シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ずっと昔の、この地域では、だ…」
香りが重要だった話は前にもしたな、とハーレイが語る古典の授業。遠い昔の日本の話。
SD体制が崩壊した後、燃え上がった地球。それまでの地形はすっかり変わって、大陸の形まで変わったけれど。
今、ブルーたちが暮らす辺りは、かつて日本と呼ばれた小さな島国があった辺りの地域。古典の授業では日本の古典について習うし、香りの話は確かに聞いた。手紙や着物に焚きしめた香り。
また面倒な勉強か、と退屈しているクラスメイトたち。欠伸をしている生徒だって。
けれども、ハーレイが教室の前のボードに書き付けた文字。
「色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰(た)が袖ふれし宿の梅ぞも」。
ついでに「古今和歌集 よみ人知らず」とも。
えっ、と動いた教室の空気。今日の授業は和歌とは関係無かったから。
「…授業の続きだと思っていたな? お前たち」
そろそろ眠いと顔に書いてあるぞ、と笑ったハーレイ。こういう時には息抜きだよな、と。
ハーレイ得意の雑談の時間、今日は古典にも関係があるというのだろうか。なにしろボードには和歌が書かれたし、香りの話も出ていたから。
どういう話をするのだろう、とブルーもキョトンと眺めている中、ハーレイが始めた歌の解説。前のボードに書いてある和歌。
「この歌はだな…。梅は姿よりも香りの方が愛おしく思える、と詠んでいるわけで…」
いったい、この庭の梅は、誰の袖が触れたせいで、こんなに香しいのか、という歌なんだ。
授業でやったろ、衣服に香を焚きしめていた時代だった、と。そのための道具もあったしな。
季節の香りや、流行りの香りを踏まえた上でだ、自分だけの香りを作っていた。作り方や材料に工夫を凝らして、自分らしく。それがだな…。
貴族だけのものではなくなっていった、と広がってゆく話。古典の授業の範囲を離れて。
衣服に香を焚きしめた時代は、特権階級しか持てなかった香。あまりにも高価な物だったから。
けれど、時代は変わってゆく。貴族でなくても、香というものに出会える時代へ。
室町時代には、香を衣服に焚きしめる代わりに、持ち歩く者が増えてゆく。其処で、ハーレイが書いた古今和歌集の歌が浴びた脚光。
この歌を元に名付けた「誰が袖」という匂い袋が流行ったから。香を詰めた袋。
片方の袖にだけ入れることは縁起が良くない、と思われた時代に出来た「誰が袖」。二つを長い紐の両端につけて、首から下げて。着物の中を通すようにして、両方の袂に入れて使った。
それが最先端のお洒落で、歩けば「誰が袖」の香りも一緒についてくる。
古今和歌集の歌そのままに、いい香りがした着物の袖。
それが後の時代の匂い袋の始まり。一個だけでも気にしなくなって、片方の袂や胸元に。
最初は貴族だけが楽しんだ香は、庶民の文化に溶け込んだ。持ち歩いたり、着物と一緒に箪笥に入れて、そっと香りを移したり。
「他の地域だと、サシェってヤツだな」
ハーブや香料を入れておくんだ、匂い袋を作るみたいに。服に香りを移すんだが…。
縫い付けて使うこともあったと言うから、誰が袖とあまり変わらんな。そっちの方も。
…でもって、匂い袋もサシェもだ、自分の匂いを印象付けるのが目的ってトコか。
この歌のように、「誰の袖だろう」と思って貰えたら最高なわけだ。素敵な人に違いない、と。
香りの効果は、昔の話だけではないぞ。今の時代も立派に生きてる。
「これが私の香りなんです」と印象付ければ、相手の中で存在感が増すんだな。
そこでだ、恋人に会う時は、いつも同じ香水をつけて行くとか、使い方は色々あるわけで…。
お前たちにはまだまだ早いが、覚えておいて損はない。…香りってヤツは大切だとな。
「誰が袖」だけでも覚えておけ、と終わった雑談。
匂い袋なら今も買えるし、と。
(…匂い袋…)
小さな巾着のような、布製の袋。ふうわりといい香りが漂う袋。
母が持っているから、見たことはある。わざわざ買いに出掛けなくても。
サシェだって、母がクローゼットに入れていた。「いい匂いがするのよ」と、端っこの方に。
だから、「ふうん…」と思っただけ。今日の雑談は匂い袋とサシェの話、と。
特に何とも思わないまま、ハーレイの授業は終わったけれど。
家に帰って、おやつの時間に母に会ったら、思い出した。ケーキと紅茶を運んで来てくれた母。その瞬間に、「匂い袋だっけ」と。
母の服から、何かの香りがしたというわけではないけれど。香水もつけていないけれども。
匂い袋もサシェも、母の持ち物だからだろう。そういえば、と頭に浮かんだハーレイの雑談。
(恋人に会う時は、同じ香水…)
ハーレイはそう話していたから、「ちょっといいかも」と考えた。自分を印象付けられる香り。雑談では「お前たちにはまだまだ早い」と言われたけれども、チビでもちゃんと恋人はいる。前の生から愛し続けた、ハーレイという恋人が。
だから、「ハーレイに会うなら匂い袋」と。…香水はとても子供向けとは思えないから。
「ママ、匂い袋、ある?」
多分ある筈、と母に尋ねた。あったら持って来て欲しい、と。
「あるけれど…。どうしたの?」
匂い袋なんか、何に使うの?
学校に持って行きたい…ってことは無いわよね?
「んーと…」
持って行きたいわけじゃないけど、学校は関係無いこともなくて…。
「ふふっ、ママにも分かったわ。…ハーレイ先生ね?」
授業で出たのね、匂い袋のお話が。あれも昔の日本のものだし、古典にも出て来そうだものね。
はいどうぞ、と部屋から持って来てくれた母。
絹なのだろうか、淡い色の小さな布袋の香りは優しいけれども、子供の自分にはどうだろう?
香水が似合わないのと同じで、あまり似合わないような気がする。落ち着いた、大人びた香り。これを自分が漂わせていたら、無理をして背伸びしているような…。
(…ぼくには、ちょっと合わないみたい…)
母の持ち物だからだろうか。…匂い袋を扱う店に行ったら、他の香りもあるのだろうか?
「ママ、匂い袋…。子供向けっていうのはないの?」
この匂いは、なんだか大人っぽいから…。もっと小さな子供向けのは?
「そうねえ…。匂い袋は、どれも似たような感じだから…」
子供も好きそうな匂いになるのは、サシェの方かしらね。あれも中身によるけれど…。
これなら少し香りが柔らかいわ、と母が部屋まで取りに出掛けてくれたサシェ。小さな布の袋を手のひらに乗せて貰ったら、ふわりと漂うラベンダーの香り。
(…匂い袋よりはマシだけど…)
ラベンダーもやっぱり、チビの自分には似合わない。ハーレイと会う時につけていたって、失笑されるだけだろう。「お前、俺の話を真に受けたのか?」と、「子供にはまだ早すぎだ」と。
これは駄目だ、と諦めるしかない、匂い袋とラベンダーのサシェ。きっとハーレイは笑うだけ。どちらの香りを纏っていても。
だから…。
「ありがとう、ママ。…これ、返すね」
「…あら、もういいの?」
ブルーの部屋に持って行ってもいいのよ、欲しいんだったら。
「ううん、どんな匂いか分かったから」
ちょっぴり知りたかっただけ。…子供にも似合う匂いなのかな、って。
だけど、思っていたより大人の匂い。サシェだって、ぼくよりも大きな人向けだよね。
匂い袋とサシェの実物を見せてくれた母に御礼を言って、部屋に帰って。
勉強机の前に座って頬杖をついた。ちょっと残念、と。…匂い袋もサシェも、家にあったのに。わざわざ買いに出掛けなくても、母が「はい」と出して来てくれたのに。
(…ぼくには似合わない匂い…)
子供向けじゃない、と零れた溜息。チビの自分は、ハーレイに香りで印象付けられないらしい。匂い袋やサシェを使って、いつでも同じ香りを纏って。
せっかく素敵な恋の裏技を聞いたというのに、子供だからまだ使えない自分。匂い袋は無理で、サシェだって駄目。どちらも役に立ってはくれない。
もっと大きくならないと…、とクローゼットに視線を投げた。前の自分の背丈の高さに、鉛筆で微かに引いた線。此処からはまるで分からないけれど、そこまで育たないと香りは無理、と。
ソルジャー・ブルーと同じ姿になったら、きっと香りも似合うだろう。前の自分はサシェも匂い袋も使っていなかったけれど、大人の姿ではあったのだから。
(…似合う匂いも、絶対、あるよね?)
大きくなったら考えなくちゃ、とハーレイの雑談を思い返した。恋人に会う時は同じ香水、と。
前の生から恋人同士の二人なのだし、要らないような気もするけれど。
香りで印象付けるまでもなく、ハーレイは迷わず自分を選んでくれそうだけれど。
「俺のブルーだ」と、今でさえ言ってくれるのだから。…キスを許してくれないだけで。
とっくの昔に恋人同士で、今度は結婚する二人。
匂い袋やサシェの香りを纏わなくても、ハーレイはプロポーズをしてくれそうだけれど…。
(それじゃ、ハーレイは?)
チビの自分とは違って、大人のハーレイ。そのハーレイには、何か香りがあっただろうか。
雑談には出て来なかったけれど、遥かな昔に貴族たちが焚きしめていた香り。男性も自分で香を作ったりしていたほどだし、今の時代も男性用の香水が幾つも売られている筈。
女性だけのものではないのが香りで、男性だって香りで自分を印象付けるもの。今も昔も。
チビの自分は香りがサッパリ似合わないけれど、立派な大人のハーレイなら使いこなせる筈で。
あんな雑談をするくらいだから、ハーレイの香りもありそうで…。
(コーヒーに、お酒…)
直ぐに浮かんで来る、ハーレイが好きな飲み物の匂い。食べ物よりは特徴があるし、ハーレイの側にあっても少しも可笑しくない匂い。コーヒーに、お酒。
それから…、と考えてみるのだけれど。
自分が知っているハーレイの匂いというものは…。
(ハーレイでしかないんだよ…)
お酒でもコーヒーでもなくて、と鼻腔をふわりと掠めた匂い。ハーレイは来ていないけれども、鼻が覚えている匂い。ハーレイの身体はこういう匂い、と。
甘えて胸にくっついていたら、よく分かる。とても心地良くて、心がほどけてゆく匂い。
優しくて、それに温かくて。…幸せな気持ちが、胸一杯に溢れて来て。
(前のハーレイも、おんなじ匂い…)
キャプテン・ハーレイだった頃のハーレイからも、同じ匂いがしたのだろう。
今のハーレイとは全く違ったキャプテンの制服を着ていたけれども、きっと、そう。
くっついた時に、「違う」と思ったことが無いから。
いつでも前と全く同じに、吸い込みたくなる匂いだから。…ハーレイが好き、と。
そう、「好き」という気持ちが溢れる匂い。幸せになれるハーレイの匂い。
前の自分も好きだった。逞しくて広い胸に抱かれて、ハーレイの匂いに包まれるのが。…まるで温かな毛布さながら、くるまっているのが大好きだった。前のハーレイが纏う匂いに。
今もハーレイは同じ匂いがするから、今の自分も幸せに酔える匂いだから。
(あの匂い…)
持ち歩けたらいいのに、袋に詰めて。大好きな匂いを詰め込んで。
雑談で知った「誰が袖」のように。匂い袋や、サシェみたいに。…ハーレイの匂いを詰め込んだ袋。小さいけれども、ハーレイの匂いがする袋。
持って歩けたなら、きっと幸せ。時々、そっと取り出してみては、胸一杯に香りを吸い込んで。
(それだと、ぼくがハーレイになっちゃう?)
自分らしい香りを纏う代わりに、ハーレイと同じ匂いだから。ハーレイの匂いを纏うのだから。香りで印象付けられはしないし、恋人と同じ香りをさせても、意味は全く無さそうだけれど…。
でも、ハーレイの匂いが詰まった袋があったなら。
小さなそれを、持ち歩けたら。
(いつも幸せ…)
ハーレイが側にいない時でも、二人一緒にいるようで。広い胸に甘えているようで。
あの匂いがふわりと漂うだけで。…鼻腔を掠めてゆくだけで。
(ベッドに持って入ったら…)
枕の上に乗せておいたら、ハーレイが隣にいてくれるような気分になれるに違いない。直ぐ側に温かなハーレイの匂い。…前の自分も好きだった匂い。
独りぼっちで眠るベッドでも、きっと幸せなのだろう。ハーレイの匂いがありさえすれば。
母が見せてくれた小さな匂い袋や、サシェに詰まった恋人の匂い。
それがあれば、と膨らむ思い。ハーレイの匂いがする袋、と。
恋人の香りが漂う匂い袋。ハーレイの匂いが詰まった袋。中から幸せな、大好きな匂い。
(欲しいな…)
そういう匂い袋を一つ。ハーレイの匂いを纏った袋。
どうすれば、それを作れるだろう?
本物の匂い袋やサシェだと、中身は香料やハーブだけれど。ハーレイの匂いを作るなら…。
(香水って言ってた…)
自分を印象付けたいのならば、恋人に会う時は同じ香水をつけてゆくのが効果的。
ハーレイは確かにそう言ったけれど、香水を使っているのだろうか。何か好みの香水があって、それを使っているというなら、ハーレイの匂いの袋は作れる。
その香水を買えばいいのだから。ハーレイが使う香水の匂いが、ハーレイの匂いなのだから。
香水の名前を教えて貰って、小さな袋につけるだけ。中の綿とか、袋そのものにつけるとか。
(駄目で元々…)
どんな香水か訊いてみたい、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり、ぶつけた質問。
「あのね、香水、使ってる?」
使っているなら、それの名前、教えて欲しいんだけど…。
「はあ?」
香水ってなんだ、それに名前って…。いったい、何の話なんだ?
「ほら、ハーレイの匂い、あるでしょ?」
ハーレイがいつも、させている匂い。それのことだよ、こうすれば分かるよ。
椅子から立って、ハーレイの方へと回り込んで。
大きな身体にギュッと抱き付いて、胸一杯に匂いを吸い込んでみて。…この匂いだ、と身体中の細胞が喜んでいるから、幸せな気持ちが満ちてくるから。
「ハーレイの匂い…」
今もしてるよ、これが欲しいよ。…ぼく、この匂いが欲しくって…。
だから香水、と名残惜しい気持ちで離れて、元の椅子へと腰を下ろした。香水、教えて、と。
「香水って…。なんでそういう話になるんだ」
俺の匂いというのは理解出来たが、其処でどうして香水なんだ?
「今日のハーレイの授業だってば。…誰が袖の話、していたでしょ?」
二つくっついた匂い袋で、名前の元はこの歌なんだぞ、って。
それから、自分を印象付けたいんだったら、恋人に会う時は同じ香水をつけることだ、って。
…家に帰って、ママに頼んで、匂い袋とサシェとを出して貰ったけれど…。
どっちも子供向けの匂いはしなくて、もっと大人の人に似合いそう。…大人っぽい匂い。
それでね、ぼくは匂い袋とかを持っても似合わないみたい、って思ってる内に…。
欲しくなったんだよ、ハーレイの匂いがする袋。…小さいけれども、ハーレイの匂い。
それがあったら、いつでもハーレイの匂いと一緒。ハーレイと一緒の気分になれそうでしょ?
だって、ハーレイの匂いなんだから。
…ぼくの匂いがハーレイの匂いになっちゃうけれども、そういう匂い袋が欲しいよ。
作りたいから、ハーレイの香水の名前を教えて、と繰り返した。買いに行くから、と。
「もし高くっても、お小遣いを貯めて買わなくちゃ。…ハーレイの香水と同じ香水」
ハーレイの匂いは、前のハーレイも今のハーレイも同じだもの。
うんと幸せになれる匂いで、大好きな匂い。…だからハーレイの香水、教えて。
何処で売ってるのかも教えてくれたら、もう最高に嬉しいんだけど…。
なんていう名前なの、ハーレイが使っている香水は…?
「…なるほどな…。それで香水だと言い出したのか」
教えてやりたいのは山々なんだが、俺からもお前に一つ訊きたい。
…前の俺は香水、使っていたか?
キャプテン・ハーレイが香水をつける所を、前のお前は見ていたのか…?
「えーっと…?」
前のハーレイの香水だよね?
つけている所、見ていたのかな…。思い出したら、香水の名前も分かるのかな?
シャングリラでも香水、作っていたものね。…フィシスのために花の香りのとかを。
フィシスのは天然素材だったけど、合成の香水もあった筈だし…。
合成だったら、人類の世界にあった香水と同じ名前をつけてたのかな?
…前のぼくたちの頃の香水の名前、今も使われているのかな…。
とても人気の定番だったら、そういうことも充分ありそうなんだけど…。
ハーレイからのヒントだろうか、と心が弾んだ香水の話。キャプテン・ハーレイが使った香水。
それの名前を思い出せたら、ハーレイが答えを言うよりも前に、手に入りそうな香水の名前。
(…なんていう香水だったっけ…?)
全然覚えていないんだけど、と思いながらも手繰った記憶。前の自分が持っていた記憶。
キャプテン・ハーレイ愛用の香水だったら、青の間にも置いていただろう。シャワーの後には、シュッと一吹きしただろうから。…そうでなければ、指先でそっとつけるとか。
(どんな形の瓶だっけ…?)
大きさはどれくらいだっただろうか、と懸命に記憶を遡ったけれど。まるで記憶に無い香水瓶。バスルームには置いていなかったし、他の場所にも無かったと思う。
(何処に置いてたの…?)
前のハーレイの動きを辿れば分かるのかも、と二人で過ごした夜の光景を思い浮かべてみた。
ブリッジでの勤務を終えた後に青の間に来ていたハーレイ。逞しい胸に抱き締められた途端に、ハーレイの匂いに包まれた。…幸せが満ちる、あの匂いに。
そのままベッドに行く時もあれば、ハーレイがシャワーを浴びに行くことも。
熱くて甘い時を過ごして、ハーレイの腕の中で眠ったけれど…。
(…シャワーを浴びに行ってた時でも、ハーレイの匂い…)
そうだった、と蘇って来た遠い遠い記憶。朝まで自分を広い胸に閉じ込めていたハーレイ。
ハーレイの匂いに包まれて幸せに眠ったけれども、シャワーを浴びた後でベッドに来た時は…。
消えてしまっていた匂い。ボディーソープやらお湯の匂いで、すっかり洗い流されて。
あの匂いがする香水をつけてはいなかった。…シャワーを済ませて来たハーレイは。
けれども、いつの間にか、ハーレイが纏っていた匂い。
香水をつけにベッドを出てはいないのに、前の自分を朝まで優しく包み込んだ匂い。
あれは何処から来ていたのだろう、ハーレイは香水をつけに行ってはいなかったのに…?
どう考えても、ハーレイが香水をつけに出掛ける暇は無かった筈。ベッドから出ないのだから、香水は何処からも出て来そうにない。…ベッドの側に置いていたならともかく、それ以外では。
(だけど、香水の瓶は無かったよ…?)
ベッド周りの棚などは部屋付きの係の目に触れるから、置いてはおけなかったと思う。それでも置いていたのだったら、前の自分が目に付かないようシールドを施していただろう。
そうなってくると、ハーレイの匂いだと思っていたのは香水ではなくて、ハーレイそのもの。
(…ハーレイが持ってる匂いなんだ…)
シャワーを浴びて匂いが消えても、朝には纏っていたのだから。まだ服も着ていなかったのに。
あれはハーレイの身体の匂い、と気付いた途端に赤らんだ頬。逞しい身体を思い出して。チビの自分はキスさえ許して貰えないけれど、前の自分はあの身体と…。
恥ずかしくなって俯きながら、それでも目だけはハーレイの方へ。
「…香水、つけていなかった…」
前のハーレイは香水をつけていないよ、ぼくは一度も見ていないもの。
…だけど、いつでもハーレイの匂い。ちゃんとハーレイの匂いがしてたよ。
「そうだろうが。…今の俺も前と同じだが?」
香水なんぞはつけていないし、買ってもいないな。…俺の趣味ではないからな。
でもって、お前のその顔つきからして…。
分かったらしいな、あれは香水の匂いじゃないと。俺の身体の匂いだった、ということがな。
ハーレイの口から聞かされた正解。やはり香水ではなかった匂い。ハーレイの身体が持つ匂い。それが欲しいと思うけれども、香水ではないと言うのなら…。
「じゃあ、ハーレイの匂い、どうすればいいの?」
あの匂いを作るには、どうしたらいいの?
…ハーレイの匂いが欲しいのに…。匂い袋に入れておきたいのに。
「そうだな…。俺の匂いの作り方か…」
まずは、朝起きたら、軽く体操するかジョギング。その日の気分次第ってトコだ。庭の手入れも悪くないなあ、草を毟ったり、芝生を刈ったり。
それから朝飯、分厚いトーストを二枚は欲しい。田舎パンでも、そのくらいの量で。
パンにはおふくろのマーマレードと、美味いバターと。そいつを塗ってる日が多めだな。
卵料理も忘れちゃいかんぞ、オムレツもいいし、スクランブルエッグも、ベーコンエッグも…。固ゆで卵や半熟もいいな、ポーチドエッグもいいもんだ。
ソーセージも焼いて、卵料理と一緒に食うのが好きだな、うん。…新鮮な野菜のサラダとかも。
飲み物はコーヒー、野菜ジュースや牛乳もいい。こいつも、その日の気分で決める。
…朝飯はだいたい決まってるんだが、昼飯と晩飯は色々だなあ…。必ずコレだ、というのは特に無いから、そっちは何でもいいだろう。しっかり食えれば。
後は晩飯の後にコーヒーを一杯、酒も適度に。ウイスキーでもブランデーでも、日本酒でも。
…そんなモンだな、俺の生活。
俺の身体はそういう毎日が作っているから、これを参考にするといい。
前の俺とはまるで違うが、同じ匂いがするというなら、今ので問題無いだろう。
これで出来る、と言われたけれど。…ハーレイの匂いの作り方だと言われたけれど。
ハーレイの匂いは卵料理の匂いではないし、トーストや田舎パンとも違う。焼いたソーセージの匂いもしないし、コーヒーや酒の匂いだって。
全部混ぜたら出来るのだろうか、そういったものを。それとも、何か秘訣があるのか。
作る方法が分からないから、首を傾げて尋ねてみた。
「…どうやって作るの、今、聞いたヤツで?」
どうすればハーレイの匂いが出来るの、トーストとかを全部混ぜるの?
「お前なあ…。それだと、とんでもない匂いになると思わないか?」
コーヒーにブランデーなら、いい匂いにもなるってもんだが…。他はどうだか…。ソーセージを焼く時にブランデーを加えてやったら、ちょいと美味いかもしれないが。
しかし、コーヒーを入れて焼いたら、美味いソーセージにはならないぞ。卵料理にもコーヒーは合わん、混ぜちまったら。別々に食ってこそだってな。味も、匂いも。
つまりだ、俺が言ったヤツを美味しく食うのが俺の匂いの作り方だが…。食べる前の軽い運動も含めて、俺の匂いになるんだろうが…。
お前が全部、その通りに真似をしてみたとしても…。お前の匂いにしかならないだろうな。
俺の匂いが出来る代わりに、お前らしい匂い。…お前は、お前なんだから。全く別の人間で。
「ハーレイの匂い…。作れないの?」
ぼくが頑張っても、ぼくの匂いになっちゃうの?
朝に体操して、ハーレイとおんなじ朝御飯をママに作って貰って食べても…?
「当たり前だろうが、誰だって違うものなんだから」
身体の匂いは人それぞれだし、俺とお前じゃ体格からして違うんだしな?
同じ匂いになるわけないだろ、よっぽど匂いのキツイ料理を揃って食べでもしない限りは。
ハーブ料理だの、ガーリックだの…、とハーレイが挙げた匂いの強い料理。けれども、そうした料理を二人で食べても、同じ匂いはほんの少しの間だけだ、と。
食べ物の匂いは抜けてしまって、元の匂いに戻るから。ハーレイはハーレイの、自分は自分の。
どうやらハーレイの匂いは作れないらしい。…ハーレイにしか。
「…ハーレイの匂い、欲しいのに…」
匂い袋に入れておきたいのに、作れないなんて…。ハーレイの匂い、大好きなのに。
前のぼくだった頃から、ずっと好きな匂い。いつでも側にあればいいのに…
「お前にはまだ早いだろうが。…授業の時にも言った筈だが?」
恋人に会う時は同じ香水をつけるといい、という話。…それと同じだ、俺の匂いもまだ早い。
いずれ嫌というほど嗅ぐことになるさ、俺と一緒に暮らし始めたら。
俺の匂いを作らなくても、お前にも匂いが移るくらいに。…一晩中、側にいるんだから。
「そうかもね…。前のぼく、ハーレイの匂いに包まれて眠っていたし…」
いつもハーレイの匂いがしてたよ、幸せな匂い。…だから大好きな匂いなんだよ。
でも…。匂いが移るって言うんだったら…。
もしかしたら、前のぼく、ハーレイの匂いがしていたのかな?
一晩中、ハーレイと一緒だったし、朝になったらハーレイの匂い…?
「多分な。…シャワーを浴びていなければな」
食事係が変な顔をしたかもしれんな、ソルジャーからキャプテンの匂いがすると。
…朝飯を作りにやって来た時に。
「えっ…!」
前のぼくから、ハーレイの匂いって…。夜の間に匂いが移って、そのままになって…?
朝にシャワーを浴びてなかったら、ハーレイの匂いがしていたの、ぼく…?
まさか、と驚いてしまったけれど。ハーレイの匂いが移ったとしても、一時的なものだと思っていたけれど。
(いつも、朝にはシャワーを浴びていたけど…)
病気で寝込んでしまった時には浴びなかったシャワー。そんな元気は無かったから。
そういう時にも、ハーレイは一晩中、側で眠ってくれていた。前の自分を胸に抱き締めて。夜に具合が悪くなったら、看病だって。
ハーレイの匂いに包まれて眠って、次の日の朝はシャワーを浴びないまま。食事係が朝の食事を作りに来た時も、ベッドに入ったままだったから…。
「ハーレイ…。前のぼく、具合が悪かった時は、朝にシャワーを浴びなかったけど…」
あの時のぼくは、ハーレイの匂いがしていたのかな…?
寝てる間に移ってしまったハーレイの匂い、ぼくの身体に残ってたかな…?
「どうだかなあ…?」
残っていたとしても俺には分からん、自分と同じ匂いなんだから。
…嗅いで確かめたりもしないし、どうだったんだか…。
俺の匂いをさせていたのか、お前の匂いの方だったのか。
考えたことすら無かったからなあ、お前に俺の匂いが移ってしまうということをな。
まるで気にしていなかったから、とハーレイはフウと溜息をついた。
もしも匂いが移ったとしたら、誰か気付いていたかもな、と。
「だ、誰が…?」
誰が匂いに気付いたっていうの、やっぱり食事係とか…?
ハーレイが最初に思い付いたの、食事係のことだったもんね…?
「いやまあ、あれは単なる思い付きで…。朝一番にやって来るのは食事の係だったしな」
食事係は食事を作るのが仕事なんだし、そっちに集中していたんだから大丈夫だろう。…周りの匂いに気を取られていたら、美味い料理は作れないしな。
第一、青の間のキッチンでやっていたのは最後の仕上げだ。トーストを焼いたり、卵料理を注文通りに作ったり、と。最高に美味い匂いが漂うトコだぞ、お前の匂いにまでは頭が回らんだろう。
そうでなくても、人間の鼻では分からないだろうと思うんだが…。
お前に移った俺の匂いを嗅ぎ分けられるほど、鋭い嗅覚は持っていないと思うわけだが…。
これが動物だと、いい鼻を持っているのがいるからな。…ナキネズミだとか。
「ナキネズミ…。そう言えば、たまに遊びに来てたね」
子供たちのサポートをしていない、暇なナキネズミが。朝からヒョイと顔を覗かせて。
…可愛らしいから、「おいで」って遊んでやっていたけど…。寝込んだ時でも、ベッドに入れてやったりしていたけれど。
気付かれてたかな、ハーレイの匂い…。
ナキネズミ、誰かに喋ったのかな、「ソルジャーからキャプテンの匂いがしたよ」って。
「さてなあ…?」
他の人間がいる所までは、喋りに行きはしないんじゃないか…?
食事係は相手にしてはくれんし、他の仲間も朝は忙しくしているヤツらが殆どだからな。
子供たちは時間があっただろうが、ナキネズミを見たら触りに行くから、自慢の毛皮がすっかりクシャクシャにされちまう。…朝っぱらからオモチャになりたい気分じゃないだろうさ。
だから行かんな、あいつらは。…不思議な匂いだと思ったとしても。
せいぜいナキネズミ同士の話程度だろう、と笑うハーレイ。
ねぐらにしていた農場に帰って、「今日はキャプテンの匂いだった」と。
「…バレちゃってたかな、ぼくとハーレイが恋人同士なんだってこと…」
ぼくからハーレイの匂いがするのは、そのせいなんだって気付かれてたかな?
ナキネズミ、ベッドにも入ってたんだし、ハーレイの匂いがするものね…?
ぼくだけじゃなくて、枕もシーツもハーレイの匂い…。
「それはないだろ」
人間だったらピンとくるヤツもいたかもしれんが、ナキネズミだぞ?
鼻がいいから匂いが分かるというだけのことで、其処から推理を始めはしないさ。
動物だしな、とハーレイは即座に否定したのだけれど。
…ナキネズミは思念波の扱いが下手な子供たちのパートナーとして作った動物。ネズミとリスを組み合わせながら、あちこち弄って、思念波が使える生き物を誕生させた。
子供たちと自由に会話出来るように、思念波の中継も手伝えるように。
そういう風に作った生き物、ナキネズミは自分で考えもする。…他の動物たちに比べて、人間に近い考え方を。…人間だったらどうするだろう、と拙いながらも推し量ることも。
人間に近い思考回路を持った動物がナキネズミならば、ただの動物とは違うのだから…。
もしかしたら…、とハーレイと顔を見合わせた。
全部のナキネズミが気付いたことは無かったとしても、一匹くらいはいたかもしれない、と。
勘の鋭いナキネズミ。…ソルジャーからキャプテンの匂いがしている理由を見抜いた一匹。
「…いたんじゃないかな、一匹くらいは…?」
そういえば、ぼくをじいっと見ていたナキネズミがいたよ。…時々、首を傾げながら。
ベッドにもぐってはゴソゴソ出て来て、ぼくの顔を見て何度も匂いを嗅いでた。
…なんていう名前の子だったのかは忘れたけれど…。ハーレイの方も見てたよ、あの子は。
ひょっとしたら、気付いていたのかも…。ぼくに「恋人?」って訊かなかっただけで。
「うーむ…。そいつは怪しい感じだな…。俺の方まで見ていたとなると」
でもまあ、他にはバレてないしな?
多分、俺やお前の心が読み取れなくて、確信が持てなかったんだろう。…恋人同士だと。
もしもしっかり見抜いていたなら、ナキネズミの間で噂になって…。其処から子供たちの耳にも入っていたかもしれん。「内緒だよ?」とナキネズミどもが耳打ちしてな。
そうなっていたら、子供の「内緒」はアテにならんし、シャングリラ中にバレたってか。
…ナキネズミが一匹、お前の匂いに気付いたばかりに、俺たちのことが。
「危なかったね、そんなの思いもしなかったよ…」
ぼくからハーレイの匂いがするとか、ナキネズミがそれに気が付くだとか。
「まったくだ。…とんだ所に危険が潜んでいたってな」
とはいえ、俺たちの仲はバレなかったし、もう心配は要らないわけだ。
今度は結婚するんだからなあ、匂いは心配しなくてもいい。
俺と一緒に暮らす以上は、お前から俺の匂いがしてても、不思議でも何でもないんだから。
たっぷりとお前に移してやろう、とウインクされたハーレイの匂い。
今は作れはしないけれども、匂い袋に入れておくことは出来ないけれど。
(…ハーレイの匂いで、大好きな匂い…)
いつか好きなだけ嗅げる日が来る、温かな胸に抱き締められて。
眠る時はもちろん、ソファで一緒に座る時にも。…床に座っている時でも。
結婚して二人で暮らす時には、幸せたっぷりの中で包まれる匂い。
それを想うと、胸がじんわり温かくなる。
きっといつかは、大好きな匂いを自分にも移して貰えるから。
ナキネズミが首を傾げた匂いを身体に纏って、ハーレイと二人、幸せな朝を迎えられるから…。
匂い袋と恋人・了
※ブルーが欲しくなったハーレイの匂い。前のハーレイも、同じ匂いがしたのですけど…。
前のブルーに移ったハーレイの匂いに気付いたらしい、ナキネズミ。危ない所だったのかも。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
今年も暑い季節の到来、夏真っ盛りで口を開けば「暑い」な毎日。やっと一学期も終わったから、と夏休みの初日は会長さんの家へ。クーラーの効いた部屋で夏休みの計画を練るわけですけど、パターンは定着しつつあります。
まずは明日から始まる合宿、これは柔道部の三人組。そっちの合宿期間に合わせてジョミー君とサム君が璃慕恩院行き、子供向けの修行体験ツアー。本来は二泊三日の所を会長さんの顔で延長戦。帰って来たら愚痴祭りになるのが恒例行事。それが終われば大抵は山の別荘行きですが…。
「…くっそお、今年は俺は地獄だ…」
地獄なんだ、とキース君がカレンダーを見てブツブツと。今の時期にはお盆に向けての卒塔婆書きの筈、大量の卒塔婆の注文が舞い込みましたか?
「いや、そうじゃなくて…。卒塔婆の数は例年とさほど変わらんのだが…」
「お父さんの分まで回って来たとか?」
ありがちだよね、とジョミー君。元老寺の住職なアドス和尚はサボリがお好き。キース君が副住職になって卒塔婆を書くようになると、あれやこれやと理由をつけては自分のノルマを押し付ける傾向があるわけで…。
「親父か? ある意味、親父絡みではあるんだが…。卒塔婆も絡んで来るんだが!」
「…だったら、お父さんの分が全部来たとか?」
旅行とかで逃げられちゃって、とジョミー君が重ねて訊くと。
「その方がまだマシな気がする…」
「「「は?」」」
卒塔婆のノルマは半端な数ではないと毎年聞かされています。アドス和尚の分を丸ごと押し付けられたら何本なんだか、ちょっと見当もつきません。凄い労力が要りそうですけど、そっちの方がマシって何事…?
「書くだけだったら、さほど暑くはないからな。少なくとも炎天下で書くことはないし」
「…だろうね、卒塔婆は普通は外で書かないし」
例外も無いことはないんだけれど、と会長さん。
「小さいタイプの卒塔婆とかなら、お彼岸やお盆も外で書いて渡したりするけれど…」
それにしたって仮設テントがあるものだよね、という話。それじゃキース君が言う地獄とやらは仮設テントの卒塔婆書きでしょうか、でも…。
「元老寺のソレ、中で受け付けだと思うんだけど」
春のお彼岸にタダ働きで書かされてる、とジョミー君が。そういう光景を目にした年もありました。
キース君が仮設テントで卒塔婆書きにはなりそうもないのが元老寺。キーワードは炎天下というヤツなんでしょうか、今年の夏は猛暑の予報ですしね?
「…墓回向を一人でやるのかよ?」
もしかして…、とサム君がブルッと震えて、私たちも。
「「「うわー…」」」
それはキツそうだ、と思い浮かべた元老寺の墓地。裏山にあって、だだっ広くて、墓地だけに木陰も殆ど無くて。それを一手に引き受けとなると、どう考えても地獄です。
「…強く生きろな、いつかは俺も手伝いに行ってやるからよ」
まだ無理だけどよ、と人のいいサム君。
「坊主養成コースに入っちまったら、墓回向、出来る筈だしよ」
「そうだな、大いに期待しているが…。生憎と俺の地獄は墓回向じゃない」
「いったいどうい地獄なんです、キース先輩」
ぼくたちは素人集団ですからお寺のことは分かりません、とシロエ君が正面からアタック。キース君は「火焔地獄だ」と答えましたが。
「「「火焔地獄?」」」
それは聞くだに暑そうです。とはいえ、まさか本物の地獄に出掛けるわけではないでしょうし…。
「文字通り、火との戦いなんだ! この暑い中で!」
壮絶なバトルが待っているのだ、と言われても…。キース君の宗派、護摩焚きはしないと何度も耳にしています。それなのに火とのバトルって…なに?
「お焚き上げだ!」
「あー、裏山でやってるよねえ…。アドス和尚が」
たまに見るよね、とジョミー君。キース君の家の裏山には何度か入ったことがあります。そういう時にアドス和尚が焼却炉で何か燃やしているのがお焚き上げですが、それが地獄?
「普段のお焚き上げなら大したことではないんだが…。俺も時々、やってるんだが!」
「グレードアップしたのかよ?」
焼却炉がデカくなったとか…、とサム君が言うと。
「そのコースなら、むしろ歓迎だ! 同じ地獄でも時間が短縮できるからな」
「「「え?」」」
「焼却炉のサイズは変わっていない。そいつで卒塔婆を山ほど焼くんだ、今年の俺は!」
書いた卒塔婆よりも多い卒塔婆を…、と嘆いてますけど、なんでそんなことに?
「分からないのか、お盆と言えば卒塔婆だぞ? 檀家さんが墓まで持って行くんだぞ?」
そして墓のスペースには限りがある、とキース君。
「新しい卒塔婆を置くとなったら、空きスペースが必要なんだ! つまりは古い卒塔婆を撤去しないと、持って行っても置けんのだ!」
新しい卒塔婆を置きたかったら、卒塔婆の整理。古い卒塔婆にサヨナラなわけで…。
「…もしかしなくてもよ、お前、回収した卒塔婆、一人で焼くとか…?」
まさかな、とサム君が尋ねましたが。
「そのまさかだ! 古い卒塔婆を端から回収、そこまでは墓地の管理をしてくれている人に任せられるが、お焚き上げの方は資格が無いと…」
「うん、無資格で焼いたらゴミを焼いてるのと変わらないねえ…」
住職の資格は必須アイテム、と会長さん。お焚き上げってそういうものですか?
「そうだよ、しっかり読経しながら焼いてこそ! でないとホントにただのゴミ処理」
「…ブルーが言ってる通りでな…。例年なら親父と分業なんだが、ウッカリ親父に借りを作ったのがマズかった」
「「「借り?」」」
「…それについては聞かないでくれ。坊主のプライドが粉々になる」
ちょっとしたヘマをしたみたいです。アドス和尚がそれをフォローしたってことでいいですか?
「そういう線だな、その借りを返せと押し付けられた。…お焚き上げを全部!」
「じゃあ、先輩の火焔地獄というヤツは…」
「少なくともお盆までの間の何処かで丸一日は焼却炉との戦いだ!」
この際、一気に片付けてやる、と言ってますけど、日を分けた方がマシなんじゃあ…?
「毎日やるより、一日で済ませた方が気分がマシなんだ!」
まだ残っていると思うよりもマシ、と前向きなんだか、後ろ向きなんだか。とにかく一日はそれで潰れて、遊びに出掛ける暇が無さそうだ、と…。
「そうなるな。…どうせお盆が待っているんだ、火焔地獄もその一つだと思っておけば…!」
お盆は地獄の釜の蓋も開くしな、と絶妙な例え。ふむふむ、一足お先に地獄体験、と…。
「間違えるな! お盆の間は地獄は休みだ、一足先も何も、完全に開店休業なんだ!」
地獄でさえも休みだというのに、なんだって俺が…、と再びブツブツ。卒塔婆って厄介なものだったんですね、書いたら終わりじゃなかったんだ…。
「…例年だったら親父と手分けで、朝の涼しい内とかに少しずつ焼いてたんだがな…」
全部となったら一気に焼く! と根が真面目ゆえの凄い選択。頑張って、としか言えません。卒塔婆はゴミには出せませんしね…。
「そもそもゴミではないからな…。どんなに雨風でくたびれててもな」
「シュレッダーにかけるってわけにもいかないしねえ…」
分かるよ、と会長さんがキース君の肩に手をポンと。
「頑張るんだね、火焔地獄」
「銀青様に激励されたら、やる気も湧いては来るんだがな…」
それでも地獄、と大きな溜息。炎天下で一人でお焚き上げな夏、気の毒としか…。
「お焚き上げかあ…」
卒塔婆ってエコじゃなさそうだね、とジョミー君が妙な発言を。エコって、いったい…?
「エコだよ、エコ! えーっと…エコロジーだっけ?」
地球に優しいっていうエコのこと、と言われてみれば。
「…エコじゃねえなあ、確かにな。思いっ切り燃やしちまうんだしよ…」
お寺でなければ文句が来るよな、とサム君が言う通り、煙がモクモクなあの焼却炉は住宅街では使えません。家の落ち葉を焼いていたって文句が出るのが今の御時世。
「燃やすっていうのもマズイですけど、リサイクルだって出来ませんしね…」
シロエ君が頷き、ジョミー君が。
「うん、そこなんだよ! 燃やすしかなくって、リサイクル不可ってエコじゃないな、と」
「お前な…。卒塔婆を捕まえてエコも何も!」
しかし…、とキース君も腕組みをして。
「お盆の迎え火も近所迷惑で出来ない昨今、いずれは卒塔婆も変わるかもなあ…」
エコな方へ、と考え中の副住職。エコな卒塔婆って、リサイクルですか?
「変わるとしたなら、その方向だな。古い卒塔婆を燃やす代わりにリサイクルだろう」
今の素材では無理なんだが…、というのは間違いない話。卒塔婆の素材は木材なだけに、リサイクルしても卒塔婆の形で戻って来てはくれないでしょう。素材から変えるしかないんですね…。
「そういうことだが、どんな卒塔婆になるのやら…」
俺には全く見当がつかん、とキース君。でもでも、世の中、エコな方へと進む風潮、いずれは卒塔婆のお焚き上げだって出来なくなるかもしれませんし…。
「お焚き上げが出来なくなる時代ねえ…」
来るかもね、と会長さん。
「もしも卒塔婆もエコでリサイクルな時代が来たって、ぼくが処分をしたいブツはさ、どうにもならないわけなんだけどさ…」
「「「は?」」」
不燃ゴミでも抱えてましたか、会長さん? それなら早めに連絡して回収を頼むとか、分別可能な代物だったらきちんと分けてゴミに出すとか…。
「そうしたいのは山々だけどさ、ゴミに出したら犯罪者だしさ…」
「「「犯罪者!?」」」
どんなゴミを家に置いているのだ、と驚きましたが、考えてみれば会長さんはソルジャーです。ワープまで出来るシャングリラ号が存在するだけに、有り得ないゴミを持っているかも…。
「…まあね」
有り得ないゴミには違いないね、という返事。やっぱり、そういうゴミですか~!
会長さんが溜め込んだらしい、ゴミにも出せないゴミとやら。シャングリラ号の仕組みは私たちにはサッパリですけど、あれと通信するための設備、壊れてもゴミに出せないとか…?
「うん、出せない。…そのままでは無理」
出すんだったら専門の仲間に頼まないと…、と会長さん。元が何だったか分からないように分解した上でゴミだか、リサイクルだか。希少な金属などは仲間がリサイクルしているらしいですけど、そういうシステムがあるんだったら、有り得ないゴミもそっちに出せば?
「ダメダメ、頼まれた方も犯罪者になってしまうから!」
あれは共同正犯になるんだろうか、と法律用語が飛び出すからには、そのゴミとやらを処分した場合、裁ける法律があるわけですね?
「あるねえ、いわゆる刑法ってヤツが」
「「「刑法…」」」
法律の方はサッパリですから、刑法自体がイマイチ分かっていないんですけど…。
「刑法の中のどれなんだ?」
キース君が質問を。法律を勉強したかったのだ、と普通の学生だった頃に聞いた覚えがあります。お坊さんになるんじゃなくって、法律家。夢は捨てたとかで、今は副住職ですけれど。こういう話になって来たなら、俄然、興味が出て来るのでしょう。
「…どれと言われたら、ズバリ、百九十九条になるね」
「「「百九十九?」」」
はて…、とオウム返しな私たちでしたが、キース君だけが顔色を変えて。
「まさか、あんたがゴミに出したいのは人間なのか!?」
「「「人間!?」」」
何処からそういう発想に…、と顔を見合わせれば、キース君が。
「刑法で百九十九と言ったら、殺人罪だ!」
「「「ええっ!?」」」
殺人って…。それじゃ、会長さんがゴミに出したいものって、ホントに人間なんですか?
「…残念なことに人間なんだよ」
宇宙に捨てれば足がつかないかもしれないけれど、と恐ろしい台詞。いったい誰を殺したいと?
「決まってるだろう、ハーレイだよ! それと、殺したいわけじゃないから!」
ゴミに出せたらスカッとするな、と思っただけだ、と会長さん。
「あの暑苦しいのを分別して出すとか、リサイクルとか…。きっとスッキリするだろうと!」
「「「…ゴミ…」」」
教頭先生をゴミに出したいだなんて、そこまで言いますか、オモチャどころかゴミですか…。
「…ん? オモチャだって、いつかはゴミなんだしね」
気に入らないオモチャは直ぐにゴミになったりするし…、と会長さんは澄ました顔で。
「そうでなくても人に譲るとか、バザーに出すとか、こう、色々と…。でも、ハーレイの場合はそういうわけにもいかなくて…」
「当たり前だろうが!」
ゴミと一緒にするヤツがあるか、とキース君が怒鳴りましたが。
「…でもねえ…。たまに出したくなっちゃうんだな、ゴミステーションに」
粗大ゴミで、と会長さん。
「でなきゃリサイクルって書いて出すとか、捨ててみたい気分! 夏休みは特に!」
生ゴミがうっとおしい季節だから…、と生ゴミにまで転落しました、教頭先生。ゴミに出すのもバザーに出すのも、リサイクルだって無理だと思うんですけどねえ?
「無理だからこそ、ぼくの夢なんだよ! 一回くらいは捨ててみたいと!」
「あんた、少々、酷すぎないか?」
卒塔婆でもゴミじゃないんだが…、とキース君が突っ込みましたが、会長さんときたら。
「なら、ハーレイは卒塔婆以下だね、ぼくにとっては!」
ゴミに出したい代物だから、と会長さんが言った所で空気が揺れて。
「こんにちはーっ!」
紫のマントがフワリと翻り、ソルジャー登場。私たちがいるリビングを横切り、空いていたソファに腰を下ろすと。
「ぶるぅ、ぼくにもおやつと飲み物!」
「かみお~ん♪ ちょっと待っててねーっ!」
はい、とソルジャーの前に置かれた夏ミカンを丸ごとくり抜いたゼリー。くり抜かれた中身がゼリーになって詰まっています。それとよく冷えたレモネードと。ソルジャーは早速、ゼリーにスプーンを入れながら。
「…途中から聞いてたんだけど…。ハーレイをゴミに出したいんだって?」
「出したくもなるだろ、あんなモノ!」
夏は生ゴミが臭い季節で…、とまたも出ました、生ゴミ発言。
「だけど出したって回収どころか、ゴミ収集の人にしてみれば、ゴミステーションにホームレスだか酔っ払いだかが転がってるな、って感覚だろうし…」
「そりゃ、回収はしないだろうねえ…」
普通に死ぬしね、とソルジャーもゴミ収集車は理解が出来ている様子。生ゴミが入った袋をガガーッと粉砕しながら走るんですから、教頭先生を入れようものなら、それこそ刑法百九十九条とやらでゴミ回収の人が捕まりますよ…。
会長さんが出したい生ゴミ、いや粗大ゴミ。けれどソルジャーにしてみれば…。
「あのハーレイをゴミに出すだなんて! もったいないから!」
それくらいなら貰って帰る、と斜め上な台詞。持って帰るって、教頭先生をですか?
「そうだけど? それともバザーで売ってくれるのかな?」
買えるんだったら是非買いたい、とソルジャーの瞳がキラキラと。
「ぼくのハーレイ、昼間はブリッジなものだから…。退屈でたまらないんだよ!」
「…それで、あの生ゴミが欲しいって?」
ゴミなんだけどね、と会長さん。
「君が貰って帰った所で、究極の鼻血体質だし! おまけにヘタレで、君だってきっと後悔すると思うけど? とんだゴミを引き取ってしまったと!」
「うーん…。もちろん、そういう目的の方で使ってみてもいいんだけどねえ…」
もっと他にも使い道がね、とソルジャーはニヤリ。
「こっちのハーレイ、一人暮らしだしさ…。家事全般は出来るんだよね?」
「それはまあ…。炊事に洗濯、掃除も出来る筈だけど?」
「それだけ出来れば充分じゃないか!」
決して粗大ゴミなどではない、とソルジャー、絶賛。
「ゴミっていうのは何の役にも立たないからこそゴミなわけでさ…。ぼくが引き取って有効活用、きちんと仕込めば素敵な下僕に!」
「「「下僕?」」」
「そう、下僕。ぼくの召使いと言えばいいのかな? 是非とも欲しいね、ゴミに出すなら」
夏休みの間だけでもゴミに出さないか、とソルジャーは会長さんに持ち掛けました。責任を持って回収するから、ハーレイをゴミに出してくれ、と。
「うーん…。ゴミって、ゴミステーションに?」
「ゴミステーションがいいなら、それでかまわないよ? 捨ててあったら持って行くから」
「ゴミ収集車が来る前にかい?」
「決まってるじゃないか!」
大事なお宝をゴミ収集車なんかに譲れるものか、と本気で回収するつもり。会長さんの方はどうしたものかと考え込んでいましたが…。
「分かった、それならゴミに出してみよう」
「本当かい!?」
「燃えるゴミの日と燃えないゴミの日、どっちがいい? 生ゴミは燃えるゴミだけど」
「好きな方でいいよ?」
どっちでもオッケー、とソルジャーが親指を立ててますけど、教頭先生、本当にゴミに…?
「えーっと…。燃えるゴミの日は…、と…」
会長さんがカレンダーを眺めて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと、明日も燃えるゴミの日なんだけど…。みんなお留守になっちゃうよ?」
合宿だよ、という声に、会長さんは。
「そうだったっけ…。同じ出すなら、見ている人が多い日でなきゃ…」
「それ以前にだな!」
キース君が声を荒げました。
「教頭先生がいらっしゃらないと、明日からの合宿が成り立たないんだ! ついでに夏休み中も柔道部の部活はあるんだからな!」
捨てるな、馬鹿! とストップが掛かったというのに、会長さんは鼻でフンと笑うと。
「…合宿の間は君たちも留守だし、ハーレイも泳がせておくことにしよう。でも、戻って来たら捨てることに決めた! 夏休みの間は!」
「本当に捨ててくれるのかい?」
ぼくが拾っていいのかい、と嬉しそうなソルジャーと、似たような表情の会長さんと。
「捨てる神あれば拾う神ありとも言うからねえ…。捨てたら、拾えば?」
「喜んで!」
捨てる前には連絡してよ、とソルジャーは念を押しました。出来るだけ早く拾いたいから、と。
「了解。ぼくも犯罪者にはなりたくないし…。そうだ、ハーレイが自分でゴミステーションに行けば解決だよねえ、ぼくが捨てたってことにはならない!」
「…こっちのハーレイ、自分からゴミステーションに行くとは思えないけど?」
そんなしおらしいキャラではあるまい、とソルジャーが指摘しましたが。
「ううん、やり方によっては行くね! 大喜びでね!」
合宿が終わって最初のゴミの日にしよう、と会長さんはカレンダーに印を付けに。日付を赤い丸で囲んで戻って来て。
「あの日に捨てるから、拾いに来てよ。燃えるゴミの日だから、早めにね」
「言われなくても早く来るけど…」
ハーレイを拾いに来られるんだし、とソルジャーが言うと、会長さんが指を左右にチッチッと。
「甘いね、燃えるゴミの日を甘く見すぎだよ! この日には色々とルールがあって!」
「…ルール?」
「早く出し過ぎるとカラスなんかが食べに来るしさ、それに臭いし…。夜が明けてから捨てる、という暗黙のルール! 夏の夜明けは早いから!」
早い時間に出したんです、と嘘をついて前の夜から捨てている人もいるのだそうで。ソルジャーの到着が遅かった場合、教頭先生は生ゴミと一緒にいる時間がうんと長めになるらしいですよ?
朝はゆっくり寝坊したいのがソルジャーなる人。一方、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は早起きタイプで、朝一番に教頭先生をゴミステーションに捨てるとなったら三時半には起きるとか。
「ぼくが自分で捨てに行くんじゃないけどねえ…。ハーレイが歩いて行くんだけれど!」
だけど回収される過程は見たいし早起きをする、と会長さん。
「ハーレイだって早起きなんだよ、夜明けと同時にゴミステーションに到着しろ、と言っておいたら時間厳守で出掛けるから!」
「…それじゃ、ぼくまで三時半起き?」
「ハーレイを早く回収したいのならね!」
生ゴミの匂いが染み付いた後でもかまわないならごゆっくり、と会長さんはニコニコと。
「ハーレイがゴミステーションに座っていたって、他の人はゴミを捨てて行くしね? ハーレイにはキッチリ言っておくから、他の人が捨てに来た時の言い訳!」
「…なんて?」
どんな言い訳、とソルジャーが訊いて、私たちも答えを知りたい気分。いったいどんな言い訳をすれば、他の人が怪しまずにゴミを捨てられると?
「アートだよ!」
「「「アート?」」」
「芸術って意味のアートだってば、そういう理由でパフォーマンスが色々あるだろ?」
実に便利な言葉だから、と会長さんは胸を張りました。
「ハーレイ自身がアートなんだよ、いわゆる芸術作品なわけ! ゴミとしてゴミステーションに座っていることで完成する芸術、そういうものだと自分で言わせる!」
「「「………」」」
あまりと言えばあんまりな言い訳、けれども立派に通りそうな言い訳。芸術家には多い奇人変人、そういう人だからこそ作れるアート。ゴミステーションでゴミを気取ってゴミになり切る芸術家だって、決していないとは言えませんし…。
「ダメ押しするなら、この世には芸術作品になった便器もあるから!」
「「「便器?」」」
便器と言ったらトイレに置いてあるアレなんでしょうか、あれが芸術? ソルジャーだって「嘘だろう?」と目を丸くしてますけど、本当に便器が芸術ですか?
「間違いないねえ、便器以外の何物でもないね!」
こんな感じ、と思念波を使って伝達された代物は紛うことなき便器でした。作った人の署名がしてあるというだけの本物の便器、しかし作品のタイトルは『泉』。これが芸術作品だったら、教頭先生がゴミステーションでアートになっても…。
「問題無し!」
だからこの日に決行する、と決めてしまった会長さん。合宿明けは荒れそうですねえ…。
こうしてキース君たち柔道部三人組は翌日から合宿、サム君とジョミー君は璃慕恩院へ。男子が全員留守の間は、スウェナちゃんと私はフィシスさんも交えてプールに買い物、他にも色々。合宿などを終えた男子が戻って来たら…。
「かみお~ん♪ みんな、お疲れ様~!」
今日は焼き肉で慰労会! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意してくれて、会長さんの家で焼き肉パーティー。ソルジャーもちゃっかり混ざっています。なにしろ明日は…。
「いよいよ明日だね、ハーレイがゴミに出される日はね!」
楽しみだなあ、とソルジャーが焼き肉をタレに浸けていますが、会長さんは。
「まだ本人には言ってないけど、まず間違いなくゴミに出るね!」
自分からね、とニンマリ、ニヤニヤ。
「ゴミに出されたら、君が回収して行くんだし…。そのための説得、君も行くだろ?」
「もちろんさ! ハーレイにゴミになって貰わないことには、ぼくは貰って帰れないしね!」
いつ行くんだい、とソルジャーが訊くと。
「焼き肉パーティーが終わってからだよ、昼間で充分!」
明日の朝はハーレイに早起きして貰わないといけないから…、と会長さん。ゴミステーションに朝一番に出掛けるためには早起きだ、と。
「そうだっけねえ…。で、何処のゴミステーションに捨てられるんだい、ハーレイは?」
「捨てた気分を味わいたいから、ぼくが行ってるゴミステーション!」
いつもはぶるぅが捨ててるけれど、と会長さんが言うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「んとんと…。ブルー、寝てたりするしね、ぼくの方がうんと早起きだもん!」
重たいゴミでも平気だもん、と家事万能の「そるじゃぁ・ぶるぅ」ならではの台詞。小さい身体でもサイオンを使って楽々ゴミ捨て、両手に提げても行けるようです。
「あんた、ゴミ捨てまでぶるぅにやらせてたのか!」
キース君が呆れましたが、会長さんは全く気にしない風で。
「本人が好きでやってるんだし、それで問題ないんだよ! ゴミ出しルールはぼくより詳しい!」
「えとえと…。ブルー、時々、間違ったものを捨ててるしね…」
燃えないゴミを入れてるバケツに燃えるゴミとか…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんでもミスする時にはミスするんですね、ゴミ出しルールの間違いかあ…。
焼き肉パーティーが終わった後は、爽やかな冷たいミントティー。それを飲んでから、瞬間移動でいざ出発。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、ソルジャーの青いサイオンがパアッと光って。
「「「お邪魔しまーっす!」」」
挨拶付きで飛び込んだものの、教頭先生はリビングのソファで仰け反ってしまわれました。それでもアタフタと用意して下さった冷たい麦茶とお煎餅。会長さんがお煎餅を齧りながら。
「ハーレイ、ぼくは君を捨てたいと思っていてね」
「は…?」
「ほとほと愛想が尽きたんだよ、君に! でも捨てようにもゴミに出せないし、と悩んでたら…」
「ぼくが貰おうと思ってね!」
捨てる神あれば拾う神あり、とソルジャーが得々として名乗り出ました。
「ブルーが君を捨てると言うなら、ぼくが拾いに来るんだよ! どうだい、この夏休みはぼくのシャングリラで過ごしてみるとか!」
海の別荘に行く時までくらい…、とソルジャーの提案。気に入ったならば夏休み一杯、いてくれてもいいと。
「…で、ですが…。私が行ったらお邪魔なのでは…」
「ううん、全然! 君さえ良ければ、ぼくとハーレイとの愛の時間に混ざってくれてもかまわないからね!」
むしろ歓迎、と笑顔のソルジャー。
「ヘタレで鼻血体質の君にはそれほど期待してないし、その、なんて言うか…。片付け係? そういうのをやって暮らしてくれれば」
「片付け係…ですか?」
「ぼくは片付けが苦手なタイプで、青の間は常にメチャメチャなんだよ。ぼくのハーレイが片付けようと頑張ってるけど、片付けなんかに貴重な時間を割くのは嫌いで」
片付けよりも夫婦の時間が最優先! とソルジャーはグッと拳を握りました。
「そんなわけだから、片付け係がいると助かるなあ、と…。捨てられてくれる?」
「は、はあ…。そのぅ、捨てるというのは…」
「ブルーが捨てた気分を味わいたいって言っているから…。後はお願い」
はい、交代! とソルジャーが会長さんに合図を送って、今度は会長さんの番。教頭先生をゴミに出したいと言い出した張本人は極上の笑みで。
「難しいことではないんだよ、うん。君さえゴミになってくれるなら」
「…ゴミ?」
「そう、文字通りのゴミってね!」
用意はキッチリして来たのだ、と言ってますけど、用意って、なに…?
教頭先生をゴミに出したい会長さん。「ゴミだよ、ゴミ」とポケットに手を突っ込むと。
「種も仕掛けもありません、ってね。ゴミにはコレ!」
超特大! と引っ張り出されたゴミ袋。燃えるゴミ用の指定のマークが入った袋で、それの一番大きいタイプを「ジャジャーン!」と効果音つきで広げて見せて。
「この通り、ぼくはゴミ袋を買ったんだ。君をゴミに出すための袋をね」
「…そ、それで…?」
「明日の朝、これをポンチョみたいに被ってさ…。ぼくのマンションの横のゴミステーションに座っていれば、回収係がやって来るから!」
ブルーが寝坊さえしなかったなら、夜明けと共に…、と会長さん。
「夏は夜明けが早いからねえ、わざわざ早起きをしてやって来るブルーを待たせないためにも、朝の三時半には着いてて欲しいね、あそこにね!」
「…座っているだけで迎えが来るのか? ゴミステーションに」
「そう! 君がブルーのシャングリラで夏休みを過ごすんだったら、座ること!」
それからねえ…、と会長さんは例の言い訳を教頭先生に吹き込みました。ゴミを捨てに来た人に出会った場合は「アートなんです」と答えるように、と。
「ぼくのマンションは仲間しか住んでいないけど…。ご近所の人も使っているしね、あのステーションは。立地の関係というヤツで」
前の晩から捨てておこうという不届き者もいるからゴミはある筈、と会長さんはニコニコと。
「そういうゴミの隣に座って、ブルーを待つ! 来ない間は芸術作品!」
アートのためならぼくも一肌脱ぐことにする、とダメ押しが。
「ぼくは普段はゴミ捨てしないし、ぶるぅの係なんだけど…。君をゴミに出した気分を味わうためには見に行かないとね、ゴミステーション! そしてゴミ捨て!」
ブルーよりも先に到着してゴミを出してやる、と会長さんは宣言しました。
「いいかい、このぼくが生ゴミを捨てに行くんだよ? 君が座って待ってる所へ!」
「…そ、そうか、お前も来てくれるのか…」
それは嬉しい気持ちではある、と教頭先生、ゴミを捨てられても感激の様子。自分自身がゴミ扱いな上に、会長さんがゴミを捨てに来るのに。
「お前がゴミを捨てに来るなら、やはり頑張って其処に座りに行かんとな」
「そうそう、その意気! でもねえ、ぼくが捨てた生ゴミの袋を漁ったりしたらいけないよ?」
それはアートの精神に反する、と会長さんはキッチリと釘を。
「ゴミはゴミらしく、座っているだけ! 他のゴミ袋は荒らさない!」
「分かった、私もゴミ奉行なわけではないからな…」
いちいちチェックをしたりはしない、と教頭先生。本気で捨てられるつもりですよ…。
決まってしまったゴミ出し計画。教頭先生は夏休みの間は留守にする、という届けをあちこちに出してしまって、気分はすっかりソルジャーが暮らすシャングリラへと。
「…つまり、私の仕事というのは青の間の片付けなのですね?」
「それと、料理が出来るんだったら、おやつをよろしく」
材料はちゃんと用意するから、とソルジャーもワクワクしています。
「おやつ係ですか…。甘い物は苦手なのですが…。作って作れないことはないかと」
「じゃあ、お願い! ぼくの青の間、ぶるぅとハーレイしか出入りしないしね、君が増えてもバレやしないって!」
食事だって一人前くらいは誤魔化せるし、と教頭先生を貰う気満々、拾う気満々。キャプテンにも既に相談済みらしく、了解は得てあるそうでして。
「青の間の奥に簡易ベッドを置くから、そこで眠ってくれればいいから! 気が向いた時は、ぶるぅと一緒に覗きをしててもかまわないからね!」
混ざってくれても歓迎するから、と言われた教頭先生、耳まで真っ赤で。
「…た、楽しみにしております…」
明日ですね、とカレンダーをチェックし、会長さんに貰ったゴミ袋を見て。
「これを被ってゴミステーションにいれば、来て下さる、と…」
「そうだよ、君を拾いにね!」
頑張って早起きしなくっちゃ! とソルジャーが拳を高く突き上げ、会長さんも。
「その前にぼくがゴミ捨てだよ! 捨てた気分を存分に!」
「かみお~ん♪ 明日はブルーがゴミ捨てなんだね!」
頑張ってねー! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。えーっと、私たちの方はどうすれば…?
「え、君たちかい? アートを見たいと言うのなら…」
ぼくの家に泊まって中継で見れば、と会長さん。いつものサイオン中継です。それで見られるのならば、ちょっぴり見たいような気も…。
「オッケー、それじゃ全員、今夜は泊まりということで!」
「やったあ、今夜はお客様だあ~!」
晩御飯の後もゆっくり出来るね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねています。おもてなし大好き、お客様大好きだけに、急な泊まりも嬉しいらしくて。
「ねえねえ、帰りに泊まりの荷物を取りに行ったら? 瞬間移動で送るから!」
「それが良さそうだね、ぼくの家へ帰る前に一旦、解散ってことで」
家へ帰って荷物をどうぞ、と瞬間移動でそれぞれの家へ。私も自分の部屋まで送って貰いました。荷物を詰めたら、思念波で合図。直ぐに会長さんの家へと移動出来ましたよ~!
夜は屋上でバーベキュー。生ビールやチューハイなんかも出て来て、ソルジャーは飲んで食べまくって帰ってゆきました。いい感じにエネルギーをチャージ出来たから今夜も楽しみだ、と。
「…御機嫌で帰って行ったけど…。明日の朝、ちゃんと起きるのかな、アレ」
目覚ましをセットしろと言い忘れた、と会長さんが心配してますけれども、もう連絡がつかないそうです。ソルジャーは恐らく大人の時間の真っ最中で、意識がこっちに向いていないとか。
「そういう状態のブルーには連絡不可能なんだよ」
「…忘れて寝てなきゃいいんだがな…」
教頭先生がただのゴミになってしまわれるんだが、とキース君。けれど会長さんは「別にそれでもいいんじゃないか」という答え。
「ただのゴミにはならないと思うよ、アートだからね!」
「…ゴミ収集車が来るまでですか?」
シロエ君の問いに、会長さんは。
「そうなるねえ…。上手くいったら誰かが新聞に写真を投稿してくれるかも!」
「「「うわー…」」」
そんなことになったら写真が世界中に散らばらないか、という気がします。投稿した人が誰かに送って、其処から一気に拡散するとか…。まさか、まさかね…。
私たちの方は徹夜で騒いで、夜明け前。会長さんが「来た!」と声を。
「ハーレイが来たよ、ゴミステーションまで歩いてね」
「「「歩いて?」」」
車じゃないのか、と思いましたが、ソルジャーの世界へ行くんですから、車は自分の家に置いておく方が安心です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオン中継の画面を出してくれて、まだ暗い中を歩いて来た教頭先生の姿が見えました。普段着姿でゴミ袋持参。
「ふむ、この辺りか…」
ゴミもあるしな、と前の晩から置かれていたらしいゴミ袋の脇にドッカリ、体育座り。例のゴミ袋をポンチョのように頭から被れば、足先まで余裕でカバーです。頭だけが出たテルテル坊主スタイルとでも言うべきでしょうか?
「…座っちゃったよ…」
大真面目だよ、とジョミー君がポカンと口を開け、会長さんが。
「ぼくはゴミ捨てに行ってくるよ。ぶるぅ、生ゴミの袋は今日は一つで良かったっけ?」
「うん、右側のバケツの分だけ!」
「オッケー、それじゃ捨てに行こうかな、アートに花を添えるためにね」
ゴミの間違いじゃないのかい! と誰もが心でツッコミ、暫くすると中継画面にゴミ袋を提げた会長さんが。それを教頭先生の真横にドサッと放り出すと、「おはよう」の挨拶を綺麗に無視。
「ゴミは本来、喋らないものだよ? 理由を訊かれない限りはね」
じゃあね、と立ち去り、戻って来ました、私たちの所へ。間もなく朝一番のゴミ捨てらしい仲間がゴミステーションに現れて…。
「こんな所で何をなさってらっしゃるんです?」
「いや、ちょっとしたアートで、パフォーマンスのつもりなんだが…」
「はあ…。学校の方のお仕事でしょうか、夏休みなのに大変ですね」
では失礼して…、とゴミ袋を置いて去って行った仲間。お次は仲間ではなくご近所の人で、教頭先生、同じく言い訳。そうこうする内、ゴミは増えてゆき、夏だけに…。
「…匂うんじゃないの?」
臭そうだよ、とジョミー君。その瞬間にユラリと空間が揺れて。
「どうしよう、寝坊しちゃったんだけど…!」
あのハーレイ、ゴミ臭くなってるんだけど、とソルジャーは慌てまくりの顔で。
「回収前に洗っていいかな、こっちの世界で?」
「それはハーレイと相談したら? あ、またゴミが増えた…」
臭そうなゴミが、と会長さんは知らん顔。ついでに通りすがりの人がカメラを構えています。アートだと聞いて撮っているらしく…。
「とにかく君が回収したまえ! あのゴミを!」
「臭くなってるから、それは嫌だと!」
いくら青の間が散らかっていてもゴミの匂いはまた別物だ、とソルジャーが騒ぐ間にも増えるゴミ。カメラを構える人も増えて来ました、挙句の果てに…。
「か、会長…。写真がアップされちゃいました!」
新聞じゃなくて…、と携帯端末を持ったシロエ君がブルブルと。携帯端末で見られるってことは、その写真は…。
「「「拡散コース…」」」
ゴミに混じってソルジャーの迎えを待ってらっしゃる教頭先生、下手をすれば地球規模で写真がバラ撒かれてしまうことでしょう。ゴミのアートとして。
「だから、さっさと回収しろって言ってるのに!」
会長さんが怒鳴って、ソルジャーが。
「あれはゴミだよ、もう完全に…。いくらぼくでも、ゴミは欲しくないし…」
またの機会に、とソルジャーの姿が消えてしまって、逃げたようです。教頭先生、ゴミ袋の被り損ですが…。
「まあ、いいか…。ハーレイをゴミに出した気分は味わえたからね」
収集車が来るまでにゴミ袋がどれだけ増えるかな…、と会長さんは楽しそう。例の写真は凄い勢いで拡散中かと思われますけど、あれはアートでいいんでしょうか? タイトルをつけるなら何になるんですか、やっぱり『ウィリアム・ハーレイ』ですか~!?
捨てたい芸術・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ゴミステーションに捨てられてしまった、教頭先生。拾って貰える筈なのに、スルー。
気の毒ですけど、どうしようもないコース。しかも写真が拡散中って、泣きっ面に蜂かも。
次回は 「第3月曜」 8月17日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、7月とくれば夏休み。満喫したい所ですけど、問題があって…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
(ふうむ…)
やはり羽根枕が一番人気か、とハーレイが眺めた新聞記事。夕食の後で、ダイニングで。
ブルーの家には寄れなかったから、一人でのんびり食べた夕食。片付けを済ませて、コーヒーを淹れて、今夜はダイニングでゆっくりと。
書斎に行くのもいいのだけれども、新聞を読むならダイニング。そういう習慣。夕刊をじっくり読みたかったから、書斎は後で。日記を書きに、夜は必ず入る部屋だから。
(羽根枕なあ…)
広告というわけではない記事。たまたま枕を取り上げただけ。今はこういう枕が人気、と。
枕に詰める様々な素材。色々な素材が載っているけれど、羽根が一番人気だという。ふんわりと空気を含んで膨らむ、水鳥の羽根が詰まった枕。
(なんたって、天然素材だしな?)
前の自分が生きた時代から、ずいぶんと長く流れた時。死の星だった地球が青く蘇り、その上に人が戻れるほどに。
時が流れた分、技術も進歩したのだけれども、SD体制の頃に流行った合成品は不人気な時代。食べ物を合成で作りはしないし、他の物だって、天然素材が一番なのだといった風潮。
そんな具合だから、今の技術なら作れそうな気がする水鳥の羽根も、合成品は存在しない。全て本物、羽根枕の中身は水鳥が身体に纏っていた羽根。
その羽根枕が一番人気だと書いてあるのだし、こだわりたい時代なのだろう。寝心地の良さと、天然の素材で出来ていること。頭を柔らかく包み込む枕。
同じ天然素材の中では、ソバ枕も人気が高いらしい。しっかりした枕を好む人だと、ソバ枕。
なるほど、と熱いコーヒーをコクリと一口。枕の中身は今も昔も色々だな、と。
(前の俺の頃には、蕎麦は無くてだ…)
蕎麦を食べるという食文化そのものが消されていたから、ソバは栽培されなかった。植物園にはあったかもしれないけれども、ただの植物。その実から蕎麦粉を作りはしないし、ソバの実の殻を詰めた枕もあるわけがない。…あの時代には何処にも無かったソバ枕。
とはいえ、枕の素材は今と同じに色々とあって、羽根枕もちゃんと存在していた。本物の水鳥の羽根が詰まった、軽くて柔らかかった枕が。
けれど…。
(アルタミラだと、枕も無しだったんだ…)
成人検査でミュウと判断され、人間扱いされなくなった前の自分。実験動物に過ぎない生き物、狭い檻の中で生きていた。餌と水だけを与えられて。
檻なのだから、布団も枕も貰えはしない。ゴロリと床に転がるだけで、頭の下は固い床だった。実験の後で、激しい頭痛に苦しんでいても、無かった枕。床で寝るしかなかった檻。
苦痛だけの日々を送り続けて、突然に訪れた破滅の時。星ごと燃やされそうになった日。
逃げ出せないよう閉じ込められた堅固なシェルター、それをブルーが破壊した。自分よりも幼い少年だと思った、前のブルーが。
ブルー自身も驚いたらしいサイオンの爆発、お蔭で脱出できたシェルター。後はブルーと二人で走って、多くの仲間を助け出した。崩れゆく星で、幾つものシェルターを開けて。
その間に仲間が確保していた、逃れるための宇宙船。人類が捨てていった船。それに乗り込み、燃え上がる星を後にした。
操船に慣れていなかったせいで、ゼルの弟を喪ったけれど。
離陸する時には閉めねばならない、乗降口を閉めなかったから。ブリッジの者たちも、乗降口にいた前の自分たちも、閉めることを思い付かなかったから。
吸い出されるように外に放り出され、ゼルの手から離れて落ちて行ったハンス。助かる筈だった仲間を一人失い、闇雲に宇宙へ飛び立っていった。自由になれる星の海へと。
とにかく逃げねば、という思いだけだった、アルタミラからの脱出劇。初めて出会った、大勢の仲間。研究者たちはミュウ同士が顔を合わせないよう、厳重に管理していたから。
前のブルーとも初対面なら、ゼルもヒルマンも、他の仲間たちも。
彼らと食べた最初の食事が嬉しかったことを覚えている。非常食だったけれど、封を切るだけで温まった料理と、ふわりと膨らんでくれたパン。「食べ物なのだ」と覚えた感動。餌とは違うと、これは人間が食べるものだと。
(でもって、枕の方もだな…)
寝られる場所を探していたら、見付かった寝具。毛布やシーツや、幾つもの枕。
それを使って寝るのだと分かった、色々なもの。どれも快適だったけれども、最高に気に入った寝具が枕。頭を乗せて横になったら、「これだ」と心に湧き上がった喜び。
(頭は覚えていたってわけだ…)
記憶をすっかり失くしてはいても、その感触を。かつては頭の下にコレが、と枕のことを。
檻の床とはまるで違った、頭を支えて包み込む枕。その心地良さだけで訪れた眠気。ゆらゆらと眠りの海に誘われた、あの時の枕。
(毛布とかの方は、それほどでもなかったんだよなあ…)
くるまってホッとしたけれど。温かいものだ、と思ったけれども、枕ほどではなかった感激。
欲しい寝具を一つ挙げるなら、「枕だ」と即答出来ただろう。「これがあればいい」と。
毛布やシーツは無かったとしても、枕があれば。…あの檻でだって、枕があったら、気持ち良く眠れる日もあったのでは、と思ったくらいに。
他の仲間たちも、枕への思いは同じだったらしい。寝具の中では枕が最高、と。
アルタミラの檻では、枕など持っていなかったのに。…毛布もシーツも無かったのに。
(みんな枕に慣れちまったから、枕が変わると…)
寝られない者も出て来たのだった、その内に。
船の名前がシャングリラに変わり、船での暮らしに誰もが馴染み始めたら。…アルタミラの檻の記憶が薄れていったら、より心地良く眠りたくなるもの。
檻にいた頃は、床に転がれば眠れていたのに、いつの間にやら、馴染みのベッドと馴染みの枕。中でも枕が眠りの質を左右するから、自分好みの枕を使いたくなった仲間たち。
前のブルーが奪った物資に枕があったら、枕の取り合い。
(枕投げは、やっちゃいないがな?)
そちらの方は、今の平和な時代ならでは。様々な文化が復活して来た時代の、この地域に息づく愉快な文化。合宿などでの子供のお楽しみ、沢山の枕が宙を飛ぶ。
シャングリラで枕投げはしなかったけれど、それを彷彿とさせる枕の奪い合いの記憶。ブルーが手に入れた物資の中から、枕を幾つも引っ張り出しては奪い合った仲間。
「これは俺の頭にピッタリなんだ」と主張してみたり、「これも試したい」と食い下がったり。自分好みの枕が欲しくて、まさに取り合い。
枕の数が充分にあっても、「こっちがいい」とか、「これが欲しい」とか。
絶大な人気を誇った枕だけれども、前の自分は加わらなかった奪い合い。
備品倉庫の管理人をしていた時代も、キャプテンの任に就いた後にも、自分用の枕は一番最後に貰いに行った。残っている枕で充分だったし、特にこだわりも無かったから。
ところが、前のブルーも同じで一番最後。船の仲間に行き渡った後で倉庫に貰いにやって来た。渡す係だった自分の所へ、「新しい枕が欲しいんだけど」と。
枕はブルーが奪って来たのに。…ブルーが調達した物なのに。
誰よりも優先権がある筈のブルーが、最後に貰いに来なくても…、と思ったから。
「先に貰っておけばいいのに…」
お前が手に入れた枕なんだぞ、好きなのを一番に選んでもいいと思うがな?
「ぼくはどれでも寝られるんだよ。…だから最後でいいんだってば」
アルタミラの檻で過ごした時代が長いから、と微笑んだブルー。
誰よりも長くあそこにいたから、どんな枕でもあれば充分幸せなんだ、と。
(あいつ、そう言うもんだから…)
自分が手に入れた枕に全くこだわりもせずに、仲間たちを優先してしまうブルー。どんな枕でも眠れる自分は最後でいい、と。
けれど、誰よりも長く辛い思いをしたブルーこそが、心地良い眠りを手に入れるべきだと思った自分。やっと訪れた人間らしく暮らせる時代なのだし、快適な枕で眠って欲しいと。
そうは思っても、ブルーは枕を選ばないから。…最後にしかやって来ないから。
(前の俺も、枕には詳しくなかったし…)
エラを捕まえて尋ねたのだった。食器の素性を調べるために、何度も倉庫に来ていたエラ。裏に描かれたマークをチェックし、どんな食器かと興味津々で。
そんなエラだから、枕にも詳しいと踏んでいた。詳しくなくても、きっと調べて来てくれると。
「ちょっと教えて欲しいんだが…。枕ってヤツは、どれがいいんだ?」
どの枕が一番いい枕なのか、そいつを教えて欲しくって…。
俺は倉庫の管理をしてはいるがだ、どういう枕がいいヤツなのかが分からなくてな。
「そうねえ…。好みにもよると思うんだけど…」
高級な枕と言うんだったら、羽根枕だわ。あれが一番、高い筈なの。
水鳥の羽根が詰まっているのよ、とても軽くて柔らかい枕。私も一つ貰ったけれど…。寝心地の方は、もちろん最高。それまでの枕とは全く違うわ。
「そうなのか…。羽根枕なんだな?」
分かった、次に羽根枕が手に入ったら、気を付けてチェックしてみよう。
今までは何とも思っていなかったんだが、最高と聞けば、どんな枕か気になるからな。
エラには「ブルー用だ」とは言わなかったけれど、頭に叩き込んだ羽根枕。
次にブルーが奪った枕をコンテナの中から運び出す時、羽根枕を一つ、探し出して倉庫に取っておいた。仲間たちが奪い合う場所には出さずに。
このくらいのことは許されるだろうと、自分用にと選んだわけではないのだから、と。
そしてブルーが「枕はある?」と貰いに来た時、倉庫の奥から取って来て。
「ほら、この枕。…取っておいたぞ、お前の分だ」
いつも残った枕ばかりを持って行くだろ、だから残しておいたんだが。
「えっ?」
ぼくはどれでも寝られるんだし、そんなの、取っておかなくっても…。どれでもいいのに。
「いいから、一度、こいつで寝てみろ」
寝心地が違う筈なんだ。…とっておきの枕なんだから。
「とっておきって…。なに?」
何処か違うの、いつもの枕と?
確かに、とても軽い枕だと思うけど…。
「羽根枕だ、エラのお勧めだ」
そいつが一番、いい枕なんだそうだ。…俺は使ったことが無いんだが、エラは使ってる。
とにかく、一度、試してみろ。枕ってヤツは馬鹿に出来んぞ、他のヤツらは奪い合いだしな?
持って行け、と羽根枕を渡して、次の日、ブルーに出会ったら。
枕の使い心地はどうだった、と訊くよりも前に、ふわりと綻んだブルーの顔。
「ハーレイ、羽根枕、フワフワだね」
とても柔らかくて、気持ち良くって…。アッと言う間に眠っちゃっていたよ。
「そうか。…良かったか、アレ?」
「うん。同じ枕でも、あんな枕もあるんだね…」
今までの枕と全然違う、とブルーは嬉しそうだったから。羽根枕はブルーに合ったようだから。
次からは、ブルーに羽根枕を渡すことにした。他の仲間たちの目に触れないよう、倉庫の奥へと運び込んでおいて。争奪戦の場所には、出しもしないで。
キャプテンになって備品倉庫を離れる時には、次の管理人に選ばれた仲間に…。
(羽根枕を一つ、残しておけ、って…)
伝えておくのを忘れなかった。ブルーが来たら渡すように、と。
羽根枕があったら、ブルーに一つ取っておくこと。それも管理人の役目の内だ、と。
仕事を引き継いだ仲間は約束を守り、ブルーの枕はいつでも羽根枕だった。フワフワの柔らかな羽根枕。争奪戦でも人気が高かったそれを、いつも一つだけブルーのために。
ブルーはやがてソルジャーになって、いつしかエラにも羽根枕のことが知れていたから。
元は人類のものだった船を、白い鯨に改造することが決まった時に…。
「羽根枕じゃと?」
なんの話じゃ、とゼルが訊き返した会議の席。議題は枕の話ではなくて、新しい船で飼う家畜のこと。卵を沢山産む鶏だの、ミルクを出してくれる牛だのと。
「ええ、羽根枕です。…羽根枕はもちろん、御存知でしょう」
そのためにグースを飼いたいのですが、と言い出したエラ。
ソルジャー用に、と。
「なんだね、それは?」
グースは分かるが、ソルジャー用とは…、とヒルマンが首を捻ったら。
「ソルジャーの枕は、いつも羽根枕だったのです」
今も羽根枕を使っておいでですし、ずっと前からそうでした。ハーレイが倉庫の管理をしていた頃から、羽根枕を使っていらっしゃるのです。寝心地がいい枕ですから。
それに高級な枕だそうです、とエラは話した。羽根枕は高級品なのだと。
白い鯨が完成したなら、青の間に住むことになるソルジャー・ブルー。皆が敬うべき存在。
ソルジャーには高級品の枕が相応しいのだ、と主張したエラ。
出来れば羽根布団も欲しいと、高価な布団は青の間のベッドに映えそうだから、と。羽根枕も、羽根布団も、中に詰めるのは水鳥の羽根。…その水鳥が、グースと呼ばれるガチョウだった。
「グースは特に役立つわけでもないのですが…」
卵と肉は食べられます。鶏とさほど変わりません。それに、鶏の羽根では、羽根枕も羽根布団も作れませんから…。
ソルジャーに羽根枕を使って頂くためにも、是非グースを、とエラはグースを推したけれども。
「他にどういう使い道があると言うんじゃ、羽根枕だの羽根布団だのはともかくとして…」
卵と肉なら鶏だけで充分じゃわい、とゼルが髭を引っ張り、ヒルマンもいい顔をしなかった。
「使い道は置いておくとしてもだ、水鳥の飼育は難しそうだと思うがね…」
鶏のようにはいかんよ、グースは。…余計な手間がかかるだろうしね、水鳥だけに。
「やってみる価値はある筈です。飼育数に合わせて小さな池を作ってやれば…」
飼えるというデータを見ましたから。大きな池を作る必要はありません。
水鳥ですから、体重で足を傷めないよう、池はどうしても要るようですが…。
「鶏で充分だと思うけどねえ?」
そうやってソルジャー専用の枕や布団ってヤツを作ってもさ…。
誰がそいつを見に行くんだい、と呆れたブラウ。「ソルジャーのベッドの見学なんて」と。
「…ぼくだって、そんな枕や布団は要らないよ」
卵や肉なら分かるんだけどね、ぼくのためだけの枕や布団の材料に鳥を飼うのはちょっと…。
その分の手間とスペースをもっと、有効に使うべきだと思うよ。
「でも、ソルジャー…!」
羽根枕はソルジャーのお気に入りではありませんか…!
あの羽根枕が無くなるのですよ、船でグースを飼わなかったら…!
「…みんなと同じ枕の何処がいけないんだい?」
それで充分だと思うけれどね、ソルジャーの枕。…羽根枕にこだわるつもりは無いよ。
ぼくに羽根枕は必要無い、というブルーの一言で、エラの意見は却下された。
エラの他には、誰一人として羽根枕にこだわりはしなかったから。…羽根布団にも。
こうしてグースは船で飼われず、水鳥の羽根が詰まった枕は手に入らなくなってしまった。白い鯨は自給自足でやっていく船。人類からは何も奪わず、船の中だけで全てを賄うのだから。
ブルーの枕は、羽根枕から普通の枕に変わった。船の仲間たちの枕と同じ中身の。
(しかし、あいつは、特に何とも…)
言わなかったのだった、寝心地のことは。羽根枕の代わりに、快適なものが作られたから。船の仲間たちが研究を重ね、皆の意見を取り入れながら開発していた枕の素材。
ただ、ある日、ブルーがポツリと零した、羽根枕のこと。まだ恋人同士ではなくて、友達として青の間を訪ねて行った時に。
「ハーレイ、ぼくの枕だけれど…。羽根枕でなくても、これで充分、よく眠れるよ」
無駄にグースを飼わなくて良かった。エラは飼おうとしていたけれども、可哀相だし…。
羽根を毟られてしまうだなんてね、この船の中だけで暮らした末に。…地面も無い場所で。
それに、今頃、気付いたんだけど…。エラも、ぼくと同じ立場だったということに。
「は?」
同じとは…。ソルジャーはエラの意見に反対なさっておられたのでは?
あなたが反対なさいましたから、グースは飼わないことに決まったと記憶しておりますが…?
「飼わない、という所だよ。…エラもこの船で鳥を飼うのを、諦めざるを得なかったんだ」
覚えてないかな、ぼくも鳥を諦めさせられたよ。…エラよりも前に。
幸せの青い小鳥を飼いたかったけれど、グース以上に役に立たない鳥だったからね。青い姿しか取り柄が無くて、ただの愛玩用だから。
…やっぱり、この船に鳥は必要無いんだろう。役に立つ鶏以外の鳥は。
グースも、それに青い鳥もね…。
何の役にも立たないから、とゼルたち四人に反対されて、青い小鳥を諦めたブルー。地球と同じ青を纏った幸せの鳥を、飼ってみたいと夢見ていたのに。
叶わなかったブルーの望み。シャングリラで役に立たない鳥を飼うこと。
エラがグースを諦めるよりも早い段階で、潰えてしまったブルーの夢。シャングリラには青い鳥などは要らないと。…囀るだけの小鳥などは、と。
(そうか、ブルーだけじゃなかったのか…)
エラもだったか、と思い出した顔。グースは駄目だと切って捨てられ、悔しそうな顔をしていたエラ。「小さな池が必要なだけで、卵も肉も手に入るのに」と。それに羽毛も。
シャングリラで鳥を諦めざるを得なかった人間は、前のブルーだけではなかった。幸せの小鳥を諦めたのがブルーで、羽根枕の材料にもなるグースを諦めたのがエラ。
(グースも駄目なんじゃ、青い鳥の方はもっと無理だな)
青い小鳥は卵を産みはするだろうけれど、食用にするには向かない卵。小さすぎて、食べるには不向きな卵。…その上、身体の小さい小鳥は肉にもならない。食べられる部分が無いに等しくて。
グースの方なら、肉も卵も食べられるのに。…羽根で羽根枕も作れるのに。羽根布団だって。
そういうグースも却下されたのが、シャングリラ。飼えはしない、と。
(…あいつがどんなに欲しがったって、青い鳥はなあ…)
エラがグースを諦めたほどだし、白い鯨では飼えなかっただろう。幸せの鳥は。…青い色をした羽根の他には、何の取り柄も無いような鳥は。
せっかく思い出したのだから、明日はブルーに話してやろうか。
「シャングリラで鳥を飼うのを諦めたヤツは、お前だけではなかったようだぞ」と。
丁度いいことに、明日は土曜日。ブルーの家を訪ねてゆく日で、思い出話にピッタリだから。
次の日の朝、目覚めても覚えていた羽根枕のこと。…それから、エラが飼いたがったグース。
是非ともブルーに話さなくては、と朝食を済ませて、颯爽と歩き始めた青空の下。空を仰げば、飛んでゆく鳥も見える今の平和な世界を。…白いシャングリラとは違った、青い地球の上を。
そうして歩いて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて。
ブルーの部屋で、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで問い掛けた。
「お前、羽根枕を覚えているか?」
「え?」
羽根枕って…。フワフワのだよね、なんで羽根枕?
覚えているかって訊かれても…。ママから何か聞いて来たわけ?
ぼくが小さい頃に悪戯したとか、遊んでいる内に破れて中身が出ちゃったとか…?
「さてなあ…。お母さんからは何も聞いちゃいないが、お前、そういうのをやらかしたのか?」
子供ってヤツにはありがちだからな、枕を投げたり、サンドバッグにしてみたり…。
「やっていないよ、そんなのは!」
うんと小さい頃にだったら、やったかもだけど…。覚えていないかもしれないけれど…。
「ふうむ…。お前が今よりチビの頃だし、枕に負けていそうではある」
羽根枕といえども、デカイのを投げようとして転ぶだとかな。…そんなお前も可愛いだろうが、俺が言うのはチビのお前のことじゃない。
覚えているか、と言っただろう?
シャングリラだ。…あの船で前のお前が使ってた枕。
羽根枕のことを覚えていないか、俺がお前のためにと取っておいたヤツ。
「ああ…!」
ハーレイ、ぼくにくれたんだっけね、羽根枕を。
倉庫の奥に残しておいてくれて、「使ってみろ」って。…これが一番いいんだから、って…。
とても寝心地が良かったんだっけ、と思い出したブルー。あの羽根枕、と。
「…どんな枕でも寝られるから、って言ってたけれど…」
それに実際、そうだったけど。…でも、気持ちいい枕だよね、って思ったんだよ、羽根枕。
ハーレイが「良かったか?」って訊くから、「今までの枕と全然違う」って答えたら…。
ぼく用の枕は、いつも羽根枕になっちゃった。ハーレイも、次の倉庫の係も、羽根枕を一つだけ残しておくようにしてくれたから…。
「そりゃまあ、なあ…? お前が手に入れた枕なんだし、優先権はお前にあるだろ?」
お前、遠慮して取りに来ないから、それなら残しておこう、とな。…羽根枕を一つ。
気に入りの枕だと分かってるんだし、先に選んで取っておいても問題無かろう。…キャプテンになる時も、ちゃんと次の係に伝えておくのを忘れなかったぞ。羽根枕を一つ、お前用に、と。
そうやって羽根枕をお前に使わせてたのを、いつの間にかエラが知ってしまって…。
お蔭で愉快なことになっちまったんだ、ずうっと後になってからだが。
シャングリラを改造する時のことなんだがな、とブルーの瞳を覗き込んだ。白い鯨だ、と。
「…自給自足の船にするには、どういう家畜を飼えばいいかと何度も会議を重ねていたが…」
その席で、エラがグースを飼いたいと言い出したんだ。…ソルジャー用に。
「グースって…。それに、ソルジャー用って…」
なんだっけ、そんな話があったっけ…?
ぼくは覚えていないけれども、グースってガチョウのことだったかな…?
「うむ。グースは雁とかガチョウとかだが、エラが言ってたグースはガチョウだ」
卵も肉も食える鳥だが、エラの目的は其処じゃなかった。…グースの羽根だ。
羽根枕の中身は水鳥の羽根で、そいつがグースの羽根だったから…。
エラは羽根枕用にグースを飼おうとしたんだ、お前用の羽根枕を作るために。
ソルジャーには高級品の枕が相応しいからと、グースを飼って羽根枕で…。出来れば羽根布団も欲しいと言い出したのがエラだ、青の間のベッドに映えるだろうと。
つまりは、ソルジャー用の枕と布団のために、グースを飼おうとしたってわけで…。
ゼルもヒルマンも、もちろんブラウも反対意見に回っちまった。…グースなんか、とな。
「あったっけね…! 羽根枕のためだけにグース、って…」
卵も肉も食べられるから、ってエラは頑張ってたけれど…。鶏と違って手間がかかるし…。池も作らなきゃいけないし。
それだけの手間とスペースがあれば、他の家畜が飼えそうだから…。
前のぼくも「要らない」って断ったんだよ、羽根枕なんか。…羽根布団だって。
エラはガッカリしていたけれども、あれでグースの話はおしまい。…要らないんだもの。
「其処だ、其処。…グースは要らない、ってトコなんだが…」
役に立たないとまでは言わんが、手間がかかるから飼えなかった鳥だ。誰かを思い出さないか?
あの船で鳥を飼うのを諦めたヤツは、エラの他にもいただろうが。
「…そっか、前のぼく…。エラよりも前に、青い鳥を諦めたんだっけ…」
幸せの青い鳥を飼いたかったけど、役に立たないって言われてしまって。…青い小鳥なんか…。
可愛がるだけの小鳥なんかは、シャングリラで飼っても意味が無いから…。
青い鳥、本当に欲しかったのに…、とブルーは遠く遥かな時の彼方を思ったようで。
「…ぼくだけってわけじゃなかったんだね、あの船で鳥を飼うのを諦めたのは」
エラも諦めさせられたんだね、青い鳥じゃなくって、グースだったけれど。
青い鳥よりは役に立つけど、鶏の方がもっと役に立つから…。それに世話するのが楽だから。
「そういうこった」
お前の他にもエラというお仲間がいたようだぞ、と教えてやりたくってな。
昨日、枕の記事を読んでて、羽根枕のことを思い出したんだ。…前のお前やエラのことを。
枕の素材は今も色々あるんだがなあ、羽根枕が一番人気らしいぞ。今の時代も。
「ふうん…。羽根枕、今でも一番なんだ…」
フワフワだものね、人気があるのも分かるけど。…前のぼくも大好きだったけど…。
…んーと、ハーレイ…?
「なんだ?」
どうかしたのか、何か質問か?
「えっとね、羽根枕、買ってくれるの、ハーレイ?」
「はあ?」
羽根枕って…。買うって、誰にだ?
「今のぼくにだよ、今度もぼくに羽根枕をくれるのかな、って…」
…今すぐってわけじゃないけれど…。ちゃんと大きくなってからだけど。
「そりゃ、欲しいなら…」
お前が羽根枕がいいと言うなら、もちろん買ってやらないとな?
二人で選びに行こうじゃないか。…お前の頭にピッタリのヤツを。
枕も選び放題だぞ、と片目をパチンと瞑ってやった。専門店で色々試してみて、と。
「前のお前のための枕は、奪った物資の中から選ぶしかなかったが…」
今度は山ほど置いてある店で、好きな枕を選べるってな。大きさも厚みも、色々なのを。
「うん。…それに枕も、今度は二つ置けるしね」
「二つ?」
お前、二つ重ねるのが好みなのか?
ホテルとかだと、二つ置いてあるのも珍しくないが…。お前の枕は一つのようだが?
二つの方がいいと思っているんなら…。二つ買ってやろう、好きな枕を。
「そうじゃなくって…。青の間には二つ置けなかったよ」
ハーレイの分を置きたくっても、置いたらバレてしまうもの。…ぼくの他にもベッドを使ってる誰かがいる、って。
「お、おい…!」
二つっていうのは、そういう意味か?
片方は俺の枕ってわけか、二つ置けると言っているのは…?
「そうだけど…? 青の間の頃だと、ホントに枕は一つだけしか無かったから…」
特大の枕が一つだけだよ。…こんなに大きな枕なんかを貰っても、って思ったくらいの。
あの枕もエラのこだわりだったよ、「ソルジャーですから、特別です」って。
「そうだった…!」
羽根枕を諦めさせられたエラが、代わりに考え出したんだった。
どうしても特別にしたかったんだな、ソルジャーの枕というヤツをな…。
羽根枕のためだけにグースは飼えない、と却下されたエラが推したのが大きな枕。
青の間に置かれた立派な寝台、それに負けない威厳のあるものを、と。
ベッドの幅と同じだけの幅を持っていた枕。枕投げではとても投げられそうになかった枕。前の自分たちが生きた時代に、枕投げなどは無かったけれど。
「あの枕…。最初の間は、大きすぎると思ったんだけど…」
枕とも思えない大きさだよ、って見ていたんだけど、ああいう枕で良かったみたい。
ハーレイが泊まって行くようになったら、丁度いいサイズになったもの。
枕を二つ置かなくっても、ハーレイの枕がちゃんとあったよ。二人で使っても充分なのが。
「大きすぎると思っていた、って…。お前、寝心地に特に文句は…」
使い心地は如何ですか、と俺が訊いても、「いい具合だよ」と言った筈だが…?
もっと小さいものに取り替えますか、と念を押しても。
「どんな枕でも寝られたんだよ、前のぼくはね。…大きすぎても」
アルタミラの地獄を誰よりも長く経験していたから、って前のハーレイにも言ったけど?
大きすぎる程度で寝られないなんて文句を言いはしないよ、枕があるだけで幸せなんだし…。
それにね、「大は小を兼ねる」という言葉があるじゃない。
だから、いいかと思ったんだよ、わざわざ小さい枕を作って取り替えなくても。
エラが羽根枕の代わりに押し付けた、大きすぎる枕。前のブルーには本当に大きすぎたのに。
…前の自分も、大きすぎないかと気遣って何度も尋ねていたのに、「これでいいよ」という答えしか返って来なかった。
今から思えば、「どんな枕でも寝られるから」と言っていたのがブルーだったのに。…羽根枕で眠るようになる前は。ブルーのために、と羽根枕を一つ、残しておくようになるよりも前は。
「…俺としたことが…。お前の言葉を真に受けちまって、失敗したのか…」
デカすぎる枕を前のお前に使わせてたのか、寝心地のことも考えずに。
お前だったら、どんな枕でも「これでいいよ」と言うんだろうに、すっかり忘れちまっていて。
「いいんだってば、ホントにどれでも寝られたからね」
それから、大は小を兼ねるってヤツ。
本当に兼ねたよ、かなり後になってからだけど。…ハーレイも一緒に使ってたしね。
大きな枕が置いてあったから、ハーレイがぼくのベッドに泊まって行ってもバレなかったよ。
あの枕はうんと役に立ったし、大きな枕があって良かったと思わない…?
ハーレイと本物の恋人同士になっていたって、誰も気付かなかったんだから。
「…藪蛇だったな、とんだ話になっているような気がするんだが…」
俺は羽根枕の話をしててだ、その目的は鳥を飼うのを諦めたのはエラもだ、ってことで…。
「エラの話は、もう聞いたってば」
それよりも、枕。…今度は二つ。ハーレイの分と、ぼくの分とで。
「デカイのを一つ置くんじゃなくてか?」
今もデカイの、売られていると思うんだが…。羽根枕もあると思うんだが。
「二つがいいな、買うんだったら」
ハーレイの分の枕を置いても、何の心配も要らないんだもの。
ぼくのと二つ並べてあるのが普通なんだよ、結婚して一緒に暮らすんだから。
今度はフワフワの羽根枕を二つ。前は二人で大きな枕を一つだったけれど、今度は二つ。
ベッドに枕を二つ並べて、それで寝心地を確かめてから、前のように二人で一つに戻すか、二つ並べておくのがいいかを考える、とブルーが言うから。
「気が早すぎる!」
今から枕の心配なんかをしなくていいんだ、チビの間から!
そういう話は、前のお前と同じ背丈になってからにしろ!
枕が一つか、二つかなんかは、チビのお前には早すぎるんだ…!
「ハーレイが先に言い出したくせに!」
ぼくは枕の話なんかはしてもいないよ、その記事だって読んでないから!
羽根枕のことも、エラがグースを飼いたがったことも、すっかり忘れていたんだから…!
ハーレイが自分で言い出したんでしょ、羽根枕だ、って…!
ぼくが枕の話をしたって、怒る権利は無いと思うけど…!
「ハーレイのケチ!」とブルーは膨れているけれど。
羽根枕の話は藪蛇だったけれど、たまにはこんな日もいいだろう。
いつかはブルーと二人一緒に暮らすのだから。…堂々と結婚出来るのだから。
二人で暮らせるようになったら、また羽根枕から始めよう。
前の自分はブルーに一つだけ渡したけれども、今度は二つ、並べて置いて。
ブルーの分と、自分の分と。
前のブルーが羽根枕で眠っていた時代には、恋人同士ではなかった二人。
恋人同士になった時には、もう羽根枕は何処にも無かった。
(…今度は、二人で羽根枕なんだ…)
エラが飼いたがったグースの羽根が、たっぷりと詰まった羽根枕。フワフワの枕。
きっと幸せに眠れるだろう。
ブルーと二人、それぞれにピッタリの枕を選んで、それを並べて。
白いシャングリラには無かった羽根枕。
前のブルーが気に入っていた、あの羽根枕と同じグースの羽根が詰まった、羽根枕で…。
羽根枕の夢・了
※シャングリラで人気だった羽根枕を、ブルーのために取っておいたハーレイ。必ず一個。
白い鯨に改造された後、ブルーの枕は大きすぎる枕に。けれど結果的には、大きい枕で正解。
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(歌を忘れたカナリヤ…)
小さなブルーが広げた新聞、其処に載っていた童謡の記事。とても懐かしい歌のタイトル。幼い頃に歌っていた。多分、幼稚園で教わった歌。
学校から帰って、今はおやつの時間だけれど。ふうん、と覗き込んだ記事。あの歌はこんな歌詞だったっけ、と。
(歌を忘れたカナリヤは、後ろの山に捨てましょか…)
藪に埋めるとか、柳の鞭で打つだとか。酷い提案ばかりが続くけれども、最後には…。
(象牙の舟に銀の櫂…)
月夜の海に浮かべてやれば、忘れた歌を思い出す、と優しい言葉で終わっている歌。カナリヤはきっと、元のように歌い始めるのだろう。月夜の海に浮かぶ舟の上で。美しい声で。
捨てられも、埋められもしなかったから。鞭で打たれもしなかったから。
(…酷いことをされたら、絶対に思い出せないよ…)
歌の種類は色々だけれど、鳥たちの歌は楽しい歌。悲しい時に歌いはしないし、悲しさが増せば余計に思い出せないだろう。忘れてしまった歌のことを。
象牙の舟に銀の櫂。…カナリヤのための小さな舟。
月が綺麗な夜の海にそれで漕ぎ出してゆけば、歌いたい気持ちが戻って来そう。月の光に、銀の櫂はきっと映えるから。象牙の舟も、月の舟のように見えるだろうから。
月を映して揺れる波の上、何処までも漕いでゆけたなら。夢のような旅が出来たなら。
(…気が付いたら、きっと歌ってるんだよ…)
舟を漕ぎながら、いつの間にか。…澄んだ歌声で、波間に響く美しい歌を。
忘れた筈の歌を思い出して、それを歌って、カナリヤは舟を漕ぐのだろう。小鳥の力でも操れる舟を。軽い象牙で出来ている舟を、銀の櫂で楽しく操りながら。
そうして、いつか飛び立つのだろう。一緒に歌った仲間たちの許へ、もう一度歌を歌うために。象牙の舟はもう要らないから、自分の翼で飛んで戻ってゆくために。
きっとそういう歌なんだよ、と歌詞を読みながら思ったカナリヤ。綺麗な歌声で知られた小鳥。それなのに歌を忘れたなんて可哀相、と。カナリヤは歌が好きなのに。
童謡だけれど、少し悲しい歌。歌を忘れてしまったカナリヤ。
読み進めたら、歌が生まれた背景のことが記されていた。作詞した、西条八十という名前の人。
その人がまだ幼かった頃、クリスマスの夜に行った教会。華やかに明かりが灯された中で、彼の頭上の明かりが一つだけポツンと消えていたという。理由は分からないけれど。
クリスマスを祝う沢山の灯の中、一つだけ灯らない明かり。辺りを照らせない明かり。
子供心に、輝くことが出来ない明かりが可哀相で、そして寂しげで。
様々な鳥たちが揃って楽しげに囀っている中、たった一羽だけ、囀ることを忘れた小鳥のような気持ちがしたのだという。歌を忘れた小鳥が一羽、と。
その夜のことを思い出しながら、作詞した歌が『歌を忘れたカナリヤ』だった。
煌々と灯るクリスマスの夜の明かりたち。幾つもの明かりが煌めいているのに、たった一つだけ光ることを忘れてしまった明かり…。
(…明かりなのに、光れないなんて…)
消えていたという明かりは寂しかっただろう。他の明かりたちは、揃って光っているのだから。一年に一度の聖夜を祝って、教会を華やかに照らし出すために。
歌を作った人の気持ちが分かる気がする。…大人になっても、それを忘れずにいたことも。
遠い昔の日本の出来事、まだ人間が地球しか知らなかった頃に作られた歌。
今の自分も歌ったけれども、あの歌の歌詞が生まれる前には、光ることを忘れた明かりが一つ。歌を忘れたカナリヤのように、光ることを忘れてしまった明かり。
作詞家の心に残ったほどに、明かりは寂しげだったのだろう。歌を忘れた小鳥のようで。
其処から歌が生まれたほどに。歌を忘れたカナリヤの歌が。
新聞を閉じて、食べ終えたケーキのお皿などをキッチンの母に返して。
二階の自分の部屋に帰って、勉強机の前に座って歌ってみた。さっき読んで来た懐かしい歌を。
「歌を忘れたカナリヤは…」
後ろの山に捨てましょか…、と続いてゆく歌。象牙の舟で、月夜の海に漕ぎ出すまで。銀の櫂で舟を漕いでゆくまで。
歌を忘れてしまったカナリヤ。仲間たちが綺麗な声で歌っている中、囀ることを忘れた小鳥。
作詞家が灯らない明かりにそれを見たという、可哀相な鳥。
小鳥は歌うものなのに。…歌うことが好きで、歌で気持ちを伝えるのに。
(人間だって、楽しい時には歌いたくなるのに…)
歌わなくても特に困らない、人間だって歌うのに。歌いたい気分になるものなのに。歌の他には気持ちを伝える術の無い鳥、それが歌えなかったなら。
歌を忘れてしまったならば、どんなに悲しくて寂しいだろう。
歌おうとしても、出て来ない歌。囀ろうとしても、囀れない小鳥。
(…忘れた歌、思い出せるよね…?)
象牙の舟に銀の櫂。月夜の海に浮かんだならば。
月の光が照らす海の上を、綺麗な小舟で漕いで行ったら。
歌を思い出して、歌い出して。…自分の翼で飛んで戻って、仲間たちと一緒に歌って欲しい。
忘れたままでは悲しすぎるから、カナリヤが可哀相だから。
人間でさえも歌を歌うのに、カナリヤが歌えないなんて。…カナリヤは歌が大好きなのに。
きっと歌えるようになるよ、とカナリヤを乗せた小舟を思った。月夜の海に浮かんだ舟を。銀の櫂でカナリヤが漕いでゆく舟、象牙で出来た軽い舟。
月明かりの下で旅をする内に、歌だってきっと思い出せる、と。
楽しい気持ちになった時には、人間だって歌うのだから。カナリヤもきっと歌い出す筈。象牙の舟を漕いでゆく内に、銀の櫂で舟を操る内に。
自分は舟を漕いだことは一度も無いのだけれども、月夜の海は素敵だろうから。月明かりの海へ旅に出たなら、いつの間にか歌い出しそうだから。
月の光と降るような星と、象牙の舟に銀の櫂。きっと楽しくて、歌うのだろう。どんな歌かは、気分次第で。…月の歌やら、船の歌やら…、と考えたけれど。
(あれ…?)
もしかしたら、と気付いたこと。象牙の舟を漕ぎながら自然に歌い出す歌。
今の自分は幾つも歌を知っているけれど、ソルジャー・ブルーだった前の自分。遠く遥かな時の彼方で、共に旅をした仲間たち。
前の自分たちは、歌を忘れていなかったろうか…?
月夜の海をゆく象牙の舟。銀の櫂で漕ぐ軽やかな舟。その舟の上で歌い出そうにも、歌える歌はあっただろうか?
月の歌やら、船の歌やら。他にも歌いたくなる歌の数々を、前の自分は知っていただろうか?
もちろん幾つも知っていたけれど、ソルジャー・ブルーも歌を歌っていたけれど。
アルタミラから脱出した直後の、前の自分は…。
(歌なんか、覚えている筈が…)
なかったのだった、記憶を失くしたのだから。
成人検査で目覚めの日までの記憶を奪われ、その後に続いた人体実験。ミュウと判断された前の自分は、人間扱いされなかった。人間ではなくて実験動物、人格など認められない存在。
容赦なく過酷な実験をされて、普通だったら曖昧ながらも残る筈の記憶も全て失くした。何処で生まれて、何処で育ったか、両親の名は何と言ったのか。友達の名前は何だったのか。
そういったことさえ忘れてしまって、白紙になってしまった記憶。
辛うじて記憶に残っていたのは、成人検査の前後だけ。検査の順番を待っていた部屋、その壁に映った自分の姿。金色の髪に青い瞳の、アルビノではなかった本来の姿。…成人検査でミュウへと変化し、それも失くしてしまったけれど。色素まで失ったのだけれども。
アルビノになった前の自分に向けられた銃。問答無用で撃った兵士たち、それから後はもう人間ではなくなった。ただの実験動物だった。
歌の記憶を何処で失くしたか、いつまで歌を覚えていたのか。…それさえも何も覚えていない。
歌というものがあったことさえ、前の自分は忘れてしまった。かつて歌った筈の歌たち、学校や家で覚えた歌。どれも記憶から抜け落ちていって、何も残りはしなかった。
(…歌を忘れていなかったって…)
あんな所では、歌いたくなどならないだろう。押し込められていた狭い檻の中、其処だけが前の自分の世界。餌と水とが突っ込まれるだけ、他には何も無かった檻。
生かされていたというだけの自分、夢も希望も未来も失くして。育つことさえ止めてしまって、楽しいことなど何も無かった。
今日も明日も、どうでも良かった世界。本当にただ生きていただけ。
それでは歌など歌うわけがない、歌いたい気持ちも起こらない。鼻歌でさえも。
歌わない内に歌を忘れたのか、歌の記憶も失ったのか。…とにかく歌が無かった世界。自分では気付いていなかったけれど。歌を忘れてしまったことに。
そうだった、と蘇って来た遠い遠い記憶。アルタミラからの脱出直後。
前の自分は、歌を忘れたカナリヤだった。…長い年月、歌うことなど無かったから。人体実験と狭い檻しか無い世界では、歌いたい気持ちになりはしないから。
誰であっても、あの環境では歌えない。心がすっかり壊れてしまって、息を引き取るまで歌った者なら誰かいたかもしれないけれど。…歌の世界に逃れた仲間。歌だけを歌い続けた仲間。
けれど、研究者たちはミュウ同士が決して出会わないように管理していたから。
壊れてしまった仲間の歌さえ、耳にしたりはしなかった。歌声を聞きはしなかった。実験をする研究者たちは歌いはしないし、実験室に音楽が流されることも無かったから…。
(ぼくだけじゃなくて…)
みんな忘れていたのだろう。あの狭い檻に閉じ込められて、過酷な実験を繰り返されて。
様々な他の記憶と一緒に、歌だって。
世界にはどういう歌があったのか、自分は何を歌ったのか。きっと誰もが忘れていたろう、共に脱出した仲間たちは。…歌のことも、それを歌ったことも。
その筈なのに、まだシャングリラではなかった船。元は人類のものだった船。
やっと手に入れた自由な世界で、いつしか歌われ始めた歌。船の仲間は一人残らず、歌を忘れたカナリヤだった筈なのに。…歌を覚えてはいなかったのに。
(…誰が最初に歌っていたわけ?)
あの船で歌い始めた仲間。歌を歌っていたのは誰か、と遠い記憶を探ってみたら。
(ハーレイ…?)
厨房を居場所に決めたハーレイ。其処へ行ったら、鼻歌交じりに料理をしていた。フライパンや鍋で料理しながら、楽しそうに歌っていた鼻歌。
ゼルも歌っていたような気がする。鼻歌はもちろん、機嫌のいい日は歌声だって。自分の腕前を自慢する歌、「俺は凄い」と歌っていたゼル。
他の者たちも、鼻歌や歌。…色々な歌を歌った仲間。
メロディも歌詞も、多分、豊富にあった筈。仲間の数だけあったのでは、と思うくらいに。
(…誰が教えたの?)
歌を忘れたカナリヤばかりが乗っていた筈の、あの船で。歌の先生もいなかった船で。
(…象牙の舟に銀の櫂…)
月夜の海に漕ぎ出してゆけば、カナリヤは歌を思い出すけれど。
それと同じで、星の海でも、カナリヤは忘れた歌を取り戻して歌い出すのだろうか?
象牙の舟と銀の櫂の代わりに、宇宙船でも。…それで星の海を旅してゆけば。
どうやって歌を思い出したのか、船の仲間たちが歌っていたのか。
まるで分からないし、記憶にも無い。歌を教えた仲間は誰だったのか、その仲間がいつから歌を取り戻して歌っていたのか。
誰だったろう、と悩んでいたら、仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから。前のハーレイも確かに歌っていたから、訊くことにした。テーブルを挟んで、向かい合わせで。
「えっと…。ハーレイ、歌を忘れたカナリヤ、知ってる?」
歌があるでしょ、歌を忘れてしまったカナリヤをどうしようか、っていう子供向けの歌。
山に捨てちゃおうとか、鞭でぶつとか、酷いんだけど…。そうはならずに、月夜の海に浮かべる舟を貰うんだよ。象牙の舟と銀の櫂とを。
「あるなあ、うんと古い歌だな。…それこそ俺の古典の世界だ」
古典の授業で教えはしないが、あれがどうかしたか?
「前のぼくたちみたいだと思って…。歌を忘れてしまったカナリヤ」
歌なんて、みんな忘れてたでしょ?
成人検査よりも前の記憶は消されちゃったし、歌だって…。ハーレイもそうでしょ?
歌を忘れたカナリヤと同じで、本当に歌を忘れてしまって。
「まあな。…酷い目に遭わされちまったしなあ…」
歌なんか覚えているわけがないな、あの状況じゃ。
…覚えていたって、歌わんだろうが…。歌いたい気持ちが無かったろうしな。
「ぼくもだよ。…だから不思議に思ったんだけど…」
前のハーレイ、料理しながら楽しそうに鼻歌を歌っていたから…。
あの歌、いつから歌っていたの?
アルタミラから逃げ出して直ぐの頃には、歌っていないと思うんだけど…。
「俺の鼻歌?」
はて…。いつから俺は歌っていたんだ?
前の俺が料理をしていた時の鼻歌ってヤツだな、いつ頃から歌っていたんだっけなあ…?
腕組みをして考え込んでしまったハーレイだけれど、やがて「すまん」と頭を掻いた。
「思い出せんな、これというのは…。自覚が無いと言うべきか…」
気付けば歌っていたってわけだ。料理をしてたら、楽しい気分になるからな。
でたらめな歌を捻り出しては、こう、フンフンと歌っていたなあ…。その日の気分で。
「…でたらめ?」
「そういうことだが?」
でたらめな歌しか歌えんだろうが、歌を覚えていないんだから。
真っ当な歌ってヤツは知らんし、こう適当に…。即興と言ったら聞こえはいいがだ、でたらめな歌を歌っていたんだ。気に入りの節回しが出来た時には、そいつを覚えて何度もな。
他のヤツらも似たようなモンだ、ゼルの腕自慢の歌だって。作業しながら「俺は凄い」と歌っていただろ、あの歌はゼルのオリジナルだぞ。…元の曲があった替え歌じゃなくて。
「えーっ!?」
ゼルの歌はゼルのオリジナルって…。あの歌、作詞も作曲もゼルだったの?
前のハーレイの鼻歌もそうで、思い出した歌じゃなかったわけ…?
「そうなるなあ…。ただし、最初の間だけだが」
ごくごく初めの間だけだぞ、オリジナルソングというヤツは。
…そいつが真っ当な歌になった切っ掛け、そういや、前のお前だったか…。
うん、そうだったな、一番最初の本物の歌は、お前のためにあったんだっけな。
思い出した、とハーレイはポンと手を打った。前のお前のための歌だ、と。
まだシャングリラという名前ではなかった船で、皆が適当に歌っていた頃。でたらめな歌が船のあちこちで歌われ、ゼルの歌のようなオリジナルが幾つも出来ていた。仲間の数だけオリジナルの歌があったと言ってもいいくらいに。
歌声や鼻歌、色々な歌が歌われる中で、歌の効果に気付いたのがヒルマン。自分も含めて、歌を歌いたい気分になる時があるようだ、と。
作業が順調に進んでいる時や、愉快な気分になった時。機嫌がいいと歌うらしいと、でたらめな歌が飛び出すらしいと。
「なのに、お前は歌わなくて…」
少しも歌おうとしないんだ。…鼻歌も、でたらめな歌ってヤツも。
「…ぼく?」
前のぼくは歌を歌わなかったの、みんな色々歌ってたのに…?
ハーレイの鼻歌も、ゼルの歌もちゃんと覚えているのに、ぼくには歌が無かったわけ…?
「うむ。…完全に忘れちまってたんだな、歌うってことを」
歌を忘れたカナリヤそのものだったってわけだ、前のお前は。
楽しい時には歌えばいいのに、それさえもお前は忘れちまってた。…歌えばもっと楽しい気分になるってことを。
あの頃はヒルマンも其処まで調べちゃいなかったが…。歌の効果に気付いただけだが…。
人間は昔から、色々な時に歌って来たんだ。辛い仕事をしている時にも、歌えば気持ちがマシになる。農作業だとか、漁だとか…。自分を励ます歌ってヤツだな、楽しい気分で仕事をしようと。
歌うと作業がはかどるくらいに、歌には凄い力があった。グンと気分が良くなる効果が。
仕事でさえも楽しくなるんだ、歌うだけで。…楽しい時に歌ってやったら、最高だろうが。
でたらめな歌を捻り出しては、好きに歌っていた仲間たち。歌えば楽しい気分になると、多分、本能的に気付いて。…気分が良ければ歌を歌って、もっと楽しく。
けれど、その中に歌を忘れたカナリヤが一羽。
歌うことさえ忘れてしまった、前の自分がポツンと一人。歌を覚えていなかったから。どういう風に歌えばいいのか、それも忘れてしまっていたから。
ヒルマンも、ハーレイも心配した。歌わない前の自分のことを。歌おうとしないカナリヤを。
「その内に歌い出すだろう、って思って見てても歌わないんだ。…前のお前は」
楽しそうにニコニコ笑っていたって、お前は少しも歌いやしない。他のヤツらなら鼻歌の一つも飛び出すだろうに、歌わないんだ。…いくら待っても。
それで、歌うってトコから教えてやるか、って話になって…。
しかしだ、そこでゼルの歌だの、俺やヒルマンの鼻歌だのは教えられないだろう?
同じ教えるなら、でたらめな歌ってヤツじゃなくてだ、本物の歌を教えてやらんと…。
もうその頃には分かってたしなあ、本物の歌があるってことも。
船の中には、相変わらずのオリジナルソングしか無かったけれど。本物の歌を覚えるよりかは、好きに歌うのがいいと思われていたけれど。
歌を忘れたカナリヤに歌を教えてやるなら、でたらめではない本物の歌を。
そう考えたヒルマンがデータベースに向かったけれども、山のようにあった本物の歌。記憶から消えてしまっていた歌。
「山ほどあって選べないぞ、とヒルマンも頭を抱えちまった」
お前に教えてやるとなったら、他のヤツらにも教えてやらないとな?
せっかく本物の歌を教えるんだ、誰だって知りたくなるだろう。…本物の歌はどんな歌かを。
そうなると、誰もが気に入る歌を選ばなきゃならん。ついでに覚えやすいヤツ。
ところが、歌は山ほどあるから、メロディも歌詞も多すぎてなあ…。
「それで?」
何を選んだの、ヒルマンは?
沢山ありすぎて選べなくても、選ばないと教えられないよね…?
「選ばれた曲か?」
俺も何度か相談されたが、この際、こいつがいいかってことで…。
今のお前も知っているだろ、誕生日の歌の定番だからな。…ハッピーバースデートゥーユー。
「ハッピーバースデー!?」
あれを教えたの、前のぼくに?
誕生日なんか全く覚えてないのに、バースデーケーキも無かったのに…?
「そいつが一番、素敵だろうが」
祝い事の歌だぞ、幸せな場面とセットの歌だ。誕生日おめでとう、ってな。
バースデーケーキも蝋燭も無くても、おめでとうと言われて悪い気分はしないだろうが。
第一、本当に誕生日なのかもしれないしな?
アルタミラから脱出した仲間は、誰一人として誕生日を覚えていなかった。とても大切な記念日なのに、自分が生まれた日だというのに。
ハッピーバースデーと祝いたくても、いつが誕生日か分からない。だから、どの日でも誕生日の可能性がある。一年の中の、どの日であっても。
ヒルマンとハーレイは、その部分にも目を付けた。「誰でも毎日が誕生日だ」と。
「一月だろうが、五月だろうが、いつでもハッピーバースデーってことに出来るしな?」
覚えていないんだから、自分がその気になりさえすれば。今日は自分の誕生日だな、と。
ハッピーバースデーと歌って貰って、怒るようなヤツは誰もいないぞ。本当に誕生日だったかもしれないんだからな。…自分が忘れてしまっただけで。
そういう歌だし、誰に歌ってやってもいいだろ。相手の名前で、「おめでとう」とな。
自分が楽しい気分になったら、楽しい気分のお裾分けで。
それに短いしな、あの歌は。
「短いね…」
ハッピーバースデーの繰り返しだし、うんと短いし…。
だから子供でも歌えるんだものね、幼稚園でもよく歌っていたもの。…お誕生日会で。
「いいチョイスだと思うんだがな?」
今の俺でも、いい歌を選んだという気がするぞ。あの船で最初の真っ当な歌。
ヒルマンと俺が覚えて歌って、他のヤツらも直ぐに覚えた。船のあちこちで肩を叩き合っては、あの歌を歌うもんだから…。
前のお前もアッと言う間に、狙い通りに覚えてだな…。
「思い出した!」
歌ってたんだよ、ハッピーバースデー、って。
ぼくも歌ったけど、船のみんなも。…ホントに毎日が誕生日みたいに。
歌を忘れたカナリヤだったという、前の自分。歌わなかった自分のためにと、ヒルマンが探してくれた本物の歌。ハーレイと「これだ」と選んでくれた、誕生日を祝う短い歌。
ハッピーバースデーと繰り返す歌は、船の仲間たちに愛され、歌われていた。色々な場所で。
皆が同じ歌を楽しそうに歌っていたから、前の自分も歌ったのだった。それまでのオリジナルの歌と違って、お揃いの歌。誰もが同じ歌を歌うから、楽しそうな歌声に釣られるように。
「…前のぼく、ハーレイたちに歌って貰って…」
ハーレイとヒルマンと、ゼルもブラウもエラもいたよね…?
ワッと囲まれて、「おめでとう」って。…ハッピーバースデーって…。
それでとっても嬉しくなって、ぼくも歌ってあげたくなって…。
「うんうん、お返しに歌ってくれたぞ」
初めて囲んで歌った時には、キョトンと目を丸くしていたもんだが…。
船のヤツらがあちこちで歌っていたから、お前も覚えて歌ってくれた。俺たちの名前をちゃんと織り込んで、ヒルマンにもゼルにも、「ハッピーバースデー」と楽しそうにな。
「…あの時、最初にハーレイに歌った気がするよ…」
ハーレイ、お誕生日おめでとう、って。…ハッピーバースデー、って。
「そういや、そうだな…」
俺の名前で歌ってくれたな、あの時のお前。…一番最初に歌った時。
そうだ、確かに俺だった。ヒルマンでもエラでも、ブラウでもなくて…。ゼルでもなくて。
「ハーレイだったよ、なんでだろう?」
どうしてハーレイの名前で歌ったんだろう、初めて歌を歌ったぼくは…?
「友達だったからじゃないのか?」
俺の一番古い友達。…前の俺はお前を誰かに紹介する時は、いつもそう言っていたもんだ。俺の一番古い友達なんだ、とな。
お前の方でもそう思ってたろ、アルタミラで最初に出来た友達。
「うん。…ハーレイと一緒に、シェルターを幾つも開けたんだものね…」
仲間が閉じ込められていたのを、端から全部。…初めて出来た、ぼくの友達。
それでハーレイに歌ったんだね、御礼の歌を一番最初に。ハッピーバースデー、って。
歌うことさえ忘れてしまったカナリヤがようやく覚えた歌。前の自分が初めて歌った、誕生日を祝うための歌。「おめでとう」と、誰かの名前を織り込みながら。
あの歌を覚えたばかりだった頃は、よくハーレイの名前で歌っていた。ハーレイの姿が見えない時でも、一人きりで部屋にいる時でも。
楽しい気分になった時には、「ハーレイ」とつけて飽きずに歌った。「おめでとう」と歌を贈る相手がいない時には、いつもハーレイ。幸せな気分で歌い続けた、ハーレイの名前。
「あのね…。ぼく、ハーレイのことが好きだったんだよ、きっと最初から」
前から何度も言っているけど、やっぱり、そう。
だって、あの歌…。「おめでとう」って言える相手がいない時には、いつもハーレイの名前。
ハーレイの名前しか歌わなかったよ、そういう時は。
だからハーレイ、特別なんだよ。…好きだったから、いつもハーレイの名前で歌ったんだよ…。
「俺の名前か…。実は、俺もだ」
お前が俺の名前で歌っていたように、俺もお前の名前ばかりを歌っていたな。
でたらめな歌の時もあったが、あの歌を歌う時にはな…。
前のハーレイも、「ブルー」と歌っていたという。ハッピーバースデー、と。
厨房で料理をしながら歌う日もあれば、自分の部屋で歌っていたことも。織り込む名前はいつもブルーで、他の名前は歌わなかった、と。
「ハーレイも、ぼくとおんなじなんだ…。ぼくはハーレイで、ハーレイはブルー…」
二人で一緒に歌ったっけ…。
ヒルマンやゼルがいない時とか、二人で何かしていた時とか。
「歌っていたなあ…。俺が料理の試作をしていて、お前が覗きに来た時なんかに」
お前が歌って、俺が歌って。…逆のこともあったな、ハッピーバースデーと祝い合うんだ。
今から思えば相聞歌だよなあ、二人で交互に歌うんだから。
「なに、それ?」
「相聞歌は古典の授業でやるだろ。…恋人同士で歌い交わすヤツ」
有名なトコだと、アレだ、万葉集に出てくる歌だな。額田王と大海人皇子。
額田王の歌が「茜さす紫野行き標野行き、野守は見ずや、君が袖振る」。
その歌に、大海人皇子が「紫草のにほへる妹を憎くあらば、人妻ゆえに我恋ひめやも」と返した話は、お前も習っている筈だが…?
「そっか、あれなんだ…。相聞歌です、って教わったっけ…」
教えてくれた先生、ハーレイじゃなかったんだけど…。前の学校の先生だけど。
でも、前のぼくたちの歌が相聞歌って…。ハッピーバースデーって歌ってたんだよ、恋の歌とは違うんだけど…?
「お互いに相手のことが好きで歌っていたんだろ?」
だったら、立派に相聞歌じゃないか。しかも相手の名前まで歌っているんだから。
「そうなのかも…」
まだ恋だって気付いてなくても、好きだと思って歌っていたなら相聞歌かもね。
ハッピーバースデーって歌うだけでも、ハーレイのために歌ってたんだし…。ハーレイはぼくに歌い返してくれてたんだし、ハッピーバースデーでも、相聞歌みたいなものだったかもね…。
相聞歌のように前のハーレイと歌い交わした、誕生日を祝うための歌。ハッピーバースデー、と何度も歌った。ハーレイの名前を歌に織り込んで。
歌を忘れたカナリヤだった前の自分の、初めての歌。覚えた頃には、あの歌ばかり。でたらめな歌を歌う代わりに、いつも「ハーレイ」と、「ハッピーバースデー」と。
やがて幾つもの本物の歌が歌われ始めて、姿を消したバースデーソング。
本物の誕生日を覚えている仲間はいなかったから。…本物の誕生日は誰にも無かったから。
「…ぼく、忘れてたよ、あれが最初の歌だったことを」
シャングリラで子供たちを育て始めても、誕生日を持ってる子供たちが来ても。
誕生日にあの歌を歌ってお祝いしてても、「この歌は知ってる」って思っただけで…。ホントにすっかり忘れちゃってた、前のぼくの最初の歌だったことを。
「俺も綺麗に忘れていたなあ、あれが最初の歌だったことも、お前のことも」
前のお前が、歌を忘れたカナリヤだったってことすら忘れちまってた。
…前の俺だった頃から忘れていたんだろうなあ、お前は歌えるカナリヤに戻っていたからな。
歌を忘れていた時代があったことさえ、お前も忘れていたんだろうし。
「…そうだけど…。前のぼくも忘れていたんだけれど…」
でも、思い出したね、あの歌のこと。…歌を忘れたカナリヤが船にいたことも。
「お互いにな」
俺もお前も思い出したな、二人で歌っていたことまで。
誕生日なんか覚えてないのに、何度も何度も、ハッピーバースデー、ってな…。
前の自分は歌を忘れたカナリヤだった上に、誕生日も覚えていなかった。ハーレイの誕生日も、知らないままで終わってしまった。アルテメシアを制圧してデータを手に入れた時は、前の自分はいなかったから。
けれども、今は誕生日がある。ハーレイも自分も、本当に本物の誕生日。人工子宮から出された日とは違って、母の胎内から生まれて来た日が。
「…ハーレイの誕生日、過ぎちゃってるよ…」
せっかく思い出したのに…。あの歌、今なら誕生日に歌ってあげられたのに。
「ちゃんと歌ってくれただろうが。俺の誕生日に」
お前の家で、誕生日パーティーをして貰ったしな?
お父さんやお母さんも一緒だったが、お前、あの歌、歌ってくれたぞ。
「そうだっけね…!」
ママが御馳走とケーキを用意していて、みんなで歌ったんだっけ。おめでとう、って。
今のハーレイにも歌ったんだっけ、何の歌かを忘れてただけで…。
「次はお前の誕生日だな。…あれを歌うのは」
お前の誕生日が来たら、今度は俺が歌ってやるさ。
その頃には由来を忘れてそうだが…。前の俺たちが歌ってたことも、前のお前が歌を忘れていたことも。…あれが最初の歌だった、っていうことなんかも、綺麗サッパリ忘れちまって。
「うん、ぼくも…」
ハーレイがぼくに歌ってくれても、ニコニコ笑って聞いてるだけになっちゃいそうだよ。
お返しに歌を歌うどころか、ケーキのことばかり考えてるとか…。
今の自分には、あまりにも普通の歌だから。バースデーソングの定番だから。
きっと忘れてしまうのだろう。…あの歌を飽きずに歌い続けた、前の自分がいたことを。
けれど、まだシャングリラではなかった船で最初に歌われた本物の歌。
歌を忘れたカナリヤだった前の自分が、初めて歌ったバースデーソング。前のハーレイと何度も歌い交わした相聞歌だから、忘れる前に歌いたい気分。
象牙の舟に銀の櫂。月夜の海に漕ぎ出したカナリヤが、初めて歌った歌なのだから。
「ねえ、ハーレイ…。あの歌、もう一度、歌ってもいい?」
今のハーレイに「ハッピーバースデー」って、歌ってあげてもかまわない…?
「おいおい、俺の誕生日は過ぎちまったが?」
とっくの昔に過ぎちまった上に、パーティーも開いて貰ったんだが…?
「でも、歌いたい気分になっちゃったから…」
一度だけいいでしょ、ハーレイに歌ってあげたいんだよ。
前のぼくが歌っていたみたいに。…いつも「ハーレイ」って歌ったみたいに…。
「なるほどなあ…。それなら、俺も歌を返さないといけないわけか」
お前が見事に歌い終わったら、俺からもハッピーバースデーと歌うべきだが…。
しかしだ、お前の誕生日はまだで、そこまでのサービスをするのはなあ…。
「ううん、ハーレイは歌わなくてもいいんだよ」
ぼくの誕生日、まだだから…。ハーレイの歌は、それまで楽しみに取っておくから。
その頃にはすっかり忘れちゃってても、ハーレイの歌を聞けるだけで、ぼくは充分幸せだもの。
だから歌うね、とハーレイに向かって歌ったバースデーソング。
ハッピーバースデー、と前の自分が歌ったように。
前の自分が飽きることなく、ハーレイの名前で歌った歌を。
ハーレイと歌い交わした歌を。
今の自分たちには、本物の誕生日があるけれど。…ハーレイの誕生日にも歌ったけれど。
それでも、「ハッピーバースデー」と繰り返す歌は、特別な歌。
前の自分のためにと、前のハーレイたちが探してくれた本物の歌。
(…あの船で最初の、本物の歌…)
歌を忘れたカナリヤだった、前の自分のために歌われた初めての歌で、特別な歌。
その歌を今はこんなに幸せな気持ちで、ハーレイだけのために歌うことが出来る。
蘇った青い地球の上に、二人で生まれ変わって来たから。
本物の誕生日を持ったハーレイのために、あの歌を歌ってあげられるから。
象牙の舟に銀の櫂。
歌を忘れたカナリヤは歌を思い出したし、いつかハーレイと幸せに歌い交わせる時が来るから。
今度は恋の歌を歌おう、お互いの想いを歌に託して、甘く、優しく。
この地球の上で、今度こそ二人、いつまでも、何処までも、幸せに生きてゆくのだから…。
カナリヤの歌・了
※歌を忘れたカナリヤだった、前のブルー。船の仲間たちが歌っていても、歌おうとしないで。
そんなブルーに歌を教えようと、選ばれた歌。最初の歌はバースデーソングだったのです。
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(ふうん…?)
今もあったら凄いんだろうな、とブルーが眺めた新聞記事。世界で一番古い本という見出し。
学校から帰っておやつの時間に、ダイニングで広げてみた新聞。
人類が作った最古の本。人類と言っても、前の自分たちが「人類」と呼んでいた種族とは違う。まだ人類もミュウも無かった、遠い遠い昔。人間は全て人類だった時代のこと。
人間が地球しか知らなかった頃に、人が作った最古の本。羊皮紙や和紙に文字を綴った例なら、色々あるけれど。粘土板や石に彫られた文字もあるけれど。
本なのだから、製本されて本の形になったもの。記された文字は手書きだったけれど、きちんと綴じられて本の形になっていた。紀元前五百年という遥かな昔に作られた本。
エトルリア語とかいう言語で書かれて、博物館に収められていた。人類の貴重な遺産として。
けれど、失われてしまったという。地球が滅びてしまうよりも前に。保存技術が無かったから。当時の技術では、時の流れに抗うことは出来なかったから。
(…SD体制の時代まで残っていたら…)
どうだったろう、と思うけれども、多様な文化まで消していたのがマザー・システム。
世界で一番古い本を後の時代に残してくれたか、疑問に思わないでもない。データがあれば充分だろうと、ろくな手を打たなかったとか。…元の本には大して敬意を払いもせずに。
(そういうことだって、ありそうだよね…)
様々な生き物たちは、地球が蘇る時に備えて保存されたけれど。それをしたのは機械ではなくて人間だから。SD体制を始めるしかないと決断を下した人間たちが保存を決めていたのだから。
(…機械にとっては、生き物なんて…)
きっと、どうでも良かっただろう。人間でさえも無から創ろうとしたのがマザー・システム。
神の領域にまでも踏み込んだ機械、人の文化に関心があろう筈がない。世界で一番古い本など、顧みようとする筈もない。データさえあれば、と放っておかれて朽ちてしまうのがオチ。
保存する技術を持っていたって、使わずに。たかが本だ、とデータだけ取って。
やっぱり残りはしなかったのか、と溜息をついてしまった本。今もあったら、本当に凄い宝物。世界最古だというだけで。…人間が作った、最初の本だというだけで。
本の中身が何であろうと、誰もがそれを見たがっただろう。「これが世界で一番古い本だ」と。綴られた文字が読めなくても。エトルリア語などは知らなくても。
今の自分だって、写真だけでも見たかった。本は好きだし、どんな本かと。なのに、データすら無いらしい本。遠い昔にそういう本が存在した、と伝わるだけで。
残念だよね、と考えたついでに、思いを馳せた遠い時の彼方。前の自分が生きていた時代。
(前のぼくたちの時代の本だと…)
キャプテン・ハーレイの航宙日誌が宇宙遺産になっていた。超一級の歴史資料として。
同じハーレイの手になるものでも、木彫りのウサギとは全く違って非公開だけれど。研究者しか見られはしなくて、収蔵庫の奥にあるのだけれど。
木彫りのウサギなら百年に一度、特別公開されるのに。行列に並べば誰でも見られるのに。
そうはいかない、キャプテン・ハーレイの航宙日誌。実物を読めるのは超一流の研究者だけ。
(書いたハーレイでも読みに行けないよ…)
絶対に無理、とクスッと笑った。今のハーレイは古典の教師で、研究者とは違うのだから。
自分自身が書いたというのに、読みに行けないらしいハーレイ。
超一級の歴史資料になってしまって、手も足も出ない宇宙遺産の航宙日誌。
当時の本なら、人類の本も幾つか残っているのだけれども、宇宙遺産になってはいない。
SD体制を肯定するような内容だから、宇宙遺産ではなくて単なる資料。人間が残らずミュウになった今は、それを好んで見たがる者などいないから。宇宙遺産としての価値が無いから。
もっと古い時代に作られた本は、世界最古の本と同じに失われたという。地球と一緒に。
(ノアまで移送出来なくて…)
地球に置き去りにするしかなかった本たち。あまりに古くて、運べなかった。技術が追い付いていなかった。保存技術も、輸送技術も。
それほどに古いものでなくても、置いてゆかれた本たちもあった。SD体制の時代にそぐわない内容だから、と移送されずに、地球に取り残されてしまった。
(…その後に、地球が燃えていなければ…)
何か見付かったのかもしれない。SD体制よりも前の時代に作られた本が。
世界最古のエトルリア語の本は、それよりも前に消えてしまっていたらしいけれど。
(きっと、幾つも燃えちゃったんだ…)
死に絶えた地球に残っていたかもしれない、古い本たち。SD体制が崩壊するまで、時の流れを越えた本たち。
何冊かはきっと、あったのだろう。…地球と一緒に燃えてしまって、消えて行った本が。
残っていたなら、今の時代の「世界最古の本」になれた筈の本が。
ホントに残念、と新聞を閉じて二階の自分の部屋に帰って。
勉強机の前に座って、本というものを考えてみた。自分の部屋にも何冊もの本。ズラリと本棚に並んだ本は色々、SD体制の時代よりも前に書かれた本も沢山。
(本の中身はあるんだけどね…)
SD体制の時代も、それよりも後も、データベースに残っていたから。
今のハーレイが教える古典も、データベースから引き出された資料で作られたもの。源氏物語も枕草子も、平家物語も。
そういう日本の古典はもちろん、ピーターパンの本だってあった。セキ・レイ・シロエが大切にしていたと伝わるピーターパンの本。
同じ中身の本は今でもあるのだけれども、シロエが持っていた本は残っていない。
(あの本、今まで残っていたら…)
間違いなく宇宙遺産になっていただろう。歴史に名前を残した少年、セキ・レイ・シロエ。彼の大切な持ち物だった上に、後にキースの手にも渡った。
ピーターパンの本はシロエと一緒に宇宙に消えた筈だったのに。シロエが乗っていた練習艇を、キースが撃墜した時に。
ところが、ピーターパンの本は残った。事故調査で訪れた人間が見付けて持っていたのを、後に手に入れたスウェナ・ダールトン。彼女がキースにそれを渡した。
其処までは確かに記録に残され、ピーターパンの本の写真もスウェナが撮っていた。
けれど、無くなってしまったシロエの本。ピーターパンの本は姿を消した。
SD体制が崩壊した後、スウェナが何度も捜させたのに。…ノアも、その他の様々な場所も。
キースが立ち寄りそうな場所の全てを捜し尽くしても、ピーターパンの本は見付からなかった。
(多分、キースが…)
処分したのだと言われている。処分した理由は謎だけれども、有力な説はシロエからキースへのメッセージが隠されていたというもの。
マザー・イライザがキースを無から創り上げたことを、シロエは探り当てていたから。命懸けで手に入れたキースの秘密を、シロエは本に隠したのだと。
それをキースが目にしていたから、本ごとメッセージを消した。…そういう説。
肝心の本が何処へ消えたかは分からないけれど。
(…ぼくだったら、教育ステーション…)
キースが、シロエが過ごした教育ステーション。其処へ返しに行っただろう。処分ではなくて、シロエに返しに。…廃校にされたステーションにあった、シロエの部屋へ。
きっとキースは、シロエを嫌っていなかったから。…シロエが乗っていた練習艇を、撃ち落とす他にはなかっただけで。
(もしも、ぼくなら…)
自分がキースだったなら。
どんなメッセージを目にしようとも、シロエに本を返しただろう。大切にしていた宝物の本を。
(キース、E-1077を…)
処分しに出掛けて行ったと言うから、その時に。…ピーターパンの本を、シロエの部屋に。
そうして本は消えたのだと思う、歴史の中から。持ち主だったシロエの所に帰って行って。
(…分かんないけどね?)
真相は、何も。あくまで今の自分の想像。
キースは個人的なことについては、記録を残さなかったから。ほんの僅かな覚え書きさえも。
宇宙遺産になっただろうに、消えてしまったシロエの本。中身なら今も残っているのに。書店に行けば、シロエのと同じピーターパンの本が手に入るのに。
(他に、宇宙遺産になりそうな本…)
なれる資格を持っていたのに、残らなかった本はあるのだろうか。前の自分が生きていた時代の本たちの中に。…時の流れに消えてしまって、宇宙遺産になり損なって。
白いシャングリラでも、改造前の船でも、色々な本を作っていた。データベースから引き出した資料を纏めて、本の形にしてあったもの。実用的な本はもちろん、読み物も沢山。
最初から船に乗っていた本も何冊もあった。元は人類の物だった本。そちらの方なら、それこそ雑誌の類まで。アルタミラがメギドに滅ぼされる前に、元の船の乗員たちが読んでいたから。
(…本は一杯あったんだけど…)
どれも駄目だ、と溜息をついた。宇宙遺産に指定されるほどの価値は無かった本たち。
人類の世界にもあっただろう本、それと似たような中身では。ミュウが作ったというだけでは。たとえシャングリラ最古の本であっても、話にならない。
キャプテン・ハーレイの航宙日誌と違って、歴史的な価値が皆無だから。
古いだけでは駄目なんだよね、と考えた本。新聞にあったような世界最古の本となったら、中身までは問題にならないけれど。古いこと自体に価値があるのだけれど。
キャプテン・ハーレイの航宙日誌が存在する以上は、宇宙遺産に指定されるには、同等の価値が必要だろう。歴史的に重要な意味があるとか、中身がとても重要だとか。
(古いっていうだけなんだったら…)
航宙日誌よりも古かった本は多かった筈。元から船にあった本の他にも、あの船で作った数々の本。ハーレイがキャプテンになるよりも前に。
シャングリラ最古の本と言うなら、それは航宙日誌ではない。もっと他の何か。
(…シャングリラで最古…)
はて、と考え込んでしまった。どの本が一番古かっただろう?
元は人類の物だった本は除いて、シャングリラ最古の本となったら。…一番最初に作られた本。
(…作った本なら…)
本当に色々とあったと思う。改造前の船の頃でも、何冊も作ったのだから。
けれども、覚えていない順番。船の航行に役立つための本から先に作ったろうか。それとも船の仲間たちのために、小説などが先に作られたろうか。
船で直ちに必要な本なら、最初から乗せられていただろうから、もっと別の本。読んで楽しめる様々な本を作っただろうか、船の生活を彩るために。
(どうだったっけ?)
思い出せない、本の順番。何から先に作り始めたか、どれが最古の本だったのか。
(…ハーレイなら分かる?)
あの頃はキャプテンではなかったけれども、備品倉庫の管理人をしていたハーレイ。前の自分が奪った物資を整理して入れておくのが仕事。
(本は倉庫じゃなかったけれど…)
倉庫に入れたら読めはしないから、専用の部屋があった筈。一種の図書館。
けれど、どういった物が何処にあるかをきちんと把握していたハーレイ。管轄外の筈の物でも。倉庫には入れない工具箱が無いと慌てた者にも、「置き忘れていないか?」と言ったほど。多分、あそこだと場所まで挙げて。
そんな具合で、「見当たらない物があったらハーレイに訊け」と言われた船だったから。
ハーレイだったら分かるかもしれない、シャングリラ最古の本のこと。「それならアレだ」と。
(…訊きたいんだけどな…)
来てくれるかな、と視線を遣った窓の外。仕事の帰りに寄ってくれたらいいんだけれど、と窓を見ていたら、運のいいことにハーレイが訪ねて来てくれたから。
チャンス到来、と部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり、ワクワクしながら問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。シャングリラで一番古かった本って、知っている?」
どの本が一番古い本だったか、ハーレイなら覚えていそうだと思って…。
新聞に世界最古の本っていうのが載っていたから、気になったんだよ。その本はとっくに消えてしまって、もう残ってはいないんだけど…。紀元前五百年頃の本だった、って。
「そいつは古いな、そんな時代なら日本じゃ紙も無い頃だよなあ…」
いや、紙どころか書くような中身があったのかどうか。日本の文化の限界ってヤツだ。
…それはともかく、シャングリラ最古の本ってか?
元から船に乗ってたヤツなら、どれも古いぞ。航宙学の本でも、雑誌とかでも。
「そうじゃなくって…。それは人類が作った本でしょ?」
みんなは飽きずに読んでいたけど、それよりも後。…ぼくたちが船で作った本だよ。色々な本を作った筈だよ、データベースから引き出した資料を纏めて綴じて。
「ああ、そっちか…」
作っていたなあ、白い鯨が出来る前から。…俺が厨房にいた時代から。
俺もあれこれ読んだもんだが、あの中で一番古い本ってか…?
いったい何の本だったろうな、とハーレイも腕組みをして考え込んだ。本と言えば…、と。
「あの船で本を作り始めた頃ってヤツはだ、それこそ手当たり次第でだな…」
中身は選んでいないと思うぞ、生きてゆくのに欠かせない本は最初から乗っていたからな。操船技術の本はもちろん、メンテナンスのための本だって。…マニュアルの他にも、色々なのが。
だから、本を作ろうと思った頃には、その場の思い付きだろう。これを作ろう、と適当に。
前のお前が奪った物資に、本を作るのに使えそうな物があったら本作りだぞ?
これは使える、と手先の器用なヤツらが取り出して、見よう見まねながらも本格的で…。表紙もきちんとしたのを作って、元からあったのと変わらない本を。
引き出した資料を印刷して綴じるだけだしなあ…。「これを頼む」と注文も出来たし、文字通り何でもアリってことだ。本の中身は。
「…じゃあ、ハーレイにも分からないの?」
シャングリラで一番古かった本が何だったのか。…何の本を最初に作ったのか。
「うむ。…恐らく同時進行ってヤツで、何冊か一度に作ったんじゃないか?」
データを纏めて印刷してから、手分けして。…全部が小説か、そうじゃなかったのか…。
必要不可欠な本を作ったんなら、俺も覚えているんだが…。ただの読み物ではどうにもならん。
印刷じゃなくて、手書きの本でもあったというなら別だがな。
世界最古の本もソレだろ、というハーレイの指摘。「印刷技術が無い時代だから」と。
「…シャングリラにもそういう時代があったら、最古の本を絞り込めるが…」
誰が書いたか、それが手掛かりになるからな。…しかし、前の俺たちには印刷技術というヤツがあって、だ…。本を作ろうってことになったら、端から印刷していっただけで…。
手書きの本なんか無かったんだよな、手間をかけなくても機械が印刷してくれるんだし。
…ん?
待てよ、と顎に手を当てたハーレイ。
「何かあったの?」
思い出せそう、古かった本?
シャングリラで作った一番古い本は何だったのか、何か手掛かりでも思い出せたの…?
「それだ、手書きだ!」
手書きの本ってヤツだったんだ。…あの船で一番古かった本は。
「えっ?」
手書きの本なんかが、あの船にあった…?
ハーレイだって言った筈だよ、印刷技術はあったんだから、って。
本の中身はデータベースから引き出したヤツで、全部印刷していたんだし…。そんな手間なんか誰もかけないよ、手書きで中身を写そうだなんて。
…せいぜいメモを取ってたくらいで、普通は印刷しちゃっていたよ?
データベースの資料を持ち出したい時は。本にしようってわけじゃなくても、いつも印刷。
「確かにそいつが基本だったが…。だから、俺が言う手書きの本だって…」
基本は印刷だったんだがな。データベースの資料そのままで、引き出して印刷したヤツで。
全部が手書きの本というわけではなかったが…、とハーレイが浮かべた苦笑い。
「あの船で一番古かった本は、どうやら俺が作ったらしい」
中身はもちろん、本に仕上げる所まで。…前の俺がな。
「ハーレイが!?」
それ、ハーレイが作っちゃったわけ?
手書きと印刷のが混じってる本を、前のハーレイが作っていたの?
…しかもシャングリラで一番最初に。他の本なんか、まだ無かった頃に…?
「そのようだ。…頼まれたんじゃなくて、なりゆきだがな」
本作りの趣味があったわけでもないから、もう本当になりゆきだ。俺が作るしか無かったしな。
俺が自分で作らない限り、その本は手に入れられないんだから。
「えーっと…。航宙学の本?」
元から船にあった分では足りなかったの、専門の本が?
もっと詳しい本が欲しくて、ハーレイ、自分で作っちゃったの…?
「おいおい、あの頃、俺は厨房にいたんだぞ?」
その時代だと承知で俺に質問をぶつけてたくせに、お前が忘れちまってどうする。
俺は厨房で料理をしていて、備品倉庫の管理人を兼ねていたって時代の話をしてるんだが?
何処の料理人が航宙学の本を読むんだ、仮に読んだとしたって作ろうとまでするわけがないぞ。もっと詳しく知りたいだなんて、考える筈がないからな。…読んだというだけで満足だろうさ。
第一、もっと詳しく知りたくなっても、あの分野ってヤツは広すぎる。
どのデータを引き出して集めりゃいいのか、料理人には見当すらも付かないってな。
だからだ、前の俺が作ったシャングリラ最古の本というのは…。
料理の本だ、と片目を瞑ってみせたハーレイ。それは楽しげに。
「厨房時代の俺に似合いの一冊だろうが?」
いろんな料理の作り方から、調理法やら、それに必要な調理器具やら…。
オーブンの扱い方まであったな、沢山の器を入れる時にはどういう風に並べるかだとか。置いた場所によって、熱の伝わり方ってヤツが変わってくるからな…。
これがけっこう、大切なんだ。オーブンの中での器の配置は料理の肝だな。
「…なんで料理の本だったわけ?」
それにオーブンの扱い方って、そんな本を作って何に使うの?
前のハーレイは料理が上手だったし、料理の本なんか作らなくても良さそうだけど…。
「お前なあ…。俺が最初から料理のプロだと思うのか?」
そりゃあ、確かに他のヤツらより料理の腕は上だった。手つきがまるで違ったからな。何処かで基礎を身につけたことは間違いないが…。その時代の記憶を失くしちまったというだけのことで。
しかし、いくら料理の基礎があっても、それだけじゃ本当に美味い料理は作れないんだ。
材料を手際よく切れた所で、どう使うのかが肝心だってな。…煮るのか焼くのか、味付けの方はどうするか。勘で作っても限度があるんだ、俺の知らない料理は作れん。
消されちまった記憶の中にあったものなら、舌が覚えているんだろうが…。俺はサッパリ忘れていたって、こういう味付けも出来る筈だ、と試作してみる気になるんだが。
一度も食ったことのない料理だったら、そうはいかんぞ。…俺はそいつを知らないんだから。
初めての食材を見るのと同じだ、とハーレイは説明してくれた。
卵は卵だと知っているから、焼いたり茹でたり出来るだけ。もしも卵を知らなかったら、白くて丸いというだけのもの。割ってみたって、どうすればいいか分からない、と。
「食い物なんだ、と聞かされたとしても、食べ方を全く知らないんだぞ?」
そのまま生で食うのがオチだな、とりあえず。…そんな卵を焼くのはともかく、丸ごと茹でると思い付くのはまず無理だ。その茹で方にしても、固ゆでだとか、半熟だとか…。
一事が万事で、俺の頭に浮かんでくれない料理というのがあったわけだな、いろんな時に。
前のお前がやらかしてくれたジャガイモ地獄やキャベツ地獄だと、俺の頭も限界ってわけで…。何か無いかとデータベースに走って行ったさ、行き詰まったら。
そういう時に、厨房でヒョイと開いてみる本。…そいつが何処にも無かったからな。
船にはそういう本が無かった、とフウと溜息をついたハーレイ。あの頃の厨房に戻ったように。
後にシャングリラと名前を変えた、元は人類のものだった船。
コンスティテューションという名前で人類を乗せていた頃は、厨房の者たちは皆、プロだった。船を操る者たちがプロだったように、料理のプロたち。
参考にする本など無くても自由自在に料理を作れていたのか、無かったレシピ。料理の本も。
でなければ、彼らは簡単にレシピを調べる方法を何か持っていたのか。
とにかく船の何処を探しても、厨房の隅から隅まで探し回っても、レシピはもちろん、参考書も一冊も見付からなかった。…こうすれば料理が出来ますよ、と書かれていた本。
その手の本やレシピが何処にも無くても、作らねばならない毎日の料理。工夫を凝らして、船の仲間が飽きないように。…ジャガイモ地獄やキャベツ地獄の時なら、尚更。
「…だが、俺の場合はプロじゃないから、レシピってヤツが必要なわけで…」
こんな料理を作りたいんだが、と思い付かなきゃ、調べに行くしか無かったわけだ。料理の本を開く代わりに、わざわざデータベースまで。
…しかしだ、料理の試作をしようとする度にデータベースには行っていられないってな。時間の無駄だし、纏めて引き出して来た方がマシだ。
ジャガイモならジャガイモ、キャベツならキャベツ。…これだってヤツを、端から全部。
最初の間はプリントアウトだ、データベースのをそのまま印刷。そいつが俺のレシピ帳だった。あの料理は何処にあったっけか、と紙をめくって参考にしたり、その通りに作ってみたりして。
ところが、どんどん数が増えちまって、散らばっちまうことも度々で…。
キャベツはキャベツ、って纏めておいても、レシピが増えたら量も増えるし…。何かのはずみに手が滑ったら、俺のレシピ帳が厨房の床に散らばったってな。
「そうだっけね…」
ハーレイが「おっと!」って叫んだ時には、もうヒラヒラと飛び散っちゃって。
ぼくがサイオンで止めるよりも前に、床に散らばっちゃうんだよ、レシピ。
纏めてサイオンで拾おうとしたら、いつもハーレイに止められたっけ…。
「ちゃんと上下を揃えて拾わないと後が面倒だから、すまないが手で拾ってくれ」って。
レシピを記した紙には上下があるものだから。…逆さになったら、文字も逆さになるから。
そうならないよう、一枚ずつ拾っていたハーレイ。沢山のレシピが床一面に散らばる度に。
前の自分も一緒に拾った覚えが何度も。上下が逆にならないようにと注意しながら、一枚ずつ。
「あれをだ、俺が何回もやってる内にだ…」
見ていたブラウが「そんな面倒なことをやっているより、本にしちまいな」と言ったんだ。本に纏めれば散らばらないし、面倒が一つ減るじゃないか、と。
エラとヒルマンにも勧められちまった、「面倒なのは最初だけだから」とな。
本に纏める作業自体は大変だろうが、作っちまえば、二度とレシピは散らばらないし…。何度も拾う手間を思えば、時間も得をすろうだろうし、と。
それに、目次もつけられる。…本と同じに、索引だって。各段に使いやすくなるしな、そいつを作りさえすれば。
ついでに俺のオリジナルのレシピも加えるといい、と言われちまった。データベースには無い、俺のオリジナル。…料理人としては、ちょいと嬉しくなるだろうが。
データベースに入っていたレシピと、俺のレシピが同じ本の中に載るんだぞ?
いっぱしのシェフになった気分だ、自分の料理を纏めて出版して貰えるような、超一流のな。
備品倉庫の管理人だっただけに、面倒な作業もどちらかと言えば好きだったから、とハーレイが懐かしそうに語る思い出話。料理の本を作ろうと決心してから、出来上がるまで。
まずはレシピの整理から。
データベースから引き出して印刷したままのレシピを順に並べて、何度も検討。素材別だとか、調理法ごとに分けてみるとか。
どういう順にするのかが決まれば、次はハーレイのオリジナルのレシピ。本にするのに似合いのレシピを選び出しては、手書きして付け加えていった。この料理は此処、と思った場所に。
「そいつを綴じて本にしたんだ、素人作業だったがな」
ヒルマンとエラに、「こうやるんだ」と製本のやり方を書いた資料を渡して貰って。
せっせと糸で綴ったんだぞ、順番にな。…間違えて綴じたら大変だから、と確認しては。
「そういえば…。ぼくが渡していたんだっけね」
ハーレイが本を作っている時は、手伝いに行って。…なんだか面白そうだったから。
だけど針仕事の腕に自信が無くって、失敗したら悪いから…。そっちは手伝わなかったっけ。
代わりに綴じるレシピの順番を確認しながら、「はい」って渡して。
…間違っていないか、ハーレイがもう一度チェックしてから「よし」って綴じていたんだよ。
端っこの方に糸を通して、外れないように注意して留めて。
「思い出したか? 俺が作っていた本」
印刷と手書きが混じっていた本、どうやら思い出してくれたようだな。
「うん。ハーレイの本、とっても凝っていたんだっけね」
綴じ方と表紙も頑張ってたけど、あの中身だって。…ハーレイ、凄く凝っていたもの。
「手書きのトコはな。…他は印刷そのままなんだし、俺は纏めただけなんだが…」
俺のレシピも、プロのレシピに負けないような見栄えにしたいじゃないか。
誰かが眺めたら作りたくなる、そんな気持ちになれるページに仕上げてこそだ。こだわれるのも手書きだからだし、どうせ書くからには凝らないとな?
他のレシピと同じサイズの紙を選んで、ハーレイが手書きしたオリジナルのレシピ。
材料ごとの分量を示した部分を枠で囲んだり、出来上がった料理や調理過程の写真を添えたり。
データベースから引き出した数々のレシピ、それに見劣りしないようにと。
それを幾つも間に挟んで出来上がった本は、ハーレイがよく開いていた。厨房で料理を試作する時に、「これを参考に…」といった具合に、パラパラめくって。
素材で調べたり、調理法だったり、その時々に合わせた調べ方。目次も索引も役立ったらしい。それを作るまでの手間を補って余りあるほどに。
「…ハーレイ、あの本…。あれから後はどうなったわけ?」
シャングリラで一番古い本だけど、ハーレイがキャプテンになった後にはどうなっちゃったの?
まさかブリッジには持って行かないよね、ハーレイの部屋に持ってった…?
「俺の部屋に移してどうするんだ。あれは料理の本なんだぞ?」
厨房で料理に役立ててこそだ、だから厨房に残して行った。良かったら参考に使ってくれ、と。
「そうだったんだ…。それって、代々、引き継がれてた?」
厨房のスタッフ、あれから何人も変わったけれど…。ハーレイの本も一緒に引き継ぎ?
変わる時には引き継ぎだものね、船のみんなの好きな料理とか、色々なことを。
「いや、もっといい本が手に入ったからな、後の時代は」
データベースの資料を基にだ、料理の本を作ろうってヤツも出て来たし…。
白い鯨になった後には、手に入らなくなった食材もあったし、それに合わせて料理も変わった。時代にピッタリのレシピが一番なのは当たり前だし、そっちの本になっただろうな。
…古臭い俺の手作りじゃなくて、綺麗に仕上がった料理の本に。
「じゃあ、あの本は…」
シャングリラで一番古かった本の、ハーレイが作った料理の本は…?
「消えちまったんじゃないか?」
綺麗サッパリ、それこそ何処かに。…ゴミになったかもしれないなあ…。
「えーっ!」
ゴミって、あんなに素敵な本が!?
前のハーレイが頑張って作った、シャングリラで一番古かった本がゴミになっただなんて…!
とんでもない、と上げてしまった悲鳴。シャングリラで最古だった本。
キャプテン・ハーレイのオリジナルレシピが手書きで綴られた本で、ソルジャー・ブルーが製本するのを手伝った本。
キャプテン・ハーレイもソルジャー・ブルーも、知らない人などいないのに。…そういう二人の共同作業で作られた本が、よりにもよってゴミだなんて、と。
「…だって、ハーレイ…。あの本、残ってたら宇宙遺産だよ?」
ハーレイの航宙日誌は歴史資料だから当然だけど、シロエが持ってたピーターパンの本。
…あれがあったら宇宙遺産になった筈だって言うんだもの。…いくら中身が料理の本でも、前のぼくたちが作った本なら、絶対に宇宙遺産だったよ。
キャプテン・ハーレイが書いたレシピと集めたレシピで、ソルジャー・ブルーと二人で製本…。
「…間違いなく超一級の宇宙遺産だな…」
シロエの本でも指定されたと言われてるんだし、いけた筈だな。
…誰か気付いていたんなら。あの古臭い本の価値ってヤツに。
今も伝わる伝説の英雄、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
その二人が作った料理の本。手作りだった、シャングリラで一番古かった本。今もあったなら、宇宙遺産になっただろうに、誰もその本の価値に気付かなかったから。
シャングリラ最古の本は失われた。…世界最古の本と同じに。
「えーっと…。白い鯨になった後には?」
もう無かったのかな、あの本も…。新しい船で使わない物は廃棄処分にしていたし…。
「それだけは無いな、厨房のレシピは全部纏めて運ぶようにと指示したからな」
新しい船でも食っていかなきゃならないし…。食べ物無しでは、絶対に生きていけないんだし。
どんなレシピの出番があるかは謎だからなあ、「とにかく全部運べ」と言った。
だから、あの段階では厨房にあった筈なんだが…。それから後はどうなったんだか。
使えないな、と奥の方へと突っ込まれちまって、それっきりなのか。
でなきゃ誰かが汚しちまって、誰も読む気になれない見掛けになっちまったか…。
どっちにしたって、トォニィの代には誰も気付かなかったってこった。
…シャングリラを解体しようって時に、あの本は何処かへ移されもせずに、それきりなんだし。
シャングリラが白い鯨になった時までは、残っていたらしい手作りの本。
けれど分からない、あの本のその後。
消えてしまった最古の本。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが作り上げた本。
「もったいないね…。消えちゃったなんて」
前のぼくとハーレイが作った本なら、シロエの本より、よっぽど凄いと思うのに…。
そんな本があったっていう話さえ無いよ、誰も知らずに消えちゃったよ…?
「世の中、そうしたモンだってな。…色々なものが消えていくもんだ」
知られもしないで、ひっそりと。古典になれずに消えちまった本も多いんだから。
俺の本なら、航宙日誌が残っているからそれでいいだろ、あれは立派な宇宙遺産だぞ。
「でも、ハーレイでも見られないよ?」
本物の航宙日誌ってヤツは、超一流の研究者しか見られないんだから…。
「別に見たいとも思わんしな、俺は」
データベースで見られりゃいいんだ、とハーレイは気にもしていないから。
今でもあれこれ読んでは楽しんでいるのだろう。ハーレイにだけは読み取れるという、元の字をそのまま写し取っている航宙日誌に隠された遠い昔の自分の記憶を。
文字の向こうから見えてくるらしい、それを綴っていた日のことを。
「…ハーレイはそれでいいんだろうけど…。ぼくは字だけを見たって分からないんだよ!」
ハーレイが何を思って書いたか、どんな気持ちが詰まってるのか。
航宙日誌、いつか研究者向けのヤツを買ってよ、そしてぼくにも解説してよ?
この日にはこういうことがあった、って。
「さてなあ…?」
研究者向けのは高いからなあ、本物のレプリカみたいなものだし…。
買ったら大散財なんだ。…お前だって知っているだろ、べらぼうに高いということは。
それだけの金を払えば色々出来るぞ、旅行も、美味い食事だってな。
同じ金なら値打ちのある使い方をだな…、と上手く誤魔化されてしまったけれど。
航宙日誌を買おうとは言って貰えなかったけれど、今日は許そう。
シャングリラで一番古かった本。
キャプテン・ハーレイの手書きのオリジナルレシピが入った、最古の本を二人で作った思い出。
それを二人で語り合えたから、本の記憶が蘇ったから。
あの頃からきっと、互いに特別だったから。
二人で一緒に本を作るほど、シャングリラで最古の本を二人で頑張って作り上げたほどに。
きっと特別な運命の二人。そう思えるから、今日はそれだけでいい。
作った本は時の流れの彼方に消えても、あの幸せな思い出だけは今も残っているのだから…。
一番古い本・了
※シャングリラで一番古かった本は、前のハーレイとブルーが作った料理の本だったのです。
前のハーレイの手書きのレシピも入った、手作りの本。残っていれば、立派な宇宙遺産。
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