シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(今日は、ハーレイ…)
来てくれやしない、とチリッと痛んだ、ぼくの胸。
学校では顔を見られたけれども、仕事帰りに寄ってはくれない。ぼくと夕食を食べてくれない。ぼくの部屋でお茶を飲んではくれない。
制服を脱いで、おやつを食べて。いつもだったら部屋に戻ると少しドキドキしてるのに。今日はハーレイが来てくれるかも、と窓の方を見たりしてるのに。
それなのに今日は見下ろすだけ無駄な窓の外。鳴らないに決まっているチャイム。鳴ったって、それはハーレイじゃない。ご近所さんか、他のお客さん。門扉の脇についてるチャイム。
ぼくの胸がまたチリッと痛む。微かに、チリッと。
(なんで痛いの?)
ハーレイが来られないだけで。
来られないって分かっているだけで。
生まれつき身体の弱いぼくだけれども、胸が痛くなるような病気なんかは持っていないのに…。
お昼休みに食堂で耳に挟んだ会話。ランチ仲間と食事してたら聞こえて来た。ハーレイの名が。
反射的にそっちに視線を向けたら、体格のいい男子生徒のグループ。ハーレイが顧問をしている柔道部の部員たちだった。ハーレイの名前が出たって何も不思議じゃないんだけれど…。
予知能力は皆無のぼく。前のぼくの頃から殆ど無かった。
でも、ああいうのを「虫の知らせ」って言うんだろうか?
ついつい聞き耳を立ててしまった、柔道部員たちの会話の中身。ハーレイの名前の続きの話。
柔道部に入っている生徒の一人が風邪をこじらせて休んでいる、って。
様子を見がてら、ハーレイがお見舞いに行くんだ、って。
だから来られない、今日のハーレイ。お見舞いに出掛けてしまったから。
ぼくには誰だか見当もつかない、柔道部員の誰かの家。其処にお見舞いに行っちゃったから…。
(来られないって分かっているから辛いんだよ、きっと)
待つ楽しみが無くなったから。もしかしたら、って待つだけ無駄だと分かっているから。
ハーレイと幸せな時間を過ごせる可能性がゼロになったから。
普段だったら、何処かで期待している時間。その時間が最初から全く無いんだから。
(でも…)
そんな日だってまるで無いわけじゃない。
ハーレイが研修で出掛けちゃったり、柔道部の試合で他の学校とかへ行ってる時とか。こういう日は初めてって言うわけじゃなくて、ぼくは何度も経験してる。
チャイムが鳴らないと分かっている日。ハーレイが来ないと決まっている日。
(いつもは痛くならないのに…)
胸が痛んだことなんか無い。チリッと痛んだ覚えは無くて。
(どうして今日は胸が痛いの…?)
なんで、って考えても分からない。ぼくの胸がチリッと痛くなった理由。
ホントのホントに初めての症状、病気じゃないとは思うんだけど…。
症状って言い方は変かもしれないけれども、初めての痛み。チリッと痛くなったぼくの胸。
その原因が分からない。ハーレイがお見舞いに出掛けた先と同じで謎。
(いいな…)
何処に住んでるのか、どんな顔かも分からないけれど、ハーレイにお見舞いに来て貰える生徒。風邪をこじらせた柔道部員。病気はとっても気の毒だけれど、羨ましいと思っちゃうんだ。
だって、ハーレイにお見舞いに来て貰えるんだから。わざわざ家まで。
(…お見舞いだから、手ぶらじゃないよね…)
絶対、何かを持って行ってる。お見舞いに何か。
病気なんだし、男の子でも花束を貰ったりするんだろうか。それとも、クッキー?
柔道部員御用達だぞ、ってハーレイが言ってた近所のお店のお得な大袋。割れたり欠けたりしたクッキーの徳用袋をおやつに用意するんだって聞いているけど、其処の綺麗な詰め合わせとか。
「元気になったら食べてくれよ」って、クッキーの箱。
でなければ、「早く治せよ」って、元気が出そうな明るい色の花を纏めた花束。
特別なお菓子か、素敵な花束。お見舞いに持って出掛けてゆくなら、きっとその辺。
(ぼくは花束なんか一度も…)
ハーレイから貰ったことが無い。
青い地球の上で再会してから、何度も寝込んで学校を休んだりしてるのに。なのに花束を貰っていない。ただの一度も、ほんの小さな花束でさえも。
(…長いこと休んでいないから…?)
一週間も丸ごと休む、ってほどの病気はしていない。風邪をこじらせたりもしていないんだし、深刻な病気じゃないからだろうか?
だから花束も特別なお菓子も無くって、「大丈夫か?」って訪ねて来てくれるだけだとか…?
ぼくが大好きなスープを作りに。
何種類もの野菜を細かく刻んで基本の調味料だけでコトコト煮込んだスープを作りに。
(…野菜スープのシャングリラ風…)
食事なんかしたくない、って気分の時でもあれだけは喉を通るんだけれど。前のぼくもそうで、ハーレイが作るあのスープだけは食べられた、ってくらいだけれど…。
所詮は、スープ。
ぼくが病気で休んじゃっても、ハーレイは野菜スープを作りに来てくれるだけ。
(花束もお菓子も貰えないんだよ…)
途端にチリッと痛んだ胸。
どうせぼくなんか、って思った途端に。
(あれ…?)
不意に頭を掠めた記憶。
前にもこんな思いをした。確かにした、っていう気がする。
(いつ…?)
胸が痛いのなんか、初めてなのに。
こんな風にチリッと痛むことなんか、今までに無かったことなのに。
(前のぼく…?)
ソルジャー・ブルーだった頃のぼくが感じた痛みだろうか?
どうして、と記憶を探ろうとしたら思い出した。
アルテメシアだ、って。
前のぼくの胸がチリッと痛んだ、何度も何度も痛んでた場所は。
改造を終えて白い鯨に変身を遂げたシャングリラ。
宇宙のあちこちを旅して回って、雲海の星を見付けて、雲に隠れて。
いざとなったら人類の世界から物資の調達も出来るのだから、と定住を決めて暮らしていたら。
仲間たちの悲鳴を聞くようになった。
成人検査の途中で、あるいはもっと幼い時代にユニバーサルに見付かってしまった子供たち。
とても放っておけやしないし、とにかくぼくが飛び出して行った。
潜入班なんか無かった時代。悲鳴を聞く度、急いで出掛けて、助け出して…。
そうして白い鯨に迎えたミュウの子供たち。
人類の世界しか知らずに育った、広い地面の上で育った子供たち。
(ハーレイが世話をしていたんだよ)
養育部門も作られたけれど、船に慣らすために。地上とは全く違った世界に、育ての親も友達もいなくなってしまった世界に少しでも早く馴染めるように、と。
救出を始めて間もない頃は。
子供たちを育てることに船のみんなが慣れていなかった、初期の間は。
長い長い間、大人だけで構成されてた世界だから。
養父母と子供が大勢いるのが当たり前の場所から来た子供たちも、ぼくたちの方も、どうすればいいのか手探り状態。
そんな中でハーレイがせっせと積極的に動いていた。
キャプテンだから、っていうのもあっただろうけど、元々がとても面倒見のいい性格だから。
子供たちに慕われたキャプテン・ハーレイ。
おどおどしている子を肩車して歩いてやったり、ブリッジを見学させてやったり。
「どうだ、慣れたか?」なんて話をしながら、食堂で一緒に食事をしたり。
ぼくも子供たちと遊んでやったりしたんだけれども、ハーレイと二人で付くことは無かった。
お相手は一人いれば充分、ぼくが付いたらハーレイは仕事に戻ってゆく。
それとは逆にハーレイが来たら、ぼくの方はお役御免になった。
ソルジャーとキャプテン、シャングリラの頂点とも言える二人が子供の世話も無いだろう、と。一人ずつなら問題無くても、二人一緒だと「やり過ぎだ」ってことになる。
そうならないよう自然に交代、子供たちに付くのはどちらか片方。
白い鯨の中、ハーレイに世話をして貰える子供が羨ましかった。
肩車や、二人一緒の食事や、遊びの時間。
キャプテンに特別扱いされる子供が、親しく面倒を見て貰っている子供の姿が。
(まるで昔のぼくみたいだ…)
流石に肩車をして貰うには大きすぎたから、その経験は無かったけれど。
アルタミラから脱出した後、ハーレイの後ろにくっついてた、ぼく。
何処へ行くのもハーレイと一緒、ハーレイの大きな背中の後ろ。
大きな背中に守られてた、ぼく。
ソルジャーじゃなくてチビだった頃の、心も身体も育つ前のチビの頃のぼく。
いつだってハーレイが話し掛けてくれて、他の仲間たちと馴染めるようにと気を配ってくれて。
そう、今、子供たちにしているように。
シャングリラに迎え入れたばかりの子供たちにそうしているように。
(あそこはぼくの居場所だったのに…)
チリッと胸が痛む。ぼくの居場所に他の子がいると、別の子供が収まっていると。
だけど戻れない、ハーレイの後ろ。大きな背中に守られる後ろ。
奪えない、子供が立っている場所。シャングリラに来た子の安らぎの場所。
あそこはぼくの場所だったのに、と言った所で始まらない。ハーレイはキャプテンなんだから。ぼくがその場所に居なくなってから、ソルジャーになってから、もう随分と経つんだから。
だけど…。
(痛い…)
チリリと痛みを訴える胸。
子供に優しく笑い掛けてるハーレイを見ると。
遊んでやったり世話をしているハーレイを見ると、胸が痛くてたまらなくなる。
ぼくの居場所を失くしてしまったと、別の子供が其処に居ると。
「ソルジャー、どうしたの?」
何処か痛いの、って少し前から船に居る子供たちに訊かれて我に返ることも、しばしばで。
酷い時には当の子供に、ハーレイと二人で面倒を見ている子供に尋ねられたりもした。
どうかしたのと、何か考え事でもあるの、と。
まさか子供に言えやしないから、「なんでもないよ」と誤魔化したけれど。
胸が痛いなんて、羨ましいなんて言えやしなくて、穏やかに微笑み返しておいたけれども。
(ぼくが居た場所…)
帰れない場所。
もう二度と帰れはしない場所。
子供たちが来るまで忘れ去っていた、気にしていなかったハーレイの後ろ。
誰も其処には立たなかったから、すっかり忘れてしまっていた。懐かしい大きな背中の後ろ。
ハーレイの大きな背中に守られ、その後ろに居た頃の安心感と心地良さ。
(あそこはぼくの場所だったんだよ…)
ぼくだけの場所だと思っていた居場所。それを盗られた。盗られてしまった。
取り返したくても、取り返せない。
ソルジャーがそれをすべきではないし、そうでなくても、ぼくは子供じゃないんだから。
分かっているのに、ハーレイの後ろは船に慣れない子供のための場所だと分かっているのに…。
(…まただ…)
新しい子を船に連れて来る度、ぼくの胸が痛む。チリリと痛む。
ぼくの居場所を盗られてしまったと、ハーレイの大きな背中の後ろをまた盗られたと。
(…胸が痛いよ…)
その子がシャングリラに慣れてハーレイがお役御免になったら、痛まないけれど。
チリリと胸を刺してた痛みは綺麗に消えてしまうんだけれど。
でも、また直ぐに次の子供がやって来る。ハーレイの後ろに隠れる子供が、守られる子が。
(養育部門を早く充実させなきゃ…)
キャプテン自ら子供の面倒を見てやらなくても済むように。
これから船に迎え入れるだろう子供たちのためにも、より良い環境を整えなければ。一日も早く船に馴染めるよう、専門の養育スタッフたちを多く育てて配属せねば。
子供たちのためだとか、キャプテンの仕事を減らすためだとかは表向き。立派な理由に聞こえるけれども、ソルジャーの案らしく聞こえるけれども、それはあくまで表向きのこと。
本当はぼくが辛かったから。
ぼくの胸がチリッと痛んだから。
ハーレイの後ろに、ぼくの居た場所に別の子供が収まる度に。
辛くて、悲しくて、チリリと痛み続ける胸。それが嫌だから、養育部門のスタッフたちの選出と養成を急がせた。子供たちのためだと、キャプテンのためだと御立派な理由をしっかりと付けて。
養育部門がきちんと機能し始め、ハーレイが子供たちの世話から解放された後。
(ホッとしたけど…)
胸は痛まなくなったんだけれど。
ぼくの居場所を盗られてしまったと、チリリと胸を刺す痛みはすっかり無くなったんだけど。
今度はどうにも寂しくなって、子供たちの姿が見えなくなった場所を見詰めていた。
(…ぼくはあそこに立っていたのに…)
誰も居ないなら、子供たちがもう立たないのならば、ぼくがあそこに戻りたい。
ハーレイの後ろに戻りたい、って。
大きな背中に守られる場所に。安心して立っていられた場所に。
(もしかしたら…)
あれは嫉妬というものだったろうか?
居場所を盗られたと、ぼくの居場所に別の誰かが収まっていると。
だからチリリと痛んだ胸。嫉妬でチリリと痛んでいた胸。
そして今のぼくも。
ハーレイが他の生徒を大事にしてると、お見舞いに何かを持って行ったと、胸がチリリと。
そう、これは嫉妬。
ハーレイはぼくよりも他の誰かが大切なんだと、そうに違いないと訴える胸。
それは違うと思いたいのに、不安でチリリと痛み出す胸。
今のぼくは「違う」と、ハーレイは他の生徒よりもぼくが大事に決まってる、と知っているのに胸がチリッと痛くなるんだから、それを知らなかった前のぼくだと…。
ハーレイと恋人同士じゃなかった頃の前のぼくだと…。
(あれがハーレイへの恋の始まり…?)
まるで自覚は無かったけれども、嫉妬したなら、そういうこと。
胸がチリリと痛んでいたなら、そういうこと。
ハーレイの後ろに子供が立つ度、ぼくじゃない誰かが収まっているのを見る度、痛んでいた胸。嫉妬でチリリと痛んだ胸。
(子供に嫉妬…!)
よりにもよって子供相手に、と思うけれども、本当に痛くて辛かった胸。
それにハーレイがお役御免になっても、心にぽっかりと開いた穴は埋まってくれなかったし…。
ぼくの場所だと、ハーレイの後ろはぼくの居場所だと思い始めたら止まらなかった。
空いているなら戻りたくって、大きな背中に守られたくて。
気が付いたらハーレイに恋をしていた。
ハーレイの広い背中を目にする度に、振り返ってぼくを見てくれないかな、とドキドキしてた。前みたいに其処に居させて欲しいと、大きな背中で守って欲しいと。
チビだったぼくにしてくれたように、抱き締めて背中を撫でて欲しいと。
(子供のせいで恋しちゃったの?)
ハーレイの後ろを子供たちに奪われたせいで、前のぼくは恋をしたんだろうか?
ぼくの居場所だから返して欲しいと、その場所にぼくが収まるのだと。
まさかね、と苦笑したくなるけど、明らかに嫉妬。
胸がチリリと痛んだ嫉妬。
きっと嫉妬をするよりも前に、とっくに恋をしてたんだ。
前のぼくの居場所を作ってくれてた広い背中に、大きな背中の持ち主だったハーレイに。
ぼくが気付かなかっただけ。
恋をしてると、ハーレイが好きだと気付かずに過ごしていたというだけ。
嫉妬したせいで恋の焔に火が点いた。
まずは邪魔者を排除するべく、ぼくの居場所を奪う子供は養育部門へ。
そうやって邪魔者が居なくなったら、今度は機会を窺っていた。ハーレイの大きな背中の後ろに戻れないかと、ぼくの居場所に戻れないかと。
だけど言えなくて、言い出せなくて。
ハーレイにはとても言えやしないと黙り込んでいたら、抱え込んでいたら夢が叶った。
ぼくに恋してくれたハーレイ。
ぼくの居場所を前よりもずっと広くて暖かな場所に変えて優しく招き入れてくれたハーレイ。
後ろじゃなくって、胸の中へ。
逞しい両腕で強く抱き締めて、すっぽりと包んでくれたハーレイ…。
(うーん…)
せっかく思い出したのに。
前のハーレイとの恋の始まりを思い出したのに、今日はハーレイは来てくれない。
柔道部員の生徒の家までお見舞いに行ってしまったから。きっとクッキーか花束を持って。
そう思うと胸がチリッと痛む。嫉妬でチリリと痛みが走る。
こんな日にぼくを訪ねてくれないだなんて。
恋の始まりをぼくが思い出した日に、他の誰かの家へ出掛けて行っちゃうだなんて…。
(酷い…)
ぼくの居場所を盗られてしまった。柔道部の誰かに、顔も名前も知らない誰かに。
ハーレイの側に居る筈なのはぼくなのに、って子供たちに嫉妬していた昔のぼくみたいなことを考えていたら、チャイムの音。門扉の横にあるチャイムを誰かが鳴らしている音。
どうせご近所さんなんだ、って放っておいた。
窓から門扉の方も見ないで、勉強机に頬杖をついて仏頂面で。
そうしたら…。
「なんだ、御機嫌斜めか、今日は?」
ぼくの部屋のドアをノックしたのも、開けたのもママだと思っていたのに。
ママには違いなかったけれども、お茶とお菓子を載せたトレイを持ったママの後ろで軽く右手を上げたハーレイ。なんでハーレイ…?
ぼくはポカンと口を開けてから、目を丸くしたままでハーレイに訊いた。
「…ハーレイ、今日はお見舞いに行ったんじゃなかったの?」
「おいおい、とんだ地獄耳だな」
何処で聞いた、って笑いながらハーレイはいつもの椅子に座った。ママがテーブルに紅茶とかを並べる間に、ぼくもハーレイの向かいの椅子へと移りながら。
「お昼休みに食堂で聞いたよ、柔道部の人たちが喋っていたのを」
「ふうむ…。そいつで正解なんだがな」
確かに行っては来たんだが、って答えたハーレイは、ママが部屋から出て行った後で。
「そうそう長居が出来るか、馬鹿」
お前の家と他所様の家とをごっちゃにするな。
見舞いに行ったらお茶は出て来るが、親しい家とは違うんだからな。それに相手は病人だ。俺のせいで疲れさせてもいかんし、早めに帰るのが礼儀ってもんだ。
そういうわけでな、こっちにも回って来られたんだが、なんで機嫌が悪かったんだ…?
どうしたんだ、ってハーレイの鳶色の瞳が柔らかい笑みを浮かべているから。
何か気になるなら言えって言うから、もちろん話すことにした。
だって、元々、話したかったし…。なのにハーレイが来てくれないから膨れてたんだし。
「あのね、ハーレイ…。思い出したよ、ぼくがハーレイを好きになった切っ掛け」
「はあ?」
意表を突かれたって表情のハーレイだけど。ぼくは構わず一気に続けた。
「えーっとね…。思い出した切っ掛けはお見舞いなんだよ、ハーレイが行って来たお見舞い」
今日はハーレイ来ないんだ、って思ったら胸が痛かったんだよ、こんなの初めて。
なんでかな、って考えていたら、前のぼくもおんなじだったんだ。
それがどういう時だったのか、って思い出してみたら、シャングリラに来た子供たち。
ハーレイが世話をしていた子供たちだよ、養育部門が本格的にスタートするよりも前に。
あの子供たちに嫉妬したんだ、それが始まり。
ぼくの居場所を盗られちゃった、って、ハーレイの後ろに居るのはぼくの筈だったのに、って。
子供たちを追い払いたくて、ハーレイの後ろに戻りたくって。
気が付いたらハーレイに恋をしてたよ、もう一度あそこに戻りたい、って。
居心地の良かった所に戻りたいんだ、ってハーレイの背中を眺めてた。
ぼくに気付いて、って。
振り返ってぼくを見て欲しいよ、って…。
子供たちに嫉妬したのが恋の始まりで切っ掛けなんだ、って説明したら、ぼくが恋をした相手のハーレイの方は「なんだかなあ…」って呆れた顔になったけれども。
「お前、子供に嫉妬したのか」って笑ってるけど、悪い気はしてないようだから。
上機嫌なのがちゃんと分かるから、ぼくも尋ねてみることにした。
「ねえ、ハーレイがぼくを好きになったのは、いつ?」
「なんでそいつを話さなきゃならん」
お前が思い出話ってヤツをするのは自由だが…。俺まで付き合う義理なんかないぞ。
話さなくっちゃいけない理由は何処にも無いしな、そういった個人的なことをな。
「もしかして、思い出せないとか?」
忘れちゃったとか、ぼくが今日まで思い出しさえしなかったみたいに。
ハーレイも綺麗に忘れちゃったの、それともちゃんと覚えているのに教えるつもりは無いのか、どっち?
「さあな。何かと言えばキスだの何だのとうるさいチビに答えてもなあ…」
「ちょっとくらい…!」
いいでしょ、忘れちゃったのか、覚えてるかくらいは教えてくれても…!
「駄目だ。俺が柔道部員の見舞いに出掛けた程度で嫉妬するようなチビには教えん」
その手に乗るか、って突っぱねられた。
ぼくはただ、ハーレイがぼくを好きになってくれた切っ掛けを訊きたかっただけなのに…。
ハーレイの恋の始まりがいつか、何だったのかを知りたいと思っただけなのに…。
教えて貰えない、ハーレイのぼくへの恋の始まり。恋の切っ掛け。
ぼくの日頃の行いが悪いからだ、って鼻で笑われたけれど。
禁止されてるキスを強請って叱られてるのは本当だけど。
チビになってしまう前の、前のぼくだった頃のハーレイとの恋。本物の恋人同士だった恋。
生まれ変わっても切れずに続いた、ぼくとハーレイとの恋の絆の始まりになった大事な出来事。
ぼくの場合は子供たちへの嫉妬だった、って思い出したけど、ハーレイにだってある筈なんだ。恋の切っ掛け、恋の始まり。恋だと自覚した瞬間。
それをハーレイは覚えているのか、忘れてしまったままなのか。
どうにも気になるし、それだけでも知りたくてたまらないのに、ハーレイは教えてくれなくて。
(…忘れちゃった…?)
ぼくが思い出したのに、自分の方では思い出せないなんて言いにくいのかな、と思ったけれど。
それも思いやりっていうものの形の一つかも、って一旦、納得しかかったんだけれど。
(航宙日誌…!)
前のハーレイが残した超一級の歴史資料。キャプテン・ハーレイの航宙日誌。
ハーレイが前に話してくれた。普通の活字や文字になったものでは駄目だけれども、ハーレイの筆跡をそのまま写した日誌だったら、それを書いた時の出来事を鮮やかに思い出せると。
傍目には単なる記録に過ぎない文の向こうに、その日の自分の思いの全てが蘇るのだと。
(…ということは…)
前のハーレイの筆跡を写した出版物は研究者向けの専門書だから、とてつもない値段だと聞いたけれども。本になっていないデータベースの方にだったら誰でも無料でアクセス出来る。
現にハーレイもその方法で読んで、筆跡の魔法に気付いたんだから…。
(思い出していない筈が無いじゃない…!)
ぼくとの恋の始まりがいつか、その切っ掛けは何だったのかを。
そうした辺りの日誌を読んだと聞いた覚えも確かにあったし、ハーレイは絶対、知っている筈。なのに教えてくれないだなんて…!
「ハーレイ、ホントは覚えてるくせに…!」
思い出したよ、航宙日誌に何もかも全部書いてあるってことを!
普通の人の目には分からなくっても、ハーレイだけは色々なことを読み取れるって!
「それがどうした?」
悔しかったらお前も読めばいいだろう。データベースならタダで読めるぞ、航宙日誌。
俺の解説は付けてやらんが、頑張って読んでみるんだな。
「ハーレイのドケチ!」
恋の始まりと切っ掛けなんだよ、教えてくれてもいいじゃない!
ぼくの切っ掛けはちゃんと話したのに!
「男はそうそう喋らんものだ。そうした大事な思い出ってヤツは」
「ぼくも男だよ!」
だけど喋ったよ、ハーレイに恋をしているんだ、って気付いた時はいつだったのか!
男だけれども喋ったんだし、ハーレイだって!
「お前、男には違いないが、だ。チビだろうが」
一人前の男ってヤツはチビとは色々違うってな。
お前も大きく育った時には、菓子を食いながら恋の話なんぞはしないだろうさ。
それに相応しい時と場面があると言ってみたって、チビのお前にゃ分からんだろうなあ…。
同じ話でもうんと値打ちが変わるってもんだ、時と場面を選ぶだけでな。
「うー…」
きっとハーレイが言っていることは正解で。
お茶とお菓子をお供に語り合うより、もっと似合う時があるんだろう。それから場所も。
今のぼくには漠然としか分からないけれど。
恋人同士でそうした話を持ち出した時に値打ちが出るのは、きっと子供じゃなくなった頃…。
(今のぼくだと無理っぽいよね…)
どんなに頼んでも決して教えて貰えそうもない、ハーレイのぼくへの恋の始まり。
だけどいつかは訊き出してみせる。
ハーレイが言う「値打ちがある」って時を掴んで訊いてやるんだ。
結婚するまで無理かも、っていう気はするんだけれど…。
それでも必ず、いつかは訊く。そして答えを貰ってみせる。
ぼくのハーレイへの恋の始まりは小さな嫉妬。
ハーレイの恋の始まりは何か、ぼくへの恋の始まりは何か、いつか必ず訊かなくっちゃね…。
小さな嫉妬・了
※前のブルーが、ハーレイへの「好き」を自覚したのは、子供たちへの嫉妬から。
他にも色々あるんでしょうけど、自分の居場所を盗られたというのは大きかったかも…。
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