シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(えーっと…)
こういう時にはなんて言うんだっけ、と考える。確かピッタリな言葉があった筈。
ぼくの机の上、シャングリラの大きな写真集。お小遣いでは買えなかったから、パパに強請って買って貰った豪華版。ハーレイも同じのを持っているんだ、お揃いの大切な写真集。
ぼくとハーレイ、夏休みの最後の日に並んで写した写真も大事な宝物。フォトフレームが同じでお揃い、そっくりなのがハーレイの家にも飾ってある筈。
飴色の木製のフォトフレーム。写真をお互いの手で入れたその日に交換しちゃった、ハーレイが持ってたフォトフレーム。ぼくが写真を入れた方はハーレイが持ってくれている。
そのフォトフレームを飾った机でシャングリラの写真集を開いて見ているわけだけど…。
(ホントになんて言うんだっけ…?)
沢山の写真で編まれた写真集の中、ジョミーの部屋にトォニィの部屋。ぼくの後を継いだ二人のソルジャーが使っていた部屋。どちらも、ごくごく普通な感じ。
二人の部屋は居住区の一角に設けられていた平凡な部屋で、特に広いというわけでもない。他の仲間たちの部屋と違う所は、部屋数くらい。
ジョミーの部屋もトォニィの部屋も、プライベートなスペースとは別に公務用の部屋が作られている。会議室とは違って応接室かな、長老とか各部門の責任者とかを迎えて相談する部屋。時には会食したりもする部屋。
もっとも、写真集には公務用の部屋もプライベートな部屋も、どっちも載っているんだけれど。これがソルジャーの悲しい所で、机が置かれた居間はともかくベッドルームまで大公開。
前のハーレイがトォニィに贈った木彫りのナキネズミが置かれた窓辺も、その横に飾られていたトォニィの初恋の思い出のボトルと一緒に写っちゃってる。アルテラがトォニィに贈ったボトル。宇宙遺産にならなかったから、今は残っていないけど…。
(メッセージが書いてあったんだよね)
アルテラからトォニィへのメッセージ。「あなたの笑顔が好き」って言葉と、ピンクで描かれたハートのマーク。この写真集には載ってないけど、トォニィだけの写真集なら入っている筈。
アルテラはボトルを贈ってから直ぐに死んじゃったけれど、メッセージは有名になって残った。トォニィが大切に想っていた人の言葉だから。
このメッセージをアルテラが書いた文字ごと写したグリーティングカードも売られているんだ。女の子が好きな男の子へのプレゼントに添えたりするのに買って使っている定番。
トォニィはアルテラのメッセージを残したかったんだろうし、きっと喜んでいると思うけど…。そのボトルが写った写真が残っているのも、きっと嬉しいだろうけど…。
(でも…)
トォニィのベッドルームの写真は、分厚い写真集の中に一枚きり。ジョミーも同じ。他の部屋は別の角度から写した写真があったりするけど、ベッドルームは一枚だけ。
(二人とも一枚だけなのに…)
ベッドルームばかりを何枚も載せられてしまっている、前のぼく。
青の間と言えばこれだとばかりに、天蓋付きのベッドが置かれた空間の写真が幾つも、幾つも。スロープの下から仰ぐ形だったり、逆に奥からの眺めだったり。何通りも写してあったけれども、何処かにベッド。
行けども行けどもベッドばかりで、その奥にあった小さなキッチンやバスルームなんかは載ってない。それは当然、普通だと思う。ジョミーやトォニィだってバスルームの写真は無いんだから。
そういった本当にプライベートな空間を除外してくれたことには感謝してるし、文句を言おうと思いはしない。青の間の写真がベッドだらけでも、構造上、仕方ないとは思う。
ただ…。
(前のぼくの部屋だけ、特大なんだよ!)
ジョミーやトォニィの部屋とは比較にならない、とてつもなく広かった前のぼくの部屋。
ただ広いっていうだけじゃなくって、巨大な貯水槽のように満々と水を湛えていた部屋。あんな部屋は他に一つも無くって、そのせいで余計に写真が多い。
水と、暗めの照明と。まるで深い海の底みたいに見えるし、神秘的とも思えるビジュアル。青の間の写真はとても人気が高くて、ぼくが持ってる写真集でも見開きのページがあるくらい。
(だけど…)
青の間がシャングリラの貯水槽を兼ねた部屋だった、っていうんだったらマシだけれども、青の間のためだけに存在していた貯水槽。
前のぼくのサイオンが水と相性が良かったから、というだけの理由で作られてしまった超特大の部屋と貯水槽…。
(…無用の長物…)
それだ、と閃いた、ぼくが探していた言葉。なんだったっけ、と探してた言葉。
青の間をズバリと示す言葉で、ピッタリの言葉。「無用の長物」。
そうとしか言えない、前のぼくの部屋。未だに人気の青の間だけれど、まさに無用の長物だった部屋。無駄に広くて、大きかっただけ。おまけに巨大な貯水槽つき。
(ホントのホントに無駄だったんだよ!)
前のぼくが死んでしまった後には、誰もこの部屋を使わなかった。長老たちを集めて会議とかをするのに使われはしても、誰も住もうとはしなかった。ジョミーも、その次のトォニィも。
二人とも普通の部屋を使って、何の不自由も無かった証拠が写真集の中の二人の部屋。青の間は次のソルジャーの部屋にはならずに、前のぼくの部屋のままだった。
お蔭で、余計に人気の青の間。伝説のタイプ・ブルー・オリジン、ミュウの初代の長が暮らした青の間。ソルジャー・ブルーだけのための部屋。
(ジョミーもトォニィも、あそこに引っ越してはくれなかったし…)
なんで作ってしまったんだろう、こんな無駄な部屋。
前のぼくにしか意味のない部屋、無用の長物としか言えない青の間。
(…そもそも意味はあったんだっけ?)
あのデカイ部屋、と考える。遠い記憶を手繰ってみる。
青の間の象徴とも言える、水を満たした貯水槽。前のぼくのサイオンを増幅するための設備だと説明されたけれども、ぼくには水なんか必要無かった。あそこに水が張ってあろうと、水が無くて空っぽになっていようと、前のぼくには関係なかった。
あれだけの水を使ってサイオンを増幅しているのだ、とシャングリラの仲間たちは信じて疑いもしなかったけれど、実際、どうだか…。
(ほんのちょっぴりだったと思うよ)
寝ている間も楽にシャングリラを守れるようにと作った増幅装置だ、と発案者だったゼルたちは唱えていたけれど。シャングリラのみんなも信じていたけど…。
前のぼくがあの水の力を借りていたとしても、ほんのちょっぴり。
ぼくにしてみれば、水無しの状態で同じ量のサイオンを使ったとしても、違いは息を余計に一回するかしないか程度でしかない。それも一日で息を一回、たったそれだけくらいの違い。
一日に何回息をしたかなんて数えていないし、数えもしない。息をたったの一回分。
ハーレイを驚かせようとして瞬間移動で追いかける方が、よっぽとサイオンを消費していた。
(それに寝ていた間だって…)
眠っている間も、シャングリラ中にサイオンの糸を張り巡らせていた前のぼく。
シャングリラを守るためにとやっていたけれど、呼吸と同じで自然なこと。一度サイオンの糸を張ってしまえば、無意識の内に維持出来たから。特に力は要らなかったし、疲れもしない。大量の水の補助が無くても、全然平気。
(昏睡状態だった時でも、多分…)
アルテメシアを脱出した後、前のぼくが十五年間も眠っていた間。
ぼくのサイオンはシャングリラを守れる状態ではなかったけれども、キースが逃げ出した騒ぎで目覚めた所からして、サイオンの糸は細く張り巡らせたままでいたんだろう。自分でさえ気付いていなかったけれど、そうでなければ目覚めない。
その糸を張ったままで眠っていた、ぼく。十五年間も深く眠っていた、ぼく。
水があったから楽に眠れたとか、助かっただとか。そんな感覚は何処にも無かった。サイオンの糸を維持しておくのに水の力は借りずに眠っていたんだと思う。
だって、元から使ってないから。借りる習慣が無かった力を無意識の内に借りたりはしない。
(そんな方へ意識を向けられるんなら、眠ったままにはなっていないって!)
つまりはホントに無用の長物、あんな部屋はぼくには必要無かった。
巨大な貯水槽付きの青の間なんかは、本当に要らなかったのに…。
それなのに出来てしまった青の間。作られてしまった、特大の部屋。
(言い出しっぺは…)
ゼルだったかな、と遠い記憶を探ったけれども、ヒルマンだった?
ひょっとしたらエラってこともあるかもしれない。エラはやたらと礼儀作法にうるさかったし、前のぼくへの言葉遣いでハーレイたちを叱っていたから。敬語を使え、って何度も、何度も。まだシャングリラが名前だけの時代、ぼくがソルジャーと呼ばれ始めた頃に。
ハーレイたちが敬語で話さないといけないソルジャー。それが前のぼくについた肩書き。本当は尊称と言うんだろうけど、要は肩書き。
ぼくはリーダーで充分だろうと思っていたのに、それじゃ話にならないらしい。いろんな部門にリーダーは居るし、何処のリーダーだか分からないから、ってことでソルジャー。
そのソルジャーに相応しく大きな部屋を、と言われたんだ。
まだ名前だけの楽園だったシャングリラという船。アルタミラから皆で脱出した船。元は人類の持ち物だった船を、白い鯨へと改造することが決まった時に。
一度改造の話が決まると、次から次へとプランが出て来た。自給自足で生きてゆくために必要な設備や空間だけじゃなくて、展望室だの、公園だのと。
どうせやるなら徹底的に、とプランは生かすことにした。前のぼくたちの世界はシャングリラの中が全てだったし、其処しか生きる場所が無いなら、名前通りの楽園にしたかったから。
うんと大きな船に造り替えて、公園も一つじゃなくて沢山。広い公園は一ヶ所あればいいけど、他にも憩いの場所を幾つも。居住区の部屋の窓から眺められるよう、幾つも幾つも。
展望室や今よりも広い食堂、子供たちが遊ぶための部屋。学習するための部屋も作らなくては。
そんな調子で色々と増えて、一つ決まるとまた一つ増えて…。
来る日も来る日も会議に集会、そうして決まってゆく新しいシャングリラに出来るもの。
(プラネタリウムまで作ろうってことになっちゃったもんね)
まだ見ぬ地球の夜空にあるという星座を投影して眺められる部屋。天体の間って名前までが先に出来上がっていて、作りたいと願っている仲間が沢山。
天体の間は集会室として使えそうだから、とゴーサインを出したぼくだけれども、自分の部屋については渋った。ソルジャーに相応しく大きくしようと言われても困る。
(寝る部屋があったら充分なんだよ)
ベッドルームがあればそれで充分、机だって其処に置けばいい。
どうしてもと言うならキャプテンの部屋と同じ程度で、と申し出を何度も断ってたのに…。
(頑固なんだよ、ゼルたちは!)
広い方がいいと、ソルジャーの部屋らしくするとゴネられた。
ソルジャーなんて御大層な尊称とやらと、マントまでくっついた立派な、仰々しい服と。
この二つだけでも大概だって思っているのに、部屋まで大きくしようだなんて…。
(ぼくに祭り上げられる趣味は無いから!)
ソルジャーなんです、と威張り返るより、普通が良かった。みんなと同じでいたかった。
だけど反対すればするほど、向こうも意地になって反撃するから。
ああだこうだと理屈を述べたり、SD体制よりもずっと昔の「前例」とやらを持ち出したりと、うるさく攻撃してくるから。
ぼくはすっかり疲れてしまって、もうキャプテンに任せると言った。
ハーレイがそれでいいと言うならそれにしておけ、と。
そうしたら…。
「ソルジャー、少しお話が」
ハーレイがぼくの部屋へとやって来た。ブリッジでの仕事が終わったんだろう、夜だったから。宇宙船の中では昼も夜も無さそうって感じだけれども、前のぼくたちはちゃんと決めていた。
まだアルテメシアには着いていなかった頃で、窓の外は真っ暗な宇宙空間。それでも昼と夜とを作ろう、って銀河標準時間で決めた。地球を基準とする二十四時間、一年は三百六十五日。それに合わせて船内の照明の明るさを変えた。昼は明るく、夜は暗めに。
個人の居室以外のスペースや通路の明かりが暗くなる、シャングリラの夜。
その暗い通路を歩いて来たハーレイを部屋に通して、来客用の椅子に座って貰って、熱いお茶を淹れた。シャングリラ産の紅茶はまだ無かったから、合成の粉末をお湯で溶いた紅茶。
ぼくの分も淹れて、ハーレイに紅茶のカップを渡して。「何の用だい?」と尋ねたら、出て来た図面。テーブルの上に部屋の設計図。
「…なに、このだだっ広い部屋?」
それが最初の感想だった。何に使うのか見当もつかない、やたら広そうな謎の空間。
「仮名称は「青の間」ですが」
「ふうん? この部屋は何に使うんだい?」
名前よりも目的が気になった。だだっ広い部屋の使い道。なのにハーレイの答えときたら。
「そのままですが」
「……そのままって?」
意味が分からないからオウム返しに訊くしかなかった。
「青の間ですから、ブルーです。あなたの名前をそのまま付けては失礼だと、エラが」
ぼくの名前を部屋の名前にして、どうするんだろう。どういう意味があるんだろう?
これまた全然分からないから、もう一度訊いた。
「それで、何のために使う部屋なんだい?」
「ですから、あなたの部屋ですが」
「ぼくの部屋!?」
ガチャンとカップが割れなかっただけマシ。
ぼくの声は完全に引っくり返って、目は真ん丸になってたと思う。
広すぎるどころか、集会室で通りそうな部屋。この広い部屋がぼくの部屋だなんて…!
零れ落ちそうなほどに見開いてた目をパチパチとさせて、図面を見直したけれど。
設計図がそれで変わる筈もなくて、青の間とやらは巨大なまま。
「どうしてこんなに大きいわけ?」
「任せると仰いましたので…」
ハーレイの答えに嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感に声が震えた。
「まさか、この部屋…」
「既に資材の調達に入っております。本日は着工前の御報告をしに参りました」
任せたぼくが馬鹿だった。話はとっくに決まってしまって、ぼくに拒否権なんかは無い。とうに手遅れ、後の祭りと言うべきか。
仕方ないから、馬鹿でかい部屋の設計図を子細に見ることにした。今からでも変更可能と思える部分があったら、少しでもマシに。少しでも普通の部屋らしく…、と。
(どういうセンスの部屋なんだろう、このスロープ…)
入口から緩やかな螺旋を描くように上へと伸びたスロープ。その先端に設けられた場所にぼくの寝室やバスルームなんかを作る仕様になっていた。
そんな高い所に寝室とかを作ってどうするんだと、意味があるのかと尋ねてみたら。
「水だって!?」
「はい」
この高さまでは水が入ります、そう設計をしております。
もちろん人工重力で制御しますので、船体が傾くことがあっても溢れることはございません。
ハーレイの指が「此処までです」と示す所に、言われてみれば印が付けられていた。
「これだけの水って…。ぼくは新しい貯水槽の番人を兼ねているってわけ?」
「まさか。あなた専用の貯水槽です」
あなたのためだけに満たす水です、此処だけで循環させることになります。
「魚でも飼えと!?」
「そのように出来てはおりませんが…」
お望みでしたらそのように、と大真面目に言われて慌てて止めた。
部屋で魚を飼う趣味は無い。魚を見るのは好きだけれども、部屋で飼おうとは思わない。
(でも…)
巨大すぎる貯水槽を備えた部屋なら、有効活用すべきだろう。シャングリラの他の部分の役には立たない水だと言うなら、なおのこと。
シャングリラで食べる魚の養殖施設に、と考え直して修正案を出しておいたのに。
「却下された!?」
「はい。ソルジャーのお部屋で養殖などとは、恐れ多いかと…」
ゼルたちは却下してくれた。ぼくは懸命に譲歩したのに、歩み寄る代わりに蹴飛ばしてくれた。
シャングリラの仲間たちの役に立つなら…、と魚を飼おうと提案したのに。
「それじゃこの部屋、どういう意味が!」
こんなに沢山の水を満たして、船の役にも立てないで…。
貯水槽でも養殖施設でもないと言うなら、この水に何の意味があると!?
「あなたのサイオンの増幅用です、一種の増殖装置です」
水と相性が良くていらっしゃいますから、これだけあればソルジャーのお役に立つかと。
「意味ないよ!」
ぼくのデータはキャプテンの君も持ってる筈だよ、分かるだろう?
相性がどうこうと言うのは誤差の範囲に収まる程度の数値で、大した意味は無いってことが。
ぼくに大量の水を渡した所で、ぼくのサイオンが高まるわけではないってこと…!
「ですが、ソルジャー…」
船の皆には、心の拠り所が必要ですので。
ソルジャーが船を守って下さる、ソルジャーが此処にいらっしゃる、という安心感。
そのソルジャーがお住まいになる部屋というわけです、この青の間は。
演出です、とハッキリ口には出さなかったけれど、本当の所はそういうこと。
とにかく青の間はこけおどしだった。
船の仲間たちを安心させるためだと言ってはいたけど、どうなんだか…。
ソルジャーの威厳を高めようとか、そういう気持ちも入っていたことは間違いない。あの部屋を押し付けて来た面子の中には、エラも混ざっていたんだから。
(ソルジャーには必ず敬語で話せ、ってハーレイたちを叱っていたしね)
ぼくのサイオンは水と相性がいいから、と強引にこじつけて作られた青の間。
あんな貯水槽、必要無かった。大量の水には意味が無かった。
要は一種の舞台装置で、ソルジャー・ブルーを、前のぼくを派手に演出するためのもの。
青の間の住人はとても凄いと、これだけの水を操ってシャングリラを常に守っているのだと。
ところがどっこい、あの水にはそんな力も無ければ、ぼくの役にも立たなかったわけで…。
(ジョミーもトォニィも、絶対それに気付いてたんだよ!)
同じタイプ・ブルーの二人だったら見抜けただろう。青の間を満たす水には何の意味も無いと、ただのこけおどしで演出なのだと。
気付いてしまえば、あんな部屋に住む必要は無い。あんな巨大な部屋も要らない。
ジョミーやトォニィのサイオンが何と相性が良かったのかは知らないけれども、相性が良くても誤差の範囲内。その物質を満たした部屋など作るだけ無駄、作っても無駄。
(だから二人とも、青の間も継がずに、別の部屋だって作りもせずに…)
居住区の普通の部屋に住んでいた、二人のソルジャー。
ちょっと部屋数を増やしただけの場所を居室にしていた、二人のソルジャー。
ジョミーもトォニィも特別な部屋を作らないままで終わってしまって、青の間だけが残された。
お蔭で青の間は今も人気が高くて別格、前のぼくだって特別扱い。
青の間を専用の部屋にしていた初代の長で、伝説のタイプ・ブルー・オリジンと言われる有様。
そこまで凄くはないって言うのに、青の間は勝手に一人歩きをしてしまった。
ソルジャー・ブルーの威厳を高める部分だけが今でもキッチリ生きてる。
白いシャングリラが無くなった後も、青の間の主は偉大なソルジャーだった、と宣伝しながら。
(あんな部屋を作ってくれたからだよ!)
初代のソルジャーだったことや、メギドを沈めたことは本当だから何も言わないけれど。
青の間に関しては嘘八百だって分かってるから、ぼくは恥ずかしくてたまらない。演出だなんて言えやしないし、もう、どう言ったらいいんだろう…。
(褒められたって困るんだけど…!)
前のぼくはなんにもしちゃいない。青の間を何にも役立てちゃいない。
せめて魚の養殖だけでもしていたなら…、と思うけれども、今となってはどうにもならない。
よくも、と赤っ恥をかかせてくれた部屋の写真を睨み付けても、犯人はみんな逃げてしまった。前のぼくに青の間を押し付けたみんなは遥かな時の彼方へと逃げた。
今のぼくなんかは知らないよ、とばかりに何処かへ行ってしまった。
(ホントのホントに大恥なんだよ…!)
青の間に何の意味も無かったことにはジョミーとトォニィしか気付かなかっただろうし、ぼくが喋らなければバレはしないと思うけど…。
シャングリラはもう無くなっちゃったし、永遠にバレはしないだろうけど…。
だけど自分が恥ずかしい。
あんな大きな部屋を独占して、前のぼくがやっていたことはといえば…。
(ハーレイと…)
あの部屋で、あの部屋のベッドで、こそこそと逢瀬。
夜はベッドで二人で眠って、翌朝は何食わぬ顔をして二人で朝食。ソルジャーとキャプテンとの朝食会だという名目を掲げて、二人で仲良く食事をしていた。
誰も気付かなかった恋人同士。誰一人として気付きはしなかった恋人同士…。
(…ハーレイと暮らしていただけだなんて…!)
もう本当に恥ずかしすぎる、と両手で顔を覆った所で気が付いた。
(残ってたよ…)
そうだ、一人だけ残っていた。
前のぼくに赤っ恥をかかせてくれた、青の間を作った犯人の一人。
ゴーサインを出したキャプテン・ハーレイ。
生まれ変わって来たからキャプテンじゃないけど、ハーレイはちゃんとこの地球に居た。
(ハーレイは逃げ場が無いんだよ)
ぼくの恋人だから逃げようがない。
前の時はゼルたちと連帯責任で一人じゃないから知らんぷりを決め込んでたけど、今度はぼくの前にはハーレイだけしかいないんだ。
それに結婚して、何処までも一緒。二人一緒に暮らすんだから…。
(思いっ切り文句を言わなくっちゃね)
一生ネチネチ言ってやろうか、と思ったんだけど。
言ってやろうと決心しかかったけれど、ちょっと待って。
もしも青の間のことでぼくが文句を言ったなら…。
(…復讐される…?)
ぼくはハーレイと結婚予定で、いつかはハーレイのお嫁さん。
ハーレイと一緒の家に住んでるお嫁さん。
つまりハーレイがその気になったら…。
(今度こそぼくの部屋がメチャクチャ!?)
シャングリラに居た頃の青の間よりも酷い結末になるかもしれない。
お姫様みたいな部屋にしてやろう、ってフリルだらけで壁紙も家具もそれっぽくとか…。
決定権は家の持ち主のハーレイにあるし、「模様替えだ」って言われちゃったら断れない。
どんなに凄い部屋にされても、「ありがとう」って笑って御礼を言うしかない。
(…………)
復讐は困る。とっても困る。青の間なんかより、もっと、ずっと、困る。
だけどハーレイには実行するだけの力がある上、お嫁さんのぼくには断れない。
(…青の間の文句、下手に言ったら、ぼくはおしまい…?)
青の間を前のぼくに押し付けた犯人は一人だけ、今も存在してるんだけれど。
仕返しが怖いから、何も言えない。
言いたくっても、仕返しが怖い。
前のぼくより立場が弱そうな、今のぼく。
だから今度は祈るしかない。
神様、どうか結婚した後、ハーレイがとんでもない部屋をぼくに寄越しませんように…。
無用の青の間・了
※実はこけおどしだった青の間。ソルジャーの偉さを強調するための演出とも言います。
けれど、押し付けられた文句を言おうものなら…。結婚した後のブルーの部屋が大惨事かも。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(うーん…)
未だにこうか、と新聞を眺めて大きな溜息。学校から帰って、制服を脱いで、おやつの時間。
ママが「どうしたの?」って訊くから、「これ!」って指差したら、「あらまあ…」と笑顔。
「ブルー、きちんと載ってるじゃないの」
「そうだけど…」
「昔からこうねえ、王子様よね」
だけどブルーは小さすぎね、とママはクスクス笑ってる。
「もっと頑張って食べなさいよ? でないと王子様になれないわよ?」
「分かってるけど…」
「ママは小さくてもかまわないのよ、今の可愛いブルーも好きだし」
ゆっくり大きくなりなさいな、と言ってくれるママはとても優しい。ぼくの背が百五十センチのままで止まっちゃってても、叱るどころか可愛がってくれる。パパだって同じ。
二人揃って、そういう子供のための上の学校へ行くといい、って本気で思っていてくれる。
でも…。
(ぼくは上の学校へ行くより、ハーレイと結婚したいんだけどな…)
それなのに伸びない、ぼくの背丈。前のぼくと同じ背丈にならない限りは、ハーレイはキスさえ許してくれないのに…。
(この顔にならないと結婚も無理?)
駄目だ、溜息が倍になりそう。ママは勘違いをしているらしくて、「いいじゃないの」と新聞を覗き込んで来た。
「人気があるのはいいことよ? だけど…」
今度のブルーはどんな王子様になるのかしらねえ、と前のぼくの写真とぼくとを見比べてから、ママはダイニングを出て行ってしまって、残されたぼく。
溜息の元の新聞と一緒に、おやつのケーキのお皿と一緒に置いて行かれてしまった、ぼく。
(あーあ…)
前のぼくの写真が載ってる新聞。お堅い記事とは全然違う。娯楽のためのコーナーかな?
女の子向けのお遊びの一種、簡単な質問に答えていくと似合いの恋の相手が分かるというヤツ。どんなタイプが向いているか、って説明と一緒に挙げられる例。
童話の主人公のことも多いけれども、それに負けないくらい前のぼくたちも引っ張り出される。ちゃんと写真が残っている上、遥かな昔の英雄だから。うんと人気の人物だから。
(今日もそっちかあ…)
こうした時に登場するのは前のぼくとジョミーとキースと、それからトォニィ。この四人が必ず載せられることになってて、たまにマードック大佐が入る。場合によってはマツカも加わる。
(だけど…)
絶対に入ってこないハーレイ。今のハーレイじゃなくて、前のハーレイ。
何度眺めてもハーレイが入ってないのが悔しい。
この手のヤツには絶対にハーレイが入ってないんだ、前のぼくの王子様なのに。
キャプテン・ハーレイは前のぼくの恋人で、大切な王子様だったのに…。
(ぼくが王子様っていう扱いなんだよ!)
いつも、いつだって王子様な枠に分類されてる前のぼく。
フィシスを連れていたせいなんだろうか、「白馬の王子様」って扱いをされてる前のぼく。
挙げられる例が童話の方なら、王子様が載ってるポジションに置かれる前のぼく。解説にだって「王子様」の文字がしっかりと入る。
(分かりやすくっていいんだろうけど…)
女の子たちがドキドキしながら読んでいく分には、王子様でもいいんだけれど。
ジョミーやキースたちにはコレっていうお決まりの言葉が無いのが引っ掛かるけど、その辺りは今のぼくにはどうしようもないことだから。「なんで、ぼくだけ?」って文句を言えはしないし、王子様扱いについては諦めてるけど…。
(それは諦めがつくんだけれど…)
納得がいかない、理不尽な事実。今日の新聞にも突き付けられた現実。
王子様のぼくが恋したハーレイ。前のぼくが愛したキャプテン・ハーレイ。
なんだって此処に入らないのか、どうして入っていないのか。
マードック大佐もマツカも枠を持っているのに、何故ハーレイの枠を設けてくれないのか。
(いつもなんだよ!)
いくら眺めても出て来てくれない、ハーレイの枠。本当にいつも、いつだって、そう。
毎回、腹が立ってくるから、今日もバサリと新聞を投げた。
閉じるだけでは収まらないから、乱暴に閉じて畳んで、投げた。
前のぼくの王子様を全く載せないだなんて、絶対、何かが間違ってるから!
ケーキのお皿と紅茶のカップをキッチンに居たママに渡して、階段を上って部屋に帰った。でも収まらない、ぼくの胸の中。
(うー…)
コロンとベッドに転がったけれど、まだ腹が立つ。どんどん腹が立ってくる。
あの手の女の子向けのお遊びの記事が次から次へと浮かんでくるから。幾つも幾つも思い出してしまって、全然消えてくれないから。
(あんなの、読むんじゃなかったよ…)
女の子向けの記事なんだから、読まずに放っておけばよかった。後悔先に立たずだけれど。
前世の記憶が戻る前には、「面白いな」とよく見てたんだ。
だって、質問に答えていったら「あなたにはこんなタイプが似合います」って出るんだもの。
つまりは自分がやっていたわけで、大抵はキースだったと思う。
(当たらないんだよ、ああいうのは!)
このぼくに、キース。
キースが前のぼくに何をしたかは放っておいても、好みじゃない。
あんなのは絶対に好みじゃないのに、辿り着いた答えは圧倒的にキースが多かったような…。
(ハーレイが入ってなかったからだよ!)
そうに違いない、と記事を作る人たちのせいにした。
もしもハーレイの枠を作ってくれていたら、ぼくは真っ直ぐハーレイに辿り着けたんだ…。
絶対に入っていないハーレイ。枠さえ作って貰えないキャプテン・ハーレイ。
それなのに必ず王子様扱い、不動のポジションを誇るソルジャー・ブルー。
前のハーレイと前のぼくの扱いの違いは酷過ぎる。
ああいう記事を作る人たちは、なんて見る目が無いんだろう。
王子様な前のぼくが一目惚れ……だかどうかは知らないけれども、心の底から好きだった人。
生まれ変わって来てからも好きで、大好きでたまらないハーレイ。
そのハーレイを数に入れないだなんて、つくづくどうかしていると思う。
目が節穴と言うか、まるで分かっちゃいないと言うか。
(ホントのホントに腹が立つったら…!)
ぼくのハーレイの枠が無いなんて、と怒鳴り込みたい気分になる。
ハーレイよりも素敵な人なんかいない。ハーレイが誰よりも素敵で、大好き。
でも……。
(…薔薇のジャムが似合わないハーレイだっけ…)
シャングリラの女性クルーが趣味で作っていた薔薇の花びらのジャム。
量が少ないのに人気だったから、作る度に希望者がクジ引きをしてた。クジを入れた箱を抱えた女性クルーがシャングリラ中を回っていたのに、箱が素通りしていたハーレイ。
ブリッジではゼルもクジを引くのに、ハーレイの前では一度も止まらなかったクジ入りの箱。
(声を掛けなかったハーレイだって悪いんだけど…)
ぼくは女性クルーの「キャプテンには似合わないわよね」っていう心の声を知っていた。薔薇の花もジャムも似合いそうにないと、そういうタイプの人間じゃないと。
だけど彼女たちは、ぼくには薔薇が似合うと思っていたんだ。薔薇のジャムだって似合うからと作る度にプレゼントしてくれた。クジなんか引かなくっても貰えた。
そのぼくがハーレイを愛していたのに、薔薇のジャムのクジ引きはハーレイ抜き。クジの入った箱は決して、ハーレイの席の前で止まりはしなかった。
(…シャングリラでもハーレイって枠の外だったよ…)
あの頃から見る目のない人ばかりが揃っていたんだろうか、と情けなくなる。
ハーレイに憧れていた女性というのを全く知らない。誰一人として記憶には無い。
(憧れてたのは男性だよね?)
小さな子供から、大人まで。ハーレイに憧れていた男性はとても多かった。
(多かったんだけど…)
前のぼくみたいな恋ではなかった。あくまで憧れ、カッコよくて素敵な憧れの人。
巨大なシャングリラを自在に操り、船の進路を決めるキャプテン。ブリッジで指揮をし、舵を握っていたハーレイの姿に憧れない方がどうかしている。
(みんな、キャプテンのハーレイに憧れてたんだよ!)
もしもハーレイがキャプテンにならずに、元の通りに厨房でフライパンを握っていたら。調理の責任者のままでいたなら、憧れる男性はグッと減ったか、皆無だったか。
(…ぼくはフライパンとお鍋のハーレイでも全然気にしないのに…)
どうしてキャプテンのハーレイでないと駄目なんだろう。
なんでそうなっちゃうんだろう?
ぼくはハーレイしか見えなかったのに。
前のぼくには、ハーレイだけしかいなかったのに…。
ハーレイの他に好きな人なんていなかったよ、と遠い昔の記憶を手繰った。
フィシスは女性だから数に入れずに、男性限定で考えてみた。前のぼくが誰をどう思ってたか。
(やっぱりハーレイしかいないんだけど…)
前のぼくが恋をしてた人。前のぼくが大好きだった人。
それなのに今じゃ、お似合いの恋のお相手の例にも挙がってこないハーレイ。ああいった記事に顔を連ねる面々は決まっているんだけれども、前のぼくは誰も何とも思っていなかった。
(ジョミーはほんの子供だったし、トォニィはもっと小さかったし!)
キースなんかは論外だよ、と言いたい気分。
(…今のぼくなら…)
ジョミーをかっこいいと思うだろうか、と金色の髪の青年の姿を思い浮かべて「ううん」と首を左右に振った。英雄になったジョミーに出会ったとしても、ぼくの心は惹かれはしない。
トォニィも…。ソルジャーを継いだ大きなトォニィが目の前にいても、やっぱり要らない。
(えーっと、キースは…)
記事の定番の写真はナスカに来た頃の若かったキース。前のぼくを撃ったことは除外したって、ぼくはキースに恋したりしない。女の子向けの質問に答えた時に出て来た回数は多かったけれど、「気が合いそうだな」って考えただけで、好みだとは一度も思わなかった。
マードック大佐もちょっと違うし、マツカはちょっぴり頼りない。
(断然、ハーレイが一番なのに!)
なんで誰一人として、ハーレイに目をつけてくれなかったんだろう。
誰よりもかっこ良かったハーレイ。前のぼくが恋をしたキャプテン・ハーレイ…。
目が節穴な人たちばかりだ、とベッドに転がったままで怒り続けて。
怒りを通り過ぎてしまってふて腐れていたら、ハーレイが仕事帰りに寄ってくれたから。ぼくの部屋で夕食の前のお茶を飲むことになって、向かい合わせで座ったから。
「ねえ、ハーレイ。腹が立たない!?」
「はあ?」
ポカンと口を開けたハーレイ。
いけない、大前提ってヤツが綺麗に抜け落ちていた。それほど怒っていたんだろう。
「えーっと…。今日の新聞に載ってたんだけど…」
ぼくは例の記事の説明と、ぼくの怒りとをハーレイに真正面からぶっつけて。
腹が立たないのかと訊いたんだけれど、ケロリと返って来た答え。
「そんなのは昔からだろうが」
シャングリラの頃からの伝統だ、うん。
前のお前は大人気だったが、俺はキャプテンの肩書きが無けりゃ誰も寄っては来ないってな。
「だけど…!」
酷いよ、みんな見る目が無さすぎだよ!
ぼくはハーレイが好きだったんだし、ハーレイは素敵だったんだよ!
「そう来たか…」
ならば、とハーレイは腕組みをしてぼくを見詰めた。
「だったら、お前。…ライバル多数が嬉しかったか?」
「ライバル?」
「恋敵とも言うな、俺に惚れてる女性や、男や」
そういった連中がわんさといる中、ぼくのものです、って威張りたかったか?
ハーレイはぼくのものなんだ、とな。
「もちろんだよ!」
ぼくは勢い込んで答えた。
ハーレイを好きな人が沢山いる中、ハーレイはぼくを選んでくれたんだから。
大勢の中から選ばれたなんて、幸せすぎて威張らないではいられない。
腕を組んで、ハーレイにくっついて。
ぼくのものだと、ぼくのハーレイだと自慢せずにはいられない。
そうしてハーレイにキスして貰って、それから、それから…。
なんて幸せなんだろう。ハーレイを好きな人が大勢いるのに、ぼくを選んで貰えたなんて。
素敵だよね、と夢を見ていたら、ハーレイが「ふむ…」と顎に手を当てて。
「ライバル多数も大歓迎、というわけか」
「うんっ!」
「なるほどなあ…。しかしだ、お前、大事なことを忘れていないか?」
ソルジャーがそういう宣言、出来るか?
前の俺がお前を選んだってな、お前はソルジャーだったわけだが。
「あっ…!」
前のぼくの立場を忘れてた、ぼく。ソルジャー・ブルーだった、前のぼく。
ハーレイとの恋は誰にも明かせなかった。
ソルジャーとキャプテンが恋人同士だと知れてしまったら、シャングリラに支障を来たすから。今後の進路も、会議の行方も、円滑に進みはしないから…。
「気付いたか、馬鹿」
俺と恋人宣言なんかは出来ないだろうが、内緒なんだぞ?
ソルジャーとキャプテンが恋人同士だなんて言えやしないし、知られるわけにもいかないな。
そうしてあちこちで噂が立つんだ、俺とお前以外の誰かの恋の噂が。
「……嘘……」
なんで恋の噂?
ハーレイはぼくを選んでいるのに、なんでそういう噂が立つの?
「そりゃ立つだろうさ、お前は表に出られないんだし」
俺がお前に決めたってことは、誰にも分からないわけだ。
だから相手を探したくなる。恋人は誰だ、とシャングリラ中で噂が立つ。
ブラウは確実に渦中の人だな、軽口を叩き合ってた仲だしな?
前の俺の身近にいたヤツとなると、エラも危ないし、シドもターゲットになりそうだ。ついでにリオも危ないかもなあ、お前の使いでよくブリッジに来ていたからな。
「…そんな…」
酷い、と無責任な噂に顔を顰めたけど、ハーレイは「事実だろうが」とバッサリ、一言。
「そういった話になっちまうのさ、お前が表に出られない以上」
いくらお前と恋人同士でも、それらしい場面が無いんじゃなあ…。
如何にも偉そうなソルジャーなんかより、ブリッジで一緒のヤツらの方がそれっぽいよな?
俺がコーヒーを渡してやっていたとか、受け取ってたとか。
食堂で飯を一緒に食っていたとか、そうした所を目にしてたヤツらが噂を始める。
いくらでも立つぞ、その手の噂は。
そしてアッと言う間に広がっていくんだ、尾鰭がついてな。
俺にそういう覚えが無くても、誰かの部屋に泊まりに行ったとか、俺の部屋に誰か泊めたとか。そんな噂まで流れ始めるだろうな、何の根拠も無いままで。
そういう状態になっていてもだ、お前は表に出られはしない。
俺は青の間に居たんだと本当のことを言えはしないし、黙って見ていることしか出来ない。
お前、耐えられるのか、その状況に?
(………)
ちょっと想像してみた、ぼく。
ハーレイは間違いなくぼくの恋人で、夜は青の間で過ごすんだけれど。
本当のことを知らない誰かが勘違いをして、其処から広がり始める噂。ハーレイに恋人がいるという噂。それだけだったら、ぼくは我慢が出来ると思う。仕方がないと我慢が出来る。
(…でも…)
ハーレイの恋人だと噂の誰かが、ハーレイと並んで歩いていたなら。
前のぼくはキャプテンだったハーレイを後ろに従えて歩いていたけど、そのハーレイが何処かで恋人と噂される人と二人並んで歩いていたなら…。
普通に隣を歩いているだけの人が恋人に見えてしまうだろう。前のぼくは歩けない、ハーレイの隣。ソルジャーの立場では歩くことが出来ない、ハーレイの隣。其処を親しげに歩く人がいると、まるで本物の恋人みたいに、と。
そう気が付いたら、きっと辛くてたまらない。ぼくは歩けないハーレイの隣。ぼくが立てない、ハーレイの隣。
もう絶対に悔しいし、悲しい。
本当は恋人なんかじゃなくってただの噂だ、と分かっていたって泣くだろう。声を上げて泣いてしまうだろう。どうして隣にぼくじゃないんだと、別の人が歩いているんだ、と。
ううん、泣くだけじゃなくって、悲しくて悔しくて怒ってしまう。
怒りをぶつける所が無くって、ハーレイに当たり散らしてしまうと思う。
どうして並んで歩いていたのかと、ぼくは隣を歩けないのに、と。
みっともないことになってしまいそうな、ライバル多数だった場合の前のぼく。
独占欲の塊になって、ハーレイを困らせてしまいそうなぼく。
考えれば考えるほどに、悲惨な結果になりそうなことが見えて来たから、呟いた。
「…ぼく、無理かも…」
ホントはぼくが恋人なんだ、って分かっていたって耐えられないかも…。
ハーレイの恋人は他の誰かだ、なんて噂が流れていたら。
「そうだろうが」
な? と、ハーレイの大きな手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
「だからライバルなんぞはいなくていいのさ、俺はモテない男でいいんだ」
お似合いの恋人のタイプとやらに名を連ねなくとも別にかまわん。
腹も立たんし怒りもしないさ、お前にモテればそれでいいんだ。
お前だけが俺に惚れててくれれば、もうそれだけで充分だからな。
「でも…。ハーレイ、ホントにかっこいいのに…」
誰よりもかっこいいと思ってるのに、なんでぼくだけになっちゃうのかな?
「さあな? ただし、今度の俺は前の俺とは一味違うぞ」
何度も言ったが、学生時代の俺には女性ファンがけっこうついてた。
柔道も水泳も、大会や試合を応援しに大勢来てくれたもんだ。
見る目があるヤツが多かったわけだが、そこをどうする?
お前だけではないってことだな、今の俺をかっこいいと思ってくれるヤツは。
(…それを言うわけ!?)
よりにもよって女性ファンの数を恋人のぼくに自慢するなんて。
ものすごーく腹が立ったけれども、そういう時代は確か学生時代の終わりまで。
ハーレイがプロのスポーツ選手じゃなくって教師になったら、女性ファンたちは去って行ったと聞いているから。
腹を立てた分を仕返ししようと、ぼくはニッコリ笑って言った。
「それ、キャプテンだったハーレイに憧れてた男の人たちと同じなんじゃない?」
ハーレイそのものじゃなくて柔道と水泳に憧れてたんだよ、そっちの腕前のお蔭だよ。
シャングリラのキャプテンはかっこいいな、って憧れるのときっと同じだってば。
柔道と水泳の選手を辞めたら消えちゃったんでしょ、その人たちって。
「こらっ!」
コツン、とハーレイの拳がぼくの頭に降って来た。
「一人で勝手に落ち込んでるから、せっかく元気づけてやったのに…」
お前は恩を仇で返す気か、俺だって少しは自慢したっていいだろう!
どうせモテない男なんだから、今度はモテたと少しくらいは!
「ううん、ハーレイ、モテなくっても凄いんだよ」
かっこいいんだよ、ぼくの恋人だもの。
前のぼくは今じゃ王子様っていうポジションなんだよ、恋人のタイプの例が並んでいる中で。
王子様のぼくがハーレイのことを大好きなんだよ、ハーレイ、威張っていいんじゃない?
俺は世界一かっこいいんだと、王子様より上なんだと。
「ふうむ、そういう考え方も出来るか…」
王子様のお前が惚れているなら、俺の方が上か。
俺は王子様よりも上のランクの男だっていうことになるのか、その説で行くと。
「そうだよ、ハーレイが世界一かっこいいんだよ」
王子様よりも上で、世界で一番。
宇宙で一番かっこいいのがハーレイなんだよ、王子様のぼくの王子様だもの。
本当に宇宙で一番だよ、とぼくはハーレイに微笑みかけた。
前の生からのぼくの恋人。誰よりも大切な、ぼくのハーレイ。
そのハーレイは「うーむ…」と低く唸って。
「…なんだか落ち着かないんだが…」
お前よりも上だと言われる分には嬉しいだけだが、こう、具体的に…。
世界一だの、宇宙で一番だのと絶賛されると、俺の柄ではないような…。
そこまでかっこいいってことになるとだ、どうもこそばゆくて落ち着かんな。
「大丈夫!」
心配しなくても大丈夫だよ、と自信たっぷりに答えてあげた。
「だって、ハーレイに注目する人はいないから!」
お似合いのタイプにランクインしないハーレイだよ?
かっこよくても誰も気付かない、気付いてくれないハーレイだから大丈夫!
「お前ってヤツは、俺を何だと思っているんだ!」
褒めるかけなすか、どっちかにしろ!
どっちがお前の本音か分からん!
この蝙蝠めが、と軽い拳が降って来たから、ペロリと舌を出したけれども。
「じゃあ、褒める!」
ホントのことだよ、ぼくが考えてる、本当のこと。
ぼくはハーレイのことが好きだし、誰よりも好きでかっこいいと本気で思っているから。
王子様だって言われる前のぼくの頃から、ハーレイが好きでたまらないから。
だから、ハーレイが世界で一番。
宇宙で一番かっこいいから、ぼくはハーレイが大好きだよ。
この世界の人たちの目は、みんな節穴。
かっこいいハーレイに気付かないだなんて、本当に信じられないけれど…。
お蔭でハーレイを独占出来るし、みんな節穴の目のままでいい。
だって、ハーレイはぼくのハーレイ。ずうっと、ぼくだけのハーレイでいてほしいから…。
王子様・了
※ブルーにとっては王子様なのがハーレイですけど、世間では全く違う扱い。
でも、ハーレイがモテてライバル多数だと辛いのも事実。今の状態がいいんでしょうね。
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(…ふむ)
たまにはこういう昼食もいいか、とハーレイは家のポストに入れられていたチラシを眺めて遠い記憶を思い浮かべた。今となっては懐かしい記憶。
(うん、今だから懐かしいなんて言えるんだな)
間違いないな、とチラシに刷られた写真を見ながらクックッと笑う。
小さなブルーは今も覚えているのだろうか?
懐かしいとさえ思える、遠い遠い記憶。遥かな彼方に流れ去ってしまった、遠い日の記憶…。
その翌日。たまたま仕事が早く終わった金曜日。
週末はブルーの家で過ごすのが常なのだけれど、出来得る限り、平日の夕食もブルーの家で。
最初の間は申し訳なく思っていたものの、ブルーの両親にも「是非に」と誘われ、仕事の帰りにフラリと寄るのがいつしか当たり前になった。夕食の支度に間に合う日ならば、出来るだけ。
だから明くる日は朝からの訪問になると知りつつ、ブルーの家の来客用のスペースに車を入れて門扉の横のチャイムを鳴らした。ブルーがどれほど喜んだかは言うまでもない。
両親も一緒の夕食を終えて、ブルーの部屋で食後のお茶を飲んだ後。
帰り際に「明日の昼食はブルー君と私の分を持って来ますから」と思念で伝えておいた。小さなブルーに気付かれないよう、見送りに出て来た両親にだけコッソリと。
サイオンの扱いがとことん不器用になったブルーは、こういう時には気付かない。何も知らずに笑顔で手を振る。「またね」と、「明日は早く来てね」と。
(さて、と…)
土曜日の朝。ブルーの家へ行くと約束した朝。
分厚いトーストや卵、ソーセージなどで腹ごしらえをして歩いて家を出、先日チラシを見ていた店へと。ブルーの家まで歩く道から外れて、角を曲がって少し行った辺り。
(ほほう…)
角を曲がるまでは分からなかったが、目指す方向から美味しそうな匂いがふわりと漂ってくる。食欲をそそる、複雑に絡み合った食材の匂い。
チラシの効果か、はたまた既に評判の高い店なのか。買おうと並んだハーレイよりも前に三人、待つ間に更に後ろに人の列。
(けっこう買いに来るもんだなあ…)
昼食時にはまだ早いから、今はテイクアウトだけの営業形態。それでもこれだけの人数が並ぶ。併設された食堂が開く時間帯になれば、もっと行列が伸びそうだ。
順番を待つ間に買う品を決めて、目の前で二人分を作って貰って。出来立てを受け取り、さっき曲がって来た通りの方へと戻って行った。
其処からは寄り道せずに歩いて、ブルーの家へ。
買って来た品は、門扉を開けに出て来たブルーの母に預けておいて…。
家の二階にあるブルーの部屋。案内されて、お茶とお菓子がテーブルの上に揃ったけれど。
「あれ?」
ハーレイの向かいに座ったブルーが首を傾げた。
「今日のお菓子、なんだか少なくない?」
ママ、もう一回持ってくるのかな?
いつもはお茶のおかわりだけれど、お菓子もおかわり出て来るのかな?
「お前の胃袋に合わせてもらったつもりなんだが?」
せっかく土産を買って来たのに、食べ切れなかったらつまらんだろう。
なにしろ量を選べなくってな、少なめというのが無かったんだ。
「お土産!?」
ブルーは顔を輝かせた。
「食べ物なんだね、何を買って来てくれたの?」
「せっかちなヤツだな、昼飯まで待て」
出来立ての味というわけにはいかんが、温め直しても美味いと思うぞ。
温め直すならこんな風に、って書いた紙を添えてくれていたしな。
小さなブルーの頭の中は、お土産で一杯になったらしくて。お茶を飲みながら話を交わす間に、何度も探りを入れようとした。ハーレイは何を買って来たのかと、昼食は何かと。
けれどハーレイは引っ掛からない。巧みにかわして、話を逸らして。
ブルーが答えを得られないままに、ティーセットを下げに来たブルーの母がハーレイが持参した昼食の皿をテーブルに置いて「ハーレイ先生、ありがとうございます」と頭を下げた。
そうして母が階段を下りて行った後、ホカホカと湯気が立ち昇る皿。
「お好み焼きだったの!?」
どうしてお好み焼きがお土産なの、とブルーが訊くから。
近所に店が出来たからだ、とハーレイは簡潔に答えてやった。
「この間、チラシが入っていたんだ。お前、好き嫌いは無いって言うしな」
店で一番の豪華版だぞ、豚と海老とイカが入ってる。それに卵だ。
ソースも此処の特製らしい。まあ、食ってみろ。
「うんっ!」
ブルーは嬉しそうにお好み焼きを頬張り、「美味しいね」と顔を綻ばせた。
「凄く美味しいよ、このお好み焼き」
「そりゃ良かった。どおりで行列が出来てた筈だな」
今頃は食堂が開いているから、もっと並んでいるだろう。
確かに美味いな、焼き立てを店で食ったらコレよりももっと美味いんだろうなあ…。
それで…、とハーレイは切り出した。
「ここまで豪華なヤツを食ってたら無理かもしれんが…」
覚えてるか?
前の俺たちがシャングリラで食ってたお好み焼き。
「えっ?」
ブルーの赤い瞳が真ん丸になった。何を言うのか、と驚いた顔。
「お好み焼きって…」
そんなメニューは無かったよ?
シャングリラの食堂で作る料理に、お好み焼きなんか無かったよ…?
「うんと最初の頃の話だ、シャングリラって名前だけだった頃だ」
それとキーワードはキャベツだな。
キャベツ地獄と言ったら思い出せるか?
「…キャベツ地獄…?」
「そのものズバリだ、行けども行けどもキャベツな地獄だ」
前のお前がやらかしただろう。
わざとじゃないのは分かっているがな、食料を奪いに出掛けた時に。
こんなに沢山どうするんだ、って量のキャベツが詰まったコンテナを持って帰ったろうが。
「ああ…!」
忘れちゃってた、とブルーはペロリと小さな舌を出した。
お好み焼きに振りかけてあった、青海苔の粉がくっついた舌を。
「あったね、そういうキャベツ地獄が」
「思い出したか? あの時の俺の苦労の結晶だ」
あったろ、キャベツのお好み焼き。
今、俺たちが食ってるようなヤツほど美味くはなかったがな。
「でも…。キャベツ料理の中では人気じゃなかった?」
シャングリラの厨房に一杯のキャベツ。
炒めたり茹でたりしていたけれども、お好み焼きは「料理しました」って感じだったよ。
キャベツそのまんまじゃなかったもの。
パンケーキみたいな見た目でキャベツたっぷり、好みでお塩を振ったりして。
「料理なんて大層なものでもないがな」
小麦粉とキャベツで作れたからなあ、小麦粉に水と刻んだキャベツを放り込むだけだ。
そいつをフライパンで焼いただけだが、キャベツ炒めよりかは人気だったなあ…。
ナイフとフォークで切って食えるのも料理らしくて良かったんだな。
ブルーが食料を奪いに出掛けて、ハーレイが調理。
いつの間にやら、そういう図式が出来ていた。
シャングリラがまだ名前だけの楽園に過ぎなかった時代。自給自足ではなかった時代。
奪う食料は選べないから、バランスの取れた品揃えもあれば、キャベツ地獄もジャガイモ地獄も存在した。それでも食べねば生きてゆけない。工夫して食べてゆかねばならない。
あれが足りない、これが欲しいと願ったところで、天から降ってくるわけではないから。
前のブルーが宇宙を駆けて奪いに行かねば、何も手に入りはしないから。
ブルーにとっては奪うくらいは簡単なことで、近くを船が通りさえすればいつでも奪いに行けたけれども。何の危険も冒すことなく、瞬間移動で奪って戻って来られたけども。
それを良しとはしなかったハーレイ。最低限の食料があればいいと言ったハーレイ。
皆に我慢をするように説いて、食材を全て管理していた。常に在庫を確認しながら、その食材で出来る料理を調べて、作った。
船のデータベースにキーワードを打ち込み、作れそうなレシピを幾つも拾った。それらを自分で作って試食し、使えそうだと判断したなら、調理担当の者たちと調理して食卓に出した。
元々は食料倉庫の管理人のつもりで仕事をしていた、前のハーレイ。
気付けば食料以外の物資も任される立場になってしまっていて、シャングリラの最高責任者。
「見当たらない物があるならハーレイに訊け」と言われたほどの生き字引。
そうやって船全体の面倒を見ていたからこそ、誰もがハーレイをキャプテンに推した。厨房からブリッジへと居場所が変わって、フライパンの代わりに舵を握った。
操舵も料理もハーレイにとっては大差ないことで、船を傷つけぬように動かしてゆくのも、火にかけた鍋やフライパンを焦がさないのも、同じく細心の注意を払えばいいこと。
キャプテンの任に就いたからにはと操舵を覚えて、直ぐに誰よりも上手く操る操舵士となった。シャングリラの癖を掴んだとでも言うか、まるで最初から操舵士だったかのように。
「船もフライパンも似たようなものさ」とハーレイはよく笑ったものだ。
どちらも上手に御機嫌を取れば、思い通りの結果が出せる。手順を誤れば黒焦げになる所までがそっくりなのだと、焦がすわけにはいかないのだと。
かつては調理の責任者だった、キャプテン・ハーレイ。
前のブルーが奪った食材を料理していた、前のハーレイ。
キャベツだらけの食料庫を睨んで唸った日さえも、今となっては懐かしい過去で。
「前の俺のキャベツのお好み焼きなあ…」
あれな、とハーレイはブルーに微笑みかけた。
「もっと美味いのを作れただろうな、もしも卵があったならな」
ただしだ、前の俺が卵を手にしていたなら、お好み焼きは出来ていなかったろうが…。
キャベツと卵で作れる料理が生まれちまって、お好み焼きは無かったろうなあ…。
「卵が入ると美味しくなるの、あれは?」
もしかしてハーレイ、試してみた?
お好み焼きのチラシで思い出したから、キャベツのお好み焼きを家で作ってみたの?
「いや。…そうじゃなくって、食ったことがあるんだ」
「何を? キャベツのお好み焼き?」
「キャベツ焼きだ」
そういう名前の食べ物があるのだ、とハーレイはブルーに教えてやった。
学生時代に友人たちと一緒に食べに出掛けたと、お好み焼きとは違うものだと。
「前の俺は全く知らなかったが、キャベツ焼きは立派な食文化の一つだったらしいぞ」
俺たちが住んでる、この地域のな。
SD体制よりもずっと昔の、日本って島国だった頃。
お好み焼きってヤツは種類が豊富で、調理法も名前も細かく分かれていたそうだ。入れる食材が違ってきたなら名前も変わる。キャベツ焼きもそういったものの一つさ。
「そうなんだ…。前のハーレイ、それを見付けていたんだね」
「らしいな、キャベツ焼きという名前に覚えは無いがな」
古いデータも漁っていたから、レシピを引っ掛けたんだろう。
何処の料理かも分からないまま、使えると思って作ったんだなあ、キャベツ焼き。
そして本物のキャベツ焼きには卵を入れる、と今の俺は知っているわけだ。
仲間とワイワイ食いに出掛けて、焼いてる所を見ていたからな。
「そっか、卵を入れていたなら、もっと美味しくなったんだ…」
「天かすなんかも入るんだぞ。ただし、天かすは前の俺たちの頃は何処にも存在しなかったがな」
なにしろ、お好み焼きって食い物自体を前の俺たちは知らなかったしなあ…。
知っていて卵を入れていたなら、シャングリラでも人気メニューになっていたかもな、キャベツ焼き。食材が豊富になっていったらキャベツ焼きからお好み焼きに変身を遂げていたかもなあ…。
「前のぼくたち、ちゃんと日本の料理を食べてたんだね?」
あの頃は全然知らなかったけれど、キャベツ焼き。
今は復活してる料理を、復活する前に作って食べてたんだね…。
「そのようだ」
キャベツ地獄の副産物だが、まさか立派な料理だとはなあ…。
俺が試しに調べてみたら、だ。
ヘルシーメニューで「卵無しのキャベツ焼き」なんていうのもあるんだ、今ではな。
「そのまんまじゃない、前のぼくたちのキャベツ焼きには卵が無かったんだし」
「うむ。どおりでキャベツ料理の中では美味いと人気になった筈だな」
キャベツ地獄が終わった後では作らなかったが、真っ当な料理だったんだ。
知っていたなら定着させたな、レシピをきちんと残しておいてな。
「前のぼくはキャベツのパンケーキだと思っていたんだけれど…」
確かにあれはお好み焼きだね、言われてみれば。
「そうだろう? 正確にはキャベツ焼きだがな」
卵無しのキャベツ焼きってヤツだが、立派な料理でお好み焼きの親戚だな。
知らないってことは実に罪なもんだな、ちゃんと料理を作っていたのに俺は廃番にしちまった。こんなレシピは残す必要も無いと、キャベツ地獄が終わった後にはもう要らん、とな。
由緒正しい料理を抹殺しちまったのさ、とハーレイは笑う。
SD体制が消してしまった昔の料理を復元しながら、残す努力をしなかったと。無知というのは恐ろしいもので、蘇らせた筈のキャベツ焼きを闇に葬ったと。
「やっちまったな、と反省したのと、前の俺たちが食っていたな、という思い出だな、うん」
お前も思い出しただろ?
こいつはかなり豪華すぎだが、前の俺たちのキャベツ焼き。
「それでお好み焼き、買って来たんだ…」
「葬っちまったキャベツ焼きへの罪滅ぼしにな」
キャベツ焼きは今じゃ、それ専門の店で焼かれているんだ。
お好み焼きって看板じゃなくて、キャベツ焼きって名前で店を出してる。
生憎と俺の家から此処までの道には店が無くてな、キャベツ焼きは買って来られんなあ…。
もっとも、俺は自分で作れるがな。
前の俺が作ったヤツとは違って、卵を入れて。
天かすも入れて、小麦粉も水じゃなくって出汁で溶いてな。
美味いんだぞ、とハーレイは片目を瞑ってみせた。
学生時代に食べたキャベツ焼きが懐かしくなったら焼いているのだと、専門の店に出掛けてゆくより気楽でいいと。
「焼き立てにソースをたっぷり塗ってな、青海苔なんかを振りかけてもいい」
熱々のヤツを肴にビールを飲むんだ、いいもんだぞ。
「それ、食べたい!」
ぼくはビールは要らないけれども、キャベツ焼き。
ハーレイが作ったキャベツ焼きをもう一度食べてみたいよ、うんと美味しくなったのを。
「おいおい、手料理を持って来られるわけがないだろう」
俺は「ハーレイ先生」だぞ?
手料理なんかを持って来ちまったら、お前のお母さんが困るだろうが。
買って来ただけでも恐縮されちまうんだし、手料理となったらどうなることやら…。
キャベツ焼きを食ってみたいんだったら、お母さんに頼んで作って貰え。
レシピは調べりゃ見付かるからな。
「それじゃママの味になっちゃうよ…。ハーレイの味がいいんだよ」
ハーレイが作ったキャベツ焼きだから、食べたくなってしまうんだよ。
前のぼくがシャングリラで食べていたっけ、って思い出したくなるんだよ。
キャベツが入ったパンケーキだって思い込んでた、キャベツ焼き。
シャングリラで食べてたキャベツ焼きを食べてみたいんだよ…。
「あのキャベツ焼きとは違うぞ、今のは」
さっき中身を教えただろう?
今の俺が食いたくて作ってるヤツは、シャングリラのよりもうんと豪華だ。
卵も入るし、天かすも入る。ついでに決め手は小麦粉を出汁で溶くってトコだな。
昆布だけではコクが足りんから、カツオも入れる。
もはや別物だぞ、前の俺が焼いてたキャベツ焼きとは。
「そうだろうけど…。でも美味しかったよ、前のハーレイが作ったキャベツ焼きも」
ソースなんかは塗ってなくって、お塩を振って食べてたけれど。
卵も入っていなかったけれど、小麦粉とキャベツでちゃんと料理になってたよ?
名前を間違えてパンケーキだって思ってただけで、美味しいキャベツ焼きだったんだよ。
「どうだかなあ…。なんたって、ああいう時代だったからな?」
キャベツだらけのキャベツ地獄だの、来る日も来る日もジャガイモだの…。
調味料だってロクに無かったし、火さえ通せば料理な時代だ。
アルタミラと違って料理が食えると、料理してあるものが食えると皆が思った時代だぞ?
不平不満を言いはしてもだ、餌よりはずっとマシだってことを忘れてなかった頃の話だ。
何でも美味いし、何でも料理だ。
そんな時代に美味かったものが、今も美味いかどうかは謎だな。
前の自分が作ったレシピでキャベツ焼きを再現してみたとしても。
それは美味しくないであろう、とハーレイは遠い記憶を手繰って断言した。
刻んだキャベツと、水で溶いただけの小麦粉と、塩。
名前だけがシャングリラだった船で作られたキャベツ焼きの中身はそれが全てで、卵も天かすも入っていないと。昆布とカツオで取った出汁も無くて、何処にも旨味というものが無いと。
「俺は自分で料理をするから分かるがな…。出汁と水との違いはデカイぞ」
卵の有無でもドカンと変わる。
うどんに卵を落とせば美味いが、何も入れなきゃ素うどんだろうが。
「でも、前のぼくたちにとっては美味しかったよ?」
ひょっとしたら、ぼくとハーレイと、二人。
あれを作って二人で食べたら、懐かしい味で美味しいのかも…。
「そいつはどうだか…」
思い込みってヤツもあるしな、あれっきり作らずに終わった料理だ。
前の俺が闇に葬っちまったレシピなんだし、前のお前もあの時しか食ってはいないんだぞ?
「だけど、思い出したら懐かしいんだよ」
美味しかったよ、前のハーレイのキャベツ焼き。
いつか試してみようよ、あれ。もう一度食べてみたいんだよ…。
「それで不味かったらどうするんだ?」
「ぼくは今でも好き嫌いは無いよ?」
前のぼくと同じで何でも食べるよ、焦げていたって。
ハーレイはキャベツ焼きを焦がさずに焼けるし、それだけで充分美味しいよ。
フライパンも船も焦がさないのが大切だ、って前のハーレイ、よく言ってたしね?
「ふむ…」
前の俺たちの時代を懐かしみながらキャベツ焼きってか?
シャングリラの舵の代わりにフライパンを握って、焦がさんように。
前と逆だな、前の俺はシャングリラが焦げてしまわないようにと舵を握ってたんだがなあ…。
今度はフライパンの方が優先なんだな、俺が焦がさないように気を付けるもの。
「そうだよ、シャングリラはもう無いんだものね」
ハーレイが焦がしちゃいけないものって、フライパンとかお鍋なんだよ。
だからフライパンでキャベツ焼き。
前とおんなじレシピでやっても、地球のキャベツだから前より美味しくなるんじゃない?
野菜スープのシャングリラ風が美味しくなってしまったみたいに、キャベツ焼きだって。
「そうかもなあ…。地球のキャベツを使うんだしな」
本物の地球の土と光と水で育った美味いキャベツだ、キャベツ焼きも美味くなるかもな。
ついでに小麦粉も違ってくるなあ、地球の小麦で出来てるからな。
お前の言う通り、劇的に美味く化けるのかもなあ、あのキャベツ焼きが。
所変われば品変わるか…、とハーレイは前の自分たちが生きていた頃には無かったお好み焼きを頬張った。あの頃には知らなかった味。知らずに作って、レシピを廃棄したキャベツ焼き。
ブルーと二人で食べてみたなら、それもまた極上の調味料となってキャベツ焼きを美味しくするかもしれない。あの時代には恋人同士ではなかったブルー。今度は伴侶になるブルー。
誰よりも愛したブルーと二人で、青い地球の上に生まれて来た。
野菜が美味しく育つ星の上に、共に生きてゆくために生まれて来た。
伴侶となったブルーと囲む食卓は、きっと幸せに溢れているから。
キャベツと小麦粉と塩だけで出来たキャベツ焼きでも、二人の思い出の料理だから…。
「よし。いつか俺たちが結婚したなら、たまに作るか、キャベツ焼き」
前の俺が作った、レシピを闇に葬っちまったキャベツ焼き。
もちろん普段は豪華版の方のキャベツ焼きにして、そいつに飽きた時とかな。
前の俺たちの頃を思えば、実に贅沢な話なんだが…。
「うん。それしか無いっていうんじゃなくって、飽きたら食べようって言うんだものね」
贅沢なキャベツ焼きに飽きたらなんて…、とブルーはクスクスと可笑しそうに笑った。
なんて贅沢な話だろうかと、飽きたら質素なキャベツ焼きを作って食べるだなんて、と。
キャベツと小麦粉と、塩しか無かったキャベツ焼き。
それをわざわざ作らなくとも、今の自分たちは豪華なキャベツ焼きをいつでも好きなだけ作って食べ飽きるほどに食べられるのに…、と。
選択肢など無かった、遠い遠い昔。
白いシャングリラの舵の代わりに、フライパンを握っていたハーレイ。
そのハーレイの頭を悩ませる食材を調達していた、キャベツ地獄を作ったブルー。
キャベツ焼きに使う食材を選ぶどころか、選ぶ食材さえ持たなかった。
質素なのがいいか、豪華に作るか。そんなことさえ選べなかった。
食べる物さえ選べなかった遠い昔から始まった前の生を生きて、その生を終えて。
けして安らかとは言えない最期を遂げたというのに、地球に来られた。
遥かな時を共に飛び越え、蘇った青い地球まで来られた。
そうして二人で、また生きてゆける。
何に脅かされることもなく、青い水の星で。
青い地球の上で、手を握り合って一緒に暮らしてゆける。
時にはキャベツ焼きを作って、ハーレイがフライパンを握って。
白いシャングリラを焦がさないように気を付ける代わりに、火加減だけに気を配りながら。
ブルーと二人で笑い合いながら、同じ屋根の下で、同じキッチンに立って…。
キャベツの調理法・了
※初期のシャングリラで偶然生まれた、キャベツ焼き。本物とは材料が少し違っても。
ハーレイがレシピを残していたら、お好み焼きが出来ていたかもしれませんね。
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今日は学校が早く終わったから。いつもより早い下校時間で、バスに乗るのも早かった。バスで通学している生徒は、ぼくが乗る路線バスでは一人だけ。普通は歩くか、自転車で通う。
健康な子供には何でもない距離にある学校だけれど、生まれつき身体の弱いぼくには遠い学校。いつだって家の近所のバス停から乗って、帰りは降りて。住宅街を歩いて家との往復。
(時間が早いと景色も違うね)
日射しが違うって言うのかな?
同じ道なのに、違う顔。普段見るより鮮やかな花や、艶やかに見える木の葉っぱ。
(ハーレイ、何時に来てくれるかな?)
学校が早く終わった理由は、先生たちのための行事があるから。会議みたいなものなんだろう。昨日、学校の廊下でハーレイに会ったら「明日は俺も早めに終わるぞ」と言ってて、夜にはママに連絡があった。「明日は帰りに寄りますから」って。
学校がある日でも、仕事が早く終わった時にはぼくの家まで来てくれるハーレイ。一緒に夕食を食べてくれるハーレイ。
だけど大抵、予告は無い。先生の仕事は急に増えたりすることもあって、予定を立てても無駄になることが多いから。
今日みたいに「行きます」って約束してくれる日は滅多に無いから、とても嬉しい。ママだって張り切って夕食の用意をするんだよね、きっと。
ハーレイは何でも美味しそうに食べるし、好き嫌いだって無いんだけれど。
それでも予告をしてくれたからには、凝った料理とか、何か珍しい食材だとか。
(晩御飯、何かな?)
ぼくの足取りまで踊り出しそう。ハーレイが来るって分かっているから、それだけで幸せ。
ハーレイと一緒に晩御飯だよ、と考えただけで幸せ一杯。
夕食の前には二人きりで部屋でお茶が飲めるし、その時間が長く取れるといいな、って。
浮き立つ心で歩いていたら、ぼくを追い越して行った幼稚園のバス。車体に描かれた虹や動物、如何にも子供が好きそうな絵たち。
小さな頃には乗ってたっけ、と少し先の方で止まったバスを見ながら歩いた。後ろにくっついた丸いプレートには、バスの名前が書いてあるんだろう。キリンとかゾウとか、バスの愛称。
(…ぼくが乗ってたのはキリン号だっけ?)
それともキリン号の子が羨ましくって、他の動物だっただろうか。流石にちょっと記憶に無い。帰ったらママに訊いてみようかな、と思った所へバスから降りて来た男の子。制服姿のちっちゃな子供。迎えに出ていたお母さんとしっかり手を繋いでる。
幼稚園バスはまた走り出して、男の子が空いている方の手を大きく振った。
「フィシス先生、さようならー!」
(フィシス!?)
バスの後ろの大きな窓越しに手を振り返している女の先生。
その瞬間、思い出したんだ。
幼稚園にはフィシス先生がいたんだっけ、って。
フィシスって名前は今では特に珍しくはない。
前のぼくと同じでフィシスも有名人だから。ミュウの女神だったフィシスの名前を生まれた子に付ける人だって多い。
幼稚園バスに乗ってた女性が「フィシス先生」でも、不思議でもなんでもないんだけれど。
ぼくの学校の生徒にだって、フィシスって名前の子はいるんだけれど…。
(なんで忘れていたんだろう…)
家に帰って、ママとダイニングでおやつを食べて。
それから二階の部屋に戻って、さっき出会った幼稚園バスとフィシス先生とを思い返した。
ぼくが行ってた幼稚園に居た、フィシス先生。
大好きだったフィシス先生。
(すっかり忘れてしまってたなんて…)
ぼくはきっと、小さすぎたんだ。
幼稚園に行ってたくらいなんだし、まだ六歳にもなってなかった。三月の一番最後の日がぼくの誕生日だから、六歳になった途端に学校に行った。幼稚園時代は五歳で終わってしまった。
(五歳じゃ記憶も薄れちゃうよね…)
おまけに今のぼくの中には、三百年を超える前のぼくの記憶。
普段は表に出て来ないけれど、ふとしたはずみに溢れ出してくる膨大な記憶。
そんな代物が詰まっていたんじゃ、幼稚園の頃の思い出なんかは薄れて当然なんだけど。
分かってるけど、ちょっぴりショック。
フィシス先生を忘れていたなんて…。
シャングリラの写真集を何度も開いて、天体の間を写した写真を隅から隅まで見ていたのに。
フィシスのことだって考えてたのに、今と繋がってはいなかった。
(…フィシス先生…)
今のぼくより、うんと小さかった頃のぼく。
制服のズボンが半ズボンだった、幼稚園バスに乗っていた頃のぼく。
キリン号だか、違う名前のバスだったのか。ママに見送られて乗り込んだバスに揺られて、他の子たちを乗せながら着いた幼稚園。広い園庭や遊具、出迎えてくれる先生たち。
其処の中庭にあった、真っ白な像。凄く髪の長い女性の像で、長い服の裾が足を隠してた。立ち姿じゃなくって、椅子に座ったみたいな形。上半身を屈めて、子供と視線を合わせる形。
女神様みたいだと思ってた像。だけど女神様とは違って、先生。
文字を覚えたら読めるようにと「フィシスせんせい」って書いてあったプレート。
小さかったぼくには誰のことだか全然分かっていなかったけれど、ずっと昔のとても優しかった先生なんだ、って教えて貰った。
ぼくたちみたいな子供の世話をするのが大好きな人で、女神様みたいな人だったんだ、って。
(フィシス先生、好きだったっけ…)
前のぼくの記憶が無かったぼくには、ただの彫像だったけど。
シャングリラに居た頃のままの衣装を纏った「フィシス先生」の像がお気に入りだった。それを見るのが好きなんじゃなくて、ホントのホントにお気に入り。大好きだったフィシス先生。
(ちょうどいい場所にあったんだよ、あれ)
小さかったぼくは、中庭にあった小鳥の家とか、ウサギの小屋が好きだったから。
小鳥やウサギを眺めに出掛けて、他の子供たちで混んでいる時はフィシス先生の膝に座ってた。
そう、小さな子供がよじ登れるように、フィシス先生は両手を差し出してくれていたんだ。その手を伝って、膝に登って。真っ白な像の膝にチョコンと座った。
他の子たちよりも高い場所から、小鳥の家やウサギの小屋を見ていた。ホントは近くで見たくて仕方ないけど、混んでいる間は待つしかないから。フィシス先生の膝で待つしかないから。
早く空かないかな~、って待ってる間中、フィシス先生はぼくのために日陰を作ってくれた。
夏は日陰で、冬は陽が当たるポカポカ暖かなフィシス先生の膝の上。
そうなるように設置してあったんだろう。
膝に座る子供が快適な時間を過ごせるようにと、季節によって向きが変わるとか。
フィシス先生の像の目は閉じていたけれど、何も不思議に思わなかった。
優しそうな笑みを湛えた顔だけで充分、笑ってる時に目が細くなる人も多いから。そういう顔を写した像だと、フィシス先生は笑ってるんだと思ってた。
目が見えないだなんて知らなかったし、幼稚園では教わることもなかったから。
学校に行って、ミュウの歴史で習った時には「そうだったんだ」と驚いたけれど…。
フィシス先生の像が目を閉じてた理由にビックリしたけど、それっきり。
忘れちゃってたフィシス先生。大好きだったフィシス先生の像。
今でも幼稚園の中庭にフィシス先生の像はあるんだろうか?
小さかった頃のぼくみたいな子を、膝に乗っけて中庭に座っているんだろうか…。
前のハーレイと、ゼルにヒルマン、ブラウにエラ。
地球の地の底に向かったジョミーを探して、地上にあったユグドラシルから下へと向かった長老たちとフィシス。彼らは途中で子供を見付けた。大勢の人類の子供たちを。
今のハーレイに聞いた話では、みんな仰天したらしい。どうして子供が地下にいるのかと、地の底で何をしているのかと。
だけど、ハーレイたちはミュウだったから。
絶え間ない地震で揺れ動く地の底で、明かりさえも消えてしまった所で泣きじゃくるだけの子供たちの心を読むことが出来た。
カナリヤと呼ばれて、地球の浄化が終わる時まで地の底深くで育てられる子たち。地球の本当の姿を知らされていない、「外へ出られる日は近いのだ」と信じ込んでいた子供たち。
幼い子たちを見殺しになんか出来はしないと、ハーレイたちは頑張った。一人一人のサイオンは弱く、瞬間移動は不可能だけれど、力を合わせれば出来る筈だと。子供たちを地球の上空に浮かぶシャングリラまで無事に送ってやれる筈だと。
そうして彼らはやり遂げたんだ。カナリヤの子たちを白い鯨へ送り届けた。そればかりか、更にフィシスも送った。「あなたは生きろ」と、自分たちのことを覚えていてくれと…。
前のハーレイたちの命は其処で終わったけれども、フィシスは生きた。ハーレイたちが命懸けで守ったカナリヤの子たちを乗せた箱舟で、白いシャングリラでフィシスは生きた。
カナリヤの子たちを育てていたから、彼らがミュウに育てられた最初の人類の子供たち。人類とミュウは同じなのだと、兄弟なのだという確かな証明。
宇宙の星々もそれに倣った。人類がミュウを、ミュウが人類の子供を育てて一緒に暮らしてゆく世界。誰も反対しなかった。気味が悪いとも思わなかった。
ミュウは敵だと、忌むべきものだと教えるシステムはもう無かったから。
グランド・マザーに立ち向かう前にキースが残して行ったメッセージもまた、そうせよと説いたものだったから。
フィシスはそれから長い時を生きて、ミュウの女神から幼稚園の先生へと変身を遂げた。
ミュウと人類とが一緒に入った一番最初の幼稚園に招かれ、其処の園長先生になった。けれども最後まで普通の先生をやりたがってて、子供たちと遊んだというフィシス。園長先生の仕事をしていない時は、子供たちの相手をしていたフィシス。
前のぼくがフィシスに与えたサイオンはとっくの昔に無くなっていた筈なのに。前のぼくの死と共に薄れ始めて、消えて無くなる筈だったのに…。
見えない筈のフィシスの瞳は前と変わらず、周りの世界をきちんと捉えていたという。長かった寿命も、若い姿のままだったことも、フィシスにサイオンがあったことの証拠。
前のハーレイたちと一緒にカナリヤの子たちを瞬間移動で送った時にも、フィシスはサイオンを使っていたと今のハーレイが話していたから、そういう奇跡もあるんだろう。
きっとフィシスは神様の力で本物のミュウになったんだろう。
ぼくとハーレイが青い地球の上に生まれ変わったみたいに、神様にしか起こせない奇跡。
本物のミュウになった、前のぼくの女神。
今のぼくがうんと小さかった頃、大好きだったフィシス先生の像…。
フィシス先生のことは忘れていたな、と考えている内に、来客を知らせるチャイムが鳴って。
約束通り、ハーレイが仕事帰りに来てくれた。いつもより早い時間の来訪な上に、ぼくの部屋のテーブルに置かれたおやつはパウンドケーキ。ハーレイの大好物のパウンドケーキ。
ハーレイのお母さんが作るのと同じ味がするというそれを、ママはしっかり準備した。予告つきだったからこそ出来ること。晩御飯もきっと御馳走だよね、と思うけれども、その前に…。
「ねえ、ハーレイ」
ママの足音が階段を下りていった後、ぼくは早速、訊いてみた。
「ハーレイが行ってた幼稚園にも、フィシスはいた?」
「フィシス?」
何のことだ、とハーレイが怪訝そうな顔をするから。
「フィシス先生だよ、フィシスそっくりの像は無かった?」
「ああ、あったな…!」
そういえばあった、と手を打つハーレイ。
幼稚園の庭に像があったと、今から思えばフィシスなんだな、と。
やっぱりハーレイも忘れていた。
幼稚園に居た、フィシス先生。前のぼくたちが知っているフィシスの、その後の姿を。
「ハーレイの幼稚園にあったフィシス先生、どんな像なの?」
「あれか? ほら、手を出せ」
前のぼくがフィシスの地球を見る時にしていたみたいに、手と手を絡めて。サイオンを合わせて見せて貰ったハーレイの記憶も、ぼくとおんなじフィシス先生。座った姿の真っ白な像。
おんなじだね、って、ぼくの記憶のフィシス先生の像を送ってみたら。
「この形のが一番多いらしいぞ、幼稚園に置いてある像は」
他にも何種類かあるみたいだがな、これが基本で一番人気の像らしい。
「…フィシス先生は忘れてたくせに、知っているんだ?」
どうして、と不思議に思ったけれども、答えは至って単純だった。
「教師として一応、教わるからな」
幼稚園と学校はまるで違うが、子供が最初に集団行動を覚える所が幼稚園だしな?
どういう所かくらいは押さえておかんと、生徒の心を上手く掴めん。
こんなのは幼稚園のレベルだろうが、と叱り付けるには根拠が要るのさ。
そう言ってハーレイは笑ったけれども、ハーレイは先生。フィシスも先生。
義務教育の一番最後の学校の先生と、幼稚園の先生じゃ仕事も全然違うだろうけど…。
「ハーレイ…。フィシス、幸せだったのかな?」
フィシス先生の像は優しい笑顔で、とっても幸せそうだけど。
前のぼくが死んでしまった後のフィシスは幸せだったんだろうか、前のぼくが渡したサイオンも失くしてしまっただろうに。
そうなると知ってて何も教えずに、前のぼくはメギドに行っちゃったけれど…。
フィシスが自分で気付いてくれれば、と生まれさえ教えなかったけれども、間違っていた?
「さあな…。一時期、悩んで塞いでいたが…」
すまん、俺も余裕が無かったからな。
フィシスのことまで気が回らないままで終わっちまった、ろくに訪ねもしなかった。
それでもフィシスは地球に降りると自分で決めたし、地球でも気丈に振舞っていたな。
トォニィを引っぱたいたりもしたと前に話してやっただろう?
幸せだったかどうかはともかく、自分の足でちゃんと歩いていたさ。
前のお前が教えなくても、きっと気付いていたんだろう。
自分が何者か、何処から来たのか。
お前が教えずに逝っちまったからこそ、自分で考えて答えを出せた。どう生きるべきかも自分で決めた。そうだったろうと俺は思うぞ、前のお前は間違っていない。
手とり足とり、こうするべきだと教えてやるより良かったさ。
お前という保護者を失くしたフィシスは、自分で歩くしかなかったんだからな。
「そっか…。それならいい…」
前のぼくもそれを望んでいたから。
サイオンを失くしても強く生きてくれと、幸せに生きろと願っていたから。
前のぼくの我儘で連れて来たフィシス。前のハーレイだけが正体を知っていたフィシス…。
だけど神様は奇跡を起こした。フィシスにサイオンを残してくれた。そのサイオンを使って目が見える人と同じように動いて、フィシスはカナリヤの子たちを育てた。
「ハーレイがカナリヤの子たちを送った時には、フィシス先生なんて想像しなかったよね?」
「それどころの騒ぎじゃなかったからなあ…」
とにかく脱出させなければ、と必死だったな。
ついでにフィシスを最後に送ろうと、俺たちだけでコッソリ思念を回してたしな?
フィシスに知れたら失敗するから、そういう意味でも必死だったさ。
無事に送り出せてホッとしたもんだが、まさかフィシスがフィシス先生になるとはなあ…。
俺たちに託されたカナリヤの子たちだ、頑張らねばと思ってくれたんだろうな。
「カナリヤの子たち、シャングリラで育てたんだよね?」
「あの子たちが降りたがらなかったらしいな、フィシスに懐いていたんだろうな」
何処の星でも降りられたのにな?
シャングリラを降りた仲間も多かったようだが、あの子供たちは乗っていたらしいな。
「ハーレイたちに助けられたんだもの。シャングリラに残ろうって考えそうだよ」
刷り込みって言うんだったっけ?
卵から孵った雛鳥が最初に目にした人間のことを親だと思ってついて歩くの。
それと似たような感じじゃないかな、ハーレイたちに貰った命だものね。
「…そうかもしれんな」
沢山の雛鳥を拾っちまったなあ、文字通りカナリヤの雛ってヤツだな。
さぞ賑やかなことだったろうさ、あれだけの子供がいっぺんに増えたシャングリラはな。
前の俺たちやジョミーがいなくなった分を埋め合わせるには充分だろう。
寂しいどころか、前よりもうるさくなったんじゃないか?
トォニィもチビの後輩が一気に増えたらベソをかいてはいられないしな。
そういう意味でもカナリヤの子たちはシャングリラの役に立っただろうと笑うハーレイ。
ジョミーを亡くしたトォニィはベソをかきそうだけども、小さな子供が大勢いたなら先輩として頑張らないといけないから。泣いていたんじゃカッコ悪いから…。
「そうだね、泣き虫ソルジャーって渾名がつきそうだものね」
「うむ。子供は容赦がないからな」
遠慮なく泣き虫呼ばわりだろうさ、泣いていたなら。
シャングリラの仲間は見逃してくれても、カナリヤの子たちはそうはいかんぞ。
「その子供たちが大きく育ってから幼稚園の園長先生になったんだよね、フィシス?」
アルテメシアの幼稚園で。
人類とミュウが一番最初に一緒に入ったっていう幼稚園で…。
「ああ。カナリヤの子たちも何人か一緒に行ったようだな、その幼稚園の先生をやるために」
そこのやり方が評判になって、あちこちの星に広がって行った。
幾つもの星に呼ばれて講演なんかもしてたらしいな、フィシスたちはな。
「そうなんだ…」
「お前の年ではまだ知らないさ。それに学校で習うことでもないからな」
そういったわけで、幼稚園と言えばフィシス先生なのさ。
だから何処でもフィシス先生の像があるわけだ。
こういう立派な先生がいたと、偉いけれども優しくて素敵な先生だった、と…。
(…フィシス、そんなに偉かったんだ…)
前のぼくの像は見たことがない。何処かにあるって話も聞かない。
ジョミーやキースもそれは同じで、前のぼくたちのためには記念墓地の墓碑。前のぼくの墓碑が一番奥にドカンと立ってて、その次の場所にジョミーとキースのが並ぶ。
あちこちの星に記念墓地と墓碑があると聞くけど、像は知らない。絶対に無いとは言い切れないけど、フィシスみたいに何処の星でも当たり前にあるわけじゃない。
幼稚園があれば、庭にはフィシス先生の像。幼稚園を守る女神みたいに、フィシスの像。
ミュウの女神は幼稚園のための女神になった。
小さかった頃のぼくみたいな子を、膝に乗っける女神になった…。
前のぼくには想像もつかなかった、フィシス先生。
幼稚園を守る女神に変身を遂げた、前のぼくの女神。前のぼくが決めたミュウたちの女神。
小さかったぼくが大好きだったフィシス先生が、前のぼくのフィシスだっただなんて。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイはフィシス先生、好きだった?」
「はあ?」
意味が掴めないって感じのハーレイの顔。そうだろうな、ってクスッと笑う。
「あのね…。ぼくね、とっても好きだったよ。フィシス先生の像の膝の上が」
「お前、あそこは登ってたのか?」
自分の家の木にも登らないお前が、あの像の膝に?
俺の記憶じゃ幼稚園児にはかなり高い筈だぞ、登れるようには出来ているがな。
「うん。チビのくせに頑張っていたとは思う…」
だけど周りがよく見えるんだよ、小鳥の家とかウサギの小屋とか。
前が混んでて行けない時には、あそこに登って空くまで座っていたんだよ…。
「なるほどなあ…。きっと御機嫌で座っていたんだろうなあ、小さなお前が」
今日も登ったと、得意そうな顔で。
ぼくの椅子だ、って満足そうに座って、足をぶらぶらさせたりして。
そうか、チビだった頃のお前がフィシスの膝になあ…。
「傑作だよね、前のぼくは座らなかったのにね?」
フィシスの膝に座るどころか、その逆だったよ。
シャングリラに連れて来た頃のフィシスは小さかったし、前のぼくの膝の上に座っていたよ。
「お前の方が保護者だったんだから仕方なかろう」
フィシスは幼稚園児よりかは大きかったが、それでも子供だ。
お前だって可愛がって座らせてたろうが、フィシスをうんと甘やかしてな。
「まあね。…前のぼくはフィシスの膝じゃなくって、ハーレイの膝に座ってたんだよ」
「今のお前も変わらんじゃないか」
何かと言えば座りたがるくせに。
幼稚園に行ってた頃から変わらないわけだ、フィシス先生の像か、俺かの違いだ。
「…ふふっ、フィシス先生はぼくの恋人とは違うんだけどね?」
幼稚園の頃から変わらないんなら、フィシス先生の膝の代わりに座ってもいい?
ハーレイの膝。
「まあいいだろう。…お母さんが晩飯だって呼びに来るまでな」
「うんっ!」
やった、と自分の椅子から立ち上がったぼく。
フィシス先生の膝の代わりに、今日はハーレイの膝に座れる。
(いいことを思い出しちゃった!)
よいしょ、とハーレイの膝に乗っかった。
いつもはハーレイの膝に座ったら胸に頬を摺り寄せて甘えるけれども、フィシス先生の膝の上に座ってた頃を思い出したから。
それが切っ掛けでハーレイの膝に乗っけて貰えたんだから、今日はいつもと違う向き。
ハーレイとおんなじ方向を向いて、背中にハーレイの優しい温もり。
広くて逞しい胸がぼくの背もたれで、ハーレイの膝がぼくの座る場所。
ハーレイの腕がぼくの身体をそっと抱き締めて、笑いを含んだ声が訊いてきた。
「おい、フィシス先生の膝と比べてどうだ?」
「やっぱり断然、ハーレイがいいよ」
そうに決まっているじゃない。
前のぼくも、今のぼくも、ハーレイが好き。ハーレイのことが一番好き…。
前のぼくはフィシスが好きだったんだ、って噂もあるけど、それはそれでいいよ。
実はキャプテン・ハーレイと恋人同士でした、ってことになったら大騒ぎになってしまうもの。
恋人はフィシスだったんです、って方が平和なんだよ、間違いだけど。
間違いだけれど、訂正するより平和だろうって気がしてこない?
「まあな。今度も秘密のままなのかもなあ…」
俺とお前が結婚したって、前世が誰だったかは一生、明かさないままで。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの仲は今度も秘密で終わるのかもなあ…。
せっかく二人で生まれて来たのに、とハーレイは苦笑しているけれども、それでいい。
前のぼくの恋人が本当は誰だったのかなんて、間違えられたままでもいい。
フィシスか、それともハーレイかなんて、誰一人として知らなくってもかまわない。
今のぼくは地球で幸せだから。
ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって幸せに生きてゆくんだから。
(…今度は結婚出来るんだよ)
誰よりも大切で、前のぼくだった頃から好きだったハーレイと今度は結婚出来るんだから。
幸せだったら、それだけでいい。それ以上のことを望みはしない。
(フィシス、見えてる?)
君の膝の上に乗ってた、幼稚園の頃のぼくも君には見えてた?
ねえ、フィシス。
ぼくはとっても幸せなんだよ、前のぼくが行きたいと夢見た青い地球の上で…。
幼稚園の女神・了
※幼かった頃のブルーのお気に入りの場所だった、フィシス先生の膝の上。像ですけれど。
フィシスは幸せに生きたようです、カナリヤの子たちと。そして今では幼稚園の女神。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
一学期の期末試験も無事に終わって、夏休みが始まるのを待つばかり。とはいえ授業があと数日と、終業式と。期末試験の打ち上げパーティーは済んじゃいましたし、ここで土日が挟まるというのも中途半端な気分がします。というわけで…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
私たちは土曜日の朝から会長さんの家へ出掛けてゆきました。「遊びにおいでよ」と御招待を受けてますから遠慮も何もありません。学校へ行く日と同じ時間に家を出て午前9時前には揃って到着。お目当てはリッチな朝御飯です。
「えとえと、パンケーキ、すぐ焼けるからね!」
入って、入って! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が案内してくれたダイニングには会長さんが。
「やあ、来たね。ぶるぅも思い切り張り切っているよ、普段はサムしか来ないから」
好きなのをどうぞ、と焼き立てパンが籠に山盛り、種類も色々。ソーセージやチーズも用意されてますし、すぐにパンケーキがドッサリと。
「焼けたよ~! 卵料理は何にするの?」
「俺、オムレツ!」
「ぼくは目玉焼きがいいですね」
「スクランブルエッグ!」
バラバラな注文も「そるじゃぁ・ぶるぅ」は慣れたもの。幾つものフライパンを同時に火にかけ、チャチャッと仕上げて自分の分もお皿に盛って。
「出来上がり~! お代わりも作れるから沢山食べてね!」
ぼくのはチーズ入りだもん、と早速パクパク。ハーブも入ったチーズ入りオムレツは美味しそうです。アレをお代わりに注文すべきか、焼き立てパンを全種類制覇するべきか。どっちも非常に魅力的ですし、どうしようかな…とポタージュスープを飲みつつ悩み中。他のみんなも…。
「美味いな、朝から来た甲斐があった」
ウチの朝飯とは全然違う、とキース君が言えば、サム君が。
「やっぱりそうかよ…。今日はいつもより豪華だけどよ、朝のお勤めに来たら基本の朝飯はこうだよなぁ…。寺だと全然違うんだ?」
「当然だろう。御本尊様に御飯をお供えするから白米の飯は欠かせないわけで」
「パンって選択肢がねえのかよ?」
「無いこともないが…」
レアケースだな、との答えにジョミー君が「だから坊主は嫌なんだよ!」と脹れっ面。夏休みに入れば恒例の璃慕恩院の修行体験ツアーが待っていますし、そこでもきっとパンの朝食はないんでしょうねえ…。
思わぬ所から話題はお寺の朝食談議に。元老寺なんかはまだマシな方で璃慕恩院だと精進だとか、修行道場へ行けば精進に加えて麦飯だとか、色々と。最終的に、お肉や卵が食べ放題でパンやパンケーキも好きなだけ食べられる朝食万歳という結論になり。
「食った、食った! 美味かったぜ!」
サム君が褒めちぎり、私たちも「そるじゃぁ・ぶるぅ」と招待してくれた会長さんに感謝です。みんなでペコリと頭を下げると、二人は「どういたしまして」とニッコリ笑顔。
「腕を奮えて良かったね、ぶるぅ」
「うんっ! わざわざ朝御飯を食べに来てくれて嬉しいな♪ 紅茶にする? コーヒーにする?」
「俺、コーヒー!」
「ぼくは紅茶でお願いします」
またしても注文がバラバラな上に、アイスだホットだと夏ならではのリクエストも。それを難なくこなす「そるじゃぁ・ぶるぅ」は流石の腕前、アッと言う間に飲み物バッチリ。軽く摘めるクッキーも出て来て、このまま午前のティータイムが始まりそうですが…。
「あっ、君たちもコーヒーなんだ?」
「「「!!?」」」
誰だ、と振り返った先に会長さんのそっくりさんが立っていました。トレードマークの紫のマントではなく、まさかの私服。朝っぱらから何処へ出掛けて来たんだか…。それとも会長さんの家に来るために着替えてきたとか?
「ふうん…。リッチな朝食だったみたいだけれども、まだまだだねえ」
勝った、とソルジャーは得意そう。
「食後の締めも甘すぎるよ、うん」
「なんだって?! ぶるぅの料理にケチをつける気!?」
会長さんが憤然と食ってかかって、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「頑張ったつもりだったけど…。何か足りない? ブルーのシャングリラの方が凄いの?」
「ぼくのシャングリラ? あっちは普通に朝の定食! ぼくは豪華にノルディの家でね」
「「「えぇっ!!?」」」
何故にエロドクターの家で朝食? まさか泊まりに行ったとか? 会長さんも顔が真っ青です。
「ま、まさか…。君はノルディと…!」
「うん、最高のモーニングコーヒーを御馳走になってきたんだけどねえ?」
「…モ、モーニングコーヒー……」
会長さんの顔色が更に悪くなり、血の気が完全に引きました。モーニングコーヒーって何でしたっけか、今、キース君たちが飲んでいるのも朝のコーヒーだと思うんですけど?
「…き、き、君は……」
顔を引き攣らせてソルジャーを指差す会長さんの動揺っぷりは只事ではなく、部屋の温度も急降下。クーラーが効き過ぎたのかと錯覚しそうな体感気温の下がりようです。しかし…。
「何か?」
ソルジャーの方は何処吹く風と空いていた椅子にストンと腰掛け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「ぼくにもコーヒー!」
「んとんと…。何かオプションつけるの?」
ホイップクリームたっぷりだとか、リキュールとか、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。締めが甘いと言われただけに頑張ろうとしている姿勢が見えます。なのに…。
「普通に、そのまま! 砂糖とクリームも別に持って来て」
「え? ええっ? それでいいの?」
「違いを味わいたいからね」
最高のモーニングコーヒーとのね、と微笑むソルジャー、普段は紅茶がお好みです。たまにコーヒーな気分の時には最初からお砂糖とクリームたっぷりで淹れて貰って、更に追加で入れる甘い物好き。なのにストレートのコーヒーだとは、これ如何に?
「だから言ったろ、最高のヤツと味くらべ! ぶるぅのコーヒーも美味しいけどさ」
悪びれもなく言い放ったソルジャーに、会長さんがやっとのことで。
「ほ、本当に飲んできたわけ、ノルディの家で?」
「もちろんさ。…ぼくのためにと最高級品を用意してくれて、二人でね」
「なんだってモーニングコーヒーなんか!」
「え? 君たちが朝食パーティーだったし、ぼくも豪華にやりたくってさ」
豪華な食事ならノルディの出番、とソルジャーは片目を瞑りました。
「朝御飯を御馳走になりたいんだけど、と頼みに行ったら即、オッケー! お楽しみにって言われたからさ、今日の朝から出掛けて行って」
「へ?」
会長さんの間抜けな声が。
「あ、朝からって…。朝から出掛けて食事だけ?」
「他に何があると?」
たっぷり食べて帰って来たのだ、と胸を張るソルジャーに会長さんが口をポカンと。
「じゃ、じゃあ、モーニングコーヒーは…?」
「なるほどねえ…。派手に勘違いをしたってわけだ」
お疲れ様、とソルジャーがニヤニヤ笑っています。モーニングコーヒーって、いったい何?
「普通に言うなら文字通りだよ、うん。朝のコーヒー」
誰かさんは勘ぐりすぎだ、とソルジャーは湯気の立つコーヒーカップを前にして。
「ノルディも何度も念を押していたねえ、いつかは本物のモーニングコーヒーをぼくと二人で、って。いわゆる男のロマンってヤツかな、素敵な夜を過ごした後の一杯だってば」
「「「は?」」」
素敵な夜って……その後の一杯って、もしかしなくても大人の時間?
「そりゃもう、ベッドで過ごす時間さ! ノルディの積年の夢なんだよねえ、ブルーそっくりのぼくを食べるというのが。でもって美味しく食べた次の朝、二人でベッドでコーヒーを…ってね」
それがいわゆるモーニングコーヒー、と言われてようやく理解しました。会長さんが真っ青になるわけです。でもソルジャーはエロドクターとコーヒーを飲んできただけで…。
「そうなんだよねえ、ぼくのハーレイにも悪いしね? でもさ…」
これはどうかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が淹れたコーヒーを口にしたソルジャーは。
「やっぱり少し違うかな。ぼくはコーヒーには詳しくないけど、ちょっと味がね」
「えーーーっ!」
ドッカンと自信喪失の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。紅茶もコーヒーもプロ顔負けに淹れられるだけにショックが大きいみたいです。
「…大変、勉強しなくっちゃ! ノルディに淹れ方、習ってこよう!」
即、実行! とばかりに駆け出そうとした「そるじゃぁ・ぶるぅ」に「待った!」とソルジャー。
「淹れ方は関係ないんじゃないかな? 多分、豆だよ」
「豆? ぼくも豆から淹れてるんだけど…」
きちんと挽いて淹れてるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は手順を指折って確認し始めましたが。
「違うよ、ノルディが自慢してたし、豆が特別なヤツだと思う。なんだったっけか…」
凄く高くて珍しいヤツ、と記憶を遡りながらソルジャーはコーヒーのカップに砂糖を入れてクリームもたっぷり。しっかりかき混ぜて口に運ぶと…。
「うん、この方が断然美味しい! コーヒーは苦いと美味しくないしね」
「君にコーヒーの味がどうこうと語る資格は無さそうだけど!」
会長さんの怒り爆発。モーニングコーヒーに翻弄された分も加算されているに違いありません。
「コーヒーは苦味が命なんだよ、砂糖たっぷりクリームたっぷりで台無しにしてる君には味なんか分からないってば!」
「ううん、分かるよ。最初の一口はノルディに勧められて普通に飲んだし!」
それは素晴らしい味わいだった、と言われましても。苦いコーヒーは美味しくないと甘さを求めるソルジャーなんかに違いが分かるわけないのでは…?
エロドクターが出したモーニングコーヒーとやらが「そるじゃぁ・ぶるぅ」のコーヒーよりも凄いらしい、という話。コーヒー党のキース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の肩をポンと叩いて。
「ぶるぅのコーヒーは本当に美味いと思うぞ、俺は。…他所で出て来るヤツより格段に美味い。みんなで食べに出掛ける高級店のにも引けを取らないと思うがな」
「…ホント?」
ホントに美味しい? と心配そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」にシロエ君たちも。
「美味しいですって! そうですよね?」
「うん、美味いぜ。マツカだってそう思うだろ?」
「ウチのシェフにも負けてませんね。…でも、豆で違いは場合によっては出るのかも…」
どんな豆です? とマツカ君はソルジャーに尋ねました。
「ぼくの家では父の好みでブレンドしてますし、ぼくもそれほど詳しくは…。でも有名どころは分かります。何処の豆でしたか?」
「…何処だろう? えーっと、ルアック? そうだ、ルアック・コーヒーだったよ」
「ルアックですか?」
それは違いが出てしまうかも、とマツカ君が頷き、会長さんも。
「そう来たか…。君に違いが分かるかどうかは置いておいても、確かに最高のコーヒーではある」
「「「…ル…アック…?」」」
なんですか、それ? 会長さんたちと食べ歩く内にコーヒーも多少は覚えましたが、まるで聞き覚えがありません。しかし、キース君は知っている風で。
「…ルアックか…。美味いとは聞くな」
「ルアックだったら負けちゃうかも…」
最高だもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「それってホントに最高なわけ?」
ジョミー君の問いに、会長さんが。
「最高級品だと言われているねえ、ついでにレア度がピカイチなんだよ。もちろん値段もグンと高いし、何処の店でも売っているっていうわけじゃない。如何にもノルディの好みだよねえ」
ついでに自信を持って出しそう、と深い溜息。
「で、ブルー。…本当に美味しかったのかい?」
「それはもちろん! そんなにレアで凄いんだったらお土産に買って帰ろうかな? ハーレイはコーヒーが好きだからねえ」
「…なるほどね。それじゃ手作りルアック・コーヒーはどう?」
もうすぐ夏休みで遊び放題、と会長さん。なんと、最高級のコーヒー豆を手作りで? それってコーヒーの国へお出掛けするとか、超豪華版の夏休み?
ルアック・コーヒーとやらを手作りと聞いて私たちは歓声を上げました。コーヒー豆のことはサッパリですけど、コーヒーは南の国で採れるもの。この夏休みは外国かも、と思うだけでドキドキワクワクです。ソルジャーも手作りという響きに心躍らせているようで。
「手作りルアック・コーヒーかぁ…。ハーレイが感動してくれるかもね。でもって最高のモーニングコーヒーを飲めるとなったら励んでくれそう」
結婚記念日も近いことだし、と壁のカレンダーを眺めるソルジャー。
「その話、乗った! 夏休みだよね?」
「うん。柔道部の合宿とジョミーとサムの璃慕恩院行きが済んでからかな」
コーヒー豆もちょうどシーズン、と会長さん。
「最高のヤツが作れると思うよ、かなり努力が要るだろうけど」
「気にしないってば、ハーレイとモーニングコーヒーを飲むためならね」
「じゃあ、決まり。それでさ…」
会長さんがそこまで言った所で、横から「待った」が。
「ちょっと待て、俺たち抜きで話を進めるな!」
それともあんたたち二人で行くのか、とキース君。
「二人で行くなら止めはしないが、俺たちも行くとしか聞こえんぞ」
「当然だろう? 柔道部の合宿とかが終わった後でと言ったからには君たちもだよ」
「なんで俺たちまで巻き込むんだ!」
勝手に決めるな、とテーブルをダンッ! と叩くキース君に、ジョミー君が。
「えっ、面白いと思うけど? コーヒー豆を手作りだよ?」
「うんうん、豆を摘むとか重労働かもしれねえけどよ、なかなか出来ねえ体験だよな」
俺も賛成、とサム君が。シロエ君やスウェナちゃん、私もやる気満々なのですけれど。
「…いいんですか?」
遠慮がちな声はマツカ君でした。
「ルアック・コーヒーは普通の豆とは違うんですけど」
「それって木が思い切り高いとか? 木登りしなくちゃ届かないほど?」
それならそれで遣り甲斐が、とジョミー君が応じ、私たちもコクコクと。相手は最高のコーヒー豆ですし、おまけにレア物。木登りくらいは必要かもです。
「…木登りはすると思いますけど…」
「いいよ、そのくらい」
お安いご用、とジョミー君が親指を立て、スウェナちゃんと私は「任せた」とばかりに拍手喝采したのに、浮かない顔のマツカ君。キース君も眉間に皺が…?
たかが木登り、されど木登り。もしやコーヒーの木ってサルスベリのように登りにくかったりするのでしょうか? それとも何か特別な品種で一本の木から採れる豆の量が少なすぎるとか?
「…マツカ、ハッキリ言った方がいいぞ」
こいつらは思い切りド素人だ、とキース君が話を引き継ぎにかかりました。
「確かに木登りはする筈だ。でないと豆を食えないからな」
「「「???」」」
コーヒー豆はコーヒーになって飲むものですから、木登りしなくちゃ採れないのなら登って当然、木登り上等。そこは男の子たちに任せるとして…。
「…本当に分かっていないようだな、木登りするのはお前たちじゃない」
「「「えっ?」」」
「ルアックってヤツが登るんだ。そうだな、マツカ?」
確認するキース君に、マツカ君がおずおずと。
「え、ええ…。ルアック、いわゆるジャコウネコですよ」
「「「ジャコウネコ!?」」」
そんなモノが何故登るのだ、と派手に飛び交う『?』マーク。そんな中でシロエ君が何か閃いたらしく。
「アレですか、ヤシの実と同じ理屈ですか? サルを登らせてヤシの実を採るっていうのがありますよね。それと同じで、サルの代わりにジャコウネコとか…」
登りにくい木なら動物もアリです、との意見に「そうか」と納得。ジャコウネコに木登りを仕込むのが難しいためにレアなコーヒーになるのでしょう。よーし、調教、頑張らなくちゃ!
「違うな、ジャコウネコは勝手に登る」
そして食べる、とキース君。
「ヤツらはコーヒーの実が大好きだそうだ。しかも美味そうな実しか食わない。つまり最高の実を選んで食いまくるわけだ、ヤツらはな」
「その前に阻止して毟るんですか?」
獲物を横取りするわけですか、とシロエ君が言い、困難であろう作業に思わずクラッと。木に登ってコーヒーの実を食べる獣の先回り。そこまでして採ったコーヒーとくればレアで高価になるわけです。夏休みの一環で挑むだけの価値も充分に…。と、考えたのに。
「甘いな、それならまだマシだ。人間がヤツらの後を追うんだ、ヤツらはコーヒーの実は大好物だが、コーヒー豆は消化できないらしい。未消化の豆を集めて、洗って」
「ま、まさか、それって…」
糞ですか?! と叫んだシロエ君に「まあな」と頷くキース君。マツカ君も沈痛な顔をしています。よりにもよって糞と来ましたか、それを集めて洗うんですって…?
ジャコウネコが食べたコーヒーの実。グルメな彼らのお眼鏡に適った最高の実の中のコーヒー豆なら、間違いなく最高と思われます。だからと言って何もジャコウネコの身体の中を通過してきた豆を失敬しなくても…。
「…アレってそういうコーヒーなのかい?」
ビックリした、とソルジャーの赤い瞳がまん丸に。
「流石は地球だね、収穫までに生き物の知恵と身体を借りるんだ? 素晴らしいよ、それ」
「「「………」」」
これが価値観の違いというものでしょうか、糞と聞いてもソルジャーは動じませんでした。むしろ感動したらしくって、美味しいわけだと改めてベタ褒め。
「ますますハーレイに飲ませたくなったよ、野生の強さも取り込めそうだ。で、本当に作るわけ? 手作りっていうのは糞を集めて洗うトコかな?」
集めるのはいいけど洗うのは嫌かも、とソルジャーの視線が私たちに。
「ぼくがサイオンで集めて回って、洗う方は君たちにお任せしたいな。凄いコーヒーだとは思うんだけども、糞は糞だし」
「…え、遠慮します!」
シロエ君が必死に叫びましたが、それで勝てるような相手では…。ん?
「そういう役目は最適の人間が一人いるよね」
しかも喜んで引き受ける、と会長さん。
「ぼくと一緒に夏休みを過ごせて、あわよくば手作りモーニングコーヒー! これで釣れないわけがない」
「お、おい…! あんた、まさか…!」
キース君の声に、会長さんはニッコリと。
「もちろん釣るのはハーレイさ。ブルーが最高のモーニングコーヒーを作りたいらしいから手伝うんだ、と言えばホイホイ出て来るよ。ぼくと飲むんだと妄想爆発、一日中でも糞を洗うね」
ぼくたちの仕事はそれ以外、と会長さんは微笑みました。
「ジャコウネコを調達してきて放すトコから始めなくっちゃ。ルアック・コーヒーの本場じゃジャコウネコは普通に生息しているけれども、ぼくたちの国にはいないからねえ」
「「「え?」」」
この国って、コーヒー、採れましたっけ? そんな話は知りません。温室栽培でもしてるのでしょうか、それを横から盗む気ですか?
「人聞きの悪い…。その辺はぼくに任せておいてよ、それとマツカの手を借りなきゃね」
宿の確保だ、と会長さん。何処に行くのか謎ですけれども、お出掛けだけは出来そうです。外国じゃないのが残念とはいえ、山の別荘より楽しいかも?
こうしてルアック・コーヒー手作りプロジェクトがスタートしました。夏休みに入って男の子たちが合宿などに旅立った後は、代わりとばかりにソルジャーがウロウロ。暇を見てはフラリと現れるらしく、会長さんと話が弾んでいます。
「それでさ、ジャコウネコの確保だけどさ…」
「やっぱり瞬間移動でパパッと! 逃げる隙とか与えちゃダメだよ」
見付け出したら即、捕獲! と会長さん。
「とにかく数を捕まえないとね。本当は思い切り違法だけども…。検疫している時間が無いし」
「そこは何とかなるってば。ぼくのシャングリラで検疫に引っ掛かった動物に使う方法、こっちの世界でも有効だよ、きっと」
閉ざされた船の中の方が遙かに危険が多いんだから、とソルジャーはニヤリ。
「検疫部門の情報操作はしておいた。ジャコウネコの十匹や二十匹、三日もあればなんとかなる。今夜、捕まえに行くんだよね?」
「君の方の用意が出来たんならね」
「かみお~ん♪ ぼくも手伝う!」
良からぬ話が進んでいるような気がしましたけど、ルアック・コーヒーを作るためにはジャコウネコの存在が欠かせません。何処の国で捕まえて来て、何処でコーヒーの実を食べさせるのか…。
「ん? 捕まえに行くのは本場の国だよ」
「らしいよ、ブルーが案内してくれるってさ」
ジャコウネコを捕まえた後は現地で名物料理なんだ、とソルジャーは至極ご機嫌でした。自分の世界のシャングリラ号の検疫部門をモーニングコーヒーのために働かせておいて、自分はちゃっかりグルメ三昧。如何にもと言うか、らしいと言うか…。
「え、だって。普段は行かない国なんだしさ…。せっかくの地球を満喫しないと」
「そして君のハーレイにもお土産だっけね?」
「うん! とりあえず本場のルアック・コーヒー!」
きっと感激するだろう、とソルジャーの瞳が輝いています。
「地球ならではのコーヒーだしねえ? でもって、それと同じタイプのコーヒーを手作りするために出掛けて来る、と言えば感動もひとしおだよ。楽しみだなぁ、手作りルアック・コーヒー!」
そしてハーレイと二人でモーニングコーヒー、と陶酔し切っているソルジャー。結婚記念日が間近に控えているだけに、大人の時間に拍車がかかること間違いなし。とはいえ、自分たちの世界で飲むんだったら好きになさって下さいです…。
「「「……スゴイ……」」」
男の子たちが戻って来てから数日後。私たちは南の島に来ていました。同じ国とも思えない植物、それに澄み切った青い空と海。けれど何より驚いたものが目の前の木です。
「…コーヒーの木って大きくなるんだ…」
信じられない、とジョミー君。目の前の木は高さ十メートル以上あるでしょう。それが森となって茂った景色は「凄い」としか言いようのないもので。
「剪定しないと育っちゃうんだよ、コーヒーはね」
こんな風に、と会長さんが指差す広大な森は昔は農園だったのだそうです。
「この国じゃ採算が採れないから、と放置されてから長く経つわけ。野生化しちゃったコーヒーの木は此処の他にもあるんだけども…。宿の関係でこの島にした」
悪いね、マツカ、と会長さんが声をかけるとマツカ君は。
「いえ、ちょうど別荘のある場所で良かったです。ホテルよりも自由に動けますから」
「そうなんだよねえ、今回は目的がアレだしね」
ハーレイの仕事が凄すぎるし、と笑う会長さんの視線の先には教頭先生。ソルジャーとキャプテンのために最高のモーニングコーヒーを作りに行く、と聞かされて見事に釣り上げられたという話です。
その教頭先生、「任せておけ」と頼もしい笑顔。
「糞を洗えばいいのだったな? そしてコーヒー豆を糞の中から選り分ける、と」
「うん。そのコーヒー豆もキッチリ綺麗に洗ってよ?」
「もちろんだ! いずれは口に入るものだし、それに、そのぅ……」
「ぼくも飲むかもしれないしね? 君と一緒にベッドの上で…ね」
モーニングコーヒーはやっぱりベッドで! と餌をちらつかされた教頭先生、鼻血の危機。ウッと息を飲み、鼻の付け根を強く押さえておられますけど…。
「ふふ、味見は先にぼくのハーレイとぼくの二人で! 最高のコーヒーを期待してるよ」
結婚記念日ももうすぐだしね、とソルジャーの極上の笑みが。
「君も頑張れば結婚出来るさ、ブルーとね。そしたら毎日モーニングコーヒー!」
「は、はいっ! 頑張ります!」
目指せ結婚! と決意漲る教頭先生の声に会長さんが「まずは糞から!」と被せていたのを私たちはハッキリ耳にしました。教頭先生は結婚に向けて頑張る所存でらっしゃいますけど、会長さんが期待するものは糞洗い。両者の距離は隔たり過ぎてて、重なりそうもないですってば…。
野生化してしまったコーヒーの木の森。ルアック・コーヒーを作るためには木に実っている赤い実をジャコウネコに食べて貰わなければいけないのですけど。
「「「…夜行性?」」」
「そうだけど?」
生憎と昼間はこの通りで、と会長さんとソルジャーが瞬間移動させてきた大きな檻。中ではハクビシンに似た生き物が丸くなって熟睡しています。その数、一匹、二匹どころではなくて…。
「全部で二十匹、確保した。ブルーのシャングリラの検疫部門で薬を飲ませたり消毒したりしてあるからねえ、生態系とかに影響は無い筈だ。本当は勝手に持ち込んで放すのは違法だけどさ」
「用が済んだら返すんだから問題ないだろ、元の国まで」
しかし帰国までは役立って貰う、とソルジャーが。
「目を覚ましたらコーヒーの実をガンガン食べて貰わなきゃ! そりゃ虫とかも食べていいけど、基本はコーヒー!」
森ごとまるっとシールドしてやる、と闘志に溢れているソルジャー。会長さんも負けじと檻を背にして私たちに発破を。
「いいかい、ジャコウネコは夜になったら森に放して自由にさせる。だけどブルーも言っているとおり、コーヒーの実を食べてなんぼなんだよ、そこが大事なポイントだから! 君たちの役目は森の監視で、ジャコウネコが下をうろついていたら木に登らせる!」
「「「えぇっ?!」」」
そんな無茶な、と悲鳴を上げたのに配られてくる鞭ならぬハタキ。ストレスを与えないよう周りの地面や草をパタパタはたいて木に追い上げろとはハードそうな…。
「もちろん、ぼくとブルーも発見したら追い上げるように努力はするさ。ぶるぅも追いかけて走ると言ってる。でもねえ、ルアック・コーヒー作りはジャコウネコを木に登らせてこそ!」
それが出来ないなら糞を洗え、と出ました、恐怖の選択肢。
「糞洗いは主に昼間の仕事になる筈だ。夜の間は糞も見えにくい。拾い逃がしを見付けた時には拾っておくけど、そうならないよう昼間の間にキリキリ努力をして貰いたい」
というわけで、と会長さんは教頭先生にビシィッと指を突き付けて。
「君の出番は昼間なんだよ、ぼくたちとは逆のシフトだね。ぼくたちが寝てる間に糞を拾って洗って、出て来た豆を乾かしておく! 分かったかい?」
「…で、では、お前と顔を合わせられるのは…」
「今日はこのまま徹夜で行くけど、明日からはしっかり寝なきゃだし…。次に会うのは帰る日になるかな、頑張って」
「……そ、そんな……」
会えないのか、と泣きの涙の教頭先生。ジャコウネコ追いから脱落したら教頭先生と同じシフトにさせられた上に糞洗いなわけで、これは絶対、避けないと~!
夜行性のジャコウネコが動き始めるまで、マツカ君の別荘でのんびり待機。クーラーの効いた部屋でゲームをしたり、お菓子を食べたりと平和な時間が流れましたが、教頭先生は会長さんとの別れを惜しんでしんみりと。
「…ブルー、本当に最終日まで会えないのか?」
「そうなるねえ…。でもさ、ぼくたちは一応、共同作業なんだよ? 夜の間にぼくたちがジャコウネコを追う。そのジャコウネコが落とした糞をさ、君が集めて洗うわけでさ」
どちらが欠けてもルアック・コーヒーは出来ないのだ、と会長さんは教頭先生の褐色の手をギュッと握って。
「この手の働きに期待してるよ、ブルーのモーニングコーヒーのためにもね。…そしていつかは君と二人でモーニングコーヒーを飲めるといいねえ」
「そ、そうだったな! 私には夢があるのだったな」
お前とモーニングコーヒーだ! と燃え上がっておられる教頭先生は、会長さんがペロリと舌を出したことに全く気付いていませんでした。おめでたいとしか言えませんけど、それでこそ教頭先生なのですし…。
「ブルーのために頑張るぞーっ!」
「はいはい、間違えないように。あくまであっちのブルーだから!」
ぼくとは運が良かったらの話、という会長さんの言葉も耳に入ってはいないようです。そんな教頭先生ですから、糞洗いが文字通りのババなことにも気付かないわけで。
「ブルーと共同作業なのだな、こう、初めての共同作業と言えば…」
ウェディングケーキに入刀だとか、キャンドルライトサービスだとか…、と心は一気に会長さんとの結婚式まで飛んでいる模様。糞洗いで此処まで夢を見られる妄想体質、大いにババならぬ糞を洗って下さいとしか…。
日が暮れる前に早めの夕食を終えた私たちは教頭先生を別荘に残し、コーヒーの木が茂る森へと出発しました。ジャコウネコの檻は森の入口に置いてあり、部外者に見られないようシールドつき。
「かみお~ん♪ みんな目が覚めたみたい!」
動いてるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちの方も一応はサイオンで夜目が効きますし、夜の森でも大丈夫です。気になる虫や蛇の類は会長さんたちがシールドを。
「それじゃ放すよ、頑張って木に追い上げて」
開けるからね、と会長さんが。
「「「はーい!!」」」
ガチャリと檻の鍵と扉が開けられ、お腹をすかせたジャコウネコたちが次々と飛び出しました。流石はルアック・コーヒーの生産を担うだけあって、一目散にコーヒーの木へ。絡まった蔦や蔓を頼りにスルスルスル…と。
「よーし、登った! 後はそのまま登っててくれれば…」
そして食べまくれ、とソルジャーは御満悦でしたが、そこは生き物。一時間と経たない内に他の味を求めて下りてくるヤツも何匹かいます。
「そっち、行ったぜー!」
「おい、登れと言っているだろうが! 早く登らんか!」
でないと念仏を唱えるからな、と妙な台詞を言い出す人やら、ひたすらハタキを振り回す人やら。スウェナちゃんと私は女子なこともあって…。
「かみお~ん♪ ぼくもお手伝い!」
こっちはダメーッ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンの壁を作って助けてくれます。後は追い込めば木に登りますし、これってけっこう楽勝かも…。
「何処が楽勝なのさ、大変だってばー!」
「ジョミー先輩、また逃げてます!」
反対側から下りられました、と暗い森の中でドタドタ、バタバタ。肝心の糞がどうなったのかは誰も全く考えておらず、その内に白々と夜が明けて来て…。
「あ、下りてきた…」
「檻に帰って行くみたいですね?」
家だと分かっているんでしょうか、とマツカ君が首を傾げると。
「躾けておかないと困るじゃないか。ブルーと一緒に頑張ったんだよ」
これが家だと教えてあるよ、と会長さん。ん? 糞は…?
「さあねえ…? 檻の中でする分は楽に拾えるだろうけど、他はさぞかし大変だろうね」
範囲はしっかり区切ってあるから頑張って拾え、と会長さんはソルジャーと顔を見合わせてニヤリ。
糞洗い担当の教頭先生、踏み荒らされた森の中でひたすら糞探しですか…。
夜な夜なコーヒーの森でジャコウネコを追い、夜明けと共に疲れて爆睡。目を覚まして朝食ならぬ夕食を食べ始める頃、一日のノルマを終えた教頭先生が戻って来る日々。教頭先生は戦果を報告しようと会長さんに声を掛けるのですが…。
「明日にしてくれる? 今はそういう気分じゃないんだ、食事中だよ!」
デリカシーの無い、と一喝されて会話終了、肩を落としてスゴスゴ退場。けれど教頭先生の仕事の成果は毎朝チェックされていました。
「うん、いい感じに増えてるよ。今夜の分でまた増えるだろうねえ」
会長さんが朝日の中で豆の置き場を覗き込み、ソルジャーも。
「有難いねえ…。これだけあれば当分の間、ハーレイと二人で最高のモーニングコーヒーを楽しめそうだ。こっちのハーレイに感謝しなくちゃ、糞探しに糞拾い、糞洗いだし」
誰もが嫌がる仕事だよね、と感慨深げに言うソルジャー。
「ぼくは綺麗に洗い上がった豆を持って帰って焙煎させるだけだけれどさ、君たちの分はどうするんだい? ぶるぅが煎るわけ?」
「まさか! 謹んで進呈させて貰うよ、あるだけ全部」
ケチつくつもりは毛頭ない、と会長さんは太っ腹ですが、それじゃ私たちはタダ働き…。殺生な、と嘆く気持ちが伝わったらしく。
「なんだ、ルアック・コーヒー作り体験では満足出来なかったんだ? だったら幾らか分けて貰ってコーヒーを飲むとか、お菓子にするとか」
「かみお~ん♪ コーヒーゼリーとか美味しいよ! ケーキとかにも使えるし!」
「…そ、そうだな……」
美味いだろうな、とキース君が呟いたものの、相手はルアック・コーヒーです。たった今、檻に戻ったばかりのジャコウネコたち。彼らが夜っぴて食べたコーヒーの実がお腹を通って…。
「……要らないかも……」
欲しくないかも、とジョミー君がボソリと零して、サム君が。
「…あいつらのケツから出るんだもんなぁ…」
それはちょっと、と誰もが思った所へ、教頭先生が起きて来ました。
「おお、おはよう。みんな揃って元気そうだな、今日も頑張って糞を洗うぞ!」
「「「……ふ、糞……」」」
絶句する私たちの横から会長さんが声を張り上げて。
「デリカシーが無いって言ったろ、君は一人で糞にまみれてればいいんだよ! 運がつくから!」
「そうか、運がつくか! お前とモーニングコーヒーなのだな、糞にまみれるのも最高だな!」
フンフンフン…と鼻歌を歌いながら糞拾いに去ってゆかれる教頭先生は妄想MAXでらっしゃいました。ルアック・コーヒーでモーニングコーヒーはソルジャー夫妻限定じゃないかと思いますけど、お幸せならいいのでしょうか? フンフンフン…糞、糞、糞…と多分幸せ、きっと幸せ…。
コーヒー騒動・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ルアック・コーヒーの話は嘘じゃないです、知る人ぞ知る名物コーヒー。
愛飲している方がいらっしゃったらゴメンナサイです、ネタにしちゃって…。
来月は第3月曜更新ですと、今回の更新から1ヶ月以上経ってしまいます。
よってオマケ更新が入ることになります、6月は月2更新です。
次回は 「第1月曜」 6月6日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、5月は、キース君が持っている住職の資格が災難を呼ぶとか。
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