シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
六歳になる前に卵に戻って0歳からやり直すと聞かされていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。新しい誕生日もクリスマスにするのだ、と張り切っていたのに色々とあって、自分自身が計画していた「クリスマス・イブのパーティーをしてから卵に戻ってクリスマスの朝に孵化する」名案は叶いませんでした。
それでもクリスマス当日に青い卵はなんとか孵って…。
「ホントに大変だったよねえ…」
ジョミー君が「もうダメなのかと焦っちゃったよ」と話しているのは会長さんのマンションへ向かう道。クリスマスから丸二日を経て、今日は仕事納めの二十八日です。明日からは御曹司のマツカ君以外は家の大掃除のお手伝い。暇な間に遊びにおいで、と会長さんから嬉しいお誘いが届き、いそいそ出掛けてきたのです。
「もしも、ぶるぅが起きてなかったらどうなったのかな?」
首を傾げたジョミー君に、キース君がキッパリと。
「俺たちが今日、呼ばれてないのは間違いないな」
「あ、やっぱり?」
「でなきゃ、毎日呼び出されてたか…。でもってブルーの泣き言を延々聞かされるんだ」
「「「うわー…」」」
それは悲惨だ、と容易に想像がつきました。サイオンの使い過ぎで卵に戻る時期が早まったことを会長さんは酷く後悔していただけに、誕生日をクリスマスにする計画までオジャンになったら落ち込んだに違いありません。そうでなくても「一人で過ごすのは寂しいから」と連日招集されたのですし…。
「あいつがあんなに繊細だとは思わなかったな。心臓に毛が生えていそうなんだが」
「そうかぁ? ブルー、優しい所もあるぜ」
キース君の言葉に異を唱えたのはサム君です。
「俺さ、朝のお勤めに通ってるから分かるんだ。たまに手料理を御馳走してくれるけど、その時にはぶるぅの分も作るだろ? そしたらトーストの焼き加減とか、いちいち確認するんだぜ。…好みは知ってる筈なのにさ」
「覚えていないって可能性もあるが?」
「違うんだって! 俺も覚えてないのかな、と思ったことがあるんだけど…。そしたらブルーがニッコリ笑って、サムにも確認してるだろ、って。…その日の気分ってあるじゃねえか。トーストにしても飲み物にしても」
その辺の気配りが凄いんだ、と力説するサム君は半分ノロケが入っています。けれど会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」を大切に思う気持ちは伝わりました。三百年以上も一緒に暮らしてきた上に小さな子供。家事万能な「そるじゃぁ・ぶるぅ」に何もかも任せっきりのようでも、大事な家族で分身なのです。
「…なんにせよ、ぶるぅが起きて良かった。俺たちも頑張った甲斐があったな」
「うん! だけど、ぶるぅには内緒だよね」
キース君とジョミー君が頷き合って、私たちもコクリと頷いて…。卵を孵すために会長さんとソルジャーと「ぶるぅ」、三人ものタイプ・ブルーと思念を同調させた時に受けた衝撃は半端なものではありませんでした。けれど、そんなことを小さな子供に話すというのは論外です。絶対に内緒、いつまでも秘密!
会長さんの家に来るのはクリスマス以来。青い卵が孵化した後は盛大なバースデー・パーティーでしたが、その日はそれでお開きで…。ソルジャーと「ぶるぅ」は自分の世界へ、私たちと教頭先生はそれぞれの家へ帰って、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は二人きり。水入らずの日々を過ごしていたのか、はたまたフィシスさんでも呼んだのか。
「フィシスさんは呼んだと思うな」
ぼくの勘だけど、とジョミー君が人差し指を立て、肩を竦める私たち。フィシスさんは同じマンションに住んでますから呼び放題です。そうでなくても会長さんは禁欲中だと何度も強調していましたし…。
「今日も呼んであるんじゃないだろうな? イチャイチャされたら俺は帰るぞ」
目の毒だ、とぼやくキース君。私たちは管理人さんに入口を開けてもらってエレベーターに乗り、最上階へと。さて、フィシスさんはいるのでしょうか? 玄関のチャイムを押すなり扉が勢いよく中から開いて。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
元気一杯の挨拶と共に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎えです。一気に戻って来た日常の前にフィシスさんのことなど頭から吹っ飛び、案内されるままにリビングに行くと。
「やあ、来たね」
会長さんがにこやかに迎えてくれました。
「この間はどうもありがとう。お蔭でぶるぅも元気にしてるし、フィシスとも上手くいってるよ。…えっ、今日はフィシスは呼んでいないのかって? ふふ、二人きりの時間に君たちは余計」
まだまだ愛を確かめ合わなきゃ、と意味深な笑みを浮かべる会長さんの横から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「あのね、ぼく、長いこと寝ちゃってたから、ブルー、フィシスに会いに行く暇が無かったんだって! フィシスも寂しかったと思うし、二人で過ごしてもらわなくっちゃ♪」
だから毎晩お泊まりなんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は爆弾発言。どうやらフィシスさんは毎晩泊まりに来ているみたいです。会長さんも見事復活を果たしたようで、実に目出度いと言うべきか…。
「というわけだから、フィシスはいないよ。今日のゲストはお世話になった人だけなんだ」
「「「は?」」」
「ぶるぅを起こすのを手伝ってくれた人を呼ぼう、って話になってさ。…ぶるぅも気付いているんだよ。みんなのお蔭で目が覚めた、って」
会長さんの隣で「そるじゃぁ・ぶるぅ」がペコリと小さな頭を下げて。
「起こしてくれてありがとう! 御礼に御馳走するからね♪」
「「「え?」」」
驚く私たちをリビングに残して「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキッチンに駆けてゆきました。すっかり元通りなのはいいんですけど、何処まで知っているのでしょう? もしかして私たちが倒れたことも…?
「ううん、そこまでは知らないよ。…君たちも内緒にしたいようだし、ぼくもあんまり知らせたくないし……気付かれないようガードはしてある」
子供に重荷は不要なんだよ、と会長さん。私たちはホッと安心、間もなく「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声が。
「かみお~ん♪ もうすぐ出来るからダイニングに行ってね!」
「行こうか、ぶるぅもワクワクなんだ。卵から孵って初めての本格的なお客様だしね」
会長さんに促されてダイニングに移った私たちですが、椅子に座るために散らばろうとすると…。
「あ、そことね、ここは空けておいてくれるかな?」
「…フィシスさんか?」
キース君が苦い顔をし、私たちも覚悟を決めたのですけど。
「違うってば。忙しいゲストのための席! ハーレイは仕事納めで超多忙だし、ブルーは午後から会議なんだ。ぶるぅは暇にしているけれど、この時期は目を離すとヤバイんだってさ」
え。ソルジャーや教頭先生が来るんですか? でもって「ぶるぅ」がヤバイってどういう意味?
「そのまんまだよ、悪戯三昧! クリスマスからニューイヤーまではブルーの世界もイベントが増える。それでハイになって悪戯もエスカレートするって言われちゃうとね、お目付け役無しで一人で遊びに来て下さいとは言えないじゃないか」
「納得出来る理由だな…」
悪戯は困る、とキース君が呻き、私たちの脳裏に蘇ったのは「ぶるぅ」を預かった時のこと。ソルジャーとキャプテンの仲が上手くいかなくなってしまって「ぶるぅ」を預けられたのですけど、蒙った迷惑は今も鮮明に思い出せます。悪戯モードに入った「ぶるぅ」を置いて行かれるのは御免ですってば!
「ね? 君たちもそう思うだろ? だから忙しいゲストは食事だけ。…よし、丁度いい頃合いかな?」
会長さんがパチンと指を鳴らすと青い光がキラリと走って、教頭先生が立っていました。
「ハーレイ、忙しいのに呼んでごめんね。でも、ぶるぅがどうしても御礼を言いたいからって…」
「いや、気を遣わせてしまってすまん。…仕事の方は昼休みになるよう調整してきた。留守にするとも言っておいたし」
大丈夫だ、と穏やかに微笑む教頭先生が空いていた椅子の一つに座ると、今度はユラリと空間が揺れて。
「こんにちは。今日はお招きありがとう」
「かみお~ん♪ 御飯、食べに来たよ!」
紫のマントのソルジャーが「ぶるぅ」と一緒に現れ、残り二つの空席へ。そこでダイニングの扉が開いて入って来たのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「かみお~ん♪ みんな、ぼくをクリスマスに起こしてくれてありがとう! 頑張って御馳走するから食べていってね!」
最初はコレ、とテーブルに置かれたのはカクテルグラス。ハーブ風味のタピオカだそうで、鮮やかな緑のソースを纏った真珠のようなタピオカが盛られています。いきなり絶好調の「そるじゃぁ・ぶるぅ」はチーズと緑の野菜で出来たクリームを挟んだミルフィーユだのスモークサーモンで作った薔薇だのを乗せたプレートを次に出し、その次は…。
今度の料理は何なのかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が消えた扉の向こうを想像してみる私たち。メニューは全く知らされておらず、ソルジャーもサイオンで見る気は無いようです。何が出るか誰もがドキドキで。
「「「あっ!?」」」
意気揚々と押してきたワゴンには円形に焼き上げたオムレツのお皿。真ん中に茶色いキノコ入りのクリームソースがふんわりと…。
「はい、ハーレイがブルーに叱られたっていうキノコのオムレツ! 本物はこういうヤツだったんだ♪」
ちゃんとアミガサタケで作ったよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意そう。ちょこんと自分の席に座って食べながら教えてくれるのですけど、真ん中がトロトロになるように寄せながら焼いて、仕上げは余熱。教頭先生が作ったキノコのオムレツとは月とスッポンというヤツで…。
「そうか、こういうモノだったのか。メモを見ただけでは分からんものだな」
教頭先生が頭を掻けば、ソルジャーが。
「君のオムレツも悪くなかったよ? だけど見栄えはこっちが上かな、もちろん味もね」
美味しいよ、と褒められた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。このオムレツはどうしてもメニューに入れたかったそうで、私たちも本物を食べられて感激です。牡蠣のスープに野菜のガレットを添えた伊勢海老、カカオ風味の仔牛のローストと豪華な料理が続きましたが、やはりオムレツのインパクトが大。
「百聞は一見に如かずだよねえ…」
丸いオムレツなんて初めて食べた、とソルジャーがデザートのフルーツグラタンを口に運びながら言えば、すかさず「ぶるぅ」が。
「あれ、美味しかった! ねえねえ、ぼくたちの世界でもオムレツだけなら作れるよね?」
食いしん坊の「ぶるぅ」は丸いオムレツがお気に入りになったみたいです。作り方を聞いて帰ろうよ、と騒ぐのですけど、ソルジャーがビシッと鋭く一喝。
「じゃあ、作り方を習ってお前が作れ」
「えぇっ!?」
「当然だろう、同じぶるぅだ。やってやれないことはない」
明日から早速頑張るんだな、と肩を叩かれた「ぶるぅ」は涙目ですけど、もちろん冗談に決まっています。すぐに「ぶるぅ」は笑顔に戻って、デザートをペロリと平らげて。
「ありがとう、今日は御馳走様!」
遊びたいけどまた今度、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」と指切りする「ぶるぅ」。ソルジャーが出なければいけない会議の時間が近付き、二人は明るく手を振って姿を消しました。教頭先生も立ち上がって…。
「私もそろそろ戻らないとな。…ぶるぅ、今日はありがとう。あんまり無理をするんじゃないぞ」
「平気だもん! もう眠くないし、元通りだもん!」
ハーレイもお仕事頑張ってね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は元気そのもの。教頭先生を瞬間移動で教頭室まで送り届けたのも「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンらしく。
「みんな、心配かけてごめんね! もう平気だから今までみたいに遊んでね♪」
今年も大晦日は元老寺だもん、と言われて仰天。えっと……私たちはキース君と確かに約束しましたけれど、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が来るというのは初耳ですが…?
「…おい。俺は全く聞いていないぞ?」
いつ決まったんだ、とキース君が会長さんに質問したのはデザートのお皿が下げられてから。テーブルには紅茶やコーヒーが並んでいます。会長さんは紅茶のカップを手にしてニッコリと。
「今日、君が家を出た後でアドス和尚に電話したのさ。君の副住職の就任祝いに除夜の鐘と修正会に出てあげようか、って」
「それはお得意のサプライズってヤツか?」
「さあ、どうかな? …本当はね、かなり前から考えてたんだ。だけど、ぶるぅが卵に戻ってしまったからさ…。いつ孵化するのか分からなかったし、ぶるぅの卵を放って出掛けるのも…ね」
そのせいで機会を逸したのだ、と会長さんは説明しました。無事に卵が孵った後は気が緩んですっかり忘れてしまい、今朝になって思い出したのだとか。
「フィシスには前から言ってあったし、大晦日はブラウたちと旅行に行くそうだから心配要らない。…ぼくは元老寺に行く気満々だけど、君には迷惑だったかな?」
「あ、いや…。迷惑ということは全く無いが…」
「そう言って貰えると嬉しいね。親切の押し売りはよろしくないし、元老寺でも出過ぎた真似をする気は無いよ。修正会では君が導師をやるんだろう? 初めての導師で緋色の衣が衆僧とくればグンと値打ちが増すんじゃないかと」
「「「導師?」」」
なんですか、それは? キョトンとしている私たちに、会長さんが。
「今年の修正会でぼくがやってた役目だよ。法会に参加するお坊さんたちの首座ってヤツさ、本堂の真ん中でリードするわけ。キースも副住職になったからねえ、お彼岸とかの大舞台の前に修正会で導師デビューってわけさ」
大舞台で失敗したら悲惨だし…、と会長さん。でも、キース君に限ってそういうミスは無いのでは?
「甘い、甘い。絶対無いとは言い切れないのがミスってヤツだ。こればっかりは場数を踏むしかないんだよ。なにしろ法衣がいつもと違う。…袴のキースは見たことないだろ?」
「「「袴?」」」
お坊さんに…袴? そんなの見たことないですけれど? 誰もが首を捻りましたが、会長さんはクスッと笑って。
「何度も見ている筈だけど…。意識してなきゃ分からないかな? ぼくが衣を着ている時には下は必ず袴だけどねえ?」
こんな感じで、と会長さんの身体が青いサイオンにフワリと包まれ、それが消えると緋色の法衣が。ですが、袴って…いったい何処に?
「現物を見ても、まだ分からない? これ、これ。これが袴だってば」
「「「えぇっ!?」」」
会長さんが指差したのは緋色の法衣の下から覗いた白い衣装。キース君やジョミー君たちが法衣を着る時は墨染めの下に白の着物です。会長さんのも同じだとばかり思ってましたが、言われてみればプリーツが…。プリーツつきの着物だなんて、よく考えたら変ですよね?
「やっと分かったみたいだね。格式の高い法要とかでは袴なんだよ。修正会の導師ともなれば袴着用! 普段の着物とは足さばきとかが変わってくるから、よろめかないという保証は無い」
頑張りたまえ、と会長さんに声を掛けられたキース君は「分かっている」と深い息をついて。
「…俺の先輩に一人いるんだ、檀家さんの前でよろめいたのが…。それも修正会なんかじゃなくて、璃慕恩院から祝いの品が届くレベルの大法要でな」
「へえ…。それは派手だね、おまけにクライマックスだったりするのかい?」
楽しげに問い掛ける会長さんに、キース君は。
「クライマックスではなかったそうだが、父親と何度も交替しながら導師を務めて、自分が導師だった時らしい。…やっちまった場所が場所だけに、取り返そうにも次の機会はいつになるやら…」
下手をすれば何十年も次の機会は無いのだそうです、その法要。そんな恐ろしい話を聞かされていれば、キース君も気合が入るでしょう。そこへ会長さんも参入しますし、除夜の鐘と修正会を合わせて緊張の年末年始かも…。
会長さんの家での「そるじゃぁ・ぶるぅ」復活パーティーとでも呼ぶべき集いが終わると大掃除の日々が待っていました。パパも逃げられないお掃除ですけど、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は日頃からきちんとしているだけに大掃除とは無縁でしょう。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が卵に戻っていた間だって、会長さんの家は綺麗でしたし…。
そんな他人様の暮らしを羨みながら掃除しまくって、ついに迎えた大晦日。お昼過ぎにジョミー君たちと集合してから元老寺へと出発です。路線バスを降りて山門に向かう途中で、例によって会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を乗せたタクシーが私たちを追い越して行って、山門前に静かに停車。
「かみお~ん♪ あっ、キースだ!」
「なんだ、今日も全員揃って着いたのか…」
相変わらずのタイミングだな、と苦笑しながらキース君が山門の石段を下りて来ます。もちろんバッチリ墨染めの衣。袴とやらは履いてませんが…。会長さんもまだ私服ですし。
「ふふ、タイミングが気になるかい? そうそう毎回、偶然なわけがないだろう。君のお父さんが迎えを寄越してくれるとはいえ、定刻に家を出たんじゃこうはいかない。ジョミーたちの動きを見ながら出掛けるんだよ、いつだってね」
会長さんの発言に私たちは目を剥きましたが、それくらいは充分ありそうです。路線バス組をタクシーで悠々追い越すというのは如何にも会長さんらしい行動ですもの。
「出発の時間だけじゃなくって、その後も細々と気を配ってる。その道じゃなくてこっちから…とか、少しスピードを落としてくれ、とか」
「「「………」」」
そこまでしてタクシーでのお迎えを見せびらかしたいのか、と頭を抱えつつ山門を上がって、お馴染みの庫裏へ。ジョミー君とサム君には墨染めの衣が待ち受けています。えっ、そうと分かっているのにジョミー君は元老寺に突入したのかって? その理由は…。
「よしよし、ジョミーもやっと覚悟が決まったようだね」
いいことだ、と会長さんが笑顔で見送り、二人はキース君に連れられて着替えと御本尊様への御挨拶に。私たちはお座敷に通され、お饅頭などのお菓子が机の上に山盛りです。
「不出来な弟子って言われる内が最高、だっけ? プロのお坊さんになってしまったらドカンと重荷が降って来るから新米の坊主ライフを満喫するとか言ってたし…。キースの肩に重荷を乗っけたブルーに感謝だ」
これで暫く楽が出来る、と会長さんはお饅頭に手を伸ばしました。
「ジョミーがいつまで逃げ回るかは分からないけど、節目節目に法衣を着てればいずれは覚悟も決まってくるさ。ゆくゆくはキースの重荷を分かち合ってくれればいいんだけどねえ…」
そっちは少し難しいか、と会長さんがお茶とお菓子で寛いでいる内に、キース君が法衣のジョミー君とサム君を従えて戻って来て。
「…少しは使えるようになっているかと思ったんだが、ジョミーの方は絶望的だな。修正会の読経は口パクしかない。これも一種の才能か…」
「だろうね、普通は「門前の小僧、習わぬ経を読む」だしね。教えても忘れるのは才能だよ。…まあ、今となっては忘れる方が本人には楽な人生かも…。本職になったら無理難題を吹っ掛けられるし」
ズズッとお茶を啜った会長さんに、キース君は。
「あいつだな…。ミュウってヤツらの供養をするのは構わないんだが、蓮の花が大いに問題だ」
「本当に無茶を言ってくるから困るんだよ。一蓮托生にしても自分好みの色の蓮にしても、本人がお念仏を唱えてくれれば一発解決するのにさ…」
フウと溜息を零す会長さんとキース君。もしかして、ソルジャーの注文通りの蓮の花って、ゲットは可能だったんですか? 会長さんやキース君が頑張らなくても、ソルジャーがお念仏を唱えるだけで?
「…そうなんだよね。唱えるだけで充分だから、って何度もしつこく言ってみたけど、やる気ゼロ! それは本職の仕事だろう、って丸投げされた」
もう諦めた、と会長さんが嘆けば、キース君が袂から数珠を取り出して。
「俺もこの数珠を貰った以上は頑張るしかないというわけだ。…いや、本当にあいつ自身が唱えさえすれば極楽往生なんだがな…。他人任せで自分好みの往生となると、任された方は泣くしかない」
それでも根性で祈ってやるが、と決意を新たにするキース君。修正会では水晶の数珠を使うことになっているので、ソルジャーに貰った桜の数珠は袂に入れてゆくそうです。初めての導師を務める法会にも桜の数珠を携えて出ようという真面目さですから、ソルジャーの願いもきっと叶えるでしょう。でも…ソルジャーには極楽なんかへ行ったりせずに元気で過ごして欲しいですけどね。
お経も所作もド忘れしたジョミー君をキース君が暇を見付けては指導する内に日が暮れ、夕方のお勤めが済むと年越し蕎麦。それから会長さんも緋色の衣に着替えて除夜の鐘の準備が始まり、私たちは夜の境内へ。凍てついた空に沢山の星が輝いています。
「今年ももうすぐ終わりですね…」
シロエ君が呟き、スウェナちゃんが。
「色々なことがあったわねえ…。キースは副住職になったし、ぶるぅは卵に戻っちゃったし、それに…」
ソルジャーは結婚しちゃったし、と送られてきた思念に皆が思念で頷き、マツカ君が。
「でも、いい年だったと思いますよ。来年も、再来年も、そのずっと先も、こんな風に素敵な年を重ねていきたいですよね」
サイオンが普通になる時代まで…、と思念で続けるマツカ君。ソルジャーの世界みたいにならないことが私たちの一番の願いです。煩悩を祓うという除夜の鐘を撞く度、新しい年に向けて祈り続けて早くも四年。来年こそとは言いませんけど、きっといつかは…。
「あ、会長が行くみたいですよ」
関係者用のテントから会長さんがキース君の先導で鐘楼へ向かい、サム君とジョミー君がお供しています。やがて会長さんが厳かに最初の除夜の鐘を撞き、それから後は参拝客。列に並んでいた私たちも撞いて、例年通りテントで甘酒のお接待を受けながら最後の鐘になる午前一時のを会長さんが撞くのを待って。
「…お待たせ。いよいよキースの導師デビューが始まるよ」
ついておいで、と会長さんがテントに顔を覗かせ、私たちは揃って本堂に入りました。とはいえ、会長さんと一緒に行けるのは此処まで。緋色の衣の会長さんはアドス和尚やサム君、ジョミー君と並んで内陣に座り、私たちは一般用の外陣です。
「新年になっても待遇は変えてくれないみたいね…」
今年こそ椅子席かと思ったのに、とスウェナちゃんは残念そうで、私たちは本堂の畳に正座。もういい加減慣れましたけど、いずれは椅子席が貰えるのかな? 外見が全く変わらないだけに百歳になっても正座かもよ、と思念でコッソリ笑い合っていると…。
「あっ、キースだ!」
隣に座っていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が無邪気な声を上げました。水晶の数珠を手にして現れたキース君は緑の法衣に袈裟を着けています。そして会長さんが言っていたとおり、プリーツが入った白い袴も。こんな姿は初めて見る、と感心していると、流れて来たのは会長さんの思念。
『本当はね、キースは去年の時点で緑の法衣が着られたんだ。住職の資格を取った時にそういう資格も貰っているから。…だけどアドス和尚は厳格だった。キースが年を取らない以上は、副住職という立場に就くまで墨染めで通せ、と命じたわけさ』
見た目で軽んじられないようにとの親の愛だ、と会長さん。若い上に長髪という型破りだけに、それなりの地位を手に入れるまでは小僧さんのサム君やジョミー君と同列に置いておこうと思ったらしく…。そうだったのか、と感じ入る私たちの前をキース君が静かに横切ってゆき、様々な所作をしてから阿弥陀様の前へ。
『さあ、始まるよ。ついにキースの本格デビューだ』
会長さんの思念と同時に朗々とキース君の読経が始まり、アドス和尚とサム君が唱和しています。ジョミー君はどう見ても口パク、会長さんの声は控えめで。
『修正会の主役はキースだよ? ぼくが声を張り上げたらキースの声なんか消してしまうし、遠慮するのが筋なんだよね』
それも高僧の心得の内、と思念で囁く会長さん。読経しながら会話できるのが凄いですけど、それも伝説の高僧、銀青様ならではのことでしょう。一心不乱に読経しているキース君には弾き返されたそうですが。
『ホントにキースのガードは凄いよ。自覚が無いのがまた惜しい』
あの力をもっと伸ばせたらねえ、と会長さんは話しています。その間にもキース君は読経を続け、やがてお念仏の節に合わせて立ったり座ったりする五体投地を始めました。これが問題の場所ですか? 慣れない衣装だとよろめくという…?
『無事に新年を迎えられた御礼と、新しい年の平和を願っての五体投地だ。座ってるぼくたちは床に両肘をつけるだけだけど、導師はそうはいかないし…。よろけないよう祈ってやってよ』
大丈夫だとは思うけどさ、とクスクス笑う思念はキース君には届いていません。ただ一心に立って座って、座って立って…。ああ、やっと読経に戻りました。なんとか乗り切ったみたいです。
『此処から後は問題なし…ってね。この調子で今後もドジを踏まないように、精進してって貰わないと』
ぼくたちの任務は重いんだから、という思念と共にキース君の左の袂に入れられた桜の数珠が一瞬だけ透けて見えました。ソルジャーがキース君に託した桜の数珠。サイオンを持ったミュウたちの供養を頼む、とソルジャーとキャプテンが作った数珠。
『キースはああやって祈り続ける。もちろん、ぼくも祈り続ける。…こうして年が改まる度に祈りを重ねて、毎日の祈りも重ね続けて…。いつか祈りがブルーたちの力になれば、と切に願うよ』
極楽往生だけじゃなくって地球へ辿り着く夢のためにも…、と語り続ける会長さん。ソルジャーの世界も新年を迎えているでしょう。私たちの世界もソルジャーの世界も、今年もいい年になりますように。今年だけじゃなく、その先も……遠い未来まで、どうか良い年に…。