シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
夏休みを控えた教頭先生の悩みは会長さんの悪戯心で剃られてしまった大事な無駄毛。柔道部の合宿で部員たちと一緒にお風呂に入るのが伝統らしいのですけど、それも躊躇われるほどの恐ろしい秘密が紅白縞の下に…。会長さん曰く、ツーフィンガー。指二本分だけの幅を残して剃り落とされた無駄毛です。
「良かったよねえ、ブルーのお蔭で悩みが綺麗に無くなってさ」
会長さんが蒸し返した話題に「またか…」と頭を抱えたくなる私たち。五日間の期末試験が無事に終わって、今は打ち上げパーティーの真っ最中。教頭先生に貰ったお金でお気に入りの焼肉店に来ています。いつもより軍資金が多めとあって会長さんは上機嫌。
「ハーレイが奮発してくれたのは悩みが消えたからだろう? 助かったって言っていたしね。…ブルーも御礼を貰ったらしいよ」
「「「え?」」」
いつの間に、と私たちはビックリ仰天。ソルジャーが教頭先生にサイオン・バーストを起こさせ、ツーフィンガーを誤魔化すためのサイオニック・ドリームを使えるようにして貰ったのは見ていました。けれどその後、教頭先生は会長さんとソルジャーにサイオンで診察台に縛り付けられ、エロドクターに毛を剃られ…。
「もしかして御礼どころじゃないって思ってる? ワンフィンガーにされちゃったから」
「当たり前だろう!」
キース君が声を荒げました。
「ただでも悩んでらっしゃったのに、更に酷いことをしやがって! サイオニック・ドリームが出来なかったらどうするんだ!」
「それが出来ると分かってるからオシャレに処理してくれたんじゃないか、ノルディはね。…個人的にはノルディと結託したくはないけど、ああいう悪戯は大好きだな」
少しノルディを見直したよ、と会長さん。エロに走らないエロドクターは案外面白いヤツかもしれない、と思ったそうです。私たちも際どいネタながら笑いが止まりませんでしたけど、キース君はしみじみ後悔しているようで…。
「俺は猛省してるんだ。どうしてあの時、何もせずにボーッとしてたのか…とな。教頭先生には御恩があるのに」
「ふうん? それを言うなら普段はどうだい? ぼくがハーレイをオモチャにするのは毎度のことだよ。ハイレグ水着を着せた時だって君は爆笑してたじゃないか」
会長さんに鋭く突っ込まれたキース君は。
「う…。そ、それはだな…」
「自由時間と柔道部の部活中とは違うって? そんな所で公私を分けても意味無いさ。人生、笑ってなんぼなんだよ。笑う門には福来る! ワンフィンガーも笑っておけば問題ない、ない」
ただし合宿中のお風呂の時間は笑わないように気をつけて、と会長さん。キース君も大先輩で高僧でもある会長さんから人生訓を説かれてしまうと逆らえません。
「そういうものか…。まあ、表面上は解決したんだし、ここは吉だと思っておくか」
「うん。ハーレイ自身がそう言ってるんだ、君も良心が咎めるんならワンフィンガーは忘れるんだね」
口では言いつつ、会長さんがやらかしたことは指を一本立てること。私たちは堪らず吹き出し、個室に敷かれた畳を叩いて笑い転げて…。指一本と言えばワンフィンガー! 教頭先生のツーフィンガーをワンフィンガーに剃り上げたエロドクターは仕上がりを披露してくれたのです。大事な所にはタオルをかけて…。
「ノルディはホントに器用だよね。外科が専門ってだけのことはある。あれなら看護師さんが一人もいない野戦病院でも安心して手術を任せられるさ。…野戦病院は御免だけど」
「そこがあんたとあいつの違いか…」
キース君が「あいつ」と呼ぶのはソルジャーのこと。SD体制が敷かれたソルジャーの世界ではサイオンを持つ人間は異端です。ソルジャーにも人体実験の対象にされた過去があり、今現在も戦時中。野戦病院でも「あるだけマシ」というもので…。
「ブルーに比べれば、ぼくなんて…。同じソルジャーでも遊びみたいなものだしね。だからブルーが何をやらかそうが、笑って許そうと思うけど……これがなかなか」
難しくって、と苦笑している会長さん。それだけに、ソルジャーのせいでワンフィンガーにされたような形の教頭先生がソルジャーにも御礼を渡したというのが嬉しいようで。
「ほんのお小遣い程度だが受け取ってくれ、って言われたってさ。それなりの額ではあったみたいで、あっちのぶるぅと食事に行くって喜んでたよ」
おおっ、大食漢の「ぶるぅ」が満足できる食事となれば相当な量になるのは間違いなし。教頭先生、奮発なさったんですねえ…。今日の打ち上げの費用も多めでしたし、ワンフィンガーに乾杯かな? 未成年ですからアルコールは飲めませんけど、ここはジュースで!
打ち上げパーティーが済めば待っているのは終業式。夏の日差しが朝からカッと照り付ける中を登校すると、校門の所にジョミー君たちが集まっています。いったい何をしてるんでしょう?
「あ、来た、来た!」
ジョミー君が大きく手を振り、他のみんなも「早く来い」とばかりに手招きを。早足で校門の前まで行けば、シロエ君が校内を指差して。
「…今年は目覚ましらしいんですよ」
えっ、目覚まし? 何のことかと思うまでもなく、目に入ったのは目覚まし時計。デジタル式の目覚まし時計が通路の両側や植え込みの中にズラズラズラと…。
「去年は猫で今年は目覚まし。先生方のセンスはサッパリ分からん」
キース君が眉間に皺を寄せるのも無理はありませんでした。一学期の終業式の日に校内に並べられるモノは夏休みの生活を左右する大事なアイテム。シャングリラ学園名物の宿題免除がコレにかかっているのです。ズラリ並んだアイテムの中に宿題免除の特典が隠されていたりするのですから、決めているのは先生方で…。
「ぼくたちが入学した年は信楽焼の狸だったね」
懐かしそうにジョミー君が言うと、サム君が。
「でも次の年は何も無かったんじゃなかったか? 『冷やし中華はじめました』って書かれた旗を探してくれば良かっただけで」
そういえば…、と思い返してみる私たち。でも『冷やし中華はじめました』というセンスが既にブッ飛んでいます。おまけに翌年からは再びアイテムが並ぶようになり、今に至っているわけで。
「これってブルーはどうするのかな?」
首を傾げるジョミー君。
「宿題免除のアイテムを売ろうとするのか、見物なのか…。去年は売らない方だったよね」
「後になってから売れば良かったと後悔してたって話があるしな」
俺にも謎だ、とキース君が目覚まし時計を眺めながら。
「これがどういう仕掛けなのかが肝だろう。それとアイテムがどのくらいの数か、その辺で決まってくるんじゃないか? とにかく発表を待つしかないな」
「そうだね、終業式で発表だっけ」
とにかく教室に行ってみよう、と歩く途中にも目覚まし時計。四角い形とメタリックな外観は全部お揃いみたいです。ということは、入学した年の狸みたいに別バージョンの色のを探せば当たりとか? 信楽焼の狸の時は金なら1体、銀なら5体の狸を探して宿題免除の権利をゲット出来たんですけど…。
「うわぁ、教室の中にも目覚ましですよ」
マツカ君が声を上げ、私たちはロッカーの上や窓際などに並べ立てられた目覚まし時計に深い溜息。去年はピンクの猫でした。中に宿題免除の許可証を入れてあったのに、蓋を開けるための仕掛けにトラブルがあって大騒ぎ。今年は無事に済むんでしょうか?
「……爆発するんじゃないだろうな」
時計だしな、とキース君が指摘し、シロエ君が。
「それは勘弁して下さいよ! また会長に駆り出されそうな気がしてきました」
「あー…。シロエは得意だもんなぁ、そういうの」
頑張れよ、とサム君がシロエ君の肩を叩いた所で教室の前の扉がカラリと開いて。
「諸君、おはよう」
カツカツと靴音を響かせ、グレイブ先生が入って来ました。
「いよいよ明日から夏休みだが、私から諸君へのプレゼントだ。これが夏休みの宿題になる」
教卓にドカンと積み上げられたドリルやプリントの山に1年A組は阿鼻叫喚。上を下への大騒ぎですが、グレイブ先生は不愉快そうに。
「静粛に! もれなく宿題をプレゼントしたいというのが私の意見だ。だが、我が校には実に嘆かわしい制度がある。…終業式で発表されるアイテムをゲットした生徒は宿題免除になるのだよ」
「「「えぇっ!?」」」
まじで、と叫ぶクラスメイトたちにグレイブ先生はツイと眼鏡を押し上げると。
「嘘をついても仕方がない。果たして今年のアイテムは何か、聞き逃さないよう終業式では先生方の話に集中したまえ。…以上だ」
では行くぞ、と生徒を率いて講堂に向かうグレイブ先生。その道中にも目覚まし時計が鎮座しています。今年の宿題免除アイテム、爆発物でなければいいんですけど…。
講堂での終業式は校長先生の訓話で始まりました。いつもの長くて退屈な話です。その後は教頭先生から夏休み中の生活に関する注意があって、終わるとコホンと咳払い。
「さて、お待ちかねの宿題免除アイテムの発表だ。今年のアイテムは既に目にしていると思うが、校内に置かれた目覚まし時計に入っている」
おおっ、とどよめく全校生徒。やはり目覚まし時計でしたが、どうやってアイテムを入手するんでしょう? 時間以内に取り出さないと爆発するのが一番ありそうな感じですけど…。ワイワイ騒ぎ立てる生徒たちを教頭先生が両手をパンと叩いて鎮めると。
「目覚まし時計の中身は『宿題免除』と書かれた紙と『残念でした』と書かれたハズレの二種類だ。当たりはそれなりの数を用意してあるが、運だけでは手に入らない。諸君の努力も必要になる」
「「「???」」」
「目覚まし時計を手に取り、裏蓋を開けた時点でタイマーが作動する仕掛けだ。今は普通のデジタル式の時計になっているが、時計の代わりに残り時間が表示される。制限時間は十分間。その間にタイマーを解除できなかった場合は…」
講堂はシンと静まり返り、針が落ちても聞こえそうです。全校生徒が息を詰める中、教頭先生はいつもの優しい笑顔を見せて。
「愉快なオチになるらしい。裏蓋を開けると裏返しの紙が見えるそうだが、勿論そこそこ厚みがあるから当たりかどうかは分からない。そして制限時間が切れた時には別の仕掛けのスイッチが入り、時計が紙を食べる仕組みだ」
「「「えぇっ!?」」」
「食べると言っても正確には切り刻むだけなのだが…。切断された紙を繋ぎ合わせて提出しても宿題免除は認められない。とはいえ、それまでの努力が水の泡なのも気の毒だから、切り刻まれた部分が全体の三分の一に満たない場合は宿題免除の対象になる」
「「「………」」」
誰もが危機感を抱いているのが分かりました。まずは時計の確保からですが、当たりの時計を手にしたとしても気は抜けないというわけです。教頭先生は更に続けて。
「なお、タイマーの解除に失敗しても仕掛けは作動するそうだ。残り時間が何分あろうが関係無い。その代わり時計は充分な数がある。果敢に挑戦してみなさい」
うわあ、と悲鳴が上がっています。失敗しても宿題免除アイテムは切り刻まれてオシャカですか! けれど教頭先生は淡々と…。
「タイマーを解除する方法は簡単だ。裏蓋を開けると何種類かのコードが見える。それを正しい順序で切断していけばタイマーが止まる仕組みだな。ただし、どの時計でも切断順序が同じだということはない。知識があれば分かるそうだが、運だめしだと思って挑むといい」
「「「そ、そんなぁ…」」」
「以上で説明を終了する。アイテムゲットの制限時間は正午までだ。コードを切るための工具を講堂の出口で受け取り、目覚まし時計と戦うように。…なお、宿題免除は必要無い、という者は正午まで自由時間としておく」
健闘を祈る、と教頭先生がマイクをブラウ先生に渡し、ブラウ先生が。
「じゃあ、始めるよ。時間は今から正午まで! 工具の受け取りは押し合わないよう整然と!」
その声が終わらない内に生徒たちは講堂の出口に向かって全力でダッシュ。たちまち長蛇の列が出来上がり、早くしろと怒号が飛んでいます。えっと……私たちはどうすれば…?
「急ぐ必要は無いだろう」
キース君が落ち着いた声と表情で。
「特別生に宿題は関係ない。みんなの邪魔にならないように後でゆっくり出て行けばいいさ」
「だよね、関係ないもんね!」
宿題は無いし、とジョミー君が応じ、私たちはのんびりと高みの見物をしていたのですが。
『…そろそろ並んでくれないかな?』
いきなり頭に飛び込んで来たのは会長さんの思念波でした。
『今年の宿題免除アイテムゲットは相当ハードルが高そうだ。商売として成り立ちそうだし、工具を貰って欲しいんだよね』
「俺たちの分まで工具があるのか!?」
まさか、と声に出したキース君に会長さんの思念波が。
『シーッ! サイオンの存在は極秘だよ? 質問も思念波でお願いしたいな。でもって工具だけど、人数分を用意したらしい。ほら、験を担ぐ人っているだろう? 最後の一個は嫌だとかいうヤツ。だから数だけは足りているんで、せっかくだから貰ってきて』
他の生徒と同じ条件で戦おうよ、と会長さん。どうせ何処かでズルをするくせに…と誰もが思いましたが、大人しく従わないと恐ろしいのもまた事実。私たちは残り数人となった行列に並び、エラ先生とゼル先生が配布している工具セットを受け取りました。目ざまし時計のタイマー解除は私なんかには無理ですけどね…。
工具セットは思ったよりも小さく、コンパクトなもの。それを手にして向かった先は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ。工具セットを貰って来たんだし、誰かチャレンジしてみないかい?」
ほら、と会長さんが指差したのはテーブルの上。校内から集めたらしい目覚まし時計がズラリと並べたてられています。あーあ、またしても当たりのヤツを端から失敬してきましたか…。
「えっ、全部が当たりというわけじゃないよ? とりあえずコレはハズレの時計だ。失敗したら何が起こるか見てみたいから持ってきた。…誰がやる?」
「おい、失敗が前提か?」
キース君の突っ込みに会長さんは。
「まあね。大抵の生徒は失敗すると踏んでいる。仕掛けを組んだのはゼルなんだ。今年は去年の失敗を踏まえて事前に全てチェック済み。ゼルのサイオンに仕掛けが左右される心配はない。…チェックはぼくがやったんだけど、仕掛けが動くのは見ていないから…」
見たいんだよ、と会長さん。大した野次馬根性ですが、宿題免除アイテムを食べる時計は私たちだって気になります。しかし、会長さんはゼル先生の残留思念で解除の手順が読めるらしくて、挑戦する気はないのだとか。そしてシロエ君はこういう仕掛けはお手の物。ということは…。
「俺か、ジョミーか、サムか、マツカか。…それとも女子が挑戦するか?」
どうするんだ、というキース君の問いに私たちは顔を見合わせ、視線はピタリとキース君へと。成績優秀なキース君ですけど、こういうモノは守備範囲外。
「お前がやれよ」
ニヤリと笑ったのはサム君です。
「一度くらいはシロエを勝たせてやりたいもんな。お前から一本取ってみせると誓って入学してから何年だ? 未だに実現してないんだろ?」
「勿論だ。俺は努力を怠っていない。簡単に抜かれてたまるものか」
「だったらシロエの得意な分野で勝負してみろよ、ひょっとしたらってこともあるぜ」
「運次第だということか…。分かった、やってみようじゃないか」
俺も男だ、とキース君は会長さんからハズレの時計を受け取りました。ソファに腰掛け、みんなが見守る中で裏蓋を開けた途端にカチッという音。タイマーが作動したようです。会長さんが「ちょっと見せて」と言い、キース君が時計を持ち上げるとデジタル時計の表示は残り時間に…。
「つまり十分切ったってことか。頑張りたまえ」
もう邪魔しない、と会長さん。時計はゼル先生の遊び心なのか、普通に時間を刻んでいた時はデジタル式に相応しく無音だったのに、今はチッチッと音を立てています。これは嫌でも焦りますよね。
「くそっ、こんなに配線が多くては…。俺の運にも限りがあるぞ」
キース君は二本のコードを無事に切ったものの、残りはまだまだ沢山あります。更に一本、二本と切った所でバチンと異質な音が響いて…。
「「「わわっ!?」」」
残ったコードが一斉に切れ、同時に時計の枠の一つが勝手に動き出しました。正確には枠にくっついた形で静止していたカッターのスイッチが入ったのです。配線の向こうに見えていた紙は今や剥き出しになっていますが、それをカッターの刃がガシガシと…。
「き、刻んでるよ! ホントに食べてる!」
面白すぎる、とジョミー君が言えばサム君が。
「力ずくで止めたら手が切れるよな。まさに流血の大惨事だぜ」
時計はアッと言う間に紙をすっかりズタズタに。キース君は三本の線をちゃんと切ったのに、どうして評価されないんでしょう? 私たちが首を捻ると、シロエ君が。
「正しい手順じゃなかったっていうことですね。キース先輩が切ったコードは一つ間違えるとカッターが作動するヤツだったんです。偶然が重なって三本までは切れましたけど、どれも間違いというわけで…」
こういう仕掛けはデリケートです、と指摘されたキース君は潔く。
「…俺の負けだ。ブルーがアイテムを販売するんだろう? 残りのヤツはお前に任せる」
「ありがとうございます。初めて先輩から負けたと言って貰えて嬉しいですよ」
今日は最高の日になりそうです、と工具を手に取ったシロエ君は会長さんが差し出す時計の仕掛けを手早く解除し、『宿題免除』と書かれた紙を見事にゲット。続く時計も次々に開けて宿題免除アイテムは全部で十枚が手に入りました。これで出店の準備は完了、後は売り捌くだけですよ~!
会長さんが用意していたものは『アイテムあります』と書かれたお馴染みの看板。いつもは終業式の前に開店準備を済ませてますけど、今日は途中から店を出すので男の子たちが机の運搬係です。
「ブルー、値段は書かないのかよ?」
生徒会室を出る時にサム君が訊くと、会長さんは。
「今回は時価。…理由はすぐに分かると思う」
「「「???」」」
どういう意味だ、と不思議に思いつつ出店の定位置になっている中庭に行くと…。
「えっ、先客?」
ジョミー君が示す先には既に机が置かれていました。その前に生徒たちが整然と列を作っています。
「商売敵の出現か?」
なんだアレは、とキース君が言えば、いち早く走って見に行ってきたシロエ君が。
「商売敵じゃないようですけど、競合しているみたいです。看板には『時計、開けます』と書いてあります」
「「「は?」」」
「時計を開けるのが売りらしいですよ。お客が持ち込んだ時計を開けるんです」
「そうなんだよね」
先を越された、と苦笑している会長さん。
「今回のアイテムは商売になると思ったらしい。ただ、持ち込んだ時計を代わりに開けるというだけだから、当たりが出るとは限らない。何度持ち込んでもOKとはいえ、制限時間があるんだし…。とりあえずウチは看板だけ出して様子見だよね」
場所はあそこ、と会長さんが店の設置を決定したのは先に出ていた店から数メートル離れた芝生の上。机を置いてテーブルクロスをかけ、『アイテムあります』の看板を出し、その横に『時価』と張り紙が。お隣の店はきちんと料金を表示してますから、時価の店にお客が来る筈も無く…。
「なんか、いきなり暇だよねえ…」
閑古鳥だよ、とジョミー君。隣の店は商売繁盛、行列の一番後ろには『最後尾はこちら』と誘導用のプラカードを持ったセルジュ君がいます。炎天下で列の整理をやっているのがボナール先輩、接客係はパスカル先輩とアルトちゃん。そう、出店の主は他ならぬ数学同好会でした。
「…ぼくたちもあの方式でやってた方が良かったでしょうか?」
切り替えますか? とシロエ君が尋ねましたが、会長さんは微笑んで。
「今のままでいいよ。せっかくrさんが頑張ってるんだ、邪魔はしないさ。それに残り物には福があるとも言うからね」
「そうですか…。でも、rさん、やりますよねえ…」
凄いですよ、と感心しているシロエ君。お隣の店で時計の仕掛けを解除するのはrちゃんの役目だったのです。鮮やかな手つきでパチン、パチンとコードを切っては中身の紙をお客さんに渡しています。
「前に爆弾の起爆装置を解除したとか聞いたよね」
お歳暮ゲットのバトルの時に、というジョミー君の言葉で全員が思い出しました。先生方からのお歳暮を貰う条件の一つがゼル先生作の爆弾の起爆装置の解除だった年があったのです。もちろん本物の爆弾ではなく、失敗したら白煙が出るだけのお遊びでしたが…。
「従兄に教わったと聞いてるよ。…シュウちゃんって名前の」
会長さんによれば、シュウちゃんとやらは相当ハードな生き方をしているみたいです。某国の特殊空挺部隊に教官待遇で在籍中ですが、その前は別の国の外人部隊に所属していたとか。早い話がその道のプロ、教わったrちゃんも凄いわけです。
「rさんの腕は確かだけれど、問題は持ち込む方の運なんだ。当たりは1枚しか出てないらしい」
いずれウチの店の出番が来るよ、と会長さんが予言したとおり、正午まで残り半時間になった所で一人の男子生徒が机の前に立ちました。
「あのぅ…。アイテムあります、って本当ですか?」
「うん、あるよ」
応対したのは会長さん。その男子生徒は隣の店に並んだものの、ハズレの紙しか出なかったそうで…。
「あるんだったら買いたいです! でも……時価ですよね?」
「君は幸運なお客だと思う。今は終了時間まで三十分だからお買い得なんだ。残り時間が少なくなるほど値が上がる。なにしろ数に限りがあるからねえ…」
今すぐ買えば値段はこれだけ、と会長さんが紙にサラサラと書き付けた数字は隣のお店の定価の十倍でした。いくらなんでも暴利では、と思うのですけど、会長さんは。
「いいかい、隣の店に今から十回は並べない。どう考えても一回が限度、それも終了時間ギリギリってトコだ。そこで外せば後が無いよ? それに比べてこっちは確実! ちなみに残り時間が二十分を切ると…」
「買わせて頂きます!」
男子生徒は即決でした。持ち合わせが足りないとかで残金は三日以内に指定の口座へ振り込みです。それから終了時間までの間に会長さんの言い値はガンガン上がっていったのですけど、最終的に…。
「「「完売御礼…?」」」
嘘だ、と叫ぶ生徒たち。手持ちは沢山あるのだろう、と決めてかかって隣のお店を優先した結果、間に合わなかったというわけで…。
「残念だったね。用意してたのは十枚だったし、御縁が無かったということで諦めてよ」
これにて閉店、と片付けにかかる会長さんはガッポリ儲けてホクホクです。数学同好会も儲かったようで、みんなで食事にお出掛けだとか。なのに…。
「儲けを還元? ぼくがいなけりゃ当たりの時計は分からないんだよ?」
シロエもキースに勝てたんだからそれでいいよね、と会長さん。確かにそれは正論ですけど、せめてファミレスのランチくらいは奢って貰いたかったです。終業式の日からこの有様では、夏休み中も美味しい思いは出来ないのかもしれません。でも、せっかくの夏休み。今年も楽しく過ごせますように~!