忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(ハーレイ先生、か…)
 可愛いもんだな、と笑みが零れる。夜の書斎で、小さなブルーを思い浮かべて。
 今日は仕事で遅くなったから、ブルーの家には寄れなかったけれど。
(…しかし、教師の特権ってヤツだ)
 ちゃんと会えた、と熱いコーヒーを満たしたマグカップを傾けた。他の仕事なら会えないままで一日が終わっていたろうに、と。
 今年の五月から赴任した学校、其処に小さなブルーが居た。そうとも知らずに着任した。思いもよらない再会を遂げた、前の生から愛した恋人。ソルジャー・ブルーの生まれ変わり。名前も前と同じにブルーで、姿形もそっくりそのまま。十四歳の少年なだけで。
 学校に行けばブルーに出会える、ブルーが休んでいなければ。前と同じに弱い身体が、ブルーをベッドに縛らなければ。
 だからこの仕事に感謝している、教師の道を選んだことに。小さなブルーが通う学校に、自分を転任させてくれた神にも。



 今朝も学校で出会えたブルー。
 柔道部の朝の練習を終えて、柔道着のままで歩いていたらバッタリ出会った。
 いや、自分ではいきなり出会ったように思うけれども、多分そうではないだろう。ブルーが先に自分を見付けて、急ぎ足でやって来たのだろう。
 「ハーレイ先生!」と呼び掛けられて、「おはようございます!」とペコリと下げられた頭。
 銀色の髪がふわりと揺れて、お辞儀が済んだら赤い瞳がキラキラと煌めいて見上げて来た。背の高さが相当に違うのだから、首が痛くなりそうなほどに上を向いて。爪先立ちしそうな勢いで。
 「おはよう、今日は元気そうだな」と言ってやったら、それは嬉しそうな笑顔になったブルー。
 「はい!」と答えて、「朝御飯もちゃんと食べて来ました!」と元気に報告してくれた。朝から何を食べて来たのか、どのくらいの量を食べたのか。
 訊いてもいないのにスラスラと話した、トーストにミルクにオムレツを半分、と。
 「オムレツは半分だけなのか?」と赤い瞳を覗き込んだら、「チーズ入りでしたから」と返った答え。「普通のオムレツだったら全部食べられますけど、チーズ入りだと半分です」と。
 食の細いブルーが朝食に食べる卵料理は、オムレツだろうが目玉焼きだろうが、卵一個分。一個よりも多いと残してしまうと聞いているから、チーズ入りでも同じこと。ボリュームが増えた分を胃に収め切れず、今朝は半分だったのだろう。
 なるほどな、と頷いていたら、「ハーレイ先生は何を召し上がったんですか?」と尋ねられた。御飯でしたか、パンでしたか、と。
 そんなことまで気になるらしいブルー、愛らしいブルー。
 「俺か? 俺はな…」と朝食のメニューを披露してやると、小さなブルーはもっと訊いてきた。トーストの厚みはどのくらいですかと、何枚ですか、と。野菜サラダの中身の野菜も。



 互いの朝食を巡って立ち話。
 トーストにはマーマレードを塗って食べたと教えてやったら、「同じですね」と喜んだブルー。ぼくもマーマレードで食べて来ましたと、ハーレイ先生に頂いたマーマレードです、と。
 他の生徒たちが次々に登校して来る中で、懸命に話していたブルー。
 自分の家で話す時とは違って、「ハーレイ先生」の時には必須の敬語を使って。
 たかがトーストやオムレツの話題で、ブルーが敬語。背筋をシャンと伸ばして丁寧な敬語、別れ際には「失礼します!」と頭を下げていたブルー。
 失礼したのはハーレイの方で、「そろそろ着替えないとマズイしな?」と言ったのに。
 「俺は行くから」と、「じゃあな」と軽く手を振ったのに、ブルーの方が「失礼します」。頭を下げて見送ってくれた、手を振る代わりに。名残惜しげに突っ立ったままで。



(すっかり逆になっちまったな…)
 前の俺たちとはまるで逆だ、と熱いコーヒーを口へと運んだ。
 小さなブルーが苦手なコーヒー、前のブルーも苦手だったコーヒー。ブルーの好みは前と同じで変わらないけれど、見た目も中身も幼いことを除けば前とそっくり同じだけれど。
(言葉遣いが違うんだ…)
 正確に言えば、ブルーと自分の立場が逆で。
 前は自分がブルーに対して敬語を使った、今のブルーとは全く逆に。
 前のブルーは先生どころか、ミュウの長でソルジャーだったから。シャングリラの誰よりも上の立場で、キャプテンだった前の自分よりも上。
 ソルジャー・ブルーと話す時には誰もが敬語で、それが当然のことだった。白いシャングリラの中の決まりで、ソルジャー・ブルーと話すなら敬語。
 前の自分もそれに倣った、ブルーがソルジャーになった時から。それまでは一番古い友人として親しく言葉を交わしていたのを、敬語へと。
 その上、自分はキャプテンだったから、船の仲間の手本になるべく、余計にけじめ。
 ソルジャーを敬い、礼儀正しくと、常に敬語で話し続けた。公私を分かたず、いつも敬語で。
 それまでの口調を殆ど変えることが無かったブラウやゼルたちとは違って、必ず敬語。



(俺のお仲間はエラだけだったな)
 長老と呼ばれた五人の中では、エラだけが常に敬語を使っていた。ブルーに対して。礼儀作法にうるさかったエラは、長老同士で話す時にも敬語が基本だったくらいなのだから、ソルジャーともなれば敬語以外では話さなかった。
(その辺も俺と似てたんだ…)
 性格は似ていなかったんだが、と苦笑する。
 前の自分も生真面目な方ではあったけれども、エラにはとても敵わなかった。あそこまでは無理だと今も思うし、当時も思った。とはいえ、公の場では自分もゼルたちに敬語を使っていたから、エラと似ている。
 肩書きの上では同じ長老、キャプテンである分、自分の方が上。それでも敬語だったから。長老同士でさえ敬語で話したのだから、ソルジャーには敬語。
 エラは「ソルジャーと話す時には必ず敬語で」と徹底させたし、仲間たちも守っていたけれど。
 ゼルやブラウは守らなかった。ヒルマンも守りはしなかった。
 前の自分とエラだけが敬語で話し続けた、前のブルーと。
 それまでの口調を一変させて。アルタミラから共に旅をして来た仲間同士の言葉遣いを捨てて。



(前のあいつと恋人同士になった後だって…)
 崩せなかった敬語、ソルジャーであるブルーを敬う言葉。
 抱き締める時も、キスを交わす時も、睦言でさえも。
 「ソルジャー」を「ブルー」と言い換えるだけで、敬語を崩したことは無かった。一度も崩さず守り続けた、ソルジャーに対する言葉遣いを。
 恋人同士だったからこそ、一層気を付け、敬語で話した。どんな時でも。
 うっかりそれを崩してしまって、外で崩れたら大変だから。
 キャプテンの自分がそれをしたなら、まず間違いなく悪目立ちする。人の耳に入る。
 エラに咎められるくらいで済めばいいけれど、何度もやったら勘ぐられることも充分有り得た。前のブルーと自分との間に何があったかと、船の仲間たちに。
 敏い者なら気付いたかもしれない、ブルーとの仲が変わったことに。
 けれども、知られるわけにはいかない。ソルジャーとキャプテンが恋仲だなどと、皆には決して明かせはしない。
 だから敬語を使い続けた、ブルーと二人で過ごす時にも。
 ベッドで熱い愛を何度も交わして、共に眠りに就く時でさえも。



(それが今では逆なんだ…)
 自分ではなくて、ブルーが敬語。小さなブルーが敬語で話し掛けてくる。
 しかもブルーの家で会った時には普通の言葉で話しているのを、学校でだけは切り替えて敬語。きちんと「ハーレイ先生」と呼んで、それに相応しい言葉遣いで。
 家で普通に話す言葉と、学校で話す時だけの敬語。
 切り替えるブルーは大変だろうと考えてしまう、相手は同じなのだから。赤い瞳が捉える自分の姿は常に一つで、学校と家とでコロリと変わりはしないのだから。
 もちろん、服装は週末だったら変わるけれども。ブルーの家を訪ねてゆくのにスーツを着込んで行きはしないし、ネクタイだって締めてはいない。ラフな格好で出掛けるけれども、普段は違う。
 学校の帰りに寄った時ならスーツ姿だし、夏でも長袖のワイシャツにネクタイだった。
 つまり、ブルーは服装で見分けることも出来ない。この服だったら敬語を使う、という方法ではミスをする。仕事帰りに寄った自分に、敬語で話し掛けるとか。



 けれどもブルーは上手く切り替え、一度も間違えたことが無かった。
 記憶に残らない程度の小さなミスなら少しくらいはあるだろうけれど、聞いていた人が気付いてしまうほどのミスは一度も無い。授業中にも、休み時間にも。
 何処で会っても「ハーレイ先生!」と声を掛けて来る敬語のブルー。
(…前の俺より器用だな)
 実に器用だ、と思ってしまう。
 前の自分は避けて通った、ソルジャー・ブルーと恋人だったブルーで言葉を使い分けるのを。
 けして失敗出来ないからこそ、そうしたのではあるけれど。
 使い分けようという努力をしないで、最初から放棄したとも言える。出来はしないと、挑みさえせずに最初から。失敗したならどうするのだ、と自分自身に言い訳しながら。



(それを、あいつは…)
 小さなブルーは楽々とこなす、家と学校とで切り替える。
 「ハーレイ先生」に会ったら敬語で話して、ただのハーレイで恋人となったら普通の言葉。
 学校で会う度、顔を合わせる度、「ハーレイ先生!」とやって来るブルー。
 そう、今朝のように、近付いて話し掛けようと。
(必死なんだな、あいつときたら)
 会ったからには話したい。姿が見えたら、話し掛けたい。きっとそんな所。
 少しでも二人で話がしたいと、懸命になっているのだろう。
 敬語でなければ話せないのに、切り替えなければ何も話せはしないのに。



(黙っているって選択は絶対しないんだ…)
 学校で会ったら、行き合わせたら、真っ直ぐにやって来るブルー。
 朝でも、休み時間でも。
 廊下でも、グラウンドでも、何処であっても。
 声を掛けて話が出来そうであれば、小さなブルーは近付いてくる。「ハーレイ先生!」と。
 ほんの少しでも話せればいいと、何か話したいと、それこそ朝食のメニューについての話でも。
 物怖じしないでやって来るブルー、敬語でせっせと話し掛けるブルー。
 家での言葉と見事に切り替え、最後まで「失礼します!」と敬語で。



(前の俺だったら…)
 白いシャングリラの通路で出会ったソルジャー・ブルー。ソルジャーの衣装を纏ったブルー。
 すれ違う時に黙って会釈だけをしたこともあった、それも一度や二度ではなかった。
 周りに誰もいなくても。
 紫のマントを着けたブルーが、もの言いたげな時であっても。
(なにしろ自信が無かったからなあ…)
 そういう瞳をしているブルーと話し始めたら、言葉遣いも怪しくなりそうで。自分を固く戒めた敬語が崩れてしまって、昔の口調に戻るとか。あるいは、言葉遣いは崩れなくても、キャプテンの顔が崩れてしまって、ブルーを抱き締めてしまうとか。
 それが怖くて、ブルーを避けた。話すのを避けて会釈しておいた。
 後でブルーに「君はつれないよ」と恨み言を言われるのが常だったけれど、それでも会釈。



(なんたって、しくじれないからな?)
 ソルジャーへの礼を失するわけにはいかない、自分はキャプテンだったのだから。
 それにブルーと恋人同士だと知られるわけにもいかなかったから。
 たとえ周りに誰もいなくとも、シャングリラの通路は公の場で。
 ブルーの私室だった青の間や前の自分の部屋とは違って、恋人同士で過ごせる場所ではなくて。
 だからこそ避けた、ブルーとの会話。会釈だけで済ませて通り過ぎた。
 自分に自信が無かった時には、ブルーをソルジャーとして扱える自信が持てない時には。
 そうして何度ブルーを避けたか、会釈だけで済ませて通ったことか。



(あいつの方は遠慮が無かったが…)
 ソルジャー・ブルーを避けて通った自分とは逆に、キャプテン・ハーレイを追い掛けたブルー。
 誰もいない通路を歩いていた時、瞬間移動で背後に現れ、背中からいきなり不意打ちだとか。
 腕を一杯に広げて抱き付かれた背中、何の前触れもなく飛び付いたブルー。
 驚いて振り返れば悪戯っぽい笑顔でキスを強請られた、「大丈夫、誰も見ていないから」と。
 この通路には今は誰もいないと、暫くは誰も通りはしないと。
 遠慮など無かった前のブルーの急襲、通路で無理やり強請られたキス。心臓にはとても悪かったけれど、甘美な思い出でもあった。
 ブルーの方から仕掛けられなければ出来なかったキス、通路でのキス。
 ただし、前の自分の心臓はいつも竦んで縮み上がっていたけれど。
 誰か現れたらどうしようかと、その辺りの扉を開けて突然、誰かが出ては来ないかと。
 けれどもブルーは懲りはしなくて、何度も後ろを取られたもので…。



(あいつ、その分のツケを今、払ってるってか?)
 今の自分を追い掛けたければ、使わなくてはいけない敬語。「ハーレイ先生」を追うなら敬語。普通の言葉で話せはしなくて、学校で自分と話したければ必ず敬語。
 前の生で自分を散々困らせたツケを払っているのか、と可笑しくなって来たけれど。
 思わず笑いが込み上げるけれど、きっとブルーは思ってもいまい。ソルジャー・ブルーがやったことのツケを自分が支払っているなどとは。
(うん、絶対に思いもしないな)
 自分がやりたいからやっているのだ、と小さなブルーは言うだろう。敬語でも話したいからと。
 家と学校とで言葉遣いを懸命に切り替え、それでも話したくてやって来るブルー。
 黙って会釈をしておく代わりに「ハーレイ先生!」と声を掛けて来る、どんな時でも。
 会釈だけなどとんでもない、と小さなブルーは叫ぶのだろう。ハーレイと話したいのに、と。
 可愛くて、いじらしいブルー。
 学校でも話が出来るようにと、敬語を使い続けるブルー。



(俺だったら黙る方だがなあ…)
 近付いて話し掛けるよりかは黙って会釈だ、と前の自分を思い出す。
 何度もそうして歩いた通路を、ソルジャー・ブルーとすれ違った白い鯨の中の通路を。
 自分は黙ってすれ違う方の道を選んだ、ソルジャー・ブルーとの距離の取り方を、言葉遣いを、失敗したくはなかったから。
 ミスをするわけにはいかなかったから、前の自分は。
(しかし、あいつは…)
 臆することなく、「ハーレイ先生!」と自分から近付いてくるブルー。
 敬語を使って話したがるブルー、前の自分とは比較にならない、その勇気。
(あいつの場合は、失敗したって…)
 家と同じ言葉で話し掛けても、話してしまっても、自分はブルーの守り役だから。
 普段からブルーの家を訪ねていることを誰もが知っているから、平気なのかもしれないけれど。守り役だけに親しげな口の利き方になるのも無理はない、と周りも許してくれそうだから。
 そうは言っても、ブルーは敬語。失敗しないで、切り替えて敬語。
 あの努力はとても凄いと思う。前の自分がしなかっただけに、手放しで褒めるより他にない。
 いとも鮮やかに切り替えるブルー、小さなブルー。
 学校では「ハーレイ先生!」と。



(チビだとはいえ、ブルーが俺に敬語…)
 シャングリラの皆が敬語で話したソルジャー・ブルー。小さなブルーの前の生。
 そんなブルーが生まれ変わりとはいえ、キャプテン・ハーレイに敬語で話す。前の生とはまるで逆様に、ソルジャー・ブルーがキャプテンに敬語。キャプテンの方は普通の言葉。
(しかも「俺」だと来たもんだ)
 私どころか俺なんだ、と今の自分の言葉遣いを顧み、「酷いもんだ」と呟いてみた。エラたちが見たらどう思うやら、と肩を竦めてしまったけれど。
 「ソルジャーに対して失礼ですよ!」とエラの声が聞こえた気がしたけれど。



(待てよ…?)
 今ではすっかり慣れてしまった、ブルーの敬語。小さなブルーが懸命に話している敬語。
 ところが、前のブルーの敬語。
 それを自分は聞いたことが無い、ただの一度も。
 ソルジャー・ブルーだったブルーでなくても、ソルジャーになる前のブルーにしても。
(…三百年も一緒に生きた筈だが、一回も…)
 聞きはしなかった、前の自分は敬語で話したブルーを知らない。見たことがない。
 忘れてしまったという筈はなくて、前のブルーに敬語は必要なかったから。
 アルタミラから脱出した時点で、既に敬語ではなかったブルー。
 自分が一番の年長者であると気付く前から、ブルーは普通に話していた。脱出直後の船の中では誰もが平等、敬語が必要になるような場面は無かったから。
 大人ばかりの船の中で一人、少年に見えた前のブルー。
 そんなブルーに「敬語で話せ」と、「年長者には敬語で話すものだ」と命じる者は誰一人としていなかったから。



 前のブルーは一度も話さず、聞いた者さえ無かった敬語。誰も知らないブルーの敬語。
 それを今、自分が山ほど聞いている。「ハーレイ先生!」と、学校で声を掛けられる度に。
 小さなブルーが言葉を切り替え、話をしようとやって来る度に。
(もしかして、俺は幸せ者か?)
 そこまでしてでも話したいのだ、と思ってくれるブルーに愛されて。
 前の生では一度も使いもしなかった敬語で話そうとするほどに、小さなブルーに想われて。
(…前の俺の方は…)
 敬語で話し続けたけれども、今のブルーがやっているように切り替えたりはしなかったから。
 それは出来ないと決めてかかって、挑もうとさえもしなかったから。
(あいつは尊敬に値する…)
 チビなんだが、と改めて深く感動した。
 前の生でも使わなかった敬語だったと気付いたからには、褒めてやるしかないだろう。
 明日は土曜日だから、小さなブルーを。
 お前の敬語は実に凄いと、前の俺よりもずっと立派だと。



 一晩眠っても忘れないまま、土曜日が来て。
(今日はあいつの敬語を褒めてやらんと…)
 凄いのだから、と小さなブルーを思い返しながら朝食を食べて、青い空の下を歩いて出掛けて。
 生垣に囲まれたブルーの家に着き、ブルーの部屋で二人、向かい合わせに座って切り出した。
「おい、俺はお前を尊敬するぞ」
「え?」
 何の話、とブルーの瞳が真ん丸くなる。
「学校でのお前のことなんだが…。実に凄いと気が付いたからな」
「…成績の話?」
「いや、言葉遣いというヤツだ」
「言葉…?」
 言葉遣いがどうかしたの、とブルーがキョトンとしているから。
 敬語だ、と指摘してやった。
「お前、学校で俺に会ったら敬語だろう? この家で俺と話す時とはまるで違って」
 あの切り替えは見事すぎるぞ、俺にはとても真似など出来ん。
 前の俺にも出来なかったな、最初からしようとしていなかったが…。
「…そうだったっけ?」
 前のハーレイ、敬語と切り替え、していなかった…?
「俺はいつでも敬語だったが?」
 お前がソルジャーになっちまう前は、こういう言葉で話していたが…。
 ソルジャーになってしまった後はだ、ずっと敬語のままだった。…どんな時でも敬語で通して、お前と二人きりでも敬語。
 切り替えどころか、態度も切り替えられる自信が無かったというのが前の俺だな、情けないが。



 お前にたまに恨まれたんだ、と謝った。
 シャングリラの通路ですれ違った時、何度も会釈だけで済ませてしまった、と。
「その点、今のお前はだな…」
 学校の中で俺を見付けたら、逃げる代わりにまっしぐらだろうが。
 俺の方では気付いてなくても、お前の方からやって来るんだ。逃げもしないで、敬語に頭を切り替えて。「ハーレイ先生!」と呼びさえしなけりゃ、敬語なんかは要らないのにな?
「だって、ハーレイはハーレイだもの!」
 話をしないで見送るなんて出来やしない、と笑顔のブルー。
 たとえハーレイ先生でも、と。
「それだ、それ。…お前の敬語の切り替えの凄さ」
 そいつを尊敬すると言っているんだ、全く失敗しないよな、お前。
 今みたいな言葉が出ては来ないし、見事なもんだと思ってなあ…。気付いちまったら、しっかり褒めてやらんとな。お前は頑張っているんだから。
「…失敗しちゃったら、ハーレイ、怒りそうだもの」
「俺が?」
「うん。…学校ではハーレイ先生だろう、って」
 頭をゴツンと叩かれそうだよ、ぼくが失敗しちゃった時は。
「まあな…」
 ゴツンとお見舞いするかどうかはともかく、まあ、怒るのは確かだろうな。
 学校じゃハーレイ先生だろうと、きちんとけじめをつけるもんだ、と。
「ほらね…。やっぱり、ハーレイ、怒っちゃうでしょ?」
 ハーレイ、厳しそうなんだもの。学校の中の決まりとかには。
 それにけじめも、厳しい感じ。ずっと柔道とかをやって来たから、礼儀作法にうるさそうだよ。



 おまけに失敗してしまった日は、ぼくの家に来てくれそうもない、とブルーが言うから。
 きっと罰だと寄ってくれない、と本当に恐れているようだから。
「それはしないが…」
 言葉遣いで失敗したくらいで、そんな酷い罰はやらないな。
 あれだ、せいぜい、お前が言ってたゴツンと一発、その程度だな。
「…ホント?」
 ホントに寄らずに帰ったりしない?
 仕事は早くに終わっているのに、ぼくの家に来ないでドライブやジムに行っちゃうだとか…。
「おいおい、俺を何だと思っているんだ」
 俺はそこまで薄情じゃないぞ。お前が失敗しちまったって、わざと寄らずに帰りはしない。
 仕事で遅くなったら別だが、それはお前への罰ではなくって、ただの偶然というヤツだ。
 だからお前は心配しなくていいんだ、少しも。
 しかしだな…。



 だからと言って油断して失敗するんじゃないぞ、と釘を刺したら。
 これからもきちんと切り替えろよ、と念を押したら。
「失敗しないよ、大丈夫だよ」
 だって、ハーレイ先生のことも好きだから。
 ハーレイ先生でもぼくは大好きだから、と幸せそうなブルーの笑み。
「なんだ、それは?」
 どういう意味なんだ、ハーレイ先生でも好きというのは?
 お前の中では、普通の俺とハーレイ先生は違うのか?
 何か区別があると言うのか、ハーレイ先生の俺と、そうでない俺と。
「あるよ、ホントにちょっぴりだけど」
 ほんのちょっぴり、少しだけれど…。
 ハーレイ先生は先生だものね、ぼくに教えてくれる先生。ぼくは生徒で、ハーレイは先生。
 先生の方が偉いものでしょ、生徒より?
 ぼくよりも偉いハーレイが好きだよ、ぼくよりずうっと偉いハーレイ。



 前は逆だった、と小さなブルーは赤い瞳を瞬かせた。
 白いシャングリラで暮らしていた頃、小さなブルーがソルジャー・ブルーだった頃。
 偉くもないのに自分の方が偉く扱われてしまっていた、と。
「そう思わない? 前のぼくはサイオンが強かっただけで、偉くなんかはなかったんだよ」
 サイオンで色々と奪ったりしたし、シャングリラを改造する時もシールドを張ったりして守ったけれど…。その後も守ったりしていたけれど。
 シャングリラを本当に支えていたのはハーレイの方だよ、前のハーレイ。
 前のハーレイが偉かったからシャングリラは無事に地球まで行けたし、前のぼくがいなくなった後でも混乱したりはしなかったんだよ…。
 なのに勝手にソルジャーだなんて、前のぼくの方が偉いだなんて。
 あれは絶対、間違いなんだよ。
 サイオンの強さで決めてしまうから間違ったんだよ、前のぼくよりハーレイの方が偉かったよ。
 だって、シャングリラのキャプテンだよ?
 キャプテンがいないと船はどうにもならないんだから。
 ソルジャーがいても、キャプテンがいないとシャングリラは進路も決められないよ…?



 ハーレイの方が偉かったのに、と主張するブルー。小さなブルー。
「やっと逆になったよ、こっちが本当」
 ぼくがハーレイに敬語を使って、ハーレイはぼくに普通に話して。
 これがホントの関係なんだよ、シャングリラに居た頃が間違いなんだよ。
 だからハーレイ先生が好きだよ、ぼくよりもずっと偉いハーレイ。敬語で話さないと駄目だし、失敗したならゴツンだし…。
 ぼくよりも偉いハーレイが好き。ハーレイ先生のことが大好き…。
「そうなのか?」
 お前、敬語で話したいのか、俺と話す時は?
 俺が普通に喋っていたって、お前は敬語の方がいいのか…?
「学校ではね」
 ハーレイ先生のいる学校なら、断然、敬語。
 ぼくよりも偉い先生なんだ、ってドキドキしながらハーレイを見てるよ、先生だもの。
 でもね…。



 普段はやっぱりこういう喋り方がいい、とクスッと小さく笑うからには。
 こちらが本当のブルーなのだろうけれど、本来の話し方はこうだと思うけれども。
(敬語のブルーも今の特権…)
 前の自分は一度たりとも聞けないままで終わったから。
 前のブルーは一度も敬語を使いはしなくて、誰一人として聞いていないから。
(ハーレイ先生しか聞けんぞ、これは)
 小さなブルーがせっせと敬語で話す間に、切り替えて話してくれる間に満喫しておこう、先生の間だけ聞ける言葉を。ブルーの唇が紡ぐ敬語を。
 「ハーレイ先生!」と声を掛けられて、ブルーの敬語をたっぷりと聞いて、耳に刻んでおこうと思う。前の自分は聞けなかった言葉を、ブルーが紡いでくれる敬語を。
 それはブルーが生徒の内だけ、この学校を卒業するまでの間だけのもの。
 自分が「ハーレイ先生」と呼んで貰える立場にいる今だけしか聞けないもの。
 ブルーが卒業してしまったなら、もう聞けない。
 自分は「ハーレイ先生」ではなくなるのだから、もう「先生」ではないのだから。
 けれど…。



「なあ、ブルー。…たまにはハーレイ先生と呼んでくれるか?」
「えっ?」
 ハーレイはハーレイ先生でしょ?
 学校ではハーレイ先生なんだし、見付けたらちゃんと呼んでいるけど…?
「今じゃなくてだ、俺と結婚した後だ」
 お前の、敬語。…また聞いてみたい気分になった時には、ハーレイ先生に戻ってみたい。
 俺が偉そうでもかまわないなら、お前が敬語でもいいのなら。
「いいよ?」
 前のぼくはハーレイにずっと敬語で話して貰って、それにすっかり慣れていたけど…。
 ぼくはハーレイ先生が好きだよ、ぼくよりもずっと偉い先生。
 だから先生って呼んでいいなら、ハーレイ先生って呼んでみたいな。
 毎日それだと困るけれども、たまにだったら大歓迎だよ。



 いつかハーレイ先生とデートしようね、とブルーは嬉しそうだから。
 ハーレイ先生とデートに行くのも、敬語のデートもいいと思っているようだから。
 そんなブルーとドライブに食事、「ハーレイ先生」と呼ばれて、敬語で話し掛けられて。
 きっとそういう「ごっこ」遊びも楽しい、いつかブルーと出掛けるデート。
 結婚した後もハーレイ先生、たまに先生に戻ってみる。
 自分たちの間で敬語が本当に要らなくなったら、二度と必要無くなったなら…。




         逆になった敬語・了

※今のハーレイには当たり前なのが、ブルーの敬語。「ハーレイ先生!」と呼び掛ける声も。
 けれど、前のブルーが敬語で話したことは一度も無かったのです。今のハーレイだけの特権。








PR

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




お正月も冬休みも終わり、シャングリラ学園ならではの新年の行事も昨日の水中かるた大会でフィナーレ。もちろん私たちの1年A組がぶっちぎりの学園一位ですから、先生方による寸劇という副賞もゲット。その翌日は土曜日で…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
例によって会長さんの家へ出掛けてゆけば、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。外は雪も舞っていて寒かったですが、此処は暖房が効いてポカポカ、窓越しに見る雪もまた良きかな。
「寒かったでしょ? しっかり温まってね!」
ホットココアに出来立てスフレ! と、温かい飲み物にオーブンから出したばかりのふんわりスフレ。今日はオレンジらしいです。うん、美味しい!
「おはよう!」
「「「は?」」」
もう「こんにちは」な時間なのでは、と声がした方を見てみれば。
「やあ。ぶるぅ、ぼくにもスフレはあるかな?」
「えとえと…。焼き時間が要るから、待っててくれれば…」
「うん、それでいいよ」
のんびり待つよ、と会長さんのそっくりさんが。紫のマントってことは、これからお出掛けではないようですが…。
「ああ、お出掛けなら昨日済ませたからね」
空いていたソファにストンと腰掛け、ソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が運んで来たホットココアを一口。
「君たちは寸劇とやらで燃えていたけど、ぼくはノルディとデートでさ…。寒い時期には芸術観賞もいいものですよ、って連れて行かれちゃって」
「「「芸術鑑賞?」」」
「そう。ノルディの趣味で美術館! 何処がいいのかサッパリ分からない絵ばかり見ててもつまらないったら…」
でも、その後のお楽しみがね…、と聞いて緊張が走りましたが、行き先はホテルとはいえ部屋ではなくてメインダイニング。個室で二人でフルコースをご賞味、ゆっくりと食べてそこでサヨナラ。エロドクターは下心たっぷりに部屋も予約していたらしいのですけど。
「生憎、ぼくには待っている人がいるからねえ…」
だから帰った、と澄ました顔のソルジャー。はいはい、キャプテンのことですね?



デートの話を聞いている間に焼き上がって来ました、ソルジャーの分のオレンジスフレ。早速スプーンを入れつつ、ソルジャーは。
「ぶるぅの料理も美味しいけれどさ、昨日はちょっと珍しいものを御馳走になって…」
「珍しいもの?」
なんだいそれは、と会長さん。
「何処のホテルもぶるぅがメニューをチェックしてるけど、そんなに珍しいのがあったかな?」
どう? と訊かれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「んーと…。これは食べなきゃ、って印を付けるほどのは無かったよ?」
「そうだよねえ? それともブルーの世界には無い食材なのかな?」
そっち方面だとまるでお手上げ、と両手を広げた会長さんですが。
「えっ、食材かどうかは分からないけど…。普通に存在してるよ、あれは」
「じゃあ、調理法が珍しいとか?」
「そういうわけでも…。でもさ、ぶるぅは作らないよね、鳩の料理って」
「「「鳩!?」」」
鳩って、あの鳩なんですか? 公園とかに居る、クルックーって鳴く…。
「そうだけど?」
高級食材なんだってねえ、とソルジャーは得意そうな顔。
「品種としては公園に居るのと同じらしいけど、ちゃんと食用に育てた鳩! それのテリーヌとかローストとか!」
美味しかった、とソルジャーが言った途端に。
「うわぁーん、鳩さん、可哀相だよう!」
食べられちゃったあ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が半泣き状態。
「鳩のお料理、ぼくだって作ろうと思えば出来るだろうけど…。でもでも、鳩さん、可哀相なの! 可哀相だから作らないのーっ!」
美味しいんだけど、でも可哀相、と支離滅裂な言葉からして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も鳩料理は食べているようです。けれど料理をするのは別件、自分ではやりたくないらしく。
「鳩さん、とってもお利口なのに! 食べなくってもーっ!」
「「「利口?」」」
はて、と私たちは首を捻りました。カラスが賢いという話は聞きますが、鳩って賢い鳥ですか? 公園で餌を撒いたら寄って来ますけど、それは鯉とかと同じレベルじゃあ…?



「…鳩って頭が良かったですか?」
シロエ君が見回し、キース君が。
「俺は知らんが…。璃慕恩院の境内にも鳩は山ほどいるがな、そういう話は聞いていないな」
「だよねえ、ぼくも知らないけど…」
頭がいいのはカラスなんじゃあ、とジョミー君。けれど…。
「ホントだもん! 鳩さん、お手紙運ぶんだもん!」
ちゃんと運んでくれるんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に言われてピンと来ました。
「「「あー、伝書鳩!」」」
綺麗にハモッた私たちの声。ところがソルジャーはキョトンとして。
「なんだい、その…。えっと…」
「伝書鳩かい?」
会長さんが訊くと「うん」という返事。
「初耳だけれど、それはどういうモノだい?」
「なるほど…。君の世界には無くて当然かもしれないねえ…。なにしろ古典的な通信手段だし」
「通信手段?」
「そう。鳩の足に手紙をつけて飛ばせば、目的地に届くという仕組み」
ただし一方通行だけど、と会長さん。
「帰巣本能を使ってるから、家に向かっての片道のみさ。だから定期的に往復させたかったら、お互いに鳩を飼う必要が出て来るんだよ。そして先方に送り届けてスタンバイさせる、と」
ずうっと昔はそうやっていた人たちもいた、という話。空を飛ぶだけに早いですから、郵便とかのシステムが充実するまでは便利な通信手段だったとか。
「頭がいいかどうかはともかく、役立っていたことは確かだね」
「ふうん…。お使いをしてくれる鳥だったんだ…」
ぼくはてっきり食べるものだとばかり、と鳩料理の件を話すソルジャー。
「ノルディは如何に高級食材なのか、ってことは語っていたけど、伝書鳩は何も言わなかったよ」
「食べてる最中に喋っちゃったら興ざめだよ、それ」
ぶるぅでなくても「酷い」と言い出す、と会長さん。
「君の場合はタフだからねえ、相槌を打ちながら食べ続けるかもしれないけれど…。相手によっては「デリカシーに欠ける」と責められたって仕方ないから!」
「それで教えてくれなかったのか…」
面白そうな話なのに、とソルジャーの人差し指が顎へと。面白そうって、伝書鳩が?



「ぼくの世界には無い通信手段ねえ…」
確かに全く要らないだろうね、とソルジャーは窓の向こうをチラリと眺めて。
「空どころか、宇宙空間を越えて通信しなけりゃいけないしね? 鳩を飛ばして間に合う世界じゃないからねえ…」
SD体制が始まるよりも前の段階で既に無かったであろう、と言われてみればそうかもしれません。地球が滅びそうだから、と他の惑星へ移民を始めていたような世界ですから、のんびり鳩を飛ばして手紙どころでは…。
「それもそうだし、大気汚染が酷くちゃねえ…。鳩は飛んでは行けないよ」
「「「あー…」」」
そうした関係で忘れ去られた通信手段か、と深く納得。もっとも、私たちの世界でだって伝書鳩は過去のものになりつつありますが…。
「そうでもないよ?」
まだ現役だよ、と会長さん。
「「「現役?」」」
「名前はレース鳩に変わっているけど、手紙を運ぶ代わりに早さを競う鳩レースがね」
仕組み自体は伝書鳩と変わりはしないのだ、と会長さんは解説してくれました。遠い場所から放した鳩が家に着くまでの所要時間でレース結果が出るらしく…。
「だから愛好家はけっこういるよ? 伝書鳩ならぬレース鳩のさ」
家に鳩小屋を作ってせっせと世話を…、と聞いてビックリ。現役でしたか、伝書鳩。
「アルテメシアにも愛好家の人が何人も…ね。そしてレースをさせている、と」
「「「へえ…」」」
そういう鳩も飛んでいるのか、と外を見てみれば、ちょうど鳩らしき鳥の群れが遠くを飛んでいました。まあ、公園の鳩なんでしょうが。
「そうだね、あれは公園のだねえ…」
たまにレース鳩が混ざるんだけど、と会長さんが話してくれた豆知識。レースのために飛び立った鳩が迷子になって帰れなくなり、そのまま仲間の鳩を見付けて公園在住になってしまうとか。
「レース鳩は足輪をつけているから、その道のプロが見付けてくれれば捕獲して届けてくれるんだけど…。普通の人だとまず気付かないし、公園の鳩で終わるケースも多いかもね」
「レース鳩より伝書鳩がいいな」
そっちがいいな、とソルジャーの声が。そりゃあ確かに伝書鳩の方が役に立つ上、ロマンもあるように思いますけど。ソルジャー、伝書鳩が欲しいんですか?



レース鳩より伝書鳩の方が、と妙な台詞を吐いたソルジャー。けれどソルジャーが鳩を飼っても、シャングリラの中でしか使えない筈。思念を飛ばせば済む世界だけに、あちこち迷惑がかかるだけだという気がします。糞害とか。
「…糞害って?」
何のことだい、とソルジャーはやはり知らない模様。
「そのまんまの意味だよ、糞が落っこちて社会の迷惑」
こっちの世界では名物で…、と会長さんが説明しました。名物と言っても迷惑な方で、鳩が沢山住み着いた場所には「頭上注意」とかの注意書きがある、と。
「注意したって降ってくるものは避けられないしね? 何処で糞を落とすか分からないから」
「…それは困るかもしれないねえ…」
これからデートって時に頭に糞とか…、と頷くソルジャー。
「だけどさ、それは鳩だからでさ。きちんと訓練されたものなら大丈夫だよね?」
「「「は?」」」
「だからトイレは躾済みとか!」
「「「躾?」」」
鳩にトイレの躾なんかが出来るでしょうか? サイオンを使えば可能なのかとも思いますけど…。
「違う、違う! こう、生き物を使った通信手段って斬新だなあ、と思ってね!」
言わば一種のお使いだよね、とソルジャーの指摘。
「まあ、お使いの一種では…ある…かな?」
どうなんだろう、と悩む会長さん。
「鳩は家へ帰ろうと飛んでるだけだし、それに人間が便乗しただけ…?」
「そういう解釈も可能だねえ! でもさ、ぼくにはロマンなんだよ」
通信と言えば思念波か普通の通信手段で宇宙空間をも越えて一瞬、と自分の世界の通信手段について語るソルジャー。それではロマンに欠けるのだそうで、レトロな伝書鳩が憧れ。
「レトロと言えばさ、ぼくのハーレイなんかは羽根ペンを愛用しているからねえ…」
「そうらしいね?」
「だからさ、たまにはぼくもレトロに! 思念を飛ばす代わりに手紙で!」
「はいはい、分かった」
ナキネズミね、と会長さん。
「アレが手紙を咥えて運ぶわけだね、頑張って」
行き先はブリッジとかなんだろう、との台詞に「ううん」と否定が。そうか、ソルジャーだけに厨房に行かせて「おやつちょうだい」とかなのかも?



「ああ、おやつ!」
それもいいねえ、とソルジャーの瞳が輝きました。私、マズイことを考えたでしょうか?
「いいアイデアだよ、「おやつちょうだい」。手紙の文面はそれに決めたよ!」
あちゃー…。ソルジャーの世界のシャングリラに多大な迷惑をかけちゃうようです。私たちの世界にはいない動物、ナキネズミ。アレがソルジャーの手紙を咥えて出掛けて、厨房の人たちが青の間までおやつの配達に…。
「うん、青の間には違いないけど…」
行き先は厨房じゃないんだよね、とソルジャーはニヤリ。もしやブリッジ? ブリッジでお仕事中のキャプテンの所にナキネズミがそういう手紙を届けて、キャプテンは仕事を抜ける羽目に? 厨房に寄っておやつを調達、それからソルジャーの待つ青の間まで…?
「そのアイデアも素晴らしいよ!」
頂いておこう、とソルジャーの声が再び。私はまたしてもマズイ発想を…?
「ううん、マズイどころか素敵で最高! ハーレイだったら盗み食いの心配も要らないしね!」
「「「は?」」」
「おやつちょうだい」と書いた手紙を持たせてお出掛けするのはナキネズミ。それに応えておやつをお届けは人間の役目、ソルジャー用のおやつを盗み食いするようなクソ度胸の持ち主、ソルジャーの世界にいるんですか?
「忘れてないかな、とんでもなく悪戯が好きな大食漢を!」
「「「ぶるぅ!?」」」
「そう、ぶるぅ」
アレをお使いに使おうと思っていたのだ、とソルジャーの発想の方が私よりも斜め上でした。ちゃんとナキネズミがいるというのに、「ぶるぅ」とは…。でもって「ぶるぅ」は使えないからキャプテンだなんて、何か間違っていませんか?
「えっ、間違ってはいないけど? だって、ナキネズミには無理だからねえ…」
「お使いがかい? 鳩よりよっぽど利口なんじゃあ?」
会長さんの問いに、ソルジャーは。
「そりゃ、ナキネズミは使える動物だよ? だけど、こっちの世界に行かせたらマズイだろ?」
「「「え?」」」
「おやつちょうだい、って手紙の宛先は此処なんだよ!」
この家か、シャングリラ学園にある「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋か、どっちか。其処へ「おやつちょうだい」な手紙を出すのだ、って本気ですか!?



ソルジャー憧れの伝書鳩。うんとレトロな通信手段を使いたいそうで、手紙の宛先はよりにもよって私たちの世界。しかも文面が「おやつちょうだい」。
「なんなのさ、それは!」
会長さんが怒鳴りましたが、ソルジャーは。
「ダメかい、「おやつちょうだい」ってヤツは? それなら普通の手紙にするけど…」
元々そういう案だったし、と顎に手を当てて。
「明日は遊びに行ってもいい? とかさ、そういう手紙を出そうかと…。でもねえ、「おやつちょうだい」だと毎日おやつが貰えるしね?」
こっちの世界に来なくっても、とソルジャー、ニコニコ。
「そしてお使いをするハーレイの方も、少しの間、リフレッシュ! 手紙を届けにやって来たなら、お茶くらい御馳走してくれるだろ?」
「そりゃまあ…。着発で帰れと言えはしないしね、お客様には」
「じゃあ、決まり!」
早速、明日から始めよう! とソルジャーはグッと拳を握りました。
「明日はハーレイ、オフなんだ。ぼくと二人で過ごすんだけれど、その間にお使い第一弾! 二人分のおやつを持たせてやってよ、こっちに来たなら!」
「そ、それはいいけど、君のハーレイ、空間移動は出来ないんじゃあ…」
会長さんの質問に、返った答えは「うん」というもの。
「その辺もあって、ぶるぅを使うつもりでいたんだけどねえ…。盗み食いのリスクを考えてみたら、ぶるぅじゃ全然使えやしない。ここは一発、ぼくの力で空間移動を!」
そしてハーレイがお使いに来る、と一方的に決まってしまった、伝書鳩ならぬ伝書キャプテン。明日から「おやつちょうだい」の手紙持参で空間移動をするわけですか~!



とんでもないアイデアに目覚めたソルジャーは夜まで居座り、おやつも食事も堪能してから自分の世界へ帰って行ってしまいました。「明日からよろしく」の言葉を残して。
次の日、私たちは会長さんの家で「今日も寒いね~」と午前中のおやつは餅ピザ、昼食は具だくさんでワイワイとラーメン鍋を。そうこうする内、昨日のことなどすっかり忘れて…。
「すみません、お邪魔いたします」
「「「!!?」」」
誰だ、と一斉に振り向いた午後のおやつの真っ最中。見慣れた紫のマントの代わりに半端な長さの濃い緑色。制服を纏ったキャプテンがリビングに立っていて…。
「どうも、御無沙汰しております」
礼儀正しく頭を下げたキャプテンの首から奇妙なものが下がっていました。紐で下げるタイプのペンダントかとも思いましたが、どうやら金属製の筒。長さは五センチくらいでしょうか。頭を上げたキャプテンは胸元の筒を指差して。
「此処に手紙が入っております。…ブルーからの」
「「「………」」」
本格的にやり始めたな、と誰もが溜息。普通に手紙を持たせる代わりに、伝書鳩よろしく筒入りの手紙。首から下がっているだけマシかな…。
「ブルーが言うには、本当は足に付けたいそうなのですが…」
この辺りに、とキャプテンが示す自分の太もも。足の付け根に近い部分で。
「此処に結んで、それをこちらの……そのう……」
「…ぼくってわけだね、それを開けろ、と」
それは勘弁願いたい、と会長さん。キャプテンが言った場所に筒があったなら、開けるためには会長さんは嫌でもキャプテンの股間を目にする羽目になります。制服で隠れていると言っても、「ちょっと失礼」と顔を近づけないと筒には触れない場所。
「…やはりそうですよね、足は無理だと…」
「お断りだね」
「では、この形でお願いします」
中に手紙が、と胸元の筒を示してみせるキャプテン。開ける係は会長さんに限定されるみたいです。会長さんは「了解」とキャプテンの首から下がった筒を開けて…。
「……おやつちょうだい……」
本気だった、と広げられた手紙。其処にはソルジャーの字でデカデカと書きなぐってありました。例の「おやつちょうだい」の一言だけが…。



空間を超えてお使いにやって来た伝書キャプテン。午後のおやつはドライフルーツとナッツのタルトで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が切り分けながら。
「えっと…。お使いだったら、ぶるぅの分も持ってってくれる?」
「よろしいのですか?」
「うんっ! ぼくとぶるぅは親友だもん!」
だからよろしく、とペコリと頭を下げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、悪戯小僧の「ぶるぅ」と何故か気が合い、大親友。それだけに、お持ち帰り用のおやつも届けてあげたいらしく。
「えーっと、ブルーのと、ハーレイのと、ぶるぅと…。はい、こんな感じ~!」
詰めてみたよ、と持ち運び出来る紙箱にキッチリ詰められたタルト。更に「せっかく来てくれたんだし、食べて行ってね」とキャプテン用のお皿にもタルト。
「…私の分は詰めて頂いたと思うのですが…」
「お使い、大変だと思うから! お腹一杯にならないんだったら食べてって!」
「では、頂戴いたします」
「どうぞ! コーヒーにする? 紅茶にする?」
飲み物の注文まで取った「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキャプテン御希望のコーヒーを淹れて、普段とはまるで違う面子でティータイム。いつもだったらソルジャーが混ざる所を何故かキャプテン。
「すみません、御馳走になってしまいまして…」
「ううん、全然!」
それよりお使い、大変だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は同情しきり。
「伝書鳩さんは迷子になっちゃうこともあるくらい、なんだか大変みたいだし…」
「いえ、私の場合はブルーが完璧にコントロールをしておりますから」
行きも帰りも一直線です、とキャプテンは笑顔。
「来る時もほんの一瞬でしたし、帰りもそうだと思いますよ。ブルーはおやつを楽しみに待っていますから」
ただ…、とキャプテンは少し申し訳なさそうな顔で。
「ブルーは一度言い出したら聞かない性分で、当分の間は「おやつちょうだい」が続くかと…」
「かみお~ん♪ ぼくはホントに気にしてないから!」
お客様もおもてなしも大好きだから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はウキウキと。
「毎日おやつを貰いに来てくれると嬉しいな。それに、ぶるぅにも届けられるし!」
「では、これからよろしくお願い致します」
手紙を届けに参りますので、とあくまで礼儀正しいキャプテン。うん、ソルジャーが自分でやって来るより、断然こっちが平和ですよね!



首から下げた金属製の筒に「おやつちょうだい」と書かれたソルジャーの手紙。伝書キャプテンは頑張りました。ソルジャーに呼ばれたとブリッジを抜けては、空間を超えて私たちの世界へと。
本当に忙しい日は持ち帰り用の箱を手にして、急いで元の世界へ戻って。そうでない日は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋や会長さんの家でティータイム。
「…こういう体験はなかなか出来ませんねえ…」
感謝しております、と今日も感激の面持ちのキャプテン。ソルジャーの世界のシャングリラにも休憩やお茶の時間はあるそうですけど、そうそう毎日、素敵なおやつが出る筈もなくて。
「此処では当たり前のお菓子なのですが…。私たちのシャングリラでは種類がなかなか…」
お蔭様でブルーも大満足です、とキャプテンは嬉しそうな顔。自分がお使いで手紙を届ければ、奥さんと言うか何と言うのか、伴侶なソルジャーに毎日立派なお菓子を持って帰れるのですから。
「ブルーに聞いた話では、こちらの世界では仕事帰りにケーキなどを買って家に帰るのだそうですね? 土産だ、と提げて」
「毎日ってわけじゃないけどね」
記念日とかが多いかな、と会長さん。
「でなきゃ、喧嘩をした時に仲直り用に買って帰るとか…。毎日ケーキを買って帰る男は少ないと思うよ、一般的な存在じゃないね」
「…そうなのですか? ブルーはそれが普通だと言いましたが…」
「君が実態を知らないと思って言っているだけさ。君は立派な愛妻家だよ」
こうして毎日おやつを貰いに来るなんて、と会長さんはキャプテンをベタ褒めです。
「いえ、愛妻家だなどと…。ブルーが聞いたら怒り出します、妻ではない、と」
「そういえば、未だに決着ついてないねえ、ぶるぅのママの座」
「はい。…私としては、やはりぶるぅのパパの座を目指したいのですが」
『ハーレイ!』
調子に乗るな、と飛び込んで来たソルジャーの思念。伝書キャプテンには見張りもキッチリついているわけで、たまにこうしてお叱りが。けれども大抵、キャプテンは羽を伸ばしてゆったりと過ごし、それからお菓子を詰めた箱を手にして空間移動で元の世界へ。
「…今日もお世話になりました」
「ううん、こちらこそ。楽しかったよ」
「かみお~ん♪ また明日ね~!」
バイバイ、と大きく手を振る「そるじゃぁ・ぶるぅ」と、笑顔で見送る会長さんと。この光景もすっかりお馴染み、伝書キャプテン、今日で早くも十日目ですか…。



そして二週間目になろうかという土曜日のこと。いつものように会長さんの家に集まり、午後のお茶の時間にはキャプテンを迎えて賑やかにやっていたのですけど。
「あれっ?」
お客さんかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がチャイムの音で玄関へ。管理人さんからの連絡は何も来ていませんけど、宅配便でも届いたのでしょうか? そういう時には管理人さんが下で受け取って運んで来るのが恒例ですし…。
え、なんで宅配便を管理人さんが受け取るのかって? 最上階にある会長さんの家は、二十光年の彼方を航行中のシャングリラ号とも連絡が取れるソルジャー仕様。宅配便の配達くらいでは入れないようになっているのです。
「荷物かなあ?」
頼んだ覚えは無いんだけれど、と会長さん。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」が食材の取り寄せなどもしていますから、そっちだったら覚えが無くて当然で。任せておこう、とティータイム続行、間もなく「そるじゃぁ・ぶるぅ」が戻って来たのですが。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよ!」
「「「ええっ!?」」」
何故に教頭先生が、と仰天する間に、ご本人がリビングに入って来られて。
「すまんな、急に。…こ、これは…!」
ご無沙汰しております、とキャプテンに慌てて頭を下げる教頭先生。キャプテンの方もソファから立ってお辞儀を。
「こちらこそ、御無沙汰しております。…今日は御用でらっしゃいましたか」
「いえ、用と言うか…。ブルー、バレンタインデーのザッハトルテだが…」
「そんな事でわざわざ来たのかい?」
会長さんの冷たい声。バレンタインデーのザッハトルテとは教頭先生から会長さんへの貢物のことで、プロ顔負けの腕になられた手作りのザッハトルテが届けられます。
「い、いや…。そのぅ、数を増やせば喜ぶかと…」
「日持ちするから沢山あったら嬉しいけどねえ、そういうのは電話でいいんだよ!」
わざわざ来るな、と蹴り出しそうな勢いですけど、教頭先生と瓜二つなキャプテンの方はソファに座り直してティータイムなわけで。
「し、しかし…」
どうしてこうも待遇が違うのだ、と言わんばかりの教頭先生、キャプテンをまじまじと見ておられます。そりゃそうでしょう、これがホントの月とスッポン、誰でも訊きたくなりますって!



「…あちらさんは仕事のついでなんだよ」
君と一緒にしないように、と会長さんは釘を刺しました。
「思い立ったが吉日とばかりに電撃訪問をかます君と違って、毎日、定時にお使いってね」
「お使い?」
怪訝そうな教頭先生に、キャプテンが「はい」と。
「定時というわけでもないのですが…。こちらで午後のおやつの支度が整いましたら、お邪魔することになっております」
「…それがお使いなのですか?」
お茶を飲むことが、と教頭先生が勘違いなさったのもやむを得ないでしょう。キャプテンは「まさか」と苦笑しながら、首から下げた金属製の筒を指差しました。
「これがお使いの印ですよ。今は空ですが、来る時は手紙が入っております」
「…手紙?」
「ええ。ブルーが書くのです、「おやつちょうだい」と」
「……おやつちょうだい……?」
ますますもって混乱しておられる教頭先生に、キャプテンが。
「そのままの意味です、おやつちょうだい。…そして私が空間移動で手紙を運んで、帰る時にはお菓子を貰って持ち帰ります」
「おやつの宅配便ですか?」
「ブルーは伝書鳩だと言っていましたが…?」
そういう鳩がいるそうですね、とキャプテンは至極真面目な顔で。
「足に付けた筒に手紙を入れて運ぶのだとか…。私も本来は足に付けたいとブルーが言ってはいたのですが…。その…。色々と問題がありまして、首から下げて来ることに」
「はあ…」
それでお仕事中なのですか、と教頭先生、ようやく納得。キャプテンが「そういうことです」と頷き、会長さんが。
「つまり、今も絶賛お仕事中だよ! お菓子の箱を持ち帰るまでが仕事なんだから!」
「かみお~ん♪ 伝書鳩さん、大変だしね? お菓子くらい食べて貰わなくっちゃ!」
そして元気に飛んで帰って貰うんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も満面の笑み。伝書キャプテンが丁重にもてなされる中、教頭先生は会長さんが「今年はこれだけ! 出来たらお願い!」とザッハトルテの希望数を書き付けたメモだけを貰って放り出されました。
お茶もお菓子も、一切、無し。待遇の差も此処に極まれりといった所でしょうか…。



「…あんた、今のは酷過ぎないか?」
キース君が教頭先生が放り出された玄関の方を眺めて、シロエ君も。
「そうですよ。お茶くらい御馳走して差し上げても罰は当たらないと思いますが」
「…電撃訪問して来たような男にかい?」
お仕事とは全く違うんだから、と会長さんは冷然と。
「ぼくの直筆のメモは渡したし、それで充分! 本来だったら電話だけになる所をメモで!」
もう充分に有難いのだ、という持論を展開されては仕方なく。
「…教頭先生、気の毒すぎるぜ…」
サム君が呟き、マツカ君も。
「せっかくザッハトルテの数の確認にいらっしゃったのに…。お気の毒です」
「いいんだってば!」
ぼくがいいと言ったらオッケー! と会長さんが言い放った途端。
「…そうなのかなあ?」
なんだか気の毒、と空間が揺れて、紫のマントのソルジャーがフワリと。
「こんにちは。いつもハーレイがお世話になっちゃって…」
「珍しいねえ、君が来るとは」
当分来ないと思っていたよ、と会長さん。
「うん、来る予定は無かったんだけど…。こっちのハーレイが気の毒すぎてね」
出て来ちゃった、とソルジャーはキャプテンの隣にヒョイと腰掛けました。
「あ、おやつはいいよ? 詰めて貰った分を帰って食べるから」
「それはいいけど、何か用かい?」
「こっちのハーレイなんだけど…。ぼくのハーレイの待遇が羨ましくってたまらないようだし、伝書鳩にしてみないかい?」
「「「伝書鳩?」」」
なんのこっちゃ、と顔を見合わせる私たち。伝書鳩ならキャプテンが毎日やってます。それを見てますから、言いたいことは分かりますけど、教頭先生を伝書鳩に仕立てて何処に飛ばすと?
「こっちのハーレイをお使いに出すと言うんだったら、もちろん、ぼくのシャングリラ!」
手紙は「おやつちょうだい」でいいよ、とソルジャーはニッコリ微笑みました。
「ぼくのシャングリラじゃ、ロクなお菓子は無いんだけれど…。代わりに極上のおやつが青の間に住んでいるってね!」
このぼくだけど、と自分の鼻の頭に人差し指。「おやつちょうだい」の意味はもしかして…?



「そうさ、もちろん、おやつは、このぼく!」
食べる根性があるのならば、と妖艶な笑みを浮かべるソルジャー。
「もちろん普通のおやつも出すよ? 箱に詰めてもあげるけれどさ、このぼくを食べて行かないか、と甘いお誘い!」
「「そ、それは…」」
会長さんとキャプテンの声が重なって。
「ブルー、なんということを仰るのです!」
「最悪すぎるだろ、そのお使い!」
誰がそんな伝書鳩ごっこがしたいものか、と会長さんは叫びましたけど。
「…鳩は迷子になるんだってねえ?」
でもって公園の鳩に混ざって行方不明になるんだよねえ、とソルジャーが自分の唇をペロリ。
「お使いに出たまま行方不明の伝書鳩っていうのもお洒落じゃないかと」
「「「行方不明?」」」
「こっちの世界の昔話にあるだろ、確か竜宮城だっけ? とっても素敵な別世界に行って、其処で暮らすというお話!」
そんな感じで青の間は如何、とソルジャーの瞳がキラキラと。
「ぼくのハーレイは基本が忙しいから、ハーレイの留守にもう一人いると嬉しいなあ…、って。どうせヘタレだから、鼻血三昧だろうけど…。そうそう危ない関係になりはしないと思うけど!」
お使いに出たまま鼻血を噴いて行方不明でどうだろうか、とソルジャーが出した意見に、会長さんが「うーん…」と唸って。
「行方不明か…。今の時期だと受験シーズンだし、後で何かと問題だろうね、ハーレイが消えてしまったら…」
「そうだろう? そんな本来の仕事も忘れて過ごせる竜宮城に、是非!」
「…ハーレイが消えても、代わりはいるか…」
学校の仕事自体は回る筈か、と会長さんはニンマリと。
「よし。お使いに出掛けて行方不明コースを目指してみよう。例年、ハーレイから横流しして貰う試験問題の方はサイオンでいくらでも盗み出せるし、消えちゃっても…ね」
「じゃあ、こっちのハーレイが自発的に仕事を思い出すまで!」
「うん、君の竜宮城とやら!」
お使いに出すよ、と会長さんはソルジャーとガッチリ指切りを。あちらへの空間移動のサポートの約束も取り付け、教頭先生は明日の出発になるようです…。



翌日の日曜、私たちが会長さんの家にお邪魔して間もなく、教頭先生がやって来ました。今日は電撃訪問ではなく、会長さんからの御招待で。
「すまんな、お茶の時間に来てくれということだったから来たのだが…」
早すぎたか? とリビングを見回す教頭先生。お茶の支度は出来ていませんでした。テーブルにはまだティーカップもコーヒーカップもありません。むろん、お菓子も。
「早すぎないよ? むしろ遅いくらい」
「は?」
「君には仕事をお願いしようと思ってさ。昨日、羨ましかったんだろう? ブルーの世界のハーレイが…さ」
会長さんはパチンと片目を瞑ると。
「だからね、君にも仕事をお願い! ちょっとお使いに行って欲しいんだ、ブルーの許可は貰ってあるから!」
あっちの世界でおやつを調達して来てくれ、と会長さんはメモに大きく書き付けました。いつもソルジャーが寄越すあの一文を、「おやつちょうだい」と。
「これをブルーに渡してくれれば、お茶のためのお菓子が手に入るんだ。たまには別の世界のお菓子もいいしね」
「で、では、私は…」
「それを持って帰って来てくれたら、君も交えてみんなでお茶会! そうそう、お使いに行って「食べて行かないか」って誘われた場合は食べて来ていいよ」
その間くらいはお茶だけで凌いで待っているから、と会長さんに唆された教頭先生は。
「…そうか、お使いに行けばいいのだな!」
「うん、この手紙を入れた筒をくっつけて…ね」
こう入れて…、と会長さんの手元にはキャプテンが首に下げて来るのとそっくりな筒が。けれども筒を取り付ける仕組みが違うのです。教頭先生に「よろしく」と近付いた会長さんは。
「…お、おい、ブルー…?」
「あっちのブルーの注文なんだよ、筒は首じゃなくて足に付けろ、と」
それもこの辺…、と会長さんが細いベルトのようなもので筒を結びにかかった先は教頭先生の左の太ももでした。それも足の付け根に近い辺りに、しっかりと。固定する間、会長さんの顔と頭が股間に近付くだけあって、教頭先生は耳まで真っ赤で。
「…あれっ、ハーレイ、どうかしたかい?」
「いや、なんでもない」
「それなら行って来てくれるかな? お使い、よろしく」
じゃあね、と会長さんが教頭先生の腕をポンと叩いて、教頭先生は消え失せましたが…。



「…おやつなんかは最初から期待していないってね」
もう死んだらしい、と鼻先で笑う会長さん。ソルジャーから思念での連絡が入ったみたいです。
「筒を開ける前にまずはサービス、と言ったらしいね」
サービスの内容までは聞いていないけどね、とニヤニヤニヤ。
「それだけで鼻血を噴いて倒れて、お使いどころじゃないらしい。ぼくたちだけでお茶にしようか、ぶるぅ、お願い」
「かみお~ん♪ 今日のおやつは柚子のシフォンケーキだよ!」
お昼御飯に響かないように軽めのケーキ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャーからは「それも取っておいて!」と思念が届いたらしくて、午後のおやつを貰いにキャプテンが来たら、今日は二種類渡すようですが…。
「…教頭先生、どうなるわけ?」
まさか本当に行方不明に…、とジョミー君が窓の向こうに降る雪に目をやり、会長さんが。
「さあねえ? 自分の立場とすべき仕事を思い出したら帰れるってブルーは言ってるけれど…」
当分戻って来ないかもねえ、と無責任極まりない発言。あまつさえ、午後になって伝書鳩ならぬ伝書キャプテンが「おやつちょうだい」のメッセージを首から下げて現れて。
「ブルーからの伝言です。竜宮城はお気に召したようだから、今夜は丁重におもてなしする、と」
「「「うわー…」」」
今夜は丁重におもてなし。ということは、お帰りは早くても明日の朝です。もしも学校に間に合わなかったら…。
「受験シーズンに無断欠勤、連絡もつかない状態ってね」
せいぜい悲惨な目に遭うがいい、と会長さんは救い出す気すらありませんでした。教頭先生、キャプテンのお使いに憧れたばかりに命運が尽きてしまいそうです。
「「「竜宮城…」」」
早くお帰りにならないとエライことになると思うんですが…。教頭だのキャプテンだのってポストが消えてしまうかもしれないんですが、教頭先生、いつお仕事を思い出すのでしょうか。頑張って早く正気に戻って下さい、迷子になった伝書鳩だって場合によっては戻るんですから~!




           手紙とお使い・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 伝書鳩ならぬ伝書キャプテン、頑張って役に立ったんですけど、その後が問題。
 教頭先生がお使いに行った場合は、なんと迷子の伝書鳩。無事に帰れるといいですねえ…。
 次回は 「第3月曜」 10月15日の更新となります、よろしくです~! 

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、9月は、お彼岸の法要が大問題。避けられるわけがなくて…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv








(ほほう…)
 こいつはいいな、と覗き込んだ菓子。仕事からの帰り、ブルーの家には寄りそびれた日。
 ハーレイの目に留まった「和三盆」の文字、様々な色や形をした菓子。
 いつもの食料品店だけれど、店に入って直ぐの所に特設の売り場。特売ではなくて、特別出店。色々な店がやって来る場所で、覗いてみるだけでも充分、楽しい。
(和三盆と来たか…)
 書かれていなければ落雁なのかと思いそうな菓子、間違えそうな見た目の形。けれども和三盆と落雁は違う、見た目が似ているというだけで。
 自分たちが住んでいる地域で作られている最高級の砂糖、それが和三盆。名前の通りに遠い昔の日本風の砂糖、和風の砂糖。特設売り場に並んでいるのは、それを固めた砂糖菓子。
(これがなかなかに美味いんだ…)
 専門に扱う店が近くに無いから、こういう機会しか買えないけれど。その美味しさは知っているから、見掛けたら買って食べる主義。
 見ればパンフレットも置いてあった。出店している店が書かれたパンフレット。
(…土産に持って行ってやるかな)
 明日はブルーの家に行くから、たまにはこういう土産物もいい。どれにしようかと箱を眺めて、今の季節に似合いの形が詰め合わされたものを選んだ。栗や紅葉や、菊の花やら。
 ついでに自分用にも一箱、ブルーへの土産にと決めた箱より小さめのを。
 紙の袋に入れて貰って、パンフレットも貰って帰った。何の気なしに手に取り、袋に入れて。



 買い込んで来た食材で手際よく夕食を作り、のんびりと食べて後片付け。それが済んだら書斎でコーヒー、と淹れる用意にかかった所で思い出した。
 自分用にも買って来たのだった、和三盆の菓子。ブルーへの土産に持ってゆくからには、それを味わっておきたいから。
(コーヒーはいかんな)
 ここは緑茶にしておかないと、と小さな急須と茶葉を取り出し、薄めに淹れた。ほんのりと緑が見える程度に、ごくごく薄く。
 眠る前に緑茶を飲むと、目が冴えてしまうと耳にするから。ウッカリ飲んで酷い目に遭ったと、体験談も色々聞いているから。
 自分の場合はコーヒーを飲んでも眠れるのだから、大丈夫だという気もするけれど。コーヒーと緑茶は違うものだし、万が一ということもある。



(泰平の眠りを覚ます上喜撰ってな)
 たった四杯で夜も眠れず、と薄い緑茶を淹れた湯呑みを指先でチンと弾いた。
 上喜撰は遠い遥かな昔に有名だった緑茶の高級品。そういう名前の緑茶は今もあるけれど、味が同じかは分からない。なにしろ一度は消えた文化で、データを元にして復活させたものだから。
 それに生産地も昔とは違う、日本は無くなってしまったから。
 前の自分が辿り着いた頃には、まだあっただろう、かつて日本であった島。荒廃した死の星でも地形は変わっていなかったのだし、きっと何処かに、昔の日本のままの形で。
 けれどもSD体制の崩壊と呼応するように地球は壊れた、燃え上がった。大地は裂かれて、海も煮えたぎった地殻変動。
 汚染された大地や海を飲み込み、命ある星として蘇った地球に、元の地形は残らなかった。海も大地もすっかり姿を変えてしまって、日本も消えた。
(昔の日本はもう無いんだよな…)
 同じ場所に新しく出来た大地はまるで別のもので、上喜撰の産地だった場所も無くなった。元の産地に近い所で作られているのが今の上喜撰、高級品ではあるけれど。
(果たして、同じ味なんだかなあ…)
 飲み比べようが無いからな、と先刻の歌を心で繰り返した。「たった四杯で夜も眠れず」と。
 古典の範囲か、はたまた歴史か。
 たまに雑談で話してやる。黒船と呼ばれた蒸気船と、お茶の上喜撰とをかけた戯れ唄。遠い昔に日本を騒がせた、異国から来た船の話を。



(海を越えて来た船っていうだけで大騒ぎなんだ)
 乗ってたのは同じ人間なんだが、と可笑しくなる。外見と言葉が違っただけで、と。
 とはいえ、当時の日本人にすれば、人類の世界にミュウが侵攻して来たほどの衝撃だったのかもしれないけれど。外交なんぞはお断りだと言っているのに、力ずくでとやって来たのだから。
(黒船なあ…)
 シャングリラは白い船だったがな、と懐かしい白い鯨を思い浮かべた。
 赤いナスカが滅ぼされた後、前のブルーを喪った後。シャングリラはアルテメシアへと向かい、人類軍との本格的な戦闘が始まった。アルテメシアの住民からすれば、いわば黒船。
(いきなり攻めて来て、テラズ・ナンバーまで壊しちまったんだしな?)
 社会の仕組みが一夜で変わった、あの星では。
 支配する者が人類からミュウへと変わってしまって、上空には巨大なシャングリラ。
(…まさに黒船か…)
 白かったけれど、四隻でやって来たという黒船と違って一隻だけの船だったけれど。蒸気船でもなかったけれども、戯れ唄にはなっていたかもしれない。
 人は逞しいものだから。支配者が人類からミュウに変わっても、ちゃんと生活していたから。
 何処の星を落としてもそれは同じで、人の生活は続いていた。途切れることなく、日々の営みを絶やすことなく。
 だからこそSD体制が崩壊した後も、世界は滅びなかったのだろう。ミュウという新しい種族を受け入れ、共に暮らして、ごくごく自然にミュウの時代になったのだろう。
 人類からミュウへと皆が進化し、地球も昔の姿に戻った。地形こそ変わってしまったけれども、青い水の星に。



 そして今では自分も青い地球にいる。前とそっくり同じ姿に生まれ変わって。前の生で誰よりも愛した恋人と共に、新しい命と身体とを得て。
(…なんとも不思議な話だよな)
 前とはまるで違う人生、平和に過ぎる今の世の中。黒船などはやって来ないし、自分が乗るのが黒船でもない。遠い昔の戯れ唄などを引き合いに出して、似ていると可笑しくなる世界。蒸気船でなくても、黒くなくても、あのシャングリラは黒船だった、と。
 たった一杯の薄い緑茶から、思わぬ方へと思考が転がったけれど。
 ともあれ今は味わうことだと、緑茶と和三盆の菓子とを書斎へ運んだ。ゆっくり飲もうと、あの部屋で寛いで食べるのがいいと。



 書斎に入って腰を落ち着け、薄い緑茶と箱ごと持って来た和三盆と。
 今の時代ならではの和風のコーヒーブレイク、緑茶と和三盆とで寛ぎの時間。
(コーヒーブレイクだが、コーヒーじゃないって所がな…)
 緑茶とコーヒーとは異なる飲み物、前の自分が生きた頃には無かった緑茶。コーヒーブレイクをどう言い換えたらいいのだろうか、と考えたりもする、和風に表現するならば、と。
(それらしい言葉は幾つもあるんだが…)
 どうもしっくりこないんだよな、と苦笑した。和風の文化を復活させた地域だとはいえ、全てが和風なわけではないから。和風の文化は、こうした椅子に座るのではなく、畳に座るものだから。
 椅子ならコーヒーブレイクだろう、と和三盆の箱から一個つまんだ。口に入れれば、ふうわりと溶けてゆく砂糖菓子。
 上品な甘みが好みではある、見付けたらこうして買って来るほどに。隣町に住む両親も好きで、和三盆の味わいはあの家で覚えた。
 釣り仲間と旅に出掛けた父が「本場物だぞ」と土産に買い込んで帰って来たこともあった、この菓子作りで有名な場所で海釣りをして来たのだと。



(こいつが砂糖の塊ってのがな…)
 そうは思えない味なんだよな、と一個つまんで、しみじみ眺めて口の中へ。やはり砂糖の塊とは違う、ただの砂糖を食べるのとは違う。
 美味い、と頬を緩めてパンフレットを開いてみた。箱と一緒に持って来ていたから。
 店の商品が載っているのだろう、と思い込んでいたのだけれど。意外なことに和三盆の作り方の方がメインで、商品の紹介の方がオマケで。
 サトウキビを搾って汁を煮詰める所までは平凡、普通の砂糖と変わらない。ところが、その先。和三盆ならではの作業工程。
(研ぐってか!?)
 独特だという「研ぎ」なる作業。砂糖をひたすら手で練ってゆく。研いだら重石を載せて圧縮、それが終わればまた研ぐらしい。研いだら再び重石で圧縮。
 最高級の砂糖になるわけだ、と納得した。機械を使わない手作りの砂糖、しかも手で研ぐ。盆の上で三度研ぐから和三盆だったのが、今では五回研いだりもする。
 SD体制の時代に消されてしまった技術だけれども、今は立派に復活していた。砂糖を研ぐのは職人技の世界、熟練の職人がせっせと手で研ぐ。
 寒い季節の水がいいから作るのなら冬、それがまたいい。冬しか作っていないのがいい。
 今の時代は建物の中で人工的に冬の気候を作り出せるし、その気になったら一年中でも和三盆の製造が可能だろうに。
 それをしていないのが売りで誇りで、職人技と自然の気候が頼りの砂糖が和三盆。



(レトロの極みだ…)
 俺の好みだ、と嬉しくなった。
 熟練の職人の手作りの砂糖、それを木型で抜いて固めて作られた菓子。手作りが売りの菓子なら沢山あるのだけれども、材料までが全て手作りの菓子はそれほど多くはないだろう。
 おまけに遠い遥かな昔の地球で生まれた砂糖の製法、それを復活させて作られている和三盆。
 砂糖の塊だとはとても思えない味、口の中でほどける上品な甘さ。様々な形を作るにあたって、加えるのは着色料くらいだろう。紅葉の赤や菊の花やら、どれもほんのり淡い色合い。それらしく見えればいいというだけ、着色料はほんの少しだけ。砂糖が殆ど、砂糖だけの菓子。



(砂糖だけでここまで出来るのか…)
 立派な菓子が出来上がるとは素晴らしいな、とパンフレットの作業工程を読み直してみて、また和三盆を一個つまんだ。砂糖の塊とは思えない菓子を。
(何度も研ぐのが味の決め手か?)
 シャングリラの頃にはそんな暇は…、と考えたけれど。砂糖作りに手間暇かけられる余裕などは全く無かった、と思ったけれども、ハタと気付いた。その逆だったと。
(暇だけは充分あったんだった…)
 自給自足の船だったけれど、コーヒーが代用品だったり、酒が合成だったりした船だけれど。
 そんな船でも暇だけはあった、戦闘をしてはいなかったから。前のブルーがジョミーを見付けてユニバーサルの手から掻っ攫うまでは、シャングリラの存在は人類に知られていなかった。
 白い鯨はアルテメシアの雲海の中に浮かんでいただけ、新しい仲間をたまに救出していただけ。
 船で育てられる作物などの種類は限られていても、加工する時間は充分にあった。サトウキビを搾って作る砂糖も、好きなだけ手をかけられた。
 あの時代ならばきっと、和三盆だって作れただろう。その気になってさえいれば。



 何度も研いだり、作るのに適した季節が冬だったりと、そう簡単には作れそうもない和三盆。
 熟練の職人技も必要、そのための人員を育てる所から始めなくてはいけないけれど。
(きっとゼルあたりが凝り始めるんだ…)
 手作業の世界でも、職人技と聞いたら出て来そうなゼル。機械弄りが得意だったゼル。
 砂糖作りには興味が無かったけれども、和三盆の世界を知ったらきっと出て来た。和三盆作りに適した冬の気候を再現しようと試みたろうし、研ぐ作業だって。
(わしに任せろと、わしが一番じゃと言い出すんだぞ)
 研ぐ腕をせっせと磨いていたろう、熟練の職人になってやろうと。自分が研いだ和三盆が一番の味だと言って貰えるまで研ぎ続けそうだし、そうなった後も研ぐのだろう。
 得意満面で、後進の指導をしつつも研いで。
 それは素晴らしい味の和三盆を作っていたかもしれない、あのゼルならば。けれど…。



(シャングリラじゃ砂糖は、ただの砂糖で…)
 それ自体が菓子のレベルに達するほどには洗練されていなかった。思い付きさえしなかった。
 要は甘みを作り出すための調味料。甘みは料理に欠かせないから、砂糖は大事な調味料だった。合成品だった時代までがあった、自給自足の船を目指していた過渡期には。
 栽培を始めたサトウキビが充分に採れなくて。収穫量が予想を下回って。
 次のサトウキビが育つまでは、とやむなく投入した合成品の砂糖。サトウキビから出来た砂糖も白くはなかった、雪のような白さを持った砂糖は作れなかった。
(黒砂糖だっけな…)
 今の時代は健康志向の人に好まれる黒砂糖。白砂糖にも負けない人気を誇るのだけれど、白い鯨では事情が違った。やむを得ず作った黒砂糖。白い砂糖が無かった時代。
 貴重なサトウキビの搾り汁から糖蜜などを分離して作る白砂糖よりも、茶色い搾り汁を煮詰めて作る黒砂糖だ、と。そのままがいいと、そのまま固めてしまおうと。



(あれはあれで…)
 美味しいと言った仲間もいたから、悪くなかったと思うけれども。
 やはり砂糖は白いものだし、黒砂糖の甘さは白砂糖よりもくどかったから。独特のコクが素材の風味を損ねたりもするから、シャングリラの砂糖はすぐに白くなった。サトウキビの栽培が軌道に乗ったら、分離するのはもったいないと言い出す者がいなくなったら。
 とはいえ、まずは料理に使う砂糖から。黒砂糖にしても、白砂糖にしても。
 コーヒーや紅茶に入れる砂糖は合成品の砂糖で、本物になるまで暫くかかった。嗜好品に本物の砂糖を入れて飲むなど贅沢だから、と合成品。サトウキビが充分、採れるようになるまで。
 それも最初は料理用と兼用、角砂糖は存在しなかった。角砂糖が欲しいなら合成品だと言われた時代。角砂糖はコーヒーや紅茶専用の砂糖だったから。砂糖を入れたいというだけだったら、器に入った普通の砂糖をスプーンで掬えばいいのだから。



 料理には不向きな角砂糖。この分量で、と量るには向かない角砂糖。
(普通の砂糖だったら、必要な分だけスプーンで掬えばいいんだが…)
 角砂糖だとそうはいかない、半分の量でいいとなったら砕かねばならない。角砂糖は一個分ずつ固めてあるから、四角く固めてしまってあるから。
(料理するのに角砂糖はなあ…?)
 レシピを見たって、砂糖はグラムで書いてあるもの。あるいは計量スプーンでどのくらい、と。角砂糖で作るレシピもまるで無いとは言わないけれども、そちらが例外。
 だからシャングリラで角砂糖までが本物の砂糖になるには時間がかかった、嗜好品に使う砂糖は後回し。合成品の角砂糖が嫌ならそれを使え、と砂糖の壺が置かれていた。
(…俺はどっちでも良かったんだが…)
 角砂糖が合成だった頃には、コーヒーも合成品だったから。キャロブのコーヒーはまだ生まれていなくて、コーヒーと言えば合成品。それに入れる砂糖が合成だろうが本物だろうが、どちらでもいいと思っていた。その日の気分で角砂糖にしたり、本物の砂糖をスプーンで入れたり。



 そんな経緯があった角砂糖にも凝り始めたのが後のシャングリラ。
 サトウキビも砂糖も充分あったし、時間も暇もあったから。角砂糖の上に砂糖細工で細かい花や星などの模様を描いたり、角砂糖どころか薔薇の形に仕上げた砂糖を作ったり。
 これがささやかな贅沢とばかりに、角砂糖に凝った女性陣。
 彼女たちが集まってお茶を飲む時は様々な砂糖が披露されていた、模様付きやら薔薇の形やら。
(…前のあいつの時代までだがな…)
 華やかな角砂糖があった時代は、前のブルーが長だった時代。アルテメシアの雲海に潜み、戦闘などは無かった時代。閉ざされた世界でも平和だったし、角砂糖にも凝っていられた。
 けれども次のジョミーの時代は余裕などは無くて、逃げていただけ。人類軍の船やら、思考機雷やら、何処に逃げても追って来た敵。
 ようやくナスカを見付けた後には開拓が一番、新天地に夢中になってしまった女性たち。もう角砂糖に凝ってはいなくて、ナスカに降りては花や野菜を育てていた。
 サトウキビも栽培した筈だけれど、それから生まれた砂糖に細工を施すよりかは、新しい植物が根付くようにと工夫を凝らす方へと向かって…。



 忘れ去られた、凝った細工の角砂糖。コーヒーや紅茶に入れるための砂糖。
 ナスカが滅びてしまった後には、砂糖の細工どころではなかった。地球を目指しての戦いが幕を開け、戦闘が無くても船の中の空気はピンと張り詰め、ジョミーが睨みを利かせていた。
(角砂糖は辛うじてあったんだったか…)
 模様も無ければ薔薇の形でもなくて、普通の四角い角砂糖。それは生産出来ていた筈。
 人類軍との全面的な対決という非常事態だからこそ、自給自足の生活の根幹が揺らがないよう、船の隅々まで気を配っていた。前のブルーが遺した言葉通りに、ジョミーを支えて。
 船の仲間など殆ど顧みなくなったほどに人が変わったジョミーの分まで、シャングリラの仲間を守らなければと。
(角砂糖はあったと思うんだがな…)
 前のブルーを思い出してしまって辛い時には、気付けにと飲んでいたコーヒー。
 熱いのを飲めば、代用品でも心が少し癒された。砂糖は入れていたように思う、いつもの癖で。前のブルーと二人でお茶を楽しんでいた頃から、身体に馴染んでしまった癖で。
 ブルーは紅茶で、自分はコーヒー。
 普段はブルーに合わせて紅茶だったけれど、自分だけがコーヒーの日もあった。そんな時やら、休憩室での一杯やらには、ポチャンと砂糖。角砂糖を落として飲んでいた。
 だからきっと、地球へ向かっての戦いの中でも、角砂糖を入れたと思うのだけれど…。



 どうにもハッキリしてこない記憶。独りきりで飲んでいたコーヒーの記憶はぼやけてしまって、砂糖の形さえ思い出せない。角砂糖だったか、スプーンで掬ったか、そんなことさえも。
 前のブルーを喪った後は、生ける屍だったから。
 ただひたすらに地球を目指して進むより他に、何も見出せない日々だったから。
(前のあいつは…)
 紅茶が好きだった前のブルー。前の自分が青の間に行くと、紅茶を淹れてくれていたブルー。
 砂糖の量にも形にもこだわらなかったブルーだけれど。
 本物の砂糖だったらもう充分だと、合成品よりもずっといいと言っていたけれど。
(和三盆の世界は…)
 好きだったかもしれない、もしも和三盆という砂糖があったなら。
 楽しんで研いでいたかもしれない、美味しい砂糖を作ってみようと。
(明日、訊いてみるか…)
 こんな砂糖を作りたかったかと、和三盆を土産に持って出掛けて。
 和三盆の作り方が詳しく書かれた、このパンフレットも読ませてやって。



 翌日の土曜日、朝食が済んだら、和三盆の箱が入った紙袋を提げてブルーの家へ。門扉を開けに出て来たブルーの母に箱を渡して、午前中のお茶菓子はこれで、と頼んでおいた。
 ブルーの部屋に案内されて間もなく、緑茶と一緒に運ばれて来た和三盆を綺麗に盛ってある皿。「ハーレイ先生が下さったのよ」という母の言葉で、ブルーは和三盆に惹かれたようで。
 母の足音が階段を下りて消えてゆくなり、和三盆の皿を指差して訊いた。
「今日のお土産、落雁なの?」
 とっても綺麗だね、秋らしい形。菊の花とか、紅葉だとか…。
「いや、落雁じゃなくて和三盆だ」
「え?」
「こいつは和三盆っていう砂糖なんだが…」
 ただの砂糖の塊なんだが、と言えばブルーが目を丸くした。そのままで食べるものなのか、と。
「もちろんだ。こうして菓子の形になってるだろうが」
 美味いんだぞ、これは。俺も好きだし、親父もおふくろも大好物でな。
「ホント…?」
 本当にただのお砂糖じゃないの、お砂糖を固めてあるだけじゃないの…?



 小さなブルーは和三盆を一つ、おっかなびっくり、頬張ってみて。
「美味しい…!」
 フワッと溶けちゃったよ、落雁とはちょっと違った感じ。
 お砂糖だからかな、粉っぽくなくて、甘い雪の欠片を食べてるみたい…!
「な? 美味いだろう、和三盆」
 正真正銘、こいつは砂糖の塊なんだ。出来上がった砂糖を木の型で抜いて、乾燥させてあるってだけだな、ほんの少し色をつける程度で。
 たったそれだけで美味い菓子になるが、どうやら秘密は和三盆の作り方にあるみたいだぞ。
 和三盆と言えば最高級の砂糖ってことになっているがだ、その作り方が実に凄いんだ。



 まあ読んでみろ、と渡してやったパンフレット。和三盆の作り方が詳しく書かれたそれ。
 熱心に読んだブルーだけれど。赤い瞳を煌めかせて最後まで読むと、和三盆が盛られた皿の方を見詰めて感心したように。
「手作りなんだね、和三盆って…。このお菓子を作る所だけじゃなくて」
 お砂糖を作る所から全部手作り、これはサイオンでも無理なんだね?
 熟練の職人が作っています、って書いてあるけど、お砂糖を研いでるのは職人さんの手だし…。
 サイオンじゃ加減が難しいんだね、それに機械でも無理ってことだね?
「職人技だからなあ、そうなんだろう」
 この道一筋で何年もやって、ようやく一人前なんだろうな。
 砂糖を研ぐ時の手の感覚ってヤツで、色々と調整してゆくんだろう。もっと研ぐべきか、これでやめるか、そういったことを。
 機械じゃそういう判断は無理だし、サイオンでも上手くはいかんだろうなあ…。
 前のお前がやるにしたって、サイオンよりかは手の方が多分、確実だろう。手で触るからこそ、分かる感覚。そいつが大切なんだと思うぞ。
「うん。触らないと分からないものは確かにあったよ」
 前のぼくが最後にハーレイから貰った、腕の温もり。
 あれはサイオンだと貰えないもので、ハーレイの腕に右手で触ったお蔭で貰えたもので…。
 メギドで失くしてしまったけれども、手で触ることが大切ってことは、あれだけでも分かるよ。
 それでね…。
 前のぼくの右手のことは今はいいけど、この和三盆。
 ゼルが好きそうだよ、作ってみたいと言い出しそうだよ。「わしが研ぐんじゃ」って。
「やっぱり、お前もそう思うか?」
 如何にも言いそうな気がするんだよなあ、ゼルがこれを見たら。
 わしに任せろと、美味い和三盆を食わせてやろうと、砂糖をせっせと研ぎ始めそうだ。



 ついでに前のお前も好きそうなんだが、と言ってやったら。
 作りたい気分にならなかったか、と尋ねてみたら。
「うん、ソルジャーは暇だったしね」
 みんなの仕事を手伝おうとしても、恐縮されたり、気を遣わせてしまったり…。
 仕方ないから子供たちと遊んで、養育部門を手伝ってたのがぼくだもの。
 暇な時間はたっぷりあったし、お砂糖を研いでみるのも良かったかも…。女の人たちが凝ってた角砂糖作りはやってみたい気はしなかったけれど、和三盆ならやってもいいかな。
 研げば研ぐほど美味しいお砂糖が出来るみたいだし、熟練の職人にもなれそうだしね。
「ふうむ…。やりたかったんだな、前のお前もゼルと同じで」
 熟練の職人を目指すのはいいが、ソルジャー自ら砂糖作りか…。似合わない気がするんだが?
 前のお前が砂糖作りをするとなったら、ソルジャーの威厳が台無しと言うか…。
「最初は農場も手伝っていたよ、ジャガイモ掘りとか」
 みんなが頑張って働いていたし、ぼくも手伝おうと思ったから…。
「エラに何度も止められてたがな」
 ソルジャーがなさるお仕事などではありません、ってな。
「…そうなんだけどね」
 エラは何でも止めに来たしね、ぼくが仕事をしようとしてたら。



 でも、仕事じゃなくて趣味だったら…、とブルーが言い出したから。
 好きでやっている砂糖作りなら、子供たちと遊んでいたのと同じで止めようがないと笑うから。
 砂糖作りが趣味なソルジャーでも良かったかもしれない、和三盆作りが趣味のソルジャー。
 サトウキビを搾る所から始めて、砂糖の塊を手で練って研いで。
「あのね…。前のぼくがやるなら、ホントに何度も研ぐんだよ」
 三回じゃなくて、五回は研がなきゃ。…もっと研いでも美味しいかもだし、それも試して。
「…暇だからか?」
 ソルジャーってヤツは暇だったからか、暇に飽かせて砂糖を研ぐのか?
「そう!」
 時間は山ほどあったんだもの。何度でも研げるよ、何十回でも。
 そこまで研いだら美味しくないかもしれないけれど…。
 どのくらい研ぐのが一番いいのか、それを研究する時間もたっぷり。ゼルと競争して、どっちが先に熟練の職人ってヤツになれるか、そういう勝負も出来るものね。



 子供たちの遊び相手もいいけど砂糖作り、と笑顔のブルー。
 サトウキビを搾って和三盆だと、何度も何度も手で研ぐのだと。
「…そうなっていたら、俺も巻き添えなのか?」
 お前と一緒に砂糖を研ぐのか、あと二回だとか、三回だとか、お前に数えられながら。
 もっと上手に研げないのか、と溜息なんかもつかれたりして。
「ううん、キャプテンは忙しいから…。ソルジャーみたいに暇じゃないから…」
 お砂糖を研げとは言わないよ。
 ぼくが一人で研いでいるのか、ゼルも時々研ぎに来るのか。
 お砂糖作りは趣味の世界だし、忙しいハーレイを巻き込んだりはしないよ、一人でやるよ。
「そいつは少し寂しいんだが…」
 せっかくお前が楽しんでるのに、俺が付き合えないというのはなあ…。
 子供たちと遊ぶ時には、たまに付き合っていたんだし…。砂糖を研ぐのも少しくらいは…。
「それは駄目だよ、熟練の技が要るんだよ?」
 何度も練習しなくちゃ駄目だし、時々しか研ぎに来られないんじゃ、上達しないし…。
 ハーレイはお砂糖作りは見学だけだね、見てるだけなら上手でも下手でも関係ないから。
 大丈夫、上手く出来たらハーレイに一番に食べさせてあげるに決まってるから。
「お前が作った和三盆をか…」
 木型で抜いて、乾燥させて。
 美味いのが出来たと、俺に一番に食わせてくれるんだな…?



 前のブルーがせっせと砂糖を研いで作った和三盆。
 どんな木型で抜いたのだろうか、どんな色がついていたろうか。そして味は…、と夢が広がる。
 暇なソルジャーが和三盆作り、そんなシャングリラも良かったかもしれない。夢だけれども。
 前の自分たちが生きた時代に和三盆は無くて、砂糖を研ぐソルジャーの姿も無くて…。
「…夢ってヤツだな、前のお前の和三盆」
 見てみたかったという気はするがな、ゼルと競争で職人を目指す前のお前も。
「うん、夢だね。…お砂糖みたいに溶けておしまい」
 この和三盆と同じでフワッと溶けちゃう甘い夢だよ、和三盆を作ってる前のぼくは。
 何処にもいなくて、そういうシャングリラも何処にもなくて…。
「だが、この和三盆は本物だぞ?」
 食ったらフワリと溶けてしまうが、こいつは夢じゃないってな。
「そうだね、こっちは本物だよね。ぼくたちが地球にいるって証明」
 和三盆がある地域に住んでて、こうして食べられるんだもの。
 それもハーレイが買って来てくれたのを、ハーレイと二人で、ぼくの部屋で。



 美味しいね、とブルーが顔を綻ばせるから。
 お砂糖の塊なのに本物のお菓子、と嬉しそうに口に運んでいるから。
 また見かけたら買ってやろうか、和三盆の菓子が詰まった箱を。
 前のブルーが研いだかもしれない、最高級の砂糖で作った菓子を。
 きっと幸せの味がする。
 熟練の職人が作った砂糖で、砂糖菓子が作られる今の地球。
 そんな平和な青い地球に来たと、今は砂糖はお菓子なのだと、二人で幾つもつまんで食べて…。




          和三盆の夢・了

※手間暇かけて出来る和三盆。けれど、シャングリラでも作ることは可能だったのです。
 和三盆作りに挑んでいたなら、ブルーとゼルが腕を競っていたかも。そういう砂糖菓子の夢。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








(今日は暑いな…)
 夏ほどじゃないが、とハーレイは青い空を仰いだ。
 秋にしては珍しく汗ばむ陽気。今の季節はこういう日もある、晴れて気温がぐんぐん上がる日。
 研修だからとスーツをキッチリ着込んで来たから、余計に暑く感じるのだろう。上着を脱いでも腕に抱えるしかない状態では、あまり脱ぎたい気持ちにならない。だらしないように思えるから。
(…別に脱いだってかまわないんだが…)
 誰に見られるわけでもないし、そういう格好の男性も歩いているのだけれど。上着を抱えて歩く姿もさして珍しくはない日だけれども、これは自分の性分だから。
(仕方ないってな)
 今、この場所に居ることも含めて、自分の性格、自分の考え。
 スーツの上着を脱がずにいるのも、この方向へと向かっているのも。



 午前中だけで終わった研修。昼食の時間を前にして解散だった。
 研修の日には学校に行かなくても別にいいのだけれど。大抵の教師は一日休むし、今日の会場で会った顔馴染みたちも午後は休暇だと話していた。何処かでゆっくり食事しないかと。
 けれども誘いを断った自分、彼らと別れて歩き出した自分。
(俺の性分…)
 学校に行けばブルーの顔を見られるだろうし、柔道部にも顔を出したいし。
 食事くらいは付き合っても良かったかと思わないでもないけれど。教師仲間と旧交を温め、その後で学校に行くという選択肢もあったな、と歩いて来た方を振り返ったけれど。
 仲間たちが行こうとしていた店は候補が複数挙がっていたから、今から戻っても何処の店なのか分からないまま引き返すことになるだろう。最初に覗いた店で運良く出会えたら別だけれども。
(…多分、無駄足になっちまうしな…)
 幾つも店を覗く気にはなれない、そこまでせずとも会える機会はまたやって来る。研修に行けば顔を合わせるし、食事は次の時でいい。わざわざ戻って彼らの姿を探さなくても。



 ともあれ今は、まずは昼食。学校まで歩いてゆくつもりだから、途中の何処かで。
 のんびり歩いても一時間もかかりはしない距離。今日は休んでもかまわない日で、学校の方でも休むと思っている日なのだし、急ぐ必要は全く無かった。ゆっくり食べても、休憩していても。
 何処にしようか、と見回しながら歩いてゆく内に…。
(おっ!)
 美味そうだ、と鼻が反応した店。流れて来た匂いに釣られて入った、ごくごく普通の定食屋。
 一人で座れるテーブルを見付けて腰を落ち着けたら、店主が注文を取りに来た。さっきの匂いを思い浮かべてアジフライ定食、それを注文しておいて。



(水を一杯…)
 冷たいのを、とカウンターの端まで取りに出掛けた。注文した料理はテーブルに届くけれども、水は自分で取りに行く仕組みのようだから。テーブルまでは届かないから。
 ガラスのコップに注いで来た水を一気に飲み干し、もう一杯、とまたカウンターへ。外の暑さがまだ抜けないから、冷たい水の気分だから。
 テーブルに戻って、コップの水を口に含んで。
(うむ、美味い!)
 美味い水だ、と嬉しくなった。
 さっきは気付かなかったけれども、一息に飲んでしまったけれど。暑かったからと冷たさだけを味わったけれど、いい味だと分かる二杯目の水。
 もしや、と入れて来た氷を口の中で溶かしてみれば、これまた美味しい。



(こいつはいいな…)
 つい三杯目を貰って来た所へ、注文の品が届いたから。揚げ立てのアジフライがドカンと載った皿に味噌汁、御飯などを店主が運んで来たから、「美味しい水ですね」と声を掛けた。
 おかわりさせて頂いていますと、もう三杯目になるんですが、と。
「それはそれは…。お分かりになりますか?」
「ええ、もちろん。…一杯目は気付きませんでしたがね」
 暑かったもので一気に飲んでしまって、と白状した。実にもったいないことをしました、と。
「いえいえ、気付いて頂けただけでも嬉しいですよ」
 置いておいた甲斐がありますしね、と破顔した店主。
 水は毎朝、汲みに出掛けて行くのだという。まだ暗い内に、店の準備を始める前に。



「湧き水でしたか…! 美味い筈ですね」
 地面の中を通って来た地下水は格別の味がするものだから。この味はそれか、と納得した。湧き水は何処で飲んでも美味しい。山の中でも、井戸の水でも。
「朝は競争になっていますよ。…私が汲んで帰る頃には」
 夜が明けたら散歩を兼ねて汲みに来る人も多いので、と店主が語る水争いならぬ長蛇の列。水を汲もうと人がズラリと並ぶのだという、思い思いの容器を手にして。
 美味しい水が湧くと評判の町外れにある小さな公園、本来は公園で一休みする人に提供しようと掘られた井戸から湧き出す水。蛇口などは無くて、流れ出すまま、ただ滾々と。
 水を溜めておくために設けられた大きな石の器を満たした後は、公園へ流れてゆくらしい。細い水路を巡って流れて、やがては外へと。
 水を汲みに来た人たちがいくら汲んでも尽きない水。水路が涸れてはしまわない水。
 其処の噂は耳にしていた。なるほど美味い、と思わぬ出会いに感謝する。食事をしようと入った店で噂の水が飲めるとは、と。



「この水でコーヒーを淹れると、またいいんですよ」
 朝の一杯はこれで淹れます、と話す店主はコーヒー好きらしい。仕込みの前にコーヒーを一杯、汲んで来た水で淹れるというから。
「そうでしょうねえ…! 美味い水で淹れると格別でしょうね」
 羨ましいです、と頷くと「お客さんもコーヒー党ですか?」と返って来て。
 客が一段落していたこともあって、暫し話し込んだ。美味しい湧き水を汲みに出掛けたら出会う日の出や、朝一番の水で淹れるコーヒーの美味さやら。
 店主は毎朝、たっぷりと汲んで来るらしい。店に置く分と、自分が飲む分。
 それだけ汲んでも水は尽きなくて、夜明けと共にやって来る人たちの分まで充分にあって、まだ公園へと流れてゆく。尽きることのない豊富な湧き水。
 店主が暗い内から行くのは、沢山汲むせいで他の人たちを待たせないようにとの気遣いだった。自分が飲む分だけならかまわないけれど、店に置くには大きな容器が必要だから。それにたっぷり汲んで来ないと、店の分の飲み水には足りないから。
「店をやってて、自分だけが美味い水を飲むというのも悪いですしねえ…」
 お客さんにもお出ししないと、と人のいい笑みを浮かべる店主。
 気付く人は滅多にいないけれども、それでも美味しい飲み水を用意しておきたいと。



 「お好きでしたら、いくらでもどうぞ」と店主が言ってくれたから。
 アジフライ定食を平らげた後にも有難く貰った、もう一杯、と。アジフライ定食も鼻が釣られただけのことはあって、なかなかの味で。アジフライはもちろん、味噌汁もまた美味かった。御飯もあの水で炊いているのかと考えたほどに美味しかったし…。
(まさか飯までは炊いてないとは思うんだがなあ…)
 いくら店主が早起きで水場に出掛けて行っても、御飯を炊くほどの量を汲むとなったら大仕事。流石にそこまではしないと思うし、そうなると御飯の美味しさは店主の腕だろう。御飯を炊くのに使う機械も、使い方次第で味が変わるから。微妙な水加減や浸す時間や、そういったもので。
(この店に入って当たりだったな)
 料理も御飯も美味しかった上に、評判の湧き水が飲み放題。食後の一杯とばかりに水のコップを傾けながら一休み。
 学校には急ぐわけではないから、此処でゆっくりしていてもいい。店内の客も減ってくる時間、慌てて席を空ける必要も無さそうだから。



(美味いんだ、これが)
 この水が美味い、と喉を潤す。店主が朝から汲んで来た水。美味しいと評判が高い湧き水。
 メニューにコーヒーが無いのが惜しい。定食屋だから当然と言えば当然だけれど、コーヒーなら喫茶店なのだけれど。
 これほど美味しい水があるなら、コーヒーも飲んでみたかった。メニューにあったら、迷いなく注文してみるだろうに。アジフライ定食の後にコーヒー、淹れ立ての味を試してみるのに。
 なんとも美味しい水だから。何の手も加えていないというのに、まろやかな味の水だから。
(しかも水だけならタダなんだ…)
 何杯飲んでも、おかわりをしても、氷を好きなだけ貰っても。
 この美味しさならば売ってもいいのに、店主の手間賃や運搬のための費用を足しても、そういう値段でメニューに載せても、誰も文句は言わないだろうに。
 飲んでみれば分かる、美味しい水だと。一味違うと、いい水なのだと。



 そう考えてみたのだけれども、様々な店を思い浮かべてみれば、水は無料が基本のもの。大抵の店はタダで出してくれる、テーブルまで運んで来てくれても。空になったらおかわりも出来るし、気の利いた店なら空になる前に注ぎに来てくれる。
 食料品店などに出掛けたら、ボトルに詰まった水も売られているけれど。
 飲食店で水となったら、普通は無料。気取った店だとボトル入りの水は如何ですかと有料の水を勧められるけれど、それを断ったら無料の水になるというだけ。水を買わない客向けに置いてある平凡な水がタダでグラスに注がれて来るし、水が飲めないわけではない。
 つまりは何処でも水はタダのもの、無料でいくらでも飲めるもの。
 この店のような美味しい水をとこだわらなければ、平凡な水でいいのなら。
 平凡な水と言っても侮れはしない、けして消毒薬などの匂いはしないし、喉ごしもいい。飲んでガッカリさせられたりはしない、美味しいと驚かないだけで。いい水だと思わないだけで。
 美味しい水と比べなかったら、水は水。平凡な水でも充分いける。冷やして飲んだらスッキリとするし、沸かして飲んだらホッとするもの。



(昔は苦労したもんだがなあ…)
 ずっと昔は、と前の自分が生きた頃へと思いを馳せた。シャングリラへ、白い鯨へと。
 人類のものだった船をシャングリラと名付けて、暗い宇宙を旅していた頃。白い鯨ではなかった頃には、水の浄化システムや循環システムの系統も限られていたものだから。
 メンテナンスをするとなったら、それに備えて水の備蓄が必要だった。飲料水の供給が停止する間も、水を飲まずにはいられないから。終了するまで飲み水無しではいられないから。
 飲料水が底を尽かないよう、メンテナンスの前には備蓄を充分に。メンテナンスは迅速に。
 キャプテンとして何度も指示を下した、きちんと準備をしておくようにと。メンテナンスをする作業員たちは、出来るだけ早く仕事を終えるようにと。
 白い鯨になった後には、青の間があったほどだから。常に大量の水を湛えた、あの部屋を設けたほどの船だから、浄化システムも循環システムも予備の系統があったけれども。
 それでもチェックは欠かせなかったし、メンテナンスも不可欠だった。飲料水が無くては人間は生きてゆけないから。自給自足の船の中では、飲料水はまさに命の綱だったから。
 そうやって懸命に水を作って、前の自分たちは生きていた。いつか水の星へ、地球へ行こうと。
 地表の七割を海が占めるという水の星、地球。水のせいで青く見える星へと、青い地球へと。
 あの頃の自分たちが生きたシャングリラの中を思えば…。



(…今は凄くないか!?)
 凄すぎる生活をしてはいないか、とコップの中の水を見詰めた。美味しいと何杯も飲んだ水。
 これに限らず、前の自分たちが憧れた青い地球の水が飲み放題だった、何処へ行っても。何処の店でも水は無料で、気取った店でさえ無料の水を用意している。水の代金は何処でも要らない。
(この水だって…)
 美味い水だと分かる味なのに、店主は値段をつけてはいない。元の湧き水がタダだからだろう、汲みに行くのに必要だった費用や手間さえ水の値段に転嫁してはいない。
 それに、平凡な水ともなれば。
 有料の水を勧められるような店でもタダで出してくれる水は水道の水で、蛇口を捻れば出て来るけれど。水道さえあれば飲めるけれども、これまた悪くはない味だった。おまけに平凡でも地球の水。地球に降った雨や湧き水から生まれてくるのが水道の水。
 前の自分たちが焦がれ続けた青い地球の水は、今は何処でもタダで出るもの。
 お好きにどうぞと、好きなだけどうぞと無料でおかわりが貰えるもの。
 青い地球で生まれた水なのに。地球が作り出した水だというのに、今ではそれが無料の時代。
 何処で頼んでも、水をくれと言っても、地球の水がタダで「どうぞ」と注がれる世界。あるいは自分で注ぎ放題、湧き水を汲みに出掛けたとしても、それまたタダで。
 前の自分がこれを聞いたら、どんな顔をしたというのだろう?
 まるで想像すらもしなかっただろう、地球の水がタダで飲み放題の素晴らしい世界などは。



 タダになってしまった地球の水。無料で出るのが当たり前の水。
 何も思わないままでそれを飲んでいた、今日まで知らずに過ごしていた。店に入っても、自分の家でも、ゴクゴクと水を飲んでいた。
 前の自分が目指した地球の水とも気付かず、どれほど貴重な水だったのかも考えないままで。
 あの時代に青い地球があったら、どれほどの値段がついていたかも考えないで。
 そう、地球の水はとてつもない貴重品だった。前の自分の立場から見れば。



(今更気付いたとは遅すぎるぞ!)
 なんてこった、と思わず天井を仰いでしまった。雨を降らせる空がある方を。
 今日は汗ばむほどの陽気で、雨など降りはしないけど。その空を雲が覆い尽くしたら雨が降る。雨は地上を潤し、流れて、しみ込んで再び戻って来る。湧き水になって。
 大地にしみ込まずに流れて行った水も、また雲になって雨が降り注いだりする。
 地球はそうして水を作って、それを飲んでいるのが自分たち。水はタダだと、水道の水はタダのものだと、蛇口を捻って、コップに満たして。
 それが贅沢だと今頃気付いた、凄い贅沢をしていたのだと。



(…泳いでいてウッカリ飲んじまった水も…)
 海の水も、湖の水も、川の水も。プールに満々と湛えられた水も、もれなく地球の水だった。
 ウッカリ水を飲んでしまったような幼い頃には、それと気付いていなかったけれど。
 塩辛かったと顔を顰めたり、鼻にも入ったと激しく噎せたり、ロクな記憶が無かった水。誤って飲んでしまった水。
 それさえも贅沢な思い出なのだと、今頃になって気が付いた。
 前の自分の記憶が戻ってから随分経つのに、夏は海にも行ったのに。柔道部の生徒たちを連れて出掛けた広く青い海、地球の海だとは思ったけれども、水には気を留めていなかった。
 水は当たり前に身の回りにあるし、いつでも飲めるものだから。無料で飲める飲み物だから。
 なんという贅沢をしているのだろうか、今の自分は。
 地球の水を好きな時に好きなだけ飲んで、しかも代金は必要無いのが基本の生活だったとは…。



(これは是非ともブルーに話してやらんとな?)
 今日はブルーの家に行こうと決めていたけれど、思わぬ土産話が出来た。きっと小さなブルーも気付いてはいまい、地球の水を好きなだけ飲むことが出来る贅沢に。無料で飲める素晴らしさに。
(この店に入ったお蔭だな)
 店主が汲んで来た美味い水が無ければ、今も気付いていなかったろう。いい店に出会えたと感謝しながら勘定を済ませ、出ようとしたら店主に呼び止められた。
「お客さん、ウチの水を褒めて下さったんで…」
 これでコーヒーでも飲んで下さい、と店主が差し出した水。ボトルにたっぷり。
「…いいんですか、こんなに頂いても?」
「ええ。分かって下さる方には差し上げたくなるじゃないですか」
 ご遠慮なく、と笑顔を向けられたから、有難く貰って店を出た。午後の日射しを受けたボトルがキラリと光って、中で煌めく美味しい水。店主が朝から汲んで来た水。
(最高の土産だ…!)
 ブルーの家に持って行くには、水の話をしてやるには。
 いいものを貰った、と足取りも軽く歩いてゆく。水のボトルをしっかりと持って。



 今日は休んでもいい学校に着くと、同僚たちに「真面目ですねえ」と笑われたけれど。ブルーの姿を窓越しにチラリと見たから満足、来て良かったと笑みが零れた。制服のブルー。
 書類の整理などをしながら放課後まで居て、柔道部の指導をしてからブルーの家へと。いつもの愛車は自分の家に置いて来たから、これまた歩いて、水の入ったボトルを持って。
 見慣れた生垣に囲まれた家。門扉の脇のチャイムを鳴らすと、二階の窓からブルーが手を振る。応えて大きく手を振り返して、迎えに出て来たブルーの母にボトルを渡した。
 「美味しい水なので、このままで飲む分も出して頂けますか」と。
 ブルーと自分と、それぞれコップに一杯分。残りは沸かしてお茶を淹れてくれればと、いつもの紅茶でいいですから、と。
 そして…。



「なんで水なの?」
 キョトンと瞳を見開いたブルー。紅茶とお菓子は分かるけれども、どうして水、と。
 透明なガラスのコップに一杯ずつの水は確かに、普段だったら無いもので。ポットの紅茶が濃くなりすぎた時に使う差し湯なら、専用の器に入れるものだし、水ではなくて沸かした湯だし…。
 ブルーの疑問はもっともだけれど、今日の主役はこの水だから。
「まあ飲んでみろ」
 砂糖を入れて飲むんじゃないぞ。そのまま飲むんだ、水のままでな。
「ふうん…?」
 コクリと一口、飲んだブルーは目を丸くして。それから一口、もう一口…、と味わってから。
 頬を緩めてコップを指差し、「美味しいね」と、また一口。
 美味しい水だと、特別なのかと訊かれたから。
「そうだろう…!」
 美味い水だろ、だからこのまま飲んで欲しいと思ってな。
 お母さんにそうお願いしたのさ、このままコップで出して下さい、と。



 ただの水とは違うんだぞ、と話して聞かせた。評判の美味しい湧き水なのだ、と。
「町外れの小さな公園の水だ、公園に来た人が飲めるようにと井戸があるんだが…」
 その井戸の水さ、大勢の人が汲みに行くらしいが、それでも水は水路にまで溢れてゆくそうだ。俺も噂は知っていたものの、本物にはお目にかかっていなくってな…。
 今日、昼飯を食いに入った店の水がその水だったんだ。店のご主人が夜が明ける前に出掛けて、自分用と店で使う分とを汲んで来るらしい。
 美味いですね、と話し掛けたら、「分かりますか?」と喜ばれてなあ…。
 土産にこいつを貰ったってわけだ、コーヒーでも飲んで下さい、とな。
「凄いね、貰って来たんだ、この水…」
 お店のおじさん、嬉しかったんだね、ハーレイに味を分かって貰えて。
「らしいな、ご自慢の水のようだし」
 他の人たちの邪魔にならないよう、暗い内から出掛けて汲むんだと言ってたぞ。朝早くから大勢やって来るらしくて、長蛇の列とも言ってたなあ…。
 そいつを店で出しているんだ、俺みたいな客が勝手に好きなだけ飲めるように。同じ水で作った氷まで置いて、お好きにどうぞという感じだな。
「そうなんだ…。頑張って汲んで来たのに、そういうことは書いてないんだね?」
 飲んだお客さんが気付かなかったら、普通の水とおんなじなんだね…。
 ちょっとビックリ、こんなに美味しいお水なんだし、紙に書いて貼っておけばいいのに。



 もっとアピールしても良さそうなのに、とブルーが言うから。
 美味しい水を汲んで来たなら、そういう水だと書いておけば喜ばれそうなのに、と不思議そうに首を傾げているから。
「…そうしないトコが、あのご主人の人柄っていうヤツなんだろうな」
 美味しい水を一人占めじゃなくって、お客さんにも飲んで欲しいんだろう。人を呼び込むための水じゃないんだ、いわゆるサービスってヤツなんだろうが…。
 お蔭で俺も気が付いた。この水、地球の水なんだぞ?
「え?」
 それはそうでしょ、此処は地球だし…。地球の湧き水なら地球の水でしょ?
「むろん、そういうことになるんだが…。その地球の水。前の俺たちには貴重品だぞ?」
 ボトルに詰めて、とんでもない値段で売られていたって不思議じゃなかった。
 誰もが行きたいと願っていた星だ、人類の聖地と言われた地球だ。
 その地球の水を汲んで来ました、ってことになったら、どんな値段になってたと思う?
 …もっとも、あの頃の地球は死の星だったし、水を売るどころじゃなかったんだがな。
 その地球が見事に復活して来て、今じゃ何処でも地球の水ってヤツが飲み放題だ。高いどころかタダになっちまって、店でも家でも好きなだけ飲める。
 俺も初めて気付いたんだがな、この水をくれた店のお蔭で。
「本当だ…!」
 お水、何処でもくっついてくるね、レストランでも喫茶店でも。
 なんにも注文しない内から、お水のコップが出て来るものね。お水が減ったら入れてくれるし、お水のお金は要らないし…。
 当たり前だと思ってたけど、あのお水、全部、地球の水だね…!



 学校でもお水はいつでも飲めるよ、と驚いたブルー。
 水飲み場は学校のあちこちにあるし、お金なんかは要らない仕組み、と。家でも何処でも水道があれば水が出て来て、好きなだけ飲んでいいんだった、と。
「…前のぼくが聞いたら、冗談じゃないかと思いそうだよ」
 地球の水は全部タダなんです、って言われても、きっと信じないよね。地球に住めるような偉い人ならタダで飲めても、そうじゃない人は高い値段で買って飲むんだと思うかも…。
「俺も同じだ、前の俺ならタダだと聞いても信じないな」
 一部のエリートだけの特権だろうと、地球に住めるヤツらはタダなんだな、と思うんだろう。
 前の俺たちが飲もうと言うなら、何が何でも地球に辿り着くか、高い水を奪って飲んでみるか。どっちにしたって、そう簡単には飲めないもので、だ…。
 そんな地球の水を飲み放題っていう今の俺たちは、凄い暮らしをしてるってわけだ。蛇口を捻るだけで地球の水が飲めるし、何処に行っても水はタダだと思って生きてるわけだしな。
 これは凄いと思わないか…?
「うん…」
 お水なんかは普通なんだと思っていたけど…。
 お茶とかになったら特別だけれど、お水はサービスでついてくるものだと思い込んでたけど…。
 それって普通じゃなかったんだね、前のぼくたちには考えられないような贅沢なんだね。
 地球のお水を好きなだけ飲めるっていうのもそうだし、その地球の水がタダだなんて。
「うむ。今日まで気付かずに来たくらいなんだ、それほどにタダだと思ってるわけだ」
 生まれた時から使い放題、飲み放題で育って来たから、そうなっちまった。
 シャングリラの頃には地球の水どころか、飲料水の確保にも気を配っていたというのにな…。



 贅沢な時代になったもんだな、と紅茶のカップを傾けた。ブルーにパチンと目配せしながら。
 この紅茶もその水で淹れて貰ったと、同じ水で淹れた紅茶なのだと。
 ブルーは早速、紅茶のカップを口へと運んで。
「美味しいかも…」
 いつもの紅茶より、ずっと美味しい紅茶かも…。
「それは気のせいかもしれんがな。…俺には水ほどに違いは分からん」
 俺は紅茶は詳しくないしな、お前も前から知っている通り、コーヒーの方が好きだしな?
 それに、この水。あの店のご主人も朝一番にこれでコーヒーなんだと言っていたから、コーヒー向けの水なんじゃないか?
 コーヒーにはピッタリの水かもしれんが、紅茶の方にはどうだかなあ…?



 紅茶も美味しく飲める水とは限らないぞ、と笑ったけれど。
 コーヒーと紅茶では、淹れるのに向いている水の性質が違う部分もあるだろうけれど。
 小さなブルーは「ぼくは美味しいと思うけど…」と紅茶をコクリと飲んで。
「コーヒー向けなのか、紅茶向けかは、汲みに行ってる人たちに訊かないと分からないけど…」
 でも、いいお水には違いないよね、行列が出来るほどの水なんだから。
 そういうお水は、名水って言うんだったっけ?
「ああ、間違いなく名水だな」
 うんと昔なら、それこそ名前がついただろう。この辺りが日本だったような時代なら。
 そりゃあ立派な名前を貰って、その水で仕込んだ酒なんかもきっと出来たんだろうなあ…。
 今の時代だと、ただの公園の水なわけだが。
 公園の名前さえもついていなくて、「あそこの水」って呼ばれるわけだが、確かに美味い。
 いつかは名前がつくのかもなあ、美味いって評判がどんどん広がっていったらな。
 そうなったとしても、相変わらずタダで、好きなだけ汲める水なんだろうが。



 今の時代は、地球の水はタダが基本だから。美味しいからといって有料になりはしないから。
 この公園の水もきっと無料のままだろう、と話してやったら。
「毎日、こういう美味しいお水が飲めたらいいね」
 地球のお水っていうだけで幸せだけれど、美味しいお水はもっと幸せ。
「…水道の水でも充分なんだが…」
 前の俺たちからすれば、水道の水でも地球の水となったら格別の水ではあるんだが…。
 そうは言っても、俺たちは今の時代の人間なわけで、贅沢な地球の水に慣れているわけで…。
 欲も出るよな、同じ飲むなら美味い水、と。
 こういう美味いのに出会ってしまうと、もっと飲みたいと思うよなあ…。



 いつか山まで美味い湧き水を汲みに行こうか、と誘ってみた。
 人間が掘った井戸とは違って、地面から自然に湧き出す清水。それが飲める場所もあるからと。
「泉って言葉は知ってるだろう? そういうヤツだな」
 綺麗な水が湧き出してるんだ、親父が汲みに行ったりしてるぞ。美味い水だからな。
「ホント?」
 それじゃコーヒーに合う水なのかな、その泉って?
「さてなあ…。親父からは特に聞いちゃいないが、泉から飲んでもかまわないんだぞ」
 自分でフキの葉でコップを作って。
「…フキの葉?」
 フキって、フキノトウのフキ?
 あれの葉っぱでコップが出来るの?
「そうさ、フキの葉が大きく育った頃ならな」
 デカくて穴の無い葉っぱを選んで、茎ごとポキリと折ってくるんだ。



 そいつの茎を手前にこう折り曲げて…、と父の直伝を示してやったら。
 葉の部分がコップのようになるから、水を汲めるのだと教えてやったら。
「それ、やりたい!」
 やってみたいよ、フキの葉のコップ。それでお水も汲んでみたいし…。
「いつかはな」
 連れてってやろう、あそこの水は美味いんだ。山登りをする価値は充分にあるぞ。
 だが、山登りはお前の身体じゃ大変だろうし、普段は名水にしておくか。
 例の公園の名水を汲みに出掛けて、そいつでコーヒー。
 結婚したなら、朝は名水でコーヒーと洒落込みたいじゃないか。
「そこは紅茶だよ!」
 ぼくはコーヒー、苦手なんだから!
 美味しい水を汲みに出掛けて淹れるんだったら、断然、紅茶!
「俺はコーヒー党なんだが…」
 美味い水で朝から淹れるとなったら、俺はコーヒーにしたいんだがなあ…。
 しかしお前は紅茶なんだな、意見が分かれちまったな。
 まあ、今の所はコーヒーが美味い水ってことでだ、あの公園の水を汲みに行ってコーヒーだな。
 お前はそいつで紅茶にしておけ、今日のも美味いと言ってるんだから。



 それでいいだろ、と言っておいたけれど。ブルーもコクリと頷いたけれど。
 いつかブルーと結婚したなら、コーヒーと紅茶、どちらにも合う水を探しに、汲みに行こうか。色々な水の評判を聞いて、あちこちの水を試してみて。
 そんな結婚生活もいい。
 週末になったら、たまには朝早くから二人で、美味しい水を汲みに。多分、車で。
 そこから始まる朝の食卓、家に戻ったら紅茶にコーヒー。
 まだ暗い内から出掛けて汲んで来た水で、紅茶にもコーヒーにもピッタリの水で。
 きっと幸せの味がするだろう、地球の美味しい水だから。
 前の自分たちには思いもよらない贅沢だったけれど、今は無料の地球の水。
 それで紅茶とコーヒーを淹れて、二人でゆっくり味わう朝。
 ブルーには紅茶、自分はコーヒー。
 いい味がすると、水を汲みに出掛けた甲斐があったと、二人で微笑み交わしながら…。




           無料の水・了

※今では無料で飲めるのが水。飲食店でさえ、タダで提供してくれるほど。飲み放題で。
 シャングリラでは考えられなかった贅沢な暮らし。それに気付くと、水も輝いて見えるほど。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










(ふうむ…)
 流石に少し伸びすぎだな、と眺めた生垣。ハーレイの家をぐるりと囲んでいる緑。
 庭木の手入れは植木屋に任せているのだけれども、生垣は自分で刈ることもあった。伸び始めた頃合いでハサミを持ち出し、この高さと幅で、と切り揃える作業。
 どの枝を切るか、どれを残すか、考えながらの作業は楽しい。生垣が透けてしまわないように、それでいてスッキリ見えるようにと切る枝を選ぶ。どのくらい切るかも、枝に合わせて。
 休日に刈るのが好きだったのだが、刈り終わった生垣は満足感と達成感とをくれるのだが。
 この春から事情が変わってしまった。小さなブルーの守り役になって。
 週末は特に用事が無ければ、ブルーの家へ。其処で一日を過ごして帰る。夕食も御馳走になってくるから、帰宅する頃にはとっぷりと暮れて、生垣は闇の中だった。
 朝も生垣を刈っているほどの時間は無いから、その脇を通って出てゆくだけ。早い話が…。



(…お留守なんだ)
 生垣の世話が、と苦笑いした。放り出してあると言ってもいい。
 植木鋏にはとんと御無沙汰、もう長いこと手にしていない。生垣を刈ってやってはいない。
 ブルーと再会した五月の三日は青葉の季節で、それから夏へと生垣はぐんぐん伸びたのに。庭のどの木も枝を伸ばして、新しい葉を茂らせたのに。
 だから夏休みに一度だけ植木屋に頼んで刈って貰った、生垣だけを。伸びすぎたからと、綺麗に刈っておいて欲しいと頼んで出掛けた。ブルーの家へと。
 帰って来たら生垣は見事に刈り揃えられていたけれど。伸びる前の姿になっていたけれど、夏は終わりではなかったから。枝はまだまだ伸びていったから、この始末。
 他の庭木の手入れのためにと植木屋を頼む時期はまだ先のことで、生垣だけを刈って貰うほどの伸び方でもないし…。



(たまには手入れしてやるか)
 そんな気分になった土曜日の朝、早く目が覚めて出て来た庭。新聞と牛乳とを取りに。どちらも門扉の所に届くし、新聞は小脇に抱えたけれど。牛乳の瓶は手に持ったけれど、そこで生垣。
 ふと目を遣った生垣のあちこち、突き出している今年育った枝。元気の良さが一目で分かる枝。
 以前だったら、こうなる前にハサミを持ち出していたのだけれど。きちんと揃った緑を見るのが好きだったけれど、もう本当に御無沙汰だったから。
(…好きなんだがなあ…)
 刈り揃えた生垣を見るのも好きなら、植木の刈り込みをすることも。
 生垣ばかりか、庭じゅうの木を自分で刈り込みたいほどに。梯子を持ち出し、遥か上の方の枝も刈りたいくらいに。
 隣町の家に住んでいた頃、父に仕込まれた庭木の手入れ。
 「植木屋さんは毎日は来てくれないしな?」と言っていた父。それぞれの木に適した時期があるから、自分で出来る範囲の手入れをしてやれば庭木は元気に育つと、いい木になると。
 花や実を沢山つけてくれるし、庭木は手をかけてやってこそだと。
 父と一緒に垣根を刈ったり、もっと大きな庭木を刈ったり。楽しかったし、遣り甲斐もあった。
 そういう風に育って来たから、この家に来ても生垣は自分で刈っていたわけで…。



 なのにお留守にしていた生垣、放りっ放しになっていた緑。
 目に留まったのも何かの縁というものだろう、と生垣の手入れを思い立った。今日は早く起きた分だけ時間に余裕があるから、少しだけ。生垣から顔を突き出している枝を切っておこうと。
 新聞と牛乳を持って入って、植木用のハサミを手にして戻った。片手で持てる小さなもの。花を生けるのに使うようなハサミ、細い枝を切るのに適したハサミ。
(伸び過ぎたヤツだけ切るなら、こいつだ)
 生垣全体を刈るのだったら、両手で扱うハサミだけれど。木で出来た握りを左右の手で持って、端から刈ってゆくのだけれど。
 それをするだけの時間は無いから、明らかに伸び過ぎと分かる枝だけを落としてゆく。ハサミでチョキンと、伸びた分だけ。生垣からピョコンと突き出した分だけ。



 爽やかな秋晴れの朝の空の下、チョンチョンと切って回っていて。
 生垣に沿って歩きながらチョキンと枝を落としては、また次の枝を…、と進んでいて。
(おっ…!)
 この季節ならではのものを見付けた、カマキリの卵。来年に孵る予定の卵。
 独特の塊が産み付けられてくっついていた。生垣から突き出した枝の一つに、伸び過ぎた枝に。
 カマキリは生垣の伸び具合などは、まるで気にしていないから。
 卵の塊は伸びた枝の半ば辺りにしっかりとついて、とうに固まってしまっていた。枝を切ったら落とされる辺りに、どう眺めてみても切るしかない辺りに。
 けれども、せっかくのカマキリの卵。来年、沢山の小さなカマキリが生まれる卵。
(こいつは切ったら可哀相だな)
 切り落として庭に置いておいたら、蟻などに食われてしまうだろう。家の中に仕舞うにも無理がある。いつ孵化するのか分からないのだし、ケースや虫籠に入れてはおけない。
 それに何より、自然の中で孵るのが卵にとっても幸せというもの。カマキリの親は色々と考えてこの枝を選んだのだから。



(切っちゃいかん、と…)
 この枝は残しておこうと決めた。幸い、生垣の内側でもある。庭の側だから、この枝が一本だけ突き出していても、見た目が悪いわけでもない。
 植木屋にも切られないように、と目印をつけることにした。小さな木の板に「カマキリの卵」と「この枝は切らないで下さい」の文字。それを枝へと結び付けた。
(これで良し!)
 もう安心だぞ、と心でカマキリの卵に呼び掛け、作業の続き。ハサミでチョンと枝を切っては、また進んでの繰り返し。家をくるりと一周回って、内側も外側も確認して。
(すっきりしたな)
 これだけでもかなり違うもんだ、と生垣の姿に大きく頷いた。手入れをしたという感じ。
 朝から思わぬ仕事が出来た、と家に入ってハサミを仕舞って、朝食の支度。トーストは分厚く、オムレツには今朝はチーズを入れて。ソーセージはハーブ入りのにしようか、それを多めに。
 ひと仕事した後の朝食だから、気持ちいい気分で食べられるだろう。軽くジョギングをしてきた後の食事のように。ジムでひと泳ぎした後の軽食のように。



 腹ごしらえして、コーヒーを飲んで後片付け。それが済んだらブルーの家へと。
 歩いて出掛ける途中の道で、ついつい目が行く様々な生垣。丈の高いものや、低いものやら。
 家の持ち主の好みに合わせて、植えてある木もバラエティー豊か。
 自分が朝から少しとはいえ手入れして来たから、生垣をつい眺めてしまう。普段だったら花壇の花や、庭木の方ばかり見ているのに。
(きちんと手入れしてある生垣っていうのは気持ちがいいんだ)
 家が愛されていると感じるから。生垣にまで気を配っているのだと分かるから。
(…俺は御無沙汰しちまったけどな)
 夏休みに一度刈って貰っただけ、それきり放ってあった生垣。以前だったらせっせと刈り込み、きちんと整えてあったのに。
 とはいえ、ブルーに会うためだから。生垣よりかは恋人の方が大切だから、と自分に言い訳。
 そのブルーの家にも生垣があって、いつも綺麗にしてあるけれど。
 あれは植木屋を呼んでいるのか、それともブルーの父が手入れをするのだろうか?
 今日まで気にしていなかったけれど、気になって来た生垣事情。いつ見ても綺麗な生垣の家。



 ブルーの家が見えて来たら、今日も生垣は艶やかな緑。冬になっても葉を落とさない木を選んで植えたと分かる生垣。それを眺めながらチャイムを鳴らした。門扉の脇についたチャイムを。
 二階のブルーの部屋に通され、テーブルを挟んで向かい合わせに座って。小さなブルーに尋ねてみた。さっき見ていた生垣の方を指差して。
「お前の家の生垣、刈っているのは植木屋さんか?」
 いつもきちんと手入れしてあるが、植木屋さんに頼んでいるのか?
「んーと…。植木屋さんも来るけど、たまにパパが刈るよ」
 ハーレイが来ていた日には、やってなかったかな?
 気が向いたら大きなハサミで端から刈っていくけど、ちょっぴり伸びたのはママが切ってる。
 切るって言っても全部をじゃなくて、はみ出してるって言うのかな…。生垣から枝がヒョコッと出たりするでしょ、ああいうのをね。小さなハサミでチョキンと切ったらおしまいな分。
「お前は生垣、切らないのか?」
 お父さんと一緒にやってみないのか、生垣の手入れ。
「やったことないけど…。ハーレイ、やるの?」
 ハーレイの家にも生垣があったけど、あれはハーレイが刈ってるの?
「ああ。今年は御無沙汰しちまっているが、去年までは真面目に刈ってたんだぞ」
 伸びて来たな、と思ったら休みの日に丸ごと全部を。
 植木屋さんに頼んでもいいんだが、俺は生垣を刈るのが好きでな。生垣に限らず、庭木は端から手入れをしたいタイプだ、親父にしっかり仕込まれたからな。



 庭じゅうの木を自分で切りたいくらいだが、と話してやった。木にはそれぞれ切るのに丁度いい時期があるから、それに合わせて手入れが出来たらいいんだが、と。
「なかなか、そうもいかんがな…。暇が出来たら、他にもやりたいことが出来るし」
 植木屋の真似事をしているよりかは、道場に行って指導とか…。ジムで泳ぐとか、ドライブするとか、誘惑ってヤツも多いもんでな。
 ついでに今はお前とのデートに夢中だからなあ、生垣もお留守にしちまっていた。今朝、やっと気が付いて伸びた枝だけ切って来たんだ、俺としたことが…。
 道具さえあったら、高い木の枝でも切れるのが自慢だったんだがな。
「高い枝って…。ハーレイ、そんなのも自分で切れるの?」
 ぼくのパパは生垣くらいしか切れないけれども、ハーレイ、出来るの?
「出来るさ、プロ並みとまではいかないが…」
 そこまで出来たら、別の仕事が出来そうだ。古典の教師をやっていない時は植木屋とかな。
 俺のは所詮、庭仕事の延長線ってヤツだが、そこそこの腕は持ってるぞ?
 生垣を刈るのも、けっこう上手いと植木屋さんに褒めて貰ったしな。



 その生垣を放っておいたのが俺なんだが、と前置きしてから。
 たまに庭仕事をすると面白い発見もあるんだぞ、と片目を瞑った。今日も見付けた、と。
「生垣の伸びた枝だけ切っておこうと、朝からハサミを持ち出したんだが…」
 ちょっとしたものだ、今の季節ならではの発見だな。
「なに?」
 いいものがあったの、ハーレイの家の生垣か庭に?
「カマキリの卵だ。生垣にあった」
「えーっ!」
 いいな、とブルーが叫んだから。
「カマキリの卵、見たことないか?」
「あんまり…。カマキリは庭にいるんだけれど…」
 だから庭にもある筈だけど、と話すブルーがカマキリの卵を見付けた頃には、大抵は空。中身の卵は孵ってしまって、カマキリが生まれてしまった後。
 空っぽになった卵に出会うことが多くて、たまに中身の入った卵にも出会うけれども。孵化する頃にまた見に来よう、と思って忘れて、出掛けて行ったら孵った後。小さなカマキリはとうの昔に庭の何処かへ行ってしまって、一匹も残っていないのだという。



「カマキリの赤ちゃん、孵る所を見たいんだけど…」
 虫籠に入れておいたら可哀相だしね、カマキリの卵。
 いつ孵るのか分からないから、学校に行ってる間とかだと大変なことになっちゃうし…。虫籠の外に出られなくって、お腹が空いて死んじゃうだとか。
「それは賢明な判断だったな、お前が虫籠に入れなかったこと」
 俺もカマキリの卵、そのまま残して来てやったんだ。本当だったら切る枝なんだが…。生垣から外へ伸びちまった枝で、切り落とそうとしたんだが…。
 そいつにカマキリの卵がついてた、切ったら一緒に落ちちまう場所に。
 切って落としたら蟻とかが食うし、虫籠に入れたら、お前が言ったのと同じコースを辿りそうな気がするからなあ…。
 いい具合に庭の内側の枝についていたから、枝は切らないことにした。植木屋さんが入った時に切らないようにと札もつけたさ、カマキリの卵があるから切らないで下さい、と。



 このくらいの札だ、と枝に結んだ札の大きさを手で作ったら。
 ブルーは「それなら植木屋さんも気付いてくれるね」と笑顔になった。
「カマキリ、きっと喜ぶよ。大事な卵を守ってくれてありがとう、って」
「うむ。カマキリの卵は、まさに命懸けの卵だからなあ…」
「え?」
 命懸けってどういうことなの、カマキリの卵、ただ産んであるっていうわけではないの?
 産むのがとっても大変だったり、命懸けだったりする卵なの…?
「さてなあ、雌の方はどうだか、俺も詳しくはないんだが…」
 あの手の生き物は卵を産んだら力尽きるってことも多いし、雌も命懸けかもしれないが…。
 俺が言うのは雄の方だな、カマキリの雄。
 卵を産むための手伝いに行って、そのまま死んじまうことがあるんだ。
 雌に食われてしまってな、と言えばブルーの目は真ん丸で。
「食べられちゃうって…。どうして、雌に食べられちゃうの?」
 同じカマキリだよ、それに卵のお父さんでしょ?
 なのに食べられてしまうだなんて…。信じられないよ、なんでそうなるの?
「卵を産むのに凄い力が要るそうだ。力を使えば腹が減るだろ、そのせいなんだ」
 腹が減ったと、食い物は無いかと見回したら目の前に食い物がいるって寸法らしい。カマキリは肉を食うものだからな、雄が食い物に見えちまうんだ。
 いいものがいたと、獲物がいると捕まえて食っちまうってわけだな、雄のカマキリを。
 だからだ、まさに命懸けなのさ、カマキリの卵。
 雌はともかく、雄はバリバリ食われちまって、後に卵が残るってことで。



「…可哀相…」
 カマキリの卵のお父さんなのに、と小さなブルーは同情しきりで。
 いくら卵を産むのに力が必要でも、雌に食べられてしまうだなんて、と顔を曇らせるから。
「本望だろうさ、雄の方はな」
 食われても自分の子孫は残るし、何よりも雌のために立派に役立ったんだぞ?
 自分が食われて、卵を産むための栄養になる。もう最高の愛だ、命懸けの愛ってヤツだな、雌のためのな。
 俺もお前に食われるのなら、本望だ。お前が何かをするための栄養になるのなら。
「食べないよ!」
 ぼくはハーレイを食べたりしないよ、いくらお腹が減ったとしても!
 どんなに栄養が欲しくったって、ハーレイを食べるようなことはしないよ!



 それくらいならぼくがハーレイに食べられる方がずっといい、と健気なブルー。
 ハーレイの栄養になるのならいいと、ぼくは喜んで食べられるから、と。
「…ホントだよ? ハーレイの役に立つならいいよ」
 食べられちゃっても、ぼくの命が無くなっても。
 それでハーレイが何か出来るのなら、ハーレイの役に立つんだったら、食べられてもいいよ。
「…前のお前、まさしくそれだよなあ…」
 俺がお前を直接バリバリ食っちまったってわけではないが…。俺が食ってはいないんだが…。
 前のお前の命を犠牲に、シャングリラは無事に逃げ延びたんだ。そのシャングリラに乗っていた俺は、前のお前を食っちまったも同然だ。自分が生き延びるためにだけな。
 …俺にそういうつもりが無くても、客観的に見ればそういうことだ。
 ミュウの未来という名の卵を、あのシャングリラを運んでゆくために前のお前を食っちまった。必要だからと、そうしないと前へ進めないからと。
「…そうかもね…」
 カマキリの卵みたいなものだったかもね、シャングリラ。
 あの船を未来へ、地球へ運ぶのに必要だった栄養が前のぼくなら、そうなるね。カマキリの雄。前のぼくを食べなきゃ未来へ進めない船が、シャングリラだったかもしれないね。
 …だけどいいんだ、ぼくが食べられる方だったんだから。
 ぼくがハーレイの餌になったんだし、ぼくはちっとも悲しくはないよ。ハーレイがあの船を運ぶための栄養、それになれたのなら幸せだから。
 …生きるしかなかったハーレイは辛かったかもしれないけれども、ぼくは幸せ。



 それが逆だったらとても辛かった、とブルーが赤い瞳を揺らすから。
 前の自分がハーレイの命を食べる方なら、耐えられはしないと訴えるから。
「おい、逆って…。前のお前が俺を栄養にして生き延びるって…」
 そんな状況、起こり得るか?
 そりゃあ、もちろん、何かのはずみで俺を見捨てなきゃいけない場面も無いとは言えんが…。
「違うよ、ハーレイはキャプテンだったんだもの…」
 キャプテンは船に何かあった時、最後まで船に残らなければいけなかったでしょ?
 船のみんなが一人残らず脱出するまで、船の中に誰もいなくなるまで。
 キャプテンはそれまで逃げられないけど、何があっても乗っている人を残して行けないけれど。
 前のぼくはソルジャーだったから…。
 もしもシャングリラに何か起こったら、ぼくはみんなを連れて脱出しないといけない立場。順番なんかはどうでもいいから、一人でも多く、一人でも早く。
 そうやってぼくが逃げてゆく間も、ハーレイは船に最後まで残っているんだよ。ぼくがどんなに助けたくても、ハーレイを先には助けられない。他のみんなが優先だから。
 …最後の一人まで、無事に脱出できればいいけど…。ちゃんと逃げられればいいんだけれど。
 ハーレイを助け出すまでシャングリラが持たなかったら、それでおしまい。
 ぼくはハーレイの命を犠牲にして生き延びることになるんだよ。他のみんなも。
 …キャプテンのお蔭で助かった、って、みんなは感謝するんだろうけど…。
 ハーレイを忘れないんだろうけど、そうなったら、ぼくは…。
 どうやって生きて行ったらいいのか、何を支えにすればいいのか。
 いくらハーレイが納得してても、何度も「逃げろ」と言ってたとしても、きっと駄目だった。
 泣いてばかりで前が見えなくて、ちっとも進めやしないんだよ…。



 そんなことを考えたことがあるから、と呟いたブルー。
 自分がハーレイのために死ぬならかまわないけれど、逆は嫌だと。考えたくもないと。
 そういう悲劇が起こらなくて良かった、と小さなブルーが繰り返すから。
「…その話…。前のお前が考えてたのか?」
 前のお前から聞いたことはないが、実は何度か考えたのか…?
「ううん、今のぼく。…前のぼくは考えていないと思う」
 シャングリラで何か事故が起きても、逃げる先は何処にも無かったもの。
 前のぼくはナスカに入植した時には眠ってたんだし、逃げる場所なんか無いと思ってた。事故が起きたら、船ごとおしまい。…そんな風にいつも思っていたから…。
 でもね…。



 何処かでキャプテンの責務を聞いたのだという。
 船に最後まで残るものだと、最後の一人が脱出してからキャプテンが脱出するのだと。
 今の時代は決まりが変わって、最後までは残らなくてもいいのだけれど。
 乗客がタイプ・ブルーだったら、普通だったら生き延びられないような事故でも生還することが出来るから。そういう乗客が他の乗客を先に脱出させていることも有り得るから。
 だからキャプテンは最後まで残らなくても許される時代。下手に残ればキャプテンだけが犠牲になって、脱出させねばと見守っていた乗客たちが最後の瞬間に逃げ延びることが起こり得るから。
 タイプ・ブルーのキャプテンならばともかく、そうでないキャプテンは逃げていい。
 状況を見定め、逃げてもかまわないと判断したら。逃げるべきだと考えたら。
 そういう風に時代の流れは変わったけれども、白いシャングリラがあった時代は…。



「…前のぼくたちの頃は違ったよね。今の時代とは」
 キャプテンは最後まで船に残るもので、ハーレイもそれを知っていたでしょ?
 ハーレイはキャプテンだったんだから。
「まあな。…まるで知らなかったというわけではないな」
 心得としては頭に叩き込んであった、キャプテンというのはそういうものだと。
 船に乗っている全員の命を預かっているのがキャプテンなんだ、と。
「…じゃあ、もしも。…そうなっていたら、ハーレイ、どうした?」
 シャングリラから逃げ出さなくちゃ、ってことになっていたら、前のぼくがみんなを船の外へと脱出させ始めたら。
 逃げる場所があったかどうかはともかく、逃げなくちゃ、って事故が起こっていたら…。
「もちろん残る。…最後の一人が逃げるのを確認するまでな」
 俺が逃げるなら、その後だ。…逃げるチャンスがいくらあっても、俺は逃げずに残らないとな。
「やっぱり…!」
 前のハーレイ、最後まで残るつもりだったんだ…。
 シャングリラが今にも沈みそうでも、逃げ出せる通路が確保出来ていても、最後まで。
 最後の一人が逃げてなければ、ハーレイ、船から逃げないんだ…。



 それでもぼくはシャングリラに残れないんだね、とブルーが言うから。
 どんなに自分が残りたくても、仲間たちを連れて脱出するしかないんだね、と確認するから。
「当たり前だろ、前のお前はソルジャーなんだ」
 お前がいなくちゃ、脱出したヤツらはどうなるんだ?
 どうやって生きて行けばいいのか、誰を頼りにしたらいいのか。…ソルジャーがいれば何も心配しなくていいがな、そのソルジャーがいないと駄目だ。
 だから、お前は誰よりも先に船から逃げていなくちゃならん。何処かの星に降りるにしたって、新しいシャングリラを造り上げて地球を目指すにしたって。
 もしもお前が残ろうとしたら、俺は追い出す。早く行け、と。
「…そうならなくて良かった…」
 ハーレイの命を貰って生き延びる方でなくてよかった…。
 シャングリラのために命を失くすの、前のぼくの方でホントによかった…。



 ハーレイの栄養になる方で良かった、と大真面目なブルー。
 ぼくはそれでいいと、その方がいいと。
 命懸けで未来を築くのだったら、自分が命を失くす方。カマキリの雄の立場になるのは、自分の方でなければ嫌だと。
「…ハーレイを食べて生き延びるなんて、ぼくは絶対、嫌だからね!」
 前のぼくがカマキリの雄でいいんだ、ハーレイの栄養になったんだから。
 シャングリラを地球まで運ぶための栄養、ミュウの未来のための栄養。…メギドで独りぼっちになっちゃったけれど、ハーレイを栄養にして生きるよりかは、よっぽどマシだよ…!
「そう言われてもなあ…。お互い、自分の立場ってヤツがあったからなあ…」
 前のお前がカマキリの雄みたいなことになっちまったが、俺だった可能性もゼロではない。俺がキャプテンとしての覚悟を決めてた以上は、まるで無かったとも言い切れないな。
 …とはいえ、前の俺たちの時代は終わっちまったし、今更、どうこう言ってもなあ…。
 それに、食われないで済むカマキリの雄もいるんだからな。
「ホント?」
 卵のために、って食べられちゃうって決まっているわけではないの、ハーレイ?
 カマキリの卵、全部が全部、命懸けの卵ってことではないの…?
「らしいぞ、餌が充分に足りていた時は、雄を食わなくてもいいそうだ」
 卵を産んでも腹が減らなければ、目の前の餌を食おうということにはならないし…。
 雄が獲物に見えはしないし、雌は卵を無事に産み終わって、雄も食われないで済むってことだ。
「だったら、そっち…!」
 そういうカマキリの卵がいいよ。
 命懸けの卵なんかじゃなくって、ハーレイもぼくも、卵の栄養の心配をしなくて良くて…。
 自分の命を栄養にして生き延びて、って言わなくても済むのが一番だもの。



 今のぼくたちはそっちだよね、と微笑むブルー。
 シャングリラやミュウの未来というカマキリの卵のために命は要らないと、命という名の栄養を使わなくてもいいと。
 幸せが一杯な今の時代は未来への栄養に飢えてはいなくて、命の犠牲は要らない時代。命懸けの卵は要らない時代。
「そうでしょ、ハーレイ? ぼくはメギドに行かなくていいし、ハーレイだって…」
 キャプテンだから、ってシャングリラに残らなくてもいいんだもの。
 ぼくもハーレイも、カマキリの雄だったとしても、食べられない時代が今なんだよ。もう栄養は要らないんだから、食べる必要も無いし、食べられる必要も無いんだものね。
「…そうだな、そういう時代だったな」
「でしょ? 今のぼくたちがカマキリの卵を持ってるとしても…」
 うんと幸せな卵なんだよ、未来が入っているだけの卵。
 命なんかは懸かっていなくて、懸ける必要も無い卵。雄の命は要らないんだよ、同じカマキリの卵だとしても、幸せな卵なんだから。
 いつか幸せが一杯、一杯、中から生まれて来るんだよ。
 ミュウの未来が生まれる代わりに、シャングリラの代わりに、ぼくたちの未来。そういう幸せの卵なんだよ、もしも卵を持っているなら。



 ハーレイの家のカマキリの卵も幸せだといいな、とブルーが庭に目を遣るから。
 カマキリの雄が無事に逃げ延びた卵だったらいいんだけどな、と視線を戻して見上げるから。
「そういう卵だと思いたいなあ…」
 まさかこういう話になるとは思わなかったし、幸せな卵だといいんだがな。
 …そういや、カマキリの卵で教えてやろうと思ったんだった。こんな話になっちまう前は。
「何を?」
「今年の冬の雪の深ささ」
 カマキリが卵を産んだ高さで、その年の冬の雪の深さが分かるんだそうだ。雪が積もっても卵が埋まらないように、産む場所を選ぶという話だぞ。
 そいつを話そうと思っていたのに、何処で話がずれちまったやら…。
「ハーレイが見付けたカマキリの卵、どのくらいの高さだった?」
 どんな高さの枝についていたの、その卵は?
「このくらいだな」
 ここさ、と床からの高さを手で示したら。
「凄い、大雪!」
 その高さまで雪が積もるんだね、大雪だよ。ぼく、そんな大雪、見たことがないよ…!
「こらこら、この高さまで積もるわけじゃない」
 あくまで目安だ、この辺りのカマキリの卵の高さに比べてどうか、ということさ。
 いつもの年より高いか、低いか。そういう話だ、埋まりそうな大雪が降るとは限らないな。



 雪が沢山積もりそうな年は高い所に産むというだけだ、と
聞かされてガッカリしているブルー。
 大雪が降るんだと思ったのにと、ドッサリ積もると思ったのに、と。
 けれども、その高さの枝に産んであったカマキリの卵。
 前の自分たちの姿を重ねた卵には、興味津々らしいから。とても気になるようだから。
「俺も気を付けて見ておこう。札も付けたし…」
 来年、無事に孵ったら教えてやるさ。小さなカマキリが生まれて来たらな。
「うん、お願い!」
 ハーレイが家にいる時に孵ったらいいな、カマキリの赤ちゃん。
 カマキリのお父さんも、ちゃんと食べられずに逃げられていたら嬉しいんだけどな…。
「前の俺たちと重ねちまったからなあ、俺もそいつを祈るばかりだ」
 カマキリの卵には訊きようもないが、命懸けの卵でないことをな…。



 幸せな卵だといいんだがな、と小さなブルーと頷き合った。
 カマキリの雄の命が懸かっていない卵、雄の犠牲が無かった卵。
 そういう卵であって欲しい、と二人、祈らずにはいられない。
 幸せが一杯の青い地球だから、カマキリの雄でも、食われたりせずに幸せに。
 そして幸せな卵から沢山の幸せなカマキリが孵るといい。
 何の犠牲も必要無かったカマキリの卵、そこから幸せ一杯の未来。
 沢山の小さなカマキリたちの未来も、自分たちのように幸せ一杯であるようにと…。




            カマキリの卵・了

※カマキリの産卵の時に、雌に食べられてしまう雄。それと同じに消えた、前のブルーの命。
 それでもハーレイが消えるより良かった、と言うのがブルー。厳しい時代だったのです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]