シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
謎の植木鉢
(植木鉢…)
こんな所に、とブルーが眺めた鉢。学校の帰りに、バス停から家まで歩く途中で。
いつもの住宅街だけれども、あちこちの庭や花壇をキョロキョロ見ながら帰るのが好き。今日もそうして歩く間に、生垣越しに覗いた庭。
植木鉢は其処に置かれていた。庭の芝生の上にチョコンと、鮮やかな色の植木鉢。
(子供の名前…)
如何にも子供が好きそうなデザインの鉢で、名前つき。可愛らしい字で書いてあるけれど、この家に子供はいたろうか?
どう見ても小さな子供の文字だし、それから鉢。
(この植木鉢…)
幼稚園とかで貰う植木鉢にそっくり。幼稚園と、下の学校に入って間も無い頃に貰った植木鉢。だから子供の物だと分かる。鉢のデザインも、書かれた名前も持ち主は子供だと教えてくれる。
(子供、いたっけ…?)
小さな子供を庭で見掛けた覚えは無い。ついでに植木鉢の方も問題。
何も植わっていない鉢には、土がたっぷり入っていた。幼稚園や学校から鉢を貰って来たなら、何か植わっている筈なのに。花の時期はもう過ぎたとしたって、その後の茎。
それも枯れたというのだったら、お役御免の植木鉢。綺麗に洗って次のシーズンまでは何処かに仕舞っておくとか、そうでないなら新しく蒔いた種のラベルをつけるとか。
植木鉢ならそうなるだろうに、どちらでもなくて、中身は土だけ。
おまけに置かれた場所は芝生で、普通だったら今が盛りの花の鉢などを飾りたい筈で…。
なんとも謎だ、と気になり始めた植木鉢。
道から良く見える場所に置くなら、土だけの鉢より何か植わった植木鉢がいいと思うのに。花が咲いたものや、葉っぱが綺麗な植物や。
小さな子供がいるのだったら、貰ったばかりの鉢を置くかもしれないけれど…。
(…それでも何か植わってるよね?)
土だけでラベルも無いだなんて、と首を傾げていた所へ、出て来た御主人。家の裏側から、庭の手入れをするために。
「こんにちは!」
ピョコンと頭を下げて挨拶、「おかえり」と返してくれた御主人。
「ブルー君、どうかしたのかい?」
庭を見てたね、と尋ねられた。庭仕事の支度をしている時から、きっと気付いていたのだろう。こちら側からは見えないけれども、御主人には見えていた姿。生垣の側に立っているのが。
「えっと、その鉢…」
植木鉢が気になっちゃって…。覗いたら、其処にあったから…。
「ああ、これだね。子供用だからねえ、そりゃ気になるだろうね」
うちに子供はいないから。…いったい何処から来たんだろう、と不思議なんだろう?
この鉢は孫がくれたんだよ、と御主人は嬉しそうな顔。
少し離れた所に住んでいるという、お孫さん。植木鉢に名前が書いてある子供。お孫さんから、鉢ごと貰ったプレゼント。「おじいちゃんと、おばあちゃんに」と。
もっとも、今は人間は誰もがミュウの時代なのだし、お年寄りではない「おじいちゃん」。今は買い物に行っているらしい「おばあちゃん」だって、名前だけのこと。
それでも、お孫さんにとっては、大好きな「おじいちゃん」と「おばあちゃん」。
だから大事な植木鉢を持って来たらしい。今日の昼間に、「プレゼント」と。
どおりで知らない筈だよね、と思った可愛い植木鉢。学校に行っている間に届いたのだし、朝は無かったわけだから。…昨日帰って来る時にも。
お孫さんから貰った鉢なら、芝生に置いておくのも分かる。土しか入っていなくても。花なんか咲いていない鉢でも、心のこもったプレゼント。
(きっと、お孫さんと一緒に…)
置く場所を選んだんだよね、と温かくなった胸。「此処に置こう」と、芝生に鉢を飾る御主人の姿が目に浮かぶよう。見栄えのする花が咲いた鉢より、お孫さんに貰った鉢が一番。
そう考えていたら、御主人が指差した植木鉢。
「この鉢だけどね…。幼稚園で花を育てていた鉢を、貰って帰って来たらしいんだよ」
プレゼント用の花とセットになっているらしくてね…。だからプレゼントに、というわけさ。
「花?」
何処に、と見詰めた植木鉢の中。土しか入っていない鉢だし、花のラベルもついてはいない。
「ちゃんと植わっているんだよ。この土の中に」
何の花かは内緒だよ、と可愛い秘密だったから…。実は私も知らなくってね。
芽を出してからのお楽しみだ、と御主人が眺めている植木鉢。土が入っているだけの鉢。
「いったい何が咲くんだろうね」と、お孫さんの顔を見ているみたいに目を細めて。
「…何の花かも分からないなんて…。育て方は?」
どうすればいいの、と丸くなった目。花の正体が謎のままでは、育て方だって分からない。
「芽を出すまでは、たまに水やり。…乾きすぎない程度にね」
まだ、それだけしか聞いていないね。ほら、この通り、土しか見えないから。
芽が出て来たなら、育て方の続きを孫が教えてくれるんだ、と御主人は笑顔。
「いつ芽が出るかも謎だけれどね」と、「早く報告してあげたいね」と。
お孫さんはきっと秘密の続きを教えられる日を、楽しみに待っている筈だから。どうやって花を咲かせればいいか、大得意で説明したいだろうから。
これはそういうプレゼントだよ、と聞かされて家に帰って来て。
ダイニングでおやつを食べる間に、また植木鉢を思い出す。芝生にチョコンと置かれた鉢。今は土しか見えない鉢でも、自慢の花が咲いている鉢を飾って披露するかのように。
(おじさん、楽しそうだったよね…)
正体不明の花が植わった植木鉢。それを教えてくれる間も、何度も植木鉢を眺めて。
植木鉢は母も幾つか持っているけれど、謎の植木鉢は一つも無い。鉢に植わった花たちの種は、母が自分で蒔くのだから。「この鉢はこれ」とラベルも添えて。
(ああいうプレゼント、素敵だよね…)
何が育つのか分からない鉢。幼稚園の先生の粋なアイデア。
ただ植木鉢を持って帰るより、ああした方がずっといい。「自分で好きな花を植えてね」と鉢を貰うのも嬉しいけれども、そのままプレゼントになる鉢の方が心が弾む。
(パパやママにあげても喜ばれるし…)
あの御主人のような、おじいちゃんたちに届けに行っても、きっと喜ばれる植木鉢。芽が出たら続きを教えて貰える、土だけに見える素敵な鉢。
(おじさんも、透視したりしないで…)
透視すれば種か球根かくらいは分かる筈なのに、調べない鉢の土の中。
お孫さんの心を覗いても答えが出て来るだろうに、それもしないで芽が出るのを待つ。いったい何の花だろうか、と土が乾いたら水やりをして。
花を育てながら謎解きも出来る、そういう楽しみ。
いつか土から芽が出て来たって、芽だけでは何か分からない花もあるから余計に面白い。詳しい人に尋ねてみるとか、色々な所で調べてみたなら、芽だけでも分かるだろうけれど…。
(おじさん、それもしないよね?)
もっと育って正体が分かる時が来るまで、お孫さんから習った通りに世話をするだけ。水やりをしたり、必要だったら肥料も与えてみたりして。
芽が出るまでは謎が一杯、芽が出てからも謎は解けないかもしれない植木鉢。芽が出て来た、と思いはしたって、正体不明の花の苗。
なんとも素敵で、ワクワクしそうなプレゼント。貰った方も、プレゼントした子供の方も。
(内緒だよ、って…)
幼稚園に通っているという、幼い子供が抱えた秘密。あの御主人のお孫さんだって、早く秘密を教えてみたいし、芽が出る日を楽しみに待つのだろう。芽だけでは謎の植物だったら、もっと長く秘密を抱えておける。
(ホントはこの花、っていう答え…)
教えたいけれど、教えない。おじいちゃんたちも、たまに訊くのだろう。「何の花だい?」と。それでも「内緒」と答えるだろう幼い子供。「花が咲くまで秘密だよ」だとか。
(ぼくもあげれば良かったかも…)
貰った相手も、自分も楽しいプレゼント。謎が詰まった植木鉢。
ぼくだって、おじいちゃんとかに…、と思ったけれど。幼稚園で貰った植木鉢なら、確かに家にあったのだけれど。
(植木鉢、届けに行くには遠すぎ…)
祖父や祖母が住んでいる家は。父方も、それに母方だって、日帰りするには遠すぎる場所。
そのせいで思い付きさえしなかったろうか、植木鉢をプレゼントするということ。
(秘密の花は植えてなくても…)
春になったら花が咲くよ、と届けたら喜んで貰えたろうに。咲く花のラベルがついていたって、秘密の鉢ではない鉢だって。孫から貰った植木鉢だし、きっと大切に世話をしてくれた筈。
けれど自分はそうしなかったから、貰って帰った植木鉢は…。
(ママが花を植えて…)
せっせと世話して育てていた。「せっかく貰ったんだから」と、幼い自分が「ブルー」と名前を書いた植木鉢で。子供が好きそうなデザインの鉢で、名前も書かれている鉢で。
(あの植木鉢…)
流石に今は、もう庭に無い。「子供っぽい鉢はもうおしまい」と。
母のことだから、大切に何処かに仕舞っているかもしれないけれど。一人息子の名前が書かれた植木鉢だし、捨てたりしないで、ちゃんと包んで。
ママなら仕舞っておきそうだよね、と考えながら戻った二階の自分の部屋。
「ブルー」と名前を書いた植木鉢は、今でも家にありそうな感じ。貰った自分が大きくなって、鉢の出番が無くなっても。…母が何かを植えなくなっても。
(植木鉢…)
今の自分は貰ったけれど、前の自分は植木鉢など持っていなかった。成人検査を受ける前なら、貰ったのかもしれないけれど。本物の家族はいない時代でも、子供時代はあったから。
(ぼくが忘れてしまっただけで…)
前の自分も、幼かった頃は植木鉢を持っていたかもしれない。今とは時代が違うのだから、謎の植木鉢は無理だけれども。…プレゼントしようにも、祖父母は何処にもいなかったから。
(子供たちはヒルマンに貰ってたっけ…)
白いシャングリラにいたミュウの子供たち。幼い子たちは、今の自分が貰ったように可愛い植木鉢を貰った。鉢に自分の名前を書いて、花の命を育てていた。ヒルマンの教育方針で。
子供でなくても、部屋に植木鉢を置く仲間たちの数は少なくなかった。自分の部屋にも花や緑が欲しい仲間は、植木鉢。沢山の花を育てたいなら、プランターだって。
白いシャングリラにも植木鉢はあって、子供たちや大人が花を育てていたけれど…。
(ぼくが育てたかった花は、スズラン…)
ハーレイに贈るためのスズラン。
五月一日には恋人同士が贈り合っていた、スズランを束ねた小さな花束。そのスズランを摘みに行きたくても、ソルジャーの身ではどうにもならない。
(でも、青の間でスズランの花を育てても…)
五月一日にスズランの花が消えてしまったら、誰かに贈ったと知られてしまう。部屋付きの係は鉢を見るだろうし、「花が無くなった」と直ぐに気付くから。
ソルジャーが恋をしていることがバレるスズラン、それを育てるのは無謀なこと。恋の相手も、きっと詮索されるから。そうなったならば、ハーレイとの恋が知れそうだから。
此処では無理だ、と諦めたスズランの花を育てること。
植木鉢さえ置いておけたら、スズランを咲かせられるのに。…ソルジャーでなければ、咲かせた花を愛おしい人に贈れるのに。
(だから、花なんて…)
育てたことさえ無かったっけ、と思った青の間。前の自分が暮らしていた部屋。やたらと大きな部屋だったけれど、あそこに植木鉢は無かった。
その気になったら、置けるスペースはあったのに。一つどころか、もう幾つでも。
けれど、無かった植木鉢。育てたい花は無理なのだから、と貰いに行きさえしないままで…。
(…あれ?)
あったような気がしないでもない。青の間には一つも無かった筈の植木鉢。それも普通の植木鉢とは違って、名前が書かれた植木鉢が。
(…ブルーって…?)
まさか、と手繰ってみる記憶。遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたこと。
三百年以上の歳月を生きたソルジャー・ブルー。白い鯨になった船でも長く暮らして、青の間で生きていたけれど。深い海の底を思わせる部屋に、思い出は幾つもあるのだけれど…。
植木鉢に名前を書いた覚えなどは無いし、植木鉢の記憶もハッキリしない。どういう形の植木鉢だったか、その欠片さえも浮かんで来ないから…。
(夢なのかな…?)
前の自分が生きていた頃に、青の間のベッドで見た夢だとか。
子供たちと何度も遊んでいたから、その子供たちになったつもりで。夢の中では、自分も子供の一人になっていたかもしれない。
(植木鉢に花…)
子供たちが鉢に種を蒔いたり、球根を植えたりしている所もよく見ていた。ヒルマンに植木鉢を貰った子供が、嬉しそうに名前を書く姿も。
(…子供になってる夢を見たなら…)
前の自分も、夢の中でヒルマンに貰っただろう。自分専用の植木鉢を。
きっと貰ったら大喜びで名前を書いて、土を入れたら、ワクワクしながら花の種や球根を中へ。他の子供たちと一緒にはしゃいで、「これは、ぼくの」と。
そのせいかな、と思ったけれど。名前が書かれた植木鉢は夢で、前の自分が夢の中で持っていたものなのだろう、と考えたけれど。
(でも…)
青の間にあった植木鉢。そういう思いが消えてくれない。
子供になった夢を見たなら、植木鉢が青の間にあるわけがない。子供たちと遊んだ部屋や公園、そういった場所に置かれただろう植木鉢。ソルジャーが暮らす部屋ではなくて。
(子供なんだし、青の間になんか…)
来ようとも思わないだろう。楽しい夢を見ていたのならば、なおのこと。
ソルジャーであることを忘れて、ただのブルーで子供の自分。植木鉢を貰えるような幼い子供になった夢なら、青の間はきっと出て来ない。
(…それなのに、青の間に植木鉢なんて…)
まさか本物があの部屋にあった筈もないのに、と首を捻っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、植木鉢のことを知ってる?」
「はあ?」
植木鉢って…、と怪訝そうな顔のハーレイ。「植木鉢と言っても色々あるが」と。
花が植わった植木鉢から、花を育てるための植木鉢まで、大きさも形も実に様々。どの植木鉢のことを言っているのか、と逆に訊き返されたから…。
「うんと基本の植木鉢だよ、多分、誰でも一番最初に貰いそうなヤツ」
幼稚園とかで貰って色々植えるでしょ?
自分の名前を書いて世話して、花が終わったら植木鉢を貰って持って帰るんだよ。
「ああ、あれなあ!」
確かに人生初の植木鉢だ、あれで出会うっていうのが普通だよな。
幼稚園児じゃ、いくらなんでもガーデニングの趣味なんか持っちゃいないから…。
家族に好きな人がいたって、一緒に花を植える代わりにスコップで土を掘るのが子供だ。
せっかくの花壇を踏んづけちまって、すっかり駄目にしちまうのも。
そういう子供に花の育て方を教えるんだな、と綻ぶハーレイの顔。「遊びを兼ねた教育だ」と。
「もっとも、それを教えてみたって、そうそう上手くはいかないが…」
自分が育てる花は大事にしてやっていても、家だと花壇にボールを投げ込んじまうとか。
子供ってヤツはそういうモンだし、小さい間は難しい。叱られても、分かっちゃいないから。
あの植木鉢か、お前が言うのは。…俺も朝顔とかを植えたな、幼稚園でも、学校でも。
お前は何を植えたんだ、という質問。「人生初の植木鉢の花は何だった?」と。
「えっとね、最初は多分、チューリップ…」
それに朝顔も下の学校で植えてたよ。観察日記を書いていたから。
「定番だよなあ、その辺りはな。…チューリップも朝顔も、強い花だから」
子供でも充分育てられるし、育てた甲斐がある花も咲く。如何にも花だ、という花がな。
…それで、その植木鉢がどうしたんだ?
今の学校じゃ出番が無いぞ、と教師としてのハーレイの指摘。下の学校とは違うわけだし、植木鉢に何かを植えているのは園芸部の生徒くらいだが、と。
「今じゃなくって…。前のぼくだよ、シャングリラが白い鯨になった後のこと」
シャングリラにもあったよ、植木鉢が。
小さな子たちがヒルマンに貰って、名前を書いてた植木鉢がね。
「あったな、そういう植木鉢も」
ヒルマンがきちんと世話させていたが、あの植木鉢が何か問題なのか?
前のお前の記憶のことか、と鳶色の瞳で覗き込まれた。「植木鉢で何か思い出したか?」と。
「ああいう鉢をね、前のぼくも持っていたような気がするんだけれど…」
それもね、ただの植木鉢とは違うんだよ。
子供たちが持ってた鉢と同じで、名前付きの鉢。…前のぼくの名前。
でも、気のせいかもしれないし…。
名前を書いた覚えは無いしね、植木鉢には。それに記憶も少しもハッキリして来ないから…。
前のぼくが見ていた夢だったのかな、小さな子供になったつもりで。
植木鉢、青の間にあったような気がするんだけれども、夢の記憶と混ざっちゃったとか…。
青の間に植木鉢は無かったしね、と話したら、ハーレイも頷いた。
「あるわけないよな、あそこには…。そもそも、花なんか育てちゃいないし」
おまけに、お前の名前が書いてある植木鉢なんて…。
それこそ有り得ん、「ソルジャー・ブルー」と書かれた植木鉢なんぞは。
いや、待てよ…?
植木鉢だな、と顎に手を当てたハーレイ。「俺も見たような気がして来た」と。
「見たって…。ホント?」
前のハーレイも植木鉢を見たの、青の間で…?
ぼくが夢で見たヤツじゃなくって、本当に本物の植木鉢を…?
何処にあったの、と身を乗り出した。ハーレイもそれを見たと言うなら、植木鉢は本当にあった筈。前の自分の夢とは違って、実在していた植木鉢。ならば植木鉢に書かれた名前も…。
(ぼくの名前で、ぼくが書いたわけ…?)
子供たちと一緒に鉢を貰って、花を育てていたのだろうか。「ぼくもやるよ」と我儘を言って、ヒルマンに鉢を一つ譲って貰っただとか。
「ちょっと待ってくれ、今、整理中だ。植木鉢を見たってトコまでは…」
ハッキリして来た、植木鉢は確かに青の間にあった。だが、置かれていた理由がだな…。
なんだってアレがあったんだか…。それに花を見たという覚えも無いし…。
そうだ、お前が貰ったんだ!
「えっ?」
貰ったって何なの、誰に植木鉢を貰ったわけ…?
くれそうな人がいないんだけど…、と探った記憶。前の自分は植木鉢どころか、花さえも貰っていないと思う。恋人だったハーレイからも貰わなかったし、ましてや植木鉢なんて…。
「お前に植木鉢をプレゼントしたのは、子供たちだ」
いつもソルジャーに遊んで貰って、仲良くしていたモンだから…。
御礼に植木鉢をプレゼントしたってわけだな、何が咲くかはお楽しみ、と。
「そうだっけ…!」
貰ったんだっけ、子供たちから…。
養育部門へ遊びに行ったら、「これ、ソルジャーにプレゼント」って…。
思い出した、と蘇った記憶。前の自分が子供たちからプレゼントされた植木鉢。
今日の帰り道に出会った御主人、あの御主人と全く同じに、謎のプレゼントを貰ったのだった。何かの種が植わっているらしい植木鉢。見た目にはただ、土が入っているだけの。
(ホントに、今日のと同じだったよ)
何が咲くかは秘密だから、と子供たちが煌めかせていた瞳。「ソルジャーにも内緒」と、それは嬉しそうに。時々水をやっていたなら、その内に芽が出て花が咲くから、と。
(ぼくの名前も…)
ちゃんと「ソルジャー」と書かれていた鉢。子供らしい字で、「ソルジャー」とだけ。
ソルジャーは前の自分だけしかいなかったのだし、子供たちもそう呼んでいたから。
(プレゼント、とても嬉しくて…)
子供たちが「秘密」と言ったからには、探りはすまいと自分で決めた。何が咲くのかは気になるけれども、透視することも、子供たちの心を読むこともしてはならないと。
手に入れた素敵なプレゼント。いつか何かの花を咲かせる植木鉢。
でも…。
「ハーレイ、前のぼくが貰った植木鉢…。確かに貰ったんだけど…」
貰った後はどうなっちゃったの、とても嬉しかった筈なのに…。
覚えていないよ、植木鉢があったことまで忘れていたくらいに。…どうしてかな?
何か変だよ、とハーレイに訊いた。「どうして覚えていないんだろう?」と。
「忘れちまったか? そうなるのも無理はないんだが…」
植木鉢はともかく、青の間には問題があったんだ。植木鉢と暮らしてゆくにはな。
「問題って…。なあに?」
「芽が出るまでは良かったんだが…。土の中ってトコは真っ暗だしな」
ところが、土から出て来た後。芽がヒョッコリと顔を出した後が駄目だった。
あそこ、灯りが暗かったろうが。
部屋全体が見渡せないよう、照明を暗く設定していた。あの部屋を広く見せるために。
そのせいでだな…。
「…思い出したよ、せっかく芽を出してくれたのに…」
栄養が足りなさすぎたんだっけ…。元気にすくすく育つためには、光が栄養だったのに。
顔を出して直ぐは良かったけれども、元気が無かった弱々しい芽。伸びてゆくほどに、生命力が減ってゆくかのよう。
前の自分も、じきに気付いた。青の間の光が暗すぎるのだと。
白いシャングリラの公園や農場、植物を育てる場所は何処も明るい。太陽を模した人工の照明、それが煌々と照らし出すから。
けれど、青の間ではそうはいかない。照明は暗くしておくもの。部屋を作る時なら、工事用にと明るい照明もあったけれども…。
(取り外しちゃって、もう無くて…)
明るくしようにも、そのための設備を持っていないのが青の間だった。奥にあるキッチンやバスルームならば、もっと明るく出来るのだけれど。…他の仲間たちの部屋と同じに。
それが分かったから、前のハーレイに相談した。勤務を終えて、青の間に来てくれた時に。
「この鉢だけど…。此処だと光が足りなさすぎるよ、どんどん弱って来てしまって…」
奥のバスルームやキッチンだったら、充分に明るく出来そうだけれど…。
点けっ放しには出来ないよね、昼の間はずっとだなんて…。この植木鉢のためだけに…?
「それは問題ありませんが…。エネルギーの使用量だけから言えば」
船のエネルギーには余裕があります、部屋の一つや二つを賄えないようでは話になりません。
昼間どころか二十四時間、点けっ放しになさっていたって何の支障もございませんが…。
ただ、バスルームやキッチンで花を育てゆくというのは…。
可哀相では、というのがハーレイの意見。
花は人の目を楽しませるために咲くものなのだし、見て貰えない場所で咲かせるなど、と。
前の自分もそう思ったから、少し考えてこう言った。
「普段はキッチンの方で育てて、たまにこっちへ持って来るのはどうだろう?」
今みたいな時間に運んで来たなら、君と二人で見てやれるから…。
夜は植物も眠るらしいし、朝まで此処でも大丈夫だろう。朝食の後で返してやれば。
「そういう方法もありますね。…昼間でも、あなたが御覧になる時は此処へ持って来るとか」
少しの間くらいでしたら、暗くなっても大丈夫でしょう。
外の世界で育っていたなら、雨や曇りの日は普段よりもずっと暗いのですから。
その方法なら上手く育ちそうです、とハーレイも賛成してくれた案。
昼間はキッチンに鉢を運んで、灯りを点けっ放しにする。農場や公園ほどではなくても、充分に明るく出来るから。青の間よりは、ずっと明るいから。
「じゃあ、その方法でやってみるから、エネルギーの方はよろしく頼むよ」
この鉢だけのために、キッチンが無駄に明るくなるけれど…。
ぼくが暮らしているだけだったら、三度の食事の時くらいしか照明は必要無いのにね。
他で節約しようとしたって、この部屋はもう、これ以上は暗く出来ないし…。
「船のエネルギーなら、問題は無いと申し上げましたが?」
キッチン程度の広さでしたら、それこそ百ほど点けっ放しでも大丈夫です。それも二十四時間、夜も昼間も関係無く。…ですから、どうぞキッチンの方でお育て下さい。
明日の朝から早速に…、とキャプテンからの許可も下りたし、キッチンに移してやった鉢。何が咲くのか謎の植木鉢は、キッチンで暮らしてゆくことになった。
夜は灯りを消してやったり、青の間の方へ運び出したり、昼と夜とを作り出そうと努力した鉢。
キッチンで光を浴びられるようになった途端に、みるみる元気に育ち始めて…。
「どうやらチューリップのようですね」
蕾の方はまだですが…。この葉はチューリップの葉ですよ、きっと。
似たような葉の花があるかもしれませんが…、とハーレイが眺めた植木鉢。夜になったから、とキッチンから青の間へ運んで来ておいたのを、しげしげと。
「君もチューリップだと思うかい?」
そういう葉だよね。これだけ大きくなったんだから、間違いないと思うんだけれど…。
蕾がつくまで分からないかな、子供たちは今も答えを教えてくれないし…。
「花で分かるよ」としか言わないんだよね、本当に秘密のプレゼントらしい。
チューリップだろうと思うけれども、早く蕾がつかないかな…?
花が咲くのが楽しみだよね、と何度もハーレイと話す間に、蕾がついた。
ぐんぐん大きく育つ蕾は、もう間違いなくチューリップ。何色の花が咲くのだろう、とワクワク眺めて、色がつくのを待ち続けた。
そうしたら、うっすらと見えて来たピンク。緑色だった蕾にピンクが宿ったから…。
(女の子が選んでくれたのかな?)
ピンク色なら、女の子が選びそうな色。「この色が好き!」と、幾つもの色がある中から。
それとも誰かが「強そうだから」と選んだ球根、色のことなど考えもせずに。ヒルマンが幾つも並べた中から、「これ!」と掴んで、この植木鉢へ。
(ピンク色だしね…?)
まさかソルジャーの自分に似合う色でもあるまいし…、と膨らむ想像。わざわざ選んだピンク色なのか、偶然ピンクの花だっただけか。
ピンク色をした花に至るまでの事情は実に様々、どれが当たりか分からないから、また楽しい。それでもピンク色の花だし、「ピンクだったよ」とハーレイにも見せようとして運び出したら。
(あ…!)
キッチンから外に出したら翳ってしまったピンク。薄紫の紗を被せたように。
青の間の灯りでは、あのピンク色は綺麗に見えない。これはこれで綺麗な色だけれども、本来の素敵なピンク色。元気な子供たちの頬っぺたみたいな、あの艶やかなピンク色は…。
(此処だと、見えない…)
青い灯りに吸われてしまって、まるで夜の国で咲く花のよう。太陽の光が射さない国で。
この部屋では育てられないどころか、花の色さえ、キッチンかバスルームでしか見られない花。持って生まれた本当の色を、出すことが出来ないチューリップ。
もうすぐ開く筈なのに。…輝くようなピンク色の花が、誇らかに咲く筈なのに。
(可哀相…)
此処で咲いても、本当の姿を見て貰えないチューリップ。
キッチンでは綺麗に咲いていられても、愛でるためにと運び出されたら、たちまち失せてしまう色。美しいことに変わりはなくても、自慢の色が損なわれる花。
せっかく此処まで育ったのに。…もうすぐ花が咲きそうなのに。
そんな花はとても可哀相だ、と痛んだ心。同じ咲くなら、本当の姿を見せられる場所で咲かせてやりたい。
そう思ったから、仕事を終えたハーレイが青の間にやって来た時、植木鉢を見せた。
「ほら、ピンク色の花だったんだよ。…やっと分かった」
今日の昼間に、色を覗かせたんだけど…。じきにすっかりピンクになるよ。蕾が丸ごと。
「そうですね。あとどのくらいで咲くのでしょう?」
楽しみですね、と眺めるハーレイは気付いているのか、いないのか。…この花の色に。
「ぼくも楽しみなんだけど…。でもね、此処じゃ綺麗に見えないんだ」
ピンク色だとは分かるけれども、本当の色はこうじゃない。…キッチンで見ると分かるんだよ。
「此処は照明がこうですから…。青みを帯びてしまいますね…」
「そう。本当の色で咲かせてやるには、キッチンかバスルームでないと駄目なんだ」
だけど、そんな所で咲かせるなんて…。可哀相だよ、せっかく咲くのに。
キッチンで育てるのは可哀相だ、と此処へ運んでは、君と眺めてやったのに…。
肝心の花が駄目になるなんて、と曇らせた顔。本当に可哀相だから。
「では、この花をどうなさりたいと?」
「綺麗な姿で咲ける所へ、此処から移してやりたいよ。…明るい所へ」
公園でもいいし、農場でもいい。場所は幾らでもあるんだけれど…。
問題は、これをプレゼントしてくれた子供たち。
子供たちの心を傷つけないで移せる方法、何か無いかな…?
此処だと綺麗に咲けないんだから、とにかく花が幸せになれる所へね。
「それは…」
仰ることはよく分かるのですが…。
花が可哀相だとお思いになるのも、もっともなことだと思うのですが…。
しかし…、と考え込んでしまったハーレイ。
「この鉢を、何処かへ移すというのは…」と。元を辿れば子供たちからのプレゼント。今日まで此処で育てて来たから、大丈夫だと思い込んでいるのが子供たち。
青の間の照明では駄目だから、とキッチンで育てたことは知らない。青の間では花の色が綺麗に見えないことにも、気付きはしない。
「…今から何処かへ移すとなったら、子供たちはガッカリするでしょう」
ソルジャーのお気に召さない花だったのか、と勘違いをして。
チューリップの花がお嫌いだったと考えるのか、ピンク色の花がお嫌いだったと思うのか…。
いずれにしても、今からですと、そういう結果にしかならないかと…。
「そうだよね…。もっと早くに移していれば…」
青の間の灯りでは植物を育てられないから、と説明して他所に移せば良かった。
でも手遅れだよ、此処まで育ててしまったから。
何か無いかな、上手く引越し出来る方法…。
「あればいいのですが…。何か…」
子供たちも、あなたも、どちらも傷つかない方法。…それがあれば…。
何か見付かればいいのですが…、とハーレイは腕組みをして眉間に皺。深く考えている時の癖。
「…駄目かな、君でも思い付かないのかい?」
船の仲間たちのことも、この船のことも、君はぼくより詳しい筈で…。
ぼくは漠然と知っているだけで、君のようにデータで知っているわけじゃないからね。
「そう仰られても…。いえ、その船です…!」
こういう方法は如何でしょう?
このチューリップを、船の仲間たちに鉢ごとプレゼントなさるのは。
「プレゼント?」
「そうです。ソルジャーが此処までお育てになった、立派な花を贈るのですよ」
これからが綺麗な時だから、と船の仲間たちが眺めて楽しめるように。
食堂だったら皆が見ますよ、食事に出掛けてゆく度に。
「いいね、あそこは明るいし…。この花も綺麗に咲ける筈だよ」
子供たちから貰った花を、今度はぼくが贈るわけだね。…船のみんなに。
ありがとう、とハーレイに抱き付いて御礼のキスを贈った。
その方法なら、子供たちの心も傷付かない。プレゼントした花は立派に育って、船の仲間たちの目を楽しませるために食堂に引越しするのだから。
綺麗な花が咲くと分かったからこそ、船の仲間たちに贈るプレゼントに選ばれたのだから。
(それなら絶対、大丈夫だもんね…?)
子供たちが贈った謎の植木鉢は、大出世。ソルジャーからのプレゼントとなったら、皆の注目を浴びるもの。たとえチューリップの鉢であろうが、一輪しか咲かない花だろうが。
そう決まったから、次の日の朝、朝食の後で植木鉢を食堂まで運んで行った。
キャプテンのハーレイに恭しく持たせて、「ソルジャー」と書かれたチューリップの鉢を。
迎えに出て来た食堂の者たちに、「青の間で育てた花だから」と譲り渡した植木鉢。映える所に置いて欲しい、とソルジャーとしての笑みを浮かべて。
「あの花、人気だったよね?」
ぼくは青の間から思念で見ていたけれど…。咲く前から注目されてたよ。
「うむ。咲き終わった後にも、奪い合いでな」
ソルジャーが育てたチューリップだから、と女性たちが欲しがって大騒ぎだった。
なにしろ相手はチューリップだしな、きちんと世話すりゃ次の年だって咲くんだから。
次の年と言えば、そっちも期待されたよなあ…。
また来年もソルジャーから花のプレゼントが来るかもしれん、と。
「うん…。期待するのはかまわないけど、青の間、花には向いてないから…」
またキッチンで育てるだなんて、花が可哀相すぎるんだよ。…どんな花でも。
「お前、ヒルマンに上手く断らせたんだよなあ…。次の年の花のプレゼント」
子供たちは残念がっていたがな、「ソルジャーにプレゼントしちゃ駄目だなんて」と。
「食堂の花が人気だったの、子供たちだって知っていたしね」
でも、青の間では見られないんだもの。…どう頑張っても、せっかくの花が。
「其処なんだよなあ…。お前がせっせと世話をしたって、最後がなあ…」
船の仲間へのプレゼントなんじゃ、お前が頑張る意味が無いから。
園芸係ってわけでもないのに、育てただけで終わっちまって、花を見られずじまいじゃな。
たった一回きりだったよな、とハーレイが笑う植木鉢。
青の間にたった一度だけあった、植木鉢という花を育てる道具。
「お前、今度はどうしたい?」
俺の家なら植木鉢も置けるぞ、何処にだって。…家の中でも、庭でもな。
育てたいなら、植木鉢を置いてくれてもいいが。
「植木鉢…。今度は確かに置けるだろうけど、子供たちは、もうくれないよ?」
此処はシャングリラじゃないし…。
今日のおじさんの家みたいに、お孫さんが持っても来てくれないし…。
「ふうむ…。なら、俺がプレゼントしてやろうか?」
お前がやってみたいと言うなら、謎の植木鉢のプレゼント。
今のお前じゃ、どう頑張っても、正体が分かるわけがないからな。
俺の心を読めやしないし、植木鉢の中を透視するのも無理なんだから。
「いいかも…!」
植木鉢で何か育てるんなら、ハーレイがくれる謎の植木鉢がいいな。育て方も謎で、名前も謎。
どんな花が咲くのか、育ててみないと分からないのを育てたいよ…!
もう青の間じゃないんだけどね、と欲しくなって来たプレゼント。
何が育つかまるで分からない、ハーレイがくれる謎の植木鉢。
それを育ててみるのもいい。
芽が出ただけでも、きっと幸せ。
立派に育ってハーレイと花を眺める頃には、もっと幸せ一杯だから…。
謎の植木鉢・了
※ブルーが出会った、何が咲くか謎な植木鉢。前のブルーも、それを育てていたのです。
子供たちから貰って、青の間で育てた花ですけれど…。青の間の照明には、問題がありすぎ。
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こんな所に、とブルーが眺めた鉢。学校の帰りに、バス停から家まで歩く途中で。
いつもの住宅街だけれども、あちこちの庭や花壇をキョロキョロ見ながら帰るのが好き。今日もそうして歩く間に、生垣越しに覗いた庭。
植木鉢は其処に置かれていた。庭の芝生の上にチョコンと、鮮やかな色の植木鉢。
(子供の名前…)
如何にも子供が好きそうなデザインの鉢で、名前つき。可愛らしい字で書いてあるけれど、この家に子供はいたろうか?
どう見ても小さな子供の文字だし、それから鉢。
(この植木鉢…)
幼稚園とかで貰う植木鉢にそっくり。幼稚園と、下の学校に入って間も無い頃に貰った植木鉢。だから子供の物だと分かる。鉢のデザインも、書かれた名前も持ち主は子供だと教えてくれる。
(子供、いたっけ…?)
小さな子供を庭で見掛けた覚えは無い。ついでに植木鉢の方も問題。
何も植わっていない鉢には、土がたっぷり入っていた。幼稚園や学校から鉢を貰って来たなら、何か植わっている筈なのに。花の時期はもう過ぎたとしたって、その後の茎。
それも枯れたというのだったら、お役御免の植木鉢。綺麗に洗って次のシーズンまでは何処かに仕舞っておくとか、そうでないなら新しく蒔いた種のラベルをつけるとか。
植木鉢ならそうなるだろうに、どちらでもなくて、中身は土だけ。
おまけに置かれた場所は芝生で、普通だったら今が盛りの花の鉢などを飾りたい筈で…。
なんとも謎だ、と気になり始めた植木鉢。
道から良く見える場所に置くなら、土だけの鉢より何か植わった植木鉢がいいと思うのに。花が咲いたものや、葉っぱが綺麗な植物や。
小さな子供がいるのだったら、貰ったばかりの鉢を置くかもしれないけれど…。
(…それでも何か植わってるよね?)
土だけでラベルも無いだなんて、と首を傾げていた所へ、出て来た御主人。家の裏側から、庭の手入れをするために。
「こんにちは!」
ピョコンと頭を下げて挨拶、「おかえり」と返してくれた御主人。
「ブルー君、どうかしたのかい?」
庭を見てたね、と尋ねられた。庭仕事の支度をしている時から、きっと気付いていたのだろう。こちら側からは見えないけれども、御主人には見えていた姿。生垣の側に立っているのが。
「えっと、その鉢…」
植木鉢が気になっちゃって…。覗いたら、其処にあったから…。
「ああ、これだね。子供用だからねえ、そりゃ気になるだろうね」
うちに子供はいないから。…いったい何処から来たんだろう、と不思議なんだろう?
この鉢は孫がくれたんだよ、と御主人は嬉しそうな顔。
少し離れた所に住んでいるという、お孫さん。植木鉢に名前が書いてある子供。お孫さんから、鉢ごと貰ったプレゼント。「おじいちゃんと、おばあちゃんに」と。
もっとも、今は人間は誰もがミュウの時代なのだし、お年寄りではない「おじいちゃん」。今は買い物に行っているらしい「おばあちゃん」だって、名前だけのこと。
それでも、お孫さんにとっては、大好きな「おじいちゃん」と「おばあちゃん」。
だから大事な植木鉢を持って来たらしい。今日の昼間に、「プレゼント」と。
どおりで知らない筈だよね、と思った可愛い植木鉢。学校に行っている間に届いたのだし、朝は無かったわけだから。…昨日帰って来る時にも。
お孫さんから貰った鉢なら、芝生に置いておくのも分かる。土しか入っていなくても。花なんか咲いていない鉢でも、心のこもったプレゼント。
(きっと、お孫さんと一緒に…)
置く場所を選んだんだよね、と温かくなった胸。「此処に置こう」と、芝生に鉢を飾る御主人の姿が目に浮かぶよう。見栄えのする花が咲いた鉢より、お孫さんに貰った鉢が一番。
そう考えていたら、御主人が指差した植木鉢。
「この鉢だけどね…。幼稚園で花を育てていた鉢を、貰って帰って来たらしいんだよ」
プレゼント用の花とセットになっているらしくてね…。だからプレゼントに、というわけさ。
「花?」
何処に、と見詰めた植木鉢の中。土しか入っていない鉢だし、花のラベルもついてはいない。
「ちゃんと植わっているんだよ。この土の中に」
何の花かは内緒だよ、と可愛い秘密だったから…。実は私も知らなくってね。
芽を出してからのお楽しみだ、と御主人が眺めている植木鉢。土が入っているだけの鉢。
「いったい何が咲くんだろうね」と、お孫さんの顔を見ているみたいに目を細めて。
「…何の花かも分からないなんて…。育て方は?」
どうすればいいの、と丸くなった目。花の正体が謎のままでは、育て方だって分からない。
「芽を出すまでは、たまに水やり。…乾きすぎない程度にね」
まだ、それだけしか聞いていないね。ほら、この通り、土しか見えないから。
芽が出て来たなら、育て方の続きを孫が教えてくれるんだ、と御主人は笑顔。
「いつ芽が出るかも謎だけれどね」と、「早く報告してあげたいね」と。
お孫さんはきっと秘密の続きを教えられる日を、楽しみに待っている筈だから。どうやって花を咲かせればいいか、大得意で説明したいだろうから。
これはそういうプレゼントだよ、と聞かされて家に帰って来て。
ダイニングでおやつを食べる間に、また植木鉢を思い出す。芝生にチョコンと置かれた鉢。今は土しか見えない鉢でも、自慢の花が咲いている鉢を飾って披露するかのように。
(おじさん、楽しそうだったよね…)
正体不明の花が植わった植木鉢。それを教えてくれる間も、何度も植木鉢を眺めて。
植木鉢は母も幾つか持っているけれど、謎の植木鉢は一つも無い。鉢に植わった花たちの種は、母が自分で蒔くのだから。「この鉢はこれ」とラベルも添えて。
(ああいうプレゼント、素敵だよね…)
何が育つのか分からない鉢。幼稚園の先生の粋なアイデア。
ただ植木鉢を持って帰るより、ああした方がずっといい。「自分で好きな花を植えてね」と鉢を貰うのも嬉しいけれども、そのままプレゼントになる鉢の方が心が弾む。
(パパやママにあげても喜ばれるし…)
あの御主人のような、おじいちゃんたちに届けに行っても、きっと喜ばれる植木鉢。芽が出たら続きを教えて貰える、土だけに見える素敵な鉢。
(おじさんも、透視したりしないで…)
透視すれば種か球根かくらいは分かる筈なのに、調べない鉢の土の中。
お孫さんの心を覗いても答えが出て来るだろうに、それもしないで芽が出るのを待つ。いったい何の花だろうか、と土が乾いたら水やりをして。
花を育てながら謎解きも出来る、そういう楽しみ。
いつか土から芽が出て来たって、芽だけでは何か分からない花もあるから余計に面白い。詳しい人に尋ねてみるとか、色々な所で調べてみたなら、芽だけでも分かるだろうけれど…。
(おじさん、それもしないよね?)
もっと育って正体が分かる時が来るまで、お孫さんから習った通りに世話をするだけ。水やりをしたり、必要だったら肥料も与えてみたりして。
芽が出るまでは謎が一杯、芽が出てからも謎は解けないかもしれない植木鉢。芽が出て来た、と思いはしたって、正体不明の花の苗。
なんとも素敵で、ワクワクしそうなプレゼント。貰った方も、プレゼントした子供の方も。
(内緒だよ、って…)
幼稚園に通っているという、幼い子供が抱えた秘密。あの御主人のお孫さんだって、早く秘密を教えてみたいし、芽が出る日を楽しみに待つのだろう。芽だけでは謎の植物だったら、もっと長く秘密を抱えておける。
(ホントはこの花、っていう答え…)
教えたいけれど、教えない。おじいちゃんたちも、たまに訊くのだろう。「何の花だい?」と。それでも「内緒」と答えるだろう幼い子供。「花が咲くまで秘密だよ」だとか。
(ぼくもあげれば良かったかも…)
貰った相手も、自分も楽しいプレゼント。謎が詰まった植木鉢。
ぼくだって、おじいちゃんとかに…、と思ったけれど。幼稚園で貰った植木鉢なら、確かに家にあったのだけれど。
(植木鉢、届けに行くには遠すぎ…)
祖父や祖母が住んでいる家は。父方も、それに母方だって、日帰りするには遠すぎる場所。
そのせいで思い付きさえしなかったろうか、植木鉢をプレゼントするということ。
(秘密の花は植えてなくても…)
春になったら花が咲くよ、と届けたら喜んで貰えたろうに。咲く花のラベルがついていたって、秘密の鉢ではない鉢だって。孫から貰った植木鉢だし、きっと大切に世話をしてくれた筈。
けれど自分はそうしなかったから、貰って帰った植木鉢は…。
(ママが花を植えて…)
せっせと世話して育てていた。「せっかく貰ったんだから」と、幼い自分が「ブルー」と名前を書いた植木鉢で。子供が好きそうなデザインの鉢で、名前も書かれている鉢で。
(あの植木鉢…)
流石に今は、もう庭に無い。「子供っぽい鉢はもうおしまい」と。
母のことだから、大切に何処かに仕舞っているかもしれないけれど。一人息子の名前が書かれた植木鉢だし、捨てたりしないで、ちゃんと包んで。
ママなら仕舞っておきそうだよね、と考えながら戻った二階の自分の部屋。
「ブルー」と名前を書いた植木鉢は、今でも家にありそうな感じ。貰った自分が大きくなって、鉢の出番が無くなっても。…母が何かを植えなくなっても。
(植木鉢…)
今の自分は貰ったけれど、前の自分は植木鉢など持っていなかった。成人検査を受ける前なら、貰ったのかもしれないけれど。本物の家族はいない時代でも、子供時代はあったから。
(ぼくが忘れてしまっただけで…)
前の自分も、幼かった頃は植木鉢を持っていたかもしれない。今とは時代が違うのだから、謎の植木鉢は無理だけれども。…プレゼントしようにも、祖父母は何処にもいなかったから。
(子供たちはヒルマンに貰ってたっけ…)
白いシャングリラにいたミュウの子供たち。幼い子たちは、今の自分が貰ったように可愛い植木鉢を貰った。鉢に自分の名前を書いて、花の命を育てていた。ヒルマンの教育方針で。
子供でなくても、部屋に植木鉢を置く仲間たちの数は少なくなかった。自分の部屋にも花や緑が欲しい仲間は、植木鉢。沢山の花を育てたいなら、プランターだって。
白いシャングリラにも植木鉢はあって、子供たちや大人が花を育てていたけれど…。
(ぼくが育てたかった花は、スズラン…)
ハーレイに贈るためのスズラン。
五月一日には恋人同士が贈り合っていた、スズランを束ねた小さな花束。そのスズランを摘みに行きたくても、ソルジャーの身ではどうにもならない。
(でも、青の間でスズランの花を育てても…)
五月一日にスズランの花が消えてしまったら、誰かに贈ったと知られてしまう。部屋付きの係は鉢を見るだろうし、「花が無くなった」と直ぐに気付くから。
ソルジャーが恋をしていることがバレるスズラン、それを育てるのは無謀なこと。恋の相手も、きっと詮索されるから。そうなったならば、ハーレイとの恋が知れそうだから。
此処では無理だ、と諦めたスズランの花を育てること。
植木鉢さえ置いておけたら、スズランを咲かせられるのに。…ソルジャーでなければ、咲かせた花を愛おしい人に贈れるのに。
(だから、花なんて…)
育てたことさえ無かったっけ、と思った青の間。前の自分が暮らしていた部屋。やたらと大きな部屋だったけれど、あそこに植木鉢は無かった。
その気になったら、置けるスペースはあったのに。一つどころか、もう幾つでも。
けれど、無かった植木鉢。育てたい花は無理なのだから、と貰いに行きさえしないままで…。
(…あれ?)
あったような気がしないでもない。青の間には一つも無かった筈の植木鉢。それも普通の植木鉢とは違って、名前が書かれた植木鉢が。
(…ブルーって…?)
まさか、と手繰ってみる記憶。遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたこと。
三百年以上の歳月を生きたソルジャー・ブルー。白い鯨になった船でも長く暮らして、青の間で生きていたけれど。深い海の底を思わせる部屋に、思い出は幾つもあるのだけれど…。
植木鉢に名前を書いた覚えなどは無いし、植木鉢の記憶もハッキリしない。どういう形の植木鉢だったか、その欠片さえも浮かんで来ないから…。
(夢なのかな…?)
前の自分が生きていた頃に、青の間のベッドで見た夢だとか。
子供たちと何度も遊んでいたから、その子供たちになったつもりで。夢の中では、自分も子供の一人になっていたかもしれない。
(植木鉢に花…)
子供たちが鉢に種を蒔いたり、球根を植えたりしている所もよく見ていた。ヒルマンに植木鉢を貰った子供が、嬉しそうに名前を書く姿も。
(…子供になってる夢を見たなら…)
前の自分も、夢の中でヒルマンに貰っただろう。自分専用の植木鉢を。
きっと貰ったら大喜びで名前を書いて、土を入れたら、ワクワクしながら花の種や球根を中へ。他の子供たちと一緒にはしゃいで、「これは、ぼくの」と。
そのせいかな、と思ったけれど。名前が書かれた植木鉢は夢で、前の自分が夢の中で持っていたものなのだろう、と考えたけれど。
(でも…)
青の間にあった植木鉢。そういう思いが消えてくれない。
子供になった夢を見たなら、植木鉢が青の間にあるわけがない。子供たちと遊んだ部屋や公園、そういった場所に置かれただろう植木鉢。ソルジャーが暮らす部屋ではなくて。
(子供なんだし、青の間になんか…)
来ようとも思わないだろう。楽しい夢を見ていたのならば、なおのこと。
ソルジャーであることを忘れて、ただのブルーで子供の自分。植木鉢を貰えるような幼い子供になった夢なら、青の間はきっと出て来ない。
(…それなのに、青の間に植木鉢なんて…)
まさか本物があの部屋にあった筈もないのに、と首を捻っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、植木鉢のことを知ってる?」
「はあ?」
植木鉢って…、と怪訝そうな顔のハーレイ。「植木鉢と言っても色々あるが」と。
花が植わった植木鉢から、花を育てるための植木鉢まで、大きさも形も実に様々。どの植木鉢のことを言っているのか、と逆に訊き返されたから…。
「うんと基本の植木鉢だよ、多分、誰でも一番最初に貰いそうなヤツ」
幼稚園とかで貰って色々植えるでしょ?
自分の名前を書いて世話して、花が終わったら植木鉢を貰って持って帰るんだよ。
「ああ、あれなあ!」
確かに人生初の植木鉢だ、あれで出会うっていうのが普通だよな。
幼稚園児じゃ、いくらなんでもガーデニングの趣味なんか持っちゃいないから…。
家族に好きな人がいたって、一緒に花を植える代わりにスコップで土を掘るのが子供だ。
せっかくの花壇を踏んづけちまって、すっかり駄目にしちまうのも。
そういう子供に花の育て方を教えるんだな、と綻ぶハーレイの顔。「遊びを兼ねた教育だ」と。
「もっとも、それを教えてみたって、そうそう上手くはいかないが…」
自分が育てる花は大事にしてやっていても、家だと花壇にボールを投げ込んじまうとか。
子供ってヤツはそういうモンだし、小さい間は難しい。叱られても、分かっちゃいないから。
あの植木鉢か、お前が言うのは。…俺も朝顔とかを植えたな、幼稚園でも、学校でも。
お前は何を植えたんだ、という質問。「人生初の植木鉢の花は何だった?」と。
「えっとね、最初は多分、チューリップ…」
それに朝顔も下の学校で植えてたよ。観察日記を書いていたから。
「定番だよなあ、その辺りはな。…チューリップも朝顔も、強い花だから」
子供でも充分育てられるし、育てた甲斐がある花も咲く。如何にも花だ、という花がな。
…それで、その植木鉢がどうしたんだ?
今の学校じゃ出番が無いぞ、と教師としてのハーレイの指摘。下の学校とは違うわけだし、植木鉢に何かを植えているのは園芸部の生徒くらいだが、と。
「今じゃなくって…。前のぼくだよ、シャングリラが白い鯨になった後のこと」
シャングリラにもあったよ、植木鉢が。
小さな子たちがヒルマンに貰って、名前を書いてた植木鉢がね。
「あったな、そういう植木鉢も」
ヒルマンがきちんと世話させていたが、あの植木鉢が何か問題なのか?
前のお前の記憶のことか、と鳶色の瞳で覗き込まれた。「植木鉢で何か思い出したか?」と。
「ああいう鉢をね、前のぼくも持っていたような気がするんだけれど…」
それもね、ただの植木鉢とは違うんだよ。
子供たちが持ってた鉢と同じで、名前付きの鉢。…前のぼくの名前。
でも、気のせいかもしれないし…。
名前を書いた覚えは無いしね、植木鉢には。それに記憶も少しもハッキリして来ないから…。
前のぼくが見ていた夢だったのかな、小さな子供になったつもりで。
植木鉢、青の間にあったような気がするんだけれども、夢の記憶と混ざっちゃったとか…。
青の間に植木鉢は無かったしね、と話したら、ハーレイも頷いた。
「あるわけないよな、あそこには…。そもそも、花なんか育てちゃいないし」
おまけに、お前の名前が書いてある植木鉢なんて…。
それこそ有り得ん、「ソルジャー・ブルー」と書かれた植木鉢なんぞは。
いや、待てよ…?
植木鉢だな、と顎に手を当てたハーレイ。「俺も見たような気がして来た」と。
「見たって…。ホント?」
前のハーレイも植木鉢を見たの、青の間で…?
ぼくが夢で見たヤツじゃなくって、本当に本物の植木鉢を…?
何処にあったの、と身を乗り出した。ハーレイもそれを見たと言うなら、植木鉢は本当にあった筈。前の自分の夢とは違って、実在していた植木鉢。ならば植木鉢に書かれた名前も…。
(ぼくの名前で、ぼくが書いたわけ…?)
子供たちと一緒に鉢を貰って、花を育てていたのだろうか。「ぼくもやるよ」と我儘を言って、ヒルマンに鉢を一つ譲って貰っただとか。
「ちょっと待ってくれ、今、整理中だ。植木鉢を見たってトコまでは…」
ハッキリして来た、植木鉢は確かに青の間にあった。だが、置かれていた理由がだな…。
なんだってアレがあったんだか…。それに花を見たという覚えも無いし…。
そうだ、お前が貰ったんだ!
「えっ?」
貰ったって何なの、誰に植木鉢を貰ったわけ…?
くれそうな人がいないんだけど…、と探った記憶。前の自分は植木鉢どころか、花さえも貰っていないと思う。恋人だったハーレイからも貰わなかったし、ましてや植木鉢なんて…。
「お前に植木鉢をプレゼントしたのは、子供たちだ」
いつもソルジャーに遊んで貰って、仲良くしていたモンだから…。
御礼に植木鉢をプレゼントしたってわけだな、何が咲くかはお楽しみ、と。
「そうだっけ…!」
貰ったんだっけ、子供たちから…。
養育部門へ遊びに行ったら、「これ、ソルジャーにプレゼント」って…。
思い出した、と蘇った記憶。前の自分が子供たちからプレゼントされた植木鉢。
今日の帰り道に出会った御主人、あの御主人と全く同じに、謎のプレゼントを貰ったのだった。何かの種が植わっているらしい植木鉢。見た目にはただ、土が入っているだけの。
(ホントに、今日のと同じだったよ)
何が咲くかは秘密だから、と子供たちが煌めかせていた瞳。「ソルジャーにも内緒」と、それは嬉しそうに。時々水をやっていたなら、その内に芽が出て花が咲くから、と。
(ぼくの名前も…)
ちゃんと「ソルジャー」と書かれていた鉢。子供らしい字で、「ソルジャー」とだけ。
ソルジャーは前の自分だけしかいなかったのだし、子供たちもそう呼んでいたから。
(プレゼント、とても嬉しくて…)
子供たちが「秘密」と言ったからには、探りはすまいと自分で決めた。何が咲くのかは気になるけれども、透視することも、子供たちの心を読むこともしてはならないと。
手に入れた素敵なプレゼント。いつか何かの花を咲かせる植木鉢。
でも…。
「ハーレイ、前のぼくが貰った植木鉢…。確かに貰ったんだけど…」
貰った後はどうなっちゃったの、とても嬉しかった筈なのに…。
覚えていないよ、植木鉢があったことまで忘れていたくらいに。…どうしてかな?
何か変だよ、とハーレイに訊いた。「どうして覚えていないんだろう?」と。
「忘れちまったか? そうなるのも無理はないんだが…」
植木鉢はともかく、青の間には問題があったんだ。植木鉢と暮らしてゆくにはな。
「問題って…。なあに?」
「芽が出るまでは良かったんだが…。土の中ってトコは真っ暗だしな」
ところが、土から出て来た後。芽がヒョッコリと顔を出した後が駄目だった。
あそこ、灯りが暗かったろうが。
部屋全体が見渡せないよう、照明を暗く設定していた。あの部屋を広く見せるために。
そのせいでだな…。
「…思い出したよ、せっかく芽を出してくれたのに…」
栄養が足りなさすぎたんだっけ…。元気にすくすく育つためには、光が栄養だったのに。
顔を出して直ぐは良かったけれども、元気が無かった弱々しい芽。伸びてゆくほどに、生命力が減ってゆくかのよう。
前の自分も、じきに気付いた。青の間の光が暗すぎるのだと。
白いシャングリラの公園や農場、植物を育てる場所は何処も明るい。太陽を模した人工の照明、それが煌々と照らし出すから。
けれど、青の間ではそうはいかない。照明は暗くしておくもの。部屋を作る時なら、工事用にと明るい照明もあったけれども…。
(取り外しちゃって、もう無くて…)
明るくしようにも、そのための設備を持っていないのが青の間だった。奥にあるキッチンやバスルームならば、もっと明るく出来るのだけれど。…他の仲間たちの部屋と同じに。
それが分かったから、前のハーレイに相談した。勤務を終えて、青の間に来てくれた時に。
「この鉢だけど…。此処だと光が足りなさすぎるよ、どんどん弱って来てしまって…」
奥のバスルームやキッチンだったら、充分に明るく出来そうだけれど…。
点けっ放しには出来ないよね、昼の間はずっとだなんて…。この植木鉢のためだけに…?
「それは問題ありませんが…。エネルギーの使用量だけから言えば」
船のエネルギーには余裕があります、部屋の一つや二つを賄えないようでは話になりません。
昼間どころか二十四時間、点けっ放しになさっていたって何の支障もございませんが…。
ただ、バスルームやキッチンで花を育てゆくというのは…。
可哀相では、というのがハーレイの意見。
花は人の目を楽しませるために咲くものなのだし、見て貰えない場所で咲かせるなど、と。
前の自分もそう思ったから、少し考えてこう言った。
「普段はキッチンの方で育てて、たまにこっちへ持って来るのはどうだろう?」
今みたいな時間に運んで来たなら、君と二人で見てやれるから…。
夜は植物も眠るらしいし、朝まで此処でも大丈夫だろう。朝食の後で返してやれば。
「そういう方法もありますね。…昼間でも、あなたが御覧になる時は此処へ持って来るとか」
少しの間くらいでしたら、暗くなっても大丈夫でしょう。
外の世界で育っていたなら、雨や曇りの日は普段よりもずっと暗いのですから。
その方法なら上手く育ちそうです、とハーレイも賛成してくれた案。
昼間はキッチンに鉢を運んで、灯りを点けっ放しにする。農場や公園ほどではなくても、充分に明るく出来るから。青の間よりは、ずっと明るいから。
「じゃあ、その方法でやってみるから、エネルギーの方はよろしく頼むよ」
この鉢だけのために、キッチンが無駄に明るくなるけれど…。
ぼくが暮らしているだけだったら、三度の食事の時くらいしか照明は必要無いのにね。
他で節約しようとしたって、この部屋はもう、これ以上は暗く出来ないし…。
「船のエネルギーなら、問題は無いと申し上げましたが?」
キッチン程度の広さでしたら、それこそ百ほど点けっ放しでも大丈夫です。それも二十四時間、夜も昼間も関係無く。…ですから、どうぞキッチンの方でお育て下さい。
明日の朝から早速に…、とキャプテンからの許可も下りたし、キッチンに移してやった鉢。何が咲くのか謎の植木鉢は、キッチンで暮らしてゆくことになった。
夜は灯りを消してやったり、青の間の方へ運び出したり、昼と夜とを作り出そうと努力した鉢。
キッチンで光を浴びられるようになった途端に、みるみる元気に育ち始めて…。
「どうやらチューリップのようですね」
蕾の方はまだですが…。この葉はチューリップの葉ですよ、きっと。
似たような葉の花があるかもしれませんが…、とハーレイが眺めた植木鉢。夜になったから、とキッチンから青の間へ運んで来ておいたのを、しげしげと。
「君もチューリップだと思うかい?」
そういう葉だよね。これだけ大きくなったんだから、間違いないと思うんだけれど…。
蕾がつくまで分からないかな、子供たちは今も答えを教えてくれないし…。
「花で分かるよ」としか言わないんだよね、本当に秘密のプレゼントらしい。
チューリップだろうと思うけれども、早く蕾がつかないかな…?
花が咲くのが楽しみだよね、と何度もハーレイと話す間に、蕾がついた。
ぐんぐん大きく育つ蕾は、もう間違いなくチューリップ。何色の花が咲くのだろう、とワクワク眺めて、色がつくのを待ち続けた。
そうしたら、うっすらと見えて来たピンク。緑色だった蕾にピンクが宿ったから…。
(女の子が選んでくれたのかな?)
ピンク色なら、女の子が選びそうな色。「この色が好き!」と、幾つもの色がある中から。
それとも誰かが「強そうだから」と選んだ球根、色のことなど考えもせずに。ヒルマンが幾つも並べた中から、「これ!」と掴んで、この植木鉢へ。
(ピンク色だしね…?)
まさかソルジャーの自分に似合う色でもあるまいし…、と膨らむ想像。わざわざ選んだピンク色なのか、偶然ピンクの花だっただけか。
ピンク色をした花に至るまでの事情は実に様々、どれが当たりか分からないから、また楽しい。それでもピンク色の花だし、「ピンクだったよ」とハーレイにも見せようとして運び出したら。
(あ…!)
キッチンから外に出したら翳ってしまったピンク。薄紫の紗を被せたように。
青の間の灯りでは、あのピンク色は綺麗に見えない。これはこれで綺麗な色だけれども、本来の素敵なピンク色。元気な子供たちの頬っぺたみたいな、あの艶やかなピンク色は…。
(此処だと、見えない…)
青い灯りに吸われてしまって、まるで夜の国で咲く花のよう。太陽の光が射さない国で。
この部屋では育てられないどころか、花の色さえ、キッチンかバスルームでしか見られない花。持って生まれた本当の色を、出すことが出来ないチューリップ。
もうすぐ開く筈なのに。…輝くようなピンク色の花が、誇らかに咲く筈なのに。
(可哀相…)
此処で咲いても、本当の姿を見て貰えないチューリップ。
キッチンでは綺麗に咲いていられても、愛でるためにと運び出されたら、たちまち失せてしまう色。美しいことに変わりはなくても、自慢の色が損なわれる花。
せっかく此処まで育ったのに。…もうすぐ花が咲きそうなのに。
そんな花はとても可哀相だ、と痛んだ心。同じ咲くなら、本当の姿を見せられる場所で咲かせてやりたい。
そう思ったから、仕事を終えたハーレイが青の間にやって来た時、植木鉢を見せた。
「ほら、ピンク色の花だったんだよ。…やっと分かった」
今日の昼間に、色を覗かせたんだけど…。じきにすっかりピンクになるよ。蕾が丸ごと。
「そうですね。あとどのくらいで咲くのでしょう?」
楽しみですね、と眺めるハーレイは気付いているのか、いないのか。…この花の色に。
「ぼくも楽しみなんだけど…。でもね、此処じゃ綺麗に見えないんだ」
ピンク色だとは分かるけれども、本当の色はこうじゃない。…キッチンで見ると分かるんだよ。
「此処は照明がこうですから…。青みを帯びてしまいますね…」
「そう。本当の色で咲かせてやるには、キッチンかバスルームでないと駄目なんだ」
だけど、そんな所で咲かせるなんて…。可哀相だよ、せっかく咲くのに。
キッチンで育てるのは可哀相だ、と此処へ運んでは、君と眺めてやったのに…。
肝心の花が駄目になるなんて、と曇らせた顔。本当に可哀相だから。
「では、この花をどうなさりたいと?」
「綺麗な姿で咲ける所へ、此処から移してやりたいよ。…明るい所へ」
公園でもいいし、農場でもいい。場所は幾らでもあるんだけれど…。
問題は、これをプレゼントしてくれた子供たち。
子供たちの心を傷つけないで移せる方法、何か無いかな…?
此処だと綺麗に咲けないんだから、とにかく花が幸せになれる所へね。
「それは…」
仰ることはよく分かるのですが…。
花が可哀相だとお思いになるのも、もっともなことだと思うのですが…。
しかし…、と考え込んでしまったハーレイ。
「この鉢を、何処かへ移すというのは…」と。元を辿れば子供たちからのプレゼント。今日まで此処で育てて来たから、大丈夫だと思い込んでいるのが子供たち。
青の間の照明では駄目だから、とキッチンで育てたことは知らない。青の間では花の色が綺麗に見えないことにも、気付きはしない。
「…今から何処かへ移すとなったら、子供たちはガッカリするでしょう」
ソルジャーのお気に召さない花だったのか、と勘違いをして。
チューリップの花がお嫌いだったと考えるのか、ピンク色の花がお嫌いだったと思うのか…。
いずれにしても、今からですと、そういう結果にしかならないかと…。
「そうだよね…。もっと早くに移していれば…」
青の間の灯りでは植物を育てられないから、と説明して他所に移せば良かった。
でも手遅れだよ、此処まで育ててしまったから。
何か無いかな、上手く引越し出来る方法…。
「あればいいのですが…。何か…」
子供たちも、あなたも、どちらも傷つかない方法。…それがあれば…。
何か見付かればいいのですが…、とハーレイは腕組みをして眉間に皺。深く考えている時の癖。
「…駄目かな、君でも思い付かないのかい?」
船の仲間たちのことも、この船のことも、君はぼくより詳しい筈で…。
ぼくは漠然と知っているだけで、君のようにデータで知っているわけじゃないからね。
「そう仰られても…。いえ、その船です…!」
こういう方法は如何でしょう?
このチューリップを、船の仲間たちに鉢ごとプレゼントなさるのは。
「プレゼント?」
「そうです。ソルジャーが此処までお育てになった、立派な花を贈るのですよ」
これからが綺麗な時だから、と船の仲間たちが眺めて楽しめるように。
食堂だったら皆が見ますよ、食事に出掛けてゆく度に。
「いいね、あそこは明るいし…。この花も綺麗に咲ける筈だよ」
子供たちから貰った花を、今度はぼくが贈るわけだね。…船のみんなに。
ありがとう、とハーレイに抱き付いて御礼のキスを贈った。
その方法なら、子供たちの心も傷付かない。プレゼントした花は立派に育って、船の仲間たちの目を楽しませるために食堂に引越しするのだから。
綺麗な花が咲くと分かったからこそ、船の仲間たちに贈るプレゼントに選ばれたのだから。
(それなら絶対、大丈夫だもんね…?)
子供たちが贈った謎の植木鉢は、大出世。ソルジャーからのプレゼントとなったら、皆の注目を浴びるもの。たとえチューリップの鉢であろうが、一輪しか咲かない花だろうが。
そう決まったから、次の日の朝、朝食の後で植木鉢を食堂まで運んで行った。
キャプテンのハーレイに恭しく持たせて、「ソルジャー」と書かれたチューリップの鉢を。
迎えに出て来た食堂の者たちに、「青の間で育てた花だから」と譲り渡した植木鉢。映える所に置いて欲しい、とソルジャーとしての笑みを浮かべて。
「あの花、人気だったよね?」
ぼくは青の間から思念で見ていたけれど…。咲く前から注目されてたよ。
「うむ。咲き終わった後にも、奪い合いでな」
ソルジャーが育てたチューリップだから、と女性たちが欲しがって大騒ぎだった。
なにしろ相手はチューリップだしな、きちんと世話すりゃ次の年だって咲くんだから。
次の年と言えば、そっちも期待されたよなあ…。
また来年もソルジャーから花のプレゼントが来るかもしれん、と。
「うん…。期待するのはかまわないけど、青の間、花には向いてないから…」
またキッチンで育てるだなんて、花が可哀相すぎるんだよ。…どんな花でも。
「お前、ヒルマンに上手く断らせたんだよなあ…。次の年の花のプレゼント」
子供たちは残念がっていたがな、「ソルジャーにプレゼントしちゃ駄目だなんて」と。
「食堂の花が人気だったの、子供たちだって知っていたしね」
でも、青の間では見られないんだもの。…どう頑張っても、せっかくの花が。
「其処なんだよなあ…。お前がせっせと世話をしたって、最後がなあ…」
船の仲間へのプレゼントなんじゃ、お前が頑張る意味が無いから。
園芸係ってわけでもないのに、育てただけで終わっちまって、花を見られずじまいじゃな。
たった一回きりだったよな、とハーレイが笑う植木鉢。
青の間にたった一度だけあった、植木鉢という花を育てる道具。
「お前、今度はどうしたい?」
俺の家なら植木鉢も置けるぞ、何処にだって。…家の中でも、庭でもな。
育てたいなら、植木鉢を置いてくれてもいいが。
「植木鉢…。今度は確かに置けるだろうけど、子供たちは、もうくれないよ?」
此処はシャングリラじゃないし…。
今日のおじさんの家みたいに、お孫さんが持っても来てくれないし…。
「ふうむ…。なら、俺がプレゼントしてやろうか?」
お前がやってみたいと言うなら、謎の植木鉢のプレゼント。
今のお前じゃ、どう頑張っても、正体が分かるわけがないからな。
俺の心を読めやしないし、植木鉢の中を透視するのも無理なんだから。
「いいかも…!」
植木鉢で何か育てるんなら、ハーレイがくれる謎の植木鉢がいいな。育て方も謎で、名前も謎。
どんな花が咲くのか、育ててみないと分からないのを育てたいよ…!
もう青の間じゃないんだけどね、と欲しくなって来たプレゼント。
何が育つかまるで分からない、ハーレイがくれる謎の植木鉢。
それを育ててみるのもいい。
芽が出ただけでも、きっと幸せ。
立派に育ってハーレイと花を眺める頃には、もっと幸せ一杯だから…。
謎の植木鉢・了
※ブルーが出会った、何が咲くか謎な植木鉢。前のブルーも、それを育てていたのです。
子供たちから貰って、青の間で育てた花ですけれど…。青の間の照明には、問題がありすぎ。
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