シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
賑やかだった学園祭が終わると晩秋、冬の気配が忍び寄って来ます。日も目に見えて短くなって夕暮れが早く、人恋しい季節と言うのでしょうか。とはいえ、高校一年生ばかりを繰り返しているシャングリラ学園特別生の私たち七人グループはそんな気持ちとは無関係で…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
授業お疲れ様ぁ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれる放課後タイム。居心地のいいお部屋でワイワイやるのが日課です。
「今日のおやつはフルーツケーキ! 栗とナッツがたっぷりだよ!」
もちろんドライフルーツも、と切り分けられたケーキが配られ、飲み物も。学校がある日はこんな感じで、お休みの日は遊びに行ったり、会長さんの家にお邪魔してみたり。人恋しいなんて思う暇もなく、来る日も来る日も人だらけですが。
「…そうじゃない人がいる筈なんだけど」
「「「は?」」」
会長さんが口にした脈絡のない台詞。何が「そうじゃない」で、誰のこと?
「ああ、ごめん、ごめん。…人恋しい季節だよね、って考えが零れてきてさ。昔からそういう話はあるなぁ、と追い続けてたら、人だらけだからそう思う暇も無いってさ」
「間違いないな」
キース君が応じました。
「俺の家の方だと夜には鹿が鳴くんだが…。百人一首にもあるだろう。声聞く時ぞ秋は悲しき、とな。ピィーッ! という笛に似た声を聞いたら物悲しいような気持ちになるが、此処だとそういう気分も吹っ飛ぶ」
「うんうん、それは間違いねえよな、いつもワイワイ賑やかだしな!」
人恋しいとか言ってられるかよ、とサム君も。しかし…。
「…そうじゃない人が絶対にいると思うんだけどな…」
まだ言っている会長さん。この中に誰か落ち込み気味の人でも混じっているのでしょうか? ジョミー君もシロエ君も元気そうですし、マツカ君とスウェナちゃんも平常運転。サム君とキース君は言わずもがなですし、そうなると……誰? みんなもキョロキョロしています。
「…誰のことだよ?」
「ぼくにもサッパリ分かりません」
サム君とシロエ君の言葉に全員が首をコクリと縦に。ということは、誰も該当しませんが…?
「違う、違う! 君たちじゃなくて」
もっと他に、と会長さんが挙げた名前に私たちは目が点になりました。その名前だけは掠めもしませんでしたってば…。
「なんで教頭先生の名前が出るわけ?」
ぼくたちとは全く無関係だよ、とジョミー君がケーキを頬張りながら。
「それにさ、いつも普通にしてるじゃない。…どっちかと言えば機嫌がいいかな、古典の宿題、特に出ないし」
「柔道部でも普通でらっしゃいますよ」
特にお変わりありませんね、とシロエ君も。
「熱心に稽古をつけていらっしゃいますし、ぼくやキース先輩たちにも色々と指導して下さいますけど」
「…その程度なら誤差の範囲内かな」
あれでも一応、教師なんだし…、と会長さん。
「でもねえ、ぼくに会ったら笑顔なんだよ! それって変だと思わないかい?」
「思わないが?」
キース君は即答でした。
「あんたが会うのは校内だろう? わざわざ家まで出掛けて行くとも思えんし…。それともアレか、買い物に出掛けた朝市とかか?」
「出先では最近、会ってない。だから学校の中庭くらいってトコロかな」
「だったら笑顔で当然だろうが!」
学校でしか会えないんだぞ、とキース君は半ば呆れた口調。
「教頭先生があんたに惚れていらっしゃるのは間違いのない事実だし…。学校の中でも笑顔くらいは出るだろう。あんたに揚げ足を取られて大惨事な過去が多数でもな。あんた、前科は何犯だ?」
「別に数えてはいないけど…。一度や二度では無いだろうねえ」
「分かってるんなら何をブツブツ言っているんだ、ごくごく普通の反応だ!」
「……普段ならね」
だけどもうすぐ冬なんだ、と会長さんはフルーツケーキを口の中へと。
「朝晩は寒いと言ってもいいほど冷えるし、日も目に見えて短くなるし…。すぐそこに冬って感じがするのに、あのハーレイがニコニコしてるって有り得るかい?」
「「「ニコニコ?」」」
それは確かに変と言えるかもしれません。教頭先生は眉間の皺がトレードマーク。生徒には穏やかに接してらっしゃいますから笑顔も出ますが、ニコニコとなれば相当なレベル。ましてや会長さんを相手にニコニコとなると、下心アリか、勘違いか。
「…ね? 君たちも変だと思うだろ? だけどホントにニコニコなんだ」
ホントのホント、と重ねて念を押す会長さん。…教頭先生が会長さんに会うとニコニコって、会長さんの錯覚でなければ何やら裏がありそうな…?
ただでも人恋しい季節。会長さん一筋に片想い歴を更新中の教頭先生が溜息に埋もれていらっしゃるなら分かりますけど、ニコニコ笑顔は不思議すぎです。それも惚れた相手の会長さんにバッタリ出くわしてニコニコだなんて、なんだか余裕がありすぎなのでは…。
「そこなんだよねえ、もう余裕なんていうレベルじゃなくて!」
そうだよねえ? と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に同意を求めました。
「うんっ! ハーレイ、とっても機嫌がいいの! いい子だな、って褒めてくれたよ♪」
頭も撫でて貰ったの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそうです。私たちが授業に出ていた間に会長さんと二人で散歩していて、教頭先生に会ったのだとか。
「今日がそんなで、この前も…。ぶるぅにまで笑顔全開だなんて不気味すぎだよ、何か妄想してなきゃいいけど」
「「「あー…」」」
それは大いに有り得るかも、と私たちは天井を仰ぎました。教頭先生の夢は会長さんとの結婚生活です。会長さんをお嫁さんにして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」を養子に迎えて、家族三人、水入らずの日々。そっち系の妄想スイッチが入ってしまった可能性大。
「ほらね、そういうわけで普通じゃないって言ってるんだよ。人恋しいを通り過ぎちゃって人肌恋しいとか考える内に、自分一人に都合のいい方へ勘違いして爆走中とか!」
でなきゃイヤラシイ下心だ、と会長さんは断言しました。
「笑顔でぼくを油断させておいて、ぶるぅの方も懐柔してさ。…でもって家へ上がり込もうとか、引っ張り込もうとか、良からぬことを企むとかね」
「…それは考えすぎだと思うが…」
キース君が反論を。
「教頭先生は礼儀作法に重きを置いていらっしゃる。勘違いならあるかもしれんが、陰謀の線は無いだろう」
「さあ、どうだか…。なにしろ相手はハーレイだけに、何があっても驚かないけど」
あんな変態、と会長さんは一刀両断。
「ある日突然、玄関チャイムがピンポーン♪ と鳴って、花束抱えて夜這いに来たって納得だよ、うん。そのくらいにイッちゃってる顔だと思うね、アレは」
脳内妄想がMAXの世界、と見も蓋も無い言いようですけど、否定出来ないのも確かです。…ところで夜這いって何でしたっけ?
「ああ、それはね…。って、教えても良かったんだっけ?」
「「「!!?」」」
いきなり背後から他人様の声。バッと振り返った私たちの視線の先には会長さんのそっくりさんが私服姿で立っていました。エロドクターとデート帰りか、はたまたこれからお出掛けか。どちらにしても困ったものです、それで、夜這いって何なんですか?
「ふふ、夜這いって言うのはねえ…。あ、その前に、ケーキ!」
美味しそうだ、とソルジャーは空いていたソファにストンと腰掛けてケーキと紅茶を注文。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと用意し、ドライフルーツとナッツたっぷりのケーキにソルジャーは御機嫌で舌鼓。
「いいねえ、この味! 地球の秋って感じがするよ。秋の夜長は夜這いにもいいね」
「「「???」」」
「夜が短い夏でも夜這いはアリだろうけど、それだと何かと慌ただしい。粘ってせいぜい夜明けまで? 夜がすっかり明けてからだと夜這いにならない」
なんのことだか、と首を傾げる私たちに向かって、ソルジャーは。
「ハーレイの担当は古典だってね、そっちの授業で出て来ないかい? 夜の間に好きな女性の家を訪ねて大人の時間を」
「その先、禁止!!」
会長さんの鋭い制止が。
「説明はそこで終わりにしてよね、ぼくが教えてもそこで終わりだし!」
「…そうなのかい? 君が自分で夜這いと言ったし、もっと具体的に言ってもいいかと…」
「基礎知識だけで充分なんだよ!」
それでも明日には忘れてそうだ、と私たちを見渡す会長さん。
「ブルーが喋ったとおりの意味なんだけどね、女性の立場がぼくなわけ。ハーレイがそんな目的で来たら丁重にお断りするだけだけどさ」
「「「………」」」
そりゃそうだろう、と思ったのですが、割り込んだのがソルジャーで。
「…ハーレイ、そこは重々、承知の上だと思うけど?」
「「「は?」」」
なんでソルジャーがそんなことを断言出来るのでしょう? 別の世界の住人な上に、あちらの世界に住む教頭先生のそっくりさんのキャプテンと熱々バカップルな夫婦のくせに…。会長さんだってキョトンとした顔でソルジャーの方を見詰めています。
「どうして君が知っているわけ?」
「え? …だって、そういう契約だしね?」
「「「契約?」」」
ソルジャーの答えは斜め上というヤツでした。何故に契約、何処から契約?
意味不明どころか謎の契約。何を指すのかまるで分からず、会長さんも目を白黒と。
「……契約って…。誰が、どういう契約?」
会長さんの問いに、ソルジャーは紅茶を一口飲んで。
「誰が、と訊かれたら、こっちの世界のハーレイだねえ」
「「「え?」」」
教頭先生、いったい誰と契約を? まさか悪魔と契約したとか? まさか、まさか…ね…。
「なるほど、悪魔というのもアリか…。魂を売ってブルーをゲットとか、ロマンだねえ? でもさ、ハーレイは基本がヘタレだし、悪魔召喚は無理じゃないかな。あれってなかなか難しそうだよ」
生贄とかも必要だから、と言われてみれば…。ヘタレはともかく、教頭先生が魔法陣だの生贄だのって、キャラではないって気がします。似合わないと言うか、絵にならないと言うべきか…。
「うん、絵にならないってトコは賛成! あんなガタイじゃ雰囲気がねえ…」
ブチ壊しだよ、とソルジャーも。
「それに比べて、こっちのハーレイが交わした契約は平和! ハーレイはお金を払うだけだし」
「誰に? それから何の契約?」
ハッキリ言え、と会長さんが促すと…。
「支払う相手はぼくなんだよ。でもって君が心配するようなサービスは一切しない約束!」
ここが大切、とソルジャーは親指を立てました。
「人恋しい季節にピッタリのサービス、名付けてお友達代行業! あくまで友達の範囲限定のサービスのみだし、キスも契約違反になるね」
「「「………!!!」」」
どんな仕事を始めたのだ、とビックリ仰天。けれどソルジャーは得々として。
「ノルディが勧めてくれたんだよねえ、お暇だったらピッタリの仕事がありますよ、って。…ぼくのハーレイはキャプテンだから毎日忙しいんだけど、ソルジャー業は基本、暇なんだ」
戦闘以外は出番がなくて、と改めて説明されるまでもなく、暇だというのはよく分かります。何かと言えば「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来てはティータイム。会長さんの家への出現頻度もかなりのものですし、恐らく相当に暇なのでしょう。
「それでね、ノルディとデートするのもいいけど、こっちのハーレイと遊んでみたらどうですか、と言われたわけ。あ、遊ぶと言っても変な意味じゃないよ? 一緒に仲良く食事をしたり、お喋りしたりと友達限定! ハーレイはブルーそっくりのぼくで癒されるし、心も満ち足りて幸せ一杯!」
そんな稼業をしているのだ、とソルジャーは胸を張りました。
「今日も食事の約束なんだよ、だから私服で来てるわけ。まずは二人で買い出しから!」
本当に健全な友達付き合いなのだ、と言われましても。えっ、スーパーの前で待ち合わせ? うーん、ホントに健全かもです、いったいどういう仕事なんだか…。
フルーツケーキのお代わりまで食べたソルジャーは『お友達代行業』とやらについて、あれこれ喋っていきました。キャプテンが残業の日は教頭先生の夕食にお付き合い。教頭先生がお休みの日にキャプテンの仕事が入っていれば、教頭先生の車でドライブなどなど。
「支払いの方は時給制でね、会ってからサヨナラするまでの時間に応じて払って貰うという契約! 待ち合わせの場合は決めた時間からスタートだね」
「…まさか、ハーレイが妙に機嫌がいい理由って…」
会長さんの疑問に、ソルジャーはパチンとウインクをして。
「それは幸せ一杯だからだよ、電話するだけでいいんだし! ぼくが暇なら友達ゲット!」
「…何か勘違いをしてないだろうね?」
「してない、してない! 友達限定っていう約束だし、デート感覚で依頼しててもキスさえ出来ないわけだしねえ? 多少の妄想は入るかもだけど、実行不可能な仕組みだってば!」
だから夜這いなんぞは論外、と指を一本立てるソルジャー。
「そういうドキドキ気分になっても、あくまで友達限定だよ? どうにもこうにも進みようがないし、いい雰囲気だけを味わって貰ってサヨナラなんだよ」
そこはしっかり分かっている筈、とソルジャーは笑ってみせました。
「契約しているぼくが相手でもそうなんだからね、無関係な君に夜這いをかけても無駄だってことは知ってる筈さ。だけど心はポカポカのホカホカ、人恋しい季節も何のその…ってね」
余裕を持って振舞えるのだ、と自信に溢れているソルジャー。
「現にハーレイ、下心アリと疑われるほどに笑顔全開なんだろう? これからますます寒くなるしさ、お友達稼業も忙しくなってくると思うな」
「…妙なサービスは一切抜きだね?」
本当にやっていないだろうね、と心配そうな会長さんですが。
「それはやらない! 第一、これは人助けだよ? ノルディも言ったさ、一種のボランティアだと言えますね、って! 気分が沈みがちなシーズン、友達がいれば人生バラ色!」
「ボランティアって…。それは何かが違うと思う。ボランティアならタダでやりたまえ!」
「ダメダメ、そこを無料でやってしまうと話が違ってくるからね。ハーレイに気があるのかとか思われそうだし、お金はキッチリ頂くよ、うん」
あくまでビジネスということで、とソルジャーのスタンスは「友達」ではなく「友達代行」。友達ですらないというのが強烈ですけど、教頭先生が満足ならそれでいいのかな?
「ハーレイかい? 充分満足してると思うよ、気になるんなら覗き見すれば?」
これから行くのは確かだからね、と覗き見推奨な辺りからして、健全なサービスのみだという説明は間違いなさそうです。覗き見すべきか、せざるべきか。…どうなんですか、会長さん?
ボランティアでも料金を取るという強気の友達代行業。結局、覗き見することになって、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋から瞬間移動で会長さんのマンションへ。急な夕食パーティーですけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びです。
「かみお~ん♪ ゆっくりしていってね! 覗き見するならガツンと食べなきゃ!」
この季節にはお鍋だよね、と卓上コンロが出て来て味噌仕立てのお出汁がグツグツと。魚介類もお肉も野菜も沢山、好きなだけ入れて食べ放題ですが。
「…いいなぁ、こっちは鍋なんだ?」
ぼくとハーレイも鍋にしようかな、と見ているソルジャー。教頭先生との待ち合わせ時間までの暇を潰すべく、此処までくっついて来たわけで…。
「好きにすれば?」
会長さんが素っ気なく。
「友達代行業なんだろう? 夕食の買い出しから付き合うんだから、鍋をやろうと言うんだね。ハーレイは普段は一人鍋だし、鍋は喜ぶと思うけど?」
「…うーん…。鍋はねえ、微妙なんだよねえ…。まあ、君がいいなら遠慮なく鍋で! …おっと、そろそろ約束の時間!」
それじゃ、とパッと姿が消えましたけど。
「…鍋が微妙って、どういう意味だろ?」
首を傾げる会長さん。
「おまけに、ぼくがいいなら…って、何だと思う?」
「「「さあ…?」」」
そうとしか答えられません。どうして教頭先生と鍋をやるのに会長さんの許可が要るんだか。それに微妙と言っていた割に「鍋にしようか」という発言も。鍋はとっくに経験済みかと…。
「だよねえ、経験済みだよねえ? それなのに何が微妙なんだか…」
「覗き見してれば分かるんじゃないか?」
キース君が鍋にお肉を投入しながら。
「そのために始めた鍋パーティーだろう? 早くしないと見逃すぞ」
「あっ、いけない!」
忘れかけてた、と会長さんの指がパチンと鳴って、出ました、サイオン中継の画面。ダイニングの壁をスクリーン代わりに、ソルジャーの姿が映っています。教頭先生の家から車ですぐのスーパーの入口の前に居るようですが…。
「おーい、ブルー!」
大きく手を振り、教頭先生の御登場。なんとも幸せそうな笑顔でソルジャーに歩み寄り、二人仲良くスーパーの中へ。さて、この先はどうなるのでしょう?
「…ちょ、それは友達じゃないと思うけど!」
友達同士じゃやらないよね、と私たちを見回す会長さん。
「俺はやらんな」
「ぼくもです」
キース君とシロエ君以下、男の子たちは全員が否定しましたけれど。
「…どうかしら?」
「重たかったらアリだと思う…」
スウェナちゃんと私は考えた末に肯定派。教頭先生とソルジャーは一つの買い物カゴを二人で提げていたのです。
「普通、カートを借りるだろ!」
会長さんが突っ込みましたが、スウェナちゃんと私で買い物に行ってカゴしか持っていなかった場合、重くなってきたら二人で提げて歩くかも…。カートを取りに入口まで戻るというのも面倒な話ですもんねえ?
「…でもさ、ブルーとハーレイだし! って言うか、ハーレイが一人で持てば済む話だし!」
力は人並み以上なんだし、という会長さんの説にも一理あります。でもソルジャーと教頭先生は二人で一つの買い物カゴに白菜とかの鍋材料を次々と。…んん?
「重いだろう、ブルー。ここから先は私が持とう」
教頭先生が買い物カゴをヒョイと持ち上げ、それから後のソルジャーは全くの手ぶら。ということは、友達同士で重さを分かち合っていたわけではなくて、二人一緒に持っていたことが重要だったというわけで…。
「やっぱり友達とは違うじゃないか!」
何かが違う、と柳眉を吊り上げる会長さんに、キース君が。
「しかしだな…。あれを健全ではないと糾弾するのは無理があるぞ? 最初は二人で持っていたのを「重すぎるから」と力自慢の教頭先生が引き受けたというだけだしな」
不健全とは言い難い、との意見に、シロエ君も。
「そうですね…。小さな子供同士で来たなら絶対に無いとは言い切れません。キース先輩にもそういう覚えは無いですか?」
「あったな、ガキの頃に友達と買い出しに行って「俺が持つ!」とレジに運んだな…。最初は一緒に買い物カゴを提げていたような気がするぞ」
確かにやった、とキース君。男の子たちに覚えがあるなら、ソルジャーと教頭先生の買い物スタイルを一概に不健全だとは断定できず、限りなく黒に近い灰色と言わざるを得ないでしょう。恐るべし、お友達代行業。仲良しカップルさながらのスタイルでお買い物ですか、そうですか…。
グレーゾーンな買い物を終えた教頭先生とソルジャーの荷物は教頭先生が全部持ちました。前段階として袋詰めがあり、何でも適当に突っ込もうとするソルジャーに教頭先生が手取り足取り、懇切丁寧に指導しながら手伝ったという…。
「もう傍目にはイチャイチャしてるとしか見えないし!」
ブチ切れそうな会長さんですが、これまたグレーゾーンとしか…。教頭先生が会長さんに惚れているとか、ソルジャーがキャプテンと夫婦であるとか、そういう背景を知っているからヤバイのであって、知らなかったら「いい加減な弟子を指導する師匠」な光景ですし…。
「断定は難しいと思うぞ、残念ながら」
キース君の意見は私たちの総意でもありました。イチャつきながら詰めたのだったら明らかにアウトですけれど…。
「…そうなるわけ? じゃあ、あれは?」
会長さんが指差す中継画面では教頭先生が車を車庫入れ中。助手席にはソルジャーが座ってますけど、会長さん曰く、友達だったら先に降りて荷物を運んでおくべきだそうで。
「うーん、俺ならウッカリ乗ったままかもしれねえなあ…」
サム君が呟き、マツカ君が。
「そこで気を利かせて先に降りた方が却ってアウトじゃないでしょうか」
「だよなあ、友達なら揃って降りるよなあ?」
「判定に悩む所だな…」
何とも言えん、とキース君も。そうこうする内に教頭先生とソルジャーは家に入って明かりを点けて、まずは二人でコーヒータイム。会話が弾んでいるようです。会長さんはアウトだと叫びまくってますけど、日頃のソルジャーの行いからすれば…。
「教頭先生が鼻血も出さずに会話が続いている段階で…」
「友達だよねえ?」
ねえ? と頷き合う私たち。ソルジャーの友達代行業は現段階ではセーフです。会話の内容も教頭先生の仕事の愚痴やら、今日の些細な出来事やら。ソルジャーを口説くわけでもなければ、ソルジャーが誘いをかけるでもなく、ごくごく普通に友達同士で通る会話で。
「グレーゾーンですらなさそうだな、これは」
「どう考えてもセーフですよ」
立派に友達関係です、とキース君とシロエ君が判定を下した所で教頭先生が席を立ちました。食器棚から土鍋を引っ張り出しています。おおっ、いよいよ鍋タイムですか! ソルジャーが微妙と言っていた理由、これで明らかになるのでしょうか?
教頭先生とソルジャーはキッチンに移り、鍋の準備は教頭先生が。ソルジャーは料理など出来ませんから、賢明な選択と言えるでしょう。…あれ? ということは…。
「この辺りからして微妙だよ、既に!」
会長さんが不愉快そうに。
「ハーレイが上機嫌だったわけだよ、ぼくにそっくりのブルーが手料理を食べてくれるんだしね? ハーレイの本音はぼくの手料理を食べたい方だし、その辺は少し違うけど…。でも手料理には間違いない! しかもブルーと二人きりで!」
不健全だ、と会長さんは決め付けましたが、これまたグレーゾーンです。友達の家に遊びに行って得意料理を御馳走になったらアウトでしょうか? それで行くと今、会長さんの家にお邪魔して鍋をやっている私たちもアウトということに…。
「それはいいんだよ、大勢だし! 第一、ぶるぅは子供だし!」
アウトじゃない、と叫んだ会長さんにジョミー君が。
「えーっと…。ぼく、中学生の時にサムの家に泊まりに行ってさ、チャーハン作って貰ったんだけど、アウトになるわけ? あの時はサムと一対一だよ」
「そういや俺が作ったよなあ、チャーハン得意だったしな! …で、アウトなのかよ? だったら正直、複雑だけど…。俺、ブルーは好きだけどジョミーはどうでも…」
「わ、分かったよ、サム! 君はアウトじゃないってば!」
ジョミーもセーフ、と慌てふためく会長さんはサム君と公認カップルです。ソルジャーがやっているグレーゾーンな友達代行業より遙かに健全な仲ですけれども、サム君が会長さんに惚れていることは確たる事実。会長さんとしてはサム君のハートに傷を付けたくはないわけで…。
「…ブルーの友達代行業ってヤツは、どうも色眼鏡で見ちゃうらしくて…。そうか、友達に手作り料理は不健全と決まったわけでもないか…」
「まあ、あいつだしな? そうなる気持ちは分からんでもない」
普段の言動が悪すぎる、とキース君が相槌を。
「しかし、現時点ではグレーゾーンとしか言えないぞ。万人が認める不健全さには程遠いからな」
「…やっぱりかい? 微妙だと言ってた鍋も微妙になるのかな?」
「グレーゾーンだと思っておいた方がいいんじゃないか?」
アウトを取るのは難しいだろう、とのキース君の言葉に会長さんがフウと溜息。グレーゾーンな友達代行業が精神的に堪えるのでしょう。中継画面の向こうでは鍋タイムが始まろうとしています。テーブルに卓上コンロが据えられ、教頭先生が土鍋を乗っけて。
「…では、始めましょうか」
「ハーレイ、言葉!」
「「「!!!」」」
その時、ようやく気が付きました。教頭先生、ソルジャー相手に敬語は今のが始めてですよ!
「…すまん、すまん。…どうも鍋だと……」
「地が出ちゃうって?」
君もつくづく小心者だねえ、とソルジャーが鍋をつついています。
「アレだろ、この鍋がマズイんだろう?」
「…そうです、ブルーと結婚した時のためにと思って買った土鍋ですし…」
「ほら、また! 戻っちゃってる!」
せっかく料金を払ってるのに、と教頭先生に注意を促すソルジャー。
「ブルーを相手にしている気分で幸せになって貰おうというのがコンセプトだよ? それに鍋なら大丈夫! ブルーがいいって言っていたしさ」
「は?」
「君は普段は一人鍋だし、喜ぶと思うと言ったんだよね」
「そ、そうか…。ブルーが私に…。そこまで気遣って貰えたのなら本望かも…」
ならば遠慮なく、と教頭先生は開き直ったらしく。
「…このサービス、酒はかまわなかったか?」
「不埒な振舞いに及ばないなら無問題だよ、一杯やるかい?」
「そうだな、その方が鍋が美味いしな。…話も無理なく続けられるかと」
「敬語に戻っちゃ意味が無いしね、楽しくやろうよ」
ソルジャーの同意を取り付けた教頭先生、早速いそいそとキッチンへ。取っておきらしい大吟醸を取り出し、熱燗にしてソルジャーと二人で差しつ差されつ。
「…美味いな、お前と鍋を食って酒が飲めるとは…」
「もう最高のサービスだろう? ぼくも気分は最高かもねえ、地球で飲み食べ放題だしね」
ぼくのハーレイは今日も残業、とソルジャー、ブツブツ。
「明日も忙しいらしいんだ。暇だったら是非、呼んでほしいな」
「かまわないのか? それなら明日も一緒に晩飯を食おう」
「期待してるよ、また呼んでよね」
二人仲良く鍋を囲んで語り合ったソルジャーと教頭先生、締めの雑炊が終わると緑茶でほっこり。取りとめもない会話をしながら半時間ほどのんびりしていましたが…。
「あ。今日はそろそろ終わりかな? ハーレイの仕事が終わりそうだ。でね、今日は…」
料金これだけ、とソルジャーが告げた代金は安いものではありませんでした。なのに教頭先生は笑顔で支払い、ソルジャーの姿が消えた後も名残惜しげに手を振っています。結局、鍋の何処が微妙だったのかがイマイチどころか、全然分かりませんってば~!
今の鍋はアウトかセーフか、グレーゾーンか。どうなんだろう、と中継画面が消えた後の壁を眺めて悩んでいると…。
「何さ、アレ! ぼくでもないのにデレデレと!」
会長さんがブチ切れ、握った拳でテーブルをダンッ! と。雑炊が終わった後でなければ零れていたかもしれない勢い。
「しかもあんなに払っちゃってさ、ぼくに貢げばいいだろう!!」
「お、おい…! 落ち着け、あいつはサービスの対価としてだな、あの金をだな…」
キース君が止めに入ると、会長さんは。
「それは分かっているってば! でもさ、納得いかないんだよ! 鍋は微妙と言ってたくせにさ、単なるハーレイの口調の問題! それもサクッと解決しちゃって、腹が立つったら!」
あのまま敬語で喋っていれば、と怒り狂っている会長さん。そっか、微妙な鍋って教頭先生がソルジャー相手の地に戻っちゃってサービスを充分に提供出来ないって意味だったんだ?
「そういうことだよ、鍋なんか勧めてやらなきゃ良かった!」
なんでブルーが稼いでいるのだ、と会長さんの論点はズレ始めました。
「もっと際どいサービスとかなら納得するけど、普通じゃないか! ハーレイと二人で買い物をして食べるだけだって? それで稼ぎがあれだけだって!?」
許せない、と不穏な光を瞳に宿す会長さん。
「ブルー相手にデレデレしているハーレイってヤツもどうかと思うよ、おまけにブルーに貢いでるんだよ?! あのお金、ホントならぼくが貰える筈なのに!」
「………。あんた、サービスを提供したのか?」
無茶を言うな、とキース君が宥めにかかったのですが。
「サービスの対価が何だって!? あれであんなに稼げるんなら自分で稼ぐさ、要は友達代行業をすればいいんだろう!」
「「「えっ?」」」
「ハーレイがぼくで妄想するから腹が立つんだ、友達だったら無問題! ブルーがやってるサービスってヤツをぼくがやる! ブルーが暇潰しに始めた遊びで荒稼ぎだなんてムカつくし!」
ブルーをのさばらせてたまるものか、と会長さんは怒り心頭ですけど、アレってソルジャーだからこそ出来るんじゃあ? 会長さんがノコノコ出掛けて行ったらサービスだけでは済まないのでは?
「そこでブルーが言ってた契約! アレがあるから大丈夫!」
キス以上のことはしないのだ、と会長さんはブチ上げました。
「ブルーの代わりにぼくが行く! でもって、明日から小遣い稼ぎ!」
ハーレイから大いに毟り取る、と闘志を燃やす会長さん。ソルジャーが始めた商売を横から掻っ攫った上に儲けようだなんて、果たして上手く行くんでしょうか?
翌日、私たちは戦々恐々で登校しました。教頭先生とソルジャーがどうやって連絡を取り合っているのか知りませんけど、電話一本とか聞きましたっけ? それを会長さんが横取り、自ら友達代行業に打って出ようと言うのですから、放課後になるのが恐ろしく…。
「どうなるんでしょう、アレ…」
考えたくもないんですけど、とシロエ君。ついに迎えてしまった放課後、私たちは重い足を引き摺るようにして「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。
「かみお~ん♪ みんな、どうしたの?」
元気ないね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「今日はブルーがお出掛けするから、晩御飯を食べに来て欲しいのに…」
「そうだよ、ぶるぅ特製ビーフシチュー! デザートとかも期待しててよ」
会長さんが極上の笑みを浮かべています。
「今日はドカンと稼ぐからねえ、みんなにも御馳走しなくっちゃ。今日からのぼくは一味違うよ、ハーレイに貢がせるのもいいけど、毟り取るのも最高ってね!」
貢がせるだけが能じゃない、と会長さんはやる気でした。例の友達代行業を。でも…。
「あんた、教頭先生と連絡は取れたのか?」
キース君が訊くと、会長さんは「まあね」と微笑。
「先手必勝って言うだろう? ハーレイがブルーに連絡してからじゃ手遅れだからさ、朝イチで電話をかけたんだ。ぼくで良ければブルーの代わりに付き合うけれど、って」
今夜はスーパーの前で待ち合わせ、とウキウキしている会長さんを止められる人はいませんでした。商売を横取りされたソルジャーが怒鳴り込んでくるかと思いましたけど、おやつのアップルパイを狙って現れたソルジャーは。
「商売敵の登場かぁ…。別にいいけど、ぼくも夕食、こっちで御馳走になってもいいかな?」
ハーレイは残業なんだよね、と愚痴るソルジャーに会長さんは鷹揚に。
「暇なんだったら食べて帰れば? 君の商売はぼくが貰うよ、なんと言っても本家本元、ブルーと言ったらぼくなんだからね」
「あの商売が君に務まるならね。なかなかキツイと思うけど…。友達代行業と銘打つ以上はしっかり友達、嫌な顔は絶対出来ないんだし」
「あくまで友達代行業だろ? 友達だったら上手くやるまで!」
ダテに長生きはしていない、と自信溢れる会長さん。やがて日が暮れ、瞬間移動で会長さんの家へ移動し、私たちとソルジャーは特製ビーフシチューの夕食、会長さんは荒稼ぎするために待ち合わせ場所へ。ソルジャーが出してくれた中継画面で会長さんを追っていましたが…。
「そうか、それでお前がブルーの代わりに電話をかけて来たわけか」
実に嬉しい、と微笑んでいる教頭先生。二人は仲良くスーパーで買い物をして教頭先生の家へ。会長さんが現れたことで舞い上がっている教頭先生は特上ステーキ肉を奮発、会長さんの好みに焼いて、スープやサラダなんかも手作り。
「ガーリック抜きだが、美味い肉だぞ。普段はとても買えんがな」
遠慮なく食べてくれ、と照れる教頭先生に、会長さんが。
「ぼくはガーリックも好きなんだけど…」
「そうだったのか? しかしだな、そのぅ…。後のことを考えると遠慮がな…」
「明日は土曜だし学校は無いよ? 何に遠慮をしてるわけ?」
ドカンと入れれば良かったのに、と会長さんはステーキ肉を切り分けて口へ。
「遠慮なんて君の柄じゃないだろ、おまけに有料サービス中! 遠慮してたら損するよ?」
「そ、それはそうかもしれないが…。で、オプションの方の話なのだが」
「…オプション?」
何さ、それ? と怪訝そうな会長さんに、教頭先生がモゴモゴと。
「いや、オプションと言っていいのかどうか…。私も今日まで知らなかったし」
「何を?」
「友達代行業の詳しいシステムだ。実はブルーから電話があってな、友達代行業の契約としてはキス以上のことは一切ダメだが、個人的にはOKだそうだな」
「「「えっ!?」」」
画面の向こうの会長さんと私たちの声とがハモりました。こ、個人的にって、いったい何が? 会長さんもそう問い返し、教頭先生が頬を赤く染めて。
「…そのぅ、キスとか、その先だとか…。料金の方はグンと高くなるそうだが、どの辺りまで頼んでいいのだろうか? 私としては是非、最後まで頼んでみたいと」
「ちょ、そんなのは聞いていないし!」
絶対やらない! と悲鳴を上げた会長さんの隣にパッとソルジャーが瞬間移動。中継は「そるじゃぁ・ぶるぅ」と交代しちゃったみたいです。
「やらないだって? 友達代行業を廃業するならぼくが代わりに引き受けるけどさ、廃業しないなら責任を持って最後まで! この商売、信用だけで持ってるんだし!」
でね…、とソルジャーが教頭先生に一枚の紙を差し出しました。
「はい、料金表とサービスメニュー! ブルーに頼むか、ぼくに頼むか…って、ハーレイ?」
もしもし? とソルジャーの声が終わらない内に教頭先生は鼻血の噴水、仰向けにドッターン! と倒れてそれっきりでした。メニューの中身が刺激的すぎたらしくって…。
「ちょっと、ハーレイ! ぼくへの料金の支払いは? 今日の分は!?」
払って貰ってないんだけれど、と絶叫している会長さん。怪しいメニューが登場してきた友達代行業とかいうヤツ、今後も継続可能でしょうか? 思いっ切り無理な気がします。人恋しい季節の教頭先生、明日から孤独な日々再びってヤツでしょうねえ、心からお悔やみ申し上げます~!
友達やります・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ソルジャーが始めた、友達代行業なるもの。教頭先生も御機嫌だったんですけど。
商売を横取りしたくなった生徒会長のせいで、気の毒なことに。あーあ…。
シャングリラ学園、来月は普通に更新です。いわゆる月イチ。
次回は 「第3月曜」 7月18日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、6月は、ソルジャーが兄貴の集うバーに突撃するのだとか。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
「ちゃんと食べろよ。ハーレイ先生にまた言われるぞ?」
パパに注意されて「うん」と返事をしたけれど。
今日はハーレイは寄ってくれなくて、パパとママと三人きりの夕食。ハーレイはぼくの家族っていうわけじゃないから、三人だけの日の方が多くて普通。
だけど、前の生からぼくの恋人だったハーレイ。ぼくにとっては他人どころか、いつだって側に居て欲しい人。パパやママと同じくらいに大事な人だし、ハーレイがいないと寂しくなる。一緒に食べたかったのに、ってハーレイの影を探してしまう。
ぼくの守り役をやってる間に、ハーレイはすっかり家族の一員。仕事帰りに急に寄ってもママは「ごゆっくりどうぞ」って夕食を作るし、気取った御馳走なんかじゃない。普段の食卓の料理が殆ど、親しいからこそ堂々と出せる、お客様用じゃない料理。
なのに、居ない日の方が多いハーレイ。本当の家族じゃないハーレイ。
(ハーレイがいたら、もっとしっかり食べるんだけど…)
パパとママとぼくと、それからハーレイ。四人で食卓を囲む時には、ハーレイは文字通りぼくの守り役になる。ぼくの食事の進み具合を見て、声を掛けたり、世話を焼いたり。
もっと食べろよ、ってぼくのお皿によそってくれたり、大皿の方を指差したりと細かい気配り。
そんな風にされると、頑張らなくちゃ、って気分になる。
もっとしっかり食べなくっちゃと、もう少し食べてみようかと。
でも…。
結局、沢山は食べられなかった今日の夕食。
パパは「やっぱり注意してくれる人がいないと駄目だな」と苦笑していたし、ママもおんなじ。元々ぼくは食が細いから、食べられる方が凄いんだけど。
ハーレイの応援のある時だけでも頑張れるって方が奇跡だけれども、その応援。
(…応援の言葉が変わっちゃってる…)
部屋に帰って、それからお風呂。パジャマに着替えた後で気が付いた。
変わってしまった応援の言葉。夕食の時にハーレイがぼくを励ましてくれる、食事が進む魔法の言葉。頑張らなくっちゃ、という気が湧いてくる言葉。
ハーレイがぼくにしてくれることは変わっていない。大皿の料理を取り分けてくれたり、もっと食べろと勧めてくれたり。
けれども、言葉が前とは違った。似てるようでも、今は前のと違うんだ…。
(しっかり食べて大きくなれよ、って…)
出会った頃には散々聞かされた、決まり文句だったハーレイの言葉。
食事をしている時じゃなくても何回も聞いて、覚えてしまった。早く大きくなるんだぞ、って。
いつから聞かなくなったんだろう。あまりにも自然に変わってしまって、気付かなかった。
ぼくが今日まで知らなかったほど、ごくごく自然に消えて行った言葉。
いつの間にか変わってしまった言葉。
「しっかり食べて大きくなれよ」はもう聞かない。
代わりの言葉は「もっと食べろよ」とか、「頑張ってしっかり食べるんだぞ」とか。
ハーレイが掛けてくれる応援の声から「大きくなれよ」は消えてしまった。食事の時にも、それ以外の時も、決まり文句だった言葉を聞かない。
二人きりの時には「ゆっくり大きくなるんだぞ」と言ってくれるけれど、それは少し違う。
「しっかり食べて大きくなれよ」は「早く大きくなるんだぞ」って意味がしっかりこもってた。ゆっくりじゃなくて、早くって。
それが今では「ゆっくり大きくなるんだぞ」。
早く大きくなれって意味ではない言葉。その逆みたいな「ゆっくり」の言葉。
(しっかり食べて大きくなれよ、って言ってくれない…)
本当にゆっくり育って欲しいと思っているから、あの言葉を言わなくなったんだろう。
前のぼくが失くしてしまった幸せな子供時代の記憶の分まで、ゆっくり育てと何度も言われた。何十年でも待ってやるから、という優しい言葉も何度も聞いた。
ハーレイと再会した五月のあの日から、まるで大きくならないぼく。百五十センチから伸びない背丈。前のぼくと同じ背丈にならない限りは、ハーレイとキスさえ出来ないのに。
最初の間は凄く焦った。今でも早く伸びて欲しいし、毎朝のミルクは欠かさない。
それでも前ほど不満ではないし、チビでもいいとは思うんだけど。
結婚出来る年の十八歳までに大きくなれればそれで充分、って思う部分もあるんだけれど。
(…ぼくって、それまでに大きくなれる…?)
十八歳を迎えるまでに、ぼくの背丈は伸びるんだろうか。前のぼくと同じに伸びるんだろうか?
もしも全然育たなくっても、ハーレイは結婚してくれるらしいけど。
本物の恋人同士になれないってだけで、同じ家に住めるようにはなるらしいけれど。
パパとママとがなんて言うかな、許してくれればいいんだけれど…。
(幼年学校へ行くんじゃなくって、お嫁さんだものね…)
義務教育の期間を終えても、心も身体も子供のままで育たない子が通うためにある幼年学校。
ぼくがこのまま育たなかったら、普通は行く筈の上の学校。
けれど、其処には行きたくない。ハーレイの側で暮らしたいから、結婚したい。
(パパとママ、ビックリするんだろうけど…)
ぼくがお嫁さんになると言ったら、二人とも腰を抜かしそう。
だけど、優しいパパとママ。ぼくを宝物だって言ってくれてるパパとママ。
許してくれるといいな、と思う。
大きくなれずにチビのままでも、ぼくはハーレイの側にいたいんだから。
チビのぼくでも恋人扱いしてくれるハーレイ。
キスさえ出来ない小さなぼくでも、優しく抱き締めてくれるハーレイ。
そのハーレイが前は何度も口にしてた言葉。ぼくを応援してくれた言葉。
(しっかり食べて大きくなれよ、って…)
きっとこれからも言ってはくれない。チビの間は言ってはくれない。
ぼくの背がぐんぐん伸び始めるまで、あの懐かしい言葉が聞けない…。
(…懐かしい…?)
あれっ、と心に引っ掛かった何か。
懐かしい、って思った途端に引っ掛かって来た記憶の欠片。
(…しっかり食べて…)
そうだ、同じ言葉をずっと遥かな昔に聞いた。
名前だけが楽園だった頃のあのシャングリラで、ハーレイがキャプテンじゃなかった時代に。
前のぼくとハーレイ、アルタミラがメギドに滅ぼされた日に初めて出会った。
偶然、同じシェルターに閉じ込められてて、それが切っ掛け。前のぼくがシェルターを破壊した後、二人で他のを開けて回った。閉じ込められたままの仲間はいないかと、燃え上がる炎の地獄を走った。幾つも幾つもシェルターを開けて、中に居た仲間を逃がしながら。
後にシャングリラと名付けることになる船で脱出した後、ハーレイはぼくが年上だと知って仰天したけど、「こいつで慣れてしまったからなあ」って、言葉遣いは「俺」で「お前」のまま。
ぼくは全然気にしなかったし、第一、中身は子供だった。
ハーレイが「お前、最近、捕まったばかりか?」って訊くから、もっと前だと答えたけれども、何年前かは全然覚えていなかった。ただ、成人検査を受けた年の暦年。これは実験の時に研究者たちが確認のために読み上げてたから、覚えてた。それをハーレイに伝えてみた。
ぼくはハーレイの方がかなり年上だろうと思っていたのに、暦年を聞くなり絶句したハーレイ。「お前、年上だったのか」って。
そんな出来事があったくらいに、中身は子供だったぼく。
研究施設に閉じ込められてた間は成長を止めていたのと同じで、心も年齢どおりじゃなかった。見た目と同じに子供の心で、まるで成長していなかった。
誰も育ててくれなかったから。
ぼくの心が育つ言葉を掛けてくれる人たちはいなかったから。
育ててくれる人がいなかった、って点ではハーレイも同じなんだけど。ゼルやブラウたちだって一人ずつ檻に閉じ込められてて、誰とも接触は無かったんだけど。
ぼくと違って他のみんなは同じサイオン・タイプが居た。同じ個体ばかりを使って実験するより複数の方がデータを集めやすいし、回復させるための治療も最低限で済む。だから実験で食らったダメージから身体が回復するまでは次の実験は無くて、放っておかれた。最低限の治療だけで。
ハーレイたちから聞いた話では、相当にキツかったみたいだけれど。
研究者たちは「飲んでおけ」と薬を檻に入れて行くだけで、飲ませようとはしなかったらしい。自分の命を保ちたければ、のたうつような苦悶の中でも這いずって行って飲むしかない。どんなに身体が辛い時でも飲まなければ死ぬし、生き延びたければ頑張るしかない。
そうして苦痛が癒えてくる度、「何としてでも生き延びてやる」とハーレイたちは心に誓った。研究者を憎み、実験を憎み、自由になる日を思い描く中で心が成長していった。
けれど、唯一のタイプ・ブルーだった前のぼく。
ぼくの代わりは誰も居ないから、過酷な実験が終わった後には治療の時間が待っていた。決して死んでしまわぬようにと、懇切丁寧に治療をされた。優しい言葉の一つもかけずに、淡々と。
治療が終われば実験室へと送られる。実験が終わればまた治療をされ、実験室への繰り返し。
前のぼくの日々は実験室の中か、治療中だったか、その合間に檻に戻される僅かな時間だけで。
檻に居た時はぼんやりと蹲っている間に時間が過ぎた。突っ込まれる餌と飲み水を機械的に口へ運んで食べていたけれど、何も考えてはいなかった。
どうしてこんな目に遭うんだろうか、と思いはしたけど、ただそれだけ。
此処から出たいとか、生きなくてはとか、まるで思いはしなかった。
つまりは余裕が無かった、ぼく。
自分で自分を育てられずに、心も身体も成長を止めた。
今のハーレイは「育っても何もいいことは無さそうだから止めたんだろう」と言ったけれども、それが当たっているんだと思う。
多分、生き物としての本能だけで「生きなくては」と現状維持。それより先は望みもしなくて、心も身体も育たなかった。
成長で明暗が分かれてしまった、前のぼくと他の仲間たち。
同じ船で暮らしてゆくことになったけれども、ぼくだけが子供。成人検査を受けた時点で成長が止まってしまった子供。周りの仲間は大人ばかりで、ぼくは正直、途惑った。サイオンが強くても子供は子供で、ハーレイの後ろにくっついていることが多かった。
ハーレイは大人だったから。見た目通りに大人だったし、何より、知り合い。あのアルタミラで幾つものシェルターを二人で開けて回った、初めて出来たぼくの知り合い。
そんな理由でハーレイの後ろにくっついていたら、ゼルやブラウたちとも知り合いになった。
ぼくのサイオンが強大だから、と距離を置く仲間も多かったけれど、遠慮が無かったハーレイやブラウ。それにヒルマン、ゼルにエラ。
ぼくを育てようとしていたんだろう、どんどん話しかけてはあちこち引っ張り回された。今日はこっちだ、そっちも行こう、って思い付くままに。
心を育てるために言葉を掛けて、身体もきちんと育てなくてはと適度な運動とやらで散歩。
ハーレイなんかは「体力作りだ」と走っていたけど、ぼくはエラやブラウに連れられて散歩。
そうして食事の時間になる。
ぼくはゼルたち四人と集まって座って、ぼくの隣にはいつもハーレイ。
名前だけの楽園だった船でも、食堂でみんなに配られる食事は内容はともかく量はたっぷり。
アルタミラで食べていた餌と違って、料理と呼べるレベルの食べ物。
頃合いを見て厨房の係がおかわりを配って回る中、よくハーレイが「頼む」と呼び止めて自分の器に沢山入れて貰った後で。
「こっちにも頼む」と指差す、ぼくのための食器。
止める暇もなく注がれるスープや、お皿に盛られる炒め物やら煮物やシチュー。
その度に聞かされた決まり文句が「しっかり食べて大きくなれよ」って、あの言葉。ハーレイの手がぼくの頭をポンと叩いて、あの決まり文句。
こんなに沢山入らないよ、って何度も言うのに、ハーレイときたら。
「残ったら俺が食ってやるから」って豪快に笑って、「しっかり食えよ」って。
食べ残したらハーレイは本当に食べてくれたけれども、いつも隣でぼくに睨みを利かせてた。
「まだ食えるだろ。もう少し食ってからギブアップしろ」
今日のは俺の自信作だぞ、うんと昔のお助けメニューと言うんだったか…。
これだけしか食材が揃わない、って時に作って食ってたらしい。
お前、つまみ食いをしてただろうが。
「何が出来るの?」って訊きに来たから食わせてやったろ、あれの完成品なんだ。
美味い筈だぞ、だから食っとけ。
美味しいんだぞ、ってぼくを釣ったり、栄養豊富で大きくなれると励ましたり。
いろんな言葉でハーレイはぼくに食べさせようとして頑張っていた。
残してもいいからとにかく食べろと、でないと身体が育たないと。
(…それで大きくなれたのかな?)
チビのままの今のぼくと違って、あの頃が一番の成長期。
食べ切れないほどに沢山の食事と、散歩とはいえ適度な運動。船の中を歩いていただけの散歩。
子供だった前のぼくの心も身体も、ハーレイたちが育ててくれた。
長い間成長を止めていたぼくを、ちゃんと大きく育ててくれた。
(もしもハーレイがいなかったなら…)
ゼルやブラウたちとの橋渡しをしてくれたのもハーレイだった。
「俺の一番古い友達だ、うんと年上だが見た目も中身も子供なんだぞ」って。
一番古い友達も何も、アルタミラから脱出する直前に出会ったっていうだけなのに。二人で色々頑張ったけれど、前からの知り合いでも何でもないのに。
だけど「一番古い友達」。ハーレイの一番古い友達。
ハーレイがそう言ってくれたお蔭で、「よろしくな」って差し出された手。ゼルもヒルマンも、ブラウもエラも「これからよろしく」って握手してくれた。
仲良くやろうって、せっかく自由になれたんだから楽しく生きていかなくちゃ、って。
ハーレイは誰とでも仲良くなれたし、船のみんなに直ぐに顔が売れた。
誰よりも大きな身体を持っているくせに、優しくて面倒見のいいハーレイ。人気が出ないわけがない。あちこちから呼ばれて、その場で人の輪が出来ていた。
そうした中で、ハーレイはぼくを連れて歩いてはみんなに紹介してくれた。
「俺の友達だ」と、「一番古い友達なんだぞ」と。
シェルターを壊した凄い子供だとしか思われていなかったぼくを、怖がられないように。
友達だから怖くなんかないと、怖いヤツと友達になる趣味は無いって笑いながら。
それでもやっぱり怖がる仲間もいたんだけれど。
底抜けに明るい性格のブラウや、弟を亡くしたショックから立ち直って陽気になったゼル。少し厳しい所はあるけど思いやりの深いエラに、思慮深くて穏やかな笑顔のヒルマン。
そんな四人と仲がいいから、距離は置かれても嫌われたりはしなかった。四人とも船のいろんな所に知り合いが居たし、友達だって多かったから。
おまけに、ぼくはハーレイの「一番古い友達」。誰とでも仲良くなれるハーレイの友達。
これだけの条件が重なっていたら、怖がられはしても嫌われはしない。
前のぼくが脱出直後の船で仲間たちに上手く馴染めて、受け入れて貰えたのはハーレイのお蔭。
ブラウたちと知り合えたことも含めて、何もかもが全部、ハーレイのお蔭。
ぼく一人だったら上手くいかない。絶対に上手くいってやしない。
怖がられていると気付いても、どうにも出来ない。友達が欲しくても、作れやしない。
だって、周りは大人ばっかり。子供のぼくにはどうすればいいか分からない。
ポツンと独りぼっちの子供で、周りだってきっと困ってた。
一人きりのぼくは心が育っていなかったんだから、落ち込んでいたか、泣きじゃくったか。
物資は奪いに出ただろうけど、船のみんなと仲良く付き合えはしなかったと思う。
(…それでもやっぱり、リーダーだよね?)
友達のいない子供だとしても、一番強かったんだから。
ぼくしか物資を奪いに行くことは出来なかったし、そういう時代が過ぎ去った後も船を攻撃から守る力は前のぼくしか持っていなくて、必然的にぼくはリーダーの立場。
ソルジャーという尊称が付いたかどうかは分からないけども、ぼくがリーダー。
(…独りぼっちじゃなくて良かった…)
船の中に誰も友達がいない、孤独なリーダーじゃなくて良かった。
エラやブラウや、ヒルマンにゼル。
ハーレイがぼくを「一番古い友達なんだ」って紹介してくれた、後の長老たち。
それにハーレイ。
厨房で料理を作ってたくせに、キャプテンに推されて引き受けたハーレイ。
キャプテンに選ばれるようなハーレイと一緒でホントに良かった。
ハーレイが居て「友達だ」って言ってくれなきゃ、ぼくは独りぼっちの孤独なリーダー。
心も身体も育たないまま、子供のままで、それでもリーダー。
「しっかり食べて大きくなれよ」が口癖だった、前のハーレイが居なかったなら。
ハーレイがゼルたちと力を合わせて、ぼくを育ててくれなかったなら…。
前のハーレイが何度も前のぼくに言ってた、懐かしい言葉。
食堂で強引におかわりさせては、隣で言ってた、あの決まり文句。今のぼくにも言ってくれてた筈の言葉が、消えてしまってもうどのくらいになるんだろう。
(…しっかり食べて大きくなれよ、って言って欲しいな…)
身体も心も、すくすくと大きく育ちそうなハーレイの魔法の言葉。
だけど言ってはくれない言葉。
あの言葉をぼくに掛けてくれたら、ぼくの背だって伸びそうなのに。
百五十センチで止まったままの背も、ぐんぐんと伸びてくれそうなのに…。
(…それなのに、言葉が変わっちゃったよ…)
「もっと食べろよ」とか「しっかり食べろよ」とは言ってくれるのに、ぼくが欲しい言葉。
肝心要の「大きくなれよ」が消えてしまったハーレイの言葉。
だけど…。
(きっとハーレイには、今度だって…)
考えがあるに違いない。
前のぼくを育ててくれたハーレイ。
心も身体も子供だったぼくを、ゼルたちと一緒に大きく育ててくれたハーレイ。
おかわりを盛られて「しっかり食べて大きくなれよ」と言われる度に文句を言ってた前のぼく。ハーレイがぼくを育てるためにやってることだ、って気付いてなかった前のぼく。
今のハーレイもあの頃と同じで、考えがあって「大きくなれよ」を封印してる。「子供の時間をゆっくり過ごして欲しいんだ」って聞かされたアレが、きっと理由だ。
子供の時間をゆっくり取るより、早く大きくなりたいんだけど…。
なんでハーレイがそうしたいのかは、今のぼくには多分、きちんと掴めない。前のぼくと同じで後になるまで分からないんだという気がする。
(…子供と大人は違うんだものね…)
育ってみないと分からないことはあると思うし、実際にある。
今のぼくは前のぼくの記憶を持っているから、前のぼくが気付かなかった前のハーレイの考えを理解出来たけど、今のぼくの分までは分からない。子供だからまるで分からない。
(でも…。ハーレイはきっと、考えてる)
今のぼくのために、今のぼくが育つのに一番相応しい道を考えてハーレイは選んでくれてる。
「ゆっくり育てよ」って言ってくれてる言葉は本物だから。
ぼくが欲しい言葉は聞けなくなってしまったけれども、今でもハーレイは言葉をくれる。ぼくの食事を応援しながら、お皿によそったりしてくれながら。
ハーレイはぼくにゆっくり育って欲しくて、あの言葉を言わなくなったんだろう。
前の生でも何回も聞いた、背が伸びる懐かしい魔法の言葉。
(でも、いつか…)
育ち始めたら、また言ってくれる。
ぼくの背が伸びるようになったら、きっと言ってくれる。
そうに違いない、って予感がするから、今は黙って待とうと思う。
小さな子供も悪くないって、ぼくも分かっているつもりだから。
(…ハーレイほどには分かっていないと思うけど…)
だけどハーレイを信じているから、文句は言わない。
「何十年でも待っててやるから」っていうのが口癖になった今のハーレイ。
そのハーレイの口から、あの懐かしい言葉が飛び出してくる日をゆっくりと待とう。
待ちくたびれて当たり散らしたりもするだろうけど、いつかきっと聞ける。
「しっかり食べて大きくなれよ」って魔法の言葉を、大好きな声で…。
育つための言葉・了
※前のブルーが止めていた成長。心も身体も、成人検査を受けた時のままで。
それを育てたのが前のハーレイたち。今のハーレイも、きっと同じに思っている筈。
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(思い出せない…)
うーん、と首を捻ったぼく。
おやつを食べ終わって、階段を上がり始める前は確かに覚えてた。部屋に帰ったら、一番最初にやるべきこと。なのに全然、思い出せない。
(なんだったっけ?)
部屋のドアを開けた途端に忘れ果てたか、階段の途中で落っことして来たか。こんな時には先へ進むと失敗するのが分かってる。部屋に入ったら、もっと忘れる。完全に忘れておしまいだって。
(大事なことなら大変だしね…)
同じことをやったら思い出せると言われてるから、階段の下まで戻ってみた。もう一度ゆっくり上ってみたけど、やっぱりダメ。戻って来てくれない、落とした記憶。
(でも、気になるよ…)
今度こそ、と階段を下りて上り直そうとしていた所へ、ママが通り掛かって。
「ブルー。ママのハンカチ、上には無かった?」
「忘れてた!」
見て来るから、と慌てて駆け上がったぼく。忘れ果てていたものはそれだった。
ママに頼まれていた大事なハンカチ。
昼間にママが出掛けようとして、ぼくの部屋の窓を閉めに入って忘れたハンカチ。
出掛けた先で落としたかも、って落ち込んでたらしいけど、ぼくを見たら思い出したんだった。ぼくの部屋に置いて出ちゃったかもしれない、って。
(えーっと…)
ママが何かを置きそうな場所、と部屋のドアを開けてグルリと見回す。
(あった!)
入ってすぐの棚の上に畳んだハンカチ。急いで持って下りて、ママに渡した。
「はい、ママ。これでしょ?」
「ありがとう。あって良かったわ、お友達に貰ったハンカチなのよ」
手編みのレースをつけてくれたの、って縁を指差して喜ぶママ。レース編みが趣味の人だって。けっこう手間がかかるらしくて、それだけにママは失くしたと思ってショックだったみたい。
(ぼくの部屋にあって良かったよね)
それに忘れてたことも思い出せたし…、と大満足で部屋に帰った。
だけど、よくよく考えてみたら。自分で思い出したというわけじゃなくて、ママに答えを貰った結果。ぼくは階段を上り直しても思い出せなくて、また上ろうとしてたんだっけ…。
(…自分のことじゃないから忘れたんだよ)
おまけに、おやつを食べてた間に頼まれたこと。
階段を上がるまで覚えていた方が奇跡的だよ、と自分に言い訳したけれど。
(…物覚えは悪くない筈なんだけどな…)
記憶力には自信があった。成績だって悪くないから、間違いなく記憶力はいい。
たまに忘れるけど。整理して引き出しに入れた筈の物が、違った所にあったりするけど…。
(前のぼくはホントによく頑張ってたよ)
ぼくみたいなミスはしていなかったと思う。
何をするのか思い出せなくて青の間のスロープを行ったり来たりとか、そういう間抜け。
いつもきちんと忘れないでいた、記憶力に優れたソルジャー・ブルー。
三百年を超える膨大な記憶をしっかり整理し、必要な時にそれを使ったソルジャー・ブルー。
凄かったよね、と自分で自分をちょっと尊敬したんだけれど。
(…あれ?)
そういえば、前のぼくには記憶装置があったんだった。
補聴器の中に組み込まれていた、前のぼくの記憶をデータ化して記録しておく装置。三百年分を入れても余裕たっぷり、千年分くらいは入ると聞いていた素晴らしい装置。
あれのお蔭で、前のぼくの記憶をジョミーに渡せた。ジョミーもトォニィに記憶を渡せた。凄い装置で、素晴らしい装置。記憶をデータで残せる装置。
持ち主が忘れてしまったことでも呼び出せたっけ、と記憶を遡ってみたんだけれど。
(備忘録ってわけじゃなかったっけ…)
前のぼくが見聞きしたことを記録する装置。予定を入れておいたとしたって、切っ掛け無しでは思い出せない。今日はこういう予定でしたよ、と親切に教えてくれたりはしない。
(ということは、さっきみたいな時には…)
ぼくが部屋のドアの所で悩んでいたって、ママに頼まれたハンカチのことは出てこない。それを引き出す鍵が必要、たとえばママとか、頼まれごととか。
(うっかりミスには役立たないよね?)
頭からすっかり抜け落ちたことは、手掛かり無しでは記憶装置があっても無駄。前のぼく自身が鍵になる何かを思い出すまで使えやしない。
(なんだか使えなさそうな感じ…)
実際、使っていなかったと思う。記憶装置のデータには全く頼ってなかった、前のぼく。自分で自分の記憶を管理し、自分の頭の中のデータを使ってた。記憶装置は使わなかった。
それじゃ、いったい、あの装置は…。
(何しに着けてたんだっけ?)
自分自身が使わないなら、何のために記憶装置を頭に乗っけていたんだっけ…?
(…次の世代のためだった?)
ぼくの後を継ぐソルジャーのために。ぼくの記憶を簡単に継いで引き出せるように作ったかな?
うん、そうだ。だからメギドへ飛び立つ前に、フィシスに渡しておいたんだ。ぼくが死んだら、ジョミーに渡してくれるようにと。
(フィシスには直ぐに戻ると嘘をついたけど、フィシスは記憶装置のことを知っていたしね)
前のぼくが戻って来なかった時は、ぼくの補聴器をどうするべきか。
フィシスなら分かってくれると思っていたし、実際、フィシスは前のぼくの望みどおりに動いてくれた。補聴器をジョミーに渡してくれた。ぼくの形見に持っておかずに、ちゃんとジョミーに。
記憶装置は役目を果たして、ぼくの記憶はジョミーに継がれた。
(でも…)
後継者なんて予定も無かった内から律儀だったな、と思ってしまう。記憶をデータ化するために頭にアレを乗っけて、あれこれと記録させてただなんて。
フィシスを見付け出した時にはもう着けてたから、充分に元気だった頃から記憶をデータ化。
なんて律儀で真面目だったんだろうか、前のぼくは。
面倒だから、と放り出しもせずに頭に乗っけて、きちんと記録を残しただなんて…。
(ぼくが考え出したわけじゃないよね?)
前のぼくが作らせた記憶装置なら、元気な頃には着けてない筈。後継者が必要だと考えるようになるまでは自分の頭さえあれば充分、記録しておく必要は無い。
それなのに早くから着けてたってことは、他の誰かが考え出してぼくに渡したってこと。
(えーっと…)
最初はただの補聴器だった。聴力はサイオンで補えてたから、補聴器は要らなかったのに。
こんな大袈裟な補聴器なんて、って断ったけれど、ソルジャーらしくと押し付けられた。やたら仰々しい服とセットで、あの補聴器まで。
(あの頃はホントに補聴器だけで…)
ソルジャーの地位だか、肩書きだか。
御大層なそれを引き立てるための、演出するためのマントつきの衣装とセットの補聴器。衣装は色々と工夫を凝らして作られたもので、ぼくの身体を爆風などから守れる構造だったけど。素材にこだわった品だったけれど、補聴器の方は頑丈に出来ていたというだけ。
あれを頭に乗っけていたってヘルメット代わりになりはしないし、ただのお飾り。
そのお飾りがどういう経緯で記憶装置に化けたんだっけ、と遠い記憶を手繰っていて。
(ハーレイだよ…!)
思い出した、と両手で耳を覆った。あの補聴器に覆われていた頃みたいに。
真っ赤に染まった耳を隠したけれども、きっと顔だって真っ赤だよね…?
前のハーレイに恋をしちゃった、前のぼく。
片想いだと思ってた恋が無事に実って、幸せ一杯、心がお留守。
会議の内容を司会のハーレイに見惚れて聞き逃すこと多数、ついにエラたちに尋ねられた。最近こういうことが多いが、何処か具合でも悪いのか、と。
何でもないよ、と誤魔化して逃げたぼくだけれども、その夜、青の間でハーレイが訊いた。
「ソルジャー、本当にどうなさったのです?」
私も心配しているのですが。皆には言えないと仰るのでしたら、せめて私には…。
「君が言うわけ?」
それと、ブルーだよ。二人きりの時には、ブルー。
「申し訳ございません。それで、最近はどうなさったのですか?」
「ハーレイだな、って見てると忘れる…」
「はあ?」
「だから、ハーレイ!」
君だよね、って見惚れてるから聞き逃してしまうんだ、会議の中身。
もちろん聞いてはいるんだけれど…。
その時は頭に入ったつもりで聞いているんだけど、右から左へ抜けてしまうんだよ。
でも本当に大切なことは忘れてないだろ、シャングリラのこととか、みんなのこととか。
抜け落ちてしまうのは大したことないものばかりだよ。
「そう仰られると…」
つまらない内容だけを忘れていらっしゃいますね、とハーレイは頷いてくれたけれども。
会議の中身をしょっちゅう忘れることは事実で、原因はハーレイに見惚れているせい。
このままでは駄目だと思いはした。
だけど会議の司会はキャプテンの役目。ずうっと前からそういう取り決め。
ぼくが見惚れてしまうから、なんて理由で変えるわけにはいかない。そもそも、ハーレイに恋をしていることすら秘密で、内緒。誰にも言えないハーレイとの恋。
ハーレイと結ばれて間もないだけに、出来ることなら一日中だってハーレイといたい。すぐ側でハーレイを眺めていたい。抱き合って、キスして、くっついていたい。
そんな気持ちが落ち着いて来たら、見惚れてしまって心がお留守になりはしないだろうけれど。でも、それまでの間が大変、まだまだ恋に夢中の時間が続きそう。
見惚れる相手のハーレイに「どのくらいで元に戻ると思う?」と訊いてみたら。
「そうですねえ…」
私はあなたが初恋ですから、体験談ではありませんが…。
この船に来てから読んだ本には年単位だとも書かれていましたね、人によっては。
バカップルというのもあったそうです、とハーレイは言った。周りの人なんか目に入らないで、二人の世界を築き上げてしまう恋人たち。ぼくの状態はそれに近いのかも、と青ざめた。
「年単位な上にバカップルだと…」
なんともマズイね、ソルジャーがそういう状態なのは。
分かった、忘れないように努力してみよう。
とりあえず、ハーレイに見惚れて生返事をしていても聞いていることは確かだから。
右から左へ抜けないようにと頑張ったけれども、また忘れた。綺麗サッパリ忘れてしまった。
そういう時に限って次の会議と内容が重なっていたりするから、皆に本気で心配された。
「忘れちまったのかい、この前のを?」
ブラウは「大丈夫かい?」と訊いてくれたし、エラたちだって。大丈夫だよ、と返したけれども説得力は皆無だから。
ゼルがすっかり禿げた頭を振り振り、こう嘆いた。
「まさかボケでもあるまいし…。わしでもボケておらんのに!」
「さあ、どうだか…。ぼくは年寄りだからね?」
こう見えても年は一番上だよ、ボケても不思議じゃないかもね?
自分では普通のつもりだけれども、案外、ボケて来ているのかも…。
そういえば最近忘れっぽいかな、会議の席だけじゃなくってね。
パチンとウインクしたくらいだから、冗談のつもりだったんだ。
だけど本当に酷かったんだろう、ハーレイに見惚れてあれこれと忘れまくっていた、ぼく。
暫く経って、そんな冗談を言ったことすら綺麗に忘れてしまっていた頃。いつものように会議に行ったら、とんでもない議題が登場して来た。
「なんだい、これは?」
机に広げられた図面はやたら細かくて、多分、何かの設計図。首を傾げたらブラウが答えた。
「記憶装置だよ、こういうのがあったら忘れないだろ?」
「もう試作中じゃ、その補聴器に仕込むんじゃ」
常に頭にくっついとるんじゃ、そいつが一番使いやすいわい。
組み込むのに手間はさほど要らんし、まあ、任せておけ。
二度と忘れんように作ってやるわい、どんなつまらんことでもな。
「ええっ!?」
自信溢れるゼルの言葉に震え上がってしまった、ぼく。
なんでもかんでも記録するだなんて、冗談じゃない。プライバシーも何もありゃしない。
ハーレイも内心、冷汗だったらしくって。
記憶装置に関する議題はぼく抜きで詰めることにするから、と会議室から追い出されてしまった後、ハーレイは一人で頑張ってくれた。それはそうだろう、ぼくが記憶装置を勧められるに至った原因はハーレイなんだし、何もかも全部記録されたら恋人同士なことだってバレる。
孤軍奮闘したハーレイはその夜、いつものように青の間を訪ねて来て。
「記憶装置のことですが…。失敗談などは消したいだろう、と言っておきました」
「それで?」
通ったのかい、その案は?
「はい。ソルジャーがお望みにならない記憶は消せる仕様にするそうです」
「ソルジャーじゃなくて、ブルーなんだけど!」
でも、消せるって?
何でも丸ごと記録してしまって、そのままじゃなくて?
「ええ」
ソルジャーといえども、プライバシーは大切ですから。
いくら公人でも記録されない自由と権利も必要だろう、という結論です。
「ありがとう、ハーレイ。君のお蔭だよ」
だけど、せっかく二人きりの時にソルジャーはやめてくれるかい?
ぼくにはきちんと名前がある。
そうだろう、ハーレイ?
ぼくはブルーで、ソルジャーじゃないよ。
消したい記憶は消せることになって、良かったと安堵はしたんだけれど。
記憶装置は出来てしまって、補聴器の中に組み込まれた。ぼくは会議の中身を忘れなくなって、心配されることも二度と無かった。
そう、あの頃だけは記憶装置に頼ってた。なんだったっけ、と右から左に抜けてしまった記憶の中身を尋ねていた。長かった前のぼくの人生の中で、唯一、記憶装置が働いてた時期。
ハーレイとの恋は続いたけれども、記憶装置を着けたお蔭か、見惚れることはそれから数ヶ月も経たずに終わったと思う。記憶装置を働かせる度に「またやったか」と自覚させられるから。
ほんの数ヶ月とはいえ、頼ったことがあった記憶装置。前のぼくを補助した記憶装置。
作られてからは前のぼくの記憶をデータ化して沢山記録したけれど、本当の所は消してしまった記憶も多かった。フィシスの生まれのこともそうだし、一番はハーレイ。前のぼくの恋。
消せる仕様に出来てて良かった、と思うけれども。
(あれ、今あったら便利だよね)
ママのハンカチを探すことは丸ごと忘れてたから駄目だけれども、他のこと。
出会って咄嗟に名前が出てこないご近所さんとか、一度聞いただけで忘れてしまった何度も会う猫の名前だとか。誰だったっけ、と訊けば答えを返してくれるし、猫の名前も教えてくれる。
(ぼくが忘れても、記憶装置は忘れないものね)
いいな、と使ってた時期の便利さに思いを馳せたんだけれど。
(ちょ、ちょっと待って…!)
何でも覚える、ぼくの代わりに記録してくれる記憶装置。忘れずに覚えてくれる便利な装置。
(記憶装置があれば忘れないけど…!)
今のぼくには、要らない記憶を消すための力が無いんだった。
消したいと思う記憶を記録した部分は、一定以上のサイオンを使って上書きみたいな形で消す。サイオンの扱いがとことん不器用になってしまった、ぼくには不可能。
(もし、今のぼくがアレを着けていたなら…)
ハーレイとの恋もバッチリ記録。
パパとママには内緒にしているハーレイとの恋を、消せないまんまで丸ごと記録。
(まずい…)
酷い忘れ物はしないように気を付けなくちゃ。
あの記憶装置の仕組み自体は、今も伝わっている筈だから。
物忘れ防止だ、ってパパに渡されたりしたら、とっても悲惨なことになるから…。
だけどちょっぴり、欲しい気もする。
今のぼくなら、ハーレイと結婚した後は何を記録しちゃっても平気だから。前のぼくは最後までハーレイとの恋を隠したけれども、今度は隠さなくてもいい。結婚してハーレイのお嫁さん。
ハーレイと二人で暮らせる幸せな日々を毎日丸ごと記録できるって凄く素敵な気がする。だから欲しいな、って思ったんだけど…。
考えてる最中に仕事帰りのハーレイが来たから、どう思う? って訊いたんだけど。
「この欲張りめが」
丸ごと記録してどうするつもりだ、とテーブルの向かいから大きな手が伸びて来た。ぼくの額を人差し指でピンと弾いて、それから頭をグシャグシャと撫でて。
「忘れちまったのを思い出す方が幸せなんだぞ、宝物を見付けたようなモンだな」
その補聴器……いや、記憶装置の話みたいに、何かのはずみにヒョコッと拾うのが面白いんだ。
そうやって拾って、また忘れて。
次に思い出す時には別の記憶もついてたりして、また楽しめる。
何もかも忘れずに覚えていたんじゃ、つまらんだろうが。
前のお前だって記憶装置は使ってないだろ、本当に困った時だけしかな。
「そうだけど…」
やっぱり要らない物だったのかな、あの記憶装置。
前のハーレイも補聴器を着けていたけど、あれに記憶装置は無かったよね?
「お前だけだな、シャングリラの中で記憶装置を着けていたのは」
着ける羽目になった理由はともかく、結果的にはソルジャーの記憶を受け継ぐ大事な装置で象徴だしな?
大いに出世を遂げたわけだし、良かったじゃないか。
「ぼくがハーレイに見惚れちゃってたせいで生まれた装置だけどね?」
「そいつは言わぬが花ってな」
「今のハーレイが授業で教える言葉だったら、知らぬが仏?」
「うむ。そんなトコだ」
知らぬが仏で言わぬが花だな、どうしてお前が記憶装置を持っていたのかは。
ジョミーにもトォニィにも言えやしないな、俺に見惚れて装着する羽目になりました、とはな。
「口が裂けても言えないよ…!」
ハーレイが好きだったことは内緒なんだし、絶対言えない。
おまけにハーレイに見惚れて生返事をしてた結果だなんて、カッコ悪くて情けないってば…!
ハーレイと二人、散々笑って笑い転げた。
すっごくバカバカしい理由で生まれて、補聴器の中に組み込まれてしまった記憶装置。
前のぼくの記憶を補助するために、と出来た記憶装置のついた補聴器。
前のぼくがフィシスに託して、フィシスの手からジョミーに渡って。
ソルジャー・ブルーの記憶が残された補聴器だったから、ソルジャーの象徴になってしまった。ジョミーもトォニィも補聴器なんかは必要ないのに、あれを着けてた。
補聴器としての機能は切ってしまって、記憶装置の部分だけ。
ハーレイの話ではジョミーも記憶を記録していたらしいし、きっと次の代のトォニィも。
そうやって三代のソルジャーが記憶装置を使っていたのに、今はなんにも残ってはいない。
前のハーレイの航宙日誌は超一級の歴史資料になっているのに、前のぼくやジョミーたちが記録していた記憶は宇宙の何処にも残されていない。
歴代ソルジャーの記憶がデータベースに残らなかった理由は、三代目にして最後のソルジャー、トォニィが反対したせいらしい、ってハーレイが教えてくれたんだけど…。
貴重なデータを全く残さずに消してしまっただなんて、なんだか不思議。
前のぼくは誰に見られてもいいように整理して記録しておいたし、残っていたって気にしない。SD体制を倒したジョミーも、気にするような性格じゃない。
トォニィだって…、と懐かしい子供の頃の顔を思い浮かべてみたんだけれど。
シャングリラの中の前のぼくたちの部屋を、手を付けないで残してくれたトォニィ。
初恋の人だったアルテラが残した「あなたの笑顔が好き」ってメッセージを今の時代まで伝わる形にしたトォニィ。
そんなトォニィが歴代ソルジャーの記録を抹消しちゃっただなんて…。
(…なんだか変だよ?)
トォニィも多分、ジョミーと同じで性格は明るい方だと思う。ソルジャーとしての自分の記憶も「後世の役に立つのなら」って、快く公開しそうだけれど…。
(なんで消しちゃったんだろう?)
前のぼくたちの部屋や、アルテラのメッセージが書かれたボトルを残したトォニィ。ハーレイが彫ったナキネズミの木彫りもトォニィの部屋に残されていた。
思い出を大切にしていたトォニィらしくない、記憶装置のデータの抹消。矛盾した行為。後世に残す思い出どころか、とても大切で重要な記録だったのに…。
(ハーレイの航宙日誌なんかより、よっぽど凄い歴史資料だよ?)
ミュウの歴史を全て見て来たソルジャーの記憶。前のぼくからジョミーまでのは歴史の生き証人とも言える代物で、その次を継いだトォニィだって…。
(ぼくがトォニィなら、絶対、残すと思うんだけど…)
分かりやすいように整理して、と考えた所で気が付いた。
記憶装置の中の自分の記憶を整理するには、不要な部分の削除が不可欠。でないと記憶を丸ごと記録したまま、つまらないことまで詰まったまま。
まさか、トォニィ…。
「ねえ、ハーレイ…」
もしかしてトォニィ、記憶装置のデータの消去方法を知らなかったとか?
使えなかったってことはない筈なんだよ、トォニィのサイオン、強かったしね。
「消去方法って…。お前、ジョミーには教えたか?」
「うん、一応。渡す前だから、簡単に説明したんだけれど…」
前のぼくが眠ってしまうよりも前。
アルテメシアに居た頃だったよ、いつかは君に譲るんだから、って。
「なるほどなあ…。だったら、アレだ」
ジョミーはトォニィに教える暇が無かったんだ。
地球で死ぬかもしれないとは思っただろうが、あの補聴器を託す暇があるとは思わなかった。
だから教えずに放っておいたが、結果的にはトォニィの手に渡ったってな。
肝心の消去方法ってヤツを教えないままで。
「じゃあ、トォニィは…」
「何もかも丸ごとアレに記録をしちまったろうし、そいつは消したいと思わないか?」
前のお前とジョミーのデータ。
それも一緒に消えてしまうと分かっていてもだ、自分の記憶を丸ごとはなあ…。
「やっぱりハーレイもそう思うよね…?」
「俺なら絶対に御免蒙る、丸ごとはな」
「ぼくも嫌だよ!」
丸ごと残るなんて絶対に嫌だ。
何を食べたか、何をしてたか、全部データが残ってるなんて、死んだ後でも嫌だってば…!
ジョミーから消去方法を教わらないまま、記憶装置を受け継いだトォニィ。
自分が何をやっていたのか、記憶を丸ごと記録されてしまった最後のソルジャー。
気の毒なトォニィが反対したお蔭で、前のぼくの記憶はデータ化されずに消えてしまった。
ソルジャー・ブルーが持っていた記憶は、ぼくの頭の中身が全て。
今のぼくの小さな頭の中には、超一級の歴史資料が詰まってる。
歴史の研究に役立つ記憶。学者たちが狂喜する記憶。
いつかは公表してもいいな、と考えたりもしてはいるんだけれど…。
だけど喋ったら、前のハーレイとの仲まで探られそうだし、やっぱり黙っておこうかと思う。
前のぼくやジョミーの記憶を収めた記憶装置は、トォニィが消してしまったんだもの。
事情はともかく、消される程度の記憶装置とその中身。
きっと大した記憶じゃないんだ、そういうことにしておこうっと!
それでいいよね、記憶装置が出来た理由も、前のぼくが恋に夢中になってたせいなんだから…。
記憶装置の秘密・了
※前のブルーの記憶装置は、こうして誕生したらしいです。恋で心がお留守だったせいで。
そして補聴器が後世に残らなかった理由は…。トォニィの意志というのは表向きかも?
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(ふうん…)
ブルーはテーブルにあった新聞の記事を覗き込んだ。学校から帰って、ダイニングのテーブルでおやつを食べている最中だったが、目に留まった記事。動物園で生まれたキリンの名前を募集中。
(どんなのがいいかな?)
応募するつもりは無かったけれども、キリンの写真が可愛らしいから考えてみることにした。
(えーっと…)
親と重なってたら駄目だもんね、と記事を読み進めて吹き出したブルー。キリンの子供の母親の名前はリリーだったが、父親の名前。それはどう見ても…。
(あのジョミーだよね?)
前の自分の頃ならともかく、今の時代にジョミーと言ったらジョミーしかいない。キースと共にSD体制を崩壊させたソルジャー・シン。偉大なるジョミー・マーキス・シン。
(ジョミー、キリンになっちゃってるし!)
これも公募でついた名なのか、はたまた飼育係の趣味か。父親の名前がジョミーだったら、その子供に名前を付けるとしたら…。
(きっとトォニィ多数なんだよ)
キリンの子供はオスということだし、ジョミーの子とくればトォニィだろう。今でも人気の高いトォニィ。三代目にして最後のソルジャー。
(トォニィはグランパって言っていたから、ジョミーはお祖父ちゃんなんだけれどね?)
それでもジョミーの次はトォニィ、誰もが思い付きそうな名前。
(この名前だったらホントに付くかも!)
せっかくだからトォニィと書いて出してやろう、と応募の仕方を読んで葉書に書き込んだ。運が良ければトォニィと付いて、抽選で何か貰えるだろう。記念品とか、動物園のオリジナルグッズの文具とか。
(これでよし、っと!)
住所も名前もちゃんと書いたし、明日、母に投函して貰おう。母が買い物に出掛けるコースにはポストがあるから。学校の近所にもあるのだけれども、ブルーが出入りする方とは違う門の脇。
キッチンに居た母に「お願い」と頼んで、買い物用のバッグの外ポケットに入れておいた。母が手に取ったら直ぐに分かる場所。ポストの前を通り掛かったら入れなくては、と気が付く場所。
応募用の葉書は明日の夕方までには回収されて動物園へ出発することだろう。
(記念品…)
貰えるといいな、と二階の部屋に戻ったブルーは夢を大きく膨らませた。あの手の公募は多数決だから、トォニィはいい線を行く筈だ。得票数が最高だったら、キリンはトォニィ。
(ふふっ、トォニィ…)
自分の閃きに嬉しくなった。小さかった頃に大好きだったキリン。そのキリンに自分が応募した名前が付くかも、と考えると胸が温かくなる。抽選で何も貰えなくても、トォニィと付けば自分が名付けたキリンなのだし…。
(でも、発表の記事を見落とすかもね?)
お披露目の記事は見落としたくない。記事に出会って名前はトォニィ、なおかつ抽選で記念品も欲しい。それがいいな、と考える。思い出に残りそうなラッキーな形。
(こういう募集って楽しいよね)
人気者はそうやって名前が決まるんだよね、と動物園の動物たちを思い浮かべた。キリンなどは大抵、名前は公募。飼育係が名付けるケースもあったけれども、公募が多い。
(変なのを書いて応募する人もいるんだろうけど…)
父親がジョミーだから、あえてキースとか。喧嘩の絶えない親子になりそう、とブルーは思う。キースどころか、ブルーと書く人もいるかもしれない。
(うーん…)
ジョミーの子供がブルーだったら逆なんだけれど、と前の生での自分とジョミーの関係を考え、少し情けない気持ちになった。
(ジョミーに面倒を見て貰うソルジャー・ブルーだなんて…)
確かに見て貰っていたかもしれないけれど、と溜息をついた所で妙な既視感が頭を掠めた。
(あれ?)
以前にもこんな気持ちを抱いたような気がする。そうじゃないのに、と情けない気持ち。
(なんだろう…?)
名前がブルーで、情けない気持ち。そうではない、と溜息をつきたい気持ち。
前世の記憶を取り戻してからは動物園に行っていないが、それよりも前に自分と同じくブルーの名を持つ動物を見たことがあるのだろうか?
(…スカンクとか?)
臭いんだぜ、と鼻を摘んで騒いでいた友達。オナラが凄いらしいスカンク。そんな生き物と同じ名前を持っていたなら、それは大概、情けない。友達も大笑いしただろう。
(でも、もっと…)
スカンクよりも酷かったような、と記憶している情けなさ。特大の溜息が出そうな気持ち。
何なのだろう、と記憶を手繰ってみるのに、一向に思い出せないから。
(まあいいや)
気分転換、と本棚の方を向いた途端に降って来た記憶。視界に入った白いシャングリラを収めた写真集。
(情けない筈だよ…!)
ブルーはスカンクの名前ではなかった。
そもそも、ブルーですらもなかった。
(…応募者多数でソルジャーなんだよ…!)
それだ、と突っ伏しそうになるほどの衝撃と情けない気持ち。
前の自分が背負った尊称。ソルジャーという御大層なもの。
(…スカンクの名前がブルーだった方が、まだマシ…)
そっちの方が絶対にマシだ、と嘆きたくなるくらいに情けない記憶。
なんだってあんな尊称がついてしまったのか、と溜息をついても始まらない。
遠い記憶を手繰るまでもなく、一気に全てが蘇って来た。
ソルジャー。
前の自分が背負う羽目になった、この御大層すぎる尊称なるもの…。
シャングリラがまだ白い鯨ではなかった時代。アルタミラから脱出した船の名前だけを変えて、楽園と呼んでいた時代。
ブルーは船で生きてゆくために必要な物資や食料を奪いに出られる、たった一人の人材だった。他の仲間に生身で宇宙を飛ぶ力は無く、船にあった小型船は武装していない。ブルーがいなければ誰も生きてゆけず、それゆえにリーダーと呼ばれ始めたけれど。
船での暮らしが落ち着いてくると、新たな問題が生まれて来た。ブリッジや機関部、厨房など。あちこちに其処での責任者が出来て、リーダーと呼ばれている者も何人か。
ブルーは全く気にしなかったが、リーダー多数では話にならない、と言い出した五人。居場所は違えど、仲間たちの信頼を寄せられていた後の長老たち。
彼らの話を聞いたブルーは「別にリーダーでいいじゃないか」と答えたのに。
「大勢いては区別がつかないと思うのだがね」
ヒルマンが重々しく言い、「俺もそう思う」とゼルが応じた。
「私もそうよ」
「あたしもだね」
エラとブラウが賛同した後、「俺もだ」とハーレイまでが続いた。
ただのリーダーでは何かと困ると、直ぐにブルーだと分かる呼び名が必要だと。
「何でもいいだろ、区別がつけば」
ブルー自身はそう考えた。しかし…。
「リーダーの中のリーダーだしなあ、それっぽいのがいいんじゃないか?」
俺は直ぐには思い付かんが、とハーレイが出した案にブラウが即座に反応した。
「いいねえ、あたしもそいつに一票だよ。ヒルマン、何かないのかい?」
「ふむ…。考えてみよう」
それでいいかね、というヒルマンの言葉に皆が頷く。
真のリーダーに相応しい名をと、そういう名前でブルーを呼ぼうと。
数日が経って、ブルーはヒルマンの訪問を受けた。呼び名のことなど忘れ果てていたが、そんなことにはお構いなしにヒルマンが「これはどうかね」と差し出した一枚の紙片。
「なに、これ…。ソルジャーって」
「戦士という意味の言葉なんだがね、据わりはいいと思うんだが」
「…据わり?」
「名前と組み合わせて呼ぶ時だよ。ソルジャー・ブルー、と」
いい響きだと思うのだがね、と聞かされてもブルーにはピンと来なかった。ソルジャー・ブルーなどと呼ばれても困るし、まるで自分では無いようだ。ましてソルジャーとだけ呼ばれても困る。いずれは戦う日も来るだろうが、だからと言って戦士は少し恥ずかしい。
「…それは…。ソルジャーはちょっと…」
「ならばカイザーなどはどうかね」
「カイザー・ブルー?」
「そうなるね」
これも据わりがいいと思う、とヒルマンが「カイザー」と書かれた紙片をテーブルに置く。
「えーっと…。意味は?」
「皇帝だが」
「大袈裟すぎるし!」
ソルジャーどころの騒ぎではない、とブルーは慌てて断った。皇帝では戦士より酷い。そこまで自分は偉くはない。もうリーダーで構わないから、とヒルマンに二枚の紙片を返そうとしたのに、受け取って貰えない紙片。ソルジャー、それにカイザーの案。
ヒルマンは「持って帰って」と懇願するブルーを前にして、頭を振って。
「ふむ…。ナイトという案も出たんだがねえ、据わりがねえ…」
「ナイト・ブルーねえ…」
確かに少し呼びにくいかも、と新たに出て来た三枚目の紙片をブルーは見詰めた。
「意味は?」
「騎士だ。戦士よりも位が高いのだが…。据わりの方が今一つ…」
「そういうのしか思い付かないわけ?」
もっと普通の呼び名は無いのか、と訊けば新しい紙片が差し出された。
「エラのお勧めはロードなのだが…」
「ロード・ブルーね…。意味は?」
「支配者なのだが、昔は神をも指したようだね」
「神様だって!?」
皇帝よりも上があったか、とブルーは愕然と紙を眺めた。
「ロードって…。ぼくに神様って、どういうつもり?」
「エラが言うには、この船の守り神ということで実に相応しいと…」
「相応しくないっ!」
もっと他にも案を出せ、とブルーはゴネたが、ヒルマンたちの意見はとうに纏まった後だった。ブルー自身が選べないなら、名称は公募。今ある四つの案を発表して、その他に「これだ」という名を思い付いた者があれば、それを候補に加えるというもの。
「それでどうかね、候補が全て出揃った後で船内投票で決めることになるが」
「…分かった…」
誰かがマシな名前を思い付いてくれるであろう、とブルーはそちらに期待をかけた。ソルジャーだのカイザーだの、ロードなんぞという名前よりは普通な名前が出て来るだろう、と。
次の日、食堂の壁に意味とセットで掲示された四つの名称の候補。ソルジャーにカイザー、更にナイトにロードの四つ。その脇に応募用の箱が置かれて、他の名称を思い付いた者は専用の用紙に記入し、箱に入れることになったのだが…。
「一つも無かった!?」
募集が締め切られた日の夜、ハーレイがブルーの部屋にやって来た。キャプテンとしての報告であって、ブルーのための新しい名称を考えた者は誰一人としていなかったという。
「じゃあ、あれは…。あの名前は…」
「あの四つで船内投票になるな」
「…嘘…」
酷い、とブルーは泣きそうな気持ちになったけれども。
「安心しろ。お前には一応、拒否権がある」
「ホント!?」
「ただし、行使するなら「これだ」と思う名前を自分で選べ。あの中からな」
「…そ、それは…」
拒否権になっていないから、というブルーの叫びは無視された。
キャプテンは報告を終えて出てゆき、翌日、より詳細な説明が添えられた四つの候補が書かれた紙と、投票用紙とがシャングリラの皆に配られる。
考える期間は一週間。それが過ぎたら、投票をするという運び。
(どれが一番マシなわけ?)
ブルーは白票を投じたい気分だったが、ブルーの分の投票用紙は無かった。意に染まない名前を付けられそうなのに、ささやかな抵抗すらも出来ないらしい。
(せめてマシなの…)
自分で選ぶことはしたくなかったが、マシな結果になっては欲しい。とはいえ、皆の意志次第。どんな結果を迎えようとも、皆の意識を操って投票させるなどは論外、やりたくもない。
(でも…)
ソルジャーが一番マシだろうか、と考えた。でなければ、ナイト。
皇帝を指すカイザーと、神をも意味するロードは避けたい。その二つよりは、戦士か騎士。
(騎士に比べたら、戦士の方が多分、一般的だよね…?)
戦う者なら誰でも戦士と呼べるけれども、騎士はそうではないだろう。投票用にと配られた紙の説明文をハーレイに頼んで見せて貰ったら、遥かな昔には「ナイト」という称号があったことまで書かれていたし…。
(ソルジャーは戦士だけだったんだよ)
他の三つの候補と違って、偉そうな説明は何も無かった。ソルジャーが一番無難に思えた。
しかし…。
投票用紙が配られた二日後の夜、ブルーの部屋にフラリと立ち寄ったハーレイは開口一番、こう言った。
「カイザーとロードが人気らしいぞ」
「ええっ!?」
なんでそういうことになるわけ、と仰天するブルーにハーレイが面白そうに答える。
「偉大な長に相応しく、とヒルマンがカイザーを推して回っている。エラがロードだ」
投票は伯仲するかもしれんな、開票するのが楽しみだな。
「ハーレイは、どっち!?」
「俺はどれでも別にかまわん」
カイザーだろうが、ロードだろうが。決まった名前で呼ぶだけのことさ。
ついでにどれとも決めていないな、どれにするかな…。
「じゃあ、ソルジャー…」
「はあ?」
なんだ、と鳶色の目を丸くするハーレイに、ブルーは「お願い!」と頭を下げた。
「ナイトでもいいから、どっちか推して!」
ソルジャーか、ナイト。
キャプテンの推薦って言うんだったら、第三勢力でいけそうだから。
お願い、ハーレイ。どっちかに決めて、みんなに俺はこれだと言ってよ。
そしたらそっちに票が入るかも、他の二つと戦えるほどの。
「うーむ…」
ハーレイは腕組みをして考え込んだ。
「だから自分で決めろと言っておいたのに…。今からそれだと八百長じゃないか?」
「ぼくはカイザーもロードも御免なんだよ!」
そんなのに票が入ると分かっていたなら自分で決めたよ、違う二つのどっちかに!
「ふうむ…。自分の読みとは違って来たから、慌てて流れを変えたいわけだ」
それで、お前はどっちがいいと思うんだ。ソルジャーとナイト。
「据わりで言ったらソルジャーの方で、意味で選ぶのでもソルジャーかな…」
ただの戦士で充分だし。
騎士とか、ナイトの称号だとか。そういう余計なものは要らない。
「…戦士ってだけでは、重みがなあ…。しかし…」
据わりがいい方が候補としては有利だろうな。
ロードはともかく、カイザーは据わりがいいからな。
「だったら、ソルジャーを推してくれるわけ?」
「頼み込まれたら断れんだろう。アルタミラ以来の付き合いだしな」
「ありがとう、ハーレイ!」
頑張ってよ?
何も応援出来ないけれども、ソルジャーが票を伸ばせるくらいに頑張ってよね。
分かった、とハーレイが引き受けて行って。
翌日、シャングリラ中に噂が流れた。ブルーがソルジャーになりたがっている、と。
ブルーは驚いてハーレイを部屋に呼び出し、「ぼくは言ってないよ!」と怒鳴ったのに。
「あれしか無かろう、カイザーとロードに今から勝負を挑むとなれば」
ハーレイは平然として言葉を続けた。
「現に本人の意向は無視出来ないな、という方向へと流れつつある」
なんと言っても、呼ばれるのはお前なんだしな?
本人が嫌な名前が付くより、好みの名前がいいだろう。
ソルジャーがいいと言っているなら、ソルジャーにしようかと誰でも思うさ。
「…ぼ、ぼくが自分で…。自分でソルジャー……」
自分で決めるのだけは嫌だし、投票でいいって言ったのに!
これじゃ自分で決めているのと何も変わりはしないんだけど!
「なら、カイザーでいいのか、お前」
でなきゃ、ロードか。そういうのでいいなら、取り消してくるが。
「…………」
ブルーは反論出来なかった。
もしもハーレイが自分の発言を取り消したならば、カイザーかロードに決まるのだから。
そうして迎えた投票の日。
シャングリラにはカイザー派もロード派も、もはや存在しなかった。
ブルーの意向が何より一番、カイザーとロードには二票ずつしか入らなかった。
何故二票か。
ヒルマンが買収したゼルと、エラが買収したブラウが入れたと後になってから噂が立った。
ともあれ、シャングリラ中の仲間が立ち会う開票の場で、ソルジャーは見事に一位となって。
「圧倒的多数でソルジャーですわね」
記録を取っていたエラがブルーに微笑み掛けた。
「エラ、その言葉遣いはなに?」
途惑うブルーに、エラは表情を引き締めて皆を見渡しながら。
「こうして公にリーダー、いいえ、ソルジャーになられた以上はけじめというものが必要です」
目上の方には敬語で話さなくては。
私だけではありません。皆もそのつもりで言葉遣いに気を付けるようにして下さいね。
割れんばかりの拍手に押されて、ブルーはその場でソルジャーとなった。
リーダーの代わりにソルジャーと呼ばれ、敬語を使われる立場にされてしまった。
(ソルジャー・ブルー…)
自分の部屋に帰ったブルーは額を押さえた。
カイザーやロードに決まらなかったことは嬉しいけれども、自分でソルジャーになりたがったという不名誉な噂つきでのソルジャー。
皆は「ただの戦士」を選んだブルーを高く評価し、謙虚な姿勢だと受け止めていたが、ブルーはそうは思わなくて。
(…自分で名乗った…)
最悪なことになってしまった、と頭を抱えている所へ、ハーレイが来て。
「ソルジャー、御就任おめでとうございます」
「ハーレイまで敬語!?」
ぼくの部屋でも、と更なるショックを受けたブルーに、ハーレイは苦笑したものだ。
「まあ、一応は…。とはいえ、当分は直りそうもないがな」
「良かったよ…。そっちの言葉が断然、いいよ」
ホッとしたよ、とブルーは安堵したのに、エラは皆に厳しく言葉遣いを指導した。
ソルジャーには敬語で話すように、と。
いつしかハーレイの言葉遣いもすっかり敬語になってしまって、ブルーはソルジャー。
その頃には「自分でなりたがった」かどうかも誰も気にしていなかったのだが、押しも押されぬミュウたちの長で、リーダーではなくてソルジャー・ブルー。
ブルー自身も由来を忘れてしまったけれども、ソルジャー・ブルー…。
(…自分でソルジャーを名乗ったなんて…)
あんまりだ、と小さなブルーは自分の頭を叩きたくなった。
(…こんなのよりかは、スカンクの名前がブルーだった方がよっぽどマシだよ…)
なんて情けない記憶なんだろう、と溜息をついた所で、来客を知らせるチャイムが鳴った。
もしかして、と窓から見下ろせば、庭の向こうの門扉のすぐ横にハーレイの姿。
前の自分をソルジャーの座に着けた、キャプテン・ハーレイの生まれ変わりのブルーの恋人。
(…ハーレイも一応、責任あるしね?)
ブルーがソルジャーになりたがっていると噂を流した人物ではある。
苛めてやろう、と決意を固めた小さなブルーが逆襲されたことは言うまでもない。
ソルジャーの尊称で皆に呼ばれるより、カイザーかロードが良かったのか、と。
「うー…」
ハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合いながら、ブルーはブツブツと文句を零した。前の自分は情けなかったと、何故ソルジャーかは思い出したくもなかったと。
「あれに比べたら、まだスカンクの方が…」
スカンクの名前がブルーだったろうか、と情けない記憶を手繰っていたという話をすっ飛ばして呟いてしまったのだから、当然と言えば当然だけれど。
「お前、ソルジャーよりもスカンクを名乗りたかったのか!?」
知らなかった、とハーレイが驚き、真面目な顔でこう言った。
「それなら候補を入れておいたら、この俺が推してやったのに…」
スカンクくらいはお安い御用だ、流す噂がちょっと変わると言うだけだ。
投票する前に候補を募っていたろうが。
あの時に用紙にスカンクと書いて入れておけばだ、投票の時の候補にスカンクもあった。
候補を書く紙は誰でも自由に書けたからなあ、スカンクと書いて入れときゃ良かったのに…。
それにしてもだ、なんでスカンクだったんだ?
前のお前の趣味は分からん。どうしてスカンクがいいんだ、お前。
何故スカンクだ、と勘違いをして答えを得たがるハーレイだったが、ブルーの耳には全く入っていなかった。頭の中は前の自分の間抜けさ加減に呆れる気持ちでとうに一杯。
(…そうか、その手があったんだ…)
自分で何か候補を考え、応募しておいて候補一覧にそれを加える。
スカンクでなくとも、マシな尊称。
ハーレイが取った戦法でいけば、その尊称を勝ち取れた。
どんなにセンスを疑われようとも、スカンクを名乗ることだって出来た。
けれど…。
(…後の祭り…)
もう手遅れだ、とブルーはガックリと項垂れた。
前の自分はとっくの昔に死んでしまって、今も名前はソルジャー・ブルー。
自分で名乗ったことは知られていないけれども、ソルジャー・ブルー。
変えようもないし、変えられもしない。
ソルジャーに決まる前であったら、スカンクなどという妙なものでも名乗れただろうに。
ブルー自身の望みなのだ、と噂を広めて、別の尊称を得られたろうに…。
ブルーとジョミーと、最後のトォニィ。
三代ものソルジャーが名乗った尊称が決まるまでの間の裏事情。
キャプテン・ハーレイが暗躍していた、シャングリラ中の仲間の投票。
投票の対象が決定する前に、ブルーが候補を出していたなら。
小さなブルーがキリンの子供の名前募集に応募したように、前のブルーが何かを考えていたら。
そうして箱に入れていたなら、どうなったろうか。
流石にスカンクは無かっただろうが、ソルジャーにはならなかった可能性もある。
ミュウの長を指す、偉大な尊称。
ソルジャーの尊称がどういう経緯で生まれたのかを、ソルジャー・ブルーは語らなかった。
ゆえにジョミーも、トォニィも知らずに終わってしまった。
カイザーかロードか、場合によってはスカンクでもおかしくなかったことを…。
ソルジャー誕生・了
※ソルジャーという呼び方が決まるまでには、実は色々あったのです。他の候補も。
流石にスカンクは無いでしょうけど、まるで違った呼び方になっていたかもしれませんね。
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(うーん…)
学校から帰って、着替えて、おやつ。ママがダイニングで待ってくれてて、パウンドケーキ。
ぼくのお皿の上に一切れ、ハーレイが大好きなパウンドケーキ。
早速フォークを入れたんだけれど、ママのパウンドケーキは美味しい。でも、それだけじゃない秘密を持ってるパウンドケーキ。ぼくには分からない、不思議な魔法。
(ハーレイのお母さんが焼くパウンドケーキと同じ味なんだよね?)
ぼくはまだ食べたことが無いけれど。
隣町に住むハーレイのお母さんには会ったことが一度も無いんだけれども、ハーレイに聞いた。ぼくのママが作るパウンドケーキは、ハーレイのお母さんのと同じ味がすると。
自分で料理をするハーレイ。パウンドケーキも焼いてみるけど、お母さんと同じ味にはならないらしい。パウンドケーキは作り方も材料も単純なくせに、お母さんの味にはならないって。
だからハーレイは、ぼくのママが焼くパウンドケーキが大好物。
おふくろの味って言うのかな?
どのお菓子よりも嬉しそうに食べるし、見ているぼくまで幸せな気持ち。
ぼくもいつかはハーレイのために、ママと同じ味のパウンドケーキを焼きたいんだけど…。
「ママ…?」
作り方のコツを訊こうと声を掛けてから、慌ててやめた。
前にハーレイからパウンドケーキの話を聞いた時、「作り方、ママに習おうかな?」って言ってみた、ぼく。そしたら「バレるぞ」と止められたっけ。ぼくの周りでママのパウンドケーキの味がお気に入りの人は誰か、ってトコからハーレイとの恋がバレるって。
ぼくがハーレイを好きだってことがバレたらマズイ。コツは知りたいけど、ママには訊けない。
途中で言葉を止めちゃったけれど、ママはしっかり聞いてたみたいで。
「なあに?」
どうしたの、って笑顔を向けて来るママ。
せっかくだから少し訊いてみようか、パウンドケーキの名前は出さずに。
「えーっと…。お菓子を作るのって難しいの?」
ママは楽しそうに作ってるけど、お菓子作りって難しい?
「ブルーも学校で作ったでしょう、カップケーキとか」
「うん。…焦がしちゃった子も何人かいたし、難しいかな、って」
ちゃんと教わった通りにしたのに、焦げちゃった子たち。簡単だったら焦げないよね?
「そうねえ…。ママも昔は焦がしていたわね」
「ママが!?」
嘘でしょ、とぼくの目は真ん丸になった。
ぼくが幼稚園に行ってた頃には、おやつはとっくにママの手作り。オーブンから出て来る時間をワクワクしながら待ち侘びていたし、いつだって綺麗に焼けてたと思う。
お菓子作りが得意なママ。そのママがケーキを焦がしただなんて…。
「ホントよ、最初は失敗ばかりよ。だけど、誰だって自然に上手になるのよ」
「どうやって?」
「そうねえ…。食べて欲しい人が出来たら……かしらね?」
今のママなら、パパとブルーね。ブルーが生まれる前なら、パパ。
ブルーにはまだまだ先の話ね、食べて欲しいっていう女の子が出来て、お菓子を貰う日。
(そっか…)
ママは勘違いをしていたけれども、ヒントは貰えた。
ぼくはお菓子を貰う方じゃなくて、作りたい方。ハーレイのために作ってあげたい。
(お菓子を上手に作るコツって、食べて欲しい人が出来ることなんだ…?)
そういうことか、と部屋に帰って考えてみた。
ぼくがハーレイに作ってあげたいパウンドケーキ。ハーレイのお母さんのとそっくり同じ味のを作って、うんと喜んで貰いたい。
そのためだったら頑張れそうだし、何度焦がしても上手になるまで挑戦出来そう。
確かにママが言っていた通り、大切なものは「食べて欲しい人」。
ママとおんなじ腕前になるまで頑張らなくちゃ、と決心をした。
ハーレイが喜ぶパウンドケーキ。おふくろの味のパウンドケーキ。
いつか必ず作ってみせる、とグッと拳を握ったんだけど。
(あれ…?)
前のぼくって、頑張ってたっけ?
ハーレイのために何か作ってたっけ、と遠い記憶を手繰って遡ってみて、愕然とした。
青の間のキッチンでハーレイがいつも作ってくれてた、野菜スープのシャングリラ風。今でこそ立派な名前があるけど、あの頃はただの野菜のスープ。前のぼくが寝込むと作って貰えた、何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴なスープ。
多忙なキャプテンがブリッジを抜けては、ぼくに作ってくれていたのに。
忙しい時でも「これなら喉を通るでしょう?」とわざわざ作りに来てくれてたのに…。
(ぼくって、作って貰っていただけ…)
ソルジャーだったぼくは何も作りはしなかった。
お茶は淹れたりしていたけれども、キッチンでは何も作らなかった。
ちゃんと恋人がいたというのに、ハーレイと本当に本物の恋人同士だったのに。
(なんで一度も作らなかったわけ…?)
前のぼくは愛が足りなかったんだろうか。
ハーレイに食べて欲しいと思わなかったんだろうか、とショックを受けた。
何一つとして作ってあげたいと思った記憶など無いし、作ってもいない。
前のぼくはハーレイに作らせるだけで、お菓子も料理も何も作ろうとはしなかった。
(……最悪……)
なんて酷い恋人だったんだろう。
作らせてばかりで何もしないで、お茶だけを淹れていたなんて。
しかも前のハーレイが大好きだったコーヒーは苦手で、ぼくの好みの紅茶ばかりを淹れていた。コーヒーを淹れるハーレイを何度も見ていたけれども、淹れ方を覚えはしなかった。
ハーレイの好きな飲み物なんだ、って分かってたくせに、淹れ方も知らなかったぼく。
コーヒーを淹れてあげたいとさえ思いもしなくて、紅茶ばかりを飲ませていたぼく。
(前のぼくって…)
どうしようもなく我儘な上に、自分勝手な最低最悪としか言えない恋人。
尽くさせるだけだった、酷い恋人。
それでも見捨てずに付き合ってくれたハーレイはきっと、心が広かったんだろうと思うけど。
今度は流石にマズイだろうか、と心の中でタラリと冷汗。
ハーレイと結婚しようと決めている年、ぼくが十八歳を迎える年。
十八歳までに料理を覚えておかなきゃならない。
ママと同じ味のパウンドケーキが焼けるだけの腕と、他にも色々作れる腕前。
ソルジャーだった頃と違って、今度のぼくはハーレイの「お嫁さん」になるんだから。
(…十八歳までに料理を覚える方法は…)
手っ取り早いのはママのお手伝い。
夕食の支度を手伝っていれば覚えるだろうし、お菓子もママと一緒に作ればハーレイが大好きなパウンドケーキの焼き方をマスター出来ると思う。
だけど、ママにはなんて言ったらいいんだろう?
ぼくがいきなり料理やお菓子を作りたいなんて頼み込んだら、ハーレイとの恋がバレるかも…。
(…一人暮らしの練習とか?)
そんな予定は全然無いけど、無難な理由はそれくらい。
(でも…)
背丈が伸びないぼくが言っても、嘘っぽい。
ぼくみたいに小さくて心も身体も子供のままでは、一人暮らしは有り得ない。ぼくみたいな子が行くための上の学校、幼年学校も一人暮らしは認めていなくて、家を出るなら寮生活。寮生活だと食事つきだし、料理を覚える必要は無い。
学校と言えば調理実習。家庭科の時間に料理やお菓子の作り方を習う。お蔭で包丁とかは上手に使えるけれども、調理実習の時間は多くない。
ハーレイのお嫁さんになった時に色々と作ってあげられるほどに上達するとは思えない。
(料理学校…?)
いろんな料理やお菓子作りを習える学校。調理実習ばかりの学校。コースは沢山あると思うし、学校の帰りに行けるコースに入って習えば上手くなれそう。
それにしよう、と考えたけれど、身体が弱いからクラブにも入っていないぼく。家に帰る時間が遅くなったら、ママに変だと思われる。
それに…。
(ハーレイが仕事の帰りに早い時間に寄ってくれても、ぼくがいないよ!)
普段は仕事や柔道部の指導で遅くなってるハーレイだけれど、たまに早く来ることがあるから。しかも「明日は早いぞ」なんて予告は滅多に無いから、料理学校に寄っていたならすれ違い。
それから、お金。
料理学校の授業料を払えるほどのお小遣いをぼくは貰ってはいない。貯金してあるお金を使えば行けるだろうけど、それは「小さな子供が通う所じゃありません」ってこと。
料理学校はぼくには無理っぽい感じ。
(どうしよう…)
結婚したって料理が出来なきゃ、ハーレイに食べて貰えない。
食べて欲しいのにパウンドケーキも焼けやしない、と落ち込んでいたら。
そのハーレイが仕事帰りにやって来た。ぼくの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせに座って、「今日はパウンドケーキの日だったか。運がいいな」と、とても御機嫌。
ぼくには焼けないパウンドケーキ。ハーレイのお母さんのと同じ味がするパウンドケーキ…。
「…パウンドケーキ…」
呟いたぼくに、ハーレイが「ん、どうした?」って訊いてくれたから。
「ぼく、焼いたことがないんだけれど…。ハーレイが好きなパウンドケーキ」
「ああ…。お前、前にもそう言ってたな?」
俺は期待はしていないから、安心しろ。
この味のパウンドケーキでないと、と無茶を言ったりする気もないしな。
「でも…」
前のぼく、ハーレイに何も御馳走していないんだよ。
ハーレイは野菜スープを何度も作ってくれていたのに、前のぼくは何もしなかったんだよ。
「それがどうかしたか?」
俺は全く気にしていないぞ、前の俺もな。
「だけど…。考えてみたら最低だよね、って」
なんでハーレイのために何か作ろうって一度も思わなかったんだろう。
作らせてばかりで、ハーレイには何も作ってあげずに平気な顔をしてたんだろう…。
最低最悪の恋人だよね、って今頃になって気が付いたんだ。
前のぼくが最低だった分まで、今度はうんと頑張らなくちゃ、って思うんだけど…。
結婚するまでに料理学校にも行けそうにないよ、どうしよう?
ママに教えて貰おうとしたら、ハーレイのために作りたいんだってバレちゃいそうだし…。
調理実習で習ったことしか出来ないよ、ぼく。
ハーレイに食べて欲しい料理があっても上手く作れないし、パウンドケーキも焼けないんだよ。
また最低な恋人になってしまうよ、今のままだと。
どうしよう、って泣きたい気持ちで、情けない気持ち。
最低最悪の恋人は前のぼくだけにしておきたいのに、このままじゃぼくも最低最悪。ハーレイに愛想を尽かされないのが不思議なくらいの酷い恋人になってしまう、と訴えていたら。
「ふうむ…」
なるほど、と大きく頷いたハーレイ。
「俺に言わせりゃ、ジャガイモの皮が剥ければ充分だがな?」
調理実習でやるだろ、皮むき。そいつが出来れば問題ないさ。
「…なんで?」
「前のお前も、それしかしてない」
他はキャベツを刻んでいたとか、泣きながらタマネギを刻んでいたとか。
俺の手伝いしかしてないだろうが、それも下ごしらえの段階。フライパンだの鍋だのは前の俺の管轄だったからなあ、お前には一度も触らせていない。番をしていろとも言わなかったぞ、料理は素人には任せられんし、焦げちまっても困るしな?
俺のために料理を作るも何も、俺の方が料理のプロだったんだ。
プロの料理人に自分の手料理を御馳走しようって度胸のあるヤツはそうそういないぞ。
「…そういうものなの?」
なんだかピンと来ないぼく。
料理のプロに御馳走する度胸のある人は少ないだろう、ってことは分かるけど、前のぼく。前のぼくはハーレイが料理のプロかどうかも、多分、考えてはいなかった。
自分が料理を作った場合に見劣りがするかどうかなんてことは、まるで考えてはいなかった。
謙虚な気持ちで作らずにいたってわけじゃなくって、作ろうと思いもしなかった。
つまりは最低最悪の恋人、ハーレイが好意的に解釈してくれなければ最低なわけで…。
やっぱり駄目だ、と肩を落としたぼくだったけれど。
「おいおい、せっかく俺がいい方向に解釈してやってるのに、何を一人で落ち込んでるんだ」
落ち込む理由は何処にもないさ、と大きな手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
「前のお前はそういったことを思い付きさえしなかったんだろうが、今のお前は違うだろ?」
今度は作ってみたいと思い付いてくれた。俺のために作りたいと思ってくれた。
それだけで俺は充分なんだ。
お前が本当に作るかどうかは全く別でだ、その気持ちだけでもう最高だな。
いいか、とハーレイの手がぼくの頭をポンと叩いて。
「前の俺だが、キャプテンじゃなくて厨房の責任者をやってた頃はな…」
お前が美味しいと食ってくれるのが嬉しかったし、遣り甲斐があった。試食も色々してただろ?
「何が出来るの?」と覗きに来る度に「内緒だ」と言いつつ、ちょっぴり味見をさせたりな。
楽しかったぞ、前のお前の目が丸くなったり、「もっと」とつまみ食いをしようとしたり。
あの頃はうんと充実してたな、前の俺の料理人としての人生。
気付けばキャプテンになっちまっていて、料理どころじゃなくなっていたが…。
お前のための野菜スープだけは作ってやれたし、あれが俺の楽しみだったんだ、うん。
俺が作って、お前に食わせて。
前のお前が俺の野菜スープだけは食ってくれると、俺はお前の特別なんだ、と自己満足だな。
実際、特別になれたわけだが…。
恋人同士になれたわけだが、あの野菜スープ、それよりも前からあっただろうが。
そうだろう、ブルー…?
お前は最低最悪じゃないさ、とハーレイはぼくに教えてくれた。
前のぼくは少しも悪くはなくって、最低最悪なんかじゃないと。悩まなくてもいいんだ、と。
「お前が薄情だったんじゃない。俺がやりすぎちまっただけだ」
プロの料理人かどうかはともかく、お前の特別でいたかった。
だからせっせと野菜スープを作りに行ったし、お前に食わせて喜んでいた。
お前は食うだけで俺を喜ばせていたんだからなあ、その件で礼を言われても困る。
「…ホント?」
「本当だ。俺に負い目を感じなくてもかまわないのさ、俺だけが料理をしていたがな」
それだって不思議でも何でもないんだ、お前が料理をしなかったこと。
前のお前はアルタミラで辛い思いをし過ぎて、その後もずっと一人で頑張り続けて。
たった一人で船を守って、仲間を守って、どのくらい一人で頑張り続けた?
ジョミーが来るまでたったの一人で、倒れたって誰も代わりはいなくて。
俺のスープしか喉を通らなかったような時でも、何か起こったら飛び出して行った。船に戻って直ぐに倒れても、野菜スープしか飲めなくっても、また飛び出して行っただろうが。
シャングリラと仲間と、守るべきもので前のお前の頭の中は占められていた。
残りの部分で地球に焦がれて、その下に隠した本当のお前。俺と一緒にいたかったお前。本当のお前のために割ける部分はほんの少しで、お前の殆どはソルジャーだった。
俺に料理を作ろうだなんて、考え付く暇さえ無かったってことだ。そいつはソルジャーとしての考えじゃないし、前のお前に思い付いてくれと言う方が無理で無茶だろうが。
それを自分で思い付けた分だけ、今度のお前は幸せで余裕があるってことだな。
「というわけで…、だ。お前の料理は食ってみたいが、頑張る必要は何処にも無いぞ」
前のお前は最低最悪じゃないんだからな、ってハーレイは微笑んでくれたけど。
やっぱりハーレイにぼくの料理を食べて欲しいし、美味しく作ってあげたいから。
「…ママがね、食べて欲しい人が出来たら上手になるって…」
だけど練習する暇が…。
家じゃ無理だし、料理学校にも行けないし…。
本当に調理実習だけ。ジャガイモの皮はちゃんと剥けるけど、凝った料理は教わらないよ。
「練習すればいいじゃないか」
「いつ?」
練習出来そうな場所も時間も無いって言ったよ、いつすればいいの?
「決まってるだろう、俺と結婚してからだ」
お前が覚えたいと言うんだったら、俺が料理を教えてやるさ。
料理は得意だと何度も言ったろ、レシピさえあれば失敗は有り得ないってな。
しかしだ、俺はお前に食わせたい方で、こいつはシャングリラの頃からの伝統でなあ…。
どっちがいい? と訊かれた、ぼく。
ハーレイが作る料理を食べるか、ハーレイに教わってぼくが料理を作ってみるか。
食べるのもいいけど、作ってもみたい。
ハーレイはぼくに食べさせたい方で、あれこれ作ってくれるだろうけど、ぼくも作りたい。前のぼくは何にも御馳走しなかったんだし、今度は何か御馳走したい。
(でも、ハーレイは料理が得意で…)
きっとぼくより美味しく作れる。ぼくに教えるって言うくらいだから、絶対に腕もぼくより上。
(美味しくない料理を作っても…)
仕方ないよね、と思った所で閃いた。
ハーレイが大好きなパウンドケーキ。ぼくのママが焼く、パウンドケーキ。
あの味はハーレイには出せないらしいし、パウンドケーキを頑張ろうかな、って気になった。
結婚したなら、ママに作り方を習っても全然おかしくないし…。
ママの味のパウンドケーキに挑戦するよ、と、ぼくはハーレイに提案した。
料理はハーレイの方が上手いに決まっているから、パウンドケーキを焼こうと思う、と。
「おっ、いいな!」
だったら、お前はパウンドケーキをマスターしてくれ。料理は俺が頑張るから。
「それでいいの?」
パウンドケーキしか上手じゃなくって、料理はハーレイにお任せだなんて。
「分かっていないな、おふくろの味のパウンドケーキを焼ける嫁さんなら上等さ」
そういうもんだぞ、おふくろの味が一番だからな。
いい嫁さんを貰ったんだと、料理上手だと自慢して回ったら羨ましがられるレベルだってな。
「パウンドケーキしか作れなくっても?」
「もちろんだ。そのパウンドケーキが凄いんだからな」
それにだ、前のお前よりもずっと進歩してると思わないか?
前は何一つ作らなかったお前が、今度はパウンドケーキを焼いて、俺に食わせてくれるんだぞ?
しかも最高に美味いパウンドケーキだ、おふくろの味だと自慢できる出来の。
これを進歩と言わなかったら罰が当たるな、いい嫁さんを貰ったのにな?
「そっか…。うん、前のぼくよりは進歩してるね」
だったら今度は頑張ってみるよ、ハーレイのためにパウンドケーキ。
ママに習って、同じ味のを焼けるようになってみせるよ、きっと。
「その決心は嬉しいんだが…。今はまだ習いに行こうとするなよ?」
お前のお母さんに俺たちの仲がバレちまうからな。
俺の大好物がパウンドケーキだってことを、お前のお母さんは知ってるんだしな?
「うん。今日のおやつがパウンドケーキだったのは偶然だけどね」
ぼくが一度だけハーレイの家に遊びに行った時も、パウンドケーキを持って行ったもの。
ハーレイの大好物だから、ってパウンドケーキを焼いて貰って提げて行ったし、ずうっと前からママは知ってる。
ウッカリ作り方を習いに行ったらバレるかも、って思ってるから、今日も訊いてないよ。
訊こうとしたけど危ないと思って話を変えたら、「食べて欲しい人が出来たら上手になる」って教わったんだよ、お菓子作り。
「ほほう…。そこから最低最悪な恋人の話になっていった、と」
発端はパウンドケーキだったか、それで落ち込んじまってたのか…。
話は最初に戻ったわけだな、お前が美味いパウンドケーキを作ってみたい、という所まで。
それで充分、俺には嬉しい話なわけだ。
お前の手料理…。いや、パウンドケーキは菓子なわけだが、そいつを食える。
前のお前と暮らした頃には想像もしなかった手料理ってヤツを今度の俺は食えるんだ、ってな。
ついでに最高に美味いおふくろの味と来たもんだ。
実に楽しみだな、お前が焼いてくれるパウンドケーキ。
だが…、とハーレイは笑いながらこうも言ったんだ。
「お前のパウンドケーキには期待してるが、お前、まだまだ子供だしな?」
約束をすっかり忘れちまって、前と同じで食うのが専門の嫁さんになっても俺は気にせん。
そいつが前からの俺の立場で、お前に料理を食わせてやるのが生き甲斐だからな。
キャプテンになってからは野菜スープしか作れなかった分、色々と作ってみたいじゃないか。
お前がフライパンとか鍋を覗いて「何が出来るの?」って訊く料理をな。
「ぼくはジャガイモの皮を剥けばいいの?」
「芋も今では色々あるしな、いっそ山芋でも剥いてみるか?」
あれは滑るぞ、ジャガイモよりも手強いな。
サトイモなんかも剥きにくいなあ、どっちもシャングリラの畑には無かった芋だが。
「そうだね、そんなの植えてなかったし、知らなかったね」
剥こうとしたら滑るお芋だなんて…、と二人で笑った。
滑る芋でもハーレイはぼくに剥かせただろうかと、きっと自分で剥いただろうと。
前のぼくが「手伝うよ」と声を掛けても「危ないから」と、山ほどの山芋をきっと一人で。
シャングリラの厨房で料理をしていた、前のハーレイ。
キャプテンになっても野菜スープを作ってくれてた、前のハーレイ。
そのハーレイに何も料理を作ってあげずに、思い付きもせずに終わってしまった前のぼく。
ハーレイは「違う」と言ってくれたけれど、最低最悪の恋人だったらしい、前のぼく。
今度のぼくたちはどんな風に暮らしていくんだろう?
やっぱり今度もハーレイが作って、ぼくは食べるの専門なのかな?
(料理は絶対、ハーレイの方が上手いんだものね…)
だけどハーレイが手料理って言ってた、ぼくが作る料理。
一つくらいは食べて貰えたら幸せだよね、と考えてしまう、今のぼく。
もしも忘れてしまわなければ、いつかパウンドケーキを習おう。
ママに習って、ハーレイのために大好物のパウンドケーキ。
おふくろの味のパウンドケーキを焼いてあげられるようになったらいいな、と思う。
食べて欲しい人が出来たら、上手になるって聞いたから。
ぼくが料理を食べて欲しい人は、生まれ変わる前から好きだった恋人のハーレイだから…。
作りたい料理・了
※前のブルーはハーレイに料理を作って貰ってばかり。自分は紅茶を淹れていただけ。
今度は頑張って作るようです、パウンドケーキを。上手く焼けたら嬉しいでしょうね。
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