シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(…やっぱり子供だ…)
お風呂から上がって、パジャマのぼく。洗面台の大きな鏡に映ったパジャマ姿のぼく。
何処から見たって子供の姿で、前のぼくみたいな姿じゃない。子供の顔をして子供の手足。
早く大きくなりたいと願い続けているのに、伸びない背丈。ハーレイとキスさえ出来ない背丈。どうして伸びてはくれないんだろう。百五十センチのままなんだろう、と悲しくなる。
(手だって子供の手のままなんだよ)
前の生の最期にハーレイの温もりを失くした右の手。冷たく凍えてしまった右の手。
悲しかった記憶は今もあるのに、右手が今も覚えているのに、前のぼくよりも小さくなった手。子供っぽくなってしまった右の手。
(小さい分だけ、悲しさも減ってくれればいいのに…)
普段はすっかり忘れてるけど、メギドの夢を見ちゃった時には前のぼくの悲しみで潰されそうになってしまうから。悲しくて怖くて、今のぼくはただの幻かもしれないと震える夜も多いから。
小さな身体に見合った分だけ、悲しい記憶も減って欲しいと思ってしまう。
(だって、こんなに小さいんだよ?)
前のぼくと手と手を合わせてみたなら、きっと一回りは違うと思う。
だけど此処には前のぼくは存在していないから。
こんな感じで、と鏡の向こうのぼくの右手と、ぼくの右手を合わせてみた。鏡は左右を逆に映し出すから、鏡のぼくの手は左手と言うのかもしれないけれど。
鏡を挟んで重ねた手と手。ぼくの手だからサイズは同じで、ピタリと綺麗に重なるんだけど。
(前のぼくの手だったら重ならないよ!)
絶対、ぼくより大きい筈の手。
鏡の向こうに前のぼくが居たなら、一回りは大きい筈の右の手…。
(…あれ?)
ぼくの記憶に引っ掛かったもの。
前のぼくもこうして鏡に手を当てていなかったろうか?
鏡に映った自分の姿と手と手を合わせて、こんな風に覗いていなかったろうか…?
(…なんで?)
前のぼくは鏡が好きだったろうか?
小さなぼくは毎日のように覗き込んでは溜息だけれど、前のぼくにそんな必要は無い。鏡に映る自分の姿に不平不満などありはしないし、自分の姿に酔ったりもしない。
(嬉しくて毎日覗き込むほど、美人だってわけじゃなかったものね?)
前のぼくの姿形を称賛する仲間は多かったけれど、ぼくにとってはどうでもいいこと。
たった一人が気に入ってくれれば、もうそれだけで充分だった。ハーレイの瞳に綺麗だと映ればそれで充分、それ以上のことを望みはしない。
自分の何処が綺麗なんだか、特に知りたいとも思わない。鏡を覗いて調べたりしない。
(だけど…)
こうして手を当てた記憶。鏡の向こうを見ていた記憶。
何なのだろう、と覗き込んでいたら、ドアを開けてパパが入って来た。
「まだ居たのか? おいおい、そんなに覗いていたって向こう側には行けないぞ?」
昔の絵本でも思い出したか、って笑いながらシャツを脱ぎ始めたパパ。お風呂に入ろうとやって来たパパ。その瞬間に、ぼくは思い出したんだ。ぼくの記憶が何だったのかを。
「ありがとう、パパ!」
「ん、どうした?」
「何の絵本か思い出したよ、おやすみなさーい!」
「ああ、おやすみ」
夜更かししないで早く寝ろよ、と笑ってるパパ。ぼくは「うんっ!」と返事したけど。
ちょっぴり夜更かししちゃうと思う。鏡のことを思い出したから…。
引っ掛かってた、鏡の記憶。正体は絵本なんかじゃなかった。ううん、半分くらいは絵本の世界からやって来た記憶だったかも…。
(パパが言ったから思い出せたよ)
自分の部屋のベッドにチョコンと座って、ぼくは遠い日の記憶を追った。
白いシャングリラで暮らしていた頃。
ぼくが今よりもずっと大きくて、ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃…。
何処で知ったのか、今では思い出せないけれど。
絵本だったか、それとも普通の本だったのか。あるいはデータベースから気まぐれに引き出した情報だったか、今となってはもう分からない。
ただ、前のぼくが何処かで仕入れた知識。SD体制よりも遥かな昔の地球の言い伝え。
(…最初は絵本で読んだのかもね?)
鏡の向こうには別の世界があると言うから。
違う世界があると言うから、前のぼくは青の間の奥にあった鏡をよく見ていた。
今のぼくがさっきしていたみたいに、洗面台の鏡なんかに手を当てて。
(別の世界に行けるのかも、って見てたんだっけ…)
向こう側に地球が在りはしないかと、地球への道が鏡を通して開かないかと。
ワープで時空間を超えてゆくように、一足飛びに地球までの道。
それが鏡から開かないかと、開いてくれればいいのにと。
「…こちらでしたか」
鏡の向こう側、前のぼくの後ろに映ったハーレイ。キャプテンの制服を纏ったハーレイ。ぼくの姿が見当たらない時は、こうして奥まで探しに来た。
「また地球ですか?」
「うん。そう簡単に開かないとは思うんだけどね…」
もしかしたら、と鏡にピタリと手を当てるぼく。
サイオンで道を開けはしないかと、開くための手がかりでも掴めないかと。
ワープで時空間を超えられるのだし、鏡の道だって馬鹿には出来ない。ただの伝説だと、作り話だと片付けてしまうには惜しい気がした。
だから鏡で思い出した時には手を当ててみる。其処から道が開かないかと、青い地球まで飛んでゆける道が不意に開きはしないかと。
真剣な顔で、時には「夢の話だよ」なんて笑いながら鏡を覗いていた、ぼく。そんなぼくの夢を笑い飛ばしもせず、一緒に悩んでくれたハーレイ。
「開け胡麻とは行かないでしょうしね…」
「ホントだね。呪文でもあればいいのにね…」
鏡の道を開くための呪文。唱えれば道が出て来る呪文。
幾つもの古いデータを調べて、ありとあらゆる類の呪文を鏡に向かって試したりした。
ちょっと違うかもしれないけれど、と考えながらも魔方陣なんかも描いたりした。
けれど開かない地球への道。
鏡を通して青い地球へと繋がる道…。
そうやって努力して、気まぐれに手を当てて念じたりして。
前のぼくのサイオンでも開くことが出来ない道と格闘しながら、前のハーレイにこう言った。
「鏡の道はきっと、開かない方がいいんだろうけどね」
「何故です?」
それが出来たら、あなたの夢が叶うのでしょうに。
どうして開かない方がいいなどとお思いになるのです、ブルー?
「だって、地球だよ? 地球までの道が開くんだよ?」
開いたらきっと、ぼくは青い地球まで一直線に飛んでゆくだろう。あの青い星へ飛ぶだろう。
そうしたら帰って来ない気がする。青い地球に着いて、幸せな気分で一杯になって。
それっきり二度と帰って来ないよ、行ったきりになってしまうと思うよ。
この船から、ぼくがいなくなったら。…戻らなかったらどうするんだい?
ソルジャーのぼくが消えてしまったなら、キャプテンの君だってとても困るだろうに。
「いいえ。あなたは帰ってらっしゃいますよ」
「ソルジャーだから? そんなことは忘れてしまいそうだよ」
地球に辿り着けたという幸せに酔って。
ソルジャーの務めもシャングリラのことも、何もかも忘れていそうだよ、ぼくは。
「…そうでしょうか? 本当にお一人で大丈夫ですか?」
地球に私はいないのですが…。あなたの隣に私は立ってはいないのですが。
「それは困るね…」
最初は舞い上がっていて気付かないかもしれないけれど。
ハーレイがいないと気付いた途端に、帰りたくなって急いで帰るんだろうね…。
「そうでしょう?」
ですから鏡の道が開いても安心ですとも。
地球に繋がっている秘密の近道が出来る、それだけのことではありませんか。
「青の間から秘密の近道ねえ…」
それもいいね、とぼくは笑った。諜報活動に使えそうだと、便利な道になりそうだと。
「諜報活動と仰いますか…。地球で色々と裏工作をなさるのですか?」
「そうだよ、ぼくはソルジャーだから」
こっそり出掛けて、あちこちでデータを操作してみたり、地球の中枢に入り込んだり。
もしかしたら地球の要のグランド・マザーも壊せるかもね?
「お一人でグランド・マザーを…ですか?」
「うん。ぼくなら出来るかもしれないと思わないかい?」
ぼくは最強のタイプ・ブルーだ。
グランド・マザーがどれほどのものかは分からないけれど、挑むだけの価値はあると思うよ。
もしも壊せたら、マザー・システムはそれで終わりだ。ミュウが虐げられる歪んだ世界も其処でおしまい。いいアイデアだと思うんだけどね?
「…それは承服出来ません。私もお連れ頂かないと」
危険を承知で、あなたをお一人で送り出せるとお思いですか?
諜報活動ならばともかく、グランド・マザーと戦うとなれば私も一緒にお連れ下さい。
「でも…。この鏡、二人で通れるかい?」
「もちろんです」
私も映っていますから。
あなたの隣に、私も映っていますから…。
違いますか、と微笑んで、ぼくが鏡に当てていた手に、自分の大きな手を重ねたハーレイ。
「こうして、手と手を重ねて映して。そうすれば一緒に通り抜けられると思いませんか?」
「そうだね、そうかもしれないね…」
二人で道を通ってゆけるのならば。
鏡の道が開いた時の、記念すべき第一回は君と通れたら嬉しいのに。
「シャングリラはどうなさるのです?」
ソルジャーも、キャプテンも不在のシャングリラを。
「直ぐに戻るよ、君と二人で。そうして一緒にその先のことを考えるんだよ」
「グランド・マザーの壊し方をですか?」
「そうに決まっているじゃないか」
地球までの近道が開けたならば。
グランド・マザーを壊す方法を考えないなんて、ソルジャー失格というものだろう。
ぼくと一緒に行こうと言う君には、とんだ災難かもしれないけどね。
「あなたと一緒にゆけるのであれば、何が起ころうとも悔いは全くありませんが…」
何かのはずみに、あなただけが鏡に飲み込まれたら…、と思うと鏡を塞ぎたくなります。
蓋をするとか、覆いをかけてしまうとか。
「大丈夫。もしも一人で飲み込まれたって、君がいないと気付いたらぼくは戻ってくるよ」
ぼくは絶対に戻りたくなる。
何をしてでも、君のいる世界に戻ってくるよ…。
そんな約束をしていたくせに。
鏡を通って何処へ行こうとも、必ず戻ると言っていたくせに。
ぼくはハーレイを残して逝った。
地球に行ったのならまだマシだけれど、ハーレイを悲しませてしまう死の国に行った。
(…鏡の道を通って行ったわけじゃないけれど…)
どうして戻ろうと微塵も思わなかったんだろう。
ハーレイの所へ、ハーレイが居るシャングリラに戻ろうと、考えさえもせずに逝ったのだろう。
何をしてでも生きて戻ると、戻らなければと、どうしてぼくは……。
ただの一度さえも思いもしないで、ハーレイを置いて逝ったんだろう。
(…ぼくの命は尽きていたから…)
ジョミーに救われて生き延びたけれど、本当ならばアルテメシアで尽きていた筈の命。
赤いナスカまで辿り着ける筈も無かった命。
だけど、諦めが早すぎたろうか。
メギドで撃たれて、ハーレイの温もりを失くしてしまって独りぼっちになった、ぼく。
右の手に持っていた大切な温もりを失くした、ぼく。
独りぼっちになってしまったと泣きじゃくる代わりに、帰りたいと泣けば帰れただろうか。
シャングリラまで飛べる、連れて行ってくれる鏡の道が開いただろうか。
(メギドに鏡は無かったけれど…)
あそこに一枚の鏡があったなら、その鏡にぼくの手を当てて。
ハーレイの温もりを失くした右の手を当てて、強く願えば飛べただろうか。
シャングリラを追って、白い鯨を追いかけて鏡の道を通って。
(…鏡の道かあ…)
通った人の話は幾つもあるのに、開かなかった鏡の道。
前のぼくが探した地球への道。
とうとう開かずに終わったけれども、何度も夢見て手を当てていた。
この鏡から道が開かないかと、青い地球まで行けはしないかと。青の間の奥で、前のぼくが手を当てて願った鏡。その向こうに地球を夢見た鏡。
通れないままで、開かないままで終わってしまった夢物語だと思ったけれど。
(…もしかして、ぼくは通って来た?)
今のぼくが居る、青い地球まで。ハーレイと同じ町に住んでいる地球の上まで。
(…前のぼくたちが生きてた頃には青い地球は何処にも無かったんだよ)
在ると信じていた青い水の星は、マザー・システムが作り上げた偽りの夢にすぎない星だった。前のぼくが残した言葉を守って、懸命に地球まで行ったハーレイ。そのハーレイたちが見た地球は死の星で、朽ち果てた星のままだった。
(そんな地球だとは知らなかったものね、前のぼくは…)
青い地球へ行こうと、其処へ行きたいと鏡の道を開こうとした。思い付く限りの呪文を唱えて、時には魔方陣まで描いて。
ぼくが願った青い地球が出来るまで、鏡の道は開かずに閉じたままだった?
前のぼくが行きたかった先は青い地球だから、鏡の道は開かなかった…?
(そうだったのかも…)
通りたいと願った鏡の道。
神様が開いてくれたんだろうか、青い地球が蘇ってくる時を待って。
前のぼくが何度も願った通りに、鏡から地球へと向かう道を。
ハーレイと一緒に通れるようにと、神様が開いて、青い地球まで鏡の道を繋げてくれた…?
青の間の鏡に映っていたぼくと、隣に映っていたハーレイ。
ぼくたちが全く知らなかっただけで、あの時にはもう用意されていたんだろうか、鏡の道は…。
(…でも…)
青い地球まで来たのはいいけど、小さくなってしまった、ぼく。
前のぼくよりずっと小さい、十四歳の子供になってしまった今のぼく。
百五十センチしかない小さな背丈と、子供っぽい顔と子供の手足。
ソルジャー・ブルーだった頃の、青の間で鏡を見詰めていた頃のぼくの身体は何処にも無い。
(中身は前とおんなじなのに…)
悔しいけれども、これが現実。ハーレイとキスさえ出来ない子供の身体。
鏡には左右が逆に映るように、鏡の向こうに広がる世界はこちらの世界とあべこべになっていることもあると言うから、そういう仕掛けが働いたかな?
ハーレイは大丈夫だったみたいだけれども、大人だったぼくは小さな子供になったとか…。
(…ひょっとしたら、映った鏡のせいなのかも…)
ぼくの身体には聖痕がある。ハーレイと再会した時、沢山の血が溢れた傷痕。
あれっきり二度と出ては来ないけれども、前のぼくがメギドで撃たれたのとそっくり同じ傷痕。
前のぼくの最期の姿を丸ごと映した鏡だったら、メギドに鏡があったわけだけれど…。
(鏡なんかは何処にも無さそうだったけど…)
見た覚えが無い、メギドの鏡。
だけど、人間が見付けた最初の鏡は水だと言うから。水鏡を覗いていたと言うから、姿が映れば何でも鏡。映りさえすれば、何でも鏡になり得るもの。
青の間よりもずっと眩しい青い光が満ちていたメギドの制御室。あれはメギドの炎と同種の何かだったのだろうか、青い光を中に封じた円筒形のガラスの管。それらを支える金属の枠。
前のぼくの姿が映りそうなものなら幾つも在った。どれかが前のぼくを映した。ぼくはその鏡を通ったけれども、ハーレイは違う。地球の地の底の何かがハーレイの最期の姿を映した。
メギドの鏡と、地球の鏡と。
通って来た鏡がまるで違うなら、ぼくだけ子供になってしまっても仕方ない。ハーレイを最後に映した鏡は何の悪戯もしない鏡で、ぼくの最期を映した鏡があべこべの鏡だったんだから。
(…鏡の道を通して貰えたんだし、文句なんか言っちゃ駄目なんだよ、きっと)
前のぼくが行きたいと願った、地球に通じる鏡の道。
青い地球まで近道が出来る、鏡の向こうに繋がってる道…。
(今なら、地球に行ける道よりハーレイの家に行ける道だよ)
青い地球にはもう住んでいるし、その地球の上にあるハーレイの家。「前と同じ背丈に育つまで来てはいけない」と言われてしまった、ハーレイの家に繋がる道が欲しいんだけれど。
(んーと…)
鏡、と立ち上がって壁に掛かった小さな鏡を覗き込んだ。学校に行く前に髪が跳ねていないかとチェックしてみたり、制服の襟元を直したりするための小さな鏡。洗面台の鏡よりずっと小さめ。
(だけど、手よりは大きいしね?)
サイオンがとことん不器用なぼくに、鏡の道が開ける筈も無いんだけれど。
前のぼくでさえ、生きてる間に開く所なんか見ていないくせに、欲張りなぼくは鏡の表に右手をピタリと当ててみた。前のぼくがやっていたように。青の間の鏡でそうしたように。
(こうやって、手を…)
それから行き先を思い浮かべて、開くといいな、と呪文を唱える。
開け胡麻とか、他にも色々。どれが効いたか分からないから、思い出せる限りの呪文を唱えた。前のぼくが使っていた呪文。意味さえ掴めない音だけで編まれた、謎めいた魔法の呪文とかも。
ハーレイの家へ行けますように。
鏡を通って、ハーレイの家まで行けますように…。
うんと頑張って唱えた呪文。だけど鏡の道は開かず、鏡にはぼくが映るだけ。小さなぼくの手とパジャマ姿の子供の顔のぼくと、それからぼくの部屋の中だけ。
鏡の向こうにハーレイはいない。ハーレイの家も映りはしない。
(…どうせ、ぼくには無理なんだけどね…)
だけど今度は確実に開く、ハーレイの家まで続いている道。
いつかハーレイと結婚したなら、ぼくの家からハーレイの家まで行ける道が繋がる。
鏡なんかを使わなくても、ちゃんと通っていける道。
ぼくが歩いて行かなくっても、ハーレイの車に乗せて貰って通れる道が。
前のハーレイのマントと同じ色をしているハーレイの車。
ぼくが助手席に座れるようになったら、シャングリラと同じ色の白い車に買い替えような、って前にハーレイが言ってたけれども、「向こう五年間はこいつに乗る予定だ」とも聞いたから…。
結婚する頃には、まだ今の色の車で走っているだろう。その車にぼくも乗るんだろう。
そうしてハーレイの家まで行くんだ、鏡の道の代わりに本物の道を走って行って。
でも…。
(車は鏡に映らないよね…)
大きすぎだよ、と車と鏡の大きさの違いを思うけれども。
だけど、とちょっぴり考えてみた。
車をそのまま映そうとするから、入りきらないだけのこと。二階にあるぼくの部屋の窓から庭を隔てた表の通りを鏡に映せば、其処を通ってゆく車を丸ごと映せる。
(うん、充分に映るって!)
今度ハーレイが車で来たなら、車を鏡に映してみようか。開け胡麻、と呪文を唱えてみようか。
ぼくをハーレイの家まで連れてってくれる予定のハーレイの車。
それをしっかり映しておいたら、ぼくが自分の足で歩くよりも早く繋がりそうな鏡の道。
何ブロックも離れた所に建ってる、ハーレイが一人で暮らす家まで。
(んーと…)
よいしょ、と壁の鏡を外して、窓際まで持って行ってみたんだけれど。
夜だから閉めていたカーテンを開けて、表通りを映せるかどうか、少し試してみたんだけれど。
(…ハーレイにバレる?)
ぼくが角度を調べてる内に通りかかった、ライトを点けた何処かの車。ピカッと反射した小さな光が庭の木と一緒に映ってた。黒々と動かない木々の影とは違った、動いてく光。つまり鏡は外の光を反射する。昼間だったら、お日様の光。
この部屋からハーレイの車を映していたなら、きっとキラリと光るだろう鏡。
ハーレイが何かの合図かと勘違いをしてくれればいいけど、前のぼくがやってた鏡の道のことを思い出されたら叱られそう。
今度はハーレイの家まで近道する気かと、そんな道を作ろうとしているのか、と。
チビのお前にはまだ早いんだと、ゆっくりゆっくり大きくなれと。
(…ぼくの心、ハーレイには簡単に読まれちゃうものね…)
頑張って隠そうとすればするほど、何故だかバレる。顔に出てる、と言われてバレる。
だから鏡の道を目指してハーレイの車を映したことだって直ぐにバレるし、叱られるだろう。
チビでいいんだと、小さな子供は子供らしいのが一番なんだと。
(ハーレイの車を映してもダメかあ…)
叱られちゃうよ、と肩を竦めて鏡を元の場所へと戻した。
鏡の道を早く開きたくても、ハーレイの車を映せない鏡。映したらバレて叱られる鏡。
その鏡の中、残念そうな顔の子供のぼくが映ってる。前のぼくよりうんと小さくなってしまった今のぼく。あべこべに映る鏡の悪戯で子供の姿になったのかもしれない、小さなぼく。
(…鏡であべこべになるんだったら…)
小さなぼくを沢山、沢山、鏡に映しておいたなら。
あべこべになる魔法がぼくにかかって、背がぐんぐんと伸びるんだろうか?
(早く背が伸びて欲しいんだけど…)
伸ばしたいんだけど、と鏡を覗く。鏡に映ったぼくと、手と手を合わせる。
お願い、ぼくの小さな鏡。
青の間にあった鏡よりかは小さいけれども、道があるなら早く開いて。
青い地球までの道よりはずっと、近くて簡単な筈だから。
(早く開いてよ、道があるなら…)
ハーレイの家に繋がる鏡の道。
鏡の道を使わなくっても、今度は行けるって分かってるけど、近道が欲しい。
少しでも早く行きたいから。ハーレイの所に行きたいから。
もしも鏡から、道が開いたら。この鏡から道が繋がったなら。
そうしたら真っ直ぐに歩いて行くんだ、ハーレイが待ってるあの家まで。
今はまだハーレイが一人で住んでる家まで、大好きなハーレイの腕の中まで……。
鏡の道・了
※鏡の道から地球へ行きたい、と夢見ていたのが前のブルー。道が開けば、と。
地球に来た今は、ハーレイの家に行ってみたくなる道。いつかは行けるんですけどね。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(うーん…)
今日もダメかあ…、と大きな溜息を吐き出した、ぼく。
床に這いつくばって頑張ったのに。部屋の隅から隅まで見て回ったのに、全然ダメ。
(…今日も空振り…)
これ以上、床を這ってても無駄。見てない場所はもう無いから。
立ち上がって、うーんと身体を伸ばして、それからベッドの上にコロンと転がった。ベッドから床をぼんやり眺めて、また溜息。
(あの床を全部這ったのに…)
ハーレイが帰って行った後の習慣がコレになってから、もうどのくらいになるだろう。
始めた時にはその日だけで済むと思ってた。
まさか今日まで続くだなんて。未だに見付からないなんて…。
(…髪の毛って、そんなに抜けないわけ?)
ぼくが頑張って探しているもの。
ハーレイの頭を彩る金髪。少しくすんだ金色の髪。
ほんの一本、その一本が見付からない。落として行ってはくれないハーレイ。
(…ハーレイが髪の毛の話をした時、貰っておけばよかったよ…)
ハーレイのじゃなくて、前のぼくの髪の話だったけど。
前のぼくがメギドで死んじゃった後に、ハーレイは青の間までぼくの欠片を探しに出掛けた。
ぼくが確かに生きてた証を見たいと、そして形見に一筋の銀色の髪が欲しいと。
だけど、片付いちゃってた青の間。
今のぼくもそうだけれども、綺麗好きだった前のぼく。そのぼくが戻ったら綺麗な部屋で寛げるようにと、部屋付きの係がすっかり掃除をしてしまっていた。
ベッドのリネン類を取り替え、水差しの水も新しいのを満たしてグラスを洗った。ぼくの痕跡は何も残らず、髪の毛なんかは何処にも落ちていなかったんだ。
ぼくが居た気配が何も無い部屋。空っぽになってしまった青の間。
ハーレイは其処で泣いたと言った。ぼくの欠片が消えてしまったと、髪の毛さえも自分の手には残らなかったと。
ぼくは「ごめん」と謝ったけれど、時間を戻せるわけもない。
前のハーレイはぼくの形見の髪の毛も持てずに、独りぼっちで長い時を生きた。シャングリラを地球まで運ぶためにだけ、前のぼくが残した言葉を守るためにだけ。
どんなにハーレイが悲しかったか、辛かったか。
前のぼくの髪が青の間に落ちていたならば…、と申し訳ない気持ちで一杯になった。ハーレイが探しに来ると分かっていたなら、係に一言、「掃除は要らない」と言っただろうに。
直ぐに戻るから放っておいてと、今日はこのままの部屋がいいのだと…。
死を覚悟して「これで最後だ」と部屋を見回したくせに、ハーレイへの気配りを忘れたぼく。
思い残すことなんて無いと、自分自身に言い聞かせることだけで手一杯だった、前のぼく。
本当は地球を見たかった。
ハーレイの側に居たかった。
そんな思いを振り捨てるだけで精一杯だったから、死んだ後のことまで気が回らなかったとでも言うのかな…。
何か形見を残そうだなんて、まるで思いもしなかった。
独りぼっちでシャングリラに残ることになるハーレイには何が必要かなんて、ホントに分かっていなかったんだ。ぼくだって一人なんだから。一人きりで死んでゆくんだから…。
自分のためにと、ハーレイの腕に最後に触れた時の温もりを右の手に持って飛び立ったのに。
その温もりを最期まで持っていようと、そうすれば独りじゃないとまで思ってたくせに。
ハーレイのために何かを残そうなどとは考えなかった。あまりに身勝手だった、ぼく。
神様が罰を当てたんだろうか、ぼくはメギドでハーレイの温もりを失くしてしまった。
右の手が冷たいと泣きじゃくりながら死ぬ羽目になった。
それと同じで、前のハーレイも何も持ってはいなかったんだ。前のぼくの欠片。髪の毛の一筋。
ぼくもハーレイも、互いに失くした。
誰よりも大切な人の欠片を、誰よりも愛した人の欠片を。
(…あの話の時に思い付いてれば…)
髪の毛をちょうだい、って頼めばハーレイはきっとくれたと思う。
自然に抜けた髪じゃなくって、生えているのをプツリと抜いて「ほら」と渡してくれたと思う。ハーレイの髪は短いけれども、長めの部分の一本を抜いて。
それなのに「ちょうだい」と頼むどころか、髪の毛が欲しいとも思わなかった。あの頃はまだ、机の上にフォトフレームも無かったから。ハーレイとぼくとの記念写真のフォトフレーム。
ハーレイの写真さえも持っていなくて、一枚だけあった写真は小さな小さなモノクロ写真。転任教師の着任を知らせる学校便りの五月号に載ってた小さな記事だけ。
学校便りを宝物みたいに大切にしていたぼくだったから、欲が全然無かったのかも…。
ハーレイの写真も持ってないのに、一足飛びに髪の毛だなんて、思い付く方が変だよね?
仕方ないとは思うんだけど…。
(夏休みを無駄に費やしたんだよ!)
自分の間抜けさに腹が立つ。
前のぼくの髪の毛の話が出ていた頃なら、長い夏休みの真っ最中。ハーレイが何度も来てくれていたし、平日だって二人で過ごした。午前中は柔道部に出掛けたハーレイが午後から来た日も。
(夏休み中に気付いていたなら…)
拾えたかもね、と楽しかった長い休みを思い返して悔しくなった。
柔道部を指導した後にプールで泳いでから来てた日だとか、朝から晩まで一緒だった日だとか。庭の白いテーブルと椅子でお茶の時間もあったけれども、ぼくの部屋での滞在時間が一番長い。
(絶対、落ちてた筈なんだよ…)
くすんだ金色の髪が何処かに。
なのに考えもしなかったぼくは、せっせと部屋の掃除をしていた。ハーレイが来るから頑張って掃除。いつも以上に張り切って掃除。
そうやって掃除して、金色の髪も知らない間に捨ててしまったに違いない。
前のぼくがメギドに飛び立った後に、青の間を掃除した係みたいに。
銀色の髪の一筋も残さず、綺麗に掃除を終えてしまった部屋付きの係の誰かみたいに…。
(…なんで無いんだろう、ハーレイの抜け毛…)
ぼくがこんなに探しているのに。ハーレイが来る度に、見送った後で這いつくばって部屋の隅々までチェックするのに、未だに出会えない、くすんだ金色。
もっとも、ハーレイよりも長い時間を部屋で過ごしている自分の髪の毛も無いんだけれど。
朝はバスルームの隣の洗面台で髪を梳かすし、寝ている間に抜けた髪は朝一番に屑籠へ。だから滅多に落っこちていない、ハーレイの髪より長めの銀色。
ぼくの髪だって落ちてないんだから、ハーレイの髪だって難しいとは思うけれども。
(あの髪型が悪いんだよ!)
キッチリと撫でつけてあるオールバックのヘアスタイル。乱れにくいことはよく知っている。
前のハーレイがあの髪型に落ち着いた理由も、確かその辺。急ぎの用事でシャングリラの通路を走ったりしても、乱れない髪。キャプテンの威厳を保てる髪型。
(乱れないから、そう簡単には抜け落ちないよね…)
前のぼくと一緒のベッドで眠っていた頃には、たまに寝癖で逆立っていた。ああいう風になった時なら抜けて落ちるかも、と思ったけれども、ぼくがハーレイの髪をクシャクシャにしちゃったら絶対、叱られるだろう。
(…同じ叱られちゃうんなら…)
いっそ一本抜いちゃおうか、とまで思ってしまう。
くすんだ金色のハーレイの髪。欲しくてたまらない、ハーレイの欠片…。
空振りの日々が続いて、ぼくはとうとう我慢の限界。見付からない欠片に業を煮やして、仕事の帰りに来たハーレイに疑問をぶつけた。ぼくの部屋での食後のお茶の時間。
「ハーレイ、抜け毛は少ない方?」
「はあ?」
ポカンと口を開けるハーレイ。
「少ない方だが、少なかったら駄目なのか?」
「うん」
「……おい」
ハーレイのぼくを見る目が咎めるような感じになって。
「お前は俺をゼルのようにしたい、と。そういうわけだな、抜け毛多めで」
「そうじゃなくって!」
ぼくは慌てて首を横に振った。
そんなつもりじゃ全然なくって、ハーレイに禿げて欲しいってわけじゃなくって…!
「落ちていないんだよ、ハーレイの髪の毛!」
いつも頑張って探しているのに。
ハーレイが帰った後で部屋中の床を探し回るのに、一本も落ちていないんだもの…。
「俺に呪いをかけたいのか?」
またまたハーレイの怖い顔。呪いだなんて言われても…。
「なにそれ? なんで呪いになるの?」
「知らないのか? 藁で人形を作るんだ。そいつに釘を打ち付けて相手を呪うわけだが…」
藁人形には呪う相手の髪の毛を入れる。
そのための一本を探しているのか、と訊いているんだ。
「違うってば!」
呪ったりしないよ、ハーレイのこと。
藁人形なんかは知らなかったよ、ホントのホントに知らないってば…!
「なら、何をしてる」
どうして俺の髪の毛なんだ、とハーレイが睨み付けるから。開き直って言うことにした。
「欲しいんだってば、ハーレイの髪の毛!」
「何故だ?」
「ハーレイの欠片!」
髪の毛を持ってたら、ぼくはいつでもハーレイと一緒。ハーレイの欠片と一緒だもの。
「…俺はこれから死ぬ予定か?」
「死ぬって…。なんでそうなるの?」
ぼくが大嫌いな「死ぬ」って言葉。ハーレイの口から聞きたくはない。なのに…。
「いいか、髪の毛を取っておくというのはだ、形見としてのことが多いんだ」
「嘘!」
「本当だ。現に、前の俺だってお前の髪の毛を探していたしな」
結局、見付からなかったが…。
掃除されちまった青の間の何処にも、前のお前の髪の毛は落ちていなかったんだが…。
「…ごめんなさい…」
「お前が謝ることではないさ。しかし髪の毛ってヤツは、ほぼ形見だな」
もちろん例外だって沢山あるぞ。
ずうっと昔のこの地域には「赤ちゃん筆」というのもあった。
生まれた子供が初めて髪の毛を切りに行く時、その髪を取っておいて筆にするんだ。
記念の筆で実用品ではなかったんだが、実際、書きやすい筆ではあったらしいぞ。
一度も切っていない髪の毛だろう?
毛先がプツンと切れていなくて、自然に細くなってるからな。
初めて聞いた「赤ちゃん筆」。今は作ってないのかな、などと考えていたら。
「生きてる間に相手の髪の毛を貰って大感激ってケースとなると、だ」
結婚宣言だった地域もあるんだが。
もちろんSD体制の前の時代のことだぞ、大昔だな。
「髪の毛で結婚宣言なの!?」
言ってみるものだ、と嬉しくなった。大昔のことでも、何処の地域だってかまわない。髪の毛を貰って結婚宣言になるんだったら、貰わなくっちゃと早速おねだり。
「じゃあ、ちょうだい。ハーレイの髪の毛!」
「間違えるんじゃない、お前が俺に、だ」
「えっ!?」
ぼくが貰える方なんじゃないの?
あげる方なの、別にそれでもかまわないけど…。結婚宣言するんだしね、と思ったのに。
「ついでに一本や二本じゃないぞ。一房切って貰おうか」
女性の髪はな、そうそう簡単に切るもんじゃなかった。
それを一房も切って渡すから意味があるんだ、それほど愛してますって意味だ。
喜んであなたと結婚します、と。
どうする、お前?
結婚宣言出来るか、お前…?
(……えーっと……)
将来はハーレイのお嫁さんになると決めている、ぼく。
そのハーレイが教えてくれた、髪の毛を使った結婚宣言。遥かな昔の何処かの習慣。凄く素敵でロマンティックだと思ってしまうし、あやかりたいとも思うけれども。
(髪の毛を一房…)
ハーレイのためならチョキンと切れる。一房切り取って渡したくなる。
(…やりたいんだけど…)
今すぐチョキンと切りたいけれども、ぼくの髪の毛は長いと言ってもたかが知れてる。何処かを一房切ってしまったら、ママに一目で見抜かれてしまう。
(どうしたの、って訊かれるよね?)
ガムをくっつけちゃったから、なんて言い訳したって苦しすぎ。ぼくは自分で切ったりしないでママに助けを求めるタイプ。なんとかして、って慌てて走って行くタイプ。
だから勝手に切ったり出来ない。自分でチョキンと切り取れない。
(ハーレイのお嫁さん宣言はしたいんだけど…!)
でも切れない、と悩んでるのに、ハーレイときたら。
「遠慮していないで、まあ、切ってみろ」
結婚宣言、受け取ってやるぞ。
なあに、チョキンと一房切り取るだけだ。ハサミは其処だろ、取ってやろうか?
取ってこようか、とハーレイが椅子から腰を浮かせたから。
「やだっ…!」
嫌だ、とぼくは悲鳴を上げた。
髪の毛を切るのはかまわないけど、ママにバレたらとても困ると。
どうして切ったのか言い訳するのに、とってもとっても困るんだから、と。
結婚宣言をし損なった、ぼく。チョキンと一房、切ったらバレちゃう髪型のぼく。
ハーレイはフフンと鼻で笑って、ぼくの頭をクシャリと撫でた。
「確かに何処を切ってもバレるだろうなあ、この髪じゃな?」
しかしだ、それで俺の髪だけ寄越せというのは虫が良すぎる。
ついでに遺髪扱いも御免蒙る、俺からは絶対に渡さないからな。
せいぜい床に這いつくばってろ、と言われたけれども。
(…遺髪だなんて…)
ハーレイがいなくなったら嫌だ。死んでしまうなんて絶対に嫌だ。
いつかはそういう時が来るけど、その時はぼくもハーレイと一緒に行くんだと決めているから。独りぼっちで生きていたって仕方ないから、遺髪なんかは絶対要らない。そんな形見だけを持って独りぼっちで残されるなんて、怖くて想像したくもないから。
「…分かった。ハーレイの髪の毛、探すのやめる…」
縁起でもないって、こういう時に使う言葉でしょ?
遺髪だなんて言われちゃったら、探したくないし欲しくもないよ…。
「いいことだ」
そうしておけ、とハーレイの笑顔。ぼくの大好きな笑顔のハーレイ。
「お前、欲しいと言ってるがな…。そういうのは少しの間だけだな」
どうせいずれは探したいどころか邪魔になるんだ、俺の髪の毛。
「なんで?」
どうして、とぼくは驚いた。
ハーレイの髪の毛が邪魔になるなんて有り得ない。だって大好きなハーレイの髪。
くすんだ金色のハーレイの髪の毛、ハーレイの欠片で大事な一部。
遺髪だなんて言われなかったら、きっと今でも欲しいと思う。毟っちゃおうかと思ったくらいに欲しくてたまらない髪なのに、何故?
「俺と結婚した後だ。一緒に暮らすようになってからだな」
こんな所に落ちてたから! と怒鳴りに来るんだ、綺麗好きのお前が掃除中にな。
「やらないよ!」
前のぼくだって言ってないでしょ、そんなこと!
ハーレイと一緒に青の間で暮らしていた頃のぼく。ハーレイは夜しかいなかったけど…。
前のぼくも綺麗に掃除してたけど、ハーレイの髪の毛、邪魔だなんて一度も言っていないよ!
邪魔だったことなんて絶対に無い、とハーレイに抗議したけれど。
(…あれ?)
引っ掛かってきた、遠い遠い日のぼくの記憶。
今のぼくじゃなくて、前のぼく。綺麗好きだったソルジャー・ブルー。
部屋付きの掃除係がちゃんといたのに、出来る範囲は自分で掃除をしていた青の間。
そういえば捨てていたかもしれない。
バスルームは流石に手に負えなかったから、掃除しやすいように軽く片付けてただけ。その時に見付けたハーレイの抜け毛。バスタブの縁とか、たまに一本落っこちていた。
(拾って捨ててたんだよね…?)
ヒョイと摘み上げて持ち去った記憶。
こんな所に落として行ったらバレるじゃないか、って苦笑してた、ぼく。
キャプテンが青の間のバスルームを使っているとバレると、ぼくたちの仲がバレてしまうと。
(…捨てちゃってた…!)
ついでに邪魔物扱いしてた、と思い出した途端に、ハーレイの声。
「思い出したか? 前のお前の、俺への扱い」
「…うん、思い出した…」
「だったら今度も言うってことだ。髪の毛なんかを落としておくな、と」
きちんと自分でチェックしておけ、と怖い顔をしてお説教だ。
それが掃除の基本だろう、とな。
「言わないよ!」
絶対言わない、とぼくはハーレイに言い返した。
前のぼくはそれを言っただろうけど、今度のぼくは絶対言わない。
ぼくたちは結婚するんだから。
髪の毛を渡して結婚宣言はやり損ねたけど、今度は結婚するんだから。
白いシャングリラで暮らしていた遠い昔と違って、誰にも内緒にしなくていい。ぼくたちの仲を隠さなくても、秘密にしなくても平気な世界。堂々と結婚出来ちゃう世界。
そしてハーレイと結婚したなら、家の中にはハーレイの髪の毛が落ちているのが当たり前。家の持ち主の髪の毛が落ちてて当たり前。
ダイニングだって、リビングだって。青の間の頃みたいにバスルームだって。
(階段とかにも落ちてるかもね?)
ハーレイが其処に居たって証拠に、家のあちこちに落ちているだろうハーレイの髪。ぴったりと撫でつけてある髪が油断した時に落ちちゃう抜け毛。くすんだ金色の短い髪の毛。
何処で見付けても、きっと嬉しい。邪魔にする代わりに、きっと嬉しい。
ハーレイが落とした髪の毛なんだと、一緒に暮らしているんだ、と。
ぼくの部屋でいくら這いつくばっても見付からなかった髪の毛が沢山。
いろんな所に、沢山、沢山。
きっと見付ける度に幸せ。
此処にもあるって、此処にもあった、って、きっと幸せ…。
「俺の抜け毛が沢山って…。お前は俺をゼルにしたいのか、と!」
「思わないよ!」
ハーレイは今の姿が一番大好き。
髪型だって今のが好きだよ、ゼルみたいに禿げたハーレイは嫌だ。
でもね、もしもハーレイが禿げちゃったとしても…。
ぼくはハーレイのことが好きなままだよ、だってハーレイはハーレイなんだから。
ホントはハーレイは禿げたりしない。
ぼくと再会するのが遅くて、ハーレイが年を取り続けてたら危なかったかもしれないけれど。
ハーレイはもう年を取るのを止めているから、ゼルみたいに禿げることはない。だから抜け毛も増えたりはしない。
そういうことは分かっているけど、ついつい二人で笑ってしまった。
抜け毛を沢山落とすためには、ハーレイはゼルみたいな頭を目指すしかないと。沢山の抜け毛を見付けて幸せなぼくは、ハーレイがすっかり禿げてしまった後は幸せ探しをどうするんだろうと。
「俺の抜け毛で幸せの数を計られてもなあ…」
「大丈夫。抜ける毛がすっかり無くなっちゃったら、他の幸せが降ってくるよ」
だって、結婚してるんだもの。
いつまでもハーレイと一緒なんだもの、幸せは増える一方なんでしょ?
「確かにな。うんと幸せになるんだったな、今度はな」
「そうだよ、ハーレイが禿げたとしてもね」
「禿に関しては安心しておけ。俺の親父はヒルマンに少し似てると言っただろうが」
つまりだ、禿げてないわけだ。
この間、年を取るのを止めたばかりだってことも知ってるな?
俺はゼルにはならないわけだな、抜け毛だって増えたりしないってな。
そんな話で笑い交わして、ハーレイが帰って行った後。
いつものようにティーカップとかをキッチンにいるママに届けて、テーブルを拭いて。それから椅子の位置を直して、これでいいかな、と床を眺めた時。
(あっ…!)
ハーレイが座っていた椅子の直ぐ横に、キラリと金色。
屈み込んでみたら、くすんだ金色の短い糸。ついに見付けた、念願の抜け毛。ハーレイの欠片。
拾い上げて明かりに透かしてみて。
(…ハーレイの欠片…)
やっとあったよ、と胸がドキドキしたけれど。
大切に仕舞っておこうと嬉しい気持ちになったけれども、耳の何処かに残っていた声。
ハーレイが言ってた髪の毛の話。
結婚宣言に一房切り取って渡した地域もあったという髪。
赤ちゃん筆なんかもあったという髪。
でも、髪の毛を取っておくってことは、大抵は…。
(……遺髪……)
ブルッと肩を震わせた、ぼく。
遺髪だなんて耐えられやしない。前のハーレイはぼくの髪の毛さえ手に入れられずに、長い長い時を独りぼっちで生きたけれども、ぼくには無理。
たとえハーレイの髪があっても、ハーレイがいない世界で生きていけやしない。
ぼくよりも強かった前のぼくでさえも、独りぼっちになってしまったと泣きながら死んだ。右の手が冷たいと泣きじゃくりながら死んでしまった。
独りぼっちには耐えられない。ハーレイのいない世界なんて嫌だ。
(…こんなの、縁起でもないってば…!)
やだ、と屑籠に捨てることにした。昨日までなら欲しかったけれど、今は要らない金色の髪。
だけど、ハーレイの欠片だから。
大好きなハーレイが落っことしていった欠片なんだから、ゴミとは違う。
(…ゴミ扱いだなんて、もったいないよ…)
どうしようかな、と考えた末に、真っ白な紙に大切に包んで、おまじない。
おまじないには詳しくないから、ぼくの自己流。
(ハーレイの髪の毛を沢山見付けられる日が早く来ますように…)
家にハーレイの髪の毛が落ちているのが普通になる日が、早く来てくれますように…。
お祈りをしてから、髪の毛を包んだ紙にキスをして、捨てた。
屑籠にポイと入れる時にも、「これが普通になりますように」って心で唱えた。
(今度は邪魔物にしたりしないよ、ハーレイの髪の毛)
ふふっ、と捨てた包みを見下ろした。
おまじないも出来たことだし、これからもやっぱり探してみよう。
くすんだ金色の短い糸。
ハーレイが滅多に落としてくれない、金色の欠片。
幾つも拾って、紙に包んで、おまじないとキス。
沢山おまじないをかけておいたら、結婚が早くなりそうだから…。
金色の欠片・了
※ハーレイの髪の毛が落ちていないか、頑張って探していたブルー。金色の欠片を。
やっと見付けたものの、保存するのは…。ならば、と今度はおまじないです。
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(あっ、キノコ…!)
ブルーの視線が捉えたキノコ。庭の芝生にポツンと一本、白いキノコが生えていた。ハーレイと二人で午後のお茶を、と出て来た庭。そういえばキノコの季節だったか、とブルーは思う。
庭で一番大きな木の下に据えられた白いテーブルと椅子。母がお茶とお菓子を運んで来てくれ、ハーレイと向かい合わせで座ったブルーは「ハーレイ、あれ」とキノコを指差した。
「いつ生えたのかな? 昨日は無かったと思うんだけど…」
確かに生えてはいなかったと思う。学校から帰って、おやつを食べながら見ていた庭にキノコは無かった。いつの間に、とブルーは不思議でたまらないのだけれど。
「そりゃまあ…。お前が見てない間さ、キノコってヤツは成長が早い」
一晩もあれば生えて来るさ、とハーレイはブルーに教えてやった。
「その代わり、生えたと思ったら一日くらいで消えちまうキノコもあるからなあ…。キノコ狩りはけっこう大変らしいぞ、種類によっては」
SD体制よりも前の時代の中国の料理だった中華料理。お前だって店で食ったりしてるだろ?
あれの食材でキヌガサタケっていうキノコがあるが、だ。
真っ白なレースみたいな傘を広げる綺麗な姿で有名なんだが、そいつは一日で消えちまうんだ。
「一日?」
「そうさ、たったの一日だ。キノコ狩りのチャンスは一日ってことだ」
雨上がりに生えることが多いから、そういう日に採りに行くんだな。
チャンスを逃すと萎んじまったキノコしか無くて、もう食えんそうだ。
「一日だけかあ…」
なんて慌ただしいのだろうか、とブルーはキノコ狩りへの認識を大きく改めた。幼い頃に読んだ絵本で子供たちが森でキノコを採っていたけれど、その光景はのんびりしたもの。いつ出掛けてもキノコはあるのだと思っていたのに、種類によっては時間との勝負だっただなんて。
(…行ったこと無いから知らなかったよ…)
絵本でしか知らないキノコ狩り。生まれつき身体の弱いブルーは山を殆ど知らないから。
でも、ハーレイはどうだろう?
頑丈な身体のハーレイだったら、キノコ狩りも経験したのだろうか…?
「ねえ、ハーレイ。…キノコ狩りって、行ったことある?」
ブルーの問いに「あるぞ」と直ぐに返った答え。
「親父とおふくろが好きな方でな、ガキの頃にはよく行ったもんだ」
今でもたまに誘われるな。明日、行かないかと言って来たりな。
「そうなんだ…。今でも行くんなら楽しいんだね」
「山は気持ちのいいもんだしな。…って、お前、もしかして…」
行ったことがないのか、キノコ狩り?
一度も行っていないのか…?
「うん…。学校からはキノコ狩りには行かないし…」
パパとママと一緒に山に行ったのはハイキングだけ。
山の天辺までも登れなくって、途中でお弁当を食べて帰って来てたよ、小さな頃は。
「なるほどなあ…。そういう子供にキノコ狩りは無理か…」
お父さんとお母さんの気持ちも分かる、とハーレイの鳶色の瞳がブルーを映して揺れた。
キノコ狩りは運に左右されるから、ドッサリ採れたり、まるで採れなかったりすることもある。
小さなブルーを連れて出掛けて、キノコが見付からなかったなら。ブルーはガッカリするだけで済まず、見付かるまで探すと駄々をこねるに違いない。
ただでも身体の弱いブルーが山や森の中を歩き続ければ、どんな結果になることか。楽しい筈のキノコ狩りがブルーの身体を壊してしまって、高熱が出たりするかもしれない。
ブルーの両親はそういったリスクを考えた上で、キノコ狩りに行かなかったのだろう。ブルーの頑固さは前の生から変わっていないし、キノコが無ければ日暮れまで探しそうだから…。
「面白いんだがなあ、キノコ狩りは…」
しかし頑固で身体の弱いチビには向かないレジャーだ、寝込んじまったら大変だしな。
お前、キノコが採れなくっても諦めたりはしないだろうが。
「探したと思うよ、見付かるまで。…今はそこまでやらないけれど…」
小さい頃ならやったと思う。
パパとママが「帰ろう」って何回言っても、絶対聞かずに探したと思う…。
「そういうガキでも元気だったら連れてって貰えたと思うが、お前はなあ…」
「後で寝込むの、確実だしね」
行けなくっても仕方ないよね、キノコ狩り。
だけどキノコはシャングリラの中でも育ててたのに…。
成長が早いとか、一日でヒョッコリ出て来ちゃうとか、前のぼくは全然知らなかったよ。
「菌床栽培だったからなあ、畑に生えてたわけじゃないしな?」
前のお前が視察に行っても、さほど関心は無かっただろう。
栽培用の施設を眺めて、こんなものかと思って終わりだ。
「本当はこんな風に地面から生えるものだよね、キノコ」
「うむ。木の幹とかにも生えるがな」
歯が立たないような硬いキノコが生えたりもするさ、木の幹だとな。
うんと硬くて、生えてる所が木の幹だろう?
サルノコシカケなんて名前がつくんだ、サルが腰掛けていそうだからな。
「ハーレイ、サルノコシカケも見た?」
「見たさ、でっかい木の幹に幾つもくっついていたぞ」
サルは座っていなかったが…。
座れそうなサイズではあったな、うん。
ハーレイが出掛けたキノコ狩りの話を、ブルーは瞳を輝かせて聞いた。落ち葉の下に隠れているキノコの探し方とか、食べられるキノコの見分け方だとか。
食べられないキノコの方が多くて、食べられるキノコはあまり多くはないというから。
「…食べられるキノコは庭には生えない?」
あれもダメかな、と芝生の白いキノコを示すと「あれは駄目だな」とハーレイが笑う。
「食ったら死ぬってほどでもないがな、食える類のキノコじゃないな」
庭に生えるキノコはまず無理だ。
食えるキノコを探すんだったら、山か森ってことになるなあ…。
「そっか…。庭にキノコはたまに生えるけど、食べられないんだ…」
「前のお前は見ていないのか、キノコ」
シャングリラの外に出た時に。
お前、時間を調整する時は山とかに隠れていなかったか?
「あったよ、キノコ。山にも、森にも」
「…惜しいことをしたな、お前。あの時代なら毒キノコは存在しなかったそうだ」
テラフォーミングの過程で危険な植物などを取り除いていた。
マザー・システムからの指示でな。
「そうだったの?」
「らしいぞ、俺も親父から聞いただけだが…。キノコ好きの間じゃ有名らしい」
だからだ、アルテメシアで見付けたキノコを食っていたなら美味かったかもしれん。
前のお前ならサイオンで簡単に焼けただろ?
焼き立てのキノコに塩を振ったヤツも美味いモンだぞ、レモン汁をかければもっと美味いな。
「えーっ!」
知らなかった、とブルーは叫んだ。
眺めていただけのキノコが美味しかったかもしれないのだ、と聞くと悔しくなってくるから。
「今は? ハーレイ、今のキノコは?」
「残念だが、あの時代のようなわけにはいかんな」
植生を元に戻してしまったからな。
毒キノコもきちんと生えているから、どれを食っても安全ってわけではないんだよなあ…。
かつては存在していなかったのに、今はあるという毒キノコ。
キノコ狩りをするには厄介だけれど、それが本来の自然というものなのだ、とハーレイに改めて言われなくともブルーには分かる。
遠い昔に地球を死の星にしてしまった人間が同じ過ちを繰り返さぬよう、あえて元の通りに木や草を植えた。人間に害をなすものであっても、神が創った自然のままに。
それが正しいと分かってはいるが、前の自分が食べ損ねたらしい無害なキノコ。どうして食べてみなかったのか、と悔しがるブルーに「今も悪いことばかりじゃないぞ?」とハーレイが言う。
「ずっと昔に貴重品だったキノコが今では採り放題ってな」
SD体制よりもずうっと昔だ、この辺りが日本って島国だった頃の話だな。
「どんなキノコ?」
「松茸だ」
「松茸!?」
ブルーは赤い瞳を丸くした。秋になれば食料品店に並ぶ松茸。秋しか見かけないキノコとはいえ高価ではないし、他のキノコと変わらない。貴重品だったなどとは思えないのに…。
「あれって貴重品のキノコだったの? 高かったとか?」
「らしいぞ、キノコとも思えん値段がついてたらしいが…。そのまた昔は安かったそうだ」
学校の食堂でも出て来たくらいに普通のキノコで、つまりは今と同じだな。
ところが採れなくなっちまってだ、値段がぐんぐん上がっちまった。
「なんで採れなくなっちゃったの?」
「人間が山に入らなくなって、手入れが行き届かなくなったんだ。里山っていう言葉があってな、そういう山では人間と自然が共存していた。松茸は里山のキノコだったからな…」
山が荒れたら、もう生えないのさ。
下草を刈ったり、茂りすぎた木を切って明るくしたり。そういったことも時には要るんだ。
「そっか…。自然って、放っておくのが正しいとも限らないんだね」
「上手く共存したいのならな。人間からは何もしないで奪うだけでは駄目だってことだ」
里山って言葉は使われてないが、手入れされた山はあるだろう?
今のお前が遠足で出掛けるような山だな、ああいう山が松茸にピッタリの山なんだ。
遥かな昔には里山と呼ばれた、人と自然とが共に生きる山。
青く蘇った地球の上には、その里山もまた蘇っていた。適度に手を入れ、自然に親しめる場所として。そうした山に出掛けて行けば…、とハーレイはブルーに話してやる。
「今の季節なら、松茸のフェアリーリングが見られるかもな」
「何それ?」
「この辺りが日本だった時代は、天狗の土俵と呼んでたらしいが…」
土俵は分かるな?
前の俺たちの時代には無かった相撲の土俵だ、天狗が其処で相撲を取るんだと思われていた。
松茸がぐるりと円を描くのさ、そういう形で生えているから天狗の土俵というわけだ。
「フェアリーリングは?」
そのまんまの意味だ、妖精の輪だな。
妖精が夜の間に輪を描いて踊った後にキノコが生えると昔の人たちは信じていたんだ。
そいつに入ると違う世界に行けるそうだぞ、妖精の世界とか、過去や未来に。
「過去と未来かあ…」
ひょっとして、とブルーはハーレイに問いを投げかけた。
「ぼくたち、それを通って来たかな?」
何処かでフェアリーリングに出会って、青い地球まで。
ぼくは全然覚えてないけど、前のぼくとハーレイと、二人でフェアリーリングに入ったとか。
「さてな? そういったものに出会っていたなら…」
一人で入りはしないだろうなあ、側にお前が居たならな。
これは何だろう、と言いながら二人で入っただろうな、しっかりと手を繋いでな。
「ねえ、ハーレイ。もしもフェアリーリングに出会ったら…」
入ったら過去に飛ばされちゃうってことはないよね、メギドとかに。
「それは勘弁願いたいが…」
結婚したらキノコ狩りに連れてってやろうかと思ったんだが、やめておくか?
フェアリーリングがあったら困るからなあ、ウッカリ入ってメギドじゃたまらん。
「んーと…。キノコ狩りには行きたいんだけど…」
フェアリーリングをどうしようか、とブルーは首を捻った。
入れば過去に飛んでしまうかもしれない、妖精たちが輪になって踊った跡地。
ただの伝説だと笑えはしない。
自分もハーレイも遥かな時を超えて地球に生まれ変わって来たのだから。
遠い昔にはフェアリーリングで時を超えた人がいたかもしれない。
自分たちだって超えてしまわないとは限らない。けれど…。
(…キノコ狩りには行きたいんだよ!)
たとえ松茸のフェアリーリングがあろうとも、と思った所で素晴らしいアイデアが閃いた。
「ハーレイ、フェアリーリングの松茸! 採っちゃえば?」
松茸を全部採ってしまえば無くなるよ、リング。
入らずに外から採っていくんだよ、フェアリーリングになってる松茸。
「おいおい…。そして松茸、全部食うのか?」
「うんっ!」
松茸御飯とか、焼き松茸とか。
ハーレイ、料理は得意なんだし、色々作って食べちゃおうよ。
フェアリーリングも分解しちゃえば、ただの松茸になるんだものね。
それがいいよ、と勢いよく宣言してから「でも…」とブルーは考え込んだ。
「松茸の妖精って、どんなのかな?」
「この地域じゃ天狗の土俵だしなあ、チビの天狗かもしれないぞ」
松茸の上に座れるようなサイズの天狗だ、お前どころじゃないチビだな。
天狗は空も飛ぶというから、そういう妖精でいいんじゃないか?
「小さな天狗かあ…。可愛いよね」
フェアリーリングを壊さないよ、って言ってあげたら何か貰えるかな?
松茸を採らずに見逃してあげたら。
「天狗の団扇か?」
「それって、貰ったらいいことがあるの?」
「その団扇で煽ぐと鼻が伸びるそうだぞ、天狗どころか天まで届くくらいにな」
伸びた鼻を天の川の橋の杭にされちまったっていう昔話があるからなあ…。
「そんなの、とっても困るんだけど…」
「俺も困るが…」
「そうだよね、天までじゃなくて天狗くらいでも、鼻が伸びちゃったハーレイなんか…」
なんだか違うよ、ハーレイじゃないよ。
「伸びるのは俺の鼻なのか!」
「酷いや、ハーレイ! 困るって、ぼくの鼻を伸ばす気だったの!?」
そんなの酷い、と膨れるブルーにハーレイは慌てて謝る羽目に陥った。
もしもブルーの鼻が伸びたらとても困ると、今のブルーの鼻が好きだと。
松茸の妖精がくれるかもしれない天狗の団扇。
煽ぐと鼻が伸びるというだけの団扇らしいから、ブルーは残念そうに呟く。
「同じ伸びるんなら、背が伸びるように出来ていればいいのに…」
背が伸びるんなら欲しいんだけどな、天狗の団扇。
「そいつは天狗の団扇じゃないな。背が伸びる道具は打ち出の小槌だ」
「打ち出の小槌?」
耳寄りな道具の存在を聞いて、瞳を輝かせるブルー。
伸ばしたいと望み続けている背丈。前の自分と同じ背丈になるまでハーレイとキスすら出来ない身なのに、一向に伸びてくれない背丈。
それを伸ばせる道具がある、と耳にしたから大喜びで訊いた。
「ハーレイ、その…。えっと、ナントカの小槌は何処で貰えるの?」
「貰うんじゃなくて、拾うんだ。鬼が落としていくからな」
まずは鬼退治をしないと駄目だ。打ち出の小槌は鬼の大事な宝物なんだ。
「…鬼って何処かにいるのかな?」
「お前なあ…。鬼退治って、鬼に勝てるのか?」
「……無理?」
だけど誰かが勝ったんでしょ、とブルーが今度は勝つ方法を尋ねてくるから。
ハーレイは「同じチビでもお前には無理だ」と、ブルーよりも遥かに小さな身体で鬼退治をした勇者の話を聞かせてやった。
お椀の船に箸の櫂。針の刀で鬼に挑んだ、一寸法師の昔話を。
「…分かったか? 鬼が丸飲み出来るサイズのチビだから針で勝てたんだ」
お前じゃとても勝負にならん。
前のお前なら楽勝だろうが、打ち出の小槌が欲しいのは今のお前だろ?
鬼に齧られるのが関の山だな、打ち出の小槌は諦めておけ。
それにだ、万が一、お前が鬼に勝ったとしても、だ。
打ち出の小槌を手に入れて背丈を伸ばしたとしても、お前、十四歳だしな?
中身は立派な子供ってヤツだ、生憎だがキスはしてやれないな。
「…背だけ伸びてもキスは駄目なの?」
「当たり前だろうが」
現に今だって庭で健全なデートの真っ最中だぞ、お父さんやお母さんから見える場所でな。
声までは聞こえていないだろうから、こういう話も出来るわけだが…。
ちょっとデートに出掛けてきます、と家も出られない子供なんだぞ、今のお前は。
そんな子供が背だけ伸びても、どうにもこうにも…。
中身の方もきちんと育たないとな?
十四歳では話にもならん。
鬼退治を頑張ったとしても、子供だからと相手にして貰えないらしい小さなブルー。
打ち出の小槌で背丈を伸ばしても、ハーレイとキスは出来ないと言われて肩を落とすブルー。
中身も育たないと駄目だとなったら、いったい何年かかるのだろうか。
結婚出来る年は十八歳だけれど、そこまでの年数も十四歳の子供にとっては長いもの。前世では三百年以上も生きたけれども、だからと言って「ほんの一瞬」とは思えはしない。
今のブルーは子供なのだし、時の流れの感じ方が違う。前の自分とは比べられない。
(…まだまだ何年もかかるだなんて…!)
なんで、と大きな溜息をつけば、向かいに座った恋人がいとも簡単に。
「そんなに心配しなくってもな?」
俺と松茸狩りに行ける頃には結婚してるし、キスもしてるさ。
ほんの数年の我慢だろうが。
「でも…!」
「その数年が待てないってか?」
だがな、待てば待つほど有難味が増すって言葉もあるだろ?
反則技で背だけ伸ばして、俺に無視されて悔しがるよりチビのままでいろ。
お前はゆっくり幸せに育てと何度言ったら分かるんだ?
前のお前が出来なかった分まで、うんとゆっくり、幸せにな。
そういうお前を側で見るのも、俺の幸せな時間の一つだ。
今度のお前はチビでいいんだと、可愛がられてる子供なんだと心が温かくなってくるんだ。
俺はいくらでも待っててやるから、小さな子供でいてくれ、ブルー。
打ち出の小槌なんかを貰おうとせずに、そんな道具で背を伸ばさずに…。
いいな、と何度も念を押した後で、ハーレイは芝生の白いキノコに目を止めた。
フェアリーリングが出来る原因はキノコの菌糸だと聞いているから。
この地域では松茸が作り出す天狗の土俵が有名だけれど、他の地域では違うキノコが輪を描いてフェアリーリングを作るというし…。
(…松茸だけとは限らないからな、この辺りでも)
キノコ狩りには出掛けるけれども、さほどキノコに詳しくはない。芝生の上の白いキノコが食用ではないと分かる程度で、その名前までは分からない。
もしもフェアリーリングを作る類のキノコだったら、と心配になって、ブルーに「おい」と声をかけた。
「あそこのキノコ…。あれが増えたりすることがあって、だ」
お前の家の庭にフェアリーリングが出現したって、入るんじゃないぞ?
伝説ってヤツも馬鹿には出来ん。
この庭からメギドに繋がっていたら大変だからな。
「ぼくだって嫌だよ、メギドなんて!」
入らないよ、と震え上がったブルーだけれど。
(…でも、妖精…)
松茸の妖精は小さな天狗かもしれないから、あまり役には立ちそうにない。
鼻が伸びるという天狗の団扇を貰っても何もいいことはない。
けれど、芝生の白いキノコに妖精が住んでいるのなら。
妖精は不思議な力を持っていると言うから、もしも…、とブルーは考える。
もしもフェアリーリングが庭に出来たら、いきなり入らずに妖精がいるか探してみようと。
運よく妖精を見付けられたら、頼んでみたい。
過去へ、未来へと飛ぶことが出来るフェアリーリング。
その輪の力を貸して貰って、結婚出来る十八歳まで時を飛び越えられないか、と。
一気に時間を超えられたならば、きっと背丈も伸びている筈。
背が伸びてハーレイと結婚出来る日までの道のりをヒョイと飛び越え、未来の自分の家の庭へと降り立つことが出来たなら…。
(うん、結婚式の少し前くらいとか!)
それとも婚約、それとも初めてのキスの前の日?
どの辺りまで時を飛び越えようかと、ズルをして未来へ飛んでゆこうかと浮き立つ心から思念が零れる。キラキラと光る欠片がブルーの心から零れて落ちる。
ブルーの嬉しげに輝く瞳と、弾む心と。
白いテーブルを挟んで座った恋人がそれに気付かないわけなど無くて。
「馬鹿!」
この馬鹿者が、とハーレイはブルーを叱り付けた。
「俺と結婚出来る未来まで時を飛び越えてズルをするだと!?」
そこまでの幸せを捨てるのか、お前。
この先、お前が大きく育っていくまでの時間。
俺と何回、こうして庭でお茶を飲んだり、笑い合ったりするんだと思う?
二階のお前の部屋で何回、飯を食ったりするんだと思う?
その度に新しい発見があったり、前の俺たちのことを思い出したり…。
一つ一つは小さなことだが、そうした出来事を積み重ねていって幸せがうんと増すんだからな。
背が伸びなくって悔しい思いもするだろう。
俺に子供扱いされたと膨れっ面だってするだろう。
メギドの夢だって見るかもしれんし、幸せばかりの時間だとは言わん。
だがな、幸せは過ごした時間の分だけ増えるもんだし、減ったりはしない。
前のお前だってそうだっただろ?
寿命が百年減っていたとしたら、どれだけの幸せを逃していた?
それと同じだ、今だってそうだ。
お前が生きた時間の分だけ幸せってヤツもついてくるのさ、それを置き去りにするのは馬鹿だ。
時間を飛び越えて幸せの真っ只中に降りるつもりでいるんだろうがな、ただの馬鹿だ。
沢山の幸せを捨ててしまった馬鹿になるんだ、それをやっちまったお前はな。
ハーレイの言葉は当たっていたから。
小さなブルーにも充分に分かる重みを帯びていたから、ブルーは「うん…」と小さく頷いた。
馬鹿と言われても仕方ない自分。あまりに考えなしだった自分。
「ふむ。…馬鹿でも物分かりはいいようだな」
今度からよく考えるんだぞ、と大きな褐色の手がブルーの頭をクシャリと撫でた。
「お前が飛び越えようと思った時間の長さ。俺と出会ってからの時間の何倍分だ?」
三倍以上は軽くあるだろ、それだけの時間でどれだけの幸せに出会えるんだか…。
捨てちまうのはもったいない。毎日、きちんと味わってこそだ。
「…分かった。触らないよ、フェアリーリングが出来ても」
妖精を探して頼みもしないし、未来へ飛んだりしないよ、ハーレイ。
ちゃんとハーレイと一緒に過ごすよ、ぼくが飛ぼうとしてた先まで…。
「よし。あそこのキノコが輪になって生えても放っておけ」
そしてだ、いつかキノコ狩りに出掛けて松茸で出来たフェアリーリングを見付けたら…。
お前が言ってたみたいに端からどんどん採っちまって。
全部採り尽くして二人でたらふく食おうな、親父たちにも配ってな。
「うんっ! 天狗の団扇は欲しくないしね」
「ああ。お互い、相手の鼻は今の高さが一番だってな」
もっとも、お前はもう少しばかり伸びた形がいいんだが…。
背丈に合わせて、前のお前と同じ分だけ、ほんのちょっぴり。
しかしだ、ズルをするんじゃないぞ?
打ち出の小槌も、フェアリーリングも使うんじゃない。
今のお前に見合った時間をかけて、ゆっくりゆっくり伸ばしてくれ。
いくらでも待っていてやるから。
お前が前とすっかり同じに育つ時まで、何十年だって待ってやるから……。
妖精の輪・了
※キノコが作るフェアリーリング。それに入れば、妖精の世界や過去や未来に行けるとか。
幸せな未来へ、時を飛び越えたいブルーですけど…。其処へ至る時間も大切なのです。
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(んーと…)
おやつを食べてるテーブルの上に、パパに届いたダイレクトメール。百貨店からの眼鏡の広告。
パパは眼鏡をかけてないけど、そういったことは関係ないんだ。何処の家でも届くと思う。この百貨店で買い物をしてて、登録している家だったら。
(今でも眼鏡があるんだよね…)
近眼なんかは眼科に通えば簡単に治る。前のぼくの時代でもそうだったけれど、眼鏡はあった。眼鏡でなくちゃ、と頑固にかけてる人たちがいた。
前のぼくがメギドで失くしてしまった右目。キースに撃たれて失くした右の目。
あの目だって、ぼくが死なずに生きていたなら治せていた。細胞を取って、培養して。失くした右目と全く同じな目玉を作って、移植するだけで視力も戻った。
そこまで進んでいた医療。前のぼくが生きていた頃でさえ、そう。
あれから長い長い時が流れて、死の星だった地球が蘇って今みたいに人が住める星になった。
もちろん医療技術も進んで、眼鏡は全く要らない時代。なのに絶滅していない眼鏡。
(シャングリラにだって眼鏡の人はいたんだけどね…)
眼鏡をかけてた子供だって居た。子供に眼鏡は邪魔そうだけれど、本人は気にしていなかった。子供のためのコンタクトレンズだってあったのに。成長に合わせて作り替えが可能だったのに。
近眼を治す医療技術もあった。だけど眼鏡の子や、コンタクトレンズ。
元のままの身体がいいと思ったのか、単なる好みか。
前のぼくの目は普通に見えていたから、その辺りの気持ちは分からない。今だって同じ。
(…お洒落だと思っていたのかな?)
かっこいいとか、そういった理由で眼鏡だったのかな、と思わないでもない。コンタクトレンズだった人たちの方は謎だけれども、眼鏡は少し分かる気がする。
だって、今では眼鏡は完全にファッションだから。
パパにダイレクトメールが届くくらいに、お洒落なアイテムなんだから。
眼鏡が今まで絶滅しないで来られた理由は…。
(…マードック大佐の眼鏡だなんてね)
SD体制が崩壊した時、グランド・マザーが最後に命じた地球の破壊。
人の手を離れた六基のメギドが地球へと照準を合わせ、それらが発射される直前。地の底深くで息絶えようとしていたジョミーとキースの意を汲んだ者たちが止めに向かった。
ジョミーはトォニィとナスカの子たちに、キースは直属の精鋭部隊にメギドを止めろと伝えた。
けれども間に合わなかった一基。壊せずに残ってしまったメギド。
誰もが「駄目だ」と思ったメギドを、乗った船ごと体当たりして止めた英雄がマードック大佐。彼が眼鏡をかけていたから、眼鏡は残った。
かっこいい男は眼鏡なのだと、マードック大佐みたいに自分をカッコ良く見せてみたいと。
(マードック大佐は英雄だもんね…)
ジョミーもキースも英雄だけれど、マードック大佐も地球をメギドから守った英雄。
英雄の威力は実際凄くて、今じゃ眼鏡は断然、男性。
眼鏡をかけた女性の英雄がいなかったせいか、眼鏡の愛好者には男性が多い。
女性の場合はジャーナリストに眼鏡の人が多いかな?
SD体制崩壊の過程で活躍していた女性ジャーナリストが、いつも眼鏡をかけていたから。
ジョミーの幼馴染だったスウェナ・ダールトン。
彼女みたいになりたい人とか、あやかりたい女性に眼鏡派が多い。
要するに眼鏡は男性も女性もファッションでかけるし、自分をお洒落に見せるアイテム。
だけど……。
(…前のぼくの補聴器は流行らなかったんだよ)
今のちっぽけなぼくと違って、ソルジャー・ブルーは英雄だった。
全ての始まりとされる伝説のタイプ・ブルー・オリジン、初代のソルジャー。
入学式とかでは「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」って校長先生が言うのが定番。それにお墓も特別扱い、記念墓地の一番奥に単独で据えられた立派な墓碑。ジョミーとキースがその次に並ぶ。
英雄の中の英雄になってしまった前のぼく。
そのぼくが着けていた記憶装置を兼ねた補聴器は、トォニィの代まで受け継がれたのに。
ソルジャーの象徴であるかのように大切に継がれていったというのに、何故か全く見かけない。
眼鏡をかけた人はけっこういるのに、あの補聴器は一度も見たことがない。
お洒落じゃないって言いたいんだろうか、ずいぶん失礼な話だと思う。
(…ジョミーとトォニィは着けてくれたのに!)
二人とも完全な健康体だったから、補聴器としての機能は切っていた筈。記憶装置としての機能だけを使っただろうと思うけれども、ちゃんと着けてた。ソルジャーの衣装の一部みたいに。
ソルジャー自体が「かっこいい」と思われる存在なんだし、初代は伝説のソルジャー・ブルー。前のぼくやジョミーやトォニィが着けた補聴器はどうして流行っていないんだろう?
あれを着けた人がいたっていいのに。
前のぼくと、ジョミーと、それにトォニィ。ヘアスタイルがまるで違った三人なんだし、どんなヘアスタイルでもあれは似合うと思うんだ。
(…それなのに誰も着けてないだなんて、どういうこと!?)
マードック大佐の眼鏡は大人気なのに、無視された形の前のぼくの補聴器。
全然お洒落じゃないとばかりに商品化されていない補聴器…。
(…補聴器はハーレイも着けていたけど…)
前のぼくのとは違ったタイプの補聴器。
ハーレイが着けてた補聴器は…仕方ないよね、流行らなくっても。
ぼくはハーレイのことが大好きだけれど、世間一般では「かっこいい」と評価されないだろう。前のハーレイを女性クルーたちがどう評してたか、ぼくは今でも覚えているもの。
薔薇の花のジャムが似合わないだとか、薔薇の花さえも似合わないとか。
前のハーレイの外見に対する評価は酷かった。最悪とまでは言わないけれども酷かったよね、と部屋に戻ってから思い出し笑いをしていた所へ来客を知らせるチャイムの音。
(もしかして…!)
ハーレイかも、と見下ろした窓の向こうに見慣れた人影。門扉を開けに庭へと出てゆくママ。
(ちょうどいいから訊いてみようっと!)
前のぼくの補聴器が流行らない理由。
マードック大佐の眼鏡は流行っているのに、前のぼくの補聴器を見かけない理由。
忘れないようにと心にしっかりメモした。
でないとハーレイに会った途端に、幸せが溢れて質問を何処かへ持ってっちゃうから。
ママがハーレイをぼくの部屋まで案内して来て、お茶とお菓子を置いて行って。この後は夕食に呼ばれるまでママは絶対二階に来ないし、二人きりの時間。
テーブルを挟んで向かい合わせで、ぼくは早速切り出した。
「ねえ、ハーレイ。…なんで眼鏡だけ流行るんだろう?」
「眼鏡?」
意味が分からないといった顔のハーレイ。ちょっと言葉が足りなかったか、と眼鏡と補聴器とを巡る疑問を説明したら。
「仕方ないだろう、お前の補聴器は服を選ぶんだ」
ソルジャーの衣装を着けていないと絵にならない、と返った答え。
マントや上着や、手袋にブーツ。そういったものが揃っていないと駄目だと言われたら、そんな気もする。でも…。
「ハーレイの補聴器は服を選びそうにないけど、流行ってないね」
ちょっぴり意地悪してみたくなった。前のハーレイの評価の酷さを知っているから。
薔薇の花のジャムも、薔薇の花さえも似合わないって女性クルーたちが評したハーレイ。自覚はしていたと記憶してるから、苛めてみたら。
「俺のも服を選ぶんだ!」
何だろう、この自信たっぷりと言うか、開き直った態度と言うか。
「そういうことにしてもいいけど…」
「文句があるのか?」
お前が何を考えてるのか、俺には筒抜けになってたからな?
酷い評価がついてたと知ってて、お前は俺に惚れてるわけだ。
実に悪趣味だな、お前の好み。それを承知で俺の悪口、言ったんだろうな…?
(……ぼくって悪趣味?)
思いもかけない逆襲に遭って絶句していたら、ハーレイの大きな手にポンポンと頭を叩かれた。
「安心しろ。前のお前はどうだか知らんが、今ならさほど悪趣味でもない」
「…なんで?」
上がったんだろうか、ハーレイの評価。今のハーレイ、モテるんだろうか?
「柔道部のヤツらに人気があるのは知ってるだろう? 前の教え子たちも同じだ」
憧れのハーレイ先生だ。
前の俺と姿形は同じ筈だが、柔道と水泳で幾つもの賞を取っているんだぞ。かっこいいと憧れる生徒は多いし、目標にしているヤツだっている。俺の評価はけっこう高いさ。
「…そうなんだ…」
「ついでにお前は膨れそうだが、学生時代は女性にもうんと人気があったな」
俺が出る試合や大会を見に来る女性が沢山いたもんだ。
プロの選手になっていたなら、ファンを続けてくれたんだろうが…。
俺は教師になっちまったし、彼女たちとの御縁もそこで終わりさ。
良かったな、おい。
俺の周りに女性ファンが大勢くっついていなくてな。
(…うーん……)
自信たっぷりの根拠はこれか、と分かったけれども複雑な気分。
今のぼくが悪趣味じゃないらしいことは嬉しいけれども、女性にモテてたらしいハーレイ。
(…恋人、いたかな…?)
考えかかって、慌ててやめた。
今のハーレイはぼくのものだし、記憶が戻る前のことまで文句を言っても仕方ない。ぼくだってハーレイを忘れてたんだからお互い様だ、と諦めておくことにした。
そんなことより…。
「…前のぼくの補聴器なんだけど…」
強引に話を元へと戻す。
「ハーレイは服を選ぶと言うけど、使いようはあると思うんだよ」
イヤーマフとか、ヘッドホンとか。
そういうものなら、ソルジャーの衣装がついてなくても使えそうだと思わない?
だけど一度も見たことがないよ、使っている人も、売っているのも。
「なるほどな…。なら、言ってやろう」
あれはな、人を選ぶんだ。服じゃなくって、人の方を選ぶ。
「人?」
「そうさ。お前でなければ格好がつかん」
「…そんなことないと思うけど…」
ジョミーもトォニィも着けてたんだし、誰が着けても同じでしょ?
格好がつくとか、つかないだとか。
それはソルジャーの衣装とセットの話で、イヤーマフとかヘッドホンなら普通に使えるよ?
前のぼくの補聴器と同じ形のヤツなんだな、って思われるだけ。
着けて歩いてても眼鏡と同じで、「ああいうのが好きな人なんだな」って思って貰えるよ。
「…お前なあ…」
分かってるのか、とハーレイの指がぼくの額をピンと弾いた。
「あれを最初に着けていたのはお前なんだ。ソルジャー・ブルーの補聴器なんだ」
そいつは分かるな?
「うん。…だから酷いと思ったんだよ、どうして流行ってくれないんだろう、って」
「酷いも何も…。ソルジャー・ブルーが着けていたってコトを考えてみろ」
最高の美人が一番最初に着けていたわけで、モデルなんだぞ?
下手に同じのを着けてみろ。見劣りするなんてどころじゃないんだ、誰が着けたい?
似合ってないな、と思われるに決まっているモノを。
「でも…。ジョミーも、それにトォニィだって…」
ちゃんと着けたし、似合ってたよ?
ぼくは写真でしか知らないけれども、二人とも。
「あの二人だって、かっこいい部類に分類されると思うがな?」
しかし、お前が一番上だ。
前のお前の写真集ってヤツが何冊出てると思ってる?
ジョミーとキースの比じゃないからな。
「…知ってる。ハーレイの写真集が一冊も出てないってことも知ってる」
「こらっ!」
コツンと頭を小突かれた。
前の自分は写真集も出ないレベルだけれども、今の自分にはファンだっていると。
柔道や水泳をやる生徒たちには、憧れのハーレイ先生なのだと。
「…それはともかく、前のお前の補聴器はだな…」
似合ってないのを着けているな、と思われそうだから誰も着けない。つまり買わない。
買う人がいないから売らないし、作らないんだな。
商品っていうのはそうしたものだろ、売れ行きの悪い菓子なんかは直ぐに消えちまうだろ?
「じゃあ、眼鏡は?」
「人を選んだりはしないだろうが。フレーム次第でどうとでもなるし」
自分に似合う眼鏡を選んで買えばいいんだ、それだけのことだ。
お前の補聴器はそういうわけにはいかんがな…。
色やデザインを変えちまったら別物になるし、ただのイヤーマフとかヘッドホンだ。
「……そっか……」
そういうことか、と納得した。要は誰にでも似合うかどうかが勝負の分かれ目。
マードック大佐は眼鏡だったから、簡単にアレンジすることが出来た。眼鏡をかけたい人の顔に合わせて、フレームの色も形も沢山。パパに届いたダイレクトメールの写真みたいに。
前のぼくの補聴器は独特すぎて、そんな風には使えない。使える場面だって限られてしまう。
(…イヤーマフとかヘッドホンを着けたままで仕事は出来ないしね…)
そういう点でも負けていたのか、とマードック大佐の写真を思い浮かべた。
愛用品を後世に残した点では、前のぼくよりも遥かに偉大なマードック大佐。まさか自分が遠い未来のファッションリーダーになるとは夢にも思っていなかっただろう。
眼鏡と言ったら、マードック大佐。かっこいい男の憧れの眼鏡。
パパに届いた百貨店の広告に載ってた写真も、マードック大佐風の眼鏡を大きく扱っていた。
「ねえ、ハーレイ。…眼鏡って、マードック大佐風のが一番の人気なんだよね?」
軽い気持ちでそう言ったのに。
「…らしいな、俺には似合わないがな」
「似合わないって…。もしかしてハーレイ、売り場に行った?」
ねえ、かけてみたの、マードック大佐風の眼鏡のフレーム。
試しただけじゃなくって、買った?
「…………」
返事の代わりに返った沈黙。
これは試しただけじゃないな、とピンと来た。きっとハーレイは買ったんだ。似合わなくても、眼鏡なんかは必要なくても、かっこいい男のためのアイテム。
「ハーレイ、買ったの? マードック大佐風の眼鏡、かけてた?」
いつ? ねえ、いつ?
教えてよハーレイ、眼鏡って、いつ?
「……若気の至りというヤツだ。学生時代だ」
ハーレイは苦い顔をしたけど、ぼくの好奇心は止まらない。
「どんなの? ねえ、どんな眼鏡?」
見せてよ、眼鏡をかけたハーレイ!
ハーレイの記憶の中のでいいから見せてよ、ハーレイ!
鏡に映ったハーレイでいいから、とぼくは強請った。
「ホントは写真が見たいんだけど…」
「誰が持ってくるか!」
「じゃあ、記憶」
ハーレイの記憶をちょっと見せてよ、どんな感じか見たいんだよ。
「自分で見ろっ!」
俺の心を読めばいいだろ、前のお前の得意技だ。
「無理!」
ぼくは不器用なんだから!
ハーレイの心なんか絶対読めないってこと、ハーレイ、ちゃんと知ってるくせに!
手を出して絡めてくれないと無理で、なんにも見られやしないってこと!
お願い、とぼくが頼んでいるのに。
ハーレイは手なんか出すかとばかりに腕組みをしてる。ぼくに記憶を見せてくれない。どういう眼鏡をかけていたのか、どんな姿に見えていたのか教えてくれない。
眼鏡のハーレイを見てみたいのに。
前のぼくだって一度も目にしてはいない、眼鏡のハーレイ。眼鏡をかけたハーレイには出会ったこともなければ見たこともないし、どうしても見たくて仕方ないのに…。
(…こうなったら!)
意地でも見てやる、とぼくは真正面からハーレイと戦うことにした。
「見せてくれる気が全然無いなら、結婚してから眼鏡はどう?」
二人で眼鏡売り場に行こうよ、あれこれ試して一つ買おうよ。
「…お前、俺に似合うと思っているのか?」
「フレーム次第だって言ったよ、ハーレイ。眼鏡を自分に合わせるんだ、って」
ハーレイに似合う眼鏡も見付かるよ、きっと。
普段にかける眼鏡もいいけど、海に行くならサングラスとかも!
サングラスもいいよね、と思ったぼく。
ハーレイは海へ泳ぎに行くのが好きだし、日射しの強い砂浜なんかはサングラスをしている人も大勢。サングラスのハーレイも見てみたいな、と勢いで叫んだだけなのに。
「…………」
またまた返って来た沈黙。眼鏡を買ったの、と尋ねた時のと同じ沈黙。
「……ハーレイ、もしかしてサングラスも…」
「若気の至りだ!」
世にも珍しい仏頂面。こんなハーレイ、そう簡単には見られない。此処まで来たのに、諦めたら負け。見なきゃ損だ、と戦法を少し変えてみた。
「お願い、ハーレイ。どっちか、見せてよ」
眼鏡か、サングラスか、どっちか片方。
見てみたいんだもの、ハーレイが眼鏡をかけている顔。
「……サングラスでいいか?」
「つまり、眼鏡は似合わなかったんだ?」
サングラスでいいか、って言ってくるってことは、そういうこと。眼鏡は似合わなかったんだ。
だけど、若気の至りらしいし、似合わなくても買ってかけてたことは確実。
ますます見たくなって来た。
サングラスも眼鏡も、どっちも見たい。
どっちをかけたハーレイの顔も、絶対見たくてたまらないから。
「…いいよ、今はサングラスのハーレイを見せてくれるだけで」
どうせ将来、バレるんだものね。
「はあ?」
意味が掴めていないハーレイに、ぼくはニコッと笑ってみせた。
「結婚してからアルバムを調べれば出て来るよ、全部!」
サングラスのハーレイも、眼鏡のハーレイも、あるだけ全部。
写真が残っている分は全部、ぼくがゆっくり眺めるんだよ。
「ちょっと待て!」
俺のアルバムを勝手に掘り返すな!
若気の至りだの、ガキの頃の惨憺たる失敗の図だの、お前、端から探すつもりか!
「…他にもあるんだ?」
眼鏡の他にも、若気の至り。それとか、子供の頃の変な写真とか。
「お前にだってあるだろうが!」
「さあ…?」
あったかな、と記憶を探ったけれども、ぼくは生まれつき身体が弱かったから。
パパとママは御機嫌なぼくとか、頑張ってるぼくばかり写していた。変な写真は一枚も無いし、若気の至りとやらな写真は十四歳ではまだ撮れない。だからクスッと笑って答えた。
「これから失敗しなければ無いよ?」
いくらハーレイが探したくっても、見られたくない写真なんか無いよ。
だから結婚したら探すよ、ハーレイのアルバムのそういう写真を。
ぼくの返事は、ハーレイには脅威だったんだろう。心配そうな顔で、こう訊いてきた。
「…今、見せておいたら探さないか?」
ふふっ、成功。やった、と心で快哉を叫ぶ。
「ハーレイが見せてくれる分で満足しておくよ」
だけど眼鏡も、サングラスもだよ。両方ともちゃんと見せてくれたら、それだけでいいよ。
「…本当だろうな?」
「うん」
約束するよ、と指切りをした。その手をしっかりと絡め合って…。
「…こいつがサングラスをかけてた俺だ」
鏡に映った俺じゃなくって、撮った写真の記憶だがな。
「すっごく派手なシャツ…」
海を背にして立ってるハーレイの上半身。アルタミラで出会った頃みたいに若い。きっと水着の上からなんだろう、赤いハイビスカスの花を散らしたアロハシャツ。
鳶色の瞳はサングラスに隠れてしまって見えない。褐色の顔に、黒い大きなサングラス。
「サングラスで海辺はこういうもんだ!」
悪いか、とハーレイはヒョイと記憶を引っ込めた。ぼくの記憶には残ったけれども。
「それじゃ、眼鏡は?」
「……こうだ」
今度は鏡の中のハーレイ。やっぱり若くて、アルタミラを脱出した頃に見ていた顔と同じ。その顔にぼくの知らない眼鏡。マードック大佐の写真で知られた、かっこいい男の憧れの眼鏡。
「…ホントにマードック大佐風だね」
まさかハーレイがかけるだなんて…。
キャプテン・ハーレイが自分と同じ眼鏡をかけちゃうだなんて、マードック大佐が知ったら腰を抜かしてしまうかも…。
「仕方ないだろう、当時の俺には何の記憶も無かったんだ!」
シャングリラを散々追い回してくれたヤツの眼鏡とも思わなかったし、かっこいいな、と…。
こういう眼鏡もたまにはいいな、と気に入ってかけていただけだ!
似合わなくても満足してたし、気に入りの眼鏡だったんだ…!
ハーレイはぼくが訊いていないのに、自分から白状してくれた。
目が悪かったわけではないから伊達眼鏡ってヤツで、ただのファッションアイテムだったとか。格好をつけて人差し指の先でツイと眼鏡を押し上げてたとか、眼鏡に纏わるエピソード。
サングラスの方にも思い出が沢山、光の強さで色の濃さが変わったりもしていたらしい。ただの黒だと思っていたけど、話は聞いてみるものだ。百聞は一見に如かずって言うのの逆さま。
あれこれと聞いて満足したから、ぼくはハーレイにお礼を言った。
「ありがとう。ハーレイの眼鏡とサングラス、見られて良かった」
それでね、ハーレイ。結婚したら色々見せてね、他の写真もね。
「お前、見せたら探さないって言わなかったか!?」
「もっと見たくなった」
ペロリと舌を出した、ぼく。
「嘘つきめが!」
天井を仰いで唸るハーレイに向かって「ダメ?」と小首を傾げてみる。
「だって、ぼく…。ハーレイのことなら何でも知りたいと思うんだもの」
「うーむ…」
そう来たか、とハーレイの顔が緩んで笑顔になった。
「よし。思う存分、掘り返していいぞ。俺のアルバム」
「えっ?」
お許しが出るなんて思ってないからビックリしたのに、ハーレイは笑ってこう言った。
「そいつは最高の殺し文句ってヤツだ、お前に自覚は無いんだろうがな」
お前がアルバムを掘り返したくなった時には諦めよう。
俺の全てを知ってくれると言うんならな。
「うんっ!」
頑張って掘るよ、とぼくは未来に思いを馳せた。
前のぼくも知らなかった眼鏡のハーレイ。マードック大佐風の眼鏡をかけたハーレイ。
サングラスをかけたハーレイも見たし、きっと他にも沢山、沢山、ぼくの知らなかったハーレイがいるに違いない。
アルバムを端から掘って、めくって、ハーレイの全てを知りたいと願う。
そして全部を知った後には、もっと思い出を増やしていくんだ。ぼくと二人で暮らすハーレイの姿を写した写真を、沢山、沢山、アルバムに貼って……。
眼鏡・了
※実は大人気になっていたのが、マードック大佐風の眼鏡だったという時代。英雄だけに。
それをかけていた今のハーレイ、若かった頃に。ブルーでなくても見たいですよね。
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(思い出した…!)
あれだ、とブルーは記憶の彼方に沈んでいた花を手繰り寄せた。
遥かな昔に夢見ていた花。いつか見たいと焦がれていた花。
どうして忘れていたのだろうか、と思うくらいに前の自分はその美しい花が見たかった。
地球に咲くという天上の青を。
今日の学校からの帰り道。家の近くのバス停で降りて、家に着くまでの短い散歩。住宅街だから庭も生垣も沢山あって、花と緑に彩られているブルーのお気に入りの道。
前世の記憶を取り戻した後は、以前にも増して其処を歩くのが楽しみになった。自然の光と水に育てられ、地面からすくすくと伸びた木や草花。
見るだけで心が満たされる。地球に来たのだと、地球に居るのだと嬉しくなる。
(あれ?)
通りかかった家の前庭に紫色の花が咲いていた。去年までは見かけなかった花。新しく仲間入りした花なのだろう、と思ったけれども、名前を知らない。帰ったら母に訊いてみようか、と其処に立ち止まって暫く眺めていると。
庭の手入れをしに来たのだろう、家の人がやって来て「マツムシソウですよ」と教えてくれた。マツムシという虫が鳴く頃に咲く花なのだと、それで松虫草なのだと。
顔馴染みのご近所さんだったから、「どうぞ」と一輪切り取って分けてくれた。
持って帰って母に渡すと「あら、頂いたの?」とガラスの一輪挿しに生けてくれ、ダイニングのテーブルの真ん中に開いた紫の花。
それを見ながら、おやつのケーキを頬張っていて。
(…何かに似てる…?)
この花の姿を知っている。そのものか、あるいは似ている花か。
似ているのだ、と心に引っ掛かってくるマツムシソウ。一輪挿しに凛と咲いた紫。
なんだったっけ、と記憶を手繰った。
自分は何処かでマツムシソウを見たのだろうか?
名前を知らなかったくらいなのだし、初めて見る花だと思ったけれども、今よりもずっと小さな子供時代に目にしていたとか、貰ったとか。
そうかもしれない、と考えたのに。
(…シャングリラ?)
前の自分が守っていた船。ハーレイが舵を握っていた船。
白く優美な船の中には、マツムシソウの花は無かった筈だ。
けれど「シャングリラだ」と告げて来る記憶。
この花を見たと、あの白い船で眺めたのだと遠い記憶が心を揺さぶる。
マツムシソウは無かった筈なのに。公園にも、居住区に鏤められた庭にも無かった筈なのに…。
何なのだろう、と記憶の糸を手繰り続けて、おやつの時間は終わってしまった。
とうとう戻っては来なかった記憶。
それでも気になって仕方ない花。ご近所さんの庭で、テーブルの上の一輪挿しで花びらを広げた紫の花。マツムシが鳴く頃に花が咲くというマツムシソウ。
(…初めて名前を聞いたんだけどね?)
前の自分もマツムシソウの名は恐らく知らなかっただろう。知っていたなら「あれか」と記憶が反応したと思うから。
なのに「似ている」と感じたマツムシソウの花。
何に似ていたのか、名前も知らずにシャングリラの何処かで眺めていたのか。
(…確かに何処かで見たんだけれど…)
知らない花を見かけていたなら、何という名か訊かなかったとは思えない。それにシャングリラでは新しい動植物を導入する時は、ソルジャーだった前の自分に必ず報告していたのだし…。
(…シャングリラには無かった花だとすると…)
ライブラリーで、青の間でデータベースや本を気まぐれに見ていた。木や花や草や、動物たち。地球に息づく沢山の生命。いつかこの目で、と眺めては胸を高鳴らせていた。
マツムシソウもそうした中の一つの植物だっただろうか?
地球にはあるのだと夢見た花の一つだったろうか、と考えた所で。
(青いケシ…!)
それだ、とブルーは思い出した。
遥かな昔に地球の高い峰、ヒマラヤに咲いていたという青いケシ。
マツムシソウは写真でしか知らないその花に少し似ていたのだ、と。
青い水の星、母なる地球。
いつかは其処へ、と夢に描いた。辿り着くのだと、地球へ還るのだと焦がれ続けた。
今の自分は地球に居るけれど、前の自分には夢の星。座標さえも掴めなかった星。
それでも行くのだと、白いシャングリラで地球に行くのだと信じて前へと進み続けた。どんなに前が見えない時でも、その先には地球が在るのだと。
いつの日にか、地球へ。青い水の星へ。
地球は青い星だというから、青はブルーの夢の色だった。
ミュウの未来も、自分自身の還り着く場所も、青い真珠と称される青い地球へと繋がる。全ては青い地球へと繋がり、還ってゆくもの。何もかもが還ってゆくべき、青い星、地球。
青は地球の色、まだ見ぬ夢の星にある色。青は特別な色だった。
自分の名前が「ブルー」なことさえ、運命のように思えたほどに。
「地球」と「青」とでデータベースを何度調べていたことか。
その身に青い色を纏った幸せの鳥に、どれほど焦がれていたことか…。
気の向くままに地球と青とを調べ続けて。
表示されるデータを眺める日々の中、ヒマラヤの青いケシを見付けた。
地球で一番高い峰が在るという「神々の峰」とも呼ばれたヒマラヤ山脈。人を寄せ付けない峰に青いケシの花が咲くと記されていた。
中でも一番高い場所に咲く種類のケシ。四千メートルを超える高所でしか咲かない青いケシ。
遥かな昔の国、ブータン王国の国花だったとされるその花は、七千メートルもの高さでも咲いていたと其処に書かれてあった。
七千メートル級の峰に辿り着くことは容易ではなく、普通の人間はまず近付けない。
天上の青。
幻の青。
ヒマラヤの高い峰にしか咲かない青いケシ…。
まるで地球のような花だ、とブルーは思った。
未だに瞳に映すことが叶わぬ青い星。
人を寄せ付けない遥かな高みに花開く青。
どちらも幻。
手を伸ばしても届かない青。
その青をこの目で見たい、と願った。
青い地球も、地球の高い峰に咲く青い花も。
今はまだ遠い夢でしかない青い星の上の、幻の青いケシの花が見たい。
蘇ったという地球があるなら、青いケシも咲いているだろう。
人を寄せ付けない峰であっても、自分ならば行ける。
宇宙空間を生身で駆けてゆく自分ならば行ける。七千メートルの峰であっても、軽々と飛べる。
青いケシが咲く峰の上まで。天上の青が花開く地まで…。
いつの日か、青い地球に辿り着いたら。
この青い花を見たいと思う。
シャングリラを、仲間たちを地球に降ろして自由になったら、青いケシを見に空を飛びたい。
戦うために飛ぶのではなく、守るために空を飛ぶのでもなく、夢のために飛ぶ。
自分の夢を、望みを叶えるためにだけ地球の空を飛ぶ。
どんなにか心地よい旅路だろうか。
どれほどに心が弾むだろうか。
白い船から解き放たれて、自由に飛んでゆくというのは。
望みのままに飛んでゆくのは、どれほどに素敵な旅なのだろうか…。
(…そうだ、ハーレイ)
白い船の舵を握る恋人。白いシャングリラを地球まで運んでくれる恋人。
そのハーレイと一緒に行こう。一緒に地球の空を駆けよう。
ハーレイは空を飛べないけれども、自分が連れて飛べばいい。青い空を、雲を越えて二人で。
もうソルジャーでもキャプテンでもなく、何にも縛られることなく、二人きりで飛べる。
恋人同士であることは秘密のままかもしれないけれども、それでも二人で行くことが出来る。
自分たちのためにだけ時間を使って、力を使って。
そうして天上の青を見るのだと、まだ見ぬ地球を、青い空に聳え立つ峰を心に描いた。
遠い昔には神が住むと言われたヒマラヤの峰。
その神は今はいないけれども、天上の青は其処に咲くであろうと。
(…だけど…)
ブルーは地球には行けなかった。
仲間たちの未来を、地球までの道を守り抜こうと、メギドを沈めて宇宙に散った。大切に持っていたいと願ったハーレイの温もりさえも失くして、独りぼっちで逝ってしまった。
青い地球も、幻の青いケシも見られず、たった一人で。
どちらの青も幻のままで終わって、ブルーの瞳には映らなかった。
もしも地球まで行けていたなら、共に飛ぼうと思った恋人。白い船を地球まで運んだ恋人。
ハーレイは地球まで辿り着いたけれど、青い星は在りはしなかった。
死に絶えた星が真実の地球で、青い地球も、ヒマラヤの青いケシも幻だった…。
(青いケシ…)
今は何処かにあるのだろうか、とブルーは前の自分が見たかった花を思い浮かべた。
マツムシソウに似ている気がしたけれども、それは写真でしか知らないせいかもしれない。この目で見たならまるで違って、「似ていない」と驚くほどかもしれない。
(…青いケシかあ…)
SD体制崩壊後の地殻変動で地球の地形は大きく変わった。しかし偶然か、それとも神の意志が其処に働いたのか。かつてヒマラヤだった辺りは新たに隆起し、前と同じに高峰となった。今でもヒマラヤと呼ばれる山脈。
地球の植生は昔の通りに蘇っていて、高山であれば様々な高山植物。
青いケシもきっとあるのだろう。
ヒマラヤの峰の何処かに天上の青も咲くのだろう。
前の自分が焦がれた青。いつか見たいと夢に見た青…。
(見たいんだけどな…)
青いケシが咲くだろう地球に生まれ変わって生きているのに。
今度は自分が飛べなかった。とことん不器用なブルーのサイオン。
七千メートルもの高度を飛べはしないし、青いケシが咲く四千メートルの峰にも辿り着けない。今のブルーは二階の窓まで飛び上がることさえ出来ないのだから。
おまけに弱すぎる自分の身体。ヒマラヤの峰を登るどころか、遠足の登山も大抵、欠席。家族で出掛けたハイキングだって、山頂までは行っていないと記憶している。
そんな自分はヒマラヤに行けない。天上の青を見られはしない。
(…地球にいるのに、見られないんだ…)
本物の青いケシは無理だ、と分かってしまうと調べる気力も湧いてはこない。勉強机の上にある端末で写真を探すとか、分布地域を調べるだとか。
そういったことすらやりたくはなくて、ベッドの上に座って膝を抱える。
(…青いケシ…)
ソルジャー・ブルーだった頃から見たかったのに。
せっかく青い地球に来たのに……。
ブルーがしょげ返っていた所へ、仕事帰りのハーレイが訪ねて来たから。
恋人の来訪に喜んだブルーは青いケシを忘れてしまっていたのに、夕食を食べに二人で出掛けたダイニングのテーブルにマツムシソウの花。一輪挿しに飾られた紫の花。
(…青いケシ…)
見られないんだっけ、と思った途端に途切れた会話。ほんの一瞬だったけれども、恋人の異変にハーレイが気付かない筈が無い。
夕食が済んで、ブルーの部屋での食後のお茶。ハーレイは「どうした?」とブルーに尋ねた。
少し変だと、悲しいことでもあったのか、と。
「学校では元気そうだったのに…。何があった?」
「…ハーレイ、さっきマツムシソウは見た?」
テーブルに飾ってあった花だよ、紫の花。
「あったな、この家の庭じゃ見かけない花だと思っていたが…」
「ぼくが貰って来たんだよ。学校の帰りに、家の近くで」
「ほほう…。それで?」
その時に何かあったのか?
貰ったのはいいが、途中で転んで花束を駄目にしちまったとか…。あの一本だけ残ったとかな。
「ううん、貰ったのは一本だけ。でも…」
あの花を見てたら思い出したんだよ、青いケシの花を。
前のぼくが見たかった、地球の青いケシ。
「あれか…!」
前のお前が憧れた花か。
俺と一緒に見に行くんだと何度も何度も言ってた花か…。
ハーレイは前のブルーの憧れの花を覚えていた。
ヒマラヤの高峰に咲く青いケシの花。地球に着いたら二人で見ようと誘われた花を。
「青いケシなあ…。しかしだ、どうして思い出したら元気が無くなるんだ?」
むしろ逆だろ、その青いケシが咲く地球の上に居るんだろ、お前。
「見たいんだけれど、見られないんだもの…」
今のぼく、空を飛べないよ。青いケシが咲いてる場所まで行けないんだよ…。
「青いケシなら植物園にあったと思うが? 俺の親父が住んでいる町の」
いつか連れて行ってやろう、と言われたけれども、それはブルーが見たい花とは違う。植物園の展示室に咲いているなら、天上ではなくて地上の花。幻の青いケシではない。けれど…。
「…やっぱり植物園で我慢するしかないのかな…」
「我慢?」
「…前のぼくが見たかった花はヒマラヤにしか無いんだよ…」
人が簡単には近付けない場所に咲くっていうから憧れたんだ。
地球みたいな花だと、青いケシも地球も幻の青だ、って。
だからヒマラヤで見たいのに…。
本物の幻の青いケシが咲いているのを見てみたいのに、ぼくは登れないよ、あんな高い山…。
「そうだろうなあ…」
お前の足ではとても無理だし、運んで貰っても高山病になりかねん。
今のお前には危険すぎだ。
「そうでしょ? だから見られないんだよ…」
せっかく来たのに…。
地球に来たのに、とブルーの瞳から零れた涙。
自分はそれを見に行けないと、天上の青を見られないのだと…。
白い頬を伝って零れる涙。
ハーレイは褐色の指でそれを優しく拭うと、「諦めるにはまだ早いさ」と微笑んだ。
「行って行けないことはない…かもしれん。高山病予防の酸素ボンベは要るだろうがな」
そういうツアーも無いことはないんだ、お前みたいなヤツがいるから。
自分の足では登れないくせに、どうしても高山植物が見たいってな。
ずうっと昔には凄い高さまで高速道路があったりしたから、車で行けたって話もあるが…。
そんな代物が今は無いのは分かっているよな?
車で快適なドライブとはいかん。
ヤクって動物の背中に乗るんだ、そいつに運んで貰うんだ。
「…ヤク?」
「毛の長い牛みたいな動物だな。六千メートルくらいまでなら生息できるっていう頼もしさだぞ」
お前が乗っても楽々と山を登ってくれるさ、青いケシが見られる高さまで。
けっこう人気が高いらしいぞ、その手のツアーも。
いつか二人で参加してみるか?
俺は歩いて、お前はヤクで。
「そっか、見に行けるツアーがあるんだ…」
でも、とブルーは呟いた。
「ツアーだったら他にも参加者、いるんだよね?」
ぼくはハーレイと二人で青いケシを見てみたかったのに…。
前のぼくは二人きりで見ようと思っていたのに、他の人がいるの?
ぼくたちが青いケシを見ている隣で記念撮影してたりするの…?
「お前なあ…。ツアーから外れて人のいない所へ行こうってか?」
「……やっぱりダメ?」
「当たり前だろう!」
ツアーってヤツはな、自由時間以外は集団行動するもんだ。
そしてヤクに乗って行くようなツアーに自由時間は無いだろうなあ、危ないからな。
だが……。
お前の望みか、とハーレイは腕組みをした。
生まれ変わる前からの望みで、それが叶いそうな場所に二人で生まれて来たわけか、と。
「…前のお前が見たかった花だ。俺と二人きりで見たいと言うんだったら…」
そういうツアーを組んで貰うか?
俺と、お前と。参加者は二人だけのツアーだ、他はいわゆる旅行会社の人たちだな。
青いケシが咲くような高さまで行ったら、咲いている場所を教えて貰って。
見に行ってる間は待ってて貰えば二人きりだぞ。
俺がお前の乗ってるヤクを連れてな。
「…そんなの、出来るの?」
「大昔だったら無茶だったさ。だが、今だったら出来るだろう」
思念波で簡単に連絡がつくし、いざとなったら瞬間移動で安全に移動できるしな。
登山ツアーを貸し切るようなモンだし、費用はかなり高いだろうが…。
「高いんだ…」
「いいさ、お前の夢なんだからな」
前のお前の夢だったんだから、何年越しの夢なんだか…。
それを思えば高いと言ってもたかが知れてる。
考えてみろよ?
前の俺がだ、前のお前に借金を申し込んだとしよう。
借りる金額は……そうだな、今の時代でジュースを一本分って所か。
そいつを俺が借りたまんまで、前のお前が逝っちまって、だ。
今のお前に「あの時の金を今までの年数分の利子をつけて返せ」と言われたらどうなるんだ?
「えーっと…。それはもう、ジュースの値段じゃなさそうだよ?」
「うむ。ジュース工場ごと買っても余ると思うぞ、俺が全額返せた場合は」
絶対に返せっこないんだ、破産だ。
そのくらいの年数がかかってる夢だ、ツアー代金が高いくらいは問題ないのさ。
安心しろ、ジュースの借金なら破産な俺だが、ツアーの代金はちゃんと出せるからな。
金ならきちんと貯めてあるさ、とハーレイは笑う。
以前からコツコツ貯めてあったし、ダテに年を食っているわけでもないのだから、と。
「それに俺はな、お前に連れてって貰う代わりに連れて行けるのが嬉しいんだ」
前のお前は俺を連れて飛ぶと言ったよな?
俺は飛べないから、青いケシを見られる場所まで俺を連れて飛ぶと。
ところが、だ。
お前は飛べなくなっちまった。そして俺にはお前をツアーに連れて行けるだけの金がある。
分かるか、俺がお前を連れて青いケシを見に行くことが出来るんだ。
お前に連れて行って貰うんじゃなくて、俺が連れて行ける。
前の俺には不可能だったことが今度は出来る。
そしてお前は今度は出来ない。
俺がお前を連れて行けるし、青いケシを見に行く間も守れるってな。
「…守るって?」
「お前がヤクから落っこちないように頑張らないと駄目だろうが」
二人きりで出掛ける間は全責任が俺にかかってくるしな?
ヤクが言うことを聞かなかったら、俺がお前を背負わないと…。
背負ってでも俺が連れてってやるさ、青いケシが咲いてる所までな。
「それにだ、俺が守ると言っただろう?」
今度こそ俺がお前を守ると。
まさに命懸けでお前を守れるチャンスだ、今の時代は登山ツアーで命懸けとはいかんがな。
大昔は本当に命懸けのツアーってヤツだったんだぞ、瞬間移動で救助も出来んし…。
ウッカリ崖から落ちようものなら真っ逆様でおしまいだった。
今じゃサイオンで落下は止まるし、落ちてもシールドを張れるしな?
もっとも、お前みたいに不器用なヤツだと、今でも命が懸かってそうだが…。
「…うん、多分…。ぼく、落っこちたら終わりだと思う」
「うむ。俺としては守り甲斐があるってことだな」
そうだ、二人きりの間は酸素ボンベなんて無粋な代物は無しで行こうか、その程度のシールドは充分張れる。
お前をヤクの背中に乗っけて、俺のシールドでお前を包んで。
青いケシを見に山を登るか、いつか二人で。
「…二人きりの時間、ちょっぴりだけなんだよね?」
「さあな? 行ってみたら案外、のんびり二人でいられるのかもな」
青いケシ、俺と見に行くか?
俺のシールドに命を預ける度胸があるなら。
「あるに決まってるよ、ハーレイなら平気」
ハーレイと二人なら何でも平気。
何処へ行くのでも平気なんだよ、ハーレイが一緒に居てくれるのなら…。
いつか二人で出掛けて行こう、と二人は固く指切りをした。
ソルジャー・ブルーだった頃のブルーが焦がれた、天上の青。四千メートルを超える高さでしか咲かない青いケシの花を見に、ハーレイは歩いて、ブルーはヤクの背中に乗って。
ヤクが言うことを聞かなかったら、ハーレイがブルーを背負って登る。
青いケシが咲いている場所に着くまで、背負って登る。
「…だが、その前に植物園だな。隣町の」
こんな花なら見なくていい、と言うかもしれん。
わざわざヤクに乗っかって出掛けなくても、植物園だけでもう充分、とな。
「そうかもね?」
植物園でも見られるんだものね、おんなじ花は。
ぼくがヒマラヤの青いケシにこだわってるだけで、何処で咲いても花の形は同じだものね。
…でもね、ハーレイ。
たとえ一生、ヒマラヤの青いケシを見られなくっても、ぼくは悲しくなくなったよ。
ハーレイに連れてって貰えば見に行けるんだ、って分かったから。
前のぼくが夢を見ていたとおりに、ハーレイと二人で行けるんだから。
無茶をしてまでヒマラヤで見たい気持ちが減って来たかな、行けるって話を聞いただけで。
行った気分になってきたよ、とブルーは幸せそうな笑みを浮かべた。
二人で行こうと指切りをしたけれど、行き先は隣町にある植物園でいいと。
ハーレイの両親が住む家がある隣町。
その町の植物園まで出掛けて青いケシを眺めて、ハーレイの両親の家に寄ろうと。
「…しかしだ、お前、植物園の花は違うとか言っていなかったか?」
「言ったけど…。そういう気持ちは今もあるけど、植物園の花でいいんだよ」
ハーレイと二人で地球に居るから、とブルーは答えた。
植物園の青いケシの花が見られればいいと、その花を二人で眺められれば充分なのだと。
天上の青が咲く青い地球。
其処に二人で来られた奇跡を上回るものは無いし、天上の青よりもハーレイがいいと。
ハーレイと二人でいられさえすれば、それ以上の幸せは無いのだから、と……。
青いケシ・了
※前のブルーが見たいと願った、ヒマラヤの青いケシの花。いつかハーレイと眺めようと。
叶わなかった夢が今度は叶いそうですけれど…。植物園の青いケシでも充分幸せ。
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