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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(ふうん…)
 ブルーはテーブルにあった新聞の記事を覗き込んだ。学校から帰って、ダイニングのテーブルでおやつを食べている最中だったが、目に留まった記事。動物園で生まれたキリンの名前を募集中。
(どんなのがいいかな?)
 応募するつもりは無かったけれども、キリンの写真が可愛らしいから考えてみることにした。
(えーっと…)
 親と重なってたら駄目だもんね、と記事を読み進めて吹き出したブルー。キリンの子供の母親の名前はリリーだったが、父親の名前。それはどう見ても…。
(あのジョミーだよね?)
 前の自分の頃ならともかく、今の時代にジョミーと言ったらジョミーしかいない。キースと共にSD体制を崩壊させたソルジャー・シン。偉大なるジョミー・マーキス・シン。
(ジョミー、キリンになっちゃってるし!)
 これも公募でついた名なのか、はたまた飼育係の趣味か。父親の名前がジョミーだったら、その子供に名前を付けるとしたら…。
(きっとトォニィ多数なんだよ)
 キリンの子供はオスということだし、ジョミーの子とくればトォニィだろう。今でも人気の高いトォニィ。三代目にして最後のソルジャー。
(トォニィはグランパって言っていたから、ジョミーはお祖父ちゃんなんだけれどね?)
 それでもジョミーの次はトォニィ、誰もが思い付きそうな名前。
(この名前だったらホントに付くかも!)
 せっかくだからトォニィと書いて出してやろう、と応募の仕方を読んで葉書に書き込んだ。運が良ければトォニィと付いて、抽選で何か貰えるだろう。記念品とか、動物園のオリジナルグッズの文具とか。
(これでよし、っと!)
 住所も名前もちゃんと書いたし、明日、母に投函して貰おう。母が買い物に出掛けるコースにはポストがあるから。学校の近所にもあるのだけれども、ブルーが出入りする方とは違う門の脇。
 キッチンに居た母に「お願い」と頼んで、買い物用のバッグの外ポケットに入れておいた。母が手に取ったら直ぐに分かる場所。ポストの前を通り掛かったら入れなくては、と気が付く場所。
 応募用の葉書は明日の夕方までには回収されて動物園へ出発することだろう。



(記念品…)
 貰えるといいな、と二階の部屋に戻ったブルーは夢を大きく膨らませた。あの手の公募は多数決だから、トォニィはいい線を行く筈だ。得票数が最高だったら、キリンはトォニィ。
(ふふっ、トォニィ…)
 自分の閃きに嬉しくなった。小さかった頃に大好きだったキリン。そのキリンに自分が応募した名前が付くかも、と考えると胸が温かくなる。抽選で何も貰えなくても、トォニィと付けば自分が名付けたキリンなのだし…。
(でも、発表の記事を見落とすかもね?)
 お披露目の記事は見落としたくない。記事に出会って名前はトォニィ、なおかつ抽選で記念品も欲しい。それがいいな、と考える。思い出に残りそうなラッキーな形。
(こういう募集って楽しいよね)
 人気者はそうやって名前が決まるんだよね、と動物園の動物たちを思い浮かべた。キリンなどは大抵、名前は公募。飼育係が名付けるケースもあったけれども、公募が多い。
(変なのを書いて応募する人もいるんだろうけど…)
 父親がジョミーだから、あえてキースとか。喧嘩の絶えない親子になりそう、とブルーは思う。キースどころか、ブルーと書く人もいるかもしれない。
(うーん…)
 ジョミーの子供がブルーだったら逆なんだけれど、と前の生での自分とジョミーの関係を考え、少し情けない気持ちになった。
(ジョミーに面倒を見て貰うソルジャー・ブルーだなんて…)
 確かに見て貰っていたかもしれないけれど、と溜息をついた所で妙な既視感が頭を掠めた。
(あれ?)
 以前にもこんな気持ちを抱いたような気がする。そうじゃないのに、と情けない気持ち。



(なんだろう…?)
 名前がブルーで、情けない気持ち。そうではない、と溜息をつきたい気持ち。
 前世の記憶を取り戻してからは動物園に行っていないが、それよりも前に自分と同じくブルーの名を持つ動物を見たことがあるのだろうか?
(…スカンクとか?)
 臭いんだぜ、と鼻を摘んで騒いでいた友達。オナラが凄いらしいスカンク。そんな生き物と同じ名前を持っていたなら、それは大概、情けない。友達も大笑いしただろう。
(でも、もっと…)
 スカンクよりも酷かったような、と記憶している情けなさ。特大の溜息が出そうな気持ち。
 何なのだろう、と記憶を手繰ってみるのに、一向に思い出せないから。
(まあいいや)
 気分転換、と本棚の方を向いた途端に降って来た記憶。視界に入った白いシャングリラを収めた写真集。



(情けない筈だよ…!)
 ブルーはスカンクの名前ではなかった。
 そもそも、ブルーですらもなかった。
(…応募者多数でソルジャーなんだよ…!)
 それだ、と突っ伏しそうになるほどの衝撃と情けない気持ち。
 前の自分が背負った尊称。ソルジャーという御大層なもの。
(…スカンクの名前がブルーだった方が、まだマシ…)
 そっちの方が絶対にマシだ、と嘆きたくなるくらいに情けない記憶。
 なんだってあんな尊称がついてしまったのか、と溜息をついても始まらない。
 遠い記憶を手繰るまでもなく、一気に全てが蘇って来た。
 ソルジャー。
 前の自分が背負う羽目になった、この御大層すぎる尊称なるもの…。



 シャングリラがまだ白い鯨ではなかった時代。アルタミラから脱出した船の名前だけを変えて、楽園と呼んでいた時代。
 ブルーは船で生きてゆくために必要な物資や食料を奪いに出られる、たった一人の人材だった。他の仲間に生身で宇宙を飛ぶ力は無く、船にあった小型船は武装していない。ブルーがいなければ誰も生きてゆけず、それゆえにリーダーと呼ばれ始めたけれど。
 船での暮らしが落ち着いてくると、新たな問題が生まれて来た。ブリッジや機関部、厨房など。あちこちに其処での責任者が出来て、リーダーと呼ばれている者も何人か。
 ブルーは全く気にしなかったが、リーダー多数では話にならない、と言い出した五人。居場所は違えど、仲間たちの信頼を寄せられていた後の長老たち。
 彼らの話を聞いたブルーは「別にリーダーでいいじゃないか」と答えたのに。
「大勢いては区別がつかないと思うのだがね」
 ヒルマンが重々しく言い、「俺もそう思う」とゼルが応じた。
「私もそうよ」
「あたしもだね」
 エラとブラウが賛同した後、「俺もだ」とハーレイまでが続いた。
 ただのリーダーでは何かと困ると、直ぐにブルーだと分かる呼び名が必要だと。
「何でもいいだろ、区別がつけば」
 ブルー自身はそう考えた。しかし…。
「リーダーの中のリーダーだしなあ、それっぽいのがいいんじゃないか?」
 俺は直ぐには思い付かんが、とハーレイが出した案にブラウが即座に反応した。
「いいねえ、あたしもそいつに一票だよ。ヒルマン、何かないのかい?」
「ふむ…。考えてみよう」
 それでいいかね、というヒルマンの言葉に皆が頷く。
 真のリーダーに相応しい名をと、そういう名前でブルーを呼ぼうと。



 数日が経って、ブルーはヒルマンの訪問を受けた。呼び名のことなど忘れ果てていたが、そんなことにはお構いなしにヒルマンが「これはどうかね」と差し出した一枚の紙片。
「なに、これ…。ソルジャーって」
「戦士という意味の言葉なんだがね、据わりはいいと思うんだが」
「…据わり?」
「名前と組み合わせて呼ぶ時だよ。ソルジャー・ブルー、と」
 いい響きだと思うのだがね、と聞かされてもブルーにはピンと来なかった。ソルジャー・ブルーなどと呼ばれても困るし、まるで自分では無いようだ。ましてソルジャーとだけ呼ばれても困る。いずれは戦う日も来るだろうが、だからと言って戦士は少し恥ずかしい。
「…それは…。ソルジャーはちょっと…」
「ならばカイザーなどはどうかね」
「カイザー・ブルー?」
「そうなるね」
 これも据わりがいいと思う、とヒルマンが「カイザー」と書かれた紙片をテーブルに置く。
「えーっと…。意味は?」
「皇帝だが」
「大袈裟すぎるし!」
 ソルジャーどころの騒ぎではない、とブルーは慌てて断った。皇帝では戦士より酷い。そこまで自分は偉くはない。もうリーダーで構わないから、とヒルマンに二枚の紙片を返そうとしたのに、受け取って貰えない紙片。ソルジャー、それにカイザーの案。



 ヒルマンは「持って帰って」と懇願するブルーを前にして、頭を振って。
「ふむ…。ナイトという案も出たんだがねえ、据わりがねえ…」
「ナイト・ブルーねえ…」
 確かに少し呼びにくいかも、と新たに出て来た三枚目の紙片をブルーは見詰めた。
「意味は?」
「騎士だ。戦士よりも位が高いのだが…。据わりの方が今一つ…」
「そういうのしか思い付かないわけ?」
 もっと普通の呼び名は無いのか、と訊けば新しい紙片が差し出された。
「エラのお勧めはロードなのだが…」
「ロード・ブルーね…。意味は?」
「支配者なのだが、昔は神をも指したようだね」
「神様だって!?」
 皇帝よりも上があったか、とブルーは愕然と紙を眺めた。
「ロードって…。ぼくに神様って、どういうつもり?」
「エラが言うには、この船の守り神ということで実に相応しいと…」
「相応しくないっ!」
 もっと他にも案を出せ、とブルーはゴネたが、ヒルマンたちの意見はとうに纏まった後だった。ブルー自身が選べないなら、名称は公募。今ある四つの案を発表して、その他に「これだ」という名を思い付いた者があれば、それを候補に加えるというもの。
「それでどうかね、候補が全て出揃った後で船内投票で決めることになるが」
「…分かった…」
 誰かがマシな名前を思い付いてくれるであろう、とブルーはそちらに期待をかけた。ソルジャーだのカイザーだの、ロードなんぞという名前よりは普通な名前が出て来るだろう、と。



 次の日、食堂の壁に意味とセットで掲示された四つの名称の候補。ソルジャーにカイザー、更にナイトにロードの四つ。その脇に応募用の箱が置かれて、他の名称を思い付いた者は専用の用紙に記入し、箱に入れることになったのだが…。
「一つも無かった!?」
 募集が締め切られた日の夜、ハーレイがブルーの部屋にやって来た。キャプテンとしての報告であって、ブルーのための新しい名称を考えた者は誰一人としていなかったという。
「じゃあ、あれは…。あの名前は…」
「あの四つで船内投票になるな」
「…嘘…」
 酷い、とブルーは泣きそうな気持ちになったけれども。
「安心しろ。お前には一応、拒否権がある」
「ホント!?」
「ただし、行使するなら「これだ」と思う名前を自分で選べ。あの中からな」
「…そ、それは…」
 拒否権になっていないから、というブルーの叫びは無視された。
 キャプテンは報告を終えて出てゆき、翌日、より詳細な説明が添えられた四つの候補が書かれた紙と、投票用紙とがシャングリラの皆に配られる。
 考える期間は一週間。それが過ぎたら、投票をするという運び。



(どれが一番マシなわけ?)
 ブルーは白票を投じたい気分だったが、ブルーの分の投票用紙は無かった。意に染まない名前を付けられそうなのに、ささやかな抵抗すらも出来ないらしい。
(せめてマシなの…)
 自分で選ぶことはしたくなかったが、マシな結果になっては欲しい。とはいえ、皆の意志次第。どんな結果を迎えようとも、皆の意識を操って投票させるなどは論外、やりたくもない。
(でも…)
 ソルジャーが一番マシだろうか、と考えた。でなければ、ナイト。
 皇帝を指すカイザーと、神をも意味するロードは避けたい。その二つよりは、戦士か騎士。
(騎士に比べたら、戦士の方が多分、一般的だよね…?)
 戦う者なら誰でも戦士と呼べるけれども、騎士はそうではないだろう。投票用にと配られた紙の説明文をハーレイに頼んで見せて貰ったら、遥かな昔には「ナイト」という称号があったことまで書かれていたし…。
(ソルジャーは戦士だけだったんだよ)
 他の三つの候補と違って、偉そうな説明は何も無かった。ソルジャーが一番無難に思えた。
 しかし…。



 投票用紙が配られた二日後の夜、ブルーの部屋にフラリと立ち寄ったハーレイは開口一番、こう言った。
「カイザーとロードが人気らしいぞ」
「ええっ!?」
 なんでそういうことになるわけ、と仰天するブルーにハーレイが面白そうに答える。
「偉大な長に相応しく、とヒルマンがカイザーを推して回っている。エラがロードだ」
 投票は伯仲するかもしれんな、開票するのが楽しみだな。
「ハーレイは、どっち!?」
「俺はどれでも別にかまわん」
 カイザーだろうが、ロードだろうが。決まった名前で呼ぶだけのことさ。
 ついでにどれとも決めていないな、どれにするかな…。
「じゃあ、ソルジャー…」
「はあ?」
 なんだ、と鳶色の目を丸くするハーレイに、ブルーは「お願い!」と頭を下げた。
「ナイトでもいいから、どっちか推して!」
 ソルジャーか、ナイト。
 キャプテンの推薦って言うんだったら、第三勢力でいけそうだから。
 お願い、ハーレイ。どっちかに決めて、みんなに俺はこれだと言ってよ。
 そしたらそっちに票が入るかも、他の二つと戦えるほどの。



「うーむ…」
 ハーレイは腕組みをして考え込んだ。
「だから自分で決めろと言っておいたのに…。今からそれだと八百長じゃないか?」
「ぼくはカイザーもロードも御免なんだよ!」
 そんなのに票が入ると分かっていたなら自分で決めたよ、違う二つのどっちかに!
「ふうむ…。自分の読みとは違って来たから、慌てて流れを変えたいわけだ」
 それで、お前はどっちがいいと思うんだ。ソルジャーとナイト。
「据わりで言ったらソルジャーの方で、意味で選ぶのでもソルジャーかな…」
 ただの戦士で充分だし。
 騎士とか、ナイトの称号だとか。そういう余計なものは要らない。
「…戦士ってだけでは、重みがなあ…。しかし…」
 据わりがいい方が候補としては有利だろうな。
 ロードはともかく、カイザーは据わりがいいからな。
「だったら、ソルジャーを推してくれるわけ?」
「頼み込まれたら断れんだろう。アルタミラ以来の付き合いだしな」
「ありがとう、ハーレイ!」
 頑張ってよ?
 何も応援出来ないけれども、ソルジャーが票を伸ばせるくらいに頑張ってよね。



 分かった、とハーレイが引き受けて行って。
 翌日、シャングリラ中に噂が流れた。ブルーがソルジャーになりたがっている、と。
 ブルーは驚いてハーレイを部屋に呼び出し、「ぼくは言ってないよ!」と怒鳴ったのに。
「あれしか無かろう、カイザーとロードに今から勝負を挑むとなれば」
 ハーレイは平然として言葉を続けた。
「現に本人の意向は無視出来ないな、という方向へと流れつつある」
 なんと言っても、呼ばれるのはお前なんだしな?
 本人が嫌な名前が付くより、好みの名前がいいだろう。
 ソルジャーがいいと言っているなら、ソルジャーにしようかと誰でも思うさ。
「…ぼ、ぼくが自分で…。自分でソルジャー……」
 自分で決めるのだけは嫌だし、投票でいいって言ったのに!
 これじゃ自分で決めているのと何も変わりはしないんだけど!
「なら、カイザーでいいのか、お前」
 でなきゃ、ロードか。そういうのでいいなら、取り消してくるが。
「…………」
 ブルーは反論出来なかった。
 もしもハーレイが自分の発言を取り消したならば、カイザーかロードに決まるのだから。



 そうして迎えた投票の日。
 シャングリラにはカイザー派もロード派も、もはや存在しなかった。
 ブルーの意向が何より一番、カイザーとロードには二票ずつしか入らなかった。
 何故二票か。
 ヒルマンが買収したゼルと、エラが買収したブラウが入れたと後になってから噂が立った。
 ともあれ、シャングリラ中の仲間が立ち会う開票の場で、ソルジャーは見事に一位となって。
「圧倒的多数でソルジャーですわね」
 記録を取っていたエラがブルーに微笑み掛けた。
「エラ、その言葉遣いはなに?」
 途惑うブルーに、エラは表情を引き締めて皆を見渡しながら。
「こうして公にリーダー、いいえ、ソルジャーになられた以上はけじめというものが必要です」
 目上の方には敬語で話さなくては。
 私だけではありません。皆もそのつもりで言葉遣いに気を付けるようにして下さいね。



 割れんばかりの拍手に押されて、ブルーはその場でソルジャーとなった。
 リーダーの代わりにソルジャーと呼ばれ、敬語を使われる立場にされてしまった。
(ソルジャー・ブルー…)
 自分の部屋に帰ったブルーは額を押さえた。
 カイザーやロードに決まらなかったことは嬉しいけれども、自分でソルジャーになりたがったという不名誉な噂つきでのソルジャー。
 皆は「ただの戦士」を選んだブルーを高く評価し、謙虚な姿勢だと受け止めていたが、ブルーはそうは思わなくて。
(…自分で名乗った…)
 最悪なことになってしまった、と頭を抱えている所へ、ハーレイが来て。
「ソルジャー、御就任おめでとうございます」
「ハーレイまで敬語!?」
 ぼくの部屋でも、と更なるショックを受けたブルーに、ハーレイは苦笑したものだ。
「まあ、一応は…。とはいえ、当分は直りそうもないがな」
「良かったよ…。そっちの言葉が断然、いいよ」
 ホッとしたよ、とブルーは安堵したのに、エラは皆に厳しく言葉遣いを指導した。
 ソルジャーには敬語で話すように、と。
 いつしかハーレイの言葉遣いもすっかり敬語になってしまって、ブルーはソルジャー。
 その頃には「自分でなりたがった」かどうかも誰も気にしていなかったのだが、押しも押されぬミュウたちの長で、リーダーではなくてソルジャー・ブルー。
 ブルー自身も由来を忘れてしまったけれども、ソルジャー・ブルー…。



(…自分でソルジャーを名乗ったなんて…)
 あんまりだ、と小さなブルーは自分の頭を叩きたくなった。
(…こんなのよりかは、スカンクの名前がブルーだった方がよっぽどマシだよ…)
 なんて情けない記憶なんだろう、と溜息をついた所で、来客を知らせるチャイムが鳴った。
 もしかして、と窓から見下ろせば、庭の向こうの門扉のすぐ横にハーレイの姿。
 前の自分をソルジャーの座に着けた、キャプテン・ハーレイの生まれ変わりのブルーの恋人。
(…ハーレイも一応、責任あるしね?)
 ブルーがソルジャーになりたがっていると噂を流した人物ではある。
 苛めてやろう、と決意を固めた小さなブルーが逆襲されたことは言うまでもない。
 ソルジャーの尊称で皆に呼ばれるより、カイザーかロードが良かったのか、と。



「うー…」
 ハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合いながら、ブルーはブツブツと文句を零した。前の自分は情けなかったと、何故ソルジャーかは思い出したくもなかったと。
「あれに比べたら、まだスカンクの方が…」
 スカンクの名前がブルーだったろうか、と情けない記憶を手繰っていたという話をすっ飛ばして呟いてしまったのだから、当然と言えば当然だけれど。
「お前、ソルジャーよりもスカンクを名乗りたかったのか!?」
 知らなかった、とハーレイが驚き、真面目な顔でこう言った。
「それなら候補を入れておいたら、この俺が推してやったのに…」
 スカンクくらいはお安い御用だ、流す噂がちょっと変わると言うだけだ。
 投票する前に候補を募っていたろうが。
 あの時に用紙にスカンクと書いて入れておけばだ、投票の時の候補にスカンクもあった。
 候補を書く紙は誰でも自由に書けたからなあ、スカンクと書いて入れときゃ良かったのに…。
 それにしてもだ、なんでスカンクだったんだ?
 前のお前の趣味は分からん。どうしてスカンクがいいんだ、お前。



 何故スカンクだ、と勘違いをして答えを得たがるハーレイだったが、ブルーの耳には全く入っていなかった。頭の中は前の自分の間抜けさ加減に呆れる気持ちでとうに一杯。
(…そうか、その手があったんだ…)
 自分で何か候補を考え、応募しておいて候補一覧にそれを加える。
 スカンクでなくとも、マシな尊称。
 ハーレイが取った戦法でいけば、その尊称を勝ち取れた。
 どんなにセンスを疑われようとも、スカンクを名乗ることだって出来た。
 けれど…。
(…後の祭り…)
 もう手遅れだ、とブルーはガックリと項垂れた。
 前の自分はとっくの昔に死んでしまって、今も名前はソルジャー・ブルー。
 自分で名乗ったことは知られていないけれども、ソルジャー・ブルー。
 変えようもないし、変えられもしない。
 ソルジャーに決まる前であったら、スカンクなどという妙なものでも名乗れただろうに。
 ブルー自身の望みなのだ、と噂を広めて、別の尊称を得られたろうに…。



 ブルーとジョミーと、最後のトォニィ。
 三代ものソルジャーが名乗った尊称が決まるまでの間の裏事情。
 キャプテン・ハーレイが暗躍していた、シャングリラ中の仲間の投票。
 投票の対象が決定する前に、ブルーが候補を出していたなら。
 小さなブルーがキリンの子供の名前募集に応募したように、前のブルーが何かを考えていたら。
 そうして箱に入れていたなら、どうなったろうか。
 流石にスカンクは無かっただろうが、ソルジャーにはならなかった可能性もある。
 ミュウの長を指す、偉大な尊称。
 ソルジャーの尊称がどういう経緯で生まれたのかを、ソルジャー・ブルーは語らなかった。
 ゆえにジョミーも、トォニィも知らずに終わってしまった。
 カイザーかロードか、場合によってはスカンクでもおかしくなかったことを…。




        ソルジャー誕生・了

※ソルジャーという呼び方が決まるまでには、実は色々あったのです。他の候補も。
 流石にスカンクは無いでしょうけど、まるで違った呼び方になっていたかもしれませんね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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(うーん…)
 学校から帰って、着替えて、おやつ。ママがダイニングで待ってくれてて、パウンドケーキ。
 ぼくのお皿の上に一切れ、ハーレイが大好きなパウンドケーキ。
 早速フォークを入れたんだけれど、ママのパウンドケーキは美味しい。でも、それだけじゃない秘密を持ってるパウンドケーキ。ぼくには分からない、不思議な魔法。
(ハーレイのお母さんが焼くパウンドケーキと同じ味なんだよね?)
 ぼくはまだ食べたことが無いけれど。
 隣町に住むハーレイのお母さんには会ったことが一度も無いんだけれども、ハーレイに聞いた。ぼくのママが作るパウンドケーキは、ハーレイのお母さんのと同じ味がすると。
 自分で料理をするハーレイ。パウンドケーキも焼いてみるけど、お母さんと同じ味にはならないらしい。パウンドケーキは作り方も材料も単純なくせに、お母さんの味にはならないって。
 だからハーレイは、ぼくのママが焼くパウンドケーキが大好物。
 おふくろの味って言うのかな?
 どのお菓子よりも嬉しそうに食べるし、見ているぼくまで幸せな気持ち。
 ぼくもいつかはハーレイのために、ママと同じ味のパウンドケーキを焼きたいんだけど…。



「ママ…?」
 作り方のコツを訊こうと声を掛けてから、慌ててやめた。
 前にハーレイからパウンドケーキの話を聞いた時、「作り方、ママに習おうかな?」って言ってみた、ぼく。そしたら「バレるぞ」と止められたっけ。ぼくの周りでママのパウンドケーキの味がお気に入りの人は誰か、ってトコからハーレイとの恋がバレるって。
 ぼくがハーレイを好きだってことがバレたらマズイ。コツは知りたいけど、ママには訊けない。
 途中で言葉を止めちゃったけれど、ママはしっかり聞いてたみたいで。
「なあに?」
 どうしたの、って笑顔を向けて来るママ。
 せっかくだから少し訊いてみようか、パウンドケーキの名前は出さずに。



「えーっと…。お菓子を作るのって難しいの?」
 ママは楽しそうに作ってるけど、お菓子作りって難しい?
「ブルーも学校で作ったでしょう、カップケーキとか」
「うん。…焦がしちゃった子も何人かいたし、難しいかな、って」
 ちゃんと教わった通りにしたのに、焦げちゃった子たち。簡単だったら焦げないよね?
「そうねえ…。ママも昔は焦がしていたわね」
「ママが!?」
 嘘でしょ、とぼくの目は真ん丸になった。
 ぼくが幼稚園に行ってた頃には、おやつはとっくにママの手作り。オーブンから出て来る時間をワクワクしながら待ち侘びていたし、いつだって綺麗に焼けてたと思う。
 お菓子作りが得意なママ。そのママがケーキを焦がしただなんて…。
「ホントよ、最初は失敗ばかりよ。だけど、誰だって自然に上手になるのよ」
「どうやって?」
「そうねえ…。食べて欲しい人が出来たら……かしらね?」
 今のママなら、パパとブルーね。ブルーが生まれる前なら、パパ。
 ブルーにはまだまだ先の話ね、食べて欲しいっていう女の子が出来て、お菓子を貰う日。



(そっか…)
 ママは勘違いをしていたけれども、ヒントは貰えた。
 ぼくはお菓子を貰う方じゃなくて、作りたい方。ハーレイのために作ってあげたい。
(お菓子を上手に作るコツって、食べて欲しい人が出来ることなんだ…?)
 そういうことか、と部屋に帰って考えてみた。
 ぼくがハーレイに作ってあげたいパウンドケーキ。ハーレイのお母さんのとそっくり同じ味のを作って、うんと喜んで貰いたい。
 そのためだったら頑張れそうだし、何度焦がしても上手になるまで挑戦出来そう。
 確かにママが言っていた通り、大切なものは「食べて欲しい人」。
 ママとおんなじ腕前になるまで頑張らなくちゃ、と決心をした。
 ハーレイが喜ぶパウンドケーキ。おふくろの味のパウンドケーキ。
 いつか必ず作ってみせる、とグッと拳を握ったんだけど。



(あれ…?)
 前のぼくって、頑張ってたっけ?
 ハーレイのために何か作ってたっけ、と遠い記憶を手繰って遡ってみて、愕然とした。
 青の間のキッチンでハーレイがいつも作ってくれてた、野菜スープのシャングリラ風。今でこそ立派な名前があるけど、あの頃はただの野菜のスープ。前のぼくが寝込むと作って貰えた、何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴なスープ。
 多忙なキャプテンがブリッジを抜けては、ぼくに作ってくれていたのに。
 忙しい時でも「これなら喉を通るでしょう?」とわざわざ作りに来てくれてたのに…。
(ぼくって、作って貰っていただけ…)
 ソルジャーだったぼくは何も作りはしなかった。
 お茶は淹れたりしていたけれども、キッチンでは何も作らなかった。
 ちゃんと恋人がいたというのに、ハーレイと本当に本物の恋人同士だったのに。
(なんで一度も作らなかったわけ…?)
 前のぼくは愛が足りなかったんだろうか。
 ハーレイに食べて欲しいと思わなかったんだろうか、とショックを受けた。
 何一つとして作ってあげたいと思った記憶など無いし、作ってもいない。
 前のぼくはハーレイに作らせるだけで、お菓子も料理も何も作ろうとはしなかった。



(……最悪……)
 なんて酷い恋人だったんだろう。
 作らせてばかりで何もしないで、お茶だけを淹れていたなんて。
 しかも前のハーレイが大好きだったコーヒーは苦手で、ぼくの好みの紅茶ばかりを淹れていた。コーヒーを淹れるハーレイを何度も見ていたけれども、淹れ方を覚えはしなかった。
 ハーレイの好きな飲み物なんだ、って分かってたくせに、淹れ方も知らなかったぼく。
 コーヒーを淹れてあげたいとさえ思いもしなくて、紅茶ばかりを飲ませていたぼく。
(前のぼくって…)
 どうしようもなく我儘な上に、自分勝手な最低最悪としか言えない恋人。
 尽くさせるだけだった、酷い恋人。
 それでも見捨てずに付き合ってくれたハーレイはきっと、心が広かったんだろうと思うけど。
 今度は流石にマズイだろうか、と心の中でタラリと冷汗。
 ハーレイと結婚しようと決めている年、ぼくが十八歳を迎える年。
 十八歳までに料理を覚えておかなきゃならない。
 ママと同じ味のパウンドケーキが焼けるだけの腕と、他にも色々作れる腕前。
 ソルジャーだった頃と違って、今度のぼくはハーレイの「お嫁さん」になるんだから。



(…十八歳までに料理を覚える方法は…)
 手っ取り早いのはママのお手伝い。
 夕食の支度を手伝っていれば覚えるだろうし、お菓子もママと一緒に作ればハーレイが大好きなパウンドケーキの焼き方をマスター出来ると思う。
 だけど、ママにはなんて言ったらいいんだろう?
 ぼくがいきなり料理やお菓子を作りたいなんて頼み込んだら、ハーレイとの恋がバレるかも…。
(…一人暮らしの練習とか?)
 そんな予定は全然無いけど、無難な理由はそれくらい。
(でも…)
 背丈が伸びないぼくが言っても、嘘っぽい。
 ぼくみたいに小さくて心も身体も子供のままでは、一人暮らしは有り得ない。ぼくみたいな子が行くための上の学校、幼年学校も一人暮らしは認めていなくて、家を出るなら寮生活。寮生活だと食事つきだし、料理を覚える必要は無い。
 学校と言えば調理実習。家庭科の時間に料理やお菓子の作り方を習う。お蔭で包丁とかは上手に使えるけれども、調理実習の時間は多くない。
 ハーレイのお嫁さんになった時に色々と作ってあげられるほどに上達するとは思えない。



(料理学校…?)
 いろんな料理やお菓子作りを習える学校。調理実習ばかりの学校。コースは沢山あると思うし、学校の帰りに行けるコースに入って習えば上手くなれそう。
 それにしよう、と考えたけれど、身体が弱いからクラブにも入っていないぼく。家に帰る時間が遅くなったら、ママに変だと思われる。
 それに…。
(ハーレイが仕事の帰りに早い時間に寄ってくれても、ぼくがいないよ!)
 普段は仕事や柔道部の指導で遅くなってるハーレイだけれど、たまに早く来ることがあるから。しかも「明日は早いぞ」なんて予告は滅多に無いから、料理学校に寄っていたならすれ違い。
 それから、お金。
 料理学校の授業料を払えるほどのお小遣いをぼくは貰ってはいない。貯金してあるお金を使えば行けるだろうけど、それは「小さな子供が通う所じゃありません」ってこと。
 料理学校はぼくには無理っぽい感じ。



(どうしよう…)
 結婚したって料理が出来なきゃ、ハーレイに食べて貰えない。
 食べて欲しいのにパウンドケーキも焼けやしない、と落ち込んでいたら。
 そのハーレイが仕事帰りにやって来た。ぼくの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせに座って、「今日はパウンドケーキの日だったか。運がいいな」と、とても御機嫌。
 ぼくには焼けないパウンドケーキ。ハーレイのお母さんのと同じ味がするパウンドケーキ…。
「…パウンドケーキ…」
 呟いたぼくに、ハーレイが「ん、どうした?」って訊いてくれたから。
「ぼく、焼いたことがないんだけれど…。ハーレイが好きなパウンドケーキ」
「ああ…。お前、前にもそう言ってたな?」
 俺は期待はしていないから、安心しろ。
 この味のパウンドケーキでないと、と無茶を言ったりする気もないしな。



「でも…」
 前のぼく、ハーレイに何も御馳走していないんだよ。
 ハーレイは野菜スープを何度も作ってくれていたのに、前のぼくは何もしなかったんだよ。
「それがどうかしたか?」
 俺は全く気にしていないぞ、前の俺もな。
「だけど…。考えてみたら最低だよね、って」
 なんでハーレイのために何か作ろうって一度も思わなかったんだろう。
 作らせてばかりで、ハーレイには何も作ってあげずに平気な顔をしてたんだろう…。
 最低最悪の恋人だよね、って今頃になって気が付いたんだ。
 前のぼくが最低だった分まで、今度はうんと頑張らなくちゃ、って思うんだけど…。
 結婚するまでに料理学校にも行けそうにないよ、どうしよう?
 ママに教えて貰おうとしたら、ハーレイのために作りたいんだってバレちゃいそうだし…。
 調理実習で習ったことしか出来ないよ、ぼく。
 ハーレイに食べて欲しい料理があっても上手く作れないし、パウンドケーキも焼けないんだよ。
 また最低な恋人になってしまうよ、今のままだと。



 どうしよう、って泣きたい気持ちで、情けない気持ち。
 最低最悪の恋人は前のぼくだけにしておきたいのに、このままじゃぼくも最低最悪。ハーレイに愛想を尽かされないのが不思議なくらいの酷い恋人になってしまう、と訴えていたら。
「ふうむ…」
 なるほど、と大きく頷いたハーレイ。
「俺に言わせりゃ、ジャガイモの皮が剥ければ充分だがな?」
 調理実習でやるだろ、皮むき。そいつが出来れば問題ないさ。
「…なんで?」
「前のお前も、それしかしてない」
 他はキャベツを刻んでいたとか、泣きながらタマネギを刻んでいたとか。
 俺の手伝いしかしてないだろうが、それも下ごしらえの段階。フライパンだの鍋だのは前の俺の管轄だったからなあ、お前には一度も触らせていない。番をしていろとも言わなかったぞ、料理は素人には任せられんし、焦げちまっても困るしな?
 俺のために料理を作るも何も、俺の方が料理のプロだったんだ。
 プロの料理人に自分の手料理を御馳走しようって度胸のあるヤツはそうそういないぞ。



「…そういうものなの?」
 なんだかピンと来ないぼく。
 料理のプロに御馳走する度胸のある人は少ないだろう、ってことは分かるけど、前のぼく。前のぼくはハーレイが料理のプロかどうかも、多分、考えてはいなかった。
 自分が料理を作った場合に見劣りがするかどうかなんてことは、まるで考えてはいなかった。
 謙虚な気持ちで作らずにいたってわけじゃなくって、作ろうと思いもしなかった。
 つまりは最低最悪の恋人、ハーレイが好意的に解釈してくれなければ最低なわけで…。
 やっぱり駄目だ、と肩を落としたぼくだったけれど。
「おいおい、せっかく俺がいい方向に解釈してやってるのに、何を一人で落ち込んでるんだ」
 落ち込む理由は何処にもないさ、と大きな手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
「前のお前はそういったことを思い付きさえしなかったんだろうが、今のお前は違うだろ?」
 今度は作ってみたいと思い付いてくれた。俺のために作りたいと思ってくれた。
 それだけで俺は充分なんだ。
 お前が本当に作るかどうかは全く別でだ、その気持ちだけでもう最高だな。



 いいか、とハーレイの手がぼくの頭をポンと叩いて。
「前の俺だが、キャプテンじゃなくて厨房の責任者をやってた頃はな…」
 お前が美味しいと食ってくれるのが嬉しかったし、遣り甲斐があった。試食も色々してただろ?
 「何が出来るの?」と覗きに来る度に「内緒だ」と言いつつ、ちょっぴり味見をさせたりな。
 楽しかったぞ、前のお前の目が丸くなったり、「もっと」とつまみ食いをしようとしたり。
 あの頃はうんと充実してたな、前の俺の料理人としての人生。
 気付けばキャプテンになっちまっていて、料理どころじゃなくなっていたが…。
 お前のための野菜スープだけは作ってやれたし、あれが俺の楽しみだったんだ、うん。
 俺が作って、お前に食わせて。
 前のお前が俺の野菜スープだけは食ってくれると、俺はお前の特別なんだ、と自己満足だな。
 実際、特別になれたわけだが…。
 恋人同士になれたわけだが、あの野菜スープ、それよりも前からあっただろうが。
 そうだろう、ブルー…?



 お前は最低最悪じゃないさ、とハーレイはぼくに教えてくれた。
 前のぼくは少しも悪くはなくって、最低最悪なんかじゃないと。悩まなくてもいいんだ、と。
「お前が薄情だったんじゃない。俺がやりすぎちまっただけだ」
 プロの料理人かどうかはともかく、お前の特別でいたかった。
 だからせっせと野菜スープを作りに行ったし、お前に食わせて喜んでいた。
 お前は食うだけで俺を喜ばせていたんだからなあ、その件で礼を言われても困る。
「…ホント?」
「本当だ。俺に負い目を感じなくてもかまわないのさ、俺だけが料理をしていたがな」
 それだって不思議でも何でもないんだ、お前が料理をしなかったこと。
 前のお前はアルタミラで辛い思いをし過ぎて、その後もずっと一人で頑張り続けて。
 たった一人で船を守って、仲間を守って、どのくらい一人で頑張り続けた?
 ジョミーが来るまでたったの一人で、倒れたって誰も代わりはいなくて。
 俺のスープしか喉を通らなかったような時でも、何か起こったら飛び出して行った。船に戻って直ぐに倒れても、野菜スープしか飲めなくっても、また飛び出して行っただろうが。
 シャングリラと仲間と、守るべきもので前のお前の頭の中は占められていた。
 残りの部分で地球に焦がれて、その下に隠した本当のお前。俺と一緒にいたかったお前。本当のお前のために割ける部分はほんの少しで、お前の殆どはソルジャーだった。
 俺に料理を作ろうだなんて、考え付く暇さえ無かったってことだ。そいつはソルジャーとしての考えじゃないし、前のお前に思い付いてくれと言う方が無理で無茶だろうが。
 それを自分で思い付けた分だけ、今度のお前は幸せで余裕があるってことだな。



「というわけで…、だ。お前の料理は食ってみたいが、頑張る必要は何処にも無いぞ」
 前のお前は最低最悪じゃないんだからな、ってハーレイは微笑んでくれたけど。
 やっぱりハーレイにぼくの料理を食べて欲しいし、美味しく作ってあげたいから。
「…ママがね、食べて欲しい人が出来たら上手になるって…」
 だけど練習する暇が…。
 家じゃ無理だし、料理学校にも行けないし…。
 本当に調理実習だけ。ジャガイモの皮はちゃんと剥けるけど、凝った料理は教わらないよ。
「練習すればいいじゃないか」
「いつ?」
 練習出来そうな場所も時間も無いって言ったよ、いつすればいいの?
「決まってるだろう、俺と結婚してからだ」
 お前が覚えたいと言うんだったら、俺が料理を教えてやるさ。
 料理は得意だと何度も言ったろ、レシピさえあれば失敗は有り得ないってな。
 しかしだ、俺はお前に食わせたい方で、こいつはシャングリラの頃からの伝統でなあ…。



 どっちがいい? と訊かれた、ぼく。
 ハーレイが作る料理を食べるか、ハーレイに教わってぼくが料理を作ってみるか。
 食べるのもいいけど、作ってもみたい。
 ハーレイはぼくに食べさせたい方で、あれこれ作ってくれるだろうけど、ぼくも作りたい。前のぼくは何にも御馳走しなかったんだし、今度は何か御馳走したい。
(でも、ハーレイは料理が得意で…)
 きっとぼくより美味しく作れる。ぼくに教えるって言うくらいだから、絶対に腕もぼくより上。
(美味しくない料理を作っても…)
 仕方ないよね、と思った所で閃いた。
 ハーレイが大好きなパウンドケーキ。ぼくのママが焼く、パウンドケーキ。
 あの味はハーレイには出せないらしいし、パウンドケーキを頑張ろうかな、って気になった。
 結婚したなら、ママに作り方を習っても全然おかしくないし…。




 ママの味のパウンドケーキに挑戦するよ、と、ぼくはハーレイに提案した。
 料理はハーレイの方が上手いに決まっているから、パウンドケーキを焼こうと思う、と。
「おっ、いいな!」
 だったら、お前はパウンドケーキをマスターしてくれ。料理は俺が頑張るから。
「それでいいの?」
 パウンドケーキしか上手じゃなくって、料理はハーレイにお任せだなんて。
「分かっていないな、おふくろの味のパウンドケーキを焼ける嫁さんなら上等さ」
 そういうもんだぞ、おふくろの味が一番だからな。
 いい嫁さんを貰ったんだと、料理上手だと自慢して回ったら羨ましがられるレベルだってな。
「パウンドケーキしか作れなくっても?」
「もちろんだ。そのパウンドケーキが凄いんだからな」
 それにだ、前のお前よりもずっと進歩してると思わないか?
 前は何一つ作らなかったお前が、今度はパウンドケーキを焼いて、俺に食わせてくれるんだぞ?
 しかも最高に美味いパウンドケーキだ、おふくろの味だと自慢できる出来の。
 これを進歩と言わなかったら罰が当たるな、いい嫁さんを貰ったのにな?
「そっか…。うん、前のぼくよりは進歩してるね」
 だったら今度は頑張ってみるよ、ハーレイのためにパウンドケーキ。
 ママに習って、同じ味のを焼けるようになってみせるよ、きっと。



「その決心は嬉しいんだが…。今はまだ習いに行こうとするなよ?」
 お前のお母さんに俺たちの仲がバレちまうからな。
 俺の大好物がパウンドケーキだってことを、お前のお母さんは知ってるんだしな?
「うん。今日のおやつがパウンドケーキだったのは偶然だけどね」
 ぼくが一度だけハーレイの家に遊びに行った時も、パウンドケーキを持って行ったもの。
 ハーレイの大好物だから、ってパウンドケーキを焼いて貰って提げて行ったし、ずうっと前からママは知ってる。
 ウッカリ作り方を習いに行ったらバレるかも、って思ってるから、今日も訊いてないよ。
 訊こうとしたけど危ないと思って話を変えたら、「食べて欲しい人が出来たら上手になる」って教わったんだよ、お菓子作り。
「ほほう…。そこから最低最悪な恋人の話になっていった、と」
 発端はパウンドケーキだったか、それで落ち込んじまってたのか…。
 話は最初に戻ったわけだな、お前が美味いパウンドケーキを作ってみたい、という所まで。
 それで充分、俺には嬉しい話なわけだ。
 お前の手料理…。いや、パウンドケーキは菓子なわけだが、そいつを食える。
 前のお前と暮らした頃には想像もしなかった手料理ってヤツを今度の俺は食えるんだ、ってな。
 ついでに最高に美味いおふくろの味と来たもんだ。
 実に楽しみだな、お前が焼いてくれるパウンドケーキ。



 だが…、とハーレイは笑いながらこうも言ったんだ。
「お前のパウンドケーキには期待してるが、お前、まだまだ子供だしな?」
 約束をすっかり忘れちまって、前と同じで食うのが専門の嫁さんになっても俺は気にせん。
 そいつが前からの俺の立場で、お前に料理を食わせてやるのが生き甲斐だからな。
 キャプテンになってからは野菜スープしか作れなかった分、色々と作ってみたいじゃないか。
 お前がフライパンとか鍋を覗いて「何が出来るの?」って訊く料理をな。
「ぼくはジャガイモの皮を剥けばいいの?」
「芋も今では色々あるしな、いっそ山芋でも剥いてみるか?」
 あれは滑るぞ、ジャガイモよりも手強いな。
 サトイモなんかも剥きにくいなあ、どっちもシャングリラの畑には無かった芋だが。
「そうだね、そんなの植えてなかったし、知らなかったね」
 剥こうとしたら滑るお芋だなんて…、と二人で笑った。
 滑る芋でもハーレイはぼくに剥かせただろうかと、きっと自分で剥いただろうと。
 前のぼくが「手伝うよ」と声を掛けても「危ないから」と、山ほどの山芋をきっと一人で。



 シャングリラの厨房で料理をしていた、前のハーレイ。
 キャプテンになっても野菜スープを作ってくれてた、前のハーレイ。
 そのハーレイに何も料理を作ってあげずに、思い付きもせずに終わってしまった前のぼく。
 ハーレイは「違う」と言ってくれたけれど、最低最悪の恋人だったらしい、前のぼく。
 今度のぼくたちはどんな風に暮らしていくんだろう?
 やっぱり今度もハーレイが作って、ぼくは食べるの専門なのかな?
(料理は絶対、ハーレイの方が上手いんだものね…)
 だけどハーレイが手料理って言ってた、ぼくが作る料理。
 一つくらいは食べて貰えたら幸せだよね、と考えてしまう、今のぼく。
 もしも忘れてしまわなければ、いつかパウンドケーキを習おう。
 ママに習って、ハーレイのために大好物のパウンドケーキ。
 おふくろの味のパウンドケーキを焼いてあげられるようになったらいいな、と思う。
 食べて欲しい人が出来たら、上手になるって聞いたから。
 ぼくが料理を食べて欲しい人は、生まれ変わる前から好きだった恋人のハーレイだから…。




         作りたい料理・了

※前のブルーはハーレイに料理を作って貰ってばかり。自分は紅茶を淹れていただけ。
 今度は頑張って作るようです、パウンドケーキを。上手く焼けたら嬉しいでしょうね。
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 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




二学期がスタートして九月の中旬。厳しい残暑は去りつつありますが、制服が半袖なだけに夏休み気分を引きずったまま。特別生は成績も出席も無関係ですし、なおのことです。そんな中、キース君が用事があるとかで一日欠席。そういう日があったのも忘れるほどにお気楽な日々で…。
「あれっ、その紙袋、何なのさ?」
ある朝、ジョミー君が校門前でキース君に声を掛けました。バスの路線が違いますから、同じ時間に登校してきて面子が揃ったのが門の前。なるほど、キース君が大きな紙袋を提げています。
「あら、それ、デパートの紙袋よね? 柔道部の後輩に差し入れなの?」
スウェナちゃんが尋ねると、キース君は「いや」と即座に否定。
「欲しいんだったら、誰でも貰ってくれればいいが」
「なんだよ、それ。なんか思いっ切り怪しいじゃねえか」
燃えないゴミか? とサム君が袋を覗き込んで。
「…普通にプレゼントみたいだな?」
「そうなんだが…。サムにやろうか?」
「えーっと…。特にプレゼントが欲しいってわけじゃねえしな」
他のみんなは? と視線を向けられたものの、挙手する人はいませんでした。
「キース先輩、それは一つしかないんですよね?」
シロエ君の問いに「ああ」と頷くキース君。
「だったら放課後でいいですよ。ぶるぅの部屋でジャンケンしましょう」
「いいね、それ! 負けた時には恨みっこなしで!」
何が入っているんだろう、とジョミー君はワクワクしている様子。私もちょっとドキドキです。この前、欠席していた時に日帰り旅行に出掛けたのかもしれません。そのお土産なら期待大。
「そうか、土産って線があったよな!」
食い物だといいな、とサム君も。紙袋の中身は綺麗にラッピングされた袋でリボンなんかもかかっていますし、食べ物だとしたら焼き菓子詰め合わせセットとか…。
「お菓子が沢山入ってるんなら貰った人はお裾分けだよね!」
そういうコトにしとこうよ、というジョミー君の意見に誰もが賛成。放課後が楽しみになってきました。お菓子だったらジャンケンに負けても一個くらいは貰えそうですし、そうでないならジャンケン勝負に勝つまでです、うん!



ドキドキ、ワクワク、紙袋の中身。授業中もキース君の方をチラチラ見ながら放課後を待って、待ち続けて…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日はキャロットプディングなんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ニンジンたっぷりのふんわりしっとりらしいです。切り分けられて出て来たプディングは見た目は普通にケーキみたいで。
「「「いっただっきまーす!」」」
好みの飲み物も淹れて貰って、一切れ目はアッと言う間に食べてしまいました。プディングだけにお味はプリン。お次はお代わり、と二切れ目をお皿に載せて貰った所で、会長さんが。
「キース、あそこの紙袋は?」
「…すまん、存在を忘れていた。一名様限定でプレゼントなんだ」
「ふうん? で、誰が貰えるわけ?」
「ジャンケンです!」
勝った人です、とシロエ君が声を上げましたが。
「…それは面白くないんじゃないかな、ぼくとぶるぅはサイオンで誰が何を出すか分かるしね? ここは王道でどうだろう? プレゼント交換でよくやるヤツで順番に回す!」
「あー、音楽が鳴り終わった時に持ってたヤツを貰えるアレかよ」
あったっけな、とサム君が相槌。それもなかなか面白そうです。ジャンケンだと会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」に掻っ攫われる可能性が大きいですし…。
「じゃあ、音楽に合わせて回すことにしよう。BGMは、と…」
「かみほー!」
アレがいいな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の鶴ならぬ子供の一声。キース君が持って来たプレゼントの袋は『かみほー♪』が一曲鳴り終わるまで順送りに回すと決定です。回しやすいように座り直して、キース君がラッピングされた袋を手に持って…。
「かみお~ん♪ 音楽、スタート!」
賑やかに鳴り響く『かみほー♪』に合わせてプレゼントの袋は手から手へと。私の所も何度も通過して行きましたけれど、何が入っているのか謎です。重さからして、やっぱりお菓子? 何なんだろう、と想像しながらどんどん回している内に…。
「♪ 美しいその名は、地球~、テ~ラ~~~♪」
ジャンッ! と音楽が終わり、さて、肝心のプレゼントは、と…。
「「「あーーーっ!!!」」」
ズルイ、と皆の妬みの目線が集中。リボンつきの袋は会長さんの手の中にあったのでした。



「違うよ、わざとじゃないってば! いくらぼくでもこういう時にはズルは無理だよ!」
BGMの速さを変えるとかも絶対してない、と言われても日頃の行いが全て。プレゼント欲しさにジャンケンよりも公正と見せかけて掻っ攫ったに違いない、とブーイングの嵐。
「狙ったみたいにブルーのトコだし!」
絶対ズルイ、とジョミー君が頬を膨らませ、私たちも文句三昧なのに。
「…悪いね、ホントに偶然なんだよ。というわけで、コレは貰った!」
お菓子だったら分けてあげるよ、と会長さんはリボンを解いて袋を覗き込んだのですけど。
「………。何さ、これ?」
袋の中に突っ込まれた手が掴み出したモノに、私たちの目がまん丸に。それ、腹巻とか言いませんか? しかもなんだか手編みっぽい…?
「…見てのとおりだ」
キース君がフンと鼻を鳴らして、袋の中身がテーブルの上に次々と。貼るカイロやら手袋、襟巻。あまつさえ最後に明らかに子供が描いたと分かる絵と「げんきでながいきしてください」の文字。
「「「………」」」
何なのだ、と言いたい気分はプレゼントを貰った会長さんも、私たち全員も同じだったと思います。どんなプレゼントですか、その袋!
「…キース、もしかして喧嘩を売っているのかい?」
だったら喜んで買うんだけれど、と会長さんのドスの利いた声。
「ち、違う! まさかあんたに当たるとは思っていなかったんだ! あんただとシャレにならないだろう!」
他のヤツなら笑われておしまいだったんだ、とキース君は顔面蒼白。会長さんの方はといえば。
「…シャレにならないってコトは、いわゆる敬老グッズってわけ? この前、済んだばかりだものねえ…。敬老の日が」
「…す、すまん…。それはだ、お達者袋と言って」
「「「お達者袋?」」」
なんじゃそりゃ、とハモる私たちに、キース君が額にビッシリ汗を浮かべて。
「…こないだ、休んでいただろう? 先輩のお寺が経営している幼稚園の手伝いに駆り出されたんだ、こいつを詰めてラッピングしに…」
御近所のお年寄りとか老人ホームに配るのだ、という説明を聞いておおよそは理解出来ました。敬老の日の慰問グッズが『お達者袋』とかいうヤツです。でも、なんでまたキース君がそれをお持ち帰りに…?



「………。敬老の日に配り終わったら一個余っていたとかで…。手伝いの御礼に、と先輩が昨日届けに来てくれたんだ」
菓子とセットで、と口を滑らせたキース君の頭の上でパンッ! と弾ける青いサイオン。会長さんが眉を吊り上げて睨んでいます。
「それでお菓子は家に残して、お達者袋を持って来たと!?」
「お、俺のせいじゃない、菓子はおふくろの好物だったんだ! 御馳走様、と箱ごと部屋に持っていかれてそれっきりなんだ!」
「それじゃ、お達者袋は何なのさ!」
家に置いとけばいいだろう、と激しく詰る会長さんに、キース君は「そ、それが…」と逃げ腰で。
「実は親父に怒鳴られたんだ。わしはまだまだ現役じゃぞ、と…」
「「「…贈ったわけ?」」」
見事に重なった私たちの声。よりにもよってアドス和尚に敬老グッズとは大胆な…。
「俺が贈るわけないだろう! あれは不幸な事故だったんだ!」
止めに入る間も無かったんだ、と泣きの涙のキース君。先輩さんがお菓子とお達者袋を届けに来た時、アドス和尚は在宅だったらしいです。「お客さんか?」と出て来た所でお菓子の箱をゲットしたイライザさんに会い、ならば自分も、とラッピングされた袋をキース君から奪ったとか。
「意地汚い親父が悪いんだ! いそいそと部屋で開けた挙句に、俺を呼び付けて怒鳴りやがって! 馬鹿にしてるのかと罵倒する前に、自分の行動を思い出せ、と!」
理不尽すぎる、と嘆くキース君は「師僧を侮辱した罪は重い」と叱られ、御本尊様の前で五体投地を三百回。挙句の果てに「これは要らん!」と、お達者袋を返された次第。
「…そういうわけで、誰かに押し付けて憂さ晴らしをしようと思ったんだ。返品不可とか偉そうに言って、恩着せがましく貰わせようと!」
「……ひでえな、お前。そんなんだからブルーに当たっちまうんだぜ」
まさに仏罰、というサム君の台詞の正しさは間違いなし。会長さんにボコられてしまえ、と心の中で毒づいていると。
「…いいねえ、お達者袋って」
「「「!!?」」」
振り返った先でニッコリと笑う会長さんのそっくりさん。敬老グッズが欲しいのでしょうか、まさか、まさか…ね……。



とんでもない騒ぎの真っ最中に降ってわいた別の世界から来たお客様。ソルジャーは空いたソファにストンと腰掛け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」にキャロットプディングと紅茶を注文してから。
「せっかく素敵なプレゼントなのに、ブルーが拒否してるんだって?」
「何処が素敵なのさ!」
思い切りコケにされたのに、と叫んだ会長さんに、ソルジャーは指をチッチッと。
「分かってないねえ、生涯現役を目指したい人たちのためのグッズだろ?」
「「「…は?」」」
お達者袋で生涯現役って、グラウンドゴルフとかゲートボールとか、そういうシニアのスポーツですか? 確かに足腰が達者でないと生涯現役は無理そうですが…。身体を冷やすといけませんから腹巻に手袋、襟巻なんかも納得のチョイス。貼るカイロだって冬場は絶対欠かせません。
「えっ、スポーツ? まあ、スポーツと言えばスポーツかもねえ…」
アレもけっこう消耗するし、と頷くソルジャー。
「でもって冷えるのも良くなさそうだ。腹巻とかを装着したままだと興醒めだけどさ、全裸で待機しているよりかは直前まで保温するのもいいと思うし」
「「「???」」」
「でもねえ、ぼくがシャワーから出て来た時には脱いでて欲しいな、腹巻は! もちろん手袋と襟巻もだよ。でないと百年の恋も冷めちゃう」
ソルジャーが何を言っているのかサッパリ分かりませんでした。けれど会長さんは握った拳をブルブルと震わせ、テーブルをダンッ! と殴り付けて。
「退場!!!」
えっ、今の話って猥談でしたか? どの辺が、と顔を見合わせているとソルジャーが。
「なんだ、君たちも分かってないんだ? ハーレイとの大人の時間の話さ。青の間は室温をきちんと調整してるけれども、冷えすぎて風邪を引かれたら困る。二人でシャワーに行くならともかく、ハーレイが先に入った時には腹巻で保温するのもいいな、と」
裸腹巻! とブチ上げられて、ゲッと仰け反る私たち。もしや生涯現役とは…。
「決まってるだろう、夫婦の時間! こっちの世界じゃお年寄りにも激励グッズを配るくらいに奨励されているんだねえ…。実に素晴らしい話だよ」
「そうじゃないから!」
間違ってるから、と会長さんが突っ込みましたが、ソルジャーは聞いていませんでした。
「元気で長生きして下さい、かぁ…。小さな子供に書かせるんなら妥当な言葉と言えるよね。本音を言えばさ、元気で長持ちして下さい、ってハッキリと書いて欲しいけど…。あ、でも女性にも公平に配ってるんなら長生きの方が自然かな?」
元気で長生き、生涯現役! と派手に勘違いをしているらしいソルジャー。この際、キース君のお達者袋はソルジャーに譲るべきなのでは?



敬老グッズで壮大な誤解をしたソルジャーは、キャロットプディングを食べる間もお達者袋を褒めて褒めまくって、素晴らしいだの凄いだの。アドス和尚も会長さんも侮辱されたと受け取ったのに、どう間違えたら素敵なグッズになるんだか…。
「ホントに凄いよ、こっちの世界! 生涯現役で頑張って下さい、って励ましの手紙までつけてグッズを配布かぁ…」
思った以上に大胆な世界、とソルジャーの勘違いは止まりません。
「今はまだ残暑も残ってるけど、じきに秋が来て冷え込むもんねえ…。お風呂上がりは腹巻とかでしっかり保温! そして本番でいい汗をかいて、身体の方も鍛えましょうって方針なんだね」
「「「………」」」
この人に何を言っても無駄だ、と私たちは学習済みでした。思い込んだら一直線なソルジャーですから、訂正したって馬耳東風。馬の耳に念仏どころかソルジャーの耳に真実という感じ。放っておくしか方法は無く、しかも今回はそれがベストなチョイスなわけで。
「それでさ、お達者袋だけどさ」
要らないんなら貰っていい? と、出ました、究極の勘違い! やった、と心で快哉を叫んだ人はキース君と会長さんの二人だけではなかったでしょう。敬老グッズを押し付けられても困るだけですし、持って帰れば家で爆笑されますし…。
「本当にコレが欲しいわけ?」
中身はコレだよ、と会長さんが念を押してもソルジャーは嬉々とした表情で。
「腹巻に手袋、襟巻だろ? 貼るカイロだって暖かいしね、ハーレイが喜んで使うと思う。ぼくがお風呂に入ってる間、これで保温をしておいて、って言えば絶対、大感激だよ」
ただし、と言葉を一旦切ってから。
「ぼくがバスルームから出て来る時にはきちんと脱ぐように言っとかないと…。幸い、ぼくたちはミュウだしねえ? 気配ってヤツに敏感だ。ハーレイの裸腹巻とか裸襟巻は拝まないで済むと思うな、愛さえあれば」
裸手袋も絶対に嫌だ、と我儘だけは言いたい放題。
「しっかり保温した身体でもって温めて欲しいね、ぼくの身体を! 貼るカイロはバスローブに貼っておくのもアリかな、コトが終わった後でほんのり暖かいのを着せて貰ったら嬉しいかも…」
もう本当に素晴らしすぎ、とお達者袋への惚れ込みようは半端ではありませんでした。幼い子供が頑張って描いた絵と「げんきでながいきしてください」のメッセージもキャプテンへの激励に使うのだそうで。
「こんな小さな子供が励ましてくれるんだから、と言えば元気で長持ち!」
お達者袋は貰っていくね、とプディングを食べ終えたソルジャーは大喜びで帰ってゆきました。所変われば品変わるとでも申しましょうか、お達者袋が大人の時間の激励グッズになるなんて…。



キース君がアドス和尚と会長さんの怒りを買った敬老グッズはソルジャーの世界で有効活用されたようです。えっ、どうしてそれが分かるのかって? それは……。
「でね、ハーレイが凄く感激しててさ…。あれは限定品ですか、って」
数日後の放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に現れたソルジャーは御機嫌でお達者袋のその後を教えてくれました。お達者袋を開けたキャプテン、最初は途惑ったらしいのですけど、腹巻などの使い方を知って深く感動したのだそうです。
「なんだったっけ…。敬老の日って言うんだっけか? その日しか出ないグッズですか、と訊かれたんだけど、それで合ってる?」
「…その筈だけど? そうだよね、キース?」
どうなんだい、と会長さんに問われたキース君が「間違いないな」とキッパリと。
「俺が手伝いに行った幼稚園では年に一度しか作らない。…日頃から地域のお年寄りだの老人ホームだのと付き合いの深い幼稚園なら、月イチくらいで作っているかもしれないが」
「…多かったとしても月イチなんだ?」
ソルジャーの言葉に、会長さんが。
「月イチくらいが限界だろうね、中に入れるグッズも揃えなくっちゃいけないし! 作るにしたって買うにしたって、そんなに何度もやってられないよ、幼稚園にも都合ってヤツが!」
「俺もブルーと同意見だな。それに幼稚園にも行事は沢山あるし、敬老グッズ作りが最優先だと保護者から苦情が来るだろう」
そうそう何度も作れはしない、とキース君。
「あんたの世界のキャプテンに言っとけ、年に一度の限定品で今年限りのレアものだ、とな」
「…今年限り!?」
来年は、と目を丸くするソルジャーですけど、キース君はけんもほろろに。
「来年も貰う気だったのか? 無理だな、俺が手伝いに呼ばれるかどうかも分からない上に、余らなければ貰えないしな」
「えーーーっ! あんなに素敵なグッズだったのに、一回きり?」
「レアものだからこそ値打ちが高い。来年の俺に期待はするな」
「…そ、そんな……」
酷い、とソルジャーは会長さんの方へと向き変わって。
「何処か他にも貰える所はないのかい? 君のコネとか、そういうヤツで!」
「無いね。限定品がゴロゴロ幾つも転がっていたら、有難みも何も無いってものさ」
諦めたまえ、と会長さんはスッパリと。お達者袋は敬老の日の限定品。そうそう何度も作って配られたら、私たちだって迷惑です。もれなくソルジャーが来そうですから、年に一度で充分ですよ!



お達者袋は年に一回、敬老の日にしか出ないと聞かされてショックを受けたらしいソルジャー。しかも来年も貰える可能性は限りなく低く、この前に貰って帰った分が最初で最後かもしれないわけで…。なまじキャプテンが喜んだだけに、どうやら諦め切れないらしく。
「…本当にもう何処にも無いわけ?」
「敬老の日が済んだトコだし、無いってば! あれは真心のこもった贈り物で!」
量産品とは違うのだ、と会長さん。
「手紙は子供たちが願いをこめて書いたものだし、絵だってそうだ。中のグッズも手編みの分は保護者の人が編んだと思うよ。元気で長生きして下さい、って気持ちを伝えるための物!」
「…要は気持ちを伝えるための物なんだ? 手紙とグッズで」
「そうだよ、デパートとかのギフトセットと同列に考えないように!」
あくまで伝える気持ちが大切、と会長さんは説いたのですけど。
「…そうか、気持ちとグッズなんだ…。それがあったら作れるんだね、お達者袋」
「「「えっ?」」」
それってどういう発想ですか? まさか私たちに作ってこいとか…?
「ううん、君たちに作れとは言わないよ。相手はぼくのハーレイなんだし、ぼくからの愛と想いとをこめてお達者袋をプレゼント!」
これしかない、とソルジャーはグッと拳を握りました。
「そうと決まれば早速、買い出し! それと後から部屋を貸してね」
「「「部屋?」」」
「此処だよ、此処で詰めるんだってば、お達者袋に入れるグッズと手紙!」
「ちょ、ちょっと…!」
ちょっと待った! という会長さんの叫びも聞かずにソルジャーはパッと瞬間移動。何処へ消えたか姿は見えず、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」もキョロキョロと。
「…ぶるぅ、ブルーはどっちに消えた?」
「えとえと…。あっちの方じゃないのかなぁ? デパートに行ったと思うんだけど…」
前に一緒に下着売り場に行ったから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「あっちのハーレイに褌を買うって言ってた時に行ったデパート!」
「…ああ、あそこ…。あ、いた、いた」
何を買いに出掛けたんだろう? と首を捻った会長さんは間もなくテーブルに突っ伏しました。
「………。そうじゃないかとは思ってたけど…」
「どうした、あいつが何をしたんだ?」
買い物か、と尋ねたキース君への答えは「いずれ分かるよ…」と蚊の鳴くような声。そういえばグッズを詰めに戻って来るんでしたっけ…。ソルジャー、何を買ったんでしょう?



いそいそと買い出しに出掛けたソルジャーは一時間後に戻って来ました。デパートの大きな紙袋を両手に提げて鼻歌交じりの上機嫌。
「地球のデパートは品揃えが充実していていいねえ、お達者袋の作り甲斐があるよ」
まずはコレ、と紙袋から取り出した包みをバリバリと破り、レースたっぷりのネグリジェ登場。
「「「………」」」
そんなネグリジェをキャプテンに着せてどうするのだ、と思いましたが、さに非ず。
「ハーレイに着せると思ったんだろ? 違うよ、これはぼくが着るヤツ! 今日のお達者袋の中身はコレだよね、うん」
きっとハーレイも燃えてくれるさ、とソルジャーはキース君が持っていたお達者袋そっくりの袋にネグリジェをギュウギュウ詰め込んで。
「次は手紙、と。…なんて書こうかな、やっぱり「元気で長持ちして下さい」がストレートに伝わって素敵かな?」
「…好きにすれば?」
知ったことか、と言い捨てた会長さんの台詞にソルジャーの瞳がキラリーン! と。
「いいね、それ! 最高だってば、その案、貰った!」
「は?」
何が、と問い返した会長さんに向かって、ソルジャーは。
「好きにすれば、と言っただろう? それだよ、その台詞の頭に「ぼくを」って付けて、「ぼくを好きにすれば?」って書けばいいかと」
なにしろぼくが着るのはネグリジェ、とパチンとウインクするソルジャー。
「時間をかけて脱がせるのも良し、ボタンが弾け飛ぶ勢いで引っぺがすも良し! 着たままでヤるっていうのもいいよね、ハーレイの好みのシチュエーションってどれだと思う?」
「退場!!!」
さっさと帰れ、と会長さんが怒鳴りつけてもソルジャーは我関せずとソファに陣取り、これまたデパートで仕入れたらしい花模様のカードにデカデカと『ぼくを好きにすれば?』の文字を書き、ハートマークを幾つも散らしています。
「…これで良し、っと。今日のお達者袋は出来たし、これで帰るね。あ、他のグッズは預かっといてくれるかな? 奥の小部屋に突っ込んどくから」
万年十八歳未満お断りが大勢いるからシールドの無料サービスつき、などと足取りも軽く運んで行ったグッズ入り紙袋の中身が何かは知りたくもありませんでした。片付けを終えたソルジャーの姿がフッと消え失せ、私たちの方は脱力MAX。
「…ぼくたち、明日からどうなるわけ?」
ジョミー君の質問に全員が深い溜息を。純粋なお子様の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「わぁ~い、明日もお客様だぁ!」と跳ねてますけど、そのお客様が大いに問題なんですってば…。



生涯現役を目指す大人のためのアイテム、お達者袋。元々が敬老の日のグッズだったとは誰に言っても信じて貰えそうにない毎日が続き、会長さんは頭痛を堪える日々。幸か不幸か、私たち七人グループは知識不足で真の恐ろしさが全く分かっていないのだそうで…。
「さっきブルーが詰めてったヤツも大概なんだよ」
いわゆるアダルトグッズというヤツ、と口にしてから「ごめん」と謝る会長さん。
「君たちには理解不可能だっけ…。実際のところ、ぼくにも理解は出来てるかどうか怪しいけどね。なにしろ未知の世界なだけに」
足を踏み入れたくもないけど、と会長さんはブツブツと。
「ああいうのはノルディが詳しいらしい。ブルーがあれこれ相談するから調子に乗って次々と…。でもって、この部屋の奥に怪しいグッズがてんこ盛りに!」
部屋が穢れる、と会長さんが絶叫しても止まらないのがソルジャーのこだわり、お達者袋。毎日、空間を超えて現れ、グッズの買い出しやらグッズ詰めやら、本日の殺し文句やら。殺し文句も日替わりメニューで同じ言葉は二度と使いたくないらしく…。
「だからと言ってね、ネタ本までも買ってこなくていいんだよ!」
あんなエロ本そのものなヤツ、と会長さんが泣きそうになるネタ本とやらは私たちには読めない本です。ソルジャーがテーブルにババーン! と広げて悩んでいても、本全体がモザイクだという天晴れぶり。いったい何処から仕入れたんだか…。
「えっ、アレかい? ブルー本人が言っていただろ、通販限定!」
しかも御法度、と会長さんは肩をブルッと。
「出版したとバレたら法的にアウトになるヤツなんだよ、コッソリと地下で売られてる。…あ、地下と言っても地面じゃないから! 趣味の人たちがコソコソ隠れて買う類だね」
「じゃ、じゃあ、アレがこの部屋にあるとバレたら逮捕ですか?」
シロエ君の疑問に会長さんがマッハの速さで。
「即、補導! とりあえず見た目は高校生だし、まずは補導でそれから逮捕になるのかな? 年齢的には充分に逮捕される年だし」
「…罰金刑か?」
知りたくもないが、とキース君が言えば、返った答えは。
「下手をやったら懲役食らうよ、二年間ほど」
「「「二年!!?」」」
「売る目的で持っていました、っていう時だけれどね。売ろうと思ってはいませんでした、って逃げを打とうにも、今日びはネットで個人で普通に販売出来るし」
「「「………」」」
それは困る、と思いはしても、逃げ場が無いのが今の状態。罰金刑とか懲役だとか、それって退学になっちゃうのでは…。



ソルジャー御用達のお達者袋用の参考書のせいで懲役の危機。しかも二年と聞いてしまうと目の前が真っ暗というヤツです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にいる限り、サイオンを持った仲間以外は入れませんから安全ですけど、外に出た時が…。
「…そこなんだよねえ…。実はさ、ぼくの家にも例の参考書が」
「「「えぇっ!?」」」
会長さんの思いがけない言葉に仰け反りましたが、なんでネタ本が会長さんの家にまで?
「ほら、土日はぼくの家でグッズ詰めとかをしてるだろ? グッズはこの部屋から気の向いたヤツをお取り寄せだけど、本は確実に使うからって二冊目を買ってぼくの家に…ね」
「それってメチャクチャやばいじゃねえかよ!」
一般人も入れねえことはねえんだよな、とサム君が叫び、マツカ君が。
「管理人さんはいますけど…。警察だったら断ったりは出来ませんよね…」
「そう、出来ない。そして最悪、君たちどころかぼくも補導でソルジャーが逮捕な悲劇なんだよ」
ぼくも一応ソルジャーだから、と会長さんはフウと特大の溜息を。
「何処からも足はつきそうにない、と高をくくっていたんだけどねえ…。ブルーのお達者袋の中身がグレードアップするのに正比例して危険もどんどん高くなるんだな」
ダイレクトに通販をし始めるのも時間の問題、という会長さんにスウェナちゃんが。
「でも…。ネタ本も通販限定なんでしょ? とっくに通販してるわよ?」
「あれはノルディに買わせたんだよ、その頃はまだ大人しかったさ。今はノルディに借りたカタログを見ながら思案中なわけ! ノルディを通さずに直に買ったら特典がつくし」
「「「特典?」」」
「お得意様にだけコッソリ御案内、っていうレアなグッズがあるらしいんだ。ノルディもあれでスキモノだからさ、レアなグッズは自分で使ってしまうらしくて」
ブルーの手には入らないんだよね、と会長さん。
「そのレアグッズをゲットするためにぼくの住所を使う気なんだよ! そうなるとぼくの居場所がバレるし、警察が踏み込む危険性も……ね」
「おい。ソルジャー逮捕はシャレにならんぞ」
どうする気だ、と詰め寄るキース君に、会長さんは「うーん…」と額を押さえながら。
「誰かが人柱になってもいいなら、止める方法は無いこともない」
「「「人柱!?」」」
「そう。逮捕で懲役二年を食らうか、人柱か。ぼくには無理な方法だから、君たちの中から誰か勇者を選ぶしかない」
誰か潔く死んでこい! と言われましても。…それってどういう方法ですか?



その翌日。いつものように放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にウキウキ現れたソルジャーは
「えっ?」と赤い瞳を見開きました。
「…ヘタレ袋?」
「うん。お達者袋の真逆をいくヤツ」
それを作ろうと思うんだけど、と会長さんはニヤニヤと。
「君が毎日お達者袋を作ってるのを見ている間に閃いたんだ。こっちのハーレイに是非贈りたい」
「…あんまり感心しないけど…。ハーレイは君にぞっこんなんだし」
「だからこそだよ、貰っちゃった時の衝撃の大きさは半端じゃないよね。…そのドン底から這い上がってくるほどの根性があれば、ぼくも少しは見直してもいい」
「なるほどねえ……」
タフさを見極めたいわけか、と考え込んでいたソルジャーですが。
「…ハーレイを見る目が変わるかも、と言うんだったら止める理由は特に無いかな。それで、ヘタレ袋とやらを作るのに知恵を借りたい、と」
「ぼくは経験値が足りないどころかゼロだから! これを贈れば確実に萎える、という凄いアイテムでもあればいいなぁ…って」
理想は一撃必殺なのだ、と持ち掛けた会長さんに、ソルジャーは「分かった」と頷きました。そして会長さんの耳にだけ聞こえるようにヒソヒソと…。
「ふうん…。そうか、そういうのを詰めるのか…。でもさ……」
それは無理かも、とズーン…と落ち込んでいる会長さん。
「ぼくもシャングリラ・ジゴロ・ブルーだからねえ、場数は数々踏んでるけれど…。そっち専門の人の店には入る度胸が全く無いんだよ。せっかく教えて貰ったけれども、買うのはちょっと…」
「…君も大概ヘタレだねえ…。だけどハーレイとの距離を見直してもいい、と言い出した点は褒めてあげるよ。方法は全く褒められないけど、そういうことなら一肌脱ぐさ」
文字通りストリップをしてもいいくらいだ、とソルジャーは片目を瞑ってみせました。
「任せといてよ、ちょうど買い出しに行きたかったし、それもついでに買ってくる。…あ、袋には君が詰めるんだよ? もちろん手紙もきちんと付けて」
「分かってる。…それで、手紙の文章の方も先達の知恵を借りたいな。これで一発でヘタレるという凄い文章を教えて欲しい。…それと、君に買って来てもらうグッズだけども…。ぼくはこれでも小心者だし、分からないように包んで貰って」
「オッケー! ちゃんと専用の包装があるよ、健康食品とか選び放題!」
買ってくるからその間に手紙を書くといい、とソルジャーはまたもコソコソ耳打ち。会長さんが大きく頷き、ソルジャーは買い出しに出掛けて行って…。



「お待たせー! 注文のヤツを買って来たよ!」
はい、とソルジャーが会長さんに渡した包みは乙女チックに可愛くラッピングされていました。
「こっちのハーレイ、君に関しては乙女フィルターがかかってるしね? 君から貰う理想的なプレゼントってヤツを演出してみた。ぼくのハーレイもこういうのは特に嫌いじゃないし」
「ありがとう! 恩に着るよ」
「どういたしまして。…ぼくも今日は新作を仕入れて来たんだよねえ、もう最高に燃える筈!」
ソルジャーは毎度お馴染みのお達者袋に何やら詰め込み、ネタ本を引っ張り出して手紙も書いて袋の中へ。後はおやつのお代わりをして帰るだけというコースですけど。
「かみお~ん♪ クレープシュゼット、もう一回~!」
ワゴンを押して「そるじゃぁ・ぶるぅ」がやって来ました。クレープシュゼットはオレンジの果汁にグラン・マニエルを入れてのフランベが見どころのお菓子です。大歓声と共に明かりが消されて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手際よく…。
「これはいつ見ても綺麗だねえ…」
おまけにとっても美味しいし、と青い炎に見惚れるソルジャー。食いしん坊のソルジャーは全く気付いていませんでした。フランベを見守る面子の中からキース君がコッソリ姿を消したことに…。
「はい、出来上がり~!」
パッと明かりが灯った時にはキース君は元の位置にちゃっかり戻って、その前に熱々のクレープシュゼットを載せたお皿が。みんなでワイワイ楽しく食べて、ソルジャーは「御馳走様~!」と手を振って帰ってゆきました。お達者袋をしっかりと持って…。



「………。俺はやったぞ。お達者袋を最初に持ち込んだ責任を取って」
しかし、とキース君はガバッと土下座。
「阿弥陀様、申し訳ございませんでした! なりゆきとはいえ、いかがわしい物を手に取ったことはお詫びいたします! このキース、罰礼を此処に百回させて頂きます!」
南無阿弥陀仏、と唱えながらの五体投地が始まりました。それを横目に、会長さんが自作のヘタレ袋とやらの中身を覗いてニンマリと…。
「やったね、すり替え大成功! ぼくが動いたらブルーは直ぐに気が付くけれども、ヒヨコな君たちはノーマークってね! 渾身の作のヘタレ袋を自分で作って持って帰ったよ、これで安心!」
あちらのハーレイは立ち直れないほどにヘタレるであろう、という会長さんの予言は成就し、キャプテンは一週間ほど御無沙汰だったと聞いています。ソルジャーがお達者袋を作ることも二度と無かったわけですけども…。
「何だったんでしょう、キース先輩が取り替えたグッズ」
「さあなぁ? 俺らに分かるレベルだったらヘタレねえだろ」
多分一生分かんねえよ、とサム君が言い、すり替えたキース君もモノが何かは全く見当がつかないそうです。お達者袋がヘタレ袋な作戦成功、逮捕や懲役の危険もなくなり、なべてこの世は事も無し。一週間ほど怒鳴り込み続けたソルジャーの大人の時間も無事に戻って、めでたしめでたし~。





          元気で達者に・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 恐ろしすぎる、ソルジャー作の「お達者袋」。いったい何が入っていたんだか。
 ヘタレ袋の中身ともども、ご自由に想像なさって頂ければ…。
 今月は月2更新ですから、今回がオマケ更新です。
 次回は 「第3月曜」 6月20日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、6月は、お坊さんの世界と兄貴な世界が近いお話…?
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv







(よっ、と…!)
 ヒョイと右手でフライパンを振って、上のオムレツを引っくり返して。
 ハーレイは鼻歌混じりに家のキッチンに立っていた。馴染んだキッチン、慣れたフライパン。
 こんな時間にオムレツを焼いていることは珍しい。いつもなら、朝。
 けれども急に食べたくなって来たから、夜食にオムレツ。キッチンの窓の向こうは暗い。
(…まるで宇宙だな)
 前の生でキャプテン・ハーレイだった頃に見ていた宇宙。恒星にでも近付かない限り、窓の外は漆黒の闇だった。瞬かない星たちが散らばっていても、さして明るくはなかったから。
 あの頃に見た窓のようだな、と、ヒョイとオムレツを返した瞬間、蘇って来た遠い記憶。
(こんなものだったな)
 いや、もう少しばかり太くて重かったろうか。
 かつて握っていた、シャングリラの舵。舵輪の記憶と手にしたフライパンの柄とが重なった。
 舵輪は回して動かしたけれど。一杯に舵を切っていたけれど。
 フライパンのように振ることは無かったけれども、かつて手の中にあった感触。
 そうだ、こうして舵を握った。
 フライパンも舵も似たようなものだ、と冗談交じりに口にしながら。



(…またフライパンに戻っちまったな)
 なあ、とブルーに語り掛けた。
 十四歳の小さなブルーではなくて、写真集の表紙に刷られたブルーに。
 焼き立てのオムレツを腹に収めた後、眠りに差し支えないよう、薄めに淹れたコーヒーを持って入った書斎。其処の机の引き出しから出したブルーの写真集。ソルジャー・ブルーの写真集。
 最も知られたブルーの写真が青い地球を背景に浮かぶ、『追憶』というタイトルの本。
 メギドへと飛ぶブルーの姿を編んだ最終章を持った、開くのがとても辛い本。
 だから滅多に中は見ないが、表紙のブルーは気に入っていた。正面を向いた強い瞳の奥に隠れた深い悲しみ。ソルジャーの表情をしていないブルー。こんな目だった、と憶えているブルー。
 今夜のように前の生のことを思い出した時には、ブルーと語る。一方的に自分が語るだけでも、語り合ったような気持ちになれる。
 今の小さなブルーではなくて、前のブルーと。
 ソルジャーとしての生を懸命に生きて散ってしまった、気高く美しかったブルーと…。



 フライパンに戻っちまった、と苦笑いしたくなる遠い遠い昔。
 シャングリラがまだ白い鯨ではなく、人類の持ち物だった船の姿のままだった時代。
 ハーレイがフライパンを握っていた頃、ブルーは今のように小さなブルーではなかった。しかし写真集の表紙を飾るブルーほどにも大きくはなくて、その姿まで育つ途中の少年ではあった。
 今よりも少しだけ育ったブルー。
 ソルジャーの尊称はまだ無かったから、リーダーと呼ばれていたブルー。
 少年の身体で、生身で宇宙空間を駆けて様々な物資を調達していた。食料も服も、およそ生活に必要不可欠な品物は全部、ブルーが人類の輸送船などから奪って来た。
 時には偏りがちだった食材を管理し、調理して食堂へと送り出していたのがハーレイ。いつしか他の物資の管理も任され、公平に、あるいは必要な人にと分配する立場。
 そうした役目は性に合ったし、調理するのも好きだった。この食材で何が出来るかと調べたり、それを作って試食してみたり。
 ブルーが奪った食料の中身がキャベツだらけやジャガイモだらけでも、遣り甲斐があった。
 厨房の仕事は楽しかったし、物資の分配に心を配るのも皆の笑顔が励みになった。此処が自分の居場所なのだと決めた厨房。フライパンを、鍋を幾つも使っていた場所。



(お前がいなけりゃ、俺はキャプテンをやってたかどうか…)
 そうだろう? と表紙のブルーに微笑み掛ける。お前はこれは苦手だったな、と薄いコーヒーを入れたカップを持ち上げながら。
(あいつに好き嫌いは無かったんだが、酒とコーヒーは苦手だったよなあ…)
 それでも飲もうと頑張っていたな、と懐かしく思い出す前の生。
 遥かに過ぎ去った遠い昔にブルーと暮らしたシャングリラ。名前だけの楽園だった頃から、白い鯨に姿を変えた後までも長く共に生きた。恋人同士になるよりも前から、ブルーと共に。



 まだ楽園ではなかった船。名前だけだった時代のシャングリラ。
 そのシャングリラのキャプテンに、と推された時には、途惑った。
 自分の仕事は調理担当で、副業が物資の分配などだと思っていたから、キャプテンと言われてもピンと来ないし、また務まるとも思えない。
 「見当たらない物があるならハーレイに訊け」とまで言われてはいたが、倉庫や備品の管理人を兼ねていただけに「分かって当然」くらいの認識。
 船を、シャングリラを丸ごと預かるキャプテンなどは無理で、器でもないと断ったけれど。
「だけど、あんたが適任なんだよ」
 ちょっと他には見当たらなくてね、とブラウが真顔で言った。
「俺も賛成だな、他にはいない」
「適任者が無いと思うのだがね?」
「私もブラウと同じ意見よ」
 ゼルにヒルマン、それにエラまで。
 いつの間にやらブリッジなどを居場所としていた四人に推された。
 他にはいないと、受けて貰えなければ困るのだと。
 彼らは足繁く部屋を訪れては、やってくれないかと、やって欲しいと頼むのだけれど。
 サポートするとまで言うのだけれども、キャプテンなどが務まるだろうか…?



(俺がキャプテン…)
 キャプテン、それは船長を指す。このシャングリラを纏め上げる最高責任者。
 そういう肩書きの者が必要な段階に来ていることを薄々感じてはいたし、ゼルたちからも何度も聞いた。キャプテン不在では心許ないと、操船出来る者たちがいるだけでは船は駄目なのだと。
 けれども、キャプテンは文字通り船の長であり、要になる者。
 適任者は他にいそうな気がした。誰かいないかと、船の顔ぶれを思い浮かべて。
(ブルーは…)
 姿こそ未だに少年だったが、比類なきサイオンと頭脳の持ち主。シャングリラの長を名乗るには充分だろう、と考えたものの、ブルーは既にリーダーだった。
 物資の調達がブルーの主な仕事だけれども、他の者には出来ない仕事。ブルーにしか出来ない、生活の糧を、皆の命を繋ぐ物資を奪いに出掛ける重要な役目。
 代わってくれる者のいない仕事をしているブルー。ゆえにリーダー。
 そんなブルーにキャプテンまでをも兼任させては酷だろう。
 ブルーには補佐役が必要であって、キャプテンをさせるどころではない。
 そう、キャプテンとはブルーの補佐をも務める者。



(ブルーの補佐をすることになるのか…)
 それならば…、と思わないでもなかった。
 かつてアルタミラで一度は担った役どころ。ブルーと二人で幾つものシェルターを開けて仲間を逃がした。閉じ込められた仲間を自由にするべく、燃え盛る炎の地獄をくぐって走った。
 二人でシェルターの扉をこじ開け、あるいはブルーがサイオンで壊して、何人の仲間を逃がしただろう。出会ったばかりのブルーと二人で、どれだけの距離を走り続けたことだろう…。
 あの時は確かにブルーを補佐した。ブルーを手伝い、共に走った。
 けれども、補佐役はあの一度だけ。
 脱出した後は厨房で調理に邁進していたし、逆にブルーが手伝ってくれた。「何が出来るの?」などと覗きに来ては、ジャガイモの皮をせっせと剥いてくれたり。
 これではブルーの補佐役ではない。しかし必要なブルーの補佐役。
 ブルーには補佐役が要るであろうし、船にはキャプテンが欠かせない。
 そのキャプテンにと推されてはいるが、果たして自分に務まるだろうか…?



(フライパンと船では違いすぎるぞ)
 考え込む時のハーレイの癖。傍から見れば考え事とは見えない光景。
 欲しい者が誰もいなかったから、と貰った木で出来た机をキュッキュッと磨く。使い古した布の切れ端でせっせと磨き込みながら、あれこれと考えを巡らせる。
 磨けば磨くほどに味わいが増すのが木の机。それが好きだし、手を動かしている方が雑念が入りにくかった。
 キャプテンなどが自分に出来るのだろうか?
 フライパンならば自由自在に扱えるけれど、船はあまりに違いすぎる。フライパンしか知らない自分に、仲間たちの命を預かる船を任せようなどと、一体誰が言いだしたやら…。
「フライパンでいいと思うけどね?」
 不意にハーレイの耳へと飛び込んだ声。それは続けた。
「フライパンも船も、どちらもとても大事なものだよ」
 命を守るのに必要だから。
 どちらが欠けても、命がなくなってしまうから。
 そう思うけどね、フライパンとかで出来る食事と、このシャングリラと。



「ブルー!?」
 振り返った先にブルーが居た。壁に背を預けて、さも暇そうに。いつの間に、と問えば。
「さっきからいたよ?」
 君が気付かなかっただけ、とブルーはクスッと笑って。
「ハーレイ、キャプテンになるんだって?」
「いや、それはまだ…」
 言葉を濁したハーレイだったが、「そう?」とブルーが瞬きをする。
「ハーレイだといいな、と思ったんだけど」
 同じキャプテンを選ぶんだったら、ハーレイがいいな、と思ったんだよ。
 ぼくは誰がキャプテンでもかまわないけど、ハーレイって聞いたら嬉しくなった。
 距離が近いままでいられるよね、って。
「…距離?」
 どういう意味か、と首を捻ったハーレイに答えが返った。
「そのままの意味だよ、君との距離」
 ぼくはリーダーになっちゃったから。
 今はまだこうして話をしていられるけど、この先は…ね。
 いろんな部門が出来ていったら、厨房との距離がどんどん開いて離れていくと思うんだ。
 ハーレイとの距離は開けたくないから、厨房よりもキャプテンなんだよ。



「…そんな理由で推すつもりなのか?」
 俺を、とハーレイは咎めるような目つきになったけれども。
 ブルーは軽く肩を竦めて、「まさか」とハーレイを真っ直ぐに見た。
「距離と言ったよ、ぼくと気軽に話せるキャプテンがいい」
 息が合うキャプテンがいいんだよ。
 今はまだ命懸けって場面に遭遇してはいないし、そういう意味では平和だけれど。
 いずれは出会うよ、ぼくが命を懸けなきゃいけないような局面。
 その時にキャプテンと息が合わないのは嫌だ。
 誰がキャプテンでも合わせてみせるよ、ぼくはリーダーなんだから。
 だけど我儘を言っていいなら、息が合うキャプテンがいいと気付いた。
 ハーレイがキャプテンの候補なんだ、って聞いた時にね。



「お前が命を懸けようって時に、俺がキャプテンだといいと言うのか…?」
 ハーレイには信じ難かったけれど、ブルーは「そう」と頷いた。
「ぼくの命、ハーレイにだったら預けてもいいな、って」
 安心して預けることが出来るよ、君にだったら。
 アルタミラで一度は経験済みだよ、君と二人で崩れようとしている地面を走った。君がいたから頑張れたんだよ、全部のシェルターを確認するまで。
 初対面であれだけ息が合ったのなら、これから先だってピタリと合うに決まっているんだ。
「しかし…。他のヤツらは、そういう機会が無かっただけで…」
 他にも合うヤツ、いるんじゃないか?
 俺よりももっと息が合うヤツ、この船の中にいるんじゃないか…?
「ぼくの勘だよ、多分、ハーレイが一番合う」
 ハーレイよりも息の合いそうな人は一人もいないよ、この船には。
「しかしだ、俺は厨房専門でだな…」
「似たようなものだとぼくは言ったよ、フライパンと船」
 ハーレイがなってくれるといいな、と言い残してブルーは去って行った。
 ゆっくり考えて決めて欲しいと、押し付けようとは思わないから、と。



(フライパンと船なあ…)
 どう考えても違うんだが、と心の中で何度呟いたことか。
 まるで違うと、別物なのだと思っているのに、何故か頭を離れない言葉。
 「似たようなものだ」と言っていたブルー。
 フライパンも船も似たようなものだと、どちらもとても大事なものだと。
(…どちらが欠けても命を守ることは出来ないんだ、と言われりゃそうだが…)
 それでも両者の違いは大きい。
 大きさからして全く違うし、使い道も決して重なりはしない。
 フライパンは人間を乗せて宇宙を飛べはしないし、宇宙船そのものを使って調理は出来ない。
 何から何まで違いすぎる、と思うのだけれど、気付けば並べて考えている。
 今も試作品の炒め物を作っているのに、ついうっかりと自分の思いに囚われていて。
(おっと…!)
 焦げる、と慌てて火加減を調節しながらフライパンを振った。
 フライパンから煙が上がるのは防いだけれども、そのタイミングでガクンと大きく揺れた船。
 一度きりしか揺れなかったから、障害物でも避けたのだろう。



(ふむ…)
 船も同じか、という気がした。
 たった今、危うく焦がしてしまう所だったフライパン。時を同じくして揺れた船。
 二つの違いは大きいけれども、扱いを誤れば焦げてしまうか、壊れるかの違い。
 フライパンは焦げるし、船の場合は壊れてしまう。
(…焦げることもあるな…)
 太陽に接近しすぎたならば船は焦げるし、攻撃を受けても焦げるだろう。
 今はまだどちらも未経験だが、いずれ無いとは言い切れない。
 ブルー自身もそう言っていた。
 いつかは自分が命を懸けねばならない場面に遭遇するだろう、と。
 恒星の重力に捕まってしまって引き寄せられるか、人類軍に発見されて攻撃されるか。
 船の力だけで逃げ切れればいいが、それが出来なければブルーに頼るしかない。
 重力圏からの脱出にしても、人類軍の攻撃を防ぐにしても。



(あいつはそういったものから船を守るのか…)
 船が壊れぬよう、焦げてしまわぬよう、その比類なきサイオンをもって守り続ける。
 これから先も、ずっとブルーは。
 ブルーの代わりを務められる者は誰もいないから、ブルーは一人で守るしかない。
 このシャングリラを、仲間たちを乗せた船をたった一人で…。
(…俺はフライパンを振っていられるのか?)
 ブルーが危険を伴う場所へと、飛び込んで行こうという時に。
 たった一人きりで危機に立ち向かうべく、ブルーが船から飛び立った時に…。
(いくら似たようなものだと言っても…)
 自分が作る食事が船と同じく皆の命を守るものでも、命を繋ぐのに欠かせぬものであっても。
 ブルーの命もサイオンも食事を源とするものではあっても、ブルーが命を懸けている時。
 そんな時にブルーの帰りを待ち侘びながら、フライパンを振っていられるだろうか?
 戻ったらこれを食べて貰おう、と料理を作っていられるだろうか…。



(…それくらいなら…)
 厨房では料理くらいしか出来ないけれども、キャプテンになればブリッジに立てる。
 具体的な例は直ぐに頭に浮かばないけれど、ブルーをサポートすることが出来る。船の外に出たブルーの居場所も、ブリッジならば常に分かる筈。
 厨房で帰りを待つのではなく、船を動かして追いかけることも、迎えに行くことも可能だろう。そのための指揮を執れるのがキャプテンであって、船の最高責任者。
(…あいつが息が合うキャプテンがいい、と言っていたのはこれか…)
 ブルーがどう動き、何をしようとしているのか。
 連絡が来ずとも、「こうであろう」と先を読んでサポート出来るキャプテン。
 ブルーはそれが欲しかったのか、とようやく気付いた。
 阿吽の呼吸で船を動かし、ブルーが動きやすいようにと先回りすら出来るキャプテンが。



(…確かにアルタミラでは経験済みだな)
 幾つものシェルターを壊す過程で、息が合わねば出来ない作業を何度もやった。次のシェルターへと走る途中の道でも、助け合って危険を回避していた。間一髪で地割れを避けたり、落下物から逃れたり。声を掛け合わずとも身体が動いた。次はこうして、その次はこう、と。
 何とも思わずにやっていたけれど、誰であっても出来ることではないだろう。たまたま出会っただけだったけれど、同じシェルターに閉じ込められたという偶然の結果に過ぎないけども。
 ブルーはハーレイと息が合ったし、ハーレイにとってもブルーは息の合う相棒だった。
 そのブルーが命を預ける相手にハーレイを選びたいと言う。
 我儘を言っていいならキャプテンはハーレイであって欲しいと、息の合う人が欲しいのだと。
 それならば…。
(……やってみるか)
 今ならやれるか、という気がした。
 まだ平穏なシャングリラの周り。人類軍の船とは一度も遭遇しておらず、シャングリラの存在も知られてはいない。知られていないのだから追われもしない。
 つまりは余裕がたっぷりとある。厨房出身の自分がブリッジに馴染むための時間がたっぷりと。
 直ぐにキャプテンの任を受ければ、操舵を覚える時間も充分あるだろう。
 焦がさないように船を動かす技術を身に付けることが出来るだろう。
 そうして、いつかはブルーを助けて最前線へとシャングリラを出せるキャプテンに。
 ありとあらゆる場面で指揮を執りながら、船もブルーも守り切れるだけのキャプテンに…。
(…言ってみるか、ゼルに)
 それにブラウにヒルマン、エラ。
 彼らの依頼を受けようと思うと、自分で良ければキャプテンになると。



(…あの時、お前が言わなかったら…)
 俺はキャプテンになっていたかどうか、と写真集の表紙のブルーに苦笑してみせる。
 フライパンも船も似たようなものだと言われなければ、厨房に残っていたかもしれないと。
(それでもお前は俺に惚れてくれていたんだろうか…?)
 ソルジャーと厨房の責任者とでは身分が違いすぎるんだが、と笑ったけれど。
 ハーレイとの距離は開けたくない、と口にしていたブルーだったら惚れてくれたな、という気もするから、ますます可笑しさがこみ上げて来た。
 ソルジャーとキャプテンだったから秘密にした仲。誰にも明かせず終わってしまった恋人同士。
 厨房の責任者との恋であったら明かせただろうかと、身分違いは甚だしくても、シャングリラの行方を左右したりはしないのだから、と。



(そうしてフライパンに戻っちまったぞ、元の俺にな)
 さっきもオムレツを焼いていたしな、と『追憶』の表紙のブルーに語り掛けていたら。
(…ブルー?)
 そっちの君がいいよ、と声が聞こえたように思った。
 キャプテンの君よりもそっちの方が、と。
(ブルー…?)
 あれは小さなブルーの声だったろうか?
 それとも、写真集の表紙に刷られたソルジャー・ブルー……前のブルーの声だったろうか?
 誰が、と耳を澄ましたけれども、もう聞こえない。
 けれども確かに覚えている。
 そっちの君がいいよと、キャプテンの君よりもそっちの方が、と。
 そういう台詞だけを耳に残して消えてしまいそうなブルーと言えば…。



(…どちらでもないな)
 小さなブルーでも、ソルジャー・ブルーの方でもない。
 お前だな、と表紙の大人びた顔の向こうにあの日のブルーを思い浮かべる。
 ハーレイだといいな、と思ったんだけど、と前の自分の部屋まで言いに来たブルーを。
 前の自分をキャプテンに推した、やって欲しいと望んだブルーを。
 今のブルーよりも少し育った姿だったブルー。
 まだ少年の姿だったけれど、いつか命を懸ける日が来ると悟って先を見ていたブルー。
 その時が来ればハーレイに命を預けたいのだと、そうしたいと望んでいたブルー。
 あれほどに悲しくも辛い覚悟をしていたブルーが、今の世界では…。
 小さなブルーに生まれ変わって青い地球まで来た今では…。



(…そうか、今度はフライパンがいいか)
 フライパンを持ってる俺がいいんだな、キャプテンよりも。
 そっちがいいと言ってくれるんだな、あの日のお前が。
 …あの姿のお前。
 小さなブルーよりも少し育った、あの姿のお前。
 今度はいつになったら会えるんだろうな、お前に会うまでに何年待つことになるんだか…。
(だが、俺たちは地球に来たしな?)
 いいさ、何年でも待っていてやる。
 キャプテンはもう要らないんだから、今度はフライパンを振りながらな…。




         フライパンと船・了

※フライパンも船も、似たようなもの。厨房からキャプテンになったのが前のハーレイ。
 前のブルーのためでしたけれど、恋人同士でなかった頃から深い絆が。もちろん、今も。
 某pixiv でフライング公開していたお話、ようやくUP出来ました~!
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(ゼルが今の時代に生まれていたら…)
 やっぱり禿げていたんだろうか、と新聞の広告を眺める、ぼく。
 学校から帰って、ダイニングのテーブルでおやつの時間。ママが焼いたケーキと、熱い紅茶と。紅茶にはミルクをたっぷりと入れた。背を伸ばすにはミルクが一番、って聞いているから。
(でも、伸びないよ…)
 ハーレイと再会した時のままで止まった背丈。百五十センチしか無い背丈。毎朝ミルクを飲んでいるのに効果は出ないし、一ミリさえも伸びてはくれない。
(…ハーレイが「ゆっくり大きくなれよ」って言うせいなのかな?)
 酷いよね、と文句を言っても始まらないから、ぼくは溜息をつくばかり。
(こういう薬があればいいのに…)
 新聞に載ってる、育毛剤の大きな広告。今の時代でも、若くして禿げる人はいるから。
 ぐんぐん伸びます、生えてきます、っていう煽り文句が書かれた広告。
 背丈は生えてくるものじゃないし、あえて言うなら、ぼくが生まれた時点で生えた勘定。生えているなら伸びればいいのに、どうして上手くいかないんだろう…。
 髪の毛だったら育毛剤を振りかけてマッサージすれば生えるし、伸びるのに。
 広告に載ってる薬は薬局に行けば誰でも買える。もっと急いで治したい人は、病院へ。処方箋を書いて貰えば、飲み薬なんかも出るらしい。



(禿だったら簡単に治るんだけどね?)
 だけど身長…、と考えてみても、そっちの方はとても厄介。
 伸ばす薬は存在してるし、治療法だって確立されてる。ただし、本当に必要な場合のみ。身長が伸びにくい体質の人なら、ちゃんと治療して伸ばして貰える。本来あるべき背丈にまで。
 でも、ぼくみたいな年頃の子供の背丈が伸びなくっても、個性の問題ってことになるんだ。心がゆっくり成長する子は背も伸びないから、止まったりしちゃう。義務教育の年齢を過ぎても子供の姿のままの子は多い。そういう子供が通う上の学校が幼年学校。
(…このままだったら入れられちゃうよ…)
 パパもママも、ぼくは「ゆっくり成長する子」だと思い始めていて、そのつもり。ぼくの将来の夢は決まっているのに、十八歳になったらハーレイと結婚しようと思っているのに…。
(背が伸びる薬、欲しいんだけどな…)
 病院に行けばある筈の薬。でも、貰う前に沢山の検査をしなくちゃいけない。薬が必要かどうか調べる検査。ぼくは絶対、パス出来やしない。
(…大きくなりたい、って思う理由がハーレイと結婚するためだしね…)
 前のぼくの背丈と同じ百七十センチにならない限りは、ハーレイはキスも許してくれない。結婚だって駄目かもしれない。ぼくが背を伸ばしたい動機は、その二つをクリアしたいから。
(こんなの、検査ではねられちゃうよ!)
 凄く子供っぽい動機なんだ、ってことくらい分かる。お医者さんはきっと言うだろう。「時間が解決してくれますよ」って。薬なんかは貰えやしないし、治療も受けずに帰されてしまう。
(背が伸びる薬…)
 新聞に広告が出てない時点で、ぼくみたいな動機で伸ばすなって意味。
 育毛剤で伸ばせる髪の毛みたいに、すくすく伸ばせやしないんだ…。



 ぼくは育毛剤の広告を羨ましく見ながらケーキを食べ終えて、部屋に帰った。ミルクたっぷりの紅茶も綺麗に飲み干して。
(ちょっとくらい、ミルクが効きますように…)
 そう祈らずにはいられない。伸びますように、と心からの祈り。
(…ひょっとして、ゼルもそうだった?)
 今の時代は禿は育毛剤で治るし、病院で治療を受ければ飲み薬までが貰えてしまう。今は珍しくなってしまった、ゼルみたいに禿げた頭の人。
 外見年齢の好みと同じで、すっかり禿げてる人もいるけど、少数派。
 けれど前のぼくたちの時代は違った。そこまでの医療技術は無かった。禿げ始めたらもう諦めるしかなかった時代で、育毛剤で多少は食い止められても気休め程度。
(ゼルも祈っていたのかな?)
 ぼくが背丈を伸ばしたいように、髪の毛が生えてくれますように、って。
 だとしたら、とても切実な祈り。
 すっかり禿げてしまうまでの間に、ゼルはどれほど祈っただろう。
(…それよりは、ぼくの背、いつかは伸びるだけマシだよね…)
 ゼルの禿みたいに「打つ手なし」ってわけじゃないから。待てば伸びるに決まっているから。
 だから贅沢を言っちゃ駄目なんだよね、と自分に言い聞かせようとしたんだけれど。



(でも…)
 考えてみたら、ゼルはミュウだった。
 今の時代は人間はみんなミュウだけれども、前のぼくの頃は発見されたばかりの新人種。お蔭で酷く迫害されたし、アルタミラでは危うく殲滅されそうになったほど。
 それはともかく、ミュウだったゼル。人類とは違って外見年齢を自分の好みで止められた人種。つまり「禿げるかもしれない」と思った時点で年齢を止めれば禿にはならなかったんだ。
 けれどもゼルはそうしなかった。髪の毛がどんどん薄くなっても、生え際が後退し始めた時も、「こりゃ禿げそうだな」って言っていたくせに、そのままで年を重ねて行った。
 それじゃ禿げても仕方ない。ツルツルになっても自分の責任、自分で選んだ道ってヤツ。
(…なんで止めずに老けたんだっけ?)
 今でも禿げてる人はいるから、好みだったのかもしれないけれど…。
 思い返してみれば、ヒルマンだって髪の毛も髭も白くなるまで年齢を止めはしなかった。ゼルと同じに年を取って行った。
(…ヒルマンも年を取るのが好きだったのかな?)
 そういう人は今の時代にもいるし、今のハーレイのお父さんとお母さんもそうだって聞いた。
 ハーレイだってぼくと再会しなかったならば、もっと年を取ろうとしていたらしいし…。
(だけど、前のハーレイだった頃には…)
 しっかりと年を止めていた。今のハーレイと同じ姿で外見の年を止めてしまった。
(…なんで?)
 実年齢で言えば、ゼルもヒルマンもハーレイも似たような年だったのに。
 ゼルとヒルマンが年を取るなら、ハーレイだって仲良く老けても良さそうなのに…。



(ひょっとしてハーレイ、格好をつけて早めに止めた?)
 年寄りになるより、若いままの姿。あの姿が好みだったんだろうか?
(それとも、禿の危機だったとか…?)
 あれ以上の年を重ねたら禿げてしまうとか、そういう危機感を抱いて止めた?
 でも、ハーレイに禿の兆候は無かったと思う。生え際は後退していなかったし、抜け毛が増えたとも聞かなかった。
(うん、今のハーレイと変わらないよ?)
 短い金髪が頭をしっかり覆ってた。
 今のハーレイだって禿げてはいなくて、ぼくと再会していなかったら、更に年齢を重ねる予定。
 生まれ変わりでも基本の部分は変わっていない、って色々と実感させられてるから、ハーレイは年を取りたいタイプなんだ。前のハーレイもきっと、同じだった筈。
 だったら、格好をつけるためにゼルたちよりも早めに年齢を止めたわけではないだろう。
(仲良し三人組だったんだけどな…)
 ゼルとヒルマンと前のハーレイ、長老と呼ばれるようになる前からの友達同士で、飲み友達。
 その三人の中でハーレイだけが若かったなんて、ちょっと不思議だ。
 若いと言っても、今のハーレイが「おじさん」なのと同じで、青年とは呼べない年だけれども。



(どうしてハーレイだけが若かったんだろ?)
 むくむくと湧き上がってくる好奇心。ハーレイだけが「おじさん」で年を止めた理由。
(えーっと…)
 前のぼくは知っていたんだろうか?
 ハーレイがゼルたちよりも先に年齢を止めてしまった理由は何かを。
(今のハーレイはぼくに会ってから年を取るのを止めたれども…)
 前は違った。前のぼくと恋人同士になった時には、とうに年齢を止めていた。
(とっくにあの姿だったんだから…)
 もしも理由を聞いていたとしたら、止めた頃に声を掛けて「何故?」と尋ねたか。それとも恋人同士になった後になって、戯れに訊いて答えを得たか。
(んーと…)
 生憎と全く記憶が無い。
 前のぼくは訊くほど気にしなかったか、それとも忘れてしまったのか。
 仕方ないから、前のハーレイが年を止めた時期を探ってみることにした。運が良ければ手掛かりらしきものが転がってるかもしれないから。



(キャプテンの制服が出来た頃かな…?)
 前のぼくの上着とお揃いの模様が上着にあしらってあった、キャプテンの服。濃い緑のマントと金色の肩章、威厳に溢れたキャプテンの衣装。
 あれが作られた頃だったかな、と思ったけれども、そうじゃないな、と直ぐに気付いた。
 シャングリラに制服が導入された時にはゼルは禿げていたし、ヒルマンはとうに髭まで真っ白。如何にも長老といった外見の彼らに合わせて衣装が出来た。若人向けではなかった衣装。
 ということは、キャプテンの制服を貰った時点でハーレイの年は止まっていた筈。
 ゼルたちよりも若い姿で制服を貰って、それをカッチリと着ていたハーレイ。
 当時のハーレイの外見を考慮して作られた服で、あれを貰ったから年齢を止めたわけじゃない。
(…じゃあ、いつ…?)
 アルタミラから脱出した後、厨房でフライパンを握っていた頃は若かった。
 厨房の責任者を辞めてキャプテンの任に就いた頃にも、まだ若かった。キャプテンの服が出来ていなくて、他の仲間の制服も無くて、その日その日で服が違っていた時代。
(…あの頃は、ぼくも普通に育っていったんだけどね?)
 成人検査を受けた時のまま、今のぼくと変わらない身長のままで外見の年を止めていたぼく。
 今のハーレイが「育っても何もいいことが無いから育たずに止めていたんだろう」と言ってた、前のぼく。
 その前のぼくは、アルタミラから脱出した直後が一番の成長期。背がぐんぐんと伸びて顔からも幼さが消えて、すっかり大人。
 ソルジャーと呼ばれるようになるよりも前に、ぼくは自分の年齢を止めた。
 今の身体が一番健康だろうと、使いやすい強い身体であろうと獣のような勘が働いたから。
(そうそう倒れていられないしね?)
 虚弱体質でも頑張らないと。無理の利く身体を手に入れないと…。



 前のぼくの外見の年は止まったけれども、ハーレイたちの年は止まらなかった。
 実年齢は前のぼくよりずっと若かったくせに、年齢を重ね続けていったハーレイたち。どうして止めようとしなかったんだろう、と手繰った遠い日の記憶の向こうで聞こえた声。
「あんたが若い分、あたしたちが踏ん張って睨みを利かせないとね」
 そう言ったのはブラウだった、と思い出した。
 若い姿だと新しい仲間が加わった時に舐められるからと、威厳を保つには年相応の姿が要ると。
 エラも同意見で、ハーレイたちも似たような意見を唱えたと記憶している。有言実行とばかりに年齢を重ね、年を取っていった後の長老たち。
(…すると…)
 ブラウが「こんなものだろ」と外見の年を止めた頃。エラも一緒に止めてしまったから、あまり老けたくない女心と、女同士の連帯感ってヤツなんだろう。
(ハーレイもそうだ…)
 それから間もなく止めたのだった、と蘇った記憶。
(…やっぱり見た目が大切だった?)
 ブラウとエラが止めた以上は、もういいだろうと考えたのか。
(ホントは老けたくなかったのかもね?)
 今のハーレイとはちょっと違って…、と考える。今のハーレイはもっと老ける予定だったから。
(前のハーレイが止めてくれてて良かった!)
 ハーレイのことは大好きだけれど、あの姿が好き。今の姿をしたハーレイが好き。
 前のハーレイの姿があれで良かった…、と恋人が年を取らなかったことに感謝したけれど。



(…外見と仕事のバランスだったよ!)
 唐突に浮かんで来た記憶。遠い遠い昔、まだ青の間ではなかった頃のぼくの部屋。白い鯨はまだ出来ていなくて、ぼくの部屋が仲間たちの部屋とあまり変わらなかった頃。
 ブリッジでの仕事を終えたハーレイが其処を訪ねて来て、訊かれたのだった。
 もう少し威厳を出すべきか否か、と。
 自分としては今の姿で充分だと思うが、もう少し年を取るべきか、と。
 シャングリラの操船に関しては体力的にはまだまだ余裕があるから、まだ年を取れる、と。
「そう? でも、シャングリラを動かす人は若い方がいいんじゃないのかなあ?」
「些か年を取りすぎましたか?」
「そうじゃなくって、今の姿で充分だってこと」
 今よりも老けたら心配になってくると思うよ、若い仲間たちが。
「そうでしょうか…?」
「うん。見るからにきびきびと動けそうな身体を残しておくべきだよ」
 キャプテンに任せておけば安心、と誰もが思える身体と年齢。
 今で充分、威厳はあるから。



(…ハーレイの年、ぼくが決めちゃった?)
 分かりました、と答えたハーレイはそれっきり年を取らなかった。
 前のぼくが良しとした外見のままで、年を取るのをやめてしまった。
(あの時、無責任に答えていたら…)
 ハーレイは老けちゃっていたんだろうか、とブルッと震えた。
 今のぼくなら「止めて」と泣いて頼み込むと思う、ハーレイの年。年齢に応じて老ける外見。
(だけど…)
 あの頃のぼくはまだハーレイに恋をしていなかったし、していたとしても気付いていなかった。恋人だとは思ってないから、ハーレイが年を取ると言うのを「止めなければ」とは考えない。
 老けていようが気にはしないし、老けたいと言われても止めたりはしない。
 ハーレイがキャプテンとしての姿について訊いて来たから、率直な意見を述べただけ。
(危なかったあ…)
 もしも「君に任せる」と言っていたなら、ハーレイは年を重ねただろう。キャプテンの仕事柄、ゼルやヒルマンほどには老けなかったと思うけれども、あの姿よりは確実に老けた。
 今のハーレイがぼくに出会う前は、そうするつもりでいたように。



(危機一髪…)
 ハーレイが年を取ることについて、恋人としての視点はまるで持たなかった、前のぼく。
 もしもハーレイが老けていたなら同じように恋をしただろうか、と考えたけれど。
 白髪交じりの姿だったら、笑うと目尻に皺が出来る初老のハーレイだったら…。
(…きっと恋をしたよ)
 好きになったよ、と自信を持って答えられる。
 ハーレイの今の姿が好きだけれども、若い頃の姿も好きだった。アルタミラで同じシェルターに閉じ込められてて出会ったハーレイ。ずうっと若かった姿のハーレイ。
 あのハーレイも今のハーレイも同じように好きだし、年を取ったハーレイもきっと好きになって恋をしただろう。白髪交じりで笑うと目尻に皺が出来たりするハーレイでも、きっと…。



(どんなハーレイでも、好きになるとは思うんだけど…)
 薔薇の花びらのジャムが一層、似合わなくなっていただろう初老のハーレイ。
 前のぼくの後ろに付き従って歩く、厳めしい顔の老けたハーレイ。
 そういう姿のハーレイに恋して、恋人同士になっていたなら。
(…今のぼくが再会するのも、老けたハーレイになっちゃってた?)
 ただでも「お子さんですか?」と言われちゃいそうなほどに離れた年。
 今のぼくのパパと殆ど変わらない年のハーレイだから…。
 もっと老けていたら「お孫さんですか?」なんて言われることもあるかもしれない。ハーレイと二人並んで歩いていたなら、手を繋いで一緒に出掛けたなら。
(間違われるのも悲しいけれども、結婚写真だって絵にならないよ…)
 ハーレイに両腕で抱き上げて貰って写真を撮ろうと思っているのに。
 ぼくの憧れの結婚写真が「お爺さんと孫」の記念写真になってしまったら悲しすぎる。
 それは困るし、二人で出掛けて「お孫さんですか?」って訊かれてもショック。
 ハーレイだってショックだろうとは思うけれども、ぼくも絶対、ショックだろうと思うんだ。
 だからハーレイは今の姿が一番。
 白髪も皺も無い、今のハーレイがいいと思うから…。



(前のぼくがいい判断をしたんだよ、うん)
 もし、前のぼくが「今で充分だよ」と言わずにハーレイに任せていたならば。
 ハーレイはゼルやヒルマンと一緒に仲良く老けて年を重ねて、キャプテンとしての限界を感じる年になるまで老けてしまっていたかもしれない。
(ハーレイ、ブラウとエラが年を止めたから訊きに来たのかな?)
 自分もこのくらいにしておくべきかと、年の取り過ぎは良くないだろうか、と。
 そうかもしれない、という気もした。他に動機が全く浮かんで来ないから。
(だとしたら…)
 ぼくはブラウとエラに感謝しなくちゃいけないだろう。
 二人とも女性だったから、「もう充分に威厳はあるだろ」と老けすぎる前に年齢を止めた。若くありたいと願う女性ならではの女心で、お蔭でハーレイも「おじさん」程度の年で止まった。
(あの二人がいなくて、長老が全員、男だったら…)
 老けたハーレイが出来上がっていたかもしれない、と考えてしまって怖くなる。
 無かったとは言えない可能性。老けてしまった初老のハーレイ。
 金色の髪に白髪が混じって、目尻に皺を刻んだハーレイ。
 ともあれ、前のハーレイの外見の年は止まって、今のハーレイの年も止まったけれど。
(…ゼルとヒルマンは何だったんだろ…)
 文字通りの長老だった二人の外見。禿げてしまったゼルと、髭まで真っ白になったヒルマン。
 もう少し、もう少し、と威厳のある姿を追求する内にすっかり老けてしまった結果か、ああいう姿が二人の好みだったのか。
 そういえば一度も訊いてみたことが無かったな、と頭を振って。



(ハーレイ、ひょっとして知ってるかな?)
 ゼルとヒルマンが老けちゃった理由。気になり始めたら凄く気になる。
 訊いてみたいな、と考えていたら、仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。夕食の前にぼくの部屋でお茶を飲みながら、向かい合わせで切り出した。
「ねえ、ハーレイ。…ヒルマンとゼルって、どうしてあんなに老けてたの?」
「長老らしくと言っていたが?」
 やはり威厳が大切だそうだ。長老らしく老けておかねば、と思ったようだぞ。
「じゃあ、ゼルの禿は…」
 仕方がないって諦めてたわけ?
 もっと若い間に年を止めていたら、ツルツルまでは行かなかったのに…。
「個性じゃ、と開き直っていたなあ…」
 これも長老ならではなんじゃ、と飲む度に演説をぶっていたしな?
「…年を止める気、無かったんだ…。禿げちゃうって自分で気付いただろうに…」
「ヒルマンが止めていなかったからな」
 飲み友達とは同じ年恰好でいたいもんだろ、親友だしな?
「それじゃハーレイ、なんで止めたの?」
 ゼルもヒルマンも友達なんでしょ、なんで一人だけ年を取るのを止めちゃったの?
「前のお前が命令しただろ、今の姿で止めておけと」
「…命令したつもりはないけれど…」
 前のぼくが止めていなかったとしたら、どうなってたわけ?
「もちろん老けたさ。あいつらほどには老けられないがな、俺は肉体労働だしな?」
 見るからに老人っていう姿になっちまったら、シャングリラの舵は握れんさ。
 思い通りに動いてくれる身体だからこそ、あの船をちゃんと操れたんだ。
 だが、プラス十年くらいだったら余裕でいけたと今も思うし、そこまでは多分、老けてたな。



(…前のぼく、ホントにいい判断をしてたんだ…)
 まだハーレイに恋もしていなかったくせに、と思ったけれども。
 アルタミラで同じシェルターに閉じ込められた時から、ずっと一緒にいたハーレイ。燃え上がる地獄を二人で走って、幾つものシェルターを開けて回って仲間を助けた。
 脱出した後も、ぼくはハーレイにくっついて歩いて、ハーレイの手伝いなんかもしてた。厨房でジャガイモの皮を剥いたり、「何が出来るの?」ってフライパンやお鍋を覗き込んだり。
 そのハーレイに置いてゆかれたくなくて、「もう年を取るな」と言ったかもしれない。
 ぼくとの見た目の年の差が開きすぎるのが嫌で、そう言ったのかも分からない。
(…どうなんだろうね?)
 キャプテンは若い方がいいよ、と言ったぼく。
 今の姿で充分だよ、とハーレイの問いに答えたぼく。
 深くは考えていなかったけれど、自分でも気付かない意識の奥底では「置いていかないで」って叫んでいたかもしれない。
 年を取って離れて行かないでと。
 ぼくと年の差が開き過ぎた姿になってしまって、ぼくを独りぼっちで残さないで、って…。



 案外、ホントの所はそうだったかもね、と苦笑してたら、ハーレイが「どうした?」って訊いてきたから。
「…ううん、前のぼく、とてもいい命令をしたんだなあ、って」
「はあ?」
 何のことだ、って怪訝そうにしているハーレイ。
 ぼくの大好きな今のハーレイ。ぼくよりはずっと年上だけれど、白髪も皺も無いハーレイ。
 この姿のハーレイで本当に良かった、と心の底から思うから…。
「…あのね、ぼくは今のハーレイの姿が好きだからだよ、ただそれだけ」
 老けたハーレイじゃなくて良かった、って思うんだ。
 前のぼくが命令したから、年を取るのを止めちゃったんでしょ?
 今度も年を取らないでよ?
 今がギリギリ、前のハーレイそっくりの今の姿でなくっちゃ嫌だ。
 ハーレイが年を取っても嫌いになったりしないけれども、今の姿が大好きだもの。
 これは命令だよ、前のぼくが下した命令は今でも有効なんだよ。



「おいおい、前のお前の命令って…。何年前だと思っているんだ」
 どう考えても時効だろう?
 誰に訊いても立派に時効だ、今の俺まで縛る力は無さそうだがな?
「違うよ、ちゃんと有効だよ」
 今度のぼくも、前のぼくと同じ背丈と年とで止めておくことになるんだから。
 ぼくに前と同じにしろって言うんだったら、ハーレイも守らなくっちゃダメだよ、前と同じに。
 時効なんかにはなりもしないし、させもしないよ、前のぼくの命令。
「お前なあ…。それは絶対、何処に出しても時効なんだと思うがな?」
 だが、前のお前は今のお前と同じなんだし、そうなると時効は有り得んか…。
 とんだ命令もあったもんだな、前のお前が言った時には此処まで引き摺るとは思わなかったぞ。
「ぼくだって夢にも思わなかったよ、時効どころじゃない未来まで有効に出来るだなんてね」
 でも約束だよ、今度もおんなじ姿でなくちゃ。
 せっかく二人で青い地球に生まれて来たんだもの。
 生まれ変わっても、前とおんなじ。
 前のぼくたちの頃と同じ姿で二人一緒に何処までも歩いて行くんだよ。
 手と手を繋いで恋人同士で、ずうっと先まで。
 だから有効、前のぼくの命令。
 今のまんまのハーレイでいてね、絶対に年を取ったりせずに……。




         止めた年齢・了

※シャングリラの長老たちが年齢を重ねていた理由。実はブルーが絡んでいたのです。
 ミュウは若さを保てる種族で、若い姿のままでもいられた筈。老けた理由はこうでした。
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