、ミュウの未来を切り開く。その先に地球の未来も
あれば…、とブルーは幻のままに儚く消えた青い水の星を赤かった地球の記憶にそっと重ねた。
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