シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.01.17 二学期期末試験・第2話
- 2012.01.17 二学期期末試験・第1話
- 2012.01.17 修学旅行・第3話
- 2012.01.17 修学旅行・第2話
- 2012.01.17 修学旅行・第1話
再び連れて行かれた、まりぃ先生のお絵描き部屋。昼食の前に会長さんが身に着けた夜着はセクシー系が大半でした。目のやり場に困るデザインのも色々あったんですけど「メインディッシュはこれから」ってことは、更にとんでもない夜着が登場するに違いありません。
「…あんた、本気で着るつもりなのか?」
キース君が声を潜めました。まりぃ先生は服を取りに出かけています。
「あんたの力なら、着たと思い込ませて逃げることくらい簡単だろう?…頼む、逃げると言ってくれ」
「そうだよ。その手が使えるんなら逃げちゃおうよ」
ぼくたちだって見ていたくないし、とジョミー君。会長さんの艶姿そのものは耐えられないわけでもなさそうですが、前に見せられた凄まじい絵を思い出してしまうみたいです。ごめんなさい…スウェナちゃんと私が書類袋を持ち込まなければ…。サム君とマツカ君も逃げる意見に賛成でした。シロエ君は会長さんの腕を掴んで直訴です。
「絶対、とんでもないことになりますよ。逃げましょう!」
「…うーん…。ぼくとしては着てみたいんだけど」
「「「なんで!?」」」
「だって。ちょっと面白そうだから」
会長さんが悪戯っ子のような顔で微笑んだのと、まりぃ先生が入ってきたのは同時でした。
「あらあら、ずいぶん楽しそうね。何かいいことあったのかしら?」
「みんな逃げたくなったんだってさ。それを説得してる最中」
「んまぁ…。いけない子たちだわね。ブルー君を見捨てて逃げ帰るつもり?」
万事休す。私たちはスゴスゴと部屋の隅っこに行き、諦め切って座りました。何も分かっていない「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけが会長さんの隣ではしゃいでいます。
「ねぇねぇ、今度はどんな服かな?まりぃ先生、いっぱい服を持ってるんだね♪」
「ぶるぅも貸してもらうかい?」
「んーと…。サイズが合わないと思う」
1歳児の目には着せ替えごっこにしか見えないのでしょう。私たちもそれくらい広い心で受け入れられたら、何の問題もないんですけど。まりぃ先生はおかしそうに笑い、会長さんに青い袋を手渡しました。
「着てほしいのはこれなのよ。ウチのお店の商品じゃなくて、1点ものの特注品なの。着替え終わったら戻ってきてね、窓から逃げて行ったりせずに」
お願いを聞いてあげたでしょ、と言われた会長さんは着替えのために出てゆきました。待っている間、まりぃ先生は私たちに腐女子談義を熱く語って聞かせます。
「だから、教頭先生は攻めに決まっているというわけよ。…ブルー君にはシド先生なんかもお似合いかもね。もちろん、受けはブルー君。分かるかしら、めくるめく禁断の世界」
分かりたくなんかありません!という心の叫びを声にすることはできませんでした。まりぃ先生のご機嫌を損ねたら、せっかくの苦労が水の泡です。私たちのせいで停学や退学の危機に陥った同級生を救うためには、グッと堪えていなくては…。幸か不幸か、会長さんはモデル稼業を楽しんでいるようですし。
「着替え、できたよ」
扉が開いて会長さんが顔を覗かせました。
「驚いたな、サイズぴったりだ」
「「「!!???」」」
会長さんが纏っていたのは鼻血ものの夜着ではなくて、細い身体をピッタリと包み込む白い服。手足は殆ど覆われていて、手首から先と足の先しか見えません。これって、もしかしてレオタードですか!?
「うふ、学園祭の時の仮装を見ていて閃いたのよ。白ぴちアンダーってところかしら。サイズは健康診断の時に測ってるからピッタリフィットで当然でしょ?」
まりぃ先生は、会長さんと対の仮装をしていたキース君が後夜祭でドレスに着替えるところを目撃していたらしいのです。
「アンダーウェアがとても素敵だったの。身体の線が綺麗に出てて、ブルー君のアンダー姿もぜひ見たい!って思ったのに…機会がないまま終わっちゃって。あれこれ妄想している内に、この服を思いついたってわけ♪」
肌が白いから黒よりも白がエロくていいでしょ、と力説されても困ります。キース君は「セクハラ教師に身体の線をバッチリ見られた」ことと「妄想ウェアを生み出す引き金を引いてしまった」ことのダブルショックで打ちのめされている模様。白ぴちアンダーには上着の飾りとよく似た模様が付いていましたが、パッと見には「何も着ていない」ように見える色合いでした。目の毒というのはこのことかも。
「このこだわりが分かるかしら?…ブルー君の肌の色に合わせてあるのよ」
色の扱いなら任せてちょうだい、と、まりぃ先生は大得意。会長さんもノリノリです。
「どんなポーズがいいのかな?…いくらでもリクエストに応じるよ」
「嬉しいわぁ!センセ、感激して涙が出ちゃう。じゃあ、早速…」
白ぴちアンダーは下手な夜着より刺激的なシロモノでした。まりぃ先生がメインディッシュと呼んでいたのも納得です。会長さんは求められるままに様々なポーズを取っていますが、まりぃ先生の頭の中には会長さんと密着している教頭先生の姿がしっかり浮かんでいるのでしょう。腐女子談義を聞いてしまった今となっては、言われなくても容易に想像できてしまったり…。
「はい、お疲れ様」
まりぃ先生が鉛筆を置き、やっと終わったかと思ったら。
「最後の1枚を描きたいんだけど、少しハードになるのよね。…休憩を挟んだ方がいいかしら?」
「休憩無しで構わないよ。家に帰って休んだ方がリラックスできるし、早く終わりにしてほしいな」
なんと、まだもう1枚描くようです。しかもハードって、いったい何が?
「ブルー君がOKだったら問題ないわね。それじゃ一気に済ませちゃいましょ」
まりぃ先生は「小道具を取ってくるから」と部屋を出て行き、戻ってきた時には赤い紐を持っていました。赤い…紐…。まさか…まさか、あの紐は…。
「今度は誰かにお手伝いをして貰わなきゃ。そうねぇ…誰にしましょうか」
端から順に私たちを見つめる視線が何往復かして、ピタリと止まり。
「…キース君。あなたが一番いい感じだわ」
「えっ?」
「だ・か・ら。…ブルー君と絡んだら絵になりそうっていう意味よ。さっきの話、もう忘れちゃった?絵になる二人ってポイント高いの♪」
ひぇぇぇ!キース君は禁断の世界を夢見る腐女子好みのルックスだったみたいです。
「そんな隅っこに隠れてないで、こっちに出てきて紐を持って。さあ、早く」
グズグズしてると理事長の家に電話をかけてしまうわよ、と脅しをかけられ、前に進み出たキース君。深紅の紐を受け取らされたその後は…。
「えっと。…ブルー君を後ろ手に縛ってくれるかしら?」
「えぇっ!?」
「いいから、いいから。…ね?構わないでしょ、ブルー君」
「うん。別にキースを恨んだりしないし、縛っていいよ。手だけじゃなくて、もっと…だよね、まりぃ先生?」
「もっちろんよ♪」
まりぃ先生と会長さんは顔を見合わせてクスクス笑っていますけれども、白ぴちアンダーの会長さんを縛り上げるなんて悪い冗談としか思えません。キース君は目を白黒させて、震える声で。
「…無理です!お、俺には…そんな恐ろしいこと…」
「恐ろしいだなんて、酷いわ、酷いわ!まりぃ、傷ついちゃう。理事長に泣きついちゃおうかな~っと」
「キース、やるだけやってごらんよ。感情をコントロールするのは得意だろう?…任務だと思って縛ればいい」
会長さんに激励されて紐を握り直したキース君。やっとのことで会長さんを後ろ手に縛ったのですが、まりぃ先生は更に要求をエスカレートさせてゆきます。
「ああっ、ダメダメ、そうじゃなくて!…そっちから紐を後ろに回して…。ああぁ、全然ダメじゃない!」
会長さんの身体を縛り上げるよう指図されても、天才肌のキース君は紐に関しては不器用でした。ちっとも先に進まない状況の中、繰り出された次のコマンドは…。
「マツカ君、お手伝いしてあげて。あなた、手先が器用そうだし」
「ぼくですか!?」
「そうよ。…あなたとキース君の共同作業っていうのも、絵心をくすぐられるのよね」
マツカ君はズーンと落ち込み、キース君が呻きます。この二人も腐女子フィルターを通して見るとセットものとして成り立つのかも。
「ほらほら、急がないと理事長の家に電話するわよ」
非情な脅しにマツカ君がキース君を手伝い、まりぃ先生の好みどおりに会長さんを縛ろうと悪戦苦闘。よっぽど難しいのでしょうか、全然進展しないようです。
「まだかい?…だいぶ疲れてきたんだけれど」
後ろ手に縛られた会長さんが溜息をつき、キース君とマツカ君が平謝りに謝りながら紅紐と格闘しています。まりぃ先生は妥協を許さず、初志貫徹に燃えていました。もっと助っ人を出すように言われたらどうしましょう?…私たちが青ざめていると…。
「ぶるぅ」
会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」を呼び、何かコソコソと耳打ちを。
「かみお~ん!!!」
次の瞬間、雄叫びと共に紅紐が宙をクルクルと舞い、会長さんはアッという間に見事に縛り上げられたのでした。
「…どうかな?…まりぃ先生、イメージどおり…?」
白ぴちアンダーの上から紅紐で縛られ、床に横たわった会長さんの赤い瞳が揺れています。
「最高よぉ!ぶるぅちゃん、なんていい子なの!」
まりぃ先生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頬にチュッとキスをし、大喜びでスケッチブックを広げました。会長さんの妖艶な姿を描き留めながら完璧に腐女子モードです。私たちの存在なんて、きっと石ころ以下だったでしょう。だって、西日が差し込む頃にハッと気付いて言ったんですもの。「あら、あなたたち、まだいたの」って。
紅紐から解放された会長さんは意外に元気そうでした。まりぃ先生の家を出た後、私たち全員を瞬間移動で自分の家へ連れて行ってくれ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手作りお菓子を食べながら。
「うーん…。流石に肩が凝ったかな。ぶるぅ、ちょっとマッサージしてくれるかい?」
「うん!ぼく、きつく縛りすぎちゃったのかなぁ…」
「いいんだよ。まりぃ先生のイメージどおりにやってくれたんだから」
会長さんの説明によると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、まりぃ先生の心を読んで紐の結び方を知ったのだとか。
「他にも色々な結び方が頭の中に入っていたよ。まりぃ先生、物知りなんだね」
マッサージしながらニコニコ笑う1歳児。無駄な知識を仕入れてしまって可哀相な気もしますけど…まりぃ先生の無理な注文をさっさと片付けるためには仕方なかったのかもしれません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、ふとマッサージの手を止めて…。
「ねぇ、ブルー。…まりぃ先生って強盗もするの?」
「「「強盗!?」」」
ぶっ飛んだ問いに私たちはビックリ仰天。あの家に凶器ってありましたっけ?
「えっと、えっとね…そうじゃなくて。人を縛る方法が役に立つ時ってあるのかな、って考えたけど…強盗の他にもあったっけ?…あ、泥棒も縛るかなぁ…」
まりぃ先生が強盗に泥棒。私たちの頭の中を駆け巡ったのは「目出し帽に出刃包丁」とか「頬かむりに唐草模様の風呂敷」という珍妙な格好で高笑いする姿でした。鮮明な映像をみんなで共有してしまったのは会長さんの力のせいでしょうか?床を叩いて笑い転げて、紅紐の記憶も消し飛びそう。
「まりぃ先生は強盗じゃないよ。泥棒でもないと思うけど…ちょっと特殊な人かもね」
会長さんはクスクスと笑い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でました。
「でも、ちゃんと理事長に話をつけてくれたし、いい人なのは間違いないさ」
「…交換条件を出されたじゃないか」
不満そうな声のキース君。
「あんなことになるんだったら、ぶるぅの手形に頼った方が良かったような気がするぞ。なんで俺まで…」
「ご愁傷様。予想通りの人選だったし、その辺はちょっと残念かな」
「「「予想通り!?」」」
私たちは血相を変えて会長さんに詰め寄ります。予想通りってことは、ああなるってことを知っていて…?
「うん。まりぃ先生が白いアンダーを発注したのも、受け取ったのも知っていたんだ。ぼくに着せるチャンスが無いって嘆いてたのもね。…だから飛び込んでみたんだよ」
非日常な体験が出来て楽しかった、と会長さんは微笑みました。
「ぶるぅの手形は便利だけども、ぼくたちの出る幕がない。救出劇をやろうというなら、他人に頼らず自分たちの力でなんとかしたいと思わないかい?」
停学中や退学の危機の同級生を、身体を張って助けた会長さん。けれど本当にそうでしょうか。正攻法だとか言ってましたけど、まりぃ先生の家へ出かけて白ぴちアンダーを着てみたかっただけなのかも…。紅紐事件も予測していたみたいですから、実に迷惑な話です。人を巻き込むのが大好きな会長さんにまたやられた…、と溜息をつく私たち。今日の記憶はきっと消してはもらえないでしょうね。
修学旅行から帰った次の日はお休みでした。家でゴロゴロして過ごし、翌日登校してみると…。欠席の人が目立ちます。グレイブ先生は淡々と出欠を取り、ギロリと教室を見渡しました。
「…飲酒が6名、喫煙2名。不純異性交遊の疑いで調査中が1名。…実に立派な成績だよ、諸君。今日、正当な理由で欠席している者はない。全員、停学処分中だ」
えぇっ!?慌ててアルトちゃんとrちゃんの無事を確かめ、会長さんの机が無いことにホッとして。欠席者には女の子も1人含まれています。大人しそうな子でしたけれど、飲酒でしょうか、喫煙でしょうか?それともまさかの不純異性交遊とか…。
「停学期間は1週間だが、調査の結果次第で退学者が1人出ることになる。だらけきっている諸君にはいい見せしめだと思わないかね?…学生の本分を思い返して、勉学に打ち込んでくれたまえ」
グレイブ先生が出て行った後、クラス中は大騒ぎです。昼休みになる頃には他のクラスの情報も入り、かなりの数の生徒が停学中だと分かりました。退学かどうかを検討中という子も全部で8人。みんなで楽しく旅をしたのに、その結末がこんなだなんて…。
放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ行った私たちですが、顔色は冴えませんでした。柔道部の三人はまだ来てませんけど、お昼休みにシロエ君がこう言ったんです。
「停学になっている人の数、前代未聞だそうですよ。ぼくたちにも少し責任あるかも…」
なんで私たちに責任が…と思いましたが、シロエ君の答えは明快でした。
「ぼくたちが1年で卒業するから修学旅行に行ったんですよね?…普通は2年生で行くらしいんです。もう1年先の旅行だったら、みんな1年分の経験を余計に積んでいる訳ですし、それなりに落ち着いた行動をしたんじゃないかと思うんですけど」
ドジを踏まないよう上手く立ち回るとか、危険な橋を渡らないだけの思慮分別を身につけるとか…。要するに経験が絶対的に足りなかったのだ、というのがシロエ君の主張。シロエ君はキース君と張り合うために入学してきた1学年下の生徒なだけに、この意見には説得力がありすぎます。私たちは責任を感じてしまい、今に至るというわけで…。
「どうしたんだい、お通夜みたいな顔をして」
会長さんに声をかけられ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に「どうしたの?」と顔を覗きこまれて、私たちはようやくポツリポツリと事情を話し始めました。
「…なるほどね…。それは確かに経験値ってヤツが足りないな」
クスッと笑った会長さん。
「飲酒するならホテルのバーが最高なんだよ。まさか行くとは思ってないからノーチェックだし、ホテルの方もお客は歓迎してくれるからね。飲み放題とはいかないけれど、けっこう飲める場所なんだ」
タバコを吸っても平気だし、と言われて軽い頭痛を覚えます。会長さんってどこまで悪に染まってるんだか…。
「ぼくはタバコはやらないよ?…お酒だって未成年とかそういうレベルじゃないだろう。三百歳を超えているのに、未成年扱いだなんて心外だな」
そうでした。会長さんは教頭先生に三百年以上も想いを寄せられているんでしたっけ。未成年だったのが何年前かは見当すらもつきません。…ん?教頭先生といえば、ゼル先生が『個人的にみっちり』焼きを入れると宣言してましたけど、大丈夫かな…。思い切って聞いてみよう、としていた所へキース君たちがやって来ました。今日の部活はずいぶん早く終わったんですね。
「…教頭先生が稽古の途中で倒れたんだ」
キース君が憮然とした顔で言い、会長さんを睨み付けます。
「ただの眩暈だって言ってたけども、あれは嘘だな。顔色も良くなかったし、心労からきた寝不足だろう。先輩たちが教頭室へ送って行ったら、倒れるように寝てしまったと言っていたぞ」
「…それで?どうしてぼくを睨むんだい?」
「あんたがやった悪戯のせいでゼル先生に焼きを入れられた結果じゃないかと思っている。柔道部の部活も中止になったし、この落とし前はつけて貰おうか」
キース君が凄み、シロエ君とマツカ君が頷いています。会長さんは溜息をつき、フッと姿を消したと思うと…。
「ただいま。…ゼルにはちゃんと本当のことを話してきたよ」
叱られたけどね、と苦笑しながら帰ってくるまでほんの十五分。ゼル先生は教頭先生に徹夜で嫌味とお説教をして派手に痛めつけていたらしいです。
「ハーレイにも謝っておけ、って言われたけれど、放っておこう。半分は自業自得だし…。停学中の子たちと同じで自己責任ってヤツだよね」
あ。論点がズレて忘れていましたけれど、停学とか退学寸前の人が大勢いるのは私たちのせいかもしれないのでした。なんとか処分を軽くしてあげる方法はないのでしょうか?このままでは気が咎めます。
「…羽目を外した連中を助けようっていうのかい?…確かに、修学旅行までにあと1年あったら、検挙される人数はグッと減っただろうけど…」
「やっぱり…」
シロエ君が項垂れました。
「なんとか助けてあげたいです。停学くらいならまだいいですけど、退学となると…」
「退学って、なぁに?」
無邪気な声がして「そるじゃぁ・ぶるぅ」が怪訝そうに首を傾げています。学校を辞めさせられることだ、と説明すると、飛び上がらんばかりに驚いて。
「ダメだよ、そんなの!…みんなで楽しく旅行したのに、学校を辞めさせられるなんてあんまりだよ。ぼく、行って手形を押してくる。ブルー、何に手形を押せばいいのか教えて!」
赤い手形はパーフェクト。確かに「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形さえあれば、どんな無理でも通るのです。処分の根拠になっている文書に赤い手形が押されるだけで、停学処分も退学の危機も無かったことになりそうでした。文書の在り処は会長さんならいとも簡単に分かるはず。頼もしいです、「そるじゃぁ・ぶるぅ」!
「ぶるぅの手形か…」
会長さんはやる気満々の「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見つめ、それから少し考えて。
「…ぶるぅの手形も使えそうだけど、正攻法で行ってみようか。学校という組織を相手に渡り合うのも面白い」
「「「えっ?」」」
今度は私たちが驚く番でした。正攻法ってなんでしょう?
「圧力をかけてやるんだよ。生徒の運命を最終的に左右するのは校長先生のサインだけれど、サインができないようにするのさ。校長先生よりも偉い人って、誰だと思う?」
えーっと…もしかして理事長とか?入学式の来賓で一度見かけただけですけれど。
「そのとおり。理事長の意向は全てにおいて優先される。…まりぃ先生はその理事長の親戚なんだ」
「「「えぇぇっ!?」」」
「まりぃ先生に頼みに行こう。幸い、明日は土曜日で学校は休みだし…個人的にお邪魔してお願いするのがいいと思うよ。みんな時間は空いているかい?」
そういうわけで、明日はまりぃ先生を訪ねることになりました。まりぃ先生、凄いコネを持っているみたいですね。
翌日の十時に私たちが集合したのはアルテメシア公園に近いコンビニでした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も来ています。緑の多い住宅街を少し歩いて、会長さんが立ち止まったのは白い瀟洒な家の前。薔薇の生垣が素敵で見とれていると、『アトリエまりぃ』の小さなプレートと扉が薔薇に隠れてひっそりと…。
「あ、そっちはお店の入り口なんだ。先生の家の玄関はこっち」
会長さんが指差した先には別の扉があり、チャイムを押すと、まりぃ先生が…。
「いらっしゃぁ~い♪さあ、どうぞ中へ入って頂戴」
まりぃ先生は白衣を着ていないせいか、ドキドキしちゃう色っぽさ。お茶を御馳走になっている間、サム君がボーッと見とれています。私たちがケーキを食べ終えるのを待って、まりぃ先生が切り出しました。
「私にお願いって、何かしら?…わざわざ家まで来てくれるなんて、センセ、とっても嬉しいけれど♪」
「理事長に口利きをして欲しいんだ」
ズバリ言ったのは会長さん。
「修学旅行で羽目を外しすぎて停学中の子と、退学の危機に追い込まれてる子。…処分を撤回してくれるよう、理事長に頼んでくれないかな?…まりぃ先生しか頼れる人がいなくって…」
「あら、どんなことかと思ったら…。それくらいお安い御用だけれど、私にメリットはあるのかしら?」
無さそうだね、と答えた会長さんを、まりぃ先生はじっと眺めて。
「いいわよ、理事長に電話してあげる。…その代わり、絵のモデルになって欲しいのよね」
まりぃ先生の…絵…。スウェナちゃんと私は真っ青になり、ジョミー君たちも不安そうな顔。まりぃ先生の怪しい趣味の記憶が完全に消えたわけではないようでした。ですが、会長さんは「いいよ」とあっさり頷いてしまい、まりぃ先生はその場で理事長宅に電話をかけておねだりです。
「オッケーよん♪月曜日の朝一番で一切無かったことになるわ。処分中の子には日曜日の内に連絡が行くし、みんな月曜日からちゃんと登校できるわよ。よかったわね」
「「「ありがとうございます!!」」」
私たちが頭を下げると、まりぃ先生はウフンと笑って。
「お礼はブルー君に言うべきよ。…さ、約束どおりモデルをお願いね♪」
会長さんと私たちが案内されたのは奥まった部屋。スケッチブックや絵の具があちこちに広げられ、描きかけの絵が散らばっています。会長さんを描いたものや、会長さんと教頭先生の怪しげな絵が…。ジョミー君たちの顔が引き攣り、記憶が戻ってきたみたい。
「これ、なぁに?」
不思議そうに絵を眺め回す「そるじゃぁ・ぶるぅ」は1歳児だけあって、やっぱり分かっていませんでした。まぁ、その方がいいんですけど。「ブルーの裸がいっぱい…」と呟いているのを私たちは隅っこへ引っ張って行き、「邪魔にならないように見学しなきゃ」と納得させて一緒に床に座りました。距離を取った、と言うべきかも。
「うーん、警戒されちゃったわね」
まりぃ先生はクスッと笑い、会長さんを窓辺に座らせて鉛筆でスケッチを始めます。流石に本物の会長さんを目の前にして怪しい作業はできないのでしょう、まっとうな絵が描き上がりました。
「さあ、これからが本番よ。調子も出てきたし、ちょっと着替えてもらおうかしら」
扉の向こうに消えるまりぃ先生。どんな衣装を持ってくるのかドキドキですが、怪しくないならドンと来い、です。
「はぁ~い、お待たせ♪」
まりぃ先生が運んできたのは色とりどりの布の山でした。
「どお?うちのお店の人気商品に、入ったばかりの新作に…。どれも素敵だと思うんだけど」
ひえええ!次々に広げられてゆく様々な色とデザインの夜着。ベビードールにネグリジェに…。まりぃ先生は夜着のお店のオーナーだ、って会長さんが言っていたのを今の今まで忘れていました。生垣の陰にあった『アトリエまりぃ』というプレートはお店の案内だったんですね。…まともな服が出てくる筈がありません。気付かなかったとはなんて迂闊な…。会長さんは艶めかしい夜着を平気で手に取り、「どれにしようか」と微笑んでいます。
「そうねぇ…。これなんかどうかしら」
まりぃ先生が差し出すセクシーな夜着を服の上から当ててみたりして、会長さんは楽しそう。どんな神経をしてるんだか、と私たちは頭を抱えるばかりでしたが「そるじゃぁ・ぶるぅ」も平気みたい。
「ぼくが作った服に似てるね。まりぃ先生のお店のだよ、ってブルーが言ったのホントだったんだ♪」
私たちの頭の中に恐ろしい思い出が蘇りました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が縫った特大サイズのベビードールを着た教頭先生の姿です。青い清楚なベビードールと紅白縞のトランクス。深紅のセクシー・ベビードールと紅白縞のトランクス。…ついでに共布のセクシーショーツ。視覚の暴力としか思えなかったアレに比べたら、会長さんが怪しげな夜着を纏うくらいは問題ないかもしれません。
「じゃあ、最初はこれでいいのかな?」
会長さんはまりぃ先生に渡された水色のベビードールを持って別室に行き、すぐに着替えて戻ってきました。透ける布地の下は青月印の白黒縞…ではなく、どう見ても紐で結んだ申し訳程度の…。
「いいわぁ、イメージにピッタリよん♪」
まりぃ先生は大喜び。会長さんにポーズを取らせて鉛筆を走らせ、凄い速さで描き上げて…「お次はこれね」とレースがついたペパーミント・グリーンのゴージャスなネグリジェを渡しています。こんな調子でお召し替えが続き、ふと気がつくとお昼をとうに過ぎていました。
「あらら…。ごめんなさい!ついつい夢中になっちゃって」
まりぃ先生が宅配ピザを頼みに行っている間に、会長さんは元の服へと着替え完了。私たちは絵に占領された部屋を後にしてリビングでピザを御馳走になり、デザートも出てきたのですが。
「…あのね…」
食事が済んで少し休んだらモデルを再開して欲しい…と、まりぃ先生が言いました。
「どうしても着てほしい服があるのよ。ポーズも色々注文したいの。…構わないかしら?」
「…それって、断れないんだろうね?」
会長さんがクスッと笑うと、まりぃ先生は「物分りのいい子は大好きよ」とウインクして。
「実は、これからがメインディッシュなの。理事長に電話してあげたお礼、忘れちゃったとは言わないわよね」
まずはゆっくり休憩してね、とフレッシュジュースをグラスにたっぷりと注ぐ先生の目が妖しい光を帯びています。どうしても会長さんに着せたい服って、いったいどんな服なのでしょうか?…できれば見たくないんですけど、強制的に連行でしょうね…。
会長さんに見せられた夢の記憶が鮮やかに残る修学旅行2日目の朝。朝食を終えてホテルを出るなり、私たちは会長さんを責めたてようとしましたが…。
「ブルーが夜中にお風呂に行っちゃいけないの?」
無邪気に尋ねたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「露天風呂に入ってくるって言ってたよ。ハーレイが先に入っていたらしいけど」
そうだよね、と言われて会長さんは頷きました。
「ぶるぅは寝てると言ったじゃないか!嘘だったのか!?」
キース君の叫びに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「半分寝てた」と答えます。会長さんが露天風呂で教頭先生をからかったことは理解できていないようでした。
「ぼく、ハーレイってよく分からないや。ブルーと結婚したがってるくせに、なんでブルーから逃げるのかな?」
「…子供は分からなくてもいいと思うぞ…」
キース君が溜息をついて小さな頭をポンポンと叩き、露天風呂事件の苦情は言い出しにくい状況に。その間に会長さんが今日の予定を決めてしまって、トロッコ列車に乗ることになりました。景色のいい峡谷に沿って列車は川の上流へ。終点の街で名物のお蕎麦を食べ、小さなお城を見学してから帰りは船で川下りです。二十人も乗れば一杯になる小さな船で下っていくと、たまに急流があったりもして「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。トロッコ列車も気に入ったみたいでしたし、今日のコースは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に合わせたのかな?
「ねぇねぇ、また船に乗りたいな。今度はもっと大きなのがいい!」
ホテルに帰る途中で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言い出しました。もっと大きな船…ですか?私たちが悩んでいると、会長さんがいとも簡単に。
「じゃあ、明日は足を伸ばして湖の方に行ってみようか。隣の町に大きな湖があるんだよ。遊覧船に乗れば一日遊べる」
遊覧船のお昼はビュッフェ形式で食べ放題だよ、と聞けば反対する理由はありません。そういうわけで翌日の予定も決まり、ホテルに帰ってお風呂に夕食。夜はまたまたジョミー君たちの部屋に集まって騒ぎ、消灯時間になりました。
「…今夜は何もないといいわね」
「まさか二日続けて教頭先生をからかったりは…」
スウェナちゃんとベッドの中で話していると、突然ドアのチャイムが鳴って。わ、私たち、何かやったでしょうか?こんな時間にチャイムを押すのは先生以外にありません。呼び出されて廊下で1時間正座の刑が待っているとか?
「電気つけてないわよね」
「テレビもつけてないよねぇ…」
コソコソと話していると、またピンポーン、とチャイムの音。待たせると心象が悪くなるかも、と急いでドアを開けたのですが…。
「「アルトちゃん!?」」
「ごめん。中に入れて」
立っていたのはパジャマ姿のアルトちゃん。先生が来たら大変です。私たちは慌ててアルトちゃんを呼び込み、ドアをしっかり閉めました。
「どうしたの?こんな時間に。先生に見つかったら廊下で正座よ」
スウェナちゃんが言うとアルトちゃんは。
「絶対に見つからないから大丈夫、って…ぶるぅが…。ぶるぅに送ってもらったの」
「「ぶるぅ!?」」
「うん。…今、お部屋には生徒会長さんが…」
フットライトしか点けてないのでアルトちゃんの顔色は分かりませんが、もじもじしている様子と『生徒会長』という単語から大まかなことは理解できます。アルトちゃんはrちゃんと同室でした。
「まさか、お守り使ったの!?」
スウェナちゃんが叫ぶと、アルトちゃんは「ううん」と首を左右に振ります。
「晩御飯の前に会長さんが部屋に来て…今夜遊びに行っていいかな、って。もちろんです、ってrちゃんと返事をしたら、遊びに来るのは消灯時間の後だけど…って」
「じゃ、じゃあ…rちゃんは…」
アルトちゃんはコクンと頷き、お守りを初めて使ったのはrちゃんの方だったから、今日もrちゃんを優先したのだと言いました。優先ってことは、もしかして…次があったりするんですか!?
「生徒会長さん、明日の晩もお部屋に来るって言ったから…」
続きは聞き取れませんでしたけど、明日はアルトちゃんの番なのでしょう。スウェナちゃんと私は心の中で「会長さんの大嘘つき!」と叫んでいました。「ぶるぅがいるから今年は自粛」と言ってたくせに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に片棒担がせてしまってますよ…。でも、起こってしまったことは仕方ありません。アルトちゃんは私たちの部屋に泊まって、翌朝、迎えに来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」に連れられて帰っていきました。
「みゆ、どう思う?」
「…うーん…。みんなには言えないよね」
こうして会長さんとrちゃんの逢瀬は闇から闇へ。私たちは涼しい顔の会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」と湖に行って大きな遊覧船に乗り、豪華なビュッフェと雄大な景色を楽しんで…3日目の夜も更けてゆきます。そして再び鳴らされるチャイム。今度はrちゃんでした。会長さん、全然自粛していませんし!…でも、まぁ…アルトちゃんとrちゃんなら元々お守りを貰っている仲なんだから、部屋番号を渡した人の所を渡り歩いているよりマシかも…。
rちゃんを泊めた夜が明けるとナスカ滞在最後の日です。明日には電車に乗って帰るわけですし、丸々一日遊んでいられるのも今日でおしまい。修学旅行のエキスパートの会長さんにナスカ名所を案内してもらって、お土産も色々買い込んで…。名物のトマト羊羹とかトマトゼリーは重すぎるので宅配便にしてしまいました。
「トマトパンも美味しかったよね」
「なら、山ほど背負って帰ってみるか?」
ジョミー君とキース君が話している横で、スウェナちゃんと私が眺めていたのは綺麗な青い色をしたスプーンとカップ。ナスカ特産の石を削って作るらしいのですが、ちょっと高すぎて手が出ません。でも…欲しいなぁ…。トマト羊羹とかを沢山買わなかったらスプーンくらいは買えたのに…。
「スプーンだったら買ってあげるよ」
会長さんの声で振り向くと、優しく微笑みかけられて。
「ぼくはお土産はフィシスの分しか買っていないし、お小遣いには余裕があるんだ。気に入ったデザインのを1本ずつ買ってあげるから、選ぶといい」
えぇっ!?本当にいいんですか?…「本当だよ」と言った会長さんは石と細工の目利きもしてくれ、スウェナちゃんと私はとても素敵な青いスプーンを手に入れました。その後で会長さんが青い石のペンダントを2つ、レジに持って行ってプレゼント用の包装を頼んでいたのは、見なかったことにしておきましょう。乙女はプレゼントというものに弱いんですし、私たちだって乙女ですもの。
「えへへ、いいもの貰っちゃった♪」
スウェナちゃんと私がスプーンの包みを自慢していると、男の子たちは不満そう。
「畜生、ホントにツボを心得てやがる」
サム君が言えば、マツカ君が。
「…みゆさんとスウェナさんまで毒牙にかけるつもりでしょうか…」
「あいつらも一応、女だからな」
そう言ったキース君の脇腹にスウェナちゃんの肘鉄が決まりました。
「ちょ、スウェナ…。やりすぎだって!」
「なによ、ジョミーだって似たようなこと考えたでしょ!!」
そりゃ、私たちなんて会長さんからもジョミー君たちからも女扱いされてませんが、プライドってヤツはあるんです。スウェナちゃんみたいにガツンと一発やればよかったかな…キース君を。こんな馬鹿騒ぎをしたりしながら、修学旅行4日目は和やかに暮れ、ホテルに帰ってお風呂に入り、夕食前にスウェナちゃんとロビーにいた時でした。
「あ、アルトちゃんとrちゃんだ」
今朝まで交代で私たちの部屋に泊まっていった二人が自販機のジュースを買いに来ています。声をかけようかな、と思っていたら現れたのは会長さん。手にはしっかり昼間に買ったペンダントの包みを持っていました。やっぱりアルトちゃんたちへのプレゼントだったみたいです。頬を染めている二人を眺めて私たちは額を押さえ、どちらからともなく「あと一晩」「あと一晩」と呪文のように唱えたのでした。
修学旅行最後の夜もジョミー君たちの部屋で騒いで、この4日間で遊び疲れた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は早々に丸まって沈没です。つついてみて爆睡中なのを確かめたキース君が会長さんをジロッと睨み、ドスの効いた声で言いました。
「初日の夜は派手にやってくれたが、正式な謝罪を聞いていないぞ。あんな夢まで見せやがって!」
「別にいいじゃないか。ハーレイから苦情は来てないよ?」
会長さんは悪びれもせず、「君たちも退屈してたじゃないか」と切り返します。確かに退屈してましたけど、あんなサプライズは誰も望んでいなかったわけで…。
「分かったよ。…じゃあ、この次は手加減するから大目に見といてくれないかな?」
「次なんぞ要らん!」
キース君が叫び、私たちは揃って頷きました。次が来るくらいなら謝罪なんかは要りません。
「そう?それじゃ、お言葉に甘えて謝罪は無しで」
旗色も悪いようだし退散するよ、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」を抱え上げて帰ってしまいました。男の子たちより2晩多く会長さんの被害を蒙っていた私たちですが、スプーンのプレゼントを貰ったおかげで今はすっかり許せる気持ち。消灯時間まで楽しく遊んで「おやすみなさい」と解散です。
「…さすがに今夜は誰も来ないわよね…」
「ぶるぅも寝てたし、大丈夫。どっちにしたって、あと一晩!」
「そうよね、今夜で終わりだものね」
できれば何事もありませんように、とお祈りしながらいつの間にか眠ってしまいました。どのくらい経った頃でしょうか。
『起きて。面白いものを見せるから』
頭の中に声が響いて、スウェナちゃんと私が目を覚ますと。
『みゆとスウェナはまたパジャマかな?…だったら浴衣を上に着て』
会長さんの声であることを認識するまで少し時間がかかりました。ぐっすり眠っていたんですから。…そのせいで私たちは警戒もせず言われるままに浴衣を着込み、青い光に包まれて…。
「ようこそ、ぼくとぶるぅの部屋へ」
えぇっ!?会長さんが浴衣姿で立っています。そして周りには寝ぼけ眼のジョミー君たちが同じように連れて来られていました。部屋はフットライトしか点いていなくて暗いのですが、目が馴れた頃にキース君が。
「こんな所に呼び出すなんて…今度は何を企んでいる?」
「ふふ。もうすぐハーレイが来るはずなんだ」
げげっ!教頭先生を部屋に呼んだだなんて、これはとんでもないことに…。
「大丈夫。心配しなくても、ぼくもみんなと一緒にシールドの中」
「なんだと!?」
かくれんぼでもする気なのか、とキース君が詰め寄った所でドアがカチャリと開きました。
「シッ!…来たよ」
慌てて息を潜める私たち。部屋の隅っこに固まっていると、開いたドアから人影がスルリと部屋に入って、扉が閉じて。よく見えませんが、本当に教頭先生でしょうか?
「うん。…そのまま静かにしてて」
会長さんの囁き声に重なるように聞こえてきたのは教頭先生の声でした。
「…ブルー…。私だ。寝たふりか?」
「「「!!!!!」」」
出た!と叫びそうになるのをグッと堪えた私たち。教頭先生は部屋を横切り、窓に近い方のベッドに歩み寄ります。
「手紙をくれたから来てみたが…。またからかわれているのだろうか。…それでも来ずにはいられなかった」
えっと。あのベッドに会長さんが眠っていると思い込んでいるのかな?
「ぶるぅを寝かせてあるんだよ。枕の上に髪だけ見えている筈だ」
「…悪辣だな…」
呆れた声のキース君。「そるじゃぁ・ぶるぅ」と会長さんの髪は見た目には同じ銀髪です。と、いうことは…教頭先生が忍んで来た今、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が危ないのでは!?
「心配いらない。ハーレイに渡した手紙にはこう書いておいたんだ。ぼくを口説き落とせたら、一晩一緒に過ごしてもいい…と。ぶるぅは君たちの部屋に泊らせるから二人きりだよ、って」
なんとも用意周到です。教頭先生はそうとも知らず、会長さんを口説き始めました。部屋が暗いせいで気恥ずかしさが減るのでしょうか、ヘタレだなんて思えません。熱っぽく三百年以上に渡る想いの丈をぶつけていますが、相手は爆睡モードの「そるじゃぁ・ぶるぅ」。馬の耳に念仏というヤツですけれど、いいか、本人が幸せならば。
「ブルー、これでもまだ足りないか?…どう言えばお前の心に私の気持ちが届くのだろうか…」
教頭先生が切々と訴えながら銀色の髪に手を伸ばします。私たちがアッと息を飲み、緊張が走った次の瞬間。
「ぐおーーーっっっ!!」
物凄いイビキと共に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が寝返りを打ち、毛布をバサッと蹴飛ばしました。
「…うっ…」
教頭先生が替え玉と知ってのけぞったのと、部屋の明かりがパッと灯ったのは殆ど同時。
「残念でした。…でも、熱い想いはしっかり聞かせてもらったよ」
シールドから出たらしい会長さんが教頭先生に歩み寄ります。照明が点いたのは間違いなく会長さんの仕業でしょう。教頭先生は会長さんしか見てませんから、私たちはまだシールドの中で、見えていないということですね。
「せっかくだから、少しだけ…ぼくに触れさせてあげようか?ぶるぅの意識は落としてあるし、二人きりなのと変わらないよ」
会長さんは空いた方のベッドに腰掛け、浴衣の襟元をはだけました。
「…勇気があるなら触ってみる?…ぼくをその気にさせられたなら、寝てあげたっていいんだけども」
ひゃああ!私たちは真っ赤になってしまいましたが、教頭先生はそれ以上。ヘタレ度ゲージが一気に上がって十割増しくらいになっていそうです。誘うように胸元に手を差し入れる会長さんから目を離せないくせに、距離は少しも縮まらなくて…。
「ねぇ、ハーレイ…。さっき話してくれたのは嘘?…ぼくの家で抱き上げてくれたのも冗談だった?」
「……それは……」
「行動で示してくれなきゃ分からないよ?言葉だけでは伝わらない」
会長さんが浴衣を肩から少し滑らせ、真っ白な肌が覗きます。教頭先生の喉がゴクリと鳴って、ヘタレの虫をねじ伏せたのが分かりました。柔道十段の逞しい教頭先生の腕で押し倒されたら、いくら会長さんでも危ないかも…。でも、シールドの中の私たちでは会長さんを助けられません。誰か…誰か、助けに来てーっ!!
心の叫びが天に届いたか、扉がバンッ!と開きました。
「誰じゃ、電気を点けとるヤツは!!」
C組の担任のゼル先生が青筋を浮べて立っています。が、すかさず駆け出した会長さんがゼル先生にしがみつき、泣きそうな声で…。
「助けて!…ハーレイが…、ハーレイが無理矢理…」
「なんじゃと!?」
ゼル先生は扉を閉めて部屋に入ると、浴衣がはだけた会長さんを眺め、それから教頭先生をじっと眺めて。
「ハーレイ…いや、教頭!これはいったいどういうことじゃ!!」
「…い、いや……それは……」
「ブルーの寝込みを襲ったのか!?…修学旅行には何度も同行したが、教師が生徒を襲うなどという不祥事はこれが初めてじゃ!校長に報告しなくてはならん。…教頭といえども場合によっては…」
クビになるってことでしょうか?私たちはサーッと青ざめましたが、会長さんがゼル先生に訴えます。
「…待って…。校長先生には報告しないで。被害者は誰か、ってことになったら、ぼくも学校に居づらくなるし、誰にも言わずに黙っていて」
「…むむぅ……」
ゼル先生は腕組みをして難しい顔をしていましたが、やがて結論が出たらしく。
「分かった。…ブルーの言うとおり、表沙汰にしない方が良さそうじゃ。しかし、こやつは許し難い。日を改めて個人的にみっちり焼きを入れておいてやる。ブルー、怖かったろうが、ハーレイはお前の担任じゃ。変えるとなると先生方に事情を話さねばならん。…我慢してもらうしか無いが、困った時はわしが相談に乗ってやるから遠慮しないで来るんじゃぞ」
そしてゼル先生は教頭先生の言い訳も聞かず、腕を引っ張って廊下へと消えて行ったのでした。後に残された私たちは再び灯りが消された部屋でシールドを解かれ、会長さんの極悪ぶりをなじったものの。
「いいじゃないか。表沙汰にはならないんだから懲戒免職になることもないし、減棒にだってならないし。…知っているのはゼルだけっていうのが最高だよ。ゼルは頑固で口うるさいから、ハーレイ、さぞかし大変だろうねぇ」
それじゃおやすみ、と言われて青い光が閃くと…私たちは自分の部屋に戻っていました。日付はとっくに変わっています。うーん、今夜は目が冴えちゃって眠れないかも…。
心配したわりに最後の夜は熟睡できたようでした。朝食の後、ホテル近辺を散策してからバスに乗り込み、駅では練習しまくった整列乗車で電車に乗って…修学旅行もそろそろ終わり。また駅弁が配られてきて「そるじゃぁ・ぶるぅ」がはしゃいでいます。昨夜聞かされた教頭先生の熱い告白は全く知らずに寝てたんでしょうね。教頭先生の方はいつもどおりの落ち着きぶりで、ゼル先生も普段と変わりませんが…修学旅行が無事に終ったら何が起こるのか想像するのも怖いです。個人的にみっちりと…焼き。教頭先生、どうか御無事で…。
電車の乗降練習を経て、修学旅行の日がやって来ました。荷物を持って学校に集合し、バスで駅まで行って無事に電車に乗り込んで…。放課後に続けた練習の成果はバッチリ現れ、電車は定刻どおりに発車です。あとはナスカに着くまで座っていれば問題なし。A組に加えてもらった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんの隣の席でした。昼食に配られた駅弁を広げ、美味しそうに食べています。
「ブルー、修学旅行って何をするの?」
「…学校によって違うけど…シャングリラ学園では親睦旅行みたいなものかな」
特にテーマがあるわけじゃないし、と会長さん。事前に予定表を提出したりすることもなかったせいで、行き当たりばったりの旅をしようとしている生徒もかなり多いようです。私たちのグループもそうだったり…。班行動という制約が無いので、自由に行動できる昼間はC組のサム君とシロエ君も合流してくる筈でした。駅弁を食べ終えて少し経った頃、ナスカの駅に到着です。練習どおり整然と下車して、クラスごとにバスでホテルへ。
「諸君、今日から4日間、ここに連泊だ。節度ある行動を期待しているぞ」
ホテルでは原則、二人一部屋。グレイブ先生に部屋の鍵を貰ったら後は夕食まで自由行動。私はスウェナちゃんと二人部屋、ジョミー君とキース君はマツカ君も加えて三人部屋。他にも三人部屋の生徒が何人かいます。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はもちろん一緒のお部屋でした。部屋に荷物を置いた後はサム君たちとロビーで待ち合わせして、総勢9人でホテルを出ようとすると…。
「あ、あのぅ…」
A組では見かけない女の子が2人、会長さんを呼び止めました。
「これから外出されるんですか?」
「うん。…君たちも一緒に行きたいんなら歓迎するよ」
ああぁ。早速ナンパですか!まぁ人数が増えても会長さんがフォローするなら問題ないし、と思いましたが女の子たちは首を振って。
「それは…申し訳ないですし。あの、これ。…よかったら食べて下さい」
昨日頑張って作ったというクッキーの小さな包みを渡して2人は走り去りました。会長さんは2人が見えなくなるまで手を振っています。2人とも振り返る勇気はないと知りつつ見送るところは流石としか…。
「これが修学旅行の醍醐味だったりするんだよね」
そう言った会長さんはホテル近辺の名所を幾つか見て回る間に何人もの女の子から差し入れを貰って微笑んでいます。学校では目立つので渡しにくいと思っている子が、チャンスとばかりに来るようでした。
「美味しいよ。食べる?」
女の子たちの手作りお菓子は会長さんだけでは食べ切れないので私たちも分けて貰いましたが…いいんでしょうか、食べちゃっても。だって貰ったのは会長さんで…。
「構わないさ。全員の顔と貰ったお菓子の味は完璧に記憶してるし、修学旅行が終わったらちゃんとお返しをするんだからね」
メッセージカードも添えるんだよ、と楽しそうな会長さん。『シャングリラ・ジゴロ・ブルー』のハートを掴むのは、なかなかどうして大変そうです。
ホテルに戻るとお風呂と夕食。温泉を引いた大浴場もありました。スウェナちゃんと出掛けてみると露天風呂もあり、綺麗な川と優美な山が目の前です。昼間みんなで散歩していた立派な橋も遠くに見えていい感じ。お風呂の後はジャージに着替えて大広間で夕食の時間でした。ワイワイ賑やかな食事が済むと消灯時間まで自由ですけど、ホテルの外へは出られません。
「ジョミーたちの部屋が一番広いよ」
会長さんの一言で、私たちのグループはジョミー君たちの部屋へ押しかけることになりました。確かに三人部屋だけあって広さにグンと余裕があります。ソファやベッドに適当に陣取り、持参したお菓子を食べたりしながら話していると…。
「あれ?…それ、なに?」
ベッドに座っていたジョミー君が会長さんに目を留めました。会長さんは窓際の椅子に座ってメモのようなものを眺めています。そばの床では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が眠そうに丸くなっていて可愛いかも。
「…気になるかい?」
ひい、ふう、みい…とメモを数えながら会長さんが言い、私たちが頷くと…。
「部屋番号」
「「「は?」」」
部屋番号って、部屋の番号?そんなもの見て面白いかな?
「楽しいよ。全部、女の子の部屋の番号なんだ」
「なんだと!?」
キース君が険しい目をして会長さんを睨んでいます。
「そんなもの、何処で調達してきた?…先生の部屋じゃないだろうな」
「人聞きの悪いことを口にしないでくれたまえ。ぼくが貰ったものなんだからね、よかったら遊びに来て下さい…って」
えっと。…スウェナちゃんと私もジョミー君たちの部屋に来てるんですし、会長さんをお部屋に誘う女の子がいても特に不思議はないですよね。っていうか、遊びに行ってあげればいいのに…。
「これは消灯後のお誘いだよ?」
「「「ええぇっ!?」」」
消灯時間後に出歩くのは禁止だと警告されています。見つかったら廊下で1時間正座の刑だと聞きました。
「ね?…だから気軽に出掛けるわけにはいかなくて…。それを承知で部屋番号を渡しに来る子が何を考えているかくらいは、君たちだって分かるだろう」
ひえええ!もしかして、そのメモは会長さんと間違いをやらかしたい子が持ってきたというわけですか!?
「…そういうこと。この時間なら私一人ですから、とか添え書きがしてあるんだよ。これも修学旅行の醍醐味だね。
1年生の修学旅行だから、普段より数は少ないけども」
「…あ、あんた、まさか…」
キース君の震える声に、会長さんはニコッと笑って。
「行かないよ。今年は自粛」
「こ、今年は…って…」
「だって。今年はぶるぅがいるからね」
丸くなっている「そるじゃぁ・ぶるぅ」は既に半分寝ています。本当に抑止力が期待できるというのでしょうか?…っていうか、今年は自粛ってことは、過去は散々あちこちの部屋を渡り歩いて過ごしたとか…?
「ご想像にお任せするよ。…ところで、そろそろ消灯時間かな?」
時計を見ると確かに消灯時間が近づいていました。それぞれの部屋の扉の前で点呼を待たないといけません。ジョミー君たちの部屋を片付け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」を抱っこした会長さんがみんなの顔を見渡して。
「おやすみ。それじゃ、また」
「「「おやすみなさーい!!!」」」
私たちは割り当ての部屋に戻って、先生方が点呼に回ってきた後、扉を閉めて消灯です。賑やかだったホテルの中はすぐに静かになりました。
「…全然眠くならないわね…」
フットライトだけが灯った部屋でスウェナちゃんが呟きます。旅で興奮しているらしく、一向に眠気が訪れません。退屈しのぎにケータイでも…と思っても、点呼の時に回収されてしまって朝まで戻ってこないんです。メールで連絡を取り合って間違いを起こされてはたまらない、という先生方の意向でしょう。
「灯りをつけてもいけないだなんて、厳しすぎ」
「外から窓ガラスをチェックしてるから灯りをつけたらすぐに分かる、って言ってたものね…」
昼間は自由行動させてるくせに、妙な所で厳しいです。テレビも消灯時間後は禁止。こっちの方も電源を入れたらフロントに筒抜けになると言われました。暗い中でひたすら耐えるというのも不毛ですから、話すくらいしかないわけですが…。
『退屈してるみたいだね』
不意に聞こえたのは会長さんの声でした。頭の中に直接呼びかける、あの声です。
『みんな眠れないようだし、付き合ってよ。…みゆとスウェナはパジャマかい?だったら、上に浴衣でも着て』
え、浴衣?…スウェナちゃんと私は「聞こえた?」と互いに確認してからベッドを出ました。浴衣はクローゼットの中。暗いのにも目が馴れてきたのでフットライトの灯りで十分動き回れます。パジャマの上から浴衣を着込み、しばらくすると…また声が。
『飛ぶよ。急に明るくなるから気をつけて』
パアッと青い光がはじけて、眩しい灯りが目に刺さりました。思わず目を閉じ、何度か瞬きをして見回してみるとジョミー君たちが同じことをしています。みんな揃っているようですが、此処はいったい何処なんでしょう?真っ白だった視界が落ち着いてくると、だだっ広い部屋にいるのが分かりました。壁際に洗面台がズラッと並び、反対側には脱衣籠が入った棚が並んでいます。確か夕方、こんな景色を見たような…。
「脱衣場だよ、男湯の」
「「「ええぇぇぇぇっ!?」」」
「シッ、声が高い。…シールドしてるから落ち着いて」
浴衣姿の会長さんが悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていました。
「君たちの姿は見えないようになっている。声も外へは聞こえないから安心したまえ」
「な、な、…なんで男湯?」
ジョミー君が言うと会長さんはクスッと笑って脱衣場の隅っこを指差します。
「ほら。あそこに特大のゴマフアザラシ」
そこには明らかに着ぐるみと分かるゴマフアザラシが潜み、カメラを隠し持っているようでした。
「中身はまりぃ先生なんだ。君たちと違ってシールドは無い。まさに決死の覚悟だろうけど、本当に来るとは恐れ入ったな」
「…あんた、いったい何をする気だ。…ぶるぅはどうした!?」
キース君の言葉に会長さんはクスッと小さく笑いました。
「ぶるぅは部屋で寝ているよ。この程度の距離と人数だったら、ぼく一人でも簡単に飛べる。…まりぃ先生にはぼくが手紙を書いたんだ。夢の混浴シーンを撮りませんか、って」
「「「混浴!?」」」
「うん」
会長さんが浴衣をバサッと脱ぎ捨て、現れたのは青月印…ではなくてハーレー製の白黒縞の海水パンツ。それだけを着けた会長さんは備え付けの白いタオルを腰に巻きつけ、「どう?」と首を傾げます。
「何も着てないように見えるかな?」
とんでもない質問でしたが、私たちは素直に頷きました。スウェナちゃんと私の顔はとっくに真っ赤になっています。男湯に来てしまったと知った段階から既に赤かったかも…。
「今、ハーレイが一人で入っているんだよ。何時に入るのか知っていたから、まりぃ先生に教えておいたんだ。じゃ、からかいに行ってくるね。あ、露天風呂の方に移ったみたいだ」
「ちょっと待て!」
キース君が腕を掴もうとしましたが…。
「残念。今からコンタクト不可」
会長さんの声が遠くなり、私たちはシールドの中で動きが取れなくなりました。代わりにゴマフアザラシのまりぃ先生が会長さんに気付いてカメラを向けます。会長さんはまりぃ先生に軽く手を振り、浴室へ続くガラス戸を開けて湯煙の中へ。その後ろからゴマフアザラシがモゾモゾと匍匐前進を…。まりぃ先生、根性です。
「…どうなると思う?」
「考えたくない…」
そんな短い会話の後は重い沈黙が落ちてきました。どのくらい時間が経ったでしょうか、まりぃ先生が閉めていった浴室の扉がガラッと開き、飛び出してきたのは教頭先生。凄い勢いで脱衣場を横切り、洗面台に置かれたティッシュを鼻に詰めると…濡れた身体を拭きもしないで浴衣を纏い、逃げるように走り去ったのです。スリッパも履き忘れていったみたいですけど、会長さんはいったい何を…。
「まりぃ先生、いいのが撮れた?」
「いやねぇ、いつから私の趣味を知ってたの?…いけない子ね」
海水パンツの会長さんと着ぐるみを抱えたまりぃ先生が連れ立って浴室から出てきました。ゴマフアザラシの着ぐるみの中にはカメラが入っているのでしょう。会長さんは男湯を出てゆくまりぃ先生を「じゃあね」と笑顔で見送り、私たちの方にやって来ました。
「ふふ。…混浴露天風呂、楽しかったよ。まりぃ先生の視点から見た映像を見せてあげようか?」
要りません!と悲鳴を上げる私たちに会長さんは「残念」と呟き、備え付けのバスタオルで身体を拭いて浴衣を羽織り、スッと両手を差し出して。
「退屈しのぎになったかな?…おやすみ、明日も楽しく観光しようね」
青い光に包み込まれて、気付くと元の部屋でした。スウェナちゃんと私はパジャマだけの姿に戻ってベッドにもぐり込み、さっき見てきた事件について話している内にウトウトと…。その夜の夢は露天風呂で寛いでいる教頭先生にそっと忍び寄る会長さん。肩を叩いて驚かせてから、白い手足を見せ付けるようにゆったり伸ばし、触れるか触れないかくらいの距離を保って露天風呂の中を行ったり来たり。最後は艶やかな笑みを浮べて、両腕を教頭先生の逞しい首に…。
「…スウェナちゃん…。夢、見た?」
翌朝、こわごわ尋ねてみるとスウェナちゃんはコクリと頷きました。朝食で会ったジョミー君たちも「変な夢を見なかった?」と声を潜めて囁きます。会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と並んで座って涼しい顔をしていますけど、昨夜の夢は会長さんに一方的に流し込まれた『まりぃ先生が見ていたもの』でしかありません。…修学旅行、残り3泊。私たち、無事に帰れるでしょうか…?
学園祭が終わって学校に落ち着きが戻ってきたある日のこと。登校してみるとA組の教室の一番後ろに、また机が1つ増えていました。期末試験にはまだ早いですし、こんな時期にいったい何が?例によってアルトちゃんとrちゃんにプレゼントをしようとしている会長さんに聞いてみると。
「グレイブが来たら分かることだよ」
軽く受け流されてしまいました。今日のプレゼントは会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に教えて貰って焼いたマドレーヌらしいです。嘘じゃないかと思うんですが、アルトちゃんとrちゃんは素直に信じて大喜び。…まぁ…オーブンのタイマーくらいはセットしたかもしれませんね。
「諸君、おはよう」
ガラリと教室の扉が開いてグレイブ先生が入ってきました。冊子のようなものを沢山持っていますが、なんでしょう?
「ブルーが来ているから、何か起こるのは承知だろう。今日は重大なお知らせがある。これを前から順に配るように」
配られてきた冊子の表紙には『修学旅行の栞』の文字が。教室はたちまち蜂の巣をつついたような大騒ぎです。1年生で修学旅行はいくらなんでも早すぎますし、冗談ではないのかという声も…。
「諸君、私は至って真面目だ。本当に修学旅行が行われる。いずれ知れることだから話しておくが、シャングリラ学園には1年で卒業してしまう特殊な生徒がたまにいるのだ。該当者があった年は、その生徒のために修学旅行が実施される」
「「「えぇぇぇぇっ!?」」」
誰だ、誰だ…という声があちらこちらで上がりましたが、グレイブ先生は無視して先を続けます。
「そういうわけで修学旅行に行くことになった。詳しいことは栞にも書かれているが、ナスカで4泊5日の旅になる。原則として自由行動だ。班などを組む必要は無い」
え?こういうのって普通は班単位で行動するものじゃないですか?しかも自由行動だなんて、野放しにするのと変わらないんじゃあ…。グレイブ先生はザワザワしている教室をジロリと眺め、咳払いをして。
「昔は班単位の行動だった時代もあったのだ。…だが、男女で組ませたら間違いが起こった年があった」
間違い…。男女が組んで間違いとくれば、バレたら退学というアレでしょう。なるほど、それは危険かも…。
「そこで男女別に班を組ませたが、結果は同じだったのだ。うかつに仕分けをしたばっかりに、示し合わせて更にろくでもないことをやらかしてくれた」
何があったのか知りませんけど、なかなか凄い過去があるようです。それとも勇気のある先輩が多かったのだと言うべきでしょうか。
「そういうわけで、下手に口出しをせずに良識に任せておくのが一番ということになったのだ。その代わり、夜間の見回りは非常に厳しい。羽目を外して遊ぶのもいいが、消灯時間くらいは守りたまえ」
夜中に検挙されたら廊下で1時間正座だからな、と付け加えてからグレイブ先生は朝のホームルームを終えて出て行きました。
思いがけない修学旅行とあって、休み時間は関連の話題でもちきりです。女子の一番の関心事は三百年以上在籍している会長さんのことでした。
「もしかして卒業しちゃうんですか?修学旅行に行くんですよね」
女子代表で質問したのはrちゃん。手が小刻みに震えているのは、会長さんがいなくなってしまうんじゃないかと心配しているからでしょう。
「まさか。…卒業なんかしないよ、魅力的な子がこんなに沢山いたりするのに」
会長さんがニッコリ笑うと黄色い悲鳴が上がりました。
「ぼくは年中行事が好きでね。…修学旅行は特に好きだな、学校のみんなと一緒に旅行できるし。4泊5日か…。よろしく頼むよ」
大歓声を上げる女の子たち。アルトちゃんとrちゃんは頬がほんのりピンク色です。修学旅行中にお守りを使おうとは思わないでしょうけど、一緒に旅行をするんですから期待は色々あるでしょうね。午前中の授業が終わる頃には会長さんは保健室に行ってしまって姿が見えませんでした。
「へえ…。会長さんも修学旅行に行くんですか」
シロエ君が食堂でスパゲッティーを食べながら「何もなければいいんですけど」と呟きます。
「栞には教頭先生も同行するって書いてありましたよ。また何かやらかそうとするんじゃないですか?」
「まさか…。いくらなんでも大丈夫じゃない?」
ジョミー君が言うと、キース君が。
「1年生全員が揃ってる所でからかったりはしないだろう。いや、俺たちさえ気をつけていれば…あいつの口車に乗せられなければ、ギャラリーがいないから諦める筈だ」
なるほど、それは一理あります。会長さんが赤の他人の生徒を巻き込んで騒ぎを起こすとは思えません。修学旅行中は会長さんの誘い文句に乗せられないことを私たちは固く誓いました。昼休みと午後の授業が終わって、あとは終礼という時です。
「諸君、これから1年生は体育館で修学旅行の練習をする」
「「「え?」」」
グレイブ先生の言葉にクラス全員が首を傾げました。修学旅行の練習って…なに?
「行ってみれば分かる。さっさと体育館へ行け。他のクラスに遅れるな!」
追い立てられるようにして体育館の一番大きな部屋に入ると、床に白いテープが貼られています。細長い長方形の形ですけど、コートにしては狭すぎるような…。そんな図形が全クラス分あり、私たちはその横に整列するよう言われました。一番前に現れたのはマイクを持った教頭先生。
「では、修学旅行に備えて大切なことを練習してもらう。諸君の横の床に描かれているのは実物大の電車の車両だ」
は?…電車?
「ナスカまでは電車に乗るが、乗り降りに無駄な時間がかかってしまうと他の乗客の迷惑になる。我が学園の恥にならないよう、毎日放課後、スムーズな乗降の練習を体育館で行うように」
よく見てみると長方形の図形には乗降位置と扉の幅が書かれていました。信じられない話ですけど、私たちは教頭先生のホイッスルに合わせて担任の先生に指図されながら乗車訓練をしたのです。電車も無い田舎の小学生なら分かりますけど、何が悲しくて高校生が…。
練習を終えて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと、保健室から戻ったらしい会長さんがソファに座っていました。手には修学旅行の栞。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が興味津々で覗き込んでいます。会長さんは電車に乗る練習に参加したりは…しないでしょうね。
「ああ、あれか。…昔はあんなの無かったんだよ」
会長さんがおかしそうに笑い出しました。
「もう十年くらい前になるかな。その時もぼくは参加してたけど、あるクラスが乗り込む時に生徒同士で喧嘩になって。原因は些細なことでも、ヒートアップしがちな年頃じゃないか。先生が止めようとすればするほど熱くなっちゃって、電車の発車が8分遅れた。おかげで後続の電車が更に遅れたり、運休したりしたんだよね」
それで学校に苦情が届き、新聞にも小さく書かれたりして…すっかり懲りた先生方が考えたのが乗車練習らしいのです。指導が厳しかった理由もこれで納得。これから毎日あれですか…。
「ねぇねぇ、ブルー」
乱入したのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんの袖をツンツン引っ張り、目をキラキラと輝かせて。
「ぼくも修学旅行に行きたい!…今まではお留守番でもよかったけれど、今年は仲間が7人もいるし…夏もみんなで旅行してとても楽しかったし、行ってみたいよ」
「…ぶるぅの分の栞は貰っていないし、ダメなんじゃないかな」
ホテルや電車の手配があるしね、と会長さん。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は肩を落として悲しそうです。なんとか連れてってあげる方法が無いものでしょうか?
「…うーん…。ハーレイに頼めばなんとかなるかな…」
「そ、それ、…それはまずいって!」
すかさずジョミー君が突っ込みました。
「教頭先生に頼むのはまずいよ。…っていうより、悪いっていうか…」
「この間、ぼくの家に誘ってからかったから?」
ジョミー君の頬が赤くなり、私たちも思い出して顔が熱くなります。会長さんの家にお邪魔した時、会長さんが教頭先生を呼び出してオモチャにした事件から日は経ちましたが、あれ以来、会長さんは教頭先生を見て見ぬふり。声をかけられても通り一遍の挨拶だけで無視しまくっているのでした。
「だって、無視したくもなるだろう?あれだけぼくに惚れてたくせに…ギャラリーがいたっていうだけでアッサリ轟沈したんだからさ」
プライドが傷ついたんだ、と会長さん。身体を張った罠が空振りに終わったことで腹を立てているらしいのです。計画では教頭先生に夢を見させて一晩泊めて、翌朝、二人きりで朝食と偽って私たちが揃ったダイニングに連れて来てパニックに陥らせるつもりだったのだとか。
「ぼくってそんなに魅力が無いかな?…あれだけ気分が盛り上がってれば、ギャラリーがいたって押し倒すだろうと思ってたのに」
「…そいつは無理ってもんだろう…」
溜息をついたのはキース君です。
「あんた、いっつも言ってるじゃないか。教頭先生はヘタレだ、って。…あんたと二人きりだと思い込んでいたら、俺たちがゾロゾロいたんだぞ。ヘタレでなくても眩暈ものだ」
「そう?…じゃあ、お詫びを兼ねて修学旅行のことを頼みに行こうかな」
君たちもついておいで、と会長さんは腰を上げました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れ、教頭室へ直訴に出かけるみたいです。お詫びとお願いに行くだけならば特に心配はないでしょう。私たちは会長さんの後に続いて本館めざして出発しました。
教頭室の重い扉をノックして会長さんが声をかけると、「どうぞ」と渋い声がして。
「こんにちは、ハーレイ。…ここで会うのは久しぶりだね」
「ブルーか。どうした?」
教頭先生は平静を装っていますが、声に嬉しさが滲み出るのは隠せません。呼びつけられた上にオモチャにされて、挙句の果てに無視されまくっても、会長さんを諦められなかったみたいです。三百年以上見ていただなんて言ってましたし、あの程度で砕け散るような恋心ではないというわけでしょう。会長さんは視線を床に落としました。
「…ちょっとね、謝りたいと思って…。この間のこと」
「なんだ、そんなことか」
教頭先生は豪快に笑い、私たちの顔を見回して。
「あの時は正直ビックリしたが、こいつらもパニックだったからな。お前の悪戯はいつものことだし、気にしていたら心臓が持たん」
ヘタレと呼ばれる先生ですが、立ち直りの早さは柔道十段の武道家に相応しいかもしれません。会長さんはもう一度謝り、思わせぶりな瞳を向けて。
「…でもね、ぼくだって少し傷ついたよ?もう少し強引に押してくるかと思っていたし」
「そ、それは…」
他の生徒の前で受け持ちの生徒をどうこうするのはマズイだろう、と教頭先生。ヘタレというより教師根性が頭をもたげたみたいです。三百年以上も担任として接していたら、腰が引けても仕方ないかも…。
「じゃあ、ぼくを軽んじたわけじゃないんだね?…てっきりそうだと思ってしまって…。無視ばかりしてごめん、ハーレイ」
「いや、悪いのは私の方だ。知らなかったとはいえ、お前を傷つけていたとはな」
教頭先生と会長さんの擦れ違いは無事に解決したみたい。お次は修学旅行の件です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて行ってやりたいんだ、という会長さんのおねだりは即座に許可が下りました。
「分かった。お前がぶるぅを大事にしているのは知っているんだが、修学旅行に連れて行ったことはないだろう?今回も留守番だと勝手に思い込んでいた。早速、電車とホテルの手配をしよう。修学旅行の栞も追加で作るが、1年A組でいいんだな」
「わーい♪ぼくも一緒に行けるんだね!」
大喜びの「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんはスッと教頭先生の机に近づき、かがみ込んで。
「ありがとう、ハーレイ。…恩に着るよ」
耳元で囁かれた甘い声音に教頭先生は真っ赤です。そして会長さんは制服のポケットから手品のように書類袋を取り出しました。
「ぶるぅの修学旅行を許可してくれたから、そのお礼。…後でゆっくり開けてみて」
分厚い書類袋を渡すと、回れ右して教頭室を出てゆきます。私たちはまだ顔が赤い教頭先生にお辞儀をしてから会長さんを追いかけました。
「よかったね、ぶるぅ。明日から電車に乗る練習をみんなと一緒にするんだよ」
影の生徒会室に戻った後で会長さんが言うと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は元気一杯で頷きます。1年A組の整列乗車は1人増えた分、スピードアップに努めなきゃ。ところで、教頭先生がお礼に貰った書類袋は何なのでしょう?
「…文字通りの出血大サービスだよ」
クスクスクス。会長さんが意味深な笑みを浮かべていました。
「もっとも、出血するのはハーレイの方。…保健室に通って内緒でコピーした、まりぃ先生の力作詰め合わせセットが入ってるんだ。ずっと機会を狙ってたけど、お礼に渡すなら最高だろう?」
ひえええ!スウェナちゃんと私は頭を抱え、記憶が薄れているジョミー君たちも呆然とした顔をしています。眠っていたせいで何も知らない「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけが無邪気な笑顔で。
「ブルー、お礼まで用意してくれてありがとう!ぼく、明日から頑張るよ。電車にきちんと乗れるようにね♪」
「ああ。みんなで楽しく旅をしよう。せっかくの修学旅行なんだし」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は盛り上がっていますが、教頭先生はどうなったでしょう?…書類袋は前に私が貰ったものより遥かに分厚いものでした。今頃は鼻血で大出血かもしれませんけど、会長さんのウェディング・ドレスの等身大写真を持っていた過去もありますし…お宝を貰って大喜びという可能性もゼロってわけでは…。
「さあね?…絵に描いた餅っていう言葉もあるよ。文字通り、あれは絵なんだからさ」
会長さんはクスクスと笑い、修学旅行の栞を開いて読み始めました。ナスカ4泊5日の旅へは、電車の乗降練習から。早く旅行に行きたいような、心配なような複雑な気分。…いい思い出になりますように、とお祈りするのが一番かな?