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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 デザートに生のパイナップル。
 美味しかったから、食べ過ぎちゃって。舌がちょっぴりヒリヒリとする。生のパイナップルだとそうなるんだってこと、忘れてた。
(うーん、失敗…)
 お風呂に入って歯磨きも済ませたら、すっかりマシになったから。きっと明日の夜も食べ過ぎてヒリヒリするんだろうな、とベッドに転がって考えていて。
(パイナップル…)
 そういう事件があったっけ、と思い出した。
 遠い遠い昔、ぼくがまだ前のぼくだった頃に。
 白い鯨は出来ていなくて、アルタミラを脱出して間もなかった頃に…。



 名前だけがシャングリラだった、元は人類のものだった船。
 自給自足で生きるどころか、食料も物資も人類側から奪っていた。足りなくなったら前のぼくが奪いに出掛けてゆく。食料なんかは行き当たりばったり、とにかくコンテナごと全部。
 計画性も何も無いから、食材が偏ることは珍しくなくて、キャベツばかりとかジャガイモだらけとか。その度にハーレイが奮闘していた。皆を飽きさせないよう、調理方法を懸命に調べて。
 そんな中、大量に奪ってしまったパイナップル。缶詰じゃなくて生のパイナップル。
 パイナップルは記憶に残っていたから、皆、大喜びで食べたんだけれど。
「おい、舌がヒリヒリしていないか?」
「もしかして毒が入っていたの?」
 食堂に広がってゆく不安。毒物だったら…、と恐ろしくなった。みんなパイナップルを口にしていたし、前のぼくだって舌がヒリヒリしていた。
 人類がパイナップルに仕込んだ毒物。ぼくたちの命は此処で終わるんだろうか?
(でも…)
 パイナップルを積んでいた船は、ごくごく普通の輸送船だった。ぼくたちが奪うことを見越して毒を仕込むなんて有り得ない。たまたま近くを通りかかっただけの船なのだから。
 毒ではなくて何かある筈、と船のデータベースを調べてみて。
 生のパイナップルを食べ過ぎると舌がヒリヒリするのだと知った。



「なんだ、正真正銘の生のパイナップルって証明か!」
「もっと食おうぜ、美味いんだから」
 分かってしまうと誰も怖がらず、ヒリヒリしたってパイナップルは人気。
 もっとも、少し経ってしまうと飽きてきちゃって、またハーレイが苦労することになっちゃったけれど。パイナップルを使った料理は何か無いかと、格闘する羽目になったんだけれど…。
「お前ら、たまには生も食べろよ!」
「そりゃ食べるけどよ…。他の食い方も頼むぜ、ハーレイ」
 パイナップルを入れた炒め物やら、煮物やら。他の食材と照らし合わせながら頑張っていた前のハーレイ。料理が得意というんじゃなくって、食材の管理や使い方が実に上手かった。
(もちろん料理も上手だったけどね)
 不味い料理を大量に作ってしまわないよう、いつもきちんと試食をしていた。上手く出来たら、手の空いた者を動員しながら完成品の料理をドッサリ作る。それがぼくたちの食卓に上る。
「へえ…。パイナップルで料理も色々出来るもんだな」
「生のも食えと言ってるだろうが!」
 今日のノルマだ、とカットしただけの生のパイナップルの山。完熟してくると舌がヒリヒリすることはなくなったけれど、そうなるとヒリヒリが懐かしい。
 養父母の家で食べていただろう、生のパイナップル。パパやママに「ヒリヒリするよ」と言っていたのだろうか、と思うけれども思い出せない。
 そんなささやかな記憶さえも失くしてしまったほどに、アルタミラでの日々は過酷だった。



 直接記憶を奪い去ってゆく人体実験も惨かったけれど、与えられる餌と、それから孤独。
 調理すらされていない食べ物。栄養分だけ摂れればいいとばかりに檻に突っ込まれる固形物や、水。水は必要に応じてだろうか、添加されるもので色や味わいが異なったけれど、ただそれだけ。美味しくするための加工ではなくて、薬などを入れて溶かしただけ。
 これは餌だと、人間扱いされていないのだと誰にだって分かる。
 アルタミラを脱出した直後に食べた非常食でさえ、「食べ物なのだ」と思えたくらいに。
 密閉されたパッケージを破れば温まる仕様の非常食。
 それだけで「料理なのだ」と思った。研究所では温かいものなど一度も食べたことが無かった。
 非常食用のパンだって同じ。
 焼き立てに比べれば落ちたのだろうけど、パッケージを破るとパンがふんわりと膨らんだ。餌の中にこんなふっくらとしたパンなど無かった。シリアルにも劣る餌ばかりだった。
 それに一緒に食べられる仲間。「美味い!」と顔を綻ばせている仲間たち。
 誰かと食事を共にすることなど、誰だって忘れ果ててしまっていたから。
 皆でワイワイと食べられるだけで、非常食だって美味しかった。
 食べ物の味を語り合える仲間が側にいるなんて、なんて素敵なことなのだろうか…。



 研究所で閉じ込められていた檻は個室と言えば聞こえはいいけど、ただの独房。最低限の設備が設けられただけの、ベッドさえも置かれていない独房。
 それに音やサイオンも封じ込められ、上下左右に檻があるのに何の物音も聞こえてはこない。
 実験のために檻から出されて、また入れられて。その時に隣の檻に居る者を目にはしたけれど、次に見た時には顔が違った。死んでしまったのだ、と直ぐに分かった。
 ミュウは増えれば相乗効果でサイオンの力が増すと分かっていたから、研究者たちは決して接触させなかった。
 檻から出されて実験室に行くまでの間は、サイオン制御のリングを首に嵌められるけども。そのリングを首に嵌めてあっても、本当にただの一度でさえも。
 実験室に連れてゆかれる時にも通路を分けられ、出会わないよう管理されていた。
 ぼくに分かったのは強い残留思念だけ。実験室で死んでいった仲間の苦悶の声だけ。
 それから檻に出入りする時に僅かに感じる、垣間見える隣の住人の姿。
 他には何一つ分からなかった。
 研究所の中に何人のミュウが居るというのか、それさえも知りようが無かったぼく。
 脱出なんかは考えなかった。
 一人で逃げてもどうしようもないし、逃げ方だって分からなかった。
 逃げ出して何処へ行けばいいのかすらも…。



 ぼくたちがアルタミラの惨劇と呼んだ、アルタミラが星ごと砕かれた日。
 人類が忌まわしいメギドを使ってミュウを殲滅しようとした日。
 あの運命の日に、ぼくは初めて生きている仲間たちに出会ったんだ。
 逃げ出すことが出来ないように、と厳重にロックされたシェルターの一つ。元々は人の命を守るためのシェルターを、研究者たちは虐殺用の檻に転用した。
 メギドの破壊力の前にはシェルターなど役に立ちはしないし、ミュウを確実に閉じ込めておいて星ごと滅ぼしてしまうことが出来る。個別の檻だと惑星崩壊前の地震で壊れてしまって扉が開き、逃亡される恐れがあると考えた彼らはシェルターを使うことにした。
 何も知らずに檻から引っ張り出されたぼくに、研究者は笑ってそう告げて。
 「お前たちの研究は全て終わった」と引き摺るように連れてゆかれて、シェルターの中へと放り込まれた。グランド・マザーの命令なのだと、もう生かしておく意味は無いと。
 引き摺られてゆく途中、「ミュウは全て殺す」と残酷な宣言を聞かされた時、仲間たちが生きていると分かった。
 此処から逃げねば、と初めて思った。
 でも、どうやって…?



 ぼくが放り込まれたシェルターは直ぐに扉が閉ざされ、何重にもロックしてから研究者は其処を立ち去った。丸い窓の向こうは見えるけれども、閉じた扉は開かない。
 振り返れば何人もの仲間たちが居て、誰の顔にも絶望があった。
 彼らを見た時、ぼくが何とかするしかないのだと考えた理由。
 長い年月を孤独に過ごしていたのに、「救わなければ」という使命感が湧き上がってきた理由。
 それは多分、「タイプ・ブルー・オリジン」と呼ばれ続けた名前のお蔭。
 ぼくの本当の名前もブルーだったけれど、神の悪戯か、タイプ・ブルー・オリジン。
 研究者たちが繰り返す名前のお蔭で、最強のミュウだと頭に叩き込まれていた。
 ぼくが最強なら、皆を救うことは恐らくぼくにしか出来ない役目。
 だから闇雲に窓を叩いて、叫んで。
 ヒビすら入らない窓を拳で何度も叩く間に、首のリングが無いことに気付いた。檻から出された時に嵌められた記憶はあるのだけれども、閉じ込める時に外したのだろうか?
 そういえばリングは貴重なのだと研究者が前に言っていた。希少な金属で出来ているから、お前たちには勿体ないと。無駄に高価な飾りなのだと嘲笑っていた。
 彼らは用済みになったリングを回収して逃げて行ったのだろう。
 星ごと砕いてしまうには高価すぎるリングを回収した後、悠々と脱出したのだろう…。



 リングが無いなら、サイオンを使うことが出来るかもしれない。
 檻の中や実験室にはサイオンが使えないよう仕掛けが施されていたのだけれども、此処は普通のシェルターだから。本来は人類が避難するための設備なのだから…。
(此処なら使えるかもしれない)
 超高温や真空などのガラスケースに放り込まれた時、無意識に使っていたサイオン。自分の身を守るためだけにしか使った経験がなくて、それも無意識。
 自分の意志で発動させたことは一度も無いし、どう使うのかが分からない。
 でもシェルターを壊したい。壊さなければ、皆が死んでしまう。
 使い方すらも分からないまま、夢中でぶつけた感情の爆発にも似た何か。ぼく自身ですら思わず目を瞑ったほどの閃光と衝撃とが空間を揺るがし、シェルターの扉は吹っ飛んでいた。
 なんとか壊すことが出来たシェルター。
 逃げ出してゆく仲間たちの背中を見ながら、魂が抜けたように座り込んでいたら。
「お前、凄いな」
 小さいのに、と助け起こしてくれたのがハーレイだった。
 たまたま同じシェルターに押し込まれていた、ハーレイの顔。窓の向こうしか見ていなかったと思う前のぼくだけれども、その顔立ちには確かに見覚えがあって。
 助けられて良かった、と安堵の息をついた。シェルターはすっかり空だったけれど、此処に居た仲間は逃がせたのだと、最後の一人が彼なのだと。



 それが前のハーレイと、ぼくとの出会い。
 ハーレイはぼくの身体を支えて立ち上がらせて、それから大きな身体を屈めて。
「お前のお蔭で助かった。…だが、他にもこれと同じようなヤツがあると思うぞ」
「うん。助けて、って声が聞こえる」
 崩れ始めたアルタミラの大気に仲間の悲鳴が混じっていた。助けを求める仲間たちの思念。
 研究所の建物はとうに崩れて、空も地面も赤々と燃え上がっていたのだけれど。
 ぼくとハーレイは思念を頼りに、幾つものシェルターを開けて回った。ロックを解除し、重たい扉を二人がかりでこじ開けて。
 歪んでしまって開かないシェルターがあれば、ぼくがサイオンをぶつけて壊した。必死に走って駆け付けたけれど、間に合わなかったシェルターもあった。
 星が壊れるほどの衝撃は想定されていないシェルター。引き裂かれた大地に飲まれたものやら、押し潰されてしまったものやら。
 けれど死んだ仲間たちを悼む時間も惜しんで、ぼくたちは走った。
 助けなければ、他の仲間たちをシェルターから脱出させなければ、と。



 アルタミラから脱出する手段は先に逃がした仲間たちが既に確保していた。
 こっちだ、と呼び掛ける複数の思念波。
 飛べる宇宙船を一つ見付けたと、なんとか離陸出来そうだと。
 赤く染まった空の下でハーレイがボソリと呟く。
「もう誰も居ないか…」
「うん、感じない」
 助けを求める思念は無かった。
 ぼくはサイオンを使い果たしてしまっていたけど、思念波を拾うことは出来たから。燃え上がる世界に目を凝らしたけれど、仲間の気配は感じなかった。
「なら、行くか。でないと俺たちも死んじまうぞ」
「……うん」
 ハーレイに半ば抱えられるようにして走って、歩いて。
 やっとの思いで船に乗り込んで、それからも声で、思念で仲間たちを呼んだ。
 間違った方向に逃げた仲間が何人か居たから、こっちなのだ、と。
 船があるからこっちに来るんだ、と。



 乗降口でそうやって呼び掛ける間に離陸の準備が整った船。
 操縦室の仲間が「もう誰もいないか」と思念で訊いてくるから、「いない」と答えて、それでも乗降口の扉は開けたままで。
 そのまま離陸すると危険だとは誰も気付かなかった。逃げ遅れた仲間がまだ居るかもしれないと燃え盛る世界を見詰めるばかりで、扉を閉めようとは思わなかった。
 操縦室に居た仲間の方でも、宇宙船の操縦などは初めてだから。
 船のコンピューターが示す手順どおりに実行しただけで、扉にまで気が回らなかった。そうして悲劇は起こってしまった。開いたままの乗降口から放り出されたゼルの弟。
 ゼルが掴んだ弟の手。「死にたくない」と、「兄さん」と叫んでいたハンス。
 ハーレイたちがゼルの身体を押さえて落下を止めたけれども、ハンスの身体を引き上げるだけの力は無かった。ぼくのサイオンも既に残っていなかった。
 ぼくたちはただ見ていただけ。
 ゼルの、ハンスの手から力が失われていって、離れてゆくのを見ていただけ。
 ハンスの身体は燃える地獄へと落ち、吸い込まれていった。「兄さん」という声を最後に。
 弟の名を叫んで伸ばされたゼルの手が、呼び声が空しく届かないままに…。



 乗降口は誰かが手動で閉ざした。それから間もなく船は大気圏から離脱したと思う。
 気付けば、外は真っ暗な宇宙。
 ぼくたちが居た乗降口の辺りはオレンジ色の照明が灯っていたけど、その暖かさも、逃げ出せた喜びも感じるだけの余裕は無かった。
 弟の名を繰り返しながら泣き崩れるゼル。
 助けられなかったと、自分の力が足りなかったと泣き続けるゼル。
 声を上げて泣くゼルのすぐ横で、ぼくも膝を抱えて顔を埋めて、深い自己嫌悪に陥っていた。
 あと少しだけのサイオンがあれば。
 ほんの少しだけ、皆がゼルに力を貸して引き上げられる所までハンスの身体を運べていたら…。
 どうしてぼくは肝心の時にサイオンを使えなかったんだろう。
 使い果たしたつもりでいたけど、もしかしたら。
 膝を抱えて蹲っているぼく。ちゃんと意識を保っているぼく。
 意識を失くしてしまうほどのレベルまでサイオンを発揮していたならば。
 ハンスを助けられていたかもしれない。
 引き上げた後にぼくが倒れてしまっていたって、それで死ぬわけではないのだろうし…。



 どうしてサイオンを使わなかったのか。限界まで使おうとしなかったのか、と自分を責めた。
 シェルターを幾つも壊せたサイオン。
 ハンスの身体を引き上げるくらい、きっと何でもなかった筈で…。
(…ぼくのせいだ)
 ぼくが頑張らなかったから。
 精一杯の力を使わずにいたから、ゼルは弟を喪った。ハンスは地獄に飲まれてしまった。
 ぼくのせいだ、と丸くなっていたら、ぼくの肩にポンと大きな手が置かれた。
「お前のせいじゃないさ」
(…えっ?)
 ぼくの心を読んだかのような声が聞こえて顔を上げたら、ハーレイが覗き込んでいて。
「事故はお前のせいじゃない。それに、お前…」
 何人、助けた?
 俺も含めて、何人助けた?
 なあ、とハーレイは隣に屈んで語り掛けて来た。
「お前が落ち込むことはないだろ、この船のヤツらはみんなお前が助けたんだからな」
 これから先も俺たちは多分、お前の世話になるだろう。
 そうなっちまう、という気がする。
 先なんか見えやしないんだがな。
 …予知する力は無いんだけれどな、そうなるだろうと思うんだ…。



 ハーレイの言葉をぼくは目を丸くして聞いていた。
 ぼくがみんなの世話をするだなんて、本当だろうか?
 ハンスを助けることさえ出来なかったぼくに、みんなの世話など出来るのだろうか。
 けれどハーレイは心からそう思っていたのか、あるいはぼくを元気づけるためだったのか。
 蹲ったままのぼくの腕を取り、「だが」と、その手に力をこめた。
「お前の世話になる前に、礼ってヤツの先払いだ」
 グイと起こされ、立ち上がらされて。
 此処に居るな、と誰も居ない部屋へと引っ張って行かれて、好きなだけ泣いていいと言われた。見ている者は誰もいないから、好きなだけ泣けと。
 辛いなら辛いだけ、悲しいのなら悲しい分だけ、好きなだけ泣いていいのだと。
「此処には俺とお前しかいない。お前が泣いていたって誰も気付かない」
 この先、お前は皆の前では、多分、泣けなくなるだろう。
 その分まで今、泣いておけ。
 俺がこうして抱いててやるから、泣きたいだけ泣いておくんだ、ブルー。



「…ハーレイ…」
 シェルターを壊して回った間に、名前を教え合ってはいたけれど。互いに呼び合って仲間たちを助けて回ったけれども、初めて「ブルー」と呼ばれた気がした。「ハーレイ」と呼ぶのも、これが最初だという気がした。
 本当はアルタミラで互いに何度も呼んでいたのに、初めてだと感じたその不思議さ。
 ハーレイの思いの、その優しさと暖かさ。
 逞しい腕がぼくを広い胸へと抱き込んでくれて、大きな手が背中を擦ってくれた。
 好きなだけ泣けと、自分しか見てはいないのだから、と。
「…うん…。うん、ハーレイ…」
 じわりと涙が滲んで、溢れて。堰を切ったら、もう止まらなくて。
 ぼくは初めて泣いた気がする。成人検査で振り落とされて、あの檻の中に閉じ込められてからは何度も泣いていたというのに、初めて零れた温かな涙。嬉しくて流した初めての涙。
 辛く悲しかった日々を洗い流すかのように、そうやって泣いて、泣き続けて。
 どのくらいそうしていたんだろう…。



「おい、飯らしいぞ」
 声と共に扉がノックされた時には、ぼくの涙はもう尽きていた。まだハーレイの広い胸に縋ったままだったけれど、すっかり気持ちが落ち着いていた、ぼく。
 行こう、とハーレイがぼくの手を引いて、皆の気配がしている方へと連れて行ってくれた。船の真ん中あたりだっただろうか、元からの食堂と思しき場所。
 研究所から逃げ延びた仲間たちが顔を揃えている中、ゼルの顔も見えた。ぼくはハンスのことを思い出して入口で立ち竦んだけれど、ゼルは泣いてはいなかった。
 代わりにペコリと下げられた頭。他のみんなも、一斉に頭を下げたから。
 ぼくは慌てて「いいよ」と叫んだ。
 たまたま力を持っていたから、自分の役目を果たしただけ。
 お礼だったらハーレイに言ってと、ハーレイが手伝ってくれたから大勢助けられた、と。
 でも、ハーレイは「こいつが頑張ってくれたんだ。小さいのにな」と譲らないから、結局、笑い合って終わりになった。
 あの地獄から逃げられて良かったと、無事に脱出できて良かったと。



 それから皆で食べた食事の温かさを、ぼくは今でも忘れない。
 ハーレイの隣に座って食べた。
 人間らしい初めての食事をハーレイの隣で一緒に食べた。
 パッケージを開けるだけで温まる仕様になった非常食と、パッケージを開ければ膨らむパンと。
 温かい食事と、柔らかなパン。
 どちらも美味しくて、ハーレイと何度も頷き合った。
 「美味しいね」と、「うん、美味いな」と。
 食事はこんなに美味しいものかと、皆と一緒に食べられるだけで更に何倍も美味しくなると…。



 あれからずうっと時が流れて、ぼくは生まれ変わってしまったけれど。
 前のぼくはメギドで死んでしまって、今のぼくが青い地球の上に生まれて来たけど…。
 ハーレイと一緒の町に生まれて再会出来たんだけれど、そのハーレイにいつ恋をしたのか、今も明確に答えられない。これだ、という決め手が見付からない。
 でも、多分。
 アルタミラでのあの瞬間も、大切な一つだったのだろう。
 「お前、凄いな」と助け起こしてくれた大きな手。
 二人で開けて回ったシェルター。
 それから、「礼の先払いだ」と、ぼくを泣かせてくれたハーレイ。
 広い胸に抱き締めて、ぼくの涙が出なくなっても背中を、頭を撫でてくれたハーレイ。
 そんなハーレイの隣で食べた、初めての食事は美味しかった。
 非常食でも、まるで御馳走みたいに美味しかった…。



(うん、本当に美味しかったんだよ)
 パッケージを開けるだけで温まっていた非常食。ふんわり膨らんでくれたパン。
 前のぼくたちがシャングリラの名前さえついていなかった船で、初めて食べた記念すべき食事。
 それから頑張って生きてゆく中、非常食から料理の日々へと。
 奪って来た食材の偏りのせいでジャガイモだらけとか、キャベツだらけとか…。
(…舌がヒリヒリする生のパイナップルもね)
 あの日のハーレイの予言通りに、ぼくは皆を世話する立場になったんだけれど。
 それが出来たのはハーレイのお蔭。
 「礼の先払いだ」と泣かせてくれた、優しくて温かいハーレイのお蔭。
 「生も食べろよ!」と山ほどのパイナップルと格闘していたハーレイのお蔭…。
 そのハーレイと一緒に生まれ変わって、ぼくたちは青い地球の上。
 今度こそ、うんと幸せになる。
 ちゃんと結婚して、ハーレイといつも二人で美味しい食事を食べて。
 何処までも、何処までも二人で歩いて行くんだ、手をしっかりと繋ぎ合わせて……。




         アルタミラの記憶・了

※前のハーレイとブルーの出会い。アルタミラが滅ぼされた日に初めて出会った二人です。
 やっと此処まで来ました、二人の過去の物語。回想形式、書くには便利ですけどね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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(ふうむ…)
 そろそろか、とハーレイは鏡の向こうの自分を眺めた。
 風呂から上がってパジャマ姿での歯磨き中。傍目には分かりにくいが、髪の切り時。
(…確か、この前に行ったのが…)
 時期的にもそういう頃合いだな、と自分の目には「伸びた」と映る髪を鏡でチェックする。更に歯磨きを終えた後、両手の指を突っ込んでみて切り時であると確信した。多少伸びても問題の無い髪型だったが、ハーレイ自身が落ち着かない。
(…こいつは俺の性分ってヤツか)
 シャングリラに居た頃からそうだったな、と苦笑した。
 外見の年齢を止めていても髪は伸びてゆくから、いつも散髪を得意とするクルーに頼んだ。仲間たちの数が多かっただけに、散髪係と呼んでも支障は無かったと思う。ソルジャー・ブルーの髪もキャプテンだったハーレイの髪もカットしていた男性クルー。
(最後まで世話になったっけなあ…)
 外見は若いミュウだったけれど、礼儀正しくて好感が持てた。
 人類側との会談のために地球に降りる前にもカットして貰って、サッパリした気分で出発したと今でも鮮やかに思い出せる。ブルーが逝ってしまった後は機械的に通っていただけの場所へ、あの日だけは昂揚したとでも言おうか、自分の意志で向かった記憶。
 この会談で全てが終わると、ブルーに託された自分の役目は地球で終わると確信していた。役目さえ終えれば自由になれる。キャプテンの任を辞し、ブルーの許へと行くことが出来る。
 人生の大きな節目だから、と髪を整えて会談に臨むことにした。キャプテンを辞すまでにはまだ何回か髪を切らねばならないだろうが、此処でも切っておくべきだ、と。



(…最後の散髪になるかもしれん、と覚悟だけはしていたんだが…)
 本当に最後になっちまったな、と遠く過ぎ去った日を思い返した。
 人類側がメギドを持ち出して来た時には死を覚悟したが、何基ものメギドは発射直前に停止し、無事に地球へと降りることが出来た。
 荒廃した死の星だったけれども、地球は地球。
 其処での会談に漕ぎ付けたからには、生きてシャングリラに戻れる可能性も半分はあるだろうと思っていたのに、待っていたものは予想だにしなかった最期。
 覚悟していた暗殺ではなく、グランド・マザーの崩壊に巻き込まれての地の底での死。
 それでも、崩れ落ちて来る天井の下で「これで行ける」と心が解き放たれるような気がした。
 メギドで逝ってしまったブルーの所へ旅立てるのだと、この身体はもう要らないのだと。
(…散髪しといて良かったな、とまでは流石に考えなかったがなあ…)
 そこまでの心の余裕は無かった。
 だが結果的に、カットしたばかりのスッキリした髪でブルーの許へと行くことになった。
(あいつは気付いてくれたんだろうか、俺の髪に)
 「凄いね、髪まで切ってきたんだ」と前の俺に言ってくれたんだかなあ…。
 それとも死んじまった後には髪型ってヤツは整ってるのが普通で、俺が散髪に行ったかどうかは全く関係無かっただろうか?
 俺もブルーも死んだ後の記憶が全く無いから、こいつは確認出来ないなあ…。



 つらつらと考え事をしていたハーレイだったが、今の自分の髪が伸びたことは事実。出来るだけ早く切りに行かねば、と頭の中で段取りを付けた。
 行くなら、ブルーの家に寄るのに支障が出ないよう、仕事が遅くなりそうな日に。
 仕事帰りに寄れば夕食を用意してくれるブルーの母。彼女が夕食の支度をするのに充分な時間がある日しかブルーの家には寄らない。
 ブルーの家に行くには些か遅い日であっても、行きつけの理髪店は夜までやっているから、仕事帰りでもフラリと行ける。
 特に予約の要る店ではなく、待たされることも滅多に無いし…。
(よし、明日あたり、帰りに寄るとするか)
 明日は放課後に会議があるから、長引けばブルーの家には行けない。会議が終わった時間次第で決めることにしよう、と頭の中のメモに書き込んだ。



 翌日の会議は予定の時間を少しだけオーバーしての閉会。ブルーの家に寄れないこともなかったけれども、此処は散髪を優先すべきだ、とハーレイは決めた。
 車を運転しての帰り道、家の近くで別の角を曲がって、いつもの店の隣の小さな駐車場へ。車を降りて向かった理髪店は若人向けのお洒落な構えではなくて、落ち着いた雰囲気を醸し出す店。
 柔らかな照明と、木材を多用した内装と。
 理髪店だから店内は明るくはあるが、シャングリラに在ったキャプテンの部屋に似ているのだと記憶が戻った後で気付いた。この町に家を買って貰って移り住んだ時からの行きつけの店。
(前世の記憶ってヤツは、戻る前から影響するのかもしれないなあ…)
 店の佇まいに惹かれて入ったのが最初。それ以来、この店一本槍。
 店主が初老の紳士であることも気に入っていた。理髪店や美容院は見た目が若い者が多い職業。それが好まれる世界だったが、ハーレイは年配の店主が好みだ。
 ハーレイも、ハーレイの両親も、ごく最近まで外見の年齢を止めてはいなかった。ブルーと再会したことを切っ掛けに止めたけれども、そうでなければ更に年齢を重ねるつもりでいた。
 そんなハーレイだから、初老の店主が一目で気に入ったのだけれど。店主の姿は初めてこの店に入った時から変わっていない。実際の年齢は百をとっくに超えているそうで…。



「いらっしゃいませ!」
 自動ではない、重い木製の扉を開けて入ると店主の笑顔。先客は誰も居なかった。
 愛想よく椅子に案内してくれた店主は、背後に立って鏡に映るハーレイに呼び掛ける。
「いつもの通りですか?」
「ええ、いつも通りでお願いします」
「かしこまりました」
 サッとカット用の理髪マントをハーレイの肩に掛けて広げて、髪の伸び具合を調べながら。
「この髪型も長いですねえ…」
 何年くらいになりますかねえ?
 ああ、今日のカットは一センチといった所でしょうかね、少し伸びたという感じですね。
「ずっとこの髪型でお願いしたいと思うのですが…」
「少し前から仰ってますね、恋人でもお出来になったんで?」
「は?」
 思いもよらない問いに、ハーレイは途惑ったのだけれども。
「分かりますとも、もう年齢を止めていらっしゃる。それで髪型も同じとくれば…」
 髪に櫛を入れ、ハサミを取り出す店主に、鏡を見ながら尋ねてみた。
「…分かりますか? この外見では数年くらいは誰も気付かないと思ったんですが…」
「この年ですしね、分かりますよ」
 それと職業柄でしょうか、と店主は答えた。
 客の外見には敏感なのだと、でなければ一人前とは言えないと。
 同じ客でも体重の増減で変わったりするし、それに合わせて仕上げてこその理容師なのだと。



 ハーレイが年齢を止めていることを見破った店主は、恋人が出来たことまでお見通しで。
 敵わないな、と苦笑いするハーレイの髪を手際よく切りながら問い掛けてくる。
「その方もお好きなんですか? この髪型が?」
「ええ、まあ…」
 髪型を変えたら小さなブルーは怒るだろうな、とハーレイは愛らしい恋人を思い浮かべた。
 ブルーにとってはハーレイの髪型は今ので当然、他のなど考えもしないだろう。
 前の生からこれであったし、再会した時もこの髪だったし…。
「キャプテン・ハーレイ風ですねえ」
 タイミングよく言われた言葉にドキリとしたが、元は店主が勧めた髪型だったと思い出す。
 青年という形容詞が似合わなくなって来た頃に「如何ですか?」と訊かれたのだった。
「そうです、キャプテン・ハーレイ風です。どうやら気に入って貰えたようで」
「それは良かった。お勧めした甲斐がありましたよ」
 お客様がこれでモテなかったら責任を感じてしまいますしね。
 きっとお似合いになりますよ、とお勧めしたのは私ですからねえ…。



 店主はハサミを使いながら実に嬉しそうに。
「で、可愛らしい方ですか?」
「え、ええ…」
 可愛らしいことだけは間違いないな、とハーレイは心の中でも頷いた。
 ブルーは整った顔立ちではあるが、美人と呼ぶにはまだ幼い。「可愛らしい」が相応しい。
「まだお若いとか?」
「はい」
 若いどころの騒ぎではない、十四歳にしかならない恋人。
 結婚出来る年齢である十八歳にさえ届いてはいない、小さなブルー。
「では、ご結婚はまだ…」
「かなり先のことになりそうです」
「そうでしょうねえ、お若い方なら色々とやりたいこともおありでしょうし」
 まだまだ遊びたいお年頃でしょうねえ、と店主の目が幼子を見守るかのように細められる。
(そうじゃないんだが…)
 ブルーにはやりたいことなど何も無いんだが、と思いつつも相槌を打っておいた。
 まさか十四歳の子供が結婚を夢見て待ち焦がれているとは、誰一人として思うまい。
 おまけに女性ではなくて少年。
 きっと予想も付かないだろう、と考えたのに。



「出来ればその方の髪も切ってみたいですねえ…」
「は?」
 予想だにしない台詞を聞かされ、ハーレイは口をポカンと開けた。
(な、なんで男だとバレたんだ?)
 思念は漏らしていないと思う。
 ガードの堅さは前の生から自信があったし、防御に優れたタイプ・グリーンでもある。前世ではハーレイの心を読める者と言ったらブルーだけしか居なかったのだが…。
(まさかタイプ・ブルーだったのか!?)
 それで色々と見抜かれたのか、と鏡の中の店主をまじまじと見れば、背後から笑いを含んだ声が聞こえた。
「ご存じなかったんですか? うちには女性もいらっしゃいますよ」
 常連さんも何人かおいでなんですが、お会いになられたことは……無かったですかねえ?
「あ、ああ…。一度も無いですね」
 恐らく時間帯が違うのだろう。女性客を見かけたことは無かった。冷静に考えてみれば、美容院よりも理髪店を好む女性は少なくないと聞くし、この店ならば好まれそうだ。
(なんだ、そういうオチだったのか…)
 恋人が男だとバレたわけでも何でもなかった。
 けれどブルーを自慢してみたい気持ちが湧き上がってくる。
 今は幼いが、いつか美しく気高く育つであろう、前の生からの大切な恋人。
 店主の人柄は分かっているから、男性の恋人を連れて来たとしても歓迎されるに違いないし…。



 暫し思いを巡らせてから、「そうですね…」と口にした。
「嫌がらないようでしたら、連れて来てみます。何年も先のことになりますが…」
「ええ、是非。…ショートカットがお好きな方だといいんですがね」
「はあ?」
 どうしてショートカットだなどと言うのか。
 幸か不幸か、小さなブルーの髪は短く、今後も伸ばさないだろうとは思う。ロングヘアになったブルーなど想像も出来はしないし、前のブルーも出会った時から最後まで同じ髪型で…。
 しかし何故、と鏡の店主を覗き込んでいると。
「いえ、ソルジャー・ブルー風の髪型ですと、二人お並びになればお似合いかな、と」
 とんでもない台詞が店主の口から飛び出した。
 よりにもよってハーレイの恋人をソルジャー・ブルー風の髪型にしてみたいらしい店主。並べば似合うと言われても…。
(な、なんでバレたんだ、俺たちの仲が!)
 前の生での仲はひた隠しに隠して、隠し続けた。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが恋仲だったことは誰も知らない。今に至るまでもバレてはいないし、そういった噂すらも無い。
 酷く驚いたハーレイだけれど、よく考えてみれば店主が知っている筈が無かった。
(…単に並べてみたいだけだな)
 そうに違いない、と納得する。
 前の生での自分たちが並んだ写真は多く残るし、ハーレイはキャプテン・ハーレイに瓜二つ。
 キャプテン・ハーレイ風の髪型を勧めた店主ならではの発想だろう、と結論付けて。



「はあ…。キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーが並ぶ……のですか?」
 それは私が尻に敷かれそうな…。
 ソルジャー・ブルーはキャプテン・ハーレイよりも立場がずっと上なんですから。
「…そうですかねえ?」
 私はそうは思いませんが、と店主は鏡の向こうで首を傾げた。
「深い信頼関係が築かれた、いい二人のように見えますがねえ…」
 互いが互いを立てているような。
 どちらが欠けても絵にならないような、そんな感じがするんですがねえ…。
「そうですか?」
 ハーレイが訊くと「そうですとも」と自信に満ちた答えが返った。
「実は私、密かにファンでしてね」
「ど、どちらの?」
 思わず声が裏返りそうになったハーレイに、店主は鏡の中で片目を瞑ってみせた。
「もちろん、キャプテン・ハーレイですよ」
 航宙日誌も全巻、揃えています。
 いつかは研究者向けの、文字をそのまま再現したのも揃えたいと思っているんですよ。
 ファンなら欲しいじゃないですか。
 キャプテン・ハーレイが羽根ペンで綴ったという筆跡そのままの航宙日誌。



(し、知らなかった…)
 今の今まで知らなかった、とハーレイは店主の知られざる趣味に愕然としたが、店主はそれとは気付かないのか、はたまた趣味を披露する好機と捉えたか。
 ハーレイの髪にハサミを入れつつ、店主は心浮き立つ様子で。
「いやもう、うちの店に初めていらっしゃった時には嬉しかったですねえ…」
 若き日のキャプテン・ハーレイですよ。
 そのまんまの姿形で扉を開けて入ってらっしゃったんですし、あれには本当に驚きましたね。
「…で、では、この髪型を勧めて下さったのは…」
「半分ほどは私の趣味ですね。ああ、もちろんお似合いでらっしゃいますよ?」
 店主の言葉に、ハーレイの記憶が蘇ってくる。
(…そういえば他の髪型も幾つか提案されたな、どれになさいますか、と)
 あれは店主のプロ魂とファン魂との産物だったか、と脳裏に蘇る幾つかの髪型。今の髪型と全く違う印象のものも勧められはした。勧められたが、気が乗らなかった。これだと思った髪型が今の髪型。
 これしかない、と強く感じた理由は今にして思えば前世の記憶ゆえだろう。自分でも気付きさえしない心の奥底に前の生の自分が居たのだろう…。
 不思議なものだ、と鏡の向こうの自分を見詰めるハーレイに店主がにこやかに語る。
「この髪型を選んで頂けて嬉しかったんですよ。しかも今後もこれだと仰る」
「ええ、まあ…。そうなりますね」
「おまけに、この髪型で未来の結婚相手まで見付けて下さったと聞けばもう…」
 理容師冥利に尽きますよ。
 お客様に似合う髪型を仕上げられてこその理容師ですしね。



「で、お相手の方は銀髪でらっしゃいますか?」
「え、ええ…」
 銀髪どころか赤い瞳までセットなんだが、とハーレイは小さなブルーを思い浮かべつつ頷いた。もちろん赤い瞳のことは話さなかったが、店主は銀髪だけで充分に感激したようで。
「それは是非! ソルジャー・ブルー風にカットしてみたいですねえ…」
「お、お任せします…」
 既にソルジャー・ブルーな髪型なんだが、と口にする代わりにグッと飲み込めば。
「ショートカットの方なんですか?」
「そうですね、少し長めのショートカットといった感じでしょうか」
「なら、お似合いになりますよ」
 お任せ下さい、と店主は太鼓判を押した。
「どんなお顔立ちでも似合うように仕上げてみせますよ」
 誰が見てもソルジャー・ブルーだと気付く髪型で、恋人さんのお顔立ちに合わせて。
 素敵ですよ、お二人でお並びになったら。
「……妙なカップルになりませんかね?」
「大丈夫ですよ、町を歩けば誰もが思わず振り返りますよ」
「それはいわゆる仮装では…」
 衣装まで真似ていないだけで、とハーレイが呟くと、「まさか」と店主は微笑んだ。
「お似合いのお二人で、それは素晴らしいカップルだろうと思いますねえ!」
 ああ、もちろん。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイがけしからぬ仲だったとは言いませんがね。
 ですが、絵になる二人なんですよ。
 少なくとも私にはそう見えますねえ、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。



 ハーレイの髪のカットを終えた店主は丁寧にオールバックに整え、理髪マントを外して衣類用のブラシで肩や背中を払ってくれた。
「如何でしょう、いつもの通りですが」
「ありがとうございます、サッパリしました」
「いえ、こちらこそ。ついつい趣味の話などしてしまいまして…」
 キャプテン・ハーレイの話になると止まりませんでね、と店主は笑った。
 妻にも子供にも呆れられるのだと、孫や曾孫も呆れていると。
 そんな店主に支払いを済ませ、扉を開けると「今日はこれで閉店だから」と駐車場まで見送りに来てくれた。運転席に乗り込み、窓ガラスを開けたハーレイに店主が呼び掛ける。
「ありがとうございました、またいらして下さい!」
 いつかは恋人さんも一緒に!
「ええ、何年後かに!」
 きっと連れて来ます、とハーレイは窓から手を振り、愛車を発進させた。
 キャプテン・ハーレイのマントの色と同じ色の車。
 この色も店主は好きだろうな、と車を走らせるハーレイを、店主は車が角を曲がって消えるまで表に立って見送っていた。



(…あの店主、何処まで気付いているんだ?)
 家に着いたハーレイは車をガレージに入れて玄関に回り、扉を開けた。
 今はまだ一人暮らしの家。夜になれば門灯などが自動で灯るが、待っていてくれる人は無い。
 いつかブルーと結婚したなら、ブルーが迎えてくれるのだけれど。
 そのブルーは実はソルジャー・ブルーの生まれ変わりで、前の自分はキャプテン・ハーレイ。
 前の生では秘密の恋人同士で、今度は堂々と結婚しようと互いに決めている。
 そう、前世では秘密の恋人同士だった。
 誰一人として知りはしないし、今も噂すら無いと言うのに、さっき理髪店の店主に二人が並ぶと絵になると言われた。
 だからキャプテン・ハーレイの髪型の自分の隣にソルジャー・ブルーを並べたいと。
(…前の俺たちの仲は、学者でさえ気付いていない筈だが…)
 誰も知らない筈なんだが、と書斎に入って机の上のフォトフレームを手に取った。
 飴色の木製のフォトフレーム。夏休み最後の日にブルーと写した記念写真が其処に在る。
 ハーレイの左腕に小さなブルーが両腕でギュッと抱き付いて、笑顔。
 嬉しくてたまらないという笑顔…。



(なあ、ブルー。…前の俺たちはこんな写真さえ一枚も撮れなかったが…)
 恋人同士だって分かる写真も、寄り添った写真も撮れないままで終わっちまったが…。
 だが、ブルー。
 気付いてくれている人がいるようだぞ?
 俺たちの仲にまで気付いてはいないが、絆には気付いてくれている人が。
(ブルー、気が付いたのは誰だと思う?)
 俺が行ってる理髪店の店主さ、ビックリだろう?
 いつかお前が大きくなったら、あの店にお前を連れて行こう。
 お前の今の行きつけの店と同じくらいに見事に仕上げてくれるさ、ソルジャー・ブルーを。
 結婚した後に遠くの店まで行かなくてもいいしな、あそこにしよう。
 散歩がてら歩いて行ける距離だし、二人で手を繋いで出掛けるのもいいと思わんか?



 キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーは恋人同士。
 前の生では隠し続けたけれども、今度は堂々と結婚する。ハーレイはブルーを伴侶に迎える。
 結婚した自分たちが何度も店に出入りしていたなら、店主は自分たちがどんな表情で互いの顔を見るのか、どう見交わすのかもすっかり覚えることだろう。
 そして気付く日が来るかもしれない。
 前の自分たちが共に写った写真に、同じ表情を、同じ瞳を見付け出す日が来るかもしれない。
 悟られないよう、幾重にも隠した恋人同士の顔なのだけれど。
(…あの店主なら本当に気付くかもなあ…)
 それもいいさ、とハーレイは笑みを浮かべた。
 学者たちでさえも見抜けない秘密を理髪店の店主が知っているというのも悪くない。
 店主は論文を発表する代わりに「自分だけの宝物だ」と大切に隠しておくだろう。
 あの店主ならばそうするだろう、と確信に近い思いがあった。
 まるで推理小説の世界のようだ、と可笑しくなる。
 真相は学者ならぬ理髪店の店主のもの。
 ずうっとあの店でブルーと一緒に世話になろう、と…。




         行きつけの理髪店・了

※今のハーレイの散髪事情。行きつけの店に、キャプテン・ハーレイの熱いファンが…。
 いつか店主は気付くでしょうか、本当のことに。気付いてもきっと、喋りませんね。
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 母がおやつに切り分けてくれたバウムクーヘン。流石に母の手作りではなくて、店で買って来たものだけれども、直火焼きと手焼きで評判の品。
 機械ではなく、人間の手で一層ずつ種をかけては焼いてゆく「手がけ」。バウムクーヘンを特徴づける年輪模様は不揃いになるが、その分、余計に本物の切り株らしくなる。自然の中で育つ木は気象条件によって年ごとの年輪の幅が異なるから、不揃いなもの。
(ふふっ、ホントに切り株みたい)
 似ているよね、とブルーは思う。
 美味しいバウムクーヘンだから、少しお行儀が悪いけれども一層ずつフォークで外して食べる。厚さの異なる年輪を一年分ずつ剥がしては口へ。
(…シャングリラには切り株、無かったよね…)
 そこそこ大きな木が伐採された後に残る切り株。人間と自然の協力技で出来る素敵な椅子。
 ソルジャーとしてアルテメシアに何度も降りていた頃、たまに切り株に腰掛けていた。ミュウと判断されそうな子供を救出するタイミングを待つ間などに。
 シャングリラの外に出られるブルーだったから持てた、自然の中で過ごせる時間。人類の社会に潜入していた仲間たちには山の中まで出掛ける余裕は無かっただろう。
 切り株の椅子は気に入っていた。其処に在ったろう木を思い浮かべながら座っていた。
 伐採された木の種類や、在る場所で座り心地が変わる椅子。
 木から生まれる切り株の椅子は、シャングリラの中には無かったのだけれど。



(…でも、期間限定なら在ったんだよね)
 一日どころか、数時間も経たずに消えてしまった切り株の椅子。
 子供たちが腰掛けたり、飛び乗ったり出来た時間はほんの少しだけ。
 シャングリラの中にも木材用の木は存在していた。無かったものは切り株だけ。
 貴重な木は余さず利用されたし、また次の木を植えねばならない。伐採したら切り株もその日の内に掘り起こして、使えそうな部分は取り除かれた。
 切り株が在った場所には土が加えられ、新しい木が植えられた。
 伐採した木は様々な用途に使われた上に、残った部分も引っ張りだこで。
(ハーレイも貰っていたものね)
 あんな端っこを何にするのか、とブルーは不思議に思ったのだが、木で出来た机を愛用していたハーレイならではのユニークな趣味。
 たった一本のナイフで木の塊をせっせと削って、最初に出来たのはスプーンだったか。其処からスタートした木彫り。自分の部屋でも、ブリッジで暇な時にも彫っていた。
 色々な作品があったけれども、独創性だの芸術性だのはハーレイとは縁が無かったらしい。誰が見ても「いいね」と褒められそうなものはスプーンやフォークなどの実用品だけ。
(…ハーレイが彫刻を目指した時って、いつも下手くそだったんだよね)
 その下手くその最たるものが今も宇宙に残ってたっけ、とブルーはプッと吹き出した。
 宇宙遺産になってしまった、キャプテン・ハーレイの木彫りのウサギ。
 「ミュウの子供が沢山生まれますように」との願いがこもったお守りなのだ、と世界中の人間が信じているウサギ。地球で一番大きな博物館の収蔵庫にある木彫りのウサギ。
 実はウサギではなくてナキネズミだとハーレイから聞かされたブルーは驚いたけれど、ウサギは今もウサギのまま。訂正されずにウサギのまま…。



 あれこれと懐かしく思い出していたら、仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。
 夕食の後で、ブルーは自分の部屋のテーブルで向かい合わせでお茶を飲みながら訊いてみる。
「ハーレイ、シャングリラの木って覚えてる?」
「どの木だ?」
「材木にしていた木のことだよ。成長の早いの、植えていたでしょ?」
「ああ、あれな…」
 切る時はお祭り騒ぎだったな、係のクルーに見学の子供に、野次馬までな。
 滅多にない一種の娯楽みたいなものだったしな…。
 ハーレイが懐かしそうに語る通りに、木の伐採は大掛かりなイベントめいたものだった。
 担当のクルーが伐採用の道具を持ち出し、その頭にはヘルメット。危険防止に被るヘルメットはシールドでの代用は不可とされていたし、彼らの姿を目にしただけで皆がどよめく。
「ぼくならサイオンで簡単に切れたし、怪我の心配だって無かったのにね?」
「ヒルマンたちの提案だったろうが、こういった作業は人間らしく、と」
 何もかもをサイオンに頼っていたのでは退化する、というのがヒルマンや長老たちの見解。
 ゆえに伐採にサイオンは一切使わず、落下物から頭部を守るのもシールドならぬヘルメット。
 それだけでも一見の価値があったから、手の空いた者たちが詰め掛けていた。
「ハーレイは現場で指揮だったよね」
「直接の指揮はしていないがな。キャプテンとして監督していただけだ」
 なにしろ一大イベントだからな、とハーレイは笑う。
 船内の多くの者が集まる以上は、無事に終わるまで見届けなくてはならないと。



 見学に訪れた子供たちから、お祭り感覚の野次馬までが集った木の伐採。
 係のクルーも熟練というわけではないから、万一に備えてブルーも側で待機していた。けれども事故は一度も無かったと記憶している。
 何処から切ろうか、どう倒そうかと担当者たちが練り上げたプランに狂いは無かった。
 最初は枝を落とす所から。
 葉をつけたままの枝がドサリと落ちると、歓声を上げて駆け寄ろうとする子供たち。普段は手の届かない高さにある枝が地面に落ちて来たのだし、我先に触ろうとするのだけれど。枝はまだまだ落ちて来るから、安全な所へ移動させるまで子供たちは手を触れられない。
 係が運んで、木が倒れてこない所に積んでゆく枝。
 使えそうな太い枝とは別に積まれた細い枝たちは、子供たちが引っ張って走ったりした。それに細い枝でリースなどの細工物を作りたい女性。「貰っていっていいですか?」と尋ねてから適当なサイズの枝を選んで運んでゆく。
 クライマックスが木を切り倒す時で、誰もが息を詰めて作業を見守っていた。バリバリと大きな音を立てて木が倒れれば大歓声で、係のクルーへの賞賛の声が幾つも飛んだ。
 切り倒された木は手際よくその場で切り揃えられて、切り株も僅かな時間だけ皆の椅子や遊具になった後で掘り起こされた。
 ほんの少しの間だけしかシャングリラには無かった切り株の椅子。
 それが在った場所には新しく土が入れられ、若々しい苗木が代わりに植わった。



「あの木材って、どうしてたっけ?」
 使うまでの間、とブルーが問えば、ハーレイが「倉庫行きだ」と答えを返した。
「生木のままでは使えないしな、狂いが出ないように乾燥だったろ」
 俺の木彫りに使う木も一緒に入れといたもんだ。
 しっかり乾かして使わないとだ、せっかくの作品がひび割れるからな。
「スプーンとかはともかく、他のは割れても良かったんじゃない?」
「いや、駄目だ。それにきちんと仕上げたお蔭で宇宙遺産も残ったんだぞ」
「…ナキネズミね…」
 ウサギだと思い込んでる人たちが可哀相、とブルーは大袈裟な溜息をつく。
 百年に一度の一般公開の時には長い行列が出来て、遠くの星からも見物の人が来るのに、と。
「それに関しては俺に責任は全く無いぞ」
 前にも言ったが、見る目が無いから間違えるんだ。
 作った俺があれはナキネズミだと言っているんだ、ウサギに見えると思うヤツが悪い。
「ぼくにもウサギに見えるんだけど…」
 ずっとウサギだと信じていたよ。
 ハーレイに聞かなきゃ、今でもウサギだと思ってた筈だよ…。



 とんでもない出世を遂げてしまったナキネズミの木彫り。
 そうした用途に使われなかった残りの部分はどうなったっけ、とブルーは首を傾げたけれど。
「忘れちまったか? 引き取り手の無い分を使って燻製を作っていただろうが」
「ああ…!」
 言われてみれば、と蘇ってくるブルーの記憶。
 合成の木を燃やしても燻製を作るための香りのいい煙は出なかった。公園などの木を剪定しても十分な量の木材は得られず、木の伐採が燻製作りの唯一の機会。
 木を切ると決まれば、それに合わせて鶏などの肉が揃った。船の中でも空調は完璧に出来ていたから、大量の煙が欠かせない燻製を作っても全く支障は出なかった。
「美味かったんだよなあ、あの燻製が」
 ハムとかも美味かったが、スモークチーズもいい出来だった。
 滅多に食えない分、余計に美味いと思えたなあ…。
「お酒のつまみにピッタリだって言ってたものね?」
 ぼくには少し癖があったよ、嫌いってわけじゃなかったけれど。
 ハーレイみたいに出来るのを楽しみに待てるレベルには届かなかったっけ…。
 だから直ぐには思い出せなかったのかもね、燻製作り。
 あれも作ろう、これも作ろうって食材を揃えている仲間が沢山いたのにね…。



「そういえば…」
 木の伐採や燻製作りの記憶を辿っていたブルーは、ふと気になった。
 切り株の無かったシャングリラだけれど、木だけはあちこちに植わっていた。木材にするための木ばかりではなく、果樹や憩いの場を作る木など。
 ブリッジが見える公園はもとより、居住区にも庭が鏤めてあった。
 あの木たちはどうなってしまったのだろう?
「ハーレイ、シャングリラにあった木たちって、どうなったんだろ?」
 写真集で見たら、ぼくが知ってた頃よりも大きく育った木もあったけど…。
 あったんだけれど、シャングリラと一緒に無くなっちゃった?
 消えちゃったの、と顔を曇らせたブルーだけれど。
「安心しろ。あの木たちなら、宇宙に散ったぞ」
「散ったって…。やっぱり消えた!?」
 悲鳴のような声を上げたブルーに、ハーレイは「おい、落ち着け」と苦笑した。
「俺の言い方が悪かったか…。散ったと言っても、散り方が全く違うんだ」
 文字通り、散っていったのさ。
 シャングリラという船があった記念に貰われて行ったんだ。
 人間が住んでいる、あちこちの星に。
「…そうだったの?」
 知らなかった、とブルーは赤い瞳を丸くした。
 今の今まで考えもしなかった、シャングリラにあった沢山の木たち。
 それらが宇宙のあちこちに散って行ったとは、なんと壮大な話だろうか…。



 ハーレイは写真集を眺めている内に、木たちのその後が気にかかり始めて調べたのだという。
 青の間が跡形も無くなったように、公園の木などもシャングリラと共に消えたのか、と。
 けれど木たちは失われてなどいなかった。
 大切に移植され、あちこちの星に根付いて育っていった。
「シャングリラの解体が決まった頃には、まだ地球が蘇っていなかったからな…」
 地球が今みたいな状態だったら、恐らく地球に植えたんだろうが。
 それが出来ないから、他の星になった。
 引き取りたいって星は沢山あったらしいぞ、抽選になったくらいにな。
 でかい木はアルテメシアの記念公園に移して、シャングリラの森ってのを作ったそうだが…。
「シャングリラの森?」
「記念公園の写真くらいは見たことあるだろ? あそこの、こんもり茂った森さ」
 森は今でも残ってるんだが、すっかり年数が経っちまったからなあ…。
 木だって何代も代替わりをして、もう何代目の木になるんだか。
 だが、シャングリラにあった木の子孫には違いない。
 それと同じで他の木も移植されていったのさ、いろんな星に。
 有名なトコだと、前の俺たちの時代の首都星だったノアとかな。



「良かったあ…」
 消えたわけではなかったのか、とブルーは安堵の吐息をついた。
 青の間は命を持ったものではないから、シャングリラごと消えてもかまわないけれど。木たちは命を持っていたから、生き残っていて欲しかった。
 その木たちが宇宙のあちこちに移され、生き延びたという。
 アルテメシアの記念公園には今も、シャングリラの森があるという…。
「ねえ、ハーレイ。地球には無いの? シャングリラの森」
 今もアルテメシアにシャングリラの森があるんだったら、地球にあっても良さそうなのに。
 代替わりした木でも子孫なんだし、記念に何処かに作ればいいのに…。
 それとも何処かにあったりする?
「作ろうかって話もあったようだが、ジョミーたちの墓が地球に無いのと同じだ」
 すっかり地形が変わっちまった新しい地球には要らないだろう、と作られていない。
 シャングリラの森も、記念公園もな。
「そっか…。ちょっと残念…」
 あるんだったら見たかったな、とブルーは呟く。
 シャングリラの木たちの子孫が枝葉を広げる立派な森を。
 写真でしか知らないアルテメシアの記念公園のように、こんもりと茂った緑たちを。
 けれど地球にはシャングリラの森は無いらしい。
 新しく蘇った青い地球には、遥かな昔の英雄たちの墓碑が無いのと同じで…。



 地球の上には無い、ジョミーたちの墓碑。
 彼らが命を落とした場所には設けられていない、英雄の墓碑。
「…ジョミーたちのお墓があるのって、ノアだったよね?」
 他の場所にもあるみたいだけど。
 アルテメシアにも有名なのがあるみたいだけど…。
「記念公園のヤツのことだな、あそこよりもノアの方が先だそうだぞ」
 SD体制時代の首都星だしなあ、交通網が一番整っていた。
 みんなが墓参りに行きやすい場所だってことでノアに白羽の矢が立ったんだ。
 墓参りをしたいってヤツが多かったらしい、ミュウだけじゃなくて人類の方もな。
 なにしろジョミーとキースの墓が並んでいるんだ、どっちかに花を供えたいよなあ…。
 もっとも、蓋を開けてみたら、墓参りのヤツらは両方に花を置いてたらしいが。
 人類がジョミーに、ミュウがキースに。
 花輪とか、花束とか、そりゃあドッサリと積まれたようだぞ。
 その辺もあって、あちこちに墓が出来たんだろうな。
 わざわざ遠くまで出掛けなくても、英雄に花を供えられるように。
 どうせジョミーたちが死んだ地球には墓が無いんだ、何処に作ってもかまわんだろう?
 その頃の地球は地殻変動の真っ最中で、墓なんか作りようがないんだからな。



「…それで幾つもあるんだ、お墓…」
 ブルーはポカンと口を開けた。
 ジョミーたちの墓碑が複数あることは知っていたけれど、ゆかりの地にあるのだと信じていた。
 まさか墓参に行きやすいように作られていたとは、と驚くばかり。
 それほどの人気を誇ったジョミーたちなのに、最期の地である地球には墓碑が無いという事実が潔い。シャングリラの森も記念公園も無くて、青い地球だけがあるなんて…。
 もしも自分がジョミーやキースの立場だったら、地球に墓は要らないと言うだろうけれど。
 蘇った地球は新しい地球で、古い時代の自分たちの墓など必要無いと言うだろうけれど。
 ジョミーたちの意見を訊きもしないで、作らない決断を下した人たち。
 その人たちには、ジョミーたちの思いが正しく理解出来ていたのだろう。
 どんな思いで地球まで行ったか、どんな思いでグランド・マザーに逆らったのかが。
 そう、新しい時代を築けるのならば、その礎になれればいい。
 礎に墓碑など要りはしないし、新しい時代があればいい。
 ブルー自身もそうだった。
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも、そうだった。
 自分の命は消えるけれども、ミュウの未来は続いてゆく。
 そのためであれば、命は要らない。
 新しい世代が生きてゆけるなら、それだけでいい…。
(ちょっぴり後悔しちゃったことは仕方ないんだよ)
 ハーレイの温もりを失くしてしまって泣いたけれども、泣きながら死んでしまったけれど。
 前の自分だってヒトなのだから、とブルーは思う。
 人間なのだから、後悔もする。けして完璧などではない、と。



「ジョミーたちのお墓、沢山あっても地球には無いっていうのがいいね」
 とってもジョミーたちらしい。
 調べればきっと、何処にお墓を建てればいいかは分かるだろうにね…。
「まあな。ユグドラシルがあった辺りに作れば間違いないしな」
 だが、ジョミーたちはそれを望んじゃいないさ。
 お前が言う通りにジョミーたちらしいさ、蘇った地球に墓なんか要らない、ってな。
 マードック大佐とパイパー少尉の二人だけだろ、この地球の上に墓があるのは。
 二人が乗った船が体当たりしたメギドが残っていたんじゃ無理もないよな、そのメギドも遥かな昔に撤去されちまったらしいけどな。
 風化が進んで危険になったから解体されたって話だったか…。
 今は墓だけが森の中にひっそり残っているそうだ。
 とはいえ、マードック大佐もパイパー少尉も、あちこちに墓参用の墓碑があるがな。
 あの二人の墓は人気なんだぞ、カップルに。
 結婚式の後でわざわざ花輪を供えに行くカップルも多いと聞いてるんだが、お前、どうする?
「…地球のは森の中なんでしょ?」
「ああ。ついでに、俺たちの住んでる場所からは思い切り遠いな」
 結婚式の後にちょっと、という距離じゃないな。
 行くだけで一泊必要になるが、行きたいと言うなら連れてってやるぞ。
「えーっと…。地球でもカップルに人気の場所なの、そのお墓」
「いや? 結婚式の後に寄るには向いてないしな」
 森の中を一時間ほど歩いて行かないと着かないらしいし、ウェディングドレスで森は歩けん。
 あやかりたいカップルは森の入口で花を供えて記念写真だが、多分、地元のヤツらじゃないか?
「それなら別に行かなくていいよ」
 あやからなくても、ちゃんとハーレイと一緒に地球に生まれて来られたし…。
 それにマードック大佐もパイパー少尉も、ぼくたちが行ったらビックリだろうし。
「違いない」
 想像もしなかったカップルが来た、と腰を抜かすかもしれないぞ。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが結婚の報告に来るんだからな。



 メギドから地球を守った英雄、マードック大佐と、メギドに体当たりした彼の船から退艦せずに運命を共にしたパイパー少尉。
 彼らの墓は結婚式を挙げたカップルに人気だというが、ブルーは遠慮しておくことにした。
 伝説にも等しい英雄の二人に腰を抜かして欲しくはないし、そこまでして彼らにあやからずとも前の生からの恋人が今も側に居てくれるのだから。
「…ハーレイもノアにお墓があるんだよね?」
 アルテメシアの記念公園とかにもあるけど、ノアのが一番最初だよね?
「お前の墓だってノアだろうが」
 ついでに宇宙のあちこちにあるな、俺よりも数は多い筈だぞ。
 ジョミーとキースと、前のお前と。
 他のヤツらの墓は無くてもこの三つだけは、って場所も沢山あるしな。
「ぼくのお墓は名前だけだよ、ノアのだって中は空っぽだもの」
 前のぼくの身体、何処に行ったのかも分からないんだし…。
「おいおい、俺だって同じことだぞ」
 あそこに前の俺の身体は無いからな。
 地球の何処かに埋まっちまって、今では地球の一部だからな。



「ぼくのお墓…。ハーレイのと並んではいないんだよね…」
 ブルーは写真で見たノアの墓地を思い浮かべて肩を落とした。
 アルテメシアの記念公園と同じくらいに美しく整備された記念墓地。其処に前の自分やジョミーたちの墓碑が立つのだけれども、ブルーの墓碑は一番奥。その手前にジョミーとキースが並ぶ。
 全ての始まりとされるソルジャー・ブルーの墓碑と肩を並べられる墓碑は一つも無かった。一番奥に設けられた墓碑に供えられる花は多いけれども、ブルーが欲しいものは花ではなかった。
「仕方ないだろう、お前は別格だしな」
「立派なお墓で一人きりより、みんなと一緒が良かったよ…」
 ジョミーも、それにキースも一緒でいい。
 なんでぼくだけ一人なのかな、ジョミーはキースと並んでいるのに…。
「みんなでいいのか? 本当に?」
「…ホントはハーレイと一緒が良かった…」
 ハーレイのと並べて欲しかったよ。
 ぼくのお墓とハーレイのお墓、並べて作って欲しかったよ。
 マードック大佐とパイパー少尉みたいに恋人同士のお墓にして下さい、っていうのは無理でも、二つ並べてくれたらいいのに…。
「…無茶な注文だが、気持ちは分かる」
 俺もお前と並んだ墓が良かったな。
 死んだ後まで離れ離れだ、こいつは辛い。
 生きてる間に俺たちの仲を秘密にしたんだ、仕方ないんだが…。
 並べてくれって方が無茶だが、並べたかったな。俺とお前の墓くらいはな……。



「んーと…」
 ブルーの脳裏に浮かんだ、ノアやアルテメシアの自分の墓碑。
 ハーレイの墓碑とは引き離されて立つ、独りぼっちのソルジャー・ブルーのための墓碑。
「ぼくはソルジャー・ブルーなんです、って正体を明かせばハーレイのと並べて貰えるかな?」
 前から恋人同士なんです、今度は結婚するんです、って。
「お前、そこまでの度胸があるか?」
 えらいことになるぞ、とハーレイが眉間に深い皺を寄せる。
 取材が押し寄せて揉みくちゃにされる上、ただのブルーではいられなくなると。
 誰もがブルーとソルジャー・ブルーを重ねるだろうし、色々と期待もされそうだと。
「…やっぱりそう?」
 それに歴史も変わりそうだしね、ソルジャー・ブルーに恋人がいたら。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは実は恋人同士でした、って大事件だよね…。



 フウ、と大きな溜息をつくと、ブルーは「放っておくよ」と微笑んだ。
「前のぼくのお墓は今のままでいいよ、ハーレイと離れ離れでも」
 今度のお墓がハーレイのと並べて作って貰えるんなら、それでいい。
 ちゃんと結婚した恋人同士のお墓になるなら、それだけでいいよ。
「………。気の早いヤツだな、まだ結婚もしない内から墓なのか、おい」
 呆れ顔のハーレイに「うん」と答えて、ブルーの笑みが深くなる。
「今度はお墓に行くまで一緒、っていう意味だよ」
 ずうっとハーレイと一緒なんだよ、今度は一緒。
 離れずにずうっと、ハーレイと一緒。
 ノアのお墓なんかはどうでもいいんだ、あそこにぼくは居ないんだから。
 ぼくはハーレイと一緒に地球に来たもの、と幸せそうに微笑むブルー。
 ハーレイは「そうだな」とブルーの手を取り、キュッと握って笑みを返した。
「今度は何処までも一緒だったな、まずは結婚しなくちゃならんが」
 何処までも一緒に行こうな、ブルー。
 誰が見ても恋人同士だと分かる墓を作って貰えるように。
 その墓が出来た後も、死んじまった後も、今度こそ俺はお前と一緒だ。
 だからお前も勝手に行くなよ?
 前みたいに俺を置いて行くなよ、なあ、ブルー……。




         シャングリラの森・了

※シャングリラにあった木たちを移植したシャングリラの森。そして記念墓地。
 アニテラの最終回に出て来た風化したメギド、あれの跡地が今はカップルの聖地です。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





連日の曇りと雨模様。いわゆる梅雨の真っ最中です。せっかくの土曜日だと言うのに外には遊びに行けそうもなく、夜までに雨が上がれば出掛ける予定だったホタル狩りもお流れになりそうでした。私たち七人グループは会長さんの家に来ていますけれど、ジョミー君がブツブツと。
「…止みそうにないね、今日の夜までに」
「当分雨だって言ってたぜ。今朝の予報で」
諦めろよ、と分厚い雨雲を眺めるサム君。
「思いっ切りの梅雨前線だしなぁ、こりゃ仕方ねえぜ」
「あーあ、晴れてた間に行きたかったなぁ、ホタル見物…」
木曜日まではそこそこ晴れ間もあったのに、とジョミー君がぼやけば、会長さんが。
「仕方ないだろう、面子が足りなかったんだから…。それともアレかい、キースを放ってホタル狩りかい? 仕事で出掛けていたのにさ」
それじゃあんまり可哀相だ、と会長さん。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も頷いています。
「キース、お仕事だったんだもん! 待ってあげるのがお友達でしょ?」
お出掛け出来ない分はお家で楽しまなくちゃ、と出ました、紫陽花の花の形のカップケーキが。定番のゼリーのお花ではなく、紫芋のクリームを絞った花びらが素敵です。マジパンで作ったカタツムリもくっついていて、なんとも可愛い出来上がり。
「えっとね、下はシフォンケーキになってるの! 口当たりが軽いし一人何個でもいけると思うよ、好きなだけ食べてね!」
夜は焼肉パーティーしようか、と提案されて大歓声。ホタル狩りに出掛けた場合は料理旅館で夕食の予定だったのです。お目当ては鮎の塩焼き食べ放題のプランでしたから、家でやるなら焼肉ですよね。鮎の塩焼き、食べ放題な勢いで焼くって無理そうですし…。
「えっ、出来るよ? …雨が降ってなかったら、だけど」
お部屋が煙だらけになっちゃうから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「屋上を使えば簡単、簡単! バーベキューみたいに竈を置いてね、鮎を並べるだけでいけるし」
いつかやろうね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は楽しそう。鮎の塩焼きパーティー、いいかも…。
「そうだね、次に晴れたらパァーッとやろうか、いっそ鮎から釣りに行くとか」
会長さんも乗り気です。
「鮎釣りもなかなか楽しいよ? 慣れない間は難しいけど、天然モノは美味しいからね」
「そうだな、確かにアレは美味いな」
こないだ食ったのも美味かった、とキース君。
「…鮎は本当に美味かったんだが、その前がな……」
あれさえなければもっと美味さを味わえたのに、とハアと溜息。お仕事で何かありました?



梅雨の晴れ間だった数日の間、キース君はお仕事とやらで欠席でした。欠席理由は法務というヤツ、お坊さんとしてのお仕事です。大きな法事か、総本山の璃慕恩院でのお手伝いかと特に追及しませんでしたが、打ち上げで食べたのであろう鮎がイマイチと聞けば知りたくなるもの。
「何だったんだよ、鮎の美味さが減点になっちまうような法務ってよ?」
璃慕恩院で叱られたのかよ、と尋ねるサム君。
「なんか先輩が怖いって聞くよな、法要の間にドジを踏んだら打ち上げの席でネチネチ言われるみたいだし…。それにアレだろ、ネチネチついでに偉い人の耳にも入っちまうんだろ?」
同じ宴席に居るんだもんなぁ、というサム君の言葉に背筋がゾクッと。それって上司も来ている宴会で吊るし上げを食らうようなモノですか? そうなれば鮎の味どころじゃないでしょう。自分の今後の評価を思うと生きた心地も…って、キース君がドジを踏みますかねえ?
「で、どういうドジをやらかしたんだよ? 鳴り物のタイミングをミスッたとか?」
「俺の評価を勝手に下げるな、俺は完璧にやってきたんだ!」
求められる以上の働きをした、とキース君はカップケーキを一口食べてコーヒーをズズッ。
「それに璃慕恩院に行ってたわけじゃない。俺の同期の寺の落慶法要だ」
「「「は?」」」
「そうか、素人には分からんか…。落慶法要というヤツはだな、寺の建物を新築した時とかにやる法要なんだが、修理や建て替え完成でもやる。今回は本堂の建て替えだった。それはいい。…それは目出度いんだし、そこはいいんだが…!」
目出度いからってアレは無いだろう、とキース君は顔を顰めました。
「派手にお披露目したいから、と招待状が届いたんだ。…法要の格は出席した坊主の位と人数で決まると言ってもいい。俺たちは大した位ではないが、数が揃えば見栄えするしな。同窓会を兼ねて一席設ける、と言われれば遠い寺でも喜んで、だ」
同窓会がてら祝い金を持って電車を乗り継ぎ、遠くまで行って来たらしいキース君。そこで大学の同期の仲間と旧交を温め、落慶法要に出席したまではいいんですけど…。
「なんでアイツだけ紫なんだ! 落慶法要でも有り得んだろうが!」
紫だぞ、と何度も繰り返し言われましても、何のことやらサッパリです。紫だったら目の前のカップケーキも紫芋のクリームの紫陽花ですよ?
「そうじゃない! 坊主の紫は特別なんだ! ブルーの緋色の下の位になるんだぞ!」
「「「…え?」」」
「紫色の衣の上には緋色しか無い。それくらいの地位に居ないと着られないのが紫だ!」
それをアイツが着やがったんだ、と拳を握り締めるキース君。それって同期生の誰かが紫だったってコトですか? キース君は確か萌黄とかいう緑ですよね?



真面目に有り得ん、と愚痴るキース君の話によると、紫の法衣を着ていた人は落慶法要をしたお寺の住職の息子さんで副住職。キース君の同期生です。居並ぶ同期生たちが緑の法衣を纏っている中、自分のお父さんと同じ紫の法衣で法要を務めたらしく…。
「みんなポカンと口を開けたが、法要の最中に文句は言えんしな…。同期会を兼ねた打ち上げの宴会で追求したら、「法要に箔をつけたかった」ときやがった! そりゃまあ箔はついただろうさ、紫が一人増えてれば! しかしだ、紫はそんな理由で着ていいモノじゃないんだぞ!」
修行を積んで位を上げないと着られないからこそ箔がつく、とキース君はグチグチグチ。
「俺の同期たちもずるい、ずるいと言ってやがったし、いっそチクるかという話も出たが…。チクッたら最後、あいつの人生、終わりになるしな。それは出来んという結論で、後はひたすら愚痴祭りだった」
お蔭でせっかくの鮎が不味くて、と鮎の塩焼きまでようやく辿り着きました。けれど、チクッたら人生終わりって、どういう意味? どうしてチクッちゃいけないんですか?
「ああ、それはねえ…。チクられたら本当に終わりなんだよ。ねえ、キース?」
会長さんが横から割り込んで来て。
「…で、本当に璃慕恩院に密告しないんだ? 持つべきものは友情に厚い同期生ってね」
「当たり前だろう! いくら紫が羨ましくても、友人を地獄に落とせるか?」
俺たちはそこまで薄情じゃない、とキース君は力説しています。えーっと、友情はいいんですけど、なんで密告で人生終了?
「お坊さんとして終わりなんだよ」
会長さんが重々しい口調で告げました。
「僧階……お坊さんの位のことなんだけどね、法衣の色はそれに応じて決まっている。この位ならこの色で、という風に。…自分の位よりも下の位の色を着るのはかまわない。ぼくが紫を着ても叱られないし、キースが墨染を着たりするのもそういう関係」
それは全く問題無い、と会長さん。
「でもね、僧階以上の色を着た時は僧籍剥奪になるんだな。お坊さんとしての資格を失う。住職の資格どころか墨染すらも二度と着られません、という死刑同然の刑になるわけ」
「そういうことだ。一度僧籍を剥奪されたら、復帰するのはまず無理だ。…他の宗派に行くなら別だが、二度と坊主に戻ることは出来ん。ブルーが言う通り、坊主には死刑宣告だな」
いくら紫を着たからと言って同期生を死刑に出来るか、と言われて納得。確かに人生終わりです。二度とお坊さんになれないだなんて、お寺に生まれた人にとっては最悪の刑罰ですってば…。



なんという恐ろしい決まりがあるのだ、と驚かされた法衣の規定。会長さんが緋色の衣を自慢するのも無理はない、と私たちは頭を振り振り、キース君の落慶法要での愚痴を聞き…。夕食はウサ晴らしとばかりに焼肉パーティー、大いに盛り上がった次の日も雨。
「今日もホタルは無理そうよねえ…」
スウェナちゃんが会長さんの家のダイニングの窓から雨雲を眺め、私たちも止みそうにない雨に不満を漏らしつつ、海の幸たっぷりのクリームパスタの昼食を。やっぱりキース君に遠慮してないでホタル狩りに行くべきだったでしょうか? 向こう一週間、ものの見事に雨予報ですし…。
「うん、遠慮してたら負けだと思うな」
絶対に負け、とジョミー君がパスタをフォークに絡めて口へと。
「だからさ、ぼくも遠慮はしないってことに決めたんだよ、うん」
「「「は?」」」
ジョミー君ったら、一人でホタル狩りに行く気だとか? 雨でもホタルは飛んでいますし、もしかしたら家に帰ってパパやママと車で出掛けてホタル見物?
「そんな話じゃないってば! もっと人生、前向きに!」
ぼくの前途は大いに明るい、とジョミー君は至極御機嫌です。何かいいことあったんですか?
「うん、あった! この先、二度と悩まなくても済むんだよ。ぼくの人生、これからなんだ!」
もう嬉しくて嬉しくて、と喜びを抑え切れないらしいジョミー君。そんなに素敵なことがあるなら、ここは是非ともお裾分け! 私たちだってあやかりたいです、何かおごってくれるとか…。
「お裾分け? 何かおごるのは別にいいけど、キースとサムはどうだろう…」
「俺は好き嫌いは決して言わんぞ、おごりならな」
「あっ、俺も! おごってもらって文句をつけるほど心は狭くねえってば!」
どんなモノでも是非おごってくれ、とキース君とサム君が身体を乗り出したのですけれど。
「………。ホントにいいわけ? 人生、終わるよ?」
「「「えっ?」」」
いったい何をおごる気なのだ、と私たちまでがドン引きしました。人生が終わるお裾分けって、それ、怖すぎじゃないですか! キース君とサム君で終わりそうなら、私たちだって…。
「ジョミー先輩、ぼくは遠慮させて頂きます」
おごるなら他の皆さんにどうぞ、とシロエ君が逃げ、マツカ君も。
「ぼくもいいです…。ぼくの分は他の皆さんでどうぞ」
「私もいいわよ、みんなで分けて」
スウェナちゃんまで逃げますか! これは私も逃げねばです。おごってもらえば人生終了、デンジャラスすぎるお裾分け。そんなの絶対お断りです~!



上機嫌でパスタを頬張るジョミー君におごらせる話は頓挫しました。とはいえ、デンジャラスなお裾分けとやらが何だったのかも気になる所。みんなで顔を見合わせたものの、訊いたら強引におごられそうで出来ません。うーん、とっても知りたいんですが…。
「こんにちは」
「「「???」」」
誰だ、と振り返った先でフワリと翻る紫のマント。ソルジャーが笑顔で立っています。
「ぶるぅ、パスタは残ってる? 地球はやっぱり海の幸だよね」
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
ちょっと待ってね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーの分のパスタを手際よく用意。空いていた席に座ったソルジャー、早速フォークでパクパクと…。
「うん、美味しい! 来て良かったよ。でもって、ぼくは自分の未来に自信あり! ハーレイとも結婚出来たんだからさ、地球にもきっと行けるよね」
地球に着いたら海の見える場所に一戸建ての家を建てるんだ、とソルジャーは聞き飽きるほど聞かされてきた夢の未来を語り始めました。
「ハーレイと二人で暮らす家だよ、ぶるぅの部屋もあるけどね。そして庭には桜の木! 春が来る度にお花見するんだ、桜を一人占めしてさ。…ああ、ハーレイと二人占めかな? ぶるぅは放って夫婦でゆっくり! そんな未来が待ってるんだし、ぼくの人生は終わらない」
だからね、とソルジャーはジョミー君に視線を向けました。
「今日はとっても機嫌がいいけど、お裾分けってヤツを貰っていいかな?」
「いいよ、何にする? お小遣いを貰ったトコだし、ハンバーガーでも買いに行く?」
変わり種が出来たんだってさ、とジョミー君が挙げたお店はアルテメシアの南の端っこに近い神社の近く。お稲荷さんで有名な門前町の中らしいです。
「へえ…。そんな所でハンバーガーかい?」
「らしいよ、パパが仕事で前を通って見付けてきたんだ。仕事中だし、買って帰ってくれなくってさ…。ブルーだったら瞬間移動で一瞬だよね、雨でもさ」
「いいねえ、どんなハンバーガー?」
「お狐バーガー!」
だけど狐の肉じゃないから、とニッコリ笑うジョミー君。えっ、ちょっと待って、人生終わるって言いませんでした? なんでお狐バーガーで?
「買いに行くんだったらぼくも欲しいな」
会長さんが手を挙げ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も右手をサッと。
「ぼくも! ぼくにもお狐バーガー!」
えっ、えっ、会長さんたちも人生を賭ける気なんですか? あらら、ジョミー君とソルジャー、瞬間移動で消えちゃった…。



「お、おい…。あんた、本気で貰う気か?」
あんな物騒なお裾分けを、とキース君が会長さんに確認すれば、クスッと笑いが。
「ぼくも人生には自信ありでね。ぶるぅも別に問題ないだろ、六年ごとに人生振り出し!」
「かみお~ん♪ 六歳になる前に卵だも~ん!」
お狐バーガー、とっても楽しみ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は浮かれています。人生が終わると噂のお狐バーガー、どんなモノかと思いきや…。
「ただいまぁ~! 瞬間移動ってホントに楽勝! 雨でも全然平気だね!」
「どういたしまして。はい、ブルー。ぶるぅにもお狐バーガー、ジョミーのおごり」
出来たてだよ、とソルジャーが紙にくるんだバーガーを渡し、自分の包みを開けています。ジョミー君も鼻歌交じりに紙包みを開け、中からお狐バーガーとやらが。
「「「…油揚げ…」」」
パンの代わりに分厚い油揚げ、挟んである具は豚カツとレタスで。
「うわぁ、油揚げがパリパリだよ! カツはサクサク! 買いに行けて良かったぁ~!」
みんなにおごっても充分お釣りが来る味だ、とジョミー君は夢中でパクパク。ソルジャーも美味しそうに齧りついていますし、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「美味しいね、ぶるぅ。そうか、アルテメシアにも出来ていたのか、お狐バーガー」
「お稲荷さんの本家本元だしね♪」
出来ていたって不思議じゃないね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。どうやら他所のお稲荷さんの門前町で人気の品だったみたいです。本当に美味しそうなんですけど、でもでも、食べたら人生終わりなデンジャラスなバーガーなんですよ……ねえ……?
「えっ、お狐バーガーが危ないだなんて一度も言っていないよ、ぼく」
ジョミー君が油揚げと豚カツのハーモニーを味わいながら。
「キースとサムにはお裾分け自体がヤバイんじゃないの、って言いたかっただけで…。お狐バーガーじゃなくて稲荷寿司でもヤバイと思うし、普通のハンバーガーでも人生終わるよ」
「どういう意味だ?」
分からんぞ、とキース君が突っ込み、サム君も。
「そうだぜ、なんで俺とキースが終わるんだよ! 他のヤツらは平気なのかよ?」
「…全然平気だと思うけど? なんか勘違いをしてくれちゃったし、ぼくの財布には嬉しいよね」
ブルーが一人増えた分をカバーしたって大丈夫、とジョミー君は御満悦。ひょっとしなくても、私たち、食べ損ないました? 油揚げの匂いが食欲をそそるホカホカのお狐バーガーを…?



ジョミー君の幸せのお裾分け。キース君とサム君以外は、貰っても人生が終わるわけではなかったようです。おごって貰うチャンスとお狐バーガーを逃したショックは大きいですけど、その前に。
「…ジョミー先輩、どうしてキース先輩とサム先輩に限定なんです? 人生終了」
理由を教えて貰えませんか、とシロエ君が切り込み隊長。ジョミー君は「ん?」と最後の油揚げを口に押し込み、モグモグしてから。
「だってさぁ…。坊主終了のお裾分けだよ、キースとサムにはヤバすぎだってば!」
「「「へ?」」」
何ですか、それは? 坊主終了のお裾分けって、何のこと?
「だからさ、ぼくが坊主をやめるわけ! ブルーに無理やり坊主にされてさ、いつかは住職の資格を取れって言われてきたけど、もう終わりだし!」
目出度く坊主を卒業なのだ、とジョミー君は宣言しました。
「ブルーがどんなに頑張ったって、二度と坊主になれなくなったら手が出せないよね? なんだったっけか、僧籍剥奪? その判決を受けるんだってば、死刑宣告!」
「「「えぇっ!?」」」
どうやって、と目を剥く私たちに向かって、ジョミー君は得々と。
「紫の衣だったっけ? それでもいいし、ブルーみたいな緋色でもいいし…。そういうのを着たらアウトで死刑になるんだよねえ? そんな楽勝な手があったなんて、もう嬉しくて」
永遠に坊主の道とはサヨウナラ、と幸せに酔うジョミー君。…そっか、その手があったんだ! キース君の僧籍剥奪ネタから閃きましたか、そりゃあソルジャーにまでお狐バーガーをおごるくらいに心が浮き立つことでしょう。まさに人生バラ色ってヤツで…。
「ま、マジかよ、お前?」
サム君が声を震わせ、キース君も。
「そ、それは…。確かにそういうお裾分けなら欲しくもないが、本気で本気か?」
「もちろんさ! 紫がいいかな、それともパァーッと豪華に緋色かな? 同じやるなら緋色の方かな、最高のヤツを着て僧籍剥奪!」
頑張るぞ! とジョミー君は燃えていました。身体から立ち昇る幸せオーラが見えるようです。パチパチパチ…と拍手が聞こえて、お狐バーガーを食べ終えたソルジャーが祝福を。
「なるほど、それで人生終了なんだ? だったらぼくには無関係! 素晴らしいアイデアが見付かったことを心の底からお祝いするよ。おめでとう」
「ありがとう! お狐バーガー、気に入ってくれた?」
「君のおごりだと思うと美味しさ倍増! 何かあったら遠慮なく言ってよ、今日の御礼に手伝うからさ」
御馳走様~! と軽く手を振り、ソルジャーは姿を消しました。うーん、私たちもお狐バーガー、おごって貰うべきだったかも…。



大盤振舞いをやらかすほどに舞い上がっているジョミー君。その幸せのお裾分けがキース君とサム君限定でヤバイ理由も判明しましたが、お坊さんという点では会長さんも変わらないような…? そこをシロエ君が問い質すと、ジョミー君は明快に。
「えっ、ブルーは緋色の上が無いんだし、人生終了にならないよ。自分よりも上の位のヤツを着るのが重要なポイントになるんだからさ」
「…そうですか…。で、本当にやる気なんですか、ジョミー先輩?」
「決まってるじゃないか! もう明日にでも着たいくらいだよ」
一日でも早く坊主にサヨナラ、と期待に胸を膨らませているジョミー君ですが。
「……いいけどね……」
会長さんが口を開きました。
「紫だろうが緋色だろうが、着たければ好きにすればいい。ちゃんと衣が手に入るならね」
「え?」
怪訝そうな顔をするジョミー君に、会長さんは。
「君は法衣を注文したことが無いだろう? 何処で紫を仕立てるんだい、緋色にしてもさ。法衣は普通の着物とは違う。自作なんかはまず無理だ」
ぶるぅ並みの裁縫の腕が無いとね、と鼻で笑われ、ジョミー君は憤然と。
「通販するし!」
「…ふうん? まあ、今どきはネット通販も出来るけど…。予算はちゃんとあるんだろうねえ、法衣は高いよ?」
「人生のためなら前借りもするよ!」
お小遣いを十年単位で前借りしたって後々を思えば安いものだ、とジョミー君は言い切りました。おおっ、十年単位で前借りですか! お狐バーガーをおごった件といい、お坊さんの道と縁が切れるなら金銭問題は些細なことに過ぎないようです。
「前借りねえ…。借金取りに追われないよう、頑張って返済するんだね。君のパパとママは優しそうだけど、大金を貸したら流石に黙っちゃいないと思うな」
月々の返済計画表を作られたりして、と会長さんはニヤニヤニヤ。
「昔から言うよね、ご利用は計画的に、ってね。返済が滞ったってビタ一文貸してはあげないよ? ぼくが導いてあげた仏の道をチャラにしようと言うんだからさ」
借金で火の車ならぬ火だるまになっても放置あるのみ、と会長さんが冷笑を浮かべ、キース君とサム君も冷たい声で。
「罰当たりめが…。銀青様のお導きを足蹴にするなど、地獄に落ちても文句は言えんな」
「だよな、お念仏さえ唱えていれば極楽に行けるってぇのによ…。信じられねえや」
南無阿弥陀仏、と二人は声を揃えてお念仏。ジョミー君の未来は前借り借金地獄ですかねえ?



そんなこんなで迎えた週明け。最初の間こそ浮かれまくっていたジョミー君ですが、早々に壁にブチ当たったらしく、水曜日にはすっかり意気消沈。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でレモンクリームが挟まれたライチのムースのお皿を前に項垂れています。
「どうしたんだい、君の元気は何処かへ旅に出たのかな?」
会長さんのからかう口調に、ジョミー君はションボリと。
「…捜さないで下さいって気分だよ…」
「それはそれは。だったら是非とも捜さないとね、最後に目撃されたのは何処?」
「………多分、月曜日の夜くらい………」
それから後は行方不明、と嘆くジョミー君が失くした元気はネットの海から旅立って行って帰って来る見込みも立たないのだとか。キース君がフフンと鼻で笑って。
「前借り以前の問題なんだな?」
「……途中までは注文出来たのに……」
注文用のフォームは出たのに、と泣きの涙のジョミー君。
「何さ、あれって酷すぎだよ! 所属する宗派の名前はともかく、なんで番号とかが要るわけ? 思いっ切りの個人情報じゃないか!」
「「「…番号?」」」
それは必須の条件だろう、と私たちは呆れ果てました。お小遣いの前借りが十年単位で必要なほどの高額商品を買おうと言うのです。注文主の電話番号も入力せずに済ませられるわけがありません。個人情報という代物について最初から学び直した方がいいのでは…。
「電話番号くらい入れるよ! でなきゃ連絡つかないし!」
「だったら何の番号なんです?」
シロエ君の問いに、ジョミー君は「知るもんか!」と投げやりな答え。
「番号かもだし、記号かも…。ぼくにも謎な自分の番号!」
「「「はぁ?」」」
ますます分からん、と首を捻りまくる私たちの耳に、会長さんののんびりした声が。
「…知らないだろうね、坊主の道にサヨナラだなんて言い出すようなジョミーじゃねえ…。聞きに来ないんだから知りようもない」
「「「……???」」」
「ジョミーが言うのは僧籍の登録番号だってば、ぼくが総本山に届け出た時についた番号。キースとサムは自分のヤツを知っているけど、ジョミーはねえ…。そもそも番号じゃないかもしれない。ジョミーが言う通り記号かもだし、数字かもねえ?」
それが無くては何も出来ない、と会長さんは高笑い。それって暗証番号ですか?



「…暗証番号とはちょっと違うね。平たく言えば個人識別情報かな?」
そんなところ、と会長さんは教えてくれました。
「なにしろ法衣の色ってヤツはさ、決まりを破れば僧籍剥奪に繋がるくらいの大事なモノだよ? それを素人さんがネットでポンと注文出来ると思うのかい? この人は本当にお坊さんなのか、と店も確認くらいはするさ。そのために番号が必要なんだよ」
本当に総本山に問い合わせたりはしないけど、と会長さん。
「それっぽい情報を書き込んでおけば注文フォームの方はOK、店は即座に制作に入る。だけど相手が番号も知らない素人さんだとうるさいよ? 使用目的は何か、身元はキチンとしているか…。それは色々と聞かれるだろうね、衣の色が凄くなるほど根掘り葉掘りの勢いで」
「「「………」」」
ジョミー君の元気が行方不明になるわけだ、と私たちは顔を見合わせました。この調子では僧籍剥奪云々以前に色つきの法衣ゲットが無理そうです。あんなにバラ色だった未来が今や灰色、それどころか暗黒かドドメ色かも…。
「…そうか、そういうシステムなんだ?」
それは大変、と会長さんそっくりの声が聞こえて優雅に揺れる紫のマント。空間を越えて来たソルジャーはスタスタと部屋を横切り、ソファにストンと腰掛けると。
「ぶるぅ、ぼくにもライチのムース!」
「オッケー! それとレモンティーだね!」
ソルジャーの好みを把握している「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと用意し、嬉々としてムースにフォークを入れるソルジャー。
「通販で壁にぶつかったのかぁ…。お狐バーガーをおごってくれたし、あの時の恩を返そうか、ジョミー? ぼくで良ければ」
「えっ、ホント!?」
ソルジャーの提案にジョミー君の顔が輝き、旅に出た筈の元気がマッハの速さで帰還した模様。
「番号とか突破出来るんだ? そうだね、ブルーは凄いんだもんね!」
SD体制だったっけ、と感心しているジョミー君。
「この世界よりも凄い世界で情報操作をしているんだから、通販くらい楽勝かぁ…。それじゃお願いしようかな? 此処まではぼくでも行けるんだよ、うん」
後をお願い、とジョミー君が部屋に備え付けの端末で法衣専門店のサイトを呼び出し、紫色の法衣のページを開いて注文フォームを。
「緋色は受注生産らしいし、これが限界だったんだ。やるなら緋色でやりたかったけど、早くオサラバしたいから…。もう紫で構わないかな、って」
「了解。この程度ならこうパスを打って…。ん? …あれ? なんで?」
通らない、とキーを叩きまくっているソルジャー。もしや法衣専門店だけに結界が張ってあったりしますか、まさか、まさか…ね……。



別の世界から来た助っ人はプロフェッショナルの筈でした。私たちの世界よりも高度に情報化された世界でセキュリティシステムとかを難なく潜り抜けているソルジャー。そのソルジャーをしてギブアップせしめる法衣店の通販サイト、恐るべし…。
「何なのさ、これは!」
信じられない、とソルジャーは画面を睨み付けました。
「認証は通っている筈なんだよ、なのにどうしてダメなわけ? 自信を喪失しそうなんだけど!」
「喪失してれば?」
この道はぼくの方が上、と会長さんが得意満面で。
「法力ってヤツが最先端の機械にも効くとは夢にも思っていなかったけどね。…正直、君が出て来た時には終わったと思ったんだけど…。買えないんだったら勝ったわけだよ、君の力に」
諦めたまえ、と会長さんは勝ち誇った笑みを浮かべています。
「君とジョミーがタッグを組んでも紫の法衣は注文不可能! 直接出掛けて買うとなったらハードルは今よりもっと上がるよ? ぼくも全力で妨害するから」
そう簡単に弟子を失いたくはないからねえ、と声高に笑う会長さんにはジョミー君の末路が最初から見えていたのでしょう。僧籍剥奪を目指して緋色や紫の法衣を着ようとチャレンジしても、肝心の法衣を手に入れられずにズッコケて終わる惨めな最後が…。
「どうする、ジョミー? お狐バーガーの御恩返しも不発に終わったようだけど…。そろそろ真面目に性根を入れ替えて仏弟子としての自覚を新たに」
「やらないし!」
せっかく道が開けたのに、とジョミー君も負けていませんでした。
「これで終わりって悲惨すぎるよ、地獄の沙汰だって金次第だよね?! お小遣い前借りの覚悟をしたんだ、意地でも紫を着て坊主にオサラバ!」
きっと何処かに道はある筈、と往生際の悪すぎるジョミー君が喚く姿をソルジャーが腕組みをして見詰めています。会長さんに負けたソルジャーの心の中もまた、複雑なものに違いなくて。
「…ジョミー。君が諦めないと言うなら、協力しよう」
ぼくにも意地が、とソルジャーの赤い瞳が会長さんの瞳を覗き込み、バチバチッと火花が散った気がします。「駄目か…」と短く呟いたソルジャー、次はキース君をまじっと見据えて。
「よし、完了。ジョミー、何日か待ってくれるかな? お望みの品を手に入れて来るよ」
お楽しみに、という声を残してソルジャーの姿は消え失せました。えっと、今のって意味があったんですか? 会長さんがダメでキース君なら「よし」って、何が…?
「…正攻法で敗れ去ったら偽物ねえ…」
素人さんには分からないか、と会長さんがクスクスと。ソルジャー、偽物を作る気ですか?



その週末。またしても雨に降り籠められて会長さんの家に集まっていた私たちの前に、ソルジャーが私服で姿を現しました。何やら荷物を抱えています。ラッピングされた箱などではなく風呂敷包みで、それもかなりの大きさが…。
「お待たせ、ジョミー。御注文の品はこれでいいかな?」
どうぞ、と手渡された風呂敷包みを解いたジョミー君は万歳三唱。なんと中身は紫の法衣、会長さんが口にしていた偽物じゃないかとは思いますけど…。
「ぼくの世界で作らせたんだよ、キースの頭に入っていた情報を参考にしてね。糸も布地もぼくの世界で手に入れたヤツだし、もう完全なメイド・イン・シャングリラだけどさ…。アレだろ、見た目にそっくりだったらいいんだろ?」
着ただけで僧籍とやらを剥奪だもんね、と言うソルジャー。
「素材とか手触りまでいちいち確認しないだろうから、これで充分いけると思う。ああ、代金は要らないよ? そこは出血大サービス! ぼくのプライドもかかってたんだし、お狐バーガーで支払い済みってことにしておく」
「ホント!? お狐バーガーだけで坊主にサヨナラ出来るんだ?」
「お伽話みたいな流れだろ? ぼくは鶴とかお地蔵様ではないけどね」
その手の恩返しって多いよね、と語るソルジャーは自分の善行に酔っていました。自分の羽根で織ったわけじゃなし、笠の御礼ならぬお狐バーガーなんですけれども、まあいいか…。ジョミー君ったら、大喜びで服の上から袖を通していますしねえ?
「やったあ、これで坊主にサヨナラ!」
見て、見て! とジョミー君は鼻高々で。
「キースでもまだ着られない色を着ちゃったんだし、これで人生終わりだよね? で、僧籍剥奪って家に通知が届くわけ?」
「…君の家とぼくの家とかな? 師僧にも通達する筈だから」
溜息交じりの会長さんに、ジョミー君がワクワクと。
「そっか、ブルーの家にも届くんだ! それって何日くらいで届くのかなぁ…。まだ六月だし、うんと遅れても棚経までには間に合うよね?」
ついにお盆の苦行にサヨナラ、とジョミー君は喜色満面、お手伝いをしたソルジャーも通販サイトにコケにされた雪辱戦に勝利とばかりにVサインを出していたのですけど。
「…まったく、これだから素人さんは…」
何も分かっていやしない、と会長さんが部屋中を見回しました。
「僧階以上の色衣を着たら僧籍剥奪、それは厳然たる事実。…ジョミーは確かに着てるわけだけど、誰が通報したのかな? まず通報が必要なんだよ」
キースたちは同期生を見逃したよね、と鋭い指摘。そうか、最初に通報ありき…!



メイド・イン・シャングリラの紫の法衣を服の上から華麗に纏って坊主にサヨナラ宣言をしたジョミー君。これで僧籍が剥奪されると狂喜したのに、自分の登録番号だか記号だかすらも知らないジョミー君の登録を抹消するには通報が必要だったのです。
「残念だったね、散々苦労したのにさ。…衣の色で僧籍剥奪は一撃必殺の刑だけどねえ、それだけに適用するまでの審査が厳密なんだな。動かしようがない証拠を提出されない限りは証拠不全でお咎めなしだよ、だから紫がまかり通るわけ」
キースの同期生もその口だ、と会長さんはスラスラと。
「璃慕恩院の目が届かない地方へ行くとね、年功序列みたいな感じでお年寄りのお坊さんが紫を着るのが習慣になってるケースもあるよ。…そんな世界だから、本気で僧籍剥奪を目指すなら証拠の提出! それを着て元老寺の法要に出まくっていたら、いずれ誰かが通報するかも」
「…そいつはいいな」
面白そうだ、とキース君が唇の端を吊り上げました。
「せっかく俺でも着られない紫を仕立てたんだし、俺の家で住み込みで働かないか? そろそろ今年のお盆に備えて卒塔婆書きを始めるシーズンだ。デカイ卒塔婆は住職の資格が無いと書けんし、お前が書いたら法衣とセットでお咎めの対象になると思うぞ」
「そ、そんな…! ぼく、卒塔婆なんて書けないし!」
「書けないだろうな、俺も書かせるつもりはない。…檀家さんに対して失礼になるし、御本尊様にも申し訳が立たん。だから! お前の仕事は俺と親父のサポートだ! 墨を磨れ!」
その有難い紫を着て墨を磨りまくれ、と腰に手を当て、鬼監督の形相で言い放つキース君。
「ブルー、構わないな? こいつを借りるぞ」
「どうぞ、どうぞ。…僧籍剥奪を目指す弟子だし、通報されるまでみっちりと! お盆だけと言わず、秋のお彼岸も年末年始も、来年の春のお彼岸も! 目出度く僧籍を剥奪されるまで遠慮なく顎で使ってやってよ」
アドス和尚にもどうぞ宜しく、と会長さんはペコリとお辞儀を。キース君は「よし!」と頷いて。
「喜べ、師僧のお許しも出たぞ。…俺も同期の紫の法衣でムカついていたし、紫の衣のヤツをいびれるチャンス到来だ。今日から早速! 俺と一緒に帰るよな?」
元老寺にな、とキース君がジョミー君の肩をポンポンと叩き、会長さんが「不肖の弟子を預けるのだから」と一筆書こうとしています。紫の法衣の偽物を作ったソルジャーはコソコソと逃亡するべく「そるじゃぁ・ぶるぅ」にお菓子を包んで貰っていたり…。
「元老寺なんて冗談じゃないよ、ぼくは坊主にサヨナラだってば!」
お願いだから誰か通報してー! と絶叫しているジョミー君には気の毒ですけど、通報用の窓口とかが分かりません。紫の衣も似合ってますから、これを機会に本物目指して修行がいいと思います。それで全ては円満解決、会長さんもきっと喜びますよ~!




         さらば坊主よ・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 ジョミー君が御馳走していた「お狐バーガー」は某所に実在してます、本当です。
 お稲荷さんの本家本元でも売っているかどうかは知りませんけど。
 今月は月2更新ですから、今回がオマケ更新です。
 次回は 「第3月曜」 3月21日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、3月は、ソルジャーがスッポンタケのお彼岸の法要を希望で…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv






「ほほう…!」
 こいつは美味いな、と向かい側に座ったハーレイの顔が綻んだ。
「思いっ切り、季節外れなんだけどね?」
「いやいや、この時期、貴重だぞ?」
 専門の店ならともかく、家庭料理じゃ食えないんじゃないか?
「どうなんだろう?」
 ママの自慢の木の芽田楽。
 水切りしたお豆腐を焼いて串に刺して、木の芽味噌を上にたっぷりと塗って。
 木の芽が採れる山椒の木は庭の隅っこにあるんだけれど。
 ぼくの背丈よりも大きな木だから、パパとママとぼくでシーズン中に食べ切れるわけがなくて、もったいないからママが柔らかな木の芽を沢山摘んで冷凍にしておくんだけど。
 山椒の木は雌雄別株。雄花が咲く木は花を摘み取って花山椒。実が出来る方は実が熟す前の青い間に摘んで使ったり、熟した後の実の皮を乾燥させて細かく潰して山椒粉にしたり。
 小さい頃から馴染んでいたから、ぼくにとっては普通の光景。棘がある山椒の木の枝をわざわざ触りに行きはしないけど、ママに頼まれて木の芽を摘みに行くことならある。摘んだばかりの葉を両手でパンッ! と叩いて香りを出させて、煮物とかお吸い物とかに入れるんだ。
 何処の家でもやっていそうな気がしたんだけれど…。



「知らないのか?」
 山椒の木はけっこう難しいんだぞ、とハーレイが季節外れの木の芽味噌を指差す。
「庭さえあれば植えておけるってモンじゃないんだ、山椒はな」
「そうなの?」
 アゲハチョウが好きな山椒の木。来ると卵を産んでゆくから、幼虫やサナギが居たりする。まだ小さかった頃、サナギから蝶が出るのを見たくて通ったけれども、いつも出た後。翅を広げた蝶が枝に静かに止まってるだけで、出て来る所は見られなかった。
 山椒を植えてる家の子供は誰でも観察してるものだと思ってたけど、その山椒の木は庭があれば育つと信じてた。アゲハチョウを見たければ山椒を植えればいいんだ、と。
 だけどハーレイは「そいつは大きな勘違いだぞ」と窓から庭をチラリと眺めて。
「山椒の木は土が合わないと溶けちまうんだ」
「溶けるって…。なに、それ?」
「ん? 文字通り溶けるって意味じゃないがな、親父とおふくろはそう言うなあ…。いつの間にか消えてしまうんだ。ちゃんと手入れをしててもな」
 現に俺の家の庭では溶けちまうらしい。
 親父たちの家には山椒の木があるし、種から小さな木も生えるんだが…。
 そういう実生の木を貰って来て植えてみてもだ、元気がなくなって枯れちまう。何度挑戦しても同じで、仕方ないから、今じゃ鉢植えのままだ。親父の家で詰めて貰った土を入れてな。
「ハーレイの家にもあるんだね、山椒」
「鉢植えだがな。やっぱり春は美味い木の芽を食いたいじゃないか」
「そうだね、タケノコも木の芽和えにしたりするものね」
 タケノコの煮物にも木の芽を添えるし、春は木の芽が美味しいよね。
 花山椒をドッサリ入れてすき焼きもするよ、鶏のすき焼き。



 ハーレイと二人、木の芽を使った春の料理を幾つも挙げた。
 隣町にあるハーレイのお父さんとお母さんの家にも、大きな山椒の木があるんだって。木の芽を摘んで、花山椒も実山椒も。
 ハーレイもぼくと同じような料理を食べて育ったんだと思うと嬉しい。春は木の芽で、今の家の庭では山椒の木が溶けてしまうから、って鉢植えの山椒。
 一度だけ遊びに出掛けた時には鉢植えなんかは見ていなかった。ちょっぴり残念。気付いてたら多分、訊いたのに。「なんで山椒が鉢植えなの?」って。
 ぼくにとっては庭にあるのが当たり前の山椒。
 土が合わないと消えてしまうなんて、思いもしなかった山椒の木…。



 季節外れの木の芽田楽。
 ハーレイは「美味い」と笑顔で食べて、お皿に乗っかった木の芽味噌じゃない田楽も食べて。
「普通の田楽味噌も美味いな、俺はどっちも好きだな、うん」
 何処の豆腐だ? ってハーレイが訊くから。
 あそこ、ってママが買ってる店の名前を答えたら「なるほどな」と頷くハーレイ。
 ぼくたちが住んでいる町は水がいいらしくて、お豆腐を作ってるお店があちこちにある。ママが買う店も家から近くて、うんと近所に住んでいる人は入れ物を持って行けば入れて貰える。
 ハーレイがお豆腐を買いに行くお店も、同じサービスをしているらしい。専用の容器が要らない分だけ、お豆腐の値段が安くなる。もっとも、ハーレイは入れ物を持って出掛けるには少しばかり距離が遠すぎて、駄目なんだって。
「俺の足なら軽い距離だが、豆腐を入れた器を抱えて散歩はなあ…」
「すれ違う人が眺めてそうだね、器の中身」
「うむ。この俺が豆腐入りのボウルだのタッパーだのを抱えて歩いていたら、だ」
「凄く目立つね、似合わないものね」
 女の人とか、子供だったら誰も気にしてないだろうけど…。
 ハーレイの身体だと大きすぎだよ、お豆腐を持って散歩するには。



 お豆腐を自前の容器で持って帰ると、悪目立ちしそうなハーレイだけど。
 そのサービスが受けられないだけで、お豆腐を買いに行くこと自体は珍しくないんだって。
「美味い豆腐が近所で買えるのはいいことだぞ」
 豆腐は何かと役に立つしな。
 酒のつまみにも夏の冷奴は実に美味いし、冬だって昆布と一緒に温めて湯豆腐感覚で食える。
「ぼくもお酒はまだ飲めないけど、お豆腐、好きだよ」
 今日みたいな田楽でもいいし、冷奴も湯豆腐も美味しいよね。
 豆腐ステーキとか豆腐ハンバーグも好き。
 ママが色々作ってくれるよ。



「豆腐ステーキに豆腐ハンバーグと来たか…」
 あれも美味いな、とハーレイが田楽を頬張って。
「シャングリラにもあれば良かったなあ、豆腐。まだ肉が作れなかった頃のシャングリラにな」
「豆は貴重なタンパク源だったものね、あの頃には」
「実際、豆のことを貧乏人の肉って言ってた時代もあるらしいからな?」
 SD体制以前の地球だが、とハーレイはぼくに教えてくれた。
 誰もが肉を食べられるわけじゃなかった時代。人間が飢饉に怯えていた時代。
 肉は豊かな人たちが口にするもので、貧しい人たちは肉の代わりに豆だった、って。保存が利く豆を柔らかく煮たり、スープにしたり。
 そうやってタンパク質を摂っていたのに、食生活が豊かになったら豆はヘルシー食品になった。肉よりも健康的な食べ物。
 似たような話があったっけ、と思い出す。
 前のぼくたちがシャングリラで作った代用品のチョコレート。カカオの木は育てられないから、代わりに育てたキャロブの木。その実でチョコレートやコーヒーなんかを作っていたのに、今ではキャロブはヘルシー食品。健康志向の人たちに人気の代用品のチョコレート…。



 キャロブの木を植えるどころの話じゃなかった、ごくごく初期のシャングリラ。
 自給自足で頑張っていたけど、肉までは手が届かなかった。畑を作るのが精一杯で、家畜の餌は賄えなかった。
 貧乏とはちょっと違うけれども、肉が無かったシャングリラ。
 タンパク質を摂れるものと言ったら、豆の料理ばかり。
 あの頃にお豆腐があったなら…。
「もっと色々と食えたよな。お前が言った豆腐ステーキとか豆腐ハンバーグとかな」
「お豆腐、工夫して作ってみればよかったね…」
 ちょっと視点を変えれば色々食べられたのか、と思ったんだけど。
 肉が無い分、お豆腐でカバーしておけば良かった、と前のぼくの知識不足を嘆いたんだけど。
 ハーレイに「おい」と真顔で訊かれた。
「その豆腐だが、シャングリラに大豆はあったのか?」
「……大豆……」
 言われてみれば大豆は植えていなかった。
 豆は何種類も育てていたけど、シャングリラの畑に大豆は無かった。



「…大豆を植える所からかあ…」
 お豆腐を作るには大豆が必須。
 大豆が無かったシャングリラではお豆腐なんかは作れやしない。
「お豆腐、作れなかったんだ…」
「そのようだ。大豆は畑の肉って呼ばれてたほどの豆なんだがなあ…」
 これもSD体制よりもずっと昔の時代なんだが、とハーレイが残念そうに言うから。
「そうだったの?」
「そんな名前がついてた時代もあったんだ。普通の豆よりタンパク質が多めでな」
 貧乏人の肉どころじゃない、畑の肉だ、って話になった。
 凄い豆だと評判になって、あちこちで育てようとしていたようだぞ、その頃の大豆。
「大豆、そんなに凄かったんだ? なのに…」
 なんで無かったんだろう、前のぼくたちの時代。
 ぼくはシャングリラで育てる豆を人類の農場から盗み出したけど、大豆なんかは見なかったよ?
 作物の苗を扱う場所にも大豆は無かったと思うんだけど…。
「山椒と同じだ、土が合わなくて育たなかったんだろう」
 SD体制よりも前の地球でもそうだった。
 大豆を植えても育たない場所が沢山あったらしいぞ、きっとデリケートな豆なんだ。
 今だって俺たちの住んでいる地域が大豆には一番合うんだそうだぞ。
 一度滅びたり、地殻変動が起こったりして、すっかり変わった地球なのにな?



 もしもシャングリラに大豆があったら。
 お豆腐はきっと作れただろうし、他に大豆で出来るものと言えば…。
「ねえ、ハーレイ。シャングリラで大豆を育てていたなら、お醤油なんかも作れたかな?」
「麹菌を探して来なきゃならんが、作れんことはなかっただろう」
 そして大豆と麹があれば、だ。それと塩とで味噌も出来るな。
「そっか、お味噌も大豆だっけね」
 シャングリラの畑に大豆があっただけで、お豆腐だけじゃなくて、お醤油にお味噌。
 大豆って凄い、と改めて思う。
 それがシャングリラの畑に植わっていたなら…、と夢を見たくなる。
「前のぼくたちが大豆を育てて食べてたとしたら、凄くない?」
 お醤油にお味噌にお豆腐だよ?
 どれも人類の世界に無かったものだし、人類よりも豊かな食文化じゃない?
「いいな、グルメなシャングリラか」
 大豆を植えてりゃ、酒のつまみに枝豆だって食えるしな。あれは大豆の若い豆だからな。
「枝豆も大豆の内なんだ…。うんとグルメなシャングリラだね、ベジタリアンでも」
「うむ。精進料理の世界だな。追求してみる価値はあったかもな」
 肉を作れるようになっても、ベジタリアン向けとそうでないメニューを作ってみるとか。
 そういう発想は無かったなあ…。
「凄くゴージャスだよ、ベジタリアン向けのメニューまであれば」
「やりゃ良かったなあ…」
 大前提として大豆が要るが、だ。
 種になる豆は探せばあった筈だし、土だって改良出来たんだよなあ、俺たちミュウの得意技だ。
 長生きする分、時間はたっぷりあったんだからな。



「お味噌にお醤油だと、和風だけれど…。昆布の出汁はどうするの?」
 シャングリラで昆布は採れないよ、と言ってみたら。
「合成すれば何とかなったろ」
 それにアルテメシアに居た間だったら、天然ものの昆布が手に入ったかもしれないぞ。
 前の俺たちが海藻を食べる文化を知らなかっただけで、あそこの海にも色々と生えていた筈だ。
「うん。多分、昆布もワカメもあったんだろうね」
 前のぼくは海藻だな、と漠然と認識していただけだったけれど。
 大豆を栽培しているシャングリラだったら、きっとデータを調べたと思う。
 お醤油とお味噌を使う料理には昆布の出汁だと気付いたと思う。
 そしたら昆布とは何なのか調べて、基本は合成。余裕のある時はアルテメシアの海で本物を調達して来て、干して昆布を作るんだ。その昆布から天然ものの昆布出汁。
 昆布出汁が出来たら、お味噌汁とか色々作れた。
 前のぼくたちの時代には無かった、和食の文化を再現出来た…。



 豆だけだった時代に頑張ってみれば良かったかな、と思ったから。
 もっと豆を食べる文化を追求してれば、食料事情が変わってたかな、という気がしたから。
「前のぼく、もうちょっと豆を追求しておくべきだったかな?」
 タンパク源が豆しか無い、って考えるよりも、豆の良さを調べるべきだったかな?
 シャングリラで大豆を育てる方向に行くべきだったかもしれないね、ぼく。
 人類も育てていない大豆で頑張っておくべきだったのかも…。
「うむ。シャングリラに大豆は無かったんだが、豆との縁はしっかりあったな」
「えっ?」
「前のお前は眠っていたから知る筈もないが、ナスカでのことだ」
 あの星に最初に根付いた植物、豆だったんだぞ。
 桃色の花が咲く豆だった。
 トォニィの父親が育てていたなあ、ユウイって名前の若いミュウでな。
 生憎と事故で死んじまったが、トォニィはあの豆の花を「パパのお花」と呼んでたな…。
「そうなんだ…。トォニィのパパかあ…」
 前のぼくが知らない、トォニィの父親。
 最初の自然出産児だったトォニィと血が繋がった実の父親。
 その人がナスカで豆を育てていたなら、大豆も育てられただろうか。
 もしも大豆の種があったなら、ナスカでも大豆が育つようにと工夫をこらしてくれただろうか。大豆に合うよう土を探して、必要とあれば手を加えて。
 ナスカは大豆が育つ星になって、あの赤い星でもお味噌やお醤油を作れただろうか。
 お豆腐を作って、合成でも昆布の出汁を作って。
 独自の食文化を築き上げたミュウが、あの赤い星に居たのだろうか…。



 大豆を食文化の中心に据えて、ナスカでも大豆を栽培して。
 そんな風だったら面白かったかもね、とハーレイに言ったら「それ以上だ」と返事が返った。
「前の俺たちが人類とは違う食文化を築いていたなら、変わったかもなあ、色々とな」
「変わるって…。何が?」
 グルメなシャングリラのことだろうか、と思ったんだけど。
 ベジタリアン向けとそうでないメニューが出来ていたって意味なのかな、と思ったんだけれど。
 ハーレイがぼくに返した答えは、そんなレベルのものじゃなかった。
「分からんか? 捕虜にしたキースに豆腐田楽を食わせるとか、だ」
「ああ…!」
 それって、ミュウの文化を知ってもらうチャンス…。
 食べたことのない変な食事が出て来るんだものね、ビックリするよね?
 お味噌汁とかもちゃんとついてて、お醤油をかけた冷奴とかも。
 不味いんだったら「捕虜向けの餌か」と思うだろうけど、美味しいんだものね。
 ミュウを見る目が変わってたかもね……。



「そういうことだ」
 キースが同じように逃げたとしてもだ、その後が変わっていたかもしれん。
 報告を聞いたグランド・マザーがどう出て来たかは分からんが…。
 ミュウを徹底的に排除するよう出来ていただけに、殲滅しろとは言ったと思うが…。
 それを命じられたキースの判断がまるで違っていたかもしれんぞ。
 最終的にはグランド・マザーに逆らった男だ、ナスカの段階でサッサと見切りを付けてしまった可能性もゼロではないからな。
 なんたってミュウはただの異端分子というわけじゃなくて、独自の食文化を持った種族なんだ。そいつを星ごと滅ぼせだなんて、ちょっと判断に迷うと思わんか?
「…同じ攻撃しに来るにしても、メギドを持って来なかったとか?」
「でなきゃ最初から見逃すとかな」
 あの星には何もいませんでした、とグランド・マザーに言っても無駄だが、キースは頭の切れる男だった。
 俺たちに逃げろと警告してから攻撃してくりゃ被害は防げる。
 そのくらいのことは出来た男だ、メギドを持ち出せたヤツなんだからな。
 そうなれば俺たちはナスカから逃げて、キースの方でもグランド・マザーに逆らう道へと行っただろう。着実に出世して、昇進して。国家主席になった暁には、俺たちを地球へ呼んでたかもな。
 グランド・マザーを倒しに来ないかと、自由な世界を作らないかと。



 ぼくはポカンと口を開けてハーレイの話を聞いていた。
 確かにキースなら有り得た話。
 ぼくをメギドで撃ったキースはグランド・マザーに忠実な地球の男だったけれど、もしも根幹が揺らいでいたなら、どうだったか。
 何が真実かを自分の瞳で見極めるまでは、決して流されない男。キースはそういう人間だった。
 ミュウが自分たちとは違う種族だと、ただの異端ではないと気付けば命令違反もするだろう。
 本当に人類に仇なすものなのかどうか、確かめるまでは動かないだろう。
 其処まで行ったら、キースが辿るであろう道筋は国家主席となった後の彼の道筋と同じ。
 ミュウの存在を認め、グランド・マザーに逆らう方へと進んだ筈。
 彼なら若くても可能だった。
 ナスカに来た頃の若いキースでも、ミュウの、人類の未来を変えることが出来た…。



「そっか…。豆腐田楽が世界を救うんだ?」
 捕虜のキースに食べさせるだけで。
 「これは何だ?」と訊かれて答えるだけでいいんだ、「豆腐田楽です」って。
 お豆腐もお味噌も大豆で作って、こういう料理が出来るんです、って…。
「そうなるな」
 あいつがメギドを持って来なけりゃ、ナスカの悲劇は起こらない。
 前のお前も死なないわけだな、そもそもメギドが出て来ないんだからな?
「…凄すぎる豆腐田楽だけど?」
 前のぼくの代わりに豆腐田楽がメギドを止めるわけ?
 ぼくより凄いよ、止めるだけじゃなくて出て来ないようにしちゃうんだから。
「どうせなら冷奴に湯豆腐なんかも振る舞って、だ。豆腐尽くしのもてなしでどうだ?」
「やってみたかったね、捕虜のキースにお豆腐尽くし」
 熱々の豆腐田楽を出して、冷奴はうんと冷たくして。
 湯豆腐はもしも残っていたなら、本物の昆布でお出汁を取って。
「ああ、本当にやりたかったな。どんな風に歴史が変わっていたか、な」
 キースが豆腐田楽を美味いと思った瞬間から歴史が変わるんだ。
 実に愉快で爽快だったろうなあ、それで歴史が変わっていればな。



 シャングリラとナスカで大豆を育てて、お豆腐を作って、お味噌を作って。
 そのお豆腐とお味噌で作った豆腐田楽を捕虜にしたキースに出したら、歴史が変わる。
 キースが「美味しい」と思ってくれたら、メギドは出て来もしないで止まる。
 なんだか凄い。
 凄すぎるけれど、有り得たかもしれない一つの可能性。
 もしもシャングリラで大豆を育てていたなら、お豆腐とお味噌を作っていたなら。
 お醤油も作って、昆布の出汁を使う食文化を前のぼくたちが立派に築いていたなら…。
 シャングリラの畑にドカンと大豆。
 お豆腐とお味噌とお醤油を作るのに欠かせない大豆。
 本当にそれで歴史を変えていたなら、どうなっただろう?
「…その場合、ぼくたちは歴史に残ったのかな?」
「残ったんじゃないか? ミュウと人類との和解に至るって点では同じだ」
 ただし、お前は。
 メギドを止めた英雄じゃなくて、豆腐で世界を救ったソルジャーってことになるんだろうが。
「じゃあ、ハーレイは?」
「キャプテンだからなあ、大豆畑の最高責任者って所だろうさ」
 教科書に載せて貰える写真がキャプテンの制服じゃなかったかもしれん。
 大豆畑の責任者らしく、作業服を着て農作業中の写真だとかな。



 お豆腐で世界を救ったソルジャー・ブルーと、大豆畑の最高責任者のキャプテン・ハーレイ。
 ハーレイが言う通り、教科書に載せられるキャプテンの写真は作業服での写真かもしれない。
 前のぼくだって、ソルジャーの衣装を纏ってはいても背景が大豆畑とか。
 でなければ、写真の脇に別枠で豆腐田楽の写真がくっついてるとか。
 歴史を変えた豆腐田楽はきっと、伝説のレシピになっただろう。
 調理実習では必ず教わる定番の料理で、お豆腐屋さんは偉大な職業。
 もしかしたらシャングリラからの伝統を受け継ぐお豆腐屋さんがあったかもしれない。気が遠くなるほどの長い歴史を重ねた凄い老舗のお豆腐屋さん。
「…初代の店長がトォニィだったりするのかな? うんと老舗のお豆腐屋さん…」
「いやいや、そこはお前の名前だろ? 最初に豆腐を作ったんだし」
「そうなるわけ? 初代のソルジャーで初代店長なんだ?」
 歴史も変わるけど、ぼくとハーレイの扱いまで全く変わってしまいそうな世界。
 お互いイメージが全然違うね、と二人で笑い合ったけど。
 大豆畑で枝豆の束を抱えて立ってる、作業服のハーレイまで想像して笑い転げたけれど。
 そんな「もしも」を語れる世界に来られて良かった。
 ハーレイと二人で来られて良かった。
 季節外れの木の芽田楽が美味しい世界。
 お豆腐が美味しい、いい水が湧き出すぼくたちの町に。
 大豆を育てる光と水と土とが揃った、蘇った青いこの地球の上に…。




          豆腐の可能性・了

※もしもナスカで大豆を育てて、豆腐を作っていたならば…。それをキースが食べたなら。
 全ては夢のお話ですけど、きっと本当に歴史は変わっていたのでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





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