シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
蘇った地球に生まれ変わり、前世で愛したハーレイと再び巡り会ったブルー。
其処までは嬉しいことだったけれど、残念なことにブルーは十四歳になったばかりの少年だった。おまけにハーレイはブルーが通う学校の古典の教師。色々な計らいのお蔭で休みの日にはハーレイと一緒に過ごせるようにはなっているものの…。
「あっ、いけない!」
ママだ、とブルーは慌ててハーレイの広い胸から離れた。
前世で失った時間を取り戻すかのように、ブルーはハーレイの胸に抱かれて過ごすのが好きだ。ハーレイが訪ねて来てくれる休日には必ず強請って抱き締めて貰うが、生憎と今のブルーには両親がいる。特に母の方は客人であるハーレイを何かと気遣い、ブルーの部屋の扉をノックするわけで。
「ブルー? 入るわよ」
階段を上がって来る足音に気付いて離れていたから、母は何事も無かったかのように向かい合って話すハーレイとブルーにニッコリ微笑む。
「お茶のお代わりを持って来たわ。…ハーレイ先生、今日も夕食を御用意させて頂きますから」
「すみません、お気遣い頂きまして」
「いいえ、ブルーがいつもお世話になっているんですもの。どうぞ御遠慮なく。夕食の支度が出来たら、また声を掛けに来ますわね」
ごゆっくりどうぞ、とティーセットを新しいものと入れ替え、空になっていたケーキ皿の代わりにクッキーを盛った器を置いて母は部屋から出ていった。扉が閉まって、階段を下りてゆく軽い足音が遠ざかる。それが聞こえなくなるのを待って、ブルーは小さな溜息をついた。
「……またその内に来るんだよね、ママ…」
「ん? そりゃまあ、なあ…。夕食時まで覗きに来ないってことはないだろうな」
いいお母さんじゃないか、とハーレイが穏やかな笑みを浮かべる。
「お客さんを放っておくわけにはいかんだろう。お前はまだまだ子供だしな」
「見た目だけだよ!」
「そうか? しかしだ、現にお前はお茶の用意も出来ないわけで」
「お茶くらいちゃんと淹れられるよ!」
ブルーはムキになって反論したが、空になったティーポットやカップ、ケーキ皿などを下げることも忘れてハーレイに甘えていたことは事実。これが気の利いた大人であれば、頃合いを見て熱いお茶のポットと入れ替え、菓子も新たに用意した筈だ。たとえ先の分でお腹一杯であったとしても。
「…お前、いい加減、覚えたらどうだ? ポットもカップも空になったら新しいのが要るだろう」
さっさと下げて入れ替えてくれば少なくとも一度は母の訪問回数が減る、というハーレイの指摘は正しかった。それでもブルーは毎回忘れる。目の前のハーレイに夢中になってしまうから…。
「…わざと忘れてるわけじゃないんだけれど……」
シュンと項垂れるブルーの姿に、ハーレイが「じゃあ、年のせいか?」とからかってくる。
「三百にプラス何歳だった? 少なくとも今が十四歳だし、前世の分まで合わせて数えりゃ平均寿命も間近ってトコか。物忘れが酷くなっても仕方がないが、同じ三百歳を超えた年でも前のお前は冴えてたなあ…」
物忘れなんかしなかったっけな、とハーレイは可笑しそうに笑ってみせた。
「俺が約束の時間に遅れたと何度文句を言われたことか。…絶対に忘れなかったんだよなあ、たまには忘れてくれてもいいのに」
「忘れるわけがないよ、ハーレイと二人きりになれる時間の約束をしたんだもの」
「だったら、今度も覚えておけばいいだろう」
「ママが来る時間は決まってないし! 決まってるんなら覚えるよ!」
お茶を淹れてから一時間後とか、とブルーは唇を尖らせたけれど、実際の所、覚えていられる自信は無かった。ハーレイの姿を目にしたが最後、他は全くどうでもよくなる。ケーキをすっかり食べてしまおうが、ポットもカップも空であろうが、ハーレイさえいればもう幸せでたまらない。
(…ホントにわざとじゃないんだけどな…)
今日だってハーレイが部屋を訪れるまでは覚えていた。母が用意した菓子が無くなるか、ポットのお茶が空になったら先手を打って自分で下げて、新しいものを貰ってこよう、と。そうすれば母が扉をノックする前に余裕を持って行動出来るし、母の来訪も一度は減るし…。
「…どうして忘れちゃうんだろう…」
自己嫌悪に陥りそうなブルーの額をハーレイの指がピンと弾いた。
「それはお前が子供だからさ。…前のお前は大人だったから、今のお前より遙かに年を重ねていたって周りがきちんと見えていたんだ。次に自分が取るべき道を見据えていたと言うべきか…。俺と一緒に過ごす時にも決してシャングリラを忘れなかった」
「……そうなんだけど……」
そのことはブルーも覚えている。ハーレイと恋人同士の時を過ごして、どんなに我を忘れようとも心の何処かに白く優美なシャングリラが在った。
守らなくてはならないもの。決して忘れてはならないもの…。
巨大な船を常に意識し、その隅々まで思念を行き渡らせることに比べればティーポットや菓子の皿など微々たるもの。ソルジャー・ブルーであった頃の自分なら、意識せずとも忘れないもの。
それなのに毎回、忘れてしまう。自分は馬鹿になったのだろうか?
「…テストの点数は悪くないって思うんだけどな…」
言い訳のように呟いてみても、現に今日だって綺麗に忘れた。やっぱり自分は前世よりも馬鹿で覚えが悪くて、たかがティーポットすらも頭の中に留めておけない間抜けだとか…?
そんなブルーの頭をハーレイがポンポンと優しく叩く。
「お前、頭は悪くないだろ? 運動の方はからっきしだが、他の科目は小さい頃からトップクラスで今の学校へ入った時にも首席だったと聞いているが?」
「…だけど、頭は悪いのかも…。テストでいい点が取れる理由はソルジャー・ブルーの頃の記憶を持っているからで、ぼくが覚えたわけじゃないかも…」
思い出す前から全部知ってたのかも、とブルーは落ち込みそうだった。お茶を取り替えることも忘れる自分が授業の中身を人並み以上に覚えていられるわけがない。無意識の内に前世で蓄えた知識を引き出し、スラスラと問題を解いていただけで…。
「そうだな、馬鹿かもしれないな」
ハーレイの言葉に傷つきかけたが、その言葉には続きがあった。
「…さっきお前が忘れる理由を言った筈だが、それも全く分かっていない辺りがなあ…。いいか、お前は子供なんだよ。目先のことしか見えない子供だ。子供ってヤツはそういうモンだ」
「ぼくは子供じゃないってば!」
馬鹿と言われるのもショックだけれども、子供扱いはもっと堪える。いくら背丈が前の生よりもずっと低くて、生まれてからの年数が今のハーレイの半分にさえもならないとしても、ソルジャー・ブルーだった頃の記憶はあった。自分はハーレイと恋人同士の筈なのに…。
「子供じゃないと言い張る所も立派に子供の証拠だな。ちゃんと立派に育った大人がよく言う台詞を知ってるか? 「まだまだ若輩者でして」と自分は若すぎて経験不足だと謙遜するんだ」
「でも、ぼくは…!」
「ソルジャー・ブルーの生まれ変わりで俺の恋人だと言いたいのか? それは認めるが、子供は子供だ。お前がどんなに背伸びしたって三百歳を超えるどころか俺の年さえ越えられないさ」
だから、とハーレイの手がブルーの髪をクシャクシャと撫でた。
「お前は周りがきちんと見えない。自分のことだけで精一杯で、そのせいで色々失敗もする。お茶を淹れに行こうと思っていたって忘れちまうのも子供だからだ。心配は要らん」
当分はお母さんに任せておけ、とハーレイは笑うが、ブルーにしてみれば母の存在は大問題で。
「……でも……。ママが来ちゃうと離れなくっちゃいけないし…」
さっきみたいに、とブルーは俯いた。
「ぼくはハーレイの側に居たいのに、ママに見付かったら大変だもの…」
自分たちの前世が何であったかは両親だって知っている。しかし恋人同士だったことは何処にも記録されてはおらず、その上にハーレイもブルーも男。事実を知ったら両親は腰を抜かすだろう。
今の時代でも男同士のカップルは至って少数派。結婚は出来るし問題は無いが、それでもやはり普通の恋とは言い難い。いつかは両親にもきちんと話してハーレイと共に暮らしたいけれど、其処に至る前に知れて驚かれることは出来れば回避したかった。
せっかく休日はハーレイと過ごせるようになっているのに、恋仲とバレればどうなるか。下手をすればハーレイは出入り禁止で、ブルーも自室に閉じ込められてしまうとか…。
ブルーは切々と訴えた。
自分が育って大きくなるまで、母の目を気にして過ごさなければいけないことが辛くて悲しくてたまらないのだ、と。
「…ハーレイはキスも駄目だって言うし、ママの前ではくっつけないし…。こんな我慢がいつまで続くの? 早く大きくなりたいよ…。なのに大きくなれないんだもの…」
頑張って沢山食べようとしても食の細いブルーには無理だった。ミルクを飲んでも背丈は伸びてくれず、学年で一番小さいまま。ハーレイと前世のような仲になれる日は一向に訪れそうもない。
「本物の恋人同士になるのも無理で、くっつくのも駄目。本当に悲しすぎるんだけど…」
「子供だから仕方ないだろう、と何度も言った筈なんだがな…。これだから子供というヤツは…」
手がかかりすぎて扱い辛い、とハーレイの眉間に皺が寄る。
その顔つきにブルーは首を竦め、「怒らせた」と目を固く瞑ってしまったのだが。
(…えっ?!)
グイ、といきなり強い力で抱き寄せられた。テーブルを挟んで座っていた筈なのに、ハーレイの腕に囚われる。更にそのまま床へと引き摺るように倒され、慌てて抵抗しようとした。
本物の恋人同士に早くなりたいと願い続ける毎日だけれど、母がいつ来るかも知れない部屋でだなんて思いもしない。
ハーレイのことは大好きだったし、いつそうなっても構わないとは思ったけれども、こんな所で押し倒されてそんな関係になるなんて…!
「やだっ…!」
嫌だ、とブルーは叫んだ。力でハーレイに勝てないことは明らかだったが、逃れようともがく。細い手足をバタつかせて暴れ、逞しい腕を振りほどこうと足掻けばハーレイの力が不意に緩んだ。
「……何もしないと言ってるだろうが」
「…ハーレイ…?」
涙が滲みかけた瞳にハーレイが映る。その顔は懸命に笑いを堪えている顔。
「お前、襲われると思っただろう? キスもすっ飛ばして誰が襲うか、舐められたもんだ」
で、この状態ならお気に召すのか、と訊かれてブルーはようやく気が付いた。
絨毯に正座したハーレイの太ももを枕に自分は床に寝ていて、いわゆる膝枕の状態なのだ、と。
「どうだ、これならお母さんが来たって大丈夫だと俺は思うがな」
ただの昼寝だ、とハーレイが笑う。
「眠いならベッドで寝たらどうだ、と言っている間に床に転がって寝ちまった、と言えば通るし、お母さんが恐縮するだけだ。…なにしろ俺の足がお前の重みで痺れるからな」
「…そんなに重い?」
なんとか気持ちが落ち着いてきたブルーが尋ねると「まさか」と直ぐに答えが返った。
「お前の小さな頭くらいで痺れていたんじゃ柔道なんぞは出来ないさ。身体を鍛えることも大事だが、柔道は礼儀作法も大切なんだぞ。正座は基本の中の基本だ、そう簡単に痺れはせん」
気にしないでゆっくり寝ているといい、とハーレイの指がブルーの前髪を優しく梳いた。
「本当は少し辛いんだがな…。お前が下手に暴れたお蔭で、俺の理性が吹っ飛びかけたぞ。危うく食っちまう所だったが、此処が我慢のしどころってヤツだ」
好物は最後まで取っておくのが好みなのだ、とハーレイがブルーの顔を見下ろす。
「お前はまだまだ子供だしな? しっかり育って食べ頃になったら美味しく頂くことにしておく。それにクビにもなりたくないし…。お前を食ったら俺は立派な犯罪者だ」
「……告げ口しないよ」
「こら! 子供のくせに背伸びするんじゃない。さっき必死で暴れてたくせに」
俺はしっかり見ていたんだぞ、とハーレイの鳶色の瞳がブルーを映して穏やかに揺れる。
「お前に「嫌だ」と言われちまったが、いずれ逆の意味で「嫌だ」とお前に言わせるさ。…覚えているだろ、どういう時に「嫌だ」と言ったか」
「…ちょ、ハーレイっ…!」
ブルーは耳まで真っ赤になった。
前世で「嫌だ」とハーレイに何度言っただろう?
それはベッドの中での睦言。本当に嫌で言ったのではなく、その逆の意味で…。
「思い出したか? あれは子供のお前には言えん。…もっと大きく育たないとな」
しっかり食べて大きくなれよ、と温かな手が額に置かれた。
「…分かったんなら少しだけ眠れ。驚かせてしまって悪かった」
「……ううん…。ぼくこそ、暴れちゃってごめん」
緊張が一気に緩んだせいか、急な眠気に襲われる。眠るつもりは無かったのだけれど、一つ欠伸をしてしまったら瞼が重くなってきて……。
そうして眠ってしまったブルーは、母が「熱いお茶を持って来ましょうか?」と扉をノックし、覗きに来たことにも気付かなかった。
「あらあら、この子ったら、ご迷惑を…。駄目でしょう、ブルー!」
起きなさい、と言いかけた母に、ハーレイが人差し指を自分の唇に当てる。
「いえ、こういうのは慣れていますから。…昔、よく母の猫が膝の上で眠ってましたしね」
「…でも……」
「寝かしておいてあげて下さい。今日は話が弾みましたから、多分、疲れが出たのでしょう」
なにしろ積もる話は三百年分ほどもありますので、というハーレイの言葉に母はようやく笑顔になった。
「そういえば…。ついつい忘れてしまいますわね、ブルーがソルジャー・ブルーなことを」
「ブルー君のためにはそれでいいんだと思いますよ。今は普通の十四歳の子供ですから」
「…ええ。私たちの大事な一人息子です」
ブルーをよろしくお願いします、と頭を下げた母が「コーヒーをお持ちしますわね」と部屋を出てゆくのをハーレイは苦笑しながら見送った。
その大切な一人息子を自分の伴侶に貰い受けたい、と告げたら彼女はどうするだろう?
(…まあいいさ。まだまだ先の話だからな)
追い追いゆっくり考えればいい、と自分の膝で眠るブルーを見下ろす。
「お前が暴れてくれた時にはドキッとしたがな、お前、もう少し育たないとな」
嫌だという声に色気が足りない、と呟きながらもハーレイの心は今なお微かに波立っていた。
此処がブルーの部屋でなかったなら、ブルーを組み敷いていたかもしれない。
俺もまだまだ修行不足だ、と自分自身を叱咤する。
自分の膝を枕に眠るブルーは十四歳になったばかりの無垢な子供で、守るべきもの。
前の生で守れなかった分まで守り慈しみ、いつの日にか…。
(……お前を俺の伴侶に貰える日までは手は出せないな)
早く大きく育ってくれよ、とハーレイは願う。
ブルーが「早く大きくなりたい」と願うよりも更に切なる想いをこめて、ただひたすらに……。
恋する十四歳・了
「ぼくは猫でもいいんだけどな…」
ブルーはポツリと呟いた。
今日は土曜日、本当だったらハーレイと一緒に過ごせる休日。けれどハーレイに仕事がある時はブルーの家のチャイムは鳴らない。今日がその日だと分かってはいても、ついつい窓から表の庭と門扉を眺めてしまう。もしかしたら、と。
ハーレイが来られないことを知っていたから、朝から全く調子が出ない。休日は普段以上に張り切ってしている掃除も気分が乗らず、ブルーにしては珍しく机の上に読みかけの本が雑然と載っていたりする。
(……ホントに猫なら良かったのにな……)
前にハーレイが見せてくれた写真の真っ白な猫。昔、ハーレイの母が可愛がっていた猫で、名前はミーシャ。よくハーレイのベッドにもぐり込んで来たというミーシャがブルーは心底羨ましかった。ミーシャはハーレイの膝の上も好きで、甘えん坊で…。
(…ぼくも猫だったらハーレイの家に居られるのに…)
ミーシャはとても人懐っこい猫で、来客の時も客間に出入りし、おやつを貰っていたと聞く。もしもブルーが猫だったならば、今日はハーレイの家に居て…。
(ハーレイの膝に乗っかっていたら撫でて貰えて、おやつが貰えて…)
本当に猫になりたかったな、とブルーは窓の外の庭と門扉を寂しさを堪えて見下ろした。
今日はハーレイの家に同級生たちが大勢遊びに行っている。ハーレイが指導する柔道部の生徒が招かれ、賑やかに食事をしている筈だ。ブルーは両親と食べたのだけれど、これがいつもの土曜日だったら昼食の席にはハーレイが居る。ブルーの部屋で二人で食べることもあるし…。
(…ハーレイの家に居たかったなあ…)
猫でもいいから、と何処までもミーシャが羨ましい。
実際にはミーシャはハーレイの猫では無かったのだし、ハーレイは今の家でペットを飼ってはいない。しかし、ブルーが猫だったならハーレイは飼ってくれるだろう。
(…猫に生まれてたらハーレイと一緒に居られたよね?)
家に来るなと言われもしないし、ベッドの中にもぐり込んでも叱られない。ハーレイの大きな身体に甘え放題、好きな時にピッタリくっついて…。
「……猫になれたらいいのにな……」
そしてハーレイの家で暮らしたいな、とブルーは小さな溜息をつく。いつもハーレイの側に居られて、可愛がって貰える真っ白な猫。名前もミーシャでかまわない。ハーレイと一緒に暮らせるのならば猫で充分、それで幸せ。
そう思い込むと止まらない。もしも本当に猫だったなら……。
次の日、ハーレイは「昨日は来られなくてすまなかったな」と、何の変哲もないクッキーの詰め合わせを手土産にブルーを訪ねて来てくれた。母が淹れた紅茶とセットでテーブルに置かれたクッキーをハーレイが「美味いんだぞ」と言いながら自分も手に取る。
「俺の家の近くに店があるんだ。クソガキどもが遊びに来る時の定番でな」
「…そうなの?」
意外な言葉にブルーの瞳がまん丸になった。
確かに美味しいクッキーだけれど、ハーレイが指導しているクラブは柔道部。今までに勤めた他の学校でも柔道か水泳だったと聞いているから、クソガキとやらは運動をやる生徒ばかりだ。ブルーが貰った詰め合わせなぞはアッと言う間に無くなりそうで…。
「ははっ、説明不足だったか。…お前の分が特別なんだ。きちんと詰めてあっただろう? あれが本来の商品なんだが、大食らいのガキどもに食わせる分にはお徳用ってヤツで充分だ」
割れたり欠けたりしたクッキーばかりを詰めた袋があるのだ、とハーレイは説明してくれた。
「そいつの一番でかいヤツをな、幾つか買っておくんだが…。あいつらにかかれば一時間もせずに食い尽くされて空っぽだ。お前とは似ても似つかんヤツらさ」
「ふうん…」
ハーレイが手で作ってみせた徳用袋の大きさはブルーの想像を超えていた。何人がハーレイの家に行ったのかは分からないけれど、ブルーだったら食べ尽くすまでに何日かかるか分からない。
「驚いたか? いやもう、本当にあいつらときたら…。俺の懐は寂しくなるし、お前に会いには来られないしで散々だったさ、昨日はな。…お前も寂しかったと思うが…」
それでクッキーを買って来たのだ、とハーレイは言った。
「俺がどういう菓子や食事を用意してたか、お前が随分気にしていそうな気がしてな。菓子はこいつで食事はピザだ。宅配ピザだが、遠慮なく高いのを注文しまくって食われちまった」
苦笑するハーレイを見ていると光景が目に浮かぶようだ。自分もその場で見ていたかった、と思ったはずみに昨日の考えが蘇る。もしも自分が猫だったなら……。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「ぼくが猫ならハーレイは飼ってくれたよね?」
「……猫?」
唐突すぎる問いにハーレイは鳶色の瞳を大きく見開き、何度もパチパチと瞬きをした。
「…それでお前は猫になりたい、と」
ブルーの懸命な訴えを聞き終えたハーレイの手がブルーの髪をクシャリと撫でる。
「なるほど、手触りは悪くない毛皮だな。ミーシャは真っ白で可愛かったが、銀色の猫もいいかもしれん。…しかしだ、お前、猫は言葉を喋れんぞ?」
「サイオンがあるよ。…ぼくが猫に生まれてハーレイに会ったら、ナキネズミみたいに喋れるよ」
「……ふうむ……」
喋る猫か、とハーレイの目が細くなった。
「それは考えもしなかった。…そういうお前に出会っていたなら、俺は喜んで飼ったと思うが…。名前もきちんと『ブルー』と付けてやったと思うが、お前、本当に猫でいいのか?」
「ハーレイと一緒に暮らせるんなら猫でいい。…今みたいに離れ離れで暮らさなくてもいいもの」
ブルーは心の底からそう思った。
前の生ではソルジャーとキャプテン、恋人同士なことさえも秘密。それでも夜は必ず会えたし、会わずに過ごした日などは無い。
けれど今では家は別々、学校に行けば教師と生徒で、恋人として会える時間は休日だけ。いつも一緒に過ごせるのならば、本当に猫でもかまわない。ハーレイに飼って貰って沢山甘えて、夜はベッドにもぐり込んで…。
「……お前が猫か…。どんな姿のお前に会っても俺はお前を好きにはなるが……」
困ったな、とハーレイの眉間の皺が深くなる。
「お前が猫に生まれていたなら、俺はまたお前を失くすことになる」
「なんで? ぼくは何処にも行かないよ」
ハーレイが帰って来るまで家で待つよ、とブルーは無邪気に微笑んだ。
「仕事の間はちゃんと待ってる。…だけどクラブの生徒を呼んだ時にはハーレイの側に居てもいいよね、膝の上とか」
「…お前に何処かへ行く気が無くても、お前は俺を置いてっちまうさ。猫なんだからな」
ミーシャは二十年ほどしか家に居なかった、とハーレイは深い溜息をついた。
「それでも長生きした方だ。俺が生まれる前から家に居て、死んじまったのはいつだったかな…。お前も猫に生まれていたなら、二十年ほどしか生きられないんだ」
「えっ……」
それは考えてもみなかった。猫の寿命は人間よりも遙かに短い。人間が皆ミュウとなった今、外見で年齢は分からないけれど、平均寿命は三百歳を超えている。もしもブルーが猫だったなら…。
「…生まれたての時にハーレイに会って、飼って貰っても二十年なんだ…」
たったそれだけで寿命が尽きておしまいだなんて、ブルーは思いもしなかった。今の生でハーレイと出会った十四歳の時まで会えないのならば、寿命の残りは六年しかない。
「お前、目先のことに夢中で何も考えていなかったな?」
ハーレイに指摘されてシュンと俯く。自分が猫に生まれていたなら、どんなに頑張って長生きしたってハーレイを置いて逝かねばならない。それもたったの二十年で。
「……ごめんなさい…。猫になりたいって言うのはやめる」
「是非そうしてくれ。お前を失くすのは二度と御免だ」
今度は先に逝かせて貰う、というハーレイの台詞にギョッとする。
「ハーレイ…。今、なんて?」
「俺が先だと言ったんだよ。順番からしたらそうなるだろう? 俺の方がかなり年上だしな」
「やだよ、そんなの! 冗談でもそんなの言わないでよ!」
ブルーはハーレイに殴りかからんばかりの勢いで飛び付き、大きな身体に抱き付いた。
「ハーレイがいなくなるなんて嫌だ! 独りぼっちになるなんて嫌だ!」
死んじゃ嫌だ、と涙交じりにハーレイの胸をポカポカと叩く。
「離れ離れになってもいいから、死なないで! ぼくも絶対に死なないから!」
いつかはそういう時が来るのだと分かってはいるが、それはまだずっと遠くて見えない時の彼方で、まだまだ考えたくもない。なまじ前の生の記憶があるから、ブルーは普通の十四歳の子供よりも遙かに「死」という言葉に敏感で激しく反応する。
それだけは嫌で避けたいもの。出来ることなら世界の中から消し去りたいもの。
「嫌だよ、ハーレイ…。居なくなるなんて言わないでよ…」
赤い瞳から涙が溢れてブルーの頬を伝い、ポロポロと落ちる。ハーレイは「すまん」と一言謝り、ブルーの涙を武骨な指先で優しく拭った。
「…もう言わん。そしてお前の前からも居なくならない。…それでいいんだな?」
「…うん……。会えなくてもいいから、ずっと生きてて。ぼくも生きるから」
「ああ。…お前を置いては逝かないさ。いや、逝けないと言うべきだな」
こんな泣き虫を置いて逝けるか、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「心配でとても死ねそうにない。…だからお前も約束してくれ。二度と俺を置いて逝ったりしない、と。俺はお前を失くしたくない」
「……うん。…うん、ハーレイ……」
だからハーレイも。約束だよ、とブルーは細い指をハーレイの指に絡ませた。
お互いに置いて逝ったりはしない。いつまでも決して離れはしない、と。
こうしてブルーは「猫になってハーレイに飼って貰う」夢を見ることをやめた。
ハーレイの側に居られる生活は素敵だけれども、猫の寿命はあまりに短い。それを思えば今の生での待ち時間など全く大した問題ではなく、四年も経てば義務教育の期間が終わる。そうすれば教師と生徒に分かれてしまった互いの立場は解消されて、恋人同士として付き合える筈。
それにその頃にはブルーの背丈も前の生でのソルジャー・ブルーと同じくらいに伸びるだろう。悲しくてたまらない子供扱いもされなくなって、本物の恋人同士になって…。
「うん、猫になるよりもそっちの方が断然いいよね」
もう少しかな、とブルーはクローゼットの隣に立って自分が付けた印を見上げた。
床から百七十センチの場所に鉛筆で微かに引いた線。それがソルジャー・ブルーの背丈。
「……あと少しだけの我慢だし!」
たったの二十センチだし、と痩せ我慢をする小さなブルーの背丈は百五十センチしか無かった。
ソルジャー・ブルーと変わらない背丈にならない限りはハーレイが言うところの「立派な子供」で、キスすら交わすことも出来ずに離れ離れの生活で……。
それでも猫の短い寿命を使ってハーレイの長い生での一瞬だけを分かち合うより、これから先の長い未来を一緒に過ごす方がいい。ハーレイの家で共に暮らすか、ブルーの家にハーレイが来るか。
(……えーっと……)
パパとママには何て言おう? とブルーの頬が真っ赤に染まった。
本物の恋人同士の関係となれば、前の生での記憶からしてもキスどころではない深いもの。
これからそういうコトを始めるから、と両親の前で宣言できる度胸はブルーには無い。
(………ハーレイに言って貰おうかな?)
猫のぼくを飼うより簡単だよね、と考えるブルーは「大人」というものを分かっていなかった。
本物の恋人同士な関係を自由に持てる大人にとっては、その関係は基礎の基礎だと勘違い。小さな自分は恥ずかしくてとても言えないけれども、大人のハーレイは恥ずかしくないに違いないと。
「うん、ハーレイならきっと大丈夫!」
今だってちゃんと大人だもの、とハーレイの姿を思い浮かべてニッコリ微笑む。
「その時」が来たら、両親への報告はハーレイに頼んでやって貰おう。
猫を飼うには餌だの世話だのと手間がかかるけれど、報告は言葉だけで済むから簡単だろう。
「よろしく、ハーレイ」
声に出してみてブルーは「よし!」と頷いた。
ハーレイと本物の恋人同士になる宣言はハーレイに任せておくのが一番。
なんと言っても立派な大人を何年もやっているのだから。
その宣言が「ブルーを自分の伴侶に欲しい」という申し込みと同じ意味だとブルーが気付くのはいつだろう?
気付いてもハーレイに任せておくのか、それとも自分で宣言するか。
「猫になりたい」と本気で考えたような小さなブルーが其処まで辿り着く日は遙かに遠い。
とりあえず猫になるのはやめたらしいが、ハーレイと共に暮らせる日までの我慢はまだ長い…。
猫でもいいから・了
ハーレイが訪ねて来てくれる土曜日の朝。
目覚めて直ぐに土曜日だと気付き、今日はハーレイと何を話そうかと考えを巡らせかけたブルーの耳が音を捉えた。激しくはないけれど、屋根を叩く水の雫の音。
「…雨だ…」
先日までの天気予報では雨は降らないと言っていたのに、予報が変わって曇りになったのが昨日の朝のこと。土曜日は早朝から釣りに出掛けるのだと話していたクラスメイトの顔を思い出す。曇りならともかく、本降りの雨。彼は釣りに行くことが出来ただろうか?
(ぼくは何処にも出掛けないから関係ないけど…)
きっと何人もの休日の予定が変更になるに違いない。外でやるスポーツやハイキング。車で出掛ける人にしたって、遠出をやめて近い所へ行くかもしれない。その点、ブルーは家でハーレイの来訪を待つだけなのだし、何も変わりはしないのだが…。
(ハーレイ、今日は車かな?)
ブルーの家を訪ねて来る時、ハーレイが使う方法は三通り。路線バスと自分の車と、自分の足と。雨が降る日は大抵が車で、晴れか曇りなら路線バス。運動を兼ねて歩いて来る日は雨とは無縁の天気が良い日。
そんなことをつらつらと考えながら着替えを済ませて両親と一緒に朝食を摂った。雨は一向に止もうとはせず、どうやら夜まで降り続くらしい。
(夜まで降るなら、釣りはやっぱり無理だったかな?)
クラスメイトのガッカリした顔が目に浮かぶようだ。ブルーは生まれつき身体が弱かったから、雨で変更を強いられそうな予定とは殆ど縁が無い。屋外でスポーツなどはしないし、長距離を歩くハイキングだって学校の遠足くらいなもの。それすらも参加出来ずに家に居たことも度々で…。
(雨って、色々と大変だよね)
いつものように部屋を掃除し、後はハーレイが来るのを待つだけ。自分用の椅子に座って窓から表の庭と通りを見下ろす。ハーレイは車か、はたまた傘を差しての到着か…。
「あっ!」
やっぱり車、と見慣れたハーレイの愛車が来客用のスペースに入ってゆくのを眺めた。ハーレイの車を見るのは好きだ。今はまだ一緒に乗せては貰えないけれど、大きくなったら…。
(車で何処でも行けるんだよね)
一日でも早く大きくなって、ハーレイが運転する横で助手席に座って、いろんな所へ。そうなる頃には雨に降られて気落ちすることもあるのだろうか?
(…えーっと…。雨が降ったら駄目な所って何があったかな?)
屋根の無い公園、それから海辺。山も駄目かな、と指を折って順に数える途中で気が付いた。雨が降ったら台無しどころか、もっと大変なとある事実に。
車をガレージに停めたハーレイが母の案内でブルーの部屋までやって来る。軽いノックの音に声を返すと扉が開いて、ハーレイが「おはよう」と穏やかな笑顔で現れた。ブルーの向かいの椅子に腰掛け、母がテーブルに紅茶と焼き菓子を置いて…。
「ごゆっくりどうぞ。何か御用がありましたら、ブルーに仰って下さいね」
「ありがとうございます。今日もお世話になります」
ハーレイは丁重に礼を述べるが、本当の所、世話になっているのはブルーの方だ。ブルーが此処に居なかったならば、ハーレイには自分の時間を自由に使える休日が今日もあった筈。土曜日と日曜日が巡ってくる度、ブルーはハーレイを拘束している。雨降りよりも厄介な存在が自分。
「どうした、ブルー?」
元気が無いな、とハーレイに顔を覗き込まれた。母はとっくに扉を閉めて出て行ったらしい。
「…うん……。…ううん」
曖昧に答えたブルーに、ハーレイは「気になることがあるのなら言え」と促してくる。
「お前、どう見てもおかしいぞ。甘えもしないし、喋りもしない。……何があった?」
「……えっと……」
どうしようかと言い淀んだものの、ブルーがハーレイの休日を殆ど一人で独占している今の状態は今後も続く。ハーレイがそれを選んだとはいえ、無期限でブルーの守り役として。
前世では心も身体も結ばれた恋人同士で、今の生でもハーレイはブルーを恋人だと言う。ブルー自身も恋人だと思っているのだけれども、実際はキスすら交わしてはいない。そんなブルーに付き合い続けて休日の大半を潰してしまって、ハーレイはそれでいいのだろうか?
「ハーレイ…。一つ訊いてもいい?」
ブルーは思い切ってハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。
「なんだ? 俺で分かることならいいんだが…」
「…ハーレイにしか答えられないことだよ。……ハーレイ、休みの日は前は何をしていたの?」
「休みって…。今日みたいな土曜とか日曜のことか?」
「うん。……ぼくの所へ来なくちゃいけなくなってしまう前は何をしていたのかな、って…」
其処まで言うのが精一杯。ブルーは俯き、黙ってしまった。
自分が知らないハーレイの休日。今よりも遙かに充実していて、色々な場所へ出掛けて行って…。
ハーレイの答えを待つまでもなく分かっている。自分がハーレイを独占する前は何通りもの休日の過ごし方があって、ハーレイはそれらの日々を心から楽しんでいたに違いないと。
「……なるほどな……」
ハーレイはクッと小さく喉の奥で笑い、ブルーの銀色の髪を右手でクシャクシャと撫でた。
「…お前の質問への答えだが」
その言葉にブルーはピクリと肩を震わせた。それを見たハーレイがクックッと笑う。
「まずは、一つ目。…ブルー、お前は重大な勘違いってヤツをしているぞ。俺は強制されて此処へ来ているわけじゃない。建前上はそういうことになっているがな、お前まで勘違いを起こしてどうする。俺はお前に会いたいから此処に来るんだぞ」
「…でも……。ぼくは小さいから、ハーレイの恋人っていうのは名前だけだよ」
「名前だけでも充分なんだよ、俺にはな。…お前が昔の姿に育つ時まで何十年でも待てると何度も言っているだろう? 見張っていないと他の誰かに盗まれそうだ」
お前はとてつもない美人に育つんだしな、とハーレイはパチンと片目を瞑る。
「自分の宝物の番をしたくないヤツは居ないと思うぞ、盗まれそうなモノとなったら尚更だ」
「…だけど……。ハーレイのための時間が全然無いよ」
「俺のためだろうが、今だってな。とびきりの美人に育つ予定のお前の姿を眺めて暮らす。しかも将来は俺のものになると言ってくれる可愛い恋人なんだぞ? こんな贅沢な時間は無いと思うが」
おまけに美味い飯だの菓子だのも付く、とハーレイの指が焼き菓子の皿を指差した。
「この菓子もお前のお母さんの手作りだしな? その辺のヤツより美味い菓子が食えて、飯だって色々作って貰える。俺も料理は得意な方だが、作って貰った飯というのは格段に美味い」
「…それでもやっぱりハーレイが自由に使える時間は無いよ…」
「俺としては今現在も自由時間のつもりだが? 恋人と二人で過ごせる時間が自由時間でないヤツがいたら、是非ともお目にかかりたいな。そんな馬鹿野郎には恋など出来ん」
そして、と褐色の手がブルーの髪を優しく梳いてゆく。
「お前の質問への二つ目の答え。…お前という宝物があるなんてことを知らなかった頃は、休みと言ったら運動だったな。柔道もいいし、水泳もいい。道場に行って指導もしてたし、一日中プールで泳ぎまくったり…。それはそれで楽しい休日だったが、宝物を見付けてしまうとなあ…」
値打ちがググンと下がるもんだ、とハーレイはニッコリ笑ってみせた。
「俺だけの宝物を眺めて過ごせて、しかも飯付き。それに比べれば、自由を満喫していたつもりの昔の俺ってヤツは悲惨だ。ただの寂しい独身男さ、嫁も彼女も居ないんだからな」
「……本当に? ハーレイは本当に今みたいな休みでかまわないの?」
「当たり前だろうが、何度言えば分かる? 俺は自分の宝物の見張りに通っているんだ、盗られたり逃げられたりしないようにな」
この宝物には綺麗な足が生えているから、とハーレイの足がテーブルの下のブルーの足に触れて、直ぐに離れた。
それは本当に一瞬のこと。小さなブルーは知りもしないが、倍以上もの年を重ねたハーレイの方は立派な大人の男性。ほんの少し足が触れ合っただけでも身体の奥に熱がじわりと生じるのだから。
宝物のブルーを他の誰かに盗られないよう、ブルーが逃げてしまわないよう、その側で見張る。
それが自分の休日であって、最高に贅沢な過ごし方だとハーレイは言った。
「盗まれてから歯軋りしても遅いし、逃げられたとなると泣くしかない。そんな惨めな目には遭いたくないからな。…特にお前が逃げる方は、だ」
「…逃げたりしないよ、ぼくはハーレイしか好きにならない」
「……どうだかな?」
分からないぞ、とハーレイが難しい顔をする。
「前のライバルはシャングリラのヤツらだけだった。しかし今度は違うからな…。地球だけでも凄い人数が居るし、宇宙には星が幾つも散らばってやがる。そしてお前は美人ときた。目をつけるヤツはきっと多いぞ、お前と釣り合う年のヤツらも掃いて捨てるほど居るんだからな」
こんなに老けたオッサンよりも若いヤツの方がいいだろう? と訊かれたブルーは「ううん」と首を左右に振った。
「ハーレイだから大好きなんだよ、ハーレイが若く生まれていたなら若いハーレイでもいいんだけれど…。ハーレイ以外の恋人なんて欲しくもないし、そんなの要らない」
「もしも若いゼルが居たらどうする。…まだ出会っていないだけかもしれない」
「ゼルは最初からどうでもいいよ! シャングリラに居た頃から興味無しだよ!」
「そうか? …お前より年上のジョミーというのも可能性はゼロではないんだが」
その辺からフラリと出てくるかもな、と言われたけれども、ジョミーだってブルーはどうでも良かった。シャングリラに居た頃、ハーレイとジョミーと、どちらがモテていたのかと問われれば恐らくはナスカでほんの数日だけ目にした青年の姿のジョミーだろうが…。
「ジョミーだって好きにならないし! ヒルマンも要らないしノルディも要らない!」
ハーレイが更なる名前を持ち出す前に、とブルーは先手を打って叫んだ。
「まかり間違ってキースが来たって、ぼくは絶対断るから!」
「…ははっ、キースか! そう来たか!」
アレな、とハーレイが眉間に寄せていた深めの皺が崩壊した。
「分かったよ、お前の本気の凄さは。…要するにお前は俺から逃げる気は無い、と」
「逃げたりしないし、盗まれもしない。キースが来たら断ってダッシュで逃げることにするし!」
メギドでブルーを撃ち殺そうとした男、キース・アニアン。今でも時々夢に見るけれど、彼もまた何処かに居るのだろうか? 彼は最期にミュウの未来を拓いてくれたと学校で習う。今の生で彼と出会えたならば語り合いたいとは思うけれども、それと恋とは全く別で…。
「ホントのホントに逃げるんだから! でも、逃げ遅れて捕まってたら…」
助けに来てくれる? と尋ねてみる。前の生でのハーレイだったら無理だった。しかし、今の生のハーレイは違う。今のハーレイなら、恐らくは、きっと…。
「お前が盗まれてしまった時か?」
取り返すために殴り込むさ、とハーレイは豪快に笑い飛ばした。
「盗んだ男をタコ殴りにして窓から捨てるくらいはするぞ? もちろん、死なない程度の高さの窓からだがな。…しかしだ、お前が逃げた時には俺は黙って見送ってやる」
本当だぞ、とブルーの髪を大きな褐色の手がグシャグシャと撫でてかき回した。
「今のお前は逃げる気なんぞは本当に全く無いんだろうが、人生ってヤツは分からんものだ。俺が今頃になってやっとお前と出会えるくらいだ、お前の人生にも何が起こるか分からんさ。…そしてお前が他の誰かに惚れたと言うなら、俺はお前のために身を引く」
……俺にお前を縛る権利は無いからな。
そう言いつつも、ハーレイは「だから」とブルーの頬を指先で軽くチョンとつついた。
「だから、お前に逃げられないように番をするのさ。そのために俺は此処に居る。その脹れっ面、「ぼくは絶対」と言いたいんだろ? だがな、人生には「絶対」は無い」
現に俺だってお前に惚れた、とハーレイの鳶色の瞳が悪戯っぽい光を宿した。
「俺の家には子供部屋まであるんだぞ? なのに子供はどう間違えても無理そうだしな! お前が産んでくれるというなら話は別だが、お前、産めるか?」
「えっ…。そ、それはちょっと…」
無理! とブルーは耳の先まで真っ赤になった。
いつかはハーレイと本物の恋人同士になるのだと固く心に決めているけれど、そうなっても子供は作れない。どう頑張っても男同士では無理なことくらい、小さなブルーでも分かっている。
「ほら見ろ、俺の人生の設計図ってヤツがお前に出会って崩れたわけだ。子供部屋まで作っておいても子供は無しな人生なんだぞ、お前の人生もどうなるんだか…」
「ぼくはホントに逃げないってば! でも捕まって盗まれちゃったら…」
「取り返す!」
お前に万一のコトが起きてしまう前に何処であっても殴り込む、と告げてハーレイは立ち上がり、ブルーの背後に回り込んだ。小さな身体を椅子ごと抱き締め、その耳元で熱く囁く。
「…いいな、俺の休日はお前のものだ。俺が自分でそう決めた。お前は心配しなくていい」
「うん…。ハーレイがそう言うのなら……。それでね…」
ぼくのお休みの日はハーレイのものでいいんだよね、とハーレイの腕に甘える小さなブルーはまだまだ分かっていなかった。ウッカリ盗まれてしまおうものなら自分の身に何が起こるかを。
それが起きる前に何処であろうとも殴り込む、と言うハーレイがどれほどにブルーを大切に想っているのかも理解し切れない十四歳の小さなブルー。
そんなブルーのためだけにあるハーレイの休日は、ハーレイの身には少しだけ切なく甘かった…。
雨の降る日に・了
「ハーレイ先生。着任早々、厄介なことになられましたな」
同僚の教師がハーレイに声をかけてきた。
「昨日、搬送された一年生の…。ブルー君でしたか、無期限で彼のお守りだそうで。色々と仕事もお忙しいのに」
「いえ、やり甲斐がありますよ。この顔が役に立つ日が来るとは夢にも思いませんでしたしね」
自分の顔を指差すハーレイに、同僚が「それはまあ…」と曖昧に頷く。
「しかし本当に似ておられますなあ、ブルー君が反応するわけですよ」
「はははっ、私も驚きましたが、ブルー君はもっと驚いたのでしょう。なにしろキャプテン・ハーレイですから」
「いやいや、まったく。ブルー君もそっくりですからねえ…。ソルジャー・ブルーに」
よくもまあ同じ学校に揃ったもんです、と同僚は初めて笑みを浮かべた。
「それで今日から早速ですか?」
「頼まれたからには急がなければと思うのですが…。まだ引き継ぎが終わりませんで」
「ああ、柔道部の顧問も引き受けられたとか…。いやはや、真面目でいらっしゃる。あまりご無理をなさらないように」
お守りは適当になさった方が、と同僚はハーレイを気遣ってくれた。けれど…。
「そうそう出来ない経験ですしね、楽しみながらやるつもりです。気儘な一人暮らしですから、却ってこちらが助かりそうな気もしていまして」
「ははっ、そうかもしれませんな! 三食昼寝つきですか」
「運が良ければそうなりますよ、休日限定ですけどね」
御心配無く、とハーレイは豪快に笑ってみせる。同僚もようやく安心したのか、一緒になって笑い始めた。独身男の休日にしては優雅な待遇かもしれない、と。
青い地球に生まれ変わって再会を果たしたハーレイとブルー。
二人は十四歳のブルーが通う学校の教師と生徒で、ハーレイは昨日着任したばかりだった。前の学校で急な欠員が出たため引き止められてしまい、新年度スタートに間に合わなかった古典の教師。前任者を引き継いで出掛けた教室で、それは起こった。
以前から友人知人に指摘されていたハーレイの顔立ちと、その姿。
遠い昔にミュウたちを乗せ、地球に辿り着いた白い鯨を思わせる船、シャングリラの船長であったキャプテン・ハーレイに生き写しだとよく言われる。自分でも似ていると思っていたし、名前まで同じハーレイなせいで「生まれ変わりか?」とも聞かれたものだ。
しかしハーレイには前世の記憶など無く、ただの偶然だと思ってきた。それなのに…。
授業のことだけを考えながら扉を開けたとある一年生の教室。其処にハーレイが入った途端に、一人の男子生徒がその瞳から血の色をした涙を流した。瞳の色の赤と相まって酷く驚いた次の瞬間、まだ幼さの残る生徒の瞳どころか両の肩から、その脇腹から大量の血が溢れ出して。
「どうしたんだ! おい、しっかりしろ!」
そう叫ぶのが精一杯だった。慌てて駆け寄り、床に倒れた少年の身体を抱え起こしたハーレイの身体を電撃のように貫いた記憶。
(…ブルー?!)
(……ハーレイ?!)
知っている。俺はこの姿を知っている。そしてブルーも、俺を知っている……。
交差し、流れ込む夥しい記憶はハーレイの、腕の中のブルーの遙かに遠い前世での記憶。
ブルーの身体を染めてゆく血が贄であったかのように、かつての自分が何者だったかをハーレイは悉く思い出した。
気を失っている小さなブルーは、前世で愛したソルジャー・ブルー。
だが、生まれ変わった彼に出会えたのだ、という感慨に浸る間もなくハーレイは保健委員の生徒に指示して救急車を呼びに行かせねばならず、ブルーの身体を抱き締めることすら叶わなかった。
せめてもの救いは一部始終を見ていた者として救急車に同乗出来たこと。
病院へと走る救急車の車内でハーレイはブルーの小さな手を握り、何度も何度も声をかけた。
「大丈夫だからな」「すぐ病院に着くからな」と。
そうやって到着した病院でブルーを診た医師が下した診断と、ブルーの両親が伏せておくと決めたブルーの前世。それらを擦り合わせ検討した結果、ハーレイに新しい役目が出来た。
ブルーを無期限で見守ること。
周りから見れば厄介としか思えないそれを、ハーレイは二つ返事で喜んで引き受けたのだった。
ブルーの瞳から、その身体から流れ出した大量の鮮血。
事故かとハーレイを焦らせたそれは、ブルーの身体に何の痕跡も残さなかった。搬送された病院で服を剥がされたブルーの肌には傷一つ無く、制服のシャツが血まみれになっていただけ。
しかも瞳からの出血は既に前例があって、その時の検査も今回の大量出血の検査も結果は全て「異常なし」。
ブルーを診た医師はブルーに前世の記憶が戻ったことと、ハーレイもまた同じであることを考えた末に一つの結論を導き出した。
かつてソルジャー・ブルーであった十四歳のブルーと、キャプテン・ハーレイであったハーレイ。
前世で数百年もの時を共に生きた二人には深い絆があり、今の生では他人とはいえ今後はそうもいかないだろう、と。
かつての記憶を語り合うにしても、これからの生をどう生きるかを考えるにしても、二人には話し合うための時間が必要だ。しかも数百年分の記憶ともなれば、一日や二日で済むわけがない。
「如何でしょうか? ブルー君の今後のためにも、頻繁に会えるようになさっては?」
医師がブルーの両親に告げた言葉は、既にハーレイの承諾を得ている。ハーレイと従兄弟同士の医師は、「俺はキャプテン・ハーレイだったよ」と告げたハーレイとはとうに相談済みだった。
「私の従兄弟……いわゆるキャプテン・ハーレイですが、彼も賛成してくれました。休日は出来る限りブルー君と会い、時間があれば平日も。…そうすれば積もる話も出来ますからね」
「…で、でも、先生……。ブルーだけを特別扱いとなれば、学校から何か言われませんか?」
ブルーの父が心配そうに尋ねた。母も不安げな表情だったが、医師は「その点は問題ありません」と太鼓判を押した。
「以前、ブルー君の出血は聖痕現象の一種では、とお話しさせて頂きましたね。初めて目にした症例だけに、あれから色々と古い資料を調べてみました。そうして分かったことなのですが…」
聖痕が身に現れた人々は繊細なタイプが多かったという。神の受難に思いを馳せるあまりに精神が肉体を凌駕してしまい、その結果として原因不明の出血が起こる。中には出血の量が多すぎ、寝たきりとなってしまった例も少なくはなく…。
「…そ、そんな…! それじゃブルーはどうなるんですか!」
母の悲鳴に、医師は「前世の記憶が戻りましたし、もう出血は起きないだろうと思います」と答えた上で、こう言った。
「しかし、かつての聖痕者たちの症例が此処で役に立ちます。ブルー君の前世を伏せる以上は、出血はソルジャー・ブルーに関連している聖痕だということになります。頻繁に起こして寝たきりになったりしないためには、ソルジャー・ブルーの傷を思い出さないよう精神の安定が必要ですね」
ソルジャー・ブルーの右腕であったと伝わるキャプテン・ハーレイをブルーの側に置くこと。それを私はお勧めします、と医師は微笑み、学校宛の手紙や診断書などを作成した。
ソルジャー・ブルーが受けた傷痕を体現してみせた聖痕者。
そう診断を下されたブルーは、ソルジャー・ブルーの身に起こった悲劇に思いを馳せることがないよう、キャプテン・ハーレイに生き写しなハーレイの見守りを受けると決まった。
遙かな昔にミュウたちを守り、惑星破壊兵器のメギドと共に宇宙に散ったソルジャー・ブルー。
彼の最期は詳らかにはなっていないが、それは一人きりでメギドを破壊した彼を看取った者が誰も居なかった証拠。孤独であった彼の最期をブルーがその身に写すのであれば、キャプテン・ハーレイそっくりのハーレイが身近に居れば状況は変わる。
キャプテン・ハーレイが側に居る以上、ソルジャー・ブルーはメギドには居ない。メギドに行きさえせずにいたなら、その身に傷を負いはしないし、その傷を写し出す聖痕者であるブルーの身体にも傷は現れないだろう。
十四歳の小さなブルーが聖痕を再び起こさないよう、ハーレイは守り役に選ばれた。
けれども、それはあくまで表向き。
本当の理由は「青い地球の上に生まれ変わったソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが平穏な日々を過ごせるように」という配慮であって、教師と生徒として巡り会った境遇に邪魔をされずに自由に行き来が出来るように、と事情を知る者たちが願った結果。
こうして無期限でブルーの守り役となったハーレイだったが、彼の負担を心配してくれる者たちを他所に、ハーレイの心は明るく弾む。
前世で愛したソルジャー・ブルーの生まれ変わりの小さなブルーを堂々と見守り、その傍らに居ることを許されたのだから。
ブルーの両親には「ブルーをよろしくお願いします」と深く頭を下げられたけれど、礼を言いたいのはハーレイの方だ。
誰憚ることなくブルーの家に自由に出入りし、ブルーの成長を見守ってゆける。今はまだ十四歳の少年に過ぎないブルーが前世のソルジャー・ブルーと同じ姿に育った時には、手を取り合って共に歩んでゆけるだろう。
その日まで自分はブルーを守る、とハーレイは固く決意した。
教師の仕事が多忙であろうと、休日は出来るだけブルーの側に。平日であっても時間が取れれば、仕事の後にブルーを訪ねてゆこう、と。
こうしてハーレイが見守り役となってくれたブルーだったが、肝心のハーレイとは救急搬送された日の夜にほんの少し会えただけだった。翌日からのブルーは大量出血のせいで四日間もの様子見の欠席を余儀なくされて、ハーレイも引き継ぎなどで忙しかったために訪ねてはくれず…。
ブルーがすっかりしょげてしまった週末の土曜日、ようやく来てくれたハーレイの姿。ブルーは大喜びでハーレイを迎え、その日も、あくる日曜日も懐かしい前世の恋人に甘えて過ごした。
とはいえ、月曜日から登校予定の学校では「ハーレイ」と呼び捨てにするわけにはいかない。
ハーレイにも、そして両親からも「ハーレイ先生と呼ぶように」と何度も言われたブルーは日曜日の夜、ハーレイが帰った後で「ハーレイ先生」と声に出してみた。
なんだか少しくすぐったい。
けれど先生と生徒であることは間違いないし、「ハーレイ」ではなくて「ハーレイ先生」。
(…大丈夫かな?)
失敗しないでちゃんと呼べるかな、と幾度も練習を繰り返す内に別の心配事が湧き上がってくる。
「ハーレイ先生」と呼ばなくてはならないハーレイが無期限でブルーの守り役。
学校を休んだ四日間の間に先生たちが全校生徒に説明をしてくれたと聞いているけれど、おかしな目で見られたりしないだろうか?
授業の最中に原因不明の大量出血、おまけにブルー自身も右目からの出血で病院に行くまで聞いたこともなかった聖痕者。大きな身体で教師なハーレイが守り役となったからには、苛められたりはしないだろう。しかし、仲の良かったクラスメイトなどとは疎遠になってしまうかもしれない。
(だって、いきなり血だもんね…。ぼくだって他の誰かがそうなっちゃったらビックリするし)
ハーレイは「心配するな」と言ってくれたが、本当に大丈夫だろうか?
倒れて欠席してしまう前と同じように接して貰えるだろうか、と不安を抱いてブルーはベッドにもぐり込む。もしもみんなに好奇の視線で見られたりしたら…。
(…嫌だよ、そんなの…)
悲しすぎるよ、と呟いてから気が付いた。
クラスメイトたちと疎遠になっても学校に行けばハーレイがいる。「ハーレイ先生」と呼ばなくてはいけない場所だけれども、いざとなったらハーレイの側で休み時間を過ごせばいい。ハーレイはブルーの守り役なのだし、他の教師も駄目だと言いはしないだろう。
(うん、そういうのもきっと悪くないよね)
ハーレイと一緒にランチを食べて、お喋りをして。
そんな風に過ごす休み時間も、先日までの休み時間と違って素敵なものに違いない。
遠巻きに見られるか、気味悪がられるか。
それを覚悟で月曜日の朝、俯き加減で自分の教室に入ったブルーは時ならぬ歓声に取り囲まれた。
「もう出て来てもいいのかよ?」
「怪我はしてないって聞いたけど、本当?」
身動きが出来ないほどの勢いでクラスメイトたちが押し寄せて来る。
「え、えっと…。怪我はしていないし、血が出ただけで…」
おずおずと答えたブルーにワッとクラス中の生徒たちが沸いた。
「すげえや、マジで聖痕ってか!」
「ソルジャー・ブルーと同じ傷だって聞いたわよ? もしかして生まれ変わりなの?」
「…そ、それは違うと思うけど……」
少し心が痛んだけれども、ブルーは嘘を口にした。自分の前世がソルジャー・ブルーであった事実は当分の間は極秘扱い。両親もそう決めているのだし、こんな所で明かせはしない。
「えーーーっ?! でもよ、あの怪我、メギドのヤツだろ?」
「うんうん、撃たれたって話は俺も知ってる! …あんなに酷い怪我だったんだなあ…」
ソルジャー・ブルーって凄かったんだな、と男子の一人が言った言葉を切っ掛けに。
「だよなあ、とっくに三百歳を超えてたんだろ? おまけに身体も弱っていてさ」
「その身体であれだけ撃たれてよ…。それでも守ってくれたんだよなあ、ミュウの船をよ」
「もしもソルジャー・ブルーがメギドを沈めてくれなかったら、私たち、此処に居ないのよね?」
「当たり前だろ、シャングリラごとミュウは滅びちまってそれっきりだよ」
自分たちがこうして生きていられるのはソルジャー・ブルーのお蔭なのだ、と授業で何度も習っている。それだけにブルーの身体を染めていた血がソルジャー・ブルーが最期に負った傷と同じかもしれないと知らされたクラスメイトたちが受けた衝撃は大きくて。
「…あそこまでして俺たちのために未来を作ってくれたんだよなあ…。ソルジャー・ブルー」
「ブルー、お前さ…。すげえよ、ソルジャー・ブルーとシンクロ出来たってえのが」
「やっぱり顔が似ているせいかしら? 凄いわ、ソルジャー・ブルーと同じだなんてね」
でも…、とブルーをひとしきり褒め称えた後でクラスメイトたちは付け加えた。
ブルーはクラスの大切な一員なのだから、二度と倒れたりしないように、と。
「そのためにハーレイ先生が付くんだってな、倒れないように頑張れよ!」
「そうよ、心配したんだから!」
聖痕とやらは凄いけれども一度見せて貰えば充分だから、と口々に言ってくれる皆の気遣いが嬉しかった。見世物扱いでも仕方がない、と思っていたのに、こんなにも誰もの心が優しい……。
「…それでね、ハーレイ」
その日の夜。
事件の後での初の登校はどうだったか、と様子を聞きに訪ねて来てくれたハーレイと自分の部屋で向かい合いながら、ブルーは嬉しそうに微笑んでみせた。
「誰も気味悪がらなかったよ、それにとっても嬉しかった。…ぼくを心配してくれたことも嬉しかったけど、一番はソルジャー・ブルーだった頃の話かな。メギドを沈めておいて良かった、と心の底から思ったよ。あの時、メギドを沈めなかったら今の友達は誰も存在しないんだ」
「…それはそうだが……」
そうなんだが、とハーレイが顔を曇らせる。
「お前は本当にそれで後悔しなかったのか? 誰もお前の側に居ない場所で、たった一人で戦って……あれだけの傷を負った挙句に一人きりで……」
ギュッと拳を握ったハーレイにブルーは「そうだね」と小さく頷く。
「…後悔なら………したよ」
「お前…!」
ハーレイが息を飲むのを見詰めて自分の右の手を差し出す。
「ブリッジで最後に君に触れた手。この手に残った君の温もりを最期まで覚えていようと思っていたのに…。それなのに薄れていくんだよ。…キースが撃った弾が食い込む度に、痛みのせいで消えていくんだ…」
それだけがとても悲しかった、とブルーは寂しげに呟いた。
「最後の最期まで君を覚えていたかったのに…。君の温もりは消えてしまって、独りぼっちで死ぬしかなかった。顔も姿も覚えていたのに、ぼくの手は冷たくなってしまったんだよ…」
「ブルー…!」
ハーレイの褐色の手がブルーの右手を包み込んだ。その温もりを移すかのように、両手で覆って。
「馬鹿だ、お前は…! どうしてあの時、一人で行った!」
「…他には誰もいなかったから…。ぼくしかメギドを止められなかった」
でも、とブルーはハーレイの手に柔らかな頬を擦り寄せる。
「ぼくは帰って来られたんだよ、君と一緒に居られる世界に。だから後悔しなくていい」
今は充分幸せだから、と笑みを湛えるブルーに、ハーレイが立ち上がって細い身体を後ろから椅子ごと抱き締めた。
「…お前の傷なら癒してやる。俺の温もりが消えたと言うなら、温めてやるさ」
小さなブルーの身体を血に染めた遠い日に受けた銃弾の痕。
ハーレイの左腕がブルーを強く抱き締め、右の手のひらが両方の肩に、そして脇腹へと優しく順番に当てられてゆく。その手からじんわりと伝わってくるハーレイの温もり。遠い昔にメギドで失くした温もりと共に、ブルーが受けた傷を癒すかのように。
「……ハーレイ……」
温かい、とブルーは懐かしい温もりに酔う。
遠い記憶がもっと、もっとと求めるままにハーレイの腕に自分の腕を絡み付かせてキスを強請ろうとしたのだけれど。
「こら!」
それは駄目だ、とハーレイがパッと身体を離した。
「お前、まだまだ子供だろうが! お前にキスは早いんだ!」
そんな真似をするなら二度と傷の手当てはしてやらないぞ、と怖い顔をして叱られる。
「いいな、俺はお前を守ると決めた。だからお前をきちんと守る責任がある」
キスが駄目なのもその一環だ、と言われてしまって不満げに唇を尖らせたけれど、ハーレイの態度は変わらなかった。
十四歳の小さなブルーと、その倍以上の年を重ねたハーレイと。
二人が共に歩んでゆける日が訪れるまでは、教師と生徒。
ブルーを守ると決めたハーレイと小さなブルーにとっては、キスさえもまだ遠いものだった…。
聖痕を抱く者・了
青い地球に生まれ変わってハーレイと再会を果たしたブルー。
ハーレイはブルーが通う学校の教師で、ブルーは十四歳にしかならない生徒。
前世そのままに恋人同士とはとてもいかなくて、ハーレイが休日にブルーの家を訪ねて来ては食事をしたり、お茶を飲んだり。しかも夕食はブルーの両親も一緒だったし、ブルーの部屋で二人で過ごす間にも母が出入りしてあれこれとハーレイに気配りをする。
ハーレイの前世がキャプテン・ハーレイであった事実は両親も知っているのだけれども、今の生はやはり大切だ。教師であるハーレイが来るとなったら、失礼のないようにしなければ。
両親が言いたいことは分かるし、それが本当なのだと思う。しかしブルーの不満は募る。たまには誰にも遠慮しないでハーレイと二人で過ごしてみたい。
(でも…。パパもママも居ないってことは無いしね…)
ブルーの虚弱体質のせいで、両親が揃って家を空けることは一度も無かった。まして来客があるとなったら放って出掛ける筈もなく…。
(…パパもママも抜きって、無理だよね…)
ハーレイと二人きりで過ごしたいのに、ブルーの家では絶対に無理。何か方法は無いのだろうか、と頭を悩ませていたブルーは耳寄りな情報を聞き付けた。ハーレイが顧問を務める柔道部の生徒がハーレイの家へ遊びに出掛けたらしい。
(そうだ、ハーレイの家へ行けばいいんだ!)
其処ならハーレイと二人きり。ブルーは早速ハーレイに頼んで、その約束を取り付けた。住所は前から知っていたけれど、ブルーの家からのバスの路線を教えて貰って、次の休日はハーレイの家。早く週末が訪れないかと指折り数えて待ち続けて…。
(えーっと…。次の角を曲がって…)
待ちに待った土曜日、ブルーは母が焼いてくれたパウンドケーキを手土産に持ってハーレイの家へと向かった。降りたバス停から少し歩いた住宅街。ハーレイが住む家はブルーの家とさほど変わらない大きさがあり、ちゃんと庭までついている。
ドキドキしながら門扉の横のチャイムを鳴らして、出て来たハーレイに「大きな家だね」と感想を伝えると、ハーレイは「まあな」と苦笑した。
「親父が買ってくれたんだ。俺が教師になると言ったら「生徒が遊びに来られるように」と勝手に決め付けちまってな…。運動部の顧問をするんだったら大勢来るぞ、とか何とか言って」
そしてそのとおりになっちまった、と玄関のドアを開けながらハーレイが笑う。
「何処の学校でも柔道か水泳、どっちかが俺に回って来るんだ。親父が言ってた嫁と子供は未だに居ないが、うるさいガキどもは大勢来るな」
さあ入れ、と招き入れられ、広いリビングに通されてからブルーは提げていた紙袋を思い出した。
「いけない、渡すの忘れてた! これ、ママが…。ハーレイの好きなパウンドケーキ」
「おっ、すまん! お母さんに気を遣わせてしまったなあ…。手土産は要らんと言うのを忘れた。いつものヤツらは持ってくるどころか奪う一方の連中だしな」
もうアイツらの食欲ときたら、とハーレイは自分が指導してきた運動部員たちの話を始めた。話に入る前にブルーの母のパウンドケーキを切って出すのも忘れない。ブルーのためには紅茶を淹れてくれ、ハーレイは大きなマグカップにコーヒーを。
(そういえばハーレイ、コーヒーも大好きだったよね。…でも、いつも…)
ぼくに付き合って紅茶ばっかり飲んでいたよね、とブルーは前の生でのハーレイを思い浮かべた。今の生でもブルーの家では紅茶ばかりで、コーヒーは夕食の後にたまに飲むだけ。自分に合わせてくれていたのか、とハーレイの心遣いに胸がほんのりと暖かくなる。
それに、ブルーの部屋で過ごす時には他の生徒たちの話題は滅多に出ない。そういう話になるよりも前にブルーがハーレイの大きな身体に抱き付いてしまって、甘えている間に時が経つ。そんな時間も好きだったけれど、今の生での出来事を話すハーレイも生き生きしていて好きだ。
「凄いね、ハーレイ。…ホントに運動、大好きなんだね」
「ああ。思い切り汗を流すと気分がいいぞ。柔道も水泳も俺は好きだな、シャングリラではどっちもやらなかったが」
今は運動抜きの人生など考えられん、という言葉どおりに、リビングの棚にはハーレイが学生時代に勝ち取ってきたトロフィーなどが飾られている。その一つ一つにドラマがあって、思い出が沢山詰まっていて…。ブルーはハーレイが生きて来た今の生の話を飽きることなく聞き続けた。
ブルーは紅茶の、ハーレイはコーヒーのおかわりをしての語らいの後は、昼食までの間に家の中をくまなくグルッと一周。ダイニングにキッチン、書斎や寝室。子供部屋になる予定だったという部屋なども全部見せて貰って、恋人だけの特権なのだとブルーは嬉しかったのだけれど。
「えっ…?」
ハーレイの思わぬ言葉に、ブルーはシチューを掬ったスプーンを持ったままで目を丸くした。
「いや、こんなに大人しい客は初めてだと言っただけだが? 一周ツアーが必要とはな」
「…家の中を見せて貰うの、ぼくだけじゃないの?」
「見せて貰うだなんて上品なことを言ってくれた客もお前だけだよ。俺の普段の客どもときたら、止めるだけ無駄なヤツばかりでな。あっちもこっちも好き放題にドタンバタンと」
家捜しかという勢いなのだ、とハーレイは運動部員たちの遠慮の無さを嘆いてみせた。
「学校では厳しく指導する分、俺の家では羽目を外してかまわないと言った途端にソレだ。流石にクローゼットだの引き出しだのを開けたりはせんが、部屋は端から覗いて行くな」
「それじゃ、さっき色々見せてくれたのって…」
「お前だけが知らんというのも寂しいだろうが? お前は俺の恋人なんだろ」
「……そうだけど……」
自分だけではなかったのか、とブルーは心底ガッカリした。
前の生でのハーレイの部屋を彷彿とさせる書斎を見た時はドキドキしたし、落ち着いた雰囲気の寝室も如何にも前世のハーレイが好みそうな部屋だと思って眺めた。この家を買って貰って住み始めたハーレイに前世の記憶は無かった筈なのに、それでも何処か似るものなのか、と。
「どうした、ブルー? 何をションボリしてるんだ?」
「…ぼくだけなんだと思ってたのに…」
「何がだ?」
怪訝そうなハーレイに、ブルーは少し俯き加減で視線だけを上げる。
「……ぼくだけに見せてくれたと思ってたのに…。ハーレイの家」
ぼくはハーレイの恋人なのに、と寂しそうに呟くブルーの瞳。
その悲しげな眼差しと表情は子供のそれとは違っていた。
(ブルー…!)
ハーレイの心臓がドキリと脈打つ。
前の生で何度も目にしたブルーの表情。ハーレイの前でだけ見せる「独りは寂しい」と訴える瞳に応えて幾度抱き締めたことだろう。もちろん抱き締めるだけでは終わらず、華奢な身体を…。
「…ハーレイ?」
どうかした? と尋ねるブルーの声でハーレイはハッと我に返った。
スプーンを握って首を傾げる小さなブルー。その顔は十四歳のブルーで、前世でハーレイに縋ったブルーは何処を探しても居なかった。
ハーレイが愛したソルジャー・ブルー。
目の前に居る小さなブルーがその生まれ変わりだと分かってはいるが、やはり前世とは姿が違う。
銀色の髪も印象的な赤い瞳も、顔立ちさえも前世そのままではあったけれども、ブルーが体現している姿はハーレイと結ばれる前のもの。華奢を通り越して幼く、か弱い。
だからこそブルーが何度強請ってもキスすらせずに過ごして来たのに、さっきの表情は何だろう。
「独りは寂しい」、「ハーレイが欲しい」。
そう口にした前世のブルーとそっくり同じな、あの悲しげなブルーの顔。
もう一度見たら抱き締めてしまう、とハーレイはブルーに気付かれぬようにテーブルの下で拳を強く握った。抱き締めてしまったら、もう止まらない。ブルーが泣こうが抵抗しようが、その幼くて細い肢体を手に入れずにはいられない。
(…駄目だ。それだけは絶対に駄目だ!)
それでブルーに嫌われるとは思わない。最初は途惑い、泣き叫ぶかもしれないけれども、ブルーは必ずハーレイの行為を受け入れる。前世の記憶を持っているだけに、身体が出来上がっていない今でもブルーはハーレイに応えるだろう。
けれど、そうしたらブルーはどうなる?
この幼さで結ばれることを知ってしまったなら、ブルーの人生の歯車は狂う。
身体も心もこれから育ってゆくというのに、前の生での恋の記憶と感情に飲まれ、今の新しい生を歩むどころか前の生を忠実になぞって生きて…。
(…俺は自由に生きて来たのに、ブルーにそれはさせられない…!)
ハーレイ自身はこの年になるまで前世のことは何も知らずに生きて来た。好きな柔道と水泳に打ち込み、大勢の友人や仲間に恵まれ、慕ってくれる教え子も数多くいる。ブルーと巡り会った今もそれは変わらず、毎日が充実しているのだが…。
ハーレイを愛し、恋人だと繰り返すブルーの人生はこれからだった。
いつかは共に歩んでゆこうと思うけれども、ブルーを前世に縛り付けることは許されない。たとえブルーにはハーレイしか見えていないのだとしても、その周囲には年相応の友人たちが居て…。
(ブルー、お前は俺の隣に居るにはまだ早過ぎる)
もっと人生を楽しんでこい、と言ってもブルーは聞かないだろう。
ならばブルーを捕まえてしまわないよう、自分が距離を置くしかない。恋人として大切に扱い、愛しみたいとは思うけれども、その身体だけは決して手に入れてしまわないように。
ハーレイの秘かな決心も知らず、昼食を終えた小さなブルーは御機嫌だった。
家の中を全て知っているのが自分だけではなかったことではシュンとしたけれど、その分を取り戻そうとするかのようにハーレイに甘え、もっと、もっと、と話をせがむ。
此処には居ないハーレイの家族や、ハーレイの母が可愛がっていた猫のこと。
学生時代の先輩や友人、彼らと共にやらかした数々の失敗談やら武勇伝という名の悪事やら。
どれもこれもアルタミラの研究所とシャングリラしか知らなかった前の生では想像もつかなかった話ばかりで、ブルーは懸命に耳を傾けた。
時に「いいなあ…」と相槌を打ち、「それホント?」と小首を傾げてみたりして。
そうした合間に、時折、フッと前世のブルーが顔を出す。
その身を呈してシャングリラを守り、戦い続けたソルジャー・ブルーが今のハーレイの生の自由を羨み、その場に自分が居なかったことを「寂しい」と訴え、縋って来る。
十四歳の小さなブルーは心の底から「いいな」と思っているのだろうし、「ぼくも見たかった」と話す言葉に嘘は全く無いのだけれども、ブルーの後ろにソルジャー・ブルーが佇んでいる。
自分も其処に居たかった。ハーレイと共に生きたかった、と。
その度に小さなブルーの幼い顔立ちにソルジャー・ブルーの悲しげな貌が混ざり込む。
「独りは寂しい」「ぼくを独りにしないでくれ」と。
ハーレイに縋る、その表情。
抱き締めて独りにしないでくれ、と揺れる瞳に、寂しげな眼差しに捕まってしまいそうになる。
しかしハーレイが己を叱咤する前に、固く拳を握り締める前にソルジャー・ブルーは居なくなる。
そして小さなブルーが無邪気に「それで?」と微笑み、話の続きを聞きたいとせがむだけなのだ。
パウンドケーキを提げたブルーが訪ねて来てから、ハーレイが買っておいたケーキとクッキーを食べ終えるまでの六時間と少しの二人っきりで過ごした時間。
ハーレイがブルーの家を訪ねる時には朝一番から夕食までということもあったし、六時間は決して長くはない。けれど、その長いとは言えない時間の間にハーレイは思い知らされた。
ブルーと二人きりになってはいけない。
ハーレイの心に歯止めをかけられる誰かが居ないと何をしでかすか分からない、と。
そんな事態に陥ろうとは思わなかったからブルーの申し出を気軽に受け入れ、クラブの教え子でも呼ぶようなつもりで「家に遊びに来い」と応えた。
なのにチャイムを鳴らして現れたブルーは十四歳の幼い顔立ちをまるで裏切る表情をする。かつて愛したソルジャー・ブルーそのままの貌をしてみせる。
これではハーレイの理性が持たない。
今日はなんとか耐え抜いたものの、何度も訪ねて来られたりしたら理性の箍は確実に緩む。緩んだ箍は軽く弾け飛び、自分はブルーを有無を言わさず組み敷いて手に入れてしまうだろう。
それだけは決してしてはいけない。ブルーは幼く、その人生はこれから花開くものなのだから。
テーブルの上の菓子がなくなり、紅茶のおかわりも出て来なくなった日暮れ前。
そろそろ帰る時間なのだ、と気付いたブルーは「今日はありがとう!」とハーレイに礼を言い、期待に胸を膨らませながら返事が返ってくるのを待った。
今日は土曜日、ハーレイは明日も予定は入っていない。ブルーの家で会う約束をしているけれど、もしかしたら明日もハーレイの家に来てもいいと言ってくれるかも…。「手土産は要らない」と言われた上に、ブルーはクラブの教え子たちより行儀がいいとの話だったし…。
しかし。
「ブルー。…やはり次からは私が行こう」
ハーレイの言葉は思いもよらないものだった。
「…お前と二人きりになってしまうと抑えが利かなくなりそうだ。お前に自覚は無いかもしれんが、お前、昔とそっくりな顔をしていたぞ。…そんな表情、お前にはまだ早いんだ」
「…えっ……」
どうして? とブルーは驚いた。
昔とそっくりな顔をしていたなどと言われても覚えが無い。昔と言えばソルジャー・ブルーのことなのだろうが、そんな顔をいつ、どうやって…? 意識して表情を作ったわけでは…。
事情がサッパリ分からないだけに、ブルーはキョトンとするしかなかった。
「自覚が無いなら、尚更だな。…お前の中身は昔と変わっていないんだろうが、お前は心も身体も子供だ。…俺はお前を大事にしたいし、それが分かるなら来るんじゃない」
いいな、とハーレイが念を押す。
「でも…。今日はとっても楽しかったし、まだ聞いてない話も沢山あるし…」
遊びに来たい、と強請ったブルーは「駄目だ」とハーレイに突き放された。
「話なら明日も出来るだろう? お前の家で話してやるさ。…どの話がいい、おふくろの猫か? そうだ、写真を探しておこう。確かアルバムにある筈なんだ。見付かったら明日、見せてやろう。可愛いかったんだぞ!」
少しお前に似ていたかもな、とハーレイの大きな手がブルーの頭をクシャクシャと撫でる。
「甘えん坊な所がそっくりだ。…いいか、お前は子供なんだよ、猫に似ているくらいにな」
だから俺の家には、もう来るな。
そう告げられたブルーはとても悲しく、縋るような目でハーレイを見る。その瞳こそがソルジャー・ブルーの赤い瞳で、「寂しい」と訴える彼が自分の後ろに佇んでいることにブルーは気付きもしなかった。
こうして十四歳の小さなブルーのハーレイの家への訪問は終わり、バス停まで一緒に歩いて送って貰ってバスに乗る。手を振るハーレイに手を振り返して、その姿が遠く見えなくなった後、ブルーは滲みかけた涙を指先で拭った。
ハーレイの家には行けなくなってしまったけれども、二度と会えないわけではない。一晩眠って明日になったらハーレイが家に来てくれるのだし、ほんの少しのお別れなだけで…。
(…でも、ハーレイ…。どうして遊びに行ってはいけないの?)
ハーレイの家で過ごした時間が楽しかっただけに、次が無いのは辛すぎる。
自分は何をしたのだろう? ソルジャー・ブルーの表情だなんて、どの表情が…?
(ハーレイ、全然分からないよ…。自覚が無いなら余計にダメって、どんな顔のこと?)
その顔が分かる頃になったら、またハーレイの家に行けるだろうか。
けれど、それはきっと自分がソルジャー・ブルーと同じくらいに大きく育った頃なのだろうし…。
(……何年先だか分からないよ……)
そう考えただけで、また泣きそうになってくる。
ポロポロと涙が零れそうだけれど、メギドで死んだソルジャー・ブルーはハーレイの許へ二度と帰れなかった。それを思えば、ブルーには明日も明後日も、もっと先の未来だってある。
(…我慢しなくちゃ…。ぼくはソルジャー・ブルーよりもずっと幸せなんだし)
明日もハーレイに会えるんだから、とブルーは俯いていた顔を前へと向けた。
その顔をハーレイが見ていたならば、息を飲んだに違いない。
遠い昔にミュウたちを守り、行く手を指し示したソルジャー・ブルー。
我慢しようと決心をした小さなブルーの後ろに立つのは、凛々しく気高いソルジャーだった。
初めての訪問・了