シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ココちゃん…?)
小さなブルーの頭の中にヒョイと浮かんで来た名前。家に帰ったら、白いウサギのぬいぐるみ。制服から着替えて、おやつを食べに行ったら出会った。
ダイニングのテーブルの上にチョコンと座っているウサギ。クルンと丸い瞳をした。
(ぼくの…?)
幼かった頃に、こんなぬいぐるみを持っていた。ウサギのココちゃん。そういう名前。
真っ白でフカフカ、抱き締めていたら幸せだった。柔らかくて温かかったココちゃん。お日様の匂いがしていたココちゃん。
記憶の通りの姿だけれど。首についているピンクのリボンも同じだけれど。
(幼稚園の時ので…)
いつかウサギになりたいと思っていた頃には、もうココちゃんが側にいた。ココちゃんのせいでウサギになりたいと思ったわけではないけれど。
幼稚園にいた、元気一杯のウサギたち。それに憧れてウサギを目指した。生まれつき弱い身体は直ぐに熱を出したし、はしゃぎ過ぎたら寝込んだから。ウサギみたいに元気になりたい、と。
ウサギの小屋を覗き込んでは、友達になろうと頑張っていた。友達になれば、ウサギになれると幼かった自分は信じていたから。
(…ウサギになってたら、ココちゃん、どうするつもりだったんだろう?)
大切な友達だったココちゃん。病気で家から出られない日にも、ココちゃんは側にいてくれた。ベッドで寝ていた自分の側に。
もしかしたら、生まれてすぐから一緒。それがココちゃん。
鮮やかに蘇って来た記憶。ココちゃんと過ごした、幼かった日々。ココちゃんの隣に座り込んで絵本を何度も読んだし、おやつの時にも抱えて出掛けた。ぼくの友達、と。
そのココちゃんが目の前にいるのだけれど。記憶のまんまのココちゃんだけれど。
(こんなに綺麗な筈がないよね…)
フワフワでフカフカのぬいぐるみ。真っ白で、お日様の匂いもしそう。
でも、ココちゃんの筈がない。学校に上がって人間の友達が増えていったら、遊ぶことを忘れてしまったココちゃん。いつの間にか部屋からいなくなっていた。消えたことにも気付かなかった。
あんなに大事にしていたのに。いつも一緒で、大切な友達だったのに。
ココちゃんが部屋から消えてしまってから流れた時間。幼稚園児だった自分は十四歳になって、学校も一つ上の学校。ココちゃんがいた頃に入った学校は、もう卒業してしまったから。
最後に見たのはいつだったろうか、ウサギのココちゃん。
かなり経つのだし、忘れていた間に傷んでしまったことだろう。フカフカだった毛皮は汚れて、きっと埃を被ってしまって。柔らかかった身体も、誰も抱かないから固くなって。
(でも、ココちゃん…?)
何処から見たって、ココちゃんそっくりの真っ白なウサギのぬいぐるみ。顔を近付けてみたら、ふわりとお日様の匂いまでする。懐かしいココちゃんと同じ匂いが。
けれど、ココちゃんはすっかり古くなった筈。残っていたって、きっと傷んでしまった筈。
首のリボンも色褪せて。…こんなに綺麗なピンクではなくて。
そうは思っても、ココちゃんにしか見えない真っ白なウサギ。
(…ママがそっくりのを買って来たとか…?)
何処かで見付けて、懐かしくなって。多分、ココちゃんを買ってくれたのは母だから。
なのに、新品だという気がしない。ココちゃんだとしか思えない。古くないのに、少しも傷んでいないのに。
(やっぱり、本物のココちゃんなの…?)
どうなのだろう、と触っていたら。ココちゃんと同じ、とフカフカの毛皮を撫でていたら。
「あら、覚えてた?」
懐かしいでしょう、と母がやって来た。おやつのケーキと紅茶を載せたトレイを持って。
お皿やカップを並べてゆく母は、楽しげな顔に見えるから。ワクワクしているような顔だから、このぬいぐるみは、ひょっとしたら新品ではなくて…。
「…ココちゃんなの?」
ママ、本物のココちゃんなの、これ?
…凄く綺麗だけど、ホントにココちゃん…?
「そうよ、ブルーのココちゃんよ、これ」
昔のままでしょ、フワフワのココちゃん。…ブルー、大好きだったものね。
何をするのもココちゃんと一緒。本を読むのも、おやつを食べるのも、寝る時にだって。
そのココちゃんが会いに来たのよ、と微笑んだ母。「ココちゃんはブルーに会いに来たの」と。
探し物をしていた母が、袋の中から見付けたココちゃん。長い間、眠っていたぬいぐるみ。
母は早速、綺麗に洗って、お日様でフカフカに乾かした。元の通りになるように。柔らかだったココちゃんが戻って来るように。
くたびれていた首のリボンも、同じリボンを探して買った。元のリボンは…。
「ほら、これよ」と棚から母が取って来たリボン。色褪せてしまったピンクのリボンがきちんと巻かれて、透明な小さな袋の中に。
「このリボンは外しちゃったけれども、大切に取っておかなくちゃね」
だってそうでしょ、ブルーと一緒に大きくなったココちゃんのだから。…大事なリボン。
ウサギのぬいぐるみは沢山いたけど、ブルーが選んだのがココちゃんだったの。
…まだ小さくて、上手に喋れなかったけど…。この子がいい、って。リボンの色もね。
「ココちゃん…。ぼくが選んだの?」
「そうよ、名前もブルーがつけたの。ウサギはココちゃん、って」
大好きだった絵本のウサギの名前がココちゃんだったからよ、きっと。赤ちゃん向けの本。
ブルーのココちゃんはこの子だったの、元の絵本を忘れちゃっても。
すっかり元の通りになったココちゃん。懐かしいウサギのぬいぐるみ。
抱き締めてみたら、フカフカの身体。温かかったココちゃんが本当に帰って来たらしい。優しい感触を確かめていたら、母に訊かれた。
「ココちゃん、部屋に飾っておく?」
元々はブルーの部屋にいたんだし、連れて帰ってあげることにする?
「んーと…」
どうしようかな、と思ったけれど。今の自分なら、ココちゃんを忘れてしまったりせずに、埃を被らないよう綺麗に残しておけそうだけれど。
問題は、訪ねて来るハーレイ。「あれはなんだ?」と訊くに決まっているハーレイ。
そのハーレイに見られるのは、なんだか恥ずかしい。ココちゃんは大切だったのだけれど。
(ココちゃんがいないと寝られなかったし…)
いつも一緒に遊んだ友達。絵本を読んだり、おやつを食べたり。…ぬいぐるみが友達、寝る時もギュッと抱き締めたまま。幼い子供ならではのこと。今の年では流石にやらないから…。
やっぱりいいよ、と断ったココちゃん。自分の部屋には連れて行けない。
きっとハーレイに笑われてしまって、顔が真っ赤になるだろうから。「子供じゃないから!」と叫んだとしても、「そうか、そうか」と大きな手で頭をクシャリとやられる。
そうなることが見えているから、ココちゃんを部屋に連れて帰るのは諦めた。母が専用ケースを買ってくれたから、会いたくなったらいつでも会える。
もう、物置には戻らないココちゃん。母が自分の部屋に飾ってくれるから。
(良かったね、ココちゃん…)
見付けて貰えて、と心で話し掛けたココちゃん。「また会えたね」と。
おやつの間は、テーブルに座ったココちゃんと一緒。久しぶりにココちゃんとおやつを食べた。母が焼いてくれた美味しいケーキと、ふんわり優しいミルクティー。
ゆっくりのんびり味わった後は、「バイバイ」とココちゃんに手を振って部屋に帰った。
「ハーレイが来るかもしれないから、片付けておいてね」と母に念を押して。ハーレイが来たら夕食を食べて帰るから。…ダイニングで。
テーブルの上にココちゃんがいたら、文字通りに赤っ恥だから。
父と母とが披露するだろう、幼かった自分とココちゃんの話。ココちゃんがいないと寝られない子だったとか、おやつの時にも一緒だったとか。
ココちゃんと別れて戻った部屋。母はココちゃんをケースに入れているのだろうか。母の部屋に運んでゆくために。ココちゃんは母の部屋にも何度も出掛けていたけれど。
幼かった頃には両親の部屋で眠っていたから、昼間も其処で遊んだりした。ココちゃんを大切に抱えて行って。
そのココちゃんが最後にいたのは何処だったかな、と部屋を見回したけれど、分からなかった。棚の上だったか、あの頃はあった子供椅子の上に座っていたのか。
覚えてないや、と勉強机の前に腰掛けて、頬杖をついた。ココちゃんは知らない勉強机。小さい頃には別の机で、下の学校の途中で机を買い替えたから。
(ココちゃん…)
まさか今頃、再会するとは思わなかった。何年ぶりに会ったのだろうか、ウサギのココちゃん。
けれど、本当に懐かしかった。子供の頃の記憶そのまま、母が洗ってくれたココちゃん。
フワフワのフカフカの姿に戻って、ココちゃんが会いに来てくれた。幼かった頃の思い出を沢山持って。幾つも抱えて、大きくなった自分に会いに。
大きいと言っても、前の自分には敵わないけれど。まだまだ背丈が足りないけれど。
(前のぼくにも、ココちゃん、いたかな…)
ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。遠く遥かな時の彼方で生きていた自分。
何も覚えてはいなかった。成人検査を受ける前のことは、子供時代の記憶は何も。思い出も夢も全て失くした、機械のせいで。…ミュウへと変化してしまったせいで。
成人検査で消された上に、繰り返された人体実験。その衝撃で消えてしまった記憶。一つ残らず零れ落ちて消えて、欠片さえも覚えていなかった。
お気に入りのオモチャも、両親の顔も。どんな家で暮らしていたのかも。
だから記憶にココちゃんはいない。前の自分の記憶の中には。
(あの時代だと…)
成人検査が消していた記憶。子供時代の記憶は消されて、塗り替えられるものだった。
たとえ前の自分が成人検査をパスしたとしても、ぬいぐるみの記憶を持って教育ステーションに行くことは無理だっただろう。ぬいぐるみの記憶は、大人の社会では何の役にも立たないから。
ぼんやりと姿がぼやけてしまって、漠然としたものになっていただろう、ぬいぐるみ。
好きだったことは思い出せても、どんな姿のぬいぐるみだったかは思い出せない程度の記憶。
そうやって少しずつ忘れてゆく。ぬいぐるみのことも、養父母のことも。
当時の世界は、そうだった。機械が統治していた時代は。
ブルッと肩を震わせたSD体制の時代。今は歴史上の出来事だけれど、前の自分は其処で確かに生きた。人の記憶が消される世界で、それ以上の記憶を消されながらも。
懸命に生きたソルジャー・ブルー。過去を失くしても、子供時代の記憶の全てを失っても。
(ココちゃん…)
前の自分もココちゃんと一緒に育っただろうか。ウサギではなくても、ココちゃんという名前でなくても、お気に入りだったぬいぐるみ。一緒に眠って、おやつも、本を読む時も一緒。
子供ならではの小さな友達、それが自分にもいたのだろうか。ココちゃんのような友達が。
前の自分は何が好きだったろうか、と考えたけれど分からない。ウサギが好きだったか、もっと違うものか、それさえも分かる筈がない。
記憶は消されて、おまけに踏み躙られたから。あまりに過酷な人体実験、その繰り返しで頭から消えてしまったから。…前の自分の子供時代は。
(…ぬいぐるみを持ってたか、そうでないかも…)
分かりはしないし、前の自分は手掛かりさえも掴めなかった。子供時代の記憶は、何も。
それを思うと、今の自分は幸せすぎる。記憶は一つも消されていないし、自分が忘れてしまっただけ。新しいことや興味のあること、そういったものに夢中になって。
記憶を仕舞っておくための引き出し、それが開かなくなっただけ。鍵の在り処を自分が忘れて。鍵穴もすっかり錆びてしまって。
そんな具合に忘れていたって、ココちゃんに会えた。
沢山の子供時代の思い出を抱えて運んで来てくれたココちゃん。すっかり忘れてしまった自分にココちゃんが会いに来てくれた。
幼かった自分の記憶そのままの姿で、温かなお日様の匂いをさせて。
思いがけなく会えたココちゃん。お蔭で開いた記憶の引き出し。失くした鍵がヒョッコリと姿を現して。錆び付いた引き出しを軽々と開けて、思い出が幾つも飛び出して来た。
ココちゃんが抱えて来てくれた思い出。幼かった頃の自分の記憶。
(今の時代だからだよね…)
機械が選んだ養父母ではなくて、血の繋がった本物の両親と暮らせる時代。だからココちゃんは物置に仕舞われていた。いつか大きくなった自分と出会う日のために。
その日が来たなら、懐かしく思い出すだろうから。…もう要らない、と忘れていても。
幼かった自分がココちゃんに見向きもしなくなっても、母は大切に取っておいてくれた。捨てる代わりに袋に入れて。…ココちゃんが思い出を運ぶ日のために。
(…前のぼくの時代だったら、絶対に無理…)
十四歳になった子供は、二度と家には戻らないから。成人検査で行ってしまって、養父母たちとお別れだから。
いずれ家からいなくなる子供、思い出の品など残すだけ無駄。残しておいても、いつかその子が成人検査の日を迎えたなら、ユニバーサルから職員が来て処分するから。不要なものだ、と。
次の子供を育てるつもりの養父母の家に、前の子供の思い出は要らない。
そういう時代に、ココちゃんのようなぬいぐるみが取っておかれることは無い。子供が飽きたらそれでおしまい、ゴミとして処分されたのだろう。…二度と出番は来ないのだから。
もしも前の自分が、ココちゃんと一緒に育っていても。ぬいぐるみの友達と暮らしたとしても。前の自分が今の自分と同じに忘れてしまった途端に、養父母はそれを捨てただろう。物置の奥へと仕舞う代わりに、ゴミ袋に入れて。
だから、前の自分は再会出来なかったココちゃん。…もし、ココちゃんがいたとしても。
どう考えても無理だったよね、と時の彼方で生きた時代を思ったのだけれど。
(あれ…?)
ふと引っ掛かった、誰かが喜んでいた記憶。それは嬉しそうに弾んでキラキラ輝く心。光の粉を振りまくかのように、はち切れそうな思念が弾ける。
また会えた、と何かを抱き締めて。両腕で強く、もう離すまいと。
(ぬいぐるみ…?)
曖昧でハッキリしないけれども、ぬいぐるみ。それを抱き締めていた幼い子供。そういう記憶。
まるで幼かった頃の自分とココちゃんのように、ぬいぐるみの友達を持っていた子供。
その友達との再会を喜び、はしゃいで弾けていた思念。
シャングリラにぬいぐるみはあったけれども、それで遊んだ幼い子供たちは、今の自分と同じに忘れてしまった筈。そういう友達がいたことを。
ぬいぐるみは次の子供が貰って、いつかくたびれて、役目を終えてしまった筈。懐かしむ子供がいたとしたって、あんなに喜ぶものだろうか?
自分のぬいぐるみには違いなくても、次の子に譲ったぬいぐるみ。もう要らないから、と。
そうして譲り渡した以上は、懐かしんでも「昔、遊んだ」という程度の筈で…。
まさか、と追い掛けてみた記憶。ぬいぐるみであれほど喜ぶなんて、と。
白いシャングリラで、「また会えた」とぬいぐるみを抱き締めて喜んだ子供。そんな子供が誰かいたろうかと、いったい誰が、と。
けれど、記憶に残っている。遠く流れ去った時の彼方で、確かに誰かが…。
誰だろう、と引き寄せた遠くおぼろげな記憶、ぬいぐるみと…。
(カリナ…!)
あの子だった、と思い出した。後にトォニィの母になった子。SD体制始まって以来、初めての自然出産に挑んだ、勇敢なカリナ。
(…カリナが持ってたぬいぐるみ…)
幼かったカリナにとってのココちゃんと言えるぬいぐるみ。それをカリナは失くしてしまった。白いシャングリラではなくて、アルテメシアで。
何が原因でミュウと発覚したのだったか、ユニバーサルに通報されて処分される寸前、救出班の仲間がカリナを救って連れて来た。シャングリラへと。
其処までは上手くいったのだけれど、救出の時にカリナが失くした大切なクマのぬいぐるみ。
いつも一緒だったカリナのココちゃん、それをカリナは離してしまった。ユニバーサルの兵から必死に逃れる途中で、いつの間にか。
シャングリラに着いたカリナがふと気が付いたら、ココちゃんは何処にもいなかった。小型艇の中にも、船の通路にも、格納庫にも。
泣きながら探して貰ったけれども、クマのぬいぐるみは見付からなかった。ずっと一緒にいたというのに、逃げる時にもしっかり抱えていた筈なのに。
ぬいぐるみを失くしてしまったカリナは、今の自分がココちゃんと一緒だった頃の年。誰よりも大切にしていた親友、それがカリナのクマのぬいぐるみ。
ココちゃんという名前ではなかったけれども、カリナのココちゃん。眠るのも、おやつも、本を読むのも、クマのぬいぐるみと一緒だったカリナ。
なのにカリナは失くしてしまった。ただでも養父母や暮らしていた世界を失くして心細いのに、大親友のぬいぐるみまで。
(カリナ、泣いてて…)
毎日のように泣いて泣きじゃくって、前の自分にも届いた心。悲しみに濡れたカリナの思念。
「あの子が、ミーナがいなくなった」と。いなくなってしまって、もう会えないと。
ヒルマンが「諦めなさい」と教え諭しても、毎晩泣いていたカリナ。ベッドの中で声を殺して、心の中で。「ミーナがいない」と、涙を零して。
最初の間は、前の自分も「いずれ忘れる」と思っていたのに、泣き止まなかった幼いカリナ。
何日経っても、失くしてしまった友達を呼んでは、涙を零し続けたカリナ。ぬいぐるみなのに、生きた友達とは違うのに。
そのせいだろうか、余計に気になったクマのぬいぐるみ。…カリナのココちゃん。
(リオに頼んで…)
探し出して貰ったのだった。カリナの記憶にあるぬいぐるみと、救出の時に辿ったルート。船の中からサイオンで探して、在り処を見付けて、リオを派遣した。
瞬間移動で拾い上げることも出来たのだけれど、それも訓練の内だから。リオにとっては経験を積むことになるから、「今度の任務はクマのぬいぐるみの救出だよ」と。
リオは小型艇でシャングリラを離れ、首尾よく回収して来たけれど。…困り果てた顔で青の間に報告にやって来た。カリナの大切な友達を連れて。
「ソルジャー、仰った場所で見付かりました。でも、傷んで…」
排水溝に落ちたままでしたし、泥まみれになってしまっています。あれから雨も降りましたし。
…これではカリナが可哀相です、自分のせいだと思うでしょう。落としたせいだ、と。
「…確かに酷いね…。でも、この船には頼りになる仲間が大勢いるから」
任せておけば元通りになるよ、きっと綺麗に。
直るまではカリナに言っては駄目だよ、これを回収して来たことは。…また泣くだろうけれど、こんな風になってしまった友達を見て泣き叫ぶよりは、知らない方がいいからね。
リオには口止めをして、報告だけをさせておいた。救出を担当している部門や、その関係者に。
無事に回収出来たけれども、すっかり汚れて泥まみれになったクマのぬいぐるみ。こればかりはサイオンでも直せないから、服飾部門の者たちに頼もうと思っていたら。
「ぬいぐるみ、見付かったんだって?」
リオに聞いたよ、と現れたブラウ。泥まみれになっちまっていたらしいね、と。
「…そうなんだ。服飾部門に頼めば直るだろうけれど…」
こんなに酷く汚れてしまって、とリオに渡された袋を見せた。クマのぬいぐるみが入った透明な袋。その袋ごと、服飾部門に預けに行こうとしていたのに。
「ふうん…。ボロボロだけどさ、大丈夫、あたしが直してやるよ」
エラと二人でやってみようって話になっているんだよ。…リオに話を聞いたからね。
「直すって…。君とエラとで出来るのかい?」
服飾部門の仕事なんかとは無縁だろうに…。これは洗って縫い直さないと駄目なんだろうに。
「任しときなよ、裁縫の腕ならアンタとは比較にならないってね」
エラだってそうだ、普段はやっていないってだけさ。…なあに、二人でやれば早いよ。洗って、ほどいて、また洗うってことになるんだろうけど…。大した手間ってわけでもないし。
こういうのは心が大切なのさ、とウインクしたブラウ。服飾部門はプロだけれども、仕事として修理をするよりも心のこもった修理が一番、と。
「あたしたちが直すから、再会の場は用意してやりな」とブラウが持って行ったぬいぐるみ。
ほんの三日ほどで、ブラウとエラはやり遂げた。クマのぬいぐるみを洗ってほどいて、元通りに縫って、すっかり綺麗に仕上げて来た。「上手いもんだろ?」と。
こうしてカリナが失くした大親友は、シャングリラの新しい乗員になった。…人間ではなくて、ぬいぐるみだけれど。小さな茶色いクマだったけれど。
(それで、ハーレイと…)
相談して、再会の場を用意したのだった。カリナが親友にまた会えるように。
居住区に幾つも鏤めてあった公園の一つ、其処に据えられたテーブルの上。クマのぬいぐるみをチョコンと置いて、ハーレイがカリナを近い所まで連れて行った。
他の子供たちが一緒にいたなら、肝心の対面が台無しだから。「ちょっと貸してよ」と幾つもの手が、ぬいぐるみを横から奪うだろうから。
ハーレイは「ちょっといいかな?」と何気ない風を装ってカリナを連れ出した。養育部門から、手を引いて。「カリナはいつも泣いているけれど、友達は何処にいるんだろうね」と。
友達を探す手伝いなんだ、と話したハーレイ。「キャプテンなら力になれそうだから」と。
この辺りで探そう、とハーレイはカリナと二手に分かれた。「私は向こうを探してみよう」と。
キャプテンが一緒に探してくれる、とカリナは張り切って歩き始めて…。
(後は、誘導…)
前の自分が、青の間から。思念でカリナに行き先を示し、そうと知らないカリナは自分の意志で道を選んでいるつもり。通路を進んで、例の公園に行き着いた。
「入ってごらん」と促したから、カリナは真っ直ぐ公園に入って、キョロキョロ見回して。
そして見付けた、テーブルの上に。ずっと探していた友達を。…茶色いクマのぬいぐるみを。
また会えた、と駆け寄って抱き締めたカリナ。頬ずりして、泣いて、大喜びして。
今の自分が一番最初に思い出したのが、其処だった。嬉しそうに弾けたカリナの思念。キラキラ光って、弾んで、零れて。
「また会えた」とクマのぬいぐるみを強く抱き締めて、「ミーナ」と何度も呼んでいた名前。
カリナのココちゃん、大親友だったクマのぬいぐるみのミーナ。
もう会えないと泣き続けていた、カリナが大切にしていた友達。カリナはミーナを大切に抱え、別の方へと向かったハーレイを捕まえて笑顔で報告した。「見付かったわ!」と。
やっと再会出来た友達、カリナが「いなくなった」と毎晩泣いていたクマのぬいぐるみ。感動の対面を果たしたカリナは、その友達を船中に披露して回っていた。
「この子とずっと一緒だった」と、「私の一番の友達だったの」と。
ぬいぐるみでも、それがカリナの友達。救出の時に失くしてしまって、悲しくて泣き続けていた友達。一番の友達を取り戻したカリナは、それからずっと一緒だった。友達のミーナと。
ミーナを大事にしていたっけ、と思い浮かべた幼かったカリナ。何処に行くにもミーナと一緒。おやつも食事も、遊ぶ時にも。「ミーナも行こう!」と抱えてやって。
可愛かったよね、と思う幼いカリナ。両腕でしっかりと抱き締めていたぬいぐるみ。赤ちゃんを抱くお母さんみたいだった、と微笑んだけれど。
(…お母さん、って…)
カリナは本物の母親になったのだった。…ずっと後になって。SD体制の時代の最初の母親に。
歴史の授業では、ジョミーの養母に憧れたのだと教わるけれど。前の自分も、ジョミーに母親のことを訊いていたカリナを覚えているけれど。
それよりも前に、クマのミーナを抱いていたカリナ。赤ん坊を胸に抱く母親のように。
(…あれで、カリナはお母さんになった…?)
もしかしたら、と思わないでもない。カリナには素質があったのかも、と。
歴史に名前を残したカリナ。…一番最初の自然出産児、トォニィの母になった勇敢なカリナ。
彼女の母性は、ジョミーに会うよりも、もっと前からあったのだろうか。
カリナのココちゃんだったミーナを懸命に探して、やっと取り戻せたあの時から。
考えるほどに、母親そのものに見えて来たカリナ。クマのミーナを抱いていたカリナ。
やはり、あの時からカリナは母親だったのだろうか。ミーナは友達だったけれども、その友達はぬいぐるみだから。…大切に抱えて連れて行かないと、何処へも行けない友達だから。
(…そうなのかな…?)
そうだったのかな、と考え込んでいたら、仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから。自分の考えを聞いて欲しくて、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。カリナのぬいぐるみのこと、覚えてる?」
「はあ?」
ぬいぐるみって…。カリナっていうのは、あのカリナだよな?
トォニィの母親になったカリナしか、俺はカリナを知らないんだが…。ぬいぐるみだと?
「忘れちゃったかな、クマのぬいぐるみ。…名前はミーナ」
救出の時に失くしてしまって、カリナがいつまでも泣き止まなくて…。
可哀相だったから、ぼくがシャングリラから思念で探して、リオが拾いに出掛けてくれて。
だけど泥だらけになっちゃってたから、ブラウとエラが直したんだよ。洗って、ほどいて、元の通りに縫い直して。…ぬいぐるみのミーナ、覚えていない…?
「ああ、あれなあ…!」
いたっけな、そういうクマのぬいぐるみ。…俺が一緒に探すふりをして…。
前のお前が誘導してって、公園で再会出来たんだった。うん、あのクマは確かにミーナだ。
ぬいぐるみだったが、カリナの大切な友達だったんだよなあ…。
ハーレイも思い出してくれたようだから、「それでね…」と話した今の自分の閃き。
「あのぬいぐるみ、カリナはずっと大事にしてたけど…」
いつも一緒で、何処へ行く時も、抱っこして連れて行ったんだけど…。
クマのミーナを抱いていたカリナ、お母さんみたいに見えたんだよ。とても小さな子供なのに。
…カリナはジョミーの話を聞いたから、本物のお母さんになろうと思ったらしいけど…。
ひょっとしたら、素質があったのかな、って思ったんだよ。ミーナを大事にしていた時から。
ぬいぐるみのミーナを大切にしてて、失くしちゃったら泣いてたくらい。
そんなカリナだから、トォニィのお母さんにもなれたのかな、って。
ねえ、ハーレイはどう思う…?
「クマのミーナか…。ジョミーに出会うよりも前から、母親の素質があったってか…」
その可能性も大いにあるなあ、言われてみればな。
…救出の時に大切な物を失くした子供はけっこういたんだ、ぬいぐるみだとか、本だとか。
しかし、どの子も諦めちまった。…まるで世界が変わったんだし、仕方ないと思ったんだろう。怖い目にも遭ったし、あれを取り戻すのはもう無理だ、とな。
ところが、カリナは違ったわけで…。ソルジャーのお前が動くくらいに頑張ったわけで。
失くしちまったぬいぐるみを慕い続けて、とうとう見事に取り戻しちまった。
…そんな子供は、他にはいない。カリナだけだな、キャプテンの俺が言ってる以上は確かだぞ。
それほどに大事にしてたってわけだ、あのぬいぐるみを。小さかったカリナは。
三つ子の魂百までと言うしな、ずっと変わらずに母性ってヤツを持ってたのかもな…。
「そっか、三つ子の魂百まで…」
そう言うんだものね、そうだったかもね…。
クマのミーナを大切にしたなら、赤ちゃんだって同じだものね。…ミーナも赤ちゃんも、守ってあげなきゃ駄目だもの。
カリナがミーナのことを諦めていたら、ミーナは泥に沈んだままだよ。…シャングリラには絶対来られなかったし、それっきりになっていたんだものね…。
ミーナはカリナの友達だったけれど、自分では何処へも行けない友達。その友達を大切にして、失くしたことを悔やみ続けたカリナ。
…自分のせいだと、きっと分かっていたのだろう。ミーナがいなくなったのは。
もしもカリナがユニバーサルの兵に追われなかったら、手を離すことも無かった筈。しっかりとミーナを抱き締めたままで、自分の家に帰れたのだから。
だからミーナを諦めようとしなかったカリナ。取り戻せないことを悲しみ続けたカリナ。
前の自分は泣き続けるカリナが可哀相になって、クマのぬいぐるみを探したけれど。…見付けてリオに拾わせたけれど、そうしてカリナがミーナと再会出来たことが強い母性を育んだなら。
そうだとしたなら、あのぬいぐるみを探した価値はあったどころか、凄すぎた。
泥まみれだったクマのぬいぐるみ。あれを「心が大切だから」と綺麗に直したブラウとエラも、まさかぬいぐるみがトォニィの誕生に繋がったとは、思いもしなかったことだろう。
ぬいぐるみと最初の自然出産児では、全く違いすぎるから。価値も、中身も。
ぬいぐるみに命は入っていないし、赤ん坊と違ってお金で買える。…もっとも、ぬいぐるみも、子供にとってはお金で買えない友達だけれど。他のぬいぐるみでは駄目なのだけれど。
カリナが諦めなかったように。…今の自分が「ココちゃんがいい」と選んだように。
今の自分が長い長い時が流れ去った後に見付けた真実。カリナの母性の強さを示すエピソード。
ハーレイは「ふうむ…」と腕組みをして何度も頷き、感心した様子で訊いて来た。
「凄いな、お前。…カリナとクマのぬいぐるみとは…。最初から母親向きだったとはな」
俺も今まで気付かなかったが、お前、どうして気が付いたんだ?
カリナのクマのぬいぐるみ。…あれがトォニィに結び付くっていう凄い閃き、何処で見付けた?
「えっとね、ココちゃんに会ったから…」
それで色々考えたんだよ、あれはカリナのココちゃんだよね、って。
ミーナだったけど、カリナのココちゃん。…そう考えていたら、閃いたんだよ。
「ココちゃん?」
誰だ、そいつは?
それこそ知らんが、お前の友達にココちゃんっていたか?
「え、えーっと…」
ココちゃんはココちゃんで、ココちゃんなんだよ。
ハーレイは会ったことが無いだろうけど、ココちゃんだってば…!
母には「片付けておいてね」と頼んで来たというのに、自分で喋ってしまったココちゃん。
しまった、と慌てて誤魔化したけれど、バレてしまってもかまわない。
そんな気持ちにもなってくる。
ハーレイと夕食に下りて行ったら、ダイニングのテーブルの上にウサギのココちゃん。
それを前にして父と母とが、「これが無いと眠れない子だったんですよ」と話してしまっても。
ハーレイが「ほほう…。これがココちゃんなのか」とニヤニヤしながら覗き込んでも。
(…だって、ココちゃんのお蔭で分かったんだもの…)
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が探したカリナのぬいぐるみ。小さなミーナ。
それがトォニィに繋がったことに、ハーレイと二人、今頃になって気が付いたから。
あの時代の最初の自然出産児、そのトォニィを連れて来たのは小さなクマのミーナだから。
だから、ココちゃんがバレたっていい。
幼かった自分の大切な友達だったココちゃん。ぬいぐるみでも大事な友達だから。
沢山の思い出を一杯に抱えて、会いに来てくれたココちゃんだから…。
子供の友達・了
※ブルーの大切な友達だった、ぬいぐるみのココちゃん。再会したお蔭で、思い出したこと。
時の彼方で、カリナが大事にしていた、ぬいぐるみ。カリナの母性は、ミーナが育んだかも。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(なんだか色々…)
あるんだけれど、と小さなブルーが覗き込んだ新聞。学校から帰って、おやつの時間に。
色とりどりの写真で飾られた、華やかな記事。プレゼントのためのラッピング特集。綺麗な紙やリボンで包まれた箱が幾つも、包み方を教えるための写真も。
同じ箱でも、包み方が変われば雰囲気が変わる。リボンの色を変えただけでも、包み紙を別のにしただけでも。
そのリボンだって、使い方が色々あるらしい。どういう風に箱にかけるか、どう結ぶのか。包み紙の方も、それは様々な包み方。わざと折り返して裏側の色も出してみるとか、色の違う紙を組み合わせるとか。
(リボン無しでも…)
紙を複雑な形に折って飾りにしてある箱もある。襞を寄せたり、折り畳んだり。
リボンにしたって、二種類使うとか、リボンの代わりに布製の紐をかけてみるとか、もう本当に何種類もある箱の飾り方。包む前の箱はシンプルなのに。模様すらついていないのに。
しかも、どんなに凝った包みも、中身は同じ箱だというから驚いた。それが素敵に変身を遂げる包み紙やリボン。
開けるだけでワクワクしそうな形や、心が躍るような包みや。
中身の贈り物を取り出す前に、じっと眺めてみたくなる箱。リボンをほどくより前に。包み紙を開けてしまうよりも前に、中身は何かと、素敵な箱を。
もしかしたら写真を撮るかもしれない、「こんなに綺麗な箱を貰った」と。リボンを解いたら、きっと元には戻せないから。芸術品みたいに折って畳んだ包み紙だって。
凄い、と見詰めた特集記事。模様も無い箱が素晴らしい箱へと変身する魔法。ちょっとリボンに凝るだけで。包み紙や包み方にこだわるだけで。
(大切な人に…)
心のこもったプレゼントを、という趣旨で編まれている記事。ラッピングだけで変わる雰囲気、世界に一つだけの包みを是非どうぞ、と。
中身は同じものだとしたって、包み方は人それぞれだから。選ぶリボンも、包み紙の色も。
贈る相手を思い浮かべながら、どう包むかを考えるのもいいらしい。自分らしさをアピールする包み方もお勧め、個性を出して。
本当に世界にたった一つの贈り物。包み方だって、何種類だってあるのだから。
(いつかハーレイに…)
こういうプレゼントをあげたいな、と膨らんだ夢。きっと喜んで貰えるだろう。開ける前から、包みを眺めて笑顔になってくれるだろう。「なんだか開けるのがもったいないな」と。
記事に載っている写真のように、綺麗に包んで渡したら。リボンや包み紙で彩ったら。
(ぼくが自分で包んだんだよ、って…)
開けてみてね、とハーレイに贈るプレゼント。どう包もうかと工夫して。リボンにも包み紙にも凝って、世界にたった一つだけの素敵な箱に仕上げて。
きっと包む時からドキドキするのだろう。ハーレイの喜ぶ顔を思って、丁寧に紙に包んでゆく。皺にならないよう、きちんと折って。リボンもそうっと結んで、飾って。
どれも綺麗、と何度も見詰めた写真たち。こんなプレゼントを贈りたいな、と。記事に出ている包み方の他にも、やり方は幾つもあるらしい。専門の本があるほどに。
そういう本を借りてくるのもいいよね、と頭に叩き込んだラッピング特集。ハーレイに贈り物を渡す時には、これを活用しなくっちゃ、と。
とても参考になった、と新聞を閉じて、部屋に帰って。勉強机の前に腰掛けて、さて、と考えた贈り物のチャンス。相手は当然、ハーレイだけれど。
(誕生日プレゼントは…)
今年のはもう済んでしまった。夏休みの残りが三日しか無かった、八月の二十八日に。
プレゼントは贈ったのだけれども、その時の箱は自分ではなくてハーレイが包んで貰って来た。買いに出掛けたのがハーレイだから。プレゼントの羽根ペンは少ししか買えなかったから。
(…高すぎたんだもの…)
子供のお小遣いでは買えない値段だった羽根ペン。それでもプレゼントしたくて、悩んで。
浮かない顔をしていた自分に、ハーレイが気付いて尋ねてくれた。「どうしたんだ?」と。
お蔭でプレゼント出来た羽根ペン。ハーレイが自分用にと買うことになって、ほんの少しだけ、支払ったお金。「羽根ペン代」とハーレイに渡した、一ヶ月分のお小遣い。
あの時は、どうしても羽根ペンをプレゼントしたかった。白い羽根がついた羽根ペンを。
遠く遥かな時の彼方で、キャプテン・ハーレイが愛用していた羽根ペンそっくりのものを。その羽根ペンで、今のハーレイにも思い出を綴って欲しかったから。毎日の日記。
ハーレイの日記はただの覚え書きで、今の自分と再会した日でさえ、「生徒の付き添いで病院に行った」としか書かれていないと聞いたけれども。
(それだけでも、ハーレイには充分なんだよ)
文字を見たなら、ハーレイは思い出せるから。それを綴った日に何があったか。
キャプテン・ハーレイの航宙日誌が、そういうものだとハーレイに聞いた。前のハーレイが羽根ペンで記した文字を見たなら、それの向こうに思い出が鮮やかに蘇るのだと。
だから羽根ペンを贈りたくなった。今の自分との日々も、そのように綴って欲しいから。
どうせだったら前と同じに、航宙日誌を書いていた頃さながらに羽根ペンの文字で。
精一杯の贈り物だった、白い羽根ペン。お小遣いの一ヶ月分で頑張って買って、プレゼント。
ハーレイが「買って来たぞ」と誕生日に持って来たのを、自分が受け取って贈り直した。自分の手で渡して、ちゃんとハーレイへのプレゼント。
きちんと自分で贈れたのだし、心もこもっていたとは思う。ほんの一部しか買えなくても。
でも…。
(あの羽根ペン…)
ラッピングを変えれば、もっと素敵になったろう。さっき新聞で見たように。
ハーレイが買って来るのは変わらないとしても、誕生日前に買いに行って、家まで届けて貰っていたら。何日か前に「これだ」と渡して貰っていたら…。
(ぼくが綺麗に包み直して…)
ハーレイが来るのを待つことが出来た。誕生日の日に。
羽根ペンはプレゼント用に包まれてリボンもかかっていたけれど、もっと素敵に。あの百貨店の包装紙やリボンは外してしまって、ラッピング特集で見たような凝った包み方に。
そうしていたら、あれを売り場で包んで貰ったハーレイも驚くプレゼントに出来たことだろう。箱を見るなり「同じ物とは思えないな」と言ってくれそうな。
きっと中身が分かっていたって、ハーレイは嬉しかったに違いない。まるで違った空気を纏った贈り物になっているのだから。ハーレイの記憶にあった包みとは、別の包みに。
羽根ペンの箱を思い返して、ついた溜息。ただ受け取って、そのままハーレイに渡した自分。
なんの工夫も凝らそうとせずに、百貨店の売り場の包みのままで。リボンも、それに包装紙も。
(失敗しちゃった…)
ぼくって駄目だ、と頭を振った。あのままで渡してしまったなんて、と。
どうして思い付かなかったのだろうか、羽根ペンの箱を自分で包み直すこと。ハーレイに早めに買って来て貰って、預けて貰えば出来たこと。すっかり違う包みにすること。
ハーレイが「おっ?」と驚くような。「これがアレなのか?」と目を瞠るような素敵な包みに。
ラッピングし直す程度だったら、お金だって…。
(お小遣いを全部使わなくても…)
少しだけで足りていただろう。綺麗な紙を何枚か買えば、それで立派な包み紙。一枚だけでも、凝った折り方にすれば豪華になる。襞を寄せたり、畳んだりして。
それにリボンや、シールとか。たったそれだけで変わった雰囲気。変身しただろう包み。
羽根ペンの箱は生まれ変わったに違いない。ハーレイが初めて目にするものに。
ほんの少しのお小遣いで買える、紙やリボンを使ったら。…それで綺麗に包み直したら。
(ぼくって、馬鹿だ…)
つくづく馬鹿だ、と零れた溜息。贈り物のチャンスを逃したらしい。ハーレイのために、想いをこめて世界に一つだけの贈り物。自分のセンスで紙やリボンを選んで、素敵に包んで。
とはいえ、仕方ないけれど。
ラッピング特集に出会うタイミングが遅すぎた。知らない知識を使えはしないし、過ぎた時間は逆さに流れてくれないのだから。
夏休みに戻ってやり直したくても、包み直せない羽根ペンの箱。
(だけど、ママが…)
色々と包むのを何度も見ていたのが自分。「プレゼントにするの」と綺麗な紙で包み直したり、リボンをかけたり、様々な折に。
家で焼いたケーキの箱も包むし、庭で咲いた花たちもリボンと紙とで花束。
そんな調子だから、要は自分の心の問題。ラッピング特集に出会わなくても、母がお手本。家で何度も目にした光景、包み方一つで変わる雰囲気。
自分もいつか、と思っていたなら、きっと覚えていただろう。心をこめて包み直したら、とても素敵になるのだと。
自分らしい贈り物が出来ると、世界に一つだけのプレゼントの包みが出来上がるのだと。
(大失敗…)
母というラッピングの名人がいたのに、まるで気付きもしなかった自分。羽根ペンの箱を預けて貰って、自分風に包めばいいことに。
ハーレイが知っている包装紙とリボンを外してしまって、もっと素敵に出来たのに。ハーレイに似合いのプレゼントの箱を作り上げることも、自分らしい贈り物の箱に仕上げることも。
お小遣いの一部で紙とリボンを買うだけで。…工夫を凝らして包み直すだけで。
逃してしまった、贈り物のチャンス。ハーレイのためにプレゼントを選んで包むこと。
次のチャンスは当分来ない。来年の夏の、ハーレイの次の誕生日までは。
(他にプレゼントをあげられる日は…)
クリスマスかな、とも思ったけれど。クリスマスが近付くと、母がせっせとプレゼントを包んでいるのを見るのだけれど。
(…あれは大人同士…)
親しい友人や、親戚などにと母が選んだ贈り物。母の所にもプレゼントが届いて、子供の自分は貰う方だった。サンタクロースならぬ、母の友人や親戚から。プレゼントの箱や袋なんかを。
だからクリスマスは、贈るのではなくて貰うのだろう。もしもハーレイがくれるつもりなら。
チビの自分は、ハーレイにプレゼントを贈る代わりに貰う方。「ありがとう」と。
クリスマスは駄目だ、と他の機会を探してみても。
(…なんにもない…)
まるで浮かばない、プレゼントの日。ハーレイに贈り物が出来る日。
それどころか、自分の誕生日が来る。来年のハーレイの誕生日よりも前に。
三月の一番最後の日が来たら、十五歳になる誕生日。誕生日プレゼントを貰える日。
その日の主役はチビの自分で、プレゼントは当然、貰う方。決して贈る方ではない日。ハーレイだって何かくれるに違いない。この日ばかりは、消えない何かを。
普段、ハーレイから貰えるものは食べ物ばかり。消えて無くなるものばかり。消えなかったのはフォトフレームだけ。夏休みの記念に二人で撮った写真を収めたフォトフレーム。
他には何も無いのだけれども、誕生日となったら、きっと特別。
(ハーレイが凄いプレゼントを持って来ちゃったら…)
嬉しくて大感激なのだろうけれど、自分の馬鹿さを思い知ることにもなりそうな感じ。誕生日のプレゼントにハーレイは心をこめてくれたのに、自分は全く駄目だった、と。
お小遣いの一ヶ月分しか羽根ペンを贈れなかったから。
その上、包み直しもしないで、そのまま渡してしまったから。
ハーレイがくれる誕生日プレゼントは、どんなものでもハーレイが全部を自分で支払ったもの。一部だけしか買えなかった羽根ペンとは違う。
それにハーレイは大人なのだし、ラッピングも知っているかもしれない。自分で包み直すことは無くても、誰かに頼んで素敵に仕上げて貰うだとか。
(…ハーレイのお母さんなら、得意そう…)
しかもハーレイの母は自分がハーレイと結婚することを知っているから、張り切って包み直してくれそうだった。ハーレイがそれを頼んだならば。
ハーレイが「これで頼みたい」と紙やリボンを持って行ったら、「こっちの方が良さそうよ」と別の紙やリボンを出して来て。…ひょっとしたら、わざわざ買いに出掛けて。
(きっと、そういうタイプだよね…)
ハーレイの話を聞いているだけでも、人柄は分かるものだから。
優しくて、とても温かな人。いつかハーレイと結婚する自分のためにと、心を砕いてくれる人。包み直しを頼まれたって、きっと素敵に仕上げるのだろう。ハーレイが頼んだ以上のものに。
次の機会を捉えて巻き返す前に、敗北しそうなプレゼント。凄いプレゼントを貰ってしまって、嬉しいのと同時に悲しい気分。「ぼくのプレゼントは駄目だったのに」と。
ラッピング特集にもっと早くに出会えていたら、と溜息はもう幾つ目なのか分からない。数える気にもなれないから。
其処へ聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたけれど。またまた零れてしまった溜息、ハーレイに贈り損なったプレゼントが問題なのだから。
ともすれば俯きそうになるから、ハーレイもどうやら気が付いたようで。
「なんだ、いつもの元気はどうした?」
具合が悪いようではないが…。さっきから溜息ばかりだぞ、お前。
メギドの夢でも見ちまったのか、と訊かれたから。
「ううん、ラッピング…」
「はあ?」
ラッピングってなんだ、なんの話だ?
「…そのまんまだよ。失敗しちゃった、ハーレイの誕生日のプレゼント…」
ホントのホントに大失敗…。ハーレイの誕生日、次は来年まで来ないのに…。
「誕生日って…。お前、羽根ペン、くれただろうが」
ちょっぴり予算不足だったか知らんが、お前はきちんと俺にくれたぞ。俺が欲しかったものを。
あの時、お前が買ってくれなきゃ、俺は未だに羽根ペンを持っていないだろうし…。
第一、お前が俺に渡してくれたんだろうが、「誕生日おめでとう」って。
「そうだけど…。そうなんだけど…!」
包み直すの、忘れたんだよ…。
ハーレイが売り場で包んで貰ったままの羽根ペン、それを渡してしまったんだよ…!
忘れたんじゃなくて知らなかったんだけど、と訴えた。チビの自分の馬鹿さ加減を。心をこめて贈りたいなら、あれは預かるべきだったと。
「…ハーレイに先に持って来て貰って、誕生日まで預かって…。その間に包み直すんだよ」
どんな紙を使って包んだらいいか、どんなリボンを使おうか、って…。他にも色々。
そしたら、世界に一つだけのプレゼントになったのに…。そういう包みを作れたのに。
…今日の新聞にラッピング特集が載っていたから、今頃になって気が付いちゃった…。ぼくって馬鹿だ、って。包み直せば良かったのに、って。
ラッピング特集を知らなくっても、ぼくにその気があったら出来ていたんだよ。…プレゼントを包み直すこと。
ママが色々包んでいるから、ちゃんと見てたら、そういうやり方、分かったのに…。
「おいおい、落ち着け。…お前はまだまだチビだろうが」
俺くらいの年の大人になったら、男でも気が付くヤツだっているが…。チビではなあ…。
おませな女の子だったらともかく、男の子なんかはそんなもんだ。プレゼントってヤツは中身が大切、外側の包みはまるで気にしちゃいないってな。
…お前、友達の誕生日祝いに凝った包みで持って行くのか?
お前くらいの年頃だったら、菓子とか、オモチャって所だろうが…。それを包み直して。
「…ううん、やらないけど…」
届けに出掛けて行くにしたって、お店の包みのままだけど…。
「ほらな、そういうのを貰ったことだって無いだろうが」
友達ってヤツに限って言えばだ、凝った包みのプレゼント、貰っていないんじゃないか?
「うん。…貰っていたなら気が付くよ」
ラッピング特集を見ていなくっても、包み直した方がいいよね、って。…素敵になるから。
「俺だって、そいつは貰ってないさ」
ガキの頃には、一つもな。…今なら凝ったのを貰うこともあるが…。
あれは俺の友達が包んでいるわけじゃないな、奥さんが好きでやってるんだろうな。
学校でだって、とハーレイは笑う。
たまに教え子からプレゼントを貰うこともあるけれど、男の子の場合は質実剛健、と。
「包み直すどころか、包みもしないでドンと渡されるなんぞは普通だな」
他の友達にも配る途中、といった感じでデカイ袋から出して、「はい、先生の」と来たもんだ。旅の土産でも、沢山買ったら「小さな袋をつけますか?」って訊かれるのにな。
そうするための袋だろ、って分かるのが入れてある袋から出しては配ってるヤツもいるってな。袋に入れずに、そのまま「はい」と。…後で袋に気付いて悩むといった所か、何の袋かと。
女の子だったら、可愛い箱とか袋に入れて渡されることも多いんだが…。
男となったら、ラッピングなんぞは最初から頭に無いもんだ。袋がついてても気付かんしな。
お前も男なんだから、とハーレイは全く気にしていない様子だけれど。
それでも少し悔しい気分。
「…そっちが普通かもしれないけれど…。ぼくの友達も、そうなんだけど…」
ハーレイが言ってるようなことをやってる友達、確かに何人もいるんだけれど…。
分かっているけど、もっと早くにラッピング特集、読みたかったよ。
そしたら羽根ペンの箱を包み直して、ハーレイにプレゼント出来たのに…。
ぼくからの誕生日プレゼントだよ、って素敵な箱を渡せたのに…。
夏休み前にあの特集に出会いたかったな、と繰り返した。せめて夏休みの途中とか、と。
羽根ペンの箱を包み直すことを思い付ける頃に、間に合って包み直せる頃に。
「…ハーレイの誕生日の一週間前でも良かったかも…」
自分で紙やリボンを買いに行ってる暇は無かったかもしれないけれども、ママに頼めば…。
ハーレイの誕生日のことはママも知ってたし、包み直したい、って言ったら、代わりに買い物に行ってくれたと思う。紙もリボンも。
…それに、家にもあったかも…。ぼくが使いたいような紙やリボンが。
包み方だって、ママが教えてくれたかも…。初めてでも失敗しないリボンの結び方とかを。
「…そんなに包み直したいのか、お前?」
俺はあの箱で充分、嬉しかったんだが…。お前から羽根ペンを貰えただけでも、間違いなく人生最高の誕生日っていうヤツだったんだが。
…それなのに、お前はあの箱を包み直したかった、と。あれでいいと俺が言ったって。
「今から時間が戻せるならね…」
ハーレイの誕生日に間に合うトコまで、時間が戻ってくれるんなら…。
紙やリボンを買いに行けなくても、家にある分で包み直せるだけの時間があるのなら。
羽根ペンの箱を包み直したいよ、ママに習って。
…ハーレイが買って来た箱をそのまま渡してしまうんじゃなくて、もっと素敵な包みにして。
心をこめて贈りたかった、と項垂れた。せっかくのハーレイの誕生日だったのだから。
それに、プレゼントしたかった羽根ペン。キャプテン・ハーレイの羽根ペンにそっくりのペン。同じ贈るのなら、自分らしく。…世界にたった一つしか無いプレゼントの箱で。
羽根ペンの予算が足りなかった分は、自分の気持ちで補いたかった。お小遣いで買える値段の、紙やリボンを上手に使って。箱を綺麗に包み直して。
「ホントのホントにそうしたかったよ、羽根ペンのお金、殆どハーレイが出してくれたから…」
ぼくはちょっぴりしか出してないから、その分、心をこめたかったよ。
箱を包み直すための紙やリボンは、お小遣いで充分買えるから…。それで素敵になるんだから。元の包装紙とリボンもいいけど、ぼくらしい箱に出来たんだよ。
買って来たハーレイだって知らない箱に。…初めて見る箱に変身してたら、ハーレイだって…。
絶対、もっと嬉しい気持ちになったと思う。中身はおんなじ羽根ペンでも。
「それはまあ…。そうだったろうな」
お前に箱を預けた時点で、包み直すんだとは分かっちゃいるが…。どういう風に包み直すのか、そこまでは俺にも分からないし。
誕生日のお楽しみってヤツは増えただろうなあ、どんなプレゼントを貰えるのかと。
遠足の前の子供みたいにワクワクし過ぎて、前の日の夜にはなかなか眠れなかったかもしれん。
「…やっぱり、そうでしょ?」
貰える物が分かっていたって、包みが変われば気分が違うし…。
ぼくだって、きっとそうなると思う。…どういう風に変身するのか、箱が気になって前の晩には寝られないんだよ。どうなるのかな、って。
…そういうワクワク、ぼくはあげ損なっちゃったんだよ、ハーレイに…。
ラッピング特集に今日まで会えなかったせいで。
…ママがプレゼントを包んでいるトコ、興味津々で見ていなかったせいで…。
本当に残念でたまらない上に、ハーレイにもプレゼントを開ける時の喜びを贈り損ねた。凝った包みに仕上げていたなら、「もったいなくて開けられないな」と言ってくれたかもしれないのに。
それでも開けてくれただろうけれど、リボンも包み紙も、そうっと、そうっと。
百貨店の包装紙とリボンだったら、そんなに丁寧には解かないだろうに。
実際、あの羽根ペンの箱をハーレイは当たり前のように開けていたのだから。リボンを解いて、包装紙を剥がして、中身に早く出会いたいと。…けして乱暴な開け方ではなかったけれど。
「…ごめんね、ハーレイ…。ぼくがもうちょっと早く知ってれば…」
包み直したら、うんと素敵になるってことを。…同じ箱でも変わるんだってことを。
そしたら、ハーレイ、誕生日プレゼントを貰えるドキドキ、あったのにね…。
前の晩には寝られないほど、ワクワクしながら待てたのにね…。どんな箱になるのか、ホントにドキドキ。…その箱、ハーレイは知らないんだから。
「いや、別に…。残念と言えば残念なんだが、いいんじゃないか?」
さっきも言ってやった通りに、お前は男の子なんだから。…普通は気付かん。
次に心をこめてくれれば、それで充分、俺は嬉しい。
お前が俺のために、って考えてくれて、心をこめて包み直してくれるんだろう?
まだまだチビで、小さなお前が。
お前くらいの年のヤツらは、そんなトコまで全然考えていないのにな…?
上の学校に行ってるヤツでも、まるで気付かん、とハーレイは断言してくれたけれど。
自分の学生時代の経験からして、間違いないと言ってくれたけれども。
「でも…。その人たちは、ハーレイの友達っていうだけのことで…」
ぼくとは違うよ、ぼくはハーレイの恋人なんだよ?
前のぼくだった頃から、ずっと恋人。…その分、心をこめなくちゃ…。
来年のハーレイの誕生日の時は、絶対、失敗しないから。…ぼくらしく包み直すから…!
今度はぼくのお小遣いで買えるものだったとしても、ちゃんと綺麗に。
お店で買ったままじゃなくって、包み紙もリボンも、包み方だって。…うんと素敵に。
ママに教わるとか、本を借りるとか、練習もきちんとしておくから…!
「ふうむ…。お前は頑張りたい、と」
だが、次も失敗したっていいぞ。俺は全く気にしやしないし、努力はほどほどにしておけば…。
それに、そうだな…。失敗の方がいいかもしれんな。
次だけと言わず、その次とかも。…失敗続きの方が良さそうだな、うん。
「失敗続きって…。なんで?」
その方がいいって、どうして失敗の方がいいわけ?
プレゼントは素敵な方がいいでしょ、羽根ペンの箱だって包み直してたらワクワクしたって…!
「…そうは言ったが、気が変わった」
待てば待つほど値打ちが出るしな、心のこもったプレゼント。
お前が失敗を続けていたって、そいつを貰える時を思ったら、最高だ。
だからいいんだ、失敗続きのプレゼントでもな。…店で包んで貰ったままでも、俺はかまわん。
心のこもったプレゼントが来る日を気長に待つさ、とハーレイが浮かべた穏やかな笑み。鳶色の瞳はとても嬉しそうで、きっと何かを待っている顔。…心のこもったプレゼントの何か。
それが分かるから、訊いてみた。
「何か欲しいの?」
ハーレイ、何か欲しい物があるの、ぼくから貰えそうなプレゼントで…?
ぼくがハーレイにあげられそうなもので、楽しみにするだけの値打ちがあって…。
「…そんなトコだな。包み直して貰えるものに気が付いた」
お前が心をこめて包み直してくれれば、グンと値打ちが出る物に。
俺はそいつを待っているから、お前は遠慮なく失敗しておけ。包み直すのも、プレゼントも。
「待ってよ、ハーレイ! 気が付いたんでしょ、何か欲しい物に?」
それ、あげるから、ぼくに教えて。…ちゃんと包み直してプレゼントするから、教えてよ。
来年の誕生日まで待たなくっても、クリスマスだってあるし…。
ぼくは子供だけど、クリスマス・プレゼントをあげちゃ駄目って決まりも無いだろうし。
それをあげるよ、だから教えて。…ハーレイの欲しい物は何なの、何処で買えるの…?
「お前の気持ちは嬉しいが…。直ぐにでも欲しいくらいなんだが…」
まだ早いんだ、お前がそいつを用意するには。…チビだからな」
「えっ…?」
チビだと駄目なの、そのプレゼントは買いに行けないの…?
ハーレイは凄く欲しいらしいのに、チビのぼくだと、そのプレゼントはあげられないわけ…?
また高すぎる何かだろうか、と心でついた小さな溜息。チビの自分には買えない何か。
ハーレイの誕生日にプレゼントしようと勇んで買いに出掛けて行ったら、駄目だった羽根ペンと似たような何か。子供のお小遣いでは買えない値段で、背伸びして買っても喜ばれないもの。
きっとそうだ、と思ったけれど。…だからハーレイは自分が育って買える日が来るまで、それを待つのだと考えたけれど。
ハーレイが欲しい物が何かは知りたい。前のハーレイの思い出の品か、今のハーレイならではの物か。それが知りたくてたまらないから。
「えーっと…。ハーレイが欲しい物って、どんな物なの?」
ぼくが買うには高すぎる物だと思うけど…。何が欲しいのか、それだけは訊いておきたいな。
何処に売ってる、なんていう物…?
「…生憎と、そいつは金では買えんな」
お前が大きく育ったとしても、金を出しても買えないものだ。…俺が欲しい物は。
いつかお前に心をこめて包み直して欲しい物はだ、店に行っても売ってないってな。
「…お金じゃ買えないって…。お店に行っても売っていないって…」
そんな物、ぼくはどうしたらいいの?
どうやって手に入れてプレゼントするの、ハーレイに…?
心のこもったプレゼントはハーレイにあげたいけれども、その前に、それを手に入れないと…。
包み直すことも出来やしないよ、だけど売られていないんだよね…?
ハーレイが欲しいプレゼントは店では買えない物。お金を出しても買えない何か。
(もしかして…)
無理難題というものだろうか、まるで童話か何かのように。お伽話の世界のように。ハーレイが欲しい何かを探しに、冒険の旅が必要だとか。
ソルジャー・ブルーだった頃ならともかく、今の自分はサイオンも上手く扱えない始末。それに伝説の英雄でもないし、勇者でもないのに冒険の旅。今の自分に出来るのだろうか…?
「…ハーレイ、ぼくに期待をし過ぎていない…?」
前のぼくなら、勇者みたいなものだから…。
冒険の旅も出来るだろうし、ドラゴン退治も出来ると思う。…でも、今のぼくは出来ないよ?
どんなにハーレイが期待してても、凄い宝物、探しに行けないと思うんだけど…。
絶対に無理、と話を聞きもしないで降参したら。
「冒険って…。お前は黙って立っているだけでいいんだが?」
ドラゴンを倒してくれとも言わんし、何かを探しに旅に出ろとも言わないが…。
金で買えないのは間違いないし、お前でないと手に入れられないのも確かだなあ…。
「…ぼくでないと手に入れられない物って…」
それに、お金で買えない物で。…だけど、冒険の旅は要らないなんて…。
立っているだけで手に入るなんて、それって、いったい、どんなものなの?
ハーレイが欲しいのは分かるけれども、ぼくは囮か何かなわけ…?
ぼくを狙って何かが来るわけ、ぼくがチビではなくなったら…?
何かとんでもない化け物相手の囮だろうか、と心配になってしまったけれど。ハーレイがそれを見事に倒して、化け物の宝を手に入れるのかと考えたけれど。
「おいおい…。なんだって俺が化け物退治をすることになるんだ」
まあ、仕方ないがな、お前の頭は冒険の方に行っちまったし…。チビは想像力が豊かだし。
…いいか、俺が欲しい物はお前だ、お前。
お前を丸ごとくれるんだろうが、いつかお前がちゃんと大きく育ったら。
綺麗にすっかり包み直して、とハーレイが片目を瞑ったウェディングドレス。そうでなければ、ハーレイの母も着たという白無垢。どちらも結婚式で花嫁が着る衣装。
ハーレイが包み直して欲しい物は、前と同じに育った自分。花嫁衣装で包み直して、ハーレイに自分をプレゼント。
確かにお金では買えない物だし、自分しか手に入れられない物だけれども…。
「…包み直すって…。それ、ぼくだったの…?」
ハーレイが欲しい物はぼくで、ウェディングドレスで包み直すの…?
「最高だろうが、俺が貰えるプレゼントとしては」
お前の心がこもっている上に、中身も素敵だ。…プレゼントはお前なんだから。
ウェディングドレスでも白無垢でもいいぞ、綺麗に包み直してプレゼントしてくれ、お前をな。
そのプレゼントを開けるのは俺だ、お前が本当に心をこめて包み直してくれたのを…な。
「えーっと…。そのプレゼント…」
開けるってことは、もしかしなくても…。ラッピング、剥がしてしまうんだよね…?
「そうに決まっているだろう…!」
長年、待って待たされたんだ。もちろんワクワクしながら開けるさ、紙もリボンも外してな。
もう最高のプレゼントってヤツだ、まだまだ手には入らないがな…。
だが、俺は楽しみに待っているんだ、と聞かされて真っ赤に染まってしまった頬。
いつか大きく育った時には、花嫁衣装で自分を包み直してハーレイのためにプレゼントする。
綺麗にラッピングしてプレゼントしたら、剥がされてしまう花嫁衣装という名の紙やリボンや。
肝心なのは中身だから。…プレゼントは中身を出すものだから。
それを思うと恥ずかしいけれど、耳まで真っ赤になりそうだけれど。
ハーレイがそのプレゼントを欲しいと言うなら、包み直そう。
前と同じに育った自分を、真っ白な花嫁のための衣装で。
ハーレイにとって、最高のプレゼントになるように。
精一杯の心と想いとをこめて、自分を丸ごとハーレイにプレゼントするために…。
贈り物の包み・了
※ハーレイに誕生日のプレゼントを渡す前に、包み直せば良かった、と後悔するブルー。
けれど、素敵に包んだ贈り物なら、渡せる日が必ず来るのです。自分を花嫁衣裳で包んで。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
春うららかな今日この頃。ソルジャー夫妻と「ぶるぅ」を交えてのお花見三昧も、シャングリラ学園の新年度の行事も一段落して、今日は平和な土曜日です。会長さんの家でのんびり、場合によっては何処かへ出掛けてお花見も、といった感じで朝からダラダラ。
桜を見るなら、もうかなり北の方へ行かないと無理ですが…。それでも瞬間移動があるだけに、行くとなったらパッとお出掛け。桜だ、おやつだ、と話に花が咲いている中で。
「…そういえば、また馬鹿が捕まってたな…」
まだいるんだな、とキース君。
「馬鹿って何だよ?」
俺は知らねえぜ、とサム君が訊くと。
「今朝の新聞にチラッと載ってただけだからなあ、気付かなかったかもしれないが…」
大昔に流行ったタイプのヤツで、と嘆かわしそうに。
「女子中生だか、女子高生だかの下着を買った馬鹿がお縄になった」
「「「あー…」」」
分かった、と頷く私たち。その手の犯罪で捕まる馬鹿がまだいたんですか。…って言うより、今の時代も下着を売ろうって人がいますか、なんだってそんなの売るんだか…。
「なんでって…。そりゃあ、手軽に儲かるからで」
それしかないだろ、と会長さん。
「バイトするより早いからねえ、おまけに稼ぎの方もボロイし」
「…そういうもの?」
下着だよ、とジョミー君が訝りましたが、会長さんは。
「君たちには多分、分からないね。もっとも、ぼくだって買おうって神経は謎だけどさ」
女性には不自由していないし…、と出ました、シャングリラ・ジゴロ・ブルーな発言。
「女子高生の下着だったら、買わなくっても…。ううん、ぼくが買うのは新品の方で!」
そして贈るのが生き甲斐なのだ、とアヤシイ発言。
「これを着けたらどんな感じかな、と選ぶ時の楽しさがまた格別でねえ…!」
「あんたは黙って捕まっていろ!」
キース君が突っ込みましたが、会長さんは意にも介さずに。
「捕まるわけないだろ、自分の恋人を通報する女性なんかは有り得ないしね!」
紳士的に扱っていさえすれば、と言われれば、そう。じゃあ、キース君が言う捕まった馬鹿は…。
「ん? ああいうのはねえ、モテない上に欲求不満も溜まってます、って大馬鹿者だよ」
下着を贈る相手もいなければ、着けて見せても貰えないのだ、と何処ぞの馬鹿をバッサリと。会長さんほどモテていたなら、モテない男性の気持ちなんぞは鼻で笑うようなモノなんでしょうね…。
「まあね。モテない方が悪いんだよ、うん」
そういう馬鹿なら心当たりが無いこともない、と会長さん。
「あの馬鹿者が未だに捕まらないのは、ターゲットが限定されてるからだね」
「「「は?」」」
何処の馬鹿だ、と首を傾げた私たちですが。
「分からないかな、あまりにも身近すぎるかな? 学校に行けばもれなく生息してるけど?」
「「「学校?」」」
「そう! シャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ!」
あれこそ究極の馬鹿というヤツで…、と会長さんは遠慮なく。
「まるでモテないくせに、諦めの方も悪くって…。ぼくを追い掛け続けて三百年以上、普通だったら何処かで捕まりそうだけど…」
「あんた、何度もそういう危機をお見舞いしてるだろうが!」
それこそ逮捕スレスレの…、とキース君から鋭い指摘。けれども、会長さんは「そうだったかなあ?」と涼しい顔で。
「少なくとも下着関連で通報したことはないよ、そもそも下着を売らないからね」
あんなヤツに売るような下着は持っていない、と冷たい台詞。
「ハーレイの方では勝手に買ったりしているけどさ…。ぼくに似合うかも、と買ってることもあるんだけどさ…」
普段は駄目だね、と一刀両断。
「モテ期に入れば買い漁ってることも珍しくない。そして一方的に贈って来るけど、普段はヘタレが先に立ってさ…。ガウンとかを買うのが限界だってね!」
それでも充分迷惑だけど…、とブツブツと。
「ぼくに似合うと思い込んだら、即、お買い上げ! コレクションは増える一方だしさ…」
「それを横から掠めて行くのが例の馬鹿だな」
誰とは言わんが、とキース君。
「そう、あの馬鹿! どういうわけだか、あの手のヤツが好きだからねえ…」
なんだかんだと貰うチャンスを狙っているね、と会長さん。
「相当な数をゲットしたんじゃないのかな? ガウンとかをさ」
「…だろうね、付き合い、長いもんね…」
それにしょっちゅうやって来るし、とジョミー君が大きな溜息。
「下着だってさ、チャンスがあったら貰うんだよ、きっと」
「貰うだろうねえ、ブルーならね」
どんな悪趣味な下着だろうが、と会長さんも同意でした。あの馬鹿、すなわち何処かのソルジャーのこと。教頭先生のコレクションから色々貰っていますよね?
何かと言えば教頭先生が集めたガウンとかを横取りしたがるのがソルジャー。貰うの専門、売る方では決してありません。ソルジャーが教頭先生に売り付けるものは、もっと怪しさ満載のもの。妙な写真だとか、もっとアヤシイものだとか…。
「そうだね、ブルーは下着は売りそうにないね」
もっと直接的に毟るね、と会長さんが頷いた所でユラリと部屋の空気が揺れて。
「こんにちはーっ!」
遊びに来たよ、と紫のマントのソルジャーが。
「ぶるぅ、ぼくにもおやつはあるかな?」
「かみお~ん♪ 今日は春の爽やかフルーツタルト! イチゴたっぷりだよ!」
待っててねー! と走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は直ぐにタルトを切って来ました。それにソルジャー好みの紅茶も。
「はい、どうぞ! ゆっくりしていってね!」
「ありがとう! もちろん、ゆっくりさせて貰うよ」
なんだか楽しそうな話だから…、とソルジャーはタルトにフォークを入れながら。
「えっと、下着を売るんだって? それってどういう商売なのかな?」
「…君はどの辺から聞いていたわけ?」
会長さんの嫌そうな顔に、ソルジャーは「最初から!」と悪びれもせずに。
「下着を買った馬鹿が捕まった、って所からだよ、ちょうど退屈してたから…。ぼくのハーレイ、今日も朝からブリッジだしね」
年中無休の職場だから、と毎度の愚痴が。
「土日くらいはゆっくり休めればいいんだけどねえ…。なかなかそうもいかないし…」
「特別休暇を取らせてるだろ、頻繁に!」
「そうでもしないと、ぼくがストレス溜まるんだよ!」
なにしろヤリたい盛りの新婚だしね、とか言ってますけど、新婚どころか結婚してから何年経っているんですか、というのが現実。バカップルだけに未だに熱々、充分、新婚で通りますが…。
「そうなんだよねえ、ぼくとしてはね、もう毎日がハネムーンでもいいくらいで!」
「君のシャングリラはどうなるんだい!?」
「…其処が問題なんだよねえ…」
みんなの命を預かってるだけに放置するわけにもいかなくて、と深い溜息。
「仕方ないから息抜きなんだよ、こっちの世界を覗き見とかね!」
でもって、こっちのハーレイにもちょっかいを…、とニコニコニコ。
「それで、どういう商売なわけ?」
その下着売り、と興味津々、もしかして売ろうとしてますか、下着?
「うーん…。売るかどうかは、どういうものかを聞いてからで…」
ぼくの魂に響くようなら売ってもいい、と言い出したからたまりません。
「売るだって!? 君の下着をハーレイに!?」
「そうだよ、ハーレイが喜んでくれるんならね! ボロ儲け出来る商売なんだろ?」
「お小遣いならノルディが山ほどくれてるだろう!」
「たまには自分で稼ぎたいじゃないか、お小遣いだって!」
シャングリラの基本は自給自足で…、とソルジャーは演説をブチかましました。最初の頃こそ海賊船のお世話になったり、人類側から奪いまくったりしたそうですけど、今では一部のものを除いて船の中だけで賄えるとか。
ゆえに自分のお小遣いなるものも自給自足で稼ぎたい、と理論が飛躍。楽して稼げてボロ儲けならばやってみたいと、楽しめるのなら是非やりたいと。
「ソルジャーたるもの、お小遣いを貰ってばかりではねえ…。稼げる時には自分で稼ぐ!」
「…真っ当な商売じゃないんだけどね?」
下着売りは…、と会長さん。警察のお世話になることも多いと、売った方にも買った方にもそれなりのペナルティーが来るものなのだ、と。
「いいかい、売ったとバレたら売り手は補導で、買った方も捕まっちゃうんだけどねえ?」
「それは通報する人がいるからだ、と君が自分で言ったじゃないか!」
こっちのハーレイはそういうケースに該当しない筈なんだけど、と会長さんの台詞を逆手に取られた格好です。会長さんは「うーん…」と唸って。
「確かに君なら補導されるなんてことは絶対に無いし、ハーレイが逮捕される方にも行かないだろうけど…。でも、下着だよ?」
それを売ることになるんだけれど、と会長さん。
「気味悪くないかい、ハーレイが君の下着を買って行くなんて!」
「…気味悪いって…。こっちのハーレイだって、ハーレイには違いないからね!」
下着を売るどころか脱がされたって問題無し! とソルジャーは胸を張りました。
「たとえ下着に手を突っ込まれようが、中身を触りまくられようが、いつでもオッケー!」
大歓迎だよ、とソルジャーならではの台詞が炸裂。
「そのままコトに及ぶのも良し、そうなったら、もうガンガンと!」
こっちのハーレイを味わうまでだ、と言ったのですけど、会長さんは。
「…それは下着を売ろうってヤツとはちょっと違うね」
「えっ?」
「下着だけを売って儲ける所が真髄なんだよ、あの商売のね」
それよりも先はついていないのがお約束だ、という話。あれってそういうものですか…?
未だに絶えない、女子中高生が下着を売るという商売。会長さんが言うには売り物は下着、その先はついていないのだそうで。
「そっちも売ろうという場合だったら別料金! ぼったくり価格! でもねえ…」
普通は下着を売って終わりだ、と会長さん。
「その場で脱いで売りますというのもあったけどねえ、それもそこまでなんだしねえ…」
「…その場で脱いで売るだって!?」
「うん。もちろん普通に売るよりも高いよ、そういうのはね」
「楽しいじゃないか!」
これはやってみる価値がある、とソルジャーは拳を握りました。
「最初は普通に下着を売るってトコから始めてエスカレート! 値段もグングン!」
「「「…え?」」」
「ハーレイに下着を売るんだよ! ぼくの下着を!」
そしてお小遣いをバンバン稼ごう! と、その気になってしまったソルジャー。
「…で、最初はどうやって売りに行くんだい?」
「その手の店を通さないなら、ハーレイと直接交渉かなあ…」
「買ってくれる? と行けばいいのかい?」
「そうじゃなくって、最初は買うかどうかの交渉からだね」
会わずに値段の交渉をするものなのだ、と会長さんも面白がっているようで。
「まずはハーレイに連絡だね。こういう下着を買いませんか、と写真をつけて」
「ぼくの写真も?」
「顔写真つきは値打ちが高いね、どんな人のか分かるからね」
「じゃあ、そうするよ!」
早速ハーレイに連絡しよう、とソルジャーが取り出した携帯端末。エロドクターに買って貰ったとかで、こっちの世界での待ち合わせなどに便利に使っているようです。
「えーっと、ハーレイのアドレスは…、と…」
サクサクと文面を打ち込んでますが、肝心の下着の写真の方は?
「ああ、それね! そっちは後からでいいんだよ!」
食い付いて来たら送るってコトで…、とソルジャーは送信してしまいました。「ぼくだけど」という凄い出だしで、「ぼくの下着を買わないかい?」と。
「これで良し、っと…!」
「…君のアドレス、ハーレイは知ってたんだっけ?」
「たまに送っているからね!」
言われてみれば、そうでした。ソルジャーが携帯端末をゲットして以来、たまに送っていましたっけね、とんでもない中身が詰まったのを…。
アヤシイ文章が発信されて、暫く経って。「来た!」とソルジャーが携帯端末を。
「よし、釣れた! 買うってさ!」
ほらね、と見せられた文面には「喜んで!」の文字。値段も品物も分からないのに、教頭先生、即決ですか…。
「そりゃあ、これを見て買わなかったらハーレイじゃないと思うけど? えーっと…」
今度は写真が要るんだっけね、とソルジャーは周りを見回して。
「…脱いでもいいかな?」
「私服に着替えるだけなら許すけれども、下着だったらお断りだよ!」
そういう着替えはゲストルームでやってくれ、と会長さん。
「迷惑なんだよ、君の下着の撮影会なんて!」
「…下着と言っても、種類は色々あるからねえ…」
これも下着で、とソルジャーが袖を指差しました。ソルジャーの正装の袖の部分を。
「「「は?」」」
それって服とは言いませんかね、どう見ても服だと思うんですけど…。
「ううん、立派に下着ってね! ぼくの場合に限定だけど!」
それにぼくのハーレイもそのクチかな、と黒い衣装を示すソルジャー。
「キャプテンの制服の下にはコレを着てるってコト、知ってるだろう? ぼくも同じで!」
上着とマントを着けない間は下着と同じ扱いなのだ、と身体にフィットした黒いアンダーウェアをソルジャーは下着扱いで。
「売るんだったら、まずはコレから! 最初はコレだよ!」
「…それって詐欺と言わないかい?」
会長さんが訊きましたけれど。
「平気だってば、ちゃんと写真はつけるから! ついでに次のお誘いも!」
「「「お誘い?」」」
「また買ってくれますか、って書いておくんだよ!」
そうすればアンダーウェアでも売れるであろう、と悪辣な考え。いずれは本物の下着が買えると食い付いてくると、ハーレイならばそうなる筈だ、と。
「だからね、アンダーウェアを脱いで写真を撮りたいんだけど…」
「今、着てるソレを売り飛ばすわけ?」
「まさか! 安売りはしないよ、そこまではね」
渡す商品は新品のアンダーウェアなのだ、とソルジャーは威張り返りました。脱いだヤツの写真を撮って送って、現物は違うものなんだ、と。
ひでえ、と声を上げた人は誰だったのか。ソルジャーはサイオンで一瞬の内に私服に着替えて、ウキウキとアンダーウェアを絨毯の上に広げました。
「うん、どう見たって脱ぎたてだっていう感じだよね!」
袖を通す前のとは一味違う、と携帯端末で写真を撮影、それから「ちょっとお願い」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頼んで自分の顔写真も。
「商売道具は揃った、と…。はい、送信!」
こんな値段を付けてみたよ、と見せられた文面のゼロの数は強烈なものでした。アンダーウェアをその値段で売るのか、と絶句しましたが、ソルジャーは平然とした顔で。
「この服、けっこう高いんだけどね? いわゆる原価が」
開発費も相当かかっているし…、と会長さんの方に視線を。
「この値段でもおかしくないよね、君なら分かってくれるだろう?」
「うーん…。妥当なトコって感じだねえ…。ハーレイだって納得だと思うよ、キャプテンをやっているんだからね」
とはいえ、こういう値段では…、と会長さん。
「これを言い値で買ってしまったら、後が無さそうだと思うんだけどね?」
「何を言うかな、こっちのハーレイ、ガッツリ貯め込んでいるんだろう? 君との結婚生活に備えて、キャプテンの給料をしっかりと!」
「そりゃそうだけどさ…。でもねえ…」
ハーレイだって馬鹿じゃないし、と会長さんが頭を振り振り言った所へ着信音が。ソルジャーは携帯端末を眺めて「やった!」と歓声。
「買ってくれるってさ、この値段で! 今後もよろしく、って!」
「「「うわあ…」」」
買っちゃうんですか、教頭先生? あのとてつもないお値段がついたアンダーウェアを…。
「買わないわけがないだろう! 相手はこっちのハーレイだよ?」
日頃からブルーに不自由しまくり、とソルジャーは宙にアンダーウェアを取り出しました。きちんと畳まれたいわゆる新品、自分の世界から空間移動で運んで来たに決まっています。
「それじゃ、今から売ってくるから!」
「もう行くのかい?」
「お待ちしてます、って書いてあるしね!」
金庫に現金があったのだろう、とソルジャーはいそいそと出掛ける用意を。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に貰った紙袋にアンダーウェアを突っ込み、「行って来まーす!」と姿が消えましたが、その直前に言葉を残してゆきました。「生中継で楽しんでね!」と。
「…中継ねえ…」
仕方ないか、と会長さんが指をパチンと鳴らして、壁に中継画面が出現。ソルジャーが教頭先生の家のチャイムを鳴らしています。ドアがガチャリと開き、教頭先生が現れて。
「これはようこそ…! 早速来て下さったのですか?」
「もちろんさ! こういったことは急いだ方が君も嬉しいだろう?」
「え、ええ…。まあ、そういうことになりますね」
お入り下さい、と教頭先生はソルジャーを招き入れると、リビングで紅茶とクッキーのおもてなしを。お昼御飯に出前でも…、とも仰いましたが。
「ああ、昼御飯はいいんだよ! ブルーの家で御馳走になるから!」
食べに来るのかい! と言いたい気分ですけど、ソルジャーが来た時点でそれは決まっていたようなもの。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もそのつもりで用意をしてますし…。
中継画面の向こうのソルジャーは、「それより、商売!」とアンダーウェア入りの紙袋を教頭先生の前に押し出すと。
「…買ってくれるんだよねえ、これ?」
「はい! 是非とも買わせて頂きたいと…!」
「じゃあ、どうぞ」
恥ずかしいから後で開けて、とソルジャーが心にも無い台詞を。それにアッサリと引っ掛かるのが教頭先生、「そ、そうですね!」と大きく頷き、「では…」と札束を出しました。
「仰ったとおりの金額を用意しましたが…」
「そうみたいだねえ? ぼくとしてはね、これからも末永いお付き合いをね…」
あくまで商売なんだけどね、とソルジャーが念を押しましたけれど。
「商売でも私は嬉しいですよ!」
こういう素敵な商売でしたら、これからも是非…、と教頭先生はペコペコと。
「いつでも買わせて頂きます! お気が向かれましたら、どうか私に連絡を!」
ノルディではなくて…、と頼む教頭先生、それなりに頭は回るようです。エロドクターよりも先に自分が買おうと、ゲットするのだと。
「頼もしいねえ、次もお願いしたいものだね」
「ええ、喜んで買わせて頂きますとも!」
出来れば本物の下着がいいのですが…、とヘタレとも思えぬ言葉が飛び出し、ソルジャーが。
「オッケー、本物の下着も希望、と。覚えておくよ」
「お願いします!」
どうぞよろしく、と土下座せんばかりの教頭先生に「じゃあね」と手を振り、ソルジャーは戻って来てしまいました。「お昼御飯は!?」と瞬間移動で…。
お昼御飯は鮭と春野菜のクリームパスタ。ソルジャーの帰りに合わせて出来上がりましたが、私たちの前には相変わらず中継画面があって、その向こうでは。
「うーむ…」
どうも脱ぎたてには見えないのだが、とアンダーウェアを見詰める教頭先生。腕組みをしてお悩み中です、かれこれ半時間は経っているかと思うんですけど…。
「ハーレイもなかなか諦めが悪いねえ…」
騙されたと思いたくないんだねえ、とソルジャーがパスタを頬張り、会長さんが。
「あれだけの値段を払っちゃうとね、認めたくないのが普通だろうと…。脱ぎたてだと信じたくなると思うよ、ヘタレでもね」
「やっぱりそう? でもさ、脱ぎたてかどうか確認するなら、見てるだけより…」
匂いで確認すればいいのに、とソルジャーのサイオンがキラッと光って。
「そうか、匂いという手があったか!」
画面の向こうの教頭先生、アンダーウェアを手に取りました。顔を押し付け、クンクンクン。
「うーむ、やっぱり…」
騙されたのか、とガックリですけど、ソルジャー、今のは?
「あれかい? ハーレイの意識に干渉をね。匂いが一番、と!」
でもって次に打つ手は、と…、とパスタをパクパク、「中継画面はもういいよ」と会長さんに合図をして。
「どうしようかな、次に売るなら本物の下着なんだけど…」
「使用済みはやめてくれたまえ!」
またハーレイがアレで確認しそうだから、と震え上がっている会長さん。たとえソルジャーの匂いであっても、自分と同じ姿形の人間のパンツをハーレイにクンクンされたら嫌だと、それだけは御免蒙りたいと。
「えっ、でもねえ…。ボロ儲けするには、いずれはねえ…」
そういうサービスも付けなくっちゃ、とソルジャーは聞いていませんでした。
「今日の所は普通に売ろうと思うんだ、パンツ」
「「「…パンツ…」」」
「そう、パンツ! ごく普通のを一枚ね!」
あのアンダーウェアの下にはこんなパンツ、と宙に取り出された白いパンツ。ソルジャーはそれを両手で広げて「どう?」と披露し。
「アウターに響かないよう、生地は極薄、だけど強度の方はしっかり!」
見た目は平凡なパンツだけどねえ…、と写真撮影をしているソルジャー。食事中からソルジャーのパンツを拝まされるなんて、いくら新品でもなんだかねえ…?
「食事中だと、どうかしたのかい? 分かってないねえ、ぼくの下着の値打ちってヤツが!」
このパンツでドカンと稼ぐのだ、とソルジャーはパンツをダイニングの床に置いたまま、教頭先生宛の文章を携帯端末に入力中で。
「先に食べるか、パンツを仕舞うか、どっちかにしたまえ!」
君はデリカシーに欠けている、と会長さんが怒鳴りましたが、ソルジャーが従う筈などなくて。
「うん、こんな感じで送信、っと…!」
パンツの写真は送っておいた、と食事に復帰。パンツを仕舞う方には行かない所が流石です。私たちの神経なんぞはどうなろうが知ったことではないと…?
「当然だよ! 商売第一!」
それに下着を売るという話は元々は君たちがやってたことで…、と反省の色もありません。そのソルジャーが「御馳走様!」とパスタを食べ終え、私たちも食後の飲み物を手にしてリビングへ移動しようか、というタイミングで「来た!」と響いた叫び声。
「やったね、パンツも売れそうだよ!」
こんな値段で、とソルジャーが見せた携帯端末に表示された数字。アンダーウェアにも負けない価格どころか、上乗せされていませんか?
「当たり前じゃないか、パンツもソルジャー仕様なんだよ! 高いんだよ、原価も開発費も!」
ねえ? と視線を向けられた会長さんが「うーん…」と呻いて。
「確かに普通のパンツよりかは高いけどねえ、アンダーウェアより安い筈だよ?」
「そうだけど…。でも、パンツだしね?」
本当に本物の下着な分だけお高くなるのだ、とソルジャーも譲りませんでした。下着を売るという商売自体がそういうものだろうと、そう教わったと。
「安く買ったパンツでもプレミアがつくのが女子中高生の下着なんだろ、だったら、ぼくのも!」
ハーレイにとっては超プレミア! と主張されれば、それはそうかも。教頭先生、世間一般で売られるであろう下着なんぞには全く興味が無いのでしょうし…。
「ね? だからプレミアをつけていいんだ、ちょっとパンツを売りに行ってくるよ!」
紙袋はある? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に訊いているソルジャー。また行くんですか?
「決まってるじゃないか、商談は早い方がいいってね!」
そしてバンバン稼ぐのだ、と言われて嫌な予感が。パンツだけでは済まないとか…?
「どうなのかなあ? ぼくの頭の中にはプランが一杯、とりあえずパンツ! 売りに行くから、中継よろしく!」
ハーレイがカモにされる所を高みの見物で楽しんでいて、とソルジャーはパンツを小さな紙袋に突っ込んでいます。高みの見物で済むんだったらまだマシですかね、下着売り…。
ソルジャーの姿が瞬間移動で消えると、会長さんが中継画面を出してくれました。ソルジャーの言葉に従わないと怖いから、というのもありますけれども、私たちだって気にならないわけじゃないですし…。ソルジャーはまたしても玄関先でチャイムを鳴らして、ドアが開いて。
「ようこそお越し下さいました」
どうぞ、と歓迎モードの教頭先生。ソルジャーをリビングに通すと紅茶とクッキー、甘い物が苦手なだけにケーキとはいかないみたいです。ソルジャーは紅茶を一口味わってから。
「持って来たよ、パンツ。今度も買ってくれるんだってね?」
「ええ、ノルディには譲れません!」
どうか私に売って下さい、とドンと札束、とソルジャーが数えて、紙袋を「はい」と。
「ありがとう。はい、これがぼくのパンツ。恥ずかしいから、後で開けてよ?」
「…それについては、かまわないのですが…。そのぅ…」
言いにくそうにしている教頭先生。
「どうかしたわけ?」
「…そのですね…。先に頂いたアンダーウェアですが、そのぅ…。あのぅ…」
「ぼくの匂いがしなかったって?」
「は、はいっ!」
教頭先生は茹でダコかトマトみたいに真っ赤になって。
「…ぬ、脱ぎたてだと伺ったのですが、そのぅ…。嗅いでみましたら、あのぅ…」
「うんうん、君にしては頑張ったじゃないか、ぼくのアンダーウェアの匂いを嗅ぐなんてね!」
確かめたいならそれに限るよ、とソルジャーは笑顔。
「残念だけどさ、たったあれだけの値段で脱ぎたてアンダーウェアっていうのはねえ…。ぼくも自分を安売りしたくはないからね?」
「で、では、あれは…!」
「一度も袖を通してないヤツ!」
「…や、やっぱり…」
ガックリと肩を落としている教頭先生の顔には落胆の色がありありと。脱ぎたて下着に大金を払ったと信じていたのに、新品のアンダーウェアではそうなるでしょう。けれど、ソルジャーはパンツ入りの紙袋を前へと押し出しながら。
「あのアンダーウェアはそうだったけどね、今度のパンツはどうだと思う?」
「…脱ぎたてですか!?」
「さあねえ、自分で確かめてみれば?」
もう君の物だし、と紙袋を渡すと、札束を掴んで「じゃあね」と瞬間移動でトンズラ。教頭先生、例のパンツも匂いで確かめるつもりでしょうか?
ソルジャーが戻って、私たちの方も本当だったらティータイムですが、中継画面の教頭先生が問題です。パンツを取り出すに決まってますから、お茶の時間は後にしないと…。
「失礼だねえ、君たちは!」
ぼくのパンツには価値があるのに、とソルジャー、プリプリ。持って帰って来た札束を見れば価値は充分に分かりますけど、お茶を飲みながら見たいものではありません。だから後だ、と言っている間に、教頭先生は袋からパンツを取り出して。
「…履いたようには見えないのだが…。だが、しかし…」
あの素材は皺が出来にくいのだったな、とキャプテンならではの発言が。ソルジャーの衣装の素材についても把握なさっているようです。会長さんが肩をブルッと震わせると。
「…ぼくのパンツを評されてるような気がするんだけど…!」
「いいじゃないか、お揃いのパンツなんだし」
ぼくのも君のもそっくり同じ、とソルジャーが自分の顔を指差して。
「同じ身体なら、サイズも同じ! ついでにあのパンツは素材も同じ!」
「だから嫌なんだよ! 頼むから確認するのだけは…!」
やめてほしい、と会長さんが叫び終わらない内に、教頭先生がパンツに鼻を近づけてクン、と。更にクンクン、何度か嗅いで。
「…ブルーの匂いはするのだが…。微かだし…」
手に持った時の匂いだろうか、との呟きにソルジャーが「当たり!」と親指をグッと。
「ハーレイの鼻も大したものだね、ダテに大きくないってね!」
「…君はそれでもいいんだろうけど…!」
ぼくは貧血で倒れそうだ、と会長さん。ハーレイにパンツの匂いを嗅がれたと、クンクンされてしまったと。
「どうしてくれるのさ、もう履けないよ、あのパンツ!」
「あれを履こうってわけじゃないから気にしない! それが一番!」
パンツが別物なら無問題! とソルジャーは高らかに言い放ちました。教頭先生が匂いを嗅いだパンツはもう教頭先生の私物で、コレクション。会長さんのクローゼットに入ってしまうことだけは絶対に無いと、安全、安心のパンツなのだ、と。
「ハーレイには君にあのパンツを履かせる度胸は無いしね、君は履かなくても済むんだから!」
「…それはそうだけど…。でも、デザインが…」
「ガタガタ言わないでくれるかな? ぼくはまだ商売するんだからね!」
下着でガッポリ儲けるのだ、とソルジャーはまだまだ稼ぐつもりで。
「次は脱ぎたてサービスなんだよ、本物の脱ぎたて!」
「それは駄目だと!!」
やらないでくれ、と絶叫している会長さん。使用済みも脱ぎたても絶対嫌だと、そんな商売をしないでくれ、と。
「そもそも、ハーレイ、ヘタレだから! そんな商売、成り立たないから!」
脱ぎたてなんかをやろうものなら鼻血で倒れてそれっきりだ、と会長さんは指摘しましたが。
「うん、その場で脱ぐのは相当先になるだろうねえ…」
「「「は?」」」
「現時点では普通に脱ぎたて、いわゆる使用済みのパンツというのを売るんだよ!」
「やめて欲しいんだけど!」
今度こそハーレイがクンクンと…、と会長さんは青ざめましたが、ソルジャーは「ぼくの商売に口を出すな」と怖い顔。売ると言ったら売ってやるのだと、濡れ手で粟の商売なのだと。
「文字通り、濡れ手で粟なんだよ! ぼくにとっては!」
「君はそうかもしれないけれどね、ぼくには濡れ手で粟どころか…!」
もう死にたくなる気分だけれど、と会長さんが嘆くと、ソルジャーは。
「んーと…。君が着けるとは思えない下着を売りに行っても?」
「…え?」
「セクシーランジェリーっていう部類のだよ、例えばこんなの!」
イメージでどうぞ! とソルジャーがパチンと指を鳴らすと浮かんだ幻、首輪からパンツまでがセットで一体型になっている下着。どう見ても女性用ですが…。
「女性用だよ、だけどたまには着てみたいってね! ぼくだって!」
でも君の方はどうだろう、と会長さんに赤い瞳が向けられ、会長さんは首を左右にブンブンと。
「ぼくは間違っても着たくないから!」
「ほらね、だったらいいじゃないか! こういう下着を売るんだから!」
使用済みで…、とソルジャーはニコリ。
「こっちのハーレイに買って貰って、持って帰って、ぼくのハーレイの前で着て見せて…。それから楽しくコトに及んで、下着の方は後で売り飛ばす!」
「ちょ、ちょっと…!」
本気なのか、と会長さんの声が震えましたが、ソルジャーの方は。
「もちろん、本気! こっちのハーレイ好みの下着を色々ゲットのチャンスだってね!」
ぼくの世界では買えない下着がこっちの世界にはドッサリ山ほど、と御機嫌で。
「しかもハーレイ、普段から妄想逞しいんだし…。こういう下着をぼくに贈れば使用済みになって返って来るんだよ、買わない筈がないってね!」
もう狂ったように買うに違いない、とソルジャーは決めてかかっていました。教頭先生ならば絶対に買うと、この話に乗ってくれる筈だと。そして…。
「やったね、ハーレイ、オッケーしてくれたってね!」
もう今夜にはドカンと手に入るのだ、と上機嫌のソルジャーが瞬間移動でお戻りに。会長さんは討ち死にモードでしたから、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に中継して貰ったわけですが…。
早い話が教頭先生はソルジャーの提案に二つ返事で、セクシーランジェリーの買い出しに行こうと準備中。車で行くのが一番だろうか、それとも公共の交通機関で…、と。
「この商売は儲かるよ? この先もどんどん展開できるし!」
「…それは良かったな…」
ブルーは死んでいるんだがな、とキース君が顔を顰めましたが、ソルジャーは。
「その内、復活するってば! ぼくが荒稼ぎを始めたら!」
ぼくだけに儲けさせておくような玉じゃないし、と言われてみれば、そういう人かもしれません。ソルジャーの一人勝ち状態で札束乱舞ということになれば、寄越せと復活して来るかも…。
「そんな感じだよ、儲けを半分寄越せと怒鳴るか、自分も参戦して来るか…。どっちかだね」
でもって、ぼくの商売は…、とソルジャーはプランを語り始めました。
「ハーレイは鼻血体質だからね、最初の間は脱ぎたての下着だけを売ろうと思うんだよ」
元はこっちのハーレイが買った下着だけどね、と悪魔の微笑み。それを自分が着たということでプレミアがつくと、脱ぎたてに値段がつくのだと。
「…あんた、相当な金額を吹っかけていたが、本気なのか?」
たった一回、着たというだけであの値段なのか、とキース君が確認したのですけど。
「プレミアを甘く見てないかい? あれでも良心価格だよ!」
もっとボッてもいいくらいだ、とソルジャーは自信に溢れていました。そういうプランも今後は提案してゆくのだ、と。
「「「…プラン?」」」
「そう、プラン! 脱ぎたて下着の買い取りにハーレイが慣れて来たなら、写真つき!」
「「「写真?」」」
「うん、その下着を着たぼくの写真をセットで売り付けるんだよ!」
もう間違いなく使用済み、とソルジャーが拳を高く突き上げ、会長さんがガバッと顔を上げて。
「そこまでする気!?」
「儲かるならね!」
そしてセクシーランジェリーがドッサリ手に入るならね、とソルジャーは笑顔全開で。
「次から次へと買って貰えるなら、ぼくの写真くらいはいくらでも! ぶるぅに頼めばセクシーショットも任せて安心、ハーレイ好みの写真が撮れるよ!」
ちゃんと着ました、という証拠写真をつければ一層プレミアが…、と暴走してゆくソルジャーを止められる人は誰一人としていませんでした。会長さんも勝てるわけなどなくて…。
「…どうなると思う?」
あの商売…、とジョミー君が声を潜めた夕食後。鶏ガラのスープで魚介類や肉や野菜を煮込んでピリ辛ダレで食べるエスニック鍋で栄養だけはしっかり摂れましたけれど、問題はソルジャー。
「また明日ねー!」と帰って行ったソルジャーの手には大きな紙袋があり、中身はセクシーランジェリー。教頭先生が買い集めて来たものをお持ち帰りで…。
「…ぶるぅが写真を撮るんですよね?」
「違うだろ? 今の時点じゃ着るってだけだぜ、写真は抜きで」
写真はもっと先になってからだろ、とサム君がシロエ君の間違いを正して、キース君が。
「…あの野郎…。いずれは動画もつけると言ってやがったな…」
「脱がすトコのね…」
キャプテンが文句を言わないだろうか、とジョミー君が首を捻りましたけれど。
「…撮るのはぶるぅよ、プロ級の筈よ?」
覗きのプロだと聞いてるじゃない、とスウェナちゃん。
「それじゃキャプテン、知らない間に撮られるってわけ?」
「そうなりますね…」
考えたくもありませんが、とマツカ君が頭を振って、会長さんが。
「ハーレイの鼻血体質に期待するしかないよ。使用済みの時点でもうアウトかもしれないし…」
「だよなあ、普通はそこで死ぬよな?」
でないとブルーも困るもんなあ、とサム君が合掌しています。あんな商売が横行したなら会長さんの立つ瀬が無いと、いたたまれない気持ちになるだろうと。
「…そうなんだよねえ…。儲けは正直、気になるけどさ…」
山分けしたい気持ちだけどさ、と会長さんがぼやいて、「南無阿弥陀仏」とお念仏を。これでなんとかならないものかと、出来ればブルーを止めたいと。
「君たちも唱えておきたまえ。ほら、一緒に!」
十回だよ、と言われて唱えた南無阿弥陀仏。それが効いたか、はたまた最初から教頭先生には無理だったのか。
翌日、使用済みとやらの下着を教頭先生に売り付けに行ったソルジャーは手ぶらで帰って来て、カンカンで。
「金庫の中身が空になったから、小切手を切ってくれるって言ったくせに…!」
その前に鼻血を噴いて倒れられた、と怒り狂っているソルジャー。商品の袋を先に渡したのが間違いだったと、自分としたことが儲け話に目がくらんでいて失敗したと。
「ふうん…。それは御愁傷様」
商品の方も鼻血まみれか…、と会長さんがケラケラ笑っています。ソルジャーが懲りずに商売をするか、諦めるのか。分かりませんけど、お念仏がどうやら効くようですから、唱えましょう。ソルジャーの商売、潰れますようお願いします。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。
売りたい下着・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ソルジャーが始めた最悪すぎる商売、まさに濡れ手で粟な勢いで稼いでますけど。
教頭先生の鼻血体質とお念仏しか、縋れるものは無いようです。大丈夫でしょうか…?
次回は 「第3月曜」 7月20日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、6月と言えば梅雨のシーズン。キース君が困っているのが…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
(赤ちゃんにピアス…?)
こんなに小さい赤ちゃんなのに、とブルーが眺めた新聞の写真。学校から帰って、ダイニングで広げてみた新聞。おやつのケーキを食べ終えた後で、熱いミルクティーを飲みながら。
とても小さな赤ちゃんの耳にキラリと光っているピアス。両方の耳に。
ほわほわとした笑顔からして、まだ泣くか笑うかしか出来なさそうな女の子。けれど、一人前に両耳にピアス。本当にとても小さいのに。
(…もうお洒落するの?)
ベビーカーでお出掛けするのに、お洒落するのかと思ったら…。
そうではなかった、赤ちゃんのピアス。様々な文化を紹介するコラム。ピアスは女の子のための魔除けのお守り、地域によって違う文化の一つだという。
SD体制が崩壊した後、復興して来た幾つもの文化。蘇った地球では、遠い昔の地域に合わせて多様な文化が息づいている。もちろん、今の時代に馴染む形で。
赤ちゃんのピアスもそれだった。カメラの方を見ている愛くるしい子。
手が動くようになってからピアスの穴を開けると、耳をいじってしまうから。化膿したりすると大変だからと、その前に開けるピアス穴。生後三ヶ月以内が普通。
地域によっては七日目だとか、生まれて直ぐに病院で開けてしまうとか。
魔除けの習慣がある地域だと、当たり前のように赤ちゃんにピアス。小さい間に。
てっきりお洒落だと思っていたから、まじまじと眺めてしまった写真。魔除けのピアス。
(ちょっとビックリ…)
今の自分が住んでいる地域には無い文化。遥かな昔は日本という島国が在ったらしい場所。
此処ではピアスは、もっと大きくなってから。赤ちゃんの耳にピアスは無い。
大人の女性でも、ピアスの穴を開けるのは怖いと、イヤリングにしている場合も多いのが此処。母もつけるならイヤリングだから、普段は耳に無い飾り。お洒落して外出する時だけ。
だから余計に、赤ちゃんのピアスもそうだと思った。お洒落なんだ、と。まだ小さいのに。
(此処だと、学校はアクセサリー禁止…)
義務教育の間は、学校につけて行けないアクセサリー。登校する途中で編んだ花冠やら、可愛い花を繋ぎ合わせたネックレスならば別だけれども。
それ以外は駄目な規則なのだから、ピアスをつけた子だっていない。そういう文化を持った地域から転校生の女の子が来たら、出会えそうだけれど。
色々な地域の文化が大切にされているから、「外しなさい」とは言われない時代。その子だけはきっと例外扱い、他の女の子に羨ましがられることだろう。「とってもお洒落」と。
(ホントに文化が色々あるよね)
今はいっぱいあるんだから、と新聞を閉じて、コクリと飲んだミルクティー。
前の自分が生きた頃とは、まるで違っている時代。あの頃は機械が統治しやすいよう、消されてしまっていた多様な文化。人が個性を持ち始めたなら、機械の手には負えないから。
時代はすっかり変わったよね、と二階の自分の部屋に帰って。勉強机の前に腰掛けて、さっきの写真を思い浮かべた。幸せそうだった小さな赤ちゃん。耳にピアスの女の子。
(赤ちゃんのピアス…)
前の自分が生きた時代は無かった習慣。
子供は人工子宮から生まれて、養父母の所へ配られた時代。人工子宮から生まれた途端に、耳にピアスをつけてくれたりはしなかった機械。生きてゆくのに必要なものではないのだから。
赤ちゃんを受け取った養父母も同じで、教育ステーションで教わらなかったことなどはしない。養母の耳にピアスがあっても、育てる子供の耳にピアスをつけようなどとは思わなかった。
そもそも、お守りでさえもなかったピアス。魔除けのお守りも無かった時代。
(キースの場合は…)
お守りだったかもしれないけれど。
有名な、サムの血のピアス。SD体制を壊した英雄の一人、キースの耳に光っていたピアス。
教育ステーション時代のキースの親友、サムの血を固めて作られた赤いピアスは、今の時代まで語り継がれている。国家主席に昇り詰めても、キースの耳には赤いピアスがあったから。
いつでもサムと一緒だったキース。最後まで友情を忘れなかったキース。
そういう優しさを秘めていたから、彼は時代を変えられたのだ、と。
歴史の授業では必ず教わる、キースの赤いピアスの正体。ナスカから後の時代の写真は、どれもピアスをつけたものばかり。
あれはお守りだったのだろうか、「いつでもサムと一緒なのだ」と。メンバーズだったキースの周りはライバルだらけで、友達はいなかっただろうから。
本当の友達は此処にいるのだと、サムの血のピアスをつけていたなら、お守りの一種。
どんな窮地に追い込まれた時でも、心で語り掛けられる親友。「お前ならどうする?」と相談をしてみたりして。
元気に生きている友達だったら、語り掛けても自己満足でしかないのだけれど。
サムは心が壊れてしまって、子供に戻っていたという。もういなかった、教育ステーションでのキースの友達。色々と相談出来た友達。
友達だったサムの心を、キースはピアスに託しただろうか。「今も一緒だ」と。
相談したいことがあるなら、サムに。…ピアスに心で語り掛けて。
サムが答えるだろう言葉を思い浮かべて、そうして前へと進んだろうか。壊れる前のサムの心は何処へでも飛んでゆけたから。…身体から自由になっていたから。
もしもキースがそうしていたなら、あのピアスはやっぱりお守りだよね、と考えたけれど。
サムの血のピアスをつけたキースの写真を、頭の中で眺めたけれど。
(…前のぼく、知ってたんだっけ?)
キースがつけていたピアスの正体。それは友達の血を固めたものだと。
メギドで撃たれた時はピアスどころではなかったから、と格納庫での記憶を手繰った。キースが脱出するなら此処だ、と先回りして待った格納庫。
あの時はまだ、キースの名前も知らなかった自分。「地球の男が逃げた」と大騒ぎだった仲間の思念を拾っただけだったから。
フィシスとトォニィを人質に取って、キースはやって来たけれど。
これが問題の「地球の男」かと、物騒な気配を漂わせるキースに向かって歩き出したけれど。
(…ピアス自体に気付いてなかった…?)
どうもそういう気がして来た。
フィシスとトォニィを助けなければ、と意識はそちらに向いていたから。名前も分からない敵の瞳をしっかりと睨み据えただけ。逃すものか、と。
(瞳の色は覚えているけど…)
アイスブルーだったキースの瞳。けれど、それしか記憶に無い。
キースの瞳を睨んでいたなら、耳などは見ていないから。ピアスに気付く筈も無いから。
今は有名なサムの血のピアス。歴史の授業で教わるほどに。
けれど、ジョミーですらも気付きはしなかった。前の自分よりもずっと長い時間、キースと対峙していたのに。ナスカにやって来たキースと戦い、シャングリラで捕虜にしていたのに。
(…あのピアスがサムの血だったこと…)
ジョミーは気付かないままだった。サムはジョミーの幼馴染で、懐かしい友達だったのに。そのせいでサムはマザー・システムにプログラムを仕込まれ、心を壊されてしまったのに。
もしもジョミーが、キースのピアスに気付いていたら。
その正体を見抜いていたなら、事情は変わっていたかもしれない。キースに対する接し方から、話す内容まで変わったろうから。
それと同じで、前の自分も…。
(キースのピアスに気付いていたら…)
きっと注目しただろう。あれは何かと、赤いピアスに。
そうなっていたら、あのピアスからスルリと入り込めただろう。キースの心に、もっと深く。
どうしてピアスをつけているのかと、それを探っていたならば。
意味があるのかと、キースの心に尋ねていたら。
ピアスについて尋ねていたなら、きっと返っていただろう答え。あの一瞬に。
前の自分はキースの心に入り込んだし、フィシスと同じイメージまでをも読み取ったのだから。
つまりはキースの一番奥まで入り込んだ証拠。
其処で「あれは?」と問えば容易く得られた答え。「友達の血だ」と。
(…その友達がサムだってことも…)
キースは答えたのかもしれない。意識の奥底、其処にいる友が誰なのか。
それを自分が読み取っていたら、あるいは変わっていたかもしれない。色々なことが。
最終的にはシステムに逆らい、SD体制を壊したキース。その時期がもっと早くなったとか。
キースはメギドを持ち出すことなく、ナスカから去って行ったとか。
前の自分もサムを知っていたし、話の糸口は掴めただろう。キースの誤解を解くことも出来た。
「サムを壊したのは、ミュウではない」と。「ジョミーは友達を壊しはしない」と。
目覚めたばかりの前の自分は、ジョミーと再会したサムが何をしたのかは知らなかったけれど。それでもジョミーがサムを壊しはしないことは分かる。
だから、キースを説得したろう。「君は何かを誤解している」と。
ジョミーを呼ぶから少し待ってくれと、そうすればきっと分かるから、と。
けして馬鹿ではなかったキース。そう話したなら、恐ろしい目で睨みながらも待っていたろう。どういう言い訳をするつもりなのか、真相を自分で見極めねば、と。
(待ってくれるなら…)
自分も人質になっても良かった。「間違っていたなら、ぼくを殺せ」と。
キースに銃を突き付けさせて。「駄目だった時は、ぼくを人質にして脱出しろ」と。
けれど、キースとは話せなかった。…サムの血のピアスに、前の自分は気付かなかった。
(…ピアス、飾りだと思っていたから…)
視界の端で捉えたとしても、気にさえ留めていなかったろう。ピアスがあるな、と思う程度で。
(多分、ピアスは見ていたんだよ…)
敵の全てを把握するのは鉄則だから。どんな姿か、どれだけの力がありそうなのか。
キースが武器を持っているのか、倒すとしたら何処を狙うか。…瞬時に全てを見ただろう自分。耳のピアスも当然、見た筈。「無意味な物だ」と切り捨てただけで。「ただの飾りだ」と。
そんな具合だから、まるで記憶に無いピアス。…格納庫でも、メギドで撃たれた時にも。
あの時代には、お守りの意味が無かったピアス。
キースがしていたピアスの他には、多分、一つも。…そういう文化は無かったから。
(…大失敗…)
前の自分が犯した過ち。キースのピアスを目にしていながら、少しも注目しなかったこと。
「あれは何か」と思いさえすれば、きっと全ては変わったろうに。
ピアスがお守りだった時代を、前の自分が知っていたなら。
ただの飾りではないものなのだと、知識だけでもあったなら…。
キースのピアスをチラリと眺めていただろう。飾りか、そうではないのかと。
今から思えば、「地球の男」がアクセサリーを好む筈がない。任務には必要無いものだから。
そのピアスをキースがつけていたこと、それ自体が不思議だったのだから。
前の自分は、飾りだと思ってしまったけれど。…そういう時代だったのだけれど。
(…エラたちだって…)
飾りとしてピアスをつけていたのだった。お守りではなくて。
今の自分が新聞で見た小さな赤ちゃん、その耳にあった魔除けのピアスとはまるで違って。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたピアス。飾りだったピアス…。
生き地獄だったアルタミラ。メギドの炎に滅ぼされた星から、命からがら脱出した船。
ようやっと落ち着き、船の名前もシャングリラと変えて、暗い宇宙を旅していた頃。前の自分が奪った物資に、ピアスが幾つか紛れていた。衣料品などを収めたコンテナの中に。
誰も見たことが無かったピアス。それぞれ違う色や形や。
「なんだい、これは?」
変なものだね、とブラウが指でつまんで眺めた。物資の処分を考える席で。
「アクセサリーらしいよ。ピアスと言ってね」
女性向けの、と話したヒルマン。既に調べて来ていたらしい。多分、ハーレイから聞いて。まだ前のハーレイは備品倉庫の管理人だったし、物資の仕分けをしていたから。
ヒルマン曰く、ピアスは耳につけるもの。耳たぶに小さな穴を開けて。
「耳に穴ですって? とんでもないわ…!」
怖い、と叫んだのが若かったエラ。自分の耳たぶを手で隠しながら。
「そうかい? 面白そうだけどねえ?」
どんな感じになるんだろうね、と耳たぶに当ててみたのがブラウ。ピアスを一つ取ってみて。
「似合いそうかい?」と、おどけてみせたりもして。
今すぐ役には立たないけれども、残しておこうということになった。大して取らない保管場所。備品倉庫の隅に置いても、全く邪魔にはならないから。
とりあえず専用の箱を設けて、その中に入れて終わったピアス。これで良し、と。
それからもピアスは少しずつ増えた。衣料品を奪った時に、それに混じって。恐らく、女性用の服に合わせて似合いの物を詰めていたのだろう。服とセットで売れそうな物を。
服とセットにするくらいだから、宝石や貴金属ではなかったけれど。ただのアクセサリーでしかなかったピアス。混じっていたら、専用の箱に入れるだけ。
ところが、ノルディが医者の仕事を始めて暫くした頃。
「どうだい、これは?」
似合うかい、と得意げに現れたブラウ。その耳に光っていたピアス。小さな金色。
「ブラウ…!」
開けちゃったの、と驚いたエラ。耳たぶに穴を開けるなんて、と。
けれど、ブラウは全く気にしていなかった。むしろ自慢で、「やっと開けたよ」と言ったほど。初めてピアスに出会った時から、機会を狙っていたらしい。どうやって穴を開けたものかと。
其処へ登場したノルディという医者。いわゆる資格は持っていないけれど、データベースで得た情報を元に、薬を処方し、怪我の治療も見事にこなした。
そのノルディなら、と目を付けたブラウ。「耳にピアスをつけたいんだけどね?」と。
相談されたノルディは医者として調べ、安全に穴を開ける方法を見付け出した。それに道具も。
ブラウはいそいそと第一号の患者になって、ピアス穴を開けたという次第。両方の耳に。
こうして好奇心旺盛なブラウがつけ始めたピアス。最初はポツンと小さな金色。キースのピアスよりずっと小さな、控えめなもの。それはノルディのアドバイスで…。
「少しずつ大きくするんだってさ、ピアスってヤツは」
開けて直ぐには、このくらいのヤツがいいらしいよ。耳に負担がかからないから。
もっと洒落たのがいいんだけどねえ、急がば回れって言うからね。…まあ、見てなって。
日が経つにつれて、「今日はデカイの」と大きくなっていったブラウのピアス。備品倉庫の例の箱から選び出しては、少しずつ。
それが不思議に似合っていた。白やら青やら、ブラウの耳を彩っていたピアス。そして…。
「ありゃ、エラもかい?」
怖がってたくせに、と驚いたブラウ。
ある日、エラの耳にも小さなピアスが光っていた。ブラウが最初につけていたのと同じ金色。
前の自分も驚いたけれど、ゼルたちによると女心というものらしい。
「綺麗になりたいものらしいぞ。女ってヤツは」
ああして、耳に穴を開けてもかまわんようだ。それで綺麗になれるんならな。
「ふうん…?」
そういうものか、と見ていた間に、増えていったピアス。他の女性たちもつけ始めたから。備品倉庫の箱を開けては、つけたいピアスを見付け出して。
それで自分の耳を飾るために、ノルディに穴を開けて貰って。
白い鯨が出来上がる頃には、エラのピアスも立派になった。宝石で出来てはいなかったけれど、雫の形をした紫。エラのお気に入りでトレードマーク。
ブラウのはとても大きくなった。遠目にも分かる、金色の輪っか。
どちらも二人に似合っていた。長老の服のデザインにも。
他の女性たちの耳にも、それぞれ好みで選んだピアス。色も形も、大きさだって。
(飾りなんだ、って思ってたから…)
フィシスが大きく育った時にも、似合うピアスをつけさせた。
耳たぶに穴を開けるのをフィシスは怖がったけれど、メディカル・ルームに付き添って行って。
手を取ってやって「痛くないよ」と宥める間に、ノルディがピアスをつける穴を開けて。
(フィシスのピアスも大きくて、立派…)
最初は小さなものから始めて、少しずつ大きくしていった。フィシスに似合う華やかなものに。
お守りではなくて、飾りだったから。
ピアスは女性の顔を彩るためのもの。もっと綺麗になれるようにと。
アルテメシアで保護した子供たちだって、大きくなったらピアスをつけたりしたものだから。
耳たぶに穴を開けるのを怖いと思わない子は、「早くつけたい」と憧れていたほどだから。
(勘違い…)
前の自分が勘違いしていた、キースのピアス。
赤いピアスに気付いたとしても、飾りなのだと。ピアスに意味などありはしないと。
ピアスがお守りだった時代を、全く知らなかったから。飾りだと頭から信じていたから。
そのせいで見逃してしまったピアス。目にした記憶も持っていないほどに。
あれはサムの血だったのに。…注意していたら、そうだと分かった筈だったのに。
(ぼくの馬鹿…!)
すっかり手遅れなんだから、と唸っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、向かい合うなり、切り出した。
「ねえ、シャングリラのピアスは飾りだよね?」
「飾りって…。シャングリラはピアスをつけていないが?」
それともピアスは宇宙船用の専門用語か、とハーレイは勘違いしてくれたから。
「船じゃなくって…!」
ピアスをつけるのは人間だよ!
女の人たちはつけていたでしょ、いろんなピアスを…!
「なんだ、ブラウたちか」
あいつらのピアスか、それが飾りかと訊いてるんだな?
「うん…。飾りだったよね、みんなのピアス」
エラも、ブラウも、他のみんなも。…だからフィシスにもつけさせてたし…。
「飾りだったが? 最初は前のお前が奪った物資に紛れてたヤツで…」
その内に船でも作り始めて、手先の器用なヤツらが色々なのを作ってたよな。
残念ながら、本物の金だの宝石だのとは全く無縁なピアスだったが。…値打ちってヤツは無いも同然、単なる飾りに過ぎなかったが…。
あの船のピアスがどうかしたのか、とハーレイが首を傾げるから。
「んーとね…。ピアス、今はお守りなんだってね?」
ぼくたちが住んでる所だと、今もやっぱり飾りだけれど…。
他の地域だと、お守りにしている所もあるって。赤ちゃんの頃から魔除けのピアス。…女の子が生まれたら、その病院でピアス用の穴を開けてくれるくらいに。
「そうらしいな。可愛らしい写真をよく見掛けるしな」
俺は本物も何度か見てるぞ、旅先とかで。…あれはなかなか可愛いもんだ。
親心ってヤツだな、子供にお守り。チビの間は、自分でピアスをつけられないのに。
「そっか…。お母さんが世話してあげないと駄目だね、気を付けて耳を洗ってあげたり」
つけておしまいってわけにはいかないね、赤ちゃんのピアス。…色々大変。
えっとね、その赤ちゃんのピアスで気が付いたんだよ、お守りのためにつけてるピアス。
キースのピアスもそうだったっけ、って。
「…サムの血か…」
あいつのピアスと言えばそうだな、サムの血のだな。
「ハーレイ、もしかして、知ってたの?」
あのピアスが何で出来ていたのか、知っていたわけ…?
「…今の俺がな」
歴史の授業で教わるだろうが。…キースがつけていたピアスには意味があるんだ、と。
友達だったサムの血だってことも。
ただの飾りじゃないってことをだ、しっかりと叩き込まれるってな。…だが…。
前の俺は何も知らなかった、とハーレイは深い溜息をついた。
ジョミーが捕えたキースを何度も目にしていたのに、血のピアスには気付かなかった、と。
「ぼくもだよ…。格納庫とメギドでしか見ていないけどね」
メギドの時には、見てる余裕も無かったけれど…。格納庫だったら見た筈なんだよ。
とにかくキースを倒さなくちゃ、と思っていたから、隙のありそうな場所を探してた筈。何処を狙って攻撃するのが効きそうか、って。
…前のぼくだから、一瞬で全部見られた筈。それこそ、頭の天辺から爪先までね。
きっとピアスも見たんだと思う、「耳には赤いピアスをしてる」って。
なのに、それだけで済ませたんだよ。…どうしてピアスをつけているのか、考えもせずに。
飾りなんだと思っていたから、それっきり。…お守りだった時代を知らなかったから。
知っていたなら、変だと思って探っていたよ。キースの心に入り込んだ時に。
「その耳のピアスは何のためだ?」って質問を投げて、キースの答えも掴んでた。友達の血だということを。
「なるほどな…。前のお前なら出来ただろうな」
あいつの心に入ったんだし、その答えだって聞き出せただろう。…しかし、そいつを考えないで放っておいた、と。ただの飾りだと思っちまって。
「…大失敗だよ、凄いチャンスを無駄にしちゃった…」
キースの友達の血だってトコまで掴んでいたなら、サムだってことにも気が付いたんだよ。前のぼくはサムを知ってたんだし、絶対、結び付いてたよ…。あのピアスとサムが。
あれがサムの血だと分かっていたらね…。色々変わっていたんだと思う。
キースを引き止めて、説得して。…ジョミーと話をしてくれるように頼んでみて。
ちゃんとジョミーと話していたなら、キースの考え、変わっていたと思わない…?
「確かにな…」
敵同士としてしか話してないのが、あの時のジョミーとキースってヤツだ。
其処に友達が絡んで来たなら、お互い、態度が変わっただろう。…共通の友達なんだから。
同じ友達を持っていたんだ、どうして敵同士になってしまったかを二人とも冷静に考えたろう。
…そしたら分かっていた筈なんだ。キースの方にも、誰のせいでサムが壊れたのかが。
マザー・システムのせいだと分かれば、キースの恨みの矛先も変わってくるからなあ…。
前の俺も失敗したようだ、とハーレイが眉間に寄せた皺。やり方を間違えちまったな、と。
「…分析に回すべきだった。キースのピアスを」
そうすりゃ、血だと分かっていたんだ。…それが分かれば、後はジョミーの仕事になる。
ジョミーの力は、前のお前よりも遥かに粗削りってヤツではあったが…。
トォニィを使ってキースの心に入り込んだほどだし、あのピアスからでも入れただろう。上手い具合に持って行けばな。
入り込んだら、誰の血なのかも簡単に分かる。…キースがサムの友達だったことも。
後はお前がやろうとしたのと、全く同じ展開だな。ただし、ジョミーが直接話す、と。
「それって、効果があっただろうね…」
トォニィがキースを殺そうとした時よりも前になるんだし、キースは捕虜になってただけで…。
逃げなきゃ命が危ないってトコまで行っていないし、殺気立ってもいないしね。
ぼくが間に入らない分、じっくり話も出来てたのかも…。サムの思い出まで話せてたかも。
「まったくだ。…サムの友達として出会っていたなら、あの二人だって違っただろう」
最初は確かに敵同士なんだが、「昨日の敵は今日の友」って言葉もあるからなあ…。
サムを切っ掛けに打ち解けていた、って可能性はゼロではないだろう。
いきなり仲良く友達同士とはいかなくっても、キースがメギドを持ち出そうとしない程度には。
ソレイドに帰って報告してから、時間稼ぎをしたかもしれん。…俺たちがナスカから逃げるのに充分な時間を、つまらん報告なんかで作って。
…あいつのピアスに、俺も気付いているべきだった。
捕虜の身体検査ってヤツは、ジョミーでなくても、キャプテンの権限で出来たんだから。
分析に回し損なっちまった、と悔しそうな顔のハーレイも飾りだと思っていたらしい。
キースが耳につけていたピアスは、エラやブラウのピアスと同じで飾りなのだと。
「…仕方ないよね、ハーレイがそう思っちゃうのも…」
シャングリラでなくても、あの時代のピアスは飾りの意味しか無かったから…。
お守りのピアスをつけていた人は、何処を探してもいなかったような時代だから…。
ヒルマンやエラは知識があったかもしれないけれども、お守りのピアスが無かった時代だし…。あの二人だってピンと来ないよ、キースのピアス。
あれを外して分析させよう、って思うわけがないよ、意味があるなんて考えないもの。
…ハーレイだって、アクセサリーだと思っていたから、ピアス、外させなかったんだし…。
もしも外して「分析班に回せ」って言っていたなら、直ぐに血だって分かったのに…。キースの心に入る切っ掛け、ジョミーに教えられたのに。
何もかも、ホントに手遅れだね…。
キースはとても分かりやすいヒントを耳につけてたのに、誰も気付かなかっただなんて。
「…手遅れだとしか言いようがないな…」
今頃になって嘆いた所で、時間ってヤツは逆さに流れてくれないんだが…。
戻れるものなら、あそこに戻って「ピアスを外して調べてみよう」と思いたいもんだ。
…捕虜の持ち物は徹底的に調べるべきだと、服もピアスも全部外して調べちまえ、と。
失敗だった、と呻くハーレイが、あの時、ピアスを外させていたら。分析班に回していたなら、何かが変わっていたのだろうか。
でなければ、前の自分が気付くとか。キースのピアスには何らかの意味がありそうだと。
「…前のぼくだって、大失敗だよ…」
これを考えたのは今のぼくだけど、キースみたいなメンバーズ・エリート。
…ブラウたちみたいに「綺麗になりたい」って思うわけがないし、ピアスは変だよ。任務の役に立つならともかく、飾りなんだよ?
なのにピアスをつけてた時点で、怪しいと思うべきだったんだよ。どうしてだろう、って。
「…そうなんだろうが、飾りだと思っていたからなあ…」
あれは飾りだと思っちまった、少しも怪しいと思いもせずに。
ジョミーだって俺と同じだろうさ、調べさせろと言わなかったんだから。…ピアスはピアスで、それ以上でも以下でもないと言った所か、ジョミーにしても。
エラのピアスは紫色で、ブラウのピアスはデカイ金色。そいつの続きでキースのは赤、と。
前の俺はそんな風に見てたんだろうし、ジョミーも、他のヤツらも同じだ。…ひょっとしたら、エラやブラウは笑っていたかもしれないな。キースのセンスを。…似合っていない、と。
「…似合っていたとは思うけどね?」
国家主席になってからだと、赤いピアスより青とかが似合うかもしれないけれど…。
若い頃なら赤でいいと思うよ、顔立ちにしても、服の色にしても。
…だから余計に見落としてたかな、飾りなんだと思い込んじゃって。…似合っていたから。
あれが似合わない服を着てたら、前のぼくでも少しは変だと考えてたかも…。変な飾りだから。
だけど、やっぱり飾りだとしか思わないみたい。…前のぼくだと。
今の時代なら、お守りの所もあるのにね…。
ピアスをつけてるキースを見たなら、飾りよりも先に、そっちを考えそうなのに…。
「俺もだな。今なら、飾りだと思うよりも先に、意味があるんだと考えるだろう」
ミュウと戦うつもりで来るのに、飾りなんぞは要らないんだから。
どう考えてもお守りだろう、と考えた上で、外させる。…お守りを取られたら動揺するしな。
外したからには、ついでに分析。…そして血なんだと分かるっていう寸法なんだが。
残念だった、とハーレイも悔やむキースのピアス。今の自分も惜しくなるピアス。
どうしてあの時、飾りだと思ってそれを逃してしまったのかと。
もしも正体が分かっていたなら、全ては変わっていたのだろうに。サムの血で作られたキースのピアスは、それだけの力を持っていたのに。
(…サムの血のピアス…)
多分、あの時代にお守りの意味を持っていた唯一のピアス。
お守りとしてピアスをつける文化は無かった時代で、飾りのピアスしか無かった時代。
サムの血と一緒に生きたキースがつけていたのが、きっと最初で最後だろう。SD体制の時代に使われたお守りとしてのピアスは、多分、あれだけ。
…つけていたキースは、フィシスと同じで、機械が無から創った生命体。SD体制が生み出したもので、あの時代にしか生まれなかった人間。その技術は廃棄されたから。
文字通りにSD体制の申し子だったキース。彼がつけていた、お守りのピアス。
それを思うと、不思議な気持ちになってくる。
SD体制を崩壊させた英雄の一人、文化を先取りしていたキース。
今の時代はお守りになっているピアス、それを誰よりも先にお守りとして使ってみせた。
機械が創った生命とはいえ、誰よりも人間らしかったキース。…友達のサムを大切に思い、彼の血と一緒に生きていたキース。
彼は文化を先取りしたのか、あるいはピアスはお守りなのだと知っていたのか。
メンバーズになったくらいなのだし、何処かでそういう記録に触れて。
「ねえ、ハーレイ…。どっちだと思う?」
キースはピアスがお守りだった時代を知っていたのか、知らなかったのか。
…お守りなんだと知っていたから、サムの血のピアスをつけてたと思う?
それとも、偶然だと思う?
キースのピアスは、お守りみたいな意味を持ってたみたいだけれど…。
ピアスがお守りだった時代を、キースは知ってて真似したのかな…?
「さてなあ…?」
俺に訊かれても困るってモンだ、俺はキースじゃないんだし…。
第一、俺はあいつが嫌いで、今も許してないんだが?
もっとも、お前はキースを嫌ってないからなあ…。俺に分かる範囲で答えてやろう。
…あのピアスのことは、誰に訊いても分からんぞ。
キースは一切、記録を残してないからな。…そういうプライベートなことは。
あいつの日記とか、そういったものは何も残っていないってな。
だから分からん、あのピアスのことも。…どういう気持ちでつけていたのか、作らせたのかも。
それについても残念ってトコだ、せっかくお前が目を付けたのにな…?
チビのお前は好きに想像するがいいさ、とハーレイから返って来た答え。
キースは記録を残さなかったから、今も真相は分からない。
歴史を変える力を秘めていたピアス。…飾りではないと、前の自分たちが気付いていれば。
ジョミーの、キースの友達だったサム。彼の血を固めて作られたピアス。
今では歴史の授業で教わるくらいに、有名になったサムの血のピアス。
それをキースは最期まで耳につけていた。地球の地の底で命尽きるまで。
ピアスにはお守りの意味があるのだと知っていたのか、偶然そうなっただけなのか。
答えは永遠に分からないけれど、今の時代はピアスはお守り。
生まれて間もない赤ちゃんの耳に、小さなピアスが光る地域もあるのだから。
優しい魔除けのお守りのピアス。赤ちゃんを守る小さなお守り。
そういう文化が戻った世界で、青い地球の上で、ハーレイと二人で生きてゆく。
お守りのピアスをつけた小さな赤ちゃん、そのピアスを赤ちゃんにつけてあげた親たち。
誰もがミュウになった世界で、ハーレイと二人。
キースのピアスの意味には気付き損ねたけれども、ちゃんと地球まで来られたから。
青く蘇った水の星の上で、また巡り会えて、いつまでも何処までも一緒だから…。
ピアスの意味・了
※今の時代は、お守りにもなっているピアス。シャングリラの時代にも存在していた耳飾り。
キースもつけていたのですけど、その正体に、前のブルーたちが気付いていたなら…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(綺麗…!)
鶴だ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
頭の天辺が赤い丹頂鶴の写真。つがいなのだろう、真っ白な雪原で翼を広げて向かい合う二羽。すらりと伸びた首と、長い足と。黒い羽根が混じった大きな白い翼。
(この鳥だけなんだ…)
地球が一度滅びてしまうよりも前、日本と呼ばれた小さな島国。その国があった辺りだとされる地域、其処で繁殖する鶴は。他にも鶴はいるらしいけれど。
人間がまだ地球しか知らなかった時代、その頃から日本で子育てをする鶴は丹頂鶴だけ。そして日本では最大の鳥。今も昔も。
背の高さは百四十センチもあるというから、チビの自分とあまり変わらない。翼を一杯に広げた時には二メートル以上、ハーレイの背よりもまだ大きい。
なんて大きな鳥なのだろう、と感心して読んでいったのだけれど。
(…一度、滅びかけて…)
絶滅したとも思われた鳥。人間に乱獲されてしまって、姿が何処にも見えなくなって。
その姿がミュウと重なった。前の自分が生きた時代の。…人間に狩られ、殺されたミュウたち。
(人間って、ずっと昔から、こう…)
自分たちの勝手で、生き物を死へと追いやった。最後は母なる地球までをも。今の時代は誰もがミュウで、愚かなことはしないけれども。
滅びかかった丹頂鶴。いなくなったと思われた鳥は、再発見されて保護されたという。
たった十羽とも、十数羽とも伝わる群れ。釧路湿原の鶴居村で見付かり、狩られはせずに。
元のように数を増やしてゆこうと、努力を重ねた人間たち。餌が少なくなる冬にトウモロコシを与えたりして、飢死を防いだのが効いたという。
湿原で暮らす丹頂鶴。サルルンカムイ、遠い昔のアイヌの言葉で「湿原の神」。
ふうん…、と読み進めていった記事。残念なことに、この辺りでは出会えないらしい。北の方へ旅をしない限りは、同じ地域の中でも無理。
丹頂鶴の寿命は三十年ほどで…。
(一生、相手を変えないの?)
そんなに長く生きるというのに、つがいになったら一生を共に暮らしてゆく。毎年、一緒に雛を育てて、いつも一緒に暮らし続けて。
鳥によっては、繁殖期の度にパートナーを変えるらしいのに。前の相手とは別れてしまって。
(求愛のダンス…)
二月頃には舞うのだという。まだ雪に覆われたままの大地で、向かい合って。最初に目を引いた写真がそれ。翼を広げた雌雄の鶴。
パートナーを探して、互いに舞うという鶴の舞。鳴き交わして、翼を広げて舞って。
(最初だけなの…?)
つがいになったら、生涯、相手を変えないから。
若い鶴たちだけが舞う、パートナーを探す鶴の舞。つがいの鶴は愛を確かめるためにだけ舞う。他の相手は欲しくないから、向き合って、互いに呼び合いながら。
けれども、それが出来ない鶴もいる。パートナーを失くしてしまって、もう一度、相手を探して舞う鶴。似たような鶴がいないかと。…誰かいないかと、悲しい舞を。
初めて相手を探す鶴たちが舞う中で。つがいの鶴たちが愛を確かめ合う中で。
生涯、相手を変えない鳥。つがいになった相手が死ぬまで、添い遂げる鳥。
クチバシが折れてしまったパートナーのために、餌を与え続けた鶴までいたという。自分で餌が取れなくなったら、鳥の寿命はおしまいなのに。飢えて死ぬしかないものなのに。
けれど、パートナーの命を守った鶴。食べやすいように餌を千切って、食べさせてやって。常に一緒に餌場に出掛けて、相手の分まで餌を探して。
それほどに愛情深いから。…本当だったら生きられないようなパートナーも守る鳥だから。
(相手が死んでも…)
その場をなかなか離れないという。パートナーを失くしてしまった鶴は。
死んだ相手はもう動かないし、鳴いても声は返らないのに、其処から動こうとしない鶴。じっと立ったまま、餌を探しに行く時以外は。
死骸を狙ってキツネやカラスが近付いて来たら、翼を大きく広げて威嚇し、クチバシでつついて追い払う。いつも一緒だった相手の身体を、守らなければいけないから。
朽ちて骨だけになってしまっても、その行動は変わらない。骨だけになっても、一緒に過ごした相手は其処にいるのだから。…もう動いてはくれないだけで。声を返してくれないだけで。
そうして守って守り続けて、寄り添い続ける丹頂鶴。
雨で死骸が流されるだとか、雪が積もって下に隠れてしまうとか。姿が見えなくなって初めて、何処かへ飛んでゆくという。
自分の相手はいなくなったから、次のパートナーを見付けるために。
新しくつがいになってくれる相手、それを探して、一緒に暮らしてゆくために。
失くしてしまったパートナー。けれど、紡いでゆくべき命。
自分の寿命がまだ続くのなら、新しい相手と出会って、一緒に暮らして、雛を育てて。
でも…。
(見付かるのかな…?)
一緒に生きてくれる鶴。…若い鶴だけが求愛のダンスを舞う場所で。他の鶴たちは、互いの絆を確かめ合いながら舞う場所で。
きっと、見付かりはするのだろうけれど。…まさか一羽で舞い続けることはないだろうけれど。
(…可哀相…)
つがいだった相手が死んでしまった、独りぼっちになった鶴。相手の身体が骨だけになっても、側を離れようとしない鶴。
どんなに悲しくて寂しいだろう。もう応えてはくれない相手。動かない相手。
ずっと一緒に子供を育てて、何十年も離れずに暮らしていたのに。何処へ行く時も、互いの姿があるのが当たり前だったのに…。
こんな鳥だったとは知らなかった、と読み終えた記事。丹頂鶴の切ないほどの愛と想いと。
その記事の最後に、オマケが一つくっついていた。オシドリ夫婦と呼ばれるオシドリ。仲のいい夫婦の例えにもされるオシドリだけれど、実際は…。
(毎年、相手を変える鳥!?)
とんでもない、と仰天してしまったオシドリの夫婦。
子育てを終えたオシドリの夫婦は、そこでお別れ。雛が巣立ったら、自由を求めて飛んでゆく。華やかな姿が目を引く雄も、地味な雌の方も。これで今年の恋は終わり、と。
次の年には、また新しい相手を探す。前の相手を探しもしないで、誰にしようかと。
丹頂鶴なら、鶴の舞の季節の直前までが子育てなのに。
首から上がまだ丹頂鶴らしい色にならない幼鳥、その子と一緒に家族で暮らす。鶴の舞には早い幼鳥、その子と子別れするまでは。「もう駄目だよ」と突き放すまでは、餌も与えて。
子別れをしたら、鶴の舞の季節。つがいで舞って、愛を確かめて、次の子育て。
パートナーを変えることなく、同じ相手と。…死んでも側を離れないほど、愛する鶴と。
本物のオシドリ夫婦はオシドリではなくて、鶴だった。
誰も「鶴夫婦」とは言わないのに。あくまで「オシドリ夫婦」なのに。
どうやら自分も勘違いをしていたらしい、と閉じた新聞。オシドリなんて、と。
騙されてたよ、と考えながら、おやつを食べ終えて、部屋に帰って。
(オシドリよりも、丹頂鶴…)
そっちが本物のオシドリ夫婦、と勉強机の前に腰掛けた。其処に飾ったフォトフレーム。飴色の木枠の中はハーレイと二人で写した写真。夏休みの一番最後の日に。
今はまだ、二人一緒の写真はこれしか無いけれど。…いつかは結婚写真も撮れる。両親の部屋に飾ってあるような、幸せ一杯の素敵な写真を。
今度はハーレイと結婚出来るし、前の自分たちのように恋を隠して生きなくてもいい。同じ家で暮らして、いつまでも一緒。今度は夫婦になれるのだから。
毎年相手を変えるオシドリより、ずっと相手を変えないという丹頂鶴。そっちでいたい、と夢を描いた今のハーレイと自分。傍目には「オシドリ夫婦」と言われても、本当は丹頂鶴の夫婦。
前の生で恋をしていた相手と、生まれ変わっても一緒だから。蘇った青い地球に生まれて、今も恋しているのだから。
この先も、きっと。
青い地球での生が終わっても、離れないできっと一緒の筈。
此処に生まれて来るよりも前に、二人でいただろう場所に還って。死んだ後にも、二人一緒で。
さっき新聞で読んだ丹頂鶴のつがいのように、離れないまま。いつまでも、きっと。
相手が死んでしまった後にも、其処を離れない丹頂鶴。動かなくなっても、骨になっても。
その身体がすっかり見えなくなるまで、朽ちても守り続ける鶴。キツネやカラスを追い払って。
(パートナーが死んでも、離れないなんて…)
ずっと守って側にいるなんて、鳥なのに凄い、と改めて思った所で気が付いた。
丹頂鶴は動かなくなったパートナーの側を離れず、いつまでも守ろうとするのだけれど。
(…前のハーレイ…)
キャプテン・ハーレイだったハーレイは失くしたのだった。…前の自分を。
何処までも共にと何度も誓ってくれていたのに、相手を失くしてしまったハーレイ。
しかも、メギドで。シャングリラからは遠く離れた場所で。
(前のぼくの身体…)
メギドと共に砕けてしまって、シャングリラに残りはしなかった。
丹頂鶴が懸命に守り続けるという、パートナーの身体。動かなくても、骨になっても。キツネやカラスを追い払いながら、決して側から離れようとせずに。
それが見えなくなってしまう日まで。大雨や雪に消される日まで。
鶴でもそうして守り抜くのに、側にいたいと願うのに。
前のハーレイは、近付くキツネやカラスを追い払うどころか、触れることさえ出来なかった。
死んでしまった前の自分に。…動かなくなってしまった身体に。
鶴でも守り続けるらしい身体を、前の自分は何処にも残しはしなかったから。
暗い宇宙に散った身体は、シャングリラに戻らなかったから。
今の今まで、考えたことも無かったけれど。
ハーレイの温もりをメギドで失くして、独りぼっちになったことばかりを思い、訴え続けて来たけれど。…前の自分が死んでしまった後のハーレイは…。
(…もしかして、物凄く辛かった…?)
たった一人で残されたというだけではなくて。
守る身体さえも失くしてしまって。
つがいの相手を失った鶴が、いつまでも守ろうとする身体。骨になっても、側を離れずに。側に立ってじっと守り続けて、キツネやカラスを追い払って。
鶴でさえも大切に想い続けて、相手の死骸を守るのに。…消えるまで去ろうとしないのに。
ハーレイは前の自分の身体を守れはしなくて、触れることさえ叶わなかった。
シャングリラに戻って来なかった身体。…動かなくなってしまった身体。それさえも見られず、側にいられなかったハーレイ。
とても辛くて悲しかったろうか、せめて側にと思ったろうか。死んで動かない身体でも。
鶴でもそれを願うのだから。側を離れずにいるのだから。
(…ハーレイだって、そうだった…?)
前の自分は、ハーレイに「ジョミーを支えてやってくれ」と伝えてメギドへ飛び去ったけれど。それきり戻りはしなかったけれど。
ハーレイを独りぼっちにしたのだけれども、もしも、身体だけ戻っていたら。
動かなくなった身体だけでも戻っていたなら、少しは辛くなかっただろうか。同じように一人、残されたとしても。…シャングリラに独りぼっちでも。
キツネやカラスは来ないけれども、動かない身体を守れたら。側にいることが出来たなら。
けして叶いはしなかったこと。メギドで死んだ前の自分の身体が、あそこで消えずにハーレイの所に戻ること。
それは無理だったと分かるけれども、ハーレイが動かなくなった身体に出会えていたら。自分が愛した者の身体を目にすることが出来たなら。
気が済むまで側で見ていられたなら、辛さは減っていたのだろうか。
つがいの相手を失くした鶴が死んだ相手に寄り添い続けて、守ることを生き甲斐にするように。愛の証を立てるかのように、相手を守り続けるように。
前のハーレイもそれが出来たら、独りぼっちだと思わずに済んでいたのだろうか…?
(…どうだったの…?)
今の自分には分からないこと。前の自分は、考えさえもしなかったこと。
其処まで思いはしなかった。一人残されるハーレイの辛さも、きっと考えてはいなかったから。それに気付いていたとしたなら、他にも言葉を残したろうから。
恋人同士の別れのキスは交わせなくても、「先に行って待っているよ」とでも。
「君が来るまで待っているから」と伝えさえすれば、ハーレイにもきっと救いが生まれた。先に逝った恋人を追ってゆく日まで、頑張らねばと。「今もブルーは待っているから」と。
それもしようとしなかった自分。…身体も残さず死んでゆくことが、ハーレイにとってどれだけ辛いか。考えもしないし、気付きさえしない。
現に今まで、あの鶴の話を読むまで思いもしなかったから。
だから分からない、ハーレイの思い。…前の自分の骸があったら、救われたのかは。
本当にどうだったのだろう、と考え込んでしまったこと。前のハーレイの辛さと悲しみ。
前の自分でも分からなかったのに、今の自分に分かるわけがない、と見詰めるハーレイと一緒に写した写真。ハーレイの隣に写ったチビ。
こんなチビでは分からないけれど、それでも知りたい気持ちになる。前のハーレイも鶴と同じに側で守りたかっただろうか、と。
ぐるぐる考え続けていたら、チャイムが鳴った。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね、仲のいいカップルのこと…。オシドリ夫婦ってよく言うでしょ?」
だけどオシドリ、本当は相手を変えるって…。ずっとおんなじ相手じゃなくって、雛が巣立ちを済ませた途端にカップル解消。
次の年には新しい相手を探しに出掛けて、別のカップルになってしまうって…。
「そうらしいなあ、面白いもんだ」
オシドリの夫婦には、ちゃんと伝説もあるんだが…。
狩人に殺された雄の首をだ、しっかりと羽の下に抱えていた雌のオシドリの話とか。
しかし本物のオシドリときたら、お前が言ってた通りなんだよな。毎年、新しい恋をするんだ。
「人間の勘違いだよね。でも…。丹頂鶴は相手を変えないんだって」
本当に本物のオシドリ夫婦で、つがいになったら、ずっと一緒。
相手が死んでしまわない限りは、一生、おんなじ相手と暮らしていくって…。
「鶴の仲間はそうだと聞くが?」
丹頂鶴に限らず、どれも。…この地域で繁殖している鶴は、丹頂鶴しかいないそうだが。
渡ってくる鶴なら冬に二種類いるからな、とハーレイが挙げたナベヅルとマナヅル。この地域で子育てはしないけれども、どちらも相手を変えない鳥。一度つがいになったなら。
丹頂鶴でなくても、鶴の仲間はそういう習性を持つらしい。ハーレイは知っているようだから。
「じゃあ、相手が死んでも離れないって、知ってた?」
パートナーが死んじゃった時。…直ぐに飛んでは行かない、ってこと。
「暫くは其処にいるらしいな?」
他の鳥なら行っちまうのに、相手を変えない鳥となったら愛情深いというわけだ。
「暫くじゃないよ…!」
ちょっとどころか、うんと長く側にいるんだよ。…キツネやカラスを追い払いながら。
そういうのが死体を食べちゃわないよう、翼を広げて脅かしてみたり、クチバシでつついて。
食事の時には離れて行くけど、それ以外は側で守るんだって。…骨になっても、まだ側にいて。
雨とか雪で死体がすっかり消えてしまうまで、ずっと守って、側で過ごして…。
姿が見えなくなって初めて、何処かへ飛んで行っちゃうんだって。
「そうだったのか…。骨になっても、まだ守るんだな」
さっき話したオシドリの伝説、あれの雌のオシドリが抱えていた首もそうなんだが…。
雌のオシドリを狩人が殺したら、羽の下から骨になった雄の首が出て来るんだが。
まさにそれだな、丹頂鶴。…本当に相手を想ってるんだな、とっくに死んでしまってるのに。
「可哀相でしょ?」
最後まで諦められないんだよ。骨になっても、相手のことを。
消えてしまったら諦めるけれど、それまではずっと、好きだから側にいるんだよ…。
「…忘れられないってことなんだろうなあ…」
ずっと一緒に暮らしてたんだし、その相手を。…好きだったから、守って側にいるんだな…。
可哀相にな、とハーレイも相手を失くした鶴の姿を思い浮かべているようだから。
どんなに寂しいことだろうかと、残されてしまった鶴に同情しているから。
「それでね、前のハーレイなんだけど…」
肝心のことを訊かなければ、と切り出してみたら、怪訝そうな顔になったハーレイ。
「…俺がどうかしたか?」
鶴の話だろ、どうして其処で前の俺の名前が出て来るんだ…?
「ハーレイ、前のぼくの身体、あったらどうした?」
「はあ?」
前のお前の身体って…。ますます分からん、鶴の話はどうなったんだ。
そりゃあ確かに、前のお前は鶴みたいな凄い美人だったが…。
「鶴って…。鶴でもいいけど、その、前のぼくの身体」
メギドで消えてしまうんじゃなくて、ちゃんとシャングリラに戻っていたら。
死んじゃった鶴と同じで動かないけど、ただの死体になっているけど…。
あった方がハーレイ、辛くなかった…?
何も残らずに消えてしまうより、身体が戻った方が良かった…?
「そういう意味か…。鶴とは其処で繋がるんだな」
死んじまったお前の身体を守って、側にいられた方がいいか、と。
最初からすっかり失くしちまうより、鶴みたいに側で守って、眺めて。…俺の気が済むまで。
シャングリラにキツネやカラスは来ないが、お前の身体を守れていたら、か…。
…どうだったろうな、前の俺ならどうしたろうなあ…。
知らなかった方が良かったくらいの最期だしな、と呻いたハーレイ。
前の俺は何も知らないままで終わってしまったんだが、と。
「…お前、キースに何発も撃たれちまったし…。右目まで潰されちまったし…」
もう血まみれで、その上、お前は死んじまった後で…。
そんな身体が戻っていたなら、俺はキースを決して許せはしなかったろう。…今以上に。
お前をそういう風にしたのが誰かは、直ぐに想像がつくからな。
死んじまったお前を抱き締めて泣いて、泣きながら「殺してやる」と怒鳴って。
…恋人同士だったとはバレないだろうな、お前が俺の友達だったことは誰でも知ってる。いつも敬語で話していたのは、お前がソルジャーだったからだ、ということも。
どんなに怒って泣いていようが、誰も疑いはしないだろうし…。
キースを憎んで憎み続けて、八つ裂きにするほど憎んだろうな。…いつか必ず殺してやる、と。
「…ホント?」
だけど、キースを殺せるチャンスは無くって、そのまま地球まで行っちゃったから…。
地球に降りたら、殴ってた?
前から何度も言っているものね、「キースを殴り損なった」って。
キースが前のぼくに何をしたのか知らなかったから、殴る代わりに挨拶した、って…。
「ああ、間違いなく殴っていたな」
顔を見るなり、派手にお見舞いしただろう。…会談の前であろうが、何だろうが。
あいつの顔が歪むくらいに、俺の全身の力をこめて。
…だが…。
それで片付いていたんだろうか、とハーレイは腕組みをして考え込んだ。
今まで引き摺って嫌う代わりに、あそこで一発殴って終わりになっただろうか、と。
「前の俺もキースを憎んではいたが…。前のお前が死んじまったのは、キースのせいだし」
あいつがメギドを持って来なけりゃ、俺はお前を失くさなかった。
キースのせいだ、と憎み続けて地球まで行ったが、それだけのことだ。
俺は恨みのぶつけようが無くて、憎み方さえ知らなかった。…憎いと思っていただけで。
前のお前がどうなったのかを知らなかったせいだ、そうなったのは。
…もしも、血まみれで死んだお前の身体を見ていたら。
泣きながら抱き締める羽目になっていたなら、誰に憎しみをぶつけるべきかはハッキリしてた。
お前を残酷に撃ち殺したキース、あいつも同じ目に遭わせてやると。
殺せないなら、殴るまでだ。…お前の痛みの一部だけでも味わうがいい、と。
多分、右目にお見舞いしたろう、渾身の力をぶつけてな。…目の周りにアザが残るようなのを。
会談の時にキースの顔が腫れていようが、アザがあろうが、知ったことか。
…しかし、それでスッキリしたのかもしれん。仇は討った、と。
その一発で俺は恨みを晴らしてたかもな、国家主席の顔に立派なアザを作って。
今日まで憎み続ける代わりに、一発殴って「これで終わった」と。
前のお前が撃たれた分を見事に返してやった、と会談の席で国家主席のアザを眺めて満足して。
…あの会談が始まる前には、全宇宙規模で中継していたんだから。
キースの顔のアザってヤツもだ、全宇宙規模でお披露目になって、もう最高の晴れ舞台ってな。
「…なんだかキースが気の毒だけど…。今の時代までアザのある写真が残りそうだけど…」
それでハーレイがスッキリしたなら、前のぼくの身体、残ってた方が良かったね。
メギドから戻せるわけがないけど、戻す方法があったなら…。
「そうだな…。俺もその方が良かったかもな」
どんなに辛い思いをしようが、お前を助けられなかったと泣き崩れることになっていようが。
…お前の身体が戻っていたなら、俺はお前に会えたんだからな。
動かなくなった身体だろうが、お前には違いないんだから。
きっと守っていたんだろう、とハーレイが呟く。
そういう身体が戻って来たなら、弔った後も、白いシャングリラに残しておいて。
「ブルーは最期まで、地球に行きたいと望んでいたから」と、キャプテンの貌で皆に宣言して。
誰も反対しない筈だから、地球に着くまで、柩に入れて。
「…お前の身体を保存できる柩、作るくらいは簡単だからな」
それだけの技術は船にあったし、やろうと思えばいくらでも出来た。…あの戦闘の最中でも。
外からもちゃんと中を覗けて、少しくらいなら蓋を開けても大丈夫なヤツ。
そういう透明な柩を作って、青の間に置かせておいただろう。あそこがお前の部屋なんだから。
他の仲間も、もちろんお前に会いに出掛けてゆくんだろうが…。
俺が行くなら、誰も来ないような夜中だな。仕事が終わった後に一人で。
…実際の俺は、そんな時間や空き時間に行っては、ナキネズミと話していたんだが…。レインがいなけりゃ、一人でお前と話しているつもりで過ごしてたんだが。
もしも柩にお前がいたなら、お前に話し掛けただろう。
何度も眺めて、柩を開けても大丈夫な間は、お前の手をそっと握ってやって。
…柩の蓋を閉じる前には、お前の手を撫でていたんだろうな。こんな手だった、と。
蓋を閉じても名残惜しくて、外から何度も手を重ねようとしていただろう。
帰る時には「また来るからな」と、お前にきちんと約束をして。
柩の上からお前にキスして、お前の姿を目に焼き付けてから帰って行くんだ。…次に来る時まで忘れないように。目を閉じたら、いつでも思い出せるように。
キャプテンとしてなら、何度でも訪ねて行けるんだろうが…。
恋人として次に訪ねられるチャンスは、いつになるのか分からないしな。
地球に着くまで、何度も何度も、青の間を訪ねて行っただろう、とハーレイは言った。
キャプテンとしての役目とは別に、前の自分の恋人として。
…誰にもそうだと知られないように。誰も青の間には行かない時間に、一人きりで。
ソルジャー・ブルーの友達だったキャプテン・ハーレイの、私的な訪問。今は亡き友と語り合う時間、それだと皆は思うだろうから。
けれど、本当は恋人に会いに。…二度と目を開けてはくれないけれども、恋人だから。
大切な人が眠っているから、その手を握りに、キスを落としに。
時間が許す限り柩に寄り添い、眠り続ける恋人が寂しくないように…。
「…お前は寂しがり屋だったからなあ、寿命が尽きると知った時には泣いてたくらいに」
俺と離れてしまうんだ、って泣いていただろ、前のお前は。
そんなお前が、一人きりで先に死んじまって…。寂しくない筈がないんだからな。
しかしだ、俺は地球に着くまで、お前を追っては行けないんだし…。
出来るだけ側にいてやるより他には、どうすることも出来ないんだから。…地球に着くまでは。
だったら、お前が寂しがらないように訪ねて行っては、側にいないと…。
俺が行かないと、お前、寂しくてシクシク泣いていそうだからな。…独りぼっちだ、って。
「そっか…。ハーレイ、鶴とおんなじだね」
相手が死んじゃった鶴とおんなじ。…いつまでも側を離れない、って。
鶴は餌を食べに行ってる間だけ、側を離れるらしいけど…。ハーレイは仕事の間だけ。
そうでない時は、死んじゃったぼくの側にいるんだね。ぼくはもう、動きもしないのに…。
ハーレイがどんなに呼んでくれても、返事もしないし、目も開けないのに…。
まるでつがいの相手を失くした鶴のようだ、と考えてしまったハーレイの姿。
前の自分の身体はメギドで消えてしまったけれども、それがあったら、そうなったのかと。
ハーレイは動かなくなった前の自分の身体を守って、柩の側に佇んだのかと。
キツネやカラスから守る代わりに、葬らせないよう守り続けて。
「地球に行きたいと願っていたから」と、クチバシでつつく代わりに言葉で守って。
生きていた時の姿そのままで、透明な柩に収めた身体。
鶴が失くしたつがいの相手は朽ちるけれども、朽ちない身体をハーレイは守る。愛おしむようにキスを落として、何度も何度も手を握りながら。
柩の蓋を開けられない時は、柩の上から手を重ねて。
永遠の眠りに就いた前の自分が、青の間で独り、寂しがることがないように。
自分も仕事が忙しいだろうに、せっせと時間を作り出しては、青の間へ足を運び続けて。
相手を失くした鶴は、そうして過ごすから。…骨になっても側を離れず、寄り添い続けて守って過ごす。生涯を共にと願った相手を。
守ろうと寄り添い続けた身体が、雨に流されて消えてしまうまで。白い雪の下に埋もれるまで。
そうなるまでは決して離れない鶴。
ハーレイも同じに、前の自分に寄り添い続けた。…もしも動かない身体が戻っていたならば。
白いシャングリラに、前の自分の柩が置かれていたならば。
本当に鶴とそっくりだね、と繰り返したら、「そうしたかったな」と答えたハーレイ。
「前の俺には夢物語で、今だから言えることなんだが」と。
悲しげに揺れる鳶色の瞳。…「前のお前は戻らなかった」と。メギドに行ってしまったきりで。
「…お前の身体を柩に入れて、俺が守って。…それが出来ていたら、良かったかもな…」
キースを八つ裂きにしたくなるような、血まみれのお前を見ていたとしても。
冷たくなっちまったお前の身体を、抱き締めて泣くことになったとしても。
…もう一度、お前に会えたなら…。あれっきりになっていなかったならば、俺は守った。
お前が返事をしてくれなくても、二度と目を開けてくれなくても。
それでも、お前は俺の側で眠っているんだから。…二度と起きてはくれないってだけで。
眠るお前が寂しくないよう、俺が守ってやらないとな。…お前には俺しかいないんだから。
もちろん、柩に入れる前には、傷が分からないようにしてやっただろう。
ノルディに頼んで、出来る限りのことをしてから、眠っているように目を閉じさせて。
染み一つない綺麗な服を着せてやって、それからそっと寝かせてやって。
…何度も覗きに行ったんだろう。
お前が起きないと分かっていたって、お前の隣で過ごすためにな。
鶴と同じだ、俺にはお前しかいやしない。…他のヤツでは駄目なんだ。お前もそうだろ?
だから、地球まで連れて行ったさ。俺の大事なお前を守って。
…残念なことに、そいつは出来なかったがな…。
お前はメギドに飛んでったきりで、身体も戻って来なかったから。
…鶴みたいに最後まで寄り添いたくても、肝心の身体が無いんじゃなあ…。
前の俺は鶴になり損なったな、とハーレイが浮かべた辛そうな笑み。
出来ることなら、そんな風に鶴になりたかった、と。つがいの相手を失くした鶴に。
「…ごめん…。ごめん、ハーレイ…」
前のぼくの身体、無くなっちゃってて、本当にごめん…。
もしも残ってたら、ハーレイの辛さはマシになってた筈だったのに…。
キースのことだって殴って終わりで、国家主席の顔写真にアザが残っておしまいだったのに…。
ごめんね、ぼくがメギドで死んじゃったから…。ぼくの身体、メギドで消えちゃったから…。
「お前が謝ることじゃない。…前のお前は間違っちゃいない」
何度も言ったぞ、間違えたのは俺の方だと。…お前を追い掛けるべきだった、とな。
そうでなければ、全力でお前を引き止めるかだ。…物分かりのいい顔をして送り出す代わりに。
俺はどっちもしなかったんだし、自業自得というヤツだ。鶴になり損なったのは。
…何の努力もしなかったヤツには、悔やむ資格は無いんだから。文句だって言えん。
それにだ、前の俺は鶴にもなれなかったが、今度はお前と一緒だろうが。
ずっとお前と二人で暮らして、死ぬ時も一緒に死ぬんだろ?
お前、一人で生きたくはなくて、俺と一緒に死ぬんだって言っているんだから。
「うん…。ハーレイと一緒でなくちゃ嫌だよ」
相手を失くした鶴みたいになったら、悲しくて生きていけないもの。
ハーレイといつまでも、何処までも一緒。死ぬ時もハーレイと一緒なんだよ、今度のぼくは。
ずうっとハーレイと二人一緒で、鶴みたいに一緒に暮らすんだよ…。
何処までも一緒、とハーレイの小指と絡めた小指。「約束だよ」と。
「いつかハーレイと結婚する日に、ハーレイとぼくの心を結んでよね」と。
そうしておいたら、きっと心臓が一緒に止まってくれるから。
青い地球での命が尽きても、二人、離れはしないから。
いつか心臓が止まる日が来ても、お互い、鶴の舞は舞わなくてもいい。
つがいの相手を失くした鶴の、悲しい舞は舞わなくていい。
それは要らない二人だから。
鶴の舞は愛を確かめ合うだけ、そのためだけに舞うのだから。
生まれ変わって来た青い地球の上で、最後までずっと、手を繋いだまま。
地球での満ち足りた生を終えたら、元来た場所へと、二人で還ってゆくのだから…。
鶴のように・了
※一生、相手を変えない鶴。パートナーが死んでしまっても、その側を離れずに守る鳥。
前のブルーの亡骸が船に戻っていたなら、ハーレイもそうした筈。叶わなかったのですが。
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