シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園、今日も平和で事も無し。ソルジャー夫妻や「ぶるぅ」を交えてのお花見も終わり、年度始めの賑やかな行事なんかもおしまい、平常授業が始まっています。出席義務の無い特別生の私たちは例によって律儀に出席ですが…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
授業、お疲れ様! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれる放課後。このためだけに毎日登校、授業を受けているわけで。
「今日のおやつは桜イチゴのムースケーキなの!」
「「「桜イチゴ?」」」
そんなイチゴがあっただろうか、と驚きましたが、桜は桜でイチゴはイチゴ、という答え。
「あのね、桜の花と葉っぱの塩漬けのムースと、イチゴのコンポートを重ねてあるの!」
でもってスポンジもほんのり桜の香り、と運ばれて来たケーキは桜のピンクとイチゴの赤との二段重ねで、スポンジ台。これはとっても期待出来そう!
「えとえと、キースたちが来たら切ろうかな、って…」
待てない人はこっちをどうぞ、と桜のパウンドケーキまでが。どっちも食べたい気分です。パウンドケーキを薄く切って貰うことに決め、ジョミー君たちと味わいながら待っている内に。
「すまん、待たせた」
「遅くなっちゃってすみません」
キース君にシロエ君、マツカ君の柔道部三人組が壁をすり抜けて入って来ました。桜イチゴのムースケーキが切られて、柔道部組には「お腹空いたでしょ?」と焼きそばなんかも。
「ああ、すまん。…まあ、今日はそれほど練習の方はしてないんだがな」
「そうなの?」
だけどいつもの時間だよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「練習しない日はもっと早くない?」
「そうなんだが…。今日は新入生の指導をしていたからな」
「お稽古じゃなくて?」
「稽古もつけたが、それよりも前に相談といった所だろうか」
ちょっと人生相談を…、という話ですが。入部早々に人生相談って、クラブ辞めますとでも言われましたか?
特別生であるキース君の裏の顔と言うか、本当の仕事は副住職。お父さんのアドス和尚が住職を務める元老寺のお坊さんのナンバー・ツーです。お坊さんは二人だけですけれど。
職業柄、ボランティアにお出掛けなどもよくあるのですが、柔道部で人生相談とは…。
「壁にブチ当たった新入生でもいたのかよ?」
えらい早さでぶつかったな、とサム君が。
「普通、もうちょっと後じゃねえのか、ゴールデンウィークが明けた頃とか」
「そういう壁ではないからなあ…」
「でもよ、人生相談なんだろ?」
そう聞いたぜ、と訊かれたキース君は。
「ああ、ルックスのことでちょっとな」
「「「ルックス!?」」」
ルックスと言ったらアレなんでしょうか、いわゆる外見。早くも女の子に振られてしまって落ち込み中とか、これからアタックするに際しての心得を訊きに来ていたとか…?
「いや、まあ…。それに近いと言えば近いか…」
「素早いねえ!」
もう女の子に目を付けたんだ、とジョミー君。
「それってブルーも真っ青じゃない? シャングリラ・ジゴロ・ブルーも顔負け」
「だよなあ、半端ない早さだぜ」
頑張れっていった感じだよな、とサム君も言ったのですけれど。
「そうではなくて、だ。…今後の人生について、ちょっとな」
「でも、ルックスって…」
「そいつにとっては人生がかかっているってことだ」
たかが眼鏡の話なんだが…、とキース君はフウと溜息を。
「「「眼鏡?」」」
眼鏡と言えばグレイブ先生。何かと言えば指でツイと押し上げるトレードマークの眼鏡ですけど、あれに人生がかかるって…なに?
「それだ、いわゆるトレードマークだ。イメージが大事と言うべきか…」
「新入部員に眼鏡の生徒がいたんですよ」
其処がちょっぴり問題で…、とシロエ君。柔道部に眼鏡で何が問題?
キース君たちがやってきたという人生相談。眼鏡をかけた新入生が対象だったようですが…。
「何故、問題なのか分からんか?」
柔道だぞ、とキース君はソファに座ったまま、手だけでスッと構えのポーズ。
「柔道で分からないなら、相撲でもいい。眼鏡の関取を見たことがあるか?」
「「「…眼鏡の関取?」」」
言われてみれば、そんな力士は目にしたことがありません。幕内だろうが幕下だろうが、テレビの向こうは眼鏡なんかは無い世界。
「ほら見ろ、眼鏡の力士はいないだろうが。柔道だってそれと同じだ」
「要するに危険なんですよ」
割れますからね、とシロエ君が。
「それに割れなくても、ある意味、危険物ですから。自分もそうだし、相手もそうです。試合にしたって稽古にしたって、眼鏡は凶器になり得るんです」
「「「あー…」」」
確かに、と頷く私たち。眼鏡自体が割れなくっても、ウッカリ飛んだら怪我をするとか、色々と危なそうなもの。それで眼鏡の新入生に注意をした、と…。
「そういうことだ。だがな、今までの学校とかで言われていないらしくてな…」
「なら、眼鏡無しでも見えてるんじゃないの?」
きっとそうだよ、とジョミー君。
「授業中だけかけているとか、そういう人は少なくないしさ」
「そいつも今まではそうだったらしい。しかし、受験を控えて夏休みを最後に柔道は中断したらしくてな…。その間に学習塾などに通いまくって視力の方が…」
「今は見えにくいらしいんですよ」
健康診断でも引っ掛かったそうで…、とシロエ君が。
「日常生活に必須なトコまで来てるようです、彼の近眼」
「それはキツイかもね、眼鏡無しだと…」
ちょっと想像つかないけれど、と眼鏡の世界なるものを思い浮かべているらしいジョミー君。私も考えてみましたけれども、視界がぼやけてしまうんでしょうか?
「そのようだ。そいつも今では外すと俺たちの顔もぼんやりとしか見えないらしい」
「マズイよ、それじゃ!」
そんなので柔道が出来るわけ? というジョミー君の疑問はもっともなもの。その新入生、大丈夫ですか?
「…大丈夫じゃないから人生相談になるんだろうが」
そして時間を食われたのだ、とキース君の口から再び溜息。
「教頭先生が大先輩かつ顧問の立場で仰ったんだ。柔道部への入部を諦めるか、眼鏡をやめてコンタクトレンズにすべきだ、とな」
「コンタクトレンズもハードの方だと外れやすいとかで…。ソフトレンズで、と仰いました」
そうなんですが…、とシロエ君も溜息を。
「自分のイメージが崩れてしまう、と心理的な抵抗が大きいようで…」
「けどよ、今まで眼鏡で柔道やってたんだろ?」
サム君の問いに、マツカ君が。
「柔道の時だけ眼鏡を外していたらしいんです。で、今回も入部して来て、さて…、と練習に取り掛かったら見えにくかった、と」
「最初は俺たちも気付かなかったが、先輩たちの顔の区別がついていないと判明してな」
それで一気に明るみに出たのが今日だ、とキース君。
「教頭先生は「とにかくコンタクトレンズを作って来い」と仰った。そうでなければ入部は認められない、とな。しかしだ、それで今日の稽古から外されたそいつがドン底で…」
「ぼくたちの出番になったわけです」
苦労しました、とシロエ君からも嘆き節が。
「ソフトレンズはハードと違って、外したヤツを水で洗ってもう一度…、とはいかないそうで」
「消毒が必要なんですよ。ですから、柔道部のためにはめたら、はめっ放しに」
外せないんです、とマツカ君が説明したんですけれど。
「えっ、部活が終わったら外せばいいだけの話じゃないの?」
そう思うけどな、とジョミー君が指摘すれば。
「甘いな、新入生には朝練があるぞ。俺たち以外は基本、朝練がもれなくついてくる」
「そうなんです。つまり、朝練のためにはめたら、授業中もコンタクトレンズになるわけですよ」
マツカ君の解説に「あー…」と納得。眼鏡の新入部員とやらは学校では眼鏡無しになる、と。
「そういうことだ。それでイメージが崩れてしまう、と悩んでいてな…」
「眼鏡を捨てるか、柔道を捨てるか。そういった相談をしてたんですよ」
まさに人生相談でした、と柔道部三人組は酷くお疲れのようですが。眼鏡にこだわりの新入部員とやらは、キース君の「俺だって一度は坊主頭にしたんだ!」という強烈な体験談を食らって覚悟を決めて、コンタクトレンズを作りに行くとか。まさにめでたし、めでたしですね。
「…コンタクトレンズの覚悟はいいけど…。キースの坊主頭は反則…」
あれはサイオニック・ドリームだったし、とジョミー君がブツブツと。
「道場ではサイオニック・ドリームで誤魔化しておいて、学校は「これはカツラだ」って大嘘をついて今の髪型で来てたんだけどな?」
「細かいことはどうでもいいんだ、要は覚悟が決まればいいんだ!」
たかが眼鏡だ、とキース君が叫んだ所へ「こんにちは」の声。
「「「!!?」」」
誰だ、と振り返った先でフワリと翻った紫のマント。会長さんのそっくりさんがスタスタと近付いて来て、ソファに腰掛けて。
「ぶるぅ、ぼくにも桜イチゴのケーキ!」
「うんっ! それと紅茶で良かったよね!」
ちょっと待ってねー! とキッチンに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。注文の品は直ぐに出て来て、ソルジャーがケーキにフォークを入れながら。
「…なんだか大変だったようだね、眼鏡の件で」
「そうなんだが…。あんたには分からん世界だろうな」
キース君が返すと、ソルジャーは「なんで?」と怪訝そうな顔。
「どうしてそういうことになるんだい?」
「あんたの世界は医療技術もグンと進んでいるんだろうが! たかが近眼、治せる筈だぞ」
「そりゃまあ、ねえ…。でもさ、君のクラブの新入部員じゃないけど、こだわるタイプはぼくの世界にだって多いんだよ」
ぼくのシャングリラにも眼鏡はある、と聞いてビックリ、SD体制とやらがはびこるシャングリラの外の世界にも眼鏡は大勢と知って二度ビックリ。
「…君の世界にも眼鏡がねえ…」
会長さんが「考えたことも無かったな」と頭を振っています。
「てっきり無いものだとばかり…。近視は治せるのに眼鏡なんだ?」
「そうなんだよねえ、ちょっとお洒落なアイテムとでも言うのかな? 嫌いな人はサッサと治してしまうんだけどさ、治さないままで眼鏡はいるねえ…」
それに対応した宇宙服まであるんだけれど、と聞かされて三度ビックリです。宇宙服を着ようって時にもヘルメットの下には眼鏡だなんて、柔道どころのレベルの話じゃないですってば…。
「ぼくはさ、眼鏡も特に問題は無いんじゃないかと思うけどねえ?」
新入部員のこだわりとやらも分かる気がする、とソルジャーは言うのですけれど。
「それは、あんたの世界ならではのグンと進歩した眼鏡だろうが!」
そう簡単には吹っ飛ばないとか割れないだとか…、とキース君。
「宇宙服の下でもオッケーとなれば、そういう眼鏡だ!」
「…どうなんだろうね、ぼくは眼鏡とは全く縁が無いからねえ…」
ぼくもハーレイも眼鏡は全く必要無いし、と呑気な返事が返ってきました。
「ぼくたちは揃って補聴器の方で、視力は至って普通なんだよ」
ついでに聴力もサイオンで補助は可能なわけで、と説明されずとも分かります。ソルジャーもキャプテンも、私服でこちらの世界に来た時は補聴器無し。それで不自由が無いのですから、もしかしたら視力もサイオンで矯正可能ですか?
「それはもちろん。人類だったら近視を治すには手術をするとか、毎日治療に通うとか…。だけどミュウなら近視のままでもサイオンで普通に見えるだろうね」
それでも眼鏡を選ぶタイプが何人か…、とソルジャーの証言。
「小さい間はサイオンを上手く使えない子もいるからさ…。眼鏡が必要な場合もあるけど、大きくなったらサイオンで自然と補えてくるし、それでも駄目なら手術もあるし」
なのに眼鏡が減らないのだ、と「こんな感じで」と思念で送り込まれたソルジャーの世界のシャングリラ。食堂の風景らしいですけど、確かに眼鏡が何人かいます。
「あの眼鏡はねえ、殆どの人は…度数って言うんだったっけ? 矯正用の仕掛けが入ったレンズじゃなくって、ただのレンズで伊達眼鏡なんだよ」
「「「伊達眼鏡!?」」」
「そう、かけてますって言うだけのお洒落アイテム! 眼鏡を外してもサイオンで見える!」
「「「うーん…」」」
そこまで眼鏡にこだわるのか、と私たちには理解不能な眼鏡を愛する人々の世界。でも…。眼鏡無しでも見えるんだったら、眼鏡の方に細工をしたらググンと拡大可能だとか?
「生憎とそういう眼鏡は無いねえ…」
その発想も無かったからね、とソルジャーは暫し考え込んで。
「…なるほど、眼鏡に細工をすれば拡大とかかあ…。それもいいかも…」
これを何かに生かせないだろうか、と腕組みまでして思案している様子。私、マズイことを考えちゃったわけではないでしょうね?
眼鏡、眼鏡…、と繰り返していたソルジャーですけど、突然、ポンと手を打って。
「そうだ、コレだ!」
「「「は?」」」
「いいと思うんだよ、サイオン・スコープ!」
「「「サイオン・スコープ?」」」
なんじゃそりゃ、と顔を見合わせる私たち。暗視スコープなら知ってますけど…。
「暗視スコープ? ああ、人類軍が使うアレかな」
暗闇でも見えるって装置のことかな、とソルジャーが訊いて、キース君が。
「ソレのことだが? もっとも、俺たちの世界じゃ平和にオモチャもあるんだがな」
「あったっけ?」
そんなオモチャ、とジョミー君。するとシロエ君が「知りませんか?」と。
「大きなチェーンのオモチャ屋さんだと置いてるんですよ。一時期、話題になりましたが」
「そうなんだ?」
「ええ。なんでも見え過ぎで服が透けるとか」
「「「服が!?」」」
どうしてそういうことになるのだ、と仰天しましたが、シロエ君曰く、仕組みの問題。なんでも物体が放出している熱赤外線とやらを可視化した結果、服の下にある人間の身体がスケスケに…。
「それって、とってもマズくない?」
犯罪だよ、とジョミー君が言った途端に、ソルジャーが。
「奇遇だねえ! サイオン・スコープもそういう結果を目指すんだけどね?」
「「「えっ?」」」
「ただしサイオンだからターゲットを限定することが可能! ブルーの服だけが透けて見えます、ってね!」
「「「ブルー!?」」」
ブルーと言えば会長さん。ソルジャーの名前もブルーですけど、この場合は多分、会長さん。その会長さん限定で服が透けるって、いったいどういうスコープですか!
「どういうって…。もちろんハーレイ用だけど?」
こっちの世界の、とソルジャーはサラッと恐ろしいことを。
「こっちのハーレイ、見たくてたまらないようだしねえ…。ブルーの服の下ってヤツを」
だからサイオン・スコープを作ってプレゼント! とカッ飛んだ方向へと飛躍した眼鏡。まさかソルジャー、本気でソレを開発すると…?
「ぼくは至って本気だけど?」
面白いし、とソルジャーは笑顔で会長さんに尋ねました。
「こっちのハーレイ、透視能力はどのくらい?」
「…お愛想程度のモノだと思うよ、うんと集中してギフトの紙箱が透けるかどうかってトコ」
「うんうん、基礎はあるんだね!」
だったら充分いける筈だ、と勝手に決めてかかっているソルジャー。
「ぼくのサイオンで補助してやればね、透視能力がググンとアップ! 眼鏡っていう媒体があればターゲット限定も何処まで見せるかも自由自在に調整可能!」
作ってくるよ、と盛り上がられても困ります。会長さんの服だけが透ける眼鏡を教頭先生に渡そうだなんて、それは明らかに犯罪なのでは…。
「えっ? ぼくはこっちの世界の人間じゃないし、犯罪も何も」
「ぼくが困るんだよ!」
なんでハーレイにサービスをせねばならないのだ、と会長さんが柳眉を吊り上げました。
「ぼくは自分を安売りする気は無いからね!」
「誰がタダだって話をしてた?」
「「「は?」」」
「当然、料金はガッツリ頂く!」
眼鏡の代金と調整料金、と妙な台詞が。
「「「調整料金?」」」
「そうだよ、度数をアップしたけりゃ追加料金が要るんだよ!」
最初は上着が透ける程度で…、とソルジャーは指を一本立てました。
「それもブルーが上着を着ていないから、ってシャツが透けるってわけじゃない。あくまで上着なら上着限定、その下のシャツも透けさせたいってコトになったら度数をアップ!」
下着を透かすなら更に度数をアップせねば、とグッと拳を握るソルジャー。
「そして、その先! どんどん度数をアップしていけば服はすっかり透けるんだけど!」
「「「…透けるんだけど…?」」」
「今度はモザイクがかかるってね!」
そう簡単にブルーの裸は見られない仕組み、と極悪な仕様が明らかにされて。
「モザイクを除去して欲しいと言うなら、当然、此処でも度数アップで!」
追加料金がドカンと発生するのだ、とソルジャー、物凄いことを言い出しましたが。サイオン・スコープ、出来た場合はとんでもないことになりそうな…。
「どうかな、度数アップで追加料金を頂くんだけど?」
でもって君と山分けなんだ、とソルジャーは会長さんの耳に悪魔の囁き。
「おまけにサイオン・スコープだしねえ、こっちのハーレイは本当に透けてるつもりでいたって、事実かどうかは分からないってね!」
ましてモザイクがかかってくれば…、とクスクスと。
「こっちの世界の旅行パンフレットとかによくあるじゃないか、「この写真はイメージです」って。ああいう調子でハーレイの脳内のイメージってヤツを投影しとけば、それっぽく!」
「…つまり、本物のぼくの裸は見えないと?」
「そういうコト! 怪しまれないように服の段階ではちゃんと透かすけど」
で、どうかな? と再度、ソルジャーに問い掛けられた会長さんは。
「その話、乗った!」
「オッケー、これで決まりってね!」
早速ぼくの世界で作ってくるよ、とソルジャーはサイオン・スコープとやらの制作を決めてしまいました。会長さん限定で服が透けると噂のサイオン・スコープを。
「眼鏡のフレームはどんなのがいいかな、こっちのハーレイに似合うヤツとか?」
「…お洒落なアイテムをハーレイに与えるつもりは無いからねえ…」
似合わないのがいいであろう、と会長さんは頭の中であれこれ検索していたようですけれど。
「そうだ、この際、グレイブ風で!」
「あのタイプかい?」
「うん。あれはグレイブには誂えたように似合っているしね、逆に言えばハーレイなんかに似合うわけがないと!」
「…確かに…。君もホントに鬼だよねえ…」
ああいう眼鏡を作るんだね、とソルジャーは部屋の壁を通り越した彼方のグレイブ先生の部屋を覗いている様子。教職員専用棟の中にミシェル先生と二人用の部屋があるのです。
「よし、形とかのデータは頭に入れた! 後はぼくのシャングリラで作らせるだけ!」
そしてぼくのサイオンを乗せるだけ、とソルジャーの頭の中にはイメージがバッチリ出来たようです。会長さん限定で服が透けてしまうサイオン・スコープ、度数アップの度に追加料金までが発生するというサイオン・スコープ。
「さて、最初はいくらで売り付けようか?」
「そうだねえ…。度数アップの料金の方は、倍々ゲームで増えるのがいいね」
二倍が四倍、四倍が八倍…、と会長さんとソルジャーが始めた料金相談。キース君たちが持ち込んできた人生相談の話題、エライ方向へと向かってますが…?
その週末。会長さんのマンションに集まって賑やかにお好み焼きパーティーを開催中だった私たちの所へ、ソルジャーが瞬間移動で現れて。
「出来たよ、例のサイオン・スコープ!」
眼鏡のフレーム作りに手間取っちゃって、とソルジャーの手には眼鏡ケースが。
「このケースもねえ、ホントだったらシャングリラのロゴが入るんだけど…。それはマズイし、ロゴ無しで!」
「それはいいけど、眼鏡を作ったクルーたちは? また時間外労働かい?」
会長さんの問いに、ソルジャーは「うん」と悪びれもせずに。
「だからちょっぴり遅くなってさ。なにしろ、ぼくのハーレイを連れてってフレームを顔に合わせて作らなきゃだし、そうなると当然、勤務時間外」
だけどきちんと視察に行っておいたから、と言うソルジャーのクルーに対する御礼は視察。自分の世界で使わないものを作らせた場合は記憶の消去を伴いますから、御礼を言っても意味が無いそうで、視察に出掛けて激励のみ。
「要するに、今回も「ご苦労様」の一言だけで済ませて来た、と」
「何を言うかな、ソルジャーの視察と労いの一言はポイント高いんだよ?」
シャングリラでは栄誉ある出来事なんだよ、と威張り返られても、私たちには分からない世界。たとえ記憶を消してあっても、お菓子の一個とかでも差し入れすれば…。
「いいんだってば、視察と「ご苦労様」でぼくのシャングリラの士気は上がるしね!」
ブリッジだってそうなんだから、と言われてしまうと返す言葉もありません。こんなソルジャーに牛耳られている皆さん、お疲れ様としか…。
「それでさ、サイオン・スコープだけどさ」
これから売り付けに行かないかい? とソルジャーは煽りにかかりました。むろん、ちゃっかりお好み焼きパーティーの面子に混ざりながら。
「いいねえ、ハーレイは家に居るようだし…」
「みんなで行ったら君の服だけ限定で透ける仕様もハッキリ説明出来るしね?」
「それがいいねえ、ぼくの服しか透けません、ってね」
で、どんな仕組み? と眼鏡ケースを眺める会長さんに、ソルジャーはサイオンの使い方の説明を始め、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も「そうなんだ!」などと感心しているのですけれど。
「…分かりませんね?」
ぼくたちには、とシロエ君が言い、キース君が。
「ああ、サッパリだな」
思念波くらいの俺たちにはな…、とサイオニック・ドリームが坊主頭限定で使える人でも言う始末。つまりはサイオン・スコープの仕組みはサッパリ、謎な作りの眼鏡としか…。
お好み焼きパーティーが済んで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手際よく後片付けを終えると、教頭先生の家へと出発です。会長さんとソルジャー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と三人分の青いサイオンがパアアッと溢れて…。
「な、なんだ!?」
リビングのソファで寛いでおられた教頭先生が大きく仰け反り、会長さんが。
「ご挨拶だねえ、今日は素敵なアイテムを持って来てあげたのに」
「…アイテム?」
「そう! その名もサイオン・スコープなんだよ!」
これ、と会長さんはソルジャーの手から眼鏡ケースを受け取り、教頭先生に渡しました。
「まあ開けてみてよ、気に入ってくれるといいんだけれど」
「…???」
ケースを開けた教頭先生が取り出した眼鏡は、まさしくグレイブ先生風。似合わないんじゃあ、と私たちが思うのと同時に、教頭先生ご自身も。
「…こういうタイプの眼鏡フレームは似合わないのでは、と思うのだが…」
「そう言わずにさ! ちょっとかけてみて、それからぼくを見てくれれば…ね」
「お前をか?」
「そうだよ、そしたらサイオン・スコープの意味が分かるかと!」
ちなみに今日のぼくはこういう上着を…、と会長さんはその場でクルッと回って見せて。
「今年の流行りのデザインなんだよ、君はこういうのに疎そうだけど」
「う、うむ…」
「フィシスが選んでくれたんだよねえ、この色が一番いいだろう、って! だから…」
その眼鏡をかけて是非見てみて、と言われた教頭先生、何も疑わずに眼鏡を装着。うっわー、やっぱり全然似合ってませんよ…。ですが。
「…ありゃ?」
教頭先生は眼鏡を外して会長さんをまじまじと眺め、またかけてみて。
「…うーむ…?」
外して、かけて、また外して。何度もやっている教頭先生に、会長さんが。
「どう、ハーレイ? ぼくの裸が見えたかな?」
「裸!?」
なんだそれは、と引っくり返った教頭先生の声。それはそうでしょう、いきなり「ぼくの裸」と言われて驚かない方が変ですってば…。
「その眼鏡はねえ、サイオン・スコープってヤツなんだよ。名前はさっきも言ったけれどさ」
いいかい、と会長さんは真面目な顔で。
「実はブルーが開発したんだ、ブルーのサイオンが使ってあるわけ。それでね…」
「ぼくから君へのプレゼント!」
ソルジャーが話を引き継ぎました。
「いつも何かと報われない君に、ブルー限定で服がすっかり透けちゃう眼鏡をぼくが開発しました、ってね! その名もサイオン・スコープってわけ!」
透けてるかい? と訊かれた教頭先生は眼鏡をかけて会長さんをまじっと眺めて。
「え、ええ…」
「なら良かった。ただ、君の透視能力ってヤツが分からなくってさ、ぼくのハーレイに合わせて来たから、もしかしたら透け方が足りてないかも…」
「はあ…」
「もしも足りないようだったらねえ、度数アップに応じるよ」
ただし有料! とソルジャーは其処を強調しました。
「サイオン・スコープは大負けに負けて、九割引きで出血大サービス! 買う?」
料金はこんなものなんだけど、とソルジャーが告げた価格からドカンと九割引き。それでも充分にお高い値段で、アルテメシアでも一番の高級ホテルと名高いホテル・アルテメシアのメイン・ダイニングの最高のコースを三回くらいは食べられそうですが…。
「よ、喜んで買わせて頂きます!」
「本当かい? 作った甲斐があったよ、ぼくも」
教頭先生はいそいそと財布を持って来て、ソルジャーに全額キャッシュで支払いを。今月はまだ麻雀で負けていないのか、はたまた勝ったか。気前のいい支払いっぷりに、ソルジャーも大満足で渡されたお金を数えると…。
「オッケー、これでサイオン・スコープは名実ともに君のもの! それさえかけていればブルーの服がいつでもスケスケ、裸をバッチリ見られます、ってね!」
「…そ、その件なのですが…」
「ん?」
「じ、実は度数が今一つで…」
どうやら上着しか透けて見えないようなのですが、と教頭先生、しっかり申告。日頃のヘタレは何処へ行ったか、スケスケに透けるサイオン・スコープが欲しいんですね?
「そうか、度数が合ってないんだ…?」
度数アップは有料だけど、とソルジャーがスッと料金表を差し出しました。
「ぼくのサイオンを常に乗せておかなきゃいけないっていう辺りもあってね、度数を一気に上げるというのは無理なんだよ。段階的に、ってコトになるかな」
「段階的に…ですか…」
「君の透視能力さえ優れていればねえ…。ぼくのハーレイ並みでさえあれば、今ので充分にスケスケになる筈だったんだけど…。とりあえず一段階上げるためには、この値段だね」
「こ、これですか…」
ソルジャーの指が示した料金はゴージャスなもの。けれどソルジャーの指は更に隣の枠を指差し、その隣をも。
「こんな風にね、一段階上げるごとに料金も上がっていくんだけれど…。何処ですっかりスケスケになるか、実はぼくにも読めなくってさ」
「は、はあ…」
「透け過ぎちゃうとブルーの身体も透けてしまうし、度数アップは段階を追うのをお勧めするよ。上げてしまった度数を元に戻すより、そっちがお得」
下げる場合は技術料として別料金が…、と示された箇所にドえらいお値段。目を剥いている教頭先生に、ソルジャーは「ね?」と営業スマイルで。
「だから一段階上げてみようか、料金を支払ってくれるんならね」
「お、お願いします!」
必ずお支払いしますので、という教頭先生の御要望に応じて、ソルジャーは「じゃあ、貸して」とサイオン・スコープを受け取り、両手の手のひらの上へ乗せると。
「えーっと、まずは一段階、と…」
サイオン・スコープが青いサイオンの光に包まれ、それが収まった後、ソルジャーは自分でかけてみてから「はい」と教頭先生に。
「一段階アップしてみたよ、これで今度こそ透けるといいねえ?」
「は、はいっ!」
期待しています、と眼鏡をかける教頭先生に、会長さんが「スケベ」と一言。けれども教頭先生はメゲるどころか、会長さんを食い入るように眺めた後で。
「…どうやらこれでも駄目なようです…」
「そう? もう一段階、アップしてみる? 高くなるけど…」
「かまいませんっ!」
全く惜しくはありません、と鼻息も荒い教頭先生、もう完全にカモですってば…。
一段階ずつ度数をアップ。ソルジャーは途中から「先払いで」と言い出し始めて、教頭先生は「大丈夫です!」とキャッシュをバンバン。タンス預金と言うのでしょうか、ご自宅に金庫があったようです。
「ブルーのために、と日頃から蓄えておりまして…」
「うんうん、実にブルーのためだね、裸を拝むにはいい心掛けだと思うよ、ぼくも」
ソルジャーは度数アップと称して、せっせとキャッシュを毟りまくって。
「今度こそ大丈夫だと思うけどねえ?」
「あ、ありがとうございます!」
これで今度こそ下着も透ける筈です、と勇んで似合わない眼鏡をかけた教頭先生だったのですが。
「……はて……???」
「どうかした?」
「そ、そのぅ…。何やらモザイクがかかっているような…」
「ああ、やっとそこまで辿り着いたんだ?」
元々そう見える筈だったんだよね、とソルジャーの口から嘘八百が。
「最初から丸見えでは有難味が無いし、モザイクは基本装備なんだよ」
「…そ、そうなのですか…」
残念そうに肩を落とした教頭先生に、ソルジャーは。
「でも、大丈夫! モザイク除去のサービスも別にあるからね!」
ただし有料、と出て来た別の料金表。これまた細かく段階が分けられていて…。
「ぼくのハーレイなら一回で完全にモザイクを除去出来るんだけど…。君の場合は…」
「何段階になるか分からないというわけですね?」
「話が早くて助かるよ。モザイク除去が要るんだったら、今度もキャッシュで」
「もちろんです!」
もう幾らでもお支払いさせて頂きます、と教頭先生の欲望はボウボウに燃え上がっていて、キャッシュをバンッ! と。モザイク第一段階除去が完了したようですけど。
「…どうかな、ハーレイ?」
「…まだのようです…」
「仕方ないねえ、じゃあ、もう一段階やってみる?」
「お願いします!」
ブルーの裸のためならば、と猪突猛進な教頭先生は全く気付いていませんでした。眼鏡をかける度にまじまじ見ている会長さんの顔に、楽しそうな笑みが乗っていることに。
支払い続けること何十回目だか、ようやく教頭先生は望み通りのサイオン・スコープを手に入れました。会長さん限定で服がすっかり透けてしまって丸見えな眼鏡。
「こ、この眼鏡は素晴らしいですねえ…」
「そうかい? ぼくも嬉しくなってくるねえ、そうやってブルーの裸に親しんでいればヘタレもいずれは直るだろうし」
「そうですね!」
頑張って眼鏡生活を始めてみます、と教頭先生はソルジャーとガッチリ握手を。会長さんが大きな溜息をついて、「ぼくとの握手は?」と。
「散々、ぼくの身体を眺め回して握手無しとは厚かましいしね?」
「う、うむ…」
「ふふ、素っ裸のぼくと握手って? あ、視線を下に向けないようにね」
君には刺激的過ぎるから…、という会長さんの言葉に釣られて下を向いてしまった教頭先生、派手に鼻血を噴きましたけれど。
「…す、すまん…」
「だから言ったのに、下を見るなって。学校でもちゃんと気を付けるんだよ、眼鏡ライフ」
「ちゅ、注意する…」
しかし出会い頭に裸だったら…、と頬を染めつつ、眼鏡を外すつもりはまるで無いらしい教頭先生。週明けには校内でグレイブ先生と揃いの眼鏡の教頭先生にお目にかかれることでしょう。
「頑張るんだね、ぼくで鼻血を噴かないように」
「ぶるぅの部屋から滅多に出てこないから、そうそう会えるとも思えないのだが…」
「何を言うのさ、せっかく大金を払った眼鏡だしね? ぼくからは無料で散歩をサービス」
教頭室の窓の下とか中庭とかを散歩するよ、と会長さんは片目をパチンと瞑りました。
「せいぜい眺めて楽しんでくれれば…。ぼくにもその程度のサービス精神はあるんだよ」
結婚とはまた別だけどね、と言われた教頭先生は感無量。サイオン・スコープに大金を支払った甲斐があったと言わんばかりの感動の面持ちですけれど…。
「…あれってイメージなんだよねえ?」
瞬間移動で引き揚げて来た会長さんのマンションでのこと。ジョミー君の問いに、ソルジャーが。
「当たり前だろ、本当に透けて見えてるんならブルーが黙っちゃいないってね!」
「そういうことだよ、ハーレイの妄想の産物なんだよ、見えているのは」
あれだけ支払った挙句にイメージ、と大爆笑する会長さんとソルジャーはキャッシュを山分けしていました。教頭先生のタンス預金はまだまだ家にあるのだとかで。
「次はレーシックを勧めてみようかと思うんだよ」
ソルジャーが大量のお札をバラ撒いてヒラヒラと降らせています。
「「「レーシック?」」」
「そう、レーシック! こっちの世界の近視治療の方法なんだろ?」
前にこっちのノルディに聞いた、とお札をパァーッとバラ撒きながら。
「眼鏡が要らなくなる治療! それをサイオン・スコープに応用、裸眼でもれなくブルーの裸を拝めます、ってね!」
「なるほど、次はレーシックねえ…」
それもいいねえ、と会長さんがニヤニヤと。
「ぼくの裸を見慣れて来た頃、眼鏡無しライフをお勧めする、と!」
「そう! ぼくのシャングリラで入院と手術ってことで、料金の方は!」
ジャジャーン! とソルジャーが披露した額は壮絶でしたが、会長さん曰く、教頭先生だったらキャッシュで充分に払えるのだとか。
「ふふ、ハーレイにレーシックねえ…」
「うんと毟って、これどころじゃない札束の海を!」
「かみお~ん♪ お金のプールで遊ぶんだね!」
わぁーい! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ね、会長さんたちはすっかりやる気。騙されてカモられた教頭先生、まだカモられるようですけども。
「…まずは週明けのシャングリラ学園が楽しみですね?」
教頭先生が眼鏡ですよ、とシロエ君が指を立て、サム君が。
「グレイブ先生のとお揃いだしよ、なんか色々と笑えるよな!」
「とどのつまりはイメージってトコが最高なんだと思うわよ、コレ」
スウェナちゃんの言葉にプッと吹き出す私たち。カモられてしまった教頭先生、眼鏡の次はレーシック希望となるのでしょうか。札束の海も楽しみですけど、これからの鼻血と、いつ真相に気付かれるのかも楽しみです~!
眼鏡で素敵に・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
教頭先生が大金を払って、ゲットした眼鏡。効果は抜群みたいですけど、本当はイメージ。
そうとも知らずに、次はレーシックに挑戦かも。眼鏡姿は、似合うんですかねえ…?
次回は 「第3月曜」 11月19日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月は、キノコが美味しい季節。さて、どうなる…?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
(…こいつがいいんだ)
実に美味いんだ、とハーレイはアーモンドをつまんでいた。
いわゆるローストアーモンド。香ばしくローストされたアーモンドと絶妙な塩味のハーモニー。幾つでも食べられそうな気がする、流石にそれはしないけれども。器に入れて持って来た分だけ、それでおしまいにするつもりだけれど。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、書斎の机で傾けるウイスキーのお供にアーモンド。
ウイスキーも深酒する気などはなくて、グラスに一杯と決めていた。深酒をしては酒の美味さが台無し、ゆっくり、じっくり味わいたいなら量は控えておくのがいい。
だからグラスに一杯分だけ、今日の気分はそんな所で。
普段だったらコーヒーだけれど、たまにはウイスキーもいい。夜のひと時、寛ぎの時に。
酒のお供にと選んだアーモンド。
冷蔵庫の中にはチーズもあったし、ナッツにしたってミックスナッツがあったけれども。色々なナッツを詰め合わせた缶、それが置いてはあったのだけれど。
今夜の気分はアーモンドだった、ローストアーモンドだけを選びたかった。
(なにしろ、これしか無かったからなあ…)
家に無かったという意味ではなく、帰り道に寄った食料品店に無かったという意味でもなくて。
前の自分の記憶に引かれた、今夜はアーモンドで飲んでみたいと。
白いシャングリラで暮らしていた頃、キャプテン・ハーレイだった頃。
人類の船から奪うのをやめて自給自足の生活に入った白い鯨では、バラエティー豊かなナッツは無かった。カシューナッツもピスタチオも無くて、マカダミアナッツも、ペカンナッツも。
白い鯨になったシャングリラで食べたナッツはアーモンドくらい、塩味をきかせたアーモンド。それにしようと遠い記憶がざわめいたから、今夜はローストアーモンドで。
白い鯨を懐かしむには丁度いいから、前の自分を思い出しながら飲みたい夜には。
前の自分の記憶と言っても、辛く悲しい記憶ではなくて。
前のブルーを喪った後の心塞がれた時代ではなくて、それよりも前の平和な時代。前のブルーが元気だった頃、シャングリラに希望が満ちていた頃。
地球の座標は掴めなくとも、アルテメシアの雲海から外へは出られなくとも、いつかは地球へと夢を見ていた、いつか地球へと旅立つのだと。
ミュウと人類とが手を取り合うのか、戦いになるか、それは誰にも読めなかったけれど。確かな未来は見えなかったけれど、それでも地球へと。
道は開ける筈だと信じた、前のブルーも、前の自分たちも。
そのためにも今を生きなければと、未来を作ってゆかなければと楽園という名の船を維持した、ミュウの楽園であるようにと。
外の世界には出られなくても、地面の上には降りられなくても、満ち足りた日々を船で過ごしてゆけるようにと。
船での暮らしを豊かにするため、選ばれたナッツがアーモンド。
何にするかと何度も会議を重ねたけれども、使い道の多さと花の美しさでアーモンドにしようということになった。同じ植えるならアーモンドがいいと、美しい花を咲かせるそうだからと。
(本当に綺麗だったんだ…)
あの花が、と白いシャングリラを思い出す。アーモンドが植わっていた船を。
桜のようだったアーモンドの花。桜によく似た花を咲かせた、淡い桃色の花を幾つも、幾つも。花の時期には木が桃色の雲のようになった、桜そっくりの花に覆われて。
桜にとても似ていたけれども、サクランボよりも早く咲いた花。
人工的に作り出された船の四季に合わせて、冬から春へと向かう頃に。芽吹きの春へと移りゆく季節に先駆けて咲いた、アーモンドの花は。
(今だと梅が咲く頃だよな)
白やら紅やら、冬は終わりだと花開く梅。早い梅なら雪の中でも開き始める、咲き始める。
今の自分たちが住んでいる地域、遠い昔には日本という名の小さな島国が在った辺り。日本では梅が好まれたというから、文化の復活と共に梅も戻った、あちこちに植えられ身近な存在。
今の自分は見慣れているから、アーモンドの花の時期には梅だと分かる。
シャングリラには無かった梅の花が開いて、香しい香りが辺りに漂う。春告草の名前どおりに、春の兆しを振り撒くように。
アーモンドの実は食べられるけれど、前の自分たちも食べたけれども。
今も香ばしいローストアーモンドをつまみにしているけれども、梅の花と言えば。
(梅干しも悪くはないんだ、これが)
日本風の酒を飲むなら、梅干しもいける。梅肉を使った和え物なども合う、たまに作ってみたりする。長芋を和えたり、豆腐に添えたり。
(つまみでなくても…)
梅の実の使い道はアーモンドと同じに色々とあった、梅干しにして食べる他にも。梅シロップに梅酒、それを作った梅を使って料理も出来るし菓子も作れる。
梅干しにしても、おにぎりに入れたり、梅肉を使う料理も沢山。
つまりはアーモンドと同じに役立つ梅の実、梅も花だけを愛でる木ではなかった。
シャングリラに梅は無かったけれども、あれば役立ったに違いない。花を咲かせた後の実までが充分に利用できるのだから。
アーモンドか梅か、どちらなのかと訊かれたら。
花が美しく、実まで使えるアーモンドと梅、どちらを取るかと尋ねられたら。
(今なら梅か…)
シャングリラに植えるというわけではなく、自分の好みで決めていいのなら梅を選びたい。
梅干しや梅肉などはともかく、実をつける前に開く花。まだ寒い内に咲き始める花。
その情緒で梅に軍配が上がる、アーモンドよりも梅の花だと。
せっかくの日本、かつて日本が在った地域で暮らすのだから、梅がいい。遠い昔の人々が愛した文化を楽しむ地域に生まれたのだし、同じ花ならやはり梅が欲しい。
春の足音を運ぶ梅の花、春告草とも呼ばれる花。
自分が教える古典の中にも幾つも出て来る、梅の花も、それを詠み込んだ歌も。
けれどアーモンドではそうはいかない、アーモンドでは古典の世界にならない。
今の時代も公園などにはアーモンドが植わっているけれど。早咲きの桜かと勘違いされることもあるのだけれども、ただそれだけで終わる花。
アーモンドの花が咲き誇る場所で古典の世界に浸れはしないし、梅の花とはまるで異なる。
(だが、花と言えば…)
花という言葉が指していた花。花と言えばこれだ、と誰もに通じた花の正体。
梅から桜に変わったのだったか、遥かな昔の日本では。
日本で最初に作られた都、その頃には花は梅だった。歌に詠まれた花という言葉は梅の花だけを指し、他の花ならば別の名で呼ばれた。「花」とだけあれば、その花は梅。
けれども都が別の場所へと移された後に、其処で都が栄える内に。
花は桜に変わってしまった、歌の中でも、書き記された日記や物語でも。花と言えば桜、梅ではなくて。誰も梅とは思わなくなった、花という言葉を耳にした時に。
(しかも、それだけではなくてだな…)
最高の権力を誇った天皇、その住まいの前に植えられた花まで梅から桜に変身を遂げた。以前は梅が植わっていたのが、桜の木に。対で植えられた橘の方は変わらないまま、梅だけが桜の木へと変わった。誰もおかしいと思いはしなくて、ごくごく自然に、いつの間にやら。
そうして花は桜に変わった、梅は「花」から「梅の花」へと変わって桜にその座を譲った。
なんとも不思議な話ではある、桜にサクランボは実らないのに。
サクランボが実る桜はまた別のもので、遠い昔の日本で愛された桜の花とは違うのに。
梅の木だったら実をつけ、それを食べることが出来る、日本で好まれた梅干しなどに加工して。
それに比べて桜はといえば、ただ花が咲くというだけのこと。サクランボは実らず、花が咲いた後には散ってゆくだけ、また次の年に花を咲かせるまでその場所に根を張っているというだけ。
梅と違って役に立ちはせず、手入れが必要というだけの桜。
せっせと手入れをしてみた所で翌年の春に花が咲くだけ、何の役にも立たないのに。
花が人の目を楽しませるだけで、それ以上のことは何も無いのに。
なのに梅から桜へと変わった、遠い昔の日本では。
実をつけ、役立つ梅の木から桜に変わった、「花」という言葉も、天皇の住まいを飾った花も。
(きっと日本は…)
平和だったのだろう、梅を桜に変えられるくらいに。
花の後には実をつける梅を、実などつけない桜に変えてしまえるほどに。
花を愛でられればいいと思える時代だったのだ、きっと。桜へと変わっていった時代は。
役に立つ梅の木を桜に植え替え、花という言葉も梅から桜へ変えた時代は。
(シャングリラでは無理だ…)
あの船にあったアーモンドを桜に植え替えるのは。
いくら平和な時代であっても、本当の意味での平和は無かった。戦闘が無かっただけの時代で、人類は変わらずミュウの存在を認めないままで。
シャングリラが雲海の中に潜んでいたから平和だっただけ、その存在を人類が知らなかったから何も起こらなかっただけ。
物資を補給しに宙港へ降りたり、輸送船を頼むことなど出来はしなくて、全てを船内で賄うしかなくて。自給自足の日々だった船では、アーモンドの木は必需品だった。
そのアーモンドを桜に替えても、誰も喜ばない、役に立たない。
アーモンドの実は採れなくなってしまい、桜の木ではサクランボも実りはしない。春になったら花が咲くだけ、ただそれだけの桜の木。
どんなに見事に咲いたところで、ほんの一時期、咲き誇った後は散ってゆくだけ。
いったい誰が喜ぶだろうか、そんな役立たずの桜の木を。同じような花が咲くアーモンドの木を抜いてしまって、代わりに桜を植えたとしても。
(…それとも、それも喜ばれたか?)
桜の花の美しさはやはり格別だから。
咲き初めから散ってゆくまでの間、刻々と変わる花の表情、それはアーモンドとは違うから。
遥かな昔の日本の人々が愛し、魅せられた花だけはあると今の自分は知っているから。
あのシャングリラにも桜があれば愛されたろうか、と思ったけれど。
駄目だと直ぐに思い直した、そんな心の余裕は無かった。
ただ愛でるために桜を植えようと、育ててみようとアーモンドの木と取り替えるだけの余裕などありはしなかった。桜は役に立たないのだから、サクランボも実らないのだから。
(やはりシャングリラではアーモンドなのか…)
桜と似たような花は咲くけれど、風情が違うアーモンド。花の季節も桜とは違う、桜よりも早い梅の季節に咲いて散ってゆくアーモンド。
そのアーモンドを植えておくのがギリギリ、実がなるからこそのアーモンドの木。ローストしてナッツの味を楽しんだり、粉にして菓子に使ってみたりと。
実をつけ、それが食べられるから許された薄桃色のアーモンドの花。けして愛でるためにある花ではなかった、桜の花とはまるで違って。
サクランボにしてもそうだった。桜に似た花を咲かせてはいても、花よりも実が大切だった木。アーモンドのようには長持ちしない実、贅沢だったサクランボ。赤く瑞々しいサクランボの実は、船での暮らしに欠かせないものではなかったから。
とはいえ季節を知らせる果物、愛されていたサクランボ。今年も採れたと、甘く美味しく実ってくれたと。
これが桜ではそうはいかない、花の後にはサクランボは無くて、花だけだから。
きっと誰にも顧みられず、役に立たない木が植わっていると思われただろう桜の木。
(…余裕の無い船だな、本当に…)
心の余裕がまるで無いな、と溜息をついた。
公園に薔薇はあったのだけれど、薔薇こそ何の役にも立たない観賞用の花だけれども。それでも薔薇は桜ほどに場所を取りはしないし、四季咲きだったから花は一年中。花の持ちも良くて桜とは違う、見る間に散ってしまいはしない。
その薔薇を使って薔薇のジャムまで作られていたのに、シャングリラの中に桜は無かった。
一面の桜並木は無かった、白い鯨の何処を探しても。
(そいつを作るならアーモンドなんだ…)
見渡す限りとまではいかなくても、ズラリと並んだ花の雲を船で見たければ。桜並木を思わせる景色を眺めたければ、似た花をつけるアーモンド。
だから桜並木のような景色は見られたと思う、アーモンドの木は一本だけではなかったから。
花の季節に其処へ行ったなら、桜によく似たアーモンドの花が薄桃色の雲を纏い付かせて立っていたろう、さながら早咲きの桜の如くに。
花見をしてはいないけれども。
誰も花見をしようとは言わず、アーモンドの花は静かに咲いては散ったのだけれど。
(日本だと花見なんだがなあ…)
今の時代も桜が咲いたら花見に出掛ける人たちは多い。心浮き立つ春の光景。
遠い昔に日本だった頃は、もっと優雅に桜を愛でていたという。池に浮かべた船から眺めたり、桜が咲いたと館で宴を開いてみたり。
桜を詠んだ歌も色々とあって、古典の授業の時間だけでは教え切れない、時間が足りない。
(世の中に絶えて桜のなかりせば…)
そんな歌まで詠まれた時代。
この世の中に桜というものが無かったならば、のどかな気持ちで春を過ごせるのに、と。
今日は咲くかと、明日の桜はどんな具合かと、心騒がせていた人々の心を詠んだ歌。桜のお蔭で気もそぞろだと、どうにも落ち着かない季節が春だと。
(平和だな…)
桜ひとつで、たかが桜の花くらいのことで大騒ぎしていた遠い遠い昔。
桜が無ければ春はのどかな気分だろうに、と歌に詠まれたほど、桜にかまけていられた時代。
理想郷だ、と思わないでもない。
桜の他には心騒がせるものが無いなど、まさにシャングリラだと、理想郷だと。
事実、平和な時代だったと文献にはある、戦乱も無くて華やかな文化が花開いたと。
(だが、人間が生きてゆくには…)
大変な時代だっただろう。
一部の貴族たちを除けば、家も食料も果たして足りていたのかどうか。今とは違って疫病などもあった、薬も満足に無かっただろうに。
桜が無ければ、と詠んだ貴族たちも、疫病ともなれば逃れられない。
(桜に変わる前の梅の時代は…)
もっと大変だっただろう。
疫病どころか戦乱があった、日本人同士で争い合った。権力者も次々に移り変わった、とうとう都も変わってしまった。長く都があった地を捨て、別の場所へと。
そうして都を移した先で平和が続いて、梅は桜に取って代わられた、桜の時代がやって来た。
花と言えば桜、梅ではなくて。
天皇が住まう建物の前にも、梅の代わりに桜を植えた。対になる橘はそのまま変わらず植わっていたのに、梅の方だけが桜の木に。
花を愛でることしか出来ない桜に、実などつけない役立たずの木に。
平和だったからこそ桜になったか、と考えずにはいられない。人間の役に立つかどうかよりも、美しい花が咲くものを、と。花を愛でられればそれで充分、そういう時代だったのだろうと。
本当の所はそんな理由ではなかっただろうと思うけれども。
中国から来た梅よりも日本の桜を重んじる風に変わっただけだと知っているけれど、前の自分の頃を思えば、桜を平和だと思ってしまう。役に立つ梅より桜なのか、と。
白いシャングリラでは役に立たない桜を植えても駄目だったから。似たような花のアーモンドを育て、実を採らなくてはならなかったから。
アーモンドから桜に植え替えることなど出来はしなかった、役立たずの桜は植えられない。自給自足の船の中では。どんなに花が美しかろうと、アーモンドは桜に替えられなかった。
けれど…。
(シャングリラだって…)
時を経てゆけば、桜の船になっただろうか。
役に立つアーモンドを植える代わりに、桜を育てられただろうか。
平和な時代がやって来たなら、花を愛でるための木を植えられるような時代になったなら。
遥かな遠い昔の日本で、梅が桜に変わったように。役に立つ木から花だけの木へと、アーモンドから桜の木へと、いつしか変わっていったのだろうか。
前の自分たちが生きた時代が終わって、トォニィたちの時代になったら。
ミュウと人類とが共に生きた時代、本当の平和がやって来た時代。シャングリラは宇宙を自由に旅した、何処の星にも降りることが出来た。物資の補給も何処ででも出来た。
アーモンドの木にこだわらなくても、桜に植え替えられただろう。トォニィたちが桜にしたいと望みさえすれば、アーモンドの木を全て桜と取り替えることも。
ところが、木々の交代劇は起こらなかったシャングリラ。
公園も農場もそのままに保たれ、丁寧に世話が続けられた。アーモンドの木も。
(頑なに植え替えなかったんだよな…)
シャングリラのその後はどうなったのか、と調べたデータベースの資料で知った。
前の自分たちが生きた時代に敬意を表して、トォニィたちはシャングリラをそのままの形で残し続けた。青の間やキャプテンの部屋はもちろん、公園の木々も農作物なども。
自給自足の必要性などなくなった後も、アーモンドの木は残り続けた。花を愛でるだけの桜にはならず、最後までアーモンドが植わったままで。
(あの船に、桜…)
前の自分は見られないままで終わったけれども、次の時代に見たかった。
トォニィとシドが引き継いだ後に、そういう平和なシャングリラを。
アーモンドの代わりに桜が咲き誇る白いシャングリラを、平和な時代の桜の船を。
(はてさて、ブルーがこれを聞いたら…)
ブルーはどんな顔をするのだろうか、「桜の船を見たかった」と自分が言ったら。
かつてシャングリラを指揮したキャプテン、その自分が桜を植えたかったと言ったなら。平和な時代になった後には桜の船にして欲しかったと。
(あいつに話してみるとするかな…)
明日は土曜日なのだから。そのせいもあって、ウイスキーと洒落込んでみたのだから。
アーモンドを土産に持って出掛けて、小さなブルーに話してみたい。アーモンドの木を全部桜に替えて欲しかったと、そんなシャングリラが見たかったと。
(…だが、あいつだしな?)
小さなブルーと酒を飲むのは無理だから。つまみにナッツとはいかないから。
ローストアーモンドを持ってゆく代わりにクッキーにしようか、アーモンドの粉を使って焼いたクッキー。柔道部員たちが遊びに来た時は、徳用袋を買いにゆく店の。
アーモンドをつまみにウイスキーを飲んで、眠った翌朝。
桜の船は覚えていたから、ブルーの家へと出掛ける途中でクッキーの店に立ち寄った。徳用袋がドンと置かれているのだけれども、今日はそちらに用事は無い。
(これに憧れてるのも、あいつなんだが…)
ブルーが欲しがる徳用袋。割れたり欠けたりしたクッキーを詰めた袋なのだけれど、柔道部員を家に招いたら出すと話したら、綺麗に揃った詰め合わせよりも魅力的だと思えたらしい。多すぎて食べ切れないというのに、ブルーは徳用袋が憧れ。
けれども、今日はアーモンド。徳用袋の方は無視して、アーモンドクッキーの袋を一つ。二人で食べるのに良さそうな量が入ったものを。
クッキーの袋を入れて貰った紙袋を提げて歩いて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて。二階の部屋に案内されて間もなく、ブルーの母がクッキーを盛った器と紅茶を運んで来たものだから。
小さなブルーはクッキーの器をまじまじと眺め、「お土産?」と首を傾げて訊いた。
「まあな。たまにはこういう土産もいいだろ」
「なんでクッキー? これって、いつものお店のでしょ?」
徳用袋が良かったのに、とブルーは唇を尖らせた。ぼくの憧れは徳用袋、と。
しかも一種類だけしか買って来ないとは何事なのか、と不思議がるから。あの店だったら色々なクッキーが揃っているのに、どうして詰め合わせにしなかったのか、と尋ねるから。
「そりゃあ、理由があるってな。これしか買ってこなかったんだし」
「ハーレイのお勧めのクッキーなの?」
これが特別美味しいだとか、今の限定商品だとか。
「そうじゃなくてだ、こいつはアーモンドクッキーで…。そこが大切なポイントなんだ」
アーモンドって所だ、それが大事だ。
「…アーモンド?」
ちっともヒントになっていないよ、アーモンドの何処が大切なの?
「前の俺たちだ。シャングリラでナッツと呼べるようなの、アーモンドくらいだっただろ?」
栗の木なんかもあったりはしたが、栗はナッツと言っていいのか…。
ナッツの内には入るんだろうが、あれはデカすぎて木の実っていう感じだったしな。
本当はアーモンドを丸ごと持って来たかったが…、と苦笑した。
しかしそれでは酒のつまみだと、紅茶には全く似合わないからクッキーなのだと。
「…それは分かるけど、アーモンドを持って来た理由が分からないよ」
まだ分からない、とブルーが赤い瞳を瞬かせるから。
「思い出したからさ、シャングリラにあったアーモンドの木をな」
少し昔を懐かしむか、と昨夜はアーモンドをつまみに飲んでたんだが…。
最初の間は食べていたことを思い出していたが、途中から花の方へと行った。アーモンドの花、桜の花に似ているだろうが。
それで、シャングリラでは桜なんかを植える余裕は無かったな、と思ってな…。
似たような花でも実をつけるアーモンドしか植えていられなくて、実をつけないような桜の木は駄目で。ついでに、花が咲いて実をつける木なら梅があるわけだが、それも無かった。
まあ、あの時代は梅の実を食べる文化は無いしな、梅を植えようとは思わんだろうが…。
そこでだ、今、俺たちが暮らしてる地域。
此処は昔は日本だったろ、日本じゃ梅から桜に変わっていったんだ。花と言ったらこの花だ、と決まっていた花が梅から桜に。
「ふうん? …変わっちゃったんだ?」
「ずっと昔に、梅から桜へコロリとな。そうなった理由はちゃんとあるんだが…」
俺はウッカリ考えちまった、食える梅より、花だけの桜に変わっちまったとは平和だな、と。
人間の役には立ちそうもない木を大事にするとは、よほど平和な時代だったに違いない、とな。
だから…、とブルーの瞳を覗き込んだ。
「俺たちのシャングリラもそうしたかった、と思っちまったんだ」
梅じゃなくってアーモンドだったが、あれを桜に替えたかったと。
それでアーモンドを持って来たわけだ、この実が無くても桜の船にしたかったな、と。
「…それって、いつに?」
アーモンドの木は大切だったよ、みんなで考えて植えたんだから。
それを桜に植え替えるなんて、船中が反対しそうだけれど…。桜には実がならないんだもの。
サクランボの木にするならともかく、ただの桜は難しそうだよ。
「うむ。…だから、俺たちの時代には無理だった。俺が言うのは、もっと後のことだ」
つまり、トォニィとシドの時代のシャングリラだな。
あの時代にはもう、アーモンドの木は必要無かった。欲しけりゃ補給出来たんだからな。
そういう平和な時代だったし、アーモンドの代わりに桜を植えて欲しかった。平和な時代らしく桜の船になっていたらな、と思ったんだが…。
お前は、それをどう思う?
アーモンドの代わりに桜が植わったシャングリラ。平和で良さそうだと思わないか?
「…そのシャングリラ、見てみたかったかも…」
前のぼくは死んでしまっていたけど、もしも見られるなら見たかったよ。
アーモンドの代わりに桜が一杯、春になったら桜の花が咲くシャングリラを。
「そうだろう? 俺も見てみたかったんだ」
死んじまっていても、そんなシャングリラなら是非見たかった。平和になったと、いい船だと。
だが、あいつらは前の俺たちが植えた木とかを、変えようとしなかったんだよなあ…。
大切に思っていてくれたからこそだが、桜の船は見たかったよなあ…。
アーモンドの木は桜に変わらないまま、他の木もそのまま、白いシャングリラは飛び続けた。
最後のソルジャーになったトォニィを乗せて、キャプテン・シドが舵を握って。
広い宇宙をあちこち旅して、トォニィが決めた長い旅の終わり。
もうシャングリラは役目を終えたと、この先の時代にシャングリラはもう必要無いと。
そしてシャングリラは解体されて、時の彼方に消えたから。宇宙から消えてしまったから。
「ねえ、ハーレイ…。シャングリラ、最後に桜の船にしてあげたかったね」
アーモンドの代わりに桜の木を乗せて、平和な時代らしく飛ばせてあげたかったね…。
「俺もそう思う。ほんの数年だけでもな」
解体が決まってからも何年かは飛んでいたんだ、色々な星がシャングリラを招待したからな。
そういう所へ出掛けてゆくなら、桜の船でも良かったんだ。
前の俺たちが植えておいた木にこだわらなくても、平和な時代に相応しい木にしてくれれば。
引退の時には桜を乗せて飛んで欲しかった。
アーモンドの木の代わりに桜を、花を愛でるだけの桜の木を。
そうはならなかった船だけれども、シャングリラは最後までアーモンドと共に飛んだけれども。
小さなブルーも、桜の船を見たかったと言う。桜の船にしてやりたかったと。
「シャングリラに桜…。トォニィは桜、知ってたのかな?」
何処かで桜の木を見ていたかな、アーモンドの木よりも素敵だと思って見てたかな?
「どうだかなあ…」
それはなんとも分からんなあ…。桜を植えてた星も多いとは思うんだが。
しかしだ、トォニィが桜を知っていたとしても、日本の文化の移り変わりまでは知らないぞ。
梅から桜だと知りはしないし、知っていたって、俺のような考え方になったかどうか…。
アーモンドを桜に植え替えようとは思い付かなかったろう、恐らくな。
シャングリラが引退の時に花一杯で飛んでいたとしたって、桜じゃなくて別の花だろうなあ…。
「うん、でも…。お疲れ様、って花だらけだよね」
きっと宇宙のあちこちの星から、沢山のお花。
それを一杯に乗せて貰って、シャングリラは飛んで行ったと思うよ。
ブリッジだってきっと花で一杯で、舵の周りまで花が飾ってあったと思うよ…。
ミュウの歴史の始まりの船だったシャングリラ。
どんな引退式だったのか、詳しくは伝わっていないけれども、花は溢れていただろう。
シャングリラの労をねぎらう花たち、「ありがとう」と感謝の気持ちがこもった花たち。
その花たちを乗せてシャングリラは飛んで、植えられていた木はシャングリラの森に移された。始まりの星のアルテメシアに作られた記念公園に。アーモンドの木も、其処に引越したろう。
桜の木には植え替えられずに、最後までシャングリラと一緒に飛んで。
他の木たちと共に引越して、シャングリラの森で咲き続けたろう。春が来る度に花を咲かせて、桜とは違って実をつけ続けて。
そしてシャングリラは宇宙から消えた、白い鯨はいなくなった。
「…なくなっちまったなあ、シャングリラ…」
今じゃシャングリラ・リングしか残ってないなあ、シャングリラの名残。
モニュメントとかと違って、俺たちでも触れそうなものとなるとな。
「シャングリラの一部だった金属で作ってくれるんだよね、シャングリラ・リング」
結婚指輪を申し込んだら、抽選でちゃんと当たったら。
それにシャングリラの記憶、あるかな?
シャングリラ・リングを作って貰えたら、シャングリラの記憶を見られるのかな…?
「さてなあ…。そういった話は俺も知らんが…」
見えたって話に出会っちゃいないし、そいつは何とも分からないが…。
貰ってみないことには謎だな、シャングリラ・リングにシャングリラの記憶があるかどうかは。
分からないな、とは言ったけれども。
白いシャングリラで共に暮らした自分たちだったら、もしかしたら。
シャングリラ・リングを嵌めて眠れば見られるかもしれない、シャングリラの記憶を夢の中で。
そう口にしたら、小さなブルーは赤い瞳を輝かせて。
「ちょっと見たいね、シャングリラの記憶」
最後まで幸せだっただろうけど、幸せ一杯の引退飛行を。
トォニィとキャプテン・シドを乗っけて、沢山の花を一杯に乗せて。
「俺も見たいな、シャングリラには散々苦労をさせたからなあ…」
地球に行くために苦労をかけたし、引退の時には幸せであって欲しいもんだ。
いつかお前と見られるといいな、そういう幸せなシャングリラをな…。
シャングリラにあったアーモンドの木。
桜の木には植え替えられずに、そのままになってしまった木。
白いシャングリラを桜の船にはしてやれなかったけれど、それは叶わなかったけれども。
花一杯の幸せなシャングリラを見たい、役目を終えて旅立つ時の。
前の自分は見られずに終わった、シャングリラの幸せに満ちた旅路を。
叶うものならブルーと二人で、その夢を見たい。
いつか幸せに抱き合って眠る夢の世界で、一杯の花に囲まれて旅立つシャングリラを…。
アーモンドと桜・了
※シャングリラに植えられていたアーモンドの木。愛でるためではなくて、実を食べるために。
平和になった時代だったら、桜の木でも良かった船。ブルーとハーレイの夢の船です。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(ふうむ…)
こいつはどうやら当たりだな、とハーレイが手に取って眺めた卵。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、夕食の支度をしていて出会った。具沢山のオムレツを作るつもりで卵を出して来たけれど。幾つ使おうかと、卵が盛られた器から一つ取ったのだけれど。
どうも大きい、そういう印象。他の卵と比べてみたら、やはり大きい。
平飼いが売りの農場の卵、自然の中に鶏が産んでゆく卵。それを集めて出荷している、大きさが不揃いなことは珍しくなくて。器に盛られた卵は色々、それが気に入ってよく買っている。
卵といえども自然が一番、人の手は最小限でいい。前の自分の記憶が戻る前からそうだった。
(揃った卵も悪くないんだが…)
きちんと揃えて出荷される卵も嫌いではないし否定しないけれど、この盛り合わせの卵がいい。大きめの卵や小さめのものや、如何にも産み立てという感じがするから。
放し飼いにされて土の中の虫をついばんだりして育った鶏、元気な鶏。その鶏の元気が詰まった卵で、力を貰える気がするから。
それにしても大きい、手の中の卵。どう見比べても、他の卵よりも大きな卵。
不揃いな大きさの卵たちだし、そういったこともあるけれど。ここまで大きな卵となると…。
(この卵は、多分…)
どうやら双子。一つの卵に黄身は普通は一つだけれども、双子の卵には二つの黄身。
きっとそうだ、と大きさと重さを改めて手で確かめた。ずしりと重い気がする卵。大きめの卵。
(ほぼ間違いなく双子だろうな)
透視はさほど得意ではないし、卵の中身を気軽に覗けるレベルではない。
光に翳せば分かるだろうかと思ったけれども、ここは割ってのお楽しみといこう。
あらかじめ結果が分かっているより、当たりかハズレか、それを待つのも心が弾むものだから。自分の運を試されるようで、当たれば幸福感も倍。
まずは割って…、とオムレツのつもりで用意していた器よりも小ぶりの器を出して来た。
もしも卵が双子だったら、他の卵と混ぜてしまうようなオムレツにするのはもったいないから。
卵をコツンとキッチンの台の角にぶつけて、軽くヒビを入れて。
器の真上でパカリと割ったら、スルリと零れ落ちた黄身。一つ落ちたのに、もう一つ。殻の中に一つ黄身が残った、やはり双子の黄身だった卵。
半分に割れた殻の中にチョコンと鎮座している黄身は小さめ、普通の卵の黄身より小さい。器の中に入っている黄身も。
観察してから、そうっと二つ目の黄身を器の中に移した。仲良く並んだ二つの黄身。色の濃さも大きさもそっくり同じで、もう本当に瓜二つの双子。
三十八年生きて来たけれど、双子の卵はそうそうお目にはかかれないから。
狙って手に入るものではないから、予定変更、オムレツはやめて双子が生きる目玉焼き。双子の卵を堪能するなら、目玉焼きにするのが一番いい。
オムレツ用にと用意した具はグラタンにしよう、ソーセージや野菜などだから。バターで炒めて粉を振り入れ、ザッと混ぜてから牛乳を少しずつ入れてやったらホワイトソース。粉末の調味料を加えて味見してから塩胡椒。オーブン用の器に移して、チーズを載せて…。
オーブンに入れて仕上げる間に味噌汁に味噌を溶き、それから小さなフライパン。さっきの卵を流し入れて目玉焼きにかかった、軽く蓋をして。
間もなく完成、今夜の夕食。グラタンの方が見た目に立派だけれども、食卓の主役は目玉焼き。双子の卵が美味しそうに焼けた、目玉焼きを載せた皿が今夜の主役。
(さて、と…)
テーブルに着いて、グラタンの方から食べ始めた。目玉焼きも熱々がいいと思うけれども、まだ見ていたい。偶然の出会いを、一個の卵で黄身が二つの目玉焼きを。
(双子の卵なあ…)
ワクワクするような卵ではある、滅多に出会えはしないから。
綺麗に揃った卵を買ったらまず出会えないし、不揃いな卵を選んで買っても、そうは会えない。あの平飼いの農場の卵をよく買うけれども、双子の卵には滅多に出会わない。
(前に出会ったのはいつだったか…)
思い出せないくらいなのだから、何年も見てはいないのだろう。黄身が二つの双子の卵。
こうして出会うと嬉しい気分になってくる。一つの卵に黄身が二つで得をした気分、一個の卵で栄養が倍、と。その上、珍しい卵。幸運を引き当てた気分になれる。
SD体制が始まるよりも遥かな昔の地球にあった国、中国では双子の卵は縁起が良かったという話も聞いた。黄身が二つだから双黄卵の名があったほど。
縁起がいいから探し求められ、普通の卵よりも高値で売れた。喜ばれていた双黄卵。
(しかしだ…)
その中国の隣に位置した、かつての日本。今、自分が住む地域の辺りにあった小さな島国、その日本では双子の卵は好まれなかったらしい。
黄身が二つの卵どころか、双子というだけで忌み嫌われた。双子が人間の子供であっても。
どうしたわけだか嫌われた双子、色々と説はあるようだけれど。
人間の場合は片方の子供を捨ててしまったり、養子に出したり、最悪の場合は殺したり。双子に生まれて来たというだけで親に育てて貰えなかった子供。
そうした双子を思わせるから、双子の卵も嫌われた。食べずに捨てたか、どうなったのか。
けれども後世、双黄卵を尊ぶ文化が入って来たら売れたというから勝手なものだ。黄身が二つの卵ばかりを集めたパックが飛ぶように売れた、かつての日本。
今ではそういう卵のパックは無いけれど。双子の卵に出会いたかったら、不揃いな卵が詰まったパッケージを買っては、大きめの卵を端から割ってみるしかないのだけれど。
遠い昔には人間の都合で評価が分かれた双子の卵。忌み嫌われたり、尊ばれたり。
人の双子もそれと同じで、いつの間にやら嫌われる代わりに人気者。そっくりな双子にお揃いの服を着せ、得意満面だった親。周囲も可愛いともてはやしたから、人は変われば変わるもの。
見方ひとつで、考え方が一つ変わっただけで。
(そんな調子だから、SD体制なんぞを作っちまえたんだ)
人を人とも思わない世界、機械が人間を作った時代。
無から生まれたフィシスでなくとも、人間は全て人工子宮から作り出されていた時代。
(…生まれたんじゃなくて、作るんだよなあ…。あれは)
人の誕生とはそうしたものだと、前の自分はすっかり信じていたけれど。人工子宮から生まれてくるのだと、人はそうして生まれるのだと。
前の自分も、それにブルーも、人工子宮で作られた子供。人工子宮で育った子供。
誰もおかしいとは思わなかったし、それが正しいのだと思い込んでいた。
そう、トォニィが生まれるまでは、ずっと。
SD体制が始まって以来、初めての自然出産児としてトォニィがナスカで生を享けるまでは。
(あの時代には、双子ってヤツは…)
きっといなかったのだろう。広い宇宙の何処を探しても、双子の子供というものは。
機械が完璧に管理していた出産システムでは有り得ないから。
人工子宮に二つの受精卵を入れはしないし、受精卵が二つに分裂するのも止めただろうから。
一卵性の双子も、二卵性の双子もいなかった時代。
そういう時代に自分たちは生きた、前の自分と前のブルーは。
(今だと双子もいるんだがな?)
自然出産が当たり前の時代、もちろん双子も生まれてくる。一卵性の双子も、二卵性の双子も。
今の学校にも、双子の生徒がちゃんといる。
前の自分が生きた時代にはいなかった双子が、今は普通に生まれる双子が。
まるで双子の卵のように。何も思わずに買った卵たちの中に混ざっていた少し大きめの卵、目の前の双子の卵のように。
目玉焼きにしてしまったけれど。割ってフライパンで焼いてしまったけれど。
双子の卵は自然の証明、それを思うと可哀相だったろうか、この卵。
割って目玉焼きなどにしてしまって…、と冷蔵庫までパッケージを確認しに行った。もしも卵が有精卵なら、命が入った卵だから。親鳥が抱いて温めてやれば、ヒヨコが孵る卵だから。
パッケージに貼られていなかったシール、有精卵と書かれたシールは無くて。
違ったのか、とホッとした。珍しい双子を食べてしまっては可哀相だ、と。
安心してダイニングのテーブルに戻り、グラタンの後は目玉焼き。白身の方から食べ始めて。
(一つの黄身の卵だったら、有精卵でも平気で食ってたっけな…)
可哀相だと思いもしないで、とハタと気付いて苦笑する。酷いもんだと、食べているな、と。
有精卵はたまに食べるから。そう書かれているシールつきのを、選んで買う日もあるのだから。温めればヒヨコが孵る卵を、命が入っている卵を。
(栄養がつく気がするんだよなあ…)
思えば卵が可哀相だけれど、それとこれとは別問題。特別な気がする有精卵。
遠い昔のバロットとやらではないけれど。孵化する前のヒヨコごと卵を茹でてしまって、食べる文化ではないけれど。
ヒヨコが入った卵を茹でてしまうバロット、今でも一部の地域では食べると聞いた。SD体制が崩壊した後、復活して来た食文化。栄養がつくと、滋養があると。
(…流石の俺もそこまではな?)
旅行先でバロットを食べて来た先輩は「美味い」と語ったけれども、挑戦する気はまるで無い。好き嫌いが無いのが自慢とはいえ、ヒヨコ入りの卵は心臓に悪い。同じ栄養でも有精卵止まりで、その先は御免蒙りたい。
ヒヨコ入りの卵を食べる文化や、双子の卵を尊ぶ文化や。
卵の文化も色々あるなと、前の自分たちの時代とは違うと考えていて。黄身が二つの目玉焼きを美味しく頬張っていて…。
(…待てよ?)
双子の黄身の片方を口へと運んだ所で、双子の卵が引っ掛かった。
遠い記憶に、今の自分よりもずっと昔の記憶の端に。双子の卵だと、黄身が二つの卵なのだと。
前の自分の、遠い遠い記憶。それと重なる双子の卵。
(あったのか…?)
双子の卵がシャングリラに、と記憶を掴んで手繰り寄せてみたら。
白いシャングリラで暮らしていた日々を、鶏の卵があっただろう時期の記憶を探ってみたら。
(そうだった…!)
あの船で鶏を飼っていた時、双子の卵が生まれたのだった。普通よりも大きく生まれた卵。
これは何かと透視してみた仲間が見付けた、二つの黄身が入っているのを。
そんな卵は誰も知らないから、大騒ぎになってしまったけれど。変な卵が生まれたらしいと皆が押し掛け、農場にあった卵置き場は時ならぬ賑わいだったけれども。
ヒルマンがデータベースを調べに行ったら、黄身が二つの卵というのはたまにある話。
卵を産み始めたばかりの雌鶏が産むことが多いらしくて、条件が揃えば他にも色々。
SD体制が始まるよりも遠い昔は、卵としては出荷されずに製菓用などとして卸されていたり、逆に喜ばれて双子の卵ばかりを詰めたパッケージが人気を博したり。
双子の卵はそういったもので、シャングリラで飼っている鶏が産んでも不思議ではなくて…。
そうは言っても珍しいから、前の自分たちも見に行った。見物客が一段落した後、前のブルーも一緒に出掛けて。
卵置き場の中の一角、小さな机に置かれた卵。黄身が二つの双子の卵。
「孵るのかい?」
温めてやれば、と尋ねたブラウ。親鳥が温めればヒヨコが二羽孵るのかい、と。
「どうなのだろうね…?」
そこまでは調べていなかった、とヒルマンがデータベースを調べに出掛けて、直ぐ戻って来た。双子の卵を孵化させることは、けして不可能ではないらしい。
親鳥に任せておくのではなくて、人が手助けしてやれば。適切な手段を講じてやれば。
卵を温める親鳥は何度も卵の向きを変えるけれど、双子の卵にはそれでは足りない。黄身同士が癒着してしまうだとか、偏りすぎて死んでしまうとか。
それではヒヨコは孵りはしないし、もっと何度も卵の向きを変えるためには人工孵化。
親鳥の代わりに孵卵器で温め、何度も卵を回転させては、中身がくっつかないように。ヒヨコが無事に生まれてくるよう、せっせと付き添い、世話をしてやる。
そうすれば孵る、双子のヒヨコ。二羽のヒヨコが一つの卵の殻を破って生まれるという。
「へえ…!」
凄いじゃないか、とブラウが上げた感嘆の声。ゼルも、ブルーも、前の自分も同様だった。
今の時代の人間には有り得ない双子。養父母が育てる兄弟はいても、血の繋がりは全く無い。
鶏の世界でも人が手助けしてやらないと生まれない双子、孵化しないらしい双子の卵。
けれども、双子の卵は孵る。
人間の双子は今の時代は生まれないけれど、双子の卵なら孵すことが出来る。一つの卵から命が二つ。双子のヒヨコが生まれてくるから。
「やってみたいねえ…!」
あたしたちの手で双子のヒヨコを孵したいよ、と言い出したブラウ。ゼルも大きく頷いた。
「マザー・システムとはまた違うからのう…。双子のヒヨコもいいもんじゃ」
わしは双子ではなかったんじゃが、とゼルが呟いたハンスは弟、同じ年齢ではなくて血縁関係も皆無。機械が選んで組み合わせただけの兄と弟、そういう兄弟だったけれども。
それでも兄弟には思い入れのあったゼル、双子のヒヨコはゼルの夢を大きく掻き立てた。双子の卵を孵してみたいと、双子の鶏を育ててみたいと。
前の自分もブルーも夢見た、双子のヒヨコを孵してみようと。白いシャングリラの仲間たちも。
是非、と願った双子の鶏。誕生を祈った双子のヒヨコ。
切っ掛けになった双子の卵は、残念なことに無精卵。ヒヨコが孵化するわけがなかった。
だから誰もが待ったのだけれど、有精卵の双子の卵が生まれたならば、と頑張ったけれど。鶏が大きな卵を産む度、双子の卵だと判明する度、有精卵かと調べたのだけれど。
(とうとう無かったんだったか…)
双子の卵の有精卵は見付からなかった。
あれほどに皆が待ったのに。双子のヒヨコを孵してみようと、双子の鶏を育てたいと。
一つの卵に二つの黄身が入った双子の卵。人間がせっせと世話をしないと孵らない卵。
双子のヒヨコを孵化させることは、神の悪戯と、人間の手との合わせ技。
だからこそ白いシャングリラの皆が夢見た、自分たちの手で奇跡の命を、と。
けれど双子の有精卵はついに生まれず、シャングリラでは生まれなかった奇跡の双子。同じ卵の殻を破って二羽のヒヨコは生まれなかった。そっくりに育つであろうヒヨコは。
(今の時代だと…)
双子の卵はどうなるのだろう、とデータベースで調べてみたら。
流石は今の平和な世の中、個人的な趣味で孵化させている人が撮影した画像までがあった。卵を孵卵器で温める所から、二羽のヒヨコの誕生までを。
卵の殻を中からつついて破って、覗いた二つの黄色い嘴。そうして出て来たヒヨコが二羽。
(本当にちゃんと孵化するのか…)
こういうものか、と見入ってしまった。
同じ卵からヒヨコが二羽。双子の鶏、シャングリラでは叶わなかった夢。
管理出産の時代に抗うかのように、双子のヒヨコを孵そうとしていた前の自分たち。
(…あいつも何度も見に出掛けてたが…)
双子の卵が生まれたと聞けば、農場に出掛けていたブルー。「今度は有精卵なのかい?」と。
あれから長い時が流れて、ブルーも自分も生まれ変わった。青い地球の上に。
人工子宮から生まれるのではなく、母の胎内で育まれて。
そうして生まれた今のブルーは覚えているのだろうか、双子の卵を?
前の自分たちが夢を見ていた双子の卵を、奇跡の誕生を待ち焦がれていた双子の卵を。
(明日は土曜か…)
訊いてみようか、小さなブルーに。双子の卵を覚えているか、と。
双子の卵に出くわしたことも、きっと何かの縁だから。黄身が二つの目玉焼きを美味しく食べていることも、シャングリラで生まれた双子の卵を思い出したことも。
次の日、目覚めたら直ぐに思い出した双子の卵。昨夜の双子の目玉焼き。
これはブルーに訊かなければ、と青空の下を歩いて出掛けて、生垣に囲まれた家に着いて。
ブルーの部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり、早速、問いを投げ掛けた。
「双子の卵を知ってるか?」
「なに、それ?」
双子ってなあに、卵は幾つも生まれるんじゃないの?
鳥の種類で違うかもだけど、温める卵が一個だけより、二つとかの方が多そうだけど…。
「双子の卵は卵の数のことじゃなくてだ、本当に双子だ、一つの卵に黄身が二つだ」
鶏の卵でたまにあるんだ、他の鳥でも生まれるのかは知らんがな。
この卵は妙に大きいぞ、と思った時には双子だってことがあるんだよなあ…。
「ふうん…?」
ハーレイ、それに出会ったの?
黄身が二つの双子の卵を見付けたの…?
「うむ。昨夜、オムレツを作ろうとして卵を出したら、そいつが当たりで」
もしかしたら、と思ったんだが大当たりだ。ちゃんと双子の卵だったさ。
オムレツはやめて目玉焼きにして食ったんだが、と話したら。
せっかくの双子の卵なのだし、黄身が二つの目玉焼きにしたと言ってやったら。
「食べちゃったの!?」
ハーレイ、双子を食べちゃったんだ!?
双子の卵を割ってしまって、目玉焼きにしてしまったなんて…!
酷い、と反応したブルー。あまりに酷いと、食べてしまうなんて酷すぎると。
「安心しろ。…俺も確かめたんだが、普通の卵と何も変わらん。無精卵だった」
あれを温めてもヒヨコが生まれて来たりはしないぞ、有精卵ではなかったからな。
「なんだ…。それなら、いいよ。食べちゃっても」
双子のヒヨコが孵る卵を、食べてしまったわけじゃないなら。
「その卵なんだが…」
覚えていないか、前の俺たちと双子の卵の話なんだが…。
シャングリラで孵そうとしていただろうが、鶏が産んだ双子の卵を。
人間が手助けしてやらないと孵らないらしい、ってことで、双子のヒヨコを孵そうとした。
あの時代の人間にはいなかった双子、そいつを鶏で見てみたい、とな。
「そういえば…!」
ブラウが言い出したんだったっけね、それでみんなが賛成して…。前のぼくだって。
ゼルが一番熱心に孵そうとしていたっけね、双子の卵。ハンスと重ねていたんだろうね、双子の鶏。同じ卵から孵る兄弟、それが見たい、って。
「結局、出来なかったがな…」
卵を孵す用意はあったが、手伝おうと意気込むヤツらも充分揃っていたが…。
肝心の卵が生まれないままで終わったっけな、双子の卵はいつも無精卵ばかりでな…。
そうそう上手くはいかんものだな、と苦笑いを浮かべてしまったけれど。
今の時代は趣味で孵している人もあるのに、と前の自分たちの夢が夢のままで終わってしまったことに溜息をついたけれども。
「ううん、前のぼくたちが頑張った分は評価されたかも」
「はあ?」
小さなブルーが何を言ったのか、何を言わんとしているのか。それが分からず、思わず漏らした間抜けな声。けれどブルーは笑う代わりに、こう続けた。
「トォニィたちだよ。…自然出産で生まれた子供たち」
最初はトォニィ、ナスカで生まれた最初の子供。
SD体制の時代に入って、初めて生まれた本当の子供。人工子宮じゃなくて、お母さんのお腹の中で育った本物の子供。
今のぼくたちもそうして生まれたけれども、あの時代には誰も思いはしなかったよ。お母さんがいないと子供は生まれてこないってことも、それが正しい道だってことも。
…前のぼくは全く気付きもしなくて、ヒルマンやエラたちも気付かなかった。
なのにトォニィたちが生まれたんだよ、ミュウの未来を拓いた子たち。
トォニィたちが生まれたからこそ、次の時代に人工子宮は無くなったんだよ、SD体制が壊れたせいだけじゃないと思うよ。
…人はそうして生まれるものだと、お母さんから生まれるものだと、みんなが気付いたからこそなんだよ。トォニィたちが生まれていたから、立派な子供たちだったから。
前のぼくたちが頑張ってた分、トォニィたちへと繋がったかもね…。
親鳥任せにしておいたのでは孵化しないという双子の卵。
それを孵そうとしたくらいだから、管理出産だった時代に双子のヒヨコを誕生させようと夢見て努力していたから。
有精卵の双子の卵を寄越す代わりに、神様がアイデアをくれたのだろう、と微笑むブルー。
双子の卵よりも、双子のヒヨコなどよりも。
もっと素晴らしいものを誕生させてみてはどうかと、本物の子供を育ててみないかと。
アイデアを貰ったのは前の自分ではなくてジョミーだったけれど、と。
「もしかしたら、と思うんだよ。…神様がくれたアイデアかもね、って」
双子の卵を孵化させるよりも、本物の子供の方がずっと凄いよ。
そっちの方が遥かに凄くて、ミュウの未来も、人の未来も正しい方へと向かったんだよ。
人工子宮になっちゃってたのを、元へと戻したんだから。
あんなアイデア、そうそう出ないよ、神様がジョミーにくれたアイデアかもしれないよ?
「だが、ジョミーの時代に双子の卵は…」
もう孵そうとはしちゃいなかったぞ、農場では生まれていたんだろうが…。
鶏は変わらず飼ってたんだし、双子の卵もたまには生まれていた筈なんだが…。
「とっくに飽きちゃった後なんだけどね、ジョミーがシャングリラに来た頃にはね」
双子の卵が生まれました、って報告も無くて、見ようと出掛けて行く人も無くて。
有精卵か無精卵かのチェックなんかもしていなかったよ、卵は食堂に直行だったよ。普通の卵も双子の卵も関係なくって、食堂行き。
ヒヨコを孵すための卵以外は、全部みんなで食べちゃっていたよ。
ブルーを継いだジョミーの時代は、既にやってはいなかった。それよりも前になくなっていた。
すっかり忘れ去られてしまった、双子の卵を孵すこと。双子のヒヨコを孵化させる夢。
「ねえ、ハーレイ。双子の卵を孵そうっていう夢、どうして飽きちゃったんだっけ…?」
疲れちゃったって覚えは無いけど、待ちくたびれて投げ出しちゃったのかなあ?
いくら待っても有精卵の双子が生まれてこなくて、もう駄目だ、って放り出しちゃった…?
「そうじゃないだろ、本物の子供で忙しくなって来たせいだろうが」
…本物と言っても、トォニィたちのような意味での本物の子供とは違ったんだが…。
人工子宮から生まれた子供たちだが、もう本当に小さな子たち。
前の俺たちがそれまで見たこともなかったチビが何人もやって来たんだ、双子のヒヨコを育てるどころじゃないってな。
人間の子供の方が大事だ、そいつを立派に育てにゃならん。なにしろミュウの子供だからなあ、いずれシャングリラを担う予定の新しい世代が来たんだからな。
雲海の星、アルテメシアで保護した子たち。
一人から二人、二人が三人、少しずつ増えてシャングリラの中に子供たちの元気な声が響いた。養育部門が必要になって、子供たちはシャングリラの宝物になった。
双子の卵を孵すよりかは、本物の人間の子供たちを育てる方が遥かに楽しく、夢もある。それに心も惹かれるから。ヒヨコよりかは断然子供で、誰もがそちらに向かったから。
双子の卵は忘れ去られた、孵そうという夢も消え去った。
同じ育てるなら人間の子だと、ミュウの未来を担う子たちを育てねばと。
「そっか…。子供たちの方が大切だものね、鶏の双子なんかより…」
双子の卵を孵しているより、子供たちを育てていかなきゃね…。
「うむ。もっとも、あの時代に双子の子供はいなかったんだがな」
双子を見たいなら卵を孵してヒヨコの方でだ、人間の双子はまるでいなかったわけなんだが…。
マヒルとヨギが双子だったと言ってはいたがだ、あれも怪しいもんだしなあ…。
一卵性の双子なら機械の気まぐれでいたかもしれんが、二卵性の双子は有り得ない。人工子宮に二人は入れん、そういう風に出来てはいない。
あれはどういう双子だったか、調べようとも思わなかったが、はてさて、どうだか…。
双子なんだと頭から信じて育てられただけの、他人同士だったかもしれないなあ…。
「前のぼくもマヒルとヨギとは調べていないよ、双子なんだと思っているなら、それでいいから」
もう兄弟は認めない時代になっていたのに、兄弟で双子。それに一卵性じゃなかった。
何か理由があったんだろうけど、それは機械が考え出した理由だから。機械の都合は知りたくもないし、マヒルとヨギとが幸せだったらそれで充分。
…だけど、今では双子もいるよね、本物の双子。一卵性の双子も、二卵性の双子も。
「ああ、いい時代だ」
神様が双子を創って下さる、本当に本物の双子をな。
母親のお腹の中で育った、そっくりな双子や、似ていない双子を。
前の俺たちが頑張って孵そうとしていた双子の卵は二卵性だな、もしも孵っていたならな…。
本物の双子が存在する時代、機械に管理されない時代。
人が普通に生まれられる世界、母親の胎内に宿って育って、時には双子になったりもして。
前の自分たちが生きた時代には無理だった双子、双子の卵で夢を見るのが精一杯だった双子。
それを二人で語り合っていたら、小さなブルーが瞬きをして。
「…ちょっと双子に生まれたかったかも…」
ぼくとそっくり同じ兄弟、生まれてたら楽しかったかも…。
パパにもママにも、どっちがどっちか分からないくらい、そっくりな双子。ハーレイにも区別がつかない双子で、「ぼくはどっち?」って訊いてみたりして。
「いいのか、俺を独占出来んぞ?」
お前が二人で、そっくりだったら、俺も平等に相手をせんとな?
片方だけを優先するってわけにはいかんぞ、双子なんだし。
「それは困るよ…!」
ぼくはぼくだよ、もう一人のぼくにハーレイを取られちゃったら困っちゃうよ…!
「俺だって困る、お前が二人になっちまっていたら」
ぼくが本物、って主張するお前が二人もいるんだ、いったい俺はどうすりゃいいんだ。
そっくりってことは一卵性だし、元は一人のお前の筈だぞ。
二人揃って聖痕つきでだ、右手が凍えて冷たいってトコまで同じお前が二人なんだぞ…!
有り得なかったと思うけれども、もしもブルーが二人だったら。
母親の胎内に宿る間に、二人に分かれてしまっていたら…。
一卵性の双子のブルーで、姿形も心もそっくり同じ。そんなブルーが生まれていたならば…。
「ハーレイ、どうした?」
ぼくが本当に双子だったら、そっくりのぼくが二人もいたら。
どっちも同じで、どっちも本物。前のぼくが二人になっちゃった双子。
「二人とも貰うさ、お前は俺のものなんだからな」
片方だけを選んじまったら、もう一人のお前が可哀相だ。二人一緒に貰ってやらんと。
「…お嫁さんが二人?」
そんなの出来るの、お嫁さんが二人もいる人だなんて、ぼくは聞いたこともないけれど…。
「さてなあ、なんと言ったもんかなあ…」
俺が教えてる古典の世界じゃ、嫁さんが二人も別に珍しくはないんだが…。
今の時代にそれは無いしな、同居人とでも言っておくかな、嫁さんじゃなくて。
結婚式も挙げてはやれんが、俺と一緒に暮らせるんなら、お前はそれで満足だろう?
もう一人のお前と俺を取り合いでも、奪い合いでも、毎日一緒に暮らせるのなら。
ブルーが二人いたとしたなら、本当に双子だったなら。
二人と結婚するのは無理だし、同居するのが精一杯。二人のブルーを家に迎えて、住まわせて。
けれども、自分は二人ともきっと愛しただろう。
二人に分かれてもブルーなのだし、二人ともブルーなのだから。
どんなに大変だったとしたって、愛情もきっと倍だったろう。
ブルーが二人に増えた分だけ、そっくり同じな双子になってしまった分だけ。
(こいつが二人に増えるんだな)
双子に生まれてみたかったかも、と言ったブルーが、小さなブルーが。
そうして自分を巡って喧嘩で、あるいは二人で膨れっ面で。
(うん、きっとそうだ)
想像してみて可笑しくなる。
自分を取り合う二人のブルーを、自分が本物のブルーなのだと言い合うブルーを。
今は双子が生まれられる時代、そんな光景もまるで夢ではないかもしれない。
愛したブルーが二人に分かれて、両手に花ならぬブルーというのも。
双子の卵から生まれて来た夢、ブルーが二人に増える夢。
それも楽しい、こうして心で夢見て描いて、どうなったろうかと考えるのも。
本当に双子になっていたなら、ブルーも自分も困るけれども、きっと幸せに暮らしただろう。
青い地球の上に生まれ変わって、自分と、双子で二人のブルーと。
幸せはきっと三人分。
ブルーが一人増えた分だけ、ブルーが二人になった分だけ、幸せの量も増えるのだから…。
双子の卵・了
※遠い昔にシャングリラで夢見た、双子の卵を孵化させること。叶わなかった夢ですけど。
その夢がナスカの子たちに繋がったのなら、神様からの贈り物。未来を作るための。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
「ブルー、一匹いらねえか?」
今なら選び放題だぜ、って見せられた写真。
食堂で昼御飯を食べてから戻った教室、ランチ仲間が持ってる写真に、子猫が四匹。小さいのが四匹、フカフカのクッションの上に乗っかってる。真ん丸な目をして。
「えーっと…?」
一匹いらないか、って訊かれたけれど。ちゃんと写真を見せられたけれど、猫を飼っているって話は一度も聞いたことが無い。猫好きかどうかも記憶に無いけど、いたのかな、って考えてたら。
お祖母ちゃんの家の猫だって。
近所に住んでて猫が大好き、二匹飼ってて生まれた子猫。全部飼ってもいいらしいけれど、猫が好きな人は多いから。欲しいんだったらあげますよ、って。
(んーと…)
クルンと丸い目の子猫が四匹、どれもカメラの方を向いてる。あれはなんだろう、って好奇心で一杯、そういう顔で。白黒のブチが二匹と、三毛っぽいのと、真っ白なのと。
白いの、とっても可愛いんだけど。
前に写真を見せて貰った、ハーレイのミーシャみたいなんだけど…。
ハーレイのお母さんが飼っていたミーシャ、ハーレイが子供だった頃に隣町の家に住んでいた。甘えん坊で、生のお魚よりも焼いたお魚が大好きで…。
ケーキ作りの時にはミルクを欲しがったミーシャ、ミルクなんかは入らないパウンドケーキでもミルクを欲しがったから。ちょうだい、って足元でおねだりするから、ハーレイがミルクを入れてあげてた。おねだりしているミーシャを踏んだら大変だから。床に転がってると危ないから。
庭の木に登って降りられなくなって、お父さんが梯子をかけて助けに行ったり、ミーシャの話は幾つも聞いた。ハーレイが沢山話してくれた。
だからすっかりお馴染みのミーシャ、真っ白で甘えん坊の猫。とっくの昔にいないんだけれど、ハーレイのお母さんたちも今は猫を飼ってはいないんだけど。
(ミーシャ…)
写真の子猫を覗き込んだ。白い子猫を。ぼくが飼うなら、断然、この子。ミーシャって名前で。
ハーレイが子供の頃に一緒に暮らしたミーシャの真似して一匹欲しい、っていう気がするけど。貰うならこの子で、名前はミーシャ。
パパもママも駄目とは言わないだろうけど…。
ぼくの家には猫が好きそうなソファも絨毯もあるし、庭には登って遊べる木も沢山。芝生だって他所の家の猫が日向ぼっこをしてたりするから、きっと居心地はいい筈なんだ。
(この子を貰ってみようかな…)
パパとママに頼んで、写真を持ってる友達と一緒に、友達のお祖母ちゃんの家まで真っ白な子を貰いに行く。お父さん猫とお母さん猫に「よろしくね」って挨拶して。
そうして真っ白な子猫を抱っこして家まで帰るか、ペット専用の籠に入って貰うか。ぼくの家に着いたら直ぐにミルクをたっぷりとあげて、「ぼくの家だよ」って家の中を案内して回って…。
ぼくの部屋にも連れて行かなくちゃ、階段を上がって。
もしもミーシャが気に入るようなら、ぼくが家にいる間は、ぼくの部屋で過ごして欲しいかも。椅子の上とかベッドの上とか、好きな所で丸くなって。
ぼくの家に、部屋にミーシャがやって来る。真っ白なミーシャが。
今は子猫だけど、育ったらミーシャそっくりになる。ハーレイに見せて貰った写真のミーシャ。甘えん坊のミーシャがやって来るんだ、ぼくの家にも。
(ミルクをあげて、抱っこしてあげて…)
きっと素敵な毎日になる。ハーレイが来られない日もミーシャがいたら…、って思ったけれど。
(駄目だ、ハーレイ…!)
そのハーレイが問題だった。真っ白なミーシャは、ハーレイのお母さんが飼っていたんだから。子供の頃のハーレイはミーシャとおんなじ家で暮らしていたんだから。
ミーシャの思い出を沢山沢山持ってるハーレイ、ぼくがミーシャを飼い始めたら取られちゃう。猫のミーシャにハーレイを持って行かれちゃう。
「可愛いな」って、ハーレイの目が、手が、ミーシャの方に行っちゃって。
ぼくを見るよりミーシャを眺めて、ぼくの頭を撫でる代わりにミーシャの毛皮。真っ白な毛皮。もうそうなるに決まっているから、ミーシャは飼えない。
欲しいけれども飼っちゃいけない、ハーレイを取られてしまいたくなければ。
だから、真っ白な子猫を貰う話は諦めた。今なら選び放題だけれど、真っ白な子を貰えることになるんだけれど。
「…ううん、いらない」
いらないよ、って断った。可愛いけれども、ぼくはいらない、って。
「そうかあ? 一瞬、欲しそうな顔してたぜ?」
小さい間は可哀相だと思うんだったら、もう少し大きく育ってからでも、って言われたけれど。貰う予定で今から仲良くなっておいたら、大きくなっても大丈夫だから、って。
選んだ子猫に会いに行くなら、お祖母ちゃんの家まで何度でも付き合って行ってやるから、って親切な話もしてくれたけれど、飼えない子猫。ハーレイを取っちゃうミーシャは飼えない。
「ちょっと欲しいとは思ったけれど…。やっぱり、いらない」
ぼくは身体が弱いから、って嘘をついておいた。
寝込んじゃったりしたら世話出来ないよ、って、それじゃ猫だって可哀相だよ、って。
「ふうん…? お前の家、お母さんだって世話してくれそうじゃないか」
気が変わったらいつでも言ってくれよ、って友達は写真を鞄に仕舞った。誰かが貰ってしまった後だともう駄目だけれど、そうでなければ子猫はいつでも貰えるから、って。
それきり子猫の話は出なくて、帰る時にもう一度言われただけ。「考えとけよ?」って。
家に帰って、ダイニングのテーブルでおやつの時間。思い出しちゃった、真っ白な猫。
(ミーシャ…)
此処にミーシャがいてくれたら、って考えた。おやつの間は何処にいるだろう、あの猫を飼っていたならば。ダイニングの何処かで白いミーシャもおやつなんだろうか、ミルクを貰って。
おやつが済んだら、ぼくと一緒に暫く遊ぶ。きっと部屋までついて来てくれる。
(ぼくの後ろから、階段を上って…)
甘えん坊のミーシャはそうしていたらしいから。誰かの後ろをついて歩いて、行く先々で甘えて回って。おねだりをしたり、撫でてと身体をすり付けたり。
猫のミーシャは、ちょっぴり欲しくはあるんだけれど。
ペットも飼ってはみたいんだけど…。
今だったらどれでも選び放題、と四匹の子猫の写真が頭を離れない。選んでもいい真っ白な子。一匹だけ混じっていた、真っ白な子猫。
今なら貰える、あの友達に頼んだら。「白い子がいいな」と声を掛けたら。
(でも、ハーレイ…)
猫を飼ったら、絶対、取られる。ぼくのハーレイを取られちゃう。
だけど真っ白な子猫は欲しいし、ミーシャと名前をつけてみたいし、ハーレイの子供時代を真似してみたい。家にミーシャがいる生活。真っ白な猫と暮らす毎日。
おやつが終わって部屋に戻っても、やっぱり欲しい気がするミーシャ。真っ白な子猫。
ベッドの上に乗っていたなら、ってチラチラ見ちゃうし、床にいる姿も浮かんでしまう。ピンと尻尾を立てて得意げに歩く姿も、丸くなってぐっすり寝ている姿も。
(ミーシャ、飼いたい…)
飼ってみたくてたまらないミーシャ、今なら貰える真っ白な子猫。明日にだって貰って来られる子猫。欲しいと友達に頼みさえすれば。
そこまでは素敵なプランだけれども、後が問題。きっとハーレイを取っちゃうミーシャ。ぼくの代わりにハーレイに甘えて、膝の上にも乗っかったりして。
(…ハーレイ、ミーシャに取られちゃう…)
だから駄目だ、ってグルグルしてたら、チャイムの音。そのハーレイが仕事帰りにやって来た。ぼくの部屋まで、いつものように。
ママがお茶とお菓子を置いて行った後、テーブルを挟んで向かい合わせで座ったけれど。ぼくの頭はミーシャで一杯、真っ白な子猫とハーレイの関係でもう一杯で。
「なんだ、どうした?」
俺の顔に何かついているか、って鳶色の瞳で覗き込まれた。どうも変だぞ、って。
そう訊かれたら唇からポロリ、ぼくの心が零れてしまって。
「ミーシャ…」
「はあ?」
ハーレイは大きく目を見開くと、キョロキョロと周りを見回した。まるでミーシャがヒョッコリ姿を見せたみたいに、膝の上だか、足の辺りだかにミーシャの姿があるかのように。
霊か、って慌てているハーレイ。ミーシャの霊が現れたのか、って。
(…ミーシャの霊って…)
凄い勘違いだけど、ちょっぴり可笑しい。
猫のミーシャの幽霊だなんて、前のぼくでも幽霊にはなっていないのに。
タイプ・ブルーだった前のぼくでもなれなかったのに、ミーシャは幽霊になれるんだろうか?
「ハーレイ、前のぼくは幽霊になっていないんだけど…」
「そういやそうだな…。お前の幽霊、見てはいないな」
出たという噂も聞いちゃいなかった、シャングリラには大勢乗っていたのに。あれだけ大勢いた船なんだ、霊感のあるヤツの一人や二人は、いたっていいと思うんだがなあ…。
「…幽霊のぼくでも会いたかった?」
向こう側が透けて見えるようなぼくで、触ろうとしても触れなくっても。
「決まってるだろうが」
幽霊だろうが、透けていようが、お前に会いたくないわけがない。
出るという話を耳にしたなら捕まえに行くし、俺の部屋に出たなら逃がしはしないな。
ぼくの幽霊が出たら閉じ込めてしまうか、捕まえに行くか、どっちかだって。
幽霊のぼくが消えないように。シャングリラからいなくならないように。
「…そんなの出来るの?」
幽霊なんかを捕まえられるの、触ろうとしたって触れないんだよ?
消えてしまうものでしょ、幽霊は…?
「タイプ・グリーンのサイオンってヤツをなめるなよ?」
防御力の高さじゃタイプ・ブルーにも負けないのがタイプ・グリーンだろうが。
つまりはシールド能力も強い、サイオンの檻を作り出せるというわけだ。そいつを使って幽霊のお前を捕まえる。俺のサイオンで閉じ込めちまって、二度と外へは出さないってな。
俺の部屋に出たならそれっきりだし、他の場所に出たなら捕まえて連れて帰るという寸法だ。
ハーレイの部屋の地縛霊にしてやる、って大真面目な顔で言われたけれど。
「地縛霊って、なあに?」
どんなものなの、普通の幽霊とは何か違うの?
「そいつはな…。本物の地縛霊っていうのは、俺がお前を捕まえるのとは少し違うが…」
地縛霊は土地や建物に縛られてるんだ。自分が死んじまったことに気付いていないとか、其処にいなくちゃいけないと思っているだとか。理由はそれぞれ違うわけだが、他の場所へも、天国へも行かずに同じ場所に留まっているんだな。
だから地縛だ、地面に縛ると書いて地縛霊。
前の俺がお前の幽霊を捕まえたとしたら、俺の部屋に縛り付けておく。サイオンの檻でしっかり囲んで、抜け出せないように閉じ込めちまう。
俺が死ぬまでサイオンの檻は解けやしないし、お前は何処へも行けないわけだ。俺の部屋で俺を待つしかないのさ、来る日も来る日も、俺が仕事から戻るまでな。
「…そうなんだ…。ハーレイの部屋から動けないんだ、地縛霊にされてしまったら…」
サイオンの檻に入れられてしまって、ハーレイの部屋に縛り付けられて。
…なんだか凄いね、前のハーレイだったらホントにやりそうな気もするけどね…。
ハーレイが死ぬまで逃げられないらしい、幽霊のぼく。地縛霊にされてしまった、ぼく。
それも良かった、ハーレイの側にいられたのなら。
キャプテンの部屋から動けないままで、ハーレイが仕事に行ってる間は独りぼっちで待っているだけの毎日でも。シャングリラを自由に見て回れなくて、青の間に行くことも出来なくても。
ハーレイが部屋に帰って来たなら、二人きりで過ごせるんだから。
前のぼくの身体は透けてしまって、抱き締めて貰えなくっても。
キスすら交わせない透けた身体でも、ハーレイの声は聞こえるんだから。ハーレイが部屋に戻りさえすれば、ちゃんと姿を見られるんだから。
…幽霊にはなれなかったけど。
前のぼくは幽霊になってハーレイの前に出られはしなくて、地縛霊にもなれなかったけど…。
ちょっと残念、って考えていたら、ハーレイはハーレイで違う幽霊を考えていたようで。
「で、ミーシャの霊がどうしたって?」
お前、見えるのか、ミーシャの霊が?
サイオンの方はサッパリ駄目だが、霊感の方はあったのか…?
「違うよ、ミーシャの霊じゃなくって…」
本当に本物のミーシャだってば、見えたわけじゃなくて、思い出のミーシャ。ハーレイが教えてくれたミーシャの話を色々と思い出していたんだよ。
ぼくもミーシャに会いたいな、って。家にミーシャがいたらいいのに、って。
ミーシャを飼えるかもしれないんだよ、って今日の昼休みの話をした。
ランチ仲間が見せてくれた写真、子猫が四匹。白黒のブチが二匹と、三毛っぽいのと、真っ白がそれぞれ一匹、今なら選び放題の子猫。
真っ白な子猫を貰えそうだった、って。今すぐでも、子猫が少し大きくなってからでも。
「貰えばいいじゃないか」
可愛いもんだぞ、猫ってヤツは。犬とは違って我儘なもんだが、そこが可愛い。ミーシャだってそうだ、甘えん坊で、せっせとおねだりをして。
「ほらね、やっぱり」
思った通りだ、って、ぼくは溜息をついたけれども。
「何がやっぱりだ?」
どうしてそこで溜息になるんだ、俺は猫の魅力を少し語っただけだが?
「猫は可愛いって言ったじゃない!」
ハーレイ、ぼくよりミーシャに夢中になるんだ、ぼくがミーシャを貰って来たら。
真っ白な子猫を育て始めたら、ハーレイ、そっちに行っちゃうんだ…!
「お前なあ…」
そりゃあ、猫がいれば「可愛いな」と撫でてやりもするが、猫とお前は違うだろうが。
お前の頭を撫でてやるのと猫を撫でるのとは全く違うさ、撫でてやる意味も、こめる心も。
膝の上に乗せてやるにしたって、猫とお前じゃまるで違うと思うがなあ…。
お前は猫にも嫉妬するのか、って笑われたけれど。
猫は猫だし、ぼくはぼくだって言われたけれども、ハーレイの笑顔は猫にも向くから。手だって猫の方にも行くから、そこが問題、とっても問題。
ハーレイが猫の相手をしている間は、ぼくの相手はお留守だもの。ハーレイは猫のものだもの。
ぼくは真剣、猫にだってハーレイを取られたくない。ハーレイはぼくのハーレイだから。
でも…。
「…あのね…。猫はちょっぴり欲しいんだよ」
ハーレイを取られたくはないから、飼うのはちょっと無理そうだけど…。
それでもミーシャは欲しい気がするよ、きっと可愛いに決まっているから。子猫の間も、大きくなっても、甘えん坊で真っ白なミーシャ。
…ぼくもミーシャを飼ってみたいよ。あの写真を見るまで、考えたことも無かったけれど…。
今なら選び放題だぞ、って見せられちゃったら、なんだか飼いたくなっちゃった…。
「ふうむ…。お前はミーシャが欲しい、と」
真っ白な猫を飼ってみたいが、俺を取られて悔しい思いをするのは嫌だというわけだな?
俺がミーシャの相手をしてたら、お前はミーシャに嫉妬しちまう、と。
なら、嫉妬しなくてもよくなったら飼うか、って訊かれたから。
猫に嫉妬をしないで済むようになったら飼ってみるか、と尋ねられたから。
「なに、それ?」
ぼくが嫉妬をしないで済むって、どういう意味なの、ねえ、ハーレイ…?
「分からないか? 俺と結婚した後のことだ」
俺とお前は同じ家に住むし、猫がいたってかまわんだろう。
世話だって二人ですることになるんだ、嫉妬するも何も、俺たちの大事な家族じゃないか。腹が減ったと言われたら餌で、人間様とは少し違うがな。
「そっか、それなら…!」
ハーレイと二人で飼うんだものね、ぼくのミーシャで、ハーレイのミーシャ。
うんと可愛がってあげられそうだよ、ハーレイと二人で。
買い物に行ったらミーシャの好きそうなお魚を買ったり、ペットショップでおやつを買ったり。
そうだ、ハーレイのお母さんが飼ってたミーシャみたいに、お料理した魚が好きな猫なら…。
ハーレイと二人でお料理しようね、ミーシャ用のお魚。
いつかハーレイと結婚したなら、真っ白な猫を飼うことにする。
名前はミーシャで、ハーレイと一緒に世話をしてあげて、ぼくたちの家族。人間じゃないけど、可愛い家族。
いいな、と思ったんだけど。
その頃にも友達のお祖母ちゃんの家とかで真っ白な子猫が生まれたらいいな、と思ったけれど。
「…待て、今度は俺が駄目だった」
結婚してからミーシャは駄目だ、とハーレイが待ったをかけて来た。
「なんで?」
どうしてミーシャを飼っちゃ駄目なの、さっきはいいって言ったじゃない!
結婚してから飼ったらいい、って言ってくれたの、ハーレイだよ?
「…それは言ったが…。さっきは俺もそう思ったが…」
駄目だ、今度は俺が嫉妬だ、俺がミーシャに。だからミーシャは飼わん方がいい。
「嫉妬って…。何処からそういう話になるの?」
ハーレイがミーシャに嫉妬する理由、なんにも思い付かないけれど…?
「いや、理由なら嫌というほどあるが」
俺の留守中、ミーシャにお前を取られちまうんだ。俺が仕事に出掛けたが最後、ミーシャが出て来てお前を独占しちまうだろうが、そう思わないか…?
「…んーと…」
ハーレイが仕事に行っている間、ぼくはミーシャと二人きり。猫だから一人と一匹だけど。
とにかく留守番、二人しか家にいないんだから。
ぼくのお昼御飯はハーレイが作ってくれるって聞いているから、ぼくはミーシャの御飯の用意。ミーシャのお皿にキャットフードをたっぷりと入れて、ミルクもミーシャが欲しいだけ入れる。
そうやって世話して、毛皮の手入れもしてみたりする。
可愛がってやって、二人で昼寝もいいかもしれない。ぼくがコロンと転がった隣にミーシャも。ソファかベッドか、ちょっぴりお行儀が悪い床とか。
ふわふわの毛皮が横にくっつく、ぼくが昼寝をしようとしたら。
そういう昼寝もきっと悪くなくて、ミーシャと二人でのんびり昼寝。暖かなベッドや、柔らかなソファや、陽だまりのフカフカの絨毯とかで。
「ほらな、やっぱりお前を取られるんだ」
俺が仕事をしている間は、ミーシャがベッタリくっついちまって。
邪魔なデカイのがいなくなったぞ、と甘えて、遊んで、お前をすっかり取っちまうんだ。
「大丈夫だってば、ぼくはハーレイが一番なんだから」
ハーレイのことが一番好きだし、ミーシャと遊ぶのはハーレイが留守の間だけだよ。
ミーシャに夢中になったりしないよ、ぼくの一番はハーレイに決まっているんだもの。
「どうなんだか…」
そいつは大いに怪しいもんだ、ってハーレイは真顔。
俺を放り出しちまってミーシャの方じゃないのか、って。
ハーレイが家に帰って来ても。
仕事が終わって、ぼくとミーシャが留守番している家に帰って来た後も。
「それはしないよ!」
絶対にしないよ、ハーレイよりもミーシャが優先だなんて!
ちゃんとハーレイが家にいるのに、ハーレイを放ってミーシャだなんて…!
「本当か? …ならば、訊くが…」
ミーシャがベッドに入って来たならどうするんだ、お前。
俺たちが二人で寝ているベッドに、ミーシャがゴソゴソもぐり込んで来たら。
…俺もミーシャが家にいたから覚えているんだ、猫だったら来るぞ。人間様が寝ているベッドに入って来るのが大好きだからな。
「そうなの? なんだか可愛らしいじゃない」
ちっちゃな子供みたいなんだね、ぼくも小さかった頃はパパやママのベッドで寝ていたし…。
猫のミーシャもおんなじなんだね、ホントに家族って感じがするよ。
「…家族はともかく、お前、どっちを優先するんだ」
俺か、ミーシャか。…お前と一緒のベッドにミーシャが入って来たら。
「えーっと…?」
優先ってことは、ベッドの中の場所のこと?
ハーレイの寝場所か、ミーシャの寝場所か、どっちを大事にするかってこと…?
どうしようかと考えたけれど、ハーレイとミーシャじゃ大きさが違う。
身体の大きさが全然違うし、重さだって違う。
人間と猫でも違いすぎるのに、ハーレイはその人間の中でもうんと大きい方だから。体重だってうんと重くて、中身がずっしり詰まってる。
そんなハーレイが「うーん…」と寝返りを打ったはずみに、ミーシャが下敷きになったりしたら大変だから。きっとペシャンコに潰されちゃうから。
もしもミーシャが入って来たなら、ハーレイを邪魔にしそうな、ぼく。
「ベッドの上を空けてやってよ」ってハーレイをどけて、ミーシャが此処、って。
きちんと安全地帯を作って、ハーレイは其処に立ち入り禁止。ミーシャが潰されないように。
それに安全地帯を作っておいても、ハーレイが転がって来ちゃうかもだから。ゴロンと転がってミーシャをペシャンと潰しそうだから、ぼくが間に入らなきゃ。
ミーシャが潰れてしまわないよう、ぼくの身体で塀を作っておかないと…。
「ほら見ろ、ミーシャを取るんじゃないか」
俺がお前を抱き寄せようとしても、「ミーシャがいるから駄目」と言うんだ、お前はな。
お前を抱き締めたままで眠っちまって、ウッカリと横に転がったりしたら、ミーシャが下敷きになっちまうとか何とか言って。
「当たり前でしょ、潰されちゃったら可哀相じゃない!」
ぼくとハーレイが好きでベッドに入って来たのに、下敷きにされてペシャンコだなんて!
知らない人にやられるんじゃなくて、大好きな人に潰されるんだよ?
「まあな…」
確かにそいつは可哀相かもな、俺だってガキの頃には気を付けてたしな…。
ミーシャがベッドに入って来る度に、潰さないように身体を縮めて。
なのに、この年になって新しいミーシャを潰しちまったら、俺も心底、堪えそうだな。
そして…、って真面目な顔になったハーレイ。
堪えるといえば、って。
「俺とお前が潰さないように気を付けていても、いくら大事にしてやっても…」
ミーシャはいつかはいなくなるんだ、生き物だからな。それに寿命も俺たちよりはずっと短い。そのこと、きちんと分かっているか…?
「うん、知ってる」
ずうっと前に「猫になりたかった」ってハーレイに話した時にも聞いたよ。
ハーレイの家で飼ってたミーシャは長生きだったけれど、それでも二十年ほどだった、って。
いなくなっちゃうことは知ってるよ、どんなに大事に飼ってやっても、ぼくたちよりも先に。
「お前、そいつに耐えられるか?」
俺たちが二人で飼ってたミーシャがいなくなっても大丈夫か?
「ぼくにはハーレイがいてくれるから…」
ハーレイがぼくの一番なんだし、ミーシャがいなくなっても、きっと…。
それにハーレイ、ぼくを慰めてくれるでしょ?
俺がいるじゃないか、って。
「もちろん、お前を放っておいたりする気は無いが…」
ミーシャがいなくなっちまった分まで、お前をせっせとかまってはやるが。
しかしやっぱり寂しいもんだぞ、長年一緒に暮らした家族がいなくなっちまった後というのは。
猫は言葉を喋りはしないが、それでもいないと寂しい気分になるんだよなあ…。
本物のミーシャは大往生だったらしいけど。
病気じゃなくって、ホントに寿命。ポカポカ日向ぼっこをしながら幸せ一杯、ぐっすり寝たまま天国に行った。ハーレイのお父さんもお母さんも側に居たのに、気付かなかったほどに。
だけど、花で一杯の庭にお墓を作ってあげて、ミーシャが其処に眠った後。
暫くはリビングにぽっかり穴が開いていた、って。
御飯をちょうだい、ってミーシャがやっては来ないから。ミルクを強請りもしないから。
いつもミーシャが昼寝してた場所に、真っ白な猫はもういないから。
「そっか…。そんな感じになっちゃうんだ…」
ハーレイのお父さんやお母さんがいても、まだ子供だったハーレイがいても。
ミーシャがいなくなっちゃっただけで、リビング、ガランとしちゃってたんだね…。
「リビングだけじゃないな、ミーシャのお気に入りの場所は全部だな」
ダイニングもキッチンも、遊んでた庭も。此処にいたんだ、とミーシャを探しちまうんだ。
三人もいたってそんな具合だ、お前一人だと寂しいだろうが。
俺が仕事に行っちまった後、ミーシャがいた場所、端から回ってみるんじゃないか?
「そうかも…」
ミーシャの寝床があった場所とか、いつも御飯を食べてた場所とか。
此処にいたのに、って座り込んでは、ミーシャがいないって思っちゃうかも…。
真っ白な毛皮で甘えん坊のミーシャ。飼ってみたいと思ったミーシャ。
飼ってる間は楽しくっても、ハーレイに潰されないように大事にしてても、いなくなるから。
猫の寿命はうんと短くて、ぼくはまた一人で留守番をすることになっちゃうから。
「…いらないかな、ミーシャ…」
飼わない方が幸せなのかな、後で寂しくなるんだったら。
「俺はそいつがお勧めかもな」
お前の寂しそうな顔は見たくないんだ、ってハーレイが言うから。
家に帰る度にシュンとしているぼくを見るのは、ハーレイも辛いらしいから。
「…じゃあ、ハーレイが留守の間は?」
ぼくは一人で留守番をするの、ミーシャを飼わない方がいいなら。
ミーシャが一緒にいてくれるだけで、きっと色々、素敵なことだって起こりそうだけど…。
「お前、そういう一人ってヤツは平気だろ?」
前のお前の時から充分慣れてるだろうが、俺のいない昼間は一人で留守番。
「うん…。前のぼくも青の間で一人だったしね…」
部屋付きの係は来てくれたけれど、友達付き合いってわけにはいかなかったし…。
今のぼくだって、身体が弱い分、一人の時間は多いものね。
一人で留守番するんだったら、時間の過ごし方は色々ある。
本を読んだり、庭に出てみたり、ミーシャがいなくても色々なことが。
だからミーシャと一緒に暮らすのは我慢しようか、ちょっぴり欲しい気もするけれど。
抱っこしてみたり、撫でてやったり、猫との暮らしも楽しそうだけれど。
「ん、猫か? 俺も猫は好きだし、可愛いんだが…」
たまに何処かで出会うのがいいのさ、家族としてベッタリ過ごすんじゃなくて。
「何処かって?」
「旅先とかだな、フラリと出掛けて友達になるんだ」
気のいい猫がいるからなあ…。声を掛けたら寄って来てくれて、そのまま膝に乗っかるような。
餌をやったらもう親友だな、次の日に会ったら大歓迎って感じで迎えてくれるぞ。
待ってましたと、今日は何をして遊びますかと。
猫は可愛いけど、一緒に暮らすと、近付きすぎると、死んじゃった時に寂しいから。
家の中にぽっかり穴が開くから、旅の間だけの小さな友達。
好きな名前で呼び掛けてやって、猫の方でもそのつもり。ぼくがミーシャと呼んだらミーシャ。ぼくと一緒に遊ぶ時はミーシャ。
「そういうミーシャに、ぼくでも会える?」
「親父の釣りについて行けばな」
海の側だと、そういう所がけっこうあるんだ。
俺が咄嗟に思い付くだけでも、三ヶ所くらいはあるってな。親父はもっと沢山知ってるぞ。この前もミーシャにそっくりな猫に会ったらしいし、釣った魚を御馳走したとも言ってたなあ…。
海のすぐ側で漁師さんが沢山、釣りをしにくる人が沢山。魚を貰いに猫も沢山、そういう場所。
そこで探そうか、ぼくのミーシャを。真っ白な猫を。
(真っ白な猫に会ったらミーシャで、おやつをあげて友達になって…)
いつかミーシャを飼いたくなったら、猫を飼いたくなったなら。
我慢出来なくなってしまったら、旅先でミーシャと友達になろう。
ハーレイと二人で撫でて抱っこして、帰る時には「さよなら」って。また会おうね、って。
次に行ったらきっとまた会える、別のミーシャかもしれないけれど。
だけど友達、すぐに友達、真っ白なミーシャと海辺で過ごす。
そういう旅もきっと楽しい、ハーレイと二人で出掛けて行こう。
ぼくたちのミーシャに会いにゆく旅、真っ白なミーシャを探す旅。
海辺の町までハーレイと二人、小さな友達に会える旅行に…。
猫を飼いたい・了
※猫を飼いたいと思ったブルー。白い猫に「ミーシャ」と名前を付けて。
とても楽しそうな暮らしですけど、問題が山積み。飼わない方がいいかも、という結論です。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(ハーレイ先生、か…)
可愛いもんだな、と笑みが零れる。夜の書斎で、小さなブルーを思い浮かべて。
今日は仕事で遅くなったから、ブルーの家には寄れなかったけれど。
(…しかし、教師の特権ってヤツだ)
ちゃんと会えた、と熱いコーヒーを満たしたマグカップを傾けた。他の仕事なら会えないままで一日が終わっていたろうに、と。
今年の五月から赴任した学校、其処に小さなブルーが居た。そうとも知らずに着任した。思いもよらない再会を遂げた、前の生から愛した恋人。ソルジャー・ブルーの生まれ変わり。名前も前と同じにブルーで、姿形もそっくりそのまま。十四歳の少年なだけで。
学校に行けばブルーに出会える、ブルーが休んでいなければ。前と同じに弱い身体が、ブルーをベッドに縛らなければ。
だからこの仕事に感謝している、教師の道を選んだことに。小さなブルーが通う学校に、自分を転任させてくれた神にも。
今朝も学校で出会えたブルー。
柔道部の朝の練習を終えて、柔道着のままで歩いていたらバッタリ出会った。
いや、自分ではいきなり出会ったように思うけれども、多分そうではないだろう。ブルーが先に自分を見付けて、急ぎ足でやって来たのだろう。
「ハーレイ先生!」と呼び掛けられて、「おはようございます!」とペコリと下げられた頭。
銀色の髪がふわりと揺れて、お辞儀が済んだら赤い瞳がキラキラと煌めいて見上げて来た。背の高さが相当に違うのだから、首が痛くなりそうなほどに上を向いて。爪先立ちしそうな勢いで。
「おはよう、今日は元気そうだな」と言ってやったら、それは嬉しそうな笑顔になったブルー。
「はい!」と答えて、「朝御飯もちゃんと食べて来ました!」と元気に報告してくれた。朝から何を食べて来たのか、どのくらいの量を食べたのか。
訊いてもいないのにスラスラと話した、トーストにミルクにオムレツを半分、と。
「オムレツは半分だけなのか?」と赤い瞳を覗き込んだら、「チーズ入りでしたから」と返った答え。「普通のオムレツだったら全部食べられますけど、チーズ入りだと半分です」と。
食の細いブルーが朝食に食べる卵料理は、オムレツだろうが目玉焼きだろうが、卵一個分。一個よりも多いと残してしまうと聞いているから、チーズ入りでも同じこと。ボリュームが増えた分を胃に収め切れず、今朝は半分だったのだろう。
なるほどな、と頷いていたら、「ハーレイ先生は何を召し上がったんですか?」と尋ねられた。御飯でしたか、パンでしたか、と。
そんなことまで気になるらしいブルー、愛らしいブルー。
「俺か? 俺はな…」と朝食のメニューを披露してやると、小さなブルーはもっと訊いてきた。トーストの厚みはどのくらいですかと、何枚ですか、と。野菜サラダの中身の野菜も。
互いの朝食を巡って立ち話。
トーストにはマーマレードを塗って食べたと教えてやったら、「同じですね」と喜んだブルー。ぼくもマーマレードで食べて来ましたと、ハーレイ先生に頂いたマーマレードです、と。
他の生徒たちが次々に登校して来る中で、懸命に話していたブルー。
自分の家で話す時とは違って、「ハーレイ先生」の時には必須の敬語を使って。
たかがトーストやオムレツの話題で、ブルーが敬語。背筋をシャンと伸ばして丁寧な敬語、別れ際には「失礼します!」と頭を下げていたブルー。
失礼したのはハーレイの方で、「そろそろ着替えないとマズイしな?」と言ったのに。
「俺は行くから」と、「じゃあな」と軽く手を振ったのに、ブルーの方が「失礼します」。頭を下げて見送ってくれた、手を振る代わりに。名残惜しげに突っ立ったままで。
(すっかり逆になっちまったな…)
前の俺たちとはまるで逆だ、と熱いコーヒーを口へと運んだ。
小さなブルーが苦手なコーヒー、前のブルーも苦手だったコーヒー。ブルーの好みは前と同じで変わらないけれど、見た目も中身も幼いことを除けば前とそっくり同じだけれど。
(言葉遣いが違うんだ…)
正確に言えば、ブルーと自分の立場が逆で。
前は自分がブルーに対して敬語を使った、今のブルーとは全く逆に。
前のブルーは先生どころか、ミュウの長でソルジャーだったから。シャングリラの誰よりも上の立場で、キャプテンだった前の自分よりも上。
ソルジャー・ブルーと話す時には誰もが敬語で、それが当然のことだった。白いシャングリラの中の決まりで、ソルジャー・ブルーと話すなら敬語。
前の自分もそれに倣った、ブルーがソルジャーになった時から。それまでは一番古い友人として親しく言葉を交わしていたのを、敬語へと。
その上、自分はキャプテンだったから、船の仲間の手本になるべく、余計にけじめ。
ソルジャーを敬い、礼儀正しくと、常に敬語で話し続けた。公私を分かたず、いつも敬語で。
それまでの口調を殆ど変えることが無かったブラウやゼルたちとは違って、必ず敬語。
(俺のお仲間はエラだけだったな)
長老と呼ばれた五人の中では、エラだけが常に敬語を使っていた。ブルーに対して。礼儀作法にうるさかったエラは、長老同士で話す時にも敬語が基本だったくらいなのだから、ソルジャーともなれば敬語以外では話さなかった。
(その辺も俺と似てたんだ…)
性格は似ていなかったんだが、と苦笑する。
前の自分も生真面目な方ではあったけれども、エラにはとても敵わなかった。あそこまでは無理だと今も思うし、当時も思った。とはいえ、公の場では自分もゼルたちに敬語を使っていたから、エラと似ている。
肩書きの上では同じ長老、キャプテンである分、自分の方が上。それでも敬語だったから。長老同士でさえ敬語で話したのだから、ソルジャーには敬語。
エラは「ソルジャーと話す時には必ず敬語で」と徹底させたし、仲間たちも守っていたけれど。
ゼルやブラウは守らなかった。ヒルマンも守りはしなかった。
前の自分とエラだけが敬語で話し続けた、前のブルーと。
それまでの口調を一変させて。アルタミラから共に旅をして来た仲間同士の言葉遣いを捨てて。
(前のあいつと恋人同士になった後だって…)
崩せなかった敬語、ソルジャーであるブルーを敬う言葉。
抱き締める時も、キスを交わす時も、睦言でさえも。
「ソルジャー」を「ブルー」と言い換えるだけで、敬語を崩したことは無かった。一度も崩さず守り続けた、ソルジャーに対する言葉遣いを。
恋人同士だったからこそ、一層気を付け、敬語で話した。どんな時でも。
うっかりそれを崩してしまって、外で崩れたら大変だから。
キャプテンの自分がそれをしたなら、まず間違いなく悪目立ちする。人の耳に入る。
エラに咎められるくらいで済めばいいけれど、何度もやったら勘ぐられることも充分有り得た。前のブルーと自分との間に何があったかと、船の仲間たちに。
敏い者なら気付いたかもしれない、ブルーとの仲が変わったことに。
けれども、知られるわけにはいかない。ソルジャーとキャプテンが恋仲だなどと、皆には決して明かせはしない。
だから敬語を使い続けた、ブルーと二人で過ごす時にも。
ベッドで熱い愛を何度も交わして、共に眠りに就く時でさえも。
(それが今では逆なんだ…)
自分ではなくて、ブルーが敬語。小さなブルーが敬語で話し掛けてくる。
しかもブルーの家で会った時には普通の言葉で話しているのを、学校でだけは切り替えて敬語。きちんと「ハーレイ先生」と呼んで、それに相応しい言葉遣いで。
家で普通に話す言葉と、学校で話す時だけの敬語。
切り替えるブルーは大変だろうと考えてしまう、相手は同じなのだから。赤い瞳が捉える自分の姿は常に一つで、学校と家とでコロリと変わりはしないのだから。
もちろん、服装は週末だったら変わるけれども。ブルーの家を訪ねてゆくのにスーツを着込んで行きはしないし、ネクタイだって締めてはいない。ラフな格好で出掛けるけれども、普段は違う。
学校の帰りに寄った時ならスーツ姿だし、夏でも長袖のワイシャツにネクタイだった。
つまり、ブルーは服装で見分けることも出来ない。この服だったら敬語を使う、という方法ではミスをする。仕事帰りに寄った自分に、敬語で話し掛けるとか。
けれどもブルーは上手く切り替え、一度も間違えたことが無かった。
記憶に残らない程度の小さなミスなら少しくらいはあるだろうけれど、聞いていた人が気付いてしまうほどのミスは一度も無い。授業中にも、休み時間にも。
何処で会っても「ハーレイ先生!」と声を掛けて来る敬語のブルー。
(…前の俺より器用だな)
実に器用だ、と思ってしまう。
前の自分は避けて通った、ソルジャー・ブルーと恋人だったブルーで言葉を使い分けるのを。
けして失敗出来ないからこそ、そうしたのではあるけれど。
使い分けようという努力をしないで、最初から放棄したとも言える。出来はしないと、挑みさえせずに最初から。失敗したならどうするのだ、と自分自身に言い訳しながら。
(それを、あいつは…)
小さなブルーは楽々とこなす、家と学校とで切り替える。
「ハーレイ先生」に会ったら敬語で話して、ただのハーレイで恋人となったら普通の言葉。
学校で会う度、顔を合わせる度、「ハーレイ先生!」とやって来るブルー。
そう、今朝のように、近付いて話し掛けようと。
(必死なんだな、あいつときたら)
会ったからには話したい。姿が見えたら、話し掛けたい。きっとそんな所。
少しでも二人で話がしたいと、懸命になっているのだろう。
敬語でなければ話せないのに、切り替えなければ何も話せはしないのに。
(黙っているって選択は絶対しないんだ…)
学校で会ったら、行き合わせたら、真っ直ぐにやって来るブルー。
朝でも、休み時間でも。
廊下でも、グラウンドでも、何処であっても。
声を掛けて話が出来そうであれば、小さなブルーは近付いてくる。「ハーレイ先生!」と。
ほんの少しでも話せればいいと、何か話したいと、それこそ朝食のメニューについての話でも。
物怖じしないでやって来るブルー、敬語でせっせと話し掛けるブルー。
家での言葉と見事に切り替え、最後まで「失礼します!」と敬語で。
(前の俺だったら…)
白いシャングリラの通路で出会ったソルジャー・ブルー。ソルジャーの衣装を纏ったブルー。
すれ違う時に黙って会釈だけをしたこともあった、それも一度や二度ではなかった。
周りに誰もいなくても。
紫のマントを着けたブルーが、もの言いたげな時であっても。
(なにしろ自信が無かったからなあ…)
そういう瞳をしているブルーと話し始めたら、言葉遣いも怪しくなりそうで。自分を固く戒めた敬語が崩れてしまって、昔の口調に戻るとか。あるいは、言葉遣いは崩れなくても、キャプテンの顔が崩れてしまって、ブルーを抱き締めてしまうとか。
それが怖くて、ブルーを避けた。話すのを避けて会釈しておいた。
後でブルーに「君はつれないよ」と恨み言を言われるのが常だったけれど、それでも会釈。
(なんたって、しくじれないからな?)
ソルジャーへの礼を失するわけにはいかない、自分はキャプテンだったのだから。
それにブルーと恋人同士だと知られるわけにもいかなかったから。
たとえ周りに誰もいなくとも、シャングリラの通路は公の場で。
ブルーの私室だった青の間や前の自分の部屋とは違って、恋人同士で過ごせる場所ではなくて。
だからこそ避けた、ブルーとの会話。会釈だけで済ませて通り過ぎた。
自分に自信が無かった時には、ブルーをソルジャーとして扱える自信が持てない時には。
そうして何度ブルーを避けたか、会釈だけで済ませて通ったことか。
(あいつの方は遠慮が無かったが…)
ソルジャー・ブルーを避けて通った自分とは逆に、キャプテン・ハーレイを追い掛けたブルー。
誰もいない通路を歩いていた時、瞬間移動で背後に現れ、背中からいきなり不意打ちだとか。
腕を一杯に広げて抱き付かれた背中、何の前触れもなく飛び付いたブルー。
驚いて振り返れば悪戯っぽい笑顔でキスを強請られた、「大丈夫、誰も見ていないから」と。
この通路には今は誰もいないと、暫くは誰も通りはしないと。
遠慮など無かった前のブルーの急襲、通路で無理やり強請られたキス。心臓にはとても悪かったけれど、甘美な思い出でもあった。
ブルーの方から仕掛けられなければ出来なかったキス、通路でのキス。
ただし、前の自分の心臓はいつも竦んで縮み上がっていたけれど。
誰か現れたらどうしようかと、その辺りの扉を開けて突然、誰かが出ては来ないかと。
けれどもブルーは懲りはしなくて、何度も後ろを取られたもので…。
(あいつ、その分のツケを今、払ってるってか?)
今の自分を追い掛けたければ、使わなくてはいけない敬語。「ハーレイ先生」を追うなら敬語。普通の言葉で話せはしなくて、学校で自分と話したければ必ず敬語。
前の生で自分を散々困らせたツケを払っているのか、と可笑しくなって来たけれど。
思わず笑いが込み上げるけれど、きっとブルーは思ってもいまい。ソルジャー・ブルーがやったことのツケを自分が支払っているなどとは。
(うん、絶対に思いもしないな)
自分がやりたいからやっているのだ、と小さなブルーは言うだろう。敬語でも話したいからと。
家と学校とで言葉遣いを懸命に切り替え、それでも話したくてやって来るブルー。
黙って会釈をしておく代わりに「ハーレイ先生!」と声を掛けて来る、どんな時でも。
会釈だけなどとんでもない、と小さなブルーは叫ぶのだろう。ハーレイと話したいのに、と。
可愛くて、いじらしいブルー。
学校でも話が出来るようにと、敬語を使い続けるブルー。
(俺だったら黙る方だがなあ…)
近付いて話し掛けるよりかは黙って会釈だ、と前の自分を思い出す。
何度もそうして歩いた通路を、ソルジャー・ブルーとすれ違った白い鯨の中の通路を。
自分は黙ってすれ違う方の道を選んだ、ソルジャー・ブルーとの距離の取り方を、言葉遣いを、失敗したくはなかったから。
ミスをするわけにはいかなかったから、前の自分は。
(しかし、あいつは…)
臆することなく、「ハーレイ先生!」と自分から近付いてくるブルー。
敬語を使って話したがるブルー、前の自分とは比較にならない、その勇気。
(あいつの場合は、失敗したって…)
家と同じ言葉で話し掛けても、話してしまっても、自分はブルーの守り役だから。
普段からブルーの家を訪ねていることを誰もが知っているから、平気なのかもしれないけれど。守り役だけに親しげな口の利き方になるのも無理はない、と周りも許してくれそうだから。
そうは言っても、ブルーは敬語。失敗しないで、切り替えて敬語。
あの努力はとても凄いと思う。前の自分がしなかっただけに、手放しで褒めるより他にない。
いとも鮮やかに切り替えるブルー、小さなブルー。
学校では「ハーレイ先生!」と。
(チビだとはいえ、ブルーが俺に敬語…)
シャングリラの皆が敬語で話したソルジャー・ブルー。小さなブルーの前の生。
そんなブルーが生まれ変わりとはいえ、キャプテン・ハーレイに敬語で話す。前の生とはまるで逆様に、ソルジャー・ブルーがキャプテンに敬語。キャプテンの方は普通の言葉。
(しかも「俺」だと来たもんだ)
私どころか俺なんだ、と今の自分の言葉遣いを顧み、「酷いもんだ」と呟いてみた。エラたちが見たらどう思うやら、と肩を竦めてしまったけれど。
「ソルジャーに対して失礼ですよ!」とエラの声が聞こえた気がしたけれど。
(待てよ…?)
今ではすっかり慣れてしまった、ブルーの敬語。小さなブルーが懸命に話している敬語。
ところが、前のブルーの敬語。
それを自分は聞いたことが無い、ただの一度も。
ソルジャー・ブルーだったブルーでなくても、ソルジャーになる前のブルーにしても。
(…三百年も一緒に生きた筈だが、一回も…)
聞きはしなかった、前の自分は敬語で話したブルーを知らない。見たことがない。
忘れてしまったという筈はなくて、前のブルーに敬語は必要なかったから。
アルタミラから脱出した時点で、既に敬語ではなかったブルー。
自分が一番の年長者であると気付く前から、ブルーは普通に話していた。脱出直後の船の中では誰もが平等、敬語が必要になるような場面は無かったから。
大人ばかりの船の中で一人、少年に見えた前のブルー。
そんなブルーに「敬語で話せ」と、「年長者には敬語で話すものだ」と命じる者は誰一人としていなかったから。
前のブルーは一度も話さず、聞いた者さえ無かった敬語。誰も知らないブルーの敬語。
それを今、自分が山ほど聞いている。「ハーレイ先生!」と、学校で声を掛けられる度に。
小さなブルーが言葉を切り替え、話をしようとやって来る度に。
(もしかして、俺は幸せ者か?)
そこまでしてでも話したいのだ、と思ってくれるブルーに愛されて。
前の生では一度も使いもしなかった敬語で話そうとするほどに、小さなブルーに想われて。
(…前の俺の方は…)
敬語で話し続けたけれども、今のブルーがやっているように切り替えたりはしなかったから。
それは出来ないと決めてかかって、挑もうとさえもしなかったから。
(あいつは尊敬に値する…)
チビなんだが、と改めて深く感動した。
前の生でも使わなかった敬語だったと気付いたからには、褒めてやるしかないだろう。
明日は土曜日だから、小さなブルーを。
お前の敬語は実に凄いと、前の俺よりもずっと立派だと。
一晩眠っても忘れないまま、土曜日が来て。
(今日はあいつの敬語を褒めてやらんと…)
凄いのだから、と小さなブルーを思い返しながら朝食を食べて、青い空の下を歩いて出掛けて。
生垣に囲まれたブルーの家に着き、ブルーの部屋で二人、向かい合わせに座って切り出した。
「おい、俺はお前を尊敬するぞ」
「え?」
何の話、とブルーの瞳が真ん丸くなる。
「学校でのお前のことなんだが…。実に凄いと気が付いたからな」
「…成績の話?」
「いや、言葉遣いというヤツだ」
「言葉…?」
言葉遣いがどうかしたの、とブルーがキョトンとしているから。
敬語だ、と指摘してやった。
「お前、学校で俺に会ったら敬語だろう? この家で俺と話す時とはまるで違って」
あの切り替えは見事すぎるぞ、俺にはとても真似など出来ん。
前の俺にも出来なかったな、最初からしようとしていなかったが…。
「…そうだったっけ?」
前のハーレイ、敬語と切り替え、していなかった…?
「俺はいつでも敬語だったが?」
お前がソルジャーになっちまう前は、こういう言葉で話していたが…。
ソルジャーになってしまった後はだ、ずっと敬語のままだった。…どんな時でも敬語で通して、お前と二人きりでも敬語。
切り替えどころか、態度も切り替えられる自信が無かったというのが前の俺だな、情けないが。
お前にたまに恨まれたんだ、と謝った。
シャングリラの通路ですれ違った時、何度も会釈だけで済ませてしまった、と。
「その点、今のお前はだな…」
学校の中で俺を見付けたら、逃げる代わりにまっしぐらだろうが。
俺の方では気付いてなくても、お前の方からやって来るんだ。逃げもしないで、敬語に頭を切り替えて。「ハーレイ先生!」と呼びさえしなけりゃ、敬語なんかは要らないのにな?
「だって、ハーレイはハーレイだもの!」
話をしないで見送るなんて出来やしない、と笑顔のブルー。
たとえハーレイ先生でも、と。
「それだ、それ。…お前の敬語の切り替えの凄さ」
そいつを尊敬すると言っているんだ、全く失敗しないよな、お前。
今みたいな言葉が出ては来ないし、見事なもんだと思ってなあ…。気付いちまったら、しっかり褒めてやらんとな。お前は頑張っているんだから。
「…失敗しちゃったら、ハーレイ、怒りそうだもの」
「俺が?」
「うん。…学校ではハーレイ先生だろう、って」
頭をゴツンと叩かれそうだよ、ぼくが失敗しちゃった時は。
「まあな…」
ゴツンとお見舞いするかどうかはともかく、まあ、怒るのは確かだろうな。
学校じゃハーレイ先生だろうと、きちんとけじめをつけるもんだ、と。
「ほらね…。やっぱり、ハーレイ、怒っちゃうでしょ?」
ハーレイ、厳しそうなんだもの。学校の中の決まりとかには。
それにけじめも、厳しい感じ。ずっと柔道とかをやって来たから、礼儀作法にうるさそうだよ。
おまけに失敗してしまった日は、ぼくの家に来てくれそうもない、とブルーが言うから。
きっと罰だと寄ってくれない、と本当に恐れているようだから。
「それはしないが…」
言葉遣いで失敗したくらいで、そんな酷い罰はやらないな。
あれだ、せいぜい、お前が言ってたゴツンと一発、その程度だな。
「…ホント?」
ホントに寄らずに帰ったりしない?
仕事は早くに終わっているのに、ぼくの家に来ないでドライブやジムに行っちゃうだとか…。
「おいおい、俺を何だと思っているんだ」
俺はそこまで薄情じゃないぞ。お前が失敗しちまったって、わざと寄らずに帰りはしない。
仕事で遅くなったら別だが、それはお前への罰ではなくって、ただの偶然というヤツだ。
だからお前は心配しなくていいんだ、少しも。
しかしだな…。
だからと言って油断して失敗するんじゃないぞ、と釘を刺したら。
これからもきちんと切り替えろよ、と念を押したら。
「失敗しないよ、大丈夫だよ」
だって、ハーレイ先生のことも好きだから。
ハーレイ先生でもぼくは大好きだから、と幸せそうなブルーの笑み。
「なんだ、それは?」
どういう意味なんだ、ハーレイ先生でも好きというのは?
お前の中では、普通の俺とハーレイ先生は違うのか?
何か区別があると言うのか、ハーレイ先生の俺と、そうでない俺と。
「あるよ、ホントにちょっぴりだけど」
ほんのちょっぴり、少しだけれど…。
ハーレイ先生は先生だものね、ぼくに教えてくれる先生。ぼくは生徒で、ハーレイは先生。
先生の方が偉いものでしょ、生徒より?
ぼくよりも偉いハーレイが好きだよ、ぼくよりずうっと偉いハーレイ。
前は逆だった、と小さなブルーは赤い瞳を瞬かせた。
白いシャングリラで暮らしていた頃、小さなブルーがソルジャー・ブルーだった頃。
偉くもないのに自分の方が偉く扱われてしまっていた、と。
「そう思わない? 前のぼくはサイオンが強かっただけで、偉くなんかはなかったんだよ」
サイオンで色々と奪ったりしたし、シャングリラを改造する時もシールドを張ったりして守ったけれど…。その後も守ったりしていたけれど。
シャングリラを本当に支えていたのはハーレイの方だよ、前のハーレイ。
前のハーレイが偉かったからシャングリラは無事に地球まで行けたし、前のぼくがいなくなった後でも混乱したりはしなかったんだよ…。
なのに勝手にソルジャーだなんて、前のぼくの方が偉いだなんて。
あれは絶対、間違いなんだよ。
サイオンの強さで決めてしまうから間違ったんだよ、前のぼくよりハーレイの方が偉かったよ。
だって、シャングリラのキャプテンだよ?
キャプテンがいないと船はどうにもならないんだから。
ソルジャーがいても、キャプテンがいないとシャングリラは進路も決められないよ…?
ハーレイの方が偉かったのに、と主張するブルー。小さなブルー。
「やっと逆になったよ、こっちが本当」
ぼくがハーレイに敬語を使って、ハーレイはぼくに普通に話して。
これがホントの関係なんだよ、シャングリラに居た頃が間違いなんだよ。
だからハーレイ先生が好きだよ、ぼくよりもずっと偉いハーレイ。敬語で話さないと駄目だし、失敗したならゴツンだし…。
ぼくよりも偉いハーレイが好き。ハーレイ先生のことが大好き…。
「そうなのか?」
お前、敬語で話したいのか、俺と話す時は?
俺が普通に喋っていたって、お前は敬語の方がいいのか…?
「学校ではね」
ハーレイ先生のいる学校なら、断然、敬語。
ぼくよりも偉い先生なんだ、ってドキドキしながらハーレイを見てるよ、先生だもの。
でもね…。
普段はやっぱりこういう喋り方がいい、とクスッと小さく笑うからには。
こちらが本当のブルーなのだろうけれど、本来の話し方はこうだと思うけれども。
(敬語のブルーも今の特権…)
前の自分は一度たりとも聞けないままで終わったから。
前のブルーは一度も敬語を使いはしなくて、誰一人として聞いていないから。
(ハーレイ先生しか聞けんぞ、これは)
小さなブルーがせっせと敬語で話す間に、切り替えて話してくれる間に満喫しておこう、先生の間だけ聞ける言葉を。ブルーの唇が紡ぐ敬語を。
「ハーレイ先生!」と声を掛けられて、ブルーの敬語をたっぷりと聞いて、耳に刻んでおこうと思う。前の自分は聞けなかった言葉を、ブルーが紡いでくれる敬語を。
それはブルーが生徒の内だけ、この学校を卒業するまでの間だけのもの。
自分が「ハーレイ先生」と呼んで貰える立場にいる今だけしか聞けないもの。
ブルーが卒業してしまったなら、もう聞けない。
自分は「ハーレイ先生」ではなくなるのだから、もう「先生」ではないのだから。
けれど…。
「なあ、ブルー。…たまにはハーレイ先生と呼んでくれるか?」
「えっ?」
ハーレイはハーレイ先生でしょ?
学校ではハーレイ先生なんだし、見付けたらちゃんと呼んでいるけど…?
「今じゃなくてだ、俺と結婚した後だ」
お前の、敬語。…また聞いてみたい気分になった時には、ハーレイ先生に戻ってみたい。
俺が偉そうでもかまわないなら、お前が敬語でもいいのなら。
「いいよ?」
前のぼくはハーレイにずっと敬語で話して貰って、それにすっかり慣れていたけど…。
ぼくはハーレイ先生が好きだよ、ぼくよりもずっと偉い先生。
だから先生って呼んでいいなら、ハーレイ先生って呼んでみたいな。
毎日それだと困るけれども、たまにだったら大歓迎だよ。
いつかハーレイ先生とデートしようね、とブルーは嬉しそうだから。
ハーレイ先生とデートに行くのも、敬語のデートもいいと思っているようだから。
そんなブルーとドライブに食事、「ハーレイ先生」と呼ばれて、敬語で話し掛けられて。
きっとそういう「ごっこ」遊びも楽しい、いつかブルーと出掛けるデート。
結婚した後もハーレイ先生、たまに先生に戻ってみる。
自分たちの間で敬語が本当に要らなくなったら、二度と必要無くなったなら…。
逆になった敬語・了
※今のハーレイには当たり前なのが、ブルーの敬語。「ハーレイ先生!」と呼び掛ける声も。
けれど、前のブルーが敬語で話したことは一度も無かったのです。今のハーレイだけの特権。