シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
蘇った地球に生まれ変わり、前世で愛したハーレイと再び巡り会ったブルー。
其処までは嬉しいことだったけれど、残念なことにブルーは十四歳になったばかりの少年だった。おまけにハーレイはブルーが通う学校の古典の教師。色々な計らいのお蔭で休みの日にはハーレイと一緒に過ごせるようにはなっているものの…。
「あっ、いけない!」
ママだ、とブルーは慌ててハーレイの広い胸から離れた。
前世で失った時間を取り戻すかのように、ブルーはハーレイの胸に抱かれて過ごすのが好きだ。ハーレイが訪ねて来てくれる休日には必ず強請って抱き締めて貰うが、生憎と今のブルーには両親がいる。特に母の方は客人であるハーレイを何かと気遣い、ブルーの部屋の扉をノックするわけで。
「ブルー? 入るわよ」
階段を上がって来る足音に気付いて離れていたから、母は何事も無かったかのように向かい合って話すハーレイとブルーにニッコリ微笑む。
「お茶のお代わりを持って来たわ。…ハーレイ先生、今日も夕食を御用意させて頂きますから」
「すみません、お気遣い頂きまして」
「いいえ、ブルーがいつもお世話になっているんですもの。どうぞ御遠慮なく。夕食の支度が出来たら、また声を掛けに来ますわね」
ごゆっくりどうぞ、とティーセットを新しいものと入れ替え、空になっていたケーキ皿の代わりにクッキーを盛った器を置いて母は部屋から出ていった。扉が閉まって、階段を下りてゆく軽い足音が遠ざかる。それが聞こえなくなるのを待って、ブルーは小さな溜息をついた。
「……またその内に来るんだよね、ママ…」
「ん? そりゃまあ、なあ…。夕食時まで覗きに来ないってことはないだろうな」
いいお母さんじゃないか、とハーレイが穏やかな笑みを浮かべる。
「お客さんを放っておくわけにはいかんだろう。お前はまだまだ子供だしな」
「見た目だけだよ!」
「そうか? しかしだ、現にお前はお茶の用意も出来ないわけで」
「お茶くらいちゃんと淹れられるよ!」
ブルーはムキになって反論したが、空になったティーポットやカップ、ケーキ皿などを下げることも忘れてハーレイに甘えていたことは事実。これが気の利いた大人であれば、頃合いを見て熱いお茶のポットと入れ替え、菓子も新たに用意した筈だ。たとえ先の分でお腹一杯であったとしても。
「…お前、いい加減、覚えたらどうだ? ポットもカップも空になったら新しいのが要るだろう」
さっさと下げて入れ替えてくれば少なくとも一度は母の訪問回数が減る、というハーレイの指摘は正しかった。それでもブルーは毎回忘れる。目の前のハーレイに夢中になってしまうから…。
「…わざと忘れてるわけじゃないんだけれど……」
シュンと項垂れるブルーの姿に、ハーレイが「じゃあ、年のせいか?」とからかってくる。
「三百にプラス何歳だった? 少なくとも今が十四歳だし、前世の分まで合わせて数えりゃ平均寿命も間近ってトコか。物忘れが酷くなっても仕方がないが、同じ三百歳を超えた年でも前のお前は冴えてたなあ…」
物忘れなんかしなかったっけな、とハーレイは可笑しそうに笑ってみせた。
「俺が約束の時間に遅れたと何度文句を言われたことか。…絶対に忘れなかったんだよなあ、たまには忘れてくれてもいいのに」
「忘れるわけがないよ、ハーレイと二人きりになれる時間の約束をしたんだもの」
「だったら、今度も覚えておけばいいだろう」
「ママが来る時間は決まってないし! 決まってるんなら覚えるよ!」
お茶を淹れてから一時間後とか、とブルーは唇を尖らせたけれど、実際の所、覚えていられる自信は無かった。ハーレイの姿を目にしたが最後、他は全くどうでもよくなる。ケーキをすっかり食べてしまおうが、ポットもカップも空であろうが、ハーレイさえいればもう幸せでたまらない。
(…ホントにわざとじゃないんだけどな…)
今日だってハーレイが部屋を訪れるまでは覚えていた。母が用意した菓子が無くなるか、ポットのお茶が空になったら先手を打って自分で下げて、新しいものを貰ってこよう、と。そうすれば母が扉をノックする前に余裕を持って行動出来るし、母の来訪も一度は減るし…。
「…どうして忘れちゃうんだろう…」
自己嫌悪に陥りそうなブルーの額をハーレイの指がピンと弾いた。
「それはお前が子供だからさ。…前のお前は大人だったから、今のお前より遙かに年を重ねていたって周りがきちんと見えていたんだ。次に自分が取るべき道を見据えていたと言うべきか…。俺と一緒に過ごす時にも決してシャングリラを忘れなかった」
「……そうなんだけど……」
そのことはブルーも覚えている。ハーレイと恋人同士の時を過ごして、どんなに我を忘れようとも心の何処かに白く優美なシャングリラが在った。
守らなくてはならないもの。決して忘れてはならないもの…。
巨大な船を常に意識し、その隅々まで思念を行き渡らせることに比べればティーポットや菓子の皿など微々たるもの。ソルジャー・ブルーであった頃の自分なら、意識せずとも忘れないもの。
それなのに毎回、忘れてしまう。自分は馬鹿になったのだろうか?
「…テストの点数は悪くないって思うんだけどな…」
言い訳のように呟いてみても、現に今日だって綺麗に忘れた。やっぱり自分は前世よりも馬鹿で覚えが悪くて、たかがティーポットすらも頭の中に留めておけない間抜けだとか…?
そんなブルーの頭をハーレイがポンポンと優しく叩く。
「お前、頭は悪くないだろ? 運動の方はからっきしだが、他の科目は小さい頃からトップクラスで今の学校へ入った時にも首席だったと聞いているが?」
「…だけど、頭は悪いのかも…。テストでいい点が取れる理由はソルジャー・ブルーの頃の記憶を持っているからで、ぼくが覚えたわけじゃないかも…」
思い出す前から全部知ってたのかも、とブルーは落ち込みそうだった。お茶を取り替えることも忘れる自分が授業の中身を人並み以上に覚えていられるわけがない。無意識の内に前世で蓄えた知識を引き出し、スラスラと問題を解いていただけで…。
「そうだな、馬鹿かもしれないな」
ハーレイの言葉に傷つきかけたが、その言葉には続きがあった。
「…さっきお前が忘れる理由を言った筈だが、それも全く分かっていない辺りがなあ…。いいか、お前は子供なんだよ。目先のことしか見えない子供だ。子供ってヤツはそういうモンだ」
「ぼくは子供じゃないってば!」
馬鹿と言われるのもショックだけれども、子供扱いはもっと堪える。いくら背丈が前の生よりもずっと低くて、生まれてからの年数が今のハーレイの半分にさえもならないとしても、ソルジャー・ブルーだった頃の記憶はあった。自分はハーレイと恋人同士の筈なのに…。
「子供じゃないと言い張る所も立派に子供の証拠だな。ちゃんと立派に育った大人がよく言う台詞を知ってるか? 「まだまだ若輩者でして」と自分は若すぎて経験不足だと謙遜するんだ」
「でも、ぼくは…!」
「ソルジャー・ブルーの生まれ変わりで俺の恋人だと言いたいのか? それは認めるが、子供は子供だ。お前がどんなに背伸びしたって三百歳を超えるどころか俺の年さえ越えられないさ」
だから、とハーレイの手がブルーの髪をクシャクシャと撫でた。
「お前は周りがきちんと見えない。自分のことだけで精一杯で、そのせいで色々失敗もする。お茶を淹れに行こうと思っていたって忘れちまうのも子供だからだ。心配は要らん」
当分はお母さんに任せておけ、とハーレイは笑うが、ブルーにしてみれば母の存在は大問題で。
「……でも……。ママが来ちゃうと離れなくっちゃいけないし…」
さっきみたいに、とブルーは俯いた。
「ぼくはハーレイの側に居たいのに、ママに見付かったら大変だもの…」
自分たちの前世が何であったかは両親だって知っている。しかし恋人同士だったことは何処にも記録されてはおらず、その上にハーレイもブルーも男。事実を知ったら両親は腰を抜かすだろう。
今の時代でも男同士のカップルは至って少数派。結婚は出来るし問題は無いが、それでもやはり普通の恋とは言い難い。いつかは両親にもきちんと話してハーレイと共に暮らしたいけれど、其処に至る前に知れて驚かれることは出来れば回避したかった。
せっかく休日はハーレイと過ごせるようになっているのに、恋仲とバレればどうなるか。下手をすればハーレイは出入り禁止で、ブルーも自室に閉じ込められてしまうとか…。
ブルーは切々と訴えた。
自分が育って大きくなるまで、母の目を気にして過ごさなければいけないことが辛くて悲しくてたまらないのだ、と。
「…ハーレイはキスも駄目だって言うし、ママの前ではくっつけないし…。こんな我慢がいつまで続くの? 早く大きくなりたいよ…。なのに大きくなれないんだもの…」
頑張って沢山食べようとしても食の細いブルーには無理だった。ミルクを飲んでも背丈は伸びてくれず、学年で一番小さいまま。ハーレイと前世のような仲になれる日は一向に訪れそうもない。
「本物の恋人同士になるのも無理で、くっつくのも駄目。本当に悲しすぎるんだけど…」
「子供だから仕方ないだろう、と何度も言った筈なんだがな…。これだから子供というヤツは…」
手がかかりすぎて扱い辛い、とハーレイの眉間に皺が寄る。
その顔つきにブルーは首を竦め、「怒らせた」と目を固く瞑ってしまったのだが。
(…えっ?!)
グイ、といきなり強い力で抱き寄せられた。テーブルを挟んで座っていた筈なのに、ハーレイの腕に囚われる。更にそのまま床へと引き摺るように倒され、慌てて抵抗しようとした。
本物の恋人同士に早くなりたいと願い続ける毎日だけれど、母がいつ来るかも知れない部屋でだなんて思いもしない。
ハーレイのことは大好きだったし、いつそうなっても構わないとは思ったけれども、こんな所で押し倒されてそんな関係になるなんて…!
「やだっ…!」
嫌だ、とブルーは叫んだ。力でハーレイに勝てないことは明らかだったが、逃れようともがく。細い手足をバタつかせて暴れ、逞しい腕を振りほどこうと足掻けばハーレイの力が不意に緩んだ。
「……何もしないと言ってるだろうが」
「…ハーレイ…?」
涙が滲みかけた瞳にハーレイが映る。その顔は懸命に笑いを堪えている顔。
「お前、襲われると思っただろう? キスもすっ飛ばして誰が襲うか、舐められたもんだ」
で、この状態ならお気に召すのか、と訊かれてブルーはようやく気が付いた。
絨毯に正座したハーレイの太ももを枕に自分は床に寝ていて、いわゆる膝枕の状態なのだ、と。
「どうだ、これならお母さんが来たって大丈夫だと俺は思うがな」
ただの昼寝だ、とハーレイが笑う。
「眠いならベッドで寝たらどうだ、と言っている間に床に転がって寝ちまった、と言えば通るし、お母さんが恐縮するだけだ。…なにしろ俺の足がお前の重みで痺れるからな」
「…そんなに重い?」
なんとか気持ちが落ち着いてきたブルーが尋ねると「まさか」と直ぐに答えが返った。
「お前の小さな頭くらいで痺れていたんじゃ柔道なんぞは出来ないさ。身体を鍛えることも大事だが、柔道は礼儀作法も大切なんだぞ。正座は基本の中の基本だ、そう簡単に痺れはせん」
気にしないでゆっくり寝ているといい、とハーレイの指がブルーの前髪を優しく梳いた。
「本当は少し辛いんだがな…。お前が下手に暴れたお蔭で、俺の理性が吹っ飛びかけたぞ。危うく食っちまう所だったが、此処が我慢のしどころってヤツだ」
好物は最後まで取っておくのが好みなのだ、とハーレイがブルーの顔を見下ろす。
「お前はまだまだ子供だしな? しっかり育って食べ頃になったら美味しく頂くことにしておく。それにクビにもなりたくないし…。お前を食ったら俺は立派な犯罪者だ」
「……告げ口しないよ」
「こら! 子供のくせに背伸びするんじゃない。さっき必死で暴れてたくせに」
俺はしっかり見ていたんだぞ、とハーレイの鳶色の瞳がブルーを映して穏やかに揺れる。
「お前に「嫌だ」と言われちまったが、いずれ逆の意味で「嫌だ」とお前に言わせるさ。…覚えているだろ、どういう時に「嫌だ」と言ったか」
「…ちょ、ハーレイっ…!」
ブルーは耳まで真っ赤になった。
前世で「嫌だ」とハーレイに何度言っただろう?
それはベッドの中での睦言。本当に嫌で言ったのではなく、その逆の意味で…。
「思い出したか? あれは子供のお前には言えん。…もっと大きく育たないとな」
しっかり食べて大きくなれよ、と温かな手が額に置かれた。
「…分かったんなら少しだけ眠れ。驚かせてしまって悪かった」
「……ううん…。ぼくこそ、暴れちゃってごめん」
緊張が一気に緩んだせいか、急な眠気に襲われる。眠るつもりは無かったのだけれど、一つ欠伸をしてしまったら瞼が重くなってきて……。
そうして眠ってしまったブルーは、母が「熱いお茶を持って来ましょうか?」と扉をノックし、覗きに来たことにも気付かなかった。
「あらあら、この子ったら、ご迷惑を…。駄目でしょう、ブルー!」
起きなさい、と言いかけた母に、ハーレイが人差し指を自分の唇に当てる。
「いえ、こういうのは慣れていますから。…昔、よく母の猫が膝の上で眠ってましたしね」
「…でも……」
「寝かしておいてあげて下さい。今日は話が弾みましたから、多分、疲れが出たのでしょう」
なにしろ積もる話は三百年分ほどもありますので、というハーレイの言葉に母はようやく笑顔になった。
「そういえば…。ついつい忘れてしまいますわね、ブルーがソルジャー・ブルーなことを」
「ブルー君のためにはそれでいいんだと思いますよ。今は普通の十四歳の子供ですから」
「…ええ。私たちの大事な一人息子です」
ブルーをよろしくお願いします、と頭を下げた母が「コーヒーをお持ちしますわね」と部屋を出てゆくのをハーレイは苦笑しながら見送った。
その大切な一人息子を自分の伴侶に貰い受けたい、と告げたら彼女はどうするだろう?
(…まあいいさ。まだまだ先の話だからな)
追い追いゆっくり考えればいい、と自分の膝で眠るブルーを見下ろす。
「お前が暴れてくれた時にはドキッとしたがな、お前、もう少し育たないとな」
嫌だという声に色気が足りない、と呟きながらもハーレイの心は今なお微かに波立っていた。
此処がブルーの部屋でなかったなら、ブルーを組み敷いていたかもしれない。
俺もまだまだ修行不足だ、と自分自身を叱咤する。
自分の膝を枕に眠るブルーは十四歳になったばかりの無垢な子供で、守るべきもの。
前の生で守れなかった分まで守り慈しみ、いつの日にか…。
(……お前を俺の伴侶に貰える日までは手は出せないな)
早く大きく育ってくれよ、とハーレイは願う。
ブルーが「早く大きくなりたい」と願うよりも更に切なる想いをこめて、ただひたすらに……。
恋する十四歳・了