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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(ゼルが今の時代に生まれていたら…)
 やっぱり禿げていたんだろうか、と新聞の広告を眺める、ぼく。
 学校から帰って、ダイニングのテーブルでおやつの時間。ママが焼いたケーキと、熱い紅茶と。紅茶にはミルクをたっぷりと入れた。背を伸ばすにはミルクが一番、って聞いているから。
(でも、伸びないよ…)
 ハーレイと再会した時のままで止まった背丈。百五十センチしか無い背丈。毎朝ミルクを飲んでいるのに効果は出ないし、一ミリさえも伸びてはくれない。
(…ハーレイが「ゆっくり大きくなれよ」って言うせいなのかな?)
 酷いよね、と文句を言っても始まらないから、ぼくは溜息をつくばかり。
(こういう薬があればいいのに…)
 新聞に載ってる、育毛剤の大きな広告。今の時代でも、若くして禿げる人はいるから。
 ぐんぐん伸びます、生えてきます、っていう煽り文句が書かれた広告。
 背丈は生えてくるものじゃないし、あえて言うなら、ぼくが生まれた時点で生えた勘定。生えているなら伸びればいいのに、どうして上手くいかないんだろう…。
 髪の毛だったら育毛剤を振りかけてマッサージすれば生えるし、伸びるのに。
 広告に載ってる薬は薬局に行けば誰でも買える。もっと急いで治したい人は、病院へ。処方箋を書いて貰えば、飲み薬なんかも出るらしい。



(禿だったら簡単に治るんだけどね?)
 だけど身長…、と考えてみても、そっちの方はとても厄介。
 伸ばす薬は存在してるし、治療法だって確立されてる。ただし、本当に必要な場合のみ。身長が伸びにくい体質の人なら、ちゃんと治療して伸ばして貰える。本来あるべき背丈にまで。
 でも、ぼくみたいな年頃の子供の背丈が伸びなくっても、個性の問題ってことになるんだ。心がゆっくり成長する子は背も伸びないから、止まったりしちゃう。義務教育の年齢を過ぎても子供の姿のままの子は多い。そういう子供が通う上の学校が幼年学校。
(…このままだったら入れられちゃうよ…)
 パパもママも、ぼくは「ゆっくり成長する子」だと思い始めていて、そのつもり。ぼくの将来の夢は決まっているのに、十八歳になったらハーレイと結婚しようと思っているのに…。
(背が伸びる薬、欲しいんだけどな…)
 病院に行けばある筈の薬。でも、貰う前に沢山の検査をしなくちゃいけない。薬が必要かどうか調べる検査。ぼくは絶対、パス出来やしない。
(…大きくなりたい、って思う理由がハーレイと結婚するためだしね…)
 前のぼくの背丈と同じ百七十センチにならない限りは、ハーレイはキスも許してくれない。結婚だって駄目かもしれない。ぼくが背を伸ばしたい動機は、その二つをクリアしたいから。
(こんなの、検査ではねられちゃうよ!)
 凄く子供っぽい動機なんだ、ってことくらい分かる。お医者さんはきっと言うだろう。「時間が解決してくれますよ」って。薬なんかは貰えやしないし、治療も受けずに帰されてしまう。
(背が伸びる薬…)
 新聞に広告が出てない時点で、ぼくみたいな動機で伸ばすなって意味。
 育毛剤で伸ばせる髪の毛みたいに、すくすく伸ばせやしないんだ…。



 ぼくは育毛剤の広告を羨ましく見ながらケーキを食べ終えて、部屋に帰った。ミルクたっぷりの紅茶も綺麗に飲み干して。
(ちょっとくらい、ミルクが効きますように…)
 そう祈らずにはいられない。伸びますように、と心からの祈り。
(…ひょっとして、ゼルもそうだった?)
 今の時代は禿は育毛剤で治るし、病院で治療を受ければ飲み薬までが貰えてしまう。今は珍しくなってしまった、ゼルみたいに禿げた頭の人。
 外見年齢の好みと同じで、すっかり禿げてる人もいるけど、少数派。
 けれど前のぼくたちの時代は違った。そこまでの医療技術は無かった。禿げ始めたらもう諦めるしかなかった時代で、育毛剤で多少は食い止められても気休め程度。
(ゼルも祈っていたのかな?)
 ぼくが背丈を伸ばしたいように、髪の毛が生えてくれますように、って。
 だとしたら、とても切実な祈り。
 すっかり禿げてしまうまでの間に、ゼルはどれほど祈っただろう。
(…それよりは、ぼくの背、いつかは伸びるだけマシだよね…)
 ゼルの禿みたいに「打つ手なし」ってわけじゃないから。待てば伸びるに決まっているから。
 だから贅沢を言っちゃ駄目なんだよね、と自分に言い聞かせようとしたんだけれど。



(でも…)
 考えてみたら、ゼルはミュウだった。
 今の時代は人間はみんなミュウだけれども、前のぼくの頃は発見されたばかりの新人種。お蔭で酷く迫害されたし、アルタミラでは危うく殲滅されそうになったほど。
 それはともかく、ミュウだったゼル。人類とは違って外見年齢を自分の好みで止められた人種。つまり「禿げるかもしれない」と思った時点で年齢を止めれば禿にはならなかったんだ。
 けれどもゼルはそうしなかった。髪の毛がどんどん薄くなっても、生え際が後退し始めた時も、「こりゃ禿げそうだな」って言っていたくせに、そのままで年を重ねて行った。
 それじゃ禿げても仕方ない。ツルツルになっても自分の責任、自分で選んだ道ってヤツ。
(…なんで止めずに老けたんだっけ?)
 今でも禿げてる人はいるから、好みだったのかもしれないけれど…。
 思い返してみれば、ヒルマンだって髪の毛も髭も白くなるまで年齢を止めはしなかった。ゼルと同じに年を取って行った。
(…ヒルマンも年を取るのが好きだったのかな?)
 そういう人は今の時代にもいるし、今のハーレイのお父さんとお母さんもそうだって聞いた。
 ハーレイだってぼくと再会しなかったならば、もっと年を取ろうとしていたらしいし…。
(だけど、前のハーレイだった頃には…)
 しっかりと年を止めていた。今のハーレイと同じ姿で外見の年を止めてしまった。
(…なんで?)
 実年齢で言えば、ゼルもヒルマンもハーレイも似たような年だったのに。
 ゼルとヒルマンが年を取るなら、ハーレイだって仲良く老けても良さそうなのに…。



(ひょっとしてハーレイ、格好をつけて早めに止めた?)
 年寄りになるより、若いままの姿。あの姿が好みだったんだろうか?
(それとも、禿の危機だったとか…?)
 あれ以上の年を重ねたら禿げてしまうとか、そういう危機感を抱いて止めた?
 でも、ハーレイに禿の兆候は無かったと思う。生え際は後退していなかったし、抜け毛が増えたとも聞かなかった。
(うん、今のハーレイと変わらないよ?)
 短い金髪が頭をしっかり覆ってた。
 今のハーレイだって禿げてはいなくて、ぼくと再会していなかったら、更に年齢を重ねる予定。
 生まれ変わりでも基本の部分は変わっていない、って色々と実感させられてるから、ハーレイは年を取りたいタイプなんだ。前のハーレイもきっと、同じだった筈。
 だったら、格好をつけるためにゼルたちよりも早めに年齢を止めたわけではないだろう。
(仲良し三人組だったんだけどな…)
 ゼルとヒルマンと前のハーレイ、長老と呼ばれるようになる前からの友達同士で、飲み友達。
 その三人の中でハーレイだけが若かったなんて、ちょっと不思議だ。
 若いと言っても、今のハーレイが「おじさん」なのと同じで、青年とは呼べない年だけれども。



(どうしてハーレイだけが若かったんだろ?)
 むくむくと湧き上がってくる好奇心。ハーレイだけが「おじさん」で年を止めた理由。
(えーっと…)
 前のぼくは知っていたんだろうか?
 ハーレイがゼルたちよりも先に年齢を止めてしまった理由は何かを。
(今のハーレイはぼくに会ってから年を取るのを止めたれども…)
 前は違った。前のぼくと恋人同士になった時には、とうに年齢を止めていた。
(とっくにあの姿だったんだから…)
 もしも理由を聞いていたとしたら、止めた頃に声を掛けて「何故?」と尋ねたか。それとも恋人同士になった後になって、戯れに訊いて答えを得たか。
(んーと…)
 生憎と全く記憶が無い。
 前のぼくは訊くほど気にしなかったか、それとも忘れてしまったのか。
 仕方ないから、前のハーレイが年を止めた時期を探ってみることにした。運が良ければ手掛かりらしきものが転がってるかもしれないから。



(キャプテンの制服が出来た頃かな…?)
 前のぼくの上着とお揃いの模様が上着にあしらってあった、キャプテンの服。濃い緑のマントと金色の肩章、威厳に溢れたキャプテンの衣装。
 あれが作られた頃だったかな、と思ったけれども、そうじゃないな、と直ぐに気付いた。
 シャングリラに制服が導入された時にはゼルは禿げていたし、ヒルマンはとうに髭まで真っ白。如何にも長老といった外見の彼らに合わせて衣装が出来た。若人向けではなかった衣装。
 ということは、キャプテンの制服を貰った時点でハーレイの年は止まっていた筈。
 ゼルたちよりも若い姿で制服を貰って、それをカッチリと着ていたハーレイ。
 当時のハーレイの外見を考慮して作られた服で、あれを貰ったから年齢を止めたわけじゃない。
(…じゃあ、いつ…?)
 アルタミラから脱出した後、厨房でフライパンを握っていた頃は若かった。
 厨房の責任者を辞めてキャプテンの任に就いた頃にも、まだ若かった。キャプテンの服が出来ていなくて、他の仲間の制服も無くて、その日その日で服が違っていた時代。
(…あの頃は、ぼくも普通に育っていったんだけどね?)
 成人検査を受けた時のまま、今のぼくと変わらない身長のままで外見の年を止めていたぼく。
 今のハーレイが「育っても何もいいことが無いから育たずに止めていたんだろう」と言ってた、前のぼく。
 その前のぼくは、アルタミラから脱出した直後が一番の成長期。背がぐんぐんと伸びて顔からも幼さが消えて、すっかり大人。
 ソルジャーと呼ばれるようになるよりも前に、ぼくは自分の年齢を止めた。
 今の身体が一番健康だろうと、使いやすい強い身体であろうと獣のような勘が働いたから。
(そうそう倒れていられないしね?)
 虚弱体質でも頑張らないと。無理の利く身体を手に入れないと…。



 前のぼくの外見の年は止まったけれども、ハーレイたちの年は止まらなかった。
 実年齢は前のぼくよりずっと若かったくせに、年齢を重ね続けていったハーレイたち。どうして止めようとしなかったんだろう、と手繰った遠い日の記憶の向こうで聞こえた声。
「あんたが若い分、あたしたちが踏ん張って睨みを利かせないとね」
 そう言ったのはブラウだった、と思い出した。
 若い姿だと新しい仲間が加わった時に舐められるからと、威厳を保つには年相応の姿が要ると。
 エラも同意見で、ハーレイたちも似たような意見を唱えたと記憶している。有言実行とばかりに年齢を重ね、年を取っていった後の長老たち。
(…すると…)
 ブラウが「こんなものだろ」と外見の年を止めた頃。エラも一緒に止めてしまったから、あまり老けたくない女心と、女同士の連帯感ってヤツなんだろう。
(ハーレイもそうだ…)
 それから間もなく止めたのだった、と蘇った記憶。
(…やっぱり見た目が大切だった?)
 ブラウとエラが止めた以上は、もういいだろうと考えたのか。
(ホントは老けたくなかったのかもね?)
 今のハーレイとはちょっと違って…、と考える。今のハーレイはもっと老ける予定だったから。
(前のハーレイが止めてくれてて良かった!)
 ハーレイのことは大好きだけれど、あの姿が好き。今の姿をしたハーレイが好き。
 前のハーレイの姿があれで良かった…、と恋人が年を取らなかったことに感謝したけれど。



(…外見と仕事のバランスだったよ!)
 唐突に浮かんで来た記憶。遠い遠い昔、まだ青の間ではなかった頃のぼくの部屋。白い鯨はまだ出来ていなくて、ぼくの部屋が仲間たちの部屋とあまり変わらなかった頃。
 ブリッジでの仕事を終えたハーレイが其処を訪ねて来て、訊かれたのだった。
 もう少し威厳を出すべきか否か、と。
 自分としては今の姿で充分だと思うが、もう少し年を取るべきか、と。
 シャングリラの操船に関しては体力的にはまだまだ余裕があるから、まだ年を取れる、と。
「そう? でも、シャングリラを動かす人は若い方がいいんじゃないのかなあ?」
「些か年を取りすぎましたか?」
「そうじゃなくって、今の姿で充分だってこと」
 今よりも老けたら心配になってくると思うよ、若い仲間たちが。
「そうでしょうか…?」
「うん。見るからにきびきびと動けそうな身体を残しておくべきだよ」
 キャプテンに任せておけば安心、と誰もが思える身体と年齢。
 今で充分、威厳はあるから。



(…ハーレイの年、ぼくが決めちゃった?)
 分かりました、と答えたハーレイはそれっきり年を取らなかった。
 前のぼくが良しとした外見のままで、年を取るのをやめてしまった。
(あの時、無責任に答えていたら…)
 ハーレイは老けちゃっていたんだろうか、とブルッと震えた。
 今のぼくなら「止めて」と泣いて頼み込むと思う、ハーレイの年。年齢に応じて老ける外見。
(だけど…)
 あの頃のぼくはまだハーレイに恋をしていなかったし、していたとしても気付いていなかった。恋人だとは思ってないから、ハーレイが年を取ると言うのを「止めなければ」とは考えない。
 老けていようが気にはしないし、老けたいと言われても止めたりはしない。
 ハーレイがキャプテンとしての姿について訊いて来たから、率直な意見を述べただけ。
(危なかったあ…)
 もしも「君に任せる」と言っていたなら、ハーレイは年を重ねただろう。キャプテンの仕事柄、ゼルやヒルマンほどには老けなかったと思うけれども、あの姿よりは確実に老けた。
 今のハーレイがぼくに出会う前は、そうするつもりでいたように。



(危機一髪…)
 ハーレイが年を取ることについて、恋人としての視点はまるで持たなかった、前のぼく。
 もしもハーレイが老けていたなら同じように恋をしただろうか、と考えたけれど。
 白髪交じりの姿だったら、笑うと目尻に皺が出来る初老のハーレイだったら…。
(…きっと恋をしたよ)
 好きになったよ、と自信を持って答えられる。
 ハーレイの今の姿が好きだけれども、若い頃の姿も好きだった。アルタミラで同じシェルターに閉じ込められてて出会ったハーレイ。ずうっと若かった姿のハーレイ。
 あのハーレイも今のハーレイも同じように好きだし、年を取ったハーレイもきっと好きになって恋をしただろう。白髪交じりで笑うと目尻に皺が出来たりするハーレイでも、きっと…。



(どんなハーレイでも、好きになるとは思うんだけど…)
 薔薇の花びらのジャムが一層、似合わなくなっていただろう初老のハーレイ。
 前のぼくの後ろに付き従って歩く、厳めしい顔の老けたハーレイ。
 そういう姿のハーレイに恋して、恋人同士になっていたなら。
(…今のぼくが再会するのも、老けたハーレイになっちゃってた?)
 ただでも「お子さんですか?」と言われちゃいそうなほどに離れた年。
 今のぼくのパパと殆ど変わらない年のハーレイだから…。
 もっと老けていたら「お孫さんですか?」なんて言われることもあるかもしれない。ハーレイと二人並んで歩いていたなら、手を繋いで一緒に出掛けたなら。
(間違われるのも悲しいけれども、結婚写真だって絵にならないよ…)
 ハーレイに両腕で抱き上げて貰って写真を撮ろうと思っているのに。
 ぼくの憧れの結婚写真が「お爺さんと孫」の記念写真になってしまったら悲しすぎる。
 それは困るし、二人で出掛けて「お孫さんですか?」って訊かれてもショック。
 ハーレイだってショックだろうとは思うけれども、ぼくも絶対、ショックだろうと思うんだ。
 だからハーレイは今の姿が一番。
 白髪も皺も無い、今のハーレイがいいと思うから…。



(前のぼくがいい判断をしたんだよ、うん)
 もし、前のぼくが「今で充分だよ」と言わずにハーレイに任せていたならば。
 ハーレイはゼルやヒルマンと一緒に仲良く老けて年を重ねて、キャプテンとしての限界を感じる年になるまで老けてしまっていたかもしれない。
(ハーレイ、ブラウとエラが年を止めたから訊きに来たのかな?)
 自分もこのくらいにしておくべきかと、年の取り過ぎは良くないだろうか、と。
 そうかもしれない、という気もした。他に動機が全く浮かんで来ないから。
(だとしたら…)
 ぼくはブラウとエラに感謝しなくちゃいけないだろう。
 二人とも女性だったから、「もう充分に威厳はあるだろ」と老けすぎる前に年齢を止めた。若くありたいと願う女性ならではの女心で、お蔭でハーレイも「おじさん」程度の年で止まった。
(あの二人がいなくて、長老が全員、男だったら…)
 老けたハーレイが出来上がっていたかもしれない、と考えてしまって怖くなる。
 無かったとは言えない可能性。老けてしまった初老のハーレイ。
 金色の髪に白髪が混じって、目尻に皺を刻んだハーレイ。
 ともあれ、前のハーレイの外見の年は止まって、今のハーレイの年も止まったけれど。
(…ゼルとヒルマンは何だったんだろ…)
 文字通りの長老だった二人の外見。禿げてしまったゼルと、髭まで真っ白になったヒルマン。
 もう少し、もう少し、と威厳のある姿を追求する内にすっかり老けてしまった結果か、ああいう姿が二人の好みだったのか。
 そういえば一度も訊いてみたことが無かったな、と頭を振って。



(ハーレイ、ひょっとして知ってるかな?)
 ゼルとヒルマンが老けちゃった理由。気になり始めたら凄く気になる。
 訊いてみたいな、と考えていたら、仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。夕食の前にぼくの部屋でお茶を飲みながら、向かい合わせで切り出した。
「ねえ、ハーレイ。…ヒルマンとゼルって、どうしてあんなに老けてたの?」
「長老らしくと言っていたが?」
 やはり威厳が大切だそうだ。長老らしく老けておかねば、と思ったようだぞ。
「じゃあ、ゼルの禿は…」
 仕方がないって諦めてたわけ?
 もっと若い間に年を止めていたら、ツルツルまでは行かなかったのに…。
「個性じゃ、と開き直っていたなあ…」
 これも長老ならではなんじゃ、と飲む度に演説をぶっていたしな?
「…年を止める気、無かったんだ…。禿げちゃうって自分で気付いただろうに…」
「ヒルマンが止めていなかったからな」
 飲み友達とは同じ年恰好でいたいもんだろ、親友だしな?
「それじゃハーレイ、なんで止めたの?」
 ゼルもヒルマンも友達なんでしょ、なんで一人だけ年を取るのを止めちゃったの?
「前のお前が命令しただろ、今の姿で止めておけと」
「…命令したつもりはないけれど…」
 前のぼくが止めていなかったとしたら、どうなってたわけ?
「もちろん老けたさ。あいつらほどには老けられないがな、俺は肉体労働だしな?」
 見るからに老人っていう姿になっちまったら、シャングリラの舵は握れんさ。
 思い通りに動いてくれる身体だからこそ、あの船をちゃんと操れたんだ。
 だが、プラス十年くらいだったら余裕でいけたと今も思うし、そこまでは多分、老けてたな。



(…前のぼく、ホントにいい判断をしてたんだ…)
 まだハーレイに恋もしていなかったくせに、と思ったけれども。
 アルタミラで同じシェルターに閉じ込められた時から、ずっと一緒にいたハーレイ。燃え上がる地獄を二人で走って、幾つものシェルターを開けて回って仲間を助けた。
 脱出した後も、ぼくはハーレイにくっついて歩いて、ハーレイの手伝いなんかもしてた。厨房でジャガイモの皮を剥いたり、「何が出来るの?」ってフライパンやお鍋を覗き込んだり。
 そのハーレイに置いてゆかれたくなくて、「もう年を取るな」と言ったかもしれない。
 ぼくとの見た目の年の差が開きすぎるのが嫌で、そう言ったのかも分からない。
(…どうなんだろうね?)
 キャプテンは若い方がいいよ、と言ったぼく。
 今の姿で充分だよ、とハーレイの問いに答えたぼく。
 深くは考えていなかったけれど、自分でも気付かない意識の奥底では「置いていかないで」って叫んでいたかもしれない。
 年を取って離れて行かないでと。
 ぼくと年の差が開き過ぎた姿になってしまって、ぼくを独りぼっちで残さないで、って…。



 案外、ホントの所はそうだったかもね、と苦笑してたら、ハーレイが「どうした?」って訊いてきたから。
「…ううん、前のぼく、とてもいい命令をしたんだなあ、って」
「はあ?」
 何のことだ、って怪訝そうにしているハーレイ。
 ぼくの大好きな今のハーレイ。ぼくよりはずっと年上だけれど、白髪も皺も無いハーレイ。
 この姿のハーレイで本当に良かった、と心の底から思うから…。
「…あのね、ぼくは今のハーレイの姿が好きだからだよ、ただそれだけ」
 老けたハーレイじゃなくて良かった、って思うんだ。
 前のぼくが命令したから、年を取るのを止めちゃったんでしょ?
 今度も年を取らないでよ?
 今がギリギリ、前のハーレイそっくりの今の姿でなくっちゃ嫌だ。
 ハーレイが年を取っても嫌いになったりしないけれども、今の姿が大好きだもの。
 これは命令だよ、前のぼくが下した命令は今でも有効なんだよ。



「おいおい、前のお前の命令って…。何年前だと思っているんだ」
 どう考えても時効だろう?
 誰に訊いても立派に時効だ、今の俺まで縛る力は無さそうだがな?
「違うよ、ちゃんと有効だよ」
 今度のぼくも、前のぼくと同じ背丈と年とで止めておくことになるんだから。
 ぼくに前と同じにしろって言うんだったら、ハーレイも守らなくっちゃダメだよ、前と同じに。
 時効なんかにはなりもしないし、させもしないよ、前のぼくの命令。
「お前なあ…。それは絶対、何処に出しても時効なんだと思うがな?」
 だが、前のお前は今のお前と同じなんだし、そうなると時効は有り得んか…。
 とんだ命令もあったもんだな、前のお前が言った時には此処まで引き摺るとは思わなかったぞ。
「ぼくだって夢にも思わなかったよ、時効どころじゃない未来まで有効に出来るだなんてね」
 でも約束だよ、今度もおんなじ姿でなくちゃ。
 せっかく二人で青い地球に生まれて来たんだもの。
 生まれ変わっても、前とおんなじ。
 前のぼくたちの頃と同じ姿で二人一緒に何処までも歩いて行くんだよ。
 手と手を繋いで恋人同士で、ずうっと先まで。
 だから有効、前のぼくの命令。
 今のまんまのハーレイでいてね、絶対に年を取ったりせずに……。




         止めた年齢・了

※シャングリラの長老たちが年齢を重ねていた理由。実はブルーが絡んでいたのです。
 ミュウは若さを保てる種族で、若い姿のままでもいられた筈。老けた理由はこうでした。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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(えーっと…)
 こういう時にはなんて言うんだっけ、と考える。確かピッタリな言葉があった筈。
 ぼくの机の上、シャングリラの大きな写真集。お小遣いでは買えなかったから、パパに強請って買って貰った豪華版。ハーレイも同じのを持っているんだ、お揃いの大切な写真集。
 ぼくとハーレイ、夏休みの最後の日に並んで写した写真も大事な宝物。フォトフレームが同じでお揃い、そっくりなのがハーレイの家にも飾ってある筈。
 飴色の木製のフォトフレーム。写真をお互いの手で入れたその日に交換しちゃった、ハーレイが持ってたフォトフレーム。ぼくが写真を入れた方はハーレイが持ってくれている。
 そのフォトフレームを飾った机でシャングリラの写真集を開いて見ているわけだけど…。



(ホントになんて言うんだっけ…?)
 沢山の写真で編まれた写真集の中、ジョミーの部屋にトォニィの部屋。ぼくの後を継いだ二人のソルジャーが使っていた部屋。どちらも、ごくごく普通な感じ。
 二人の部屋は居住区の一角に設けられていた平凡な部屋で、特に広いというわけでもない。他の仲間たちの部屋と違う所は、部屋数くらい。
 ジョミーの部屋もトォニィの部屋も、プライベートなスペースとは別に公務用の部屋が作られている。会議室とは違って応接室かな、長老とか各部門の責任者とかを迎えて相談する部屋。時には会食したりもする部屋。
 もっとも、写真集には公務用の部屋もプライベートな部屋も、どっちも載っているんだけれど。これがソルジャーの悲しい所で、机が置かれた居間はともかくベッドルームまで大公開。
 前のハーレイがトォニィに贈った木彫りのナキネズミが置かれた窓辺も、その横に飾られていたトォニィの初恋の思い出のボトルと一緒に写っちゃってる。アルテラがトォニィに贈ったボトル。宇宙遺産にならなかったから、今は残っていないけど…。
(メッセージが書いてあったんだよね)
 アルテラからトォニィへのメッセージ。「あなたの笑顔が好き」って言葉と、ピンクで描かれたハートのマーク。この写真集には載ってないけど、トォニィだけの写真集なら入っている筈。
 アルテラはボトルを贈ってから直ぐに死んじゃったけれど、メッセージは有名になって残った。トォニィが大切に想っていた人の言葉だから。
 このメッセージをアルテラが書いた文字ごと写したグリーティングカードも売られているんだ。女の子が好きな男の子へのプレゼントに添えたりするのに買って使っている定番。
 トォニィはアルテラのメッセージを残したかったんだろうし、きっと喜んでいると思うけど…。そのボトルが写った写真が残っているのも、きっと嬉しいだろうけど…。



(でも…)
 トォニィのベッドルームの写真は、分厚い写真集の中に一枚きり。ジョミーも同じ。他の部屋は別の角度から写した写真があったりするけど、ベッドルームは一枚だけ。
(二人とも一枚だけなのに…)
 ベッドルームばかりを何枚も載せられてしまっている、前のぼく。
 青の間と言えばこれだとばかりに、天蓋付きのベッドが置かれた空間の写真が幾つも、幾つも。スロープの下から仰ぐ形だったり、逆に奥からの眺めだったり。何通りも写してあったけれども、何処かにベッド。
 行けども行けどもベッドばかりで、その奥にあった小さなキッチンやバスルームなんかは載ってない。それは当然、普通だと思う。ジョミーやトォニィだってバスルームの写真は無いんだから。
 そういった本当にプライベートな空間を除外してくれたことには感謝してるし、文句を言おうと思いはしない。青の間の写真がベッドだらけでも、構造上、仕方ないとは思う。
 ただ…。



(前のぼくの部屋だけ、特大なんだよ!)
 ジョミーやトォニィの部屋とは比較にならない、とてつもなく広かった前のぼくの部屋。
 ただ広いっていうだけじゃなくって、巨大な貯水槽のように満々と水を湛えていた部屋。あんな部屋は他に一つも無くって、そのせいで余計に写真が多い。
 水と、暗めの照明と。まるで深い海の底みたいに見えるし、神秘的とも思えるビジュアル。青の間の写真はとても人気が高くて、ぼくが持ってる写真集でも見開きのページがあるくらい。
(だけど…)
 青の間がシャングリラの貯水槽を兼ねた部屋だった、っていうんだったらマシだけれども、青の間のためだけに存在していた貯水槽。
 前のぼくのサイオンが水と相性が良かったから、というだけの理由で作られてしまった超特大の部屋と貯水槽…。



(…無用の長物…)
 それだ、と閃いた、ぼくが探していた言葉。なんだったっけ、と探してた言葉。
 青の間をズバリと示す言葉で、ピッタリの言葉。「無用の長物」。
 そうとしか言えない、前のぼくの部屋。未だに人気の青の間だけれど、まさに無用の長物だった部屋。無駄に広くて、大きかっただけ。おまけに巨大な貯水槽つき。
(ホントのホントに無駄だったんだよ!)
 前のぼくが死んでしまった後には、誰もこの部屋を使わなかった。長老たちを集めて会議とかをするのに使われはしても、誰も住もうとはしなかった。ジョミーも、その次のトォニィも。
 二人とも普通の部屋を使って、何の不自由も無かった証拠が写真集の中の二人の部屋。青の間は次のソルジャーの部屋にはならずに、前のぼくの部屋のままだった。
 お蔭で、余計に人気の青の間。伝説のタイプ・ブルー・オリジン、ミュウの初代の長が暮らした青の間。ソルジャー・ブルーだけのための部屋。
(ジョミーもトォニィも、あそこに引っ越してはくれなかったし…)
 なんで作ってしまったんだろう、こんな無駄な部屋。
 前のぼくにしか意味のない部屋、無用の長物としか言えない青の間。



(…そもそも意味はあったんだっけ?)
 あのデカイ部屋、と考える。遠い記憶を手繰ってみる。
 青の間の象徴とも言える、水を満たした貯水槽。前のぼくのサイオンを増幅するための設備だと説明されたけれども、ぼくには水なんか必要無かった。あそこに水が張ってあろうと、水が無くて空っぽになっていようと、前のぼくには関係なかった。
 あれだけの水を使ってサイオンを増幅しているのだ、とシャングリラの仲間たちは信じて疑いもしなかったけれど、実際、どうだか…。
(ほんのちょっぴりだったと思うよ)
 寝ている間も楽にシャングリラを守れるようにと作った増幅装置だ、と発案者だったゼルたちは唱えていたけれど。シャングリラのみんなも信じていたけど…。
 前のぼくがあの水の力を借りていたとしても、ほんのちょっぴり。
 ぼくにしてみれば、水無しの状態で同じ量のサイオンを使ったとしても、違いは息を余計に一回するかしないか程度でしかない。それも一日で息を一回、たったそれだけくらいの違い。
 一日に何回息をしたかなんて数えていないし、数えもしない。息をたったの一回分。
 ハーレイを驚かせようとして瞬間移動で追いかける方が、よっぽとサイオンを消費していた。



(それに寝ていた間だって…)
 眠っている間も、シャングリラ中にサイオンの糸を張り巡らせていた前のぼく。
 シャングリラを守るためにとやっていたけれど、呼吸と同じで自然なこと。一度サイオンの糸を張ってしまえば、無意識の内に維持出来たから。特に力は要らなかったし、疲れもしない。大量の水の補助が無くても、全然平気。
(昏睡状態だった時でも、多分…)
 アルテメシアを脱出した後、前のぼくが十五年間も眠っていた間。
 ぼくのサイオンはシャングリラを守れる状態ではなかったけれども、キースが逃げ出した騒ぎで目覚めた所からして、サイオンの糸は細く張り巡らせたままでいたんだろう。自分でさえ気付いていなかったけれど、そうでなければ目覚めない。
 その糸を張ったままで眠っていた、ぼく。十五年間も深く眠っていた、ぼく。
 水があったから楽に眠れたとか、助かっただとか。そんな感覚は何処にも無かった。サイオンの糸を維持しておくのに水の力は借りずに眠っていたんだと思う。
 だって、元から使ってないから。借りる習慣が無かった力を無意識の内に借りたりはしない。
(そんな方へ意識を向けられるんなら、眠ったままにはなっていないって!)
 つまりはホントに無用の長物、あんな部屋はぼくには必要無かった。
 巨大な貯水槽付きの青の間なんかは、本当に要らなかったのに…。



 それなのに出来てしまった青の間。作られてしまった、特大の部屋。
(言い出しっぺは…)
 ゼルだったかな、と遠い記憶を探ったけれども、ヒルマンだった?
 ひょっとしたらエラってこともあるかもしれない。エラはやたらと礼儀作法にうるさかったし、前のぼくへの言葉遣いでハーレイたちを叱っていたから。敬語を使え、って何度も、何度も。まだシャングリラが名前だけの時代、ぼくがソルジャーと呼ばれ始めた頃に。
 ハーレイたちが敬語で話さないといけないソルジャー。それが前のぼくについた肩書き。本当は尊称と言うんだろうけど、要は肩書き。
 ぼくはリーダーで充分だろうと思っていたのに、それじゃ話にならないらしい。いろんな部門にリーダーは居るし、何処のリーダーだか分からないから、ってことでソルジャー。
 そのソルジャーに相応しく大きな部屋を、と言われたんだ。
 まだ名前だけの楽園だったシャングリラという船。アルタミラから皆で脱出した船。元は人類の持ち物だった船を、白い鯨へと改造することが決まった時に。



 一度改造の話が決まると、次から次へとプランが出て来た。自給自足で生きてゆくために必要な設備や空間だけじゃなくて、展望室だの、公園だのと。
 どうせやるなら徹底的に、とプランは生かすことにした。前のぼくたちの世界はシャングリラの中が全てだったし、其処しか生きる場所が無いなら、名前通りの楽園にしたかったから。
 うんと大きな船に造り替えて、公園も一つじゃなくて沢山。広い公園は一ヶ所あればいいけど、他にも憩いの場所を幾つも。居住区の部屋の窓から眺められるよう、幾つも幾つも。
 展望室や今よりも広い食堂、子供たちが遊ぶための部屋。学習するための部屋も作らなくては。
 そんな調子で色々と増えて、一つ決まるとまた一つ増えて…。
 来る日も来る日も会議に集会、そうして決まってゆく新しいシャングリラに出来るもの。
(プラネタリウムまで作ろうってことになっちゃったもんね)
 まだ見ぬ地球の夜空にあるという星座を投影して眺められる部屋。天体の間って名前までが先に出来上がっていて、作りたいと願っている仲間が沢山。
 天体の間は集会室として使えそうだから、とゴーサインを出したぼくだけれども、自分の部屋については渋った。ソルジャーに相応しく大きくしようと言われても困る。
(寝る部屋があったら充分なんだよ)
 ベッドルームがあればそれで充分、机だって其処に置けばいい。
 どうしてもと言うならキャプテンの部屋と同じ程度で、と申し出を何度も断ってたのに…。



(頑固なんだよ、ゼルたちは!)
 広い方がいいと、ソルジャーの部屋らしくするとゴネられた。
 ソルジャーなんて御大層な尊称とやらと、マントまでくっついた立派な、仰々しい服と。
 この二つだけでも大概だって思っているのに、部屋まで大きくしようだなんて…。
(ぼくに祭り上げられる趣味は無いから!)
 ソルジャーなんです、と威張り返るより、普通が良かった。みんなと同じでいたかった。
 だけど反対すればするほど、向こうも意地になって反撃するから。
 ああだこうだと理屈を述べたり、SD体制よりもずっと昔の「前例」とやらを持ち出したりと、うるさく攻撃してくるから。
 ぼくはすっかり疲れてしまって、もうキャプテンに任せると言った。
 ハーレイがそれでいいと言うならそれにしておけ、と。
 そうしたら…。



「ソルジャー、少しお話が」
 ハーレイがぼくの部屋へとやって来た。ブリッジでの仕事が終わったんだろう、夜だったから。宇宙船の中では昼も夜も無さそうって感じだけれども、前のぼくたちはちゃんと決めていた。
 まだアルテメシアには着いていなかった頃で、窓の外は真っ暗な宇宙空間。それでも昼と夜とを作ろう、って銀河標準時間で決めた。地球を基準とする二十四時間、一年は三百六十五日。それに合わせて船内の照明の明るさを変えた。昼は明るく、夜は暗めに。
 個人の居室以外のスペースや通路の明かりが暗くなる、シャングリラの夜。
 その暗い通路を歩いて来たハーレイを部屋に通して、来客用の椅子に座って貰って、熱いお茶を淹れた。シャングリラ産の紅茶はまだ無かったから、合成の粉末をお湯で溶いた紅茶。
 ぼくの分も淹れて、ハーレイに紅茶のカップを渡して。「何の用だい?」と尋ねたら、出て来た図面。テーブルの上に部屋の設計図。
「…なに、このだだっ広い部屋?」
 それが最初の感想だった。何に使うのか見当もつかない、やたら広そうな謎の空間。
「仮名称は「青の間」ですが」
「ふうん? この部屋は何に使うんだい?」
 名前よりも目的が気になった。だだっ広い部屋の使い道。なのにハーレイの答えときたら。
「そのままですが」
「……そのままって?」
 意味が分からないからオウム返しに訊くしかなかった。
「青の間ですから、ブルーです。あなたの名前をそのまま付けては失礼だと、エラが」
 ぼくの名前を部屋の名前にして、どうするんだろう。どういう意味があるんだろう?
 これまた全然分からないから、もう一度訊いた。
「それで、何のために使う部屋なんだい?」
「ですから、あなたの部屋ですが」
「ぼくの部屋!?」
 ガチャンとカップが割れなかっただけマシ。
 ぼくの声は完全に引っくり返って、目は真ん丸になってたと思う。
 広すぎるどころか、集会室で通りそうな部屋。この広い部屋がぼくの部屋だなんて…!



 零れ落ちそうなほどに見開いてた目をパチパチとさせて、図面を見直したけれど。
 設計図がそれで変わる筈もなくて、青の間とやらは巨大なまま。
「どうしてこんなに大きいわけ?」
「任せると仰いましたので…」
 ハーレイの答えに嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感に声が震えた。
「まさか、この部屋…」
「既に資材の調達に入っております。本日は着工前の御報告をしに参りました」
 任せたぼくが馬鹿だった。話はとっくに決まってしまって、ぼくに拒否権なんかは無い。とうに手遅れ、後の祭りと言うべきか。
 仕方ないから、馬鹿でかい部屋の設計図を子細に見ることにした。今からでも変更可能と思える部分があったら、少しでもマシに。少しでも普通の部屋らしく…、と。
(どういうセンスの部屋なんだろう、このスロープ…)
 入口から緩やかな螺旋を描くように上へと伸びたスロープ。その先端に設けられた場所にぼくの寝室やバスルームなんかを作る仕様になっていた。
 そんな高い所に寝室とかを作ってどうするんだと、意味があるのかと尋ねてみたら。



「水だって!?」
「はい」
 この高さまでは水が入ります、そう設計をしております。
 もちろん人工重力で制御しますので、船体が傾くことがあっても溢れることはございません。
 ハーレイの指が「此処までです」と示す所に、言われてみれば印が付けられていた。
「これだけの水って…。ぼくは新しい貯水槽の番人を兼ねているってわけ?」
「まさか。あなた専用の貯水槽です」
 あなたのためだけに満たす水です、此処だけで循環させることになります。
「魚でも飼えと!?」
「そのように出来てはおりませんが…」
 お望みでしたらそのように、と大真面目に言われて慌てて止めた。
 部屋で魚を飼う趣味は無い。魚を見るのは好きだけれども、部屋で飼おうとは思わない。
(でも…)
 巨大すぎる貯水槽を備えた部屋なら、有効活用すべきだろう。シャングリラの他の部分の役には立たない水だと言うなら、なおのこと。
 シャングリラで食べる魚の養殖施設に、と考え直して修正案を出しておいたのに。



「却下された!?」
「はい。ソルジャーのお部屋で養殖などとは、恐れ多いかと…」
 ゼルたちは却下してくれた。ぼくは懸命に譲歩したのに、歩み寄る代わりに蹴飛ばしてくれた。
 シャングリラの仲間たちの役に立つなら…、と魚を飼おうと提案したのに。
「それじゃこの部屋、どういう意味が!」
 こんなに沢山の水を満たして、船の役にも立てないで…。
 貯水槽でも養殖施設でもないと言うなら、この水に何の意味があると!?
「あなたのサイオンの増幅用です、一種の増殖装置です」
 水と相性が良くていらっしゃいますから、これだけあればソルジャーのお役に立つかと。
「意味ないよ!」
 ぼくのデータはキャプテンの君も持ってる筈だよ、分かるだろう?
 相性がどうこうと言うのは誤差の範囲に収まる程度の数値で、大した意味は無いってことが。
 ぼくに大量の水を渡した所で、ぼくのサイオンが高まるわけではないってこと…!
「ですが、ソルジャー…」
 船の皆には、心の拠り所が必要ですので。
 ソルジャーが船を守って下さる、ソルジャーが此処にいらっしゃる、という安心感。
 そのソルジャーがお住まいになる部屋というわけです、この青の間は。



 演出です、とハッキリ口には出さなかったけれど、本当の所はそういうこと。
 とにかく青の間はこけおどしだった。
 船の仲間たちを安心させるためだと言ってはいたけど、どうなんだか…。
 ソルジャーの威厳を高めようとか、そういう気持ちも入っていたことは間違いない。あの部屋を押し付けて来た面子の中には、エラも混ざっていたんだから。
(ソルジャーには必ず敬語で話せ、ってハーレイたちを叱っていたしね)
 ぼくのサイオンは水と相性がいいから、と強引にこじつけて作られた青の間。
 あんな貯水槽、必要無かった。大量の水には意味が無かった。
 要は一種の舞台装置で、ソルジャー・ブルーを、前のぼくを派手に演出するためのもの。
 青の間の住人はとても凄いと、これだけの水を操ってシャングリラを常に守っているのだと。
 ところがどっこい、あの水にはそんな力も無ければ、ぼくの役にも立たなかったわけで…。



(ジョミーもトォニィも、絶対それに気付いてたんだよ!)
 同じタイプ・ブルーの二人だったら見抜けただろう。青の間を満たす水には何の意味も無いと、ただのこけおどしで演出なのだと。
 気付いてしまえば、あんな部屋に住む必要は無い。あんな巨大な部屋も要らない。
 ジョミーやトォニィのサイオンが何と相性が良かったのかは知らないけれども、相性が良くても誤差の範囲内。その物質を満たした部屋など作るだけ無駄、作っても無駄。
(だから二人とも、青の間も継がずに、別の部屋だって作りもせずに…)
 居住区の普通の部屋に住んでいた、二人のソルジャー。
 ちょっと部屋数を増やしただけの場所を居室にしていた、二人のソルジャー。
 ジョミーもトォニィも特別な部屋を作らないままで終わってしまって、青の間だけが残された。
 お蔭で青の間は今も人気が高くて別格、前のぼくだって特別扱い。
 青の間を専用の部屋にしていた初代の長で、伝説のタイプ・ブルー・オリジンと言われる有様。
 そこまで凄くはないって言うのに、青の間は勝手に一人歩きをしてしまった。
 ソルジャー・ブルーの威厳を高める部分だけが今でもキッチリ生きてる。
 白いシャングリラが無くなった後も、青の間の主は偉大なソルジャーだった、と宣伝しながら。



(あんな部屋を作ってくれたからだよ!)
 初代のソルジャーだったことや、メギドを沈めたことは本当だから何も言わないけれど。
 青の間に関しては嘘八百だって分かってるから、ぼくは恥ずかしくてたまらない。演出だなんて言えやしないし、もう、どう言ったらいいんだろう…。
(褒められたって困るんだけど…!)
 前のぼくはなんにもしちゃいない。青の間を何にも役立てちゃいない。
 せめて魚の養殖だけでもしていたなら…、と思うけれども、今となってはどうにもならない。
 よくも、と赤っ恥をかかせてくれた部屋の写真を睨み付けても、犯人はみんな逃げてしまった。前のぼくに青の間を押し付けたみんなは遥かな時の彼方へと逃げた。
 今のぼくなんかは知らないよ、とばかりに何処かへ行ってしまった。
(ホントのホントに大恥なんだよ…!)
 青の間に何の意味も無かったことにはジョミーとトォニィしか気付かなかっただろうし、ぼくが喋らなければバレはしないと思うけど…。
 シャングリラはもう無くなっちゃったし、永遠にバレはしないだろうけど…。
 だけど自分が恥ずかしい。
 あんな大きな部屋を独占して、前のぼくがやっていたことはといえば…。



(ハーレイと…)
 あの部屋で、あの部屋のベッドで、こそこそと逢瀬。
 夜はベッドで二人で眠って、翌朝は何食わぬ顔をして二人で朝食。ソルジャーとキャプテンとの朝食会だという名目を掲げて、二人で仲良く食事をしていた。
 誰も気付かなかった恋人同士。誰一人として気付きはしなかった恋人同士…。
(…ハーレイと暮らしていただけだなんて…!)
 もう本当に恥ずかしすぎる、と両手で顔を覆った所で気が付いた。
(残ってたよ…)
 そうだ、一人だけ残っていた。
 前のぼくに赤っ恥をかかせてくれた、青の間を作った犯人の一人。
 ゴーサインを出したキャプテン・ハーレイ。
 生まれ変わって来たからキャプテンじゃないけど、ハーレイはちゃんとこの地球に居た。



(ハーレイは逃げ場が無いんだよ)
 ぼくの恋人だから逃げようがない。
 前の時はゼルたちと連帯責任で一人じゃないから知らんぷりを決め込んでたけど、今度はぼくの前にはハーレイだけしかいないんだ。
 それに結婚して、何処までも一緒。二人一緒に暮らすんだから…。
(思いっ切り文句を言わなくっちゃね)
 一生ネチネチ言ってやろうか、と思ったんだけど。
 言ってやろうと決心しかかったけれど、ちょっと待って。
 もしも青の間のことでぼくが文句を言ったなら…。



(…復讐される…?)
 ぼくはハーレイと結婚予定で、いつかはハーレイのお嫁さん。
 ハーレイと一緒の家に住んでるお嫁さん。
 つまりハーレイがその気になったら…。
(今度こそぼくの部屋がメチャクチャ!?)
 シャングリラに居た頃の青の間よりも酷い結末になるかもしれない。
 お姫様みたいな部屋にしてやろう、ってフリルだらけで壁紙も家具もそれっぽくとか…。
 決定権は家の持ち主のハーレイにあるし、「模様替えだ」って言われちゃったら断れない。
 どんなに凄い部屋にされても、「ありがとう」って笑って御礼を言うしかない。



(…………)
 復讐は困る。とっても困る。青の間なんかより、もっと、ずっと、困る。
 だけどハーレイには実行するだけの力がある上、お嫁さんのぼくには断れない。
(…青の間の文句、下手に言ったら、ぼくはおしまい…?)
 青の間を前のぼくに押し付けた犯人は一人だけ、今も存在してるんだけれど。
 仕返しが怖いから、何も言えない。
 言いたくっても、仕返しが怖い。
 前のぼくより立場が弱そうな、今のぼく。
 だから今度は祈るしかない。
 神様、どうか結婚した後、ハーレイがとんでもない部屋をぼくに寄越しませんように…。




         無用の青の間・了

※実はこけおどしだった青の間。ソルジャーの偉さを強調するための演出とも言います。
 けれど、押し付けられた文句を言おうものなら…。結婚した後のブルーの部屋が大惨事かも。
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(うーん…)
 未だにこうか、と新聞を眺めて大きな溜息。学校から帰って、制服を脱いで、おやつの時間。
 ママが「どうしたの?」って訊くから、「これ!」って指差したら、「あらまあ…」と笑顔。
「ブルー、きちんと載ってるじゃないの」
「そうだけど…」
「昔からこうねえ、王子様よね」
 だけどブルーは小さすぎね、とママはクスクス笑ってる。
「もっと頑張って食べなさいよ? でないと王子様になれないわよ?」
「分かってるけど…」
「ママは小さくてもかまわないのよ、今の可愛いブルーも好きだし」
 ゆっくり大きくなりなさいな、と言ってくれるママはとても優しい。ぼくの背が百五十センチのままで止まっちゃってても、叱るどころか可愛がってくれる。パパだって同じ。
 二人揃って、そういう子供のための上の学校へ行くといい、って本気で思っていてくれる。
 でも…。
(ぼくは上の学校へ行くより、ハーレイと結婚したいんだけどな…)
 それなのに伸びない、ぼくの背丈。前のぼくと同じ背丈にならない限りは、ハーレイはキスさえ許してくれないのに…。
(この顔にならないと結婚も無理?)
 駄目だ、溜息が倍になりそう。ママは勘違いをしているらしくて、「いいじゃないの」と新聞を覗き込んで来た。
「人気があるのはいいことよ? だけど…」
 今度のブルーはどんな王子様になるのかしらねえ、と前のぼくの写真とぼくとを見比べてから、ママはダイニングを出て行ってしまって、残されたぼく。
 溜息の元の新聞と一緒に、おやつのケーキのお皿と一緒に置いて行かれてしまった、ぼく。



(あーあ…)
 前のぼくの写真が載ってる新聞。お堅い記事とは全然違う。娯楽のためのコーナーかな?
 女の子向けのお遊びの一種、簡単な質問に答えていくと似合いの恋の相手が分かるというヤツ。どんなタイプが向いているか、って説明と一緒に挙げられる例。
 童話の主人公のことも多いけれども、それに負けないくらい前のぼくたちも引っ張り出される。ちゃんと写真が残っている上、遥かな昔の英雄だから。うんと人気の人物だから。
(今日もそっちかあ…)
 こうした時に登場するのは前のぼくとジョミーとキースと、それからトォニィ。この四人が必ず載せられることになってて、たまにマードック大佐が入る。場合によってはマツカも加わる。
(だけど…)
 絶対に入ってこないハーレイ。今のハーレイじゃなくて、前のハーレイ。
 何度眺めてもハーレイが入ってないのが悔しい。
 この手のヤツには絶対にハーレイが入ってないんだ、前のぼくの王子様なのに。
 キャプテン・ハーレイは前のぼくの恋人で、大切な王子様だったのに…。



(ぼくが王子様っていう扱いなんだよ!)
 いつも、いつだって王子様な枠に分類されてる前のぼく。
 フィシスを連れていたせいなんだろうか、「白馬の王子様」って扱いをされてる前のぼく。
 挙げられる例が童話の方なら、王子様が載ってるポジションに置かれる前のぼく。解説にだって「王子様」の文字がしっかりと入る。
(分かりやすくっていいんだろうけど…)
 女の子たちがドキドキしながら読んでいく分には、王子様でもいいんだけれど。
 ジョミーやキースたちにはコレっていうお決まりの言葉が無いのが引っ掛かるけど、その辺りは今のぼくにはどうしようもないことだから。「なんで、ぼくだけ?」って文句を言えはしないし、王子様扱いについては諦めてるけど…。
(それは諦めがつくんだけれど…)
 納得がいかない、理不尽な事実。今日の新聞にも突き付けられた現実。
 王子様のぼくが恋したハーレイ。前のぼくが愛したキャプテン・ハーレイ。
 なんだって此処に入らないのか、どうして入っていないのか。
 マードック大佐もマツカも枠を持っているのに、何故ハーレイの枠を設けてくれないのか。
(いつもなんだよ!)
 いくら眺めても出て来てくれない、ハーレイの枠。本当にいつも、いつだって、そう。
 毎回、腹が立ってくるから、今日もバサリと新聞を投げた。
 閉じるだけでは収まらないから、乱暴に閉じて畳んで、投げた。
 前のぼくの王子様を全く載せないだなんて、絶対、何かが間違ってるから!



 ケーキのお皿と紅茶のカップをキッチンに居たママに渡して、階段を上って部屋に帰った。でも収まらない、ぼくの胸の中。
(うー…)
 コロンとベッドに転がったけれど、まだ腹が立つ。どんどん腹が立ってくる。
 あの手の女の子向けのお遊びの記事が次から次へと浮かんでくるから。幾つも幾つも思い出してしまって、全然消えてくれないから。
(あんなの、読むんじゃなかったよ…)
 女の子向けの記事なんだから、読まずに放っておけばよかった。後悔先に立たずだけれど。
 前世の記憶が戻る前には、「面白いな」とよく見てたんだ。
 だって、質問に答えていったら「あなたにはこんなタイプが似合います」って出るんだもの。
 つまりは自分がやっていたわけで、大抵はキースだったと思う。
(当たらないんだよ、ああいうのは!)
 このぼくに、キース。
 キースが前のぼくに何をしたかは放っておいても、好みじゃない。
 あんなのは絶対に好みじゃないのに、辿り着いた答えは圧倒的にキースが多かったような…。
(ハーレイが入ってなかったからだよ!)
 そうに違いない、と記事を作る人たちのせいにした。
 もしもハーレイの枠を作ってくれていたら、ぼくは真っ直ぐハーレイに辿り着けたんだ…。



 絶対に入っていないハーレイ。枠さえ作って貰えないキャプテン・ハーレイ。
 それなのに必ず王子様扱い、不動のポジションを誇るソルジャー・ブルー。
 前のハーレイと前のぼくの扱いの違いは酷過ぎる。
 ああいう記事を作る人たちは、なんて見る目が無いんだろう。
 王子様な前のぼくが一目惚れ……だかどうかは知らないけれども、心の底から好きだった人。
 生まれ変わって来てからも好きで、大好きでたまらないハーレイ。
 そのハーレイを数に入れないだなんて、つくづくどうかしていると思う。
 目が節穴と言うか、まるで分かっちゃいないと言うか。
(ホントのホントに腹が立つったら…!)
 ぼくのハーレイの枠が無いなんて、と怒鳴り込みたい気分になる。
 ハーレイよりも素敵な人なんかいない。ハーレイが誰よりも素敵で、大好き。
 でも……。



(…薔薇のジャムが似合わないハーレイだっけ…)
 シャングリラの女性クルーが趣味で作っていた薔薇の花びらのジャム。
 量が少ないのに人気だったから、作る度に希望者がクジ引きをしてた。クジを入れた箱を抱えた女性クルーがシャングリラ中を回っていたのに、箱が素通りしていたハーレイ。
 ブリッジではゼルもクジを引くのに、ハーレイの前では一度も止まらなかったクジ入りの箱。
(声を掛けなかったハーレイだって悪いんだけど…)
 ぼくは女性クルーの「キャプテンには似合わないわよね」っていう心の声を知っていた。薔薇の花もジャムも似合いそうにないと、そういうタイプの人間じゃないと。
 だけど彼女たちは、ぼくには薔薇が似合うと思っていたんだ。薔薇のジャムだって似合うからと作る度にプレゼントしてくれた。クジなんか引かなくっても貰えた。
 そのぼくがハーレイを愛していたのに、薔薇のジャムのクジ引きはハーレイ抜き。クジの入った箱は決して、ハーレイの席の前で止まりはしなかった。



(…シャングリラでもハーレイって枠の外だったよ…)
 あの頃から見る目のない人ばかりが揃っていたんだろうか、と情けなくなる。
 ハーレイに憧れていた女性というのを全く知らない。誰一人として記憶には無い。
(憧れてたのは男性だよね?)
 小さな子供から、大人まで。ハーレイに憧れていた男性はとても多かった。
(多かったんだけど…)
 前のぼくみたいな恋ではなかった。あくまで憧れ、カッコよくて素敵な憧れの人。
 巨大なシャングリラを自在に操り、船の進路を決めるキャプテン。ブリッジで指揮をし、舵を握っていたハーレイの姿に憧れない方がどうかしている。
(みんな、キャプテンのハーレイに憧れてたんだよ!)
 もしもハーレイがキャプテンにならずに、元の通りに厨房でフライパンを握っていたら。調理の責任者のままでいたなら、憧れる男性はグッと減ったか、皆無だったか。
(…ぼくはフライパンとお鍋のハーレイでも全然気にしないのに…)
 どうしてキャプテンのハーレイでないと駄目なんだろう。
 なんでそうなっちゃうんだろう?
 ぼくはハーレイしか見えなかったのに。
 前のぼくには、ハーレイだけしかいなかったのに…。



 ハーレイの他に好きな人なんていなかったよ、と遠い昔の記憶を手繰った。
 フィシスは女性だから数に入れずに、男性限定で考えてみた。前のぼくが誰をどう思ってたか。
(やっぱりハーレイしかいないんだけど…)
 前のぼくが恋をしてた人。前のぼくが大好きだった人。
 それなのに今じゃ、お似合いの恋のお相手の例にも挙がってこないハーレイ。ああいった記事に顔を連ねる面々は決まっているんだけれども、前のぼくは誰も何とも思っていなかった。
(ジョミーはほんの子供だったし、トォニィはもっと小さかったし!)
 キースなんかは論外だよ、と言いたい気分。
(…今のぼくなら…)
 ジョミーをかっこいいと思うだろうか、と金色の髪の青年の姿を思い浮かべて「ううん」と首を左右に振った。英雄になったジョミーに出会ったとしても、ぼくの心は惹かれはしない。
 トォニィも…。ソルジャーを継いだ大きなトォニィが目の前にいても、やっぱり要らない。
(えーっと、キースは…)
 記事の定番の写真はナスカに来た頃の若かったキース。前のぼくを撃ったことは除外したって、ぼくはキースに恋したりしない。女の子向けの質問に答えた時に出て来た回数は多かったけれど、「気が合いそうだな」って考えただけで、好みだとは一度も思わなかった。
 マードック大佐もちょっと違うし、マツカはちょっぴり頼りない。
(断然、ハーレイが一番なのに!)
 なんで誰一人として、ハーレイに目をつけてくれなかったんだろう。
 誰よりもかっこ良かったハーレイ。前のぼくが恋をしたキャプテン・ハーレイ…。



 目が節穴な人たちばかりだ、とベッドに転がったままで怒り続けて。
 怒りを通り過ぎてしまってふて腐れていたら、ハーレイが仕事帰りに寄ってくれたから。ぼくの部屋で夕食の前のお茶を飲むことになって、向かい合わせで座ったから。
「ねえ、ハーレイ。腹が立たない!?」
「はあ?」
 ポカンと口を開けたハーレイ。
 いけない、大前提ってヤツが綺麗に抜け落ちていた。それほど怒っていたんだろう。
「えーっと…。今日の新聞に載ってたんだけど…」
 ぼくは例の記事の説明と、ぼくの怒りとをハーレイに真正面からぶっつけて。
 腹が立たないのかと訊いたんだけれど、ケロリと返って来た答え。
「そんなのは昔からだろうが」
 シャングリラの頃からの伝統だ、うん。
 前のお前は大人気だったが、俺はキャプテンの肩書きが無けりゃ誰も寄っては来ないってな。



「だけど…!」
 酷いよ、みんな見る目が無さすぎだよ!
 ぼくはハーレイが好きだったんだし、ハーレイは素敵だったんだよ!
「そう来たか…」
 ならば、とハーレイは腕組みをしてぼくを見詰めた。
「だったら、お前。…ライバル多数が嬉しかったか?」
「ライバル?」
「恋敵とも言うな、俺に惚れてる女性や、男や」
 そういった連中がわんさといる中、ぼくのものです、って威張りたかったか?
 ハーレイはぼくのものなんだ、とな。
「もちろんだよ!」
 ぼくは勢い込んで答えた。
 ハーレイを好きな人が沢山いる中、ハーレイはぼくを選んでくれたんだから。
 大勢の中から選ばれたなんて、幸せすぎて威張らないではいられない。
 腕を組んで、ハーレイにくっついて。
 ぼくのものだと、ぼくのハーレイだと自慢せずにはいられない。
 そうしてハーレイにキスして貰って、それから、それから…。
 なんて幸せなんだろう。ハーレイを好きな人が大勢いるのに、ぼくを選んで貰えたなんて。



 素敵だよね、と夢を見ていたら、ハーレイが「ふむ…」と顎に手を当てて。
「ライバル多数も大歓迎、というわけか」
「うんっ!」
「なるほどなあ…。しかしだ、お前、大事なことを忘れていないか?」
 ソルジャーがそういう宣言、出来るか?
 前の俺がお前を選んだってな、お前はソルジャーだったわけだが。
「あっ…!」
 前のぼくの立場を忘れてた、ぼく。ソルジャー・ブルーだった、前のぼく。
 ハーレイとの恋は誰にも明かせなかった。
 ソルジャーとキャプテンが恋人同士だと知れてしまったら、シャングリラに支障を来たすから。今後の進路も、会議の行方も、円滑に進みはしないから…。



「気付いたか、馬鹿」
 俺と恋人宣言なんかは出来ないだろうが、内緒なんだぞ?
 ソルジャーとキャプテンが恋人同士だなんて言えやしないし、知られるわけにもいかないな。
 そうしてあちこちで噂が立つんだ、俺とお前以外の誰かの恋の噂が。
「……嘘……」
 なんで恋の噂?
 ハーレイはぼくを選んでいるのに、なんでそういう噂が立つの?
「そりゃ立つだろうさ、お前は表に出られないんだし」
 俺がお前に決めたってことは、誰にも分からないわけだ。
 だから相手を探したくなる。恋人は誰だ、とシャングリラ中で噂が立つ。
 ブラウは確実に渦中の人だな、軽口を叩き合ってた仲だしな?
 前の俺の身近にいたヤツとなると、エラも危ないし、シドもターゲットになりそうだ。ついでにリオも危ないかもなあ、お前の使いでよくブリッジに来ていたからな。



「…そんな…」
 酷い、と無責任な噂に顔を顰めたけど、ハーレイは「事実だろうが」とバッサリ、一言。
「そういった話になっちまうのさ、お前が表に出られない以上」
 いくらお前と恋人同士でも、それらしい場面が無いんじゃなあ…。
 如何にも偉そうなソルジャーなんかより、ブリッジで一緒のヤツらの方がそれっぽいよな?
 俺がコーヒーを渡してやっていたとか、受け取ってたとか。
 食堂で飯を一緒に食っていたとか、そうした所を目にしてたヤツらが噂を始める。
 いくらでも立つぞ、その手の噂は。
 そしてアッと言う間に広がっていくんだ、尾鰭がついてな。
 俺にそういう覚えが無くても、誰かの部屋に泊まりに行ったとか、俺の部屋に誰か泊めたとか。そんな噂まで流れ始めるだろうな、何の根拠も無いままで。
 そういう状態になっていてもだ、お前は表に出られはしない。
 俺は青の間に居たんだと本当のことを言えはしないし、黙って見ていることしか出来ない。
 お前、耐えられるのか、その状況に?



(………)
 ちょっと想像してみた、ぼく。
 ハーレイは間違いなくぼくの恋人で、夜は青の間で過ごすんだけれど。
 本当のことを知らない誰かが勘違いをして、其処から広がり始める噂。ハーレイに恋人がいるという噂。それだけだったら、ぼくは我慢が出来ると思う。仕方がないと我慢が出来る。
(…でも…)
 ハーレイの恋人だと噂の誰かが、ハーレイと並んで歩いていたなら。
 前のぼくはキャプテンだったハーレイを後ろに従えて歩いていたけど、そのハーレイが何処かで恋人と噂される人と二人並んで歩いていたなら…。
 普通に隣を歩いているだけの人が恋人に見えてしまうだろう。前のぼくは歩けない、ハーレイの隣。ソルジャーの立場では歩くことが出来ない、ハーレイの隣。其処を親しげに歩く人がいると、まるで本物の恋人みたいに、と。
 そう気が付いたら、きっと辛くてたまらない。ぼくは歩けないハーレイの隣。ぼくが立てない、ハーレイの隣。
 もう絶対に悔しいし、悲しい。
 本当は恋人なんかじゃなくってただの噂だ、と分かっていたって泣くだろう。声を上げて泣いてしまうだろう。どうして隣にぼくじゃないんだと、別の人が歩いているんだ、と。
 ううん、泣くだけじゃなくって、悲しくて悔しくて怒ってしまう。
 怒りをぶつける所が無くって、ハーレイに当たり散らしてしまうと思う。
 どうして並んで歩いていたのかと、ぼくは隣を歩けないのに、と。



 みっともないことになってしまいそうな、ライバル多数だった場合の前のぼく。
 独占欲の塊になって、ハーレイを困らせてしまいそうなぼく。
 考えれば考えるほどに、悲惨な結果になりそうなことが見えて来たから、呟いた。
「…ぼく、無理かも…」
 ホントはぼくが恋人なんだ、って分かっていたって耐えられないかも…。
 ハーレイの恋人は他の誰かだ、なんて噂が流れていたら。
「そうだろうが」
 な? と、ハーレイの大きな手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
「だからライバルなんぞはいなくていいのさ、俺はモテない男でいいんだ」
 お似合いの恋人のタイプとやらに名を連ねなくとも別にかまわん。
 腹も立たんし怒りもしないさ、お前にモテればそれでいいんだ。
 お前だけが俺に惚れててくれれば、もうそれだけで充分だからな。



「でも…。ハーレイ、ホントにかっこいいのに…」
 誰よりもかっこいいと思ってるのに、なんでぼくだけになっちゃうのかな?
「さあな? ただし、今度の俺は前の俺とは一味違うぞ」
 何度も言ったが、学生時代の俺には女性ファンがけっこうついてた。
 柔道も水泳も、大会や試合を応援しに大勢来てくれたもんだ。
 見る目があるヤツが多かったわけだが、そこをどうする?
 お前だけではないってことだな、今の俺をかっこいいと思ってくれるヤツは。
(…それを言うわけ!?)
 よりにもよって女性ファンの数を恋人のぼくに自慢するなんて。
 ものすごーく腹が立ったけれども、そういう時代は確か学生時代の終わりまで。
 ハーレイがプロのスポーツ選手じゃなくって教師になったら、女性ファンたちは去って行ったと聞いているから。
 腹を立てた分を仕返ししようと、ぼくはニッコリ笑って言った。
「それ、キャプテンだったハーレイに憧れてた男の人たちと同じなんじゃない?」
 ハーレイそのものじゃなくて柔道と水泳に憧れてたんだよ、そっちの腕前のお蔭だよ。
 シャングリラのキャプテンはかっこいいな、って憧れるのときっと同じだってば。
 柔道と水泳の選手を辞めたら消えちゃったんでしょ、その人たちって。



「こらっ!」
 コツン、とハーレイの拳がぼくの頭に降って来た。
「一人で勝手に落ち込んでるから、せっかく元気づけてやったのに…」
 お前は恩を仇で返す気か、俺だって少しは自慢したっていいだろう!
 どうせモテない男なんだから、今度はモテたと少しくらいは!
「ううん、ハーレイ、モテなくっても凄いんだよ」
 かっこいいんだよ、ぼくの恋人だもの。
 前のぼくは今じゃ王子様っていうポジションなんだよ、恋人のタイプの例が並んでいる中で。
 王子様のぼくがハーレイのことを大好きなんだよ、ハーレイ、威張っていいんじゃない?
 俺は世界一かっこいいんだと、王子様より上なんだと。
「ふうむ、そういう考え方も出来るか…」
 王子様のお前が惚れているなら、俺の方が上か。
 俺は王子様よりも上のランクの男だっていうことになるのか、その説で行くと。
「そうだよ、ハーレイが世界一かっこいいんだよ」
 王子様よりも上で、世界で一番。
 宇宙で一番かっこいいのがハーレイなんだよ、王子様のぼくの王子様だもの。



 本当に宇宙で一番だよ、とぼくはハーレイに微笑みかけた。
 前の生からのぼくの恋人。誰よりも大切な、ぼくのハーレイ。
 そのハーレイは「うーむ…」と低く唸って。
「…なんだか落ち着かないんだが…」
 お前よりも上だと言われる分には嬉しいだけだが、こう、具体的に…。
 世界一だの、宇宙で一番だのと絶賛されると、俺の柄ではないような…。
 そこまでかっこいいってことになるとだ、どうもこそばゆくて落ち着かんな。
「大丈夫!」
 心配しなくても大丈夫だよ、と自信たっぷりに答えてあげた。
「だって、ハーレイに注目する人はいないから!」
 お似合いのタイプにランクインしないハーレイだよ?
 かっこよくても誰も気付かない、気付いてくれないハーレイだから大丈夫!
「お前ってヤツは、俺を何だと思っているんだ!」
 褒めるかけなすか、どっちかにしろ!
 どっちがお前の本音か分からん!
 この蝙蝠めが、と軽い拳が降って来たから、ペロリと舌を出したけれども。
「じゃあ、褒める!」
 ホントのことだよ、ぼくが考えてる、本当のこと。
 ぼくはハーレイのことが好きだし、誰よりも好きでかっこいいと本気で思っているから。
 王子様だって言われる前のぼくの頃から、ハーレイが好きでたまらないから。
 だから、ハーレイが世界で一番。
 宇宙で一番かっこいいから、ぼくはハーレイが大好きだよ。
 この世界の人たちの目は、みんな節穴。
 かっこいいハーレイに気付かないだなんて、本当に信じられないけれど…。
 お蔭でハーレイを独占出来るし、みんな節穴の目のままでいい。
 だって、ハーレイはぼくのハーレイ。ずうっと、ぼくだけのハーレイでいてほしいから…。




          王子様・了

※ブルーにとっては王子様なのがハーレイですけど、世間では全く違う扱い。
 でも、ハーレイがモテてライバル多数だと辛いのも事実。今の状態がいいんでしょうね。
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(…ふむ)
 たまにはこういう昼食もいいか、とハーレイは家のポストに入れられていたチラシを眺めて遠い記憶を思い浮かべた。今となっては懐かしい記憶。
(うん、今だから懐かしいなんて言えるんだな)
 間違いないな、とチラシに刷られた写真を見ながらクックッと笑う。
 小さなブルーは今も覚えているのだろうか?
 懐かしいとさえ思える、遠い遠い記憶。遥かな彼方に流れ去ってしまった、遠い日の記憶…。



 その翌日。たまたま仕事が早く終わった金曜日。
 週末はブルーの家で過ごすのが常なのだけれど、出来得る限り、平日の夕食もブルーの家で。
 最初の間は申し訳なく思っていたものの、ブルーの両親にも「是非に」と誘われ、仕事の帰りにフラリと寄るのがいつしか当たり前になった。夕食の支度に間に合う日ならば、出来るだけ。
 だから明くる日は朝からの訪問になると知りつつ、ブルーの家の来客用のスペースに車を入れて門扉の横のチャイムを鳴らした。ブルーがどれほど喜んだかは言うまでもない。
 両親も一緒の夕食を終えて、ブルーの部屋で食後のお茶を飲んだ後。
 帰り際に「明日の昼食はブルー君と私の分を持って来ますから」と思念で伝えておいた。小さなブルーに気付かれないよう、見送りに出て来た両親にだけコッソリと。
 サイオンの扱いがとことん不器用になったブルーは、こういう時には気付かない。何も知らずに笑顔で手を振る。「またね」と、「明日は早く来てね」と。



(さて、と…)
 土曜日の朝。ブルーの家へ行くと約束した朝。
 分厚いトーストや卵、ソーセージなどで腹ごしらえをして歩いて家を出、先日チラシを見ていた店へと。ブルーの家まで歩く道から外れて、角を曲がって少し行った辺り。
(ほほう…)
 角を曲がるまでは分からなかったが、目指す方向から美味しそうな匂いがふわりと漂ってくる。食欲をそそる、複雑に絡み合った食材の匂い。
 チラシの効果か、はたまた既に評判の高い店なのか。買おうと並んだハーレイよりも前に三人、待つ間に更に後ろに人の列。
(けっこう買いに来るもんだなあ…)
 昼食時にはまだ早いから、今はテイクアウトだけの営業形態。それでもこれだけの人数が並ぶ。併設された食堂が開く時間帯になれば、もっと行列が伸びそうだ。
 順番を待つ間に買う品を決めて、目の前で二人分を作って貰って。出来立てを受け取り、さっき曲がって来た通りの方へと戻って行った。
 其処からは寄り道せずに歩いて、ブルーの家へ。
 買って来た品は、門扉を開けに出て来たブルーの母に預けておいて…。



 家の二階にあるブルーの部屋。案内されて、お茶とお菓子がテーブルの上に揃ったけれど。
「あれ?」
 ハーレイの向かいに座ったブルーが首を傾げた。
「今日のお菓子、なんだか少なくない?」
 ママ、もう一回持ってくるのかな?
 いつもはお茶のおかわりだけれど、お菓子もおかわり出て来るのかな?
「お前の胃袋に合わせてもらったつもりなんだが?」
 せっかく土産を買って来たのに、食べ切れなかったらつまらんだろう。
 なにしろ量を選べなくってな、少なめというのが無かったんだ。
「お土産!?」
 ブルーは顔を輝かせた。
「食べ物なんだね、何を買って来てくれたの?」
「せっかちなヤツだな、昼飯まで待て」
 出来立ての味というわけにはいかんが、温め直しても美味いと思うぞ。
 温め直すならこんな風に、って書いた紙を添えてくれていたしな。



 小さなブルーの頭の中は、お土産で一杯になったらしくて。お茶を飲みながら話を交わす間に、何度も探りを入れようとした。ハーレイは何を買って来たのかと、昼食は何かと。
 けれどハーレイは引っ掛からない。巧みにかわして、話を逸らして。
 ブルーが答えを得られないままに、ティーセットを下げに来たブルーの母がハーレイが持参した昼食の皿をテーブルに置いて「ハーレイ先生、ありがとうございます」と頭を下げた。
 そうして母が階段を下りて行った後、ホカホカと湯気が立ち昇る皿。
「お好み焼きだったの!?」
 どうしてお好み焼きがお土産なの、とブルーが訊くから。
 近所に店が出来たからだ、とハーレイは簡潔に答えてやった。
「この間、チラシが入っていたんだ。お前、好き嫌いは無いって言うしな」
 店で一番の豪華版だぞ、豚と海老とイカが入ってる。それに卵だ。
 ソースも此処の特製らしい。まあ、食ってみろ。
「うんっ!」
 ブルーは嬉しそうにお好み焼きを頬張り、「美味しいね」と顔を綻ばせた。
「凄く美味しいよ、このお好み焼き」
「そりゃ良かった。どおりで行列が出来てた筈だな」
 今頃は食堂が開いているから、もっと並んでいるだろう。
 確かに美味いな、焼き立てを店で食ったらコレよりももっと美味いんだろうなあ…。



 それで…、とハーレイは切り出した。
「ここまで豪華なヤツを食ってたら無理かもしれんが…」
 覚えてるか?
 前の俺たちがシャングリラで食ってたお好み焼き。
「えっ?」
 ブルーの赤い瞳が真ん丸になった。何を言うのか、と驚いた顔。
「お好み焼きって…」
 そんなメニューは無かったよ?
 シャングリラの食堂で作る料理に、お好み焼きなんか無かったよ…?
「うんと最初の頃の話だ、シャングリラって名前だけだった頃だ」
 それとキーワードはキャベツだな。
 キャベツ地獄と言ったら思い出せるか?
「…キャベツ地獄…?」
「そのものズバリだ、行けども行けどもキャベツな地獄だ」
 前のお前がやらかしただろう。
 わざとじゃないのは分かっているがな、食料を奪いに出掛けた時に。
 こんなに沢山どうするんだ、って量のキャベツが詰まったコンテナを持って帰ったろうが。



「ああ…!」
 忘れちゃってた、とブルーはペロリと小さな舌を出した。
 お好み焼きに振りかけてあった、青海苔の粉がくっついた舌を。
「あったね、そういうキャベツ地獄が」
「思い出したか? あの時の俺の苦労の結晶だ」
 あったろ、キャベツのお好み焼き。
 今、俺たちが食ってるようなヤツほど美味くはなかったがな。
「でも…。キャベツ料理の中では人気じゃなかった?」
 シャングリラの厨房に一杯のキャベツ。
 炒めたり茹でたりしていたけれども、お好み焼きは「料理しました」って感じだったよ。
 キャベツそのまんまじゃなかったもの。
 パンケーキみたいな見た目でキャベツたっぷり、好みでお塩を振ったりして。
「料理なんて大層なものでもないがな」
 小麦粉とキャベツで作れたからなあ、小麦粉に水と刻んだキャベツを放り込むだけだ。
 そいつをフライパンで焼いただけだが、キャベツ炒めよりかは人気だったなあ…。
 ナイフとフォークで切って食えるのも料理らしくて良かったんだな。



 ブルーが食料を奪いに出掛けて、ハーレイが調理。
 いつの間にやら、そういう図式が出来ていた。
 シャングリラがまだ名前だけの楽園に過ぎなかった時代。自給自足ではなかった時代。
 奪う食料は選べないから、バランスの取れた品揃えもあれば、キャベツ地獄もジャガイモ地獄も存在した。それでも食べねば生きてゆけない。工夫して食べてゆかねばならない。
 あれが足りない、これが欲しいと願ったところで、天から降ってくるわけではないから。
 前のブルーが宇宙を駆けて奪いに行かねば、何も手に入りはしないから。
 ブルーにとっては奪うくらいは簡単なことで、近くを船が通りさえすればいつでも奪いに行けたけれども。何の危険も冒すことなく、瞬間移動で奪って戻って来られたけども。
 それを良しとはしなかったハーレイ。最低限の食料があればいいと言ったハーレイ。
 皆に我慢をするように説いて、食材を全て管理していた。常に在庫を確認しながら、その食材で出来る料理を調べて、作った。
 船のデータベースにキーワードを打ち込み、作れそうなレシピを幾つも拾った。それらを自分で作って試食し、使えそうだと判断したなら、調理担当の者たちと調理して食卓に出した。
 元々は食料倉庫の管理人のつもりで仕事をしていた、前のハーレイ。
 気付けば食料以外の物資も任される立場になってしまっていて、シャングリラの最高責任者。
 「見当たらない物があるならハーレイに訊け」と言われたほどの生き字引。
 そうやって船全体の面倒を見ていたからこそ、誰もがハーレイをキャプテンに推した。厨房からブリッジへと居場所が変わって、フライパンの代わりに舵を握った。
 操舵も料理もハーレイにとっては大差ないことで、船を傷つけぬように動かしてゆくのも、火にかけた鍋やフライパンを焦がさないのも、同じく細心の注意を払えばいいこと。
 キャプテンの任に就いたからにはと操舵を覚えて、直ぐに誰よりも上手く操る操舵士となった。シャングリラの癖を掴んだとでも言うか、まるで最初から操舵士だったかのように。
 「船もフライパンも似たようなものさ」とハーレイはよく笑ったものだ。
 どちらも上手に御機嫌を取れば、思い通りの結果が出せる。手順を誤れば黒焦げになる所までがそっくりなのだと、焦がすわけにはいかないのだと。



 かつては調理の責任者だった、キャプテン・ハーレイ。
 前のブルーが奪った食材を料理していた、前のハーレイ。
 キャベツだらけの食料庫を睨んで唸った日さえも、今となっては懐かしい過去で。
「前の俺のキャベツのお好み焼きなあ…」
 あれな、とハーレイはブルーに微笑みかけた。
「もっと美味いのを作れただろうな、もしも卵があったならな」
 ただしだ、前の俺が卵を手にしていたなら、お好み焼きは出来ていなかったろうが…。
 キャベツと卵で作れる料理が生まれちまって、お好み焼きは無かったろうなあ…。
「卵が入ると美味しくなるの、あれは?」
 もしかしてハーレイ、試してみた?
 お好み焼きのチラシで思い出したから、キャベツのお好み焼きを家で作ってみたの?
「いや。…そうじゃなくって、食ったことがあるんだ」
「何を? キャベツのお好み焼き?」
「キャベツ焼きだ」
 そういう名前の食べ物があるのだ、とハーレイはブルーに教えてやった。
 学生時代に友人たちと一緒に食べに出掛けたと、お好み焼きとは違うものだと。



「前の俺は全く知らなかったが、キャベツ焼きは立派な食文化の一つだったらしいぞ」
 俺たちが住んでる、この地域のな。
 SD体制よりもずっと昔の、日本って島国だった頃。
 お好み焼きってヤツは種類が豊富で、調理法も名前も細かく分かれていたそうだ。入れる食材が違ってきたなら名前も変わる。キャベツ焼きもそういったものの一つさ。
「そうなんだ…。前のハーレイ、それを見付けていたんだね」
「らしいな、キャベツ焼きという名前に覚えは無いがな」
 古いデータも漁っていたから、レシピを引っ掛けたんだろう。
 何処の料理かも分からないまま、使えると思って作ったんだなあ、キャベツ焼き。
 そして本物のキャベツ焼きには卵を入れる、と今の俺は知っているわけだ。
 仲間とワイワイ食いに出掛けて、焼いてる所を見ていたからな。
「そっか、卵を入れていたなら、もっと美味しくなったんだ…」
「天かすなんかも入るんだぞ。ただし、天かすは前の俺たちの頃は何処にも存在しなかったがな」
 なにしろ、お好み焼きって食い物自体を前の俺たちは知らなかったしなあ…。
 知っていて卵を入れていたなら、シャングリラでも人気メニューになっていたかもな、キャベツ焼き。食材が豊富になっていったらキャベツ焼きからお好み焼きに変身を遂げていたかもなあ…。



「前のぼくたち、ちゃんと日本の料理を食べてたんだね?」
 あの頃は全然知らなかったけれど、キャベツ焼き。
 今は復活してる料理を、復活する前に作って食べてたんだね…。
「そのようだ」
 キャベツ地獄の副産物だが、まさか立派な料理だとはなあ…。
 俺が試しに調べてみたら、だ。
 ヘルシーメニューで「卵無しのキャベツ焼き」なんていうのもあるんだ、今ではな。
「そのまんまじゃない、前のぼくたちのキャベツ焼きには卵が無かったんだし」
「うむ。どおりでキャベツ料理の中では美味いと人気になった筈だな」
 キャベツ地獄が終わった後では作らなかったが、真っ当な料理だったんだ。
 知っていたなら定着させたな、レシピをきちんと残しておいてな。
「前のぼくはキャベツのパンケーキだと思っていたんだけれど…」
 確かにあれはお好み焼きだね、言われてみれば。
「そうだろう? 正確にはキャベツ焼きだがな」
 卵無しのキャベツ焼きってヤツだが、立派な料理でお好み焼きの親戚だな。
 知らないってことは実に罪なもんだな、ちゃんと料理を作っていたのに俺は廃番にしちまった。こんなレシピは残す必要も無いと、キャベツ地獄が終わった後にはもう要らん、とな。



 由緒正しい料理を抹殺しちまったのさ、とハーレイは笑う。
 SD体制が消してしまった昔の料理を復元しながら、残す努力をしなかったと。無知というのは恐ろしいもので、蘇らせた筈のキャベツ焼きを闇に葬ったと。
「やっちまったな、と反省したのと、前の俺たちが食っていたな、という思い出だな、うん」
 お前も思い出しただろ?
 こいつはかなり豪華すぎだが、前の俺たちのキャベツ焼き。
「それでお好み焼き、買って来たんだ…」
「葬っちまったキャベツ焼きへの罪滅ぼしにな」
 キャベツ焼きは今じゃ、それ専門の店で焼かれているんだ。
 お好み焼きって看板じゃなくて、キャベツ焼きって名前で店を出してる。
 生憎と俺の家から此処までの道には店が無くてな、キャベツ焼きは買って来られんなあ…。
 もっとも、俺は自分で作れるがな。
 前の俺が作ったヤツとは違って、卵を入れて。
 天かすも入れて、小麦粉も水じゃなくって出汁で溶いてな。



 美味いんだぞ、とハーレイは片目を瞑ってみせた。
 学生時代に食べたキャベツ焼きが懐かしくなったら焼いているのだと、専門の店に出掛けてゆくより気楽でいいと。
「焼き立てにソースをたっぷり塗ってな、青海苔なんかを振りかけてもいい」
 熱々のヤツを肴にビールを飲むんだ、いいもんだぞ。
「それ、食べたい!」
 ぼくはビールは要らないけれども、キャベツ焼き。
 ハーレイが作ったキャベツ焼きをもう一度食べてみたいよ、うんと美味しくなったのを。
「おいおい、手料理を持って来られるわけがないだろう」
 俺は「ハーレイ先生」だぞ?
 手料理なんかを持って来ちまったら、お前のお母さんが困るだろうが。
 買って来ただけでも恐縮されちまうんだし、手料理となったらどうなることやら…。
 キャベツ焼きを食ってみたいんだったら、お母さんに頼んで作って貰え。
 レシピは調べりゃ見付かるからな。
「それじゃママの味になっちゃうよ…。ハーレイの味がいいんだよ」
 ハーレイが作ったキャベツ焼きだから、食べたくなってしまうんだよ。
 前のぼくがシャングリラで食べていたっけ、って思い出したくなるんだよ。
 キャベツが入ったパンケーキだって思い込んでた、キャベツ焼き。
 シャングリラで食べてたキャベツ焼きを食べてみたいんだよ…。



「あのキャベツ焼きとは違うぞ、今のは」
 さっき中身を教えただろう?
 今の俺が食いたくて作ってるヤツは、シャングリラのよりもうんと豪華だ。
 卵も入るし、天かすも入る。ついでに決め手は小麦粉を出汁で溶くってトコだな。
 昆布だけではコクが足りんから、カツオも入れる。
 もはや別物だぞ、前の俺が焼いてたキャベツ焼きとは。
「そうだろうけど…。でも美味しかったよ、前のハーレイが作ったキャベツ焼きも」
 ソースなんかは塗ってなくって、お塩を振って食べてたけれど。
 卵も入っていなかったけれど、小麦粉とキャベツでちゃんと料理になってたよ?
 名前を間違えてパンケーキだって思ってただけで、美味しいキャベツ焼きだったんだよ。
「どうだかなあ…。なんたって、ああいう時代だったからな?」
 キャベツだらけのキャベツ地獄だの、来る日も来る日もジャガイモだの…。
 調味料だってロクに無かったし、火さえ通せば料理な時代だ。
 アルタミラと違って料理が食えると、料理してあるものが食えると皆が思った時代だぞ?
 不平不満を言いはしてもだ、餌よりはずっとマシだってことを忘れてなかった頃の話だ。
 何でも美味いし、何でも料理だ。
 そんな時代に美味かったものが、今も美味いかどうかは謎だな。



 前の自分が作ったレシピでキャベツ焼きを再現してみたとしても。
 それは美味しくないであろう、とハーレイは遠い記憶を手繰って断言した。
 刻んだキャベツと、水で溶いただけの小麦粉と、塩。
 名前だけがシャングリラだった船で作られたキャベツ焼きの中身はそれが全てで、卵も天かすも入っていないと。昆布とカツオで取った出汁も無くて、何処にも旨味というものが無いと。
「俺は自分で料理をするから分かるがな…。出汁と水との違いはデカイぞ」
 卵の有無でもドカンと変わる。
 うどんに卵を落とせば美味いが、何も入れなきゃ素うどんだろうが。
「でも、前のぼくたちにとっては美味しかったよ?」
 ひょっとしたら、ぼくとハーレイと、二人。
 あれを作って二人で食べたら、懐かしい味で美味しいのかも…。
「そいつはどうだか…」
 思い込みってヤツもあるしな、あれっきり作らずに終わった料理だ。
 前の俺が闇に葬っちまったレシピなんだし、前のお前もあの時しか食ってはいないんだぞ?
「だけど、思い出したら懐かしいんだよ」
 美味しかったよ、前のハーレイのキャベツ焼き。
 いつか試してみようよ、あれ。もう一度食べてみたいんだよ…。
「それで不味かったらどうするんだ?」
「ぼくは今でも好き嫌いは無いよ?」
 前のぼくと同じで何でも食べるよ、焦げていたって。
 ハーレイはキャベツ焼きを焦がさずに焼けるし、それだけで充分美味しいよ。
 フライパンも船も焦がさないのが大切だ、って前のハーレイ、よく言ってたしね?



「ふむ…」
 前の俺たちの時代を懐かしみながらキャベツ焼きってか?
 シャングリラの舵の代わりにフライパンを握って、焦がさんように。
 前と逆だな、前の俺はシャングリラが焦げてしまわないようにと舵を握ってたんだがなあ…。
 今度はフライパンの方が優先なんだな、俺が焦がさないように気を付けるもの。
「そうだよ、シャングリラはもう無いんだものね」
 ハーレイが焦がしちゃいけないものって、フライパンとかお鍋なんだよ。
 だからフライパンでキャベツ焼き。
 前とおんなじレシピでやっても、地球のキャベツだから前より美味しくなるんじゃない?
 野菜スープのシャングリラ風が美味しくなってしまったみたいに、キャベツ焼きだって。
「そうかもなあ…。地球のキャベツを使うんだしな」
 本物の地球の土と光と水で育った美味いキャベツだ、キャベツ焼きも美味くなるかもな。
 ついでに小麦粉も違ってくるなあ、地球の小麦で出来てるからな。
 お前の言う通り、劇的に美味く化けるのかもなあ、あのキャベツ焼きが。



 所変われば品変わるか…、とハーレイは前の自分たちが生きていた頃には無かったお好み焼きを頬張った。あの頃には知らなかった味。知らずに作って、レシピを廃棄したキャベツ焼き。
 ブルーと二人で食べてみたなら、それもまた極上の調味料となってキャベツ焼きを美味しくするかもしれない。あの時代には恋人同士ではなかったブルー。今度は伴侶になるブルー。
 誰よりも愛したブルーと二人で、青い地球の上に生まれて来た。
 野菜が美味しく育つ星の上に、共に生きてゆくために生まれて来た。
 伴侶となったブルーと囲む食卓は、きっと幸せに溢れているから。
 キャベツと小麦粉と塩だけで出来たキャベツ焼きでも、二人の思い出の料理だから…。
「よし。いつか俺たちが結婚したなら、たまに作るか、キャベツ焼き」
 前の俺が作った、レシピを闇に葬っちまったキャベツ焼き。
 もちろん普段は豪華版の方のキャベツ焼きにして、そいつに飽きた時とかな。
 前の俺たちの頃を思えば、実に贅沢な話なんだが…。
「うん。それしか無いっていうんじゃなくって、飽きたら食べようって言うんだものね」
 贅沢なキャベツ焼きに飽きたらなんて…、とブルーはクスクスと可笑しそうに笑った。
 なんて贅沢な話だろうかと、飽きたら質素なキャベツ焼きを作って食べるだなんて、と。
 キャベツと小麦粉と、塩しか無かったキャベツ焼き。
 それをわざわざ作らなくとも、今の自分たちは豪華なキャベツ焼きをいつでも好きなだけ作って食べ飽きるほどに食べられるのに…、と。



 選択肢など無かった、遠い遠い昔。
 白いシャングリラの舵の代わりに、フライパンを握っていたハーレイ。
 そのハーレイの頭を悩ませる食材を調達していた、キャベツ地獄を作ったブルー。
 キャベツ焼きに使う食材を選ぶどころか、選ぶ食材さえ持たなかった。
 質素なのがいいか、豪華に作るか。そんなことさえ選べなかった。
 食べる物さえ選べなかった遠い昔から始まった前の生を生きて、その生を終えて。
 けして安らかとは言えない最期を遂げたというのに、地球に来られた。
 遥かな時を共に飛び越え、蘇った青い地球まで来られた。
 そうして二人で、また生きてゆける。
 何に脅かされることもなく、青い水の星で。
 青い地球の上で、手を握り合って一緒に暮らしてゆける。
 時にはキャベツ焼きを作って、ハーレイがフライパンを握って。
 白いシャングリラを焦がさないように気を付ける代わりに、火加減だけに気を配りながら。
 ブルーと二人で笑い合いながら、同じ屋根の下で、同じキッチンに立って…。




        キャベツの調理法・了

※初期のシャングリラで偶然生まれた、キャベツ焼き。本物とは材料が少し違っても。
 ハーレイがレシピを残していたら、お好み焼きが出来ていたかもしれませんね。
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 今日は学校が早く終わったから。いつもより早い下校時間で、バスに乗るのも早かった。バスで通学している生徒は、ぼくが乗る路線バスでは一人だけ。普通は歩くか、自転車で通う。
 健康な子供には何でもない距離にある学校だけれど、生まれつき身体の弱いぼくには遠い学校。いつだって家の近所のバス停から乗って、帰りは降りて。住宅街を歩いて家との往復。
(時間が早いと景色も違うね)
 日射しが違うって言うのかな?
 同じ道なのに、違う顔。普段見るより鮮やかな花や、艶やかに見える木の葉っぱ。
(ハーレイ、何時に来てくれるかな?)
 学校が早く終わった理由は、先生たちのための行事があるから。会議みたいなものなんだろう。昨日、学校の廊下でハーレイに会ったら「明日は俺も早めに終わるぞ」と言ってて、夜にはママに連絡があった。「明日は帰りに寄りますから」って。
 学校がある日でも、仕事が早く終わった時にはぼくの家まで来てくれるハーレイ。一緒に夕食を食べてくれるハーレイ。
 だけど大抵、予告は無い。先生の仕事は急に増えたりすることもあって、予定を立てても無駄になることが多いから。
 今日みたいに「行きます」って約束してくれる日は滅多に無いから、とても嬉しい。ママだって張り切って夕食の用意をするんだよね、きっと。
 ハーレイは何でも美味しそうに食べるし、好き嫌いだって無いんだけれど。
 それでも予告をしてくれたからには、凝った料理とか、何か珍しい食材だとか。
(晩御飯、何かな?)
 ぼくの足取りまで踊り出しそう。ハーレイが来るって分かっているから、それだけで幸せ。
 ハーレイと一緒に晩御飯だよ、と考えただけで幸せ一杯。
 夕食の前には二人きりで部屋でお茶が飲めるし、その時間が長く取れるといいな、って。



 浮き立つ心で歩いていたら、ぼくを追い越して行った幼稚園のバス。車体に描かれた虹や動物、如何にも子供が好きそうな絵たち。
 小さな頃には乗ってたっけ、と少し先の方で止まったバスを見ながら歩いた。後ろにくっついた丸いプレートには、バスの名前が書いてあるんだろう。キリンとかゾウとか、バスの愛称。
(…ぼくが乗ってたのはキリン号だっけ?)
 それともキリン号の子が羨ましくって、他の動物だっただろうか。流石にちょっと記憶に無い。帰ったらママに訊いてみようかな、と思った所へバスから降りて来た男の子。制服姿のちっちゃな子供。迎えに出ていたお母さんとしっかり手を繋いでる。
 幼稚園バスはまた走り出して、男の子が空いている方の手を大きく振った。
「フィシス先生、さようならー!」
(フィシス!?)
 バスの後ろの大きな窓越しに手を振り返している女の先生。
 その瞬間、思い出したんだ。
 幼稚園にはフィシス先生がいたんだっけ、って。



 フィシスって名前は今では特に珍しくはない。
 前のぼくと同じでフィシスも有名人だから。ミュウの女神だったフィシスの名前を生まれた子に付ける人だって多い。
 幼稚園バスに乗ってた女性が「フィシス先生」でも、不思議でもなんでもないんだけれど。
 ぼくの学校の生徒にだって、フィシスって名前の子はいるんだけれど…。



(なんで忘れていたんだろう…)
 家に帰って、ママとダイニングでおやつを食べて。
 それから二階の部屋に戻って、さっき出会った幼稚園バスとフィシス先生とを思い返した。
 ぼくが行ってた幼稚園に居た、フィシス先生。
 大好きだったフィシス先生。
(すっかり忘れてしまってたなんて…)
 ぼくはきっと、小さすぎたんだ。
 幼稚園に行ってたくらいなんだし、まだ六歳にもなってなかった。三月の一番最後の日がぼくの誕生日だから、六歳になった途端に学校に行った。幼稚園時代は五歳で終わってしまった。
(五歳じゃ記憶も薄れちゃうよね…)
 おまけに今のぼくの中には、三百年を超える前のぼくの記憶。
 普段は表に出て来ないけれど、ふとしたはずみに溢れ出してくる膨大な記憶。
 そんな代物が詰まっていたんじゃ、幼稚園の頃の思い出なんかは薄れて当然なんだけど。
 分かってるけど、ちょっぴりショック。
 フィシス先生を忘れていたなんて…。
 シャングリラの写真集を何度も開いて、天体の間を写した写真を隅から隅まで見ていたのに。
 フィシスのことだって考えてたのに、今と繋がってはいなかった。



(…フィシス先生…)
 今のぼくより、うんと小さかった頃のぼく。
 制服のズボンが半ズボンだった、幼稚園バスに乗っていた頃のぼく。
 キリン号だか、違う名前のバスだったのか。ママに見送られて乗り込んだバスに揺られて、他の子たちを乗せながら着いた幼稚園。広い園庭や遊具、出迎えてくれる先生たち。
 其処の中庭にあった、真っ白な像。凄く髪の長い女性の像で、長い服の裾が足を隠してた。立ち姿じゃなくって、椅子に座ったみたいな形。上半身を屈めて、子供と視線を合わせる形。
 女神様みたいだと思ってた像。だけど女神様とは違って、先生。
 文字を覚えたら読めるようにと「フィシスせんせい」って書いてあったプレート。
 小さかったぼくには誰のことだか全然分かっていなかったけれど、ずっと昔のとても優しかった先生なんだ、って教えて貰った。
 ぼくたちみたいな子供の世話をするのが大好きな人で、女神様みたいな人だったんだ、って。



(フィシス先生、好きだったっけ…)
 前のぼくの記憶が無かったぼくには、ただの彫像だったけど。
 シャングリラに居た頃のままの衣装を纏った「フィシス先生」の像がお気に入りだった。それを見るのが好きなんじゃなくて、ホントのホントにお気に入り。大好きだったフィシス先生。
(ちょうどいい場所にあったんだよ、あれ)
 小さかったぼくは、中庭にあった小鳥の家とか、ウサギの小屋が好きだったから。
 小鳥やウサギを眺めに出掛けて、他の子供たちで混んでいる時はフィシス先生の膝に座ってた。
 そう、小さな子供がよじ登れるように、フィシス先生は両手を差し出してくれていたんだ。その手を伝って、膝に登って。真っ白な像の膝にチョコンと座った。
 他の子たちよりも高い場所から、小鳥の家やウサギの小屋を見ていた。ホントは近くで見たくて仕方ないけど、混んでいる間は待つしかないから。フィシス先生の膝で待つしかないから。
 早く空かないかな~、って待ってる間中、フィシス先生はぼくのために日陰を作ってくれた。
 夏は日陰で、冬は陽が当たるポカポカ暖かなフィシス先生の膝の上。
 そうなるように設置してあったんだろう。
 膝に座る子供が快適な時間を過ごせるようにと、季節によって向きが変わるとか。



 フィシス先生の像の目は閉じていたけれど、何も不思議に思わなかった。
 優しそうな笑みを湛えた顔だけで充分、笑ってる時に目が細くなる人も多いから。そういう顔を写した像だと、フィシス先生は笑ってるんだと思ってた。
 目が見えないだなんて知らなかったし、幼稚園では教わることもなかったから。
 学校に行って、ミュウの歴史で習った時には「そうだったんだ」と驚いたけれど…。
 フィシス先生の像が目を閉じてた理由にビックリしたけど、それっきり。
 忘れちゃってたフィシス先生。大好きだったフィシス先生の像。
 今でも幼稚園の中庭にフィシス先生の像はあるんだろうか?
 小さかった頃のぼくみたいな子を、膝に乗っけて中庭に座っているんだろうか…。



 前のハーレイと、ゼルにヒルマン、ブラウにエラ。
 地球の地の底に向かったジョミーを探して、地上にあったユグドラシルから下へと向かった長老たちとフィシス。彼らは途中で子供を見付けた。大勢の人類の子供たちを。
 今のハーレイに聞いた話では、みんな仰天したらしい。どうして子供が地下にいるのかと、地の底で何をしているのかと。
 だけど、ハーレイたちはミュウだったから。
 絶え間ない地震で揺れ動く地の底で、明かりさえも消えてしまった所で泣きじゃくるだけの子供たちの心を読むことが出来た。
 カナリヤと呼ばれて、地球の浄化が終わる時まで地の底深くで育てられる子たち。地球の本当の姿を知らされていない、「外へ出られる日は近いのだ」と信じ込んでいた子供たち。
 幼い子たちを見殺しになんか出来はしないと、ハーレイたちは頑張った。一人一人のサイオンは弱く、瞬間移動は不可能だけれど、力を合わせれば出来る筈だと。子供たちを地球の上空に浮かぶシャングリラまで無事に送ってやれる筈だと。
 そうして彼らはやり遂げたんだ。カナリヤの子たちを白い鯨へ送り届けた。そればかりか、更にフィシスも送った。「あなたは生きろ」と、自分たちのことを覚えていてくれと…。
 前のハーレイたちの命は其処で終わったけれども、フィシスは生きた。ハーレイたちが命懸けで守ったカナリヤの子たちを乗せた箱舟で、白いシャングリラでフィシスは生きた。



 カナリヤの子たちを育てていたから、彼らがミュウに育てられた最初の人類の子供たち。人類とミュウは同じなのだと、兄弟なのだという確かな証明。
 宇宙の星々もそれに倣った。人類がミュウを、ミュウが人類の子供を育てて一緒に暮らしてゆく世界。誰も反対しなかった。気味が悪いとも思わなかった。
 ミュウは敵だと、忌むべきものだと教えるシステムはもう無かったから。
 グランド・マザーに立ち向かう前にキースが残して行ったメッセージもまた、そうせよと説いたものだったから。
 フィシスはそれから長い時を生きて、ミュウの女神から幼稚園の先生へと変身を遂げた。
 ミュウと人類とが一緒に入った一番最初の幼稚園に招かれ、其処の園長先生になった。けれども最後まで普通の先生をやりたがってて、子供たちと遊んだというフィシス。園長先生の仕事をしていない時は、子供たちの相手をしていたフィシス。
 前のぼくがフィシスに与えたサイオンはとっくの昔に無くなっていた筈なのに。前のぼくの死と共に薄れ始めて、消えて無くなる筈だったのに…。
 見えない筈のフィシスの瞳は前と変わらず、周りの世界をきちんと捉えていたという。長かった寿命も、若い姿のままだったことも、フィシスにサイオンがあったことの証拠。
 前のハーレイたちと一緒にカナリヤの子たちを瞬間移動で送った時にも、フィシスはサイオンを使っていたと今のハーレイが話していたから、そういう奇跡もあるんだろう。
 きっとフィシスは神様の力で本物のミュウになったんだろう。
 ぼくとハーレイが青い地球の上に生まれ変わったみたいに、神様にしか起こせない奇跡。
 本物のミュウになった、前のぼくの女神。
 今のぼくがうんと小さかった頃、大好きだったフィシス先生の像…。



 フィシス先生のことは忘れていたな、と考えている内に、来客を知らせるチャイムが鳴って。
 約束通り、ハーレイが仕事帰りに来てくれた。いつもより早い時間の来訪な上に、ぼくの部屋のテーブルに置かれたおやつはパウンドケーキ。ハーレイの大好物のパウンドケーキ。
 ハーレイのお母さんが作るのと同じ味がするというそれを、ママはしっかり準備した。予告つきだったからこそ出来ること。晩御飯もきっと御馳走だよね、と思うけれども、その前に…。
「ねえ、ハーレイ」
 ママの足音が階段を下りていった後、ぼくは早速、訊いてみた。
「ハーレイが行ってた幼稚園にも、フィシスはいた?」
「フィシス?」
 何のことだ、とハーレイが怪訝そうな顔をするから。
「フィシス先生だよ、フィシスそっくりの像は無かった?」
「ああ、あったな…!」
 そういえばあった、と手を打つハーレイ。
 幼稚園の庭に像があったと、今から思えばフィシスなんだな、と。
 やっぱりハーレイも忘れていた。
 幼稚園に居た、フィシス先生。前のぼくたちが知っているフィシスの、その後の姿を。



「ハーレイの幼稚園にあったフィシス先生、どんな像なの?」
「あれか? ほら、手を出せ」
 前のぼくがフィシスの地球を見る時にしていたみたいに、手と手を絡めて。サイオンを合わせて見せて貰ったハーレイの記憶も、ぼくとおんなじフィシス先生。座った姿の真っ白な像。
 おんなじだね、って、ぼくの記憶のフィシス先生の像を送ってみたら。
「この形のが一番多いらしいぞ、幼稚園に置いてある像は」
 他にも何種類かあるみたいだがな、これが基本で一番人気の像らしい。
「…フィシス先生は忘れてたくせに、知っているんだ?」
 どうして、と不思議に思ったけれども、答えは至って単純だった。
「教師として一応、教わるからな」
 幼稚園と学校はまるで違うが、子供が最初に集団行動を覚える所が幼稚園だしな?
 どういう所かくらいは押さえておかんと、生徒の心を上手く掴めん。
 こんなのは幼稚園のレベルだろうが、と叱り付けるには根拠が要るのさ。



 そう言ってハーレイは笑ったけれども、ハーレイは先生。フィシスも先生。
 義務教育の一番最後の学校の先生と、幼稚園の先生じゃ仕事も全然違うだろうけど…。
「ハーレイ…。フィシス、幸せだったのかな?」
 フィシス先生の像は優しい笑顔で、とっても幸せそうだけど。
 前のぼくが死んでしまった後のフィシスは幸せだったんだろうか、前のぼくが渡したサイオンも失くしてしまっただろうに。
 そうなると知ってて何も教えずに、前のぼくはメギドに行っちゃったけれど…。
 フィシスが自分で気付いてくれれば、と生まれさえ教えなかったけれども、間違っていた?
「さあな…。一時期、悩んで塞いでいたが…」
 すまん、俺も余裕が無かったからな。
 フィシスのことまで気が回らないままで終わっちまった、ろくに訪ねもしなかった。
 それでもフィシスは地球に降りると自分で決めたし、地球でも気丈に振舞っていたな。
 トォニィを引っぱたいたりもしたと前に話してやっただろう?
 幸せだったかどうかはともかく、自分の足でちゃんと歩いていたさ。
 前のお前が教えなくても、きっと気付いていたんだろう。
 自分が何者か、何処から来たのか。
 お前が教えずに逝っちまったからこそ、自分で考えて答えを出せた。どう生きるべきかも自分で決めた。そうだったろうと俺は思うぞ、前のお前は間違っていない。
 手とり足とり、こうするべきだと教えてやるより良かったさ。
 お前という保護者を失くしたフィシスは、自分で歩くしかなかったんだからな。



「そっか…。それならいい…」
 前のぼくもそれを望んでいたから。
 サイオンを失くしても強く生きてくれと、幸せに生きろと願っていたから。
 前のぼくの我儘で連れて来たフィシス。前のハーレイだけが正体を知っていたフィシス…。
 だけど神様は奇跡を起こした。フィシスにサイオンを残してくれた。そのサイオンを使って目が見える人と同じように動いて、フィシスはカナリヤの子たちを育てた。
「ハーレイがカナリヤの子たちを送った時には、フィシス先生なんて想像しなかったよね?」
「それどころの騒ぎじゃなかったからなあ…」
 とにかく脱出させなければ、と必死だったな。
 ついでにフィシスを最後に送ろうと、俺たちだけでコッソリ思念を回してたしな?
 フィシスに知れたら失敗するから、そういう意味でも必死だったさ。
 無事に送り出せてホッとしたもんだが、まさかフィシスがフィシス先生になるとはなあ…。
 俺たちに託されたカナリヤの子たちだ、頑張らねばと思ってくれたんだろうな。



「カナリヤの子たち、シャングリラで育てたんだよね?」
「あの子たちが降りたがらなかったらしいな、フィシスに懐いていたんだろうな」
 何処の星でも降りられたのにな?
 シャングリラを降りた仲間も多かったようだが、あの子供たちは乗っていたらしいな。
「ハーレイたちに助けられたんだもの。シャングリラに残ろうって考えそうだよ」
 刷り込みって言うんだったっけ?
 卵から孵った雛鳥が最初に目にした人間のことを親だと思ってついて歩くの。
 それと似たような感じじゃないかな、ハーレイたちに貰った命だものね。
「…そうかもしれんな」
 沢山の雛鳥を拾っちまったなあ、文字通りカナリヤの雛ってヤツだな。
 さぞ賑やかなことだったろうさ、あれだけの子供がいっぺんに増えたシャングリラはな。
 前の俺たちやジョミーがいなくなった分を埋め合わせるには充分だろう。
 寂しいどころか、前よりもうるさくなったんじゃないか?
 トォニィもチビの後輩が一気に増えたらベソをかいてはいられないしな。



 そういう意味でもカナリヤの子たちはシャングリラの役に立っただろうと笑うハーレイ。
 ジョミーを亡くしたトォニィはベソをかきそうだけども、小さな子供が大勢いたなら先輩として頑張らないといけないから。泣いていたんじゃカッコ悪いから…。
「そうだね、泣き虫ソルジャーって渾名がつきそうだものね」
「うむ。子供は容赦がないからな」
 遠慮なく泣き虫呼ばわりだろうさ、泣いていたなら。
 シャングリラの仲間は見逃してくれても、カナリヤの子たちはそうはいかんぞ。
「その子供たちが大きく育ってから幼稚園の園長先生になったんだよね、フィシス?」
 アルテメシアの幼稚園で。
 人類とミュウが一番最初に一緒に入ったっていう幼稚園で…。
「ああ。カナリヤの子たちも何人か一緒に行ったようだな、その幼稚園の先生をやるために」
 そこのやり方が評判になって、あちこちの星に広がって行った。
 幾つもの星に呼ばれて講演なんかもしてたらしいな、フィシスたちはな。
「そうなんだ…」
「お前の年ではまだ知らないさ。それに学校で習うことでもないからな」
 そういったわけで、幼稚園と言えばフィシス先生なのさ。
 だから何処でもフィシス先生の像があるわけだ。
 こういう立派な先生がいたと、偉いけれども優しくて素敵な先生だった、と…。



(…フィシス、そんなに偉かったんだ…)
 前のぼくの像は見たことがない。何処かにあるって話も聞かない。
 ジョミーやキースもそれは同じで、前のぼくたちのためには記念墓地の墓碑。前のぼくの墓碑が一番奥にドカンと立ってて、その次の場所にジョミーとキースのが並ぶ。
 あちこちの星に記念墓地と墓碑があると聞くけど、像は知らない。絶対に無いとは言い切れないけど、フィシスみたいに何処の星でも当たり前にあるわけじゃない。
 幼稚園があれば、庭にはフィシス先生の像。幼稚園を守る女神みたいに、フィシスの像。
 ミュウの女神は幼稚園のための女神になった。
 小さかった頃のぼくみたいな子を、膝に乗っける女神になった…。



 前のぼくには想像もつかなかった、フィシス先生。
 幼稚園を守る女神に変身を遂げた、前のぼくの女神。前のぼくが決めたミュウたちの女神。
 小さかったぼくが大好きだったフィシス先生が、前のぼくのフィシスだっただなんて。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイはフィシス先生、好きだった?」
「はあ?」
 意味が掴めないって感じのハーレイの顔。そうだろうな、ってクスッと笑う。
「あのね…。ぼくね、とっても好きだったよ。フィシス先生の像の膝の上が」
「お前、あそこは登ってたのか?」
 自分の家の木にも登らないお前が、あの像の膝に?
 俺の記憶じゃ幼稚園児にはかなり高い筈だぞ、登れるようには出来ているがな。
「うん。チビのくせに頑張っていたとは思う…」
 だけど周りがよく見えるんだよ、小鳥の家とかウサギの小屋とか。
 前が混んでて行けない時には、あそこに登って空くまで座っていたんだよ…。
「なるほどなあ…。きっと御機嫌で座っていたんだろうなあ、小さなお前が」
 今日も登ったと、得意そうな顔で。
 ぼくの椅子だ、って満足そうに座って、足をぶらぶらさせたりして。
 そうか、チビだった頃のお前がフィシスの膝になあ…。



「傑作だよね、前のぼくは座らなかったのにね?」
 フィシスの膝に座るどころか、その逆だったよ。
 シャングリラに連れて来た頃のフィシスは小さかったし、前のぼくの膝の上に座っていたよ。
「お前の方が保護者だったんだから仕方なかろう」
 フィシスは幼稚園児よりかは大きかったが、それでも子供だ。
 お前だって可愛がって座らせてたろうが、フィシスをうんと甘やかしてな。
「まあね。…前のぼくはフィシスの膝じゃなくって、ハーレイの膝に座ってたんだよ」
「今のお前も変わらんじゃないか」
 何かと言えば座りたがるくせに。
 幼稚園に行ってた頃から変わらないわけだ、フィシス先生の像か、俺かの違いだ。
「…ふふっ、フィシス先生はぼくの恋人とは違うんだけどね?」
 幼稚園の頃から変わらないんなら、フィシス先生の膝の代わりに座ってもいい?
 ハーレイの膝。
「まあいいだろう。…お母さんが晩飯だって呼びに来るまでな」
「うんっ!」
 やった、と自分の椅子から立ち上がったぼく。
 フィシス先生の膝の代わりに、今日はハーレイの膝に座れる。



(いいことを思い出しちゃった!)
 よいしょ、とハーレイの膝に乗っかった。
 いつもはハーレイの膝に座ったら胸に頬を摺り寄せて甘えるけれども、フィシス先生の膝の上に座ってた頃を思い出したから。
 それが切っ掛けでハーレイの膝に乗っけて貰えたんだから、今日はいつもと違う向き。
 ハーレイとおんなじ方向を向いて、背中にハーレイの優しい温もり。
 広くて逞しい胸がぼくの背もたれで、ハーレイの膝がぼくの座る場所。
 ハーレイの腕がぼくの身体をそっと抱き締めて、笑いを含んだ声が訊いてきた。
「おい、フィシス先生の膝と比べてどうだ?」
「やっぱり断然、ハーレイがいいよ」
 そうに決まっているじゃない。
 前のぼくも、今のぼくも、ハーレイが好き。ハーレイのことが一番好き…。
 前のぼくはフィシスが好きだったんだ、って噂もあるけど、それはそれでいいよ。
 実はキャプテン・ハーレイと恋人同士でした、ってことになったら大騒ぎになってしまうもの。
 恋人はフィシスだったんです、って方が平和なんだよ、間違いだけど。
 間違いだけれど、訂正するより平和だろうって気がしてこない?
「まあな。今度も秘密のままなのかもなあ…」
 俺とお前が結婚したって、前世が誰だったかは一生、明かさないままで。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの仲は今度も秘密で終わるのかもなあ…。



 せっかく二人で生まれて来たのに、とハーレイは苦笑しているけれども、それでいい。
 前のぼくの恋人が本当は誰だったのかなんて、間違えられたままでもいい。
 フィシスか、それともハーレイかなんて、誰一人として知らなくってもかまわない。
 今のぼくは地球で幸せだから。
 ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって幸せに生きてゆくんだから。
(…今度は結婚出来るんだよ)
 誰よりも大切で、前のぼくだった頃から好きだったハーレイと今度は結婚出来るんだから。
 幸せだったら、それだけでいい。それ以上のことを望みはしない。
(フィシス、見えてる?)
 君の膝の上に乗ってた、幼稚園の頃のぼくも君には見えてた?
 ねえ、フィシス。
 ぼくはとっても幸せなんだよ、前のぼくが行きたいと夢見た青い地球の上で…。




          幼稚園の女神・了

※幼かった頃のブルーのお気に入りの場所だった、フィシス先生の膝の上。像ですけれど。
 フィシスは幸せに生きたようです、カナリヤの子たちと。そして今では幼稚園の女神。
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