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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(たまにはコレが美味いんだ)
 うん、とハーレイが大きく頷いたシーザーサラダ。平日の夜に、自分の家のダイニングで。
 たっぷりの新鮮なロメインレタスに、海老や茹で卵なども加えてメインディッシュに。もちろんドレッシングは手作り、クルトンだって。
 パルメザンチーズを振ってから豪快に混ぜた、食べる直前に混ぜるのがシーザーサラダの醍醐味だから。気の利いた店だと、客の目の前で混ぜてサービスするのがシーザーサラダ。
 今日はブルーの家に寄るには遅くて、けれども時間はあったから。
 こんな日にはメニューを考えながらの買い出し、シーザーサラダが食べたくなった。クルトンを作る所から始めて、海老や卵も茹でて入れて…、と。



 パンを小さなサイコロ形に切ってカリッと焼き上げたクルトンは多めに作ったから。ついでだと食パン二枚分をクルトンにしたから、シーザーサラダに沢山入れても…。
(明日の朝にも使えそうだな)
 朝食のスープに浮かべてみるとか、レタスと混ぜてシーザーサラダもどきと洒落込むか。
 これは美味いし、と取り分けたシーザーサラダを頬張る。大きな器に盛ったサラダは、そのまま食べたい気分だけれど。どうせ一人しかいない食卓、食べ切るのだからかまわないけれど。
(…やっぱり行儀というヤツがだな…)
 学生時代に水泳や柔道の先輩たちから叩き込まれた礼儀作法。一人の時でも「いただきます」と合掌するのを忘れないのと同じくらいに、気になる食事のマナーというもの。
 大皿から直接食べるなどは論外、必ず器に取り分けろ、と何度も言われた、先輩たちに。羽目を外していい時だったら一興だけども、普段にやっては絶対駄目だ、と。



 そんなわけだから、適量を取り分けて口に運ぶサラダ。フォークでパクリと。
 思った通りになんとも美味しい、決め手はドレッシングとクルトン。ガーリックを刻んで入れたドレッシングもいいのだけれども、さっき作ったばかりのクルトン。これが無くては決まらない。
 レタスやドレッシングと一緒に味わうカリッとした味、口の中でサクッと砕けるクルトン。
 食べる直前に混ぜるからこそクルトンが生きるシーザーサラダ。出来たての味。
 これがいいんだ、と顔が自然に綻ぶクルトン、ポタージュスープにも浮かべておいた。サラダとスープと、どちらもクルトン。
 明日の朝にも使いたいクルトン、多めに作ったのだから。
 スープか、朝からシーザーサラダか。悪くないな、と眺めた器に盛ったクルトン。



(ガキの頃は嬉しかったんだ)
 クルトンを入れて貰うのが。パンを四角く切って焼いただけなのに、何故だか、これが。
 自分の家でもクルトンが入れば嬉しかったし、たまに連れて行って貰ったレストラン。スープが器に注がれた後に、スプーンで加えてくれるクルトン。
 特に決まりは無かったのだろうか、浮かべてくれる量はまちまちで。多めに入れて貰えた時には心が弾んだ、「今日はクルトンがこんなにある」と。
 クルトンを入れてくれる人を見詰める子供時代の自分の瞳が輝いていたのか、あるいは無意識の内に心が零れて「もっと!」と叫んでいたものか。
 常よりも沢山入れて貰えたことが何度か、それはもう得をした気分。
 大喜びで味わったクルトンたっぷりのスープ、たかがパンをカリッと焼いただけのものなのに。レストランならば幾らでもある、少し固くなったパンを使ったものだったろうに。



 子供だった頃の憧れのクルトン、レストランでスープを飲むならクルトン。
 多いといいなと、沢山入れて貰えるといいなと、何度ウェイターの顔を見上げたことか。多めに入れてくれそうな人か、気前よく入れてくれるだろうかと。
(懐かしいなあ…)
 両親と出掛けたレストランでの、幸せな思い出。スープに浮かべて貰ったクルトン。
 今ではスープも、クルトンも自分で作れるようになってしまって、凝ったシーザーサラダまで。入れ放題になったクルトン、なにしろ自分で作るのだから。沢山作っていいのだから。
(ここはだな…)
 せっかく思い出したからには、やらねばなるまい。
 もう一杯、とポタージュスープをおかわりして来て、クルトンをたっぷり、スプーンで掬って。惜しげもなく入れた、四角く切って焼き上げたパンを。
(よし!)
 ガキの頃の夢だ、と満足感が湧き上がるスープ。ここまでの量のクルトンは入れて貰った覚えが無い。自分の家での食事はともかく、レストランでスープを飲んだ時には。
 もう最高に贅沢な気分、子供時代の自分の夢。熱いスープにクルトンたっぷり、パラリと一匙の量と違ってドッサリと。



 流石にスープよりもクルトンが多くはならないけれど。所詮はスープの浮き身だけれど。
 やっぱり美味いと、シーザーサラダもスープもクルトンがあってこそだと味わっていたら、心をフイと掠めた記憶。
(…待てよ?)
 前にもこうしてクルトンを入れた。器からスプーンで掬って、たっぷり。
 ポタージュスープが入った器に、パラッと飾りに振るのではなくて、もっと多めに。
(…なんたって俺の夢だしな?)
 子供時代の憧れのクルトン。自分で好きに入れられるのだから、きっと前にもやったのだろう。今夜のように子供だった頃の自分がヒョイと顔を出して、クルトンの思い出が蘇ったはずみに。
(スープはしょっちゅう作るしなあ…)
 クルトンだって、と納得しかけて「違う」と気付いた。
 あれは自分の器ではなかった、自分はクルトンを掬って入れていたというだけ。誰かのスープにたっぷりクルトン、子供時代の夢そのままに。
 普通はこれだけの量だけれども、ここは沢山入れなくては、と。



 自分のものではなかったスープと、それにドッサリ加えたクルトン。今の自分のスープと同じ。レストランなどでは貰えない量、こんなには入れて貰えない。
 それを自分が誰かのスープに入れたとなると…。
(俺の家で作ったスープだよな?)
 レストラン勤めの経験は無いし、柔道や水泳の合宿には無いお洒落なクルトン。スープを作ったことはあってもクルトンまでは作ってはいない、見た目よりも量が大切だという場所だったから。クルトンを作る暇があったら、同じパンで一品作って来い、と言われそうな世界だったから。
(…俺の家で作るスープとなったら…)
 教え子たちがやって来る時にも、たまに料理はするけれど。
 ドカンと大皿で出すような料理が定番、それにスープをつけただろうか?
 パエリアなどの類だったら、多分、つけてはいるだろうけれど。ろくに味わいもせずガツガツと平らげる運動部員たちを相手に、洒落たクルトンなどをわざわざサービスしてやるだろうか?



 はて…、と考えたけれど、分からない。
 とはいえ、料理が好きなのが自分。たまに気まぐれでお洒落に演出したかもしれない、こういうスープも作れるんだぞ、と。クルトンも俺が作ったんだ、と。
 ただ、そうやって作ったスープ。それにクルトンを入れてやるなら…。
(公平にだぞ?)
 生徒の扱いは公平にするのが大原則。見込みがあると目を掛けてやっている教え子がいたって、食事の席で贔屓はしない。あくまで平等、スープの量も、それに加えるクルトンも。一人分だけを多くするなど、有り得ない。
 けれども、自分が他の誰かにスープを振舞うとしたなら、それくらい。
 教え子たちを家に招いての食事、他には全く思い付かない。友人たちも招くけれども、そうした時には食事よりも酒、そちらの方がメインになるから。スープにクルトンと洒落ているより、同じパンからカナッペでも作って出した方がよほど喜ばれるから。



 そうなってくると、あの記憶はやはり教え子との食事。ポタージュスープにクルトンたっぷり。生徒を贔屓はしないけれども、そんな教師ではないけれど。
(…クルトン好きのヤツでもいたのか?)
 家を訪ねて来た教え子の中に。手作りのスープを御馳走してやった運動部員たちの団体の中に。
 クルトンを入れに回っていた時、その子に頼まれただろうか。「多めに下さい」と、クルトンが大好物なんです、と。
(それだったら…)
 多分、喜んで入れてやっただろう。おかわりを頼まれるのと変わらないのだし、多めに掬って。
 「もっと入れるか?」などと冗談交じりに、山ほど掬って見せたりして。
 ついでに記憶に残っていそうでもある、それを頼んだ生徒の顔が。
 クルトン好きとは実に面白いと、遠慮しないで頼む所が気に入った、と。



 誰だったのだろう、あの生徒は。クルトンを沢山欲しがった子は。
(…誰だ…?)
 愉快な奴だ、と記憶を手繰るけれども、その子の顔が浮かんで来ない。「多めに下さい」と注文した子が思い出せない、今まで教えた子供たちの顔は一つも忘れていないのに。
 その中にいない、クルトンを多めに入れてやった子。こいつだ、とピンと来ない顔。
 けれども確かにクルトンを入れた、スプーンでドッサリ掬ってやって。
(俺がスープを作ってだな…)
 それに入れた、と思った途端。
 手作りのスープに手作りのクルトン、気前よく振舞ってやったのだった、と思った途端。
(シャングリラか…!)
 この家のことじゃなかったのか、と気が付いた。遠い記憶が蘇って来た。
 前の自分が暮らしていた船、シャングリラ。あの船の中で、前の自分が入れていた。クルトンをスプーンで掬ってたっぷり、ブルーのスープに。
 今の自分の教え子ではなくて、前のブルーのスープのために。



 遠い遠い昔、シャングリラがまだ白い鯨ではなかった頃。
 前の自分もキャプテンではなくて、厨房で料理をしていた頃。あれこれと工夫を凝らして様々な料理を作った、その時々の食材で。
 シャングリラはまだ、自給自足の船になってはいなかったから。前のブルーが人類の輸送船から奪った食料、それを頼りに生きていたから。
 そうは言っても、ブルーの能力は非常に高くて、食材が偏ってジャガイモだらけになったりした時代はほんの初期だけ。「急いで奪って急いで戻れ」とうるさく言われた時期を過ぎたら、楽々と奪いに出掛けたブルー。輸送船の積荷を短時間で見抜いて、食料も物資も充分な量を。



 人類の船から失敬して来た食材で作っていた料理。
 同じ食事なら心が豊かになるものを、とデータベースで色々調べて、ポタージュスープの演出に使えそうだと思ったクルトン。少し固くなったパンも活用できるし、美味そうでもあるし…。
 やってみよう、とパンを小さなサイコロ形に切る所から始めた試作。オーブンを使うほどの量は無いから、とフライパンを用意していたら、厨房を覗きに来たブルー。小さなブルーと似たような姿だったブルーが、刻まれたパンを指差して訊いた。
「何が出来るの?」
 こんなに小さく切ってしまって、何を作るの、このパンで…?
「スープがお洒落に変身するのさ、こいつを作って入れてやればな」
 その筈なんだ、とフライパンでカリッと焼き上げたクルトン。一つ食べてみて、その香ばしさに成功作だと確信したから、試食用にと作ってあったポタージュスープを器に注いで。
 こんな具合に使うもんだ、とクルトンをパラリと入れて見せたら。
「へえ…!」
 スープの真ん中に浮かべるものなんだね。飾りみたいに?
「な、お洒落だろ?」
 ちょっと豪華に見えてこないか、いつものスープと同じヤツでも。
「うん、そうだね!」
 それに食べたらカリッとしていてとても美味しい、と笑顔になったブルー。
 パンが素敵に変身したね、とクルトンをそのままで一つ食べてみて、次はスープに入れてみて。
 「スープに入れるのが断然美味しい」と大喜びで、「もっと沢山入れていい?」と尋ねられた。スープは今の量でいいから、四角いパンをもっと入れてもいいか、と。
「もちろんだ」
 此処で食ってるの、俺とお前しかいないしな?
 試作品だし、好きなだけ食え。お前、あんまり食わないんだから、これくらいはな。
 こいつだって元はパンだし、栄養はちゃんとある筈なんだ。それに立派な名前もあるぞ。由来は知らんがクルトンだそうだ、ポタージュスープにはクルトンだってな。



 どうやらブルーは、クルトンが気に入ったらしいから。
 試作品だったクルトンをせっせと自分のスープに入れては、嬉しそうに口に運んでいたから。
(あいつが喜んで食ってくれるんなら、って思ったんだよなあ…)
 今と同じで食が細かった、前のブルー。おかわりなどはしなかったブルー。
 そのブルーが自分から進んで食べたがったパン、正確にはパンの加工品。パンそのものなら少し食べれば「御馳走様」と言っていたくせに、クルトンは沢山食べてくれたから。スープに浮かべてやった量より、もっと余計に五つ、六つと追加で食べてくれたから…。
(あいつのスープには、沢山入れてやっていたんだ…)
 食堂で皆にポタージュスープを出した日、クルトンを披露して、大評判を取った後。
 船の仲間たちが「あれは美味かった」と、「また作ってくれ」とクルトンの味を覚えた後。
 何度も作ってはポタージュスープに浮かべたクルトン、それをブルーには多めに入れた。食堂の給仕係は他にいたから、クルトンの日だけは「俺がやる」と入れる役目を引き受けて。
 前のブルーの席に行ったら、スプーンで掬ってたっぷりと入れてやったクルトン。他の者よりもずっと多い量を、軽く二倍はあったろう量を。もっと多めの時だってあった。
(嬉しそうな顔して見ていたからなあ…)
 自分のスープにプカプカと浮かんだクルトンを。「もっと貰える?」と声に出しこそしなかったけれど、クルトンを入れる前の自分の手元を、顔を見上げる瞳が輝いていた。宝石のように。
 だから幾つも入れてやったクルトン、贔屓だと言う者はいなかった。
 ブルーのクルトンだけが多かったとしても、クルトンの元はブルーが調達して来た食料だから。それが無ければクルトンは出来ず、ポタージュスープも出来ないのだから。



(そうか、クルトン…)
 前のあいつの思い出だったか、とシーザーサラダを頬張った。これも決め手はクルトンだな、とサクサクと砕ける食感を楽しみ、ポタージュスープにもクルトンを追加。
 白いシャングリラで作ったクルトン、前のブルーにたっぷりと入れてやったクルトン。
 小さなブルーにも、これを食べさせてやりたいけれど。「覚えてるか?」とポタージュスープにクルトンを浮かべてやりたいけれども、手料理を持って行くのは無理で。
 ブルーの母に気を遣わせるから、自分で作って行けはしなくて。
(しかし、クルトンを買って行くのもなあ…)
 いつも行く食料品店の棚にはクルトンも置いてあるけれど。忙しくて作っている暇が無い時は、便利に使える品だけれども。ブルーの母は手作り派だった、よく御馳走になるから分かる。其処へ店で買ったクルトンを持って行くというのも失礼すぎるし…。
(こうなってくると…)
 ブルーの母に頼むしかないか、と腹を括った。
 土曜日が来るまでに通信でも入れて、と。
 小さなブルーと二人で食事が出来るのは週末の昼食だから。そこで思い出のクルトンを山ほど、ブルーのスープに入れて食べさせてやりたいから。



 そう考えていたら、上手い具合に次の日、寄れたブルーの家。
 仕事帰りに訪ねられたから、門扉を開けに出て来てくれたブルーの母に挨拶を済ませ、玄関へと二人で歩く途中に頼んでみた。
「すみません。厚かましいとは思うのですが…。今度の土曜日のことでお願いが…」
 昼御飯にポタージュスープを作って頂けないでしょうか、材料は何でもいいですから。
「えっ?」
 どうしてポタージュスープなのだろう、と驚いているらしいブルーの母。食材を指定すれば少しマシだったろうか、と反省しつつも、二人で入った玄関のスペースで説明をした。
「本当にスープの味は何でもいいんです。…スープよりもクルトンが大切でして…」
 クルトンを入れてあげたいんです、ブルー君に。
 実はシャングリラで私が厨房にいた頃、何度も入れてあげたのだった、と思い出しまして…。
 シャングリラの思い出の味なんです。
 ご無理をお願いして申し訳ありませんが、作って頂けるようでしたら…。
「分かりましたわ、それなら普通のポタージュスープが良さそうですわね」
 ごくごく基本のポタージュスープ。それとも、これだというスープが何かあるんでしょうか?
「いえ、普通ので充分です。こだわりたいのはクルトンですから」
 そして、クルトンは浮かべずに器に入れておいて頂けますか?
 私が掬って入れるというのが、シャングリラの思い出になりますので。
「ええ。別の器にクルトンですのね」
 それなら多めに用意いたしますわ、その方が見栄えも良くなりますし…。
 ブルーがなかなか思い出せなくても、クルトンが無くなりはしないでしょうし。



 快く引き受けてくれたブルーの母。「忘れずに、土曜日のお昼御飯にお出ししますわ」と。
 玄関スペースでそんな遣り取りをしていただけに、少し遅れたブルーの部屋へと移動する時間。
 小さなブルーが「ハーレイ、ママと話してた?」と尋ねるから。
「少しだけな」
 なあに、大したことじゃない。お前の成績のことでもないさ。
 ちょっとした時候の挨拶ってヤツだ、たまにはそういうことも大事だ、いい天気ですねと。
「ふうん…?」
 いいお天気が続いているけど、大人って、ちょっぴり面倒かもね。
 ぼくなんか、友達の家に行っても、「こんにちは」って挨拶してるだけだよ、それで充分。
 …前のぼくだと、「こんにちは」では済まなかったけど…。
「ほらな、そいつと同じだ、同じ」
 大人ってヤツには色々あるんだ、チビと違って。たかが天気の話でもな。
 だから…、と誤魔化しておいたブルーの母との立ち話。
 クルトンのことは話さなかった。もちろんポタージュスープのことも。
 ブルーの母にも「ブルー君を驚かせたいので」と口止めしたから、秘密は漏れはしないだろう。前の自分たちの記憶を呼び戻すクルトンのことは。小さな四角いクルトンの遠い思い出話は。



 そうしてブルーが何も気付かないまま、土曜日が来て。
 クルトンの名前も、ポタージュスープも、まるで関係無いことをブルーと話して、笑い合って。
 やがて迎えた昼食の時間、運ばれて来たポタージュスープ。約束通りに、クルトンを別の小さな器にたっぷりと入れて、スプーンもつけて。
 小さなブルーはニコニコとして、昼食の皿が並んでゆくのを見ていたけれど。野菜のキッシュやパンのお皿が全て揃うのを待っていたけれど、用意が整って母が出て行った後。
 赤い瞳でテーブルの上をまじまじと眺め、困ったように呟いた。
「ママ、忘れたまま行っちゃった…」
 クルトンを入れずに出て行っちゃったよ、ごめんね、ハーレイ。
 お客様に自分で入れさせるなんて、あんまりだから…。ぼくが入れるよ、ママの代わりに。
「いや、お母さんは忘れたんじゃない。俺が頼んだんだ」
 クルトンは別に出して下さいと、この前、俺が来た時にな。
「え? なんでクルトン…」
 どうしてクルトンが別なのがいいの、スープに入れて直ぐのが好きなの?
 キッチンからママが入れて来たんじゃ、湿ってしまって美味しくないとか…?
「おいおい、そういう贅沢を言うと思うか、この俺が?」
 好き嫌いが無いというのも売りだが、今では前の俺の記憶もあるってな。
 グルメなんかを気取ってられるか、キャプテン・ハーレイなんだぞ、俺は。
 クルトンは入れたばかりでないと、なんて食通ぶりを発揮するどころか、すっかり冷めたスープだってだ、「美味しいですね」と言える自信があるんだが?
 その俺だ、前の俺の話だ。
 思い出さんか、このクルトンとポタージュスープを見たら…?



 お前のスープにはクルトン多めだ、とパチンと片目を瞑ってみせた。
 キャプテン・ハーレイの話ではなくて、俺が厨房にいた頃なんだが、と。
「クルトンの時だけは、俺が給仕に回ったんだが…。普段はやってはいなかったけどな、配膳係」
 俺がクルトンの器を持って回って、端から順に入れていくんだ、スプーンでな。
 前のお前の所まで来たら、うんと多めに掬ってやって。
 …そうだな、こんな具合だったな、前のお前のスープにだけは。
 ほら、と掬って入れてやったクルトン。ブルーのスープに、スプーンで掬って。
 小さなブルーは目を丸くしてから、「ああ…!」と顔を輝かせた。
「思い出したよ、ハーレイのクルトン!」
 いつも沢山入れてくれたよ、ぼくのスープに。
 最初は試作品を作っていたよね、厨房でパンを小さく切って。フライパンで焼いて、クルトンが出来て…。スープに入れたのを貰ったんだっけ、ぼくが一番最初に。
 あれからクルトンが食堂に出来て、ハーレイが配って回ってて…。
 ぼくのスープには、いつでも沢山。
 もっと欲しいな、って思った分だけ、いつもドッサリくれていたんだよ、何も言わなくても。
 前のぼくは思念も飛ばしてないのに、ハーレイは分かってくれていたっけ。
 嬉しかったんだ、あのクルトン。
 ぼくだけオマケでうんと沢山貰ったけれども、材料は固くなったパンだったしね。



 他の食べ物と違って遠慮しないでドッサリ貰えた、と小さなブルーは笑顔だから。
 材料が何か分かっていたから、好物を沢山食べられたっけ、と懐かしそうにスープを掬うから。クルトンを食べて、「うん、この味!」と本当に嬉しそうだから…。
「ふうむ…。ガキはクルトンが好きなんだよなあ…」
「え…?」
 ガキってぼくのことなの、ハーレイ?
 それとも、前のぼくのことかな、クルトンを沢山入れて貰って喜んでた頃の。
 ハーレイがキャプテンになった後にはクルトンの係は代わっちゃったし、「もっと入れて」って頼まなかったから…。
 みんなと同じ量のクルトンがあれば充分だったし、前のぼくが今と同じでチビだった頃…?
「そうじゃなくてだ、ガキっていうのは俺のことだ」
 今の俺がガキだった頃に好きだったんだ、このクルトンが。
 レストランで多めに入れて貰えたら嬉しかったし、もっと入れて欲しいと思ってたもんだ。
 そいつを懐かしく思い出してて、スープにクルトンをドカンと入れて…。
 ガキの頃の夢だと、こいつがやりたかったんだ、と食っていたら思い出したんだよなあ、前にもこういうことがあったな、と。
 クルトン多めだとスープに入れたと、あれはいつだったかと考えていて…。
 今の教え子かと思ったんだが、そうじゃなかった。前のお前のスープに入れていたんだ、お前の好物だったからな。入れてやったら嬉しそうだから、山ほど、クルトン。



 ガキはクルトンが好きらしいな、と話してやった自分の子供時代。
 前のお前が好きだったのも、子供だったせいかもしれないな、と言ったのだけれど。
「それ、違うかもしれないよ。…ハーレイ、ぼくのことを覚えていたとか…」
 クルトンが好きだった前のぼくのこと、ハーレイ、覚えていたんじゃないの?
 それで沢山入れて貰うと嬉しかったっていうことはない?
 前のハーレイの記憶は戻ってなくても、クルトンは沢山入れるんだ、って。
「まさか…。いくらなんでも、偶然だろう」
 俺は本当にクルトンが好きで、沢山入れて貰った時には得をした気分で。
 今だってガキの頃の夢だと山ほど食ったぞ、この記憶が戻って来た日の夜に。
 シーザーサラダとポタージュスープで、クルトン、沢山食っていたしな?
 お前もシーザーサラダは知っているだろ、アレはクルトンが無いと全く話にならないだろうが。
 だから関係無いと思うぞ、前の俺の記憶というヤツは。
 前のお前の好物がアレだと覚えていたとは思えないがな、クルトンが多めだったってこと。



 そうは言ったものの、そうかもしれない。
 自分でもまるで気付かない内に、前のブルーの好みを真似していたかもしれない。
 前の自分が愛したブルー。最後まで恋をしていたブルー。
 その恋人が子供の姿をしていた頃に好きだったクルトン、それはこうして食べるものだと。
 ポタージュスープにたっぷりと入れて、カリッとしたのを心ゆくまで。
 多いほどいいと、嬉しいものだと、それを好んだ人の真似をして。無意識の内に恋人を追って。
 前の自分が失くしてしまった愛おしい恋人、その恋人が好んだクルトン。
 それが欲しいと、それが食べたいと、前の自分がヒョッコリ出て来ていたかもしれない。
 なにしろ自分は好き嫌いが無かったのだから。
 クルトンの量など、さほどこだわらなくてもいいのに、何故か多めが良かったクルトン。
 これが好きだと、今日は多めだと嬉しかったのは、きっと…。



 前の自分か、と思い当たった。今頃になって。
 クルトンが沢山入ったスープが好きだった子供時代の自分は、前のブルーを真似ていたのかと。
「そうか、俺は…。知らずにお前の真似をしてたんだな、前のお前の」
 スープにクルトンを入れるんだったら多めでないと、と前のお前を見てたってわけか…。
 前のお前を俺はすっかり忘れていたのに、お前の食べ方、覚えていたのか…。
「きっとそうだよ、ハーレイだもの」
 ぼくにクルトンを多めにくれてた頃から…。ううん、アルタミラで初めて会った時から。
 ハーレイはぼくの特別だったし、ハーレイもそれは同じでしょ?
 だから忘れていなかったんだよ、前のぼくのこと。
 クルトンを沢山入れたスープが好きだったことも、ハーレイが多めに入れてくれたことも。
「そうなんだろうな、俺は忘れていなかったんだな…」
 前のお前がいたってことを。スープに沢山、クルトンを入れてやってたことを。
 …そう言うお前はどうなんだ?
 今もクルトンは多めがいいのか、さっきたっぷり入れてやったが。
「クルトン…。多めがいいな、って思うほど沢山食べられないから…」
 パパやママとレストランで食事をしたって、すぐにお腹が一杯になるし…。
 最初に出て来るスープの時から「多めがいいな」って思ったりはしないよ、クルトンだけでも。
 お料理、全部食べ切れるかな、って心配ばかりで、多めなんかは絶対に無理。
 もっと少ない量でいいのに、って考えながら飲んでるスープに、クルトンは沢山要らないよ。



 小さなブルーに、クルトンは多めがいいと思った記憶は無いと言うから。
 前の自分とは違うようだと首を振り振り、クルトンたっぷりのスープを掬っているから。
「そりゃ残念だな、こうして用意をしてやったのにな?」
 わざわざお前のお母さんに頼んで、前のお前の好物を出して貰ったのに…。
 今のお前はクルトンはどうでも良かったんだな、前と違って…?
「そうみたいだけど…。前のぼくが好きだったことは、すっかり忘れたみたいだけれど…」
 でも、ハーレイが覚えてくれていたなら、充分だよ。
 子供の頃から、ずっと覚えてて、クルトンは多めがいい、って思って食べて…。
 ハーレイのお蔭で思い出せたよ、前のぼくのこと。
 自分でも忘れてしまっていたのに、ハーレイ、覚えていてくれたんだ…。



 凄く嬉しい、とブルーが微笑むから。
 前の記憶が戻る前から真似をしてくれていたなんて、と幸せそうな笑みを浮かべているから。
「明日には忘れちまっているかもしれないんだがな、クルトンのことは」
 たまたま思い出したっていうだけなんだし、いつまで覚えているやらなあ…。
 次にクルトンを食った時には、綺麗サッパリ忘れているってこともあるよな、前の俺のことは。
「うん、ぼくも…」
 ハーレイみたいにクルトンに特別な思い出が無い分、ハーレイよりも早く忘れそう。
 ママが「クルトンの思い出って、なんだったの?」って訊いてくれても、「なんだっけ?」って言ってそうだよ、明日になったら。
 ぼくよりもパパとかママの方がずっと頼りになるかも、クルトンのことは。
 今日の間に訊いてくれたら、二人とも、ちゃんと覚えていそうだから…。
 前のぼくの思い出、今のぼくのと同じくらい大事にしてくれてるから、パパとママは。
 …ぼくが話した思い出は、全部。



 ハーレイと恋人同士だってことは話していないよ、と肩を竦めるブルーだけれど。
 前のブルーの思い出話のクルトンのことを、ブルーの両親が耳にして覚えてくれるかどうかは、まるで予想がつかないけれど。
 もしも、今夜の夕食の席でクルトンの話題が出ずに終わって、ブルーも自分も、それをすっかり忘れたとしても、またいつか思い出すだろう。
 結婚して二人で暮らし始めたら、食卓にクルトンも出るだろうから。
 スープの皿に入れようとして思い出すとか、入れて貰って思い出すだとか。
「クルトンか…。お前と結婚した後に思い出したら、たっぷりと入れてやらんとな」
 今日のスープみたいに、お前の皿に。このくらいだったな、と景気よくな。
「うん、お願い」
 ハーレイが入れてくれるんだったら、沢山が好き。前のぼくと同じで多めのがいいよ。
「よし。ついでにシーザーサラダも作るか」
 クルトンを沢山作るとなったら、シーザーサラダも是非、作らんとな。
「ハーレイ、得意?」
「うむ。シャングリラには無かったような豪華版だぞ、現にこの前のもそうだった」
 海老をドッサリ入れていたんだ、シャングリラに海老はいなかったろうが。
 あれは養殖していなかったし、白い鯨になった後には海老の料理は無理だったってな。
 海老に限らず、シーザーサラダは色々あるしな、美味いのを作って食わせてやるか。



 前の俺には作れなかったヤツを作ってやろう、と約束した。
 ふんだんに手に入る地球の食材、それを使ってうんと豪華に、と。
「きっと美味いぞ、地球の食材は何でも美味いんだからな」
 そいつを沢山使って作れば、もう最高に美味いシーザーサラダの出来上がりだ。
 ポタージュスープもシーザーサラダもクルトンたっぷり、前のお前の大好物を山ほどな。
「いつかやろうね、そういうクルトン一杯の食事」
 ハーレイと二人きりで食べられるんだし、前よりもずっと美味しいよ、きっと。
「だろうな、今度はお前と結婚出来るんだしな」
 俺たちの家で二人で食べよう、クルトンのことを思い出したら。
 前のお前は好きだったよな、と多めにたっぷり入れていたことを今みたいに思い出したらな…。



 今日のクルトンは忘れてしまうかもしれないけれど。
 自分もブルーも、また忘れるかもしれないけれど。
 いつか結婚して二人で暮らし始めたらきっと、忘れてもまた思い出す。
 何度忘れても、また思い出して、クルトンを作って、二人で食べて。
 そしてポタージュスープとシーザーサラダが揃う食卓が、定番になってゆくのだろう。
 何度もクルトンを作っている内に、シャングリラの思い出が刻み込まれて。
 子供時代の自分の中にも、前の自分がいたように。
 クルトンが沢山入ったスープが好きだった人を、無意識に真似ていたように。
 その恋人とまた巡り会って、恋をして、共に生きてゆく。
 今度こそ二人離れることなく、この青い地球で、しっかりと手を繋ぎ合って…。




           クルトンの記憶・了

※前のブルーが大好きだったクルトン。前のハーレイがブルーにだけ多めに配ったもの。
 残念なことに、今のブルーに好みは継がれていませんでしたが…。いつか二人でたっぷりと。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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(んーと…)
 こんなのは貰ったことがない、とブルーが眺めた広告の写真。
 学校から帰って、おやつの時間。ダイニングのテーブルに置かれた新聞、それの広告。リボンで包装されたプレゼント用の箱、それがブルーの目を引いた。
 高価なものやら特別なプレゼントの類ではなくて、ただのお菓子の広告だけれど。様々な種類の菓子と一緒に写っている箱入り、それを引き立てるプレゼント用。
 店のロゴ入りの包装紙で綺麗に包まれ、かけてあるリボン。そのリボンにも店のロゴが刷られているというのがお洒落でいい。同じお菓子でも少し特別、そんな感じがするギフト。
 広告の写真は、きっと中身は空だろうけれど。撮影用の箱で、中にお菓子は無いだろうけれど。



(ハーレイ、お土産はくれるけど…)
 たまに貰える、お菓子や食べ物。「近所の店で売っていたから」と買って来てくれたり、前世の記憶を思い出したから、と引き金になったものを持って来てくれたり。
 お菓子も食べ物も、ハーレイの手作りは決して無いから。「お母さんに気を遣わせるだろ?」と断られるから、どんなものでも「買って来たもの」。何処かの店で。
 この広告の菓子と同じで、プレゼント用にだって出来そうなもの。菓子類は特に。
 けれど、ハーレイがくれるお土産にリボンなんかはかかっていない。せいぜい箱入り、店のロゴつきの紙の箱。包装紙さえも滅多についてはいない。
 こんな風にリボンがかかっていたなら、もうそれだけで特別な気持ちがするのだろうに。
 素敵なものを貰ってしまったと、プレゼントなのだと胸が高鳴るのだろうに。
 たとえ中身がお菓子でも。
 ハーレイと二人で食べてしまったら、半時間もしないで消えるものでも。



 いいな、と広告のお菓子の写真をじっと眺める。けして高くも珍しくもないお菓子。店へ行けば気軽に持ち帰れる菓子、箱入りのだってお小遣いで買える値段の菓子。
 それがリボンと包装紙だけでグンと素敵に見えてくる。プレゼント用だと、特別なのだと。
 もしもハーレイがくれるお土産が、こういう風になっていたなら。包装紙に包まれて、リボンがかかっていたならば。
(…リボンをほどいて、包装紙だって…)
 綺麗に結ばれたリボンを外して、中のお菓子が傾かないよう、注意しながら剥がす包装紙。
 きっとドキドキするに違いない、中身はお菓子だと分かっていても。
 包装紙はともかく、その前にほどく飾りのリボン。ほどいたら元のとおりには結べないリボン、キュッと結んであるリボン。
 それをワクワクほどいてみたい。これをほどいたら何が出てくるかと、プレゼントだからリボンつきだと、心を躍らせながら、そうっと。



 なのに一度も貰ってはいない、リボンがかかったお菓子の箱。いつも紙箱、包装紙も無し。
(ちょっと包んで来て貰えばいいのに…)
 そういう気持ちが湧き上がってくる、この広告を眺めていたら。とても目を引くお菓子の広告、リボンつきの箱が無ければ「ふうん?」と見ただけで終わりだろうに。お菓子なんだな、と。
 そういう計算も含めて載せてあるのだろう、リボンつきの箱が。華やかに演出するために。
(こんなの、欲しいな…)
 同じお土産なら、ギフト用。贈り物です、と一目で分かるプレゼント用に包装されたもの。
 ハーレイに是非とも持って来て欲しい、こういった感じになっているものを。
 よく貰う食料品店の特設売り場に来ている店では、そこまでのサービスはしていなかもしれないけれど。店のロゴ入りの箱が限界なのかもしれないけれども、一つだけ望みがありそうなもの。
 たまに貰える、ハーレイの家の近所で売られているクッキー。柔道部員の御用達らしい徳用袋が目玉商品、とても美味しいクッキーの店。
 あそこだったら、クッキーの専門店だから。詰め合わせの箱も色々あると聞いているから、店の包装紙も置いているだろう。もしかしたらロゴ入りのリボンだって。
 この家の近くのケーキの店でも、「リボンをおかけしましょうか?」と訊かれたりする。ほんの小さな箱を買っても、自宅用とは限らないから。
(リボンがつくだけで、うんと特別な感じになるんだけどな…)
 赤いリボンでも、ピンク色でも。
 凝ったリボンでなかったとしても、店のロゴなど無かったとしても。



 おやつを食べ終えて、二階の自分の部屋に戻って。
 勉強机の前に座っても、心から消えてくれないリボン。さっき見た広告のリボンつきの箱。
 本当に素敵に思えたから。中身のお菓子の方はともかく、あのリボンをほどいてみたい気がしてたまらないから。
(リボンつきの箱…)
 一度でいいから貰ってみたい。そういった箱をハーレイから。リボンをほどいて開ける何かを。
 いずれやって来る、誕生日になら貰えそうではあるけれど。
 ハーレイの誕生日に二人でお金を出し合って買った羽根ペンの箱がそうだったように、リボンがかかった何かを貰えるとは思うけれども。
(予行演習…)
 一足お先に味わってみたい、ドキドキな気持ちを少し先取り。
 ちょっと特別な気がするプレゼント。ただのお土産でも、リボンをほどいて、包装紙をそうっと剥がして開けて。
 そんなお土産を持って来て欲しい、贅沢を言いはしないから。
 凝ったリボンをかけて欲しいとか、店のロゴつきのお洒落なリボンにしてくれだとか。



(リボンつきのお土産、頼めないかな…)
 柔道部員御用達の店のクッキーでいいから、と考えていたら、チャイムの音。窓に駆け寄ったらハーレイの姿、門扉の向こうで手を振るハーレイ。
 応えて大きく手を振り返しながら、これはチャンスだと嬉しくなった。リボンがかかった何かを頼むには絶好のチャンス、上手くいったら週末に何か貰えるだろうと。
 だから部屋に来たハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合うなり、こう切り出した。紅茶もお菓子もそこそこにして、早速、自分の頼み事を。
「あのね、ハーレイ。リボンをつけて欲しいんだけど…」
 お願い、とペコリと頭を下げたら。
「はあ? …リボンをか?」
 お前の髪にか、と呆れたハーレイ。鳶色の瞳が真ん丸になった。
 「お前、そういう趣味だったのか」と、ポカンとした顔、唖然としているらしい、その表情。
 ハーレイは勝手に勘違いをした、頭を振り振り、ブルーを見ながら呟いた。
「俺の嫁さんになるとは聞いていたがだ、リボンとはなあ…」
 そこまでだとは思いもしなかったぞ、俺も。
 まあ、似合わないこともないだろうしな、リボンも悪くはないんだが…。
 結婚式には頭に花も飾るんだろうが、今からリボンとは恐れ入ったな、つけたいとはな。
「違うよ、ぼくにリボンじゃなくて!」
 つけてくれとは言っていないよ、ぼくの頭には!
 髪飾りのリボンが欲しいんじゃないよ、つけて欲しいだなんて頼んでいないよ…!



 髪につけるリボンじゃなくって、プレゼントにリボン、と強請ってみた。
 いつも貰うお土産にリボンはついていないから、それにリボンが欲しいんだけど、と。
「俺の土産なあ…。そりゃまあ、特設売り場で買ってくるのは本物の店のヤツではあるが…」
 あちこちの有名な店がやっては来るがだ、あそこに店を構えてるわけではないからな?
 一週間ほど来るだけなんだし、そんな所で贈り物用にと買うヤツは多分、少ないだろうし…。
 包装紙はあってもリボンまで持っては来ないだろうなあ、出番が無いしな?
「やっぱり…。でも、クッキーのお店はハーレイの家の近くにあるんでしょ?」
 徳用袋のクッキーのお店、クッキーの専門店だよね?
「ああ、あそこか。…あの店だったら本物だな、うん」
 店でクッキーを焼いてるんだし、昔からあそこにある店だしな。
 分かった、あそこのリボンつきのが欲しい、と。
 次に買って来ることがあったら、そいつにすればいいってことだな。



 クッキーを詰めた袋にリボンを結んだヤツがあるから、それでいいかと訊かれたから。
 袋の口を縛って、リボン。金色のリボンがお洒落なんだぞ、と真顔だから。
「そうじゃなくって、包装紙とリボン!」
 くっついてます、っていうんじゃなくって、ちゃんと結んで欲しいんだよ、リボン!
 詰め合わせの小さな箱でいいから、包んで貰ってリボンをつけて貰ってよ!
 リボンの色はなんでもいいから、金色じゃなくって赤でもピンクでもかまわないから!
「包んで貰って、おまけにリボンって…。いつもの店のクッキーだぞ?」
 おまけに小さな箱でもいいって、なんでそこまでしなくちゃならん。
 クッキーは美味けりゃ充分だろうが、そうでなくても、お前の気に入り、徳用袋だと思ったが?
 デカすぎて食うのに苦労するくせに、俺が柔道部のガキどもに御馳走してるってだけで。
 同じクッキーが食べたいから、って何度も強請った筈だがな、あれを?
 徳用袋にリボンはつかんぞ、それじゃ徳用じゃなくなっちまう。
「分かってるけど、欲しいんだよ! リボンつきのが!」
 ちゃんと包んでリボンもかけてあるのが欲しいよ、徳用袋じゃないクッキーが!
 お店で一番小さい箱でも、そうしてあったら特別って感じがするじゃない!
 ちょっとリボンがかけてあったら、プレゼント用です、って一目で分かるんだから!



 箱にかかったリボンをほどいてみたいのだ、と訴えた。
 リボンをほどいて、それから剥がす包装紙。中から出てくるプレゼント。
 広告の写真が素敵だったと、ただのお菓子の箱だったけれど、とても特別に見えたのだと。
「ああいう箱を開けてみたいよ、リボンがきちんと結んである箱」
 ハーレイからお土産に貰ってみたいよ、ホントに小さなクッキーの箱でかまわないから。
 貰ったんだ、って嬉しくなれるし、リボンをほどいてドキドキ出来るし…。
「ふうむ…。お前の気持ちは分からんでもない、確かにリボンは特別ではある」
 ちょっと結んであっただけでだ、グンと中身が引き立つもんだ。何が入っているか分かっている箱でも、開ける時にワクワクするというのは認めよう。
 お前が欲しがる気持ちは分かるが、お前への土産というのはなあ…。
 俺が土産を提げて来たなら、お母さんだって見るんだしな?
 いつも「買って来ました」と言ってるわけだし、その箱にリボンというのはマズイ。
 中身は大したヤツじゃないです、と説明したって、リボンのせいで立派に見えちまうからな。



 普段の土産にリボンはちょっと…、と渋られた。
 お母さんに気を遣わせてしまうだろうが、と。
「わざわざリボンをかけて来たんだ、特別なものだと思われちまう。御褒美だとかな」
 そうなったら、ただの土産じゃない。それは立派なプレゼントだ。
 お母さんは「何かお返しをしなくては」と思うだろうし、実際、世の中、そうしたもんだ。何か貰ったら、お返しをする。お裾分けでもそうだろうが?
 貰って直ぐに、というわけじゃないが、何かの時に「先日はどうも」と御礼に何か。
 貰いっ放しでかまわないのは、ごくごく親しい間柄ってヤツで…。
 俺とお前は親しいわけだが、お母さんたちにとっては「お世話になってる先生」なんだぞ?
 その俺がお前に特別な何かを持って来たなら、お返しは当然、来るんだろうなあ…。
 どんな形になるかは知らんが、たかが土産の御礼にしては凄すぎるのがな。



「それじゃ、リボンつきの何かをハーレイから貰うっていうのは…」
 駄目だって言うの、ママを困らせてしまうから?
 小さなクッキーの箱でも駄目なの、特別に見えてしまうから…。
「そういうことだな、お前が自分で言ったんだろうが、リボンがついたら特別だと」
 誰が見たって同じってことだ、同じものでもリボンで特別になっちまうんだ。
 「中身はいつものクッキーなんです」と説明しようが、リボンつきで持って来た理由。そいつが何か特別なんだ、と考えるのが普通だろうな。
 お前のお母さんは、お前が俺に褒められるようなことをしたとか、そういう風に思うだろうさ。
 そして御礼をする方向へと行っちまうんだな、俺にそういうつもりが無くても。
「…じゃあ、リボンは…」
 ハーレイ、リボンはくれないっていうの、リボンつきの箱。あれが欲しいのに…。
 ホントにクッキーの箱でいいのに…。
「お前の誕生日プレゼントとなったら、リボンをつけてやってもいいが」
 いや、むしろリボンをつけて当然なのが誕生日なんだし、きちんとリボンをつけて貰うが?
 もちろん包装紙で包んで貰って、「誕生日用です」と立派なリボンを。
「誕生日って…。それまで駄目なの?」
 ちょっとしたお土産にリボンでいいのに、誕生日まではリボンは駄目…?
「まず無理だな」
 理由は説明してやったろうが。
 お前が一人暮らしをしているならともかく、お母さんたちと一緒に暮らしている子供だぞ?
 そこへリボンつきの土産なんかを持って来てみろ、もう間違いなくお返しが来るコースだな。
 俺の帰り際に「どうぞ」と何かを渡されちまうんだ、お母さんから。



 そうなることが分かっているから、リボンがかかった土産はちょっと…、と断られてしまった。
 リボンがついたものは駄目だと、髪にリボンを飾りたいのなら手伝ってやるが、と。
「お前が自分じゃ上手く飾れない、と言うんだったら俺がつけてやろう」
 この辺りがいい、と言われた辺りに結んでやるとか、くっつけるだとか。
 だが、そのリボンも俺はプレゼントしたりはしないからな?
 欲しけりゃ自分で買って来るんだな、結ぶリボンにしても、髪飾りになってるリボンにしても。
「…なんで?」
 ぼくにリボンをくっつけるんなら、ハーレイが買ってくれても良さそうなのに…。
 お菓子と違って小さいから鞄に入ってしまうし、ママだって気が付かないし。
 貰ったんだよ、って得意で見せに行かない限りは、リボン、バレないと思うけど…。
「俺がプレゼントしたんだ、ってことはバレずに済むかもしれないが…」
 お前が引き出しに隠し持ってりゃ、まるでバレないかもしれないんだが…。
 バレても、俺の悪ふざけってことで済まされそうだが、問題は俺の気持ちってヤツだ。
 リボンだの、リボンの髪飾りだの。
 そんなものをお前に贈れはしないな、間違えてもな。



 土産の菓子にリボンをつけて持ってくるより難しいんだ、と苦笑いされた。
 髪の毛につけるリボンはアクセサリーだぞ、と。
「アクセサリーって…。それも駄目なの?」
 リボンのついたお土産よりも難しいだなんて、どうしてなの?
 ママに見付かるわけじゃないんだし、お土産よりも簡単そうに思えるんだけど…。
「駄目だな、アクセサリーってヤツは女性に贈る定番だからな」
 男が意中の女性に何かをプレゼントするなら、かなりの確率でアクセサリーだぞ。小さい上に、それをつけてデートに来て貰えたりしたら嬉しいしな?
 お前は女性ってわけではないがだ、俺の嫁さんになるんだろうが。
 今からアクセサリーなんかを贈ってどうする、気が早いにも程があるってもんだ。
 髪にリボンを飾りたいなら、自分で買え。
 つけるくらいは手伝ってやるから、結ぶリボンでも、リボンを使った髪飾りでもな。
「その趣味は無いよ!」
 結婚式の時にリボンの飾りが似合いそう、っていうんだったらつけるけど…。
 つけてもいいけど、普段からリボンをつけたりしないよ、男なんだし!
 スカートを履いたりしないのと同じで、リボンだってつけたりしないんだから!



 髪にリボンや、リボンの髪飾りは御免だけれど。
 ハーレイがつけてくれると言っても要らないけれども、リボンは欲しい。包装紙に包まれた箱にかけられたリボン、そういうリボンは欲しいから。
「…リボンつきの何か…。誕生日にはくれるんだよね?」
 ちゃんとリボンがかかっている箱、プレゼントしてくれるんだよね…?
「お前が欲しいと言うのならな」
 リボンの他にもラッピングってヤツは色々あるがだ、お前はリボンがいいんだな?
 凝った包装紙で包んであるとか、凝った箱入りとか、そういうのよりもリボンがいい、と。
「絶対、リボン!」
 箱とか包装紙が凝っていたって、リボンが無ければつまらないよ!
 開ける時のドキドキは、多分、リボンが一番だもの…!
 普段からリボンつきのを貰っているなら、違うのがいいって思うかもだけど…。
 ぼくは一度も貰っていないし、リボンつきのが欲しいんだよ!
 リボンをほどく時のドキドキ、それが欲しくてリボンだって言っているんだから…!



 そう叫んでから気が付いた。
 リボンをほどいて開けるもの。キュッと結ばれたリボンをほどいて、中の何かを取り出すもの。
 今の自分も一度も貰っていないけれども、前の自分も貰っていない、と。
 三百年以上も生きていたのに、ハーレイと共に暮らしていたのに、ただの一度も。あの白い船でそれを貰いはしなかった。リボンのかかった贈り物を。
「…ハーレイ、リボンの話だけれど…。ぼくも貰っていないけど…」
 前のぼくも一度も貰っていないよ、リボンのかかったプレゼントは何も。
 ハーレイから一度も貰わなかったよ、ずうっと一緒の船にいたのに。恋人同士だったのに…。
「…そういえば…」
 俺にも全く記憶が無いなあ、前のお前にリボンつきの何かを渡した記憶。
 お前が言うまで綺麗サッパリ忘れちまってたが、いつもリボンは無しだったよなあ…。



 白いシャングリラで暮らしていた頃、ハーレイと恋人同士だった頃。
 毎晩のように一緒に眠って、今よりも距離が近かったのに。本物の恋人同士だったというのに、リボンどころかプレゼント自体を殆ど貰っていなかった。
 自給自足の船の中では、今のように気軽に買いに行けるわけではなかったから。どんな物資も、船の中だけで賄うもの。目新しい何かがあるわけでもなくて、珍しいものもあるわけがなくて。
 前のハーレイから貰ったものと言ったら、木彫りのスプーンくらいなもの。木彫りが趣味だったハーレイの最初の作品、下手だと評判だった腕前にしてはマシな部類だった実用品。
 それをプレゼントされたけれども、リボンはかかっていなかった。箱もついてはいなかった。
 「こういうのを作ってみたのですが」と渡されただけ。
 「よろしかったらお使い下さい」と、「木はしっかりと乾いていますから、丈夫ですよ」と。
 青の間で愛用していたけれど、木の温もりが優しいスプーンだったけども。
 ハーレイに貰った、と顔が綻ぶスプーンだったけれど、無かった箱。ほどかなかったリボン。
 せっかくのプレゼントだったのに。
 買ったものではなくて手作り、最高の贈り物だったのに…。
 他にも何か貰っていただろうけれど、リボンの記憶は一つも無いから。ドキドキしながら開けた記憶は何処にも無いから、ハーレイも「いつもリボンは無しだった」などと言っているから…。



「…どうしてリボンをかけてくれなかったの?」
 今のハーレイなら仕方ないけど、前のハーレイなら出来たのに…。
 ぼくの所にプレゼントを持って来たって、誰も見る人はいなかったんだし…。前のぼくが一人で開けるだけなのに、どうしてリボンは無しだったの…?
 ハーレイが作ったスプーンだってリボンも箱も無しだったよ。今のハーレイがくれるんだったら箱もリボンもつきそうなのに…。
 「俺が作ったスプーンなんだぞ」って、わざわざ何処かで包んで貰って来そうなのに。もちろんリボンもつけて貰って、綺麗な箱まで買って来ちゃって。
「…すまん、そういう発想が無かった」
 今の俺なら、お前が言った通りに得意満面で包んで貰ってくるんだろうが…。
 その手の店も色々あるしな、アレにピッタリの箱を選んで貰って、似合いの紙とリボンを使って綺麗に包んで貰うんだろうが…。
 前の俺には、贈り物にはリボンだという考えが全く無かったんだ。
 渡せばそれで充分だろうと、心はきちんと伝わる筈だと思っていたのが前の俺だな。贈り物には心がこもるし、ちゃんと分かって貰えるってな。
 それに、だ…。



 シャングリラにリボンは殆ど無かっただろう、と言われてみればその通りだった。
 自給自足の船の中では店などは無いし、包装紙もリボンも出番が無い。使うべき場所が何処にも無ければ、包装紙もリボンも根付かない。
 まるで無かったというわけではないけれど。包装紙もリボンもあったけれども。
 それらが登場する時といえば、クリスマスに子供たちが貰ったプレゼントだとか、そんな程度の船だった。白いシャングリラの日常の光景にリボンは無かった、包装紙だって。
「そっか、前のぼくたちには誕生日なんかは無かったから…」
 アルテメシアで保護した子たちは、誕生日を覚えていたけれど…。
 前のぼくたちには無かったっけね、自分が生まれた日がいつだったのかという記憶。
「そうだな、特別なプレゼントを贈るための日が無かったからなあ…」
 誕生日があれば、違ったのかもしれないが。
 そんな日くらいは、と誰もが色々工夫を凝らして、プレゼントを贈り合ったんだろうが…。
 覚えていない日は祝いようも無いし、仮に覚えていたとしたって。
 あの船にいた頃の俺たちにすれば、誕生日が地獄の始まりだったからな。
 成人検査を受けさせられてミュウになっちまって、後は実験動物の日々だ。祝おうって気分にはなれなかったろうさ、とてもじゃないが。
 育ててくれた親の記憶は失くしちまって悲しかったが、誕生日にこだわりは無かったからな。



 自給自足で生きてゆく船では、大人同士のクリスマスプレゼントの交換なども無かった。無駄に物資を消費するより、残しておこうという堅実な世界。特に必要も無いのだから、と。
 恋人同士で贈り合っていた者たちにしたって、プレゼントは至ってささやかなもの。船の中では豪華なものなど手に入らないし、手作りの品とか、とっておきの菓子をプレゼントだとか。
 そんな船ではあったけれども、恋人同士の贈り物ならば…。
「ねえ、ハーレイ。…シャングリラでリボンの出番は殆ど無かったけれど…」
 だけど、恋人同士でプレゼントし合ってた人のにはきっと、リボンはかかっていたと思うよ。
 リボンを貰いに行っちゃ駄目だ、って決まりは何処にも無かったんだから。
 係の人に「欲しいんですが」って言えば誰でも貰えた筈だよ、使う分だけ、好きなリボンを。
「そうだろうなあ…。俺は現場を見てはいないが…」
 俺が備品倉庫の管理をしていた頃には、リボンをくれって言って来たヤツはいなかったし…。
 あの頃に何人も来ていたんなら、俺だって「贈り物にはリボンなんだな」と気付いたろうが…。
 すまない、俺が悪かった。
 前のお前にリボンつきのプレゼントってヤツを、一度も贈らなかっただなんてな。
「ううん、前のぼくだって気付いていなかったんだし…」
 リボンをつけて、って頼んでないから、前のぼくにも責任はあるよ、お互い様だよ。
 プレゼントを貰うならリボンなんだ、って思っていたなら、「贈り直して」って頼んでいたよ。
 前のハーレイの手作りのスプーンも、他に貰っていたものも。
 リボンつきの方がずっといいから、リボンをつけて贈り直して、って。



 でも…、とますます欲しくなってしまった、リボンがついたプレゼント。
 前の自分も一度も貰っていないとなったら、貰わずにいられるわけがない。中身は何かと、胸を躍らせてリボンをほどく贈り物。お土産にリボンは駄目だと断られてしまったからには、誕生日。
 その時はきっと、と欲が出る。
 誕生日用のプレゼントだったら、リボンはつきものなのだから。凝った包装紙や凝った箱より、断然、リボン。それが欲しいと、ワクワクしながら結ばれたリボンをほどいてみたいと。
「約束だよ? ぼくの誕生日プレゼントにはリボンをつけてね」
 プレゼントは何でもかまわないけど、リボンをつけるのを忘れないでよ?
 それが大切なんだから。ぼくはリボンをほどきたいんだから。
 ハーレイから貰う、リボンつきの最初のプレゼント。ドキドキしながら開けてみたいんだから、忘れずにリボン…!
「分かった、リボンは絶対なんだな」
 そいつを忘れたら、贈り直せと言われるんだな、チビのお前に?
 前のお前でもそう言っただろう、と言ったからには、今のお前だって。
「うん。これは違うよ、って開ける前に言うよ」
 リボンがついていないじゃない、って箱を睨んで、ハーレイの顔も睨んじゃうからね。
「…贈り直しをさせられる上に、睨まれるのか…。忘れないように気を付けておくが…」
 忘れちゃならん、と肝に銘じておくってヤツだが、どうなることやら…。
 まあ、プレゼントの基本だしなあ、忘れないとは思うんだが。
 ついでに、恋人同士でリボンつきのプレゼントを贈るということになると…。
 チビのお前の間は無理だが、堂々とお前にそいつを贈れる時となったら…。



 婚約の時か、と片目を瞑られたから。
「え?」
 なんで婚約でリボンつきなの、そういうプレゼントがくっついてくるの?
 プロポーズしてくれるっていうだけじゃないの、ぼくが「うん」って答えるだけで…?
「指輪だ、指輪。…プロポーズの時にはつきものだろうが、婚約指輪」
 婚約指輪を贈る時こそリボンだな、と頷くハーレイ。
 指輪が入った小さな箱に、キュッと結んであるリボン。とても絵になる光景だぞ、と。
 箱の中身は何にしようかと、どんな指輪を贈ろうかと。
「指輪…?」
 婚約指輪って、結婚指輪の他にも指輪?
「うむ。お前は男だし、結婚指輪だけでいいかと思っていたが…」
 俺と揃いの指輪があったら充分だろうと思ってたんだが、リボンとくれば婚約指輪だ。あれこそ最高のリボンつきのプレゼントってヤツだ、恋人に贈るとなったらな。
 前の俺がお前に贈り損なったリボンつきのプレゼントの分まで含めて、そいつがいいだろ?
 どういう指輪が欲しいんだ、お前。
 俺が選んで買ってもいいんだが、二人で選びに行くのもいいよな。
「指輪なんかは要らないから…!」
 婚約指輪なんかは欲しいと思っていないよ、そんなの頭に無かったよ…!
 結婚指輪は嵌めたいけれども、婚約指輪は要らないってば…!



 左手の薬指に嵌める指輪は結婚指輪だけで充分、ハーレイとお揃いの指輪で充分。
 もしもシャングリラ・リングがあったら、抽選で当たる白いシャングリラの金属で出来た指輪が当たれば、もう最高の結婚指輪。
 シャングリラ・リングが当たらなくても、ハーレイとお揃いの指輪があったら言うことはない。他に指輪は何も要らない、ただの一つも。
 そう答えたら。結婚指輪があれば充分だと微笑んだら…。
「なるほどなあ…。婚約指輪は要らない、と」
 一世一代のリボンつきのプレゼントってヤツは贈れないのか、指輪入りの箱。
 贈ろうとも思っていなかったんだが、断られちまうと少し寂しい気もしてくるな。プロポーズの時にリボンつきの指輪の箱を贈って、感激するお前を見たかったんだが…。
 残念だ、とハーレイがボソリと零したから。鳶色の瞳は、本当に残念そうだから。
「それじゃ、指輪の代わりに何か!」
 リボンつきのを何かちょうだい、婚約の時に。
「何かって…。何をだ?」
 婚約指輪の他に何があるんだ、プロポーズの時に渡して絵になるもの。リボンつきの箱で。
「分からないけど、特別なもの!」
 リボンをほどいて、ドキドキしながら開けられるもの。
 ハーレイからこれを貰ったんだよ、ってワクワクしながらリボンをほどいて取り出せるもの。



 婚約記念にピッタリのもので、リボンつきの箱に入った何かをくれる? と首を傾げたら。
 そういうのがあれば嬉しいんだけど、と恋人の顔を見詰めたら。
「さてなあ…。指輪が駄目なら何があるやら…」
 こう、格好良く取り出して渡せそうなもの。
 リボンが似合いで、婚約指輪にも負けていないほど、絵になりそうなプレゼントなあ…。
 まるでサッパリ思い付かんが、お前が欲しいと言うんだったら、考えておくか。
 婚約までに時間はたっぷりとあるし、いいものが見付かるかもしれん。
 だがなあ、あまり期待はするなよ?
 定番は婚約指輪なんだし、それと張り合えるほどに素晴らしい物を思い付くとは限らんからな。



 期待するな、とは言われたけれども、考えてはくれるらしいから。
 プロポーズされる日は、まだまだ先になるだろうから。
 もしもハーレイがいいアイデアを思い付いたら、貰えるかもしれない特別なリボンつきの箱。
 婚約記念の何かが入った、ハーレイからの一世一代のプレゼント。
 だからリボンがついたプレゼントは、楽しみに取っておくことにしよう。
 我儘を言って強請っていないで、それを貰える時が来るまで。
 誕生日にはきっと貰えるだろうし、もしかしたらプロポーズされた時にも。
(前のぼくだって一度も貰っていないし…)
 リボンをほどいて開けるプレゼントは、今度が初めてなのだから。
 欲張らずに待とう、それを開けるのに相応しい時を。
 きっとその方が値打ちがあるから、ドキドキする気持ちも、幸せも大きくなるだろうから。



 最初に貰えるリボンつきのプレゼントは誕生日。
 そして、それからは幾つも幾つも、リボンつきのプレゼントを貰ってゆける。
 結婚する前も、結婚した後も。
 ハーレイに貰った箱のリボンを、ワクワクしながらほどいてゆける。
 幸せが詰まっているだろう箱。
 それのリボンを、鳶色の瞳に見守られながら、胸を高鳴らせてほどいて、開けて。
 きっとハーレイにキスをしたくなる、御礼のキスを贈りたくなる。
 幾つも、幾つもキスを交わそう、青い地球の上で、幸せの色をしたリボンをほどいて。
 幸せが入った箱のリボンをほどいて、ハーレイと二人、何処までも幸せに歩いてゆこう。
 今度はリボンをほどけるから。
 リボンがキュッと結ばれた箱を、プレゼントに贈って貰えるのだから…。




          リボンつきの箱・了

※前のブルーも貰っていないのが、リボンがかかった箱に入った贈り物。ただの一度も。
 けれど今度は、それを幾つも貰えるのです。婚約の時も、もしかしたら素敵な贈り物が…?
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









(ふうむ…)
 珍しいな、とハーレイが覗き込んだショーケース。
 いつもの食料品店に設けられている特設売り場、ブルーの家には寄れなかった金曜日。こういう日には買い出しなんだ、と店に入って来たけれど。そこで出会った菓子を並べたショーケース。
 何の気なしに「ケーキの店だな」とザッと眺めたその中にあった、様々なベリーで飾られた白い菓子。最初は普通のケーキと間違えかけた菓子だけども。
 その菓子の前にだけ、特に目立つ札。商品名が大きく書かれた札。「パブロワ」の名が。
 パブロワといえば、焼き上げたメレンゲに生クリームとベリーを乗せたもの。ケーキさながらに大きく焼いたメレンゲを使うものやら、一人前の量に丁度いいサイズに作るものやら。
(どっちにしたって、メレンゲだからな…)
 卵白と砂糖で出来たメレンゲ、生クリームとベリーを乗せたら、時間が経つほど湿るもの。形はさほど崩れなくても、失われてしまうサクッとした食感。
 つまり日持ちがしない菓子だから、作ったその日に食べてしまわないと美味しくないから、店に並ぶことは殆ど無い。ベリーの季節ならばともかく、今の時期は特に。



 ところがバッタリ出会ったパブロワ、それも一人用のサイズに作られたもの。小さめのカップを思わせる形、真っ白なメレンゲで焼かれたカップ。生クリームとベリーが詰まったメレンゲ。
 これならデザートにピッタリだから。夕食の後にコーヒーを淹れて…。
(久しぶりに…)
 食べてみよう、と店員に「一つ」と頼んで買った。滅多に出会えはしない菓子だし、見た目にも美味しそうだから。
 特設売り場は日曜日までで、明日来ても確実に買えるパブロワ。期待通りの出来だったならば、明日はブルーへの土産に買って持ってゆこうと。
 小さなブルーは何か貰うと、それは幸せそうな顔をするから。
 食べれば消えてしまうものでも、「お土産なの?」と本当に嬉しそうだから。
(…いつかは食べ物じゃないプレゼントも持って行きたいもんだが…)
 今は出来ない、ブルーは子供で、まだ幼くて。
 前世の記憶を持ってはいても、キスさえ出来ない十四歳にしかならない子供。恋人への贈り物は持ってゆけない、色々とマズイことになるから。
 ブルーの両親さえも知らない、誰にも秘密の恋人同士。この辺りは前の自分たちの恋と似ているけれど。隠さねばならない恋なのだけれど。
(今度は結婚出来るんだからな?)
 そこが違う、と頷いた。いずれは明かせる、祝福されて結婚出来る。隠すことなく、堂々と。
 プレゼントも贈れる、幾つも、幾つも。
 それまでは食べ物で我慢して貰おう、小さなブルーへの贈り物は。家に届けてやる土産物は。



 特設売り場のパブロワの他にも、あれやこれやと買って帰った食料品。仕分けが済んだら夕食の支度、料理をするのは好きだから。手際よく作って満足の食卓、一人暮らしでも豊かな彩り。
 「御馳走様」と合掌した後はキッチンで片付け、ついでに熱いコーヒーも淹れた。愛用の大きなマグカップ。それにたっぷり、例のパブロワも紙箱から出してケーキ用の皿に。
 何処で食べるか少し思案して、書斎へと。懐かしい菓子には似合いの部屋だから。本棚に並んだ本と同じで、パブロワにも思い出が詰まっているから。



 机の前に座って、まずはコーヒー。淹れたての味と香りを一口、それからパブロワ。
(こいつは、行儀よく食うのも美味いんだが…)
 綺麗な形が崩れないよう、端の方からフォークで切っては口に運ぶのもいいのだけれど。それが本来の食べ方だけれど、こうして書斎に持って来た菓子。
 俺は断然、こっちだな、とザックザックと崩していった。カップのように焼かれたメレンゲを。フォークを手にしてザックザックと、メレンゲとベリーと生クリームが混ざるように。
 もう原型は無いけれど。すっかり崩れてグシャグシャだけれど。
(パブロワは、これに限るってな!)
 混沌とした皿の上のパブロワをフォークで掬って、一口食べて。頬が緩んだ、その味わいに。
 崩れたメレンゲと、それに絡んだ生クリームと、ベリーの味と。絶妙に絡み合ったそれ。上品に端から食べていっても、決してこうはならないパブロワ。
 学生時代に教えて貰った、柔道や水泳の先輩たちに。「パブロワはこう食べるべきだ」と。
 運動部員ならイートン・メスだと、この食べ方が相応しいのだと。



 遠い遥かな昔の地球。SD体制が始まるよりも遠い遠い昔、イギリスと呼ばれていた島国。
 その国にあったメレンゲの菓子がイートン・メス。伝統ある名門、イートン校の名がつけられた菓子。それの由来はパブロワだったと教わった。先輩たちから、誇らしげに。
 イートン校のクリケット試合で供されたパブロワ、それを生徒たちがグシャグシャに崩したのが始まりなのだと、実に由緒ある食べ方なのだ、と。
 だから運動をやる者だったら、パブロワを食べるならイートン・メス。
 こうして崩せと、豪快にやれと、行儀よく端から食べてゆくなど論外だぞ、と。
 ベリーの季節に習った食べ方、「こうやって食え」とパブロワを崩した先輩たち。それは驚いたものだけれども、恐る恐る食べたら違う意味でもっと驚かされた。
 なんと美味しい食べ方だろうと、崩すだけでこうも違うのかと。それに…。



(イートン・メスってヤツはだな…)
 別のものだと思っていた。そういう名前の菓子があるから、パブロワとはまるで違うから。
 新鮮なベリーが出回る季節に母が作っていたイートン・メス。ガラスの器に盛られたデザート。指でヒョイとつまめるサイズに焼かれた小さなメレンゲ、それとベリーと生クリーム。順に入れて重ねて、それの繰り返し。
 メレンゲとベリー、ふわりとホイップされた生クリーム、重なったそれはパフェにも見えて。
 けれどパフェほど冷たくはなくて、スプーンで掬って食べていた。ベリーとメレンゲが意外にも合うと、生クリームが味を引き立てていると。
(よく考えたら、材料は同じなんだよなあ…)
 パブロワも、それにイートン・メスも。
 ベリーの季節に家で食べた菓子、パフェを思わせたイートン・メス。それがパブロワのふざけた食べ方から生まれたと聞けば、素直に納得出来たから。
 最初にそれをやらかしたと伝わるイートン校の生徒とやらも、自分たちのように運動が好きで、やんちゃ盛りだったのだろうと嬉しくなってしまったから…。



 それ以来、パブロワを見掛けたら食べる、こうやってグシャグシャにフォークで潰して。
 学生時代を懐かしみながら、先輩たちや仲間たちの顔を思い浮かべて微笑みながら。
 パブロワを食べるならイートン・メス。どんなに綺麗に作られていても、崩して食べるのが運動部員。遠い昔のイートン校の生徒たちのように、行儀なんぞは知ったことかと。
(こいつにはコレが一番なんだ)
 それに美味いし、とザックザックと混ぜるパブロワ、元の形はもう分からない。売っていた店の者が見たなら、これを作ったパティシエが見たら、きっと唖然とするだろう。
 けれども、これが醍醐味だから。パブロワはこうして食べたいから。
 知ったことかと、買ったからには俺のものだとザックザックと混ぜていて。
 パブロワを食うなら崩してこそだと、こうでないと、と崩す楽しみを満喫していて…。
(ん…?)
 こんなトコか、と最後にグシャリとやった所で引っ掛かった記憶。
 前にも崩して混ぜたのだった、こんな具合に。
 大きなパブロワをフォークでグシャグシャに壊して、混ぜたベリーと生クリームと。
 運動部員たちと食べたものより、もっと立派なパブロワを。
 何人前だか分からないほど、それは大きく作り上げられた見事で綺麗なメレンゲの菓子を。



 崩して食べたパブロワの記憶、あんなものを売る店があるだろうかと首を傾げてしまう大きさ。いったい何人で食べたというのか、あまりに大きなパブロワの記憶。
 けれど自分は確かに崩した、それを大勢で賑やかに。焼き上げられたメレンゲを壊してベリーや生クリームと混ぜた、これはこうやって食べるものだと。
(何処でだ…?)
 記憶の彼方の大きすぎるパブロワ、何処で崩して食べたのだろう?
 遠征試合で出掛けた先で出されただろうか、歓迎の印に。それくらいしか思い浮かばない。普段行かないような何処かで、けれどもパブロワが出て来そうな場所。
(…運動部員の食い方は確かにアレなんだが…)
 だからと言って、柔道や水泳と縁のある菓子ではないパブロワ。元々はクリケットの試合で出た菓子、遠い遥かな昔の地球で。イギリスという国のイートン校が出ていた試合で。
 かつてイギリスがあった地域なら、今の時代は色々な試合でパブロワなのかもしれないけれど。クリケットでなくても、パブロワが出るかもしれないけれど。
 今の自分が暮らす地域や、遠征試合で出掛けて行った先。柔道や水泳のためにと訪れた選手に、あの菓子を振舞ってくれるだろうか?
 超特大だと思えるパブロワ、それをわざわざ作ってまで。グシャグシャにして食べられてしまう菓子を、パブロワとは縁の無い運動をしに来た選手のために。
(…いくらなんでも…)
 気前が良すぎないかと思う。それくらい大きかったパブロワの記憶、あれは凄いと。



 けれどもまるで思い出せない、あのパブロワを食べた場所。何処だったろうか、あんなに大きなパブロワを崩して食べていた場所は?
 地球の上では無かっただろうか、宇宙船で出掛けた先だったろうか?
(宇宙船なあ…)
 シャングリラも宇宙船だった。それも巨大な白い船。今の時代も伝説の船で、ミュウたちの箱舟だった船。白い鯨に似た、楽園という名を持っていた船。
 まさかシャングリラには無かったろうに、と思った途端。
 同じ宇宙船でも違いすぎると、今の自分が遠征試合で乗った船とはまるで違うと思った途端。
(違う…!)
 それだ、と蘇ったパブロワの記憶。超特大だった見事なパブロワ。
 あの船で食べた、白いシャングリラで、白いパブロワを。純白のメレンゲを焼き上げた菓子を。
 ベリーと生クリームをたっぷりと乗せて、美しいそれを惜しげもなくフォークで突き崩して。
 原型を留めないほどに壊して、混ぜて。
 白いシャングリラのブリッジが見える大きな公園、あそこで皆で食べたパブロワ。
 こうやって食べるための菓子だと、崩して食べるのが正しいのだと。



 遠い記憶が蘇って来た、前の自分が食べたパブロワの。白い鯨のメレンゲの菓子の。
 公園に設けられた大きなテーブル、其処に置かれていたパブロワ。ベリーと生クリームで飾ったメレンゲの菓子、崩される前は芸術品のようだった菓子。
 絞り出された形そのままに焼き上げられた白いメレンゲが。上に盛られた様々なベリーが、その周りを囲む生クリームが。
 厨房のスタッフが腕を奮った会心の作。
 どうせ壊れてしまうのに。フォークでグシャグシャにされてしまって、形が残りはしないのに。
 それでも腕を奮ったスタッフ、素晴らしい出来栄えだったパブロワ。
 壊されるために生まれて来たのに、食べる前には崩されるのに。



(あれは祝いの菓子だったんだ…)
 そうだった、と前の自分の記憶に残ったパブロワを眺める、壊される前の。崩される前の見事な姿を、厨房のスタッフたちの誇らしげな顔を、パブロワが置かれていたテーブルを。
 自給自足の生活を始めたシャングリラ。白い鯨への改造が済んで、奪うことをやめて。
 そのシャングリラでの鶏の飼育が軌道に乗って、かつて貴重だとされた卵がいつでも好きなだけ食べられるようになったから。卵白だけを使うメレンゲまでもが作れるようになったから。
 野菜もベリーも充分に採れて、白い鯨は本物の楽園になったから…。
(卵に不自由しない生活ってヤツを祝おうってことで…)
 どういうわけだか、卵を祝おうということになった。他の食べ物も色々あるというのに、白羽の矢が立ったのが何故だか卵。それを贅沢に使って何かと、素敵な何かが作れないかと。
 祝いに似合いの卵の菓子。お祭り騒ぎにもってこいの菓子、そういったものが何か無いかと。
 話を持ち掛けられた厨房のスタッフが、「メレンゲでしょうか」と答えたから。
 卵白だけで作るメレンゲ、黄身は使わないのが贅沢だろうと言ったから。
 かつて厨房にいた前の自分も、それが良さそうだとメレンゲに賛成したものだから…。



 ヒルマンとエラがデータベースであれこれ探した、伝統あるメレンゲの菓子というのを。
 祝いはともかく、お祭り騒ぎ。皆でワイワイと食べることが出来て、思い出にもなるメレンゲの菓子を。卵白と砂糖から作る特別な何か、誰もが喜びそうな菓子。
 二人が懸命に調べて探して、見付かったのがパブロワだった。パブロワそのものは普通の菓子で珍しくもなく、祝いの菓子でもないけれど。ごくごく平凡なのだけれども、その食べ方。
 遠い昔にイートン校の生徒たちが壊して食べたパブロワ、そこから生まれたイートン・メス。
 これぞ伝統とお祭り騒ぎの融合だろう、とヒルマンとエラが自信に溢れて提案して来た。
 パブロワを作って、崩して食べる。
 それに限ると、その食べ方から新しい菓子が生まれたくらいに美味らしいからと。
 おまけに地球のイートン校。遥かな昔の小説を読めば、名前が出て来るほどの名門。真似るには充分すぎる食べ方、今は何処にも残ってはいない名門校の生徒たちの悪ふざけ。
 お祭り騒ぎにはピッタリだから。
 出来上がった菓子を崩すというのも、贅沢すぎる食べ方だから。
 パブロワにしようと決めたのだった、前の自分やブルーや、ヒルマンたちが。パブロワを作って卵が食べられる時代を祝おうと、美しい菓子をグシャグシャに崩せる贅沢な時代を楽しもうと。



 こうして決められ、厨房のスタッフが作り上げた大きくて見事なパブロワ。
 純白のメレンゲの上にベリーと生クリームを乗せ、それは美しく飾られたパブロワ。テーブルに置かれて皆に披露され、誰もが惜しみなく拍手を送った。
 こんな菓子が作れる時代になったと、シャングリラは本物の楽園なのだと。
(せっかくだからと、クリケットの代わりに…)
 パブロワを崩して食べる前には、クリケットの試合があったと言うから。
 あの公園でサッカーをしたのだったか、希望者を募って、疲れない程度に。他の仲間が応援する中、公園の芝生で真似事のようなサッカーの試合。
 それが終わったら、パブロワの食べ方をヒルマンとエラが由緒も含めて説明をして。
 「壊してから食べるものなのか」と酷く驚いた仲間たち。こんなに美しい菓子なのに、と。
 けれど、全員にフォークが配られ、「こうなのだがね?」とヒルマンがグサリと加えた一撃。
 続いてエラが、ゼルが、ブラウが、それにブルーと前の自分が、パブロワにフォークをお見舞いしたら、ワッと上がった皆の歓声。
 もうその後は、誰も遠慮はしなかった。グサリ、グサリと刺さったフォーク。
 美しかった菓子はみるみる壊れて、メレンゲもベリーも生クリームもグシャグシャに混ざった、元の形がどうだったのかも想像出来ないほどに無残に。
 破壊の限りを尽くした宴は、皆の笑顔を連れて来た。見た目は酷い形だけれども、混ざり合ったメレンゲとベリーと生クリームはとても美味しいと、別々に食べるよりずっと素敵だと。
 この食べ方を考え付いたイートン校の生徒に感謝せねばと、悪ふざけも時には素晴らしいと。



(そうだ、あの船にあったんだ…)
 白いシャングリラにはパブロワがあった、美味しいと皆が喜んだから。
 ベリーが採れるシーズンになったら、超特大とはいかないまでも作られていたメレンゲの菓子。真っ白なケーキさながらの姿に出来上がるけれど、壊される菓子。そのままで食べはしない菓子。
 パブロワはいつもグシャグシャにされた、食べようとしていた仲間たちの手で。
 いわゆる本物のイートン・メスの方も、いつの間にやら誕生していた。ガラスの器にメレンゲとベリー、生クリームを順に重ねて入れるもの。
 そちらの方が簡単だから。壊さなくても混ぜるだけでいいし、手軽に味を楽しめるから。
(…あのシャングリラに、パブロワなあ…)
 まさかあったとは思わなかった、とグシャグシャになったパブロワを頬張り、笑みを浮かべた。前の自分も食べた味かと、白いシャングリラで食べていたかと。
(こいつは、ブルーに…)
 持って行かねばならないだろう。
 そうするつもりでいたのだけれども、グンと重みを増したパブロワ。白いシャングリラで食べていた味、前のブルーとフォークで崩して食べたパブロワ。
 明日は買ってゆこう、パブロワを二つ。
 遠い記憶の超特大には及ばないけれど、一人用のケーキのサイズだけれど。



 次の日はよく晴れていたから、歩いて出掛けたブルーの家。
 途中で昨日の食料品店に寄って、パブロワを二つ、詰めて貰った小さな紙箱。出店している店のロゴが入った箱を受け取りながら思った、「崩して食うとは思うまいな」と。
 朝一番から綺麗に作ったパティシエには申し訳ないけれど。ショーケースに並べた店員にも少し悪いけれども、これはそういう菓子だから。
 学生時代の自分も先輩からそう教わったし、白いシャングリラでもそうだったから。
(…俺のせいではないんだ、うん)
 文句を言うならイートン校の生徒に言ってくれ、と心の中でクックッと笑う、彼らが諸悪の根源だからと。遥かな昔のイートン校だと、何不自由なく育ったヤツらの悪ふざけなんだ、と。



 紙箱を提げて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて、門扉の脇のチャイムを鳴らして。
 迎えに出て来たブルーの母に、「買って来ました」とパブロワが入った箱を渡した。前の自分も食べた菓子だから、ブルー君へのお土産です、と。
 パブロワは早速、ケーキ皿に載せられ、ブルーと二人で向かい合わせに着いたテーブルに運んで来られたから。紅茶のポットやティーカップなども揃ったから。
 小さなブルーは母の足音が消えるのを待ちかねたように、ケーキ皿の上を指差した。
「えーっと…。これ、ハーレイのお土産だよね?」
 なんでパブロワなの、ハーレイのお勧めのお店でも来てた?
「いや、そうじゃなくて…。懐かしいだろ?」
「えっ?」
 何が、とキョトンとしているブルー。やはり忘れてしまったのだろう、自分と同じで。
 白いシャングリラにあったパブロワを、あの日の派手なお祭り騒ぎを。
「忘れちまったか、こいつの食べ方?」
 こうなんだがな、とフォークで端を突き崩したら。もう一撃、とグシャリとやったら。
「食べ方って…。ハーレイ、壊しちゃうの?」
 こんなに綺麗に出来ているのに、とブルーの瞳が真ん丸になる。「酷くない?」と。
 それにお行儀も良くないけれど…、と赤い瞳が見ているから。
「いいから、崩して食ってみろ。美味いんだから」
 こうだ、すっかり壊しちまって、こうグシャグシャに混ぜてだな…。
「うん…」
 なんだか信じられないけれども、ハーレイがそう言うのなら…。
パブロワ、そういう食べ方じゃないと思うんだけど…。
 


 壊すなんて、と不思議そうにパブロワをフォークで崩したブルーだけれど。
 おっかなびっくりといった様子で混ざったそれを口へと運んだけれど。
「本当だ…!」
 ホントに美味しい、と顔を輝かせたブルー。
 パブロワのままよりずっと美味しいと、「ハーレイの食べ方、とても凄いね」と。
「だろう…!」
 でなけりゃ、やってみろとは言わんさ。崩した挙句に不味い菓子になってしまうんならな。
 学生時代はこうやってパブロワを食っていたもんだ、先輩たちに教えられてな。
 「運動部員が食うならこうだ」と、柔道でも水泳でも言われていたなあ、崩して食えと。
 しかし、お前も食ってたんだぞ、こうやって。
 前のお前もグシャグシャにしてたな、パブロワを食ってた時にはな。
「え…?」
 ぼくが、とブルーが首を傾げるから。
 前の自分はそんな食べ方をしていたろうか、とフォークを持つ手も止まったから。
「これよりも遥かにデカかったなあ、もう桁外れの大きさだったが」
 公園に置いても、少しも小さく見えなかったぞ、あのパブロワは。公園は広いというのにな。
 それとサッカーの試合だ、サッカー。
 やりたいヤツらを集めてサッカーをさせて、それをみんなで応援してから食ったんだが…。
 覚えていないか、デカいパブロワ。
 前のお前もフォークでグサリとやっていたがな、ヒルマンが最初にグサリとやって。
「ああ…!」
 あったね、凄く大きなパブロワ。
 みんなでフォークで壊したんだっけね、とても綺麗に出来たパブロワだったのに…!



 思い出した、と手を打ったブルー。
 シャングリラで特大のパブロワを食べたと、あれは卵のお祝いだった、と。
「そっか、イートン・メス、シャングリラの頃にもあったんだ…」
 あれが切っ掛けでパブロワが流行って、いつの間にかイートン・メスも出来てて…。
 ベリーの季節にはメレンゲを作って食べていたよね、生クリームと一緒に器に盛って。
「イートン・メス…。今のお前も知っているのか?」
 シャングリラの頃にも、と言い出すってことは、今のお前も知ってるんだな?
 こうして壊して食う方じゃなくて、混ぜて食う方のイートン・メスを?
「うん。ママが作ってくれることがあるよ」
 今年も夏の頃に食べたよ、ハーレイとは食べていないけど…。
 ぼくのおやつに作って貰って、ぼくが一人で食べてたんだけど…。
 でなきゃ、ママと一緒。ママと二人で混ぜて食べたよ、イートン・メスを。



 ハーレイにお行儀の悪いお菓子は出さないものね、と言われて気付いた。
 ベリーが出回るイートン・メスのシーズンの頃はまだ、小さなブルーと出会ったばかり。
 この家を訪ねて来てはいたけれど、今よりもずっと客扱いだった、あの頃の自分。
 そんな自分にイートン・メスを出しはしなかったろう、ブルーの母は。器に盛られたメレンゲとベリー、生クリームをスプーンで混ぜるイートン・メスは。
 来客に出すには些か行儀の悪い食べ物、美味しいけれども食べ方が絵にはならないから。
 イートン・メスは普段着の菓子で、それくらいならば綺麗なパブロワの方がいいだろうから。
 そして自分も、ブルーの家に来てパブロワが出たら、それを崩そうとはしなかったろう。崩して食べたい気持ちであっても、崩しはしないで、行儀よく。
 けれど…。
「なあ、ブルー。あの頃に食ってりゃ、俺たちは思い出せたのか?」
 イートン・メスは行儀が悪いと出なかったとしても、パブロワの方。
 お前のお母さんがパブロワを出してくれていたなら、シャングリラのパブロワ、思い出せたか?
 あのとてつもないデカいパブロワ、みんなで崩して食ったってことを。
「どうだろう…?」
 思い出せたのかな、ママがパブロワを作っていたら…。
 ハーレイと二人で食べていたなら、あの時のヤツだって気付いたのかな…?



 二人、考えてみたけれど。
 パブロワを食べたら思い出せたか、お互い、自分の遠い記憶を手繰ったけれど。
 白いシャングリラの頃の記憶は、沢山ありすぎるものだから。
 超特大のパブロワがあった記憶も、思い出す前には掠めたことさえ一度も無かったものだから。
「…無理だったかもね…」
 ママがパブロワを作ってくれてても、イートン・メスを出してくれたとしても。
「俺も無理だったような気がするな、お前の家で出して貰ったら、壊せはしないし…」
 行儀が悪くてとても出来んぞ、あの頃の俺でなくても無理だ。
 今日のパブロワは壊すつもりで買って来たから、こうして崩して食ってるわけだが…。
 お前のお母さんが作ってくれたヤツなら、壊すなんてことは出来ないな。
 そうなってくると、俺の記憶が戻る切っ掛けにはならないだろう。
 イートン・メスが出て来ていたって同じことだな、ただ混ぜるだけじゃ俺の記憶は戻らんしな。



 もしも、あの頃にパブロワが出ても、イートン・メスが出されていても。
 きっと食べながら別の話をしていただろう。メレンゲの菓子は話題にもならず、ただ食べられて終わりなだけ。空になった器が残るだけ。
 あの頃はブルーも今と違って、やたらとくっつきたがっていたし…。
 こうして向かい合わせで座っているより、膝の上に乗っている方が多かったブルー。ベッタリと胸に甘えたがっては、「温めてよ」と右手を出したりもして。
「…今だから思い出せたんだろうな、あのパブロワ」
 前の俺たちが食ったパブロワ、とてつもなくデカいヤツだったがな。
「うん、きっと…」
 今だからだよね、ぼくだって思い出さなかったし…。
 イートン・メスをおやつに食べていたって、スプーンで混ぜながら食べていたって。
 どうして今まで思い出さなかったのか、とっても不思議な気がするけれど…。
 ハーレイがいきなり思い出したのも、凄く不思議な感じだけれど。
「全てのわざには時がある、って言うからな」
 ヒョッコリ浮かんで来たってわけだな、時が来たから。
「えーっと…?」
 なにそれ、時が来るって、なあに?
「聖書の言葉さ、全てのわざには時がある、ってな」
 生まるるに時があり、死ぬるに時があり…、って感じで続いてゆくんだ、色々と。
 泣くに時があり、笑うに時があり、愛するにも、語るにも時がある。
 そんな具合で、思い出すにも時ってヤツがあるんだろう。
 時が来るまでは出て来ないんだな、どんなに条件が揃っていても。記憶を呼び戻せる切っ掛けが幾つ揃っていたとしたって、ヒョイと戻ってはくれないってことだ。時が来ないと。



 今がその時だったんだろう、と微笑んだ。イートン・メスに関しては、と。
 パブロワが売られているのを見付けて、それを買おうと思い立って。自分用にと買って帰って、崩した一個。そのパブロワが俺の記憶を運んで来た、と。
「つまりは時が来たってことだ。こいつで思い出すがいい、と」
 俺は先輩に教わった通り、パブロワを崩していただけなんだが…。
 こうして食うのが美味いんだから、と運動部員ならではの食い方をしていただけなんだがな。
「そうだね、ハーレイはいつも通りに食べてただけだね、こうでなくちゃ、って」
 思い出そうとして頑張ったわけでもなんでもなくって、思い出が勝手に出て来ただけで…。
 ホントに時が来たってことだね、神様のせいか、そうじゃないかは分からないけど。
 …パブロワは崩して食べるもんだ、って言ってたハーレイの先輩たち、どうしてるんだろ?
 今でもこうやって食べているのかな、壊してグシャグシャに混ぜてしまって。
「多分な。実際、美味いんだから」
 俺と同じで、人前では普通に食うんだろうが…。
 自分の家だとやってるだろうな、グシャグシャと。パブロワはこれが美味いんだ、とな。
「ゼルたちも何処かで食べてるといいね、パブロワに会って」
 これはこうして壊すんだった、って崩してパブロワ、食べてるといいね…。
「そうだな、「懐かしいのう」なんて言いながらな」
 今じゃすっかり若くなっちまって、「懐かしいのう」なんて言いはしないかもしれないが。
 うんと若いゼルが「懐かしいぜ!」とフォークでグシャグシャやってるかもなあ、何処かの星で運動部員になってしまって、何かのはずみで思い出して。
「あははっ、それって最高かも…!」
 ゼルだと何の運動だろうね、何をやるのが似合うんだろう?
 サッカーとかかな、それとも陸上部員とかになって、思い切り走ったりしちゃうのかな…?



 偶然出会った、学生時代の思い出の菓子。崩して食べろと教えられたパブロワ。
 それがシャングリラの懐かしい記憶を連れて来た。時の彼方から、超特大だったパブロワを。
 きっと他にもあるのだろう。
 その時がまだ来ていないだけで、今と昔が繋がるものが。
 今の自分たちも前の自分たちも知っているものが、パブロワの他にも、きっと幾つも。
「俺たちの思い出、もっと見付けていかんとなあ…」
 時が来ないと駄目なようだが、まだまだ幾つもある筈だからな。
「うん、ハーレイと二人でね」
 ぼくが思い出すか、ハーレイが先に思い出すのか。
 それとも同時か、ちょっと楽しみ。
 ホントに沢山ありすぎるものね、前のぼくたちが作った思い出の数。
「そうだな、山ほどあるからなあ…」
 三百年以上だ、こいつは多いぞ。ちょっとやそっとじゃ拾い切れんな、俺とお前と二人がかりで拾い集めて回るにしてもな。



 前の自分たちが生きた記憶と、今の自分たちが生きている今と。
 思い出を繋いでくれる切っ掛けは、きっと幾つもあるだろうから。
 結婚するまでも、結婚した後も、それを二人で見付けてゆこう。
 幾つも幾つも思い出しては、幸せな記憶を拾い上げながら歩いてゆこう。
 この地球の上で、何処までも二人、手を繋ぎ合って。
 思い出を拾ってはキスを交わして、今の幸せを二人で何度も確かめ合って…。




           メレンゲの菓子・了

※シャングリラにもあった、パブロワの不思議な食べ方。グシャグシャに崩したメレンゲ菓子。
 遠い昔の地球の真似ですけど、今では素敵な思い出の一つ。他にも沢山の思い出がある筈。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







(あれ…?)
 オレンジの匂い、とブルーが覗き込んだバスルーム。お風呂に入ろうとパジャマを抱えてやって来たのだけれど。
 洗面台がある部屋との境の扉を開けた途端に、湯気と一緒にオレンジの香り。さっきより強くてオレンジそのもの、まるでお風呂にオレンジの木でも生えているよう。
 湯気の向こうのバスタブを見たら、ぽっかりと袋が浮かんでいるから。直ぐに分かった、あれが匂いの正体だと。母が浮かべておいたオレンジ。
(ふうん…?)
 今日はオレンジ風呂の日なんだ、と納得して扉をパタンと閉めた。
 たまにある、オレンジの香りのお風呂。本物のオレンジを浮かべたバスタブ。これからの季節は身体が温まるから、と母が入れておくことがある。バスエッセンスやバスソルトと同じ感覚で。
 ただし、オレンジは丸ごと浮かべても駄目だから。せっかくの成分が何の役にも立たないから。二つに切られて薄い袋に入れられて浮かぶ、熱いお風呂に。
 役に立つ成分は袋を通り抜けてお風呂に、お湯を濁らせてしまう種や皮などは袋の中に。だから濁らない、お風呂のお湯。オレンジの香りが強くても。オレンジを溶かしたようであっても。



 服を脱いで入ったバスルーム。いい匂いのお湯を早速かぶった、シャワーよりも先に。ふわりと身体に纏い付く香り、柑橘系のフレッシュな匂い。
 バスエッセンスではこうはいかない、本物のオレンジにはとても敵わない。母が入れたような、本物のオレンジの香りには。切ったばかりの実から立ち昇る匂いには。
(いい匂い…)
 身体を洗って、浸かったバスタブ。たっぷりのお湯。そこに浮かんだオレンジの袋。手に取るとツンとオレンジの香り、持ってみた手にも香りが移った。アッと言う間に。
(ふふっ)
 ぼくの手がオレンジになったみたい、と眺めた手。その手がツルリとしているから。オレンジの袋から出て来る果汁か皮の成分か、触ってみるとツルツルだから。
 これは面白い、と顔やら肩やら腕に塗ってみた、そのツルツルを。するりと滑りそうな肌。
 見た目に光ったりはしていないのに。ただ濡れているというだけなのに。何故だかツルリとしている手触り、目には見えないオレンジの膜。オレンジの香りの透明な膜。
(傷とかがあったら、しみて痛いんだろうけど…)
 これだけの香りがしていれば、きっと。小さな傷でも、このオレンジの膜をすり込んだなら。
 そういう傷は全く無いから、顔も腕も肩も、塗り付けた分だけ本当にツルツル、スベスベの肌。
 オレンジ風呂は身体が温まるお風呂だけれども、美肌効果もあるのだったか。前に母から聞いた気がする、「肌が綺麗になるお風呂なのよ」と。



 このツルツルを塗り付けていると、オレンジの袋を触っていると、肌が綺麗になるのも分かる。如何にも効きそうなオレンジのお風呂、お風呂上がりの肌もツルツルなのだろう。
(今は関係無いけどね?)
 チビの自分の肌がツルツルでも、スベスベでも誰も喜ばない。褒めてもくれない。せいぜい父か母に頬っぺたをチョンとつつかれる程度、「お餅みたいに柔らかい」と。
 けれど、大きくなったなら。前の自分と同じ背丈に育ったら…。
 美肌効果もきっと必要、オレンジ風呂にも入らなくてはいけないだろう。肌がスベスベになってくれるよう、オレンジを浮かべたバスタブに。
(だって、結婚するんだもんね?)
 前の生から愛したハーレイ、結婚出来る年の十八歳になったら結婚しようと決めているから。
 結婚したなら、今度こそハーレイと二人きりで暮らして、身体中に幾つもキスを貰って…。
 そのためにはきっと、艶やかな肌がいいのだろう。
 ハーレイがキスを落としてくれる時に、優しい感触がするように。手触りだっていいように。
 同じキスなら、同じ手触りなら、ハーレイが喜びそうな肌。



(ガサガサよりかは…)
 荒れてガサガサの肌は論外、乾燥しすぎた肌だって。
 ハーレイと二人で暮らす時には、断然、スベスベの肌がいい。「吸い付くような」とか、磁器のようだとか、そんな風に表現される肌。滑らかで、いつまでも触っていたくなるような肌。
(…お風呂にも気を付けなくちゃ…)
 肌の手入れをしたいけれども、化粧水は自分には似合わないから。使いたい気もしないから。
 前の自分も化粧水など、まるでつけてはいなかった。青の間に化粧水の瓶などは無くて、一度も使いはしなかった。それと同じで今の自分も使いたいとは思わないけれど。
 それでも綺麗にしておきたい肌、スベスベにしたい自分の肌。
 化粧水の類を使わないなら、頼りになりそうなものはお風呂で、今のように身体ごと浸かるバスタブ。そのお湯に工夫をするのが一番、浸かるだけで美肌効果があるお風呂。
(バスソルトとか…)
 バスタブに垂らすバスエッセンスとか、お風呂に入れる様々なもの。オレンジ風呂もその一つ。
 今は母任せで、香りのするお湯が入っている日も、入っていない日もあるけれど。
 母の気分で透明だったり、色がついたりするお風呂。
 オレンジ風呂だと透明だけれど、効果は抜群、スベスベの肌。それに香りもいいお風呂。



 いつかハーレイと結婚したなら、お風呂のお湯を何にするかは自分で決めることになるから。
 ハーレイに「俺はこれだ」というこだわりが無いのだったら、お風呂は好きに決められるから。
(きちんとお手入れ…)
 肌がしっとりとするお風呂。ツルツルのスベスベ、艶々の肌になるお風呂。
 オレンジ風呂だとか、美肌効果のあるバスエッセンスとか、バスソルトとか。そういうお風呂に浸かって肌の手入れをしなければ、と考えていて。
 それに限ると、ハーレイもきっと喜んでくれると、未来の自分の肌を思い描いていて…。
(でも、待って…!)
 自分の肌を磨くお風呂はいいけれど。大切だけれど、ハーレイも入るのだった、そのお風呂に。
 二人一緒に住んでいるのだし、お風呂も同じバスルーム。バスタブも同じ。
 白いシャングリラで暮らしていた頃、「薔薇のジャムが似合わない」と言われていたハーレイ。面と向かってそう言った者はいなかったけれど、ハーレイにだけは「如何ですか?」と尋ねる者が無かったクジ引き、シャングリラの薔薇で作られたジャムが当たるクジ引き。
 クジを入れた箱はブリッジにも持ってゆかれたけれど。ゼルでさえもが「どれ、運試しじゃ」とクジを引いていたけれど、そのクジの箱はハーレイの前をいつも素通りして行った。ただの一度も止まることは無くて、「如何ですか?」と声も掛からなかった。
 誰も不思議だと思いもしなくて、変だとも失礼だと言いもしなくて、クジは素通り。ハーレイに薔薇のジャムは似合わないから、皆がそうだと思っていたから。



 白いシャングリラがあった頃から、長い長い時が流れたけれど。二人で青い地球に来たけれど。
 前と少しも変わらないハーレイ、仕事や立場が変わっただけ。姿は前とそっくり同じで、背丈も顔立ちもキャプテン・ハーレイそのままで。
 つまりは今でも薔薇のジャムが似合わないハーレイ。乙女心の結晶のようなジャムは似合わず、薔薇の花だって似合わない。自分にはそうは思えないけれど、ハーレイ自身もそう考えている。
 そんなハーレイが入るお風呂に、バスエッセンスだの、バスソルトだの。
 肌を綺麗に保ちたいからと、オレンジ風呂もやってみようと思ったけれど…。
(ハーレイに似合うの…?)
 艶やかな肌を保つためのお風呂、肌を滑らかにしてくれるお湯。香りも花やらオレンジやらで。
 自分の肌がスベスベになるのはいいことだけれど、ハーレイの方はどうだろう?
 嫌がられるかもしれない、そんなお風呂は。
 滑らかな肌を作るお風呂で磨いた身体は好きだろうけれど、ハーレイ自身がその巻き添えで同じお風呂に入るのは。花やオレンジの香りのお湯は。



 そうなってくると、お風呂に入る順番を決めるしかないだろう。ハーレイが花などの香りが漂う変なお風呂に入らなくても済むように。被害を及ぼさないように。
(…ぼくの方が先に入ったら駄目…)
 お風呂に花の香りのバスエッセンスやバスソルトを入れてしまうから。
 母が入れているバスエッセンスなどの類は大抵、ふうわりと花の香りがするから。でなければ、今日のオレンジ風呂。そういう香りの柑橘系。
 ハーレイがそれを嫌がりそうなら、お風呂に入るのは、自分が後で。ハーレイがのんびり入った後で、バスソルトとかをポチャンと入れて。たまにはオレンジも浮かべたりして。
 でも…。
(ハーレイが先にお風呂って…!)
 ゆっくり入って、ゆったり浸かって。「お風呂、空いたぞ」と言ってくれるのだろうけれど。
 お前も早く入るといい、と笑顔を向けてくれるだろうけれど、そのハーレイ。お風呂から出て、冷たい水でも飲んでいるかもしれないハーレイ。
 バスローブかパジャマかは知らないけれども、水かコーヒーでも飲みながら…。
(…待っているんだよね?)
 空いたバスルームに向かった自分を、お風呂に入りに行った自分を。
 肌を磨きに出掛けた自分が、お風呂から出て戻って来るのを。



(それって、とっても…)
 恥ずかしいかも、と思ったけれど。
 ハーレイが待っている間に肌を、身体を磨くというのは恥ずかしすぎると思ったけれど。
 先に入っても、それはそれで違う恥ずかしさ。
 バスエッセンスだのバスソルトだのを入れたお風呂に、ハーレイが入りに出掛けても。そういうお風呂でもかまわないから、と後から入ってくれたとしても…。
(待ってるの、ぼくが?)
 ハーレイがお風呂から戻って来るのを、ベッドに腰掛けて、パジャマ姿で。
 それともバスローブを羽織ってだろうか、いい匂いをさせて。磨いたばかりのスベスベの肌で。
 早くハーレイが戻らないかと、まだ少し上気している身体で。
(…ハーレイのために磨いたって感じ…)
 それに間違いは無いけれど。ハーレイが喜んでくれるようにと、自分の肌を磨くのだけれど。
 いい匂いをさせて待つ自分。
 スベスベの肌で、花やオレンジの香りを纏って、「美味しいですよ」と言わんばかりに。



 それでは恥ずかしすぎるから。
 いくらハーレイに食べて貰おうと待っているにしても、頬が真っ赤になりそうな気分。
 そんな思いで待っているのは恥ずかしいから、やっぱり後に入ろうか?
 ハーレイに先に入って貰って、「空いたぞ」と笑顔で声を掛けられたら、バスエッセンスなどは入っていないお湯に「今日はこれ」と美肌効果のあるものを入れて。その日の気分でオレンジでもいい、ゆったりと浸かって、肌が綺麗になるように。
(…でも、やっぱり…)
 お風呂から出たら、「磨いて来ました」という感じ。いい香りをさせて、スベスベの肌。
 考えると顔が熱くなるから、恥ずかしくて火が出そうだから。
 ここはやっぱり、ハーレイも同じ香りを漂わせるお湯で、先に入って貰うべきだろうか。薔薇のジャムが似合わないハーレイだけれど、バスエッセンスが似合わなくてもかまわないから。



 ハーレイは嫌かもしれないけれど。「俺に似合うと本気で思っているのか?」と顔を顰めるかもしれないけれども、ハーレイを先にバスルームへ。ハーレイの身体も同じ香りをさせていたなら、恥ずかしさが少し紛れるから。
(ハーレイが入るのを嫌がったって…)
 その上、ハーレイまでがスベスベの肌になったとしたって、同じ香りを纏って欲しい。二人とも同じ香りがするなら、恥ずかしさも減ってくれるから。
 同じ香りを纏うだけなら、自分が先でもいいのだけれど。先に入ってバスエッセンスを入れて、「お風呂、空いたよ」とハーレイに言えば、ハーレイの身体も同じ香りになるけれど。
 自分が先にお風呂に入って、そのお湯を残しておいたなら。
 それだと、自分がベッドに腰掛けてハーレイを待つことになってしまうから。
 とても恥ずかしい、如何にも準備を整えて待っているようで。
 肌を綺麗に磨いて来ましたと、早く食べてねと、ベッドという名のお皿にチョコンと乗っかっているかのようで。
 ナイフもフォークも準備したからと、後はハーレイが食べるだけだよ、と頬を染めながら、甘い時間を過ごすための大きなお皿の上に座っている自分。
 どう食べるのも好きにしてねと、ナイフとフォークでも、手づかみでも、と。



 そう考えたら、お風呂の順番。ハーレイと暮らす家でお風呂に入る順番。
(やっぱり、ぼくが後の方が…)
 恥ずかしくないだろうか、肌を磨くためのバスエッセンスなどを入れるなら。
 磨いた身体でベッドという名のお皿に座って、食べて貰おうと待っていなくて済むのだから。
 そうでなければ、恥ずかしさが薄らいでくれるようにと、ハーレイも自分と同じ香りを纏う道。先にハーレイに入って貰って、その時に、お湯にバスエッセンス。
 たとえハーレイが「俺はちょっと…」と腰が引けていようが、ハーレイの身体まで上から下までスベスベになってしまおうが。
 薔薇のジャムが似合わないハーレイだけれど。バスエッセンスも無理がありそうだけれど。
(花の香りも似合わないけど、オレンジだって…)
 オレンジ風呂も似合いそうにないんだけどね、と思ったら。
 ぽっかりとお湯に浮かんだ袋はともかく、オレンジの香り、とハーレイの顔を思い浮かべたら。



(えーっと…?)
 オレンジの香りがするお風呂。今、浸かっているオレンジ風呂。
 何かが記憶に引っ掛かる。
 今の自分の記憶ではなくて、もっと遥かに遠い何処かで。流れ去った遠い時の彼方で。
 そういう記憶があるとしたなら、そのオレンジの香りがしていたお風呂は…。
(シャングリラ…?)
 白い鯨でしか有り得ない。アルタミラではお風呂などは無かったのだから。シャングリラの名を持っていた船も、白い鯨になるよりも前は、オレンジ風呂など多分、無い筈。
 けれども白い鯨にしたって、オレンジ風呂などあっただろうか?
 オレンジは栽培していたけれども、それをお風呂に入れただろうか?
 自給自足の船の中では、オレンジも大切な食べ物だから。余ったにしても、お風呂だなんて、と記憶を探って、オレンジの香りを辿っていって…。
(…そうだ!)
 これだ、と捕まえた遠い遠い記憶。前の自分が持っていた記憶。
 あったのだった、白いシャングリラにオレンジのお風呂。
 いつもあったというわけではなくて、備蓄していたオレンジが傷んでしまった時に。廃棄処分にするには惜しい、と考案したのはエラだったか。データベースであれこれ調べて。
 食べるには難のあるオレンジとはいえ、オレンジ風呂なら食べるわけではないから。その成分をお湯を通して貰うだけだから、傷んだ時にはオレンジ風呂。



 傷んだオレンジを切って袋に入れて浮かべるオレンジ風呂。
 女性に人気のお風呂だったけれど、入りたいからと貰ってゆくのは圧倒的に女性だったけど。
(肌がスベスベになるって聞いて…)
 前の自分が貰いに出掛けて行ったのだった。「オレンジ風呂は身体が温まると聞いたから」と。
 もちろん本当の目的は違った、身体を温めたいというわけではなかった。
(だって、スベスベ…)
 女性たちの間で評判だったオレンジ風呂。入れば肌がスベスベになると、綺麗になると。
 だから試してみたいと思った、ハーレイのために。
 ブリッジでの勤務を終えたら訪ねて来てくれる優しい恋人、そのハーレイが喜ぶように。
 オレンジ風呂で肌を磨いて待っていようと、スベスベになって待っていようと。
(でも、今と同じで恥ずかしくって…)
 磨き上げた身体で、オレンジの香りを纏わせた肌で、ハーレイが来るのを待っているのが。
 食べて下さいと言わんばかりに、お風呂上がりで待つ自分。
 そんなことは一度もしていなかったし、恥ずかしすぎて出来そうになくて。
 けれどオレンジ風呂に入って磨きたい肌、ハーレイのために磨き上げたい身体。スベスベの肌で恋人を迎えて喜ばせたいのに、ちゃんとオレンジも貰って来たのに…。



 どうしようかと悩んでいる内にハーレイがやって来たんだった、と思い出した所で。
「ブルー、のぼせるわよ!」
 いつまでお風呂に入っているの、と扉を開けて覗いた母。何分経ったと思っているの、と。
「はーい!」
 直ぐに上がるよ、と慌ててバスタブから出た。危うく、のぼせそうだったお風呂。お湯の温度が丁度良かったから、ついつい浸かり続けてしまった。考え事をしながら、切ったオレンジが幾つも入った袋を「ツルツルになるよ」と両手で揉んだりしながら。
 身体はすっかりオレンジの香り、頭の天辺から足の爪先まで。
 タオルで身体をしっかり拭いても、パジャマを着ても消えない香り。
 オレンジが入った袋が浮かんだバスルームから離れて、二階へと続く階段を上り始めても。足を進めても、オレンジの香りが自分と一緒についてくる。
 消える代わりに、纏い付いて。まるで身体中の細胞に染み込んでしまったかのように。



 部屋に帰ってもオレンジの香り、身体からふわりと立ち昇る香り。
 オレンジの香水をつけたかのように、手からも、パジャマの下の肌からも。
(…この香り…)
 ベッドの端に座って考える。あの時のオレンジの香りと同じ、と。
 「身体が温まると聞いたから」と大嘘をついて、肌をスベスベにしようと手に入れたオレンジ。前の自分がお風呂に浮かべようとしていた、傷んだオレンジ。
 それを入れるための袋まで用意して貰って、後はオレンジを切って袋に入れるだけ。バスタブに熱いお湯を満たして浮かべるだけ。
 そう、この香りを纏いたかったのだった、ハーレイのために。スベスベの肌で待つために。
 けれど恥ずかしくて、入る決心がつかなくて。
 オレンジ風呂の用意も出来ずに、バスタブにお湯を張ることも出来ずに一人で迷い続ける内に。
 勤務を終えたハーレイが何も知らずに来てしまって…。



 青の間のテーブルの上に置かれたままだったオレンジ、五つくらいはあったと思う。他でもないソルジャーの御希望だから、と係の者が多めにくれた。オレンジ風呂用の袋もつけて。
 白い薄布で出来た袋は小さく畳まれていたから、ハーレイの目には入っていなかったようで。
「なんですか、このオレンジは?」
 お召し上がりになるのですか、ブルー?
 それにしては少し皮が乾いているようですが…。このオレンジは傷んでいませんか?
「そうなんだけれど…。君が言う通り、傷んでしまったオレンジなんだけどね」
 貰って来たんだ、お風呂に入れるといいと聞くから…。
「ああ、オレンジ風呂になさるのですか。女性たちに人気のようですね」
 それに身体が温まるとか。ゼルとヒルマンもたまに入っているそうですし…。
「うん。…だから、ハーレイに…」
 喜んで貰いたかったから、と言おうとして、それが言えなくて。「ハーレイに」までで止まった言葉で、ハーレイは見事に勘違いをした。
「私にですか?」
 下さるのですか、身体が温まるようにと、これを…?
 お気遣い下さるほどに冷えていますか、私の身体は、そこまで酷く…?
 一緒にお休みになる時に寒いのでしたら、遠慮なさらずにパジャマをお召し下されば…。
「そうじゃなくて…!」
 君の身体が冷たいだなんて言っていないよ、これはぼくが…。
 オレンジ風呂は、ぼくが入ろうとして…。



 肌が綺麗になると聞いているから、と打ち明けた。
 君のために肌を磨こうと思って貰って来たのだけれど、と。
「…オレンジを貰いに行った時には、身体が温まるらしいから、と言ったんだけれど…」
 本当のことは言わなかったし、係も疑いもしなかったし…。そこまでは良かったんだけど…。
 そこから後がね、どうしても駄目で…。
 磨き上げた身体で君を待ちたかったけど、決心がつかなくて入れなくて…。
 オレンジも切れずにそのままなんだよ、バスタブにお湯も張っていないし…。
 何度も入ろうと思ったけれども、恥ずかしくなって全く駄目で…。
 ぼくの決心がつくよりも先に、君が来てしまって、オレンジ風呂には…。
 入るどころか準備も出来ていない状態、と頬を真っ赤にして俯いた。ぼくは駄目だ、と。
「…そのためのオレンジ風呂でしたか…」
 私のためにと仰ったのは、そういう意味だったのですね。…嬉しいですよ、ブルー。
 あなたが肌を磨こうとなさってらっしゃったなんて…。今でも充分、滑らかな肌を毎晩のように楽しませて頂いているというのに。
「でも、ぼくは…。そうしたいと思ったというだけで…」
 結局、何も出来てはいないし、オレンジだってそのままで…。
 こうして此処に置いておいても、明日の夜にも入れそうにないよ、恥ずかしくて。
 君に打ち明けても、まだ恥ずかしくて入れないんだ、君を待つだけの勇気が無くて。
 肌は綺麗にしたいけれども、君が来る前にお風呂に入っておくなんて、とても…。



 出来ない、と耳まで赤く染まった、恥ずかしさで。
 ハーレイとは何度も身体を重ねているのに、毎晩、逞しい腕に抱かれて眠っているのに。
 けれど、それとオレンジ風呂に入って身体を磨いて待つのとは別で。
 やがて来るだろう恋人のために、先に一人でお風呂に入って肌を美しく磨くのは別で…。
 出来るわけがない、と俯いていたら。無駄になりそうなオレンジたちさえ見られずにいたら…。
「それなら、一緒に入りましょうか?」
 私の肌まで磨く必要は無いと思いますが、あなたがお入りになれないのなら…。
 先に入るのは恥ずかしいからと仰るのでしたら、ご一緒させて頂きますが。…オレンジ風呂。
「…君と?」
 君と一緒に入るのかい、と目を丸くしたら。
 君までオレンジ風呂だなんて、と驚いていたら。
「お風呂でしたら、たまに入っているでしょう?」
 オレンジ風呂ではなくて、普通のお風呂。
 あなたと一緒に入っていることも、特に珍しくはないですからね。此処のバスルームは大きめに出来ておりますし…。バスタブも充分、広いですから。
 あなたと二人で浸かっていたって、まだたっぷりと余裕があるのは御存知でしょう?
 オレンジ風呂でも同じことです、お湯の質が変わるというだけですよ。



 切って来ます、とオレンジを切りに奥のキッチンに行ったハーレイ。切ったオレンジを入れる、例の薄布の袋も一緒に持って。
 その前にバスタブにお湯を張りに行くのも忘れなかった。二人で入るならこの量で、と。お湯が縁から溢れすぎないよう、無駄遣いになってしまわないよう、普段より幾分、控えめの量で。
 間もなくキッチンから戻ったハーレイの手には、オレンジを詰めた袋があって。その袋を笑顔で掲げてみせて、バスルームへと姿を消した。袋をバスタブに浸けておくために。早めに浮かべて、オレンジの成分がたっぷりとお湯に溶け込むように。
 お湯は自動で張れるから。張り終わったら、知らせる音が届くから。
 それを捉えたハーレイがバスルームを確認しに出掛け、穏やかな笑みを湛えながら。
「ブルー、用意が出来ましたよ?」
 あなたの御希望のオレンジ風呂。
 湯加減も丁度いいようです。オレンジの香りがとても爽やかで、気持ち良さそうなお湯ですよ。
 ほら、お入りになるのでしょう?
 行きましょう、ブルー。
「う、うん…」
 君が一緒に入ってくれると言うのなら…。
 ぼくが一人で入るよりかは遥かにマシかな、別の意味で少し恥ずかしい気もするけれど…。



(あの時のお風呂…)
 それからどうなったんだっけ、と記憶を手繰り寄せて真っ赤になった頬。
 思わず両手で押さえてしまった、これ以上、赤くならないように。鏡を見たなら、きっと小さなトマトがいるのだろうけれど。自分の顔をした赤いトマトが、鏡の向こうに。
(…ハーレイ、ぼくを磨いてくれるって…!)
 ゴシゴシと磨き上げられたのだった、柔らかな肌触りの布袋で。オレンジが詰まった布の袋で。
 「此処も磨かないといけませんね」と、身体中を隈なく磨いたハーレイ。
 それは恥ずかしくて、でも気持ち良くて。
 ウットリと身体を委ねている内に、悪戯を始めたハーレイの手と指。
 「ツルツルですよ」と、「オレンジ風呂は本当に肌がスベスベになりますね」と。
 オレンジの袋で磨き上げながら悪戯するから、磨いた場所を確かめるように触れてゆくから。
「ハーレイ、それは磨いているんじゃなくて…!」
 やめて、と触れる手を剥がそうとしたら、「いいんですか?」と覗き込まれた顔。
 「本当にやめていいのですか」と、「まだ磨き足りない場所がこんなに」と滑ってゆく指。
 拒める筈など無かったから。もう気持ち良くて、もっと、もっと、と強請りそうだから。
「馬鹿っ…!」
 ハーレイの馬鹿!
 ぼくを磨くと言ったんだったら、ちゃんと仕事を…。だから、そうじゃなくて…!



 二人で入ったオレンジ風呂。ふざけ合ったバスタブ。
 お湯の中で二人、何度、唇を重ねたことか。お湯が縁から溢れて、零れて、それでもかまわずに腕を、足を絡めて、絡み合って。
 すっかりのぼせそうになるまで戯れ、バスタブの中で愛を交わして。
 茹だりそうになった前の自分をハーレイが逞しい両腕で抱き上げて運んで、ひんやりと肌を包むベッドに下ろされた後は、そのまま眠ってしまったのだったか。
 口移しで水を飲ませて貰って、コクリ、コクリと喉を潤したら、それっきりで。
 オレンジの香りに包まれたままで、ハーレイの腕に抱かれたままで…。



(…オレンジのお風呂…)
 思い出した、と思うけれども、もしもハーレイに話したならば。
 次に会えた時、「オレンジ風呂のこと、覚えている?」と訊いたなら。
(きっと知らんぷり…)
 「なんのことだ?」と問い返す声が聞こえて来そうだ、ハーレイは此処にいないのに。
 「俺は知らんな」と、「オレンジ風呂なら知っているがだ、そいつは今の俺でだな…」と。
 でなければピシャリと叱られて終わり、「チビのくせに」と。
 お前にはまだ早すぎるんだ、と指で額を弾かれて終わり。
(絶対、そう…)
 相手はハーレイなのだから。
 「キスは駄目だ」と叱るハーレイ、何度叱られたか分からない。
 チビの自分は、子供の自分は、恋人だというだけだから。キスも貰えないチビの恋人、いつでも子供扱いの自分。
 オレンジのお風呂は内緒にしておこう、そうして次はゆっくり浸かろう。
 母がまたオレンジ風呂にしたなら、前のハーレイと二人で浸かったバスタブを思い出して。
 オレンジ風呂で磨いて貰った記憶はぼんやりしているけれども、それでも充分に幸せだから。



 ついでに、結婚した後は…。
(お風呂、どっちが先でなくてもいいんだよ)
 小さな頭を悩ませていたことは、綺麗に解決してくれた。オレンジ風呂の記憶のお蔭で。
 肌を磨くのなら、スベスベにするなら、一緒にお風呂。二人でお風呂。
 そのお風呂が自分に似合わなくても、ハーレイは付き合ってくれるのだから。
 前のハーレイがそうだったように、「一緒に入るか?」と尋ねてくれて。
 言葉遣いは変わったけれども、誘いは同じ。「俺と入るか」と、「それでいいだろ」と。



(薔薇のお風呂でもいいのかな…?)
 母のお気に入りの薔薇の香りのバスエッセンス。
 薔薇が似合わないハーレイだけれど、あのエッセンスでも、一緒に入ってくれるだろう。
 父も気にしていないようだし、ハーレイも、きっと。
 薔薇の香りがするバスエッセンスでも、それが自分に似合わなくても…。
(スベスベの肌のぼくがいいよね?)
 しっとりとした肌の恋人の方がいいだろう。スベスベの肌の恋人を愛したいだろう。
 そう思うから、そうに違いないと思ってしまうから。
 ハーレイも恋人の肌を磨きたがるに決まっているから、結婚したなら、二人でお風呂。
 肌が綺麗になるように。スベスベの肌に、ハーレイが喜ぶ肌の持ち主になるように。
 思い出のオレンジ風呂から始めて、二人でお風呂。
 何度も何度もキスを交わして、磨かれて、ふざけて、愛を交わして…。




            オレンジ風呂・了

※オレンジ風呂で肌を磨くべきかどうかで、悩んだブルー。実は前の生でも悩んだのです。
 そして答えは出たのですけど、今のハーレイとオレンジ風呂に入れる日は、ずっと先。
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 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









(今夜は豪華にステーキなんだ)
 よし、とハーレイが取り出したステーキ用の牛肉。夜のキッチンで。
 今日はブルーの家には寄れなかったけれど、学校の休み時間に少し話せた。校舎の廊下を歩いていたら、「ハーレイ先生!」と後ろから呼び止められて。
 学校では自分は「ハーレイ先生」、ブルーも必ず敬語で話す。ブルーの家で言葉を交わす時とはまるで違って。いつもながら見事な言葉の切り替え、その健気さがいじらしくなる。自分から声を掛けなかったら、敬語で話さずにいられるのに。挨拶だけで済ませばいいのに。
(それでも、あいつは話したいんだ)
 教師と生徒の会話でも。恋人同士の会話でなくても、日常の些細な話題であっても。
 「ハーレイ先生!」と笑顔で呼び止めるブルー、「話せるだけで嬉しい」と書いてある顔。もう本当に嬉しそうだから、幸せそうな顔をしているから。
 ブルーの家に寄れなかった日でも、心の中にブルーの笑顔。それが愛おしくて、ついつい笑みが零れるから。いい日だったと、ラッキーだったと自分の心も温かいから。
 たまにはこんな夕食もいい、と買って来た肉。分厚いステーキ用の牛肉。



 やはり熱々を食べたいから。ステーキは焼き上げて直ぐにナイフを入れたいから。
 スープなどから先に作った、メインのステーキが霞まないよう、それでいてバランスが崩れないよう。栄養バランスと、食卓の見栄えと。料理の腕の見せ所。披露する相手はいないけれども。
 準備が出来たら、いよいよステーキ。
 フライパンにオリーブオイルとガーリックのスライス、パチパチとはぜる音がして来たら、肉の出番で。今日の焼き加減はミディアムレアといった所か、もう少し焼くか。
(でもって、仕上げに…)
 ウイスキーを軽く注いでフランベ、上がる焔が気分を高める。肉の焼ける匂いと、青い焔と。
 火が消えた所で、温めておいた鉄板つきの木のプレートに移してやって。ガーリックを乗せて、フライパンの肉汁で手早くソース。
(わさび醤油でもいいんだがな?)
 おろしたてのワサビと醤油で食べるステーキも美味ではある。ステーキと醤油は相性がいいし、ソースの隠し味にもするから。
 前の自分が生きた時代には無かった醤油とワサビを味わう文化。今の時代ならではのお楽しみ。それも悪くはないのだけれども、今夜のソースは正統派で。
 白いシャングリラで暮らした頃と違って、材料は全て本物だけれど。ソースに加えた赤ワインもそうだし、フランベに使ったウイスキーだって合成などではないのだから。



 焼き上がったステーキ、シャングリラの時代とそう変わらない筈のレシピのソース。今夜はその味で食べてみたかった、ブルーと食べているつもりで。
 小さなブルーの家でも夕食にステーキは出て来るのだから、その光景を思い浮かべて。
 ダイニングのテーブル、まだジュウジュウと音を立てるステーキにナイフを入れて口に運んで。
(あいつの肉は小さいんだよなあ…)
 これの半分くらいだろうか、とブルー用のステーキ肉のサイズを考えた。いつ見ても小さすぎるステーキ、ブルーの皿に置かれたステーキ。ブルーの両親が食べるものよりずっと小さな子供用。あれで本当に食べた気がするのだろうかと思うくらいに可愛らしいサイズ、ミニサイズ。
 だから何かとからかってしまう、小さなブルーと食事の量の話になってしまった時は。
 「デカいステーキ肉は食えるか?」だとか、「デカいステーキ肉でもか?」とか。
 からかわれる度に「無理!」と叫んでいるブルー。
 とても食べられるわけなどがないと、自分の小ささを考えてくれと。胃袋もそうだし、十四歳の子供の小さな身体。それでは無理だと、大きな肉など食べ切れないと。
 「チビ」と呼んだら膨れるくせに、そんな時だけ子供だと主張するのが可笑しい、愛らしい。
 子供扱いは嫌いなくせに、一人前の恋人気取りでいるくせに。



 とはいえ、いつかは育つ筈のブルー。前のブルーと同じ背丈に、同じ姿に。
 もう子供だとは言えない姿になるだろうけれど、気高く美しいブルーを再び見られるけれど。
(育ったって、だ…)
 こんなデカいステーキを食うのは無理だな、と頬張る熱々の肉。鉄板のお蔭で少しも冷めない。火傷しそうな熱さがそのまま、口の中に広がる肉汁とソースの絶妙な味。
 半分ほどは食べたけれども、まだ半分もあるステーキ。小さなブルーならとうに悲鳴で、大きく育った後でもそろそろ「まだあるの?」と言いそうな量で。
(前のあいつだって…)
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも、大きなステーキ肉を食べてはいなかった。これよりも小さな量のステーキ、それがソルジャー・ブルーの好み。
 「もっと大きく」と希望したなら、肉は大きく出来たのに。前の自分がそうだったように、他の者より大きめのサイズ。
 肉の量は個人の好みだから。自給自足の船の中でも、その程度の融通は利いたから。
 前のブルーがそれをしなかった理由は、ソルジャーだったからではないだろう。食べ物のことで色々と遠慮はしていたけれども、ステーキに関しては絶対に違う。
 なにしろ、ソルジャーの肉が一番小さいのでは駄目だろう、と思うような場面であっても、肉はいつでも小さかったから。「この量でないと食べ切れなくて」と。
 残すよりかはこの方がいいし、と小さかった前のブルーのステーキだけれど。



(待てよ…?)
 今も記憶に残るステーキ、前のブルーが好んだ小さなステーキ肉。
 けれども、それを前のブルーと二人で食べたことがあっただろうか。白いシャングリラで、あの懐かしい船で、ブルーと一緒に。
(ステーキは何度も…)
 食べていたが、と蘇る記憶、鮮明なのがソルジャー主催の食事会。前のブルーの名前で出された招待状を貰った者やら、様々な部門の責任者たちとの交流会やら。
 ソルジャー専用のミュウの紋章入りの食器が使われるのが売りで、エラが有難さを説いていた。他の場所では出ない食器だと、此処でしか使われないものなのだと。
(そういう時でも、あいつの肉は小さくて、だ…)
 自分も含めた他の者たち、そちらの肉の方が明らかに大きめ。招待客たちを思い遣るなら、肉のサイズは同じにしておくべきなのに。「遠慮しないで食べるように」と。
 それでも小さい肉にしていたソルジャー・ブルー。「ぼくはこの量しか無理だから」と。



 ソルジャー専用の立派な食器を割らないように、マナー違反もしないようにと、コチコチだった食事会に招かれた仲間たち。見ている方が気の毒になるほどに。
 ブルーも充分に承知していたから、よく目配せをされていた。「頼むよ」と。
 それが来たなら、わざとやっていた大失敗。ナイフをガシャンと取り落としたり、ステーキ肉が皿から飛んで行ったり。エイッとナイフで切ったはずみに皿の外へと、勢いよく。
 そんな具合で、前のブルーとは何度も食べたステーキだけれど…。
(…あれだけなのか?)
 食事会の席だけだったかもしれない、前のブルーと一緒にステーキを食べたのは。
 前のブルーは青の間で食事をするのが普通だったし、そうでなくても自給自足のシャングリラでステーキは貴重だったから。
 同じ肉なら、もっと大勢が揃って食べられる料理。シチューにするとか、他にも色々。
(シャングリラ中が揃ってステーキってことは…)
 無かったのだった、ミュウたちの箱舟だった白い鯨では。
 たまにステーキも食べたくなるから、そういったものも食べたいから。食堂でステーキの食事を提供する時は、仲間たちを希望や都合に合わせて何組かに分けて、順番に。今日はこの組、というグループのために焼かれたステーキ、せっかくなのだし、各自の好みの焼き加減を訊いて。



(それよりも前は、だ…)
 白い鯨が完成する前、食料も何もかも人類の船から奪っていた頃。前のブルーが輸送船から瞬間移動で奪い取っては、持って帰って来ていた頃。
 食料が詰まったコンテナの中に入っていた肉で、ステーキだったこともあったけれども。何度も食べてはいたのだけれども、その時のステーキ。
(二人きりでは食っていないぞ!)
 みんな揃って食堂で食べた、今日はステーキだと賑やかに。
 前の自分がまだ厨房にいた頃はもちろん、ブルーがソルジャーになった後にも。青の間は出来ていなかったから。前のブルーの偉大さを演出するための部屋は、何処にも存在しなかったから。
 ソルジャーもキャプテンも、長老と呼ばれ始めていたゼルたちも、揃って食べていたステーキ。他の仲間たちと一緒に、あの頃の船の食堂で。
 つまりは、ブルーと二人きりではなかったステーキの食事、白い鯨が出来上がる前も、それから後も。ただの一度も二人で食べてはいなかった。常に誰かが同じテーブル、ステーキの時は。



 どんなに記憶を手繰り寄せてみても、他には無かったステーキの記憶。
 前のブルーと二人きりでステーキを食べてはいない。三百年以上も同じ船で共に暮らしたのに。
(…気付かなかった…)
 まるで気付いていなかった、とステーキを眺めてついた溜息。
 小さなブルーと再会してから、何度ステーキを食べただろうか。家でも食べたし、ブルーの家で御馳走になったことも何度もあるけれど。ブルーとステーキを食べたけれども、そのテーブルにはブルーの両親、家族が揃う夕食の席。
 それはそうだろう、ブルーの部屋での昼食にステーキを焼いて出すより、家族団欒の夕食の方が似合いだから。誰に訊いても、同じ答えが返るだろうから。
 そうなってくると…。



(二人きりで食うのは結婚するまで無理なのか?)
 ブルーと二人きりでのステーキ。自分の皿には大きなステーキ、ブルーの皿には小さめのもの。それぞれ好みの焼き加減の肉を、切って食べるというだけなのに。
 たったそれだけのことが叶わないらしい、二人きりで食べるということが。
(結婚までにはデートもするし…)
 その時に二人で食べに行く手もあるけれど。自分の家にブルーを招いて、「今日はこれだぞ」と御馳走してもいいのだけれど。
 それが出来る日がやって来るまで、二人きりでステーキはどう考えても無理そうで。
(うーむ…)
 俄かに重みを増したステーキ、思った以上に貴重なもの。
 白いシャングリラにいた頃と違って、今はそれほど肉は貴重ではないけれど。食料品店へ行けば常にあるものなのだし、食べたいと思えば専門の店も幾つも幾つもあるのだけれど。
(前のあいつとも食ってないんだ…)
 二人きりで食べる機会は一度も無かったから。いつも誰かが一緒だったから。
 今のブルーも、小さい間は二人きりでは食べられないのだし、この先、何年待つことになるか。大きなステーキと小さなステーキ、それを二人きりで食べられる日が来るまでに。
(たかがステーキなんだがなあ…)
 先は長い、と心で零しながら食べた、今も熱さを保ったままのステーキを。木のプレートの上の鉄板、それが温めているステーキを。
 美味いんだが、と。
 しかしブルーと二人きりでは、当分、食べられそうにもないな、と。



 少し寂しかったステーキの夕食、次の日、仕事を終えた帰りにブルーの家に寄れたから。
 小さなブルーにも教えてやろうと、ステーキの話を持ち出した。
「なあ、ブルー。ステーキ、貴重だったんだな」
「えっ?」
 なんでステーキ、とキョトンとしている小さなブルー。赤い瞳を真ん丸にして。
「いや、珍しいって意味ではなくて、だ。…お前の家でも何度も食わせて貰っているし」
 昨夜も一人で焼いて食ってたが、その時にハタと気が付いたんだ。
 前の俺たち、ステーキを二人で食ってはいないぞ、お前と俺との二人きりでは。
「そうだっけ?」
 シャングリラのステーキ、確かに貴重品だったけど…。ステーキは珍しかったけど…。
 でも、ハーレイとは何度も食べたよ、ハーレイの肉はぼくのよりずっと大きかったよ。あんなに沢山食べられるんだ、って感心しながら見ていたもの。凄いよね、って。
「そのステーキだが…。いいか、よく状況を思い出してみろ」
 テーブルにはお前と俺の二人だけしかいなかった、ってことは一度も無い筈だがな?
 食堂で仲間がゾロゾロいたとか、ソルジャー主催の食事会とか。そんなのばかりだ、前のお前と一緒に食べたステーキ。
 二人きりでステーキを食った思い出、お前にも一つも無いだろうが。
「本当だ…!」
 ちっとも気付いていなかったけれど、ホントに一度も食べなかったね、二人きりでは…。
 ステーキ、とっても貴重なんだね、ハーレイと二人きりで食べたことが一度も無いなんて…。



 知らなかった、とブルーも驚いているステーキの貴重さ、一度も二人きりで食べていないもの。前の生では三百年以上も共に生きたのに、同じ船で暮らしていたというのに。
「…いつになったら食えるやらなあ、お前と二人で」
 三百年以上も食い損なったままで来ちまったんだし、今更、大した待ち時間でもないんだが…。せいぜい数年ってトコなんだろうが、気付いちまうと辛いな、うん。
「いつって…。土曜日でいいんじゃないの?」
「はあ?」
 土曜日っていつだ、土曜日にデートに出掛けて食おうというのか、俺と二人で?
 その土曜日が何年先になるのやら、って話を俺はしてるんだがな…?
「違うよ、土曜日は今度の土曜日!」
 今週の土曜日、それでいいんだと思うけど…。ママに頼むから、「お昼にステーキ」って。
 そしたら二人で食べられるじゃない、お昼御飯は此処のテーブルで食べるんだから。
「昼飯に二人でステーキって…。なんて言う気だ、お母さんに!」
 俺が食いたがっているとでも言う気か、確かにそれで間違いは無いが…。
 厚かましいにも程があるだろうが、ステーキを食いたいと俺がリクエストをするなんて!
「ちゃんと言っておくよ、シャングリラの頃の思い出だよ、って」
 ハーレイと話をしていて思い出したから、二人で食べてみたいんだけど、って。
 シャングリラのステーキは貴重品だったし、その頃の気分に浸りたいから二人で食べたい、って言えばママだって納得するよ。
 大丈夫だよ、と笑ったブルー。
 ママならきっと、と。「ぼくの我儘、聞いてくれるよ」と。



 そして土曜日、いつものようにブルーの家を訪ねたら。生垣に囲まれた家まで歩いて行ったら、満面の笑顔で待っていたブルー。二階の部屋で。
「あのね、ママがステーキ、焼いてくれるって!」
 ハーレイと二人で食べられるんだよ、今日のお昼御飯にステーキ!
「ステーキって…。お前、本気で言ったのか?」
 お母さんを騙して注文したのか、これはシャングリラの思い出だから、と嘘八百で?
「だって、食べたい…」
 ハーレイと二人で食べてみたいよ、まだ何年も待つだなんて我慢出来ないもの…。
 シャングリラの思い出には違いないんだし、貴重品だったのも本当だし…。
 ちょっと黙っておいただけだよ、前のハーレイと二人きりで食べたことがないっていうことを。それでステーキが食べられるんなら、もう充分だと思うけど…。
 ハーレイだって、食べたいって言っていたじゃない。…二人きりでステーキ。
「そりゃまあ、そうだが…」
 言い出したのは俺なわけだが、良心が痛まないでもないなあ…。
 とはいえ、お前のお母さんは支度をしてくれてるわけで、昼前になったらステーキの焼き加減を訊きに来てくれるんだろうし…。
 申し訳ない気持ちはするがだ、此処は有難く御馳走になるのがいいんだろうな。
 四の五の言わずに感謝の気持ちで、「頂きます」と。



 ブルーの母が運んで来てくれた昼食。鉄板つきのプレートに載せられたステーキが二枚。熱々のそれは、ハーレイの分の肉が大きくて、ブルーの分は…。
「相変わらずだな、お前のステーキ」
 いつも小さいと思って見てたが、こうして改めて目にしてみると…。
 お子様ランチとまでは言いはしないが、お前の年の男の子用とも思えんサイズだ、小さすぎだ。お前くらいの年のガキなら、それだけだと腹が減りそうだがな?
「ぼくはこれだけしか食べられないよ!」
 もっと大きい肉になったら、もう絶対に食べ切れないから!
 どんなに美味しく焼いてあっても、残してしまうに決まってるから!
「前のお前は、もう少し大きい肉を食えたが?」
 小さめがいい、と言ってはいたがだ、今のお前の肉よりはなあ…?
 そこまで小さな可愛らしい肉ではなかった筈だぞ、前のお前が食ってたステーキ。
「いつか食べられるようになるよ!」
 前のぼくと同じくらいの量なら、大きくなったら食べられるから!
 ちゃんと育ったら食べられるんだよ、前のぼくと同じ姿になるまで育ったら。
 今みたいにコッソリ二人きりじゃなくて、ハーレイと二人で堂々とステーキを食べられるようになる頃には、きっと…!



 ハーレイと本当に二人きりで食べる時なら、もっと大きいステーキ肉でも大丈夫、と無茶としか思えない主張をするから。「このくらいでも」と、ハーレイの皿の肉と変わらない大きさを両手で作ってみせるから。
「おいおい、そんなデカイのを食べ切れるのか?」
 前のお前でも食えなかったぞ、そこまでデカいステーキ肉は。
 まさか忘れちゃいないだろうなあ、前のお前の胃袋のサイズの限界ってヤツを?
「忘れていないよ、だけど大きいのも試してみたいよ」
 ハーレイと二人でステーキなんだよ、三百年以上も一緒にいたのに二人きりでは一度も食べてはいなくって…。
 やっと二人で食べられるんだよ、ちょっぴり欲張ってみたいよ、お肉のサイズ。
 それに、大きすぎて駄目だった時は、ハーレイが食べてくれるでしょ?
 ぼくが残してしまったステーキ、前に学校の大盛りランチを綺麗に食べてくれた時みたいに。
「…俺に残りを食えってか?」
 美味い肉ならいくらでも食えるが、俺が残りを片付けることが大前提なのか、デカイ肉は?
 前のお前はそんな無茶は一度も言わなかったが、デカイ肉に挑戦したいだなんて。
「あの頃は、みんなで食べてたからだよ」
 残りはハーレイに食べて貰うなんてこと、みんなの前では言えないじゃない…!
 そんなの一度も考えてないよ、思い付きさえしなかったよ!
 前のぼくたちが恋人同士なことは誰にも秘密で、ハーレイに甘えることなんか無理で…。
 我儘だって言えやしなかったよ、みんなが周りにいる時には…!



 二人きりなら我儘が言える、と嬉しそうな笑みを浮かべるブルー。
「今度はハーレイと二人きりだよ、周りに誰もいないんだよ?」
 ぼくが我儘を言っていたって、変に思う人はいないんだから。
 ママにだって我儘が通ったんだもの、ハーレイに我儘言ってもいいでしょ、今度のぼくは…?
「お母さんに我儘なあ…。確かに通っちまったな」
 そして何年先になるのか分からなかったステーキ、こうして二人で食ってるってか?
 結婚どころかデートにも一度も行かない内から、お前の部屋で。
「うん。ちゃんと二人きりで食べられたでしょ?」
 パパもママもいなくて、ハーレイと二人。
 思い出の味だよ、ってママに言ったら、また食べられると思うけど…。シャングリラだと貴重品だったんだよ、って言ってあるから、頼まなくても、また焼いてくれるかもしれないけれど…。
 でも、ハーレイとホントのホントに二人きりでステーキ、食べたいなあ…。
 こんな風にコッソリ二人きりじゃなくて、ちゃんと二人で美味しいお店に出掛けて行って。
「俺もそうだな、思いがけなく早く二人で食べられはしたが…」
 お前のお蔭で食べられたんだが、お前の我儘な注文が聞けるステーキってヤツを食いたいな。
 俺のと変わらないほどデカイ肉がいいとか、そういう我儘を聞きながら。
 ついでに、店に行くのもいいが…。
 俺が自分の家で焼くステーキ、自慢の腕も披露したいもんだな、今度の俺は一味違うぞ?
 前の俺も厨房にいた頃に焼いてはいたがだ、あの頃より腕は確かだってな。
 ステーキが身近になっている分、経験値ってヤツが上なんだ。もう段違いだ、ステーキを焼けば前より断然美味いって自信を持ってるぞ、俺は。



 焼き加減はもちろん、ソースも色々…、と挙げていった。
 シャングリラでは合成だった酒が本物になったことやら、前の自分たちが生きた頃には無かった食材が使えることやら。
「一番なのは多分、わさび醤油だな」
 あの時代には考えられなかった食べ方じゃないか、ステーキの。
 ワサビも醤油も無かったからなあ、マザー・システムに文化ごと消されちまってな。
「無かったね…。わさび醤油で食べてみたくても」
 試してみたい、って思ったとしても、お醤油もワサビも無かったんだし…。
 ワサビっていう植物は何処かにあったんだろうけど、海藻と同じで、食べられるものだと思っていなかったものね。
 今だとワサビが無いなんて考えられないけれど…。お刺身もお寿司も、ワサビだけれど…。
「そうだな、ワサビはあったのかもなあ、シャングリラには植えていなかったがな」
 アルテメシアの植物園に行けばあったかもしれんな、ワサビという名前で植えられていて。
 誰も食べ物だと思わなかっただけで、そりゃあいい匂いがしていたかもなあ、美味いワサビの。



 いつか二人でワサビ醤油でステーキを食べてみるのなら…、と提案してみた。
「ステーキ肉を買いに行く前にだ、ちょっとドライブと洒落込まないか?」
 新鮮なワサビを手に入れに出掛けようじゃないか、俺の車で。
「ワサビって…。何処へ?」
 ハーレイ、いいお店、知ってるの?
 其処へ行ったら、新鮮なワサビが買えるお店を?
「店じゃなくてだ、産地直送っていうヤツだな。ワサビ農園までドライブだ」
 ワサビ農園、写真くらいは見たことがないか?
 あれは綺麗な湧き水を使って育てるからなあ、普通の畑とはちょっと違うぞ。
 いいか、湧き水だ、地球の水だ。そいつが沢山湧いていないとワサビは育たないってな。地球の恵みだ、青い地球だからこそ美味いワサビが育つんだ。
 そういう所へ行ってみないか、俺と二人でワサビを買いに。
 前の俺たちが二人きりでは食い損なったステーキ、それを美味しく食べる前にな。



 二人きりでステーキを焼いて食べるなら、地球の水で育った新鮮なワサビ。
 湧き水が育てたワサビを二人で買いに出掛けて、それで作ったワサビ醤油をたっぷりとつけて。
「美味しそう…!」
 買って来たばかりのワサビだったら、きっと素敵な匂いがするね。
 ツンと鼻まで抜けるみたいなワサビの匂い。ワサビ農園もおんなじ匂いがするかな、綺麗な水で育ったワサビが沢山生えているんなら。
「ワサビ、好きか?」
 俺たちに好き嫌いってヤツは無いがだ、お前、ワサビは好きな方なのか?
 前の俺たちは全く知らない味だからなあ、ワサビの味は。
「好きだよ、小さい頃から平気」
 子供向けのお寿司はワサビを抜くでしょ、でもね、ぼくは平気だったんだって。
 幼稚園の頃に、パパとママのお寿司を間違えて食べちゃったことがあってね、二人とも、ぼくが泣き出すと思ったらしいんだけど…。
 ぼくはビックリしたみたいに目を真ん丸にしていただけで、そのまま全部食べちゃった、って。
 「ピリピリするね」ってニコニコしたから、パパもママもポカンと見ていたらしいよ。
「…ほほう、そいつは武勇伝ってヤツだな」
 お前にもあったか、武勇伝が。
 それは誇っていいと思うぞ、幼稚園の頃から大人用の寿司を平気で食えたんならな。
 俺も食ったと親父たちに聞いたが、まさかお前が食ってたとはなあ…。幼稚園に通ってたチビのくせにだ、大人用のワサビたっぷりの寿司。



 小さなブルーはワサビが好きだと言うから。買わねばなるまい、ワサビ農園まで車で出掛けて、採れたばかりの新鮮なものを。ドライブを兼ねて、二人で行って。
「ワサビを買って帰って来たなら、サメ皮のおろしの出番だな」
 おろすにはアレが一番だってな、ワサビにはな。
「サメ皮も地球の海のサメだね、海で獲れるサメ」
 青い地球だからサメもいるんだよね、サメ皮のおろしが作れるサメ。
「サメ皮のおろし、前の俺たちの頃には無かったぞ」
 地球の青い海も無かったわけだが、サメ皮のおろしを作る文化も使う文化も無かったからな。
 ワサビとセットの文化なんだぞ、サメ皮のおろし。
「そういえば…!」
 あるわけないよね、サメ皮のおろし…。
 ワサビを食べようって文化が無いのに、ワサビ用のおろしがあっても使えないものね…。



 前の自分たちが生きた頃には、ワサビも無かったし、醤油も無かった。
 ステーキ肉はあったけれども、二人きりでは食べられなかった。白いシャングリラでステーキは何度も食べたけれども、二人きりで食べたことは一度も無かった。本当にただの一度でさえも。
「ねえ、ハーレイ。二人きりで食べる最初のステーキ、わさび醤油?」
 わさび醤油なの、ハーレイと二人きりで初めて食べるステーキには?
「今、二人だが?」
 俺と二人きりで食ってるじゃないか、お前の我儘とやらのお蔭で。
「本当の意味での二人きりだよ!」
 ハーレイと二人でデートに出掛けて、ワサビ農園でワサビを買って帰って…。それでステーキを食べるんでしょ?
 わさび醤油で、ハーレイと二人きりの初めてのステーキ。
「そいつもいいが…。わさび醤油で食べるステーキも美味いんだが…」
 本当の意味での初めてとなったら、そこはやっぱり伝統の味にしたいじゃないか。
 前の俺たちが何度も一緒に食っていたのに、二人きりではなかったステーキ。
「じゃあ、シャングリラ風にしてみるの?」
 前のハーレイが焼いてた時のレシピでソースを作ってくれるの、ステーキ用の?
 シャングリラにあったステーキ用のソース、元はハーレイのレシピだものね。
「うむ。特に凝ったソースってわけでもなかったがな」
 おまけに材料の方も単純だったな、今みたいに色々と手に入る時代じゃなかったからな。
 あの船でも充分に美味く食えるよう、俺なりに工夫を凝らしてはいたが…。
 そのせいかどうか、俺が厨房から消えた後にも、ソースのレシピを変えようってヤツはゼロで、新しいレシピを作ったヤツさえいなかったってな。



 前の自分が厨房にいた頃、考案したステーキ用のソースのレシピ。
 ブルーと本当に二人きりで食べる初めてのステーキにはそれを使おう、遥かな昔の古いレシピで白いシャングリラのレシピだけれど。今の自分なら、使わないようなレシピだけれど。
 それでも懐かしい味を出したい、前のブルーと二人きりでは食べ損なったステーキだから。
 今度は二人で、二人きりでステーキを食べるのだから。
「…あのレシピだと、今の俺たちには物足りないかもしれないが…」
 材料が本物の地球のヤツだし、案外、変わってくるかもな。
 ステーキにしたって、地球で育った牛の肉を焼き上げるわけなんだし…。
「きっと美味しいよ、ハーレイが焼いてくれるステーキ」
 シャングリラで食べていた頃よりも、ずっと。
 材料もそうだし、ハーレイのステーキを焼く腕もグンと上がってるんでしょ、前よりも?
 それで美味しくならない方が変だよ、とても美味しく出来上がるよ、きっと。
「そうだな、おまけにお前と二人きりだしな」
 前の俺たちは二人きりでは食えなかったが、今度は二人で食えるんだ。
 二人きりで食う最初のステーキは俺の家で焼いて、俺の家でゆっくり食べるとするか。
 シャングリラのソースを作れる人間、俺の他にはいないんだからな。



 いつかは本当に二人きりで食べよう、ステーキを焼いて。
 最初のステーキはシャングリラで食べていた頃のソースを使って、その後は色々工夫して。車でワサビ農園に出掛けて買ったワサビでわさび醤油や、他にも様々なステーキの食べ方。
 今度は二人きりで食べられるから。
 前の自分たちが食べ損なった分まで、何度も、何度も、二人きりで。
 小さな肉しか食べられないくせに、大きな肉でも大丈夫だと我儘を言うらしいブルーに、大きな肉を焼いて熱々のを鉄板に載せてやって。
「えっと…。大きなお肉を食べ切れなかったら、ハーレイ、食べてよ?」
 ぼくがステーキを残しちゃったら、大盛りランチの時みたいに。
「もちろんだ。俺がすっかり残さず平らげてやるさ」
 それでだ、そいつを食い終わったら…。
 その後はお前を食うとするかな、と片目を瞑った。
 極上のステーキよりも柔らかくて美味いお前をな、と。
 ブルーは「ハーレイっ…!」と真っ赤になったけれども、たまにはこういう冗談もいい。
 今はまだキスも出来ない小さなブルーを、ステーキよりも美味しく食べてもいい日。
 その日はずっと先だけれども、小さなブルーはその日を夢見ているのだから。
 いつか、その日もきっと訪れる。
 二人きりでステーキを食べられる日も、ブルーを美味しく食べられる日も…。




           二人で食べたい・了

※前の生では、二人きりで食べたことが一度も無かったステーキ。船で何度も食べたのに。
 初めて二人で食べられましたが、いつかは本当に二人きりで、ワサビ醤油などで美味しく…。
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