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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




やって来ました、ゴールデンウィーク。シャングリラ号へお出掛けしようという話も出てはいたんですけど、如何せん、今年は飛び石連休。こういう年にはシャングリラ号に行ってもキャプテンの教頭先生をはじめ、機関長のゼル先生も航海長のブラウ先生も不在なわけで。
「今年はやっぱり、こうだよねえ…」
平日は登校、休みはのんびり、とジョミー君。今日はお休みで会長さんの家へ来ています。ゴールデンウィークは始まったものの、間に挟まる学校生活。この三連休が終わればキッチリ元の生活に戻るとあって、ここぞとばかりにダラダラと。
「前半に飛ばし過ぎたからなあ、ここは休んでおくべきだろう」
キース君の言葉はある意味、正解。休みに入るなり、誰が言い出したものかバーベキュー。最初は会長さんのマンションの屋上でゆっくりやろうと思っていたのに、気付けば立派なアウトドア。瞬間移動で出掛けはしましたが、行った先ではしゃぎすぎたと言うか…。
「まあ、後悔はしてませんけどね」
あの馬鹿騒ぎ、とシロエ君。バーベキューをしていた河原はともかく、そこの近くの飛び込みスポット。男の子たちは我も我もと度胸試しで飛び込み続けて、楽しかったものの消耗したとか。
「あれだけ体力を使っちまうと、やっぱ後半は寝正月だぜ」
「サム、それ、何処か間違ってるから!」
お正月はとうに終わったから、とジョミー君が突っ込みはしても、気分はまさしく寝正月。食っちゃ寝とまではいかなくっても食べてダラダラ、喋ってダラダラ、そんな感じで終わりそうなゴールデンウィークですけれど。
「こんにちはーっ!」
遊びに来たよ、と元気な声が。誰だ、と一斉に振り返って見れば…。
「なんだい、君たちは何処にもお出掛けしないのかい?」
ぼくはこれからお出掛けだけど、と私服のソルジャー。何処も混みまくりのゴールデンウィークに何処へ行こうと言うのでしょうか?
「えっ? ノルディに誘われてお祭りにね!」
「祭りとは…。それはまた派手に混みそうだな」
物好きめが、とキース君が呆れているのに、ソルジャーは。
「こっちのお祭り、ぼくはあんまり知らないからねえ…。ノルディのコネでさ、クライマックスを関係者席で見られるらしいし、これは行かなくちゃ!」
じゃあねー、と大きく手を振るソルジャー。お祭りが終わったら帰りに寄るから、おやつと食事の用意をよろしくだなんて、厚かましいとしか言いようが…。



ソルジャーがパッと消え失せた後で、私たちは揃ってブツブツと。
「ゴールデンウィークの真っ只中に祭りに行くとは、あいつ、何処まで元気なんだ…」
俺なら避けるが、とキース君が言うなり、ジョミー君が。
「それが若さってヤツじゃないかな、祭りというだけで血が騒ぐんだよ」
「若さって…。お前、若くねえな」
この年で言ってどうするよ、というサム君の台詞ももっともですけど、ただでも混んでるゴールデンウィークにお祭りなんかに出掛けるパワーは若さそのもの。野外バーベキューをやらかしただけでお疲れ休みになってしまった私たちとは大違いで。
「あの若さが俺も欲しいものだな、祭りと聞いたら突っ込んで行けるパワーがあれば…」
何かと違いが、とキース君が零した溜息が一つ。
「違いって…。何かあるんですか、キース先輩?」
「いわゆる出世街道ってヤツだ。璃慕恩院に祭りと名のつくイベントは無いが、それに準ずるものはある。宗祖様の月命日とか、他にも色々と細かいのがな」
その度に顔を出すお祭り野郎な坊主もいるのだ、とキース君は語り始めました。璃慕恩院でのお役目は何もついていないのに馳せ参じるという、お祭り野郎。何度も何度も参加していれば璃慕恩院ならではのお経の詠み方、行事進行などもパーフェクトになってしまうわけで。
「そうなってくると、まずは自分の属する教区で有難がられる。あの和尚さんは本場仕込みだと、璃慕恩院と同じ作法を身につけている、と」
更には璃慕恩院でも顔が売れてきて、気付けば立派なお役目を頂戴するという出世コース。小難しい論文なんかを書かなくっても現場での叩き上げで高僧への道が開けるケースもあるそうで。
「坊主のシンデレラストーリーだな、ある日いきなり出世への道が…」
「キース先輩もやればいいじゃないですか」
特別生は休み放題ですよ、とシロエ君が勧めたのですけれど。
「駄目だ、それだけの若さが無い。全ての祭りに駆け付けるにはだ、パワーが要るんだ」
朝早くから璃慕恩院に到着しないと出世コースには乗れないのだとか。もちろん璃慕恩院にお出掛けする前に元老寺での朝のお勤めもぬかりなくこなしてこその祭りで。
「俺が本物の住職だったら、そこは適当にするんだが…。ウチには親父がいるからなあ…」
「「「あー…」」」
アドス和尚が朝のお勤めパスとか、適当なんていうのを許すとはとても思えません。元老寺での仕事もキッチリしっかり、その上で璃慕恩院でも全力でお祭りに参加なんかは、半端なパワーじゃ出来ませんってば…。



お坊さんの修行に耐えたキース君でも二の足を踏むのが祭りなるもの。私たちだって、混むと分かっているお祭りは遠慮したいと、ソルジャーの行方は全く調べもしませんでした。どうせ、あちこちで春祭り。アルテメシアだけでも確か幾つも…。
「うん、今日は幾つもやっているねえ…」
どれなんだか、と会長さん。
「ブルーとノルディのデートなんかは見たくもないしね、ぼくは探す気も起こらないね」
「かみお~ん♪ お祭りは放ってお昼にしようよ、春野菜のトマトチーズフォンデュだよ!」
ガーリックトーストにつければピザ風、締めはペンネを入れようと思うの! という「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声に大歓声。もうソルジャーも祭りも忘れてダイニングに移動し、三人ずつで一つのフォンデュ鍋を。
「のんびりコースで良かったよねえ、出先でこういうお昼は無理だよ」
何処も混んでて追い出されるよ、とジョミー君。
「だよなあ、たっぷり金を払えば別だけれどよ」
「それでもやっぱり、こういう時期には気を遣いますよ」
他のお客さんのこともありますから…、と話すマツカ君は御曹司ながらも控えめなのが素敵です。お金は沢山持っているから、と威張り返ることはしない気質で、お父さんたちもそうらしくて。
「父には厳しく言われましたね、予約した時間が終わりそうだと延長なんかをしては駄目だと」
お店が空いているなら別ですが、と立派ですけど…。
「そういや、あいつらは飯はどうなったんだか…」
キース君がフォンデュ鍋のトマトソースをガーリックトーストに塗りながら。
「あの馬鹿、祭りに行ったのはいいが、その近辺の店はもれなく混んでる筈だぞ」
「ほら、そこはさ…。ノルディだからさ」
マツカと違って、と会長さん。
「きっと朝からバッチリ個室を貸し切りなんだよ、あの気まぐれなブルーがいつ食べたいと言い出しても直ぐに入れるようにね」
「それって、とっても迷惑そうよ?」
他のお客さんに、とスウェナちゃんが言っていますけれども、多分、間違いなくそのコース。高級料亭だかレストランだか、ゴージャスな店を押さえているのに違いなくて。
「祭り見物に豪華ランチか、いい御身分だな」
こっちには二度と来なくていいのに、とキース君がチッと舌打ちを。ホントに来なくていいんですけど、予告した以上は来るんですよね…?



トマトチーズフォンデュの締めにとペンネを投入して食べればお腹一杯、午後のおやつまでは飲み物だけで充分でした。ようやっとお腹も空いて来たかと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がブラッドオレンジのシフォンケーキを切り分けてくれていた所へ。
「ただいまーっ! ぼくにもおやつ!」
それに紅茶も、とソルジャーが瞬間移動で飛び込んで来ると、空いていたソファにストンと腰を。
「…来なくていいのに…」
間に合ってるのに、と会長さんが口にした嫌味もどこ吹く風で、もう御機嫌で。
「凄かったよ、ノルディに誘われたお祭り! とても勉強になったしね!」
「「「は?」」」
何故に勉強、と思いましたが、お祭りには由緒や由来がつきもの、こちらの世界の文化を学んで来たのであろう、と好意的に解釈していれば。
「ノルディの解説も良かったけれどさ、あのお神輿が実にいいねえ…!」
「「「お神輿?」」」
お神輿と言えばお祭りの花で、キンキラキンのヤツですけれど。あれがソルジャーの心を掴むとは、もう意外としか言いようがない現象です。あんなのが好みでしたっけ…?
「あれは神様の乗り物だってね、あれに乗ってお出掛けするんだって?」
「平たく言えばそうだけど…。それが何か?」
何処の神様も大抵はアレに乗るんだけれど、と会長さん。
「小さな神社だとお神輿なんかは無いけれど…。お祭りと言えば神様をお神輿に乗せて練り歩くものだよ、本式の場合は行きもお祭り、帰りもお祭り」
御旅所まで出掛けて神様は其処に数日滞在、お帰りの時にまたお祭りで…、と会長さんが解説をすると、「そうらしいね!」とソルジャーが。
「ノルディが言うには、一週間後にまたお祭りがあるらしいけど…。派手にやるのは今日の方でさ、帰りの方ではお神輿が戻って行くだけだって」
お神輿が船で川を渡ったりするイベントは無いようだ、という話。川を渡るでピンと来ました、そのお祭りはアルテメシアの西の方の神社のお祭りなのでは…。
「ピンポーン! それでさ、ノルディに聞いたんだけどさ…。あそこの神様、縁結びに御利益があるんだってね?」
「夫婦の神様ってことだしねえ…。縁結びのお守りは両方で売ってはいないけどさ」
奥さんの方の神社だけだよ、と会長さん。神社は二つで、少し離れているのです。その両方からお神輿が出るというお祭りですけど、景色がいいだけに人気絶大でしたっけねえ…。



「そう、縁結び! ついでに夫婦円満にも御利益絶大ってことで、ノルディが誘ってくれたんだけど…。お守りを買うといいですよ、って言われたけれど!」
それよりもお神輿の方が素敵だ、とソルジャーの瞳がキラキラと。
「普段は離れて住んでる神様同士だろう? きっと夫婦の時間もコッソリ、どっちかの神社に出掛けて行っては励んでるんだと思うんだけど!」
「…その先、怪しくならないだろうね?」
妙な話に持って行くならコレだからね、と会長さんの手にイエローカードが。けれどソルジャーは「関係ない、ない!」と笑い飛ばして。
「ぼくはお神輿について話してるんだよ、夫婦の時間とは全く別物!」
あのお神輿は実に素晴らしい、と話は振り出しに戻りました。
「神様はお神輿ってヤツに乗ってさ、御旅所ってトコに行くんだろう? そして今日から一週間も其処に御滞在! 夫婦仲良く!」
「…それで?」
「ノルディの話じゃ、御旅所に滞在してる間にお参りすればさ、普段以上の御利益なんかもあったりするってことだったけど!」
プラスアルファで御利益パワーが、という話は大いにありそうなことでした。あそこの神社は知りませんけど、アルテメシアの他の神社の御旅所に確か、不思議なお参りの方法が…。
「あるね、無言参りっていうヤツだろ?」
会長さんが証言を。神様が御旅所にいらっしゃる間、毎日、往復の道で誰とも喋らずお参りしたなら願いが叶うというのが無言参りです。そこの神様、それ以外の時にいくら無言でお参りしたって特別な効果は無いそうですし…。
「そうらしいねえ、無言参りは御旅所限定! 他の神社にもあるかどうかは謎だけどさ」
会長さんが言えば、ソルジャーは。
「無言参りは聞かなかったし、これというお参りの方法も聞かなかったけど…。御旅所に滞在している間は御利益がうんと多いと聞いたよ、お祭りの間は御利益絶大! それでね…」
そう聞くとお神輿が素晴らしく見えて来たのだ、とソルジャーは赤い瞳を煌めかせて。
「あのお神輿に神様が乗ってるんだろ、これからホテルにお出掛けします、って!」
「「「ホテル?」」」
なんのこっちゃ、と訊き返せば。
「ホテルだよ! ホテルでないなら旅館なのかな、あの御旅所は!」
えーっと、神様が滞在なさるんですから、ホテルなのかもしれませんけど。旅館なのかもしれませんけど、その発想は斬新ですってば…。



御旅所をホテルや旅館に例えたソルジャー。お神輿は何になるのだろうか、と悩むしかない所なのですが、間髪を入れず。
「お神輿かい? うーんと、なんだろ…。こっちの世界の言葉ってヤツには詳しくなくてさ…。あえて言うならリムジンとか?」
「「「リムジン?」」」
デカイ車か、と思った私たちですけれど。
「違う、そっちのリムジンじゃなくて! 結婚式とかハネムーンとかで乗るリムジン!」
夫婦専用の立派な乗り物、とソルジャーの解釈は斜め上なもので。
「そういうものだろ、あのお神輿は! 派手に飾って、夫婦で仲良くホテルに行くために繰り出す乗り物なんだから!」
「違うってば! お神輿というのは何処のお祭りでも出て来るもので!」
会長さんが慌てて反論を。
「君が見たのがたまたま夫婦の神様だっただけで、他の神社も全部そうとは限らないから!」
お神輿だって三つも四つも繰り出すお祭りが普通にあるから、という説明に私たちも揃ってコクコクと。無言参りの神社の場合もお神輿は三つあったと思います。なのに…。
「他の神社はよく知らないけど、ぼくが見たのは夫婦の神様だったから! ああいう乗り物に乗ってお出掛けしたなら、御利益パワーの方もアップで!」
「…それは間違ってはいないけどね…」
お神輿自体に御利益があるし、と会長さん。
「今では禁止になっているけど、少し前まではお賽銭を投げる人もいたしね、お神輿に」
「ほら、素晴らしい乗り物じゃないか!」
あれに乗って出掛ければ神様の気分が高揚するのだ、とソルジャーは独自の説を滔々と展開し始めました。
「キンキラキンに飾られてる上に、鈴とかも沢山ついているしね! 神様の豪華リムジンなんだよ、乗ってるだけでパワーが高まる乗り物だってば、お神輿ってヤツは!」
そうやってパワーを高めてゆくから御旅所での御利益がスペシャルになるに違いない、と言われましても、お神輿ってそういうものでしたっけ?
「さっきブルーも言ってたじゃないか、お神輿自体に御利益があると! そして!」
夫婦の神様はホテルに着いたら早速一発! とグッと拳を。
「御旅所はホテルなんだろう? 滞在中にはせっせと励んで、パワーもぐんぐん高まるってね!」
縁結びも夫婦円満の方も御利益MAX、と言ってますけど、そうなんですか…?



「全面的に間違ってるから、その考えは!」
会長さんが即座に否定したものの、思い込んだら一直線なのがソルジャーという人。お神輿は夫婦の神様のためのリムジンであって、御旅所はホテルか旅館であって。
「間違ってないよ、ノルディに確認してはいないけど、この解釈で合っている筈!」
御利益を貰って下さいよ、とお賽銭をドンとはずんでくれたし、と笑顔のソルジャー。関係者席とやらは御旅所の近所にあったらしくて、沿道に並べられた椅子に座ってエロドクターとお神輿見物、それから御旅所に行ってお参り。
「ぼくはきちんとお参りしたんだ、夫婦円満でどうぞよろしくと!」
「それなら無駄口を叩いていないで帰りたまえ!」
さっさと帰って夫婦円満で過ごしてくれ、と会長さんが追い出しにかかったのですけれど。
「こっちの世界は休みだけれどね、ぼくの世界にはゴールデンウィークは無いんだよ!」
ハーレイは今日もブリッジに出勤なのだ、とソルジャーの方も負けてはいなくて。
「もしもハーレイが休みだったら、ノルディとお祭りどころじゃないから! 休みは朝から夜までみっちり、夜ももちろん夫婦の時間で決まりだから!」
こっちの世界で夫婦揃って楽しめるような素敵イベントでも無い限りは…、と言われてみればその通り。常に非常時と言ってもいいのがソルジャーの世界のシャングリラ。そのシャングリラを預かるキャプテン、週末も基本はブリッジに出勤でしたっけ…。
「そうなんだよ! ぼくのハーレイ、土日も休みじゃないんだよ!」
年中無休の職業なのだ、とソルジャーはそれは悔しそうで。
「こっちのハーレイは土日が休みで、祝日もあって、おまけに夏休みだの春休みだのと…!」
そんなに沢山休みがあるのに無駄にするとは情けない、と奥歯をギリリと。
「ぼくのハーレイにそれだけの数の休みがあればね、どれほどに夫婦の時間が充実するか…!」
「はいはい、分かった」
もういいから、と会長さんが止めに入れば、「分かっていない!」と切り返し。
「ぼくがお神輿の何処に魅せられたか、何故素晴らしいと言っているのか、君は全く分かってないから! まるでちっとも!」
「君の考え方が間違ってることは理解したから!」
「間違ってないと言ってるだろう! お神輿は本当にパワー溢れる乗り物なんだよ!」
あれに乗って行けばパワーが漲り、一週間もの長い間も休み無し! と言われて嫌な予感が。ソルジャーが見に行ったお祭りのお神輿、御旅所に一週間の御滞在ですが。その神様は夫婦の神様、御利益は縁結びと夫婦円満ですよね…?



「いいかい、一週間も休むことなくヤリ続けることが出来るんだよ、お神輿パワーで!」
あのお神輿に乗って行ったらそれだけのパワーが神様に…、とソルジャーはパンパンと柏手を。
「ぼくもしっかり拝んで来たけど、今日から毎日、一週間もお参りの人が途切れない! その人たちのために普段以上の御利益パワーがあるってことはさ…」
きっと夫婦の神様が励みまくっているのに違いない、と凄い決め付け。
「元々が夫婦円満の神様、その神様がノンストップでヤリまくっていれば御利益もアップ!」
「なんでそういうことになるわけ!?」
「お神輿を御旅所に運んでいたから! わざわざホテルに連れてったから!」
ここでしっかり励んで下さい、と神様のために用意するホテルが御旅所だろう、とソルジャーの解釈は斜め上どころか異次元にまでも突き抜けていました。お祭りの趣旨から外れまくりのズレまくり。御旅所ってそういうためにあるんじゃないような気が…。
「それじゃ何だい、御旅所は休憩する所かい?」
「…えーっと…」
会長さんが言い返せない内に、ソルジャーは。
「休憩でもいいんだ、ラブホテルだったら御休憩っていうのもあるからね! 休憩と言いつつ実は入って一発二発とヤリまくるためのプランというヤツで!」
御旅所が休憩する場所だったらラブホテルだ、と更なる飛躍。御旅所に入るお神輿の神様が全て夫婦と決まったわけではないと会長さんが言っていましたが…?
「他はどうでもいいんだよ! ぼくが見て来たお祭りが大切!」
あのお祭りとお神輿にぼくは天啓を受けたんだ、とソルジャーの瞳が爛々と。
「一週間もね、ノンストップでヤれるパワーの源はあのお神輿にあるんだよ! あれに乗っかってるだけでパワー充填、もうガンガンとヤリまくれるのに違いないから!」
「そうじゃないから! 他の神社のお祭りにだって、お神輿も御旅所もちゃんとあるから!」
お神輿はそんなアヤシイ乗り物ではない、と会長さんがストップをかければ、ソルジャーは。
「でもさ…! 他の神社のお祭りだってさ、御旅所に行けば普段以上の御利益だろう?」
「それは否定はしないけど…。でもね、お祭りの間は神様の力も高まるもので…!」
だから御旅所にお参りすればプラスアルファの御利益が、と会長さんは説明したのですけど。
「ほらね、お祭りの間は神様の力がアップするんだよ、あのお神輿に乗ったお蔭で!」
どんな神様でもアレに乗ったらパワーアップだ、と言われてしまうと返す言葉がありません。お神輿にお賽銭を投げた時代もあるんだったら、あれってやっぱりスペシャルでしょうか。お神輿自体がスペシャルなのかな、神様よりも…?



お神輿の御利益は神様が中に乗っかってこそ。理性ではそうだと分かっていますが、ソルジャーの見解を聞いている内に自信がだんだん揺らいで来ました。実はお神輿にもパワーがあったりするのでしょうか、神様を乗せる乗り物ですし…。
「ぼくはそうだと思うんだけどね、あのお神輿にも力があると!」
なんと言っても独特の形、とソルジャーは宙にお神輿の幻影を浮かべてみせて。
「お神輿ってヤツはぼくも何度か目にしてるんだよ、今までにもね。どれもこういう形をしてたし、飾りが多少違うくらいで基本は同じで、キンキラキンでさ…」
この形にきっと意味があるのだ、とお神輿の幻影の隣にパッと浮かんだピラミッド。
「ぼくの世界にはピラミッドはどうやら無いみたいだけど、こっちの世界じゃピラミッド・パワーなんていう不思議な力があるんだってね?」
「あれは眉唾だと思うけど! …いや、あながちそうとも言い切れないか…」
ファラオの呪いはあるんだった、と会長さんがブルブルと。そういう事件もありましたっけね、あの時もソルジャーのお蔭でエライ目に遭わされたたような記憶が…。
「ね、ピラミッド・パワーがあるなら、お神輿パワーもあるんだよ、きっと!」
お神輿とピラミッドの幻影がパチンと消えて、ソルジャーが。
「お神輿が中に乗った神様のパワーを高めるんなら、神様じゃないものが乗ってもパワーがググンとアップしそうだと思わないかい?」
「…中に薬でも乗せるわけ?」
君の御用達の漢方薬とか…、と会長さんは呆れ顔で。
「お神輿のミニチュアを買いに行くのなら店は教えるけど、パワーの保証は無いからね? 効かなかったからと店に怒鳴り込んでも、それは筋違いってヤツだから!」
「なるほど、薬ねえ…。それも悪くはないかな、うん」
お神輿型の薬箱か、とソルジャーは大きく頷きました。
「そっちの方も検討する価値は大いにありそう! お神輿の中に薬を入れればパワーアップ!」
ぼくのハーレイに飲ませた効果もググンとアップ、と嬉しそうですが、薬を入れるつもりじゃなかったんなら、お神輿に乗せるものって、なに…?
「決まってるだろう、神様が乗って効くものだったら、人間にだって!」
「「「は?」」」
「ぼくのハーレイとぼくが乗るんだよ、あのお神輿に!」
そしてパワーを貰うのだ! とブチ上げてますが、まさかソルジャーのシャングリラの中を二基のお神輿が練り歩くとか…?



お神輿にはパワーがあると信じるソルジャー、キャプテンと二人で乗るつもり。ソルジャーを乗せたお神輿とキャプテンを乗せたお神輿の二基がシャングリラの中をワッショイ、ワッショイ、進んで行く様を思い浮かべた私たちは目が点でしたが。
「それはやらないよ、ぼくのハーレイはヘタレだから! これからヤリます、って宣言するような行進なんかをやらせちゃったら、お神輿パワーも消し飛ぶから!」
当分使い物にならないであろう、と冷静な判断を下すソルジャー。
「そうでなくても、ぼくとの仲はバレていないと思い込んでるのがハーレイだしねえ…。特別休暇の前に二人でお神輿に乗ろうものなら、もう真っ青だよ、これでバレたと!」
とうの昔にバレバレなのに、と深い溜息。
「ぼくとしてはハーレイと二人でお神輿ワッショイも捨て難いけれど、そうはいかないのがハーレイだから…。とりあえずはパワーが手に入りさえすればそれでいいかな、と」
一週間もヤリまくれるなら充分オッケー、と親指をグッと。
「ついでに、ぼくは夫婦円満の神様ってわけじゃないからね? ぼくが頑張る必要は無いし、ハーレイに励んで貰えればもう天国でねえ…!」
御奉仕するのも悪くないけど、ひたすら受け身もいいもので…、とウットリと。
「ハーレイに凄いパワーが宿れば、ぼくが疲れてマグロになってもガンガンと! もう休み無しで一週間ほど、ひたすらに攻めて攻めまくるってね!」
「「「………」」」
マグロが何かは謎でしたけれど、大人の時間の何かを指すとは分かります。ソルジャーはキャプテンにお神輿パワーを与えるつもりで、自分の方はどうでもいいということは…。
「そう、お神輿は二つも要らない! ぼくのハーレイの分だけがあれば!」
ハーレイさえお神輿に乗せてしまえば後はパワーが自動的に…、と極上の笑み。
「それにさ、お神輿、御旅所の中では置いてあるっていうだけだったしねえ? 担いでワッショイやってなくてもパワーは漲り続けてるんだろ?」
「…うーん…」
どうなんだろう、と会長さんが首を捻りましたが、ソルジャーはお神輿のパワーは形に宿ると本気で信じているだけに。
「多分、ワッショイはオマケなんだよ、神様をハイな気分にするための!」
ワッショイしたなら、漲りまくったパワーに加えてハイテンション。御旅所に誰がお参りに来ようが、覗いていようがガンガンガンとヤリまくれるのだということですけど、お神輿ワッショイって神様をハイにするものですか…?



何かが激しく間違っている、と誰もが思ったお神輿パワーにお神輿ワッショイ。とはいえ、ソルジャーに勝てる人材がいるわけがなくて、この展開を止められる人もいなくって。
「早い話が、ぼくはお神輿が欲しいんだよ! ハーレイのために!」
こっちのハーレイじゃなくてぼくのハーレイ、とソルジャーは核心を口にしました。
「ハーレイが中に乗れるサイズのお神輿がいいねえ、ワッショイの方はどうでもいいから!」
「売ってないから!!」
人間用のお神輿なんかは売られていない、と会長さんが一刀両断。あれは神様を乗せて運ぶもので、既製品のお神輿が仮に売られているとしたなら子供神輿がせいぜいなのだと。
「…子供神輿って、子供用かい?」
「そのままの意味だよ、子供が担ぐお神輿だよ! 子供が乗れるって意味じゃないから!」
要はお神輿の縮小版だ、と会長さん。
「お神輿を作る会社というのはあるけどねえ…。ああいうのは受注生産なんだよ、元からあるのが古くなったから作りたい、と古いのを持ち込んで同じのを作って貰うとか!」
「…それはレプリカというヤツかい?」
「そうなるねえ…。元のと飾りもサイズもそっくり、そういうのを一から作るってね!」
それに神様の乗り物だから…、と会長さんは続けました。
「作る過程で細かい決まりが色々と…。あれはオモチャじゃないんだよ!」
「…本当に? 商店街のお祭りなんかで担いでないかい、ああいうお神輿」
あれはオモチャじゃないのかい、とソルジャーからの思わぬ反撃。そういえばアルテメシアの商店街でもお神輿を担いで賑やかにやるのがありました。中学校のパレードでお神輿を出してる所もあった気がします。あれって神様、乗ってるのかな…?
「ふうん、学校のお神輿ねえ…? それは神様っぽくないねえ…?」
いけない、ソルジャーに読まれましたか…! サーッと青ざめた私ですけど、キース君たちも揃って口を押さえてますから、同じお神輿を連想していたみたいです。ソルジャーは会長さんにズイと詰め寄って。
「商店街なら百歩譲って、中に神社があるってケースもありそうだけど…。学校のパレードで担ぐお神輿、神様は乗っているのかい? どうもそうとは思えないけど…?」
「の、乗ってるケースもあるんじゃないかな、学校の敷地にお稲荷さんとか…!」
きっとそういうケースだって、と逃げを打った会長さんの台詞は語るに落ちるというヤツでした。そういうケースもあると言うなら、そうじゃないケースもあるんですってば…。



「なるほどねえ…。学校のパレード用のお神輿があるなら、ハーレイ用のお神輿だって!」
作って作れないわけはない! と一気に燃え上がるソルジャーの闘志。キャプテンを乗せるお神輿を是非に作りたいのだ、と言い出したらもう止まらなくて。でも…。
「なんだい、此処の制作期間は五ヶ月から一年っていうのはさ?」
リビングに置かれていた端末でお神輿製作を手掛ける会社を調べたソルジャーが指差す画面。其処にはこう書いてありました。「大人用神輿、制作期間は五ヶ月から一年頂戴します」と。
「書いてある通りだよ、そのくらい軽くかかるんだよ!」
費用をはずんでも期間短縮は出来ないからね、と会長さんがツンケンと。
「オモチャじゃないって言っただろ! 本体を作って飾りも作って、出来上がるまでに最低でも五ヶ月必要なんだよ、こういうお神輿を作るには!」
小さなサイズの子供神輿でも三ヶ月、と画面を示され、ソルジャーは。
「じゃあ、学校のパレード用のお神輿ってヤツは…?」
「本格的なのを担いでるトコのは、もちろんこれだけの期間をかけて作ってるってね!」
寄付を募って業者に注文、立派なお神輿が出来上がるのだ、と会長さん。
「それだけに相当重いらしいよ、子供の手作り神輿と違って」
「手作り神輿…?」
ソルジャーが訊き返し、私たちは会長さんの失言に気付きましたが、時すでに遅し。ソルジャーの耳は手作り神輿という言葉をガッチリ捉えた後で。
「いいねえ、手作りのお神輿ねえ…! あの形にパワーが宿ってるんだし、何も本物にこだわりまくって五ヶ月も待たなくってもね…!」
作ってくれそうな面子がこんなに…、と赤い瞳が私たちをグルリと見回して。
「ゴールデンウィークの記念にどうかな、手作り神輿!」
「「「お断りします!」」」
後半はダラダラ過ごすと決めたんです、と見事にハモッた声でしたけれど。
「ありがとう、作ってくれるんだって?」
「誰も作るとは言っていないが!」
その逆だが、というキース君の声はソルジャーに右から左へ流されてしまい。
「それじゃ早速、材料を集めに出掛けて来るよ! えーっと、どういうものが要るかな…」
キンキラキンの飾りに鈴に…、と制作会社の画面をあちこち調べまくって頭に叩き込んでいるソルジャー。私たちの連休、お神輿作りで終わってしまうというわけですか…?



瞬間移動と情報操作はソルジャーの得意とする所。夕食までにドッカン揃ったお神輿作りの材料の山と、ソルジャーが何処からか調達して来た手作り神輿の設計図を前に溜息を幾つ吐き出したって、どうにもこうにもならないわけで。
「…今夜は完徹で決まりですね…」
シロエ君が設計図を広げて零せば、キース君が。
「今夜だけで済めば御の字ってヤツだ。最悪、ゴールデンウィーク明けは欠席になるぞ」
「「「うわー…」」」
欠席届なんかは出してませんから、無断欠席で決定です。特別生には出席義務が無いと言っても、今まではキチンと欠席届を出していたのに…。
「なんだ、欠席届かい? それくらいなら出してあげるよ、書いてくれれば」
ぼくがサイオンで情報を操作してチョイと、と微笑むソルジャー。つまり、お神輿が完成するまでは解放されずに此処に缶詰、欠席届には「お神輿を作るので休みます」と書くしかないと?
「その通りだけど? 頑張ってよね、ハーレイ専用のお神輿作り!」
ぼくは本格派で行きたいんだから、とソルジャーが自慢するとおり、何処から探して持って来たやら、お神輿の材料は飾りに至るまで本物そっくり。鈴を手に取ればいい音がしますし、他の飾りもチリンチリンと鳴りますし…。
「ああ、その辺の材料かい? 制作会社の在庫をチョイとね…。五ヶ月からとか書いているくせに、こういったものは多めにストックあるみたいだよ?」
「そりゃね…。ああいう会社は修理もするから、それ用の部品があるってね…」
ちゃんとお金は払ったろうね、という会長さんの言葉にソルジャーは「うん」と。
「在庫のデータを減らすついでに、売れたってことにして処理しておいたよ。代金は会社の金庫に入れたし問題無いだろ、そこに入れたと帳簿にきちんと書いて来たから!」
もうバッチリ! と威張るソルジャー、設計図を眺めて涙々の私たち。本職でも五ヶ月から一年だというお神輿なんかを連休の残りで作れるでしょうか?
「その辺はぼくも協力するよ。ブルーとぶるぅのサイオンもあるし、突貫工事で頑張ってくれればギリギリなんとか間に合わないかな、連休明けの朝くらいには」
「「「…連休明け…」」」
あまりと言えばあまりな言葉に絶句したものの、始めないことには終わりません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が打ち上げならぬ打ち入りと称して大きなステーキを焼いてくれましたが、このエネルギーは日付が変わるよりも前に切れるでしょう。夜食もよろしくお願いします~!



かくして徹夜でトンテンカンテン、次の日も寝ないでトンテンカンテン。お神輿の形が出来上がって飾りを取り付ける頃には連休明けの朝日が昇って…。
「ありがとう、お蔭で完成したよ! ハーレイが中に入れるお神輿!」
「それは良かったな…」
俺たちはもう死にそうだがな、というキース君以下、私たちはヨレヨレになっていました。それでも会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頼んで制服と鞄を瞬間移動で家から取り寄せて貰い、揃って瞬間移動で登校。後の記憶は全く無くて…。
「かみお~ん♪ 授業、お疲れ様!」
今日はこのまま帰りたいよね、という「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声でハッと戻って来た意識。それじゃ今まで、この部屋に来るまで私たち、何処に居たんでしょう…?
「その点だったら心配ないよ。ブルーが責任を取るとか言ってさ、フォローしてたから」
「んとんと、みんな寝てたけど寝てはいなかったよ!」
見た目はきちんと起きてたよ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。あのソルジャーがそこまでフォローをしてくれたんなら、お神輿、効果があったんでしょうか?
「さあねえ…。それは今夜以降にならないと分からないんじゃないのかなあ…」
まだお神輿を持って帰っただけだしね、と会長さん。キャプテンが中に入ってみないと効果のほどは分かりません。あのお神輿は特別製ですし、キャプテンがゆったり座れるスペースと分厚い座布団が中に隠れていますけど…。お神輿のパワー、どうなんだか…。



お神輿作りでゴールデンウィークの後半を潰された上に、連休明けは意識不明で登校という強烈なことになってしまった私たち。これでお神輿の効果が無ければ悲しいですけど、あったらあったで迷惑なことだ、と嘆き合う内に日は過ぎて…。
「こんにちはーっ! この間はどうもありがとうーっ!!」
もう本当に感謝なんだよ、とソルジャーが降って湧きました。会長さんの家で「この週末こそダラダラしよう」と何もしないでいた私たちの前に。
「あのお神輿は凄く効いたよ、流石は神様の乗り物だよね!」
ハーレイの漲り方が凄くって、とソルジャーは喜色満面で。
「最初は腰が引けてたんだけど、乗り込んだらムクムクとヤる気がね…! 扉を開けて出て来たな、と思った途端に押し倒されてさ、後は朝までガンガンと!」
そういう素敵な毎日なのだ、と充実している様子のソルジャー。お神輿を作った甲斐があったか、とホッと一息ついた途端に。
「それでね、次はワッショイのパワーを試したくなって…。あれで神様がハイになるんだよね?」
ぼくのハーレイもハイテンションにしたいから、とソルジャーは期待に満ちた瞳で。
「今夜さ、適当な場所を用意するから、みんなで担いでくれるかな? あのお神輿! ぼくのハーレイも乗り気になってて、是非ともワッショイして欲しいって!」
「「「えーーーっ!?」」」
今度はお神輿ワッショイですか、と泣きたい気持ちになったのですけど、キャプテンまでがその気な以上はワッショイするしかありません。
「…お神輿ってホントにパワーがありましたっけ…?」
「俺が知るか!」
イワシの頭も信心からだ、とキース君。きっとそういうことなんでしょうが、信じる者は救われるという言葉もあるのが世の中です。ソルジャーとキャプテンがお神輿パワーを信じる間はワッショイするしかないでしょう。いっそ法被も作りますかね、お神輿担いでお祭りワッショイ!




           祭りとお神輿・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 ソルジャーがお祭りに行ったお蔭で、お神輿を作る羽目になってしまった、いつもの面々。
 しかも御利益はあったみたいで、お次は担いでワッショイだとか。お揃いの法被で…?
 次回は 「第3月曜」 3月16日の更新となります、よろしくです~! 

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、2月は節分。毎年、受難なイベントだけに、何処に行くかが問題。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv










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(んーと…)
 ブルーが覗き込んだ新聞。学校から帰って、おやつの時間に。
 ふと目に留まった運転免許を取るための学校、それの広告。新聞に広告を出すほどだから、車の免許。ごくごく普通の、一般人向け。
(宇宙船だと、ホントに学校…)
 多分、飛行機でもそうだろうけれど、パイロット専門の養成学校。そういう所へ入学しないと、運転免許は貰えない。何年間もの勉強と訓練、難関だと聞く試験も受けて。
 新聞に広告を載せるまでもなく、その手の学校は志願者が多い。入学試験があるほどなのだし、車の免許とは全く違う。車の方なら、生徒の方がお客様のようなものだから。
(お金を払えば、誰でも入れて…)
 教えて貰える車の運転。入学試験などは要らない、申し込んでお金を払うだけ。
 後は…、と読んでみた広告。運転免許を手に入れるための方法はどうなっているのだろう、と。
(学校で教えてくれるのは…)
 車の運転に必要な知識、交通ルールなどの教室で学ぶ授業が幾つか。他の時間はひたすら運転、学校の中の練習コースで腕を磨いて、それから外へ。教官を乗せた車で走って、本物の道路で積む経験。これで大丈夫、という御墨付きを貰えば無事に卒業。
 そこまで行ったら、運転免許を発行してくれる所で試験を受ける。合格したら免許皆伝、やっと手に入る運転免許。



 そういう仕組みになっているのか、と広告を眺めて考え込んだ。
 新聞に広告が載っているくらいの自動車学校、お金さえ払えば行ける学校。生徒の方がお客様の学校、きっと親切に教えてくれるに違いない。自分が申し込んだって。
 まだ年齢が足りないけれど。十四歳では門前払いを食らうけれども、免許を取れる年ならば。
 取ろうとも思っていなかった免許、広告のせいで気になったから。
(…免許を取るなら、実技と筆記…)
 そういう試験があるらしい、と最後まで読んでフウと溜息。
 筆記試験なら楽に合格出来そうだけれど、実技が問題。車を上手に動かせないと不合格だろう。自動車学校はそのためにあるようだから。主な授業は車を運転することだから。
(パパは免許を持ってるし…)
 当たり前のように運転している、毎日のように。会社に行くにも、休日に出掛けてゆくのにも。
 運転免許は母も持ってはいるらしい。普段は運転していないだけで。
(いざとなったら乗れるんだよね、ママ?)
 一度も見たことは無いのだけれども、運転免許を持っているなら母も運転出来るのだろう。日常生活では出番が無くても、ドライブの途中で父と交代するだとか。
 長距離ドライブに行くような時は、きっと両親が交代で運転することになる。泊まりで出掛けてゆくような場所へ、車で走ってゆくのなら。
 旅行に行く時は車なんだ、と話をしていた友人たちの家では、両親が交代で乗るらしいから。



(長距離ドライブ…)
 自分が生まれつき弱かったせいで、車で遠出をすることは無い。その日の間に戻れる距離しか、父は車を出そうとしない。しかも往復の時間は短め、長い距離を走ってゆかない車。
 運転する人が交代するようなドライブは、ぼくの家とは無関係、と思った所で気が付いた。父に代わって、母が車のハンドルを握る機会は無さそうだけれど。
(…ハーレイとドライブ…)
 運転免許も、車も持っているハーレイ。今の愛車は前のハーレイのマントと同じに濃い緑色。
 そのハーレイと、いつかドライブに出掛けるのだった、自分が大きくなったなら。
 前の自分と同じ背丈に育った時には、助手席に乗せて貰ってドライブ。最初の目標は隣町にあるハーレイの両親が住んでいる家で、この町を出てゆく一番の遠出。庭に夏ミカンの大きな木がある家まで出掛けてゆくことが。
 それが目標なのだけれども、ドライブが普通になって来たなら、もっと遠くへも。
(牧場だとか、海だとか…)
 美味しい卵が食べられる牧場や、アイスクリームや牛乳で名高い牧場。そういった所へ出掛けてゆこうと約束に指切り、青い海だって見に行く予定。前の自分が焦がれ続けた地球の海を見に。
 他にも色々交わした約束、それを果たしに出掛けてゆくなら、長距離ドライブもあるだろう。
 海はともかく、アイスクリームや牛乳で知られた牧場までは遠いのだから。
(…運転免許、取っておかないと駄目?)
 ハーレイに代わって、自分が運転するのなら。
 運転する人が交代しながら走ってゆくのが、長距離ドライブというものならば。
 少なくとも友達の家の場合は、両親が運転を代わるもの。車で遠出をする時には。



 おやつを食べ終えて、部屋に帰って。
 勉強机の前に頬杖をついて、考え始めた運転免許。さっきの新聞に載っていた広告。運転免許を取るのだったら、まずは自動車学校だけれど。誰でも入学出来るのだけれど…。
(運転免許…)
 自分なんかに取れるのだろうか、筆記試験はクリア出来ても問題は実技。運転技術を見る試験。自動車学校で教えて貰える技術だけれども、ハンドルを握って車を動かす、そこが問題。
 運動神経は無いに等しいし、反射神経も怪しい自分。
 自動車学校の練習コースで車に乗っても、きちんと走ってくれるのかどうか。教官が「こう」と指示した通りに、動かせる自信がまるで無い。車も、ハンドルを握っている手も。
 取れるという気が微塵もしない運転免許。自動車学校に通ってみても。
(前のぼくなら…)
 マシだったろうか、と思い浮かべたソルジャー・ブルー。
 生身で宇宙空間を駆けて、人類の輸送船から物資を奪い続けていた自分。最後はメギドも沈めたくらいで、それは素晴らしい伝説の戦士。大英雄になったソルジャー・ブルー。
 あの頃ならば、と思ったけれども、今と同じに弱かった身体は、運動神経と言うよりも…。
(サイオンが頼り…)
 障害物だらけの宇宙空間を、凄い速さで飛べたのも。
 テラズ・ナンバー・ファイブと互角に渡り合えたのも、全てサイオンがあったから。サイオンの助けを使って動いて、攻撃だって避けられた。
 メギドへ向かって飛んだ時には、レーザーさえも軽く躱せた。光の速さで飛んで来るのに。
(…あんなのだって、ヒョイと…)
 避けることが出来た、サイオンで捉えたレーザーの光は、速くもなんともなかったから。まるで止まっているようにも見えて、楽々と躱して飛べたから。



 レーザーさえも避けて飛べたのがソルジャー・ブルー。今の自分には出来ない芸当。
(…サイオン無しだと、どうなるわけ?)
 それが無ければ今の自分と大して変わらなかったのだろうか。伝説の戦士も、運転免許を取りに行ったら挫折するのか、それとも見事に合格なのか。
 前の自分に運転技術はありそうだろうか、と遠い記憶を手繰ってみたら…。
(そうだ、シミュレーター!)
 あれがあった、と思い出した。白い鯨に改造する前のシャングリラで使ったシミュレーター。
 ハーレイがキャプテンに就任した後、それで練習していたから。「操舵は出来なくてもいい」という条件でキャプテンに就任したというのに、操舵を覚えようとしていたハーレイ。
 練習中の所へ見学に出掛けて、前の自分も挑んでみた。シミュレーターのスイッチを入れて。
(…ぼくの方が、ずっと…)
 ハーレイよりも上手かった。シミュレーターを使って、シャングリラを操縦するということ。
 初めて挑戦したというのに、ハーレイよりもずっと。スピードもぐんぐん上げられたほどに。
(あれくらい、簡単…)
 最初の間はハーレイよりも上手かったから、と自信を覚えた運転技術。前の自分だったら、車の免許も楽に取れたに違いないと。宇宙船の操縦技術があったのだから、と。
 けれど、よくよく考えてみたら、あの時だって…。
(サイオン頼み…)
 シミュレーターに次々と表示されてゆく障害物を避けて飛べたのも、スピードをぐんぐん上げてゆけたのも、サイオンで見ていた感覚のお蔭。
 前の自分が器用に使いこなしたサイオン、呼吸するように使えていたから無かった自覚。それを使っているのだと。
 肉眼の代わりにサイオンの目で見て、それに合わせて動かした身体。シミュレーターの向こうの障害物を避けるならこう、とサイオンが伝える感覚のままに。右へ、左へとそれは素早く。
 メギドに向かって飛んでゆく時、レーザーの光を避けた速さで。



 前のハーレイが仰天していた、前の自分のシミュレーターでの操舵の腕前。
 もしも、あそこでサイオンを使わなかったなら。
 純粋に肉体の能力だけで挑んでいたなら、ハーレイに勝利を収める代わりに…。
(シャングリラ、沈没…)
 そういうメッセージが画面に表示されていただろう。
 障害物接近の警告音が何度か鳴り響いた後で、あっさりと。シミュレーターのスイッチを入れて間もなく、一番最初の小惑星か何かにドカンと派手に衝突して。
 なにしろ前の自分の場合も、運動神経も反射神経も、今と同じにゼロだったから。
 サイオン抜きのソルジャー・ブルーは、ただの虚弱なミュウだったから。
(改造前のシャングリラの時でも、前のぼくには動かせなくて…)
 白い鯨になった後だと、更に難しくなっていたろう操船方法。
 あの時代のどんな宇宙船よりも、シャングリラは巨大な船だった。ミュウの箱舟、世界の全てを乗せておくには必要だった大きな船。世界最大の生物とも言われる、本物の鯨さながらに。
 それほどの船を動かすとなれば、改造前よりも遥かに上の操船技術を要求されたことだろう。
 ハーレイは楽々と新しい船を操ったけれど。
 サイオンの助けを借りもしないで、逞しい腕と自分自身の勘だけで。
(無免許運転だったんだけどね…?)
 あれはいつだったか、そう言って笑っていたハーレイ。
 「俺は試験をパスしてないぞ」と。
 後の時代に導入された操舵のための試験は受けていないと、キャプテン・ハーレイは無免許運転だったんだがな、と。
 前のハーレイが航宙日誌に書かなかったから、今も知られていない真実。
 免許を持たずに、白いシャングリラを地球まで運んだキャプテン・ハーレイ。



 本当は無免許運転だったけれども、前のハーレイには出来た操船。
 白いシャングリラも、その前の船も、ハーレイは誰よりも見事に操っていた。元はフライパンを持っていたのに、厨房出身だったのに。
 それに引き替え、前の自分は、伝説のソルジャー・ブルーときたら…。
(ギブリでも無理…)
 サイオンは抜きで操縦しろと命じられたら、どうにもならなかっただろう。シャングリラよりも遥かに小さな、小型艇だったギブリでさえも。
 ジョミーが捕えておいたキースは、初めて目にしたギブリを使って逃げたのに。人質まで取って乗り込んだけれど、フィシスはギブリを操れないから、キースが操縦したギブリ。
 ミュウが開発した船だっただけに、人類が使う宇宙船とは微妙に違っていたろうに。
(…キースにも負けた…)
 初見でギブリの操縦方法を見抜き、シャングリラから逃れたキース。一つ間違えたら、格納庫の壁に激突して終わりだっただろうに。
 メンバーズはプロだと、そういう能力の持ち主なのだと分かっているけれど、それでも悔しい。
 ソルジャーにも操縦出来ないギブリをキースが持ち逃げしただなんて、と。
(…サイオン抜きだと、ホントにキースに負けちゃうんだよ…!)
 メギドを沈めたことはともかく、ギブリの操縦に関しては。
 今の自分よりも遥かに高い能力があった、前の自分でさえもその始末。
 船には乗せて貰うもの。白いシャングリラも、それにギブリも。
 自分ではとても動かせなかった、サイオン抜きでは無理だった。分かっていたから、挑戦さえもしないで乗せて貰っていただけ。ハーレイやシドや、操舵のプロたちが操るシャングリラに。



 これは駄目だ、と頭を抱えた前の自分の運転技術。
 サイオン抜きだと、乗せて貰うしかなかったらしいソルジャー・ブルー。白いシャングリラも、小さなギブリも、誰かに操縦して貰うだけ。自分はそれに乗ってゆくだけ。
 前の自分がそういうことなら、サイオンが不器用な今の自分は…。
(…絶望的だよ…)
 運転免許を取りに行っても、手も足も出ないのに違いない。サイオン抜きの前の自分と、状況はまるで同じだから。運動神経も反射神経も、人並み以下しか無いのだから。
(…運転免許は、最初からサイオン抜きだろうけど…)
 誰もが同じ条件だと思う、タイプ・ブルーだろうが、イエローだろうが。
 人間が全てミュウになっている今の時代は、サイオンは出来るだけ使わないのがマナーで約束。運転免許の試験場でも、きっとサイオンは禁止の筈。使った場合は多分、失格。
(…普通の人なら、サイオン抜きでも取れるのに…)
 母も免許を持っているのだし、普通だったら難しくないのが運転免許を取るということ。広告が出ていた自動車学校、其処に暫く通いさえすれば。
 車を上手に走らせることさえ出来るようになれば、後は試験を受けるだけ。
(ぼくの友達なら、筆記試験を嫌がりそう…)
 「なんで勉強しなきゃいけないんだよ!」と文句を言う姿が目に見えるよう。車の運転を習いに来たのに、教室で授業があるだなんて、と。
 自分の場合は、教室の方が楽なのに。筆記試験だけで運転免許を貰えるものなら、そちらの方が楽なのに。
 自動車学校のメインだという、実地で運転することよりも。学校のコースや本物の道路で、隣に教官が乗った車のハンドルを握ることよりも。
 けれど、実技が要る試験。明らかに運転技術の方が大切、そういう試験なのだと分かる。自動車学校の授業のメインは「運転すること」なのだから。



 今のぼくには取れそうもない、と溜息しか出ない運転免許。前の自分でも無理なのだから。
 そうは言っても、いつかハーレイとドライブに行くなら要るのだろう。
 遠い所へ出掛けてゆくなら、運転免許が必要になる。ハーレイと交代するために。友達の両親がやっているように、交代で運転してゆく車。
 海へ行くにも、牧場へ行くにも、きっと長距離ドライブだから。
(…ぼくでも取れる?)
 運転免許、と不安しか湧いてくれない心。あまり取れそうにないんだけれど、と。
 母でも持っているとは言っても、本当に人それぞれだから。
(…ママの体育の成績、ぼくよりはきっとマシだよね…?)
 運動の方はサッパリだった、と聞いたことなど一度も無い母。人並みの成績は取ったのだろう。運動神経も反射神経もゼロに等しい自分と違って、そこそこの点は。
(普通はそっちで、だから車も運転出来て…)
 自動車学校に通いさえすれば、運転技術をちゃんと身につけ、試験に合格できるのだろう。運転免許を貰える試験に、きっと一回挑んだだけで。
 大多数の人はそうだというのに、自分には無理としか思えないのが運転免許。自動車学校に入学したって、車を運転出来そうにない。
(エンジンはスタートさせられたって…)
 その後が無理、と容易に想像出来てしまった自分の末路。
 遠い昔に前の自分がハーレイに勝ったシミュレーター。あれをサイオン抜きでやったのと、同じ結果になるのだろう。
 シャングリラ沈没というメッセージが表示されるか、車がコースを外れるかの違い。隣に乗った教官が運転を代わってくれなかったら、何処かに衝突して終わり。



 そういう結果が見えているのに、運転免許が必要なのが今の世の中。
 キャプテン・ハーレイが無免許でいられた時代は終わって、普通の車を運転するにも運転免許。それを自分が取れなかったら…。
(ハーレイと一緒にドライブは無理…) 
 運転免許を持っていなければ、交代出来ない車の運転。長距離ドライブには出掛けられない。
 牧場へも海へも出掛けてゆこう、とハーレイと幾つも約束したのに。
 卵が美味しい牧場へ行ってオムレツやホットケーキを端から頼んで食べる予定も、牛乳で名高い牧場の特製アイスクリームを食べにゆくのも、これでは無理。
 日帰り出来る海には行けても、もっと遠い所の海には行けない。海沿いに何処までもドライブを続けてゆけはしなくて、途中でおしまい。「此処までだな」とハーレイが車の向きを変えて。
 自分が運転を交代出来ない以上は、長いドライブは無理だから。
 いつかハーレイとドライブに出掛けるようになっても、行き先は近い所だけ。この町から日帰り出来そうな所、それくらいしか目指せしてゆけない。
 ハーレイと運転を交代しなくていい所しか。ハーレイが行ける所までしか。
 運転免許が取れなかったら、けして行けない長距離ドライブ。
 牧場も、海も、どうにもならない。幾つも幾つも、ハーレイと約束していたのに。



 ハーレイと遠くへ出掛けるためには、運転免許が必要だという現実の壁。途中で運転を代われる資格を持っていないと、長距離ドライブには出掛けられない。
 牧場も海も、沢山交わした約束はどれも叶わない。
(ぼくの夢…)
 前の自分が夢見た地球には来られたけれども、その地球の上で幾つも描いた新しい夢。
 それがすっかり駄目になりそう、とガックリと肩を落とした所へ聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたけれど、無くなってしまったハーレイとの未来。
 いつか大きく育ったとしても、二人で行けない長距離ドライブ。あんなに夢を見ていたのに。
「どうしたんだ、お前?」
 なんだか元気が無さそうだが、と鳶色の瞳で覗き込まれた。何処か具合でも悪いのか、と。
「……運転免許……」
「はあ?」
 お前の年ではまだ無理だろうが、自動車学校にだって入れないぞ?
 申込書を貰うどころか、「お家の人は?」と訊かれるだろうな、そいつを貰いに行ったらな。
 何を考えているのか知らんが、どうして元気が無くなるんだか…。
 取れる年になってから続きを考えるんだな、その方がよほど建設的だ。



 そこまでにしろ、とクシャリと撫でられた頭。伸びて来た大きな褐色の手で。
 けれど、その手の持ち主との未来がかかっているのが運転免許。取れなかったらドライブの夢が殆ど砕けて消えてしまうのに、どうやら自分は取れそうになくて。
「…取れる年になっても無理そうなんだよ…」
 ぼくは試験に受からなくって、運転免許は貰えないと思う…。
「そうなのか? そいつは考えすぎだと思うぞ」
 大抵は一度で受かるモンだし、一度目で落ちても二度目くらいで通ると聞くが…。
 落ちる理由は筆記試験で、お前だったら簡単だろうと思うがな?
 お前の成績、トップだろうが。…覚える中身が違ったくらいで、試験に落ちはしないだろう。
 今から心配していなくてもだ、自動車学校の教科書を見たら直ぐに覚えるさ、お前ならな。
「筆記試験はいいんだけれど…。そっちは心配してないんだけど…」
 実技試験が無理なんだよ。
 だって、車を運転出来なきゃ、実技試験はパス出来ないでしょ?
 …試験会場にだって行けないと思う、自動車学校で失敗ばかりで、ちっとも卒業出来なくて。
「おいおい、実技って…。前のお前は俺よりも腕が上だったが?」
 凄い才能を持っていたくせに何を言うんだ、俺は今でも覚えているぞ。
 俺が悪戦苦闘していた、シャングリラにあったシミュレーター。あれを鮮やかに操ったろうが、障害物を避けてスピードを上げて。…しかも初めてだったくせに。
 まあ、車ではなかったが…。
 宇宙船な上に、シミュレーターで、実地だったわけではないんだが…。
 車よりも宇宙船の方が遥かに操縦が難しいんだし、お前なら車の運転くらいは簡単なモンだ。
 大船に乗った気持ちで行ってくるといい、きっと初日からスイスイ走れるだろうからな。
「…あれはサイオンだったんだよ…!」
 前のぼくがシミュレーターを使ってた時は、サイオンの目で見ていたみたい…。
 ぼくの身体もサイオンに合わせて動いていたから、凄い速さで動かせんだよ、シミュレーター。
 サイオン抜きでやっていたらね、アッと言う間に警告音が鳴って、それでおしまい。
 ハーレイにはとても敵わなくって、シャングリラ沈没って画面が出てたよ、絶対に…。



 だから今だと絶対に無理、と打ち明けた。
 サイオンの助けが無かった時には前のぼくでも無理なんだから、と。
「…前のぼくでもサイオン抜きだと、シャングリラどころかギブリも無理だよ…」
 動かせやしないよ、どう頑張っても。
 …運転免許の試験でサイオンはきっと禁止だろうから、前のぼくでも運転免許は取れなくて…。
 今のぼくだともっと無理だよ、前のぼくより駄目で弱虫…。
 前のぼくなら、取らなきゃ駄目だってことになったら、頑張ると思う。どんなに下手でも、車が運転出来るようになるまで、諦めないで挑戦して。
 …でも、今のぼくは前のぼくほど強くないから…。きっと免許は取れないんだよ。
「ふむ…。おおよその事情は分かったが…」
 お前には運転の才能が無くて、運転免許は取れそうにない、と。
 それは分かったが、どうして元気が無くなるんだ?
 運転免許が無くても問題無いだろうが。俺は免許を持ってるんだから。
 キャプテン・ハーレイは無免許だったが、今の俺はきちんと持ってるってな。ただし、車の免許なんだが…。宇宙船にも、普通の船にも乗れない平凡なヤツなんだが。
 それでも免許はちゃんとあるから、お前を車に乗せてやれるし、何の問題も無い筈だぞ。
 お前は隣に乗ってりゃいいんだ、運転免許を持ってなくても。
「だけど、ドライブ…」
 普段はそれでかまわなくても、ドライブに行く時に困るんだよ。
 ぼくが免許を持っていないと、絶対に、いつか。
 最初の間は、近い所へ行くんだろうから大丈夫だけど…。何度もドライブに行き始めたら。



 遠い所まで行けないんだもの、と訴えた。
 長距離ドライブは交代しながら走るものでしょ、と。
「ぼくの家では行かないけれども、ぼくの友達、家族で遠くまで車で行くから…」
 そういう友達が何人もいるよ、誰の家でも交代で運転して行くんだよ。遠い所へ出掛ける時は。
 お父さんとお母さんが交代しながら運転なんだよ、何処の家でも。
 …だから、ハーレイと遠い所までドライブしようと思ったら…。
 ぼくが交代出来ないと駄目で、運転免許を持っていないとハーレイと交代出来なくて…。
 いろんな所へ行けなくなっちゃう、いつか行こうね、って約束した場所。
 卵が美味しい牧場だとか、海に行こうとか、沢山、沢山、ハーレイと約束してたのに…。
 どれも無理だよ、ぼくが免許を持っていないと。
 それなのに免許は取れそうもなくて、ハーレイとドライブ出来ないんだよ…。
「なんだ、そんなことか」
 それでションボリしてたってわけか、約束がパアになっちまう、と。
 心配は要らん、俺を誰だと思ってるんだ?
 最初からお前をアテにはしてない、運転を代わって欲しいと思ったこともない。
 本当にただの一度もな。
 俺が行こうと約束している場所へ出掛ける時には、俺が運転して行くんだ。
 牧場も海も、俺が運転してってやるから、お前は隣に座っていろ。
 遠すぎて疲れちまった時には、眠っていたってかまわない。着いたら俺が起こしてやるから。
 安心して俺に任せておけ、とハーレイは微笑んでくれるけれども。
 友達が何度も、「長距離ドライブの時は交代しながら走るんだぜ」と話していたから。
「それじゃハーレイ、疲れてしまうよ」
 ずうっと一人で運転してたら、ハーレイがヘトヘトになっちゃうよ…?
 そうならないように早めに交代しなくちゃ駄目だ、って友達はみんな言ってるよ…?
 次は此処まで、って先に決めておいて、其処に着いたら交代なんだ、って。
「普通はそうかもしれないが…」
 俺は違うな、普段からしっかり鍛えてあるし…。交代なんぞは要らないんだ、うん。



 前の俺でもシャングリラの舵を握り続けて何時間でも立ちっ放しだ、と言ったハーレイ。
 誰にも代わって貰わないで、と。
「任せられるヤツが無かった時には、そうだった。俺が一人でやっていたんだ」
 此処は俺しか抜けられないな、と思った小惑星だらけの場所だとか…。
 アルテメシアに着いた後にも、雲海の様子が怪しい時には俺だったろうが。
 雲の流れがどうなりそうかが分からないのに、他のヤツらに任せられると思うのか?
 ウッカリ雲から出ようものなら、シャングリラがいるとバレちまう。…運悪く監視衛星なんぞに捉えられたら、それで終わりだ。
 ステルス・デバイスが常に完璧だとは限らないしな、そういう時に限って不具合が出るのが世の常だろうが。こんな筈ではなかったのに、では済まされない。
 だから誰にも任せなかったな、俺が一人でやり続けた。…何時間でも、俺一人だけで。
「そういえば…。ハーレイ、何度もやってたっけね」
 シャングリラを動かせる仲間は他にもいるのに、休みもしないで。
 「代わりますから」って誰かが言っても、「私がやる」って舵を握ったままで…。
 ホントのホントに立ちっ放しで、何時間でも一人で動かしていたんだっけね、シャングリラを。
「ほらな、経験だけはたっぷりあるんだ。前の俺の頃からの積み重ねがな」
 今の俺だって、何時間でも運転出来るぞ。…もっとも、今の俺の場合は遊びだが。
 何処まで休まずに運転出来るか、仲間と競っていたこともあるし、一人で挑んだこともある。
 キャプテン・ハーレイ並みの記録も幾つもあるがだ、そこまでの無茶をしなくても…。
 ドライブに行こうと言うんだったら、やっぱり休憩しないとな。
 乗ってるお前も疲れちまうし、適当な所で一休みだ。
 休憩場所なら、今の時代は何処でも山ほどあるだろうが。雲海や宇宙じゃないんだからな。
 道端にもあるし、ちょっと外れた所にも。
 車を停めて休むための場所には不自由しないぞ、シャングリラの頃とはまるで違って。



 休憩しながら運転してゆくなら、シャングリラよりも遥かに楽だ、とハーレイは笑う。
 車を停めたら飯も食えるし、コーヒーだって、と。
「シャングリラで舵を握ってた時は、不眠不休どころか食えなかったぞ、飯なんか」
 舵を握りながら飯を食ったら、大変なことになっちまう。
 ただでも少しの狂いってヤツが命取りなのに、片手で舵を握れるか?
 しっかり両手で握らなくちゃいかん、飯も駄目だし、コーヒーも駄目だ。
 誰かが口に入れてくれるというのも無理だぞ、そのタイミングで何かあったら終わりだからな。
「そうだっけね…」
 ハーレイ、ホントに一人で舵を握ってて…。
 食事もしないで、何時間でも立っていたっけ。…他の仲間じゃ駄目だ、って。
 ハーレイが頑張ってくれていたから、シャングリラは無事でいられたんだよね、いつだって。
 小惑星にぶつかりもしないで、雲海から出ちゃうことも無くって。
 …思い出したよ、そういう時の前のハーレイを。
 ちっとも疲れた顔はしないで、いつでも真っ直ぐ前を見ていて…。
「思い出したか?」
 そいつが前の俺の場合で、文字通り船の仲間の命が懸かっていたわけで…。
 あれに比べりゃ、今の時代は天国みたいなものだってな。何時間も一人で運転するのも、遊びで出来るという時代。誰の命も懸かっていないし、そりゃあ気楽なドライブだ。
 そういうドライブで鍛えた俺がだ、お前を乗っけて長いドライブに出掛ける、と。
 もちろん途中で休憩しながら、お前が行きたい所までな。



 牧場でも海でも、何処へだって…、とハーレイがパチンと瞑った片目。
 そのために俺の車がある、と。
「安心しろ、俺が乗せてってやる。お前の居場所は俺の隣だ」
 お前が免許を持っていなくても、俺と交代出来なくても。
 交代して欲しいと思いもしないし、休憩するのもお前のためだな。俺だけだったら、何時間でも休まずに走ってゆけるんだから。
 お前が疲れてしまわないよう、適当な所で休憩しよう。飯を食ったり、何か飲んだり。
 間違えるなよ、俺が疲れたから休むんじゃない。お前とゆっくり過ごすために車を停めるんだ。走りっ放しじゃ、お前は絶対、疲れちまうに決まっているんだから。
 俺が「寝てろ」と言っておいても、お前は起きていそうだからな。眠くなっても、目を擦って。
 お前を休ませるために、お前の顔をじっくり見ながら話すために車を停めて休憩。
 それが済んだら、また走るわけだ、長いドライブの続きをお前と一緒に。
 いいか、俺はお前を乗せて走りたいんだ、今度こそ。
 前のお前を地球まで連れて行ってやれなかった分、お前と二人の今だからこそ。
 俺たちだけのためのシャングリラで、長距離ドライブといこうじゃないか。
 お前は隣に乗っているだけで、俺と交代なんかはしないで。



 だから運転免許は取らないでいてくれた方が俺は嬉しい、とハーレイが言ってくれたから。
 「お前が欲しいと言うんでなければ、それは要らん」と笑顔を向けてくれたから。
 心配は綺麗に消えてしまって、代わりに夢がまた一つ増えた。
(…長距離ドライブに行くなら、休憩…)
 そのための場所には色々な食べ物があるらしいから、それを目当てのドライブもいい。
 行き先は決まっているのだけれども、其処までのルートを色々選んで。
 これを食べたいからこっちで行こうとか、これも食べたいから、帰りはこっちの道だとか。
 きっと楽しいドライブになる。何処へ行くにも、其処から帰ってくる時の道も。
 いつか大きく育った時には、ハーレイと二人で長いドライブに出掛けよう。
 運転免許は持っていなくても、ハーレイの代わりにハンドルを握って走れなくても。
 それは要らないと、頼もしい言葉を貰ったから。
 遠い昔にシャングリラの舵を何時間も一人で握り続けた、ハーレイが運転してくれるから。
 いつか二人でドライブに行こう、牧場へ、海へ、素敵な楽しい行き先に向けて。
 ハーレイが運転してゆく車で、二人のためだけに走ってくれる車に変わったシャングリラで…。




            車の免許・了

※前のブルーが素晴らしい腕前を発揮した、操船用のシミュレーター。実はサイオンのお蔭。
 サイオンが不器用な今は車の免許も無理そうですけど、心配無用。運転手は、ハーレイ。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




クリスマスも近い、と浮かれ気分のシャングリラ学園ですけれど。それよりも前に期末試験で、怯えている人も多いです。ところがどっこい、私たちの1年A組は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーこと、会長さんのサイオンのお蔭で全員満点に決まってますから…。
「今度の期末も学年一位はいただきだよな!」
「グレイブ先生も喜ぶぜ!」
クリスマスに向けてカラオケの腕を磨いておこう、と努力の方向がズレているクラスメイトたち。今朝も試験勉強なんかは全くしていない中、予鈴が鳴って、グレイブ先生の足音が。
「諸君、おはよう」
本鈴と同時にガラリと教室の扉が開けば、グレイブ先生ご登場で。カツカツと軍人みたいに靴の踵を鳴らして教卓まで行くと、出席簿を開いて出席を取って。
「よし、今日は全員出席、と…。本日は一つ、お知らせがある」
「「「???」」」
今頃の時期にお知らせとなれば、テスト科目の日程変更か何かでしょうか? 無敵の1年A組にとっては大したことではありませんけど、他のクラスには一大事。一夜漬けで勉強するにしたって、組み合わせが変われば予定だって…。
「言っておくが、試験のことではない。…多少は試験に関係するが」
グレイブ先生は黒板に日付を書き付けました。試験の最終日のようですが…。
「この日に行事をすることになった。参加者にはテストとは別の点数がつく」
「「「えっ?」」」
「いわゆる内申と言うべきか…。大学に入る時には多少は役に立つかもしれない」
人物の評価が上がるのでね、とグレイブ先生。たちまちザワつく教室の中。グレイブ先生はチョークを握って新しい文字を。今度は四文字、その文字とは。
「「「制服交換!?」」」
何ですか、と飛んだ質問にグレイブ先生が「知らないのかね?」と呆れたように。
「一時期、話題を呼んだのだがね? まあいい、諸君の頭の程度は期待していない」
制服交換というものは…、と始まった説明。なんでも男女で制服を交換、それを着て登校するというイベント。価値観を見詰め直すための授業とされて、人気を博していたらしく。
「我が校でもやってみようということになった。ただし、無駄な騒ぎは避けたいものだし…」
登校時間が短めで授業も無い日に試験的に、と選ばれた日が期末試験の最終日。参加者は三日後までに制服のサイズを書いて申し込みをすれば、自分サイズの制服が家に届くそうです。卒業生の協力もあるとのことで、自分サイズの制服は間違いなくゲット出来るのですが…。



「どうするかな、アレ…。申し込んだ方がいいと思うか?」
試験の点数とは別となったら、と朝のホームルームが終わった後の教室の中は大騒ぎ。会長さんが試験をフォローするのは1年A組の間だけですし、来年以降は自分で努力あるのみです。大学に推薦で入るにしたって、人物評価は大きいわけで。
「やっぱ、申し込まないとマズイんじゃないか、マイナス評価にされるとか」
「それは困るわ、マイナスだけは!」
「このイベントには会長、無関係なんだよな? 今日、来ていないっていうことはさ…」
クラスメイトは冷静に把握していました。会長さんが教室に現れなければ、その日に何が行われようが、発表されようが、ノータッチだということを。
制服交換などという初のイベントが開催されるのに、教室の一番後ろが定位置の会長さんの机は今朝は増えなくて、会長さんも現れなくて。つまりは一切、関知しないということです。
「会長が絡まないとなったら、制服交換の点数だか評価だかは自力ってことか…」
「うん、弄ってはくれないだろうな、どういう評価にされてもな」
「それじゃ、やるしかねえってことか…。制服交換っていうヤツを」
「そうみたいねえ、女子はズボンになるだけだからまだマシだけれど…」
男子にはキツイ行事だわね、と女子たちが見詰める男子の足元。
シャングリラ学園の制服は男子はズボンで女子はスカート、これだけは厳しく徹底されています。学校によっては女子用ズボンもある御時世に女子はスカート一本槍で。
「そ、そうか、俺たちはもれなくスカートなのか…!」
「グレイブ先生、サイズは必ずあるって言っていたしな、あるんだろうなあ…」
俺のサイズでも、と自分の顔を指差す、一番ガタイのいい男子。長年、特別生をやってますけど、あそこまでガタイのいい女子生徒は目にした覚えがありません。先輩から借りると言いつつ、サイズの無い分は作るんだろうな、と容易に想像がつきました。
「スカートとはひでえな、この寒いのによ…!」
「あら、分かってるんなら女子の気分を味わいなさいよ、ちゃんと制服交換をして!」
価値観を見詰め直すんでしょ、と女子の突っ込み。そういう価値観ではないような気がしますが、スカートだとズボンよりも冷えることは事実。それもあって冬の今なのかも、と思ったり…。
「仕方ねえなあ、申し込むかな、制服交換」
「会長が来ないようならな…」
人物評価がつくとなったらマイナスだけは非常にマズイ、と男子も女子も顔を見合わせて頷いています。会長さん、未だに影も形も見えませんよね…?



1年A組の頼みの綱の会長さんは昼休みにも来ず、その後も来ず。終礼の時にグレイブ先生が例のイベントの申込書を持って来ました。
「さて、諸君。朝から考える時間を与えたわけだが、この申込書はどうするのかね?」
締め切り自体は三日後だからまだ考える時間はあるが、とグレイブ先生。
「ただし、申込書の配布は今日のみだ。明日以降になって欲しいと言っても、二度目は無い」
希望者は今から取りに来るように、との告知にクラス中の生徒が一斉に立ち上がり、教卓に向かって殺到する勢い。こうなってくると、私たちも…。
「一応、貰った方がいいかな?」
アレどうする? とジョミー君が教室の前を指差し、キース君が。
「俺はとっくに大学を出たし、内申も何も無いんだが…。これも世間の付き合いってヤツか?」
貰うだけ貰っておくとするか、という意見。
「卒業の予定すら無い俺たちだが、この勢いだと、当日になって浮きかねん」
「ぼくは浮いてもいいんですが…!」
スカートは遠慮したいんですが、と言いつつもシロエ君も椅子を引いています。申込書だけは貰っておこうと、それから考えればいいという姿勢。
「俺もスカートは似合わねえけど、貰っとくかな…。ブルーがどう言うか分からねえし」
ブルーに嫌われたくねえし、と小声で呟くサム君は今も会長さんとは公認カップル、清い仲ながらも惚れているわけで。会長さんからマイナス評価を貰わないよう、場合によっては制服交換も辞さないという天晴な覚悟。
「皆さん、やっぱり貰う方ですよね…」
ぼくも貰っておきますよ、とマツカ君が立ち、スウェナちゃんも。私も貰おうと決めました。どうせ制服交換したってスカートがズボンになるだけですしね。
「なら、行くか。どうやら俺たちが最後のようだぞ」
殆どのヤツらは貰ったようだ、とキース君が言う通り、申込書の配布待ちの列は残り数人まで減っています。私たちが列の後ろに並ぶと、グレイブ先生が満足そうに。
「諸君、ご協力感謝する。特別生の諸君も申込書を貰ったとなれば、皆も真面目に考えるだろう」
受け取りたまえ、と先頭のキース君から順に貰った申込書。教室を見回してみると、同じく特別生で内申も卒業も無関係な筈のアルトちゃんとrちゃんも申込書を手にしていました。
「いいかね、諸君。締め切りは三日後の終礼だ」
申し込み用の箱は職員室の前に置いてあるから、とグレイブ先生。教室で回収しないってことは、あくまで生徒の自主性に任せるっていうことですね…?



終礼が済んで、迎えた放課後。試験前で柔道部の部活もお休みですから、みんな揃って生徒会室の奥に隠されている「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日のおやつはタルトタタンのミニバージョン! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一人用サイズの可愛らしいタルトタタンをお皿に乗っけて出してくれました。おかわりも沢山あるそうです。
「リンゴが美味しい季節になったし、たまにはミニのもいいかと思って!」
たっぷり食べた感じがするでしょ、と言われてみれば、切り分けたものより丸ごとサイズのミニ版もリッチな気がします。ホールで食べるみたいな感じで。早速フォークを入れていると。
「…今日は面白いものを貰ったんだって?」
ぼくは貰っていないけどね、と会長さんがスッと手を差し出して。
「誰のでもいいから現物を見たいな、例の申込書」
「だったら、あんたも貰いに来れば良かっただろうが!」
そうすれば一枚貰えたんだ、とキース君が自分の鞄から制服交換の申込書を引っ張り出すと。
「こいつが申込書ってヤツだ、あんたは貰いに来なかったがな!」
「え、だって。…ぼくが行ったらシャングリラ・ジゴロ・ブルーのメンツが丸潰れだよ」
申込書を貰っただけで制服交換のイメージがつくし、と会長さん。
「このぼくが女子の制服だよ? それだけは絶対、有り得ないってね!」
「価値観を見詰め直すイベントだという話だったぞ、見詰め直すべきだと思うがな?」
そういう台詞が出るようではな、とキース君が毒づきましたが、会長さんは。
「いいんだってば、ぼくは昔からこうだから! 三百年以上もこれで来たから!」
何を今更、と涼しげな顔。
「ところで、君たちはどうするんだい? 全員、これを貰っていたようだけれど…」
会長さんはキース君から受け取った申込書に視線を落とすと。
「参加するなら名前とクラスを書くだけか…。後は制服のサイズってヤツと」
必要事項を記入してから職員室の前の箱に入れるという仕組みなのか、と眺めてますけど、このイベントには会長さんはノータッチですか?
「そうだけど? そもそも、ぼくは参加しないしね。もちろん、ぶるぅも」
これに関しては傍観者に徹する、とクールな表情。
「内申も卒業も、ぼくには全く関係ないし…。君たちだって条件は同じ筈だけど?」
それでも参加するのかい、と顔をまじまじと覗き込まれて、グラリと気持ちが揺らぎました。制服交換、スルーするべき…?



「あんた、面白がってるな? これは大事なイベントだろうと思うんだが…」
学園を挙げての一大行事だ、とキース君が真面目に返しましたが。
「どうだかねえ…。相手はシャングリラ学園だよ? 今回に関してはホントに評価がつくんだろうけど、来年以降もあるのかどうか…」
思い付きだけのイベントっぽいよ、と会長さん。
「毎年恒例の行事になるなら、特別生の君たちだって付き合うだけの価値があるだろう。ノリの良さというのも大切だしねえ、丸ごと無視っていうのは良くない。でも…」
今年限りのイベントだったら後世まで恥を残すだけだ、と怖い台詞が飛び出しました。たった一度の制服交換、そこで披露したスカート姿が後々までも残るのだと。
「スウェナたちはズボンになるだけなんだし、学園祭とか運動会の応援団だと男装する女子も珍しくないし…。それは少しも可笑しくないけど、男子はねえ…」
もれなくスカート姿だからね、と会長さんはキース君たちをしげしげと。
「毎年やるなら、笑いものにする方が間違っているし、来年以降も特に話題にはならないだろう。でもねえ、今年限りで一回だけなら、君たちの場合、スカート姿はレアものだよ?」
ずっとシャングリラ学園にいるんだし…、と会長さん。
「実は昔にこんなイベントが、と画像付きで語り継がれた時はどうする? 自分もやったことは棚に上げてさ、あの特別生にはこんな過去が、と!」
「「「うわー…」」」
それはコワイ、とドン引きしているキース君たち。確かに一回こっきりのイベントだった場合、その可能性も大いにあります。今の1年A組のクラスメイトたちが二年生、三年生と順に上へと上がってゆくわけで、卒業記念にと画像をバラ撒いて去ってゆくというケースだって…。
「…お、俺たちはやめておくか?」
来年以降が無いんだったら、とキース君の声が震えて、ジョミー君が。
「そういうシナリオ、ヤバすぎだって! 卒業した途端に画像をバラ撒きそうな友達、ぼくには山ほど心当たりが…!」
「ぼくもです…。柔道部の後輩たちはともかく、其処から先輩に流出したら…」
本物の先輩だっていますからね、とシロエ君もブルブル。
「一度流れたら回収不能ってよく言いますよね、ああいう画像」
「…うーん…。消して消せないわけじゃないけど、高くつくよ?」
ぼくのサイオンの使用料にプラス技術料、と会長さんがメモにサラサラと書き付けた数字は実にお高いものでした。こんな金額、私たちには出せませんってば…!



どうやら恥のかき損らしい、制服交換イベントとやら。会長さんの読みはまず外れませんから、私たちは申込書を出さないコースを選択しました。とはいえドキドキ、おっかなびっくり。
「今日で締め切りですけれど…。本当に誰も出さないんですね?」
コッソリ提出は無しですよ、とシロエ君が昼休みに疑いの眼差しをキース君たちに。大賑わいの食堂は避けて、調理パンだのサンドイッチだのを買い込んで来ての昼食中。教室で適当に机を集めて、並べてテーブル代わりにして。
「少なくとも俺は出さないな。阿弥陀様に誓って、俺は出さない」
申込書自体を持って来てはいない、とキース君が誓った相手は阿弥陀様。お坊さんの身で仏様に誓いを立てた以上は嘘をついてはいないでしょう。他のみんなも口々に。
「俺も出さねえぞ、俺はブルーを信じているしな。赤っ恥な末路は避けたいしよ」
「ぼくも出さない。一人だけ恥はかきたくないしね」
「ぼくも出しませんよ、コッソリ出すような真似はしません」
「私だってそうよ、ズボンだから恥はかかないけれど…。みんなを裏切ったりはしないわ」
スウェナちゃんの言葉に、私も大きく頷きました。男子よりはマシな格好だから、と裏切ったのでは仁義に反するというものです。申込書は家のゴミ箱にとっくに捨ててしまいましたし…。
「なら、いいです。ぼくも先輩たちを信じることにしますよ」
これは無かったことにします、とシロエ君がポケットから取り出した紙は折り畳まれた制服交換の申込書でした。セキ・レイ・シロエの名前と1年A組、制服サイズまでが記入済みの。
「ちょ、お前…! 俺たちを信じていなかったのかよ!」
なんだよコレ、とサム君が詰れば、シロエ君は「ですから、信じていますよ」と。
「先輩たちの言葉を信じて、この申込書は処分します」
ビリビリビリッと真っ二つに裂かれた申込書。それをクシャリと丸めて固めて、教室の後ろのゴミ箱めがけてポイッと遠投、見事に入りましたけど。
「シロエ、お前な…。何処まで性根が腐っているんだ、一人だけ書いてくるとはな!」
見下げ果てたぞ、とキース君が眉を吊り上げましたが、シロエ君の方は。
「こういったことは基本でしょう? 保険をかけておくってこと」
ぼくは慎重にやったまでです、と嘯いたシロエ君の頭にキース君以下、男子の拳がゴツン、ゴツンと。マツカ君だけは拳はお見舞いしませんでしたが…。
「ぼくもどうかと思いますよ。もっと信じて欲しかったですね」
それとも、ぼくの精進が足りないのでしょうか、と控えめすぎるマツカ君。此処は殴っていいんですってば、人を疑ってかかるような生意気な真似をする後輩は…!



こうして迎えた期末試験の最終日。いつも学校前のバス停あたりでキース君たちと顔を合わせるんですが、其処に至る前に既にクラクラ。私と同じ路線バスに乗っているシャングリラ学園の生徒たちは全員、制服交換の犠牲者と言うか当事者と言うか。
「「「………」」」
乗り合わせた乗客の無言の視線が制服交換をしている生徒に突き刺さりまくり、私の姿と見比べているのが分かります。悪いことをしちゃったでしょうか、私だけが普通の格好ってコトは、学校を挙げてのイベントだとは思って貰えないかも…。
でもでも、制服交換自体はグレイブ先生によれば一時期流行ったらしいのです。それを知らない乗客が悪い、と吊り革を握ってキリッと立つ内に、やっと学校前に到着。
「おはよう!」
今日も寒いね、とジョミー君の笑顔が迎えてくれて、その後にサム君のこういう台詞が。
「うん、寒いよなあ、いろんな意味でよ」
もうバスの中が氷点下、という空気の寒さを表す言葉に、キース君が。
「甘いな、あれは絶対零度と言うんだ。せめてだ、制服交換実施中というアナウンスでもあれば事情は違ってくるんだろうが…」
「それもですけど、ぼくたちが普通の制服なのもマズイんですよ」
他の生徒の異質さってヤツが浮き彫りになってしまうんです、とシロエ君。間もなく、私たちと同じくいたたまれない表情のスウェナちゃんとマツカ君も到着しました。その間にもバス停に停まるバスから降りて来る制服交換の生徒たち。
「…試験最終日で良かったな」
まだ気が逸れる、とキース君が言う通り、みんなの手には暗記用のカードやら、読み込むための教科書やら。バスの中でも勉強だったら、無言の視線はそれほど酷くは…。
「でもですね…。帰りに羽を伸ばせませんよ?」
あの格好じゃあ、というシロエ君の指摘はもっともでした。制服交換は家を出てから帰宅するまで、すなわち一度は家に帰らないと取り替えた制服を脱げないのです。試験が済んでもカラオケどころか、一目散に逃げ帰るしかないわけで…。
「なるほどな…。その辺もあって今日だったのかもしれないな」
先生方の手間が減るしな、とキース君が校門をくぐりながら声を潜めて、私たちも揃ってコクコク、無言の賛同。
生徒の心理的な負担が少ないようにと選ばれた試験最終日ですが、打ち上げに出掛けた生徒の指導に先生方が手を焼くのもまた、最終日。一石二鳥の日だったんですね、今日という日は…。



制服交換に参加しなかった生徒は、私たち七人グループを含めた特別生しかいませんでした。同じ特別生でもアルトちゃんとrちゃんは男子の制服を着ていましたが…。
けれども、クラスメイトたちは自分の内申や人物評価が大事だとばかり、私たちの裏切りを責めるでもなく粛々と朝のホームルームや続く試験を終えたのですけど。試験終了のチャイムが響き渡って、終礼が済んで…。
「「「自由だーーーっ!!!」」」
大歓声が上がったのも束の間、シンと静まり返った教室。みんなの視線が隣近所の生徒の姿と自分を見比べ、誰からともなく。
「…自由なんだけど、自由じゃない…」
「この格好でカラオケなんかに出掛けて行ったら晒し者じゃねえかよ!」
「…大人しく家に帰るしかないのかな…。俺の家、帰るだけでバスで1時間かかるんだけど…」
「くっそお、カラオケに行くんだったら、家に帰るより近いのに!」
でも行けない、と諦めの声と嘆きが入り混じる1年A組、他のクラスも似たようなもの。先生方の計算通りに打ち上げに出掛ける生徒はいなくて、男子も女子も急いで下校で。
「…こんな試験の最終日ってヤツは初めて見るな」
長年生徒をやっているがな、とキース君が感慨深げに呟くとおりに、校内は見事に生徒の影すら見えません。みんな慌てて下校してしまって、打ち上げに出掛ける相談の輪さえも無い状態。
「ぼくたちもアレに申し込まなくて良かったよね…」
申し込んでいたら今頃は…、とジョミー君が肩をブルッと震わせ、シロエ君が。
「ぼくも先輩たちを信じた甲斐がありましたよ。信じなかったら下校組です、スカートで」
「「「うーん…」」」
その姿はちょっと見たかったかも、とシロエ君を眺めて、ドッと笑って。それから「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ出掛けてゆくと…。
「かみお~ん♪ 試験、お疲れ様~っ!」
お腹、減ったでしょ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が熱々のカレーグラタンを用意していてくれました。さあ食べるぞ、とスプーンを握ったら。
「こんにちはーっ!」
「「「!!?」」」
誰だ、と振り返った先に優雅に翻る紫のマント。別の世界からのお客様ですが、カレーグラタンがお目当てでしょうか、冬野菜たっぷりで美味しそうですけど、それだけのために降って湧くような人でしたっけ…?



ぼくにもカレーグラタンを、と言い出したソルジャーの分のカレーグラタンは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意していました。本来はおかわり用だったという話ですが、こうした事態も普段から想定しているのでしょう。ソルジャーは空いていた席に座って、早速スプーンで掬いながら。
「いやあ、面白かったねえ、制服交換! 君たちの分を見られなかったのは残念だけど…」
「あれは見世物ではないからな!」
学校行事の一環なんだ、とキース君。けれどソルジャーは「どうなんだか…」とクスクスと。
「ぼくは最初から見ていたんだよ、君たちが申込書を貰ったトコから。…もしもブルーの意見を聞かなかったら、制服交換の予定だったよね?」
「それはまあ…。そうなんだが…」
「そこで交換しないで終わった、それが見世物の証明だってね! 少なくとも君たちにとっては見世物扱いされるリスクが高い学校行事であった、と」
来年以降に実施されるかどうかは謎の…、と笑うソルジャーは他の生徒の似合わない格好を楽しく眺めていたようです。自分の世界のシャングリラから。
「それでね、学校行事というのと、制服交換っていうので思い付いたんだけど…。実施されたのを見た瞬間に閃いたんだけど、今年のクリスマスパーティーのテーマはアレでどうかな?」
「「「アレ?」」」
「ズバリ、制服交換だよ!」
きっと素敵なパーティーになるよ、と言われましても。それって仮装パーティーですかね、あまつさえ今日は披露しないで済んだ男子のスカートだとかが容赦なく必須になってくるとか…?
「仮装パーティーと言われればそうかな、制服を交換するんだからね。でもね、君たちにスカートを履けとは言わないよ。それはあまりに気の毒すぎる」
単なる制服交換でどう? と訊かれましたが、女子が男子に、男子が女子になる道の他にどういう制服交換があると?
「制服と言ったら制服だよ! 制服そのものを交換しちゃえば全て解決、無問題ってね!」
こっちの世界にもシャングリラは存在しているだろう、と指を一本立てるソルジャー。
「でもって、シャングリラのクルーには制服がある筈だ。ぼくの世界のとそっくり同じなデザインのヤツが、男子用のと女子用のでね。…そうだろ、ブルー?」
「あ、うん…。それはあるけど…?」
「そのシャングリラのクルーの制服を着ればいいんだよ、君たちは! 男子は男子用、女子は女子用! 制服のサイズ、それこそ簡単にどうとでもなると思うんだけど!」
借りて来るとか作るとか…、と言ってますけど、そんな制服でパーティーですか?



シャングリラのクルーの制服を着てクリスマスパーティーなんだ、と提案されても、どう素敵なのかがサッパリ謎です。あれを着ただけで宇宙の旅に出られるわけじゃなし、シャングリラ号に乗れるわけじゃなし…。
「分かってないねえ、君たちの制服はオマケだよ! テーマは制服交換だってば!」
ぼくはハーレイと交換するんだ、とソルジャーはニッコリ微笑みました。
「価値観を見詰め直すっていうイベントだったろ、制服交換! だからね、ぼくはハーレイが着ているキャプテンの制服を着るんだよ。そしてハーレイがぼくの服を!」
「「「そ、それは…」」」
笑う所なのか、感心するべき所なのか。どう反応を返せばいいのか悩んでいたら、ソルジャーが。
「そこは笑えばいいんだよ! ぼくの世界のシャングリラでだって、大いに笑いが取れる筈だし、今年のクリスマスはコレで決まりだよ、制服交換!」
まずは自分の世界で笑いを取って…、と算段しているソルジャーのクリスマスのスケジュールは、毎年お決まりのパターンでした。自分の世界で昼間にパーティー、それから抜け出して私たちの世界で豪華なディナーパーティー。
クリスマス・イブの翌日、クリスマスは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」の誕生日ですから、パーティの後はそのままお泊まり、次の日が合同バースデーパーティーという運びです。
「ぼくとハーレイの制服交換は、ぼくのシャングリラで披露してから、こっちでも! 今年のクリスマスパーティーのテーマはコレにしようよ、絶対、楽しく遊べるから!」
「…君の方はそれでいいんだけどねえ…」
ぼくの立場はどうなるのさ、と会長さんがぼやきました。
「クリスマスパーティーには、ハーレイも毎年来ているんだよ? 君が制服を交換するのは勝手だけどねえ、ぼくはハーレイなんかと交換する気は無いからね!」
誰が着るか、と吐き捨てるような台詞が口から。
「あんなスケベな男の制服、ぼくは着たいと思わないから! ぼくのサイズで新しく仕立てた服であっても、デザイン自体は変わらないんだし!」
間違ったって着たくない、と顔を顰める会長さんに、ソルジャーが。
「着たくないものは別に着なくていいと思うよ、ぼくも着ろとは言わないし…。君の場合もシャングリラの制服を着ればいいんだ、いわゆるソルジャーの衣装ってヤツを」
普段は学校の制服なんだし…、と言われれば一理ある話。私たちだって学校の制服の代わりにシャングリラのクルーの服だというんですから、会長さんだってソルジャーの服でいいわけです。でも、そんなパーティーで楽しいですかねえ、ソルジャー夫妻は楽しそうですが…。



ソルジャーとキャプテンが制服を取り替えた姿は一見の価値があるとは思えるものの。他の面子は一見の価値があるのか無いのか、なんとも微妙な所です。
「えーっと…。キースにシャングリラのクルーの服っていうのは…」
似合うかな? とジョミー君が首を傾げて、キース君が。
「同じ着るなら、シド先生のがいいんだが…。上着付きなのがカッコイイしな、あれを希望だ」
「ああ、アレな! キースに似合うかもしれねえなあ…!」
俺は普通のヤツでいいかな、と頷くサム君。
「上着は欲しいと思わねえしよ…。別にどれでもかまわねえかな、袖の模様があっても無くても」
「ぼくは模様が欲しいですねえ、あの羽根の形のマークでしょう?」
ちょっと違うのがいいんですよ、とシロエ君。そういえば、アレってブリッジクルーの制服にしか付かないヤツだったかな?
「私はタイツがある方がいいわ、タイツ無しのは脚に自信が無いからいいわよ」
それにスカート丈が短すぎるんだもの、とスウェナちゃん。私だって同じのを希望です。タイツの有無は大きなポイント、タイツ無しなんて着こなす度胸はありません。
そんな具合で盛り上がったものの、こんな程度で楽しいクリスマスになるのでしょうか?
「なるに決まっているじゃないか! テーマは制服交換なんだし!」
若干一名忘れているよ、とソルジャーが。
「こっちのハーレイが交換する制服、誰も話題にしていないしね?」
「それは鬼門だからだろう!」
ブルーの手前、とキース君がズバリ。ソルジャー夫妻がお互いの制服を交換する以上、教頭先生が着る服は会長さん専用のソルジャーの衣装というヤツです。会長さんは交換を拒否してソルジャーの衣装を選びましたし、それはすなわち、ソルジャーの衣装が大小で揃うというわけで…。
「ええっ? なんでそういうことになるわけ、ソルジャーの衣装が二セットだなんて!」
それはカッ飛び過ぎてるから、とソルジャーは即座に否定しました。だったら、教頭先生が着る制服はキャプテンの服になるわけですか? ますます面白味に欠けているような…。
「君たちはホントに頭が固いね、もっと柔軟な発想ってヤツは出来ないのかな?」
テーマは制服交換だよ、とソルジャーがズイと膝を乗り出し。
「元々は男子と女子の制服を交換しようってイベントなんだろ、ハーレイもしかり!」
「「「はあ?」」」
どういう意味だ、と首を捻るしかない私たち。男子と女子の制服を交換ってトコで教頭先生の名前が出て来る余地は微塵も無いと思うんですがねえ…?



「固い! 君たちの頭は固すぎる!」
絶望的に固い、とソルジャーは頭を振って派手に嘆いてみせて。
「ハーレイの制服を女子用にしようってコトなんだけどね、誰も考えていなかったわけ?」
「「「え?」」」
教頭先生の制服を…女子用にって、どんな制服?
「決まってるだろう、キャプテンのアレ! ぼくのハーレイも着てるアレだよ、あれの女子用!」
「「「…へ?」」」
そんな制服、ありましたっけ? キャプテンは教頭先生だけですし、女性バージョンは無いと思います。それとも私たちが知らないだけで、ソルジャーの世界のシャングリラ号にはあるんでしょうか? 実は女性の副船長がいたりしますか、あっちの世界は?
「副船長もいなけりゃ、キャプテンの制服の女性バージョンも無いけれど?」
そんなモノは一切存在しない、とソルジャーはアッサリ否定しましたが、それじゃ何処から女子用なんかが出て来ると…?
「これから作るのに決まってるじゃないか、クリスマスパーティーに向けて!」
もちろん基本のデザインとしてシャングリラの女性クルーの制服のラインは崩せない、とソルジャーはグッと拳を握り締めて。
「女性クルーの制服は袖なし、長手袋! そして身体にぴったりフィットで、スカート丈はうんと短め、もう見えそうなくらいの丈で! ハーレイの場合はタイツは無しだね!」
ご自慢の紅白縞のトランクスが見えなくなっちゃうからね、と恐ろしすぎるアイデアがソルジャーの口から飛んで出ました。想像するのも怖そうな服が、とんでもなさすぎるデザインが。
「いいかい、キャプテンの制服をそういう形にアレンジ! 色はあのまま、模様もアレをそのままあしらうべきだと思うんだけどね! マントとかもつけて!」
「…そういう服を作ってハーレイに着せろと?」
考えただけで笑えるんだけど、と会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「ぶるぅが作るか、こっちの世界のプロに任せるか…。とにかく作って、今年のクリスマスパーティーのテーマは制服交換に決まったから、と家に届ければハーレイは着るね!」
それで着なければ男じゃない! とソルジャーがブチ上げ、会長さんも「うん」と。
「ぼくたちも制服交換だから、と言っておいたら間違いなく着るよ、ハーレイだけに。…ぼくもソルジャーの衣装でミニスカートでタイツ無しだとか、自分にいいように解釈してね」
「そうだろう? だから是非!」
これで行こう、とソルジャーがパチンと片目を瞑って、決まってしまったみたいですよ…?



かくして今年のクリスマスパーティーは仮装パーティー、制服交換ということに。私たちはシャングリラのクルーの制服を用意して貰い、キース君は憧れの上着付きを。試着も済ませて、パーティーの日は会長さんの家で着替え用の部屋を貸して貰って…。
「かみお~ん♪ みんな、よく似合ってるね!」
シャングリラ、発進! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」は幼稚園の制服を着ていました。前から気になっていた近所の幼稚園の制服らしくて、会長さんに買って貰ったとか。
「あのね、幼稚園鞄も買って貰ったの、お弁当袋はアヒルちゃんなの!」
パーティーの時には要らないんだけれど欲しかったから、と御機嫌です。会長さんはソルジャーの衣装をピシッと纏ってパーティー会場のチェックに余念がありません。クリスマスツリーやリースや、御馳走たっぷりのテーブルなどなど。其処へ…。
「メリー・クリスマス! ぼくの方のパーティー、抜けて来たよ!」
「こんにちは。今年もお世話になります」
「かみお~ん♪ ぶるぅ、久しぶりーっ!」
ソルジャーが細身に仕立てられたキャプテンの制服で現れ、キャプテンの方は会長さんのと同じものだとは思えないほど大きなサイズのソルジャーの衣装に紫のマント。「ぶるぅ」はシャングリラのクルーのミニサイズかな、と思ったら子供用の制服があるのだとか。
「うわあ、今年も御馳走だねえ…。テーブル一杯って感じだね」
美味しそうだ、とソルジャーが褒めると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「キッチンにまだまだあるからね! これはホントにちょっとだけなの、全部出したらテーブルの上に乗っからないの!」
今年もみんなで楽しくやろうね、とニコニコ笑顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ぶるぅのお洋服、よく似合ってるね! それにキャプテンとかソルジャーの服も!」
「うんっ! パパとママの服を取り替えたんだよ、取り替えても似合うのが凄いよねーっ!」
流石はぼくのパパとママ! と御満悦な「ぶるぅ」のママが誰かは未だに決まっていませんでした。ソルジャーだとも、キャプテンだとも。その二人は制服交換で取り替えた衣装がすっかりお気に入りのようで。
「ねえ、ハーレイ。この服は笑いを取ったけれどさ、君に包まれてるみたいだねえ…」
こうして着てると、とソルジャーが笑みを浮かべれば、キャプテンも。
「私の方こそ、あなたの中にいるようですよ。ええ、身体ごとすっぽりと…」
「そこの二人!!」
その先を言ったら退場だ、と会長さんの右手にレッドカードが。今の発言、怪しかったかな?



ワイワイガヤガヤ、交換した制服も身体に馴染んで談笑する中、ピンポーンと玄関チャイムの音が響いて、幼稚園児な「そるじゃぁ・ぶるぅ」が駆けて行って。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよーっ!」
「メリー・クリスマス!」
お邪魔します、とコートを着込んで入って来た教頭先生はバッとコートを脱ぎ捨てました。きっと周りの状況なんかは見ていなかったに違いありません。だって…。
「「「わはははははは!!!」」」
ソルジャーばかりか、キャプテンまでが大爆笑。教頭先生はキャプテンの制服の上着だけと言ってもいいようなデザインの服を着込んでいました。裾を延ばしてミニスカート丈、もちろんスカートはちゃんとスカートの形をしています。タイツは無しで足にフィットした黒いブーツ。
上着の袖も袖なしになって、上着と共布の長い手袋、なんとも破壊的な制服はマントと肩章だけが辛うじて原型を留めている状態で。
「…せ、制服交換だと聞いたのだが…!」
自信を持って着て来たのだが、と焦りまくる教頭先生に向かって焚かれたフラッシュ。ソルジャーと会長さんが立派なカメラを構えています。
「はい、ハーレイ! 笑って、笑って! メリー・クリスマス!」
「こっちにもとびきりの笑顔を頼むよ、記念の一枚!」
メリー・クリスマス! と会長さんに微笑み掛けられた教頭先生、条件反射でニッコリ笑顔。たちまち切られるカメラのシャッター、光るフラッシュ。
「いいクリスマスになりそうだねえ…」
あのハーレイだけでワインが何本いけるやら、とソルジャーが笑えば、会長さんも。
「この記念写真をバラ撒くぞ、って言えば小遣い稼ぎも出来るよ、実に素敵なクリスマスだよ」
「バラ撒くのかい? だったら、こういうショットもね!」
床からアオリで撮ってみましたー! とソルジャーはミニスカートの下の紅白縞を激写しちゃったみたいです。教頭先生は何が何だか分からないままに笑顔をサービス中ですし…。
「…誰だ、制服交換なんかを言い出したのは?」
シャングリラ学園の方のイベント、とキース君が額を押さえて、ジョミー君が。
「さあ…? でもさ、この状況を作り出しちゃった犯人はさ…」
アレだよね、と指差す先にキャプテンの制服を纏ったソルジャーという名のカメラマン。教頭先生だけが大恥をかいたクリスマスパーティーの制服交換、もう笑うしかないんですけど…。せっかくのパーティー、食べなきゃ損、損。御馳走に乾杯、メリー・クリスマス!




             制服を替えて・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 新年早々、何故かクリスマスのお話でしたが、そこの所は御愛嬌で。問題は制服交換です。
 すっかり騙された教頭先生、とんでもない姿を披露することに…。視覚への暴力かも?
 次回は 「第3月曜」 2月17日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、1月は、元老寺でのお正月に始まりまして、只今、小正月。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv










(ほう…?)
 美味いんだよな、とハーレイが目を留めた、ソフトクリームと書かれた立て看板。
 ブルーの家には寄れなかった日、いつもの食料品店で。
 入口から近い特設コーナー、其処にソフトクリームの店が来ていた。しかも上質のバターで名を馳せる牧場の出店。ソフトクリームにもバターが入っているのが売りだという。
 謳い文句にも惹かれるけれども、ソフトクリームというのがいい。頼りないほどに柔らかくて、滑らかな出来のアイスクリーム。さながら冷たいホイップクリーム、そういう食感。
(こいつは此処で食ってこそなんだ)
 注文すればコーンの中に絞り出されて、「どうぞ」と手渡されるのがソフトクリーム。
 サイオンを使って冷やしながら持ち帰ることは出来るけれども、普通はその場で食べるもの。
 なにしろ、柔らかさが身上だから。絞り出して直ぐの、滑らかなクリームが美味しいのだから。
 アイスクリームを買ったら付けて貰える、保冷バッグも存在しないのがソフトクリーム。
 持ち帰り用の品などあるわけがなくて、買ったら直ぐに食べないと溶ける。
 誰かのために持ち帰りたいなら、自分でサイオンを使うしかないソフトクリーム。買った店では何もサービスしてくれないから。「これをどうぞ」と保冷バッグは出て来ないから。
 自分の家で食べたいと思っても、家までの道はサイオンで冷やしてやりながら。
(…そうやって持って帰るつもりでいたって…)
 帰る途中で食っちまうんだ、と子供時代を思い出す。
 まだ満足に使えなかったサイオン、それの訓練も兼ねてと高く志しても、誘惑に負けた帰り道。手に持ったソフトクリームが如何にも美味しそうだから、ついつい一口。
 滑らかな味を舌が知ったら、もう止められないつまみ食い。
 気付いた時にはソフトクリームは消えてしまって、胃袋の中に収まっているのが常だった。
 なんと言っても、子供だから。我慢が出来ない食いしん坊。



 子供時代に重ねた失敗、家まで持っては帰れなかったソフトクリーム。
(今日の俺でも無理だしなあ…)
 駐車場に置いてある車。仕事の帰りにやって来たから、今日の自分は愛車連れ。
 サイオンで冷やす技にも、自制心にも、充分に自信があるのだけれども、運転しながら持っては帰れない。ハンドルを片手で握れはしないし、ソフトクリームを置ける台も無いから。
(此処で食うかな)
 食べたい気持ちになって来たから、一つ、と頼んだソフトクリーム。買い物を済ませて店を出る時、例のコーナーに立ち寄って。
 牧場のロゴ入りの特製コーンに、たっぷりと絞り出されたクリーム。特製バターの風味を損ねてしまわないよう、一つだけしか無い種類。どれにしようかと悩む必要すらも無かった。
 ほんのりとバターの色が見えるような、柔らかな白。たったそれだけ、何もつかない。
(こういうヤツも美味いんだ)
 店の表で一口食べたら、期待通りの滑らかさ。コクのある甘みはバターが出しているのだろう。
 優しい舌触りのソフトクリーム、懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
(ガキの頃には、よく食べたよなあ…)
 隣町の店でも買って食べたし、家族旅行に出掛けた先でも。
 特産品の果物などを使ったソフトクリームは、色々な場所で売られているから。
 美味しそうだと思った時には、冬の最中でも食べたりした。家に持っては帰れないから、其処でしか食べられないのだから。



 仕事帰りの思わぬ立ち食い、いい年の大人が店の表でソフトクリーム。
 けれども、御同輩が他にも数人、食べたくなってしまった人たち。年配の紳士や、家に帰ったら子供が待っていそうな女性の姿も。
(…後から買って帰るのかもなあ…)
 自分の分を食べてしまったら、孫や子供のお土産に、と。サイオンで冷やして、上手に持って。
 立ち食い仲間と目と目で笑って、美味しく食べたソフトクリーム。
 得をした気分になった立ち食い、期待以上に美味だったから。
 家に帰って夕食を食べて、コーヒーを淹れて向かった書斎。其処でも頭に浮かんだけれど。
(あれはブルーに持って行くには…)
 向いていないな、と弾き出した答え。
 いくら美味しくても、持ち帰り用に出来てはいない食べ物だから。
(夏にアイスを買ってやったが…)
 ブルーの家へと歩く途中で、バッタリ出会ったアイスクリームの移動販売車。あれも牧場の名物だった。今日のソフトクリームとは別の牧場、そちらは牛乳で名高い牧場。
 暑い日だったから、食べようかと思案していた所で掠めた記憶。遠く遥かな時の彼方で交わした約束、前のブルーと。
(今日はジョミーと食べてしまったから、明日、食べるよ、って…)
 前の自分が青の間に持って出掛けたアイスクリーム。前のブルーはそう言った。明日食べるから仕舞っておいて、と。
(それで冷凍庫に入れて…)
 次の日にブルーと一緒に食べる約束をした。明日の仕事が終わった後で、と。
(なのに、あいつは眠っちまって…)
 十五年間も眠り続けて、アイスクリームを食べる約束は果たされなかった。ブルーの目覚めは、そのまま死へと繋がったから。
 白いシャングリラを守るためにと、ブルーは逝ってしまったから。
 アイスクリームの約束は思い出しさえもせずに、メギドへと飛んで行ったから。



 シャングリラの思い出だったアイスクリーム。前のブルーと交わした約束。
 「あの時の約束を果たして貰うぞ」と、買ってブルーに持って行ってやった。アイスクリームを一緒に食べると言っただろうが、と。
(ソフトクリームには、そういう思い出は無いからなあ…)
 わざわざ買って行かなくても、と考える。
 小さなブルーが欲しがるお土産、それには少々不向きなものだ、と。
(美味かったんだが、サイオンを使って運ぶトコまでは…)
 してやらなくてもいいだろう。
 夏ならともかく、今の季節には。それに特別な思い出も無いし、買わなくても、と。
(コーヒーなら、思い出もあるってもんだが…)
 あいつは苦手な飲み物だがな、と傾けた愛用のマグカップ。絶妙な苦味が嬉しいコーヒー、今の時代はコーヒー豆も選び放題なのだけど。
 白いシャングリラでは、そうではなかった。自給自足で生きてゆく船にコーヒーの木は無くて、最初の間は合成品。それが代用品のキャロブに変わって、チョコレートもキャロブで出来ていた。
 あの船ならではの食べ物の思い出は多いのだけれど。
(ソフトクリームはなあ…)
 特に何も、としか言えない。
 空気を含んで滑らかに出来たアイスクリームが、ソフトクリーム。牧場に行けば名物でもある、牛乳が主な材料だから。
 持ち帰れないのも人気が高い理由だろう。今日の自分が店の表で立ち食いしていたように。
(サイオンを使って冷やさない限りは…)
 長時間はとても持ち運べない。
 柔らかく出来たソフトクリームは、コーンに盛られたら溶け始めるから。



 こんもりと高く絞り出されても、寿命が短いソフトクリーム。端から溶けて崩れ始めて。
 季節によっては食べる間にも、トロリと垂れてしまうほど。
(シャングリラにも不向きだな…)
 小さなブルーに持って行くにも不向きなんだが、と思った食べ物。
 白いシャングリラでソフトクリームを作ったとしても、食堂でしか出せなかっただろう。直ぐに溶けるし、冷凍庫に入れるわけにもいかない。固くなってしまって駄目になるから。
 休憩室でも飲めたコーヒーや紅茶、そんな風に置いてはおけない食べ物。ソフトクリーム専用の機械を休憩室には据えられない。
 だから、シャングリラではアイスクリームくらいなもので…、と考えたけれど。
 保冷バッグやケースで運べて、冷凍庫があれば何処の部屋でも保存が出来たアイスクリーム、と前の自分の遠い記憶を辿ったけれど。
(…待てよ?)
 アイスクリームを手にして急いでいた記憶。
 両手に持ったアイスクリーム。溶けてしまわないよう、サイオンでしっかり守りながら。
 そうやって通路を急いだ記憶。白いシャングリラの長い通路を。



 おかしい、と首を捻った遠い記憶のアイスクリーム。前の自分の急ぎ足。
 溶けないように、と懸命だったことも微かに覚えているのだけれど。
(アイスクリームは…)
 持ち運び用の保冷バッグもケースもあった。前のブルーと一緒に食べる約束を交わした時にも、保冷バッグに入れて運んだ。厨房で貰って、青の間まで。
 白いシャングリラでは、アイスクリームは保冷バッグで運ぶもの。大量に運んでゆくのだったら専用ケースで、どちらも保冷効果は抜群。サイオンなどは使わなくても済むように。
 「サイオンは日常生活で使うべきではない」と、ヒルマンもエラも言っていたから。
 人間らしく生きるためには、必要最低限のサイオンに留めておくべきだ、と。
 シャングリラはそういう船だったから、アイスクリームをサイオンで冷やすことなど言語道断。保冷バッグがあるだろうに、とヒルマンたちが眉を吊り上げただろう。
(…その筈なんだが、なんでまた…)
 キャプテン自ら禁を破って、サイオンを使って運んでいたのか。保冷バッグを使わずに。
 それとも、保冷バッグが役に立たない場所へ運んで行ったのだろうか?
 区画によっては相当な暑さだった機関部、其処でゼルが仕事をしていただとか。



 室温が四十度に届きそうな場所では、保冷バッグは役立たない。短時間なら持ち堪えても、長い時間は使えない。ゼルの仕事が一段落するまで、アイスクリームが持ったかどうか。
 そういう事情があったとしたなら、保冷バッグを使わない可能性もある。どうせ役には立たない行き先、余計な荷物を持ってゆくより、アイスクリームだけでいいではないか、と。
(…しかし、ゼルなんかとアイスを食うか?)
 ゼルとは長い付き合いなのだし、食べていないことも無いだろうけれど、仕事中の所へアイスを二つも運んでゆくとは思えない。サイオンを使って、溶けないように守ってまで。
(そのくらいだったら、凍った飲み物を届けるよなあ?)
 アイスクリームを持ってゆくより、ボトルごと凍らせたコーヒーやジュース。
 そっちの方が量も多いから喜ばれそうだし、高い室温でいい感じに溶けてゆきそうだから。
 ゼルと並んで話をする間に、丁度いい具合に溶けてゆく中身。話の合間に傾けるのには、きっと似合いの量だったろう。「それでな…」と自分が一口飲んで、ゼルも「そうじゃな」と自分の分のボトルを一口。
 機関部のゼルに差し入れに行くなら、そっちの方だと断言出来る。現に届けたような記憶も。



 保冷バッグは使わなかったけれど、サイオンも使っていなかった機関部のゼルへの届け物。前の自分は届けてはいない、ゼルと二人で食べるためのアイスクリームなどは。
(なら、俺は何処へ…)
 アイスクリームを運んでいたのだろう?
 保冷バッグを使う代わりに、両手に一個ずつ持って守ったサイオン。溶けないように、と。
 機関部の他にも高温の場所はあったけれども、何処へ向かって急いでいたのか。
(…ゼル以外の誰がいるというんだ?)
 前の自分が差し入れに出掛けてゆきそうな仲間。高温の場所にいそうな仲間。
 誰一人として思い当たらないから、遠い記憶を手繰ってみる。
 手にしたアイスは何だったか、と。
 何種類かあった、アイスクリームのフレーバー。それが手掛かりにならないだろうか、と。
 好物だった仲間を思い出せたら、行き先も見当がつくだろうから。
 そうしたら…。
(ソフトクリームか…!)
 保冷バッグが無かったわけだ、と腑に落ちたサイオンを使った理由。
 ソフトクリームを運んでゆくなら、今も昔も、保冷バッグを使えはしないのだから。



 すっかり忘れていたのだけれども、白いシャングリラのソフトクリーム。
 滑らかで柔らかいソフトクリームは、白い鯨でも作られていた。食堂に専用の機械を据えて。
(…最初は子供たちだったんだ…)
 アルテメシアで保護したミュウの子供たち。その子供たちが、食べたいと恋しがったから。
 養父母たちと食べたソフトクリームを、公園などで買って貰った思い出の味を。
 白いシャングリラには、普通のアイスクリームしか無かったから。前の自分たちは、その味しか知らなかったから。
(人類の輸送船が運ぶ物資は、アイスクリームの方だしな?)
 ソフトクリームをコンテナに詰めて運べはしないし、手に入ったものはアイスクリーム。甘くて冷たい冷凍の菓子はアイスクリームやシャーベットなどで、ソフトクリームは一度も無かった。
 だからアイスクリームを作ってはいても、ソフトクリームは無かった船。
 アイスクリームがあれば充分、それしか知らない人間ばかり。
 ところが、新しく船にやった来た子供たちの方はそうではなかった。ソフトクリームの柔らかい舌触りを知っていた彼らは、あれが食べたいと何度も言った。
 アイスクリームを口にする度に、ソフトクリームが食べたいと。
 どうしてシャングリラでは出て来ないのかと、もう一度あれが食べたいのに、と。



 ソフトクリームなど、初耳だったのが前の自分たち。幼い頃には食べたのだろうに、全く記憶に残ってはおらず、成人検査よりも後に食べてはいない。
 けれど、子供たちが欲しがるからには美味しいのだろう。アイスクリームとは違うのだろう。
 何度も繰り返された「ソフトクリームが食べたい」という声、子供好きだったゼルが最初に動き始めた。「この船でなんとか作れんのか」と、「機械が要るなら作るんじゃが」と。
 そうなってくるとヒルマンの出番、データベースでの調べ物。
 ソフトクリームの仕組みは直ぐに分かった、早速ゼルが取り掛かった。ソフトクリームが作れる機械の製作に。「こんな具合じゃな」と図面を書いて。
 ソフトクリームにはセットのコーンも、焼くための機械をゼルが作った。厨房に置けるようにとコンパクトなものを。ソフトクリームの機械と並べても、場所を取らないものを。
(そいつを厨房に据え付けて…)
 牛乳などの材料を入れて、出来上がりを待ったソフトクリーム。どんなものかと、どういう味がするのかと。
 最初に作ったソフトクリームは試食用だったから、前のブルーと自分と、それから長老の四人で食べてみた。先に作っておいたコーンに、厨房のスタッフがクリームよろしく絞り出して。
(美味かったんだ、アレが…)
 同じアイスクリームとは思えない味、舌触りが違うというだけで。滑らかなだけで。
 子供たちが欲しがったのも頷ける、と誰もが思った。
 シャングリラ生まれのソフトクリームは仲間たちにも好評を博し、子供たちはもちろん大喜び。
 ただし、食べられる場所は食堂だけ。
 保冷バッグは役に立たない上、サイオンを使って持ち運ぶことも好ましくないとされたから。
 食べたい時には食堂へ出掛けて注文するもの、食堂で食べて帰るもの。



 そのソフトクリームが、前のブルーも気に入りだった。空気を含んだ滑らかな味が。
 アイスクリームとは違った味だ、と何度も食べに出掛けていた。
 ソルジャーが食堂でソフトクリームを舐めているのは如何なものか、とエラが眉を顰めたから、コッソリと。目立たない陰の方に隠れて、それは美味しそうに。
 そうかと思えば、瞬間移動で青の間に持って帰ったりもした。「食堂が駄目なら仕方ないよ」と屁理屈をこねて、サイオンで守って運ぶ以上に強いサイオンを使って運んで。
 ソフトクリームが好きだったブルー。嬉しそうに舐めたソルジャー・ブルー。



(あいつ、熱を出して…)
 寝込んでしまった時のこと。まだ恋人同士ではなかった頃。
 見舞いに行ったら、冷たい物を食べたがったのだった。身体が熱いから、冷たい物を、と。
 診察したノルディは、アイスクリームを食べてもいいと許可を出していたのだけれど。栄養価が高いから、身体を冷やさない程度に適量を、と言ったのだけれど。
(どうせなら、あいつが食堂でしか食べられないヤツ…)
 青の間の冷凍庫では保存できないソフトクリームを、と食堂へ貰いに行ったのだった。冷凍庫に入っていたアイスクリームを食べさせるよりも、ブルーの好きなソフトクリームを、と。
 厨房のスタッフに「一つ作ってくれ」と頼んで、急いだ通路。
 ソフトクリームを一個だけ持って、溶けないようにとサイオンで包んで冷やしながら。
 青の間に着いてもソフトクリームは無事だったから、「どうぞ」とブルーに差し出した。「一つ貰って来ましたから」と、「アイスクリームよりもお好きでしょう?」と。
 ブルーはベッドに身体を起こして、美味しそうに舐めていたのだけれど。
「…君の分は?」
 貰って来なかったのかい、と暫くしてから向けられた瞳。君の分は、と。
「いえ、私は…。冷たい物が欲しいと仰ったので…」
 ソルジャーの分だけを貰って来ました、と答えたら、「ごめん…」と謝ったブルー。サイオンを使って運んでくれたのだろうに、ハーレイの分は無いだなんて、と。
 「いえ、これもキャプテンの仕事の内ですから」と言っているのに、ブルーは申し訳なさそうな顔をしていたものだから。
 これでは駄目だと、次からは自分の分も作って貰って運んだ。
 「ついでに貰って来たんですよ」と、「私も食べたい気分なので」と。
 熱を出したブルーが冷たい物を欲しがる度に、ソフトクリームを両手に持って。



 時の彼方から戻った記憶。ソフトクリームを守って急いだ通路。
(そうか、ソフトクリームってヤツは…)
 あの滑らかな冷たいクリームは、前のブルーが好んだもの。
 ブルーのためにと、前の自分が運んでいたもの。保冷バッグは使えないから、サイオンで守って青の間まで。初めて届けた時は一つで、次からは両手に一つずつ持って。
(前の俺たちも食べていたんだ…)
 ブルーの所へ届けた時には、二人一緒に。恋人同士ではなかった頃から。
 そうと分かれば、ソフトクリームを買って行かねばならないだろう。今の小さなブルーにも。
 自分一人で「美味い」と立ち食いするのではなくて。
(明日は土曜日と来たもんだ)
 上手い具合に、ブルーの家を訪ねてゆく日。
 特設コーナーのソフトクリームの店は、明日もやっている筈だから。二つ買って行こう、そして運ぼう。溶けないようにサイオンを使って冷やしながら。
 遠い昔に、前の自分がシャングリラでそうしていたように。
 右手と左手に一つずつ持って、長い通路を急いだように。



 次の日の朝、目覚めても忘れていなかった記憶。前のブルーに届けていた物。
 それを買わねば、と青空の下を歩いて出掛けて、入った昨日の食料品店。たまに持ち歩く小さなケースを脇に抱えて、「二つ下さい」とソフトクリームを注文した。特製バターが美味しいのを。
 渡された二つのソフトクリーム、右手と左手に一つずつ。
 溶けてしまわないようサイオンで包んで、颯爽と歩き始めた道。ブルーの家まで続いている道。
 ソフトクリームを持って歩く途中も楽しかった。
 前の自分が急いだ船の通路とは違って、様々な景色。生垣の木だけでも何種類もあるし、花壇の花はもっと沢山。
 すれ違う人たちは揃いの制服を着てはいなくて、シャングリラにはいなかった犬や猫まで。
 頭の上には天井の代わりに真っ青な空。雲海とは違った白い雲たち。
 同じようにソフトクリームを持っていたって、まるで別物の自分の周り。こんな日が来るとは、夢にも思っていなかった。青の間へと急いでいた頃は。



 そうして歩いて、生垣に囲まれたブルーの家に着いたら、左手でソフトクリームを二つ。器用に片手で二つ手にして、門扉の横のチャイムを右手で鳴らした。
 左手に持ったソフトクリームを落とさないよう、サイオンで支えておきながら。
 チャイムが鳴ったのを確認してから、両手に持ったソフトクリーム。右手と左手に一つずつ。
 門扉を開けに出て来たブルーの母が目を丸くした。
「あら、ソフトクリームですの?」
 近くで売っていましたかしら。…それとも、途中にお店でも?
「それが…。私の家の近くなんですよ。美味しい店が来ていましてね」
 ついでに、これはシャングリラの思い出の味なんです。ブルー君にも食べて欲しくて…。
 こうして此処まで持って来ました、と笑ってみせたら、荷物を持ってくれたブルーの母。「少し負担が減りますでしょう?」と、脇に抱えていた小さなケースを。
 ソフトクリームを一つ持つから、と申し出ないのがブルーの母ならでは。
 思い出の味だと口にしただけで、ソフトクリームを両手に持つべきなのだと気付いてくれる。
 この家に何度も通う間に、分かって貰えた前の自分とブルーとのこと。
 恋人同士だとは思っていないだろうけれど、思い出を共有している二人だ、と。
 ソフトクリームを二つというなら、その片方を自分が預かって持ってはならないと。



 そんなわけだから、二階のブルーの部屋に着いても、お茶とお菓子が出るまで、そのまま。
 右手と左手にソフトクリーム、そういう姿勢で椅子に座って待っていた。ブルーの母がお菓子を置いて去ってゆくまで、お茶の支度が整うまで。
 「ごゆっくりどうぞ」と部屋の扉が閉められてから…。
「ほら、土産だ」
 好きな方を選べ、とブルーに差し出してやったソフトクリーム。味はどっちも同じだが、と。
 ブルーは二つを見比べてから、「こっち」とヒョイと片方を取った。多分、気分で選んだ方を。
 どちらも似たような形なのだし、溶けても崩れてもいないのだから。
「珍しいね、ハーレイがサイオンまで使ってお土産だなんて…」
 ソフトクリームを持って帰るの、今のぼくだと絶対に無理。
 だって溶けちゃう、ぼくのサイオンだと、冷やしておくなんてことは出来ないんだもの。
「そうだろうな、今のお前ではな」
 お前、こういうのを覚えていないか?
「こういうのって…。何を?」
「前のお前だ、ソフトクリームだ」
 好きだったんだがな、ソフトクリーム。…こいつほど美味くはなかったが…。
 今日の土産のソフトクリームは、バターで有名な牧場のヤツで、昨日食ったら美味かったぞ。
 バターが入っているんだそうだ。そのせいだろうな、コクがあるんだ、普通のよりも。



 前のお前が好きだったヤツも、俺がこうして何度も運んだ、と上げてみせた両手。
 左手はもう空だけれども、「両方の手に一つずつだった」と。
 「溶ける前に食べろよ」と自分の分のソフトクリームをペロリと舐めたら。
「そうだ、ハーレイが運んでくれてた…」
 前のぼくが熱を出しちゃった時に、ソフトクリーム…。
 今日みたいにサイオンで冷やしながら持って来てくれたよね、青の間まで。
 ぼくの分と、ハーレイの分と、いつでも二つ。「ついでですから」って。
「お前、冷たい物を欲しがったからな」
 ノルディの許可が出ていた時には持ってったもんだ、ソフトクリームを。
 アイスクリームよりも喜びそうだから、厨房で作って貰ってな。
「…前のハーレイが病気のぼくにくれていた物…」
 野菜スープだけじゃなかったんだね、ソフトクリームまで貰ってたよ、ぼく…。
「ソフトクリーム、俺は作っちゃいないがな」
 作っていたのは厨房のヤツらで、俺は運んだだけなんだが。
「でも、ハーレイがいてくれないと届かないよ?」
 どんなに待っても、ソフトクリームは届けて貰えなかったと思う…。
 保冷バッグでは運べなかったし、アイスクリームは青の間に置いてあったんだから。
 ノルディが「食べていいですよ」って言ってたアイスは、冷凍庫のアイス。
 ぼくが食堂まで食べに行けない時には、あれしか食べられなかったんだよ、アイスクリーム。
 ハーレイが届けてくれなかったら、ホントにアレだけ…。



 他の仲間は普通のアイスしか運んで来てくれなかったから、と微笑んだブルー。
 ハーレイだけがソフトクリームをぼくに届けてくれたんだよ、と。
「…他のみんなは、冷凍庫にアイスが入っていればいいと思っていたから…」
 減った分だけ補充すればいいんだ、って保冷バッグで運んで来ていただけだったから。
 …ハーレイが運んでくれなかったら、ソフトクリームは食べられなかったと思う。
 誰も訊いてはくれなかったもの、「ソフトクリームを持って来ましょうか?」って。
 ハーレイ、ぼくが頼んでもいないのに、ちゃんと届けに来てくれたよ。
 …まだ恋人じゃなかったのに。
 仲のいい友達だった頃の話なのに…。
「俺がソフトクリームを持って行こうと考え付いた理由ってヤツは…」
 キャプテンだったから…ってことはないよな、俺の仕事の内だとは思っていたんだが…。
 前のお前の友達だったからだよな?
「うん。…ぼくのことを考えてくれていたからだよ」
 ただの友達じゃなくて、ハーレイの一番古い友達。
 いつもハーレイ、そう言ってたものね、アルタミラを脱出して直ぐの頃から。
 「俺の一番古い友達だ」って、船のみんなに。
 そんなハーレイだから、ソフトクリームを思い付いてくれたんだよ。
 前のぼくがソフトクリームを食べにコッソリ出掛けてたことも、青の間に持って帰ってたことも知っていたでしょ、ハーレイは?
 他のみんなも知っていたけど、届けることまで思い付いてはくれなくて…。
 ホントにハーレイだけだったんだよ、前のぼくにソフトクリームを運んで来てくれたのは。



 熱い野菜スープと、冷たいソフトクリームと、どっちもハーレイ、とブルーは嬉しそうで。
 ハーレイがぼくにくれていた物、とソフトクリームを口に運んだ。思い出した、と。
「そいつは良かった。持って来た甲斐があったってもんだ」
 美味いだろ、このソフトクリーム。…俺は昨日に店の表で立ち食いしてたんだがな。
「…そうなの?」
 家まで持って帰らなかったの、でなきゃ食べながら歩くとか…。
 お店の表で立ち食いするのと、歩きながら食べるのは違うよね…?
「もちろん、今の俺なら家まで楽々と持って帰れるんだが…」
 此処まで運べたくらいなんだし、家までなんかは大した距離ではないんだが…。
 歩きながら食うのも悪くはないがだ、生憎と俺には車があってな。
「車?」
「俺の車だ、仕事の帰りに店に寄ったから、俺は車を連れていたんだ」
 駐車場に停めてあったからなあ、そいつを置いては帰れんだろうが。
 ハンドルを握りながら、ソフトクリームをサイオンで冷やしておくのは無理だし…。
 置いておくための台でもあったら出来たんだろうが、ソフトクリームに台は無いしな。
 持ち帰り用の保冷バッグも付かないだろうが、ソフトクリームには。
 前の俺たちが生きてた時代も、今の時代も、ソフトクリームは買ったその場で食うのが基本だ。
 でなきゃ、食べながら歩いてゆくか…。
 車連れでは歩いて帰れやしないからなあ、店の表で食ってたわけだ。
 俺の御同輩が何人かいたぞ、立ち食いしていたお仲間ってヤツが。
 美味しく食べてだ、家に帰っても「美味かったな」と覚えていたから、思い出しちまった。
 シャングリラにもソフトクリームがあったってことと、俺が運んでいたことを。
 …もっとも、今の俺の場合は、サイオンで冷やして運ぶ途中に誘惑に負けて食っちまったが。
 ガキの頃だな、家まで持って帰ろうと思って歩き始めるんだが、家に着く頃には手が空っぽだ。
「ふふっ、なんだか見えるみたいだよ」
 家に着くまで待てないハーレイ。…だけど、今のハーレイだって運んでくれたよ。
 ぼくの家まで、ちゃんと食べずに。それも二つも持っていたのに。



 今のハーレイだって運べたじゃない、とブルーが言うから、「年を考えろよ?」と苦笑した。
 「ウッカリ食ってたガキの頃とは違うんだから」と。
 二人で食べているソフトクリームは、サイオンの守りを失って柔らかく溶けてゆくけれど。
 トロリと垂れそうになるのだけれども、それを上手に舌で掬うのもまた楽しい。
 前のブルーとも、そうやって食べた。青の間まで運んで行った時には。
「ハーレイ、ソフトクリーム、また食べたいね」
 今日のは凄く美味しいけれども、これじゃなくてもかまわないから。
 またハーレイと一緒に食べてみたいよ、前のぼくたちが食べてた頃みたいに。
「…お前の気持ちは分からないでもないんだが…」
 両手に持って此処まで来るのは目立つんだよなあ、俺はデカイし。
 昨日の立ち食い仲間だったら、お孫さんとか、子供に買って帰るんだな、と微笑ましいが…。
 俺がやってりゃ、微笑ましいよりも先に人目を引きそうだ。
 今日だって多分、見られていたんだと思うぞ。
 似合わないことをやっているなと、何処まで持って帰るんだか、と。
 …俺は気付いちゃいなかったが…。
 シャングリラの通路を急いでた頃とは随分違うと、地球なんだな、と景色を満喫してたんだが。



 しかし、二度目は出来れば勘弁願いたい、と肩を竦めた。
 今日は夢中で持って来たから平気だったけれど、次からは人目が気になりそうだ、と。
「よっぽど美味い店のが来たとか、そういう時には頑張って持ってくるのもいいが…」
 そうでなければ勘弁してくれ、今頃になって恥ずかしくなって来たからな。
 …その代わり、いつか二人で食べに行こうじゃないか。
 お前が俺の車でドライブに行けるようになったら、美味いソフトクリームを食べに牧場へ。
 ソフトクリームは牧場の名物だからな、新鮮な牛乳が材料なんだし。
「うんっ、行こうね!」
 ハーレイの車で食べに行こうね、ソフトクリーム。
 シャングリラの頃と違って、地球の牛乳で出来ているから、ずっと美味しいに決まってるもの。
 ハーレイが運んでくれてたソフトクリームも美味しかったけど、あれよりも、ずっと。
 今日のも凄く美味しいものね。
「ふうむ…。二度目は勘弁願いたいとは言ったが、だ…」
 俺と一緒に暮らし始めてから、お前が病気になっちまったら。
 何処かで買って運ぶとするかな、アイスの許可が出ているようなら、ソフトクリームを。
「それも嬉しい…!」
 またハーレイが運んで来てくれるんだね、ソフトクリームを。
 今度は地球のソフトクリームを、ぼくが寝ているベッドまで。
 もちろん、ハーレイの分もあるよね、今日みたいに。…前のぼくたちが食べてた時みたいに。



「そりゃまあ、なあ…?」
 当然だろう、とブルーに向かって瞑った片目。
 サイオンで冷やしながらソフトクリームを運ぶとなったら、二人分だ、と。
 「ハーレイの分は?」とブルーが申し訳なさそうな顔にならないように。
 大きな身体で両手に持って歩いていたなら、目立ったとしても。
(…なんたって、ブルーのためなんだしな?)
 前の自分が持って急いだソフトクリーム。
 サイオンで冷やして、両手に持って、長い通路を青の間まで。
 その思い出のソフトクリームを、今のブルーと何度も食べよう。
 二人で来られた青い地球の上で、新鮮な地球の牛乳で作られた滑らかなソフトクリームを…。




          ソフトクリーム・了

※シャングリラでも作られていたソフトクリーム。前のブルーの好物だったのです。
 それを青の間まで届けたハーレイ。サイオンで冷やして、二人分のをしっかりと持って…。
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(んーと…)
 ハーレイにちょっと似合うかも、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間。
 料理で名を馳せる人の特集、写真の中には様々な分野の料理人たち。トップシェフやら、和風の料理人のトップを指す花板、他にも色々。
 どの料理のプロも身に着けている白い制服、それから帽子。料理によって違う制服、同じ白でも違ったデザイン。帽子の方も。
(…前のぼくの頃だと、シェフの制服しか…)
 無かったのだろう、他の料理は無かったのだから。中華料理も、和風の料理も。
 それはともかく、料理人たちが纏った制服と帽子。料理が得意なハーレイにも似合いそうな服。トップシェフの高く聳える帽子はもちろん、花板や寿司職人の服もいいかもしれない。
(どれも似合うよね?)
 そういった服で厨房に立っていたならば。カウンターの向こうで料理をしていたならば。
 きっと似合う、と想像してみて「うん」と大きく頷いた。ハーレイならとても良く似合う、と。料理人が着ている服もそうだし、キビキビと料理をしている姿も。寿司を握ったり、フライパンでステーキをフランベしていたり。
(…ホントはハーレイ、柔道と水泳なんだけど…)
 プロの選手にならないか、とスカウトが幾つも来ていたと聞く。柔道の選手に水泳の選手。
 だからハーレイが何かのプロになっていたなら、スポーツ選手の方だろう。柔道の道か、水泳の方か。料理のプロの方へは行かない。
 ついでにハーレイが選んだ仕事は古典の教師で、教師のプロというのは聞かない。教師になった時点で既にプロとも言えるのが教師、制服のある職業でもない。
(だけど、料理の方に行っても…)
 身を立てられたかもしれない、今のハーレイ。料理が得意で、大抵の料理は作れるらしいから。店で出された美味しい料理も、自分で再現するらしいから。レシピが無くても、舌と勘だけで。
 もっとも、ハーレイ自身に料理人という選択肢は無かっただろうけど。
 プロのスポーツ選手になるのか、教師にするかの二つだけしか考えなかっただろうけど。



 料理の道でも充分に成功していただろうに、料理人の制服も似合いそうなのに。トップシェフの帽子も、寿司職人が被る帽子も、ハーレイならきっと似合うだろうに。
 そちらに行こうともしなかったハーレイ、料理人になりたかったと聞いたことは一度も無い。
 前のハーレイは元は厨房出身、異色のキャプテンだったのに。料理人とはまるで違った宇宙船のプロに転身した経歴の持ち主なのに。
(もし、前のハーレイの記憶があったら…)
 ほんの微かにでも残っていたなら、今のハーレイは料理人の道を選んだだろうか?
 スポーツ選手や教師にはならずに、プロの料理人。何の料理かは分からないけれど、名を上げて新聞に載せて貰えるような。
(ハーレイなら出来たと思うんだけど…)
 トップシェフや花板への出世。何処かの店に修行に入って、アッと言う間に腕を磨いて、お店のトップに立つということ。独立して自分の店を持つことも夢ではなさそうな料理の腕前。
(今のハーレイも凄いけれども、前のハーレイも凄かったしね?)
 偏った食材しか無いような時も、せっせと工夫を重ねていた。船の仲間たちが飽きないようにと味を変えたり、調理方法を研究してみたり。
 何度も試作をしていたハーレイ、もし厨房にハーレイの姿が無かったならば、ジャガイモ地獄やキャベツ地獄を無事に乗り切れたかどうか。
(…おんなじ料理が続いちゃったら、みんなが限界…)
 他に食材が無いということが分かっていたって、噴き出していたろう不満や愚痴。小さな不満が溜まっていったら、些細なことで喧嘩も起こっていたかもしれない。心に余裕が無いのだから。
 それでは船はとても持たない、ただでも外へは出られない船。頭を冷やしに行く場所でさえも、船の中にしか無い状態。そこでも出会い頭に喧嘩で、船の空気は殺気立つばかり。
 けれども、そうはならずに済んだ。ハーレイが料理をしてくれたから。



 ジャガイモ地獄もキャベツ地獄も乗り越えていった前のハーレイ。フライパン一つでとは流石に言えないけれども、鍋もオーブンも使っていたのだけれど。
(いつも工夫をしてくれてたよ…)
 同じ料理ばかりを出しはしなくて、食材は同じでも味や見た目が変わった料理。それが出るから誰も文句を言わなかったし、ハーレイも「今はこれしか無いんだからな!」とキッパリ言えた。
 俺は充分に工夫をしたから、何も文句は言わせないぞ、と。文句があるなら自分で作れと、俺の代わりに厨房に立てと。
(あれを言われたら、誰も文句は言えないよ…)
 シャングリラの胃袋を預かる厨房、其処に入って皆の料理を作れるだけの腕を持っていたなら、とうに厨房にいるだろうから。他の仕事をするのではなくて、厨房で料理。
(前のハーレイはプロだったしね?)
 シャングリラという船の料理のプロ。誰もが認めた最高の腕の料理人。ジャガイモ地獄も軽々と越えて船を進めた、内輪揉めの危機をフライパンを使って回避して。
(あの時のハーレイ、キャプテンみたいなものだったかも…)
 船にキャプテンはまだいなかったけれど、シャングリラを救ったのだから。料理が原因で起こる諍い、それを未然に防いだのだから。
 料理をしていたハーレイ自身も、気付いてはいなかっただろうけど。
 自分の料理の腕前一つで、船を守ったという自覚すら無かっただろうけれども。
 とはいえ、ハーレイは船を守った。ブリッジではなくて厨房に立って、舵の代わりに油を引いたフライパンをしっかり握り締めて。



 キャプテンと並んで天職とも言えた、前のハーレイの料理の腕。シャングリラのプロの料理人。あのまま厨房に残っていたなら、オリジナルのレシピを幾つも編み出したことだろう。
(凄く美味しいのとか、お洒落なのとか…)
 シャングリラ中の話題を掻っ攫いそうな、素晴らしい料理。白い鯨になった後なら、きっと色々生まれていた。前のハーレイの腕があったら、ジャガイモ地獄やキャベツ地獄を越えて進んだ腕の持ち主がいたならば。
(ホントに料理のプロだったんだよ)
 キャプテンなんかになっちゃったけど、と少し惜しんだ料理人としてのハーレイの腕。あのまま厨房に立っていたなら、どんな料理が出来ただろうかと。
 白いシャングリラに似合いの料理や、仲間たちの胃袋を引っ掴む料理。
 ハーレイだったらきっと出来た、と懐かしんでいてハタと気が付いたこと。
(…なんでハーレイだったわけ?)
 シャングリラのプロの料理人。当たり前のように思っていたのだけれども、そのハーレイ。
 どうしてハーレイが厨房で料理をしていたのかが問題だった。
 前のハーレイの居場所は確かに厨房だったのだけれど、何故、厨房にいたのかが。



(最初に非常食を食べた時には…)
 ノータッチだったと記憶している。アルタミラからの脱出直後に初めて食べた食事の時。
 封を切るだけで料理が温まったり、パンがふんわりと膨らんだり。そういった非常食が配られ、前の自分はハーレイの隣で食べていた。あの船で一番最初の食事を。
 食事をする前はハーレイと二人きりでいたわけなのだし、ハーレイは食事を配ってはいない。
(…ぼくがポロポロ泣いちゃってたから…)
 ハーレイに「今の間に泣いておけ」と抱き締めて貰って、誰もいない部屋に二人きり。ようやく涙が止まった所で、ハーレイと食事に行ったのだから。
(…ハーレイは食事の係じゃなかった…)
 少なくとも、脱出直後の船の中では。皆に食事を配らなくては、と考えた仲間たちの中には、前のハーレイはいなかった。
(多分、食事係はあのまま…)
 非常食を配った者たちがやっていたのだろう。最初に食料を探しに出掛けた仲間たち。その中にハーレイは入っていなくて、厨房を使い始めた時にも頭数に含まれていなかった筈。
 なのに、いつの間にやらハーレイは厨房に立っていたわけで…。
(…何があったのかな?)
 遠い記憶を手繰ったけれども思い出せない、ハーレイが厨房にいた理由。厨房を居場所に選んだ切っ掛け、それが何かが出て来ない。
 前のハーレイは厨房で料理をするようになって、気付けば自分用のエプロンまでも持っていた。物資の中から見付けたのだろう、大きな身体に見合ったサイズのエプロンまでも。
(制服とか帽子は無かったけれど…)
 ハーレイ専用のエプロンはあった。替えの分もきっとあったのだろう。きっと毎日、仕事の後にきちんと洗って、自分で管理をしていたものが。



 なんとも気になる、前のハーレイが厨房に入った理由。最初から食事を配っていたなら、不思議でも何でもないのだけれど。
(…とにかく何か食べる物を、って動いたんなら分かるんだけど…)
 そうでもないのに、ハーレイは厨房の仕事を始めていた。責任者になって料理をしていた。
(…制服と帽子の代わりにエプロン…)
 シャングリラの料理のプロなんだけど、と新聞記事の料理人特集を睨み付けても答えは出ない。料理の世界がまるで違うから、参考にすらなってくれない記事。
 船の中だけが全ての世界で限られた食材で料理をするのと、沢山の食文化が復活を遂げた平和な時代に料理をするのは違うから。
(…制服だけでも今は色々…)
 前の自分が生きた時代にありはしなかった板前や寿司職人の制服、シェフのそれとは似ていない帽子。今の自分なら、一目見ただけで料理人の帽子だと分かるけれども。
(前のぼくだと、分からないよね?)
 料理人だとは思わないだろう、制服姿の花板や寿司職人たち。
 何の参考にもなりはしない、と新聞記事を閉じてテーブルに置いた。これじゃ駄目だ、と。



 おやつを食べ終えて、二階の自分の部屋に帰って。勉強机の前に座った、さっきの続き、と。
 遠く遥かな前の自分の記憶を辿って旅をしてゆく。白い鯨になるよりも前のシャングリラ。
(…どうしてハーレイがお料理だったの?)
 向いていそうな仕事は他に幾つもあっただろうに。大きな身体をしていたのだから、それと力を生かせる仕事。機関部の仕事も務まったろうし、備品倉庫の管理人だって。
(倉庫の管理も、ハーレイだしね?)
 厨房と兼任でやっていた。「見当たらないものがあるならハーレイに訊け」と言われたほどに、有能だった管理人。その職だけでも充分だったろうに、どうしたわけだか厨房まで。
(…ホントにちっとも思い出せない…)
 ハーレイが厨房に入った理由か、もしくは動機。
 謎だ、と頬杖をついて考え込んでいたら、チャイムの音。窓に駆け寄れば、手を振るハーレイ。仕事の帰りに寄ってくれたから、チャンス到来と訊くことにした。
 お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、向かい合わせで。



 まずは今のハーレイの方から訊こう、と目の前の恋人にぶつけた質問。
「ハーレイ、シェフになりたかった?」
「はあ?」
 シェフって…。なんだ、お前は何を訊きたいんだ?
「シェフでなくても、板前さんとか、寿司職人とか…」
 似合いそうだけど、お料理する人の制服とか帽子。ハーレイだったらきっと似合うよ。シェフもいいけど、板前さんも。お寿司屋さんだって。
「おいおい、制服が似合いそうだ、って…。そういう理由でシェフとかなのか?」
「違うよ、それもあるけれど…。ハーレイはお料理が得意だから」
 大抵のお料理は作れるんでしょ、だからシェフとか板前さんになりたかったのかなあ、って。
「料理は確かに好きなんだが…。生憎と俺には柔道と水泳があってだな…」
 同じ専門の道を目指すなら、料理よりも断然、そっちの方だ。プロの選手になるって夢だな。
「…先生は?」
 先生になったのもハーレイの趣味なの、お料理するより先生の方が良かったわけ?
「教師って仕事を考えてみろ。俺はお前の学校で柔道部の顧問をしているんだぞ」
 今までに行ってた学校でもだ、柔道部か水泳部の顧問をしていた。趣味の柔道も水泳も活かせる職業だろうが、教師ってヤツは。
 ところが料理じゃそうはいかない、柔道も水泳も全く出番が無いんだから。
 そんな仕事を俺が選ぶわけがないだろう。プロ級の腕を役立てる場所が無いんじゃな。
「そっか…。シェフは柔道、やらないもんね…」
 水泳だってしないね、板前さんとかお寿司屋さんも。
 仕事が無い日に趣味でやるのは出来そうだけど…。お店じゃ何も出来ないものね。



 柔道や水泳の腕を活かせないから、と今のハーレイは選ばなかった料理人の道。やはり選択肢に入ってさえもいなかった。料理人になるという道は。
「だったら、前のハーレイは?」
 料理人になりたいと思っていたのか、違うのか、どっち?
「何の話だ? 前の俺が何になりたかったか、覚えていたとでも思うのか?」
 成人検査よりも前の記憶は無かったんだぞ、前の俺には。
 何になりたいと思っていたのか、そいつをしっかり覚えていたなら奇跡だろうと思うがな?
「そこまで前の話じゃなくて…。前のぼくと出会った時よりも後」
 前のハーレイ、どうして厨房にいたんだろう、って気になっちゃって…。
 今日の新聞に料理人特集が載っていたから、それを見てたら前のハーレイのことも…。
 初めの間は、今のハーレイなら料理人になれそうなのに、って思ってたんだよ。
 前のハーレイの記憶があったら、お料理の道に行ってたかもね、って。
 そしたら、前のハーレイを思い出しちゃって…。だけど、厨房にいた理由が謎。ひょっとして、お料理、したかったわけ?
 料理人になろう、って自分で決めたの、それとも誰かに決められちゃった…?
「ああ、あれなあ…。前の俺が厨房を選んだ理由か」
 実は俺にも謎なんだよなあ、それも今の俺じゃなくて前の俺だった頃からの謎だ。
 何故かは知らんが、放っておけなかったと言うか…。
 俺よりも先に厨房で料理をしていたヤツらは、何人もいたわけなんだがな。



 お前も覚えているだろう、とハーレイが挙げた仲間たちの名前。厨房の熟練として記憶しているけれども、彼らの方がハーレイよりも先に厨房にいたという。あの船の料理人として。
 まだシャングリラの名前も無かった頃の船。一番最初の食事も彼らが探して配った。
「そんなヤツらが揃ってたんだし、俺が後から入らなくても人手は足りていたんだが…」
 いつだったか、厨房を覗いてみたら悪戦苦闘していてな。確かシチューを作ってたんだか…。
 野菜を切ろうとしていたわけだが、どうにも手元が危なっかしい。素人の俺が見ててもな。
 もうちょっと上手くやれるんじゃないかと思って、ついつい厨房に入って行って…。
「…それで?」
「貸してみろ、って誰と代わったんだっけな、そこまでは俺も覚えていないな」
 とにかく代わって、やってみたら身体が勝手に動いた。
 どういった風に切ればいいんだ、と確認しただけで、そうかと勝手に手が動き出して。
「勝手にって…。ハーレイ、何も考えていなかったのに?」
 切りたい形を教わっただけで、その形に綺麗に切れちゃったわけ?
「うむ。…代わろうと言った俺が自分で驚くほどにな」
 野菜を切ってた記憶なんぞは全く無いのに、それはトントンとリズミカルに切れてしまうんだ。次に切るのはどれなんだ、って切りながら訊いて、そいつも俺の手が勝手に切った。
 どうやら、成人検査を受けるよりも前の子供時代に俺は料理をしていたらしい。なにしろ野菜を切り終わったら、そのまま料理を始めちまったし…。俺も一緒に作るから、と。
 成人検査で記憶はすっかり消されちまったが、身体は覚えていたわけだ。包丁の持ち方も、使い方も。料理を作るための手順も、何もかもを。



 俺の身体が覚えていたんだ、とハーレイが語った厨房に入った切っ掛けなるもの。元から厨房にいた仲間たちよりも、ずっと上だった前のハーレイの料理の腕前。
 此処に決めた、と思ったという。自分が仕事をすべき所は厨房だろうと、料理をするのが向いているから、と。
「それじゃ、前のハーレイはシェフになりたかったとか?」
 シャングリラでシェフになるんじゃなくって、成人検査をパスしていたら。
 大人になったらやりたかった仕事、シェフだったのかもしれないよ…?
「そいつは俺も考えないではなかったが…。あくまで可能性の一つに過ぎん」
 記憶を失くしてしまったんだし、永遠の謎というヤツだ。
 シェフを目指していたわけじゃなくて、料理が得意な母親の手伝いをしている間に覚えたという線もある。料理自慢の母親だったら、横で見ていて、やりたくなるってこともあるだろう?
 子供は好奇心が旺盛なんだし、うんと小さい頃から一緒に料理を作っていたとか。
「前のハーレイのお父さんは?」
 シェフだったっていうことはないわけ、ハーレイにお料理を教えるような。
「テラズ・ナンバー・ファイブが持ってたデータじゃ、料理関係の仕事じゃなかったぞ」
 ごくごく普通の勤め人だな、ジョミーの父親と似たようなモンだ。
 写真を見たって、料理人の服は着ていなかったし。
「じゃあ、前のハーレイにお料理を教えていたのは、やっぱりお母さん?」
 お父さんの仕事がお料理じゃないなら、お母さんの方ってことになるよね、教えた人は。
「そこも謎だな、俺が覚えていない以上は」
 料理好きの父親だったという可能性も全くゼロではないだろうが。
 休みの日に腕を奮っていたんだったら、子供は興味を持つもんだ。自分もやってみたい、とな。
 両親揃って料理上手だったかもしれないわけだし、覚えていないのが残念だった。
 俺の身体は自然に動いて料理をするのに、誰に教わったか、どうしても思い出せないんだから。



 データにも残っていなかった、とハーレイが浮かべた苦笑い。誰に料理を習ったのか、と。
「シャングリラで厨房を選んだくらいに、前の俺は料理することを覚えていたんだが…」
 身体が勝手に動くトコまで覚えていたって、肝心の記憶が無いんじゃなあ…。
「前のハーレイの記憶だったんだ…。お料理」
 厨房にしよう、って決めたくらいに、ハーレイ、お料理してたんだ…。成人検査を受ける前は。
 お母さんかお父さんが前のハーレイに教えてたんだね、お料理のやり方。
「どうだかなあ…。好きでやってただけかもしれんが」
 教えられなくても、自分で勝手に本でも見ながら作っていたってオチかもしれん。
 分からない言葉が出て来た時だけ、どうすりゃいいのか母親に訊いて。
「子供向けの料理教室は?」
 そういうのがあるでしょ、本物のシェフとかが教えてくれる料理教室。
 お料理が好きなら、子供向けのに通っていたかもしれないよ?
「子供のための料理教室か…。今の時代は特に珍しくもないんだが…」
 色々な料理を習えるようだが、前の俺たちが生きてた時代にあったかどうかが謎だってな。
 育英都市って所は健全な精神を持った子供を育てるための場所でだ、将来のことは二の次だ。
 自分が就きたい職業を選べた時代でもないし、何になるかは機械が決めていたろうが。
 下手に子供向けの料理教室を作ったりしたら、悪影響を及ぼしかねん。熱心に通って、いつかは本物のシェフになるんだと決めていた子に適性ってヤツが無ければどうなる?
 記憶をすっかり消すしかないんだ、マザー・システムに不満を持たれないようにするにはな。
 成人検査で余計な手間がかかるってことだ、普通以上に。
 そして綺麗に消したつもりが、何かのはずみで蘇ってみろ。人生が狂ってしまうんだから。



 子供向けの料理教室は多分無かっただろう、というのがハーレイの読み。
 SD体制が敷かれていた時代は、エキスパートを育てる場所は教育ステーションだったから。
「…まさか、料理人になるための教育ステーションも…」
 何処かにあったの、シェフを育てる専門の教育ステーションが…?
「あったようだぞ。前の俺は直接見てはいないが…」
 地球に向かって進む途中に、そういう教育ステーションが近いと聞いた記憶があるからな。
 メンバーズ・エリートや軍人を育てるステーションだったら、陥落させてから進むわけだが…。
 料理人用のステーションには用が無いから、そのまま通過した筈だ。トォニィたちだけが出て、教育システムのコンピューターを破壊しておいて。
「…それなら、前のハーレイが成人検査をパスしていたら…」
 料理人になりたかったかどうかはともかく、選ばれちゃってた可能性はあるんだね?
 身体がお料理を覚えていたっていうほどなんだし、素質は充分ありそうだもの。
「そういうコースに行ってたかもなあ…」
 シャングリラの厨房で料理をする代わりに、何処かの星でプロの料理人ってな。
「知らなかったよ、そんな話は」
 前のハーレイがプロの料理人になっていたかも、って話なんかは。
「…前の俺も考えてはいなかったしなあ、そういう「もしも」は」
 考えたって仕方ないだろ、自分が進み損ねちまった未来の話なんかをな。
 成人検査に落っこちちまって、ミュウになっちまって、もう進みようが無いんだから。
 人類の世界に残れていたら、って夢は見るだけ無駄ってもんだ。



 料理上手だった前のハーレイの厨房時代は、料理と備品倉庫の管理が仕事。
 その後はキャプテンとしてシャングリラの舵を握っていたから、失くしてしまった未来の夢より現実の方が大切だった、とハーレイは言った。
 もしも自分が成人検査をパスしていたら、という夢物語をしてはいない、と。
「そういうもんだろ、戻れない過去より未来をしっかり見詰めないとな」
 でないと道を誤っちまうぞ、キャプテンが過去に囚われていたら。夢を見るより現実と未来。
 そいつを睨んで進んでゆくのがキャプテンってヤツで、料理をしていた頃ならともかく…。
 待てよ?
 …前のお前と話してたかもな、前の俺が進んでいたかもしれない未来の話。
「ぼく?」
 前のぼくとそういう話をしたわけ、前のハーレイはお料理のプロだったかも、って…?
「そうだ、キャプテンになるよりも前の俺がな」
 厨房で料理をしていた合間に、お前と話していたんだった。
 俺は料理の試作をしていて、お前がヒョッコリ覗きに来て…。確か、こう言ったんだっけな。
「ハーレイだったら、料理のプロになれていたかも」と。
「そういえば…!」
 思い出したよ、その話。
 ハーレイが何を作っていたかは忘れたけれども、野菜を刻むトコから見てて…。



 鮮やかだったハーレイの料理の手際。野菜を刻むのも、それを料理に仕上げてゆくのも。
 いつ見ても本当に上手だよね、と感心していたら口をついて自然に出ていた言葉。
 ハーレイならプロになれていたかも、と。何処かの星で料理のプロに、と。
「俺が料理人になっていたらだ、お前が食べに来るんだっていう話だったぞ」
 ある日、フラリと店に入って来て、俺が作る料理を気に入っちまって。
「うん、美味しいに決まっているもの」
 シャングリラで作っていたお料理が美味しいんだから、何処かでお店をやってても同じ。
 ハーレイとぼくが成人検査をパスしていたなら、ハーレイのお店で出会うんだよ。
 ぼくはハーレイのお料理が食べたくてお店に通うようになって、ハーレイに顔を覚えて貰って。
 お店に行ったら、注文する前にお勧めの料理をハーレイが教えてくれるんだよ。
 メニューには無いお料理なんかも、その日の気分で作ってくれて。
「俺が厨房でやっていたことを、そっくりそのまま店に移せばそうなるんだが…」
 実に愉快な話なんだが、前の俺とお前が成人検査をパスしてた場合。
 お前の方がずうっと年上なんだよな…。
 それにミュウとは違うわけだし、すっかり老けて年相応の姿ってヤツで。
「そこが問題だったんだよね…」
 話が合っても、友達になれても、ぼくはハーレイより年寄りなんだし…。
 他のお客さんの目もあったりするから、丁寧な言葉で喋るしかないしね、ハーレイは…。



 老紳士になっていただろう自分と、まだまだ若いハーレイと。
 料理人と客として出会っていたって、いくら親しくなれたとしたって、店の中では互いの立場を優先するしかない二人。店の外でも、老紳士と若者に変わりはないから、若いハーレイは老紳士に敬意を表するのが礼儀。丁寧な言葉遣いで話して、態度もグッと控えめに。
 それでは少しも楽しくないから、まるで広がらなかった夢。
 こうだったなら、と二人で思い描いたけれども、弾まないままで終わった話。
 もしも成人検査をパスして、何処かで出会っていたならば。
 料理人になったハーレイの店に、前の自分がフラリと入っていたならば…。



 遠く遥かな時の彼方で、ほんのひと時、語り合った「もしも」。
 たった一度だけハーレイと話した、成人検査をパスした自分たちの出会いと、その後の話。
 ハーレイが料理をしている店に何度も出掛けて、顔馴染みになって、仲良くなって…。
「…そうか、今だったら叶ったんだな、あの夢も」
 前の俺たちが話してた時は、お前が年寄りになっちまうってことで叶えたくない夢だったが…。
 今なら、お前が立派にチビだ。
 年寄りじゃないし、あの話をしていた頃のお前と変わらない姿のチビってわけだ。正真正銘。
「ホントだね…!」
 チビのぼくなら、あの話だって実現してたら楽しそう。
 ハーレイが何処かでお料理のお店をやってて、ぼくがお客さんでお店に行って。
 何処で会えたかな、隣町かな?
 それとも、やっぱりこの町なのかな、ハーレイのお店が何処かにあって。
「この町じゃないかという気はするが…。そこまでは愉快な話なんだが…」
 俺がやってる料理の店にだ、食べに来たお前に聖痕が出るというわけか?
 他のお客もいそうなんだが、チビのお前が血まみれなんだな…?
「…凄く人騒がせな話かも…」
 教室でやっても大騒ぎになってしまったけれども、お店の方だともっと迷惑そうだよね?
 食事の途中だった人たち、とってもビックリしちゃいそう…。
 ハーレイだって、お店、その日は閉めるしかないよね、血だらけの床のお掃除とかで。
 …一緒に救急車に乗ってくれる代わりに、お客さんにお金を返したり…。食事の続きは出来なくなってしまうんだろうし、その分のお金。
 ぼくが運ばれて行く救急車に乗るのは、ぼくをお店に連れてったパパやママたちで…。
 ハーレイは暫く、ぼくの住所も名前も分からないままになっちゃうかもね…。
 パパとママが「ご迷惑をかけてすみませんでした」って謝りに行くまで、誰だったのかは謎。
 ぼくが帰って来たんだってことは分かるだろうけど、今の名前も住所も謎で。



 せっかく再会出来たというのに、まるで違った出会いになってしまいそうな話。
 料理人になったハーレイの店は迷惑を蒙り、戻って来たチビの恋人の名前も分からないまま。
 今の自分の両親が店まで詫びに出掛けてゆくまで、きっとハーレイは店の掃除をしながら心配し続けるのだろう。救急車で運ばれて行った恋人はどうなったのかと、大怪我をして入院したかと。
 けれど、そういう出会いも悪くはなかっただろうか?
 最初はハーレイに酷い迷惑をかけるけれども、それから後は店に行ったら会えるのだから。
「お前なあ…。俺が料理人になってた時はだ、教師のようにはいかんぞ、おい」
 夏休みなんていう長い休暇は取れやしないし、普段も夜まで店で料理をする日々だ。お前の家に夕食を食べに出掛ける代わりに、お客さんのために料理をするのが仕事だろうが。
 週末はもちろん書き入れ時だし、お前の家まで遊びには行けん。朝なら時間がありそうでもだ、料理人だと朝早くから仕入れに出掛けて、店を開けるまでは料理の仕込みだってな。
 …お前とゆっくり過ごせる時間はまず無いだろうさ。
 店に来てくれれば御馳走はするが、二人きりとはいかんだろうなあ…。他のお客もいるからな。
「そうなんだ…。ハーレイがお料理のお店をやっていた時は、そうなっちゃうんだ?」
 二人きりで会えるチャンスは殆ど無くって、ぼくがお店に食べに行くだけ…。
 ハーレイ、先生で良かったんだね。お料理のプロになるんじゃなくて。
「そうなるな」
 俺たちにとってはピッタリの職を選んだってわけだ、今の俺はな。
 チビのお前に会いに行けてだ、一緒に飯まで食えるんだから。



 もっとも、俺は料理人になる気は無かったけどな、とハーレイは肩を竦めてみせた。
 前の自分は厨房の仕事を選んだけれども、今の自分が料理人になれるコースは無さそうだ、と。
「なんと言っても、柔道と水泳があったからなあ、今の俺には」
 料理人になろうって発想自体が最初から無いな、プロになるなら柔道か水泳の選手ってトコだ。
 しかし、今度はお前専属の料理人だぞ、結婚したら。
 色々と作って食わせてやるから、と言ってるだろうが、何度もな。
「うん、楽しみにしてるけど…」
 今のハーレイには、お料理のプロっていう選択肢は全く無かったんだね?
 シェフの帽子も、板前さんの帽子も、ハーレイに似合いそうなのに…。
 白い制服も絶対に似合うと思うんだけれど、着るつもりなんか無かったんだ…?
「当たり前だろうが、いくら料理が好きだと言っても、それ以上に好きなものがあるんだから」
 好きな柔道と水泳を犠牲にしてまで、料理の道を極めようとは思わんな。
 料理をするのは確かに好きだし、食べて美味いと思った料理を再現するのも楽しいが…。
 お前専属の料理人になれれば充分だな、うん。
 料理の道なら、お前専属のシェフだの板前だのでいいんだ、今の俺にはそれが似合いだ。



 料理学校には行き損ねたが、と笑うハーレイは、今度も料理人のコースを進めなかったらしい。
 前のハーレイが料理人を育てる教育ステーションには行けずに終わってしまったように。
 ただし、今度は自分の意志で。
 成人検査にパス出来なかった前のハーレイとは違った理由で。
「…俺が思うに、今の俺が教師をやっていられるのも、だ…」
 機械が進路を決めていない分、自由が利いたというヤツだろうな。
 前の俺のように機械が間に入っていたなら、俺は今頃、柔道か水泳の選手の道をまっしぐらだ。
「…それを言うなら、前のハーレイも水泳をやっていたよね?」
 シャングリラのプールで泳いでいたもの、前のハーレイも水泳の選手だったかも…。
 成人検査にパスしていたなら、水泳選手になってたのかも。
「どうだかなあ…。あの時代に水泳のプロになるのは厳しそうだぞ、適性ってヤツで」
 速く泳げるかどうかも調べるだろうが、長く続けられるタイプかどうかも調べるだろう。他にも色々、機械ならではの適性検査をするんだろうさ。才能だけでは選手まではなあ…。
 そっちの教育ステーションよりかは、料理人の行くステーションに送られるコースじゃないか?
 記憶をすっかり失くしていたって身体が勝手に動いたくらいに、料理人に向いていたんだから。



 どうなってたかはマザー・システムに訊いてみないと分からないがな、と苦笑いするハーレイと今度は話が広がるから。
 もしも前のハーレイが料理人の道を進んでいたなら、どんな料理人になっただろうか、と二人であれこれ想像しながら楽しく笑い合えるから。
 平和な今の時代が嬉しい、「もしもこういう風だったら」と空想の翼を広げられる世界。
 前の自分たちが生きた時代の「もしも」で話を続けられる世界に来たのだから。
 料理人が行く教育ステーションに前のハーレイが進んでいたら、と。
 遠く遥かな時の彼方で話した時には、広がらずにそれっきりだった話。
 それを二人で広げられるから、老紳士だっただろう前の自分も話の種に出来るから。
 こうして笑って、笑い転げて、いつかは今のハーレイが料理人になる。
 今は小さなチビの自分が前と同じに育ったら。
 いつかハーレイと結婚したなら、今の自分の専属になって、きっと最高の料理人に…。




           最高の料理人・了

※前のハーレイが厨房に入った理由は、実は料理が上手かったから。理由の方は謎ですけど。
 そして今のハーレイも得意な料理。プロではなくて、ブルー専属の料理人になるのです。
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