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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(あ…!)
 積木、とブルーの目を引いた広告。新聞の記事の下に載せられた積木の写真。
 学校から帰って、おやつを食べながらチラリと眺めた新聞、写真に引かれて手に取った。子供の頃に遊んだ積木に似ていたから。色も形も、積木を入れる箱も。
(お子様の遊びに、教育用に…)
 サイオンの練習用にもどうぞ、と書かれた広告。積木で遊ぶ子供の写真と一緒に。
 今の時代は、積木と言ったらそういう玩具。積んだり崩したり、子供ならではの遊びもあれば、積み方を工夫して伸ばしてゆく知能。ここまでは前の自分が生きた時代と変わらないけれど、使い方が一つ加わった。サイオンを扱うための練習用。
 木で出来た積木はさほど重くないし、サイオンで軽く持ち上げられる。まずは浮かせることから始めて、次は動かす、その次は積む。思いのままに、手を使わずに。次は此処だと思った場所に。
 サイオンだけで積木のお城や家が作れたら一人前。
 大人だったら簡単なことで、積木も積めるし、箱にだって元の通りに入れられる。スイと積木が宙を飛んで行って、自分からストンと戻るかのように。最後の一個まで、次々に飛んで。



(ぼくもパパやママと…)
 小さかった頃に積木で遊んだ。箱から幾つも出した積木でお城や家を作っていた。
 せっせと手で積む自分の横から、サイオンで積んでくれた両親。「次は何処だ?」と父が積木を宙に浮かせて訊いてくれたり、母が「此処はどう?」とお城に屋根をつけてくれたり。
 フワリと浮き上がって積まれてゆく積木、両親の腕前に憧れた。手も触れないで積木を動かし、お城や家を作ってゆく。「もっと高く」と頼めば、高く聳える積木の塔も。
 それを見る度、自分だって、と夢見たサイオン。
 今は手でしか積めないけれども、その内にきっとあんな風に、と。積みたいと思った所に積木。手を使わないで箱から出しては、両親がやるようにサイオンで上へ持ち上げて。
 もっとも、積木遊びをやっていた頃、両親は既に期待していなかったらしいけれども。
 タイプ・ブルーに生まれた息子だけれども、サイオンで積木は積めないだろうと。



 前の自分が生きた時代と違って、タイプ・ブルーもそう珍しくはない時代。
 とはいえ、今でもタイプ・ブルーは最強のサイオンを扱えるもので、空を飛んだり、瞬間移動も自由自在にこなすのが普通。人間が全てミュウの今では、幼い頃から才能の欠片が光るもの。
 ところが、前とそっくり同じにタイプ・ブルーの自分ときたら…。
(思いっ切り不器用…)
 生まれて間もない赤ん坊でも、明確な意思にはなっていなくても思念波を紡ぎ出せるのに。
 お腹が空いたとか、もう眠いだとか、漠然とした感情を親に伝えることが出来るのに。
 最強の筈の今の自分は、それさえも出来なかったという。泣きじゃくるだけで、どうしたいのか伝えられない赤ん坊。
 お蔭で母は遥かな昔の時代の母親よろしく、手探りで面倒を見る羽目になった。とんちんかんなこともしていた、お腹が空いたと泣いているのに、あやすとか。眠りたいのにミルクだとか。
 そんな不器用な赤ん坊時代、これでは両親も期待はしない。タイプ・ブルーとは名前ばかりで、この子のサイオンは普通のレベルにも届きはしない、と。
 そうは言っても、可愛い一人息子だから。タイプ・ブルーには違いないから。
 あるいは劇的に進歩するかも、と思ってもいた、積木で遊びたい一心で。上手く積木を積み上げたくて、箱からヒョイと手も使わないで取り出したくて。



 積木遊びに付き合ってくれた両親、サイオンを使う見本もあれこれ見せてくれたのに。
 崩れ落ちそうになった積木のお城を守って、元のようにしっかり積み直したりしてくれたのに。
(…ぼくの積木は普通の積木…)
 両親が助けてくれなかったら、積木は浮いたりしなかった。スイと飛んで行って収まることも、積み上がることも一度も無かった。
 積木で遊ぶなら両手を使って箱から出して、積むのも自分の小さな両手。それが積木の遊び方。
 幼稚園でも積木で遊んだけれども、積木はやっぱり手で扱うもの。
 サイオンで自在に積める子供は、まだいなかった。浮かせることが出来る子供や、少しだけなら積める子供もいたのだけれども、本当にほんの少しだけ。真似事でしかなかったサイオン。
 年によっては早熟な子供が混じっていたりして、尊敬を集めるらしいけれども。
 たった一人で大人さながら、立派なお城をサイオンだけで積んでみせたりするらしいけれど。
(…ぼくも駄目だったし…)
 普通だったらタイプ・ブルーの子供は積木で才能を発揮するようだけども、駄目だった自分。
 そうでなくても、幼稚園児では思いのままには扱えないのが積木というオモチャ。
 人間が全てミュウになっている、今の時代でも。
 サイオンが当たり前の世界になっても、積木はまだまだ子供がサイオンを練習するための道具。木で出来た積木は軽いから。落っことして誰かに当たったとしても、怪我をしないから。



 懐かしく積木の写真を眺めて、不器用だったと聞く赤ん坊時代の自分に思いを馳せて。
 その頃に苦労をかけたらしい母、手のかかる自分を育ててくれた母に、空になったケーキのお皿などを渡して、「御馳走様」と部屋に帰って。
 勉強机の前に座って、また思い出したさっきの積木。サイオンの練習用にもどうぞ、と書かれていた積木の広告の写真。
(そういえば…)
 前の自分が生きていた頃。
 白いシャングリラで雲海の星に潜んでいた頃、積木のせいでミュウだと発覚してしまった子供も多かった。養父母や教師がそれと気付いて、ユニバーサルに通報されてしまった子供たち。
 前の自分や救助班が急行したのだけれども、救えなかった子供たちもいた。



(積木だったから…)
 他のサイオンの発動に比べて、分かりやすかった子供たちの能力。
 思念波ならば「気のせい」で済むし、心を読んでも「勘のいい子」で済むのだけれども、積木の場合はそうはいかない。ほんの僅かに動いただけなら分からなくても、浮き上がっていたら。宙を飛んで勝手に積み上がったり、箱に戻って行ったりしたら。
 誰が見たって有り得ない現象、サイオンを持たない人類という種族の社会の中では。サイオンが無い人間たちの中では、不気味でしかない宙を飛ぶ積木。
 最初の間は気味悪がって、まさか子供がやっているとは思わないのが人類だったけれど。
 何度もそれが度重なったら、その内に気付く。積木が宙を飛んでゆく時には誰がいるのか、宙を飛ぶ積木で無邪気に遊んで、それが普通だと思っている子は誰なのか。
 そうなれば分かる、この子は変だ、と。
 ミュウという言葉は伏せられていたし、その存在も隠されていた時代だけれども、怪しい子供が見付かったならばユニバーサルに通報していた時代。
 奇妙なことをする子供がいると、こんな子供を放っておいてもいいのだろうか、と。



 あまりにも呆気なく知られてしまった子供たちのサイオン、楽しく遊んだ積木のせいで。此処に積もうと、こっちに置こうと動かしていた木のオモチャのせいで。
(前のぼくが悲鳴に気付いた時には…)
 撃たれてしまった後だったりした、積木を動かすような子供はミュウかどうかを調べることさえ要らなかったから。サイオンがあるに決まっているから、通報されたら処分されるだけ。
 流石に他の子供たちがいる幼稚園などでは撃たれないけれど、其処から家へと帰る途中で現れた大人に連れてゆかれて、それでおしまい。
 何も知らない無垢な子供はユニバーサルから来た刺客とも気付かず、時には歩いて、時には車で一緒に移動し、人目につかない場所で撃たれた。彼らが取り出した処分用の銃で。
 悲鳴を上げた子供はまだマシな方で、悲鳴も上げずに撃たれた子供もいただろう。何が起こっているのかも知らず、ニコニコと銃を見ている間に。
(そんな子供も、きっと沢山…)
 ユニバーサルの通信を傍受していたシャングリラ。「処分終了」という通信だけが入ったことも多かった。通報から処分までの間が短かったら、彼らは遣り取りしないから。
 サイオンの有無を確認する必要が無かった積木の場合は、現場へ急行して終わりだから。
 実験用にと連行された子供は救えたけれども、救えなかった子供も多かった積木。
 撃たれる直前に救い出せた子供はほんの僅かで、ごくごく運のいい子供だけだった。



(…だから、積木は…)
 白いシャングリラにもあったけれども、悲しい玩具。
 楽しく遊ぶ子供の方がもちろん多かったけれど、怖がる子供もたまにいた。積木のせいで自分が迎えた結末、それを知っていた子供たち。撃たれそうになった子供や、連行されてしまった子供。
 積木のせいだと分かっていた子は、他の子供が遊んでいるのを遠くで見ていた。
 自分も積木で遊んだけれども、積木は怖いと。恐ろしい人間がやって来るのが積木なのだと。
(そのままじゃホントに可哀相だし…)
 怖がっている子も可哀相だし、撃たれてしまった子供たちも可哀相だから。白いシャングリラに迎えられなかった子供たちの分まで、積木遊びを存分に楽しんで欲しかったから。
 そういう子供を目にした時には、「怖くないから」と積木遊びを教えてやった。前の自分の強いサイオン、それを惜しみなく披露して。
 瞬間移動で箱からパッと移動させたり、一瞬で箱に仕舞ってみたり。
 そこまでするのは無理だろうけれど、サイオンを使えばこんなことも出来る、と普通に積んだら崩れそうなバランスの悪い塔を作ったり、それは色々と。
 何度もそうして遊んでやる内に、少しずつ笑顔になっていった子。
 積木は怖くないらしい、と。
 この船の中で遊ぶのだったら積木は安全、自分の力を好きに使っていい場所なのだ、と。



 子供たちが遊んでいた積木。悲しい思い出を持っていた子も、積木でサイオンがあると発覚したくらいだから、サイオンでの積木遊びとなったら他の子たちより上手で得意。アッと言う間に積木遊びのリーダーになっていたりした。再び積木で遊び始めたら。
(前のハーレイも積木、やっていたっけ…)
 大きな身体のキャプテンは子供たちに人気だったから。
 養育部門に顔を出した時は、積木遊びの仲間入りもしていた。「こう積むんだぞ」とサイオンを使ったり、子供たちが作った立派な積木のお城を拳で一撃、見事に壊して喝采を浴びたり。
(ハーレイは積木は作ってないけど…)
 木彫りを趣味にしていたハーレイ。お世辞にも上手いとは言えない腕前、ナキネズミを彫ったらウサギになってしまったくらい。今では宇宙遺産に指定されている木彫りのウサギに。
 けれど、実用品なら、なんとか作れた。前の自分が貰ったスプーンがハーレイの最初の木彫りの作品。そういった品は仲間たちにも喜ばれたから、スプーンもフォークも彫っていた。
 積木も実用品だと呼べそうなもので、高度な技術は多分、不要だろうけれど。
 作りたい大きさや形に切った木、それを磨けば出来そうだけれど、ハーレイは作っていなかった積木。子供たちがさぞかし喜んだだろうに、キャプテンのお手製の積木ともなれば。
(作ってあげれば良かったのにね…?)
 ケチなんだから、とクスッと笑った。
 スプーンやフォークは大人が貰ってゆくものだから、御礼も言って貰えたけれども、子供たちのための積木では本当に御礼だけ。ハーレイの好きな酒が貰えることも無いだろうから、その辺りがいけなかっただろうか。



 子供たちに積木をプレゼントしても良かったのに、とケチなキャプテンを思い浮かべる。下手の横好きとしか言えない腕前、実用品しか喜ばれなかったハーレイの木彫り。
 同じ実用品を作るのだったら、積木だって…、とケチっぷりに苦笑したのだけれど。子供たちは御礼の品をくれないから、積木を作ってやらなかったなんて、と。
 そう思って呆れていたのだけれども…。
(…あれ?)
 そのハーレイが挑んでいたような気がする、積木作りに。
 四角く切った木や三角の木や、そういった素材を大切そうに磨いて、引っ掛からないかと何度も手で撫でてみて。他の積木と並べて比べて、狂いが無いことを確かめながら。
 子供たちは御礼をくれないのに。
 積木を貰っても言葉の御礼しかくれはしなくて、ハーレイの好きな酒も、酒のつまみも、何一つくれはしないのに。
(…ハーレイ、ケチじゃなかったんだ…)
 積木を作っていたのなら。子供たちのために作ったなら。
 けれども、それはいつだったろう…?
 前のハーレイが木彫りではなくて、積木作りに励んでいたのは、いつだっただろう…?



 木彫りよりかは簡単そうでも、作る前に手間がかかりそうな積木。どういう形の積木を作るか、箱に収めるようにするなら、どんな形を組み合わせるか。
 養育部門にあった積木の真似をするにしても、寸法を測る所から。この形で長さと幅がこう、と数値を書き出す所から。それに合わせて木を切っていって、削って、磨いて出来上がる積木。
 スプーンやフォークとは違った代物、少し狂えば駄目になる積木。箱にピタリと収まらない上、積木の役目も果たせない。寸法通りに出来ていない積木を積めはしないし、遊べないから。
(…けっこう大変そうなんだけど…)
 それほどの手間と時間とをかけて、前のハーレイが作った積木。子供たちのために作った積木。
 自分も作るのを眺めていたのに、いつだったのかが思い出せない。ハーレイが積木を作っていた時期、それが一体いつだったのかが。
 スプーンやフォークとは比較にならない時間がかかっていたろうに。
 ブリッジで片手間に彫れはしないし、キャプテンの部屋で真剣に取り組んでいたのだろうに。



 前のハーレイが頑張った積木。子供たちにプレゼントした積木。
 いつ作ったのか思い出せない、と考え込んでいたら、仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。丁度良かったと、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合うなり、訊いてみた。
「…あのね、積木を覚えてる?」
「はあ?」
 積木ってなんだ、と怪訝そうな顔になったハーレイ。鳶色の瞳に困惑の色。
「えっと…。シャングリラの積木なんだけど…」
 怖がる子供たちもいたでしょ、積木遊びを。
 …積木遊びでミュウだと分かって、処分されそうになっちゃった子供。撃たれそうな所を助けた子供や、実験用にって連れて行かれる所を助けた子供。
「いたな、お前が積木で遊んでやって…」
 やっと遊べるようになったんだっけな、他の子たちと一緒に、積木。
「うん。積木は怖くなんかないよ、って遊んでみせて」
 それでね、積木なんだけど…。
 ハーレイ、木彫りもやっていたけど、積木を作っていなかった…?
「あ、ああ…。まあな」
 やってやれないことはないだろう、と作ったな、積木。
 …けっこう苦労をしたんだが…。思った以上に大変だったが、積木は確かに作ったぞ。
「やっぱり…!」
 ぼくの記憶違いじゃなかったんだね、ハーレイの積木。
 作ってた時期が思い出せなくて、ちょっぴり自信が無くなってたけど…。
 ハーレイ、ホントに作ったんだね、シャングリラの子供たちのために積木を。



 いつ作ったの、と尋ねたら。
 あの積木を作っていたのはいつだったのか、と勢い込んで問いを投げ掛けたら。
「…一人、死んじまった時のことさ」
「え…?」
 思いもよらなかったハーレイの答え。死んだとは、誰のことだろう…?
 ハーレイが作っていた積木。三角や四角のオモチャとは結び付かない「死」という言葉。
「…忘れちまったか? 悲しい記憶だし、その方がいいとは思うがな…」
 今のお前には要らない記憶だ、前のお前の悲しすぎた記憶の中の一つだ。
 …そうは言っても、お前、聞かなきゃ納得しないだろうからな。
 そんな所は前と同じだ、頑固で決して譲りやしない。…だから話すしかないんだろう。お前には悲しい記憶なんだが、こうして訊かれてしまったからには。
 …死んじまったのはミュウの子供だ、アルテメシアで暮らしてた子供。
 積木遊びでサイオンがバレて、ユニバーサルに通報されて…。
 前のお前が救い損ねた、撃ち殺されちまう直前まで悲鳴を上げなかったとかで。自分が置かれた状況ってヤツが分かっていなくて、銃を向けられるまで何も知らなかった子供。
 あと少し早く気付いていたら、と泣いてたろうが。
 銃を向けられただろう瞬間、そこで気付いて飛び出していれば、と。
 これで何人目になるんだろうかと、また一人助け損なった、と…。



 お前と恋人同士になった後の最初の犠牲者だった、と悲しげに歪むハーレイの顔。
 だから放っておけなかった、と。
「…俺の腕の中で毎晩泣くんだ、お前がな」
 自分はこうして此処にいるのに、あの子は何処にもいないんだ、と。
 助け損ねたから死んでしまったと、これから育って楽しいことが沢山あった筈なのに、とな…。
「そうだったっけね…」
 思い出したよ、あの子の顔も名前も。
 シャングリラの仲間じゃなかったけれども、墓碑公園に名前があった子だっけ…。
 ハーレイ、作ってくれたんだっけね、あの子が生きた記念に積木を。
 あの子が何も知らずに遊んでた積木、大好きだった積木遊びの積木を作ってやろう、って。
「うむ。…正直な所、かなり苦労をしたんだがなあ、あの積木」
 木彫りと違って僅かな狂いが命取りだし、とんだことになったと思いもしたが…。
 それでも作ってやりたかったし、始めたからには投げ出せないしな。
 お前と二人で考えたじゃないか、どんな積木にするのかっていう所から。
 あの子が家で遊んだ積木のデータってヤツを、前のお前が手に入れて来て…。
 そいつを元にして作ったんだぞ、そっくり同じになるように。
 まるで全くそっくりな積木、寸法も形も、木の色がそのままで色つきじゃなかった所までな。



 殺されてしまった子供のお気に入りだった、木の色と温もりが優しかった積木。
 本物の積木はユニバーサルが運び出して処分してしまったけれども、データは消されずに残っていたから。子供の養父母が暮らしている家、その家の記録に入っていたから。
 前の自分が盗み出したのだった、積木のデータを。寸法も、形も、その色合いも。
 ハーレイはそれを元にして新しい積木を作った、シャングリラで育てた木材を使って。白い鯨で栽培していた、木材にするための木から採れた素材で。
 三角や四角、何種類もの形と大きさ。それに合うよう、寸法を測って、きちんと切って。
 積木にするために切り取った木たち、三角や四角の形をした木。
 それが好きだった子が入れていたのと同じ大きさの箱も作って、その箱に綺麗に収まるように。少しの狂いも出ずにピタリと箱に片付けられるよう。
 木がささくれ立って子供たちが手を怪我しないようにと、角なども丁寧に丸くして。
 ハーレイが幾つもの積木用の木を切って、磨いて。
 何度も何度も手で撫でさすって、「これで大丈夫ですね」と微笑むまでには、相当に長い時間がかかった。木彫りが幾つ作れるだろう、と前の自分が思ったくらいに。
 キャプテンの部屋でハーレイが作っていた積木。仕上げの磨きを何度も重ねていた積木。



 そうやって出来上がった積木の箱に、元になった積木の持ち主だった子の名前は書かずにおいたけれども。殺されたミュウの子供は何人もいたし、特別扱いは出来なかったけれど。
 今までに救い損ねた子供たちの分も、と「子供用」とハーレイが箱に大きく書いた。積木遊びでミュウだと気付かれ、殺されてしまった子供たちの思い出にしておこう、と。
 積木は子供用で当たり前なのに。
 わざわざ「子供用」と箱に書かなくても、大人たちが来て横から奪いはしないのに。
 キャプテンお手製の積木は人気で、子供たちは誰もが遊びたがって。
 他に積木は幾つもあるのに、奪い合いだったハーレイの積木。「子供用」と書かれていた積木。
 順番待ちだと年かさの子が言い聞かせていることもあったし、喧嘩になっていたこともあった。どうしても自分が遊びたいのだ、と譲らない子供同士で大喧嘩。
 子供たちは加減を知らずに喧嘩をするから、積木は空を飛んだりもした。サイオンや小さな手で掴み出されて、喧嘩相手の身体を目がけて。
 もちろん叱られた子供たち。
 養育部門のスタッフたちやら、怖い顔をしたヒルマンやらに。
 「そんなことをするなら積木は駄目だ」と、「倉庫に仕舞っておくことにする」と。
 そうなる度に泣いて謝った子供たちだけれど、また懲りないで喧嘩をしていた。
 「キャプテンの積木で遊ぶのは自分だ」と、「今日は自分が遊ぶ番だ」と、それは賑やかに。



 大人気だった前のハーレイが作った積木。
 積木遊びでサイオンがあると知られてしまって、殺された子供たちがいたという証の積木。
「…あの積木、どうなったんだっけ?」
 前のぼくが子供たちと遊んでいた頃には、養育部門に置いてあったけど…。
 キャプテンが作った積木なんだ、って子供たちも知っていたけれど…。
「あれはトォニィの時代まであったぞ、少なくともトォニィがガキの頃には」
 ナスカが平和だった頃だな、ヤツらがナキネズミの尻尾を掴んで持ち上げてたようなガキの頃。
 レインもとんだ災難だったさ、尻尾を掴まれて逆さ吊りだぞ。
 そういうヤツらが遊んでたってな、あの積木で。
「…本当に?」
 ハーレイの積木、トォニィたちも使ってたんだ?
「ああ、久しぶりの子供たちだしな」
 アルテメシアを離れちまって、子供の救出はもう無かったし…。
 積木で遊んでいたユウイやカリナも、すっかり大きくなっちまって。
 ようやく出番が来たってトコだな、長いこと養育部門と一緒に放っておかれた積木ってヤツの。
「そうなんだ…」
 考えてみれば十五年だものね、前のぼくが眠っていた間。
 アルテメシアを出てからナスカに着くまでに十年以上も経ってるんだし、子供たちだって大きく育ってしまうよね。積木なんかでは遊ばなくなって。
 …ハーレイの積木、それでもきちんと何処かに残してあったんだね…。



 アルテメシアを離れた白いシャングリラの片隅で眠っていただろう積木。
 前のハーレイが作り上げた積木、「子供用」と箱に大きく書かれていた積木。
 赤いナスカで生まれた子たちは知っていただろうか、その箱の積木が作られた理由を。
 誰が作って子供たちのために与えたのかを、どんな思いがこめられた積木だったのかを。
「…トォニィたち、知っていたのかな…?」
 あの積木は誰の思い出だったか、誰が作った積木だったのか。
「まるで知らなかったってことは無かっただろうな」
 由来の方まではどうだか知らんが、俺が作った積木だってことは知ってた筈だぞ。
「そうなの?」
「俺は直接教えちゃいないが、養育部門のヤツらは積木を知ってたわけだし」
 大人気だったキャプテンの積木がこれだ、ってことはシャングリラのヤツなら誰でも知ってる。
 トォニィたちにも話しただろうな、この積木は俺の手作りなんだ、と。
 凄い人気の積木だったと、自分たちが育った頃には奪い合いの喧嘩もあったヤツだと。
「じゃあ、トォニィたちは、ぼくとハーレイが作った積木で遊んでくれたの?」
 …ぼくはデータを盗み出しただけで、積木を作ったのはハーレイだけど…。
 ちゃんと積木にしてくれたのは、前のハーレイなんだけど…。
「そうなるな。前のお前と俺が作った積木がヤツらのオモチャだったんだ」
 レインの尻尾を掴んで逆さ吊りにするようなヤツらだからなあ、積木も空を飛んでたろうさ。
 奪い合いでなくても、喧嘩をするなら投げてしまえとサイオンでブンと。
 でなけりゃ握ってブンと投げるか、そしてヒルマンたちが説教だな、うん。



 あの頃はトォニィたちも可愛いもんだったが…、と笑うハーレイ。
 見た目も中身もほんの子供で、ヒルマンたちの雷が落ちたらベソもかいた、と。
「実に可愛い時代だったな、デカくなったら物騒なことも考えてたが」
 みんな殺してシャングリラを乗っ取ってしまおうかだとか、ガキならではの発想だ。
 聞こえちゃいないつもりだったんだろうが、ヤツらの溜まり場、ちゃんと把握はしてたしな?
 ジョミーじゃなくても筒抜けだってな、あの物騒な台詞ってヤツは。
「…そうだったよね…」
 前のぼくはとっくに死んじゃってたけど、ハーレイが聞いて覚えていたし…。
 今のぼくにもバレちゃっているよ、その台詞は。
 …でも、やらなかったよね、ナスカの子たち。皆殺しにまではしないとしたって、目障りな人は殺しちゃえ、って思いそうだけど…。それだけの力もあっただろうけど。
 それをしないでシャングリラに乗っていてくれたんだし、ハーレイが作った積木にこもっていた気持ちも少しは役立ったのかな、仲間を大切にしたかった気持ち。
 シャングリラに乗ってる子供たちのために、って遊び道具を作った気持ちも。
「…多分な。あいつらなりに理解はしてたんだろうさ」
 俺が作った積木で遊んだ子供時代は、誰のお蔭で存在したのか、そのくらいのことは。
 前のお前がシャングリラを守って、子供たちを大勢救い出して。
 …ユウイもカリナも、ハロルドもだ、シャングリラに来ることが出来なかったら殺されていた。
 自分の親たちが何処から来たのか、それを考えたら無茶は出来んぞ、トォニィたちも。
「だったら、積木を作っておいて良かったね」
 トォニィたちのお父さんたちも、小さい頃にはあの積木で遊んでいたんだし…。
 沢山の思い出が詰まった積木を乗せていた船がどれだけ大事か、それも分かっただろうしね。
「そうだったんだろうな、あの積木も役には立ったんだろう」
 前の俺があれを作った理由は、悲しい理由だったがな…。
 楽しい筈の積木遊びでサイオンがあるとバレてしまって、殺されちまった子供たちを忘れないでいてやるためにと作った積木だったんだがな…。



 前の自分が救い損ねた子供たち。
 ミュウだと断定されてしまった積木遊びで通報された子たち、救い出す暇さえ無かった子たち。
 けれど、悲しい最期を迎えた子供たちの分まで、未来は生まれた。
 あの子供たちを思ってハーレイが作った積木で遊んで育った、ナスカの子たちが未来を作った。前の自分がメギドを沈めて守り抜いた白いシャングリラを地球まで導いてくれた。
 ジョミーだけでは勝てなかったかもしれない地球を目指しての戦いの旅路、トォニィたちが命を懸けて勝ち取ってくれた地球までの道。
 白い鯨は地球に辿り着き、SD体制の時代は終わった。死の星だった地球は燃え上がり、炎から再び青い命の星が生まれた。まるで炎の中から蘇るという不死鳥のように、青い水の星が。
 人類と機械が支配していた時代も終わった、ミュウの時代の幕が開いた。
 積木遊びを楽しむ子供が殺されることの無い時代。
 サイオンでヒョイと積木を積んでも、箱から出しても、器用だと却って褒められる時代。
 今の自分は積木遊びも出来ないくらいに不器用だけれど、手でしか積木を積めないけれど。



「ねえ、ハーレイ。あの子たちはどうしているんだろう…」
 前のぼくがシャングリラに連れて来られなかった、積木遊びでバレてしまって殺された子たち。
 サイオンって言葉も知らずに遊んで、そのせいで殺されちゃった積木の子供たち…。
「なあに、心配要らないってな。今はすっかりミュウの時代だ」
 何処かにいるさ、俺たちみたいに。
 前の記憶は失くしちまっているんだろうが、この宇宙の何処かにいる筈だぞ。
 もしも子供の姿でいるなら、今度は楽しく積木遊びをしているだろうな。手で積む友達を馬鹿にしながら、こう積むもんだ、とサイオンで積んで。
 積木遊びじゃ自分が一番才能があると、それは得意そうな顔をしてな。



 今は積木で好きなだけ遊べる時代だからな、とハーレイは自信たっぷりだから。
 あの子供たちも、きっと幸せでいるのだろう。
 自分たちのように生まれ変わって、今度は好きに積木を積んで。サイオンを器用に使う子供だと皆に褒められて、もっと上手に積めるようになろうと頑張って。
 だから…。
「…ハーレイ、積木、また作ってくれる?」
 前のハーレイが作ったみたいに、温かで優しい手触りの積木。
「積木って…。なんのためにだ?」
 何をするんだ、積木なんかで。…欲しいと言うなら、作れるかどうか考えはするが…。
「ぼくのサイオンの練習用だよ」
 今の積木はそういうものでしょ、サイオンの練習用にもどうぞ、って書いてあったよ、広告に。
 ハーレイが作ってくれた積木なら、買った積木よりも愛がこもっている分、頑張れるかも…。
 ぼくは積木を浮かせることさえ出来ないけれども、また積めるようになれるかも…。
「おいおい、頑張らなくてもいいと言ったろ」
 サイオンの練習用の積木なんかは、今のお前には要らないんだ。
 今の不器用なお前でいいんだ、頑張ることはないってな。
 つまりだ、俺の積木も要らない。サイオンを伸ばすための積木は無くていいんだ、今のお前は。



 今度は俺が守るんだから、と大きな手でクシャリと撫でられた頭。
 サイオンを伸ばす必要は無いと、だから積木は作らないぞ、と。
(ハーレイの積木…)
 今の時代なら、あの子供たちも幸せ一杯で積んでいそうな幾つもの積木。サイオンで幾つも高く積んでは、褒められていそうな積木遊び。
 そういう子供たちのためにと前のハーレイが心をこめて作った積木も、今なら幸せの積木。
 子供たちへの愛が詰まった、手作りで温もりのある積木。
 そんな幸せの積木が欲しい気持ちもするけれど。
 欲しいと思ってしまうのだけれど、幸せだったらハーレイから沢山、沢山貰えるのだから。
 いつかハーレイと結婚したなら、両手を一杯に広げたとしても持ち切れないほど、零れるほどの幸せを貰えるに決まっているのだから。
 前のハーレイが作ったような積木は作って貰えなくても…。
(…ぼく、幸せで一杯だよね?)
 ハーレイと二人、積木売り場であれこれ眺めて、指差したりして。
 「買ってくれる?」と強請ったりもして、「要らないだろうが」とコツンと額を小突かれて。



 そう、今は積木はもう要らない。
 サイオンでは積めもしないけれども、それでいいのだとハーレイが言ってくれるから。
 今度は守って貰えるのだから、サイオンは伸ばさなくていい。
 ハーレイと二人、手を繋ぎ合って何処までも歩いてゆくのだから。
 積木遊びで殺されてしまった悲しい子たちも、幸せに生きているだろう時代。
 幸せが満ちた今の時代で、青い地球の上で、ハーレイと二人、幸せに生きてゆくのだから…。




             子供用の積木・了

※サイオンの訓練には、ピッタリの積木。けれどミュウが処分された時代は、沢山の悲劇が。
 そんな時代に、前のハーレイが作った積木。シャングリラの子たちに愛された玩具。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




新しい年が明け、シャングリラ学園も三学期スタート。お雑煮大食い大会に水中かるた大会と続いたイベントも一段落して、今日は土曜日なんですけれど。雪がちらつく中、いつものように出掛けた会長さんの家でキース君が両手をせっせとマッサージ中で。
「何やってんだよ、さっきから?」
サム君が声を掛けました。
「コーヒーとケーキじゃ身体が温まらねえってか?」
「いや、そういうわけではないんだが…。おふくろが言うには小まめなマッサージが大切で」
でないと肌荒れが酷くなるとか、とマッサージしたりツボを押したり。
「肌荒れって…。キースは何を目指しているわけ?」
ジョミー君の疑問は私たち全員に共通でした。霜焼け予防というならともかく、肌荒れだなんて言われても…。
「何か勘違いをしているな? 俺は美肌を求めちゃいないぞ。要は荒れなきゃいいだけだ!」
「荒れそうなことをしてるのかよ?」
水仕事とか、というサム君の問いに「まあな」と返事が。
「古い仏具の手入れをやってる。磨く作業も手が荒れるんだが、仏具の箱も埃を被っているからなあ…。細かい埃は手が荒れるんだぞ」
埃が皮脂を吸い取るらしい、という話。それにしたって、お正月早々、大掃除ですか?
「大掃除ってわけじゃないんだが…。そいつは暮れに済ませてるんだが、蔵の中まではやらないからな。そこへ親父がロクでもないことを思い付きやがって」
「仏具磨きかよ?」
立派じゃねえか、とサム君が。
「お前の家、色々ありそうだしなあ…。やっぱり手入れは大切だよな」
「それは分かるんだが、こんな季節に思い付かないで欲しかったんだ! いくらシーズンだからと言っても!」
「「「シーズン?」」」
仏具の手入れにシーズンなんかがあるのでしょうか。あるとしたって、新年早々って何やらおかしくないですか?
「どちらかと言えば、古い道具のシーズンなんだ!」
「「「古い…?」」」
ますます意味が分かりません。古道具って今頃がシーズンでしたか?



シーズンだからと仏具の手入れを思い付いたらしいアドス和尚。キース君の手が荒れそうなほどに手入れさせてるらしいですけど、いったいどういうシーズンなのか。虫干しだったら夏のものですが、冬にも何かあるのでしょうか?
「大事にしている道具と言うより、忘れ去られた道具の方だな。今がシーズンの道具といえば」
それで親父が思い付いた、と言われても謎。古道具の買い取りは冬がいいとか、そういうの?
「買い取りに回す方ならまだいい。忘れて仕舞い込んだままって方のが問題なんだ」
「「「えっ?」」」
「そういう道具が反乱を起こす。そう言われている季節だな、今は」
「なるほどねえ…」
やっと分かった、と会長さんが。
「いわゆるアレだね、付喪神だろ? アドス和尚が言ってるヤツは」
「流石だな。あんた、やっぱりダテではないな」
「そりゃねえ…。銀青の名前を背負うからには、そういったことも知っておかないとね」
知識は豊富な方がいい、と会長さんは私たちをグルリと見渡して。
「付喪神っていうのは分かるかい? 古い道具に魂が宿った神様と言うか、妖怪と言うか…」
「ええ、聞いたことはありますね」
見たことはまだ無いんですが…、とシロエ君。
「その付喪神がどうかしましたか?」
「放っておかれた古い道具が付喪神になると、夜中に出てって行列をすると言われてる。他の妖怪とかと一緒に」
「「「行列?」」」
「百鬼夜行というヤツだけれど、知らないかな?」
こう妖怪がゾロゾロと…、と言われてみれば、噂くらいは知っていました。目撃談までは知りませんけど、そういったものがあるらしいことは。
「その百鬼夜行。お正月に出るって話もあるんだ、他にも出る日はあるらしいけどさ」
「「「お正月?」」」
「そう、一月」
だからシーズン、と会長さん。
「今の時期に手入れを怠っていたら、百鬼夜行をやりかねないっていうことさ」
「「「あー…」」」
それで仏具の手入れなのか、と納得しました。お正月早々、ご苦労様です、キース君…。



古い仏具が付喪神になって百鬼夜行に出掛けないよう、せっせと手入れ。肌荒れ防止にマッサージまでが必要だなんて、キース君もなかなか大変そうです。だけど百鬼夜行に古道具なんかが混じってるんだ…。
「知らないかい? 履物なんかも混じるらしいよ、百鬼夜行は」
「「「履物…」」」
それのどの辺が妖怪なのだ、という気もしますが、自力走行している履物だったら充分に妖怪かもしれません。あまり怖そうには思えませんけど…。
「いや、甘いぞ。百鬼夜行に出会うと祟ると言うからな」
キース君が言って、会長さんも。
「そうだよ、百鬼夜行に出くわした時に唱える呪文もあるくらいだしね。ウッカリ出会うと病気になるとか言われているねえ、昔からね」
「そういうことだ。だからウチの仏具が世間様に御迷惑をかけないように手入れしておけ、と親父が屁理屈をこね始める。いきなり思い付きやがったくせに、偉そうに!」
何年放ってある仏具なんだ、とキース君は文句たらたら。
「おまけに使わずに放っておいたら付喪神で百鬼夜行なコースが待っているだけに、磨いた後には形だけでも使わねばならん。まったくもって迷惑な…」
「へえ…。使わないと妖怪になるのかい?」
「そういうわけだが…。って、何処から湧いた!」
いつの間に、とキース君が叫んだのも全く不思議ではなく、ソルジャーが部屋に立っていました。紫のマントを翻して部屋を横切り、空いていたソファに腰を下ろして。
「ぶるぅ、ぼくにもケーキと飲み物!」
「かみお~ん♪ いつもの紅茶でいいんだよね!」
待っててねー! とキッチンに跳ねてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。御注文の品が揃うと、ソルジャーは早速、フランボワーズのロールケーキにフォークを入れながら。
「さっきの付喪神だけど…。古い道具を使わずにいると、妖怪になってしまうのかい?」
「まあ、そうだが。…もっとも、俺は現場を見たわけじゃないが」
「ぼくも履物とかは見ないねえ…」
それっぽいモノの噂だったら何回か、と会長さんとキース君の二人が答えると。
「そうなんだ…。だとするとハーレイ、危険じゃないかな?」
「「「はあ?」」」
古い道具を使わずにいると付喪神。それで「ハーレイが危険」だなんて、キャプテン、何かの道具を使わずに放置してるんですか…?



古い道具を使わずにいると付喪神になり、妖怪に混じって百鬼夜行をするという話。ソルジャーの世界に百鬼夜行があるかどうかはともかくとして、キャプテンは付喪神になりそうな古い道具を放っているっていうわけですよね?
「ううん、ぼくのハーレイのことじゃなくって…。こっちのハーレイ」
「「「教頭先生!?」」」
教頭先生がどう危険なのか、サッパリ分かりませんでした。会長さんと同じで三百年以上も生きてらっしゃるらしいですけど、古い道具を放置かどうかが何故ソルジャーに分かるのでしょう?
「え、だって。放置したままで三百年は軽いと思うよ、使っていないし」
「何をさ?」
ハーレイの家ならそんなに古くはないけれど、と会長さんが切り返しました。
「それにハーレイ、ああ見えてけっこうマメな方でね…。いつかはぼくと結婚しよう、と馬鹿げた夢を抱いているから、それに備えて整理整頓!」
古道具の放置は有り得ない、という見解、古い道具も大事にお手入れ。
「ロマンティックな雰囲気を…、と買い込んだような家財道具もあるからね。そういったものは二度と手に入らない可能性も高いし、きちんと手入れを欠かさないってね」
「そういう道具のことじゃなくって…。ホントにまるで使ってないのがあるだろう?」
未だにデビュー戦の予定すら無い、とソルジャーはフウと溜息を。
「せっかく立派なのを持っているのに、童貞だなんて…。初めては君だと決めているから使わないなんて、あれが道具の放置でなければ何なんだと!」
「「「………」」」
ソルジャーの言う「道具」とやらが何のことなのか、私たちにも辛うじて理解出来ました。教頭先生の大事な部分で、会長さんへの愛が認められない限りは絶対に出番が無い部分。
「ぼくが思うに、あれだって古い道具だよ? こっちのハーレイ、ぼくのハーレイよりも百歳ほどは年上なんだし!」
なのに一度も使っていない、とソルジャーは指摘。
「このまま放置じゃ、付喪神になるんじゃないのかい? アレも」
「ハーレイのアレが付喪神になると?」
会長さんがポカンと口を開けましたが、ソルジャーの方は大真面目に。
「ぼくは危ないと思うんだけど? だって使っていないんだよ?」
三百年以上も放置の古道具だ、などと言ってますけど、それは確かにそうかもですねえ…。



付喪神の危機らしい、教頭先生の大事な部分。そんな危険は誰も一度も考えておらず、会長さんだって呆れ顔ですが、ソルジャーは危ないと思ったようで。
「もしもアレがさ、付喪神になったらどうなるんだい? うんと大きくなるだとか?」
妖怪だしね、という解釈。
「大きいっていうのは素敵だけれどさ、入り切らないほどの大きさになると厄介だよねえ…」
入れてなんぼだ、と頭を振っているソルジャー。
「もしも入れられないサイズになったら、それはもう使うどころでは…」
「そういう以前に、家出するから!」
会長さんが割って入りました。
「付喪神になった道具は百鬼夜行に出掛けるんだよ、夜の巷を練り歩くんだよ!」
「百鬼夜行?」
何だいそれは、とソルジャーの赤い瞳が真ん丸に。
「練り歩くって…。ハーレイのアレがかい?」
「いや、アレだけってわけじゃなくって…。他の色々な付喪神とか、妖怪だとかがゾロゾロとね」
言わば妖怪の大行進だ、と会長さん。
「そういう集いに出掛けちゃうから、一度行ったら二度と戻って来ないかもねえ…」
「アレが家出を!?」
そして戻って来ないんだ、とソルジャーは驚愕の表情で。
「だったら、ハーレイ、どうなっちゃうわけ? 君との結婚とかの未来は?」
「アレが無いなら、もう手の打ちようが無いってね!」
肝心要のアレが無いんじゃあ…、と会長さんは手をヒラヒラと。
「だから全然かまわないんだよ、ハーレイのアレが家出しようが、付喪神になってしまおうが! ぼくとは縁がスッパリ切れるし、もう言い寄っても来ないしねえ…」
付喪神万歳! と会長さんは指をパチンと鳴らして。
「うん、これも何かの縁かもしれない。ハーレイのアレには付喪神になって貰おうかな?」
「「「は?」」」
「付喪神だよ、使われてもいない古道具だろう?」
この際、付喪神になって家出を! と会長さんの唇が笑みの形に。
「家出した上に百鬼夜行とお洒落に決めて貰おうか。そうすれば当分、大人しいかも…」
うん、いいかも、とか頷いてますが。古い道具を放置した末に出来てしまうのが付喪神。それって簡単に出来るものですか、しかも他人が手出しして…?



教頭先生の大事な部分を付喪神に、と恐ろしいことを言い出した会長さん。家出させた上に百鬼夜行だと言ってますけど、そんなことが本当に可能でしょうか?
「家出に百鬼夜行だなんて…」
出来るのかい? とソルジャーも不思議に思った様子。
「付喪神を作る技術があるとか言わないだろうね?」
「いくらぼくでも、そっちの方はね…。逆の方なら出来るけどさ」
「逆?」
「付喪神になってしまった物をね、御祈祷で鎮めることなら可能。それだけの力は持っているけど、逆に言ったら付喪神なんかを作っちゃ駄目だということになるね」
それは坊主の道に反する、と会長さん。
「坊主は供養をしてなんぼ! 付喪神を鎮めてなんぼなんだし、その逆はマズイ」
「だったら、ハーレイのアレを付喪神にしたらヤバくないかい?」
「本当に本物の付喪神ならヤバイけどねえ…」
偽物であれば大丈夫! と会長さんは指を一本立てました。
「要はハーレイが思い込んだらいいわけだしね? 家出されたと、百鬼夜行に行ってしまったと」
「それって、まさか…」
「そのまさかだよ。サイオニック・ドリームに決まっているだろう!」
腕によりをかけてプレゼントする、と会長さんの瞳がキラリと。
「うんと反省すればいいんだ、肝心の部分が無くなって…ね。真っ青になって慌てればいいさ、家出と百鬼夜行に参加で!」
「反省ねえ…。これからはちゃんと使います、って?」
「さあ…? ぼくに土下座をするのもいいねえ、とにかくアレを連れ戻してくれ、と!」
面白いことになりそうだ、と会長さんはワクワクしているようで、ソルジャーの方も。
「うーん…。たまにはそういうスパイスもいいか、甘いだけじゃなくて」
「「「スパイス?」」」
「愛のスパイス! 甘いだけでは芸が無いってね!」
危機感を煽るのもまた良きかな、とソルジャーの赤い瞳も輝いていて。
「結婚どころか二度と出来なくなっちゃうかも、というほどの経験をしたら、ハーレイの今後も変わって来るかも…。もっと真面目にブルーと向き合うとか、そういうの!」
「ぼくは嬉しくないけどね?」
「でも、前段階の方は最高なんだろ?」
アソコが家出で百鬼夜行で、とソルジャーまでがすっかり乗り気。教頭先生の大事な部分は付喪神になってしまうのでしょうか…?



会長さんとソルジャー、意気投合。教頭先生のアソコを付喪神にするべく打ち合わせが始まり、昼食のお好み焼きパーティーの間も良からぬ計画を進めた挙句に。
「よし! それじゃ最初は君に任せた!」
会長さんがソルジャーと手を打ち合わせて、ソルジャーが。
「任せといてよ、鼻血の海に沈めてやればいいんだろう? さも協力するようなふりをして!」
「うん。鼻血で昏倒している間にサイオニック・ドリームをかけてやるから!」
「そして今夜は百鬼夜行にお出掛けなんだね、アソコがね!」
是非とも見学しなければ、とソルジャーは実に楽しそうです。
「ぼくのハーレイ、今日は夜勤のクルーの視察が入っているからさ…。夫婦の時間が取れそうになくて、つまらないなと思っていたんだ。その分、たっぷり遊べそうだよ」
「なるほどねえ…。それで余計に乗り気だった、と」
ならば一緒に楽しもう、と会長さんはソルジャーとガッチリ握手。
「ブルーも協力してくれるそうだし、君たちももちろん見学するよね? 百鬼夜行を!」
「「「は?」」」
「ハーレイに何が見えているのか、ちゃんと中継してあげるから! 今夜はお泊まり!」
ぼくの家に、とズイと迫られ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ お泊まり用の荷物を取りに帰るなら、送り迎えもするからね!」
「ほらね、ぶるぅもこう言ってるし!」
食事が済んだら一度帰って支度をしたまえ、と会長さんが。
「俺の仏具磨きと手入れはどうなるんだ?」
「サボリでいいだろ、銀青のお手伝いなら堂々とサボリで済むんだからさ」
「そう来たか…。ならば一筆、書いてくれるか?」
「もちろん、お安い御用だよ!」
会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持って来た便箋にサラサラとペンで何かを書き付け、それを受け取ったキース君が。
「有難い。これで親父も納得だ」
「そうだろう? それを見せれば仏具磨きも一日くらいは吹っ飛ぶってね!」
玄関から遊びに出掛けられる、と保証付き。付喪神計画の発端となったキース君の仏具の手入れは一時中断みたいですけど、代わりに教頭先生の大事な所が付喪神になってしまいそう。会長さんの家でお泊まりはとっても楽しみとはいえ、教頭先生、大丈夫かな…。



昼食の後で、家まで瞬間移動で送って貰って、お泊まり用の荷物を用意。完了した人から順に戻って、キース君が最後に戻って来ました。会長さんへの御布施を持って。
「親父からだ。泊まりで所作の指導をして頂けるとは…、と大感激でな」
「それはどうも。…嘘も方便ってね」
ついでに坊主丸儲け、と会長さんは御布施の袋を仕舞い込むと。
「これで全員揃ったわけだし、出掛けようか。行き先はハーレイの家だけど…」
「君たちはシールドの中にいるのがいいねえ、付喪神には全く関係ないからね!」
それがお勧め、とソルジャーが。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はシールドの外にいるらしいですが、何も分からないお子様なだけに、まるで問題無いらしく…。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
元気一杯の叫びと同時にパアアッと溢れる青いサイオン。私たちの身体がフワリと浮き上がり、教頭先生の家のリビングに着地したものの。
「こんにちは」
お邪魔するよ、と会長さんが進み出、ソルジャーも隣で「こんにちは」と。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もピョンと飛び跳ねて「かみお~ん♪」です。けれども私たち七人グループはシールドの中で、教頭先生からは見えていないため、挨拶は無し。
「なんだ、今日は?」
人数が少なめだったからでしょうか、教頭先生は仰け反ったりはしませんでした。余裕でお迎え、いそいそと紅茶を淹れて、クッキーも出しておもてなし。
「悪いね、急にお邪魔しちゃって」
「かまわんが…。それでどういう用なんだ?」
「ちょっとね…。ブルーが気がかりなことを言い出したから…」
付喪神を知っているかい、と会長さんが尋ねると。
「これでも古典の教師だぞ? 付喪神が何処かに出たというのか?」
「ううん、これから出そうなんだよ、困ったことに」
「お前でもどうにも出来ないのか、それは?」
「なっちゃった時はそれなりに対処出来るんだけどねえ…」
なにしろ予防が出来なくて、と会長さん。
「どういう代物が付喪神になるか、君は知ってる?」
「使われていない古道具だろう?」
使ってやれば予防になると思うが、と教頭先生。それが普通の解答でしょうねえ…。



付喪神が出そうだから、と教頭先生の家に押し掛けた会長さんとソルジャー、それにオマケの「そるじゃぁ・ぶるぅ」。教頭先生は真っ当な付喪神予防の対策法を口にしましたが、会長さんは。
「使ってやったら付喪神にはならないんだけど…。なにしろ使えないものだから…」
「危険物か?」
取り扱いが難しいのか、と教頭先生が訊いて、会長さんが「うん」と。
「少なくとも、ぼくには使えない。扱えもしないし、こればっかりは…。でもねえ、ブルーに危ないと言われればその通りなんだ。付喪神になるリスクの高さが」
「リスク?」
「そう。もう今夜にでもなってもおかしくないくらい!」
それほどに危険が迫っているのだ、と話す会長さんの言葉に続いてソルジャーが。
「ぼくが来た時、キースが付喪神の話をしていてねえ…。古い仏具が付喪神にならないように、と仏具磨きをさせられているとぼやいていたんだ」
「ああ、それは…。そういった仏具も王道ですねえ、付喪神の」
「そうなのかい? ぼくは付喪神っていうのを知らなかったし、どういうものかを教わったんだけど…。何か分かったら急に心配になっちゃって…」
付喪神になりそうなモノに気が付いたから、とソルジャーは顔を曇らせました。
「三百年以上も放置の道具って、どう思う?」
「それは非常に危険なのでは…。あなたの世界にあるのですか?」
「こっちの世界なんだけど…。ぼくにも馴染みが深いものと言うか、みすみす付喪神にしてしまうのもどうかと言うか…」
「お使いになればいいと思いますよ?」
それが一番の解決策です、と教頭先生はにこやかな笑み。
「愛情をこめて使ってやれば、付喪神にはならないそうです。三百年以上と仰るからには、恐らくブルーが放置している何かでしょうが…。ご心配なら、借りてお使いになってみるとか」
「やっぱり君もそう思う?」
「ええ。使ってやるのが何よりです。道具もそれで喜びますから、付喪神にはなりませんとも」
持ち主でなくとも借りた誰かが使ってやれば…、と教頭先生。ソルジャーは「うーん…」と腕組みをすると。
「だったら、使うのがお勧めなんだね、その古道具?」
「付喪神にしたくないなら、お使いになることをお勧めしますよ」
道具のためにも是非とも使ってやって下さい、と教頭先生は仰っていますが、いいのでしょうか? その古道具は会長さんの持ち物なんかじゃないんですけどね…?



「そうか、使うのが一番なんだ…。君のお勧め…」
それじゃあ、とソルジャーは教頭先生の顔をじっと見詰めて。
「後でいいから、ぼくに付き合ってくれるかな? 借りて使ってもいいみたいだし」
「は?」
「ぼくが心配だって言ってる付喪神。君にくっついているんだよねえ…」
「私にですか!?」
教頭先生はビックリ仰天、キョロキョロとあちこちに視線をやって。
「わ、私の家には付喪神になりそうな古道具は無いと思うのですが…! 古い道具は定期的に磨いたり使ったりしておりますから、決して付喪神などには…!」
「家にある道具は大丈夫だろうと思うんだよ。でも、肝心の君自身がねえ…」
使ってもいない道具をくっつけているじゃないか、とソルジャーの右手がテーブルの下へ。
「何処とはハッキリ言わないけれどさ、男だったら使ってなんぼ! ところが君は後生大事に使わないまま、三百年以上も経ってるし…。そろそろ危ない頃じゃないかと…」
「なんですって!?」
まさか、と自分の股間を見下ろす教頭先生。ソルジャーは「そう」と首を縦に振って。
「それだよ、君が使っていないモノ! これからも使う予定が無いもの!」
「こ、これは…! し、しかし、私は初めての相手はブルーだと決めておりまして…!」
「そう言ってる間に付喪神にならないって保証があるのかい?」
「…そ、それは…」
どうでしょうか、と教頭先生は些か心配になって来たようで。不安そうな瞳が会長さんに向けられ、会長さんがキッパリと。
「絶対に無いとは言い切れないねえ、それも道具には違いないしね? だけどぼくにはどうしようもないし、どうしてあげるつもりもないから…。心配だったらブルーの方に」
「任せてくれたら面倒見るよ? 手取り足取り、君の道具にしっかり付喪神対策を!」
使うのが君のお勧めだろう、とソルジャーは喉をゴクリと鳴らしました。
「君は初心者でも、ぼくは熟練! 自分の身体は自分で面倒見られるから!」
是非、一発! とソルジャーが身体をグイと乗り出し、教頭先生の右手を握って。
「自信が無いなら、君は寝ていてくれればいいんだ。ぼくがキッチリ御奉仕した上、ちゃんと跨ってモノにするから! 奥の奥まで無事に突っ込ませてあげるから!」
「…つ、突っ込む…」
奥の奥まで…、と教頭先生の鼻からツツーッと垂れた赤い筋。出たな、と思う間もなくブワッと鼻血で、ドッターン! と大きな身体が椅子ごと仰向けに。あーあ、やっぱりこうなりましたよ…。



「えとえと…。ハーレイ、倒れちゃったよ?」
気絶しちゃったあ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生の頬を小さな指でチョンチョンと。教頭先生はピクリとも動かず、会長さんが「スケベ」と一言。
「まさか早々にブッ倒れるとは思わなかったよ、寝室までは持ち堪えるかと思ったけどな」
「君も甘いね、こんな調子だから肝心のアソコが付喪神の危機に陥るんだよ」
さて…、とソルジャーは教頭先生の身体を椅子から引き摺り下ろすと、会長さんに。
「サイオニック・ドリームは君がやるんだよね? ぼくには百鬼夜行の知識が無いしね…」
「本物っぽく見せて騙すためには、ちゃんとした裏付けが必要だからね」
やってみるか、と会長さんの右手が教頭先生の額の上に。その手が青く発光するのを見学しながら、ソルジャーが。
「君もなかなかやるじゃないか。ぼくの力にも負けないよ、それ」
「本当かい?」
「うん。一対一なら強いようだね、ぼくみたいに多数を一度に相手に出来ないだけで」
充分に自信を持って良し! とソルジャーも褒めたサイオニック・ドリーム、どうやら完全にかかった模様。会長さんとソルジャーは目配せし合って、教頭先生のベルトを外すとズボンのファスナーを下ろしてしまって、更に下着の紅白縞も…。
「か、会長、そこまでやるんですか!?」
シロエ君の叫びが届いたらしくて、会長さんは。
「リアリティーっていうのも必要だしね? 付喪神が逃亡に至った経路は確保しないと」
「「「………」」」
本気でアソコが逃げ出したことになってしまうのか、と呆然と見守る私たち。スウェナちゃんと私の視界には既にモザイクがかかっています。
「後はハーレイが目を覚ました時のお楽しみだけど…。百鬼夜行は夜のものだし、それまで絶対に目を覚まさないようにしておかなくちゃね」
早い話が目覚ましシステム、と会長さんが壁の時計を眺めて、教頭先生の額を指先で軽く弾くと。
「これでよし。夜の十時を過ぎるまでは倒れたままでいて貰うってことで」
「かみお~ん♪ それまでは帰って御飯だね!」
おやつに御飯、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が跳ねて、ソルジャーが。
「大いに賛成! 帰ってゆっくり!」
御飯におやつだ、と言い終わらない内にパアアッと溢れた青いサイオン。倒れた教頭先生を放置で私たちは揃って逃亡しました。教頭先生、風邪を引かないといいんですけどね…?



午後のおやつはフォンダンショコラ。冬に嬉しいチョコレートがトロリと溶け出すケーキ。夕食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」こだわりの食材が光る寄せ鍋、うんと豪華に楽しんだ後で締めはラーメン投入です。しかも雑炊用のお出汁も取り分けてあって、締めの美味しさ二通り。
「やっぱり寄せ鍋は地球ならではだねえ…」
ぼくの世界でやってもイマイチ、とソルジャーも至極御機嫌で。
「ところでハーレイの方はどうかな、倒れたままだけど飢えてないかな?」
「大丈夫だろうと思うけど? 気絶してるし、エネルギーの消費量ってヤツが少ないからね」
それにアソコはシールドしたし、と会長さん。シールドって、まさか剥き出しの部分に?
「うん。あんなトコから風邪を引かれたら間抜けだからねえ、一応、シールド」
大事な部分を冷やしすぎるのも良くないし、と会長さんはニッコリと。
「暖め過ぎるのも良くないけれどね、冷え過ぎで風邪は馬鹿でしかないよ」
「だろうね、股間風邪なんて聞いたことも無いしね」
少なくともぼくのシャングリラには存在しない病名だ、とソルジャーが。
「だけど、股間風邪どころじゃない状態に陥るんだねえ、こっちのハーレイ…」
「まあねえ、アソコが無いわけだしね?」
性転換をしたってわけでもないのに、と会長さんがクスクスと。そっか、アソコが無いんだったら性転換みたいなものなのか、と私たちは顔を見合わせて。
「性転換かよ…」
嬉しくねえな、とサム君が言えば、キース君が。
「逃げられたっていうのも悲惨だぞ? 性転換なら自分の意志でやることだろうが」
「「「あー…」」」
自分の身体の大事な一部に逃げられるなんて、それは最悪かもしれません。髪の毛が逃亡してしまっても困りますけど、それはカツラでフォローが可能。けれども、アソコが逃げたのでは…。
「教頭先生、どうなさるでしょう?」
目が覚めたら、とシロエ君の声が震えて、ジョミー君が。
「パニックじゃないの?」
「そりゃあ、もちろんパニックだよ!」
決まってるじゃないか、と笑顔のソルジャー。
「そのための付喪神プロジェクトだしね? サイオニック・ドリーム、楽しみだねえ…」
「「「つ、付喪神プロジェクト…」」」
いつの間にそんな立派な名前が付いてたんだか。付喪神プロジェクト、今夜十時の発動です。アソコに逃げられた教頭先生、どうなるのでしょう…?



食事を終えてのんびりまったり、寛いでいる内に運命の夜の十時が近付いて来て。
「悲劇は現場で見ないとねえ?」
行こうか、と会長さんが言い出し、ソルジャーが「喜劇の間違いだろ?」と。
「今度もぼくたちだけがシールドの外でいいんだよね?」
「そうなるねえ…。今更面子が増えました、ってわけにもいかないと思うから」
行くよ、と会長さんが合図し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声が「かみお~ん♪」と。青いサイオンの光が溢れて、私たちは教頭先生の家のリビングに移動しました。倒れておられた教頭先生、間もなくガバッと起き上がって。
「わ、私は…?」
どうしたんだ、と見回してらっしゃいますけど、ソルジャーが。
「倒れちゃったんだよ、アッサリと…ね。それはいいんだけど…」
「ブルーが心配していた通りになっちゃったわけ」
情けないね、と会長さん。
「こんなヘタレに用は無い、と言わんばかりに逃げてっちゃったよ、付喪神が」
「…付喪神?」
何のことだ、と訊き返してから、教頭先生も思い至ったらしくって。視線を落とせば、其処には無残に外れたベルトと下ろされたファスナー、それに紅白縞のトランクスが。かてて加えて、私たちの目にはモザイクですけど、教頭先生の目に映るものは。
「…な、な、な…。無い!?」
「うん。ぼくとブルーが見ている前でさ、ゴソゴソと出て来て逃げて行ったよ?」
もう止める暇も無かったのだ、と会長さんの嘘八百。
「そんなわけでさ、君の股間は空家ってことになっちゃって…。性転換しました、ってことにするのも一興だろうと思うけど…」
「性転換!?」
「アレが無いなら男とはとても言えないだろう?」
ねえ? と同意を求められたソルジャーが大きく頷いたから大変です。教頭先生は顔面蒼白、会長さんに向かってアタフタと。
「つ、付喪神を鎮める方法、知っているとか言っていたな!?」
「御祈祷と言うか、呪文と言うか…。知らないわけでもないけれど?」
「それを頼む!」
どうかアイツを連れ戻してくれ、と自分のアソコをアイツ呼ばわり。今もくっついているんですけど、逃げてなんかはいないんですけど、サイオニック・ドリーム、恐るべし…。



「仕方ないねえ…」
それじゃ探しに行かなくっちゃ、と会長さんが教頭先生の肩に手を置き、ソルジャーが。
「付喪神になったら百鬼夜行に行くらしいしねえ? まずはそっちを見付けないと」
「ひゃ、百鬼夜行…?」
あれに出会うと寝込むのでは、と教頭先生の声が震えましたが。
「嫌なら別にいいんだよ? 君のアソコが戻って来ないというだけだからね」
ぼくも力を使わなくて済むし、と会長さんは素っ気なく。
「ぶるぅ、そろそろ帰ろうか? 夜も遅いし、百鬼夜行なんかを探さなくてもいいようだしね」
「かみお~ん♪ 帰ってお風呂だね!」
「ま、待ってくれ! わ、私のアイツはどうなるのだ…!」
「じゃあ、御布施」
会長さんの手がスッと差し出され、教頭先生は財布を取りに行こうとファスナーを上げようとなさいましたが。
「駄目だよ、それを閉めてしまったら付喪神が戻れなくなるからね。ファスナー全開、トランクスもずり落ちそうなままで捜索の旅!」
その前に御布施、と容赦ない催促。教頭先生、泣きの涙で財布の中身を残らず差し出し、会長さんは満足そうに。
「オッケー、前金はこれで充分! 後は成功報酬ってことで」
「ま、前金…?」
「当たり前だろ、君のアソコを取り戻すんだよ? これっぽっちで足りるとでも?」
最低これだけは欲しいんだよね、と指が三本、一本は百ということで。
「さ、三百…!」
「大負けに負けて三百なんだよ、他ならぬ君だから、この値段! 普通だったら十は頂く!」
七割引きで出血大サービスだ、と言われた教頭先生、泣く泣く誓約書を書く羽目に。逃げ出したアソコが戻って来たなら、三百ほどお支払い致します、と。
「了解、誓約書も書いて貰ったし…。後は百鬼夜行を探す旅だね」
外へ行くけどファスナーもトランクスも上げないように、と指示された教頭先生はズボンが落ちないようベルトを掴んで歩き出すことに。あんな格好で外へ出たなら、たちまち逮捕されそうですが…。露出狂で捕まってしまうんじゃないか、と思うんですが…。
えっ、本当に出るんですか? その格好で玄関の外へ…?



「はい、ハーレイだけが夢の中ってね」
サイオニック・ドリームの始まり、始まり~! と会長さんが拍手を求めて、教頭先生の家のリビングの壁に中継画面が。会長さんとソルジャー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は玄関の手前で回れ右をして戻ったのです。もちろん教頭先生も。けれど…。
「ひゃ、百鬼夜行には何処で出会えるのだ?」
サイオニック・ドリームに捕まったままの教頭先生が見ている夢が中継画面に。何処とも知れない住宅街を会長さんたちと歩いていますが、真っ暗な上に人の気配は全く無くて。
「さあ、何処だろう? この寒さだしね、雪が降らなきゃいいんだけどねえ…」
会長さんの声がのんびりと。
「百鬼夜行は雪に弱いのか?」
「そうじゃないけど、君のアソコが霜焼けになったら困ると思って…。あっ、あそこ!」
「かみお~ん♪ なんか一杯、ゾロゾロだよ!」
「へえ…。あれが百鬼夜行ってヤツなんだ?」
地球は広いね、とソルジャーが。
「妖怪だらけ…。って、あそこで跳ねてるのがハーレイのヤツじゃないのかい?」
「そうらしいねえ…」
やたら元気がいいじゃないか、と会長さんたちが指差す先でモザイクのかかった何かがピョンピョン跳ねていました。付喪神になった教頭先生のアソコだということなんでしょうが…。
「そうだ、私のだ! あれで絶対間違いないから、捕まえてくれ!」
「うーん…。捕まえる値打ちがあるのかい、あれに?」
またその内に逃げるんじゃあ、とソルジャーが言って、会長さんが。
「別にいいんだよ、逃げちゃっても! また捕まえて稼ぐから!」
「ああ、なるほど…。捕物の度に御布施が入る、と」
「そういうこと! だから早速!」
中継画面の向こうの会長さんが雪がちらつき始めた夜空の下で朗々と読経。百鬼夜行の群れの中からモザイクのアレだけが跳ねてこちらへやって来ます。
「も、戻って来た! 戻って来たぞ!」
「落ち着いて、ハーレイ! ちゃんと元通りの場所に収まるまで前は全開!」
「うむ、大丈夫だ! 戻って来ーいっ!」
此処だ、此処だ、と大喜びの教頭先生は夢の中。付喪神は無事に戻りそうですが、この先、またまた家出しないとは限りません。アソコが逃げ出すサイオニック・ドリーム、会長さんが味を占めなきゃいいんですけど…。一回につき指三本もの報酬がドカン。嫌な予感がしますよね…?




           付喪神の季節・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生が三百年以上も使っていない、古道具。付喪神になっても仕方ないのかも…。
 ちなみに百鬼夜行ですけど、本当に冬のものなんです。怪談が夏の定番になるのは江戸時代。
 ついに元号が令和に変わって、今回が新元号初の更新です。令和も、どうぞ御贔屓に。
 次回は 「第3月曜」 6月17日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、5月は、何故だか、ソルジャーとジョミー君が戦うことに…?
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









(んーと…)
 ブルーが目を留めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間にダイニングで。
 テーブルの上に載っていた新聞、何気なく開いて見付けた誕生日用の料理の特集。特に珍しくもない筈なのに、幾つも並んだ写真の中の一枚が目を引いた。
 思わず息を飲んだくらいに。
(食べたいってわけじゃ…)
 ないと思う、おやつのケーキを食べた所だし、お腹が空いてはいないから。
 けれど気になる一枚の写真、他の写真は「ふうん?」と眺めただけなのに。誕生日パーティーに似合いの料理特集、一枚の写真に様々な料理の取り合わせ。「こんな感じで如何でしょう」と。
 彩りも鮮やかなパエリアが主役の料理だったり、ちらし寿司がメインの和風だったり、大人から子供まで主役に合わせて提案された幾つものパーティー料理のメニュー。
 この手の特集はよく組まれるから、本当に見慣れた紙面の筈。美味しそうな料理を捉えた写真も色々と見たし、食の細い自分は「これは何かな?」と思う程度で。
 わざわざ覗き込もうとはしない、息を飲むほど惹かれもしない。「美味しそう!」と思うよりも前に「食べ切れないよ」と現実がヒョイと顔を出すから。
 母に強請って写真の通りのパーティー料理にして貰ったって、食べ切れないで挫折するから。
 なのにどうして惹かれるのだろう、たった一枚の料理の写真に…?



 目新しい所があるわけでもない、ごくごく平凡なパーティー料理。他の写真の料理と比べたら、如何にも定番、要は誰でも喜びそうな料理の取り合わせ。それこそ子供から大人まで。
 けれども、どうにも心を捉えて離さない写真。自分の瞳を引き寄せる写真。
(何処が…?)
 好き嫌いが全く無い自分だけに、ますますもって分からない。好き嫌いがあれば「好物ばかりを集めた素敵な食卓」で「夢の食卓」、そう思うこともありそうだけれど。
(ぼくの大好物ってこともないよね…?)
 チキンの丸焼きに、テリーヌに、パテ。スープにサラダに…、と順に料理を眺めていたら。
(…あれ?)
 何故だか記憶にあるような気がする、この料理が。写真の中の取り合わせが。
 もしかしたら自分は、これを見たことがあるのだろうか?
 写真ではなくて、本物の料理。母が作ったパーティー用の料理が、写真の通りにテーブルの上にズラリと並ぶのを。
 それならば分かる、何故だか心惹かれる理由も。目を留めた訳も。
 幼かった頃の誕生日パーティー、大喜びではしゃいだ記憶が胸に残っていたのだろう。あの日の料理だと、まるでそっくりだと飛び跳ねる心。
 きっとそうだ、と心が躍った。いつの誕生日かは分からないけれど、母に確認しなくては、と。



 子供時代の素敵な思い出、幼稚園の頃か、下の学校に入って間もない頃か。
 記憶がハッキリしないのだから、その辺りだろう、とワクワクしていた所へ扉が開いて。
「あっ、ママ!」
 上手い具合に入って来た母。通り掛かっただけかもしれないけれども、呼び止めて「これ!」と例の写真を指差した。こういう料理を誕生日に作ってくれただろうか、と。
「もちろんよ。ブルーのお誕生日だものね」
 チキンもテリーヌも作ったわよ。…ええ、この写真にあるお料理は全部。
「じゃあ、この写真はやっぱり、ママのお料理…」
 見たような気がしたんだよ。他の写真は何とも思わないけど、これはドキッとしちゃったんだ。
 本物を見たことがあったんだったら、ビックリするのも不思議じゃないよね。
 ぼくがすっかり忘れちゃっていても、お料理の記憶、残ってたんだ…!
「それはそうかもしれないけれど…。ママは作ってあげたんだけれど…」
 でもねえ、ブルーはいつも少ししか食べないでしょう?
 お誕生日に作ったお料理、ブルーに合わせて少なめにしてあったから…。



 この写真そっくりにテーブルに並べたことは一度も無いわ、と母は料理を覗き込んだ。
 チキンの丸焼きは主役になるから、それだけは丸ごと一羽分。写真と同じになるのは其処だけ。他の料理はテリーヌがこのくらい、サラダはこのくらい、スープの器がこのくらい…、と。
 料理の量と盛り付けた器の例まで挙げられてみれば、まるで違うとブルーにも分かる。自分用のパーティー料理が並んだテーブルと、この写真は少しも似ていないと。
 共通点はチキンの丸焼き、それだけでは此処まで惹かれはしない。他の部分が違うのでは。
「…それじゃ、違うの、ママのお料理とは?」
 ぼくは確かに見たんだと思ったんだけど…。
 ママが違うって言うんだったら、本か何かで見たのかな、これ…?
「さあ…。それはママにも分からないけれど、誕生日パーティーのお料理なの?」
「うん、きっと。誕生日のだ、っていう気がするから」
 パーティーをする日は色々あるけど、これは誕生日のお料理だよ、って。
「だったら、ソルジャー・ブルーじゃないの?」
「えっ?」
「ソルジャー・ブルーよ、ブルーはソルジャー・ブルーだったんでしょ?」
 その頃のお誕生日のお料理じゃないの、この写真。
 シャングリラで食べて、その思い出が残っているとか…。
「それは無いと思うよ…」
 ソルジャー・ブルーだけは絶対に無いよ、前のぼくっていうことは無いよ。
 こんなお料理、誕生日に食べたことが無いから。



 誕生日を覚えていなかったから、と説明したら。
 ハッと息を飲み、口に手を当てた母。その瞳がみるみる悲しそうな色を湛えて。
「…ごめんなさいね、ママがウッカリしてたわ」
 ブルーは誕生日がいつだったのかも忘れてしまっていたのよね…。
 何も覚えていなかったのよね、成人検査よりも前にあったことは全部、忘れてしまって…。
「ううん、ママが謝らなくてもいいよ」
 ママのせいなんかじゃないんだもの、あれは。全部、機械のせいなんだから。
 ぼくは平気だよ、忘れちゃったのは前のぼくだし、ずうっと昔のことなんだし…。
 今はママの子で、誕生日だってちゃんとあるもの。



 だから平気、と笑顔で母に返したけれども、やはり気になる写真の料理。
 自分はこれを何処で見たのか、今も記憶に残っているほどに印象的だった取り合わせ。誕生日のパーティ用には定番の料理、斬新なわけでも特別なわけでもないというのに。
「…誰の誕生日だったのかなあ?」
 友達の家で見たんだったら、それっきり忘れていそうだけれど…。
 ぼくにはとっても食べ切れないや、ってビックリはしても、覚えていそうにないんだけれど…。
 とても特別だったって感じがするんだよ、このお料理が。
「シャングリラにいた頃に見たんじゃないの?」
 ブルーじゃなくって、ソルジャー・ブルーが。
 こういうお料理、シャングリラでも充分、作れたんじゃないかと思うわよ、ママは。
「…鶏はいたから、チキンの丸焼きは作ってたけど…」
 他のお料理も、作ろうと思えば作れそうだけど…。材料は船にあった筈だし。
「ほらね、きっと誰かの誕生日よ。シャングリラで見たのよ、このお料理を」
「…そうなのかな?」
「ソルジャー・ブルーには誕生日は無くても、子供たちにはあったんでしょう、誕生日」
 アルテメシアで助けた子たちは、誕生日を覚えていた筈よ。成人検査を受けていないんだから。
「ホントだ、子供たちにはあったんだっけね、誕生日!」
 お祝いもあったよ、せっかくの誕生日なんだから。
 成人検査の時にミュウだと分かって怖い目に遭った子供たちでも、誕生日は特別。
 育ててくれた人たちと祝った幸せな思い出が沢山あったし、成人検査とは別だったんだよ。



 成人検査の日は十四歳の誕生日。前の自分が生きた頃には「目覚めの日」と呼ばれて、養父母に別れを告げる日だった。
 普通は記憶を処理されてしまい、もう養父母とも会えないけれど。
 その日にミュウの力に目覚めてシャングリラに連れて来られた子供は、養父母と暮らした日々を忘れはしなかった。それまで一緒に誕生日を祝ってくれた父と母とを。
 だから目覚めの日に何があろうと、どんな酷い目に遭っていようと、特別だった誕生日。
 白いシャングリラに迎えられた後も、彼らは誕生日を祝って貰って喜んでいた。成人検査よりも前に救い出されて、船に来た子と同じように。
 「今日は誕生日だから」と用意された特別な料理を楽しみ、幸せそうな顔をしていた。
 十四歳の誕生日だった、目覚めの日に彼らを襲った恐怖。
 その体験さえも、誕生日パーティーというイベントの前では霞んで消えてしまって、船で出来た友達に囲まれて、嬉しそうだった子供たち。
 大人になった後も彼らは毎年、誕生日を祝い合っていた。友達を集めて、毎年、毎年。



 母のお蔭で思い出すことが出来た、シャングリラにいた子供たちのための誕生日。
 シャングリラのことは、母も自分が話した分だけ、色々と覚えてくれているから。今日のように思い出してくれたりもするから、頼もしい。
 前の自分を忌み嫌わないで、そっくり丸ごと受け止めてくれる母の優しさと温かさが。二人分になってしまった記憶も、途惑うことなく受け入れてくれる心の広さが。
 その母は例の写真を見ながら。
「思い出せるといいわね、これ」
 誰のお誕生日かはママには分からないけれど、きっと大切なパーティーでしょう?
 今でも覚えているほどなんだし、ソルジャー・ブルーの大事な思い出の一つじゃないの?
「うん…。ぼくもそういう気がするけれど…」
 誰だったのかな、前のぼくが覚えているほどの大切なパーティーだなんて。
 誰のお祝いだったのかなあ、このお料理…?
「この新聞記事、切って行ったら?」
 何度も見てたら思い出せるかもしれないわよ、何かのはずみに。
 机の前に貼っておくとか、引き出しの中に仕舞っておくとか。
「…いいの?」
「せっかくだものね。パパだって何も言わないわよ、きっと」
 新聞は読んでから出掛けたんだし、裏側の記事はパパが好きそうな記事でもないし…。
 切っちゃっていいわよ、パパが「なんだ?」って不思議がったら、ちゃんと説明しておくから。



 記憶の手掛かりに持って行きなさい、と貰った切り抜き。ハサミでチョキチョキ切った新聞。
 それを手にして自分の部屋に戻ったけれど。
 勉強机の前に座って、料理の写真と向き合ったけれど。
(うーん…)
 いくら頑張っても思い出せない、写真の中の料理の記憶。自分の心を惹き付けた料理。
 チキンの丸焼きに、スープにテリーヌ、パテにサラダに…、と並んだテーブル。
 確かに自分は見たと思うのに、何処だったのかも分からない。白いシャングリラの食堂にあったテーブルだったか、子供たちがよく集まっていた部屋のテーブルか、それすらも。
 誕生日パーティーが開かれた場所は色々、子供たちが自分で好きに選べた。その日の主役になる子が選んだ、この場所がいい、と。
 そんなわけだから、ヒルマンが授業をしていた教室、其処で祝った子だっていた。公園を選んでガーデンパーティー気分の子供だっていた、展望室を選んだ子だって。
 とびきりの場所で開かれたパーティーの料理だったろうか、この写真は?
 こういうアイデアもあったのか、と前の自分が驚いたほどの穴場と言おうか、素敵なスペース。子供ならではの柔軟な発想、それが生かされたパーティーの料理だったとか…?



 けれども戻ってくれない記憶。料理も、それが披露された場所も。
(ハーレイだったら…)
 もしかしたら、覚えているのだろうか?
 元は厨房の出身なのだし、料理に対する関心は前の自分よりも遥かに高かったろう。同じ料理を目にしたとしても、「俺ならこうする」と考えてみたり、「いい出来だ」と心で頷いていたり。
(…でも、誕生日…)
 子供たちのための誕生日パーティーに、ハーレイは呼ばれていただろうか?
 ソルジャーだった自分は子供たちと遊ぶことが多かったし、それを仕事にしていたほど。船での仕事を手伝いたくても、皆が遠慮して何の役目もくれなかったから。
 「ソルジャーがなさることではありません」と断られてしまった仕事の数々、仕方ないから養育部門を手伝った。子供たちと一緒に遊ぶ分には、誰も文句を言わなかったから。スタッフの仕事も楽になるから、仕事のつもりで子供たちの相手。
 それだけに、誕生日のパーティーに出席したことも多い。会議などが入っていなければ。
 ハーレイの方はどうだったろうか、と記憶を手繰って。
(うん、たまには…)
 白いシャングリラの舵を握っていたキャプテン・ハーレイ、穏やかな笑顔のキャプテンは人気があったから。子供たちにとても好かれていたから、誕生日パーティーにも招かれていた。
 ブリッジの仕事を抜けられそうなら参加していた、前の自分と同じように。



 そうなってくると、ハーレイが覚えているかもしれない。
 自分には思い出せないパーティー料理を目にした記憶があるかもしれない、白い鯨で。
(ハーレイが来たら訊くんだけれど…)
 料理の写真は貰ったのだし、「これだよ」と見せて訊くことが出来る。得意ではないサイオンを使って自分の記憶を見せなくても。
 今日は仕事の帰りに寄ってくれるか、どうなのだろう、と考えていたらチャイムが鳴って。そのハーレイが来てくれたから、いつものテーブルを挟んで向かい合うなり訊いてみた。
 例の切り抜きを持って来てテーブルに置いて、「これなんだけど」と。
「あのね、この料理を覚えてる?」
 此処に写っている料理。ハーレイ、覚えていないかな…?
「はあ?」
 覚えてるかって…。俺がチキンの丸焼きを食ったかと訊いているのか、その質問は?
「そうじゃなくって、これ全部だよ。チキンもパテも、テリーヌもサラダも」
 全部纏めて一つなんだよ、シャングリラのだと思うんだけど…。
 きっと子供たちの誕生日パーティーの時の料理で、こういう風にズラッと並んで。
「…俺には全く見覚えが無いが?」
 チキンもそうだし、テリーヌもパテも、スープもだな。
 どれも全く覚えちゃいないぞ、シャングリラの料理だと言われればな。



 誕生日パーティーの料理としては、と断言された。
 こういう料理は有り得ないと。
「いいか、子供の誕生日パーティーなんだぞ。そこの所をよく考えてみろ」
 子供のパーティーにここまではしないな、今の時代なら普通なんだろうが…。
 シャングリラの食料事情ってヤツからすればだ、この手の料理は大人向けだな。チキンを丸ごと一羽分だぞ、子供たちに出すなら丸焼きじゃなくて他の料理だ。同じ鶏を一羽分にしても。
「そういえば…。丸焼きはちょっと豪華すぎるね」
 子供たちだと、丸焼きを綺麗に食べるというのも難しそうだし…。肉が沢山残りそうだし。
 そうなっちゃうより、チキンを使った他の料理を作った方が良さそうだものね…。



 ハーレイの指摘の通りに豪華すぎる料理。
 チキンの丸焼きもそうだけれども、他の料理も白いシャングリラで作るとしたなら、手間や味が分かる大人向け。スープはともかく、テリーヌやパテは。
 子供たちのための特別となれば、せいぜいケーキ。誕生日パーティーのテーブルで主役を務める甘いケーキで、子供たちの年の数だけ蝋燭を立てて…。
(ケーキ…?)
 そこで引っ掛かった、ケーキの記憶。
 ケーキだった、と料理と一緒に浮かび上がったケーキだけれど。
 チキンの丸焼きにテリーヌにパテ、スープやサラダと盛り沢山に並んだテーブル、其処には当然ケーキの姿もあったのだけれど。
(…箱…?)
 新聞に載っていた写真によく似た食卓の上に、ケーキの箱。
 明らかに買って来たケーキだと分かる紙箱、その中に入っていたケーキ。箱から出されないで、紙箱のままで。
 どんなケーキかも分からないケーキ。
 生クリームたっぷりのケーキだったか、フルーツで飾られたケーキだったか、それすらも謎。
 箱に仕舞われたままなのだから。大皿に載ってはいないのだから。



「シャングリラじゃない…!」
 ママでもないよ、と叫んだら。間違いないよ、と声を上げたら。
「おいおい、それが何故分かるんだ?」
 何処で見たかも思い出せないと言っているくせに、急にキッパリ違うだなんて…。
 どういう根拠で言っているんだ、シャングリラでもお前の家でもないと。
「ケーキだよ。…ケーキの紙箱が置いてあるんだよ」
 ぼくが覚えてる、この写真に似た料理が並んだテーブルの上に。
 お店で誕生日用とかの大きなケーキを丸ごと買ったら、専用の箱に入れてくれるでしょ?
 ああいう箱だよ、ケーキは箱に入ったままで置いてあるから…。
「そいつは確かに有り得ないな。お前の家でも、シャングリラでも」
 シャングリラだったら、ケーキは紙箱に入って売られちゃいないし、その光景はまず無いな。
 お前の家だと、誕生日ケーキはお母さんが手作りするんだろうし…。
 仮にお前が「お店で売ってるケーキがいい」と強請って買って貰ったとしても、紙箱のままっていうのはなあ…。
 パーティーの時には、箱から出して皿に載せなきゃ話にならん。
 でないとケーキの見せ場も無ければ、蝋燭を飾って吹き消すことも出来ないし…。食事の後でと思っていたなら、傷まないように冷蔵庫に入れておくだろうしな。



 ますます深まってしまった謎。
 テーブルに並んだ料理はともかく、紙箱に入ったままで置かれたケーキは…。
「誰のだろ…?」
 あのケーキの箱、誰のだったんだろう…?
 箱がああいう大きさなんだし、もう間違いなく誕生日パーティーだと思うんだけれど…。
「前のお前か?」
 成人検査を受けるよりも前に、誕生日を祝って貰った時の記憶か?
「分からない…」
 そうかもしれない、っていう気もするけど、どうなんだろう?
 とても大切な料理なんだ、って思ってるんだし、その可能性もゼロじゃないけれど…。



 前の自分の誕生日か、と問われてみれば「違う」と即座に否定は出来ない。
 チキンの丸焼きにテリーヌにパテ、今の自分を一目で惹き付けてしまった料理の写真。こういう料理を何処かで見たと、確かにこういうテーブルだった、と。
 けれど、前の自分が生きていた頃でさえ、全く無かった誕生日の記憶。
 祝って貰った思い出どころか、この世に生まれた日付でさえも。
 前の自分が死んでしまった後で、シャングリラが向かったアルテメシア。あの雲海の星で戦いの火蓋が切って落とされ、勝利を収めて、テラズ・ナンバー・ファイブを倒して。
 やっと手に入れた膨大なデータ、地球の座標を含んだその中に前の自分のデータもあった。前のハーレイが記憶したそれを、今の自分が教えて貰った。誕生日のことや、養父母のことや。
 生まれ変わって今の自分になるまで、知らなかったままの誕生日。思い出せなかった、養父母の顔や暮らしていた家。
 そんなにも遠い、前の自分の誕生日。いつだったのか、誰と一緒に祝っていたのか、遥かな時の彼方へと消えた今頃になって知った日付と、養父母の顔と。
 その誕生日の料理の記憶が、今頃戻って来るだろうか?
 前の自分が生きた頃でさえ、思い出そうと懸命に足掻いた前の生でさえ、戻らなかった記憶。
 ついに戻っては来なかった記憶…。



(成人検査で殆ど消えて…)
 記憶を手放せと命じた機械の声。次々に消去されていった記憶。
 それが悲しくて、嫌で、耐えられなくて。
 手放すものかと抵抗したのが引き金になって、ミュウに変化してしまったのが自分。金色だった髪は銀髪に変わり、水色だった瞳は色を失って血の赤になった。
 ミュウになった上に、姿もアルビノに変わった自分は、もはや人間扱いはされず、ただの動物。
 実験動物として檻に入れられ、繰り返された人体実験の末に残った記憶も全部失くした。
 忌まわしい成人検査の記憶だけを残して、他のことは全部。
 一種の健康診断なのだと思い込んでいた検査の直前、それは覚えているのだけれど…。
 順番を待っていた部屋の壁に映った、金髪だった頃の自分の姿。今と同じに子供の姿で、周りを見回したりもして。
 これから始まる検査で全てが変わってしまうなどとは、思いもせずに。



 何も知らなかった無邪気な自分。成人検査の正体も知らず、健康診断だと思っていた自分。
 機械がそのように仕向けたとはいえ、なんと自分は馬鹿だったのか。
 それから後の長い長い生は、成人検査との戦いの日々。ミュウを弾き出そうとする機械に抗い、何人の仲間を救い出したことか。
 記憶を消してしまう成人検査。ミュウに変化する引き金にもなる成人検査。
(…成人検査…?)
 それが心にふと引っ掛かった、あの食卓と重なった。
 チキンの丸焼きにテリーヌにパテ、ケーキの紙箱が置かれたテーブル。
 誕生日を祝うために作られた数々の料理、それを用意して貰った子供の名前は…。



「そうだ、ジョミーだ!」
 あの料理を食べようとしていた子供はジョミーなんだよ!
「ジョミーだと?」
 おい、あのジョミーか、ソルジャー・シンだったジョミーのことか…?
「うん、この写真とそっくりだった。ジョミーが作って貰ってた料理…」
 目覚めの日の前祝いにパーティーしよう、って、前の日の夜にジョミーのお母さんが…。
 ケーキはお父さんが買って来たんだよ、仕事の帰りに。ジョミーのために。
 …ジョミーは心理検査をされてしまって、パーティーどころじゃなかったけれど。
「ジョミーの祝いの料理って…。お前、そんなの覚えていたのか」
 料理に興味があったようには思えなかったがな、前のお前は。
 俺が厨房にいた頃は、手伝ったりもしてくれていたが…。
 チキンが丸焼きになっていようが、捌いてソテーになっていようが、気にしないと言うか…。
 パーティー用の豪華料理でも、普通の飯でも、要は食えれば充分と言うか…。
「そうなんだけれど…。ジョミーの食事は、見ていたからね」
 次の日に迎えに行くと決まっていたジョミーだよ?
 しかも、前のぼくを継ぐソルジャー候補。
 気にならない筈がないじゃない。いざとなったら予定を早めて救出しなくちゃいけないし…。
 実際、ユニバーサルに心理検査を捻じ込まれたよね、強引に。
 そんな時だから、ずっと見ていた。…ジョミーのお母さんが料理を作っていた所も。



 キッチンで腕を奮っていたジョミーの母。
 スープを仕込んで、テリーヌにパテに、それからサラダ。丸ごとのチキンにたっぷりの詰め物、オーブンで焼き上げて、足に飾りの紙とリボンを巻いて。
 自分もあんな風だったろうか、と眺めていた。
 記憶は失くしてしまったけれども、育てられた家で最後に食べた母の手作りの料理。父も一緒に囲んだのだろう、目覚めの日を迎える前の夜の食卓。
(あの頃は、何処の家でもパーティー…)
 目覚めの日が何かを子供は知らなくて、養父母も機械に記憶を書き換えられた後だったから。
 記憶を消される日だとも思わず、人生の節目の一大イベント。
 育てた子供の巣立ちを祝ってパーティーをするのが普通で、家で開くか、食事にゆくか。
 前の自分がどちらだったかは分からないけれど、きっと家だという気がした。母が作ってくれた料理で、父も一緒に囲んだ食卓。
 温かかっただろう、パーティーの夜。ケーキもあったに違いない。
 母の手作りか、ジョミーと同じに父が買って来たのか、目覚めの日を祝う大きなケーキ。蝋燭を立てて、火を点して。
 十四歳を表す数の蝋燭を吹き消しただろう、フウッと力一杯に吹いて。
 養父母に優しく見守られる中、明日は巣立つのだと、誇らしげに。
 ジョミーのように養父母との別れが悲しく辛かったとしても、心配させまいと得意げな顔で。



 母の心尽くしの料理を、父が買ったケーキを、ジョミーはその夜に食べ損なったけれど。
 ケーキを手にした父が帰った時には、心理検査の真っ最中という有様だったけれど。
(…だからケーキは箱に入ったまま…)
 紙箱に入れられたままのケーキを自分は見ていた、ジョミーはどうかと見守る間に。
 昏々と眠るジョミーの側にも立ったけれども、養父母の様子も、祝いの料理も眺めていた。箱に入ったままのケーキも、翌日の朝食に回すことになった冷めた料理も。
(…ジョミーは、次の日…)
 心理検査を受けたことなどすっかり忘れて、母が作った祝いの料理を食べて出掛けた。ケーキも朝から切って貰って、養父母と囲んだ旅立ちの食卓。
 ジョミーは「さよなら!」と叫んで家を飛び出して行ったけれども。
 それが別れだと分かっていたけれど、羨ましかった。
 養父母と過ごした温かな時間、自分は失くしてしまった時間。欠片さえも残っていない思い出。
 こんな風に自分も旅立ったのかと、ほんの少しでも思い出せればいいのにと。



「それに、ジョミーは忘れなかったんだよ…」
 前のぼくが成人検査を妨害したから、お母さんが最後に作ってくれた食事を。
 目覚めの日の朝に温め直した料理だったけど、何を食べたか、どんな味だったか、覚えたままでシャングリラにやって来たんだよ…。
 だから余計に、ぼくも忘れなかったんだろうね、ジョミーのお母さんが作った料理を。
 今頃になっても、これがそうだ、って思い出せるくらいに覚えてしまって。
「そういや、そうだな。ジョミーは忘れちゃいなかったんだな、前のお前が見ていた料理」
 この写真とそっくり同じだった、っていうパーティーの料理を覚えてたんだな、忘れないで。
 前の俺たちは何も覚えちゃいなかったが…。
 料理どころか、育ててくれた親の顔さえ、綺麗サッパリ忘れちまって何も残らなかったんだが。
「あの時代は普通は忘れちゃったよ、何を食べてから出掛けたかなんて」
 養父母の顔だって霞んでしまって、ハッキリしないのが成人検査の後なんだもの。
 料理なんかは忘れてしまって当たり前だよ、誰だって。
 それを忘れずに覚えていたジョミーは、とても幸せだったよね…。
 シャングリラに来た子供たちの中にも、そういう子供は何人もいたと思うけど…。
 ジョミーが覚えていたっていうのは、きっと大きな力になったよ。
 前のぼくみたいに忘れてしまったソルジャーじゃなくて、ちゃんと覚えていたソルジャー。
 もしかしたら、トォニィたちを生み出したアイデアの元も、そういう所から来ていたかもね。
「そうかもなあ…」
 育ての親でも、きちんと思い出が残っていたのは大きいかもな。
 家族というのは大事なもんだと、親子の絆はとても強いと、何処かで気付いていたかもなあ…。



 そのせいでホームシックになっていたが、と笑うハーレイ。
 せっかく安全な場所に来たのに、家に帰ろうとしていたんだが、と。
「あれでお前は酷い目に遭って…。ただでも残り少なかった力を使っちまって…」
 危うく死んじまう所だったんだぞ、ジョミーを助けに飛び出して行ったまではいいが…。
 ついでにリオもだ、巻き添えにされて心理検査を受けさせられて。
 前のお前が帰してやれと言ったばかりに、とんでもない結果になったんだがな?
 シャングリラまで浮上させる羽目に陥っちまって、人類軍との戦闘だ。
 ジョミーをしっかり閉じ込めておけば、ああいうことにはならなかったと思うわけだが。
「…まあね。でも、分かるよ。今のぼくなら、ジョミーの気持ちが」
 あの時は「頭を冷やしてこい」っていうつもりでシャングリラから家に帰したけれど…。
 帰ったって何も残っていやしない、って分からせるつもりでいたんだけれど…。
 ジョミーにしてみれば人攫いの所から逃げ出せたような気持ちだっただろうね、家に帰る時は。
「確かにな…」
 人攫いだったろうな、前のお前も、俺たちも、みんな。
 ジョミーにとってはシャングリラは本当に人攫いの船で、箱舟には思えなかったんだろうな…。



 あの頃の自分たちには分からなかった。
 どうしてジョミーが、あんなに帰りたがったのか。
 成人検査が失敗に終わって銃撃された上に追われていたのに、家に帰ろうと考えたのか。
「今のぼくなら、帰っちゃうよ。…ジョミーみたいに」
 家に帰ったら殺されちゃうよ、って言われたとしても、帰ってみるよ。
 本当か嘘か分からないんだし、家に帰ったら、パパとママが守ってくれる筈だし…。
 きっとジョミーがやったみたいに、「家に帰して」って怒って帰って行っちゃうんだよ。
「俺でも間違いなく帰るだろうなあ…」
 誰がなんと言おうが、自分の目玉で確かめるまでは信じないってな。
 殺されるだなんて嘘を言いやがって、と怒鳴り散らして出て行くだろうな、シャングリラから。
 ジョミーみたいに船を出しては貰えなかったら、盗み出してでも逃げるだろう。
 どうやって操縦するのかサッパリ分からなくても、ヤケクソってヤツだ。
 こんな人攫いの船にいるよりよっぽどマシだと、こうすりゃエンジンがかかるだろうと。
「…ハーレイ、そこまでやっちゃうんだ?」
「当たり前だろうが、人攫いの船から逃げなきゃいけないんだぞ?」
 帰して下さいとお願いしたって無駄となったら、後は行動あるのみだ。
 俺が間違ってはいないんだったら、道は自然と開けるってな。
 …もっとも、あの時代にそれをやってりゃ、撃墜されるか、墜落するかのどっちかだがな。



 ある日突然、両親と引き裂かれてしまったら。
 知らない所へ連れてゆかれて、其処で生きろと言われたなら。
 今の自分なら、耐えられはしない。ハーレイでさえも、家へ帰ろうとして逃げると言うから。
「…ぼく、酷いことしちゃったかな…」
 ジョミーに悪いことをしちゃったのかな、お母さんたちから引き離しちゃって…。
「いや、間違ってはいなかったんだが…」
 お前が妨害しなかったなら、ジョミーは成人検査を無事にパスして行ったんだろうし。
 そうなっていたら、シロエみたいになってしまったか、何もかもを忘れて普通に生きたか。
 どっちにしたって養父母の記憶は薄れちまうし、料理のことまで覚えちゃいないぞ。
 そいつを覚えたままでいられたんだし、ジョミーは幸せだったんだ。
 最初の間は派手にお前を恨んだだろうが、後になるほど感謝してたさ、自分がどれほどラッキーだったか気付いたら。
 何一つ忘れずにいられるのは誰のお蔭かってことに気付けば、もう恨んだりは出来んだろう。
 お前に直接、礼を言うことは無かったとしても、感謝の気持ちはあった筈だぞ。



 あれで良かったんだ、とハーレイは大きく頷くけれど。
 前の自分がジョミーをシャングリラに連れて来たことは正しかったと言ってくれるけれど。
「…だけど、やっぱり…。ちょっと罪悪感…」
 お母さんの料理を思い出しちゃったら、悪いことをしたって思っちゃう。
 ジョミーはお母さんが作った料理をもう一度食べたかったんだろうな、って…。
「そう思うんなら、謝っとくか?」
 何処にいるかは分からないがだ、この際、ジョミーに。
 俺も一緒に謝ってやるから、頭でもペコリと下げておくんだな。
「うん、そうする…」
 窓に向かって謝ればいいかな、外にいるのは確かなんだし。
 方向がちょっと違っていたって、きっと届くよね、ジョミーの所に。



 ごめん、とハーレイと二人で窓に向かって謝った。
 ジョミーの姿は見えないけれども、其処にジョミーがいるつもりで。
 知らない世界に連れて行ってごめん、と。
 お母さんの料理が二度と食べられない船に乗せてしまって本当にごめん、と。
「…ジョミーも何処かで幸せになってくれてるといいな」
 今度はお母さんの料理を好きなだけ食べて、お父さんが買って来るケーキを何度も食べて。
「そうだな、何処かで幸せにな」
 この写真みたいな料理を作って貰って、誕生日のパーティーをして貰って。
 お母さんたちと別れさせられずに、そのまま幸せに大きくなって…。
 俺たちみたいに、うんと幸せな人生を生きてくれるといいなあ、ジョミーもな。
「うん…。うん、ぼくたちも今度はきちんと覚えているものね」
 パパもママもいるし、ずうっと一緒。
 結婚式にも来て貰えるもの、パパもママも、ハーレイのお父さんたちも…。



 そうだよね、と訊けば「そうだな」と柔らかな笑みが返って来たから。
 今度は本当に幸せに生きてゆける、ハーレイと二人、生まれ変わって来た青い地球の上で。
 誕生日のパーティーを何度も開いて、皆で賑やかに食事をして。
 いつかはハーレイの両親も一緒に誕生日のパーティーを開くのだろう。
 結婚して「お父さん」「お母さん」と呼べる時が来たら。
 今はいつまでも覚えていることが出来る父と母の顔、温かな家や家族で囲む食事のテーブル。
 其処に新しい両親が増える、ハーレイの父と母とが加わる。
 ハーレイと二人、幸せな道を一緒に歩み始めたら。
 同じ屋根の下で暮らすようになって、いつも二人で過ごせるようになったなら。
 今度はハーレイと何処までも一緒。
 手を繋ぎ合って、いつまでも二人、誕生日パーティーを何度も何度も開きながら…。




            誕生日の料理・了

※ブルーの記憶に残っていた、誕生日パーティー用らしき料理。それも前のブルーの記憶。
 その正体は、ジョミーの誕生日用の料理だったのです。ジョミーが好きだった、お母さんの。
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(えーっと…)
 学校の帰りにブルーが乗り込んだ路線バス。空席は幾つもあるのだけれども、お気に入りの席が塞がっていた。ぼくは此処、と決まったように腰掛ける場所に先客の姿。
 仕方ないから、こっちでいいか、と別の席に座って、普段とは違う角度の車内を見回していて。
(あ…)
 ふと目に入った車椅子の絵をあしらったマーク。自分が座った座席ではなくて、別の席の側に。バスの壁にペタリと貼り付けてあった、此処の座席は優先席です、という印が。
 今日のように空いているバスなら意味の無いマーク。混み合って大勢が乗っている時に、効果を発揮するマーク。
 「この席が必要な方にお譲り下さい」と、「必要も無いのに座っていてはいけませんよ」と。
 車椅子のマークがついているけれど、それは遥かな昔からの伝統。SD体制が始まるよりも前の時代から使われていた、優先席を表すマーク。誰が見ても一目で分かるようにと。
 遠い遠い昔、地球が滅びるよりも前に生まれた由緒あるマーク。



(そういえば…)
 ハーレイの授業の雑談で聞いた、優先席の歴史というものを。
 古典とは何の関係も無いのだけれども、一種の薀蓄。「車椅子のマークは、古典と同じくらいに長い歴史があるんだぞ」と。かぐや姫の話や源氏物語などよりかは千年ほど新しいんだが、と。
 車椅子のマークが表している優先席。車内が混んだら、必要な人に譲るのが決まりの座席。
 その席は昔はお年寄りのためのものだった。それと身体が不自由な人。
 お年寄りは足腰が弱いものだから、席があるなら譲るべきだという時代。身体が不自由な人でも同じで、立たせておくなど言語道断と生まれた優先席。
 もっとも、車椅子のマークを貼っておこうが、座席に「優先席」と書いておこうが、座席の色を変えておこうが、効果があるとは言えなかった時代でもあったらしいけれど。
 車椅子のマークが生まれた頃の地球では、人間は人類だったから。ミュウとは違って自分勝手な人間が多かった人類だけに、優先席も車椅子のマークも無視されがちな社会だったという。空いている時に座るならばともかく、必要な人が乗って来たって寝たふりをして座っているとか。
 授業で聞いたクラスメイトは「信じられない」と驚いていたけれど。
 人類とはそんなに酷いものかと、だからこそミュウを平気で虐げたのかと騒いだけれど。
(仕方ないよね、本物の人類を知らないんだし…)
 今は誰もがミュウだから。
 人類との戦いも遠い歴史の彼方の出来事、見て来た者など誰もいない世界。
 その世界から生まれ変わって来た、ハーレイと自分を除いては、きっと。ただの一人も。



 すっかり変わってしまった世界。地球は一度は滅びたのだし、SD体制の時代もあった。地球は再び蘇ったけれど、その地球はミュウが暮らす世界で、車椅子のマークが出来た時代とは…。
(違うんだよね、優先席だって…)
 歴史あるマークは今も使われているけれど。バスの壁に貼られているけれど。
 そんなマークを貼っておかずとも、席は自然に譲られるもの。「どうぞ」と席が必要な人に。
 とはいえ、譲る心は大切だから、と子供たちが学べるように貼ってあるのが今の時代で。
(優先席に座る人にしたって…)
 お年寄りも身体の不自由な人も、昔とはまるで意味合いが違う。
 医学が進歩したお蔭で、治らない障害は無くなった。車椅子も、松葉杖も治療中の期間だけしか使われない。それを使っている人にとっては一時的なもので、いずれ要らなくなってゆくもの。



(お年寄りの杖はお洒落なアイテムなんだし…)
 遥かな昔の紳士よろしく杖を持つだけで、それに決して頼ってはいないお年寄り。杖が無くても全く平気で、スタスタ歩いてゆけるのが普通。
 その上、車椅子などの人が滅多にいないのと同じで、老人の姿をしている人も珍しい。ミュウは外見の年齢を止めてしまえるから、三百歳でも若い人は若い。前の自分がそうだったように。
 年を取っている人は自分の好みで老けているだけ、だから身体も達者なもので。
(あんな席には…)
 座りたいとも思っていないし、座る必要も全く無い。杖をついていても、急ぐ時には杖を抱えて走り出したりするのだから。邪魔だとばかりに小脇に抱えて、それは元気に。
 彼らが座りたがらないからには、優先席は文字通りに身体の不自由な人のものだけれど。医学の進歩で減ってしまった、車椅子の人や松葉杖の人。
 優先席に座る権利を持っている人が殆どいないのが今の時代で、車椅子のマークが貼られた席はあっても、混んでいる時に小さな子供を連れた人が「どうぞ」と勧められる程度。
 ハーレイの雑談で聞いた遠い昔とは、まるで違った優先席。



 つらつらと考えながらバスに乗っていた間も、優先席は空いたままだった。他に座席は幾らでもあるし、混んで来たって、本当の意味で必要な人は滅多に乗っては来ないのだろう。
 お年寄りには意味が無い席、松葉杖などの人くらいしか必要とはしていない席。そういう座席があるということを、「必要な人には席を譲る」ことを子供たちに教える車椅子のマーク。
 「ハーレイが言っていた通り、昔とは意味がホントに違う」と思いながら降りたいつものバス。
 其処から家まで歩いて帰って、ダイニングでおやつを食べる間に、また思い出した。
 あまり意味の無い優先席。身体の不自由な人はともかく、お年寄りには不要な席。年を取っても元気一杯、杖はお洒落なアイテムだから。
 第一、あまり見掛けないお年寄り。今日のバスでも見なかった。



(お祖母ちゃんたちだって…)
 遠い所に住んでいるから、滅多に会えない祖父母たち。通信で声を聞くくらい。
 その祖父母たちも、そんなに年を取ってはいない。「お年寄り」にはとても見えない、何処から見たって父や母よりも年上な程度。何歳くらいと言えばいいのか、直ぐには思い付かないけれど。
(ぼくが生まれた頃には、まだ年を取るのを止めてなかった…?)
 どうだったっけ、と悩むくらいに若い祖父母たち。お洒落な杖さえ似合わない姿。お年寄りには見えないのだから、杖をついたら「怪我ですか?」と訊かれるだろう、きっと。足を怪我したから杖の出番かと勘違いをされてしまうオチ。
 年を取っている知り合いと言えば誰だったろう、と考えたけれど。
 生憎と自分の周りにはいない、親戚も近所の人たちも老人とまで言える姿になってはいない。
 そうなってくると…。



(ハーレイのお父さんたちくらい?)
 年を取るのを止めると決めたのが、今年の夏の終わりだから。それまでは年を取り続けたから、祖父母たちよりも年を取っている筈。
 ハーレイの両親に会ったことは無いし、姿も知らないままだけれども。
 ヒルマンに少し似ているというハーレイの父は、きっと…。
(お年寄りだよね?)
 足腰は充分すぎるほど達者で、釣りが大好きなハーレイの父。魚が釣れる場所があるなら山にも登るし、暗い内から海にも出掛ける行動派。
 とにかく元気なハーレイの父だけに、ヒルマンほどに年を取っているかは分からない。真っ白な髭を蓄えていたヒルマンは、今の時代なら最高齢の部類に入るだろう。外見の年は。



 テーブルの上にあった新聞を広げてみたって、見当たらない年を取った人の姿。街をゆく人々を捉えた写真も、郊外の景色を楽しむ人々を写したものにも、お年寄りと言える姿は無くて。
 子供か、若いか、祖父母たちくらいか、そんな見掛けの人ばかり。雑踏の中も、自然の中も。
(一人もいないよ…)
 端から探した新聞の写真。遠く離れた他の地域の写真もチェックしてみたけれども、老人らしき背格好の人さえ見付からない。
 つまりは広い地球でも希少なお年寄り。ごく少数派の、年を取るのが好きな人。
(ホントのホントに少ないんだ…)
 前の自分が生きた頃には大勢いたのに、と思ったけれど。
 人が集まる場所に行ったら、お年寄りの姿は当たり前のようにあったのだけれど。
(あれ…?)
 ちょっと待って、と自分自身に問い掛けた。前の自分に。ソルジャー・ブルーだった自分に。
 大勢いた筈のお年寄り。あちこちで姿を見掛けたけれども、それは人類が暮らす場所だけだったような気がしないでもない。前の自分が何度も降りたアタラクシアの育英都市。
 白いシャングリラにも年を取った人間が大勢いたかと尋ねられたら自信が無い。
 ミュウの箱舟だった船には、お年寄りの姿が多かったろうか…?



 唐突に浮かんで来た疑問。前の自分が暮らしていた船。
 記憶を探って確かめなければ、と部屋に戻ってゆっくり時間を取ることにした。キッチンの母に空になったお皿やカップを渡して、「御馳走様」とピョコンと頭を下げて。
 そうして座った、自分の部屋の勉強机の前の椅子。机の上に頬杖をついて遠い記憶を手繰る。
(んーと…)
 前の自分が目にした大勢の老人たち。人が沢山集まっていれば、お年寄りの姿も混じっていた。少なくとも人類が暮らす育英都市では、そうだった。
 アタラクシアでもエネルゲイアでも、養父母の役目を終えて引退生活をしていたのだろう人々の姿を幾つも見掛けた。夫婦や仲間同士で連れ立っていたり、一人で外出中だったり。
 白いシャングリラの外の世界では珍しくもなかった老人たち。
 ミュウの子供を救出するための下見の時やら、情報収集のために降りた時やら、人類が生活している世界に行く度、何度も見掛けた老人の姿。人混みの中に混じっていた。
 けれど…。



 シャングリラの中はどうだったろう、と馴染んだ船に視点を移せば、消えてしまったお年寄り。老人らしき姿が見付からない。大勢の仲間が乗っていた船で年寄りと言えば…。
(ゼルとヒルマンだけ?)
 長老と呼ばれた二人の他には思い浮かばない高齢者。お年寄りという言葉が似合う人間。
 白い髭がトレードマークだったヒルマンと、禿げ上がった頭がよく目立ったゼル。彼らの他には男も女も思い付かない、老人らしき姿は見当たらない。
 いくら記憶を掻き回しても。遠い記憶を手繰ってみても。
(ぼく、忘れちゃった…?)
 まさか、と順に挙げてゆく名前。白いシャングリラで共に暮らした仲間たち。
 ソルジャーだった自分が彼らを忘れる筈が無い、と指を折りながら数えてゆく。船の中心だったブリッジから始めて、機関部や農場、厨房に養育部門に、メディカル・ルームに…。
 一通り数え終わったけれども、仲間たちの顔も名前も浮かんだけれど。
 重なってこない、年を取った仲間たちの顔。
 ゼルとヒルマンの二人の他には、誰一人いない老人の姿をした仲間。



 念のために、とアルタミラから一緒だった古参の仲間を数え直したけれども、その中にも一人も見当たらない。ゼルとヒルマンを除いては。
(もしかして、他にはいなかった…?)
 あの二人しかいなかったろうか、白いシャングリラに乗っていた老人は。
 実年齢はともかく、外見の上ではお年寄りと呼べる人間が他にいなかったろうか、あの船は…?
 それとも自分が忘れ去っただけで、シャングリラにも老人は何人もいたのか、それが謎。
 もしも忘れたのなら酷い話で、ソルジャー失格な気分になる。
(生まれ変わる時に、何処かに落として来ちゃったにしても…)
 忘れた仲間に申し訳ない、と溜息をつきながら悩んでいたら、チャイムが鳴った。窓から覗くと門扉の向こうで手を振るハーレイ。
 応えて大きく手を振り返して、「丁度良かった」と頷いた。
 ハーレイだったら、きっと覚えているだろう。長年キャプテンを務めたのだし、シャングリラの仲間たちの姿がどうであったか、年を取った仲間がいたかどうかも。



 部屋に来てくれたハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合わせ。お茶とケーキもそこそこにして、早速、ハーレイに問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。ゼルとヒルマンなんだけど…」
 年寄りだったことは覚えているよね、あの二人が…?
「そりゃあ、間違えても忘れはせんが…。どうかしたか?」
 ゼルとヒルマンがどうかしたのか、夢にでも出たか、あいつらが?
「そうじゃなくって…。他にも年を取った仲間はいたっけ?」
「はあ?」
 なんだ、とハーレイが鳶色の瞳を丸くしたから。
 思い出せないんだよ、と白状した。
 みんなの名前は覚えているのに、ゼルとヒルマンの他にも年寄りがいたかどうなのかを、と。
「…酷いでしょ?」
 生まれ変わってくる時に落っことして来ちゃったのかな、みんなの顔を。
 若い顔しか覚えていなくて、頑張っても思い出せなくて…。
 今のぼくはソルジャー・ブルーじゃないけど、これじゃソルジャー失格だよ。
 みんながどういう顔をしてたか、すっかり忘れてしまったなんて。



 自分でも情けないんだけれど、とブルーは頭を振ったのだけれど。
 ハーレイの方はクッと短く喉を鳴らして、「年寄りなあ…」と笑みを含んだ声で。
「いるわけないだろ、あいつらの他に」
「えっ?」
「お前の記憶で合っているんだ。シャングリラで年寄りと言ったら、あいつらだけだ」
 好きに年齢を止められたしなあ、年寄りなんぞはいやしなかった。ゼルとヒルマンの他にはな。
 そもそも、何のための長老だったんだ?
 そこの所をよく考えてみろよ、どうしてゼルとヒルマンは年を取ったんだっけな…?
「えーっと…」
 前のぼくが若すぎたからだったっけね、ソルジャーなのに。
 それじゃ睨みが利かないから、ってゼルたちが年を取ったんだっけ…。



 言われてみれば、自分たちの威厳を保つためにと年を取り続けたゼルやヒルマンたち。
 他の仲間が若い姿なら、年を重ねれば自然と重みが増すだろうから、と止めなかった外見年齢。
 後に長老と名付けられたのも、姿の関係なのかもしれない。年齢だけなら同じような仲間は他に何人もいたのだから。アルタミラからの古参だったら、誰でも長老なのだから。
 とはいえ、エラとブラウは早めに外見の年を重ねるのを止めてしまったけれど。ヒルマンたちのようになるまで老けずに、髪に白髪も混ざらない内に。
 ハーレイだって、ゼルたちよりは遥かに若かった。他の仲間たちよりは年かさと言うだけ、まだ老人とは言えない姿。今と同じで、せいぜい中年、初老と呼ぶにもまだ早かった。



 その差は何処から来たのだろう、と不思議に思った前のハーレイと長老の四人。
 同じように年を取ってもいいのに、何処で違いが生じただろう、と首を傾げたら。ハーレイにはそれだけで通じていたのか、あるいは心が零れていたか。
 言葉にする前に答えが返った、ハーレイから。
「前の俺たちの外見の違いというヤツか? それはだな…」
 簡単なことだ、エラとブラウは女心だ。
 少しでも若い方がいいと思うのが女性ってヤツで、あのくらいの年が限界だったわけだな。
 まだまだ充分、女性らしい魅力が漂う姿で、なおかつ年も重ねてとなると、あの辺りだった。
 もっと老けたら綺麗じゃなくなると思ったってことだ、あの二人はな。
「…ハーレイは?」
 ハーレイはどうなの、女心じゃなくって男心とか…?
 あれよりも老けたらカッコ良くないとか、そう思ってあそこで止めちゃったの?
「俺は船を操る関係上な…」
 シャングリラの操舵は場合によっては力仕事だ、何時間だって立ちっ放しってこともある。
 それに機敏に反応出来なきゃ話にならんし、キビキビ動ける身体を持っていないとな…?



 ウッカリ年を取りすぎるとマズイ、と笑うハーレイ。
 自分の好みと言うだけだったら、もっと年を取っても良かったんだが、と。
「今の俺だって、そういうつもりでいたからなあ…。お前に出会って止めちまったが」
 年を取るってことに関しちゃ、俺は取りたい方なんだ。
 前の俺だって、キャプテンという仕事をやっていなけりゃ、どうなっていたか分からんぞ。
 これが俺かとお前が驚くくらいの姿になってたかもなあ、もっと年を取って。
「…じゃあ、ヒルマンとゼルは?」
 どうして二人だけ、あそこまで年を取っちゃったの?
 ヒルマンもゼルもすっかり白髪で、ゼルはツルツルに禿げちゃっていたよ。髪の毛が薄くなって来たかも、って気が付いた所で年を止めていたら、あんな風に禿げたりしなかったのに…。
 ヒルマンにしたって、あそこまで年を取らなくてもいいと思うんだけどな。
 シャングリラにお年寄りは二人だけだった、って聞いたらなおのことだよ、適当な所で止めれば普通で済んだのに…。
 エラとかブラウとか、ハーレイみたいに。



 あの二人は年を取りすぎだったと思うけれど、と呟いたら。
 やり過ぎだろうと、ゼルとヒルマンの姿と他の仲間たちの姿を頭の中で比べていたら…。
「あいつらの姿は、完全に趣味だ」
 俺と同じだ、年を取るのが趣味だったんだ。だからヤツらは後悔してない。白髪だったことも、綺麗サッパリ禿げちまったことも、あいつらにとっては趣味の副産物ってな。
「…趣味だったの?」
 あれってゼルたちの趣味だって言うの、シャングリラで二人だけしかいなかったお年寄りの姿。
 そりゃあ、今でもああいう姿が好きな人はたまにいるけれど…。
「俺が言うんだ、間違いない」
 あの二人とは数え切れないほど一緒に酒を飲んだし、飲み友達っていうヤツだ。
 ただの友達ならばともかく、飲み友達に嘘は言わんだろう。
 酒が入れば本音も出るしな、普段は言わない文句や愚痴も出てくるもんだ。
 あいつらの愚痴は散々聞いたが、白髪や禿げについては一度も聞いちゃいないぞ。むしろ自慢の種ってヤツだな、ヒルマンの髭とゼルの頭はな。
 「わしの頭はよく光るんじゃ。上等なんじゃ!」と磨き始めたとか、「この髭は君が生やしても似合わないだろうねえ、品の良さとは逆になりそうだよ」と得意げに何度も引っ張ってたとか…。
 頭が光る件はともかく、髭の方は確かに否定出来んな。
 俺がヒルマンみたいな髭を生やしてたら、見た目はまるで海賊だろうし…。そう思わないか?



 飲み友達だけに間違いはない、と説得力のある言葉。
 愚痴も本音も山ほど聞いて来たから、二人が年を重ね続けたのは明らかに趣味だ、と。
「だが、あいつらの他には知らないなあ…。そういう趣味の持ち主はな」
 少なくとも、俺たちの船にはいなかった。トォニィの代になったら誰かいたかもしれないが。
 俺たちの時代には見事に全員、若かったわけだ、俺ですら年を取ってた部類だ。
 お前の記憶に無くて当然っていうことになるな、年寄りに見えた仲間ってヤツは。
「それじゃ、あの二人だけが例外だったの?」
 他のみんなには年を取ろうっていう趣味が無くて、若い姿のままだったんだ…?
「そうなるな。シャングリラでは貴重な年寄りってことだ、あの二人の他にはいないわけだし」
 船の中を隈なく捜し回っても、他の年寄りは何処にもいなかった。若いヤツなら山ほどいたが、年寄りとなると二人だけだぞ、ゼルとヒルマンだけだったんだ。
 …それでだ、お前、知ってるか?
「何を?」
 ゼルとヒルマンのことはハーレイには敵わないけれど…。
 ぼくが知ってるのはソルジャーとして分かる範囲で、愚痴や本音は詳しくないよ?
「都市伝説っていうヤツなんだが」
 知らないか、そいつ?
「都市伝説…?」
 なんなの、それって、どういう意味?
 都市伝説っていう言葉も知らないけれども、そんな言葉、シャングリラにあったっけ…?



 まるで知らない、とキョトンとしてしまったブルーだけれど。
 それも当然、都市伝説とは今のハーレイが得意な雑談のネタの中の一つで。
 SD体制が始まるよりも遠い遥かな昔の地球。この地域の辺りにあった小さな島国、日本という国で使われた言葉が「都市伝説」。
 まことしやかに囁かれる噂をそう呼んだと言う。根拠も無いのに、本当のように伝わる話。
「その都市伝説。シャングリラは都市ではなかったわけだが…」
 閉じた世界で、あの船の中が世界の全てっていうヤツが殆どだった船だが…。
「何かあったの、都市伝説が?」
 本当かどうかも分からないのに、何か噂が流れていたの…?
「うむ。ゼルとヒルマンに関するヤツがな」
 今の俺なら「都市伝説か」と思うわけだが、あの頃はそういう上手い言葉は無かったなあ…。
「どんな噂なの?」
「それはだな…。シャングリラに来たガキどもは必ず、一度は聞くってヤツでだな…」
 何処からともなく耳に入るんだな、その噂。
 遊び仲間のガキが喋るとか、とっくに大人用の制服になった先輩が耳打ちしに来るとかな。
 その噂が、だ…。



 ハーレイが言うには、都市伝説とは「ゼルとヒルマンは年を止めるのに失敗した」という噂。
 ああなりたくなければサイオンの猛特訓をしろ、と囁かれていた白いシャングリラの都市伝説。
「えーっ!」
 知らなかった、とブルーは仰天した。
 ソルジャーとしてシャングリラを守り続けたけれども、一度も耳にはしていない噂。子供たちの間でまことしやかに流れ続けた都市伝説。
 しかも根拠は本当に無いし、それどころか噂は間違いだから。
 ヒルマンもゼルも自分の意志で年を取り続けていたと言うから、あまりにも酷い間違いで。
 二人の名誉にも関わることだし、とハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。
「…誰がそんな噂を流したの?」
 酷すぎるじゃない、都市伝説にしたって無責任だよ!
 前のぼくがそれを知っていたなら、絶対、違うって子供たちに言いに出掛けたのに…!
「いや、その必要は無いってな。なにしろ、噂を流していたのは…」
 あいつら自身だ、ゼルとヒルマンが積極的に関わってたわけだ。実はこうだ、と。
「…なんで?」
 自分の名誉の問題なんだと思うけど…。失敗したなんて、とってもカッコ悪いんだけど…!
「そう脅してやれば頑張るだろうが、ガキどもが」
 でないと適当にサボっちまうしな、シャングリラに来ればもう安全だし…。
 人類に追われた時の恐怖も、喉元過ぎれば何とやらってな、直ぐに忘れるガキだけにな。



 とんでもなかった都市伝説。ゼルとヒルマンが年寄りだった理由に纏わる恐ろしい噂。
 サイオンの訓練をきちんとしないと年を取ってしまうと、サボッた末路は白髪やハゲだと。
 ゼルとヒルマンが流した噂のお蔭で、訓練をサボらず頑張ったという子供たち。
 あの二人のようになっては駄目だと、なんとしても年を止めなければ、と。
「ヤエなんかは特に必死だったようだな、サイオンの訓練」
「…ヤエ?」
「うむ。覚えてるだろ、ブリッジの眼鏡の女の子だ」
 ルリと同じくらいにチビの頃からブリッジにいたな、あのヤエは。
 …って、お前はルリはチビの頃の方が馴染みがあるのか、アルテメシアじゃチビだったし…。
 大きくなったルリはメギドに行く前にチラッと見ていただけってことだな。
「そうだけど…。大きくなったなあ、って見ていたよ」
 仲間たちが揃ってこんな風に大きく育てるように、と思って見てた。
 そのためにもシャングリラを守らなくちゃって、ナスカの仲間も助けなくちゃ、って。
 でも、ルリじゃなくてヤエがどうかした?
 前のぼくがまだ元気だった間に、すっかり大人になっちゃってたけど…。
「それがだ、ヤエはあの外見を保っていたが、だ…」
 どうやら死力を尽くしたらしいな、若さを保つという方向で。
 他の方面で凄い才能を持っていたから、まさか若さにこだわってたとは思わなかったが…。



 ブリッジで主に分析を担当していたヤエ。
 メカにも強くて、地球へ向かう時、トォニィたちが乗る戦闘機の開発や整備を手掛けて、ゼルの船にステルス・デバイスを搭載したほど。
 それほどの才媛が若さを保とうと努力していたと言う、でないとモテもしないから、と。
「若さって…。モテるって、そうなるわけ?」
 ヤエほどの才能があったら、別にモテなくてもいいんじゃあ…。
 他の仲間たちから注目されるし、尊敬だってして貰えるし…。
「いやいや、モテも大切だぞ?」
 今の俺だから分かるんだがなあ、注目と尊敬だけじゃ人生に潤いってヤツが無いんだな。
 うん、今ならヤエに言ってやれるな、「人生、まだまだ捨てたモンじゃないぞ」と。
「…言ってやれるって…。その話、なんでハーレイが知ってるの?」
 ヤエがホントはモテたかったってこと、誰に聞いたの?
「トォニィとアルテラが仲良く喧嘩をしてた時にだ、愚痴ってたのを聞いちまった」
 あいつらは青春してるというのに、自分は駄目だとガックリしてなあ…。
 格納庫でトォニィの専用機を整備していた時だな、シンクロ率を上げるとか言って調整中で。



 偶然聞こえただけなんだがな、と苦笑するハーレイ。
 格納庫の今の様子はどうか、と覗いたモニターの向こうの出来事だった、と。
 若さを保って八十二年になるというのに、トォニィたちの方が青春しているなんて、と格納庫で嘆いていたらしいヤエ。整備中の専用機の影で肩を落として、滂沱の涙で。
「そうなんだ…」
 ヤエったら、きっと必死に頑張ったんだね、ゼルとヒルマンの噂を聞いて。
 ああなっちゃったら終わりだと思って若い姿を保っていたのに、努力は空振りだったんだ…?
「そのようだ。モテてたんなら、ああいう嘆きは出てこないからな」
 とはいえ、あの事件、前のお前が死んじまった後のことだがな。
 トォニィはすっかりデカくなってたし、他のナスカの子たちも成長していたし…。
「ハーレイ、笑った? ヤエの台詞を聞いちゃった時」
「もちろんだ。…声にも顔にも出せなかったが」
 ブリッジにいたんじゃ笑えないしな、その分、必死に顰めっ面だ。
 もしかしたら誰かに怖がられてたかもな、何かミスして怒鳴られるんじゃないかと勘違いして。
「それなら、良かった…」
 声に出せなくても、顔に出すことも出来なくても。
 今も覚えてて、ぼくに話してくれるくらいに可笑しいと思ってくれたんだったら…。



 その時、ハーレイが笑えたのなら、それで良かった、と微笑んだ。
 ぼくが死んだ後にも、ハーレイが笑っていてくれたなら、と。
「そりゃあ、たまにはな?」
 笑いだってするさ、どんなにドン底な気分でいたって、俺も人間には違いないんだ。
 色々と話してやっただろうが、前のお前が死んじまった後に起こった愉快な話を。
 地球へ向かう途中に立ち寄った星で、とんでもない買い物をしていたヤツらの話とかをな。
「うん…。でも、こうして聞けると嬉しいよ」
 ハーレイがブリッジで笑いを堪えてた顔が見えるみたいだよ、その時の顔。
 誰かに言おうにも言えやしないし、真面目な顔をしてるしかないし…。
 その上、ヤエが戻って来るんでしょ、暫く経ったらブリッジに?
「まあな。…もう、あの時の俺と言ったら…」
 笑いを堪えるだけで精一杯だったな、ヤエの顔を見るなり吹き出しそうでな。
 もう懸命にキャプテンの威厳を保ったわけだが、今の俺なら、ヤエを呼び出しだな、休憩室に。
 でもって、何も知らないふりして、何か飲み物でも勧めてやって。
 日頃の努力を労いながらだ、ふと思い付いたみたいに「人生は長いぞ」と話すんだ。
 いつか花が咲き、実もなるもんだと、俺もお前ほど若けりゃもっといいんだが…、とな。
「ハーレイが言うと、説得力があるのか無いのか、謎だよ、それは」
 薔薇のジャムが似合わないんだもの…。そのハーレイに言われても…。
「そこがいいんだ、強く生きろというメッセージだ」
 俺ですら諦めていないんだぞ、とアピールだな。この年になっても努力してるんだぞ、と。
「そっか、そういう方向なんだね」
 だったら、ヤエが聞いたら励みになったかも…。
 まだまだ諦める年じゃないって、ハーレイよりも見た目も年も若いんだから、って。



 思いがけない素敵な話を聞けたけれども。
 都市伝説だの、ハーレイが耳にしていたヤエの話だのと、思い出話が幾つも出て来たけれど。
 もしも、シャングリラで二人きりの年寄りだったゼルとヒルマンが今、いたならば…。
「ねえ、ハーレイ…。あの二人、今なら若いと思う?」
 前のぼくたちが生きてた頃より、年を取った人はグンと少なくなっちゃったけど…。
 ゼルたちだったらどうするんだろう、今の時代に生まれて来たら…?
「どうだろうなあ…。時代に合わせて若い方を選ぶか、年を取るのか…」
 そいつは謎だな、と首を捻るハーレイ。
 けれど、シャングリラで二人きりだった年寄りの二人、都市伝説まで流した二人。
 あの二人なら、今の時代に生まれても、きっと…。
「おんなじだろうね?」
 年を取るのが趣味なんだ、って白髪になったり、禿げちゃったりで。
「多分な、俺もそういう気がする」
 周りのヤツらが何と言おうが、我が道を行くというヤツだ。
 二人揃って友達同士に生まれていたなら、もう無敵だな。
 若いヤツらは話にならんと、人間、年を重ねてこそだと、酒を飲んでは演説だぞ、きっと。



 蓄えた髭まで白くなろうが、頭がすっかり禿げ上がろうが。
 あの姿が好きだったというゼルとヒルマン、趣味で年を取った二人だから。
 白いシャングリラで二人きりだった年寄りの二人、白髪やハゲが自慢だった二人。
(…きっと、好みは変わらないよね?)
 お年寄りの姿が珍しくなった今の時代に生まれたとしても、きっと、あんな風に。
 シャングリラで暮らした頃と同じに年を重ねて、その姿が自慢なのだろう。
 今はすっかり意味が変わった優先席。
 お年寄りのためにあるのではない、車椅子のマークが貼られた座席。
 もちろん其処に座りもしないで、二人とも、元気一杯で。
 自分とハーレイが地球での毎日を満喫しながら生きているように、ゼルたちも、きっと。
(うん、きっと…。そうだといいな、ゼルとヒルマンも、ぼくたちみたいに)
 今は平和になった宇宙で、青い地球の上で、前の自分たちが生きた時代の思い出話。
 これからも幾つも語り合っては、幸せな今を生きてゆく。
 ハーレイと二人、手を繋ぎ合って、いつまでも、何処までも、幸せの中を…。




          年を重ねた人・了

※ゼルとヒルマンの他には一人もいなかった、シャングリラの老人。趣味で年を重ねた二人。
 そのせいで生まれた都市伝説やら、ヤエの話が聞けて嬉しいブルー。素敵な思い出話が沢山。
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(んーと…)
 これって模様じゃなかったんだ、とブルーが驚いた新聞の記事。
 学校から帰って、おやつの時間。ダイニングのテーブルに置いてあった新聞、遠い昔の肖像画。毛皮の縁取りがある真紅のマントを羽織った王者の姿が添えられているのだけれど。
 記事の中身はその人物のことではなかった、服装について書かれた文章。王者に相応しい高価な衣装についての解説、それもマントについてだけ。
 SD体制が始まるよりも遥かな昔の地球の王侯貴族たち。彼らの肖像画でよく見るマント。
 長く引き摺るマントの縁には毛皮が定番、それはブルーも知っている。白地に黒の斑点がついた独特の毛皮、マントの縁を飾った毛皮。
 肖像画やら、戴冠式の様子を描いたものやら、そういった絵ではお馴染みのマント。縁に毛皮がくっついたマント。
 どの絵を見たって同じ模様の毛皮だったから、白地に黒のブチがついた毛皮、そんな模様の動物なのだと頭から信じていたのだけれど。
 毛皮の持ち主の動物が何かは、考えたこともなかったけれど。



 まじまじと覗き込んでしまった新聞、よく見ようと注目したマント。王者のマントの縁飾り。
 残念なことに、新聞の写真では小さすぎて全く分からない。黒い斑点の正体が。
(これって、尻尾…)
 信じられない、と思うけれども、別に添えてある毛皮の写真。「現在のものではありません」と撮影された時代の但し書き。地球が滅びるよりも遥かな昔に撮られた写真のデータです、と。
 今では撮れないという写真。こんな毛皮は作られていないし、もう本物も残っていない幻の品。
 白い毛皮からは尻尾が幾つも生えていた。先っぽだけが黒い尻尾が。
 ついでに愛らしい動物の写真、イタチに似ていて毛皮は真っ白。尻尾の先だけが黒いけれども。
(オコジョの尻尾だっただなんて…)
 マントの縁取りに使われた毛皮はオコジョの冬毛。冬の間だけ白くなるオコジョ、それを捕えて毛皮を集める。小さな身体のオコジョの毛皮を。マントの縁取りと裏地にするのに充分な数を。
 オコジョの毛皮はとても高価で、そう簡単には手に入らない。それをふんだんに使ったマントの縁飾りだから、使われたオコジョの数が分かるよう尻尾も一緒に縫い付けられた。
 白い毛皮に先が黒い尻尾、それの数だけ使ってあるオコジョ。尻尾の数が、黒い斑点かと思った部分が多いほど立派で豪華なマント。
 王者の威厳が一目で分かる尻尾だったから、その尻尾だけを好みの所に付け替えることも珍しくなかったという。より目立つように。先が黒い尻尾が引き立つように。



 とてつもなく高価で、かかった値段が一目で分かる仕組みになっていたマント。
 同じ時代に生きた人なら、誰でも分かったことだろう。あれだけ尻尾がついているなら、値段も途方もないものなのだ、と。
 値段を表すオコジョの尻尾。王者のマントの縁飾りと裏地。王や王妃が身に着けたマント。
(これに比べたら、前のぼくのマントは…)
 まだまだ普通だったんだ、と考えざるを得ない気がしてきた。
 ソルジャー・ブルーの紫のマント。床にまで引き摺る丈があったマント、ソルジャーの証。
 立派すぎると、大袈裟すぎると何度文句を零したことか。
 シャングリラが白い鯨に変身を遂げて、マントの素材も頑丈なものが開発されるまでは、本当に飾りだったから。
 何の役にも立たなかったマント、身体を保護するためのものではなかったマント。
 炎や爆風から身を守れる素材になった後なら、必要なのだと諦めることも出来るけれども。あのマントつきのソルジャーの衣装が出来た頃には、ただの紫の布だった。
 白い上着がそうだったのと同じで、ソルジャーの身分を表しただけ。マントを着けられる立場にいると、床にまで届くマントが相応しい人物なのだと。



 前の自分はそれが不満で、なんとも気恥ずかしくて脱ぎたかったマント。
 これを着けるほど偉くなどないし、出来ることなら丈を短くして欲しいと。ハーレイのマントと同じくらいの長さがあれば充分だから、と。
 けれども一蹴されてしまった、ヒルマンとエラに。
(威厳の問題、って…)
 マントの丈が長いほど身分が高い証だから、と譲らなかったヒルマンとエラ。
 ソルジャーといえばミュウの長だし、これを着けねばならないと。長いマントが必要なのだと。
(ヒルマンたちが尻尾の話を知ってたら…)
 白い毛皮の縁取りのマント、オコジョの尻尾が幾つもついた王者のマント。
 彼らがそれを知っていたなら、マントにつけられていたかもしれない。沢山の尻尾つきの毛皮をマントの縁と裏とに。
 こんなに沢山の尻尾つきだと、ソルジャーのマントは王者のマントに負けていないと。



(多分、模造の毛皮だろうけど…)
 制服が出来た頃のシャングリラで本物のオコジョの飼育は無理だったから。
 自給自足の白い鯨は出来ていなくて、家畜も飼ってはいなかったから。
(…それとも、やった?)
 模造ではなくて本物の毛皮の縁飾り。
 白い毛皮が威厳を高める役に立つなら、ソルジャーのマントの裏打ちと縁取りのためだけに縫い付けたかもしれない、あの頃であっても。
(物資は全部、人類の船からぼくが奪っていたんだし…)
 食料も、服も、布地の類も、輸送船から失敬しては持ち帰っていた。シャングリラに。
 そうして材料はもう充分に集まったから、と生まれた制服。船の仲間たちが望んだ揃いの制服、ソルジャーの衣装もその時に出来た。
 あれをデザインされていた頃に、ヒルマンとエラに縁飾りを思い付かれていたならば…。
(…毛皮つきのマント…)
 白いオコジョの毛皮つきのマント。先っぽが黒い尻尾が幾つもついた王者のマント。
 そういうマントにするのだから、と注文が入っていたかもしれない。備品倉庫に縁飾りに出来る白い毛皮が無かったとしたら、それを奪ってくるようにと。
 本物のオコジョの毛皮は無理でも、そのように見える真っ白な毛皮。ソルジャーのマントの縁と裏とに縫い付けて飾って、尻尾も作ってくっつけようと。
 白い毛皮を尻尾の形に縫い上げ、先っぽだけを黒く染め上げた飾り。それをマントの縁と裏とに幾つも幾つも、遥かな昔の王者のマントの真似をして。



 想像してみたら怖くなってきた、まるで有り得ない光景だったとは言い切れないから。
 ソルジャーに対する礼儀作法にうるさかったエラ、ミュウの紋章入りのソルジャー専用の食器を得々と披露していたエラ。
 彼女だったら旗を振りかねない、オコジョの尻尾付きのマントの。
 それにヒルマンもエラの味方をしただろう。「素晴らしい思い付きだよ、それは」と。
(尻尾にこだわり始めたら…)
 本物のオコジョの飼育を始めて、毛皮と尻尾を集め始めた可能性もある。シャングリラの改造が済んで自給自足の船になったら、オコジョくらいは飼えただろうから。
 さほど大きな動物ではないし、使い道があるなら「役に立たない」わけではないから。
(普段は普通のマントだろうけど、儀式用にって…)
 マントの素材が特別になって、耐久性がグンと上がった後でも毛皮つきのマント。ソルジャーの役目でシャングリラの外へ飛び出す時には使えなくても、仲間たちの前で身に着けるマント。
 たとえば新年を迎えるイベント、皆で乾杯する時などに。
(…ホントに大袈裟すぎるんだけど…!)
 本物のマントよりもずっと酷い、と思わず頭を振ってしまった。毛皮の縁取りつきなんて、と。
 やられなくて済んで良かった毛皮つきのマント。
 ホッと息をついて新聞を閉じた、「ぼくが着せられなくて良かった」と。



 空になったケーキのお皿や紅茶のカップを母に渡して、部屋に戻って。
 勉強机の前に座って、頬杖をついて考える。さっきの新聞で目にしたマント。
(オコジョの尻尾…)
 多いほど威厳が高まる尻尾。マントの縁を飾った白い毛皮に幾つも幾つも、先が黒い尻尾。
 本当に危なかった、と思う。
 前の自分の紫のマント、あれの縁と裏に尻尾付きの毛皮を縫い付けられていたかもしれないと。
 もしもエラたちが知っていたなら、ヒルマンたちがデータベースで王者のマントについて詳しく調べていたら。マントの縁には白い毛皮だと、オコジョの尻尾で飾るものだと気付いていたら。
(でも…)
 もしかしたらヒルマンとエラは、見逃してくれていたのだろうか?
 前の自分がマントだけでも嫌がっていたから、縁に毛皮は可哀相だと考えて。
 そうでなければ、尻尾付きの毛皮を縫い付けるほどにこだわらなくても、と思ったか。あの船にソルジャーは一人だけだったし、マントがあればもう充分だと。



 博識だったヒルマンとエラ。調べ物も得意な二人だったし、オコジョの毛皮も尻尾も知っていたかもしれない。王者のマントに縫い付けてあることも、尻尾は多いほど素晴らしいことも。
 知っていたけれど、見逃してくれた。前の自分が着けるためのマントに、尻尾付きの毛皮は縫い付けないで。
(その可能性も…)
 あったのだろうか、今となっては分からないけれど。
 白いシャングリラも、ヒルマンもエラも、遥かな遠い時の彼方に行ってしまって手が届かない。訊いてみたくても答えは聞けない、前の自分のマントの話は。
 オコジョの毛皮を縫い付けたかったか、沢山の尻尾で飾りたかったか。
 それを二人に尋ねたくても、もう手掛かりは何処にも無い。
 前の自分が着けていたマント。丈が長いと、大袈裟すぎると何度も文句を言っていたマント…。



 いくら嫌だと愚痴を零しても、着けるようにと言われてしまった長かったマント。身体を覆ってしまうくらいだった、幅も長さも。
 せめて長さだけでも短かったら、まだ幾らかはマシだったのに。
 とはいえ、オコジョの尻尾付きのマントの存在を知ったら、長さくらいは我慢するべきだったと思えてくるから不思議なもの。尻尾が幾つもついたマントを着せられるよりは、丈が長すぎる方が見た目はマシだという気がするし…。
 長いマントも恥ずかしかったけれど、長いだけで尻尾付きの毛皮の飾りは無かったし…。
 なにより、ヒルマンとエラが譲らない。マントの丈に関しては。
 威厳を保つには長いほどいいと言った二人が許しはしないし、尻尾付きの毛皮を免れただけでも良かったと思っておくしかなくて。
(…そうだ、長さ…!)
 マントの長さでもめたのだった、と遠い記憶が蘇って来た。
 前の自分のマントではなくて、ハーレイのマント。
 キャプテンの制服の背に付けられていた濃い緑色のマント、それの長さが問題だった、と。



 前の自分が羨ましかったキャプテンのマント。自分のマントもあれくらいの丈で充分なのに、と何度も眺めてしまったマント。
 床まで届くほどの長さではなくて、腰よりも少し下までの丈。
(ぼくはあれでいいと思っていたのに…)
 前のハーレイのマントの長さ。ハーレイに似合うし、短い丈が素敵だった。ズルズルと床に引き摺ってしまう自分のマントよりも、ずっと実用的で。
 服飾部門のデザイン係がデザイン画を描いて、仲間たちも賛成して決まったキャプテンの制服。マントの丈は短めがいい、とデザインされていた制服。
 キャプテンは操舵をすることもあるし、船の中をあちこち駆け回らねばならない仕事でもある。動きづらい服では話にならない、だからマントも短めに。
 いざという時、動きを妨げないように。
 マントが邪魔して走れないとか、裾を踏んで転んでしまうだとか。
 それではキャプテンの制服としては失格だからと、あえて短めのマントが選ばれた。本当ならばソルジャーに次ぐ立場がキャプテンなのだし、マントも長めにすべき所を。



 けれども、シャングリラが白い鯨に変身を遂げてから辿り着いた星、アルテメシア。
 雲海の中に潜む間にミュウの子供たちの悲鳴に気付いて、救い出しては連れて来た。何処よりも安全なミュウの箱舟、楽園という名のシャングリラに。
 アルタミラを知らない子供たちが増え、やがて育って大人になって。
 そうなれば船での役目を担うし、若い者たちにも目を光らせねばいけなくなって。
(長老だけでは威厳不足だって…)
 四人だけでは監視が行き届かない、と言い出したエラやヒルマンたち。
 ミュウは見た目が若い姿だから、どうしても軽く見られがちだと。そんな人間が注意をしたって効き目の方は怪しいものだと、もっと威厳を持たせねばと。
 そうは言っても、今頃になって年を取れと強制出来はしないし、皆も嫌がるに決まっている。
 何か方法は無いのだろうか、と考え続けたエラたちが思い付いたものがマントだった。
 当時は長老の四人だけが着けていたマント。それを古参の者たちにも、と。
 マントの下に着る制服は今まで通りでいいから、マントだけでも着けて欲しいと。
 制服の上にマントを羽織れば、威厳は自ずと滲み出る筈。
 それを作ろうと、アルタミラからの古参の仲間はマントにしようと出された意見。



(もめたんだけどね…)
 マント着用の案が皆に伝えられた段階で。古参の仲間たちの意見を募った時点で反対多数。
 若い者たちは「そういう決まりになるのなら」と提案を素直に受け入れたけれど、肝心の古参の仲間たち。マントを着ることになる者たちから反対の声が多く上がった。
 長い年月、長老だけが着けていたマント。
 それを着けられるほどに自分は偉くはない、と拒否されてしまったマントを着けること。
 結局、様々な部門の責任者だけがマントを作るということになった。責任者ならば威厳も必要、その部門では偉い立場になるのだからと。
 もっとも、そうして作られたマントの出番は殆ど無かったのだけど。
 自分用のマントを手にした者たちは、やはり恥ずかしがったから。
 「自分が着るには過ぎたものだ」と誰もが思った、長老の四人と揃いのマント。シャングリラを束ねる四人の長老、彼らと肩を並べて立つには自分は器量不足だと敬遠されてしまったマント。
 よほどでないと彼らは着なかった。
 部下の若い者が重大なミスをしでかしてしまい、ブリッジにまで詫びに出向かなければいけないような時だとか。ミスをした部下の付き添いでシャングリラ中を回る時には着けていたマント。
 そのくらいしか普段の時には着ていない。マントは大袈裟すぎたから。



 作りはしたものの、出番が滅多に無かった古参の者たちのマント。
 自分たちには相応しくないと反対意見が大多数を占めてしまった、マント着用という提案。
(あの時、ハーレイのも長くするべきだ、って…)
 短めだった前のハーレイのマントに彼らは目を付けた。マントを着たくなかった仲間たちは。
 自分たちに長老の四人と同じ長いマントを作るのだったら、キャプテンにも、と出た文句。
 マントは威厳のためだろう、と。
 ブリッジで操舵や指揮をしている時はともかく、ここ一番という威厳を示すべき時。
 そういう場面ではキャプテンも長いマントにせねばと、自分たちがマントを着けるのだったら、キャプテンにも威厳を保つためのマントが必要だろうと、一種の屁理屈。
 長年、マント無しで気楽に過ごして来た古参の者たちは頑固に言い張った。
 自分たちにマントを強制するなら、キャプテンも丈の長いマントを作るべきだと。そうするなら譲歩してマントでもいいと、ただし普段は着ないけれども、と。



(あれで、結局…)
 前のハーレイも作らされたのだった、丈の長い威厳のあるマントを。キャプテンの制服の背中に付ける濃い緑色のマントの、床まで届く丈があるものを。
 けれど、前の自分はそれを一度も見ていない。
 作られたことは知っているけれど、デザイン画も見せて貰ったけれども、ハーレイがそれを着た所を。試着した所さえ見てはいなくて、どんな感じになるのか知らない。
 新年を迎えるイベントだとか、行事は色々あったのに。
 「此処で着るべきだ」と促したりもしたというのに、いつも曖昧な言葉で濁され、キャプテンは逃げて行ってしまった。
 丈の長いマントを一度も着ないで、「必要な時が来たら着ますよ」などと誤魔化して。
 だから今まで存在すらも忘れたままでいたマント。
 ハーレイのマントは短かったと思い込んだままで、ハーレイのマントはそういうものだと頭から信じて疑いもせずに。
 長いマントはあったのに。
 濃い緑色の、床まで引き摺る丈のマントは確かに作られ、白いシャングリラにあったのに。



 前の自分がただの一度も見ないで終わった、ハーレイのマント。丈の長いマント。
(ぼくが寝てた間に…)
 アルテメシアから逃げ出した後に、十五年間も眠り続けた自分。その間の出来事は分からない。深く深く眠ってしまっていたから、白い鯨で何があったかまるで知らない。
 前の自分が深い眠りに就いていた間に、着たのだろうか、ハーレイは?
 いつもスルリと逃げてしまって、着てはくれなかった長いマントを。丈の長い緑色のマントを。
(ジョミーのソルジャー就任式とか…?)
 それがあったなら、もう間違いなく長いマントの出番だったと思うけれども、就任式は無かったらしい。アルテメシアからの脱出直後のゴタゴタ、ようやっとそれが落ち着いた途端に前の自分が眠ってしまって、就任式どころではなかったから。
 ソルジャー不在でいられるわけがないから、なし崩しにソルジャーになってしまったジョミー。
 何の儀式も行われないまま、前の自分がするべきだった引き継ぎのメッセージも流れないまま、ソルジャー・シンの時代になった。
 つまりは無かった就任式。
 それが無いなら、ハーレイがあの長いマントを着た筈がない。ジョミーをソルジャーと呼ぶだけだったら、マントの有無はまるで関係無いのだから。



(他に劇的な出来事って…?)
 ナスカへの入植に、トォニィの誕生。どちらもミュウの歴史に残る出来事、今の時代にまで語り継がれているのだけれども、マントの出番ではない気がする。式典があったとは聞かないから。
 他に何か…、と考えてみても思い浮かばない、ハーレイが長いマントを着そうな時。
 そういう機会があったかどうかと悩んでいたら、チャイムが鳴った。門扉の脇にあるチャイム。それを鳴らして仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。
 これはチャンスだと、部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり訊いてみた。
「あのね、前のハーレイのマントなんだけど…」
 前のぼくが寝ちゃった後に着たかな、ハーレイのマント。
「はあ?」
 俺のマントって…。俺の背中にはいつもマントだったが、キャプテンだしな?
「それじゃなくって…。長いマントを作っていたでしょ、あれ、着てた?」
 床まで引き摺る長いマントだよ、前のぼくが寝ていた間に着たの?
「あのマントか…。お前も知っての通りだが?」
 のらりくらりと逃げていたってこと、お前だって百も承知だよなあ?
 ジョミーがソルジャーになったからって、俺の考え方が変わると思うのか?
 そりゃあ、ジョミーのソルジャー就任式でもあったら別だが、そいつは無かったわけだしな…?



 ハーレイの口ぶりからして、どうやらマントは着ていないらしい。前の自分が眠っていた間も、ただの一度も着ていないマント。
 そうなってくると逆に気になる、着るような機会が存在したのか、しなかったのか。ハーレイはマントから逃げていたのか、単に着る機会が無かっただけか。
 だから質問を投げることにした、前の自分が眠っていた間に機会はあったか、無かったのかと。
「えーっと…。前のぼくが眠ってしまった後には、長いマントの出番はゼロ?」
 他のみんなだよ、ハーレイじゃなくて。
 ゼルたちと同じ長老のマントを持ってた人たち、何人もいたよね。…あれの出番は?
 みんながマントを着るような場面、一度も無いままで十五年経ってしまったの…?
「………」
 返事の代わりに返った沈黙。ずうっと昔に曖昧な返事で長いマントから逃げていた頃と同じ。
「…あったんだね?」
 みんながマントを着るような時が。でも、ハーレイは着なかったんだね…?
「まあな」
 別に何とも言われなかったぞ、エラもヒルマンも諦めていたのかもしれんがな。
「いつなの?」
 何があったの、みんながマントを着ていただなんて。
 ぼくには少しも心当たりが無いけれど…。
「ジョミーの思念波通信の時だ」
 人類に向かってメッセージを送った話は知ってるだろう?
 歴史の授業でも習う筈だぞ、逆に人類から追われる羽目になっちまったが…。
 仕方ないんだがな、教育ステーションに被害が出たんじゃ、ミュウの攻撃だと思われてもな…。



 キースとシロエがいた教育ステーション、E-1077を巻き込んでしまった思念波通信。
 意図して起こした事故とは違って、そういう結果を招くとも思わず送られた思念波。
 ミュウと人類との間に横たわる溝を埋めるべく、地球の最高府とのコンタクトを目指して。
 それをジョミーが送ろうという時、皆がマントを着たという。
 天体の間から行われた通信は、一大イベントだったから。もしも通信が上手くいったら、地球と直接交渉が出来る道が開けるわけなのだから。
「…ハーレイ、そんな時でも着なかったんだ!?」
 本当に凄いイベントじゃないの、地球とコンタクトを取ろうだなんて。
 歴史が変わるかもしれない時だよ、それなのにマントを着なかったわけ…?
「悪いか、俺には似合わないんだ!」
 仕方ないから作りはしたがだ、長いマントは柄じゃないってな。
「そんなこと…!」
 似合わないなんていうことはないでしょ、ハーレイ用のマントなんだから…!
 ちゃんと服飾部門がデザインして作ったマントなんだし、制服にもピッタリ合う筈なんだよ…!



 ハーレイは「似合わない」と言い張るけれども、それは有り得なかったと思う。
 試着ですらも見てはいないマントでも、ハーレイ専用なのだから。ハーレイのためにとデザインされた特別なマントなのだから。
「ハーレイ、そこで着なかったんなら、いつ着るの!」
 せっかく作ったマントなんだよ、何処で着ようと思っていたの…!
 いつもいつも着ないで逃げてばかりで、地球に着いた時だって着ていないよね、あのマント…!
「あれなあ…。お前と地球に着いた時に着ようと俺は思っていたからなあ…」
「え?」
 地球って、前のぼくと一緒に?
 ぼくと一緒に地球に着いたら、あのマントを着るつもりだったの…?
「そうさ。前の俺の人生最高の儀式は、そこより他には無いだろうが」
 前のお前を乗せたシャングリラを、俺が地球まで運んで行くんだ。
 辿り着いたら、もう間違いなく最大のイベントになるわけだからな?
 そこで着ようと決めていたんだ、あれは。前のお前の隣に立って。
 どうだ、最高の儀式でイベントだろうが、お前と一緒に地球に着くのは。
「うん…」
 そうだね、本当に最高だよね。
 ハーレイとぼくと、二人一緒にちゃんと地球まで行けていたなら。
「分かったか? 俺がマントを着なかったわけが」
 とっておきだったんだ、俺の人生で最高の瞬間に着るための。
 なにしろ威厳がどうとかっていう、御大層なマントだったしなあ…。
 ここぞって場面のために取っておかなきゃ意味が無いだろうが、俺のマントは他にあるんだし。



 地球に着くまでは短い丈のマントのままで。
 青い地球まで辿り着いたら、そこで丈の長いマントを初めて着けて。
 後は自由になるつもりだったという、キャプテンの立場と責任から解き放たれて、前のブルーと二人で自由に。ソルジャーではなくなったブルーと二人で。
「…じゃあ、ハーレイの長いマントの出番は…」
 長いマントも必要だから、って作らされてたマントの出番は…。
「前のお前の寿命が尽きると分かった時点でもう無かったさ」
 お前と二人で地球に着く日は来ないんだ。
 俺の人生で最高の日が来ない以上は、あの仰々しいマントなんぞは着けないってな。
「…ぼくのお葬式は?」
 前のぼくがメギドへ行かずに、シャングリラで寿命を迎えていたら…。
 そしたらシャングリラでお葬式だよ、その時にも着てはくれないの、マント…?
「ああ。着ろと言われても着るつもりは無かった」
 決して着ないと決めていたなあ、前の俺はな。
「…なんで?」
 お葬式だよ、前のソルジャーのお葬式っていうことになったら正装だよ?
 エラやヒルマンだって、あのマントをどうして着ないんだ、って怒りそうだけど…?
「怒りたいなら怒らせておくし、怒鳴りたいなら気が済むまで怒鳴らせておくまでだ」
 礼儀知らずと罵られようが、何と言われようが、絶対に着ない。
 お前の隣で着ようと決めていた大切なマントなんだぞ、お前がいないのに着てどうする。
 いくらお前の葬式にしても、其処にお前の魂はとうにいないんだからな。
「…そっか…」
 お葬式なら、ぼくの身体だけしか無いものね…。
 ぼくの魂は何処かに行ってしまって、ハーレイの隣にはいないんだものね…。



 一度も出番が無かったというハーレイのマント。丈が長かったキャプテンのマント。
 濃い緑色のそれはハーレイの部屋のクローゼットに仕舞い込まれたまま、ついに一度も使われることなく終わってしまった。
 シャングリラが地球まで辿り着いても、ハーレイが地球へと降りた時にも。
「…あれを着たハーレイ、見たかったな…」
 ホントに一度も見ていないんだもの、試着くらい見に行けば良かったよ。
 きっとその内に着るんだろうから、って待っていないで、出来たっていう報告が入った時に。
「俺もお前の隣であれを着たかった。俺の人生最高の日にな」
 しかし、その日は来なかったんだし、お互い様っていうことだ。
 お前は俺が着ている所を見損ねちまって、俺は着るための場所を失くしちまった。
 せっかく作ったマントだったが、御縁が無かったって言うんだろうなあ、こういうのはな。
 …ところで、どうしてマントなんだ?
 それも今頃になって突然どうした、前のお前が生きてた頃には着ろとも言われなかったんだが?
「…えっとね、尻尾…」
「尻尾?」
 マントに尻尾があると言うのか、どんなマントに尻尾があるんだ?
「…マントじゃなくって、マントの縁だよ」
 毛皮がついてるマントがあるでしょ、昔の王様の肖像画とかで。
 あれの毛皮は白地に黒のブチだと思っていたんだけれど…。
 違ったんだよ、黒いのはオコジョの尻尾の先っぽ。
 王様のマントは尻尾が一杯、沢山あるほど立派なマントで、見せびらかすための尻尾なんだよ。



 ソルジャーのマントをそんなマントにされなくて良かった、と微笑んだら。
 エラとヒルマンが前のぼくを見逃してくれたのかも、とマントが苦手だった話をしたら。
「ふうむ…。オコジョの尻尾がついたマントなあ…」
 お前がそいつを持っていたなら、俺も着たかもな。
「えっ?」
 着るって、ハーレイ、何を着るの?
 前のぼくが尻尾つきのマントを持っていたとしたら、ハーレイは何を着るって言うの…?
「マントに決まっているだろう。出番が無かった俺のマントだ」
 お前がオコジョの毛皮つきのマントを着ている時には、俺も丈の長いヤツを着るってわけだ。
 毛皮つきのマントはお前の正装用のヤツになるんだろうから、それに合わせて相応しくな。
「そうなんだ…!」
 ハーレイ、合わせてくれるんだ?
 前のぼくが派手なマントを着せられていたら、ハーレイも普段は着ていないマント。
 長いマントを着てくれたんだね、ぼくのとんでもないマントに合わせて…。



 それを聞いたら、オコジョの尻尾が幾つもついた立派すぎるマント。
 白い毛皮の縁飾り付きのソルジャーのマントも、あった方が良かったかもしれない。ヒルマンとエラが見逃してくれていたと言うなら、見逃す代わりに「着て下さい」と押し付けられて。
 尻尾だらけのマントがあったら、珍しいハーレイを見られたから。
 前の自分がただの一度も見られずに終わった、長いマントを着けたハーレイを見られたから。
 でも…。
「…ハーレイのマント、出番が一度も無かったっていうのも、ちょっと嬉しいかな」
 見られなかったのは残念だけれど、ぼくと二人で地球に着く日の晴れ着だったと言うんなら…。
 最高の日が来るまで取っておこう、って残しておいてくれたんだったら。
「そう言って貰えると、俺も嬉しい。…あのマントから逃げていたわけじゃないからな」
 前のお前にも本当のことは言えずに終わってしまったが…。
 サプライズっていうのは、そうしたもんだろ?
 この日のために取っておきました、って取り出すまでは誰にも話しちゃ駄目だってな。
 そいつを渡そうっていう相手にだって内緒にするのがサプライズだ。
 …もっとも、あのマントは渡すんじゃなくて、前の俺が着るっていうだけだがな。



 前の俺の取っておきだったんだ、とパチンと片目を瞑るハーレイ。
 そのサプライズを前の自分は貰い損ねてしまったけれども、時を越えて自分が受け取った。
 オコジョの尻尾のマントのお蔭で、あの記事に出会って読んだお蔭で。
 前の自分と地球に着いた時、ハーレイが着ようとしていたマント。
 たった一度だけ、前の自分の隣で着るために取ってあったハーレイの丈の長いマント。
 それをハーレイが持ってくれていたのが嬉しいと思う、前の自分たちが自由になる日のために。
 ずっと秘密だった恋を明かして、二人で自由になれる日のために。
 着られずに終わったマントだけれども、それを着ないでいてくれたのが。
 とっておきだと、晴れ着なのだと、大切に持っていてくれたのが。
 そのハーレイと二人、今度は何処までも、いつまでも離れずに生きてゆく。
 背中にマントはもう無いけれども、二人で目指した青い地球の上、幸せに手を繋ぎ合って…。




            丈の長いマント・了

※ハーレイのだけ、丈が短かったマント。けれど、正装用に長い丈のも持っていたのです。
 着ないままで終わってしまいましたけど、ブルーには少し嬉しい理由。最高の晴れ着。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
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