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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(あと少し…?)
 土曜日の朝、食卓に置かれたマーマレード。
 ハーレイのお母さんが庭の夏ミカンの実から作った金色のマーマレードの瓶。かなり大きめの瓶なんだけれど、パパもママもぼくもお気に入りだから。
 毎朝のように食べているから、多分、今日か明日かでなくなりそう。瓶の底の方に残った金色、夏のお日様を閉じ込めた色。
(もうちょっとで空になっちゃうんだけど…)
 あと何回かスプーンで掬えば空になっちゃって、瓶は洗ってハーレイに返す。それをハーレイが隣町のお父さんたちの家まで行ったついでに渡してくれて、新しいのを貰えるんだ。
 残り少ないマーマレード。
 だけど、そんな朝でもマーマレードをトーストにたっぷり、ぼくの特権。スプーンを突っ込んで掬って、乗っけて。ちょっぴりビターな夏ミカンの金色をトーストと一緒に頬張る、ぼく。
(ふふっ、幸せ!)
 ぼくが掬った後、パパとママもトーストに塗り始めた。ハーレイに貰ったマーマレード。本当はハーレイのお父さんとお母さんから、ぼくへの贈り物だけど…。
 初めてマーマレードを貰った時に、ハーレイがぼくにそう言った。「親父たちからだ」って。
 いつかハーレイのお嫁さんになるぼくに、お父さんとお母さんからのプレゼント。
 大事に食べようって決めていたのに、次の日の朝、ぼくが起きたらパパとママとが食べていた。表向きはハーレイがお世話になってる御礼ってことになっていたから。
 ショックで声も出なかったぼくだけれども、ホントに泣きそうだったんだけれど。
 でも、パパとママは残り少なくなった時にはちゃんと譲ってくれて、ぼくが最後に食べられた。新しい瓶を貰えたけれども、最後の一匙はいつでも、ぼくに。
 ぼくのマーマレード、ってわざわざ言わなくってもパパとママとは譲ってくれる。
 だから残りが少なくなった今朝はぼくが一番、それからパパとママの番。



 譲り合いなんかやっていないで、次の瓶を開ければいいんだけれど。
 そうすればパパもママも、ぼくが取るのを待っていないで新しい瓶から掬えるんだけれど。
 ハーレイは瓶が空になる前にちゃんと早めに届けてくれるし、マーマレードを切らしてしまったことは無いから。
 ただ…。
(開かないんだよね)
 新しいマーマレードの瓶は開かない。そう簡単には開いてくれない。
 お店で売ってるジャムやマーマレードと変わらないように見えるけれども、蓋が固くてどうにもならない。ハーレイのお母さんが力持ちなのか、それともお父さんなのか。
 一番最初に瓶を貰った時、パパとママとは開けるのにうんと苦労した。
 ぼくは現場に居なかったけれど、見ていないけれど、そう聞いた。とても固くて大変だったと。
 そして今でも苦労している。マーマレードの新しい瓶を開けようっていう時が来る度に。
 パパが全力で蓋を捻って、ママが合わせてサイオンを乗せて。
 二人一緒に掛け声をかけて、ようやく瓶はポンと開くんだ。
 そんな具合だから、新しい瓶が開くのは前の瓶が空になった時。空っぽになったから次の瓶を、っていう時になったら始まる格闘。
 一足お先に開けておこう、と開けるには蓋が固すぎる。だって一人じゃ開かないんだから。



 パパとママとがトーストに塗って、マーマレードの残りは少しになった。
 多分、明日の朝にぼくが塗ったらそれでおしまい、パパとママとは別のジャム。マーマレードの他にもジャムとかの瓶は色々あるから、それを食べてから食後に格闘。マーマレードの瓶と格闘。
「また開けなきゃな」
 パパがマーマレードの瓶を眺めてママに言ったら、ママも頷いた。
「ええ。明日には開けなきゃいけないわね」
 今度は上手に開けられるかしら、いつも二人で開けているけど…。
 ハーレイ先生のお母様たち、ご近所の方やお友達にも配っていらっしゃるのよね、この瓶を。
 皆さん、どうしてらっしゃるのかしら、って首を傾げて見ているママ。
 そう言われてみたら、そうだった。ハーレイのお母さんたちはマーマレードを沢山配る。つまり何人もが瓶を開けているわけで、その人たちが全員、苦労しているとも思えないから。
「ハーレイにコツを訊いてみたら?」
 瓶を開けるコツがあるんじゃないかな、ハーレイは常識だと思い込んでて言わなかったとか…。小さい頃から見ていたんなら、それは普通の方法だもの。
 コツを教えて、って訊けばいいんじゃない?
 今日はハーレイ、来てくれるよ、って言った、ぼく。
 土曜日だから、ハーレイは訪ねて来てくれる。「その日は駄目だぞ」とは聞いてないから。



「そうねえ…!」
 ハーレイ先生なら絶対にコツを御存知なのよね、お母様が作ってらっしゃるんだから。
「それが良さそうだな、きっと開け方があるんだろう」
 訊いてみよう、って頷き合ってるパパとママ。
 明日の朝には瓶を開けるんだし、今日から開けても大丈夫。ハーレイに訊いて、コツを習って、次からはきっと楽に開けられるようになる筈なんだ。
 ママは早速、キッチンの貯蔵用の棚からマーマレードの新しい瓶を持って来た。テーブルの上に置かれた瓶。夏ミカンの金色が詰まった瓶。
「ぼくも開けるコツを聞いておきたいから、習う時には一緒だよ?」
 パパとママだけで聞いちゃわないでよ、教わる時にはぼくも呼んでよ?
「ふうむ…。それなら、この瓶。お前の部屋に置いておいたらどうだ?」
 それなら忘れないだろう。
 ハーレイ先生がいらっしゃったら、時間を見てお前がお願いしなさい。
 この瓶の蓋が固くて開けられないから、開けるコツを教えて下さい、とな。



 というわけで、ぼくはマーマレードの瓶を抱えて部屋に戻った。
 ハーレイと二人で座る窓際の椅子とテーブル、其処にドカンと大きな瓶。マーマレードの金色が輝くガラスの瓶。
 部屋を掃除して待ち焦がれていたら、ハーレイがやって来たんだけれど。
 案内して来たママがテーブルにお茶とお菓子を置いて行ってくれたけれども、ハーレイの鳶色の瞳は瓶に釘付け、まじまじと眺めてこう言った。
「なんだ、こいつは?」
 どう見てもおふくろのマーマレードだが、どうかしたのか、この瓶が?
 中身が減ってるようには見えんし、味や匂いが変だというわけでもなさそうだが?
「えーっとね、そういうことじゃなくって…。瓶の開け方」
 前の瓶がもうすぐ空になるから、明日にはこの瓶、開けたいんだけど…。
 これって開けるのにコツとかあるかな、ぼくのパパとママは苦労してるんだよ。
「ああ、この蓋が開けにくいってか?」
「うん。パパとママがコツを教えて下さい、って」
 ハーレイならコツを知ってるだろうし、どうやったら開くのか、蓋を開けるコツ。
「うーん…。俺にはコツなんか無いんだがなあ…」
 まあいいか、って椅子から立ち上がったハーレイ。
 紅茶のおかわりを頂く前にこいつの方を片付けるか、って。



 マーマレードの瓶を抱えたぼくと、後ろから来るハーレイと。
 階段を下りてリビングを覗いてみたら、パパもママもリビングのソファに座っていたから。
 みんなでダイニングの方に移動して、マーマレードの瓶はテーブルの上。
 主役よろしくテーブルに鎮座した瓶を前にして、パパがハーレイに頭を下げた。
「ハーレイ先生、すみません。わざわざ下りて来て頂きまして…」
「いいえ、全くかまいませんよ」
 これを持って来たのは私ですしね、責任もあるというものです。
「いつも主人と二人がかりで開けていますの。開け方、コツがあるんでしょうか?」
 教えて頂けると助かります、ってママも頭を下げたんだけど。
 ハーレイは「それが…」と、困ったような笑い顔。
「私には特に…。コツというものは無いんですよ、これ」
 こうですが、ってハーレイの大きな手が瓶の蓋を覆って、テーブルの上でキュッと捻って。
 ポンッ! と小気味いい音が聞こえて、開いた瓶。
 軽々と開いてしまった瓶。



「先生、今のは…?」
 パパが目を丸くしたら、ハーレイはマーマレードの瓶に蓋をしながら。
「サイオンは使っていませんよ?」
 捻っただけです、本当に。ですからコツなど私には無いと…。
 いつもこうやって捻るだけです、それだけでポンと開きますからね。
「そうなんですか? 私は妻と二人がかりでないと開かないんですが…」
 妻にサイオンで補助して貰って、私の方は全力で。そのくらいしないと開いてくれません。
 それが捻っただけで開くと仰るからには、やはり力の差ですかねえ…。
 柔道と水泳で昔から鍛えておられる分だけ、力もお強いということでしょうか?
「そのようですね。それほど力を入れなくても蓋は開けられますよ」
「あらまあ…。では、お父様もこの蓋、ポンとお開けになりますの?」
 ママが興味津々で訊いたんだけれど。ハーレイの答えはこうだった。
「いえ、父も力は強い方ではあるんですが…。父でも母と二人がかりです」
 釣りで大物を釣り上げる力と、瓶の蓋とは違うようですね。
 それに、マーマレードを作った母も。
 確かに自分でマーマレードを沢山作って、ガラス瓶に詰めているんですがねえ…。



 自分で蓋をしたくせに一人じゃ開けられないんです、って笑ったハーレイ。
 マーマレードの瓶は特別な真空状態になってて、開けなかったら二十年でも持つんだって。
 ガラスの瓶にマーマレードを詰めたら、蓋をして水を張ったお鍋に入れる。水が沸いてきたら、そのまま暫く弱火で煮込んで、それから出して。瓶を逆様にして冷めるまで待つ。
 蓋の真ん中がへこんでいたなら瓶は真空、開けさえしなければマーマレードはそのまんま。
「母も教わったんだそうです、ご近所の方に。その作り方を」
「そうでしたの?」
「ジャム作りがお好きな方がおられましてね」
 色々と作っておられるんですよ、毎年、何種類ものジャムを。
 頂いた瓶がなかなか開かなかったもので、母が訊いたら「真空ですよ」と仰ったそうで…。
 二十年は軽く持ちますよ、と教えて下さったという話でした。
 母がその話を伺った時に、「二十年以上も前に作りましてね」と御馳走になったようですが…。何のジャムだったかは忘れましたが、まるで出来立てのような味がしていたらしいですよ。



 二十年以上も前に作ったジャムでも、ちゃんと食べられるという真空の瓶。
 蓋が頑丈な理由が分かった。
 そんなに長い間、傷みもしないでジャムが持つなら、マーマレードだって同じこと。外の空気に触れないようにとマーマレードを守っている蓋、そう簡単に外れちゃったら大変だもの。
 ハーレイのお母さんが真空にしちゃった、うんと蓋の固いマーマレードのガラス瓶。
 蓋に小さな穴を開ける人もいるんだって。そうすれば真空じゃなくなるから。蓋は緩んで普通の力で開くようになるし、手伝ってくれる人がいなくても開けられる。
 だけど、そこまでする人がいるほどの蓋。
 固いと評判のマーマレードの蓋をハーレイはポンと開けちゃった。
 コツなんか無いと、自分はいつでもこうやっていると。
 マーマレードの瓶を開ける時には声を掛けて下されば開けますよ、って言っているけれど。
「それは申し訳ないですし…」
 妻と二人でやってみますよ、とパパが瓶を見て、ママだって。
「ええ、なんとか頑張って開けてみますわ、コツが無いなら」
「そう仰らずに、ご遠慮なく」
 いつもお世話になっていますし、マーマレードの蓋くらいなら…。
 馬鹿力がお役に立つのでしたら、このくらい、いつでもお手伝いさせて頂きますよ。



 ハーレイが開けてくれたマーマレードの瓶をダイニングに残して、ぼくの部屋に戻って。
 お茶のおかわりをカップに注いで、ぼくはハーレイの手を見詰めた。
 ぼくとおんなじカップを持っても、カップが小さく見えてしまう手。力だって強い手は瓶の蓋もポンと開けちゃうくらいで、ホントに感心するしかなくて。
「ハーレイ、凄いね」
 力持ちだね、ハーレイの手って。
 パパの力でも開けられない蓋、捻っただけで開くんだものね。
「親父たちにも言われるなあ…。馬鹿力だと」
 あの瓶の蓋を素手で開けられるヤツはお前くらいだと、誰一人として開けられないんだ、と。
 もっとも、俺でもガキの頃には流石に開けられなかったがな。
 何歳くらいの頃だったかなあ、蓋を捻るだけで開けられるようになったのは。
 お前くらいの年の頃にはまだ無理だったな、格闘していた覚えがあるしな。



 そうは言っても、ぼくの年には頑張れば蓋を開けられたらしい、凄いハーレイ。
 蓋をちょっぴり温めてやれば、なんとか開いたというから凄い。ぼくのパパとママはその方法も試してみたのに、未だに二人がかりで開けないとどうにもならないんだから。
 でも、ハーレイが蓋を開けてくれたし…。
「明日から新しいマーマレードを食べられるんだよ、ぼくが一番に掬うんだ」
 せっかくハーレイが開けてくれた瓶なんだもの、一番乗りをしなくっちゃ。
 いつもだったら一番でなくてもかまわないけど、明日は一番。
「ほほう…。遅れないよう早起きせんとな、でないと先に食われちまうぞ」
「それは絶対、大丈夫!」
 ぼく、特権を持ってるんだよ、マーマレードの。
 これが最後の一匙、って時には、マーマレードはぼくが貰うんだ。それでぼくの分が足りない時には新しい瓶。ちょうどそういうタイミングだから、パパとママは食べずに待ってるよ。
 ぼくが起きなくて先に食事、って思うんだったら、別のジャムとかマーマレード。あの瓶の分は食べずに待っていてくれてるから、ホントにぼくが一番なんだよ。



 楽しみだよね、って新しい瓶のマーマレードを思い浮かべてウキウキしてたら。
「お前、どうやって食っている?」
「えっ?」
「マーマレードだ。お前、どうやって食っているのかと訊いているんだが?」
 おふくろのマーマレードの食べ方。いつもどういう食い方をしてる?
「トーストだよ?」
 キツネ色に焼けたトーストに塗って食べているけど、どうかした?
「バター、塗ってるか?」
「バター?」
 えーっと…。バターなんかは塗らないよ?
 マーマレードをたっぷりと塗って、それだけで食べているんだけれど…。
「そいつはいかんな、バター無しとは」
 トーストにバター、熱いからトロトロに溶けるだろうが。
 溶けたバターを一面に塗って、その上にマーマレードを乗っける。こいつが実に美味いんだ。
 お前がやっていないと言うなら、それは思い切り損をしてるぞ。
 バターとマーマレードの組み合わせが絶品なんだから、ってハーレイは片目を瞑ってみせた。
 俺もそうやって食ってるんだぞ、って。



「バターを塗ってからマーマレードって…」
 美味しいの?
 ハーレイ、それがお気に入りなの?
「ジャムとかでよくやらないか? バターとセットで」
 バターだけとか、ジャムだけだとか。そんな食い方より美味いんだがなあ、組み合わせると。
 塩味と甘味の相性だろうな、バターに蜂蜜も美味いんだが。
「そういう食べ方、たまにやるけど…。美味しいんだけど…」
 でも、ハーレイのお母さんのマーマレードは…。あれはあれだけでも美味しいから…。
 夏ミカンの金色、うんと素敵な味だから…。
 もったいないよ、って答えたぼく。
 夏ミカンの味がバターで死んでしまうと、ハーレイのお母さんの味が台無しになると。
「何を言ってる、より美味しくなる食い方をしないと損だろうが」
 あのマーマレードと、溶けたバターと。
 おふくろも親父も気に入っているし、俺の家では定番だぞ。トーストにバターをたっぷりだ。
 いいか、美味いんだから試してみろ。
 もったいないだなんて言っていないで、明日にでもな。
「うんっ!」
 ハーレイも、ハーレイのお母さんたちもお勧めだったら、試してみる。
 金色同士の組み合わせなんだね、金色に溶けた熱いバターと、マーマレードの金色と。



 次の日の朝、張り切って起きていった、ぼく。
 ダイニングのテーブルにマーマレードの大きなガラス瓶が二つ、残りが少しになっていた分と、昨日ハーレイが開けてくれた分と。
 パパとママはまだ食べ始める前で、トーストを焼いてるトコだったから。
 ぼくは気前よく、残りが少ない瓶のマーマレードをママに譲った。いつもだったら両方の瓶のを一人占めだけど、今日は新しい食べ方を試す日なんだから。
 記念すべき第一回の分のマーマレードはバターが冷めてしまわない内にたっぷり塗りたい。前の瓶の底までスプーンで掬ってるよりも、新しい瓶からスプーンで沢山。



 そうするんだ、ってトーストを焼いて貰って、教わったとおりにバターを乗っけた。トーストの熱で溶かしながら塗って、金色のバターを端の方までしっかりと広げたら、マーマレードを。
 キツネ色のトーストに金色のバター、その上にマーマレードの金色。
 夏のお日様をギュッと閉じ込めた、ハーレイのお母さんのマーマレードをたっぷりと。
「あら、珍しいわね?」
 ブルー、その食べ方は初めてじゃない?
 他のジャムとかでするのは見るけど、ハーレイ先生のマーマレードではやってないでしょ?
「うん、ハーレイに習ったんだよ」
 昨日、教えて貰ったんだ。ハーレイの家では定番の食べ方なんだって。
 こうやって食べないと損をしてるぞ、って言われちゃったから、食べてみるんだよ。
(バターと、ハーレイのお母さんのマーマレードと…)
 金色と金色の組み合わせ。金色のバターと、お日様の金色のマーマレードと。
 どうなのかな、って一口、齧ってみたら…。
(美味しい…!)
 バターの塩味と、ちょっぴりビターなマーマレードの酸味と甘味。
 少し心配していたんだけど、ハーレイのお母さんのマーマレードはコクのあるバターにちっとも負けてはいなかった。それどころかバターを家来にしている。従えちゃってる。
(夏ミカンのマーマレードが王様なんだよ)
 お供はバターとキツネ色のトースト、王様のマントは夏ミカンの皮。
 マントじゃなくって王冠だろうか、マーマレードが此処にあるよ、って舌に伝えてくれる皮。
 マーマレードはトーストの主役、金色に輝く立派な王様。バターなんかに負けない王様。
(ハーレイが言ってたとおりだったよ、「美味いんだぞ」って)
 バター無しだなんて損だと言っていたハーレイ。
 ハーレイのお勧めは当たってた。
 きっと子供の頃から食べていたんだ、バターと夏ミカンのマーマレードのトーストを。
 庭に夏ミカンの大きな木がある、隣町のお父さんとお母さんが暮らしてる家で…。



 朝からとってもいいものを食べて、御機嫌になってしまった、ぼく。
 掃除も鼻歌を歌いながらで、早くハーレイが来てくれないかと何度も窓から見下ろして。
 首が伸びてしまうほど待った気がするけれども、ハーレイが来たのはいつもの時間。門扉の脇のチャイムを鳴らして、ぼくに笑顔で手を振ってくれた。
 ぼくの部屋で二人、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせに座ったら。
「マーマレードにバター、試してみたか?」
 そう訊かれたから、ぼくは元気一杯に「うん!」と答えて報告。
「美味しかったよ、ハーレイのお勧め!」
 バターの塩味に負けていないね、ハーレイのお母さんのマーマレード。
 なんだか王様みたいだったよ、トーストとバターを家来にしている偉い王様。
 キツネ色のトーストも金色のバターも家来なんだよ、マーマレードの王様の家来。
 ハーレイに教えて貰わなかったら、ぼく、マーマレードが王様だなんて気付かなかったよ。
「そいつは良かった。マーマレードが王様ときたか」
 おふくろが作るマーマレードは味がしっかりしているからな。夏ミカンを丸ごと使うからなあ、庭で完熟したヤツを。その分、どっしりしているんだろう。
「ハーレイのお母さんたちが住んでる家の味だね」
 庭に射してるお日様だとか、庭の土とか。
 そういったものが育てた夏ミカンの味が詰まってるんだね、マーマレードに。
 だからしっかりした味になって、バターとトーストを家来にしちゃえる王様なんだ…。



 王様のトースト、ホントのホントに美味しかったよ、って御礼を言ったら。
 教えてくれてありがとう、ってハーレイにペコリと頭を下げたら。
「あれはおふくろのお勧めでな」
 トーストにバターとジャムやマーマレードの組み合わせってヤツは、そう珍しくないんだが…。
 バターとマーマレードが王道らしいぞ、おふくろが作ったマーマレードでなくてもな。
 だから自信を持ってのお勧めってわけだ、あのマーマレードの食い方としては。
「そうなの?」
 お母さんのお勧めっていうのは分かるけれども、王道って、なあに?
 そういう食べ方をしている地域でもあるの、トーストにバターとマーマレードって。
「うむ。トーストの食い方をとっくに越えてて、立派な菓子だ」
「お菓子?」
「そうさ、SD体制が始まるよりもずうっと昔に作られていた菓子なんだ」
 俺がおふくろから聞いた話じゃ、一般家庭向けに刷られた最初のレシピ本にもあったらしいな。レシピだけじゃなくって、家事全般の手引書だったという話なんだが…。



 うんと古いレシピがあるんだそうだ、って教えて貰った。
 トーストにバター、マーマレードで作るお菓子のブレッド・アンド・バタープディング。
 残ったパンで作る、フレンチトーストの親戚みたいなものだって。
 パンをスライスして、まずはバターを塗り付けて。その上に塗るのがマーマレード。
 そうやって下ごしらえをしたパンを器に並べて、ミルクにお砂糖と卵を混ぜたのを回しかけて。馴染んだ頃合いでオーブンに入れて、キツネ色になるまでカリッと焼き上げるんだって。
 出来上がったプディングは外はサクサク、中はふわふわ。
 熱々の間に取り分けて食べるパンのプディング、マーマレードとバターが決め手。
 塗らずに焼いてもフレンチトーストみたいで美味しいけれども、マーマレードとバターを加えてもっと美味しく。
 そんなお菓子になってるからには、トーストにマーマレードとバターは本当に王道なんだろう。
 ハーレイのお母さんもお勧めの食べ方、マーマレードの美味しい食べ方。
 今度から、ぼくも定番にしようと思うけど…。



「ハーレイのお母さんもお菓子作りが好きなんだよね?」
 ぼくのママとおんなじ味のパウンドケーキを焼くって聞いたし、プディングだって…。
 猫のミーシャが家に居た頃、ケーキ作りの時にはミルクを強請っていたんでしょ、ミーシャ?
 いつも貰えると思ってたくらい、お母さん、お菓子を色々と作っていたんだよね?
「そうだな、おふくろは菓子作りってヤツが大好きだな」
 ついでに古いものも好きなんだよなあ、昔のレシピを調べて作って喜んでるぞ。
「ブレッド・アンド・バタープディングのレシピもそうなの?」
 ハーレイのお母さん、古いレシピを探してる内に見付けたの、それを?
「あれは違うな、先に作っていた先輩がいたと聞いてるな」
 マーマレードを配った時にだ、古いもの好きのご近所さんから習ったそうだぞ。
 こういう古いお菓子があるから作りませんかと、作るならレシピをお教えします、と。
「へえ…!」
 きっとマーマレードだったから思い付いたんだね、そのご近所さん。
 マーマレードのお菓子でこんなのがあると、うんと昔のレシピだけれど、って。
「そんなトコだな、あのマーマレードは何かと御縁を呼んでくるんだ」
 長持ちさせるなら真空ですよ、と蓋をする方法を教えてくれたご近所さんやら、菓子のレシピを下さった別のご近所さんやら。
 そういった知り合いが大勢いるから、おふくろも張り切ってマーマレードを作るのさ。
 今年も美味しく出来ましたからと、食べて下さいと配るためにな。
 そうして今年から、お前の家にも。
 俺の嫁さんになると言ってくれるお前に食べて貰えると、おふくろも親父も嬉しそうだぞ。



 「早くお前に夏ミカンの木を見せてやりたいな」ってハーレイが笑みを浮かべてる。
 「まだまだチビだが、いつかはな」って。
 隣町にある、ハーレイのお父さんとお母さんが暮らしている家。庭に大きな夏ミカンの木。その実で毎年、マーマレードが作られる。お日様の金色のマーマレードが。
 そのマーマレードで繋がっているらしい、ご近所さんが沢山、沢山。
 瓶を真空にする方法やら、お菓子のレシピやら、色々な御縁を呼び込んでくるマーマレード。
 ハーレイのお母さんがせっせと作って、あちこちに配るマーマレード。
 ぼくもいつかは混ぜて貰うんだ、マーマレードで繋がる御縁に。
 ハーレイのお母さんと一緒にマーマレードを作って、ご近所さんに配って回って。



 マーマレードが決め手だという、ブレッド・アンド・バタープディング。
 SD体制が始まるよりもずっと昔の、古い古い本にレシピが載っていたというお菓子。
 それの本物をハーレイのお母さんに食べさせて貰って、レシピを習って。
 ハーレイのために作ってみようか、パンで作るというお菓子。
 そしてハーレイに訊いてみるんだ、「お母さんのお菓子、この味かな」って。
 ハーレイのお母さんのプディングの味になってるかな、って。
 「同じ味だな」って極上の笑顔が返って来たなら、きっと幸せ。
 ぼくのママのパウンドケーキみたいにハーレイが好きな「おふくろの味」なら、とても幸せ。
 マーマレードで繋がった御縁、どうせならそこまで広げてみたい。
 ハーレイがうんと幸せになれる、お母さんのと同じ味のお菓子をマーマレードで作ってみたい。
 ブレッド・アンド・バタープディング。
 簡単そうな分だけ、手強そうな気もするんだけれど。
 いつかは「美味い!」と言わせてみたいな、「おふくろの味だぞ、この菓子は」って…。




          金色の食べ方・了

※夏ミカンの実のマーマレードをトーストに塗るなら、バターを先に塗ってから。
 ハーレイお勧めの食べ方、これは本当に美味しいです。まだの方は、お試し下さいね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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(あれ…?)
 ブルーは首を傾げて手を止めた。
 仕事帰りに寄ってくれたハーレイが「またな」と帰って行った後。
 とうに夜だし、もうお風呂にも入って来たからベッドに入って眠るだけ。パジャマ姿でベッドに腰掛け、右手に着けようとしたサポーター。
 秋の初めに冷え始めた頃、ハーレイがくれたサポーター。
 夜中に右手が冷えてしまうとメギドの悪夢が襲ってくるから、一時期、酷く悩まされた。それを防ごうとハーレイが考案したのがこのサポーターで、着ければ右手が温かくなる。ハーレイが手を握ってくれる時の強さと同じに調整されたサポーター。
 お蔭でメギドの悪夢は減ったし、快適に眠れているのだけれど。
 今夜も少し冷えそうだから、とサポーターを着けようとしたのだけれど。



(何回目?)
 慣れた手つきで着けようとしたサポーター。
 何度、帰ってゆくハーレイを見送り、サポーターを着けただろう?
 メギドの悪夢を防いでくれるサポーター。防げなかった時も、ハーレイが夢に現れたりもした。凍えた右手をそっと握って自分の温もりを移してくれた。
 サポーターではそれが限界だったけれども、「メギドの夢にハーレイが来たよ」と報告した時、ハーレイは「いつかはメギドから救い出してみせる」と力強く宣言したものだ。
 そう、いつか。
 サポーターではなくて、ハーレイの手がブルーの右手を握って眠れる夜が来たなら。
 二人で暮らせる時が来たなら、夢の中まで助けにゆくと。
 ブルーがキースに撃たれないよう、メギドで死なずに逃げ出せるよう。
 迎えにゆく、とハーレイは言った。ブルーを必ず助け出すと。
 その日まではまだまだ遠いけれども、サポーターを着ければ思い出す。ハーレイが誓ってくれた言葉を、それが叶うだろう未来のことを。
 けれど…。



(えーっと…)
 あの日から何度も何度もサポーターを着けたし、ハーレイも何度も来てくれたのに。
 週末はもちろん、仕事が早く終わった時にも今日のように寄ってくれたのに。
(まだ秋なの…?)
 サポーターを貰った時には秋の初めではあったのだけれど。
 それから季節は進む筈だし、秋も日に日に深まる筈。そうして雪が舞う冬の寒さが訪れる筈。
 庭の木の葉が落ち、北風が吹き付ける冬は何処に行ってしまったろう?
 未だに先触れさえもない冬。
 それよりも、いつまで秋なのだろう?
 サポーターを着けた回数を思えば、ハーレイが来てくれた日々を思えば、とうの昔に過ぎ去っていそうなものだけれども。
 秋という季節は終わってしまって、庭もすっかり冬景色になっていそうな気がするのに。



(何ヵ月も秋が続いているとか…?)
 秋と呼べる季節は三ヶ月ほど。
 だから三ヶ月は秋を過ごしていても不思議ではないが、それどころではないような…。
(一ヶ月の間に週末は四回くらいしか無いよ?)
 それの全てをハーレイとの逢瀬に費やしたとしても、月に八回。三ヶ月分で二十四回。
(もっと沢山、会ってるんじゃない?)
 二十四回どころか、もっと。
 ハーレイが来られなかった日も何度もあったし、そんな日は寂しく外を眺めた。ハーレイは何をしているだろうかと、今頃は何処に居るのだろうかと。
 それなのに三ヶ月分よりももっと、もっと沢山ハーレイと会った。この部屋で、庭の白い椅子とテーブルで向かい合っては話して、幾度も甘えて。
(ぼくの勘違いじゃない筈なんだよ)
 ハーレイとの日々を数え間違うわけがない。
 どんなに小さなことも大事で、前の生で引き裂かれるように別れた辛さを、悲しみを今の幸せで塗り替えながら前へと進んで来たのだから。
 それなのに合わない。ハーレイに会った日の数が現実の暦と重ならない。



(ぼくが間違えてるってことはない筈…)
 変だ、と壁のカレンダーを眺めたけれども、日付におかしい感じはしない。
 今日はこの日、と把握出来ているし、昨日のことだってよく覚えている。学校でのことも。
(学校だって…)
 ちゃんと通っているんだから、と時間割にも目を通した。今週は休んでいないのだから、毎日の授業もハーレイが受け持つ古典の時間も記憶にあったし、間違いはない。
(でも、学校…)
 秋になってから何度も休んだ。風邪を引いたり、少し具合が悪かったりと。
 ハーレイが見舞いに訪ねてくれては野菜スープを作ってくれた。その間にも季節は進む筈で。
(野菜スープのシャングリラ風だって…)
 「今日のは風邪引きスペシャルだぞ」と作って貰った、卵を落としてとろみをつけた風邪の時のスープ。素朴な味わいは変わらないまま、滋味深いものになっていた。
 「俺の新作だ」とテリーヌ仕立ても誕生した。母が作ったポトフのテリーヌで閃いたとかで。
(普通のシャングリラ風も何度も食べたよ、秋になってから)
 確実に増えている思い出。
 野菜スープのシャングリラ風だけでも、特別なものが二種類も。
 秋が三ヶ月しか無くて、その秋が今も終わらないなら、特別なスープは二ヶ月ほどの間に二つも生まれて味わったということになる。けれども、そういう感覚は無い。
(新作、そんなに続けて出てない…)
 もしも一ヶ月に一つのペースで出来ていたなら、それをじっくり味わった自分は学校をどれほど休んでいたのか。毎週、毎週、休み続けていたのだったら分かるけれども。
(いくらぼくでも、そんなには…)
 元気に通った週が多いから、ハーレイとの思い出も積み重なった。
 学校のある日に仕事帰りに寄って行ってくれるハーレイとのお茶や、夕食などや。



 有り得ない数のハーレイと一緒に過ごした日々。
 秋が来てから、右手用のサポーターを貰う前から、どのくらい会っては話したのか。ハーレイに甘えていたりしたのか。
(なんで…?)
 出来る筈もない、秋という限られた季節の間にそこまでの逢瀬を重ねること。
 いくら数えても計算が合わず、合うわけがないとも思うのに。
 記憶違いかと壁のカレンダーを、学校の時間割を見詰めれば「間違いない」と強まる自信。
 合っているのだと、今は秋だと。
(だけど、変だよ…)
 指を折って思い出を数えてゆくほど、カレンダーの日付と合いそうにない。思い出が多すぎて、ハーレイと二人で過ごした日の数が多すぎて。
 これはハーレイにも訊いてみなければ、とメモを取り出して書き付けた。
 「いつまで秋?」と。
 そのメモを勉強机の上に置く。
 幸いなことに、明日はハーレイが来る土曜日だから。



 翌朝、目覚めてメモに気付いて。
(何回目の土曜日?)
 すぐに思ったのはそれだった。
 この秋、何度目の土曜日だろう?
 昨夜も考えたことだけれども、いくら数えても、ハーレイと過ごした土曜日の数が多すぎる。
 ハーレイが「今度の土曜は来られないぞ」と言っていた日もあったのに。
 柔道部の顧問をやっているから、そっちの仕事で潰れた土曜日も少なくないのに。
 けれど、土曜日。何度も何度も会った土曜日。
(秋って、そんなに…)
 長くはない筈。昨日も数えた。秋はせいぜい三ヶ月だと。
 三ヶ月の間に土曜日の数は十二回くらい。それでは足りない。とても足りない。
 おまけに学校のある平日だって、何度一緒に夕刻から会って父や母も一緒に食事したことか。
 やはり何かがおかしいと思う。秋がこんなに長いだなんて。



 ハーレイの母が作ったマーマレードをトーストにたっぷりと塗っての、満ち足りた朝食。それを食べたら部屋の掃除で、ハーレイを迎える準備に胸が高鳴る。
 やがて門扉の脇のチャイムが鳴らされ、其処に立っているハーレイに窓から手を振って。
 きちんと拭いておいたテーブルに母がお茶とお菓子を置いて行ってくれて、幸せな時間が今日も始まった。ハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合わせで。
 天気がいいからと歩いて来たハーレイの土産話を聞いていた時、勉強机のメモに留まった目。
 ブルーは話が一段落するまで待って、こう問い掛けた。
「ねえ、ハーレイ。いつまで秋なの?」
「はあ?」
 怪訝そうなハーレイに畳み掛ける。
「冬が来ないよ、だいぶ経つのに」
 秋になってからかなり経つけど、まだ冬じゃないよ。
「そりゃあ、秋だからな」
 いい季節じゃないか、今が一番。これから紅葉で、それが散ったら冬の始まりだな。
「そうじゃなくって…。変だよ、ハーレイと会った日の数」
 ぼくの家でハーレイと会った日の数、昨日、考えてみたんだけれど…。
 土曜日だけでもとても多いよ、秋だけじゃとても足りないよ。
 あれだけハーレイと会っていたなら、とっくに冬になってる筈だと思うんだけど…。



 何か変だよ、とブルーが懸命に説明すると。
 ハーレイはフウと溜息をついて、逞しい腕をゆっくりと組んだ。
「そうか、お前も気が付いたのか」
 俺たちの周りを流れてる時間、どうやら普通じゃないな、ってことに。
「ハーレイも?」
 気が付いていたの、秋が全然終わらないこと。
 いつから秋だったのか思い出せないほど、長い長い秋が続いていること。
「うむ。日記を書いてて、ふと気付いたんだ」
 日記の量が凄いな、と。秋になってからこんなに書いたか、と思わず読み返しちまったほどだ。
「ハーレイの日記、覚え書きでしょ?」
 ぼくのことなんか書いていないって聞いているけど、読み返すような中身があるの?
「前の俺の航宙日誌みたいなもんだな、覚え書き程度でも分かるもんだ」
 いつ此処へ来たか、お前とどんな話をしたのか。
 お前との思い出が山ほど詰まった日記なんだが、そいつが延々と秋のまんまだ。
「秋の日記が多すぎるの?」
「凄い量だな、覚え書きだから日記を埋め尽くすまでは行かないが…」
 まだまだ埋まる気配も見えんが、それでも凄い量なのは分かる。
 何度か気付いてチェックしてみたが、日記が増えても秋が終わらん。日記が増えるだけなんだ。
 この秋の俺の日記だけが増えて、秋って季節は終わりもしない。
 不思議なもんだな、ちゃんと夜が明けて朝が来るのにな?
 週末が来ては、また学校へと出掛けるのにな…?



「それって…。変なことが起こっているってこと?」
 ぼくたち、何かおかしなことに巻き込まれてるの?
「いや。気になる度にあれこれ調べてはみたが、異常なしだ」
 俺の周りも、その他のことも。何処にも異常は見当たらないんだ。
「エアポケットに落ちちゃった?」
 時間の流れのエアポケット。いつまで経っても秋が終わらない、そういう所に。
「そうかもしれんな。この宇宙ごとな」
「ええっ!?」
 宇宙ごとって…。ぼくとハーレイが住んでる辺りだけじゃなくて?
 地球も他の星も、全部エアポケットに落っこちちゃったの?
「落ちたんだとしたら、宇宙ごとだ。何処にも異常がないんだからな」
 地球もそうだが、他の星だって。
 毎日きちんとニュースが入るし、通信は途絶していない。空間異常の報告も無い。
 今の俺はただの古典の教師に過ぎんが、前の俺はキャプテン・ハーレイだぞ?
 データさえあれば、ある程度のことは掴めるんだ。今の宇宙には全く異常なしだ。
「それじゃ、秋が終わらないっていうだけのこと?」
「データの上ではそうなるな。ただ…」
 あえて不思議な点を挙げるなら、秋が終わらなくても、季節が前へと進まなくても。
 そのせいで困ったことが起こらないよう、帳尻が合っているらしい。
 例えば、俺がお前の家へ持ってくる、おふくろのマーマレードだが…。
 幾つも持って来てるというのに、少しも減りやしないんだ。親父たちの家に置いてある分が。
 ついでに、空き瓶、いつも返して貰っているだろ、来年のために。
 そいつを何個も親父たちの家まで返しに行ったが、空き瓶だらけにもならないな。
 マーマレードは減った分だけ、勝手に補給されてるわけだ。俺が返した空き瓶の分。
 同じようなことが宇宙全体で起こっているんだろうなあ、物資が品切れにならないように。



 ハーレイの話を聞いたブルーは酷く驚いた。
 秋が終わらないというだけではなく、減らないと言われたマーマレード。
 それはあまりに妙だったから。
「ハーレイ、ぼくたち、どうなっちゃうの?」
 口にした途端、別の不安に襲われた。もしかしたら。
 もしかしたら秋が終わらないのではなく、エアポケットに落ちたのではなくて…。
 湧き上がった恐怖がたちまち口から溢れ出す。
「まさか、これ全部、ぼくの夢とか?」
 青い地球に生まれて、ハーレイと会って、うんと幸せに暮らしてたつもりだったけど…。
 ぼくってやっぱり、あの日にメギドで死んでしまって、そのまんま?
 地球に生まれてなんかはいなくて、今も死んだまま?
 何もかも全部、前のぼくが……ソルジャー・ブルーが見ている夢なの、死んだままで?
 そんなの嫌だよ、怖いよ、ハーレイ…!



 足元から世界が崩れてゆきそうで、闇の中に放り出されそうで。
 怖くて泣き出しそうになったブルーだけれども、ハーレイの手が銀色の頭をポンと叩いた。
 「安心しろ」と、「俺がいるだろ」と、優しく微笑み掛けながら。
「大丈夫だ、こいつは夢じゃない」
 前のお前が見ている夢とは違うさ、これは。
 お前も俺もちゃんと生きてるし、本当に本物の地球に来たんだ。
 だから怖がらなくてもいい。幸せに笑っていればいいんだ、この秋が終わらなくてもな。
「でも…」
 やっぱり変だよ、いつまで経っても秋だなんて。
 ぼくが死んでいないとしても、とんでもないことが起こったりしない?
 宇宙ごと何処かへ飛ばされちゃうとか、宇宙が壊れてなくなっちゃうとか…。
「心配するな、何も起こらんさ」
 お前は心配しなくていいんだ、今の幸せを楽しめばいい。
 秋には秋の良さがあるだろ、そいつを思う存分な。この家で、それに学校とかでも。
「どうして? どうして心配無いって言えるの?」
 こんなに変なことが起こっているのに…。
 いつまでも秋とか、エアポケットとか、どう考えても普通じゃないのに…!



 おかしすぎる、と訴えるブルーに、ハーレイは「まあな」と返したけれど。
 その後に続いて出て来た言葉は、思いもよらないものだった。
「お前は変だと言っているが、だ。俺が思うに、この現象は…変じゃなくって奇跡ってヤツだな」
「奇跡?」
 何故、とブルーが目を丸くすると。
「そうとしか思えないからさ。宇宙に全く異常がないなら、こいつは奇跡だ」
 きっと神様の力だろう、という気がするんだ。宇宙を創った神様のな。
「神様の力?」
 どうして神様がこんなことをするの?
 神様だったら、きちんと時間を進めた方が良さそうなのに…。季節だって、ちゃんと。
「もちろん基本はそうなんだろうが…。それをわざわざ変えて下さってるからこそ奇跡なんだ」
 普通だったら、秋が終われば冬が来る。そうやって時間は先へと進むわけだが…。
 時間の流れを止めて下さっているんだろうなあ、神様は。



「なんで?」
 それが本当なら、神様、どういうつもりなの?
 時間を止めるような奇跡を起こしてみたって、誰も気付いていないのに…。
「気付いて欲しいとは思っていらっしゃらないさ、神様は。…お前は気付いたようだがな」
 お前と、俺と。
 この地球の上に生まれ変わって、お前は身体に聖痕まで持っているだろう?
「うん。あれっきり二度と現れないけど…」
 あの聖痕がハーレイを思い出させてくれたよ、前のぼくの記憶を戻してくれた。
 聖痕は神様のお蔭だろうけど、秋が終わらない奇跡は何なの?
「お前のためじゃないのか、こいつは。…俺が思うに」
「ぼくのため…?」
 秋が終わらないと、ぼくにいいこと、何か起こるの?
「お前の時間が増えるだろうが。秋が終わらなきゃ、その分だけな。…冬が来るまで」
 現に、俺と一緒に過ごした土曜日。それに日曜日も、俺の仕事が早く終わった平日も。
 秋だけだったら全く足りない日数なんだろ、お前が俺と一緒にいた日は?
「そうだけど…」
「それにだ、俺と過ごした日だけじゃなくて。俺がこの家に来られない日も沢山あったが…」
 お前はお父さんやお母さんと暮らしていただろうが。
 暖かい家で、可愛がられて。うんと幸せに過ごしていただろ、俺が訪ねて来られなくても。



 だから…、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「前のお前が失くしちまった、子供時代の暖かな時間。そいつを返して下さるんじゃないか?」
 秋から冬へと進める代わりに、季節を止めて。
 時間も恐らく止まってるんだな、流れているように見えてもな。
 そこが奇跡の凄い所だ、俺のおふくろのマーマレードは食べれば減るのに、減った分だけ増えている。いくら食っても無くなりはしない。
 しかし時間が止まっているなら、そもそも誰もマーマレードを食わないってな。マーマレードを食おうと思えば人間の身体は動かにゃならんが、動くためには時間の流れが必要だろう?
 ところが時間は止まっているんだ、実際のトコは。生きて行くのに支障が出ない範囲でな。
 これが神様の仕業でなければ何なんだ?
 そうやって時間も季節も止めてだ、前のお前が失くした時間をお前に返して下さるってな。
「じゃあ、十四年分、返ってくるの?」
 十四年分も今の秋が続くの、ねえ、ハーレイ?
「もっとかもしれん。前のお前が止めてしまっていた時の数だけ」
 アルタミラの檻で成長を止めてしまっていただろ、前のお前は。
 あの姿のままでお前が過ごした悲しい時間も、神様はちゃんと返して下さるかもな。



 終わらない秋をゆっくり楽しめ、とハーレイは言った。
 神様が下さった幸せな時を、奇跡の時間を心ゆくまで満喫しろと。
(確かに幸せなんだけど…)
 幸せな秋を過ごしているんだけれど、とブルーは思い返したけれども、問題が一つ。
 神様が時間を止めているなら、この奇跡には一つ大きな問題があって。
「ゆっくり過ごすのはいいんだけれど…。このまま時間が流れなかったら…!」
 ハーレイと結婚出来ないよ!
 ぼくは大きくなれないんだから、十八歳にだってならないんだから…!
 そうでしょ、ハーレイ?
 ぼくが十四歳のままだったら…!
 結婚出来ずに秋のままだよ、いつか時間が流れ出すまで、ぼくは結婚出来ないんだよ!
「ふうむ…。それで今、お前は困っているのか?」
 現時点でお前は困っているのか、そいつのせいで?
「とっても!」
 ぼくはとっても困ってるんだよ、チビだし、ちっとも背は伸びないし!
 このまま秋が続いていくなら、ぼくの背だって伸びないんだもの!
 チビだとハーレイとキスが出来ないままだよ、前のぼくと同じ背丈になれないから!
 それに結婚出来る十八歳にもなれやしなくて、ハーレイと結婚出来ないまんま…。
 そんなの困るよ、ぼくはハーレイと早く結婚したいんだから…!



 結婚したいしキスもしたい、とブルーは頬を膨らませた。
 神様は酷いと、こんな奇跡を自分は望んでいなかったのに、と。
 膨れっ面になったブルーの赤い瞳をハーレイの瞳が覗き込む。鳶色の瞳が、真っ直ぐに深く。
 そして問われた。真剣な顔で。
「お前、今…。不幸なのか?」
「えっ?」
 何、と問い返したブルーに更なる問いが投げ掛けられる。
「幸せなのか? それとも不幸だと思っているのか?」
 どっちなんだ、お前。今のお前の毎日ってヤツは、幸せなのか、不幸なのか。
「それは…」
 ブルーは一瞬、言い淀んだ。
 そうして自分の生きて来た日々を振り返る。ハーレイと過ごした幸せな日々。両親に慈しまれて暮らす毎日も、学校で友達と遊ぶ時間も。
 秋が来てから、数え切れないほどの満ち足りた時間を過ごして来た。時が止まらずに冬になっていたら、とても得られなかった日々。メギドの悪夢も襲っては来たが、恵まれた季節。
 終わらない秋を今日まで過ごして、不幸なのか、と問われれば、否。
 幸せなのか、と問い掛けられれば、それはその通りなのだから…。



「幸せだと思う…」
 ぼくは幸せだよ、ハーレイ。
 不幸なのか、って訊かれちゃったら、不幸だなんて言えやしないよ。
 秋のままだとハーレイと結婚出来ないんだ、って分かってるけど、それだけのことで不幸だって言ったら、前のぼくの人生は何だったんだ、って神様の罰が当たりそう…。
「ちゃんと分かっているんじゃないか。今のお前は幸せなんだっていうことをな」
 なら、貰っておけ。神様の御褒美。
「御褒美?」
 奇跡じゃなくって御褒美なの?
「いや、奇跡には違いないんだが…。お前のためなら御褒美だろうと思うわけだな」
 秋が終わらないっていうこと、普段は気付いていないだろう?
 そうして俺と何度も会っては、色々な話をして来たよな?
 俺の日記には何も書かれちゃいないが、読み返せば何を話したかは分かる。前の俺たちのことを何度も話した、小さな切っ掛けで思い出しては、沢山のことを。
 だがな、そいつも全部覚えているわけじゃない。覚えていたり、忘れていたりと色々だ。
 幾つも幾つも、前の俺たちのことを思い出しては、また忘れて。
 思い出す度に今の幸せに気付いて、この地球の上で生きていることに感謝をして。
 そうやって幸せを積み重ねていって、前のお前が失くしちまった分の幸せを取り戻す。
 全部取り戻して、それから本当に幸せになれ、と仰ってるのさ、神様は。
 前のお前は頑張ったからな、その御褒美にと失くしちまった幸せを返して下さるんだ。
 メギドを沈めて、ミュウの未来を守ったお前。
 たった一人で世界を守ったお前のためにと、神様が終わらない秋の奇跡を起こして下さった。
 お前が幸せを沢山手に入れるために、余分な時間をこうして作って下さったんだ。



 終わらない秋はそういう意味さ、とハーレイが片目を瞑るから。
 小さなブルーにも、そうなのかもしれないと思えて来たから。
「…ホント?」
 本当に神様の御褒美なのかな、終わらない秋。神様がぼくに下さったのかな…?
「ああ、きっとな」
 お前のためにと下さった時間だ、うんと幸せに使わないとな?
 もっとも、こういう話をしていたことすら、明日には忘れてしまうんだろうが…。
 なにしろ奇跡だ、御褒美を貰ったお前がいちいち気にしていたんじゃ素直に楽しめないからな。
「ふふっ、そうかもしれないね。メモに書いても忘れるんだろうな、冬が来ないこと」
 秋が終わらないことにも気付きもしないで、幸せに暮らしていそうだけれど…。
 でも、結婚…。ハーレイと結婚出来る未来が来ないよ、いつまで経っても。
「いつか出来るさ、時が来たなら」
 前のお前が失くした分まで、ちゃんと幸せを取り戻したら。
 そりゃあ幸せな花嫁になれると思うぞ、焦って結婚するよりもな。のんびり待ってろ。
「十四年後かもしれないのに?」
 ううん、十四年後に時が流れ始めても、それから十五歳で、十八歳になるのはまだまだ先だよ。
「もっと先でもいいじゃないか。前のお前がアルタミラで止めていた時の分まで入っていても」
 十四年どころじゃない時間だが、だ。俺たちの寿命もその分、伸びるし。
 今の時間は年齢にカウントされないとしても、過ごした時間の思い出は残っているだろう?
「そっか…!」
 ぼくは十四歳で、ハーレイは三十八歳で。
 年だけはそのままで十四年分とか、もっと沢山の秋を貰えるかもしれないんだね。
 神様が起こして下さった奇跡。
 今の幸せを楽しみなさい、って仰ったんなら、ハーレイと二人で楽しまなくちゃね…!



 ブルーは窓の外へと目を遣った。
 色づきそうな気配を見せたままで止まった、庭の木々の時間。
 もうすぐ紅葉の季節なのだ、という秋の盛りでエアポケットに落ちた日々。
(でも、明日も明後日もやって来るしね、週末だって平日だって…)
 ゆったりと流れてゆく時間。
 ハーレイの母が作ったマーマレードは減ってゆくのに、空になった瓶をハーレイに渡して新しい瓶を貰っているのに、止まっているらしい、不思議な時間。
 ハーレイと過ごす週末が過ぎたら学校に行って、また週末が来るのを待ち焦がれて。
 平日もハーレイが寄ってくれないかと、チャイムの音に耳を澄ませて。



 終わらない秋も、いいかもしれない。
 紅葉の季節が来たと思ったら、終わらない冬が来るかもしれない。
 ハーレイと二人、暖かな部屋で語り合いながら舞う雪を見たり、あるいは無理を言って雪景色を見に庭のテーブルと椅子で過ごしてみたり。
 そうやって幸せな日々を、奇跡のような時を過ごして、いつか十五歳の誕生日が来る。
 そうしたら時は普通に流れるのだろうか、背丈も伸びてゆくのだろうか。
 百五十センチから一ミリさえも伸びないままで止まった背丈も、前の自分と同じ背丈に育つ日を目指して伸びてゆくのだろうか…?
(分かんないけど…)
 ハーレイが「ゆっくり育てよ」と言い続けるから、伸びないのかもしれないけれど。
 十五歳の誕生日を迎えたから、と伸びるものではないかもしれないけれど。



(終わらない秋、神様が起こした奇跡なんだ…)
 前の自分が紡ぐ夢かも、と恐ろしい思いに囚われたけれど、そうではないと言われたから。
 誰よりも好きで、信じていられるハーレイが「違う」と言ったから。
 そのハーレイが教えてくれた通り、今の日々は奇跡なのだろう。
 奇跡の日々で、幸せを沢山重ねてゆくために貰えた御褒美。
(貰っちゃってもかまわないんだよね、宇宙が丸ごとエアポケットでも?)
 誰も困っていないわけだし、何処にも異常は無いのだし…。
 この幸せな日々が、神様が下さった御褒美ならば。
 終わらない秋を過ごしてゆくのも、きっと悪くはなくて幸せ。ただ幸せが降り積もるだけ。
 幾つも、幾つも、幸せな日々が降り積もる。
 ハーレイとキスが出来なくても。
 結婚出来る日に手が届かなくても、それらはいつか来るのだから。
 より幸せにその日を迎えられるよう、終わらない秋を神様に貰ったのだから…。




         終わらない秋・了

※いつまで経っても育たないブルーと、終わらない秋。幸せな季節が続いてゆくだけ。
 実は「そういう世界」になっていたんです、このシリーズは。…まだまだ終わりません!
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
 
 
 
 
 
 
 
 

(冷たい…)
 学校からの帰り道。バスから降りて、いつもの道を歩いていたブルーだったけれど。
 まだ充分に日が射しているのに風が冷たくて、右手をキュッと固く握った。
 冷たいというほどの寒風ではなく、強く吹き付けたわけでもない。それに秋の盛り。晩秋ならば冬の先触れを思わせる風も通り過ぎるが、ブルーの周りを吹いてゆく風はただの秋風。
(まだ秋なのに…)
 単にひんやりするだけの風が肌に冷たい。右の手に冷たい。
(顔はちっとも冷たくないのに…)
 むしろ気持ちよく感じる風。澄んだ空気を感じさせる風。
 けれど右手にはそれが冷たくて、思わず息を吹きかけたほど。寒い冬の日にするように。温かな息で凍えそうな手を温めるように、冷たい右手に。



 バス停から家までの短い間に、すっかり冷えた気がする右手。
 門扉をくぐって庭を横切る間も冷たく、玄関を入ってようやく冷気から離れて一息ついた。
(メギド…)
 右手が冷えると、冷たいと思うと蘇ってくる遠い日の記憶。
 前の生の終わりに凍えた右の手。ハーレイの温もりを失くしてしまって泣きながら死んだ。その悲しさと辛さが残る右の手。
 階段を上って自分の部屋に着き、制服を脱いで着替えてもまだ冷たくて。
(ちゃんと洗面所で温めたのに…)
 冷えた右手が嫌だったから、熱めのお湯で手を洗ったのに。その温かさにホッとしたのに。
 今の自分の家は此処だと、もうメギドではないのだと。青い地球の上に生まれ変わって、両親と暮らす暖かな家。蛇口を捻れば熱いお湯が出るし、こうして右手を温められると。
 けれど、冷たい。温めてきたのに、今も冷たいブルーの右の手。



 右手のせいで悲しい記憶を思い出すのは嫌だから、と階段を下りてダイニングへ。
 おやつのケーキを用意してくれていた母に、熱い飲み物を注文した。
「ママ、ホットミルク!」
 熱めのがいいな、帰りにちょっぴり冷えちゃったから。
「シロエ風ね?」
「うんっ!」
 ハーレイに教えて貰ったシロエ風。手が冷たい日はこれで温めろ、とアイデアをくれた。歴史に名前を残した少年、セキ・レイ・シロエが好んだ飲み物。シナモンミルクにマヌカを多めに。
 何度このミルクで温めたろうか、冷えた右手を。
 早く、とテーブルで待ち焦がれていると、母が運んで来てくれたカップ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、ママ!」
 これで温まる、と湯気を立てるカップに両手を添えたブルーだけれど。
「あつっ…!」
 熱い、と思わず声が出た。あまりの熱さに離れた右手。それを耳へと持ってゆく。手が熱い時は冷えた耳たぶ、それをしっかりとつまみたいほど。
「あらあら、火傷しちゃったの? 気を付けてね」
 母が心配そうに覗き込みながら首を傾げた。
「だけど、そんなに熱かったかしら? 大丈夫、ブルー?」
 キッチンで水をかけた方がいいわよ、痛いんなら。
「ううん、平気。ちょっとビックリしちゃっただけ…」
 ぼくが思ったより、熱かったみたい。
 それに身体も冷えていたから普段より熱いと思ったんだよ、大丈夫。火傷してないよ。



 母には笑顔を返したけれど。
 もう平気だと答えたけれども、母がキッチンへと向かった後で気が付いた。
 熱いと叫んで離した右手。慌てて耳へと運んだ右の手。
 右手は熱いと悲鳴を上げたのに、左手の方は全く平気でカップに添えたままだった。シロエ風のミルクが入ったカップに、湯気を立てていた同じカップに。
(右手だけ…?)
 まだホカホカと湯気が立つカップ。その温もりが頼もしいから、右手でそうっと包み込む。もう熱くなくて、温かいカップ。右の手に温もりを分けてくれるカップ。
(こんなに優しいカップなのに…)
 どうして熱いと拒絶したのか、この右手は。左手は拒絶しなかったのに。
(なんで右手だけ?)
 そういえば最近、多い気がする。
 右手の火傷。
 火傷とは多分言わないのだろうが、右手だけが熱さを訴えること。
 それはカップなどの熱い食器であったり、蛇口から出て来た温水だったり。
 右手だけがそれを熱いと言う。左手にはとても心地良いのに、右手は熱いと驚いたりする。



(こんなこと、あった…?)
 熱い飲み物や料理が入った食器に触れたくらいで、耳たぶで冷やしたいと思ってしまうこと。
 考えたけれど、覚えが無い。ほんの十四年間の人生とはいえ、熱い食器には何度も触れた。
(肌は薄くないと思うんだけど…)
 生まれつき弱い身体だけれども、皮膚まで弱すぎるわけではない。熱いカップで火傷するような薄すぎる肌を持ってはいない。
(んーと…)
 今日のミルクは熱かったろうか、と慎重に口をつけてみた。舌まで火傷してはたまらないから、恐る恐る一口飲んだのだけれど。
(熱くないよ?)
 母が作ってくれたホットミルクはいつもの温度。
 熱すぎも温すぎもしない温度で、身体が芯から温まってくる優しい味わい。
 なのにカップは熱かった。触れた時にはそう感じた。カップで右手を温めるつもりが、あまりの熱さに耐えられなかった。
(今はもう平気なんだけど…)
 大丈夫、とカップで右手を温めながら思い起こせば、似たようなことは何度もあった。
 叫んだのは今日が初めてだけれど、カップや食器が熱すぎたこと。蛇口から出るお湯が熱かったこと。しかも何故だか、右の手だけ。右手だけが熱いと感じたこと。
(熱いの、苦手じゃない筈だけど…)
 猫舌でもなければ、大好きな風呂も熱い湯が好み。
 なのに右手には熱すぎたカップ。
 手を離したほど、声を上げたほどに、熱くて触れていられなかったカップ。
 同じ熱さでも左手は平気だったのに。



 自分の身体はどうなったのか、と部屋に戻って勉強机の前に座って考えた。
 いつからああいうことになったか、いつから右手が熱さに弱くなったのかと。
(最近だよね…?)
 今までにそうしたことは無かった。
 十四歳の今まで生きてきた中で、一度も無かった。
 どうやら今年から、この秋からの不思議な現象。右手だけが熱さが苦手になった。左手には丁度いい温かさを、右手は熱いと感じてしまう。
(ぼくって、猫手になっちゃった…?)
 猫舌という言葉があるほどなのだし、この現象に名前をつけるなら猫手だと思う。猫に手などは無いのだけれども、足だけれども、名付けるなら猫手。熱さが苦手な手を指す言葉。
(猫手だなんて…)
 それも右手だけが。
 メギドで凍えた右の手だけが猫手になった。
 左手は全く大丈夫なのに、猫手になってしまった右手。



(凍えちゃったから、とっても敏感?)
 思い当たる節はそれしか無かった。
 右の手が冷たいと泣きながら死んでいったソルジャー・ブルー。前の自分の悲しすぎる記憶。
 本当に右手が凍えたわけではなかった筈だ。メギドはそこまで寒くはなかった。
 けれど、最後まで持っていたいと願ったハーレイの温もりを失くしてしまって、縋りたいものを失くしてしまって、右の手が冷たいと泣きじゃくって。
 独りぼっちになってしまったと、ハーレイには二度と会えないのだと泣いた自分の右手はまるで氷で、温もりなどは欠片も無かった。冷たく凍えて冷え切ったままで逝くしかなかった。
(その分、熱いと駄目なのかな…)
 冷え切っていれば、同じ温度でもより熱いように感じるもの。
 メギドで凍えてしまった右手は、凍えずに済んだ左手よりも熱に敏感になったのだろうか?
(……猫手……)
 猫手になったらしい、自分の右手。
 その右の手に温もりが欲しい、とハーレイに何度も強請ったけれど。
 失くした温もりを移して欲しいと、冷たかった右手を温めて欲しいと。
 そう強請る度に右手を包み込んでくれた褐色の手。大きくて温かなハーレイの手。
 暑い夏ですらも強請ったけれども、ただでも温もりの欲しい季節に右手が猫手になるなんて。
 これから寒さの冬へ向かうのに、右手が猫手になっただなんて…。



(下手に温めたら火傷しちゃうの?)
 さっきホットミルクのカップで「熱い」と悲鳴を上げていたように。
 もしも温めたら火傷するとしたら、それは悲しくて辛すぎる。
 右手が冷えるとメギドの悪夢を見やすいから、とハーレイが医療用のサポーターを作ってくれたのに。ハーレイの手がブルーの右手を握る強さと同じにして貰った、と言っていたのに。
(あのサポーター、とても暖かいのに…)
 ハーレイに右手を握って貰っているかのようで、安心して眠れるサポーター。着ければメギドの悪夢が減ったし、メギドの夢にハーレイが現れたほどで。
 それは心強いサポーターなのに、あれを着けても熱くて火傷をするのだろうか?
 今の時点では火傷をしてはいないけれども、猫手が酷くなったなら。
 より敏感になってしまったなら、サポーターでも火傷は有り得る。熱いと感じないもので火傷をすると聞く、低温火傷というものもあるし…。
(…さっきの、火傷はしていないよね?)
 熱すぎたホットミルクのカップ。
 右手を見ても赤みは無いし、痛みも残っていないけれども。
(どうしよう、猫手が酷くなったら…)
 これからの季節、どうすればいいというのだろう。
 秋が終われば雪の舞う冬がやって来るのに。今よりももっと寒くなるのに。
(右手、絶対、冷たくなるのに…)
 秋風でさえも冷たさを覚えた右手だから。
 冷たいからとホットミルクで温めようとしたほどの右手だから。
 その手がもっと冷たくなる。本当に凍えて冷えてしまう季節。
 猫手のままでは火傷するしかないというのに。酷くなったら低温火傷も起こしそうなのに…。



 とんでもない体質になってしまった、とブルーがしょげている所へチャイムが鳴った。
 来客を知らせるチャイムの音。仕事を終えたハーレイが訪ねて来てくれて、母が紅茶とお菓子を部屋に運んで来た。テーブルに置かれたティーポットやカップ。
 母が熱い紅茶を注いでいったカップに、ブルーは怖々、触れてみた。もちろん右手で。
(うん、大丈夫…)
 熱いと分かっていたからだろうか、薄いカップは熱かったけれど、手を離したいほどに熱すぎはしない。これなら充分、触れていられる。
(猫手、ちょっぴり治ったかな?)
 気を良くして今度はポットに触った。おかわり用の紅茶を満たしたポットに、今度も右手で。
 大丈夫だろうと思っていたのに、さっきのカップで油断したのか、ポットの方が熱かったのか。
(あつっ!)
 右手が悲鳴を上げ、慌てて離した。
 火傷したかと思った右手を耳に持っていけば、ハーレイが鳶色の瞳で見詰めていて。
「どうした?」
 お前、ポットで何やってるんだ?
 火傷するほど熱かったのか、ポット?
「ぼくの手、猫手になっちゃった…」
「はあ?」
 なんだ、猫手って?
 そいつはどういう代物なんだ…?



 怪訝そうな顔をしているハーレイ。
 それはそうだろう、猫手はブルーが作った言葉で、誰も知らない言葉だから。
「猫手だってば…!」
 ハーレイのお母さんが飼ってた猫のミーシャとおんなじ猫だよ、猫のミーシャだよ。ミーシャが猫舌だったかどうかは聞いてないけど、猫は猫舌なんでしょ、ハーレイ?
 猫舌みたいな感じで猫手、とブルーは懸命に説明した。
 熱さに弱い手だから猫手。
 実はこうだと、これからの季節に困りそうだと。
「なるほどなあ…。前だったら平気だった温度のものでも駄目になってきた、と」
 ホットミルクで叫んじまったのならそういうことだな、いつもの温度だったのならな。
「うん…。だんだん酷くなってるみたい…」
 ママもビックリしちゃってたけど、ぼくもビックリしたんだよ。
 ホットミルクが入ったカップで火傷しそうになるなんて…。左手は平気だったのに…。
「右手だけが猫手とやらになったってことは、やっぱりメギドか?」
 俺はそれしか思い付かんが、原因はアレか?
 お前、右手が冷たかったと何度も何度も言ってるからな。
「多分、そのせい…」
 凍えちゃった分だけ敏感なんだよ、熱さってヤツに。
 左手は凍えたわけじゃないから全く平気で、右手だけが熱さが苦手な猫手になっちゃった…。



 どうしよう、とブルーは窮状を訴えた。
 その内にもっと酷くなりそうだと、右手では熱いものは何も持てなくなるのでは、と。
 顔を洗うにもお湯は駄目になり、お風呂も右手は熱いからと浸けられなくなって。
 更にはハーレイに貰ったサポーターでさえも、熱すぎて使えなくなってしまいそうだ、と。
「うーむ…。俺が渡したサポーターまで駄目になりそうだってか?」
 そいつは困るな、あれでメギドの夢が減ったと言ってるのにな…。
 しかし、猫手か…。
 どうしたものか、とハーレイは暫し腕組みをして考え込んでいたけれども。
 ふと何事かを思い付いたように、ブルーに向かって問い掛けた。
「同じ温度で出て来たものでも、熱くて駄目になってきているんだな?」
「そう。今日のホットミルクなんかはそうだよ」
 手を洗うお湯も。洗面所のお湯、温度はいつでも同じ筈だから。
「なら、これはどうだ?」
 熱すぎるか、とハーレイの手で右手をキュッと握られた。
 大きくて逞しい、褐色の手。力強い手。
 その温もりにブルーの心が柔らかく溶けて満たされてゆく。ほどけてゆく。
(あったかい…)
 ハーレイの手だ、とブルーは頬を擦り寄せた。
 この温もりが好きでたまらないのだと、この温もりが欲しかったのだと。



 うっとりと目を閉じ、ハーレイの温もりに酔っていたら。
 右手を包み込む温かさに安心し切って瞼を閉じたままでいたら、ハーレイの声が降って来た。
「大丈夫じゃないか」
「えっ?」
 何が、と顔を上げたブルーにハーレイが「右手だ」と握る手に少し力を加えた。
「俺の温もり、平気だろうが」
 猫手になっちまった右手とやら。熱いとも言わないようだがな?
「熱いって…。ハーレイの温もり、体温だよ?」
 紅茶のポットやホットミルクのカップと違って、温度が低いと思うんだけど…。
 お湯よりも絶対、低い筈だし、猫手のぼくでも平気だろうと思うけど?
「だが、熱いって感じはしないんだろう? 気持ちよさそうにしている所をみると」
 前に俺がこうして温めてやっていた時よりも?
 俺の手がうんと熱いんだったら、お前、「もういいよ」って言わないか?
 もう温もりは充分だから、と右手を離していそうなんだが…?
「うん…。ハーレイの手は少しも熱くないかも…」
 前と同じで温かいかも、熱すぎるっていう気はしないよ、ぼく。
 ハーレイは熱があるのかな、って感じもしないし、前とおんなじ。
 猫手だったらもっと熱いと思いそうなのに、前とちっとも変わっていないよ。



「ふうむ…。そういうことなら、お前の猫手」
 原因は気のせいというヤツだ。
 お前の記憶が戻った時には春だったからな、暖かい方へと向かう季節だ。春の後には夏だった。夏は暑いし、お前の右手は気温のせいで冷えたりはしない。
 しかしだ、今はもう秋だしな?
 冷える夜もあれば、風がちょっぴり冷たく感じる日だってあるさ。
 メギドの記憶を取り戻したお前が初めて迎える冷える季節だ、お前は途惑ってるわけだ。右手が冷えても何の不思議もない季節なのに、初めての秋だけに分かっていない。
 そのせいで此処はメギドなんだと、右手が凍えるとお前の心の何処かが叫んでいるんだな。
 本当は秋が来ただけなんだが、お前の心は勘違いってヤツをしてるのさ。右手が凍えるメギドに居るんだと、右手が凍えて冷たいんだと。
 凍えてるから、ちょっとしたものでも熱く感じる。紅茶のポットもホットミルクのカップもな。
 だが、俺の手だとそうはならない。
 前のお前が失くしちまった温もりそのものがあるわけだろう?
 熱いと悲鳴を上げる代わりに、これだと思ってお前は安心するわけだ。
 俺の温もりが戻って来たと。もう凍えないと考えるだけで、熱いと思いはしないんだな。



 その内に落ち着いて熱くなくなるさ、とハーレイは言った。
 右手が冷えるのは気温のせいで、メギドは全く関係ないのだと心もいつか気付くだろうと。
 そうすれば猫手も自然に治って、火傷したりもしないだろうと。
「でも…。ハーレイの温もり、ぼくにとっては特別だから…」
 うんと熱くても、熱いと思わないかもしれない。ハーレイの手だ、って思うだけで。
「だったら、これはどうだ?」
 ちょっと待ってろ、とハーレイの手がポットへと伸びた。熱いポットに大きな両手を添えれば、ポットの熱がその手に伝わる。手が充分に熱くなった頃合いでポットを離すと。
「ほら、ブルー。こいつは熱いか?」
 さっきよりもずっと熱い筈だが、と温められた手がブルーの右手を包んだ。
 ティーポットの熱が移ったハーレイの両手。
 上下からそれで包み込まれると熱いけれども、悲鳴を上げたくなる熱さではなくて。
 優しい熱さ。ハーレイの手だ、と心が安らぐ熱さ。
「…熱くないけど、やっぱり元は体温だから…」
 ハーレイの体温が元になってるから、これはポットの熱さじゃないよ。
 熱い気がしてもハーレイの手だと分かっているから、ぼくにとっては特別なんだよ。
「それなら、俺と一緒に触ってみろ」
「え?」
「ポットに触れ、と言っているんだ。俺と一緒に」
 俺がさっきまで触っていただろ、充分、触れる。
 お前は熱いと手を離してたが、その時よりかはいくらか冷えてる筈だしな。



 大丈夫だ、と促されて右手に手を添えられた。
 ブルーは少し怯えたけれども、ハーレイは右手を自由にしてはくれなくて。
(熱いに決まっているんだけれど…!)
 猫手になった、と訴える前に触ってみたポットの熱さをブルーは覚えている。火傷するのだ、と首を竦めても許してくれそうにはないハーレイ。
「ほら、触ってみろ」
「火傷するってば…!」
「火傷したら俺が冷やしてやる。俺の耳でな。ハーレイのせいだ、と引っ張ってもいいぞ」
 お前にギュウギュウ耳を引っ張られても文句は言わん。
 だからお前も文句を言うな。
 いくぞ、と右手を強引に引かれ、怖々、触ってみたポット。
 ハーレイの手と同時に触れてみたポット。
 それは確かに熱かったけれど、飛び上がるような熱さは感じなかった。
 反射的に手を引き、耳に運びたくなるほどの痛さを覚える熱も。



 ハーレイがポットからブルーの手を離し、「どうだった?」と尋ねるから。
 ブルーは「熱いよ、これ」と答えた。
「うんと熱かったよ、このポット、冷めにくいんだもの」
 ママの自慢のポットなんだよ、そう簡単には冷めないよ。熱いってば!
「そりゃあ熱いさ、そうでなければお茶の時間にゃ不向きだってな」
 おかわりをするまでに冷めてしまっちゃ意味が無い。ポットはそういう風に出来てる。
 だが、火傷したか?
 俺の耳を掴んでこないようだが、お前、熱くてたまらなかったか?
「…ううん。ポットは熱かったんだけど…」
 熱いな、っていう気はしたんだけれども、叫びたいほど熱くなかった。
「お前一人ならどうなっていた?」
 一人でポットに触っていたなら、我慢出来たか?
「無理だったかも…。やっぱり熱いと叫んでたかも…」
 だって、ぼくの手、猫手だもの。あんな熱さだと熱すぎるんだもの、猫手だと。
 でも…。
 ハーレイの手が一緒だったから平気だったよ。
 一緒に触ってくれていたから熱いポットでも平気だったよ、ぼくの右の手。



「ほらな、俺の手があるだけで猫手でもポットに触れたんだろ?」
 俺に「熱い」と怒らなくても、俺の耳で冷やそうと引っ張らなくても平気だったろ?
 気のせいなのさ、お前の右手が熱いと悲鳴を上げるのは。
「…ホントにそうなの?」
 ポットを触っても平気だったの、ハーレイの手のお蔭っていうわけじゃないの?
 ぼくの猫手は気のせいなの?
「そんなトコだな、じきに落ち着く。右手が冷えるのは気温のせいだ、と納得すればな」
 お前の中に居る、前のお前と言うべきか…。
 メギドで右手が凍えちまった前のお前が納得したなら、秋は右手が冷えるもんだと知ったなら。お前の猫手は治るってわけだ、メギドじゃないって気が付いたらな。
「前のぼく、秋だって分かってないの?」
「いや、分かってはいるんだろうが…。実感が全く無いってトコだろ」
 シャングリラの中じゃ季節があるのは農場と公園くらいだったし…。
 知識では秋を知っていてもだ、本物の季節がどう移るのかは分かっちゃいない。少し冷える日や暖かい日が混ざり合うとも知らないわけだな。だから途惑う。何か変だ、と。
「そうなのかな…?」
「そうだと思うぞ、幸せに暮らしている筈のお前が猫手になってしまったんならな」
 心配しなくてもちゃんと治るさ、秋はこういうものだと分かれば。
 秋はこうだと理解したなら、冬も自然に乗り切れるだろう。寒い季節はそんなものだと。
 要は心の問題なんだな、お前の猫手。
 体質が変わったというわけじゃなくて心が反応しちまってるんだ、今の季節に。



 忙しい手だな、とハーレイが笑う。
 冷たすぎると訴えてみたり、熱すぎると悲鳴を上げてみたり、と。
「温めてくれ、と言うかと思えば、今度は火傷の心配と来た。実に忙しいんだな、お前の右手」
「ちょっと忙しすぎるかも…」
 冷たいから、ってハーレイにサポーターまで貰ってたくせに、今度は猫手。
 同じメギドで猫手になったり、凍えちゃったり、忙しすぎだよ。でも、メギドは…。
「分かっているさ。お前はそれほど辛かったんだ。生まれ変わっても引き摺るほどに」
 俺と出会った頃に比べりゃだいぶ落ち着いたが、まだ忘れられん。
 季節が寒い方へと向かい始めたら、猫手になっちまうくらいだからな。心の傷が深いんだ。
 だがな…。
 メギドはとっくに時の彼方で、お前は幸せに生きてるんだろ?
 そいつをしっかり心に留めておかんとな。前のお前が辛かった分まで幸せになってやるんだと。
 猫手、治せよ?
 俺がいつまででもついててやるから。今度は一生、二人で暮らしてゆくんだから。
 お前の右手が熱すぎないよう、適温で温め続けてやるから。
「うん…。うん、ハーレイ…」
 猫手、治りそうな気がしてきたよ。
 ハーレイと一緒に触ったポットは平気だったし、きっと治すよ。



 そして両親も交えた夕食の後の、ブルーの部屋でのお茶の時間のこと。
 猫手は悲鳴を上げなかった。
 ブルーがおっかなびっくり触ったポットに、右手は文句を言わなかったから。
「ほらな、今度は平気だったろ?」
 大丈夫だったみたいだな、とハーレイがブルーの頭をクシャリと撫でた。
「そうみたい。熱かったけれど、普通の熱さ」
 ポットはこういう熱さだよね、って思っただけだよ、大丈夫。
「ほらな、猫手は心の問題なんだ。もう治りかけだ、明日には治るさ」
「そうかもね」
 治っちゃうかもね、明日の朝までに。
 猫手、心配してたんだけど…。ぼくの右手はどうなっちゃうの、って。



 悲鳴を上げずに終わった猫手。
 その手に左手でそっと触れてみて、両手でポットに触ってみて。
 どちらの手も同じ熱さを感じていることがブルーに与える安心感。治りそうな猫手。
(これって、ハーレイのお蔭だよね?)
 猫手は治るに違いない、とブルーは微笑む。
 ハーレイが心を解きほぐしてくれて、猫手を治せと言ってくれたから。
 治りかけだと、明日には治ると頼もしい言葉をくれたから。
 そのハーレイと幸せに暮らす未来に猫手は要らない。
 メギドで凍えた右の手はもう、二度と凍えはしないのだから…。




            猫手・了

※前の生の終わりにメギドで凍えた、ブルーの右手。その記憶のせいで右手が猫手に。
 けれど、治ってくれそうな猫手。ハーレイがいれば、悲しい記憶はもう要りませんものね。
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「バカーッ!」
(えっ?)
 誰、と周りを見回した、ぼく。
 学校の帰り、バス停から家へと歩く途中の道なんだけど。
(馬鹿?)
 キョロキョロ探しても、ぼくしかいない。前にも後ろにも、誰も歩いていなかった。
 ということは…。ぼくに言われた?
(馬鹿って言われたんだけど…!)
 それも思い切り、大きな声で。辺りに響き渡りそうな声で、思いっ切り浴びせかけられた。
 とびっきりの罵声、馬鹿とののしる強烈な声。
 馬鹿と言われる覚えはなくって、喧嘩を売った覚えもない。そもそも、ぼくは喧嘩を売らない。どうせ負けるに決まってるんだし、売るだけ無駄。チビのぼくは勝てやしないんだ。
 それなのになんで、いきなり「馬鹿」って怒鳴られるわけ?
 ぼくはなんにもしていない。バス停から家まで帰る途中で、のんびり歩いているだけで。
 石でも蹴りながら歩いていたなら、場合によっては馬鹿にされるかもしれないけれど。石ころを必死に追っていたなら、子供みたいだと笑われちゃうかもしれないけれど…。
(だって制服を着ているものね)
 下の学校の子は着ない制服。それを着ていれば十四歳にはなってるってこと。十八歳になるまで行く学校だし、ちょっぴり大人になった気分の子だっている。そんな学校の子が石蹴りしてたら、馬鹿と笑う人もいるかもだけど…。



「チビーッ!」
 またまた響いた怒鳴り声。
(チビだなんて…!)
 馬鹿よりも酷い、ぼくへの悪口。明らかにぼくを狙った悪口。
 今度こそムッとしたんだけど。
 喧嘩を売ったりしないぼくだけど、売られた喧嘩は買ってやろうという気になった。チビとまで言われちゃ黙ってられない。ホントのことでもチビはチビ。ぼくにとっては最悪の言葉。
(背が伸びないこと、ぼくが一番気にしてるのに…!)
 百五十センチから伸びない背丈。ハーレイと会った五月三日から一ミリも伸びてくれない背丈。前のぼくと同じ百七十センチにならない限りは、ハーレイとキスも出来ないのに…!
(誰がチビって言ったわけ!?)
 負けるにしたって、この喧嘩は買う。買わなきゃ男じゃないだろう。チビのぼくでも、ホントはソルジャー・ブルーだったんだから。大英雄のソルジャー・ブルーなんだから。
(前のぼくなら逃げないんだから…!)
 人類軍やテラズ・ナンバーを相手に戦ってたぼく。メギドまで沈めたくらいのぼく。
 それに比べたら悪口をぶつけた相手と喧嘩くらいは喧嘩の内にも入らない。背中を見せたら駄目だと思って、ぼくは喧嘩を買うことにした。
 いきなり取っ組み合いはマズイし、力じゃ絶対敵わないから、言い負かす。悪口の知識を総動員して戦ってやる、とキッと辺りを睨んで相手を探したんだけど。
 怒鳴ってやる、って拳を握って身構えたんだけど…。



「バカーッ! チビーッ!」
 ぐにに、とヘンテコな声がついてきた。
(…ぐにに?)
 どんな悪口、って声がした方へ大股で歩いて行った、ぼく。
 舐められないよう背筋を伸ばして、出来るだけ大きく見えるように。負けないぞ、って身体中に気迫とファイトを漲らせながら、勝つぞってオーラを立ち昇らせながら、ズンズンと。
 確かこの辺、と垣根の向こうを睨み付けたら。
(えっ?)
 ぐににに、と其処から声がした。間違いなく「チビ」って怒鳴ってた相手。おんなじ声。
 だけど…。
(鳥…)
 普通の鳥籠よりも大きな鳥籠。四角くて頑丈そうな鳥籠。
 その中に鳥。小鳥とはとても呼べないサイズの、でもカラスよりは一回りくらい小さな鳥。
 真っ白で綺麗な鳥だけれども、ぐににと鳴いてる。馬鹿でチビって怒鳴った声で。



(鳥だったの?)
 こいつがぼくに
喧嘩を売ったんだろうか、ぼくは喧嘩を買うべきだろうか?
 どうしよう、って悩む間もなく、そいつは派手に叫んでくれた。
「チビーッ! バカーッ!」
(チビって言った…!)
 おまけに、馬鹿って。
 やっぱり買う、と言い返す言葉を頭の中で探していたら。



「ごめん、ごめん」
 悪かったね、って庭の向こうの玄関を開けて、この家のご主人がやって来た。
 ぼくも顔見知りのご近所さん。パパよりも少し年上くらいに見えるんだけれど、本当はもっと上らしい。年を取るのを止めているだけで、とっくの昔にお孫さんまでいるみたい。
 でも、おじさんは鳥を飼っていたっけ?
 それもこんなに口の悪い鳥、ぼくは初めて見たんだけれど…。
「えーっと…。この鳥、おじさんの鳥?」
 初めて鳥籠を庭に出しただけで、ずっと前から飼ってた鳥なの?
「いや、この鳥は預かったんだよ。今日の昼前に来たばかりなんだ」
 日光浴が好きだと言うから、鳥籠を庭に置いたんだけどね…。
 申し訳ないね、酷い言葉を喋る鳥で。



 ぼくに悪口をぶつけた鳥と、ぼくとは初対面らしい。
 家族で旅行に出掛けたという、娘さんちの鳥だった。寂しがりやだからペットのホテルにお願いするのは可哀相、って車に乗っけて連れて来たって。
(寂しがりやなのに悪口だなんて…)
 とんでもない鳥だ、と呆れた、ぼく。友達が欲しいなら、他の言葉を喋ればいいのに。
「すまないね。これはそういう鳥なんだよ」
 覚えた言葉しか喋れないんだ、って、おじさんが説明してくれた。
 人間の言葉を喋る鳥。覚えた言葉を喋るだけの鳥。
 コバタンっていう種類のオウムだって。
 絶滅しちゃったナキネズミと違って、人間と喋れるわけじゃない。人間の言葉を真似るだけ。
「上手く噛み合うこともあるけど、大抵は好きに喋ってるんだよ」
「そういうものなの?」
「そうだよ、だからわざとじゃないんだ」
 怒らないでやってくれるかな、って頼まれちゃったら仕方ない。鳥に喧嘩を売ったり出来ない。鳥だもんね、ってグッと堪えて「うん」と返事をしたんだけれど。
「バカーッ!」
「こらっ、ピーちゃん!」
 駄目だろう、ブルー君に悪口を言っちゃ。
 仲良くしなさい、ブルー君はいつも通るんだから!



 おじさんが叱ってくれたけれども、ぼくの背中が見えなくなるまで馬鹿とチビとは続いてた。
(ホントになんにも分かっていない?)
 あんまりだよね、って家に着いても口から溜息。部屋で制服を脱いでも溜息。
 コバタンのピーちゃん、お孫さんの喧嘩で覚えた悪口、馬鹿とチビ。
 狙ったように食らってしまった。ウッカリ喧嘩を買うトコだった。
(ぼくのためにあるような悪口だよ…)
 馬鹿はともかく、チビだなんて。ぼくが一番気にしてることを大声で怒鳴り散らすだなんて。
 相手が鳥でも落ち込みそうだよ、って溜息をつきながら着替えて階段を下りた。
 ダイニングのテーブルにママが用意してくれた紅茶とおやつ。熱い紅茶は美味しいけれど。
(ミルクも入れよう…)
 鳥にまでチビと言われちゃったし、こんな日はミルク。背丈を伸ばすためにはミルク。冷蔵庫に入ってる大きな瓶には幸せの四つ葉のクローバーのマークが描いてあるから、頼もしいんだ。
 瓶からミルクピッチャーに移して、それから紅茶にたっぷりと。
(少しでも背が伸びますように…)
 ミルクにお願い、神様にお願い。
 ゴクンと一口、ミルクティー。チビのぼくでもきっといつかは大きくなってみせるんだから…!



 頑張るぞ、ってミルクティーを飲んで、おやつも食べて。
 キッチンに居たママにカップとお皿を返して、部屋に戻った。栄養、ついたと思いたい。背丈も伸びると思いたいけど、伸びるかどうかは神様次第。
(馬鹿でチビって…)
 鳥までそう言うくらいなんだし、まだまだ伸びそうにないんだろうか?
 いきなり言われたら傷ついてしまう、馬鹿とチビ。馬鹿も酷いけど、チビはもっと酷い。ぼくがチビだと思い知らされる酷い悪口、鳥にも言われた。
(チビの間はハーレイとキスも出来ないのに…!)
 前のぼくと同じ背丈に育つまではキスを許してやらない、ってハーレイに禁止されたから。
 恋人のくせに酷いハーレイ。子供扱いするハーレイ。
(ぼくのこと、何度もチビだって…)
 ハーレイもぼくをチビ扱い。遠慮なくチビって呼んでは笑う。ゆっくり大きくなるんだぞ、って頭をクシャリと撫でてくれるけど。チビでいいんだ、って優しく笑ってくれるけど。
 でも…。
(ぼくはチビだと悲しいんだよ!)
 早く大きくなりたいんだから。チビのままだと困るんだから。
(それなのに、鳥にもチビって言われた…)
 傷ついちゃった、と溜息をついて、ぼくをチビ呼ばわりするハーレイを思い浮かべたら。
 ハーレイだってピーちゃんに悪口を言われるといいんだ、と思っちゃった。
 チビはともかく、馬鹿の方。
 そしたら少しはぼくの気持ちが分かるだろう。
 チビって呼ばれる度にちょっぴり悲しくなっちゃう、大きくなれないぼくの気持ちが。



 そういったことを考えていたら、チャイムの音。窓から覗いたら、庭の向こうに大きく手を振るハーレイの姿。
 ハーレイも馬鹿と言われただろうか、ピーちゃんに。あの家の所、通るんだもんね?
 どんな悪口を食らったのかな、とドキドキしながらハーレイが部屋に来るのを待った。馬鹿か、それともチビの方なのか。ハーレイにチビと怒鳴っていたなら、とても傑作。ハーレイはチビじゃないんだから。チビどころか、デカすぎるほどなんだから。
 ぼくとは逆で大きいハーレイ。人並み外れて大きなハーレイ。
 そのハーレイが部屋にやって来て、テーブルを挟んで向かい合わせ。ぼくは早速、ぼくを襲った例の不幸を披露した。



「聞いてよ、ハーレイ。馬鹿でチビって言われちゃった!」
「はあ?」
 お前、誰かと喧嘩したのか?
 珍しいなあ、お前が喧嘩とは初耳だな。
「鳥だよ、ぼくに向かって言ったんだよ!」
 ぼくが歩いてたら、馬鹿でチビって。
 バス停からウチまで歩く途中にある家なんだよ、庭に鳥籠があったんだよ。真っ白な鳥が入った鳥籠。コバタンっていう種類のオウムのピーちゃん。
「それがお前に馬鹿でチビってか?」
「そうだよ、最初は鳥だと思わなかったから…」
 誰かが喧嘩を売ったと思って、買ってやるんだって身構えたのに。
 取っ組み合いだと敵わないから、知ってる悪口、全部ぶつけてやろうと決めたら鳥だった…。
「鳥と喧嘩なあ…。相手が鳥では全く喧嘩にならんだろうが」
 相手にゃ言葉が通じないしな。下手すりゃ一方的に負けるぞ、向こうが言いたい放題で。
「うん…。ぼくはなんにも言ってないのに、何度も馬鹿でチビって言われた」
 おじさんが叱ってくれているのに、ぼくの姿が見えなくなるまで馬鹿でチビって怒鳴ってた。
 お孫さんの喧嘩で覚えた悪口らしいんだけど…。
 小さな子供が言いそうだけれど、ぼくを狙ったみたいな悪口。よりにもよって、チビだなんて。背が伸びないこと、ぼくはとっても気にしているのに、チビって言った!
「ははっ、そいつは最高だな。俺も見てみたかったもんだな、オウムも、膨れているお前も」
「見てみたかった、って…。ハーレイ、ピーちゃんに何も言われてないの?」
 チビとか、馬鹿とか。ピーちゃん、絶対、言う筈だよ?
「生憎と俺は歩く代わりに車だしな?」
 車に向かって喋っても何も言わないからなあ、鳥だって黙って見ているだけだと思うがな?
 相手をしてくれる人間でなけりゃ、馬鹿ともチビとも言わないさ。



 それに夕方、鳥籠は外には無いだろう、ってハーレイが窓の向こうを指差した。秋は日が暮れる時間が早いし、庭はとっくに薄暗い。こんな時間じゃ、ピーちゃんの籠は家の中。
「そっか…。お日様が射してる間だけだね、日光浴」
 ハーレイにはなんて言ったんだろう、って少し楽しみにしてたのに…。
 鳥籠は無くて、おまけに車じゃ悪口なんかは飛んで来ないね。馬鹿ともチビとも。
「その、馬鹿とチビ。ナキネズミに言われたわけじゃないから、別にいいじゃないか」
 お前に言ったの、オウムだろうが。オウムは人間の口真似をしてるだけなんだ。お孫さんが喧嘩している時の言葉を覚えちまって、そいつを喋っているだけだ。馬鹿もチビもな。
 しかしだ、ナキネズミが同じことを言ったら本音だぞ、それは。
 本当にお前を馬鹿でチビだと思ってるわけで、それに比べりゃオウムなんかは可愛いもんさ。
「でも…!」
 ぼくはホントに傷ついたんだよ、馬鹿とチビ。馬鹿はマシだけど、チビは酷いよ…!
「いいじゃないか、たかが鳥だってな。ナキネズミだったら大変だが…」
 オウムは何も考えてないし、自分が一番得意な言葉を喋っただけだ。そこにお前が通り掛かって寄って来たから、嬉しくなって同じ言葉を何度も何度も叫び続けただけだろう。
 要はそいつは誰にだって言うのさ、人が通れば馬鹿でチビって。
「ホント…?」
「多分な」
 お前が真面目に相手をするから、余計に何度も馬鹿でチビだと叫ぶんだ。普通だったら知らないふりして通り過ぎるのに、お前、喧嘩を買おうと身構えたんだろ?
 オウムにしてみりゃ、遊び相手が出来たってトコだ。こう言えば遊んで貰えるんだと思い込んで叫んで見送ってたのさ、もっと遊ぼうと。



 言葉は他にも色々覚えているんだろうが、と言ったハーレイ。
 馬鹿とチビの他にも人間が喋る言葉を沢山、きっと覚えている筈だと。
「今度はそいつを聞けるといいな。お前、当たりが悪かったんだな」
 たまたま馬鹿って言いたい気分の所へウッカリ通り掛かって、その次がチビで。
 オウムだって覚えた言葉を次々と披露したいんだろうし、次はマシなのを聞かせて貰え。
「そうしたいよ…。でないと怒鳴り返したくなるし!」
「馬鹿ってか?」
「馬鹿もそうだけど、チビが問題。チビの方がうんと酷いんだから!」
 それにチビって怒鳴ってるけど、ピーちゃんはぼくより小さいし…。
 何度も何度も言われちゃったら、我慢の限界で怒鳴りそうだよ。チビはお前の方だろう、って!



 フウと溜息をついた、ぼく。
 ピーちゃんの鳥籠は今日来たばかりで、暫くの間はあの家の庭にドンと置かれていそうだから。お日様が明るく射してる間は、日光浴だと外に出されていそうだから。
「早く迎えに来てくれないかなあ、娘さん…」
 旅行から帰ってピーちゃんを連れてって欲しいんだけど。馬鹿でチビって言わないように。
「娘さんが迎えに来たとしてもだ、その内にまた来るんじゃないか?」
「えっ?」
「お前がすっかり忘れちまった頃に、馬鹿でチビってな」
「なに、それ…」
 あそこのおじさん、またピーちゃんを預かるの?
 娘さん、そんなに旅行が好きかな、年に何度も出掛けるくらいに?
「さてなあ、お前がまた言われるのは来年なんだか、再来年だか…」
 その口の悪いオウムが何歳なのかは知らないが、だ。
 下手をすると、お前が俺と結婚しちまった後に「馬鹿」もあり得る。それこそ十年くらいは軽く経った頃にな。
「十年って…。そんなに先?」
 ピーちゃんは鳥だよ、十年も先に元気で悪口叫んでるかな?
「長生きらしいぞ、コバタンってヤツは」
「ホント?」
 猫と同じくらいに長生きなのかな、ミーシャみたいに二十年くらい?
「七十年を超えると聞いたな、人間が飼ってるコバタンはな」
 野生のヤツでも二十年から四十年くらいは生きるらしいし、まだまだ当分、元気だろうさ。
 結婚してチビじゃなくなったお前に向かって馬鹿と怒鳴れるくらいにな。
「えーっ!」
 チビじゃなくなったら今度は馬鹿なの?
 ぼくの顔を見たら馬鹿って怒鳴るの、ピーちゃんは…?



 あんまりだよ、って思わず叫んでしまった、ぼく。
 ハーレイは「遊び相手だと思われちまったみたいだしな?」って、笑って帰って行っちゃった。パパやママも一緒に夕食を食べて、「また今度な」って手を振って。
(チビじゃなくなっても馬鹿だなんて…)
 それだけは無いと思いたい。
 今日の馬鹿とチビはほんの偶然、明日には違う言葉を喋って欲しいんだけど…。
 遊び相手でも何でもいいから、馬鹿とチビはやめて欲しいんだ。特にチビの方は。
(ホントのことでも傷ついちゃうから…)
 大声でチビと怒鳴られちゃったら、チビだと思い知らされるから。



 次の日の朝、出掛ける時には庭にピーちゃんの鳥籠は無かった。日光浴には早すぎる時間。耳を澄ませても声はしなくて、馬鹿ともチビとも聞こえてこない。
(帰りも言わないといいんだけれど…)
 どうか言われませんように、って祈るような気持ちで学校に行って、授業を受けて。
 学校が終わって帰って来たぼくは、ピーちゃんに馬鹿にされないようにと胸を張って堂々と道を歩いていたのに、やっぱり言われた。垣根の向こうから馬鹿でチビって。
 おじさんが庭に出ていたけれども、「ごめん、ごめん」って笑っていただけ。ピーちゃんの籠をコツンと叩いて「ご挨拶は?」とは言ってくれたけど。
「チビーッ!」
「悪いね、こういう口の悪い鳥で」
「…ううん…」
 ガックリと項垂れて歩き出したら、「バカーッ!」と声が追って来た。
 その次の日だって、馬鹿でチビ。
 もうハーレイが「馬鹿」って言われるのを待つしかないんだ、あの馬鹿鳥。



 土曜日、お天気がいいから歩いて訪ねて来たハーレイ。
 ピーちゃんの鳥籠も庭に出ていそうな時間だったし、ぼくの部屋でハーレイとテーブルを挟んで向かい合うなり訊いてみた。
「どうだった?」
 通ったんでしょ、ピーちゃんの鳥籠がある家の前。ピーちゃん、日光浴をしていた?
「ああ、いたな。おはようと挨拶してくれたが?」
「ええっ!?」
 おはようだなんて、馬鹿とかチビは?
 ハーレイ、それしか言われなかったの?
「いや。ピーちゃんと自分で名乗っていたなあ、こいつのことかと暫く見てたが…」
 馬鹿ともチビとも言われなかったぞ、朝は機嫌がいいんじゃないか?
「そんな…。きっとたまたまだよ、明日は悪口言うと思うよ」
 ぼくはいつでも馬鹿でチビだし、あれが得意な言葉だろうと思うんだ。
 ハーレイにだって言うと思うな、挨拶するくらいハーレイのことが気に入ったんなら。



 明日こそきっと、と期待したのに、日曜日も挨拶されたハーレイ。それに「ピーちゃん」って。
(ぼくは「おはよう」も「ピーちゃん」も聞いていないよ…!)
 ハーレイは「たかが鳥だろ」って言っていたけど、相手を見て喋っているんだろうか?
 ぼくが子供だから馬鹿にしちゃって、馬鹿だのチビだの言うんだろうか…?
(それともピーちゃん、気分が変わった?)
 土曜も日曜も、ぼくは学校に行っていないし、ピーちゃんの家の前を通ってはいない。その間に気分が変わってしまって、今は「おはよう」で「ピーちゃん」なのかも…。
 馬鹿とチビには飽きてしまって、違う言葉になったのかも…。



 そうだといいな、と考えながら通り掛かった、月曜日の午後、学校からの帰り道。
 ピーちゃんの家が見えて来たな、と思った途端に飛んで来た声。
「バカーッ! チビーッ!」
 ぼくの足音で気付いたんだろうか、鳥籠の中で叫んでる。それは得意そうに、高らかな声で。
「バカーッ! チビーッ!」
(ぼくにはこれしか言わないわけ?)
 酷い、と泣きたくなりそうな気持ち。
 「おはよう」どころか、「ピーちゃん」どころか、ぼくにはやっぱり馬鹿とチビ。
 すごすごと去ってゆくぼくの背中に馬鹿とチビとが突き刺さる。チビはホントのことだけど。



 家に帰って、ママに「また言われたよ」って報告したら。
「あら? ママには馬鹿とは言わないわよ? チビとも一度も言わないし…」
 ブルー、ピーちゃんの御機嫌、損ねたんじゃない?
 ママには挨拶してくれてるわよ、「おはよう」だとか「こんにちは」とか。
 お行儀のいいオウムなのね、って思ってたけど、ブルーにはそうじゃなかったのねえ…。馬鹿でチビだなんて。
(嘘…!)
 ママにも挨拶するっていうのは衝撃だった。どうやらぼくだけ、馬鹿でチビ。
 いくら鳥でも酷すぎる。
 仕事帰りに寄ってくれたハーレイに思い切り怒りをぶつけちゃったら、こう言われた。
 「愛想よく挨拶してみろ」って。
 ぼくは最初に喧嘩を買おうとしちゃってるから、馬鹿でチビかもしれないぞ、って。



(そうか、挨拶…)
 ピーちゃんは鳥だけど、ナキネズミと違って意思の疎通は出来ないけれど。
 それでも動物、好きな人とか嫌いな人とかもあるだろう。甘えたい人に、喧嘩したい人。ぼくは喧嘩をしたい相手に分類されたか、あるいは馬鹿にされてるか。
(…喧嘩の相手より、馬鹿にされてる方がありそう…)
 お孫さんの喧嘩で覚えた言葉をぶつけているなら、お孫さん並みの子供扱い。馬鹿とかチビって言い合うレベルの子供だったら、ぼくより小さい。幼稚園くらいの子供なのかも…。
(そのくらいの年の子供だったら、ピーちゃんは馬鹿にしていそうだよ)
 ピーちゃんは充分、大人サイズの鳥だから。
(ぼく、幼稚園児並みにされちゃった?)
 真面目に喧嘩を買おうとしたから、鳥を相手に喧嘩するほどのチビなんだ、って。
 そうだとしたら名誉挽回、きちんと挨拶、大人の余裕を見せなくちゃ。
 ぼくはチビだけど、前のぼくなら三百歳を軽く超えてた、本物の大人なんだから。



 やるぞ、って決めて、火曜日の帰り。
 相変わらずぼくの足音を聞くなり「バカーッ!」って怒鳴られたんだけど。
 ぼくは怒りをグッと飲み込んで、ピーちゃんの鳥籠を垣根越しに覗いて笑顔で挨拶をした。
「ピーちゃん、こんにちは」
「バカーッ!」
 ぐにに、とオマケもついて来た。
「こんにちは、ってば」
「チビーッ!」
(…全然、ちっとも通じてないけど…!)
 ぼくにはこれしか言わないんだろうか、ピーちゃんは?
 だけど挨拶しようと決めたし、ぼくはチビじゃないと認めて貰えるまで頑張らなくちゃ…!



 挨拶する度に馬鹿だのチビだの言われ続けて、金曜日の帰り道のこと。
 今日はなんにも言われないな、と垣根の向こうを覗き込んだらいなかった。鳥籠ごと。
 やっと認めてくれたのかも、って思った気持ちは木端微塵に砕けてしまった。
(…静かな筈だよ…)
 どうしたんだろう、ピーちゃんは?
 日光浴はお休みなのかな、って庭を見てたら、おじさんが家から出て来たから。
「ピーちゃんは?」
「ああ、取りに来たよ。旅行から帰って来たからね」
 お昼前に車に乗せて行ったよ、今頃は自分の家に帰って寛いでるさ。
「嘘…」
 ぼく、一回も挨拶を聞いていないのに…。毎日、挨拶、頑張ってたのに…。
「悪かったねえ、いつも悪口ばっかりで」
 家の中まで聞こえていたけど、あればっかりはどうにもねえ…。
 叱っても全く直らなかったし、ピーちゃんとしては挨拶のつもりだったんだろうね。



 口の悪い鳥ですまなかったね、って、おじさんは謝ってくれたけれども。
(最後まで馬鹿とチビばっかり…)
 ぼくがあんなに挨拶したのに、馬鹿とチビしか言われなくっても挨拶したのに、駄目だった。
 努力はすっかり無駄になってしまって、ピーちゃんは家に帰ってしまった。ぼくに悪口ばかりをぶつけて、一度も挨拶してくれないで。
(ぼくは最後まで、お孫さん並み…)
 ホントのホントにチビ扱い。本物の子供と同じ扱い。
 酷いんだよ、って土曜日に来てくれたハーレイに向かって当たり散らした。
 「あの鳥、いなくなったんだな」なんて笑ってぼくに言ったから。
 「もう馬鹿もチビも聞かなくて済むな」って、楽しそうに言ってくれたから。
 挨拶されてたハーレイなんかには分からないんだ、チビと何度も言われ続けた悔しさは。
 ホントのことでも、鳥にまでチビって怒鳴られちゃったら悔しいんだから。
 ハーレイとキスさえ出来ないチビだと、ピーちゃんに馬鹿にされたんだから…!



 とうとう、挨拶されなかった、ぼく。
 ピーちゃんの挨拶を聞けずにお別れしちゃった、ぼく。
 ハーレイは「賢い鳥だな」って笑ってるけど、ホントだろうか。
 「人を見て挨拶を選ぶんだな」って、「お前には馬鹿とチビだったんだな」って。
 もしもホントに選んでたんなら、ぼくを見て挨拶は馬鹿とチビにしようと決めていたんなら。
 次に会う時は、絶対、挨拶させてやる。「おはよう」と、それに「こんにちは」。
 前のぼくみたいに大きく育って、ピーちゃんの挨拶を聞かなくちゃ。
 コバタンの寿命は長いと言うから、きっと会えると思うんだ。
 ハーレイと結婚した後になっても、あの家の庭を覗いたら。
 そしてハーレイに自慢するんだ、ピーちゃんに挨拶して貰ったよ、って。
 ピーちゃんの挨拶を聞きに行こう、ってハーレイと二人で出掛けて行くんだ、あの家の前へ。
 もうチビだなんて言われないよと、ハーレイのお嫁さんだもの、って。
 だからよろしく、コバタンのピーちゃん。
 ハーレイのお嫁さんになった幸せなぼくが、またピーちゃんに会いに行くから…。




         喋る鳥・了

※ブルーに向かって「バカ!」で「チビ!」だと叫ぶ鳥。それもブルーだけを相手に。
 なんとも悲しい話ですけど、リベンジの機会があるといいですよね。大きくなった後に。
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(猫用ケーキ?)
 なあに、と新聞を覗き込んだ、ぼく。
 猫用ケーキ、言葉のまんま。猫のためのケーキで、人間用とは違ったケーキ。
 カラフルなケーキの写真が一杯、いろんな猫用ケーキの特集。
(お誕生日に、御褒美に、おやつ…)
 これじゃ人間と変わらない。人間だって、ケーキはそういう扱いだもの。
 ぼくの家ではママが作るから、ケーキは珍しくないんだけれど。お菓子作りが得意じゃない人はケーキをお店へ買いに出掛けるし、一番は多分、誕生日用。バースデーケーキ。この記事みたいなホールケーキを買うんだったら、きっと誕生日が多いだろう。
 次が記念日、それから御褒美。おやつ用は最後になると思うな、ホールケーキなら。
 大きなケーキを家族や友達、食べる人数に合わせて切って。一切れずつお皿に載せて食べるのが人間用のケーキだけれども、猫用ケーキは…。
(ホールケーキで一人前…)
 一人って言うか、一匹と言うか。
 ペロリと一度に食べ切れるサイズ、そういう分量の小さめケーキ。
 何切れかにカットしてあげるってわけじゃなくって、丸ごと一個を盛り付けるみたい。



(これが猫用?)
 言われなければ分からないケーキ。綺麗なケーキ。
 マジパンやクッキーで作った猫が乗っかってるけど、子供だったら好きそうな感じ。クリームで飾ってミントの葉っぱも。何処から見たって人間用。
(フレッシュクリームたっぷり…)
 「猫ちゃんの大好きなフレッシュ生クリームをたっぷりとケーキ一面にデコレーション!」って謳い文句で、ケーキの上には生クリームを絞り出した飾りが星みたいに幾つも鏤めてある。
 ぼくの今日のおやつも生クリームたっぷりのケーキなんだけど。
 真っ白なクリームが甘くてとっても美味しいんだけれど、猫並みってこと?
 ぼくが学校に行ってる間にママが作ってくれたんだけど…。
 いろんなベリーを沢山乗っけて、生クリームもたっぷりと塗って。



(煮干しパウダー入りのスポンジ…)
 猫用ケーキとぼくのケーキは其処が違った。
 ぼくのケーキはふんわりスポンジ、卵の風味が優しいケーキ。味の決め手は泡立てた卵、それにお砂糖だと思う。後はバターとミルクくらいかな、しっとりふわふわ、ママの手作り。
 膨らんだスポンジに煮干しパウダーは入っていなくて、猫用ケーキとは別だけれども。
(うーん…)
 他にも色々、ケーキの種類。猫用ケーキと書かれたケーキ。
 ムースケーキみたい、と眺めたケーキは牛のミンチを贅沢に使った黒っぽい部分と、白い濃厚ミルクムースの二層になっててホントにムース。「至福の牛ムース」っていう名前。
(猫用なんだけど…!)
 食べる猫は分かっているんだろうか、「至福」って言葉。説明したって欠伸だけして、ムースに夢中で齧り付きそうな気がするんだけど。
(こっちはなあに?)
 ぼくが寝込むとハーレイが作りに来てくれる、野菜スープのシャングリラ風。何種類もの野菜を細かく刻んで基本の調味料だけでコトコト煮込んだ野菜のスープ。
 それに似てるよ、と思ったケーキは「鴨レバーのカクテルテリーヌ」だった。二層になってて、上が細かく刻んだ野菜のテリーヌ。下の部分が鴨のレバーのムースなんだ。
(野菜スープのシャングリラ風に、こんなムースはついてないから!)
 ハーレイが「新作だぞ」ってテリーヌ仕立てを編み出してくれたけれども、ママのテリーヌから思い付いたって言っていたけど、それが限界。野菜スープのシャングリラ風。
 ぼくがレシピを変えて欲しくないって頼んだからではあるけれど…。
(猫のケーキは鴨のレバーのムースつき…)
 お洒落すぎる猫用カクテルテリーヌ、贅沢すぎる猫用ケーキ。
 ぼくより凄い、と目を丸くした。



(これを食べるの、猫なんだけどな…)
 世界はなんて広いんだろう。猫用のケーキがあるってだけでも凄いのに…。
 よくよく読んだら、牛のミンチも鴨のレバーも最高級品を使ってた。それが自慢の猫用ケーキ。
(人間並み…)
 こだわりの飼育方法が売りの牛と鴨。そんなのを使った猫用ケーキ。
 考えてみれば最高級品の鴨だの牛だの、普段の食事でパクパク食べてはいないから。
 もしかしたら人間以上だろうか?
 人間用に出荷するにはちょっと落ちるよ、って部分を使って作ってるにしても、最高級品。猫用ケーキに最高級品の牛だの鴨だのを惜しげもなく。
 野菜スープのシャングリラ風だって、猫用になると最高級品の鴨のレバーのムースつき。
(負けたかも…)
 人間のぼくが、ニャーと鳴く猫に。
 おやつで負けた、とケーキをパクリと頬張った。
 猫も喜ぶフレッシュクリームたっぷりのケーキ、煮干しパウダーは入っていないけど。



 おやつを食べ終わって部屋に帰ってから、綺麗だったケーキを思い出す。
 猫用だなんて思えなかった、普通のケーキにそっくりのケーキ。
(お誕生日に、御褒美に、おやつ…)
 ハーレイのお母さんが飼ってたっていう猫のミーシャもあんなのを食べていたかもしれない。
 甘えん坊で真っ白なミーシャ。ハーレイが生まれるよりも前から家に居たミーシャ。
 とっくに死んじゃったミーシャだけれども、可愛がられていたらしいから。
 猫用のケーキ、毎日は無理でも、お誕生日に、御褒美に。
 今日はちょっぴり特別だよ、ってミーシャ用のお皿に入れて貰って。



(猫用ケーキかあ…)
 こだわりの素材の猫用ケーキ。
 猫の身体に悪くないよう、素材を厳選したケーキ。
 材料の卵も、フレッシュクリームも、煮干しパウダーも、全部、地球産。
 此処は地球だから当然だけれど、他の星から運んで来るより安くつくから当たり前だけど。
 それでも地球産、前のぼくが焦がれて行きたいと願った地球の食材で作ったケーキ。
 なのに猫用、猫が食べるために作られたケーキ。
(前のぼくでも食べられるよ、あれ)
 新聞記事には「人間は食べないで下さい」って書いてあったけれど、大丈夫。
 材料をちゃんと読んでみたけど、変なものは入っていなかったから。
 小麦に卵に、それからミルク。いろんな野菜に、最高級品の牛と鴨。
(煮干しパウダーくらいだよね)
 ケーキにしては変な材料って、これくらい。
 牛とか鴨はムースなんだし、ケーキという名前がついているだけでお料理だから。充分に人間が食べられるお料理、牛ミンチのムースに鴨のレバーのカクテルテリーヌ。
(煮干しパウダーのケーキにしたって…)
 前のぼくなら、ちょっと生臭い程度のスポンジ、気にしやしない。
 憧れの地球のケーキだったら、猫用のケーキだったって。
 大喜びで食べた、間違いなく。
 地球のケーキだと、地球の食材で作ったケーキが手に入ったと。



(ハーレイにだって御馳走するんだよ)
 そういうケーキが手に入ったなら、前のハーレイが青の間に来た時、紅茶を淹れて。
 猫用ケーキは小さいけれども、二人仲良く半分ずつで。
 ケーキの上に乗った飾りも半分ずつ。
 猫の形のマジパンだって、猫の形のクッキーだって。
(食べたかったな…)
 前のぼくだった時に、猫用ケーキ。
 地球産の食材だけで作った、素敵なケーキ。
(もしもあったら、絶対、食べてる…)
 ノアとかアルテメシアとかの猫用ケーキは要らないけれども、食べたいとも思わないけれど。
 地球のだったら、間違いなく食べる。あると知ったら、奪って食べる。



(その地球が無かったんだけれどね…)
 宇宙の何処かにあると信じた青い地球。焦がれ続けた、青い水の星。
 けれども青い星は蘇らないままで、死の星のままで。
 マザー・システムは「地球は青い」と嘘を貫き通したけれども、本当は青くなんかはなかった。作物が採れる筈もなくって、地球の食材で猫用ケーキは作れなかった。
 だから食べずに済んだんだろうか、猫用ケーキ。
 地球の土と水と光が育てた小麦や、地球で育った鶏の卵。そんな材料で出来たスポンジ。煮干しパウダーだって地球の海から獲れた魚の粉なんだから。
(とっても贅沢…)
 前のぼくにしてみれば夢のようなケーキ。
 たとえ煮干しの味がしたって、猫用と書いてあったって。
(地球の味がするケーキだしね?)
 あったら絶対、奪いに行ってる。
 アルテメシアに落ち着いた後で、物資は奪わない自給自足の生活をしていた時代でも。
 あれは別だと、あのケーキだけは別なんだと。
 そうして奪って、ハーレイと食べる。
 憧れの地球の食材で出来た猫用ケーキを、二人で分けて。



(ハーレイに呆れられそうだけどね)
 猫の上前をはねるんですか、って。
 これは猫用のケーキなのですが、って。
 だけど特別、地球産のケーキ。地球の食材で作ったケーキ。
 猫用だろうが、煮干しパウダーで生臭かろうが、最高のケーキなんだから。
 行きたくてたまらない青い地球で育った食材の旨味がギュッと詰まっているんだから。
(やっぱり猫に負けてるよ、ぼく)
 今のぼくのおやつも猫に負けたと思ったけれども、前のぼくが。
 ソルジャー・ブルーだったぼくが、欲しくて欲しくて奪いに行きそうな猫用ケーキ。
 つまりは猫の方がうんと贅沢な食事、地球産の食材で出来た豪華な猫用ケーキ。
(猫の方がいいもの食べてるだなんて…)
 大英雄だったソルジャー・ブルーが欲しがるほどの猫用ケーキ。
 ソルジャー・ブルーが地球産っていうだけで釣られてしまう猫用ケーキ。
 猫のケーキはとっても贅沢、大英雄のソルジャー・ブルーが羨ましくって欲しがるケーキ。
 それに…。



(最高級品の鴨のレバーに牛ミンチ…)
 シャングリラに鴨はいなかった。卵と鳥の肉は鶏で充分、鴨までは飼わなくてもいいと。鶏さえいれば卵も鳥肉も手に入るのだし、鴨まで育てなくてもいいと。
 だから鴨のレバーなんかは無くって、最高級品も何もあるわけなかった。
 牛は居たから牛のミンチはあったけれども、所詮は宇宙船の中で育てた牛。地面の上で、牧場を自由に歩き回って育った牛とは違うし、肉の質だって比較にならない。要はただの牛。
 鴨のレバーは最初から無いし、牛のミンチは最高級どころか高級品とさえ呼べないレベル。
 楽園だったシャングリラだけど、最高級品の食材が売りな猫のケーキは作れない。
 完全に敗北、猫のケーキに。
 猫が誕生日や御褒美に、おやつに買って貰うという猫用ケーキに。



(前のぼく、ソルジャー・ブルーだったのに…)
 大英雄だった前のぼくなのに、猫に負けてる。
 ニャーと鳴くだけの猫に負けてる、食べ物のことで。
(おまけに猫用ケーキを奪って喜んで食べそうなんだよ、前のぼく…)
 地球産の猫用ケーキに限るけれども、あったら奪う。地球のケーキだと喜んで食べる。
 前のぼくよりも猫の方が上、奪わなくっても猫用ケーキを買って貰える。地球産の食材を贅沢に使った猫用ケーキを、いろんな時に。
(猫に負けるなんて…)
 英雄のくせに情けないかも、って思っていたら、チャイムの音。お客さんだよ、ってチャイムの音。窓から見たら大きく手を振るハーレイ。



 ママが門扉を開けに出て行って、ぼくの部屋までハーレイを案内して来たから。
 お茶とお菓子をテーブルに置いてってくれたから、ぼくはお菓子を指差して言った。
「聞いてよハーレイ、猫の方がグルメだったんだよ!」
「はあ?」
 どうしたんだ、ってハーレイの鳶色の瞳が丸くなったけど。
「前のぼくより、猫の方がグルメ!」
 ホントなんだよ、ホントのホントに猫の方がグルメだったんだよ。
 前のぼくはとっても敵わなくって、猫の食事を奪いに出掛けてしまいそう。
 あれが食べたいって、どうしてもあれを食べるんだ、って。
 だって、本物の地球の食材で出来ているんだもの。
 猫用だけれど、地球産だもの…。



 こんなケーキがあったんだよ、って話をした。
 人間用のケーキなんです、って言ってもおかしくなさそうな出来の猫用ケーキ。
 見た目も綺麗で、こだわりの素材。最高級品の牛のミンチに鴨のレバーに…。
 一気に喋って、それから訊いた。
 ミーシャも猫用ケーキだったの、って。
「どうだかなあ…。おふくろが買ってやってたかもなあ、手作りだったかもしれないが」
 俺は全く覚えていないが、猫用ケーキを食っていたなら手作りかもしれん。
 おふくろは菓子作りだって得意だからなあ、猫用ケーキも手作りかもな。
「ミーシャのケーキは手作りなの?」
 ハーレイのお母さん、猫用ケーキも作れるの?
「本当に作ったかどうかは知らんが、人間用のと同じ材料だろ? 猫用のケーキ」
 愛情をこめてやりたかったら手作りだってな。
 どんな材料かが分かっていたなら、おふくろなら工夫しそうだぞ。
 最初の一個か二個は買って食わせて、ミーシャがそれで喜ぶようなら次から手作り。ミーシャの好物をあれこれ使って、ミーシャ専用ケーキってトコか。
「そっか…」
 ハーレイのお母さん、ミーシャ用に作ってあげるんだ…。
 ミーシャの好物がたっぷり詰まった、地球産の食材を使った猫用ケーキ。



 ということは、ミーシャにも負けているかもしれない、前のぼく。
 ハーレイのお母さんが猫用ケーキを買ってあげていたら、その時点で負けているんだけれど。
 もしもハーレイのお母さんが猫用ケーキに凝っていたなら、負けるどころの騒ぎじゃない。
 猫用ケーキを買って貰う猫は、お店に売ってる種類の中から選んで貰って食べるもの。あっちがいいとかこれがいいとか、喋れない猫は選べやしない。
 だけどミーシャは自分の好物を使ったケーキを食べられた可能性がある。ハーレイのお母さんに工夫を凝らして貰って、大好きな魚を使ったムースや、生クリームたっぷりのケーキなんかを。
 そうなってくると、ミーシャは前のぼくよりもずっと恵まれた立場。
 地球の食材を色々と食べて、好き嫌いもして、好物はこれだと主張して。
 その好物を使った猫用ケーキを作って貰って食べていたなら、最高に贅沢な食生活。
 前のぼくは地球に憧れるだけで、地球の食べ物は何一つ食べられないまま死んでしまったのに、ミーシャは我儘言いたい放題、好きな材料で猫用ケーキを作って貰って食べたんだから。



 前のぼくはミーシャに負けたかもね、と甘えん坊の真っ白な猫を思い浮かべながら訊いてみた。
「ハーレイのお母さん、こだわる方?」
 ミーシャが猫用ケーキを気に入ってたなら、専用ケーキも色々作るの?
「愛情はたっぷりだったからなあ、色々作ってやったんじゃないか?」
 俺はガキだったから忘れちまったが、魚のムースでも凝ると思うぞ。生クリームの猫用ケーキにしたって、スポンジがミーシャ好みの味になるよう、何度も作って「どう?」と訊くとか。
 ミーシャが喜んで食った時のレシピが定番のスポンジになるってわけだ。
「じゃあ、前のぼくはミーシャにすっかり負けちゃってるんだ…」
 地球の食材で我儘を言って、好物だけで作って貰ったケーキ。
 そんなケーキは食べたくっても食べられなかったのが前のぼくだもの。猫用ケーキでも欲しいと思ってしまうくらいなのに、好物ばかりで作って貰った猫用ケーキがあっただなんて…。
「安心しろ、お前だけじゃない」
「えっ?」
「俺も同じだ、そういうケーキは前の俺だって食えていないだろうが」
 前のお前と条件は全く同じなんだぞ、同じシャングリラに居たんだから。
 お前がミーシャに負けたと言うなら、俺も敗北してるんだ。
 もっとも、ミーシャが猫用ケーキを食ってないなら負けはしないがな。ただの猫だしな。
「そっか、前のハーレイもぼくとおんなじ立場にいたんだっけ…」
 地球産のケーキなんかは手に入らなくて、シャングリラの中。
 最高級品の鴨のレバーも牛のミンチも無かったっけね…。



 そうだった、と思い出した、ぼく。
 地球産の猫用ケーキがあると知ったら奪いに出掛けて、ハーレイと分けて…。
「えっとね、ハーレイに御馳走しようと思ってたんだよ、猫用ケーキ」
 前のぼくが地球産の猫用ケーキを奪っていたなら、青の間でハーレイと食べるんだよ。みんなに内緒で二人でこっそり。猫用ケーキは小さいけれども、半分に分けて。
「そいつはゴージャスな話だな。お前と二人で地球産のケーキか、猫用でもな」
 熱い紅茶を淹れんといかんな、シャングリラ産だから香りの方はイマイチだがな。
「でしょ? うんと素敵なティータイムが出来るよ、地球産のケーキ」
 猫用でもホントの地球産なんだし、きっと充分、美味しかったよ。
 あの時代に青い地球があったら、猫用ケーキが作られていたら。
 ハーレイと二人で食べたかったな、煮干しパウダー入りのスポンジで出来たケーキでも…。



「うむ。最高に美味かったろうさ、地球産の猫用ケーキはな」
 地球の食い物っていうだけで美味さが何倍、何十倍にもなりそうだ。猫用に作った菓子でもな。
 しかしだ、前の俺たちが猫用ケーキを食ってた場合は本当に笑うしかないんだが。
「なんで?」
 猫用ケーキでも地球産だよ。それだけで特別なケーキなんだよ?
 「地球の味だね」って感動しながら食べていたって、可笑しくはないと思うけど…。
 感激のあまり泣いていたって、ちっとも変ではなさそうだけど…?
「それはそうだが、前の俺たち。アルタミラに居た頃は餌だぞ、餌」
 ケーキなんかがあったか、あそこに。
 俺たちが食わせて貰っていたのは餌と水だけだったんだが?
「あっ…!」
 ホントだ、餌と水だけだった…。
 猫の餌でももっとマシだね、好きなタイプの餌を貰って食べるんだものね。
 そんなぼくたちに猫用ケーキって、アルタミラの頃だと贅沢すぎる餌だったんだ…。
 地球産の猫用ケーキじゃなくても、猫用に作ったケーキってだけで。



 餌と水しか食べられなくって、その餌だってオーツ麦で作った不味いシリアル。栄養だけは充分摂れるけれども、食べる楽しみなんかは無かった。文字通り飼っておくための餌。
 地球産の猫用ケーキを食べるどころか、ただの猫用ケーキでさえも貰えなかった、アルタミラ。
 ペット以下だった、前のぼくたち。
 猫と同じで飼われてはいても、猫はペットで可愛がって貰えて、餌も色々貰える存在。おやつも貰えて、猫用ケーキも。
 なのに、前のぼくたちには餌と水だけ、ミルクも貰えはしなかった。
 ミュウは実験動物だから。
 ペットじゃないから、研究者たちは愛情なんかを与えようとも思わない。彼らだって自分の家に帰ればペットが居たかもしれないのに。猫が居たかもしれないのに。
 家の猫には「いい子だな」って、猫用ケーキ。もちろん好物の餌やミルクもたっぷり。
 だけどミュウには何もくれなくて、餌と水だけを食べさせてたんだ…。



「前のぼくたち、なんだか悲惨…」
 酷い扱いだとは分かっていたけど、猫にだってケーキがあると思ったら惨めだよ。
 猫は誕生日とかに猫用ケーキを買って貰えるのに、前のぼくたちは…。
「まあな。人類のヤツらの記念日だ、って時もケーキは出てこなかったし…」
 餌が料理になってただけだな、ケーキは無しでな。
 自分たちはケーキを食ってただろうに、猫用のケーキくらいは寄越してくれても…。
「前のぼく、相当に悲惨だったのかも…」
 猫用のケーキも食べられなくって、餌と水だけ。
 アルタミラから脱出した後も、青い地球が無いから地球産の猫用ケーキも食べられなかったよ。
 今じゃこだわりの猫用ケーキが売られているのに、最高級品の鴨や牛のもあるのに。
 ミーシャだって、ハーレイのお母さんに特製の猫用ケーキを作って貰ったかもしれないのに…。
「俺も同じだと言った筈だぞ、その辺はな」
 それに、前のお前が食い物で悲惨な思いをした分、今のお前は恵まれてるぞ。
 今度のお前が食っているもの、何もかも全部、地球産だろうが。
 毎日の飯も、おやつも、全部。
 何から何まで地球で作られた食い物ばかりだと思うがな…?



「そうだけど…。そうなんだけど…」
 恵まれてることは分かってるけど、猫用のケーキ。
 今のぼくだって凄いと思うよ、素材にこだわっているんだよ?
 最高級品の牛のミンチや、鴨のレバーで出来てるケーキ。あんなの、普段に食べられないよ。
 それが猫用ケーキなんだよ、「お誕生日に、御褒美に、おやつに」って書いてあったよ。
 普段のおやつに食べてるんだよ、こだわりの素材の猫用ケーキ。
 猫に負けたよ、ぼくのおやつ。
 今のぼくのおやつだって猫に負けちゃってるよ…!
「おい、落ち着け。お前、きちんと記事を読んだか?」
 ああいうのは基本的に記念日用のケーキさ、猫用ケーキも人間様のケーキも基本は変わらん。
 まずは誕生日で、それから御褒美。気が向いた時に、たまにおやつってトコだ。
 猫用ケーキが売られてはいても、毎日食ってはいない筈だぞ。
 そういう点では、お母さんがケーキを焼いてくれるお前。
 わざわざ買いに出掛けなくっても、しょっちゅうケーキを食ってるだろうが。
 今のお前は猫に勝てるさ、ケーキを食ってる回数でな。
「ホント?」
「本当だ。鴨のレバーだの牛のミンチのヤツはともかく、ケーキ勝負ならお前の勝ちだ」
「良かった…!」
 前のぼくは猫に負けても仕方ないけど、今のぼくも負けたと思っちゃってた。
 ママのケーキは美味しいけれども、最高級品を毎日食べてる猫にはとっても敵わないよ、って。



「ふうむ…。おやつで猫に負けたと思って悲しかった、と」
 そんなに猫用ケーキが羨ましかったと言うんだったら。
 負けたと思って見ていたんなら、誕生日に、御褒美に、おやつに、ってヤツ。
 俺がお前にケーキを作ってやるとするかな、うんと素材にこだわって。
「ハーレイ、ケーキを焼いてくれるの?」
 いつなの、ぼくの誕生日とか?
 それともおやつに持って来てくれるの、お土産に?
「こら、俺の手料理はお前の家には持って来られないと言ってるだろうが」
 ケーキも同じだ、料理と言えないこともないしな。
 だから、お前と結婚した後だ。ケーキを作るのはそれからだな。
「そんなに先?」
「待つだけの価値は充分あるだろ、俺の手作りケーキだぞ?」
 御褒美はともかく、おやつに幾つも。もちろん誕生日のケーキも欠かせないってな。
 その頃に俺が覚えていたなら、いろんなケーキを猫用レシピで。
「ええっ!?」
 ハーレイのケーキ、猫用だったの!?
 ぼくに作ってくれるケーキは猫用ケーキ…?
「冗談だ。お前がやたら猫用ケーキを連発するから、冗談で言ってみただけだ」
 いくら俺でもお前に猫用ケーキは作らん。ミーシャにだったら作ってやるが…。そのミーシャもとっくの昔にいなくなっちまって長いからなあ、猫用ケーキのレシピなんぞは知らないさ。
 というわけでな、俺のレシピは人間様用のケーキに限られてるってな。
 うんと美味いのを作ってやるから楽しみにしとけ。
 フレッシュクリームたっぷりのケーキも、ムースケーキも、いくらでもな。
「うんっ!」
 楽しみにしてるよ、ハーレイのケーキ。
 結婚したらおやつに食べられるんだね、ハーレイが作ってくれたのを…!



(ふふっ、いつかはハーレイのケーキ…)
 どんなケーキが得意なのかな、パウンドケーキはお母さんの味にならないらしいけど。
 ぼくのママが作るパウンドケーキがお母さんの味と同じ味だって聞いているから、ママに習ってぼくが焼こうと思ってる。ハーレイのお母さんの「おふくろの味」っていうヤツを。
 パウンドケーキはぼくの係で、他のケーキはハーレイが作る。いろんなケーキを沢山、沢山。
(ぼくのおやつをハーレイが作ってくれるんだよ)
 誕生日のケーキも、記念日のケーキも、きっとハーレイが作るんだろう。
 今から楽しみ、ハーレイのケーキ。
 「冗談だ」って言っていたけど、猫用ケーキでもかまわない。
 だって、ハーレイが作るケーキは愛情たっぷりに決まっているから。
 「ミーシャの猫用ケーキのレシピで作ってみたぞ」って出して来たって、気にしない。
 ぼくのために、ってハーレイが作ってくれたケーキだから、ぼくは美味しく食べるんだ。
 「ホントに食うのか?」って呆れられても、きっと幸せ、きっと美味しい。
 ハーレイが作ってくれたケーキは愛情たっぷり、愛がたっぷり。
 美味しいケーキに決まっているんだ、ミーシャの猫用レシピで作ったケーキでも。
 煮干しパウダーがたっぷり入ったスポンジで出来たケーキでも、きっと…。




            猫用のケーキ・了

※今の時代は、猫用のケーキもある時代。前のブルーよりも恵まれた暮らしをしている猫たち。
 「負けた」と思ったブルーですけど、ハーレイが作ってくれるのなら猫用ケーキも歓迎。
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