シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(えっ?)
なに、とブルーを仰天させた煙。いきなりブワッと上がった白煙、それもハーレイの授業中に。煙はたちまち教室に広がり、何が起こったか分からないのだけれど。
「こらあっ、誰だ!」
教室の前で怒鳴ったハーレイ、その姿も霞みそうな勢いでモクモク立ち昇る煙。
「ハーレイ先生、お誕生日おめでとうございます!」
叫んだクラスのムードメーカーの男子、煙は彼の机の上からシュウシュウ噴き出していた。丸いボールのような球体、それが吐き出す物凄い煙。
けれど火災を知らせるベルも鳴らなければ、スプリンクラーも作動していないから。あの煙には火は無関係なのに違いない。咳き込む生徒も一人もいないし…。
「おめでとうございます、って…。お前なあ…」
いつと間違えているんだ、おい、とハーレイの顔に呆れた表情。煙の向こうで。
「間違えてません! 八月の二十八日です!」
実は最近知ったんです、と答えた男子。夏休み中なので何もお祝いが出来ませんでした、と。
「…それでスモークボールなのか?」
景気よく煙を吐いているが、と睨むハーレイ。そういう名前が付いているらしい、煙のボール。名前そのままに煙を吐き出すスモークボール。
「はい、クラッカーよりもいいと思いました!」
クラッカーだと一瞬ですけど、スモークボールだと暫く煙が出ますから!
うんと賑やかな感じがしますし、こっちの方が断然いいです!
お誕生日おめでとうございます、と繰り返した男子。悪びれもせずに。
「学校で花火は禁止だが?」
グラウンドはもちろん、教室でやるなど論外だ。夏休み中にグラウンドで遊ぶ場合も、前もって許可を取っていないと駄目なんだが?
「これ、火を点けない方のタイプですけど」
ピンを引き抜くだけのヤツです、スモークボールっていう名前ですけど花火じゃないです!
「オモチャも禁止だ!」
学校にオモチャを持ってくるな、と校則で決まっているだろうが!
鞄に入っているだけだったら何も言わんが、それを使って遊んだ場合は即、没収だ!
「でもですね…。これはお祝いに買ったわけですし…」
せっかく用意したんですから、と新しく出て来たスモークボール。男子がボールのピンを引っこ抜いたら、真っ青な煙がブワッと出て来た。さっきのボールが出した煙が収まりかけていた所へ、追加で青い煙がモクモク。
今度は正体が分かっているから教室中がドッと笑って、拍手している生徒も何人も。
「ハーレイ先生、お誕生日おめでとうございます!」と叫ぶ生徒も。
教室の中は煙で一杯、男子は更にスモークボールを取り出した。ピンッと抜かれたピンの後には煙を吐き出す丸い球体。青い煙の次は黄色で、混ざり合った辺りは緑色の煙。
シュウシュウと煙を吐いているボール、初めて目にしたスモークボール。
(なんだか凄い…)
あんなオモチャが存在するのか、とポカンと眺めるだけだった。ぼくは知らない、と。
ハーレイは煙が立ち昇る生徒の席まで出掛けて叱っていたけれど。スモークボールを取り上げた上に、「他のも出せ」と残りも没収したのだけれど。
スモークボールを幾つも抱えて教室の前に戻ると、中の一つを持ち上げてみせて。
「俺の誕生日祝いはともかく…。叱られるオチは同じなんだから、頭を使え」
どうせやるなら煙幕ごっこだ、それなら逃げられただろうが。
おめでとうございます、と叫んでおいてだ、教室の外に向かって走れば良かったんだ。馬鹿が。
(煙幕ごっこ?)
何だろう、と首を傾げた煙幕ごっこ。まるで初耳、聞いたこともない言葉。
けれど、答えは直ぐに出た。「知らんのか、お前は煙幕ごっこを?」と、ハーレイが男子生徒をジロリと睨んで、それからクラスの皆に説明したものだから。
煙幕ごっこは、煙で姿をくらまして逃げる遊びのこと。スモークボールで上がった煙に紛れて、自分の姿を隠してしまう。上手くいったら、瞬間移動をしたかのように逃げられるらしい。
「こいつを使えば、瞬間移動が出来た気分になるってことだな」
タイプ・ブルーはあまりいないが、他のサイオン・タイプでも出来る瞬間移動だ。
ただし、逃げ足が遅いと話にならない。…直ぐに見付かっちまうからな。
煙幕ごっこにも才能ってヤツが必要なんだ、とハーレイはさっきの生徒をもう一度叱った。次にやる時は逃げ道の方も確保しておけと、そこまでやったら認めてやろう、と。
「だがな、もちろん叱るからな?」
俺が認めるのと、学校の規則は別物だ。二度とやらないのが一番だな、うん。
授業に戻る、とハーレイが広げた古典の教科書。今日は雑談の時間は無いだろう。煙幕ごっこの話で充分、スモークボールの騒ぎでクラス中の目が覚めたから。
(煙幕ごっこ…)
それも知らない、と首を捻るしかなかった遊び。スモークボールを知らない以上は、知っている筈も無いのだけれど。煙幕ごっこはスモークボールを使うのだから。
(ぼくの友達、やってないしね…)
煙幕ごっこも、スモークボールも、遊んでいるのを見たことが無い。
ごくごく普通の花火だったら、何度か一緒に遊んだけれど。夜になってから誰かの家や、近くの公園に集まって。
(ぼくの家でも、何回か…)
芝生が焦げてしまうから、と派手な花火は出来なかったけれど、色々なのを。芝生ではない庭の家とか、公園だったら、もっと色々。
花火と言ったら、噴き出す火花を楽しむものだと思い込んでいた。綺麗な色やら、弾ける火花。煙はオマケでついてくるもので、多すぎた時は…。
(花火が綺麗に見えなくなるから…)
ちょっと休憩、と煙が流れて消えてしまうまで待っていたもの。次の花火に火を点けるのを。
なのに、煙で遊ぶ花火があるらしい。火を点けないでいいタイプのものまであるくらい。
自分は今日まで知らなかったけども、様々な色の煙が噴き出すスモークボール。
凄かったな、と家に帰っても思い出さずにいられない煙。おやつを食べて部屋に戻ってからも。
教室にモクモク広がった煙、真っ白な煙に、青に黄色に。
(ハーレイ、没収してたけど…)
禁止のオモチャを持ち込んだ方が悪いのだから、当然の結末というものだろう。愉快な光景ではあったけれども、規則は規則。ハーレイも教師をやっている以上、学校の規則は厳守するもの。
(煙幕ごっこで逃げちゃっていたら、認めて貰えるらしいけど…)
あくまでハーレイ個人が認めるというだけ、スモークボールはやっぱり没収。クラス中の生徒を楽しませたって、ハーレイが「やるな」と笑っていたって。
つらつらとスモークボールのことを考えていたら、ハーレイが仕事帰りに来てくれたから。母がお茶とお菓子を置いて行った後で、あの男子よろしく元気な声で。
「ハーレイ、お誕生日おめでとう!」
ぼくはお祝い、ちゃんとしたけど、教室で言い損なったから…。おめでとう、ハーレイ!
「お前も煙を出そうと言うのか、スモークボールで?」
あいつの一味か、教室で派手にやろうって度胸が無かっただけで?
「…ううん、スモークボールは持っていないよ」
楽しそうだな、とは思ったけれど…。
あんなオモチャがあるなんてことも知らなかったよ、スモークボール。
花火なんだよね、本当は?
ハーレイ、花火は禁止だって最初に言ってたもんね…?
煙を楽しむ花火自体を見たことが無い、と正直に言った。花火に煙は邪魔なものだから、一面に煙が立ち込めて来たら暫くお休み、と。
「だって、花火が綺麗に見えなくなっちゃうんだもの…。煙が凄いと」
風で消えるまで花火は中止で、煙が消えたらまた遊ぶんだよ。
「スモークボールを知らなかったのか…。そいつはいかんな」
やってる子供は少ないかもしれんが、あれで遊ぶのを知らんというのは損をしているぞ。
「なんで?」
ただの煙だよ、色がついててビックリしたけど…。煙より花火の方がいいでしょ、普通の花火。
「分かっていないな、授業の時にも言っただろうが。煙幕ごっこにしておけ、と」
活動的な遊びなんだぞ、煙幕ごっこというヤツは。
瞬間移動の真似もいいんだが、忍者だ、忍者。煙幕は元々、忍者が使っていたんだから。
「なに、それ…?」
ニンジャってなあに、ぼくはニンジャも知らないんだけど…?
キョトンとしてしまった、ニンジャなるもの。今日は知らないことばかり。スモークボールに、煙幕ごっこ。その上、煙幕はニンジャが使っていたものだなんて。
知識が足りなさすぎるだろうか、と思ったけれども、ハーレイ曰く、ニンジャは学校の授業では出て来ないらしい。歴史の授業でも、古典の方でも。
「昔の日本で、重要な任務を担っていたのが忍者なんだが…。忍者は表舞台には決して出ない」
別名が「忍び」と言うくらいだしな、分かりやすく言うならスパイってトコか。
しかし、忍者はスパイとは違う。諜報活動も暗殺もすれば、偉い人のボディーガードもやった。様々な活躍をしていたわけだが、表に出たなら、もう忍者とは言えないからなあ…。
忍者を束ねたヤツくらいしか、歴史に名前は残っていない。
…後はアレだな、俳句の松尾芭蕉がいるだろ。本当は忍者だったという説があるな、あちこちに出掛けて俳句を詠んだり、教えたり…。それを隠れ蓑にして情報を集めていたってヤツが。
その程度しか分からないのが忍者で、お蔭で色々な伝説が出来た。他の動物に変身出来るとか、分身の術が使えるだとか。
「えーっと…。それって、サイオニック・ドリームじゃないの?」
忍者っていうのはミュウだったんじゃないの、サイオンを使えば全部出来そうなんだけど…?
「生憎と、ただの昔話だ。そんな昔にミュウの集団がいたわけがない」
人間の空想の産物ってことだ、変身するのも、分身の術も。
まさか未来に本当に出来る時代が来るとは、誰も思っていなかったろうさ。
だからこそ夢が広がったんだろうな、忍者を英雄扱いにして。
本物の忍者は松尾芭蕉がそうだったように、地味なもの。自分が忍者だと名乗ることはなくて、任務についても語りはしない。表舞台にも出て来ない。
けれど伝説の忍者の方なら、それは華々しい活躍が語り継がれたという。戦争となったら忍者の出番で、真田十勇士と呼ばれた十人の英雄、その中にも忍者が入っているほどに。
「本来の忍者の姿からすれば、歴史に名前が残るなんぞは有り得ない話なんだがな…」
なのに、実在の人物なのかと勘違いしそうな伝説の忍者もいるってこった。
そんな具合だから、忍者のファンも生まれるわけで…。俺の友達にも好きだったヤツがいたってことでだ、俺も忍者に詳しくなった、と。
…もっとも、ガキだった頃は本当に凄い忍者がいたんだと頭から信じていたんだがな。
信じていたから、忍者の真似だ。スモークボールで煙幕を張って。
「それ、上手くいった?」
忍者みたいに姿を消せたの、煙なんかで?
「風向きとかにもよったんだが…。そいつも煙幕ごっこの重要なポイントだったな」
最初に風の向きを調べて、逃げる方向を考えて…。
それからスモークボールの出番だ、火を点けるにしても、ピンを抜くにしても。
煙がブワッと上がった途端に逃げるわけだが、風向きを読み間違えていたら丸見えだろうが。
風向きは急に変わりもするしな、なかなか忍者のようにはいかんさ、ドロンと姿を消すなんて。
けっこう難しいものなんだ、とハーレイが語る煙幕ごっこ。遠い昔の忍者の真似事。
本物の忍者は表舞台に出て来なかったのに、何故だか伝説になっている忍者。それの真似をして姿を消そうと奮闘していたらしいのだけれど。
「…そうそう上手くはいかなかったし、だから教室でも言ったんだ」
煙に紛れて逃げるトコまでやって見せたら、俺は認めてやってもいいと。学校の規則で駄目だと決まってはいるが、俺個人としては認めてやるとな。
…しかし、お前と話していたら気が付いた。
今にして思えば、うんと平和な遊びってヤツだな、煙幕ごっこ。…今ならではの。
「え?」
どういう意味なの、スモークボールは初めて見たけど平和だったよ?
火事だっていうベルも鳴らなかったし、スプリンクラーも動かなかったし…。
花火の方のスモークボールを使っていたなら、ベルが鳴ったのかもしれないけれど…。
「その辺はあいつも分かってたんだろ、下の学校の子供じゃないんだから」
どういう仕組みで火事を知らせるベルが鳴るのか、その程度のことは。
知っていたから、火を使わないスモークボールで祝ってくれたというわけだ。俺の誕生日を。
…そこで重要なのが俺ってトコだな、煙幕ごっこで遊んで育ったガキだったんだが…。
今日も教室でスモークボールで誕生日を祝って貰ったわけだが、スモークボールが吐く煙。
そいつをよくよく考えてみると、平和なんだという気がしてきた。
煙だぞ、煙。
前の俺たちにとっては煙と言ったら、それは物騒なものだったのにな…。
シャングリラではタバコの煙も嫌がられたぞ、と言われてみれば鮮明に蘇って来た記憶。
一時期、シャングリラでタバコが流行った。前の自分が奪った物資に混ざっていたのが原因で。
けれども、無くなってしまったタバコ。理由は色々あったのだけれど…。
「そうだったっけね…。煙が駄目だ、って言われて姿を消しちゃったね、タバコ」
他の理由は反対しようもあったけれども、煙だけは誰も文句を言えなかったから…。
いくらタバコが気に入ってたって、吸わない人から「アルタミラみたいだ」って言われたら…。
「まったくだ。アルタミラが滅ぼされた時の煙を思い出しちまうから、と来たもんだ」
あの時に見た炎と煙は忘れられんし、心に傷が残ったヤツらも多かった。
タバコの煙はどう考えてもこじつけだろうと思うわけだが、それでもなあ…。同じ煙というのは確かなんだし、言い返すことは誰にも出来ん。
タバコの煙でもあの有様なんだし、スモークボールの煙となったらどうなるか…。
それを思うと、本当に平和になったんだな、と今の時代に感謝したくなる。
アルタミラでお前と一緒に煙と炎の中を走って、やっとの思いで逃げ出したのに…。
今の俺ときたら、スモークボールで煙幕ごっこをしてたんだ。わざわざ自分で煙を出して。
教室で食らったスモークボールも叱ってはいたが、楽しんでいたな。
あそこにいたのが前の俺なら、楽しむどころじゃなかったんだが。
前の俺にはアルタミラの後にも嫌な煙の思い出が多い、とハーレイが眉間に寄せた皺。
お前はまるで知らないだろうが、と。
「…あれは俺しか経験してない。…シャングリラのヤツらはともかくとして」
前のお前は見てはいないな、俺が見て来た嫌な煙は。…アルタミラの地獄よりも後の時代には、一つだけしか。…アルテメシアを追われた時の。
「…見ていないって…。いつ?」
死んじゃった後なら、もちろん見てはいないけど…。
見ようと思っても見られないけど、ハーレイ、煙をいつ見ていたの…?
「前のお前が生きてた間だ。一番最初はジョミーを助けに浮上した時だな」
お前はジョミーを追い掛けて行って、もうシャングリラにはいなかったが…。
グズグズしてたら、人類軍はジョミーとお前を攻撃する方へ行っちまう。そうなるとマズイし、ヤツらの目を他へと逸らすためには、シャングリラを出すしかないだろうが。
雲海の上へと出たまではいいが、予想した以上の攻撃だった。…初の戦闘だし、パニックになる者が多くて、防御セクションのサイオン・シールドが追い付かなくて…。
お蔭で派手に爆撃されちまったんだ、本来だったら防げただろう分までな。
…ブリッジで見てても煙だらけになっちまったわけだ、シャングリラは。
あの時が最初で、あれから後にも色々あったな、前のお前が生きてた間に。
俺は散々に嫌な煙を見ていたってことだ、シャングリラで。
心の傷が多いんだな、と溜息をつくハーレイだけれど。
アルタミラの他にも嫌な煙を山のように見た、と呻くけれども、その唇に微かな笑み。苦笑いと言えばいいのだろうか、そういった笑み。
「…ハーレイ、嫌な煙を一杯見たって言うけれど…。でも、少しだけ笑っていない?」
楽しそうっていうほどじゃないけど、ほんの少し。ちょっぴり笑っているみたいだけど…。
「…まあな。笑っているのは今の俺だな、煙を嫌だと思っているのが前の俺の方で」
俺にしてみれば、煙はオモチャだったんだ。…前の俺の記憶が戻るまでは。
おまけに記憶が戻っていたって、やっぱり今の俺ってヤツがだ、先に立つんだと思ってな…。
教室で煙が上がった時にも、前の俺は反応しなかった。
スモークボールの悪戯なんだ、と直ぐに気付いて叱ってたわけで、前の俺とは全く違う。
前の俺だったら、あそこで楽しむことなど出来ん。そんな余裕は何処にも無かった。
遊びの煙なんぞは知らんし、何が起こったかと原因を掴むトコからだ。…キャプテンとして対処するべきことが山ほどあるしな、シャングリラで煙が出たとなったら。
そうやって生きて死んでいった俺が、煙で遊べる時代が今だ。ガキの頃からスモークボール。
煙幕ごっこで遊んで育って、今日は誕生日まで煙で祝って貰ったってな。
考えてみれば愉快だろうが、とハーレイはすっかり笑顔になった。いい時代だ、と。
「嫌な思い出が沢山あった煙で色々遊んでるんだぞ、今の俺はな」
ガキの頃もそうだし、今日だってそうだ。今の俺には煙はオモチャで、嫌な思い出なんか無い。
本当に平和な時代ってヤツだ、煙で遊んでいられるんだから。
「そうなのかも…。ぼくもアルタミラの煙なんかは忘れていたから」
煙が出た、ってビックリしたけど、ちっとも怖くなかったし…。何かしなくちゃ、と立ち上がりさえもしなかったし。
…前のぼくなら、あそこで直ぐに飛び出さないと駄目なのにね。煙なら緊急事態だもの。
だけどポカンと見てたのがぼくで、ホントになんにも考えてなくて…。
「そうだろう? すっかり安心し切っているって証拠だ、今のお前というヤツが」
怖いことなど起きやしないと、今の世界は安全なんだと。
あれがスモークボールの煙ではなくて火事だったとしても、それを知らせるベルが鳴り響いて、消火用のスプリンクラーが動く。避難の指示を出す俺だっているし、何の心配も無いってな。
今のお前はそれをきちんと知っているから、ポカンと座っていられたわけだ。…前のお前なら、何が起きたのかと、原因を調べにサッと動いていたんだろうが…。
「うん、多分…。でもね、今のぼくは煙は怖くないけど…」
煙と友達ってほどでもないかな、スモークボールを知らなかったし。
忍者の話も、煙幕ごっこもまるで知らなくて、やってる友達もいなかったから…。
ハーレイほどには煙と親しくないのかも、と少し羨ましい気持ちになった。アルタミラのような煙は二度と御免だけれども、シャングリラの煙も御免だけれど。
そういう嫌な煙に幾つも出会って、乗り越えたのが前のハーレイ。どんな時にも冷静に生きて、キャプテンとして煙に対処しながら。
そうやって煙と戦い続けて、その分、今は煙と親しくなったのだろうか。
アルタミラと、アルテメシアを追われた時しか嫌な煙を見ないで生きた自分と、嫌な煙を幾つも見ていたハーレイとの違いが出たのだろうか?
スモークボールで遊んで育つか、知らないままで育って来たか。
ちょっと残念、と零れた溜息。嫌な煙に出会った記憶は沢山欲しくないけれど、煙で遊べる今の時代を自分は満喫していないらしい、と。
そうしたら…。
「ふうむ…。お前、煙で遊んでみたいというわけか」
顔に書いてあるぞ、羨ましいと。…俺ばっかりが遊んでいたのが、羨ましくてたまらないとな。
だったら、今度の土曜日に試してみるか?
「試すって…。何を?」
何を試すの、土曜日に…?
「スモークボールに決まってるだろう」
お前に才能があるかどうかは知らんが、煙幕ごっこを教えてやろう。
本当だったら、タイプ・ブルーに煙幕なんぞは要らないんだが…。瞬間移動で消えるんだが。
お前の場合は不器用だしなあ、煙幕でも無きゃ、姿は絶対、消せやしないし…。頑張るんだな。
火を点けるタイプのヤツじゃなくって、ピンを抜く方のを買って来てやろう。
今日、教室で煙を噴いてたヤツだな、アレなら火傷の心配も要らん。
「ホント?」
教えてくれるの、煙幕ごっこを?
「もちろんだ。知らないようでは損をしている、と言った責任も俺にはあるし…」
楽しみにしていろ、今度の土曜日。スモークボールを持って来てやるから。
教室で起こった悪戯のお蔭で、思わぬ遊びを教わることに決まった土曜日。ハーレイから習えるスモークボールの煙幕ごっこ。
(ぼく、出来るかな…?)
スモークボールを持ち込んだ生徒が煙幕ごっこで逃げおおせていたら、認めてやると言っていたハーレイ。それにハーレイは「難しいぞ」とも話していた。風向きを読んで方向を決めて、上手く逃げないと煙幕には隠れられないと。
(丸見えになっちゃいそうなんだけど…)
あまり無さそうな煙幕ごっことやらの才能。サイオンの方も不器用だけれど、運動もまるで駄目だから。足は遅いし、反射神経は無いに等しいし、煙に隠れて逃げるなどは…。
(…絶対、無理…)
瞬間移動と同じくらいに、今の自分には無理だろう。どう考えても、きっと出来ない。
(…きっとハーレイに笑われるんだよ…)
才能の無さを、可笑しそうに。「お前、煙幕でも姿を消すのは無理なんだな」と。
それでも、今のハーレイが仲良くしている煙を使って遊んでみたい。今は煙で遊ぶことが出来る平和な時代で、教室で突然モクモクと煙が上がるのだから。スモークボールが吐き出す煙が。
首を長くして待った土曜日、ハーレイは「約束通りに買って来たぞ」とスモークボールを持って訪ねて来てくれた。「いい天気だから丁度いいな」と。
部屋で紅茶を一杯飲んで、ケーキを食べたら「行くとするか」と立ち上がったハーレイ。
「庭に出ないと煙幕ごっこは出来ないからな」
なにしろ全力で走って逃げる遊びだからなあ、此処でやったら足音がドタバタ響いちまう。下にいるお父さんとお母さんとに迷惑だろうが、お前はともかく、俺は体重が重いんだから。
行くぞ、と庭に出たハーレイの手にスモークボール。
どうするのかとワクワクしながら眺めていたら、突然、ハーレイが引っこ抜いたピン。ブワッと真っ白な煙が噴き出し、アッと思ったら、もうハーレイはいなかった。
(ハーレイ、何処…?)
ドロンと消えてしまったハーレイ。瞬間移動をしたかのように。
さっきまでハーレイが立っていた場所、其処の芝生にコロンと転がったスモークボール。シュウシュウと煙を上げているけれど、ハーレイの姿は何処にも見えない。
(何処に消えちゃったの?)
キョロキョロと辺りを見回していたら、「俺は此処だぞ」と聞こえた声。
「まったく、何処を探してるんだか…。お前、本当に鈍くなったな」
俺の気配も読めないのか、と家の陰から出て来たハーレイ。庭だとばかり思っていたのに。
「凄い、ハーレイ…!」
いつの間に裏側に行っちゃっていたの、あっちにも庭はあるけれど…。どうやったの?
「なあに、簡単なことだってな。お前が煙に気を取られている間に、パッと走った」
風向きからして、こっちだな、と。
面白かったぞ、家の陰からポカンとしているお前を見てたら。
前のお前だったら、煙幕なんぞは無くてもドロンと姿を消せたというのになあ…。
俺が上手に隠れていたって、「此処だ」と直ぐに見付けただろうに。
すっかり不器用になったお前には、こいつの助けが必要なようだ、と渡された丸い物体が一個。手の中にスモークボールが一つ。
「いいか、このピンを抜けば煙が出るから」
俺が使っていたのと同じで、白い煙だ。風向きを確かめて動くんだぞ?
…今の風だと、あっちに走るのがいいだろう。あの木の陰だな、隠れるならな。
頑張れよ、とポンと叩かれた肩。あそこまで全力で走って行け、と。
「分かった…。ぼく、頑張るから!」
エイッとピンを引っこ抜いたら、派手に立ち昇った真っ白な煙。もうそれだけでビックリ仰天、どうすればいいのか分からなくなった。煙に隠れて逃げるどころか、突っ立って煙を仰ぐだけ。
「おいおい…。お前、全く逃げられてないぞ」
スモークボールを持っててどうする、それじゃ狼煙だ。
此処にいます、と敵に知らせているようなモンだ、煙幕の意味が無いだろうが。
「…そうみたい…」
ビックリしちゃって、見てるだけしか出来ないみたい。
スモークボールで遊んだことが一度も無いから、そのせいなのかな…?
「いや、才能の問題だろう」
俺は初めて遊んだ時にも、スモークボールを投げて逃げたぞ?
風向きを間違えて逃げちまったから、煙幕は役に立たなかったが…。それでも逃げた。
お前の場合はスモークボールに見惚れちまっているというのか、夢中と言うか…。
自分をビックリさせてどうする、周りのヤツらをビックリさせるのが煙幕なんだぞ?
「…そうなんだろうけど…」
分かってるけど、失敗しちゃった…。自分をビックリさせちゃったよ、ぼく…。
ハーレイに何度も教えて貰って頑張ったけれど、捨てて逃げるのが精一杯だった煙を吐く玉。
隠れ場所まで「あそこだ」と教わって走ってゆくのに、上手くいかない煙幕ごっこ。父と母とが庭に出て来て笑って見ている、失敗続きの煙幕ごっこを。
「ハーレイ先生に遊んで貰えて楽しそうね」と、「もっと上手に逃げたらどうだ」と。
息が切れるまで何度も走って、とうとう降参するしか無かった。煙幕ごっこは無理みたい、と。
「ちっとも上手く出来ないよ、ぼく…」
ハーレイみたいに隠れたいけど、これだけやっても駄目なんだもの…!
「才能の無さはよく分かった。絶望的だな、お前は忍者になれそうもない」
タイプ・ブルーとしても駄目だし、煙幕で姿を消すのも無理、と…。
今の時代に忍者はいないが、いたとしても入門出来んな、お前は。煙幕も張れない始末では…。
部屋に戻ってお茶の続きをする方が余程、建設的だ。
残りのスモークボールを使って思い出話をしてやるから。
「…思い出話?」
この間の教室の話じゃないよね、ハーレイが子供だった頃の話とか?
煙幕ごっこで遊んでた頃の話を色々聞かせてくれるの…?
「さてなあ、そいつは部屋に帰ってのお楽しみってな」
これ以上はお前が疲れるだけだし、お茶の続きにしようじゃないか。
ケーキは食ってしまった後だが、紅茶はポットにたっぷり入っていた筈だからな。
二階の部屋に戻ってみたら、紅茶のポットはまだ充分に温かかった。懸命に走り回った時間は、きっと半時間も無かったのだろう。体育の時間の時と比べて、それほど疲れていないから。
紅茶をカップに注いで砂糖。喉を潤したら、煙幕ごっこの才能の無さをまた思い出した。まるで無かった自分の才能、煙と戯れる遊びは向かない。スモークボールで遊べはしない。
(才能、ゼロ…)
ガックリと項垂れていたら、ハーレイが「ほら」と手に取ったスモークボール。思い出話をしてやると約束していたろうが、と。
褐色の指が引っこ抜いたピン。煙を噴き上げるスモークボールを床へとポンと放り投げて。
「そうだな、こういう具合だったな…」
あの時に、俺が見ていた煙は。…モニター越しに確認していただけなんだが。
現場に走れるような状況じゃなかった、俺がブリッジにいなくなったらどうにもならない。船尾損傷、シアンガス発生と報告されても、俺に出来たのは指示を出すことだけだった。
「…それ、いつの話?」
ハーレイが見ていた嫌な煙の話だろうけど、いつだったの?
「前に話してやっただろうが、三連恒星に向かって追い込まれた時だ」
思考機雷の群れに突っ込んじまって、後ろからは人類軍の船が追って来ていた。重力の干渉点を見付けて、其処からワープで逃げたわけだが…。
俺たちを追っていた船に乗っていたのは誰だと思う?
「…誰って…。ぼくが知ってる人なの?」
キースが乗ってたわけがないよね、そんな早くにキースとは出会っていないものね…?
「そのキースの先輩だったと言えば分かるか、今のお前なら?」
歴史の授業で教わるだろうが、マードック大佐。…あの英雄のマードック大佐だ、自分が乗った船をメギドにぶつけて、地球を守った英雄だな。
同じ船にミシェル少尉も乗ってた、俺たちの船を追っていた時も。
…前の俺は最後まで知らなかったが、たまたま調べた資料に載ってたんだよなあ…。
不思議なもんだろ、前のお前もマードック大佐とミシェル少尉に会っていたんだ。眠ったままで何も気付いちゃいなかったろうが、ちゃんと二人に出会っていたのさ。
嫌な煙を見ていた中でも、そういう縁があったらしい、とハーレイが浮かべた穏やかな笑み。
他にも何かあるかもしれんと、今の俺だから分かる何かが…、と。
「マードック大佐とミシェル少尉…。ぼく、会ってたんだ…」
優しい人だったんだよね、マードック大佐。
ナスカで残党狩りをしないで、命令を無視してくれた話は歴史の授業で教わるけれど…。
それよりも前には、会っていないんだと思ってた…。ぼくがシャングリラに乗ってた頃には。
「俺だってそう思っていたさ。…それを書いた資料に出会うまではな」
ひょっとしたらだ、山ほど出版されてる俺の航宙日誌の中には、載せているのがあるかもな。
資料を詳しく突き合わせていけば、これがそうだと分かるんだから。
…しかしだ、そういう本を買うより、偶然見付ける方がいい。俺はそう思うが、お前はどうだ?
種明かしをしてある航宙日誌で舞台裏を一気に知りたいタイプか?
「…ううん、ぼくだってハーレイと同じ」
少しずつ分かっていく方がいいよ、きっと神様が順番に教えてくれるんだろうし…。
次に教えていいことはこれで、その次はこれ、って。
「俺もそう思う。…だから、ゆっくり二人で見付けていこうじゃないか」
前の俺たちが生きた時代に何があったか、俺たちは誰に出会っていたのか。
嫌な煙の思い出だった筈が、マードック大佐に繋がっていたりするんだからな。
さて…、とハーレイの指が引っこ抜いたピン。
マードック大佐の思い出話の次はコレだと、今の俺のガキの頃の話だと。
「スモークボールで隠れたつもりが、上手く隠れていなかったわけで…」
それでもお前よりかはマシだ、と聞かせて貰った失敗談。
スモークボールで煙幕ごっこは自分には向いていなかったけれど、こんな風に使うのも面白い。煙がブワッと噴き上げる度に、素敵な思い出話が一つ。
前のハーレイも、前の自分も、嫌な思い出が多かった煙。それが今では遊びの道具で、遠い昔の嫌な煙の一つも、マードック大佐とミシェル少尉に繋がっていた。
色々なことが分かってゆくのも、平和な時代に生まれて来たから。
ハーレイと二人で、青い地球まで来られたから。
煙幕ごっこの才能は無くても、今は煙を楽しめる。スモークボールのピンを引っこ抜いて、一つ二つと思い出話を聞きながら。
きっとこういう休日もいい。部屋中に煙が溢れていたって、思い出話も一杯だから…。
スモークボール・了
※今の時代は、スモークボールで遊べる時代。ブルーは才能皆無でしたけど、楽しかった時間。
そして聞かされた、前のハーレイの煙の思い出。マードック大佐たちにも会っていた二人。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(ふうむ…)
旬には少し早いんだがな、とハーレイが眺めたキウイフルーツ。茶色くて毛が生えた丸い果物、ジャガイモに似ていると言えなくもない。でこぼこが少ないタイプのジャガイモ。
それがドッサリと棚に積まれていた。ブルーの家には寄れなかった日、いつもの食料品店で。
キウイフルーツは人気の果物、一年中、売られているのだけれど。本当の旬はこれからの季節。近所の家の庭で実りつつある、毛だらけの実が。藤棚よろしく作られた棚で。
通る度に「おっ!」と思うけれども、売られている果実に引けを取らない大きさだけれど。
(収穫してから、暫く置いておかないと…)
熟さないのだった、キウイフルーツは。柔らかくて甘い果実になってはくれない。熟すまでには時間がかかるキウイフルーツ、美味しいけれども手がかかる果実。
木に置いておくと霜に当たって駄目になるから、その前に収穫。それから追熟、貯蔵しておいて食べ頃を待つ。果実によって異なる食べ頃、三十日から六十日も。
こうして店頭に並ぶまでにも、果実の個性を見極めながら追熟がされていたのだろう。食べ頃になったものを揃えて、店へと出荷。
今はまだ、キウイフルーツが木にぶら下がっている時期だから。旬には早いと分かるけれども、そうとは知らなかった頃。
(ウッカリ食っちまったんだっけな)
やんちゃ盛りだった子供時代に。今のブルーよりも小さかっただろう背丈の頃に。
隣町の家の近所に、キウイフルーツを植えていた家。立派な棚に茂っていた葉と、幾つも幾つも毛だらけの果実。食べて下さいと言わんばかりに。
背が届かない高さにあったキウイフルーツ、けれど子供には誘惑の果実。美味しそうだと。
もぎたてを一つ食べてみたくて、精一杯のジャンプで奪い取った実。生垣を越えて道路の上まで張り出した蔓から失敬した一個。
(何処で食ったのかは覚えちゃいないが…)
公園にでも持って行ったか、それともその場で齧ったのか。
毛だらけの皮は吐き出して食べればいいだろう、とガブリとやったら、それは固くて渋かった。甘くて柔らかくて美味しいどころか、とんでもない味だったキウイフルーツ。
悪戯者には罰だ、と化けてしまったかのように。甘い果実が渋い果実に。
(毒じゃないだけマシだったがな)
とても食べられたものではない、と捨ててしまったキウイフルーツ。口の中に渋さが暫く残ったけれども、腹を壊しはしなかった。吐き気もしなくて、酷い目に遭ったというだけのこと。
ただ、木の実には厄介なものもあったりする。今では馴染みの梅だけれども、熟す前の青梅を種ごと食べると危険。種の中身が毒だから。
両親から厳しく教えられたものだ、「生の梅の実を食べてはいけない」と。
梅の実は美味しそうなのに。桃の実のような匂いがするのに、誘われて食べたら中身は毒。
(キウイフルーツなあ…)
色々と懐かしく思い出したら、食べたい気分になって来た。旬には早いと眺めていたのに、急に買いたくなった果物。店に並んだキウイフルーツなら、待たなくても直ぐに食べられるから。
子供時代に失敗した分、固くて渋かった自分の獲物。その分をこれで取り返すかな、とズラリと並んだ果実の中から気まぐれに幾つか選び出した。どれも甘いに決まっているから。
(あの日の俺が食い損なった分だ)
それに失敬したわけでもないし、と買って帰ったキウイフルーツ。今から冷やせば、夕食の後にいい具合に食べられることだろう、と冷蔵庫に入れて、夕食の支度。
手際よく作った料理と炊き立ての御飯、満足だった今日の夕食。小さなブルーがいないことさえ除けば、申し分のなかった食卓。
食べ終えた後は冷やした果物の出番、キウイフルーツを食べる番。皮を剥いて綺麗にカットするよりも、子供時代よろしくシンプルに食べてみたいもの。
(流石に齧るのはあんまりだしな?)
真っ二つに切って、スプーンで食べるのがいいだろう。毛だらけの皮の中身を掬って食べれば、薄い皮だけが残る勘定。剥いて食べるよりきっと楽しい、毛だらけの皮をつけたまま食べるのは。
さて、と切って来たキウイフルーツ。食べ頃に冷えていた果実。皿に載せて、スプーンも持って来た。早速一口、スプーンで掬って期待通りの甘さに頷く。これでこそだ、と。
子供時代に齧ったものとはまるで違った、その味わい。とろけるような柔らかさも。美味い、と綻んでしまう顔。これが食べたくてガキの頃の俺は頑張ったんだが、と。
道路まで張り出していた蔓に実っていたキウイフルーツ、それが欲しくて。もぎたてが欲しくてジャンプしたのに、戦果は惨憺たるもので。
(…しかしだ、キウイフルーツの味を知ってたからこそで…)
そうでなければ、きっと挑んでいないだろう。二つに切っただけの果実を味わっていたら、そう思えて来た。なにしろ、見た目が毛だらけだから。
(何処から見たって、毛の生えたジャガイモってトコだしなあ…)
けして美味しそうな姿ではない。甘いだろうとも想像出来ない。見た目だけでは。
なのに毛だらけの皮の内側には、それは瑞々しい緑色。まるで食べられる宝石のように鮮やか、おまけに甘くて柔らかい。スプーンで掬って食べられるほどに。
外側からは全く予想もつかない中身の果実。子供時代の自分を誘惑したほどのキウイフルーツ、けれども見た目は毛の生えたジャガイモ。
(これが食えると見抜いたヤツは凄いかもな?)
しかも追熟させてまで、と感心せずにはいられない。それとも原産地では木の上で甘く熟して、香りを漂わせるのだろうか。此処に美味しい果物があると、今が食べ頃だと。
あるいは動物が食べていたろうか、鳥たちが群れてつついていたとか。
いずれにしても、最初に気付いた人間のお蔭で、キウイフルーツが食べられる。感謝しよう、と思った果実。よくぞ見付けてくれたものだ、と。
(待てよ…?)
何処かでそういう話を聞いた、という記憶。フイと心を掠めていった。
キウイフルーツは食べられると見抜いて、ついでに追熟。収穫したままでは食べられないから、甘くなるまで貯蔵するのだと。
(…何処で聞いたんだ?)
得意の薀蓄の一つだろうか、いつもアンテナを張っているから。
授業に飽きてきた生徒たちの心を捉える雑談、そのための種は幾つあっても足りないもの。常に張り巡らせてある頭のアンテナ、これはと思えば頭に叩き込んでおく。
キウイフルーツについての知識も、そうやって手に入れたのだろうか。今では当たり前のように知っているけれど、何処かで読んだか、耳にしたのか。
きっとそうだな、と考えたのに、「そうではない」と訴える記憶。それは違う、と。
ならば何処で、とキウイフルーツを睨んで、スプーンで口へと運んだら…。
(シャングリラか…!)
あの船にあった、と蘇って来た遠い遠い記憶。シャングリラで食べたキウイフルーツ。
しかも厨房で料理をしていた時代に、シャングリラがまだ白い鯨ではなかった頃に。
そうか、と懐かしい記憶を追った。確かにキウイフルーツだった、と。
自給自足の船になるよりも遥かな昔。皆の命を繋いでいたのは、前のブルーが奪った物資。
ある日、ブルーが持ち帰ったコンテナの中に、大量のキウイフルーツがあった。毛だらけのが。
けれども、成人検査と繰り返された人体実験のせいで皆が失くしてしまった記憶。それが何かが分からなかった。誰も覚えていなかったから。
「なんだい、これは?」
毛だらけじゃないか、と呆れたブラウ。食べ物とも思えないんだけどね、と。
「さてなあ…?」
なんだろうな、とゼルも首を捻ったし、ヒルマンもエラも。
とはいえ、手掛かりならあった。毛だらけのそれが入っていた箱には、キウイフルーツの文字。そういう名前を持った食べ物、フルーツなのだし果物だろう。
手に取ってみたら固かったけれど、固い果物は珍しくない。リンゴのようなものなのだろう、と毛だらけの皮をナイフで剥いて、ゼルたちと試食してみたら…。
「酷い味だな」
食えたもんじゃない、と顔を顰めたゼル。渋くて固いだけじゃないか、と。
「まったくだよ。こんな不味い果物は知らないね」
どの辺がフルーツだと言うんだい、とブラウもぼやいた。口中が渋くなっちまったよ、と。
前の自分も同感だったし、ブルーも「本当に果物なのかな?」と悩んだほど。箱の中身が別のに変わっていたのだろうかと、人類は箱を使い回していたろうかと。
その可能性もゼロではないな、と思ったけれども、それから間もなく出て来た答え。箱の中身はそれで正しいと、これは間違いなく果物だと。
ヒルマンとエラが調べに出掛けて行ったから。キウイフルーツとは何だろうか、と。
データベースに向かった二人は、実は疑っていたらしい。フルーツという名の別の食べ物、その可能性を。海から採れる貝などのことを「海の果物」と呼ぶらしいから。
それと同じで、全く別の食べ物なのに「フルーツ」と名付けてあるのでは、と。
ところが違った、キウイフルーツ。渋いけれども、確かに果物。ただし…。
「このままでは駄目だね、食べられないそうだ」
渋いだけだ、とデータベースから戻ったヒルマンが言うから。
「料理するのか?」
てっきり自分の出番だとばかり思った、調理して食べる果物だろうと。甘く煮るとか、焼いたら甘くなるだとか。どうやってこれを食べればいいのだ、と訊いたのに。
「いや、料理ではなくて…。追熟だそうだ」
「追熟…?」
それはなんだ、と自分はもとより、誰もがキョトンとしたのだけれど。
ヒルマンとエラが言うには、このまま倉庫に突っ込んでおけばいいらしい。柔らかくなるまで、一ヶ月か二ヶ月。まずは一ヶ月ほど待ってみよう、と。
大量のキウイフルーツは箱ごと倉庫に運び込まれて、一ヶ月後。何度か様子を見に出掛けていたヒルマンが「まだ駄目だね」と首を横に振った。
「まだもう少しかかるようだよ、固いままだから」
柔らかくならないと甘くはならない、という話。そのヒルマンが「これでいいだろう」と持って来るまでには更に二週間ほどあっただろうか。
試食してみたら、前の渋さが嘘だったように甘かった。美味な果物に化けたキウイフルーツ。
これはいける、とヒルマンの勧めに従って冷やして、食堂で皆に出してみた。毛だらけの外見も面白いから、と二つに切って、スプーンをつけて。
「美味いな、これは!」
「見た目は悪いが、味はいいよな」
人類はこんなに美味しい果物を食べているのか、と皆が手放しで喜んだから。
「最初は不味かったんだがね…」
我々はそれを食べたんだがね、と苦笑したヒルマン。犠牲者は他にブルーに、ブラウに…、と。
ドッと笑った仲間たち。試食組でも特権ばかりじゃないんだな、と。
見た目が悪くて、おまけに直ぐには食べられなかったキウイフルーツ。輸送船に乗っているほどなのだし、追熟してあるわけがない。輸送先の星で追熟するもの、その方が便利なのだから。
手に入っても完熟するまで倉庫で保管するしかなかった、少し面倒な毛だらけの果物。けれども人気は高かった。毛だらけの皮の中身は甘くて、とろけるように美味しかったから。
奪った物資にキウイフルーツが紛れていたら皆が喜んだ。一ヶ月ほどでまた食べられる、と。
毛だらけのくせに、外見を裏切って美味な果物。緑の宝石が中に詰まったキウイフルーツ。
前の自分が厨房を離れた後も、ブルーがソルジャーになった後にも続いた人気。あの果物をまた食べたいものだと、物資に混ざっていればいいが、と。
追熟などという手間がかかるのに、人気を誇ったキウイフルーツだったから。
(シャングリラを改造する時も…)
採用されたのだった、船で育てる果樹の一つに。
何を育てるかを検討していた時に、希望が多かったキウイフルーツ。栽培方法を調べてみたら、意外なことに手がかからないもの。畑どころか、庭でも栽培出来るくらいに。
その上、沢山の実をつけるという。蔓を伸ばして育つのだけれど、一本で千個も実るほどに。
専用の畑を設けなくても、あの美味しい実がドッサリ採れるとなったら、キウイフルーツは船で育ててみたいもの。畑はもちろん、公園に緑の彩りを添える棚にも使えそうだから。
そればかりか、キウイフルーツの実は栄養価が高くて低カロリー。ビタミンも豊富、自給自足で暮らしてゆく船には打って付けの果物だった。
簡単に育てられるというなら、是非とも採用せねばならない。皆に人気のキウイフルーツ、畑が無くても育つくらいに丈夫なら。
(そういや、あいつが…)
キウイフルーツはキーウィと関係があるのかい、と尋ねたブルー。鳥のキーウィ、と。
白い鯨になるだろう船に、キウイフルーツを導入しようと決まった席で。ゼルやヒルマンたち、長老と呼ばれた四人と前の自分と、ソルジャーの六人。最終決定の会議はいつも六人だった。
今の自分には馴染み深いキーウィ、姿がキウイフルーツにそっくりな鳥。丸っこい身体に特徴のある長いクチバシ、翼は退化していて飛べない。地面をトコトコ歩いてゆくだけ。
動物園に行けばキーウィはいるし、子供でも名前を知っているけれど。
前の自分たちが暮らした船には、動物園などありはしなかった。本物のキーウィを見られる場所などは無くて、本にもそうそう出て来ない鳥。鳩や雀の類と違って、広く知られていないから。
特に鳥好きでもなかっただろうに、キーウィを知っていたブルー。空を飛べない鳥だよ、と。
あの時はキーウィばかりに気を取られていた自分だけれど。
今にして思えば、前のブルーは青い鳥を欲しがったのだった。幸せを運ぶという青い鳥。地球と同じ色を纏っている鳥を。
そんな鳥など役に立たない、と却下されてガッカリしていたブルー。欲しかったのに、と。
キウイフルーツと鳥のキーウィに何か関係は、と訊いたブルーは、青い鳥を思っていたろうか。青い鳥に未練があったのだろうか、それでキーウィと言っただろうか?
キーウィも同じ鳥だから。キウイフルーツに青い鳥を重ねてみたかったろうか?
(訊いてみるかな…)
小さなブルーに。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が訊きそびれたことを。
前のブルーがキーウィの名前を口にした時、青い鳥のことを思っていたか、と。
幸い、明日は土曜日だから。ブルーの家にゆく日だから。
次の日、目覚めても忘れずにいたキーウィのこと。それにシャングリラのキウイフルーツ。
本物のキウイフルーツを持ってゆかねば、と食料品店に寄って買って出掛けた。昼食が済んだらデザートに出して貰おうと。その頃ならよく冷えているから。
キウイフルーツが入った袋をブルーの母に渡しておいたら、案の定、訊かれた。二階の部屋から見ていたブルーに「お土産は?」と。
もう少し待てと、昼飯の後だ、と聞かされたブルーが楽しみにしていたらしいデザート。きっと菓子だと思ったのだろう、出て来たそれに真ん丸になってしまった赤い瞳。
「…キウイフルーツ?」
なんで、と驚くのも無理はない。お菓子の代わりに毛だらけの果物がコロンと一個。真っ二つに切られて、スプーンが添えられただけの。
ブルーの母なら、もっとお洒落な出し方だって出来るのに。皮を剥いて綺麗にカットするとか、カットした上にホイップクリームを添えるとか。
普段だったら、そういう果物。今のブルーが食べているキウイフルーツは。
「覚えていないか、こいつはシャングリラにあったんだぞ」
白い鯨の頃だけじゃなくて、それよりも前から食っていたんだ。俺が厨房にいた時代からな。
最初は謎の毛だらけの物体だったわけだが、キウイフルーツ。
本当にこれは食える物か、と悩んじまったくらいにな。
「…そういえば…。前のぼくが奪った物資の中に…」
山ほど入っていたんだっけね、キウイフルーツがゴロゴロと。
ゼルもヒルマンも、誰も覚えてなかったから…。すっかり忘れてしまっていたから、正体不明。
何なんだろう、って話になったくらいに、変な食べ物だったんだっけ…。
思い出した、とブルーが浮かべた苦笑い。あれでひと騒ぎあったんだっけ、と。
「前のぼくたち、剥いて試食をしちゃったけれど…」
箱にフルーツって書いてなければ食べてないよね、あの時の毛だらけのキウイフルーツ。
ジャガイモみたいにお料理しないと食べられないとか、そんな風に考えちゃったかも…。
「まったくだ。固かった上に毛だらけではな」
フルーツだと箱に書いてあったからこそ、リンゴみたいに剥けばいいんだと思ったわけで…。
しかし、素敵に不味かったんだよな、そうやって食ったら。
「…固くて渋くて、果物の味じゃなかったよ、あれは」
ブラウたちも文句を言っていたけど、ぼくだって口中が渋くなっちゃって…。
箱にはフルーツって書いてあったけど、違う中身が入ってたかな、って詰めた人類を恨んだよ。違う物を箱に詰めたんだったら、面倒がらずに品物の名前を書き直したら、って。
「そう考えるのが普通だよなあ、あの不味さだと」
まさか食べ頃が来ていないだなんて誰が思うか、普通の果物は直ぐに食えるんだから。
ちょっとばかり酸っぱいってことはあっても、その程度のことだ、あそこまで不味くはないぞ。
早く剥きすぎちまったかな、って思いはしてもだ、ちゃんと果物の味はする。バナナだろうが、リンゴだろうが、それなりの味がするっていうのに…。
なんだってアレは一ヶ月以上も待たないと食えない代物なんだか、キウイフルーツ。
今みたいに店で買ったヤツだと、きちんと追熟させてあるから食えるんだがなあ…。
もっとも今の時代も騙されちまった馬鹿が俺だが、と自分の顔を指差した。
「実はな、今の俺がお前よりも背の低いガキだった頃の話だが…」
俺が育った家の近くに、キウイフルーツを庭に植えていた家があったんだ。棚を作って。
そいつの蔓が道路の上まで伸びて来ててな、美味そうな実が幾つもな…。
今の俺はガキの頃からキウイフルーツを食ってたわけだし、美味いってことも知ってるし…。
もぎたての実はきっと美味いに違いない、と考えたんだな、ガキだけに。
親父たちとブドウ狩りとかに行っていたから、新鮮な果物の美味さも分かる。だから見上げて、こいつも食ったら美味いだろうと…。
もちろん普通に手を伸ばしたって届きやしないし、そこでジャンプだ。精一杯に飛んで、見事に一個もぎ取ったまでは良かったが…。
後は分かるな、ガキの頭に追熟なんて言葉は入っていないってことが。
「…ハーレイ、今度もやっちゃったんだ…」
熟していないキウイフルーツ、そのまま食べてしまったんだね。
「皮も剥かずに齧り付いてな。…甘いとばかり思ったんだが…」
もぎたてだったら、皮を吐き出す分を補ってもなお余りある甘さがあるもんだとばかり…。
なのに口中に広がる渋さと来たもんだ。なんだって、今度もやっちまう羽目になったんだか…。
記憶が戻っていない以上は仕方ないんだが、前の俺が懲りていたのにな。
「覚えてないのは本当に仕方ないけれど…」
ジャンプしてまで取らなかったら、今度は食べずに済んだ筈だよ?
その家の人に「一つ下さい」ってお願いしたなら、ちゃんと教えて貰えたのに…。
まだ早いからとか、これは熟してから食べるんだよ、って分けてくれるとか。
それもしないで飛び付くだなんて、食いしん坊だね、家の人が来るまで待てばいいのに。
「…毎日見ていて、美味そうだったからな」
ついに誘惑に負けたってヤツだ、その日に限って。
でもって、自分の手で取ってみたかったんだろうな、頼んで取って貰うよりかは。
ガキってヤツはそんなもんだろ、と語った自分の失敗談。一人で出来ると言い張った挙句、何か失敗をやらかすもんだ、と。お前の場合はどうか知らんが、元気なガキにはありがちだろう、と。
「俺もご多分に漏れず、そういうガキの一人だったってわけで…」
やっちまったわけだ、前の俺の轍を踏むってヤツを。
そいつを昨日、思い出したから、キウイフルーツを買って帰って…。あの時に不味い思いをした分をこれで取り返そう、と食っていたら記憶が戻って来たんだ、前の俺のな。
それで土産に持って来たんだが、お前も思い出したようだし、一つ訊きたい。
…不味かった騒ぎとは別件になるな、シャングリラを改造しようって時代なんだから。
新しい船で何を栽培しようかという会議をしてたら、キウイフルーツが候補に挙がった。人気が抜群の果物だったし、育てやすいことも分かったし…。
導入しよう、と会議で決まった時のことだが、前のお前が訊いていたんだ。
キウイフルーツと鳥のキーウィには何か関係があるのか、と。
「…えーっと…。そうだね、訊いてたね」
名前が似てたし、形もそっくりみたいだったし。
だから気になって訊いちゃったんだよね、鳥のキーウィと関係あるのかな、って。
「そいつが俺の訊きたいトコだ。…どうしてキーウィと言い出したのか」
今のお前なら、話は分かる。動物園に行けば本物がいるからな。印象深い姿の鳥だし、会ったら忘れないだろう。
しかしだ、前のお前の場合は事情が違う。本物なんぞは見られもしないし、データだけだ。
そのキーウィを知っていた上に、あの場で訊いた。キウイフルーツと関係があるのか、と。
お前、青い鳥を欲しがってたしな、それと重ねていたのかと…。
キーウィも鳥には違いないから、とキウイフルーツに青い鳥を重ねようとしてたのか、お前?
「そこまで執念深くはないよ」
青い鳥に無理やりこじつけるほどに、キウイフルーツにはこだわらないけど…。
気になっていたのは、キーウィの方。青い鳥じゃなくって、キーウィなんだよ。
シャングリラでは、本物を見ることは叶わなかったキーウィ。動物園など無かったから。
白い鯨になった後には、アルテメシアに潜んでいたから、前のブルーは本物に出会ったらしい。船の外にある人類の世界の動物園まで出掛けた時に。
もっとも、遊びに行ったというわけではなくて、ミュウの子供を救い出すための下見などで。
けれど、それよりも前の時代にブルーはキーウィの名前を口にした。飛べない鳥、と。
「たまたま本で見付けたんだよ、キーウィのこと」
何の本だったかは覚えてないけど、そういう名前の飛べない鳥がいたってことを。
それにね、何処にでもいた鳥じゃなくて、固有種だって…。
他の場所には棲んでいなくて、ニュージーランドっていう島だけの鳥で…。
ミュウと重なっちゃったんだよ、ぼくの頭の中で。
キーウィは飛べないから減っていっちゃった、って…。逃げられないから捕まっちゃって。
「滅びそうだという意味か?」
数が少ない上に、飛べないばかりに捕まっちまって。
捕まったらそれでおしまいだからな、捕まった上に滅ぼされそうになった前の俺たちか?
アルタミラごと滅ぼされていたら、ミュウはおしまいだったんだから。
「うん…」
ちょっとキーウィみたいでしょ?
前のぼくたち、本当に滅びそうだったから…。
なんとか逃げ出して生きていたけど、人類軍の船に見付かっちゃったらおしまいだもの。
前のブルーが読んだという本。キーウィについて書かれていた本。
地球が滅びるよりも遥かな昔に、キーウィと同じような鳥が幾つも滅びていった。地球の環境は悪化しておらず、どんな生き物でも充分に生息出来たのに。
七面鳥に何処か似ていたドードー、キーウィと同じ島にいた首が長くてダチョウのようなモア。地球の鳥では最大の体重を誇った、エピオルニスもダチョウを思わせる鳥。
どれも絶滅して地上から消えた。人間に狩られ、食用にされて。空を飛べない鳥ゆえの悲劇。
キーウィも人間を警戒することを知らず、そのせいで激減していった。
飛べない上に、人を怖がらないから、簡単に捕まってしまったキーウィ。人間にとっては格好の獲物で、食べるにはもってこいだったから。
空を飛ぶ鳥なら、撃ち落とさないと捕えられないけれど。あるいは罠が必要だけれど。
キーウィは空へと飛んでゆかないし、おまけに人を怖がらない。見付けさえすれば肉が手に入る便利な生き物、肉が歩いてるようなもの。
キーウィは危うく、モアと同じになる所だった。
このままでは滅びてしまう鳥だと、人間が気付かなかったなら。
ようやく気付いて、ニュージーランドのシンボルの鳥に選んで保護してくれなかったなら。
絶滅の危機に瀕したキーウィ。地球に滅びの気配さえもまだ無かった頃に。
今の自分はそれを知っているけれど、前の自分はどうだったろうか。あの時代には地球は滅びた後だったから、どの生き物も等しく地球からは滅び去った後。
キーウィはもちろん、鳩も雀も棲めなくなってしまった地球。人間は生き物を他の惑星に移し、絶滅することだけは辛うじて防いだ。動物も植物も、思い付く限りの地球の全てを。
そんな時代だから、前の自分はキーウィを単なる飛べない鳥だと思っていたかもしれない。空を飛べない鳥は幾つもいるから、その内の一つがキーウィなのだと。
「そうだっけな…。言われてみれば、まるでミュウだな、キーウィって鳥は」
人間の都合で狩られちまって、滅びる所だったんだからな。
「そうでしょ?」
似てるでしょ、キーウィと前のぼくたち。
滅びそうだったってこともそうだけど、滅びそうになってしまった原因。それも同じだよ?
前のぼくたちは、キーウィと同じで知らなかったよ、人類は怖いということを。
人を警戒することを少しも知らなかったから、成人検査を受けちゃって…。
気が付いたら檻に閉じ込められてて、後は殺されるだけだったんだよ。
食べられてしまうか、実験で殺されてしまうかだけの違いだったよ、キーウィとミュウは。
…だから重ねてしまったんだよ、ミュウとキーウィ。
そのキーウィと似たような名前で、似たような果物がキウイフルーツ。
訊きたくなるでしょ、それは関係があるものなのか、って。
前のブルーがミュウと重ねて見ていたキーウィ。果物の名前で直ぐに連想するほどに。
キウイフルーツを育てると決まったら、関係があるのかと尋ねたほどに。
「そのキーウィも今じゃ普通に生きているよな、のびのびと」
動物園にいるのもそうだが、元はニュージーランドだった辺りの地域か?
似たような島を見付けて貰って、自由に生きているようだしな。
「ちゃんと保護して貰ってね」
お肉にされずに、好きにあちこち歩き回って。
地球と一緒に滅びかかったのに、キーウィは立派に生き抜いたんだよ、他の星で。
環境もずいぶん変わっただろうに、何処の星でも子孫を残して頑張ったんだよね、キーウィは。
そうやって頑張って生きていたから、キーウィは今の地球に戻って来られたんだよ。
もう駄目だ、って滅びちゃっていたら、キーウィ、何処にもいないんだもの。
「…ミュウも似たようなものだったのかもなあ…」
滅びちゃいかん、と必死に頑張って生きて、生き残って、やっと地球まで戻れたってトコか。
地球が滅びさえしなかったならば、SD体制なんぞは無かったわけだし…。
そうなっていたら、人類とミュウは敵対する代わりに、自然と交代したんだろうしな。
少しずつミュウの数が増えていって、人類とも自然に混じり合って。
「多分…。地球が滅びる前の時代の実験室でも、ミュウは生まれていたんだものね」
育つ所まで行ったかどうかは分からないけど、ミュウ因子は分かっていたんだから。
排除しちゃ駄目だっていうプログラムがあった以上は、ミュウも生まれていた筈で…。
他の星へと移されてしまって、人工子宮で育つ時代が来ちゃったけれども、生き延びたよね。
キーウィが頑張って生きてたみたいに、前のぼくたちも。
そうやって地球に戻って来られんだよね、ミュウもキーウィも、今の青い地球に。
前のブルーがミュウの姿を重ねたキーウィ。空を飛べなくて滅びかかった鳥。
ミュウも同じに滅びかけたけれど、キーウィのように生き抜いた。受難の時代を越えて今まで。人間が地球に戻れる時が来るまで、ミュウという種族は滅びずに生きた。
SD体制を倒してミュウの時代を築いて、自然出産で子孫を残しながら。
「…ミュウが頑張って地球に戻って、今の俺たちがキウイフルーツを食ってるわけだな」
地球で育ったキウイフルーツを、きちんと追熟させてあるのを。
「キウイフルーツ…。結局、キーウィとは殆ど関係無かったんだよね」
まるで無関係ってわけでもないけど、キウイフルーツはキーウィの島の果物じゃないし…。
「そうらしいよなあ、名産地ではあったみたいだが…」
あの時、ヒルマンが言ってたっけな、ニュージーランドが名産地だから名付けただけだ、と。
キーウィが棲んでた島がたまたま栽培に適していたっていうだけらしいしなあ…。
元々の産地は別の所で、中国の南部だったっけか。
其処からニュージーランドに運んで、沢山採れるから輸出しようって時にキーウィの名前を拝借しておいた、と。島のシンボルになってた鳥だし、姿も似てるし、丁度いい、とな。
もっと深い関係があった方がミュウの船には相応しかったな、とブルーと二人で笑い合った。
ミュウと重なって見えたキーウィと縁が深かったならば、キウイフルーツは白いシャングリラのシンボルにするのに良かったろうに、と。
鳥のキーウィは飼えないけれども、キーウィの代わりにキウイフルーツを育ててゆく船。
これを守ろうと、自分たちも鳥のキーウィのように頑張って生きてゆかねばと。
残念なことに、前のブルーが期待したほどには深くなかったキーウィとの縁。
だから誰もが何も気にせず、実る度に食べていたけれど。
収穫した後、甘くなるまで追熟させては、美味しく食べていたのだけれど。
毛だらけの果物、キウイフルーツは、懐かしいシャングリラの思い出の味。
前のブルーが訊いたフルーツ、それを育てようと決まった席で。
キーウィは関係あるのかい、と。
この果物と鳥のキーウィは、何か繋がりがあるものなのかい、と…。
キウイフルーツ・了
※シャングリラにもあったキウイフルーツ。わざわざ追熟させてまで、食べていた果物。
その果物と鳥のキーウィを重ねて見ていた、前のブルー。ミュウに似ていた鳥だったのです。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(んーと…)
これは素敵、とブルーが眺めた旅の案内。学校から帰って、おやつの時間に。
新聞に載っていた記事の一つで、地球一周の船旅なるもの。こういう旅をしてみませんか、と。
行きたくなった人のためにと、旅行会社の名前も幾つか書いてあるけれど。連絡先まで載ってはいるのだけれども、広告とは違うらしい記事。
写真が沢山の記事を書いた記者が乗っただろう船、それの名前も分からないから。どんな設備の船だったのかも、どういう船室で旅をしたのかも。
一度滅びて蘇った地球は、銀河系で一番の水の星。地表の七割を覆っている海、これよりも広い海を持った星など、未だに一つも見付かってはいない。
青い水の星、母なる地球。
それを見ようと、素晴らしい青い海が見たいと他の星からやって来る人も多い地球。
「せっかく地球に住んでいるのだし、海を旅してみませんか」というのが記事の狙いで、地球を丸ごと旅したいなら、船に乗るべきだと書いてある。宇宙船ではなくて、本物の船。
宇宙からだと地球の全貌を見られるけれども、周りをクルリと回れるけれど。遊覧飛行に行けるツアーもあるのだけれども、記者のお勧めは船だという。地球の海をゆく本物の船。
大海原へと出て行ったならば、どちらを見ても水平線。地球は丸いと分かる緩やかな曲線、平らではない水平線。
(…海水浴とかに行った時でも分かるんだけど…)
地球を取り巻く海も丸いということは。平らではないと分かる曲線は。
小さかった頃に父に教えて貰った、「丸いだろう?」と。「地球はホントは丸いんだぞ」と。
船で海へと漕ぎ出して行けば、どちらを向いても水平線しか無いと書かれた新聞記事。見ていた記者の感激が分かる、「地球は丸い」と海の上で実感していたことが。
その海を旅して、やがて見えて来る島や大陸。
港に入って見物する場所や、大きな船は入れないから上陸用のボートで行く場所や。
地球の広さと魅力を満喫するなら船だ、と旅心をくすぐる記者の筆。断然船だと、宇宙船よりも船で一周するのがいいと。
記者が体験して来た船旅、何枚も撮って来た写真。記者の姿は載っていなくて、それも狙いの内なのだろう。旅のエッセイを読んでいる気分、自分が旅をしたような気分。そういうワクワク感を与える、船で地球を周る旅の記事。これを読んでいるあなたも是非、と。
(地球を一周…)
外洋に出て行ける大型船に乗って、地球を覆っている海をぐるりと回って。
船で真っ直ぐ進んで行ったら何処かでぶつかる島や大陸、それを避けながら旅をしてゆく。船がぶつからないように。陸地へゆくなら港に入るか、ボートを使って上陸するか。
宇宙船なら地球の上を真っ直ぐ飛んでゆけるのに、何処でも周ってゆけるのに。
(だけど、陸には降りられないよね…)
船のようにはいかないから。港の代わりに宙航に降りて、離れる時にはまた宇宙へと。つまりは地球から遠ざかるわけで、いつでも地球の上とはいかない。
船旅だったら、小さな島さえ見えない時でも地球は必ず側にあるのに。船の下はいつでも地球の海だし、地球を離れてはいないのに。
それについても書いている記者、「地球の広さが分かりますよ」と。宇宙船ならアッと言う間に地球を離れてしまうけれども、船で行ったら一日かけてもこの海の果てが見えません、と。
そういう海を回ってゆく旅、二ヶ月以上もかかるという。
あちこちの島や大陸に寄っている時間を多く取ったら、もっと日数がかかる旅。
宇宙船なら、地球一周の遊覧飛行は一泊二日で行けるのに。たった二日間の旅の間に、宇宙船は青い地球の周りを何周も回るらしいのに。
けれども、二ヶ月以上もかけて地球を周るのが記者のお勧め。
時間があるなら船に乗らねばと、遠い星へと旅をするより、地球の広さを知るべきだと。
読めば読むほど、船に乗りたくなって来た。地球一周の旅に出る船に。
両親と遊びに行った港で眺めた、見上げるように大きな船。ああいう船でゆくのだろう。地球を一周するのなら。長い船旅に出掛けるのなら。
(新婚旅行の時に行くには…)
この船旅は長すぎる。地球の海をゆく旅に出るなら、ハーレイと二人で行きたいのに。
遠く遥かな時の彼方で、前のハーレイと目指した地球。白いシャングリラで、いつか地球へと。
何度も夢見た、約束の場所。地球に着いたらと、どれほどの夢を描いただろう。
夢は夢のままで終わってしまって、辿り着けずに終わったけれど。
ハーレイが一人で着いた地球には、青い海すら無かったけれど。
(だけど、地球まで来られたんだよ…)
生まれ変わって、ハーレイと二人。
前の自分たちが生きた頃には、何処にも無かった青い地球まで。
その地球をぐるりと周る旅なら、ハーレイと一緒に出掛けたい。これが地球だと、地球の海だと語り合いながら、長い船旅。地球を離れずに地球を一周、宇宙船とは違う旅。
行きたくてたまらないのだけれども、二ヶ月もかかる新婚旅行は無理だろう。
ハーレイの休みが足りないから。そんなに休めはしないから。
学校で一番長い休みは夏休みだけれど、夏休みを全部使っても無理。船旅を終えて戻るより前に始まってしまう新学期。
夏休みは二ヶ月も無いのだから。長いけれども、そこまで長くはないのだから。
(ハーレイ、休めないのかな?)
教師の仕事をしている以上は、二ヶ月もの休みは取れないだろうか。学校の仕事で何処かへ出張するならともかく、自分の都合で夏休みの続きにオマケの休暇を何日か付け足すことなどは。
そうは思っても、行ってみたい旅。行きたい気持ちになってきた旅。
(いつか、宇宙から地球を見ようって…)
ハーレイとそういう約束をした。
今の自分は宇宙旅行をしたことが無くて、一度も地球を見ていないから。宇宙から見える地球の姿を肉眼で見てはいないから。
結婚したなら、地球一周の遊覧飛行。青い地球を見られる部屋に泊まって、前の自分たちが夢に見た星を眺めながらの抱擁とキス。
そうやって二人で宇宙から見る地球も素敵だけれども…。
(二ヶ月以上も海の上だよ?)
上陸しての観光や食事の時間は取ってあっても、殆どの時間は海の上。眠っている間も船は海の上を進んでゆく。次の目的地へ向かって休むことなく、何処までも続く大海原を。
それほどに長い旅をしたなら、水の星を実感できるだろう。地球は本当に水の星だと、青い海が地球を覆っていると。
前の自分はアルテメシアで海を見たけれど、テラフォーミングで作られた海。海藻があって魚も泳いでいた海の広さは、地球のそれには遠く及ばないものだった。
あの海でさえも充分に広く思えたのだから、地球の海となればどれほどだろう。二ヶ月以上もの旅をしないと一周出来ない地球の船旅、その船から地球を見てみたい。青い青い海を。
とても行きたい旅だけれども、ハーレイの休みが取れるかどうか。
そこが問題、ハーレイの仕事柄、取れそうもない二ヶ月以上もある休暇。
(やっぱり無理…?)
難しいかな、と溜息をついて新聞を閉じた。行きたいけれども、ちょっと無理そう、と。
食べ終えたおやつのお皿やカップをキッチンにいた母に返して、部屋に戻って。
勉強机の前に座っても、頭から離れてくれない船旅。地球の海を船で回ってゆく旅。ハーレイの休みは取れそうもなくて、二人一緒には行けそうもなくて。
(でも、行きたいな…)
ハーレイと二人で船に乗って。何処までも続く青い海の上を、地球の海の上を旅してみたい。
前の自分が焦がれた地球。
いつか行こうとハーレイと二人で目指していた地球、その地球へ来られたのだから。
前の自分が生きた頃とは、まるで違う星になったのだけれど。
青い水の星が蘇るためには、燃え上がるしかなかった地球。アルタミラで見た地獄さながらに、大地は崩れて、海もマグマで煮えたぎって。
何もかもを飲み込み、燃やし尽くして地球は蘇った、炎の中から。
火の中で新しく生まれ変わると伝わる不死鳥、フェニックスのように新しく生まれた地球。青い地球が再び宇宙に戻った、命を育む母なる星が。
裂けて崩れてしまった大地は、姿を変えてしまったけれど。
大陸の形はすっかり変わってしまったけれども、地球は地球。前の自分が夢に見た星。
たとえ地形が変わっていようと、海の形が違おうと。
青い地球ならそれで充分、と今の地球の姿を思ったけれど。
学校で習った遠い昔の地球の地形を思い浮かべて、かなり変わったと頷いたけれど。
(…あれ?)
そういえば、と思い出したこと。
前の自分は知らなかったのだった、あの頃の地球の真の姿を。
青い星だと騙されていたこともそうだけれども、その青い地球。前の自分が行きたかった地球。
フィシスの記憶に刷り込まれていた地球、何度も何度も見ていた地球。
これが本当の地球の姿だと、いつかは其処へと焦がれていたのに、あれは偽りの情報だった。
今のハーレイに指摘されるまで、全く気付いていなかったけれど。
(…大陸も海も、全部、偽物…)
マザー・システムは地球の情報を巧妙に隠し続けた、地形すらをも。
どういう星かを知れば知るほど、人間は地球を求めるから。地球を見たいと、一目でいいからと探して行こうとするだろうから。
地球を求める者が増えれば、探す人間の数が増えれば、何処かで綻びが生まれるもの。どんなに情報を隠しておいても、何処からか漏れてしまうもの。
そうならないよう、マザー・システムは地球の姿を誤魔化した。人間が疑いを持たない程度に。
(前のぼくたちは、知っていたけど、知らないのと同じ…)
地球の歴史は知っていたのに、歴史を築いた国が何処にあったか、それは怪しいものだった。
東洋や西洋、その程度のことは知っていたけれど、地図を描けはしなかった。
博識だったヒルマンやエラでも、描くことは出来なかっただろう。イギリスは島で、フランスは海を隔てた向こう側だと知識はあっても描けなかった地図。
そういう具合にマザー・システムは地球を隠した、具体的なイメージを持てないように。
地図が描けないほどだったのだから、無かった地球儀。
前の自分が生きた時代は、地球儀が存在しなかった。地球儀は地球の模型そのもの、あったなら人は本物の地球を見たいと思い始めるから。
それに航海図も無かったのだった、地図や地球儀が無いのと同じで。
(マザー・システム、酷かったものね…)
フィシスが持っていた地球の映像、それさえも偽物だったくらいに。大陸や海の形をぼかして、本物とは変えてあったくらいに。
(…地球にだって、あれじゃ辿り着けない…)
前の自分が本物なのだと信じて見ていた地球へ向かう旅は、全くの嘘。でたらめだった太陽系。惑星の配列も、位置すらも嘘で、あの通りに飛んでも地球には着けない偽りの航路。
そんな時代に生きていたのが前の自分で、ハーレイもまたそうだったから。
(地球儀と、それに航海図…)
いつかハーレイと暮らす時には、それを買おうと相談していた。
ハーレイの書斎に大きな地球儀、そしてレトロな航海図。人間が地球しか知らなかった時代に、帆船で旅をしていた海。そういう時代の航海図がいいと、二人で眺めて旅をしようと。
地球儀と、それに航海図。
何処へ行こうかと、今はもう無い遠い昔の地球の大陸を、海を見ながら想像の旅。背中に広げた空想の翼、二人で自由に飛んでゆこうと。
その旅に自分を連れて行ってくれるハーレイならば…。
(…連れてってくれる?)
地球を一周する船旅にも。
宇宙船から地球を眺める旅とは違って、地球の海を船で渡ってゆく旅。
青く蘇った水の星の上を、偽物ではなくて本物の地球の青い海の上をゆく旅に。
けれど、足りないのがハーレイの休み。二ヶ月以上も必要な休暇。
(無理だよね、きっと…)
教師なのだし、どう考えても取れそうにない。夏休みよりも長い休暇は。
もっと違った仕事だったら、長期休暇を取れる場合もあるのだろうに。二ヶ月どころか、三ヶ月とか四ヶ月でも。具体的な仕事は咄嗟に思い付かないけれども、きっとある筈。
ハーレイの仕事とは別の仕事で、長い休暇が取れそうな仕事。あの船旅はそういう人たちが行くために存在するのだろうか。次の休暇はこれに行こう、と。
そうなってくると、休暇が取れないハーレイだと…。
(引退するまで行けないとか…?)
どんなに行きたいと強請った所で、長い休みは無理なのだから。
二ヶ月以上もかかる地球一周の船旅は駄目で、宇宙から見る地球がせいぜい。くるりと一周してみたいのなら、地球を一周するのなら。
宇宙船での遊覧飛行で地球を一周、それしか今は出来そうにない。一番長い夏休みを使って旅に出たって、地球一周の船旅にはとても行けないのだから。
(…引退するまで行けないだなんて…)
そう考えたら、寂しい気持ちになってくる。
引退するような年になるまで、ハーレイと二人であの船旅には行けないなんて、と。
寂しくて悲しい気もするけれども、教師はハーレイの天職のようなものだから。
柔道や水泳のプロになるより教師がいい、と選んだ職だと聞いているから。
(無理を言っちゃ駄目…)
長い休みが取れる仕事をして、とは言えるわけがない。いくらそうして欲しくても。長い休暇を取って貰って、二人で旅をしたくても。
地球一周の船旅のことは諦めよう、と小さな溜息をついた所へ、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、ムクムクと頭を擡げる我儘。
テーブルを挟んで向かい合っていたら、「行ってみたいよ」と強請りたくなる。あの船旅に。
無茶だと分かっているけれど。ハーレイが教師を辞める筈など無いのだけれど。
「…俺の顔に何かついてるか?」
さっきからじっと見てるようだが、と訊かれたから。
「そうじゃなくって…」
ハーレイと旅行に行きたいんだよ。宇宙船じゃなくって、本物の船で。
大きくなったら、いつかハーレイと結婚したら。
「船って…。豪華客船か?」
プールもジムもついてるらしいな、豪華客船というヤツは。
ホテルを丸ごと船に乗せたみたいに、中だけで何でも出来るそうだが…。
「んーと…。別にそこまで豪華でなくてもいいんだけれど…」
多分、大きな船だとは思う。とっても長い旅に出る船だから。
…地球を一周してみたいんだよ、船に乗って。
「ほう…?」
本物の船で地球を一周か。そいつは楽しそうではあるな。
「でしょ? 今日の新聞にね、旅の案内が出てたんだけど…」
新聞記者の人が乗って出掛けて、お勧めだって書いてたんだよ、船に乗って地球を一周する旅。
記事を読んだら凄く素敵で、ぼくも行きたくなったんだけど…。
でも二ヶ月以上もかかるんだって、と項垂れた。
そんなに長くは、ハーレイはとても休めないよね、と。
「俺の仕事か?」
「うん…」
夏休みを全部使っちゃっても、二ヶ月にだって足りないし…。
続きにもっと休みを取るなんてことも、先生だったら出来そうにないし…。
地球一周、引退するまで無理だよね?
ハーレイが仕事を辞めてからでないと、あんな旅行には行けないよね…。
「おいおい、勝手に決めるんじゃないぞ」
チビはチビなりに考えたんだろうが、やっぱりチビだな。仕事ってヤツを分かっていない。
教師をしていりゃ、一番長い休みは確かに夏休みだが…。
二ヶ月にさえも足りないわけだが、俺は今の俺だ。
休みってヤツが全く無かったキャプテン・ハーレイの時代じゃないんだ、今の時代は。
「キャプテン・ハーレイって…。キャプテンに休みは無かったけれど…」
毎日ブリッジに行ってたんだし、休憩してても連絡が来たりしていたけれど…。
今のハーレイ、夏休みの他にも休めるの?
夏休みよりも長いお休み、学校の先生をしている人でも取っちゃっていいの?
「ちゃんと希望を出しておけばな」
新年度ってヤツが始まった後に出したとしたなら、「馬鹿か」と叱られちまうんだが…。
もっと早い時期に、新しい年度の担任とかが決まるよりも前に出しておいたら、希望は通る。
今の俺みたいに担任のクラスが無い状態にしてくれるんだな、休みを取ってもいいように。
担任しているクラスが無ければ、後は休暇の間の俺の代理を決めるってだけで…。
他の先生が担当してくれるわけだ、俺の授業を。
休暇が済んだら、その先生から俺に戻って授業の続き。そんな具合でいけるってことさ。
教師でも長い休暇は取れる、と話したついでに、ハーレイが教えてくれた今の時代の仕事事情。
お前はチビだから、そう詳しくは知らないだろう、と。
前の自分たちが生きた時代と違って、平均寿命が三百歳を軽く超えている世界。
人間はみんなミュウなのだから、長生きな上に若い姿を保ってゆける。
そういう時代に、何歳まで働くかは個人の自由。決まりは全く無いらしい。どんな仕事も。
一度仕事を辞めたとしたって、また働くのも個人の自由。
「親父なんかはそのクチだな」
「ハーレイのお父さん?」
今は仕事はしていないけれど、いつか何処かへ働きに行くの?
「どうするかは親父次第だが…。当分の間は、今のままだと思うんだが…」
もう充分に働いたから、と楽隠居中なのが今の親父だ。
しかしだ、気が向いたらまた働くのも悪くないな、と言ってるんだよな、親父はな。
好きな時に釣りが出来る職場があったら、あの親父なら行きかねん。
漁師もいいな、と半分本気だ、海は遠いから川で漁師だ。
「…漁師さんなら、釣りはホントに仕事だけれど…」
ハーレイのお父さん、プロの漁師さんになっちゃうの?
川で魚を獲る漁師さんは、向いているかもしれないけれど…。
「向いてるどころか、ピッタリだろうさ。今でも充分、プロ並みの腕を持ってるからな」
だから、俺にもそういうコースはあるんだが…。
適当な所で一度辞めてだ、何年か好きに過ごしてからまた古典の教師に戻ってみるとか。
「ふうん…。ぼくのパパはずっと働くのかな?」
辞めたりしないで働くのかなあ、パパはまだまだ若いんだけど…。
ハーレイとあんまり変わらないけど、どうするんだろ?
「さてな?」
お父さんの考え次第だろうなあ、辞めちまうのも、ずっと働き続けるのも。
俺の意見を言わせて貰えば、適当なトコで辞めて楽隠居なタイプだと思うんだがな。
どう働くかは個人の自由。今の時代は、そういう時代。
前の自分たちが生きた頃とは全く違っている時代。機械が仕事を決めたりしないし、働く期間も自分で選べる。この年までとか、もっと長くとか。
深く考えたこともなかったけれども、自分が住んでいる辺りでは…。
「ウチのご近所さん、みんなのんびりだよ?」
お孫さんがいるような人は、家にいる人ばかりじゃないかな。学校の帰りにいつも会うもの。
庭の手入れをしている人とか、散歩している人だとか。
「何処に行っても似たようなモンさ」
お前の家の近所に限らず、今は何処でもそうだってな。地球だけじゃなくて、他の星でも。
あくせく働く時代じゃないんだ、機械が命令したりしないし、監視しているわけでもないし…。
大抵の人は若い世代に次を譲って、引退するって所だな。
若いヤツらに「もっと仕事を教えて欲しい」と頼まれた人や、好きで働く人以外は。
中にはいるしな、幾つになっても働いていないと落ち着かないっていう人間も。
「じゃあ、ハーレイもその内、辞めるの?」
先生の仕事を辞めてしまうの、孫が出来てもおかしくないような年になったら。
…ぼくたちに子供は生まれないから、孫も生まれはしないんだけど…。
「それがだ、前の俺の記憶が何処かに残っていたせいなのか…」
まるで考えていなかったんだよなあ、引退するっていうコース。
身体と元気が続く限りは、現場で働いていたかったんだ。
後進を育ててゆくってヤツだな、教師の方でも、柔道の指導をしてる方でも。
前の俺は一生、働き続けていたわけだから…。
地球の地の底で死んじまうまで、ずっとキャプテンのままだったしな。
シドを任命し損なったし、とハーレイが浮かべた苦笑い。
次のキャプテンがいなかった以上は、死んだ瞬間までキャプテンの職に就いたままだ、と。
「最後まで働き続けていたって記憶がしみついてたのか、今の俺の方もそういうつもりで…」
働ける間は働いてやろう、と思ってたわけだ、記憶が戻る前からな。
「それじゃ、ハーレイ、辞めないの…?」
年を取っても、ずっと仕事を続けていくわけ、先生の…?
凄いベテランになれそうだけれど、ホントに最後まで仕事をするの…?
「どうだかなあ…。お前に会ったし、辞めるかもしれん」
お前と二人でやりたいことが山ほどあるだろ、だから仕事を辞めるのもいい。
引退してのんびり、二人で旅行だ。いろんな所へ。
だがなあ、そいつはまだまだ先の話ってことで、俺はまだまだ働き盛りで…。
引退よりかは休みを取るかな、お前が旅に出たいんだったら。
二ヶ月以上もかかると言ったし、何処かで三ヶ月ほどな。
「…いいの?」
休んじゃったら、その後がとっても大変じゃない?
何処まで授業が進んでいたのか、これから何を教えるのかとか、そういう引き継ぎ。
休む前にも引き継ぎがあるよね、ハーレイの代わりをする先生と。
「なあに、そのくらいの手間は大したことではないってな」
俺が何年教師をやってると思っているんだ、引き継ぎなんかは得意技だぞ。
学校を変われば、その度に色々あるからな。
教える授業の方もそうだし、生徒もガラリと変わるわけだし…。
引き継ぎを面倒がってるようでは、教師ってヤツは出来ないな、うん。
休暇を取って旅行に行くか、とハーレイは優しく微笑んでくれた。
お前が行きたいと言うのなら、と。
「前のお前の夢だろうが、地球は」
俺と行こうと、前のお前はずっと夢を見て、それなのに寿命が来ちまって…。
もう行けないと泣いていたよな、俺の腕の中で。
俺と別れるのも辛かったろうが、地球に行けないのも悲しかった筈だぞ、前のお前は。
「そうだけど…。ハーレイと二人で行きたかったから…」
いつか行けると思っていたから、行けないことが分かっちゃったら、悲しかったよ。
ハーレイと一緒に地球を見るのはもう無理なんだ、って。
「お前の泣き顔、今でも覚えているからな…。せっかくの地球だ、旅もしないと」
本物の地球に来られたんだし、結婚したら地球儀と航海図を飾るんだろう?
前の俺たちが生きてた頃には無かったヤツだが、今は売られているんだからな。
そいつを眺めて旅をしようと話してたじゃないか、お前と二人で。
昔の地球のままの地球儀と、うんとレトロな航海図で。
「…覚えてたの?」
地球儀を買おう、っていう話。…それに航海図も。
「こういう話をしていれば自然に思い出すだろうが」
地球一周だの、船旅だのと。
一周するなら地球儀の出番で、船旅だったら航海図だ。
…もっとも、今の地球の海を旅してゆこうって時は、昔の地球のは全く役には立たないがな。
その旅に行くには別の地球儀や航海図が必要になるんだろうな、と笑うハーレイ。
地形が変わってしまった地球では、昔のものだと意味が無いから、と。
「まあ、買わなくても旅は出来るわけだが…」
俺が動かすわけじゃないしな、地球一周に出掛ける船は。
プロの船長が乗ってるんだし、航海士だって大勢乗っているんだろうし。
右も左も分からない客が乗っていたって、船は迷子になりはしないし、任せておけば安心だ。
ちゃんと地球を一周出来るぞ、俺もお前も地理が全く分かってなくても。
…そしてだ、前の俺たちには見られなかった夢が見られる。
地球儀も航海図もあるんだからなあ、それを見ながら此処を旅して、こう回って、と。
同じ行くなら、理想の航路で行ける船旅を選ばないとな、地球一周の旅は。
「理想って…。幾つもあるの?」
地球を一周するための航路、一つだけしか無いわけじゃないの?
「もちろんだ。海はデカイし、地球は広いぞ」
俺もそれほど詳しくはないが、その手のツアーの案内を見るのは好きなんだ。
一番人気が高い航路というヤツはだな…。
かつての地球の七つの海を旅してゆくのを思わせる航路。
それを行く船が人気だという。地球を一周する船旅の中でも、一番人気でツアーも多い。
「昔の地球って…。それに乗りたい…!」
地球はすっかり変わっちゃったけど、前と同じじゃないけれど…。
少しでも前と似てるのがいいよ、前のぼくたちが生きてた頃には昔と変わっていなかったもの。
生き物が住めない星だっただけで、地形は昔のままだったもの…。
どんなに情報がぼかされていたって、前のぼくたちが騙されてたって、地球は本物。
あの頃のぼくが地球まで行けていたなら、そういう地形があったんだもの。
「だろうな、お前ならそう言うだろうと俺にも予想がついた」
前のお前が見たかった地球に、少しでも近いのがいいんだろうと。
ついでに、一番人気の航路。…俺の夢でもあるんだ、これが。
キャプテン・ハーレイだった俺の記憶が戻って以来の夢だな、船に乗って地球を一周するのは。
地球の海を隈なく見て回りたいんだ、俺のこの目で。
前の俺は赤茶けちまった地球しか見られずに死んじまったし…。
青い地球なんぞは何処にも無くって、おまけに地球を周ってもいない。シャングリラを降りて、そのまま地球で死んでるからなあ、一周している暇は無かった。降りたってだけだ。
だから今度は見てみたいわけだ、本物の地球はどんな具合か。
シャングリラじゃなくて、海を渡っていく船で。
地球は丸いと分かる海をだ、船で行くのが最高だってな。地球を一周してみるのなら。
断然、船の方がいいんだ、とハーレイは新聞の記事を書いていた記者と同じことを言った。
一周するなら船に限ると、その方が地球の広さが分かると。
「それにだ、宇宙じゃないってトコがいいんだ、海は海でも本物の海だ」
前の俺は船乗りでキャプテンだったが、乗っていた船は宇宙船だし、星の海しか旅していない。
本物の海はシャングリラで上から眺めただけでだ、一度も旅しちゃいないんだから。
「そうだね、前のぼくだって同じ…」
シャングリラの外へは出ていたけれども、アルテメシアの海も見たけど…。
船に乗ってたことなんか無いし、前のぼくが船で旅をしたのも星の海だけだよ。
なんだか凄いね、今度は本物の海の上を船で行けるだなんて。…それも地球の海で。
「まったくだ。海の上だと星も綺麗だぞ、そいつは今の俺が保証する」
宇宙に来たかと思うくらいだ、もう満天の星空だってな。
夜に船で海の真ん中に出たら、空から星が降って来そうなほどに。
「…ホント?」
星が落ちて来そうなくらいに凄いの、夜の海から空を見上げたら?
ぼくは夜には乗ってないから…。船は昼間しか乗ったことが無いから、見たことないよ。
「俺は親父と何度も乗っているしな、夜釣りってヤツで」
釣りをする時には魚を呼ぶために明かりを点けるが、それまでは暗い海の上だ。
町の明かりが届かないからな、その分、星が綺麗に見える。
家が少ない所に行ったら天の川が見えるのと同じ理屈だ、海の上だともっと凄いがな。
本当に宇宙を見ているようだぞ、星が瞬きさえしなければ。
前の俺たちが旅した宇宙を見上げながらの船の旅だ、と聞いたら余計に行きたくなる旅。
昼の間は青い海を見て、夜になったら船の上に星の海までが見えるというから。
「…行きたいな…」
地球を一周する船の旅に行ってみたいな、ハーレイと一緒に。
昔の地球の海に近い所を通る航路で、地球をぐるりと回ってみたいな…。
「俺も同じだと言っただろうが。俺の夢だと」
上手く休みを取るとするかな、いつかお前と結婚したら。
新婚旅行で行くのは無理だが、その内にきっと休みを取ろう。余裕を持って三ヶ月ほど。
それだけあったら充分行けるぞ、俺たちが行きたい地球を一周しようって旅に。
「いつか行こうね、約束だよ。引退よりも前に、お休みを取って」
そうだ、地球儀と航海図も持って船に乗らない?
昔の地球のヤツでいいでしょ、ハーレイがキャプテンじゃないんだから。
今はこの辺りを通ってるのかな、って眺めたらきっと素敵だよ。
二ヶ月以上も船に乗るなら、そういうのも持って行きたいな。家にいる気分になれそうだし。
「おっ、いいな!」
俺たちの家の一部と一緒に旅をするわけか、そいつはのんびり出来そうだ。
此処も俺たちの部屋に違いない、と落ち着けそうだぞ、地球儀と航海図を飾っておいたら。
「そうでしょ?」
落ち着けるし、それに役にも立つし…。
昔の地球の地形のヤツなら、昔の地球の海を旅してる気分。
本当はすっかり変わっていたって、気分だけでも、前のぼくたちの頃の地球なんだ、って…。
前の自分たちが生きていた頃の地球を写した地球儀とレトロな航海図。
それをお供に、いつか二人で地球の海の上を旅してゆこう。
前の自分たちが目指した地球。
其処へ二人で来られたのだから、地球をゆっくり眺めてみよう。
こんなに広いと、まだまだ海が続いてゆくと。
ハーレイと二人で本物の海を、本物の地球の広さを知ろう。
いつか、そういう旅をする。
青い地球の海を船でぐるりと、シャングリラで宇宙から周るよりも遥かに長い船での旅を…。
船でゆく地球・了
※ブルーが行きたいと思った、船で青い地球を一周する旅。ハーレイの夢も同じだったのです。
いつかハーレイが休暇を取って、二人で船旅。レトロな地球儀と航海図を眺めながら…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
観光の秋、行楽の秋。とはいえ、今日は会長さんの家でのんびり、土曜日の過ごし方の定番です。紅葉見物にはまだ早いですし、行きたいスポットも現時点ではありません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作るお菓子と美味しい食事が一番とばかり、朝から居座っているのですけど。
「こんにちはーっ!」
誰だ、と一斉に声が聞こえた方へと視線を向ければ、リビングに見慣れた人物が。言わずと知れた会長さんのそっくりさんで、紫のマントじゃなくって私服で。
「なんだ、君たちは出掛けてないんだ?」
秋はお出掛けにピッタリなのに、と近付いて来たソルジャー、ソファにストンと腰掛けると。
「ぶるぅ、ぼくにもおやつはある?」
「ちょっと待ってね、すぐ用意するねーっ!」
パタパタと駆けて行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はパン・デピス風だとかいうケーキをお皿に乗っけて来ました。シナモンたっぷり、蜂蜜たっぷり、それにナッツも。どっしりとしたケーキです。それにソルジャーの好きな紅茶も。
「はい、どうぞ! 今日のケーキはスパイシーだよ!」
「ありがとう。ちょうど刺激的なものが食べたくってさ…」
うん、美味しい! と頬張るソルジャー。刺激的なものが食べたかったなら、お昼時に来れば良かったのに…。タンドリー風スパイシーチキンにホウレン草カレー、ナンも食べ放題だったんです。けれどソルジャーはと言えば。
「えっ、お昼? そっちはノルディと食べて来たしね?」
今日も豪華なフルコース、と御満悦。それじゃ刺激的だというのは…。
「決まってるじゃないか、デートコースの中身の方で!」
「退場!」
会長さんがレッドカードを突き付けました。イエローカードをすっ飛ばして。
「なんだい、これは?」
「出て行ってくれ、と言ってるんだよ!」
どうせこの先はレッドカードだ、と会長さんが素っ気なく。
「ぶるぅ、ケーキの残りを包んであげて! お客様のお帰りだから!」
「かみお~ん♪ それじゃ、ぶるぅたちにお土産もだね!」
「そうだね、しっかり箱に詰めてあげてよ」
そして帰って貰おうじゃないか、という指示で「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンへ走ろうとしたのですけれど…。
「ちょっと待った!」
誰が帰るか、とソルジャーが紅茶をコクリと一口。
「ケーキのお土産は嬉しいけどねえ、イエローカードもレッドカードも出されるようなことはしていないから!」
「これからするだろ、デートコースの中身とやらで!」
よくもノルディとデートなんぞを、と会長さんはレッドカードでテーブルをピタピタ。
「ノルディの魂胆は分かってるくせに、君ときたら…。おまけに刺激的だって?」
「そうだけど? 今日のデートは実に楽しくて面白かったよ」
「さっさと帰る! もう喋らずに!」
刺激的なデートの話なんかは聞きたくもない、という点は私たちにしても同じでした。どうせロクでもない内容で、意味が不明に決まっています。そういったことをやらかしたのか、単に会話をしただけなのかは謎ですが…。
「えっ、デートだよ? そりゃあ、もちろん話もしたけど…」
「いいから、出て行く! ケーキのお土産が足りないんだったら追加するから!」
一人一切れの所を二切れ、と会長さんが言ったのですけど。
「…君たちは何か勘違いってヤツをしてないかい?」
ぼくが行ったのは植物園だよ、と予想外の行き先が飛び出しました。植物園って……あのぅ、温室とかがある植物園? 花が一杯の、花壇だらけの…。
「そうだけど? ノルディと二人で植物園をゆっくり散歩!」
そろそろ秋薔薇の季節だってね、とソルジャーは笑顔。えっと、本気で植物園ですか?
「植物園だよ、アルテメシアの。ノルディに聞いたけど、桜の季節は穴場だってね?」
色々な種類の桜が一杯、なのに見物客が少なめ、と語られる植物園情報。なんだって植物園なんかでデートをしていたのやら…。
「あっ、それはね…。ノルディが薀蓄を披露したくなったみたいでさ!」
「もういいから!」
その薀蓄がヤバそうだから、と会長さんが止めに入ったのに。
「いいんだってば、あの植物園では無理だから! それっぽい場所が全く無いから!」
「「「は?」」」
「なんかね、お城なんかの大きな庭だと植え込みで作った迷路とかが沢山あるんだってねえ!」
そういう所がデートスポットらしいのだ、という話ですが。それがエロドクターから聞いた薀蓄なんですか?
「もちろんさ! ノルディは実に知識が豊かだよねえ、まさにインテリ!」
ぼくの世界のノルディじゃああいうわけにはいきやしない、とソルジャーは残念そうな顔。同じノルディでああも違うかと、ぼくの世界のノルディの方は仕事の鬼で面白くないと。
「そっちの方が理想的だから!」
遊び好きな医者は最低だから、と会長さんが文句をつけていますが、エロドクターの場合は腕だけは確か。ゆえに病院は繁盛していて、リッチに暮らしているわけで…。
「遊び好きなノルディ、ぼくは大いに歓迎だけどね? それでさ、迷路の話だけどさ…」
「デートスポットなんだろう! もうその先は言わなくていい!」
「君は知ってるみたいだけれどさ、他の面子はどうなのかな?」
知っていた? と訊かれて、首を左右に。お城の庭のデートスポットなんかは知りません。マツカ君なら他の国のお城が別荘なだけに、知っているかもしれませんが…。
「マツカのお城は…。どうなんだろう? 大勢の人が集まるお城の定番らしいしね?」
いわゆる宮殿、という台詞にマツカ君が。
「…そのレベルのお城は流石に無いですよ。ぼくの家のはごく普通ですし」
「ああ、そう? それじゃ迷路も無かったりする?」
「一応、無いこともないですが…。デートスポットではないですね」
そもそも公開していませんから、と真っ当な意見。プライベートな空間だったらデートスポットにはならないでしょう。観光地の類じゃないんだから、と納得していれば。
「違うよ、観光客じゃなくって、お城に住んでる人とかのためのデートスポット!」
ちょっと迷路の奥とかに入れば大きなベンチなんかがあって…、と説明が。
「そこで語り合って、ムードが高まればその場で一発!」
「退場!!」
レッドカードが炸裂したのに、ソルジャーの喋りは止まらなくって。
「本来、そういう場所らしいんだよ、迷路とか、それっぽい植え込みだとか! だからカップルがそこに入って行ったら、もう暗黙の了解で!」
他の人は入るのを遠慮するのだ、とエロドクター仕込みの薀蓄が。なるほど、そういう話をしたくて植物園でデートをしてた、と…。
「そうなんだよ! あそこの庭は広いからねえ、こういう所に植え込みがあれば、とか、迷路があれば、とノルディが色々語ってくれてね…」
有意義なデートだったのだ、と満ち足りた表情ですけれど。刺激的な話がどうとか言ってましたし、シャングリラに迷路を導入するとか…?
「違うよ、刺激的だった方はオマケなんだよ」
植物園デートの単なるオマケ、と意外な言葉が。それじゃシャングリラに迷路を作るとか、エロドクターと迷路でデートごっこをしていたわけではないんですね?
「うん。せっかくの植物園デートだからねえ、あれこれ見なくちゃ損じゃないか」
「それで?」
お気に召すものでもあったのかい、と会長さんはまだ警戒を解いていません。レッドカードをいつでも出せるように構えていますが、ソルジャーは。
「ちょっとね、面白いものを見たものだから…。なんて言ったかな、ハエ取り草?」
「「「ハエ取り草?」」」
「それからモウセンゴケだっけ? ウツボカズラは凄かったねえ…!」
どれも餌やり体験をさせて貰ったのだ、と誇らしげなソルジャー。
「普通は餌やり、やらせて貰えないらしいんだけど…。そこはノルディの顔ってことで!」
ハエとかを食べさせて遊んで来た、と楽しそう。ということは、ハエ取り草だのモウセンゴケだのって、やっぱり食虫植物ですか?
「そうだよ、ぼくも実物を見たのは初めてでさ…! まさか植物が餌を食べるなんて!」
最高に刺激的な見世物だった、とソルジャーは食虫植物の餌やりを満喫して来たらしく。
「あんなのを楽しく見て来た後はさ、食べ物も刺激的なのがいいよね!」
「なんだ、そういうことだったのか…」
レッドカードを出すタイミングを間違えた、と会長さんが深い溜息。
「あんまり早くに出し過ぎちゃって、肝心の所で外しちゃった、と…」
「らしいね、慌てる乞食は貰いが少ないって言うんだろ? こっちの世界じゃ」
フライングすると失敗するのもお約束、とソルジャーはケーキをパクパクと。
「というわけでさ、ぼくは退場しなくていいから、ケーキのおかわり!」
「オッケー!」
どんどん食べてね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーのお皿におかわりを。このケーキ、けっこうお腹にたまるような気がするんですけど…。おかわりまでして平気かな?
「平気、平気! 甘いお菓子は別腹だから!」
このケーキだってホールでいける、と言われてビックリ、ソルジャーの胃袋。あちらの世界の「ぶるぅ」の胃袋が底抜けなことは知ってましたが、ソルジャーも負けていませんでしたか…。フルコースを食べて来た上にケーキも二切れ、まだまだ居座りそうですねえ?
植物園で見た食虫植物が最高だった、と喜ぶソルジャーは、エロドクターが薀蓄を披露したかった迷路だか植え込みだかのデートスポットはどうでも良かったみたいです。エロドクターも御愁傷様、と思っていたら。
「それでね、ぼくは考えたんだよ」
ケーキのおかわりを頬張りながら、ソルジャーの瞳がキラキラと。
「…何を?」
会長さんがレッドカードを持って身構え、ソルジャーは。
「食虫植物は餌をおびき寄せるのに色々と工夫をするって聞いてさ…」
「するだろうねえ、でないと飢えてしまうしね?」
「そういうアイテム、こっちの世界じゃ色々と売られているみたいだよね」
「「「は?」」」
食虫植物が売られているなら分かりますけど、アイテムって…なに?
「アイテムだよ! 美味しそうな匂いとかで獲物を引き寄せて、逃げないようにガッチリ捕獲!」
「…そんな物は売られていないと思うが」
食虫植物の方ならともかく、とキース君が言うと。
「ああ、君の家には無いかもねえ! お坊さんやお寺は生き物を殺しては駄目だと聞くし」
「あんたにしてはよく知ってるな?」
「君に何度も聞かされたからね、戒律がどうとかこうとかって」
「生き物を殺さないのは基本だな。あれは殺生戒と言って、だ」
時ならぬ法話が始まりそうだったのを、ソルジャーが「そこまででいいよ」と遮って。
「とにかく、君の家にはそういう決まりがあるっていうから、アレも無いかも…」
「アレではサッパリ分からんのだが?」
「ほら、アレだってば、えーっと…。なんていう名前だったかなあ…」
思い出せない、とソルジャーは何度か頭を振ると。
「アレだよ、粘着シートだよ! こう、ゴキブリだとかネズミだとかを退治するための!」
「「「あー…」」」
アレか、と一気に理解しました。会長さんの家では見かけませんけど、いわゆるゴキブリホイホイとかです。組み立ててから餌をセットし、粘着シートで有害動物をくっつけて捕獲、ゴミ箱へポイと捨てるアレ…。
「分かってくれた? アレをね、使えないかとね…」
食虫植物で閃いたんだ、と言ってますけど、ゴキブリホイホイで何をすると…?
ソルジャーの閃きとやらはサッパリ分からず、ゴキブリホイホイ以上の謎。食虫植物からどう繋がるのだ、と悩んでいれば。
「餌だよ、餌! それでフラフラとおびき寄せられて、そのまま捕まっちゃう所!」
これを使って遊ぼうじゃないか、と妙な発言。ゴキブリだかネズミだかを捕りたいんですか?
「遊ぶも何も、ぼくの家にはそういったモノはいないから!」
ゴキブリもネズミも住み着いていない、と会長さんが床をビシィッ! と指して。
「君がおやつを食べ散らかしても、ぶるぅがきちんと掃除するから! ゴキブリもネズミも出てこないから!」
「それはそうかもしれないけれど…。ゴキブリを捕るとは言っていないよ?」
ネズミでもないし、とソルジャーはニヤリ。
「もっと大きくて凄いものだよ、ぼくが捕ろうと思っているのは」
「ドブネズミだって出ないから!」
会長さんが怒鳴って、キース君が。
「ドブネズミは流石にアレでは捕れんぞ、ドブネズミを捕るなら罠が要るな」
「ふうん…。殺生は駄目だと言ってる割には詳しくないかい?」
君の家でも捕るのかな、とソルジャーに訊かれたキース君は苦悶の表情で。
「俺の家にはドブネズミは出ないが、住職がいなくて普段は閉めてあるような寺なら出るんだ! そしてそういうケースはやむなく…」
「捕獲するのかい?」
「業者に頼むか、檀家さんが有志を募ってやるんだがな」
それであんたは何を捕るんだ、という質問。
「くどいようだが、俺の家にもドブネズミは出ない。その手のヤツを捕りたいと言うなら、ドブネズミ対策で難儀をしている寺をいくらでも紹介するが」
「それが、ドブネズミでもないんだな」
もっと大きくて素敵なものだ、とソルジャーは壁の方へと人差し指を。
「あの辺りに居る筈なんだけど…」
「ぼくの家にはネズミはいないと言ってるだろう!」
アライグマも住み着いてはいない、と会長さん。そういえばアライグマも害獣でしたか、屋根裏とかに住むんでしたっけ。後はイタチとか、そういったモノ。でも、どれも…。会長さんの家の壁の中なんかに住んでいるとは思えませんが…?
「分かってないねえ、壁の中ではなくって、向こう!」
壁の向こうだ、と言われた会長さんはキッと柳眉を吊り上げて。
「何もいないってば、この家にはペットも住んでないしね!」
「…ある意味、ペットに似ていないこともないけれど? 君のお気に入りの」
「どんなペットさ!」
ぼくはペットを飼ったこともない、と会長さん。けれど、ソルジャーは「そうかなあ?」と。
「いつも楽しそうに遊んでいると思ったけどねえ、アレと一緒に」
「アレって言われても分からないよ!」
「あの方角に住んでるアレのことだけど? …アレはアレだよ」
デカくてチョコレート色をしているのだ、という発言に嫌な予感が。さっきソルジャーが示した方角、教頭先生の家がある方では…?
「ピンポーン!」
それで正解、と明るい声が。まさかホントに教頭先生のことなんですか、アレとやらは?
「他に何があると? ブルーもお気に入りのペットで、デカくてチョコレート色をしたモノ!」
アレを捕ろう、とソルジャーは膝を乗り出しました。
「巨大ゴキブリホイホイと言うか、ハーレイホイホイと言うべきか…。餌を仕掛けて、おびき寄せてさ…。粘着シートで捕まえるんだよ!」
「ちょ、ちょっと…!」
あんなモノを捕ってどうするのだ、という会長さんの問いに、ソルジャーは。
「もちろん、食虫植物だってば! 食べるんだよ!」
「「「ええっ!?」」」
食べるって…。それはソルジャーが教頭先生を美味しく食べるという意味ですか?
「それ以外にどういう食べ方があると言うんだい? ハーレイを捕ったら、食べるのみだよ!」
「無理だから!」
君が食べたくても相手はヘタレ、と会長さんが反論を。
「ハーレイホイホイで捕まえたってね、ヘタレなんかは直らないから!」
「さあねえ、その辺はぼくにも謎で…。でもねえ、捕るのが面白いような気がしないかい?」
餌におびき寄せられてフラフラと…、と指を一本立てるソルジャー。
「そのままベッドにダイブしたなら、粘着シートっていうオチなんだけど!」
真っ裸なハーレイが粘着シートならぬ粘着ベッドにベッタリくっつく! という恐ろしいアイデアが飛び出しました。本気で教頭先生ホイホイ…?
「素っ裸で粘着シートにベッタリかあ…」
しかもベッドか、と会長さんが顎に手を当て、ソルジャーが。
「ベッタリくっついているわけだしね? ハーレイからは何も出来ない所がミソかな」
ぼくが食べようが、君があれこれ悪戯しようが…、と酷い台詞が。
「ほら、ぼくたちはサイオンで粘着シートを避けられるしね?」
「なるほどね! だったら、ぼくたちが餌になってもいいわけか…」
「そう、そこなんだよ、ぼくの狙いは!」
ベッドの上で餌になるのだ、とソルジャーは我が意を得たりという表情。
「ベッドまで来るように餌は撒くけど、最終的には本物の餌がベッドの上に! これでベッドにダイブしなけりゃ、どうすると!」
「…ダイブするだろうね、ハーレイならね」
「そしてベッタリくっつくんだよ! もう全身で!」
くっついたら最後、もう取れないのだ、と強烈すぎる教頭先生ホイホイとやら。ソルジャーが言うには、好みの部分に悪戯出来るよう、粘着液はデローンと伸びる仕様だそうですが…。
「ほら、水飴って言ったっけ? あんな感じで」
でも、くっついた獲物は逃さない! とソルジャーがブチ上げ、会長さんも。
「それはいいねえ、君の世界にそういうヤツがあるのかい?」
「あるねえ、ハーレイホイホイを作るんだったら持ってくるよ、アレ!」
ぼくのシャングリラの倉庫にたっぷりあるから、と頼もしいんだか、酷すぎるんだか分からない提案がソルジャーの口から。
「いい話だねえ…。わざわざ買ったり工夫したりって手間が要らないのは」
「そう思うだろ? 作ったらいいと思うんだけどね、ハーレイホイホイ!」
しかして、その実態は食虫植物! とグッと拳を握るソルジャー。
「ゴキブリホイホイとかに捕まったら、後は駆除されるだけなんだけど…。ハーレイホイホイは食べられる方で、運が良ければ天国に行ける仕組みなんだよ!」
死ぬ方じゃない天国だから、と注釈が。
「ぼくに食べられて見事に昇天、男冥利に尽きるってね!」
「…そうでなければヘタレで鼻血で失神なんだ?」
「君が思う存分、悪戯するのもアリなんだけどね!」
素っ裸な上に動けないから何をするのも自由なのだ、とソルジャーに煽られた会長さんは大いに心を揺さぶられた様子。教頭先生ホイホイなアイデア、どうなるんでしょう?
「その話、乗った!」
会長さんが叫ぶまでには五分とかかりませんでした。ハーレイホイホイ、もしくは教頭先生ホイホイなるもの、ソルジャーの世界の接着剤の力を借りて作られるそうで。
「…ゴールは粘着ベッドなんだね?」
それはこの家ではやりたくないな、と会長さん。
「面白いけど、ぼくの家のベッドの一つをハーレイなんかに提供したくはないからねえ…」
「えっ、でも…。クリスマスパーティーの時には泊まってないかい?」
ゲストルームに、とソルジャーが返すと、会長さんは。
「普通のゲストと、エロい目的でやって来るモノとは違うんだよ! だからベッドが問題で…」
何処かのホテルの部屋でも借りようかな、という呟きに、ソルジャーが。
「ぼくとしては、君の家を使うつもりでいたんだけれど…。ハーレイの家でもいいんじゃないかな、出掛けてる間に細工をすればね」
「そうか、ハーレイの家があったっけ!」
無駄にデカイ家と無駄に広いベッド、と会長さんがポンと手を打って。
「ハーレイのベッドも充分デカイし、あれなら迷惑を蒙るわけでもないからねえ…」
「ついでに、そのまま放置したって平気だよ、うん」
家の住人はハーレイだから、とソルジャーも大きく頷きました。
「君の家だと遊んだ後には剥がさなくっちゃいけないけどねえ、ハーレイの家なら放置もオッケーということになるし、よりゴージャスに!」
「遊べそうだねえ、思いっ切りね!」
あの家をハーレイホイホイにしよう、と結託してしまった悪人が二人。そうと決まればガンガン出て来るハーレイホイホイを巡るアイデア、ああだこうだと盛り上がった末に。
「うん、ノルディとのデートは実に有意義だったよ、食虫植物!」
「植物園デートのついでだろ、それ?」
「ノルディはそういう気なんだろうけど、ぼくの魂はアレに魅入られちゃったんだよ!」
素敵な餌やりタイムに乾杯! とソルジャーは自分に酔っ払っています。
「しっかり観察させて貰った甲斐があったよ、ハーレイホイホイを作れるなんてね!」
「ぼくの方こそ、いい思い付きに混ぜて貰えそうで嬉しいねえ…。それで、明日なんだね?」
「そう、こういうのは思い立ったが吉日だからね!」
誘引用の餌もたっぷり用意しよう、とソルジャーが言えば、会長さんが「接着剤の方も頼むよ」と声を。教頭先生の家が丸ごとハーレイホイホイとやらに化ける日、明日らしいですよ?
翌日は青空が高く広がる日曜日。会長さんのマンションから近いバス停に集まり、歩き始めた私たちの足は非常に重たいものでした。
「…教頭先生ホイホイだよね?」
本気だよね、とジョミー君が嘆けば、キース君が。
「あいつらだけでやってくれればいいものを…。なんで俺たちまで呼ばれるんだ!」
「ギャラリーだと言っていましたよ?」
いなければ張り合いが無いだとか…、とシロエ君。
「とりあえず、ぼくたちにお役目はついていないというのが救いですよ」
「そうなんだけれど…。相手は教頭先生ホイホイなのよ?」
どうせいつものモザイクコースよ、とスウェナちゃんが溜息をついて、私もフウと。教頭先生が真っ裸でベッドにダイブとなったら、スウェナちゃんと私はモザイクの世界。男の子たちはモザイクなんかは要らないでしょうが…。
「モザイク無しっていうのもキツイぜ、俺に言わせればよ」
パンツくらいは履いてて欲しいと思っちまうな、とサム君は言っていますけど。
「サム…。教頭先生のパンツ、アレだよ?」
例の紅白、とジョミー君が指摘し、サム君は青空を仰ぎました。
「あちゃー…。そうか、どう転んだって変な方にしかいかねえんだよな、こういうのはよ」
「そういうことだ。諦めるしかないんだが…」
だがキツイ、とキース君。
「そして、あいつら。とっくに準備を始めてやがるといった所か?」
「どうなんでしょう? まだ早いですし、これからなのかも…」
出来れば済んでて欲しいんですが、とシロエ君がぼやいて、マツカ君も。
「終わった後だと思いたいですね…」
なにしろアイデアがアレですから…、と遠い目を。そうする間にも会長さんの家との距離はどんどん縮まり、マンションの前に着いてしまって、管理人さんにドアを開けて貰って…。
エレベーターで上った最上階。キース君が玄関の横のチャイムを鳴らすと。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
入って、入って! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。
「ブルーも来てるの、みんなが来るのを待ってるよ!」
「「「………」」」
教頭先生ホイホイの制作、終わっているのか、これからか。それがとっても気になります~!
飛び跳ねてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」の後ろに続いてリビングに行くと、会長さんと私服のソルジャーが待っていました。テーブルの上には封筒があって。
「やあ、おはよう。ブルーが色々持って来てくれてね」
「おはよう! 接着剤も持って来たけど、こっちを見てよ!」
ぼくと「ぶるぅ」のコラボなんだ、と封筒の中から写真がズラズラ。ソルジャーが青の間で「ぶるぅ」に撮らせたのでしょう、紫のマントの正装を順に脱いでゆく写真。
「ハーレイを釣るにはコレだと言っておいたよね、昨日! 思った以上にいい出来で!」
この写真とコレとがセットなのだ、と取り出された矢印のマークが書かれた紙。矢印に従って歩いて行ったら、ソルジャーの写真が次々と服を脱いでゆく仕組み。
「そして終点がハーレイの寝室、其処に粘着ベッドなんだよ!」
接着剤の方は見えないようにサイオニック・ドリームで誤魔化すのだ、と悪辣すぎるソルジャーのアイデア。ダイブしたならベッタリくっつく仕掛けなのに…。
「ぼくもぶるぅと一緒に用意しておいたよ、ベッドの天蓋!」
ムードたっぷりに演出しなきゃね、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がインテリアショップで時間外に調達して来たものは天蓋だとか。青の間のベッドにもありますけれども、あれよりももっとロマンティックにレースたっぷりに出来ているそうで。
「こんな感じに準備は出来たし、後はハーレイを追い出すだけだね」
ハーレイホイホイを作ってる間は立ち入り禁止、と会長さんが宣言すると、ソルジャーが。
「買い出しにでも行かせておけばいいのかな?」
「そんなトコだね、近所の店でいいと思うよ。でなきゃ本屋とか」
「ああ、本屋! そっちの方が時間の調整が便利そうだね」
キリのいいトコで本と意識を切り離してやれば戻って来るし、と頷くソルジャー。
「それじゃ本屋に行かせておくよ。えーっと…」
ハーレイの意識をチョイと弄って…、と独り言が聞こえ、間もなく「よし!」と。
「丁度ハーレイも本屋に行きたい気分だったらしくて、出掛ける用意は整ってたから…。ぼくが思念で合図するまで、立ち読みコースにしておいたよ」
「なるほど、出掛けたみたいだね。…それなら、そろそろ…」
「ぼくたちの方も出掛けなくっちゃね!」
ハーレイホイホイを作りに行こう! とソルジャーが拳を高く突き上げ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も高らかに。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
パアアッと迸る青いサイオン。私たちは逃げる暇さえ与えられずに、瞬間移動で教頭先生のお宅に向かって出発です~!
ドサリと放り出されるように着地した教頭先生の家のリビング。会長さんとソルジャーは早速、仕事に取り掛かりました。まずは写真と矢印から。
「玄関を入って直ぐに目に付く所となると…。この辺りかな?」
「ダメダメ、君はハーレイの身長の高さを分かっていない。此処だよ、此処!」
この高さ! とソルジャーが一枚目の写真を壁にペタリと。まだソルジャーの衣装を脱いではいなくて、補聴器だけを外して両手で持っている写真。
「ハーレイがどの辺を見るかも分かっていないだなんて…。君のハーレイへの愛はまだまだ足りていないね、もっと愛してあげないと!」
「そんな気があったら、ぼくはこの企画に乗ってないけど?」
ハーレイホイホイを作るだなんて、と会長さん。
「君はハーレイを食べる気満々かもしれないけどねえ、ぼくは悪戯する方だから!」
「ハーレイもホントに報われないねえ…。まあ、言い出しっぺはぼくなんだけど」
ついでに誘うのもぼくなんだけど、とソルジャーは写真の真下に矢印をペタリ。
「でもって、次の写真がこの辺り、とね」
マントの襟元を外した写真が壁に貼られて、ついでに矢印。そんな調子で写真と矢印がセットで貼られて玄関先から階段へ誘導、二階に上がれば寝室の方へとまっしぐらで。
「うん、いいねえ…! 我ながら惚れ惚れするストリップだよ」
「ぼくはこんなのは御免蒙るけどねえ…」
こんな写真は撮りたくもない、と会長さんがそっぽを向いていますが、ソルジャーは。
「ぼくは好きだな、こういうのもね! ぶるぅも覗きが大好きだからさ、カメラマンとしては最高なんだよ」
どんな恥ずかしい写真でも撮ってくれるし、と寝室の扉に貼られた写真は全裸のソルジャー。辛うじて腰の辺りにマントの端っこが纏わりついているといった感じで。
「これを見てグッと来なけりゃ男じゃないね! 絶対、扉を開けたくなるって!」
「だろうね、マント無しバージョンの写真を拝みに」
でも寝室の中に入ると…、と会長さんが扉を開けて寝室へと。明かりを点けて部屋をグルリと見回し、チッと舌打ち。
「相変わらずの部屋だね、妄想まみれの…。ぼくの抱き枕まで転がってるし!」
「あの抱き枕も長持ちだねえ…。流石はサイオン・コーティングだよ」
でも本日はコレに用事は無し、とソルジャーがベッドからどけた会長さんの抱き枕。そういう代物もあったんだっけ、と意識を手放したくなる部屋ですよねえ…。
寝室での作業は天蓋をセットすることから始まりました。男の子たちも手伝わされて枠を組み立て、教頭先生の大きなベッドにジャストなサイズの天蓋が。レースひらひら、真っ白なもの。それを天蓋にくっついた紐で持ち上げ、ベッドの中が覗けるように。
「ブルー、入ってみてくれる? ぼくが外から確認するから」
会長さんに声を掛けられ、ソルジャーが「うん」とベッドの上に乗っかって。
「この辺りかな? 君も一緒に座る予定だし、こんな風?」
流石はソルジャー、自分の隣に会長さんの幻影を作り出しました。会長さんは二人分の人影を眺めて「もうちょっとかな…」などと天蓋の開き具合を調整して。
「よし、出来た! これで最後の仕上げだけってね」
「ハーレイホイホイにはコレが無くちゃね!」
任せといて、とソルジャーが宙から取り出したバケツ。それの中身をベッドの上へとバシャリとブチまけ、教頭先生の広いベッドは一瞬の内に粘着ベッドに早変わりで。
「「「…やっちゃった…」」」
どう見てもベタベタ、触ったら最後、私たちもベッドに捕まるのでしょう。ハエ取り草だのモウセンゴケだの、ウツボカズラだのに捕まってしまった虫みたいに。しかも…。
「はい、総仕上げ~!」
種も仕掛けもございません! とソルジャーが何処で聞いて来たやら、見事な口上。粘着ベッドの接着剤はパッと消え失せ、普通のベッドが目の前に。これってサイオニック・ドリームですよね、触ったらベタリと貼り付きますよね?
「その通り! 触っちゃ駄目だよ、ハーレイホイホイに別のがかかっちゃ意味が無いから!」
「別の物体がくっつくって結末、ぼくたちの世界じゃ王道だけどね」
他の虫ならまだしも靴下、と会長さんが笑って、ソルジャーが目を丸くして。
「靴下って…。なんで、そんなのがくっつくわけ?」
「そりゃね、ゴキブリホイホイを置く場所は床だから…。もちろん隅の方に置くけど、ウッカリしてると人間が足を突っ込んじゃってさ」
「それで靴下! 分かった、君たちも靴下にならないように!」
下がって、下がって! と言われなくても、距離を取りたい粘着ベッド。ギャラリーの居場所はこの部屋なんだ、とソルジャーに凄まれてしまいましたし、教頭先生ホイホイなんかの発動現場に居合わせるなら、出来るだけ離れていたいですってば…。
ギャラリーの役目は見物すること。教頭先生が気付いてヘタレてしまわないよう、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちの周りにシールドを張ってくれました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒です。教頭先生の目に入るものは会長さんとソルジャーだけで。
「もうハーレイを戻らせていいよね、本屋から」
「オッケー! ぼくたちは此処でポーズを取るとして…」
会長さんとソルジャーが粘着ベッドの上に上がり込み、お互いにチェックしながら服の襟元などを乱して「誘う」ポーズとやらを取る準備を。
私たちの前には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が中継画面を用意してくれ、間もなく教頭先生が玄関を入る姿が映し出されて。
「おおっ!?」
なんだ、と教頭先生の視線が玄関先の写真に釘付け。補聴器を取ったソルジャーです。
「この矢印は…。何の印だ?」
こっちへ行くのか、と進んだ先にはマントを外そうとするソルジャーの写真。「ほほう…」と見惚れて矢印に沿って更に進めばマントが無くなり、教頭先生はゴクリと唾を。
「矢印の通りに歩いて行ったら、ストリップが拝める仕組みなのか?」
これは美味しい、とウキウキ、ドキドキ、階段を上がって寝室の方へとズンズンと。寝室の扉にはマントで辛うじて腰が隠れるソルジャーの写真なわけですから…。
「これを開けたら裸なのだな!」
バアン! と勢いよく扉を開けた教頭先生だったのですが。
「な、なんだ!?」
ベッドの上に真っ白な天蓋、しかもその下に…。
「おかえり、ハーレイ」
「ぼくのストリップはお気に召したかな?」
ゴールは一応、此処なんだけど…、とベッドの上から手招くソルジャー。私服姿の襟元が開いて、白い胸元がチラリチラリと。隣には会長さんが並んで座っていて。
「ブルーが提案したんだよねえ、たまにはこういう誘いもいいよね、って。それでね…」
ぼくもその気になっちゃって、と思わせぶりな視線を投げ掛ける会長さんも襟元のボタンが外れて鎖骨がチラリ。教頭先生の喉仏がゴクンと上下して。
「で、では…。そのぅ、このベッドは…」
「素敵な時間を過ごすためにと、天蓋まで用意したんだけどね?」
脱いでくれるなら来てもいいよ? という会長さんの誘い文句に、教頭先生はガッツポーズで。
「うおおおーーーっ!!!」
パパパパパーッ! と擬音が聞こえそうな勢いで服を脱ぎ捨て、紅白縞のトランクスをも脱いでしまった教頭先生、マッハの速さでベッドへとダイブ。その勢いで会長さんとソルジャーを二人纏めて食べる気だったか、会長さんだけのつもりだったかは知りませんが…。
「「「ひいいっ!!」」」
やった、と私たちが上げた悲鳴はシールドに覆われて部屋には響かず、代わりにベチャーン! と間抜けな音が。教頭先生、粘着ベッドに頭からダイブ、大の字でへばりついておられて。
「ううううう~~~」
うつ伏せに貼り付いておられますから、言葉はくぐもって聞こえません。思念波を使うことさえ頭に無いらしく、ひたすらパニック、もがけばもがくほど貼り付くベッド。
「どうかな、ハーレイホイホイの味は?」
会長さんが教頭先生の背中をチョンチョンとつつけば、ソルジャーが。
「こういう時にはお尻だってば! せっかく剥き出しなんだからねえ、触ってなんぼ!」
いい手触り! と、ソルジャーの手が教頭先生のお尻を撫で回しています。
「うー! むむむ~~~!」
「あっ、感じちゃった? それじゃ早速、ぼくからサービス!」
この接着剤は伸びが良くって、とソルジャーは教頭先生をサイオンでゴロンと転がし、仰向けに。スウェナちゃんと私の視界にはモザイクが入りましたが、教頭先生の身体の前面は接着剤にベッタリ包まれていて…。
「ふふっ、大事な所も接着剤まみれになっちゃってるけど…。ご心配なく、ぼくは御奉仕のプロだから! この状態でもプロ魂で!」
天国にイカせてあげるから、とソルジャーが教頭先生の身体に被さり、会長さんの方は。
「ブルーが天国を目指すんだったら、ぼくは悪戯を極めようかな? まずは足の裏!」
笑いながら天国に行きたまえ、とコチョコチョ、コチョコチョ、くすぐるのですから、教頭先生はどうにもこうにもならない状態。
「むむむむむ~~~っ!」
笑ってるんだか、鼻血なんだか、歪んだ顔では分からない境地。そうこうする内、声がしなくなって、ソルジャーが。
「…昇天しちゃったみたいだねえ?」
「笑い死にだと思うけど?」
どっちにしたってハーレイホイホイの役目は果たした、と会長さん。
「この手のヤツはさ、駆除してなんぼのアイテムだしね?」
「うん。食虫植物も食べてなんぼで、虫を殺してなんぼなんだよ」
これで完璧! と手を打ち合わせるそっくりさんたちは、教頭先生を放置で帰る気らしいです。この接着剤、三日は取れないらしいんですけど、えっと、明日からの学校は? 教頭先生、無断欠勤な上にゼル先生とかに見付かっちゃったら…。
「…ヤバくないか?」
キース君が青ざめ、ジョミー君が。
「ヤバイってば!」
助けなくちゃ、と思いましたが、助けに行ったら私たちまで貼り付く結末。ゴキブリホイホイにくっついた靴下みたいな末路は避けたいですし…。
「そこの君たち! ハーレイは放っておいて帰るよ、そろそろお昼の時間だろう?」
ソルジャーの声に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ お昼御飯、みんな、何が食べたい?」
「「「………」」」
もういいか、と教頭先生をチラリ眺めて、お昼御飯のリクエスト。教頭先生、悪いですけど失礼させて頂きます。ハーレイホイホイからのご無事の脱出、心からお祈り申し上げます~!
捕まれば最後・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ソルジャーが食虫植物から思い付いたのが、ハーレイホイホイ。ゴキブリホイホイと同じ。
そして実行されてしまって、教頭先生、捕まってベッドにベッタリと。脱出不可能…?
これが2019年ラストの更新ですけど、「ぶるぅ」お誕生日記念創作もUPしています。
来年も続けられますように、どうぞよろしくお願いします。それでは皆様、良いお年を。
次回は 「第3月曜」 1月20日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、12月は、キース君が疫病仏だと評価されてしまって…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
今年もシャングリラに、クリスマスシーズンがやって来た。
シャングリラで恐れられる悪戯小僧、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一番暇になる季節。
(悪い子供には、サンタクロースがプレゼントの代わりに…)
鞭を持って来ると聞いているから、この時期だけは悪戯出来ない。生き甲斐のような悪戯だけど、それをやったら「おしまい」だから。プレゼントの代わりに、靴下の中に鞭が一本。
(やだよ、そんなの…!)
悪戯は我慢、とアルテメシアに降りてグルメ三昧、そういう日々を過ごしている。美味しいものを食べてさえいれば、悪戯のことは忘れられるし、お腹も舌も幸せになって…。
(うんと幸せ…!)
幸せだもんね、と思う一方、気にかかるものがプレゼント。サンタクロースに何を頼むか、そこが問題。
(欲しいものをカードに書いて、吊るしておいたら…)
サンタクロースが叶えてくれる、そういうツリーが公園にある。その名も「お願いツリー」。
この素敵な木ががシャングリラの公園に出現してから、既に何日か経つけれど…。
(…何を頼むか、決まってないよ…)
欲しいものなら、ブルーから貰ったお小遣いで買える。グルメ三昧やショップ調査に、船から外に出た時に。人類が出掛けるお店に入って、「これ、ちょうだい!」と、お金を払って。
なにしろ「子供が欲しがるもの」だし、お小遣いだけで充分、足りる。シャングリラで暮らす子供たちより、うんと恵まれているのだから…。
(欲しいもの、って言われても…)
急には思い付かないお蔭で、只今、絶賛「考え中」。グルメ三昧な毎日の中で。
(……困っちゃった……)
本当は、欲しい物なら「ある」。
けれども、それは片っ端から却下されたし、この先だって…。
(…叶いっこないよ…)
無理なんだもん、と分かってもいる。
大好きなブルーが焦がれ続ける、水の星、地球。
サンタクロースは地球からやって来るのだけれども、その地球だけは「貰えないのだ」と。
(……そのお願いは無理なんだよ、って言われたり……)
直訴しようとサンタクロースを捕まえてみたり、クリスマスの度に頑張ってはみた。それなのに、一度も成功しないし、地球の座標だって手に入らない。座標さえあれば、地球に行けるのに。
(…地球の座標をセットして…)
ワープしたなら、シャングリラは地球に向かって飛び立つ。一瞬の内に空間を越えて、青い地球が見える場所に到着。そういう仕組みになっているのに、肝心の地球の座標というのが…。
(…地球は人類の聖地だから、座標なんかは最高機密で…)
何処を探しても、未だに見付からないらしい。
三百年も昔に、アルタミラとかいう場所を脱出してから、ブルーたちが、ずっと探しているのに。ありとあらゆる手段を試して、地球という星は何処にあるのか、と。
(…サンタさんに訊いたら、一発なのに…)
なんたって地球から来るんだもんね、と思うけれども、叶わないのが、その「お願い」。
今度こそは、と小さな頭をフルに使って、お願いツリーに吊るすカードを書いても、直訴する道を選んでみても、地球までの道は開かない。座標さえも手に入れられないまま。
ブルーたちの努力に負けないくらいに、頑張っていると思うのに。毎年、知恵を絞るのに。
(…ホントのホントに、困っちゃうよね…)
どうすれば座標が分かるんだろう、と今年も悩ませる頭。クリスマスは年に一回きりだし、お願い出来るチャンスも一年の内に一回だけ。
(あーあ……)
気分転換に悪戯したいよね、と身体がウズウズし始めた。こういう時には、悪戯が一番。
(だけど、悪戯しちゃったら…)
プレゼントの代わりに鞭が来るから、もう絶対に「やってはいけない」。
どんなに悪戯したくても。どんなに考えに詰まってしまって、気分転換が必要でも。
(…ピンチだってばぁ…!)
グルメなんかじゃ収まらないよ、と部屋から飛び出し、シャングリラの通路を跳ねてゆく。これがクリスマスの時期でなければ、悪戯を仕掛けて楽しむ場所を。普段だったら、うんと楽しく悪戯が出来る、ストレス発散にピッタリの船を。
『おい、来たぞ! しかもピョンピョン飛び跳ねていやがる』
『大丈夫だ。今の季節は何も起こらん』
『そうだった! うん、クリスマスの時期は安全だったな』
よし、と飛び交うクルーの思念。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の方をチラリと眺めて、自分たちの持ち場で仕事を続行。まるで全く警戒もせずに、悪戯小僧なんかは見なかったように。
(……つまんないよう……!)
怖がってさえも貰えないよ、と残念無念。いつもだったら、こうして跳ねていたならば…。
(みんなビクビクして縮み上がるか、御機嫌を取りに揉み手で、お菓子…)
そういう感じになるんだけどな、とガッカリ気分がこみ上げてくる。気分転換にやって来たのに、逆にストレスが溜まりそう。
(…アルテメシアに行こうかなあ…)
何か美味しいものを食べに、と思い始めた時、「こらぁ!」と罵声が轟いた。
「この先は悪戯禁止じゃ、小僧!」
船の心臓部になるんじゃからな、と物凄い形相でゼルが立っている。いつの間にやら、機関部まで来てしまったらしい。
「クリスマスの前は、悪戯、しないも~ん!」
「時期を問わずじゃ、馬鹿者めが! 船が沈むわい!」
絶対に手出しさせんからな、とゼルは頭から湯気を立てていた。「悪戯なんぞで、シャングリラを沈めるわけにはいかん」と、真剣に。「わしの目の黒い内は、何もさせんわい!」と。
「分かってるもん…!」
そのくらい、とプイと怒って、自分の部屋へとヒョイと瞬間移動した。いくら悪戯小僧とはいえ、機関部に悪戯を仕掛けはしない。エンジンにも、ワープドライブにも。
(クルーにだったら、うんと悪戯するけれど…)
機関部には何もしないもんね、と頬っぺたをプウッと膨らませた。
このシャングリラの命とも言える、エンジンなどが詰まった機関部。何か不具合が起きた場合は、船が沈みはしなくても…。
(人類軍に見付かっちゃって、攻撃されることだって…)
あるんだもんね、と首を竦めた。そんな事態を招きかねない悪戯なんかは、とんでもない、と。
(ぼくだって、ちゃんと分かってるのに…)
ゼルは石頭だから分かってないよ、と禿げた頭を思い出したら、磨きたくなった。磨いてやったらスカッとするのに、クリスマス前だから、それも出来ない。
(うわぁーん!)
叱られ損だよう、と泣きたい気持ち。機関部なんかに行ったばかりに、この始末。
(酷いよね…)
ゼルなんかワープで飛ばされちゃえ! と思った所で、ハタと気付いた。地球の座標さえあれば、シャングリラはワープ出来るのだけれど…。
(……この船、ワープしたことないよ?)
うんと昔は知らないけれど、と丸くなった目。歴史の勉強をさせられた時に、そう教わった。今はアルテメシアの雲海の中で、ミュウの子供を救出するために隠れている、と。
(…アルテメシアに来たのは、ずっと昔で…)
それっきり、シャングリラはワープしていない。ワープドライブは一度も使われていない。
(…こんなに大きな船になったら…)
ワープするのは大変だろう、と想像はつく。きっと大量のエネルギーが要るし、計算だって面倒になるに違いない。仕組みとしては、瞬間移動と「それほど変わらない」ようでも。
(…もっと小さい船だったら…)
救出作業が無い時期なんかに、気軽にワープ出来ると思う。適当な座標を入力して、ヒョイと。
(そうやって、あちこち飛んでけば…)
でたらめな座標を入れ続けていても、いつかは当たりが出たかもしれない。偶然、入力した座標。そこに転移したら、目の前に地球があった、とか。地球でなくても、ソル太陽系の中に出たとか。
(…ありそうだよね?)
三百年ほどもあったんだもの、と目をパチパチと瞬かせた。そうなってくると、小回りの利く船があったら、地球だって…。
(見付けられるかも…!)
これだ、と「お願い事」は決まった。
幸い、自分は「うんと暇」だし、悪戯の合間に、地球を探しに行けばいい。思い付くままに座標を入力して。うんと小さな船を貰えばそれが出来るし、船よりは、もっと素敵な乗り心地の…。
かくして「お願いツリー」に吊るされたカード。最初に発見したのはキャプテン・ハーレイ、彼は思い切り目を剥いた。「なんだ、これは!?」と。
「ソルジャー、とんでもないことになりました!」
ぶるぅが何か企んでいます、とハーレイが駆け込んだ青の間。ソルジャー・ブルーは冬の風物詩のコタツに入って、のんびり生姜湯を飲んでいた。
「どうしたんだい、ハーレイ? この時期、ぶるぅは悪戯をしない筈だけれど?」
「そ、それが…。これが、ヤツの今年のリクエストでして…!」
サンタクロースに、ぶっ飛んだものを注文しました、とハーレイが震える手で差し出したカード。そこには子供らしい字で、こう書いてあった。「ワープできる土鍋が欲しいです」と。
「……ワープが出来る土鍋だって?」
「は、はいっ! 恐らく、ワープ土鍋を使って、短距離ワープを繰り返して…」
このシャングリラを混乱のるつぼに陥れる気かと…、とハーレイの顔色は悪いけれども、ブルーはクスッと笑って答えた。
「それだと、今とどう違うんだい? ぶるぅは瞬間移動が出来るよ?」
「あ、ああ…。そういえば…。それなら、ワープ土鍋というのは、何でしょう?」
「さあ…? それはぼくにも分からないよ」
本人を呼んで訊いてみようか、とブルーは宙を見上げて声と思念で呼び掛けた。
「ぶるぅ?」
「はぁーい、呼んだ?」
おやつ、くれるの? と瞬間移動で飛んで来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」。なるほど、確かにワープ土鍋は、船の中では必要が無い。
「あのね、ぶるぅ…。サンタクロースへのお願いだけれど、ワープ土鍋で何をするんだい?」
ブルーの問いに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、得意そうにエヘンと胸を張った。
「地球を探すの! ぼくなら暇だし、いろんな座標を打ち込んでいれば、地球に行けるかも!」
船より土鍋の方がいいもん、と瞳をキラキラ輝かせる。乗り心地は最高に違いないから、どんなに飛んでも疲れないよ、と。
「……うーん……。ぶるぅ、気持ちは嬉しいんだけど…」
ワープ土鍋は危険すぎるよ、とブルーは首を左右に振った。運良く地球に行ける代わりに、運悪く人類軍の真っ只中に出ることもあるに違いない、と。
「……そっかぁ……。だけど、ぼく、ちゃんと逃げられるよ?」
それに攻撃されても平気、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自慢した。ブルーと同じでタイプ・ブルーだから、シールドも張れるし、問題ない、と。人類軍が大軍だろうと、逃げて来られる、と。
「それはそうかもしれないけれど…。逃げる時には、此処の座標を入れるだろう?」
「うん、そうだけど?」
「知ってるかい、ぶるぅ? ワープの航跡はトレース出来る」
転移先の座標は特定可能だ、とブルーは苦い顔をした。ワープ土鍋が何処へ飛ぼうと、人類軍なら追跡できる。直接、シャングリラに帰らなくても、追い掛けられたら終わりなのだ、と。
「いいかい、いつまでも逃げ続けることは出来ないだろう? その内に船に戻るしか…」
そうなった時は、このシャングリラが人類軍に見付かるんだよ、とブルーは言った。ワープ土鍋は便利そうでも、危険の方が大きいのだ、と。
「でも、ぼく、頑張って逃げるから…!」
「その内に力が尽きてしまうよ、船に戻らないと。…そうなれば、きっと土鍋ごと…」
撃ち落とされておしまいになってしまうから、とブルーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に悲しげな顔をしてみせた。「もしも、ぶるぅが帰らなかったら、ぼくは、どうしたらいいんだい?」と。地球の座標は欲しいけれども、そのせいで「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいなくなったら、とても辛い、と。
「え、えっと…。ワープ土鍋は、やめた方がいいの?」
「そうしてくれると嬉しいよ。それよりも、素敵な土鍋をサンタクロースに頼むのがいいね」
土鍋コレクションが増えていくのも楽しいだろう、というブルーの勧め。ハーレイも隣で頷いた。「ソルジャーに心配をかけるのも駄目だし、船を危険に晒すのも駄目だ」と。
「ぶるぅ、ソルジャーの仰る通りだ。ワープ土鍋は、やめておきなさい」
「はぁーい! 普通の土鍋を貰うことにするね!」
お願いカードを書き換えてくる! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は瞬間移動で消え去り、ハーレイが大きく息をつく。
「今年も、とんでもなかったですな…」
「ぶるぅも考えてくれているんだよ。ぼくのためにね」
地球を探しにワープだなんて健気じゃないか、とブルーは微笑む。それも土鍋でワープだなんて、ぶるぅらしくて可愛らしいよ、と。「今年も素敵なクリスマスを迎えられそうだ」と。
そして迎えたクリスマス・イブ。
今年もハーレイはサンタクロースの格好をして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋までプレゼントを届けに行った。大きな袋を肩に担いで、ついでに両手で特大の包みを抱え込んで。
「おっとっと…。この態勢はかなりキツイな、サイオンで補助してはいるんだが…」
明日は確実に筋肉痛だ、と抱えているのは特大の土鍋。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の注文の品だし、落として割ったら一大事。割れはしなくてもヒビが入るだけで、土鍋は台無しなのだから。
(ヒビが入ったら粥を炊けばいい、と何処かで聞いたような気もするが…)
それでも直ぐには炊けないからな、とハーレイが細心の注意を払って届けた土鍋。袋に入れて来たプレゼントの山も、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋にドッサリ置かれたから…。
「わぁーい、サンタさん、来てくれたんだぁーっ!」
悪戯を我慢してて良かったぁ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、クリスマスの朝に歓声を上げた。一番大きな包みの中には、きっと土鍋が、とワクワクと開けて…。
「すっごーい、こういう土鍋もいいよね!」
エキゾチックって言うんだっけ、と眺める土鍋は、それは見事な色とりどりの青。細かい模様が濃い青色やら薄い青色やらで描かれ、アラビアン・ナイトの絵本に出て来るお城のよう。
(…この中に、地球の色もありそう!)
青い星だもんね、と様々な青を見詰めていたら、ブルーからの思念が届いた。
『ぶるぅ、公園にケーキの用意が出来てるよ。お誕生日おめでとう、ぶるぅ!』
それに続いて、シャングリラ中の仲間たちからも…。
『『『ハッピーバースデー、ぶるぅ!!!』』』
ケーキと御馳走が待っているよ、と公園に集まった仲間たち。乾杯しようと、主役を待って。
「ありがとう! ワープ土鍋じゃないんだけれど、素敵な土鍋を貰ったから…」
それで公園に飛んで行くね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は早速、青い色の土鍋に乗り込んだ。蓋をサイオンできちんと閉めて、ブルーに思念で合図して…。
「ワープドライブ起動完了! 土鍋、発進!」
公園までワープ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は土鍋ごとパッと瞬間移動でワープした。
拍手喝采で出迎えられて、ハッピーバースデーの歌が始まり、乾杯、御馳走、それからケーキ。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、今年もお誕生日おめでとう!!!
青い土鍋でいつか地球まで、大好きなブルーと、青い地球まで行けますように…!
ワープしない船・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございました。
管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、早くも2年以上。
2007年11月末に出会ってから、干支が一周したというのに、寂しい限りです。
ぶるぅの思い出に、お誕生日だったクリスマスには「お誕生日記念創作」。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、13歳のお誕生日、おめでとう!
2007年のクリスマスがお誕生日で、満1歳だった、ぶるぅ。今年で13歳ですv
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)←過去のお誕生日創作は、こちらからv