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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(こいつも有り得ない食べ物なんだな…)
 改めて思えば、とハーレイはブルーの家へと向かう途中で苦笑した。
 食料品店の表に出ている特設屋台。食欲をそそる匂いが漂う、大して珍しくもない食べ物。今のハーレイにとっては幼い頃から馴染んだものだが、前の自分には想像もつかないものだから。
(土産に買って行ってやるとするか)
 屋台の前に立ち、十個入りを一つ注文すれば、パックに収まって並べられていた商品ではなく、出来立てをその場で詰めてくれた。客の少ない時間帯ならではのサービスだろう。
(熱々だな)
 出来立てならば、ブルーの家でも温め直さずに食べられる。今の季節なら充分に。



 袋を提げて颯爽と歩き、辿り着いた生垣を巡らせた家。門扉の横のチャイムを鳴らして見上げた二階の窓から、ブルーが大きく手を振っていた。
 門扉を開けに来たブルーの母に「今日はこれを買って来ましたから」と袋を見せると、「お茶はほうじ茶がよろしいかしら?」と問い掛けられて。
「そうですね…。紅茶は多分、合わないでしょうね」
「合いませんわよね?」
 熱いほうじ茶をお持ちしますわ、と応えたブルーの母は、ハーレイを二階に案内した後、ほうじ茶だけを運んで来た。お菓子は無しで、ハーレイの土産を取り分けるための皿だけをつけて。



 いつもとは違うティータイム。ブルーが「ほうじ茶?」と首を傾げるから。
「緑茶ってほどに気取った食い物でもないからな」
 こいつの匂いで分からないか?
 パックに詰まってこうして袋に入っていてもだ、匂いがしてると思うんだがな?
「えーっと…。これって、ソースの匂い?」
 美味しそう…。ハーレイ、何を持って来てくれたの?
「見れば一発で分かるヤツだ。ほら」
 袋から取り出した透明なパック。其処に詰まった、丸い形をした食べ物たちはまだ熱い。
「タコ焼きだったの?」
 どうしてタコ焼きがお土産なの?
 パックには何も書いてないけど、何処か有名なお店のタコ焼き?
「そこまでは知らん。通り掛かったら焼いていただけで、美味そうな匂いがしていたからな」
「ふうん…?」
「まあ、食ってみろ。焼き立てを詰めてくれたからなあ、まだ充分に熱い筈だぞ」
 ほら、とブルーの取り皿に一つ入れてやった。爪楊枝が刺さっていた分を、一個。
 爪楊枝付きのは二個あったから、もう一個を自分の皿へと載せる。ブルーの母が用意してくれたフォークの出番は無さそうだ。
 ブルーは促されるままに口へと運んで、「美味しい!」と顔を輝かせた。
「そりゃ良かった。どれ、俺も一つ食ってみるかな」
 齧ってみれば、出来立てだからか皮の表面がパリッとしていた。なのに中身はこれぞタコ焼きといった風情で、トロリとした食感と、存在を主張するタコと。
 大当たりだった、と嬉しくなったが、買って来た理由はタコ焼き談義をするためではない。
 ブルーに「美味いなら、残りは全部食ってもいいぞ」と微笑みながら、一つ質問を投げ掛けた。



「お前、タコは好きか?」
 生き物としてのタコじゃなくって、食べる方。
 タコ焼きは中に小さく一切れだけだが、刺身とか煮物とか、タコの食い方は色々あるだろ?
「好き嫌いが無いの、知ってるでしょ?」
 何でも食べるよ、タコのお料理。タコ焼きだって、もちろん大好き。
 タコは嫌いって友達なんかでもタコ焼きだけは好きだって言うよ、嫌いな人っているのかな?
「そういや、俺もタコ焼きが嫌いだってヤツにお目にかかったことは無いなあ…」
 タコが嫌いな友達はいたが、タコ焼き屋で「タコを入れずに焼いてくれ」とは言わなかったか。
 しかしだ、前のお前の話。
 今のお前はタコを美味しく食べるようだが、前のお前はタコを食ったりしない筈だぞ。
「シャングリラにタコは無かったってば!」
 タコなんか養殖していなかったし、食べるも何も…。無い食べ物は食べられないよ。
「確かにタコはいなかったんだが、その前に、タコを食いたかったか?」
 もしもシャングリラでタコを飼えたなら、お前、養殖して食べたかったか?
「シャングリラで、タコ…?」
 そんなの、考えたことも無かったけれど…。タコが飼えたら、食べたかったかな…?
 タコのお料理、あの頃、どんなのがあったんだっけ…?



 ブルーは懸命に遠い記憶を探ったけれども、まるで引っ掛からないタコ料理。
 目の前にあるタコ焼きは存在しなかったろうが、マリネやフライは前の自分が生きていた頃にもポピュラーだった調理法。シャングリラでも養殖していた魚のマリネやフライがあった。
(…だけど、タコって…)
 青い水の星、地球の海にとても焦がれていたから、海の幸にも憧れた。其処に居るだろう沢山の魚や貝といったものを食べてみたかった。トゲだらけのウニも。
 けれども、タコの記憶が無い。タコを食べたいと思った記憶が何処にも無い。
(忘れちゃった…?)
 あんなに印象的な姿をしているタコを忘れただなんて。
 食べたいと願った気持ちごと忘れてしまったなんて、とブルーは愕然としたのだけれど。



「どうだ、あったか、タコの料理?」
 前のお前が食いたいと思ったタコの料理は、何処にも一つも無いんじゃないか?
 いくら探しても出て来ないだろう、とハーレイの瞳に悪戯っぽい光が浮かんでいるから。
「…タコのお料理、思い出せなくっても不思議じゃないの?」
 ぼくが忘れてしまったんじゃなくて、思い出せない理由でもあるの?
 どうしてなのか、ハーレイはそれを知っているわけ…?
「まあな。だからタコ焼きを買って来たんだ、前の俺たちには信じられない食い物だからな」
 お前がタコの料理を思い出せないのと同じで、俺だって何一つ記憶が無い。
 キャプテンになる前は厨房に立ってた俺の中にも、タコのレシピは一つも無いのさ。
 あの時代には何処にも無かった文化だ、タコを食うのは。
「ハーレイ、それって…。SD体制の基礎になった文化の地域じゃ食べないってこと?」
 其処ではタコを食べなかったの、だからタコのお料理、消えちゃったの?
「全く食わないってわけじゃなかったんだが…。多様性は消しておけってな」
 地球が滅びて、何処の星でもテラフォーミングで海を作るしかなくて。
 そんな時代だ、食べる魚の種類は少なめにしておいた方が管理する方も楽だろう?
 わざわざタコまで食う必要は無いってことだ。
「…SD体制の基礎に使ってた文化、タコは滅多に食べなかったの?」
「基本に選ばれた文化の地域の半分ではな」
 もう半分では普通に食べていたそうなんだが、そっちの文化は無かったことにしちまった。前のお前がタコの料理を思い付かなかったのはそのせいさ。



「タコ、食べなかった文化もあるんだ…」
 もったいないね、美味しいのに。
 同じ文化を持ってた地域の半分では食べていたんだったら、試しに食べれば良かったのに。
「その辺が面白い所なんだな、人間っていう生き物の」
 隣同士で文化も繋がった地域に住んでて、片方じゃタコを美味しく食ってた。
 ところが、もう片方の地域で暮らしてたヤツらは、タコを化け物だと思ってたんだぞ。
「嘘…!」
 どうしたらタコが化け物になるの?
 ハーレイ、それって本当の話?
「本当さ。其処ではタコはイカと並んで化け物なんだ。誰も化け物なんかを食おうと思わん」
 海の化け物でクラーケンというのがいてな。
 そいつが巨大なタコやイカだと考えられてて、でっかいタコが船を襲う絵があったりするんだ。
「タコが船を襲うの?」
「もちろん想像の産物だろうが、帆船に絡みついてる大きなタコの絵を本で見かけたな」
 実際、でっかいタコはともかく、巨大なイカなら今の地球の海にもいるんだが…。
「ダイオウイカでしょ、マッコウクジラと戦うんだよね?」
「戦うと言うより、逃げようと必死に頑張っていると言ってやった方が正しいな」
 マッコウクジラはダイオウイカの天敵なんだ。出会ったら最後、ほぼ食われちまう。
 だがな、ダイオウイカよりもっと大きいダイオウホウズキイカってヤツなら逃げることもある。
 吸盤の代わりに鉤爪を持っているからな。そいつで傷だらけにされたマッコウクジラが衰弱死という例もあったそうだし、一方的に負けっ放しと決まったわけでもなさそうだが…。
「へえ…!」
 マッコウクジラを倒しちゃうイカもいるんだね。逃げるだけじゃなくて、ちゃんと勝つんだ…。



 鯨はとても大きいのに、と感心していたブルーだったけれど。
「えっと…。それじゃあ…」
「なんだ?」
「人類の船にクラーケンっていうのは無かったの?」
「はあ?」
 唐突な問いにハーレイは何を訊かれたのか分からなかったが、ブルーは続けた。
「でなきゃダイオウ……ホウズキイカ?」
 そういう名前の付いている船。クラーケンとか、ダイオウホウズキイカだとか。鯨も倒しちゃう生き物なんでしょ、でなきゃ化け物…?
「鯨って…。そうか、シャングリラか、モビー・ディックか!」
「そう、それ!」
 ぼくはキースの心を読んだ時に初めて知ったんだけれど…。
 シャングリラをそう呼んでいたなら、鯨に勝てそうな名前の船を造ってくれば良かったのに。
 無かったの、ハーレイ、そういう名前が付いてた船は?
「クラーケンはともかく、ダイオウホウズキイカってか…。タコもアリだな、クラーケンなら」
 そんな名前の船が来てたら、俺はセンスを疑ってたぞ。人類のネーミングセンスってヤツを。
「駄目かな、とっても強そうじゃない?」
 ぼくたちにしてみれば、強い船が来たら困るけど…。
 負けちゃったらとっても困るんだけれど、モビー・ディックに勝つならクラーケンとかだよ?



 人類軍にモビー・ディックと呼ばれたシャングリラ。白い鯨だったシャングリラ。
 それに挑むなら、船の名前はクラーケンだのイカだのと付けるべきだ、と言い出したブルー。
 ハーレイ自身も面白いとは思ったのだが、人類軍の船の名を考えてみれば。
「…駄目だな、あいつらの船は基本がなあ…。タコやイカとはお馴染みでな」
「えっ?」
 どういう意味なの、タコやイカって名前の船があったっていう意味じゃないよね?
 それなら駄目にはならないものね。
「前のお前は殆ど知らなかったろうが、今のお前は知っているよな、あいつらの船の名」
 最後の戦いで旗艦だった船がゼウスで、他の船にしたってアルテミス級とか、そんな呼び方だ。ゼウスもアルテミスもギリシャ神話の神様だろう?
「そうだけど…。それって、タコとかイカと関係があるの?」
「ギリシャ神話が生まれた地域。あの辺りはSD体制よりもずっと昔に、タコとかイカを食ってた地域だ。もちろん文化が復活して来た今でも食ってる」
 俺たちの住んでる地域の文化とはちょっと違うな、って食い方は其処のが多いんじゃないか?
 シーフードマリネにはタコとイカとが欠かせないって聞くからな。
「それがマザー・システムが消していた文化?」
 タコもイカも普通に食べるんです、って文化。ぼくたちが住んでる地域みたいに。
「そういうことだな」
 美味いらしいぞ、海辺の食堂でタコの炭火焼きとか。
 いつかお前と行くのもいいなあ、この地域とは違う食い方をあれこれ試しに出掛けて行くのも。



「美味しそうだね、タコの炭火焼き。でも…」
 そんな風に普段から食べてた地域の文化だったら、タコもイカも化け物に出来ないね…。
 いつも美味しく食べているのに、化け物だなんて思わないよね。
「思わんだろうな、化け物ってヤツは気味が悪いと感じる気持ちが生み出すんだから」
 たまには巨大なタコやイカなんてものを考えたとしても、基本的には化け物じゃない。食べると美味い海の幸だな、タコもイカもな。
「ほらね。そういう地域の神話の名前を船に付けるから負けるんだよ」
 鯨に勝てるかもしれない化け物を美味しく食べちゃっていたら、勝てやしないよ。タコもイカも凄い化け物なんだ、って信じてた地域の名前を付けなきゃ。
 同じ神話の名前にしたって、タコとイカが化け物になっていた地域の神話のを。
 だけど本気でシャングリラに勝とうと思うんだったら、クラーケンかタコかイカなんだよ。
「おいおい、其処でそうなるのか?」
 ヤツらがタコだのイカだので来たら、それはシャングリラに勝てるのか?
「さあ…?」
 運が良ければ、少しくらいはマシだったかもね?
 ダイオウホウズキイカだったっけ、鉤爪で頑張って鯨を倒したイカもいたって言うんだから。



 人類軍も縁起を担げば良かったのに、とブルーが可笑しそうに笑う。
 白い鯨に、モビー・ディックに勝ちたいのならば、勝てそうな名前を付けるべきだ、と。
「だって、たった一隻の白い鯨が相手なのに勝てなかったんだよ?」
 名前だけでも強そうな船を造るべきだよ、でなきゃ改名して来るとか。
 それくらいはしててもいいと思うんだけどなあ、シャングリラに手を焼いていたんだったら。
「ふうむ…。それでクラーケンだのタコだのイカだのって船が来てたら大笑いだが」
 クラーケンならまだしも、タコとイカはなあ…。凄いのが来たな、と笑うしかないな。
「シャングリラ、勝てる?」
 そういう名前の船が来てても。タコだのイカだのがシャングリラを攻撃して来ても。
「意地でも勝つさ、前のお前の仇はキッチリ取らないとな」
「…ぼくの仇って…。ハーレイ、そういう発想で戦ってたわけ?」
 地球を目指そうとか、ジョミーを支えて地球に行こうとか、そういう考えじゃなかったの?
「それはもちろんだが、お前の仇。そいつは取りたいと思っていたなあ…」
 前のお前を失くしちまって、俺の生きる意味も無くなっちまった。
 お前がジョミーを頼むと言い残したから、俺はひたすら地球を目指すしかなかったんだが…。
 負けるわけにはいかない、ってな。負けたらお前が無駄死にじゃないか。
 お前を無駄死ににさせないためにも、仇は取るのが筋だろうが。



「じゃあ、前のぼくが寝ていた間だったら?」
 その間にクラーケンとかタコとかイカって名前の船が襲って来てたら?
「ヤツらがシャングリラをモビー・ディックと呼んでいることは知っていたが、だ」
 とにかく逃げろと考えていたし、戦いは必要最低限だな。退路を確保したなら逃げる。どういう名前の船であろうが一目散だ。
 クラーケンだろうが、タコだろうが。三十六計逃げるに如かず、だ。
 逃げ切った後で「よく逃げられた」とホッと一息つくってわけだな、それから相手の船の名前を思い返して心底震え上がるんだ。
 とんでもない船が来てたもんだと、あれはモビー・ディックを追い掛けるための船なんだと。
 人類軍も本気を出して来たなと、ミュウを倒すための船を造って来やがったな、と。
「そっか、その頃だと逃げるんだ…」
 でも、前のぼくが死んじゃった後。
 ナスカが燃えてしまった後だと、逃げずに戦う方なんだ?
 クラーケンでも、タコでもイカでも。シャングリラを倒すぞ、って名前が付いた船でも。
「当然だろうが。前のお前の仇を取るには地球に行かんと。地球に辿り着くことが敵討ちなんだ、何よりのな。前のお前は個人的な敵討ちなんかは全く望んじゃいなかったろうが?」
 もっとも、そいつは俺の推測に過ぎなかったんだが…。
 キースがお前に何をしたかを知らなかったから、そんな風に考えていただけなんだが…。
「それで合ってるよ、間違いじゃないよ」
 ぼくはキースを恨んじゃいないし、敵討ちだって要らなかった。それよりも地球へ。
 生き延びて地球まで行って欲しいと、人類と手を取り合って欲しいと思っていたけど…。



 だけど、とブルーは赤い瞳を悲しげに伏せた。
「そうやって地球まで行ってくれたのに。長い戦いの末に、やっと地球まで行けたのに…」
 地球は青くなくて、死んだ星のままで。…ごめんね、ハーレイ。
 前のぼくが「頼んだよ」ってお願いしたから、ハーレイ、頑張ってくれたのに…。
 がっかりしたでしょ、地球を見た時。青くない地球を見てしまった時…。
「いいさ、今では青い地球の上だ。ちゃんとお前までくっついて来たし」
 今はチビだが、いずれは育って前のお前とそっくり同じになるんだしな。
 そんなお前とタコ焼きが食える。もう最高の贅沢ってもんだ、これ以上は望みようがない。
「…それでいいの?」
 前のハーレイ、うんと辛い目に遭ったのに…。それだけでいいの?
「俺は充分だと思っているが?」
 お前だってこれでいいんだろうが。前のお前の辛かった気持ちを思い出すより、今の幸せだろ。
「そうだけど…」
 ぼくは充分幸せだけれど、ハーレイの分。
 前のぼくがいなくなった後、独りぼっちで生きるしかなかったハーレイの分はホントにいいの?
「ああ。シャングリラを無事に地球まで運んで行けたし、それでいいんだ」
 クラーケンにもタコにもイカにも沈められずに、ちゃんと地球まで運んで行けた。
 地球がどういう星であっても、前のお前の仇は討てたと思っている。
 シャングリラを地球まで運べたってことは、戦いに勝てたってことなんだしな。



「…それならいいけど…」
 負けちゃった方の、人類の方。
 シャングリラに勝てそうな名前を付けた船、思い付いていれば良かったのにね、キース。
 名前だけで勝てるってわけじゃないけど、クラーケンでもタコでもイカでも。
「其処でキースか?」
 キースになるのか、そのとんでもない名前を船に付けて来るヤツは。
「最後の国家主席なんだよ、キース。船の命名権はあったと思うな、改名する権利も」
「うーむ…。旗艦ゼウスの代わりにクラーケンなら幾らかマシだが…」
 タコだのイカだのはどうしろと言うんだ、最悪なセンスとしか言いようがないぞ。
「でも、その船の名前。マードック大佐のお蔭で有名になるよ?」
 メギドから地球を守って沈んだんだし、ちゃんと歴史の教科書に載るよ。英雄だったマードック大佐とパイパー少尉が乗ってました、って。地球を守った船なんです、って。
「なるほどなあ…。たとえタコって名前の船でも格好はつくか」
「うん。歴史を習ったみんなが覚えて、今の時代まで名前が伝わる有名な船になるんだよ」
 だけど、前のハーレイはそのオチまでは知らないしね?
「違いない。そうなった前か後かは知らんが、地球の地の底で死んじまったしな」
 センス最悪な船で来やがったのかと思ったままだな、タコだなんて。
 誰が付けたんだと、もっとマシなのは無かったのかと呆れ果てたままで死んだんだろうなあ…。



「船の名前に付けるんだったら、タコってセンスは最悪だけど…」
 ぼくもクラーケンの方がまだマシだなって思うけれども、タコ、美味しいよ?
 タコ焼きも、タコの煮物もお刺身も。マリネも好きだし、フライも大好き。
 ハーレイが言ってたタコの炭火焼きだって、きっと食べたら美味しいんだろうな…。そのタコ、海辺の食堂で食べるんだったら獲れたてでしょ?
「うむ。獲れたてのタコは活きがいいから、うんと美味いぞ」
「ハーレイ、獲れたてのタコを食べたことがあるの?」
「あるぞ、何度も。親父が釣るから、何度もな」
 釣ったばかりの活きのいいタコは歩くんだ。あの足を使って陸の上でも。
「タコが歩くの!?」
「信じられないって顔をしてるが、本当だぞ。実はな、俺がガキの頃にな…」
 親父の車で釣りに出掛けて、あれこれ釣って。
 その中にでっかいタコもいたから、持って帰って家で食おうとクーラーボックスに入れたんだ。そいつを車のトランクに積んで、意気揚々と帰り着いてな。
 さて、料理だとキッチンに運んで蓋を開けたら、タコが何処にも居なかった、ってな。
「居なかったって…。入れ忘れたの、タコを?」
「いや。親父はきちんと入れたって言うし、おふくろも俺も見ていたんだぞ」
 それなのに他の魚だけしか入っていなくて、タコはドロンと消えちまった。そんな馬鹿な、ってガレージに戻って、車のトランクを開けてみたら…、だ。
 なんとトランクの蓋の裏側にベッタリ、例のタコが吸盤でくっついていたと来たもんだ。



「ええっ!?」
 ブルーの赤い瞳が真ん丸になった。
 タコが歩くと聞いただけでも信じられないと思っていたのに、クーラーボックスから逃げ出したタコ。食べられてたまるかと、車のトランクの蓋の裏側にくっついて隠れていたタコ。
「ハーレイ、それってタコの大脱出?」
 どうやって逃げたの、クーラーボックスなんかから。蓋は閉まっていたんでしょ?
「運び出した時には閉まっていたなあ、気付かなかったわけだしな?」
 多分、蓋が緩んでいたんだろうが…。タコが通れる隙間が開いて逃げたんだろうが、親父も俺もビックリしたさ。おふくろだってポカンとトランクを眺めていたなあ、くっついたタコを。
「そのタコ、それからどうなったの?」
「食っちまったさ、予定通りに」
 トランクから剥がして、親父が茹でて。
 逃げようってほどのタコだ、活きが良くって美味かったぞ。
「あははっ、タコでもハーレイに負けて胃袋行きになっちゃうんだね」
 前のハーレイじゃないけれど。記憶が戻る前のハーレイだけれど、タコに勝つんだ?
「キャプテン・ハーレイが勝ったわけではないんだが…。ついでにタコって名前の船は、だ…」
 前の俺の記憶には入ってないがな?
 そんな名前の人類の船がシャングリラに向かって来てはいないぞ、クラーケンもイカも。



 タコという名前の船は無かった、とハーレイはブルーに言ったけれども。
 小さなブルーに言ったけれども、愛らしい恋人は船の名前よりも本物のタコに夢中のようで。
「ハーレイ、いつかハーレイのお父さんと一緒に釣りに行ったら、タコも釣ろうね」
 クーラーボックスに入れて、車のトランクに乗っけるんだよ。
「大脱出を見てみたいのか?」
「ちょっぴりね」
 タコが歩くのも見たいけれども、大脱出。そっちもとっても面白そうだよ、消えちゃうタコ。
「分かった、それならクーラーボックスの蓋は緩めにな」
 逃げてくれるとは限らないが、だ。お前が見たいなら試してみるさ。
「うん、お願い!」
 そのタコで何が食べられるかな?
 タコ焼きにしたら何個分くらいになるタコなのかな、だけどお刺身でも美味しいかも…。
 活きがいいならお刺身なのかな、煮物とかにするよりお刺身かな…?



 どうやって食べることにしようか、と釣れる予定のタコに思いを馳せている恋人。
 人類軍の船の名前はタコにすべきだったと、愉快なアイデアを出した恋人。
(…うん、タコ焼きを買って来ただけの甲斐はあったな)
 思いもよらない方へと話が行っちまったが、とハーレイは顔を綻ばせた。
 青く蘇った、母なる地球。タコが歩いて逃げる地球。
 あの頃を思えば夢のようだと、まるで天国に来たかのようだと。
 死に絶えた星と、喪ったブルー。
 失くした筈のものを手に入れた上に、青い地球で二人、タコ焼きを頬張る時が来るとは、と…。




         タコと白い鯨・了

※シャングリラをモビー・ディックと名付けた人類軍。実は縁起が悪い名前だったかも。
 名前のせいで負けたわけでもないんでしょうけど、勝てそうな名前の船を建造すべきです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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(…ふむ)
 秋なんだな、とハーレイはブルーの家へと歩き始めて間もなく目を細めた。住宅街を抜けてゆく中、印象的な垣根を設けた家が一軒。
 レース細工のように繊細な葉を茂らせた蔓草、カスミ草を思わせる小さな白い花。それから丸く膨らんだ無数の丸い実、風に揺れる軽くて重さの無い実たち。
 風船カズラ。
 この家の夏のシンボルマーク。夏の間は緑一色だった実が、かなり茶色く変わって来た。中身の種が熟した印。緑から黄色へと色を変えた実や、薄い茶色になった風船や、すっかり焦げた茶色で萎んでしまった風船やら。
 まだ涼やかな緑色をしている風船カズラの蔓だけれども、秋が深まるとシーズンを終える。沢山実った風船も全て、翌年のための種を宿して萎むのだけれど。



(そういえば…)
 シャングリラでは植えていなかった風船カズラ。白い鯨には無かった蔓草。
 それが今では…。
(ブルーは多分、知らんだろうしな?)
 よし、と庭の手入れをしていた家人に声を掛け、その実を幾つか分けて貰った。淡い緑色の風船ではなく、茶色く乾いた風船を。
 まだふんわりと空気を中に閉じ込め、手のひらに乗せれば触れ合ってカサコソと鳴る風船を。
 道中で壊れてしまわないよう、透明な袋を膨らませた中に入れて貰って。
「すみません、庭仕事でお忙しいのに」
「いえいえ、楽しんで頂けると嬉しいですよ」
 好きで植えてるヤツですからね、と庭仕事をしていた主人は笑顔で返してくれた。風船カズラは一年中楽しめるものではないから冬は垣根が寂しくなるのだが、やめられないと。
 別のものに変えるつもりはないから、来年も沢山の風船が垣根に鈴なりに揺れるだろうと。



 分けて貰った風船カズラ。
 まるで重さを感じさせない袋を手にして、あちこちの庭や公園を眺めながら着いたブルーの家。
 二階のブルーの部屋に案内され、テーブルを挟んで向かい合って座り、紅茶のカップを前にして訊いた。例の袋を開け、茶色く乾いた軽い風船を一つ取り出しながら。
「ブルー、こいつを知っているか?」
「えーっと…?」
「風船カズラの実なんだが…。もっとも、こいつはすっかり乾いてしまっているがな」
「うん、知ってる。ハーレイが来るのとは反対の方に、毎年植えてる家があるから」
 乾いちゃう前は薄緑色で、コロンと丸くてホントに風船みたいだよね。
 こうして茶色に変わっちゃっても、まだまだ風船なんだけど…。風が吹いたら揺れているけど。
 ハーレイ、これをどうするの?
「植えようと思ったわけではないが…。
お前、風船カズラの種って、見たことがあるか?」
「無いけど…。ぼくの家では植えていないし、パパもママも植えようって言わないし」
 だから毎年、見てるだけだよ。
 今年も風船が沢山あるな、って。触ったりつついたりはしてるけれども、中身は知らない。



「うむ、持って来た甲斐があったってな」
 ご近所さんに頼んで貰って来たんだ、もしかしたらお前は知らないかもな、と思ってな。
「えっ?」
 ブルーはキョトンと目を丸くした。見慣れた風船カズラの実。空気を閉じ込めて膨らむ風船。
 可愛らしい実が売りの植物だと思っていたのに、種にも何か素敵な仕掛けがあるのだろうか?
「一つ、自分で開けてみろ。幾つも分けて貰ったからな」
 ほら、と差し出された茶色い風船。乾いて皺が寄った風船。
「…この中、種が一杯なの?」
「いいから、そいつを開けるといい。何処から破っても種が出て来る」
「…んーと…」
 細かい種が部屋に飛び散ってはたまらない、とブルーは紅茶のカップをテーブルに移すと、下のソーサーを受け皿代わりに風船をそうっと注意しながら破ったのだが。
「あれっ?」
 三つだけしか入っていないよ、風船の中身。
 小さな種が三つだけだよ、それに三つとも真ん中にしっかりくっついてる。
 もっと一杯、詰まってるかと思ったのに。砂粒みたいな種がドッサリかと思っていたのに…。



 風船カズラの実は三つの小部屋に分かれていた。
 三つの区画に分かれた風船、一つの小部屋に五ミリくらいの黒い種が一つ。真ん丸な種が。
 小部屋は互いにくっつき合って育つらしくて、三つの種も実の真ん中で背中合わせにくっついているのだけれど。
 風船が揺れても外れないよう、しっかりとくっついているのだけれど…。
「その種は、だ。三つだけしか入っていないが、其処から外すと…」
 ちょっと面白いことになるんだ、外してみろ。こんな種かとビックリするぞ。
「そうなの?」
「うむ。とにかく外してみるんだな」
 簡単に外れる筈だから、と言われたブルーは「ふうん?」と黒くて丸い種を一個、外してみて。
「わあっ!」
 凄い、と他の二つも外して、ソーサーに置いてまじまじと眺めた。
 真ん丸な黒い種に、くっきりと白いハートのマーク。
 風船にくっついていた種の背中の部分がハートの模様。



「この種、ハートマークがくっついてるよ!」
 凄いや、綺麗なハートの形。風船を破っただけだとハートマークだって分からないんだね。
「やっぱりお前は知らなかったか、風船カズラのハートマークを」
「うん。ハートマークがくっついた種が入ってるなんて、今の今まで知らなかったよ」
 どういう種の植物なのかも考えたことが無かったかも…。
 風船みたいな実が出来るんだし、ちょっとくらいは不思議に思ってもいいのにね。
「この模様がついてるせいなんだろうな、心臓の種って学名らしいぞ、風船カズラ」
 ハートマークだから、ハートで心臓。風船って名前はついてないんだ。
「心臓なの? 心臓よりかはハートがいいなあ、愛してます、って学名だとか」
 せっかくハートのマークなのに。
 心臓の種なんて名前じゃ、そのまんまじゃない。もっと素敵な名前を付ければ良かったのに…。



 ハートマークの種は三つだけだったから、ブルーはそうっとテーブルに置いて。
 転がらないように破った風船の中に収めて、紅茶のカップを元のソーサーの上へと戻した。
 小さくて黒い、白いハートが描かれた種。
 ハーレイがわざわざ持って来てくれて、開けてみろと勧めた風船の中から出て来たから。期待に胸を膨らませながら、向かい側に座る恋人に向かって訊いてみた。
「それで、これってプロポーズなの?」
「そう思うか?」
「だって、ハートのマークがついた種だよ、それを渡されて開けてみろって言われたよ?」
 どう考えても、これってプロポーズでしょ?
 それとも、いつかプロポーズするための練習だった?
 ハートのマークを中に隠してプレゼントなんて、ぼく、想像もしなかったよ…!



 案の定、ブルーは大喜びではしゃいでいるから。
 何処に植えようかと、来年はこれを庭に植えるのだと、ハートの種をつついているから。
 ハーレイは喉をクッと鳴らすと、小さな恋人に風船カズラの真実を教えることにした。
「その種なあ…。プロポーズに使おうってヤツもいるんだが…」
「いるんだが…って?」
 プロポーズ以外の使い道があるの、この種に?
 もしかしてハーレイ、違う意味の方で使おうと思って持って来たとか?
「そんな所だ。実はな、三つ入ってる種の一つがお前だっていう話もあってな」
 前のお前だ、ソルジャー・ブルーだ。三つの種の一つがそうだと言うらしいぞ。
「嘘!」
 なんでそういうことになるわけ、前のぼくだなんて。
 前のぼくと、この種のハートのマークは関係無いと思うけど…。
 これが入ってた風船カズラだって、前のぼくとは何の関係も無いんだけれど…!
「まあな」
 普通に考えれば無関係だな、とクックッと笑いを漏らしながら。
 ハーレイは小さな恋人を見詰めた。前の自分と風船カズラは無縁だと言い張る小さなブルーを。



「お前、烏瓜っていうのを知ってるか? 秋に赤い実が出来るヤツだが」
「知ってるけど…」
 風船カズラと同じで垣根とかに絡んでいる蔓草でしょ?
 食べられるかどうかは知らないけれど…。
「毒ってわけではないんだが…。不味いらしいし、食うヤツはいない。しかし人気のある実だぞ」
 あれの種がな、縁起物でな。わざわざ探しに出掛けようって人もいるほどだ。
「そうだったの?」
「種の形が打ち出の小槌に似ているのさ。だから財布に入れておきたくなるってわけだ」
 打ち出の小槌だ、振れば宝物が出るんだからな。財布に入れればお金が増えるという縁起物だ。
「ハーレイ、入れてる? 烏瓜の種」
「俺は其処まで欲張らんぞ」
 別のを入れているからな。烏瓜の種まで突っ込まなくても今の所は間に合っている。
「銭亀だっけね、ハーレイのお財布に入っているのは」
「うむ。だが、親父の家には打ち出の小槌が無いこともない」
「えっ?」
「親父が釣り仲間に貰った烏瓜が庭に植わっているからな」
 秋になったら勝手に実るさ、打ち出の小槌。その内に枯れて萎んで、何処かに落ちる。そういう打ち出の小槌が転がっちゃいるが、親父たちの財布には入っていないな。
「そういう意味かあ…」
 お父さんたちは打ち出の小槌も入れているのかと思っちゃったよ、お財布に。
 古いものとかが好きだと聞くから、烏瓜の種の打ち出の小槌も好きなのかなあ、って。
「まるで嫌いではないんだろうなあ、烏瓜を植えてる所をみると」
 たまに通り掛かった人に頼まれて、実をプレゼントしているらしいぞ。打ち出の小槌を知ってる人には気前よく、ってな。



 その烏瓜の種の他にも…、とハーレイはブルーに種の話をしてやった。
「梅の種には天神様って神様が入っているだとか。遠い昔の日本って国には、種を何かに見立てる文化があったわけだな」
 種が落ちれば、其処から新しい木だの草だのが生えて来る。硬いだけの塊に見えてもな。
 そういった不思議さが種ってヤツをだ、天神様とか打ち出の小槌にしたのかもしれん。その種の文化を復活させて来た人たちの中の誰かが思い付いたんだろうな、風船カズラも。
「だから、何なの? 風船カズラ」
 打ち出の小槌とは全然違うよ、ハートマークのプロポーズの実だよ?
「お前だと言ったろ、前のお前だと」
「なんで前のぼく?」
 ハートマークも風船カズラも、前のぼくは関係ないってば!
 前のぼくの服にハートマークはついてなかったし、風船カズラだって植えてなかった。あの草は何処にも無かった筈だよ、シャングリラの。



「そりゃそうだろうな、あくまで見立てているわけだしな」
 前のお前がハートマークだとも、風船カズラを植えていたとも言っちゃいないさ、その話は。
 それで一つ、訊くが。
 前のお前や俺たちのための記念墓地。あれの構造、どうなっている?
「記念墓地?」
「ノアのでも、アルテメシアのでもいい。要は配置だ、記念墓地での墓碑の場所だな」
 前のお前のが一番奥に一つだけ立ってて、別格で…。
「そうだよ、ぼくだけ独りなんだよ!」
 酷いよ、その前にあるジョミーとキースのは並んでいるのに。二人並べて作ってあるのに。
「それはともかく、それ以外の連中は俺も含めて、その他大勢って扱いだよな?」
「そうだけど…。その記念墓地がどうかした?」
「三人分だけ、特別だろう?」
 前のお前と、ジョミーとキース。
 SD体制崩壊の立役者だった二人と、其処までに至る全ての始まりだった前のお前と。
 今の世界を作った三人。その三人の心臓がこいつに入ってるってな、風船カズラの実の中に。
 なにしろ必ずハートの種が三個入っているんだし…。
 三人の英雄の心臓が入った神秘の実なんだ、風船カズラは。



「こじつけだよ!」
 そんな種だと言われても困る、とブルーは叫んだ。
 いくら英雄扱いの三人であっても、由緒正しい烏瓜の種の打ち出の小槌には敵わないと。
 死の星だった地球が蘇るほどの時が流れても、歴史と重みがまるで違うと。
「そうさ、前のお前たち三人が生きてた頃にもあったからなあ、風船カズラは」
 シャングリラじゃ育てていなかっただけで、ごくごく普通に庭に植えられていた馴染みの植物。
 だから定着しなかったってな、新しい説を唱えてみても。
「なんでハーレイが知ってるの、それを?」
 定着したってわけでもないのに、何処で聞いたの、風船カズラと前のぼくたちの話なんかを?
「烏瓜の種を調べていた時、偶然な」
 俺の記憶が戻る前の話さ、お前と出会うよりもずっと昔に何処かで読んだ。
 それっきり忘れちまってたんだが、今日になって思い出したんだ。
 おかしなもんだな、風船カズラを貰って来た家、毎日のように前を通っているんだが…。いつも沢山実がついてるな、と眺めてるんだが思い出さないままだった。
 もしかしたら神様が教えて下さったのかもなあ…。
 前のお前たちの心臓が入った実だから、この大切な風船カズラを広めなさい、とな。



「そんなの、定着しなくていいから!」
 風船カズラなんか広めなくっていいんだから、とブルーが頬を膨らませる。
 自分は全く嬉しくないのだと、三人分の心臓が入った風船カズラの実は要らないと。
「いいと思うが…。実に見事な、いいこじつけだと思うがな?」
 実際、前のお前は頑張ったんだし、そのくらいの御褒美、貰っておけ。本当に英雄なんだから。
「……ぼくとジョミーとキースが最悪」
「は?」
 怪訝そうな顔をしたハーレイに、小さなブルーは大真面目な瞳で風船カズラを示して言った。
「種が三つが最悪なんだよ。二つしか入っていなかったら、許す」
 ぼくと、ハーレイ。
 二人分の心臓が入っているなら、風船カズラの種が前のぼくでも許してあげるよ。
「それは有り得んぞ!」
 どうして前のお前と俺になるんだ、種が二つで。
 前のお前とセットで二つの種だと言うなら、其処はジョミーかフィシスじゃないのか?
 キャプテン・ハーレイは絶対に出ない。
 ジョミーか、でなけりゃミュウの女神のフィシスしか無いぞ、前のお前と二つセットの心臓は。



 無理があり過ぎる、と唸るハーレイだったけれども。
 小さな恋人は風船カズラの種をつつきながら、澄ました顔で。
「うん、誰も見立ててくれないだろうけど…。ハーレイとぼくっていうのは無理だろうけど…」
 前のぼくとジョミーとキースの三人で、風船カズラのハートの種。
 そんなヘンテコな話があるなら、二つしか種が入っていない風船カズラ。
 種が入る部屋が二つしか無い、二つだけの種の風船カズラ。
 それが前のぼくとハーレイの実だよ、探してきてよ。
 そういう形の風船カズラの実を探し出して、「これだ」ってぼくに見せてよ、ハーレイ。
「どうするつもりだ、そんなのを探して?」
 絶対に無いとは言わないが…。
 何かのはずみに三つある筈の部屋が二つになっちまった風船カズラの実があるかもしれんが…。
 それを探してどうするんだ?
「決まってるでしょ、プロポーズだよ!」
 前のぼくとハーレイが入っている実を見付けたから、って。
 ハートのマークがくっついた実をプロポーズに使う人、いるんでしょ?
 ピッタリの実だよ、種が二つの風船カズラ。前のぼくとハーレイの心臓が入った風船カズラ。



 それがいいな、とブルーが言うから。
 見付けて来てよ、と小さなブルーが言うから、ハーレイは苦い顔をした。
「おいおいおい…。チビのお前には早すぎるだろうが、プロポーズは」
 探さないからな、種が二つの風船カズラ。なんで探してまで、チビのお前に渡さねばならん。
「そう言うと思った」
 ハーレイ、探してくれそうにないし。
 ぼくが小さくてチビの間は、絶対探してくれないんだ。プロポーズだってしてくれなくて。
「ふむ…。だったら、お前、こいつを育ててみるか?」
 この種を来年、庭に蒔いておけば風船カズラが生えて来る。今から蒔いておいてもいいぞ。芽が出る季節まできちんと眠って、春にヒョッコリ生えて来るから。
 芽が出て来たなら、水をやって大きく育ててやって…。
 実をドッサリとつけさせてやれば、望み通りの種が二つの実が一個くらいは出来るかもな。
 そしたらその実を俺に教えて、「あれを取って来て」と言えばいいんだ。
「やだ」
「何故だ?」
 お前が欲しがってる、種が二つの実じゃないか。
 チビのお前にプロポーズは出来んが、プロポーズごっこなら付き合ってやるぞ?
「プロポーズごっこは嬉しいんだけど…。本物のプロポーズだと、もっと嬉しいんだけど…」
 その前に、ぼくとジョミーとキースが沢山。三人分の心臓が入った実が沢山。
 二つしか種の無い風船カズラが出来るかどうかも謎なんだよ?
 出来なかったら何年育てても、ぼくとジョミーとキースの実ばかり。
 いつまで経ってもハーレイとぼくの心臓が入った実が出来なくって、腹が立つから。

「じゃあ、お前、この実は要らないんだな?」
 テーブルの上の、その種だって。
 前のお前とジョミーとキースの実だっていうだけで欲しくないんだ、と。
「腹が立つしね」
 ジョミーやキースと一緒にされても、ぼくはちっとも嬉しくないし!
 三人仲良く同じ実の中に詰まってるなんて、悪夢だよ。
 同じ実の中に部屋を作って、くっつくんなら断然、ハーレイ。部屋は二つだけあればいいんだ。
「ふうむ…。だったら、俺がプロポーズに風船カズラの実を持って来ても断るんだな?」
 プロポーズにとハートのマークの種を渡されたら、受ける場合は貰うそうだが…。
 それを大切に残しておいてだ、結婚してから新居の庭に植えるそうだが、お前は要らん、と。
 俺のプロポーズごと突っ返すんだな、ジョミーとキースがセットの実なんか要らない、ってな。
「…ど、どうしよう…」
 要らないって言ったら、そのプロポーズまで断ったことになっちゃうの?
 ひょっとしてハーレイ、プロポーズのつもりで持って来てたの、風船カズラ?
 ぼく、断ったことになってないよね、風船カズラの実のプロポーズ…?



 まさかプロポーズを断ってしまったのではないだろうか、と慌てふためく小さなブルー。
 プロポーズだったらどうしようか、と赤い瞳が揺れているから。
 不安の色を湛えているから、ハーレイは「大丈夫さ」と銀色の頭を褐色の手でポンと叩いた。
「そういうプロポーズの形はあるがだ、お前にはまだ早すぎだ、ってな」
 だから、お前は断っちゃいない。断るようにも俺は仕向けていない。
 風船カズラの実は持って来ただけだ、面白い話を思い出したから教えてやろうと思ってな。
「本当に? その実、受け取らなくてもいいの?」
「腹が立つんだろ、ウッカリ植えたら。種が三つの風船カズラがドッサリ出来たら」
 ジョミーやキースと一緒の家だと、三人分の部屋がセットだと、お前、嬉しくないんだろうが。
 今日の所は持って帰るさ、プロポーズのための実じゃないんだからな。
「持って帰るって…。ぼくの代わりに育ててくれるの?」
「ご近所さんの庭に放り込んでおく」
「えっ?」
「こいつを貰ったご近所さんの庭さ、風船カズラが大好きな家の」
 さっき教えたろ、今から蒔いても大丈夫だって。
 其処の家では種を蒔いてるわけじゃないんだ、秋に落ちた種が春に芽を出して育つんだ。垣根の所に放り込んでおけば、来年の春にちゃんと生えて来る。
 そうして夏には大きく育って、小さな緑の風船ってヤツが垣根一杯に揺れるわけだな。
 運が良ければ、お前の望み通りの実だってあるかもしれない。
 前のお前と、前の俺の心臓が入った風船カズラ。
 種が二つだけの風船が一個、何処かに混じってフワフワと揺れているかもなあ…。



「前のぼくとハーレイの心臓が入った風船カズラかあ…」
 部屋が二つしか無い風船カズラの実って、どんな形になるんだろう?
 ハーレイ、あったら直ぐに気が付く?
 もしもそういう実が混じってたら、沢山の中に一つだけでも見付け出せる…?
「そりゃまあ、なあ…。こんな話になっちまったからには、見付けた時には嬉しいだろうが…」
「ぼくたち、来年の風船カズラの実が出来る頃まで覚えてるかな?」
 今日の話を。種が二つの、部屋が二つの風船カズラは特別だってこと。
 前のぼくとハーレイの心臓が入った、素敵な風船カズラなんだってことを…。
「忘れてるだろ、何処かにデカデカと書いて張り紙でもすれば話は別だが」
「やっぱり?」
 忘れちゃうかな、そういう風船カズラの実が欲しかった、ってことも綺麗に。
 ぼくは子供だから忘れそうだし、ハーレイも色々と忙しいから忘れそうだよね…。
「うむ。お互い、明日には忘れてそうだな」
 風船カズラを何処かで見たって、前のお前とジョミーとキースの実だってことも思い出さずに。
 ハートのマークの種が入っているんだってことも、実だけ見てたら思い出さずに。
 しかしだ、種が二つしかない風船カズラの実に出会ったなら、俺は途端に思い出すだろうな。
 前のお前と俺のための実だと、二人分の心臓が入った実だと。
 お前はどうだ?
 そういう実、見付けたら思い出さないか…?
「思い出すに決まっているじゃない!」
 これをハーレイに教えなくちゃ、って目印を付けるよ、実のある所に。
 そして「取らないで下さい」って札も付けるよ、誰かが持ってってしまわないように。
 それから、風船カズラを育ててる人にちゃんとお願いするんだよ。
 この実を下さいって、この実を分けて欲しいんです、って。



 風船カズラの膨らんだ実には、一粒の種が入った部屋が三つずつ。
 一つの風船に種は三つで、ハートのマークがついた種は心臓。SD体制を倒した英雄たちを表す心臓の種が三つ入って、前のブルーと、ジョミーとキース。
 今はプロポーズにも使われる実の中に、三人の英雄の心臓があると言うのだけれど。
 ソルジャー・ブルーの生まれ変わりのブルーは不満でたまらない。
 種は二つで充分なのだと、前の自分とハーレイの心臓だけが入った実がいいのだと。種が入った部屋は二つだけ、三つ目の部屋は要りはしないし、欲しくもないと。
「ホントのホントに、種は二つでいいんだけどなあ…。風船カズラ」
「俺もお前と二人で入れる実がいいんだがな、ジョミーとキースに取られるよりはな」
「そうでしょ? 前のぼくとハーレイの部屋だけあったら充分なんだよ、風船の中」
「違いない。ジョミーとキースには出てって貰って、俺が住むとするか」
 変な形の実になっちまおうが、知ったことではないからな。
 風船カズラの実に前のお前が入っているなら、強引に俺が住み着くまでだ。
 ジョミーとキースは追い出しちまって、お前と二人で住むための部屋だけ作ってな。



 風船カズラの種が入った部屋が三つだからこそ、前のブルーとジョミーとキースなのだけれど。
 部屋が二つで種が二つでは、誰も彼らを思い出してはくれないのだけれど。
 もしもそういう実が出来たなら…、とハーレイとブルーは笑い合う。
 たとえ二人とも、今日の話を忘れ去ってしまった後であっても。
 その時には思い出すであろうと、この実が前の自分たちを表す実なのだ、と。
 二つの部屋で、二つだけの種。前のブルーとハーレイの心臓が入った風船カズラ。
 そうして二人、それを眺めて幸せに浸る。
 プロポーズはもう、とうの昔に済んだ後かもしれないけれど…。




           風船カズラ・了

※風船カズラの中には心臓が三つ。前のブルーと、ジョミーと、キース。そういうお話。
 素敵ですけど、広まらなかったみたいです。風船カズラの種についてるハートのマーク。
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 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




新学年が始まって間もない、うららかで穏やかな春の土曜日。今年も1年A組な私たちは会長さんの家に集っていました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってくれた桜のエンゼルケーキをお供にワイワイ賑やか、話題は春のお出掛けで。
「やっぱり狙い目は平日ですよね」
シロエ君が旅行のパンフレットと壁のカレンダーとを見比べながら。
「土日は料金が高くなりますし、平日の方がお得そうです」
「しかしだ、催行されない危険があるぞ」
此処だ、と指差すキース君。
「どのツアーも催行確定の日は土日で固めているからな…。下手に平日を狙うと人数不足で」
「あー、そっかあ…」
ジョミー君がひいふうみい、と頭数を数えて「うん、足りない」と。
「どれ見ても十五人になってるもんねえ、最少催行人数ってヤツ…。ぶるぅも一人で数えてみても九人にしかならないかあ…」
「あら、こっちのパンフは十二人からいけるみたいよ」
ほら、とスウェナちゃんがテーブルの真ん中に出して来たパンフレットは日帰りグルメツアーばかりを集めたもの。確かにどれも十二人からと書いてあります。でも…。
「俺たち全員で九人だぜ? まだ足りねえよ」
サム君の指摘どおりに三名分の人数不足。それくらいなら誰か他の人が申し込んでいそうな気もしますけれど…。
「九人いればいけるんじゃないの?」
残りは三人、とジョミー君。
「こういうのってさ、日が近くなっても集まりが悪い時には一箇所に集めると聞いてるよ」
「そのシステムも確かにあるな」
間違いない、とキース君。
「こっちの日でなら出発します、と連絡を入れて日にちを変更させるようだな。俺たちは九人もいるわけなんだし、他の三人を何処か別の日からかき集めてくれれば行ける可能性も…」
「そうですね! 九人といえば大人数です」
ぼくたちの希望が通りそうです、とシロエ君が「何処にします?」とカレンダーに目をやる横から会長さんが「待った!」と一声。
「九人いたって十一人の団体がいたら勝てないよ? そっちの方に寄せられてしまう。それにね、日にちの変更を言って来るのはギリギリも多いらしくって」
選択の余地がもはや無いのだ、と言われましても。とりあえず行ければオッケーなんじゃあ?



人数不足で催行直前に日程変更。普通なら困るケースですけど、私たちは出席義務のない特別生。サボる予定の日が変わるだけで問題は特に無さそうです。ん? 待てよ…。
「キース先輩がヤバイかもしれませんね?」
シロエ君が首を捻りました。
「月参りがあるんでしたっけ…。バッティングしたらアウトですよね」
「いや、今回は大丈夫だ。親父に貸しがあるんでな」
「「「え?」」」
キース君がアドス和尚に「貸し」。それは非常にレアなケースで、逆はあっても貸した話は滅多に耳に入りません。いったい何を貸したんでしょう? 他のみんなも興味津々。
「先輩、どういう貸しですか? 月参りって言えばかなりの回数、先輩が代わりに行かされる羽目になっていたかと思うんですが…。借りの作り過ぎで」
「まあな。しかし今回の貸しはデカイし、二回くらいは俺の予定が優先される。…なにしろ親父が香炉の灰を」
「「「香炉?」」」
「アレだ、御本尊様の前に置いてある大きな線香立てだ」
えーっと…。小型サイズの火鉢くらいあるアレのことですか? 法要の時に長いお線香がブスッと刺してあって全然短くなってくれない恨みがましいヤツのこと?
「そうだ、そいつだ。朝のお勤めの前に線香を立てるが、基本は俺がその係でな…。親父は最近、やっていなかった。それをだ、俺に貸しを作ろうと思ったらしくて朝一番に立てに行ってだ、日頃のサボリがモロに出たんだ」
「「「サボリ?」」」
「普段やらないことをやるとだ、こう、色々とヘマをする。親父は衣の袖を蓮に引っ掛けてよろけた挙句に香炉の縁を掴んだわけで」
御本尊様の前に飾られた金属製のキンキラキンの蓮の花。セットものの花瓶ごとだと一メートルはあろうかというソレは重量級で、アドス和尚の袖くらいでは揺らがなかったらしいです。代わりにアドス和尚のバランスが崩れて香炉の縁を掴んだものの、香炉よりはアドス和尚が重くて。
「……朝っぱらからデカイ香炉を落とされてみろ。俺が入った時にはブチまけられた灰がまだもうもうと舞っていたな。その片付けを引き受けた分の貸しが俺にはある!」
だからいつでも出掛けられる、と聞けば気分は大船。たとえ前日になってから「三日後にして下さい」と言われようとも問題なし、と思ったのですが。
「…まだまだ甘いね」
甘すぎる、と会長さんが首を左右に。何処かの詰めが甘かったですか?



「いいかい、ツアーの人数を寄せる時ってヤツはさ…」
これを見たまえ、と会長さんは日帰りグルメツアーのパンフレットをトントンと叩き。
「こっちが普通の食べ放題で、こっちは同じ食べ放題でも行き先不明のミステリーツアー。まるで行き先が違うようだけど、同じ食べ放題だろう? こういう二つを寄せたりするんだ」
「「「えぇっ!?」」」
「目的か行き先か、どっちかが合えば寄せるケースはあるんだよ。旅行会社も駄目で元々、ツアーを出せればオッケーって感じで必死だからね」
海外旅行でも寄せたりする、と聞いてしまうと人数不足は危険だという気がしてきました。ここは地道に催行確定の土日にしておくか、寄せられた時は諦めるか。
「うーん…。寄せられてもいいから平日かなあ」
空いている方が絶対にいい、とジョミー君が言い、マツカ君が。
「土日は道路も混みますしね。…悩む所です」
「混んだら予定が狂うものね」
せっかく行っても食事の時間がズレたら悲惨よ、とスウェナちゃんも。グルメツアーで食事の時間が狂うと辛いかもしれません。お昼御飯を食べに行くのに何時間も遅れたりしたら…。
「それ以前に何を食べたいわけ?」
会長さんの質問に私たちは顔を見合わせました。まずは日程と考えていたせいで、食事は二の次、三の次。とにかくグルメ、と思っただけで何という目的があったわけでは…。
「えーっと…。何でもいいから美味しい物かな?」
ジョミー君が答え、シロエ君も。
「特にコレって決めてたわけでは…。食べたい人が多い料理でかまいませんよ」
「そういうことなら狙いコレだね」
会長さんが示したコースには「踊り食い」の文字が。
「この時期ならではのグルメだよ、これ。シロウオの踊り食いは春の風物詩! それとアワビの残酷焼きがセットものだし、このコースだったら行きたい人も多い筈!」
「「「…踊り食い…」」」
生きたまま食べるアレのことか、と理解は出来ましたが未知の味覚の世界です。残酷焼きもよく聞きますけど、どういう料理でしたっけ?
「残酷焼きはそのまんまだよ。生きたアワビを網に乗っけてジュウジュウ焼くのさ」
「かみお~ん♪ アワビの残酷焼き、美味しいよ! 踊り食いも!」
「「「………」」」
残酷焼きはともかく、踊り食い。生きたままで食べても美味しいのかな?



なんだか少し恐ろしそうな春の風物詩の踊り食い。けれど人数が集まりそうなツアーだと聞くと、この際チャレンジという気もします。美味しくなくても他にも料理はあるのでしょうし…。
「…踊り食いにする?」
ジョミー君がグルリと見回し、キース君が。
「坊主の俺が踊り食いか…。まあ、後でお念仏を唱えればいいか」
「そういや思い切り殺生の罪になるよなあ、踊り食い…」
坊主にはちょっとヤバイだろうか、とサム君もお念仏がとうこうと。なんだか抹香臭い感じになってきたぞ、と思ったものの、言い出しっぺの会長さんだって伝説の高僧なのですし…。
「オッケーなんじゃないですか? 会長だってお坊さんです」
それも伝説の銀青様です、とシロエ君が太鼓判を押した所で、後ろから。
「踊り食いだって?」
美味しいのかな、と聞こえた声にバッと振り返って見てみれば。
「こんにちは。ぼくにも桜のエンゼルケーキ!」
中身がピンク色というのがいいね、と出ました、紫のマントの会長さんのそっくりさん。降ってわいたソルジャーは空いていたソファにストンと腰掛け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッとケーキと紅茶を用意して…。
「うん、美味しい! …でもって、踊り食いってヤツも美味しい?」
「それはまあ…。改めて美味しいのかと聞かれると…」
どうだろう? と会長さんが考え込んで。
「いわゆる料理とは少し違うし、素材の味っていうのでもないし…。ゲテモノの部類に分類した方が君には分かりやすいかも…。生きた魚を丸飲みだからね」
「……凄いね、それ……」
その発想はぼくの世界には無い、とソルジャーの赤い瞳がパチクリと。
「踊りながら食べるってわけじゃないのか、食材の方が踊るんだ?」
「正確に言えば暴れるんだよ、なにしろ生きたまま飲まれるわけだし」
「ふうん…。生きた食材を丸飲みねえ……」
それは魚よりもハーレイがいいな、と妙な台詞が飛び出しました。まさかキャプテンが踊るんですか? でもってそれを丸飲みすると? あんな大きなキャプテンの身体をとうやって?
「あっ、勘違いされちゃった?」
ごめん、ごめん、と笑うソルジャー。
「ぼくが飲みたいのはハーレイが出す新鮮な」
「退場!!!」
会長さんがビシッと指を突き付けています。キャプテンの新鮮な何を飲むわけ…?



喋ると退場になってしまうらしい、キャプテンが出す新鮮な飲み物とやら。いったい何のことなのだろう、と首を捻っているとソルジャーが。
「分からないかなあ、その程度の知識はある筈だよ? ぼくは飲んでも大丈夫だけど、女性だったら子供が出来るかも…」
「「「!!!」」」
アレか、と息を飲む私たち。もうその先は結構です、と真剣に退場をお願いしたくなりましたが。
「どうせだったら踊って貰うのも悪くないかも…。ストリップとか、ちょっとドキドキするかも」
「そういう話は君の世界でやりたまえ!」
さっさと帰れ、と会長さんも怒り心頭。
「此処の連中には理解不能だし、ぼくにもそういう趣味は無いから!」
「えーーーっ? 美味しそうだと思うけどねえ、新鮮なハーレイの踊り食い」
見えそうで見えない感じで踊ってくれれば更にときめく、とソルジャーの勢いはノンストップ。
「君だって実際に見たらときめくかもだよ、おまけに活きがいいんだよ?」
「ときめかないし!」
「……そうかなあ? でもさ、一見の価値は絶対あるって!」
踊り食いならハーレイで、とソルジャーの話はグルメツアーから遠ざかりつつあるようです。私たちはグルメツアーの行き先と日にちを相談しようと集まっただけで、キャプテンの魅力がどうであろうと知ったことではないんですけど…。
「えっ、ハーレイの魅力かい? ぼくから見れば素敵だけどねえ、身体もいいしパワーたっぷり! こっちのハーレイもヘタレが直れば凄いと思うよ、そのためにも踊り食いが絶対オススメ!」
「「「…は?」」」
なんでそういうことになるのだ、と突っ込みどころが満載な台詞。けれどソルジャーは滔々と。
「とりあえず目で見て楽しむトコから始めてみればいいんじゃないかな、ハーレイの魅力! ストリップもいいけど最初から裸で踊るというのも刺激的かも…」
素っ裸でも見えそうで見えない感じで焦らす、とソルジャーの瞳はまるで肉食獣のよう。
「見えない所が更に食欲をそそると思うよ、早く食べたいって気持ちになるよね」
「それは君限定の話だから!」
「うーん…。どうやら君とは致命的に話が合わないらしいね、だけど試してみたくないかい? ハーレイが裸で踊るんだよ? そういうイベント、君は好きかと」
「好きじゃないから!」
誰がハーレイの裸踊りなんかを見たいものか、と怒鳴り付けてからピタリと黙った会長さん。顎に手を当てて考え込む姿に不吉な予感がヒシヒシと…。もしかして何か閃きました…?



「……裸踊りかあ……」
悪くないかも、と会長さんがボソリと呟くまでの間に沈黙の時間が五分か、あるいは十分か。やたらと長く感じられた割には、実際は一分間も無かったのかもしれません。嫌な予感は大当たり。裸踊りって何なんですか、踊り食いは何処へ行ったんですか~!
「踊り食い? それはまた別の話ってことで」
まずは裸踊りを見てからにしよう、と会長さんはニヤニヤニヤ。
「あのハーレイが真っ裸になって踊るんだよ? ぼくに魅力をアピールと言えば喜んで脱ぐと踏んだけど? でもって実際はアピールどころか大恥ってね」
「「「大恥?」」」
「そう! 上手く踊らないとアピールどころか丸見えコースで赤っ恥! 女子にはモザイクをサービスするから、此処は是非とも踊って貰おう」
「…それってどういう踊りなのさ?」
ソルジャーが怪訝そうな顔。
「見えそうで見えない所がいいとは言ったけれどさ、それと関係してるわけ?」
「大いに関係しているね。実はこっちの世界の宴会芸には裸踊りというのがあって」
「裸踊り?」
「うん。素っ裸になって踊るんだけれど、大事な部分はお盆で隠して見えないようにするんだよ。両手に持ったお盆を如何に素早く上手に動かし、見られないように踊るかが腕の見せどころでさ」
それをハーレイにやらせてみよう、という恐ろしい言葉に私たちはドン引きでしたが、会長さんが何かを思い付いた時には逆らうだけ無駄で逃亡不可能。グルメツアーで踊り食いの予定は遠くに消え去り、裸踊りなんかを拝んだ後には踊り食いを食べたい気持ちも多分残っていないでしょう。
「…エライことになってきたような気が…」
シロエ君が遠い目になり、キース君が。
「諦めろ。…あいつが横から出て来た時点でヤバいフラグは立っていたんだ」
ツアーに同行されるよりかはマシだと思え、と言われてみればその通り。踊り食いに興味を示したソルジャーがキャプテンと一緒に来ると言い出したら断れません。
「ついでにツアーの最少催行人数ってヤツを考えてみろ。俺たちだけでは九人しかいないが、あいつらがぶるぅを連れて来やがったら十二人になって出発可能だ」
「「「うわー…」」」
その面子で下手にツアーに出掛けてロクでもない目に遭わされるよりは、今の展開の方がまだマシです。ツアーは潔く諦めるべし、と私たちは涙を飲みました。それだけで済めばいいんですけど、問題は裸踊りの方。教頭先生が裸でお盆だけを持って踊るんですか、そうですか…。



教頭先生がお盆だけを持っての裸踊り。そんな宴会芸をお持ちだとはとても思えませんから、大惨事になることは見えていました。上手く隠せないで丸見えになってモザイクなコースまっしぐら。それでも教頭先生が会長さんに言いくるめられて踊るであろうことも確実で。
「…ツアーで赤っ恥もアレですけれど…」
こっちも大概な話ですよね、とシロエ君がボソボソと。
「恥をかくのは教頭先生お一人ですけど、もう目に見えるようですよ。赤くなったり青くなったりでお気の毒な図が」
「うんうん、赤くなるだけじゃ済まねえかもな」
場合によっては真っ青だよな、とサム君も。
「上手く隠して踊れりゃいいけど、しくじったら顔色ねえかもなあ…」
「運動神経の良さと踊りが関係するかが謎だしな…」
どうなるんだか、とキース君。
「バレエのレッスンは続けておられるが、踊りがまるで別物となればヤバそうだ」
「なるほど、運動神経ねえ…」
それは使える、と会長さんがニンマリと。
「普通に裸踊りをさせるだけより面白そうだし、赤とか青とか聞いちゃったらねえ…」
「「「は?」」」
「旗揚げゲームを知らないかい? アレを応用しようかと」
「「「えぇっ?!」」」
旗揚げゲームって赤と白の旗を持つヤツですよね? 赤上げて、白上げて…って…。
「なんだい、それは?」
ソルジャーが身体を乗り出しています。そっか、ソルジャーの世界には旗揚げゲームは無いんだ?
「なんか赤とか白とかって…。それって、どういうゲームなわけ?」
「ああ、それはね…。赤と白には限らないけど、とにかく両手に旗を持つわけ。そして号令に合わせて動く。赤上げて、と言われれば赤で、白上げて、だったら白の旗を」
「…ふうん? それで裸踊りがどう面白くなると?」
別の世界の住人なソルジャーは旗揚げゲームの真髄を理解していませんでした。会長さんが「百聞は一見に如かずと言ってね」と画用紙をチョキチョキと切って割り箸をつけて旗の出来上がり。
「はい、これを持って」
「……???」
目をパチクリとさせながらもソルジャーは素直に赤と白の旗を持ちました。ソルジャーは最前線で戦闘をこなす本物の戦士だと聞いてますけど、旗揚げゲームはどうなるでしょうね?



両手に旗なソルジャーがリビングの中央に立って、私たちは俄かギャラリーに。会長さんが「それじゃいくよ」と声を掛けてから。
「赤上げて!」
「うん」
ヒョイとソルジャーが赤の旗を上げ、次に飛んだ指示は「白上げて」。これも見事にクリアです。
「赤下げないで、白下げて!」
「えっ?」
ソルジャーの赤い旗は下がりましたが、白の旗はグンと更に高く上がってしまって。
「白下げて、と言ったけど?」
「う、うん…。ぼくとしたことが、ついミスった」
次はやる! とソルジャーが白の旗も下げ、会長さんが「続き!」と叫んで。
「赤下げて、白上げて!」
今度は指示のとおりに上手く動いたソルジャーですけど、その次は。
「白上げて! 赤下げて!」
「……あっ……」
ミスった、と舌打ちするソルジャー。白の旗と一緒に赤の旗も上に上がっていました。
「な、何なわけ、このゲーム? 戦闘だったら死んでそうだけど…」
「そりゃ確実に死ぬだろうねえ? 君ですらこういう状態となれば、ハーレイは上手く出来ると思うかい? 柔道も古式泳法もこなすとはいえ、使う神経が別物だしね?」
「………。つまり君はコレを」
「お盆でやる!」
赤と白のお盆を買いに行かなきゃ、と会長さんの唇に浮かぶ笑み。
「見えそうで見えないどころじゃないよ? 見せないつもりが自分で全開。しかもこっちが出している指示に従っていればモロ出しは無くて、しっかり隠れる筈なのにねえ?」
「…そ、それは……。思った以上に凄そうだねえ……」
「普通に裸踊りをしろと言っても踊れないだろうし、踊る代わりに旗揚げゲーム! 踊るよりかは楽な筈だよ、お盆の使い方を親切に教えてあげるんだからさ」
「「「………」」」
どの辺がどう親切なのだ、と突っ込みを入れたい気分でしたが、そんな勇気を持っている人は誰一人として居ませんでした。教頭先生の裸踊りは赤と白のお盆を持っての旗揚げならぬお盆揚げゲーム。モロ出しになることはまず避けられず、晒し者へと一直線です~!



こうして教頭先生の全裸でお盆揚げゲームが決定しました。しかも…。
「「「今夜!?」」」
明日とかじゃなくて、と口をパクパクさせる私たち。まさかそんなに早いとは…。
「思い立ったが吉日なんだよ、幸い、お盆も買えそうだから」
ちょうどデパートにそういう品が、と会長さんはニッコリと。
「ぶるぅ、食器売り場のこのコーナーの…。分かるかい?」
サイオンで場所を伝達中らしい会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「うんっ!」と返事を。
「あそこのお盆を一つずつだね、赤いのと白と!」
「そう。それでね、ハーレイにプレゼントするからそういう包みにして貰ってよ」
「オッケー! えとえと、お盆だけど…。プレゼント包装だったらリボンがいいかなぁ?」
「水引に熨斗よりリボンだろうねえ、その方がハーレイもときめくしね?」
おまけに中身が紅白セット、と会長さんはパチンとウインク。
「旗揚げゲームを思い付いた時はそこまで連想しなかったけれど、ハーレイの大事な部分を包むトランクスは紅白縞! お盆が紅白なのも何かの縁だよ、アソコを隠すには最高のチョイス!」
「なるほどねえ…。確かに言われてみればそうだね」
紅白縞かぁ…、とソルジャーがしみじみ頷いています。
「トランクスの次はお盆をプレゼントして隠して貰う、と。けっこう感動的な展開」
「そうなんだよねえ、此処は是非とも強調したい。ハーレイのアソコには紅白なんだ、と」
「せっかくだから食べてあげればいいのに…。踊り食いは食べてなんぼだと思う」
「嫌だってば!」
熨斗をつけて君に進呈する、と吐き捨てるように言う会長さん。
「ぼくは君とは違うから! ハーレイなんかにときめかないから!」
「…じゃあさ、貰って食べてもいいかな? 踊り食いをしたい気分になったら…、だけど」
「面倒なことになるじゃないか! ぼくそっくりの顔でそういうのは!」
「さあ、どうだか…」
相手はぼくのハーレイじゃないし、と返すソルジャー。
「ぼくのハーレイなら踊り食いとくればもれなくオッケー、大歓迎だと思うけどねえ…。こっちのハーレイはどうだろう? ぼくが食べる前に鼻血で倒れてそれっきりとか、ありそうだけど?」
「それがあったか…」
食べる所までいかないのか、と会長さんは暫し考えてから。
「ぶるぅ、買い物に追加でお願い! 一つ上の階の…」
「分かった、水引コーナーだね!」
季節外れだけど訊いてみる! と叫んで「そるじゃぁ・ぶるぅ」は瞬間移動でお出掛けで…。



「ただいまぁー! 買ってきたよー♪」
紅白のお盆と屠蘇飾り! と弾む足取りの「そるじゃぁ・ぶるぅ」が戻って来ました。リボンがかかった包みが一個と、何やら小さな紙袋と。
「お盆はセットで包んでくれたよ、この中に二つとも入ってるから!」
「ありがとう。屠蘇飾りも売っていたんだね?」
「うん! ブルーがお目出度そうなのがいいって言っていたから松竹梅なの!」
「「「???」」」
屠蘇飾りとは何だろう、と思っていれば会長さんが紙袋を開け、中から「はい」と。紅白の和紙を三角形に折って更に襞を畳み、金銀の水引と松竹梅の造花がド真ん中についた飾りです。
「お正月のお屠蘇の器につけるヤツだよ、見たことないかい?」
「「「あー…」」」
注ぎ口の側の取っ手に結んであった…かもしれません。お屠蘇なんて適当にしか見てませんでしたし、イマイチ自信が無いですけれど。
「そのイメージで合ってるよ。ブルーには分からないだろうから付けてみるけど」
会長さんが瞬間移動で取り出した漆塗りのお屠蘇の器。注ぎ口の方の取っ手に飾りを結んでソルジャーに「こう」と示してみせて。
「どうせだったら紅白尽くし! それに君はハーレイを食べたいと言うし、熨斗の代わりにコレをつけようかと」
「…何処に?」
問い返しつつもソルジャーの瞳がキラキラと。ロクでもないことを考えている時の表情ですけど、会長さんは案の定…。
「決まってるだろう、アソコだよ! 自分で装着して貰うけどさ、モザイクをかける範囲が少し減る……かもしれない」
「嬉しいねえ…。こんなにお目出度い飾りが付く、と」
「踊り食いしたいらしいしね?」
松竹梅と水引つきでプレゼントする、と得意げな顔の会長さん。
「裸ってだけじゃ芸も無いしねえ、飾りをつければ笑いが取れる。ハーレイにはそうは言わないけどさ。君かぼくかが美味しく頂くための飾りなんだ、と言えば感激!」
「うんうん、注ぎ口の上に付くわけだしね!」
趣味がいいねえ、とソルジャー、ベタ褒め。でも本当に趣味がいいのでしょうか? 素っ裸な上に大事な部分に松竹梅の屠蘇飾りなんて、かなり悪趣味とか言いませんか…?



トントン拍子に決まった上に準備も整った踊り食いならぬ裸踊り。見てしまった後では食欲が失せてしまうかも、と私たちは夕食の焼肉を胃袋にたらふく詰め込みました。これで当分、食べられなくてもバテることだけは無いでしょう。
「「「御馳走様でしたー!」」」
美味しかったぁ! とは言い合ったものの、これから先が問題です。いそいそとお片付けをしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」が役目を終えたら、強制的に連行で…。
「かみお~ん♪ そろそろお出掛けする?」
「そうだね、お盆と屠蘇飾りと…。うん、準備オッケー!」
会長さんが持ち物を指差し確認、ソルジャーも移動しやすい場所に移ったかと思うとサイオンの青い光がパァァッと溢れて、アッと言う間に。
「こんばんは、ハーレイ」
「うわぁっ!?」
リビングのソファで寛いでいらした教頭先生、滑り落ちそうになっておられます。それでも懸命に体勢を立て直し、座り直して。
「何の用だ? 今日も人数が多いようだが…」
「ブルーのことかな? そのブルーが色々と提案してくれて…。実は君の踊り食いってヤツをしてみたくって」
「は?」
ポカンと口を開ける教頭先生。いきなり踊り食いと言われた所でピンとくる筈が無いですし…。
「ほら、春の風物詩と言えばシロウオの踊り食いだろう? あれを食べに行こうかって話をしていた所にブルーが来ちゃって、同じ活きのいいのを食べるならハーレイだよ、って」
「………」
教頭先生の指が鼻の付け根を押さえました。早速鼻血の危機ですか! 会長さんもクスクスと。
「その様子だと、分かってくれたみたいだねえ? ブルーは君の大事な所を踊り食いで食べてもいいかと言っているわけ。ぼくにもオススメの食材らしくて、是非食べてみろと」
「そ、それは…。いや、しかし私はお前だけだと…」
ソルジャーの方をチラチラ見ながら、教頭先生は耳まで真っ赤。会長さんがクッと喉を鳴らして。
「味見くらいは許してあげたら? ぼくがそれを見て食べたくなるって可能性もあるし」
「…う、うむ…。そ、そうだな、味見くらいなら…」
「じゃあ、決まり! それでね、踊り食いのために君にプレゼントを買ってきたんだよ。踊り食いには裸でないといけないからねえ、大事な所はコレで隠す、と」
トランクスの色に合わせてみたよ、と会長さんが差し出した包みの中は言わずと知れたお盆のセット。リボンを解いて包装紙を剥がした教頭先生、ウッと仰け反っておられましたが…。



「よし! 私も男だ、裸踊りだかお盆揚げだか、踊り食いのためならやってみせよう」
教頭先生の決意表明に会長さんとソルジャーがパチパチと拍手し、私たちも促されて拍手喝采。裸踊りの覚悟を決めた教頭先生、まずはシャワーを浴びて来ることに。
「やはりマナーは大切だしな? ボディーソープの香りに好みはあるのか?」
「ぼくは特に」
適当にどうぞ、と会長さんが言えば、ソルジャーが。
「普段使いのヤツで充分! 本音を言えばさ、シャワー抜きでお願いしたいかも…。君の味が薄れてしまうからねえ…」
「…は、はあ…」
またまた鼻血の危機な教頭先生、鼻の付け根を指でググッと。けれどソルジャーは気にせずに。
「ぼくとしてはナマの君の味を楽しみたいんだけれども、ブルーの方は初心者だしね? 万一、味見をしたくなった時にシャワー抜きだとキツイしねえ…。とりあえず綺麗に洗って来てよ」
「…わ、分かりました…」
行って来ます、とバスルームに向かおうとした教頭先生に会長さんが。
「いけない、コレを忘れてた! 君の一番男らしい部分に結んで飾って欲しいんだけど」
「…これは?」
「屠蘇飾り! 注ぎ口はお目出度く飾りたいしね?」
「そ、注ぎ口…」
ますます鼻血な教頭先生、片手で鼻の付け根を押さえながらも空いた手で屠蘇飾りを受け取って…。其処へソルジャーが艶やかな笑みを湛えつつ。
「そう、上手く行ったら文字通り注ぎ口ってね! 君が大好きなブルーの中にさ、活きのいい君の熱いヤツをさ、もうたっぷりと注ぎ込んで…、って、鼻血かい?」
「…す、すびばせん……」
失礼します、は「ひつれいひまふ」としか聞こえませんでした。私たちに背中を向けた教頭先生、屠蘇飾りを手にして大股でリビングを出てゆき、バスルームへ。踊る前から鼻血決壊、あんな調子で裸踊りが出来るんでしょうか…?



暫く経ってバスローブ姿で戻ってこられた教頭先生は、股間の辺りを見下ろして。
「…そのぅ、些か……。間抜けな感じがするのだが……」
「何が?」
何処が、と会長さん。教頭先生は言いにくそうに。
「…お前がくれた屠蘇飾りだ。言われたとおりに結んではみたが、風呂場の鏡に映してみたら…」
「間抜けだって? 歴史ってヤツと深く関わる古典の教師の言葉とも思えないけどねえ…。屠蘇飾りは伝統と由緒あるお目出度い縁起物だよ? お正月もハズしたこの時期、君の注ぎ口を飾るためにだけ探して買うのはとっても大変だったんだけど…?」
「…す、すまん…! お前の心遣いを間抜けだなどと…」
本当にすまん、と謝りまくる教頭先生は屠蘇飾りが普通にデパートで買えたことなど御存知ないに違いありません。会長さんが苦労して買ったと思い込んだ先には感激あるのみ。
「お前が私のアレに敬意を表してくれたからには、その心意気に応えねばならんな」
「そうだよ。ぼくはともかく、ブルーがお目出度い気持ちで味見出来るよう、心をこめて選んだ屠蘇飾りだしね。松竹梅も付いているだろ、裸踊りは梅なんかよりも松でお願いしたいな」
「うむ! 松の上があるならそれを目指して頑張るとするか」
「上等、上等! それじゃ張り切っていってみよう! まずは脱いでよ」
会長さんに促された教頭先生はすっかりその気。バッとバスローブを脱ぎ捨てた下は見事なまでの真っ裸でしたが、股間に輝く屠蘇飾り。モザイクでサッパリ分からないものの、大切な部分に結び付けて飾ってあるものと思われます。でも…。
(((うぷぷぷぷぷ…)))
思念波にこそ乗らないものの、誰もが心で笑っているのが分かりました。褐色の肌と筋肉の隆起が逞しい立派な身体に取ってつけたように屠蘇飾り。おまけに松竹梅つきで…。
「おっと、ハーレイ! 最初から全開というのはマズイよ、それじゃチラリズムにならないし!」
「そ、そうだな、コレで隠すのだったな」
申し訳ない、と慌てて二枚のお盆で前を隠した教頭先生、俄かに羞恥心が戻ったらしく。
「………。お前とブルーはともかく、其処の連中も踊りを見るのか?」
「そうだけど? 今更赤くなってもねえ…。鈍いんじゃないの?」
思い切り全開にしていたくせに、と鼻先で笑う会長さん。しかし教頭先生の恥じらい精神、戻ったが最後、居座るようで。
「…こ、こんなに大勢いる所でだな、……ウッカリ見えてしまったら……」
「そのためにお盆が二枚もあるし! 指示のとおりに動いていればね、もう絶対に見えないから! たまに見えたらチラリズムってことで、ブルーは最高にときめくそうだし」
頑張っていこう! と乗せられた教頭先生、頬を染めつつお盆を持ってスタンバイ。いよいよ踊り食いという名の裸踊りの始まり、始まり~!



「赤、上げて! 白下げて!」
会長さんの号令に合わせて赤と白とのお盆が上下。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにソルジャーは手拍子を打って盛り上げ役です。
「白下げて、白下げて、白上げないで赤上げて!」
「「「!!!」」」
教頭先生、赤と白のお盆を高々と掲げて万歳のポーズ。白は上げない筈ですが…?
「す、すまん…!」
大慌てで白のお盆で股間を隠す教頭先生ですけど、会長さんは。
「どういたしまして。ミスった時だけチラリと見えるのがいいってね。…そうだよね、ブルー?」
「それはもう! 実に美味しそうな感じを受けたよ、屠蘇飾り付きの注ぎ口!」
「…は、はあ…。どうも、お褒めにあずかりまして…」
恐縮です、と照れる教頭先生は嬉しそう。失敗すれば恥はかいてもチラリズムですし…。
「ふふ、チラリズムも塵と同じで積もれば山になるってね」
さあ、頑張ってブルーにアピール! と会長さんはブチ上げました。
「積もり積もって山にするのも一興だよ、うん」
「そうだよねえ…。ついでに文字通り山になるよう期待してるよ、ググンと育って食べ頃に!」
それでこそ味見のし甲斐がある、とソルジャーの舌が自分の唇をペロリ。
「ぼくが育ててあげてもいいけど、そこのブルーのハートを射抜くなら自分で育ててなんぼだよ」
「まあね。…ブルーを押しのけて食べたい気分になるかどうかは君次第!」
チラリズムを極めて努力あるのみ! と会長さん。
「どんどん言うから張り切って! 白上げないで赤下げて、赤下げて、赤下げないで白上げて!」
「うわぁ!」
またしても万歳をして股間全開の教頭先生、それから先も何回も…。そして。
「赤上げないで白上げて、白下げて、赤上げて、赤上げないで白上げて!」
赤上げないで白上げて。この状態でどう捉えるかが勝負ですけど、股間全開を防ぐためには赤のお盆は下げるもの。もちろん教頭先生は赤を上げたまま白のお盆も上げてしまって…。
「も、申し訳ない!」
バッとお盆を下げるよりも早くソルジャーがサッと前に出ました。
「ブルー、そろそろ味見していい? ハッキリ言ってぼくが限界! もう食べたい!」
そう叫ぶなり屠蘇飾りの辺りを鷲掴み。モザイクのせいで何が起こったかサッパリ分かりませんでしたけれど……。



「……結局、踊り食いも失敗したって?」
分かり切ってたことじゃないか、と勝ち誇っている会長さん。屠蘇飾りだけを纏った教頭先生が床に仰向けに倒れておられて、その脇でソルジャーがブツブツと。
「あの勢いならいけると思った! ハーレイだってノリノリだったし!」
「あくまで旗揚げゲームの方だろ、注ぎ口の方はどうだったんだか…」
「絶対いけてた! あの感じだったら食べられた!」
なのにどうしてこうなったのか、とソルジャーは深い溜息を。
「…なにも失神しなくても…。せっかくの味見のチャンスがパアに……」
こんな状態になっちゃってはねえ…、と嘆きまくっているソルジャーによると、教頭先生の大事な部分は屠蘇飾りが「もったいなさすぎる」姿と化しているのだとか。
「なんだっけ、松竹梅だっけ? コレを付けるとお目出度いんだよねえ、注ぎ口」
「あくまでお屠蘇の話だけれど?」
誰もハーレイの話はしていない、と会長さんが言いましたけれど、ソルジャーは。
「その辺はどうでもいいんだよ。お目出度い飾りなら貰っていいかな、ぼくのハーレイ用に一つ欲しいし」
「「「は?」」」
「注ぎ口をお目出度く演出するための飾りだろう? まさに異文化、たまには違うシチュエーションで楽しむ時間も悪くないしね」
是非欲しい、と真顔のソルジャーが屠蘇飾りをどう使う気なのかは怖くて訊けませんでした。会長さんの許可を貰っていそいそと外し、大喜びで消えてしまいましたが…。
「…なあ、あの飾りって…。何か効果があるのかよ?」
貰って帰っちまったぜ、とサム君が首を捻って、会長さんが。
「ブルーも趣味が悪いとしか…。踊り食いとか言い出すほどだし、最初から趣味は悪いけど」
ついでにハーレイも最低最悪、と会長さんは屠蘇飾りすらも失くしてしまった教頭先生をゲシッと蹴飛ばしました。
「何処の世界に惚れた相手に裸踊りを披露する馬鹿がいるんだか…。チラリズムどころか露出狂だろ、どう考えても普通に変だろ!」
「「「………」」」
誰が最初に言い出したんだ、と突っ込みたくても命が惜しい私たち。会長さんもソルジャーも、口車に乗せられた教頭先生も大いに変だと思います。グルメツアーが何処で化けたか、裸踊りで踊り食い。当分グルメは結構ですから、二度と騒ぎに巻き込まないで下さいです~!




          愛の踊り食い・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生がする羽目になった、お盆を持っての裸踊り。しかも旗揚げゲーム風に。
 大興奮のソルジャーでしたけど、結末は…。そうそう上手くはいきませんよね、お約束。
 そしてシャングリラ学園番外編は来月、11月8日に連載開始から8周年を迎えます。
 7周年記念の御挨拶を兼ねまして、11月は月に2回の更新です。
 次回は 「第1月曜」 11月7日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、10月は、キノコ狩りのシーズン。山に出掛けてスッポンタケ探し?
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









(ほほう…)
 開いていた新聞を次のページへとめくったハーレイの顔が綻んだ。
 以前だったら気にも留めずにページを繰っていたであろう、ブライダル特集。広告なども挟んで数ページにわたる、ウェディングドレスや花や挙式といった華やかな記事。
 結婚式が多い季節だし、今日は休日。結婚を考えている人は是非読んでくれということだろう。
(今はまさにベストシーズンだしな?)
 人気の季節は春と秋、それにジューンブライドで知られた六月。秋の土曜日ともなれば、新聞で特集を組むだけの価値はありそうだ。
(現に俺だって気付いたわけだし…)
 休日もハーレイは普段通りの時間に起きていた。ブルーの家に出掛けるにはまだ早いから、この記事をゆっくり読む時間がある。
 そう、大きなマグカップに淹れた熱いコーヒーを楽しみながら。



(こいつはブルーには無理だろうなあ…)
 朝一番に届いている筈だけれども、ブルーの家での新聞の定位置はダイニングのテーブル。
 小さなブルーは其処で朝食を食べているのだが、テーブルにはブルーの両親も居る。新聞は父が真っ先に読んで、次が母かブルーといった所か。
 たとえ父や母が広げる新聞にこの記事をブルーが見付けたとしても。幸運にも自分が広げた時に気付いたとしても、両親の目が其処にあるのだから。
 この記事はきっと読めないだろう。小さなブルーにブライダル特集は似合わない。女の子ならば夢一杯の記事で通るが、ブルーは少年。まさか花嫁になる予定だとは言えもしないし…。
(気の毒だが、あいつにはまだ早いってな)
 こういった記事に両親の前で齧り付くには幼すぎるブルー。
 どんなに中身が気になったとしても。



(代わりに俺が読んでおいてやるさ)
 将来のための参考にな、と言い訳しつつ、あちらこちらと読み進めていたら。
(サムシング・フォーか…)
 花嫁の幸運のおまじない。結婚式の幸せのおまじない。
 何度も耳にした言葉だけれども、由来などが詳しく書かれたものには初めて出会った。それとも今までは自分には無縁な世界のものだとチラリと眺めただけだったろうか。
(確か、四種類を用意するんだったな)
 結婚式を挙げた友人たちから聞いていたから知っていた。花嫁のためのおまじない。



 今でこそ馴染みの習慣だったが、前の自分はそれに出会ったことすら無かった。
 白いシャングリラで、ブルーと暮らしたあの白い船で、恋人たちを見て来たけれど。遥かな昔にキャプテンとして結婚式に立ち会っていたのだけれども、簡素だった彼らの結婚式。
 結婚指輪すらも無かった彼らに、サムシング・フォーなどがある筈も無かった。豪華なドレスも船には無かった。
(それにだな…)
 前の自分が生きた頃には無かった習慣。サムシング・フォーそのものが無かった時代。
 マザー・システムによって消されていた文化。不要と判断され、消された文化。
 SD体制下で普及していた文化の基礎になった地域の習慣なのに。
 広い宇宙の何処へ行っても、何処の星でも同じ文化しか無かった時代の根幹に選ばれた遠い昔の地球にあった文化。サムシング・フォーは其処に根付いていたのに…。



(あの時代には要らんものだったしな?)
 血縁などまるで無かった時代。家族が作りものだった時代。
 人間は人工子宮から生まれ、養父母に育てられ、成人検査で記憶を処理され、そして結婚。
 その結婚すらも、機械によって振り分けられたコースに従い、選ぶもの。
 コースから外れたミュウには関係無かったけれども、代わりに人権が全く無かった。
(あの頃を思えば、夢のような世界に来ちまったもんだ)
 ブルーとの結婚に備えてブライダル特集を読む日が来るなど、本当に夢にも思わなかった。前の自分に教えてやったら、きっと冗談だと苦い顔をされるに違いない。
(だが、今度はブルーと結婚式を挙げるんだしな?)
 まだ十四歳にしかならないブルーが、十八歳を迎えたならば。
 背丈が百五十センチのままのブルーが、前のブルーと変わらぬ姿に育ったならば…。



 その日のために、と読むことに決めたサムシング・フォーに纏わる記事。
 花嫁になるブルーに幸運をもたらすアイテムとやらは、きちんと読んでおかねばなるまい。
(ふうむ…)
 由来はマザーグースなのか、と其処に書かれた歌詞を見詰めた。
 楽譜が無いからメロディは分からないのだけれども、短くて印象的な歌詞。
 呪文のような言葉の繰り返し。



 なにかひとつ古いもの、なにかひとつ新しいもの
 なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの
 そして靴の中には六ペンス銀貨を



 SD体制が始まるよりも、地球が滅びへの道を歩み始めるよりも、遥かな昔に歌われた歌。
 結婚式の日に花嫁が身に着ける、幸運のお守りを挙げた歌。
 全部で四つで、サムシング・フォーだとハーレイは聞いていたのだけれど。
 歌にはオマケが付いていた。
 靴の中には六ペンス銀貨。これは初耳だ、と件の歌詞をもう一度読んで。



(六ペンス銀貨か…)
 今の地球には無いのだろうな、と記事を読んでゆけば、驚いたことにそれは今も在った。かつて作られていたという国が在ったとされる地域に、SD体制が崩壊した後に復活していた。
 商魂たくましくと言うべきか、古き良き時代の伝統を今に、と言うべきか。
(六ペンス銀貨だけがあるのか…)
 其処で流通している通貨の単位とは別に、六ペンス銀貨だけが特別に。
 なんとも変わったことをする、と思ったけれども、花嫁に幸運をもたらすための幸福のコイン。SD体制よりも遠い昔に廃止された時、反対運動があったほどだと言う。
(なかなかに歴史があるんだな、これは)
 そういったものは嫌いではない。古い習慣や物を大切にすることは、むしろ好みだ。
 この六ペンス銀貨なるものを、ブルーのために手に入れてやってもいいな、と思った瞬間。



(待てよ…?)
 靴の中には六ペンス銀貨を、と歌うまでの歌詞。
 今では広く巷に知られたサムシング・フォーとは何かを歌った歌詞。
(あいつ、そのものじゃないのか、これは?)
 今のブルーにピタリと重なる。小さなブルーを歌ったかのような、サムシング・フォー。
 何か一つ、古いもの。それは前のブルー。ソルジャー・ブルーと呼ばれたブルー。
(古いと言ったら怒るんだろうが、実際、うんと古いんだしな?)
 何か一つ、新しいもの。それが今のブルー。前のブルーと同じ姿に育つ予定の小さなブルー。
(うんうん、あいつは新品なんだ。これから育つってほどに新しいんだぞ)
 何か一つ、借りたもの。幸せな結婚生活を送る友人、知人から借りるらしいが、結婚生活を送る予定の小さなブルー。そのブルーの中に居る前のブルーからすれば、今の身体は借りたもの。
(今度は結婚するんだよ、が口癖だしな、あいつ。今の身体で)
 何か一つ、青いもの。目立たない場所に隠して身に着ける青いもの。ブルーという名前。
(あいつ、何処も青くはないというのに、ブルーって名前だ)
 ソルジャー・ブルーと同じ赤い瞳と銀髪だから、と名付けられたと聞いている。その名だけでは弱いと言うなら、サイオン・タイプがタイプ・ブルーだ。
 とことん不器用になってしまって見る機会すらも無い色だけれども、青いサイオン。
 ブルーは全て持っている。
 サムシング・フォーを挙げてゆく歌に歌われた幸運の四つの品物を、全部。



(…あいつ、生まれながらの花嫁ってわけか)
 花嫁のための幸運のアイテムを全て揃えているブルー。
 サムシング・フォーを自分の身体で全て揃えてしまったブルー。
(前のあいつでは、そうはいかんが…。今度は全部を揃えて来たのか)
 しかも生まれた瞬間から。青いものをサイオンの色とするなら、ブルーは生まれながらの花嫁。名前にしたって両親が先に決めていたなら、やはり生まれた瞬間から「ブルー」。
(そこまで揃えて来なくってもなあ…)
 たまらなく可笑しくなって来た。
 何かと言えば「ハーレイと早く結婚したい」と口にしている小さなブルーが、自分でもそうとは気付かないまま、花嫁のための幸運のアイテムを全てその身に備えているとは。



 早速ブルーに教えてやろう、と記事を頭に叩き込んだ。
 サムシング・フォーと六ペンス銀貨のマザーグースの歌詞も覚えて、それからコーヒーをグイと飲み干し、後片付けをしてブルーの家へと。
 せっかくのニュースを忘れないよう、歩く道すがら、「サムシング・フォーだ」と繰り返す。
 今朝の新聞だと、ブライダル特集で読んだ記事だと。
 秋晴れの空の下を歩いてゆく中、小さな恋人を思い浮かべながら。



 ブルーの家に着いてチャイムを鳴らして、二階の窓辺で手を振るブルーに手を振って。ブルーの部屋で二人、向かい合って座り、ブルーの母がお茶とお菓子を置いて去った後、ハーレイは小さなブルーに訊いた。
「今朝の新聞、お前、読んだか?」
「パパが読んでいたよ、ぼくが起きてった時は」
 新聞はいつも、パパが一番。それからママかぼくが読むんだ、ぼくは少しだけ。
 学校のある日は帰ってからゆっくり読んだりするけど、お休みの日にはちょっぴりかな…。
「なるほどな。それで、今日のお前はどうしたんだ?」
「朝御飯の後でちょっとだけ見て、後は掃除をしてからハーレイが来るのを待ってたよ、部屋で」
 今朝の新聞がどうかしたの?
 大きなニュースは無かったように思うんだけど…。
 それに大事なニュースとか記事は、パパたちが「読んでおきなさい」って教えてくれるよ。
「まあ、チビのお前だと見落とすかもなあ、端から端まで見たんじゃなければ」
「何か載ってた?」
「ああ。でっかく出てたぞ、広告も込みで何ページか。うんと目を引く記事だったがなあ…」
 結婚式のシーズンだからな、ブライダル特集っていうヤツだ。
「ブライダル特集?」
「チビのお前にはまだ早すぎだがな。ドレスだの花だの、色々とな」
 お前が読んでも意味が無いだろ、そういう特集。十四歳じゃ結婚出来ません、ってな。
「意味が無いなんてことはないけれど…。でも…」
 ぼくがそういう記事を熱心に見てたら、パパとママがきっと変に思うよ。
「そうなるだろうな、なんでブライダル特集なんかを読んでるんだと訊かれるだろうな」
 だからと言って、将来のためだと答えるわけにもいかんしなあ…。
 お父さんたちの前では読めないな、あれは。



 代わりに俺がじっくり読んで来てやったぞ、とハーレイは片目を軽く瞑ってみせた。
「で、将来の夢は俺の嫁さんだと言うお前。サムシング・フォーって知っているか?」
「…サムシング・フォー…?」
 何なの、それ。結婚するのに必要なもの?
「必要と言えば必要なものだし、無くても別に困りはしないが…。幸せのためのおまじないだ」
 マザーグースっていう古い歌があってな、俺たちの住んでる地域とは別の地域の昔の歌だ。俺も存在くらいしか知らんが、そいつの一つで歌われてるのさ。
 花嫁が幸せになるための、おまじない。それがサムシング・フォーってヤツだ。
「そんなの、あるんだ?」
「俺も今日まで言葉だけしか知らなかったが…。これがな、そのままお前なんだ」
「どういう意味?」
「お前のことを歌っているのか、と驚くくらいに歌詞とお前が重なっていてな…」
 俺も本当に驚いたんだ。だから教えてやろうと思って、歌詞を丸ごと覚えて来た。
 きっとお前もビックリするぞ。
 どんな歌詞なのか、それをお前と重ねてみたらどうなるのかってことを考えたらな。



「それ、どんな歌? ハーレイ、それってどんな歌なの?」
 赤い瞳を煌めかせるブルーに、ハーレイは「メロディは無かったから歌詞だけだぞ」と説明して例の歌を聞かせてやった。サムシング・フォーを歌ったマザーグースを。
「いいか、よく聞けよ? 何か一つ、古いもの。何か一つ、新しいもの」
 何か一つ、借りたもの。何か一つ、青いもの。そして靴の中には六ペンス銀貨を。
 こういう歌になるんだが…。
 古いものは、前のお前。新しいものは、今のお前。
 借りたものは、前のお前が今のお前の身体を借りていて。…青いものはお前の名前かサイオン・カラーだ。
 どうだ、全部お前は持っていないか?
「ホントだ…。ホントに今のぼくみたいな歌詞の歌なんだね」
「そうだろう? つまりだ、今のお前は生まれながらの花嫁なのさ」
 最高の幸せを約束された花嫁ってことだな、自分の身体で全部揃えているんだからな。
 普通は結婚式に合わせて用意する筈のサムシング・フォーを。



「それ、ハーレイだと揃わない?」
 古いものは前のハーレイで、新しいものは今のハーレイ。
 ぼくと同じで揃いそうだけど、ハーレイだとサムシング・フォーは揃っていないの?
「借りたものまではお前と同じで揃うんだがな…。四つ目の青が足りないってな」
 俺の名前はブルーではないし、サイオン・タイプもグリーンだから青ってことにはならん。目の色だって鳶色なんだぞ、青は何処にも入ってないんだ。
「そっか…。生まれ変わりだと揃うってものでもないんだ、サムシング・フォー…」
「当たり前だろう、俺が揃えてどうするんだ。俺は嫁さんを貰う方でだ、なるわけじゃない」
 その俺が貰う予定の嫁さんがお前で、サムシング・フォーを体現していると来たもんだ。
 生まれた時から揃えてます、って凄い嫁さんだ、花嫁になるために生まれたような。
 多分、この地球でもお前くらいなもんだぞ、其処まで揃えて生まれたヤツは。
 つまりだ、お前は最高に祝福された花嫁だってな。
「そう思っててもいいのかな?」
「かまわないだろ、本当に全部お前の身体に揃ってるんだし」
 お前が自分で揃えているんだ、古いものから借りたものまで、青いものまで。
 結婚式のためにわざわざ揃えなくても、最初から全部持っているんだ、最高じゃないか。



 普通は買ったり借りたりするものなんだぞ、とハーレイは仕入れたての知識を披露してやった。
 古いものはともかく、新しいもの。結婚式用のドレスや、ベールや、手袋などを。
 借りるものも、花嫁姿に似合う何かを、幸せな結婚生活を送る友人たちに頼んで借りて。
 青いものは白いドレスを台無しにしないよう、ドレス用の下着に組み込んでみたり。
「何かと手間がかかるようだが、お前の場合は何もしなくても揃ってるってな」
 凄い話だろ、幸せのためのアイテムは全部持ってます、って。
 そんなお前が花嫁になったら、どんなに幸せな結婚生活が待っているんだか…。
 前の俺たちは結婚すらも出来なかったが、その分、今度は最高らしいぞ。
「そうみたいだね。サムシング・フォーを揃えると幸せになれるんだったら」
 揃えなくても持ってるんなら、うんと幸せになれるかも…。
 幸せになれるって分かってるけど、ぼくが思っているよりも、ずっと。
 ありがとう、ハーレイ、サムシング・フォーのこと、教えてくれて。
 今のぼくがそれを揃えているのかも、って素敵な所に気が付いてくれて…。



「なあに、その最高の花嫁を貰うことが出来る、幸運な男は俺だしな?」
 地球どころか宇宙全体でもお前だけしかいないと思うぞ、そんな花嫁。
 それを幸せに出来る男となったら、俺もとてつもなく幸せな結婚生活を送れるんだろうな…。
「そうに決まっているじゃない。ハーレイも最高に幸せでなくっちゃ意味無いよ」
 ぼくはハーレイと一緒に幸せになるんだから。
 ハーレイがうんと幸せでなくちゃ、ぼくは幸せにはなれないんだから…。
「ふうむ…。するとだ、その幸せな花嫁のために、後は六ペンス銀貨ってな」
 左の靴に入れるそうだぞ、踵のトコに。
 そうすりゃ幸せの総仕上げなのさ、サムシング・フォーと六ペンス銀貨。
「六ペンス銀貨って…。そんなお金が今でもあるの?」
 ずうっと昔の古い歌でしょ、マザーグースって。
 それに出て来る昔のお金が今の地球にもあるの、ハーレイ?



「俺もまさかと思ったんだが…。ちゃんとあるんだ、六ペンス銀貨」
 マザーグースが歌い継がれていた、イギリスって国が在った地域の辺りに今でもな。
 もちろんSD体制が崩壊した後に復活して来た文化の中の一つだが…。
 幸運の六ペンス銀貨ってコトで、其処で使われてるお金の単位とは上手く噛み合わないのに誰も文句を言わないってな。
「噛み合わないって、どういう風に?」
「俺たちの住んでる地域もそうだが、今じゃ何処でも十進法だろ?」
 こればっかりは統一してある方が便利だからなあ、何処の星でも数える時には十進法だ。
 その十進法でお金を作るなら、六ペンスっていうのは変だと思わないか?
「六って…。確かに使いにくそうだね、五なら分かるけど」
「使いにくいだろう? 六ペンスはイギリスが十二進法だった時代のコインなんだ」
 だから今だと使いにくいし、むしろ邪魔とも言えるんだが…。
 そいつを使ってお釣りがピッタリ貰えない、って事態になっても「足りない分はいいですよ」と端数は笑顔で諦める。少なめのお釣りを貰って済ませて御機嫌だそうだ。
 幸運のコインを使えば幸運、受け取った人と一緒に幸せになろう、って発想らしいぞ。
「其処まで凄いの、お金を使ってお釣りが足りなくてもラッキーなの?」
「コインがラッキーアイテムだからな」
 それに今では、大した価値でもないらしい。
 六ペンス銀貨が一番最初に出来た頃には、一枚あったら一週間は暮らせたそうだが…。
 そのせいで幸運のシンボルってわけさ、豊かに幸せに生きて行ける、と。
 手元にあったら嬉しくなるし、使う時にも嬉しくなる。そんな幸せのコインなんだ。



 そういうわけで…、とハーレイはブルーに微笑み掛けた。
「もしもお前が、花嫁衣装に白無垢を選ばなかったなら。ウェディングドレスで結婚するなら…」
 それでお前が欲しいと言うなら手に入れてやるさ、六ペンス銀貨。
 お前の左の靴に入れるために、サムシング・フォーのおまじないの歌の総仕上げに。
「ぼく…。そんなに欲張ってもいいのかな?」
 なんにもしてないよ、今のぼく。前のぼくみたいに頑張ってないよ?
 ハーレイのお嫁さんになるくらいしか出来そうにないのに、欲張ってもいいの…?
「前のお前が頑張ったから、今の青い地球がちゃんと在るんだろ?」
 青い地球が無事に蘇ったから、六ペンス銀貨も地球に帰って来たんだろうが。
 お前自身がサムシング・フォーを揃えているのも、前のお前が頑張った御褒美なんだろう。もう一つくらい欲張ってもいいさ。
 六ペンス銀貨の一枚くらいは「欲しい」と強請っていいと思うぞ。
「そっか…。欲張ってもかまわないんなら…」
 ちょっと欲しいかも、六ペンス銀貨。
 ウェディングドレスで結婚するなら、左の靴の中に。



「おいおい、左の靴ってだけじゃないんだぞ、踵だぞ?」
 間違えて爪先に入れるんじゃないぞ、入れる前にちゃんと確かめろよ?
 サムシング・フォーの歌は左とも踵とも歌っていないが、そういう決まりらしいから。
「うん。六ペンス銀貨を本当に靴に入れる時が来たら、ちゃんと調べる」
 右か左か、どっちの靴か。靴の何処に入れるのかも調べて入れるよ、間違えないように。
「なら、俺も心して覚えておくか。六ペンス銀貨が手に入るように」
 今も使っている辺りへ旅行する友達がいたら、土産に持って帰って貰えるようにな。
 結婚するんだとは流石に言えんが、将来に備えてと言っておくさ。
「えーっと…。お土産に貰うの、何処かで両替するんじゃないの?」
「もちろん両替出来るそうだが、相手は幸運のコインだぞ?」
 銀行へ行って、其処でジャラジャラ渡して貰ったコインじゃ、まるで有難味が無いじゃないか。
 沢山の人が使って、受け取って、また使って。
 そうやって幸せのキャッチボールをして来たコインがいいと思わないか?
「…それもそうかも…」
「断然そっちだ、同じコインなら幸せのお手伝いってヤツを沢山して来たコインだな」
 すり減ってるくらいのコインが良さそうじゃないか、大勢を幸せにして来たコイン。
 そういうコインが手に入ったならもう最高だし、そうでなくても誰かを幸せにしたコイン。旅行するヤツに頼んでおいたら、きっといいのを貰えるぞ。
 そいつの幸せな旅の思い出が詰まったコインを。



「そうだね、旅の思い出ならピカピカのコインでも幸せが一杯詰まっているね」
「うむ。銀行で両替するのとは全く違うぞ、幸せの量が」
 両替したって、すり減ったコインはあるんだろうが…。そいつはちょっとな。
「分かるよ、銀行に連れて来られた時点で止まってるものね、コインの幸せのお手伝い」
「そういうことだ。幸せのお手伝いの真っ最中です、ってコインが来るのが一番なんだ」
 次は此処で幸せをお手伝いさせて頂きます、って言ってくれるコイン。
 そんな頼もしい六ペンス銀貨を捕まえないとな、お前の靴に入れるためには。
「ハーレイ、探してくれるんだ…。期待してるよ、幸せのコイン」
「ああ。サムシング・フォーそのものな最高の花嫁を貰える時に備えてな」
 準備しておこう、とハーレイは小さなブルーに約束をした。
 前の生からの大切な恋人、青い地球の上に生まれ変わって再び出会った愛おしいブルー。
 小さなブルーが大きく育って花嫁になる日に、左の靴の踵に六ペンス銀貨。
 ブルーがウェディングドレスを着るのだったら入れてやらねば、と心に誓う。
 花嫁の幸運の総仕上げになる、幸せを届ける六ペンス銀貨。
 サムシング・フォーを生まれながらにして揃えた花嫁、愛してやまないブルーのために…。




               最高の花嫁・了

※花嫁の幸運のおまじない。サムシング・フォーを最初から揃えているのが、今のブルー。
 仕上げに欲しいのが六ペンス銀貨、最高のコインをハーレイが探してくれるのでしょうね。
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(ふうん…?)
 ちっちゃな靴だな、と思った記事。学校から帰って、おやつの時間。ダイニングで眺めた新聞に載ってた、小さな小さな赤ちゃん用の靴。
(ファーストシューズかあ…)
 ぼくが住んでいる地域には無い習慣。ファーストシューズ。
 赤ちゃんが初めて履いた靴を記念に残しておくんだって。片方じゃなくて、両足の分。



(古いけど新しい文化だよね、きっと)
 今ではすっかり昔のままに蘇っているけど、その習慣があるという地域に伝わってるけど。
 ファーストシューズを残す習慣は、SD体制の崩壊と共に復活して来た文化の一つなんだろう。いろんな地域で多様な文化を復興させて、青い地球の上に戻って来た習慣。
 だって、前のぼくが生きてた時代だったら有り得ない。
 赤ちゃんの靴を大切に取っておいたり、大人になったら渡してあげたりするなんて。
(成人検査で行ってしまったら、終わりだものね…)
 育てた子供とは其処でお別れ、新しい子供がやって来る。血の繋がっていない、次の赤ちゃん。機械が選んで届けられる子供。それを育てるのが養父母の役目。
 子供の方でも、パパやママとは成人検査を受けたらお別れ、二度と会えない。教育ステーションへと連れて行かれて、その先の進路は出来るだけ育った星とは重ならないように。
(養父母になるコースを選んだとしても、元の星には帰れないのが基本だっけね)
 それでも宇宙は広いようで狭い。人間が住んでいた星は今よりも少なかったから。
 もしかすると何処かで養父母と出会う場面もあったかもだけど、子供の方には記憶が無い。その人が自分を育てた人だと分かりはしない。成人検査で記憶を消されてしまっているから。
(親の方は消してなかったみたいだけれど…)
 ジョミーを育てた人たちは覚えていたと聞くから。ジョミーを忘れず、次に育てたレティシアという女の子がミュウと判断されてしまった時、収容所まで一緒に行ったと聞くから。
 子供を育てた親の方では、自分たちの息子や娘を忘れたりはせずに覚えていたんだ。
 でも、その子たちと出会う機会があったとしても。
 彼らの方から声を掛けたりは出来なかったろう、親として掛けてやりたい言葉は。



 ファーストシューズという温かな習慣が無かった時代。前のぼくが生きていた時代。
 だけど今では子供は本物の両親の家で育つもの。ぼくにだってパパとママがいる。とても優しいパパとママ。血が繋がった、ぼくの本当のパパとママ。
(今のぼくが初めて履いた靴は…)
 こんな風に大切に残してあるんだろうか?
 それともファーストシューズなんていう習慣が無いから、捨てられちゃった?
 どうなんだろう、と記事を覗き込んでいたら。
「あら、欲しいの?」
 ファーストシューズ、ってママがキッチンから来て微笑んだ。「欲しいの?」って訊くからには残してあったりするんだろうか、ぼくが履いてた小さな靴。
「…ぼくの靴、あるの?」
 赤ちゃんの時の。ぼくが初めて履いた靴って、今もこの家に残っているの?
「可愛かったから大切に取ってあるわよ、こんなのは知らなかったけど」
 今日の新聞を読むまで知らなかったわ、ってママも面白そうに記事を読み直してる。
 赤ちゃんが履いた、ファーストシューズ。
 造花と一緒にガラスケースの中に入れておいたり、いろんな残し方があるみたい。
 大人になったら渡してあげたり、宝物みたいに飾っておいたり。



 前のぼくの頃には無かった習慣。今の時代だから出来る、素敵な習慣。
 ぼくが住んでる地域には無いのに、ぼくが履いてたファーストシューズをママは残しておいたと言うから。嬉しくなってニコニコしてたら、ママが笑顔で。
「欲しいんだったら、ブルーのを出してあげるわよ?」
「ホント!?」
 見せてくれるの、ってぼくは喜んだのに。
「でも、この記事を読んじゃったら…。大人になるまで仕舞っておいた方が良さそうね」
 そういうものでしょ、ファーストシューズ。大人になったら渡してあげるわ。
「えーっ!」
 あんまりだ、と抗議したぼく。
 だって他所の地域の習慣なんだし、見せて貰っても問題無いと思うんだ。ちょっと見るくらい。
「嘘よ、いつでも見せてあげるわ。でもね…」
 夕食前には出したくないの、って不思議なことを口にしたママ。だから今日は駄目よ、って。
「なんで?」
「ハーレイ先生なら御存知かもね。新しい靴は夕方におろすものじゃないのよ」
「新しくないよ?」
「でも、ブルーの初めての靴でしょう?」
 とっても大切な、ファーストシューズ。
 新しい靴と同じくらいに大事な靴でしょ、夕方は駄目。また今度ね。



 知りたいのならこれよ、と見せて貰ったママの記憶。
 靴の箱の中にきちんと仕舞われた、赤ちゃん用の小さな靴。白い布の柔らかそうな靴。
 もうそれだけで満足したから、本物はまたいつか思い出した時でいいやと思った。
 明日でなくても、それこそ何年か先になっても。
 新聞の記事を閉じてしまったら、切っ掛けが無ければ思い出さないだろうファーストシューズ。
 ママだってきっと忘れるだろうし、ぼくも忘れる。
 今日の間は覚えていたって、一晩経ったら忘れてしまうと思うんだ。
 ぼくには記憶が沢山あるから。
 前のぼくの分まで受け継いでるから、記憶の海に埋もれてしまいそうなファーストシューズ。
 赤ちゃんだった今のぼくが履いていた靴、ママの記憶で見た白い靴…。



(ファーストシューズかあ…)
 部屋に戻った後、勉強机の前に座って考えた。
 前のぼくが履いたファーストシューズは、どんな色でどんな靴だったろう?
 思い出せやしないし、残してあった筈も無いんだけれど。
 前のぼくを育てた養父母たちが大事に取っておいたわけが無いから、消えてしまった靴だけど。
 それでも今のぼくには小さな靴が残っているから、ちょっぴり気になる。
 やっぱり白い靴だったろうかと、白くて可愛い靴だったかも、と。



(靴…?)
 そういえば、前のぼくには靴が無かった。
 赤ちゃんだった時じゃなくって、養父母の家で育った時でもなくって、残ってる記憶。
 成人検査を受けた所から始まる記憶。
 看護師に呼ばれて、検査用の部屋に入って行く時。ぼくは裸足で、靴なんか履いていなかった。何処で脱いだかは覚えてないけど、ぼくの足には靴が無かった。
(うん、靴を履いてた覚えは無いよ…)
 素足で歩いてた記憶しか無い。それから検査で、其処から地獄が始まった。
 成人検査に落っこちた、ぼく。ミュウだと判断されちゃった、ぼく。
 閉じ込められた檻の中では靴なんか無くて、いつも裸足で。
 実験のために引き出されたって、靴を履かせては貰えなかった。研究者たちは履いていたのに。ぼくを檻から引き出す係も、いつだって靴を履いていたのに。
 つまりは靴も要らない動物。人間じゃないから、靴なんか履かせなくても良かったんだ。



 靴を失くしてしまった、ぼく。履かせて貰えずに生きていたぼく。
 アルタミラがメギドに滅ぼされた日に、裸足で地獄を走ったけれど。燃え盛る火の中を、瓦礫の上を走ったけれども、怪我も火傷もしなかった。同じように裸足だった他の仲間も、全員。
 みんなミュウだから、サイオンの制御装置さえ外れてしまえば文字通り火事場の馬鹿力。初めてだってシールドが出来た。火傷や怪我から身を守るための。



(今のぼくだと火傷した上に、怪我なんだけどね?)
 アルタミラ並みの目に遭わない限りは、裸足で熱い瓦礫の上を走るなんて無理。足を守るための靴が無ければ走れやしない。
 だけど家では履いてない、靴。ぼくの足に今、靴は無いんだ。
 そういう文化の地域に生まれて育って来たから、家の中では脱ぐのが普通。
 夏なら裸足で、冬は靴下。お客様用にはスリッパがある。
 ハーレイの大きな足に合わせて特大のスリッパも買ってあるけど、そのハーレイは履いてたり、履いていなかったり。多分、その日の気分なんだろう。
(最初の間は履いていたけど…)
 今は履かない方が多いよね、って顔が綻ぶ。ハーレイが「お客様」じゃないって証拠。
 スリッパは客間に案内するようなお客様用で、パパとママも普段は履いてないから。
 もちろん、ぼくも。



(これが普通で気付かなかったよ…)
 靴が無いのが変だってこと。前のぼくのアルタミラの記憶に靴が無いこと。
 だから今まで忘れてた。
 綺麗に忘れてしまっていた。
 前のぼくが履いた、ファーストシューズ。
 ハーレイと一緒に履いたファーストシューズ…。



 滅びゆくアルタミラから脱出した船の中、限られた物資。食料は豊富に積んであったけど、服や靴とかは山ほど積まれてはいなかった。
 それでも着替えの分も含めて、充分な量があったんだけれど。とりあえず着るには困らない量の服に下着に、それから靴。
 ところがどっこい、チビだったぼくと飛び抜けて身体の大きいハーレイだけは、標準サイズじゃなかったんだ。みんなが次々に服だの靴だのを見付け出す中、見付からないぼくとハーレイの服。
「この箱も服だと思うんだけど…」
「そうらしいな?」
 あるといいな、って箱を端から開けて回って、やっと見付けた新しい服。アルタミラで着ていた半袖の服じゃなくって、長袖の服。それにズボンも。
 どうしても見付からなかった時には、ハーレイはみんなが脱ぎ捨ててしまったアルタミラの服を縫い合わせて作ろうかと思ったくらいで、ぼくは大きすぎる服の袖とかを畳んで着るしかないかと思ってた。
 いつまでも同じ服を着ていられないし、シャワーの後にはタオルだけ。脱いで洗濯した服が乾くまでの間、タオルを身体に巻き付けただけで待っていなくちゃいけないから。
 だけどなんとか、見付かった着替え。
 ハーレイもぼくも、「シャワーの時には洗濯だ」って急がなくても良くなった。洗濯しておいた服がちゃんとあるから、シャワーを浴びたらそれに着替えて、着ていた服を洗濯に。



 服はそうして手に入ったけど、もっと困ったのが靴だった。
 標準サイズの前後くらいしか無かった靴。子供用も無ければ、特大だって船には無かった。
 どれを履いてもぼくにはブカブカ、ハーレイの足にはきつすぎる。
 探しても靴だけは見付からなくって、考えた末に、ぼくは詰め物、ハーレイは切れ目。そうして履くしかなかった靴。余った部分に詰め物をするか、きつすぎる部分に切れ目を入れるか。
「だけど、無くても困らないしね?」
 靴なんて、ってぼくが言ったら、ハーレイも切れ目の入った靴を眺めて。
「まったくだ。今までは履いていなかったしな」
 ここまで苦労して履かなくても、だ。
 誰が文句を言うわけじゃないし、怪我をするような危ない場所でもないからなあ…。



 無理して履いてなくてもいいや、と履かなかった日も多かった。
 ぼくだけじゃなくて、ハーレイだって。
 ふと見たら靴を履いていなくて、裸足で歩いていたりした。通路も、倉庫も、何処へ行くのも。
 ぼくたちの足にピッタリの靴が無いってことは誰でも知っていたから。船のみんなが知っていたから、行儀が悪いとは誰も言わない。裸足でも平気。
 靴を履いたり、履かなかったり、その日の気分で決めていた。



 そうこうする内に、尽きそうになってしまった食料。
 飢え死にしてはたまらないから、ぼくは初めて物資を奪った。人類の船へと宇宙を飛んで。
 大きなコンテナに二つ分ものギッシリ詰まった野菜や、肉や。それが最初の戦利品。
 一度やったら、何度でも出来る。機会を狙って、人類の船を追い掛けて。
 ジャガイモ地獄だのキャベツ地獄だの、色々とやらかしてしまったけれど。
 ぼくの仕事は奪い取ることで、みんなが食べる食料を手に入れることだったんだ。



 繰り返す内に欲が出て来て、余裕だって出来る。もう一つ、って狙いたくなる。
 欲張って多めに奪った物資の中には、食料以外も混じるようになった。人類の生活必需品。
 食料と一緒に失敬して来た、服とか、靴とか。どっちも標準サイズが基本。
 そういった物資を分ける時には、公平に行き渡るよう、ハーレイが頑張っていたんだけれど。
「未だに俺のは無いようだな、靴」
「ぼくのもだよ」
 相変わらずブカブカの靴を履いていたぼくと、切れ目の入った靴のハーレイ。
 服はしょっちゅう混ざっていたけど、靴は滅多に無かったから。消耗品っていう考え方なら服の方が断然、需要が高くて、靴は服ほど必要とされていないから。
 服の数だけ靴が無いと困る、っていうわけじゃないから、靴はそれほど数が無い。服が詰まったコンテナの中に靴が一緒に詰まっていたって、服よりもずっと少なめなんだ。
 そうなってくると確率の問題、ただでも無い物があるわけがない。
 標準サイズの靴でも滅多に無いのに、ぼくやハーレイの靴があるわけがない…。



 仕方ないからブカブカか裸足、切れ目の入った靴を履くか裸足。
 そうした日々を過ごしていた中、ある日、ハーレイがぼくにこう言った。
「もしも俺のが先に見付かったら、履かずに待っててやるからな」
 お前の足にピッタリの靴が見付かるまでの間は、履かずに。
「なんで?」
「お前が一人で頑張ってるのに、お前の靴が無いんじゃなあ…」
 可哀相じゃないか、お前だけ靴が無いなんて。足にピッタリの靴を履けないだなんて…。
「じゃあ、ぼくも先に見付かったら待つよ。ハーレイの靴が見付かるまで」
「どうしてだ?」
「待っててくれる、って言うハーレイよりも先に履けないよ。ぼくの靴だけ見付かったって」
「気にしなくていいのに、そんなことくらい」
 お前、俺よりも年は上だがチビだろうが。チビはチビらしく、甘やかされておけ。
「ううん、それは嫌。ぼくはハーレイと一緒に履きたい」
 ぼく、ハーレイの一番古い友達なんでしょ?
 友達だったら、絶対一緒。片方だけが待つなんてことは変だと思うし、一緒がいい。
 ハーレイが待つなら、ぼくだって待つ。
 ぼくたちの靴がちゃんと両方見付かる時まで、ぼくは絶対、先に履かない。



 ハーレイは苦笑いしていたけれども、ぼくが言い出したら譲らないことを知ってたから。
 どっちが先に見付かったとしても、履くなら一緒。
 そんな約束が出来てしまった。
 ぼくたちは二人で、約束を交わした。
 ブカブカの靴も、切れ目の入った靴も、ピッタリの靴に履き替える時は二人一緒に。
 お互いの足にピッタリの靴が揃う時まで、先に手に入れた靴は履かずにおこうと。



 約束してから、どれくらい経った頃だっただろう?
(靴だ…!)
 いつものように物資を奪いに出掛けた船。人類が乗ってる輸送船。
 広い倉庫を透視してみたら、食料のコンテナが並んだ隣に靴ばかりを詰めたコンテナが一つ。
 本当だったら、そんな物は狙わないんだけれど。
 靴なんかを奪う余裕があるなら、食料のコンテナを余分に頂いて帰るんだけれど。
(ハーレイに靴…)
 待っててくれると言っているけど、ハーレイの足にピッタリの靴を見付けたかった。大きな足に丁度いいサイズの、ハーレイのためにあるような靴を。
 その一念。
 ぼくは普段よりも一つ多めにコンテナを奪った。靴だけを詰めた、例のコンテナを一つ。



「なんでコンテナ一杯の靴なんか奪って来たんだい?」
 ブラウに呆れられたけれども、ゼルはぼくたちの味方だった。ハーレイの喧嘩友達だから。
「いやいや、これも悪くはないぞ」
 其処のデカブツ、未だに自分の靴ってヤツが無いからな。それにブルーも。
 ブカブカの靴も切れ目入りの靴も、裸足も見慣れてしまっているが…。ピッタリの靴ってヤツが見付かるなら、そいつが一番いいじゃないか。
 これだけあれば…、とコンテナを運び込んだ格納庫でゼルたちが端から開けていく箱。こういう仕事は後の長老たちとハーレイ、彼らがメイン。
 靴であろうと、食料だろうと、主な仕分けはゼルやハーレイたちがやっていた。



 作業を見ながら、「ハーレイにピッタリの靴がありますように」と祈っていたぼく。
 ぼくの仕事は物資を奪うことで、仕分け作業は手伝わなくても良かったから。力を使って来た後だから、って外されて見学していただけ。
(ハーレイの靴…)
 あるといいな、と思ってたから、視線は自然とハーレイを追う。靴の箱を開けるハーレイを。
 箱を開けては中身を確かめ、仕分けしていたハーレイの手がピタリと止まって。
「おっ!」
 俺の靴だ、って続くのかと思ったんだけど。ハーレイは顔を上げてぼくの方を見た。
「ブルー、来てみろ」
「なあに?」
「いいから、早く」
 手招きされて行ってみたぼくに、「お前の足にピッタリじゃないのか」と差し出された靴。
 柔らかそうな革の、白い靴。
「ほら、履いてみろ。お前の足に合うと思うぞ」
「でも…」
「いいから、履けって」
「でも、約束…」
 一緒に履こうって約束したよ。靴が見付かったら、二人一緒に。
「履いてみるだけなら問題無いだろ、サイズが合うかどうか」
「だけど…」
 それって履くのと同じじゃない?
 この靴に足を入れてしまったら、それは履くってことにならない…?



(ぼくはハーレイのが欲しかったのに…)
 ハーレイのための靴が欲しくて、靴ばかり詰まったコンテナを持って帰って来たのに。
 でも、ハーレイは履けと勧めてくれるから。試すだけでいいと、何度も勧めてくれるから…。
 履かないと申し訳ないだろうか、と躊躇っていたら。
「ちょいと、ハーレイ!」
 コレはアンタ向けじゃないのかい、ってブラウの声。
 蓋を開けたままで持って来た箱の中、ピカピカに光る茶色の革靴。とても大きなサイズの革靴。
「ほほう、ハーレイのサイズだな、これは」
 ヒルマンが頷いて、ゼルが「明らかにデカブツ用って感じの靴だ」と言ったけれども。「独活の大木にはピッタリじゃないか」なんて悪口めいたことも聞こえたんだけど、どうでも良かった。
 デカブツでも、独活の大木でもいい。
 ハーレイ用の靴が見付かったんなら、細かいことなんか気にしない。
「そうだよ、ハーレイの靴だよ、これ!」
 ちゃんと見付かったよ、ハーレイの靴も。
 ぼくの靴しか無かったんじゃなくて、ハーレイの靴も入っていたよ…!



 ハーレイにピッタリ合いそうな茶色の革靴と、ぼくの足に合いそうな白い革靴。
 靴に書いてあるサイズの数字は何の参考にもならなかったけど、合うだろうことは目で分かる。どちらも履こうとしている人間の足に似合いのサイズの靴なのだと。
「よし、履いてみるか。お前も履けよ」
「うん」
 ハーレイの前に、箱から出した茶色のピカピカの革靴。ぼくの前には白い柔らかそうな革靴。
 掛け声をかけていたかどうかは忘れてしまったんだけど。
 二人揃って、どっちの足から履いたんだっけ?
 多分、利き足。だから右足。
 同時に足を入れて、もう片方の足にも履いてみて。ハーレイがぼくの足を眺めて顔を綻ばせた。
「ピッタリじゃないか、お前の足に」
「ハーレイのもね」
 凄いね、まるで作って貰ったみたい。
 ハーレイの足にピッタリ合ってる、小さすぎもしないし、大きくもないよ。



 やっと履けた、ぼくたちにピッタリの靴。詰め物も切れ目も要らない靴。
 待つことも、待たされることも無かった。お互いの足にピッタリの靴は、同じコンテナに入ってやって来た。茶色の革靴と、白い革靴。ハーレイの靴と、ぼくの靴。
「良かったな、ブルー。約束通りに同時に履けたぞ、俺たちの靴」
「約束していたからかもね?」
 一緒に履こう、って。どっちが先に手に入れたとしても、待ってて同時に履くんだって。
「違いないな。約束した甲斐があったってな」
 お蔭で同時に手に入った、と。これで俺たちも合わない靴とはサヨナラだってな。
「そうだね、合わない靴も裸足も、さよなら。みんなみたいに足にピッタリの靴を履けるよ」
「自慢しに行くか? ついに手に入れたぞ、って」
「仕分けが済んだら?」
「ああ、急いで済ませることにするかな」
 ハーレイは仕事に戻ろうとしたんだけれども、ブラウが「此処はいいよ」って言ってくれた。
 「せっかくの靴だ、見せに行って来な」って、「ブルーの靴がやっと来たんだからね」って。
「…すまんな、それじゃ行ってくる」
「ブルー、履き心地をうんと楽しんで来るんだよ」
「ありがとう、ブラウ! それにみんなも!」
 ブラウたちに御礼を言った後、ハーレイと二人、新しい靴が嬉しくて。ようやく手に入れた靴が嬉しくて、用も無いのに船の中をあちこち散歩した。船のみんなに見せて回った。
 ぼくたちの足にピッタリの靴を、白い革靴とピカピカの茶色の革靴を…。



(あれが初めての靴だったんだ…)
 前のぼくの遠い記憶の中、初めての自分の足に合う靴。ピッタリの靴。
 だけど大人だったハーレイと違って、ぼくは成長していったから。背丈が伸びたら足のサイズも変わってゆくから、白くて柔らかかった革靴はホントのホントにファーストシューズ。
 擦り切れる前にきつくなってしまって、また次の靴がやって来た。標準サイズの靴になるまで、何足か別の靴を履いてた。どんな靴だったかは生憎と覚えていないけれども、最初の靴しかぼくの記憶には無いけれど。
(最初の靴は白かったんだよ)
 柔らかい革の白い靴。前のぼくが履いたファーストシューズ。
 ママに見せて貰った記憶の中の靴も、白かった。今のぼくが履いたファーストシューズ。ほんの小さな赤ちゃんの頃に、初めて履いた白い靴。
 あれは布だし形も全然違うけれども、前のぼくも今のぼくも、ファーストシューズは白かった。
(…だとすると…)
 今のハーレイのファーストシューズは茶色だったろうか?
 青い地球の上に生まれ変わって来たハーレイ。
 そのハーレイが初めて履いた小さな靴も、前のハーレイと同じ茶色の靴だったんだろうか…。



 知りたいな、って考えていたら、チャイムの音。窓に駆け寄って見下ろしてみたら、庭を隔てた門扉の向こうでハーレイがぼくに手を振っていた。
 チャンス到来、ぼくの部屋でお茶とお菓子が乗っかったテーブルを挟んで向かい合うなり、例の疑問をぶつけてみる。
「ねえ、ハーレイ。ファーストシューズは茶色だった?」
「はあ?」
 目を丸くしたハーレイだけれど、説明したら直ぐに思い出してくれて。
「ああ、前の俺たちが一緒に履いてた靴だな」
「うん。前のぼくたちが履いたファーストシューズ」
 だってそうでしょ、ホントに初めて履いた靴だよ、自分専用の。
 足に合わない靴じゃなくって、自分の足にピッタリ合った靴。
 ファーストシューズだと思うんだけどな、それよりも前に履いてた靴の記憶が無いんだもの。
 足にピッタリの靴を履いてた記憶は全く残っていないんだもの…。



「なるほどなあ…。あれが前の俺たちのファーストシューズというわけか」
 悪くないな、ってハーレイは笑顔になった。ぼくが大好きでたまらない笑顔。
「だが、生憎と今の俺のファーストシューズは知らんな、家には多分、あるんだろうがな」
 親父たちは物を大事にするから。
 俺がガキの頃に作った工作とかもだ、全部きちんと箱に仕舞って残してあるしな。
「だったら、靴も残っているよね、きっと。今のハーレイが赤ちゃんの時に履いた靴」
 ファーストシューズって呼んでるかどうかは知らないけれども、初めての靴。
 茶色だったらビックリだよね。
「そうだな、凄い偶然だな」
 しかし、茶色じゃないかという気がして来たぞ。
 お前のファーストシューズとやらが白かったのなら、俺のは茶色の靴なんじゃないか?
 形はまるで違うんだろうが、前の俺と同じで茶色だってな。



 茶色かもしれない、ってハーレイの鳶色の瞳が柔らかくなる。ぼくのファーストシューズの色が白なら、自分のはきっと茶色だろうって。
 茶色だといいな、とぼくだって思う。小さな茶色の靴が残っているならいいな、って。
「ハーレイのファーストシューズが残っているなら、いつか見たいけど…」
 そうだ、夕方に新しい靴をおろすと何故いけないの?
 ママがそう言って出してくれなかったんだよ、ぼくが履いてたファーストシューズ。
 ハーレイ先生ならどうして駄目なのか御存知かもね、って。
「ああ、それはな…」
 本来は夕方じゃなくて夜だったんだが、夕方だとか午後だとか。
 とにかく新しい履物をおろすなら午前中だ、っていう考え方だな、ずっと昔の日本って国の。
 其処では夜に新しい履物を履いて玄関から出るのは、棺桶に入った死人だけだった。
 そのせいで同じことをすると死んでしまうと考えていたわけだ。
 だから駄目なんだ、夕方に新しい靴をおろすことはな。
「死んじゃうの?」
「そういう風に言われていた、ってだけのことだな、前の俺たちの頃には無かったろうが」
 SD体制の崩壊と一緒に戻って来た文化のオマケなのさ。
「オバケとかと同じ?」
「そういうことだ」
 靴の裏に墨を塗ったら履けるんだぞ、ってハーレイはぼくに教えてくれた。
 どうしても夕方や夜に新しい靴をおろしたい時のおまじない。
 ママはそれを知っているのかな?
 知っていたなら、ぼくの小さな白い靴。出して見せてくれていたよね、きっと。
 靴の裏に墨をキュッとつければ、夜だって新しい靴を履けるんだから…。



 ママがおまじないを知らなかったせいで、見せて貰えなかったぼくのファーストシューズ。
 白くてちっちゃな布の靴。前のぼくのファーストシューズと同じ色をした白い靴。
 いつかハーレイと結婚したら。
 ハーレイのファーストシューズが残っているなら、もしも茶色の靴だったなら。
 ぼくのと並べて飾ってみようか、造花とかをつけてケースに入れて。
 前のぼくたちが一緒に履いたファーストシューズとお揃いなんだと、白と茶色の靴なんだと…。




            最初の靴・了

※前のハーレイとブルーが履いた、初めての足にピッタリの靴。他の仲間よりずっと遅れて。
 「一緒に履こう」と約束した通り、ちゃんと一緒に履けたのです。幸せだった散歩。
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