シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
岩盤に押し潰される衝撃が来るまでの時間は酷く長かった。砕けたシールドの欠片が青い光の
粒に変わるのを赤い瞳でぼんやりと見ながらハーレイを想う。今度こそハーレイは泣くだろう
けれど。…でも、キースたちを守って無事に地上へ戻って欲しい。地球の未来を見届けて
欲しい…。
「ブルー!!!」
視界に青い光が溢れ、ブルーをまさに押し潰さんとしていた岩が粉々に弾け飛んだ。現れたのは
ジョミーではなく、オレンジ色の瞳のトォニィ。
「間に合った…。飛ぶよ、ブルー!」
燃えるような髪を持つ青年の腕に抱えられ、一瞬の後にはジョミーたちが待つ地下通路へと移動
していた。
トォニィはブルーを両腕で抱いたままでジョミーに向かって叫ぶ。
「グラン・パ、上の方も崩れ始めてる! 歩いていたんじゃ間に合わない。ぼくとグラン・パの
力で飛ぼう。何度かに分ければ上に出られる!」
ぼくはそうやって降りて来た、というトォニィの提案にジョミーが頷き、ハーレイがブルーを
腕に抱き取った。そんな中でジョミーが「すみません」とブルーに謝る。
「あなたを迎えに飛ぼうとしました。…そこへ地震が起こってしまって、目標を定められなく
なった。もしもトォニィが来てくれなかったら…。本当にすみませんでした」
『…君が謝る必要はない。あそこに残ると言ったのは、ぼくだ。…君が地震の中で飛べない程に
消耗したのはグランド・マザーのせいだろう? …気に病むな、ジョミー。それよりも、上へ』
「はい…!」
行きましょう、とジョミーとトォニィがハーレイとキースを挟んで向かい合った。ハーレイの
腕の中にはブルー。キースの腕にはマツカ。二人のタイプ・ブルーが力を合わせれば、その
サイオンは相乗される。テレポートを重ねて上へ、上へと飛んでゆく間、ハーレイはブルーを
しっかりと抱いて離さない。
『ブルー…。今度こそ駄目かと思いましたよ。…ソルジャーとしての御判断も結構ですが、もう
おしまいにして下さい。私の心臓が保ちません』
『…ぼくを生かしている分を削れば大丈夫だろう?』
『何度も申し上げた筈ですが…。あなたが生きていらっしゃることこそが、私の生きている
意味です。…ですから生きて下さい、ブルー』
シャングリラに帰ったらすぐに手当てを、とハーレイは言うが、痛みはそれほど感じなかった。
傷口を凍らせられていることもあったが、それ以上に精神的なものが大きい。一つ判断を誤れば
皆を巻き添えにしかねない状況だけに、気をしっかりと保たねばならぬ。…そう、地の底から
脱出するまでは。
「グラン・パ! 上に誰か居る!」
「なんだって?」
何処だ、と問い返しながらもジョミーはトォニィと共にブルーたちを連れてテレポートする。
ぽっかりと開けた空間は薄暗かったが、そそり立つ扉と女神のレリーフに見覚えがあった。
カナリアと呼ばれる子供たちがいたフロアだ。
「ゼル!? それに…ヒルマンたちか?」
「「「ソルジャー!?」」」
ジョミーの呼び掛けに応えた声は長老たちのもの。絶え間ない地震で壁がひび割れ、落下物が
散乱する暗い広間に彼らは居た。
「こんな所で何をしているんだ! 崩れるぞ!」
「…ソルジャーたちを探して此処まで降りて来たんじゃが…」
「先へ進めなくなっちまってさ。でも、あんたたちが無事で良かったよ。…と、無事ってわけでも
ないようだね」
ブルーの傷と気を失っているマツカに気付いたブラウに、ブルーは声を出す代わりに思念で
尋ねた。
『…此処に子供たちがいなかったか? それとも脱出した後だったか…』
「あの子たちならシャングリラに送り届けました。…それにフィシスも」
ヒルマンが穏やかな瞳で高い天井を仰ぐ。
「こんな所に子供がいたのには驚きましたが、見殺しには出来ませんでしょう。私たちの力を
合わせればそのくらいは…。ただ、私たちが戻るのはもう無理なようです」
来た道は塞がってしまいましたし、とヒルマンが指差す先には崩れ落ちた通路。此処はまだ
地上までの中間地点に過ぎず、脱出不可能と悟った彼らは子供たちと年若いフィシスを優先して
逃がしたのだろう。
「ソルジャー、あなたは逃げるんじゃ。勿論、ソルジャー・ブルーもですぞ」
「ハーレイ、あんたも行くんだよ。ブルーはあんたがいなけりゃ生きられないし、シャングリラ
にはキャプテンが必要だからね」
行きな、とブラウが明るく笑い、ヒルマンやエラたちも声を揃えた。ミュウと人類の未来の
ためにも自分たちを捨て、ジョミーやキースたちが生き残って皆を導くべきだと。
「ほらほら、何をグズグズしてるんだい? 早く逃げないと崩れちまうよ。…そこの大将も上で
お供が待っているんだ」
ブラウが大将と呼んだのは他ならぬキースのことだった。
「あんただよ、国家主席様。…人類にはシールドなんて器用なことは出来ないからねえ、よろしく
頼むと言われたんだ。探しに行くなら閣下も是非…って。シャトルが出られるギリギリまでは
待ってるってさ」
「…では……会談は無事に終わったのだな?」
キースの問いにゼルがフフンと余裕の笑みを浮かべる。
「当然じゃろう。…まったく、あんなメッセージを流したくせに無責任に出ていきおって…。
お前の部下たちは気の毒じゃったぞ、右往左往というヤツじゃ。あちこちの星で暴動が起こるわ、
軍人どもは戦いを放棄するわで後始末に頭を痛めておったわい」
早く戻って手伝ってやれ、と促したゼルの目が不審そうに細められた。
「…なんじゃ? この感覚は…。もしやミュウではあるまいな? お前はミュウを連れて
おるのか?」
「連れているとも。マツカはミュウだ。…そして私自身も…ミュウらしいな」
唇の端を吊り上げたキースの身体からサイオンのイエローが立ち昇る。長老たちは息を飲み、
其処へジョミーが今に至るまでの経過の全てを思念で伝えた上で畳み掛けた。
「分かるな、これからが大切なんだ。逃げるなら誰一人欠けてはならない」
「ソルジャー! 無茶を仰られては困りますな」
どうぞお早く、とヒルマンがブルーたちから離れて退き、ブラウたちも壁際に下がろうと
したが。
『アルテラ! タージオン、ペスタチオ、みんな、手を貸せ!』
トォニィの強大な思念が遙か上へと向かって放たれ、ナスカの子供たちの青いサイオンが
シャングリラからユグドラシルの地下深くへと飛び込んで来た。そのサイオンに巻き上げられる
ようにゼルが、ブラウが、ヒルマンとエラの姿が消えてゆく。
「「「ソルジャー…!!!」」」
「先に戻っていろ! ぼくたちもキースを送り届けたら戻る!」
行け! とジョミーがシャングリラが浮かぶ宇宙へと思念を送り、ブルーたちの方を振り
返った。
「ぼくたちも行こう。…急ぐぞ、ユグドラシルが崩れてしまったらシャトルが飛べない」
「グラン・パ、シャングリラからもシャトルが出てる!」
アルテラに聞いた、と告げるトォニィに、ハーレイが満足そうな微笑みを見せた。
「シドが決断を下したか…。地球を離れる代わりに人命救助の道を選ぶとは、いいキャプテンに
なるだろうな」
「まだキャプテンは君だろう? 行くぞ、トォニィ!」
ジョミーのサイオンがトォニィのそれと重なり、ブルーたちを連れてユグドラシルの上を
目指して飛ぶ。点在する空間から空間へと、地震と地鳴りの間隙を縫って。
そうやって辿り着いた地上は激しい揺れと地割れからの噴火に見舞われ、ブルーとハーレイに
とってはアルタミラの惨劇を思い起こさせる熱く燃え盛る大気の中を何基ものシャトルが
上昇してゆく。地球にいた人類たちは皆、無事に脱出できただろうか?
ユグドラシルの地上部は壁や通路のあちこちが裂け、照明すらも落ちた内部に人影は無い。
辛うじて外部からの有毒ガスだけはまだ入り込んでおらず、地震の度に縦に横にと揺れる通路を
格納庫へと進んでゆくと。
「アニアン閣下!」
キースの側近の一人だった浅黒い肌の国家騎士団員の青年が、一基だけ残っていたシャトルの
中から駆け出して来た。
「閣下、御無事で…! マツカは!?」
「大丈夫だ、まだ死んではいない。私を庇って怪我をした。…そこのミュウたちが応急処置を
してくれたのだ。私を此処まで連れて来てくれたのも彼らだ」
キースの言葉に青年はジョミーたちに最敬礼をし、続いて深々と頭を下げた。国家騎士団と
言えば軍人の中でもエリート中のエリート。その騎士団員がミュウに対して礼を取るという
行為が新しい時代の始まりを示していた。
「ありがとうございました! …閣下、此処はもう危険です。ユグドラシルにいた者たちは
脱出しました。我々も早く!」
「ああ、急がねばな。…世話になった、ジョミー。ソルジャー・ブルー。…そしてトォニィ。
それにキャプテンも……。礼を言う」
また会おう、とマツカを抱いたまま会釈し、キースはシャトルへと乗り込んで行った。既に
準備が整っていたシャトルは滑るように離陸しようとしたが、その瞬間にユグドラシルが大きく
揺れる。天井に激突しかかったシャトルを間一髪で支え、燃える空へと解き放ったのは
ジョミーとトォニィのサイオンだった。
『…すまない、最後まで世話をかけたな。お前たちも早く逃げてくれ』
キースから届いた思念波にジョミーが遠ざかるシャトルへと手を振り、ブルーたちの方を
振り向く。
「ぼくたちが最後らしいです。…帰りましょう、シャングリラへ。もう地球で出来ることは
何もありません」
『…そうだね、ジョミー。…こんな星へ行けと頼んですまなかった』
「ブルー、これからが新しい時代ですよ。ミュウにとっても、地球にとっても。…見届けて
下さい、あなたのその目で」
帰りますよ、と強い意志を秘めたジョミーの瞳が大気圏内に降下してきていたシャングリラを
見上げ、最後のテレポートがブルーたちを展望室へと運んだ。
ガラス張りの窓からユグドラシルが沈み、崩れ落ちてゆくのが見える。地球に寄生していた
SD体制の象徴たる忌まわしい毒キノコが宿主の怒りに触れ、毟り取られて踏み躙られ、
地の底へと葬り去られる姿が…。
『…ハーレイ……。地球が……燃える…』
アルタミラみたいに、と思念で呟くブルーを両腕で抱いたまま、ハーレイも窓の外を見詰めて
いた。
「そうですね…。けれど、私は地球は再生すると信じています。あなたに青い地球を見て頂ける
日が必ず来ると信じていますよ…」
あなたが生きて下さったように、とハーレイの思念がブルーの心に囁き掛けた。
『ソルジャーに戻ると仰った時、私は覚悟を決めていました。…あなたに万一のことがあったら、
私も生きて戻りはすまい……と。ですが、私たちはシャングリラに戻ってきたでしょう?
青い地球にもきっと行けます。あなたが生きて下されば……きっと……』
そのためにも早く傷の手当てをなさらなければ、とハーレイに促され、ジョミーが思念を
飛ばしてドクターと医局の者たちを呼び寄せても、ブルーは赤々と燃え上がる地球から視線を
離そうとはしなかった。
長い年月、焦がれ続けた青い水の星………地球。
この星がいつか元の姿を取り戻す日が来るのだろうか、と地表を流れる灼熱の溶岩と
マグマが噴き出す無数の地割れとを眺め続ける。ドクターに打たれた麻酔のために意識が
薄れ始めても………地球を。
重傷を負ったブルーの手術はメギドから帰還した時ほどに長くは掛からなかった。傷は深いとは
いえ一ヶ所だけであったし、ジョミーが取った処置とハーレイが注ぎ込んだ命が体力の消耗を
防いでいたために回復も早い。ブルーが意識を取り戻した時、最初に瞳に映ったものは…。
「…ハー…レイ…?」
「はい。ずっとお側にいましたよ、ブルー…」
見覚えのあるメディカル・ルームのベッドの脇にハーレイが優しい笑みを湛えて腰掛けている。
「……地球は……どうなった…? 人類…と…ミュウは…?」
「キースとマツカを救ったのがミュウだと公表されたお蔭で一気に距離が縮まりました。あの後、
すぐに人類側の旗艦ゼウスの艦長でマードックと名乗る人物がシャングリラに表敬訪問を…。
私が船内を案内しましたが、友好的な男でしたよ。…ナスカでの戦いの直後に残存ミュウの
掃討命令を無視したそうです」
人類側も好戦的な者ばかりでは無かったのですね、とハーレイはそっとブルーの手を取った。
「あちこちの惑星で起こったという暴動も、全てマザー・システムの破壊が目的でした。
施設に収容されていたミュウは自由になり、人類と共に暮らし始めているとのことです。
人類のミュウ化も既に報告が入っております。…これは機密扱いだったそうですが、
国家騎士団員の中にも少し前から潜在ミュウが」
「…それもマツカのせい…なのかな…?」
「恐らくは。…けれど他にも事例があるようですから、ミュウ因子を持った者がいたの
でしょうね」
これからはミュウの時代ですよ、と微笑むハーレイにブルーも笑みを返す。地球は青くは
なかったけれども、幾つもの星がミュウが踏みしめられる大地になったのだ。SD体制は
過去のものとなり、ミュウは頸木から解放された。
地球を目指せと約束の場所として掲げ続けた自分の罪はこれで少しは軽くなるだろうか?
青い地球を夢見て死んでいった者たちに少しは顔向け出来るだろうか…。
「ブルー? …まだ苦しんでおられるのですか、地球の姿に?」
ハーレイはブルーの命を繋ぎ続けているだけはあって、心の動きにも敏感だった。
否定しようかと一瞬迷ったが、ブルーは頷いて銀色の睫毛を悲しげに伏せる。
地球を……見たかった。朽ち果てた姿でも紅蓮の焔に包まれた姿でもなく、青く輝く水の星を。
地球に降りた日の夜にハーレイが見せてくれた、彼の心の中に在る青い星。自分とハーレイの
命が尽きる時にはあの青い地球へ行けるのだろうか? 地球を夢見て斃れた仲間たちも皆、
青い地球に辿り着けただろうか…。
「ブルー…。あなたが焦がれておられた青い地球まで、お連れ出来るかもしれません。
夢ではなくて、このシャングリラで。…ヒルマンも人類側の学者たちも皆、その可能性を
語っていますよ」
「……まさか……」
そんなことが、と目を瞠るブルーにハーレイは小さなスクリーンを開いてみせた。
「御覧下さい。あなたが眠っておいでになった数日間の間の地球です」
時間を縮めて再生される映像の地球は噴き上げるマグマに深く切り裂かれ、地表を覆うのは
燃える溶岩。どんな生物も棲めぬであろう海が煮え滾る岩の熱で干上がり、豪雨となって地上に
降り注ぐ。ブルーが見た地球が死の星ならば、この地球は地獄と言うべきだろうか。
「グランド・マザーは人類の留まる場所としてユグドラシルを維持していたようです。
マントル層にまで達してはいても、それを動かしはしなかった。…けれど今の地球は文字通り
地の底から動き始めています。汚染された大地を地下深く引き込み、新しい大地を生み出そうと
しているのですよ」
「…そういえば……最初の生命が生まれた頃の地球はこんな風だった、という説があったかな…」
「ええ。まるでその時代に戻ったようだ、とヒルマンたちは言っています。この速さで地殻の
破壊と再生が進むようなら、落ち着いた頃にテラフォーミングを施してやれば青い地球へと戻るの
ではないか…と。我々にも要請が来ていますよ。ナスカでの経験を地球に生かさないか、と」
ナスカは人類が見捨てた惑星だった。それを草花の育つ星にしたミュウの力が地球の再生に
有効ではないか、と人類側の学者たちは考えたらしい。既にヒルマンと連絡を取り合い、情報
交換が始まっているようだ。
「ナスカか…。ぼくは一度も降りなかったけれど、あの星と地球が繋がるのなら……死んでいった
仲間たちも喜ぶだろうか? そうなってくれれば…ぼくも嬉しい…」
「ジョミーが話していましたよ。ナスカで最初に根付いた植物を植えてみようかと。…ブルー、
あなたも御存知の植物です。あなたが改良なさった豆があったでしょう? あれがナスカで
最初に根付きました」
「…あの豆が…? あの豆を……地球へ…?」
「はい。生命力がとても強いですから、緑化には有効な植物です。それに植物は酸素を作り出し
ますし…。人類側の学者も興味を示しているそうです」
「……そんなつもりで作ったわけではないんだけれど……」
食料が乏しかった時代にシャングリラの中でも簡単に育てられる食物を、とサイオンを
使って改良したのがハーレイが言う豆だった。環境が改善されるにつれて忘れ去られたものと
思っていたが、その豆がナスカの大地で育てられ、今度は地球の再生のために使われようと
しているとは…。
「ブルー。…長生きはしてみるものでしょう? もうソルジャーに戻られる必要も無いの
ですから、生きて下さい。私がこの船で青い地球へとお連れする日まで」
約束ですよ、と強く握られた手をブルーはまだあまり力の入らない手で握り返した。
……約束するよ、ハーレイ。
君が連れて行ってくれると言うなら、青い水の星に還れる時まで生きていよう。でも……。
「…ハーレイ…。生きているのは地球に着くまででいいのかい?」
ハーレイがハッと息を飲み、慌てて叫んだ。
「いいえ! いいえ、ブルー…。その先まで。ずっとずっと遙かな未来まで、私と生きて
頂きます!」
青くなり、すぐに耳まで真っ赤に染まったハーレイの顔がとても可笑しくて、ブルーは
フフッと小さく笑った。
分かっているよ、ハーレイ。
君と一緒に、遠い未来まで……。
シャングリラは揺れ動く地球とソル太陽系を離れ、アルテメシアへと戻っていった。地上で
暮らしたいと願った者たちを降ろし、その後は……SD体制下で首都星と呼ばれていたノアへ。
ジョミーはミュウの長として人類側の代表であるキースと共に新しい体制を創り出すために
奔走していたが、住居とする場所はシャングリラだった。かつて人類軍がモビー・ディックと
名付けた白い巨艦はミュウの自由の象徴となり、見学希望者が後を絶たない。
人類の過半数がミュウ化した時点でキースが自身とマツカのミュウ化を明らかにする声明を
出すと、頑強にミュウとの接触を拒んでいた者たちも一気に軟化し、人類の進化は加速してゆく。
「ブルー」
務めを終えて戻ったジョミーがハーレイを伴い、青の間へと入って来た。
「この調子だと、あと半年も経たない内に全員がミュウになりそうですよ。自然出産をする
人たちも増えています。地球の地殻変動は続いていますが、大きな地震は減ってきましたね。
…調査船からの報告では汚染物質は既に地表には全く残っていないそうです」
「凄いね、人は…。それに地球も…」
「ええ。思った以上の速さで時代は変わり続けていますよ。…それなのに、あなたは相変わらず
……ですね。楽な服をいくら届けさせても、着替える気にはなれませんか…」
ジョミーが深い溜息をつく。彼の服装はノアの統治機関での勤務用ですらなく、慣れ親しんだ
家で寛いだひと時を過ごすのに相応しいラフで着心地の良いものだった。しかし、対するブルーは
頑なに、白と銀の上着に紫のマントというソルジャーの衣装しか着ようとはしない。
「これはぼくへの戒めなんだよ。青い地球へ還り着くのだと繰り返し唱え続けた以上は、その
地球へ皆が行ける時まで、ぼくの務めは終わらない。ぼくを信じてついて来てくれた仲間たちを
皆、地球へ連れて行ってやらなければ」
「もうソルジャーは必要ないんですけどね…。でも、あなたが地球を目指さなかったら何も
始まりはしなかった。誰もがそれを認めていますし、キースたちも理解してくれています。
…ですから、地球が再生したら………ブルー、あなたが最初に降りるんですよ」
「……ぼくが……?」
俄かには信じられない言葉に、ブルーは赤い瞳を零れ落ちそうなほどに見開いた。ジョミーが
頷き、キャプテンの制服を纏ったハーレイをブルーが腰掛けるベッドの方へと押し遣る。
「今日の重要な議題の一つが地球のテラフォーミングの件でした。地殻変動が落ち着き始めた
地域については開始するという方針です。…それでキースと休憩時間に話をしていて、
テラフォーミングが成功したら最初にあなたを降ろすべきだ…と。勿論、ハーレイと
一緒にですが」
「何故、ぼくを…」
「それが最良だからですよ。誰だって一番最初に地球へ降りたいに決まっています。
下手をすれば争いになりかねない。…けれど、あなたなら誰も文句は言えないんです。あなたが
降りて、その後は公平に抽選にでもしようかと…。ぼくとキースは多分、二番手で降りることには
なるのでしょうが」
楽しみに待っていて下さい、とジョミーは明るい笑顔を見せた。
「あなたが改良したという豆もテラフォーミングに使います。生命力の強さでは飛び抜けた
ものがあるらしいので…。緑に覆われた地球で咲いている姿を見たいでしょう? 安定し始めたら
成長の早い植物を育てますからね、恐らく三十年も経てば人が降りても問題ないレベルまで自然が
回復するかと」
たったの三十年ですよ、と告げてジョミーが出て行った後、ハーレイがブルーの隣に座って
その肩を抱く。
「…ブルー、お聞きになったでしょう? あなたを青い地球までお連れ出来ます。三百年以上も
生きてこられたあなたにとって、三十年は長くはない筈です。私もお側におりますから…」
「キャプテンとして、ジョミーの補佐役として色々と多忙みたいだけれど?」
「す、すみません…! 確かに夜まで戻らない日が多いですね…。ゼルたちに任せてもっと時間を
取るようにします。せめて昼食は御一緒に…」
「いいよ、今のままで」
クスッと笑ってブルーはハーレイの大きな身体に凭れかかった。
「ぼくの力はもう必要とされていない。…だから君の力が役に立つなら、ぼくの分まで存分に
動いてくれればいいよ。ぼくが自分の力で生きていられる身体だったら、ジョミーの力にも
なれただろうに…。それだけが少し悔しいかな。君に生かして貰っている身で、こんなことを
言うのは我儘だけれど」
「ブルー…。あなたは充分に力を持っておいでですよ。でなければ地球が蘇った暁に最初に降りて
頂くことなど、誰も考えたりはしません。…いいですか、あなたが全ての始まりなのです。
キースたちは今はいい意味でオリジンと呼んでいますよ、あなたのことを」
御自分を卑下なさらぬように…、と温かい手で頬を撫でられ、ハーレイの唇が寄せられる。
「行きましょう、ブルー。いつか蘇る青い地球まで、このシャングリラで」
「…うん……。行こう、ハーレイ。ぼくたちの約束の場所だった星へ…」
口付けを交わす間にハーレイが今も心に抱き続ける青い水の星の幻が見えた。ハーレイの地球に
引き寄せられるように、ブルーも自らの心の遮蔽を解いてゆく。
身体を、心を融け合わせて過ごす至福の時。互いを求め合う夜を幾重にも重ね、身体も心をも
結び合わせて………いつの日か………地球へ。
グランド・マザーとユグドラシルを地の底深く葬った地球は廃墟と化した高層建築群をも
飲み込み、溶岩と共に新たな大地を送り出した。強酸性の海は蒸発し、雨となって降り注いでは
再び気化され、その繰り返しが水と大気から毒素を取り去り、青い海と空が蘇る。
其処から先は人間たちの腕の見せ所だった。
幾つもの惑星を人が棲める場所としてテラフォーミングしてきた技術を惜しみなく投じ、
海には微生物や海棲藻類、それらを糧とする生き物たちを。大地には数多の草木を茂らせ、
其処を宿とする生命たちを…。
死の星だった地球が胎動を始めた時、学者たちが予言していたとおりに青い水の星は再生を
遂げた。人の手が二度と母なる星を損なわないよう、定住は認めないというのが皆の一致した
見解だったが、許可を得た者が短期間だけ滞在することは許される。
その青い星へ一番最初に降り立つことを全ての人間が認め、心の底から祝福したのがミュウの
先の長、ソルジャー・ブルー。彼が青い地球を約束の地として示したからこそ、地球は古えの姿を
取り戻せたのだと。
「ブルー。もうすぐ地球が見えます」
ハーレイがシャングリラのブリッジでブルーの肩を抱き、スクリーンに映る月の彼方を指差す。
まだ人類との戦いの只中に居た頃、同じ言葉を思念波で聞いた。あの時はこうして二人で
寄り添うことも出来ず、ただ手を握り合って立っていただけ。
そして月の向こうから現れた地球は…。
「………地球だ………」
ブルーの瞳から涙が零れて頬を伝った。
遠い日に見た赤黒い残月と化した地球と同じ星とはとても思えぬ、何処までも青く美しい星。
白く渦巻く雲を纏わせ、緑の大地をその身に鏤めた一粒の真珠。
気が遠くなるほどの長い歳月と、戦いの日々と……。幾つもの奇跡がブルーの命を繋ぎ止め
続け、ついに此処まで還って来た。何度となく諦め、見られぬと涙し、最後には夢をも
打ち砕かれてしまった青い星。何処にも存在しなかった筈の青く輝く母なる地球へ、
ブルーは生きて還って来たのだ。
シャングリラが地球へと降下してゆく。
地表の七割を占めると言われる真っ青な海が近付いて来る。これほどの豊かな水を持つ星は
未だに一つも見つかっていない。この大海原こそが水の星、地球である証。
「ブルー、シャトルを降ろします。ハーレイと一緒に格納庫へ」
久しぶりにソルジャーの衣装を纏ったジョミーの言葉に、ブルーは首を左右に振った。
「…要らないよ。此処からならハーレイと一緒にテレポートで飛べる。地球の大気を守るためにも
シャトルは出さない方がいい」
「それを言われると、ぼくたちの立場が無いんですけどね…。ぼくはともかく、キースやマツカや
長老たちは飛べないんですよ」
ジョミーたちはブルーが降り立った後、少し経ってから第二陣として降りて来ることが
決まっていた。あの日、地球の運命を変えた勇気ある者たちとして、文句無しに選ばれ、皆、
シャングリラに乗っている。キースとマツカはシャングリラに続いて降下予定のゼウスの
シャトルに。
「君たちは構わないだろう? きちんと計算されて選ばれた人数とシャトルなのだから。
…使わないのは、ぼくの我儘だ。シャトルの中から出るのではなくて、地球の大気に直に
飛び込みたいだけなんだよ」
だから帰りは君たちのシャトルに乗せて貰うさ、と微笑んでブルーはハーレイの手を握った。
「飛ぶよ、ハーレイ。…行こう、地球へ」
「ブルー? しかし、お身体が…!」
皆まで言わせず、ブルーはサイオンを発動させた。
一瞬の後に、濃すぎるほどに感じる大気と身体中を押し包む湿気とに抱き止められる。
焦がれ続けた星、地球の清らかな大気。足許には緑の草に覆われた大地が広がり、少し先には
豊かな森と水平線まで続く海とが…。
吹き抜ける風にそよぐ草に混じって淡い桃色の花が揺れていた。遠い昔にブルーが作り出し、
シャングリラの中で育てていた豆。その花が夢にまで見た地球の大地に咲いているとは、自分は
どれほど幸運なのか。
そしてハーレイと二人きりで青い地球へ最初に降り立つことを許されるとは、どれほど恵まれて
いるのだろうか…。
「…ハーレイ…。本当に……地球だ。君が連れて来てくれたんだ…」
「いえ、私は……。私には此処まで飛ぶ力は…」
「違うよ、ハーレイ。ぼくの命も、ぼくのサイオンも…君がいなければ無いものだろう?
君がぼくを生かしてくれたし、地球まで連れて来てくれた。…ぼくは約束を果たせたんだよ、
君のお蔭で」
ブルーは高く澄み切った空を仰いだ。シャングリラは白く小さな点にしか見えない。
あの船で青い地球へ行こうとミュウの仲間たちに初めて語ったのはいつだったか…。その約束は
死の星だった地球に覆され、紆余曲折を経てやっと叶った。これで青い星へと皆を導ける。
喪われた命にも、これから地球を目指す者にも、幻ではない青い水の星を…。
「ありがとう、ハーレイ…。やっとソルジャーの務めを果たせた。君には心配ばかり掛けて
きたけど、今度こそ、ただのブルーに戻るよ。だから…」
ジョミーたちが地球へ降りて来たら。
みんなと一緒に地球で過ごしてシャングリラへ戻ったら、君がソルジャーの衣装を脱がせて
くれるかい…?
「…ブルー…。ええ、ブルー…!」
感極まったように声を詰まらせるハーレイの逞しい腕に抱き締められて、ブルーは銀色の睫毛を
伏せた。地球の風が頬を撫でてゆく。爽やかな風は馨しく心地良く感じられたが、それよりも
ハーレイの変わらぬ温もりと厚くて広い胸とが嬉しい。
ミュウたちを導くソルジャーとして焦がれ、還りたかったのは母なる地球。けれど、一人の
人間として帰りたかった場所はハーレイの腕の中だった。
メギドで命尽きようとしていた時も、この地球でグランド・マザーと戦った時も。
ソルジャーとしての務めの重さと青い地球までの道の遠さに押し潰されそうになって涙していた、
辛く苦しかった日々の中でも…。
「帰ろう、ハーレイ。蘇った地球から、ぼくたちの船へ…」
青く輝く奇跡の星から、ぼくたちが共に暮らした船へと。君と渡ってきた星の海へと…。
君と一緒なら、ぼくは何処まででも行くことが出来る。
この青い星を遠く離れて、今度こそ………君と二人で歩く未来へ。
ぼくはもうソルジャー・ブルーじゃない。
青い地球の呪縛から解き放たれた、君一人だけのブルーだから。
此処まで連れて来てくれた君のためだけに、これからのぼくは生きてゆくから…。
………愛してる………。
ハーレイ……。
奇跡の青から・了
以下、作者メッセージです。「読んでやろう」という方はどうぞ。
≪作者メッセージ・あるいは言い訳≫
最後までお読み下さってありがとうございました。
実は2011年にブルー生存ネタな『奇跡の碧に…』を発表した時点で、翌年に
対となる『奇跡の青から』を書こうと密かに決めておりました。
決めていた…のでございますが。その時に決まっていた内容と、今回書いた
『奇跡の青から』は完全に別物でございます。
当初の設定では生き残るのはハーレイとブルーのみ、ストーリーはアニテラ
そのまんまを拝借し、ブルーは荒廃した地球には降りること無し。
ハーレイはブルーの力でシャングリラに生還し、その後コールドスリープで
長い時を越え、ブルーと共に再生した地球の最初の住人となる…。
元々の『奇跡の青から』は、そんな話でございました。
ですが、いざ7月が迫ってきまして、アニテラ最終話とその前回を見直して
みましたら、ふと疑問が。
「ブルーが生きてあの地球を見たらどうするだろう」と。
でもって「自分とハーレイだけ生き残って、幸せになれるような人か?」と。
それがドツボの始まりでした。
ブルーに「青い地球」はアリでも「赤い地球」は「あってはならないもの」。
そこの問題をどう読み解くんだ、と物凄~く悩みましたです。
「ブルーに赤い地球」の『解』が出せなければ書くまい、とも思いました。
2週間ほど考え続けて自分なりに解いた答えが今回の『奇跡の青から』です。
ハーレイと二人だけ生き残って、蘇った地球で幸せに暮らすか。
蘇った地球を離れて、ハーレイと二人で静かに生きてゆくか。
ハレブル的には「どちらが良かった」んでしょう?
「前者の方が好みじゃ、ボケ!」という方には伏してお詫びを申し上げます。
2012年7月28日(土)、アニテラ17話放映から5周年。
ロンドン・オリンピックの開会式の日なのは、まるっと無視。
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