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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(あ…!)
 学校がいつもより早く終わった日の帰り道。バス停から家まで歩く道。
 まだ早い午後、昼下がりといった時間帯。秋の日射しは柔らかなもので、暖かな午後の帰り道。
 歩く途中でブルーが見付けた女の子。
 顔馴染みの夫婦が住む家の庭で昼寝をしていた。背もたれが倒せる籐の椅子で。子供の身体には大きすぎるほどの、それは寝心地が良さそうな椅子で。
 小さな身体の下にはクッション、膝の上には薄い上掛け。気持ち良さそうな昼寝の時間。



(お孫さんだっけ…)
 遠い地域に住んでいる子供。小さい頃から何度か見かけた。この家に遊びに来ている時に。
 会わない間に大きくなったよね、と生垣越しに覗き込んでみる。足を止めて。
 出会った頃のフィシスくらいの年なのだろうか、幼い金髪の女の子。
 前に会った時はもっと小さくて、自分の中にはフィシスの記憶も全く無かった。前の生の記憶は戻っていなくて、フィシスは歴史の中にいた人。
 それが今では事情が違う。昼寝している女の子の髪型がフィシスそっくりだと思ってしまう。
 白いシャングリラに連れて来た頃、フィシスの髪はこうだった。まだ床にまでは届いておらず、長い髪だったというだけのこと。
 だから見た目には特別ではなく、盲目だったということ以外は、ごくごく普通の女の子だった。占いをしたり、その身に地球を抱いていたりと、中身は特別だったけれども。



(んーと…)
 この女の子はフィシスではないという気がするけれど。
 フィシスだと感じはしないけれども、同じ髪型、同じ金髪。出会った頃のフィシスと同じ。
(ちょっぴり似てる…?)
 年恰好と髪型以外に共通点は何も無いのに、何故だか似ている気がするフィシス。遥かな記憶の彼方のフィシスを思い出させる、目の前の少女。
(なんで…?)
 どうしてだろう、と眺めていたら、金色の睫毛が微かに震えて、パチリと開いたその瞳。現れた綺麗な緑色の瞳。
 途端にフィシスはいなくなった。跡形もなく消えて、少女が残った。
「…ブルーお兄ちゃん?」
「あ、うん…。こんにちは」
 ぼくのこと、覚えていてくれた? と訊いたら、笑顔で頷いた少女。覚えてるわ、と。
 椅子から下りて生垣の側までやって来た少女と暫く話をしたけれど。
 少女の祖父母も出て来て見守ってくれていたけれど。



(やっぱり違う…)
 話せば話すほどに、フィシスとは違う。前の自分の記憶に残ったフィシスとは違う。
 似て見えたのは髪型だけ。少女が「それでね…」と無邪気にはしゃぐ度に揺れる、金の色をした長い髪だけ。切り揃えられた前髪と顔を縁取る金色の糸。それだけがフィシス。
 他は何もかも違っていた。顔立ちも違えば、中身も違った。
 幼かったフィシスとは話し方も違う、もちろん話の内容だって。占いの話は欠片さえも無くて、少女の心は今の満ち足りた日々で一杯で。
 友達の話や両親の話、祖父母の話と、くるくると変わる少女の話。相槌を打てば、フィシスとは違う笑顔が返って来る。まるで似ていない笑顔と顔立ち、髪型だけしか似ていない少女。
 何故似ていると思ったのか。
 フィシスに似ていると眺めていたのか、今となってはもう分からない。
 話せば話すほどに、フィシスとは違う。その姿さえもが、フィシスとはまるで違うのに…。



 どのくらい立ち話をしていたろうか。
 明日には自分の家に帰ると言った少女に「また会おうね」と手を振って別れて、家に帰って。
 着替えを済ませてダイニングでおやつを食べる間も、頭に残っていた少女。少しフィシスに似ていると感じてしまった少女。髪型だけしかフィシスと似てはいなかったのに。
(…でも、フィシス…)
 最初は確かに似ていると思った、何故か似ていると。それが不思議で眺めていた。
 おやつを食べ終えても気になる少女。フィシスとは全く違った少女。
 部屋に戻ってから、勉強机の前に座ってまた考えた。
 どうしてフィシスを連想したのかと、全くの別人だったのに、と。
 年恰好と髪型以外は似てはいなくて、それも分かっていた筈なのに、と。



 帰り道で少女を見付けた所から、順に記憶を並べてみて。
 どの辺りまでフィシスだと思っていたのか、それを掴もうと整理していて。
(そうだ、瞳…)
 緑色をしていた少女の瞳。澄んだ若葉の鮮やかな緑。
 あの瞳が開いた瞬間までは、フィシスに似ていると眺めていた。幼い少女の頃のフィシスに。
 閉じていた瞳がそう思わせた。眠っていた少女の閉じた瞳が。
 フィシスの瞳は開かなかったから。
 シャングリラに連れて来るよりも前も、シャングリラに連れて来た後も。
 ただの一度もフィシスの瞼は開きはしなくて、その下の瞳は現れなかった。そう、一度も。
 だから、あの少女が重なった。
 幼かったフィシスと同じ髪型、それに閉じていた瞳。
 開いた途端にフィシスの面影は消えてしまった、緑色の瞳を見た瞬間に。
 少女の顔を彩る二粒の宝石、フィシスの顔には無かった宝石。その欠片さえも無かった宝石。
 けれど…。



(青い瞳…)
 キースのそれに似た、青い瞳。薄い色の青、アイスブルー。
 一面に凍った湖の青だと、それがフィシスの瞳の色だと知ってはいた。気付いてはいた。
 フィシスの瞼は開かなかったけれど、瞼の下に眼球は確かに在ったから。
 あの水槽の中でフィシスが眠っていた頃から知っていた。
 どんな瞳かと覗いてみたから、サイオンで探って覗いたから。
 フィシスの瞳が開かないことに気付いて間もない頃に覗いた、その瞳を。
 視力は全く無かったけれど。
 何の役にも立たない瞳で、瞼が開いてくれないからには、飾りにすらもならなかったけども。
 閉じたままだったフィシスの瞳。
 瞼の下には青い色があると、アイスブルーの瞳なのだと見ることも叶わなかった宝石。
 フィシスの顔を彩りさえもしないで、瞼の下に眠っていた瞳。
 開く所を想像しさえもしなかった。開いたならばどうであろうかと思うことさえも。



(もしも、フィシスの瞳が開いていたら…)
 視力が無くても、瞳が開いていたのなら。
 さっき出会った少女さながらに、アイスブルーの宝石が二つ覗いていたなら。
(そういう人だっていたんだよね…)
 今の時代は医学が進んで治せるけれども、前の自分が生きた頃には盲目の者も少なくなかった。開いてはいても視力の無い目を持っていたケースも珍しくはなくて。
 ただの飾りに過ぎない瞳。用を成さない二つの宝石。
 フィシスの瞳がそれだったならば、シャングリラに連れて行っただろうか?
 サイオンを与え、ミュウにしてまで前の自分は攫ったろうか?
 手に入れたろうか、あの少女を。水槽の中に居た、あのフィシスを…?



(…ううん…)
 きっと連れては行かなかった。白いシャングリラには迎えなかった。
 いくらフィシスの地球に惹かれても、それを常に見たいと願っていても。
 攫うことなく、サイオンを与えることもなく、時が来たらフィシスと別れただろう。水槽の中のフィシスに別れを告げただろう。
 「君の地球を見るのは今日で終わりだよ」と、「今日まで見せてくれてありがとう」と。
 そうしてフィシスは水槽から出され、別の人生を歩んだだろう。
 貴重な実験のサンプルとして研究者たちに囲まれて暮らすか、あるいは他の人類と一緒の生活をさせられてデータを取られるか。
 いずれにしても、ミュウとは無関係な生。シャングリラなど知らず、サイオンも持たず、ただの人類として生きてゆく道。その人生にミュウの長などは要らないから。
(…最後に記憶を消してお別れ…)
 自分と会っていたフィシスの記憶を消してしまって別れただろう。「さようなら」と。
 あの瞳が開いていたならば。
 視力は無くとも、アイスブルーの瞳が輝いていたならば。



(何もかも見られているような気がするものね…)
 視力が無い分、その瞳は何処も見ていないから。焦点を結びはしないから。
 その分、瞳に映った全て。それを見通すような気がする、奥の奥まで。
 目に見える形に囚われない分、それが持つ本質といったものまで。
(…それにサイオン…)
 フィシスに与えたサイオンの力。ミュウだけが持っている特殊な能力。
 思念波での会話と基礎的な力、それらを分けて与えるだけではフィシスは自由に動けはしない。盲目だから。視力が無いから。
 目を閉じていても見ることが出来る能力、それを与えねばならないけれど。それが無ければ船の中でフィシスは困るだろうから、分け与えなければならないけれど。
 人類は本来、持たない能力。ある筈もない高度なサイオン能力。
 「見る」という力がフィシスの身体にどう作用するかは謎だった。単に見えるようになるというだけか、健康な身体を持っている分、もっと強い力を持つというのか。
 しかも健康なだけではなくて、無から生み出された生命体。マザー・システムが誇る最高傑作。目が見えないという点を除けば、非の打ち所がないフィシスの肉体。
 それほどの器がサイオンを持てば、どう変化するか分からない。思った以上の力を得そうな気がした。「見る」という力に関しては。



 前の自分が、ソルジャー・ブルーが予想した通り、危惧した通り。
 フィシスは未来を「見る」力を得た。ブルーにさえ無かった、予知の能力。神秘の能力。
 もしも瞳が開いていたなら、未来だけでなくて隠されたものまで見たかもしれない。瞳に映ったものの全てを、それらのものの奥底までをも。
 心を読むのとは違った形で奥の奥まで、人の器に宿る思いの底の底まで。
 そうなっていたら、前の自分とハーレイとの恋も見抜かれただろう。一目見ただけで、見えない瞳に自分たちの姿を映しただけで。
(うん、きっと…)
 フィシスがそういう力を持っていたなら、一瞬で知れた。誰にも明かしていなかった恋が。長い年月、隠し通した恋を見抜かれ、知られていた。
 そうなってしまうことを恐れて、フィシスを攫いはしなかったろう。
 見えない瞳が何を見るのか、それが恐ろしかっただろうから。
 サイオンを与えることさえしないで、地球を抱く少女と別れただろう。フィシスが抱く青い地球ごと、フィシスそのものを諦めただろう。
 手に入れることは出来ないと。
 彼女の瞳が何を見るかが分からないから、シャングリラには連れてゆけないと。



 あるいは、力が無かったとしても。
 フィシスに「見る」ための力を与えることなく、盲目のままで連れて帰ったとしても。
 思念波での会話などの基礎の力だけで、船内の移動や日々の暮らしは他の者の手を借りるという形にしておいたとしても。
(目が開いていたら…)
 フィシスの瞳が開いていたなら、見られる度に心が痛む。
 何も見ていないアイスブルーの瞳に自分が映るのを見る度、心の奥がツキンと痛む。
 フィシスの世話はアルフレートがしただろうけれど、彼がフィシスを連れてシャングリラの中を移動しただろうけれど。その時に自分と出会っていたなら、アルフレートはこう言っただろう。
 「ソルジャーがおいでですよ、フィシス様」と。
 そうしてフィシスを自分の方へと向かせただろう。見えぬ瞳でも、あらぬ方を眺めてしまわないように。ソルジャーに礼を取れるように、と。
 フィシスが自分の方を向いたなら、見えない瞳が向けられたなら。
 アイスブルーの瞳に自分の姿が映って、フィシスと向き合うことになる。見えていなくても。
 その度に心がツキンと痛む。
 自分の心はフィシスの上には無いのに、と。
 青い地球が見たくて攫って来ただけで、地球を抱く女神が欲しかっただけ。
 フィシスが自分に向けているようなひたむきな愛などは無くて、地球を欲しただけなのに、と。



 本当に地球だけを愛したわけではないけれど。
 それを見せてくれたフィシスごと愛して慈しんだけども、人形を愛でるのと変わらない愛。
 自分の心を捧げる愛とは違った愛。異なった愛。
 真に心から愛した人なら、他にいるから。フィシスと取り替えるつもりは無いから。
 だから攫えない、攫えはしない。
 フィシスの瞳が開いていたなら、アイスブルーの瞳が自分に向けられるのなら。
 たとえサイオンで「見る」という力を得なかったとしても、盲目のままであったとしても。
 あの目で見られたら辛くなるから。
 フィシスが前の自分にくれたのと同じだけの愛を、想いを、自分は決して返せないから。



(閉じてて良かった…)
 フィシスの瞳。一度も開きはしなかった瞳。
 顔の飾りにすらなりはしなくて、瞼の下に隠されたままで終わったアイスブルー。氷に覆われた湖の青の、誰も知らなかったフィシスの瞳。
 フィシスの瞳が開いていたなら、攫わなかったと思うけれども。
 それは今だからこそ、そう思うだけで、水槽の中のフィシスに出会った頃だったなら。
 フィシスが抱く地球に魅せられ、通い詰めていた頃の自分だったなら。
 我慢出来ずに攫ったかもしれない、瞳が開いているフィシスを。アイスブルーの瞳の少女を。
 「見る」力だけは与えずにおいて、盲目のままで。
 どうしてもフィシスが、地球が欲しいと、アイスブルーの瞳を持った少女を。
(そうなっていたら…)
 自分も心が痛んだろうけれど、ハーレイもきっと困ったと思う。
 フィシスが側に来る度に、きっと。アイスブルーの瞳がハーレイを映す度に、きっと。
 その瞳を持つ少女が慕って愛するブルーを、自分が奪ってしまっているから。
 ブルーの心は決してフィシスに向きはしなくて、ハーレイだけを見ているのだから…。



 そんなことをつらつらと考えていたら、チャイムの音が聞こえて来た。
 仕事帰りのハーレイが鳴らしたチャイムの音。窓から見下ろせば、手を振る人影。門扉の前で。
 そのハーレイと自分の部屋で向かい合わせに座ってから。お茶とお菓子を前にしながら。
「あのね、今日、学校の帰りにね…」
 フィシスに会ったよ、と切り出したら。
 ハーレイが驚いて息を飲むから、「そう思っただけ」と笑ってみせた。別人だった、と。
「赤ちゃんの頃から知ってる子なんだ、ご近所さんのお孫さん」
 ぼくが出会った頃のフィシスくらいになってて、フィシスとおんなじ髪型をしてて…。
 庭の椅子で昼寝をしていたんだよ、今日はお天気が良かったから。すやすやと寝てたよ、気持ち良さそうに。大きくなったよね、って覗き込んだんだけど…。
 瞳が開くまでフィシスに見えた、とあの話をした。
 一連の話。似てもいない少女がフィシスに似ているように思えたのだ、という話。
 澄んだ若葉の緑の瞳をしていた少女。
 ただ目を閉じていたというだけのことで、フィシスを思わせた少女の顔。
 それらを話して、言葉を切って。
 ハーレイを見詰めて、こう問い掛けた。



「もしもだよ。…もしもフィシスの瞳が開いていたら…」
 視力は無くても開いていたなら、ハーレイはどうだったと思う?
「どういう意味だ?」
「冷静でいられたのか、っていう意味だよ。フィシスの前で」
 フィシスの瞳にじっと見られたら、どうだった?
 キャプテンじゃなくて、ぼくの恋人の方のハーレイ。
 ぼくたちのことは何も知らない筈のフィシスが、ハーレイの顔をじっと見上げていたら…?
 視力が無いから何も見えない筈なんだけどね、と説明をしたら。
 ハーレイは「うーむ…」と低く唸った。
「それは確かに落ち着かないな。キャプテンとしての俺はともかく、中身の俺がな」
 何を思って見詰めてるんだ、と心配になってくるだろうな。
 何処かでヘマでもやらかしたのかと、お前とのことがバレちまったかと。
 フィシスはお前を慕ってたしなあ、恋する女性の勘ってヤツでだ、恋敵は俺だと見抜いたとか。
「やっぱりね…」
 ハーレイだってそうなっちゃうんだ、フィシスが側に来て見詰めていたら。
 見えてないだけに、フィシスがいったい何を見てるのか、余計な心配しちゃうよね…。



 ぼくも駄目だ、とブルーは小さな溜息をついた。
 フィシスの瞳が開いていたなら、きっと攫えなかったと思う、と。
 攫うことを諦め、ミュウにもしないで研究所に残しておいただろうと。フィシスが抱いた地球に魅せられ、どんなに焦がれて通い詰めようとも、自分は攫わなかっただろうと。
「もしかしたら、それでも攫っていたかもしれないけれど…。攫っていたら後が大変だよ」
 ぼくもハーレイも落ち着かなくって、フィシスが来る度にハラハラしちゃって。
 瞳が閉じてるのと開いてるのとで、まるで全く違うだなんて…。
 見えないって所は同じなのにね、前のぼくが「見る」力さえ与えてなければ。
 目がパッチリと開いてるだけで、何の役にも立たないんだけれど…。
 それでも怖いよ、フィシスの瞳が開いていたら。
 見えない筈の瞳がじっと見てたら、フィシスには何か見えるんだろうか、って気になるものね。



 ホントに怖い、と肩を震わせたブルーだけれど。
 ハーレイの方は、フィシスの瞳を知らないから。ブルーと違って、瞼の下の瞳を知らないから。
 具体的なイメージが掴めないのか、顎に手を当てて首を捻った。
「フィシスの瞳か…。開いていたなら不安ではあるが、どうも今一つ実感がな…」
 どういう感じの顔になるのか、俺には全く想像がつかん。
 お前が見たっていう女の子じゃないが、瞳を閉じてる顔しか頭に浮かばないんだ。俺はそういう顔しか知らんし、瞳の色さえ分からないからな。
「キースと同じ色だったよ」
「それは…!」
 あのキースと同じだったのか、フィシス。…そんな瞳の色だったのか…。
 知らなくて良かった、という気がするぞ。知っていたなら、俺はフィシスをどう見ていたか…。
 フィシスがキースを逃がしちまったのは事故だと自分を納得させていたが、同じ色の目じゃな。
 どういう生まれか知っていただけに、睨んじまったかもしれないなあ…。
「キースと同じ色っていうのは今だから言えることだよ、ハーレイ。フィシスの方が先」
 ぼくがフィシスと出会った頃には、キースは何処にもいなかったんだし…。
 キースの方が真似してたんだよ、フィシスの瞳の色の真似をね。
 でも、ハーレイの気持ちも分かる。ハーレイはキース、今でもとっても嫌いだものね。



「…お前、それもあってキースを嫌っていないのか?」
 フィシスと同じ瞳の色。そのせいもあるのか、お前がキースを嫌わない理由。
「ううん、瞳の色は少しも関係無いよ」
 キースを作った遺伝子データの元がフィシスだってことも、瞳の色も無関係だよ。
 フィシスとキースは違う人間だし、ぼくがキースを嫌わない理由になりはしないよ、瞳の色は。
 まるで別物なんだもの、とブルーは肩を竦めてみせた。
 同じ色でも違う瞳、と。
 キースの瞳は色そのままに氷の瞳で凍てついていたと、感情すらも凍っていたと。
 フィシスの瞳に感情の色は無かったけれども、その代わり、凍ってもいなかったと。
 何も映していなかった瞳。映すことなく瞼に覆われていた瞳。
 フィシスの意志では瞼は動かず、けして開かなかったから。
 瞼が開いてアイスブルーの瞳が光に晒されることは、ついに一度も無かったから。
 感情を一度も宿すことなく、凍ることもなく、顔の飾りにさえならなかった瞳。
 前のブルーの他には見た者すらも無かった、凍った湖の色を湛えた瞳…。



「だけど、フィシスの瞳が開かなくて良かった…」
 開いていたなら、きっと諦めるしか無かったから…。フィシスをシャングリラに迎えること。
 どんなにフィシスの地球が見たくても、あの目で見られたら困ることの方が多いから。
 地球は欲しくても、困ることが多いと分かっているなら諦めるしか…。
「お前、あの地球、好きだったからな」
 フィシスの地球。身体がすっかり弱っちまっても、お前、あの地球、見ていたものなあ…。
「うん…。あれが好きだったよ、フィシスよりもね」
 フィシスよりも地球が好きだった。フィシスが持ってた青い地球が。
「それを知ってるのは俺だけだがな」
 俺しか知らなかったんだよなあ、お前はフィシスよりもフィシスの地球の方が好きだったこと。
 シャングリラ中がすっかり勘違いしてて、誰も気付かなかったんだよなあ…。



 遠い遠い昔、白いシャングリラがあった頃。
 その船でブルーがフィシスの抱く地球を、飽きずに眺め続けていた頃。
 誰もがブルーはフィシスのことが好きなのだと思い込んでいた。
 恋人とは少し違うけれども。恋とは違った感情だけれど、フィシスを愛しているのだと。
 けれども実の所は違って、ブルーが愛していたのは地球。フィシスの中に在った青い地球。
 それを見せていたフィシス自身も、きっと気付いてはいなかったろう。
 ブルーの想いは地球の上にあると、それを持つがゆえに自分も愛されているのだとは。
 ブルーが自分を女神と呼ぶのは地球を抱くゆえで、それゆえに女神なのだとは…。



「フィシスの瞳が開いていたなら、あの地球だって…」
 後ろめたくて見ていられないよ、ぼくの表情、バレているんじゃないか、って。
 フィシスを見る目とはまるで違うと、地球の方に恋をしているんだ、ってバレてしまいそうで。
「そうだろうなあ…」
 目が見えないんじゃ、じっと目を開けて地球をお前に見せたかもしれんし…。
 そうなってくると、お前も心が落ち着かないよな、本心ってヤツを見抜かれそうでな。
「うん…。だけどフィシスの目は閉じたままで、ぼくはフィシスを攫えたわけで…」
 もしかしたら、フィシスは神様がぼくにくれたんだろうか?
 前のぼくが希望を失わないために。失くさないために…。
「希望って…。俺じゃ足りなかったか?」
 俺がいるだけでは足りなかったって言うのか、前のお前の人生には。
 もっと何度も愛しているって言うべきだったか、前の俺は…?
「ううん、ハーレイの愛は充分貰っていたよ。こんなに貰っていいんだろうか、って思うほどに」
 ハーレイとの愛なら失くさなかったし、希望だって持っていたけれど…。
 それとは違って地球への夢だよ。いつかは地球へ行こう、っていう夢。
「なるほどなあ…。そいつは俺ではどうにもならんな」
 お前を地球まで連れて行ってやる、と約束はしたが、お前に地球を見せてはやれんし…。
 フィシスに頼るしかないってわけだな、地球へ行く夢を持ち続けるなら。



 いつかハーレイと地球へ、と願ったブルーだけれど。
 白いシャングリラで青い地球まで、共に行きたいと願ったけれど。
 命が尽きると気付いた時には、地球をも諦めそうだった。
 どうせ駄目だと、青い地球には辿り着けないと。その前に寿命が尽きてしまうと。
 けれど、もうフィシスが来ていたから。フィシスがとうに船に居たから。
 フィシスが抱いた幻の地球で、挫けそうな心を慰めていた。
 あの青い地球までシャングリラの皆を、と。
 それが自分の務めなのだと、ソルジャーの最後の務めなのだと。
 自分の命は尽きるのだとしても、何処かに道はある筈だから。
 皆を地球へと連れてゆける道が、きっと何処かにある筈だから。
 命尽きる前にそれを見付けて皆を導こうと、地球への道筋をつけておこうと…。



「もしもフィシスがいなかったなら…。ぼくはあの時、地球を捨てていたよ」
 地球へ行こう、っていう夢を。地球への希望を。
 持っていたって、着く前に死んでしまうんだから。ぼくは地球には行けないんだから…。
「俺と一緒に行けないからなのか、いつか行こうと約束したのに」
 シャングリラでお前を連れて行ってやると俺は誓ったが、お前の命が持たないからか?
「そう。辿り付けもしない夢の国なんかは要らないよ」
 夢物語と変わらないんだよ、青い地球なんて。
 だけど、ハーレイは来てくれると言ってくれたんだから。ぼくが死んでも、ぼくと一緒に。
 その約束の方が、よっぽど大事。
 …行けもしない地球に行く夢よりもね。
「約束、破っちまったがな。…俺はお前と一緒に行ってはやれなかった」
「それはぼくの方だよ、ハーレイに約束を破らせちゃった」
 ジョミーを頼む、ってシャングリラに縛り付けちゃって。
 前のぼくがフィシスの地球のお蔭で諦めずに済んだ、地球への希望。
 諦めなかったからジョミーを見付けて、みんなが地球まで行けるように道を付けられたけど…。
 フィシスを攫って来ていなかったら、きっとジョミーを見付けていないよ。
 探そうともせずに泣いてばかりで、何もしないままで前のぼくの命は終わっていたよ…。



 フィシスの瞳。閉じた瞼の下に隠された、アイスブルーの色だった瞳。
 それが開いていなかったからこそ、ブルーはフィシスを攫うことが出来た。サイオンを与えて、白いシャングリラに迎え入れて女神と呼び続けた。
 フィシスが抱いた地球が欲しくて攫ったお蔭で、地球への希望を失くさずに済んだ。ジョミーを見出し、次の世代を託すことが出来た。
 フィシスの瞳が開かなかったのは、神からの贈り物なのだろうか?
 地球を抱くフィシスは機械が生み出した命だけれど。
 無から生まれた、神の領域を侵す生命だったのだけれど…。



「ねえ、ハーレイ。…フィシスは機械が生み出したけれど…」
 きっと本当は神様なんだよ、神様が作ってくれたんだよ。
 そして前のぼくにくれたんだと思う、フィシスの地球ごと、前のぼくに。
 フィシスの目が閉じたままだったのもきっと、神様がそうしてくれたんだよ…。
「そうかもしれんな。フィシスの瞳が開いていたなら、お前は攫わなかったと言うし…」
 何よりも、今のお前の聖痕。
 そいつは神様がお前に下さったもので、お蔭でお前に出会えたんだしな。
「うん…。何もかも神様のお蔭だよね、きっと」
 前のぼくがフィシスを手に入れられたのも、ハーレイと地球でまた出会えたのも。
 フィシスの瞳が閉じていたのも、神様のお蔭なんだよね、きっと…。



 地球を抱く女神、フィシスに嘘をついていたけれど。
 ハーレイとの恋を隠したけれど。
 大切なのはフィシスなのだと、女神と呼んで慈しみ、愛しているふりをしていたけれど。
 もしもフィシスの瞳が開いていたなら、つけなかった嘘。
 攫えずに終わっていただろうフィシス。
 フィシスも神がくれたのだろう。前の自分が地球への希望を捨てぬように、と。
 その神が今度は聖痕をくれた。
 ハーレイと地球で巡り会えるよう、今度こそ共に生きられるよう。
 だから今度は幸せになれる。ハーレイと二人、前の自分が夢に見ていた青い地球の上で…。




          フィシスの瞳・了

※開くことは無かった、フィシスの瞳。もしも盲目でも開いていたなら、違っていた未来。
 閉じたままの瞳で良かったのです、前のブルーが地球への夢を抱き続けるためには…。
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(んーと…)
 学校から帰って、おやつを食べながら広げた新聞。カラーで大きくメイクの特集。
 可愛く見せるならこんな感じで、意志の強さを出したいのなら、こうだとか。
 モデルさんの写真も載っているけど、イラストが付いた解説も沢山。メイクのやり方、入門編といったものから凝ったものまで、それは詳しく。
(ふうん…?)
 ぼくにはなんだかよく分からない。下地がどうとか、メイクの前にひと工夫だとか。
(口紅を塗って終わりじゃないんだ…)
 小さい頃からたまに見ていた、ママのお化粧。パタパタはたいたり、鏡と真剣に睨めっこして。
 確かに口紅だけじゃなかった、他のことだってやっていた筈。
(今日だって…)
 口紅だけじゃないんだ、きっと。見慣れたママの顔だけど。こんな顔だと思っているけど。
 お出掛けの時は、もっと綺麗にお化粧するママ。うんと素敵に見えるママ。
 だけど、普段もお化粧してる。夜にお風呂に入った後には、もう口紅をつけてないから。
 つまり昼間はしっかりお化粧、口紅の他にも何かお化粧。



(お嫁さんって…)
 毎日お化粧をしなくちゃ駄目なんだろうか、ママが毎日してるってことは。
 ママはぼくのパパの奥さんなんだし、パパのお嫁さん。
(ご近所さんは…)
 お嫁さん、って立場の人たちの顔を思い浮かべてみたけれど。誰でも口紅、お化粧した顔。
 新聞にメイクの特集なんかが載るくらいなんだし、常識なのかな、お化粧すること。
 ぼくもハーレイのお嫁さんになったら、お化粧しなくちゃいけないのかな?
 お嫁さんらしくしたければ。お嫁さんなんです、って言いたいのなら。
 毎日、鏡に向かってお化粧。この新聞に載ってるみたいに、口紅の他にもいろんなことを。



(お嫁さんでも、ぼくは男だから…)
 お化粧なんかは要らないような気もするけれど。
 口紅も何も、塗らなくていいって気もするんだけれど。
 でも…、とモデルさんの写真を見ながら考えた。モデルさんが着ている服は色々、服の雰囲気に合わせたメイクが何種類も。
(服でメイクが変わるんだったら…)
 ウェディングドレスや白無垢だったら、やっぱりお化粧、要るのかな?
 だって、普通の服とは違う。花嫁さんのための特別な服や着物なんだし、もしかしたら。
(…それ専用のお化粧があるとか…?)
 この特集には載っていないけど。
 普段の服とか、お呼ばれの時とか、普段の暮らしに使えるメイクしか載ってないけど。
(お呼ばれ用のメイクがあるなら…)
 パーティードレスに合わせたメイクがあるなら、ウェディングドレスにもありそうな感じ。このドレスだったら、華やかにとか。清楚にだとか、可愛らしくとか。
(白無垢だって…)
 あるのかもしれない、白無垢専用のメイクってヤツが。何か特別なお化粧の仕方。
 この特集では分からないけれど、花嫁さんのメイクについては書いてないけど。



(うーん…)
 おやつをすっかり食べ終わった後も気になる特集。いろんなメイク。
 下地ってトコから、もう分からない。ベースを塗ったらおしまいじゃなくて、有り得ないような色の下地を上に塗るとか、専用の粉をはたくだとか。お化粧用の粉とは別に。
 頭の中がこんがらがりそう、下地だけなら分かるけど。下地なんだって分かるけど…。
(色付きのを塗ってどうするわけ?)
 肌の色とはまるで違った、薄いグリーンのクリームまである。この部分に、って図解がついてるからには、何か効果があるんだろうけど。お化粧用の粉をはたいたら、よく映えるとか。
 ぼくには全く分からない世界、下地からして謎だらけのメイク。
(難しそう…)
 こんなお化粧、しろと言われても出来そうにない。どうすればいいのか分からない。
 下地だけでも分かってないのに、その後はもっと難しいんだ。眉を描いたり、睫毛を塗ったり。口紅だけで終わりじゃなかったお化粧の世界、頬っぺたにつける頬紅まである。
 おまけに仕上げにつける粉まで、専用のブラシで顔全体に軽くつける粉まで。



 読めば読むほど謎だらけの世界、ぼくにはとっても無理そうなメイク。
 花嫁さんなら、メイクはプロがしてくれるんだろうか?
 それとも自分でやらなくちゃ駄目で、鏡の前に沢山の道具がズラリと並んでいるんだろうか?
 ドレスに合わせてお使い下さい、って、どれでも自由に使って下さい、って。
(…そんなの、とっても困るんだけど…!)
 お化粧無しでは駄目なんだろうか、ウェディングドレスとか白無垢とか。
 自分じゃ出来ませんでした、って、お化粧無しで着てたら笑われちゃうんだろうか?
 あれこれと頭を悩ませていたら、ママが空いたお皿やカップを取りに来てくれて。



「あら、お化粧?」
 何を熱心に読んでいるのかと思ったら…。お化粧の舞台裏を読んでいたわけね、メイク特集。
「うん。こんなに色々あるって思わなかったから…」
 ママ、お化粧って難しいの?
 手間がかかりそうで、こんがらがっちゃいそうなんだけれど…。誰でも出来るの、こんなのが?
「ブルーもお化粧、やってみたいの?」
「そうじゃないけど…。お嫁さんって必ずお化粧しなくちゃいけないの?」
 お嫁さんになったら、毎日毎日、お化粧しないと駄目なものなの?
「人によるわよ、その辺はね」
 ブルーの知ってるご近所さんは、みんなお化粧しているけれど…。
 お買い物とかに行けば、していない人も沢山いるわ。しない主義です、って人も多いし、個人の好みね。しなくちゃ駄目、って決まりは無いのよ。



 そう聞いたから、良かった、って思ったんだけど。
 いつかハーレイと結婚したって、お化粧はしなくてもかまわないんだ、ってホッとしたけど。
 ママは「だけど…」ってメイク特集の記事をチラッと見ながら。
「花嫁さんっていう意味だったら、お化粧は必ずすることになるわね」
「ホント!?」
 どうして花嫁さんだとお化粧をするの、普段はしてない人だってするの?
「そうよ。でないとドレスに負けてしまうでしょ、普通の服とは違うんだもの」
 お姫様みたいな格好をするのよ、お化粧しないとドレスが主役になっちゃうのよ。
「でも…。お化粧するのが下手な人だと、どうなるの?」
 お化粧をしない人もいるなら、どうすればいいのか分からなくなっちゃいそうだけど…。
「花嫁さんのお化粧はプロがするのよ。そういうものよ」
 ドレスも一人じゃ着られないでしょ、お手伝いの人がついてくれるの。お化粧もね。
「ふうん…」
 お化粧のプロまでついてくるんだ、花嫁さんには。
 そういう仕事のプロがいるほど、お化粧って難しいものだったんだね。



 ホントのホントに難しそう、って新聞の記事を指差したら。
 プロがいるのも納得だよ、って、「モデルさんのメイクもプロだよね」ってママに言ったら。
「そうねえ、他の人にお化粧をしてあげるのは難しいかもね」
 お仕事だから慣れているとは思うけど…。自分の顔とは違うわけだし。
「自分でするのは簡単なの? こんなに色々しなきゃ駄目なのに?」
「慣れればね。それにね、全部をしなくちゃいけないわけでもないのよ」
 ママだって全部をしてはいないわ、これとこれとはしていないわねえ…。それに、これも。
 お出掛けの時だけするものもあるし、こういうのも人それぞれね。
「そうなんだ…。ママも全部はやってないんだ」
 だけど口紅だけでもないよね、ぼくには分からないけれど。ママのお化粧。
 慣れたら簡単? って、好奇心満々でママに幾つも質問してたら。
「…ブルー、お化粧、してみたい?」
「えっ?」
 とんでもないことを言い出したママ。
「ちょっと可愛くなりそうだものね、お化粧したら」
「ぼく!?」
 お化粧なんか出来やしないよ、難しそうだな、って見てたんだから!
 出来るわけがないよ、お化粧なんて…!



 ビックリしちゃったぼくだけれども、ママは本気だった。
 お化粧してあげるからいらっしゃい、って二階のママの部屋まで連れて行かれた。
 やってみたい気持ちで一杯になっているらしいママ。ぼくにお化粧してみたいママ。
 ぼくもママには内緒だけれども、興味はあるから。花嫁さんはお化粧するというから。
(利害の一致…)
 ママはぼくにお化粧してみたくって、ぼくはお化粧に興味津々。
 ちょうどいいから、して貰うことに決めたお化粧。
「…下地から塗るの?」
 どれなんだろう、って化粧品の山を眺めていたら。
 ママのドレッサーの前に座ってキョロキョロしてたら、「口紅だけよ」って。
「それだけで充分、可愛くなるのよ」
 他のお化粧品はブルーにはまだ早いわねえ…。子供だものね。
 それに肌だって柔らかくて真っ白、口紅だけでも素敵になるわよ、うんと素敵に。



 ママが手に取った一本の口紅。「これがいいわ」って。
 唇に直接塗るのかと思ったら、もうそこからして違ってた。筆が出て来た。
 紅筆っていう口紅用の筆なんだって。細くて小さな専用の筆。
 お化粧の世界はやっぱり深い、って紅筆を持つママの手元を見詰めた。口紅を紅筆にたっぷりとつけて、塗り重ねてから。
「はい、じっとしててね」
 唇はそのまま、キュッとしないの。それじゃ上手に塗れないわ。
「うん…」
 ママに言われるまま、鏡の中のぼく。唇に塗られていくピンクの口紅。
 なんて表現したらいいんだろう、ふんわりピンクの優しい色。濃すぎない色。
 だけど一目で塗ってると分かる口紅の色で、ぼくの唇の色とは違う。
(えーっと…)
 お化粧なんて、前のぼくでもしたことがない。
 初めての体験、初めての口紅。
 ママは紅筆で上唇から塗って、塗り終わったら下唇で…。



(こうなるわけ?)
 塗り上がったら、鏡の中にお化粧をしたぼくが居た。ピンクの口紅を塗られたぼくが。
 いつものぼくとはまるで違って、ちょっと女の子っぽく見える感じで。
「あら、可愛い!」
 こっちを向いてみて、ってママはニコニコ。可愛く出来た、って。
 「せっかくだからパパにも見て貰いましょうね」って言い出したママ。
 別に反対はしないけれども…。
 お化粧なんて初めてだから、パパに見せたっていいんだけれど。
 鏡の中、ぼくじゃないみたい。ぼくだけど、ホントに女の子みたい…。



 夕食の支度に行くママと別れて、部屋に帰って鏡を覗いた。ぼくの部屋の鏡。
 お化粧したぼくが映ってる。ピンクの口紅でお化粧した、ぼく。
(お嫁さん…)
 いつかハーレイと結婚する時、花嫁のぼくはプロにお化粧して貰うから。
 その頃にはもっと大人びた顔だろうけど、仕上がりはきっとこんな感じになるんだろう。
 下地から塗って粉をはたいて手間のかかったお化粧をしても、口紅はきっとこうだから。ぼくの唇の形が大きく変わるわけじゃないし、口紅の色が違うくらいのことだから。
(もっと濃い色とか、そういうの…)
 だけどイメージは掴めた口紅、口紅をつけたぼくの顔。お化粧した顔。
 前のぼくには出来なかったお化粧。花嫁さんになれなかったから。
 あの頃には思いもよらなかった口紅、それをつけてる今のぼく。
(パパに見せたら、なんて言うかな?)
 可愛いな、って言ってくれるのか、プッと吹き出してしまうのか。
 パパの反応がとっても楽しみ、お化粧の感想を早く聞きたい。
 プロじゃないけど、ママがとっても上手に塗ってくれたから。色を選んで塗ってくれたから…。



 満足するまで鏡を眺めて、それから本を読み始めた。勉強机の前に座って、お気に入りの本を。
 夢中でページをめくり続けてたら、チャイムが鳴って。時計を見るなり、すぐに分かった。
(ハーレイだ!)
 今日は仕事が早く終わって、ぼくの家まで来てくれたんだ。窓に駆け寄って、ハーレイに大きく手を振った。庭と生垣を隔てた門扉の向こうへ、其処に立つハーレイに「早く来てね」って。
 暫くして、ハーレイはママの案内でぼくの部屋に来てくれたんだけど。
 扉が開くなり固まっちゃって、ママもその場で「あらあら…」って。
「ハーレイ先生、すみません。いらっしゃるとは思わなくて…」
(え?)
 申し訳なさそうにしているママ。挨拶もしないで立ってるハーレイ。鳶色の瞳を真ん丸にして。
(…なんで?)
 どうなってるの、と首を捻った途端に思い出した、ぼく。
 口紅、塗ったままだった。
 ぼくの唇にピンクの口紅、お化粧しちゃった顔のまま。
 パパに見せようと思っていたから。ハーレイが来るなんて思ってないから。



(いけない、お化粧したままだった…!)
 落とさなくちゃ、と慌てて唇を手の甲で擦ろうとしたら、ママが「駄目!」って。
「擦ったら広がっちゃうわよ、顔に。口紅の色が」
「え…?」
「早く落としに行かないと。いらっしゃい、ブルー」
 すみません、ってハーレイに謝って、ママはぼくを部屋から連れ出した。
 待ってる間にハーレイがゆっくり出来るようにと、お茶とお菓子を運んでから。
 ハーレイの分と、ぼくの分。テーブルの上に二人分のカップやケーキのお皿や、ティーポット。
 それが揃うまで、ハーレイはぼくの顔をじっと見詰めていたけれど。
 口紅をつけたぼくの姿に、最初は笑っていたんだけれど…。
 ぼくが部屋から出て行く頃には、可笑しそうに笑ってはいなかった。
 笑ってはいたけど、もっと、なんだか違う顔。お腹を抱えて笑ってるのとは違う顔だった。
 鳶色の瞳がぼくを見ていた、ママと部屋から出てゆくまで。



 ママの部屋まで連れて行かれて、また座らされた鏡の前の椅子。
 鏡に映ったぼくは困り顔、ハーレイに見られちゃったから。散々、笑われちゃったから。
 ママがお化粧用のフワッとした白い綿みたいなヤツに数滴、垂らした何か。その綿を「はい」と渡された。湿った綿を。
「これで拭くのよ、しっかり綺麗に」
「うん…」
 口紅を塗っていない所まで広がっちゃったら、大変だから。
 鏡を見ながら少しずつ拭いた。ピンク色に変わっていく綿で。
「…ママ、お化粧って厄介なんだね…」
 塗るのも難しそうだけれども、それを取るのも大変だなんて…。ぼくが思った以上に大変。
「口紅は特にね」
 食べたり飲んだりするでしょう?
 その度に全部落ちてしまったら、お化粧が駄目になっちゃうから…。落ちにくいように作られているのよ、口紅は。工夫してある分だけ、落とすのも手間がかかるわね。
 でもね、お化粧を全部落とすんだったら、顔を洗えば落ちるのよ?
 口紅も何もかも、すっかり全部。そういうものがちゃんとあるのよ、楽に落とせる便利なもの。



 塗ったのは口紅だけだったから。唇だけのお化粧だったから。
 顔まで全部は洗わずに済んで、代わりにリップクリームをママに塗り付けられた。唇が荒れたら痛くなるから、って色のついてないヤツをキュッキュッと。
 それは鏡じゃ分からない。覗き込んでたら「大丈夫よ」ってママが保証してくれた。お化粧とは違って薬みたいなもの、見た目には普通の唇だ、って。
 これで安心、とママの部屋からぼくの部屋へと戻ったら。
 ハーレイのいる部屋へ一人で戻って行ったら…。



 扉を開けたら、ハーレイの視線。ティーカップを持っていたけれど。
「なんだ、本当に落としちまったのか」
「え…?」
 何を言われたのか分からなかった。キョトンとしてたら、ハーレイはカップをコトリと置いて。
「口紅だ、口紅」
 もう跡形もなくなっちまったな、って見詰められた。ハーレイの向かいの椅子に座ったら。
「ママの部屋できちんと落として来たもの。リップクリームは塗ってるけどね」
 口紅を落としたら、塗っておいた方がいいんだって。唇が荒れたら痛くなるから。
 でもね、色付きのヤツじゃないから、さっきみたいに可笑しくないでしょ?
 ハーレイ、大笑いしていたけれども、今は可笑しくない筈だよ。
「大笑いなあ…。最初は確かに笑っちまったが、凄いものを見たと思ったが…」
 俺はあのままでも良かったんだがな?
 お前が口紅、塗ったままでも。
「なんで?」
 面白いからなの、見てたら愉快な気分になるから?
 あんなに可笑しそうに笑うハーレイ、ぼくもそんなに知らないし…。
「それは違うな。笑っちまった俺だったんだが…」
 よく考えたら、そいつは間違いだった。笑うにしたって、可笑しがる方ではなかったんだ。
 少しだけ未来のお前が見られた、あの口紅のお蔭でな。



 いつか嫁に来てくれるんだろうが、って鳶色の瞳が穏やかに笑ってる。
 口紅を塗って俺の所へ、って。
 そういえばお嫁さんはお化粧しているもので、ママは「人によるわよ」って言っていたけど…。個人の好みだと言っていたけど、ハーレイの趣味はどうなんだろう?
 前のぼくだとお化粧どころか、ハーレイのお嫁さんではなかったから。
 恋人同士なことさえ誰にも言えない、秘密の恋人同士だったから。
 お化粧なんかはするわけがなくて、ハーレイだって「して欲しい」と言える状況じゃなくて。
 だけど今度は何もかも違う。
 ぼくはハーレイのお嫁さんになるし、ハーレイの家で暮らすんだから。
 ハーレイが「お化粧をしたお嫁さん」がいいと言うなら、お化粧した方がいいんだろう。ぼくが男でも、ハーレイがお化粧して欲しいなら。
 もしもそうなら、練習しなくちゃいけないから。
 今日みたいなメイク特集を読んで、勉強しなくちゃいけないから…。



「ねえ、ハーレイ。ぼくって、お化粧しなくちゃ駄目?」
「はあ?」
 お前、チビだろうが。これから毎日、ああいう口紅を塗ろうっていうのか?
 チビに化粧は早すぎるように思うがなあ…。
「そうじゃなくって、結婚した後。ハーレイのお嫁さんになった後だよ」
 普段もお化粧、ちゃんとしていた方がいい?
 ハーレイがそっちの方が好きなら、頑張ってお化粧するけれど…。
 さっき未来のぼくって言ったし、お化粧している方が好き?
「馬鹿。そもそも、お前、男だろうが」
 どんなに美人でも、男は男だ。
 お前がしたくてするなら止めんが、俺から化粧をしろとは言わない。
 前のお前は化粧なんかしなくても美人だったさ、何もしなくていいってな。化粧しなくても充分美人だ、誰もが振り返って見そうなほどの。



 だがな…、ってハーレイは微笑んだ。
 花嫁衣装を着るとなったら化粧が要るだろ、って。そういう未来のぼくが見えた、って。
「そっか、お嫁さん…。花嫁さんの方だったんだ、ハーレイが言ってた未来のぼくって」
「うむ。ウェディングドレスを着るにしたって、白無垢を選ぶにしたって、だ…」
 結婚式くらいは化粧すべきだな、いくらお前が美人でも。
 ドレスに負けると思いはしないが、一生に一度の結婚式だし、とびきりの美人を見てみたい。
 こんなに綺麗な嫁さんなんだと、最高の美人を嫁に出来ると、俺だって自惚れたいからな。
「じゃあ、お化粧…。結婚式の時だけでいいんだ、プロ任せので」
 よかったあ…、とホッとしちゃった、ぼく。
 お化粧は結婚式の日だけでいいから、と言われて安心しちゃった、ぼく。
 ママの部屋にあった化粧品とかの数を思うと、あのメイク特集の記事を思うと、お化粧なんかは出来ればしたくなかったから。
 ハーレイの注文だったらするけど、それでもやっぱり困っちゃうから。
 毎日、毎日、下地から塗って、口紅も塗って、仕上げの粉まで。そんなの面倒、とっても面倒。
 落とす時は顔を洗うだけだとママは言ったけど、お化粧自体は簡単なんかじゃないんだから。



「あのね、ぼく…。新聞でメイクの特集を見てて…」
 お嫁さんならお化粧しないと駄目なのかな、って思ってたんだよ、今度はハーレイのお嫁さんになるって決めてるから。
 ハーレイのお嫁さんになるなら要るのかな、って考えていたら、ママが来たから…。
 お嫁さんはお化粧するものなの、ってママに訊いたのが始まりなんだよ。
 ママとお化粧の話をしてたら、「してみたい?」って訊かれちゃって…。
「なるほど、それでお母さんに塗られちまったってわけか、あの口紅」
 お前が自分で塗ったのかと思って仰天したがな、見た瞬間はな。
 お母さんがやたらと慌てていたから、違うらしいと気付いたが…。
「ママが言ったんだよ、せっかくだからパパにも見て貰おう、って」
 可愛くなったし、パパが帰ったら見て貰いましょ、って…。
「なら、本当にあのままで良かったんだがな…」
 落とさなくても、塗ったままで。
 俺は全く気にしないから、お父さんが帰るまで塗ったままでいれば良かったなあ、あの口紅。
 チビのお前に口紅だけに笑っちまったが、よく考えたら、俺の未来の嫁さんなんだ。
 その嫁さんが化粧して迎えてくれたっていうのに、笑っちまった俺はつくづく馬鹿だな。



 惜しいことをしたな、って残念そうにしているハーレイ。
 ちゃんと事情を聞けば良かったと、口紅をそのまま残しておければ良かったと。
 未来の嫁さんが見られたのに、ってハーレイはホントに悔しそうで。
「あのお前とお茶を飲みたかったな」
 口紅を塗ったお前と、二人でお茶を。…このお茶を口紅を塗ったままのお前と。
「ホント?」
 ハーレイ、あんなに笑っていたのに、あのぼくとお茶を飲みたいんだ…?
「当然だろうが、化粧しているお前だぞ? 少しばかりチビで小さすぎるが…」
 そのせいでウッカリ笑っちまったが、あのお前だって今から思えば悪くなかった。
 背伸びして化粧をしたがる女の子なんかだと、ああいう感じになるんだろう。
 チビはチビなりに似合っていたんだ、あの口紅が。
 そう思って見てたら、未来のお前がヒョッコリ顔を出したってな。チビのお前の向こう側から、いつか口紅を塗って嫁に来てくれるお前がな…。



 今はまだホントにチビのぼく。口紅を笑われてしまった、ぼく。
 だけどハーレイは似合っていたって言ってくれたし、嬉しくなった。それに未来のぼくの姿も、ぼくの向こうに見えたと言うから。顔を出したと言ってくれたから。
「…チビのぼくでも、口紅のぼくが良かったの?」
 落とさなくても、あのままのぼくとハーレイはお茶を飲みたかったの?
「ああ。口紅を塗って化粧したお前と、二人でのんびりお茶を飲んで…」
 一緒に菓子も食いたかったなあ、この菓子をな。
 今となっては手遅れなんだが…。お前、口紅、すっかり落としてしまったからな。
 あんなお前に出会えるチャンスは、二度と無いかもしれないのになあ…。
「ハーレイ、それって…。ぼくがいつかはお嫁さんになるって決まっているから?」
 結婚式には口紅なんだ、って思っているから、ぼくの口紅、見たかったわけ…?
「そうだ、俺の未来の嫁さんだからな」
 ウェディングドレスか白無垢かは知らんが、どっちにしたって口紅なんだ。花嫁だしな。
 そういうお前を夢に見るには、お前の口紅、まさにピッタリだったってわけだ。
 まだまだチビでだ、美人と言うより可愛らしいが…。
 口紅を塗っても可愛いだけだが、それでもやっぱり、お前はお前に違いないしな…?



 いつかはな…、って優しいけれども、熱い光を湛えた瞳。鳶色の瞳。
 大きく育った美人のお前が嫁に来るんだ、って、口紅を塗って化粧をして…、って。
 ハーレイの目には、チラリと見えた未来のぼくがきっと残っているんだろう。全体じゃなくて、口紅を塗った唇だけが。未来のぼくの唇だけが。
「…どんなだろうなあ、大きくなったお前が化粧をしたら」
 前のお前とそっくり同じに大きく育って、口紅を塗って化粧をしたら。
 結婚式なら、口紅の他にもプロが色々するんだろうし…。想像もつかん世界だな。まるで銀色の細工物みたいになっちまうかもな、人間どころか天使みたいな。
「…ぼくにも全然分からないよ」
 前のぼくはお化粧、一度もしないで終わっちゃったし…。
 口紅だって塗ってないから、どんな風になるのか自分じゃ想像出来ないよ。
 今日、ママに口紅を塗られただけでも、ちょっと普段と違う顔だと思ったもの。育ったぼくでも同じだと思うよ、元の顔とは違った感じになるんだよ、きっと。
「どうだかなあ? …お前はお前だ、化粧をしようが、そのままだろうが」
 俺にとっては誰よりも美人に見えるお前だ、今は美人とは言いにくいんだが…。チビには美人と言っても似合わん、チビはチビらしく可愛いとか、愛らしいだとか。
 しかし未来のお前は違うぞ、もう間違いなく美人なんだ。化粧しなくても凄い美人だ。
 それが化粧をしたなら、だ…。この世に二人といやしない美人だ、俺は一生、忘れんだろうさ。
 花嫁衣装が似合う美人を、絶世の佳人というヤツをな。
 佳人と言ったら女性限定だが、花嫁なんだし、それでいいだろ?
 毎日化粧をしろとは言わんし、お前の口紅、結婚式の日だけでいいんだからなあ…。



 そういうお前に出会える日が今から楽しみだな、ってハーレイが言うから。
 ぼくが落としてしまった口紅、見ていたかったみたいだから。
 チビのぼくの向こうに未来のぼくをチラリと見ながら、お茶を飲みたかったらしいから。
(あんなに笑っていたくせに…)
 笑い転げんばかりだったくせに、途中から表情が違ったハーレイ。笑いながらも、違う瞳の色をしていたハーレイ。
 あの時、ハーレイは未来のぼくを見ていたんだろう。
 口紅を塗ったぼくの向こうに、チビのぼくの向こうに、未来のぼくを。
 そうして眺めて見送ったぼくが戻って来た時、きっとガッカリしたんだと思う。
 もう口紅は無くなってたから、綺麗に落としてしまっていたから。
 ぼくと違って大人のハーレイは顔に出したりしなかったけれど、ホントに残念だったんだろう。
 惜しいことをしたと、あのぼくとお茶を飲みたかったと言ったハーレイ。
 一緒にお菓子も食べたかったと、口紅を塗ったチビのぼくと一緒に。



(…ハーレイに未来のぼくが見えるなら…)
 未来のぼくを見ている気分でお茶が飲めると言うのなら。
 またいつか塗ってみようか、口紅。ママの口紅。
 チビのぼくでも口紅を塗れば、唇だけは未来のぼくと重なって見えるらしいから。
 お化粧はしたいと思わないけれど、口紅くらいなら塗ってもいい。
 今度はパパにも見て貰うために。
 パパは笑い出すかもしれないけれども、パパに見せると言えばママだって納得するから。
 だってママだって遊びでぼくに塗っちゃったんだし、二度目があっても驚かない。
(うん、口紅…)
 いつかチャンスがあったなら。
 ハーレイが訪ねて来てくれそうな日にママに頼んで、塗って貰って、ハーレイとお茶。
 口紅を塗って、ハーレイと二人でお茶を飲んでお菓子を食べるんだ。
 そうすればきっと未来を先取り、口紅の分だけ、二人で未来へ。
 ぼくは幸せな花嫁さんになった気分で、ハーレイもきっと笑顔なんだと思うから。
 間違いないから、いつか口紅。
 今日は笑われちゃったけれども、慌てて落としてしまったけれど。
 次があったら、笑われない。チビのぼくでも、口紅を塗った唇でも。
 ハーレイと二人、幸せなデート。未来のぼくを口紅の分だけ、ぼくの所へ連れて来ちゃって…。




              口紅・了

※ブルーが塗って貰った口紅。初めてのお化粧。ハーレイにはビックリされましたけど…。
 そのままでいた方が良かったのかもしれませんね。未来の姿を、少しだけ先取り。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




お花見シーズンが終わると暫くは静か。桜だ、屋台だと押しかけて来ていたソルジャー夫妻と「ぶるぅ」が来なくなるからです。ようやっと今年も終わってくれた、と思う一方、気が抜けたような寂しさも少し…。
「次の波乱はいつだと思う?」
ジョミー君の問いに「要らないから!」と、みんなで即答。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は平和でなんぼで、別の世界からのお客様が起こす波乱なんかは要りません。
「お前な…。こないだまで迷惑だと言ってたくせに」
喉元過ぎれば忘れるのか、とキース君。
「俺たちだけでの平和な花見は今年も不可能だったんだぞ!」
「そうでしたねえ…」
今年もですね、とシロエ君が深い溜息を。
「ぼくたちだけでのお花見っていうのは、もう永遠に不可能だって気がしてきましたよ」
「おいおい、弱気になるんじゃねえよ!」
言霊って言うぜ、とサム君が割って入りました。
「口に出したら負けなんだよ。こう、勝つんだっていう気持ちでいかねえと!」
「そうでしょうか…」
「仏の道だって同じなんだぜ、挫けてちゃ前に進めねえんだよ」
いくらお経が長ったらしくても覚えなければ、とサム君ならではの前向きな台詞。
「こんなの覚えられるかよ、って思ってたのも頑張れば覚えられるしよ…。要はやる気だぜ」
「でも…。お花見と仏道修行は別物ですよ」
お花見はレジャーで仏道修行は修行なんです、とシロエ君。
「修行は遊びじゃ出来ませんしね? ぼくたちはお花見をレジャーと捉えているわけで」
「だよね、修行は要らないよね!」
ジョミー君が乗っかったので、「お前が言うか!」とキース君が軽くゴツンと。
「お前が次の波乱と言うから、こういう話題になったんだぞ!」
「そうだっけ?」
「そうですよ!」
お前だ、お前だ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は今日も賑やか。ソルジャーたちがいなくても充分賑やかだよね、と思っていたら…。



「こんにちは」
いきなり背後で聞こえた声。バッと振り返ると、フワリと翻る紫のマント。
「やあ。こないだのお花見以来だねえ」
ソルジャーが立っているものですから、会長さんが不機嫌な声で。
「何しに来たのさ?」
「ん? ちょっと…。ぶるぅ、今日のおやつは?」
「かみお~ん♪ イチゴとピスタチオのムースケーキだよ!」
上がイチゴで下がピスタチオ、と二層になったムースケーキを指差す「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「美味しそうだね、じゃあ、それと…」
「いつもの紅茶? ちょっと待っててねー!」
用意するね、とササッと出て来たケーキのお皿と紅茶のカップ。ソルジャーは空いていたソファにドッカリと座り、早速ケーキを頬張って。
「うん、美味しい! イチゴのムースもピスタチオもいいね」
「でしょ、でしょ? 色もとっても綺麗なの~!」
褒めて貰った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は跳ねてますけど、会長さんが。
「ケーキはともかく…。君の用事は?」
「ああ、用ね! ちょうどタイミングがピッタリかな、と」
「「「タイミング?」」」
「そう! 修行がどうとか、レジャーがどうとか」
まさにそういう話をしたかったのだ、と言われて飛び交う『?』マーク。
「修行だって?」
「それにレジャーですか?」
レジャーはともかく、修行の方。ソルジャーが修行に興味があるとは思えませんけど…。
「あ、やっぱり? ぼくは修行は嫌いに見える?」
「当たり前だよ!」
コツコツ地道な努力というのは嫌いだろう、と会長さん。
「結果はパパッと出る方が好きで、努力の成果も直ぐに出ないと文句たらたらかと」
「まあね」
否定はしない、という答え。だったら何処から修行なんかが…?



「…ずいぶん前に聞いた話を思い出してね」
修行と聞いて、とソルジャーは紅茶を一口飲んで。
「ノルディとランチに行った時かな、それともディナーだったかな? ちょっと変わった修行が話題になったんだよ」
「滝行かい?」
会長さんの問いに「ううん」とソルジャー。
「滝に打たれるのは普通なんだろ、こっちの世界じゃ」
「…普通じゃないけど、まあ、スタンダード?」
「修行と聞いたらすぐに頭に浮かぶ図ではあるな」
俺はやらんが、とキース君が頭を振って、会長さんが。
「璃慕恩院ではやらないからねえ…。ぼくが一時期、行ってた恵須出井寺ではやるんだけどね」
「あんたもやっていたんだったな…」
でもってサイオンでズルだったな、と言われて蘇る会長さんの修行時代。滝行だの水垢離だのはサイオンシールドでズルをしていたと聞いています。それでも修行はしたんですから、伝説の高僧、銀青様が存在しているわけですが…。
「なるほど、ブルーも滝行をねえ…。でもね、ノルディの話はそんなんじゃなくて、武者修行だって言ってたよ?」
「「「武者修行!?」」」
それは武道の道だろうか、と思ったのですが。
「なんてったかなあ、何処かの会社の新人研修みたいなもの?」
「「「は?」」」
新人研修で武者修行。やはり武道か、と考えたのに。
「違う、違う! いきなり外国に放り出されて、この国の言葉は一切禁止! 喋ったらそこで研修終了、強制的に帰国させられた上、出世の道も断たれるらしいよ」
「「「えーーーっ!!!」」」
なんと恐ろしい会社なのだ、と震え上がった私たちですが。
「その研修でさ、逞しく生き残る方法は個人の自由なんだな。現地溶け込みでバックパッカーな生活も良しで、住み込みで料理修行とかもアリ」
そうやって楽しく自分を鍛えて修行を積むのだ、という話を聞いたら「面白そうだ」とも思えてきました。そっか、楽しい修行もあるんだ…。



ソルジャーがエロドクターから教えられたらしい、何処かの会社の新人研修。期間中に得て来た体験を元に、後に会社の企画を立てたりする人もあるのだそうです。一見トンデモな修行に見えても楽しい上に役に立つのか、と皆で感心していたら。
「それでね、前からちょっと考えていたことがあるんだよねえ…」
武者修行の話がヒントになって、と微笑むソルジャー。
「楽しく修行って素敵じゃないかい? しかも無事に終えたら御褒美だしね?」
出世への道が開けるのだ、とソルジャーは例の会社を挙げました。途中で投げたら出世コースはオジャンですけど、無事に終えれば誰でも漏れなく出世コースへのスタート地点に立てるとか。それまでの経歴も何も関係なくって出世への道。
「…それは美味しい話かもしれんな」
特に俺には羨ましいな、とキース君。
「坊主の道で出世するのは大変なんだ。スタート地点は出た学校で多少変わるが、後は一切、裏道無しだ。努力以外に方法は無いし、ついでに楽しい方法でもない」
「だろうね、本物の修行じゃねえ…」
「外国の仏教寺院で頑張ってみました、と言った所で何の評価もされないからなあ…」
坊主の階級とは無関係だ、というキース君の嘆き。
「ある程度の階級に達してからやれば、同じ外国の寺院行きでもググンと評価が上がるんだが…。上手く行ったら璃慕恩院でのお役目もつくが、ヒラの坊主ではどうにもならん」
出世のためには修行を積んで、ある程度階級を上げるしかないのだ、という厳しい世界。修行イコールお念仏とか、璃慕恩院とかの「本山」とつくお寺で開催される研修道場。中には住職の資格を取る時の道場と同じくらいにキツイ修行もあるのだそうで…。
「そいつを何回も繰り返すという猛者もいるがな、それでも階級は上がらない。あくまで積んだ修行の年数だ。年功序列の世界なんだ」
出世へのコースを楽しく開く方法は無い、と残念そうなキース君。お坊さんだから仕方ないんじゃあ、とも思いますけど…。
「まあな。坊主が楽して出世していたら、それこそアレだ」
「うんうん、坊主丸儲けってね。こっちの世界じゃそう言うらしいねえ…」
それで、とソルジャーが話を引っ張り戻して。
「楽しく修行で、終えたら御褒美! それもいいかな、と提案しにやって来たんだけれど」
どう? と訊かれても何が何だか。私たちに何処かで修行をしろと?



どこぞの会社の新人研修の武者修行。楽しそうではありますけれども、私たちには入社予定はありません。今後も多分、一生、シャングリラ学園特別生。会社とは縁が無さそうだよね、と頷き合っていると。
「えっ、君たちにやれって言うわけじゃないんだけれど?」
「じゃあ、誰が?」
ぼくはそこまで暇じゃないしね、と会長さん。
「ぶるぅの部屋で過ごす時間も大切、ぼくの家でのんびり過ごすのも大切。ぼくの女神と過ごす時間はもっと大事で、修行なんかはしてられないね」
楽しくってもお断りだ、と天晴な言葉。ところがソルジャーの方は「そうかなあ?」と首を捻っています。
「ある意味、楽しいと思うけどねえ? 修行をするのは君じゃないけど」
「誰なのさ、それ?」
「こっちのハーレイ!」
もちろん修行はうんと楽しく、とソルジャーは胸を張りました。
「常々、どうにかならないものかと…。あのヘタレっぷり!」
「ちょ、ちょっと…! ヘタレで修行って…!」
「ヘタレ直しに決まってるだろう!」
これぞ本当の修行なのだ、とソルジャー、ニコニコ。
「普通の方法じゃ挫折するのが見えているしね、武者修行コースがお勧めなんだよ」
「「「武者修行コース?」」」
「そう! 楽しく修行を積んでいってね、ゴールインしたら御褒美なわけ!」
楽しい修行と目の前のニンジン、この二つがあれば無事に乗り切れると踏んでいるのだ、とソルジャーは唱え始めました。
「ぼくの考えとしては、こっちの世界のラジオ体操? あれがいいかと」
「「「ラジオ体操?」」」
どう楽しくて修行なのだ、とサッパリ意味が不明でしたが、ソルジャー曰く、修行の過程を記録するのがラジオ体操方式だとか。
「こっちじゃアレだろ、夏休みとかに子供が参加した時はカードにスタンプが貰えるんだろ?」
「それはそうだが…」
「要はスタンプカードなんだよ、修行一回につきスタンプが一個!」
カードが埋まれば御褒美なのだ、という解説でやっと納得。なるほど、スタンプカードですか…。



「スタンプカードってヤツは全部埋まると色々あるよね?」
割引だとか粗品を進呈だとか、とソルジャーはなかなかに詳しい様子。エロドクターからせしめたお小遣いで買い物をしたりしていますから、スタンプカードも貰ったことがあるのでしょう。いい加減な性格をしているだけに、せっかくのカードも行方不明になりそうですけど。
「あっ、分かる? 何度も作って貰うんだけどねえ、埋まらないねえ…」
その前に青の間で埋まっちゃってね、と舌をペロリと。片付かない青の間のゴミに埋もれて消えるそうです、スタンプカード。
「だけどハーレイは律儀だからねえ、ぼくと違ってキッチリ管理! その辺はこっちの世界のハーレイも同じ性格だと見た!」
「うん、まあ…。そうではあるけど」
真面目にスタンプを集めているよ、と会長さん。教頭先生がお持ちのスタンプカードの代表は家の近所のパン屋さんだそうで、食パンなどを買えば金額に応じてスタンプがポンッ! と。
「全部埋まると金券になるんだ、頑張ってコツコツ集めているよ」
持って行くのを忘れた時にはレシートに印を付けて貰って次回にスタンプ、という話。
「へえ…! そこまで律儀なら武者修行コースも頑張れそうだね」
「その前に一つ訊きたいんだけど…」
どういう修行? と会長さんは正面から疑問をぶつけました。
「ヘタレ直しだとか言い出した以上、普通じゃないよね、その修行」
「だから楽しく!」
楽しく頑張ってヘタレ直し、とソルジャーは人差し指をピシッと立てて。
「いつかは君との結婚だよねえ、こっちのハーレイの未来の目標! それに備えてヘタレ直しで、スタンプが無事に埋まった時には君とのキスとか、一晩一緒に過ごすとか…」
「却下!」
なんでそういうことになるのだ、と会長さんは叫びましたが、ソルジャーが何かを思い付いたら一直線が毎度のコース。
「ぼくは素敵だと思うんだよ」
是非ハーレイに武者修行を! とグッと拳を握るソルジャー。
「修行の中身は楽しく覗き! ぼくとハーレイとの大人の時間!」
ガッツリ覗けばスタンプ一個、と飛び出した台詞に誰もが目が点。そりゃあ覗きは素敵でしょうけど、鼻血大王な教頭先生には無理なんじゃあ…?



「…ぼくも正直、難しいだろうとは思うけどさ」
思うんだけどさ、とソルジャーはニヤリと笑みを浮かべて。
「場数を踏むのも大切だしねえ、たとえ鼻血でも覗きに来たならスタンプでいいと思うわけ」
「…ぼくは手伝わないからね!」
そんな修行は手伝わない、と仏頂面の会長さん。
「ハーレイを覗きツアーに送り出すようなサイオンは持っていないから! 瞬間移動も空間移動もお断りだし、鼻血のフォローもお断りだよ!」
「ああ、その点なら問題ないから!」
ちゃんと話はつけてきたから、と笑顔のソルジャー。
「送り迎えは任せて安心、ついでにスタンプも押すってさ」
「「「誰が!?」」」
そんな協力者が何処にいるのだ、と驚きましたが。
「ぶるぅに決まっているだろう!」
ソルジャーは自信たっぷりに言い放つと。
「趣味と実益とを兼ねてるんだよ、ぶるぅにとっては。普段は何かと叱られがちな覗きを堂々と出来るわけだし、一緒に覗いてくれる仲間も出来るわけだし」
「「「………」」」
あの「ぶるぅ」か、と大食漢の悪戯小僧を思い浮かべて誰もが溜息。おませな「ぶるぅ」は大人の時間の覗きが大好き、いくらソルジャーに叱られようとも懲りずに覗くと聞いています。
「ぶるぅはホントに好きだからねえ、覗きってヤツが…。ぼくのハーレイは見られていると意気消沈なタイプだけにさ、ぼくも色々と気を遣うんだよ」
ぶるぅがいるな、と気付いた時にはシールドだとか、と語るソルジャー。
「とにかくハーレイに気付かれないよう、覗きの存在を隠さないとね? ずうっと昔は叱ってたけど、ぼくがぶるぅを叱った時点でハーレイはガックリ意気消沈だから…」
そのまま朝まで元気にならないことも多くて、と嘆き節。
「それでは話にならないからねえ、ぶるぅの存在を隠しておく方がマシだと気付いた。ぼくは見られていても平気で挙動不審にはならないからさ」
見られていると燃えるタイプでなくて良かった、と言われましても。見られていると承知で大人の時間を続行出来る神経、タフとしか言いようがないのでは…?



キャプテンとの時間を覗き見されても平気だと言い切るソルジャーのクソ度胸。「ぶるぅ」に教頭先生の世話を任せて、ついでに送り迎えもさせて。覗き一回でスタンプが一個、たまれば会長さんとのキスだか素敵な時間だか。
「ナイスアイデアだと思うんだよ!」
是非やりたい、とソルジャーは赤い瞳を煌めかせました。
「ちょうど新人研修の春! 春といえばヤバイ意味もあるしさ、この季節に是非!」
「「「…ヤバイ?」」」
春の何処がどうヤバイのだ、と頭の中を探ってみれども、答えは無し。入学式の季節で桜の季節。ピカピカのランドセルとか新入生とか、どの辺がヤバイということに…?
「分からないかな、人類最古の職業って説もあるんだけれど?」
「退場!!」
会長さんが突き付けているレッドカードも意味がサッパリ。人類最古の職業の何処がヤバイか、謎は深まる一方です。ソルジャーは「有名なんだよ」と笑みを深くして。
「いわゆる売春! 春をひさぐとか言わないかい?」
「「「………!!!」」」
ソレか、と流石に知っていた言葉。そうか、人類最古の職業なんだ…?
「そうらしい、って説が流れてるだけで裏付けは全く無いらしいけどね? 実際は他にあったんじゃないかと思うけどねえ、春を買えなくても死にはしないし」
同じ春なら食生活に直結している種イモだとか種の類を売るべきだろう、というのも一理。どうやら売春が人類最古の職業という説はただの俗説、事実じゃないな、とは思ったものの。
「ともあれ、春はそういう意味も持ってる言葉で最高の季節! ヘタレ直しの武者修行をするなら春がピッタリ!」
やっていいよね、と決め付けの世界。
「こっちのハーレイにはぼくから話を通すし、君たちは何もしなくていいよ。…とはいえ、それも退屈かなあ?」
「退屈じゃないし!」
どうでもいいし、と会長さんは怒鳴りましたが。
「そうだ、サイオン中継はどう? ぶるぅは喜んで中継係もすると思うよ、自分の腕前を自慢しまくるチャンスだからね」
ぼくの恥ずかしい写真を何度も撮影してきた熟練、と言われて頭を抱える私たち。「ぶるぅ」が覗きを中継だなんて、迷惑としか言いようがないですってば…。



絶対に嫌だ、お断りだと皆で断りまくって遠慮して。中継不要で一切関与はしないコースで、と切望どころか哀願したのに、頼むだけ無駄だった馬耳東風が基本のソルジャー。
「それじゃ、話はつけておくから! お楽しみにねー!」
週末から早速、武者修行! とソルジャーの姿がパッと消え失せ、会長さんが真っ青な顔で。
「…どうしよう…」
スタンプが埋まったらエライことに、と瞳に浮かんだ絶望の色。ソルジャーは御褒美まで勝手に決めてしまったのです。会長さんのキスでは押しが足りない、と素敵な一夜。会長さんと過ごす一夜をプレゼントする、と超特大のニンジンを用意。
「…なんとか逃げようはあるだろうが!」
サイオニック・ドリームを見させておくとか、とキース君。
「その辺はあいつも充分に承知してると思うが? あんたが真面目に相手をしないということくらいは計算済みかと」
「…それはそうだけど、そんなプレゼントはしたくない…」
ハーレイに美味しい思いをさせるのは嫌だ、と言いたい気持ちは分かるかも。でも…。スタンプカードが全部埋まったら特典がつくのが世の常で…。
「うーん…」
この際、特典を勝手に変えるのもいいだろうかと会長さんは言い出しましたが、それはソルジャーに筒抜けになると思います。「話が違う」と怒鳴り込まれるとか、無理やり教頭先生のベッドに送られるだとか、如何にもありそう…。
「やっぱりそうかな?」
「…そう思います…」
沈痛な顔のシロエ君。私たちもコクコク頷き、会長さんは。
「……仕方ない、スタンプが集まらないことを祈ろう」
スタンプカードが埋まらなかったら特典は貰えないのだし、と出ました、正論。
「そうか、その手があったのか!」
目から鱗だ、とキース君がポンと手を打ったものの。
「…でもねえ…。スタンプを押すのがぶるぅだからねえ…」
評価が思い切り甘いかもね、という見解。
「「「あー…」」」
甘いかもなあ、と悪戯小僧の大食漢を頭に思い描いて「駄目か」とガックリ。始まってみないことには分かりませんけど、覗き仲間が出来た嬉しさで気前よくポンポン押しそうですよ…。



そうこうする内に迎えた週末。ソルジャーが武者修行を始める日だと指定した土曜日です。自分の家でサイオン中継を食らうのだけは勘弁ですから、会長さんの家に泊めて貰うべく、みんなでお出掛け。お泊まり用の荷物を手にして訪ねてみれば。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
入って、入って! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。
「ブルーも来てるよ、お昼御飯はフカヒレ丼とシューマイ色々なの!」
「…そうか…」
そのメニューならアイツが湧くな、とキース君。特にイベントというものが無くても、豪華メニューや美味しそうな食べ物でソルジャーは湧いて出て来るもの。今日は中継初日なだけに湧くだろうとは思ってましたが、こんなに早くから湧かなくっても…。
肩を落としてトボトボとリビングへ入ってゆくと、噂のソルジャーが腰掛けていて。
「やあ。こんなのも作ってみたんだよ」
「「「………」」」
何なのだ、と訊くまでもなく答えはちゃんと分かっていました。これを一目見て分からなければ馬鹿だろうとも思いますけど…。
「なんなの、これ」
ジョミー君の問いに、ソルジャーは「見て分からない?」と呆れた顔。
「何処から見たって土鍋だろうと思うけどねえ?」
「「「……やっぱり……」」」
土鍋だったか、と見下ろす土鍋。冬場の鍋には欠かせないもので、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」のお気に入りの寝床でもある土鍋ですけど、なんと言おうか…。
「……超特大?」
スウェナちゃんが呟き、マツカ君が。
「そうとしか言えない大きさですね…」
「何の料理をするんだ、これで?」
何人前を作るつもりだ、とキース君が尋ねると、返った答えは。
「うーん…。あえて言うならハーレイ鍋かな?」
「「「ハーレイ鍋!?」」」
どんな料理だ、と想像もつかないハーレイ鍋。こんな大きな土鍋を使ってハーレイ鍋って、それはどういう料理でしょうか…?



「…料理じゃないけど?」
ハーレイ鍋と言ったらハーレイ鍋だ、とソルジャーは超特大の土鍋へと顎をしゃくって。
「これはぶるぅの土鍋と同じ仕様になってるんだよ、冷暖房完備の防音土鍋」
「「「…まさか…」」」
「そう、こっちのハーレイ専用の土鍋!」
避難場所として用意したのだ、とソルジャーは威張り返りました。
「スタンプを押しての武者修行の件、ハーレイは乗り気なんだけど…。ぶるぅと違って慣れないからねえ、覗くタイミングが難しい」
「それで?」
会長さんの不機嫌な声に、「それで土鍋の出番なわけだよ」とソルジャーがパチンとウインクを。
「ぶるぅに連れられて空間を超えたら、まずは土鍋でスタンバイ! ぶるぅが蓋を開けて呼ぶまで中で待つのさ、呼ばれたら出て来て覗きをする、と」
「そんな目的のために君は土鍋を!?」
「うん。急ぎの注文だけにクルーには迷惑かけちゃったねえ…」
不眠不休で土鍋作りになっちゃって、と全く悪いとも思っていない様子のソルジャー。迷惑をかけたと言うのだったら、お礼はきちんとしたんでしょうね?
「えっ、お礼? なんか要らないって慌ててたけど?」
「「「へ?」」」
不眠不休で作業したのに、お礼は要らないとはこれ如何に。ソルジャーは一番偉い立場なだけに「お礼をくれ」とは言い出せないとか? でも、それなら慌てる必要は…。
「お礼を貰ったら祟られると思っているんだろうねえ、土鍋だけに」
「「「はあ?」」」
ますます謎だ、と首を捻れば、「土鍋だから!」という返事。
「ぼくのシャングリラで大きな土鍋を使っているのはぶるぅだけ! その何倍も大きな土鍋を作らせたんだよ、ぶるぅの注文でなければ何だと!」
「「「ぶ、ぶるぅ…」」」
「そう! ちょっと訊くけど、ぶるぅからお礼を欲しいかい?」
「「「そ、それは……」」」
要らない! と叫んだ私たち。悪戯小僧の大食漢からお礼となったら何が来るやら分かりません。最悪、御礼参りもありそうです。ソルジャーの世界で超特大の土鍋を作った人たちの気持ちが飲み込めました。それは慌てて断りますってば、不眠不休の作業のお礼…。



超特大の土鍋の効能をソルジャーは得々と語ってゆきます。
覗きのタイミングを待つまでの間、防音だから何も聞こえなくて鼻血の心配が無用だとか。覗きをしていて鼻血が出たって、一旦退避してまた戻れるとか。
「なにしろ防音は完璧だしね? 鼻血が治まる頃にはクライマックスに突入してるって可能性もあるし、そこでもう一度覗けるといいよね」
「…覗いたら最後、即死じゃないかと思うけど?」
会長さんの冷たい一言。
「それで死んだらスタンプは無しって結果になるんだよねえ?」
「なんで? その辺はぶるぅが決めることだよ」
スタンプ係はぶるぅなんだし、とソルジャーはニコリ。
「こっちのハーレイがどのタイミングで鼻血を噴いたか、ぼくはそこまで感知してない。ぶるぅに任せたからには全てお任せ、ハーレイとの時間を楽しむのみ!」
キッチリ隠れろと言っておいた、と自信も満々。
「普段のぶるぅはシールドなんかは張りもしないで覗きをやらかしに出て来るけどねえ、こっちのハーレイの武者修行となればシールドなんかも必要だよ、うん」
「ぶるぅが言いつけを聞くのかい?」
「それはもう!」
報酬は毎日支払われるから、と斜め上な台詞。
「「「報酬?」」」
「ぼくが払うつもりでいたんだけどねえ、ダメ元でこっちのハーレイに訊いた。そしたら「武者修行をさせて頂けるのですし」と二つ返事でオッケーだったよ、ぶるぅの報酬!」
「……どんな報酬?」
会長さんがおっかなびっくり口にしたのですけど、ソルジャーは「普通!」と明快に。
「ぶるぅにお礼をするんだったら基本は胃袋! グルメな報酬!」
要は食べ歩きの費用を出せばいいのだ、とは至言で正論。教頭先生は「ぶるぅ」の食べ歩きのためにお小遣いを支払い、「ぶるぅ」は前払いで受け取った報酬でグルメ三昧をするそうです。
「今日の分を払って貰ったからねえ、どの店に行こうかとワクワクしてるよ。こっちの世界には美味しい食べ物が山のように揃っているものだから」
「「「あー…」」」
フカヒレ丼とかシューマイとかか、と「ぶるぅ」の行きそうな店が頭にポポン! と。今日は一日中華三昧とか、きっとそういうコースですよ…。



教頭先生の覗きに備えて、超特大の土鍋まで用意したソルジャー。会長さんの家に夕食時まで居座り、「ガーリック臭いキスでもいいよね?」などと言いつつ焼き肉パーティー。私たちがスタミナをつけるつもりで「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頼んでいたのに…。
「あいつがスタミナをつけてどうする!」
火に油だ、とキース君が怒鳴った、ソルジャーが帰った後のダイニング。教頭先生が初の覗きにお出掛けなのに、大人の時間が派手に繰り広げられそうな気が…。
「教頭先生よりも前にだ、俺たちの方が問題なんだが!」
一部始終を中継されてしまうんだぞ、と言われて背中に冷たいものが。スタミナたっぷりでキャプテンと大人の時間なソルジャー。そんなものを延々と見せられましても…。
「断れないわけ?」
遮断するとか、とジョミー君が案を出しましたけれど、会長さんは。
「……ぼくの恥を晒すことになるけど、実はぶるぅにも勝てないんだ、ぼくは」
「「「えぇっ!?」」」
「…ぶるぅはブルーに丸投げされてシャングリラの面倒を見ていることもあるしね。サイオン全開だと三分間しか持たないだなんて言われているけど、経験値が高すぎなんだってば」
ゆえに中継の遮断は無理だ、と聞いて全員が仰ぐ天井。
「……見るしかないのか……」
キース君が呻いて、シロエ君が。
「…そうみたいですね…」
しかもこれから当分の間、という死刑宣告にも等しい言葉。スタンプカードは三十個押せる仕様なのだ、とソルジャーが自慢してましたっけ…。
「…スタンプを三十個ってコトになればよ…」
一ヶ月かかるってコトなんだよな、と嘆くサム君。
「それもぶるぅがバンバン押したら一ヶ月ってだけでよ、簡単に押してはくれなかったら…」
「…一ヶ月どころか半年になっても仕方ないのか…」
そこまでなのか、とキース君が唱える南無阿弥陀仏のお念仏。
「バンバン押して欲しいよ、スタンプ…」
ジョミー君の意見に賛成ですけど、バンバン押されて三十個目のが押されたならば。
「やめてくれよ、俺のブルーの立場が最悪なことにーーーっ!」
それだけは嫌だ、と頭を抱えるサム君は今も会長さんとは公認カップルな仲でした。朝のお勤めがデート代わりな健全極まりないお付き合いだけに、その展開は嫌でしょうねえ…。



泣けど叫べど、来るものは来る。それがこの世の習いというもの、避けて通れない道もあるもの。私たちが右往左往している間に「準備オッケー!?」と元気な思念が。
『えとえと、中継、始めていーい?』
「「「来たーーーっ!!!」」」
ぶるぅだ、ぶるぅだ、と走り回っても逃げ場は無し。それどころか無邪気なお子様、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「ぶるぅだぁーっ!」と躍り上がって飛び跳ねて。
「んーとね、中継画面は何処でもいいよーっ!」
『分かったぁー!』
おっきいのがいいね、と思念が返って、ババーン! とリビングの壁一面に青の間が。
「「「あああ……」」」
もう駄目だ、と床に突っ伏しながらも好奇心で画面にチラリと視線。周りを見回せば誰もがチラチラ、なんだ、やっぱり気になるんじゃない! でも…。
「土鍋だね…」
「土鍋ですね…」
私たちの世界のシャングリラ号の青の間にそっくりなソルジャーの青の間。天蓋つきの大きなベッドが据えられた空間、其処の床にドドーン! と巨大な土鍋。あの中に教頭先生が、と思う間もなく「こんな感じーっ!」と透視で映された土鍋の中身。
「「「きょ、教頭先生…」」」
なんて姿に、としか言いようがありませんでした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」の寝姿でお馴染みのコロンと丸くなっての猫もどきな土鍋の中での姿勢。教頭先生はそれを取っておられ、窮屈そうに身体を丸めておられます。
おまけに誰がそうしろと言ったか、スーツでもラフな服でもなくってキャプテンの制服。マントまで着けて丸まった姿は「ハーレイ鍋」以外の何物でもなく。
「…あの服、実は伸縮性がバッチリでねえ…」
あの姿勢で土鍋に入るんだったら最適だろう、と会長さん。
「カッチリした服に見えるんだけどね、なにしろ仕事がキャプテンだから…。場合によってはシャングリラの舵を握るわけだから、スーツみたいに動きにくくちゃ話にならない」
「…柔道着でも良かったんじゃあ?」
ジョミー君が訊けば、会長さんは。
「そりゃあ柔道着の方が動きやすいし丸まりやすいよ? だけどブルーの好みじゃなさそう」
ハーレイ鍋だと言ったからにはアレなんだろう、という会長さんの読み。そっか、ハーレイ鍋ですもんねえ…。



そんな会話をしている間に、青の間のベッドに現れた人影。奥のバスルームから仲良く出て来たソルジャー夫妻というヤツです。バスローブ姿で髪の毛が濡れているようですが…。
『えっとね、第一ラウンドはもう済んでるのーっ!』
バスルームで一発ヤった後なの、と「ぶるぅ」の思念波。
『だから余裕の第二ラウンドなの、覗きをするにはピッタリなのーっ!!』
二人の気分が盛り上がってるからいい感じなの、と「ぶるぅ」の解説。普段は見られないプレイを見られるかもとか、うんと濃厚な中身になるとか。
「…おい、耳を塞いでもいいと思うか?」
キース君が両手を耳にやり、シロエ君が。
「目を瞑ってもいいんでしょうか…」
こう、と目を閉じて両手で耳を押さえたシロエ君ですが。
「え? ええっ?」
「どうした、シロエ!」
「無駄みたいです、キース先輩!」
ぶるぅの力を舐めてました、という悲鳴で私も試してみました。目を瞑って両手で耳をギュウッと…。あれ? あれれ、全然関係ない!?
「見えるんですけど…」
マツカ君が呆然と呟き、スウェナちゃんも。
「聞こえてくるのよ、耳を塞いでも…」
「「「つ、つまり…」」」
どうしようもないということかーーーっ! と響き渡った大絶叫。「ぶるぅ」はモザイクをかけるサービスはしてくれましたが、止まらないのが口での解説。ああだこうだと専門用語を連発しまくり、それに被さるソルジャー夫妻の大人な時間の声の数々。
「…し、死にそう…」
「寝るな、ジョミー! 眠ると死ぬぞ!」
確実に死ぬぞ、と言われなくても容易に想像出来ました。ウッカリ眠ったら思念中継がダイレクトに脳に来るわけですから、本当に永眠しかねません。私たちは鼻血も出さない万年十八歳未満お断りですが、オーバーヒートはするんですってば…。



「うう……」
朝か、とキース君の呻き声で目が覚めて周りをキョロキョロと。朝日が射し込む会長さんの家のリビングは死屍累々で、亡骸が無い人は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけ。
「…ぼくたち、死んでた?」
「そうらしい…」
やはり死んだか、とキース君が唱えるお念仏。どの辺で自分が討ち死にしたのか、覚えている人はいませんでした。
「…確か、ぶるぅが土鍋の蓋を…」
「開けるからね、って言ってましたね…」
でも、と考え込む私たち。超特大の土鍋の蓋が開く所は誰も目にしていないようです。その前に頭がオーバーヒートで、鼻血の代わりに煙がプシューッ! と。煮えたぎって煙を噴いた脳味噌はブラックアウトし、結果的に「ぶるぅ」の中継を遮断した模様。
「…スタンプが押されたか、そうでねえかも分からねえんだな…」
「俺たちでさえ、この有様だ。無理だったんじゃないかと思うが…」
まず無理だろう、とキース君が口にした時、リビングのドアがバアン! と開いて。
「かみお~ん♪ みんな、目が覚めたーっ!?」
朝御飯~っ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び込んで来て、その後ろには会長さんが。
「やあ、おはよう。…地獄の一丁目は終わったってね」
「「「一丁目?」」」
「残り二十九丁って勘定になるかな、三十丁目まで」
「「「じゃ、じゃあ……」」」
その先が出ない私たちに向かって、会長さんは「押されちゃったよ」と額を押さえて。
「ぶるぅはスタンプを押したんだ。ハーレイは土鍋から出るなり鼻血を噴いたわけなんだけれど、ぶるぅにとってはグルメ三昧をさせてくれる大事なスポンサーだしね?」
一個目のスタンプはサービスらしい、と大きな溜息。
「これで一個だから、残りはうんと頑張ってね! と言ってたよ」
「…だったら今後はサービスのスタンプは期待薄だということか?」
キース君の震える声に、会長さんは。
「そうらしい。…グルメ三昧の日々を続けたかったら、ぶるぅはスタンプを出し渋るだろう。地獄の三十丁目が遠ければ遠いほど、グルメな日々が続くんだしねえ…」
一ヶ月どころか一年かも、という怖すぎる話。私たちはいったい、何回死んだら…。



そうやって何度も死んで、死に続けて、それでも貯まらない教頭先生のスタンプカード。押されたスタンプは一個から増えず、教頭先生の武者修行は終わる気配も無いままで。
「…このままだと俺たちが先に死ねるな…」
「本当にお迎えが来そうですよね…」
いつか目が覚めない時が来るかも、というシロエ君の言葉に誰もがブルブル。こんな形で死ぬ日が来るとは夢にも思いませんでした。死んだ時には誰を恨めばいいのでしょう?
「…ぶるぅでしょうか?」
「そうじゃねえだろ、ブルーの方だろ!」
「だけど…。どっちも化けて出るだけ無駄っぽいわよ?」
「「「あー…」」」
うらめしや~、と出てもスルーをされそうな二人。ソルジャーも「ぶるぅ」もどこ吹く風で知らんぷりとか、サイオンでヒョイと散らされるとか…。
「駄目か…」
「あの二人は恨むだけ無駄でしょうねえ…」
「そうだ、教頭先生じゃないの?」
化けて出るなら其処なんだよ、というジョミー君の意見で「おおっ!」とばかりに光を見付けた私たちですが。
「…ちょっと待て。化けて出るより、教頭先生に武者修行をやめて頂くのが筋なんじゃないか?」
そうしたら誰も死なん筈だぞ、とキース君に言われて気付きました。夜な夜な超特大の土鍋へと出掛ける教頭先生をお止めしたなら、もう誰も…。



「…今頃になって気が付いたんだ?」
フワリと翻る紫のマント。現れたソルジャーは「はい」と右手を差し出して。
「これがこっちのハーレイのスタンプカード。君たちが買ったらカードは紛失、再発行は無しってね。大負けに負けて、こんなのでどう?」
「「「………」」」
たったそれだけの値段で買えるもののために死に続けたのか、と叫びたくなるワンコイン。まさに犬死に、教頭先生だけがいい目をなさっていたんじゃあ…?
「さあねえ? ハーレイの鼻血も楽しかったけど、君たちのオーバーヒートもねえ…」
クスクスクス…と笑うソルジャーに弄ばれたか、はたまた「ぶるぅ」とタッグを組んでの悪戯なのか。訊きたいですけど、それを訊いたらカードを売ってはくれないかも…。
「「「買います!」」」
教頭先生には悪いですけど、カードは紛失扱いで! 再発行は二度と無いそうですけど、ワンコイン、払わせて頂きますね~!




             武者修行の春・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生が始めてしまった、とても迷惑な武者修行。付き合わされる方が大変。
 終わらせる方法、早く気付けよ、といった感じですよね、本当に…。
 そして相も変わらず使えないのがwindows10 、どんどん酷くなっているとか…。
 次回は 「第3月曜」 2月19日の更新となります、よろしくです~! 

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、2月は、恒例の節分の七福神巡り。今年も、やっぱり…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









(ほほう…)
 お得なのか、とハーレイは棚を覗き込んだ。
 仕事帰りに寄ったいつもの食料品店。今日はブルーの家に寄れなかったから、早めの時間。
 あれこれと選んで籠に入れながら、蜂蜜の棚まで来たのだけれど。シロエ風のホットミルクには欠かせないマヌカを買いに来たのだけれど。
 其処に躍ったセール中の文字。普段は貼られていない紙が目を引く、カラフルな文字で。
(どれでも二つ買ったら割引なのか…)
 セールの対象になっている品なら、蜂蜜の種類は問わないらしい。マヌカとアカシアをセットで買おうが、マヌカとクローバーの蜂蜜だろうが。
(ふうむ…)
 お得だからといって、蜂蜜を二つ欲しいわけではないけれど。一人暮らしだからそんなに減りはしないし、二つ買ったら次の買い出しまでの期間が延びるだけなのだけれど。
 蜂蜜を二つ買えばお得で、その中にマヌカ。対象品の中にマヌカの蜂蜜が何種類も。



(あいつ、お揃いが好きだからなあ…)
 小さなブルー。お揃いに憧れているブルー。
 出会って間もない頃には、教えてやった白いシャングリラの写真集がお揃いなのだと何度も口にしたものだ。ハーレイと同じ写真集だと、この写真集はお揃いなのだと。
 別々に買った本なのに。自分が先に書店で見付けて「少し高いが懐かしい写真が沢山あるぞ」と話してやったら、小さなブルーは父に強請って手に入れた。シャングリラの写真自体も気に入ったようだが、それ以上に「お揃い」にこだわった。同じ本だと、お揃いの本を持っていると。
(何かと言えば俺とお揃いなんだ)
 そんな持ち物は殆ど無いのに。
 シャングリラの写真集の他には、二人で写した写真を収めたフォトフレームくらいしかブルーは持っていないのに。
(あいつにかかれば、マーマレードだってお揃いだしなあ…)
 夏ミカンの金色のマーマレード。隣町の家で母が作ったマーマレード。
 届けてやる度、お揃いなのだと喜んでいる。朝の食卓の味がお揃いになる、と。



 食べれば無くなるマーマレードさえも、お揃いだと言い出すブルーだから。
 ハーレイの家とお揃いの味だと、瓶に頬ずりしてしまいそうなブルーだから。
 自分が食べるのと同じマヌカを「土産だ」と持って行ってやったら喜ぶだろう。大喜びで何度も瓶を眺めて、お揃いだと笑顔になるだろう。
 明日はブルーの家を訪ねる土曜日だから、丁度いい。
(うん、此処はセットで買うべきだってな)
 同じのを二つ、と籠にマヌカの蜂蜜の瓶を突っ込んだ。
 何種類かのマヌカが置いてあるけれど、味は大体分かっているから、ブルー好みの甘いものを。
 レジに運んでゆけば、「セール中ですから」と割り引いてくれた。二つでかなりお得な値段。
 家に帰って、念のためにと片方を開けて味見してみて。



(よし!)
 薬っぽくはないな、と大きく頷いた。
 マヌカには癖のあるものも多くて、小さなブルーは一番最初にそれに当たった。薬っぽい味に。
 シロエ風のホットミルクを飲めば身体が温まるからと、右手が凍えるメギドの悪夢を避けられるからと勧めてやったら、母に「作って」と頼んだブルー。
 シナモン入りでマヌカ多めのセキ・レイ・シロエ風を頼んだブルー。恐らく勇んでシロエ風のを飲んだのだろうに、生憎と母が買ったマヌカが薬っぽい味だったものだから。
 「薬っぽい味だよ!」と聞かされた苦情。マヌカのせいだと、お母さんに試食して選んで貰えと言ってやったら、それから後には何も文句を言わなくなった。
(薬っぽいのは駄目なんだ、あいつ)
 あくまで甘いマヌカでなければ、小さなブルーのお気には召さない。その点、今日のは及第点。これなら自信を持って贈れる、「土産だぞ」と。
 明日はブルーにプレゼントだ。自分の家のとお揃いのマヌカを。



 翌日の土曜日、開けていない方のマヌカの瓶を小さな紙袋に入れて提げて出掛けて。
 ブルーの部屋に案内されて、お茶とお菓子が出て来た後に袋から出してテーブルに置いた。
「ほら、土産だ」
 小さなブルーはガラスの瓶に貼られたラベルを観察しながら。
「…マヌカ?」
「ああ。シロエ風のホットミルクには欠かせないしな」
 飲んでるんだろ、少し冷える夜は。ホットミルクは温まるからな。
「うん、でも…。なんでくれるの?」
 マヌカなんか一度も貰っていないよ、ハーレイからは。もっと普通の蜂蜜だって。
「割引だったからな。二つ買ったらお得だと書いてあったんだ。セールってヤツだ」
 たまにはお揃いもいいだろう、とウインクしてやった。
 お前はお揃いが大好きだからと、このマヌカは俺とお揃いだと。



「ありがとう!」
 案の定、感激しているブルー。マヌカの瓶に頬ずりしかねないほどに。
 予想通りの反応とはいえ、この調子だと自分の母に「今度からマヌカはこれにしてね」と、指定しそうな勢いだから。プレゼントしたのと同じものを買おうとしそうだから。
「おいおい、次からマヌカは必ずコレにしようとか思うなよ?」
 俺の定番ってわけじゃないんだ、買う度に色々変えてるからな。その中の一つというわけだ。
 お前がコレだと決めて買っても、俺は違うのを食っているかもしれないからな。
「そうなの?」
 いつも決まったヤツじゃないんだ、ハーレイのマヌカ…。
「うむ。何種類かを渡り歩いているってトコだな、今度はコレだ、と」
 今回はお前の舌に合わせて甘いのを選んだ。薬っぽいのは嫌なんだろ、お前?
 俺はああいうのも嫌いじゃないが、と話してやったら。
「えーっと…。渡り歩くって、同じマヌカの蜂蜜だけで?」
 他の蜂蜜も色々あるのに、マヌカを渡り歩いているの?
「まあな。前にはそこまでしていなかったが…」
 何も考えずに買ってたんだが、シロエ風だってことになるとな。
 シロエが好きだったマヌカってヤツはどれだろうか、と想像したくもなるってもんだ。シロエを追うなら一つに決めてしまうよりもだ、色々な味を試さないとな?
 薬っぽいのから甘いヤツまで、その時の気分で色々と買えば、どれかがシロエと重なりそうだ。



 シナモンミルクをマヌカ多めで。それがシロエが好んだミルク。
 前のブルーはシロエの声を聞いたというから、最期の思念をどうやら捉えていたらしいから。
 ハーレイにとってもシロエは少し特別な存在になった。彼に近付きたくなった。
 だからこれだと決めていないマヌカ、シロエが好んだ味はこれだと分からないマヌカ。なにしろ味わいが違いすぎるから、どれとも決められないマヌカ。
 小さなブルーは貰ったマヌカの瓶を見詰めて、不思議そうに蓋をチョンとつついた。
「マヌカの蜂蜜…。どれもマヌカなのに、どうして味が違うんだろうね?」
 薬っぽかったり、甘かったり。…全部が薬っぽい味とかだったら分かるんだけど…。
「木が育った土地によるんだろうな。土の性質とか、気候だとか」
 元々が癖のある花の蜜なだけに、うんと違いが出るんだろう。同じマヌカの花でもな。
「ふうん…? 花の蜜の味が変わるんだ?」
「マヌカは味の差が大きいんだろうな、他の花の蜂蜜と違ってな」
 蜂蜜にも色々種類があるだろ、アカシアだとかレンゲだとか。花の種類で風味が違うし、好みの蜂蜜を選ぶわけだが…。マヌカはそいつを一種類の中でやってるわけだな、いろんな味で。



「そっか…。色々な種類の花の蜂蜜、あるものね」
 味だけじゃなくて色まで違うよ、透明だったり、白っぽかったり…。うんと濃い色のも。お店にズラリと並んでるのを見たら、まるでジュースの瓶みたいだよ。同じ蜂蜜でも種類が色々。
「そうだな、今度は選び放題になったってな」
「えっ?」
 何が、とブルーがキョトンとするから「蜂蜜だ」と答えてやった。今度は好きに選べると。
「シャングリラじゃ選べなかっただろうが。蜂蜜と言ったら、単に蜂蜜だ」
 いろんな花の蜜を集めたヤツでだ、一種類には絞れなかったろう?
 あの花の蜂蜜を食ってみたい、と思い付いても、出来たのはせいぜい味見くらいか…。蜜の量がそんなに無かったからなあ、シャングリラ中の仲間が好きに選べるほどにはな。
 ついでにマヌカは影も形も無かったぞ。シャングリラの何処を探してもな。
「そうだっけね…」
 蜂蜜はあっても、クローバーの蜂蜜だけとか、そんな風には出来なかったね。
 あの船の中で咲いていた花、全部の蜜を集めて混ぜるのだけが精一杯で。



 シロエ風のホットミルクを作りたくても、マヌカが無かったシャングリラ。
 もしもマヌカの木があったとしても、その蜜だけで蜂蜜を作れはしなかった。シャングリラ中の仲間に行き渡るだけの量の蜜が採れはしないから。マヌカの蜜だけでは足りないから。
 花の種類の数だけの蜂蜜が作れることなど、けして無かったシャングリラ。
 人類は贅沢に暮らしていたのに。
 教育ステーションの生徒に過ぎないシロエでさえもが、マヌカを注文出来たのに。
 ステーションの中で蜂蜜は作っていなかったろうに。
 シロエが好んだマヌカの蜂蜜は、宇宙船で何処からか運ばれて来ていたものだったろうに。
 ただの生徒が好みの蜂蜜を選んで食べられた教育ステーション。
 自給自足でやっていたのに、蜂蜜の種類を選べなかったシャングリラ。
 その差はかなり大きいな、とハーレイが記憶の彼方の白い船へと思いを馳せていたら…。



「そういえば、シャングリラのミツバチ…」
 小さなブルーが白い船の名前を口にしたから。
「ん?」
 シャングリラのミツバチがどうかしたのか、お前も蜂蜜、気になるのか?
「えーっと…。蜂蜜の方もそうなんだけど…。それを集めていたミツバチだよ」
 今でもいるのかな、あのミツバチ。…前のぼくたちが飼ってたミツバチ。
「ああ、あれな…!」
 特別なミツバチだったっけな、と頷いた。
 普通のミツバチとは違っていたと、見た目には同じだったけれども、と。
「思い出した、ハーレイ?」
 あのミツバチって、その辺を飛んでいるのかな?
 今でも何処かで飛んでいるかな、花の蜜を集めに、何処かでせっせと。



「いや、あれは…。あいつらは地球にはいないだろうなあ…」
 恐らく、いない。今の地球は遠い昔とそっくり同じに戻されちまったらしいしな。
 ヤツらには向いていないのさ。昔の姿を取り戻した地球は。
「…やっぱり?」
 探したって飛んでいないんだ…。前のぼくたちがお世話になったミツバチ。
「もしかしたら、研究施設に行ったら飼っているかもしれないが」
「そういうものなの?」
 ナキネズミみたいに絶滅しちゃったっていうわけじゃないのかな、あのミツバチは。
「今だってテラフォーミングの技術ってヤツはあるんだからな」
 人間が住める星になるよう、改造する技術は今の時代も現役なんだ。そうなってくると、あれも必要になるだろう。ナキネズミと違って役に立つんだ、あのミツバチは。
 更に改良が進んだかもしれんが、何処かにはいるさ。地球じゃなくても、何処かの星にな。
「そうかもね…」
 植物を植えて育てるんなら、ミツバチ、必要になるものね。
 最初からうんと広い範囲を緑化できない環境だったら、あのミツバチの出番だよね…。



 シャングリラで自給自足の生活をしようと皆で取り組み始めた頃。
 花粉を運ぶ虫が必要だから、とミツバチを導入しようとした。
 けれど…。
「例のミツバチなんだがね」
 長老たちが集まる会議の席でヒルマンが髭を引っ張った。
「何か問題があるのかい?」
 ブルーの問いに、ブラウがヒラヒラと手を振りながら。
「普通のミツバチだと駄目なんだってさ、この船ではね」
「どういう意味だい?」
 重ねて投げ掛けられた質問。答えを返したのはエラだった。
「空間が限られ過ぎているのです、ソルジャー」
 シャングリラの中だけでは難しいでしょう、という説明。
 ミツバチを育ててゆくために必要な沢山の花。農場ならばともかく、これから作る予定の公園。そういった場所にはミツバチは適応できない、と。



「要するに、空間が狭すぎるのだよ」
 沢山のミツバチが生活出来るだけのスペースが無い、というヒルマンの指摘。彼らを養うための花の蜜にしても、公園などでは充分に確保できないと。
「それなら、ミツバチの数を減らせば…」
 花の数やスペースに見合った数のミツバチを飼えば、とブルーが言ったが、ヒルマンは首を横に振った。それではミツバチの社会が成り立たないと。僅かな数では巣も作らないし、次の世代さえ生まれないのだと。
「ミツバチってヤツはそうらしいよ」
 厄介だよねえ、と腕組みしたブラウ。何の蜂でもかまわないなら、狭いスペースでも飼育は可能らしいけれども、そうなると肝心の蜂蜜がそれほど採れないらしい。ミツバチは名前の通りに蜜を集めてくれるというのに、他の蜂では蜜は二の次、三の次。
「困ったもんじゃ。同じ飼うなら、蜂蜜は是非とも欲しいんじゃがのう…」
 蜂を飼うならミツバチじゃろう、とゼルもしきりと言うのだけれど。
 そのミツバチは沢山の蜂で構成された巣を作る性質を持っていた。女王蜂を頂点に暮らす彼らが巣を分ける時は、山ほどの蜂が群れを成してついてゆくらしい。
 このくらいだそうだよ、とヒルマンが両手で示した巣分かれの折のミツバチの塊、それは小さな鍋ほどもあって。どのくらいのミツバチが詰まっているのか、百や二百では済まないだろう。
 彼らを小さな公園に放しても、直ぐに飢えるに決まっている。蜜が足りなくて。



「…では、公園でミツバチを飼うのは諦めろと?」
 他の蜂にするしかないのだろうか、と尋ねたブルーに、ヒルマンは「いや」と答えを返した。
「解決策は一応、あるのだがね。…人類もこうした問題に直面したらしくてね」
 そういったミツバチを作り出したらしい、という解説。
 テラフォーミング用に開発された特殊なミツバチ。広大なスペースや充分な蜜が無い惑星でも、生きてゆけるように改良されている品種。
 普通のミツバチよりも狭い範囲で巣作りをするし、巣を構成するミツバチの数も遥かに少ない。小さな公園の中であっても、充分に活動できるという。
「そのミツバチは何処に行けば手に入るんだい?」
 居場所が分かるなら、ぼくが行って奪ってくることにするよ。この船に必要なものなんだから。
 見当を付けてくれるかい、と申し出たブルー。ぼくが行こう、と。
「そういった研究をしている所か、テラフォーミング中の惑星になるね」
 ヒルマンが挙げれば、エラが「研究所の方が確実でしょう」と補足した。
「女王蜂から蜜を集める働きバチまで、ミツバチの社会が丸ごと必要ですから。同じ巣箱を奪いにゆくなら、一ヶ所で纏めて飼育している研究所のケースから奪った方が…」
「そうじゃな、混じり気なしで手に入りそうな場所も研究所じゃろう」
 他の虫だの、菌だのを持ち込まずに済むのは研究所で飼育しているものじゃろう、というゼルの言葉は確かに正しかったから。
 シャングリラの中に余分な虫や雑菌などは持ち込まないのが一番だから。
 研究所を狙おうということになった。テラフォーミングを手掛けるための研究所を。



 目標の惑星を絞り込み、人類に発見されない場所にシャングリラを停船させておいて。
「行ってくるよ」
 直ぐに戻る、と宇宙空間へと飛び立ったブルー。
 首尾よく研究所の中に入り込み、幾つも並んだケースの中からミツバチの巣箱を奪って戻った。今ある農場をカバーできる数だけのミツバチの巣箱を。
 その日からミツバチは働き始めて、後はヒルマンが必要に応じて増やしていった。
 改造が済んで白い鯨が出来上がってからは、あちこちの公園に巣箱が置かれた。広さに応じて、花の数に応じてミツバチの巣箱を一個、二個と。
 ミツバチは休まず働いていたから、いつでも蜜が集まった。
 農場でなくても、居住区に鏤められた小さな憩いの場からも、漏らさずに蜜を。花をつける木や草花があれば、シャングリラ中から集めることが出来た蜂蜜。
 巣箱を開けて取り出しさえすれば、トロリとした蜂蜜が手に入った。



「でも、あの蜂蜜…」
 種類は一つだけだったんだよね、とブルーが呟く。花は沢山あったけれども蜂蜜は一つ、と。
「ブレンドしちまっていたからなあ…」
 選ぶ自由も何もなくって、全部ひっくるめて蜂蜜だった。この花のがいい、と味見をしたって、皆に行き渡りはしないんだ。混ぜて使うしかなかったってな、シャングリラじゃな。
「うん…。今はホントにいろんな蜂蜜があるのにね」
 シャングリラにあったミツバチの巣箱も、中身は色々あったのに…。
 公園の巣箱と農場の巣箱でも違っただろうし、公園のだって、公園ごとに違っていたかも…。
 だけど混ぜたら全部おんなじ、ただの蜂蜜になっちゃってたよね。
 いつ見ても普通の金色をしてて、濃さだってまるで変わらなくって…。
 ブレンドする前に味見して回れば楽しかったのかな、あの蜂蜜。巣箱を端から開けてみて味見。
「馬鹿、刺されちまうぞ、そんなことをしたら」
「前のぼくだよ、シールドがあるよ」
 ちょっぴり開けてみればよかった、ミツバチの巣箱。
 どんな蜂蜜が入っているのか、味見しとけば良かったかも…。



 ちょっと残念、と惜しそうなブルー。好奇心いっぱいの小さなブルー。
 ソルジャー・ブルーは開けなかったけれど、小さなブルーなら巣箱を開けたがるだろう。中身を見たいと、此処のミツバチが集めた蜂蜜を味見してみたいと。
(確かに、巣箱の置いてある場所で味は違っていたんだろうが…)
 前の自分も味見して回りはしなかった。
 キャプテンだったけれど、巣箱のある場所を確認したりはしたけれど。
 蜂蜜の出来はどんな具合かと、順調に採取出来ているかとデータのチェックはしていたけれど。
 今から思えば、惜しいことをした気がしないでもない。
 白いシャングリラのあちこちに置かれたミツバチの巣箱が時の彼方に消えた今では。青い地球の上に生まれ変わって、セールの蜂蜜を選べる今では。
(どんな蜂蜜があったんだかなあ…)
 公園の花たちを思い浮かべる。
 季節によって、公園によって違っていた花、様々な花たち。
 農場で咲く花も色々だった。畑と牧場ではまるで違うし、ミツバチが集めて回っていた蜜も全く違ったのだろう、巣箱によって。それが置かれた場所によって。
 けれども、大勢が暮らす船だから。何種類もの蜂蜜を揃えて楽しむ余裕は無かったから。
 一種類の花のものだけを集めた蜂蜜は一度も作れなかった。
 常にブレンド、農場やあちこちの公園のものを。
 色も味わいもまるで変わり映えのしない、金色の蜂蜜が出来ていただけ…。



「ねえ、ハーレイ。シャングリラの蜂蜜、一種類しか無かったから…」
 混ぜちゃった分しか無かったから、とブルーがマヌカの瓶を指先でそっと撫でてみて。
 蜂蜜の色をガラス瓶越しに覗き込みながら、ラベルに刷られたマヌカの花の写真を見ながら。
「シャングリラにマヌカを植えていたって無駄だったろうね」
 こういう蜂蜜、採れないんだよね。シロエは教育ステーションでも食べていたのに…。
 ぼくたちの船じゃ無理だったんだね、他の花の蜂蜜と混ざってしまって。
「まあな。…しかしだ、それ以前にマヌカは役に立たんぞ」
 公園に植えるというなら別だが、農場に植えて栽培するにはマヌカは不向きな植物だしな。
 栽培自体は難しくないが、マヌカそのものが観賞用の花だと言うか…。
「え? でも、蜂蜜…」
 マヌカの蜂蜜、風邪の予防に効くんじゃないの?
 風邪を引いた時にも殺菌作用があるから効く、って、ハーレイ、言っていたじゃない。
「そういう程度の植物だってな、蜜には殺菌作用があるが…」
 薬としても使えるんだが、その他の部分。あまり役には立たないんだよなあ、宇宙船の中では。
 葉はハーブティーになるが、ただそれだけだ。
 この写真みたいな花は咲いても、実は食べられない。公園向きの植物ってわけだ、マヌカはな。



「それじゃ、シャングリラにマヌカを植えてみたって…」
 他の蜂蜜と混ざってしまって無駄って言う前に、マヌカが役に立たないんだ?
 公園に植えて、花が咲いたら「綺麗だなあ」って見に行くだけで。
「そうなるな。いくら蜂蜜に効果があっても、ブレンドしちまえば意味が無いしな…」
 病人用に、って別に取っておけるほどの量の蜂蜜が採れるなら別だが。
「他の花に比べて、うんと沢山の蜜が採れるわけでもないんだね?」
 マヌカを植えてある所の巣箱だけ、蜂蜜の量が多めになるっていう花でもないんだ?
「そのようだ。蜜の量が多いという話は知らないからな」
 沢山採れると有名だったら、そのように書いてあるだろう。俺はそういうデータは知らん。
「ハーレイ、マヌカに詳しいね」
「シロエ風のホットミルクをお前に勧めた以上はな」
 マヌカが何かも知らないようでは、全く話にならないだろうが。
 どういう花から採れる蜂蜜かは、きちんと押さえておくべきだってな。



 マヌカの蜂蜜だけは以前から知ってはいたが、とハーレイは笑う。
 たまに両親が買っていたから、と。
「ハーレイのお父さんたちって…。風邪の予防に?」
 風邪の季節になったらマヌカの蜂蜜を買うの?
「そんなトコだな、シロエ風にはしちゃいないがな」
 ついでに言うなら、俺の家では風邪の予防には主に金柑だしなあ…。
 マヌカを買っても薬代わりに使うよりかは、ただの蜂蜜と同じだな、うん。トーストに塗ったりして食っちまう、と。
「金柑…。あの甘煮のこと?」
 ハーレイがくれた、金柑の甘煮。お父さんたち、マヌカよりも金柑だったんだ…。
「当然だろうが。家の庭で採れるし、おふくろが山ほど煮るんだし…」
 そっちの方が馴染みの味ってな。ヒョイとつまんで風邪の予防だ、あの金柑を。
 お前、おふくろの金柑、ちゃんと食ってるか?
「うん、一応…」
 風邪を引きそう、って感じがした日は食べてるよ。ハーレイにも叱られちゃったから…。
「要するに、あまり食ってはいないな?」
 マズイと思った時だけしか食っていないんだな、お前?
「だって、金柑、もったいないし…」
 食べたら減っちゃうよ、金柑の甘煮。ぼく専用だよ、って言ってあるけど…。
「馬鹿。いくらでもあると言ってるだろうが」
 金柑の季節の終わり頃には余っちまって菓子にするほど作るんだ、あれは。
 お前が食うなら、いくらでも貰って来てやるから。



 風邪を引く前にしっかり食っとけ、とブルーの頭を軽く小突いた。
 引いてからでは手遅れだろうが、と。
「いいな、きちんと食うんだぞ?」
 風邪の予防には金柑だ。マヌカも悪くはないんだがなあ、金柑もよく効くからな。
「でも、引いちゃったら…。喉が痛くなる風邪だったら…」
 あの甘いのをまた食べられるから、とチラチラと見ている小さなブルー。
 前に喉風邪を引いてしまった時に持って来てやった、透明になるまで煮詰めた金柑。金色の飴のような柔らかい金柑をブルーは狙っているようだから。
 あわよくばあれをもう一度、と企んでいるらしい気配がするから。
「…分かった、おふくろが煮詰めた金柑だな? お前はあれを食ってみたい、と」
 そういうことなら、たまに食わせてやる。
 喉風邪なんかは引いてなくても、俺が来た時の土産にな。
「ホント?」
 お土産にくれるの、あの金柑を?
 ハーレイのお母さんが煮詰めた金柑、ぼくに食べさせてくれるんだ…?
「ああ。俺もケチではないからな」
 今日だって土産を持って来ただろ、頼まれてもいないマヌカをな。
 お前がお揃い、喜びそうだと買って来たんだ、金柑くらいはお安い御用だ。
 だから、喉風邪を引いちまう前に食っておくんだぞ、金柑の甘煮。
「うんっ!」
 金柑も食べるし、マヌカもホットミルクに入れるよ。
 風邪の予防にちゃんと使うよ、ハーレイが買って来てくれたマヌカだもの。



 ハーレイとお揃い、とブルーがマヌカの瓶を幸せそうに眺めているから。
 それは嬉しそうに顔を綻ばせて蜂蜜の瓶を見詰めているから、ハーレイの胸まで温かくなる。
(やっぱりお揃いが好きなんだな、こいつ)
 小さなブルーが大好きなお揃い、持ち物でなくても喜ぶお揃い。
 またいつか買ってやりたいと思う。
 二つでお得なフェアがあったら、ブルーの分と自分の分とで二つ。
 そうして一つをブルーの所に持って来てやろう、「お揃いのものが好きだったよな」と。
 マヌカでなくても、蜂蜜でなくても、こういう風に食べて無くなってしまうもの。
 お揃いの持ち物を買ってやるには早すぎるから。
 いくら恋人でも、小さなブルーは十四歳にしかならない子供だから。



 お揃いの持ち物を幾つも持てない代わりに、食べれば消えてしまうもの。
 そういうお揃いを作ってやろうと、買って来てやろうと思ってしまう。
 ハーレイとお揃いのマヌカを貰った、と幸せ一杯のブルーの心が弾んでいるから。
 お揃いなのだと喜びに跳ねているから、ブルーが喜ぶお揃いの食べ物を、機会があれば。
(もう牛乳はお揃いだっけな)
 四つ葉のクローバーのマークの牛乳、ブルーの家にも自分の家にも届く牛乳。
 その牛乳にお揃いのマヌカを入れたら、お揃いのホットミルクが出来る。
 シナモンを振って、セキ・レイ・シロエ風のお揃いのホットミルクの出来上がり。
(うん、ホットミルクまでがお揃いなんだ)
 小さなブルーも、その内に気付くことだろう。お揃いなのだ、と。
 気付いた時には大喜びで飛び跳ねそうなブルーだから。
 お揃いの味だと、シロエ風のホットミルクがお揃いになったと、幸せに浸りそうだから。
 また買ってやろう、お揃いが好きな小さなブルーに。
 食べて美味しいお揃いのものを。
 お揃いの持ち物を幾つも持てない間は、幾つも、幾つも、食べたら消えるお揃いのものを…。




              お揃いの蜂蜜・了

※ブルーがハーレイに教えて貰った、シロエ風のホットミルクと、マヌカの蜂蜜。
 今度はお揃いの蜂蜜を貰えたようです。シャングリラでは無理だった、マヌカの蜂蜜を…。
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(此処は…)
 ハーレイは周りを見回した。
 暗くガランとした、深い海の底を思わせる青い空間。明かりは点いているけれど、暗い。全体を明るく照らし出しはしない。
 全容が全く掴めない場所。天井は何処か、壁は何処なのか。何処かに確かに在る筈だけれど。
 それは青の間。ブルーの、ソルジャー・ブルーの私室。その入口。
 其処に自分が立っていた。たった一人で。



(何故、此処に…)
 青の間はもう、無くなったのではなかったか。白いシャングリラと共に。
 最後のソルジャーだったトォニィが解体を決めて、消えてしまったのではなかったか。
 それなのに何故、と訝りつつ。
 ふと見れば、足元に白い花びら。何の花かは分からないけれど、白い花びらが一枚、はらりと。
(花びら…?)
 青の間に花はあったろうか、と視線を上げて初めて気付いた。
 入口から奥へと緩やかに昇るスロープの両脇、埋め尽くすように白い花々。これといった種類があるわけではなくて、それはとりどりに様々な花たち。
 八重の花やら一重の花やら、大輪の花から小さな花まで。どれもが白い。白い花たち。
 まるでシャングリラ中の白い花たちを全て集めて来たかのように。
 白い鯨のあちこちに鏤められた幾つもの公園、其処に咲く花を端から摘んで来たかのように。
 白ければいいと、種類も何も問いはしないと、白い花を全て。
 咲き初めのものから満開のものまで、あれもこれもとかき集めたように。



(白い花…?)
 それ以外の色は一つも無い。青も、紫も、桃色の花も。
 ブルーは白い花が好きだったろうか、これほどに白ばかりを飾らせるほどに…?
(これでは、まるで…)
 結婚式か何かのようだ、と首を傾げた途端に思い当たった。
 葬儀なのだ、と。
 白は白でも婚礼のための白い花たちではなくて、弔いの花。送るための花。
 ソルジャー・ブルーを。
 今は亡き人の魂を送り出すために、青の間に飾られた白い花たち。
 スロープの両脇を埋めて、それが行き着く所まで。一番上にあるブルーのためのスペースまで。
 円形をしている其処の周りにも無数の白い花たちが見えた。遠すぎて形は掴めないけれど、取り巻くように飾られた白い花たち。ブルーの死を悼んで捧げられた白。白い花々。



(あそこに…)
 海の底を思わせる青の間の中、其処だけ淡い光を纏ったブルーのベッド。
 ソルジャー・ブルーが寝起きしていた天蓋つきのベッド。
 何度となく其処で夜を過ごした。ブルーを抱き締め、共に眠った。
 誰も気付きはしなかったけれど。ベッドの持ち主に恋人がいたことも、そのベッドで恋人と愛を交わしていたことも。
(…ブルー…)
 誰よりも愛したソルジャー・ブルー。気高く美しかった恋人。
 その恋人があそこに、あそこのベッドに、一人、眠っているのだろう。
 永遠の眠りに就いたブルーが。鼓動を止めてしまったブルーが。
 白い花に埋もれて、たった一人で。
 生前と同じにソルジャーの衣装とマントを身に着け、ただ一人きりで。
 この部屋には誰もいないから。
 葬儀の準備は全て整っているようだけども、ブルーの亡骸を見守る者さえいないようだから。
 誰もが忙しくしているものなのか、はたまた夜更けで皆は寝静まっているものなのか。



「ブルー…!」
 誰一人いないのは、あんまりだから。
 ブルーの魂も寂しがるから、側に居てやろうとベッドに向かって声を張り上げた。
 俺が来たからと、直ぐに其処まで行ってやるからと。
 駆け出そうとした時、脇をスルリと通り抜けた影。
 いつの間に誰が入って来たのか、と思えば、それは小さなブルーで。
 十四歳のブルー。少年の姿をしているブルー。
 ハーレイの方を振り返るでもなく、声を掛けていったわけでもなくて。
 小さなブルーはスイと通り過ぎて行った、ハーレイなど見えていないかのように。



(なんで、あいつが…)
 あのブルーが此処に居るのだろうか、と首を捻る間に、ブルーはスロープを登ってゆく。
 細っこい身体で、細っこい足で。
 白い花々に飾られた道を、上へと、ベッドの在る方へと。
 ぼうっと浮かび上がる天蓋つきのベッド。ソルジャー・ブルーの亡骸が眠っているベッド。白い花たちに取り巻かれて。弔いの花たちの中に埋もれて。
 もしも其処へと着いてしまったら…。
(死んでしまう…!)
 小さなブルーも。
 生きている小さなブルーの命も無くなってしまう。
 自分の亡骸に引き摺り込まれて。死の淵の底へ引き込まれて。
 けれどブルーは分かってはいない。きっと全く気付いてはいない。
 このスロープを登り切ったら何があるのか、自分の身に何が起こるのかも。
(此処はあいつの部屋でもあるんだ…!)
 小さなブルーに生まれ変わる前は、此処で暮らしていたのだから。
 ただ懐かしさだけで、前の自分の部屋だというだけで上を目指しているのだろう。かつて何度も歩いた道を。前の自分が慣れ親しんでいたスロープを、上へ。
 その先に何が待つかも知らずに、白い花たちが意味するものも知らずに。



「行くな、ブルー!」
 駄目だ、と叫んだ声は届かず、ブルーは振り向きさえしない。
 止めようと駆け出した足がツルリと滑った。踏み出した分だけ、後ろに戻った。
 まるで氷のようなスロープ。滑って前へと進めないスロープ。
 いや、本当に凍り付いていた。
 スロープの脇に見える水槽の水面は凍っていないのに。部屋の空気も凍てていないのに。
 それなのに凍り、鈍い光を放つスロープ。
 緩やかな弧を描くスロープだけが氷の坂となっていた。登ろうとする者の足を拒絶する氷。前へ進もうと踏み出す分だけ、後戻りさせる氷の道に。



(くそっ…!)
 登ろうとしては逆に滑って、ただの一歩も進めはしなくて。
 ふと足を見れば、いつの間にか履いていたキャプテンだった頃の自分の靴。制服までをも纏っていた。前の自分が着た制服を。
 この忌々しい靴が悪いのだ、と脱ぎ捨てようとしたけれど。
 靴さえ脱いだら滑らないだろうと、足から抜こうとしたのだけれど。
(脱げない…?)
 足から離れてくれない靴。手で掴んでみても脱げない靴。
 その間にもブルーは登ってゆく。小さなブルーは歩いてゆく。
 死への階段を、氷のスロープを、滑りもせずに。
 ハーレイに背を向け、細っこい足で、小さな歩幅で。



「ブルー! 行っては駄目だ!」
 止まれ、と声の限りに叫んだけれども、小さなブルーには届かない。
 それにブルーは気付いてもいない。
 懸命に止めている声があることも、何故その声が止めるのかも。
 懐かしさからか、好奇心からか、立ち止まりもせずに登ってゆくブルー。
 スロープの上に着いてしまったら、自分の亡骸があるというのに。近付いたら最後、自分の命もそれに飲み込まれてしまうというのに。
(止めなければ…!)
 何としても、と花を千切ってスロープに撒いた。
 白い弔いの花たちを毟り、自分の行く手に撒き散らした。
 氷の坂で靴が滑るというなら、こうすればマシになるだろう。滑り止めに花を散らしたら。
 弔いの飾りは台無しになってしまうけれども、今はそれどころではないのだから。



「止まるんだ、ブルー!」
 花を千切っては散らして、踏んで。
 前に進めるようにはなった。花は無残な姿になってゆくけれど、登れるようになったスロープ。
 そうして懸命に追ってゆくのに、縮まらない距離。
 止まってくれない小さなブルー。どんどん登ってゆくブルー。
 前の自分が暮らした場所へと、今は葬儀のために白い花で飾られたスペースへと。
「ブルー…!」
 絶叫しながら花を千切り、撒いて。
 滑り止めにと踏みしめ続けて、やっとの思いで登り切って。
「…ハーレイ?」
 どうかしたの、と小さなブルーが振り返ったけれど。
 天蓋つきのベッドの側まで近付いていた足を止めてくれたけれど。
 その身体が揺らめき、消えてしまった。瞬きする暇さえも与えずに消えた。
 赤い瞳の残像を残して、一瞬の間に。
 小さなブルーは声も上げずに吸い込まれて消えた。
 ベッドに眠った亡骸の中に。前の自分の、呼吸も鼓動も止めてしまった器の中に。



「ブルー…!」
 慌てて駆け寄り、ベッドの亡骸を抱え起こした。
 ソルジャーの衣装を着けた身体を、冷たくなってしまった身体を。
 ベッドの上には一面の花。ソルジャー・ブルーを送るための花。どれも白くて、ただ一面に。
 その花たちが折れて潰れてゆくのもかまわず、懸命にブルーを揺さぶったけれど。
 傍目には眠っているとしか見えない、美しい亡骸を揺すったけれど。
 開かない瞼、閉じたままの睫毛。
 赤い瞳は開いてくれない。小さなブルーを吸い込んだままで、飲み込んだままで。
 もう永遠に目覚めないブルー。
 後は死の国へと旅立つだけのブルーの魂。
 小さなブルーも中に居るのに、その魂も一緒に溶けているというのに。
 揺すっても、揺すっても起きないブルー。目覚めてはくれない、永遠の眠り。
 白い花の中で。
 ベッドを埋め尽くす白い花たちの中で、ブルーは二度と目覚めはしない。死んでしまったから。
 こんなに安らかな顔だけれども、傷の一つも無いのだけれど。
 その肉体は滅びてしまって、息も鼓動も戻ってはこない。小さなブルーを閉じ込めたままで。



(失くしちまった…)
 前と同じに失くしてしまった。小さなブルーを、戻って来てくれた小さなブルーを。
 ようやく取り戻した筈のブルーを、目の前で連れてゆかれてしまった。
 自分が間に合わなかったから。
 もっと早くに追い付いていれば、小さなブルーを止めていたなら、間に合ったのに。
(俺はまた失敗しちまったんだ…)
 まただ、とブルーの亡骸を抱き締めて泣いた。
 前も、今度も追い切れずに失くした。ブルーを捕まえられずに失くした。
 同じだ、と泣いて、泣き崩れて。
 目覚めてくれない亡骸を抱いて、冷たい身体を腕に抱いて泣いて…。



(…朝?)
 泣き濡れた目を開けば、朝で。
 まだ部屋の中は薄暗いけれど、耳に届いた鳥の声。白いシャングリラにはいなかった小鳥。
 青の間はもう何処にも無かった。
 腕に重さが残る気がする、冷たくなってしまったブルーの亡骸も。
(…夢か…)
 夢だったのか、と身体を起こして頭を振った。
 ゾクリと走った恐怖と悪寒。氷のスロープの冷たさが背中に貼り付いたように。
 酷い悪夢だった。そうとしか言えない、恐ろしかった夢。恐ろしすぎる夢。
 けれども、ソルジャー・ブルーの葬儀。
 出来なかった葬儀。
 白いシャングリラではしてやれなかった、出来ずに終わったブルーの葬儀。



(ああしてやるつもりだったんだ…)
 シャングリラ中の白い花を集めて、青の間に飾って、ベッドに眠るブルーの周りにも。
 ブルーを悼む仲間たちの心を白い花に託して、その中にブルーを眠らせてやって。
(最後の一輪は俺が置くんだ…)
 キャプテンがそれを眠るブルーの胸に置いても、顔の側にそっと置いてやっても。
 誰も咎めはしなかったろう。
 ブルーの右腕であったキャプテンなのだし、それを置くのが相応しい、と。
 別れの口付けは出来ないけれども、代わりに花を。
 最愛の恋人の死出の旅路に添えてやる花を、心をこめて。「愛している」と心の中で呟いて。
 そうしてブルーを送り出してやって、全てが終わってしまったならば。
 葬儀を終えたら、後を追って死ぬ。隠し持っていた薬を使って、ブルーの後を追ってゆく。
 何処までも共にと誓っていたから。一緒にゆくと誓いを立てていたから。
(…なのに、叶わなかったんだ…)
 その思いが夢を招いただろうか、前の自分の悲しい記憶が。
 ブルーの後を追ってゆくどころか、葬儀すら出来ずに終わった記憶が。



(だがなあ…)
 してやりたかった葬儀はともかく、小さなブルーを奪われた。
 目の前で奪われ、失くしてしまった。
 亡骸になった前のブルーに奪い取られて、連れてゆかれて。
 小さなブルーは自分に気付いてくれたのに。
 「ハーレイ?」と振り向き、「どうかしたの」と愛らしい声を掛けてくれたのに。
 抱き締める前に消えてしまった、前のブルーに吸い込まれて。亡骸の中に取り込まれて。
 揺すっても目覚めなかった亡骸。戻っては来なかった小さなブルー。
 ただ泣き続けて、泣き崩れていただけの悲しすぎた夢。小さなブルーを失くした夢。



(たとえ前のあいつが望んだとしても…)
 ブルーは一人しかいないのだから、そんなことなど起こり得ないと頭では分かっているけれど。
 あんな悪夢を見てしまった後は、二人いるような気さえしてしまう。前のブルーと、今の小さなブルーの二人が。
 もしもメギドで死んでしまった前のブルーが欲しがったとしても、小さなブルーは渡せない。
 ブルーの望みは何でも叶えてやりたいけれども、これだけは決して譲れはしない。
 小さなブルーを渡しはしないし、共に連れては行かせない。
 前のブルーがどんなに望んで、欲しいと願って訴えたとしても。
(俺ごと連れて行こうって言うなら、いいんだがな…)
 ブルーの亡骸に、死んだ魂に引き摺られるままに死んでゆくのもいいだろう。
 小さなブルーごと連れてゆかれるのならば、そういう最期も悪くはない。
 ブルーを失くして一人残るより、共に逝く方がずっといい。
 前の自分は独り残されて、白いシャングリラで地球へまで行った。前のブルーが望んだから。
 けれども今の小さなブルーは残れと言いはしないだろう。自分が一緒に逝くと言ったら、止める代わりに手を繋ぐだろう。
 行こうと、何処までも一緒に行こうと。



(そういえば、あいつ…)
 生まれ変わって来た、小さなブルー。青い地球の上で出会ったブルー。
 今度は一緒に、と何度も聞いた。何処までも一緒だと、けして離れはしないのだと。
 小さなブルーに頼まれてもいる。
 「ハーレイの寿命が先だと言うなら、ぼくも一緒に連れて行って」と。
 一人残されて生きるのは嫌だと、自分の命が短くなっても一緒に行きたいと頼み込まれた。
 そうするために心の一部を結んで欲しいと、鼓動が同時に止まるように、と。
 まだ結んではいないけれども、いつか結婚したならば。
 ブルーの想いが変わっていなければ、サイオンで心を結ぼうと決めた。共に逝けるように。
(それなのに置いて行かれちまった…)
 とびきりの悪夢、ブルーを失くしてしまう夢。
 前のブルーに小さなブルーを連れて行かれてしまう夢。



(とんだ悪夢を見ちまったもんだ…)
 俺としたことが、と溜息をついた。
 同じ小さなブルーの夢なら、もっと生き生きとしている夢。生気に溢れた小さなブルーの笑顔を夢で見たかった、と思った所で気が付いた。今日は土曜日だったのだ、と。
 週末の土曜日、ブルーの家を訪ねてゆける日。
(…あいつに会えるな)
 すっかり夜が明けて明るくなったら。
 小さなブルーの家に行っても、迷惑でない時間になったなら。
(うん、学校のある日でなくて良かった)
 平日だったら、仕事が終わるまでブルーの家には行けないから。
 小さなブルーを見かけたとしても、抱き締めたりは出来ないから。
 その点だけは今日で良かったと思う。あれは夢だと、ただの夢だともうすぐ分かる筈だから。



 気分を落ち着けるために、朝食は少し多めに食べた。
 現実というものを意識するには、食べるのがいい。朝食をしっかり味わいながら噛み締め、香り高いコーヒーで目を覚ますのが。
 とはいえ、やはり心が騒ぐ。小さなブルーを失くした悪夢がまだ胸の奥で騒いでいる。
(あいつに何事も無ければいいが…)
 前の自分も今の自分も、予知能力などありはしないけれども、恐ろしい。虫の知らせという言葉だってあるし、嫌な予感ほど当たるもの。
 小さなブルーも酷い夢を見て泣きじゃくったとか、あるいは病に臥せったとか。
(まさかな…)
 そんなことはあるまい、と思いはしても消えない恐怖。消えてくれない悪夢の記憶。
 冷たかったブルーの亡骸の重さと、失くしてしまった小さなブルーと。
(気のせいだ、俺の気のせいってヤツだ…)
 ブルーはピンピンしている筈だ、と自分を叱咤し、朝食の後片付けを済ませて家を出た。自然と足が早くなる。ブルーの家へと、早く着かねばと。



 生垣に囲まれたブルーの家。その前に着いて門扉の脇のチャイムを鳴らせば、二階の窓から手を振るブルー。小さなブルー。
 それだけで肩の力が抜けた。何も無かったと、ブルーは元気に生きていると。
 悪夢のことはもう忘れよう、と自分自身に言い聞かせたけれど。あれは夢だと、ただの恐ろしい夢だったのだと、言い聞かせながらブルーの部屋に着いたけれども。
 ブルーの母がお茶とお菓子をテーブルに置いて去るなり、ブルーに訊かれた。
「ハーレイ、どうかしたの?」
 テーブルを挟んで向かいに座った小さなブルーが、赤い瞳で見詰めてくるから。
「…分かるか?」
 今日の俺は何処か違うのか、うん…?
「えっとね…。ちょっぴり寂しそうなんだよ」
 いつものハーレイ、そんな顔なんかしないのに…。何かあったの、寂しくなること。
「ふうむ…。なら、来てくれるか?」
「え?」
「来てくれるか、と言っているんだ、お前にな」
 此処だ、と膝を指差した。椅子に座った自分の膝を。此処に来て座ってくれないか、と。



 普段はブルーが強請って座る膝の上。ハーレイの方から「来い」とは滅多に言わないから。
 それも来てまだ間もない時間に手招きなどはしないから、ブルーはキョトンと目を丸くした。
「…いいの?」
 座っちゃっていいの、本当に?
「うむ。俺がそういう気分だからな」
 ほら、と椅子を引いて膝を叩いてやったら、ブルーは早速やって来た。それは嬉しそうに座った小さな身体を胸に抱き寄せ、強く抱き締めて。
「ああ、お前だ…」
 お前だな、と背を撫でていたら、ブルーがクイと顔を上げて、見上げて。
「ハーレイ、変な夢でも見た?」
 ぼくがメギドの夢を見ちゃうみたいに、嫌な夢とか…?
「当たりだ。それもとびきりのをな」
「どんな?」
「お前のメギドよりかは遥かにマシだが…」
 痛いわけじゃないし、殺されちまうってわけでもないし。
 だが、独りぼっちになっちまう所は似ていたな…。前の俺の夢を見たってわけではないが。



 訊かれるままに夢の話をしてやった。
 白い花に埋め尽くされた青の間、氷になってしまったスロープ。
 酷い夢だったと、あんな夢は一度も見たことがないと。
「…縁起でもないな、お前の葬式だなんて…」
 同じ白でも、婚礼の花なら良かったんだが。
 花嫁のブーケも白いドレスには白を合わせることが多いし、教会の飾りも白い花が多いし…。
「お葬式って言うけど、前のぼくでしょ?」
 ホントに一回死んでるんだもの、お葬式でもいいんじゃないの?
「それはそうかもしれないが…。お前を連れて行かれちまった」
 お前まで一緒に死んじまったんだ、だから縁起でもない夢だ、と…。
 もっとも、昔の日本って国じゃ、死んじまう夢っていうのは悪い夢ではなかったそうだが…。
 逆に吉だと言ったらしいが、どうにも気分が落ち着かなくてな…。
「その夢…。悪い夢ではないと思うよ、ぼくも一緒に死んじゃってても」
「何故だ?」
 お前、夢占いってヤツに詳しかったか、俺は授業で喋っちゃいないと思うがな?
 たった今、お前に話した分よりも詳しく話した覚えは無いんだが…。
 夢が吉だと言われてる理由、お前は前から知っているのか?
「ううん、知らないけど…」
 縁起がいいかどうかも初めて聞くけど、これだけは確か。
 ハーレイ、前のぼくのお葬式、したかったんだよ。したいと思ってくれていたんだよ、ずっと。



 だから夢の中でしてくれたんだ、と微笑むブルー。
 お葬式をするなら魂が無いと出来はしないと、それで自分が一緒に連れて行かれたのだ、と。
「前のぼくと今のぼく、魂は二人で一つしか無いと思うから…。吸い込まれちゃった」
 魂が入っていないと駄目だ、って吸い込まれたんだよ、前のぼくの身体に。
 せっかく準備が出来てるんだもの、お葬式の主役がいなくちゃ駄目だよ、ぼくの魂。
「うーむ…。お前は変な夢、見なかったのか?」
 俺がとんでもない夢を見ていた時、お前はぐっすり眠っていたのか?
「うん、夢はなんにも見てないよ。なんにも見ないで眠ってたんだし、暇なんだから…」
 ハーレイの夢に行ってあげれば良かったね、と言われたから。
 その夢の中にぼくも行けたら良かったのにね、とブルーが言うから。
「馬鹿、死ぬぞ!」
 死んじまうんだぞ、あの夢の中に出て来たら!
 前のお前に吸い込まれちまって、お前はすっかり消えちまった。死んじまったんだ、前のお前に引き摺られてな。
「ぼくは慣れてるから平気だよ。夢の中で死ぬのは」
 何度もキースに撃たれてるしね、それに比べたらずっとマシだよ、ハーレイの夢。
 痛くなさそうだし、ちょっぴり眠いとか、そんな感じの夢じゃないかな、ぼくにしてみれば。



 たまにお葬式だって経験したい、とブルーは無邪気な笑みを浮かべた。
 一度もして貰ったことが無いから、と。
「前のぼくはメギドで死んじゃって終わりだったし、お葬式は体験していないんだよ」
 どんな感じかも分からないから、ハーレイが見た夢、ぼくの立場で見たかったな。
 前のぼくのお葬式っていうヤツを。
「お前なあ…」
 逞しいヤツだな、葬式の夢まで体験してみようってか?
 俺は最悪な気分だったのに、あの夢の中の俺の立場はどうなるんだ。
 チビのお前まで失くしちまった、ってドン底だったぞ、もう泣くことしか出来なかったが…。
 目が覚めた後もスッキリしなくて、お前に何かあったんじゃないかと怖かったんだが…。
「死んじゃう夢は吉なんじゃないの?」
 ハーレイ、さっきそう言ったじゃない。いい夢なんでしょ、ぼくが死ぬ夢。
「…そういう解釈もあるってこった」
 しかしだ、夢を見ちまった気分まで変わるってわけじゃないしな、最悪な夢は最悪な夢だ。
 俺にとっては最低最悪、酷い夢としか言えない夢だったってな。
「そんな夢がどうして、いい夢になるの?」
 ぼくが死んじゃった夢で、ハーレイはとっても悲しいのに…。どうしてそれがいい夢なの?
 夢占いって言っていたよね、死んじゃう夢が吉になる理由は何なの、ハーレイ?
「…お前、いいように解釈するなよ? いいか、恋人が死んじまう夢っていうヤツは、だ…」
 二人の関係に何か進展があるだろう、っていう意味になるんだそうだ。
 恋人同士で進展だったら、いい意味にしかならんだろうが。結婚だとか、婚約だとか。
 それで吉だというわけだな。
 もっとも、こいつは夢占いだし…。その通りになると決まっちゃいないぞ、夢は夢だ。



 所詮は夢占いに過ぎない、と言ってやったのに、ブルーは満面の笑顔になった。
 ハーレイが素敵な夢を見てくれたと、何か進展があるかもしれない、と。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイがその夢、見たんだったら、ぼくが進展させてもいいよね?」
 キスしてもいいよ、一歩前進だよ?
 結婚とか婚約とかじゃないけど、うんと進展するんだけれど…?
「馬鹿。いいように解釈するなと言っただろうが」
 俺はその手には乗らないからな。いくら最悪な夢を見たって、お前の思い通りにはならん。
 うかうかと乗せられてキスしちまうほど、俺は弱くはないってな。
「…残念…」
「残念も何も、キスは駄目だと俺は前から言ってる筈だぞ」
 ブルーの額を指でコツンと小突いてやった。まだ膝の上に居るブルーの額を。
 小さなブルーは「いたっ!」と額を押さえて、膨れっ面になったけれども。
 そのまま暫くプウッと膨れていたのだけれども、それが収まると…。



「ハーレイ、ぼくのお葬式の夢…。なんだか凄すぎるんだけど…」
 そんなに沢山の白い花だなんて、ホントにシャングリラ中からかき集めないと足りないよ。
 ハーレイ、凄いのを計画していたんだね、前のぼくのためのお葬式。
「当然だろうが。前のお前はソルジャー・ブルーだ」
 そのくらいやっても誰も文句は言わないぞ。足りないと言われるほどかもしれんな、エラあたりからな。もっと盛大にやれと、ソルジャーを送るためなのだから、と。
 俺は恋人のためにやってるわけだが、誰も気付きやしなかっただろう。流石はキャプテンだと、ソルジャーに相応しい立派な葬儀だと騙されてな。
 だが、実際は…。
 俺は計画していた葬式どころか、お前のための葬式さえも…。



 してやれなかった、とハーレイは唇を噛んだ。
 赤いナスカが滅ぼされたために、大勢の仲間が死んだから。大勢が死んでしまったから。
 ブルーだけのために花を集めることは出来なくて、合同になってしまった葬儀。
 それにジョミーがアルテメシアに行くと決めたから、葬儀は簡素に、花も花輪が幾つかだけ。
 ハーレイが思い描いた葬儀とはまるで違った、ブルーの葬儀。
 青の間を飾る白い花たちは無くて、亡骸さえも無かったブルー。最後の別れを告げることさえも出来ずに別れて、それきりだった。ブルーはメギドから戻らなかった。
 亡骸を抱き締めることも叶わず、白い花で飾って静かに送ってやることも…。



「…色々と悲しかったんだ、俺は…」
 前のお前を送ってやれなかったこと。おまけに追っても行けなかった。
 お前にジョミーを頼まれちまって、生きて行くしかないっていうのに…。お前の葬儀も出来ずにいたんだ、こうして送ろうと前から決めていたのにな…。
「ごめんね、ハーレイ…。だけど今度は、そんなの関係ないからね」
 死ぬ時もハーレイと一緒だもの、と強く抱き付かれて。
 そうだったな、と小さなブルーを抱き締め返した。
「お前が言っていたんだったな、死ぬ時も二人一緒に行こう、と」
「そうだよ、ぼくが決めたんだもの。ハーレイと一緒」
 ぼくの命が短くなっても、ハーレイと一緒に行くのがいい。
 独りぼっちで生きていたって、そんなのちっとも嬉しくないから。
 ハーレイだって、そう思うでしょ? 二人一緒に行くのがいい、って。
「…お前がそれでかまわんのならな」
 寿命が短くなっちまってもかまわないなら、一緒に行こう。今度こそ、何処までも一緒にな…。



 行こう、と小さなブルーを抱き締め、柔らかな頬にキスを落とした。
 温かなブルー。生きているブルー。
 悪夢は幸せな時に変わって、小さなブルーが腕の中にいる。膝の上にチョコンと腰を下ろして。
(うん、お前だ…。俺のブルーだ…)
 前のブルーも小さなブルーも、ブルーはブルー。どちらも同じ一つの魂。
 青い地球の上でブルーと幸せに生きて、伴侶として同じ家で暮らして。
 今度は置いて行かれもしないし、行ったりもしない。
 満ち足りた生を二人で生きたら、手を繋いで共に帰ってゆこう。
 何処だったのかは分からないけれど、此処へ来る前に二人で居た場所へと。
 そうして、またいつか生まれて来よう。
 ブルーと二人でこの地球の上に、幸せな時を生きるために…。




          夢の中の別れ・了

※前のハーレイには出来なかった、前のブルーの葬儀。恋人を送ってやりたくても。
 あまりにも悲しい夢でしたけれど、生まれ変わっても覚えているほど辛かったんですね…。
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