シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
食欲の秋です、これから色々と美味しい季節。学校がある日は放課後が楽しみ、お休みの日はお昼御飯も晩御飯も。お料理大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」が腕を奮ってくれてますから、普段だって充分に美味しいんですけどね!
今日も放課後、みんなで「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ出掛けて。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日はカボチャのパウンドケーキなの! と迎えてくれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。紅茶やコーヒーも出て来て、楽しいお喋りタイムが始まりましたが…。
「えとえと…。今度の土曜日なんだけど…」
ちょっとお料理作ってもいい? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が質問を。
「ちょっとって…。なんだよ、土曜日、出前の予定でもあったかよ?」
聞いてねえけど、とサム君が言って、ジョミー君が。
「いつも、ぶるぅの料理だよ? 作っていいかって訊かれても…」
「作らなくてもいい? という質問なら分かるがな」
まるで逆だな、とキース君。
「何か作りたいものでもあるのか、俺たちに断った上でないとマズイとか、そういうのが」
「ぶるぅの料理が不味いなんてこと、ありましたっけ?」
ぼくの記憶では一度も無いです、とシロエ君が。
「変わった料理に挑戦してみた、って言ってる時でも必ず美味しいですけどね?」
「だよねえ、そこは間違いないよね」
どんなものでも美味しいし、とジョミー君が頷き、スウェナちゃんも。
「百パーセントって言えるレベルよ、どんな料理でも美味しいわよ」
「ぼくもそうだと思います。うちのシェフより腕は上ですよ」
間違いなくプロ級の料理ですから、とマツカ君も太鼓判を押しました。
「アレンジだって上手いですしね、どんな料理をしようとしているのかは知りませんけど…」
「わざわざ断らなくてもなあ?」
いいんでねえの、とサム君がグルリと見回し、「うん」と頷く私たち。
「ホント? 作っていいの?」
土曜日のお昼御飯にしてみたいけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お昼御飯なら軽めのお料理か何かでしょうか、今の季節だと食材も色々ありますもんね?
土曜日のお昼に作ってくれるらしい、何かの料理。前もって訊かれると気になりますから、どんな料理か尋ねてみようかと思っていたら。
「ぶるぅ、作りたいのは何の料理だ?」
一応、参考までに聞いておきたい、とキース君が切り出してくれました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコッと笑って。
「えっとね、パイだよ、伝統のパイ!」
紅茶の国のパイなのだ、という返事。紅茶の国と言ったらアフタヌーンティーの国、でもでも、食事はとっても不味いんでしたっけ?
「…なるほどな…。あの国のパイか、それは訊かれても納得がいく」
美味い料理は朝飯しか無いと昔から言われているらしいしな、とキース君。
「やたら貴族が多い割には、どうにもこうにも酷いと聞くし…」
「何故なんでしょうね、貴族だったら美味しい料理も食べ放題だと思うんですけど…」
シロエ君が首を捻ると、会長さんが。
「説は色々あるけどねえ…。貴族の味覚音痴ってヤツが根源にあるって話もあるね」
「「「味覚音痴?」」」
なんですか、それは? 美味しい物を食べれば舌は肥える一方、一般人なら分かりますけど、貴族が味覚音痴だなんて…。
「今の時代は大丈夫だろうと思うけれどさ…。昔が酷かったらしいんだよ、うん」
会長さんが言うには、貴族の仕事はいわゆる社交。子育ては使用人にお任せ、子供部屋だって大人の部屋からは完全に隔離状態だったらしく。
「そういう所で子供たちが食べてた食事が不味かったんだと言われているねえ…」
オートミールのポリッジとかね、と会長さんが挙げた不味い食べ物の代表格。そういったもので育った子供の味覚がマシになる筈がなくて。
「そのまま大人の社会に出たって、不味い料理で満足なんだよ、そういう子供は」
「「「うわー…」」」
それはヒドイ、とイギリス貴族に同情しました。不味い食事で育ったばかりに、成長しても不味い料理でオッケーだというわけですか!
「らしいよ、もちろんグルメもいたけど…。そんな人は別の国から来たシェフを雇うんだよ!」
フレンチの国から本場のシェフを、という説明。とどのつまりが、紅茶の国では料理人の腕ってヤツからしてもダメダメなんだということですね?
味覚音痴な貴族と腕が駄目なシェフ、それのコラボが不味いと評判の紅茶の国の最悪な料理。そうなってくると、腕のいい「そるじゃぁ・ぶるぅ」が同じ料理を作るとなったら…。
「美味いんでねえの、元の料理は最悪でもよ」
ぶるぅだしな、とサム君がグッと親指を。
「舌は肥えてるし、腕はいいんだし、絶対、美味いのが出来るって!」
「そうだな、ぶるぅのパイは美味いしな。…それに、あの国のパイにしたって…」
ミートパイはけっこうイケる筈だ、とキース君。確かにミートパイは美味しいです。あの国で生まれた料理ですよね、ミートパイ?
「うん、ミートパイはあの国だねえ…。クリスマスプディングとかと同じで」
伝統料理、と会長さんが答えてくれて、シロエ君が。
「それなら、ぶるぅのパイにも充分に期待出来そうです。…どんなパイなんですか?」
伝統のパイにも色々あるんでしょうけど、という質問に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「んーとね、お祭り用…なのかな?」
「「「お祭り?」」」
「その時だけ作るパイなんだって! 今はそうでもないらしいけど…」
ああ、ありますよね、その手の伝統料理ってヤツ。昔はこの時期しか食べなかった、っていうのが年中食べられるだとか、そういうの…。
「お魚のパイで、漁師さんに感謝でお祭りなの!」
「「「は?」」」
魚料理は漁師さんがいないと無理ですけれども、そこで感謝のお祭りまでしますか、伝統料理のレベルとなったら毎年やってるわけですよ?
「そだよ、十六世紀って言うから、ぼくもブルーもまだ生まれてない頃のお話!」
そんな昔からあるお祭りなの! と説明されると、ますます気になるお祭りの由来。漁師さんに感謝し続けてウン百年って、その漁師さんは何をやったと?
「お魚を獲りに行ったんだよ! クリスマスの前に、たった一人で!」
勇気のある漁師さんのお話、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が語った話はこうでした。魚が食卓のメインだった漁村で海が荒れまくったクリスマス前。このままでは皆が飢えてしまう、と船を出したのが勇気ある漁師。充分な量の魚を獲って戻って、皆は飢えずに済んだのだそうで…。
「それで魚のパイを作ってお祭りなの!」
分かった? と訊かれて、全員が「はいっ!」と。そういうお祭りならば納得、土曜日は魚のパイらしいです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の腕に期待で、楽しみになってきましたよ~!
伝統ある魚のパイが食べられると聞いた土曜日、私たちは揃って朝から会長さんの家へ出掛けてゆきました。どんなパイだか、誰もがワクワクしています。
「美味いんだろうなあ、ぶるぅが作ってくれるんだしよ」
ド下手な料理人と違って、とサム君が言えば、ジョミー君も。
「プロ並みだもんね、きっと貴族が食べてたヤツよりずっと美味しくなるんだよ!」
「俺もそう思う。…魚のパイなら、きっと見た目もゴージャスだろうな」
スズキのパイ包みだとか、あんな感じで、と例を挙げられて高まる期待。魚を料理してパイ皮で包んで、パイごと魚の形に仕上げる料理はパーティーなんかにピッタリです。
「昼御飯からゴージャスなパイはいいですねえ…!」
最高に贅沢な気分ですよ、とシロエ君が言った所で部屋の空気がフワリと揺れて。
「こんにちはーっ! 今日は伝統のパイなんだってね!」
ぼくも食べたい! と現れたソルジャー、今日もシャングリラは暇みたいです。正確に言えば、ソルジャーが暇にしているというだけで、ソルジャーの世界のシャングリラに休日は無いんですけど…。土曜も日曜もキャプテンは出勤、それでソルジャーが来るんですけど…。
「…君まで来たわけ?」
会長さんが顔を顰めても、ソルジャーの方は悠然と。
「いいじゃないか、別に食べに来たって…。それより、おやつ!」
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
わざわざ食べに来てくれたんだあ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンの方から飛び跳ねて来ました。パイの支度を抜けて来たようです。
「はい、おやつ! 栗たっぷりのタルトなんだけど…。それと紅茶と!」
「ありがとう! ぶるぅはパイを作ってたのかい?」
「うんっ! 後はオーブンに入れるだけだよ!」
下ごしらえは済んだから、と流石の手際良さ。ソルジャーも「凄いね」と褒めちぎって。
「凄く歴史のあるパイらしいし、食べさせて貰おうと思ったんだけど…。なんていうパイ?」
名前がついているのかな、という質問。そこまでは誰も気が回ってはいませんでした。単なる魚のパイというだけ、やはりソルジャー、歴戦の戦士は目の付け所が違います。こうでなければソルジャー稼業は務まらないんだな、と見直したりして…。
ソルジャーが訊いた、伝統ある魚のパイの名前。誰も尋ねはしなかったポイント、果たして名前はあるのでしょうか?
「名前だったら、ついてるよ?」
ちゃんとあるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ずっと昔からその名前なの! と。
「ふうん…。名前も変わっていない、と」
ソルジャーが相槌を打つと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「だって、伝統のパイだもん! スターゲイザーパイって言うの!」
「「「…すたー…?」」」
なんじゃそりゃ、と思ってしまったパイの名前。スターって星の意味ですか?
「そうだよ、お星様を眺めるパイっていう意味の名前!」
「へえ…! それは素敵な名前だねえ…!」
来て良かった、と喜ぶソルジャー。
「ぼくにとっては星と言えば、地球! いつも心に地球があるしね、もう行きたくて!」
此処も地球ではあるんだけれど…、と窓の外の青空に視線を遣って。
「こっちに来る度に、ますます地球へ行きたくなるねえ、ぼくの世界の本物の地球に!」
だからいつでも星を見てるよ、と夢見る瞳。スターゲイザーパイの名前はソルジャーのハートを射抜いたようです。
「ぼくの憧れの地球で食べるのに相応しいパイだよ、その魚のパイ!」
「ホント!? 食べてくれる人が増えて嬉しくなっちゃう!」
作って良かったあ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」もピョンピョンと。
「それじゃ続きを作ってくるね! 焼き加減も大事なポイントだから!」
焦がしちゃったら台無しだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキッチンに戻り、私たちとソルジャーは魚のパイで盛り上がりました。
「星を眺めるパイと来たか…。なんとも洒落たネーミングではある」
伝統のパイともなれば違うな、とキース君。
「正直、あの国の料理を馬鹿にしていたが…。名前もただの魚のパイだと思っていたが…」
「ぼくもそうです、まさかお洒落な名前があるとは夢にも思いませんでした」
世の中ホントに分かりませんね、とシロエ君も感心していて、ソルジャーが。
「訊かなきゃ駄目だよ、そういうのはね! ぼくへの感謝は?」
「「「はいっ!」」」
感謝してます、と頭を下げた私たち。星を眺めるスターゲイザーパイ、楽しみですよね!
どんなに素敵なパイなのだろう、と待ち焦がれた伝統ある魚のパイとやら。「お昼、出来たよ!」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に呼ばれて入ったダイニングのテーブルの上には、魚のパイは置かれていませんでした。
「…あれっ、パイは?」
パイが無いけど、とジョミー君が見回すと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「主役は後から登場だもん! 座って、座って!」
「「「はーい!」」」
サラダやスープは揃っていますし、テリーヌなんかのお皿だって。お昼御飯からなんともゴージャス、この上にまだスターゲイザーパイが来るんですから、誰もがドキドキ。
「…どんなのだろうね?」
「きっと凄いんだぜ、もったいつけて後からだしよ」
見た目からしてすげえパイだろ、とサム君が言って、ソルジャーも。
「ぼくも大いに期待してるんだよ、名前を聞いた時からね! 星を眺めるパイだしねえ…」
さぞ美しいパイに違いない、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が消えた扉の方を見ているソルジャー。主役のスターゲイザーパイを取りに行ってるんです、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「…あんた、覗き見していないのか?」
得意技だろうが、とキース君が尋ねると。
「そんな無粋な真似はしないよ、新鮮な驚きと感動が減るよ!」
「君にもそういう感覚は一応あったんだ?」
ちょっと意外、と会長さん。
「でもまあ、それだけの価値はあると思うよ、ぶるぅのパイは」
「そこまでなのかい?」
君が絶賛するほどなのかい、とソルジャーの瞳が期待に煌めき、私たちだって同じです。それから間もなく、ダイニングの扉がバタンと開いて。
「かみお~ん♪ お待たせ、スターゲイザーパイ、持って来たよ~!」
はい、どうぞ! とテーブルのド真ん中にドンッ! と置かれたパイ皿、誰もが仰天。
「…なんなんだ、これは!」
キース君が怒鳴って、ソルジャーも。
「こ、これが…。これが星を眺めるパイなのかい…?」
言われてみればそうなんだけど、と愕然としたその表情。そうなるでしょうね、これではねえ…。
星を眺めるパイという意味の名前な、伝統あるスターゲイザーパイ。それは確かに星を眺めるパイでした。もしも今、空に星が出ていたら。此処に天井が無かったら。
パイからニョキニョキと突き出した幾つもの魚の頭が星を見ています、まあ、魚はとっくに死んでますけど。パイに入れられる段階で死んでいるんですけど、焼き加減があまりに絶妙なので…。
「…ハッキリ言うけど、怖いよ、これ!」
魚に睨まれているみたいなんだけど! とジョミー君の顔が引き攣り、シロエ君だって。
「あ、有り得ないパイだと思うんですけど…。なんで魚が刺さってるんです!」
「んとんと、これはそういうパイだから…」
スターゲイザーパイのお約束だから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「漁師さんに感謝のお祭りなんだ、って言ったでしょ? お魚に感謝!」
中に魚が入っています、と一目で分かるように魚の頭が突き出すパイがスターゲイザーパイらしいです。中に入った魚の数だけ、魚の頭。
「「「…………」」」
どうすれば、と呆然と星ならぬパイを眺める私たちですが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「だから訊いたのに…。ちょっとお料理作ってもいい? って!」
「そ、それは…。確かにそれを訊かれはしたが…」
モノがコレなら先に言ってくれ、とキース君も腰が引け気味です。魚の菩提を弔っているのか、それとも自分がブルッているのか、左手首の数珠レットを指で繰りながら。珠を一つ繰ったら南無阿弥陀仏が一回ですから、絶賛お念仏中で。
「このパイは俺も知らなかったぞ、あの国は此処までやらかすのか!」
「んとんと…。今だと、海老とかでも作るみたいだけど…」
「「「海老!?」」」
「うん! 海老さんの頭がニョキニョキ出てるの!」
そっちの方が良かったかなあ? と尋ねられたら、海老の方がマシだった気もしますけど…。
「いや、海老にしたって、これは無い!」
このセンスだけは理解出来ん、とキース君が呻いて、私たちも理解不能でしたが。
「…いいんじゃないかな、味さえ良ければ!」
こういうパイもアリだと思う、とソルジャーが手を挙げました。
「ぶるぅ、一切れくれるかな? 美味しいんだよね?」
「美味しいと思うよ、見た目はこういうパイだけど!」
下ごしらえはちゃんとしたしね、とナイフを入れる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャー、ダテに戦士を名乗ってませんね、このパイもアリで、食べる勇気があるなんて…。
ソルジャーのお皿にドン! と載せられた一切れのスターゲイザーパイ。魚の頭がニョキッと一個だけ生えているソレを、ソルジャーはナイフとフォークで切って、口に運んで。
「あっ、美味しい! いける味だね、スターゲイザーパイ!」
「そうでしょ、ぼくも試作はしたんだもん!」
ちょっと見た目が変なだけだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も自分のお皿に乗っけています。会長さんも「ぼくも貰おうかな」と魚の頭が生えた一切れを貰いましたし…。
「…どうします?」
ぼくたちはどうするべきなんでしょう、とシロエ君。
「味は美味しいみたいですけど…。あの人はともかく、ぶるぅと会長が食べるからには、多分、ホントに美味しいんだと思うんですけど…」
「…問題は見た目なんだよなあ…」
アレが問題だぜ、とサム君が溜息、ニョキニョキ生えてる魚の頭。とても食べたいビジュアルではなくて、どちらかと言えば逃げたい方で。でも…。
「いいねえ、中身も魚なんだね、頭とは別に」
ソルジャーがパクパクと頬張り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「そうなの、頭が見えるように魚を入れてあるけど、丸ごと入れるってわけじゃないしね!」
ちゃんと下味とかもつけて入れるし…、という説明通りに、テーブルの上のパイの断面はパイ生地と魚とホワイトソースらしきもののコラボレーション。食材だけから判断するなら、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ったからには間違いなく美味しい筈ですが…。
「キース、一番に食べないと駄目じゃないかな?」
いつも食べ物を粗末にするなと言ってない? とジョミー君。
「…そ、それとこれとは別問題でだな…!」
「でもさ、やっぱり日頃の心構えが大切なんだと思うんだよ」
見た目がどんなに酷いものでも食べ物は食べ物、とジョミー君が日頃の恨みを晴らすかのように。
「お坊さんはさ、みんなのお手本にならなきゃ駄目でさ…。此処でキースが逃げるんだったら、ぼくに坊主の心得がどうこうって言うような資格は無いと思うな」
「あー…。それは言えるぜ、頑張れよ、キース」
元老寺の副住職ってのはダテじゃねえだろ、とサム君からも駄目押しが。
「…お、俺に食えと……!」
この強烈なパイを食べろと、とキース君は焦ってますけど、お坊さんなら頑張って食べるべきでしょう。魚の菩提を弔いたいなら、無駄にしないで食べないとねえ…?
ピンチに陥ったキース君。私たちの中でスターゲイザーパイを食べるなら一番手だ、とジョミー君とサム君がプッシュ、シロエ君たちも頷いています。
「キース先輩は適役でしょうね、毒見をするのに誰か一人が犠牲になるなら」
その精神もお坊さんには必須じゃなかったですか、と更なる一撃。
「我が身を捨てて人を救うのは、王道だったと思うんですけど…。仏教ってヤツの」
「うんうん、お釈迦様の時代からある話だぜ、それ」
腹が減った虎に自分を食わせるとか、「私を焼いて食べて下さい」と焚火に飛び込んだウサギだとか…、とサム君が習い覚えた知識で補足。
「やっぱキースが食わねえとなあ…。坊主が一番に逃げていたんじゃ、その魚だってマジで浮かばれねえよ」
食ってきちんと弔ってやれよ、と会長さんの直弟子ならではの言葉、完全に断たれたキース君の退路というヤツ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も瞳がキラキラしてますし…。
「キース、食べないの? ホントに美味しいパイなんだけど!」
ねえ? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんとソルジャーに視線を向けると、二人は揃って「うん」と。
「美味しいけどねえ、この魚も地球の海の幸ってヤツでさ」
「ぶるぅの腕を疑うのかい? 見た目はアレでも、このパイは実に美味しいよ?」
それを食べないとは何事だ、と会長さん、いや、伝説の高僧、銀青様。
「ジョミーもサムも、シロエも言っているんだけどねえ、坊主の心得というヤツを…。ジョミーたちはともかく、シロエは仏教、素人だよ?」
そのシロエにまで仏道を説かれるとは情けない、と頭を振っている会長さん。
「銀青として言わせて貰うんだったら、そんな坊主とは話をしようって気にもなれないね!」
最低過ぎて、とキツイお言葉。
「もっと立派な精神を持った人と話をしたいものだよ、スターゲイザーパイを外見だけで判断しちゃって、食べようともしない坊主よりはね!」
「…う、うう……」
どうしろと、と窮地に立たされたキース君ですが、救いの手は何処からも出ませんでした。本当に美味しいパイなのかどうか、毒見するならキース君が適役なんですから。
「かみお~ん♪ キース、食べるの、食べないの?」
食べるんだったら切ってあげるけど! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キース君がガックリ項垂れて頷き、お皿にパイがドッカンと。さて、そのパイを食べられますかね、キース君は…?
星を眺める魚のパイ。あんまりすぎるビジュアルのスターゲイザーパイでしたけれど、キース君はブルブルと震えるフォークで口へと運んで…。
「キース先輩、どうですか?」
評判通りの味でしょうか、というシロエ君の問いに、モグモグしながら立てられた親指。もしかしなくても美味しいんですか、本当に…?
キース君は口に入れたパイをゴクンと飲み下してから、「美味い!」と声を上げました。
「やはり見た目で決めてはいかんな、なかなかにいける味だぞ、これは」
食事が不味いと噂の国のパイとも思えん、と口に運んだ二口目。じゃあ、本当に美味しいんだ…?
「疑ってるのか、俺に毒見をさせておいて? ああ、肝心の魚がまだか…」
魚の頭も食っておかんと、とキース君はフォークで刺して口へと。モグモグモグで、暫く経ったらゴックンで…。
「美味いっ!」
この頭がまたいい味なんだ、と緩んだ顔。外はカリッと、中はしっとり、そんな感じの食感だったとかいう魚の頭。味付けの方も抜群だそうで。
「…なんか美味しそう?」
キースの食べ方を見てる限りは、とジョミー君が言えば、キース君は。
「何を言うんだ、俺が嘘をつくと思うのか? この状況で!」
坊主の資質を問われたんだぞ、と毅然とした顔。
「ここで嘘八百を言おうものなら、もう間違いなくブルーに愛想を尽かされる。…いや、ブルーではなくて銀青様の方だな、銀青様に見捨てられたら坊主も終わりだ」
だから絶対に嘘は言わん、と大真面目だけに、これは嘘ではないでしょう。スターゲイザーパイの味は本当に良くて、見た目が変だというだけで…。そうとなったら、ここはやっぱり…。
「俺、食ってみるぜ!」
一切れ頼む、とサム君が名乗りを上げた横からジョミー君も。
「ぼくも食べてみる! 美味しいらしいし!」
「ぼくも食べます、キース先輩のお勧めだったら間違いは無いと思いますから!」
こんな調子で次々と勇者、勇気は感染するものです。気付けばスウェナちゃんと私の前にも魚の頭がニョッキリと生えたパイのお皿が置かれていて…。
「「「いっただっきまーす!!!」」」
みんなで食べれば怖くない! とばかりに突撃したスターゲイザーパイ。あらら、ホントに美味しいパイです、もっと早めに食べておいたら良かったかも~!
魚の頭がニョッキリニョキニョキ、怖すぎたスターゲイザーパイですが。キース君が毒見をしてくれたお蔭で、みんなで美味しく食べられました。パイはすっかり無くなってしまって、食事の後は飲み物を持ってリビングにゾロゾロ移動して…。
「美味しかったね、あのとんでもないビジュアルのパイ」
流石はぶるぅ! とジョミー君が褒めると、ソルジャーが。
「ぼくが美味しいって言っても信用しなかったくせに…。キースが挑戦するまではさ」
「え、だって…。味覚が違うっていうこともあるし、ぶるぅとブルーだって食べていたけど、悪戯だってこともありそうだしね」
騙されたら酷い目に遭うし、とジョミー君。
「ただでも食事が不味い国のパイだよ、それで見かけがアレなんだからさ、警戒もするよ!」
「なるほどねえ…。ぼくには美味しいパイだったけどね、いろんな意味で」
「「「は?」」」
いろんな意味って、なんでしょう? 名前が気に入ったことも入るんでしょうか?
「ああ、名前ね! そこも大きなポイントだねえ…!」
星を眺めるスターゲイザーパイだからね、とソルジャー、ニコニコ。
「うん、あのパイは使えるよ! うんと素敵に!」
「…君のシャングリラで作るのかい?」
あまりお勧めしないけどね、と会長さん。
「見た目がアレだから、食べたがる人はいないだろうと思うけど…。食べ物で遊ぶのは感心しないね、ましてや君のシャングリラではね!」
食べ物の確保も重要だろうに、という指摘。
「同じ魚を食べるんだったら、ふざけていないで、もっと真面目に! 誰もが食べたい料理にしてこそ、ソルジャーの評価もグッと上がるというもので!」
「シャングリラだったら、そうするよ。あんなパイを作らせちゃったら、ぼくの評価はどうなることやら…。ぶるぅに精神を乗っ取られたと噂が立ってもおかしくないね」
「ぶるぅねえ…。あの悪戯小僧なら確かにやりかねないけど…。君のシャングリラでは作らないとなったら、何処でアレを使うと言うんだい?」
まさか、こっちじゃないだろうね、と会長さんが尋ねると。
「こっちの世界に決まってるじゃないか、料理人はこっちにしかいないんだからね!」
スターゲイザーパイは、こっちのぶるぅが作ったんだし! と言うソルジャー。もしかしなくても本気でアレが気に入りましたか、また食べたいと希望するほどに…?
ソルジャー曰く、使えるらしいスターゲイザーパイ。美味しいパイだと言っている上に、名前も気に入ったらしいですから、度々アレを作って欲しいとか…?
「そうだね、本家もいいんだけれど…。あれも美味しいパイなんだけど…」
「「「本家?」」」
本家というのはスターゲイザーパイなんでしょうけど、アレに分家がありますか? ソルジャーにそういう知識はゼロだと思うんですけど、此処までの流れから考えてみても…。
「その手の知識はまるで無いねえ、海老のもあるっていう程度しか!」
「あんた、海老のを食べたいのか?」
悪趣味な、とキース君が言うと、ソルジャーは。
「海老はどうでもいいかな、うん。…ぼくの希望はソーセージだから」
「「「ソーセージ?」」」
ソーセージなんかでスターゲイザーパイを作ってどうするのだ、というのが正直な所。あのパイの肝はニョキッと生えた魚の頭で、海老でも多分同じでしょう。どっちも睨まれているような気がしていたたまれないのが売りじゃないかと思うんですけど…。
ソーセージの場合は目玉なんかはありませんから、パイからニョキッと生えていたって「変なパイだ」というだけです。ソーセージ入りのパイを焼こうとして失敗したか、という程度で。
なのに…。
「分かってないねえ、君たちは!」
あのパイは星を眺めるパイなんだから、とソルジャーは指をチッチッと。
「魚や海老なら星だろうけど、ソーセージの場合は眺めるものが星じゃないから!」
「「「はあ?」」」
やっぱりソーセージでも何かを眺めるんですか、目玉もついていないのに…。第一、頭も無いと言うのに、そのソーセージが何を見ると…?
「何を見るかは察して欲しいね、パイの名前で! ぼくが作りたいパイの名前は…」
ソルジャーは息をスウッと大きく吸い込んで。
「その名もブルーゲイザーパイ!」
「「「ブルー?」」」
ブルーと言えば青い色のこと。ソーセージが眺めるものは青空でしょうか?
「そのまんまだってば、ブルーと言ったら、ぼくかブルーしかいないんだけど!」
このブルーだけど! とソルジャーが指差した自分の顔と、会長さんと。何故にソーセージがそんなものを眺めて、ブルーゲイザーパイなんですか…?
サッパリ謎だ、と誰もが思ったソーセージのブルーゲイザーパイ。美味しさで言ったら本家のスターゲイザーパイと張り合えるかもしれませんけど、それを作って何の得があると?
それにソーセージが眺めるものがソルジャーだとか、会長さんだとか、ますますもって意味が不明で、作りたい意図が掴めませんが…。
「分からないかな、ソーセージだよ?」
でもってブルーか、このぼくを眺めるソーセージ、とソルジャーはニヤリ。
「そんなソーセージは二本しか無いね、こっちの世界と、ぼくの世界に一本ずつで!」
「「「…へ?」」」
間抜けな声が出た私たちですが、其処で会長さんがテーブルをダンッ! と。
「帰りたまえ!」
「えっ、ぼくの話はまだ途中で…」
「いいから、サッサと黙って帰る! パイの話はもう要らないから!」
「でもねえ、君しか理解してないようだしね? それにブルーゲイザーパイを作るには、ぶるぅの協力が必須なわけだし…」
ぼくのぶるぅにパイを焼くなんて芸は無くて、とソルジャー、溜息。
「ぶるぅどころか、ぼくだってパイは焼けないし…。ぶるぅに焼いて欲しいんだけど…」
「かみお~ん♪ ソーセージでスターゲイザーパイにするの?」
ソーセージだったら何処でも買えるし、今日の晩御飯でも間に合うけれど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ
」は作る気満々。
「晩御飯は焼肉のつもりだったから、ソーセージのパイなら合うと思うの!」
「本当かい!? だったら、是非!」
ブルーゲイザーパイを作って欲しい、とソルジャーは膝を乗り出しました。
「ぼくのハーレイを連れて来るから、うんと立派なソーセージのをね!」
「分かった、おっきなソーセージだね!」
このくらい? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が小さな両手で作った形に、ソルジャーは「いいね」と嬉しそうな顔。
「それでさ、ついでにお願いが一つあるんだけれど…」
「どんなお願い?」
「ちょっとね、パイの中身のことで…」
注文をしてもいいだろうか、と言ってますけど、ブルーゲイザーパイは謎。会長さんが怒った理由も謎なら、なんでソーセージでブルーゲイザーパイなのかも分かりませんってば…。
まるで全く謎だらけのまま、夕食にはブルーゲイザーパイが出ることが決定しました。予定に無かった料理ですから、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は買い出しにお出掛け。ソルジャーの注文通りの大きなソーセージを買って来るから、と張り切って出てゆきましたけれども…。
「小さな子供に何をやらせるかな、君は!」
ブルーゲイザーパイだなんて、と会長さんは怒り心頭。
「それにコインを仕込むと言ったね、そのコインに何の意味があるのさ!」
「えーっと…。こっちの世界の名物じゃないか、パイとかケーキにコインというのは」
それが当たった人にはラッキー! とソルジャーが言うコイン、ガレットロワとかクリスマスプディングとかに入れてあるヤツのことですか?
「そう、それ! 当たった人はラッキーなんだろ、だからコインも入れないと!」
「ブルーゲイザーパイのコインなんかで、どうラッキーだと!?」
不幸になるの間違いだろう、と会長さん。
「第一、食べたい人もゼロだよ、君のハーレイはどうか知らないけれど!」
「ぼくのハーレイなら、喜んで食べるに決まっているじゃないか!」
それともう一人、喜んで食べてくれそうな人が…、と言うソルジャー。
「こっちのハーレイも御招待だよ、ブルーゲイザーパイを食べる会にはね!」
「なんだって!?」
「そのためにコインを入れるんだってば、万が一っていうこともあるから!」
こっちのハーレイがコインを当てたら、もう最高のラッキーが…、とソルジャーは拳をグッと握り締めて。
「ブルーゲイザーパイの中からコインが出るんだよ? そのラッキーと言えば、一発!」
「「「一発?」」」
何が一発なのだろう、と思う間もなく、ソルジャーは高らかに言い放ちました。
「ぼくが注文したパイだからねえ、コインが当たれば、ぼくと一発! こっちのハーレイでも、コインで当てたら大ラッキーなイベントってことで!」
ただ、初めての相手はブルーだと決めているらしいから、そこが問題で…、という台詞。ひょっとしなくても、その一発とかいうヤツは…。
「ピンポーン! ぼくとベッドで仲良く一発、君たちが当てても意味は無いけど!」
でも、せっかくのブルーゲイザーパイだから、というソルジャーの言葉でようやく理解出来てきたような…。ソーセージがニョキッと突き出すというパイ、そのソーセージが意味する所は、実はとんでもないモノですか…?
大正解! というソルジャーの声に頭を抱えた私たち。ソルジャーは得々としてブルーゲイザーパイを語り始めました。ソーセージが表すものはキャプテンと教頭先生の大事な部分で、会長さんやソルジャーを眺めて熱く漲るモノなのだ、と。
「それはもう元気に、ニョッキリとね! そんなハーレイの大事な部分がニョキニョキと!」
一面に生えたブルーゲイザーパイなんだけど、とトドメの一撃、そんなパイは誰も食べたいわけがありません。コインが当たるとか当たらないとか、そういう以前に。
「えっ、でもさ…。スターゲイザーパイは美味しいと言っていなかったっけ?」
ブルーゲイザーパイも似たような味だと思うんだけど、とソルジャーは分かっていませんでした。味の問題などではないということが。
「あんた、俺たちに死ねというのか、そのパイにあたって!」
俺もそいつの毒見はしない、とキース君がバッサリ一刀両断。
「コインを当てたいヤツらが食えばいいだろう! 二人もいるなら!」
「そうですよ! ぼくたちが下手に食べるよりかは、コインを当てたい人だけで!」
そしたら当たる確率も上がりますから、とシロエ君が逃げを打ち、私たちも必死に声を揃えて遠慮しまくって…。
「…仕方ないねえ…」
人数は多いほど盛り上がるのに、とソルジャー、深い溜息。
「まあいいや。…こっちのハーレイとぼくのハーレイを呼ぶとして…」
二人でコインを取り合って貰おう、とブツブツ言ってますけれど。それが一番いいと思います、私たちなんかがコインを当てても何の役にも立ちませんから~!
買い出しに出掛けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、帰って来るなりキッチンに籠ってパイ作り。午後のお菓子も用意してくれましたけれど、「ゆっくりしてね」と言われましたけど…。
「…帰りたい気分になってきました…」
夕食の席にはアレなんですよね、とシロエ君がぼやいて、誰もが漏らした嘆き節。ソルジャーだけが嬉々としていて、会長さんは仏頂面で。そうこうする内に夕食タイムで…。
「こんばんは、御無沙汰しております」
キャプテンが空間移動で連れて来られて、ついでに教頭先生も。
「な、なんだ!? あ、これはどうも…。御無沙汰しております」
そっくりさん二人が挨拶を交わし終わると、ソルジャーが。
「今夜は特別なパイを用意したんだ、その名もブルーゲイザーパイってね!」
「「ブルーゲイザー…?」」
なんですか、と重なった声。ソルジャーは得意満面で。
「ぼくを眺めるパイって意味だよ、見れば分かると思うんだけど…。中にコインが入っていてね、それを当てたら、ぼくと一発!」
そういうパイで、という説明にキャプテンが慌てた表情で。
「お待ち下さい、私がコインを当てた場合はそれで問題無いですが…。そうでない時は…?」
「もちろん、当てた人とぼくが一発だってね! たまにはスリリングでいいだろう?」
ぼくがこっちのハーレイとヤることになるかもね、とソルジャーはパチンとウインクを。
「なにしろコインのラッキーだしねえ、ぼくを取られても恨みっこなしで!」
「そ、そんな…」
キャプテンは青ざめ、教頭先生は鼻血の危機です。ブルーゲイザーパイのコインは透視出来ないらしいですから、食べるまで何処にあるかは謎だとか。キャプテンが当てるか、教頭先生か、なんとも恐ろしいパイなんですけど~!
それから始まった焼肉とブルーゲイザーパイを食べる会。私たちは最初から遠慮しておいて正解でした。魚の頭の方がずっとマシ、パイの中からニョキニョキと生えたソーセージ。ソルジャーが得意げに「分かるだろう?」とソーセージの一つを指先でチョンと。
「ブルーゲイザーパイはさ、ぼくを眺めるパイなんだからさ…。こういうのが眺めているってことはさ、このソーセージの正体はぼくの大好物で!」
毎晩食べても飽きないモノで、とチョンチョンチョン。
「こういう立派なモノの持ち主に相応しい一発、期待してるから!」
どっちのハーレイでも、ぼくはオッケー! とソルジャーは言ったんですけれど。コインを当てたら一発ヤれるパイなんだから、と勧めたんですけれど…。
「…あの二人はまだ食べないねえ…」
無理もないけどね、と会長さんが焼肉をジュウジュウと。
「自分の大事な部分だなんて説明されたら、普通は食欲、失せるからねえ…」
「そうかなあ? ぼくはハーレイのアレが大好きなんだけど!」
なんで食べたくないんだろう、とソルジャーは愚痴り続けています。キャプテンと教頭先生はと言えば、例のパイを挟んで二人揃って溜息ばかりで。
「…お先にどうぞ」
「いえ、あなたこそ…」
「ですが、食べないことにはコインが…」
「ええ、分かってはいるのですが…」
ですが自分のアレだと思うと、と重なる溜息、二人前。スターゲイザーパイも怖かったですけど、その上を行くのが「誰も食べられない」ブルーゲイザーパイらしいです。最悪、ソルジャーが全部食べるしかないんですかねえ、大好物とか言ってますしね?
「えっ、ぼくが?」
あんな大きなパイを一人で、と叫ぶソルジャーに「食べ物を粗末にするなと言った!」と会長さんが突っ込み、キース君たちも「仏の教えに反する」と説教モードです。ブルーゲイザーパイは誰が食べることになるんでしょうか、なんとも謎な雲行きですけど…。
「やっぱアレだな、魚でもソーセージでもビジュアルが怖いっていうことだよな?」
「うん、怖すぎ…。美味しいんだって分かっていても、怖すぎ…」
食べる前の段階で恐怖が凄い、とサム君とジョミー君が頷き合って、私たちも「うん」と。ニョッキリニョキニョキ、何かが生えた変なパイ。美味しくっても怖すぎるパイは、今回限りで遠慮したいと思います~!
怖すぎるパイ・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
今回登場した、スターゲイザーパイ。実在してます、検索すると怖い画像も出て来ます。
いくら美味しくても、ビジュアルは大事。ブルーゲイザーパイにしたって、同じですよねえ?
さて、シャングリラ学園番外編、来年で連載終了ですけど、毎日更新の場外編は続きます。
今年もコロナ禍で大変な一年。さて、来年はどうなりますやら、早く日常が戻りますように。
次回は 「第3月曜」 1月17日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、12月といえばクリスマス。パーティーの季節ですけれど…。
今年もシャングリラにクリスマス・シーズンがやって来た。ブリッジから見える広い公園には、とても大きなクリスマス・ツリーが飾られている。もちろん夜にはライトアップで、心が浮き立つ最高の季節。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も例外ではない。
(えっと、サンタさん…。今年は何をお願いしようかな?)
欲しいものは…、と公園をスキップしながら、あれこれと頭の中でリストアップ。カラオケ用のマイクもいいし、土鍋もいいし…、と欲望がどんどん膨らんでゆく。「何がいいかな?」と。
(サンタさんなら、大抵のものは用意出来るし…)
地球に行くのは無理なんだけど、と「貰えないもの」も、もう充分に学習済みだ。本当に欲しい地球の座標や、「大好きなブルーを地球に連れて行く」ための道具は貰えない。
(だから、お願い事は、ぼく用でないと…)
いつもブルーに言われるもんね、と「自分用」のプレゼントを考えていて、ハタと気が付いた。確かに毎年、サンタクロースに「欲しいもの」を貰っているのだけれども、その前に一つ、難問が「そるじゃぁ・ぶるぅ」を待っている。
(……クリスマスまでは、良い子にしないと……)
プレゼントは貰えないらしい。悪い子だったら、サンタクロースは、プレゼントの代わりに鞭を一本置いてゆく。悪い子供を打つための鞭で、他にプレゼントは貰えないから…。
(毎年、クリスマスの前は、悪戯を我慢しなくちゃ駄目で…)
それがとっても辛いんだっけ、とフウと溜息をついたはずみに、素晴らしいアイデアが閃いた。このプレゼントさえゲット出来れば、色々なことを一気に解決出来るだろう。我慢なんかは、もうしなくていい、最高の日々が手に入る。ブルーを地球まで連れてゆくことも、頑張り次第で…。
(出来ちゃいそう、って気がしてきたよ!)
これに決めた、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は駆け出して行って、小さなツリーの側まで行った。クリスマス・ツリーにそっくりだけれど、「お願いツリー」と呼ばれるツリー。そちらも、船では大人気。欲しいプレゼントを書いたカードを吊るせば、クリスマスに貰える仕組みになっている。
(大人だったら、大好きな人のカードを見付けて、プレゼントしたり…)
船のクルーがクリスマスの日に届けたり、という形だけれども、子供の場合はサンタクロース。シャングリラにもサンタクロースはやって来る。カードを参考にプレゼントを選ぶのだそうだ。
(よーし…!)
これだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はカードに願い事を書き込み、背伸びして、一番目立つ所に吊るした。「サンタさん、今年はこれでお願い!」と、頭を下げるのも忘れない。これで、今年は大丈夫、と自信満々、「夢は大きく持たなくっちゃ!」と御機嫌で。
(来年からは、ぼくは、良い子になるんだよ!)
サンタさんが叶えてくれるもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は跳ねてゆく。それは、とびきり大きな夢。これで自分が「良い子」になったら、悪戯なんかはしなくなる。「したくなくなる」と言うべきだろうか。良い子は悪戯しないものだし、それが普通で、我慢なんかはしないから。
(悪戯しないなら、船のみんなも大喜びで、盗まなくても、おやつをくれて…)
何処のセクションに遊びに行っても、きっと歓迎してくれる。リサイタルに招待したって、誰も嫌な顔なんかしないで、熱狂的に叫んで、拍手してくれて…。
(サイン会とか、握手会とか…)
そういったことも、出来る日が来るに違いない。良い子だったら、ファンだって増える。
(…それから、ぼくが良い子だったら、勉強とかも頑張って…)
地球の座標を探し当てたり、タイプ・ブルーの力を活かして、ブルーと一緒に地球への道を切り開いたりと、不可能を可能にすることも出来る。「ブルーを地球まで連れてゆく」夢、どうしても叶えたい願いを叶えて、いつか二人で地球に行くためにも…。
(…サンタさん、ぼくを良い子にしてね!)
良い子になったら頑張るから、とウキウキ、ワクワク。「悪戯を我慢は今年でおしまい!」と、来年のクリスマス・シーズンを思い描いて、「良い子」の自分を想像して胸を弾ませる。
「来年の今頃は、地球の座標が分かってるかも!」と、大きな夢を心に広げて、大満足。今年のプレゼントを貰いさえすれば、来年からは「良い子」の自分がいるに決まっているのだから。
(良い子になって、頑張るんだも~ん!)
船のみんなも喜ぶもんね、と「いいことずくめ」のプレゼントが手に入る日が待ち遠しい。あと何日でクリスマスなのか、指を折って数えて、「待っててねーっ!」と、出会った仲間たちに声を掛けながら船の通路を部屋へ向かった。「ぼくは、良い子になるんだから!」と、胸を張って。
プレゼントを頼んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、最高の気分で部屋に戻ったけれども、船の仲間たちの方は違った。通路で出会った者たちは皆、とんでもない不安を抱いて顔を見合わせる。
「おい、聞いたか? さっきの台詞を…?」
「待っててねーっ、だよな? 今のシーズン、あいつは悪戯しない筈だが…」
「クリスマスの後のことじゃないのか? 「覚えてろよ」といった感じで」
「有り得るなあ…。我慢した分、纏めてドカンとやらかすぞ、と…」
きっとソレだな、と誰もが震え上がる中で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が吊るしておいたカードが発見された。お願いツリーの天辺に近い、一番目立つ場所に吊るされたカードには…。
「「「…良い子になれる薬か、土鍋を下さい…?」」」
何なんだ、と船の仲間たちは目を剥いたけれど、願い事の中身は「とても嬉しいこと」だった。悪戯小僧が良い子になるなら、こんな嬉しいことはない。是非とも願いは叶って欲しいし、叶えるための薬や土鍋を、クリスマスまでに…。
「絶対、作って欲しいよなあ?」
「ヒルマン教授なら、きっと作れるだろう」
「土鍋だったら、ゼル機関長の方じゃないのか?」
「とにかく、頑張って欲しいよな! 徹夜仕事になるんだったら、差し入れするぞ!」
それに手伝えることは手伝う、と仲間たちは大いに盛り上がった。「良い子になる薬」や「良い子になる土鍋」を作るためなら、差し入れも手伝いも、何だってする、と。
噂はアッと言う間に広まり、その日の間に、ヒルマンもゼルも、「頑張って下さいね!」と激励されて、意味が分からずに首を捻ったり、聞き返したりする羽目に陥った。そんな彼らが、やっと青の間に出掛けて行って報告したのは、一日の仕事が終わってからになったけれども…。
「ソルジャー、えらいことになっておるぞ」
ゼルが言うなり、ブルーは「うん」と頷いた。「まあ、座りたまえ」と炬燵を指差し、ブルーは長老たちとキャプテンに、ほうじ茶と籠に盛られた蜜柑を勧める。
「ぶるぅが買って来た蜜柑なんだけど、美味しいよ」
「それどころではないと思うんじゃが…!」
良い子になれる土鍋なんじゃぞ、とゼルが髭を引っ張りながら唸った。ヒルマンも難しい表情をして、「良い子になる薬と言われてもねえ…」と溜息を零す。
「土鍋も薬も、やってやれないことはないとは思うんだがね…」
「ええ、人類の真似をしたなら出来るでしょうね」
出来るのですが…、とエラも全く乗り気ではなく、ブラウが「そうさ」と相槌を打った。
「あいつらの真似をして、どうするんだい? あたしたちはミュウだっていうのにさ」
「其処なのだよ。記憶の書き換えをするのが土鍋で、薬はそのための睡眠薬といった所か」
出来なくはないだけに困ったものだ、とヒルマンの顔色は全く冴えない。「このミュウの船で、人類の真似をすることだけは避けたいのだが」と、深い苦悩が額の皺に刻まれている。仲間たちが望んでいると言っても、それをやるのは頂けない、とヒルマンは皆を見回した。
「ぶるぅの願い事には違いないのだが…。プレゼントしたい者はいるかね?」
「あたしたちの中にはいないね、船には溢れているんだけどさ」
「キャプテンとして、彼らを説得したいものだが…」
考えただけで胃が痛くなる、とハーレイが眉間の皺を揉む。「あんなに喜んでいる仲間たちに、それは駄目だと言うのは辛い」と、キャプテンならではの板挟み状態がハーレイだった。
「…分かるよ、皆が言いたいことはね」
ぶるぅは、今のままでいいと思うんだ、とブルーが口を開いた。「悪戯小僧で、仲間たちを毎日困らせていても、それがぶるぅという子だから」と、ブルーは続ける。「あのままでいい」と。
「しかし、ソルジャー…。仲間たちの希望は、どうなさるのです?」
叶えられた気になっていますよ、とハーレイが訊くと、ブルーは「それは任せてくれたまえ」と微笑んだ。
「大丈夫。今から、みんなに思念で伝える。君たちや、ぼくが思っていることをね」
ぶるぅは、ぐっすり眠っているから…、とブルーは思念で船の仲間たちに、直ぐに伝えた。皆の望みは分かるけれども、それをするのは「人類と同じこと」だから、と。記憶を操作する者たちと同じになっては駄目だと、「どんな異分子でも、認めてこそだよ」と、心をこめて。
船の仲間たちは、とても残念に思いながらも、心の底から納得した。「確かにそうだ」と。
こうして「そるじゃぁ・ぶるぅ」の願い事は却下となって、ブルーは、翌日、彼を青の間に呼び出した。「今年の願い事は、駄目だよ」と、クスクス可笑しそうに笑いながら。
「えっ、どうして…?」
どうして駄目なの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は瞳を真ん丸にして驚いた。良い子になるのは、とてもいいことの筈だというのに、どうしてブルーは止めるのだろう、と。
「それはね、ぶるぅ…。良い子というのは、自分で努力してなるものだから…」
薬や土鍋に頼った場合は、困ったことになってしまうよ、とブルーは説明し始めた。土鍋や薬は良い子になろうとする子の努力を、助けるための道具だから、と。
「いいかい、良薬は口に苦しと言ってね…。悪い子になった時には、うんと苦い薬を飲むんだ」
「…良い子になる薬を?」
「そう。とても苦くて、おやつも食事も、丸一日くらい食べられないかも…」
「ええ…?」
そんな薬なの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は青くなる。「それ、酷くない?」と震えながら。
「でもね、多分そうだと思うよ。努力するのは、ぶるぅなんだから」
良い子にしていれば、飲む必要は全く無いんだからね、とブルーは笑う。良い子になれる薬は、「飲まなくて済むように暮らさなくちゃ」と思う苦さで、懲りて良い子になる仕組み、と。
「じゃ、じゃあ…。良い子になれる土鍋は、どんなヤツなの?」
「努力するための土鍋だからねえ、悪い子だったら、飛んで来て、ぶるぅを閉じ込めて…」
反省するまで、丸一日ほど、蓋が開かなくなるんじゃないかな、とブルーは肩を竦めてみせた。「お腹が空いても出られないよ」と、「もちろん、外から差し入れも無理」と。
「そ、そんなの、困る! 丸一日も閉じ込められて、何も食べられないなんて…!」
酷いよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は叫んだけれども、ブルーは「良い子は、自分で努力をするものだよ」とクックッと笑い続けるだけ。「土鍋も薬も、そのための道具なんだからね」と。
「嫌だよ、そんなの欲しくないってば…! お薬とかで、簡単にパッと変われないんなら…」
良い子になんかなりたくなーい! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は悲鳴を上げて、願い事を書いたカードを回収することにした。ブルーが言った通りの土鍋や、薬を貰っては堪らないから。
(…いいアイデアだと思ったのに…)
今年も普通のお願い事しかないみたい、とカードを回収、代わりの願い事を書く。ごく平凡に、「最先端のカラオケマイクを下さい」と。
それからの日々は順調に流れ、やがて迎えたクリスマス・イブ。
例年通り、ハーレイがサンタクロースの衣装で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋にプレゼントを届けに出掛けた。カラオケマイクの他にも色々、プレゼントの詰まった袋を背負って。
(よしよし、罠を仕掛けたりはしていないな)
良い子になった「ぶるぅ」も見たいものだが…、と苦笑しながら、ハーレイはプレゼントを床に並べてゆく。「だが、そんなのは、ぶるぅじゃないな」と、「悪戯小僧に慣れたしなあ…」と。
(船の仲間たちも、人類の真似をしたりするより、ぶるぅの悪戯に、だ…)
振り回されてる方がよっぽどいいさ、とキャプテンの立場でも、ハーレイの思いは変わらない。「なあに、皆が困らされた時は私の出番だ」と、「現に今だって、サンタクロースだぞ」と自分の役目と責任を果たす信念を心で噛み締め、「やってやるさ」と決意を新たにする。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシャングリラを悪戯で振り回すのなら、キャプテンの自分は、それを全力で片付けて回って、皆の盾になって悪戯小僧と戦うまで。
噛まれようとも、下手なカラオケを聞かされようとも、「負けてたまるか」と、ハーレイは自分自身に誓いを立てた。シャングリラのキャプテンは他ならぬ自分で、船の平和を守り抜いてこそ。「喧嘩上等、あいつが噛むなら噛んで返すし、下手な歌なら歌って返してやってもいい」と。
(そのためにも、口を鍛えるかな)
噛み返すには丈夫な歯と顎、カラオケには舌が欠かせない。既に充分、頑丈な顎を、もっと強く鍛え上げて「そるじゃぁ・ぶるぅ」と勝負。噛まれたら噛んで、勝ちを収めてこそのキャプテン。皆も頼もしく思うだろうから、口の運動を頑張ろう、とハーレイの決意は固かった。
(元々、いかつい顔なんだ。今よりゴツくなった所で、誰も文句は言わないだろうさ)
ソルジャーの顔じゃないんだからな、と自分の顎を指でトントンと叩く。ぐっすり寝ている悪戯小僧の方に向かって、「かかってこいやあ!」と言わんばかりの笑みを浮かべて。
幸い、その夜、「そるじゃぁ・ぶるぅ」とキャプテンのバトルは起こらなかった。
クリスマスの朝が明けた途端に、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はガバッと飛び起き、床に並べられたプレゼントの箱を見付けて大歓声。
「やったあ、これ、欲しかったカラオケマイク! それに、こっちは…」
これも、これも、と次から次へとリボンを解いて、包装を開けて、嬉しくなって跳ね回る。悪戯したい気持ちを抑えて頑張ったのが、ちゃんと報われた気分は最高だった。
ピョンピョン跳ねて、まずは一曲、とカラオケマイクを握った所へ…。
『『『ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!!!』』』
船の仲間たちの思念が届いて、ブルーの思念も飛んで来た。
『ぶるぅ、お誕生日おめでとう。公園においで、大きなケーキが出来ているから』
「わぁーい、ケーキだぁーっ!」
今年のケーキも、とっても凄い! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は瞬間移動で公園へジャンプして飛び込んでゆく。大きなケーキに突っ込みそうな勢いで、カラオケマイクを持って。
「ブルー、ありがとーっ! ねえねえ、カラオケ、歌ってもいい!?」
「お誕生日だしね、もちろんいいとも」
みんなも喜んで聞いてくれるよ、とブルーが微笑み、ハーレイがそっと顎に手をやる。「鍛える前に、もう来やがったか…」と、彼が溜息をついたかどうかは、また別のお話。
良い子にはならなかったけれども、「そるじゃぁ・ぶるぅ」、今年も、お誕生日おめでとう!
良い子になる薬・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございます。
管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、もう4年になります。
出会いは2007年の11月末、其処から始まった創作人生。まさか此処まで続くとは…。
良い子の「ぶるぅ」は現役ですけど、悪戯小僧の「ぶるぅ」も大好きな管理人。
お誕生日のクリスマスには、毎年、必ず記念創作。今年もきちんと書きました。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、15歳のお誕生日、おめでとう!
2007年のクリスマスに、満1歳を迎えましたから、14年目の今年は15歳です。
SD体制の世界だったら、もう、ステーション在籍ですねえ、追い出されそうv
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)
お願い、と小さなブルーが祈った神様。お風呂から上がって、パジャマ姿で。自分の部屋で。
明日はハーレイが来る土曜日だけれど、楽しみな日ではあるのだけれど…。そのハーレイには、問題が一つ。誰よりも好きな恋人でも。ハーレイの笑顔がどんなに好きでも、大きな問題。
恋の障害で、恋路の邪魔をしてくれるもの。とても無粋で、大嫌いなこと。
(キスは駄目だ、って言われるんだよ!)
ハーレイに「駄目だ」と叱られるキス。強請っても断られてばかり。誘った時には睨まれる。
真剣に恋をしているというのに、今の自分はチビだから。十四歳にしかならない子供で、少しも育ってくれない身体。前の自分と同じ背丈にならない限りは、ハーレイはキスをくれないのに。
ソルジャー・ブルーだった頃の自分の背丈は百七十センチで、今の自分は百五十センチ。
おまけに、今のハーレイと出会った五月三日から、今日に至るまでに…。
(一ミリだって…)
伸びてくれないままなのだから、まるで全く見えない希望。いつになったらキスが出来るのか。背が伸び始めて、「あと少しだよ」と思える日までは、いったい何年かかるのか。
こればかりは本当に分からないから、伸びない背丈を伸ばすためには…。
(お祈り、たまには真剣に…)
きちんと祈ろう、と考えた。いつもはミルクを飲む時に祈っているのだけれども、その時以外は何かのついで。「神様、お願い」と心の何処かでチラリと祈って、それでおしまい。
そんなお祈りを捧げていたなら、神様の方でも「ついでなんだな」と思うだろう。誰かの願いを叶えるついでに、手が空いていたら叶えてやればいいだろう、と。
(…そうなっちゃうよね?)
神様だって忙しいんだから、と今夜は真面目に祈ることにした。パジャマ姿ではあるけれど。
ベッドの端っこにチョコンと座って、瞳も閉じて。神様を頭に思い浮かべて。
今の時代は神様が大勢いる時代。SD体制が崩壊した後、多様な文化と一緒に帰って来た神様。色々な神様がいるのだけれども、こうして祈ろうと思ったからには…。
(前のぼくが生きてた時の神様…)
そうでなくちゃ、と決めた神様。クリスマスに馬小屋で生まれた神様、シンボルは十字架。前の自分が生きた時代は、あの神様しかいなかった。他の神様は機械が消してしまったから。
(…他の神様でも効きそうだけど…)
もしかしたら、背を伸ばす御利益がある神様だって存在するかもしれないけれど。そっちの方が向いているかもしれないけれども、生憎と知らない神様の名前。いたとしたって。
それにクリスマスに生まれた神様も、自分にとっては効きそうな神様。他の神様たちと違って、前の自分を知っているから。前の自分も祈りを捧げた神様だから。
(前のぼくと同じ背丈に、ってお願いしたら…)
きっと分かってくれる筈。今の身長よりも二十センチ、と具体的な数字を出さなくても。こんな具合でお願いします、と前の自分の姿を頭に描かなくても。
だから一番いい筈だよね、と真面目に祈った。「早く大きくなれますように」と。
前の自分と同じになるよう、背丈を伸ばして下さい、と。
(…神様、ホントのホントにお願い…)
早く大きくなりたいから、と祈り終わって、目を開けたけれど。
(えーっと…?)
本当に今ので良かっただろうか、と急に心配になって来た。祈りはともかく、祈り方が。自分はきちんとやったつもりでも、間違っていたかもしれない作法。お祈りのやり方。
教会には行っていないのだから、どうやって祈るのか全く知らない。今の時代は神様が多いし、それに合わせて祈り方も色々。この神様にはこうだとか。この神様なら、こうするだとか。
(…ちゃんとお祈りしないと駄目?)
あの神様に祈るのだったら、行儀よく。こうするんです、という作法通りに。
けれど知らない、正しい方法。でも、真剣に祈れば、きっと…。
(神様、聞いてくれるよね?)
間違えちゃった方法でも、と頷いた。神様なんだし、大丈夫だよ、と。
前の自分たちだって、正しい祈り方などしてはいなかったから。改造前のシャングリラの時は、祈るための場所さえ無かったくらい。専用の部屋がありはしなかった。
白い鯨に改造した後、祈りの部屋が出来た後にも、祈る時には…。
(あの部屋にあった鐘を鳴らしてただけ…)
澄んだ音がした鐘、それを鳴らすための紐を引っ張って。神に届くよう、鳴らしていた鐘。その音の中で祈り始めて、神への言葉を紡いでいた。心の中で。
そうでなければ、自分の部屋で蜜蝋の蝋燭を灯して祈るか。白いシャングリラで飼育していた、唯一の虫だったミツバチたち。その巣から採れた巣材の蜜蝋。
甘い香りのする蜜蝋で作った蝋燭、それは遠い昔は神に捧げる蝋燭だった。SD体制の時代は、何処にも無かったその習慣。
ならば、と使うことにした。人類が忘れた方法だったら、それを使えばミュウの祈りが神の所に届くだろうと。甘い香りと共に祈れば、神が気付いてくれるだろうと。
(鐘を鳴らすか、ミツバチの蝋燭を貰って祈るか…)
どちらも神への祈りの方法。前の自分たちの、白いシャングリラでの流儀。
正しい作法でなかったことは確かだけれども、他に方法など知らない。ヒルマンやエラが調べて来たって、船に教会は作れない。祈りの部屋を設けておくのが精一杯。
(それでも聞いて貰えたしね?)
前の自分たちが捧げた祈り。
白いシャングリラは地球まで辿り着けたから。ミュウの時代を手に入れたから。
それに聖痕も貰っちゃったよ、と眺めた身体。今の自分が持っていた聖痕、あれのお蔭で記憶が戻った。またハーレイと巡り会えたし、きっと神様の贈り物。
聖痕は本来、神様が受けた傷と同じ傷のことだから。それが身体に表れるのが聖痕現象、自分の場合は前の自分がメギドで撃たれた傷痕だけれども。
(ハーレイとのことは、メギドでは…)
前の自分は祈っていない。ハーレイの無事を祈っていただけ。他の仲間やシャングリラの未来を祈るのと共に。どうか生きてと、無事に地球へ、と。
ただそれだけで、また会いたいとは祈らなかった。もう会えないと思ったから。最後まで持っていたいと願った、右手に残ったハーレイの温もり。それを落として失くしたから。
ハーレイとの絆は切れてしまって、二度と会えないと泣きじゃくりながら、前の自分はメギドで死んでいったのだから。死よりも恐ろしい絶望と孤独の中で、独りぼっちで。
あの悲しみの中で祈ってはいない。祈った記憶も残ってはいない。
(…それとも、祈った?)
自分では覚えていないけれども、意識が消える最後の時に。「会わせて」と。
もうハーレイには会えないとしても、出来ることなら会わせて欲しいと。
そう祈ったから、神様は聖痕をくれたのだろうか。ハーレイに会わせてくれただろうか。
(だったら、やっぱり祈り方なんて…)
方法が正しいかどうかは関係無くて、心が大切。神様に祈るという気持ち。心の底から、どうか届いて、と。
前の自分たちの祈りは届いて、シャングリラは地球に行けたから。今の自分も、ハーレイと再会出来たのだから。聖痕まで貰って、青い地球の上で。
お祈りの正しい方法よりも心だよね、と出した結論。祈る方法が間違っていても、心から祈れば神様には届く筈だから…。
(よし!)
きっと明日には少しくらい…、と思う身長。ちょっぴり伸びてくれるよ、と。明日が駄目でも、その内に。明後日とか、そのまた次の日とかに。
伸び始めたら、後は順調に伸びてゆくのに違いない。前の自分と同じ背丈になれるまで。
(今日のお祈り、神様の所に届くよね?)
きちんとお祈りしたんだから、と満足してベッドに潜り込んだ。お祈りの効果を早く出すには、眠ることだって大切な筈。「寝る子は育つ」と聞いているから、お祈りの他に自分でも努力。
神様に任せっ放しでいるより、頑張っている所も見せなくちゃ、と思ったのだけれど…。
(あれ…?)
枕にポフンと頭を乗っけて、眠ろうとして、ふと気になったこと。前の自分の祈りのこと。
神様に祈って、白いシャングリラは地球まで行けて、チビの自分はハーレイと再会したけれど。青い地球で新しい命と身体を貰って、前の自分の恋の続きを生きているのだけれど。
そうなって欲しい、と神様に祈った前の自分は…。
(お祈り、いつからやってたの…?)
いつからやっていたのだろう。神に祈るということを。
白いシャングリラでは当たり前のように祈っていた。祈りの部屋を作らせたほどだし、改造前の船でも何度も祈った。鳴らす鐘も、蜜蝋で出来た蝋燭も無い船だったけれど。
捧げた祈りの中身は色々、ミュウの未来や仲間たちのこと。白い鯨ではなかった船でも。
けれど、その船に辿り着くまでは。…元はコンスティテューションという名前だった船、人類が捨てていった船で宇宙に飛び出すまでは…。
(お祈り、してた…?)
アルタミラにあった研究所で。狭い檻の中で。
其処で自分は祈っただろうか、神に祈りを捧げたろうか…?
どうだったっけ、と手繰った記憶。アルタミラの檻で過ごした頃の自分は祈ったのか、と。
(檻にいた時は…)
長い年月、心も身体も成長を止めていた自分。成人検査を受けた少年の姿のままで。今と同じで少しも育たず、子供のままで生きていた。
あの地獄から逃げ出すまでは。後にシャングリラと名を変えた船で、宇宙に脱出するまでは。
もしも自分が神に祈っていたならば。神に助けを求めたのなら…。
(…もうちょっと育っていそうな気がする…)
身体はともかく、心の方は。姿は子供のままだったとしても、中身の方は。
神に祈るという思いがあったら、少しは成長しただろう。祈る気持ちは、前を見ないと生まれて来ないものだから。今よりもいい状態になるよう、願うのが祈りなのだから。
それを願えば、心は育つ。前を見られる強さが生まれて、その内に希望を持ったりもして。
なのに自分は育たなかったし、子供のままの心でいたのなら…。
(お祈り、してない…?)
一度も祈っていなかったっけ、と思い出したこと。前の自分は祈っていない。アルタミラでは、狭い檻で一人で生きていた頃は。
実験室に引き出された時に感じた、他の仲間たちの残留思念。殺されていった大勢の仲間たち。彼らの断末魔の悲鳴を感じ取っても、それが意味のある叫び声でも…。
(どうでも良かった…)
残った思念が「助けて」と苦痛を訴えていても。「死にたくない」と叫んでいても。
明日は自分も、と思っただけ。いつかは彼らと全く同じに死ぬのだから、と。死に方が変わるというだけのこと。焼き殺されるか、窒息するのか、四肢を無残に引き裂かれるか。
いずれにしたって死んでゆくのだし、他の仲間がどういう風に死んでいったか、それを知っても意味などは無い。自分も行く道なのだから。
檻に出入りする時は、外されたサイオン制御リング。一瞬だけサイオンで周りが見られて、他の檻にいる仲間を見たって、それもどうでも良かったこと。
今はこういう顔ぶれなのか、と見渡しただけ。また変わったと、前にいた仲間は殺されたのかと眺めただけ。
神に祈りはしなかった。檻の隣人が死んだのに。…皆いなくなって、別の顔ぶれだったのに。
なんて酷い、と愕然とした前の自分のこと。仲間たちの死を知っていたって、祈りもしないで、ただ檻の中で過ごしただけ。
祈る時間はあったのに。…檻の中では食べて寝るだけ、他にすることは無かったのに。
(ぼくって酷い…)
死んだ仲間が安らかであるよう、一度も祈らなかっただなんて。残留思念を捉えた時にも、檻の顔ぶれが変わっていることに気付いた時も。
皆、殺されていったのに。残虐な実験で命を奪われ、非業の最期を迎えたのに。
(…分かっていたくせに、お祈り、してない…)
酷すぎるかも、と思う間に落ちて行った眠り。ベッドの中にいるのだから。
実験の夢は見なかったけれど、アルタミラの夢を見てしまった。メギドの炎で燃え上がる地獄、仲間たちを星ごと喪った日を。離陸しようとする船から外を見ていた時を。
もう一人くらい、誰か走って来ないかと。生き残った仲間が誰か姿を現さないかと。
其処でプツリと終わった夢。朝の光の中で目覚めた自分。
(ごめんね…)
助けられなくて、と起きた途端に祈っていた。アルタミラを滅ぼした炎の中では、大勢の仲間を助けたけれど。シェルターを開けては逃がしたけれども、間に合わなかった仲間たちもいた。
シェルターごと地割れに飲み込まれたり、瓦礫に押し潰されたりして。
もっと早くに助けられたら、と祈る間に、思い出した眠る前のこと。前の自分の祈りのこと。
(前のぼく、やっぱり…)
アルタミラでは祈っていなかった。
研究所で殺された仲間たちの魂のためには、ただの一度も。残留思念の悲鳴を聞いても、檻から姿を消していることに気付いても。
死んだのだな、と思っただけで。…自分もいつかこうなるのだな、と麻痺した心で、感情の無い目で見ていただけで。
一度も祈りはしなかった自分。前の自分のことだけれども、考えるほどに酷すぎること。
仲間たちが死んだと知っていたって、彼らの悲鳴を感じ取ったって、祈りさえもせずに過ごしていた。檻の中でも、祈ることなら出来たのに。…他にすることは無かったのに。
(ぼくって、最低…)
なんて酷いことをしたのだろう、と思っても、とうに過ぎ去ったこと。アルタミラの檻に戻れはしないし、今の自分がどんなに詫びても、前の自分の罪は消えない。消し去れはしない。
(…前のぼく、きっと恨まれてたよ…)
あそこで死んだ仲間たちから、と胸が塞がってゆく。いくら自分が謝ってみても、前の自分とは違うから。「何故、あの時にそうしなかった」と、責める声が聞こえて来そうだから。
それでも起きてゆくしかない。今日はハーレイが来る日なのだし、両親だって朝食の席で待っている。顔を洗って着替えたけれども、元気が無かった朝のテーブル。
「何処か具合が悪いのか?」と父が訊くから、「平気だよ」と笑みを浮かべたけれど。頑張って朝食を食べたけれども、部屋に帰ると塞がる心。前の自分の酷さを思って。
(ハーレイ、お願い。早く来て…)
ぼくの話を聞いて欲しいよ、と何度も眺める窓の方向。側に立って庭の向こうを見たり。
前の自分が酷かったことを謝るのならば、きっとハーレイが一番だから。
アルタミラで死んだ仲間たちにも詫びたけれども、自分の罪を打ち明けるのなら、死なずに生き延びた仲間でないと。…それがどれほど酷いことなのか、分かってくれる人間でないと。
今のハーレイは生まれ変わりだけれども、アルタミラから生きて脱出した仲間。
あそこで何が起こっていたのか、人類が何をやっていたのか、今も覚えているのだから。
早く来てよ、と待ち続けたハーレイが部屋にやって来た後、挨拶もそこそこに切り出した。母が置いて行ったお茶とお菓子に手もつけないで、ハーレイの顔をじっと見詰めて。
「あのね、ぼくって最低だったよ…」
「はあ?」
なんだそりゃ、とハーレイは怪訝そうな顔。「お前の何処が最低なんだ?」と。
「前のぼくだよ、ホントに最低…。昨日、寝る前に気が付いたんだよ…」
一度も祈っていなかった…。アルタミラの檻で生きてた時に…。
実験室に連れて行かれたら、殺された仲間の残留思念があったのに…。悲鳴とかだって。
それに檻から出された時には、周りの檻にいた仲間たちの顔が違ってて…。
死んじゃったんだな、って思ったけれども、たったそれだけ。…実験室でも、檻の前でも。
いつかはぼくも死んじゃうんだな、って見ていただけで、自分のことしか考えてなくて…。
お祈り、しようとしなかった…。死んじゃった仲間を可哀相だとも思わないで。
それって酷くて、最低でしょ?
普通はお祈りするものなのに…。みんなが天国に行けますように、って。
「そうか? 俺はお前が最低だとは思わないが…?」
アルタミラでは、お前が一番辛かったんだ。あそこにいた仲間の誰よりも。
一番長い年月を檻に閉じ込められて過ごして、成長まで止めてしまってた。…心も身体も。
生きていたって何もいいことは無い、と思っていたから、そうなっちまっていたんだろ?
そんな思いをしていたお前に、祈る余裕があったとは俺は思わんな。最低ってことはない筈だ。
出来なかったことは仕方がない。…お前は祈れなかったんだ。自分が苦しすぎたから。
「でも…。他のみんなは死んじゃったんだよ?」
助けて、って悲鳴を幾つも聞いたし、「死にたくない」っていう声だって…。
みんな苦しんで死んでいったよ、酷い人体実験をされて。
ぼくよりも苦しかった筈だよ、だって死んじゃったんだから…!
「それはそうだが、死んだら其処で終わりだろうが。…死んだ仲間の人生ってヤツは」
魂は肉体を離れちまって、もう苦しんでいた身体は無い。そいつの魂の周りには。
残留思念はあったとしたって、魂の方は、今の俺たちみたいにだな…。
生まれ変わって別の人生を生きただろうさ、とハーレイは言った。ミュウにはならずに、今度は人類に生まれるだとか。そうでなければ、天国に行っていただろう、と。
「生まれ変わるにせよ、天国に行っちまうにせよ…。そいつの人生は終わりなんだ」
とても苦しい思いをしたって、死んだら終わっちまうから…。もう苦しくはないってわけだ。
苦しんでいた身体が無くなっちまえば、苦しみようがないからな。
しかし、お前は死ねなかった。…違うのか?
どんなに苦しい思いをしたって、お前には終わりが来なかったんだ。前のお前には。
「そうだけど…。前のぼくは死ななかったけど…」
タイプ・ブルーは一人だけだし、死んじゃったら実験出来なくなるから…。
これで死ぬんだ、って思っていたって、気が付いたらまだ生きていて…。
死ななかったよ、と今でも忘れられない苦痛。気を失うまで繰り返された人体実験。
意識が薄れて消えてしまっても、どれほど酷い傷を負っても、治療されたから死ななかった。
絶対零度のガラスケースに放り込まれても、高温の炎に焼かれても。
「…お前は死ななかっただろう? 他の仲間なら死んだだろうにな」
治療しないで、死ぬまで実験し続けて。…殺しちまっても、別ので実験出来るんだから。
他のサイオン・タイプだったら、幾らでも代わりがいたからな。
それが出来なかったのが前のお前で、一人で実験され続けた。研究のために。殺さないように、治療までして。
前のお前は、他の仲間の何人分を死んだんだ?
死ぬんだな、と思っていたって、それで死ななきゃ苦しいだけだ。治療も、次の実験も。
そういう毎日だったわけだが、お前、その中で、自分のために祈ってたのか?
「此処から出たい」と、「助かりたい」と。…神様ってヤツに。
どうなんだ、と訊かれたけれども、まるで無かった祈った記憶。助かりたいとも、出たいとも。何も祈ってはいなかった。…思い付きさえしなかった祈り。
「…祈ってない…」
お祈りなんか忘れていたよ。お祈りをすれば助かるかも、って考えたことも無かったみたい。
どうせ助からないんだから、って思っていたのか、そうじゃないかは分からないけど…。
だけど、お祈りしなかったのは確か。…ぼくは覚えていないから。
「ほら見ろ。前のお前に余裕は無かった。祈るだけの心の余裕がな」
神様さえも忘れちまっていたんだろうなあ、毎日が苦しすぎたから。
そうでなくても、あそこは地獄だったんだし…。神様がいるとは思えないような。
前のお前が、自分のためにだけ祈っていたなら、最低だと言われても仕方がないが…。自分さえ良ければそれでいいのか、と責めるヤツらもいそうだが…。
そうじゃないしな、お前は最低なんかじゃない。
自分のためにも祈れないんじゃ、他の仲間のために祈るのは無理ってモンだ。
立派に育った大人だったら、出来る人間もいるんだが…。前のお前もそうだったんだが、チビの頃だと話は別だ。子供だった上に、誰よりも苦しい思いをしてれば、祈るのも忘れちまうだろ?
「そうなのかな…?」
前のぼく、最低じゃなかったのかな、知らんぷりをして生きてたけれど…。
死んじゃった仲間のためのお祈り、ホントに一度もしなかったけど…。
「お前は最低の人間じゃない。苦しすぎて心に余裕が無かっただけだ。…祈るだけの分の」
だから一度も祈らなかったし、自分のためにも祈れなかった。
間違いない、俺が保証する。前のお前は最低なんかじゃなかった、と。
「ありがとう…。ちょっぴり心が軽くなったよ、ハーレイのお蔭」
ハーレイに聞いて貰えて良かった。前のぼくが何をやっちゃったのか。…酷かったことも。
最低じゃない、って言って貰えたら、ほんの少しだけホッとしたから…。
やっちゃったことは変わらないけど、許してくれた仲間もいたかもね、って。
でも、前のぼく…。
いつから祈っていたのだろう、と尋ねてみた。それが昨夜の疑問の始まり。
アルタミラの檻で祈らなかったというなら、いつから神を求めただろう、と。
「ぼくって、いつからお祈りしてたと思う…?」
シャングリラではお祈りしていたけれども、誰かに教えて貰ったのかな…?
アルタミラの檻では神様のことまで忘れてたんだし、お祈りしそうにないんだけれど…。
「さあな…? 俺は教えた覚えは無いなあ、前のお前に」
だが、参考までに言ってやるなら…。前の俺の昔話になるが…。
俺の場合は、檻の中でも祈っていた。いつか必ず生きて出てやると、死んじゃならんと。
そうするためにも生かしてくれと、俺を生き延びさせてくれと。
「生きるって…。ハーレイ、凄いね」
神様にお祈りするのも凄いけれども、生きたいだなんて…。
あそこから生きて出てやるだなんて、ホントに凄すぎ。ぼくは何もかも諦めてたのに…。
生きるのも、自由になることも、全部。
「お前よりは余裕があったからな。…実験が落ち着いて来てからは」
俺がデカブツだったお蔭で、負荷をかける実験の方がメインになってたんだと話しただろう?
肉体的にはかなりキツイが、精神的には踏ん張れる。…負けるもんか、と思うわけだな。
お蔭で祈る余裕もあった。こんな地獄から抜け出してやる、と。
その俺が、「頼む」と真剣に神に祈った最初ってヤツは…。あの地獄だ。
「地獄って…? あそこが地獄だったじゃない」
研究所そのものが地獄だったよ、ハーレイもそう言ったじゃない。抜け出してやる、って。
「それよりもまだ酷い地獄だ。…地獄が地獄に落とされた時だ」
アルタミラがメギドの炎に焼かれて、燃え上がる中を、お前と二人で走った時。
一人でも多く助けさせてくれ、と。
生き残っている仲間を死なせないでくれと、俺たちが無事に助け出すまで守ってくれと。
「あ…!」
ぼくも同じだよ、その気持ち…。前のぼくもハーレイと同じだったよ…!
思い出した、と蘇って来た遠い遠い記憶。アルタミラがメギドに滅ぼされた日。
崩れ、燃え盛る地面を走る間に、見えない神に祈っていた。「もう少し」と。
自分たちが其処に辿り着くまで、仲間たちが閉じ込められたシェルターを持ち堪えさせて、と。もう少しだけ時間が欲しいと、仲間たちを助けたいからと。
そうして祈って走り続けて、助け出した大勢の仲間たち。ハーレイと二人でシェルターを幾つも開けて回って、「早く逃げて」と逃げる方向を指差して。
(神様、お願い、って…)
時間が欲しいと、仲間たちの命を守って欲しいと祈り続けた前の自分。間に合わなくて、壊れてしまったシェルターの前では「ごめん」と心で謝って。
「助けられなくて、本当にごめん」と、「もっと急げば良かったのに」と。
神に祈って、死んだ仲間にも謝っていた前の自分。ということは、あの時が…。
「ハーレイ、前のぼくのお祈り、一番最初はアルタミラだったよ」
神様にずっとお祈りしてた…。前のハーレイとおんなじことを。
助けられなかった仲間たちにも、「ごめん」って謝っていたんだよ、ぼく。
「そうか、やっぱりあの時なんだな」
俺の昔話が参考になって何よりだ。…お前が思い出せたんなら。
「…もしかして、ハーレイ、知っていたの?」
ぼくがお祈りしていたってことを、思念で感じ取ってたとか…?
「まさか…。そこまでの余裕は流石に無かった。仲間たちを助け出すことで頭が一杯だしな」
だが、あの時のお前を思い出したら、簡単に分かることだってな。
諦めようとはしなかっただろ、お前。…本当に最後の最後まで。
これが最後の一つなんだ、ってシェルターを開けて仲間を逃がすまでは。
自分のことだけで手一杯なら、諦めちまって逃げるだろうから…。途中で放り出しちまって。
それをしないで頑張ってたのは、仲間たちのことを考えていたからだ。俺と同じで。
俺と考えが同じだったら、神様にだって祈っただろうと思ったんだが、当たりだったな。
「そっか…。ハーレイが言う通りかもね…」
あの時、ぼくは閉じ込められてたシェルターを壊して、後はポカンとしてただけ…。
ハーレイがぼくに「助けに行こう」って言ってくれたんだよ。他にも仲間がいる筈だ、って。
仲間たちのことに気付いたお蔭で、神様のことも、お祈りも思い出したんだね…。
あれだったのか、と思った初めての祈り。前の自分が神に祈ったのは、アルタミラから脱出した後のことではなかった。崩れゆく星でもう祈っていたなら…。
(そうだ、あの星を離れる時に…)
アルタミラがあったジュピターの衛星、ガニメデを離陸してゆく時。
事故で船から放り出されて、炎の中へと落ちて行ったハンス。前の自分のサイオンはもう、彼を救えはしなかったから。引き上げる力が無かったから。
そのハンスにも心で詫びたけれども、救えなかった仲間たちに詫びた。シェルターごと地割れに飲まれたりして、命を落とした仲間たち。助け出すのが間に合わなくて。
それよりも前に、実験で殺された仲間たちにも。船がどんどん遠ざかる星、其処で死んだ全ての仲間たちの魂に詫びて祈った。
皆の分まで、きっと生きると。この船を、船の仲間たちを必ず守ってみせると。
(だから、お願い、って…)
見えない神に祈った自分。皆を守りたいと、守らせてくれと。
ハーレイの胸で泣かせて貰った時には、もっと強く。泣きじゃくりながらも祈った自分。
(頑張らなくちゃ、って…)
この船で皆と生きてゆくから、守って欲しいと。
船に乗れずに死んでいった大勢の仲間たちにも、どうか救いがあるようにと。
あれが自分の最初の祈り。
檻の中では忘れ果てていた、神への祈りを取り戻した時。
アルタミラの地面の上で祈って、あの星を離れる船の中でも祈り続けて。
良かった、と零れた安堵の息。前の自分はアルタミラでも祈っていた、と。
きっとハーレイが言った通りに、檻の中では心の余裕が無かったのだろう。神に祈ることさえ、思い付かないほどに。…仲間たちのために祈るどころか、自分のためにも祈れないほどに。
「…良かったあ…。前のぼくも、ちゃんとお祈りしてたよ」
まだアルタミラがあった間に。
…脱出してから思い出したんじゃなくて、誰かに教えて貰ったわけでもなくて。
お祈り、ホントに忘れてしまっていたんだね…。檻の中で暮らしていた時は。
「思い出せたか?」
その様子だと、俺が話した以上に色々と思い出せたようだな。
俺が来た時とは表情が全く違うし、見違えるように生き生きしているから。
「うん、最低じゃなかったみたい…」
実験で殺された仲間のためにも、最後にお祈りしていたんだよ。
アルタミラから離陸していく時にね、ハンスに謝っていたけれど…。ぼくたちがシェルターから助け出す前に、死んじゃった仲間にも謝ったけど…。
研究所で殺された仲間たちのためにも、ちゃんとお祈りしていたよ、ぼく。
神様にお願いしていたんだよ、死んだ仲間たちも助けてあげて、って。
「そりゃあ良かった。前のお前が、きちんと祈ってやれたんならな」
白い鯨になった後にも、お前、ずいぶん気にしてたから…。今も気にするほどだから…。
前のお前が最低ってことは無い筈なんだが、お前、本当に悲しそうな顔をしてたしな?
アルタミラがまだあった間に、祈れたんなら良かったじゃないか。
仲間たちはとっくに次の人生を生きていたんだと俺は思うが、それだとお前の悲しみは減らん。
やっぱり祈っておきたかった、と自分を責め続けるだろうしな。
これでお前の悩みは消えたし、俺も大いに安心だ。お前が自分で納得しないと、こればっかりは俺にもどうにもしてやれんから…。
で、安心した所で、お前に一つ訊きたいんだが…。
何処から祈りの話が出て来たんだ、と鳶色の瞳に覗き込まれた。真正面から。
「お前の頭を悩ませたほどの大問題だし、俺は解決に手を貸してやった」
どうしてそういう話になったか、聞かせて貰える権利はあると思うがな?
お前、なんだって悩んでいたんだ、お祈りなんかで…?
「そ、それは…。えっと…。昨日の夜に神様に…」
背を伸ばそうとお祈りしてて…。ぼくの背、一ミリも伸びてくれないから…。
普段だったら、ミルクを飲む時に、ついでにお祈りするんだけれど…。
たまには真面目にお祈りしよう、って神様にきちんとお祈りして…。
それが始まり、と白状したら、「なるほどな…」とハーレイが浮かべた可笑しそうな笑み。
「今のお前のお祈りってヤツが、よく分かった」
背丈を伸ばして下さいってか…。それこそ最低な祈りだな。自分勝手で。
神様には神様の考えがあって、お前をチビのままにしてらっしゃるんだと思うわけだが…。
そいつを綺麗サッパリ無視して、自分の都合で「お願いします」って所が最低最悪だってな。
前のお前の祈りに比べて、落ちるなんて騒ぎじゃないだろうが。
「…やっぱり?」
ぼくのお願い、我儘すぎた?
ホントのホントに最低最悪なお祈りになるの、背のこと、真面目にお祈りしたら…?
「前のお前に比べれば、と言っただろう?」
相当に質が落ちてしまうが、今のお前はそれでいいんだ。
今はすっかり平和な時代になっているしな、前のお前みたいな祈りは必要無いってこった。
背を伸ばしたいというのも、お前にとっては切実なことには違いないしな?
最低最悪でも悪くはないだろ、神様が叶えて下さるかどうかは別問題ってことになるんだが。
背丈が伸びるかどうかはともかく、今の自分はそういう祈りでいいらしい。
時代に合わせて祈りの中身も変わるもんだ、とハーレイは穏やかな笑顔だから。
最低最悪のお祈りでも許してくれるらしいから、これからも神様に祈ってゆこう。
時には真面目に、真剣に。
お祈りの作法は間違っていても、きっと心が大切だから。
早く大きくなれなますようにと、ハーレイとキスが出来る背丈に、と。
このお祈りが神様に届きますようにと、心からの願いをお祈りに乗せて…。
初めての祈り・了
※祈ることさえしなかったのが、アルタミラの檻にいた頃のブルー。自分自身のことさえも。
前のブルーの最初の祈りは、燃える星で仲間たちを助けに走った時。滅びゆくアルタミラで。
(あれ…?)
学校の帰り道、立ち止まったブルー。いつものバス停から家まで歩く途中で。
通り掛かった生垣の向こう、庭木の手入れをしている御主人。何処の家でもよく見るけれども、今日の家のは違った様子。人ではなくて、庭木の方が。
(萎れてる…?)
世話をしている木の葉が少し。花が咲いていないから、何の木か分からないけれど。常緑樹ではないことだけは確か、しっかりと硬い葉ではないから。その葉が萎れている感じ。
夏の盛りなら、暑さで元気を失くす木だってあるけれど。
今は暑くはないわけなのだし、萎れているなら、その木に元気が無いということ。水不足とか、栄養が足りていないだとか。
急に元気が無くなったのか、前からなのか。木の存在にまるで気付いていなかったから、記憶を探ってみても無駄。けれど気になる、元気が無い木。
(…枯れちゃいそう?)
まさか、と生垣越しに眺めた。チビの自分と同じくらいの背丈だろうか、まだ小さな木。若木と呼ぶのが相応しいのに、ひょっとして枯れてしまうとか、と。
それではあまりに可哀相。これから育ってゆく筈なのに、と見ていたら、振り返った御主人。
「おや。ブルー君、今、帰りかい?」
こんにちは、と挨拶してくれた御主人とは顔馴染み。だから木のことを尋ねてみた。
「その木、いったいどうしちゃったの?」
なんだか元気が無さそうだけど…。お水が足りていないとか?
「それがねえ…。そうじゃないんだ、水不足なら水やりをすればいいんだけどね」
植えたのに弱っちゃったんだよ、と御主人は説明してくれた。
元気が無い木の名前は沙羅。夏椿とも呼ばれる、夏に白い花を咲かせる木。知ってるかい、と。
沙羅の木だったら、名前はもちろん知っている。花の写真を見たことも。
平家物語で有名な木だし、花の季節には「此処で見られます」という新聞記事も載る木だから。
本物はこういう木だったんだ、と観察した沙羅。萎れた葉っぱは椿とは違う。夏椿という名前は花の形が似ているからで、常緑樹ではないのが沙羅らしい。
萎れて元気が無い葉たち。生命力が落ちているから。
このままでは木が枯れてしまう、と御主人が聞いて来た手入れの仕方。土を入れ替えて、肥料も少し。やり過ぎないよう、気を付けて。
「大丈夫なの?」
沙羅の木、それで元気になる?
「くれた人に教えて貰ったからね。沙羅の木に詳しい人なんだよ」
植え替えには今の季節がいいから、とプレゼントしてくれた木なんだ、これは。
明日には様子を見に来てくれるし、大丈夫な筈さ。アドバイスも色々くれるだろうしね。場所が悪いようなら、他の所に植え替えるとか…。
違う場所に移るかもしれないけれども、ちゃんと生き返るよ、と聞かせて貰ってホッとした。
枯れてしまったら、木だって可哀相だから。
まだ若い木だし、花もこれから。来年の夏には真っ白な花を咲かせる沙羅。
(ぼくとおんなじくらいの背…)
今はチビでも、もっと大きくなるのだろう。幹だってグンと丈夫になって。枝を伸ばして、葉を茂らせて。…沙羅の木の葉は、冬には落ちてしまうのだけれど。
(元気になってくれるといいよね)
御主人の世話と、木をくれた人のアドバイスで。
少し萎れてしまった葉たちも、元の元気を取り戻して。
きっと元気になる筈だから、と沙羅の木と御主人に「さよなら」と挨拶をして帰った家。
制服を脱いで、ダイニングに行っておやつを食べて。二階の自分の部屋に戻ったら、思い出した元気が無かった木。本物を見るのは初めてだった沙羅。花は咲いてはいなかったけれど。
御主人が手入れをしていたのだし、明日には詳しい人が様子を見に来てくれるから…。
(沙羅の木、元気になりますように…)
元気になって大きく育って、沢山の花を咲かせられるように。たった一日しか咲かない花でも、沙羅の花はとても綺麗だから。本物は写真で見る花よりも素敵だろうし、魅力的な筈。
(きっとその内に、大人気だよ)
花の季節は、ご近所さんに。散歩中に見掛けた人の間でも評判になって。
そういう立派な木になれるように、ぼくもお祈りしているからね、と心の中で呼び掛けていたら掠めた記憶。前も祈った、と。遠く遥かな時の彼方で。
(…前のぼく…?)
何処で、と辿った前の自分が生きた頃。
元気になって、と木に祈ったなら、シャングリラでのことだろう。あの船だけが世界の全てで、外の世界は人類の世界。外の世界では多分、祈らない。
(弱っている木に会ったって…)
また会える機会は無いのだろうし、祈ったとしても「元気に生きて」という言葉だけ。その木が元気に生きてゆけるよう、大きくなるよう祈りはしない。
自分が生きる世界の中には、その木は無いのと同じだから。
人類の世界に生えている木が大きくなっても、船の仲間は姿さえも見られないのだから。
シャングリラで祈った筈なんだけど、ということは分かる。ただ、記憶には残っていない。あの船にあった木たちに向かって祈った記憶。「元気になって」と。
(サイオンで育てた豆はあったけど…)
白い鯨になる前の船で、前の自分がサイオンで育てたらしい豆。まるで自覚は無かったけれど。
豆の苗が駄目になりそうだ、と聞いたから励ましてやっただけ。弱々しい苗を。
「元気になって」と、「生きて欲しいよ」と。
そうしたら元気を取り戻した苗。今にも枯れそうだったのに。「生き返った」と皆も驚いた。
豆はグングン育っていって、次の世代を生み出した。一番丈夫な作物になった。
赤いナスカでも、最初に根付いたほどに。蘇った青い地球の上でも、テラフォーミング用の植物以外では、最初の植物になったくらいに。
今の時代は「パパのお花」と呼ばれる豆。幼かったトォニィがそう呼んだから。
(あれだって綺麗に忘れていたし…)
パパのお花の記事に出会うまで、思い出しさえしなかった。前の自分が励ましたことが、生きる力になったらしいのに。…ジョミーが「生きて」と願う力で、前の自分を生かしたように。
サイオンで植物を生かす奇跡は、きっと豆の時の一度きり。他にやってはいないと思う。
それとも忘れてしまっただけで、奇跡をもう一度起こして欲しい、と誰かに頼まれただろうか?
(まさかね…?)
もしも誰かが頼みに来たなら、豆のことを覚えていそうだから。今の自分も忘れないで。
前の自分は、そういう力を持っていた、と。
祈りの力で植物たちを、元気に生き返らせたのだ、と。
けれど、そういう記憶も無い。奇跡の力を持っていたとは、前の自分は思っていない。
力を持っていないのだったら、どうして祈っていたのだろう。「元気になって」と、船にあった木に。祈っても意味は無さそうなのに。それで生き返りはしないのに。
(…あれは、いつなの…?)
祈っていた時も、祈っていた意味も分からないや、と首を捻っていたら、聞こえたチャイム。
仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、ぶつけた質問。ハーレイは知っているかも、と。
「あのね…。前のぼく、木にお祈りしてた?」
「はあ? お祈りって…」
木は神様ではないと思うが、と怪訝そうなハーレイ。当然と言えば当然な答え。
質問の仕方を間違えちゃった、と最初から説明することにした。
「えっとね…。今日の帰りに、元気の無い木に会っちゃって…」
御主人が手入れをしていたんだよ、きっと元気になる筈だ、って。…小さな沙羅の木。
元気に育って欲しかったから、家に帰って思い出した時にもお祈りをしてて…。あの木が元気に育ちますように、って。
そしたら、そういう気持ちを知っている気がしたんだよ。前のぼくもお祈りしてた、って。
この木が元気になりますように、っていうお祈り。…パパのお花とは違うんだよ。
パパのお花は豆の苗でしょ、それとは違っていた筈で…。普通の木だと思うんだけど…。
前のぼくは木のためにお祈りしたかな、パパのお花の時とは別に。
「なるほど、そういうお祈りか。木が神様ではないんだな」
前のお前が木にお祈りなあ…。はて…?
シャングリラだったことには間違いないな、とハーレイは腕組みをして考え込んだ。
いつの時代か、そいつを思い出さないと、と。
白い鯨になった後には、公園にも農場にも何本もの木。改造前のシャングリラでも、自給自足で生きる船ではどうするべきか、と試験的に作っていた畑。木も何本か育てていた。
木に祈るのなら、改造前の船の方だと思ったけれども、ハーレイが導き出した答えは違った。
「そうか、あれだな。…白い鯨の時代だった」
前のお前が祈っていたのは、白い鯨が出来てからだ。改造が済んだ後のことだな。
「え…? 改造した後のシャングリラなら…」
木は何本もありそうだけど…。農場にも、それに公園にも。
あんなに沢山植えてたんだし、お祈りなんかしなくても元気に育っていそうだけれど…?
「確かに木なら沢山あったが…。それだけに失敗も多かったんだ。初めの頃はな」
覚えていないか、上手く根付かなかった木が何本もあったんだが。
こいつは此処だ、と植えてやっても、なにしろ素人ばかりだったからな。木に関しては。
「それは覚えているけれど…」
難しい木もあったものね、と頷いた。今も記憶に残っているから。
白いシャングリラに植えていた木たち。改造前からの計画通りに、公園に、それに農場に。
様々な木を植えたけれども、全てが成功したわけではない。初めて育てる木なのだから。
枯れてしまった木も少なくはなくて、抜くしかなかった駄目になった木。
そういう時には、新しい苗木を奪いに出たのが前の自分。シャングリラからアルテメシアへ。
担当の仲間に必要な苗木を頼まれて。人類の施設に忍び込んで。
そのことは確かに覚えている。今度はこれか、と苗木を奪いに行ったこと。
けれど、祈りと繋がらない。
新しい苗木を奪って来たなら、それを育てればいいだけのこと。枯れてしまった木の代わりに。
元気な株を選んで奪ったのだし、今度は上手く育つだろうから。
きっと元気に育つだろう木。祈らなくても、備わっている生命力で。丈夫に出来ているだけに。
健康な木には祈りは要らない。自分の力で育ってゆける。
なのにどうして前の自分は祈ったのか。それが不思議で、ハーレイに訊いた。
「枯れた木の代わりに、新しい木を奪ってたけど…。なんで祈るわけ?」
丈夫な苗木を選んでたんだよ、祈らなくても元気に育つと思うけど…。
お祈りする理由、何処にも無さそうなんだけど…。
「それがだな…。駄目になっちまった木だと、そうなるんだが…」
何本もの木を育てる間に、仲間たちだって木が好きになる。木だって生き物なんだから。
そのせいかもなあ、枯れそうな木を懸命に世話したヤツらがいたんだ。
木に仲間たちの名前をつけて、「頑張れよ」とな。
「名前って…?」
ただの名前なら分かるけれども、仲間たちの名前って、どういう意味?
船で暮らしていた仲間の名前をつけていたわけ、枯れそうな木に…?
「おいおい、それだと枯れちまった時に困るだろう。…その木の名前の持ち主に悪い」
縁起でもないってことになるしな、自分の名前の木が枯れたら。…俺だっていい気分はしない。
ハーレイって名前がついていた木が、枯れてしまったと聞いたらな。
だから仲間たちの名前と言っても、船にいなかった仲間の名前だ。…だが、仲間だった。
もちろん本当の名前は分からん。それが正しいか、間違っていたか、誰も分かりはしなかった。
アルタミラにいただろう仲間たちの名だ、船に乗れずに死んでいった仲間。
そいつを木たちにつけていたんだ、ハンスの木と同じ理屈だな。
墓碑公園にあった糸杉、ゼルが「ハンス」と呼んでたろうが。
ハンスは本当に存在してたが、他の仲間の名前は分からないままだった。ただの一つも。
こういう名前の仲間がいたかも、という名を木たちに名付けたわけだな。
「そういえば…!」
本当にいたとは限らなくても、仲間たちの名前…。
つけてたっけね、枯れそうな木を世話する時には、「頑張って」って。
白いシャングリラで育てていた木。枯れそうな木には名前がついた。
いつの頃からか、つけられるようになっていた名前。シャングリラに乗れなかった仲間の名前。
アルタミラの研究所で殺された仲間や、メギドの炎で死んでいった仲間。
彼らの名前は分からないけれど、こんな名前もあっただろうと。きっとこういう仲間も、と。
名前がついたら、誰もがその名を呼んでいた。相手は木なのに、仲間が其処にいるかのように。
食事の時に話題になったり、様子はどうかと何度も見に行く仲間がいたり。
「どういうわけだか、あれで不思議に生き返った木もあったってな」
すっかり萎れて、枯れるだろうと思っていたのが嘘みたいに。
パパのお花になってしまった豆ほど凄くはなかったんだが、だんだん元気を取り戻して。
「そんな木、幾つもあったよね…」
新しい苗木を調達しなきゃ、って思っていたのに、リストから外れちゃった木が。
頼んでいた係が言いに来るんだよ、「この木は無事に根付きました」って。
あれってやっぱり、パパのお花と同じ理屈で戻ったのかな…。あの木たちの命。
みんなが「生きて」って願っていたから、それが生きるための力になって。
「どうだかなあ…。そいつは俺にも謎だとしか…」
サイオンのお蔭とは限っちゃいないぞ、木たちの場合は。
なんたって名前がついていたんだ、それだけで係たちの力の入り具合も違う。
ただの木だったら「こんなモンだな」と思う所を、名前がある分、細やかに世話をするからな。
仲間たちの名前がついてる木なんだ、大切にしようと考える気持ちが出て来るもんだし…。
夜中でも様子を見に行ったりもしただろう。仕事で見に行く時以外にも。
「そうだね、大切に世話してやったら、弱い木だって持ち堪えそう…」
枯れちゃいそうでも、頑張って世話をして貰えたら。
今日の木だって、そうだから…。あの沙羅の木は、場所が合わないなら植え替える、って。
それだけ気を付けて世話してくれたら、木だって元気になれそうだものね。
シャングリラの木だって同じだったかもね、せっせと世話をして貰えた木は丈夫に育って。
細やかな世話のお蔭で生き返ったかも、と思い出した木たち。枯れそうだった何本もの木。
仲間たちの名前がついていたから、前の自分も気に掛けていた。どうしているか、と。
「思い出したか、名前がついてた木たちのことを?」
もっとも、元気になっちまったら、すっかり忘れ去られていたが…。名前ごとな。
他の木たちに混ざっちまって、ただの木だ。元は名前があったことさえ、忘れられてて。
元気に育ち始めるまでの間だけだな、仲間たちの名前で呼ばれていたのは。
しかし、お前も呼んでたろうが。
あの木たちについてた、色々な名前。…船の仲間の名前とは違っていたんだが。
「思い出したよ。前のぼくのお祈り、枯れそうな木たちのためだったんだ…」
仲間たちに生きて欲しかったから。…その木の名前を持ってた仲間に。
そういう名前を持っていた仲間、本当にいたかどうかは分からなかったけど…。
だけど、仲間の名前だから…。仲間たちの名前の木だったから。
覚えているよ、と鮮やかに蘇って来た記憶。ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃の。
白いシャングリラで誰かが始めた、枯れそうな木に名前をつけること。アルタミラで命を失った仲間、船に乗れなかった仲間を思って。
船の仲間たちとは重ならない名前、けれど珍しくはない名前。人類の世界にはよくある名前で、名付けられた仲間がいても不思議はない名前。
それを木たちに名付けていた。この木はこれ、と本物の仲間がいるかのように。男性の名前も、女性の名前もついていた木たち。
(名前、ホントに色々あったんだっけ…)
データベースで探していたのか、名付けるのが得意な仲間でもいたか。同じ名前は無かった木。重ならなかった木たちの名前。けして少なくはなかったのに。
船の仲間たちも木の心配をしていたけれども、前の自分も全く同じ。枯れそうな木があると耳にした時は、その木に会いに出掛けて行った。農場へも、それに公園へも。
手入れをしている係に尋ねた、木につけられた仲間の名前。それを教わったら、早速呼んだ。
幹に手を当てて、「元気になって」と。
枯れてしまわないで、この船で大きく育って欲しいと。根を張って、葉を茂らせて、と。
アルタミラで死んだ仲間たちを思って、「生きてゆこう」と声で、心で呼び掛けた木たち。この船で一緒に生きてゆこうと、せっかく船に来たんだから、と。
仲間たちの名前は分からないままになったけれども、檻の向こうに姿を見た日もあったから。
実験のために檻から引き出された時や、押し込まれる時に。
(…サイオン制御リングを外されるから…)
その一瞬だけ、透けて見えていた仲間たちの檻。自分の檻の隣や、上下に並んだ檻の中に。
生きた仲間の姿を見たのは、研究所の中ではその時だけ。研究者たちは、他のミュウたちと接触しないよう、管理を徹底させていたから。
檻に名札はついていなくて、思念を交わすことも出来なかった仲間たち。名前が分かるわけなど無かった。何という名か分からないまま、入れ替わっていった檻の隣人たち。
(…みんな、殺されちゃったんだ…)
実験の果てに、残酷に。狭い檻にさえ帰れもしないで、何も言葉を残せないままで。
そういう仲間の姿を重ねて、木たちの名前を呼んでいた。「ぼくたちと一緒に生きよう」と。
パパのお花を生き返らせたことは忘れていたのだけれども、「生きて」と撫でてやった幹。
枯れそうな木の幹を撫でては、「元気になって」と祈った自分。
シャングリラには乗れなかった仲間が、木になって其処にいるかのように。名前すらも告げずに死んでいった仲間、彼らが船に来たかのように。
前の自分は確かに祈って、木たちの無事を願っていた。枯れずに元気に育って欲しいと。
「ねえ、ハーレイ…。奇跡は何度も起こらないよね?」
パパのお花は、前のぼくが生き返らせたみたいだけれど…。あれっきりだよね?
枯れそうだった木たちが元気に育った理由は、きちんと世話して貰えたからでしょ?
船の仲間たちや前のぼくのお祈りだって、少しくらいは効いていたかもしれないけれど…。
「どうなんだかなあ…?」
俺にも分からんと言った筈だぞ、しかし生き返った木が多かったのは確かだな。
枯れそうな間は、大勢のヤツらが名前を呼んでいたことも。様子を見に行く仲間が大勢いたってことも。…船に乗れなかった仲間たちのことは、誰もが覚えていたからなあ…。
名前すらも分からない有様だったが、命が助かった俺たちよりも、死んだ仲間の方が多かった。
考えなくても誰だって分かる。…どれだけの年月、ミュウが殺されていたかってことだ。
そいつを思うと、木でも大事にしないとな。仲間たちの名前がついた木なんだ、何の根拠も無い名前でも。…そういう名前を持っていた仲間が、いたかどうかは分からなくても。
確証は何も無かったけれども、船の仲間たちが呼んでいた名前。
枯れそうになった木に名付けていた、アルタミラの地獄で死んでいったミュウたちの名前。その木が立派に育つようにと祈りをこめて。白いシャングリラで、自分たちと一緒に生きてゆこうと。
「あれって、いつまであったんだっけ…?」
枯れそうな木には名前をつける、っていう習慣。元気になったら名前は忘れられちゃったけど。
どの木だったか、みんなすっかり忘れてしまっていたけれど…。
「俺も覚えちゃいないんだが…。最初の数年だけってトコだな、名前をつけていた時期は」
白い鯨での暮らしってヤツが軌道に乗ったら、木を育てるのにも慣れていったから…。
枯れちまうことの方が珍しくなって来たなら、自然とやらなくなっただろう。
元々はただの木なんだからなあ、たまには枯れることだってあるし…。代わりのを植えて終わりだろうな、そのために苗を何本も育てていたんだから。
「そうなんだろうね、育つのが普通になったら忘れてしまうよね…」
元気に育つようになったら、木の名前、忘れていたんだし…。みんなが名前を呼んでた木でも。
ハンスの木だけが例外なんだね、ゼルが大事にしていたってこともあるけれど…。
本当に生きてた仲間の名前で、どんな顔だったか知ってた仲間も何人も…。
あの事故の時に乗降口の側にいた仲間たちは、ハンスの顔を見たんだものね…。
「ハンスだけだからな、名前が分かっていたのはな…」
顔を直接知らないヤツでも、ゼルに弟がいたってことは知っていた。脱出の時の事故だって。
ハンスは確かにいたんだってことを、知らないヤツはいなかったから…。
墓碑公園の糸杉を見れば思い出すよな、ハンスの名前を。
この木の名前はハンスなんだ、っていうゼルが名付けた名前の方も。
例外だったハンスの木。墓碑公園にあった糸杉。ゼルがせっせと世話をしていた。まるで本物の弟のように。アルタミラから脱出する時、亡くしてしまったハンスの代わりに。
けれど、ハンス以外の仲間たちの名前は分からなかった。アルタミラで死んだ仲間たち。実験で殺されてしまった仲間も、メギドの炎で命を失った者も。
名前どころか、その正確な人数までもが分からないまま。何人いたのか、何人のミュウが人類の餌食になったのかも。
とはいえ、それは前の自分が生きていた間のことだから。機械がデータを隠し続けて、封印していただけなのだから…。
「…ハーレイ、アルタミラの本当のデータ…。知ってるよね?」
「データだと?」
「そう。…前のハーレイだよ、今のハーレイじゃなくて」
前のぼくの誕生日とかを知っているなら、アルタミラにいた仲間たちのことも知ってるでしょ?
あそこに何人の仲間たちがいたのか、どうなったのか。…名前も、殺された仲間の数も。
テラズ・ナンバー・ファイブから引き出したデータの中にあった筈だよ。
前のハーレイは見た筈なんだよ、アルタミラで死んだ仲間たちの名前も、人数だって。
「まあな…。そいつを否定はしない」
キャプテンだったし、データにはもちろん目を通してる。…今でも覚えているのも確かだ。
あそこに何人のミュウがいたのか、どういう名前のヤツらだったかも。
「その名前…。教えてって言っても、ぼくには教えてくれないよね?」
仲間たちの名前を一つでいいから、って頼んでも。
「お前、自分を責めそうだからな。…助け損ねた、と」
前のお前が本気だったら、研究所ごと吹っ飛ばすことも出来たんだ。…逃げ出すことも。
そうしなかったから仲間が大勢死んじまった、と考えてるのがお前だしな。
あの状況では、とても無理だったのに…。子供のままで、成長を止めていたようなお前じゃな。
お前に教えるわけにはいかん、とハーレイの答えは予想通りのものだった。どんなに頼んでも、口を開きはしないのだろう。…仲間たちの名前は今もやっぱり分からない。ハーレイのせいで。
「…だったら、訊くのは諦めるから…。代わりに教えて」
木たちにつけてた名前の中で、当たっていた名前があったのかどうか。
枯れそうだった木につけた名前だよ。仲間たちの名前のつもりでつけていたでしょ、あれは。
「そう来たか…。待てよ、どうだったやら…」
木の名前の方もけっこうあったし、元気に育っちまった後には忘れてしまった名前だから…。
ちょっと待ってくれよ、今、木の方を思い出してるトコだ。
あれだろ、それから、あれで、あれでだ…。
そういやあったな、今にして思えば。
…ハンスの木みたいに、本当にいた仲間の名前を持っていた木が。
「どの木?」
当たっていたのはどの木だったの、何処にあった木?
場所を忘れているんだったら、木の種類だけでも教えてよ。何の木だったか。
「それもお前には教えられない。…お前、思い出そうとするに決まっているからな」
どの木だったかを手掛かりにして、忘れちまっている名前を。
そして名前を思い出したら、悲しむだろうが、今のお前も。そういう名前の仲間がいた、と。
アルタミラから救い損ねたと、前のお前のせいなんだ、とな。
「…そうだけど…」
そうなっちゃうけど、でも、知りたいよ。
死んでしまった仲間の名前も、とても大切だから。…その人が生きた印だから。
シャングリラのみんなも、そう思ったから名前をつけていたんだよ。
枯れそうな木には仲間の名前を。…この船で一緒に生きてゆこう、って。
だから教えて、と食い下がったけれど、ハーレイは「駄目だ」と応じなかった。仲間とそっくり同じ名前だった、木のことは教えられないと。種類も、その木があった場所も。
「知らなくてもいいんだ、今のお前は。…アルタミラの地獄のことなんかはな」
お前は充分、頑張ったから。命まで捨てて、ミュウの未来を守ったんだから。
今のお前は別の人生を生きているんだ、前のお前のことまで引き摺らなくてもいい。
自分を責めたりしなくていいんだ、今のお前と前のお前は違うんだから。
「そうだけど…。ぼくは前より、ずっと弱虫になっちゃったけど…」
本当に知らないままでいいと思うの、ぼくの中身は前のぼくだよ?
前のぼくが中に入っているから、ハーレイが好きで、ハーレイの恋人なんだけど…。
「…お前、今でも頑固だからなあ…。変な所で前のお前にそっくりだ」
分かった、いつかアルタミラの本当のことを、お前が知りたくなったなら。
前のお前と同じに育って、もう大丈夫だと思える時が来たなら、データを探してみるといい。
責任に押し潰されたりしないで、事実を受け止められるなら。…今ならデータは見付かるから。
だがな、探す時には必ず俺が一緒だ。
俺がお前の隣にいる時、そういう時しか調べては駄目だ。…絶対にな。
「どうして?」
ハーレイと一緒でなくっちゃ駄目って、どうしてそういう決まりになるの?
ぼく一人でも調べられるよ、今の時代はデータをブロックされたりはしていないでしょ?
「調べるだけなら簡単なんだが…。其処が大いに問題だ」
データを引き出したら、お前はどうなる?
何人の仲間が死んでいったか、どういう名前の仲間だったか、全部分かってしまうんだぞ?
慰めてやれる俺がいないと、お前、一日中、泣きっ放しになるだろうが。
俺の留守にウッカリ調べちまったら、俺が戻って来るまでな。
飯を食うのも、お茶を飲むのも忘れちまって、涙をポロポロ零し続けて。
「…そうなっちゃうかも…」
ぼくのせいだ、って前のぼくのつもりになっちゃって。
今のぼくとは関係無いのに、ぼくの中身は前のぼくと同じになっているから…。
本当に泣いてしまいそう、と自分でも容易に想像がつく。アルタミラで死んだ仲間たちの数や、名前を目にしてしまったら。
ハーレイは「分かったか?」と、大きな手でクシャリと頭を撫でてくれた。
「俺はお前を泣きっ放しにさせたくはない。…知りたい気持ちは分かるんだがな」
しかしだ、俺が一緒だったら、同じデータをお前が見ても…。泣き出しても、ちゃんと打つ手を持っているってわけだ。
もう泣き止んで飯でも食うか、と声を掛けられるし、抱き締めてもやれる。
お前の気分が変わるようにと、ドライブにも連れて行けるしな。
俺がお前の側にいられる時が来るまで、アルタミラのことは調べるんじゃない。今のお前も。
いいな、絶対にやるんじゃないぞ?
「…うん…」
ぼくだって一人で泣きたくないから、約束するよ。…一人の時には調べない、って。
いつかは調べられる時が来るしね、ぼくが知りたいと思ったら。…今よりも大きくなったなら。
アルタミラのデータを調べられたら、どの木の名前が当たってたのかも分かりそう。
木の名前の方を、ぼくが忘れていなかったら。
…そうだ、今日の木、大丈夫かな?
弱っちゃってた沙羅の木、元気になれるかな…?
「大丈夫だろう。その家の人が、きちんと世話していたんだから」
沙羅の木に詳しい知り合いの人も、明日には見に来てくれると聞いて来たんだろ?
頼もしい人もついているんだ、元気になるに決まっているさ。
植わっている場所が合わないのならば、ちょっと引越ししたりもして。
シャングリラじゃなくて地球でもあるしな、光も風も本物だ。土も水もな。
命に溢れた地球の上だぞ、うんと元気に育ちそうじゃないか。
「そうだよね…!」
地球なんだものね、本当に本物の青い地球。
シャングリラでも名前をつけていた木は、枯れそうな時でも生き返ることが多かったんだし…。
地球の上なら、名前なんかはつけてなくても、元気に育っていけるよね…!
葉っぱが少し萎れてしまっていた沙羅の木。学校の帰りに出会った、まだ小さな木。
あの木に名前は無かったけれども、きっと元気になるだろう。世話をしてくれる御主人がいて、明日は詳しい人も見に来てくれるのだから。
青い地球の水や土や光も、元気を与えてくれる筈だから。吹き渡ってゆく風だって。
明日も元気が無かったとしたら、何か名前をつけてやろうか。白いシャングリラで、仲間たちがそうしていたように。「元気になって」と、名前をつけて世話したように。
「ねえ、ハーレイ…。沙羅の木、名前をつけてあげようかな?」
もしも元気が出ないようなら、うんと元気に育っていくように、強そうな名前。
ゼルなんか、いいと思わない?
若かった頃はハーレイの喧嘩友達だったし、元気が溢れていたんだから。
「ゼルか…。そいつはいいな、その時は俺にも教えろよ?」
何処の家なのか、そのゼルの木があるっていう家。
沙羅の木を探せば見付かるだろうが、花が咲いてない時に探すのは大変だしな?
「もちろんだよ。ゼルってつけたら、場所はきちんと教えるよ」
家がある場所も、ゼルの木が植えてある場所も。
…あの沙羅の木に、ゼルって名前をつけるかどうかは分かんないけど…。
いつかハーレイと暮らす時には、ぼくたちの家で植える木にも名前をつけようね。
元気が無くって枯れちゃいそう、って思った時は。
「名前をつけるなら、やっぱりゼルか?」
憎まれっ子世に憚ると言うしな、枯れそうな木でも生き返りそうだが。
「ブラウとかでもいいと思うよ、強かったから」
うんと強そうな名前にしようね、逞しそうな名前がいいよ。…今のぼくたちがつけるんだから。
シャングリラの頃とは違うものね、と浮かべた笑み。
今の時代は、悲しい祈りはもう要らない。アルタミラで死んだ仲間たちの名前をつけた木たち。
本当の名前が分からないままで、こうだろうか、と名付けた木。
今はアルタミラは遠く遥かな時の彼方で、調べれば彼らの名前も分かる。いつかハーレイが側にいる時に、調べようと思い立ったなら。
そういう時代に生まれたのだし、木に名付けるなら、元気さにあやかれる名前がいい。
前のハーレイの喧嘩友達のゼルや、姉御肌だったブラウの名前。
今は誰もが幸せになれる、平和で素敵な時代だから。
ハーレイも自分も、小さな木だって、青い地球で生きてゆけるのだから…。
木たちの名前・了
※シャングリラで名前がついていた木は「ハンスの木」。けれど、他に何本もあったのです。
アルタミラの仲間たちを思って名付けて、育てていた木。育ったのは、祈りのお蔭なのかも。
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(こんなの、あるんだ…)
知らなかった、とブルーが覗き込んだ新聞。学校から帰って、おやつの時間に。
可愛らしいクマのぬいぐるみ。チョコンと座った姿のクマ。そういう写真が載っているけれど、ただのクマではないらしい。
生まれた時の身長と体重と同じに作って貰える、世界に一つだけのクマ。つぶらな瞳で、子供が喜びそうな姿の。
(女の子だったら、きっと友達にするよ)
自分の名前を付けたりして。何処へ行く時も、大切に抱いて。お気に入りのぬいぐるみを連れた子供は、公園でも街でもよく見掛けるから。
それに、このクマは記念品にもなるという。赤ちゃんが生まれた時の思い出、体重も身長も全く同じに出来ているから。
「こんな子だった」と手に取ってみたり、クマのモデルになった子供に抱かせたり。赤ちゃんの時はとても小さかった、と思い出すにはピッタリのクマ。
赤ちゃんの頃に着ていた服を、着せてやることも出来るらしいから…。
(そっちだったら、男の子でも…)
いい記念品になるだろう。友達にして遊ばなくても、眺めるだけで。「あれが、ぼくだよ」と。ぬいぐるみだけれど、一生の記念。生まれた時の自分の大きさ、それとそっくりなクマだから。
(結婚する時も、持って行くとか…)
こんな大きさで生まれたのだ、と連れてゆくクマ。結婚して二人で暮らす家まで。
相手もクマを持っていたなら、二人のクマを並べておける。こういう二人が今は一緒、と。
(ちょっと素敵かも…)
生まれた時には別々だったのに、今では誰よりも大切な家族。愛おしい人のクマの隣に、自分のクマがチョコンと座る。仲良く並んで。
(ぼくとハーレイだと…)
きっと大きさが違う筈。似たようなクマでも、体重と身長が変わるから。
それにベビー服も、まるで違った色や雰囲気だろうし、クマが着ている服だって違う。持ち主は誰か、一目で分かるに違いない。自分のクマと、ハーレイのクマが並んでいたら。
きっとそうだ、と眺めた写真。クマが何匹か写っているけれど、どのクマも違う雰囲気だから。同じクマでも、まるで同じには見えないから。
面白いよね、としげしげ見詰めていたら、掛けられた声。いつの間にか入って来ていた母に。
「あら、欲しいの?」
「え?」
顔を上げたら、「クマでしょう?」と母が指差した写真。
「たまに見るけど、欲しいんだったら、今からでも注文出来るわよ?」
赤ちゃんの時のブルーと同じ体重のクマ。身長も同じに作って貰って、服だって着せて。
ブルーの服は取ってあるから、クマに着せたら可愛いわ、きっと。
注文をしてあげましょうか、と今にも注文しそうな母。生まれた時の身長と体重、それを調べて通信を入れて。「こういうサイズでお願いします」と。
「ううん、注文しなくていいけど…」
見てただけだよ、面白いクマがあるんだな、って。赤ちゃんそっくりに作るだなんて。
「でも…。ブルー、欲しそうだったわよ?」
とても欲しそうな顔をしてたわ、「あったらいいのに」っていう顔ね。
ママには分かるわ、だってブルーのママだもの。…欲しいんでしょう、本当は?
「…ちょっとだけね。ママが言う通り、欲しいけど…」
あったらいいな、って思うけれども、ぼくはとっくに赤ちゃんじゃないし…。
ぬいぐるみと遊ぶ年でもないから、わざわざ今から作ってまでは…。
最初からあったら、きっと大事にしただろうけど。
注文しようとは思わないよ、と帰った二階の自分の部屋。
勉強机の前に座って、考えてみたクマのこと。母に「欲しいの?」と訊かれたクマ。
本当の所は、ちょっぴり欲しい。ハーレイのクマがあるのだったら、いつか並べてみたいから。別々に生まれた二人だけれども、今はこうして一緒なんだ、と。
そうは思っても、ハーレイのクマ。生まれた時の体重と身長で作られたクマ。
(きっと、作っていないだろうし…)
ハーレイも持っていないと思う。赤ちゃん時代の思い出のクマは。
けれどハーレイだって、その気になったら、あのクマを注文出来るのだろうか?
生まれた時の身長と体重、それは記録が残っている筈。それさえあれば、クマは作れる。ベビー服が今も残っているなら、服を着ているクマだって。
(ハーレイのお母さんなら、赤ちゃんの時に着せてた服も…)
大切に残しているだろう。何処の家でも、きっと仕舞ってあるだろうから。
赤ちゃんが最初に着ていた服とか、そういう思い出の服を。
(きっと、あるよね…)
何処の家でも、子供が育ってゆく間は。時々、取り出して風を通して、眺めたりして。
「こんなに小さかったのに」と、大きく育った子供と比べて。
ハーレイはとっくに大人だけれども、まだ結婚していないから。家族を持ってはいないから。
(…今もやっぱり、ハーレイのお母さんには大事な子供で…)
記念の服も残していそう。赤ちゃんのハーレイが着ていた服を。
(クマ、作れるかな?)
ハーレイのクマと、自分のクマを。
今は無理でも、結婚したら注文して。赤ちゃん時代の服だって着せて。
クマを並べたい気分になったら、二人のクマを並べておきたくなったなら。
作ろうと思えば作れるのかな、と考えていたら聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、早速訊いてみることにした。あのクマのことを。
「あのね、ハーレイの赤ちゃんの時の服って、ある?」
残してあるかな、赤ちゃんの時に着てた服…。ベビー服だよ。
「はあ? ベビー服って…」
俺の服があったらどうかしたのか、お前、そいつが気になるのか?
「じゃあ、クマは? ハーレイ、クマは持ってるの?」
本物じゃなくて、ぬいぐるみのクマ。…ハーレイの家では見なかったけど…。
「クマだって? ベビー服の次はクマなのか?」
何を訊きたいのか、俺にはサッパリ分からんのだが…。ベビー服とクマがどうしたんだ?
まるで分からん、と瞬きしているハーレイ。「ぬいぐるみのクマで、ベビー服だと?」と。
「ハーレイ、知らない? 赤ちゃんの服を着てるクマ…」
服は着てなくても、赤ちゃんそっくりの大きさに出来たぬいぐるみのクマ。
身長も体重も同じなんだよ、赤ちゃんが生まれて来た時のと。注文して作るらしいけど…。
赤ちゃんが生まれた記念のクマ、と説明したら。
「あれのことか…。見たことはあるな、俺の友達の家で」
「えっ?」
友達って…。ハーレイの友達、男の子なのにクマを持ってたの?
遊びに行ったら飾っていたわけ、自分の部屋に…?
持っていても不思議じゃないけれど…。作ったんなら、あるだろうけど。
それにしても凄い、と思ってしまったハーレイの友達。ぬいぐるみのクマを飾っていた子。
男の子だったら、友達が家に遊びに来る時は、何処かに隠しておきそうなのに。大切な記念品のクマでも、ぬいぐるみには違いないから。「お前の趣味か?」と友達に訊かれそうだから。
流石はハーレイの友達だ、と感心したのに、「間違えるな」とハーレイが浮かべた苦笑。
「友達の家で見たと言っても、そいつのクマってわけじゃない」
そいつの子供のためのクマだな、子供が生まれた記念に作ったと言ってたが…。
待てよ、側には他にもいたな。あのクマは一匹だけじゃなかった。
全部で三匹いたってことはだ、他の二匹は、あいつらのクマになっていたのか。クマの家族で。
そうだとは思いもしなかったから、訊かずに帰って来ちまったが。
「ハーレイの友達と、お嫁さんのクマ?」
それが一緒に並べてあったの、赤ちゃんのためのクマと一緒に?
「今から思えば、そうなんだろう。直ぐ側に飾ってあったんだから」
多分、ついでに作ったんだな。子供用のを注文する時に。
古いクマのようには見えなかったから、クマにも家族が出来るようにと。
「そうなんだ…。そういうのがあるなら、ぼくたちも作っていいかもね」
家族なんだし、クマのぬいぐるみ。
「なんだって?」
作るってなんだ、何を作ろうと言うんだ、お前?
「ハーレイとぼくのためのクマだよ、いつか結婚した時にね」
赤ちゃんの頃はこうでした、って二人のクマを並べておいたら素敵だろうと思わない?
ハーレイにも赤ちゃんの時の服があったら、それをクマに着せて。ぼくのクマには、ぼくの服。
服無しのクマより、服つきのクマ…。そっちの方が、赤ちゃんの時をイメージしやすいでしょ?
「クマのぬいぐるみって…。お前、そういう趣味なのか?」
俺の友達の家で見た、と話した時には驚いたくせに。…お前は、そいつを飾りたいのか?
結婚したら作って、俺たちの家に?
「ちょっといいよね、って思うんだけど…」
だってハーレイのお嫁さんだよ、今度は家族になれるんだよ?
別々に生まれて来たっていうのに、結婚してハーレイと二人で家族。
だから、赤ちゃんだった二人が今では家族なんです、っていう記念にクマのぬいぐるみ…。
作って並べたら素敵だと思う、と話したらハーレイは頷いてくれた。「確かにな」と。
「男同士のカップルではあるが、ぬいぐるみも悪くはないかもしれん」
赤ん坊だった時の俺たちと同じに出来てるクマなら、そいつを作って並べておくのも。
俺たちの場合は、大いに意味があるだろうしな。赤ん坊時代の思い出のクマは。
前の俺たちには、絶対に出来ないことなんだから。…ミュウでなくても。
「自然出産じゃなかったから?」
人工子宮から生まれて来たから、今とは全然違うよね…。
機械がタイミングを決めて出してたんだし、どの子供でも似たようなものだったかも…。
身長も、それに体重だって。…前のハーレイとぼくも、殆ど同じだったかも…。生まれた時は。
「それもあるがだ、個人差があったとしてもだな…」
お前と俺では、まるで違っていたとしたって、誰がそいつを残すんだ?
いくら自分にそっくりだとしても、クマのぬいぐるみは持って行けないぞ。成人検査にも、その後に待ってる教育ステーションにもな。
「あっ…!」
ホントだ、クマのぬいぐるみを作って貰っても…。そのクマ、なんの意味も無いよね…。
大きくなってから思い出そうにも、子供時代の持ち物なんかは持っていなくて…。
育ててくれた人たちだって残せないよね、育てた子供の思い出なんか。
無理なんだっけ、と気付いたSD体制の時代。前の自分たちが生きた時代は、そういう時代。
子供時代の持ち物は処分されてしまった。ミュウでなくても、普通の人類の子供でも。
成人検査で記憶を消されるのだから、子供時代の思い出の品は持っていたって意味が無い。もう戻れない過去のことだし、必要は無いとされていた。
子供を育てた養父母の方も、次の子供を育ててゆくには、前の子供の思い出は不要。成人検査が終わったら直ぐに、ユニバーサルから職員が来て全て処分した。
子供部屋の中身はそっくり捨てて、持ち物も、アルバムの写真でさえも。
処分するために、養父母たちに休暇を与えて留守にさせたくらい、徹底的に何もかもを。
どうせ捨てると分かっているのに、クマのぬいぐるみを作りはしない。
おまけに人工子宮から生まれた子供なのだし、身長も体重も単なる記録の一つにすぎない。成長過程を確認するのに必要なだけの、ただの数字でデータの一つ。
「…前のぼくやハーレイのクマは無いんだね…」
誰も作ってくれやしないし、持ってたわけもなかったんだね。赤ちゃんの時とそっくりなクマ。
「うむ。記憶みたいに消されたのとは全く違う。最初から存在しなかったんだ」
作ろうと思うヤツもいなけりゃ、残そうと考えるヤツだっていない。
赤ん坊は十四歳になるまで育てるだけだし、育てた後には、二度と会えないわけだから…。
「なんだか寂しい…」
前のぼくを育ててくれたパパとママも、優しそうな人たちだったのに…。
だけど訊いてはくれないんだね、「クマが欲しいの?」って。
ぼくのママは訊いてくれたのに…。ぼくが新聞を覗き込んでたら、「それ、欲しいの?」って。
今からでもクマは注文出来るし、欲しいんだったら頼んであげる、って言ってくれたのに…。
「あの時代は、そういう時代だったんだ。仕方あるまい」
優しい心を持っていたって、社会の仕組みが先に立つ。…思い付きさえしなかったんだ。人類の社会で暮らす限りは、その枠の中でしか考えないから。
その点、俺たちのシャングリラだと、残そうと思えば残せたんだが。
誰も処分はしないからなあ、子供時代の色々な物も。
「そうだっけね…。だから今でも残ってるんだね」
宇宙遺産になってしまった、前のハーレイの木彫りのウサギ。…ナキネズミだって聞いたけど。
あれはトォニィが生まれた時ので、人類の世界だったら処分されちゃう…。
トォニィが大切に持っていたって、十四歳になった途端に。…子供時代の宝物なんかは、残しておいても意味が無いから。
「そういうこった。ミュウだったからこそ、残せたんだな」
俺にとっては、恥ずかしい記念になっちまったが…。
ずいぶんと出世されてしまって、ご立派な宇宙遺産になって。…あれはウサギじゃないのにな。ただのナキネズミで、お守りじゃなくてオモチャのつもりだったのに…。
とんだ出世をされちまった、とハーレイが嘆くナキネズミ。宇宙遺産の木彫りのウサギ。今では博物館の目玉で、本物の展示は百年に一度という代物。公開の時には長蛇の列が出来るほど。
それを残せたのもミュウならではのことで、ナキネズミは立派な宇宙遺産になったのに…。
「…あのナキネズミは残っちまったが、前の俺は残せなかったんだ」
シャングリラで暮らしていたっていうのに、大切なものを。…誰も処分はしないのにな。
俺としたことが、と溜息をついたハーレイ。失敗だった、と。
「残せなかったって…。何を?」
「前のお前の思い出ってヤツだ」
そいつを残し損なっちまった。シャングリラだったら、思い出も取っておけたのに。
「思い出って…。前のぼく、赤ちゃんじゃなかったよ?」
トォニィみたいに、赤ちゃんの時から船にいたってわけじゃないから…。
それとも船に乗り込んだ頃のこと?
白い鯨になる前の船で、アルタミラから脱出した時。あの時が生まれた時みたいなもので…。
ぼくが着ていた服を残しておきたかったの?
研究所で着せられていた服は、捨てちゃったから…。でも、あんな服を残しておいたって…。
「服って所は合ってるんだが、それじゃない」
お前が着ていたソルジャーの服だ。幾つもあったろ、同じ服がな。
「え…?」
ソルジャーの服って、マントとか上着…。
ハーレイが残し損なったものって、あれだったの…?
なんでそんなもの、と驚いて丸くなってしまった瞳。ソルジャーの衣装は制服なのだし、意味はそれほどありそうにない。どれを取っても同じ服ばかり、寸法も同じだったのだから。
けれどハーレイは「あれのことだ」と瞳の色を深くした。「お前の服だ」と。
「お前のことを思い出すにはピッタリだろうが。…ベビー服とは違うがな」
それでも、お前が着ていた服だ。いつもお前を包んでいた服。
だが…。お前がいなくなっちまった後を考えてみろ。
青の間のベッドのマットレスとかも、一度は撤去したくらいだぞ?
もう持ち主はいないんだから、と片付けられて枠だけになった。…もっとも、そっちは暫くして元に戻ったが…。誰が見たって寂しいからな。
しかし、お前が着ていた服はどうなるんだ?
それを着ていたお前はいないし、誰かが代わりに着るってわけにもいかないし…。
「…前のぼくの服、無くなっちゃった?」
処分って言ったら変だけれども、他の何かに役立てるとか。
「その通りだ。…一部の記念品を残して、他のは再利用するということになった」
特殊な素材で出来ていたしな、ジョミーの服に作り替えて生かすべきだろう。上着もマントも、手袋とかも全部。
俺はキャプテンだったわけだし、データを誤魔化せば貰っておくことも出来たんだが…。
上着が一枚減っていたって、誰も気付きはしないだろうしな。
「そうすれば良かったんじゃない。…欲しかったんなら」
残し損ねた、って今でも溜息をつくほどだったら、思い切ってデータを誤魔化して。
「お前なあ…。そうやって残して、俺に万一のことがあったら、どうするんだ」
仲間たちが部屋を整理するんだぞ、その時にアッサリ見付かっちまう。…お前の服が。
再利用に回した筈の服をだ、キャプテンの俺が持ってたとなると…。
色々なことを疑われちまうだろうが、お前との仲も含めてな。
「それはマズイかもね…」
データを誤魔化していたこともバレるし、そうやって残した理由も探られるだろうし…。
誰かがウッカリ思い付いたら、恋人同士だったのかも、って噂だって流れてしまいそう…。
「ほらな、お前でも直ぐに思い付くだろ」
だから俺だって考えた。…残しておいたら何が起こるか、考えた末に諦めたんだ。
ソルジャーの服をキャプテンが持っているのはマズイ、と前のハーレイが出した結論。データを誤魔化して手に入れられても、その後のことを思うと無理だ、と。
そう考えたから、ハーレイの手許にソルジャーの衣装は残らなかった。手袋の片方だけさえも。
青の間に残された記念品の衣装も、手には取れない。係が手入れをしていたから。
「…係が手入れをするってことはだ、決められた位置があるってことで…」
クローゼットにはこう入れるだとか、この前は此処に入れておいたから次はこう、とか。
係がルールを決めてるんだし、勝手に手に取るわけにはいかん。…気付かれるからな。
残留思念を残さないように気を付けていても、何処からかバレるものなんだ。誰か触った、と。
「それじゃ、ハーレイは…」
触ることさえ出来なかったの、前のぼくの服に…?
青の間にきちんと残してあっても、出したりするのは無理だったの…?
「そうなるな。痛くもない腹を探られたくはないだろう?」
本当は痛い腹だったわけだが、だからこそ余計に気を付けないと…。誰にも知られないように。
前のお前を好きだったことも、忘れられずにいることも。
しかし、ウッカリ触ったが最後、気持ちが溢れ出しかねん。ほんの少し、と触っただけで。
そうなっちまえば思念が残る。俺の思念だとバレるだろうな、お前に恋をしていたことも。
だから触りはしなかった。仕舞ってある場所を開けてみることも。
「…見ることも出来なかったわけ?」
クローゼットを開けられないなら、そうなるよね。…服は仕舞ってあるんだから。
「見たい時に見るのは無理だったんだが、たまに手入れする係が外に出していた」
上着とかに風を通しにな。仕舞ったままだと、駄目だと思っていたんだろう。
そういう時に眺めただけだ。運良く出会えた時にはな。
お前はこんなに細かったか、と。なんて小さな上着なんだ、と。
何度も眺めて、目に焼き付けて、それから帰って行ったんだ。何度も後ろを振り返りながら。
あれを着ていたお前の姿を、出してある服に重ねながらな…。
青の間にソルジャーの衣装が置いてあっても、触れられなかった前のハーレイ。風を通すために出してあっても、眺めることしか出来なかった。
懐かしい衣装を目にした日には、部屋に帰った後、ハーレイが撫でた奇跡のシャツ。奇跡としか思えなかったシャツ。縫い目も針跡もまるで無かった、ソルジャー・ブルーからの贈り物。
古い恋歌、スカボローフェアの歌詞の通りに、作り上げられた亜麻のシャツ。それをハーレイは取り出して撫でた。青の間で見て来た服を思って。
これよりもずっと小さかったと、それなのに上着だったんだ、と。
あんなに小さくて華奢だった人に、どれほどの重荷を背負わせたのかと。シャングリラを守って逝かせたのかと、どうして止めなかったのかと。
シャツを撫でる度に、涙が零れて落ちたという。もうこのシャツしか残っていない、と。
「…あのシャツはお前が作ってくれたが、俺のサイズのシャツだったから…」
お前の服とは違ったんだ。大きさからして、全然違った。…お前とは重ならないってな。
そう思う度に、何度考えたか分からない。
お前の服を貰っておけば良かったと。…データを誤魔化して手に入れるんじゃなくて、堂々と。何か適当な理由をつけて。
「理由って…。どんな風に?」
ハーレイがぼくの服を貰っても、着ることなんて出来ないから…。難しそうだよ?
「さてなあ…。俺の一番古い友達の服だ、と言ってやるのが良かったか?」
実際、お前はそうだったわけだし、ゼルたちにも何度もそう言ったもんだ。最初の頃はな。
その友達の思い出の品が何も無いから、貰って行ってもいいだろうか、と。
「ハーレイの一番古い友達…。それなら通用したかもね」
友達の思い出だって言うなら、着られない服でも貰えたかも…。誰にも変だと思われないで。
「あの時は、それを思い付きさえしなかったがな…」
お前がいなくなって直ぐの頃には、その最高の言い訳を。
恋人だったお前の思い出、それが欲しくて服のデータを誤魔化せないかと考えて…。
友達の思い出に貰うってヤツは、まるで頭に無かったな。
そいつを思い付いてりゃなあ…。
服が思い出の品になる、という発想が全く無かったんだ、とハーレイは呻く。思い出ではなくて形見だとばかり考えていた、と。恋人の形見に服が欲しい、と。
恋人が着ていた服だったから、欲しいと思ったソルジャーの衣装。そう考えて欲しがっただけ。
奇跡のシャツを撫でていたように、服を抱き締めたかっただけ。愛おしい人を想いながら。
その服を見るだけで思い出せることに、ハーレイは気付きもしなかった。服が思い出のよすがになること、それがあるだけでも思い出になるということに。
記念に残されたソルジャーの服を、青の間に出掛けて目にするまでは。
風を通すために係が出しておいた服、それを見付けて恋人の姿を重ねるまでは。
「…俺が失敗しちまったのも、前の俺たちが生きてた時代ならではだ」
後から大切に思い出すために、何かを残すっていう考え方自体が無かったんだな。
子供たちの持ち物は取っておいても、持ち主の子供は生きてるわけで…。
思い出の品を取っておくのと、それを使って思い出すのとが繋がらなかった。あの時代は、次の世代というのは全く違うものだったから…。
赤ん坊の時の体重や身長そっくりのクマを作ることさえ、必要無かった時代だからな。
いくらシャングリラで生きていたって、人類と何処か似ちまうもんだ。忌々しいことに、基本の考え方までが。
「そうだったのかもしれないけれど…。でも、ぼくの髪の毛は探したんでしょ?」
髪の毛を探しに青の間に行ったら、すっかり掃除されちゃってた、って言ってたよ?
ぼくの髪の毛は残っていなくて、とっても悲しかった、って…。
「髪の毛はそのまま、お前の欠片というヤツだろうが」
お前の髪だし、お前の欠片だ。…抜けちまったらゴミでしかないが、お前の身体の一部だぞ。
だから俺だって直ぐに思い付いた。お前の髪が落ちていたなら、拾って来ようと。
だが、服は違う。お前が着ていたというだけだ。
お前自身の欠片じゃないしな、抱き締めたって其処にお前はいないんだから。
人形を側に置くようなつもりで、ソルジャーの服が欲しかった。
そいつを強く抱き締めていたら、寂しさが少しは紛れるだろうと思ってな…。
俺は考え違いをしていたんだ、とハーレイが浮かべた苦笑い。服そのものを恋しがるより、服の向こうに愛おしい人の姿を見ること。それが大切だったのに、と。
「其処に気付いていたならなあ…。ソルジャーの服を貰ったんだが…」
俺の一番古い友達の思い出だから、と頼みに行って。上着だけでも貰えないか、と。
きっと貰えただろうにな。…そういうことなら、と誰も変には思わないで。
「そうだよね…。何かを思い出に残す発想、今ほど普通じゃなかったけれど…」
子供たちの持ち物は捨てずに置いてた船だし、誰だって直ぐに分かったと思う。前のハーレイが言いたいことも、服が思い出になることも。
でも…。
上着だけでも、って聞いたら思い出したんだけれど、前のぼく…。
ハーレイの上着をよく借りていたよ、独りぼっちで寂しかった時は。
いくら待ってもハーレイが青の間に来ない時とか、遅くなりそうな時とかに。借りて着てたら、ハーレイが側にいてくれるような気がしたから…。
着たままで眠っちゃってた時には、ハーレイ、困っていたじゃない。上着が皺くちゃ。
あのぼくを見てても、服が思い出になるって考えなかったの?
ぼくはハーレイの上着の向こうに、いつもハーレイを見ていたのに。
「そういうお前は覚えていたが…。十五年間もお前が眠っていたって、忘れなかったが…」
お前が着ていた俺の上着は、お前の服とは結び付いてはくれなかったな。
俺はお前の服を借りたりしなかったから…。服の向こうにお前を見てはいなかったから。
服というのは、そいつの中身が伴ってこそだと思ってた。
それを着ているお前がいないと、何の役にも立たないんだと。…人形みたいに眺めるだけで。
馬鹿だったな、俺も。
もっとしっかり考えていたら、友達の思い出なんだから、とソルジャーの服を貰ったろうに。
「そういう時代だったしね…」
前のぼくたちが生きてた時代は、思い出は残さない時代。…赤ちゃんから育てた子供のでも。
一番大切な時を一緒に過ごした子供の思い出も全部、処分するような時代だったから…。
いくらミュウでも、考え方まで丸ごと人類から切り離すのは無理。
トォニィたちが生まれた後でも、そう簡単には変われないよ…。
世界そのものが今とは違っていたんだから、と見詰めたハーレイの鳶色の瞳。ソルジャーの服を残し損ねた、と時の彼方で悔やんだ恋人。
青の間でそれを見る度に。…手に取ることも出来ない衣装を眺める度に。
ハーレイはどんなに悲しかっただろうか、残し損ねた服を思って。あれが手許にあったなら、と何度も涙したと言うから。
…前の自分がプレゼントしたシャツ、奇跡のシャツを撫でながら。縫い目も針跡も無い、亜麻のシャツ。ハーレイのサイズで作られたシャツで、前の自分の服とは大きさが違いすぎるのを。
「えっとね…。前のハーレイは、ぼくの服を残し損なったけど…」
思い出に出来るって気付かなくって、貰い損ねてしまったけれど…。
今のぼくなら、赤ちゃんの時の服だってちゃんと残っているよ。ママが残してくれているから。
クマだって作れる時代なんだよ、ぼくが生まれた時の体重と身長になってるクマを。
そういう時代に二人で生まれ変わって来たでしょ、今度は幸せに生きていけるよ。
いつまでも、何処までも、ハーレイと一緒。…ぼくは絶対、離れないから。
「赤ん坊の時の服ってヤツか…。おふくろなら残しているんだろうなあ…」
きちんと仕舞って、時々、風を通したりもして。
俺はすっかりデカくなったが、「こんなに小さい頃もあった」と見てるんだろう。小さい頃には可愛い子供だったのに、と溜息をついているかもな。あんなに大きくなるなんて、と。
そのデカい俺の嫁さんになってくれるのが、大きく育った今のお前か…。
ちゃんと帰って来てくれたんだな、俺の所に。…今はチビだが。
お前、クマのぬいぐるみ、作りたいのか?
会った途端に訊いてたからなあ、俺が赤ん坊だった頃の服は残ってるか、と。
「うーん、どうだろう…? 欲しい気持ちもするけれど…」
男同士でクマは変かな、ぬいぐるみを並べて飾っていたら…。
そうだ、ハーレイが生まれた時って、大きかった?
クマを作るんなら、赤ちゃんの時のハーレイと同じになるんだけれど…。ハーレイのクマは。
「俺か? そりゃなあ…?」
この図体だぞ、小さいわけがないだろう。
おふくろも親父も、「この赤ん坊は大きくなる」と見るなり思ったらしいしな…?
聞いて驚け、という台詞通りに、驚いてしまったハーレイの体重。青い地球の上に、ハーレイが生まれて来た時の重さ。それに身長も、うんと大きい。チビの自分は軽くて小さかったのに。
(…やっぱりハーレイ、大きい赤ちゃんだったんだ…)
生まれた時から、大きくなりそうだと一目で分かる元気な赤ちゃん。それがハーレイ、泣き声も大きかっただろう。自分とは比べられないほどに。
(そんなに違っていたんなら…)
あのクマをいつか作ってみようか、ハーレイのクマと自分のクマを並べるために。
こういう大きさで生まれた二人が、今では家族なんだから、と。
赤ちゃんの時の服を着させて、仲良く二つ並べて置いて。生まれた時には小さかったよ、と。
「俺はどっちでもかまわないぞ、クマは」
作ってもいいし、作らなくても、どっちでもいい。…お前さえいれば。
前の俺みたいに、お前の服も俺の手許には残っちゃいない、と泣かずに済むならいいんだから。
お前がクマを作りたいなら、おふくろに頼んで貰って来るさ。赤ん坊の時の俺の服をな。
残しているに決まっているんだ、今はそういう時代だから。
「うん。クマを作って並べるかどうか、二人でゆっくり考えようね」
男同士のカップルなんだし、クマのぬいぐるみは似合わないかも…。
もしかしたら、ハーレイ、笑われちゃうかもしれないものね。柔道部員の生徒たちが来たら。
「笑うだと? そういう失礼な生徒ってヤツにはお仕置きだな」
俺のクマを見て笑うのはいいが、お前のクマまで笑ったヤツは許さんぞ。
大事な嫁さんのクマを笑うなんて、そいつは飯もおやつも抜きだ。うんと反省して貰わんと。
「…それって可哀相じゃない?」
遊びに来たのに、御飯もおやつも抜きなんて…。何も食べさせて貰えないなんて。
「何処が可哀相だ、可哀相というのは前の俺みたいな思いをしてこそだ」
独りぼっちで残されちまって、思い出になる服も持っていなくて…。あれがあったら、と何度も何度も悔やみ続けて、泣き続けてこそ可哀相だと言えるってな。
「…ごめんね、ハーレイ…。前のハーレイを一人にしちゃって」
本当にごめん、と謝ったけれど、「いいさ」とハーレイは笑ってくれた。「もういいんだ」と。
「お前、帰って来てくれただろ? お蔭でクマの話も出来る」
いつか二人でゆっくり決めよう、俺たちのクマを作って飾るかどうかってことを。
クマを作るなら付き合うからな、とハーレイも乗り気らしいクマ。
家に来た教え子がクマを眺めて笑った時には、お仕置きもしてくれるらしいから…。
生まれた時の体重と身長で作って貰えるクマを、二つ並べて飾ってみようか。小さめのクマと、それより大きなハーレイのクマ。今のハーレイの赤ちゃんの時の服を着ているクマ。
(…赤ちゃんの時の服もいいけど…)
前の自分の上着を着せてみるのも素敵だろうか、小さい方のクマに。
大きなクマには前のハーレイの上着、そういうクマもいいかもしれない。
青い地球の上に生まれ変わる前には、二人とも、それを着ていたから。
遠く遥かな時の彼方で、そんなカップルだったから。
(生まれ変わりなんです、っていうのは内緒でも…)
姿がそっくり同じなのだし、着せていたって、誰も不思議には思わないだろう。遊びなのだ、と微笑ましく思うことはあっても。
(柔道部員とかが笑った時には…)
ハーレイがお仕置きをして、御飯とおやつが抜きになる。ちょっぴり可哀相だけど。
本当にいつか作ってみようか、前の自分たちの上着を着ている二匹のクマのぬいぐるみ。
前のハーレイが貰い損なった前の自分の上着を、頑張って真似て縫い上げてみて。
ハーレイのキャプテンの上着も作って、着せて座らせる二匹のクマ。
きっと幸せだろうから。
ハーレイと二人で手に取ってみては、「こんなに小さかったんだね」と笑い合って。
今は二人ともずっと大きいと、大きく育ったから、結婚して家族になれたんだよね、と…。
思い出の服・了
※前のブルーのソルジャーの衣装。ブルーがいなくなった後、欲しいと思ったのですが…。
友達の思い出として残す発想が無くて、そのままに。今の時代は、思い出の品は普通なのに。
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