シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(赤ちゃんにピアス…?)
こんなに小さい赤ちゃんなのに、とブルーが眺めた新聞の写真。学校から帰って、ダイニングで広げてみた新聞。おやつのケーキを食べ終えた後で、熱いミルクティーを飲みながら。
とても小さな赤ちゃんの耳にキラリと光っているピアス。両方の耳に。
ほわほわとした笑顔からして、まだ泣くか笑うかしか出来なさそうな女の子。けれど、一人前に両耳にピアス。本当にとても小さいのに。
(…もうお洒落するの?)
ベビーカーでお出掛けするのに、お洒落するのかと思ったら…。
そうではなかった、赤ちゃんのピアス。様々な文化を紹介するコラム。ピアスは女の子のための魔除けのお守り、地域によって違う文化の一つだという。
SD体制が崩壊した後、復興して来た幾つもの文化。蘇った地球では、遠い昔の地域に合わせて多様な文化が息づいている。もちろん、今の時代に馴染む形で。
赤ちゃんのピアスもそれだった。カメラの方を見ている愛くるしい子。
手が動くようになってからピアスの穴を開けると、耳をいじってしまうから。化膿したりすると大変だからと、その前に開けるピアス穴。生後三ヶ月以内が普通。
地域によっては七日目だとか、生まれて直ぐに病院で開けてしまうとか。
魔除けの習慣がある地域だと、当たり前のように赤ちゃんにピアス。小さい間に。
てっきりお洒落だと思っていたから、まじまじと眺めてしまった写真。魔除けのピアス。
(ちょっとビックリ…)
今の自分が住んでいる地域には無い文化。遥かな昔は日本という島国が在ったらしい場所。
此処ではピアスは、もっと大きくなってから。赤ちゃんの耳にピアスは無い。
大人の女性でも、ピアスの穴を開けるのは怖いと、イヤリングにしている場合も多いのが此処。母もつけるならイヤリングだから、普段は耳に無い飾り。お洒落して外出する時だけ。
だから余計に、赤ちゃんのピアスもそうだと思った。お洒落なんだ、と。まだ小さいのに。
(此処だと、学校はアクセサリー禁止…)
義務教育の間は、学校につけて行けないアクセサリー。登校する途中で編んだ花冠やら、可愛い花を繋ぎ合わせたネックレスならば別だけれども。
それ以外は駄目な規則なのだから、ピアスをつけた子だっていない。そういう文化を持った地域から転校生の女の子が来たら、出会えそうだけれど。
色々な地域の文化が大切にされているから、「外しなさい」とは言われない時代。その子だけはきっと例外扱い、他の女の子に羨ましがられることだろう。「とってもお洒落」と。
(ホントに文化が色々あるよね)
今はいっぱいあるんだから、と新聞を閉じて、コクリと飲んだミルクティー。
前の自分が生きた頃とは、まるで違っている時代。あの頃は機械が統治しやすいよう、消されてしまっていた多様な文化。人が個性を持ち始めたなら、機械の手には負えないから。
時代はすっかり変わったよね、と二階の自分の部屋に帰って。勉強机の前に腰掛けて、さっきの写真を思い浮かべた。幸せそうだった小さな赤ちゃん。耳にピアスの女の子。
(赤ちゃんのピアス…)
前の自分が生きた時代は無かった習慣。
子供は人工子宮から生まれて、養父母の所へ配られた時代。人工子宮から生まれた途端に、耳にピアスをつけてくれたりはしなかった機械。生きてゆくのに必要なものではないのだから。
赤ちゃんを受け取った養父母も同じで、教育ステーションで教わらなかったことなどはしない。養母の耳にピアスがあっても、育てる子供の耳にピアスをつけようなどとは思わなかった。
そもそも、お守りでさえもなかったピアス。魔除けのお守りも無かった時代。
(キースの場合は…)
お守りだったかもしれないけれど。
有名な、サムの血のピアス。SD体制を壊した英雄の一人、キースの耳に光っていたピアス。
教育ステーション時代のキースの親友、サムの血を固めて作られた赤いピアスは、今の時代まで語り継がれている。国家主席に昇り詰めても、キースの耳には赤いピアスがあったから。
いつでもサムと一緒だったキース。最後まで友情を忘れなかったキース。
そういう優しさを秘めていたから、彼は時代を変えられたのだ、と。
歴史の授業では必ず教わる、キースの赤いピアスの正体。ナスカから後の時代の写真は、どれもピアスをつけたものばかり。
あれはお守りだったのだろうか、「いつでもサムと一緒なのだ」と。メンバーズだったキースの周りはライバルだらけで、友達はいなかっただろうから。
本当の友達は此処にいるのだと、サムの血のピアスをつけていたなら、お守りの一種。
どんな窮地に追い込まれた時でも、心で語り掛けられる親友。「お前ならどうする?」と相談をしてみたりして。
元気に生きている友達だったら、語り掛けても自己満足でしかないのだけれど。
サムは心が壊れてしまって、子供に戻っていたという。もういなかった、教育ステーションでのキースの友達。色々と相談出来た友達。
友達だったサムの心を、キースはピアスに託しただろうか。「今も一緒だ」と。
相談したいことがあるなら、サムに。…ピアスに心で語り掛けて。
サムが答えるだろう言葉を思い浮かべて、そうして前へと進んだろうか。壊れる前のサムの心は何処へでも飛んでゆけたから。…身体から自由になっていたから。
もしもキースがそうしていたなら、あのピアスはやっぱりお守りだよね、と考えたけれど。
サムの血のピアスをつけたキースの写真を、頭の中で眺めたけれど。
(…前のぼく、知ってたんだっけ?)
キースがつけていたピアスの正体。それは友達の血を固めたものだと。
メギドで撃たれた時はピアスどころではなかったから、と格納庫での記憶を手繰った。キースが脱出するなら此処だ、と先回りして待った格納庫。
あの時はまだ、キースの名前も知らなかった自分。「地球の男が逃げた」と大騒ぎだった仲間の思念を拾っただけだったから。
フィシスとトォニィを人質に取って、キースはやって来たけれど。
これが問題の「地球の男」かと、物騒な気配を漂わせるキースに向かって歩き出したけれど。
(…ピアス自体に気付いてなかった…?)
どうもそういう気がして来た。
フィシスとトォニィを助けなければ、と意識はそちらに向いていたから。名前も分からない敵の瞳をしっかりと睨み据えただけ。逃すものか、と。
(瞳の色は覚えているけど…)
アイスブルーだったキースの瞳。けれど、それしか記憶に無い。
キースの瞳を睨んでいたなら、耳などは見ていないから。ピアスに気付く筈も無いから。
今は有名なサムの血のピアス。歴史の授業で教わるほどに。
けれど、ジョミーですらも気付きはしなかった。前の自分よりもずっと長い時間、キースと対峙していたのに。ナスカにやって来たキースと戦い、シャングリラで捕虜にしていたのに。
(…あのピアスがサムの血だったこと…)
ジョミーは気付かないままだった。サムはジョミーの幼馴染で、懐かしい友達だったのに。そのせいでサムはマザー・システムにプログラムを仕込まれ、心を壊されてしまったのに。
もしもジョミーが、キースのピアスに気付いていたら。
その正体を見抜いていたなら、事情は変わっていたかもしれない。キースに対する接し方から、話す内容まで変わったろうから。
それと同じで、前の自分も…。
(キースのピアスに気付いていたら…)
きっと注目しただろう。あれは何かと、赤いピアスに。
そうなっていたら、あのピアスからスルリと入り込めただろう。キースの心に、もっと深く。
どうしてピアスをつけているのかと、それを探っていたならば。
意味があるのかと、キースの心に尋ねていたら。
ピアスについて尋ねていたなら、きっと返っていただろう答え。あの一瞬に。
前の自分はキースの心に入り込んだし、フィシスと同じイメージまでをも読み取ったのだから。
つまりはキースの一番奥まで入り込んだ証拠。
其処で「あれは?」と問えば容易く得られた答え。「友達の血だ」と。
(…その友達がサムだってことも…)
キースは答えたのかもしれない。意識の奥底、其処にいる友が誰なのか。
それを自分が読み取っていたら、あるいは変わっていたかもしれない。色々なことが。
最終的にはシステムに逆らい、SD体制を壊したキース。その時期がもっと早くなったとか。
キースはメギドを持ち出すことなく、ナスカから去って行ったとか。
前の自分もサムを知っていたし、話の糸口は掴めただろう。キースの誤解を解くことも出来た。
「サムを壊したのは、ミュウではない」と。「ジョミーは友達を壊しはしない」と。
目覚めたばかりの前の自分は、ジョミーと再会したサムが何をしたのかは知らなかったけれど。それでもジョミーがサムを壊しはしないことは分かる。
だから、キースを説得したろう。「君は何かを誤解している」と。
ジョミーを呼ぶから少し待ってくれと、そうすればきっと分かるから、と。
けして馬鹿ではなかったキース。そう話したなら、恐ろしい目で睨みながらも待っていたろう。どういう言い訳をするつもりなのか、真相を自分で見極めねば、と。
(待ってくれるなら…)
自分も人質になっても良かった。「間違っていたなら、ぼくを殺せ」と。
キースに銃を突き付けさせて。「駄目だった時は、ぼくを人質にして脱出しろ」と。
けれど、キースとは話せなかった。…サムの血のピアスに、前の自分は気付かなかった。
(…ピアス、飾りだと思っていたから…)
視界の端で捉えたとしても、気にさえ留めていなかったろう。ピアスがあるな、と思う程度で。
(多分、ピアスは見ていたんだよ…)
敵の全てを把握するのは鉄則だから。どんな姿か、どれだけの力がありそうなのか。
キースが武器を持っているのか、倒すとしたら何処を狙うか。…瞬時に全てを見ただろう自分。耳のピアスも当然、見た筈。「無意味な物だ」と切り捨てただけで。「ただの飾りだ」と。
そんな具合だから、まるで記憶に無いピアス。…格納庫でも、メギドで撃たれた時にも。
あの時代には、お守りの意味が無かったピアス。
キースがしていたピアスの他には、多分、一つも。…そういう文化は無かったから。
(…大失敗…)
前の自分が犯した過ち。キースのピアスを目にしていながら、少しも注目しなかったこと。
「あれは何か」と思いさえすれば、きっと全ては変わったろうに。
ピアスがお守りだった時代を、前の自分が知っていたなら。
ただの飾りではないものなのだと、知識だけでもあったなら…。
キースのピアスをチラリと眺めていただろう。飾りか、そうではないのかと。
今から思えば、「地球の男」がアクセサリーを好む筈がない。任務には必要無いものだから。
そのピアスをキースがつけていたこと、それ自体が不思議だったのだから。
前の自分は、飾りだと思ってしまったけれど。…そういう時代だったのだけれど。
(…エラたちだって…)
飾りとしてピアスをつけていたのだった。お守りではなくて。
今の自分が新聞で見た小さな赤ちゃん、その耳にあった魔除けのピアスとはまるで違って。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたピアス。飾りだったピアス…。
生き地獄だったアルタミラ。メギドの炎に滅ぼされた星から、命からがら脱出した船。
ようやっと落ち着き、船の名前もシャングリラと変えて、暗い宇宙を旅していた頃。前の自分が奪った物資に、ピアスが幾つか紛れていた。衣料品などを収めたコンテナの中に。
誰も見たことが無かったピアス。それぞれ違う色や形や。
「なんだい、これは?」
変なものだね、とブラウが指でつまんで眺めた。物資の処分を考える席で。
「アクセサリーらしいよ。ピアスと言ってね」
女性向けの、と話したヒルマン。既に調べて来ていたらしい。多分、ハーレイから聞いて。まだ前のハーレイは備品倉庫の管理人だったし、物資の仕分けをしていたから。
ヒルマン曰く、ピアスは耳につけるもの。耳たぶに小さな穴を開けて。
「耳に穴ですって? とんでもないわ…!」
怖い、と叫んだのが若かったエラ。自分の耳たぶを手で隠しながら。
「そうかい? 面白そうだけどねえ?」
どんな感じになるんだろうね、と耳たぶに当ててみたのがブラウ。ピアスを一つ取ってみて。
「似合いそうかい?」と、おどけてみせたりもして。
今すぐ役には立たないけれども、残しておこうということになった。大して取らない保管場所。備品倉庫の隅に置いても、全く邪魔にはならないから。
とりあえず専用の箱を設けて、その中に入れて終わったピアス。これで良し、と。
それからもピアスは少しずつ増えた。衣料品を奪った時に、それに混じって。恐らく、女性用の服に合わせて似合いの物を詰めていたのだろう。服とセットで売れそうな物を。
服とセットにするくらいだから、宝石や貴金属ではなかったけれど。ただのアクセサリーでしかなかったピアス。混じっていたら、専用の箱に入れるだけ。
ところが、ノルディが医者の仕事を始めて暫くした頃。
「どうだい、これは?」
似合うかい、と得意げに現れたブラウ。その耳に光っていたピアス。小さな金色。
「ブラウ…!」
開けちゃったの、と驚いたエラ。耳たぶに穴を開けるなんて、と。
けれど、ブラウは全く気にしていなかった。むしろ自慢で、「やっと開けたよ」と言ったほど。初めてピアスに出会った時から、機会を狙っていたらしい。どうやって穴を開けたものかと。
其処へ登場したノルディという医者。いわゆる資格は持っていないけれど、データベースで得た情報を元に、薬を処方し、怪我の治療も見事にこなした。
そのノルディなら、と目を付けたブラウ。「耳にピアスをつけたいんだけどね?」と。
相談されたノルディは医者として調べ、安全に穴を開ける方法を見付け出した。それに道具も。
ブラウはいそいそと第一号の患者になって、ピアス穴を開けたという次第。両方の耳に。
こうして好奇心旺盛なブラウがつけ始めたピアス。最初はポツンと小さな金色。キースのピアスよりずっと小さな、控えめなもの。それはノルディのアドバイスで…。
「少しずつ大きくするんだってさ、ピアスってヤツは」
開けて直ぐには、このくらいのヤツがいいらしいよ。耳に負担がかからないから。
もっと洒落たのがいいんだけどねえ、急がば回れって言うからね。…まあ、見てなって。
日が経つにつれて、「今日はデカイの」と大きくなっていったブラウのピアス。備品倉庫の例の箱から選び出しては、少しずつ。
それが不思議に似合っていた。白やら青やら、ブラウの耳を彩っていたピアス。そして…。
「ありゃ、エラもかい?」
怖がってたくせに、と驚いたブラウ。
ある日、エラの耳にも小さなピアスが光っていた。ブラウが最初につけていたのと同じ金色。
前の自分も驚いたけれど、ゼルたちによると女心というものらしい。
「綺麗になりたいものらしいぞ。女ってヤツは」
ああして、耳に穴を開けてもかまわんようだ。それで綺麗になれるんならな。
「ふうん…?」
そういうものか、と見ていた間に、増えていったピアス。他の女性たちもつけ始めたから。備品倉庫の箱を開けては、つけたいピアスを見付け出して。
それで自分の耳を飾るために、ノルディに穴を開けて貰って。
白い鯨が出来上がる頃には、エラのピアスも立派になった。宝石で出来てはいなかったけれど、雫の形をした紫。エラのお気に入りでトレードマーク。
ブラウのはとても大きくなった。遠目にも分かる、金色の輪っか。
どちらも二人に似合っていた。長老の服のデザインにも。
他の女性たちの耳にも、それぞれ好みで選んだピアス。色も形も、大きさだって。
(飾りなんだ、って思ってたから…)
フィシスが大きく育った時にも、似合うピアスをつけさせた。
耳たぶに穴を開けるのをフィシスは怖がったけれど、メディカル・ルームに付き添って行って。
手を取ってやって「痛くないよ」と宥める間に、ノルディがピアスをつける穴を開けて。
(フィシスのピアスも大きくて、立派…)
最初は小さなものから始めて、少しずつ大きくしていった。フィシスに似合う華やかなものに。
お守りではなくて、飾りだったから。
ピアスは女性の顔を彩るためのもの。もっと綺麗になれるようにと。
アルテメシアで保護した子供たちだって、大きくなったらピアスをつけたりしたものだから。
耳たぶに穴を開けるのを怖いと思わない子は、「早くつけたい」と憧れていたほどだから。
(勘違い…)
前の自分が勘違いしていた、キースのピアス。
赤いピアスに気付いたとしても、飾りなのだと。ピアスに意味などありはしないと。
ピアスがお守りだった時代を、全く知らなかったから。飾りだと頭から信じていたから。
そのせいで見逃してしまったピアス。目にした記憶も持っていないほどに。
あれはサムの血だったのに。…注意していたら、そうだと分かった筈だったのに。
(ぼくの馬鹿…!)
すっかり手遅れなんだから、と唸っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、向かい合うなり、切り出した。
「ねえ、シャングリラのピアスは飾りだよね?」
「飾りって…。シャングリラはピアスをつけていないが?」
それともピアスは宇宙船用の専門用語か、とハーレイは勘違いしてくれたから。
「船じゃなくって…!」
ピアスをつけるのは人間だよ!
女の人たちはつけていたでしょ、いろんなピアスを…!
「なんだ、ブラウたちか」
あいつらのピアスか、それが飾りかと訊いてるんだな?
「うん…。飾りだったよね、みんなのピアス」
エラも、ブラウも、他のみんなも。…だからフィシスにもつけさせてたし…。
「飾りだったが? 最初は前のお前が奪った物資に紛れてたヤツで…」
その内に船でも作り始めて、手先の器用なヤツらが色々なのを作ってたよな。
残念ながら、本物の金だの宝石だのとは全く無縁なピアスだったが。…値打ちってヤツは無いも同然、単なる飾りに過ぎなかったが…。
あの船のピアスがどうかしたのか、とハーレイが首を傾げるから。
「んーとね…。ピアス、今はお守りなんだってね?」
ぼくたちが住んでる所だと、今もやっぱり飾りだけれど…。
他の地域だと、お守りにしている所もあるって。赤ちゃんの頃から魔除けのピアス。…女の子が生まれたら、その病院でピアス用の穴を開けてくれるくらいに。
「そうらしいな。可愛らしい写真をよく見掛けるしな」
俺は本物も何度か見てるぞ、旅先とかで。…あれはなかなか可愛いもんだ。
親心ってヤツだな、子供にお守り。チビの間は、自分でピアスをつけられないのに。
「そっか…。お母さんが世話してあげないと駄目だね、気を付けて耳を洗ってあげたり」
つけておしまいってわけにはいかないね、赤ちゃんのピアス。…色々大変。
えっとね、その赤ちゃんのピアスで気が付いたんだよ、お守りのためにつけてるピアス。
キースのピアスもそうだったっけ、って。
「…サムの血か…」
あいつのピアスと言えばそうだな、サムの血のだな。
「ハーレイ、もしかして、知ってたの?」
あのピアスが何で出来ていたのか、知っていたわけ…?
「…今の俺がな」
歴史の授業で教わるだろうが。…キースがつけていたピアスには意味があるんだ、と。
友達だったサムの血だってことも。
ただの飾りじゃないってことをだ、しっかりと叩き込まれるってな。…だが…。
前の俺は何も知らなかった、とハーレイは深い溜息をついた。
ジョミーが捕えたキースを何度も目にしていたのに、血のピアスには気付かなかった、と。
「ぼくもだよ…。格納庫とメギドでしか見ていないけどね」
メギドの時には、見てる余裕も無かったけれど…。格納庫だったら見た筈なんだよ。
とにかくキースを倒さなくちゃ、と思っていたから、隙のありそうな場所を探してた筈。何処を狙って攻撃するのが効きそうか、って。
…前のぼくだから、一瞬で全部見られた筈。それこそ、頭の天辺から爪先までね。
きっとピアスも見たんだと思う、「耳には赤いピアスをしてる」って。
なのに、それだけで済ませたんだよ。…どうしてピアスをつけているのか、考えもせずに。
飾りなんだと思っていたから、それっきり。…お守りだった時代を知らなかったから。
知っていたなら、変だと思って探っていたよ。キースの心に入り込んだ時に。
「その耳のピアスは何のためだ?」って質問を投げて、キースの答えも掴んでた。友達の血だということを。
「なるほどな…。前のお前なら出来ただろうな」
あいつの心に入ったんだし、その答えだって聞き出せただろう。…しかし、そいつを考えないで放っておいた、と。ただの飾りだと思っちまって。
「…大失敗だよ、凄いチャンスを無駄にしちゃった…」
キースの友達の血だってトコまで掴んでいたなら、サムだってことにも気が付いたんだよ。前のぼくはサムを知ってたんだし、絶対、結び付いてたよ…。あのピアスとサムが。
あれがサムの血だと分かっていたらね…。色々変わっていたんだと思う。
キースを引き止めて、説得して。…ジョミーと話をしてくれるように頼んでみて。
ちゃんとジョミーと話していたなら、キースの考え、変わっていたと思わない…?
「確かにな…」
敵同士としてしか話してないのが、あの時のジョミーとキースってヤツだ。
其処に友達が絡んで来たなら、お互い、態度が変わっただろう。…共通の友達なんだから。
同じ友達を持っていたんだ、どうして敵同士になってしまったかを二人とも冷静に考えたろう。
…そしたら分かっていた筈なんだ。キースの方にも、誰のせいでサムが壊れたのかが。
マザー・システムのせいだと分かれば、キースの恨みの矛先も変わってくるからなあ…。
前の俺も失敗したようだ、とハーレイが眉間に寄せた皺。やり方を間違えちまったな、と。
「…分析に回すべきだった。キースのピアスを」
そうすりゃ、血だと分かっていたんだ。…それが分かれば、後はジョミーの仕事になる。
ジョミーの力は、前のお前よりも遥かに粗削りってヤツではあったが…。
トォニィを使ってキースの心に入り込んだほどだし、あのピアスからでも入れただろう。上手い具合に持って行けばな。
入り込んだら、誰の血なのかも簡単に分かる。…キースがサムの友達だったことも。
後はお前がやろうとしたのと、全く同じ展開だな。ただし、ジョミーが直接話す、と。
「それって、効果があっただろうね…」
トォニィがキースを殺そうとした時よりも前になるんだし、キースは捕虜になってただけで…。
逃げなきゃ命が危ないってトコまで行っていないし、殺気立ってもいないしね。
ぼくが間に入らない分、じっくり話も出来てたのかも…。サムの思い出まで話せてたかも。
「まったくだ。…サムの友達として出会っていたなら、あの二人だって違っただろう」
最初は確かに敵同士なんだが、「昨日の敵は今日の友」って言葉もあるからなあ…。
サムを切っ掛けに打ち解けていた、って可能性はゼロではないだろう。
いきなり仲良く友達同士とはいかなくっても、キースがメギドを持ち出そうとしない程度には。
ソレイドに帰って報告してから、時間稼ぎをしたかもしれん。…俺たちがナスカから逃げるのに充分な時間を、つまらん報告なんかで作って。
…あいつのピアスに、俺も気付いているべきだった。
捕虜の身体検査ってヤツは、ジョミーでなくても、キャプテンの権限で出来たんだから。
分析に回し損なっちまった、と悔しそうな顔のハーレイも飾りだと思っていたらしい。
キースが耳につけていたピアスは、エラやブラウのピアスと同じで飾りなのだと。
「…仕方ないよね、ハーレイがそう思っちゃうのも…」
シャングリラでなくても、あの時代のピアスは飾りの意味しか無かったから…。
お守りのピアスをつけていた人は、何処を探してもいなかったような時代だから…。
ヒルマンやエラは知識があったかもしれないけれども、お守りのピアスが無かった時代だし…。あの二人だってピンと来ないよ、キースのピアス。
あれを外して分析させよう、って思うわけがないよ、意味があるなんて考えないもの。
…ハーレイだって、アクセサリーだと思っていたから、ピアス、外させなかったんだし…。
もしも外して「分析班に回せ」って言っていたなら、直ぐに血だって分かったのに…。キースの心に入る切っ掛け、ジョミーに教えられたのに。
何もかも、ホントに手遅れだね…。
キースはとても分かりやすいヒントを耳につけてたのに、誰も気付かなかっただなんて。
「…手遅れだとしか言いようがないな…」
今頃になって嘆いた所で、時間ってヤツは逆さに流れてくれないんだが…。
戻れるものなら、あそこに戻って「ピアスを外して調べてみよう」と思いたいもんだ。
…捕虜の持ち物は徹底的に調べるべきだと、服もピアスも全部外して調べちまえ、と。
失敗だった、と呻くハーレイが、あの時、ピアスを外させていたら。分析班に回していたなら、何かが変わっていたのだろうか。
でなければ、前の自分が気付くとか。キースのピアスには何らかの意味がありそうだと。
「…前のぼくだって、大失敗だよ…」
これを考えたのは今のぼくだけど、キースみたいなメンバーズ・エリート。
…ブラウたちみたいに「綺麗になりたい」って思うわけがないし、ピアスは変だよ。任務の役に立つならともかく、飾りなんだよ?
なのにピアスをつけてた時点で、怪しいと思うべきだったんだよ。どうしてだろう、って。
「…そうなんだろうが、飾りだと思っていたからなあ…」
あれは飾りだと思っちまった、少しも怪しいと思いもせずに。
ジョミーだって俺と同じだろうさ、調べさせろと言わなかったんだから。…ピアスはピアスで、それ以上でも以下でもないと言った所か、ジョミーにしても。
エラのピアスは紫色で、ブラウのピアスはデカイ金色。そいつの続きでキースのは赤、と。
前の俺はそんな風に見てたんだろうし、ジョミーも、他のヤツらも同じだ。…ひょっとしたら、エラやブラウは笑っていたかもしれないな。キースのセンスを。…似合っていない、と。
「…似合っていたとは思うけどね?」
国家主席になってからだと、赤いピアスより青とかが似合うかもしれないけれど…。
若い頃なら赤でいいと思うよ、顔立ちにしても、服の色にしても。
…だから余計に見落としてたかな、飾りなんだと思い込んじゃって。…似合っていたから。
あれが似合わない服を着てたら、前のぼくでも少しは変だと考えてたかも…。変な飾りだから。
だけど、やっぱり飾りだとしか思わないみたい。…前のぼくだと。
今の時代なら、お守りの所もあるのにね…。
ピアスをつけてるキースを見たなら、飾りよりも先に、そっちを考えそうなのに…。
「俺もだな。今なら、飾りだと思うよりも先に、意味があるんだと考えるだろう」
ミュウと戦うつもりで来るのに、飾りなんぞは要らないんだから。
どう考えてもお守りだろう、と考えた上で、外させる。…お守りを取られたら動揺するしな。
外したからには、ついでに分析。…そして血なんだと分かるっていう寸法なんだが。
残念だった、とハーレイも悔やむキースのピアス。今の自分も惜しくなるピアス。
どうしてあの時、飾りだと思ってそれを逃してしまったのかと。
もしも正体が分かっていたなら、全ては変わっていたのだろうに。サムの血で作られたキースのピアスは、それだけの力を持っていたのに。
(…サムの血のピアス…)
多分、あの時代にお守りの意味を持っていた唯一のピアス。
お守りとしてピアスをつける文化は無かった時代で、飾りのピアスしか無かった時代。
サムの血と一緒に生きたキースがつけていたのが、きっと最初で最後だろう。SD体制の時代に使われたお守りとしてのピアスは、多分、あれだけ。
…つけていたキースは、フィシスと同じで、機械が無から創った生命体。SD体制が生み出したもので、あの時代にしか生まれなかった人間。その技術は廃棄されたから。
文字通りにSD体制の申し子だったキース。彼がつけていた、お守りのピアス。
それを思うと、不思議な気持ちになってくる。
SD体制を崩壊させた英雄の一人、文化を先取りしていたキース。
今の時代はお守りになっているピアス、それを誰よりも先にお守りとして使ってみせた。
機械が創った生命とはいえ、誰よりも人間らしかったキース。…友達のサムを大切に思い、彼の血と一緒に生きていたキース。
彼は文化を先取りしたのか、あるいはピアスはお守りなのだと知っていたのか。
メンバーズになったくらいなのだし、何処かでそういう記録に触れて。
「ねえ、ハーレイ…。どっちだと思う?」
キースはピアスがお守りだった時代を知っていたのか、知らなかったのか。
…お守りなんだと知っていたから、サムの血のピアスをつけてたと思う?
それとも、偶然だと思う?
キースのピアスは、お守りみたいな意味を持ってたみたいだけれど…。
ピアスがお守りだった時代を、キースは知ってて真似したのかな…?
「さてなあ…?」
俺に訊かれても困るってモンだ、俺はキースじゃないんだし…。
第一、俺はあいつが嫌いで、今も許してないんだが?
もっとも、お前はキースを嫌ってないからなあ…。俺に分かる範囲で答えてやろう。
…あのピアスのことは、誰に訊いても分からんぞ。
キースは一切、記録を残してないからな。…そういうプライベートなことは。
あいつの日記とか、そういったものは何も残っていないってな。
だから分からん、あのピアスのことも。…どういう気持ちでつけていたのか、作らせたのかも。
それについても残念ってトコだ、せっかくお前が目を付けたのにな…?
チビのお前は好きに想像するがいいさ、とハーレイから返って来た答え。
キースは記録を残さなかったから、今も真相は分からない。
歴史を変える力を秘めていたピアス。…飾りではないと、前の自分たちが気付いていれば。
ジョミーの、キースの友達だったサム。彼の血を固めて作られたピアス。
今では歴史の授業で教わるくらいに、有名になったサムの血のピアス。
それをキースは最期まで耳につけていた。地球の地の底で命尽きるまで。
ピアスにはお守りの意味があるのだと知っていたのか、偶然そうなっただけなのか。
答えは永遠に分からないけれど、今の時代はピアスはお守り。
生まれて間もない赤ちゃんの耳に、小さなピアスが光る地域もあるのだから。
優しい魔除けのお守りのピアス。赤ちゃんを守る小さなお守り。
そういう文化が戻った世界で、青い地球の上で、ハーレイと二人で生きてゆく。
お守りのピアスをつけた小さな赤ちゃん、そのピアスを赤ちゃんにつけてあげた親たち。
誰もがミュウになった世界で、ハーレイと二人。
キースのピアスの意味には気付き損ねたけれども、ちゃんと地球まで来られたから。
青く蘇った水の星の上で、また巡り会えて、いつまでも何処までも一緒だから…。
ピアスの意味・了
※今の時代は、お守りにもなっているピアス。シャングリラの時代にも存在していた耳飾り。
キースもつけていたのですけど、その正体に、前のブルーたちが気付いていたなら…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(綺麗…!)
鶴だ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
頭の天辺が赤い丹頂鶴の写真。つがいなのだろう、真っ白な雪原で翼を広げて向かい合う二羽。すらりと伸びた首と、長い足と。黒い羽根が混じった大きな白い翼。
(この鳥だけなんだ…)
地球が一度滅びてしまうよりも前、日本と呼ばれた小さな島国。その国があった辺りだとされる地域、其処で繁殖する鶴は。他にも鶴はいるらしいけれど。
人間がまだ地球しか知らなかった時代、その頃から日本で子育てをする鶴は丹頂鶴だけ。そして日本では最大の鳥。今も昔も。
背の高さは百四十センチもあるというから、チビの自分とあまり変わらない。翼を一杯に広げた時には二メートル以上、ハーレイの背よりもまだ大きい。
なんて大きな鳥なのだろう、と感心して読んでいったのだけれど。
(…一度、滅びかけて…)
絶滅したとも思われた鳥。人間に乱獲されてしまって、姿が何処にも見えなくなって。
その姿がミュウと重なった。前の自分が生きた時代の。…人間に狩られ、殺されたミュウたち。
(人間って、ずっと昔から、こう…)
自分たちの勝手で、生き物を死へと追いやった。最後は母なる地球までをも。今の時代は誰もがミュウで、愚かなことはしないけれども。
滅びかかった丹頂鶴。いなくなったと思われた鳥は、再発見されて保護されたという。
たった十羽とも、十数羽とも伝わる群れ。釧路湿原の鶴居村で見付かり、狩られはせずに。
元のように数を増やしてゆこうと、努力を重ねた人間たち。餌が少なくなる冬にトウモロコシを与えたりして、飢死を防いだのが効いたという。
湿原で暮らす丹頂鶴。サルルンカムイ、遠い昔のアイヌの言葉で「湿原の神」。
ふうん…、と読み進めていった記事。残念なことに、この辺りでは出会えないらしい。北の方へ旅をしない限りは、同じ地域の中でも無理。
丹頂鶴の寿命は三十年ほどで…。
(一生、相手を変えないの?)
そんなに長く生きるというのに、つがいになったら一生を共に暮らしてゆく。毎年、一緒に雛を育てて、いつも一緒に暮らし続けて。
鳥によっては、繁殖期の度にパートナーを変えるらしいのに。前の相手とは別れてしまって。
(求愛のダンス…)
二月頃には舞うのだという。まだ雪に覆われたままの大地で、向かい合って。最初に目を引いた写真がそれ。翼を広げた雌雄の鶴。
パートナーを探して、互いに舞うという鶴の舞。鳴き交わして、翼を広げて舞って。
(最初だけなの…?)
つがいになったら、生涯、相手を変えないから。
若い鶴たちだけが舞う、パートナーを探す鶴の舞。つがいの鶴は愛を確かめるためにだけ舞う。他の相手は欲しくないから、向き合って、互いに呼び合いながら。
けれども、それが出来ない鶴もいる。パートナーを失くしてしまって、もう一度、相手を探して舞う鶴。似たような鶴がいないかと。…誰かいないかと、悲しい舞を。
初めて相手を探す鶴たちが舞う中で。つがいの鶴たちが愛を確かめ合う中で。
生涯、相手を変えない鳥。つがいになった相手が死ぬまで、添い遂げる鳥。
クチバシが折れてしまったパートナーのために、餌を与え続けた鶴までいたという。自分で餌が取れなくなったら、鳥の寿命はおしまいなのに。飢えて死ぬしかないものなのに。
けれど、パートナーの命を守った鶴。食べやすいように餌を千切って、食べさせてやって。常に一緒に餌場に出掛けて、相手の分まで餌を探して。
それほどに愛情深いから。…本当だったら生きられないようなパートナーも守る鳥だから。
(相手が死んでも…)
その場をなかなか離れないという。パートナーを失くしてしまった鶴は。
死んだ相手はもう動かないし、鳴いても声は返らないのに、其処から動こうとしない鶴。じっと立ったまま、餌を探しに行く時以外は。
死骸を狙ってキツネやカラスが近付いて来たら、翼を大きく広げて威嚇し、クチバシでつついて追い払う。いつも一緒だった相手の身体を、守らなければいけないから。
朽ちて骨だけになってしまっても、その行動は変わらない。骨だけになっても、一緒に過ごした相手は其処にいるのだから。…もう動いてはくれないだけで。声を返してくれないだけで。
そうして守って守り続けて、寄り添い続ける丹頂鶴。
雨で死骸が流されるだとか、雪が積もって下に隠れてしまうとか。姿が見えなくなって初めて、何処かへ飛んでゆくという。
自分の相手はいなくなったから、次のパートナーを見付けるために。
新しくつがいになってくれる相手、それを探して、一緒に暮らしてゆくために。
失くしてしまったパートナー。けれど、紡いでゆくべき命。
自分の寿命がまだ続くのなら、新しい相手と出会って、一緒に暮らして、雛を育てて。
でも…。
(見付かるのかな…?)
一緒に生きてくれる鶴。…若い鶴だけが求愛のダンスを舞う場所で。他の鶴たちは、互いの絆を確かめ合いながら舞う場所で。
きっと、見付かりはするのだろうけれど。…まさか一羽で舞い続けることはないだろうけれど。
(…可哀相…)
つがいだった相手が死んでしまった、独りぼっちになった鶴。相手の身体が骨だけになっても、側を離れようとしない鶴。
どんなに悲しくて寂しいだろう。もう応えてはくれない相手。動かない相手。
ずっと一緒に子供を育てて、何十年も離れずに暮らしていたのに。何処へ行く時も、互いの姿があるのが当たり前だったのに…。
こんな鳥だったとは知らなかった、と読み終えた記事。丹頂鶴の切ないほどの愛と想いと。
その記事の最後に、オマケが一つくっついていた。オシドリ夫婦と呼ばれるオシドリ。仲のいい夫婦の例えにもされるオシドリだけれど、実際は…。
(毎年、相手を変える鳥!?)
とんでもない、と仰天してしまったオシドリの夫婦。
子育てを終えたオシドリの夫婦は、そこでお別れ。雛が巣立ったら、自由を求めて飛んでゆく。華やかな姿が目を引く雄も、地味な雌の方も。これで今年の恋は終わり、と。
次の年には、また新しい相手を探す。前の相手を探しもしないで、誰にしようかと。
丹頂鶴なら、鶴の舞の季節の直前までが子育てなのに。
首から上がまだ丹頂鶴らしい色にならない幼鳥、その子と一緒に家族で暮らす。鶴の舞には早い幼鳥、その子と子別れするまでは。「もう駄目だよ」と突き放すまでは、餌も与えて。
子別れをしたら、鶴の舞の季節。つがいで舞って、愛を確かめて、次の子育て。
パートナーを変えることなく、同じ相手と。…死んでも側を離れないほど、愛する鶴と。
本物のオシドリ夫婦はオシドリではなくて、鶴だった。
誰も「鶴夫婦」とは言わないのに。あくまで「オシドリ夫婦」なのに。
どうやら自分も勘違いをしていたらしい、と閉じた新聞。オシドリなんて、と。
騙されてたよ、と考えながら、おやつを食べ終えて、部屋に帰って。
(オシドリよりも、丹頂鶴…)
そっちが本物のオシドリ夫婦、と勉強机の前に腰掛けた。其処に飾ったフォトフレーム。飴色の木枠の中はハーレイと二人で写した写真。夏休みの一番最後の日に。
今はまだ、二人一緒の写真はこれしか無いけれど。…いつかは結婚写真も撮れる。両親の部屋に飾ってあるような、幸せ一杯の素敵な写真を。
今度はハーレイと結婚出来るし、前の自分たちのように恋を隠して生きなくてもいい。同じ家で暮らして、いつまでも一緒。今度は夫婦になれるのだから。
毎年相手を変えるオシドリより、ずっと相手を変えないという丹頂鶴。そっちでいたい、と夢を描いた今のハーレイと自分。傍目には「オシドリ夫婦」と言われても、本当は丹頂鶴の夫婦。
前の生で恋をしていた相手と、生まれ変わっても一緒だから。蘇った青い地球に生まれて、今も恋しているのだから。
この先も、きっと。
青い地球での生が終わっても、離れないできっと一緒の筈。
此処に生まれて来るよりも前に、二人でいただろう場所に還って。死んだ後にも、二人一緒で。
さっき新聞で読んだ丹頂鶴のつがいのように、離れないまま。いつまでも、きっと。
相手が死んでしまった後にも、其処を離れない丹頂鶴。動かなくなっても、骨になっても。
その身体がすっかり見えなくなるまで、朽ちても守り続ける鶴。キツネやカラスを追い払って。
(パートナーが死んでも、離れないなんて…)
ずっと守って側にいるなんて、鳥なのに凄い、と改めて思った所で気が付いた。
丹頂鶴は動かなくなったパートナーの側を離れず、いつまでも守ろうとするのだけれど。
(…前のハーレイ…)
キャプテン・ハーレイだったハーレイは失くしたのだった。…前の自分を。
何処までも共にと何度も誓ってくれていたのに、相手を失くしてしまったハーレイ。
しかも、メギドで。シャングリラからは遠く離れた場所で。
(前のぼくの身体…)
メギドと共に砕けてしまって、シャングリラに残りはしなかった。
丹頂鶴が懸命に守り続けるという、パートナーの身体。動かなくても、骨になっても。キツネやカラスを追い払いながら、決して側から離れようとせずに。
それが見えなくなってしまう日まで。大雨や雪に消される日まで。
鶴でもそうして守り抜くのに、側にいたいと願うのに。
前のハーレイは、近付くキツネやカラスを追い払うどころか、触れることさえ出来なかった。
死んでしまった前の自分に。…動かなくなってしまった身体に。
鶴でも守り続けるらしい身体を、前の自分は何処にも残しはしなかったから。
暗い宇宙に散った身体は、シャングリラに戻らなかったから。
今の今まで、考えたことも無かったけれど。
ハーレイの温もりをメギドで失くして、独りぼっちになったことばかりを思い、訴え続けて来たけれど。…前の自分が死んでしまった後のハーレイは…。
(…もしかして、物凄く辛かった…?)
たった一人で残されたというだけではなくて。
守る身体さえも失くしてしまって。
つがいの相手を失った鶴が、いつまでも守ろうとする身体。骨になっても、側を離れずに。側に立ってじっと守り続けて、キツネやカラスを追い払って。
鶴でさえも大切に想い続けて、相手の死骸を守るのに。…消えるまで去ろうとしないのに。
ハーレイは前の自分の身体を守れはしなくて、触れることさえ叶わなかった。
シャングリラに戻って来なかった身体。…動かなくなってしまった身体。それさえも見られず、側にいられなかったハーレイ。
とても辛くて悲しかったろうか、せめて側にと思ったろうか。死んで動かない身体でも。
鶴でもそれを願うのだから。側を離れずにいるのだから。
(…ハーレイだって、そうだった…?)
前の自分は、ハーレイに「ジョミーを支えてやってくれ」と伝えてメギドへ飛び去ったけれど。それきり戻りはしなかったけれど。
ハーレイを独りぼっちにしたのだけれども、もしも、身体だけ戻っていたら。
動かなくなった身体だけでも戻っていたなら、少しは辛くなかっただろうか。同じように一人、残されたとしても。…シャングリラに独りぼっちでも。
キツネやカラスは来ないけれども、動かない身体を守れたら。側にいることが出来たなら。
けして叶いはしなかったこと。メギドで死んだ前の自分の身体が、あそこで消えずにハーレイの所に戻ること。
それは無理だったと分かるけれども、ハーレイが動かなくなった身体に出会えていたら。自分が愛した者の身体を目にすることが出来たなら。
気が済むまで側で見ていられたなら、辛さは減っていたのだろうか。
つがいの相手を失くした鶴が死んだ相手に寄り添い続けて、守ることを生き甲斐にするように。愛の証を立てるかのように、相手を守り続けるように。
前のハーレイもそれが出来たら、独りぼっちだと思わずに済んでいたのだろうか…?
(…どうだったの…?)
今の自分には分からないこと。前の自分は、考えさえもしなかったこと。
其処まで思いはしなかった。一人残されるハーレイの辛さも、きっと考えてはいなかったから。それに気付いていたとしたなら、他にも言葉を残したろうから。
恋人同士の別れのキスは交わせなくても、「先に行って待っているよ」とでも。
「君が来るまで待っているから」と伝えさえすれば、ハーレイにもきっと救いが生まれた。先に逝った恋人を追ってゆく日まで、頑張らねばと。「今もブルーは待っているから」と。
それもしようとしなかった自分。…身体も残さず死んでゆくことが、ハーレイにとってどれだけ辛いか。考えもしないし、気付きさえしない。
現に今まで、あの鶴の話を読むまで思いもしなかったから。
だから分からない、ハーレイの思い。…前の自分の骸があったら、救われたのかは。
本当にどうだったのだろう、と考え込んでしまったこと。前のハーレイの辛さと悲しみ。
前の自分でも分からなかったのに、今の自分に分かるわけがない、と見詰めるハーレイと一緒に写した写真。ハーレイの隣に写ったチビ。
こんなチビでは分からないけれど、それでも知りたい気持ちになる。前のハーレイも鶴と同じに側で守りたかっただろうか、と。
ぐるぐる考え続けていたら、チャイムが鳴った。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね、仲のいいカップルのこと…。オシドリ夫婦ってよく言うでしょ?」
だけどオシドリ、本当は相手を変えるって…。ずっとおんなじ相手じゃなくって、雛が巣立ちを済ませた途端にカップル解消。
次の年には新しい相手を探しに出掛けて、別のカップルになってしまうって…。
「そうらしいなあ、面白いもんだ」
オシドリの夫婦には、ちゃんと伝説もあるんだが…。
狩人に殺された雄の首をだ、しっかりと羽の下に抱えていた雌のオシドリの話とか。
しかし本物のオシドリときたら、お前が言ってた通りなんだよな。毎年、新しい恋をするんだ。
「人間の勘違いだよね。でも…。丹頂鶴は相手を変えないんだって」
本当に本物のオシドリ夫婦で、つがいになったら、ずっと一緒。
相手が死んでしまわない限りは、一生、おんなじ相手と暮らしていくって…。
「鶴の仲間はそうだと聞くが?」
丹頂鶴に限らず、どれも。…この地域で繁殖している鶴は、丹頂鶴しかいないそうだが。
渡ってくる鶴なら冬に二種類いるからな、とハーレイが挙げたナベヅルとマナヅル。この地域で子育てはしないけれども、どちらも相手を変えない鳥。一度つがいになったなら。
丹頂鶴でなくても、鶴の仲間はそういう習性を持つらしい。ハーレイは知っているようだから。
「じゃあ、相手が死んでも離れないって、知ってた?」
パートナーが死んじゃった時。…直ぐに飛んでは行かない、ってこと。
「暫くは其処にいるらしいな?」
他の鳥なら行っちまうのに、相手を変えない鳥となったら愛情深いというわけだ。
「暫くじゃないよ…!」
ちょっとどころか、うんと長く側にいるんだよ。…キツネやカラスを追い払いながら。
そういうのが死体を食べちゃわないよう、翼を広げて脅かしてみたり、クチバシでつついて。
食事の時には離れて行くけど、それ以外は側で守るんだって。…骨になっても、まだ側にいて。
雨とか雪で死体がすっかり消えてしまうまで、ずっと守って、側で過ごして…。
姿が見えなくなって初めて、何処かへ飛んで行っちゃうんだって。
「そうだったのか…。骨になっても、まだ守るんだな」
さっき話したオシドリの伝説、あれの雌のオシドリが抱えていた首もそうなんだが…。
雌のオシドリを狩人が殺したら、羽の下から骨になった雄の首が出て来るんだが。
まさにそれだな、丹頂鶴。…本当に相手を想ってるんだな、とっくに死んでしまってるのに。
「可哀相でしょ?」
最後まで諦められないんだよ。骨になっても、相手のことを。
消えてしまったら諦めるけれど、それまではずっと、好きだから側にいるんだよ…。
「…忘れられないってことなんだろうなあ…」
ずっと一緒に暮らしてたんだし、その相手を。…好きだったから、守って側にいるんだな…。
可哀相にな、とハーレイも相手を失くした鶴の姿を思い浮かべているようだから。
どんなに寂しいことだろうかと、残されてしまった鶴に同情しているから。
「それでね、前のハーレイなんだけど…」
肝心のことを訊かなければ、と切り出してみたら、怪訝そうな顔になったハーレイ。
「…俺がどうかしたか?」
鶴の話だろ、どうして其処で前の俺の名前が出て来るんだ…?
「ハーレイ、前のぼくの身体、あったらどうした?」
「はあ?」
前のお前の身体って…。ますます分からん、鶴の話はどうなったんだ。
そりゃあ確かに、前のお前は鶴みたいな凄い美人だったが…。
「鶴って…。鶴でもいいけど、その、前のぼくの身体」
メギドで消えてしまうんじゃなくて、ちゃんとシャングリラに戻っていたら。
死んじゃった鶴と同じで動かないけど、ただの死体になっているけど…。
あった方がハーレイ、辛くなかった…?
何も残らずに消えてしまうより、身体が戻った方が良かった…?
「そういう意味か…。鶴とは其処で繋がるんだな」
死んじまったお前の身体を守って、側にいられた方がいいか、と。
最初からすっかり失くしちまうより、鶴みたいに側で守って、眺めて。…俺の気が済むまで。
シャングリラにキツネやカラスは来ないが、お前の身体を守れていたら、か…。
…どうだったろうな、前の俺ならどうしたろうなあ…。
知らなかった方が良かったくらいの最期だしな、と呻いたハーレイ。
前の俺は何も知らないままで終わってしまったんだが、と。
「…お前、キースに何発も撃たれちまったし…。右目まで潰されちまったし…」
もう血まみれで、その上、お前は死んじまった後で…。
そんな身体が戻っていたなら、俺はキースを決して許せはしなかったろう。…今以上に。
お前をそういう風にしたのが誰かは、直ぐに想像がつくからな。
死んじまったお前を抱き締めて泣いて、泣きながら「殺してやる」と怒鳴って。
…恋人同士だったとはバレないだろうな、お前が俺の友達だったことは誰でも知ってる。いつも敬語で話していたのは、お前がソルジャーだったからだ、ということも。
どんなに怒って泣いていようが、誰も疑いはしないだろうし…。
キースを憎んで憎み続けて、八つ裂きにするほど憎んだろうな。…いつか必ず殺してやる、と。
「…ホント?」
だけど、キースを殺せるチャンスは無くって、そのまま地球まで行っちゃったから…。
地球に降りたら、殴ってた?
前から何度も言っているものね、「キースを殴り損なった」って。
キースが前のぼくに何をしたのか知らなかったから、殴る代わりに挨拶した、って…。
「ああ、間違いなく殴っていたな」
顔を見るなり、派手にお見舞いしただろう。…会談の前であろうが、何だろうが。
あいつの顔が歪むくらいに、俺の全身の力をこめて。
…だが…。
それで片付いていたんだろうか、とハーレイは腕組みをして考え込んだ。
今まで引き摺って嫌う代わりに、あそこで一発殴って終わりになっただろうか、と。
「前の俺もキースを憎んではいたが…。前のお前が死んじまったのは、キースのせいだし」
あいつがメギドを持って来なけりゃ、俺はお前を失くさなかった。
キースのせいだ、と憎み続けて地球まで行ったが、それだけのことだ。
俺は恨みのぶつけようが無くて、憎み方さえ知らなかった。…憎いと思っていただけで。
前のお前がどうなったのかを知らなかったせいだ、そうなったのは。
…もしも、血まみれで死んだお前の身体を見ていたら。
泣きながら抱き締める羽目になっていたなら、誰に憎しみをぶつけるべきかはハッキリしてた。
お前を残酷に撃ち殺したキース、あいつも同じ目に遭わせてやると。
殺せないなら、殴るまでだ。…お前の痛みの一部だけでも味わうがいい、と。
多分、右目にお見舞いしたろう、渾身の力をぶつけてな。…目の周りにアザが残るようなのを。
会談の時にキースの顔が腫れていようが、アザがあろうが、知ったことか。
…しかし、それでスッキリしたのかもしれん。仇は討った、と。
その一発で俺は恨みを晴らしてたかもな、国家主席の顔に立派なアザを作って。
今日まで憎み続ける代わりに、一発殴って「これで終わった」と。
前のお前が撃たれた分を見事に返してやった、と会談の席で国家主席のアザを眺めて満足して。
…あの会談が始まる前には、全宇宙規模で中継していたんだから。
キースの顔のアザってヤツもだ、全宇宙規模でお披露目になって、もう最高の晴れ舞台ってな。
「…なんだかキースが気の毒だけど…。今の時代までアザのある写真が残りそうだけど…」
それでハーレイがスッキリしたなら、前のぼくの身体、残ってた方が良かったね。
メギドから戻せるわけがないけど、戻す方法があったなら…。
「そうだな…。俺もその方が良かったかもな」
どんなに辛い思いをしようが、お前を助けられなかったと泣き崩れることになっていようが。
…お前の身体が戻っていたなら、俺はお前に会えたんだからな。
動かなくなった身体だろうが、お前には違いないんだから。
きっと守っていたんだろう、とハーレイが呟く。
そういう身体が戻って来たなら、弔った後も、白いシャングリラに残しておいて。
「ブルーは最期まで、地球に行きたいと望んでいたから」と、キャプテンの貌で皆に宣言して。
誰も反対しない筈だから、地球に着くまで、柩に入れて。
「…お前の身体を保存できる柩、作るくらいは簡単だからな」
それだけの技術は船にあったし、やろうと思えばいくらでも出来た。…あの戦闘の最中でも。
外からもちゃんと中を覗けて、少しくらいなら蓋を開けても大丈夫なヤツ。
そういう透明な柩を作って、青の間に置かせておいただろう。あそこがお前の部屋なんだから。
他の仲間も、もちろんお前に会いに出掛けてゆくんだろうが…。
俺が行くなら、誰も来ないような夜中だな。仕事が終わった後に一人で。
…実際の俺は、そんな時間や空き時間に行っては、ナキネズミと話していたんだが…。レインがいなけりゃ、一人でお前と話しているつもりで過ごしてたんだが。
もしも柩にお前がいたなら、お前に話し掛けただろう。
何度も眺めて、柩を開けても大丈夫な間は、お前の手をそっと握ってやって。
…柩の蓋を閉じる前には、お前の手を撫でていたんだろうな。こんな手だった、と。
蓋を閉じても名残惜しくて、外から何度も手を重ねようとしていただろう。
帰る時には「また来るからな」と、お前にきちんと約束をして。
柩の上からお前にキスして、お前の姿を目に焼き付けてから帰って行くんだ。…次に来る時まで忘れないように。目を閉じたら、いつでも思い出せるように。
キャプテンとしてなら、何度でも訪ねて行けるんだろうが…。
恋人として次に訪ねられるチャンスは、いつになるのか分からないしな。
地球に着くまで、何度も何度も、青の間を訪ねて行っただろう、とハーレイは言った。
キャプテンとしての役目とは別に、前の自分の恋人として。
…誰にもそうだと知られないように。誰も青の間には行かない時間に、一人きりで。
ソルジャー・ブルーの友達だったキャプテン・ハーレイの、私的な訪問。今は亡き友と語り合う時間、それだと皆は思うだろうから。
けれど、本当は恋人に会いに。…二度と目を開けてはくれないけれども、恋人だから。
大切な人が眠っているから、その手を握りに、キスを落としに。
時間が許す限り柩に寄り添い、眠り続ける恋人が寂しくないように…。
「…お前は寂しがり屋だったからなあ、寿命が尽きると知った時には泣いてたくらいに」
俺と離れてしまうんだ、って泣いていただろ、前のお前は。
そんなお前が、一人きりで先に死んじまって…。寂しくない筈がないんだからな。
しかしだ、俺は地球に着くまで、お前を追っては行けないんだし…。
出来るだけ側にいてやるより他には、どうすることも出来ないんだから。…地球に着くまでは。
だったら、お前が寂しがらないように訪ねて行っては、側にいないと…。
俺が行かないと、お前、寂しくてシクシク泣いていそうだからな。…独りぼっちだ、って。
「そっか…。ハーレイ、鶴とおんなじだね」
相手が死んじゃった鶴とおんなじ。…いつまでも側を離れない、って。
鶴は餌を食べに行ってる間だけ、側を離れるらしいけど…。ハーレイは仕事の間だけ。
そうでない時は、死んじゃったぼくの側にいるんだね。ぼくはもう、動きもしないのに…。
ハーレイがどんなに呼んでくれても、返事もしないし、目も開けないのに…。
まるでつがいの相手を失くした鶴のようだ、と考えてしまったハーレイの姿。
前の自分の身体はメギドで消えてしまったけれども、それがあったら、そうなったのかと。
ハーレイは動かなくなった前の自分の身体を守って、柩の側に佇んだのかと。
キツネやカラスから守る代わりに、葬らせないよう守り続けて。
「地球に行きたいと願っていたから」と、クチバシでつつく代わりに言葉で守って。
生きていた時の姿そのままで、透明な柩に収めた身体。
鶴が失くしたつがいの相手は朽ちるけれども、朽ちない身体をハーレイは守る。愛おしむようにキスを落として、何度も何度も手を握りながら。
柩の蓋を開けられない時は、柩の上から手を重ねて。
永遠の眠りに就いた前の自分が、青の間で独り、寂しがることがないように。
自分も仕事が忙しいだろうに、せっせと時間を作り出しては、青の間へ足を運び続けて。
相手を失くした鶴は、そうして過ごすから。…骨になっても側を離れず、寄り添い続けて守って過ごす。生涯を共にと願った相手を。
守ろうと寄り添い続けた身体が、雨に流されて消えてしまうまで。白い雪の下に埋もれるまで。
そうなるまでは決して離れない鶴。
ハーレイも同じに、前の自分に寄り添い続けた。…もしも動かない身体が戻っていたならば。
白いシャングリラに、前の自分の柩が置かれていたならば。
本当に鶴とそっくりだね、と繰り返したら、「そうしたかったな」と答えたハーレイ。
「前の俺には夢物語で、今だから言えることなんだが」と。
悲しげに揺れる鳶色の瞳。…「前のお前は戻らなかった」と。メギドに行ってしまったきりで。
「…お前の身体を柩に入れて、俺が守って。…それが出来ていたら、良かったかもな…」
キースを八つ裂きにしたくなるような、血まみれのお前を見ていたとしても。
冷たくなっちまったお前の身体を、抱き締めて泣くことになったとしても。
…もう一度、お前に会えたなら…。あれっきりになっていなかったならば、俺は守った。
お前が返事をしてくれなくても、二度と目を開けてくれなくても。
それでも、お前は俺の側で眠っているんだから。…二度と起きてはくれないってだけで。
眠るお前が寂しくないよう、俺が守ってやらないとな。…お前には俺しかいないんだから。
もちろん、柩に入れる前には、傷が分からないようにしてやっただろう。
ノルディに頼んで、出来る限りのことをしてから、眠っているように目を閉じさせて。
染み一つない綺麗な服を着せてやって、それからそっと寝かせてやって。
…何度も覗きに行ったんだろう。
お前が起きないと分かっていたって、お前の隣で過ごすためにな。
鶴と同じだ、俺にはお前しかいやしない。…他のヤツでは駄目なんだ。お前もそうだろ?
だから、地球まで連れて行ったさ。俺の大事なお前を守って。
…残念なことに、そいつは出来なかったがな…。
お前はメギドに飛んでったきりで、身体も戻って来なかったから。
…鶴みたいに最後まで寄り添いたくても、肝心の身体が無いんじゃなあ…。
前の俺は鶴になり損なったな、とハーレイが浮かべた辛そうな笑み。
出来ることなら、そんな風に鶴になりたかった、と。つがいの相手を失くした鶴に。
「…ごめん…。ごめん、ハーレイ…」
前のぼくの身体、無くなっちゃってて、本当にごめん…。
もしも残ってたら、ハーレイの辛さはマシになってた筈だったのに…。
キースのことだって殴って終わりで、国家主席の顔写真にアザが残っておしまいだったのに…。
ごめんね、ぼくがメギドで死んじゃったから…。ぼくの身体、メギドで消えちゃったから…。
「お前が謝ることじゃない。…前のお前は間違っちゃいない」
何度も言ったぞ、間違えたのは俺の方だと。…お前を追い掛けるべきだった、とな。
そうでなければ、全力でお前を引き止めるかだ。…物分かりのいい顔をして送り出す代わりに。
俺はどっちもしなかったんだし、自業自得というヤツだ。鶴になり損なったのは。
…何の努力もしなかったヤツには、悔やむ資格は無いんだから。文句だって言えん。
それにだ、前の俺は鶴にもなれなかったが、今度はお前と一緒だろうが。
ずっとお前と二人で暮らして、死ぬ時も一緒に死ぬんだろ?
お前、一人で生きたくはなくて、俺と一緒に死ぬんだって言っているんだから。
「うん…。ハーレイと一緒でなくちゃ嫌だよ」
相手を失くした鶴みたいになったら、悲しくて生きていけないもの。
ハーレイといつまでも、何処までも一緒。死ぬ時もハーレイと一緒なんだよ、今度のぼくは。
ずうっとハーレイと二人一緒で、鶴みたいに一緒に暮らすんだよ…。
何処までも一緒、とハーレイの小指と絡めた小指。「約束だよ」と。
「いつかハーレイと結婚する日に、ハーレイとぼくの心を結んでよね」と。
そうしておいたら、きっと心臓が一緒に止まってくれるから。
青い地球での命が尽きても、二人、離れはしないから。
いつか心臓が止まる日が来ても、お互い、鶴の舞は舞わなくてもいい。
つがいの相手を失くした鶴の、悲しい舞は舞わなくていい。
それは要らない二人だから。
鶴の舞は愛を確かめ合うだけ、そのためだけに舞うのだから。
生まれ変わって来た青い地球の上で、最後までずっと、手を繋いだまま。
地球での満ち足りた生を終えたら、元来た場所へと、二人で還ってゆくのだから…。
鶴のように・了
※一生、相手を変えない鶴。パートナーが死んでしまっても、その側を離れずに守る鳥。
前のブルーの亡骸が船に戻っていたなら、ハーレイもそうした筈。叶わなかったのですが。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(魔法のランプ…)
あったっけね、とブルーが覗いた新聞の記事。学校から帰って、おやつの時間に。
遠く遥かな昔の地球。其処で生まれた不思議な伝説。願い事を叶えて貰える魔法のランプ。
独特な形の金属製のランプ、それを擦るとランプの精が現れる。願い事を三つ、叶えるために。新聞に載っているランプの写真。「こういう形のランプですよ」と。
小さい頃に童話を読んでいたから、写真だけでピンと来るランプの形。魔法のランプ、と。
それから三つの願いのことも。
(三つだから…)
今の自分が魔法のランプを手に入れたならば、願い事の一つは背丈を伸ばして貰うこと。少しも伸びてくれない背丈を、前の自分と同じ背丈に。それが最初の願い事。
二つ目は十八歳にして貰うこと。十八歳になれば、ハーレイと結婚出来るから。
(三つ目は結婚…)
ハーレイと結婚させて貰って、めでたし、めでたし。
それで全部、と大満足で指を折ってから、「ぼくって馬鹿だ…」と頭を振った。三つ目の願いは結婚だなんて、文字通りの馬鹿としか言えない。
最高のハッピーエンドに思えるけれども、背丈が伸びて十八歳になれば、何の障害も無い結婚。何もしなくてもプロポーズされて、結婚出来るに決まっているから。
つまりは要らない、「結婚させて」という三つ目の願い。無駄に使った願い事。もうそれ以上は頼めないのに、願い事は三つでおしまいなのに。
(こんな風に三つとも、使っちゃうんだ…)
きっとそうだ、と新聞のランプの写真を眺めた。ランプの精が住んでいそうな形のランプ。
本物の魔法のランプがあったとしたなら、今のようなことになるのだろう。ランプの精が現れた途端に、ワクワクしながら願い事を三つ。
深く考えたりもしないで、アッと言う間に三つとも。願わなくても叶うようなことまで。
馬鹿だった、と情けない気持ちで帰った部屋。これじゃホントにただの馬鹿だ、と。
けれど、せっかくの機会だから、と勉強机の前に座って、真面目に考えることにした。そういうチャンスは無さそうだけれど、魔法のランプを手に入れた時の願い事。
少しは利口な考え方が出来るようになるかもしれないから。これも考え方の練習、頭の体操。
(願い事が三つ…)
この数だけは変えられない。魔法のランプの童話にもあった約束事。願い事が叶う数を増やして欲しいと願っても、ランプの精は叶えてくれない。「それは駄目です」と。
三つしか出来ない願い事。今度はきちんと考えなければ、さっきのようにならないものを。
(…でも、一つ目は…)
背丈を伸ばして貰うことで決まり。ハーレイと再会した日から、一ミリも伸びてくれない背丈。前の自分と同じ背丈にならない限りは、ハーレイとキスも出来ないのだから。
(ちゃんと大きく育ったら…)
結婚が出来る十八歳になる方は、我慢して待っていたっていい。前の自分と同じ姿になったら、ハーレイはキスを許してくれる。二人でデートも出来るわけだし、今より素敵な日々になる筈。
キスにデートと充実していたら、きっと短く感じる時間。結婚までの年数だって。
(休みの日には、ドライブとか食事…)
一週間が経つのが直ぐだろう。週末を楽しみにカレンダーを眺めて、今よりも早く流れる時間。ふと気が付いたら十八歳の誕生日が直ぐそこに来ているのかも…。
懸命に我慢しなくても。まだまだ先だと、何度も溜息をつかなくても。
「十八歳にして下さい」という願い事をしないのだったら、叶えて貰える願いは二つ。さっきは使ってしまったけれども、慎重になったら使わなくてもいい願い事。十八歳にして貰うことは。
叶えて貰える数が一つ増えた、と嬉しくなった。少しは利口になったらしい自分。残った二つの願い事をどう使おうか?
ランプの精に、二つ目の願い事をするのなら…。
(幸せになれますように、って…)
それが一番かもしれない。ハッピーエンドを迎えた後も幸せに。「ハーレイと二人で」と頼んでおけば、もう完璧。
(三つ目は…)
ハーレイといつまでも一緒にいられますように。本当に二人、いつまでも一緒。
これで間違いなく幸せな人生、三つの願いはこれだ、と満足感に浸ったのだけれど…。
(また失敗…!)
失敗しちゃった、と頭を抱えた。また三つ目で失敗した、と。
前の生では引き裂かれるようにハーレイと別れてしまったけれども、今は二人で青い地球の上。長い長い時を二人で飛び越え、この地球の上で再会出来た。きっとそれまでも何処かで二人、同じ所にいたのだろう。何も覚えていないだけで。
生まれ変わっても一緒なのだし、ランプの精に頼まなくても二人一緒に決まっている。どんなに時が流れて行っても、何回生まれ変わろうとも。
ハーレイと二人、いつまでも、きっと。何処までも二人、離れないままで。
今度は頑張って考えていたのに、また三つ目で失敗した願い事。無駄に使ってしまった三つ目。ランプの精に頼まなくても、その願い事は叶うのに。
また失敗、と三つ目を考え直すのだけれど、ハーレイと結婚して幸せになった自分だと…。
(三つ目、なあに…?)
これというのを思い付かない。幸せ一杯に暮らす自分に、切実な願いは無さそうだから。いくら考えても浮かばないから、三つ目の願いは取っておくのがいいのだろうか。
(ランプの精、ちゃんと待っててくれるよね…?)
時間切れがあるとは、童話には書かれていなかったと思う。いつか願いを思い付くまで、待って貰うのもいいかもしれない。「まだ無いから」と。
それともハーレイに譲ろうか。自分は二つも叶えたのだし、ハーレイにも一つ。魔法のランプで叶えたいことが、ハーレイにもあるかもしれないから。
(それもいいかも…)
三つ目の願いはハーレイの分、と頬が緩んだ。ハーレイは何を願うのだろう?
(…三つじゃなくって、一つだけだから…。慎重だよね?)
無駄遣いなんかしない筈、と思ったけれども、気付いたこと。ランプの持ち主は自分なのだし、その願い事をハーレイに譲ろうというのなら…。
(三つ目はハーレイに譲ります、っていうのがお願いになる?)
自分以外の誰かの主人になって欲しい、とランプの精に頼むのだから願い事。三つ目の願い事はそれでおしまいらしい。ハーレイに一つ譲る代わりに、何の願いも叶わないままで。
(三つとも叶えましたから、ってランプの精が消えちゃって…)
また無駄遣いになった三つ目の願い。今度こそは、と精一杯に努力したのに。
せっせと頭の体操をしても、上手くいかない三つの願い。魔法のランプは無いけれど。
(前のぼくなら…)
どうなったろうか、三つの願いが叶うとしたら。ソルジャー・ブルーだった頃の自分なら。
ソルジャー・ブルーならば、今の自分よりも、ずっと有効に願いを使えたことだろう。ミュウのためにと懸命に生きていたのだから。…最後は命までも投げ出したほどに。
あの頃の自分が魔法のランプを手に入れたなら…、と青の間に戻った気分で考え始めた。
(一つ目は、地球に行くことで…)
前の自分が夢に見た地球。他の仲間も望んでいたから、それが一つ目。
二つ目は人類とミュウが仲良くなること。そうすれば追われることはなくなり、戦いも終わる。平和な時代が訪れるのだから、そうしたら…。
(ハーレイと結婚させて下さい、って…!)
これで三つ、と喜んだ。流石はソルジャー・ブルーだった、と。
チビの自分とは比較にならない、立派な願い。地球に行くことと、人類との和解。世界のために二つも使って、最後の一つを自分のために。願いは三つもあったのに。
なんて立派で欲の無い使い方だろう、と自分の素晴らしさに酔いかけたけれど。
(…地球に行って、ミュウと人類が仲良くなったら…)
もうソルジャーは要らないのだった。白いシャングリラもお役御免で、要らないキャプテン。
そういう時代が訪れたならば、ただのブルーとハーレイなだけ。結婚出来て当然だった。ずっと隠し続けていた恋を明かして、大勢の仲間に祝福されて。
(また三つ目で失敗しちゃった…)
ランプの精に頼らなくてもいい結婚。それを頼んで、三つの願いは全ておしまい。
前の自分で考えてみても、上手くいかない願い事。チビの自分が考えるからか、前の自分が同じことをしても駄目なのか。
なにしろ、魔法のランプだから。そうそう上手く使えるものでもなさそうだから。
(…前のぼくでも大失敗かも…)
難しそうだし、と考え込んでいたら、チャイムが鳴った。窓から覗けば、門扉の向こうで大きく手を振っているハーレイの姿。今日は仕事が早めに終わったのだろう。
母がお茶とお菓子を運んで来てくれて、テーブルを挟んで向かい合わせ。さっきからの考え事をハーレイにも訊いてみようかな、と思ったから。
「あのね、三つのお願い、知ってる?」
そう尋ねたら、「三枚の御札か?」と返したハーレイ。
「有名な昔話だな。…日本の古典というヤツだ」
「え?」
「アレだろ、お使いに出掛ける小僧さんが持って行く御札。和尚さんに貰って」
ハーレイが教えてくれた昔話。お使いに出掛けて、山姥に食べられそうになった小僧の話。遠い昔の日本が舞台で、魔法のランプの話とは違う。
三枚の御札は上手く使われていたけれど。たった三枚で、小僧は寺まで逃げられたから。山姥に食べてしまわれはせずに、和尚が助けてくれる寺まで。
とはいえ、それは自分が言いたい三つの願いとは違う伝説。
「それじゃなくって、魔法のランプ…!」
御札と違ってランプの精だよ、願い事が三つ叶うんだよ。ランプを擦ったら、ランプの精が三つ叶えてくれるんだってば…!
でも…、とシュンと項垂れた。「御札みたいに上手く使えればいいんだけれど」と。
「魔法のランプが手に入ったとしても、ぼくだと、上手く使えないみたい…」
いくら考えても、三つ目で失敗しちゃうんだよ。お願いしなくてもいいことを頼んだり、もっとつまらない失敗をしたり。
…前のぼくになったつもりで考えてみても、やっぱり失敗…。
「魔法のランプの方だったのか…。今の俺だと、三枚の御札の方が馴染み深いんだが…」
懐かしいよなあ、よく話してたな。魔法のランプっていうヤツのことも。
「話してたって…。誰と?」
「前のお前だが?」
懐かしいって言ったらそれしか無いだろ、今の俺なら三枚の御札なんだから。
「前のぼく…?」
魔法のランプの話なんかをしてたっけ?
それに、ハーレイと話してたんだよね、魔法のランプ…?
「忘れちまったか?」
元々は魔法のランプじゃなくてだ、ごく平凡なランプから始まった話だったが…。
シャングリラでランプを作った時に。…白い鯨が出来上がった後だな、オイルのランプだ。
「オイルランプ…?」
それって、オイルを使うヤツだよね。元からあったと思うんだけど…。白い鯨になる前から。
非常用にってあった筈だよ、エネルギー系統が駄目になっちゃった時に備えて。
「まあな。…真っ暗な宇宙を飛んでいるんだ、明かりが消えたらどうにもならんし…」
修理しようにも、船自体が真っ暗な中ではなあ…。幸い、そんな目には一度も遭わなかったが。
そういう時のためのヤツだろ、お前が言うのは。オイルで灯すランプ。
そのオイルをだ、白い鯨に改造した後、一部をオリーブオイルに替えたってわけだ。オリーブ、あの船で作っていたんだから。
自給自足で生きてゆく船に生まれ変わったシャングリラ。白い鯨は全てを船の中だけで賄えた。様々な作物を育てたけれども、オリーブの木もその一つ。良質な油が採れるから。
その栽培が軌道に乗って、オリーブオイルが充分に採れるようになった後。
本物のオリーブオイルがあるのだから、とランプの一部をオリーブオイルのランプに切り替える話になった。元から船にあった非常用のランプ、それのオイルを天然素材で、と。
「覚えていないか、切り替えたのは作業用のランプじゃなかったから…」
公園とかで使うヤツをオリーブオイルのにしたわけだから。
…どうせなら、とヒルマンとエラが懲りたがったんだ。昔風のデザインのランプにしたい、と。
古代ギリシャ風だっけな、陶器のヤツで…。魔法のランプを平たくしたようなデザインで。
「あったっけね…!」
思い出したよ、それにするんだ、ってヒルマンとエラが言ったから…。
別に反対する理由も無いから、いいと思う、って前のぼくも賛成してたんだっけ。ブラウたちも賛成で、作ることになって…。
そういう作業が得意な仲間が、資料を貰って作ったっけね…。
とても古風な陶器のランプ。古代ギリシャ風の素朴なオイルランプが幾つも出来た。
魔法のランプを平たくしたような形、と今のハーレイは表現したけれど、まさにそういう平たいランプ。取っ手と、オイルを満たす本体と、注ぎ口のようになった火口と。
オリーブオイルに浸した灯芯に火を点けるだけで、優しい焔が火口に灯る。白いシャングリラに生まれたランプは、新しいけれど古風なもの。
ギリシャ式の黒絵に赤絵とヒルマンとエラは言ったのだったか、黒と茶色にも見える赤褐色とで絵が描かれていた。ギリシャ神話や、古代ギリシャ風の動物などの絵が。
非常用のランプとはいえ、公園にも備えられたから。
夜になったら灯してもいい、と許可が出されていたから、たまに灯している仲間がいた。公園に明かりはあったのだけれど、それとは別に。
少し暗い場所にあるようなテーブルでオイルランプを灯して、ゆっくりと語らう仲間たち。
グループで灯す者たちも多かったけれど、後には恋人同士が増えた。居住区に幾つも鏤められた小さな公園、そちらはカップルの御用達。
先客がいなければ、オイルランプを灯してデート。明るすぎないのが好まれていた。
前の自分も、ハーレイと…。
灯したのだった、と懐かしくなった陶器のランプ。白いシャングリラの公園で。
「あれを灯して、ハーレイとデートしてたんだっけ…」
ハーレイの仕事が早く終わったら、公園に行って。…他のカップルがやってたみたいに。
「間違えるなよ、最初はデートじゃなかったんだぞ」
単なる友達同士だったんだからな。グループじゃなかったというだけのことだ、たまたま二人で座ってただけだ。夜の公園で、ランプを灯して。
ただのソルジャーとキャプテンの視察だっただろうが、一番最初は。
古めかしいランプを作ってはみたが、使い勝手はどんなものか、と二人で出掛けて行ったんだ。暗すぎるだとか、使いにくいとか、そんなのだと話にならないからな。
ヒルマンとエラが何と言おうが、役に立たないランプは駄目だし。
「そういえば、ハーレイ、そう言ったっけね…」
駄目なようなら、キャプテンとして元のランプに戻させる、って…。
だから最初は、ランプを灯して座る代わりに、あちこち二人で歩いたんだっけ。…暗い所でも、足元がちゃんと見えるかどうか。
持って歩いても消えたりしないか、そんなのまでチェックしてたんだっけね…。
ランプの使い勝手のチェックをしていた、一番最初のランプでの視察。前のハーレイはランプが役に立つものと判断したから、素朴なランプはそのまま残った。
オリーブオイルを使った非常用のランプ。いつの間にやら、恋人たちの夜のデートの定番。
けれど、ソルジャーとキャプテンの視察だと言えば、堂々と灯しにゆけるから。ハーレイと恋人同士になった後にも、デートを続けたのだった。視察のふりをして、ロマンチックなひと時を。
「あれで、お前が部屋にも欲しいと言い出してだな…」
そうそうデートに行けはしないし、青の間にも一つ欲しいんだ、とな。
「…作って貰えたんだっけ?」
覚えていないよ、青の間にあんなランプがあったということは。…忘れちゃったかな?
「今更無理だろ、と前の俺が呆れて言ったんだ。…そういう言い方はしなかったがな」
あの頃は敬語で話してたんだし、「今更、無理だと思いますが…」ってトコだったろうな。
ランプが出来てから、何年経っていたんだか…。出来て間もない頃ならともかく、遅すぎた。
なんだって今頃、そんなランプを欲しがるんだ、と勘繰られるぞ、と注意したんだが…。
そしたら、お前は屁理屈をこねた。「魔法のランプにすればいいよ」と。
「…そうだったっけ…」
魔法のランプが欲しかったんじゃなくて、欲しかったのはランプだったんだけど…。
公園でいつも灯してたヤツが欲しかったけれど、ハーレイが「無理だ」って言ったから…。
それなら魔法のランプにすれば、って前のぼく、思ったんだっけ…。
すっかり忘れていたけれど。前の自分がランプを欲しいと思ったことさえ、今の今まですっかり忘れていたのだけれど。
青の間にも一つあればいいのに、と願ったランプ。それを灯せばデートの気分になれるから。
公園のと同じ陶器のランプは駄目だと言うなら、ランプのデザインを変えればいい。ヒルマンやエラも納得しそうな魔法のランプ。その形ならば押し通せるかも、と考えたのだった。
「いいと思うんだけどね、魔法のランプは」
エラは何かと、ぼくを特別に扱いたがるし…。この部屋にも特別な非常灯を置きたい、と言えば納得するんじゃないかな。…普通のランプは駄目でもね。
それに、魔法のランプだから…。運が良ければ、願いが三つ叶うってこともありそうだから。
「はあ…。特別な形のランプというのは、確かにエラも前向きに考えてくれそうですが…」
魔法のランプが気になりますね。…三つの願いは何になさるんです?
もしも本当にランプの精が現れたならば、どんな願い事をなさるおつもりですか…?
「それはもちろん…。ミュウの未来と、地球に行くことと、平和かな?」
ミュウが人類に殺されずに生きていける未来と、地球に行くこと。…それから平和な時代だよ。
これで三つになるわけだからね、願いが叶えば嬉しいじゃないか。
「…そういう世界は素晴らしいですが…。三つの願いをする価値も充分ありそうですが…」
本当にそれでいいのですか?
三つの願いは、本当にそれでかまわないと…?
「もちろんだよ。…ぼくの願いが叶うのならね」
ぼくが願うのは、今、言った三つ。それよりも他に望みはしない。ランプの精が現れたなら。
だけど、所詮は魔法のランプに似ているだけ。…魔法のランプにはならないと思うよ、どんなに欲しいと望んでもね。
「どうでしょう…?」
今の時代は、遠い昔とは違いますから…。けして有り得ないと言えるかどうか…。
人類も忘れているでしょうから、と心配そうな顔をしたハーレイ。
「彼らも知ってはいるでしょう。…魔法のランプの伝説くらいは」
ですが、その伝説を信じる心を人類が持っているのかどうか…。こういう時代ですからね。
誰も信じていないのだったら、ランプの精も行き場を失くしたことでしょう。何処へ行こうかと彷徨っているかもしれません。…地球を離れて、この宇宙を。
そんな時代に、あなたが魔法のランプを作ろうと仰っておられるのですよ?
ランプの精がそれを見付けたら、丁度いいと入り込みそうですが…?
「偽物のランプが本物になると言うのかい?」
この船で作った形が似ているだけのランプに、本物のランプの精が入って…?
「絶対に無いと言い切れますか?」
我々が持っているサイオン。…これも人類にとっては信じられない力です。忌み嫌うほどに。
けれど、我々は生きていますし、作り話ではありません。…ランプの精も同じことです。絶対にいないとは誰にも言えないことでしょう。…少なくとも私は言い切れません。
もしも、本当にランプの精があなたの前に現れたなら。
三つの願いを叶えてやろうと言われたならば…。その願い事で後悔なさいませんか?
元の話では、三つの願いが叶った後には、心に悔いが残るようですが…。
「…どうなんだろう?」
ぼくも話は知っているから、魔法のランプと言ったんだけれど…。
三つの願いは、あれで正しいと思うんだけれど、ぼくは間違っているんだろうか…?
「いえ、間違ってはいらっしゃいません。…とても素晴らしい願い事だと思います」
平和な時代が訪れるでしょうし、皆も喜ぶことでしょう。
ですから、ソルジャーとしては正しい願い事ですが…。ソルジャーではない、あなたの方は…?
他に三つの願い事を持っておられませんか?
「…ぼくの願い事…」
ソルジャーではなくて、ぼく自身の…。それは…。
まるで考えてもいなかったこと。ソルジャーではなくて、ただのブルーとしての願い事。
ランプの精に頼みたいことは、三つではとても足りないだろう。欲張りと言ってもいいほどに。
(…ぼくの願い事は…)
失くした記憶を取り戻したいし、ハーレイと幸せに生きてゆきたい。これでもう二つ、一つしか残らない願い事。他にも山ほどあるというのに。
地球に行きたいし、人類に追われない世界も欲しい。出来れば地球で暮らしてみたいし…。
どれを願えばいいのだろう。三つ目の願いを言うのなら。
それよりも前に、ソルジャーとして三つの願いをしたなら、自分のためにはただの一つも…。
(…残らないんだ…)
叶うことは地球に行くことだけ。ミュウの未来も、平和な時代も、失くした記憶を自分にくれはしないだろう。ハーレイと幸せに生きてゆけるかどうかも、多分、自分の運次第。
「…ハーレイ…。ぼくは後悔するんだろうか?」
三つの願いを叶えた後には、やっぱり後悔するんだろうか…?
みんなが喜んでくれたとしたって、ぼくの願いは叶わなかった、と…。
「なさるような気がいたしますが…?」
ですから、こうして申し上げているのです。…ランプの精が現れた時が心配ですから。
あなたが後悔なさらないだろうと思っていたなら、私は止めはいたしません。
魔法のランプにそっくりのランプをお作りになろうが、それが本物になってしまおうが。
本当に心配そうだった前のハーレイ。忠告の意味もよく分かった。
(ランプの精なんて、いないとは思ったんだけど…)
絶対とは確かに言えない世界。現に自分も、思いもしなかったミュウへと変化したのだから。
それを思うと、魔法のランプは恐ろしい。本物になってしまった時には、ランプの精が現れる。三つの願いを叶えるために。
(…ソルジャーとしての願い事なら、本当にあの三つだけれど…)
自分自身のこととなったら、三つでは足りない願い事。ソルジャーとして願えば、三つの願いはおしまいなのに。…自分のためには残らないのに。
けれど、最初から自分のためにと願えはしない。船の仲間を、ミュウの未来を放っておくなど、自分には出来はしないから。願っても悔いが残るだけだから。
(…ぼくだけ幸せになったって…)
他の仲間たちのことを思っては、心が痛み続けるのだろう。なんということをしたのか、と。
逆に、仲間たちのために三つの願いを使ったならば。
(…ぼくには一つも残らなかった、って…)
きっと悲しむ日が来るだろう。どうしてあの時、これを願わなかったのかと。
三つの願いを叶えて貰って、後悔したくはなかったから。
魔法のランプを模したランプを作らせることはやめたのだった。前の自分は。
青の間にランプを置くことも諦めざるを得なくて、ランプを灯してのデートは公園でだけ。夜の公園でハーレイと二人、そっと灯して過ごしただけ。
仲間には視察のふりをして。…抱き合うこともキスも出来ない、二人きりのデート。それでも、充分幸せだった。今夜は恋人同士でデート、と。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が欲しがったランプ。
本物の魔法のランプが欲しかったわけではなかったけれども、その形を模したランプを、と。
そう願ったから、前のハーレイと魔法のランプの話になった。三つの願いをどうするのか、と。
ソルジャー・ブルーだった前の自分の、迷いない答え。
一つ目の願いは、ミュウたちの未来。二つ目の願いは地球へ行くこと。三つ目の願いは、平和な時代。それで全部だと、叶えばいいと。
それは立派な答えだったけれど、あくまでソルジャー・ブルーの願い。前の自分の本当の願いは一つも入っていなかった。
(地球へ行くことは重なるけれど…)
ソルジャーとしての願いでないなら、それは一つ目にはならない願い。
自分のために三つの願いを使っていいなら、失くした記憶を取り戻すこと。そして、ハーレイと幸せに生きてゆくこと。これで二つ、と前の自分は考えたから。
(三つ目で、地球に行ったって…)
きっと嬉しくはなかっただろう。純粋に自分自身のためでも、他に何かがあった筈だ、と。
三つの願いを叶えた後には、必ず残っただろう悔い。
ソルジャー・ブルーとして願った時には、「ぼくのためには一つも使えなかった」と。
自分自身のために願ったら、「どうして仲間のために使わなかったのだろう」と。
考えた末に、魔法のランプを諦めた自分。
本物ではなくて、その形を模したランプだったのに、前の自分は恐れてやめた。
もしも本物になったならば、と怖かったから。…きっと後悔するだろうから。
今の自分は、三つ目で失敗ばかりだと嘆いていたけれど。
結婚だとか、ハーレイといつまでも一緒がいいとか、三つ目の願いはハーレイに、とか。幾つも失敗を重ねた三つ目、どれも前の自分の願いにはとても及ばない。
前の自分なら、そんな願いをしようとも思わなかったから。
(他に一杯、もっと大切な…)
叶えたかった願い事。ソルジャー・ブルーとしてなら三つで、それは見事に使えたけれど。三つ叶えてしまった後には、叶えられなかった自分自身の願いが沢山。
そうしてソルジャー・ブルーが後悔しただろう、自分のための願い事。
今の自分とは比べようもなく、切なく、悲しい願いの数々。
(ハーレイと幸せに生きていきたかったのに、って…)
きっと悲しんだろうソルジャー・ブルー。今の自分は願わなくても、幸せになれる人生なのに。
(失くした記憶は、どうしようもないけど…)
ぼくも忘れたままなんだから、と考えたけれど、今の自分は忘れてはいない。蘇った青い地球に生まれて、今日まで生きて来た日々を。両親も、家も、友達も、全部。
(…今のぼくの方が、ずっと幸せ…)
前の自分よりも遥かに幸せに生きている分、減っているだろう願いの切実さ。
だから余計に失敗をする。願いを軽く思っている分、三つ目で何度も重ねた失敗。
そうではなかったソルジャー・ブルーも、駄目だと願いを諦めたのに。
叶えたいことが沢山あっても、自分にはとても願えはしないと。
願った後には悔いが残るから、魔法のランプを作りはすまい、と…。
前の自分がどう考えたのかを思い出したら、手に負えないと気が付いた。
魔法のランプが叶えてくれる三つの願い。失敗するのは当然なのだと、今の自分が使いこなせる筈が無かった代物なのだ、と。
「そっか、魔法のランプのお願い…。前のぼくでも無理だったんだ…」
今のぼくには上手く使えない、って思ってたけど…。前のぼくのつもりで考えても駄目だ、って思ったけれど…。
前のぼく、ホントに考えてたんだ、ぼくよりもずっと真剣に…。
ハーレイに言われたからだったけれど、ちゃんと考えて、後悔するのが怖くなっちゃって…。
本物の魔法のランプになったら大変だから、って偽物のランプもやめちゃった…。
ぼくに使えるわけがないよね、前のぼくでも無理だと思っていたんだから。
「そういうことだな。お前もすっかり思い出したか」
魔法のランプは、ソルジャー・ブルーでも使いこなせなかったんだ。お前じゃ無理だな、チビで弱虫なんだから。…失敗した、って泣き出すに決まっているんだから。
しかしだ、今のお前は魔法のランプをとっくに持っているんだが…?
わざわざ探しに行かなくっても、前のお前みたいにそっくりなヤツを作らせなくても。
でもって、お前の願いを叶えに現れるランプの精はだな…。
俺だ、と自分を指差したハーレイ。
「いいか、俺がお前のランプの精だ。…お前が俺の御主人様だ」
願いは三つしか叶えられないとか、そういうケチなことは言わない。
どんな願いでも、幾つでもいい。俺の力で叶うことなら、俺は幾つでも叶えてやる。
お前のためなら、俺は何でも出来るんだ。…無茶なことさえ言われなければ。
「ホント?」
…ハーレイがぼくのランプの精なの、三つよりも沢山言ってもいいの?
ハーレイだったら、ぼくのお願い、簡単に叶えられそうだけど…。
ぼくの背丈は伸ばせなくても、大きくなったら結婚して一緒にいてくれるんだし…。
「なるほど、今のお前の願いは大体、分かった」
大きく育って、俺と結婚したいってトコだな。その辺りで三つとも使っちまった、と。
安心しろ、三つの願いで終わりだとは俺は言わないから。…もっと我儘も言っていいから。
俺は今度こそ、お前のために生きると決めているんだ。お前のランプの精みたいに。
お前の願いは何でも叶える。…前の俺が出来なかった分までな。
うんと欲張りに願ってもいいし、ランプを擦らなくてもいいぞ、と頼もしいランプの精だから。
今の自分は、ハーレイが住んでいる魔法のランプをとっくに持っているらしいから。
三つの願いに頼らなくても、願わなくても、きっと幸せになれるのだろう。
いつか背丈が伸びたなら。
ハーレイという名前のランプの精と、結婚して一緒に暮らし始めたら…。
魔法のランプ・了
※ブルーが欲しくなった魔法のランプ。前のブルーも、魔法のランプを欲しがったのです。
けれど願いを叶えたなら、必ず残る悔い。今のブルーには、願い事は無限なランプの精が。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
朝から爽やかに晴れた土曜日。今日はハーレイが来てくれる日、とブルーの心は弾むよう。
天気がいいから、ハーレイは歩いてやって来るのだろう。運が良ければ、お土産もある。途中で買って来てくれて。
(お土産、あるといいんだけれど…)
チビの自分が貰えるお土産は、食べ物ばかり。残しておける物は貰えない。それでも欲しくなるお土産。あるといいな、と。
朝食を食べて、部屋の掃除も綺麗に済ませて。そろそろかな、と何度も窓を覗いてみるのに。
(…ハーレイ、まだ…?)
いつもだったら、とうに来ている時間。なのに、ハーレイは歩いて来ない。車も見えない。前のハーレイのマントの色をしている愛車。それも走って来はしない。
時計を眺めては、窓を覗いて待っているのに。朝からずっと待っているのに、来ないハーレイ。
(まだなのかな…?)
遅すぎるよ、と階段を下りて玄関先まで行ってみたけれど、鳴らないチャイム。扉を開けても、庭を隔てた門扉の向こうにハーレイはいない。
出くわした母に「ハーレイに通信を入れてみてよ」と頼んだら…。
「ハーレイ先生にも御都合があるでしょ?」
お出掛けになる時間が遅れることだってあるわ、ほんの少し遅いだけじゃない。
急な用事で来られなくなったなら、ハーレイ先生から連絡が来るに決まっているでしょ。
遅いと思うのはブルーの都合ね、と取り合ってくれなかった母。
それもそうか、と納得して部屋に戻ったけれど。
更に待っても、ハーレイは家に来てくれないまま。歩いて来る姿も、車も、どちらも見えない。窓から顔を出して覗いても、伸び上がっても。
(なんで…?)
時計を見れば、いつもの時間をとうに一時間は過ぎている。いくらなんでも遅すぎる時間。
これは変だ、と母の所へ言いに行ったのに。
「そうねえ、確かに遅いけど…。お昼御飯に遅れそうなら、通信が入ると思うわよ」
でも、通信は来ていないから…。その内にいらっしゃるわよ、きっと。
部屋に戻って待ってらっしゃい、窓から見てればいいでしょう?
「えーっ!」
ママ、通信は?
まだ家ですか、って訊いてくれないの?
「さっきも言ったわ、ハーレイ先生にも御都合があるの」
家を出ようとなさってる時に通信が入ったら、また戻らなくちゃいけないのよ?
ご迷惑をお掛けするから駄目、と断られた通信。ハーレイの家への連絡手段。母は通信機のある部屋とは別の所にいたから、自分でコッソリ入れようかどうか迷ったけれど。
通信機の前で暫く眺めて、諦めた。
登録してあるハーレイの番号。呼び出しても留守ならかまわないけれど、繋がったならば。
ハーレイが出て、「丁度良かった。今日は行けなくなったんだ」と言われたりしたら、その場で泣き出してしまいそうだから。「そんな…」と涙をポロポロ零して。
それに、母にも叱られるだろう。「駄目だと言ったのに、通信、入れたの?」と。
ハーレイが来られなくなったのならば、自分が伝えに行くしかないから。
悲しい情報を伝えなくてはいけない上に、叱られたのでは踏んだり蹴ったり。それは嫌だから、通信を入れるのは諦めるしかないだろう。
仕方ないから部屋に戻って、待つのだけれど。やっぱり来てはくれないハーレイ。
窓の向こうを覗くのも悲しくなってきたから、机で本を読むことにした。もっとも頭はすっかりお留守で、文字を眺めているというだけ。少しもページを捲れはしない。
(お土産を買いに出掛けて、遅くなったりはしないだろうし…)
どうなっちゃったの、と頭の中身はハーレイばかり。本など読んでいないのと同じ。ハーレイのことしか考えられなくて、ぐるぐるしていたらチャイムが鳴った。
(ハーレイ…!)
やっと来てくれた、と駆け寄った窓。門扉の向こう、手を振るハーレイが左手に提げている箱。
(お土産!)
遅くなった原因はこれだったのか、と一気に機嫌が良くなった。あれを買うために行列したか、遠い所まで行って来たのか。きっと素敵なお土産だろう、と心が浮き立つ。箱を見ただけで。
ハーレイが母に案内されて来たから、早速、訊いた。お茶とお菓子はまだだけれども。
「お土産、なあに?」
箱が見えたよ、何のお土産?
「ケーキじゃないのか、お母さんに渡して来たんだが」
「えっ…?」
ハーレイ、中身、知らないの…?
そういう売り方のケーキだろうか、と考えていたら、母が運んで来たケーキが幾つも入った箱。色々あるから、好きなのをどうぞ、と。
「んーと…。どれにしようかな…」
箱の中を覗いて、迷って、「これ」と選んでお皿に載せて貰ったケーキ。ハーレイも一個。母は残りを運んで行って、代わりに紅茶のカップやポットを持って来た。「ごゆっくりどうぞ」と。
いつもの土曜日より遅いけれども、やっとハーレイと二人きり。お土産もあるし、とハーレイがくれたケーキを御機嫌で眺めていたら。
「こりゃまた、美味そうなケーキだなあ…」
そうハーレイが口にしたから、驚いた。ケーキはハーレイが持って来たのに。
「…美味しそうって…。ハーレイが買って来たんでしょ?」
中身は最初から詰めてあったのかもしれないけれど…。選べないお店かもしれないけれど。
見本のケーキは出ていなかったの、こんなケーキが入っています、って…。
「選ぶも何も…。俺は箱ごと貰ったんだ」
「貰った!?」
「うむ。…遅刻のお詫びだ」
遅くなったろ、いつもよりずっと。…そいつのお詫びに貰ったってわけだ。
「それなら買うでしょ、お詫びなんだから」
なんで貰うの、話が変だよ?
「それはまあ…。遅刻したのは俺なんだが…」
遅刻の原因は、俺じゃなかったってことだ。遅刻しないよう、きちんと家を出たんだから。
そいつが途中で狂っちまった、のんびりと道を歩いていたらな。
普段通りに着けるように、と歩き始めたハーレイだけれど。此処に着くまでの真ん中辺り。丁度そういう辺りの所で、ハーレイが出会った迷子の子猫。
最初は迷子と気付かなかったらしい。道端の植え込み、其処から声が聞こえたから。
「ヒョイと覗いたら、ブチのチビでな。撫でてやって、歩き出そうとしたら…」
俺を呼ぶんだ、「行かないでくれ」って。…そういう声って、あるだろうが。
よくよく見たら、なんだか心細そうで…。試しに歩き出したら、植え込みの中に潜っちまって。
戻って行ったら、中でブルブル震えてるんだ。隠れてます、って感じでな。
これは変だ、と気付くだろ?
何かに追い掛けられたのだろう、とハーレイは考えたらしい。それで怖くて怯えていると。
可哀相だからと子猫を抱き上げてやって、誰か預かってくれそうな人は、と見回しながら歩いていたら張り紙があった。迷子の子猫を探す張り紙。昨日から行方不明と書かれて、写真も。
まさか、と腕の中の子猫を見たら、その猫だった。模様も、真ん丸な瞳の色も。
「それで届けに行って来たんだ、見付けちまったら行くしかないだろ」
ただ、子猫の家が遠くてなあ…。俺にとっては大した距離じゃないんだが。
此処へ来るには回り道ってヤツだ、まるで違う方へと行っちまったから。…遅くなってすまん。
「…子猫…」
迷子の子猫を届けてたんだ…。凄く遅いと思ったけれど…。
「本当にすまん。…おまけに、御礼を買って来ますから、って言われちまって…」
直ぐですから、ってケーキを買いに行ってくれたんだ。ちょっと待ってて下さいね、とな。
待ってる間に、通信、入れれば良かったなあ…。その家で借りて、「遅くなるから」、って。
でなきゃ、途中の何処かで入れても良かったんだ。…通信機、幾つかあるのにな。
俺としたことがウッカリしていた、子猫が無事に家に帰れたもんだから…。
良かったな、って思っちまって、肝心のチビを忘れてた。
此処にもチビがいるっていうのに、チビの子猫の心配ばかりで。
ハーレイが迷子の子猫を届けに出掛けて行った家。
その家に着いたら、母猫がいたのだという。兄弟のチビの子猫たちも。迷子だった子猫を連れて入った途端に、転がるように走って来た母猫。兄弟猫も急いでやって来た。
「母親が顔を舐めてやってな、他のチビどももミャーミャー鳴いて…」
俺が連れてったチビは、もう俺なんか見ちゃいなかった。家族の方がいいに決まっているしな。
「そうだよね…」
お母さんとかの方がいいよね、いつも一緒にいたんだもの。
「だろうな、迷子になっちまうまでは。…離れたことなんか無かっただろう。可哀相に」
その家の人に聞いた話じゃ、庭で遊んでいて、行方不明になっちまったそうだ。
お前の家と同じで生垣だったし、出たり入ったりして遊んでたんだな。ところが、ヒョイと表へ出てった途端に、通り掛かった犬に吠えられて駆け出しちまって…。
家の人が慌てて飛び出してったが、それっきりだ。…チビは見付からなかったんだ。
「…それで昨日から行方不明だったの?」
張り紙も張ってあったのに…。家の人だって、ずいぶん探していたんだろうに。
「子猫だから、怖くて隠れちまっていたんだろう。人が来た時は」
名前を呼ばれて出ようとしたって、他の人が歩いていたんじゃなあ…。
サッと引っ込んで隠れるしか道が無かったってことだ、怖い目に遭いたくないんなら。
それでも我慢の限界ってトコで、たまたま俺が通ったわけだ。動物には好かれるタイプだし…。声を掛けても大丈夫だろうと思ったんだな、あのチビも。
「…子猫、お腹が空いてただろうね…」
ハーレイが通るまで、きっと御飯は無かっただろうし…。子猫じゃ狩りも出来ないし。
「そりゃなあ…。あんなチビじゃ無理だ」
ようやく子猫用の食事が出来るようになったくらいのチビなんだぞ?
水くらいは舐めていたかもしれんが、飯は無理だな。
母猫たちに囲まれた後は、ガツガツと食べていたらしい子猫。たっぷりと入れて貰った食事を。子猫用の柔らかいキャットフードに、ミルクも飲んで。
ハーレイは正しいことをして遅刻したのだから、怒る気持ちはなくなった。
「良かった…。子猫が家に帰れて」
回り道でも、遅くなっても、ハーレイが子猫を送ってあげてくれて。
「おっ、俺を許してくれるのか?」
肝心のチビを忘れちまって、通信も入れずに遅刻したんだが…。悪いと思っているんだが。
「だって、ハーレイが子猫を見付けなかったら、もっと大変…」
ハーレイだったから、子猫も声を掛けられたんだよ、「助けて」って。
「行かないで」っていう声で鳴いてたんでしょ、きっと本当に心細かったんだと思うから…。
もしもハーレイが見付けて助けてあげなかったら、子猫、家には帰れなかったかも…。
「そうかもなあ…」
俺の代わりにデカイ犬でも連れた人が来たら、逃げるんだろうし。…此処も駄目だ、と。
怯えて隠れて逃げてる間に、どんどん遠くへ行っちまうこともあるからなあ…。
張り紙を見てくれる人もいないような所になったら、もう帰れんし…。
あんなチビだと、そうなっちまうことも少なくないし。
小さな子猫が迷子になったら、帰れないことも多いのだという。家から離れ過ぎた場合は。
誰かが拾って飼ってくれるけれど、もう独りぼっち。親も兄弟もいなくなって。
「やっぱり、帰れなくなっちゃうんだ…。早く見付けて貰えなかったら」
そんなことになったら可哀相だよ、前のぼくみたい。子猫、帰れて良かったよ…。
「前のお前だと?」
どうしてそういうことになるんだ、お前、迷子になってたか?
いくらシャングリラがデカイ船でも、前のお前なら何処からでもヒョイと飛べただろうが。今の不器用なお前と違って、行きたい所へ瞬間移動で。
「迷子じゃないけど、独りぼっち…。そっちの方だよ」
前のぼく、メギドでそうなっちゃったよ。…ハーレイの温もりを失くしたから。
帰れないのは分かっていたけど、独りぼっちになるなんて思っていなかったから…。ハーレイと一緒なんだと思ってたから、前のぼく、泣きながら死んじゃった…。
子猫がそうならなくて良かった、独りぼっちは悲しいもの。どんなに優しい人が見付けて飼ってくれても、独りぼっちは寂しいもの…。
「それか…。メギドと重ねちまったか」
確かにそうかもしれないな。…犬に吠えられてビックリするのも、撃たれちまうのも似たようなモンか…。あの子猫は家に帰れなくなって、前のお前は右手が凍えちまって。
どっちも独りぼっちだなあ…。
子猫は無事に家に帰れたが、前のお前はそれっきりか…。だが…。
ちゃんと帰って来たじゃないか、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「少々、小さくなっちまったが…。お前もちゃんと帰って来ただろ?」
あの子猫みたいに、俺の所へ。多分、神様に拾って貰って。
「うん…。誰かが拾ってくれたんだとしたら、神様だと思う。…帰る所を探してくれたんなら」
でも、ハーレイかもしれないよ?
独りぼっちのぼくを見付けて、今日の子猫みたいに拾ってくれて。…地球に行こう、って。
ハーレイだったら見付けてくれそう、ぼくが隠れて震えていても。
もう酷い目に遭うのは嫌だ、って誰にも会わずに隠れていても。
…きっとハーレイなら見付けてくれるよ、「もう怖くないから、俺と行こう」って。
その途端に、ぼくも気が付くんだよ。もう出て行っても平気なんだ、って。誰が呼んでるのか、声で分かるもの。…ハーレイの声は分かるんだもの…。
ハーレイが見付けてくれたのかも、と話していて思い出したこと。
今日のハーレイは子猫を助けて遅刻したけれど、前のハーレイもそれに似ていたっけ、と。
「そうだ、前のハーレイも遅刻してたっけね」
今のハーレイみたいな感じで。…子猫は拾っていないけれども。
「はあ? 遅刻って…」
ブリッジにでも遅刻してたか、お前の記憶に残るほど派手に遅れてはいない筈だが…。
せいぜい五分くらいってトコだぞ、ブリッジにしても、会議にしても。
「…そういうのはね。ハーレイが仕事で遅刻していたことは無かったよ」
遅れたとしても、ホントに少し。遅れた理由も仕事のせい。…ちゃんとしなくちゃ、ってキリのいいトコまで手を抜かないから。
ぼくが言うのは、今日とおんなじ。…ぼくの所に遅刻するんだよ、青の間に遅刻。
ちゃんと行きます、って約束してても、みんなの悩みを聞いてあげたりしている間に。
もう来るかな、って紅茶とかを用意して待っているのに、ハーレイ、ちっとも来ないんだよ。
五分くらいの遅刻じゃなくって、三十分とか、一時間とか。
「あったっけなあ…!」
仕事が終わったら直ぐに行くから、と言っておいたのに凄い遅刻とか…。
昼間に時間が取れそうだから、って約束したのに、その時間をとっくに過ぎちまったとか。
すまん、とハーレイが頭を下げた。今度の俺もやっちまった、と。
「…お前をすっかり待たせちまった、そんなつもりはなかったのにな」
前の俺だった頃と全く同じだ、お前が思い出した通りに。
ただし、今日のは猫だったが…。仲間の相談に乗っていたならまだしも、子猫なんだが…。
おまけに、通信を入れるのも忘れちまってた。…俺を待ってるチビがいるのに。
「今だからだよ、ハーレイが助けてあげる相手が子猫になるのは」
助けて、って呼ぶのが子猫なんでしょ、平和な証拠。
今は平和な時代なんだもの、ハーレイだけが頼りだっていう人はいないでしょ?
子猫しか困っていなかったんだよ、ハーレイを遅刻させるほどには。
人間はハーレイに頼らなくても、ちゃんと他にも道があるから。
「まあなあ…。困っていたって、誰かはいるな。人間だったら」
あの子猫には、俺しかいなかったみたいだが…。俺より前には、頼りになりそうなヤツが一人も通らなかった、と。でなきゃ、通っても気付かなかったか。寝ちまっていたら気付かないしな。
だが、人間なら、わざわざ俺を呼び止めなくても、他に頼れるヤツがいるわけで…。
教え子には親がついてるもんだし、先にそっちに行くだろうなあ…。
親にはちょっと、と思うにしたって、友達だって大勢いるし。
お前の言う通り、子猫くらいなものかもしれんな。…俺を呼び止めて遅刻させるヤツ。
シャングリラの時代とは違うからな、とハーレイが浮かべた苦笑い。
平和な時代になってしまったら、キャプテン・ハーレイに用があるのは子猫くらいか、と。
「俺の行き先も、青の間から此処に変わっちまったし…」
来るのが遅いと待っているのも、ソルジャー・ブルーじゃなくてチビだし。
それだけ変われば、俺を呼び止めるのがチビの子猫になっちまうのも無理はないかもな。…ん?
待てよ、シャングリラの頃でも似たようなモンだと思うんだが?
平和な時代かどうかはともかく、俺を呼ばなくても相談に乗ってくれそうなヤツは…。
今と同じにいたんじゃないのか、シャングリラには仲間が大勢いたんだから。
「それはそうだけど…。親はいなかったよ、シャングリラにいた仲間たちには」
本物の親はトォニィたちの時代までいないし、養父母だって…。
前のぼくたちみたいに最初からいないか、アルテメシアでミュウだと分かってお別れになるか。
親は誰にもいなかったじゃない、どんなに相談したくても。
…今の時代は本物の親がいるけれど。トォニィたちみたいに、血の繋がった親が。
それに、シャングリラだと、友達に相談するにしたって、船の仲間しかいなかったんだよ?
船の中が世界の全部なんだし、友達だって、その中だけ。
言いにくいこともあったと思うよ、友達には。
その友達の友達は誰だろう、って考え始めたら、船中に相談するのとおんなじ。
筒抜けになりはしないけれども、そうなっちゃったらどうしよう、って怖くならない…?
今の時代は、いくらでもいる相談相手。悩みに応じて、相手も色々。
自分のような子供だったら、真っ先に思い浮かべるのが親。頼りにもなるし、一番身近。一緒の家で暮らしているから、いつでも気軽に相談出来る。好きな時間に。
学校のテストの成績を親に言うのが怖い、という悩み事なら、これは友達。自分の場合は一度も経験していないけれど、そういう悩みも子供には多い。「家に帰れない」としょげているとか。
その友達と喧嘩したなら、仲直りさせてくれそうな友達に相談に行く。実はちょっと、と。
大人の場合も、きっと似たようなものだろう。
子供よりも世界が広い分だけ、相談相手も増えてゆく。結婚したなら、結婚相手が親よりも近い相談相手。親にも変わらず相談出来るし、結婚相手の親にだって。
仕事を始めたら、仕事仲間や、仕事で出会った大勢の人や。
友達にしたって、色々な機会にどんどん増える。上の学校に進めば増えるし、仕事場でも。旅をしたなら、その旅先でも。
もちろん悩みも増えるだろうけれど、相談相手も増えているから大丈夫。
仕事のことなら、仕事で出来た仲間が大いに頼れるだろうし、他の仕事に就いた友達も、きっと頼りになるのだろう。「俺の場合は…」といった具合に。
人間関係の悩みにしたって、子供の頃より広がった世界は、きっと遥かに頼もしいから。
知り合いの数が増えた分だけ。友達の数が増えた分だけ、頼りになる人も増えるから。
けれど、白いシャングリラは今の時代とは全く違った。
船の中が全てで、閉じていた世界。人間も船の仲間が全て。
しかも人間は多くなかった。子供から大人までを全て数えても、町の住人にはとても及ばない。大規模な上の学校だったら、生徒だけでシャングリラの人口を越える。
たったそれだけの人数な上に、その中に混じる大人と子供。
同じ大人でも、アルタミラ時代からの古参もいれば、アルテメシアから加わった者も。
おまけに、無かった本物の家族。大人にも、それに子供にも。
一番身近な相談相手がいない世界で、船の外には出られない世界。生まれた悩みを相談したいと思った時にも、船の仲間しか頼れない。
仕事の悩みだったらともかく、人間関係の悩みとなったら大変だった。大人も、子供も。
誰かと喧嘩をしてしまったから、と相談しようにも、船の中の世界が狭すぎて。
友達同士も繋がっているのが普通だったから、下手に相談すればこじれてしまいかねない。誰に相談すべきなのかを見定めないと、失敗することも多かった船。
相談を受けた相手が「それは嘘だ。こう聞いている」と話を聞いてくれなかったり、喧嘩相手の肩を持つのはよくある話。
ソルジャー候補だったジョミーでさえもが、前の自分が深い眠りに就いた後には孤立したほど。
船の仲間と上手くやってゆけずに、引きこもっていたと今のハーレイに聞いた。
人類に送った思念波通信、それが失敗に終わったせいで。
シャングリラは人類軍に追われ始めて、ジョミーを責める者たちが増えた。なのに、ジョミーは持っていなかった相談相手。ソルジャー候補としての悩みは前の自分が聞いていたから。
(…前のぼくが、ちょっと気配り不足…)
今にして思えば、そうだったろう。
全てジョミーに任せるのではなくて、人脈を作らせておくべきだった。ソルジャーという立場にいたって、相談相手が必要な時もあるのだから。
(前のぼくには、ハーレイがいて…)
いつでも、何でも相談出来た。前のハーレイの「一番古い友達」、それが前の自分だったから。
最初は友達、後には恋人。どんなことでも、ハーレイにだけは打ち明けられた。
(フィシスを攫って来た時も、そう…)
人間でさえもなかったフィシス。機械が無から創った生命。
それをミュウだと偽って船に迎え入れた時も、ハーレイだけは知っていた真実。自分一人だけで抱えずに済んだ。フィシスの秘密を。
前の自分は相談相手を持っていたのに、ジョミーにもそれが必要なのだと気付かなかった。そのせいで孤立したジョミー。相談相手がいなかったから。
(…ハーレイ、前のぼくの恋人だったから…)
懸命に仲を隠していたから、その重要さが分かっていなかった自分。ソルジャーとキャプテン、そういう仲だと「ソルジャーとしては」思っていたから。
ソルジャーには補佐役がいればいいのだと、前の自分は勘違いした。前のハーレイは、傍目には補佐役だったから。ソルジャー・ブルーの右腕で、キャプテン。
(…だけど、恋人で、友達…)
それを失念していた自分。ジョミーにもハーレイとの仲を悟られないよう、それまで以上に隠し続けたから。ハーレイがどういう存在なのかを。
だから思いもしなかった。ジョミーにも誰か、相談相手を作らねば、とは。
ソルジャー候補の悩みは自分が聞けばいいことなのだし、一人立ちした後はキャプテンや長老がいれば充分だろうと、前の自分は考えた。自分自身の相談相手はキャプテンだけで足りたから。
シャングリラという特殊な世界の中では、難しかった悩みの相談。
前の自分の配慮が足りずに、ジョミーが孤立したほどに。きっとジョミーも怖かったのだろう。相談相手を間違えたならば、どうなるか分かっていただろうから。
下手に誰かに相談したなら、船中に知れてしまわないかと、それも恐ろしかっただろう。
「…ハーレイ、前のぼくも失敗しちゃったんだよ。…ジョミーのことで」
ジョミーが何でも相談出来る友達を作るの、忘れちゃってた…。ぼくにはハーレイがいたのに、恋人だから、って思い込んでて、隠してて…。
そのせいでジョミーは独りぼっちになっちゃったんだよ、誰にも相談出来なかったから。
思念波通信が失敗した時、相談相手がちゃんといたなら…。ジョミーは孤立しなかったと思う。悩みを何でもぶつけられるし、頼りになるし…。
ぼくはその役、ハーレイでいいと勝手に思い込んじゃってたよ。ハーレイ、いろんな仲間たちの相談、聞いていたから…。聞いては遅刻しちゃってたから。
でも、ジョミーにハーレイをきちんと紹介してもいないのに、そうそう相談出来ないよね…。
「そう言われれば、そうかもなあ…」
思念波通信をしようと思う、っていう相談には来ていたんだが…。
失敗した後には来ていなかったな、そういえば。…俺に叱られると思っていたかもしれないな。
「どうしてブリッジに来ないんだ」と小言ばかりで、怖かったかもしれん。
俺の方でも、キャプテンとしての立場ってヤツがあるからなあ…。
うん、俺も失敗しちまったんだ。前のお前と同じでな。
ジョミーに一言、こう言ってやれば良かったんだ。「悩みがあるなら聞いてやるぞ?」と。
「長年そいつをやって来たから、人生相談のプロなんだ」とな。
なにしろ子供の人生相談までしていたわけで…、とハーレイが言う通り。
キャプテン・ハーレイは子供たちにも呼び止められた。青の間へ行こうとしていた時に。
「そっか、子供もいたっけね…」
大人ばかりじゃなかったよね、と思い浮かべた子供たちの顔。幼かった頃のヤエや、シドやら。
「将来はどうしたらいいのだろう」と真剣な顔でキャプテンを呼び止めた子供たち。この船での将来に不安がある、と子供なりに将来を心配している顔で。
ハーレイが話を聞いてやったら、子供たちの相談事は「なりたいもの」の話ではなくて…。
「まったく、何が将来なんだか…。あいつらときたら」
そう言って俺を呼び止めるくせに、大抵、喧嘩とかなんだ。相談事も、悩みってヤツも。
船での将来には違いないがな、喧嘩したままだと遊び場はお先真っ暗なんだし。
しかしだ、普通は将来と言えば、船でどういう仕事をするとか、そんな話だと思うだろうが。
「でも…。大人の時だって、そうじゃない」
ハーレイを呼び止めてた大人。…将来って言い方はしなかったけれど、どうやって生きていけばいいだろうとか、そんな感じで。
生きるか死ぬかって顔をしてるから、ハーレイ、何か大失敗でもしたんだろうかと思うのに…。
話を聞いたら子供たちと同じ。誰かと喧嘩をしちゃっただとか、そんなのばかり。
本当にキャプテンに相談するしかなさそうなことは、誰も相談しないんだよ。
「当然と言えば当然だろうな、それが大人の場合はな」
…キャプテンの指示を仰ぐようなことは、まずは自分の持ち場で相談。
そっちで話をきちんと纏めて、しかるべき場所で訊くもんだ。会議に出すとか、ブリッジとか。
歩いている俺を捕まえてみても、「資料はどうした」と言われるのがオチだ。
まったく、子供も、大人ってヤツも…。俺を何だと思ってたんだか、キャプテンなのにな?
船を纏めるのが仕事ではあるが…、と困ったような顔で笑うハーレイ。
キャプテンという立場にいたのに、ハーレイは少しも偉そうな顔をしなかった。怒った時でも、頭ごなしに怒鳴るようなことは無かったキャプテン。
だから余計に皆に頼られ、いつの間にやら相談係になっていた。前の自分は、それをジョミーに伝え忘れてしまったけれど。
「ハーレイ、ホントに人生相談のプロだったものね…」
子供から大人まで、ちゃんと真面目に話を聞いて。アドバイスだって、きちんとして。
…キャプテンなんだもの、船の仲間が喧嘩したままだと、上手くいかないのを知ってるものね。
人間関係が壊れちゃったら、シャングリラはもう、おしまいだもの。
「そういうこった。…喧嘩はほどほどにしておかんとな」
相談に来たヤツの悩みに合わせて、その辺のトコを説明する、と。子供だったら、子供向けに。
それで大抵、丸く収まる。…ジョミーの場合は、俺は相談に乗り損ねたが。
でもって、その手の人生相談。
いつも捕まっては、遅刻だってな。…お前が青の間で待っているのに。
「遅刻したって、怒らなかったよ?」
「前のお前はお見通しだったからなあ、サイオンで」
シャングリラの外の世界まで自由自在に見られたんだし、軽いモンだろ。
いくら待っても俺が来ないんなら、何処で油を売っているのか、ヒョイと覗いて。
「…そうだった…」
ハーレイ、遅いな、って船の中を探れば見付かったから…。
人生相談をやっているのも直ぐに分かったから、終わるまで待とうって思ってただけ。
どうして遅刻か理由が分かれば、怒る理由も無いものね?
ヒルマンやゼルとお酒を飲んでて遅刻だったら怒るけれども、人生相談の方なら怒らないよ。
迷子の子猫を送ってあげて遅刻するのと同じだもの、と言ったけれども。
今の自分は、ハーレイが子猫の家を探して歩いていたのも、まるで知らないままだった。迷子を送り届けた御礼に、ケーキを貰って来たことも。
サイオンが不器用な今の自分はハーレイの様子を探れはしないし、社会のルールもそういう風になっている。サイオンの使用は控えるのがルール、人間らしい生き方を、と。
「えーっと…。ハーレイ、また今日みたいに遅刻しちゃう?」
迷子の子猫にまた呼ばれたとか、人間の迷子を見付けちゃったとか…?
「やっちまうかもしれないが…。次からは通信を入れることにする」
お前をすっかり待たせちまうし、何処かで「遅れそうだ」と連絡するさ。
今日みたいに忘れていなければな。…本当にすまん、忘れちまって。
「忘れてもいいよ」
…忘れちゃってもいいよ、そういう理由で遅刻だったら。
「おい、いいのか?」
「いいよ、前のハーレイの頃から遅刻してたし…。ハーレイが優しいからなんだし」
遅れてもいいから、ぼくの所へ来てくれれば。
ちゃんと家まで来てくれるんなら、遅刻しちゃっても、通信を入れるのを忘れていても。
「来ない筈なんかないだろう…!」
今日だって俺はいつも通りに家を出たんだぞ、子猫に会わなきゃ時間ピッタリに着く筈だった。
子猫を送り届けた後にも、せっせと急いでいたんだからな…?
お前と一緒に暮らし始めるまでは、俺はきちんと通ってくるさ、とハーレイが片目を瞑るから。
今日のような遅刻はあるかもしれないけれども、来てくれるのを待っていよう。
誰にでも優しいハーレイだからこそ、遅刻してしまうことになるから。
迷子の子猫を送り届けたり、シャングリラで人生相談をしたり。
いつかはそういうハーレイと同じ家で暮らして、帰りを待つことになるのが自分。
ハーレイの帰りを待って待ち続けて、「遅くなってすまん」と言われることもあるのだろう。
前の自分が待ちぼうけを食らった、青の間のように。
困っている誰かをハーレイが助けて、帰りがすっかり遅くなって。
(…だけど、青の間とは違うしね?)
今度はハーレイと二人で生きてゆくのだから。
二人きりの家で暮らすのだから、遅刻されてもかまわない。
その日は遅くなったとしたって、いつまでも二人、一緒だから。
何処かでゆっくり、心ゆくまで、二人だけの甘くて幸せな時間を持てるのだから…。
遅刻の理由・了
※迷子の子猫を送り届けて、遅刻して来たハーレイ。前の生でも、似たようなことが何度も。
人生相談の達人だったのに、前のブルーはジョミーを紹介し忘れたのです。可哀想に…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園、新しい年も平和にスタートしたのですが。元老寺での除夜の鐘やら、アルテメシア大神宮への初詣なんかも無事に終わって、学校の新年恒例行事もすっかり終了、次は入試かバレンタインデーか、といった辺りの今日この頃ですが…。
「おいおい、今日も副業やってんのかよ?」
サム君がシロエ君に声を掛けている放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。シロエ君は一心不乱に作業中というか、副業と言うか。カシスオレンジのチーズケーキは半分以上残っていますし、紅茶だって冷めてしまったのを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が入れ替えています。
「おい、シロエってばよ!」
「あ、すみません…。何でしたっけ?」
全く聞いていませんでした、と手を止めて顔を上げたシロエ君。
「明日の予定のことでしたか?」
「いや、そうってわけでもねえけどよ…。予定も何も…なあ?」
「どうせブルーの家だよね?」
土曜日だしね、とジョミー君が笑って、キース君も。
「寒い時期だしな、特にイベントも無いからな…。しかしシロエはこの調子では…」
「間違いなく明日も副業でしょう」
今日も注文多数でしたし、とマツカ君が言い、スウェナちゃんが。
「すっかりブームになっちゃったものねえ…」
「元は柔道部からだったよね?」
確か、とジョミー君が訊くと、キース君が「ああ」と。
「これが遊べたら楽しいのにな、と古いゲーム機を持って来やがったヤツが最初だったな」
「そうです、そうです。それでシロエが持って帰って直してしまって…」
それ以来ですよ、とマツカ君。
「大抵の家にはあるんですよね、ゲーム機もソフトも」
「一時期、相当流行ったからなあ…。無理もないが」
そしてゲーム機はとうにオシャカの筈なんだが、とキース君がシロエ君の手元を見詰めて。
「シロエにかかれば劇的に直ると評判が立ってしまったからな」
「持ち込みが後を絶たないよねえ…」
いっそ料金を取ればいいのに、とジョミー君。タダでは気前が良すぎないか、と。
「いえ、ぼくはこういうのが好きですから…」
「…駄目だな、これは」
明日も副業まっしぐらだな、とキース君が苦笑して、案の定…。
「うわあ、それだけ持って来たのかよ!」
今日の昼飯、カニ鍋だぜ? と呆れるサム君。雪模様の中、会長さんの家の近くのバス停に降り立ったシロエ君は大きな袋を提げていました。中身はゲーム機と修理用の工具に違いありません。
「あのさあ…。カニ鍋でそれやってるとさ…」
確実に負けるよ、とジョミー君が呆れた顔で。
「ただでもみんなが無言なのにさ、シロエがそっちにかかりっきりだと…」
「俺たちで全部食っちまうぜ?」
副業しながらカニを食うのは無理だもんな、とサム君が。
「カニを毟った手で弄れねえしよ、まったく何を考えてんだか…」
「そのカニですけど、ぼくは毟らなくてもいいそうですよ?」
食べるだけで、とシロエ君がサッサと歩きながら。
「ぶるぅが毟ってくれるそうです、昨日の夜に思念波で連絡が来ましたから」
「「「えーーーっ!!!」」」
それは反則とか言わないか、と一気に集中する非難。自分でカニを毟らなくても食べられるカニ鍋、そんな美味しすぎる話があってもいいんでしょうか?
「ずるいよ、ぶるぅに毟って貰って食べるだけなんて!」
ジョミー君が責め、サム君だって。
「ぶるぅはプロだぜ、お前、食いっぱぐれねえに決まっているし!」
「いいんですってば、ぶるぅが言ってくれたんですから」
今日のぼくは副業しながらカニ鍋です、と言い切られては反論出来ません。行き先は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の家ですし…。
「くっそ~、シロエが羨ましいぜ!」
「ぼくも羨ましくなってきた…」
毟らなくても食べられるカニ、とシロエ君が提げた袋をみんなでジロジロ、袋の中身は免罪符ならぬゲーム機の山と来たものです。
「いいなあ、毟らずに食べられるカニ…」
「でもよ、副業があるからだしなあ…」
無芸大食だとぶるぅも世話してくれねえよな、というサム君の台詞でグッと詰まった私たち。食べるだけなら誰でもお箸と器があったら可能ですけど、古いゲーム機の修理なんかは…。
「…俺には無理だな、どうあがいてもな」
「ぼくも無理だよ…」
仕方ないか、とキース君にジョミー君、他のみんなも。今日のカニ鍋、シロエ君の勝利…。
かくしてシロエ君は大量のゲーム機を修理しながら午前中のおやつを平らげ、カニ鍋の方も。食べるのがお留守にならないように、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がマメに声掛けした結果。
「…シロエが一番食ったんじゃねえか?」
カニの殻から察するに、とサム君が指差し、みんなで溜息。
「…負けたようだな…」
俺も頑張って食ったんだが、とキース君がぼやいて、ジョミー君が。
「ぼくも負けないつもりだったのに…。カニの量では敗北したよ!」
でも雑炊では負けないからね、と締めの雑炊をパクパクと。シロエ君の方は雑炊が冷めるに違いない、と眺めていれば。
「終わりましたーっ!」
これで全部、とシロエ君、いきなり戦線復帰と言うか参戦と言うか。修理を終えたゲーム機を置くなり雑炊をパクパク、それも熱い内に。
「嘘だろ、おい…!」
このタイミングで戻って来るなよ、というサム君の声は無駄に終わって、シロエ君が。
「すみません、こっちに刻み海苔を多めで!」
「かみお~ん♪ おかわり、たっぷりあるからねーっ!」
はい、刻み海苔! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシロエ君の雑炊にパラパラと。熱々の雑炊、シロエ君もリアルタイムで食べるようです。いろんな意味で負けた気がします、今日のカニ鍋…。
せっせとカニを毟った人より、毟らなかった人が勝ったカニ鍋。なんだかなあ…、と溜息をつきつつ、食べ終えてリビングへ移動した後は飲み物片手にお喋りですが。
「そのゲームってヤツ、マジで評判高いよなあ…」
シロエに修理の依頼が山ほど殺到するんだし、とサム君がゲーム機を手に取って。
「なんだったっけか、モンスター狩り…?」
「そうですよ?」
往年の名ゲームですよ、とシロエ君。
「ぼくも少しだけやってましたね、機械弄りの息抜きですけど」
「そいつが何故だか大流行り、というのが今のシャングリラ学園か…」
一般にはもう流通すらもしていないんだが、とキース君。
「シロエの副業で時ならぬブームだ、そうなってくると調べるヤツらも増えてくるしな」
かつてのゲームの遊び方を…、という話から。
「流行りは裸縛りってヤツだったっけ?」
「らしいぜ、キノコ縛りとな」
ジョミー君とサム君が頷き合って、スウェナちゃんが。
「何なの、それは? 裸縛りとかキノコ縛りって…」
「なんか使わないって意味らしいよ?」
ぼくもゲームはやってないけど、とジョミー君が言えば、シロエ君が。
「簡単に言ってしまうとですね、特定のアイテムを使わないでゲームを進めるんですよ」
「そうか…」
あれはそういうヤツだったのか、とキース君。
「そうじゃないかとは思ったんだが、どういう風にだ?」
「裸縛りだと防具無しです、裸一貫っていう感じですね。防御力がグッと落ちるわけです」
「なるほど…。それは難しいかもしれないな」
「そうなりますね。その状況で何処までやれるか、仲間と競って遊ぶんですよ」
キノコ縛りはキノコ無しです、という説明ですが。
「「「キノコ?」」」
「ゲームの世界のアイテムですよ。キノコを食べると回復だったり、効果が色々…」
「それを食わずに進めるんだな、なるほどな…」
面白い縛りがあったものだ、とキース君がニッと。
「俺はゲームはやっていないが、同じやるならキノコよりも裸縛りだな」
そっちの方が楽しそうだ、という意見。キノコよりも裸なんですか…?
シロエ君が修理したゲーム機で流行っているゲーム。同じ遊ぶならキノコ縛りより裸縛りだ、とキース君が言い出しましたが、どうしてそっちの方がいいわけ?
「あくまで俺の個人的な意見ということになるが…。武道を志す者としてはな」
防具無しの方を選びたい、と柔道部ならではの見解が。
「ああ、分かります! ぼくもやるなら、断然、裸縛りの方ですね」
今は修理に忙しいのでやりませんが、とシロエ君。
「一段落したら、ちょっとやろうかと思ってるんです、久しぶりに」
「おっ、やるのかよ?」
お前も参戦するのかよ、とサム君が訊くと。
「もちろんですよ! これだけ流行ってるんですからねえ、やっぱり一度は遊ばないと…」
「それじゃ、シロエも裸縛りでやろうってわけ?」
キノコじゃなくて、とジョミー君。
「縛るんだったら裸でしょう。キノコくらいはどうとでもなります」
「…そういうもの?」
「そんなものですよ、一種のコツがありますからね」
キノコが無くても抜け道色々、とシロエ運。
「ですからキノコを縛るよりかは、裸縛りの方が面白味ってヤツがあるんですよ」
もう本当に運次第で…、とシロエ君が語れば、会長さんも。
「そうだろうねえ、ぼくもゲームはやってないけど、やるならそっちの方を選ぶよ」
「会長もやってみませんか? そうだ、いっそみんなで遊ぶというのも…!」
この際、みんなで裸縛りで…、とシロエ君は乗り気で。
「面白いですよ、あのゲームは」
「そうなのかい? お勧めだったら、その内に遊んでみるのもいいかな…」
「是非やりましょう!」
誰が勝者になるかが全く読めませんからね、と言われてみれば…。
「そっか、ゲームで競ったことって…」
無かったかな、とジョミー君が首を捻って、マツカ君が。
「無いですねえ…。長い付き合いですけれど」
「ね、そうでしょう? 一度みんなで!」
「それもいいねえ…」
悪くないね、と会長さんが頷きました。シロエ君の副業とやらが一段落したら、みんなでゲーム。キノコ縛りだか裸縛りだかで、腕を競おうというわけですか…。
「ぼくは裸縛りを推しますね!」
やるならソレです、とシロエ君が熱く勧めて、キース君も。
「キノコ縛りよりは、そっちだという気がするな…」
「縛り無しっていうのは?」
ジョミー君が声を上げましたが、サム君が。
「同じやるなら縛りつきだろ、無しだとイマイチ面白くねえよ」
「ぼくもそっちに賛成だよ!」
「「「!!?」」」
あらぬ方から声が聞こえて、振り向いてみればフワリと翻る紫のマント。ソルジャーがツカツカとリビングを横切り、空いていたソファに腰を下ろして。
「ぶるぅ、ぼくにも何か飲み物! おやつもあると嬉しいんだけど…」
「かみお~ん♪ そろそろおやつも入りそうだしね!」
サッとキッチンに走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」がアーモンドクリームタルトを切り分けて運んで来てくれました。紅茶やコーヒー、ココアなんかも注文を聞いて熱いのを。
「はい、どうぞ!」
「「「いっただっきまーす!」」」
うん、美味しい! と頬張った所で、ソルジャーが。
「それでさ、さっきの裸縛りの話だけどさ…」
ぼくたちもやってみたいんだけど、とタルトを口に運ぶソルジャー。えっと、ぼくたちって…?
「決まってるだろう、ぼくとハーレイ!」
遊ばせてよ、と言われましても。
「あのぅ…。そういうゲームですよ?」
シロエ君が念を押しましたが。
「ゲームだからこそ、やりたいんじゃないか! 裸縛りを!」
是非ともそれで遊んでみたい、と熱意溢れるソルジャーの瞳。そんなにゲーム好きでしたっけ?
「モノによるんだよ、ハーレイとはレトロなボードゲームもやったりするしね」
「ああ、なるほど…。分かりました」
それじゃ二人分を余分に調達します、とシロエ君。
「なにしろ昔のゲームですから、行く所へ行けばタダ同然で売られてますしね」
「…売られてるって…。タダ同然で!?」
なんて素晴らしい世界だろう、と妙に感激しているソルジャー。誰も遊ばなくなったようなゲームとゲーム機、そういうものだと思いますけどね?
ゲームをするなら混ぜてくれ、と現れたソルジャーはシロエ君の言葉に感動しきりで。
「それじゃシロエに任せておくけど、アレだね、シロエも顔が広いね」
「それはまあ…。こういう道では長いですから」
行きつけの店も多いんですよ、とシロエ君。
「バイトから店長になった知り合いも大勢いますし、情報も豊富に入って来ますよ」
「素晴らしすぎるよ! まさかシロエにそんな特技があっただなんて!」
知らなかった、と嬉しそうなソルジャー。
「だったら、これからはノルディばかりに頼っていないで、そっちのルートも活用しなくちゃ!」
「「「は?」」」
どうして其処でエロドクターの名前が出るのだ、と思いましたが。
「だってそうだろ、シロエの方でもルートがあるっていうんだからさ!」
しかもタダ同然で色々なアイテムが手に入るルート、とソルジャーの瞳がキラキラと。
「あの手のヤツって、ぼったくりだと思ってたけど…。ある所にはあるんだねえ!」
「…何がです?」
何のことです、とシロエ君が訊き返すと。
「嫌だな、今更、照れなくっても…。裸縛りのゲームに使うアイテムだってば!」
「ああ、それは…。ぼったくる店もありますけどね」
店の見分けが大切なんです、とシロエ君。
「マニアとかコレクター向けの店だと、プレミアがついて高値になるのがお約束です。でもですね、そういったものには見向きもしないような人が多い店だと…」
「安いってわけだね、それはそうかも…」
その趣味が無い人には売れないだろうね、とソルジャー、納得。
「高い値段をつけておくより、安くても売れる方がいい、と」
「そうです、そうです。仕入れたからには売らないと店も損をしますし…。それに売りに行く方も心得てますよ」
詳しい人なら、とシロエ君は得々として。
「タダでも引き取って貰えそうにないものと、自分にとってはどうでもよくても世間で人気の高いものとを持ってってですね、セットでなければ売りません、と言うわけですよ」
「なるほどねえ…! そうやって成り立っているわけなんだね、あの業界は」
「チェーン店だと駄目ですけどね」
その手の技が通用しません、と得意げに語られる玄人ならではの知識の数々。狙い目は個人経営の店なんですか、そうですか…。
シロエ君の話に聞き入ってしまった私たち。ソルジャーも相槌を打ったり質問したりと、大いに満足したようで。
「それじゃよろしく頼むよ、シロエ。ぼくとハーレイも混ぜて貰うってことで!」
「いいですよ。…用意が出来たら連絡ってことでいいですか?」
「どうしようかなあ…。次の週末、暇なんだけどね?」
「次ですか…」
シロエ君は壁のカレンダーを眺めて、それから指を折ってみて。
「その辺りだったら、なんとか間に合うと思いますよ。副業の方は当分忙しそうですが…」
たまには息抜きに遊んでみます、という返事。ソルジャーは「いいのかい?」と嬉しそうで。
「そこならハーレイも休めるんだよ、帰ったら早速、休暇届けを出しとかなくちゃ!」
「…遊び方の説明とかは要らないんですか?」
要るようでしたら付けときますが、とシロエ君。
「初めて遊ぶって人ばかりですしね、入門書をサービスしてるんです。ぶっつけ本番がいいって人も多いんですけど、入門書希望の人もけっこう…」
「ふうん…? 入門書まで作っているのかい?」
「ごく簡単なヤツですけどね。ページ数はそんなに無いんですよ」
基本のプレイと使い方くらいで、とシロエ君は謙遜していますけれど、その入門書。一度は要らないと断った人が貰いに来るほど、実は人気の品だったりします。分かりやすいと評判も高く、基本と言いつつ裏技も多数。
「へええ…。シロエがそういう入門書をねえ…」
流石は裸縛りの達人、とソルジャーはいたく感心したようで。
「ぼくも入門書は要らないってクチの人間だけどさ、それは貰っておこうかなあ…」
「分かりました。ゲームとセットで渡せるようにしておきますよ」
「…先には貰えないのかい?」
その入門書、とソルジャーが。
「入門書だけ先に貰えるんなら、ぼくのハーレイと是非、読みたいんだけど!」
「いいですけど…。生憎と今日は持って来てなくて…」
「君の家にはあるのかい?」
「ありますよ。人気ですしね、昨夜も何冊か作ってたんです」
余裕のある日に作っておかないと在庫切れになってしまいますし…、という計画性の高さ。この几帳面な性格が反映されてる入門書ですから、そりゃあ人気も出ますってば…。
シロエ君の家にはあるらしいですが、持って来てはいない入門書。ソルジャーはそれに興味津々、少しでも早く欲しいらしくて。
「シロエの家にあるんだったら、一冊、欲しいな…。それとも二冊貰えるのかい?」
ぼくの分とハーレイの分とで二冊、とソルジャーが訊くと。
「もちろんです。サービスですから、一人一冊は基本ですよ」
「嬉しいねえ! …出来れば持って帰りたいけど、君の家だし…」
瞬間移動で取り寄せるのは反則だよね、と残念そうにしているソルジャー。
「普段から馴染みの家なんだったら、ヒョイと取り寄せちゃうんだけれど…。シロエの家とは馴染みが無いから、家探しみたいになっちゃうし…」
「かみお~ん♪ ぼく、お手伝い出来ちゃうよ!」
シロエを家まで送ればいいの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が名乗り出ました。
「しょっちゅう送り迎えをしてるし、瞬間移動で送ってあげれば、シロエが入門書を二冊用意して帰って来られるよ、合図一つで!」
「本当かい? …シロエ、そのコースでお願い出来るかな?」
ソルジャーがシロエ君に視線を向けると。
「いいですよ? えーっと…。ぶるぅ、ぼくの部屋まで送って貰えますか?」
「お部屋でいいの? 作業部屋じゃなくて?」
「入門書は部屋の方なんですよ」
「オッケー! 行ってらっしゃーい!」
帰りは思念波で合図をしてね! とキラッと光った青いサイオン。シロエ君の姿がパッと消え失せ、ソルジャーは「有難いねえ…」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に御礼の言葉を。
「ありがとう、ぶるぅ! 君はいい子だよね、ぼくのぶるぅと違ってね」
「えーっ!? ぶるぅもいい子だと思うんだけど…」
「アレはダメだね、だからゲームにも混ぜてやる気は無いんだよ、うん」
ぼくのハーレイだってやる気を失くしてしまうから…、とブツブツと。
「いくら周りが盛り上がっていたって、ぶるぅはねえ…」
「ぶるぅ、駄目なの?」
「よくないね! なにしろ悪戯が生き甲斐だけにね!」
ついでに覗き…、とソルジャー、溜息。
「せっかくのゲームがパアになるんだよ、ぶるぅがいるっていうだけで!」
「「「あー…」」」
それはそうかも、と私たちも深く頷きました。悪戯されたらゲームどころじゃないですしね…。
間もなくシロエ君から「用意出来ました」と思念波が。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオン発動、シロエ君はリビングに青い光と共に戻って来て。
「昨夜作った甲斐がありましたよ、休日に二冊も出るなんて思っていませんでしたし…」
「申し訳ないね、急に我儘言っちゃって…」
「いえ、せっかくのゲームですから…。早めに知識を入れておいたら有利ですよ」
どうぞ、と差し出された入門書が二冊。
「あっ、俺も貰っておきてえな、それ!」
「ぼくも早めに欲しいんだけど!」
サム君とジョミー君が声を上げ、キース君も腰を浮かせています。そういうのは早めに言ってあげたらシロエ君も一回の往復で済んだのに…、と思ったのですが。
「…モンスター狩り入門ねえ…」
ある意味、モンスター狩りかもね、と表紙を眺めているソルジャー。
「普通の人には敷居が高いものだとも聞くし、ぼくとハーレイにしたってねえ…。ハーレイはヘタレが基本だからねえ、モンスターに挑むようなものだよね、うん」
「「「は?」」」
キャプテンのヘタレとゲームで遊ぶのとにどう関係があるんだか、と首を傾げていれば、ソルジャーは入門書をウキウキ開いて。
「…えっ?」
キョトンと目を見開いているソルジャー。異世界のゲーム機の操作方法が謎だったのか、ゲーム機そのものに馴染みが無いのか。どっちだろう、と観察していると。
「…これって、ゲーム機の使い方のように見えるんだけど?」
「そうですよ? まずは其処から書かないと…。今のとは形が変わって来ますし」
「ふうん…? じゃあ、この先が問題ってことで…」
ゲーム機を何に使うんだろう、とソルジャーはページをパラパラめくっていましたが…。
「ちょっと訊いてもかまわないかな?」
これについて、と指差す入門書。
「いいですけど? 分からない単語でも出て来ましたか?」
「そうじゃなくって…。これの何処が裸縛りなわけ?」
「ああ、それはですね…。入門書には書いていないんですよ、そういう遊び方までは」
防具無しっていう意味ですね、とシロエ君はソルジャーに解説しました。入門書にも載っているような基本の防具も無しで遊ぶのが裸縛りで、防具無しだけにリスクが高いと。それだけに達成感も大きく、キノコ縛りも人気なのだと。
「…裸縛りって…。そんな遊びのことだったわけ!?」
おまけにキノコ縛りなんていうのもあったのか、とソルジャーは愕然とした表情で。
「どおりでシロエが詳しい筈だよ、入門書まで作るくらいにね…」
「…どうかしたわけ?」
君は何かを間違えたのかい、と会長さんがニヤニヤと。
「ぼくたちと一緒にゲームしたいとか、君のハーレイまで連れて来るとか、妙に嬉しそうにしていたからねえ、あえて訊くような無粋な真似はしなかったんだけれどね?」
「分かってたんなら、無粋なチョイスで良かったんだよ!」
ぼくの期待を返してくれ、とソルジャーの泣きが入りました。
「シロエが詳しいっていう店の方も、どういう店だか分かったよ! ぼくが思ってたような店じゃなくって、シロエでも堂々と入れる店で!」
「…何の店だと思ってたんです?」
売る時には身分証明書とかが要るんですけど、とシロエ君が訊くと、ソルジャーは。
「そういう店の逆だってば! 身元なんかは分からない方が良くて、十八歳未満かどうかの確認くらいで、それだって微妙なくらいのお店!」
早い話がアダルトショップ、と出て来た言葉に唖然呆然。万年十八歳未満お断りと言われる私たちですが、アダルトショップが何かくらいは分かります。シロエ君とソルジャーが盛り上がっていたのがアダルトショップと勘違いしての話となったら、裸縛りの方だって…。
「そうだよ、ぼくは裸で縛り上げる方の遊びだとばかり…!」
真っ裸にしたり、真っ裸にされたり、それをロープや紐やらで…、と斜め上な台詞。それってどういう遊びなんですか、ソルジャーの言う裸縛りとは…?
「いわゆるSMプレイだよ! それをやろうとしているんだと思ってさ…!」
だから混ざりたかったのだ、とソルジャーはシロエ君が作った入門書を手にしたままで。
「ハーレイにだって休暇を取らせて、こっちの世界でSM三昧! 次の週末はそれに限ると、ぶるぅなんかは混ぜたら終わりだと思ったのにさ…!」
なんてこった、とガックリ眺める入門書。本当に本物のモンスター狩りのゲームだったと、SMプレイというモンスターに挑むわけではなかったと。
「…あのねえ…。気付かない方がどうかしてると思うんだけどね?」
この面子で、と会長さんが私たちの方を順に指差しました。
「普段から何も分かっていないと評判の面子! これでどうやってそういう遊びを?」
「…シロエが詳しいって聞いたから余計に騙されたんだよ…」
ちゃんと話が噛み合ってたから、と項垂れられても困りますってば、そんな勝手な勘違い…。
自分に都合よく聞き間違えたか、取り違えたか。裸縛りをしたかったらしいソルジャーの思惑は分かりましたが、アヤシイ遊びに付き合う義理はありません。シロエ君は「じゃあ、この冊子は要らないんですね?」と入門書二冊を回収すると。
「ゲーム機とソフトの手配も要りませんよね、勘違いですし」
手間が省けて助かります、と立ち直りの早さは頭脳派ならでは。いえ、柔道も凄いですから文武両道と言うのでしょうけど…。ダメージの深さはソルジャーの方が大きそうだな、と見ていると。
「待ってよ、ゲーム機はどうでもいいけど、裸縛りの方だけは…!」
そっちは諦め切れないのだ、とソルジャーが始めた悪あがき。次の週末は裸縛りで遊びたいのだと、裸縛りをやってみたいと。
「あのですね…。ゲーム機が無いと出来ませんからね、裸縛りは!」
ついでにキノコ縛りも無理です、とシロエ君が毅然と切り返しを。
「ぼくたちが遊びたい裸縛りはゲーム機が無いと不可能です! キノコ縛りも!」
「待ってよ、キノコ縛りというのは何なんだい?」
それも魅力的な響きだけれど…、と食い下がるソルジャー。シロエ君は「キノコと言ったらキノコですよ」とバッサリと。
「ゲームの中で使うアイテムなんです、キノコを食べれば色々な効果があるわけですが…。それを一切使わないのがキノコ縛りというプレイです!」
「…たったそれだけ?」
「それだけです!」
それ以上でも以下でもないです、とシロエ君は容赦がありませんでした。…って言うか、ソルジャー相手にここまで戦えた人が今までに誰かいただろうか、と思うくらいに強いシロエ君。あのソルジャーにはキース君はおろか会長さんでも歯が立たないのが私たちの常識だったんですが…。
「そのキノコの効果って、どんな風に…?」
色々というのはどんな感じで…、とソルジャーはまだ未練たらたら。シロエ君は「そんなのを知ってどうするんです!」と一刀両断、ゲームもしないのに意味など無い、と言いつつも。
「回復薬とか強化薬とか、栄養剤とか、秘薬とか…。いにしえの秘薬もありましたね、ええ!」
どれも関係無いですけどね、とツンケンと。
「知りたかったら、まずはゲームを始めて下さい。それからだったら相談に乗ってもいいですよ」
裏技だろうが、キノコ縛りの抜け道だろうが…、と言われたソルジャー、悄然として。
「…そのキノコ、全部、ゲームの世界のものなんだ…?」
おまけに縛るのもゲーム用語か、とそれはガックリきている様子。キノコなんかを縛った所で何かの役に立つんでしょうかね、この現実の世界ってヤツで…?
裸縛りを勘違いしてSMプレイがしたかったソルジャー、今度はキノコに御執心。キノコを縛って何の得があるというのやら…、と思っていたら。
「だって、キノコを縛るんだよ!?」
ぼくのハーレイにもそれは立派なキノコが一本! とソルジャーはキッと顔を上げて。
「ぼくにもそれほど立派じゃないけど、キノコってヤツがついてるんだよ! 正確に言えばキノコじゃないけど、キノコそっくりの部分がアソコに!」
此処に、とソルジャーが指差す股間。ハーレイのアソコは立派なキノコだと、こっちの世界で言う松茸だと。
「「「…ま、松茸…」」」
なんというものに例えてくれるのだ、と今の季節が秋でなかったことに感謝しました。松茸の季節はとうに終わって今は真冬で、当分の間、松茸には会わずに済む筈です。松茸も、他のキノコにも。けれどソルジャーは「キノコなら此処にあるじゃないか」と譲らなくて。
「裸縛りも魅力的だけど、キノコ縛りだって…! しかも強化薬とか秘薬だなんて…!」
いにしえの秘薬もあるだなんて、とシロエ君が挙げたラインナップをズラズラと。
「それでこそ最高のキノコなんだよ、食べればもれなくパワーアップ!」
しっかり縛って、それから食べる! とグッと拳を。
「ハーレイのアソコをキッチリ縛れば、きっとパワーが漲るわけで!」
「…勝手にやっててくれませんか?」
次の週末はぼくたちはゲームをするんです、とシロエ君はまさに最強でした。
「ゲーム機を持たずに参加はお断りです、キャプテンと二人でお好きに遊んでおいて下さい」
「…裸縛りとキノコ縛りで?」
「遊び方は人それぞれですから、縛らない人も中にはいますよ」
縛ったら最後、まるでゲームが進まない人も多いんですから、と当然と言えば当然な話。
「縛りプレイは猛者向きなんです、素人さんにはそうそうお勧めしませんね!」
でもぼくたちはやりますけどね、とキッパリと。
「キース先輩も乗り気でしたし、他のみんなもやるなら裸縛りなんだということですし…。次の週末はゲームなんです、ゲーム機を持たずに来て頂いても、いいことは何もありませんから!」
「…そういうオチかい、ぼくはわざわざやって来たのに?」
「ぼくだって、わざわざ入門書を取りに帰りましたよ!」
勘違いのせいで瞬間移動はお互い様です、と言い返されたソルジャーは。
「ぼくのは空間移動なんだけど…」
「ほんの一文字、違うだけです!」
どっちもサイオンで移動ですから、とシロエ君も負けていませんでした。かくしてソルジャー、手ぶらで帰って行く羽目になって…。
「すげえな、シロエ! 追い返したぜ、あいつをよ!」
サム君がシロエ君の肩をバンバンと叩いて、キース君が。
「俺はお前を見直さないといけないな…。柔道の方なら負けはしないが、あいつの扱いについては負けた。一本取られたという気がするぞ」
「本当ですか、キース先輩!?」
ぼくは先輩に勝ったんですか、とシロエ君は感無量で。
「夢を見ているような気分ですよ。ぼくはゲームについて語っただけなんですが…」
「いや、充分に凄かった。流石はゲーム機を修理出来るだけの達人ではある」
しかもゲームもやり込んだんだな、とキース君はシロエ君を絶賛しました。だからこそソルジャーに口先だけで勝利できたと、見事に叩き出せたのだと。
「俺は猛烈に感動している。まさかあいつに勝てるヤツが存在していたとは…」
「ぼくも同感だよ、シロエがアッサリ勝つだなんてね」
あのブルーに…、と会長さんも大感激で。
「話が最初から噛み合ってないことは分かっていたけど、シロエがいなけりゃ、今頃はね…。もう間違いなく大惨事ってね」
「そうでしょうか?」
「うん、保証する。次の週末はゲームどころか仮装パーティーとかにされていたね」
そして裸で縛りなのだ、と会長さんは吐き捨てるように。
「ぼくたちは絶対参加しないと言ったってさ…。相手はなにしろブルーだからねえ?」
もう強引に押し掛けて来るに決まっている、と言われて私たちも「うん、うん」と。ソルジャーだけに教頭先生を巻き込むこともありそうで…。
「その線も大いにあっただろうねえ、仮装パーティーをやらかすならね!」
真っ裸にされて縛り上げられたハーレイを肴に飲む会だとか…、と会長さんの発想の方もソルジャーに負けず劣らず酷いものでした。教頭先生を裸縛りだなんて…。
「だけどブルーは好きそうだろ? そういうのもさ」
「…好きそうですね、あの性格なら」
裸もキノコも縛りますよ、とシロエ君が溜息をついて、ソルジャーの手から回収して来た入門書の表紙を手でパタパタと軽くはたいて。
「この二冊、誰か要りますか? 今ならお得な裏技ペーパーをサービスしますが」
裏技ペーパーのお届けは明日に会った時に、という声に「ハイ、ハイッ!」と挙がる手が多数。ジャンケン勝負の末にサム君とマツカ君がゲットしました、マツカ君、ジャンケン、強かったんだ?
シロエ君がソルジャーを追い返したお蔭で、一週間は何事も無く過ぎてゆきました。水曜日には「早めに慣れておいて下さい」とシロエ君からゲームソフトとゲーム機が配られ、入門書も。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で練習を重ね、家でも練習をして…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日はみんなでゲームだよね! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出迎えてくれた、土曜日の朝の会長さんの家。寒波襲来で寒かったですから、まずは身体と手を温めて…。
「よーし、やるぞーっ!」
負けないぞ、とジョミー君がゲーム機の電源を入れて、私たちも。会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もシロエ君が修理した古いゲーム機でスタンバイです。
「会長、サイオンは抜きですよ? それに、ぶるぅも」
「分かってるよ。ついでに裸縛りだっけね」
「かみお~ん♪ 防具無しでも頑張るんだもん!」
さあやるぞ、とゲーム画面に向かった時。ピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴って。
「誰かな、いきなり出鼻をくじいてくれたのは?」
宅配便かな、と会長さんがチッと舌打ち、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出てゆきましたが…。
「えとえと…。誰か、ハーレイ、招待してた?」
「「「はあ?」」」
なんだ、と顔を上げれば、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の後ろに教頭先生が。コートを手にして、何故だか大きな紙袋まで。まさか中身はゲーム機では…、と注目したら。
「…そ、そのう…。今日はゲームだと聞いたのだが…」
「ゲームの日だけど?」
見ての通りで、と会長さんが自分のゲーム機を持ち上げて見せて。
「忙しいんだよ、今から始めるトコだから!」
「そうか、間に合ったようで良かった。注文の品を色々と揃えて来たものだから…」
これだ、と指差された紙袋。差し入れの食料か何かでしょうか? でも誰が…?
「ありがとう、ハーレイ! 買って来てくれた!?」
「「「!!?」」」
いきなり降って湧いたソルジャー、それも私服ときたものです。隣には私服のキャプテンまでが。
「どうも、ご無沙汰しております。本日はよろしくお願いします」
「いえ、私の方こそ…。お役に立てればいいのですが」
こういった縛りは初めてでして…、と挨拶している教頭先生。もしや紙袋の中身はゲーム機でも差し入れの食料でもなくて、もっとイヤンなものだとか…?
「ゲーム機はちゃんと用意して来たよ、この通り!」
こっちのハーレイも、ぼくのハーレイもゲーム機でね、とソルジャーは胸を張りました。この二台を使って裸縛りにキノコ縛りだと、ぼくも縛って貰うのだと。
「ちょ、ちょっと…!」
なんで何処からそういう話に…、と会長さんが慌てたのですが。
「君のアイデアがヒントになってね! 仮装パーティーなんてケチなことは言わずに、しっかりゲーム! 縛って遊んで、朝までガンガン!」
脱いで、脱いで! とソルジャーが促し、キャプテンが。
「脱がないことには始まらないそうです、ご一緒しましょう」
二人でしたら私も多少は心に余裕が…、と教頭先生に声を掛け、教頭先生が頷いて。
「そうですね…。脱がないと裸縛りになりませんしね、買って来た道具も無駄になりますね」
「ちょ、道具って…!」
いったい何を買ったわけ!? と会長さんが叫べば、ソルジャーが。
「それはもう! 紐にロープに他にも色々、栄養ドリンクとか精力剤とか!」
いにしえの秘薬も、それっぽいのを漢方薬店で特別配合! と強烈な台詞。
「これを使って裸縛りにキノコ縛りだよ、ちゃんとゲームに参加するから!」
特別休暇は取って来た! という声が響いて、ソルジャーはセーターをバサリと脱ぎ捨てました。
「さあ、始めるよ、裸縛りを! はい、脱いで、脱いで!」
「…だそうです、脱ぎましょうか」
まずはセーターを、とキャプテンが脱いで、教頭先生もセーターをポイと。
「そういうゲームの日じゃないんだけど!」
あくまで今日のは…、と会長さんがシロエ君の方を振り向いて。
「シロエ、あれを止めて! もう止められるのは君しかいない!」
「…え、えーっと…」
ぼくもこういうのは範疇外で…、とシロエ君も今回はお手上げでした。一度はソルジャーを追い返したというシロエ君でも駄目となったら…。
「…は、裸縛り…」
「キノコ縛りも来るのかよ!?」
もうこうなったらゲームに集中、それしか道はありません。ゲーム画面を見ている限りは…。
「「「何も視界に入らない!!!」」」
徹夜で朝までゲームしてやる、と決意したものの、狂乱の宴に勝てるのでしょうか? いえ、その前に教頭先生はどうなるんでしょうか、早くも鼻血で轟沈ですが…、って見ている場合じゃないですね? ゲーム、とにかくゲームです。裸縛りで頑張りますーっ!
ゲームで縛れ・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
シロエ君が始めた副業のお蔭で、あのソルジャーを相手に、劇的な勝利でしたけど。
なんと言ってもソルジャーなだけに、まさかの逆転。悲惨な徹夜ゲームの行方が心配です。
次回は 「第3月曜」 6月15日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、5月はGWも終わった平日のお話。キース君が朝から災難で…。
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