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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

相合傘

 朝から曇り空だったのが、午後の授業の途中から雨。終礼が終わる頃には本降り、窓から見ても雨音が聞こえてきそうなほどの雨脚となった。天気予報で言っていたとおり、明日まで止みそうもない暗い空。傘を用意してきて良かった、とブルーは鞄を開けたのだけれど。
「あっ…」
 鞄の中を覗いたブルーは自分の目を疑い、それからガックリと肩を落とした。
 入っていた筈の折り畳み傘。端の方に入れてあった傘が見当たらない。
 そういえば昨夜、鞄の中身を整理していた。友人がコッソリ学校に持ち込んだキャンデーを鞄に入れてくれたのはいいが、其処で先生が入って来たから「お前の分な!」と文字通り放り込まれて散らばってしまい、幾つあったのかも分からなくて。
(…全部、引っ張り出したんだっけ…)
 教科書もノートも、文房具も出して鞄の中からキャンデーを探した。色とりどりのキャンデーは個別に包装されてはいたが、学校はお菓子の持ち込みは禁止。うっかり何かを取り出した時に床に落ちたりしたら非常にまずい。いくらブルーが優等生でも先生に見付かれば叱られる。
 キャンデーの回収作業の真っ最中に母に呼ばれた。父がケーキを買って来たから食べないかと。ケーキはもちろん食べたかったから作業中断、階下へ急いだ。
 その時、荷物を広げていた机の引き出しをパタンと閉めたけれども、折り畳み傘は其処に落ちて紛れていたかもしれない。雨の降りそうな時しか用意しないから、鞄に無くても気が付かない。
(……やっちゃった……)
 鞄の中身はきちんと詰めた筈だったのに。教科書もノートも全部あったのに、折り畳み傘だけが何処にも無い。小雨だったらまだ良かったのに、本降りの雨。傘が無くてはどうにもならない…。



 予報通りの午後からの雨。降り始めたのを窓越しに眺めた時には大丈夫だと思っていた。鞄には傘が入っているから、それを差して帰ればいいだけなのだと。
(…忘れちゃったなんて…)
 気落ちしているブルーを他所に、みんな次々と帰ってゆく。クラスメイトの鞄から出て来る折り畳み傘が羨ましい。普段の自分なら決してしない忘れ物。
 こんな日に傘を忘れた経験がまるで無かったから、ブルーは見事に出遅れた。バス停の方へ行く誰かの傘に入れて貰えば良かったというのに、思い付く前にクラスメイトたちは消えてしまった。家へ、あるいはクラブ活動へと。
(そうだ、学校の傘があったっけ…!)
 急な雨の日のために用意されている予備の傘。あれはどうやって借りるのだったか、と考えつつ置き場所に行けば、傘はすっかり無くなっていた。元々、全員の分は無い傘。空っぽになった傘の置き場を眺めていても傘が出て来る筈も無い。
(……どうしよう……)
 鞄を抱えて校舎の出口に立ち尽くす。そんなブルーの脇を通って雨の中へと駆け出す男子たち。傘は差していないが、彼らの周りに赤や緑のシールドが見えた。雨を防げるサイオン・シールド。ソルジャー・ブルーだった頃なら出来たが、今のブルーには不可能な技。
 シールドで雨を避けられはしないし、傘だってブルーの手には無い。校門からは少し距離があるバス停までは、この雨の中を走ってゆくには遠すぎた。
 濡れてしまえば風邪を引く。けれども濡れない方法が無い。
(…ママに連絡して貰おうかな?)
 ブルーの身体が弱いことは担任の教師も承知していたし、頼めば連絡してくれるだろう。母には迷惑をかけるけれども、風邪を引いて寝込めば母はもっと困る。それしか無い、と考えていたら。
「おい、どうした?」
 傘が無いのか、と声が掛かった。
「…ハーレイ先生?」
 振り向いた先に、好きでたまらないハーレイが居た。



 まだ柔道着に着替えていないハーレイ。部活に出掛ける途中なのだろう。
 問われるままに傘を忘れたいきさつを話すと「お前らしくない失敗だな」と笑われて。
「着替える前で丁度良かった。…ちょっと待ってろ」
 クラブのヤツらに言ってくるから。
 ハーレイは渡り廊下で校舎と繋がった体育館へと歩いて行って、暫くしたら戻って来た。そしてブルーを連れ、職員室に向かう。科目別に整えられた準備室ではなく、朝と放課後とに教師たちが集まる職員室。ハーレイがブルーと一緒に其処に入ると、入口にいた男性教師が直ぐに気付いた。
「おや。ハーレイ先生、今日は今からお仕事ですか?」
 教職員たちは皆、ハーレイの役目を知っている。聖痕者であるブルーの守り役。ミュウの初代の長、ソルジャー・ブルーが最期に負った傷痕をその身に写し出す聖痕者と診断を下されたブルー。二度と出血を引き起こさぬよう、ハーレイが側につくと決まった。
 聖痕者の出血が酷すぎた場合、寝たきりになる例もあったらしいと古い資料が示していたから。ソルジャー・ブルーの傷痕はメギドで負った傷なのだから、メギドではない場所に居たなら傷痕が浮かび上がりはしない。そのためにハーレイが選ばれた。
 ソルジャー・ブルーの右腕だったキャプテン・ハーレイそっくりのハーレイ。そのハーレイさえ側に居たなら、其処はメギドではないのだから、と。
 それゆえにハーレイはブルーの守り役に選ばれ、時間が許す限りブルーの側で過ごすのが仕事。男性教師が言う「仕事」とは、ブルーの側に付くことだ。今からブルーの付き添いなのか、という意味の問い。ハーレイはそれに「いいえ」と答えた。
「今回は時間外でしてね。傘を忘れて来たらしいので、バス停まで送り届けませんと」
「それはそれは…。その後で通常業務でしたか、お疲れ様です」
「いえ、柔道部の指導は私の趣味でもありますから。…では、行ってきます」
 ハーレイは自分の仕事机の下から二本の傘を引っ張り出した。折り畳みではない普通の傘。雨の予報を聞いて家から持って来た分と、急な雨に備えての傘なのだろう。
 それを抱えて「待たせたな」と出て来たハーレイ。扉を閉める彼の背後から労いの声が聞こえ、ブルーは申し訳ない気持ちになった。だから…。
「ぼく、傘を貸してくれたら一人で帰るよ」
 うっかり敬語を忘れたけれども、大丈夫だとハーレイに告げた。すると即座に返事が返る。
「見付けちまったら放り出せんさ」
 他の先生も言ってただろう。俺はお前の守り役なんだ。
 濡れないように送って行くさ。バス停まできちんと送り届けるのも役目の内だ。
 そう話しながら辿り着いた、先刻ブルーが出られずに立っていた校舎の出口。ハーレイが大きな傘を広げた。ブルーは借りた傘を持っているのに、笑顔で「入れ」と差し掛けてくれる。
「俺が送ると言っただろ? 遠慮しないで入って行け」



 校舎から出ると、思っていた以上に大粒の雨。バラバラと傘を叩く雨粒の音が途切れない。傘の端からは雫が滴り、ふと見ればハーレイのスーツの肩の部分が雨に濡れて色が変わっていた。
「…ハーレイ先生、スーツ、濡れてる…」
 校内だからブルーは「先生」と呼び掛けたけれど、続きの言葉は普段どおりになってしまった。雨が降りしきる中、誰も歩いてはいなかったから、ついつい生徒の立場を忘れた。それにブルーは全く濡れてはいなかったから。ハーレイの大きな傘に守られて、雨に打たれはしなかったから。
 ハーレイが自分を大切に雨から庇って歩いてくれる。そのせいで恋人気分になった。ハーレイは自分の守り役でも教師でもなく、守ってくれる恋人なのだと。
 ブルーの口調からハーレイも感じ取ったのだろうか、傘を差しながら「ははっ」と笑った。
「相合傘と洒落込みたかったが、俺の身体では無理があったか。…はみ出してるな」
 お前が無事ならいいんだがな、と濡れた肩を気にせずに歩くハーレイ。そのハーレイは前の生と同じタイプ・グリーンで、防御能力には自信があると聞かされていた。シールドする力も高い筈。雨粒くらいは防げるのでは、とブルーは疑問を口にしてみた。
「ハーレイ、確かシールド出来たんじゃあ…? こんな雨くらい」
「まあな。しかし、それでは雨を味わえん」
「雨?」
 味わうとはどういう意味だろう? 訝るブルーにハーレイが語る。
「ナスカでゼルがやったそうだぞ、雨を体感したくてな。わざわざシールドを解いたのはいいが、ついでに滑って転んだらしい。エラが見ていて語り草になっていたもんだ、うん」
 それで自分も真似をしてみた、とハーレイは言った。
「流石に人目があるとちょっとな…。誰もいない場所でコッソリと、な。これが雨か、と妙に心が弾んだなあ…。シャングリラの中には降らないからな」
 ナスカの雨でも嬉しかったのに地球の雨だ、と傘の外に褐色の手を出す。傘の柄を握っていない方の手。その手のひらで雨粒が跳ねる。透明な雫が滴り落ちる。
「ほらな、地球に降る恵みの雨だ。…味わってこそさ、シールドで避けるんじゃなくってな」
 子供のような笑顔のハーレイだったが、傘からはみ出した肩を濡らす雨は衰えを見せない。肩はとっくに濡れそぼっていて、背中の方まで色が変わり始める。
 これではいけない、とブルーは手にした傘を持ち上げた。
「ハーレイ、ぼくも傘を差すから」
 しかし、その手をハーレイが制する。
「そう言うな。…そうそう出来んぞ、相合傘は」
 な? と大きな傘をブルーに差し掛け、ハーレイは微笑んだのだった。



「…次の機会はいつになるかも分からんからなあ、相合傘」
「そうだね。その時もハーレイ、濡れちゃうのかな?」
「多分な。…お前を濡らすわけにはいかんし、かといって雨合羽を着るのもなあ…。シールドってヤツも情緒が無い。お前ごと包むなら話は別だが」
 それもいいな、とハーレイが頷く。自分のシールドでブルーも包んで、傘は差さずに二人で雨の中を歩く。傘を差す手が必要無いから、互いの手をしっかり握り合って。
「いいね、それ。…いつかやろうね」
「二人で何処かへ出掛けられるようになったらな。その時は相合傘も堂々と出来るぞ」
「どっちもやろうよ、雨が降ったら」
 他愛ない夢を語り合いながら二人歩いて、大きな傘に雨の雫を受けて。
 甘い言葉を、教師と生徒の会話には聞こえない言葉を、雨音が包んで隠してくれる。
 学校の広い敷地を抜けて、校門を出てからバス停まで。
 ほんの少しの距離だったけれど、それは雨の中、二人だけのデート。
 ハーレイはデートとは言わなかったし、ブルーも訊きはしなかったけれど、こんな散歩もきっとデートと言うのだろう。散歩ではなく教師が生徒を送ってゆくだけなのだけれど、二人は恋人同士だから。誰もそれとは気付かなくても、前の生から二人はずっと恋人同士だったのだから……。



 スーツの肩から背中にかけて濡れてしまったハーレイは、バス停の屋根の下に着いても帰らずに待っていてくれた。ブルーが乗り込むバスが来るまで、傘を畳んで待っていてくれた。
 部活の無い生徒はとっくに帰った後だったから雨のバス停には誰もいなくて、ハーレイと二人でバスを待った。雨は止まなくて、通る車が二人に気付いてスピードを落とす。タイヤで飛沫を撥ね上げないよう、気を配って通過してくれる。
 傍目には教師と生徒だろうが、恋人同士に見えるといいな、とブルーはちょっぴり夢を抱いた。バスに乗る恋人を見送りに来た優しい恋人。バス停の屋根の下からバスに乗るまでの僅かな距離に恋人が雨に打たれないよう、傘を広げて差し掛けるとか…。
 そんなシーンを何処かで見た。母が見ていたドラマだろうか、と考えていたら。
「おい、バスが来たぞ」
 あれだ、と指差したハーレイが傘を広げた。ブルーが思い描いたドラマのワンシーンのように、雨を遮る傘をブルーに差し掛けてくれた。滑り込んで来たバスの扉の直ぐ前へと。
「ほら、ブルー。気を付けて帰れ。…もう傘を忘れたりするんじゃないぞ」
「うん。…ありがとう、ハーレイ」
 貸して貰ったハーレイの傘を大切に抱えてバスに乗り込む。
 ついに出番が来なかった傘。ハーレイが差した大きな傘に入っていたから、差さずに抱えていただけの傘。
 ブルーの背後でバスの扉が閉まって、ハーレイが笑顔で手を振った。傘からはみ出していた肩と背中の色が変わってしまったスーツで、それでも嬉しそうな笑顔で。
 だからブルーも急いで座席に座って手を振る。傘と鞄で塞がった手では振れないから。雨の中を送って来てくれたハーレイに向かって、精一杯に手を振りたかったから…。



 バス停が遠ざかり、其処に立つハーレイも雨に煙って見えなくなって。
 ブルーは一度も差さずに此処まで持って来たハーレイの傘に目をやった。家に忘れた折り畳み傘よりもずっと大きなハーレイの傘。折り畳みではないブルーの傘より明らかに大きいと分かる傘。
(ハーレイ専用ってことはないよね?)
 父の傘より大きそうだけれど、まさか特注ではないだろう。ハーレイのように立派な体格をした人たちのために作られているに違いない。今日はブルーが一緒に入ってしまったせいでハーレイの肩が雨に濡れたが、一人だったら楽に入れる特大の傘。
(だけど重くはないよね、うん)
 作りはしっかりした傘なのに、ブルーの手でも重くはなかった。それなりに重いが、その重量は安心感を与える重さ。雨も風もしっかり防いでみせます、と傘が自信を持っている重さ。
(…ハーレイの傘かあ…)
 職員室の机の下から引っ張り出していたハーレイの姿を思い浮かべる。天気予報を聞いて持って来た傘か、急な雨に備えて置いてある傘か。
 どちらにしてもハーレイの傘。ハーレイのために役に立つべく買って来られた大きな傘。
 いつもはハーレイを雨から守るのを仕事にしている傘が、ブルーのためにと貸し出された。傘を忘れたブルーを守って無事に家まで送るように、と。
(…ふふっ、ハーレイの代わりなんだね)
 ハーレイの代わりにぼくを守ってくれるんだね、と滑らかな傘の柄をポンポンと叩く。ブルーの手には少し大きいサイズの傘の柄。持ち主の手ならしっくり馴染むと容易に想像出来る傘の柄。
 よろしく、と心で語り掛けた。
 ハーレイを守るのが役目の雨傘。今日は家までぼくを守って、と。



 家の近くのバス停で下りて、下りながら傘を広げてみたら。
 予想したとおりに本当にとても大きな傘で、ハーレイに守られているような気分になった。
(凄く大きい…)
 ハーレイと二人で入っていた時も充分大きいと思ったけれども、一人で差せば更に大きい。雨の雫はブルーの身体から離れた所で傘から滴り、周りにぐるっと雨の降らない安全地帯。
 ブルーの傘ではこうはいかない。安全地帯はもっと狭くて、油断すれば鞄が濡れたりもする。
(……ホントにハーレイと居るみたいだ……)
 守られている安心感。
 前の生からブルーを気遣い、包み込んでくれていたハーレイ。
 そのハーレイを思わせる傘がブルーを雨から守ってくれる。ハーレイから借りた大きな傘が。
 降りしきる雨は傘の上で音を立て、路上でも跳ねているけれど。雨脚はかなり強かったけれど、この傘があれば気にならない。
 自分は守られているのだから。ブルーの身体が濡れないようにと、傘が守ってくれるのだから。傘の持ち主のハーレイの代わりに、家まで守ってくれるのだから…。
(うん、ハーレイの代わりだもんね)
 家までくらい直ぐだものね、とブルーは元気に歩き始めた。
 傘を忘れたと気付いた時にはショックだったけれど、素敵な傘を貸して貰えた。ハーレイの傘に一緒に入ってバス停まで相合傘で歩けた。
(…次はいつかな、相合傘…)
 その時は堂々と何処までも二人で歩きたいな、と雨を降らす空を仰ぎ見る。
 きっといつかは、この傘に二人。
 ハーレイの肩がびしょ濡れにならないような小糠雨の日に、相合傘で…。




         相合傘・了


※あの17話が放映された7月28日から今日で8年です。やっぱりこの日は更新しないと…。
 ハーレイとブルーの相合傘です、生まれ変わって幸せな二人。
 こういう二人を書ける日が来るとは、聖痕シリーズを始めるまで夢にも思いませんでした。

 ハレブル別館、今日から暫く週2更新にペースを上げます。
 月曜日の更新は固定、もう1回は多分、木曜辺りです。
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 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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