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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。



今年も秋がやって来ました。ただし暦の上でだけ。八月の七日が立秋というだけでも「嘘だろう」と言いたい気分ですけど、「暑さ寒さも彼岸まで」はもう確実に嘘気分。秋のお彼岸が昨日で終わったというのに、やっぱりガッツリ暑いですよ?
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日も朝から暑いよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。土曜日なので会長さんのマンションにお邪魔してみれば、やっぱりクーラーが効いているわけで。
「うわぁ、涼しい! バス停からの道が暑くてさ~」
此処は天国! とジョミー君がリビングのソファに陣取り、私たちも。出て来たおやつはレモンメレンゲパイ、ほど良い冷たさが嬉しいです。それに冷たい飲み物も。でも…。
「あれっ、キース先輩、ホットですか?」
なんでまた、とシロエ君でなくても驚くホットコーヒー、注文の時から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が何度も確認していました。「ホントにホット?」と。ホカホカと湯気が立っている淹れ立てのコーヒー、香り高くはありますが…。暑いですよ?
「すまん、暑苦しい気分にさせたなら申し訳ない」
しかしホットで、と熱いのを飲んでいるキース君。夏場はアイスコーヒーだったと思うんですけど、記憶違いかな、ホットだったかな?
「暑苦しいとは言いませんけど…。先輩、普段はアイスコーヒーだったんじゃないですか?」
暑い季節は、とシロエ君。やっぱり私の記憶違いじゃなかったようです。
「そうなんだが…。バテた時には冷やすのは良くない」
「「「バテた?」」」
今頃になって、とビックリですけど、考えてみれば夏の疲れが出るのが夏バテ。本当だったら今が夏バテのシーズンなのかもしれません。夏真っ盛りじゃなくて。
「…いや、夏バテじゃなくてだな…。昨日までの…」
お彼岸バテだ、とフウと大きな溜息が。そういえばキース君、今年のお彼岸は学校も休みがちでしたっけ。定番のお中日はもちろん、その前後にも。連絡だけは取れてましたから、来ていたような気になっていただけ、昨日もお休みだったのでした。



「お彼岸バテかよ…。親父さんかよ?」
コキ使われたのかよ、とサム君が訊くと、キース君は「まあな」と。
「ただ、コキ使うと言うのかどうか…。副住職なら、あのくらいは働くものかもしれん」
俺が高校生だから甘く考えているだけで、と生真面目な答え。
「学校を卒業して副住職稼業に専念していれば、もっと働くものかもしれんし…」
「でもよ、昨日は何してたんだよ、お中日はともかく」
お中日なら檀家さんも参加の法要だけどよ、と言うサム君。
「最終日はそこまでデカイ法要は無かった筈だぜ、お寺の役がついてる人くらいしか…」
「そうなんだが…。それはそうだが、春に手伝いをしてくれてるなら、察してくれ」
墓回向だ、とキース君。
「駆け込み需要というヤツだ。遠方にお住まいの檀家さんだと、お中日に帰って来るより昨日の方が都合が良かった。金曜日だからな」
そこで帰って一泊か二泊、日曜に帰るというコース、とブツブツと。
「お蔭で、例年だったら最終日にはそんなに多くはない墓回向が…」
「MAXでしたか?」
シロエ君の質問に、キース君は。
「お中日前の忙しさが戻って来たようだった…。しかも昨日は暑かったんだ!」
あのクソ暑い中で何度も何度も墓回向を…、と嘆き節。
「親父には「墓地で待機していろ」と言われたし、実際、そうしなければ間に合わないほど次から次へと…。昼飯を食いに戻った時にも、また新手が!」
待たせておくわけにはいかないのだそうで、食事を中止で裏山の墓地へ。そういう檀家さんに限って墓地が奥の方、暑い中を石段をテクテク登って、日がカンカンと照り付ける中で…。
「…墓回向かよ?」
「そうなんだ! 親父ときたら、食い終わっていたくせに「お前の仕事だ」と…」
行くように顎で促されたそうです、墓回向。でっぷり太ったアドス和尚は暑い中での墓回向はお好きではなくて、キース君に役目をブン投げがち。日頃からお寺に出入りしている檀家さんなら行くようですけど、駆け込み需要の方ともなると…。
「親父さん、行きそうにねえもんなあ…」
強く生きろな、と励ますサム君。そっか、お彼岸バテなんですね…。



ただでも忙しい秋のお彼岸、最終日に至るまで振り回されて終わったキース君。もうすっかりとバテてしまって、レモンメレンゲパイくらいはともかく、アイスクリームなどはパスだそうです。バテた時には温かい食べ物や飲み物がいい、ということで…。
「それは確かに基本だね、うん」
会長さんが頷きました。
「土用の丑だって熱々のウナギを食べるわけだし、冷やすのは良くない。…ぶるぅ、お昼はスタミナのつくものにしてあげてよ」
「えとえと…。シーフードカレーのつもりだったけど、ニンニク入れる?」
「そうだね、もうお彼岸も終わっているからいいだろう」
ニンニクたっぷりのカレーでいいね、と会長さんがキース君に確認すると。
「有難い…。お彼岸の間は親父がうるさくて、スタミナどころか精進料理で…」
「分かったぁ! それじゃ、ニンニク! スタミナカレー!」
ちょっと仕込みに行ってくるね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキッチンへ。カレーは出来上がっているそうなんですけど、ニンニクは早めに入れておかないと馴染まないそうです。
「…精進料理だったんですか…。それはキツイですね」
この暑いのに、とシロエ君が頭を振りましたが。
「俺限定でな! 親父は肉も食っていたんだ、俺だけ修行ということで…」
実に不幸な年回りだった、と嘆くキース君のお彼岸バテ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニンニクをたっぷりすりおろしてカレーに入れて来たとか言ってますから、お昼御飯でスタミナをつけて元気になって貰わないと…。



そういったわけで、お昼御飯はニンニクたっぷりのスタミナカレーになりました。スパイシーなシーフードカレーが更にバージョンアップです。私たちの飲み物はラッシーですけど、キース君には熱いマサラティー、元気が出るようスパイス入りのミルクティー。
「「「いっただっきまーす!」」」
食べるぞ、と合掌したダイニングですが、途端に背後で誰かの声が。
「こんにちはーっ!」
ぼくにもカレー! と出て来たソルジャー、紫のマントの正装です。「コレでカレーは気分が出ないかな」とパッと私服に着替えるが早いか、空いていた椅子にストンと座って。
「それとね、飲み物も…。えーっと、キースとおんなじヤツで」
「マサラティーなの?」
あんまり好きじゃなさそうだけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「お砂糖とミルクはたっぷり入っているけれど…。スパイス多めに入れてあるから、甘いって感じはあんまりしないよ、マサラティー」
「そう、そのスパイス! 元気が出るんだよね?」
「うんっ! マサラティーの国だと、うんと暑いから、暑さに負けないようにスパイス!」
カレーとおんなじ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は笑顔です。
「えっとね、スパイスはお薬なの! 効き目で色々選ぶんだよ!」
漢方薬みたいなものだから、という説明にソルジャーの瞳が何故かキラリと。
「やっぱり漢方薬なのかい?」
「ちょっと違うけど…。アーユルヴェーダだったかなあ…。でもでも、お薬!」
カレーの国ではお薬なの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャーは「それは良かった」と嬉しそうに。
「来た甲斐があったよ、それじゃ、ぼくにもマサラティー! キースと同じヤツ!」
「…スパイス、ちゃんと変えられるよ?」
お店で出るようなマサラティーにも出来るし、もっとスパイス控えめにも…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は言ったのですけど。
「そのままで! お彼岸バテに効くとかいうヤツで!」
それとスタミナカレーでお願い、と注文しているソルジャー。まさかソルジャーもお彼岸バテってことは無いですよね、お坊さんとは違いますしね…?



間もなくソルジャーの前にもスタミナカレーとマサラティー。ニンニクたっぷりのシーフードカレーはソルジャーの口にも合ったようですが、マサラティーの方は…。
「…うーん…。なんと言ったらいいんだろう…」
もはや紅茶とは違う気がする、とカップを手にして悩むソルジャー。
「香りも別物、ミルクの味もあんまりしないし…。甘いどころかピリッとしてるし…」
「だから言ったのに…」
あんまり好きじゃなさそうだよって、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キース君も自分用のを飲みながら些か呆れた風で。
「自業自得だとは思うんだがな…。あんた向けにアレンジして貰うんなら、ミルクだな」
それと砂糖を追加でよかろう、とキース君。
「半分ほどに減らして貰って、ミルクと砂糖を追加して貰え」
「減らすって…。それじゃ、減らして貰った分はどうなるんだい?」
「もったいない話だが、捨てるしかなかろう」
あんたが口をつけた以上は、とキース君は左手首の数珠レットの珠を一つ繰って。
「仏様にはお詫びしておいてやったぞ、捨てる分は施餓鬼しますから、とな」
「施餓鬼って?」
「餓鬼道というのがあってだな…。そこに落ちると、食べ物も水も火に変わってしまって何も食えなくて飢えるわけだ。その餓鬼に食べ物をどうぞ、と供養するのが施餓鬼だ」
「…残り物でもいいのかい?」
飲み残しでも、とソルジャーがマサラティーのカップを指差すと。
「本来は食べる前にやるものだが…。修行中だと、飯粒を「餓鬼に」と取り分けることもあったりするんだが、口をつけたものでも捨てるよりはな」
だから遠慮なく捨てて貰え、とキース君は言ったのですけど。
「もったいないよ、誰かにお裾分けなんて!」
こんな有難い飲み物を、とソルジャーはカップを自分の口へと。ゴクリと一口、また一口。半分ほどになった所で「そるじゃぁ・ぶるぅ」に…。
「ちゃんと減らしたから、ミルクと砂糖を追加でお願い!」
「オッケー!」
足してくるね、とキッチンに走る「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいいんですけど、ソルジャー、餓鬼に施すよりかは飲もうというのが凄すぎです…。



食べ物も水も火に変わる世界、何も食べられずに飢えに苦しむ世界が餓鬼道。そこに住んでいる餓鬼の上前をはねると言ったら少し変ですが、施すくらいなら飲んでしまえとマサラティーをゴクゴク飲んでしまったのがソルジャーで。
「…あんた、どういう神経なんだ」
気の毒な餓鬼に施そうとは思わないのか、とキース君が顔を顰めると。
「うーん…。ぼくのシャングリラの食事だったら、いくらでも!」
あんな面倒な食事をするより、栄養剤で充分だから、と天晴れな返事。
「そっちだったら、もう喜んで! 次の食事は全部あげるから、施餓鬼だっけ?」
それをよろしく、というのも酷い話で。
「おい、食べ物の有難さというのを分かっているのか? とても分かっていそうにないが」
何が施餓鬼だ、と睨み付けている副住職。
「要らないからくれてやろう、というのは施餓鬼の本来の精神からだな…」
「施餓鬼の話はどうでもいいよ。食べ物の有難さだったら、分かっているから!」
だからこそ飲んだ、とソルジャーが返した所へ「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「はい!」とマサラティーのカップを持って戻って来ました。
「ミルクとお砂糖、足して来たよ! これでいけると思うんだけど!」
「ありがとう! うん、美味しいね」
甘さが増した、と喜ぶソルジャー。
「この味だったら充分飲めるよ、でも、効能は落ちていないんだよね?」
「えーっと…。比べるんなら、さっきの方がずっとスタミナがつくんだけれど…。でもでも、さっき入れて来た分は飲んだわけだし、合わせればきっと大丈夫!」
元気が出るよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニッコリと。
「お彼岸バテも治ると思うの、これとカレーで! …だけど、お彼岸、何処でやったの?」
シャングリラにお彼岸はあったっけ、という質問。待ってましたよ、私も知りたかったんです。ソルジャーの世界でお彼岸バテって、どう考えても有り得ませんから~!



スタミナたっぷりのニンニク入りのシーフードカレー、それとマサラティーが目当てで来たソルジャー。「来た甲斐があった」と言ってましたし、口に合わないマサラティーだって餓鬼に施すより飲んでしまえな方向でしたし、バテてるんだと思うのです。
けれども、キース君と同じなお彼岸バテは無さそうな世界、何処でバテたかが気になる所。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお蔭で謎が解けそうですけど、ソルジャーは「え?」と。
「お彼岸って…。ぼくのシャングリラにお彼岸なんかは無いけれど?」
そもそもお坊さんがいないし、と返った返事。
「だから無いねえ、お彼岸なんかは! もちろん、お盆も!」
「え? でも…。お彼岸バテだから、スタミナカレーでマサラティーでしょ?」
キースのために作ったんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「普通のシーフードカレーのつもりだったけど、キースがお彼岸バテだから…。スタミナのつく食事にしてあげて、ってブルーが言ったし…」
だから飲み物もマサラティーなの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が説明すると。
「そこだよ、スタミナって所なんだよ! ぼくはそっちが欲しくって!」
「お彼岸バテでしょ?」
「違うよ、スタミナをつけたいんだよ!」
これからの季節は大いにスタミナをつけたいから、とソルジャーはスタミナカレーを頬張って。
「ニンニクなんかは王道だよねえ、スタミナの! これも嬉しい食事だねえ…」
「…あんた、いったい何がしたいんだ?」
餓鬼の上前まではねやがって、とキース君が突っ込むと。
「もちろん、体力づくりだよ! スタミナをつけて頑張らなくちゃね!」
「…墓回向をか?」
「お彼岸は無いと言ったじゃないか。そういう世界でスタミナと言えば!」
「「「…スタミナと言えば…?」」」
オウム返しにハモッてしまった私たち。ソルジャーはカレーをパクリとスプーンで一口、モグモグしてから高らかに。
「スタミナをつけて、やることは一つ! 食欲の秋で、性欲の秋!」
人肌恋しくなる秋こそセックス! と強烈な台詞。そういやソルジャー、秋になったら言ってますかねえ、食欲の秋で性欲の秋…。



ソルジャー曰く、やることは一つ。スタミナをつけたら大人の時間で、キャプテンと過ごすつもりです。けれど、ソルジャーがスタミナをつけても、あんまり意味は無いんじゃあ…?
会長さんもそう思ったらしくて。
「君の話はそこまでにして、と…。レッドカードは出したくないから、そこでおしまい。でもね、君がスタミナをつけた所で意味が無いように思うけど?」
「どうしてさ?」
「えーっと…。ちょっと言いにくいんだけど…」
「分かるよ、スタミナはハーレイの方だと言いたいんだろう?」
ぼくは受け身の方だからね、とソルジャー、サラリと。
「本来、スタミナをつけて励むべきなのはハーレイだけど…。ぼくも疲れを持ち越さないのが大切だからさ、それで試してみるのが一番!」
「「「へ?」」」
「スタミナカレーとマサラティーとで、どこまでスタミナがついたかだよ! 今夜もハーレイと大いに楽しむつもりだし…。ぼくがパワーアップしているようなら、使えるわけ!」
スタミナカレーもマサラティーも、と言うソルジャー。
「ぼくは寝起きが悪い方でねえ…。それが明日の朝、スッキリと目が覚めるようなら効くんだよ! スタミナカレーとマサラティーは!」
「それはそうかもしれないけれど…」
会長さんが腕組みをして。
「だったら、君はこれから毎日のようにスタミナカレーとマサラティーを作れと言ってくるわけ、スタミナのために?」
「もちろん、お願いしたいねえ! ぼくの分と、ついでにハーレイのもね!」
「毎日、カレーとマサラティーとでいいのかい?」
「そうだけど?」
ぼくは元々、栄養剤で充分だという人間だから、とソルジャーは何とも思っていませんけれども、キャプテンの方は絶対違うと思います。毎日、毎日、同じ食事じゃ飽きるのでは…。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も心配そうに。
「んとんと…。そんなお食事、ハーレイが困ってしまわない?」
もっと色々、食べたくなると思うんだけど、という意見。誰だって普通はそうですよねえ?



食事の代わりに栄養剤でもいいと言うソルジャー、毎日がカレーとマサラティーでもいい模様。スタミナさえつけばいいようですけど、スタミナっていうのは…。
「食事で摂るなら、バリエーション豊かにするべきだろうと思うけどね?」
食べる楽しみもスタミナの内、と会長さん。
「土用の丑のウナギもそうだよ、あの日に食べるから美味しく感じてスタミナもバッチリ! それが毎日ウナギだったら、なんだかねえ…」
「逆にゲンナリしそうではあるな」
仮にスタミナがついたとしても、とキース君が頷いています。
「またウナギか、と思わないように料理してあれば話は別だが…」
「そういうものかい、食事って?」
「あんたには分からんだろうがな!」
餓鬼の上前をはねるかと思えば、要らない食事を餓鬼にやろうというヤツだ、と副住職。
「食べ物は感謝して頂くものだが、素人さんには難しい。ワンパターンとなったら尚のことだ」
「分かるぜ、俺だって毎日同じだと溜息コースは確実だしよ」
これでも坊主の端くれなのに、とサム君が。
「だからよ、毎日カレーってヤツはよ…。俺もお勧め出来ねえよ」
「ふうん…? でもね、ぼくだと充分なわけで…」
とにかくスタミナ! とソルジャーはスタミナカレーを綺麗に食べ終え、マサラティーもすっかり飲み干して。
「さてと、どれだけスタミナがついているだろう? 今夜が楽しみになってきたよ!」
「…効果があったら、君のハーレイも君も、明日からスタミナカレーとマサラティーだと?」
どうかと思う、と会長さんが溜息をつくと、ソルジャーが。
「そう言うのなら、バリエーションってヤツを考えといてよ!」
「「「は?」」」
「バリエーションだよ、同じカレーでも味付けがちょっと変わるとか!」
そういう方向で何か考えて、とソルジャーはまるで他人任せで。
「ぼくのやり方がマズイと言うなら、解決策の方をよろしく! それじゃ、御馳走様ーっ!」
効果があったら、明日、報告に来るからね! と手を振ってソルジャーは消えてしまいました。お昼御飯でつけたスタミナ、夜まで効果はあるんですかねえ…?



ソルジャーが帰って行ってしまった後、私たちは溜息をつくしかなくて。
「…なんだったんでしょう、アレ…?」
スタミナカレーは効くんでしょうか、とシロエ君。
「キース先輩、どんな感じですか? お彼岸バテは?」
「…食べる前よりは楽になったな、マサラティーのお蔭もありそうだ」
ホットコーヒーに比べれば遥かに効いた気がする、とキース君は少し元気を取り戻した様子。
「後でもう一杯、頼めるか? …面倒でないなら」
「かみお~ん♪ スパイスはちゃんと買ってあるから、紅茶と一緒に煮るだけだよ!」
だから簡単! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「えっとね、スパイスはお薬だから…。元気が出るヤツとか色々あるの!」
カレーの国にお出掛けすれば、とニコニコと。
「本場のスパイスが欲しくなったら買いに行くしね、そのついでに買ってくるんだよ!」
マサラティー用にブレンドしたヤツ、と言われて納得、本場モノ。それは確かに効きそうです。漢方薬と同じ理屈か、と思ったアーユルヴェーダとやらのスパイス。これでキース君も完全復活するといいね、と午後のおやつにもマサラティーが出され…。
「かなり復活出来た気がする。後は一晩ぐっすり眠れば治るだろう」
しかし大事を取って飲み物は今夜も温かいものを…、と言うキース君に会長さんが。
「スタミナをつけるなら、晩御飯は焼肉だねえ…。ガーリックライスなんかもつけて」
「すまんな、俺がバテてしまったばっかりに…」
「焼肉はみんな大好物だし、特に問題無いと思うよ」
ねえ? と訊かれて「うん」と頷く私たち。会長さんの家の焼肉パーティーはマザー農場のお肉ですから美味しいのです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「ちょっと貰ってくる!」と焼肉用のお肉や野菜を分けて貰いにマザー農場へと瞬間移動で出掛けましたが…。
「見て見て、こんなの貰って来ちゃったー!」
キースにピッタリ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が高く差し上げた瓶。えーっと…?
「スタミナがつくタレなんだって! マザー農場特製だよ!」
こんなのがあるって知らなかった、と言ってますけど。それっていわゆる「まかない」ですかね、お客さんに出すための料理と違って、従業員の人とかが食べるという…?



焼肉の材料の調達に出掛けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が貰って来たタレ。瓶には何も書かれていなくて、如何にも自家製といった雰囲気です。焼肉用のタレなのかな…?
「んーとね、色々使えるらしいよ? 焼肉にも、お肉の下味とかにも…。お料理にも!」
マザー農場の秘伝だって! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意そう。秘伝だったら、まかないとかではないんでしょうか?
「食堂でもよく使っています、って言っていたから、お客さんにも出してると思う!」
今まで知らなかったけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瓶を見ているからには、隠し味に使っているのでしょう。そのまま使えば料理上手だけに「これは何?」と思うでしょうし…。
「ソルジャーのぼくも、タレというのは初耳だねえ…。マザー農場はソルジャー直轄じゃないし、知らなくっても不思議はないけど…」
スタミナがつくタレなのか、と会長さんは瓶を揺すってみています。相当に濃いタレだとみえて、ドロリとしているのが分かりますが…。
「それね、薄めて使うんだって! 焼肉のタレにするのなら!」
そのままだと濃すぎて強すぎるらしいの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「下味とか、お料理もちょっぴり入れれば充分だって!」
「なるほどねえ…。ぶるぅやぼくにも分からないわけだね、薄めて使っているんだったら」
「そうなの! 凄く色々入っているって言ってたよ!」
ニンニクも、それにスッポンエキスも…、とタレの説明が始まりました。スタミナがつく食材などをじっくり煮込んで樽で熟成、大量生産には向かないのだとか。ゆえに秘伝で、一般販売はしていないタレ。お彼岸バテのキース君にピッタリのタレじゃないですか!
「マザー農場の皆さんまでが俺を心配して下さったとは…。有難いことだ」
キース君が合掌した所へ、「タレだって!?」という声が。
「「「???」」」
誰だ、と思うまでもなく降って湧いたソルジャー、タレが入った瓶を引っ掴むと。
「これがスタミナがつくというタレ…。焼肉にも、他の料理にも使えるタレなんだね?」
「そうだけど…。焼肉、食べに来たの?」
お客様大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」は歓迎モードで、ソルジャーは。
「御馳走してくれるんなら、喜んで! このタレも是非、試したいから!」
スタミナをつけて性欲の秋! とブチ上げるソルジャー、戻って来ちゃったみたいです。スタミナカレーとマサラティーでは足りなかったかな…?



晩御飯は、戻って来てしまったソルジャーも交えて焼肉パーティー。マザー農場の秘伝のタレは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が薄めてくれて、その味がまた絶品で。
「これってさあ…。マザー農場のジンギスカンの味に似ていない?」
ジョミー君が言ったら、マツカ君も。
「そうですね。一番近いのはあれですね」
収穫祭で御馳走になるジンギスカンの味ですよ、と言われてみれば、そういう味かもしれません。食堂で頂くステーキのソースも少し似ているかも…。
「まさか薄めていたとはねえ…。濃厚なソースを」
ぼくは煮詰めるものだとばかり、と会長さんが少し中身が減った瓶を眺めて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も「ぼくも」と首をコックンと。
「美味しくて複雑な味がするから、色々入れているんだろうな、って思ってたけど…。似たような味は家で作れるから、ちっとも不思議に思ってなかった…」
そんなに手間がかかったタレだったなんて! と感心しているお料理上手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、レシピを貰おうと考えているようです。せっかくだから自分も作ってみようと。
「いいねえ、ぶるぅが作るのかい?」
出来上がったら、ぼくにも是非! とソルジャーが。
「スタミナがつくタレと聞けばね、もう貰うしかないってね! スタミナカレーやマサラティーだと、こっちの世界へ食べに来るしかないけれど…。タレだったら!」
ぼくの世界の料理にかければ出来上がりだし、と無精者ならではの発言が。
「いろんな料理に使えるのなら、ちょっとかければ完成だしね!」
「…君のいい加減な性格からして、美味しくなるとも思えないけど?」
せっかくの美味しいタレが台無し、と会長さんがソルジャーをジロリと。けれどソルジャーが負ける筈もなくて。
「要は効き目があればいいんだよ、良薬は口に苦しだからね!」
多少マズくても、スタミナがつけばそれでオッケー! と突き上げる拳。
「それにさ、薄めて使ってもこの美味しさでさ、おまけにスタミナがつくんだよ? そのまま使えば効き目だって!」
一段と増すに違いない、と言ってますけど、相手はドロリとしたタレです。ほんの少しを薄めただけで焼肉パーティーに充分な量が出来上がったわけで、相当、濃いんじゃないですか…?



スタミナがつくらしい、マザー農場秘伝のタレ。濃厚すぎるタレは薄めて使用で、瓶の中身はそれほど減っていないというのに大人数での焼肉パーティーにたっぷり使えています。ソルジャーも入れて総勢十名、薄めたタレは器にまだまだ残ってますし…。
「…原液はどうかと思うけどねえ?」
濃すぎて不味いんじゃなかろうか、という会長さんの意見に「そるじゃぁ・ぶるぅ」も「そだね」と頭をピョコンと。
「辛すぎるだとか、甘いか辛いかも分からないほどとか、そんなのじゃないかな」
ちょっと試してみる! と瞬間移動でヒョイと出て来た料理用の竹串、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はタレの瓶を開けて串の先っぽを突っ込んでみて…。取り出した串を舌でペロリと。
「…どうでした?」
味は、とシロエ君が訊くと、「美味しい!」という意外すぎる答え。
「美味しいわけ?」
薄めてないよ、とジョミー君も目を丸くしてますけれど。
「でも、美味しい! ちょっぴり舐めただけだったから…。きっと口の中で薄まるんだよ」
焼肉のタレと同じ美味しさ、との話に、ソルジャーは。
「それなら原液も充分いけるね、どのくらいスタミナがつくのか試していいかな?」
「…君が使うのかい?」
あんまりお勧めしないけどねえ…、と会長さん。
「ぶるぅは少し舐めただけだし、美味しかったかもしれないけれど…。そのままタレに使ったりしたら、それこそ火を噴く辛さかも…」
「ぼくで試すって誰が言った? スタミナのつき具合ってヤツを知りたいんだよ、ぼくは!」
こっちのハーレイに決まっているだろう! というソルジャーの台詞。教頭先生で試すだなんて、焼肉パーティーに御招待ですか?



タレの原液の効き目が知りたいソルジャー、試すなら教頭先生とのこと。会長さんが止めるのも聞かず、青いサイオンがキラリと光って、教頭先生が焼肉パーティーの場に。
「な、なんだ!?」
驚いておられる教頭先生に、ソルジャーは。
「こんばんは。御覧の通りに焼肉パーティーをやっててさ…。美味しいタレが手に入ったから、君にも御馳走しようと思って」
まあ座ってよ、と椅子まで引っ張って来たソルジャー。教頭先生は「これはどうも…」と腰を下ろして、何も疑ってはいらっしゃらなくて。
「遠慮なく御馳走になることにします。…焼肉ですか」
「そう! このタレがホントに美味しくってねえ…」
これだけでも充分にいける味で、とソルジャーの手に小皿。私たちが薄めたタレを入れてるヤツですけれども、ソルジャーはそれに瓶から原液をドロリ。
「はい、まずはお試し! タレだけで味わってみてよ、肉は入れずに」
「そんなに美味しいタレなのですか。…では、早速…」
教頭先生は小皿を傾け、ドロリとしたタレを口に含んで、味わってからゴックンと。
「いい味ですねえ…! なんとも深くて複雑で」
「それは良かった。じゃあ、この後は焼肉でどうぞ」
薄めたタレもいけるんだよ、とソルジャーが小皿に薄めた方のタレを注ぎ足し、教頭先生は焼肉パーティーに本格的に参加なさったわけですが。暫く経つと…。
「…暑くないですか?」
「失礼だねえ…。クーラーは効いてると思うけど?」
ケチっていない、と会長さんが眉を吊り上げ、それから間もなく。
「…ちょ、ちょっと失礼を…」
席を立とうとする教頭先生。ソルジャーが「トイレかい?」と教頭先生の肩に手を置き、「トイレなんかに行かなくてもねえ、ここで充分!」と。
「なんだって!?」
ぼくの家を何だと思っているわけ!? と会長さんが怒鳴りましたが、ソルジャーは。
「生理的現象が別物なんだよ、ハーレイは催してきちゃったわけで…。こう、ムラムラと」
スタミナがついて! と満面の笑顔。それって、もしかしなくても…?



教頭先生の生理現象はズボンの前がキツイ方でした。トイレではなくて。ますますもって許し難いと会長さんが怒り狂って、ソルジャーは教頭先生に。
「困ったねえ…。ぼくとしてもなんとかしてあげたいけど…」
「え、ええ…。私も是非とも…」
お願いしたい気分です、と教頭先生は会長さんをチラリ。
「ブルー、こう仰っておられるのだし…。そのぅ、少しだな…」
「どういう神経をしているのさ! このぼくの前で、少しも何も!」
ぼく一筋だと思っていたのに、と会長さんが喚いているのに、教頭先生も「そう怒るな」と。
「今は最高に漲っているし、あちらのブルーと少しやっても、まだ充分に…」
「やるも何も、ヘタレには絶対、無理だから!」
やれると言うなら、今すぐにやれ! と会長さんのサイオンが炸裂、教頭先生のズボンや紅白縞のトランクスやらがパッと消滅。スウェナちゃんと私の視界にはモザイクがかかってしまって…。
「さあ、この状態で遠慮なくどうぞ! 出来るものなら!」
ブルーはそこにいるんだから、と会長さんが指差し、ソルジャーが。
「ここまで用意をして貰ったからには、ぼくも御奉仕しないとね! さてと…」
始めようか、と教頭先生の前に屈んだソルジャーですけど、そこはヘタレな教頭先生。ズボンや紅白縞が消えて焦っておられる所へ、ソルジャーが接近したわけですから…。
「「「………」」」
やっぱりこういう結末だったか、と呆れるしかない教頭先生の末路。椅子に腰掛けたままでブワッと鼻血で、そのまま失神。手足がダランとしちゃっています。
「えとえと…。ハーレイ、どうなっちゃったの?」
このタレって何か危ないものでも入ってたかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ぼくも舐めちゃったんだけど、と。
「らしいね、薄めずに飲むと危ないようだよ。ぶるぅは少しだから大丈夫だと思うけど…」
でも危ないねえ、とソルジャーが肩を竦めて、「人体実験ありがとう」と教頭先生を抱え、瞬間移動で家へと運んで行ったようです。直ぐに戻ると思いますけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「…なんか危ないタレみたいだよ?」
「いや、それは原液で使った時でだな…」
普通に使えば何も起こらない美味いタレだが、と話すキース君はお彼岸バテもスッキリだとか。適量を使えば美味しくて役立つ素敵なタレだと思いますけどね?



私たちは秘伝のタレの美味しさと効能を「そるじゃぁ・ぶるぅ」にせっせと力説、会長さんも「あれはブルーの使い方が悪かっただけだ」と言っているのに、お子様なだけに。
「でもでも…。ちょっぴり怖いと思うの、作り方を習うのはやめようと思う…」
「それはまあ…。作らない方がいいでしょうね」
何処かの誰かが狙ってますし、とシロエ君。
「ぶるぅが作れるとなったら大量に仕込めと言って来ますよ、あの調子だと」
「うんうん、たまに貰って使う方がずっといいと思うぜ」
肉を貰いに行ったついでに分けて貰えよ、とサム君が前向きに述べている所へ…。
「ただいまーっ! ハーレイはベッドに寝かせて来たよ」
大サービスでパジャマも着せておいた、とソルジャーが瞬間移動で戻って来ました。
「あっ、ぼくはパジャマを着せただけでさ、味見も試食もしていないから!」
「当たり前だよ! そのくらいはぼくも監視してたよ!」
君が妙なことをしないように、と会長さん。
「もっとも、君が本気になったら、その辺りも誤魔化されそうだけど…」
「ピンポーン! でもね、ハーレイに関してはやらないよ。君との友情は壊したくないし」
ところで…、とソルジャーの視線が例のタレの瓶に。
「ぶるぅ、このタレの危なさは分かったと思うんだ。…ぼくとしては作って欲しいけど…」
「やだやだ、怖いから作らないよう!」
「うん、その方が良さそうだよね。まさか、あそこまでとは思わなかったし…」
効き目が凄すぎ、と肩をブルッと震わせるソルジャー。
「それでね、危ないタレを持っていたくないなら、ぼくが貰って帰るけど…。そしたら無駄にはならないからねえ、キースが言ってた施餓鬼と同じで」
「でも、危ないよ? ハーレイも変になっちゃったし…。鼻血で気絶しちゃったし…」
「ぼくのハーレイなら大丈夫! だから、ぼくのシャングリラで料理に使おうかと…」
ちゃんと薄めて使うから! というソルジャーの言葉に、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「じゃあ、お願い!」とタレの瓶を前へと押し出しました。
「えっとね、薄め方、メモに書くから! 焼肉のタレにするならこれだけで…」
お料理の下味がこんな感じで、と薄める分量をメモにサラサラと。美味しかった秘伝のタレはソルジャーに横から掻っ攫われそうです、お彼岸バテも治ると噂の優れものなのに~!



こうしてタレはトンビにアブラゲ、まんまとソルジャーに掠め取られてしまいました。キース君のお彼岸バテも治ったスタミナ、焼肉パーティーをするならアレに限ると誰もが思う味だったのに。他のお料理でも味わいたかった、と文句をブツブツ、ようやっと秋になって来た頃。
「誰か、助けてーっ!」
誰でもいいから、と会長さんの家のリビングに飛び込んで来たソルジャー。例の秘伝のタレを手に入れてからは、とんと御無沙汰だった筈ですが…?
「助けてくれって…。今更、何を?」
あのタレなら、ぶるぅは作らないからね! と会長さんがツンケンと。
「君のお蔭で危ないタレだと思い込んじゃって、作るどころか貰いにも行ってくれないし…。あれからマザー農場に訊いたら、野菜炒めとかも美味しく出来るって言われたのに!」
ぼくたちは秘伝のタレで作る料理の美味しさを永遠に逃したんだから、と怒る会長さん。
「そりゃね、マザー農場に行けば食べられるよ? でもねえ…」
「俺たちは、ぶるぅならではのアレンジを楽しみたかったんだ!」
誰のせいだと思っているんだ、とキース君が怒鳴って、私たちもブーイングしたのですけど。
「それどころではないんだってば…! あのタレ、ホントに凄く効くから、全部なくなったらマザー農場から盗み出そうと思っていたのに…!」
「何か不都合でも?」
タレが樽ごと消えてたのかい、と会長さんがフンと鼻を鳴らせば。
「違うんだよ! ぶるぅが盗んで、悪戯で料理に混ぜちゃって…。そしたらスタミナが変な方へと行っちゃったんだよ、シャングリラ中が仕事モードなんだよ!」
「「「…はあ?」」」
「そのまんまだってば! 三日も前から誰もが仕事で、休む暇があったら仕事、仕事! ぼくのハーレイもガンガン仕事で、それだけで疲れて眠っちゃって!」
目が覚めたらブリッジに直行なのだ、とソルジャーは泣きの涙です。ソルジャーの世界の食材だか、それとも料理だか。…あのタレには合わなかったんでしょうか?
「分からないけど…! ぶるぅは今でもタレを何処かに隠している上に、こっちに来たら手に入るってことも知ってるんだよ…!」
このままでは、ぼくは永遠にハーレイにかまってもらえないんだけれど! と大騒ぎしているソルジャーですけど、いい薬だと思います。私たちの美味しいスタミナのタレを奪ったからには、報いがあっても当然でしょう。キャプテン、お仕事、これからも頑張って下さいね~!




            スタミナの秋・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 マザー農場で貰った、スタミナがつく秘伝のタレ。美味だったのに、ソルジャーが強奪。
 もう食べられない、と嘆く面々ですけど、ソルジャーが食らってしまった報い。天網恢恢…?
 さて、シャングリラ学園番外編、去る4月2日で連載開始から14周年となりました。
 今年で連載終了ですけど、目覚めの日を無事に迎えられたというわけです。まさに感無量。
 我ながら凄いと思ってしまう年月。今年いっぱい、根性で突っ走るしかないですね。
 次回は 「第3月曜」 5月16日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、4月はお花見。マツカ君の別荘にも出掛けたいわけで…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









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(今日はハーレイが来てくれるから…)
 頑張って掃除しなくっちゃ、と張り切ったブルー。爽やかに晴れた土曜日の朝に、朝食の後で。
 二階の自分の部屋に戻って、掃除の手順を確認して。
(床から始めて、ゴミ箱の中身もきちんと捨てて…)
 勉強机も棚とかも…、と取り掛かった掃除。いつも自分でするのだけれども、週末は普段よりも念入りに。ベッドの下とかだけではなくて。もっと細かい所まで。
(だって、ハーレイが来るんだものね?)
 一日一緒に過ごすのだから、綺麗な部屋で迎えたい。埃の一つも無いように。窓ガラスだって、まるで嵌まっていないかのように。
(頑張らなくちゃ…)
 ぼくの部屋だもの、と一人で掃除を済ませた部屋。友達はみんな、母親任せらしいけど。学校に出掛けて留守の間に、掃除して貰うのが常の友人たち。
(任せっ放しだから、色々、隠されちゃうのにね?)
 勉強の邪魔になりそうな本や、ゲームとかを。掃除のついでに「これなのね」と持って行かれてしまって、後から困ることになる。頼んでも返して貰えないから。
(そうなっちゃうのに、掃除、自分でしないんだから…)
 不思議だよね、と思うけれども、変なのは自分の方かもしれない。小さな頃から綺麗好き。今も同じに綺麗好きだし、前の生でも…。
(綺麗好きすぎて、青の間、係が掃除しちゃって…)
 前の自分がメギドに飛び立った時に、何も知らなかった部屋付きの係。部屋の主が二度と戻って来ないなどとは思わないから、心をこめて掃除をした。
 「お帰りになったら、直ぐにお休みになれるように」と、大騒ぎだったシャングリラの中で。
 メギドの炎でパニックの者たちも多かった中で、頑張った係。「これが自分の仕事だから」と。
 そのせいで、何も残りはしなかった部屋。
 後でハーレイが形見を探しに入っても。…銀色の髪の一筋さえも。



 ぼくのせいだよね、とコツンと叩いた頭。「ハーレイに悪いことをしちゃった」と。
 けれど、それくらいの綺麗好きだし、今の自分もそっくり同じ。朝からせっせと掃除した部屋。窓際に置かれた、ハーレイと座る椅子とテーブル。それも整えて大満足。
 勉強机の前に座って、部屋をぐるりと眺め回して…。
(よし!)
 これで完成、と大きく頷いた。いつハーレイが来ても大丈夫、と。
 そうは思っても、まだ早い時間。この時間には、来ないハーレイ。早すぎる訪問は、ハーレイにとってはマナー違反になるらしい。母たちに迷惑がかかるから、と。
 まだ来ないよね、と壁の時計を見てから、ふと思ったこと。此処は自分の部屋だけれども…。
(すっかりハーレイの部屋だよね…)
 ハーレイがいたって可笑しくない部屋、と見回した。扉を開けて入って来る姿も、窓際の椅子に座る姿も、今では馴染みの光景だから。
 何処かにハーレイの姿があるのが普通になってしまった部屋。この部屋に溶け込んでいる恋人。
 来ない日の方が多くても。…いない時間の方が遥かに長くても。
 それに、この部屋にはハーレイ用の椅子だってある。ハーレイが座るためだけの椅子。
 何度もハーレイが座っている内に、重い体重で座面が少しへこんだ椅子。窓際に置かれた椅子の片方。よくよく見ないと分からないけれど、ハーレイが座る椅子はそうなっている。
 前のハーレイのマントの緑を淡くしたような、若い苔の色をした座面。それが少しだけ。
(こんな日が来るなんて、思わなかったよ…)
 自分の部屋に、恋人がやって来るなんて。
 どっしりと重たい椅子とテーブルが、そのためにあった家具だなんて。
 今ではすっかり、ハーレイのための椅子とテーブル。いつも二人で向かい合わせに座る場所。



 ホントに不思議、と眺めた窓際のテーブルと椅子。
 ハーレイが来たら、其処でお茶とお菓子をお供にお喋り。休日だったら、昼食も。二人分なら、充分に置けるテーブルだから。
 とても役立つ、頼もしい家具。ハーレイのための椅子までついているけれど…。
(あのテーブルとかを買って貰った時は…)
 子供らしくない、と思ったものだった。何処から見たって来客用で、客間が似合いそうな家具。もっと軽やかなものがいいのに、と。それに「無くてもいいのに」とも。
 そう考えたのに、今では部屋にピッタリになったテーブルと椅子。今も子供の自分はともかく、大人のハーレイには良く似合う。まるでハーレイのために買ったみたいに。
 デザインも、それに椅子の座面の色も。「あれで良かった」と心の底から思う家具たち。
(子供用のベッドを買い替える時に…)
 テーブルと椅子もやって来た。両親が「これがいい」と選んでくれたもの。
 あれが置かれて、ガラリと変わった部屋の雰囲気。
 幼い子供が暮らす部屋から、ちょっぴりお兄ちゃんの部屋へと。部屋にお客が来るお兄ちゃん。
 もっとも、テーブルと椅子が来たって、友達は滅多に使いはしなかったけれど。
 部屋で大人しく遊ぶよりかは、かくれんぼだとか。おやつの時間も、大勢だからダイニングで。
 あまり出番が来はしなかったテーブルと椅子。
 それが今では大活躍で、片方の椅子はハーレイ専用。



 変われば変わるものだよね、と思う家具たち。それに、ハーレイがいるのが当たり前の部屋。
 前は考えもしなかったのに。恋人が訪ねて来ることなんか。…恋人が出来ることだって。
(ずうっと、この部屋で暮らすんだったら…)
 また模様替えもするのだろう。今はまだ、子供部屋だから。ちょっぴりお兄ちゃんの部屋でも、大人の部屋とは違うから。
 窓際のテーブルと椅子は立派に来客用でも、勉強机は大人用の机になってはいない。父の書斎にあるような机、作りからして重厚に見える机には。
(上の学校に進む時とかに…)
 多分、買い替えになるだろう机。また両親が決めてくれるとか、今度は自分で選ぶとか。
 けれど、上の学校には行かないと決めている自分。上の学校に行ける年になったら、結婚だって出来る年齢。今の学校を卒業したら、十八歳になるのだから。
 待ち遠しい年が十八歳。ハーレイの所へお嫁に行くから、上の学校には行かないし…。
(部屋はこのまま…)
 模様替えはしないで、机を買い替えることも無い。部屋の持ち主はハーレイの家に引越し。
 そうして此処に残った部屋は、帰って来た時には迎えてくれる。「お帰りなさい」と、長いこと此処で暮らしていた自分を。
 テーブルと椅子は持って行こうと思っているから、家具はちょっぴり減っていたって、今の姿と変わらずに。
 子供時代のままの部屋。自分がお嫁に行ってしまっても、大人の世界の仲間入りでも。



 たまにこの家に帰って来たなら、懐かしく思うだろう部屋。思い出が沢山詰まっているから。
 此処で過ごした時の欠片を、そっくり閉じ込めた部屋だから。…時間を止めている部屋は。
 買い替えずに終わった勉強机の前に座って、キョロキョロ見回すだろうけれども…。
(部屋には、少し可哀相かな?)
 これ以上、大きくなれないから。
 子供用の部屋のままで時間が止まってしまって、大人用の部屋に変身させては貰えないから。
 上の学校に通う生徒に相応しい机が入るとか。他にも色々、大人らしく変わってゆくだとか。
 自分が此処に住み続けるなら、部屋も育ってゆくけれど。…自分と一緒に、もっと大きく。
(でも、いいよね?)
 そうなるまでには、十八年ほど幸せに使ったのだから。
 最初は子供用の小さなベッドが置かれて、勉強机なんかは無し。幼稚園では、まだしない勉強。絵を描くなら床で充分なのだし、絵本を読むにも床やベッドがあればいい。
 下の学校に入る時に机を買って貰って、その机も途中で今のに変わった。子供用のベッドが今のベッドに変わったように。
 ベッドが今のに変わる時には、来客用のテーブルと椅子もやって来た。他の家具だって、自分の成長に合わせて色々と増えていった筈。
(…一歳の時には、まだこの部屋は使ってないかな?)
 赤ん坊を一人で寝かせておくには広すぎる部屋。ベビーベッドは別の部屋に置かれて、ベッドの上に吊るす飾りも此処には無かったかもしれない。
 それでも準備はしてあった筈。
 子供が出来たと分かった時から、両親はきっと、部屋のプランを立てていた。
 どういう部屋が喜ばれるかと、まだ生まれても来ない子供を想像して。二人であれこれ、色々なことを相談して。



(その前からだって…)
 自分が母のお腹に宿る前から、この部屋は子供部屋だったのだろう。家を建てる時から、此処に作ろうと両親が決めていた部屋。二階の此処、と。
 もしかしたら、他にも何処かにあったかもしれない子供部屋。二人目の子供が生まれて来たら、その子に使わせるつもりだった部屋が。
(隣の部屋とか…)
 最初は子供部屋として作られた部屋かもしれない。一人っ子でなければ、弟か妹が貰った部屋。今は普通の部屋だけれども、そうはならずに子供部屋になって。
 可能性としては充分にある。子供が何人生まれて来るか、今でも誰も予知など出来ない。
 ハーレイの家にも子供部屋があるくらいなのだし、この部屋の他にも子供部屋。神様が弟か妹を届けてくれていたら、使う筈だった部屋が何処かに。
 一人っ子だったから、子供部屋は一つになったのだけれど。自分が使っているのだけれども…。
(ハーレイの家のは使わないよね…)
 あの部屋も子供部屋なんだけど、と思った途端に、「可哀相」と浮かんだ、さっきの考え。
 いつか自分がお嫁に行ったら、この部屋の時間は止まってしまう。もう大きくはなれないで。
 部屋の住人の成長と一緒に、育ってゆく筈だった部屋。家具が大人用になったりして。
 それが出来ずに、大きくなれない自分の部屋。子供部屋のままで時が止まる部屋は、可哀相だと考えたけれど…。
(ハーレイの家の子供部屋は…)
 もっと可哀相な部屋なんだ、と気が付いた。
 子供部屋として生まれて来たのに、使って貰えないのだから。
 いくら待っても、使う子供は来ない部屋。
 住人がいない今の姿で、いつまでもポツンと残るしかない。使う子供がいない以上は。



 一度だけ見た、ハーレイの家の子供部屋。遊びに出掛けて、家中を案内して貰った時に。
 「この部屋は子供部屋なんだ」と扉を開けてくれたハーレイ。「俺の親父も気が早いよな」と。
 子供部屋だって必要だ、とハーレイの父が用意した部屋。いつか子供が生まれるのだから、子供部屋も作っておかないと、と。
 その子供部屋が使われないまま、放っておかれることになるのは…。
(ぼくのせいなの…?)
 ハーレイが貰う「お嫁さん」は自分で、男だから。
 男の自分がお嫁さんでは、どう頑張っても、子供が生まれはしないから。
(…あの子供部屋…)
 ぼくのせいでとても可哀相、と見開いた瞳。待っても子供が来ないなんて、と。
 子供部屋として用意されたのに、肝心の子供が来ない部屋。育ってゆくことが出来ない部屋。
 其処に子供がやって来たなら、部屋は育ってゆけるのに。
 この部屋が育って来たように。家具を増やしたり買い替えたりして、部屋も成長して来たのに。
 けれど、育たないハーレイの家の子供部屋。
 あの部屋と一緒に育ってゆく子は、何処からもやって来ないから。子供が生まれはしないから。
(…ぼくが男だから、子供、生まれて来なくって…)
 子供部屋の出番は来ないまま。部屋は成長出来ないまま。
 もしも自分が女の子として生まれていたなら、ちゃんと出番があったのに。ハーレイとの子供が生まれるだろうし、その子の部屋になったのに。…子供部屋を貰う頃になったら。
(…ハーレイ、どんなぼくでも好きになるって…)
 猫でも、小鳥でも、何に生まれていたとしたって。…人間ではない姿でも。
 ハーレイはそう言っていたのだし、女の子でも、きっと大丈夫。今の自分が女の子でも。
 考えたことも無かったけれども、その方が良かったのかもしれない。
 女の子だったら、誰が見たって「お嫁さん」。
 男同士よりも普通のカップル、驚く人は何処にもいない。結婚式を挙げる時にも、結婚した後にハーレイが紹介する時にも。「俺の嫁さんだ」と、友達や先輩や、色々な人に。
 それに子供も生まれて来る。結婚して一緒に暮らし始めたら、あの子供部屋を貰う子供が。



 今のままだと育てない部屋、育つことが出来ないハーレイの家の子供部屋。
 其処を使う子供がいないから。男の自分は「お嫁さん」になれるというだけ、ハーレイの子供は産めないから。
(ぼく、失敗した…?)
 今の自分が持つべき姿を、間違えてしまっただろうか。男に生まれて来たなんて。
 新しい命と身体を貰って生まれ変わるのなら、女の子になれば良かったのに。同じように新しい身体になるなら、前の自分とそっくりではなくて女の子。
 そうしていたなら、子供部屋にも出番はあった。育つことの出来ない可哀相な部屋にならずに、子供と一緒に育ってゆけた。あの部屋を貰う子供と一緒に。
(…そしたら、部屋も喜んだよね…?)
 うんとヤンチャな子供が生まれて、壁に落書きされたって。少しも部屋を片付けない子で、足の踏み場も無くなったって。
(放っておかれる部屋よりは、ずっと…)
 幸せな部屋になっただろう。落書きだらけの壁になっても、本やオモチャが転がっていても。
 子供部屋は子供のための部屋だし、ちゃんと成長してゆけるから。
 いつかは壁から落書きが消えて、床もきちんと綺麗になる。子供が育っていったなら。
(…ぼくが女の子に生まれていたら…)
 そうなった筈の子供部屋。
 ハーレイと幸せに暮らせるのならば、女の子でも良かったのに。前とそっくり同じでなくても、少しも困りはしなかったのに。
(…ハーレイと結婚出来るなら…)
 二人一緒に生きてゆけるなら、前の姿にはこだわらない。男でなくても、かまいはしない。
 生まれ変わる時に、神様に「女の子になりたい」とお願いすれば良かっただろうか。
 そして女の子の身体を貰って、ハーレイのお嫁さんになる。
 子供が生まれるお嫁さんに。…子供部屋の出番があるお嫁さんに。



 間違えたかも、と思う自分の身体。「選べたのに、失敗しちゃったかも」と。
 きっと生まれ変わる前にだったら、選ぶことだって出来た筈。前と同じに男の子になるか、女の子の身体を貰うのがいいか。
 選んでいいなら、女の子にしておくべきだった。前とそっくり同じ身体を選んだけれど。
(…ハーレイも、そう思ってるかも…)
 新しい身体になるのだったら、女の子に生まれて来た自分。その方が嬉しかったかもしれない。今度は結婚出来るのだから、子供だって産める「お嫁さん」が。
(…ハーレイ、喜んでいたかもね…)
 今の自分が女の子だったら、今よりも、もっと。男の子の自分に出会うよりも、ずっと。
(どうなの、ハーレイ…?)
 今から女の子になるのは無理だけれども、ハーレイに確かめたい気分。
 そっちの方が良かったかな、と。「ぼくは、女の子の方が良かった?」と。
(ハーレイの家の、子供部屋のためにも…)
 その方がいいに決まってるよね、と考えていたら、聞こえたチャイム。天気がいいから、歩いてやって来たハーレイ。休日は時間がたっぷりあるから、のんびりと。
 母がお茶とお菓子を運んで来てくれた後、テーブルを挟んで向かい合わせに座って訊いた。
「あのね、ぼく…。女の子の方が良かったかな?」
「はあ? 女の子って…」
 お前がか、とハーレイの瞳が丸くなるから、「そう」と自分を指差した。
「ハーレイ、何度も言っているでしょ。…どんなぼくでも好きになる、って」
 ぼくが猫とか小鳥とかでも、ハーレイ、見付けてくれるって…。好きになるって…。
 動物じゃなくて、女の子のぼくでも好きになる?
 今のぼくは前と同じだけれども、ぼくが女の子になってても…?
「そりゃまあ……なあ?」
 男だろうが、女だろうが、お前なのには違いない。
 もちろん俺は一目で惚れるんだろうし、お前しか見えちゃいないだろう。
 俺にはお前しかいないんだから。…前の俺だった時から、ずっと。



 今の俺にはお前だけだ、とハーレイは迷いもせずに答えたけれど。
 女の子の姿に生まれていたって、好きになってくれるらしいけれども、それならば…。
「…ハーレイは、そっちの方が良かった?」
 今みたいに男のぼくじゃなくって、女の子のぼく。…女の子でも好きになるんなら…。
 女の子のぼくだった方が良かったりするの、ハーレイは…?
 どっちなの、と鳶色の瞳を見詰めた。「女の子の方が良かったと思う?」と。
「おいおい、何を言い出すんだか…。俺にとっては、お前の姿が一番でだな…」
 今はチビだが、いずれは前のお前と同じに育つだろうが。
 俺はそういうお前が好きでだ、選べるんなら、今のお前が何よりもいいと思うがな…?
 同じ顔立ちをしてるにしたって、女よりかは男だ、うん。
「本当に…? ハーレイ、ホントに今のぼくでいいの?」
 女の子のぼくでなくってもいいの、子供部屋まで家にあるのに…?
「何なんだ、そりゃ? 子供部屋って…」
 確かに子供部屋ならあるが…、とハーレイは怪訝そうな顔。「あれがあったらどうした?」と。
 「お前が女の子になるというのと、子供部屋がどう繋がるんだ?」と。
「…子供部屋、可哀相だと思って…。だって、出番が来ないままでしょ?」
 せっかく子供部屋があるのに、子供、生まれて来ないから…。
 ぼくは男で、子供なんかは産めないから。
 女の子だったら、子供部屋、役に立てたのに…。生まれて来る子に使って貰えたのに…。
 それにハーレイだって、ぼくが女の子の方が良くない?
 男同士のカップルじゃなくて、普通のカップルになれるんだから。…ごく当たり前の。
「お前なあ…。さっきも言ったが、俺にはお前が一番なんだ。前とそっくり同じお前が」
 そうするためには、お前は男でなくっちゃな。今のお前で丁度いいんだ。
 女の子のお前に出会っちまったら、その時は仕方ないんだが…。
 いや、間違いなくお前を好きにはなるんだが…。



 きっと途惑っちまうだろうな、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 まるで勝手が違うんだから、と。
「違うって…。どういう意味?」
 見た目は違うと思うけど…。顔は同じでも、身体は女の子になっちゃうから…。
 ハーレイと初めて出会った時には、制服、スカートだろうけど…。
「そんなのは大した問題じゃない。スカートだろうが、ズボンだろうが、そんなことはな」
 問題はお前が女だってことだ。…前のお前と違ってな。
 そういうお前を、男のお前と同じように扱っていいのかってこった。
 其処が困った問題だよな、とハーレイが顎に手をやるから。
「同じでいいと思うけど?」
 ぼくはぼくだし、中身はおんなじ。…女の子になったっていうだけだよ。
 ハーレイは何も困らないでしょ、生徒な所も同じなんだし…。
 同じ扱いでいい筈だよ、と言ったのに。
「どうなんだか…。お前が女の子だった場合は、難しいぞ?」
 いくら前の俺たちがソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイにしても、やっぱりなあ…。
 女の子の部屋に男の俺が入るとなったら、お前のお母さんたちだって心配だろう。
 どちらかと言えば、お父さんの方かもしれんな、俺をジロジロ眺めるのは。
 娘に近付く男というのを、父親は警戒するらしいから。
 お父さんたちに心配かけないためには、この部屋のドアはいつでも開けておくとか…。
 この部屋で二人で会ったりしないで、リビングとか客間で話すだとかな。
 でないと俺が疑われちまう、と妙な心配をしているハーレイ。「お前が女だと、そうなるぞ」と大真面目な顔で。
「大丈夫なんじゃないのかなあ…。ずっと昔は、ぼくたち、友達だったんだしね」
 ソルジャーとキャプテンの頃はそうでしょ、ママたちは何も知らないんだから。
「そうもいかんぞ、お前が女になっちまったら」
 俺がお前を見る目も変わってくるかもしれん、と周りは考えちまうだろう。
 実際、幼馴染の二人が結婚しちまうことも多いのが世の中ってヤツだから…。
 子供の頃には仲良く走り回っていたのに、いつの間にやら、友情が恋に変わっちまって。



 そいつと全く同じ理屈だ、とハーレイが軽く広げた両手。「女だったら厄介だぞ?」と。
「お前の方でも、学校の友達に訊かれるかもな。…やたらと俺と一緒にいたら」
 ハーレイ先生は恋人なのか、と尋ねるヤツやら、付き合ってるのかと訊くヤツやら。
 女の子なら、友達も当然、女の子が多くなるんだし…。女の子は恋の話をするのが大好きだ。
 お前、そういう質問を全部、サラリと上手に躱せるんだか…。
 前のお前なら得意そうだが、今のお前は何でも顔に出ちまうからな。
「そっか…。パパやママは平気でも、学校の友達…」
 ぼくの顔、真っ赤になっちゃうかも…。ハーレイを好きか訊かれたら。
 それは確かに厄介だよね、と頷いた。「恋をしてるの、バレちゃいそうだよ」と。
「ほらな、今よりも遥かに大変なんだ。…お前が女の子に生まれていたら」
 其処を乗り越えて、無事に育ってくれても、だ…。
 前みたいに凄い美人になった後にも、気を遣うことになるんだろうな。
 婚約して、結婚に漕ぎ着けたって。お前と一緒に暮らし始めて、何処へ行くにも二人でも、だ。
「…なんで?」
 結婚したのに、どうして気を遣うことになるわけ?
 もう平気じゃない、パパやママの目も、ぼくの友達とかにしたって。
 ぼくとハーレイは一緒にいるのが普通で、何処もおかしくないけれど…?
「それでもだ。お前が女性ということになると、レディーファーストとか、色々と…」
 男の俺が考えなくちゃいけない場面が増えてくるってな。
 冬に二人で店に入ったら、俺がお前のコートを脱がせてやるだとか…。そういうサービス、店にあったら要らないんだが、店も色々あるんだから。
 ドアは必ず俺が開けるとか、約束事が山ほどだ。お前が女だったなら。
 男のお前のようにはいかんさ、お前がいくら「前と同じだ」と言い張ったって。
 周りから見ればお前は女で、俺がぞんざいに扱っていると思われたんでは堪らないからな。



 それだけじゃなくて…、とハーレイに覗き込まれた瞳。「此処から先が肝心だ」と。
「俺たちに子供が生まれちまったら、人生、変わるぞ?」
 文字通りガラリと変わっちまうんだ、俺たちの子供が生まれたら。男の子でも、女の子でも。
 一人目の子供が生まれた所で、もう変わる。
 俺とお前と、お互いの一番を誰にするかが問題だ。
 どうするんだ、と訊かれたけれども、まるで分からない質問の意味。
「えーっと…?」
 それって何なの、一番って?
 ハーレイとぼくと、何がお互いの一番なの…?
「簡単なことだ。俺たちの子供が生まれたら…。世界で一番大切な人は、誰になるんだ?」
 お前が一番大切だと思う人間は、誰なのか。俺にも同じ質問が投げ掛けられるってな。
 子供は親の宝物だろ、小さかろうが、大きく育った大人だろうが。
 幾つになっても子供は子供で、親にとっては宝物だ。それこそ、ずっと昔から。
 前の俺たちが生きた時代は違うが、あの時代だけが例外なんだ。それに、あの時代でも、子供を愛した親はいた。…ジョミーの両親みたいにな。コルディッツまで一緒に行っちまったほど。
 そういう子供が俺たちに生まれて来るわけで…。
 血が繋がった本当の子供だ、其処の所が問題なんだ。
 世界で一番大切なのは、お前か、子供か。…俺は悩むぞ、何と答えればいいのかを。
 お前なんだ、と思っていたって、心は子供を選んでしまいそうだしな。
 とてもじゃないが決められやしない、とハーレイが眉間に寄せた皺。「お前はどうだ?」と。
「…ぼくだって悩むよ、そんな質問…」
 ハーレイが一番に決まっているけど、でも、子供…。ぼくたちの子供…。
 選べやしないよ、どっちかなんて…!
 どっちも一番大切なんだよ、ハーレイと子供。だけど、ぼくの一番はハーレイだから…。
 どうすればいいの、と頭を抱えた。「ぼくにも、それは決められないよ」と。
「ほら見ろ、困っちまったろうが。…子供が生まれりゃ、人生、変わっちまうぞ」
 そうならないよう、お前は男の方がいいんだ。お互いの一番、お互い、変えたくないだろう?
 そうでなくても、俺は前のお前と同じお前がいいってな。
 前の俺が失くしたのは、お前なんだから。…男のお前で、女じゃなかったんだから。



 違う姿で戻って来たって、好きにはなるが…、と深くなったハーレイの瞳の色。
 「前の通りが一番なんだ」と。猫や小鳥や、女の子の姿のお前よりも、と。
「…俺はお前しか好きにならない。そして、選んでいいのなら…」
 選べるんなら、断然、今のお前がいい。前のお前とそっくり同じに育つお前が。
 女の子のお前に出会うよりもな、とハーレイが真顔で言うものだから…。
「ぼくも、ハーレイが一番のままがいいけれど…。ハーレイの一番でいたいけど…」
 子供が生まれて一番が変わるの、ぼくだって困っちゃうけれど…。
 でも、子供部屋は可哀相じゃない?
 ハーレイの家にある子供部屋がとっても可哀相だよ、ぼくたちに子供がいなかったら。
 可哀相な部屋になっちゃう、と訴えた。「あの子供部屋が可哀相」と。
「その発想は何処から来たんだ? お前、さっきも可哀相だと言ってたが…」
 出番が無いってだけのことじゃないのか、子供部屋の?
 子供がいなけりゃ、子供部屋の出番は来ないもんだし…。まあ、可哀相かもしれないが…。
「それもあるけど、部屋が大きくなれないんだよ」
 出番が無いっていうだけじゃなくて、部屋が育っていけないまま。
 子供部屋は子供と一緒に育っていくでしょ、家具が増えたり、変わったりして。
 最初は子供用のベッドが入って、次は机、っていう風に。…机もベッドも、大きくなったら買い替えていくものじゃない。子供用から、次のサイズやデザインとかに。
 だけど子供が使っていないと、子供部屋は育たないんだよ。誰も育ててくれないから。
 ぼくの部屋、ぼくと一緒に育って来たのに…。今のこういう部屋になるまで。
 ハーレイの部屋も育ったんでしょ、隣町の家にあるハーレイの部屋は。
「なるほどなあ…。可哀相というのは、そういう意味だったのか…」
 一緒に育つ子供がいないから、あの子供部屋は育たないんだな?
 俺の家にある、親父が勝手に作っちまった子供部屋。
「うん…。子供部屋なのに、可哀相、って」
 ぼくがホントに女の子だったら、子供部屋、育っていけたのに…。
 子供が生まれたら困っちゃうことは分かったけれども、あの部屋、やっぱり可哀相だよ…。



 いつまで経っても大きくなれない、と子供部屋を思って項垂れた。
 今の自分が暮らしている部屋は、ちゃんと育って来られたのに。いつか自分がお嫁に行くまで、一緒に育ってゆけるのに。
 同じ部屋でも大違いだよ、と悲しい気持ち。「ぼくのせいだ」と。
 もしも女の子に生まれていたなら、ハーレイの家の子供部屋も育ってゆけただろうに。
「…ぼくのせいだよ、あの部屋が大きくなれないのは…」
 ハーレイのお嫁さんになるのに、ぼくは子供を産めないから…。
「お前の気持ちは、分からないでもないんだが…。しかし、相手は子供部屋だぞ?」
 あれは部屋だし、お前の気持ちを切り替えてやればいいってな。
 子供部屋だと思い込んでいないで、お前の部屋にしたっていいし。
 部屋ってヤツは使いようだ、とハーレイが浮かべてみせた笑み。「お前の部屋だ」と。
「ぼくの部屋?」
 子供部屋でしょ、ぼくの部屋にしてどうするの…?
「デカい子供用の部屋ってことだな、お前は育っちまっているから」
 お前も本が好きなんだから、お前専用の書斎みたいにしようかって話もしていただろう?
 畳の部屋にするって話もあったぞ、今の所は使っていない部屋なんだから。
 何に変えるにせよ、部屋を生かしてやればいいのさ。あの子供部屋って空間をな。
 そうすりゃ、育っていけるから。
 子供と一緒に育つのもいいが、お前や俺が育てちゃいかんと誰も言ってはいないだろうが。
「ホントだ…!」
 ぼくたちが部屋を育てあげればいいんだね。…子供の代わりに、あの子供部屋を。
 それなら部屋も育っていけるね、書斎だとか、畳敷きだとか…。
「分かったか? 要は生かしてやるのが大事だ」
 どういう形に育ててゆくかは、俺たち次第ということだな。
 お前と二人で考えてみては、あちこち寸法を測ったりもして、計画を立てて。



 書斎でもいいし、畳敷きの部屋も素敵だよな、とハーレイが挙げてくれた例。
 今は子供部屋になっているけれど、本棚を幾つも据えれば書斎。もちろん読書用の机も置いて。
 畳を敷くなら、掛軸を飾るスペースを設けてみるとか、畳専用の机を置くだとか。
「机と言っても色々あるぞ。デカイ机から、一人用まで」
 どれを置くかでイメージも変わるし、座布団にしたって色や模様が山ほどだ。
 書斎の方でも、どういう本を揃えてゆくかで、これまた中身が変わるってな。
 今のお前が暮らしてる部屋は、お前が俺と結婚したら、もう成長は出来ないが…。
 お前がこの家に帰って来た時くらいしか、出番は無くなっちまうんだが…。
 この部屋の成長が止まっちまっても、俺の家にある子供部屋の方は育ってゆくんだ。使う子供は誰もいなくても、俺たちが育ててやるんだからな。
 これから成長するって点では、本物の子供部屋と変わらんぞ。
 それに、お前が嫁に来てから、育ち始めるというトコも。
 でもって、本物の子供部屋より、遥かに長生き出来そうだよなあ…。子供部屋ではない分だけ。
 子供部屋なら、この部屋や、隣町の俺の部屋みたいにだ、成長が止まっちまうんだが…。
 あの部屋は、俺たちが使う限りは、いくらでも育っていけるんだしな。
 だから安心しろ、お前はお前のままでいいんだ。
 子供部屋の出番は立派にあるから、可哀相だと思わなくてもな。



 お前は女の子じゃない方がいい、とハーレイは微笑んでくれたから。
 「子供が生まれて、お互いの一番大切な人で悩むのは困る」とも言ってくれたから。
 生まれ変わる時に失敗したかも、とは考えなくてもいいらしい。女の子にするか、男のままか、神様がくれた選べるチャンス。其処で選択ミスをしたかも、と。
「良かった…。ぼく、失敗をしてなくて」
 ちょっぴり心配だったから…。ぼく、失敗をしちゃったかも、って。
「失敗だと?」
 何を失敗するというんだ、お前、いったい何を考えてる…?
 子供部屋が可哀相だと言い出した次は何なんだ、と首を捻ったハーレイ。「次は何だ?」と。
「えっとね…。子供部屋の話と同じかな…?」
 ぼく、女の子に生まれた方が良かったのかな、って思ってたから…。
 女の子になるか、男の子にするか、生まれ変わる前なら選べたかもね、って。
 神様がどっちにするかを訊いてくれてたのに、ぼくは選ぶの、間違えたかも、って…。
 ハーレイは女の子のぼくが欲しかったのに、男の子になってしまったかな、って思ってた…。
「そういうことなら、大成功だ。お前は失敗しちゃいない」
 今はチビでも、育った時には、前のお前とそっくり同じになるんだからな。
 選び間違えたどころか、もう最高の身体を選んで来たのがお前だ。
 チビな所も、俺より年下に生まれた所も、何もかも俺は嬉しいってな。
 お前が大きく育ってゆくのを、俺は見守っていけるんだから。
 子供部屋を育てる話じゃないがだ、育っていくのを側で見られるのは幸せな気分なんだから。



 よくやったぞ、と褒めて貰えたから、頑張ってちゃんと大きくなろう。
 今はチビでも、いつかは前の自分とそっくり同じ姿に。
 前のハーレイが失くした姿と同じに育って、子供部屋を二人で育ててゆこう。
 子供は生まれて来ないけれども、子供の代わりに、ハーレイの家の子供部屋を。
 本物の子供に与える代わりに、あの部屋を自分たちで育てる。
 書斎にするとか、畳を敷くとか、使い方は幾つもありそうだから。
 うんと幸せな部屋になるよう、ハーレイと二人で考えてやって、幾つもプランを立てて。
 そういう日々も、きっと幸せ。
 ハーレイと二人で生きてゆけるし、一番大切な人は誰かも、ずっと変わりはしないのだから…。




             育たない部屋・了


※自分と一緒に育って来た部屋から、ハーレイの家の子供部屋のことを考え始めたブルー。
 子供がいないと育たないよ、と。でも、女の子に生まれていたら、との心配は不要なのです。
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(羽衣伝説…)
 日本のお話だけじゃないんだ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 人間が地球しか知らなかった頃、語られていた羽衣と天女の話。
 日本だけでも幾つもあったと伝わるけれども、似た伝説が他の地域にも存在したらしい。有名なものだと、北欧神話のワルキューレ。白鳥に化身する乙女。
 彼女たちの持ち物は羽衣のように、空を飛んでゆくためのもの。白鳥になって翔けた乙女たち。姿を変えるための衣を隠されてしまい、人間の男と結婚したワルキューレもいたというから…。
(羽衣のお話そっくりだよ…)
 日本からは遠く離れているのに、瓜二つに出来ている話。羽衣の天女と、ワルキューレと。
 伝説が生まれた遠い昔は、今よりもずっと遠かった距離。日本と、ワルキューレの伝説の辺り。簡単に行き来は出来なかったろうに、どうやって伝わったのだろう。
 なんとも不思議でたまらないから、羽衣はあったと考えたくなる。空を飛ぶ力を持った何かが。
(羽衣って、サイオン増幅装置みたいなものかな?)
 それがあったら、空を自由に飛べるようだから。…前の自分が飛んでいたように。
 日本だけの伝説ではないというなら、羽衣は存在したのだろうか。天女の絵には必ず描かれる、ふうわりと薄くて軽い羽衣。天女が空を飛ぶための道具。
 ワルキューレの方なら、白鳥に化けられる衣。そういえば、日本の天女伝説の中にも…。
(…白鳥になって舞い降りるお話…)
 何処かの湖にあったと思う。羽衣を脱いで水浴びしている間に、人間に盗まれてしまった羽衣。他の天女たちは白鳥に戻って逃げてゆくのに、帰れなくなった天女が一人。
 ワルキューレの話そのもののような、白鳥の天女。羽衣を盗んだ男と結婚した天女。
 北欧と日本の間は遠くて、伝説などを伝えられたとは思えないのに。旅をするにも、文字の形で届けるにしても、あまりにも離れすぎているから。



 それなのに、とても似ている伝説。白鳥になって舞い降りる天女と、白鳥になるワルキューレ。
 どちらも羽衣を使うのだから、羽衣のモデルがありそうな感じ。
(サイオン増幅装置だったら、誰でも空を飛べるよね?)
 羽衣の正体はそれだろうか、とケーキを頬張りながら考えたけれど。
 増幅装置を奪われたのなら、飛べなくなるのも当然だよね、とも思ったけれど…。
(羽衣の伝説、女の人ばかり…)
 天に帰れなくなった男性の話は、一度も聞いたことが無い。羽衣を奪われるのは、どの伝説でも天女なのだし、ワルキューレも女性。
 ならば、サイオンを使って飛んでいたのとは違うだろう。女性ばかりだというのなら。
 それに大昔からミュウがいたなら、前の自分たちは人類に追われていないから。ミュウも人間の種族の一つで、居場所がきちんとあっただろうから…。
(羽衣、サイオン増幅装置じゃないみたい…)
 やっぱり伝説の中にしか無い、空想の産物なのだろう。モデルなどは無くて、ただの伝説。
 地球のあちこちに羽衣伝説があっても、日本の天女と北欧神話のワルキューレの話が、不思議なくらいにそっくりでも。
 けれど、羽衣には憧れる。たとえ女性の持ち物でも。
 それさえあったら、自由に飛んでゆける空。ふわりと身体に巻き付けてみたり、真っ白な白鳥になったりして。
(前のぼくみたいに…)
 高く舞い上がって、何処までだって青い空を翔けてゆける筈。羽衣を持っていたならば。
 今の自分も、羽衣があれば飛べるのに。
 不器用になったサイオンの代わりに、天女の羽衣。それを纏って、青い青い空を。
 せっかく青い地球に来たのに、飛べない自分。
 地球の大地を空から見たなら、きっと幸せ一杯だろうに。家の庭から舞い上がったなら、郊外に広がる山や野原も、流れる川も見えるだろうに。



 羽衣がとても欲しいけれども、生憎と伝説の中にしか無い。どんなに欲しいと願ってみたって、空から落ちては来ない羽衣。
(羽衣は天女の持ち物なんだから、仕方ないけど…)
 手に入らなくて当然だけど、と思うけれども、残念な気持ち。羽衣があったら飛べるのに、と。
 おやつを食べ終えて、閉じた新聞。「羽衣、欲しいな…」と。
 二階の自分の部屋に帰っても、羽衣が頭を離れない。羽衣があればいいのに、と。
 勉強机の前に座って、さっきの続きを考えてみた。「違うみたい」と却下した考えだけれど。
(羽衣がサイオン増幅装置だったら…) 
 そういう性質の道具だったら、今の自分は間違いなく飛べる。羽衣を貰いさえすれば。
 単にサイオンが不器用なだけで、今でもタイプ・ブルーだから。羽衣無しでも飛べるだけの力、それを身体に秘めているから。
 きっと簡単に舞い上がれる筈、羽衣を身に着けたなら。…サイオンを増幅出来たなら。
(前のぼくみたいに、飛びたいな…)
 空から下を見てみたいよ、と思うのだけれど、サイオン増幅装置は無い。羽衣どころか、装置が存在していない。
 宇宙船などのシールド用に使われているものを除いたら。
 衝突事故を避けるためにと、宇宙船や宇宙ステーションなどに張られているシールド。宇宙では小さな岩が当たっても、船体に穴が開いたりするから。
 そうならないよう、乗員のサイオンを増幅して張っておくのがシールド。
 白いシャングリラにあったのと同じ仕組みが、今の時代も使われている。少ない人数でも張れるシールド、増幅装置を載せておいたら。
 一人一人のサイオンは弱く僅かなものであっても、増幅装置がそれを補ってくれるから。
 今も存在するサイオンの増幅装置は、シールド用のものくらい。安全を確保するために使われ、他の目的には使用されない。
(サイオン・キャノンも無いものね…) 
 白いシャングリラが誇った武器。人類の船と互角に戦うことが出来たサイオン・キャノン。
 あれもサイオン増幅装置を使ったけれども、今の時代は要らない技術。広い宇宙から武器は姿を消したから。誰も戦ったりしないから。
(サイオン増幅装置の出番も、前のぼくたちの時代より少なくなっちゃった…)
 技術は進歩したというのに、廃れた技術。「必要無い」と終わってしまった研究。



 もしも、あのままミュウが追われ続けていたなら、羽衣も出来ていたろうか。タイプ・ブルーに生まれなくても、強力なサイオンを使えるように。
 サイオンさえあれば、誰でもタイプ・ブルー並みの力を揮える羽衣。
 空を飛んだり、サイオンを使って攻撃したりと、力を増幅してくれる装置。ふわりと軽く出来た羽衣、それを一枚、纏いさえすれば、誰もがタイプ・ブルーになれる。
 元々はタイプ・グリーンでも。タイプ・イエローでも、思念波が主なタイプ・レッドでも。
(便利だけれども、物騒だよね…)
 ミュウなら誰でも、ソルジャー級の能力を発揮するなんて。
 普段は農場や厨房で穏やかに暮らしているのに、船の危機には羽衣を纏って戦うだなんて。
 向かってくる敵を倒すために。人類軍の船を端から落として、シャングリラを守り抜くために。
(…全員が戦う船なんて…)
 強い船にはなるだろうけれど、ミュウは本来、優しいもの。戦いには向かない、優しすぎる心を持った生き物。
 いくら生き残るためだとはいえ、皆が戦う船になったら、ミュウの性質まで変わってしまう。
 羽衣を纏って戦う時には、優しい心を捨てていないと駄目だから。敵に情けをかけていたなら、戦いに出てゆく意味が無いから。
(…優しい心を殺してしまって戦っていたら、だんだん心が麻痺していって…)
 ミュウは優しさを失うだろうし、そんな方向に進む前に戦いが終わって良かった。サイオン増幅装置の機能を、戦いのための羽衣に転用する前に。
 羽衣は欲しいと思うけれども、物騒な研究の産物だったら、無くていいから。
 それさえあったら空を飛べても、ミュウが優しさを失くしてしまいそうな恐れがある物なら。



 羽衣が無くて良かったかもね、と考えていたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね、羽衣伝説、知ってる?」
 幾つもあるでしょ、天女の伝説。羽衣で空を飛ぶ天女。
「…お前、俺を誰だと思ってるんだ?」
 失礼なヤツだな、と顔を顰めたハーレイ。「俺は古典の教師なんだが」と。
 羽衣伝説も知らないようでは、古典の教師は務まらない。それを承知で言っているのか、と。
「分かってるけど…。日本のだったら、ハーレイは詳しいだろうけど…」
 日本のじゃなくて、他の場所にもあるみたいだから…。地球のあちこちに、羽衣伝説。
 北欧神話のワルキューレとか。
「なんだ、そういう質問なのか。…ワルキューレの話は有名だよな」
 そっくりの話が日本にもあったもんだから…。余呉湖ってトコの天女の伝説だ。
 琵琶湖って湖、教わるだろう?
 昔の日本で一番大きかった湖だしなあ、知らなきゃ話にならないから。
 余呉湖は琵琶湖の直ぐ側にあって、其処に白鳥の姿の天女が舞い降りたという伝説だ。白鳥って所がそっくりだってな、ワルキューレと。…ワルキューレも羽衣を隠されるんだが…。
 ワルキューレは白鳥になって飛ぶから、とハーレイも知っていた天女の伝説。白鳥になる天女の話は、余呉湖に伝わるものだったらしい。
「えっとね…。羽衣伝説は色々な所にあるんです、って今日の新聞に載っていたから…」
 羽衣の正体はサイオン増幅装置だったのかも、って考えちゃって…。
 そういう道具があったとしたなら、タイプ・ブルーじゃなくても空を飛べるよ。
 羽衣を盗られたら飛べなくなるのは、自分が持ってるサイオンだけでは飛べないからで…。



 どう思う、と披露してみた説。おやつの後に考えたものの、「違う」と却下した説だけれども。
「羽衣を使って飛んでた天女は、サイオンを増幅していたんだよ」
 自分の力じゃ飛べないけれども、羽衣があったら飛べるんだから。…羽衣がサイオン増幅装置。
「ふうむ…。お前が考えた新説なんだな、羽衣伝説をどう解釈するかの」
 斬新なアイデアだとは思うが、問題が一つあるわけで…。
 羽衣伝説で空を飛ぶのは、女性だけだぞ。天女もワルキューレも、他の伝説でも女性ばかりだ。
 サイオンの増幅装置だったら、男だって飛んでいるだろう。空を飛ぶ道具があるんだから。
 女性しか飛んでいないというのが、何処か変だと思うがな…?
 飛びたい男性から文句が出るぞ、というのがハーレイの意見。道具があるなら公平に、と。
「だよね、やっぱり違うよね…」
 ぼくも考えてはみたんだけれども、女の人しかいなかったのなら伝説だよね、って…。
 羽衣はお話の中にしか無くて、本物は無くて、サイオン増幅装置の方だって無し。
 それに昔からミュウがいたなら、歴史は変わっているだろうから…。人間の中には、空を飛べる種族もいるらしい、ってことになるだけで、滅ぼす方には行かないよ。いくらSD体制でもね。
 羽衣も天女も、全部伝説なんだけど…。夢のお話なんだけど…。
 それでも、羽衣、ちょっぴり欲しいな。
 あったら空を飛べるんだもの。…今のぼくでも。
「お前、飛べなくなっちまったからな」
 前のお前と全く同じで、今のお前もタイプ・ブルーなのに…。
 タイプ・ブルーだったら飛べる筈なのに、お前ときたら、飛べない上に不器用と来た。
 思念波だって上手く使えないしな、とハーレイが笑うものだから。
「でしょ? 笑われちゃうほど不器用なんだよ、今のぼくはね」
 窓から飛ぼうとしたら落ちるし、羽衣が無いと飛べないんだよ。サイオン増幅装置か、本物の。
 本物が空から落ちて来るとか、天女が貸してくれるとか…。
 それが無理なら、サイオン増幅装置だけれど…。そんな装置は何処にも無いでしょ?
 サイオン増幅装置そのものが、前のぼくたちが生きてた頃より減っちゃった。
 使っている場所、今ではホントに少ないから…。
 だけど、人類との戦いがもっと長引いていたら、どうだったと思う…?



 ミュウが追われる時代が続いていたならば、と話してみた。個人用のサイオン増幅装置のこと。
 羽衣のように身に纏うだけで、どんなミュウでも戦える力を持つ装置。
 タイプ・ブルーとは違うミュウでも、生身で宇宙空間を駆けて、人類軍の船を落とせる羽衣。
「…そういうのが出来ていたかもね、って思ったんだけど…」
 簡単にサイオンを増幅出来たら、誰でも人類と戦えるようになるわけだから…。
 ソルジャーじゃなくても、ナスカの子供たちでなくても。
 そしたら戦力がグンと増えるし、人類軍にも勝てそうじゃない。攻撃力だって凄いんだから。
「サイオンさえあれば、誰でもソルジャー級のミュウになれる装置か…」
 誕生していた可能性ってヤツは大いにあるな。人類の方でも、似たような研究をしていたし…。
 個人単位で使うヤツをな、とハーレイが言うから、丸くなった目。
「それって…。人類がサイオンの増幅装置を作っていたわけ?」
 ミュウと戦うならサイオンだ、って…。人類にもサイオン、少しくらいはあったとか…?
 増幅したなら、ミュウと互角に戦えるかも、って増幅装置を研究してたの…?
「残念ながら、その逆だ。人類にサイオンは無かったからな」
 人類のヤツらが研究したのはAPDだ。アンチ・サイオン・デバイススーツ。
 サイオンを無効化しちまう装置だ、歴史の授業で習うだろう?
 そいつを兵士に着せておいたら、サイオンで攻撃されても平気な仕組みだってな。
 完璧なものは作り出せなかったが…。お蔭で、俺たちは勝てたんだが。
「そうだったっけ…。前のぼくが死んじゃった後の話だけれど…」
 人類が研究を進めていたなら、ミュウだって対抗するよね、きっと。
 APDの出来が凄かったんなら、それで無効化されないように、って増幅装置を開発して。
「現に兆しは見えてたな。…あの騒ぎの後で」
 サイオン攻撃が効かないヤツらが、シャングリラに攻め込んで来たわけだから…。
 それも特殊訓練を受けたメンバーズじゃなくて、APDを着込んだだけの普通の兵士だ。
 厄介なものを作りやがった、と俺は頭を抱えたんだが、ゼルやヒルマンは逆にヒントにした。
 個人単位で使用可能な、サイオン増幅装置を開発しようと。
 APDみたいに大袈裟じゃなくて、ちょいと腕にでも着けておいたらサイオンが強くなる装置。
 もっとも、実行に移す前に地球に着いちまったが…。
 そんな装置を作らなくても、ミュウは戦いに勝ったんだがな。



 案が出ただけで終わっちまった、とハーレイが軽く広げてみせた手。
「APDの逆は誕生しなかったんだ。…話だけでな」
 ゼルが自分の船を持っていなけりゃ、もう早速に開発にかかっていたんだろうが…。
 別の船に移ってしまっていたしな、ヒルマンと二人で研究三昧の日々とはいかん。
 まだシャングリラに乗っていたなら、せっせと研究しただろうがな。
「…羽衣、出来ていたかもしれないんだ…」
 物騒な方の羽衣じゃなくて、空を飛ぶためだけの羽衣。
 ゼルたちが思い付いた増幅装置が出来ていたなら、個人で使えるわけだから…。
 作れそうでしょ、今の時代なら。…平和利用で、ただの羽衣。
 そういうのがあったら、誰でも空を飛べるんだよ。物騒な羽衣は嫌だけれどね。
 開発を始めて、完成しないまま、っていうのが理想かな。個人用ならこう作る、っていう理論は出来てて、其処で戦いが終わるんだよ。
 其処で止まっていればいいな、と描いた夢。
 誰もが戦う時代は来なくて、その方法だけが確立した状態。個人用のサイオン増幅装置を作れる技術があったら、それを応用出来るから。
 タイプ・ブルーに生まれなくても、誰でも空を舞えるから。…羽衣のように、それを使って。
「羽衣か…。それがお前の夢なんだな?」
 本物だろうが、ゼルたちが開発したヤツだろうが、空を飛ばせてくれる羽衣。
 今のお前でも空を飛べるような道具が、お前は欲しくてたまらない、ってトコか。
「飛べたらいいな、って思うもの…」
 乗り物を使って飛ぶんじゃなくって、ぼくの身体だけで。…前のぼくみたいに。
 空を飛べたら、きっと素敵だと思うから…。
 青い空だよ、本物の地球の。…それに空から色々見えるよ、森も林も、山も川もね。



 飛んでみたいよ、と言ったのだけれど、ハーレイは「俺は違うな」と瞳の色を深くした。何処か悲しそうな表情で。
「俺は飛べないお前がいいがな…。何度も言っていることだが」
 前のお前は飛びすぎちまった。俺の手から離れて、メギドまでな。…空を飛べたせいで。
 お前が空を飛べなかったら、俺はお前を失くしていない。お前はメギドに行けないんだから。
 もしも、お前が羽衣で飛んでいたんなら…。
 増幅装置の羽衣じゃなくて、天女みたいに羽衣を持って、この世に生まれて来たのなら…。
 俺はそいつを隠しただろうな、お前が飛ぶための羽衣を。
「え…?」
 なんで、と驚いたけれど、「当然だろうが」と答えたハーレイ。
「もちろん、最初から隠しやしない。お前が空を飛べなかったら、みんな飢え死にするからな」
 初めの間はそれでいいんだ、思う通りに飛んでいたって。何をしようが、俺は止めない。
 しかし、お前の身体が弱っちまったら、話は別だ。…二度と飛べないよう、隠さないとな。
 ジョミーを追い掛けて飛んでっちまった段階で。
 俺が止めても、お前は一人で行っちまったし…。力を使い果たしちまって、落ちちまったし。
 幸い、生きて戻りはしたがだ、あんな思いはもうしたくない。
 羽衣を奪って隠すしかないだろ、お前が飛んで行けないように。
「隠すだなんて…。そう簡単にはいかないよ?」
 ぼくが盗ませるわけがないでしょ、本物の羽衣だったなら。
 それを使わないと飛べないものなら、盗まれてしまったら大変だもの。…飛べなくなるから。
「どうなんだか…。確かに、普段のお前じゃ無理だが…」
 お前、眠っていただろうが。十五年間も、一度も起きずに。
 隙だらけだぞ、寝ていた間なら。…俺が青の間に忍び込もうが、何をしようが。
「あ…!」
 ホントだ、寝てたら何も出来ない…。羽衣をしっかり持って寝てても、寝てるんだから…。
 ハーレイが勝手に持って行っても、ぼくはちっとも気付かないまま…。
「ほら見ろ。充分、盗み出せたぞ」
 お前の大事な羽衣だろうが、握り締めたままで寝ていようがな。



 眠っている間に盗み出した、とハーレイの顔は真剣だった。「お前の羽衣は隠さないと」と。
 二度と飛べないように、青の間から奪って隠すという。隠し場所を見付けて、押し込んで。
「そうでもしないと、お前は飛んでっちまうんだから…。隠しておくのが一番だ」
 泥棒の真似をすることになるが、お前が無茶をするのを止めるには、こいつがいい。
 羽衣が無ければ、お前は飛べやしないんだから。
「それ、困るよ…。起きたら羽衣が無いなんて…」
 返してよ、ぼくはメギドに行かなきゃいけないんだから。飛べないと行けやしないんだから…!
「いや、返さん」
 返したら、お前は行っちまうしな。…いくら頼まれても、駄目なものは駄目だ。
 俺は羽衣を返さないぞ、とハーレイが睨み付けるから。
「…だったら、ハーレイの部屋から盗むよ」
 ぼくの羽衣なんだから。…隠されちゃった羽衣は取り返すものでしょ、お話の中の天女はそう。
 それと同じで、ぼくの羽衣も取り返すだけ。
 ハーレイがブリッジに行ってる間に、部屋中を捜して見付け出すよ。…ぼくの羽衣。
 見付けたら後は盗んで終わり、と言ってやったら、鳶色の瞳に宿った悲しげな光。まるで、あの日に引き戻されたかのように。…遠い昔に、赤いナスカがメギドの炎に滅ぼされた日に。
「お前が羽衣を盗み出しちまうということは…。俺は結局、失うのか?」
 前のお前は羽衣でメギドに飛んでっちまって、それっきりなのか…?
 羽衣は俺が隠しておいたというのに、お前に取り戻されてしまって…?
「そうだけど…。でないと、メギドは止められないよ」
 ぼくしかメギドに行けなかったし、羽衣のお話はどれもそうでしょ?
 隠しておいても天女が見付けて、天に帰って行っておしまい。
 前のぼくは天に帰る代わりに、メギドに飛んで行くんだけれど…。羽衣を見付け出したらね。
「うーむ…」
 相手がお前じゃ、隠し場所は直ぐにバレるんだろうし…。
 俺の留守に盗みに来られたんでは、取り戻せないようにシールドを張ることも出来んしな…。



 お前は飛んでっちまうのか、と呻くハーレイ。「羽衣を隠しても無駄なのか」と。
 本当に悲しそうな顔だけれども、そんな顔をされても変えられない過去。ソルジャーだった前の自分の生き方。…空を飛ぶための羽衣を持って生まれて、その力で飛んでいたとしたって。
「メギドを止めるの、前のぼくの役目だったしね。…シャングリラのみんなを守ることが」
 盗んでだって飛んで行かなきゃ、メギドまで。
 ハーレイが羽衣を隠してしまったんなら、部屋中を捜して、取り戻して。
 ぼくの羽衣を取り返すんだし、盗むのとは少し違うかもね、と笑みを浮かべたのだけれど。
 盗まれた品物を奪い返すのなら、泥棒じゃないよ、とも言ったのだけれど。
「…泥棒かどうかはともかくとして…。お前、本当にそれでいいのか?」
 お前の羽衣、俺の部屋から平気で盗み出せるのか?
 何のためらいもなく手に引っ掴んで、そのまま飛んで行けるのか…?
 それを知りたい、と問い掛けられた。「お前は辛いと思わないのか」と。
 天女だったら、真っ直ぐに天に帰るのだけれど。…地上に未練は無いのだけれども、その辺りをどう思うんだ、と。
「えーっと…?」
 ぼくが羽衣を見付けたら…。やっと見付けた、って思うだろうけど…。
 大急ぎで引っ張り出すんだろうけど、それを着けても…。
 これで飛べるんだ、ってホッとしたとしても…。その羽衣で飛んで行くまでには…。
 どうしたかな、とハーレイに問われた通りに考えてみた。羽衣を見付けた後の自分は…、と。
(…前のぼく…)
 羽衣を身に纏ったとしても、きっと本物の天女のようにはいかないだろう。
 天に帰りたいわけではないから、死が待つメギドへ飛ぶのだから。
 それに羽衣を隠してしまった、ハーレイの気持ちも痛いほど分かる。何故、盗んだのか。羽衣を隠した理由は何かも、誰よりも分かるのが自分。
 「飛んで欲しくない」と願うハーレイの気持ち。「行かせたくない」と思う心も。
 天女だったら、何も考えずに飛んでゆくのに。
 やっと羽衣を取り戻せたと、我が子さえ置いて去ってゆくのに。



 本物の天女が天に帰るように、直ぐに飛ぶことは出来ない自分。隠された羽衣を見付けても。
 隠し場所から引っ張り出しても、ふわりと身体に巻き付けても。
「…ぼく、泣くかもね…。ごめん、って…」
 ハーレイの気持ちを台無しにしてしまうんだから。…意地悪で隠したわけじゃないのに…。
 ぼくが羽衣を持っていたら大変なことになりそうだから、って青の間から盗み出したのに…。
 だけど、行かなきゃいけないから…。ハーレイとも、もうお別れだから…。
 手紙を書いて置いて行くかも、「ぼくの羽衣、持ってってごめん」って。
 ぼくのために隠してくれていたのに、勝手に盗んで行っちゃうなんて、って…。
 羽衣の代わりに手紙を残して行ったかもね、と前の自分になったつもりで答えたら…。
「そうか、手紙か…。お前が書いてくれるんだな」
 俺の部屋から消えてしまった羽衣の代わりに、お前の手紙。…お前の気持ちが書かれた手紙。
 そいつがあったら、少しは辛さが紛れたかもな。…お前を失くしちまっても。
 お前の手紙を肌身離さず、どんな時でも持ち続けて。
 前のお前の形見は何も無かったから…。髪の毛も残っちゃいなかったからな。
 お前の部屋はすっかり掃除されちまってて、とハーレイが辛そうに歪めた唇。綺麗好きな部屋の主のためにと、部屋付きの係が戦いの最中に掃除を済ませて、何も残らなかった青の間。
「そうだったね…。ハーレイ、ぼくの髪の毛を探しに行ったのに…」
 青の間には何も残っていなくて、ぼくの気配も消えちゃっていて…。
 そうなっちゃうなら、前のぼく、ホントに羽衣で飛んでいれば良かったね。
 ハーレイが羽衣を盗んで何処かに隠してしまって、ぼくが見付けて盗み返して…。
 代わりに手紙を置いて行くんだよ、ぼくの形見になるように。「ごめんね」って書いて。
「…俺は形見を貰えるわけだな、お前が飛んで行っちまっても」
 羽衣を隠したことは無駄になっても、お前の手紙は俺の所に残るのか…。
 そうやって手紙を貰えたとしても、俺はどのみち、泣くんだがな。
 前のお前を失くしちまって、残りの人生は独りぼっちだ。…戦い続けて、地球に着くまで。
 だが、待てよ…。



 俺は隠してしまったかもな、とハーレイの顔に浮かんだ笑み。
 お前の羽衣というヤツを、と。
「多分、隠してしまったんだろう。…お前の羽衣」
 きっとそうだな、そんな気がする。
 俺だな、とハーレイは可笑しそうなのだけれど。
「…ぼく、羽衣は持っていないよ?」
 前のぼくは羽衣を使って飛んではいないし、今のぼくだと欲しいくらいで…。
 羽衣、ホントに欲しいんだけど、と傾げた首。持っていない羽衣を隠すも何も、と。
「そうだろうなあ、今のお前は羽衣を持っていないんだから」
 欲しいと思うのも無理はない。もう一度空を飛んでみたくて、羽衣が欲しくなるのもな。
 しかし、お前はそいつを持ってはいないんだ。…俺が隠してしまったからな。
「隠したって…。どういう意味?」
 ハーレイが何を隠すって言うの、ぼくは羽衣なんか持ってはいなかったよ?
「そのまんまの意味さ。…前の俺が隠してしまったんだ」
 お前が二度と飛べないように、前のお前の羽衣を。
 羽衣の形はしちゃいなかったが、お前、自由に飛べたんだからな?
 その力がお前の羽衣だ。…俺はそいつを隠したわけだな、お前が飛んで行けないように。
「…いつ?」
 ぼくの力をいつ隠したの、何処へ隠してしまったっていうの…?
「さてなあ…? 前の俺が死んで直ぐだったんだか、生まれ変わって来る前だか…」
 俺も覚えちゃいないんだ。地球の上に生まれて来る前のことは、何一つな。…お前もそうだろ?
 だから訊かれても答えられんな、羽衣を何処に隠したのかは。
 隠し場所を覚えていないんだから、返してやることも出来ないな、うん。
 羽衣が欲しいと言われても無理だ、とハーレイは涼しい顔だけれども。
「酷いよ、それ!」
 今なら飛べても困らないのに…!
 ハーレイだって少しも困らないでしょ、平和な時代になったんだから…!



 なのに羽衣を隠すなんて、と睨み付けた。「ぼくの羽衣、返してよ!」と。
「ぼくは羽衣が欲しいくらいなのに、ハーレイが隠してしまったなんて…」
 ハーレイが隠してしまわなかったら、今のぼくだって飛べたのに…!
 ホントに酷い、と意地悪な恋人を責めたけれども、ハーレイは「すまん」と言葉で謝っただけ。心から詫びていない証拠に、唇は笑みを湛えたまま。
「…お前には悪いと思うんだが…。前の俺はすっかり懲りていたから…」
 ジョミーを追い掛けて飛んでった上に、最後はメギドまで飛んじまったろうが。前のお前は。
 放っておいたら、お前は勝手に飛んじまうんだ。…そうしていなくなっちまう。
 前の俺なら隠しかねないだろ、お前の羽衣。飛ぶための力というヤツを。
 飛ぶだけに限らず、お前の力そのものかもな。強すぎるサイオンを隠してしまえ、と。
 そうやって俺が隠したかもな、とハーレイが片目を瞑るから。
「…ぼくが不器用なのは、ハーレイがやったの?」
 サイオン、とことん不器用だけれど、ぼくの力はハーレイが隠してしまったわけ…?
「そうだ、と言いたい所なんだが…。違うんじゃないか?」
 お前が幸せに生きてゆけるように、神様がやったことなんだろうと思うがな…。
 お父さんとお母さんにたっぷり甘えて、俺にも甘えて、そうやって生きていける人生。
 強いサイオンを持っているより、不器用な方がずっと甘えやすいし…。
 だが、俺がそいつを隠したんなら、愉快じゃないか。
 お前の羽衣を盗んじまって、何処かに隠してしまったのならな。
「返してよ、ぼくの羽衣を!」
 ぼくはホントに空を飛びたくて、羽衣、欲しくてたまらないのに…!
 空を飛んで地球を見てみたいのに…!
「俺じゃないって言ってるだろうが、神様なんだ、と」
 お前の羽衣を隠しちまったのは、神様だ。…もう飛ばなくてもいいんだから、と。
 他の力も要らないだろうと、全部隠してしまったんだな。
「うー…」
 ハーレイにしても、神様にしても、どっちも酷いよ!
 ぼくの羽衣を隠しちゃうなんて、飛べないようにしてしまったなんて…。



 乗り物を使わずに空を飛びたいのに、と膨れていたら。「ぼくの羽衣…」と怒っていたら。
「お前が空を飛ぶ練習なら、手伝ってやるとも言ったがな?」
 前に約束してやっただろうが。…プールでコツを掴むトコから教えてやろう、と。
 俺は空など飛べはしないが、水の中なら浮けるわけだし…。空を飛ぶのと似ているからな。
 お前が感覚を取り戻せるまで、気長にプールで付き合ってやる、と。
 そう言ったぞ、というハーレイの言葉には覚えがあった。大きくなった時の約束の一つ。
「羽衣、返してくれるんだね?」
 ハーレイが隠してしまった羽衣、反省して返してくれるんだ…?
「だから、俺が隠したわけではないと…。神様なんだと言ってるだろうが」
 俺にはそんな力は無いしな、お前の羽衣を隠したくても。…隠そうとしても。
「じゃあ、取り返すのを手伝ってくれるの?」
 神様が何処かに隠した羽衣、ぼくが取り戻せるように。…ちゃんと見付けて使えるように。
「俺としては、二度と飛んで欲しくはないんだが…」
 そうは言っても、今のお前が飛ぶ姿はとても綺麗だろうし…。それを見たいのは確かだな。
 きっと天使のように見えるぞ、今のお前が飛べたなら。
 実は俺にも、直ぐには決められないってな。…お前が飛べる方がいいのか、そうじゃないのか。
 二人でゆっくり考えようじゃないか、どっちがいいか。
 いつか一緒に暮らし始めたら、今のお前の羽衣をどうするかをな。
「…そうだね、急がないものね…」
 ぼくが飛べなくても、ぼくしか困らないんだから。
 急いで羽衣を取り返さないと、シャングリラの仲間が危ないわけじゃないんだから…。
「そういうこった。…羽衣、直ぐには要らないだろうが」
 お前の夢だというだけだしなあ、空を飛ぶこと。…俺も少しは見てみたいんだが…。
 前の俺がすっかり懲りていなけりゃ、喜んで協力してやるんだが…。お前の羽衣を捜すこと。
 まあ、急ぐことはないってな。神様が隠していらっしゃるなら、安心だ。
 羽衣は天使がきちんと手入れをしてくれているさ、たまには風を通したりして。



 「捜す時には俺も手伝うから、無茶はするなよ」と撫でられた頭。
 前のお前みたいに一人で飛んで行くんじゃないぞ、と。
「うん、分かってる…」
 分かってるよ、と笑みを返した。「今度は一人で行きはしないよ」と。
 前の自分は一人きりでメギドへ飛んだけれども、そんなことは二度としないから。
 空を飛ぶために、前の自分が持っていた羽衣。宇宙空間も飛べた強いサイオン。
 その羽衣を隠したのは神様だろうと思うけれども、ハーレイでもいい。
 二度と一人で飛んで行かないよう、ハーレイが何処かに隠した羽衣。
 そう考えた方が、幸せだと思えたりもする。
 「酷い」とハーレイを責めたけれども、「羽衣を返して」と怒ったけれども、それでもいい。
 羽衣伝説の天女たちと違って、ハーレイの側を離れようとは思わないから。
 ハーレイが羽衣を隠したのなら、いつまでも二人、幸せに生きてゆくだけだから…。




            羽衣・了


※サイオンが不器用になってしまった今のブルー。羽衣を奪われた天女と同じで飛べない空。
 前のブルーが持っていた羽衣を、ハーレイが隠してしまったのかも。飛んで行かないように。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




今年も夏休みがやって来ました。毎年恒例、柔道部の合宿とサム君とジョミー君が行かされる璃慕恩院での修行体験ツアーも無事に終わって、マツカ君の山の別荘へ。乗馬や湖でのボート遊びや、ちょっとした登山もしてみたりして満足して帰って来たのですけど。
「くっそぉ…。あの親父め…!」
まただ、とキース君が歯ぎしりしている会長さんの家のリビング。「また」で「親父」とくればアレですかね、お馴染みのアドス和尚ですかねえ?
「親父さんかよ…。卒塔婆のノルマか?」
増えたのかよ、とサム君が訊くと。
「お前は遊んで来たんだろう、と五十本も増えていやがった! 俺が書く分が!」
「…五十本とは厳しいねえ…。此処でサボッていないで早く帰りたまえ」
そして卒塔婆を書いてきたまえ、と会長さんが促したのですけれど。
「やってられるか、ストレスが溜まる! 発散しないとミス連発だ!」
そっちの方がよっぽど悲劇で効率が悪い、とキース君。
「俺の家は卒塔婆削り器は原則的に使用禁止なんだ! 失敗したら手で削らないと…」
削ってからまた書き直しで、と嘆き節。
「時間はかかるし、イライラしたら次のミスへと繋がるし…。ストレスは敵だ!」
だからこうして息抜きした方がマシなんだ、と言ってますけど。卒塔婆が必要なお盆の方だって刻一刻と近付いて来ていませんか?
「だからこそ、サボッて英気を養い、一気に書く!」
それが俺の流儀なんだ、とキース君がブチ上げた所で部屋の空気がフワリと揺れて。
「うん、分かるよ! 君の気持ちはとっても分かる」
「「「???」」」
誰だ、と振り向いてみれば紫のマント。例によってソルジャー登場です。合宿行きと山の別荘の間は来ませんでしたし、ストレスが溜まっているんでしょうか?



降ってわいたソルジャーは当然のように「ぼくにもおやつ!」と要求しました。
「かみお~ん♪ 今日はライチとマンゴーのパフェなの! スパイスたっぷり!」
カルダモンとかシナモン入りのパンを千切って入れてあるから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャー好みのアイスティーも一緒に出て来て、ソルジャーは嬉しそうにスプーンを入れながら。
「此処はやっぱり落ち着くねえ…。なによりドアが閉まっているのがいいよ」
「「「ドア?」」」
誰もが眺めたドアの方向。廊下に繋がるリビングのドアはキッチリ閉まっています。でないとクーラーの効きが悪くなりますから、開けたら閉めるのがお約束で。
「…普通は閉まっていると思うけど?」
今の季節は、と会長さん。
「開けっ放しにしたら文句が出るしね、出入りする時はきちんと閉める!」
「…俺の家だと逆だがな…」
卒塔婆書き中の部屋の障子や襖が閉まったら地獄、とキース君。
「親父が言うんだ、クーラーを入れて卒塔婆書きとは何事か、とな。心頭滅却すれば火もまた涼しで、お盆の卒塔婆はクーラー無しで書くものだ、と…」
「「「あー…」」」
そうだったっけ、と同情しきりなキース君の卒塔婆書き事情。セミがうるさいと嘆くことも多いですけど、障子が全開になっているならセミも半端じゃないですよね?
「そうか、キースの家では逆なんだ? でもねえ…。ドアはやっぱり閉めてこそだよ」
開けっ放しなんて論外だから、とパフェを口へと運ぶソルジャー。
「もうストレスが溜まって溜まって…。ぼくは本当に限界なんだよ」
「「「へ?」」」
ドアが開けっ放しでストレスって…。なに?
「そのまんまだよ、開けっ放しなんだよ!」
「…ドアが?」
会長さんの問いに、ソルジャーは「うん」と。いったい何処のドアが開けっ放しだと?



ドアが開けっ放しだとストレスが溜まるとぼやくソルジャー。ドアの話なんかは日頃、聞いた覚えがありません。会長さんも首を捻って。
「…それはアレかい、君のシャングリラの?」
「そうなんだよ! もう本当に悲劇だとしか!」
「…うーん…。それは確かに大変そうだね、何処かのハッチか格納庫とか?」
会長さんの言葉にアッと息を飲んだ私たち。ソルジャーが暮らしているシャングリラは宇宙船ですから、今は宇宙を飛んでなくても大気圏内を航行中。そんな所でハッチや格納庫のドアと呼ぶのか、そういったものが開けっ放しだと大変なことになりそうです。
「お、おい…。誰か其処から落ちたのか?」
キース君の声が震えて、シロエ君が。
「落ちてなくても、シールドする必要が出て来ますよね…。事故防止に」
「そういうことだね、君はその作業でストレスが溜まっているのかい?」
本来は君の仕事じゃないし、と会長さん。
「ドアの修理は修理班だろうけど、故障中の部分をフォローするには君のサイオンしか無かったというオチなのかな?」
「そっちだったら、立ち入り禁止で対処するよ!」
隔壁で遮断しておけば何とかなるから、とソルジャーの返事。
「多少あちこち回り道とか、格納庫に行くのに命綱とか、そういう必要は出て来るけれど…。ぼくがサイオンで落下防止のシールドを張る必要は…」
「それじゃ、どうしてストレスなわけ?」
「開けっ放しになってるからだよ!」
あれが困る、と言ってますけど、対処方法はちゃんとあるんじゃあ…?
「ハッチとか格納庫の方だったらね!」
そうじゃないから困っているのだ、とソルジャー、ブツブツ。
「…ぼく一人しか困らないんでは、修理も急いで貰えないし…」
「何処のドアだい?」
ぼくにはサッパリ見当が…、と会長さんが尋ねると。
「青の間のドアに決まってるだろう!」
他に何があると! と苛立った声が。…青の間のドアが壊れたんですか?



開けっ放しになっているらしい、ソルジャーの世界の青の間のドア。それでストレスが溜まると嘆くソルジャーですけど、優先的に修理をして貰えそうな気もします。会長さんも同じことを考えたらしく…。
「君のストレスが溜まるんだったら、修理を急いでくれそうだけどね?」
「俺もそう思う。…俺のように「修行だ」と切って捨てられる世界じゃないしな」
あんたが一番偉いんだろうが、とキース君も。
「それにシャングリラを守っているのもあんただよな? ストレスで使い物にならなくなったら困るだろうし、その辺の所はきちんと気を付けてくれそうなんだが…」
「逆なんだってば、そっちの件に関しては!」
ぼくは機嫌が悪ければ悪いほど無敵なタイプ、と愚痴るソルジャー。
「ぼくしか出来ない役目と言ったら人類軍との戦闘なんだよ、戦って壊してなんぼなんだよ!」
手加減無用で問答無用、と怖い台詞が。
「だから怒っていればいるほど強いわけ! 鬱憤晴らしに壊しまくるから!」
「「「あー…」」」
だったら放っておかれるだろうな、と素直に納得出来ました。たとえストレスが溜まっていたってソルジャーの務めは果たすわけですし、おまけに無敵と来た日には…。
「そういうことだよ。それにシャングリラの連中にすれば、壊れている方が嬉しいわけで!」
「…君が無敵になるからかい?」
それで喜ばれるのだろうか、と会長さんが問いを投げると。
「違うね、日常生活の方! 青の間に入り放題だから!」
「…見学希望者多数だとか?」
「その方がよっぽど平和だよ!」
見学だったら時間を決めて定員も決めて仕切れるから、とソルジャー、溜息。
「…ぼくが困るのは、プライバシーが皆無だってこと! 落ち着かないんだよ、毎日が!」
「見学希望者は仕切れると言っていなかったかい?」
「物見遊山のお客じゃなくって、来るのはお掃除部隊なんだよ!」
開いているからやって来るのだ、とソルジャーが不満たらたらのお掃除部隊。それって青の間を清掃するために結成されると噂のお掃除隊でしたっけか…?



掃除が嫌いと聞くソルジャー。お掃除大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」とは正反対なタイプのソルジャー、青の間は足の踏み場も無いとの話です。ベッドに行くための通路さえあれば他はどうでもいいという人、キャプテンが掃除をしている筈で。
「お掃除部隊の出番は滅多に無いんじゃあ…?」
そう聞いてるよ、と会長さん。
「もう限界だ、という頃に突入するって君が自分で何度も言ったし」
ニューイヤーのパーティーの後で散らかり放題になった時とか…、という指摘にソルジャーは。
「それが大原則だけど…。普段は存在しないんだけど…」
ぼくが好きなように散らかすだけ、と再び溜息。
「片付いた部屋は落ち着かないから、お掃除部隊が来ちゃった後には、ぼくの部屋とも思えなくてねえ…。リラックス出来る部屋になるまでに暫くかかるよ」
いい感じに散らかってくるまでには、と零すソルジャー。
「ぼくはああいう部屋が好きなのに、ドアが開けっ放しになってから後はそうもいかなくて…」
まずは初日に突入された、とソルジャーのぼやき。ドアが壊れて閉まらないから、と思念を飛ばしたら、修理班の代わりにやって来たのがお掃除部隊。
「今の間に掃除をさせて頂きます、と踏み込まれちゃって…。「邪魔になりますから、ソルジャーは外に出ていて下さい」と大掃除が始まってしまったんだよ!」
ソルジャーは驚いたらしいですけど、掃除さえ済めば修理班が来るのだと大人しく待っていたそうです。ところがお掃除部隊が引き揚げた後も修理班は来てくれなくて。
「どうなったんだろう、と訊きに出掛けたら、ゼルたちが会議の真っ最中で!」
議題は壊れたドアのことだった、という話。ソルジャーの世界で長老と呼ばれる人たちが会議、いい機会だから当分は修理しないでおこうと決まったとかで。
「…青の間のドアさえ壊れていればね、毎日掃除に入れるわけだし…」
「いいことじゃないか。綺麗に掃除をして貰いたまえ」
会長さんが言うと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「かみお~ん♪ ピカピカのお部屋は気持ちがいいよ!」
サッパリしていて気分も最高! と跳ねてますけど、ソルジャーはそういう部屋だと落ち着かないんですよね…?



青の間のドアが壊れたばかりに、毎日お掃除部隊に入られているらしい今のソルジャー。憩いの場の筈の部屋を自分の好みには出来ず、ピカピカにされているわけで…。
「…ぼくはホントに限界なんだよ、あれのストレスは凄いんだから!」
ぼくの部屋とも思えない部屋はもう嫌だ、と本当に困っている模様。
「それにね、ハーレイも来てくれないんだよ、今の青の間には!」
「「「へ?」」」
ハーレイと言えばキャプテンのこと。ソルジャーへの報告なんかも多そうですから、青の間に出入りしないとなったら全く話にならないんじゃあ…?
「もちろん、仕事のことでは毎日来てるんだけど…。ちゃんと報告に来るんだけれども、それが終わったら、「では、本日はこれで」と帰っちゃうんだよ!」
ぼくのベッドに来てくれない、とブツブツブツ。
「いつも言ってるけど、ぼくのハーレイは見られていると意気消沈なヘタレだからねえ…。ドアが開けっ放しになった部屋だと、その気になれないらしいんだよ!」
「ヘタレでなくても、普通はそうだと思うけど?」
ぼくだって開けっ放しの部屋は御免だ、と会長さん。
「なんのためにラブホテルとかが存在するのかという問題だよ、そこの所は! ああいったことは閉鎖空間でするべきことでね、開けっ放しなんて、とんでもないから!」
それじゃ変態か、エロい動画の撮影とかだ、と会長さんはビシバシと。
「君のハーレイの行動はごくごく自然なことだと思うけどねえ?」
「そうなのかい? …仕方ないから、ぼくの方から出掛けて行こうとしたんだけれど…」
そっちの方も断られた、と肩を落としているソルジャー。
「夜の間に青の間にいないとバレてしまったらどうするんです、と言うんだよ! きっと探しに行くだろうから、ぼくたちの仲もバレそうだ、と!」
とっくの昔にバレバレなのに、と大きな溜息、もう幾つ目だか数えていません。
「そんなわけでね、部屋にいたって落ち着かない上に、夫婦の時間も御無沙汰なんだよ。これがストレスでなければ何だと…!」
もう限界だ、と頭を抱えているソルジャー。…青の間のドアは今も壊れて開けっ放しのままなんでしょうが、その状態でどうやって此処へ来られたと?



いい機会だからと修理されずに放置されている青の間のドア。お掃除部隊が掃除しに来たり、キャプテンが夫婦の時間を避けたりと何かと問題があるようです。ただし、ソルジャー限定で。ソルジャーの世界の人にとっては壊れている方が嬉しいドア。
「…えーっと…。君の青の間、ドアは今でも開けっ放しの筈だよね?」
だから愚痴りに来てるんだよね、と会長さん。
「君の不在がバレそうだけど? お掃除部隊は掃除を済ませて帰ったのかもしれないけれども、ドアが開いてるなら誰でもヒョイと入れそうだし」
バレないように早く帰って部屋にいたまえ、と会長さんが注意をすると。
「その点だったら大丈夫! ちゃんとぶるぅに頼んで来たから!」
「「「ぶるぅ?」」」
大食漢の悪戯小僧か、と目を剥いてしまった私たち。あんなのが役に立つんでしょうか?
「ぶるぅは充分、役立つけどねえ? 出すものを出せば」
御礼は山ほどのスナック菓子とコンビニデザート! とソルジャーは威張り返りました。
「ぼくの代わりに留守番をすれば買ってあげると言ってあるから、今も青の間で頑張ってるよ。ぼくのふりをして座るくらいは、サイオンも大して必要ないし…」
エネルギー切れにはならないのだ、という自慢。そういえば「ぶるぅ」はサイオン全開だと三分間しか持たないというカップ麺みたいなヤツでしたっけ…。
「だからね、今の内なんだよ! こっちの世界でストレス解消!」
せめてパフェくらいは食べさせてくれ、とソルジャーはペロリと平らげた上に、今日は一日居座るつもりみたいです。いえ、今日だけで済めばいいですけれど…。
「あんた、ドアが直るまでは毎日、こっちに来る気じゃないだろうな?」
まさかな、とキース君が言うなり、ソルジャーは。
「君だって言えた義理じゃないよね、ストレス解消に関しては!」
卒塔婆書きをサボッて来てるんだろう、と切り返し。キース君はグッと詰まってしまって。
「そ、それは…。それは確かにそうなんだが…」
「ほらね、立派にお仲間だよ! 今日からよろしく!」
ぼくは開けっ放しのドアの不満を愚痴りに来るから、君は卒塔婆書きを愚痴りたまえ、と何故だかソルジャーの御同輩にされてしまったキース君。ひょっとしたら明日から来なかったりして、余計にストレスが溜まりそうだと逃げちゃって…。



今日はともかく、明日以降もストレス解消にやって来る気のソルジャー。青の間のドアが直らない限りは本気で毎日来そうです。キース君どころか、私たちの平和も脅かされてしまいそうで…。
「あのう…。そのドア、キャプテンの権限でなんとかならないんですか?」
シロエ君が声を上げました。
「確かキャプテン、長老よりも上だったんじゃあ…。詳しいことは知りませんけど、シャングリラでの実権ってヤツは大きそうですよ」
特に修理に関しては、とシロエ君。
「トイレの修理もキャプテンの指示を仰がなきゃ駄目だと聞いた気がしますし、ドアの修理はキャプテン次第でどういう風にも出来そうですけど」
「そうだよなあ? 急がせろ、って言いさえすればよ、すげえ短時間で済みそうだぜ」
モノがソルジャーの部屋のドアなんだからよ、とサム君も。
「会議で決まったことでも何でも、船のことならキャプテンが最高責任者なんじゃねえのかよ?」
「それっぽいよね、いちいち会議を開いていたら間に合わないよね…」
緊急事態って時もあるし、とジョミー君。
「即断即決で修理班を出せなきゃ、キャプテンの意味が無さそうだよ?」
「…うん。そこはジョミーの言う通りでさ…」
普段だったらそうなんだけど、と頷くソルジャー。
「隔壁閉鎖とか、もう文字通りに一人でバンバン決めていけるのがキャプテンだけどさ…。今回の件は例外なんだよ、実害を全く伴わないから」
むしろ有難がられる故障だから、とソルジャーの嘆き。
「そりゃね、ハーレイだって会議で反対はしたよ? 開けっ放しにされてしまったら自分も困ってしまうわけだし…。ぼくの所に来られないから」
夫婦の時間がお預けというのはハーレイだって辛いんだから、と言うソルジャー。
「日頃ヘタレだと詰られていたって、、海の別荘行きの特別休暇の獲得のために仕事三昧で疲れていたって、やっぱりたまにはリフレッシュだよ!」
ぼくと一発、愛の時間でエネルギー充填したくもなるよ、と話すソルジャー。
「その辺もあって、「直ぐに修理をさせましょう」と言ったんだけれど、一人だけがそれを言ってもねえ…。他の四人が「現状維持で」と主張しちゃえば勝てない仕組み」
ゆえに敗北、とフウと溜息。キャプテン権限も通らなかったと言うんだったら、ドアは当分、開けっ放しになりそうですねえ…。



明日から毎日ソルジャーが来るのか、と泣きたい気持ちの私たち。楽しかった筈の夏休みが此処で一気に暗転、キース君の卒塔婆書きだって思い切り滞ってしまいそうです。青の間のドアさえ直ってくれればいいんですけど、直る見込みは無さそうですし…。
「…そのドア、どうにもならんのか?」
あんたが自分で修理するとか、とキース君が訊くと。
「見た目だけなら、サイオニック・ドリームでどうとでも…。でもねえ、根本的な修理になってはいないわけだし、やるだけ無駄だね」
お掃除部隊は幻のドアを突破して入って来るんだろうし、ハーレイはやっぱり夫婦の時間を避けるだろうし…、という答え。
「だって、所詮は幻だしね? ドアは閉まっていないわけでさ、何のはずみで幻のドアが消滅するかもしれないわけで…。それじゃハーレイも来てくれないよ」
ぼくが訪ねて行く方も駄目、と続いてゆく愚痴。
「修理したくても、ぼくはそっちの方面は駄目で…。工具を持ったら余計に壊してしまう方でさ」
「「「あー…」」」
そうだろうな、という気がしました。歩くトラブルメーカーなソルジャー、お裁縫もロクに出来ないレベルの不器用さだと判明しています。下手に修理に挑もうものなら、今なら数時間で直せそうな故障が一日がかりになってしまうとか、ドアも部品も総入れ替えとか…。
「ホントに色々とハードルだらけで、あのドアは直せないんだよ。…ハーレイが会議で頑張ってくれたお蔭で、海の別荘に行くまでには直る予定だけれど…」
別荘に行ってる間はぶるぅの留守番作戦も使えないものだから、と言うソルジャー。
「それまでには直すっていうことになっているけど、まだまだ先だし…」
「海の別荘は、お盆が終わってからだしねえ…」
でないとキースが暇にならないし、ジョミーもサムも忙しくなるし、と会長さん。
「仕方ないねえ、諦めて君も棚経修行をしてみるかい?」
お経の練習、と会長さんが持ちかけましたが、ソルジャーは。
「そういうのは求めていないんだよ! とにかくストレス解消だってば!」
美味しいおやつと食事があれば、とソルジャーはこっちに逃げ込む気。青の間のドアが直らないからには仕方ないですが、そのドア、なんとか直せないかな…?



お経の練習をする気も無ければ、私たちに迷惑をかけそうなことさえ全く考えていないのがソルジャー。今日の所はドアが壊れた愚痴だけで済んでいますけれども、日数が経てば夫婦の時間が取れない愚痴とか怪しい方へと向かいそうです。会長さんも当然、それに気付くわけで。
「あのね…。お経の練習をしないと言うなら、せめて別の方面で修行をね」
「修行って? ぼくはそういうのは好きじゃないけど」
楽なのが好き、とソルジャー、ケロリと。
「普段からSD体制で苦労しているわけだし、こっちの世界では羽を伸ばしたいねえ…!」
「それは自由にしてくれていいけど、言葉の方で修行をお願い」
「言葉?」
「そう、言葉! ぼくがイエローカードやレッドカードを出さずに済むよう、口を慎む!」
この夏はそういう修行をしてくれ、と会長さん。
「ドアが壊れて逃げて来るなら、ぼくたちのストレスも考慮して欲しいと思うわけだよ。怪しい発言さえしないでくれたら、相当マシになるんだから」
「でも…。ぼくも努力はしてみるけれども、セックスは心のオアシスなわけで…」
「どうして其処でもう言うかな!」
その一言が我慢出来ないのか、と会長さんが怒鳴り付けると。
「え、だって。…ハーレイとの時間は癒しの時間で、それがあるから頑張れるわけで…。そのオアシスが今は無い状態でさ、もう本当に限界なんだよ!」
癒しの一発も夫婦の時間も当分お預け、とソルジャーの方も負けてはいなくて。
「君はともかく、他の子たちは万年十八歳未満お断りだし、ぼくの話は意味が殆ど分かっていないよ、話をしたって無問題!」
「それが困るんだよ、喋らないでいるっていう選択肢は君には無いわけ?」
「努力はすると言ってるじゃないか! だけど自然に口からポロリと出ちゃうんだよ!」
日々の暮らしに欠かせないものがセックスだから、と余計な一言、会長さんが「また言うし!」と吊り上げる柳眉。
「本当に迷惑しているってことが分からないかな、君という人は! …ん?」
ちょっと待てよ、と顎に手を当てる会長さん。何か名案でも思い付きましたか、ソルジャーの怪しい喋りを封じる方法だとか…?



ナチュラルに怪しい発言を連発するのがソルジャー、会長さんが出すイエローカードもレッドカードも効果ゼロ。毎日来るならそれをやめろと言われた端から喋ってしまって、迷惑をかけている自覚も全く無さそうですけど。
「…そうか、迷惑…。その手があったか、君の青の間」
もしかしたらドアの修理をして貰えるかも、という会長さんの台詞にソルジャーが。
「なんだい、何かいい方法が見付かったのかい?」
「…方法の方はまだ何も…。ただ、アイデアの種と言うべきか…」
この種が芽を出してくれたら方法になる、と謎かけのようなアイデアの種。私たちは互いに顔を見合わせ、キース君が。
「なんだ、アイデアの種というのは? 禅問答でもするのか、あんた」
「そっちの宗派は修行していないよ、恵須出井寺でも座禅はするけど禅問答までは…」
範疇外で、と会長さん。
「でもね、このアイデアの種は使えると思う。芽を出しさえすれば」
「そのアイデアの種が分からんのだが…」
俺には謎だ、とキース君が言い、私たちも揃って頷きましたが。
「え、アイデアの種は何なのかって? 本当に種という意味なんだよ、アイデアの素」
育ってくれないと使えないから種なのだ、という説明。
「いいかい、ブルーの世界の青の間のドアは壊れっ放しで、修理はまだまだ先になりそう。…そこまでは分かるね、誰だって?」
「それはまあ…」
そのせいで明日から迷惑なんだ、とキース君が応えて、私たちも「うん」と。
「じゃあ、次に行くよ? ドアの修理が先送りにされた理由というヤツ、それは修理をしない方が喜ばしいからで…。いつも散らかってる青の間が綺麗に片付くからで」
「ぼくは困っているんだけどね!」
ストレスも溜まるし、とソルジャーが嘆くと、会長さんは。
「そこなんだよ。…君は困るし、ぼくたちは迷惑。ドアが直ってくれないと困る。…それをさ、君のシャングリラの人たちも感じてくれたらドアは直るかと」
「「「は?」」」
ソルジャーのストレスや、別の世界に住む私たちが感じている迷惑。そんな代物をソルジャーの世界のシャングリラの人たちにどうやって分かって貰えますか…?



ソルジャーが長をやっているのがシャングリラ。その長の意向をキッパリ無視して青の間のドアの故障を修理せずに放置、それがソルジャーの世界のシャングリラ。おまけに私たちの世界の存在なんかは知られてもおらず、迷惑したって苦情も届けられない現状。
「おい。…あんた、凄い無茶を言っていないか?」
こいつの意見も通らないのが向こうの世界のシャングリラだが、とキース君。
「ソルジャーが修理してくれと言っても直さずに放置しているドアをだ、俺たちが迷惑しているからと直してくれるわけが無いと思うが」
第一、どうやって苦情を届けに行くと言うんだ、と正論が。
「あんたも自力では飛べない筈だぞ、向こうまでは」
「誰も陳情に行くとは言っていないよ、要は迷惑という種なんだよ。…アイデアのさ」
ぼくの頭にあるのは其処まで、と会長さん。
「青の間のドアが壊れたままだと有難いから修理しないで放っているなら、その逆になれば修理するかと思ってさ…。つまりは迷惑」
「「「迷惑?」」」
「そう! ドアが壊れて開けっ放しだと誰もが迷惑することになれば、大急ぎで修理しそうだよ」
それこそ、船を挙げてでも! と会長さんは指を一本立てました。
「修理班の手が塞がってるなら、もう文字通りに猫の手だね! ちょっとでも使えそうな人を総動員して必死で修理するんじゃないかと」
早く直さないと船中が迷惑するんだから…、と会長さん。
「開けっ放しよりも閉まってる方が有難い、と気付けば修理をすると踏んだね」
「なるほどねえ…。でもさ、今はとっても有難がられて放置されてるわけなんだけど…」
誰も直してくれないんだけど、とソルジャーは溜息。
「実際、その方がお得らしくて、直そうっていう声も出ないし…。君のその案、どう使えと?」
「それがぼくにも分からないから、アイデアの種だと言ったんだよ」
どうすれば開けっ放しのドアが迷惑になるのか思い付かない、と会長さんにも無いらしい案。
「誰かこの種、育てられる人がいればいいんだけどねえ…」
「「「うーん…」」」
アイデアの種とはそういう意味か、と考え込んでしまった私たち。開けっ放しのドアが迷惑をかけると言ったら、このリビングだとクーラーの風が逃げてしまって効きが悪くなるとかですけれど。青の間のドアが開けっ放しだと、果たして迷惑かかるのでしょうか…?



壊れてしまった青の間のドア。けれど開けっ放しの状態が歓迎されているとかで、修理はされずに先延ばし。そのせいでストレスが溜まったソルジャー、こちらの世界を避難所にするつもりです。ソルジャーが来るのを防ぎたかったら、ドアを直すしかないわけで。
「ドアが開けっ放しの方が迷惑ですか…」
普通は冷暖房の効率が一番の問題ですが、とシロエ君。
「でも、それを考えても開けっ放しで問題無し、と結論が出てるわけですね?」
「そうなんだよねえ…。あのデカイ部屋の空調よりもさ、掃除が先に立つらしいんだよ」
ぼくはそんなに片付けられない人間だろうか、と頭を振っているソルジャー。
「お掃除部隊なんていうのは、たまに入れば充分だろうと…」
「そう思ってるのは君だけだよ、多分。だから壊れたドアを放っておかれるんだよ!」
日頃のツケが回って来たのだ、と会長さんが唱える因果応報。けれどもドアが直らない限り、そのソルジャーの巻き添えを食らって迷惑を蒙るのが私たちなわけで…。
「…困りましたね…」
何かいい案は無いでしょうか、とシロエ君が呟き、キース君が。
「俺の家だと、開けっ放しにしてある場所から蚊が入って苦労するんだが…。蚊取り線香が必須なわけだが、シャングリラに蚊はいないだろうしな…」
「あー…。キースの家だと藪蚊も山ほどいそうだよな」
裏山は木が茂ってるしよ、とサム君。
「ついでにアレかよ、庭池とかが天国になっていそうだよな、ボウフラの」
「いや、そこは…。そうならないように定期的に掃除をしてるが、何処からかな…」
ヤツらは湧いて来るんだよな、とキース君が零せば、ジョミー君が。
「人魂と同じで湧きそうだよねえ、お寺だと」
「失礼な! 元老寺の墓地に人魂が出たという話など無い!」
皆さん、立派に成仏しておられる、と合掌しているキース君。お参りする人が無くなってしまった無縁仏さんも毎年キッチリ供養だとかで、人魂も幽霊も目撃例は無いのだそうで。
「えーっ? それはある意味、間違ってない?」
墓地があるなら幽霊と人魂はセットもの、と言い出すジョミー君は心霊スポット大好き少年。また始まった、と思った私たちですが、そのジョミー君が「あっ!」と。
「使えるんじゃないかな、アイデアの種!」
これで芽が出る気がするんだけど、と言われましても。これって何のことですか?



墓地と人魂はセットものだと主張しかけたジョミー君。其処でアイデアの種がどうこう、青の間のドアが壊れている件と、元老寺の墓地がどう繋がるというのでしょう。会長さんまで怪訝そうな顔になってますけど、ジョミー君は。
「青の間のドアだよ、開けっ放しだと困るってヤツ!」
人魂と幽霊でどうだろうか、とジョミー君の口から出て来た怪談もどき。
「ほら、ブルーの世界と繋がった切っ掛け、キースが持って来た掛軸じゃない! 妖怪とかがゾロゾロ出るから、ってブルーが供養を頼まれてさ…」
「あったな、そういう事件もな。ぶるぅが飛び出して来やがったが」
あの掛軸は今も元老寺にあるんだが、とキース君。
「檀家さんに引き取る気が無いからなあ、月下仙境の軸」
「あれと同じだってことにするんだよ、青の間のドア! 閉まっていれば封印出来ても、開けっ放しだと色々ゾロゾロ出て来るってことで!」
大勢のミュウが死んでるんでしょ、とジョミー君はソルジャーの方に視線を向けて。
「その人たちもさ、シャングリラに乗ってるんだっていうことにしてさ…。普段は青の間の中で暮らしているけど、ドアが開いてるから外に出ようという気になったっていう方向でさ…」
サイオニック・ドリームで出来ないかな、と訊かれたソルジャーは。
「ああ、なるほど! 人魂と幽霊で迷惑をかければいいわけなんだね?」
ぼくのシャングリラに、とニッコリと。
「その手は大いに使えそうだよ、青の間の奥には亡くなった仲間の遺品が置いてあるわけで…。残留思念があまりに強くて、ハーレイくらいしか触れない話は有名なわけで…」
それでいこう、とポンと手を打つソルジャー。
「仲間たちの顔も姿もバッチリ覚えているからねえ…。もう今夜からやらせて貰うよ、人魂と幽霊のセットもの! これで青の間のドアの修理も急いでやって貰えそうだよ!」
「えーっと…。ジョミーのアイデアは良さそうだけれど、今日まで幽霊が出なかった理由はなんと説明するんだい?」
ドアはずうっと開けっ放しだったわけなんだけど、と会長さんが尋ねると。
「そんなの、至って簡単だってね! 幽霊っていうのは少しずつ近付くと言うじゃないか!」
こっちの世界の怪談の王道、と言われてみればそうでした。幽霊との距離が日毎に縮まり、連れて行かれる怪談の世界。青の間のドアから外に出るまでに日数がかかったという言い訳をすればバッチリですよね、今夜から幽霊が出没しても…?



ひょんな切っ掛けで芽吹いてしまった会長さんのアイデアの種。ソルジャーが暮らす青の間のドアは開けっ放しの方がいい、と修理されずに放置されているなら、修理したくなるよう迷惑をかければいいというヤツ。
ジョミー君のアイデアを使うと決めたソルジャーはウキウキと幽霊や人魂に関する怪談を夜までやらかした挙句に、「ありがとう!」と帰って行ってしまって…。
「…これで明日から来なくなるかな?」
ぼくはアイデアを出したんだけど、とジョミー君が首を傾げて、キース君が。
「さあな? どうなったのかの報告ってヤツに来そうな気もするがな…」
ともあれ俺には卒塔婆のノルマ、とブツブツと。今日は丸一日サボりましたし、明日から再び大車輪でしょう。早朝から書いて昼前までには抜けて来るとか言ってますけど…。



そして翌日、私たちはまた会長さんの家に集まって朝からダラダラと。この暑いのにプールへ行くのも面倒ですから、涼しいお部屋が一番です。リビングのドアをピッタリと閉めて午前中からブルーベリーのフラッペを美味しく食べていたら…。
「こんにちはーっ!」
ぼくにもフラッペ、と現れたソルジャー。空いていたソファにストンと腰掛け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと用意したフラッペをシャクシャクとスプーンで掬って。
「青の間のドアね、大急ぎで直してくれるそうだよ。今日の夜には間に合うように!」
「本当かい?」
そんなに早く、と会長さん。
「昨日の今日だよ、例の作戦、もう効いたのかい?」
「それはもう! こっちで夜まで怪談三昧やって帰った甲斐があったね、サイオニック・ドリーム全開でシャングリラ中に大迷惑をね!」
ジョミーの案をちょっとアレンジさせて貰った、と満面の笑顔。
「ぼくが頑張って封印していた霊がとうとう外に出てしまった、という話にしたよ。日頃の苦労をみんなに言うのはソルジャーとしてどうかと思って黙っていた、とね!」
こういう事態になるまで必死に引き留めていた霊がとうとう外に…、とソルジャーは朝からお詫び行脚をして来たそうです。サイオニック・ドリームの幽霊や人魂で怖い思いをしたシャングリラ中の人たちに。
「ぼくの力が足りなくてごめん、と謝ったら誰もが怒るどころか労ってくれてねえ…。ゼルなんかは号泣していたよ。懐かしい仲間に会えたというのに、怖がってしまって済まなかった、と」
「「「………」」」
そんな大嘘をついたのかい! と呆れましたが、嘘だと知っている人はキャプテンだけしかいないのだそうで。
「ハーレイには言っておかなきゃねえ…。青の間のドアを修理するための嘘とお芝居だということをね! でないとドアの修理が終わった後の夫婦の時間が素晴らしいものにならないし!」
あの幽霊だの人魂だのが本物なんだと思われたんでは…、とソルジャー、パチンとウインク。
「何度も言うけど、ハーレイは見られていると意気消沈で…。それが幽霊でも駄目だしね!」
「もういいから!」
ドアの修理が済んだら帰ってくれたまえ! と会長さん。青の間には今も「ぶるぅ」がソルジャーのふりをして真面目に座っているそうです。「ドアの修理はまだなのかい?」と。



こんな具合で、開けっ放しで放置されていた青の間のドアは凄いスピードで修理完了、次の日からソルジャーはもう来ませんでした。昨日までの間に溜まったストレス発散とばかりに散らかしまくって、キャプテンと夫婦の時間を満喫しているのでしょう。
「…ジョミーのお蔭で助かった。まさか怪談が役に立つとはな」
平和な日常が戻って来た分、俺も卒塔婆書きを頑張らないと…、とキース君が誓うと、そのジョミー君が。
「それだけど…。助かったと思ってくれるんだったら、今年の棚経、ぼくは休みで」
サムだけで行ってくれないかな、というお願いが。今回の功労者ですから、それもいいかな、と私たちは思ったんですけれど。
「俺はやぶさかではないが…。間違えるなよ、棚経のトップは親父なんだ」
そしてお前は今年は親父と回る予定になっている、と可哀相すぎる宣告が。
「ちょ、ちょっと…! だったら、ぼくはアイデアの出し損だったわけ?」
「悪く思うな、俺にもどうにもならんのだ」
礼が欲しいなら他のヤツらに頼んでくれ、とキース君が言った所でクーラーの効いたリビングの空気がユラリと揺れて。
「この間はどうもありがとう! 御礼だったら、このぼくが!」
みんなに御礼、とソルジャーが姿を現しました。御礼って何かくれるんでしょうか、何も持ってはいないみたいに見えるんですけど…?
「凄い御礼をするからさ! 海の別荘、ぼくたちの夜を完全公開!」
「「「は?」」」
「公開だってば、ドアの故障から始まった事件の御礼だからね! ぼくのハーレイには内緒だけれども、寝室のドアを完全開放、いつでも覗きがオッケーなんだよ!」
ぼくとハーレイの夫婦の時間をお楽しみに、とソルジャー、ニコニコ。
「あっ、写真撮影とかは駄目だよ、見るだけだからね!」
「「「要らないから!!!」」」
会長さん以下、綺麗にハモッた叫びですけど、ソルジャーはと言えば。
「えーっ? こっちのハーレイにも見せてあげたいし、出血大サービスなんだけど…!」
是非見に来てよ、と今度はドアを自分で開けっ放しにするつもり。こんな結果になるんだったら、青の間のドア、開けっ放しで壊れたままの方が良かったでしょうか、迷惑でも。恩を仇で返している気は無さそうですよね、そんなサービス、誰も頼んでいないんです~!




              閉まらない扉・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 壊れてしまった、ソルジャーの世界の青の間の扉。その上、自業自得で先延ばしな修理。
 こちらの世界が迷惑なわけで、ジョミー君が出したアイデア。怪談好きが役に立ちましたね。
 次回は 「第3月曜」 4月18日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、3月といえば春のお彼岸。毎年恒例なんですけれど…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









(航宙日誌…)
 やっぱり人気、とブルーが眺めた新聞広告。学校から帰って、おやつの時間に。
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌。前のハーレイが綴った日誌が色々、気軽に買える文庫版から本物そっくりの復刻版まで。
 値段も違えばサイズも違う。復刻版と文庫版の他にも様々な大きさ、それから値段。元の日誌の抜粋だとか、子供でも読める簡単な文章になったものとか。
(買う人、沢山いるものね…)
 キャプテン・ハーレイの日誌は、超一級の歴史資料だから。前の自分たちが生きた時代の歴史を知るには、欠かせない資料。歴史が好きな子供だったら、読んでみることもあるだろう。
 研究者向けの復刻版だと、値段はとても高くなる。前のハーレイが羽根ペンで綴った文字たち、それをそのまま写しているから。
 歴史好きとか、研究者だとか、読みたい人が大勢いる日誌。趣味で買う人がいるということも、最近になって耳にした。
(…キャプテン・ハーレイのファンの人…)
 一人だけしか知らないけれども、今のハーレイの馴染みの人。行きつけの理髪店の店主が、前のハーレイのファンだった。ハーレイに「キャプテン・ハーレイ風」の髪型を勧めたほどに。恋人がいると聞いた途端に、「ソルジャー・ブルー風にカットしたい」と言い出したほどに。
(…その人、研究者向けの復刻版も欲しいって…)
 ハーレイがそう話していたから、研究者でなくてもファンなら買うのが復刻版。いくら高くても揃えてみたいと考えるらしい。
 色々な人が買って読むのが航宙日誌。文庫に、子供向けの仕様に、本物そっくりの復刻版やら。
 こうして広告を眺めていると、本当に凄いロングセラー。
 古典の本にも負けない勢い、今も売れ続けているのだから。ずっと昔から売られているのに。
(ハーレイ、有名作家だよ…)
 小説の形はしていないけれど、エッセイとも違う中身だけれど。
 それでも充分、有名作家。これだけのロングセラーなら。時代を越えて売れているなら。



 何百年も書いていたんだものね、と戻った二階の自分の部屋。おやつの後で。
 勉強机の前に座って、思い返した航宙日誌。前のハーレイがせっせと綴っていたけれど…。
(人気があるのも分かる気がするよ)
 日誌の中身がどうであろうと、ハーレイの文章に遊びがまるで無かったとしても、綴られた文はミュウの歴史そのもの。初代のミュウたちがどう生きていたか、それが分かるのが航宙日誌。
 人類側の記録は多くあるけれど、ミュウの側から書かれたものは他に無いから。
 広い宇宙の何処を探しても、ミュウが書いた記録はあの一つだけ。
(誰も日誌は書かなかったから…)
 シャングリラで生きた仲間たち。アルタミラからの時代をずっと、あの船で生きた仲間は何人もいたのだけれど。けして少なくなかったけれども、誰も日誌は残さなかった。
 彼らが書いた記録となったら、自分の仕事の覚え書きくらい。引き継ぎの時に使う程度の。
 長老と呼ばれたゼルもブラウも、博識だったヒルマンとエラの二人も、そのタイプ。日誌の形で書き残すよりは、覚え書きやら、レポートやら。
(…ヒルマンとエラなら論文だったし、ゼルだったら図面とかなんだよ)
 それらが今に残っていたって、ミュウの歴史の記録にはならない。研究資料になるという程度。例の航宙日誌と突き合わせないと、時期の特定すらも危うい。
 白いシャングリラの設計図にしても、いつから在ったか分からないから。
 初めての自然出産だって、ジョミーがそれを宣言した日は、航宙日誌の中にしか無い。カリナは日記を書かなかったし、ノルディが記録を残していたって…。
(…カリナが診察に来てからだよね?)
 身ごもったのかも、とメディカル・ルームにやって来るまで出来ないカルテ。それまでに色々と勉強したって、それはカルテに書かれはしない。
(前のハーレイ、ホントに凄いよ…)
 日々の出来事を淡々と綴っていたのが、後の時代に役立つなんて。
 今でもロングセラーになるほど、色々な人が必要としている日誌を残しておいただなんて。



 改めて思う、キャプテン・ハーレイの日誌の偉大さ。コツコツと毎日書き続けたこと。
 他の仲間たちは、誰も書いてはいなかったのに。前の自分も、何も綴りはしなかったのに。
 ソルジャーだった前のぼくでも書かなかった、と思ったけれど。日誌は存在しないのだけれど。
(もしも、ソルジャー・ブルーの日誌があったら…)
 物凄い人気だっただろう。キャプテン・ハーレイの航宙日誌が、これだけ売れているのだから。見た目の人気と関係無く。…前のハーレイのファンの数とは無関係に。
(前のハーレイ、あんまり人気が無いものね…)
 写真集が出版されていないのだから、注目されていないということ。出版したって、売れそうにない前のハーレイの写真集。
 けれど、ソルジャー・ブルーは違う。自分でもちょっぴり恥ずかしいけれど、写真集が出ている数なら誰にも負けない。ジョミーにも、もちろんキースにだって。
 そんな具合だから、もしも日誌があったなら…。
(日誌だけでも売れるんだろうし…)
 写真集に日誌の抜粋があれば、きっと人気を集める筈。手軽に読めて、写真も楽しめるから。
 それとは逆に、写真が豊富な日誌も売れる。ふんだんに写真を鏤めたならば、文字だけの日誌を売り出すよりも。
(凄く売れそう…)
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌を越える売り上げ、ついでにロングセラーにも。
 そうなったろう、と容易に想像出来るのに…。



(前のぼくの日誌…)
 なんで無いわけ、と首を傾げた。どうしてハーレイの航宙日誌しか無いのだろう、と。
 書かなかったものは、存在する筈がないけれど。残っていなくて当然だけれど、書かずにおいた理由が分からない。ソルジャー・ブルーとしての日誌を。
 今の自分は日記をつけてはいないのだけれど、前の自分は事情が違う。置かれた立場も、生き方だって。…長い年月、たった一人のソルジャーだったし、ミュウの長として生きていた。
(前のぼくなら…)
 ハーレイのように、日誌を書いていたって不思議ではない。
 日々の出来事や、ソルジャーが下した判断などを。船の中で見聞きしたことも。
(ソルジャーの日誌…)
 それは日誌で日記ではないし、ハーレイとの恋は書けないけれど。プライベートなことも書けはしないけれども、前の自分はソルジャーだから…。
(日誌、書いておけば良かったのに…)
 どういう日々を過ごしていたのか、様々な出来事にどう対処したか。会議の議題や、長老たちと交わした意見。それに彼らがどう答えたのか、そういったことを。
 自分が書いておきさえしたなら、後々、ジョミーの参考にもなった。判断に迷った時に開いて、似たような例が何処かに無いかと探したりして。
(…記憶装置はあったけど…)
 ジョミーに遺した記憶装置に、それらも入っていたのだけれど。
 記憶装置にしか入っていない記録は、他の仲間は見られない。ジョミーの言葉が本当かどうか、誰も確かめることは出来ない。
 「ソルジャー・ブルーの意志でもある」と言われても。ジョミーがそうだと主張しても。
 その点、日誌の形だったら、他の仲間も読むことが出来る。長老だったヒルマンやエラも、若いナスカの子供たちも。
 前の自分の意志を確かめ、それに従って動けた筈。
 ジョミーが「こうだ」と述べた意見が、前の自分のとは違っていたって、溜息をついても従った筈。もしも日誌を書いていたなら、「これから先は、ジョミーに従え」と綴ったろうから。



 日誌があったら、大いに役立ったことだろう。ジョミーがソルジャーを継いだ後には。
 前のハーレイの航宙日誌も、そのために綴られていたものだった。ハーレイの代で地球まで辿り着けなかったら、次のキャプテンが立つだろうから。…その時に日誌が助けになれば、と。
 前の自分はそれを知っていたのに、どうして日誌を書こうと思わなかったのか。
 キャプテンが次の世代を意識していたなら、ソルジャーの自分も同じように考えるべきなのに。
(大失敗…)
 前のぼくも日誌を書けば良かった、とコツンと叩いた頭。そうすればジョミーの役に立ったし、船の仲間たちの参考にもなった筈なのに。
 ゼルたちだって、ジョミーの考えを頭から否定したりはしなかったろうに。「若すぎる」というだけのことで。アルタミラを知らない世代は駄目だと、決めてかかって。
 そうならないよう、日誌を書いておくべきだった、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで口にした。
「あのね、ハーレイ…。前のぼくの日誌…」
「日誌?」
 前のお前の日誌なのか、と丸くなったハーレイの鳶色の瞳。
「そう。前のハーレイの航宙日誌みたいなヤツ」
「日誌って…。お前、書いてはいないだろう?」
 俺は知らんぞ、とハーレイは怪訝そうな顔。「お前の日誌なんかが、あったか?」と。
「そうなんだけど…。前のぼく、日誌を書いてはいないんだけれど…」
 日誌、書いておけば良かったかな、って思ったんだよ。日誌があったら、役に立ちそう。
 ジョミーも参考に出来ただろうし、船のみんなも悩んだ時には、開いて読んでみたりして。
「そりゃまあ、あればそうなったろうが…」
 役に立っただろうとは思うが、無かったものは仕方ない。お前は日誌を書かなかったんだから。
「そのことなんだよ。…前のぼく、日誌を書けば良かったのに、思い付きさえしなくって…」
 今頃になって気が付いちゃった。ぼくも日誌を書くべきだった、って。
 ハーレイが書くのを見ていたくせに、駄目だよね。前のぼくの目、節穴だったよ…。
 もっときちんと考えていたら、ぼくも日誌を書いたのに。
 …ハーレイの航宙日誌とは別に、ソルジャーの日誌。



 ホントに駄目なソルジャーだよね、と零した溜息。まるで気付かなかっただなんて、と。
 日誌があったら、どれほど役に立つかということに。後の時代に、自分の命が燃え尽きた後に。
「…今まで気付きもしないだなんて、ホントに駄目で考えなしだよ」
 前のぼく、長生きしてたってだけで、後のことまでは少しも考えてなくて…。
 ソルジャーだったら、きちんと記録を残しておくべきだったのにね。みんなのために。
 馬鹿で間抜けだよ、前のぼくって。
「それは違うぞ、お前が忘れているだけだ」
 前のお前は、そのことを思い付いていた。ソルジャーの日誌を書き残すことを。
 俺は知ってる、とハーレイが言うから驚いた。そんな馬鹿な、と。
「え…?」
 忘れてるって…。どういうこと?
 それに日誌を思い付いたんなら、前のぼくは書いたと思うんだけど…?
「本当に忘れちまったんだな、綺麗サッパリ…。お前ってヤツは」
 生まれ変わる時に落として来たのか、その後の人生が長すぎたせいで忘れちまったか。
 お前、俺に相談に来たろうが。…日誌の件で。
 ソルジャーになって間も無い頃だな、此処まで言っても思い出せんか?
 俺の所に来たんだがなあ、日誌の書き方を教えてくれと。日誌は俺の方が先輩だから。
「そうだったっけ…!」
 ハーレイ、日誌を書いていたから…。
 どういう風に書けばいいのか、書き方、教えて貰いたくって…。



 思い出した、と蘇った記憶。遠く遥かな時の彼方で、前の自分がやったこと。
 まだ名前だけがシャングリラだった船で、ソルジャーの任に就いた後。ご大層な尊称で呼ばれる日々にも慣れて来た頃、ハーレイの日誌が気になり始めた。
 一日の終わりに、必ず書いている航宙日誌。船の出来事を記すキャプテン。
 その姿を何度も目にしていたから、考えた。ソルジャーになった自分も、あんな風に日誌を書くべきだろうか、と。
(ソルジャーはキャプテンよりも偉いんだしね…?)
 単なるリーダーだった頃とは違うのだ、と嫌でも思い知らされるのがソルジャーの立場。歩いていれば誰もが礼を取るほど、それまでとは違ってしまった生活。
 皆の頂点に立つのがソルジャーなのだし、キャプテンよりも責任は重い。ならば、記録も必要になってくるだろう。どういう日々を過ごしているのか、ソルジャーの役目は何なのか。
(だけど、日誌の書き方なんて…)
 分からなかったのが前の自分。心も身体も長く成長を止めていたから、ソルジャーとはいえ姿は少年。中身の方も、姿に見合った少年の心。ハーレイのような大人になってはいない。
(…子供が日誌を書いたって…)
 きっと大人のようにはいかない。子供っぽいだけならマシだけれども、書くべきことを抜かしているとか、まるで日誌の体を成してはいないとか。
 それでは日誌を書く意味が無いし、相談に出掛けて行ったのだった。いつも航宙日誌を忘れずに綴る、大先輩のハーレイに。
 シャングリラの中の一日が終わって、通路の灯りが「夜なのだから」と落とされた後に。



 遊びに行くのとは違っていたから、少し緊張した扉の前。「開いてるぞ」というハーレイの声を聞いたら、いつもの自分に戻ったけれど。
 扉を開けて中に入って、勧められるままに座った椅子。もうハーレイは日誌を書き終えた後で、机の上には閉じられたそれ。
 そちらの方に視線をやって、訪問の用件を切り出した。
「航宙日誌…。今日の分はもう書いたんだね。…ぼくも日誌を書こうと思って…」
 ソルジャーだからね、日誌も書いておくべきだろうと思うんだ。でも…。
 日誌というのは、どんなことを書けばいいんだい?
 書き方を教わりたいんだけれど、と質問したら、「見せてやらんぞ」と返したハーレイ。
「何度も言ったが、航宙日誌は俺の日記だ。…いくらソルジャーでも見せられんな」
 勝手に覗いたりもするなよ、と軽く睨んだハーレイの言葉遣いは、まだ普通だった。エラが色々言っていたけれど、こうして二人で話す時には、まだ敬語ではなかったハーレイ。
「分かっているよ。覗こうとは思っていないけど…」
 だから教えて欲しくって…。勝手に見るより、教わる方がいいからね。
 ぼくだと何を書くべきなのかな、ソルジャーの日誌を作るのならば。
 君は日誌の先輩だから、と訊いたのだけれど、ハーレイは逆に尋ねて来た。
「書き方って…。お前、日誌を書きたいのか?」
「そうだよ、日誌を書いておいたら、いつかは役に立つだろう?」
 君の日誌と同じようにね。
 ぼくは地球まで行くつもりだけど、辿り着けなかった時は日誌が役に立つ。
 それが誰かは分からないけれど、ぼくの跡を継いでくれる人。…迷った時には、ぼくの日誌。
 読んでくれたら、其処に答えがあるだろうから。
「どうなんだか…。俺はそういうつもりで日誌を書いてはいるが…」
 お前は俺とは立場が違う。
 ソルジャーとキャプテンってだけじゃなくてだ、何から何まで違いすぎるってな。
 誰も参考に出来やしないぞ、お前の生き方。
 俺の生き方なら、真似られるヤツも、参考にするヤツもいるんだろうが…。



 違うのか、と覗き込まれた瞳。射るような視線で、真っ直ぐに。
 ミュウという種族が発見されて以来、一人しかいないタイプ・ブルー。「それがお前だ」と。
 宇宙に一人きりの存在、そんなお前と同じに生きられる人間が誰かいるのか、と。
「考えてもみろ。お前だからこそ、ソルジャーなんだ」
 お前と同じに生きられないなら、誰もソルジャーにはなれないが…。
 いるのか、タイプ・ブルーの仲間。…お前と同じサイオンを使いこなせるヤツが?
 どうなんだ、と見詰められたから。
「…誰もいないね…」
 この船には誰も乗っていないよ、ぼくのようなことが出来る仲間は。
 アルタミラでも、タイプ・ブルーは他に誰もいなくて…。だから殺されずに生かされていて…。
 これで死ぬんだ、と思った時でも、いつも治療されて、気が付いたら檻の中だった…。
「そうだろう? 人類ですらも分かっていたんだ。お前の代わりはいないってことを」
 俺たちミュウも気付いてるってな、お前だけしかいないということ。
 お前しかソルジャーになれやしないし、お前の仕事はお前にしか出来ん。
 その分、お前の責任も重い。…一人きりしかいないんだから。
 俺の方なら、厨房からキャプテンになったほどだし、船を操れる仲間は他にもいる。他の仕事が山ほどあっても、俺にしか出来ないわけじゃない。俺が纏めているってだけで。
 だがな、お前は違うんだ。…お前がいなくなっちまったら、誰がこの船を守ってくれる?
 仲間たちが食う飯にしたって、もう何処からも来やしない。お前が奪いに行かなかったら。
 お前は船の仲間の命を預かってるんだ、お前自身が責任の重さをまるで気にしていなくても。
 俺よりも遥かに重く出来てて、誰も代わりに持っちゃくれない責任ってヤツ。
 お前はそいつを背負ってるわけだ、仲間たちの命も、このシャングリラも、ミュウの未来も。



 そんな毎日を書き残しておいて楽しいか、と問い掛けられた。
 一人、日誌を読み返してみては、後悔することにならないか、と。
「今みたいな夜の時間に、だ。…その日の分の日誌をお前が書いた後だな」
 こういう時間に、前に書いた日誌を読んでみて。…そうだった、と思い返して。
「後悔だって…?」
 日誌を書いたことを後悔するのかい?
 書こうと決めた日誌だったら、後悔しないと思うけれどね…?
 ぼくが自分で決めたことなのに、どうして後悔するんだい?
 君は不思議なことを言うね、とハーレイを見詰め返したけれども、「違う」と返った静かな声。
「日誌を書くってことじゃない。…其処に書かれている中身が問題なんだ」
 お前が自分で残した記録。そいつを読んだら、色々なことを思い出すから…。
 あの時、こうすりゃ良かったんだ、と悔やむことだってあるだろう。
 幸い、今の所は平穏無事でだ、何も起こっちゃいないんだが…。
 お前、アルタミラから脱出した後、ハンスのことを悔やんでいただろう。思い出す度に。
 もっとサイオンがあったなら、と。
 救おうと思う気持ちが強かったならば、サイオンを使えていたんじゃないか、とも。
 お前のサイオンは尽きちまってたが、意識はあったわけだから…。
 その分、余力があった筈だと。…もう無理だ、と思っていなかったならば、救えていたとな。
「…うん…。今でも、たまに思い出すよ」
 どうして救えなかったのかと。…あそこで力を使えていたなら、ハンスも船にいた筈だとね。
「ほらな。…そういう記録を書いていくのがソルジャーなんだ」
 それがソルジャーの日誌になるんだ、お前は船の仲間たちの命を背負うんだから。
 読み返してみても辛いだけだぞ、自分を責めるばかりでな。
「でも…。楽しいことも幾つもあるよ?」
 生きていて良かった、と思えることが。ジャガイモ地獄もキャベツ地獄も、楽しかったよ。
「それはまあ…。だが、それだけじゃ済まない時が来ないと何故言えるんだ?」
 いくら平穏無事な日々でも、俺たちは追われる存在だ。
 ミュウに生まれたというだけでな。



 この先も無事とは限らないんだ、とハーレイの瞳は穏やかだけれど、真剣だった。
 人類軍に見付かった時は、逃げるだけしか術がない船。武装していない民間船では、とても戦うことは出来ない。改造する技術も、今はまだ無い。
 それがシャングリラで、ミュウの仲間たちを乗せた箱舟。何処かに着弾したとしたって、空気が流れ出さないようにと、隔壁で遮断して逃げることしか出来ない船が。
「俺たちの船は、そういう船だ。いくらお前が守っていたって、運が悪けりゃ被弾しちまう」
 その時、其処に誰かがいたなら、そいつも危ない。シールドを張り損なっちまえばな。
 もしも、そういう不幸な事故が起こったら…。
 お前、その事故を、どんな思いで日誌に書くんだ?
 きっと涙が出るのを堪えて、懸命に書くんだろうがな…。書いた後にはどうするんだ?
「…何度でも読むよ。忘れないように」
 同じようなことが二度と起こらないように、何度でも。…どうすれば良かったかを考えながら。
 ぼくはどうするべきだったのかを。
「俺が思った通りじゃないか。ハンスの事故の時と同じだ」
 何度も日誌を読み返しては、その度にお前は後悔するんだ。ちゃんと最善を尽くしたのか、と。
 読み返す度に、過ぎ去った過去に囚われちまう。自分のせいだ、と自分を責めて。
 そういう辛い日誌を書いていきたいか、お前?
 とっくに終わっちまったことまで、お前に突き付けてくるような辛い日誌を…?
「それが必要なんだったら…」
 船のみんなの役に立つなら、きちんと書いておこうと思う。辛いだなんて言わないでね。
 それもソルジャーの役目だろう、と答えたけれど。
「お前にそれは必要無い。…辛い日誌は要らないんだ」
 さっきも言ったが、お前の代わりはいないんだから。…今も、これから先にもな。
 辛い思いをして書き残したって、日誌は誰の役にも立たん。そんな日誌に意味は無いだろ?
 この船のことは俺が書くから、お前は何も書かなくていい。
 ソルジャーの日誌は無くていいんだ、お前が辛くなるだけだから。
 いいな、と肩に置かれたハーレイの手。
 「日誌は書くな」と。「仲間たちには、俺の航宙日誌があれば足りる」と。



 そうだった、と蘇って来た、あの夜のこと。「日誌は要らない」と諭したハーレイ。
 日誌の書き方を教わりに行って、止められてしまった前の自分。「書くな」と日誌の大先輩に。
 ハーレイは一番の友達でもあったし、そのハーレイが止めるからには、書くべきではない。そう思ったから、日誌は書かないことにした。ソルジャーの日誌はやめておこう、と。
「…前のぼくの日誌…。前のハーレイが止めたんだ…」
 ぼくは書こうと思っていたのに、書かなくていい、って。…必要無い、って。
「そうだが、お前、書きたかったか?」
 俺は生まれ変わって別の俺だし、今だから、もう一度訊いてみるんだが。
 お前は日誌を書いた方が良かったと思っているのか、ソルジャーの日誌を…?
「どうだろう…?」
 書いておいた方が良かったのかな、と改めて考えた日誌のこと。前の自分が書かずに終わった、ソルジャーの日誌。
 あれから長い時が流れて、ジョミーを見付け出したのだけれど。
 奇跡のように現れた二人目のタイプ・ブルーで、シャングリラに迎え入れたけれども。
 補聴器に仕込んだ記憶装置を持っていたから、日誌はまるで必要無かった。文字にしなくても、記憶を丸ごと渡せたから。…下手に文章の形にするより、正確に全てを伝えられたから。
 もっとも、十五年間もの深い眠りに就いていた間は、渡しそびれてしまったけれど。
 ああいう時こそ、ジョミーは記憶装置が欲しかったろうに。
 ソルジャー候補でしかなかったのが、いきなりソルジャーになったのだから。
 何の引き継ぎもしてはいなくて、正式なお披露目もされないままで。
 皆を導くにはどうすればいいか、手探りで歩くしか無かったジョミー。
 記憶装置さえ持っていたなら、ヒントも答えも、その中に山と詰まっていたのに。



 何の前触れもなく導き手を失い、放り出されてしまったジョミー。ただでも味方が少ない船で。
 それでも懸命に頑張り続けて、人類に向けての思念波通信を行ったけれど…。
(…裏目に出ちゃって、責められちゃって…)
 ブリッジにも顔を出さない日が長く続いていたという。青の間に来ては、佇むだけで。
 きっとジョミーは、前の自分の導きを欲していたのだろう。進むべき道が分からなくて。
 何処に向かって歩めばいいのか、教えてくれる者が誰もいなくて。
 それを思うと、前の自分がすべきだったことは…。
「…前のぼく、ジョミーに記憶装置を渡しそびれて眠っちゃって…」
 まさか目が覚めないとは思わないしね、寝ちゃう前には少し眠かっただけなんだから。
 十五年間も眠っちゃうんだと分かっていたなら、記憶装置、ジョミーに渡しておいたのに…。
 あんなことになるなら、ソルジャーの日誌、書いておけば良かったんだよね。
 そしたらジョミーも読めたのに…。色々と参考になっただろうし、自信も持てたよ。
 ぼくが眠ってしまっていたって、ぼくの考えは日誌に書いてあるんだから。…やり方だって。
「おいおい、お前の日誌って…。お前が生きているのにか?」
 深く眠っているだけなんだし、あの状態では勝手に開いて読めはしないぞ。
 いくらジョミーがソルジャーになっても、青の間に出入り自由でもな。
「読めないって…。なんで?」
 どうして駄目なの、ぼくの日誌はそういう時に読むためのものでしょ…?
「いや、無理だ。俺の航宙日誌と同じだ、書いた人間が生きてる間は許可が要る」
 読んでもいい、という許しがな。
 それをお前が出してないなら、ジョミーは勝手に読むことは出来ん。其処に日誌があったって。
 ついでに言うなら、許可を出せるような余裕があったら、記憶装置を渡したろうが。
「…そうだね、そっちの方がずっと早いし、正確だし…」
 眠っちゃうんだ、って分かっていたなら、記憶装置を渡していたよ。ジョミーのために。
「俺たちも記憶装置を知ってはいたが…。外してジョミーに渡してはいない」
 必要だろうと分かっていたって、お前の許可が無いんだからな。…眠っちまって。
 だから日誌が書いてあっても同じことだ。「読め」とは言わんな、ジョミーにだって。
「そっか…」
 書いておいても、無駄だったんだ…。本当に役に立ちそうな時に、出番が無いなら。



 ソルジャーの日誌は、あったとしても役に立たないものだったらしい。ジョミーがそれを求めていた時、読むための許可は出なかったから。
 ハーレイたちは記憶装置の存在さえも、ジョミーに教えなかったのだから。
 もしもジョミーが手にしていたなら、求める答えを得られただろうに。迷った時には、導く声も記憶装置から聞こえたろうに。
「…駄目だよね、ぼく…。記憶装置は渡しそびれるし、日誌も書いていなかったし…」
 ホントに駄目なソルジャーだったよ、ジョミーに悪いことをしちゃった…。
「ジョミーの件はともかくとして…。要らなかったんだ、お前の日誌は」
 お前が辛くなるだけだから、とハーレイは慰めてくれるのだけど。
「でも…。ハンスの事故みたいなことは起こっていないよ?」
 死んじゃった仲間もいたけれど…。事故じゃないでしょ、病気だったよ。
 日誌に書いても、そんなに辛くはなかったと思う。…悲しいけどね。
「船じゃそうだが、外の世界にはミュウの子供たちがいたろうが」
 助け損なった子だって多いぞ、ユニバーサルのヤツらに先を越されて。
 お前はそいつを書かなきゃならん。…日誌を書いていたならな。
 子供たちの悲鳴が聞こえて来そうな、読み返す度に辛い気持ちになる日誌を。
「そうなっちゃうね…」
 助け出せなかった子供たちのことも、きちんと書かなきゃいけないから…。
 子供たちの名前も、助け損ねた状況とかも。
 それもソルジャーの役目だもの、と今でも心が痛くなる。死んでいった子供たちを思うと。
「今のお前でも、そういう顔になるんだから…。思い出しただけで」
 書くなと止めて正解だったな、前のお前のソルジャーの日誌。
 お前が思い出して泣くのを、俺は防げたようだから…。お前の心を少しは軽く出来たから。
「うん、ハーレイのお蔭だよ。…毎晩のように後悔しなくて済んだから」
 それにね…。もしも日誌を書いてたら…。



 ハーレイのように強くない自分は、恋を書けないのが辛かっただろう。
 日々の出来事を綴ってゆくのに、恋の思い出を鏤めることは出来ないから。どんなにハーレイを想っていたって、欠片も記せはしないのだから。
「…前のハーレイのことを書けないなんて…。何も残しておけないなんて…」
 そんなの辛いよ、辛すぎるよ。
 日誌はぼくの日記なのに。…ソルジャーとしてのことは書けても、本当のぼくのことは駄目。
 きっと毎晩、辛かったと思う。ハーレイに恋をしちゃった後は。
 ハーレイとのことを何も書いたらいけないだなんて、悲しくて辛くて、泣いちゃったかも…。
「なるほどな…。確かに書けんな、俺とのことは」
 俺は平気で嘘を書けたが、お前の心は俺よりも遥かに繊細だったというわけだ。
 恋をしているのに書けないことが、辛くて悲しくなっちまうなら。
 ソルジャーの日誌、書いていなくて良かったな。
 俺のアドバイスは思った以上に、前のお前を助けた、と。書くな、とお前を止めたことで。
「そうみたい…」
 ありがとう、あの時、ぼくを止めてくれて。
 ハーレイが止めてくれなかったら、ぼく、書いてたと思うから…。
 書き方を習って、毎晩、真面目に。…これもソルジャーの仕事だから、って。
 色々なことを思い出しては、後悔で泣くのはいいけれど…。それも勉強なんだけど…。
 二度と後悔しないように、って避ける方法も考えるだろうから。
 だけど、ハーレイのことを書けない方は…。
 どんなに悲しくて泣いていたって、勉強になんかならないから…。
 ただ辛いだけで、涙が零れて、日誌、書くのも辛くなるから…。



 ソルジャーの日誌が無くて良かった、とハーレイに「ありがとう」と頭を下げた。
 前のハーレイが止めずにいたなら、きっと日誌を書いていたから。毎晩、日誌を綴り続けては、何度も泣いていただろうから。
「ホントにハーレイのお蔭だよ。…前のぼくが泣かずに済んだのは」
 もしも日誌を書いていたなら、何度泣いたか、数えることも出来ないくらい。
 ハーレイのことを書けないだけでも、涙が溢れて止まらなかったと思うから…。
「礼を言ってくれるのは嬉しいんだが…。先の先まで読めたわけではないからな、俺も」
 あの時、お前を止めた理由は、お前の代わりは誰もいない、ってヤツだったんだが…。
 来ちまったからな、タイプ・ブルーの後継者が。
 ソルジャーの日誌、あれば参考になっただろうに…。記憶装置と同じようにな。
 お前がいなくなっちまった後しか、出番が無かったとしても。
「それでもだよ。…あれば良かったかな、とは思うけれどね」
 無かったお蔭で、辛い思いをしなくて済んだよ。日誌を書いたり、読み返したりで。
 どうして書いたら駄目なんだろう、ってハーレイのことを思う度に涙が止まらないとか。
「そりゃあ良かった。…結果的にお前を救えたんなら」
 今のお前も、色々なことを思い出さずに済むからな。
 お前の日誌は書かれていないし、何処にも残っていないんだから。
「それなんだけど…。ハーレイは平気?」
 航宙日誌が残ってるのに…。本屋さんに行ったら、一杯並んでいたりするのに。
 今日も新聞に広告があったよ、そのせいで前のぼくの日誌のことを考えちゃったんだけど…。
「俺の航宙日誌のことか?」
 大丈夫だ、こうして俺を心配してくれるお前がいるからな。
 前の俺はお前を失くしちまったが、お前は戻って来てくれたから。



 お蔭で今の俺は幸せ者なんだ、と笑顔のハーレイ。「宇宙で一番の幸せ者だ」と。
 「お前と一緒に青い地球まで来られた上に、すっかり平和な時代だから」と。
 今は幸せなのだろうけれど、辛かった時もあっただろうに。
 前のハーレイの地球までの道は、最後は生ける屍のような日々だけで埋め尽くされたのに。
 それでも「幸せ者だ」と言ってくれる人、前の自分が日誌を書こうとしたのを止めてくれた人。
 「辛い思いをすることはない」と、「俺の日誌があればいいから」と。
 この優しくて愛おしい人と、また巡り会えて同じ時間を生きてゆく。
 今度こそ、離れてしまわずに。
 青く蘇った水の星の上で、しっかりと手を繋ぎ合って。
 いつまでも、何処までも二人一緒に、幸せを幾つも拾い集めて、心の日誌に書き記しながら…。




           無かった日誌・了


※ソルジャー・ブルーの日誌は無いのですけど、実は、書こうとしたことがあったのです。
 けれど、書かれずに終わった日誌。前のハーレイが止めたお蔭で、救われた前のブルーの心。
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