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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

和三盆の夢

(ほほう…)
 こいつはいいな、と覗き込んだ菓子。仕事からの帰り、ブルーの家には寄りそびれた日。
 ハーレイの目に留まった「和三盆」の文字、様々な色や形をした菓子。
 いつもの食料品店だけれど、店に入って直ぐの所に特設の売り場。特売ではなくて、特別出店。色々な店がやって来る場所で、覗いてみるだけでも充分、楽しい。
(和三盆と来たか…)
 書かれていなければ落雁なのかと思いそうな菓子、間違えそうな見た目の形。けれども和三盆と落雁は違う、見た目が似ているというだけで。
 自分たちが住んでいる地域で作られている最高級の砂糖、それが和三盆。名前の通りに遠い昔の日本風の砂糖、和風の砂糖。特設売り場に並んでいるのは、それを固めた砂糖菓子。
(これがなかなかに美味いんだ…)
 専門に扱う店が近くに無いから、こういう機会しか買えないけれど。その美味しさは知っているから、見掛けたら買って食べる主義。
 見ればパンフレットも置いてあった。出店している店が書かれたパンフレット。
(…土産に持って行ってやるかな)
 明日はブルーの家に行くから、たまにはこういう土産物もいい。どれにしようかと箱を眺めて、今の季節に似合いの形が詰め合わされたものを選んだ。栗や紅葉や、菊の花やら。
 ついでに自分用にも一箱、ブルーへの土産にと決めた箱より小さめのを。
 紙の袋に入れて貰って、パンフレットも貰って帰った。何の気なしに手に取り、袋に入れて。



 買い込んで来た食材で手際よく夕食を作り、のんびりと食べて後片付け。それが済んだら書斎でコーヒー、と淹れる用意にかかった所で思い出した。
 自分用にも買って来たのだった、和三盆の菓子。ブルーへの土産に持ってゆくからには、それを味わっておきたいから。
(コーヒーはいかんな)
 ここは緑茶にしておかないと、と小さな急須と茶葉を取り出し、薄めに淹れた。ほんのりと緑が見える程度に、ごくごく薄く。
 眠る前に緑茶を飲むと、目が冴えてしまうと耳にするから。ウッカリ飲んで酷い目に遭ったと、体験談も色々聞いているから。
 自分の場合はコーヒーを飲んでも眠れるのだから、大丈夫だという気もするけれど。コーヒーと緑茶は違うものだし、万が一ということもある。



(泰平の眠りを覚ます上喜撰ってな)
 たった四杯で夜も眠れず、と薄い緑茶を淹れた湯呑みを指先でチンと弾いた。
 上喜撰は遠い遥かな昔に有名だった緑茶の高級品。そういう名前の緑茶は今もあるけれど、味が同じかは分からない。なにしろ一度は消えた文化で、データを元にして復活させたものだから。
 それに生産地も昔とは違う、日本は無くなってしまったから。
 前の自分が辿り着いた頃には、まだあっただろう、かつて日本であった島。荒廃した死の星でも地形は変わっていなかったのだし、きっと何処かに、昔の日本のままの形で。
 けれどもSD体制の崩壊と呼応するように地球は壊れた、燃え上がった。大地は裂かれて、海も煮えたぎった地殻変動。
 汚染された大地や海を飲み込み、命ある星として蘇った地球に、元の地形は残らなかった。海も大地もすっかり姿を変えてしまって、日本も消えた。
(昔の日本はもう無いんだよな…)
 同じ場所に新しく出来た大地はまるで別のもので、上喜撰の産地だった場所も無くなった。元の産地に近い所で作られているのが今の上喜撰、高級品ではあるけれど。
(果たして、同じ味なんだかなあ…)
 飲み比べようが無いからな、と先刻の歌を心で繰り返した。「たった四杯で夜も眠れず」と。
 古典の範囲か、はたまた歴史か。
 たまに雑談で話してやる。黒船と呼ばれた蒸気船と、お茶の上喜撰とをかけた戯れ唄。遠い昔に日本を騒がせた、異国から来た船の話を。



(海を越えて来た船っていうだけで大騒ぎなんだ)
 乗ってたのは同じ人間なんだが、と可笑しくなる。外見と言葉が違っただけで、と。
 とはいえ、当時の日本人にすれば、人類の世界にミュウが侵攻して来たほどの衝撃だったのかもしれないけれど。外交なんぞはお断りだと言っているのに、力ずくでとやって来たのだから。
(黒船なあ…)
 シャングリラは白い船だったがな、と懐かしい白い鯨を思い浮かべた。
 赤いナスカが滅ぼされた後、前のブルーを喪った後。シャングリラはアルテメシアへと向かい、人類軍との本格的な戦闘が始まった。アルテメシアの住民からすれば、いわば黒船。
(いきなり攻めて来て、テラズ・ナンバーまで壊しちまったんだしな?)
 社会の仕組みが一夜で変わった、あの星では。
 支配する者が人類からミュウへと変わってしまって、上空には巨大なシャングリラ。
(…まさに黒船か…)
 白かったけれど、四隻でやって来たという黒船と違って一隻だけの船だったけれど。蒸気船でもなかったけれども、戯れ唄にはなっていたかもしれない。
 人は逞しいものだから。支配者が人類からミュウに変わっても、ちゃんと生活していたから。
 何処の星を落としてもそれは同じで、人の生活は続いていた。途切れることなく、日々の営みを絶やすことなく。
 だからこそSD体制が崩壊した後も、世界は滅びなかったのだろう。ミュウという新しい種族を受け入れ、共に暮らして、ごくごく自然にミュウの時代になったのだろう。
 人類からミュウへと皆が進化し、地球も昔の姿に戻った。地形こそ変わってしまったけれども、青い水の星に。



 そして今では自分も青い地球にいる。前とそっくり同じ姿に生まれ変わって。前の生で誰よりも愛した恋人と共に、新しい命と身体とを得て。
(…なんとも不思議な話だよな)
 前とはまるで違う人生、平和に過ぎる今の世の中。黒船などはやって来ないし、自分が乗るのが黒船でもない。遠い昔の戯れ唄などを引き合いに出して、似ていると可笑しくなる世界。蒸気船でなくても、黒くなくても、あのシャングリラは黒船だった、と。
 たった一杯の薄い緑茶から、思わぬ方へと思考が転がったけれど。
 ともあれ今は味わうことだと、緑茶と和三盆の菓子とを書斎へ運んだ。ゆっくり飲もうと、あの部屋で寛いで食べるのがいいと。



 書斎に入って腰を落ち着け、薄い緑茶と箱ごと持って来た和三盆と。
 今の時代ならではの和風のコーヒーブレイク、緑茶と和三盆とで寛ぎの時間。
(コーヒーブレイクだが、コーヒーじゃないって所がな…)
 緑茶とコーヒーとは異なる飲み物、前の自分が生きた頃には無かった緑茶。コーヒーブレイクをどう言い換えたらいいのだろうか、と考えたりもする、和風に表現するならば、と。
(それらしい言葉は幾つもあるんだが…)
 どうもしっくりこないんだよな、と苦笑した。和風の文化を復活させた地域だとはいえ、全てが和風なわけではないから。和風の文化は、こうした椅子に座るのではなく、畳に座るものだから。
 椅子ならコーヒーブレイクだろう、と和三盆の箱から一個つまんだ。口に入れれば、ふうわりと溶けてゆく砂糖菓子。
 上品な甘みが好みではある、見付けたらこうして買って来るほどに。隣町に住む両親も好きで、和三盆の味わいはあの家で覚えた。
 釣り仲間と旅に出掛けた父が「本場物だぞ」と土産に買い込んで帰って来たこともあった、この菓子作りで有名な場所で海釣りをして来たのだと。



(こいつが砂糖の塊ってのがな…)
 そうは思えない味なんだよな、と一個つまんで、しみじみ眺めて口の中へ。やはり砂糖の塊とは違う、ただの砂糖を食べるのとは違う。
 美味い、と頬を緩めてパンフレットを開いてみた。箱と一緒に持って来ていたから。
 店の商品が載っているのだろう、と思い込んでいたのだけれど。意外なことに和三盆の作り方の方がメインで、商品の紹介の方がオマケで。
 サトウキビを搾って汁を煮詰める所までは平凡、普通の砂糖と変わらない。ところが、その先。和三盆ならではの作業工程。
(研ぐってか!?)
 独特だという「研ぎ」なる作業。砂糖をひたすら手で練ってゆく。研いだら重石を載せて圧縮、それが終わればまた研ぐらしい。研いだら再び重石で圧縮。
 最高級の砂糖になるわけだ、と納得した。機械を使わない手作りの砂糖、しかも手で研ぐ。盆の上で三度研ぐから和三盆だったのが、今では五回研いだりもする。
 SD体制の時代に消されてしまった技術だけれども、今は立派に復活していた。砂糖を研ぐのは職人技の世界、熟練の職人がせっせと手で研ぐ。
 寒い季節の水がいいから作るのなら冬、それがまたいい。冬しか作っていないのがいい。
 今の時代は建物の中で人工的に冬の気候を作り出せるし、その気になったら一年中でも和三盆の製造が可能だろうに。
 それをしていないのが売りで誇りで、職人技と自然の気候が頼りの砂糖が和三盆。



(レトロの極みだ…)
 俺の好みだ、と嬉しくなった。
 熟練の職人の手作りの砂糖、それを木型で抜いて固めて作られた菓子。手作りが売りの菓子なら沢山あるのだけれども、材料までが全て手作りの菓子はそれほど多くはないだろう。
 おまけに遠い遥かな昔の地球で生まれた砂糖の製法、それを復活させて作られている和三盆。
 砂糖の塊だとはとても思えない味、口の中でほどける上品な甘さ。様々な形を作るにあたって、加えるのは着色料くらいだろう。紅葉の赤や菊の花やら、どれもほんのり淡い色合い。それらしく見えればいいというだけ、着色料はほんの少しだけ。砂糖が殆ど、砂糖だけの菓子。



(砂糖だけでここまで出来るのか…)
 立派な菓子が出来上がるとは素晴らしいな、とパンフレットの作業工程を読み直してみて、また和三盆を一個つまんだ。砂糖の塊とは思えない菓子を。
(何度も研ぐのが味の決め手か?)
 シャングリラの頃にはそんな暇は…、と考えたけれど。砂糖作りに手間暇かけられる余裕などは全く無かった、と思ったけれども、ハタと気付いた。その逆だったと。
(暇だけは充分あったんだった…)
 自給自足の船だったけれど、コーヒーが代用品だったり、酒が合成だったりした船だけれど。
 そんな船でも暇だけはあった、戦闘をしてはいなかったから。前のブルーがジョミーを見付けてユニバーサルの手から掻っ攫うまでは、シャングリラの存在は人類に知られていなかった。
 白い鯨はアルテメシアの雲海の中に浮かんでいただけ、新しい仲間をたまに救出していただけ。
 船で育てられる作物などの種類は限られていても、加工する時間は充分にあった。サトウキビを搾って作る砂糖も、好きなだけ手をかけられた。
 あの時代ならばきっと、和三盆だって作れただろう。その気になってさえいれば。



 何度も研いだり、作るのに適した季節が冬だったりと、そう簡単には作れそうもない和三盆。
 熟練の職人技も必要、そのための人員を育てる所から始めなくてはいけないけれど。
(きっとゼルあたりが凝り始めるんだ…)
 手作業の世界でも、職人技と聞いたら出て来そうなゼル。機械弄りが得意だったゼル。
 砂糖作りには興味が無かったけれども、和三盆の世界を知ったらきっと出て来た。和三盆作りに適した冬の気候を再現しようと試みたろうし、研ぐ作業だって。
(わしに任せろと、わしが一番じゃと言い出すんだぞ)
 研ぐ腕をせっせと磨いていたろう、熟練の職人になってやろうと。自分が研いだ和三盆が一番の味だと言って貰えるまで研ぎ続けそうだし、そうなった後も研ぐのだろう。
 得意満面で、後進の指導をしつつも研いで。
 それは素晴らしい味の和三盆を作っていたかもしれない、あのゼルならば。けれど…。



(シャングリラじゃ砂糖は、ただの砂糖で…)
 それ自体が菓子のレベルに達するほどには洗練されていなかった。思い付きさえしなかった。
 要は甘みを作り出すための調味料。甘みは料理に欠かせないから、砂糖は大事な調味料だった。合成品だった時代までがあった、自給自足の船を目指していた過渡期には。
 栽培を始めたサトウキビが充分に採れなくて。収穫量が予想を下回って。
 次のサトウキビが育つまでは、とやむなく投入した合成品の砂糖。サトウキビから出来た砂糖も白くはなかった、雪のような白さを持った砂糖は作れなかった。
(黒砂糖だっけな…)
 今の時代は健康志向の人に好まれる黒砂糖。白砂糖にも負けない人気を誇るのだけれど、白い鯨では事情が違った。やむを得ず作った黒砂糖。白い砂糖が無かった時代。
 貴重なサトウキビの搾り汁から糖蜜などを分離して作る白砂糖よりも、茶色い搾り汁を煮詰めて作る黒砂糖だ、と。そのままがいいと、そのまま固めてしまおうと。



(あれはあれで…)
 美味しいと言った仲間もいたから、悪くなかったと思うけれども。
 やはり砂糖は白いものだし、黒砂糖の甘さは白砂糖よりもくどかったから。独特のコクが素材の風味を損ねたりもするから、シャングリラの砂糖はすぐに白くなった。サトウキビの栽培が軌道に乗ったら、分離するのはもったいないと言い出す者がいなくなったら。
 とはいえ、まずは料理に使う砂糖から。黒砂糖にしても、白砂糖にしても。
 コーヒーや紅茶に入れる砂糖は合成品の砂糖で、本物になるまで暫くかかった。嗜好品に本物の砂糖を入れて飲むなど贅沢だから、と合成品。サトウキビが充分、採れるようになるまで。
 それも最初は料理用と兼用、角砂糖は存在しなかった。角砂糖が欲しいなら合成品だと言われた時代。角砂糖はコーヒーや紅茶専用の砂糖だったから。砂糖を入れたいというだけだったら、器に入った普通の砂糖をスプーンで掬えばいいのだから。



 料理には不向きな角砂糖。この分量で、と量るには向かない角砂糖。
(普通の砂糖だったら、必要な分だけスプーンで掬えばいいんだが…)
 角砂糖だとそうはいかない、半分の量でいいとなったら砕かねばならない。角砂糖は一個分ずつ固めてあるから、四角く固めてしまってあるから。
(料理するのに角砂糖はなあ…?)
 レシピを見たって、砂糖はグラムで書いてあるもの。あるいは計量スプーンでどのくらい、と。角砂糖で作るレシピもまるで無いとは言わないけれども、そちらが例外。
 だからシャングリラで角砂糖までが本物の砂糖になるには時間がかかった、嗜好品に使う砂糖は後回し。合成品の角砂糖が嫌ならそれを使え、と砂糖の壺が置かれていた。
(…俺はどっちでも良かったんだが…)
 角砂糖が合成だった頃には、コーヒーも合成品だったから。キャロブのコーヒーはまだ生まれていなくて、コーヒーと言えば合成品。それに入れる砂糖が合成だろうが本物だろうが、どちらでもいいと思っていた。その日の気分で角砂糖にしたり、本物の砂糖をスプーンで入れたり。



 そんな経緯があった角砂糖にも凝り始めたのが後のシャングリラ。
 サトウキビも砂糖も充分あったし、時間も暇もあったから。角砂糖の上に砂糖細工で細かい花や星などの模様を描いたり、角砂糖どころか薔薇の形に仕上げた砂糖を作ったり。
 これがささやかな贅沢とばかりに、角砂糖に凝った女性陣。
 彼女たちが集まってお茶を飲む時は様々な砂糖が披露されていた、模様付きやら薔薇の形やら。
(…前のあいつの時代までだがな…)
 華やかな角砂糖があった時代は、前のブルーが長だった時代。アルテメシアの雲海に潜み、戦闘などは無かった時代。閉ざされた世界でも平和だったし、角砂糖にも凝っていられた。
 けれども次のジョミーの時代は余裕などは無くて、逃げていただけ。人類軍の船やら、思考機雷やら、何処に逃げても追って来た敵。
 ようやくナスカを見付けた後には開拓が一番、新天地に夢中になってしまった女性たち。もう角砂糖に凝ってはいなくて、ナスカに降りては花や野菜を育てていた。
 サトウキビも栽培した筈だけれど、それから生まれた砂糖に細工を施すよりかは、新しい植物が根付くようにと工夫を凝らす方へと向かって…。



 忘れ去られた、凝った細工の角砂糖。コーヒーや紅茶に入れるための砂糖。
 ナスカが滅びてしまった後には、砂糖の細工どころではなかった。地球を目指しての戦いが幕を開け、戦闘が無くても船の中の空気はピンと張り詰め、ジョミーが睨みを利かせていた。
(角砂糖は辛うじてあったんだったか…)
 模様も無ければ薔薇の形でもなくて、普通の四角い角砂糖。それは生産出来ていた筈。
 人類軍との全面的な対決という非常事態だからこそ、自給自足の生活の根幹が揺らがないよう、船の隅々まで気を配っていた。前のブルーが遺した言葉通りに、ジョミーを支えて。
 船の仲間など殆ど顧みなくなったほどに人が変わったジョミーの分まで、シャングリラの仲間を守らなければと。
(角砂糖はあったと思うんだがな…)
 前のブルーを思い出してしまって辛い時には、気付けにと飲んでいたコーヒー。
 熱いのを飲めば、代用品でも心が少し癒された。砂糖は入れていたように思う、いつもの癖で。前のブルーと二人でお茶を楽しんでいた頃から、身体に馴染んでしまった癖で。
 ブルーは紅茶で、自分はコーヒー。
 普段はブルーに合わせて紅茶だったけれど、自分だけがコーヒーの日もあった。そんな時やら、休憩室での一杯やらには、ポチャンと砂糖。角砂糖を落として飲んでいた。
 だからきっと、地球へ向かっての戦いの中でも、角砂糖を入れたと思うのだけれど…。



 どうにもハッキリしてこない記憶。独りきりで飲んでいたコーヒーの記憶はぼやけてしまって、砂糖の形さえ思い出せない。角砂糖だったか、スプーンで掬ったか、そんなことさえも。
 前のブルーを喪った後は、生ける屍だったから。
 ただひたすらに地球を目指して進むより他に、何も見出せない日々だったから。
(前のあいつは…)
 紅茶が好きだった前のブルー。前の自分が青の間に行くと、紅茶を淹れてくれていたブルー。
 砂糖の量にも形にもこだわらなかったブルーだけれど。
 本物の砂糖だったらもう充分だと、合成品よりもずっといいと言っていたけれど。
(和三盆の世界は…)
 好きだったかもしれない、もしも和三盆という砂糖があったなら。
 楽しんで研いでいたかもしれない、美味しい砂糖を作ってみようと。
(明日、訊いてみるか…)
 こんな砂糖を作りたかったかと、和三盆を土産に持って出掛けて。
 和三盆の作り方が詳しく書かれた、このパンフレットも読ませてやって。



 翌日の土曜日、朝食が済んだら、和三盆の箱が入った紙袋を提げてブルーの家へ。門扉を開けに出て来たブルーの母に箱を渡して、午前中のお茶菓子はこれで、と頼んでおいた。
 ブルーの部屋に案内されて間もなく、緑茶と一緒に運ばれて来た和三盆を綺麗に盛ってある皿。「ハーレイ先生が下さったのよ」という母の言葉で、ブルーは和三盆に惹かれたようで。
 母の足音が階段を下りて消えてゆくなり、和三盆の皿を指差して訊いた。
「今日のお土産、落雁なの?」
 とっても綺麗だね、秋らしい形。菊の花とか、紅葉だとか…。
「いや、落雁じゃなくて和三盆だ」
「え?」
「こいつは和三盆っていう砂糖なんだが…」
 ただの砂糖の塊なんだが、と言えばブルーが目を丸くした。そのままで食べるものなのか、と。
「もちろんだ。こうして菓子の形になってるだろうが」
 美味いんだぞ、これは。俺も好きだし、親父もおふくろも大好物でな。
「ホント…?」
 本当にただのお砂糖じゃないの、お砂糖を固めてあるだけじゃないの…?



 小さなブルーは和三盆を一つ、おっかなびっくり、頬張ってみて。
「美味しい…!」
 フワッと溶けちゃったよ、落雁とはちょっと違った感じ。
 お砂糖だからかな、粉っぽくなくて、甘い雪の欠片を食べてるみたい…!
「な? 美味いだろう、和三盆」
 正真正銘、こいつは砂糖の塊なんだ。出来上がった砂糖を木の型で抜いて、乾燥させてあるってだけだな、ほんの少し色をつける程度で。
 たったそれだけで美味い菓子になるが、どうやら秘密は和三盆の作り方にあるみたいだぞ。
 和三盆と言えば最高級の砂糖ってことになっているがだ、その作り方が実に凄いんだ。



 まあ読んでみろ、と渡してやったパンフレット。和三盆の作り方が詳しく書かれたそれ。
 熱心に読んだブルーだけれど。赤い瞳を煌めかせて最後まで読むと、和三盆が盛られた皿の方を見詰めて感心したように。
「手作りなんだね、和三盆って…。このお菓子を作る所だけじゃなくて」
 お砂糖を作る所から全部手作り、これはサイオンでも無理なんだね?
 熟練の職人が作っています、って書いてあるけど、お砂糖を研いでるのは職人さんの手だし…。
 サイオンじゃ加減が難しいんだね、それに機械でも無理ってことだね?
「職人技だからなあ、そうなんだろう」
 この道一筋で何年もやって、ようやく一人前なんだろうな。
 砂糖を研ぐ時の手の感覚ってヤツで、色々と調整してゆくんだろう。もっと研ぐべきか、これでやめるか、そういったことを。
 機械じゃそういう判断は無理だし、サイオンでも上手くはいかんだろうなあ…。
 前のお前がやるにしたって、サイオンよりかは手の方が多分、確実だろう。手で触るからこそ、分かる感覚。そいつが大切なんだと思うぞ。
「うん。触らないと分からないものは確かにあったよ」
 前のぼくが最後にハーレイから貰った、腕の温もり。
 あれはサイオンだと貰えないもので、ハーレイの腕に右手で触ったお蔭で貰えたもので…。
 メギドで失くしてしまったけれども、手で触ることが大切ってことは、あれだけでも分かるよ。
 それでね…。
 前のぼくの右手のことは今はいいけど、この和三盆。
 ゼルが好きそうだよ、作ってみたいと言い出しそうだよ。「わしが研ぐんじゃ」って。
「やっぱり、お前もそう思うか?」
 如何にも言いそうな気がするんだよなあ、ゼルがこれを見たら。
 わしに任せろと、美味い和三盆を食わせてやろうと、砂糖をせっせと研ぎ始めそうだ。



 ついでに前のお前も好きそうなんだが、と言ってやったら。
 作りたい気分にならなかったか、と尋ねてみたら。
「うん、ソルジャーは暇だったしね」
 みんなの仕事を手伝おうとしても、恐縮されたり、気を遣わせてしまったり…。
 仕方ないから子供たちと遊んで、養育部門を手伝ってたのがぼくだもの。
 暇な時間はたっぷりあったし、お砂糖を研いでみるのも良かったかも…。女の人たちが凝ってた角砂糖作りはやってみたい気はしなかったけれど、和三盆ならやってもいいかな。
 研げば研ぐほど美味しいお砂糖が出来るみたいだし、熟練の職人にもなれそうだしね。
「ふうむ…。やりたかったんだな、前のお前もゼルと同じで」
 熟練の職人を目指すのはいいが、ソルジャー自ら砂糖作りか…。似合わない気がするんだが?
 前のお前が砂糖作りをするとなったら、ソルジャーの威厳が台無しと言うか…。
「最初は農場も手伝っていたよ、ジャガイモ掘りとか」
 みんなが頑張って働いていたし、ぼくも手伝おうと思ったから…。
「エラに何度も止められてたがな」
 ソルジャーがなさるお仕事などではありません、ってな。
「…そうなんだけどね」
 エラは何でも止めに来たしね、ぼくが仕事をしようとしてたら。



 でも、仕事じゃなくて趣味だったら…、とブルーが言い出したから。
 好きでやっている砂糖作りなら、子供たちと遊んでいたのと同じで止めようがないと笑うから。
 砂糖作りが趣味なソルジャーでも良かったかもしれない、和三盆作りが趣味のソルジャー。
 サトウキビを搾る所から始めて、砂糖の塊を手で練って研いで。
「あのね…。前のぼくがやるなら、ホントに何度も研ぐんだよ」
 三回じゃなくて、五回は研がなきゃ。…もっと研いでも美味しいかもだし、それも試して。
「…暇だからか?」
 ソルジャーってヤツは暇だったからか、暇に飽かせて砂糖を研ぐのか?
「そう!」
 時間は山ほどあったんだもの。何度でも研げるよ、何十回でも。
 そこまで研いだら美味しくないかもしれないけれど…。
 どのくらい研ぐのが一番いいのか、それを研究する時間もたっぷり。ゼルと競争して、どっちが先に熟練の職人ってヤツになれるか、そういう勝負も出来るものね。



 子供たちの遊び相手もいいけど砂糖作り、と笑顔のブルー。
 サトウキビを搾って和三盆だと、何度も何度も手で研ぐのだと。
「…そうなっていたら、俺も巻き添えなのか?」
 お前と一緒に砂糖を研ぐのか、あと二回だとか、三回だとか、お前に数えられながら。
 もっと上手に研げないのか、と溜息なんかもつかれたりして。
「ううん、キャプテンは忙しいから…。ソルジャーみたいに暇じゃないから…」
 お砂糖を研げとは言わないよ。
 ぼくが一人で研いでいるのか、ゼルも時々研ぎに来るのか。
 お砂糖作りは趣味の世界だし、忙しいハーレイを巻き込んだりはしないよ、一人でやるよ。
「そいつは少し寂しいんだが…」
 せっかくお前が楽しんでるのに、俺が付き合えないというのはなあ…。
 子供たちと遊ぶ時には、たまに付き合っていたんだし…。砂糖を研ぐのも少しくらいは…。
「それは駄目だよ、熟練の技が要るんだよ?」
 何度も練習しなくちゃ駄目だし、時々しか研ぎに来られないんじゃ、上達しないし…。
 ハーレイはお砂糖作りは見学だけだね、見てるだけなら上手でも下手でも関係ないから。
 大丈夫、上手く出来たらハーレイに一番に食べさせてあげるに決まってるから。
「お前が作った和三盆をか…」
 木型で抜いて、乾燥させて。
 美味いのが出来たと、俺に一番に食わせてくれるんだな…?



 前のブルーがせっせと砂糖を研いで作った和三盆。
 どんな木型で抜いたのだろうか、どんな色がついていたろうか。そして味は…、と夢が広がる。
 暇なソルジャーが和三盆作り、そんなシャングリラも良かったかもしれない。夢だけれども。
 前の自分たちが生きた時代に和三盆は無くて、砂糖を研ぐソルジャーの姿も無くて…。
「…夢ってヤツだな、前のお前の和三盆」
 見てみたかったという気はするがな、ゼルと競争で職人を目指す前のお前も。
「うん、夢だね。…お砂糖みたいに溶けておしまい」
 この和三盆と同じでフワッと溶けちゃう甘い夢だよ、和三盆を作ってる前のぼくは。
 何処にもいなくて、そういうシャングリラも何処にもなくて…。
「だが、この和三盆は本物だぞ?」
 食ったらフワリと溶けてしまうが、こいつは夢じゃないってな。
「そうだね、こっちは本物だよね。ぼくたちが地球にいるって証明」
 和三盆がある地域に住んでて、こうして食べられるんだもの。
 それもハーレイが買って来てくれたのを、ハーレイと二人で、ぼくの部屋で。



 美味しいね、とブルーが顔を綻ばせるから。
 お砂糖の塊なのに本物のお菓子、と嬉しそうに口に運んでいるから。
 また見かけたら買ってやろうか、和三盆の菓子が詰まった箱を。
 前のブルーが研いだかもしれない、最高級の砂糖で作った菓子を。
 きっと幸せの味がする。
 熟練の職人が作った砂糖で、砂糖菓子が作られる今の地球。
 そんな平和な青い地球に来たと、今は砂糖はお菓子なのだと、二人で幾つもつまんで食べて…。




          和三盆の夢・了

※手間暇かけて出来る和三盆。けれど、シャングリラでも作ることは可能だったのです。
 和三盆作りに挑んでいたなら、ブルーとゼルが腕を競っていたかも。そういう砂糖菓子の夢。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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