シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ほほう…」
こいつは使えそうだな、ってハーレイが見ているテーブルの上。パパとママも一緒の夕食の席。仕事帰りに寄ってくれたハーレイのお蔭で食卓がグンと賑やかになって、ぼくも嬉しい。
すっかり家族の一員のハーレイ。料理だってお客様向けの気取った料理じゃなくって、いつもの料理。ママが多めに作るというだけ。
(…使えそうって…。今日の、凝ってる?)
ママが得意なポトフのアレンジ、ちょっぴり豪華に見えるテリーヌ。ポトフをゼラチンで固めるだけの普段の料理なんだけど…。
「ハーレイ、これを何に使うの?」
興味津々で訊いてみた、ぼく。ハーレイは「ん?」と、ぼくの方を見て。
「ちょっとした料理だ、閃いたからな」
「閃いたって…」
何が? と訊き返す前に、ママが笑顔で口を挟んだ。
「あらまあ、参考にして頂けるなんて嬉しいですわ」
ハーレイ先生は料理もお得意なんですってね。ご自分で色々お作りになるとか。
「いえ、それほどでも…」
下手の横好きとも言いますからね。作るからと言って、上手かどうかは別の話ですよ。
「ブルーがいつも言っていますわ、得意なんだよ、って」
ハーレイ先生のお宅で食べたお料理が忘れられないみたいなんですの。
それにキャプテン・ハーレイでいらした頃には、元々はお料理をしてらっしゃった、って…。
「ええ、まあ…」
そうなんです、と苦笑いしているハーレイ。
元は厨房担当でしたと、気付いたらキャプテンになっていただけで、と。
ママは「それじゃ色々と大変だったんでしょうね、お料理担当の頃は」と船の仲間の人数とかを訊いて、「そんなに沢山?」とビックリしてる。作ってる間に疲れそうだと、肩だって凝ると。
「いえ、一人じゃとても作れませんよ」
ちゃんと係がいましてね。これとこれを作る、と指示さえすれば一緒に作ってくれるんです。
私の仕事は主に試作ですね、この材料で何が出来るかと工夫をしたり、古いレシピを探したり。
「なるほど、シャングリラのシェフですな」
パパも話に加わった。
「それで今でも料理が得意でいらっしゃる、と」
「キャプテン・ハーレイだった頃の記憶は全く無かったんですが…」
何処かに残っていたんでしょうかね、料理をするのは好きでした。
学生時代もあれこれ作って、友人たちに振る舞っていましたよ。
「まあ、どおりで…。手際が良くてらっしゃいますもの」
ブルーのために、って野菜スープを作って下さる時の。
野菜を刻んでらっしゃる手付きが、素人さんとはまるで違いますわね。
「その野菜スープ…。私の料理の腕を疑われていたような気もするんですが…」
「すみません。だって、味付けがお塩だけだなんて…」
「あれは塩だけだったんですか!?」
パパが今頃、驚いてる。ハーレイがスープを作ってる時にキッチンを覗きはしたんだろうけど、最初から最後まで見ていたわけじゃないらしい。
それはそうだよね、パパだってたまに料理をするけど、横で見られてたら気分が落ち着かないと思うんだ。だからハーレイのスープ作りもチラッと覗いて、それでおしまい。
ママの場合は自分もキッチンで料理中だし、自然と目に入って、ちょっと手助けをしたくなる。不味いスープが出来そうだから、と調味料とかのアドバイス。
ぼくが寝込んでしまった時だけ、ハーレイが作りに来てくれる野菜のスープ。
前のぼくが好きだった、野菜のスープ。何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料と言えば立派に聞こえる塩だけを入れてコトコト煮込んだ素朴なスープ。
何も食べたくないって時でも、あのスープだけは喉を通った。ハーレイはどんなに忙しくっても作ってくれたし、ぼくが食べ終わるまで側についててくれた。
思い出が沢山詰まっているから、スープのレシピは変わらないまま。
シャングリラに色々な調味料が出来てブイヨンなんかが常備されても、ぼくは塩だけのスープが好みだったし、栄養のためにって卵を落として貰うのが限度。それ以外の変更は全く無し。
そんなわけだから、今のハーレイが作ってくれるスープも、もちろん塩だけ。
見ていたママが「これはこうしたら」とか「こんな味付けもありますよ」って言いたくなっても無理ないと思う。
野菜は煮る前に炒めてみたら、とか、ブイヨンを使った方がいいとか。
お塩しか入っていないスープは野菜の旨味が溶け込んでるから、実は優しい味がする。おまけに今は地球の野菜で作られるせいで、シャングリラの頃よりもずっと美味しい。
だけど傍目には塩だけのスープ。正体を知ったパパが仰天するスープ。
ママが「本当にお塩だけなのよ」ってクスクス小さく笑いながら。
「最初は驚きましたけど…。ブルーはあの味が好きなんですってね?」
「そうです、シャングリラに居た頃にレシピを変えたら叱られましてね」
あの味がいいと、前の味の方が良かったと。
私としては美味しく工夫をしたつもりなんですが、端から駄目だと言われましたよ。
ソルジャーなだけに頑固でしたね、頑として譲らないんですから。
「ふむふむ…。ソルジャーだったら頑固な所も必要になってくるんでしょうが…」
今のこいつだと我儘にしかなりませんなあ、同じように頑固に踏ん張ってみても。
「それもそうねえ、ブルーだとただの我儘だわね?」
「酷いよ、パパ、ママ!」
ぼくは我儘じゃないってば、って抗議したけど、ハーレイまでが「いやいや、どうだか…」って笑う始末で。ソルジャー・ブルーだった頃なら「意志の強さ」で通った部分は、今じゃ我儘になるらしい。
プウッと頬っぺたを膨らませたぼくを放って、野菜スープのシャングリラ風の話題に花が咲いたテーブル。前のハーレイの厨房時代の話なんかも飛び出した。
夕食が大いに盛り上がったから、食後のお茶もぼくの部屋じゃなくてダイニング。パパとママも一緒に賑やかに過ごして、ハーレイは「またな」と帰って行ったんだけれど。
(ハーレイ、今でもホントに料理好きだよね)
お風呂に入って、パジャマに着替えて。ベッドに腰掛けて、楽しかった夕食を思い出してみた。
ハーレイがシャングリラで作ってた料理の話や、それを今ならこんな風に料理してみたい、って話だとか。前のぼくたちが知らなかった和風の出汁を使えばこう変わる、とか。
パパとママも相槌を打ったり、一緒になってアレンジの仕方を考えてみたり。
(ひょっとしたらハーレイ、何か夜食に作ってるかもね?)
シャングリラの頃の料理じゃなくても、ちょっとした料理。手早く作れて美味しいもの。
(食べてみたいな、作ってるんなら…)
ぼくも食べたい、とハーレイの料理が欲しくなった所で引っ掛かった記憶。遠い昔の前のぼくの記憶ってわけじゃなくって出来たてほやほや、今日の夕食で出て来た話題。
(…ハーレイ、使えそうだって言った…?)
話が横道に逸れて行っちゃって、ぼくは訊き損ねてしまったけれど。
野菜スープの話が始まった切っ掛けはハーレイの言葉で、「閃いた」っていう言葉。
ちょっとした料理に使えそうだと、ポトフのテリーヌを眺めて言ってた。
ハーレイは何を作ろうとしているんだろう?
ポトフなのかな、それともテリーヌ?
ヒントはポトフのテリーヌだけ。それだけじゃぼくには分からない。料理は調理実習くらいしか経験が無いし、前のぼくだって料理はしていなかったから。
(ポトフから何か閃くのかな?)
煮込む材料を変えてみるとか、新しい味付けを思い付いたとか。
(テリーヌだったら…)
駄目だ、ポトフよりずっと手強い。テリーヌは色々あるんだもの。今日みたいなゼリー寄せとは違って、ママがオーブンで焼いて作るのもある。そっちの方が種類も豊富。ハーレイがオーブンを使うテリーヌの方で閃いたんなら、ぼくはお手上げ。
(何だったんだろう、ハーレイが作りたい料理って…)
ポトフなんだか、テリーヌなんだか。凄く気になるし、知りたいんだけど、それと同時に。
(…どっちにしても…)
ぼくは食べさせては貰えない。
ハーレイが新作を完成させても、ぼくの家に届けてくれたりはしない。ぼくの家で食べる料理はママの管轄、ハーレイの料理は有り得ない。「俺が作って持って来たら恐縮されちまう」と何度も言ってて、買った食べ物しか持っては来ない。
(…食べられないんだ、ハーレイの新作…)
前のぼくみたいに試作品のつまみ食いをすることも出来ない。
作ってる横から「何が出来るの?」って覗き込んで味見をすることだって。
(聞かない方が幸せだったかも…)
ハーレイの呟き。
使えそうだな、っていう料理の閃き。
出来た料理を食べられないなら、聞かなかった方がマシだった。新作を作るって知らなかったら食べたいだなんて考えもしない。食べられないことで悲しくなったりもしない。
ぼくは食べたくて仕方ないのに。
ポトフのテリーヌで閃いたというハーレイの新しい料理。食べてみたくてたまらないのに、今のぼくは食べる機会が無い。ハーレイの家に行けはしないし、持って来て貰うことも出来ないから。
(結婚したら食べられるんだろうけど…)
一緒に暮らすようになったら、食事も一緒。ハーレイが作る料理を食べられるけれど。
その頃にはぼくは忘れちゃってる。
ポトフのテリーヌで生まれた料理があったってことを忘れちゃってる。
(覚えておこう、ってメモをしたって…)
きっと忘れるし、メモだって失くす。
宝物みたいに大切に残しておいたとしたって、ポトフとテリーヌじゃ分からない。ぼくが日記をつけてたとしても、其処にキッチリ書いておいても、肝心の料理を食べる頃には意味不明。
何がポトフでテリーヌだったか、思い出せやしないに決まってる。第一、日記を読み返さないと今日の出来事は出て来やしない。
(ホントに聞かなきゃ良かったかも…)
今のハーレイの新作だなんて。
ぼくは食べられない新作なんて…。
かなり落ち込んでしまったけれども、ぼくは十四歳の子供だから。
食べられもしない新作のことでいつまでもくよくよしていられるほど暇じゃなくって忙しい。
学校に行く日と、ハーレイが来てくれる週末、他にもいろんなことが夜明けと共に訪れる日々。新しい一日が次々と来るし、平日だってハーレイの仕事が早く終われば一緒に夕食。
毎日が充実しているお蔭で、ポトフとテリーヌで受けたダメージも和らいでいく。
食べられる頃には忘れていたって、新作はいつか食べられる。
ハーレイと暮らせるようになったら、いつかはきっと食べられるんだ、って。
ぼくが忘れてしまっていても。
ポトフとテリーヌを忘れちゃってても、新作は逃げて行かないから。
その頃にはハーレイの定番の料理になってしまって、当たり前のように出されそうだけど。
「今日はこれだぞ」って出て来そうだけど、それでもいいんだ。
運が良ければ思い出せるよ、ポトフとテリーヌ。
そして訊けるよ、「これがあの時の新作だった?」って。
そういう毎日を過ごしていたのに、今日は起きたら途端に眩暈。
大したことはないんだから、と顔を洗いに出掛けた所でもう一度起こして座り込んでしまった。ほんのちょっとだけ座っていれば治ると思っていたのに、ママに見付かって学校は休み。
(ハーレイの授業がある日なのに…)
熱だって無くて眩暈だけなのに、と悔しいけれども、身体の弱いぼくは用心も大切なんだから。
甘く見ちゃって酷い目に遭ったこともあるから、休まされても仕方ない。
(だけど学校、行きたかったよ…)
ぼくは寝ているだけなんだから。
頭もお腹も痛いわけじゃないし、寝かされてるってだけなんだから。
退屈な日が過ぎて、夕方になって。
そろそろハーレイの仕事が終わる時間で、もう少し経てばぼくの家に寄ってくれそうな頃。
(スープ、作りに来てくれるよね?)
ぼくが休んでいるんだから。
よっぽど仕事が忙しくない限り、ハーレイは野菜スープを作りに家まで来てくれるんだから…。
もうすぐだよ、と待っているのに、鳴らないチャイム。
いつまで経っても鳴ってくれない、来客を知らせるチャイムの音。
(もうこんな時間…)
枕元の時計を眺めて溜息をついた。
野菜を刻んで煮込むだけでも一瞬で出来るわけじゃないから、ハーレイは夕食を食べに寄る時と変わらない時間に来ることが多い。その時間はとっくに過ぎてしまって、食事の前のお茶の時間も終わりそうな時刻。
この時間までに来てくれなかったら絶望的。
ハーレイは来ない。
きっと忙しかったんだろう。今日はハーレイは来てはくれない。
(…ハーレイ、来てくれなかったよ…)
今日はホントにツイていない、と涙が零れそうになる。
ハーレイに会えずに終わる一日。会えないままで終わってしまう日。
もう何度目だか分からない溜息を零した所でチャイムが鳴った。今頃、誰かは知らないけれど。
(きっとご近所さんだよね)
でなければパパかママの友達。そういう人しか、もう来ない時間。
もっと早くに鳴って欲しかった、とベッドの中で丸くなった。
ハーレイが鳴らすチャイムの音を聞きたかったのに。それが鳴るのを待っていたのに、とうとう鳴らずに終わったチャイム。他の誰かが、こんな時間に鳴らしたチャイム。
もうすぐママが食事を持って来てくれるだろうけど、食べたくない。
お昼御飯は食べたけれども、今は食べたくない気分。
ハーレイの野菜スープなら食べるのに。
あのスープだったら、どんな時でも食べられるのに…。
もう嫌だ、って丸くなってたら。
「…ブルー?」
起きてるか、って聞こえたハーレイの声。それに扉が開く音。
(なんで?)
どうしてハーレイが此処に居るの、って顔を上げたらパッと点いた明かり。ハーレイが扉の所にトレイを持って立っていた。見間違えようもない大きな身体と、優しい笑顔。
「ハーレイ…。来てくれたの…?」
いつもの時間よりずっと遅いよ、もう来ないんだと思っていたよ。
忙しかったのに、わざわざ帰りに寄ってくれたの…?
「いや。早めに終わったからこいつを作りに帰っていたんだ」
待たせちまったが、晩飯の時間までには間に合わせたと思うがな?
「…なに?」
「こないだ言っていただろう。使えそうだと」
俺の新作、野菜スープのシャングリラ風が化けました、ってな。
ほら、とハーレイがぼくに差し出したトレイ。
お皿の上に綺麗なテリーヌ。細かく細かく刻んだ野菜が閉じ込めてある。
野菜スープがテリーヌに化けた。ゼリー寄せになって、テリーヌに化けた…。
(これだったんだ…)
ハーレイが閃いたって言ってた新作。ママが作ったポトフのテリーヌがヒントの新作。
ぼくは食べられやしないって落ち込んでたけど、ちゃんと出会えた。食べて下さい、ってぼくの前に出て来た、野菜スープのシャングリラ風。それを固めて作ったテリーヌ。
「ん、どうした?」
レシピはなんにも変えちゃいないぞ、味が変わらないように試作もしたしな。
「ホント!?」
「本当だとも。まあ、食ってみろ。お前好みの味の筈だぞ」
「うんっ!」
ドキドキしながら添えてあったスプーンで掬ってみた。スプーンの上でぷるんと揺れたスープを口に運んだら、懐かしい味。前のぼくが食べていた時より遥かに美味しく感じるけれども、野菜と塩だけで出来たスープの素朴さは同じ。ぼくが大好きな野菜スープのシャングリラ風。
だけど不思議な、滑らかな喉越し。ツルンと喉を通ってゆく。塊になったスープが喉をスルリと滑り落ちてゆくし、舌の上で柔らかくほどけたりもする。
(美味しいよ、これ…)
おんなじ野菜のスープなのに。
いつもと変わらない味がするのに、とても新鮮。
ハーレイの新作の野菜のスープ。ポトフのテリーヌから生まれた新作…。
ぼくは夢中で掬って食べた。ぷるるんと揺れる野菜スープを、野菜スープのテリーヌを。
掬って、舌で味わって。それから喉へと送り込んでいたら、ハーレイがぼくに訊いて来た。
「どうだ?」
俺の新作、気に入ったか?
「うん、美味しい!」
同じ味なのに全然違うよ、スープとおんなじ味がするのに。
ゼリーで固めたら感じが変わるね、だけどとっても美味しいよ、これ。
「そうか。俺が食うには物足りなくてな、試作中にはあれこれ工夫してたが…」
食う時に色々なソースを添えたりしていたもんだが、お前はやっぱりコレなんだな。
手を加えるより、この味がいい、と。
「そう!」
お洒落なテリーヌに仕上げるんなら、それこそソースを添えるんだろうけど…。
ハーレイが食べてたみたいな方法がいいんだろうけど、ぼくはこれが好き。
前のハーレイのスープと同じ味がするから大好きなんだよ、お塩だけしか入ってなくても。
それに…。
「それに?」
なんだ、と先を促すハーレイは料理の感想だと思っただろう。
でも、ぼくが言いたかったことは違うんだ。感想の内には入るだろうけど、味じゃなくって。
「ハーレイの新作、食べられたよ」
「だから新作だと言ってるだろうが」
「そうじゃなくって、ハーレイが閃いたって言ってた新作」
ポトフのテリーヌで閃いたって言っていたから、ハーレイが家で食べる料理だと思ってた。
まさかこんなのだとは思わないから、ぼくは食べさせて貰えないんだ、って…。
ハーレイが作って食べていたって、ぼくはハーレイの家には行けないから。
大きくなるまで食べられなくって、食べられる頃には新作のことも忘れてるよね、って。
新作が出来ても、これなんだって分かる間には食べられないって思ってた…。
すっかり忘れた頃に食べても、なんだか寂しい気がするから。
聞かなきゃ良かったと思ってたんだよ、新作の話。
ぼくはテリーヌを食べる手を休めて一気に話した。
ハーレイの新作を食べられないことで落ち込んでたとか、メモを残そうとしただとか。ポトフとテリーヌってメモを残しても無駄だろうから諦めたとか。
「ホントのホントに残念だったんだよ、ハーレイの新作が食べられないんだ、って」
ちゃんと食べさせて貰ったけれど。
ポトフのテリーヌがヒントの新作、覚えてる間に食べられたけど…。
「そうだったのか…。お前、俺の台詞をしっかり覚えていたんだな」
お前のために作る予定だったし、説明は要らんと思ったんだが。
あの後、お前が落ち込んじまうと分かっていたなら、話してやれば良かったなあ…。
俺の手料理、お母さんの手前もあるから、持ってくるわけにはいかないんだが。いつもの野菜のスープだったら工夫してくるのもアリだってな。
それにしても、こういうアレンジもあったか、野菜スープのシャングリラ風。
長い長い間、こいつを作っていたのに、前の俺には思い付かなかったな、テリーヌはな。
ぼくもビックリした、野菜スープのシャングリラ風の大変身。
ハーレイの新作がこんなのだなんて思いもしないし、本当に夢を見ているみたい。落ち込んでた頃が嘘みたいだけど、ホントに新作を食べられたんだ。ポトフのテリーヌから生まれた新作。
「ねえ、ハーレイ。…ぼく、ハーレイが作る料理が好きだよ」
前のぼくの頃もそうだし、今だって、そう。
ハーレイが作ってくれるものなら何でも食べるし、食べられるよ。
「うんとでかいステーキ肉でも食べられるか?」
「それは無理!」
きっと美味しいと思うけれども、食べ切れないよ。
食べられることと食べ切れることは話が別だよ、ぼく用の量を考えてよ!
「ふうむ…。今日のスープの量はいつもと変えていないが、食べ切れそうか?」
「うん。これくらいが今のぼくの適量」
「分かった、分かった。そして食欲のある時だったらもっと食える、と」
しかし、お前が寝込んだ時にはこの量なんだな。
こいつを目安にまた工夫するか、閃いた時に。なあ、ブルー?
次の閃きがいつになるかは分からんがな、ってハーレイがぼくの頭を撫でてくれた。
ぼくの大好きな温かな笑顔で、「しっかり食べろよ」って決まり文句も。
ハーレイが作ってくれた新作、野菜スープのゼリー寄せ。
野菜スープのシャングリラ風のテリーヌをお洒落に呼ぶなら、なんて名前になるんだろう?
食べながらハーレイにそう訊いてみたら。
「うーむ…。野菜スープのシャングリラ風、テリーヌ仕立てっていう所か?」
「なんだか凄いね、レストランに行ったら出て来そうだよ?」
「違いない。スライスして洒落た皿に乗っけて、ソースを添えてな」
「ハーレイの腕の見せ所だよね、シャングリラのシェフの」
名前だけなら人気が出そうだ、と二人で笑った。メニューに載せても塩と野菜の味しかしなくて素朴すぎるから、もう一度食べたいって人はきっと一人も無いだろうけど、と。
野菜スープのシャングリラ風、テリーヌ仕立て。
こんな新作が食べられるんなら、たまには寝込んでしまうのもいい。
学校でハーレイに会うことは出来ないけれども、ハーレイの新作が食べられるなら…。
料理と新作・了
※食べてみたい、とブルーが思ったハーレイが作る新作の料理。食べる機会は無いというのに。
けれど、食べられた素敵な新作。寝込んでしまっても、これならきっと幸せです。
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(ふむ…)
面白いものを見付けたな、とハーレイは開いていた本のページを眺めた。夕食を終えて片付けを済ませ、風呂に入る前の寛ぎの時間。今夜は書斎で読書だったが、その本の中に。
(こういうものがあるとはなあ…)
木彫りのスプーンの写真が幾つも。それも相当に凝った作りで、柄の部分に様々なものが彫ってある。蹄鉄だとか、鎖だとか。実用品と言うよりも飾り。
(こいつはブルーに教えないとな?)
スプーンの写真を端から頭に叩き込んだ。自分の本ならブルーの家まで持って行けるが、借りた本ではそうもいかない。もしもブルーが読みたがっても、貸してやることが出来ないから。
同僚から借りたガイドブック。夏休みの間に旅行に行った、と話していたから、ガイドブックを貸して貰った。いつかブルーと旅をする時の参考にしよう、と。
ブルーとは何度も約束していた。結婚したら旅に行こうと、地球のあちこちを回ってみようと。
(好き嫌いを探そうなんて話もあったな)
お互い、好き嫌いというものが全く無いから。
好き嫌いなど言ってはいられなかった前の生の名残がそれだろうか、と二人で話した。それでは人生つまらないから、嫌いな食べ物を探しに行く旅。嫌いなものが見付からなくても、好きなものならきっと見付かる。その地まで是非食べに行きたい、と思うような何か。
二人で旅をする未来に備えて、ハーレイは情報収集に励んでいるのだけれど。
(まさに棚から牡丹餅ってな)
本を閉じると鼻歌混じりにキッチンへ行って、サラダなどを取り分ける時に使うスプーンを手に取ってみた。木で出来た、かなり大きめのスプーン。その柄を握って考える。
(これよりはずっと小さかったが…)
形の方はそっくりだな、とスプーンの縁を指でなぞって、元の位置へと戻しておいた。それから薄いコーヒーを淹れて、書斎に戻る。かき混ぜるほど砂糖は入れていないのに、銀色のスプーンをマグカップの中に突っ込んで。
(さて、と…)
机の前に座ると引き出しを開けて日記帳を持ち上げ、その下から一冊の写真集を出した。表紙に前のブルーの写真が刷られた『追憶』という名のソルジャー・ブルーの写真集。
表紙の真正面を向いたブルーは、青い地球を背景にして憂いを秘めた瞳だけれど。
いつもは目にすると辛くなる写真だけれども、今日のハーレイは少し違った。遠い昔に失くしてしまった恋人の写真に微笑み掛ける。
「おい、知っていたか?」
俺はお前に凄いプレゼントをしていたらしいぞ、俺たちはまるで気付かなかったが。
今の俺も今日まで知らなかったが…。
これだ、とマグカップに突っ込んで持って来たスプーンを持ち上げて見せた。
この本にスプーンが載っているのだと、由緒正しいスプーンらしい、と。
「なあ、ブルー?」
スプーンだぞ、スプーン。
世の中、実に広いもんだな。青い地球にも来てみるもんだなあ…。
次の日、嬉しいことに仕事が早めに終わったから。帰りに車でブルーの家に寄り、夕食を一緒に食べることにした。ブルーの母が笑顔で迎えてくれて、夕食が出来るまではティータイム。二階のブルーの部屋で紅茶と軽い焼き菓子。
テーブルを挟んでブルーと向かい合いながら、ハーレイは早速尋ねてみた。
「ブルー、覚えてるか? 前の俺が最初に作った木彫り」
「どれのこと?」
ブルーは少し首を傾げて。
「宇宙遺産のウサギじゃないよね、あれはトォニィのために彫ったヤツだし…」
ウサギじゃなくってナキネズミだっけ、それに最初じゃなくって最後?
「そうだな、俺の最後の作品かもしれん」
いや、違うか…。ナスカの子たちには彫ってやったか、一人に一個。
「律儀だね…」
「トォニィだけだと不公平だろうが」
「それって不幸の間違いじゃないの?」
不公平じゃなくって不幸だよ、それ。あんな下手くそな木彫りを貰っちゃっても困るよ。
「こらっ!」
みんな大事にしてくれたんだぞ、だから今でもウサギがあるんだ。
宇宙遺産になって残っているんだ、前の俺が作ったナキネズミがな。
ブルーの頭を軽く小突いて、ハーレイは話を元へと戻した。
「宇宙遺産のウサギはともかく、俺の最初の作品だ」
一番最初に作った木彫りだ、忘れちまったか?
「何だったっけ?」
「お前にやったろ、前のお前に」
「ぼく?」
キョトンとしたブルーは遠い記憶を暫く探っていたようだけれど。
「ああ、スプーン…。木彫りのスプーンをくれたっけね」
あれはマシだったね、宇宙遺産のウサギと違って。
ちゃんとスプーンの形をしてたし、使ってもちゃんと使えたし。
一番最初の作品にしてはいい出来だったよ、器用なんだな、と思ったもの。
「俺なりに頑張って彫ったつもりだ、お前に使って欲しくてな」
「そう言ってたよね、木の味わいがどうとかって」
金属で出来たスプーンと違って温かいとか、優しいだとか。
使えば使うほど味が出るとか、とてもハーレイらしかったよ。
前のハーレイ、木の机を大事にしていたもの。せっせと磨いて、手入れをして。
「そうだったな。でもって、あの時の俺のスプーンなんだが…」
俺はお前にプロポーズをしていたらしいぞ、あの時に。
「えっ?」
赤い瞳を丸くするブルーに、ハーレイはパチンと片目を瞑った。
「そしてお前はオッケーしたんだ、俺のプロポーズ」
「…どういう意味?」
分かんないよ、と狐につままれたような顔をしている小さなブルー。それはそうだろう、と苦笑しつつも、ハーレイの愉快な告白は続く。
「お前、受け取っただろう、俺が作った木彫りのスプーン」
「そうだけど?」
「あれを受け取ったら、それでプロポーズを受けたことになる」
「ホント!?」
嘘じゃないの、とブルーは疑いの目で見ているけれども、ハーレイには自信があったから。
「本当だとも」
男が木彫りのスプーンを作って、意中の女性に贈るんだ。
受け取って貰えたらプロポーズ成功、後は結婚するだけだ、ってな。
そういうプロポーズの方法が存在したんだ、ずうっと昔に。
前の俺たちが生きていた頃よりも、もっと遥かな昔の地球にな。
「スプーンを贈ってプロポーズって…」
信じられない、とブルーが何度も瞬きをする。
「ハーレイ、何処でそんなの聞いて来たの?」
「聞いたんじゃなくて、読んだんだ。学校の同僚から借りた本でな」
今の地球にもあるだろ、イギリスって地域。
其処が本物のイギリスって島国だった時代の、ウェールズってトコの習慣らしい。
今じゃ文化も復活していて木彫りのスプーンも土産物に買えるが、昔は自分で彫るものだった。好きな女性が出来た男が、心をこめてせっせと彫るんだ。その名もズバリ、ラブスプーンってな。
こんなヤツだ、とハーレイはブルーの手に触れて写真の記憶を送った。
覚えておこうと昨夜頭に叩き込んでおいた、幾つもの木彫りのスプーンの写真を。
「ラブスプーン…」
ホントだ、とブルーは送り込まれた記憶の写真を頭の中で眺めながら。
「これ、ハーレイのスプーンよりもずっと凝ってるよ?」
「意味があるからな、このモチーフに」
あの頃の俺が知っていたなら、もっと頑張って彫ったんだが…。
「ハーレイ、あのスプーンって、プロポーズのつもりで渡してた?」
「いや、あれは単なるプレゼントだが」
「それじゃモチーフに凝っても意味は無いんじゃない?」
「まあな。だが、こうして今頃、思い出すなら…」
ラブスプーンなんて代物に出会えるんなら、凝っておいたら良かったなあ、と。
「どんな風に? 意味があるって言ったよね?」
「モチーフを上手く組み合わせて作れば、メッセージになるらしいんだ」
頑張って働いて幸せにするから結婚してくれとか、欲しい子供の数とかをな。
「ぼくは子供は産めないんだけど…」
「そいつは俺だって充分に分かっているさ」
だからさっき見せた写真の、枠の中に珠が入っているヤツ。
あれは彫らなくてもかまわないんだ、あの珠の数が欲しい子供の数だしな。
初心者には珠はハードルが高い。彫ろうとしたって無理だったろうが、不要だった、と。
欲しい子供の数を示すモチーフは要らないけれども、作りたかったラブスプーン。
そういう習慣があったことさえ知らなかったが、こうしてブルーと巡り会えるなら、モチーフに凝ったスプーンを贈りたかった。当時は全く意味が無くても、生まれ変わって来た今、その意味を二人で読み解けるのなら。
ハーレイの思いが通じたのだろう、ブルーが「ねえ」と問い掛けて来た。
「スプーンに何を彫りたかったの?」
「柄の所に鎖を付けたかったが…」
木から鎖を彫り出すだなんて、初心者には難しいからなあ…。
きっと失敗していただろうな、鎖の輪っかが壊れちまうとか、そもそも鎖にならないとか。
「鎖って…。意味は何なの?」
「モノが鎖だから、文字通り繋ぐためのものだな」
そいつをプロポーズに使うとなったら、「お互いの人生が繋がれていること」だ。
お前の人生と俺の人生を繋ぎたかったな、決して離れずに済むように。
「それ、欲しかった…。彫るのがうんと難しくっても」
「俺も彫りたかったさ、知っていたならな」
それでも前のお前は一人でメギドへ飛んで行っちまったろうが…。
俺たちの人生はきっと繋がっていたんだろうなあ、また地球の上で出会えたしな?
「うん。その印、彫っておいて欲しかったな…。ハーレイのスプーンに」
「鎖は無理だと言っただろうが。だが、輪の形を代わりに付ければ良かった」
柄の所に輪くらいだったら彫れたな、努力すればな。
「輪だとどういう意味になるの?」
「輪には端っこが無いだろう?」
クルンと繋がっていて、何処も切れていない。
切れていないから離れないしな、「永遠に離れない」って意味になるそうだ。
「そっか、輪っかでも良かったね」
永遠に離れない、っていうメッセージ。
前のハーレイから貰いたかったな、スプーンがプロポーズの印だったら。
欲しかったな、とブルーが繰り返すスプーン。前のハーレイが作った木彫りのスプーン。
ブルーが贈られたスプーンはシンプルなもので、何の飾りも無かったけれど。遥かな昔の地球にスプーンを贈ってプロポーズをした地域があった、と聞いたら欲が出て来たらしい。
スプーンにメッセージをこめて欲しかったと、凝ったスプーンが欲しかったと。
ハーレイはブルーに教えた甲斐があった、と笑みを浮かべる。前の自分がスプーンを贈ったのは偶然だけども、それを喜んで貰えたと。
長い長い時を飛び越えて辿り着いた青い地球の上で、小さなブルーが喜んでくれたと。
「あのスプーン、お前、ずっと持っててくれていたよな」
いつも使っていたってわけじゃなかったが、俺の記憶じゃ最後まで持っていた筈だ。
前のお前が長い眠りに就いてしまう前も、見てた覚えがあるからな。
「恋人の力作は捨てられないしね?」
「捨てられないって…。お前、あのスプーン、要らなかったのか?」
たまにお義理で使っていたのか、捨てないで今も持っています、と。
「そうでもないけど…。いつも使ってたら壊れてしまうよ」
木で出来たスプーンなんだもの。
味わいが出ても、酷使してたらヒビが入るかもしれないし…。
だから滅多に使わなかったよ、ハーレイに貰ったスプーンだもの。
大切に持っていたかったもの…。
プレゼントなんて滅多に貰えなかったし、とブルーは微笑む。プレゼントを貰っても大抵の時は食べ物だったと、手元に残るものは殆ど無かったと。
「仕方ないだろう、シャングリラの中じゃ気の利いたプレゼントは無理だったんだ」
今みたいに店で買うなんてことは出来んしな?
第一、前のお前と俺との仲は秘密だ。他人に見られて仲がバレるものは贈れんさ。
「そうだけど…。前のぼくもそれは分かっていたけど、まさかプロポーズをされてたなんて…」
しかもオッケーしていただなんて、知らなかったよ。
ハーレイ、知らずに堂々とプロポーズしちゃってたんだね、前のぼくに。
「そうらしい。おまけに成功していたらしいな、プロポーズに」
もっとも、アレをプロポーズだと解釈すると、だ。
木彫りのスプーンをプレゼントすればプロポーズになる習慣がシャングリラにも存在してた、ということになると多少困ったことになるがな。
「ハーレイのスプーン、人気だったものね。他の木彫りと全然違って」
動物とかを彫ったヤツとか、芸術だとか。
そういうのは何を彫ったのか分からないほど下手くそだったし、誰も欲しがらなかったけど…。
彫って下さいとも言わなかったけど、スプーンやフォークは頼まれて幾つも彫ってたものね。
「うむ。直接頼む度胸が無いから、ってブリッジクルー経由の注文とかな」
若いヤツらにも彫ってやったし、腕にも自信がついてきたから後の方のは凝ってたぞ。
頼まれりゃハートも彫ったりしたなあ、スプーンの柄にな。
ハートは「愛してます」の意味だし、正真正銘、ラブスプーンだなあ…。
「ハーレイ、ハートがついたスプーンも彫ったんだ…」
他にもスプーンを彫ってたんだし、木彫りのスプーンを沢山贈っていたわけで…。
前のぼく以外にもプロポーズってヤツをしちゃったわけだね、不特定多数の人を相手に。
「おい、妬くなよ?」
「妬かないよ」
あの時点じゃプロポーズだって思わなかったし、お互い、今まで知らなかったし。
木彫りのスプーンをプレゼントされたらプロポーズだなんて、ビックリだよ。
だけどちょっぴり嬉しいかな。
前のぼくもプロポーズをして貰ってたんだ、って考えるとね。
「おっ、そう言ってくれるのか?」
「うん。今度のぼくは、いつかプロポーズをして貰えるけど…」
前のぼくはして貰えないままで終わっちゃったしね、プロポーズ。
だけど本当はちゃんとプロポーズをされてたんだ、って考えたら嬉しい気持ちになるよ。
前のぼくは気付いていなかったけれど。
ハーレイだって知らなかったんだけれど、プロポーズにスプーンを贈って貰った。
そうしてぼくはオッケーしたんだ、ハーレイと結婚してもいいよ、って。
素敵だよね、とブルーが嬉しそうにティーカップに添えられたスプーンに触れる。
これくらいのスプーンを前の自分が持っていたのだと、それは木彫りのスプーンだったと。
「前のハーレイのプロポーズかあ…。木彫りのスプーンで」
「お前限定だったと思いたいなあ、スプーンを渡してプロポーズはな」
不特定多数に贈っちまったこともそうだが、他にもなあ…。
ジョミーだってスプーンを貰ってプロポーズをされちまったんだ。
「ハーレイ、ジョミーにも作ってあげたの?」
「俺も作ったが、別口でな」
「別口って…」
ハーレイ以外に木彫りが趣味の人っていたの?
前のぼくは全然知らないんだけど、寝ちゃった後で若い誰かが始めたとか?
「若いヤツには違いないが、だ。木彫りどころの騒ぎじゃないぞ」
石のスプーンだ、古い工作機械を使って石でスプーンを作ったんだ。
木彫りなんかよりずっと上だな、俺には作れない石細工ってな。
「へえ…! 凄いね、石でスプーンが作れちゃうんだ?」
「若いヤツがナスカの石を使って彫ってくれたとジョミーは自慢していたが…」
トルコ石みたいな色のスプーンだったな、使い心地までは聞いてない。
愛用してたかどうかも知らんな、ブリッジまで披露しに来たのを見ただけだしな。
「ジョミー、プロポーズを受けちゃったんだ?」
スプーンを貰って自慢してたなら、そういうことになるんだよね?
「そのようだ」
だからだ、スプーンを渡せばプロポーズになるのは前のお前だけってことにしておきたいが…。
でないと俺は不特定多数にプロポーズしていた節操無しだし、ジョミーも不名誉なことになる。石で出来たスプーンを貰ったばかりに、誰かとカップルになっちまうからな。
「ふふっ、前のぼくだけの限定イベント?」
それがいいよね、せっかくのハーレイのプロポーズだもの。
前のぼくにプロポーズしてくれたんだもの…。
木彫りのスプーンで、とティーカップの脇のスプーンを指先でつついて、ブルーが尋ねる。
「ハーレイ、今は木彫りの趣味は無いって言っていたよね?」
「ああ。だから木彫りのスプーンでプロポーズは出来んな、木彫りをやってないからな」
そういった趣味は今度は無いんだ、運動ばかりだ。柔道に水泳、知っているだろ?
「分かってるけど…」
ちょっと残念。
今度はハーレイが作った木彫りのスプーンでプロポーズっていうことは無いんだ…。
「なら、作るか?」
お前が木彫りのスプーンを欲しいと言うなら、頑張ってみるが。
前の俺の記憶を持ってるんだし、練習を積めば勘が戻ってくるだろう。
今からコツコツ練習したなら、お前にプロポーズ出来る頃には腕だってグンと上がるしな。
さっき言った鎖も余裕で彫れるぞ、そういうスプーンを作ってやろうか?
うんと沢山のモチーフを入れて、とびっきりの愛のメッセージ。
幸せにしますって意味の蹄鉄、結婚の意味の教会の鐘。
「永遠に離れない」って意味も輪っかじゃなくって結び目で彫れば値打ちが出るさ。
凝ったスプーンを彫ってやろうか、とハーレイは提案したのだけれど。
小さなブルーは「ううん」と首を左右に振った。
「木彫りのスプーンは前のぼくが貰っちゃったから…。それは前のぼくの分のプロポーズ」
だから木彫りのスプーンは要らない。もっといいことを思い付いたから。
「…いいこと?」
「うん。今度も前と同じでサプライズがいいな」
「サプライズ?」
意味が掴めないハーレイに向かって、ブルーが「サプライズだよ」と笑顔で繰り返す。
「前のぼくはスプーンをプレゼントされたらプロポーズだってこと、知らなかったでしょ?」
「…それで?」
「今になって聞いてビックリしたから、それがサプライズ」
そういうのがいいよ、今度のハーレイのプロポーズも。
後からプロポーズだって分かって、ぼくがビックリするのがいい。
その時はそうだと分からないのが素敵だから。
分かった時の幸せな気持ちがグンと大きく膨らみそうだよ、サプライズ。
ぼくがうんとビックリしそうな凄いプロポーズを探して欲しいな、前のぼくのに負けないのを。
木彫りのスプーンに負けてないのを探して見付けて、プロポーズしてよ。
「おいおい、サプライズになりそうなプロポーズの仕方を探すのはかまわないんだが…」
なんたってお前の希望だからなあ、手間暇を惜しむつもりは無いが。
そいつで俺がプロポーズをして、お前がそうだと気付くまでにどれだけかかるんだ?
お前、直ぐに調べてくれるのか?
俺にプロポーズをされたのかどうか、どうやって気付いてくれるんだ?
「あっ、そうか…」
「それにだ、スプーンみたいに受け取って貰えたらオッケーだった場合は、だ」
俺はプロポーズが成立したと思って準備を始めてしまっていいのか?
肝心のお前が気付いてないのに、俺が一人で結婚式とかの準備を進めて決めていいのか?
「ハーレイが一人で始めちゃうの?」
それは困るよ、ぼくだって一緒に準備したいよ。
結婚式の場所を決めるのも、二人で住む家を用意するのも。
ハーレイと相談しながら色々と決めて、うんと素敵な結婚式にするんだもの。
「ほら見ろ、プロポーズってヤツは通じていないと意味が無いだろ」
サプライズもいいが、その後のことまで考えないとな?
気付かなかったら俺が勝手に決めてしまうぞ、お前はオッケーしてくれたから、と。
「それもそうかも…」
だけどサプライズもいいんだけどなあ…。
前のぼくみたいに知らない間にプロポーズされて、オッケーしてて。
今頃になって「そうだったんだ」って分かるのも、とってもロマンティックなのに…。
生まれ変わってから気付いたほどのプロポーズはまさに運命なのに、と夢見る瞳の小さな恋人。
前のハーレイがそれと知らずにプロポーズをした、ソルジャー・ブルーの生まれ変わり。
プロポーズに使った木彫りのスプーンを、今のハーレイは作れないけれど。
木彫りのスプーンは今度は要らない、と小さなブルーは言ったけれども。
(…サプライズとまでは行かなくっても、ロマンティックなのが憧れらしいな?)
今度はどんなプロポーズをすることにしようか、とハーレイは微笑んでブルーを見詰める。
前の生から愛し続けて、今も変わらず愛おしいブルー。
サプライズがいいと強請ったブルー。
この愛らしい恋人にプロポーズする時は、今度は何を贈ろうかと…。
スプーンの使い方・了
※前のハーレイがブルーに贈った木彫りのスプーン。単なるプレゼントだったのに…。
そういうプロポーズもあったそうです、今のブルーにプロポーズする時が楽しみですよね。
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「ブルー。今日の晩飯、ピンと来なかったか?」
「えっ?」
ぼくはキョトンと目を見開いた。今日はハーレイの仕事が早く終わって、夕食も早め。ゆっくり食後のお茶が飲める、と二人でぼくの部屋に上がって来たんだけれど。ママも「ごゆっくり」って紅茶とクッキーを置いて行ったけれども、晩御飯、何か変わってた…?
考えてみても分からない。具だくさんのオムレツがメインの料理で、肉じゃがにサラダ、それとハーレイのとは違う野菜のスープ。お客さん用じゃない、普段の食卓。
「ピンと来るって…。何に?」
「ジャガイモだが」
「肉じゃが…?」
どうかしたの、と訊いてみたぼく。肉じゃがだなんて、ますます謎だ。
野菜スープならまだ分かるけど、と思った所で閃いた。ハーレイの得意料理だろうか?
「ハーレイ、肉じゃが、得意なわけ?」
「ああ、まあ…。肉じゃがってヤツは料理の定番だよなあ、おふくろの味で」
「そうなの?」
「ずうっと昔は「作って欲しい料理」のナンバーワンだったこともあるらしいぞ」
SD体制よりもずうっと昔だ、この辺りが日本って国だった頃だな。
好きな女性に何か作って貰うんだったら、肉じゃがだ、ってな。
「ふうん…?」
知らなかった、と遥かな遠い昔の地球に思いを馳せてみたんだけれど。
昔と言えば、前のぼくだって遠い昔に生きていた。
でも…。
思い出せない、肉じゃがの記憶。前のぼくは多分、肉じゃがを食べていないから。
「…前のぼく、肉じゃがを食べてない気がするんだけれど…」
好き嫌いは無かった筈なのに、変。
肉じゃがの時には寝込んでたのかな、前のぼくって。
「食ってなくって当たり前だろ、前の俺だって作っていない」
俺がキャプテンになった後もだ、誰も作っちゃいないのさ。
出汁も醤油も無い世界じゃなあ…。肉じゃがを作っても別物になるしな。
「そっか…。肉じゃが自体が無かったんだ?」
「うむ。ジャガイモとタマネギと肉があればだ、煮込み料理になっちまったろうな」
ブイヨンで煮込むとか、トマト煮込みとか。
そいつはどう見ても肉じゃがじゃないぞ。あの味にはならん。
「ふふっ、そうだね」
それでハーレイ、今は肉じゃが、得意なの?
「得意と言うか…。バリエーションも色々あるしな、味噌バター味にするとかな」
「そうなんだ…。今日の肉じゃが、もしかして、お母さんのと同じ味だった?」
ハーレイのお母さんが作る肉じゃが。
ぼくのママのパウンドケーキと同じで、今日の肉じゃが、ハーレイのお母さんの味?
「いや?」
「じゃあ、なんで…」
どうして肉じゃがでピンと来るわけ?
ハーレイのお母さんの味だから覚えておけよ、って言うんだったら分かるんだけど…。
分かんないよ、と首を傾げたぼく。
前のぼくが食べていない肉じゃが。あの時代には無かった肉じゃが。
それを上手に作れるんだぞ、っていう料理自慢だったりするんだろうか?
バリエーションが豊富なんだから、肉じゃがだけでも何十種類も作れちゃうとか…?
「違うな、俺が言うのはシャングリラ時代のジャガイモ地獄だ」
「ジャガイモ地獄?」
その言葉だったら何回も聞いた。シャングリラがまだ自給自足じゃなかった時代に、前のぼくが奪った食料の一つ。やたらジャガイモばかり多くて、来る日も来る日もジャガイモだった。
だけど…。
「ハーレイ、さっきシャングリラに肉じゃがは無かった、って…」
「無かったんだが、だ」
記念すべき作物だったな、と思い出してな。
シャングリラで最初の自給自足の、一番最初の収穫物だ。
「えっ…?」
そうだったっけ、と記憶を手繰ってみたけど、ハーレイが言うようにピンとは来ない。
「いろんな作物を植えてみたように思うんだけど…。ジャガイモが最初に収穫できた?」
「その辺は俺も記憶に無いな。航宙日誌を調べれば多分、書いてあるだろうが」
「それじゃ、どうして一番最初がジャガイモだって…」
「言ったろ、ジャガイモ地獄だと」
前のお前が山ほどジャガイモを奪って来ちまって、ジャガイモ地獄だ。
俺は毎日、ジャガイモ料理と格闘してたが…。
あの頃は自給自足だなんて誰も考えちゃいなかったんだが、覚えていないか?
「ああ…!」
思い出した、と手を打ったぼく。
確かにシャングリラで一番最初に出来た作物はジャガイモだった。
前のぼくが沢山奪い過ぎたジャガイモ。正確に言うなら、偏り過ぎてしまった食材。
ジャガイモの料理ばかりが続いて、前のハーレイが奮闘したって飽きが来る。食堂でジャガイモ料理を前にする度、文句の一つも言いたくなる。
食べ物と言えば餌しか無かったアルタミラを思えば、うんと贅沢な毎日だけど。ジャガイモ料理だけしか無くても、ちゃんと調理された立派な食べ物。人間が食べるためのもの。
そういったことは誰だって分かっているんだけれども、ジャガイモばかりじゃ愚痴だって零す。
愚痴が言えるのも自由の証拠で、ぼくは「ごめんね」と舌を出したし、みんなも「ジャガイモはもう勘弁な」なんて言いつつ、笑って食べてた。
そんな毎日がどのくらい続いたんだろう?
ある日、誰かがポロッと零した定番の愚痴。ジャガイモ地獄で聞き慣れた言葉。
「もう食えねえぞ、こんなにジャガイモばっかり出されてもよ」
「ふむ…。食べられないなら植えてみるかね?」
ヒルマンが食堂で投げた言葉に、船のみんなが驚いた。
植えてみるって、このジャガイモを?
ジャガイモを植えたら、それでジャガイモが出来るんだろうか…?
人類の船から奪った食料は多かったけれど、栽培しようとは思わなかった。キャベツもトマトも食べていただけで、育てようと思いもしなかった。
野菜を育てるには専用の設備や苗が必要で、名前だけの楽園だったシャングリラではとても無理だと分かっていたから。
けれども、大量に奪ったジャガイモ。みんなが飽き飽きしているジャガイモ。
ヒルマンが言うにはジャガイモは痩せた土地でも出来る作物で、余っているのなら娯楽を兼ねて作ってみたらどうかって意見。
面白そうだ、と皆が飛び付いた。
ジャガイモはまだまだ山ほどあるから、植えてみるのもいいんじゃないかと。
それが前のぼくたちが初めて自分たちの手で育てた作物。
シャングリラで最初に栽培された作物はジャガイモだった。遊び半分だったけれども。
観葉植物を引っこ抜いて空けたプランター。
植わっていた観葉植物の方は、エラが「勿体ないでしょ?」と水耕栽培にした。プランターから水に移された後も、観葉植物は元気に生きてた。
その観葉植物から失敬した土に野菜くずとかを入れて土作り。ヒルマンがせっせと頑張った。
土が出来上がって、さあ、植えるぞという段階になって。
「ヒルマン、本当にこれを切るのかい?」
「切っちまったら腐らないか?」
みんなが目を丸くした種イモとやら。ヒルマンは植えるジャガイモを切ると言うんだ。大きめのジャガイモを選んだ種イモ。それを三つや四つに切るって、持って来たナイフ。
ぼくも「切るの?」と覗き込んだけど、ヒルマンは自信満々で。
「ジャガイモはこうして増やすんだそうだ」
丸ごと植える方法もあるそうなんだが、これが基本だ。
そして切り口が腐らないよう、灰をまぶしておくわけだな。
こうやって、と種イモを切ってしまったヒルマン。切り口に灰をまぶして、それから土の中へ。上からたっぷりと土を被せて、「これでいいだろう」と頷いた。
(切って埋めちゃったよ…)
前のぼくはもちろん、船中のみんなが半信半疑。切って埋めたら腐るだろう、って。
だけどジャガイモ栽培は娯楽。余っているからやってみただけで、駄目で元々。
(ヒルマン以外は、誰も育つと思ってないしね)
植え付けただけで充分満足、生えて来なくても別にかまわないという感覚で見てたプランター。ある日、其処から芽が出た時にはビックリした。シャングリラ中が騒ぎになった。
ジャガイモの芽なんか知らないけれども、観葉植物とはまるで違う葉っぱ。
そういう植物が生えて来たならジャガイモなのだし、ヒルマンのやり方は正しかったんだ。
種イモをナイフで切っちゃったけれど。腐るんじゃないかと思ってたけど…。
だけどやっぱり、切られたジャガイモから芽が出るだなんて信じられないから。
前のぼくなんかはサイオンで透視してみたくらい。
本当にこれはジャガイモなのか、って。
ジャガイモの芽はちゃんと種イモから生えて来ていた。
日に日に大きく育っていく芽。そのまま世話をするのかと思ったら、ヒルマンが「頃合いを見て芽を減らす」って。一個の種イモに沢山の茎を置いておいたら駄目らしい。
そこそこ育って来たな、と覗きに行ったら本当に芽を減らしてた。沢山あるのを一本か二本に。
「どうして減らすの?」
「養分が葉や茎の方に行ってしまって、大きなジャガイモが出来ないそうだ」
だから元気そうな茎を選んで他は取らねば、と作業をしていたヒルマン。まだ十センチほどしか無かった茎をせっせと調べて、全部の株の芽を減らした。
それから後はこれという作業も無かったけれども、育っていく様子を見るのは楽しい。ぐんぐん伸びて葉をつける茎。日毎に大きくなっていく葉っぱ。
ぼくは観察日記を描いたりもした。娯楽用にと植わってるんだし、観察日記。
土の中はあえて透視しないで、プランターから見える部分だけ。ジャガイモの花が咲いた時には花の絵だけを別に大きく描いてみた。こんな風に立派な花が咲くのに、植える時には種じゃない。なんて不思議な植物だろうと、おまけに切った種イモから生えるだなんて、と。
観察日記を描き始めてから、どのくらい経った頃だったろうか。ジャガイモの葉っぱが少しずつ黄色くなって来た。なんだか元気も無いみたいだから、大丈夫なのかとヒルマンに訊いた。
「ジャガイモ、枯れてしまいそうだよ?」
すっかり黄色くなってしまうよ、このままだと。
「ふうむ…。そろそろ収穫期か」
「枯れそうなのに?」
「そういうものだ。茎も葉っぱも要らなくなったという印だな」
ジャガイモが出来上がったんだ。もう養分は必要無いから、こうして地上の部分が枯れる。
「じゃあ、土の中にはジャガイモがある?」
「もちろんだとも。明日にでも皆で掘ることにしよう」
希望者を募って、とヒルマンが夕食の時に募集をしたら、沢山の手が挙げられた。ぼくも一緒になって手を挙げ、次の日はみんなで掘ることになった。
プランターで育てて来たジャガイモ。
船にあった園芸用のスコップを持って、ヒルマンの指図で、傷つけないように、そうっと。土を少しずつ交代で剥がした。全員分の数の株は無いから、グループを作って一株ずつ。
慎重に土を取り除いていって…。
「イモだ!」
誰かが叫んで、後はあちこちで次々に歓声。ぼくが掘ってた株にもジャガイモ。土の中から顔を覗かせた、丸々と太った見事なジャガイモ。
(ホントにジャガイモ、出来ちゃったよ…)
みんなで頑張って掘り起こしてみたら、ヒルマンが最初に植えた種イモはすっかり縮んで小さくなってしまっていた。
不思議な植物。
切ってあったのに生えて来るなんて。
花だって咲いていたというのに、種じゃなくって切った種イモから育つだなんて…。
シャングリラで初めての収穫物だった、プランターのジャガイモ。前のぼくがやったジャガイモ地獄の副産物。ハーレイから聞くまですっかり忘れていたけれど…。
「あれ、塩だけで食べたんだっけ?」
みんなが食べるだけの量は充分あったけれども、料理じゃなくって塩だったよね?
「ああ。ホクホクに茹でて、塩だけだったな」
それでも美味いと思ったもんだ。自分たちで育てたジャガイモだからな。
「うん。美味しいからって、種イモも残しておいたんだっけね」
ぼくたちはジャガイモ地獄も忘れて、次の代のジャガイモを育ててやろうと張り切った。だけど前と同じに育てたジャガイモは、それほど立派な芋じゃなかった。その次の代はサッパリ駄目で。
やっぱり無理か、とガッカリしながら諦めた。
船の中では上手く育たないと、自分たちの手で栽培するには技術が足りなさすぎるのだと。
今から思えば連作障害。同じ畑で同じ作物を続けて育てると起きる現象。
後のシャングリラでは連作障害を回避する方法も分かっていたから上手くやったけど、あの頃のぼくたちは何も知らなかった。
ヒルマンでさえも気付かなかった連作障害。それほどに知識が無かったぼくたち…。
「ねえ、ハーレイ。あれから相当経ってからだよね、本格的な栽培を始めたのって」
「そうだな。俺はとっくにキャプテンだったし、シャングリラの改造案が出て来た頃だな」
うんとでっかい船にしよう、と夢を幾つも盛り込んだっけな。
本当に本物の楽園らしい船にするんだと、名実ともにシャングリラだと。
「そのシャングリラよりも先に立派な畑が生まれていたよね」
船のサイズはそのままだったし、使っていない部分に土を運び込んで。
土とか肥料になるものが採掘できる星を探して、ハーレイ、データと睨めっこだっけ。
ヒルマンと二人でああだこうだと、この星にしようか、別のを探すか、って。
「とにかく自給自足の道を、と俺たちが挑んだ第一歩だしな」
畑作りが上手くいったら食料の方に余裕が出来る。
前のお前に頼りっぱなしでいなくても済むし、まずは食料事情の改善からだ。
土だの肥料だのの採掘で自信をつけたら、他の資源も探して採掘していけばいい。
人類から奪ったものばかりで船を改造したって維持が出来んし、自分たちで補給しないとな。
そのための準備段階でもあったろ、あの畑作り。
前のぼくたちが自分たちの足で前に進むための第一歩。
人類から奪った物資に頼らず、自分たちで全てを賄ってゆくための最初の一歩が畑作りだった。船の中の空いているスペースが畑に変わって、色々な作物を植え付けた。
前のぼくが手に入れた種や苗に混じって、ちゃんとジャガイモも植わっていた。
「ハーレイ、畑に出ていたっけね、キャプテンの制服を脱いでしまって」
他のみんなと変わらない格好で畑を見回って、たまに作業もしてたよね。
耕してみたり、水を撒いたり。
「お前もじゃないか」
ソルジャーは畑仕事はなさらなくっていいんです、とエラが言うのに。
マントも上着も、その辺にヒョイと置いちまって。
「だって、触ってみたいと思わない?」
本物の地面じゃないけど土があるんだよ、プランターと違って畑だよ?
其処に色々なものが生えてるんだし、触ってみたいし、世話もしたいよ。
「そういえば、お前、観察日記を描いてたっけな、ジャガイモの時に」
「あれを描いていたことは忘れてしまっていたんだけれど…」
ぼくたちの船だな、って思うとね。
ぼくが守る船にこんなに立派な畑が出来た、って嬉しかったし、触りたくもなるよ。
「そいつは俺も同じだったな、俺たちの船だと」
この船を俺が動かしてるんだ、と思ったら畑に出てみたくもなる。
俺の指図で動いてる船が畑を作れる所まで来たと、この先ももっと頑張らないと、と。
まだ人類軍とは一度も遭遇したことが無くて、平和だった頃のシャングリラ。
人類の船にも見付からないままで飛んでいたから、ステルス・デバイスだって備えていない船。そういったものは改造する時に付け加えていった。
畑を作り始めた頃のシャングリラはまだ、武装すらもしていなかった。
そんな船だから、万一の時には前のぼくが船ごと守る以外に道は無かったわけなんだけれど。
「…あの頃のぼくが守ってたのって、もしかしなくても、仲間と畑…」
他にはなんにも乗っかってないしね、大切なもの。
居住区や公園が出来る前だし、前のぼくたちが作って乗っけてたものって畑だけだよ。
「そうなるな」
俺も畑が乗っかった船の舵を握っていたわけだ。
仲間の命と畑を乗っけて宇宙を航行してたわけだな、御大層な制服を着てはいてもな。
「そうだよねえ…。そして乗っけてた畑の一番最初は…」
ジャガイモだよね、とプランターに植えてた頃を思い出したらポンと頭に浮かんで来たもの。
畑を乗っけた船のキャプテンに相応しい気がする、素敵な渾名。
「ねえ、ハーレイ。畑を乗っけた船のキャプテンなら、芋キャプテンがいいと思わない?」
ジャガイモで始まった畑だもの。
あの頃のハーレイに渾名を付けるなら、芋キャプテンがいいと思うんだけどな。
「誰がイモだ!」
芋と呼ばれる覚えはない、と眉間に皺を寄せてるハーレイ。
ちょっと素敵だと思い付いたから言ってみたのに、芋キャプテンは好みじゃないんだろうか?
「ハーレイ、芋キャプテンっていうのは嬉しくないの?」
何処が駄目なの、芋キャプテンの。
畑を乗っけて飛んでた船だし、芋キャプテンってピッタリだよ?
「お前なあ…」
その調子では知らないんだな、とハーレイは大きな溜息をついた。
知らないって、ぼくが?
何を知らないって言い出すんだろう、芋キャプテンって言葉は駄目だった?
目を丸くするぼくの頭をハーレイの手がクシャリと撫でて。
「知らないのなら仕方がないが…。今じゃ使わん言葉だからなあ…」
いいか、芋という言葉には意味があってな。
食べる芋とは別の意味でだ、田舎者だとか洗練されていない人を指しているんだ。
「…嘘…」
「本当だ。俺が古典の教師でなければ知らなかったかもしれないが…」
元々は田舎侍の意味で芋侍と言っていたらしい。
侍だからな、SD体制の前どころじゃない、うんと昔の話だな。
芋が名産の辺鄙な田舎から出て来た侍を芋侍と呼び始めたのが始まりだって話もある。
そいつが最初で、田舎者とかを「イモ」と馬鹿にしていた時代があった。
キャプテンの前に芋と付くなら、そっちを連想するだろうが。
「芋って、意味があったんだ…」
知らなかったよ、と答えたぼくだけれども、シャングリラで一番最初の作物はジャガイモ。
そのジャガイモから始まった畑を乗っけてただけのシャングリラなら…。
「だったら、ぼくは芋ソルジャーだね」
畑と仲間だけを守っていた頃の、前のぼくに渾名を付けるんだったら芋ソルジャーだよ。
そしてハーレイが芋キャプテンだよ、ぼくとセットで。
「芋の意味を説明したというのに、俺を芋キャプテンにしたいのか、お前」
「だってハーレイがジャガイモだったって思い出したし、畑の頃には芋キャプテンだよね」
畑はジャガイモから始まったんだし、芋キャプテンでいいと思うよ。
「最初のジャガイモは畑じゃなくってプランターだ!」
おまけに定着しなかったんだぞ、あれっきりで。
畑を作り始めるまでの間に、どれだけ経ったと思ってる。
それに畑はジャガイモだけってわけじゃなかった、色々な作物を同時に栽培し始めたろうが。
やたら芋だと強調しないで、畑くらいにしといてくれ。
「…畑キャプテン…?」
それはちょっと、と唇を尖らせたい気分になった。
畑キャプテンだと呼びにくい。畑ソルジャーだって、響きが悪い。
頭に何かくっつけるんなら、断然、芋の方がいい。芋キャプテンで、芋ソルジャー。
ハーレイは田舎者とか芋侍とか言っていたけど、そんな言葉は今は無いから。古い本でも開いてみないとお目に掛かれない言葉なんだから、芋でもいいと思うんだ。
それにシャングリラで一番最初に採れた収穫物はジャガイモ。
ホクホクに茹でて塩だけで食べた、プランター育ちだったジャガイモ。
自給自足の始まりじゃなくても、あのジャガイモは記念すべきジャガイモだったと思うから。
「一番最初に育ててみたのはジャガイモなんだよ、芋キャプテンでいいんじゃない?」
ぼくは芋ソルジャーでもかまわないから。
あの時代のぼくたちを呼ぶ時の名前は芋にしようよ、芋キャプテンと芋ソルジャー。
ちょっといいでしょ、いつの頃だったか直ぐに分かって。
「芋キャプテンだった頃の話だよ」って言えば通じるもの。
「どうしても芋キャプテンにしたいんだな、お前」
なんだか複雑な気分なんだが、ってハーレイは苦笑しているけれど。
芋キャプテンと対の芋ソルジャーだった頃のぼくは芋侍なんて言葉も知らなかったし、どういう意味かも知らなかった。
あの頃に誰かが「畑がお好きなら芋ソルジャーですね」って言っていたなら、前のぼくは喜んでその称号を貰ったと思う。芋がトマトでも、キャベツであっても。
それくらいに嬉しく思った畑。前のぼくたちが頑張って作った、初めての畑。
ぼくは畑を乗っけた船を守って、ハーレイが舵を握っていた。
まだ畑だけしか無かった船でも、あれがシャングリラの本物の楽園への第一歩だった。
(芋ソルジャーでもいいんだよ、うん)
あの頃は芋が何を指すのか知らなかったのに、今ではハーレイに「芋」って言ったら眉間に皺。芋キャプテンって渾名を付けようとしたら、眉間に皺。
そうして挙句に苦笑いだけど、芋と呼ばれたら困る世界に生まれ変われたから二人で笑える。
芋キャプテンで芋ソルジャーだ、って二人で笑って幸せになれる。
(芋キャプテンで笑えるっていうのは、ぼくたちが幸せな証拠だよね?)
褒め言葉じゃない、芋って言葉。前のぼくなら喜んで貰っておきそうな芋ソルジャーの称号。
だけど今のハーレイは芋キャプテンが嫌で、芋ソルジャーだって乗り気じゃない。
プランターで大事に育ててたジャガイモを芋呼ばわりしてけなせる世界が今の世界で、とっても平和な青い地球の上。
ぼくとハーレイ、二人揃って、芋が別の意味を持っているらしい世界の住人。
芋キャプテンだと嬉しくないらしい世界の住人。
いつかハーレイと結婚したなら、ハーレイに肉じゃがを作って貰おう。
今のハーレイが得意な肉じゃが。シャングリラに居た頃は無かった肉じゃが。
そうして二人で思い出すんだ、美味しい肉じゃがを頬張りながら。
芋キャプテンと芋ソルジャーだった頃の、ずうっと昔のシャングリラを…。
始まりの芋・了
※シャングリラで初めて栽培された野菜はジャガイモ。本物の畑とは違いましたけれど。
初の畑がジャガイモだけに、「芋キャプテン」にされそうなのがハーレイ。それもいいかも?
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(うーん…)
今日はあんなに食べたのに、とブルーは大きな溜息をついた。自分にしては頑張って食べた筈の夕食、学校での昼食も残さずに食べた。普段だったら残してしまうか、友達に譲る量だったのに。
未だに伸びてくれない背丈。ハーレイと再会した五月から全く伸びない背丈。
百五十センチのままの背丈が前の自分の背丈と同じにならない限りは、ハーレイはキスも許してくれない。百七十センチだったソルジャー・ブルーがブルーの目標。
(あと二十センチもあるのに、伸びないんだよ…)
夏休みの間にぐんと背丈を伸ばした友達にコツを訊いたが、「とにかく食ってた」という返事。その後も順調に背が伸びている友人たちを捕まえて訊いては、同じ返事を貰っている。
「まずは食べないと」が皆の共通した意見。ブルーのように食が細くては伸びはしないと、今の食事の量では駄目だと。
沢山食べるということについては、大好きなハーレイも同意見。ブルーの家で食事を食べてゆく時の決まり文句が「しっかり食べろよ」で、「もっと食べろ」とおかわりを器によそってくれる。
ただしハーレイの場合は「ゆっくり大きくなれよ」の言葉もオマケにつくのだけれど。
自分がどれだけの量を食べたか、分かりやすそうなものが体重計だと思った。バスルームの隣に置いてあるそれに、今夜も乗ってみたというのに。
(増えていないよ…)
昨夜見たのと変わらない数字。あれだけ頑張って食べた食事は何処へ消えたと言うのだろう?
(…減ってないだけマシかもだけど…)
体重を計り始めて数日になるが、ブルーの努力はまるで反映されなかった。背丈と同じで体重も増えず、どんなに食べても表示される数字は変わってくれない。
(体重が増えないから、背も伸びないわけ…?)
背丈を伸ばすには栄養が要るし、その栄養は食事で得るもの。食べた食事が養分になって身体を育てることくらい分かる。食べた直後は体重が増えて、それから背丈を伸ばす方にゆく筈。
けれども増えてくれない体重。食べた分だけ重くなりもせず、同じ数字の体重計。
(ぼくって栄養、摂れていないの…?)
たまに体重計に乗っていたけれど、大して気にしていなかった。お風呂上がりに其処に在るから乗ってみただけで、計り終わったら綺麗に忘れた。
背丈ばかりに気を取られていて、意識していなかった体重。
(前のぼくって…)
何キロくらいあっただろうか、と今の自分と変わらなかった頃の記憶を手繰った。
成人検査を受けた時の姿で成長を止めてしまっていたから、アルタミラからの脱出直後は恐らく今と変わらない筈。そこからぐんぐん背が伸びていって、一番の成長期だった頃。
きっと参考になるであろう、と遠い記憶を探ってみたのに。
(…計ってない…?)
覚えていないのならばともかく、計っていないらしい体重。
人類の船に名を付けただけの初期のシャングリラに体重計は備わっていたが、乗ってみた記憶が全く無かった。恐らくは乗組員の体調管理のために置かれていたと思われる体重計。
確か、医務室ではなく休憩用の部屋に在った筈。誰でも気軽に計れるようにという配慮。
最初から其処に置かれていたのか、何処かから移動させて来たのか。とにかく一目で体重計だと分かる代物、前の自分も眺めていたのに。
(なんで計ってみなかったわけ…?)
どうして、と記憶を引っ張ってみても、理由は思い出せなかった。
(これじゃ参考にならないよ!)
役に立ってくれない、前の自分の身体のデータ。
せっかく体重計が置いてあったのだし、乗ってみてくれれば良かったのに…。
参考にしようにもデータが無かった、前の自分の成長期。
背丈は自分では測りにくいが、体重の方は体重計に乗りさえすれば簡単に分かる。その数字さえ記憶に残っていたなら目安になるのに、記憶どころか計ってもいない。
(…体重が増えるのと、背が伸びるのと、どっちが先?)
体重だろうと思うけれども、決め手に欠けた。
(食べないと大きくなれないんだから、体重が先に増えそうだけど…)
前の自分はデータが無いから話にならない。これは先達に訊くしかない、と翌日、学校で友達を捕まえて訊いてみた。身長と体重、どちらが先かと。
「えーっ? どっちが先って言われてもなあ…」
「でもさ、冬ってあんまり伸びなくないか?」
「そういえば夏だな、夏休みにググンと伸びるヤツって多いよな!」
ワイワイと大勢が集まって来て始まった時ならぬ身長談義。
その結果として、夏場は身長、冬は体重が増える傾向にあるという意見が多数を占めた。
(…冬は体重なんだとすると…)
帰宅したブルーはおやつを食べた後、部屋で考え込んでいた。
友人たちの意見が正しいとすると、今の季節に身長の伸びは期待できない。日毎に秋が深まっていって寒い冬へと向かう時期だし、体重しか増えてはくれないだろうか?
けれども、その体重すらも心許ない。どんなに食べても体重計の表示は変わってくれない。
(ハーレイみたいに凄く大きくなる人もいるのに…)
自分はどうして駄目なのだろう、と思った途端に閃いた。それだ、と手を打つ。
今の学校の教職員の中では一番体格がいいハーレイ。シャングリラに居た頃も一番だった。
(そうだよ、ハーレイは前の時から大きいんだよ!)
あれだけ大きく育ったハーレイなら、背を伸ばすコツを知っている筈。今まで思い至らなかった自分は馬鹿だ、と頭を叩いた。
そうだ、ハーレイに訊いてみればいい。
どうすれば背丈がぐんぐん伸びるか、早く大きくなれるのかを。
世の中うまく出来ているもので、思い付いて間もなく来客を知らせるチャイムが鳴った。窓から見下ろせば、庭の向こうの門扉の所に見慣れた人影。仕事帰りに寄ったハーレイ。
(やった…!)
早速訊こう、と母がテーブルにお茶とお菓子を置いて去って行った後、身を乗り出した。
「ハーレイ、背を伸ばすコツって何?」
「はあ?」
いきなり何だ、とハーレイはティーカップを持ったままで目を丸くしたが、ブルーは負けない。
「背だよ、身長! どうすれば伸びるの、ハーレイみたいに大きくなれるの?」
「そういうコツか…」
なるほどな、と頷くハーレイ。瞳を輝かせて答えを待ったブルーだけれど。
「いつも言ってるだろ、しっかり食えと」
「…それだけ?」
「運動もいいんじゃないかと思うが、お前は無理だし…」
弱いからなあ、スポーツどころか体育だって見学のことが多いだろうが。
だからとにかく食べることだな。
食べろと言われてブルーは失望しかかったけれど、運動も効果があるという。ハーレイは無理と決め付けて来たが、遠い記憶に残っているもの。初期のシャングリラでやっていたこと。
「…前のぼくみたいに散歩とかは?」
エラやブラウに連れられて船内を散歩していた。運動になると連れ歩かれた。
「あれなあ…。今のお前が散歩したとしても、さほど効果は出ないだろうな」
前のお前は長いこと檻に閉じ込められて暮らしてたんだし、あれでも刺激になったとは思う。
しかしだ、今のお前は違うだろう?
バス通学でもバス停までは歩いてるんだし、まるで動いてないわけじゃない。
そもそも劇的に身長を伸ばすためにはスポーツだしな。
「それで伸びるの?」
「伸びるヤツもいるが、個人差だなあ…」
まるで運動しないよりかは伸びるんだろうが、背が高くなるかは別問題だ。
同じようにスポーツをやっていたって、みんな身長はバラバラだろうが。
「そっか…」
コツも秘訣も無いらしい、とブルーは落胆したのだけども。
(そうだ、体重…)
大きく育ったハーレイの場合も冬は背が伸びずに体重が増えていたのだろうか、と気になった。もしも冬場も伸びていたなら、自分の今後にも希望が持てる。これからの季節は伸びてくれないと諦めるにはまだ早い。
「ハーレイ、冬は体重だった?」
「体重?」
「みんなが言うんだ、冬は太る、って」
背が伸びる代わりに体重が増える季節が冬だって言うんだよ。
ハーレイも同じで冬は体重?
「そうだな、冬はあんまり伸びなかったかもしれないなあ…」
背を伸ばすよりも脂肪を貯めなきゃいかんしな?
「なんで?」
「身体が寒くないように、だ」
動物だと冬毛ってヤツがあるだろ、夏よりもモコモコした毛だな。
人間は毛皮を持ってないから、防寒のために脂肪を貯める。そいつを使って暖を取るのさ。
「やっぱり冬は体重なんだ…」
ハーレイでも冬場は背が伸びにくかったと知ったブルーは残念に思い、それと同時に心配事。
「だったらぼくって、これから下手に食べたら太るの?」
「…太る?」
「うん。体重だけ増えて行くのかな、って…」
頑張って食べるようにしているんだけど、体重、全然増えないんだよ。
だけどこれから寒くなったら、背が伸びる代わりに太っちゃう?
「そいつは多分、無さそうだが…」
「どうして?」
「太った分だけ、あっさり病気で持ってかれそうだ」
風邪を引きやすい季節になるからなあ…。
お前、寝込んだら食わなくなるしな。野菜スープのシャングリラ風だけじゃ栄養は摂れん。
だからだ、太るかもしれんと思う前に食え。
俺がお前くらいのガキの頃には、年がら年中食っていたから。
「それが背を伸ばすためのコツってヤツなの?」
「コツと言うより基本だな」
食わないと栄養が入らないから、背も伸びない。
まずは栄養を摂れってことだな、太るだの何だのと言っていないで。
体重なんぞはお前の年ではほんのオマケだ、背を伸ばすための。
太り過ぎかもと心配するのは大人になった後でいいのさ。
オマケだと言われてしまった体重。ブルーの年ではオマケに過ぎないと。
そういうものか、と思ったけれども、そのオマケすらも分からない前の生の自分。体重を計った記憶さえ無い、今の自分と変わらないほどに小さかった頃の前の生の自分。
オマケならばそれでもいいのだろうか、と考えながらポツリと口にしてみた。
「…前のぼくの体重、分からないんだよ」
体重計があったのは知っているのに、一度も計っていなかったみたい。
今のぼくの体重が足りているのか、足りていないのか、参考にしようと思ったのに…。
「俺もだ、途中からしか計っていないな」
思わぬ言葉に、ブルーは赤い瞳を丸くした。
「ハーレイもなの?」
「全然気にしていなかったしなあ、体力作りに体重は関係無いってな」
それとも乗る気にならなかったか。体重計ってヤツを避けていたかもしれないな。
「どうして?」
「忘れちまったか? お前は長いこと捕まってたしな」
成人検査の前に計っただろう、体重を。
あの忌々しい機械に入れられる前に、検査だからって計っていたぞ。
「あっ…!」
思い出した、とブルーは叫んだ。
遠く遥かな昔の記憶。成人検査を受ける直前の記憶…。
ジョミーたちの時代と違って、成人検査は文字通り検査を装った代物だった。十四歳の誕生日を迎えた子供は医療施設のような場所に集められ、検査用の服に着替えさせられた。
待合室の椅子に座って順番を待って、呼ばれた者から検査室へ。係の看護師から「次はあなたの番よ」と告げられた時には、ただの検査だと思っていた。成人検査がどんなものかも知らずに。
連れてゆかれた検査室。係に促されるままに体重計に乗った。数値は覚えていなかったけれど、確かに乗った記憶があった。
体重を計って、それから上半身の服を脱いで検査用のパッドを幾つも貼られた。台に寝かされ、送り込まれたスキャン用の医療機器を思わせる機械。それが成人検査のための装置で、記憶を全て消し去る機械。
一切の記憶を捨てろと指示され、嫌だと叫んだ。それが地獄の始まりだった…。
「…ぼくは検査だと信じてたんだよ、何かを調べるだけだって…」
「俺だってそうだ。健康かどうか、病気は無いかと調べるモンだと思っていたな」
なにしろ係が看護師だったし、場所も病院だったしな?
まさか記憶を消されるだなんて思わんさ。おまけに検査に落っこちた後があの地獄だ。
記憶はすっかり失くしちまったし、検査の前にはどんな所で暮らしてたのかも覚えてないが…。
成人検査が始まりだったことは忘れなかった。
そのせいで、体重計が置いてあるのを見たって計りたい気持ちにならなかったかもな。
体重を計ったら検査が待ってて、ロクでもないことになるんだからな。
俺は育ってしまっていたから、検査を受けた時の俺とは少し事情が違ったわけだが…。
お前の場合は全く育っていなかったんだ。余計に嫌な気分になるさ。
体重計に乗るのは嫌だと、乗ったら地獄が待っているとな。
「…それで計っていなかったのかな?」
ぼくは忘れてしまっていたけど、記憶の何処かに引っ掛かってた?
「多分な。今は思い出せたろ、完全に忘れちゃいなかったんだ」
だから体重計を避けたし、乗ってみようとも思わなかった。
もっとも、アルタミラで散々痛めつけてくれた研究者どもの方では、だ。
データを取るために何度も計っていただろうなあ、俺たちの体重。
その気になったら実験用の設備でいくらでも計れて、ちゃんと記録も残せるからな。
「そうかもね…」
計っただろうね、とブルーは自分を酷い目に遭わせた様々な装置を思い浮かべた。台に仰向けに拘束されたり、ガラスケースに入れられたり。
前の自分が計ろうともしなかった体重はきっと、研究者たちが常に計っていたのだろう。
自分の記憶には無い体重。乗ってもみなかった体重計。
ハーレイでさえも無意識の内に避けたというそれを、使っていた者はいたのだろうか?
もちろん船の中が落ち着いた後には使われていたし、ハーレイも計っていたとは聞いたが…。
「ねえ、ハーレイ。…あの体重計、誰か体重、計ってた?」
ハーレイが計るようになるよりも前。
アルタミラから逃げ出して直ぐに、計ってたような人って、いた?
「俺が知ってるのはブラウとエラだな」
「計ってたの?」
「ああ。俺が通ったら「見るな」と叱り付けられたが」
失礼だろ、って睨まれたな。女性が体重を計っているのに見るヤツがあるか、と。
「なんで?」
「女心というヤツさ。今のお前の学校の子だってそう言ってないか?」
体重を訊くなんて有り得ないとか、絶対教えてやらないとか。
成人検査の前の記憶は消えても、そういった部分はちゃんと残っていたんだろう。
体重が重いか軽いか以前に、ロクな食い物が無かったのになあ…。
安全な環境になった途端に気になってくるってヤツなんだろうな、自分の見た目が。
ブラウもエラも、成人検査の前に体重を計られた記憶が消えてしまっていたとは思えん。
本当だったら体重計を避ける筈だが、それを上回る女心の逞しさだな。
「ふうん…」
凄いね、とブルーは感心した。
ハーレイですらも避けて通った体重計を使っていたらしい、ブラウとエラ。今の学校でも女子は体重を気にするけれども、そうした記憶は機械に全てを奪われた後も残るものかと。
(…ぼくもハーレイも、体重計を避けていたのに…)
それを積極的に利用しようという姿勢は実に逞しい。二人が後に長老になったのも当然だろう。船を束ねる者になるには精神的な強さが要る。あの頃から既に強かったのか、と驚くばかり。心に負わされた負の記憶をさえ凌駕するほどに、前向きに生きていたのかと。
(なんだか凄い…)
前のぼくでも負けていたかも、と二人の女性の強さに思いを馳せたブルーだったが。
「そういや、ゼルも計っていたかもしれん」
「ゼル?」
意外な名前に、ブルーはキョトンと目を見開いた。
アルタミラから脱出する時に事故で弟を亡くしたゼル。暫くは落ち込み、自分を責めてばかりの日々だったけれど、立ち直った後は陽気になった。頑固ながらも周囲に笑いが絶えなかったゼル。
そんなゼルだから、強そうではある。
体重計への恐怖心をも捻じ伏せそうな気はするのだけれども、ゼルが体重を気にする理由が全く頭に浮かんでこない。ブラウたちと違って女心は絶対に無いし…。
何故、と首を捻るブルーに、ハーレイは「計っていたかどうかは謎なんだがな」と苦笑した。
「計ったことがあったのかどうか、そこまでは知らん。ただな…」
ゼルと俺とが喧嘩友達だったことは知ってるだろう?
本気で殴り合ったりするわけじゃないが、一種のコミュニケーションってヤツだ。
そいつで俺にデカブツと喧嘩を売って来た時、「お前は俺の何人分だ」と悪態をな。
独活の大木とか、無駄飯食いとか。無駄にデカイと言いたいわけだ。
「…それで?」
「ちゃんと計って白黒きちんとつけようじゃないか、とゼルも譲らん」
受けて立たんと男がすたるし、二人揃って計りに行った。そいつが俺の初計測だな。
「えっ…。どうなったの、それ」
「ゼルが先に乗って、その後に俺で。俺が乗った時、やはりデカブツだと言いやがった」
自分の三人前はあるとか、デカイばかりで中身が無いとか。
それはそれは酷い言いようだったな、ゼルの口の悪さは有名だしな?
ハーレイとゼルの喧嘩はブルーも何度も見ていたけれども、体重勝負は初耳だった。ハーレイの初計測がそれだと聞いたら、結果がとても気になってくる。
「ハーレイ、ホントのトコはどうなの?」
ゼルの三人前も体重、あった?
「いや、三人前は流石に無かった」
「そうなんだ…。って、ハーレイ、体重は何キロあるの?」
喧嘩で計った時じゃなくって、今のハーレイ。
キャプテン・ハーレイだった頃と変わらない今のハーレイだと、体重、何キロ?
「今のお前なら二人前はあるさ。三人前かもしれないな?」
「……嘘……」
そんなに重いの、とブルーは仰天したのだけれど。
「嘘って、お前…」
前の俺と変わっていない筈だぞ、少なくとも俺の記憶では。
もしかして、お前、前の俺の体重、知らないのか?
「知らないも何も、聞いたことがないよ!」
「ふうむ…。特に隠すような理由も無いが、だ」
本当に俺は教えなかったか、俺の体重。その辺はどうも記憶に無くてな。
「聞いたかもしれないけれども、忘れた!」
覚えていないよ、そんな前のこと。
前のぼくがチビだった頃に体重を計っていたかどうかも忘れていたのに、覚えていないよ!
自分のことでも忘れているのに他人の分まではとても無理だ、とブルーは頬を膨らませた。
けれども気になる、ハーレイの体重。今の自分の三人前かもしれない体重。
膨れっ面をしている場合ではない、と頭を切り替え、好奇心に溢れた瞳で訊いてみた。
「…それで、何キロ?」
ハーレイ、体重、何キロあるの?
ねえ、と鳶色の瞳を覗き込んだのに。褐色の肌の恋人はニヤリと笑ってこう言った。
「内緒だな」
前のお前も覚えてないなら、今度も内緒にしようじゃないか。
チビのお前には、どうせ関係ない話だしな?
「…なんで?」
「俺の体重で潰されてしまう心配が無い」
そういう頃になったら教えてやるさ。
こんなに重いから用心しとけと、寝てる間に下敷きになって潰されるなよ、とな。
「寝てる間って…」
それがどういう時を指すのか、ブルーには直ぐに分かったけれど。
同時にその日が遥か未来まで来てくれないことも分かってしまって、愕然とした。
知りたいのに教えて貰えない。ハーレイは体重を教えてくれない。
「…内緒なの?」
本物の恋人同士になれるまで内緒?
ぼくが潰されそうになるまで、ハーレイ、教えてくれないの?
「ああ、秘密だな」
お楽しみが一つ増えただろうが。俺の体重、知りたかったら頑張って大きくなるんだな。
「……そんな……」
大きくなれないから訊いてたんだよ、体重の話!
酷いよハーレイ、酷いってば!
内緒だなんて、とブルーは懸命に食い下がったけれど、ハーレイは笑うだけだった。
結局、体重は教えて貰えず、当初の目標だった背丈を伸ばすコツも秘訣も得られないまま。
夕食を終えたハーレイは「またな」と帰ってしまって、部屋にポツンと残されて終わり。
(…なんにも収穫、無かったんだけど!)
うっかり体重にこだわったばかりに、ブルーの疑問はもう一つ増えた。好きでたまらない恋人の体重が分からないだなんて、酷すぎる。ハーレイのことなら全て知りたいのに、増えた謎。
(…ハーレイの体重、何キロなんだろ…?)
押し潰される危険が出るまで、教えて貰えない恋人の体重。今の自分の二人前は余裕で、三人前かもしれない体重。
(…前のぼくって、答えを知ってた?)
忘れてしまったのなら思い出さねば、と懸命に記憶を手繰ったけれども、引っ掛からない。何度探っても答えは出なくて、悩みながら眠ったブルーだったけれど。
(えーっと…?)
次の日の朝、目覚めたブルーは素晴らしいアイデアに恵まれた。
(そうだ、友達に訊けばいいんだ!)
柔道部に所属している友達だったら、ハーレイの体重を耳にしたことがあるだろう。知りたいと言えば、きっと教えてくれる筈。ハーレイはブルーの守り役なのだし、何も不思議に思わずに。
(うん、それがいいよ!)
そうしよう、と決めた途端に、「それでいいの?」と聞こえた心の声。ブルー自身の心の声。
秘密を簡単に知っていいのかと、未来の自分に残しておかなくていいのかと。
(…ハーレイ、お楽しみだって…)
もしも答えを知ってしまったなら、消えて無くなるお楽しみ。
ハーレイの身体で押し潰されそうな日が来るよりも前に、パチンと弾けて無くなってしまう。
(…お楽しみ、きちんと取っておいた方がいいのかな…)
その方がいい、という気もした。それに訊くならいつでも訊ける。
(…今日でなくってもいいんだもんね?)
知ろうと思えば方法はある、と気付けば心に余裕が出て来た。お楽しみは取っておくのもいい。未来の自分に秘密をしっかり残しておくのも、きっと楽しい。
(…置いておこうかな、ハーレイの秘密…)
いつか大きくなった日のために。前の自分と同じ背丈に育った未来の自分のために。
そうしようかな、と心にお楽しみを仕舞ったブルーは、今朝も頑張ってミルクを飲む。
早く大きくなれますようにと、どうか背丈が伸びますように…、と。
体重の謎・了
※前のブルーの記憶に残っていない体重。嫌な過去があったら体重計に乗りたくないですよね。
そして分からない、ハーレイの体重。教えて貰える時が来たなら、きっと幸せ一杯の筈。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(…もうすぐなのに…)
もうすぐ十八歳なのに、とブルーは大きな溜息をついた。勉強机の前に座って、頬杖をついて。
十八歳の誕生日が近付いて来るのに、一向に伸びてくれない背丈。
ハーレイと再会したあの日のままの背、十四歳の五月の百五十センチから少しも伸びない。顔も手足も小さな子供で、十七歳にはとても見えない。
同級生には似たような状態の子供も多いし、学校では全く問題なし。サイオンが外見に影響することは常識なのだし、誰も心配してくれはしない。
(どうしよう…)
本当にもうすぐ、あと数ヶ月で学校が終わる。義務教育の期間が終わってしまう。
両親は上の学校の資料を取り寄せ、幼年学校へ行くことが決まりそうだ。ブルーのように子供のままの身体と心を持っている子たちが通う学校。
そんな所へ行きたくはなくて、結婚したいと思っているのに。
十八歳になれば結婚出来るし、今の学校を卒業した後、誕生日の三月三十一日が来たら、と夢を見て来た。
その日になったらハーレイと結婚出来る年。誕生日に結婚したいくらいで、早く、早くと願って来た。大好きなハーレイと結婚しようと、今度こそ結婚するのだと。
前の生では誰にも言えなかった恋人同士。ひたすらに仲を隠し続けた恋人同士。
だから今度は幸せになると、結婚して二人で暮らすのだと。
(でも…)
ハーレイからのプロポーズは未だに無かった。もうすぐブルーが十八歳になることをハーレイは知っている筈なのに。義務教育が終わってしまうことも、誰よりも知っている筈なのに。
(…ハーレイ、ぼくの先生だものね…)
生憎と担任にはならなかったけれど、ハーレイはブルーが通う学校の古典の教師。どの学年でも教えているから、今もハーレイの授業がある。その職業柄、各学年の生徒の年齢などには詳しい。ブルーの学年なら卒業までか、卒業後の三月末までに十八歳だと。
それに何より、ハーレイはブルーの恋人だから。
誕生日には「おめでとう」と祝ってくれるし、誕生日も年も忘れはしない。今度の三月で何歳になるか、ハーレイが知らない筈が無い。
(…だけど…)
その日を迎えたら結婚しよう、とハーレイは一度も言いはしないし、結婚の話題も出なかった。首を長くして待っているのに、貰えてはいないプロポーズの言葉。
(ぼくが小さいままだから…?)
ずうっと昔に、ハーレイと再会して間もない頃に決まった約束。
ブルーの背丈が前の生と同じ百七十センチにならない間は、キスもしないで我慢すること。
約束した時は「ほんの少しの我慢だから」と思っていたのに、少しどころか、今も約束は有効なまま。ブルーの背丈は伸びてくれなくて、キスさえも未だに交わしてはいない。
(…それでプロポーズもしてくれないとか…?)
自分が小さな子供の間は結婚しないということだろうか?
まさか、と不安が膨らんでゆく。十四歳の頃から夢見た未来を塗り潰しそうな勢いで。
(…このままじゃ、ぼく…)
もしもプロポーズして貰えないままで日が過ぎたなら。卒業の日が来てしまったら…。
十八歳の誕生日を迎えても結婚どころか、四月になったら幼年学校に行かねばならない。家から通える場所にあるから、寮に入る必要は無いのだけれど。それでも大切な時間が無くなる。何にも代え難い、ハーレイと会える平日が無くなってしまう。
学校でハーレイと顔を合わせて、授業を受けて。ただそれだけの時間だったが、学校に行きさえすればハーレイに会えた。平日でも毎日ハーレイに会えた。
その大切な時間が消えて無くなる。ハーレイは幼年学校の教師ではなく、学校に行っても会えはしないし授業だって無い。
(ぼくの家には今まで通りに来てくれるよね…?)
ハーレイの表向きの役目とされた守り役は無期限、卒業したって平日でも寄ってくれるだろう。今の学校の教師たちも不思議に思いはしないで、却ってハーレイの負担を心配する筈。
(…ぼくは今と変わらない時間に家に帰って来られるし…)
ブルーにとっては有難いことに、幼年学校の授業時間は今の学校と全く同じ。子供のための学校であって、習う内容が変わるというだけのことだから。
ハーレイが授業を終える頃には、幼年学校の授業も終わる。家に帰ってハーレイを待てる。
けれどブルーは知識を仕入れて賢くなるより、ハーレイの側にいたかった。結婚してハーレイと同じ家で暮らして、食事も一緒。
十八歳になればそうなると信じて今日まで我慢をして来たのに…。
(いつまで駄目なの…?)
ねえ、ハーレイ、と机の上の写真を眺めても答えは返って来なかった。
二人で過ごした初めての夏休みの記念に写した、ハーレイと庭で並んだ写真。ハーレイの左腕にブルーが両腕でギュッと抱き付いた写真。
木製の飴色のフォトフレームの中、ハーレイはいつも笑顔だけれど。いつも笑顔で愚痴や悩みを聞いてくれるけれど、答えは決して返っては来ない。
(ねえ、ハーレイ…)
ぼく、あと少しで十八歳になるんだよ?
結婚出来る年なんだよ、と心の中で話し掛けても、ハーレイの笑顔は変わらない。
(…写真なんだものね…)
けれど、本物のハーレイも写真と同じ。優しい笑顔を向けてくれても、ブルーが欲しいと夢見る言葉をくれはしないし、気配すらも無い。
(…プロポーズしてくれないよ…)
そういった意味に取れる言葉も、匂わせる言葉も言わないハーレイ。
(ひょっとしたら…)
結婚しようと思っていないのかも、と不安が更に大きく膨らむ。
自分が小さな子供のままで育たないから、結婚などは当分先だという考えでいるのかも、と。
どうにも収まらない不安。もうハーレイに言うしかない、と思い余ってブルーはついに訴えた。いつものようにハーレイが来てくれた週末、母が部屋に来ない時間が来るのを待って。
午後のお茶とお菓子を運んで来た後、母は夕食の支度が出来るまで二階には来ない。ゆっくりとお茶を楽しむべきだと思うらしくて、「お茶のおかわりは如何?」と上がっては来ない。
そのお茶の時間、意を決したブルーは「結婚の話、どうなったの?」と訊いたのに。あと少しで自分は十八歳だし、プロポーズされる日を待っているのだと訴えたのに…。
「プロポーズなあ…」
十八歳は結婚出来る年だが、とハーレイは腕組みをして眉間の皺を深くした。
「分かっちゃいるんだが、お前はチビのままだろう?」
俺の親父がうるさくってな。
あんな小さな子供に手を出しちゃならんと、そんな風に育てた覚えは無いとな。
「でも、ハーレイ…」
一緒に暮らすだけでも駄目?
それでもハーレイのお父さんは許してくれないの…?
「いや、まあ…。俺が我慢をすれば済む話だしな、一緒に暮らすだけだと言うなら親父にも文句は言わせんさ。しかし、お前はどうなんだ?」
本物の恋人同士ってヤツでなくてもいいのか、俺と一緒に住んでいるのに。
「…ぼくも我慢するよ…」
「本当か?」
「ハーレイと一緒に暮らせるんなら、我慢する」
だって今よりはマシだもの。
キスも出来ないままになっても、ハーレイと同じ家で暮らせて食事をするのも一緒だもの。
夜になってもハーレイが「またな」って帰ってしまわないから、今よりもずっとマシなんだよ。
プロポーズして、とブルーは懇願した。結婚しようと言って欲しいと、十八歳になったら二人で暮らしたいのだと。けれど、ハーレイが「ああ」と答える代りに投げて来た問い。
「お前の覚悟は分かったが…。お前のお父さんとお母さんとはどうだ?」
俺の親父とおふくろは何年も前から知っているから驚かん。
しかしだ、お前のお父さんとお母さんは何も知らんし、結婚を許してくれるのか?
「あっ…!」
そういえば両親は何も知らない、とブルーは息を飲んだ。
いつかハーレイと結婚する時に話せばいいと考えただけで、何も告げてはいなかった。いずれは結婚するつもりだとも、相手は既にいるのだとも。
愕然とするブルーに、ハーレイがフウと溜息をつく。
「お前には悪いが、今の状態では俺からは言えん」
きちんと育ったお前だったら、嫁に下さいと頼めるんだが…。
チビのお前を欲しいんです、とは言えないんだ。
「そんな…。いつも、チビでも貰ってやるって…」
ハーレイ、何度もぼくに言ったよ。ぼくがチビでも、育たなくっても貰ってやるって。
「いざとなったらの話だろうが。何十年でも待つと言ったぞ」
お前が育つまで待っていてやると。だからゆっくり大きくなれと。
「それじゃ、ぼくは…!」
「お前が許しを貰えたんなら、考えよう」
チビのお前が、お父さんたちとしっかり話して結婚を許して貰えたなら。
俺からはとても頼めないんだ、チビのお前が欲しいだなんて。
会った時からお前、少しも変わっていないだろ?
そんなお前を欲しいと言ったら、俺はロクデナシ教師の烙印を押されちまうんだ。チビのお前と部屋で二人でイチャついていたと誤解されても文句は言えん。
そうだろう、ブルー?
周りには何と言われてもいいが、お前のお父さんとお母さんにだけは俺は間違えて欲しくない。お前を大切に育ててくれてる人たちに悲しんで欲しくはないんだ、つまらない勘違いなんかでな。
ハーレイの言葉に嘘は無かった。逃げ口上でないこともブルーには分かったから。言葉の意味を深く考えるほどに、その通りだと頷くことしか出来なかったから。
もうそれ以上は無理を言えなくて、プロポーズの言葉も貰えないらしいと零れた涙。ハーレイは頬を伝う涙を指先で拭ってくれたけれども、「ごめんな」と詫びの言葉だけ。嫁に欲しいと言ってやれなくてすまんと、自分からは言えはしないのだと。
ハーレイがどういう立場にいるのか、それはブルーにも分かっている。もしも自分を嫁にくれと言えば両親は酷く驚くだろうし、ハーレイがブルーをどう扱ったかも疑い始めることだろう。
けれど、子供に過ぎない自分。心も身体も子供の自分。
その自分ならば、結婚したいと口にしたって「子供ゆえの我儘」で済むかもしれない。結婚とは何かも良く知らないまま、一緒にいたいという気持ちだけで言い出したのだと。
実際、結婚した後も二人で暮らすというだけだったら、ままごとの夫婦と同じなのだし…。
(…だからハーレイ、ぼくが許して貰えたら、って…)
分かるのだけれど、自分が両親の許可を得るなどは考えたことすら無かったこと。結婚する時はハーレイが頼んでくれるのだ、と漠然と想像していただけ。自分は隣に居るだけでいいと。
(…だけど、ぼくが自分で言うしかないんだ…)
でないと結婚出来ないんだ、と項垂れるブルーに、ハーレイは「もう少し待て」と優しい言葉をくれたけれども。何年か経てば小さいままでも貰ってやると、だから無理を言わずに待っていろと言ってくれたけれども、それは悲しい。悲しくて辛い。
ハーレイの立場を考えるのなら、ハーレイからのプロポーズは何年か先がいいのだけれど。
幼年学校も卒業するほどの年になったら、小さいままでも両親は驚かないのだけれど…。
そんなに何年も待てはしないし、待ちたくはない。
けれども無理を言えはしない、とブルーは夕食を終えて帰ってゆくハーレイの背中を見送った。まだ何年もこうして「またね」と別れる日々が続くのか、と心で涙を零しながら…。
十八歳の誕生日を迎えたとしても、出来ない結婚。貰えそうにないプロポーズの言葉。
この現状を打破するためには、自分で何とかするしかない。両親に許しを貰うしかない。思いもしなかったことだけれども、何年も待つのが辛いのならば。
(…どうしよう…)
両親に結婚したいと打ち明けに行くか、黙ったままで何年か待つか。何年か待てばプロポーズの言葉を貰えるだろうし、ハーレイが両親に結婚の申し込みをしに来てくれる。待っていればいつか道は開ける。
(…だけど、まだまだ待つしかないんだ…)
楽な道のように見えるけれども、辛い道。ハーレイを「またね」と見送って別れる日が続く道。十四歳の時から三年以上も待って来たのに、この先もまだ待たねばならない。
(…そんなの、嫌だ…)
十八歳の誕生日がゴールだと思っていたから、待てたのに。
いきなりゴールが遥か先に延びて、しかもゴールと決められた場所が無いなんて。
悲しすぎると思うけれども、それが嫌なら両親に頼みに行くしかない。結婚したいと打ち明けて許しを貰うしかない。
(…それも無理だよ…)
言えやしない、とブルーは俯く。けれど言わなければ未来が無くなる。結婚がうんと遠くなる。
(…どうすればいいの…?)
いくら考えても答えは出なくて、名案も浮かんで来なかった。
けれど…。
迷う内に日が過ぎ、オープンキャンパスの時期がやって来た。年に何度か行われる行事。どんな学校かを見て貰うために上の学校が催すイベント。この時に行きたい学校を下見し、気に入ったらその場で入学を希望してもいい。入学資格があると認められたら、入学が決まる。
そういう時期に入ったのだな、とブルーはクラスメイトの話を聞きながら思っていたけれども。自分のこととは考えておらず、まるで気付いてもいなかった。
それなのに、ある日、ハーレイの来ていない夕食の席で母が笑顔で口にした言葉。
「ブルー、今度、学校を見に行きましょうね」
土曜日もやっているんですって、オープンキャンパス。
ハーレイ先生には留守にします、って言っておきましょ、それとも午後から来て頂く?
「ふむ。パパも一緒に行くとするかな、お前が世話になる学校だしな?」
久しぶりに外でランチを食べるか。美味い店があるんだ、予約しておこう。
「幼年学校…。行かなきゃダメ…?」
ぼく、学校に行かないとダメ?
オープンキャンパスじゃなくて、幼年学校…。
「駄目って、お前…。学校に行かなきゃどうするんだ」
それとも他の学校がいいのか、チビのお前には向いていないと思うが。
「そうだよね…」
駄目だよね、とブルーは肩を落とした。
両親は幼年学校以外に行きたい学校があるのだろうか、と勘違いをして「大きくなったら改めて入学すればいい」と言ってくれたけれども、そうではない。
学校に行きたいというわけではなく、選びたい未来はそれではない…。
しょんぼりと部屋に帰ったブルーだったが、このままでは確実に無さそうな未来。両親と一緒にオープンキャンパスに行けば、入学希望の申し込みをすることになるだろう。子供のままの自分は充分に入学資格があったし、トップクラスの成績なのだから入学の許可は間違いなく下りる。
(…入学することが決まっちゃったら、結婚出来ない…)
結婚は出来るかもしれないけれども、学校生活が最優先。ハーレイとの暮らしよりも先に授業やレポート、二人でのんびり過ごす時間が取れるかどうかが分からない。
それより何より、両親の姿勢。学校へ行くなら学校だけ、と言われることが目に見えていた。
生まれつき身体が弱いブルーに結婚生活との両立は無理だと、結婚は卒業してからだと。
(…やっぱりハーレイと結婚したいよ…)
思い切って打ち明けてみるしかない、と決心を固めたのだけど。
(パパに言う? それともママ…?)
二人が揃っている時に言うより、どちらか片方。その方がいい、という気がした。二対一より、一対一。きちんと向き合って話をするなら、一対一の方が頑張れそうだ。
父に話すか、母に話すか。
どちらにしようかと考えた末に、当たって砕けろと階段を下りた。
リビングに父が居たならば、父に。
母だったならば、母に。
二人揃っているようだったら出直すのみだ、とリビングをそうっと覗いてみて。
(あ…!)
パパだ、とブルーはゴクリと唾を飲み込んだ。
のんびりと新聞を広げている父。母の姿は見当たらないから、今がチャンスだ。震えそうになる手をキュッと握って、リビングへと足を踏み入れた。父が座るソファの隣に立つ。
「パパ……」
「どうした、ブルー?」
新聞から顔を上げた父に、捻りもせずに切り出した。真っ直ぐに父の瞳を見詰めて。
「パパ、ぼく…。上の学校へ行くんじゃなくって、結婚したい」
「結婚!?」
父はバサリと新聞を閉じてテーブルに置くと、「此処に座りなさい」と隣を指差した。ソファに並んで腰掛けたブルーに、父が真面目な口調で尋ねる。
「お前、ガールフレンド、いたのか?」
「ううん…。ガールフレンドじゃなくて、ボーイフレンド」
「なんだって!?」
いつの間に、と仰天する父に打ち明けた。
ハーレイが好きだと、前の生からの恋人なのだと。
前は結婚出来なかったから、今度は二人で暮らしたいと…。
「うーむ…」
父はブルーの話を遮る代わりに最後まで聞いて、難しい顔で腕組みをした。
「お前の気持ちは分かったが…。結婚したいというのも分かるが、お前は子供で…」
年はともかく、こんなに小さい子供だからな…。
何処から見たって結婚どころか、学校に入ったばかりです、って子供ではなあ…。
「だけど、パパ…」
前のぼくだって小さかったよ、と成長を止めていた頃の話をブルーはしようとしたのだけれど。
「ブルー」
父に真剣な瞳で問われた。
「お前、ハーレイ先生とはどうしていたんだ?」
ソルジャー・ブルーだった頃から恋人同士だったと言ったな?
ハーレイ先生といつもどうしていたんだ、お前の部屋で。
パパもママも何も知らなかったから一度も覗かなかったが、恋人同士で会っていたんだろう?
パパたちが覗きに行かない間に、お前たちは何をしてたんだ?
「…何も」
何もしていないよ、話していただけ。
それと、たまにぼくがハーレイにくっついてただけ…。
「本当か?」
「うん」
ブルーが頷くと、父は「手を出しなさい」と重々しく言った。
「えっ?」
「本当だったら見せられるだろう、お前の心」
お前が嘘をついてないなら、パパに見せられる筈だよな?
ハーレイ先生とどうしていたのか、いつも二人で何をしてたか。
父の言葉にブルーは震え上がったけれど。
とことん不器用なブルーのサイオンは遮蔽すら出来ず、心を覗き込まれてしまえば隠せない。
今日まで大切に抱え込んで来た、ハーレイとの記憶。優しくて暖かなブルーだけの記憶。それを全て父に明け渡すのかと思うと辛いけれども、そうするより他に道は無かった。
(…パパ、疑っているんだものね…)
仕方がない、と右の手を出した。
遠い日にメギドで凍えた右の手。ハーレイの温もりを失くしてしまって、冷たく凍えたブルーの右手。今のハーレイが何度も温めてくれて、温もりを移してくれた右の手。
父がその手を大きな手で握り、サイオンが絡み合ってゆく感覚。
(…全部、見られちゃう…)
何もかも全部、とブルーが首を竦めた途端に、父の手がパッと右手を解放して。
「…そうか、優しい先生だな」
いい恋人を持ったな、お前、と父の瞳が優しくなった。
ハーレイ先生はいい先生だと、流石はキャプテン・ハーレイだと。
「…パパ…?」
どういう意味か、と首を傾げたブルーの頭を父の大きな手がポンと叩いた。
「キスも駄目とは、いい先生でいい恋人だ。こんなに優しい人は、そうそういないぞ」
チビのお前には値打ちが分かっていないんだろうが…。
うん、ハーレイ先生にならチビのお前でも任せられるか。
結婚したいと聞いた時にはパパも驚いたが、ハーレイ先生ならいいだろう。
「ホント!?」
「ああ。ママにはパパから言ってあげよう」
それからお前も一緒に相談しなきゃな。
「何を?」
「決まってるだろう、ハーレイ先生との結婚式さ」
「わあっ…!」
ありがとう、パパ!
ぼく、ハーレイと幸せになるから。
今度こそ二人で幸せになるから、パパも見ててね、ぼくの幸せ…。
父の手を取って、頬を摺り寄せていたブルーだけれど。
(…あれ?)
其処でパチリと目が覚めた。ブルーの隣に父はいなくて、自分のベッド。
(…パパは…?)
いつの間に眠ってしまったのだろう、と目をゴシゴシと擦って、その手を暗い中で眺めて。
父に「出しなさい」と言われて出した手。メギドで冷たく凍えた右の手。
やっぱり小さな子供の手だな、と寝起きの頭でぼんやりと考えていたのだけれど。
(…今のぼくって…)
十四歳だ、と一気に砕けてしまった夢。
卒業の日も、十八歳を迎える誕生日が来るのも、まだずっと先の未来のこと。夢だったのか、と酷くガッカリして、頬っぺたを抓っても自分は十四歳のまま。
(…結婚式も挙げられなかったよ…)
どうせ夢なら、結婚式まで見たかった。十八歳になっても小さいままだなんて、正夢になったら困るけれども、見てみたかった結婚式。ハーレイといつか挙げたいと願う結婚式。
(…チビだったなんて、あんまりだけど…)
縁起でもない、とブルッと震えて、キュッと握った小さな右手。夢の中で父に預けた右の手。
手を出しなさい、と言われた時には怖かったけれど…。
(…そっか、ぼくがチビのままで大きくならなかったら…)
キスすら交わしていなかったことは武器になるのか、と納得した。
ハーレイが許してくれないキス。前の自分と同じ背丈になるまでは駄目だ、と断られるキス。
(…パパ、いい恋人だって言ってたもんね…)
いい恋人だと、こんなに優しい人はそうそういないと。
それならば耐えていかねばなるまい。
たまには強請ってみたいけれども、ハーレイはきっと断るから…。
夢に見た未来・了
※もうすぐ十八歳になるのに、どうなるのだろう、と心配していたブルーですけど。
お父さんに許して貰えた結婚、けれど目覚めてみたら夢。将来に希望が持てたかも…?
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