シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
特別生になってから後では初めての山の別荘行き。4年ぶりに訪れた高原は普通の1年生だった夏と全く変わらず、爽やかな空気と清々しい緑が私たちを迎えてくれたのですが…。数年間のブランクの間に変わっていたのは私たちの方でした。歳を取らない身体とサイオン。それだけでも充分、普通じゃないのに。
「全部お前が悪いんだ、お前が!」
キース君が怒鳴っているのは会長さんの家の広いリビング。怒りの相手はジョミー君です。
「心霊スポットへ行こうだなんて言い出しやがって! おまけに本物の心霊スポットに建ってる寺で戻り鐘なんか、普通は撞くか!?」
坊主としての自覚が足らん、とキース君は激昂中。そう、前にマツカ君の山の別荘に出掛けた時には、高僧である会長さんを除けばキース君だけがお坊さんで元老寺の跡取り、他は普通の一般人で…。けれど今ではジョミー君とサム君が会長さんの直弟子なのです。増殖したお坊さんたちが調子に乗ってやらかしたのが心霊スポット云々な事件。
「…戻り鐘は一応、常識だしねえ…」
教える必要があるとは思わなかった、と会長さんがアイスティーをのんびり飲みながら。
「師であるぼくの責任ってことになるのかな? だったら、ぼくに怒ってくれれば…」
「そういうわけにはいかんだろう。…あんたが助けてくれなかったら、俺たちがどうなっていたかは分からん」
「別に命までは取られはしないと思うけどねえ? ただ、運気は思い切り落ちるだろうから、結果的に車に撥ねられるとか、その手の事故が全く無いとは言い切れないけど」
無事に終わったんだしいいじゃないか、と会長さんは笑っています。山の別荘での最後のイベントはジョミー君がネットで見付けたという心霊スポットへのお出掛けでしたが、これが本当に危険な場所だったのが不幸の始まり。あまつさえジョミー君が寝た子を起こす形になってしまって、会長さんが後始末を…。
「あの後、数珠さえ切れなかったら親父にはバレなかったんだがな…」
ブツブツと呟くキース君の左手首にはお馴染みの数珠レットが嵌まっていました。一見、普段と変わらないように見えるのですけど、実はこの数珠レットは新しい物。私たちが見慣れていたヤツは別荘ライフから戻った次の日の朝に切れてしまったらしいのです。
「切れる時には切れるものだし、君の言動さえ怪しくなければ何も問題は無かったかと…。だって中身はゴム紐だよ? 輪ゴムよりかは強いけどさ」
力いっぱい引っ張れば切れる、と会長さん。けれどキース君は「それが…」と顔を曇らせて。
「あんたの事だし、とっくに全部お見通しかと思ってたんだが…違うようだな。数珠は切れたが、それだけじゃない。親玉が見事に真っ二つに…」
「「「は?」」」
親玉って…なに? 首を傾げる私たちに、キース君は「これだ」と左手を差し出して。
「この大きい玉を親玉と呼ぶ。ただ大きいというだけじゃなくて、数珠の中心になる玉なんだ。俺たちの宗派だと親玉は阿弥陀様でもあるわけで…。それが真っ二つに割れたとなると、俺でなくても青くなるだろうな」
「ああ、なるほど…。それはマズイね、坊主じゃなくても」
非常にマズイ、と会長さんが頷きました。
「君たちが背負ってきた霊は全部あの場でお浄土に上げてしまったけれど、それよりも前に親玉に負荷がかかっていたか…。君の身代わりになって力を使い果たしたわけだ」
「へえ…。そういうことって、よくあるのか?」
サム君が尋ねると、会長さんは。
「いや。世間ではパワーストーンだとか、身代わりになって色が変わるとか、割れてしまうとか、色々言われているけどねえ…。実際の所、そこまでの力を持っている数珠の玉は滅多に無い。普通は単なる偶然だ。でも、キースの場合はきちんと修行を積んでいるから、正真正銘、身代わりだよね。いいことじゃないか」
「…そう言われると悪い気はせんが、割れた理由が理由だしな。…青くもなるさ」
キース君が言うには、数珠が切れたのは朝のお勤めをしようと早起きをして、顔を洗おうとした直前のこと。パァン! と鋭い音が響いて数珠が飛び散り、ゴムが切れたのだと思ったキース君が玉を拾い集めていると親玉が割れていたのだそうで…。
「そこへ親父が来たわけだ。あんな事件さえ起こってなければ、俺だって「なんだか縁起が悪そうだよな」と話して終わっていただろう。…だが、実際は違ったわけで……親父の前で挙動不審に…」
ポーカーフェイスが得意なキース君ですが、アドス和尚は実の父親。いつも冷静なキース君が挙動不審な言動をすれば「何かある」とピンとくるでしょう。ダテに長年キース君の父親をやってませんから、問い詰めるのにも長けています。その結果、キース君は心霊スポットに突入したことを白状する羽目になってしまって…。
「未熟者めが、と怒鳴られた。数珠はその日の内におふくろが新しいのを買って来てくれたが、それまでの間が大変で…。身代わりになって下さった御本尊様にお詫びしろ、と、ひたすら本堂で五体投地を…」
「ふうん? それで怒っていたわけだ。もしかして全身筋肉痛かな?」
クスクスと笑う会長さんに、キース君は「千回だぞ!」と悲痛な顔つき。
「…修行道場で失敗しても一度に千回とまでは言われなかった。これが冬だったら全身に湿布を貼れるんだがな…」
夏では無理だ、とキース君は呻いています。本当に身体中が痛むみたいで、ジョミー君に当たり散らしたくなるのも仕方ないかも…。ジョミー君が言い出さなければ事件は起こらなかったんですしね。
怒り心頭だったキース君ですが、親玉が割れたのは日頃の修行のお蔭で阿弥陀様が守って下さったからだ、と会長さんに言われて落ち着いた様子。事件の直後にも「更に修行を積む」と誓ってましたし、こうなると切り替えは早いです。
「ところで、ジョミー。…お前の修行はどんな具合だ?」
「え? え、えっと……。どう…なのかな?」
ジョミー君が会長さんの方へ視線を向けると、会長さんが。
「なんとか形にはなってると思う。ただ、本番ではどうなるか…。なにしろ暑いし、一日中だし、慣れない衣で自転車だし…。正直言って、保証はしかねる」
「やっぱりそうか…」
こっちの方がよっぽどマズイ、とキース君は顔を顰めました。お盆が近くなってきたので元老寺の方は超がつく多忙。そこで会長さんがキース君に代わって、ジョミー君とサム君を直々に指導しているわけですが…。
「棚経はただでもキツイものだし、ぶっ倒れる坊主も少なくはない。だから見習いの小僧が倒れても檀家さんは暖かく見守って下さるだろうが、ご迷惑をかけるわけにはいかんしな…。仕方ない、俺がジョミーの係か…」
「「「えっ?」」」
それってどういう意味ですか? 首を傾げた私たちに、キース君は苦笑して。
「棚経のお供だ。親父と俺とで一人ずつ。…どちらがジョミーの係をするかで親父と相談していたんだが、ブルーの目から見て大丈夫そうなら親父が受け持つ筈だった。なんと言っても親父の方が貫録があるし、落ち着きのないジョミーを連れて出掛けてドジを踏まれても、その場を上手く取り繕えるかと」
「だったらアドス和尚でいいじゃないか。ジョミーがぶっ倒れてもフォローは完璧」
そっちを推すよ、と会長さんは言ったのですけど、キース君は。
「いや、それが…。ドジで済むレベルなら心配無いんだ。そこは親父もプロだからな。…ただ、棚経ってヤツはその親父でもハッキリ言って相当にキツイ。時間に追われて心に余裕が無くなってくる。そこでジョミーが致命的なミスを犯してみろ。たちまち瞬間湯沸かし器だ」
「「「…うわー…」」」
簡単に想像がついてしまいました。檀家さんの前でジョミー君を叱り飛ばしたりしようものなら、アドス和尚の威厳が失墜します。その点、キース君なら若いですから、ブチ切れて怒鳴り散らしていたって「若い者は元気がいいねえ」と笑って許して貰えそう。元老寺の将来のためにも、ジョミー君はキース君について行った方が…。
「…というわけだから、ジョミーには俺と組んで貰う。倒れた場合は捨てて行くからその気でいろよ」
道端だろうが放って行く、とキース君は冷たく言い放ちました。
「明らかにヤバイと思った時には救急車くらいは呼んでやるがな、次を急ぐから付き添いは出来ん。一人で病院に運ばれて行け」
「そ、そうなるわけ? 倒れたら終わり?」
「終わりだな。…それが嫌ならブルーかぶるぅに助けて貰え。謝礼は高くつくと思うが、見殺しにだけはされんだろう」
「うう…。そっちも何だか嫌っぽい…」
どんな謝礼か分からないよ、とジョミー君は泣きそうでした。お坊さん関連で会長さんに借りを作ったら、最悪の場合は坊主頭にされてしまうことも有り得ます。問題の棚経はもう目前。でも、そこを乗り切れば海の別荘が待っているわけで。
「…もしも倒れて入院してたら、別荘行きはどうなるのかな?」
ジョミー君の問いに、マツカ君が。
「途中参加もOKですよ。必要だったら迎えのヘリも出しますし」
「ありがとう、マツカ! ちょっと元気が出て来た気がする」
頑張るよ、とジョミー君がグッと拳を握り締めます。棚経を終えて、お盆の間のお手伝いをして、それが終われば海の別荘。ジョミー君、途中からの参加にならないように、ここは一発、ファイトですよ~!
明日はいよいよ棚経本番。朝が早いため、ジョミー君とサム君は前の晩から元老寺に泊まることになりました。なにしろ朝6時には最初の檀家さんの家に着いていないといけないのです。それまでに朝のお勤めなどなど、することは山ほどありますし…。
「さあ、どうなるか楽しみだよね」
会長さんがウキウキと焼いているのは特上の肉。キース君たち坊主三人組を除いた面子が会長さんの家に泊まりに来ています。早起きに備えて体力をつけよう、と焼肉パーティーの真っ最中で…。
「…いいんでしょうか、先輩たちは精進料理みたいですけど…」
シロエ君が口ではそう言いつつも、自分用の肉をキープ中。こだわりの焼き加減があるんでしょうねえ、基本的には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が次から次へと肉や野菜を手際よく焼いてくれるんですし。
「お盆の棚経に行こうって坊主が焼肉なんかはもっての他だよ。それに、お盆はとっくに始まっている」
「「「え?」」」
会長さんの言葉に首を傾げる私たち。お盆の初日が棚経なのだと聞かされています。その棚経は明日ですが…?
「世間一般にお盆というのは明日からの三日間だけど…。迎え火ってヤツがあるだろう」
「え? えっと…。送り火じゃなくて?」
聞き返したシロエ君に、会長さんは。
「送り火の方は観光行事になってる所も多いからねえ、圧倒的にメジャーなだけさ。本来あれは迎え火とセット。お盆の前の夜に家の前で焚くのが迎え火なんだよ」
「「「へえ…」」」
そんなのは知りませんでした。会長さんによると、昔はお仏壇のある家は何処でも焚いていたそうですけど、最近は生活様式の変化などもあって焚く家が激減したのだとか。
「だって、ほら…。ぼくもこういう家だしね? 玄関の前で迎え火なんかを焚こうものなら、スプリンクラーが即、作動する。火災報知機だって鳴り響くんだよ」
だから省略、と会長さんは澄ましていますが、私たちが夕方にお邪魔した時、微かにお香の香りがしました。珍しいな、と思ったあれは、今から思えば迎え火の代わりに焚かれたお香だったのでしょう。会長さんが何故、お坊さんの道を志したかは去年の夏に知りましたから…。
「というわけで、迎え火は御先祖様をお迎えする火だ。つまりお盆のスタートなわけ。そもそも、お盆の前にお墓参りもしたりするよね。お坊さんにとっては忙しい時期さ」
その絶頂が明日の棚経、と会長さんは香ばしく焼けたお肉をニンニクたっぷりの特製ダレに浸しながら。
「時間との勝負でひたすら読経、しかも場所がどんどん移動する。下手な修行より余程ハードだ。サムは日頃から頑張ってるから大丈夫だろうと思うんだけど、ジョミーの方はギブアップかな。討ち死にしたら骨はきちんと拾ってあげるさ、ぼくも本職の坊主だからね」
「会長…。その冗談は笑えません…」
ホントに倒れたらどうするんですか、とシロエ君が言えば、マツカ君が。
「ここが対策本部じゃなかったんですか? 救護所も兼ねて」
「ああ、それかい? 人聞きが悪いから表向きは…ね。真の姿は見物用の桟敷席だよ」
食事と冷たい飲み物つき、と会長さんがクスクス笑っています。やっぱりそういうオチでしたか! 対策本部を設置するから、と呼ばれた時点でアヤシイ予感がしてましたけど。
「でもね、まるっきり嘘ってわけでもないさ。ちゃんと真面目に頑張るようなら、水分補給のポイントを随時設けてフォローくらいはしてあげようと…。ね、ぶるぅ?」
「うん! スポーツドリンク、沢山冷やしてあるもんね。缶ジュースを買ってる時間は無いし、飲まず食わずで突っ走らなくちゃいけないし!」
冷たいおしぼりも用意するんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意そうです。対策本部は確かに存在するようですが、機能するのは真剣に棚経をこなした時だけ。そうでなければ高みの見物、しかも桟敷ときたものです。今夜の焼肉パーティーからして、他人事な姿勢が出まくりですって…。
会長さんの家のリビングに設立された、お盆の棚経対策本部。棚経の日の朝、私たちは早朝に叩き起こされました。
「かみお~ん♪ 5時だよ、起床、起床ーっ!!!」
廊下を走る「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声で目覚めて急いで着替え、顔を洗って対策本部に出掛けてゆくと…。
「やあ、おはよう。ジョミーたちはとっくに準備を始めているよ」
会長さんが爽やかな笑顔で迎えてくれて。
「ここから眺めてもいいんだけれど、まず朝御飯を食べようか。ぼくたちだってお腹が空くしね。ぶるぅがダイニングで用意してくれてる」
行こう、と先に立つ会長さん。ダイニングのテーブルには焼き立てのパン、ホットケーキにソーセージなど。卵料理も「そるじゃぁ・ぶるぅ」が注文に応じて作ってくれます。
「卵も野菜もマザー農場で新鮮なのを貰ってきたよ。沢山食べてね♪」
「ジョミーたちの代わりに食べるといいよ。あっちは今朝も精進料理さ」
栄養は足りてるんだけど、と会長さんは言っていますが、修行道場で慣れているキース君はともかく、ジョミー君とサム君は精進料理じゃパワーはチャージ出来ないでしょう。なにしろ一番の栄養源が胡麻豆腐だと言うのですから。
「胡麻のパワーは凄いんだよ? イライザさんが張り切って手作りしたのに、ジョミーは全く分かっていない。これじゃ足りないと思ったようだ。…流石に口には出さなかったけど」
そのジョミー君は法衣に着替えて本堂で朝のお勤めをしているそうです。それが済んだら棚経に出発。朝食を終えた私たちも飲み物を手にリビングへと。
「ふうん…。キースの方が先発隊か。ぶるぅ、頼むよ」
「オッケー!」
たちまちリビングの壁の一部がスクリーンと化し、自転車を押して境内を出てゆくジョミー君とキース君が映し出されました。自転車で山門の階段は下りられませんから、裏手の駐車場から出るようです。アドス和尚とサム君はまだ庫裏の玄関で草履を履いている真っ最中。
「キースは秋には副住職になるからねえ…。檀家さんに顔を売っておかなきゃダメだし、元老寺から遠い区域を任されたようだ。近い場所なら普段から顔を合わせるものね」
「そうなんですか? でもキース先輩、前から月参りには行っていますよ。顔は知られているんじゃあ…」
シロエ君の問いに、会長さんは。
「月参りは断る家も多いんだ。毎月決まった日にお坊さんが月参りに来るというのは迎える方も大変なんだよ。仏間だけじゃなく仏間に行くまでに通る所も掃除しておく必要があるし、何より留守に出来ないし…。準備万端で待っていたって、お坊さんの滞在時間は短いしねえ?」
お茶とお菓子を用意していても一軒あたり三十分が限界だろう、と会長さん。
「元老寺みたいに檀家さんが多いと月参りも一日に何軒もある。時間どおりに回って行かないと次の檀家さんに御迷惑が…。檀家さんの方でも頑張って掃除した挙句に三十分ではキツイよね。月参りの時間次第では外出だって難しくなるし…。そういう訳で月々の回向はお寺の方でお願いします、って家も増えたのさ」
その手の檀家さんはキース君と馴染みがありません。棚経は殆どの家を回るそうですが、キース君がアドス和尚のお供につくようになったのは最近です。なんとなく顔は覚えている、という程度の人も多いらしくて…。
「だから今年は一人立ちの宣伝も兼ねて、道ですれ違う機会も少ないような地域をメインに回るみたいだ。さて、ジョミーは何処まで頑張れるかな?」
会長さんの説明を聞いている間にジョミー君もサム君も元老寺の駐車場から出発しました。サム君はアドス和尚のスクーターを追い掛けて自転車を漕ぎ、ジョミー君はキース君の後ろを自転車で。朝の6時前とはいえ、お日様はとっくに昇っています。気温も上昇中でしょう。サム君もジョミー君も、頑張って~!
中継画面はジョミー君とキース君を中心に据えたようでした。サム君の方は会長さんが思念だけで追い、万一の時にはスポーツドリンクなどを差し入れる方針。つまり見物の対象として有望なのはジョミー君というわけですね?
「決まってるじゃないか。ジョミーだって面白そうだけど、キースも気になる。若いお坊さんというだけで舐められる可能性もゼロではないし」
「「「…舐められる?」」」
「うん。ぼくが探った情報によると、ストップウォッチが待ってるようだ」
「「「はぁ?」」」
なんですか、それは? 何故に棚経でストップウォッチ?
「元老寺の辺りは田舎だろう? そのせいかどうか、悪ガキが多い。そこへ棚経が若和尚だという噂が回って、夏休みの日記のターゲットにされてしまったんだよ。小学生の男の子たちが時間を計って日記に書き込んでトトカルチョを…ね」
「と、トトカルチョって…。もしかして賭けの対象ですか!?」
シロエ君の声が引っくり返り、会長さんが。
「そういうこと。誰の家の棚経の読経時間が一番長いか、賭けをするようだ。小学生だから賭けているのはアイスだけれど、ワクワク気分が漂っていてね。…キースが回る範囲をサイオンで下見した時に読めちゃったわけ」
「「「………」」」
小学生の男の子がいる家に行くと、もれなくストップウォッチで時間を計られてしまうようです。そうとも知らないキース君はジョミー君をお供に、早速一番最初の家へ。自転車を降りて衣を整え、打ち水がされた玄関先からスタスタと…。
「失礼します」
上がり込んだキース君にジョミー君が続き、お仏壇の前へ。キース君が読経を始め、ジョミー君も唱和しています。お経の途中でキース君が供えられていた木の枝を手に取り、お仏壇に向かって空中に何か書きながら。
「のうまくさらば たたぎゃた ばろきてい おんさんばら さんばらうん」
えっ? こんな呪文がありましたっけ? 会長さんがジョミー君たちに教えていた中には無かったような…? それにジョミー君も黙って座っているみたいですし…。
「ああ、あれかい? あれは変食陀羅尼と言ってね、お供えしてある御膳を仏様に差し上げるために唱えてるんだよ。ジョミーとサムは唱えるにはまだ修行不足だ。もう少ししたら阿弥陀如来根本陀羅尼という更に長いのを唱えるけれど、そこもジョミーとサムは頭を下げて合掌するだけ」
会長さんの言葉の通り、間もなくキース君が呪文を唱え始めました。
「のうぼうあらたんのうたらやぁや のうまくありやみたばや たたぎゃたや…」
ひぃぃっ、頭が混乱しそうです。お坊さんってこんなのを覚えなくっちゃいけないんですか! さっきの短いのはカッコイイ気もしましたけれど、この長いのは勘弁ですって…。しかし呪文はこの二つだけだったらしく、間もなく棚経は終わりました。キース君が御布施を押し頂いてから衣の袖に入れ、ジョミー君と再び自転車に。
「一軒目は無事に終了か…。サムの方も順調にこなしているよ」
流石はサム、と会長さんは嬉しそうです。ジョミー君は緊張のあまりカチコチですけど、サム君は檀家さんにも愛想よくお辞儀し、堂々と振舞っているようで…。
「やっぱり日頃の努力が物を言うね。付け焼刃のジョミーとは雲泥の差だ。さてと、次の家にはストップウォッチがあるようだけど…」
ニヤニヤしている会長さん。キース君が自転車を止めた家の前には如何にも悪ガキという顔の男の子が…。けれどキース君は「熱意溢れる子供」と受け取ったらしく、笑顔で挨拶をして奥へ入ってゆきました。ジョミー君を従え、クーラーの効いた仏間で更に団扇で煽いで貰いながら一連の読経を終えた所で。
「2分6秒!」
子供の声が響き渡ってキース君はビックリ仰天、檀家さんの方は大慌て。謝りまくられたキース君ですが、なんとか平常心は保てたようです。しかし何軒もの家でストップウォッチの刑に処される内に…。
「…なあ、ジョミー。俺は自信が無くなってきたぜ。俺は本当にちゃんとお勤め出来てるんだろうか? ストップウォッチで計って誤差が数秒あるか無いかの流れ作業をやってるだけ…とか…」
本当に自信が無くなったんだ、と高く昇った夏の太陽の下を自転車で走りながら話すキース君。
「どう思う、ジョミー? ブルーなら「その程度のことで揺らいでどうする」とか言いそうだが…って、おい、聞いてるか?」
ジョミー君の答えはありませんでした。懸命に自転車を漕いでいるだけで、無我の境地というヤツです。
「…ジョミーの方が真面目なのかもしれないな…。動機はどうあれ、迷いが無い分、俺よりも格が上かもしれん。…負けるわけにはいかないってか」
頑張るぞ、とハンドルを握る手に力を籠めるキース君。ジョミー君はとっくの昔に棚経しか頭に無いのですから、ある意味、お坊さんとしては素晴らしいのかもしれませんね。
会長さんが設置した棚経対策本部は「高みの見物」と言いつつ、立派に役に立ちました。アドス和尚のスクーターを追う内に貧血を起こしかけたサム君をサイオンで素早くフォローし、衣の下にコッソリ冷却シート。必死に自転車を漕ぎ続けるジョミー君にも冷却シート。そして…。
「かみお~ん♪ 給水スポットだよ!」
周りには見えてないから今の間に飲んでよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシールドを張りつつスポーツドリンクに蜂蜜などを加えた特製ドリンクを差し入れです。もちろんアドス和尚にも…。
「ご苦労様。不肖の弟子が足を引っ張っていなきゃいいけど」
会長さん手ずからコップを渡され、アドス和尚は大感激。この日はこの夏の最高気温を更新しましたが、対策本部の働きもあって最後まで誰も倒れることなく棚経は無事に終わったのです。もっとも、自転車で走り回った上に朝から夕方まで読経三昧だったジョミー君とサム君は元老寺に帰還した途端にダウンでしたけど。
「対策本部を立ち上げておいた甲斐はあったね。サムもジョミーも立派にお盆の行事をこなせそうだ。十六日のお施餓鬼も長丁場だけど、元老寺でやるから肉体的な負担は軽いし…」
揃って海の別荘へ行けるよ、と会長さんは微笑みました。お盆は残り二日です。サム君、ジョミー君、根性を見せて乗り切って~!