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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(ハーレイが居るのが普通だったんだけどな…)
 今は全然普通じゃないよ。それどころかまるで正反対。
 病院に行くほどじゃなかったけれども、具合が悪くてパパとママに休まされてしまった学校。
 今日で二日目。
 昨日はハーレイも来てくれなかったし、忙しかったんだろうと分かっているけど悲しい気分。
 ぼくが休むと「大丈夫か?」って家に寄ってくれて、野菜スープを作ってくれたりする日だってあるのに。何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだスープ。
(野菜スープのシャングリラ風が食べたかったな…)
 そう思ったって始まらない。ハーレイには仕事があるんだから。
 とはいえ、昨日よりは軽くなっている身体。明日は学校に行けるかも…。
(行けるといいな…)
 ベッドサイドの時計を眺めてビックリした。とっくに授業が始まってる時間。
(こんな時間まで寝ていただなんて、具合が悪いの?)
 でも…、と考えを切り替えてみた。ゆっくり眠って体力回復っていうこともある。
(そうだ、朝御飯だって食べなくちゃ…)
 昨日はロクに食べていないから、体力を戻すなら食事が大切。
 沢山食べるのは無理だけれども、トーストとミルクくらいなら。
 隣町に住んでいるハーレイのお母さんが庭の夏ミカンで作ったマーマレードを塗ってトーストを食べれば、きっと良くなる。お日様の光を閉じ込めた金色。
(早く学校に行きたかったら、栄養をつけておかなくっちゃね)
 よし、とベッドから出て階段を下りて、ダイニングまで行ってみたんだけれど。
 九時をとっくに過ぎていたから、朝御飯のテーブルにはぼく一人だけ。
 パパは会社に行ってしまったし、ママはキッチン。



(独りぼっちだ…)
 ママが「あら、起きたの?」とトーストを焼いてくれて、ミルクも入れてくれたんだけど。まだキッチンに用があるのか、直ぐに姿が消えてしまった。
 独りぼっちの朝御飯。ハーレイのお母さんのマーマレードをたっぷりと塗って頬張っても一人、ミルクのカップを傾けても一人。
(…独りぼっちで朝御飯だなんて…)
 学校を休んでしまった時にはたまにあるのに、どうして今日は寂しいんだろう?
(…なんで?)
 何か理由があったっけ、と考えた所で気が付いた。
 前のぼくなら有り得なかった、独りぼっちで食べる朝食。いつだってハーレイが食卓に居た。
 そう、ハーレイと一緒に食べてた朝食。
 前のぼくには当たり前のことだったのに、今ではすっかり正反対。
 ハーレイのいない朝食が普通で、今日みたいにパパとママまでいなかったりする。
 でも…。



(あれって、いつから?)
 ハーレイと一緒の朝御飯。青の間で毎朝、二人で食べた。朝食係のクルーが奥のキッチンに来て仕上げる朝食。
 何を食べたいかは、前の日に部屋付きの係がぼくに訊いてた。ハーレイの分は、ハーレイが前の日の内に自分で係に伝えていた。
 そうやって準備される朝食。ハーレイと全く同じメニューだったことも、違うこともあった。
 前のぼくも今ほどじゃないけど小食だったし、そんなに沢山は食べられないから、ハーレイのと同じメニューでも量は少なめ。ハーレイが別のメニューを頼んだ時には「凄いな」と見てた。量も凄いけど、朝一番に食べるにはしては重すぎるように思える料理。
(ただのオムレツなら分かるんだけど…。具だくさんだったりするんだよね)
 ソーセージやジャガイモが入ったオムレツ。それをペロリと平らげるハーレイ。そんな凄いのを頼んでいたって、トーストは普段通りの分厚さ。ぼくのよりもずっと分厚いトースト。
 朝から食欲旺盛なハーレイが美味しそうに食べる姿は大好きだったし、馴染みの光景だったんだけれど。
 そういうハーレイをいつから見るようになったっけ?
 いつから二人で朝食を食べるのが普通になったんだっけ…?



(んーと…)
 アルタミラを脱出して間もない頃にはハーレイと二人きりじゃなくって、みんなで食事。食堂に集まって和やかに食べた。ハーレイがキャプテンになって、ぼくがリーダーと目され始めた頃にも食堂で食べるものだった。
 ぼくの具合が悪い時にはハーレイが部屋までトレイに乗っけて持って来てくれて、野菜スープも作ってくれた。そうした時にはハーレイも一緒に食べてたと思う。
 けれどシャングリラの改造が終わって、白い鯨が出来上がって。
 既にソルジャーと呼ばれていたぼくには、青の間という専用の部屋が割り当てられた。文字通り青い明かりが灯った、だだっ広い部屋。
 ぼくのサイオンは水と相性がいいようだから、と大量の水が湛えられていた、一人で暮らすには大きすぎる部屋。ぼくはベッドと最低限の家具があればいいのに、ベッドまでが特別に誂えられた立派すぎるもので、馴染むまでには暫くかかった。
 それでも「住めば都」と言うだけはあって、いつの間にか「ぼくの部屋だな」って思うようにはなったんだけれど。
 問題は、其処が「ぼくのためだけの」部屋であること。
 ぼくの食事を仕上げるためのキッチンまで備わってしまっているから、食事係のクルーが来てはくれても「一緒に食べてくれる人」がいない。
 いつだって一人、朝御飯も昼御飯も、晩御飯も。
 食堂へ行けば皆と一緒に食べられるけれど、ぼくはソルジャー。周りのみんなが気を遣う。凄く緊張してるのが分かる。
 それでは楽しい食事の時間が台無しになるし、ぼくの足は食堂から自然と遠のいていった。



 そうして気付けば、ぼくは青の間で独りきりの食事。
 いくら前のぼくが我慢強くても、やっぱり寂しい。誰かと一緒に食事をしたい。
 これじゃ寂しい、と思ったから。
 一日に一度だけでいいから、一緒に食事を食べてくれる人が欲しいと考えるようになったから。
 何か方法は無いのだろうか、と思案した末に、キャプテンだったハーレイを誘うことにした。
 毎朝、その日のシャングリラで行われる様々なことを報告するために来ていたハーレイ。夜にも結果報告に来ていたけれども、朝の報告はぼくの判断を仰いでいたこともあったから。
 これは使える、と名案が閃いた前のぼく。
 早速、ハーレイに持ち掛けた。
 朝の報告と打ち合わせをするのに丁度いいから、青の間へ朝食を食べに来ないか、と。
 キャプテンの分の食事も用意させておくから、朝食を食べながら話し合おうと。



 あの頃は恋人同士じゃなかったけれども、前のぼくの親友だったハーレイ。
 シャングリラやミュウの未来のことだけじゃなくて、何でも話せたぼくの親友。おまけに誰もが認めるぼくの右腕、キャプテン・ハーレイ。青の間で毎朝会食するには最適な人材。
(…あの時、ハーレイを誘っておいて正解だったよ)
 もしも長老たちを誘っていたなら。
 食堂での食事には及ばないまでも賑やかにやろうと考えたならば、長老たちが勢揃い。
 食事をしながらの会議だったら、長老が全員揃っていたって全然問題ないんだけれど…。
 表向きは会議ってコトでも、毎朝、楽しく食卓を囲んでいたんだろうけど…。
(ハーレイと恋人同士になった後が大変!)
 ぼくとハーレイとの仲はバレなかったとは思うけれども、朝食の席にズラリと顔を揃えた長老。
 ベッドで恋人同士の時間を過ごして眠って、起きたら朝食会なんて。
 それはとっても恥ずかしすぎる。
 いくらシャワーを済ませていたって、いたたまれない気持ちになったと思う。
 さっきまで何をしてたんだっけ、と顔が真っ赤になることだってきっと何度もあっただろう。
 長老たちとの食事会にしなくて正解。
 ハーレイだけを選んで誘って、二人きりの食事で大正解。
 でも…。



(…前のぼく、ちゃんと分かっていたのかな?)
 ハーレイは特別なんだ、っていうことを。
 ぼくの特別で、いつか誰よりも大切な人になるんだってことにぼくは気付いていたんだろうか。
 それとも何か予感があった?
 いつかハーレイは「特別」になると、ぼくの大切な恋人になると。
(…予知能力は大して無かったと思うんだけど…)
 ほんのちょっぴり、虫の知らせとか言われる程度しか前のぼくは感じ取れなかった。
 嫌な予感がすると思っても、具体的に何が起こるというのか理解出来てたわけじゃない。
 キースが捕虜になっていた時さえ、「ぼくの命はもうすぐ尽きる」と予感してはいても、ぼくに死を齎す死神が誰かは分からなかったし、分かっていたならキースを殺していただろう。
 フィシスがキースを庇ったところで無駄なこと。あの時、ぼくはキースを捕えるつもりでいた。単に意識を奪うつもりで放ったサイオン。だからフィシスの力で防げた。前のぼくの殺意を弾けるミュウなどはいない。殺すと決めたら確実に殺す。
(…あそこでキースを殺していたなら、ナスカは燃えずに残ったかも…)
 だけど、その後の未来が変わる。ミュウと人類の和解までには想像もつかない年数がかかって、地球だって蘇らないままでいたかもしれない。
 それを思うと前のぼくの予知能力が低かったことは多分、幸いだったんだろう。
 殆ど役には立たなかったそれ。だからこそ大部分をフィシスに譲った。フィシスはそれを上手く操り、色々と予言をしていたけれども、ぼくが持っていても無用の長物。
 あまりに低すぎた、前のぼくの拙い予知能力。
 だけどハーレイ限定で働いたのかな、って思わないでもない。
 ぼくの「特別」だと、誰よりも大事な恋人なんだ、って。



 前のぼくとハーレイは出会いからして特別だった。
 アルタミラ崩壊の時に同じシェルターに閉じ込められなかったら、きっと全然違ったと思う。
 サイオンの使い方さえ分からないままに、闇雲にぶつけて壊したシェルター。我先に逃げ出して行った仲間たち。
 座り込んでいたぼくを助け起こして、「他にも閉じ込められたヤツらがいると思うぞ」と言ったハーレイ。ぼくだって仲間たちの思念を感じていたから、二人でシェルターを開けて回った。
 あの時、ハーレイがいなかったとしても。
 ぼくは独りでシェルターを幾つも、幾つも開けて回っただろうと思うけれども…。
(…やっぱりハーレイ、手伝ってくれた?)
 幾つ目のシェルターに居たかは分からないけれど、ぼくを手伝ってくれたんだろうか。
 ぼくたちの出会いは同じだったろうか?
 「お前、凄いな。小さいのに」が最初の言葉だったから、同じだった?
 ぼくがハーレイの居るシェルターを開けたら、そう言ってくれた?
 でも、ぼくは返事をする間も惜しんで無言で、次のシェルターへと走って行ったと思う。
 走ってゆくぼくをハーレイはきっと追いかけて……。
 来てくれたよね?
 一緒にシェルターを開けて回ってくれていたよね?
 ハーレイがそういう人間だってことを、ぼくは誰よりもよく知っているから。



 だったらハーレイはやっぱり特別。ぼくの特別。
 出会い方がまるで違っていたって、出会ったら同じ。
 お互い、相手を放っておけない。アルタミラが燃える地獄の中でも、離れ離れではいられない。
 ぼくはハーレイと一緒に走りたかったし、ハーレイはぼくと走りたかった。
 アルタミラを脱出した後も、ぼくは長いことハーレイにくっついて歩いていた。ハーレイがまだキャプテンになっていなかった頃は、後ろにくっついて歩いていた。
 調理の総責任者みたいなことをしていたハーレイの手伝いをしたり、「何が出来るの?」と鍋やフライパンを覗き込んだり。親鳥を追いかける雛鳥みたいに、懐いていたぼく。
 そんな思い出があったハーレイだから、ぼくは食事に誘ったんだろうか。
 独りぼっちじゃ寂しいからって、ハーレイを選んで名指しで決めて。



 青の間での朝食に誘われたハーレイは、喜んでやって来てくれた。
 食堂で仲間たちと一緒に食べるのも楽しいけれども、こういう落ち着いた場所もいいって。
 静かすぎるけど、悪くはないって。
「その分、私たちがあれこれと喋ればいいのですしね」
「うん、そうだよね」
 シャングリラのこととか、色々なこと。
 君の目で見るのと、ぼくが見るのとでは同じ出来事でも印象が変わってくるのだろうし。
「はい。一応、持っては来たんですが…。資料などを」
「そうなのかい? 流石はキャプテン、真面目なんだね」
 まさか資料を用意したとは思わなかったし、ぼくは驚いたんだけど。
「ソルジャーとの会議を兼ねた朝食会です、当然のことかと」
 ハーレイが姿勢を正して言うから、「それで、何を?」と訊いてみた。
「どういった資料を持って来たわけ?」
「昨日のシャングリラでの出来事と経過を。昨夜の報告の補足事項なども含まれますが…。朝食の前に報告させて頂きましょうか?」
「要らないよ。ぼくには全部分かっているから」
 嘘じゃないこと、君だって知っているだろう?
 君が毎日ぼくに報告するようなことは、ぼくはとっくに承知だってこと。
 シャングリラ中に張り巡らせてある思念の糸に引っ掛かってくるから分かるんだよ。
 そういう目的で思念を張り巡らせているってわけじゃないけど、副産物だね。
 ぼくの思念は船全体を把握するのに必要なもの。
 そうでなければ守れないんだよ、巨大な白い鯨をね…。



 だから報告の必要は無い、と断って「じゃあ、食べようか」と食事を始めながら。
 ぼくはちょっぴり心を弾ませ、テーブルの向かい側に座ったキャプテンに尋ねてみた。
「…それよりも他のニュースは無いの?」
「ニュースですか?」
 あれば報告いたしますが、とハーレイが大真面目な顔で答えるから。
「そうじゃなくって、意外性のあるニュースだよ」
 ぼくに報告するまでもないような些細な出来事。
 いわゆる日常の延長線上で何か無いかな、って訊いてるんだけど…。
 ぼくが思念で知っていることは、言わば公式なことって言うの?
 個人の行動までを追ってはいないし、失敗談なんかは分からないしね。
「…はあ……」
 それでしたら…、とハーレイは軽く溜息をついて。
「昨日、ブリッジで少々、騒ぎが」
「ブリッジで?」
 どんな、とぼくは好奇心に瞳を輝かせた。
 シャングリラ中に張り巡らせた思念の糸はブリッジにだって幾重にもある。
 だけど騒ぎには気付かなかったし、何事だろうと思ったから。



 ぼくの向かいに座ったハーレイ。ぼくのお皿に乗っかったのよりも大きなオムレツをフォークでつついて、「お恥ずかしいのですが…」と言いにくそうに口を開いた。
「ブラウに肩を叩かれたはずみに落としたんです、大事な鉛筆を」
「鉛筆?」
「…はい。休憩時間に下描きをしていた最中でして…」
 木彫りを始める前に木の塊に描き込む、大まかな下絵。
 それに使う鉛筆が落っこちたという。
 下手くそで知られたハーレイの木彫り。趣味だから誰も止めはしないけど、とっても下手くそ。それなりに手先は器用らしくて、スプーンやフォークといった実用品なら文句なしの出来栄えなんだけど…。欲しがる人だっていたりするけど、それ以外は駄目。
 芸術を目指せば正体不明の物体が出来るし、写実性を追求した時には別物が出来る。どう言えばいいのか、評価するのにこっちが困る。ブラウなんかはズバズバけなしているけれど。
 誰が見たって下手くそなんだし、部屋でコッソリ彫ればいいのに、ブリッジで彫ろうとしていたなんて。下絵を描くための鉛筆まで持って出掛けたなんて、と可笑しくなった。
 でも、この話は此処で終わりじゃないだろう。
 たかが鉛筆を落としたくらいで「騒ぎ」なんかには絶対ならない。何かあるな、と鉛筆の行方を訊きだしてやるべく、ぼくは「鉛筆ねえ…」と相槌を打った。



「災難だったね、落とすだなんて。ブラウに悪気は無かったろうけど…」
 その鉛筆、何処に落ちたんだい?
 落としただけなら拾い上げれば済むことだろう?
「それが…。見事に入ってしまいまして…」
 キャプテンの席の下にコロンと。
 運悪く隙間に落ちたらしくて、とても拾えるような場所では…。
「それで?」
「サイオンで拾おうと思ったのですが…」
「拾えなかったのかい?」
 ハーレイは瞬間移動は出来ないけれども、鉛筆くらいは軽く動かせる。
 何処にあるかを透視で探して、元の隙間からサイオンで引っ張り出せば終わりだと思ったのに。
「なにしろ休憩時間ですから。たちまち人が寄って来まして…」
 ゼルが「シートを外せ」と大袈裟なことを。
 「この際、シートの下の掃除もすれば良かろう」とまで…。
 お蔭で晒し者でした。
 シートを外す係が呼ばれて、あのキャプテンのシートを外して…。
 鉛筆は無事に拾えたのですが、外した後を掃除するからと掃除係も呼ばれたのです。
 シートが元通りの場所に設置されるまで、鉛筆と木の塊とを持って立たされていました、作業の邪魔にならないようにとブリッジの隅に。
 ブリッジ中のクルーが、私の方を見ないようにしながらクスクス笑っているんです。
 肩が小刻みに震えてるんです、ゼルとブラウは遠慮なく笑ってくれました…。



「なるほどねえ…」
 それは確かにニュースな上に騒ぎだよね、と吹き出さざるを得なかった、ぼく。
 シャングリラの中では思いもよらない事件が起こっているらしい。
「そんな騒ぎを起こしたとなると、木彫りは禁止されたのかい?」
 キャプテンのシートを外した上に掃除となったら、作業するクルーも大変だしねえ…。
「いえ。今後も気にせず続けていいと言われました」
 娯楽になるから、と。
 シートを外しに来ていた係も、掃除係も「いつでもどうぞ」と笑っていました。
「…うん、分かる」
 キャプテンがヘマをする現場なんかは、そうそう見られはしないしね?
 少しばかり仕事が増えた所で、また見たいって気持ちになるよね、きっと。
 そういうニュースはぼくも好きだよ、また持って来て。
 うんと新鮮なその手のニュースを。
「此処はそういう席なのですか!?」
 朝食を食べながらの会議ではなく、報告でもなく…。
 シャングリラの中で起こった珍事を披露するための会食だと?
「うん。たった今、決めたよ。君の失敗談がいい」
 ゼルとかヒルマンとかでもいいけど、君のが一番面白そうだ。
「そうそう毎日やりませんよ!」
 他の誰かの話題で勘弁して下さい。
 キャプテンが主役の失敗談が毎日起こるようでは、シャングリラは沈んでしまいますとも。



 仏頂面でそう言ったけれど、約束を守ってくれたハーレイ。
 自分が失敗をやらかした時は教えてくれたし、そうでない日は何か楽しい話題はないかと、色々集めて来てくれた。
 よくもこんなネタがあったものだ、と何度笑ったか分からない。
 厨房で丸焦げになった料理を係が上手に誤魔化して「本日限定」と銘打って出したら美味しいと評判になってしまって、再現すべきか厨房担当のクルー全員が悩んでいるとか。
 ゼルは最高に機嫌がいい時はブリッジまでスキップしながらやって来るという根も葉もない噂が流れて、「いっそ本当にスキップを!」と言い出したゼルをエラが必死に止めているとか。
 厨房の失敗料理はその後、新作として定着しちゃって、ゼルのスキップも実現した。スキップは一回限りだったらしくて、「目撃した人は一年間幸運に恵まれる」と噂に尾鰭がついたみたい。
 ハーレイは幾つも幾つもネタを集めて来てくれた。
 朝食の席でぼくが笑って過ごせるようにと、こんな時くらいは笑って過ごしていて欲しいと。
 お蔭で毎朝、ハーレイが来るのが楽しみだった。
 ぼくを気遣ってくれるハーレイ。
 ソルジャーの務めを朝食の間くらいは忘れてほしいと、楽しく食事をして欲しいと。
 何度そう言われたか分からない。
 その優しさがどれほど嬉しかったか、幾つもの笑い話とセットで温かく胸に残ってる…。



(…やっぱりハーレイを選んで正解だったよ)
 前のぼくが朝御飯を一緒に食べる相手に。
 最初の間は笑い話やネタばかりだった話題だけれども、思い出話とかもするようになって。
 アルタミラから脱出した直後のぼくがハーレイにくっついてたこととか、他にも色々。
 少しずつ少しずつ、変わって行った話題。
 お互いのことを、笑い話の種じゃなくって、こう思うだとか、自分もそうだとか話して、二人で頷き合って、微笑み合って。
 そうやって近付いていったんだろうか、ぼくとハーレイとの間の距離。
 大親友から恋人へと。
 それともアルタミラで初めて出会った時から、とっくに決まっていたんだろうか?
(えーっと…。運命の赤い糸だっけ?)
 ぼくとハーレイの小指に繋がっていたんだろうか、赤い糸が。
 それで閉じ込められたシェルターも同じだったんだろうか、繋がった二人だったから。
 結婚は出来なかったけど。
 前のぼくたちの仲は誰にも秘密で、内緒の恋人同士だったんだけれど…。
(今度は間違いなくあるよね、ちゃんと赤い糸)
 だって結婚するんだから。
 今度はハーレイと結婚して一緒に暮らすんだから。
(…ぼくの赤い糸…)
 ハーレイの小指と繋がってる糸。
 ぼくの小指の付け根に結んであって、ハーレイの小指まで伸びている筈の赤い糸。
 見えないかな、と見詰めてみたけど、全然見えない。
 前のぼくでも見られなかった赤い糸だし、サイオンが不器用なぼくじゃ無理かも…。
 それとも前のぼくの小指には無かったのかな、赤い糸。
 結婚できない二人だったし、強い絆で繋がってはいても無かったかもしれない赤い糸…。



 今度はちゃんと繋がってる筈の赤い糸。
 この辺りかな、と小指の付け根を触っていたらキッチンの方からママの声。
「ブルー、食べ終わったらベッドに戻りなさいよ?」
 でないと明日もお休みになっちゃうわよ?
「うん、ママ!」
 明日も休むなんて嫌だから。
 学校でハーレイに会えないだなんて最悪だから、ぼくはトーストに齧り付く。
 ミルクも頑張って飲んでおかなきゃ、栄養がつくし背だって伸びる。
(…ふふっ、朝御飯…)
 テーブルにはぼくしかいないけれども、寂しい気持ちは無くなった。
 独りぼっちの朝御飯だけど、色々と思い出したから。
 今度のハーレイも会うと色々な話をしてくれるんだし、ぼくを大事にしてくれる。
 やっぱりハーレイを選んで正解、赤い糸で繋がってるからぼくはハーレイを選ぶんだ。
 ハーレイしか選びたくない、ぼく。
 どんなに沢山の人がいたって、ハーレイだけしか選べない、ぼく。
 ぼくはハーレイでなくちゃダメだし、きっと最初からそうだったんだ、って…。




         独りの朝食・了

※前のハーレイと朝食を食べていたブルー。青の間で、いつも二人きりで。
 始めた頃には友達同士で、後には恋人。きっと最初から運命の二人だったのでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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「えーっと…」
 あれっ、とブルーは周りを見回した。
 昨夜は早めにお風呂に入って、夜更かしもせずに眠ったと思う。なのに…。
(なんで?)
 目を覚ました自分がベッドに横たわったままでいる場所。
 見覚えのある部屋には違いなかったが、何もかもが見事に違っていた。射し込む光や漂う空気が違うどころか、まるで別物。
 見慣れた天井の代わりに、柔らかな照明が灯る天蓋。
 勉強机やクローゼットの代わりに、ベッドの周りを取り巻くカーテン。
(…此処って、青の間…)
 直ぐにそうだと気付いたけれども、それはおかしい。
 自分は十四歳の小さな子供で、ソルジャー・ブルーではなかった筈。
 しかし…。



「お目覚めですか?」
 耳に馴染んだ声が聞こえて、キャプテンの制服を纏ったハーレイが奥の方からやって来た。まだ状況が飲み込めないブルーのベッドの脇に立ち、笑顔で促す。
「バスルームが空きましたから、シャワーをどうぞ」
(えっ?)
 ハーレイが青の間のバスルームを使い、その後にブルーにシャワーを勧めるということは。
(昨夜はハーレイと一緒に寝たんだ!)
 しかも一緒に寝ただけでではなく、朝一番にシャワーが必要になるような時間を過ごした。恋人同士で熱く抱き合い、愛を交わしたに違いない。
 それでは昨夜の自分はそういう時間をハーレイと、と慌てて身体を眺めたのに。
(………)
 一糸纏わぬ姿どころか、昨夜着て寝たパジャマがブルーを包んでいた。ハーレイと愛を交わした痕跡は皆無、ボタンの一つも外れてはいない。
(こんなトコだけ、元通りなんて!)
 理不尽だよ、と頬を膨らませてから気が付いた。
(…ぼく、子供だ…)
 青の間に居るのに、ソルジャー・ブルーだった頃の部屋に居るのに、手も足もすっかり十四歳の子供のもの。パジャマから覗いた小さな手足。
 なのに…。



「ブルー?」
 ベッドの脇に立つハーレイが困ったような顔で覗き込んで来た。
「じきに朝食の係が来ますよ、早く着替えて頂かないと」
 シャワーを済ませて、ソルジャーの衣装をお召しになって。
 マントもきちんと着けて下さい、でないと係が変だと思うでしょうからね。
(…ソルジャーの服って…)
 ブルーは酷く途惑った。
 青い地球の上に生まれ変わって来たハーレイは、ブルーが「普通の子供」であることを喜ぶ。
 今度の生ではソルジャーではないと、何も背負わなくてもいい子供なのだと。
 そんなハーレイが今の自分にソルジャーの衣装を着せたがるだろうか?
(…もしかして、ハーレイだけどハーレイじゃ…ない……の?)
 今のブルーの優しい恋人。ずっと年上で、先生でもある今のハーレイ。
 自分を見下ろすハーレイはそのハーレイとは違うらしい、と思い至ったけれど。ハーレイの方はブルーがソルジャー・ブルーだと信じ込んでいるようだから…。
「ハーレイ。ぼくはソルジャー・ブルーじゃないよ」
 違うんだよ、と起き上がった。目をパチクリとさせて見上げているのに、ハーレイは笑顔。
「朝から何を仰いますやら…」
 私をからかいたい御気分なのでしょうが、もう朝ですから。
 本当に朝食係が来てしまいますよ、シャワーを浴びて着替えて下さい。
「そうじゃなくって!」
 ブルーは小さな両手を一杯に広げ、腕も大きく広げて見せた。
「見てよ、こんなに小さいってば!」
 ソルジャー・ブルーは小さくないよ。
 ハーレイよりかは小さかったけど、ぼくよりもずっと大きいってば!



「……はあ……」
 言われてみれば、とブルーをしげしげと眺めたハーレイは、ようやく異変に気付いたらしく。
 ベッドの上にチョコンと座ったブルーに、困ったような顔が向けられる。
「…では、あなたは?」
 昔のブルーにそっくりの姿でいらっしゃいますが、あなたは誰です?
「ブルーだけど…」
 ぼくだってブルーなんだけど、と口にしてからブルーが思い出した現実。
 ソルジャー・ブルーの生まれ変わりでタイプ・ブルーでもある自分だけれども、サイオンを扱う力は無いに等しい。ほんの少しだけ浮き上がったり出来るだけ。
 青の間に、シャングリラに来てしまったとはいえ、ソルジャー・ブルーの代わりは務まらない。何の役にも立たないどころか、船に居る他の仲間たちにすら劣るだろう。
 これはマズイ、と考えたから。
「ぼくもブルーだけど、ぼく、思いっ切り不器用なんだよ!」
 サイオンなんか全然使えなくって、タイプ・ブルーのくせに何も出来なくて…!
 ソルジャーなんか務まらないよ、とブルーは叫んだ。
「助けて、ハーレイ…」
 お願い、助けて。
 ぼく、此処じゃ何にも出来ないんだよ…。
 ソルジャー・ブルーと同じようには出来ないし、出来っこないんだよ…。



 頼りになるのはハーレイだけだ、と直感したブルーは懸命に訴えた。
 ソルジャーに次ぐ地位に立つキャプテン・ハーレイ。彼ならば何とかしてくれるだろうと、彼で駄目なら他に頼れる者は誰一人としていないであろうと。
 そのハーレイは難しい顔で腕組みをしていたけれど。眉間に深い皺を刻んでいたのだけれども、ブルーの瞳から零れた涙に表情を和らげ、武骨な指でそっと涙を拭ってやって。
「…困りましたねえ…」
 あなたも大層お困りでしょうが、私も困っているのですよ。
 ソルジャー・ブルーは何処へ行ってしまわれたというのでしょう…。
「…多分、ぼくの中…」
 ぼくの中だよ、とブルーは自分の胸の辺りを指差した。
「…ぼくは生まれ変わり。ソルジャー・ブルーの生まれ変わりがぼくだから」
「生まれ変わりですって?」
 ハーレイはブルーの瞳を覗き込み、首を捻った。
「それはまた…。何故?」
 どうしてあなたが生まれ変わりになったんです?
 ブルーはどうなったのですか…?



 ソルジャー・ブルーを案じているのだと分かる、ハーレイの心配そうな表情。
 生まれ変わるまでの間に何が起こったかを喋ったら駄目だ、とブルーは思ったから。前の自分の身に何が起こるか、話してはならないと思ったから。
 遠い未来から来たのだ、と答えた。
 ずっと遥かな未来から来たと、其処にはハーレイも居るのだと。
「ぼくの先生なんだよ、ハーレイ。…それに……」
 恋人。小さな声で紡いだ言葉に、「良かった」とハーレイが笑みを浮かべた。
「ならば、未来から来た小さなあなたも私のブルーというわけですね」
 分かりました、全力でお守りしますよ。
 あなたは私が守ってみせます。
 とりあえず…。今日は御気分が優れないということにしておきましょう。そうすれば誰も訪ねて来ません。後のことは追い追い考えるとして……。
 朝食は如何なさいますか?
 卵料理の御希望などがあれば私が係に伝えますが。
「えーっと…」
 卵の調理方法などより、ブルーには切実な注文があった。
「ねえ、ハーレイ。普通に喋って欲しいんだけど…」
 よそよそしい敬語なんかじゃなくって、もっと普通に。
 ぼくは「お前」で構わないんだし、ハーレイも「俺」がいいんだけれど…。
「…それは…」
 それは私には難しいかと…、とハーレイは「すみません」と頭を下げた。
 この言葉遣いで慣れてしまったと、急には変えられないのだと。



 やがて朝食係のクルーが訪れ、奥のキッチンでブルーとハーレイの朝食を仕上げて帰った。係が居る間、ブルーはカーテンを引いたベッドの中。
 ハーレイから「ソルジャーは御気分が優れない」と聞かされた係は不審がりもせず、「お食事を召し上がって頂ければいいのですが…」と心配しながら配膳していた。カーテンの向こう、朝食を食べるためのテーブル。其処で朝食を食べていたっけ、とブルーは懐かしく思い出す。
 係のクルーの気配が消えると、ハーレイがカーテンを開けて顔を覗かせた。
「ブルー、朝食の用意が出来ましたよ」
 ですが…。
 お召しになれる服がありませんねえ、そのお身体だと。
「うん…。絶対、大きすぎると思う…」
 それでもパジャマはあんまりだから、とブルーはソルジャーの衣装の上着だけを着た。白と銀の上着は身体のラインにピタリと添うように出来ていたけれど、ブルーには余る。丈も長いし、幅もたっぷりと余っていた。
(…ぼくってホントにチビだったんだ…)
 ハーレイにチビと言われる筈だよ、と此処には居ない恋人の口の悪さを思う。
 何かと言えば「チビ」だの「小さい」だのと繰り返すハーレイ。
 敬語では話さないハーレイ……。



 くすぐったすぎる敬語のハーレイと二人で朝食を食べる間に、ブルーは地球から来たと話した。青い地球から此処に来たのだと、地球の上に住んでいるのだと。
「良かった…。無事にお着きになれたのですね、地球に」
「でも、ぼく、生まれ変わりだよ?」
「それでもです」
 あなたが焦がれておられた地球です。
 その地球にお住まいになっておられる、そう伺ってホッとしましたよ。
 如何ですか、地球は?
 青い地球は素敵な星ですか、ブルー?
「うん。…ハーレイもちゃんと地球に居るしね」
 だからハーレイも行けるんだよ、地球に。
 地球に住んで先生をやってるんだよ、ぼくの先生。
「そして、あなたの恋人なのですね」
 未来が楽しみになってきましたよ。
 今はまだ地球が何処に在るのかも分かりませんが…。
 いつかは青い地球に住めるのだと、あなたの先生にもなれると聞いたら、楽しみです。
 早くその日を迎えたいですね、生まれ変わりであったとしても。



 和やかな朝食の時間が終わって、係が食器を片付けに来て。
 ブルーは再びベッドに隠れたのだけれど、其処から出て来た後になっても去らないハーレイ。
 朝食が済んだらキャプテンはブリッジに出掛けるものだと覚えていたから、ブルーは尋ねた。
「ハーレイ、仕事は?」
 ブリッジに出掛けなくてもいいの?
 いつもだったら、朝御飯の後は直ぐにブリッジに…。
「此処でやりますよ、そういう時だってあったでしょう?」
 青の間には色々と設備が整っていますから。
 此処からでも充分に指示を出せます、私の部屋と同じですよ。
 非常時以外はブリッジに詰めていなくてもいいと、あなたもご存じの筈ですよね?
「うん…。でも、いいの?」
「今はこういう時ですからね」
 此処にお一人では不安でしょう?
 私がお側に居た方がいいと、そうするべきだと思うのですよ。



 そう言ったハーレイはブリッジとの通信回線を開き、青の間から指揮をすると伝えた。
 ブリッジから次々に入る報告。送られてくるデータに目を通し、処理してゆく。シャングリラのキャプテンの仕事ぶりを見ながら、ブルーは「こんな風だった」と遠い記憶と重ねるけれど。
 同じようにしていた前のハーレイを想うと、今のハーレイが恋しくなるから。
 あのハーレイの所へ帰れるだろうか、と不安になるから。
「…ハーレイ、ぼく…。ずっとこのまま?」
 帰れないままで此処に居るしかないの?
 此処で暮らしていくしかないの…?
「いずれは元に戻るのでは、と思いますが…」
 でないと私も困りますし。
 私の大切なソルジャー・ブルーが行方不明のままですからね。
「うん…」
 そうだよね、と頷いた所でブルーはハッタと閃いた。
 此処に居るハーレイはソルジャー・ブルーと恋人同士。出会った時にもバスルームから出て来たばかりの所で、ブルーにシャワーを勧めたくらい。
 ソルジャー・ブルーと愛を交わすことが日常の一部であるハーレイ。
 このハーレイなら、今の自分の恋人のように冷たくあしらうことはないかもしれない。



(…ひょっとして、このハーレイだったら…!)
 自分の夢が叶うかもしれない、とブルーは仕事中のハーレイに近づいて袖を引っ張った。
「どうなさいました?」
 振り返ったハーレイに向かって微笑む。
「キスしてもいいよ?」
 ねえ、と口付けを強請ってみたのに、「いえ、それは…」と言葉を濁された。
「なんで?」
 遠慮なんかはしなくていいよ、と首に腕を回せば「いいえ」と軽く振りほどかれて。
「そういったことは、未来の私が駄目だと止めているのでしょう?」
「えっ…」
 何故、知れたのか。
 見抜かれたのか、と目を丸くするブルーに答えが返った。
「サイオンの扱いは不器用なのだと仰ったのは御自分ですよ?」
 あなたのお考えは私に筒抜けです。
 私ならば、とお思いになっておられたでしょう?
 生憎ですが、私も未来の私と同意見ですね。
 そのお姿に見合った中身の恋人でいて頂かないと。
 背伸びしてキスをして頂くより、子供らしくと思いますよ。



(…このハーレイでもダメなんだ…)
 ブルーはガックリと肩を落とした。
 せっかく青の間に来たというのに、コソコソとベッドに隠れるだけ。ソルジャー・ブルーと恋人同士の時を過ごしているハーレイは自分を恋人扱いしてくれない。
(何もいいこと無いんだけれど…)
 つまらないよ、と思った途端に「そうですか?」と問われたから。
「今のも筒抜け!?」
「いいえ。お顔を見ていれば分かりますよ」
 でも、良かった。
 こんな時でも不平不満を仰れるほどに、平和な所に行かれたのだ、と分かりますから。
(そっか…)
 そうだったよね、とブルーはハーレイの言葉を噛み締めた。
 前の生なら有り得なかった不満。
 ハーレイと二人きりで過ごしていられる、それだけで充分に幸せだった。
 つまらないとは思わなかったし、いいことが無いとも思わなかった。
 平和な日々に慣れてしまって、知らない間にすっかり我儘になってしまっていた。
 もっと、もっとと贅沢を願う、欲張りな自分が出来上がっていた…。



「ねえ、ハーレイ…。ぼくって、我儘?」
 呆れられてしまっただろうか、とブルーは心配したのだけれど。ハーレイは「いいえ」と優しい笑みを返した。
「平和で穏やかな暮らしをなさっていらっしゃるなら、それが普通ですよ、きっと」
 そういったものだと思いますよ。
 残念なことに、私は覚えていませんが…。成人検査よりも前の子供時代は、私だって我儘を沢山言っては周りを困らせていたのでしょうね。
「…そうなのかな?」
「ええ。…そして我儘を仰るあなたも、可愛らしくて大好きですよ」
 そんなあなたをずっと見ていたいとも思うのですが…。
 幸せに育ってこられたあなたが今よりも大きくなられた姿も見たいのですが…。
 いつまでも平和が続いてくれれば、こうして青の間に隠しておいて。
「うん…」
 ブルーにはハーレイの気持ちが良く分かった。
 自分の恋人であるハーレイの気持ちと似ていたから。「ゆっくり育てよ」と、「今度はゆっくり幸せに育てよ」と言い聞かせるハーレイの心と良く似ていたから。でも…。
「でも、ハーレイ…。ぼく……」
 帰りたいよ、パパとママの所に。ハーレイの所に。
 ねえ、どうすれば帰れると思う?
「…分かりません…」
 どうやって時を超えて来られたのかも分かりませんし…。
 私に何かお手伝いが出来ればいいのですが…。



 余裕のある時にデータベースを探してみましょう、とハーレイが提案した時。
 青の間に警報が鳴り響いた。人類側の船の接近を知らせる警報。
 ハーレイは濃い緑色のマントを翻してスロープを駆け下りて行った。走りながらブルーの方へと振り向き、大きな声で叫ぶ。
「ブルー、私はブリッジに…!」
「ぼくは?」
「此処に隠れていて下さい!」
 あなたが出なければならない状況にはさせませんから!
 いいですね、ブルー!



 此処を出ないで、という言葉を残してハーレイが走り去った後。
 青の間に独りきりになったブルーは、まだ響いている警報の音に耳を凝らした。生まれ変わった自分だけれども、覚えている。この警報の鳴り方は尋常ではない。接近しつつある船は民間の輸送船や客船ではなく、人類軍の船。警備艇か、あるいは戦闘機か。
 雲海に隠れ、ステルスデバイスに守られたシャングリラは見付からないとは思うけれども。
(…まだ鳴ってる…)
 もしかしたら発見されたかもしれない。照準を合わされているかもしれない。
 サイオンキャノンで対処できるのか、それでは防げないレベルなのか。
 前の自分なら、そんな時には出てゆけた。人類軍の攻撃くらいは何でもなかった。けれども今の自分は違う。何一つとして出来はしないし、ろくに思念も紡げないレベル。
(…でも…)
 守らなくてはいけないのかもしれない。
 此処で自分が守らなかったら、シャングリラの未来は無いのかもしれない。
 シャングリラの未来も、そのずっと先の自分が生まれ変わって生きている地球も。



(…ぼく一人しかいないんだ…)
 戦える者はたった一人だけ。
 ハーレイの未来を守りたいなら。
 消えてしまったソルジャー・ブルーの未来を守りたいのなら。
(…メギドまでなら頑張れる筈だよ)
 前の自分はメギドまで行った。そこまでの未来はきっとある筈。
(だけど…)
 飛ぶことが出来ない、飛べない自分。
 瞬間移動もシールドも出来ず、攻撃力すら無い自分。
 どうやって人類軍の船から白い鯨を守ればいいのか、守り通すことが出来るのか。
 そんな力を持ってはいない。持っていたら青の間に隠れてはいない。
 けれど…。



 未だに止まない警報の音。人類軍の船が視認出来そうな距離にまで近付いている。
 サイオンキャノンでは落とせなかったか、落としても次がやって来るのか。もうハーレイの指揮だけで対処出来る段階は過ぎているだろう。ソルジャーにしか収拾不可能な事態。
 なのにソルジャー・ブルーは居なくて、代わりに自分。
 空も飛べない、攻撃力も無い自分に何が出来るというのだろう?
 でも…。
(だけど、やるしか…!)
 パジャマの上に着ているブカブカの上着。
 引き摺るのが分かっているマント。
 ブーツも手袋も、今のブルーには大きすぎるに決まっているのだけれど。
(でも、ソルジャーはぼくしかいないよ…)
 何とかしてシャングリラを守ってみせる。ハーレイの未来を守ってみせる。
 そしてハーレイと一緒に暮らす。
 遠い未来で、青い地球の上に生まれ変わってハーレイと一緒に…。
(…メギドまでは行ける筈なんだよ…!)
 そこまで頑張って守らなくっちゃ、と、エイッとブカブカの上着を脱いだ。
 大きすぎるサイズのアンダーを掴み、着替えようとパジャマのボタンに手を掛けた所で。



(目覚まし…?)
 ふわりと意識が浮上する感覚。遠ざかってゆく警報の音。
 ソルジャーの服が、白いシャングリラが、青の間が消えたと思う間もなく、開いた瞼。
 天蓋の代わりに見慣れた天井。ベッドを囲んだカーテンの代わりに勉強机やクローゼット。朝の光が射し込むカーテンの隙間。ベッドではなくて窓を覆ったカーテン。
(…ぼくの部屋だ…)
 ぼくの部屋だ、と涙が零れた。
 滲んだ瞳が捉えた勉強机の上にはフォトフレーム。ハーレイと二人で写した記念写真。つい先刻まで居た敬語しか話さないハーレイとは違う、ブルーを「お前」と呼ぶハーレイ。
(…帰って来たんだ…)
 ハーレイの所に帰って来たんだ、と緊張の糸が一気に緩んだブルーは泣いた。
 あれは夢だと、本当に起こったことではないのだと分かってはいても、夢の世界では何もかもが真実だったから。
 戦える者は自分だけだと、メギドに行くまで頑張らねばと覚悟を決めた自分が居たから。
(ぼくの部屋に帰って来たんだよ…)
 パパとママの居る家に、ハーレイと暮らしている町に。
 帰って来たんだ、とブルーは泣き続けた。母が「遅刻するわよ」と扉をノックするまで…。



 母に起こされて、顔を洗って。
 幸い、目が赤くなるほどには泣かなかったらしくて、腫れてもいない。ほんの五分か、長くても十分も泣いてはいなかったのだろう、と鏡の向こうの自分を眺めた。
 あれも悪夢と呼ぶのだろうか、と考えながら制服に着替え、階段を下りてゆけばダイニングから漂うトーストの匂い。其処へ入ると…。
(…スクランブルエッグ…)
 夢の中でハーレイと食べていたっけ、と思い出した卵料理だけれども、決定的に違う光景。
 「早く食べなさいよ?」と微笑む母と、「今日は寝坊か?」と笑っている父。それに…。
(うん、ハーレイのお母さんのマーマレードだ!)
 テーブルに置かれたマーマレードの大きな瓶。父と母もお気に入りの夏ミカンのマーマレードは隣町に住むハーレイの母の手作りだった。庭に大きな夏ミカンの木がある家でハーレイの母が沢山作って、あちこちに配ると聞いている。
 いつかハーレイと結婚するブルーのために、とハーレイの両親が贈ってくれたのが最初。以来、瓶が空になる前にハーレイが新しい瓶を届けてくれる。テーブルの上で輝く金色。
(ちゃんと本物のハーレイが居てくれる世界なんだよ)
 マーマレードがちゃんとあるもの、とブルーは焼き立てのトーストにたっぷりと塗った。
 今日はハーレイの授業は無い日だけれども、不満を言ってはならないと思う。
 学校に行けばハーレイが居るし、夢のハーレイが言っていたように平和な世界に来たのだから。
(…ビックリしたけど、懐かしかったな)
 敬語のハーレイ、と笑みを浮かべたブルーに父が「いい夢を見たのか?」と訊いてくるから。
 ブルーは笑顔で「うん」と答えた。
 とても幸せになれる夢を見たのだと、今は幸せな気持ちで一杯なのだと…。




         青の間の夢・了

※今のブルーが夢に見てしまった、子供の自分の青の間での体験。サイオンも使えない子供。
 怖い思いもしたのですけど、目が覚めてみたら幸せな今。これもいい夢の内でしょう。
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 学校から帰ってみたら、おやつにと買ってあったドーナツ。ママが作ってくれるお菓子も大好きだけれど、たまに買って貰えるドーナツも好き。
(んーと…)
 着替えはとっくに済ませていたから、ダイニングのテーブルに置かれた箱をいそいそと開けた。何が入っているのかな、と覗き込んだら種類は色々。
(どれにしようかな?)
 クリームが入っているのも美味しそうだし、チョコレートがかかったのにも心を惹かれる。
 だけど、一度に沢山は食べられない、ぼく。ドーナツを幾つも食べてしまったら夕食が入らないことは明らか。
(一個だけだよね…)
 その一個をどれにするかで悩むのが恒例だけども、いきなり「これだ!」と閃いた一個。
 ごくごく普通のプレーンなドーナツ、チョコレートもクリームもついていない上に、平凡な形。それでも「これ!」と思ってしまった。
(うん、シャングリラのドーナツなんだよ)
 懐かしいな、と箱から出してお皿に乗っけた。ホットココアも用意して、椅子へと座る。ママはキッチンで何かしているから、一人でゆっくり。思い出に浸るには丁度いい時間。
(そう、この味!)
 ドーナツを齧ったら笑みが零れた。
 前のぼくも同じ味のを食べていたっけと、こんなドーナツだったっけ、と。



 遥かな昔にソルジャー・ブルーだった、ぼく。
 今では伝説の英雄だけれど、その英雄がドーナツだなんて、と誰も信じてくれそうにないけど。でも本当に食べていたんだし、好きでもあった。何の飾りも無いドーナツが。
(そんなことまで歴史に残ってないものね)
 シャングリラの食堂で作っていた食事のメニューやレシピも残ってないんじゃないかな、もしも残ってたら本が出されていそうだもの。シャングリラは最高に有名な宇宙船だし、遊園地に行けばシャングリラの形の遊具が人気。そのシャングリラのレシピ本なら、絶対に売れる。
(レシピのあちこちに「合成のものが無ければ天然のもので構いません」って注意書きが書かれていたって売れるよ)
 ソルジャー・ブルーが、ソルジャー・シンが食べていたものを食べたい人は多いだろう。それが豪華なものでなくても、ある種の憧れ。
(レストランとかの企画で再現したなら、人気が出そう…)
 行列が出来たり、予約で埋まってしまったり。そう考えたら可笑しくなった。
(前のぼくは夢にも思わなかったよ、シャングリラの料理が人気メニューになるかもなんて)
 ぼくが食べてるドーナツだって、「ソルジャー・ブルーのお気に入りだった」って発表されたら飛ぶように売れてゆくかもしれない。
 平凡なプレーンの、「他のドーナツを買ったついでに」買われるであろう素朴なドーナツ。
 ソルジャー・ブルーがシャングリラで食べていた、おやつのドーナツ…。



 リングの形に纏めた生地を揚げただけのドーナツは、白いシャングリラでは子供たちのおやつの定番だった。シンプルだけれど飽きが来ないし、材料だって揃えやすいから。
 それに子供たちの服だって汚れたりしない。ドーナツの欠片が零れて落ちても、手でパンパンと軽くはたけばおしまい。ジャムや溶けたチョコレートみたいに染みにはならない。
 そういった理由でドーナツは定番、子供たちにも人気のお菓子。お行儀よくフォークで切ったりしなくてもガブリと齧れて、手に持ったままで公園にだって出掛けてゆけた。
(…基本は子供たちのための部屋で食べる、って決まりだったけどね)
 前のぼくがドーナツを食べていた場所も、子供たちが集まるための部屋。
 ぼくは最高齢な上にソルジャーだったけれど、保育部や養育部の食堂でよく食べた。子供たちの遊び相手をするのが前のぼくの仕事だったから。
 ソルジャーの力が必要な場面はシャングリラの中では滅多に無くって、前のぼくには仕事が無い日が多すぎた。青の間でのんびりしてては気が咎めるから、あちこち手伝いに出掛けてみたけど。
 機関部に行けば案内係がついてしまって、仕事の邪魔にしかならなかった。農園も同じ。
 掃除でもしようかと考えたけれど、これまた「とんでもありません!」と断られた。ぼく専用の青の間でさえも、「自分でやるよ」と何度言っても掃除係がやって来る始末。
 厨房なんかは行ったら試食係どころか特別メニューが出て来そうだから、此処も論外。
 何か仕事は無いのだろうか、と考えた末に辿り着いた場所が保育部と養育部だった。子供たちはソルジャーが遊び相手でも恐縮したりはしないし、却って喜ぶ。係のクルーは空き時間が出来る。その時間を他の仕事に回せる。
 思わぬ所で見付かった仕事。前のぼくが見付けたピッタリの仕事。
 出掛けて行ったらおやつも出るから、子供たちと一緒に和やかに食べた。其処で何度も出て来たドーナツ。子供たちが好きなだけ食べられるように、と人数分よりも多いドーナツ。



 揚げ立てのドーナツを子供たちと食べて、また遊んで。
 時々、余ったドーナツを包んで貰って持って帰った。「青の間で食べるよ」と笑顔で言って。
 ぼくにドーナツをくれたクルーたちは、ぼくの夜食かおやつだと信じていただろうけど、真相は少し違っていた。前のぼくも食べていたんだけれども、もう一人。
(誰も気付いていなかったよ、うん)
 実はハーレイに御馳走していた。キャプテンの仕事を終えてから青の間を訪ねるハーレイに。
 もちろん、訪ねて来るだけじゃない。ぼくのベッドに泊まってゆく、大切な大切なぼくの恋人。
 そのハーレイに「今日はドーナツを貰って来たよ」と、お皿に乗っけて差し出した。
 ドーナツは大人にも人気のおやつで、食堂に行けば食べられたのに行かなかった前のハーレイ。「私にドーナツは似合いませんから」と、気にして行かなかったから。
 エラもブラウも、それにゼルだって食べに出掛けていたのに、大きな身体には似合わないからと言って、食べないドーナツ。
 決してドーナツを食べないハーレイ。それを知っていたから、青の間でドーナツ。
 揚げ立ての美味しさはもう無かったけど、「ほら」とドーナツを渡していた。



 「似合わないから」と食堂では食べなかったくせに、ハーレイが大好きだったドーナツ。
 「ドーナツがあるよ」と差し出せば顔が綻んでいた。子供みたいな笑顔になった。
 ドーナツは美味しかったから。
 冷めてしまっても優しくて甘い、パンとは違った膨らんだお菓子。
 前のぼくもハーレイも、ドーナツがとても好きだった。他のお菓子とは比べられない、不思議な味わい。ドーナツでなくちゃ、と舌が、心が喜ぶドーナツ。
 幸せな思い出が山ほど詰まっている気がした。
 どうしても思い出せなかったけれど、ぼくにもハーレイにも無理だったけれど。
 アルタミラで機械に奪われた記憶は取り戻せなくて、幸せな思い出は行方不明になったまま。
 それでも幸せの正体の見当はついた。前のぼくたちを育ててくれていた、血が繋がってはいない養父母。優しかっただろう、顔も姿も忘れてしまったパパとママ。
 そのパパやママに買って貰って食べていたとか、一緒にドーナツを齧っていたとか。そういった記憶だったんだろう、とドーナツを食べる度に思った。
 ハーレイと二人、「美味しいね」と冷めたドーナツに齧り付きながら。



 どんな思い出があったんだろうね、とハーレイと語り合ったりもした。
 幸せの味がするドーナツ。舌が、心が喜ぶドーナツ。
「あなたは駄々をこねていそうですね。あのドーナツを買って欲しいと」
 店の前とか、ショーケースを覗き込みながらとか。
 買ってくれるまで動かないよ、と膨れる姿が目に浮かびそうです。
 ハーレイがそんなことを言うから、「そう見えるかい?」と尋ねてみたら。
「ええ。あなたはとても我儘な子供だったという気がしますよ、そういう点では」
 普段は両親の言いつけを守る良い子で、とても大人しい子なのでしょうが。
 我儘も言ったりしないのでしょうが、他の人が聞いたら笑い出しそうなつまらない何か。
 ドーナツが欲しいとか、あのキャンディーが食べたいだとか。
 そんな小さな、ささやかな何か。
 そういったことで駄々をこねては、望みを叶えて嬉しそうだっただろうと思うんですよ。
「…そうなのかな?」
「どうでしょう?」
 こればっかりは分かりませんね、とハーレイは笑っていたんだけれど…。



 前のハーレイのカンは当たっていたかもしれない。
 好き嫌いの無いぼくだけれども、買って欲しいとパパやママに強請ることはあるから。
 今では「この頃、ドーナツ、食べていないよ」といった風に遠回しに強請ってみたりするけど、小さい頃にはそうじゃなかった。
 欲しいと思ったら「買って来てよ」と注文してたし、街へ出掛けた時にも強請った。ドーナツを売っているから買ってと、あのドーナツが欲しいのだと。
 ドーナツに限らず、他のものでも「買って」と駄々をこねていた。
 ママが「晩御飯を食べられなくなってしまうわよ?」と困った顔をしたって、欲しいと思ったら足を踏ん張って動こうとしなかったクレープの屋台や、アイスクリーム。
 パパが「お前じゃ食べ切れないぞ?」と止めても「欲しい!」と叫んで買って貰った、目の前で焼き上がるトウモロコシ。
(…トウモロコシは半分も食べられなくって挫折してたんだよ)
 残りはパパに食べて貰って、それでも夕食が入らなかった失敗が何度あっただろう。クレープやアイスクリームも同じで、ドーナツでも何度も失敗をした。
 懲りずに駄々をこねていた、ぼく。小さかった頃の、ぼくの我儘。
(今はあそこまでやってはいないよ)
 シャングリラの写真集をパパに強請ったけれども、「買って」と駄々をこねてはいない。
 パパが「しょうがないな」と呆れ顔をするまで、ソファの前で踏ん張っていたわけじゃない。
 前のぼくには敵わないけれど、今のぼくも我慢を覚えたから。
 駄々をこねずに「お願い」することとかも、ちゃんと覚えた子供だから…。



(…ふふっ、ドーナツ…)
 懐かしい記憶を拾い上げたな、って考えながら美味しく食べた。幸せの味がするドーナツ。前のぼくが大好きだったドーナツ。
 そうしたら、仕事帰りのハーレイがぼくの家に寄ってくれたから。
 夕食の後のお茶をぼくの部屋で飲みながら、ドーナツの話をすることにした。
「ねえ、ハーレイ。前のハーレイのカンって当たっていたね」
「何の話だ?」
 怪訝そうな顔をするハーレイに「おやつ」と答えた。
「今日のおやつ、ドーナツだったんだよ」
「…それで?」
「ずうっと昔にハーレイが言ったよ、ぼくはドーナツで駄々をこねそうだ、って」
 今のぼくじゃなくって、前のぼく。
 ドーナツが欲しいとお店の前とかで駄々をこねる姿が見えるようだ、って。
「思い出したのか? その頃のことを?」
 ハーレイの目が丸くなったから、「ううん」と首を横に振る。
 残念だけれど、前のぼくが生きてた間にも戻らなかった記憶は永遠に戻っては来ないだろう。
「今のぼくだよ、前のぼくの記憶までは無理」
「…ということは…。駄々をこねたのか、お前」
 ドーナツが欲しいと強請って、店の前で足を踏ん張ったのか?
 買ってくれるまで動かないからと、お母さんたちを困らせてたのか?
「うん…。ドーナツだとか、他にも色々…」
 クレープもアイスクリームもママに強請ったし、パパにだって…。
 うんと駄々をこねて買って貰ったけど、食べ切れないとか、後で御飯が入らないとか。
 何度も何度も失敗したのに、懲りないで駄々をこねてたよ。
 前のハーレイが言ったとおりに、ぼく、我儘な子供だったよ…。



「ふむ…」
 前の俺のカンが当たっていたか、とハーレイは腕組みをして頷いたけれど。
「まあ、あれだ。我儘を言えて、駄々を何度もこねられた、っていうことは、だ」
 お父さんたちに可愛がられている証拠だな。
 可愛い一人息子が駄々をこねるから、結果がどうなるか見えていたって許してくれる。
 食べ切れないのも、飯が入らなくなってしまうのも、可愛いから許してくれたのさ。
「うん。…そうでなきゃ、ダメって叱られて終わりになっちゃうものね」
 パパもママも困った顔はしたけど、怒らなかったよ。
 「しょうがないな」とか「仕方ないわね」とか。
 いつだってちゃんと買ってくれたよ、ぼくが欲しかったドーナツやお菓子。
 それでね…。
「ぼく、もしかして、って思ったんだ。前のぼくもそうやっていたんだろうか、って」
 仕方ないわね、って許して貰ってドーナツを食べていたのかな?
 そういう幸せが詰まってたのかな、可愛がって貰ったんだっていう記憶。
「そりゃそうだろう。前のお前も今と同じに可愛がられて育ったんだ」
「…そう思う?」
「当たり前だ。こんな可愛い子供がいればな、可愛がらずにはいられないさ」
 十四歳のお前でもこうだ、もっと小さければ可愛かったに決まってる。
 前のお前の養父母たちは十四歳を迎えるまでのお前しか知らんが、きっと可愛い子だった筈だ。
 自慢の可愛い息子だったさ、血が繋がってはいなくてもな。



「でも…。目と髪の色が全然違うよ?」
 違うよ、とぼくは自分の頭を指差した。
 前のぼくが成人検査を受ける前には、髪の毛の色は金色だった。ジョミーみたいに輝くような金ではなかったけれども、銀色じゃない。何処から見たって金色の髪。
 それに青かった瞳の色。前のぼくの名前は瞳の色から名付けたのかな、と何度も思った。記憶は戻って来なかったけれど、青い瞳だから「ブルー」なのかと。
 今のぼくとは色が違った、前のぼく。
 色がすっかり違っていたって、可愛いと思ってくれたんだろうか?
「目と髪の色か…。確かに印象は変わってくるかもしれんがな…」
 だが、そいつはうんと些細なことだ。
 お前という中身の方が大事で、可愛がられたのは中身の方だ。
 姿も全部ひっくるめて可愛がるのが親ってヤツだし、前のお前の姿も可愛いと思っただろうな。
 こんな可愛い子供はいないと、自分たちの子供が一番なんだと。
 いいか、冷静に考えてみろよ?
 可愛いだなんて言えそうもないガキだった今の俺だが、親父たちは可愛がってくれたんだ。
 見た目なんかは関係ないんだ、そう思わないか?
「そっか…。前のハーレイのお父さんたちも、きっとそうだね」
「そうだったんだろうな、ドーナツも買ってくれたんだろう」
 欲しいんだったら仕方ないな、と前の俺の親父は笑っただろうな。
 おふくろも「仕方ないわね」と笑って買ってくれてただろう。
 …生憎と忘れちまったが…。
 思い出したくても、幸せの味のドーナツだとしか感じられなくなっちまったがな…。



 おふくろも親父もデータだけしか無いんだよな、とハーレイは寂しそうだった。
 アルテメシアを落とした時に、テラズ・ナンバー・ファイブから引き出した膨大なデータ。その中には前のぼくたちの養父母の写真もあった。育った家の記録もあった。
 ぼくも今のハーレイに記憶を見せて貰ったから、前のパパとママの写真は知ってる。でも、写真だけ。動く姿も声も無いから、パパとママだと実感出来ない。
 その点はハーレイもまるで同じで、消された記憶は戻らないから、知らない人の写真を見るのと変わらない。
 前のぼくもハーレイも、パパとママとを奪われた。機械にすっかり消されてしまった。
 残ったものは舌が、身体が忘れなかったドーナツの味の記憶だけ。
 幸せがたっぷり詰まっていたんだと、舌が覚えていた記憶だけ…。



 ちょっぴり悲しくなったけれども、ぼくはぼく。
 今のぼくにはパパとママがいて、ハーレイにもお父さんとお母さんがいる。
 十四歳の誕生日を迎えた後にも別れなくてよくて、おまけに本物のパパとママ。前と違って血が繋がったパパとママとで、我儘だって聞いてくれるから。
 駄々をこねたって許してくれてたパパとママだから、ハーレイにも訊いてみることにした。
「ねえ、ハーレイ。…今のハーレイも、ドーナツ、強請った?」
「ドーナツだけじゃない、お前と同じだ」
 もっとも、クレープだのアイスクリームだのって菓子よりも主に食い物だったが。
 ホットドッグとか、ハンバーガーだとか。
 ハンバーガーは大人でも食い切れないようなサイズのを強請って失敗してたな、俺の場合は。
「…それって、とってもハーレイらしいね…」
「この身体だしな?」
 あれこれ強請って失敗した分も、栄養はキッチリ摂れてたようだ。
 食った分だけ大きく育って、今の俺が此処に居るってわけだ。
 もしかしたら前の俺ってヤツもだ、食い物の方が主だったかもしれないなあ…。
 食い物を目指して突っ走る前の小さかった頃がドーナツとかな。



「ふふっ、そうかもしれないね」
 ハーレイだったらありそうだな、って思ってしまった。
 うんと小さくてヨチヨチ歩きの頃がドーナツで、学校に行くような年になったら食べ物専門。
 それでもドーナツは強請ってたよね、と考える。
 幸せの記憶をたっぷりと中に詰め込むためには、何度も食べなきゃいけないから。
 そのドーナツは今のハーレイにとってはどうなんだろう、と浮かんだ疑問。
 前と同じで好きなんだろうか、それとも普通のおやつだろうか?
 訊いてみなくちゃ、とぶつけてみた。
「ハーレイ、今でもドーナツは好き?」
「もちろんだ。ガキの頃の幸せな記憶ってヤツだな、たまに無性に食いたくなる」
 そして今度は堂々と食える。
 前の俺みたいに、お前が取っておいてくれたドーナツをコッソリ食わなくてもな。
「…なんで?」
「クラブのガキどもの御相伴だ」
 運動すると腹が減るからな。
 学校でドーナツを食うようなことは滅多に無いが、だ。
 他所へ出掛けて行った時にはよく食ってるなあ、その辺の店でドカンと買ってな。
「ああ…!」
「代金が俺の財布から出て行くことも多いんだがなあ、楽しいもんだな」
 堂々とドーナツを食えるってのは。
 前の俺がどうやって食っていたのかを思い出したら、楽しさも更に増すってもんだ。



「…前のハーレイも堂々と食べれば良かったのに…」
 食堂で食べたら揚げ立てなんだよ?
 揚げ立てはやっぱり美味しかったよ、保育部とかにも揚げ立てのドーナツが届いてたもの。
「前のお前の場合と違って、ガキが一緒にくっついていない。無理がありすぎだ」
 俺が保育部だの養育部だのに出掛けていたなら、食えたんだろうが…。
 ドーナツ目当てで出掛けられるか、そいつも相当みっともないぞ。
「大丈夫だったと思うけどなあ、ハーレイが食堂で食べていたって」
 誰も笑ったりしなかったと思うよ、似合わなくても。
 みんなドーナツが好きだったんだから、幸せの味がしたんだよ。
 それを食べたくて来ているんだ、って分かるから誰も笑いはしないよ。
「…そうだったのかもしれないが…」
 そうかもしれんが、俺は前のお前と一緒に二人で食うのが良かった。
 青の間でコッソリとドーナツを食って、幸せの味を噛み締めるのが良かったな…。
「ホント?」
「いたたまれない気持ちで食うより、断然、そっちだ」
 前のお前の笑顔もつくしな、幸せの味のドーナツにはな。
 二人で食うから美味さが増すんだ、幸せの味もググンとな。



「そっか、そういうものなんだ…」
 ハーレイがそれで良かったと言うなら、青の間でコッソリはいいんだけれど。
 こっそりドーナツの方はいいんだけれども、今度はドーナツ、どうするんだろう?
「ねえ、ハーレイ。…今度もドーナツ、ぼくと一緒に食べるんだよね?」
 何処で食べるの?
 買ってきて家でコッソリ食べるの、ぼくと食べる時にはクラブの生徒は一緒じゃないよ?
「ふむ…。いっそ店に出掛けて堂々と食うか?」
 店で食うための席もあるだろ、あそこで食ったら揚げ立てが食える。
 飲み物なんかも買ってのんびりするんだ、腹具合を見ながらドーナツ追加で。
「ふふっ、二人でドーナツでデート?」
「ああ。ついでにテイクアウトもしてな」
 持って帰って家でゆっくり食おうじゃないか。
 青の間で食ってたドーナツの思い出を語り合ってだ、コッソリじゃなくて堂々とな。
 お前の家の庭にある、テーブルと椅子。
 ああいった場所で食べるのもいいし、庭が見える窓際に座るのもいい。
 今度は誰に見られていたって、俺たちは二人一緒に居るのが当たり前の仲になるんだからな。



 いつか一緒にドーナツを食おう、ってハーレイは笑顔で約束をして帰って行った。
 ドーナツを売ってるお店に二人で出掛けて、お店のテーブルで揚げ立てのドーナツ。手を繋いで出掛けて、二人でドーナツ。
 もう入らない、ってくらいに食べたらテイクアウトのドーナツを買う。
 二人で箱を提げて帰って、家でのんびりドーナツを食べる。
 幸せの味がたっぷり詰まったプレーンを沢山、沢山買うのもいい。美味しそうなドーナツを色々選んで詰め合わせて貰って帰るのもいい。
(だけど一番はプレーンだよね、きっと)
 シャングリラで食べていたドーナツ。
 幸せの味だと、思い出せないけど幸せが詰まったドーナツなのだと噛み締めた味。
 あのドーナツがきっと一番、一生忘れられない幸せの味のドーナツだと思う。
(でも…。ハーレイと一緒に食べるようになったら、幸せのドーナツも増えるかな?)
 お店に行った時の幸せ気分を反映するとか、思い出のドーナツが出来るとか。
 初めて二人で出掛ける時に一個しか買わないだなんて有り得ないから、その時の分は全部記念のドーナツになる。初めて買った記念のドーナツ。
(…うん、その時に買って食べた分は思い出のドーナツだよ)
 どれを買おうか迷って、買って。思い出のドーナツがプレーンの他にも幾つか増える。
(きっと他にもまだまだ増えるよ)
 絶対増える、と確信した。
 今度はうんと幸せな気分が増えそうなドーナツ。
 ハーレイが来てくれる時のおやつに、ママはドーナツを買ってはこないから…。
 思い出のドーナツを増やしてゆくのは、結婚した後のお楽しみ。
 それともママに頼んでみようか、一度ドーナツを買ってほしい、と。
 買って貰うなら、プレーンは絶対。
 それが幸せのドーナツの始まりだもの…。




          ドーナツ・了

※前のハーレイとブルーの気に入りのおやつだった、ドーナツ。記憶を失くしてしまっても。
 きっと幸せな思い出があった筈のドーナツ、今度も幸せの味になるのでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




ポカポカと暖かく、穏やかな春。桜は八重桜へと移りましたが、今年の春はゆったりとお花見を楽しむことが出来ました。今日は土曜日、せっかくだからと八重桜が多い公園へお出掛け。ソルジャーとキャプテン、「ぶるぅ」も一緒にお弁当を食べてお花見をして…。
「やっぱりいいねえ、地球の桜は。夜桜が無いのが残念だけど」
そっちがあったら夜の部も…、とソルジャーは八重桜に未練たっぷり。公園はライトアップをしていないため、日が傾いてきた頃にお花見の方はお開きで。
「仕方ないだろ、やってないものは。それに君のハーレイは仕事をサボッて来てたんだよね?」
会長さんが指摘したとおり、キャプテンは休暇を取っていませんでした。普通の桜でお花見した時に特別休暇を取りましたから、続けて取ることは難しいらしく。
「そこなんだよねえ…。それさえ無ければ晩御飯も一緒に食べられたのに」
そっちも残念、とソルジャーが焼肉をつついています。キャプテンは仮病を使ってブリッジから逃げ、こちらの世界に来ていた次第。お花見が終わると「ぶるぅ」の力でシャングリラに帰ってしまいました。「ぶるぅ」は再び戻ってくるかと思ったのですが…。
「ぶるぅかい? 戻って来たけど他へ行ったよ」
「「「え?」」」
いったい何処へ行ったのだ、と尋ねてみれば。
「お花見をしていた間に目をつけた店があったらしくて…。今はお好み焼きを山ほど食べてる」
「それって、お金はどうなるのさ!」
会長さんが突っ込み、シロエ君たちも。
「まさか食い逃げするんじゃないでしょうね!」
「それしかねえだろ、あいつ財布は持ってねえだろうし」
「こっちのぶるぅと間違われることはないと思うが…。いや、待て!」
ツケにされて払う羽目になるとか、とキース君。それはマズイ、と顔を見合わせていると。
「無い無い、それは絶対無いってば!」
保証するよ、とソルジャーが太鼓判。
「ぼくに思念波で訊いてきたんだ、財布を持って行ってもいいか、って。貸してもいいけど、それだとお金が減るだろう? だから「こっちのノルディに貰っておいで」と」
「「「…エ、エロドクター…」」」
「何か問題でも? ノルディは大喜びで札束を渡していたようだけどねえ? あなたのブルーにどうぞよろしく、と」
袖の下か、と私たちは揃ってドッと脱力。エロドクターときたら、ソルジャーとの楽しいデートのためなら「ぶるぅ」の胃袋も買収しますか、そうですか…。



二ヶ所に分かれた夜の部の宴会。私たちは焼肉パーティー、「ぶるぅ」はお好み焼きの店。大食漢の「ぶるぅ」も交えての焼肉となれば戦場ですけど、そうでなければ至って平和で。
「んとんと…。昼間の公園、映ってるかなぁ?」
テレビカメラが来ていたもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテレビの電源を。おおっ、ちょうどローカルニュースの終盤、八重桜が満開の公園が映っています。
「すっごーい! 桜いっぱい!」
ぼくたちも映っていないかなぁ? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はテレビの前に張り付きましたが、映像は私たちのレジャーシートの端を掠めて桜のアップになってしまいました。これってシールドしていたと言うか、サイオンで撮影お断りの結果とか?
「……映ってなかった……」
録画しようと思ってたのに、とガックリしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。あれっ、だったら映る可能性もあったってこと? ソルジャーやキャプテン、「ぶるぅ」がいても?
「そりゃあ、映る時には映るよねえ…」
その辺はドンと任せておいて、とソルジャーが。
「こっちの世界にもすっかり慣れたし、テレビカメラくらいは平気だよ。たとえ隠し撮りをされていようと映像はバッチリ誤魔化せるしね。…ぶるぅ、残念だったね、映ってなくて」
「…残念だよう…。お花見弁当も映ってるかと思ったのにー!」
自信作のお弁当だったのに、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が肩を落とす間にニュースは終わって次の番組が。『生き物ふしぎ発見』のタイトルが映り、そこでテレビは消されるものかと思ったら。
「わぁっ、可愛い! ネズミさんだぁ!」
これも見るー! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の落ち込み気分が一気に浮上。さっきのガックリを見ているだけに、可愛いネズミで和むんだったらテレビはつけておくべきでしょう。
「ぶるぅ、焼肉はどうするんだい?」
会長さんが訊くと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ笑顔で。
「焼けてる音と匂いで分かるよ、焼き加減! ぼくの分はちゃんと自分で焼くから!」
これと、これと…、とお肉や野菜をホットプレートにヒョイヒョイと乗せて、視線はテレビの画面へと。本当に可愛いネズミです。それに…。
「ぶるぅが好きなら見せておいてやろう。いつも御馳走になっているしな」
キース君の言葉に頷く私たち。凝ったお料理だと困りますけど、焼肉くらいなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」に任せなくても大丈夫。たまには食べながらテレビ観賞するのもいいですよね!



焼肉パーティーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の指南抜きでも何とかなるもの。ソルジャーの分のお肉や野菜が焼け焦げる事故は多発しましたが、知ったことではありません。自分の面倒は自分で見ろ、と横目で流して自分の分をジュウジュウと…。
「ちょ、ちょっと!」
いきなりソルジャーが声を上げても、「また焦がしたか」と華麗にスル―。
「大変だってば、これは物凄いニュースだってば!」
「…何が?」
特上の肉を焦がしたのかい、と会長さん。今夜はマザー農場の幻の肉と名高いお肉もたっぷり。それを焦がすとは許し難い、と私たちも睨み付けましたが。
「違うよ、テレビの方なんだよ!」
「ニュースの時間は終わっただろう!」
嘘をつくな、と会長さんが怒鳴り、ソルジャーがそれに負けない声で。
「本当に凄いニュースだってば! ぶるぅも見てたし!」
「…ぶるぅ、テロップでも流れたのかい?」
ニュース速報、と訊いた会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとした顔。
「やってなかったよ? ネズミさんが走り回ってただけだもん」
「ほらね、やっぱり大嘘じゃないか」
白々しい、と会長さんは一刀両断。けれどソルジャーは怯みもせずに。
「走り回るネズミがニュースなんだよ! ぶるぅが分かってないだけで!」
「「「…ネズミ?」」」
そんなモノがどうニュースなのだ、とテレビに視線を向けてみると。
「「「???」」」
コロンと横たわる小さなネズミ。そして男性の声で流れるナレーション。
「…こうしてキアシアンテキヌスの雄は、その生涯を終えるのである」
え? ネズミが死んだらニュースだなんて、何か変です。それだけでも充分『?』マークなのに、更に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の悲鳴が。
「ああっ、ネズミさん、死んじゃったぁー!」
ソルジャーの方も呆然として。
「…嘘だろう? 何もそこまで頑張らなくても…」
死んでしまったら元も子も、と妙な台詞が出て来た所でテロップが。『十二時間』って、なに? いったい何が十二時間で、ネズミの死骸は何なんですか~!



サッパリ意味が不明のテレビ番組。今度はお母さんネズミと沢山の子ネズミ。ナレーションは「この子供たちの中の雄もまた、その父親と同じ生涯を送る」と流れています。…あれっ? テレビのネズミのファミリー、お父さんネズミが欠けているような…?
「…うーん…。これはこれで何とかなるんだろうか…」
しかし死ぬまで頑張らなくても、とソルジャーが再び謎の台詞を。
「でもまあ、ぼくは子供を産むわけじゃなし…。死ぬ前に止めればいいんだよね、多分」
「「「は?」」」
日頃から「ぶるぅ」のママの座をキャプテンと押し付け合っているソルジャー。子供を産むという言葉は禁句の筈ですけれども、いったい何が言いたいんでしょう?
「いや、ちょっと…。このネズミの雄は凄いな、と思ったんだけど、まさか死ぬとは」
「どう凄くって、なんで死ぬのさ?」
分からないよ、と会長さんが首を捻って、テレビの方にはエンディング曲が流れてスタッフ名がズラズラと。これは再放送でも見ない限りは理解不能かもしれません。それとも録画?
「ぶるぅ、今のは録画してた?」
ソルジャーの問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は首を左右に。
「してないよ?」
「そうなんだ…。名前はバッチリ覚えてるから、まあいいかな」
フクロネズミ、と呟くソルジャー。今のってフクロネズミでしたか! 舌を噛みそうな長ったらしい名前だったと思いましたが…。
「キアシアンテキヌスだったらさっきのネズミ! フクロネズミの一種らしいよ。他にも何種類か似たようなヤツがいるらしくって」
実にパワフルなネズミなのだ、とソルジャーが肉を焼きながら。
「ぶるぅが言ったろ、走り回っていただけだ、って。その時間が実に十二時間! 早回しで流してたからチョコマカチョコマカ、場合によっては十四時間も」
「…走り続けるわけ?」
ジョミー君が疑問をぶっつけ、キース君が。
「それは死んでも不思議ではないな…。マラソン選手じゃあるまいし」
「甘いね、走ってるだけじゃないんだってば! もう飛びっきりのビッグニュース!」
こんな生き物が地球に居たとは、とソルジャーは感動の面持ちで。
「走る目的はひたすらセックス!!!」
「「「えぇっ?!」」」
なんじゃそりゃ、と私たちはポカンと口を開けました。も、もしかしてネズミながらも大人の時間を十二時間? 挙句の果てにコロリと死ぬとか、まさか、まさかね……。



「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「可愛い!」と見始めた小さなネズミを撮った番組。フクロネズミと言うからには有袋類ってヤツでしょうけど、走りまくって十二時間だか十四時間だか。走るだけでも驚きなのに、その目的が大人の時間って…。
「本当だってば、本当にヤッていたんだってば!」
ぶるぅは分かってないかもだけど、と言うソルジャー。
「発情期が来たら、一度に沢山の雌と十二時間から十四時間も交尾をしまくるらしいんだよ。実際、映像が流れてた。パワフルだなぁ、とビックリしたからビッグニュースだと言ったんだけど」
そんなパワーはハーレイにも無い、とグッと拳を握るソルジャー。
「もう絶倫としか言いようがないし、薬か何かに使えないかと思ってさ…。叫んだ時にはそのつもりだった。だけど死んじゃう理由を聞いたら、考えがちょっと変わったんだよ」
「やめとこうって?」
それが吉だね、と会長さん。
「何も死ぬまでやらなくていいし、そんな生き物を薬に使ったらロクな結果になりそうもない。君も困るだろ、ハーレイが死んでしまったら?」
「そこなんだよねえ…。死ぬ所まで行かない程度に留めておけばいいのかなぁ…って」
「やっぱり薬にする気じゃないか!」
どう考えが変わったというのだ、と会長さんは非難の視線。私たちも呆れ果てたのですけど。
「そうじゃなくって! どうして死ぬのか、君たちは聞いていなかっただろう?」
「聞いていないね。そもそも君が騒いでいたから」
テレビのナレーションどころでは、とバッサリ切り捨てる会長さん。
「それにネズミに興味も無いしさ、ヤリ過ぎで死んでも痛くも痒くも」
「そう、ヤリ過ぎ! まさにヤリ過ぎで死ぬらしいんだよ」
まあ聞きたまえ、とソルジャーが座り直した時には焼肉パーティーも終盤で。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が刻んだニンニクなどを炒めてガーリックライスを作っています。小さな子供の頭の中から可愛いネズミは消えたようですが、ソルジャーの方はネズミに夢中。
「あのネズミはねえ、交尾に没頭しすぎるあまりにテストステロンという男性ホルモンのレベルが高くなる。これが引き金になってストレスホルモンが増加しまくり、カスケード効果とやらで体内組織が破壊された上、免疫系が崩壊するわけ」
「「「………???」」」
ソルジャーの語りは専門的すぎて全くピンと来ませんでした。ホルモンはともかくカスケード効果と言われましても、カスタードクリームとは違うんですよね?



「あーあ、全然通じてないし…」
何処がカスタードクリームなのだ、とソルジャーは天井を仰いで深い溜息。その間にガーリックライスがお皿に盛られて紅茶やコーヒーも登場です。お好み焼きを食べに出掛けた「ぶるぅ」はどうなったかな?
「えっ、ぶるぅ? 先に帰ったよ、お持ち帰り用のお好み焼きを山ほど抱えて」
食べたら後は寝るだけだろうし、後はぼくとハーレイとでゆっくりと…、と微笑むソルジャー。
「ネズミの話も伝えなくっちゃね。筋力と体内組織の限りを尽くして持てるエネルギーを使い切るまで交尾三昧!」
ああ、なるほど。その言い方なら分かります。ヤリ過ぎで死ぬってそういう意味かぁ…。
「自分の子孫を確実に残すために死に物狂いで交尾するよう、進化を遂げたらしいんだよね。素晴らしいじゃないか、子育てなんかは我関せずとセックスに特化した進化! お蔭でぼくの考え方も変わったんだよ、そっちの方へと」
「「「は?」」」
今度こそ意味が掴めません。ソルジャーの考えがどう変わったと?
「薬に使うのもいいかもしれない。でも、そういうのに頼る前にさ、ハーレイを進化させちゃった方が確実なんじゃないかってね」
「「「…進化?」」」
進化って……そんな簡単なことですか? 何世代もかけて変わるんじゃあ?
「うん。本物の進化だったら時間もかかるし、とてもじゃないけど間に合わない。ぼくが言うのはハーレイの気持ちの進化かな? 今のハーレイは仕事が優先、ぼくとの時間は二の次だ。そこをセックス優先に!」
ゲッ、と息を飲む私たち。それっていったい…?
「分からないかな、一にセックス、二にセックス! とにかく仕事よりセックス優先、ブリッジにいようが会議中だろうが、ぼくに会ったらセックスあるのみ!」
「…そ、それは……」
どう考えても無理だろう、と会長さんが掠れた声を絞り出しました。
「君のハーレイ、究極のヘタレじゃなかったっけ? 人目がある場所じゃ無理とか何とか」
「見られていると意気消沈って話かい? それも含めてセックスに特化! ブリッジとかでは無理だと言うなら青の間専用に進化させるさ」
この際、キャプテンの職は他の誰かに譲るとか…、とソルジャーの口から恐ろしい言葉が。
「青の間でハーレイを飼うのもいいねえ、ぼくのお相手専用に! それこそ究極の進化だよ。薬に頼るより進化させるのが最高だってば!」
努力あるのみ! とソルジャーの赤い瞳が爛々と。キャプテンはどうなってしまうのでしょう? でもまあ、ソルジャーの世界で進化させるなら私たちには無関係ですよね?



ヤリまくった果てに死んでしまうらしいフクロネズミ。可愛い姿が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の気を引いたばかりに焼肉パーティーのバックグラウンドに凄すぎる番組が流れたようです。その内容に感化されてしまったソルジャー、勢い込んで自分の世界に帰りましたが…。
「…あの後、結局、どうなったわけ?」
もうすぐ一週間になるんだけれど、とジョミー君。今日は金曜、あの日が土曜日でしたっけ…。
「どうなったのかな? ぼくも知らない」
あれからブルーの姿を見ない、と会長さん。
「あっちの世界を覗くつもりにもなれないし…。なにしろブルーの目的がアレだ」
「ロクな結果になりそうにないな」
知りたくもない、とキース君がぼやいて、マツカ君が。
「…大丈夫なんでしょうか、そのぅ…」
「あっちの世界のハーレイかい?」
それは心配なんだけどね、と会長さんも顔を曇らせています。
「最悪、キャプテンを解任されて幽閉されているかもねえ…。ブルーはやると言ったらやるから」
「ですよね、ぼくも心配です」
あちらの世界のシャングリラ号も、とシロエ君がフウと吐息をついた所へ。
「ヤると言ってもヤれない時にはヤれないんだよ!」
「「「!!?」」」
会長さんそっくりの声が響いてユラリと揺れる背後の空間。紫のマントがフワリと翻り、其処にソルジャーが立っていました。
「ぶるぅ、ぼくのおやつもあるのかな?」
「かみお~ん♪ 今日はイチゴたっぷりのチーズケーキだよ!」
チーズケーキの上にイチゴがドッサリ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」御自慢のケーキがソルジャーの分まで。紅茶も淹れられ、ソルジャーはソファにゆったりと。
「うん、美味しい! 煮詰まってる時には甘いものがいいね」
「えとえと…。ジャムでも作ってるの?」
煮詰める時には火加減が大切、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がアドバイス。ソルジャーは頷いていますけれども、ジャム作りの趣味なんてありましたっけ?
「んー…。煮詰まってるのはぼくの頭で、どうしようかと悩んでたけど、火加減ねえ…。そこは確かに大切かもだよ、遠ざけすぎてもダメなんだよね」
「「「???」」」
本当にジャムを煮てたとか? お鍋を火から遠ざけすぎてもジャムは上手に出来ませんしね?



遠ざけすぎてもダメな火加減。キャプテンを進化させる話は放置でジャム作りに凝っていたのでしょうか? ソルジャーの行動は読めないだけにジャムもアリか、と思いましたが。
「…ジャムはジャムでもミルクジャムかな、いい感じに出来たら美味しいよね」
「退場!!」
レッドカードを突き付けている会長さん。どうしてミルクジャムの話なんかで退場に?
「ああ、それはね…。原材料のミルクの方だよ、牛じゃなくってぼくの」
「退場だってば!」
サッサと出て行け、と会長さんが怒鳴り付けても、ソルジャーの方は何処吹く風で。
「ぼくのハーレイから採れるアレがね、ミルクに似てないこともないな、と」
「「「………」」」
来たか、と身構える私たち。ソルジャーの日頃の猥談三昧のせいで「アレ」と言われれば嫌な予感がビビッと走るというわけです。あまつさえキャプテンの名前が出たとあっては、もう間違いなく猥談で…。
「とにかく問題はミルクなんだよ。ジャムを作ろうにもミルクが無いとね…。火加減の大切さは流石に身にしみて分かってきたかな」
「「「火加減?」」」
本気でジャムで火加減なのか、と頭の中で『?』マークが乱舞。猥談だったと思うのですけど、その一方ではジャム作りですか?
「…ジャムを作るにはミルクと言ったと思うけど? どうやら火から遠ざけすぎたらしくて、肝心のミルクが失速気味でさ」
「君はいったい何をしたわけ?」
レッドカードをちらつかせながらの会長さんの問いに、ソルジャーは。
「…セックスに特化するよう進化しろ、とハーレイに発破をかけたんだけど…。ブリッジどころか公園でもダメ、サッパリ話にならなくて…。青の間に引っ張り込んでから今日で三日目」
なのにミルクを出さなくなっちゃってねえ、とソルジャーは困ったように首を振りました。
「こんな所でヤッてる場合じゃないとか何とか…。ハーレイもセックスは嫌いじゃないとは思うんだけど…。ブリッジから引き離しちゃったのがマズかったかも」
仕事が気になって勃たないのだろう、とソルジャー、溜息。
「ぶるぅに言われて気が付いた。遠ざけちゃったらダメなんだよ。ハーレイの居場所はブリッジだからさ、戻せばきっとパワフルに! でもねえ…」
それだと別の理由で勃たなくなるし、と悩みは相当に深いようです。しかしソルジャー、キャプテンを青の間に閉じ込めていたとは恐るべし。進化のためなら手段を選ばず即実行。この調子ではキャプテンが進化を遂げる時まで、あの手この手で頑張るのでは…。



キャプテンを青の間に幽閉してまで進化させようとしたソルジャー。進化と言えば聞こえが良くても、その実態はフクロネズミの雄に倣えというもので。
「セックスに特化した人生を送りたくないとは思えないんだよねえ、ハーレイも…。だってヤッてればいいだけだよ? シャングリラならぼくが守るし、どうしてもと言うなら新しいキャプテンを任命するって手もアリだ」
ソルジャーときたら、さっき火加減どうこうでキャプテンはブリッジに置いておかねばと言っていたくせに、この始末。キャプテンをクビにしてまで青の間に…ですか?
「だってさ、仕方ないだろう? ブリッジだと人目があるんだよ。ぼくが姿を見せたとしても、ヤるとなったら色々と…。そこで周囲をキッパリ無視してヤれるトコまで進化できたら最高だけども、あのハーレイには無理そうだしねえ…」
ブリッジでヤれるキャラならキャプテンを解任しなくても済むんだけれど、と言うソルジャー。けれどキャプテンには無理な話で、クビにして青の間に閉じ込める以外、フクロネズミの雄並みの生き方は期待できないとか。
「それは失敗したんだろう? 火から遠ざけすぎたとかでさ」
さっき聞いた、と会長さんが鋭い指摘。
「どっちにしたって無理なんだよ。閉じ込めてもダメ、君が出向いて行ってもダメ。…現状維持で我慢したまえ、君のハーレイはフクロネズミじゃないんだから!」
「だけど諦め切れないんだよ! あんな小さいネズミなんかが十二時間だか十四時間だか! ヤリすぎて死ねとは言わないけれども、死に物狂いには憧れるんだよ!」
そこまでの勢いでヤらせたい、とソルジャーも負けていませんでした。
「ハーレイだって仕事があるからセーブするんだし、人目があるから勃たないんだし…。そういう要素を取っ払ったら一直線! それを思うと諦め切れない!」
なんとしてでもセックスに特化したハーレイを、とソルジャーの夢は果てしなく。
「そういうハーレイが実現したらね、ぼくのサイオンも今よりもグッと高まるかも…。するとシャングリラの防御力が上がる。攻撃の方は言わずもがなさ」
「それなら君のシャングリラで相談したら? そういう方向で検討したいからキャプテンの代理を探して欲しい、とか」
こっちじゃ対応しかねるからね、と会長さん。
「そりゃあ、ハーレイはこっちにも居るよ? でもね、ぼくが君の代わりにソルジャーを引き受けてもシャングリラが危険になるのと同じで、ハーレイも君のハーレイの代わりは不可能!」
君のシャングリラが危ないだけ、と冷たく言い放った会長さんに私たちは思わず拍手喝采。その調子で論破して下さいです、ソルジャーのアヤシイ進化論!



「……こっちのハーレイを代理にねえ…」
その発想は無かったな、とソルジャーが呟き、背筋に悪寒が走りました。ジョミー君たちも顔が引き攣ってますし、会長さんなどはもう真っ青で。
「…い、今のはホントに正論だからね! ハーレイに代理は務まらないよ!」
連れて行くだけ無理、無茶、無駄! と会長さんが叫ぶと、ソルジャーも首をコックリと。
「それはぼくにも分かってる。ぼくと君とで経験値が違い過ぎるのと同じで、ハーレイ同士でも差があり過ぎる。…こっちのハーレイを連れて帰って代理をさせようとは思わないさ」
それくらいなら「ぶるぅ」の方が、と返すソルジャー。えっ、「ぶるぅ」? まさか「ぶるぅ」がキャプテンの代理をしてるんですか?
「代理と言うより影武者かな? ぶるぅはパワー全開だと三分間しか持たないけれど、それ以外ならタイプ・ブルー並みのサイオンを自由自在に使えるからねえ…。おやつを増やそうと提案したら簡単に釣れて、キャプテンのシートに座っているさ」
「「「…か、影武者…」」」
「そう! サイオニック・ドリームでハーレイそのものの外見を保ち、命令とかもそれなりに! たまに思念波で「どうやるの?」と訊いてくるけど、今の所は問題なし!」
操舵の方もサイオンで可能、と不敵な笑みを浮かべるソルジャー。
「というわけでね、ハーレイの代理は今は充分間に合っている。…お蔭でこっちのハーレイという貴重な存在を忘れ果ててた」
もしかしなくても使えそうだ、とソルジャーの唇に微笑みが。
「ハーレイをブリッジに戻すしかないかと思ってたけど、ブリッジじゃハーレイは全く勃たない。それじゃ使えないし、青の間に閉じ込めておいても勃たないし…。どうすればいいか煮詰まってたわけ。そうだ、こっちのハーレイだよ!」
ちょっと借りてもいいだろうか、とソルジャーは赤い瞳を煌めかせて。
「ぼくのハーレイがブリッジだとか公園だとかでヤれない理由は周囲の視線! ヤッてます、という姿を見られたが最後、意気消沈で萎えちゃうんだよ。ぶるぅの覗きもダメなんだけれど、気付いていない間はヤれる。ここが肝心!」
周囲に気付かれなければいいのだ、とカッ飛んだ案が飛び出しました。
「ぼくとハーレイがヤッていてもさ、誰も気付かなきゃいいわけだろう? ぼくはシールドで姿を消せる。ぼくさえ見えなきゃハーレイがせっせとヤッていたって無問題!」
誰も好奇の視線を向けない、とソルジャーは自信満々です。
「ただね、ハーレイのアレの辺りをどう誤魔化すか…。ぼくのシールドでカバー出来ると言ったところでハーレイはイマイチ信用しないし、心許ない気分だろうし…」
その辺をこっちの世界でキチンと検討しておきたい、と言われましても、いったい何を…?



ブリッジで大人の時間をやらかすために教頭先生を借りたいソルジャー。どうする気なのか分かりませんけど、思い付いたら一直線なのがソルジャーで。
「ハーレイ、明日は土曜日だから休みだよね? 少々鼻血を噴いたくらいじゃ死なないだろうし、ちょっと貸してよ」
「何をするかによるんだけれど!」
ロクでもないコトなら貸さないからね、と会長さん。貸すも貸さないも、教頭先生は会長さんの所有物ではないわけですが……って言うだけ無駄かな? キース君たちも遠い目つきになっていますし、貸し出されるのも最早時間の問題かもです。
「何をって…。強いて言うならモデルかなぁ?」
「「「モデル?」」」
「そう、モデル。ぼくとヤッているのがバレないように船長服を調整したい」
「「「は?」」」
ソルジャーの発想は斜め上というヤツでした。鼻血がどうこうと言ってましたし、そもそもブリッジで大人の時間を過ごすために借りたいという話でしたし、てっきりもっとアヤシイ事かと…。
「鼻血は噴くと思うんだよねえ、こっちのハーレイ、童貞だから。…ぼくにピッタリ密着されてさ、アレを取り出せとか言われちゃったら確実に噴くと」
「船長服を調整するって言ったじゃないか!」
話が違う、と声を荒げる会長さんに向かって、ソルジャーは。
「だから調整するんだよ。ぼくの腰がこの位置だったらアレはどの辺で、船長服はどんな風に捲れて皺が寄るかとかそういう部分を」
服の仕立て具合を微調整とか、バレないように素材を少し変えるとか…、と熱弁を奮うソルジャーですけど。
「…君って裁縫は出来たんだっけ?」
会長さんの問いにソルジャーはウッと息を詰まらせ、目を白黒と。
「そ、そうか…。服を改造するとなったら必然的に裁縫も…」
「出来ないんだったら貸し出せないねえ、ハーレイは」
諦めたまえ、と会長さんが勝ち誇った顔で高笑いしそうになった時。
「えっと、えっとね…。ぼく、お裁縫は得意だよ?」
何を縫うの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の無邪気な瞳がキラキラと。ソルジャーは歓声を上げて「そるじゃぁ・ぶるぅ」を強く抱き締め、会長さんは思い切りテーブルにめり込みました。
「やったね、今夜は船長服の改造だ!」
君の家でやらせて貰っていいよね、というソルジャーの喜びに溢れた声がやたら遠くに聞こえます。私たちの人生、終わったでしょうか? ついでに教頭先生も…。



ヤリまくって死ぬフクロネズミの番組を見たのと同じダイニングで夕食会。お裁縫の時間が控えているから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製ハヤシオムライスでお手軽に。私たちは強引にお泊まり会へと巻き込まれてしまい、今夜は家に帰れません。
「…まあ、その方がいいかもしれんな…」
この先の展開を思えばな、とキース君が嘆き、私たちの気分もドン底です。お手軽夕食でもスープや
サラダやデザートなんかでお腹一杯、そちらは文句は無いのですけど…。
「そろそろですよね…」
シロエ君が壁の時計を眺めると同時にピンポーン♪ と玄関チャイムの音が。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよ!」
お出迎えに行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が弾む足取りで教頭先生を案内してきて、私たちは揃ってリビングへ。そこにはソルジャーが自分の世界から空間を超えて運んだ船長服が何着も。
「…なんだ、これは? 言ってくれたら持って来たのに」
わざわざ運んでくれなくても、と教頭先生が言うと、ソルジャーが。
「あっ、それね…。君のじゃないんだ、ぼくのハーレイのクローゼットから失敬してきた」
「は?」
怪訝そうな教頭先生にソルジャーは極上の笑みを浮かべてみせて。
「ちょっとね、君に協力して欲しいんだよ。実はとある生き物に触発されてね、ぼくのハーレイを進化させようと頑張っている最中なんだ」
「…生き物…ですか?」
「うん。キアシアンテキヌスって言ったかな? フクロネズミの一種なんだけど、それの雄がね、もうヤるためにだけ生まれて来たような素晴らしさでさ」
「…何をです?」
教頭先生の疑問はもっともでした。あの番組を見ていなければ普通はこういう反応かと…。
「何って、男のロマンだよ! そのネズミ、こーんなに小さいのにさ」
ソルジャーは自分の手のひらにスッポリ収まりそうなフクロネズミのサイズを示してニッコリと。
「なんと! 十二時間だか十四時間だか、死に物狂いで交尾しまくった挙句にポックリと…ね。まさにセックスするためだけに生まれてくるわけ!」
「……セ、セックス……」
童貞人生まっしぐらの教頭先生は既に鼻血の危機でした。そこへソルジャーが船長服を指差して。
「ぼくのハーレイにもセックスに特化した進化ってヤツを遂げて欲しくて、そのために服を改造しようと思ってるんだ。改造にあたって君の協力が欲しい」
まずは船長服に着替えて、と頼まれた教頭先生がブッ倒れずに済んだ理由は、事態が飲み込めていなかったからだと思われます。素直に着替えて、まずはソファへと促されて。



「此処に座ってくれるかな? そう、シャングリラのキャプテンのシートのつもりで」
「…こうでしょうか?」
「うん、上出来!」
さて、とソルジャーが教頭先生にチラリと視線を。
「ぼくはブリッジでもヤリたいんだけど、ぼくのハーレイ、見られているとダメなタイプだからねえ…。ぼくはシールドで姿を隠してヤることになる。ハーレイのアソコもシールドでカバー! でもねえ、心許ない気分だろうから、船長服にも工夫をね」
ちょっと失礼、とソルジャーの手が教頭先生の股間へと。
「んーと…。ぼくが座るとしたら、こうかな」
ひと撫でした後、ソルジャーは教頭先生の膝の上にストンと腰を下ろして、私たちに。
「どう? 本番だとこれでハーレイのファスナー全開! 上着とかでカバー出来そうかな?」
「「「………」」」
知ったことか、と沈黙を守る私たち。しかし良い子の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大人の時間が分からない上に根っから本物のお子様で。
「えとえと…。上着が変になると思うの、ズボンの前が開くんでしょ?」
「全開だねえ、こんな感じで」
ソルジャーがクルリと身体の向きを変え、教頭先生と向き合う形で膝の方へと少し後退。足の上にしっかり跨ったままでズボンのファスナーをツツーッと開けたからたまりません。
「…うっ…!」
教頭先生が派手に鼻血を噴き、キース君が素早くティッシュの箱を。
「す、すまん…」
ティッシュを鼻に詰めておられる間にソルジャーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の方は。
「これが全開状態だけどさ、上着、ダメかな?」
「上着のファスナー、下から開かなくなってるし…。この辺とかが引っ張れちゃうよ」
「それじゃ、どうすれば自然に見えるわけ?」
「下からも開くように改造しとけば、勝手に開くから皺は寄らないと思うんだけど…」
大真面目なお裁縫の話が繰り広げられる股間前。教頭先生は必死に鼻血を堪えて試練に耐え抜き、お次は操舵中を想定するとかでリビングの真ん中に立たされて。
「今度はハーレイにも少し協力して貰わないと…。いいかい、ぼくは此処に立つから、こう、後ろからグッと抱き寄せて突っ込むつもりで!」
思いっ切り、とソルジャーが付け足す前に鼻血の噴水MAX、ティッシュは吹っ飛び、ブワッと鼻血が噴き出して……。



「…使えないじゃないか、こっちのハーレイ!」
全然ダメだ、と罵倒されても教頭先生の意識は遠い世界へと旅立ったまま。それでも服の改造を諦めないのがソルジャーの凄い所です。
「仕方ないなぁ…。そこの柔道部三人組! ハーレイを立たせて動かしてくれる?」
腰の辺りはぼくがサイオンで操るから、と顎で使われ、キース君たちは操舵中とやらのキャプテンの立ち位置などを再現する羽目に陥りました。
「そうそう、そんな感じでね。そこでストップ! ぶるぅ、服の皺とかはどうなってるかな?」
「座ってる時ほど変じゃないけど、やっぱり上着のファスナーかなぁ…」
そこの改造は絶対要るよ、という「そるじゃぁ・ぶるぅ」の意見が通って、キャプテンの船長服はソルジャーが持ち込んだ全ての上着に改造が施されました。下からも上からも開くファスナー、それも滑らかな滑りが売りで。
「うんっ、これで綺麗に見えると思うの♪」
試してみる? という「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声で教頭先生は気を失ったまま、またもモデルにさせられて…。ソファに座って合格マークで、立った姿勢でもOKが。
「ありがとう! みんなの協力で服は完璧、後は本人の根性あるのみ!」
青の間に閉じ込められて暮らすのが嫌ならブリッジで! とブチ上げて帰って行ったソルジャー、キャプテンの進化に壮大な夢を抱いてますけど…。
「…大丈夫なわけ?」
ジョミー君の疑問に、会長さんが。
「さあねえ…。死に物狂いがどうなるかはともかく、ブリッジはねえ…。船長服を改造したって動きでバレると思うんだ。それくらいなら青の間で幽閉生活を選びそうだよ、あっちのハーレイ」
「「「そ、それじゃあ…」」」
シャングリラは当分キャプテン無しでの航行が続くみたいです。ソルジャーが飽きて放り出すまでキャプテンは青の間でフクロネズミの雄並みの努力を重ねつつ、ブリッジの心配もして胃がキリキリと痛みそう。…ほ、本当に大丈夫かなぁ…。
「このハーレイほどヘタレてないから強く生きるよ、死なない程度に」
こっちのハーレイはヤリもしないで死んでるし、と失神している教頭先生をゲシッと蹴飛ばす会長さん。ヤリまくって死ぬか、ヤらずに死ぬか。フクロネズミの雄だった場合、どちらが本望なのでしょう? キャプテンと教頭先生のどちらが幸せな人生なのか、ネズミに訊いてみたいかも…?




         特化する進化・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 フクロネズミのキアシアンテキヌスは、捏造じゃないです、本当にいる動物です。
 交尾のために走るオスの話も、まるっと真実。進化の世界は神秘ですねえ…。
 シャングリラ学園、来月は普通に更新です。いわゆる月イチ。
 次回は 「第3月曜」 5月16日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、4月は、ソルジャー夫妻をキース君に丸投げしようという方向。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv








 ハーレイの家から歩いて行ける食料品店。ハーレイでなくても、女子供でも楽に歩ける近さ。
 以前は気が向くままに出掛けて覗いたり、散歩がてらに立ち寄ったりと頻繁に出掛けた店だったけれど。この春から事情はガラリと変わった。正確に言えば五月の初旬、勤務先の学校が変わってから後。
 其処で出会った十四歳の小さなブルー。前世で愛した大切な恋人の生まれ変わり。
 幸運にもブルーの家を頻繁に訪ねることを許され、それがハーレイの表向きの役目ということになった。休日はもちろん、学校のある日も仕事が早く終われば立ち寄る。
 そういう生活が始まって以来、買い出しはブルーの家に出掛けない日に済ませておくのが習慣。今日も行かねば、と帰宅してガレージに車を入れたハーレイは着替えて家を出た。
 仕事は早めに終わったけれども、ブルーの家には昨日も行った。そうそう毎日行けはしないし、今日は買い物。



(…あいつなら来いと言うんだろうが…)
 昨夜、「また今度な」と手を振った時に「また来てね!」と叫んだ恋人。今日の放課後、学校の廊下ですれ違った時にも期待に満ちた瞳をしていた。家に来てくれるといいな、という瞳。
 ブルーの両親もハーレイの来訪を待っているだろうが、流石に悪いという気がする。一家団欒の夕食の席に余計な一人。しかも食欲旺盛なハーレイのための食事はいつも大盛り。
(結婚してたら毎日だって行けるんだろうが…)
 食事が一緒でも普通なんだが、と考えてから浮かんだ苦笑い。
(それでは同居と変わらないじゃないか)
 毎日夕食をブルーの両親と共に食べるとなったら、同居とさほど変わらない。食事の後で自分の家に帰ってゆくのか、部屋に帰ってゆくかの違い。
(…ブルーがそうしたいと言い出したならば、同居もいいがな)
 言わないだろうな、と小さな恋人を思い描いた。
 事あるごとに「早くハーレイと結婚したいよ」と訴えて来る小さなブルー。早くハーレイを独占したいと、両親に取られたくないと。
 そんなブルーが両親との同居や、毎日一緒の食事の時間を望むとはとても思えない。
(うんうん、あいつは俺にベッタリくっつきたいんだ)
 食事の時間も、それ以外の時も。
 ハーレイさえ居ればそれでいいのだと、満足そうな顔が目に浮かぶようだ。
 小さな小さな、幼い恋人。十四歳にしかならない、小さなブルー…。



 子供らしい我儘を炸裂させるのも得意になってしまったブルー。
 ソルジャー・ブルーだった頃にもハーレイにだけは甘えたものだが、今は両親にも甘え放題。
 そういう姿も気に入っていた。
 ソルジャーの重荷を背負っていなければ本来こうかと、これが本当のブルーなのかと。
 今度は甘えさせてやりたいと思う。
 前の生では叶わなかった分、甘えさせて、我儘も沢山言わせて。
 そんなブルーを守ってゆこうと、今度こそ自分が守るのだと。



(さて、と…)
 買わねばならない物は何だったか…、と考えを切り替えて歩いてゆく。
 家にある食材は一通りチェックを済ませて来たから、あれと、これと…、と。他にも目に付いた品があったら買うのもいい。
 新鮮さが命の刺身だとか、早めの調理が旨味を引き立てる野菜だとか。
 何を作って食べるのもいい、気楽な自分一人の食卓。今夜の献立もまだ決めてはいない。買った食材の種類次第で何にするかを考えればいい。
(ブルーと一緒に飯を食うのも楽しいんだが、両親付きはなあ…)
 昼食はブルーの部屋で二人で食べることが多かったけれど、夕食は両親も一緒の食卓。ブルーの相手ばかりでは大変だろう、と気遣ってくれるブルーの両親。大人同士で話したいだろうと、心を配ってくれるブルーの両親。
 平日に訪ねて行った時にはブルーが食卓の王様だったし、ハーレイを独占していたけれど。王様ではなくて王子様だろうか、自分が話題の中心なのだと、それが当然だと笑顔のブルー。
 ハーレイの名を連発するブルーを両親は温かく見守っていたし、居心地はけして悪くなかった。
 ただ、ブルーの両親が考えているような「キャプテン・ハーレイ」ではない自分。
 ソルジャー・ブルーの右腕だったと伝わるだけではない自分。
(…実はブルーの恋人だなんて、夢にも思っていないだろうしなあ…)
 たまに後ろめたい気分になったりするから、一人きりの食卓も気楽でいい。
 気の向くままに料理を作って、のんびりと時間を過ごしながら。



(…こんな考えがバレたら、あいつは怒るな)
 四六時中ベッタリくっついての暮らしも気にしないどころか、それを熱望する小さな恋人。
 結婚したなら買い物に行くのも二人一緒になるのだろう。
 軽く歩いて行ける距離でも、必ず一緒。
(あいつが寝込んだら、俺は買い物禁止になっちまうのか?)
 買い物の代わりに看病よろしく外出禁止を仰せつかって世話だろうか、と可笑しくなった。
 ブルーだったら言いかねないなと、買い物に出掛ける暇があったら側に居てくれと。
(そうして野菜スープを作らされる羽目になるんだな)
 家にある野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んで。
 野菜スープのシャングリラ風が出来上がったならば、ブルーのベッドに運んで行って…。



 その、野菜。
 いつもの食料品店に足を踏み入れると、実に豊富な品揃え。
(シャングリラでは出来なかった贅沢だよなあ、季節外れの野菜も山ほどなんてな)
 今が旬ではない野菜も多い。けれども、どれも食べれば美味しい。地球の光と水と土とが育てた野菜は、露地物でなくても豊かな味わい。
(これと、これと…)
 こいつも美味い、と店の入口で手に取った買い物用の籠に入れてゆく。野菜のコーナーを巡った後は肉類を選んで、それから魚や貝の売り場へ。
(うん、今日もいいのが入っているな)
 魚介類が水揚げされる港から毎日入荷する海の幸。海が荒れた時には品数が減るが、今日は色々揃っている。どれにするかな、と覗き込んで、好みの品を選んで、籠へと。
 もしもブルーが一緒に居たなら、どんな買い物になるのだろうか、と選びつつ考えたりもして。
(好き嫌いが無いのが俺たちの売りだが、それでも何か言いそうだよな?)
 この魚を焼いて食べるのがいいとか、こっちを買って煮付けだとか。
 タコを買って今日は刺身で食べて、明日はタコ焼きを作って食べたいだとか。
 我儘も言うだろう、生まれ変わって来たブルー。
 ソルジャー・ブルーだった頃とは違って、我慢が基本ではないブルー…。



 今はまだ小さな恋人の未来の姿を想像しながら、店内をぐるりと一回りして。
 買いそびれた物は無いかと確認してから会計を済ませ、買った品物を詰めた袋を提げて出ようとしていた所で、後ろに女性。両手に提げている、重そうな荷物。
「お先にどうぞ」
 自動ドアではあったけれども、扉の幅には限りがあるから、女性優先。社会の一員になって間もない頃からのハーレイの習慣。大先輩だった紳士な教師がやっていたのを見て以来。
 女性は笑顔で会釈してドアを通って行った。



(…ふむ…)
 荷物を提げて店の外へとドアをくぐって、ふと考えた。
 ブルーと暮らすようになったら、こうした時にはやはりブルーが優先だろう。ブルーの手に何も荷物が無くとも、先に通してやらねばと思う。
 けれど…。
(今度はあいつが先ではないのか)
 先に扉を通らせてやっても、ブルーは出てすぐの場所で自分が来るのを待っていそうだ、という確信。先に歩いて行ったりしないで、笑顔で待っているのだろうと。
(…前はあいつが先だったのに)
 ハーレイの前を行くのがソルジャー・ブルーだった頃のブルーの歩き方。
 常にハーレイを後ろに従え、シャングリラの中を歩いて行った。視察の時も、それ以外の時も、ハーレイと共に歩く時にはソルジャー・ブルーが先だった。



 しかし、今度の小さなブルー。
 自分と一緒に青い地球の上へと生まれ変わった小さなブルー。
 将来、大きく育ったとしても。
 ソルジャー・ブルーと同じ背丈に育って自分と一緒に暮らす日々が来ても、きっとブルーは…。
(あいつは俺より先には行かない)
 二人で買い物に出掛けたとしても、ブルーが歩く場所は隣か、後ろか。
 自分よりも前を歩きはしない、と小さなブルーを思い浮かべる。
(…あいつが俺より先に行くのは…)
 ブルーの家を訪ねると「早く!」と先に立って自分の部屋へ駆けて行ったりするのだけれども、ハーレイが帰る段になったら決して先には行ったりしない。先に階段を下りてはゆかない。
 庭にある白いテーブルと椅子で過ごして、家へと戻る時にも同じで、先には行かない。
(…そうだ、今のあいつは俺の後ろからついてくるんだ)
 でなければ、隣。手を繋いだりはしないけれども、隣に並んで歩いていた。
 学校で出会って話しながら廊下や校庭を歩く時にも隣か、後ろか。
(絶対に前を歩きはしないな、今のあいつは)
 あまりにもそれが普通だったから、気が付かなかった。
 前の生では必ず前を歩いていた筈のソルジャー・ブルー。
 ハーレイが後ろに付き従うのが常だった筈のソルジャー・ブルー…。



(…いつからだった?)
 いつからブルーは自分の前を行くようになったのだろうか、と遥かな昔の記憶を手繰った。
 最初はそうではなかった筈。アルタミラから脱出した直後はそうではなかった。
 いつ変わったのか、と考える間に、家の前まで辿り着く。
(…前のあいつか…)
 玄関の鍵を開け、提げて来た荷物を注意して置いた。
 卵を割ったりしないように。ぶつけると傷みやすくなる品物に衝撃を与えないように。
 そうした品々をキッチンへ運び、所定の位置に片付けながら夕食の献立を考える。
 新鮮な刺身を買って来たから、それに合うものを。
 味噌汁にするか、澄まし汁にするか。
 野菜の料理は何にしようか、他に作って食べたいものは…。



 ふむ、と献立と手順とを決めて、料理の支度にかかったけれど。
(いつからだった…?)
 意識は再び、前のブルーへと引き戻された。
 いつから自分よりも先に行くのが常になったかと、いつからそのように変わったのかと。
(…あの頃は俺の後ろにいたな)
 前の自分がキャプテンではなく、調理を担当していた頃。食材の管理が上手だからと献立作りも任されてしまい、船にある食料で作れそうなものをと色々と工夫を凝らした日々。
 調理担当の者は他にも何人もいたが、陣頭指揮はハーレイだった。今日の昼食はこれで、夕食はこれ。明日の朝食にこれを作って、その次は…、と在庫を睨んで計画を立てて。
 そうやって鍋やフライパンと戦っていた頃、「何が出来るの?」と興味津々でハーレイの仕事を覗きに来ていた小さなブルー。
 身体が小さかっただけで年はハーレイよりも上だったけれど、まだハーレイの後ろにいた。船の中を二人で歩く時には後ろから来たし、前を歩きはしなかった。
 脱出直後の小さかったブルー。
 ハーレイを手伝ってジャガイモの皮を剥いたりしていた、小さなブルー。



(あいつが食料を奪いに行っていた頃も、俺の後ろに…)
 船にあった食料が底を尽いた後、ブルーはたった一人のタイプ・ブルーとして食料を奪いに出るようになった。人類の船が近くを通れば、とにかく何かを奪いに出掛けた。
 選ぶ余裕などありはしないから、キャベツだらけとか、ジャガイモだらけだとか。偏った食材と格闘するのがハーレイの仕事で、ブルーは食材の調達係。
 食料の他にも必要な物資をブルーが奪って、ハーレイがそれを調整しながら分配していた。皆に公平に行き渡るように、必要とする者たちの手に渡るように。
 ブルーの力が無ければ生きていけない日々だったけれど、ブルーが歩く場所はハーレイの後ろ。
 シャングリラと名付けた船全体の面倒を見るようになっていた、ハーレイの後ろ。



(…俺がキャプテンになった頃には、まだ…)
 後ろだった、と思ってから「違う」と気が付いた。
 まだソルジャーの尊称こそ無かったけれども、リーダーと目され始めたブルー。
 もう後ろにはいなかった。
 ハーレイが後ろを歩かなかっただけで、ブルーは後ろにはいなかった。
 リーダーの自分が幼子のようにハーレイの後ろをついて歩いては駄目であろうと判断したのか、はたまたキャプテンの仕事の邪魔は出来ないと考えたのか。
 いずれにしても自分の後ろにはもういなかったし、ついて歩きもしなかった。



(俺があいつの後ろを歩き始めたのがソルジャー以降か…)
 ソルジャーと呼ばれ、紫のマントや白と銀の上着を身に着けるようになっていたブルー。
 背丈も伸びて、小さなブルーではなくなっていた。気高く美しく育ったブルー。
 シャングリラの改造もすっかり終わって、白い鯨が完成していた。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 巨大な船となったシャングリラの中を視察して回ったソルジャー・ブルー。
 船内を隈なく歩くブルーにキャプテンとして付き従った。
 そうやって自分が後ろになった、と思い出す。
 視察以外で通路や居住区などを歩く時にも、ブルーはソルジャー。
 誰もが認めるミュウたちの長。
 キャプテンが前を歩けはしない。ソルジャーよりも前を歩けはしない。
 その必要が無い限りは。
 先に立って案内する必要が生じない限り、ハーレイはブルーの後ろを歩いた。



(あいつの方が偉かったからな…)
 キャプテンよりも遥かに上の立場であったソルジャー。
 シャングリラの航路も、仲間たちの命も、ブルー無しでは続きはしない。キャプテンはそれらを握ってはいても、ただ「預かっている」というだけのこと。
 守る力も戦う力も持ってはいないし、いざという時はブルーに頼るしかない。ソルジャーだった前のブルーしか、そういう力は持たなかった。
 だからキャプテンの地位がソルジャーの次でも、天と地ほどの開きがあった。
 ハーレイはそれを自覚していたから、ブルーの後ろを歩き続けた。
 けれどシャングリラの中、誰も周りにいない通路をハーレイが一人で歩いていた時、瞬間移動で背後に現れ、いきなり抱き付いて来たブルー。
 後ろから抱き付き、キスを強請ってきたブルー。
 何度もそういう場面があった。
 ブルーはいつも唇に笑みを浮かべていたから、悪戯なのだと思っていた。
 自分の驚く顔が見たくて不意打ちをしてくるのだろうと、恋人同士ならではの悪戯だろうと。
 何度もブルーが起こした悪戯。
 白いシャングリラで起こした悪戯。
 けれど、もしかしたら。
 悪戯なのだと前の自分は思ったけれども、もしかしたら…。



(…あいつは俺の後ろに居たかったんだろうか?)
 前を行くより、本当は後ろに居たかったのだろうか。
 否応なく前を行っていただけで、前のブルーも後ろについて来たかったのだろうか…。
 今のブルーが後ろを歩きたがるように。
 小さなブルーがハーレイの後ろについてくるように、前のブルーも。
 ソルジャーだったブルーも、もしもハーレイが許したならば。
 後ろを歩いていたのだろうか、と遠い昔に思いを馳せた。
 シャングリラの中を歩いてゆく時、ブルーの居場所が違ったならば、と。



(…もしも、ブルーが俺の後ろを歩いていたら…)
 そう出来ていたら、と考える。
 自分の後ろが定位置のブルー。常に後ろについてくるブルー。
(前のあいつがそうだったなら…)
 ハーレイの後ろに居たがるブルーは、メギドへと飛んで行ったのだろうか?
 たった一人で死が待つメギドへ、そんなブルーは飛べたのだろうか?
(…それでもあいつは飛んだんだろうが…)
 きっと不安な目をしただろう、とハーレイは思う。
 自分に託した言葉は「頼んだよ」と一方的に告げた遺言だったと思いはするが、その時の瞳。
 見上げる瞳が違っただろう。
 笑みさえ湛えていたように見えた瞳の代わりに、縋るような目をしただろう。
 一人で行かねばならないけれども、前を歩いてくれる背中が欲しいと。
 その背を追いかけて歩きたいのだと、ハーレイの背中があればいいのにと。



(…そうして俺が追いかけていたな)
 キャプテンの務めをブリッジの長老たちに託して、シャングリラの舵をシドに託して。
 格納庫に走って、ギブリに乗った。ブルーを追いかけてメギドへと飛んだ。
 人類軍の攻撃を躱して飛ぶだけの腕はあったと思う。そうでなければシャングリラのキャプテンなど務まりはしない。巨大な船を動かせはしない。
 砲撃を躱し、ギブリをメギドに降ろすことも出来た。中へ入り込むことも恐らく出来た。
 その後は兵士たちの攻撃をシールドで防いで、ブルーを追うだけ。ブルーが通ったであろう道を探して、追いかけて彼に追い付くことだけ。
(俺なら追えた筈なんだ…)
 きっとブルーがキースに遭遇するよりも前に追い付けた。追い付いて共にメギドを壊せた。
 ブルーは「何故来た」と怒鳴って怒っただろうが、その一方で泣いたと思う。
 緊張の糸が緩んで泣いたであろう、と。
 前を歩いてくれる背中が出来たと、ハーレイが前を歩いてくれる、と…。



(…俺は間違えていたんだろうか…)
 歩く場所を、と思ったけれど。
 互いの立場を考えたならば、その順番はあり得ない。
 ソルジャーだったブルーが歩くべき場所はハーレイの前で、キャプテンの位置はブルーの後ろ。
 入れ替えることなど出来はしないし、シャングリラに居た頃は仕方が無かった。
 けれど、ブルーの本当の望み。
 ソルジャーだった頃のブルーの本当の望み。
(あいつも気付いてはいなかったんだろうが…)
 自分の後ろをきっと歩きたかったのだろう、と思ってしまう。
 育ってもなお、ハーレイよりも遥かに小さな身体をしていたブルー。
 華奢で細かったソルジャー・ブルー。
 ハーレイが前を歩いていたなら、ブルーの身体は広い背中にすっぽりと隠れていただろう。
 自分の背を追いかけていたかったろう、とアルタミラから脱出した直後のブルーを思った。
 「何が出来るの?」と鍋を、フライパンを覗き込んでいた、小さかったブルー。
 自分の後ろをついて歩いていた、ジャガイモの皮むきをしていたブルー…。



 本当は後ろを歩いていたかったのだ、と今頃になって気付いたけれど。
(…それ以上に俺の隣を歩きたがるんだろうな、今度はな)
 きっとそうだな、と出来上がった料理を手際よく器に盛り付けた。
 野菜の煮物は深めの鉢に。
 刺身だけでは物足りないから、と作ったアサリの酒蒸しは汁の量に見合った深さの皿に。
 味噌汁を注いで、刺身は活きの良さが映える器に移してテーブルに置いた。
(これでよし、と)
 炊き上がった白米を茶碗に盛って、椅子へと座る。
 ブルーの家でも今頃は夕食の時間だろう。
 小さなブルーは心の中では不満たらたら、「ハーレイが来てくれなかったよ」と膨れっ面をしていそうだけれども、そうそう顔には出さないと思う。
 ハーレイが本当は前の生からの恋人なのだと両親に知られてしまわないよう、不平不満は小さな胸の奥に押し込め、愛らしい顔でチョコンと座っていることだろう。



(…すまんな、行ってやれなくて)
 だが、毎日は行けないからな、と小さな恋人に心で詫びた。
 自分の後ろを歩くのが好きな、いずれは隣を歩きたがりそうな小さなブルーに。
(前のお前も本当は、きっと…)
 後ろを歩きたかったのだろうと思うし、隣も歩きたかっただろう。
 ハーレイと並んで前も後ろもなく、手を繋いで歩いてみたかっただろう。
 けれどもソルジャーとキャプテンだった前の生では、並んで歩けはしなかった。
 恋人同士であったことさえ、誰にも明かせはしなかった…。



 今の生でも、まだ手を繋いで並んで歩けはしない。
 ブルーの両親がハーレイがブルーの恋人なのだと知らない間は、歩けはしない。
(…当分は俺の後ろだな、うん)
 小さなブルーはハーレイの後ろを歩いて満足しているし、手を繋ぎたいとも言っては来ない。
 しかし隣に並んで歩いてゆくことを、いつかブルーが覚えたならば。
 其処がブルーの定位置だろう。
 ハーレイの隣に立って腕を絡めて、あるいは手をしっかりと握り合わせて。
(そうか、今度は後ろですらないのか)
 隣なんだな、とハーレイは小さなブルーを想った。
 小さな恋人の背丈が前のブルーと同じに伸びて、気高く美しく育ったならば。
 二人一緒に歩く時には、どちらが前でも後ろでもない。
 あえてどちらかが前に立つなら、其処はハーレイ。
 ブルーを先に通してやるためにドアを開けてやり、先に通ったブルーは其処で止まって待つ。
 ハーレイがやって来るまで待つ。
 そうして二人、並んで歩く。
 ついさっきまでがそうだったように、二人並んで歩いてゆく…。



(…歩く順番からして変わってくるのか…)
 今度はまるで違うんだな、とハーレイの唇に笑みが浮かんだ。
 買い物に出掛ける時も二人一緒に、手を繋いで。
 そう考えてはいたのだけれども、前の生との明確な違いを認識してはいなかった。
 歩く順番が変わってくるとは、まったく気付いていなかった。
 前の生ではブルーが前を行き、ハーレイが後ろ。
 変えることなど出来はしなかった、ソルジャーの、そしてキャプテンの場所。
 けれど今度は並んで歩ける。
 二人仲良く、手を繋いで並んで歩いてゆける。
 それがどれほど幸せなことか、今まで以上に分かった気がする。
 前の生では叶わなかったと、今度は並んで歩けるのだと。
(…早くあいつと一緒に歩きたいもんだな)
 ついでに食事も二人なんだな、とハーレイは刺身を頬張った。
(食事も一緒で、歩くのも一緒か…)
 今度は二人で並んで歩こう。
 買い物でも、近所への散歩でもいい。
 前も後ろも順番も無くて、二人並んでの幸せな道を…。




           歩きたい場所・了

※並んで歩くことは出来なかった、キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルー。
 今度は並んで歩くことが出来るのです。手を繋いで。その日が来るのがとても楽しみ。
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 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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