シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「うーん…」
なんだか変、と夜の夜中に目が覚めた。
ベッドの感じがいつもと違う。寝心地が違うって言うのかな?
(なんで?)
どうして、と思ったぼくの頭の下、無くなってる枕。ぼくのお気に入りの大きな枕。ふんわりと頭を受け止めてくれる筈の枕が消えちゃってる。
あれっ、と手さぐりで探しても無い。少なくとも頭の近くには無い。
(何処…?)
ゴソゴソしてたら目が冴えちゃうよ、と目を瞑ったままで探すけれども、無いみたい。
こういった時に前のぼくなら簡単に解決出来たのに。
わざわざベッドを探らなくても、枕、って考えたらちゃんと出て来た。前のぼくの得意技だった瞬間移動で何処からか、パッと。
だから全然困らなかったし、目も冴えないで眠り直せた。大きな枕に頭を預けて、起きる時間が来るまでの間、眠りの世界に戻ってゆけた。
(…寝相は悪くはなかったんだけどね?)
前のぼくの寝相は良かったと思う。今のぼくみたいに枕が消えたりはしなかったと思う。寝てる間に上掛けを蹴飛ばしてしまうことも無かったと思うんだけど…。
(……でも……)
青の間で一緒に眠ったハーレイが起きて行った後。
枕が頭の下に無いこともあった。頭の下はシーツということがあった。
そんな時には瞬間移動でヒョイと戻して、頭の下に入れた。前のぼくが使っていた大きな枕を。今のぼくの枕よりも大きかった、青の間のベッドに見合った枕を。
あれほどに大きな枕が行方不明になるってことは…。
(…悪かったっけ?)
前のぼくの寝相。
悪かったなんて自覚はゼロだし、寝ていた間は、枕はきちんと頭の下に…。
いつだって頭の下に在ったと記憶している枕。
それがどうして消えたんだろう、と考え始めたぼくの意識はとっくに冴えていたけれど。眠気は飛んでしまっていたけど、気になる前のぼくのこと。
眠っている間中、前のぼくの頭を支えていた枕。
ハーレイが起きて行った後には消えてたってことは、犯人はハーレイだったんだろうか?
同じベッドで眠ったのだし、起き出す時にウッカリ触って何処かへ動かしてしまっていたとか。あれだけ大きい身体なんだもの、腕に引っ掛けただけで枕は動いてしまうと思う。足でも同じ。
(…うん、ハーレイが犯人なのかも…)
腕とかで連れて行っちゃったんだよ、と連れ去られた枕と犯人の腕を思い浮かべた。逞しかった褐色の腕。あの逞しい腕に引っ掛けられたら、大きな枕でもひとたまりも無かったことだろう。
(持って行っちゃったなら、元に戻してくれればいいのに)
頭の下に入れてくれればいいのに、と気配りの足りない前のハーレイに文句を言いたくなった。
だけど大抵は枕は頭の下にあったし、きっと忙しかったりしたんだろう。前のぼくの枕の面倒を見ていられないほど、急いで起きなきゃ駄目だったとか。
(…朝一番にブリッジに行ってた日もあったしね?)
朝食は青の間でハーレイと一緒に。
それがソルジャーとしてのぼくの習慣で、キャプテンだったハーレイの仕事。様々な報告などをしながら会食をするのだと誰もが信じていた。二人分の朝食を用意する係も居た。
その朝食の時間よりも前に、キャプテンの制服を纏ってブリッジに出掛けたハーレイ。緊急事態とかではなかったけれども、打ち合わせだとか、夜勤のクルーからの引き継ぎだとか。
そうした時には急いでいたから、ぼくに「おはよう」のキスもしないで出掛けて行った。ぼくの方でも分かっていたから、「ああ、出掛けたな」と気付いた時でも起きはしないでベッドの中。
大きな枕に頭を預けて、上掛けをすっぽり被り直して。
(そういえば…)
ハーレイが出掛けた後、ヒョイと直していた枕。
急ぎの用事で早く起きて行った日が多かったかな、と思い出す。でも…。
(…普通の日だって、消えてなかった?)
ぼくはもう少し眠りたいのに、「朝ですよ」って起こす前のハーレイ。啄むようなキスを何度も落として起こしたハーレイ。「もうちょっと…」と駄々をこねた、ぼく。ハーレイが溜息をついてベッドから出ても、「もう少しだけ」と寝ようとしたぼく。
どうせバスルームは一つしか無いし、ハーレイがシャワーを浴びて身支度を整えるまでは眠ったままでもかまわないから、と眠り直した。
何処かに行ってしまった枕を探して、頭の下にヒョイと戻して。
(暇があった時にも消えてたなんて…!)
ぼくの枕を連れ去るだなんて、しかも放って知らんぷりだなんて、酷い恋人だと詰りたくなる。ウッカリ動かしてしまったんなら、元に戻せと怒りたくなる。
(普段は戻してくれたんだろうけど、こういうのって…)
一事が万事。
忘れ果ててシャワーに出掛けるなんて心配りが足りなさすぎだ、と頬をプウッと膨らませた。
犯人は此処には居ないけれども、いつか文句を言ってやろうと。
(今度やったら絶交なんだよ)
一日ハーレイと口を利かないとか、そういうの。
前と違って今度は結婚するんだから。うんと大事にして貰わなきゃ、と思うから。
ぼくの枕を行方不明にしてしまう酷い恋人は論外、おまけに今のぼくは枕をヒョイと戻せない。今みたいに意識が冴えてしまって眠れなくなるし、それでは困る。
(忘れないで枕を入れておいてよ)
今度は絶対、と考えた所で「あれっ?」と思った。
忘れずに入れておいて欲しい枕と、枕が連れ去られてしまう前。
感触が違ったような気がする。前のぼくの頭の下にあった枕の感触。柔らかい枕と、硬いのと。枕を二つ持っていたのだろうか、と遠い記憶を探ろうとして。
(違った…!)
一晩中、前のぼくの頭を支えていた枕。硬かった枕。
あの枕は枕なんかじゃなくて。
(…前のハーレイの腕だったんだ…)
どおりで朝には消えていた筈。
ハーレイが本物の枕を代わりに置いてくれたんだろう。
たまに忘れて枕が無い時、ぼくが自分で探していた。瞬間移動でヒョイと探して置いた…。
(…いつもハーレイの腕だったんだよ、夜の間は)
いつ目が覚めても、ハーレイの腕がぼくの頭を支えていた。ぼくの頭の下にあった。
一晩中、前のぼくの頭を支えて眠っていたハーレイ。ぼくを抱き締めて眠ったハーレイ。ぼくの頭が腕に乗っかったままで一晩だなんて、ハーレイは重たくなかったんだろうか?
(…えーっと…)
訊いてみたことがあったっけ、と思い出した。
ハーレイと結ばれて、同じベッドで眠るようになって。ハーレイの腕が枕代わりになっていると気付いて、何度か訊いた。
こんなことをして腕が痺れないかと、重くないのかと。
ヒトの頭が重いことくらい、前のぼくはちゃんと知っていたから。
五キロくらいはあるんだってこと、充分に承知していたから。
きっと重いに違いない、と心配しながら尋ねたのに。
「私の宝物ですからね」と笑ったハーレイ。
宝物は重いほど価値がありますから、と。
シャングリラは宝物と縁が全く無かったけれども、金や宝石。そういったものはとても重いし、金の塊は見た目よりもずっと重いものだと。
「ずっしりと重いそうですよ。ほんのこのくらいの大きさでも」
生憎と手に取ったことはありませんが、とハーレイが金塊の大きさを手で示したから。
前のぼくの頭なんかより遥かに小さなものだったから。
「…重いのかい? ぼくの頭は」
「いいえ」
ハーレイは笑顔でそう答えた。「いいえ」なら、つまり軽いということ。宝物は重いほど価値があるなら、ぼくの頭は…。
「じゃあ、軽いのなら宝物の価値が…」
宝物としては失格だろう、と項垂れたぼくに、「まさか」と直ぐに返したハーレイ。
「この世の中には軽い宝物だってありますからね」
「…どんな?」
「それは色々ありますよ」
今の時代には何がそうかは分かりませんが…。
遠い昔には、同じ重さの金よりも高い値段で取引された。そんな品物も沢山あったそうです。
「ああ…。香料とかだね、本で読んだよ」
「そういうものなら、軽くても宝物ですよ」
重い宝物の金よりも軽い。
それなのに値段は金よりも高い、うんと軽くて価値の高い宝物ですとも。
重いほど価値がある宝物。ずっしりと重い、金や宝石。
その一方で、金よりもずっと軽いものでも宝物。金よりも高い宝物。
どちらも宝物だと言うなら、ぼくの頭はどうなんだろう、と余計に気になるものだから。
「…ねえ、ハーレイ。ぼくの頭は重いのかい?」
それとも軽い?
君は一晩中、ぼくの頭を腕に乗っけているけれど。
重いのかい、それとも軽いのかな?
「さあ…?」
どちらでしょうね、とハーレイは微笑んだだけで答えてくれなかったけど。
重かったのかな、前のぼくの頭。
それともハーレイの逞しい腕なら軽かった?
五キロという重さは見当がつくし、ぼくには軽いと思えないけれど。
サイオンでとてつもない重量の物体を運ぶことが出来た前のぼくでも、自分の腕を使うのならば五キロは「軽い」とは言えない重さ。スプーンを持ったりするのとは違う。
五キロはそういう重さなのだ、と思うけれども。
でも、いつだって前のぼくの頭の下にはハーレイの腕。
夜中に目覚めても、朝の微睡みの中でも、ハーレイがベッドに居てくれた間はハーレイの腕…。
(…今のぼくなら前より軽いと思うんだけど…)
小さい分だけ、頭だってきっと軽いと思う。
キロ単位で違うかどうかは分からないけれど、絶対に前のぼくよりも軽い。ハーレイが腕を枕に貸してくれたら、「これは軽いな」と気付く筈。
でも試してはくれないよね、と悲しくなった。
ぼくの頭が重いか軽いか、ハーレイに言っても試してくれない。
今のぼくはハーレイと同じベッドで眠れないから。
腕を枕に借りるどころか、キスさえ許して貰えないんだから。
(軽い宝物も試して欲しいのに…)
腕に乗っけて楽なのかどうか、軽い頭も試して欲しいと思うのに。
せっかく今なら軽い頭を持っているのに、試してくれさえしないだなんて。
腕を枕に貸すぼくの頭は、前とおんなじ重さでなければいけないだなんて…。
残念だよ、と思ったけれど。
今のぼくの軽くて小さな頭も腕に乗っけてみて欲しいよ、と思うけれども。
(でも、どうだろう…?)
ぼくの小さな頭を乗せるには、ハーレイの腕の枕は太くて大きすぎかもしれない。
あの腕を借りて枕にするのに丁度いいサイズが、前のぼくの頭だったかもしれない。
ハーレイの腕にピッタリの頭。あの腕の枕にピッタリの頭。
(…うーん…)
何かと言えばハーレイに言われる、「大きくなれよ」って、お決まりの台詞。
「しっかり食べて大きくなれよ」とか、「ゆっくりでいいから大きくなれ」とか。
大きくなれ、っていう言葉の中には頭のサイズも入っているのかな?
今は小さい、ぼくの頭。前のぼくより軽い筈の頭。
この頭も小さすぎてダメかもしれない。
前のぼくの頭がいいのかもしれない。
重たくっても、ハーレイが腕に乗っけておくには丁度いいとか…。
どうなんだろう、と知りたくてたまらない頭の重さ。
ハーレイが「私の宝物ですからね」と笑っていたぼくの頭の重さ。
重たかったのか、軽かったのか。
どう思っていて、ハーレイの腕には丁度良かったのか、そうではないのか。
とても知りたくてたまらないのに。
重かったならば「今のぼくの頭は軽いよ?」って言ってみたいし、軽かったのなら大きくなった後も安心して枕に出来るんだけど…。
前のぼくが毎晩借りてたみたいに、頼もしくて硬い腕の枕を。
(…ハーレイ、絶対、教えてくれないんだよ)
訊いてみたって、教えてくれない。「知らんな」って言われるか、無視されるか。
前のぼくだって宝物の話で誤魔化されて終わっていたんだから。
重いか軽いか、教えてくれなかったんだから。
今のぼくに教えてくれっこない。
腕の枕を貸す必要も無い、小さなぼくには教えてくれない…。
(ハーレイの腕の枕…)
一晩中、前のぼくの頭を支えていてくれた腕。太くて逞しい褐色の腕。
絶対に逃げていかない枕。
前のぼくの寝相がどうだったとしても、逃げて行きはしなかった頼もしい枕。
いつだって、前のぼくの頭の下にきちんと在った。
ハーレイが起きて行ったら無くなったけれど、代わりに普通の枕が貰えた。ハーレイがウッカリ忘れない限り、急いでいて忘れてしまわない限り、腕の代わりに普通の枕を置いて貰えた…。
(…ぼくの枕は?)
普通の枕を思い浮かべるまで忘れちゃってた、今のぼくの枕。行方不明になっちゃった枕。
すっかり忘れてしまっていたけど、身体の周りを探って、見付けて。
(…蹴飛ばしちゃってた?)
ベッドから落っこちかけていたのを腕を伸ばして引っ張り戻した。
これで良し、と頭の下に入れた所で、違和感。
お気に入りの枕だというのに、違和感。
(…ハーレイの腕と全然違うよ…)
あの腕がいい。ハーレイの腕の枕が断然、いい。
少しでも近づけようと思って、枕を二つに折ってみたって、違う。
丸めてみたって、全然違う。
枕は、枕。
今日まで何とも思わなかったし、柔らかすぎるなんて思いもしない。頭がふわりと沈む感じも、頭を支える力加減も、ぼくにピッタリだったのに。
とても眠りやすいと思っていたのに、頼りなさすぎる大きな枕。
大きいばかりで、役に立たない。
ぼくの頭を受け止めるには役に立たない、見掛け倒しの大きな枕…。
(…あのハーレイの腕がいいのに)
あの腕がとても良かったのに、と溜息をついた。
前のぼくがとても好きだった枕。安心して眠っていられた枕。
ハーレイが側に居てくれるのだと、ぼくのために腕を枕に貸してくれていると…。
寝心地としては、実際、どうだったのかは分からないけれど。
前のぼくがぐっすり眠れるようにと計算し尽くされていた青の間のベッド専用の枕と、どっちが前のぼくの頭に合っていたかは分からないけれど。
好きだった枕はハーレイの腕。前のハーレイが貸してくれた腕。
ハーレイもきっと分かってくれていたんだろう。
ぼくが好きな枕は自分の腕だと、ベッドとセットの専用の枕よりも好きなのだと。
だから重たくても、ぼくの頭を乗せるために腕。
前のぼくの頭が重たくっても、腕に乗っけて眠ってくれた。
重たいだなんて一度も言わずに、一晩中、枕に貸してくれていた…。
(でも…)
ハーレイの逞しい腕には、前のぼくの頭は軽かったかもしれない。
ぼくが「重いだろうな」と勝手に思ってただけで、ハーレイには重くなかったかもしれない。
(…どうだったんだろう?)
分からないや、と誤魔化されてしまった答えを思う。
重くても軽くても宝物だと、どちらも宝物に違いないのだと。
軽かったのか、逆に重かったのか。
前のハーレイが教えてくれなかった、前のぼくの頭の本当の重さ。
ハーレイがどんな風に感じていたのか、聞けないままで終わった重さ…。
(…今のハーレイだと、どうなるんだろう?)
今のハーレイも、前のハーレイと見た目は全く同じ。
がっしりとした大きな身体も、逞しい腕も前のハーレイと全く同じ。
だけど前よりも、もっともっと鍛え上げた腕。
見た目には前と変わらないけれど、鍛え方がまるで違う腕。
前のハーレイは体調管理に気を付けていたし、体力や筋力が衰えないように運動することも日課ではあった。シャングリラがうんと狭かった頃も、出来る範囲で運動していた。
それでも運動はキャプテンの仕事じゃないから、あくまで健康維持のため。身体を鍛えるのとは全然違うし、人と競えるレベルじゃなかった。ミュウにしては頑丈だったというだけ。
けれども、今のハーレイは違う。運動が好きで、柔道も水泳も、大会に出たり記録を出したり。今だって指導が出来る腕前、ジョギングだって凄い距離を走っていくことが出来る。
選手をやってる人にも負けない、鍛え上げられたハーレイの身体。
力強く水を掻いて泳げて、柔道だと相手を軽々と投げてしまえる腕。筋肉の強さが前とは違う。そんな腕をぼくに枕代わりに貸してみたなら、どうなるだろう?
(…前より軽いって思うかもね?)
それとも同じ?
ぼくはぼくだから、感じる重さも前とおんなじ?
ハーレイは今度も「宝物だ」と言って思ってくれるんだろうし、宝物なら前とおんなじ?
どうなんだろう、と凄く気になる。
だけど前のぼくでも教えて貰えずに終わった答え。
今度だって絶対教えてくれやしないし、今の小さなぼくだと訊くだけ無駄なことだし…。
とても知りたい、ハーレイの答え。
ぼくの頭が重いか軽いか、知りたくてたまらないハーレイの腕が感じる重さ。
(…今度の目標にしようかな?)
せっかく二人で生まれ変わって来たんだもの、と考える。
ハーレイの腕には重いか、軽いか。
訊き出してみるのもいいかもしれない。
普段は絶対無理だろうけど、ハーレイが寝ぼけている時だったら訊けるかもしれない。
(今のハーレイはキャプテンじゃないものね?)
キャプテンだった頃のハーレイは時間厳守で、いつだって目覚まし時計をセットしていた。青の間に泊まる時だって同じ。
ベッドに入る前には、前のぼくも好きだったアナログ式の置時計のアラームを必ず確認してた。次の日の朝、それが鳴ったら、起きて身支度。
ぼくが枕にしていた腕もベッドから出て行っちゃうから、代わりに枕を置いてってくれた。
たまに忘れるとか、急いでいてウッカリしてたとか。そういう時には枕が無かった。
時間通りに律儀に動いたキャプテンだけれど、今度は違う。今のハーレイはただの先生。
何の用事も無い休みの日にまで目覚まし時計をセットしたりはしないだろう。
朝寝坊だってするかもしれない、寝坊したって何の問題も無いんだから。
ぼくとベッドで恋人同士の幸せな夜を一緒に過ごして、それから眠って。
もちろん、ぼくはハーレイの腕を枕に貸して貰って、目覚ましもかけずに二人で眠って。
次の日の朝、運良くぼくが先に起きたら、まだ眠っているハーレイに小声で訊いてみるんだ。
しっかりと腕を枕にしたまま、「重い?」って。
「ぼくの頭、ハーレイの腕に乗っかってるけど、これって重い?」って。
重いと答えが返って来たなら、きっと嬉しい。
重たくても支えてくれていたんだ、って、ずうっと支えてくれてたんだ、って。
腕が重くても、乗っかってるのが宝物だから。
ぼくの頭はハーレイの宝物なんだ、って胸がじんわり熱くなると思う。
もしかしたら、ぼくは泣くかもしれない。涙が一粒、ポロリと零れて落ちるかもしれない。
幸せすぎて、とても嬉しくて。
ハーレイの宝物だと言って貰えたと、嬉しすぎて涙が出るかもしれない。
逆に「軽い」と返って来たって、ぼくはやっぱり嬉しくなる。
軽いものは扱いが大変だから。
ぼくの枕が行方不明になったみたいに、軽かったら何処かへ失くしてしまう。
その「軽いもの」を一晩中、しっかりと腕に乗せてくれているなら、失くさないよう気を付けてくれているってことだから。
とても大事に、何処かへ失くしてしまわないように、そうっと、そうっと。
そんな風に扱ってくれているんだと分かったらきっと、ぼくは嬉しくて、幸せで泣く。
幸せな涙がポロリと零れて、ハーレイの腕の枕に落ちる…。
(…どっちなのかな?)
ハーレイが自分の腕に感じる、ぼくの頭の本当の重さ。
重いのかな?
それとも、軽いのかな?
今度こそ答えを訊き出さなくちゃ。
キャプテンじゃなくなったハーレイが寝ぼけてポロッとホントのことを言うまで、何回も訊いて頑張って。
そのために早起きになるかもしれない、今度のぼく。
ハーレイよりも早く起きようと、空が白くなったらパチリと目を覚ます癖がつくかも…。
(頑張らなくちゃね、前のぼくが聞けなかった答えを聞くためだもんね?)
だけどハーレイも負けずに早起きするかもしれない。
ぼくに喋ってたまるものか、って頑張って起きて、早起き競争になるかもしれない。
(でも、負けないしね?)
時間はたっぷりあるんだから。
前のぼくたちと違って目覚ましの要らない朝が沢山、のんびりと過ごせる朝が沢山。
そんな幸せな世界に生まれて、頑張れないなんて有り得ない。
ぼくは絶対、ハーレイに勝つ。
勝って答えを訊き出さなくっちゃ、ぼくの頭は重いか、軽いか。
(よし、頑張る!)
今度の目標はこれだ、と決めた。
まずはハーレイと二人で眠れる背丈に育って、結婚しなくちゃいけないんだけど…。
早く訊きたい、ハーレイの答え。
(ぼくの頭、重いか、軽いのか、どっち?)
そして早くハーレイの腕の枕が欲しいよ、こんな枕じゃ頼りないから。
お気に入りの枕が、ちょっぴり寂しい。
ぼくの本当のお気に入りの枕は、何ブロックも離れた場所にあるから。
ハーレイの身体にくっついたそれは、ハーレイの家のベッドでぐっすり眠っている筈だから…。
お気に入りの枕・了
※前のブルーのお気に入りだった、ハーレイの腕という枕。いつも頭の下にあったもの。
ハーレイが「重い頭だ」と思っていたのか、軽かったのか。気になりますよね。
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(えーっと…)
何なんだろう、とブルーはテーブルに置かれたものをまじまじと眺めた。ブルーの部屋の窓際、ハーレイと向かい合わせで座る場所。
ハーレイが訪ねて来るとお茶とお菓子や、昼食などの器が鎮座するのが普通だけれど。
母が運んで来た緑茶。それにお煎餅が盛られた菓子鉢。
緑茶とお煎餅は特に不思議ではないが、どうしたわけだか、その他に空のお茶椀が二つ。一つはブルーが使っているもので、もう一つの茶碗は来客用。
お箸も二組、おまけに御杓文字。
(なんでお茶碗?)
お煎餅を食べるのに要りはしないし、お箸も同様。御杓文字だって。
何が起きたというのだろう、と見詰めていると、ハーレイが「これだ、これ」と提げて来ていた紙の袋を持ち上げてみせた。
「此処へ来る途中で買って来たんだ」
まあ食ってみろ、と出て来る包み。四角い箱だけれど、包装されていては中身が分からない。
箱の感じからしてお菓子だろうか、と考えていたら。
「…お赤飯?」
何かのお祝いだったっけ、とブルーは赤い瞳を見開いた。
遠い昔にハーレイと暮らしたシャングリラにお赤飯は無かったけれども、生まれ変わってからは馴染みのもの。ブルーとハーレイが住んでいる地域では、お祝い事の時に炊かれるお赤飯。
「祝いってわけじゃないんだが…」
通りかかったら、出来上がった所だったんだ。
此処のは栗がたっぷりでな。元から塩味がついているから、塩を振りかけなくてもいい。
その塩加減がまた絶妙なんだ。
「美味いんだぞ」と勧めるハーレイ。
祝い事でなくてもたまに食べたくなるのだと。
「でも、ぼく…。さっき、朝御飯…」
「食べたトコだってか?」
それくらい、俺にも分かっているさ。
昼飯用にと買って来たんだが、出来立てのヤツも味見してみろ。
まだ温かいから、とびきり美味い。温め直すより、断然、こっちが美味いんだ。
「…ふうん?」
それなら少し食べようかな、とブルーは思った。
ハーレイお気に入りの味というのも、是非味わってみたかったから。
「よし、それじゃ味見といこうじゃないか」
ハーレイが赤飯の包みを開けると、ありがちなパックなどとは違って薄い木で作られた箱が出て来た。いわゆる折箱。それだけでも店のこだわりが分かる。
折箱の蓋が取られると、ぎっしりと詰まった栗赤飯。南天の葉もきちんと添えてあった。
本物だぞ、というハーレイの言葉通りに、作り物ではない艶やかな本物の南天の葉。
「この辺りもおふくろのこだわりに似ていてな」
「え?」
「俺のおふくろだ。赤飯を炊いて折箱とかに詰める時には、南天の葉っぱを添えるんだ」
庭の南天の葉を採って来てな。
南天は難を転じると言うから縁起がいい。そしてお裾分けだと配るわけだな。
「へえ…!」
「祝い事でなくても作ってるなあ、好きなんだろうな?」
しかも炊くと言っても実際には蒸して作るんだ。こういった店と同じでな。
だから此処のは同じ味なんだ、おふくろが作る赤飯の味だ。
こういう味だ、とハーレイが杓文字で茶碗に入れてくれた栗赤飯をブルーは早速味わってみた。口に入れると、ほんのり塩味。
「美味しい…!」
「そうだろ、此処のは本物だからな」
赤飯を専門に扱う店は何処もそうだが、とハーレイも自分の分を頬張る。
他のお弁当などと一緒に店頭に並ぶものは些か違うものだと、色の付け方からして違うのだと。
「色の付け方? …お赤飯って赤い御飯でしょ?」
これも赤いよ、とブルーは指差したけれど。
「どうだかな? 如何にも赤って感じがしないか、くすんでいなくて」
「…そうかも…」
言われてみれば御飯粒の赤に透明感があるようにも見えた。透き通ってはいないが、艶々と光る御飯粒。普通はもう少し暗めの赤だったかな、という気がする。
「この赤色はどうやってつけるか知ってるか?」
「小豆の色でしょ?」
赤い豆だもの、あの色だよ。
お赤飯を炊いてる間に、小豆の色が移るんだよ。
「違うぞ、こいつはキビガラというヤツを使っているんだ」
「キビガラ?」
「キビっていう穀物の一種だな。そいつの実の殻を煮出すと赤い水が出来るから、その水に糯米を浸けておく。そうやって赤くするわけだ」
キビガラを使わないと本物の赤飯の色にはならん。着色料なんかは論外だな、うん。
もちろん、おふくろもキビガラ派だぞ。
ブルーはお赤飯をほんの少しと、栗を一個が限界だったけれど。
栗赤飯を持ち込んだハーレイの方は、軽くとはいえ茶碗に一杯を盛り付けていて。
「この赤飯に入ってる栗もだ、こうして鮮やかな黄色にするには秘訣があるんだ」
ちゃんと自然の素材だぞ。クチナシの花は知ってるだろう?
「クチナシ?」
強い香りがする白い花ならブルーも知っていた。
しかしクチナシは白い花だし、何処から黄色になるのだろう?
キビガラとやらのように煮るのだろうか、と尋ねてみたら。
「煮るっていうのは間違ってないが、花じゃない」
花が咲いた後に出来る実だ。
白い花からはまるで想像出来ないだろうが、あの花の実から綺麗な黄色が出て来る。
おふくろはサツマイモを煮る時なんかにも使うぞ、美味そうな黄色になるからな。
「…黄色って、サフランだけじゃないんだ…」
「おっ、サフランは知ってたか?」
「ママが使うもの、サフランライスとかパエリアだとか」
サフランの花の雌しべだよね、とブルーは母が常備している乾燥したものを思い浮かべた。
赤い糸のようにも見えるサフラン。
赤いのに黄色い色が出るのか、と幼い頃には不思議だった。
「サフランなあ…。昔はとてつもなく高かったそうだぞ、金よりもな」
「そうだったの?」
あんなものが、とブルーは驚いたのだが、「本当だとも」と答えが返る。
「同じ重さの金よりも高い時代があったという話だ」
SD体制よりもずっと昔だ、今はそこまで高くはないがな。
「そうなんだ…。キビガラだとか、クチナシだとか。いろんな自然の着色剤があるんだね」
「ああ。自然の色はいいぞ、自然と共に生きてるっていう感じがするからな」
中にはユニークなのもある。ツユクサなんかは面白いぞ。
「青いんでしょ?」
「ただ青いっていうだけじゃない。染物の下描きに使える優れものだ」
下絵を描いた後で布を蒸すとか、水に浸けるとか。
それで下描きが綺麗に消えちまうそうだ、ちゃんと青色で描いたのにな?
「消えちゃうんだ…」
凄い、とブルーは感心した。
SD体制よりもずっと昔の時代に、今、ブルーたちが住んでいる地域にあった小さな島国。その国で染物の下描きに使われたというツユクサの文化も今では復活しているらしい。
キビガラで染めるお赤飯が復活したのと同じで、日本らしさを楽しんでいる地域の文化…。
昔の人の知恵はなんと素晴らしいものだろうか、とブルーは呟く。
シャングリラにはそうした自然の着色剤は何も無かったと、全て合成のものだったと。
「そういう発想、前のぼくには全然無かったよ…」
「俺もだが…。シャングリラにも木とか草はあったし、前の俺たちが頑張っていれば草木染とかは出来たかもなあ…」
タマネギの皮でだって染物は出来る。
データベースで色々調べて工夫してれば、自然の染料が作れたかもな。
「それで制服なんかも作れたのかな?」
「出来たかもしれんが、お前のマントがとびきり高そうな感じだな」
「なんで?」
どうしてマント、とブルーが訊くと「紫だからさ」とハーレイは答えた。
「紫ってヤツはSD体制よりもずっと昔は高貴な人しか着られなかった。何故だか分かるか?」
染めるのが高くつくからだ。簡単に作れる色なら高くはならん。
日本じゃ草の根っこで染めたが、貝で染めてた地域もあったそうだ。
「貝!?」
ブルーはビックリ仰天した。
どうやって染めるのかは分からなかったが、シャングリラで貝は飼育していなかったから。
「…それ、シャングリラじゃ無理そうだね…」
「無理だな、マントを染めるためだけに貝を飼うなんぞはな」
草の根っこにしてもそうだぞ、野菜ってわけじゃないからな。
食えもしないのに育てられるか、シャングリラの中じゃ植える場所に限りがあるってもんだ。
それでも紫草……そういう名前の草だったんだが、そいつを育ててマントを染めたら。
ソルジャーだけが使える色だな、とびきり高貴な色だったってな。
「うーん…」
ブルーだけしか使えない紫。
前の自分はソルジャーだったけれど、その地位を示す色を特別に作らせるほど偉くはなかったとブルーは思う。他の仲間たちと同じでも一向に構わなかったし、それでいいとも思っていた。
けれども纏っていたソルジャーの衣装。前のハーレイのキャプテンの制服などと同じく、立場を表すための服装。区別が出来ればそれで充分、紫のマントにこだわらなくても…。
「ねえ、ハーレイ。自然の素材で服を染めてたら、地味だったかな?」
服の形でしか区別出来なかったかな、ぼくとか、前のハーレイとか。
マントを着けているのがぼくとか、その程度の違いしか無かったかな?
「いやいや、色なら沢山あったさ。昔の日本じゃ色の組み合わせの決まりもあった、と俺の授業で教えただろう?」
この話をした日は色付きの紙のセットが飛ぶように売れる、と言ってた昔の人のラブレターさ。
あれこれと紙の色を選んで、花を添えて出してた手紙だな。
「あったね、そういう手紙の話」
「思い出したか? あの時は手紙の話だけだが、服の色にも決まりがあったのさ」
この色とこの色を重ねて、こういう花を表します、とか。
同じ花でも咲き始めの頃と盛りの頃とで色を変えます、とか、こだわったわけだ。
「そこまでしてたの!?」
「他にも季節に合わせて色々とな。秋の紅葉とか、冬の氷とか」
もちろん自然素材の色だぞ、合成の染料なんかは無かった時代だ。
それだけバラエティー豊かに染めていたんだ、地味どころかうんと華やかだったさ。
遥かな昔には自然の染料だけで様々な色があったと言うから。
シャングリラの中でも同じことが出来たかもしれない、とブルーは考えた。
「そっか…。だったら、シャングリラでも沢山の色を作れていたかも…」
「努力してれば出来たかもなあ、前のお前の苦労が増えるが」
あの頃のシャングリラにあった植物だけでは全然足りなかっただろうしな。
「苗を調達しろってことだね、草とか、木とかの」
「そういうことだ。色を染める以外にも役に立つ植物と言ったら紅花とかか」
「紅花って油を採るんじゃないの?」
食用油として有名だったから、それしか知らなかったブルーだけれど。
「あれは本来、染料だ。紅花という名前があるくらいだから、赤色だな」
ジョミーのマントを染めるんだったら紅花になるか…。
もっとも染料は油と違って簡単には出来ん。
油は種を搾れば出来るが、染料の材料は花びらなんだ。
そいつを摘んで、うんと手間暇をかけて赤い染料が出来上がる。
サフランと同じで高価だったそうだ、沢山の花からほんのちょっぴりしか採れないからな。
「紅花から赤が採れるんだったら、お赤飯も出来る?」
ジョミーのマントみたいに鮮やかな赤だ、とハーレイに訊かされて、そう思ったのに。
「油はともかく、染料の方は食用じゃない」と笑われた。
食べても害は無いのだろうが、お赤飯を染めるには高価に過ぎると。復活してきた文化の一つで今も作られてはいるのだけれども、手間がかかる分、値段も張ると。
「紅花の赤で赤飯を染めたら高いだろうなあ、色は鮮やかかもしれんがな」
「キビガラだったらうんと安いの?」
「そりゃなあ、キビの実の殻だしな?」
本来は捨てるような部分だ、高くなるわけがないだろう。
「キビガラでも充分綺麗だしね」
それに美味しい。
キビガラの味かどうかは知らないけれども、美味しいお赤飯だったよ。
「おっ、そうか?」
お前、少ししか食わなかったから心配だったが…。
そうか、美味いか。
俺のおふくろもキビガラ派で、作り方はコレと同じだからな。
楽しみにしてろよ、いずれ食わせてやるからな。
きっと張り切って作るだろう、とハーレイはブルーに微笑みかけた。
「うんと沢山作ると思うぞ、お前を連れて行ったらな」
親父と二人で糯米を蒸して、ドッサリだ。
栗の季節なら栗もたっぷり入れるだろうなあ、クチナシで染めて。
「…ぼく、そんなに沢山食べられないよ?」
お茶碗に一杯くらいだと思うよ、二杯は無理。
沢山作らなくてもいいって言っておいてよ、お母さんたちに。
「お前が食うかどうかはともかく、配って回らんといけないからなあ…」
「えっ?」
どうして配るの、と驚くブルーに、ハーレイがパチンと片目を瞑る。
「俺が未来の嫁さんを連れて行くんだぞ?」
目出度いじゃないか、親父とおふくろにしたら。
これを祝わずにどうするんだっていうことになるだろ、幸せな気分をお裾分けしなきゃな。
そりゃもう沢山の赤飯を作って、隣近所に配って回るだろうさ。
ちゃんと庭の南天の葉っぱも添えてな。
マーマレードを配っている範囲に配りに行くのは確実だな、うん。
「そうなるわけ!?」
ブルーの頬が真っ赤に染まった。
いつか隣町にあるハーレイの両親の家に出掛けて行ったら、作られるというお赤飯。
おめでたいからと隣近所に配られるらしい、南天の葉を添えたお赤飯…。
嬉しいけれども、恥ずかしい。
ハーレイのお嫁さんになれることはとても嬉しいのだけど、お赤飯を配られてしまうだなんて。
「…それじゃ、ハーレイが結婚すること、アッと言う間にご近所さんに…」
「広がるだろうなあ、お前が俺の家でのんびり赤飯を食ってる間に」
ついでにお前を見たいって人も多いと思うぞ。
俺がガキだった頃から馴染みのご近所さんたちだ。
どんな嫁さんを貰うことにしたのか、見ようと集まってくるかもな?
「…そうなっちゃうの?」
「生垣越しに中を覗いている人がいたらだ、庭に出て手を振ってやるといい」
とびきりの笑顔で手を振ればいいさ、向こうさんだって手を振ってくれる。
なんたって俺の未来の嫁さんだからな。
「手を振るだけでいいの? ご挨拶じゃなくて?」
「そこまで堅苦しいことは要らんさ、昔の地球じゃないんだからな」
俺が嫁さんを貰う、それだけのことだ。
挨拶はいずれ道とかで会った時でいいのさ、ペコリと頭を下げるだけでな。
ずっと昔は挨拶も大変だったらしいが、とハーレイはSD体制よりも遥かな昔の習慣をブルーに教えてくれた。
近所や親戚の家を回って結婚の報告をしていたものだと、菓子折りなども持って行ったのだと。
「何を持って行くかは、同じ日本でも場所によって違ったという話だが…」
その時の作法も色々なんだが、とにかく面倒なものだったんだ。
お前がそういう挨拶を是非やりたい、と言うんだったら調べてやらないこともない。
親父もおふくろも昔の習慣とかが好きだし、喜んで協力してくれるだろう。
お前、そういった挨拶をして回りたいか?
「それ、ハーレイも一緒に来てくれるの?」
「お前が行きたいんだったら止めはしないし、必要とあらば一緒に行くが?」
「えーっと…」
それって、ちょっぴり恥ずかしくない?
ぼくがハーレイのお嫁さんです、って顔を見せに出掛けて行くんでしょ?
お嫁さんだったら、ホントに本物の恋人同士…。
前の生ではハーレイと結ばれていたブルーだったけれど、今はキスすら出来ない仲。
晴れて本物の恋人同士となり、それを公表できる機会が結婚。
そういう仲になったんです、と隣近所に挨拶をしに行ける度胸はブルーには全く無かった。
ところが結婚相手となるハーレイの方は澄ましたもので。
「恥ずかしいだと? 俺はお前をあちこち自慢して回れるんだから、何ともないが?」
「平気なの!?」
どうしよう、とブルーは耳の先まで真っ赤になった。
挨拶は出掛けなくてもかまわないとして、ハーレイの母が作って配るというお赤飯。隣町にある家を訪ねたら、「ハーレイがお嫁さんを貰うから」と配られるらしいお赤飯。
お赤飯を貰った人たちはブルーがハーレイと何をするのか、当然、知っているわけで。
ハーレイがどういう相手とそれをするのか、ブルーの顔を見に来るわけで…。
(…ど、どうしよう…)
恥ずかしすぎる、と俯くブルーに、ハーレイがクックッと喉を鳴らして。
「その調子だと挨拶回りは無理だな、おふくろの赤飯に期待しておけ」
ご近所さんにドカンと配ってくれるさ、うちの息子が今度結婚するんです、とな。
キビガラで沢山の糯米を染めて、庭の南天の葉っぱを添えて。
「もしかして、初めて行ったらそれなの!?」
悲鳴にも似たブルーの声に、ハーレイはプッと吹き出した。
「まさか。最初は遊びに行けばいいのさ、普通にな」
そして親父と釣りに行くとか、キャンプ場に遊びに出掛けるとか。
「…良かったあ…」
ホントに良かった、とブルーは安堵したのだけれども。
「良かった、か…。いつまでそう言っているものやら…」
今年いっぱい持つかどうか、とハーレイが難しい顔をしてみせるものだから。
「なんで?」と首を傾げたブルーに、笑いを含んだ答えが返った。
「俺が思うに、じきに変わるぞ、お前の台詞」
早く赤飯、と俺にせっつくんだ。
親父とおふくろの家に早く連れて行けと、そして赤飯を配って貰うんだと。
お前の夢は結婚だろうが、その前に赤飯を配らないとな?
「そ、そっか…」
じゃあ、お赤飯! とブルーは叫んだ。
早くお赤飯を配って欲しいと、ハーレイの母にキビガラで染めるお赤飯を作って欲しいと。
専門の店と同じように蒸して作った、絶妙な塩加減のお赤飯。栗の季節ならばクチナシで染めた黄色い栗がたっぷりと入るお赤飯。
庭にある南天の葉っぱを添えて、折箱に詰めて配って欲しい。
今度ハーレイが結婚するのだと、おめでたいからお赤飯を沢山作ったのだ、と。
「ふむ…。この赤飯はまさしくおふくろの味なわけだが」
そして本格派の赤飯なんだが、とハーレイはテーブルに置かれた折箱を指差した。
「俺はとりあえず軽く一杯食ったが、お前は少ししか食ってないしな?」
お前のお母さんに昼もこれにします、と言っておいたから、昼飯には温め直してくれるだろう。「お赤飯にピッタリのおかずを作りますわね」とも言っていたなあ、お母さんは。
何を作ってくれるのか知らんが、一つそいつで前祝いといくか?
いずれお前が俺の家に来て、おふくろが赤飯を配りに行く日の前祝いだ。
「気が早すぎだよ!」
何年先の話になるわけ、とブルーは頬を膨らませたけれど。
いつかはハーレイの母がキビガラで染めた糯米を蒸して、お赤飯をドッサリ作ってくれる。
ハーレイがブルーを嫁に貰うのだと、お祝いなのだと隣近所に配ってくれる。
その日が来たなら、ハーレイとの結婚はもうすぐそこ。
今はまだチラリとも見えない何年も先の話だけれども、ハーレイと結婚して一緒に暮らせる。
百五十センチしかない自分の背が伸び、百七十センチになったなら。
ソルジャー・ブルーだった前の自分と同じ背丈になったなら…。
(それと、結婚出来る年だよ)
十四歳の小さな自分が十八歳の誕生日を迎えたら結婚出来る年。
背が伸びて、十八歳になったらハーレイと結婚することが出来る。
(…お赤飯、早く配って欲しいな…)
キビガラで染めたお赤飯。
ハーレイが買って来てくれたお赤飯と同じ味がする、南天の葉を添えたお赤飯。
(もうちょっとだけ食べてみようかな?)
ほんの少し、と杓文字で掬って、自分の茶碗に二口分ほど入れてみた。
箸で口へと運んでみれば、ほんのりと感じる優しい塩味。
本物はいつになるのか分からないけれど、これがハーレイの母の味かとブルーは思う。
早く配りたいような、恥ずかしいような、と頬をちょっぴり桜色に染めて……。
お赤飯・了
※いつかハーレイと結婚する時は、配られるらしいお赤飯。ハーレイの母が炊いたのが。
今は恥ずかしがるブルーですけど、その時が来たら、幸せ一杯の筈ですよね。
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「ハーレイっ…!」
嫌だ、と泣き叫ぶ自分の声で目が覚めた。
失くしてしまったハーレイの温もり。青い光の中、独りぼっちで死んでゆく自分。
遠い遠い昔、前の生での最期を迎えたメギドの悪夢。
「……ハーレイ……」
常夜灯だけが灯った部屋は暗くて、涙に濡れた声で呼んでも恋人の声は返ってこない。どんなに泣いても会えはしないし、声すら聞けない闇が降りる夜。小さなベッドに独りきりの真夜中。
ブルーは枕に顔を埋めて、右の手をキュッと握り締めた。
(…どうして…)
あの夢は見たくないというのに。
自分は青い地球に生まれ変わって、ハーレイと同じ町に居るというのに。
夢を見る度に怖くなる。今の自分は幻ではないかと、死んでしまったソルジャー・ブルーの魂が紡ぐ夢ではないかと。
(冷たいよ…)
右手が冷たい、と強く握り締めながら震えるけれども。
前の生の最期に失くしてしまったハーレイの温もりを取り戻そうとして握るのだけれど、恋人の温かな手は此処には無いから。
自分の小さな手しか無いから、懸命に恋人を思い浮かべる。
いつも温もりを移してくれる手。大きな手をした、優しい恋人。
自分と一緒に生まれ変わって来た、ずうっと年上の恋人を想って耐えるしかない。
今までに貰った温もりを心に思い描いて、手が温まるのを待つしかない…。
そうやってベッドで丸くなっていると、カーテンの向こう、暗い庭から聞こえて来た声。
人の声ではなく、獣でもなくて、夜のしじまを震わせる声。
ゴッホウ、ゴロッケ、ゴゥホウ。
(…フクロウ…)
あの声のせいか、と思い当たった。
独特の低い声で鳴く鳥。
直ぐ近くから聞こえて来たから、庭の木のどれかに居るのだろう。
(…嫌だ…)
なんで、とブルーは上掛けを頭から被った。
早く何処かへ行って欲しいと、声の聞こえない場所へ行って鳴いて欲しいと。
(フクロウだなんて…)
初めて見た日は、ずっと幼い頃だった。
星を見ようと思ったのだろうか、夜の庭に出ていて出会ったフクロウ。
羽音も立てずに飛んで来た鳥の影を、ただ見上げていた。木の枝に止まった大きな鳥。丸い頭の大きな鳥だ、と真っ黒な影を見ていただけ。何かも知らずに見上げていただけ。
その後のことは覚えていない。飛び去るまで庭で眺めていたのか、自分が家に入ったのか。あの時の鳥がフクロウだったと気付いたのはずっと後のこと。何年か経った頃のこと。
けれど、幼かったブルーが目にしたフクロウ。
それは近所に住み着いたらしく、影を見てから間もない日の夜中に聞こえた気味の悪い声。
ゴッホウ、ゴロッケ、ゴゥホウ。
子供の耳には恐ろしすぎた、暗い夜の部屋に響いてくる声。
泣きながら父と母とを起こした。庭の方から変な声がすると、あれはオバケに違いないと。
両親は「オバケ?」と直ぐに起きてくれたが、其処へあの声。
父は笑い出し、母も「あれはオバケじゃないのよ、ブルー」と頭を撫でてくれた。
「フクロウの声よ、庭に来たのね」と優しく涙を拭いてくれた母。
可愛くて縁起のいい鳥なのよ、と教えられたけれども、怖いものは怖い。オバケと同じ。両親は何故平気なのかと、庭で鳴く声に怯えて震えた。
ゴッホウ、ゴロッケ、ゴゥホウ。
一度オバケの声だと思うと、もうそうとしか聞こえない。真っ暗な庭で鳴く、オバケの鳥。
(ホントのホントに怖かったんだよ…)
気味の悪い声で鳴く、恐ろしい鳥。
ずいぶん大きく育つ頃まで、あの鳴き声が怖かった。何度も両親を起こして泣いた。
ゴッホウ、ゴロッケ、ゴゥホウ。
聞きたくないのに、また庭の方から響いてくる声。
フクロウは暫く来るのだろうか?
その度にメギドの悪夢を見るのだろうか、と怖くなる。
ゴッホウ、ゴロッケ、ゴゥホウ。
お前は死んだと、メギドで死んでしまったのだ、と繰り返すかのようなフクロウの声。
もう死んだのだと、今のお前はただの夢だと、呪いをかけているような声。
幼い頃にオバケだと思っていたから、今もオバケの声に聞こえる。
フクロウなのだと分かっているのに、オバケの声だと思えてしまう。
(…やっぱり怖いよ…)
フクロウなんて、と幼かった頃の恐怖を思い出す。雷よりもずっと怖かった…。
そんな思いをした次の日、仕事帰りのハーレイが来て両親も一緒に夕食を食べた。食後のお茶を母がブルーの部屋に運んでくれたから、ハーレイと二人で窓際に座る。
テーブルを挟んで向かい合わせで、窓のカーテンはまだ開けたまま。昨夜フクロウが鳴いていた木は分からないけれど、黒々と木々の梢が見えていた。ブルーは微かに肩を震わせ、恋人に問う。
「ねえ、ハーレイ。…フクロウ、怖い?」
「はあ?」
ハーレイはポカンと口を開けたが、ブルーの説明と体験を聞くと腕組みをして頷いた。
「なるほどなあ…。子供には確かに怖いかもなあ、正体不明の声というのは」
ずっと昔は鵺という鳥が気味悪がられていたそうだしな。
「鵺?」
「頭がサルでタヌキの胴体、虎の手足に蛇の尻尾の化け物だ」
SD体制よりも遥かな昔に、そういう化け物が出たというんだが…。
そいつの声だと思われていたのが夜に鳴く鵺で、いわゆる不吉の象徴ってヤツだ。
声が聞こえたら凶事が起こると信じられていてな、鳴き声がする度に祈祷をしたそうだ。
正体はトラツグミっていう鳥だったんだが、昔の人にとっては怪鳥だった。
お前が言うオバケみたいなもんだな。
「…フクロウ、ぼくには鵺と同じくらいに怖かったんだよ」
鵺っていう鳥は初めて聞いたけれども、それとおんなじ。
オバケの声にしか聞こえなかったし、フクロウだなんて言われても…。
「だろうな。鵺を信じていた昔の人たちに「トラツグミです」と言っても無駄だろうしな」
怖いものは怖い、といった所か。
フクロウやトラツグミに限らず、夜に鳴く鳥はけっこう多い。
ホトトギスなんぞは風流だがなあ、ずっと昔の歌にも詠まれているくらいにな。
しかし…。
しかし、とハーレイは眉間に深い皺を寄せた。
「フクロウの声がメギドの悪夢を連れて来るなら、お前にとってはまさしく鵺か」
「うん…」
ホントに不吉の象徴なんだよ。
あんな夢、二度と見たくないのに。
それなのにフクロウのせいで見ちゃった、フクロウが庭で鳴いていたから…。
怖い、とブルーは訴える。
あの鳴き声が怖くてたまらないのだと、また聞こえたらどうしようかと。
恐ろしそうに庭の方をチラチラと眺めるブルーの姿に、ハーレイの心は痛んだけれども。小さな恋人がどんなに怖いと訴えようとも、夜通し傍には居られはしない。
どうしたものか、と思案しながら尋ねてみた。
「それで、お前はフクロウそのものも怖いのか?」
「…あの声だな、って思うと、ちょっぴり…」
だって、本当にオバケだと思っていたんだもの。
パパとママが「フクロウだから」って言ってくれても、ぼくにはオバケの声だったもの…。
「ふうむ…。いい思い出ってヤツが無いんだな、フクロウの」
「…うん……」
「俺の親父の家にはフクロウも居るがな」
「えっ?」
何故、と目を見開いたブルーに、ハーレイは「本物じゃないさ」と微笑んだ。
「お前のお母さんが言った、縁起のいいヤツだ」
フクロウは不苦労とも聞こえるからなあ、福の詰まった籠で福籠っていう音にもなる。
苦労しないとか、幸福が来るとか。
幸運のお守りってことで、親父とおふくろがフクロウの置物を飾っているんだ。
SD体制よりもずうっと昔の日本の文化の一つだな。
お前もそいつを買って貰っていたら、フクロウも怖くなかったかもなあ…。
「そっか、置物…」
売られているのを見たことがあるな、とブルーは思った。確か百貨店の文具売り場で見かけた、ペーパーウェイト。陶器のフクロウが並んでいたから、変な形だと眺めたものだ。自分にとってはオバケの鳥なのに、欲しがる人もいるものなのかと。
「ハーレイ、くれる? ぼくにフクロウ…」
ぼくが知ってるのはペーパーウェイトで大きかったけど、小さいのでいいから。
置物じゃなくても、何かフクロウ。
ハーレイがくれたら大事にするから、フクロウ、怖くなくなるかも…。
「フクロウか…。そうだな、買ってやってもいいが…。ん?」
待てよ、とハーレイは首を捻った。
フクロウでヒョイと引っ掛かって来た、遠い遠い記憶。
遥かな昔にブルーと暮らした、白い船での懐かしい記憶。
それをぶつけることにした。自分の向かいの椅子に座った、小さなブルーに。
「ブルー。…お前、ヒルマンの部屋にはよく行ってたか?」
シャングリラに居た頃の、前のお前だ。
俺の部屋にはよく来たもんだが、ヒルマンの部屋はどうだった?
「行かないよ、なんで?」
怪訝そうなブルーに「一度もか?」と重ねて訊くと、「そうでもないけど…」と途惑う表情。
「用がある時には行っていたけど、ヒルマンの部屋がどうかしたの?」
「なら、奥の部屋までは入っていないんだな」
「寝室の方?」
行ってないよ、とブルーは答えた。
「手前の部屋から見てただけだよ。ベッドがあるな、ってチラッと見えたくらいで」
それがどうかしたの?
ヒルマンの部屋の写真もシャングリラの写真集にあるけど、寝室のは無いよ。
寝室に何かあったの、ハーレイ?
ねえ、と好奇心に駆られた様子のブルー。よし、とハーレイは心で頷きながら。
「実はな…。あの部屋にフクロウが居たんだ、うん」
「フクロウって…」
まさか、とブルーが赤い瞳を丸くする。
「シャングリラで鳥は飼えなかったよ、そういう鳥は」
だから諦めるしかなかったんだもの、青い鳥。
幸せの青い鳥が欲しかったのに…。
「もちろん本物のフクロウじゃない。置物さ」
「幸運のフクロウ?」
「いや、そいつはヒルマンが知ってたかどうか…」
もしかしたら知っていたかもしれんが、少なくとも俺は聞いてはいない。
そういう注文じゃなかったからな。
「注文?」
「ああ。フクロウを彫ってくれと言われた」
「ハーレイに!?」
ブルーの声が引っくり返った。
キャプテン・ハーレイの趣味は木彫りだったが、お世辞にも上手とは言えない腕前。スプーンやフォークといった実用品の類はともかく、写実的なものや芸術性を要するものは破壊的と言っても差し支えの無い酷い出来栄え。
証拠は今でも残っていた。宇宙遺産に指定されている、キャプテン・ハーレイが彫ったウサギのお守り。その正体がウサギではなく、ナキネズミだと聞かされたブルーの衝撃といったら…。
下手の横好きとしか言いようがなかった、キャプテン・ハーレイの木彫りの趣味。
ハーレイ自身も自覚がゼロというわけではないから、ブルーの素っ頓狂な声に苦笑いをする。
「おいおい、馬鹿にしてくれるなよ?」
下手な彫刻家には間違いないがな、キャプテンだからな?
キャプテン・ハーレイが彫るとなったら有難味だけはあったんだ。
現にナキネズミは立派な宇宙遺産になったぞ、俺が彫ったからこそ出世を遂げた。
それにだ、ヒルマンは俺の飲み友達だ。俺に注文して何が悪い?
「…そうだけど…。ハーレイに頼むなんて酔狂だね」
「だから馬鹿にするなと!」
キャプテン手ずから彫るんだぞ?
おまけに注文となれば特注品だし、値打ちもグンッと増すってもんだ。
「そういうことにしてもいいけど…」
いいんだけれど、とブルーは首を傾げた。
「それでヒルマン、なんでフクロウを注文したわけ?」
「ミネルヴァのフクロウだと言っていたな。知恵の神様のお使いなのだと」
お前もミネルヴァは知っているだろ、戦いの女神で知恵の女神だ。
俺にミネルヴァを彫るのは無理だからなあ、それでフクロウだったんだろうな。
「なんだ…。ヒルマンもちゃんと分かってるじゃない」
ハーレイの木彫りの腕の限界。
ミネルヴァを頼んでこない辺りが。
「こらっ!」
ハーレイの拳がブルーの頭に軽くコツンと落とされた。ブルーは「痛いよ!」と大袈裟に両手で頭を押さえて、さも痛かったと言わんばかりに撫でさすりながら。
「…それでフクロウ、彫ってあげたの?」
「もちろんだ」
威張るハーレイに「どんなの?」と問えば、暫しの沈黙。
「………」
「ねえ、どんなの?」
見せて、と伸ばされた小さな右手。思念で見せろという意味をこめた手。
ハーレイは渋々といった様子でその手に自分の手を絡めると。
「………。こういう形だ」
「えーっと…。何処がフクロウ?」
どの辺が、と首を傾げるブルーに、ハーレイが呻く。
「ヒルマンにも言われた、これはトトロだと」
「トトロ?」
「そういうのが居たんだ!」
SD体制よりもずっと昔の人気者だ、とハーレイは開き直って言い放った。
トトロは子供に人気の映画に出て来るオバケで、子供たちにとても愛されたのだと。
人間が自然と幸せに共存していた時代を見事に描いた映画なのだ、と。
「いい映画だったぞ、トトロの映画は」
「ハーレイ、観たんだ?」
ブルーの問いに、ハーレイは「いいや」と首を左右に振った。
「ヒルマンに頼んでデータを見せて貰った。観たわけじゃない」
トトロだと言われりゃ気になるじゃないか、トトロってヤツが。
知らないままより知りたいからなあ、俺が彫ったフクロウの何処がトトロなのかを。
「それ、どんな映画?」
「もう一度手を出してみろ。見せてやるから」
ハーレイが差し出した手を握ったブルーは思わず「わあ…!」と歓声を上げた。
大きな褐色の手から流れ込んで来る、鮮やかな世界。
地球が一度滅びるよりも前、遠い遠い昔の失われた地球。広がる田畑や、深い深い森。
断片しか残っていないトトロの映画。それを集めて読み物の形に起こしたもの。
子供たちが眺めて楽しめるように、絵を中心にして編まれたデータ。
森の奥に住む、オバケのトトロ。
フクロウに似ていないこともない姿の、大きなトトロ…。
心がじんわり温かくなるような、遠い昔に作られた映画。
ブルーはトトロの世界を満喫した後、手を離してからクスッと笑った。
「ホントにトトロだね、ハーレイのフクロウ」
バランスが変だよ、下の方が大きすぎるんだよ。
フクロウならコロンと丸くなくっちゃ、デフォルメするにしても。
「俺がフクロウだと言ったらフクロウなんだ!」
「うん、ナキネズミもそう言ってたね。宇宙遺産のウサギだけどね」
「ヒルマンも納得はしてくれたんだぞ、トトロではあるがフクロウだと」
ついでにちゃんと飾ってくれたし…。あの部屋の写真が残ってないのが残念だな。
「じゃあ、ハーレイの記憶でいいよ?」
それを見せて、と手を絡めたブルーに伝わって来たキャプテン・ハーレイの記憶。
ヒルマンの寝室の奥、置時計の隣に飾られたトトロ。ハーレイが彫ったフクロウのお守り。
「これはホントにお守りなんだね、宇宙遺産のウサギと違って」
「そうだな、お守りでもないのに勘違いっていうわけではないな」
お守りと言うか、神様と言うか…。あの時代には邪道なお守りだがな。
「今は?」
「ミネルヴァの信者は流石にいないが、別の意味ではお守りだろ?」
知恵の神様のお使いじゃなくって、幸運が来るフクロウだろうが。
俺の親父の家にだって居るし、お前のお母さんも縁起のいい鳥だと言ったんだろう?
フクロウはちゃんとお守りなんだ。
ヒルマンが彫ってくれと頼んだのもそうだし、今の時代のフクロウもそうだ。
シャングリラがあった頃から、それよりもずっと遠い昔からフクロウはお守りだったんだ…。
だから、とハーレイはブルーの頭をポンと叩いた。
「今日からフクロウは俺の彫ったヤツだと思っておけ」
見た目はトトロだが、ヒルマンも認めたフクロウで知恵のお守りだ。
そうして今は幸運のお守りだと俺が知っている以上、幸運のフクロウでもあるな。
こいつを心に仕舞っておくんだ、俺がフクロウの置物を買ってくるよりずっと役に立つ。
シャングリラと一緒に消えちまったが、キャプテン・ハーレイが彫ったフクロウだ。
注文で彫ったフクロウなんだぞ、有難味ってヤツもたっぷりだ。
「…駄目だったらフクロウ、買ってくれる?」
メギドの夢をまた見ちゃった時は、フクロウの置物、ぼくに買ってくれる?
フクロウが怖くなくなるように。
あの声がしても、怖い夢を見なくなるように…。
「それはかまわないが、嘘をついても直ぐバレるからな?」
本当は夢なんか見なかったくせに、見たと嘘を言ってフクロウをせしめようとするとかな。
お前ってヤツはやりかねないんだ、俺からのプレゼント欲しさにな。
いいか、良からぬ考えを持つんじゃないぞ?
前のお前のガードは堅くて破れなかったが、今のお前の心の中身は筒抜けだからな。
しっかりとブルーに釘を刺したハーレイは、「頑張れよ」と手を振って帰って行った。
フクロウが鳴いても怖がらなくていいと、あれは幸運のお守りの鳥なのだと。
(…フクロウ…)
今夜もフクロウは来るのだろうか、と怯えていたブルーだったけれども。
話は思わぬ方へと転がり、フクロウは前のハーレイが彫ったトトロもどきのお守りと重ねられる結果になってしまった。フクロウに見えない木彫りのフクロウ。ナキネズミが宇宙遺産のウサギになったのと同じで、トトロになった木彫りのフクロウ。
ヒルマンが知恵の神様のお使いだから、と注文して彫って貰ったフクロウが、今では下手くそな彫刻家曰く、幸運のお守りのフクロウということになるらしい。
(…効くのかな、アレ)
お守りが効いてメギドの悪夢を見なかったならば、作戦成功。
効かずに夢を見てしまった時は、ハーレイからフクロウの置物が貰える。
どちらに転んでも、ブルーには嬉しい話だったけれど。
(…どっちかと言えば、フクロウの置物が欲しいかな…)
メギドの悪夢は嫌だけれども、副産物としてハーレイからのプレゼントがつくなら一度くらいは我慢しよう、とブルーは思う。
ハーレイに買って貰ったフクロウの置物を飾ってみたいし、毎日眺めて触ってみたい。
きっとフクロウが大好きになるに違いない、とまだ見ぬ置物に思いを馳せる。
どんな置物が貰えるだろうかと、どんなフクロウがやって来るのかと。
フクロウの置物を貰えるか、メギドの悪夢が退散するか。
怖かった筈のフクロウが来る予定の庭を窓からドキドキ眺めて、ブルーはベッドに潜り込んだ。メギドの悪夢も今夜ばかりは待ち遠しいと、フクロウの置物を貰わなければ、と。
(…我慢したらフクロウの置物なんだよ)
ほんの四発ほど銃弾を食らって、右手が冷たいとちょっぴり泣いて。
泣きじゃくりながら目を覚ましたなら、凍えた右手をいつも温めてくれる恋人からの素敵な贈り物が貰える。幸運のお守りのフクロウの置物。飾って眺めて、撫でて触れる大事なフクロウ。
(フクロウ、絶対、貰わなくっちゃ…)
だから我慢、と自分自身に言い聞かせながら眠りに落ちたブルーだったけれど。
(…あれ?)
気が付くとブルーは夜の庭に出ていて、しとしとと雨が降っていた。
庭で一番大きな木の下、ハーレイと座るための白いテーブルと椅子がある辺り。けれども椅子もテーブルも無くて、何故か代わりにバス停があって。
(こんな所にバスは来たっけ?)
でも便利だな、と考える。わざわざバス停まで出掛けなくても、バスが家まで来るのだから。
(学校の行き帰りが楽になるよね)
今のように雨が降っていたって、それほど濡れずにバスに乗れるし…。
(傘を忘れて家を出たって、ママが庭まで迎えに来てくれるよ)
今はきちんと傘を差しているけれど、と頭上に広げた傘を見上げた時に。
(えっ?)
隣に傘を持たない相客。
木の下だからずぶ濡れにはならないだろうが、雨が降る夜に傘が無くては大変そうだ。ブルーの家は其処にあるのだし、自分の傘を貸そうと思った。バスが来るまでに家に走って別の傘を取ってくればいい。
そうしよう、と傘を渡すべく相客に声を掛けようとして。
(トトロ!?)
ブルーはビックリ仰天した。
傘を持っていない相客は、トトロ。見上げるように大きなトトロ…。
「トトロ!?」
なんで家の庭にトトロが、と驚いた途端にパチリと覚めた目。
(……夢……?)
ハーレイが変な話を聞かせるからだ、と瞬きした時、カーテンを閉めた窓の向こうから。
ゴッホウ、ゴロッケ、ゴゥホウ。
低い声で鳴く、フクロウのオバケ。昨夜と同じに鳴いているフクロウ。
(…夢だけど、メギドの夢じゃなかった…)
トトロだった、とブルーはガックリした。
フクロウが鳴いてもメギドの悪夢を見ずに済んだら、フクロウの置物は貰えない。子供の頃から怖かったオバケは鳴いているけれど、メギドの悪夢は来なかった。
代わりに見てしまったトトロの夢。
フクロウはオバケではなくなってしまい、前のハーレイが彫ったトトロに化けた。雨が降る夜の庭のバス停で傘を貸さねば、と思ったトトロに。
ゴッホウ、ゴロッケ、ゴゥホウ。
庭でオバケは鳴いているけれど、オバケはオバケでもオバケのトトロ。
メギドの悪夢を運んで来ていた、鵺のようなフクロウはいなくなってしまった。
(…フクロウの置物…)
ブルーは残念でたまらなかったが、貰えなくなってしまったフクロウの置物。
自分がどういう夢を見たのか、ハーレイにはバレるに決まっているから、もう貰えない。
飾って眺めて可愛がりたかった、フクロウの置物のプレゼントは来ない。
けれど、フクロウは怖くなくなった。
遠い昔にハーレイが彫った、トトロみたいなフクロウのお蔭で…。
フクロウ・了
※ブルーが嫌いなフクロウの鳴き声。まるでオバケの声のようだから、と。
けれどトトロに化けたフクロウ、置物は貰い損ねたとはいえ、きっと幸せになれる筈。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
まだ十一月の末だというのに本格的な寒波がやって来ました。中旬あたりから「今年は寒いね」と言い交わしていたら、いきなりドカンと真冬並み。初霜だの初氷だのと冬は駆け足、ついに初雪な上に積もったという始末です。
「う~、寒い~!」
風が冷たい、とジョミー君が校舎を出るなり手に息を吐きかけ、私たちも。終礼を終えて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ向かうまでの間、校舎の間をビル風とまでは行かないまでも強い寒風が吹き付けてきます。
「寒いよなあ、耳がちぎれそうだぜ」
サム君も背中を丸めていますが、キース君は。
「この程度で文句を言ってどうする! 璃慕恩院はもっとキツイぞ」
「え? なんで璃慕恩院が出て来るんだよ」
「お前とジョミー限定だ。いずれは住職の資格を取るんだろうが」
そろそろ伝宗伝戒道場のシーズンだぜ、とニヤリと笑うキース君。
「俺が行った年も寒波だったが、お前たちの時はどうなるだろうな? 未だに暖房は無いそうだぞ。寝泊まりする部屋から障子一枚隔てた外はだ、寒風吹きすさぶ外なわけだが」
廊下に戸なんか無いんだからな、と言うキース君の言葉は実体験に基づくもの。道場に行った時、キース君は酷い霜焼けになって後遺症に苦しんでましたっけ…。
「そ、そうか…。だったら覚悟をした方がいいよな、なあ、ジョミー?」
この寒さにも慣れようぜ、とサム君が声をかけるなり。
「なんでぼくが!」
坊主なんかはお断りだし、とジョミー君は脹れっ面。
「行きたきゃサムだけ行けばいいだろ、ぼくは絶対行かないからね!」
「その考えは甘いと思うが」
キース君が即座に否定し、サム君も。
「うんうん、ブルーの弟子だしなぁ…。いつかは道場行きだぜ、お前も」
「ぼくも全く同感です。会長の魔手から逃れられたら誰も苦労はしませんってば」
坊主だけでなく何もかもです、と首を振り振り、シロエ君。
「現に今年の学園祭だって、会長が思い切り仕切ってましたし…。例年以上にぼったくるんだ、と言い出したのは会長ですよ」
「そうよね、オプションを何種類もつけて儲けてたわよねえ…」
逆らえる人はいないのよ、とスウェナちゃんが。学園祭での売り物はサイオニック・ドリームを使った喫茶、『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』です。居ながらにして世界のあちこちへ飛べる体験に上乗せ価格でオプショナルツアー。ぼったくり価格でも千客万来、お客様が納得だったらいいのかな?
寒波だ、坊主だと言い合いながら生徒会室に入り、奥の壁をすり抜けて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。よく効いた暖房が嬉しいです。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ。今日も冷えるね」
でもって坊主がどうしたって? と会長さん。
「な、なんでもないし!」
ジョミー君が逃げを打ちましたが、会長さんは地獄耳。
「君たちが何を話してたかは知ってるよ。キースが行った年の璃慕恩院は寒かったねえ」
「ぼくには関係ないってば!」
「おや、そうかい? まあいいけどね、時間はたっぷりあるんだからさ。でも、せっかくの寒波と坊主の話題なんだし、あやかろうかな」
「「「は?」」」
何の話だ、と首を傾げる私たち。話がサッパリ見えません。
「たまには和風もいいだろう、っていう話。そうだよね、ぶるぅ?」
「うんっ! でも…。ブルーが思い付いたの、ついさっきだし…」
作ってる時間が無かったの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。作るって……何を?
「えとえと…。見れば分かるよ、持ってくるね~!」
待っててね、とキッチンに走った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はワゴンを押して戻って来ました。ホカホカと湯気の立つ大きなヤカンと、最中の山と缶ジュース…?
「「「…もなか?」」」
なんでまた、と目を見開けば、会長さんが人差し指をチッチッと。
「見た目だけなら最中だけどねえ、その横の缶で分からないかい?」
私たちは缶を注視し、そこに書かれた文字に仰天。『しるこドリンク』と書かれています。
「おい」
キース君が会長さんをまじまじと見て。
「しるこドリンクとセットだったら、そいつは懐中しるこだな?」
「大当たり! 流石は元老寺の副住職だよ、和のおやつにも詳しいってね」
「…まあな。月参りに行って出てくる菓子は圧倒的に和菓子だし…。冷え込む冬場は、しるこもアリだ。そして正直有難いんだが、何故しるこなんだ」
「あやかろうって言っただろ? 厳しい寒さで坊主とくれば、やっぱりおしるこ! 時間があったらおぜんざいだけどね、時間が無い時はコレが一番!」
というわけで、どっちがいい? と各自に任された好みのチョイス。しるこドリンクか懐中しるこか、私はどっちにしようかなあ…。
少し悩んで、懐中しるこ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパキッと割ってお椀に入れてくれ、ヤカンのお湯をたっぷりと。しるこドリンクを選んだ人は熱々のお湯を満たした器で熱燗の如く温めて貰い、その間に緑茶が淹れられて…。
「「「いっただっきまーす!」」」
たまにはこんなティータイムもいいね、と懐中しるこ組はお椀を手にして、しるこドリンク派は缶を開けて直接ゴックンと。短い距離でも寒風の中を歩いただけに、熱さと甘さが有難く…。
「なかなかいけるな。正直、期待していなかったんだが」
キース君がしるこドリンクの缶を見詰めると、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ブルーのイチオシのメーカーだしね! 璃慕恩院の老師のお勧めだって!」
「えーーーっ?!」
それは困る、とジョミー君が缶を片手に青い顔。
「先に聞いてたら選ばなかったよ、なんか坊主に近付いた気がする…」
「それは結構。御仏縁かもしれないね、ジョミー」
会長さんがからかい、ジョミー君はオタオタと。
「ぜ、絶対関係ないんだから! 偶然だから!」
「どうだかねえ…。そもそも御仏縁というのは、いろんな所にあるものだしさ」
大いに御縁を結びたまえ、と会長さんの法話もどきが始まりそうになった時です。
「ぼくも、おしるこ!」
「「「??!」」」
誰だ、と振り返った先で優雅に翻る紫のマント。いつものソルジャー登場ですけど、御仏縁とは思い切り縁が遠そうな…。会長さんもそう思ったらしく。
「…君がおしるこ? なんで?」
「なんか面白そうだから!」
カップ麺みたいな食べ物だねえ、とソルジャーはソファに腰掛けました。
「おやつは手間がかかるものだと思ってたけど、お湯を注ぐか温めるかだけで出来るんだ?」
「そうだけど…。で、君はどっち?」
「もちろん、両方!」
おしるこだから甘いんだろう、と甘いものには目が無いソルジャー。まずは懐中しるこを味わい、お次はしるこドリンクで。
「…いいねえ、どっちも美味しいよ。思い付いた時にパパッと出来て、熱々っていうのがまたいいよね」
もう一個! と、お代わりを希望。私たちも二杯目や二本目に突入していますけども、後から来たくせに三個目ですか…。
しるこドリンクと懐中しるこを合計四個も食べたソルジャー。気に入ったらしく、自分の世界でも夜食に食べると言い出したまでは良かったのですが。
「悪いね、沢山貰ってしまって。早速今夜から頂くよ。…それでさ、ちょこっと思い付いたんだけどさ…」
「何を?」
胡乱な目をする会長さん。会長さんもさることながら、ソルジャーの思い付きもロクな結果にならないことが多いのです。とはいえ、今日の会長さんのアイデアは美味しいおしるこになったんですから、ソルジャーの方もグルメ絡みかもしれません。
「お湯を注ぐか、温めるだけで直ぐに食べられるなんて最高だよね。この発想を生かせないかと思うんだけど」
「…君のシャングリラで?」
「そう!」
良さそうだろ、と言うソルジャー。なんだ、やっぱりグルメ絡みじゃないですか! ああ良かった、とホッとしたのも束の間で。
「こんな調子で作れないかな、いつでも何処でも美味しいハーレイ!」
「「「はぁ?!」」」
何ですか、それは! 懐中しるこならぬ懐中キャプテン? しかも食べるって…?
「分からない? 思い付いた時に即、食べられるハーレイって素敵だと思うんだよ。ブリッジだとか公園だとか、ヤりたくなったらその場で食べる!」
「退場!!!」
会長さんがレッドカードを突き付け、私たちも遅まきながら理解しました。同じ「食べる」でもソルジャーの「食べる」は全く別物、要するに大人の時間です。そんなモノを即席しること同じ感覚で実行されたら、ソルジャーが住むシャングリラの人たちは大迷惑というものでしょう。しかし…。
「いいアイデアだと思うんだけどねえ? ハーレイは未だにヘタレな部分があるから、ぼくが今すぐって要求したってダメなケースが多くてさ…。青の間でだって、執務時間中だとアウトで」
どうやらその気になれないらしい、と語るソルジャー。
「ぼくに報告に来た時なんかにヤりたくなっても、「後で出直して参りますから」って帰っちゃうんだよ! ブリッジと公園は無理だとしても、せめて青の間では即、食べたい!」
お湯を注いで少し待つとか、ちょっと温めるだけだとか…、とソルジャーはブッ飛んだ主張を始めました。
「そりゃあ、ぼくが御奉仕ってヤツをしちゃえばいいんだけども…。それじゃイマイチ、気分がねえ…。ぼくがハーレイを襲ってるような気がしちゃう時もあるわけで」
自発的にヤッて欲しいのだ、と言われましても、なんでそういう方向に~!
しるこドリンクと懐中しるこは猥談の危機に陥りました。どういう発想の持ち主なのだ、とソルジャーのセンスを嘆いてみても今となっては手遅れです。お坊さんと寒さから来た美味しいおやつがアヤシイ話になるなんて…。
「どう思う? 何かこう、素敵なアイデアってヤツは?」
ソルジャーの赤い瞳は期待に溢れて煌めいています。
「考えてみれば色々あるよね、缶詰とかカップ麺だとか…。そんな感覚でいつでも何処でも!」
「……唐揚げにすれば?」
会長さんがフウと溜息を。えっと、唐揚げって…即席ですか? 確か「揚げずに唐揚げ」ってありましたよねえ、それなのかな? ソルジャーも「唐揚げ?」と首を捻って。
「それ、簡単に作れるのかい? ついでに美味しい?」
「どうだろう? だけど威勢はいいみたいだよ」
「「「???」」」
威勢のいい唐揚げって、どういう意味? 活きがいいなら分からないでもないですが…。でもでも、相手は魚とかじゃなくって唐揚げです。揚げたての味を指すのでしょうか? 疑問だらけの私たちを他所に、料理とはまるで無縁のソルジャーは。
「威勢がいいなら大歓迎かな。ヌカロクを軽く越えられそうとか?」
「聞いた話じゃ、暴れっぷりが凄いらしいね」
「凄いじゃないか! で、どうやるって?」
「唐揚げにするだけだけど」
滾った油に放り込むだけ、と会長さんは答えました。
「油って…。それはどういう例えなんだい? 潤滑剤を多めに使えばいいのかな?」
油だけに、とソルジャーが尋ね、私たちの頭も『?』マークで一杯です。潤滑剤って何に使うの?
「え、潤滑剤っていうのはねえ…。男同士の大人の時間をより円満に」
「その先、禁止!」
会長さんが眉を吊り上げ、ソルジャーは渋々といった様子で。
「分かったよ…。だからさ、早く唐揚げの話!」
「了解。元ネタは猫の唐揚げなんだよ、生きたまま油に放り込むわけ。すると暴れて」
「待ってよ、それって猫はどうなってしまうわけ?」
「もちろん昇天するんだな。…でも、それまでは派手に暴れるっていう話だから丁度いいだろ」
暴れまくって御昇天、と会長さんはニッコリと。
「昇天するまで暴れる辺りが君の好みにピッタリだろうと思うけどねえ?」
「ちょ、死んじゃったらシャレにならないし!」
昇天はヤッた挙句の昇天に限る、と叫ぶソルジャー。なんだ、唐揚げって正真正銘の唐揚げでしたか…って、会長さんったら何処で猫の唐揚げなんていう恐ろしいネタを…。
誰もが青ざめた猫の唐揚げ。本当に聞いた話なのか、と疑っている人もいるようです。とはいえ、会長さんは腐っても伝説の高僧、銀青様。殺生をするとは思えませんが…。
「…もしかして実行したかと思われてる? それは違うよ、璃慕恩院で聞いた話さ。老師にね」
世の中には酷い人間がいるものだねえ、と会長さん。
「実はそういうことをしました、と懺悔に来た人がいたらしい。そして璃慕恩院で頭を丸めて、猫の菩提を弔ったとか…。だからね、ブルー。…君もつまらないことばかり考えてないで、この際、キッパリ縁を切るのがお勧めだよ」
今日のテーマは御仏縁! と会長さんはブチ上げました。
「しるこドリンクも懐中しるこも坊主絡みのネタだったんだし、妙な方向に突っ走るよりも精進潔斎で清く正しく! 君のハーレイと二人仲良く念仏三昧、いずれは極楽往生ってね」
「同じ極楽だか天国だったら、ヤりまくった果てに天国だってば!」
あくまで戻って来られる天国、とソルジャーの方も譲りません。
「気持ち良くって昇天してもね、ぐっすり眠れば元通り! 目が覚めたら食事してパワー充填、いつでも何処でもヤりまくり!」
そっちに限る、とグッと拳を握るソルジャー。
「暴れまくって昇天するのは理想だけれども、君の言う唐揚げは頂けない。…本当の意味での昇天なんかは求めていないよ、ぼくの希望はこの世で昇天! そして望んだ時に、即!」
せめて青の間では昼夜を問わず、とソルジャーの夢は果てしなく。
「それとハーレイがデスクワークで缶詰になって御無沙汰になった後とかさ…。たまにあるんだ、仕事が何日も続いてしまって夜は疲れて寝るだけってヤツ。缶詰が終わっても直ぐには回復しなくって…。お湯を注げば即、復活とか、そういう仕掛けがあればいいのに」
待ちくたびれずに食べたいなぁ…、とキャプテンのお疲れを歯牙にもかけないソルジャーの台詞に涙が出そうになりましたが。
「…そうか、缶詰!」
唐突に声を張り上げたソルジャーの瞳がキラキラと。
「うん、缶詰だよ、しるこドリンクは缶詰じゃないか!」
どうして今まで全く閃かなかったんだろう、とソルジャーの顔は輝いています。しるこドリンクの空缶を手にして御満悦ですけど、いったい何が閃いたのやら…。
ソルジャーは空缶を仔細に検分しながら一人で何やら「うん、うん」と。更には「よしっ!」とポンと両手を打ち合わせて。
「いいアイデアが閃いたんだよ、しるこドリンクに感謝しなくちゃ!」
「はいはい、分かった」
だからサッサと帰りたまえ、と会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「ぶるぅ、お客様のお帰りだ。しるこドリンクと懐中しるこ、この部屋にある分はブルーにプレゼントしたけど、家には残っていなかったっけ?」
「んとんと…。こないだ買った分なら今日のに足したよ、もう無いと思う」
「だってさ、ブルー。悪いけど、譲れる分はそれだけらしいね」
丈夫な手提げの紙袋に詰められたお土産を指差す会長さん。
「もしもハマッて足りなくなったら、懐中しるこはデパ地下で! しるこドリンクはスーパーで買うか、自販機だったら…」
「ああ、そこまでしては要らないよ。それにさ、今は同じ缶詰でも気になる缶詰が出来ちゃったからさ」
「「「???」」」
どんな缶詰のことでしょう? しるこドリンクの他に缶詰は置いてありません。それに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は缶詰を使うくらいなら手間がかかってもフレッシュなものを、というスタンスです。料理なんかは絶対にしないソルジャーが缶詰に詳しいとは思えませんが…。
「ん? ぼくの気になる缶詰かい? ズバリ、ハーレイの缶詰だけど」
「「「は?」」」
よりにもよって唐揚げどころか缶詰だなんて、それじゃキャプテンの運命は…。
「ブルー、君のハーレイをどうする気なのさ!」
まさか料理はしないだろうね、と詰め寄る会長さんに、ソルジャーは。
「うーん…。広い意味では料理かな? 唐揚げってわけじゃないけれど」
「当たり前だよ、唐揚げは君が却下しただろ!」
「死なれちゃ元も子も無いからね。…死なない程度に料理しようかと」
そして缶詰にしておくのだ、と言うソルジャー。
「ただねえ、ぶっつけ本番はちょっと…。失敗したら恨まれちゃうか、はたまた萎えて当分、御無沙汰になるか。どっちも困るし、実験したいな」
「「「実験?」」」
「そう、実験。こっちの世界にもハーレイは居るし」
拝借してもいいだろうか、と私たちに訊かれても困ります。教頭先生は立派な大人で、私たちの所有物ではありませんってば…。
教頭先生をウッカリ貸し出してしまわないよう、私たちは口にチャックを。ところが此処に困った人がいるわけで。
「…それって、どういう実験なんだい?」
会長さんが興味津々、ソルジャーの話に食い付きました。そういえば会長さんは教頭先生を日頃からオモチャと呼んで憚らない上、実際、オモチャにする人です。ソルジャーの方も我が意を得たりと微笑んで。
「気になるかい?」
「それはもう! モノによっては喜んで貸すよ、ハーレイを」
「ちょっと待て!」
キース君が横から割って入ると。
「教頭先生はあんたのものじゃないんだぞ! 貸すヤツがあるか!」
「ぼくのものだと思うけどねえ? 少なくとも、そう言えばハーレイは喜ぶ」
あるいは感涙に咽ぶかも、と会長さんは涼しい顔。
「本人が喜んで貸し出されるならいいんだよ。ブルー、実験の内容は?」
「ハーレイにとっても悪くはないと思うんだ。缶詰にされるだけだからねえ、文字通り」
こんな感じで、とソルジャーはしるこドリンクの空缶をテーブルにコトンと置いて。
「これは小さすぎて入れないけど、ハーレイのサイズで特注するわけ」
「…えっ…。そ、それは……。そんなのを被せてどうすると?」
「被せる?」
今度はソルジャーが訊き返す番でした。
「被せるって、何処に?」
「…違うわけ? て、てっきりそうだと…。ご、ごめん、今のは聞かなかったことに…!」
会長さんが耳の先まで真っ赤になって、ソルジャーが派手に吹き出して。
「なるほど、ハーレイの息子の缶詰なんだ? それもいいかも」
「違うってば! そうじゃなくって!」
そんな意味ではなかったのだ、と会長さんは必死に否定しましたが、赤くなってしまった後ではもはや手遅れ。教頭先生の大事なアソコに缶を被せるとは斬新な…。ソルジャーもお腹を抱えて笑っています。
「確かに文字通り缶詰だけどさ…。それも思い切り美味しそうだけど、そんなのを装着した状態で臨戦態勢に入られてもねえ? ぼくは笑うしかないじゃないか」
股間に輝くしるこドリンク、とモロに口にされて、しるこドリンクを楽しんだ面々がテーブルにめり込んでいます。私、懐中しるこにしといて良かった~!
討ち死にした面子の復活を待って、ソルジャーは早速、話の続きを。曰く、ハーレイのサイズの缶とは教頭先生の体格に合わせた巨大な缶だそうでして。
「立って入れるだけじゃなくてね、中には座れるスペースも欲しい。ぼくのハーレイが仕事で缶詰になっちゃう時って、もれなくデスクワークだし…。椅子と机も入るサイズで」
「相当大きな缶になるよ?」
どうするつもり? と会長さん。
「費用も高くつきそうだよねえ、それはノルディに頼むのかい?」
「ハーレイが自分で払うと思うよ、こっちのハーレイ、君に甘いし」
あわよくば美味しい思いも出来るわけだし、とソルジャーは自分の計画を得々と。
「缶の中には快適な環境を整えて、缶詰の間も気持ち良く! そう、いろんな意味でね。疲れたな、とモニターのスイッチを入れれば、君の笑顔が映し出されて「お疲れ様」とメッセージが流れてくるとかさ」
「ふうん? そのモニターとやら、嫌な予感しかしないんだけれど?」
「いいカンしてるね、流石はソルジャー。君の場合はソルジャーの称号で呼ばれてるだけに過ぎないけれど、一応、タイプ・ブルーだし?」
そのくらいは分かって当然か、と唇に笑みを浮かべるソルジャー。
「息抜き専用のモニターなんだよ、「お疲れ様」と再生を繰り返す内にグレードアップをしていく仕組み! 最初は制服でも、ソルジャーの正装でもかまわない。それが一枚ずつ減っていくのはどうだろう?」
「ストリップしろと?!」
このぼくに、と会長さんの顔が引き攣り、ソルジャーが。
「君にやれとは言っていないさ。ぼくのハーレイが使うためのを作るわけだし、モデルはぼくが自分でやるよ。一枚ずつ減らす間の繋ぎに悩殺ポーズも忘れずに!」
「…の、悩殺…」
「色々あるだろ、誘うポーズとか、淫らだとか? でもって最後は一糸纏わず! これで気分が盛り上がらないなんて男じゃないね」
こっちのハーレイの場合は盛り上がる前に鼻血で倒れて終わりかもだけど、と言うソルジャー。
「とにかく、そういう仕掛けをつけた缶詰の缶を作るのさ。デスクワークが終わって蓋を開けたら、即、ベッドイン! 今までだったら「疲れていますから」とバタンキューだったとは思えないほどの漲るパワー!」
これをやらずに何とする、とソルジャーの身体から立ち昇る決意のオーラ。…しるこドリンクと懐中しるこが今日のおやつに出てきたばかりに、話はドえらい展開に…。
ソルジャーを追い出すことは既に不可能になっていました。しるこドリンクの忌まわしい缶を処分し、ソルジャーがお土産の分を自分の世界に送った後も延々と缶詰計画が。下校時間が過ぎてしまうと会長さんの家に瞬間移動で連れてゆかれて…。
「さてと、みんなが食べ終わったらハーレイの家に行かなくっちゃね」
今日は冷えるから、と始めた寄せ鍋をソルジャーが仕切り倒しています。食材も鍋の出汁も「そるじゃぁ・ぶるぅ」に丸投げのくせに「早く食べろ」とせっつかれ。
「ハーレイから缶の制作費を毟り取るのと、実験への協力ゲットだよ。そこはブルーの腕次第だよね、上手くいったら相手をしようと言うとかさ」
「………。どうせ鼻血で轟沈だしねえ、君のストリップは気に食わないけど」
またハーレイの妄想爆発、とブツブツ言いつつ、会長さんも教頭先生をオモチャに出来るチャンス到来に心が揺れてはいるようで。
「きちんと口説き倒しはするから、仕掛けとやらは頑張ってよ?」
「もちろんさ。ぼくのハーレイが缶詰な期間を楽しく待つためのアイテム作りだし、手抜きする気は無いってば」
任せておけ、とソルジャーはやる気満々です。間もなく鍋に締めのラーメンが投入されて、食べ終えてテーブルの片付けが済むと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が元気一杯に。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
青いサイオンがパァァッと溢れて、私たちは教頭先生の家のリビングに立っていました。一人侘しく一人鍋中だった教頭先生、目がまん丸になっていますよ…。
「こんばんは、ハーレイ。急にお邪魔して悪いんだけど…」
会長さんが口を開くと、教頭先生は「気にするな」と穏やかな笑み。
「一人で晩酌も飽きていた所だ、一杯やるか?」
「お断りだよ!」
間に合っている、と会長さんが突っぱねた横からソルジャーが。
「頂こうかな、せっかくだから」
「嬉しいですねえ、では、お付き合い頂いて…。どうぞ」
教頭先生、食器棚からいそいそと盃を持って来ました。熱燗を注いで貰ったソルジャー、一息にクイッと飲み干して。
「ありがとう。寒い季節は熱燗に限るね、お酒も、しるこドリンクも」
「…しるこドリンク? それは私は飲めないのですが…」
甘すぎますし、と予防線を張る教頭先生。甘いものが苦手でらっしゃいますから、しるこドリンクな攻撃をかましにやって来たと思われたみたいです。
「ごめん、しるこドリンクとは違うんだ。…いや、しるこドリンクな部分もあるけど」
「……はぁ???」
怪訝そうな顔をする教頭先生に、会長さんが。
「しるこドリンクをブルーに御馳走したんだよ。そしたら直ぐに飲めるって所が気に入ったらしくて、缶を開けたら直ぐに食べられるハーレイを希望」
「…缶だと?」
「そうなんだ。あっちのハーレイ、仕事で缶詰がよくあるらしい。その缶詰の専用缶を作りたいっていうプロジェクト。上手くいくかどうか、君でテストをしたいらしくて…。成功したら缶を開けたら臨戦態勢、いつでも準備オッケーが売り」
そこから先をソルジャーが引き継ぎ、滔々と。
「もうビンビンのガンガンってわけだよ、ぼくを押し倒して即、一発! ベッドに運んで更に一発、疲れ知らずで抜かず六発!」
ヌカズロッパツ。これも未だに意味が不明の言葉です。教頭先生が頬を赤らめてらっしゃいますから、大人の時間な単語でしょうが…。
「それでね、君には缶詰のテストと缶の制作費用を出してほしくて…。運が良ければテスト成功の後にブルーとヤれるかもしれないし?」
「やりましょう!」
費用もドンとお任せ下さい、と胸を叩いた教頭先生が鼻息も荒く答えた「やりましょう」。会長さんがチッと舌打ちしていましたから、大人の時間なニュアンスが混じっていたのかも…?
こうしてキャプテンの缶詰を作るプロジェクトがスタートしました。教頭先生の懐をアテにビッグサイズの缶を特注。それも「急ぎで」という注文ですから費用はグンと高くつきます。その代わり納品は一週間後の土曜日とのこと、ソルジャーはもう御機嫌で。
「嬉しいな。お蔭様でクリスマスまでに缶詰ハーレイを味わえそうだよ。だってクリスマスはぼくのシャングリラでパーティーした後、こっちに来るし…。そのための休暇を捻出するために絶対、缶詰な期間があるんだ」
いつもは苛々するんだけども、とソルジャーは缶詰がとても楽しみらしく。
「バストイレ付きの缶を作ったら、もっと気分が出るかもねえ…。今のサイズだと、その時間は外に出なきゃだし」
「そういうのは君の世界で作りたまえ!」
今回の缶が上手く行ったら、と会長さんはツンケンと。
「君のシャングリラにも技術はあるだろ、こういう缶を作れる程度の!」
「もちろんさ。それに備えて、この前に貰って帰った缶を残してあるんだ。参考用にね」
作るなら当然、しるこドリンク! と親指を立てているソルジャー。缶詰にも色々種類があるというのに、最初の出会いが大切だとかで譲れないポイントらしいです。缶が出来るのを待つ間には、自分の世界で撮影を頑張っているそうで。
「こっちの世界で買ったカメラでぶるぅに撮らせているんだよ。君の制服を借りようかとも思ったけれど、テストはともかく、実際に使うのはぼくの世界のハーレイだしねえ…。ソルジャーの正装でないとイマイチかと思って、そっちでやってる」
「……ストリップね……」
好きにしてくれ、と投げやりな口調の会長さん。制服だろうがソルジャーの正装だろうが、教頭先生はどちらでも狂喜なさるでしょう。キャプテンだって、ソルジャーと結婚している身ではあっても仕事で缶詰の真っ最中に「お疲れ様」とストリップをされたら恐らくは…。
「そりゃあ、ビンビンのガンガンだってば!」
間違いなし! と自信に満ちているソルジャー。特製しるこドリンクの缶が出来上がる時が今から怖くてたまりませんよ…。
十二月に入り、街がクリスマスらしく華やいで来た土曜日のこと。しるこドリンクの特大缶が無事に完成、会長さんとソルジャーが引き取りに出掛けて行きまして…。
「かみお~ん♪ すっごく大きいね!」
会長さんの家のリビングに瞬間移動で送り込まれた特大缶はバカでかいという点を除けば立派なしるこドリンク缶。
「凄いだろう? ハーレイを呼んであるから、もうすぐ実験開始だよ」
「こっちのハーレイ、やっぱり鼻血で失血死かな?」
でないと缶は失敗作だ、とソルジャーが缶の中に仕込んだモニターと映像をサイオンでチェックしています。机と椅子も缶の中に置かれ、教頭先生が到着なさったら入って頂く準備万端。やがてピンポーンと玄関のチャイムが鳴って、教頭先生がリビングへと。
「…ほう、この中に入るのか…」
「うん。梯子をかけてさ、缶の上から入るんだ。蓋が閉まったら缶詰の時間。…ちゃんと仕事は持って来た?」
会長さんの問いに、教頭先生は抱えた鞄をポンと叩いて。
「当然だ。冬休みまでに終わらせればいい仕事なんだが、缶詰と聞けば終わらせないとな」
「上出来、上出来。そういう時こそ缶詰ってね」
凄い速さで終わるといいね、と会長さんがウインクすれば、ソルジャーが。
「疲れて来たな、と思った時にはモニターの前のリモコンを…ね。残念ながらブルーじゃないけど、ぼくの映像つきで「お疲れ様」の労いメッセージが流れるからさ」
「そうなのですか。…そういう癒しがあるのでしたら、缶詰明けが楽しみでしょうね。それでブルーが欲しくなったら、一発ヤってもかまわないと…」
「うん。ただしブルーがその気にならなきゃ無理なんだけどね」
健闘を祈る、とソルジャーが教頭先生の背中を叩いて励まし、会長さんは。
「ぼくがその気になる勢いで頑張ってみれば? 君はあくまで実験台だし、そこの所を忘れないようにね」
「もちろんだ! 私も男というヤツだからな」
頑張ろう、と教頭先生は梯子を登ってゆかれました。缶の中にもあるという梯子を伝って下りられた後は蓋が閉められ、外の私たちは見守りモードで…。
「ふふ、気が散って仕方ないみたいだねえ?」
缶詰で仕事どころじゃなさそう、と会長さんが指差す特大しるこドリンク缶。サイオン中継の一種らしくて缶の一部が透けて見えます。机に向かった教頭先生、備え付けの明かりで書類のチェックをしておられますが、何度も視線がリモコンに。
「こっちのハーレイ、君から癒しを貰うどころかオモチャにされる日々だしねえ…。ぼくのハーレイなら、そっちの方は大丈夫! 本当に疲れた時くらいしかモニターのスイッチは入れないよ」
「…それを見習って欲しいんだけどねえ…」
せめて半時間は仕事しろ、と会長さんが缶の外で呆れているとも知らない教頭先生、好奇心に負けて十五分足らずでスイッチを。モニター画面で会長さんそっくりのソルジャーがとびきりの笑顔、さらには「お疲れ様」と普段よりも甘い声音のメッセージ。
『こ、これは…。素晴らしいな…』
いい仕掛けだ、という教頭先生の声も中継で流れ、今のメッセージにハートを直撃されたらしい教頭先生はリピートボタンを押しました。すると…。
『な、なんだ?!』
ムードたっぷりの音楽が流れ、ソルジャーが肩からマントをスルリと落として「お疲れ様」。
『…ま、まさか…。いや、そんなことが…』
どうなんだ、と再度リピートボタン。音楽と共に画面のソルジャーが妖艶なポーズで時間をかけて白と銀のソルジャーの衣装の上着を脱いでゆき、アンダーウェアになって「お疲れ様」の声。
『…な、なんと…! では、この次は…』
教頭先生、再びリピート。ソルジャーが焦らすような視線を向けつつ、アンダーウェアのファスナーを下ろしてゆっくりと…。音楽は妖しくゆったりと流れ続けています。
『も、もしかしたら…。こ、これを最後まで見てゆけば…』
カチカチとせわしなくリピートボタンを押してらっしゃる教頭先生。
「あーあ…。連打したって無駄なんだけどねえ、1カット終わらない間はさ…」
だけど効き目は出て来てるよね、と缶の外のソルジャーは満足そうに。
「あの調子だと、下着一枚までも持たないだろうね? ホントに最後まで撮ったんだけど」
「き、君は何処まで悪ノリしたら…!」
何をするのだ、と会長さんが怒鳴りつけても、ソルジャーはと言えば何処吹く風。
「だってさ、元々がぼくのハーレイ用だし? 最後まで脱がなきゃ珍しくもなんとも…。あっ」
「「「あーーーっ!!!」」」
アンダーの上を脱いでしまったソルジャーの手がズボンにかかり、ファスナーを下ろそうとしかかった所で教頭先生の鼻血がブワッと。そのままドサリと仰向けに倒れ、まだ映像は流れているのに視界が暗転したようです…。
しるこドリンク特製缶は見事な効果を発揮しました。缶詰になって「お疲れ様」な画像を拝めば鼻血MAX、キャプテンの場合は缶詰が終わった途端にソルジャーを食べたくなること間違いなし。
「いいアイテムが出来て嬉しいよ。…ハーレイ、明後日から缶詰の予定で」
もう缶詰明けが楽しみで、とソルジャーはドキドキワクワクです。
「どんな素晴らしい結果になったか、必ず報告するからね!」
「要らないってば!」
会長さんが即座に跳ね付け、私たちも首を左右に振りました。
「えっ、そうかい? こっちでヒントを貰った上に、作った場所もこっちだし…。詳細に報告をさせて貰うのが正しい道だと思うんだけど」
「それは絶対、間違ってるよ! 黙っているのが正しい道!」
その缶を持って早く帰れ、と会長さんが急かすと、ソルジャーは。
「…じゃあ、バストイレ付きの缶を開発した時に纏めて報告ってことでいいかな、年明けにも缶詰シーズンがあるから間に合うように作りたいんだ」
「そっちの報告も要らないよ!」
「うーん…。でも、実験台になってくれたハーレイには報告すべきじゃないのかと…」
でないとぼくの気が済まない、と言い募るソルジャーの視線の先には教頭先生が倒れていました。缶の中から運び出されて、転がされていると言うべきか…。
「好きにすれば? 何かと言えば鼻血なハーレイが報告を聞けると思うのならね」
会長さんの言葉にソルジャーは「それもそうか」と頷いて。
「なら、レポートを書いてプレゼントするよ。しるこドリンクがどう効いたのか、缶詰効果の凄さをさ! ぼくも是非とも聞いて欲しいし、微に入り細に渡った記録を図解付きでね」
「「「……図解……」」」
それは発禁モノなのでは、と思いましたが、しるこドリンク缶を空間を超えて運搬するべくサイオン発動中のソルジャーには言うだけ無駄というものでしょう。教頭先生が更なる鼻血を噴いて失神なさる日は年内に来るか、年明けか。しるこドリンク、当分は遠慮したいです~!
手軽な食べ物・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
缶詰になって「しるこドリンク」、本当に効果はあるんでしょうかね、キャプテンで。
謎ですけれども、思い立ったが吉日な人がソルジャーですから…。
シャングリラ学園、去る4月2日で連載開始から8周年になりました。8年って…。
よくもそれだけ書いたモンだと思いますです、まだ書きますけど。
4月は感謝の気持ちで月2更新、今回がオマケ更新です。
次回は 「第3月曜」 4月18日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、4月は、シャングリラ学園も新年度。やっぱり1年A組で…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
秋の日の午後。庭で一番大きな木の下の白いテーブルと椅子で、ブルーはハーレイと二人きりの時間を過ごしていた。
自分の部屋に居る時のようにハーレイの膝に座ったり、抱き付いたりは出来ないけれども、この場所はブルーの大のお気に入り。初めて「ハーレイとデートをした場所」だったから。
べったりとくっついて甘えられなくても、話すことなら沢山あった。前の生のこと、今の生での色々なこと。家であったことも、学校で起こった様々なことも。
今日のブルーも上機嫌だったのだけれど、ふと思い出した週の半ばに見舞われた不幸。以前なら大したことではなかった、珍しくもなかった学校に行けなかった二日間。
生まれつき身体の弱いブルーは小さな頃から幼稚園も学校も休みがちな子供で、入院するほどの大病はしない代わりに頻繁に欠席を余儀なくされた。そういうものだ、と大人しく休んでいたのが今では違う。学校に行けないことは、ハーレイに会えないことを意味していたから。
(休んじゃったら会えないんだもの…)
ハーレイはブルーが通う学校の教師。登校すれば大抵は何処かで顔を見られる。ハーレイが受け持つ古典の授業が無い日であっても、廊下で、校庭で、中庭などで。
だから学校を休まなくて済むよう、ブルーは懸命に努力していた。体調管理にも気を配ったし、少し眩暈がした程度ならば無理をしてでも登校するとか。
それなのに先日、休んでしまった二日間。熱が出てしまっては誤魔化しも出来ず、かかりつけの病院に連れてゆかれて、そのまま欠席。
あまつさえ、ブルーが休むと「大丈夫か?」と見舞いに来ては野菜スープを作ってくれる優しいハーレイも来てくれなかった。忙しいのだと分かってはいても、寂しくてたまらなかった二日間。
(それに…)
そういう時に限って酷い目に遭うんだ、と病院での出来事を思い返した。幼い頃から顔馴染みの医師が、「早く治すにはこれが一番」とブスリと打ってくれた注射を。
ブルーは注射が大嫌いだった。
幼稚園の頃には泣き叫んで抵抗したほどの注射嫌いで、今でも変わらず注射は嫌い。昔のように泣き喚いたりはしないけれども、注射針の痛さも、注射器を見るのも出来れば御免蒙りたい。
幼かった頃に初めて打たれた注射が余程痛かったか、痛みというものに弱いのか。
注射嫌いの子供は珍しくないし、その部類だと思い込んでいた。両親も、ブルー本人でさえも。それがどうやら違ったらしい、と気が付いたのは前の生の記憶が戻った後。
先日と同じように熱を出してしまって学校を休み、母と近所の病院に行った。いつもの主治医が「打っておきましょう」と取り出した注射器を見た瞬間に覚えた恐怖。今までの「嫌い」どころの騒ぎではない、明確な「嫌だ」と拒絶する心。
それが何なのかを思い出す前に、ブルーの注射嫌いを知っている医師と母は手際よく作業をしてくれた。母がブルーの服の袖を捲って「我慢しなさい」と諭す間に、医師が慣れた手つきで消毒を済ませ、注射針が腕にグサリと刺さる。
(嫌だ…!)
注射は嫌だ、と叫ぼうとしたが、「はい、おしまい」という医師の声。薬剤はとっくにブルーの身体の中で、大嫌いな時間は終わっていた。
なのに収まらなかった恐怖。医師が笑顔で「じきに熱が下がりますよ」と告げるのを聞くまで、震え出しそうだったほどの激しい恐怖。
その原因が何だったのかを遠い記憶として手繰り寄せ、納得した時はとうに家へと帰っていた。母が「大人しくして寝ていなさい」と上掛けを掛けてくれ、部屋を出て行った後で気付いた。
どうして注射があれほど怖いか、幼い頃から嫌いだったのか。
(…全部アルタミラのせいなんだよ)
タイプ・ブルー・オリジンと呼ばれ、人体実験を繰り返された前の生で居た研究所。
薬剤に対する抵抗力を調べるためだとか、行われる実験の目的に合わせた薬物を注入するために打たれる注射。打たれて直ぐに苦痛が襲うこともあれば、実験開始と共に生き地獄のような苦悶に見舞われたり。
もちろんブルーを死なせないため、治療用の注射も実験の後で幾度となく打たれていたけれど。身体が楽になる注射もあった筈だけれど、ブルー自身に記憶は無い。
注射は苦痛を齎すもの。直ちに苦痛に見舞われなくとも、確実に苦痛が襲ってくるもの。実験が始まるまでの間が待ち時間であったり、遅効性の薬物の時であったり。
どう転んでも逃れられない激しい苦痛。それを運んでくる注射。
嫌いにならないわけがなかった。注射器を見ただけで震え上がるのも、打たれた痛みで泣くのも当然。自分の身に何が起ころうとしているのか、嫌というほど体験して来たのだから。
(今の注射は大丈夫だって分かっているんだけどな…)
記憶が戻ってから初めて打たれた注射は医師が効能を告げてくれるまで怖かったけれど、今では其処まで怖くはない。治すための注射だと自覚しているし、現に打った方が治りが早い。
分かってはいても、未だに消えてくれない恐怖。前の生で心に刻まれた恐怖。
(…ノルディは知っててくれていたしね?)
白いシャングリラで暮らしていた頃も、注射は苦手だったから。
戦闘に赴くソルジャーが注射如きを恐れていては、と耐えていたけれど、顔には出るから。
それが何ゆえかを知っていたノルディは、あれこれと心を配って注射を極力打たない方向で治療してくれたが、今の生でのブルーの主治医はお構いなし。
体調を崩して病院に行けば、問答無用で注射一発。
どんなに嫌いでたまらなくても、自分の前世を言えはしないし…。
酷い目に遭った、と打たれた注射を思い返して、ブルーはハーレイに泣き言を言った。大嫌いな注射を打たれたのだと、今でも注射が嫌いなのだと。
「…熱が下がるって分かっていたって嫌なんだよ、注射…」
「お前、アルタミラで沢山打たれたらしいしなあ…」
可哀相に、とハーレイが顔を曇らせる。
生まれ変わっても注射嫌いになるほど打たれたのかと、それほどに苦しかったのかと。
「ハーレイは注射は少なめだったんだよね?」
「俺は耐久実験の方が多かったからな」
ミュウには珍しく頑丈に出来ていたからだろうな、ひたすら耐えてりゃ良かっただけだ。
タイプ・グリーンは幾らでもいるし、薬物実験はそっちでやりゃいい。
お前みたいに一人しかいないタイプ・ブルーだと、被験体も一人きりだからなあ…。
色々と集中しちまったんだな、実験の方も。
「…うん、多分…。お蔭で死なずに済んだけれども」
他にもタイプ・ブルーが大勢いたなら、殺されていたかもしれなかった。
どうすれば死ぬのか、どんな風にして死んでゆくのか、それを調べる実験も存在していたから。
その果てに殺された仲間たちの残留思念を幾度も拾った。
彼らのようにならずに済んだ理由は唯一のタイプ・ブルーだったから。
ブルーが死んだらタイプ・ブルーのデータが取れない。実験しようにも被験体がいない。
だから苦しめ、痛めつけても治療をされた。次の実験に役立てるために。
そうして何本も打たれ続けた注射。
実験薬に、実験の準備にと打たれた注射。苦痛しか齎さなかった注射…。
「…ホントに嫌な思い出なんだよ、あの注射」
今になっても引き摺るくらい、と嘆いてブルーは立ち上がった。
こんなに平和な地球に来たのに、ハーレイと二人でのんびりとお茶を楽しめる世界に生まれたというのに、どうして注射を恐れなくてはならないのか。
父と母が居る暖かな家があるのに、午後の柔らかな光が降り注ぐ庭もあるのに。
「なんで今でも注射器を見ただけでダメなんだろう…」
あの針が嫌だ、と銀色に光る忌まわしい凶器を頭の隅へと追いやりながら、自分の目を現実へと向かわせる。
庭で一番大きな木。幼い頃から見上げていた木。太く頼もしい幹と、四方に広げた枝葉と。この木の下にハーレイと二人で座る場所が在って、母がお茶やお菓子を届けてくれる。これが現実。
そう、アルタミラはもう遠い遠い昔。
其処に居た自分は遥かな昔に死んでしまって、今は地球に住んでいる子供の身体。まだ十四歳にしかならない小さな身体で、ソルジャー・ブルーだった頃とは違う。
(手だって、小さくなっちゃったんだよ)
そのせいでハーレイとの恋に支障があるのだけれども、「前の自分とは全く違う」ことを教えてくれる姿ではある。
小さな手と、庭にどっしりと根を張った木と。
二つを重ね合わせれば「今」が見えて来るよ、とブルーは木の幹を撫で擦った。ざらざらとした感触が「木は此処に在る」と教えてくれる。ブルーの手が其処に触れていることも。
(…ぼくは此処に居るんだ…)
ちゃんと青い地球の上に生きているんだ、と何度も何度も木の幹を撫でる間に。
「いたっ…!」
チクリと指先に走った痛み。注射のそれとは違うけれども、不愉快な痛み。
「どうした?」
椅子から腰を浮かせるハーレイに、白い指先に視線を落としながら「棘…」と短く答えた。棘のある種類の木ではなかったし、今までに刺さったこともない。
けれども運が悪かったのか、撫で擦る内に木の皮が浮いてしまったのか。右手の人差し指の先に刺さった小さな棘。左手で抜こうとしても抜けない。
(刺さっちゃった…)
抜こうと左手で引っ張るブルーに、ハーレイが「見せてみろ」と声を掛け、招き寄せて。
自分が腰掛ける椅子の側に立たせて、小さな手を掴んで白い指先を検分しながら。
「すっかり入り込んじまったか…」
刺抜きじゃ無理だな、こいつは針だな。
「針!?」
父に何度か針で抜かれたことがある棘。それと同じだと気付いたブルーは悲鳴を上げた。
「やだ…!」
「しかし、こいつは抜けないぞ?」
「でも、針は嫌だ。注射みたいで怖いんだよ…!」
絶対に嫌だ、と慌てて右手を引っ込めようとしたが、ハーレイの力は緩まなかった。
捕まったままでブルーは「嫌だ」と首を左右に振る。針は嫌だと、注射みたいな針は嫌だと。
涙まで滲ませて訴えてみても、一向に緩まないハーレイの力。棘が刺さった指先の不快な痛みは嫌だったけれど、針の方がもっと嫌だから。
針で棘を抜かれることだけは避けたかったから、「サイオンは?」と泣きそうな声で尋ねる。
「ハーレイ、サイオンで抜けないの、これ?」
「…瞬間移動が出来るヤツにしか無理だろう。病院に行けば出来る医者だっているが…」
この程度の棘、そんな先生の出番を待つ前に針だと思うぞ。
普通なら病院に行かずに家で抜こうってレベルの棘だし、病院でも同じ程度の扱いだな。
「…そんな……。そうだ、テープは?」
テープで抜けると友人が言っていたのを思い出して訊いてみたけれど、ハーレイはフウと溜息をついて答えた。
「刺さって直ぐなら抜けたかもしれんが…」
今じゃ無理だな、もぐっちまっているからなあ…。
テープで抜くには棘の端っこが見えていないと駄目なんだ。
こうなっちまうと針で引っ張り出すしかない。この際、針を克服しておけ。
「えっ?」
「注射は無理でも針くらいはな」
俺がやるのでも針だけは嫌か?
病院に行ってお医者さんに針で抜いて貰うか、その方がいいか?
(…ハーレイにやって貰うか、お医者さんか…)
どちらも針しか無いのだったら、考えるまでもないことだから。
恋人に抜いて貰う方がマシに決まっているから、ブルーは「ハーレイでいいよ」と呟いた。
針は見たくもないのだけれども、ハーレイが抜いてくれるのならば、と。
「よし。…うん、泣き喚くだけのガキじゃないってことだな」
偉いぞ、とハーレイの手がブルーの頭をポンと叩いて。
「此処じゃ抜けんな、お前の部屋でやるか。…柚子の木があると良かったんだが…」
「柚子の木?」
庭に柚子の木は無かったから。どういう意味か、とブルーはキョロキョロと庭を見回す。
「それ、何にするの?」
「針の代わりだ」
ハーレイに言われても、まだピンと来ない。
「針?」
「柚子の木の棘さ。針みたいにデカイ棘があるんだ、柚子の木にはな」
俺の家では棘が刺さった時の定番だったぞ、柚子の木の棘。
ガキの頃には親父が抜いてくれていたもんだ。
柚子は殺菌作用があるんだ、実だけじゃなくって木の皮とかにも。
もちろん棘だって、青いヤツなら消毒済みっていうわけさ。
生えてから何年も経っちまった棘だとそうはいかんが、生えてから間もない青い棘だな。
そうした棘を使って抜くのだ、とブルーの気を逸らしながら、ハーレイは家の方へと戻った。
玄関を入り、リビングに居たブルーの母に声を掛ける。
「すみません、ブルー君が指に棘を刺してしまいまして…。薬箱と針をお借り出来ますか?」
「針ですか?」
「ええ。これから部屋で抜きますので」
ハーレイが言うなり、ブルーの母は「それは…」と言葉を濁してから。
「ブルー。ハーレイ先生が抜いて下さるのなら、ちゃんとお礼を言わなきゃ駄目よ?」
泣くんじゃないのよ、大きいんだから。
十四歳になったんでしょうが。
「…うん、ママ……」
シュンと項垂れるブルーの姿に、ハーレイは今日までにこの家で起こったであろう騒動が容易に想像出来た。注射も針も嫌いなブルーが泣き叫んだか、はたまた涙を零したか。たかが棘抜きとは思えないほどの騒ぎだったに違いない。
(…よっぽど針が苦手で嫌いなんだろうが…)
ブルーの両親は今も理由を知らないのだろうな、とハーレイは思う。
小さなブルーは泣き虫だけれど、前世を思わせる気丈な部分も存在していた。両親を心配させることが明らかなアルタミラでの悲惨な過去など、きっと話しはしないだろう。
注射嫌いで針も嫌いな弱虫のレッテルを貼られたままでも、その方がいいと思うのだろう。
そんな健気な小さなブルーに、針くらいは克服させてやりたい。
注射は無理でも、針を使った刺抜きくらいは…。
ブルーの母が用意してくれた、刺抜き用の道具と薬箱。ハーレイはそれを手にして、先に立って階段を上って行った。普段だったらブルーがパタパタと先に駆け上る階段を。
「こら。ぐずぐずしてても棘は抜けんぞ」
早く来い、とブルーを急かして、すっかり馴染みの部屋に入るとテーブルの上に薬箱を置いた。いつも自分が座る側の椅子に腰掛け、借りて来た針とライターを持つと立ち竦むブルー。
部屋の入口で止まったブルーの顔には「嫌だ」と書いてあったけれど、ハーレイはやめるつもりなど無い。ライターを点け、針の先を炙りながら「来い」と命じる。
「ほら、消毒が済んだぞ、ブルー。針を克服するんだろうが」
いつまでも弱虫でいいのか、お前。
俺は一向に構わないんだが、棘が刺さる度に泣くのはお前なんだぞ、ブルー?
「……痛くない?」
怖々といった様子で前に立ったブルーに「そりゃ痛いさ」とハーレイは返した。
「針なんだからな、少しは痛い。気を付けはするが、全く痛くないとは言わん」
だが、我慢しろ。こいつは治療で、アルタミラとは違うんだ。
俺を信じて右手を出せ。
…よし、それでいいから動かすなよ、指。
怖いからって逃げたりしたらだ、針がグサリと刺さっちまうからな。
ハーレイはブルーの右手をしっかりと掴むと、棘が刺さった人差し指の先を針で慎重にそうっと探った。此処だ、と見定めた場所に針を入れれば、ブルーの手がビクリと強張って。
「いたっ…!」
「こら、逃げるな!」
直ぐだ、と刺さっていた棘を針で取り除いた。自分に刺さった棘も、教え子の棘も何度も抜いた経験があるから、手際よく抜ける。ほんの一瞬とまでは言わないけれども、僅かな時間。
「ほら、取れたぞ。…痛かったか?」
「…ちょっとだけ…」
チクッとした、と訴えるブルーの指先に化膿止めの薬を付けてやる。刺抜き用の針はライターで消毒してあったけれど、刺さっていた棘はそうではないから。小さな棘でも侮れないから、後から膿んだりしないようにと。
「これで終わりだ。…ちゃんと見てたか、さっきの針を」
「…ハーレイの手を見てた……」
針は殆ど見ていなかった、とブルーは俯いたけれど。
「少しでも見たなら、それでいいさ」
針だけだったら普段も見るしな、家庭科の授業でも使うだろう。
そういう針は平気だろ、お前?
自分の身体に刺さってくる針が嫌なんだろう?
…だがな、身体に刺さる針もこうして役に立つんだ、注射も同じだ。
痛い分だけ、ちゃんと良くなる。
それをきちんと覚えておけ。そうすりゃ怖くはなくなってくるさ。
棘抜きと手当てを終えたハーレイが薬箱などを返しに行くと、ブルーの母が心配そうな顔をしていたから。
ハーレイは「ブルー君は我慢強かったですよ」と伝えることを忘れなかった。棘を抜くのに針を刺しても泣かなかったし、痛いと叫びもしなかったと。
ホッとしたらしいブルーの母は「ありがとうございました」と深く頭を下げ、それから間もなく二階へお茶とお菓子を持って来てくれた。庭で使っていたものとは別のティーセット。
「ブルー、ハーレイ先生にちゃんとお礼を言った?」
「うんっ!」
笑顔で答えたブルーは「ぼく、泣かなかったよ」と自慢したけれど、母は「当たり前でしょ」と苦笑して部屋から出て行った。ブルーが前の生で受けた仕打ちを知らないのだから仕方ない。
母の足音が階段を下りてゆくのを聞きながら「我慢したのに…」と残念そうに呟くブルー。
注射が嫌いで、針も嫌いな小さなブルー。
ハーレイは「仕方ないだろ、お母さんにとってはお前はただの弱虫なんだし」と言いつつ、手を伸ばしてブルーの頭を撫でてやった。
「お前がきちんと我慢したのは俺が見てたさ、それでいいだろ?」
前のお前が惨い目に遭ったことも、俺は知ってる。
だから針が怖くてたまらない理由も知っているがな、人生、うんと長いしな?
克服しといて損は無いんだ、針も、それから注射もな。
出来れば克服して欲しいんだが…。
しかし、とハーレイは片目を瞑って微笑んだ。
「どうしても無理なら、結婚した後は俺が病院についてって医者に注文してやるさ」
こいつは注射が嫌いなんですと、注射は抜きでお願いします、と。
「ホント!?」
嬉しい、と喜んだブルーだったが、それに対するハーレイの言葉は。
「もっとも、俺が行ってる近所の医者もだ、問答無用で打つ方なんだが」
「嘘…!」
「残念ながら、本当なんだ」
俺がそういう好みだからなあ、とにかく早めに治したい、ってな。
滅多に病院の世話にはならんが、たまに行くなら早く治せる医者がいい。
のんびり優しく治療してくれる病院よりもだ、注射一本、その日限りの御縁がいいな。
「…そういうお医者さんなんだ…?」
「俺の行きつけと言うか、かかりつけと言うか…。馴染みの医者はそういうタイプだ」
ブスリと注射で、後は飲み薬を三日分ほどと言った所か。
それでピタリと治っちまうなあ、名医と評判の先生なんだぞ?
だが、待合室で女性と子供は見かけないから、優しい医者ではないってコトか。
お前、どうする?
俺は優しいと評判の先生の病院は生憎と全く知らないんだが…。
(…ハーレイの行ってる病院の先生も注射だなんて…)
しかも問答無用だなんて、とブルーは頭を抱えたくなった。
どうやらハーレイと結婚した後も、注射からは逃れられないらしい。
注射の無い病院は無いのだろうか、と悩むブルーだけれども、注射が一番早いのだから。
早く確実に治したいなら注射なのだと分かっているから、問答無用の方針も分かる。
そうした病院で注射をされずに済ませるためには、ハーレイの「お願い」に期待するのみ。
こいつは注射が駄目なんですと言ってくれるよう、なんとか打たない方で済むよう。
(…でも…)
針を克服するんだな、と指に刺さった棘を抜いてくれたハーレイが持つ針は怖くなかった。
大きな手が器用に棘を抜く間、自分の指に刺された針をチラリと見られた。
父が同じことをしてくれた時には泣き喚いた針。
大して痛くはなかったというのに、大声で泣いてしまった針。
(…ハーレイの手と一緒だったら怖くなかったよ、針が刺さっても)
たった一度で克服出来たとは思わないけれど。
もしかしたら針が身体に刺さることに対する恐怖も、いつかは本当に消えるかもしれない。
注射も平気になるかもしれない。
そうなるといいな、とブルーは思う。
アルタミラの注射の記憶を忘れて、幸せに生きていけたらいいと…。
大嫌いな注射・了
※幼かった頃から注射嫌いのブルー。多分、アルタミラ時代の記憶のせいで。
今もやっぱり苦手ですけど、怖くなかったハーレイが持つ針。いつかは注射嫌いも克服?
そして、今日、3月31日は、聖痕シリーズのブルーの誕生日。
ブルー君、お誕生日おめでとう!
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