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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

 青い地球に生まれ変わってハーレイと再会を果たしたブルー。
 ハーレイはブルーが通う学校の教師で、ブルーは十四歳にしかならない生徒。
 前世そのままに恋人同士とはとてもいかなくて、ハーレイが休日にブルーの家を訪ねて来ては食事をしたり、お茶を飲んだり。しかも夕食はブルーの両親も一緒だったし、ブルーの部屋で二人で過ごす間にも母が出入りしてあれこれとハーレイに気配りをする。
 ハーレイの前世がキャプテン・ハーレイであった事実は両親も知っているのだけれども、今の生はやはり大切だ。教師であるハーレイが来るとなったら、失礼のないようにしなければ。
 両親が言いたいことは分かるし、それが本当なのだと思う。しかしブルーの不満は募る。たまには誰にも遠慮しないでハーレイと二人で過ごしてみたい。
(でも…。パパもママも居ないってことは無いしね…)
 ブルーの虚弱体質のせいで、両親が揃って家を空けることは一度も無かった。まして来客があるとなったら放って出掛ける筈もなく…。
(…パパもママも抜きって、無理だよね…)
 ハーレイと二人きりで過ごしたいのに、ブルーの家では絶対に無理。何か方法は無いのだろうか、と頭を悩ませていたブルーは耳寄りな情報を聞き付けた。ハーレイが顧問を務める柔道部の生徒がハーレイの家へ遊びに出掛けたらしい。
(そうだ、ハーレイの家へ行けばいいんだ!)
 其処ならハーレイと二人きり。ブルーは早速ハーレイに頼んで、その約束を取り付けた。住所は前から知っていたけれど、ブルーの家からのバスの路線を教えて貰って、次の休日はハーレイの家。早く週末が訪れないかと指折り数えて待ち続けて…。



(えーっと…。次の角を曲がって…)
 待ちに待った土曜日、ブルーは母が焼いてくれたパウンドケーキを手土産に持ってハーレイの家へと向かった。降りたバス停から少し歩いた住宅街。ハーレイが住む家はブルーの家とさほど変わらない大きさがあり、ちゃんと庭までついている。
 ドキドキしながら門扉の横のチャイムを鳴らして、出て来たハーレイに「大きな家だね」と感想を伝えると、ハーレイは「まあな」と苦笑した。
「親父が買ってくれたんだ。俺が教師になると言ったら「生徒が遊びに来られるように」と勝手に決め付けちまってな…。運動部の顧問をするんだったら大勢来るぞ、とか何とか言って」
 そしてそのとおりになっちまった、と玄関のドアを開けながらハーレイが笑う。
「何処の学校でも柔道か水泳、どっちかが俺に回って来るんだ。親父が言ってた嫁と子供は未だに居ないが、うるさいガキどもは大勢来るな」
 さあ入れ、と招き入れられ、広いリビングに通されてからブルーは提げていた紙袋を思い出した。
「いけない、渡すの忘れてた! これ、ママが…。ハーレイの好きなパウンドケーキ」
「おっ、すまん! お母さんに気を遣わせてしまったなあ…。手土産は要らんと言うのを忘れた。いつものヤツらは持ってくるどころか奪う一方の連中だしな」
 もうアイツらの食欲ときたら、とハーレイは自分が指導してきた運動部員たちの話を始めた。話に入る前にブルーの母のパウンドケーキを切って出すのも忘れない。ブルーのためには紅茶を淹れてくれ、ハーレイは大きなマグカップにコーヒーを。
(そういえばハーレイ、コーヒーも大好きだったよね。…でも、いつも…)
 ぼくに付き合って紅茶ばっかり飲んでいたよね、とブルーは前の生でのハーレイを思い浮かべた。今の生でもブルーの家では紅茶ばかりで、コーヒーは夕食の後にたまに飲むだけ。自分に合わせてくれていたのか、とハーレイの心遣いに胸がほんのりと暖かくなる。
 それに、ブルーの部屋で過ごす時には他の生徒たちの話題は滅多に出ない。そういう話になるよりも前にブルーがハーレイの大きな身体に抱き付いてしまって、甘えている間に時が経つ。そんな時間も好きだったけれど、今の生での出来事を話すハーレイも生き生きしていて好きだ。
「凄いね、ハーレイ。…ホントに運動、大好きなんだね」
「ああ。思い切り汗を流すと気分がいいぞ。柔道も水泳も俺は好きだな、シャングリラではどっちもやらなかったが」
 今は運動抜きの人生など考えられん、という言葉どおりに、リビングの棚にはハーレイが学生時代に勝ち取ってきたトロフィーなどが飾られている。その一つ一つにドラマがあって、思い出が沢山詰まっていて…。ブルーはハーレイが生きて来た今の生の話を飽きることなく聞き続けた。



 ブルーは紅茶の、ハーレイはコーヒーのおかわりをしての語らいの後は、昼食までの間に家の中をくまなくグルッと一周。ダイニングにキッチン、書斎や寝室。子供部屋になる予定だったという部屋なども全部見せて貰って、恋人だけの特権なのだとブルーは嬉しかったのだけれど。
「えっ…?」
 ハーレイの思わぬ言葉に、ブルーはシチューを掬ったスプーンを持ったままで目を丸くした。
「いや、こんなに大人しい客は初めてだと言っただけだが? 一周ツアーが必要とはな」
「…家の中を見せて貰うの、ぼくだけじゃないの?」
「見せて貰うだなんて上品なことを言ってくれた客もお前だけだよ。俺の普段の客どもときたら、止めるだけ無駄なヤツばかりでな。あっちもこっちも好き放題にドタンバタンと」
 家捜しかという勢いなのだ、とハーレイは運動部員たちの遠慮の無さを嘆いてみせた。
「学校では厳しく指導する分、俺の家では羽目を外してかまわないと言った途端にソレだ。流石にクローゼットだの引き出しだのを開けたりはせんが、部屋は端から覗いて行くな」
「それじゃ、さっき色々見せてくれたのって…」
「お前だけが知らんというのも寂しいだろうが? お前は俺の恋人なんだろ」
「……そうだけど……」
 自分だけではなかったのか、とブルーは心底ガッカリした。
 前の生でのハーレイの部屋を彷彿とさせる書斎を見た時はドキドキしたし、落ち着いた雰囲気の寝室も如何にも前世のハーレイが好みそうな部屋だと思って眺めた。この家を買って貰って住み始めたハーレイに前世の記憶は無かった筈なのに、それでも何処か似るものなのか、と。
「どうした、ブルー? 何をションボリしてるんだ?」
「…ぼくだけなんだと思ってたのに…」
「何がだ?」
 怪訝そうなハーレイに、ブルーは少し俯き加減で視線だけを上げる。
「……ぼくだけに見せてくれたと思ってたのに…。ハーレイの家」
 ぼくはハーレイの恋人なのに、と寂しそうに呟くブルーの瞳。
 その悲しげな眼差しと表情は子供のそれとは違っていた。
(ブルー…!)
 ハーレイの心臓がドキリと脈打つ。
 前の生で何度も目にしたブルーの表情。ハーレイの前でだけ見せる「独りは寂しい」と訴える瞳に応えて幾度抱き締めたことだろう。もちろん抱き締めるだけでは終わらず、華奢な身体を…。
「…ハーレイ?」
 どうかした? と尋ねるブルーの声でハーレイはハッと我に返った。
 スプーンを握って首を傾げる小さなブルー。その顔は十四歳のブルーで、前世でハーレイに縋ったブルーは何処を探しても居なかった。



 ハーレイが愛したソルジャー・ブルー。
 目の前に居る小さなブルーがその生まれ変わりだと分かってはいるが、やはり前世とは姿が違う。
 銀色の髪も印象的な赤い瞳も、顔立ちさえも前世そのままではあったけれども、ブルーが体現している姿はハーレイと結ばれる前のもの。華奢を通り越して幼く、か弱い。
 だからこそブルーが何度強請ってもキスすらせずに過ごして来たのに、さっきの表情は何だろう。
 「独りは寂しい」、「ハーレイが欲しい」。
 そう口にした前世のブルーとそっくり同じな、あの悲しげなブルーの顔。
 もう一度見たら抱き締めてしまう、とハーレイはブルーに気付かれぬようにテーブルの下で拳を強く握った。抱き締めてしまったら、もう止まらない。ブルーが泣こうが抵抗しようが、その幼くて細い肢体を手に入れずにはいられない。
(…駄目だ。それだけは絶対に駄目だ!)
 それでブルーに嫌われるとは思わない。最初は途惑い、泣き叫ぶかもしれないけれども、ブルーは必ずハーレイの行為を受け入れる。前世の記憶を持っているだけに、身体が出来上がっていない今でもブルーはハーレイに応えるだろう。
 けれど、そうしたらブルーはどうなる?
 この幼さで結ばれることを知ってしまったなら、ブルーの人生の歯車は狂う。
 身体も心もこれから育ってゆくというのに、前の生での恋の記憶と感情に飲まれ、今の新しい生を歩むどころか前の生を忠実になぞって生きて…。
(…俺は自由に生きて来たのに、ブルーにそれはさせられない…!)
 ハーレイ自身はこの年になるまで前世のことは何も知らずに生きて来た。好きな柔道と水泳に打ち込み、大勢の友人や仲間に恵まれ、慕ってくれる教え子も数多くいる。ブルーと巡り会った今もそれは変わらず、毎日が充実しているのだが…。
 ハーレイを愛し、恋人だと繰り返すブルーの人生はこれからだった。
 いつかは共に歩んでゆこうと思うけれども、ブルーを前世に縛り付けることは許されない。たとえブルーにはハーレイしか見えていないのだとしても、その周囲には年相応の友人たちが居て…。
(ブルー、お前は俺の隣に居るにはまだ早過ぎる)
 もっと人生を楽しんでこい、と言ってもブルーは聞かないだろう。
 ならばブルーを捕まえてしまわないよう、自分が距離を置くしかない。恋人として大切に扱い、愛しみたいとは思うけれども、その身体だけは決して手に入れてしまわないように。



 ハーレイの秘かな決心も知らず、昼食を終えた小さなブルーは御機嫌だった。
 家の中を全て知っているのが自分だけではなかったことではシュンとしたけれど、その分を取り戻そうとするかのようにハーレイに甘え、もっと、もっと、と話をせがむ。
 此処には居ないハーレイの家族や、ハーレイの母が可愛がっていた猫のこと。
 学生時代の先輩や友人、彼らと共にやらかした数々の失敗談やら武勇伝という名の悪事やら。
 どれもこれもアルタミラの研究所とシャングリラしか知らなかった前の生では想像もつかなかった話ばかりで、ブルーは懸命に耳を傾けた。
 時に「いいなあ…」と相槌を打ち、「それホント?」と小首を傾げてみたりして。
 そうした合間に、時折、フッと前世のブルーが顔を出す。
 その身を呈してシャングリラを守り、戦い続けたソルジャー・ブルーが今のハーレイの生の自由を羨み、その場に自分が居なかったことを「寂しい」と訴え、縋って来る。
 十四歳の小さなブルーは心の底から「いいな」と思っているのだろうし、「ぼくも見たかった」と話す言葉に嘘は全く無いのだけれども、ブルーの後ろにソルジャー・ブルーが佇んでいる。
 自分も其処に居たかった。ハーレイと共に生きたかった、と。
 その度に小さなブルーの幼い顔立ちにソルジャー・ブルーの悲しげな貌が混ざり込む。
 「独りは寂しい」「ぼくを独りにしないでくれ」と。
 ハーレイに縋る、その表情。
 抱き締めて独りにしないでくれ、と揺れる瞳に、寂しげな眼差しに捕まってしまいそうになる。
 しかしハーレイが己を叱咤する前に、固く拳を握り締める前にソルジャー・ブルーは居なくなる。
 そして小さなブルーが無邪気に「それで?」と微笑み、話の続きを聞きたいとせがむだけなのだ。



 パウンドケーキを提げたブルーが訪ねて来てから、ハーレイが買っておいたケーキとクッキーを食べ終えるまでの六時間と少しの二人っきりで過ごした時間。
 ハーレイがブルーの家を訪ねる時には朝一番から夕食までということもあったし、六時間は決して長くはない。けれど、その長いとは言えない時間の間にハーレイは思い知らされた。
 ブルーと二人きりになってはいけない。
 ハーレイの心に歯止めをかけられる誰かが居ないと何をしでかすか分からない、と。
 そんな事態に陥ろうとは思わなかったからブルーの申し出を気軽に受け入れ、クラブの教え子でも呼ぶようなつもりで「家に遊びに来い」と応えた。
 なのにチャイムを鳴らして現れたブルーは十四歳の幼い顔立ちをまるで裏切る表情をする。かつて愛したソルジャー・ブルーそのままの貌をしてみせる。
 これではハーレイの理性が持たない。
 今日はなんとか耐え抜いたものの、何度も訪ねて来られたりしたら理性の箍は確実に緩む。緩んだ箍は軽く弾け飛び、自分はブルーを有無を言わさず組み敷いて手に入れてしまうだろう。
 それだけは決してしてはいけない。ブルーは幼く、その人生はこれから花開くものなのだから。



 テーブルの上の菓子がなくなり、紅茶のおかわりも出て来なくなった日暮れ前。
 そろそろ帰る時間なのだ、と気付いたブルーは「今日はありがとう!」とハーレイに礼を言い、期待に胸を膨らませながら返事が返ってくるのを待った。
 今日は土曜日、ハーレイは明日も予定は入っていない。ブルーの家で会う約束をしているけれど、もしかしたら明日もハーレイの家に来てもいいと言ってくれるかも…。「手土産は要らない」と言われた上に、ブルーはクラブの教え子たちより行儀がいいとの話だったし…。
 しかし。
「ブルー。…やはり次からは私が行こう」
 ハーレイの言葉は思いもよらないものだった。
「…お前と二人きりになってしまうと抑えが利かなくなりそうだ。お前に自覚は無いかもしれんが、お前、昔とそっくりな顔をしていたぞ。…そんな表情、お前にはまだ早いんだ」
「…えっ……」
 どうして? とブルーは驚いた。
 昔とそっくりな顔をしていたなどと言われても覚えが無い。昔と言えばソルジャー・ブルーのことなのだろうが、そんな顔をいつ、どうやって…? 意識して表情を作ったわけでは…。
 事情がサッパリ分からないだけに、ブルーはキョトンとするしかなかった。
「自覚が無いなら、尚更だな。…お前の中身は昔と変わっていないんだろうが、お前は心も身体も子供だ。…俺はお前を大事にしたいし、それが分かるなら来るんじゃない」
 いいな、とハーレイが念を押す。
「でも…。今日はとっても楽しかったし、まだ聞いてない話も沢山あるし…」
 遊びに来たい、と強請ったブルーは「駄目だ」とハーレイに突き放された。
「話なら明日も出来るだろう? お前の家で話してやるさ。…どの話がいい、おふくろの猫か? そうだ、写真を探しておこう。確かアルバムにある筈なんだ。見付かったら明日、見せてやろう。可愛いかったんだぞ!」
 少しお前に似ていたかもな、とハーレイの大きな手がブルーの頭をクシャクシャと撫でる。
「甘えん坊な所がそっくりだ。…いいか、お前は子供なんだよ、猫に似ているくらいにな」
 だから俺の家には、もう来るな。
 そう告げられたブルーはとても悲しく、縋るような目でハーレイを見る。その瞳こそがソルジャー・ブルーの赤い瞳で、「寂しい」と訴える彼が自分の後ろに佇んでいることにブルーは気付きもしなかった。



 こうして十四歳の小さなブルーのハーレイの家への訪問は終わり、バス停まで一緒に歩いて送って貰ってバスに乗る。手を振るハーレイに手を振り返して、その姿が遠く見えなくなった後、ブルーは滲みかけた涙を指先で拭った。
 ハーレイの家には行けなくなってしまったけれども、二度と会えないわけではない。一晩眠って明日になったらハーレイが家に来てくれるのだし、ほんの少しのお別れなだけで…。
(…でも、ハーレイ…。どうして遊びに行ってはいけないの?)
 ハーレイの家で過ごした時間が楽しかっただけに、次が無いのは辛すぎる。
 自分は何をしたのだろう? ソルジャー・ブルーの表情だなんて、どの表情が…?
(ハーレイ、全然分からないよ…。自覚が無いなら余計にダメって、どんな顔のこと?)
 その顔が分かる頃になったら、またハーレイの家に行けるだろうか。
 けれど、それはきっと自分がソルジャー・ブルーと同じくらいに大きく育った頃なのだろうし…。
(……何年先だか分からないよ……)
 そう考えただけで、また泣きそうになってくる。
 ポロポロと涙が零れそうだけれど、メギドで死んだソルジャー・ブルーはハーレイの許へ二度と帰れなかった。それを思えば、ブルーには明日も明後日も、もっと先の未来だってある。
(…我慢しなくちゃ…。ぼくはソルジャー・ブルーよりもずっと幸せなんだし)
 明日もハーレイに会えるんだから、とブルーは俯いていた顔を前へと向けた。
 その顔をハーレイが見ていたならば、息を飲んだに違いない。
 遠い昔にミュウたちを守り、行く手を指し示したソルジャー・ブルー。
 我慢しようと決心をした小さなブルーの後ろに立つのは、凛々しく気高いソルジャーだった。



           初めての訪問・了





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 今日は土曜日、ハーレイが訪ねて来てくれる日。
 元々ブルーは綺麗好きだし、体調が悪い時を除けば部屋の掃除は自分でする。ましてハーレイが来る休日ともなれば普段以上に丁寧に。
 きちんと掃除し、机の上の教科書なども綺麗に揃えて本棚の本も並べ直した。散らかることなど一度も無かった部屋なのだけれど、やっぱり少し緊張するのは前世の記憶のせいかもしれない。
(…青の間よりも綺麗にするなんて無理だしね…)
 ミュウの長として長い時間を過ごした青の間。あの頃は私物も少なかったし、何より部屋の広さが違う。天蓋つきのベッドが置かれていたスペースだけでも今の部屋より遙かに広い。
(第一、ベッドが大きかったし!)
 この部屋に置いたらどうなるかな、と想像してみて「うーん…」と呟く。
「どう考えても入らないよね、今のベッドが置いてある場所…」
 壁際に据えてあるブルーのベッド。子供用ではなかったけれども、いわゆるシングルサイズのそれは前世のベッドと比べてみれば貧相と言うか、小さいと言うか。それの代わりに前世のベッドを持って来たって床のスペースが足りなさすぎる。
(…あのベッドが大きすぎたんだよ、うん)
 ぼくの部屋にはこれで充分! と納得して自分だけの小さな城を見回した。
 青の間よりもずっと狭い部屋でも、此処には前世で手に入らなかった自由と幸せが溢れている。半ば公のスペースであった青の間とは違う、ブルーのお城。ミュウの未来だのシャングリラの進路だのと心を悩ませる種が持ち込まれることは決して無くて、優しい両親に守られて…。
(それにハーレイも来てくれるしね)
 なんて幸せなんだろう、とコロンとベッドの上に転がる。
 小さなベッドでもブルーの身体には充分広いし、今より育って大きくなっても取り替え不要。子供用ベッドから買い替える時にそういうサイズのものを父と母とが選んでくれた。だからブルーの周りは広々、寝ていて落ちたこともない。
(あんな大きなベッドでなくても、ぼくにはこれで充分なのにね…)
 シャングリラに居た仲間たちはソルジャーであったブルーを神のように崇め、部屋もそのように設えた。それゆえにベッドも立派すぎるサイズで、天蓋つきで…。
(ホント、これだけあったら足りるんだけどな)
 コロンと身体を横にしてみて、其処に足りないものに気付いた。
 ハーレイがいない。青の間のベッドで目覚めた時には、大抵、隣にハーレイが居て……。



(…ど、どうしよう…。これじゃ全然足りないよ!)
 今の今まで充分なのだと思い込んでいたベッドのサイズ。
 ブルーが寝るにはピッタリどころかまだまだ余っているのだけれども、ハーレイが隣で寝るとなったら話はまるで別だった。
 ずば抜けて身体の大きいハーレイ。前の生でもそうであったし、今の生でも変わらない。そのハーレイとベッドを共にするには、広さがあまりにも足りなさすぎる。
 そういう時間を持てるようになるのは何年先だか分からなかったが、その日はいつか必ず来る。
(……ぼくのベッドじゃ無理ってことは……)
 ハーレイと本物の恋人同士として結ばれる場所は、ブルーの部屋ではないらしい。
 それならば何処になるのだろう?
(…んーと……)
 一度だけ遊びに出掛けたハーレイの家。ハーレイの寝室は少し覗いただけだったけれど、大きなハーレイが寝るだけあってベッドはかなりの大きさがあった。
(……もしかして、あそこになるのかな?)
 考えると胸がドキドキしてくる。
 ハーレイには「大きくなるまで家には来るな」と厳しく言われてしまっているし、次の機会はいつになるかも分からない。
 でも、もしかしたら。
 次にハーレイの家に招かれた時は、二人並んで横になっても余裕がありそうだった大きなベッドで結ばれることになるのだろうか?
 前の生での「初めて」の時は青の間だったが、今度の生ではハーレイの家で…?
(…それしか考えられないよね?)
 ぼくのベッドはちょっと狭すぎ、とブルーの頬が赤くなる。
 自分が大きく育たない限り恋人同士の関係は無理、と分かっていたから考えないようにしていたけれども、少し未来が見えた気がした。
 いつかハーレイの家に招かれたならば、その時が今の生での「初めて」なのだ。



 「初めて」とやらに思いを馳せても胸の鼓動が高鳴るだけで、十四歳のブルーの身体は何の変化も来たさない。ベッドでハーレイと何をするのかは前世の記憶で理解していたし、とても気持ちが良かったことさえも覚えているのに、ブルーは何もしようとしない。
 これがハーレイの言う「きちんと育った」身体だったら、未来の自分を思い描くだけでは満足しないし、出来る筈もない。小さなブルーには想像もつかない何かをしようとする筈なのだが、その行為すらも知らない辺りがブルーの幼さの証明だった。
 其処に気付きもしないブルーは子供ゆえの純真無垢さでもって「初めて」の日を夢見て微笑む。
 ハーレイの家でキスを交わして、それから二人でベッドへ行って…。
 服はハーレイが脱がせてくれるのだろうか?
 なんだか子供みたいだけれども、自分で脱ぐのは前の生でのハーレイは好きではなかったし…。
(…今のハーレイだって、多分、好きじゃないよね)
 それに自分で脱ぐというのも「初めて」らしくない気がする。
 やはりハーレイに任せておいて、その先のこともハーレイ次第。
 すっかり脱いだら、もう一度キス? それともハーレイにキスして貰う? 唇ではない他の場所。思い切り強くキスして貰って、幾つも、幾つも…。
 最初のキスは多分、首筋。そこから胸の方へと移って、それから、それから……。
 懸命に今の自分と前世での愛の営みとを重ね合わせるブルーだったが、いくら記憶が豊富であっても想いは熱を伴わない。その致命的なズレに気付かないまま、ただウットリとブルーは夢見る。
 好きだよ、ハーレイ。
 一日でも早く君と結ばれて、本物の恋人になりたいよ…。



 身体に変化を来たさないせいで、夢見心地だったブルーの意識は本物の夢に捕まった。
 初めの間は前世でのハーレイとの甘い時間の夢であったが、やがて幼く年相応の健全な眠りにすり替わる。ただぐっすりと夢も見ないでベッドの上で眠り続けて…。
「おい、ブルー」
 いつまで寝てる、というハーレイの声で目が覚めた。
「えっ、ハーレイ? …いつ来たの?」
 寝ぼけ眼で目をゴシゴシと擦るブルーにハーレイが「少し前だ」と苦笑する。
「お母さんが呆れていたぞ。掃除し過ぎて疲れたのか?」
 お前そんなに散らかしたのか、と部屋を見回すハーレイに「違うよ!」と抗議の声を上げてベッドから下りたが、テーブルには母が用意していった紅茶と焼き菓子。つまりは母が来ていたことも、ハーレイが訪ねて来たことも知らず、ベッドで気持ち良く寝ていたわけで…。
(あれ?)
 ベッドという単語が引っ掛かった。
 眠ってしまう前に何か考え事をしていたような…。
 確か、掃除を済ませた後にベッドにコロンと転がって……。
(……あっ!)
 そうだ、と脳裏に蘇って来た甘く幸せな考え事。
 いつかはハーレイの家に出掛けて、寝室にあった大きなベッドで…。



「ねえ、ハーレイ」
 ブルーは思い付いたままに考えを素直に口にしようと、笑みを浮かべてハーレイを呼んだ。
「なんだ?」
「…えっとね、ぼくのベッドはハーレイには小さすぎるよね?」
 さっきまでブルーが寝ていたベッド。それに目をやり、ハーレイが頷く。
「そうだな、俺には小さすぎるな」
「でしょ? それでね、考えたんだけど……。ハーレイの家に行くしかないな、って」
「何の話だ?」
 怪訝そうな顔をしつつも、ハーレイは「お前を俺の家には呼ばんぞ」と重ねて念を押して来た。
「お前が今みたいに小さい間は呼ばないと言ってあるだろう? 何の用事があるのか知らんが、俺の家に来ても入れてはやらん」
「そうじゃなくって…。ぼくが大きくなった時だよ、ソルジャー・ブルーと同じくらいに」
 それでね、とブルーは頬を紅潮させた。
「ぼくのベッドは小さすぎるし、ハーレイの家のベッドしか無いと思うんだ。…ハーレイと本物の恋人同士になれる場所って」
「ちょ、お前…!」
 ハーレイの顔が真っ赤になって、いつも落ち着いて余裕たっぷりの表情が狼狽のそれへと変わる。
「い、いきなり何を言い出すんだ! ほ、ほ…」
「本物の恋人同士だってば、それにはベッドが要るんでしょ?」
 そうだよね? と無邪気に微笑むブルーの顔つきは得意げなもので、色香も艶も微塵も無い。天使の微笑みと言うべきだろうか、無垢そのものなブルーの笑顔がハーレイに平常心を取り戻させた。とんでもないことを話してはいるが、ブルーには何も分かっていない、と。
「…なるほどな…。それで俺の家か」
「うんっ! 今度ハーレイの家に行った時にはそうなるんだよね、本当に本物の恋人同士に」
 頑張って早く大きくなるから、と嬉しそうなブルーに、ハーレイは「いや」と重々しく返して腕組みをする。
「…そいつはまだまだ先のことだな、それに物事には順番がある。俺はお前を下心込みで家に呼ぼうとは思っていないし、ベッドの出番はもう少し先だ」
「…下心? それって、何?」
 キョトンとするブルーの丸くなった瞳に、ハーレイは「ほらな」と頬を緩めた。
「お前、分かっていないだろう? 下心が何かも分からん子供にベッドの話は早すぎだ」
 つまらないことを考える前に沢山食べて大きくなれ、とブルーの皿にハーレイの分の焼き菓子までが乗せられる。こうなれば完全にハーレイのペース。ブルーは大人しく焼き菓子を頬張り、不穏極まりないベッドの話題はそれっきり封じられたのだった。



 こうして十四歳のブルーは「初めて」の場所への夢など綺麗に忘れてしまったわけだが、そうはいかないのがハーレイの方。
 ブルーの倍以上もの年を重ねた立派な大人で、かつ健康な男性ともなれば身体にも色々と事情があるというものだ。ブルーのように前世の記憶を重ねて夢見て幸せ一杯、心地よく眠れることなど絶対にあろう筈がなく。
「……弱ったな……」
 なんだって俺の家だったんだ、とハーレイは深い溜息をつく。
 小さなブルーが「本物の恋人同士になれる場所」として名指しよろしく挙げてきた場所が、よりにもよってハーレイのベッド。
 まさかブルーと生まれ変わった恋人同士で出会うなどとは思ってはおらず、自分の体格に見合うベッドをと余裕たっぷりのものを買ったつもりが今や寂しい独り寝の床で。
(…この間までは気に入りのベッドだったんだがなあ…)
 今は広さが恨めしい、と前の生ならば隣に居た筈の華奢な身体を思い出す。
 十四歳のブルーと再会してから、何回、夢に見ただろう。
 前世で愛したソルジャー・ブルー。
 すらりと細くてしなやかな肢体の、それは美しいミュウたちの長。彼の滑らかな肌と淫らにくねる身体を夢の中で何度抱き締め、組み敷いたことか。
 目を覚ます度に今のブルーの幼さを思い、ブルーを欲して猛る身体を懸命に鎮める日々なのに…。
「…俺のベッドを指名しなくてもいいだろう? これからの日々が辛すぎるんだが…」
 しかしブルーは忘れているな、と小さな恋人の可愛らしさとその無邪気さとを思い描いた。あんな話題を振っておきながら、ハーレイがブルーの家を辞去する時には「また来てね!」と大きく手を振っていたし、恥じらいの色も無かったし…。
(…まだ子供だから本当に仕方ないんだが…。俺は何年、生き地獄を彷徨う羽目になるんだか)
 頼むから二度とベッドの話はしてくれるなよ、と居もしないブルーに切々と願う。
 あの話だけは二度と御免だ。
 安眠の場を奪うのだけはやめてくれ、と思いながらも身体の熱は鎮まらなくて……。



 俺の気に入りのベッドを奪わないでくれ、と願う一方で前世のブルーを思い浮かべては良からぬ行為に耽っていたことが神の怒りに触れたのか。
 ブルーの「初めて」発言からさほど日を置かずして、ハーレイは夜の夜中に急襲された。
 何かが自分のベッドに居る。
 寝ぼけた頭で子供の頃に母が飼っていた猫かと思った生き物は、深く眠ったままのブルーで。
(…ど、どうしてブルーが此処に居るんだ!?)
 ブルーの心から溢れ出す思念がハーレイに教える。メギドでの出来事がとても怖い、と。ハーレイに側に居て欲しい、と…。
(……こう来たか……!)
 別口で俺のベッドに来たか、と恐慌状態に陥りつつもハーレイは自分と戦った。
 懐にスルリともぐり込んで来たブルーをオカズにしてしまわぬよう、間違っても手を出さぬよう。
 そして翌朝、目覚めたブルーは案の定、先日の発言を全く覚えておらず…。
(…二度目、三度目は確実にあるな…)
 ハーレイが徹夜明けの疲れを隠して作った朝食にブルーが「美味しい!」と舌鼓を打つ。
「ねえ、ハーレイ。…怖い夢を見たら、また来ていいよね?」
「もちろんだ。お前は独りじゃないんだからな」
 いつでも来い、と大人の余裕を見せてやりつつ、ハーレイは心の奥底で溜息を幾つもついていた。
 ブルーはすっかり忘れているらしいハーレイのベッド。
 其処で前世そのままに育ったブルーを組み敷けるのはいつのことだろう?
 こうなった以上、ブルーの「初めて」は其処で貰おう、とハーレイは秘かに決意する。
 そんなハーレイの心も知らずに、小さなブルーはハーレイの家での朝食を喜び、楽しんでいた。
 「来てはいけない」と厳命されていたハーレイの家。
 思いがけずも飛んで来られて、おまけに美味しい朝食付き。
(…こんな朝御飯が食べられるなんて…。幸せだよ、ハーレイ、ホントに幸せ!)
 それに美味しい、と幸せに酔う小さなブルー。
 ハーレイとブルーが本当の意味でベッドを共にする日は、まだまだ先になりそうだった……。




              小さなベッド・了





 その朝ベッドで目覚めたブルーは、なんとなく身体が重かった。病の兆候というわけではなかったけれども、前世と同じで虚弱体質なブルーにとっては体調不良の前兆である。
(…えっと……)
 額に手を当ててみたが、熱くはなかった。念のためにと体温計で測ってみても熱はない。
(…昨日の体育、無理し過ぎたかな?)
 クラスメイトたちにとっては大したことはない普通の授業。グラウンドを軽く何周か走って、それからサッカー。
 以前のブルーならグラウンドを走る時には周回遅れは当たり前。サッカーだって疲れてくれば挙手して日陰で休んだものだが、最近は少し事情が違う。
 年度初めに少し遅れて赴任してきた古典の教師、ハーレイに出会って全ては変わった。
 彼に会うまで思い出しもしなかったブルーの前世。其処でブルーはミュウの長であり、ハーレイはミュウたちの船を指揮するキャプテン。
 そればかりではなく、ブルーとハーレイは身体も心も固く結ばれた恋人同士で、生まれ変わって出会った瞬間、互いの記憶が蘇ると共に前世での想いも蘇り……。



 しかし晴れて恋人同士となってハッピーエンドとはいかなかったのが今の生。
 ブルーはハーレイの教え子な上に、十四歳になったばかりの少年だった。ハーレイはキスすら許してはくれず、学校に行けば教師と生徒。休日の度に逢瀬を重ねてはいても、それもブルーの家でのみ。ハーレイが一人で暮らす家にはブルーは招いて貰えなかった。
 一度だけ招かれたことはあるのだが、その時のブルーの表情とやらが年相応では無かったとかで、それ以降は呼んで貰えない。なのにハーレイが顧問を務めるクラブの生徒たちは自由に遊びに行けるのだ。羨ましくてたまらないのだけれども、クラブはよりにもよって柔道部で。
(走り込みとかもしているもんね…。ぼくも人並みに運動出来たら、入部くらいは出来るかな?)
 柔道は無理でも下っ端の部員くらいならば、と思い詰めたブルーは体育を頑張ってみようとした。普段だったら息が切れ始めた時点で歩く所を無理をして走り、サッカーも。
 ボールを追うのが精一杯のくせに、一人前にプレーするべく駆け回った結果が今朝のこれだ。



(…どうしよう……)
 今は大丈夫でも、登校してから気分が悪くなるかもしれない。早退は学校というものに行き始めて以来、数え切れないほど経験がある。もちろん欠席することだって。
 この春から通い始めた学校でも何度か休んでいたし、早退もした。ハーレイと出会って記憶が蘇った時の救急搬送と様子見の欠席を除外しても、だ。
(休んだ方がいいのかな?)
 今日の授業は…、と考え始めてハッと気付いた。二時間目に古典の授業がある。それは平日にハーレイの姿を眺めていられる幸せな時間。「先生」としか呼べないけれども、当てて貰えればドキドキするし、前に出て黒板に書くことになれば手の届く距離にハーレイが居る。それに…。
(質問をしたら、名前を呼んで貰えるしね。呼び捨てじゃなくて「ブルー君」だけど)
 貴重な時間を身体が少し重い程度で見逃す手はないというものだろう。
 ハーレイの顔と姿を見られて、声もついてくる捨て難い授業。想像しただけで鼓動が早くなるのが分かるし、身体の具合が悪いことなんて前の生では何度もあった。文字通り命の灯が消えそうな時であってもシャングリラから飛び立ってジョミーを追い掛け、メギドで最期を迎えた時も…。
「うん、このくらいは大丈夫!」
 ブルーは「えいっ!」と掛け声をかけて起き上がった。
 戦いに出掛けるわけではないし、行き先は通い慣れたいつもの学校。ベッドから下りる時に足元が少しふらついたものの、制服を着たらシャキッとしたし…。
 朝食を食べて、背が早く伸びるようにと祈りをこめてミルクも飲んで、「行ってきまーす!」と母に手を振って家を出た。二時間目の授業ではハーレイに会える。それを心待ちにしつつ、「学校へ行く途中で会えたらいいな」などと心を躍らせながら。



 しかしブルーの朝の予感は当たってしまった。
 一時間目の終わり近くから酷い眠気に捕まってしまい、気を緩めると生欠伸が出る。身体が弱っている時によくあることで、放っておけば倒れて寝込む羽目になるという自覚はあるのだけれど。
(……あとちょっと……)
 せめてハーレイの授業を終えてから、と欲を出したのがまずかった。体調不良のサインとも言える欠伸を噛み殺し、二時間目の授業開始のベルと共に現れたハーレイの指示で教科書を開き。
「では、次の箇所を。…音読したい者は手を挙げなさい」
 ハーレイの声が耳に心地よく響き、ブルーは言葉の意味を考えもせずに手を挙げた。ハーレイが口にする言葉は何でも嬉しい。決まり文句の「沢山食べろ」でも、キスは駄目だと叱られる時も。
 ゆえに朦朧としていたブルーは「手を挙げなさい」という部分だけを聞いて手を挙げてしまい、間の悪いことに他に挙手した生徒はおらず。
「よし。ブルー君、其処を音読して」
「はい!」
 ハーレイに何か頼まれたのだ、と立ち上がろうとしたブルーの視界がスウッと暗くなり、足元の床がグルンと回って…。
「どうした、ブルー!」
 駆け寄って来るハーレイの声さえも遠い。床に倒れた自分を抱え起こすハーレイに「…大丈夫」と弱々しい返事を返すのが精一杯で、気付けば保健係のクラスメイトに付き添われて保健室に居た。
 やっぱり無理をするんじゃなかった、と後悔しても既に手遅れ。
 もうすぐ報せを受けた母が迎えに駆け付けて来るし、ハーレイも酷く驚いた上に迷惑を被ったことだろう。中断させてしまった授業。せめて数分でありますように、とブルーは涙を滲ませた。



 母と一緒にタクシーで帰り、それからは自室のベッドの上。
 かかりつけの医師は「疲れすぎですから、三日間ほど安静に」と残酷な診断をしてくれた。
 たったの三日間、でも三日間。その間にハーレイの古典の授業がもう一度ある。それに何より、三日の間はキッチリ平日。
 ハーレイが平日にブルーの家を訪ねて来ることなど滅多に無いし、来てくれたとしても滞在時間は僅かだけ。ましてブルーが欠席となれば、来てくれる可能性はゼロかもしれない。
(…ぼくのバカ…)
 最初から休んでおけば良かった、とブルーは悔し涙に暮れた。
 ハーレイに迷惑と余計な心配をかけてしまった上、明日から三日間は学校で姿さえ見られない。
 もしも欠席していたならば、どうしているかと家へ見舞いに来てくれたかも…。なのにブルーが学校で倒れた理由は単なる疲労で、医師の診断書も行っている筈だ。
(…疲れすぎだなんて、誰も心配してくれないよ…。寝ているだけで治るんだもの)
 いっそ風邪とか、腹痛だとか。
 発熱も痛いのも嫌だったけれど、そっちの方がまだマシだった。少なくとも心配して貰えるし、ハーレイだって学校の帰りに見舞いに寄ってくれたかもしれない。
(……ぼくってバカだ……)
 身体を鍛えてハーレイに会える機会を増やすどころか、逆効果。柔道部に入って堂々とハーレイの家に出入りする夢は空しく潰えて、三日間もベッドの住人だなんて……。



 ともすれば溢れ出しそうになる、弱い身体への恨み言。
 けれど、この身体こそがブルーの唯一の財産だった。
 前世でのように人類軍の攻撃からシャングリラごとハーレイを守れるわけでなく、ハーレイがキャプテンとして預かる船の行く手を指し示す「導くもの」たるソルジャーでもなく。
 今のブルーは両親に守られ、育まれているだけの十四歳の子供。
 そんなブルーが自分を大切に想ってくれるハーレイに対して返せるものは、前世とそっくり同じに生まれた顔形とその姿だけ。前の生でハーレイが愛した姿を、些か幼すぎるとはいえ、彼の瞳に映せることだけが「ハーレイにしてあげられること」。
 だから、この身体を恨んではいけない。
 弱く生まれてしまったけれども、前世のような補聴器も要らず、死の影が差すこともない。
 これ以上を望んではいけないのだと、頭では分かっているのだけれど…。
(…でも……。ハーレイに会えるチャンスまで逃がしちゃうなんて、酷すぎるよ…)
 神様はなんて残酷なんだろう、と瞳からポロリと涙が零れる。
 元はといえばブルー自身が無理をしたのがいけないのだが、それでも八つ当たりじみた感情を抱く辺りが十四歳の子供たる所以。
 かつてのソルジャー・ブルーであったら、全てを己の胸に収めて、ただ涙だけを零したろうに。



 三日間もハーレイに会えない悲しみに打ちひしがれるブルーは、陽が落ちて部屋が暗くなっても明かりも点けずにベッドにもぐったままだった。
 母が夕食を届けに来てくれたけれど、「食べたくない」と小さな声で答える。
「ブルー、少しは食べないと…。お昼も食べなかったでしょう?」
「…ホントに食べたくないんだもの」
 ブルーの言葉に嘘は無かった。具合が悪くて食べられないという状態ではないが、気が乗らない。こんな時には無理に食べても消化が悪く、後で気分が悪くなる。そうなることが分かっていたから「食べたくない」と言ったのだけれど。
「…あら? お客様かしら?」
 門扉の横のチャイムが鳴らされ、母が階下に下りてゆく。急いでいたのか食事を乗せたトレイも持って行ってしまったし、これ幸いとブルーがベッドにもぐり込んでから暫く経って…。



「ブルー?」
 低い声と共に扉が軽く叩かれた。
 父とは違う男性の声。それはブルーが聞きたくて堪らなかったハーレイの声そのもので。
「…ブルー、起きているか? 入るぞ」
 カチャリと扉が外側から開いて、大きな人影が入って来た。勝手知ったる部屋とばかりに明かりを点けたハーレイが穏やかに微笑んでいる。その手には、さっき母が持っていたトレイがあって…。
「ブルー、食事だ。…お母さんから聞いたぞ、食べたがらない、とな」
「……だって……」
 上掛けの下から顔だけ覗かせたブルーの鼻腔を柔らかで優しい香りが擽る。
 この匂い。
 母が持って来た食事とは違う、懐かしくて心がじんわりする匂い…。
「どうだ、これでも食べたくないか?」
 ほら、とベッドサイドのテーブルに置かれたスープ皿の中身を眺めて、不思議だった気持ちが確信に変わった。
 何種類もの野菜を細かく刻んで煮込んだスープ。
 遠い昔にシャングリラで共に暮らしていた頃、ブルーが体調を崩した時にハーレイが何度も作ってくれた。大きくて武骨な手をしているのに、驚くほど器用に野菜を刻んで、コトコト煮込んで…。
 青の間の小さなキッチンでそれを作っていたハーレイの姿が目に浮かぶようだ。
「…ハーレイ、これ…。ひょっとして、家で作って持って来てくれた?」
「いや、お母さんに頼んでキッチンを借りた。見舞いに寄ったら、お前が食べないと言うんでな。…これなら喉を通るだろう? 野菜スープのシャングリラ風だ」
 大して美味くはないんだがな、とハーレイが笑う。
「あの頃は何かと物資が不足していたし…。お前のお母さんが作るスープに慣れたお前には不味いかもしれん。だが、お前が馴染んでいた味だ。…食べてくれると嬉しいんだが」
 俺も作るのは久しぶりだ、とハーレイはにこやかな笑みを浮かべた。
「…お前にしか作ってやらなかったし、お前がいなくなった後は二度と作りはすまいと思った。…そして本当に作らなかったな、シャングリラに怪我人が溢れていてもだ」
 お前専用のスープなんだ、と差し出されたスプーン。ハーレイが掬ってくれたスープをブルーは素直に口に運んだ。
(……ハーレイのスープだ……)
 あの時のスープだ、と幾つもの思い出が蘇る。基本の調味料しか使われていない、素朴なスープ。けれど、その味はブルーが今まで口にしてきた何よりも優しく、心安らぐものだった。



 ハーレイが「ほら」と掬って口に入れてくれる懐かしい味。
 いつもだったら子供扱いだと抗議したかもしれないけれども、逆らう気持ちは起こらなかった。
 一匙掬って、もう一匙。
 「もう少しだけ、頑張って食べろ」と促される内に、気付けばスープ皿はすっかり空で。
「ほら見ろ、ちゃんと食えたじゃないか」
 頑張ったな、と大きな手で頭をクシャクシャと撫でられ、ブルーは擽ったそうに首を竦めた。
「だって、ハーレイが食べろって…。でなきゃ大きくなれないぞ、って」
「その通りだろうが? 一日食わなきゃ、その分、成長が遅れるんだぞ。お前、いつも大きくなりたいと言ってるじゃないか」
「…うん…。でも……」
 ハーレイはそれでかまわないの? とブルーは俯く。
「ぼくは小さいし、今日みたいに直ぐに倒れるし…。ハーレイ、お見舞いに来てくれた上にスープまで作ってくれたけど…。ぼくはハーレイに何もしてあげられないし、クラブにだって…」
「クラブ?」
「うん。…ハーレイが顧問の柔道部。あれに入れたらハーレイの家にも遊びに行けるし、もっと一緒に居られるのに…って…」
 本当はぼくが一緒に居たいだけなんだけど、と呟いたブルーに、ハーレイは「そうだったのか」と鳶色の瞳を見開いた。
「…お前が倒れて、疲れすぎだと学校に連絡が来た。昨日の体育の授業で相当に無理をしていたようだ、と担当の先生に聞かされてな…。どうしてそんなことをしたのかと思ったら…」
「…ごめんなさい。鍛えたら身体が丈夫になって、クラブに入れると思ったから…」
 シュンと項垂れるブルーの頭をハーレイの手がポンポンと軽く、宥めるように優しく叩いた。
「無茶するな。お前はお前で、小さくて華奢な所がいいんだ」
 柔道部なんかに入って鍛えたらムキムキだぞ、とハーレイが笑う。
「そんなお前は嬉しくないな。…俺は昔のお前が好きだ。ああいう姿に育つお前が好きなんだよ。だから小さいままでいい。細っこいままのお前でいいんだ」
「小さいままなのは嫌だってば!」
 急いで早く大きくなる! と叫ぶブルーに「なら、食べろ」とお決まりの文句が返ってきた。
 疲れすぎて自宅静養になった三日の間、毎日ハーレイが家に来て夕食を共にし、しっかり食べるようにブルーを監視するという。それならば。



「…ハーレイ、あのスープ、また作ってよ」
「あれか? …お前のお母さんがやたらと心配していたんだが…。これを入れたら、とか、こういう味付けもありますよ、とな」
 俺の料理の腕を疑われていそうなんだが、と苦笑いするハーレイにブルーは「作って」と強請る。
「大きくなれって言うんだったら作ってよ。あれが付いてたら、何でも食べるよ」
「でっかいステーキ肉でもか?」
「…そ、それは……」
 無理! とブルーは悲鳴を上げた。
 けれど明日からは三日間ほど、懐かしいスープを食べられる。
 食材が豊富で平和な今の地球では「そんな味付けで大丈夫なのか」と母が心配してしまうほどに単純すぎる野菜のスープ。
 それでもブルーには遠い昔から馴染んだ味で、ハーレイはブルーだけにしか作らないと言う。
 そんなスープを食べられるなんて、恋人だけの特権でなくて何だろう?
 たまには倒れてみるのもいいな、とブルーはハーレイの大きな身体に両腕でギュッと抱き付いた。
 ねえ、ハーレイ。弱い身体は厄介だけれど、ぼくはこのままでいいんだね?
 君がこのままでいいと言うなら、もう我儘は言わないよ。
 無理はしないし、柔道部だって諦める。
 だから、いつまでも側に居て。
 いつか本物の恋人同士になれる時まで、君を待たせてしまうけど…。
 その日までに何度、君が作ってくれるあの懐かしい野菜スープを飲むんだろう?
 早く大きくなりたいよ。ねえ、ハーレイ……?




                  懐かしい味・了





「…いいなあ…」
 羨ましいな、とブルーは自室で溜息をついた。
 ハーレイが顧問を務めるクラブに所属する友人から聞いた昨日の出来事。幾つかの学校が集まる試合で好成績を収めた御褒美に、全員がハーレイの奢りで食事をしたという話。食べ放題の店で山ほど食べたそうだが、羨ましいポイントは其処ではない。
 食の細いブルーは食べ放題の店に行きたいなどとは思いもしないし、第一、元が取れないと思う。それでは奢ってくれた人にも申し訳ないというものだ。でも…。
「…ハーレイと食事に行きたいなあ…」
 行ってみたいな、と考え始めると止まらない。
 前世では青の間で何度も食事を一緒に食べたし、ハーレイの部屋でということもあった。今の生でもハーレイが家に訪ねて来てくれると母が食事を作ってくれる。ブルーの部屋で、両親も共にダイニングで…、と昼食や夕食を摂るのだけれど。
「…普段の場所とは違う所で食べたことって無いんだよね…」
 一度だけ招かれたハーレイの家での食事はブルーにとっては非日常だったが、ハーレイからすれば馴染んだ自宅。前世でのハーレイの部屋とは広さや家具などが異なるだけだ。
「シャングリラに居た頃は船の中しか場所が無かったし、違う場所も何も無いんだけれど…。今は何処でも自由に行けるし、お店だって選び放題だよね?」
 お店もいいけどピクニックとか、とブルーの夢は更に広がる。ハーレイと二人でお弁当を持って出掛けられたら、きっと素敵に違いない。景色の綺麗な郊外だとか、海辺なんかもいいかもしれない。前世で行きたいと焦がれ続けた地球に二人で生まれたのだし…。
「…ハーレイと二人で行きたいなあ…」
 海でも山でもお店でもいいな、と思い描くブルーはとうとう決意を固めた。ハーレイが誘ってくれないのなら、自分から提案してみよう。違う所で食事をしたい、と。



 ハーレイと二人で違う場所で食事。それはとても素敵な思い付きであったし、ブルーは次の週末に訪ねて来たハーレイにドキドキしながら話してみたのだけれど。
「…俺は賛成出来ないな」
 ほんの少しだけ考えた後、ハーレイは「駄目だ」と口にした。
「どうして? 何処かお店に行くだけでいいし、お店が駄目ならピクニックとか…」
 ブルーは懸命に言い募ったのに、ハーレイは「駄目なものは駄目だ」と首を横に振る。
「…なんで……。ぼくがまだ小さすぎるから?」
「それもあるな。だが、一番は……。お前、先生と食事に出掛けて楽しいか?」
「えっ?」
 何を訊かれたのか分からなかった。キョトンとするブルーに、ハーレイが穏やかな瞳を向ける。
「俺とお前の前世のことを知っている人は数人だけだ。外に出れば大人と子供にしか見えんし、お前は俺の教え子なんだぞ。学校で俺を呼ぶ時と同じで「ハーレイ先生」と言わなきゃな」
「で、でも…! 先生と生徒かどうかなんてこと、誰も気にしていないと思うけど…」
「そうかもしれん。だが、お前は自制できるのか? 俺を先生と呼ばずにいても、きちんと話題を選べるのか? …それも普段とはまるで違う場所で」
 出来るのか? と重ねて問われて、ブルーはシュンと項垂れた。
 ハーレイと二人で食事に行きたいと考えただけで胸が高鳴っていた自分。本当に二人で出掛けられたならば、間違いなく舞い上がってしまうだろう。ハーレイに甘え、もしかしたら少し我儘も。…傍目にも何処か普通ではない話し方になってしまっている……かもしれない。
「ほら見ろ、自信が無いんだろう? だったら先生と呼ぶしかないし、それでは楽しくないと思うぞ。お前もつまらなく感じるだろうが、その点は俺も同じなんだ」
「…ハーレイも?」
「当然だろう。せっかくのお前との食事なんだぞ、俺だってあれこれ楽しみたい」
 ……昔の俺たちみたいにな。
 そう囁かれて、ブルーの頬が真っ赤に染まった。前の生では食事の合間にハーレイから夜の誘いがあったり、ブルーから控えめに強請ってみたり。そんな話に至らないまでも、心を通わせた者同士での甘い会話は常であったし、手を握り合うくらいは自然な流れで…。
「思い出したか? 俺と一緒に食事に行くには、お前はまだまだ子供ってわけだ」
 先生と呼ぶなら連れてやってもいいが、と言われたブルーは反論出来ない。ハーレイ「先生」と食事に行っても、それは確かにつまらないだけだ。
 敬語で話して行儀よくなんて、素敵どころか嬉しくもなんともないってば…!



 心底ガッカリしたブルーだったが、ふと別の選択肢を思い出す。
 店に行くなら周囲を気にして先生と生徒を演じなくてはいけないけれども、ピクニックならば話は別だ。自然の中なら誰も会話を聞きはしないし、思う存分、二人きりの時間を過ごせるだろう。
「ハーレイ、それじゃピクニックは? 海とか山なら誰も居ないよ」
「それも駄目だと言った筈だが?」
 ハーレイが苦い笑みを浮かべてブルーの頭をクシャリと撫でた。
「お前、全然、分かっていないな。…そっちの方が俺は困るんだ。店なら周囲の様子が気になる、だから教師として振舞える。…だがな、お前と二人きりになると抑えが利かん」
 今よりももっと、とハーレイの手に頬を包まれる。
「何度言えばお前は分かるんだ? お前にキスしたい気持ちを今も必死に堪えてるんだぞ? 此処がお前の家でなかったなら、このままキスしてしまうかもしれん」
「…キスしていいよ、っていつも言ってる」
「馬鹿! そんなことを簡単に言うもんじゃない。そして今なら俺にもそう言える余裕があるが、他の場所だと危ないな。…キスだけで済めばまだいい方で、とんでもないことになりそうだ」
 それは困る、とハーレイの唇がブルーの頬に触れた。
「お前へのキスは頬と額だけだ、と決めている。子供向けのキスはそれで充分だ。…その先はお前が育ってから。そう決めた俺を誘惑するな」
「なんでピクニックが誘惑になるの? ハーレイと出掛けたいだけなのに」
 唇を尖らせるブルーに、ハーレイは「分からないか?」と優しく笑った。
「俺とお前は一応、恋人同士だろう?」
「一応じゃないよ、恋人だよ!」
「だったら少し考えてみろ。…恋人同士で出掛けることを世間じゃデートと言わないか?」
「あ……!」
 ブルーは今度こそ耳の先まで赤く染め上げ、口をパクパクと開けたり閉じたり。
 食事に行きたいとか、ピクニックだとか。
 今の今まで全く気付いていなかったけれど、ハーレイにデートに連れて行ってと強請っていたとは恥ずかしすぎる。
(…やっぱり、ぼくって子供なのかな? でもでも、シャングリラで過ごしてた頃にはデートなんかは出来なかったし、そんなの分かれって言う方が無理!)
 無理、無理、無理~っ! と思うけれども、顔から火が出そうとはこのことだ。ブルーはハーレイの手から逃れて、両手で顔を蔽い隠した。



 よりにもよって「デートに行きたい」と強請ってしまった恥ずかしい事実。
 デートの中身はハーレイに悉く却下されたが、いつか現実になった時には今日の出来事を思い返して自分でも苦笑するかもしれない。
(…それまでに忘れますように! ハーレイも忘れてくれますように…!)
 でないと幸せなデートが出来ない、と情けない気持ちに浸るブルーにハーレイの腕が背後から回されて引き寄せ、自分の胸に抱き締めた。
「何を沈没してるんだ? …俺としては嬉しかったんだがな」
「…えっ?」
 ホント? と振り向いたブルーに、ハーレイが「ああ」と大きく頷く。
「お前に「うん」とは言ってやれんが、デートの誘いは嬉しかった。…強請られなくても連れて行ってやるさ、お前が大きくなったらな。海でも山でも、レストランでも」
 プロポーズの場所は何処がいい? と鳶色の瞳が笑みを湛えて、ブルーはまたしても真っ赤になった。プロポーズだなんて言われても…。それこそ前世でも経験が無い。
「…え、えっと……。それって、決めなくちゃいけないの?」
「ははは、お前が決めてどうする! さりげなく誘導するのはアリだが、主導権を握っているのは俺だ。俺がお前を貰うんだからな。……何処にするかな…」
 俺も初めての経験だしな? とハーレイが片目を瞑ってみせる。
「いいか、ブルー。…お前がこだわった食事もそうだが、今の人生でしか出来ないことが山ほど俺たちを待っているんだ。此処はシャングリラの中じゃない。もちろんアルタミラでもない」
「…うん」
「そしてお前はソルジャーじゃないし、もちろん俺もキャプテンじゃない。自由なんだよ、あらゆることから。…教師と生徒という関係だって、ほんの数年の我慢に過ぎない」
 お前が学校を卒業したら…、とハーレイはブルーの赤い瞳を覗き込んだ。
「そうしたら、俺たちはただのブルーとハーレイになる。…お前はメギドに行く前に言ったな、自分はただのブルーだ、と。…だが、あの言葉は嘘だった。お前は最後までソルジャーだった」
「…うん…。そうだったね」
 ブルーの胸がツキン、と痛む。ただのブルーだと言っておきながら、ハーレイに別れの言葉も告げずに飛び去った自分。ブルー自身も辛かったけれど、残されたハーレイはどれほどに辛く悲しかったことか。どれほどの涙を流したことか…。
「ブルー、今度こそお前はただのブルーだ。…そして俺だけのブルーになってくれたらいいな、と思っている。プロポーズはいずれ改めて……だがな」
 覚えておけ、と自分を抱き寄せる腕にブルーは頬を擦り付けた。温かくて、何処までも優しい腕。この腕の中に居られる自分は、前世よりも何倍も何十倍も幸せな生を生きるのだ…。



 ハーレイと二人で食事に行くことは諦めた。ピクニックだって断られた。けれど…。
「……ブルー」
 逞しい腕がブルーの身体を壊れ物のように優しく抱き締める。
「お前は普段と違う場所で食事をしたいと言ったが、この部屋でも俺たちには充分なんだ。シャングリラの中では考えられないような場所だぞ、考えてみたことがあるのか、ブルー?」
「…どういうこと?」
 分からないよ、と首を傾げたブルーの銀色の髪をハーレイの指がそうっと梳いた。
「…シャングリラではいつ人類の攻撃が来るか、常に警戒していただろう? お前と一緒に過ごしていても、警報を気にしないで済む日は無かった。…この部屋で警報が鳴ることはない。誰も俺たちを攻撃しない。…そんな場所でゆっくり過ごせるだけでも幸せだとは思わないか?」
「………。ホントだ、そうかもしれないね」
「そう思うんなら贅沢を言うな。俺たちは想像も出来なかったほど素晴らしい世界に生まれ変わったし、未来だってある。…今はそれだけで充分だろう? 平和な世界と青い地球だぞ、俺たちには充分に贅沢なんだ。違うか? ブルー」
「……うん……」
 ハーレイと二人で生まれ変わった地球。
 今はまだ見当もつかないけれども、いつか自分が大きくなったらハーレイと歩む未来が来る。
 その時が来るまで、普段と違った場所での食事は我慢しておこう。
 大きくなったら二人で何処かへ食事に出掛けて、それだけじゃなくて、沢山、沢山…。
「…ねえ、ハーレイ…。ぼくたち、いつまでも一緒だよね?」
「ああ。お前が大きくなったらな」
 だから頑張って沢山食べろ。
 耳が痛くなるほどに聞かされた決まり文句が心地よい。
 まだ家でしか食事は一緒に食べられないけれど、食べれば少しずつ大きくなれる。
 大きくなって、そしていつかは…。
(ダメダメダメ~~~っ!)
 それと知らずに「デートに行きたい」と強請ってしまった恥ずかしさだけは忘れたい。
 ハーレイも忘れてくれますように、と願うブルーの切実な悩みは、前世でソルジャーとして負っていた重荷に比べれば羽根のように軽いものだった。
 十四歳の小さなブルー。
 彼がハーレイと共に歩む未来は、幸せに満ちた温かな日々に違いない……。




              素敵な思い付き・了





 前世の自分が最期の時に負った傷痕をその身に写し取り、ブルーは全てを思い出した。
 ごくごく普通の少年として十四歳まで生きて来た自分の前世は、伝説のミュウの長、ソルジャー・ブルー。今の自分は彼の十四歳の頃の姿に生き写しで…。



「検査結果は異常無しですが、今回はかなり酷かったですね」
 学校で大量の出血を起こしたブルーは、以前、右目からの原因不明の出血を検査してくれた病院に救急搬送された。付き添いで救急車に乗ってきた新任の古典の教師、ハーレイと出会ったことが大量出血の原因であると同時に記憶が戻った切っ掛けでもある。
 そのハーレイの従兄弟に当たる医師がブルーの主治医で、前回の検査をした医師だった。個室のベッドで点滴を受けているブルーの様子を見に来た彼がブルーの顔を覗き込む。
「まさか本当に私の従兄弟と会った途端に大出血とは…。身体の具合はどうですか? 何処にも傷は見当たりませんが、思い当たる原因などは?」
「……前に先生が言ってた通りみたいです…」
 ブルーは力なく微笑んでみせた。
「…色々と思い出しました。ぼくの前世はソルジャー・ブルー。…あの傷はメギドで撃たれた時ので、右目を最後に撃たれました」
「……そうでしたか……」
 医師はフウと大きな溜息をつくと、ベッドの横の椅子に腰掛けたブルーの母の方を見た。
「…ブルー君の件ですが、従兄弟からも事情を聞かされました。私の従兄弟がキャプテン・ハーレイの生まれ変わりで、ブルー君がソルジャー・ブルー。…公表すれば凄い騒ぎになるでしょう。けれど私の従兄弟はともかく、ブルー君はまだ子供ですから…」
 当分は事情を伏せておいては如何でしょうか、と医師は自分の見解を述べる。
「ソルジャー・ブルーの記憶を受け継いだ人間が現れたとなると、歴史学者たちが飛び付くだろうと思います。心理学者や、他にも色々…。そうなると普通の生活を送ることは不可能になってしまうでしょう。それではブルー君も辛いのでは?」
「…いえ、ぼくは…」
 大丈夫です、と答えようとしてブルーは続きを飲み込んだ。前世のアルタミラで受けた残酷な仕打ちを思えば、学者たちの研究対象になるくらいのことは何でもない。けれど、そうなれば自由な時間が減ってしまって、せっかく再会出来たハーレイとも思うように会えなくなるかもしれない。
「…やはり心配なようですね。お母さん、この件は極秘扱いになさった方が…」
 医師の提案に母が頷き、ブルーが転生してきた事実は伏せられることに決定した。カルテなどは残るが、ブルー自身がその気になるまでは決して公表されない。大量出血の原因は不明となるものの、感染症や病気の心配は無い、という診断書だけが作成された。



 点滴を終えたブルーは父の車で家に戻った。その後、学校での勤務を終えたハーレイが来てくれ、自分の部屋で再会したものの、前世でのように恋人同士の時間を持つことは出来なくて…。
 しかもハーレイは翌日も出勤だったし、ブルーは出血が酷かったからと今週中は自宅静養を言い渡されて登校禁止。ほんの束の間を共に過ごして、ハーレイは帰って行ってしまった。
「…せっかくハーレイに会えたのに…。どうしてこうなっちゃったんだろう…」
 母に「夜更かしせずに早く寝るのよ」と注意されていたが、眠気は全く訪れない。前世で焦がれた美しい地球にハーレイと一緒に生まれ変わったのに、巡り会えても共に居られないとは、神も随分と残酷なことをするものだ。
「せめて家が隣同士とか…。そしたらすぐに会えるのに…」
 窓から姿を見られるのに、と嘆いてみても始まらない。ハーレイが教えてくれた住所は何ブロックも離れた所で、散歩がてら行ける距離では無かった。ブルーは瞬間移動が可能なタイプ・ブルーではあったけれども、前世と違って今のブルーは瞬間移動は出来ないし…。
「……酷いよ、神様…。シャングリラに居た時の方が自由に会えたよ」
 ハーレイがブリッジに行っている時間は会えなかったけれど、青の間で、そしてハーレイの部屋で、毎夜のように共に過ごした。そのハーレイがブルーを置き去りにして自分の家へ帰ってしまう時が来るなど、夢にも思いはしなかったのに。
「…今の世界だと、そっちが普通になっちゃったんだ…」
 悲しすぎる、とブルーは枕に顔を埋めて涙を零す。明日の朝、ベッドで目覚めてもハーレイはブルーの傍らに居てはくれない。それどころかブルーが登校できない学校へ行って、授業をして…。
「酷いよ、神様、酷すぎだよ…」
 離れ離れで暮らすというのはこんなにも辛いことなのか。ハーレイと再会出来た喜びすらも色褪せるほどに、間に横たわる現実の距離はあまりに大きく、どうしようもないものだった。



 ハーレイに自由に会えないのならば、今の生の良さは何だろう?
 泣き疲れたブルーは思考の方向を変えた。いくら泣いてもハーレイとの間を隔てる障壁が溶けて無くなるわけではないし、せめて良い点でも見付け出さなくては…。
(…地球に生まれたのが一番かな?)
 前の生で憧れ続けた地球。ハーレイたちが辿り着いた時には死の星だった地球が蘇り、其処に生まれてこられた自分はとても幸運なのだろう。その上に優しい両親も居るし、ブルーが暮らす家がある場所は地球の中でも最高と言ってもいい地域。
(…これは好みによるんだろうけど…)
 かつてブルーが夢見た地球は青い海に覆われた水の星。澄んだ空から降り注ぐ雨は冬には雪に変わると聞いた。しかし実際には地球にも様々な気候があって、何処にでも四季があるわけではない。
(そういう意味では大当たりな場所に居るんだけれど…)
 でも、とハーレイとの距離を考えそうになる自分を叱咤し、良い点の方を追い続ける。
 今の地球はSD体制時代の画一化された社会への反省を踏まえ、それぞれの場所に応じた文化が形成されていた。学校の年度初めも地域別。ブルーが暮らす地域では春に始まり、同じように四季を持つ地域でも秋に始まる場所もあり…。
(…此処に生まれて、それはホントに良かったんだけど…)
 春の桜が美しい場所。SD体制崩壊と共に起こった地殻変動で地形はすっかり変わったけれども、この地域は遙か昔の地球に在った日本にあたる平和で穏やかな居住地だ。
(ぼくが行きたかった地球のイメージにピッタリなのはいいんだけれど…)
 ハーレイと引き離されてしまった事実の前には、せっかくの四季の魅力も五割どころか八割減だという気がする。両親だって、今のブルーには「自分を自由にさせてくれない」枷とも取れないこともなく…。
「…こんなこと、考えちゃ駄目なんだけどな…」
 もしも両親と暮らしていなかったなら、ハーレイの家へ転がり込んで共に暮らせていたかもしれない。朝も昼も夜もハーレイの側にくっついていて、学校に行く時もハーレイと一緒。流石に学校の中ではベッタリ甘えてはいられないけれど…。
(…駄目だってば! ぼくはパパとママの子供なんだから…)
 分かってはいても、ソルジャー・ブルーの頃の記憶に引き摺られてしまいそうになる。そんな自分は前世に比べて心がきっと弱いのだろう。十四歳にしかならないのだから仕方ない、と言い訳しながらブルーは眠りに落ちて行った。



 その翌日から、ブルーは更なるハーレイとの距離を思い知らされる。
 学校に行けばハーレイに会えると分かっているのに、今週中は登校禁止。学校や自宅でのハーレイの暮らしを知りたいと思っても、それは叶わぬことだった。
 全員がミュウとなった社会で「人が人らしく」生活するため、学校や個人の家などは全てサイオン・シールドが施されている。その中で何が起こっているのか覗き見は出来ず、思念波を使っての連絡手段も前世のようにはいかなかった。
 誰もが普通に心を遮蔽し、それが当たり前で基本な世界。如何にブルーがタイプ・ブルーでもハーレイの居場所を掴むどころか、声さえも届けられなくて…。
(…寂しいよ、ハーレイ…)
 どうして家に来てくれないの、とベッドの上で膝を抱えて蹲るブルーは新任教師の多忙さに思いが至らない。今日こそは帰りに寄ってくれるに違いない、と胸を膨らませて窓から門を見下ろし、ドキドキしながら待ち続けている内に父が帰って夕食の時間。
 その内にきっと門扉の横のチャイムが鳴ってくれるだろう、とハーレイを待って待ち焦がれた末にガッカリしながらベッドに潜り込む日が繰り返される。
「……ハーレイ…。明日は来てくれるよね?」
 土曜日だもの、とブルーはカレンダーを眺めて呟いた。
 学校は土曜日と日曜日は休み。ハーレイと再会した日は週が明けたばかりの月曜だったし、かれこれ四日もハーレイの姿を見ていない。
(…会いたいよ、ハーレイ…。シャングリラに居た頃は四日も離れてなかったよ…)
 前世でのブルーの体調が悪くなってからも、昏睡状態に陥らない限り、毎日ハーレイと会うことが出来た。昏睡状態であった間も、ハーレイは毎夜、ブリッジでの勤務が終わった後に青の間を訪ねて来てくれて、ブルーの手を握ってその日の出来事を語り聞かせていたものだ。
(…君の声は聞こえていたんだよ…。だから寂しくなかったのに…)
 どうして今になってこんな思いを、とブルーの瞳から涙が落ちる。
 ハーレイがいない。同じ地球で、同じ町に暮らしているのにハーレイが側に居てくれない…。
「…酷いよ、神様…」
 明日はハーレイに会えますように、と暗くなった庭と門扉を見下ろし、ブルーは其処に立つ愛おしい姿を思い浮かべて自分の身体をその腕で抱いた。
 再会した日に抱き締めてくれたハーレイの腕。その温もりと強さが恋しい。前世では何度も抱き締められて、それからキスを交わして、それから…。
(会いたいよ、ハーレイ…)
 どうか、とブルーは祈り続ける。明日こそハーレイがチャイムを鳴らしてくれますように…。



 次の日の午後、ブルーの待ち人がついに訪ねて来てくれた。
「ブルー、元気にしていたか?」
 もう傷の痕は痛まないか、と問い掛けられてブルーは「うん」と小さく頷く。ハーレイを案内して来た母が早く立ち去ってくれないものか。お茶の用意を手早く済ませて、二人きりにしてくれないものか…。
 待ちに待った時間が訪れた時、ブルーはハーレイの大きな身体に飛び付くようにして抱き付いた。
「ハーレイ…! 寂しかったよ、ハーレイ…!」
「俺もだ。お前の顔を早く見たかった。…だが、色々と忙しくてな」
 ブルーをギュッと抱き締めた腕が少し緩んで、褐色の手で頭を撫でられる。
「やっと時間が取れたんだ。引き継ぎも済んだし、これからは休日の度に会えると思うが、会えないことがあっても許してくれよ」
「え?」
「クラブの顧問をすることになった。部活はとっくに始まっているし、途中から変わらなくてもいいと思ったんだが、俺が適任だと頼み込まれたら断れん。…そっちの関係で出掛けることもありそうだ」
「……何のクラブ?」
 ぼくも入る、とブルーはハーレイの顔を見上げたのだけれど。
「…出来るのか、お前? 柔道部だぞ」
「えっ…」
 それは予想だにしなかった。身体が弱い上にスポーツ全般が苦手なブルーに運動部は無理だ。柔道だなどと言われても…。
「無理だろう? お前は運動が苦手らしいし、身体も丈夫じゃないそうだしな」
「…ハーレイ、前はそんなの全然やっていなかったのに…」
「驚いたか? 大会で何度も優勝したし、水泳でも選手をやってたんだぞ」
「…そうなんだ……」
 今度の生で、ハーレイはどんな人生を歩んで来たのだろう? ブルーの全く知らない面が沢山あるに違いない。もっとハーレイのことを知りたい。幾つも、幾つも、ブルーと再び出会うまでの間にハーレイが過ごした時間のことを。そして…。



「駄目だ」
 想いが溢れるままに口付けようとして、ハーレイにそれを拒否された。
「…どうして? せっかく会えたのに…!」
「お前、自分が何歳か分かっているのか?」
「…十四歳だけど…」
 途惑いながら答えたブルーの頭をハーレイの手がクシャリと撫でる。
「まだまだ立派な子供だな。…お前にはキスは早過ぎる」
「子供じゃないよ! ぼくは何もかも思い出したし、ハーレイのことも全部覚えてる!」
「いや、子供だ。…少なくとも見た目は子供なんだし、年も立派に子供の年だ」
 お前に自覚が無いだけだ、とハーレイはブルーの頬を大きな手のひらで包み込んだ。
「俺の目には小さなお前が映るし、それにお前は俺の生徒だ。…俺はお前を大事にしたい。子供の間は子供らしく過ごして欲しいんだ」
「でも…!」
「焦らなくても何年か経てば育つだろう? 昔みたいに大きくなれ。キスをするのはそれからでいい。…いいか、お前は十四歳の子供なんだ」
 分かるな、と包み込まれた頬が熱い。ハーレイの懐かしい温もりに触れているのに、キスすら許して貰えないとは思わなかった。前世だったら、こういう時にはキスを交わして、それから…。
「……酷いよ、ハーレイ……」
「酷くない。お前みたいな子供相手にキスをする方がよっぽど酷い」
 俺にその手の趣味は無い、とハーレイはキッパリ言い切った。
「それから、学校の中での付き合い方だな。俺は普通にブルーと呼ぶが、お前はきちんと「先生」と呼べ。でないと皆が変に思うし、あくまで生徒と先生だ。…そういう切り替えは出来るだろう? シャングリラでもやっていたんだからな」
「…そんな……」
 ブルーは愕然としてハーレイを見た。ソルジャーとキャプテンだった前の生では二人の仲を隠し通したが、それはシャングリラの秩序を守るため。今度の生なら何の問題も無さそうなのに…。



「そういう顔になってしまう辺りが立派に子供だ」
 ハーレイが苦笑し、ブルーの額を右手の指でピンと弾いた。
「お前、全然、分かっていないな。…ソルジャーとキャプテンが恋人同士だとバレてしまうより、生徒と教師の方が大変なんだぞ。お前は義務教育だから停学くらいで済むんだろうが、俺は確実にクビになりそうだ」
「あっ…!」
 そんな事にも気付かなかった自分の迂闊さに、ブルーはキュッと唇を噛む。
 やっぱり自分はハーレイが言う通りに子供なのだ。自分の気持ちが最優先で、ハーレイの事情にまで気が回らない。これではハーレイの恋人どころか、足を引っ張ってしまうかも…。
「…ごめん…。学校では気を付ける」
「ははっ、よろしく頼むぞ、ブルー。クビになったらデートどころじゃないからな。俺はお前が大きくなるまで見守りたいし、そのために側に居たいんだからな」
「うん…。分かった、頑張って早く大きくなるよ」
 だからそれまで待っていて…、と縋り付いたブルーをハーレイは優しく抱き締めてくれた。そこから先へは進めないけれど、温かい腕と広い胸の温もりは前世の記憶と変わらない。この幸せな時間が壊れて無くなってしまわないよう、今は我慢をしなければ…。



 ハーレイは日曜日も訪ねて来てくれ、二人で色々と話をした。
 前世のことや、今の地球での生のこと。ブルーの部屋で語り合った後は、両親も一緒にテーブルを囲んで和やかに…。
 両親はブルーにとってハーレイが如何に大切な存在なのかを理解してくれ、いつでも気軽に来てくれるようにとハーレイに向かって頼んでくれた。学校の仕事で忙しいだろうけれど、時間があればブルーを訪ねて欲しいと。
「ハーレイ先生、ブルーをよろしくお願いします。この子は昔から身体が弱くて、休みがちで」
 母の言葉にハーレイが笑顔で応えた。
「ええ、学校では無理をさせないよう気を付けますよ。…ブルー、明日から学校だったな」
「うん。…あの騒ぎで休んじゃってたから…」
「いいか、「ハーレイ先生」だぞ。ハーレイじゃなくて」
 間違えるなよ、と念を押すハーレイにブルーの父も大きく頷く。
「そうだな、ブルー。…前世のお前と今のお前は違うんだ。失礼のないよう、気を付けなさい」
「…うん……」
 分かってるよ、パパ。でも、ぼくがハーレイを「ハーレイ」って呼ぶのは、パパが考えてるのとは違うと思う。キャプテンだから、って言うんじゃなくって、本当は…。
(…でも、パパにもママにも言えないよね…。ハーレイはぼくの恋人だったんだ、なんて)
 そんなことを言おうものなら、両親は腰を抜かすだろう。ハーレイは出入り禁止になってしまうかもしれず、これは両親には絶対に秘密。そして学校でも知られるわけにはいかなくて…。



(…ぼくの人生、秘密ばかりだ…)
 ハーレイが自分の家へと帰った後で、ブルーは自室のベッドに仰向けに転がって天井を見る。
 前世のことは極秘扱い、ハーレイとの仲も隠し通さねばならない秘密。
 けれど、ハーレイと出会えなかったら何ひとつ起こらず、未だ恋すら知らないままで居ただろう。
 ハーレイと再び巡り会えたことが最大の奇跡。
 秘密と我慢だらけの日々でも、いつか大きくなった時には前の生では思いもよらなかった幸せに包まれ、ハーレイとの恋が花開く筈で…。
(…あと少し。あと少しだけ大きくなったら、ハーレイと…)
 その日まで我慢しなければ、とブルーはそっと指先で唇を撫でた。
 今はまだ許して貰えないキス。
 それを交わして、あの強い腕に抱き締められて…。
(早く大きくならなくちゃ。…ハーレイが「駄目だ」と言えなくなるほど…)
 沢山食べるのは苦手だけれども、頑張って多めに食べるようにしよう。
 大きくなって、ハーレイが恋人だと認めてくれる日までは、先生と生徒なのだから。
「…明日から「ハーレイ先生」かぁ…」
 口にすると少しくすぐったい。
 でも、明日からは学校でも会える。好きでたまらないハーレイの姿を見ることが出来る。
(ハーレイ、ううん、ハーレイ先生…。明日からよろしく、ぼくは急いで大きくなるから)
 待っていてね、とブルーは微笑む。
 そう、明日からは先生と生徒。
 いつか秘密にしなくても済む日が来るまで、幸せな我慢と秘密とを抱いて……。




                幸せな秘密・了





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