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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 ハーレイが訪ねて来てくれる週末。部屋の掃除を済ませて窓から見下ろしていたら、庭の生垣の向こうの通りを歩いて来るハーレイの姿が見えた。手を振ると大きく振り返してくれて。
(あれ?)
 なんだかとっても楽しそうな顔。それに小さな紙袋を一つ持っている。
(何の袋だろう?)
 見覚えのない紙袋。この辺りのお店の袋ではないし、それ以前に何の変哲もない白い紙袋。店のロゴさえ入っていないように見えるんだけど…。
(まさかね)
 きっと何処かに書いてあるんだ。でなければ同じ白い色で浮き出した文字が入っているとか。
 袋が気になって見ている間に、ママが門扉を開けに行って。ハーレイをぼくの部屋へと案内して来た。紙の袋をよく見たいけれど、ハーレイはいつもの椅子に座って、紙袋はその膝の上。
(…これじゃ全然、見えやしないよ…)
 向かい合わせで座ったぼくからはテーブルの陰になって全く見えない。だけどハーレイは普段と変わらず、穏やかな顔で座っているだけ。もちろん挨拶も、会話もちゃんとあるんだけれど。
 その内にママが紅茶とクッキーを運んで来てテーブルに置くと、「ごゆっくりどうぞ」と部屋を出て行った。
(えっ? …今日はクッキーだけなの?)
 午前中のお茶の時間は昼食に響かないよう、お菓子は控えめ。それでもケーキやパイがつくのが普通で、クッキーだけなんてことは無いんだけれど…。
 途惑っていたら、ハーレイがさっきの紙袋をテーブルの上に「ほら」と笑顔で置いた。
「今日はこいつがあるからな。クッキーだけにして貰ったのさ」
 お前、食べ過ぎると昼飯が入らなくなっちまうだろうが。
 そいつは非常に不本意な上に、健康的とも言えないからな。



 テーブルに置かれた紙袋。やっぱり店名は入っていないし、ただ白いだけの紙袋。中身が何だかまるで見当がつかないけれども、ハーレイはぼくの大好きな笑顔で。
「覚えてるか、ブルー? 中身はこいつだ」
 紙袋を開けて手を突っ込んだハーレイ。出て来た手の上にコロンと栗の実が一個。
「途中の公園で焼き栗を売っていたからな。懐かしくなって、つい、買っちまった」
「わあ…!」
 ハーレイが持って来てくれた小さなお土産。「まだ温かいぞ」と渡された栗は本当に温かくて、袋に入っていた時には分からなかった香ばしく焼けた匂いがする。
「遠慮しないでどんどん食え。焼き栗ってヤツは熱い間が美味いんだ」
「うん、知ってる!」
 ぼくは少し焼け焦げた皮に入れてある切れ目を広げて焼き栗を剥いた。渋皮も一緒に剥がれて、美味しそうに焼けた黄色い栗の実が中から出て来る。口に入れたらホクホクで甘い。
「美味しい!」
「そいつは良かった。俺たちの思い出の味だったしなあ、焼き栗は」
「思い出したよ、ハーレイが買って来てくれたのを見たら」
 もう一個、と袋に手を伸ばしたぼくに「そら」とハーレイが栗を渡してくれた。そのハーレイも栗の皮を剥いて頬張っている。
 懐かしい味のする焼き栗。前のぼくとハーレイとの思い出の味。



 秋になったらシャングリラでもよく食べていた栗。公園と居住区の庭とに栗の木があった。
 シャングリラでは食料は自給自足だったから、食べられる実を結ぶ果樹は大切。普通の木だって多かったけれど、果樹も農場以外の所に何本も植えて育てていた。
 みんなが喜ぶ実をつける木たち。収穫の季節は仕事じゃないのに手伝う者たちも大勢いた。栗もそうした果樹の中の一つ。
 でも、シャングリラで栗の木を植えるまでには紆余曲折があったんだ。
 栗の実は栄養価が高いというから、候補に挙がった果樹の中では有望株。それに植えてから実を結ぶ大きさになるまでの成長も早い。ぼくもハーレイも栗を推したのに…。
「花が臭いと聞いたんじゃが」
 もう髪の毛が薄くなっていたゼルが文句をつけてきた。ヒルマンに確認してみたら、本当に花の匂いが独特らしい。しかも相当に強い香りで、綺麗な花でもないという。
「観賞用の花とは言えませんな」
 それがヒルマンの見解だったし、見せられたデータの栗の花は確かに綺麗じゃなかった。動物の尻尾みたいなブラシ状の花で、色だって地味な白っぽい黄緑。
「だが、栗は実を食べるために植えるのであって、観賞する必要は無いと思うが」
 ハーレイが真っ当な意見を述べた。
「花の匂いで苦情が出るなら、空調のレベルを調節するべきだろう。充分に換気をしておけば解決出来る問題ではないか?」
「ふむ…。確かに花よりも実が大切だな」
 それで良かろう、とヒルマンが同意し、エラとブラウも賛成した。
 ところが、ゼルだけは納得しなかったんだ。



「あの栗のイガはどうするんじゃ!」
 トゲだらけで危険だという主張。
 熟すとイガごと落ちて来るから、公園や庭には向かないと言う。うっかり頭上に落ちてきたならトゲで怪我をするし、落ちているイガを踏んでも危険。
「大人はいいんじゃ、大人はまだいい。しかし子供たちには危険すぎるわい!」
 うっかり躓いてイガの上に転んでしまったらどうするのだ、と指摘されたら反論出来ない。その危険性が全く無いとは誰も言えないし、もしもそういう事故が起きたら…。
「それじゃさ、トゲが無ければいいのかい?」
 ブラウの素っ頓狂としか思えない発言。栗のイガといえばトゲだらけのもので、トゲが無い栗の木があるなど聞いたこともない。
「そんな栗なんて知らないわ。本当にあるの?」
 エラが尋ねたら、ブラウは「さてねえ…」と無責任極まる答えを返した。
「だけど無いとは言い切れないだろ? それを探すのも仕事の内だよ、頑張りな」
 指名されたのはヒルマンだった。既に教授と呼ばれていたヒルマンは博識な上に調べ物も得意。トゲの無い栗なんて無いであろう、という皆の予想をいい意味で見事に裏切ってくれた。
 トゲの無い栗は存在したんだ。
 とても珍しい栗だったけれど、突然変異か何かで生まれたトゲ無しの栗。イガを覆う筈のトゲがうんと短くて、坊主頭に刈り込まれたように見える栗。そのトゲだって痛くはない。
 それを植えよう、ということになった。
 もっとも、普通の栗じゃないから、アルテメシアに在った人類の農場や園芸店に苗は無くって。
 ぼくが情報を操作して苗を取り寄せさせておいて、こっそり失敬させて貰った。



 そうしてトゲの無い栗の木をシャングリラで植えた。公園と居住区の庭に何本も。
 花の匂いは独特で強かったけれど、特に苦情は出なかった。そういうものだと皆が納得していたのだろう。人工的な悪臭ではなくて、あくまで自然の産物だから。
 栗は三年ほどで実をつけ、木だってどんどん大きくなった。栗の実を沢山食べることが出来た。お菓子を作ったり、料理するのに使ったり。
 シャングリラで育った子供たちには、栗と言えばそれ。
 刈り込まれたようなイガをしたトゲ無しの栗。
(うん、本当に栗とも思えない栗だったよね)
 それでかまわないと考えていたら、童話を教えるのに苦労するのだと保育部のクルーが嘆くのを聞いた。ソルジャーだったぼくの主な仕事は、実は子供たちの遊び相手をすることだったから。
 童話には悪者を懲らしめるために栗が登場するものだってある。栗のイガの痛さが話の肝。
 だけど、シャングリラの栗のイガにはトゲが無い。どうして栗のイガにやられた悪者たちが降参するのか、子供たちには理解出来ない環境。
(資料だけでは分からないものね…)
 ミュウの未来を担う子供たち。いつかは人類と手を取り合って欲しい子供たち。
 子供たちの世界を狭めることは好ましくない。ただでもシャングリラの中だけでしか暮らせない子たちだからこそ、本当のことを教えてやりたい。
 たかが栗のイガのことであっても、小さな真実を積み重ねたい…。
(安全だけを追求してたら、何ひとつ出来なくなっちゃうんだよ)
 そう思ったから、「あれは本物の栗じゃないから」と、一本だけ普通の栗の木を植えた。
 公園はゼルに「危険じゃ」と却下されてしまったから、居住区の庭に。



 それなのに本物の栗の実がなったら、誰が一番最初に大喜びで拾いに行ったと思う?
 危険だと主張していたゼルだったんだ。すっかり禿げてしまったゼル。
 長老の服の靴でトゲだらけのイガをグイと踏んづけて、嬉々として栗の実を出していたんだ。
 朝一番の視察に出掛けて発見した時の、ぼくとハーレイの顔といったら…。
「ゼル、それは何だ」
 ハーレイが苦い顔をしてゼルの足元を指差したんだけれど。
「何って、栗にしか見えんじゃろうが」
「危険だと主張していた筈だが?」
「じゃから、わしが処理してやっておる!」
 よりにもよって危険物処理。
 どう見てもそうは見えない光景。
 楽しんでやっているとしか思えないのに、ゼルは危険だと言い張った。
 栗の実はとても危険なのだと、素人には任せられないのだと。
 ぼくもハーレイもポカンとしたまま、落っこちたイガをせっせと踏んでいるゼルを見ていた。
 危険な栗のイガに立ち向かってゆく勇者のゼルを。



 こうしてゼルは本物の栗の木の担当になった。
 本物の栗だけはヒルマンじゃなくて、ゼルが担当することになった。
 担当と言っても世話係とは違って、説明係。子供たちに栗とは何かを教える係。
 秋が来る度にゼルは子供たちの前で得意満面、靴で栗のイガをこじ開けて実を出すんだ。
「いいか、これはな。実はソルジャーにも出来んのじゃ」
 そう言いながら熟して落ちたイガをグイと踏んづける。
「あのハーレイでも、この本物の栗には触ることが出来ん」
 ハーレイは防御力に優れたタイプ・グリーンの筆頭なのに、ゼルは自分の方が上みたいに。
「栗のトゲは実に危険じゃからのう、熟練の者しか扱えんのじゃぞ」
 なんて名調子で解説しながら栗のイガを開けて、子供たちの尊敬を集めていたんだよ。



 ゼルのお株を取っちゃ悪いから、そういうことにしておいた。
 だけどやっぱり、なんだか悔しい。
 ソルジャーのぼくも悔しいけれども、防御力ではぼくに匹敵するハーレイだって少し悔しい。
 だからハーレイと夜にコッソリ出掛けて行って、栗のイガを一個ずつ失敬するんだ。
 明日になったらゼルが拾う筈の、熟した栗の実が入ったイガを一個ずつ。
 ぼくもハーレイも本当は上手にイガをこじ開けて中の栗の実を出せるんだけど…。
 子供たちにはゼルしか出来ないってことにしておく。
 ソルジャーとキャプテンにだって出来ないことが一つくらいあってもいいだろう。
 相手は人類軍じゃなくって栗の実なんだし、ちょっぴり間抜けで愉快だから。
 そうしてゼルが寝ている間に、庭の隅っこでイガを内緒でこじ開ける。
 ハーレイが一つ、ぼくも一つ。
 ゼルが得意げにやってるみたいに靴で踏んづけて、艶々とした栗の実を中から取り出す。開けたイガは放っておいてもバレない。ゼルが「教材じゃ」と空になったイガを庭に残しているから。
 ハーレイと二人で一個ずつ、コッソリ開けちゃった栗のイガの中身。
 手のひらの間に大事に包んで、青の間に持って帰ってナイフで切れ目を入れて。奥のキッチンで皮ごとこんがりと焼いて、熱々を剥いて二人で食べた。
 それがぼくとハーレイとの内緒の焼き栗。
 コッソリの味は格別だった。
 栗が実る度にハーレイと二人、夜中に焼き栗を楽しんでいた。
 地球の海に居るというトゲだらけのウニも、こんな風にして食べるんだろうか、って話なんかを交わしながら。



 そういえば…、とハーレイのお土産の焼き栗を剥きながら思い出した。
 あの頃に話題にしていたウニ。今は二人とも地球に居るから、ウニだってちゃんと海にいる。
「ハーレイ、栗で思い出したけど、今はウニだって手に入るよね?」
 口にしてみたら、ハーレイも覚えていたらしくて。
「ウニか…。あの頃はウニの話もしてたが、流石にウニはなあ…」
 ウニはおやつじゃないからな。
 そりゃあ、ウニ風味のスナック菓子もあったりするがだ、お前が言うのは本物のウニだろ?
 土産だと言ってウニの寿司を提げて来るのも変だしな?
「確かに変だね…」
 ハーレイが言う通り、ぼくへのお土産にウニのお寿司は変だと思う。
 お寿司はおやつに出来はしないし、それをやるなら昼御飯用にお寿司の折詰。だけどウニだけで埋まった折詰なんて食べ切る前に飽きてしまいそう。焼き栗なら飽きはしないけれども…。
(ウニのお寿司かあ…)
 好き嫌いだけは全く無い、ぼく。
 沢山食べることは苦手なんだけど、前の生で食べ物に不自由していたせいなのかどうか、何故か好き嫌いというものが無い。
 そんなぼくだから、もちろんウニも食べられる。お寿司は好きだし、ウニのお寿司も。
(…お寿司も美味しいし、お刺身もいいよね)
 他にもウニの食べ方は色々。でも…。
(殻ごとのウニは食べたことがないや)
 トゲトゲの殻が半分くっついたウニなら、パパとママに連れてって貰ったレストランで食べた。殻が器の代わりになってて、中身は焼きウニ。
 殻ごとと言えば殻ごとだけれど、自分で剥いたわけじゃない。
 栗のイガは自分で開けられたけれど、栗よりもトゲが凄いウニ。ちょっと開けられそうにない。
(ケガしそうだよ…)
 其処まで考えて、気が付いた。
 ハーレイは海が大好きだっけ。海にはウニが住んでいるよね?



「ねえ、ハーレイ。もしかして、ウニをあんな風にして食べたこと、ある?」
「あんな風?」
「栗みたいに自分でパカッと開けて!」
 開ける道具は靴じゃないかもしれないけれど、と訊いたら「あるぞ」と即答だった。
「海には沢山いるからな。潜って獲ったら食べ放題だ」
 ウニを開けるには足じゃなくって手を使うんだぞ。
 こう、左手にウニを持って、だ。
 もちろん左手をシールドするのを忘れちゃいかんぞ、凄いトゲだからな。
「それからウニの口の部分をナイフで開ける。あいつらにはちゃんと口があるんだ。口を開けたら其処からナイフを突っ込んで…。栗のイガみたいな要領で剥いてもいいし、切ってもいいな」
「ずるい…。ハーレイ、経験済みなんだ…」
 ぼくは本物のウニの殻を開けてみたことが一度も無いのに。
 シャングリラではハーレイと一緒に本物の栗のイガを開けていたのに、地球の海で獲れるウニは出遅れた。ハーレイだけが先に開けてて、ぼくは一度も開けたことが無い。
「ハーレイ、ずるいよ! 一人で先に開けてたなんて!」
「おいおい、お前、ずるいも何も…。俺の方が何歳年上だと思っているんだ、お前」
 それにだ、お前はウニなんか自分で開けられんだろう?
 さっき開け方を話した筈だぞ、不器用なお前が左手をシールド出来るのか?
 シールドしないでウニを掴んだら大惨事だ。分厚い手袋をはめるって方法もあるが…。
「うー…」
 悔しいけれども、ハーレイの方が二十年以上も先に生まれていたのは本当。ぼくと再会する前にやってたことまで文句をつける権利は無いし、第一、その頃のハーレイはぼくを知らない。前世の記憶を持ってはいない。
 それに今のぼくがウニを開けられそうにないことも事実。前のぼくなら簡単にシールドを張れたけれども、サイオンがとことん不器用なぼくは左手にシールドなんか無理。
 分厚い手袋をはめれば出来ると言われたところで、それじゃちょっぴり情けない。
 ゼルの「実はソルジャーにも出来んのじゃ」という台詞そのもの、恥ずかしすぎる…。



 今の世界では人間は一人残らずミュウ。
 シールドはごくごく普通の能力、大抵の人は出来て当然。前の生と同じタイプ・ブルーのぼくは最強のサイオン能力を持っている筈で、シールド出来ない方がおかしい。だけど出来ない。
 不器用すぎるぼくが分厚い手袋をはめてウニを開けていたら、タイプ・ブルーだとは誰も信じてくれないだろう。ウニを開ける所は見たいけれども、自分で開けるのは諦めた方が良さそうだ。
(ハーレイに開けて貰おうかな…)
 まだまだ当分、一緒に海には行けないんだけど、いつか行ったら。
 いつか二人で海に行ったら、ハーレイにウニを開けて貰って…。
(……海?)
 夏休みの間にハーレイは海に行っていた。柔道部の生徒を連れて、日帰りで海。ひょっとしたら海で食べたんだろうか?
 ぼくの憧れの殻つきのウニを、柔道部員たちと開けて食べたんだろうか…?
「ハーレイ、今年の夏も、もしかして食べた? 柔道部の子たちと一緒にウニ…」
「いや。ウニは開けるのに手間がかかるし、柔道部のヤツらに食わせておくにはサザエの壺焼きで充分ってな」
 ハーレイはパチンと片目を瞑ったけれども、ぼくの心はウニならぬサザエに捕まった。
「サザエの壺焼き!?」
「そうだが? その辺で獲って、蓋を開けてな。ちょっと醤油を垂らしてやって火で炙るんだ」
「…壺焼き……」
 柔道部員が羨ましい。
 ぼくは獲れたてのウニも食べたことがないのに、ハーレイと一緒にサザエの壺焼き。ハーレイが獲ったサザエの壺焼き…。



「…ぼく、壺焼きも食べてみたいよ…。ハーレイが獲ったサザエの壺焼き…」
 ウニも食べたい、と強請らずにはとてもいられない。
 前の生では二人一緒にコッソリと栗のイガを開けていたのに、今はハーレイがフライング。先に一人で地球の海のウニをこじ開けて食べていた上に、サザエの壺焼きを柔道部員に大盤振る舞い。ぼくに食べさせてくれたんだったら分かるけれども、柔道部員…。
 恋人のぼくを放って柔道部員に御馳走するなんて、あんまりすぎる。
 ウニだって一足お先にトゲトゲの殻を開けてしまって、美味しく食べていたなんて…。
 今のぼくにはウニの殻なんか開けられないって分かっているけど、フライングだなんて…。
(ずるいし、それにあんまりだってば!)
 ぼくの頬っぺたは、ちょっぴり膨れていたかもしれない。ハーレイが「分かった、分かった」と苦笑しながら、焼き栗の皮がついていないことを確認した右手でぼくの髪を撫でる。
「ウニにサザエだな、分かったから。お前がちゃんと大きくなったら、海に連れて行って食わせてやるから。…もちろん俺が獲って、食べ放題でな」
「約束だよ? 殻つきのウニと、サザエの壺焼き」
「アワビも一緒に食わせてやるさ。あれも焼いたら美味いんだぞ」
 な? とハーレイはぼくに微笑みかけてから。
「…まったく、とんだ藪蛇だったな。焼き栗の土産」
「そう? ぼくはとっても嬉しいけどね。シャングリラのことも思い出せたし」
 それに、いつかはハーレイと海。
 ぼくの背丈が大きくなったら、ハーレイと一緒に海へ行くんだ。
 殻つきのウニとサザエの壺焼きを食べさせて貰えるんだよ、ハーレイが獲った美味しいのを。
 前のぼくたちの焼き栗みたいにコッソリじゃなくて、天気のいい海辺で堂々と二人。
 何を食べてるかも、恋人同士なことも隠さなくて良くて、青く澄んだ地球の海辺で二人。
 前のぼくが焦がれた青い地球の海を二人で見ながら、地球の海の幸を沢山、沢山……。




         栗の思い出・了

※シャングリラで食べた栗の思い出。今度はウニも食べられるのです、ハーレイと二人で。
 そしてトゲの無い栗は実在してます、ちゃんと園芸品種です。シャングリラ御用達?
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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 秋の日の午後、庭のテーブルで向かい合って座るハーレイとブルー。
 庭で一番大きな木の下に据えられた白いテーブルと椅子で過ごす時間は、暑い間は午前中が定番だったけれども、いつしか午後のお茶の時間へと移っていって。
 夏の盛りには考えられなかった、外での午後のティータイム。涼しい風が吹き抜けていた日も、夏場は早めの昼食くらいまでしか庭にはとても居られなかった。
 それが今では午後にお茶の時間。僅かに色づき始めた木を仰ぎながらの穏やかなひと時。
 紅葉の季節にはまだ早いけれど、ハーレイが紅茶のカップをコトリと置いて。
「このテーブルもそろそろ店じまいかもな」
「えっ?」
 どうして、とブルーは首を傾げた。いきなり「店じまい」だなどと言われても…。
 言葉の意味が飲み込めない様子のブルーに、ハーレイが「うん?」と優しい笑みを浮かべる。
「今年は終わり、という意味だ。じきに冷え込む季節になるしな、次の週末はどうなるか…」
 この季節の気候は気まぐれなもの。暖かい日が続くと思っていても、急な寒波が来る年もある。一週間後の気温がどうなっているか、正確な予想は難しいから。
「今のところは来週もまだ暖かそうだが、直前で変わることもあるだろう? 寒くなったらお前が風邪を引いてしまうし、外はちょっとな」
 来年の春が来るまでお預けになってしまうかもしれん、と聞かされてブルーは溜息をついた。
「そっか…。今日でおしまいなのかな、ハーレイとデート…」
「ははっ、覚えていたのか、デートの話。此処でお前と初デートだったな」
 ハーレイが「うんうん」と遠くなった初夏の日を懐かしく思い返して微笑む。「普段と違う所で食事をしたい」と強請ったブルーへのハーレイの答えが庭のテーブルと椅子でのティータイム。
「そうだよ、シャングリラの形の木漏れ日を見たよ」
「あったな、まるで誂えたように」
 テーブルの上で揺れていた木漏れ日が描くレース模様の中に、シャングリラがあった。
 遙か上空から見下ろしたシャングリラそっくりの、光と木の葉が作り出した形。二人で飽きずに眺めていた。日が射して来る方向が変わり、光のシャングリラが消えてしまうまで…。



「ハーレイが持って来てくれたんだよね、あの時に座った椅子とテーブル」
 ブルーは今でも鮮やかに思い出すことが出来る。ハーレイの車のトランクの中から魔法のように引っ張り出されて、庭に据えられたテーブルと椅子。「木の下にお前の椅子が出来たぞ」と笑顔で其処へと誘ってくれたハーレイの声まで覚えている。
「あれからも何度も持って来てくれたよ」
「お前、気に入っていたからなあ…。お前が喜んでくれるんなら、と俺もせっせと持って来ていたわけだが、お前のお父さんに感謝しとけよ」
「パパ?」
「俺が持って来るパターンのままで定着してたら、夏休みの終わりと同時に営業終了になっていただろうしな」
 この椅子とテーブルはお父さんが買ってくれたんだろうが、とハーレイの指がテーブルをトンと叩いた。ブルーの父が「いつも持って来て頂くのは申し訳ないから」と夏休みに入ってから買って据え付けたテーブルと椅子。
 屋外用のテーブルと椅子だったから、雨風で傷むことはない。ブルーにとっては「庭にあるのが当たり前」のもので、いつでも使えると思っていた。営業終了という言葉がピンと来なくて。
「なんで夏休みが終わっちゃったら、おしまいになるの? 夏休み、とっくに終わったよ?」
「まあな。しかしだ、俺の中では、あのテーブルと椅子は夏休みまでのものだったんだ」
 キャンプ用のテーブルと椅子だと言っただろう。夏の間に俺の家で来客用に使うヤツなんだ。
 来客と言っても教え子ばかりでガサツな運動部員どもだから、バーベキューだな。外でワイワイ賑やかに食って騒いで、親睦を深めるためのテーブルと椅子だ。
 そういったシーズンの終わりが夏休みの終わりで、其処で営業終了になる。秋の午後に使うって発想は俺には全く無かった。あいつらと優雅にティータイムなんぞは有り得ないしな?
「良かったあ…。パパが買ってくれてて。…ママの趣味で白いのになっちゃったけどね」
「白もいいじゃないか。前も言ったが、シャングリラの色だ。俺たちにピッタリの色だと思うぞ」
「そうだっけね。シャングリラは真っ白な船だったものね」
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 どちらが欠けても、無事にジョミーに引き継ぐことは出来なかっただろう。
 そうしてシャングリラは地球まで運ばれ、新しい世代のミュウたちを乗せて旅立って行った。
 前のハーレイの生が終わった地球を離れて、遠く遙かな新天地へと…。



 今は写真だけしか残されていないシャングリラ。
 ハーレイとブルーがお揃いで持っている写真集には白いシャングリラが在るが、その船体は時の流れが連れ去ってしまった。ブルーの青の間もハーレイの部屋も、時の彼方に消えてしまった。
 それなのに二人は生まれ変わって、青い地球の上で再び出会った。
 同じ町に住み、同じ学校の教師と生徒。週末が来る度、ハーレイがブルーの家を訪ねて、二人で過ごしているのだけれど。
 前の生で恋人同士だったことをブルーの両親は知りはしないし、今でも秘密。
 ハーレイにキスさえ禁じられてしまったブルーは、この庭でしか大好きなハーレイとのデートが出来ない。夏休みの終わりと同時にデートも終わりとならなかったことは幸運だったが、どうやら寒さの訪れと共にデートは終わりになってしまうらしく。
「…寒くなったらやっぱり無理かな、ハーレイとデート…」
 寂しげに呟くと、ハーレイが頭上の枝を見上げた。
「この木の葉もいずれ、すっかり色が変わって散っちまうしな? …散ってる最中に此処に座ってティータイムだと、葉っぱがどんどん落ちて来るぞ」
 カップの上とか、ケーキの上にな。いくら秋でもケーキの紅葉添えはな…。
「そういうのもいいと思うんだけど…」
 お洒落だと思う、とブルーは食い下がった。
「ケーキに紅葉は添えてないけど、料理だったら添えたりするよ?」
「それはそうだが…。わざわざ秋らしく色が変わった柿の葉で包んだ押し寿司なんかもあったりはするが、しかしだな…」
 ハーレイの眉間の皺が深くなる。
「お前、寒くなったら風邪を引くだろうが。シールドも張れないレベルのくせに」
 紅葉の季節は風がけっこう冷たいぞ?
 いくらお洒落でも、風邪を引いたら話にならん。



 そう諭されても、ブルーはどうにも諦め切れない。ハーレイと初めてデートした場所が来年の春までお預けだなんて、まるで考えてもいなかった。だから俯き加減でポツリと零す。
「でも…。ハーレイとのデートが春まで出来なくなっちゃうなんて…」
 まだまだ秋は長いし冬もあるのに、と上目遣いに見上げられたハーレイは仰天した。
「冬って…。お前、雪の中でも此処でデートをするつもりか?」
「雪も綺麗だと思うんだけど…。秋も冬もきっと素敵だよ。葉っぱが散るのも、雪が舞うのも」
 どう見ても本気としか取れないブルーの眼差しに、「うーむ…」と腕組みをするハーレイ。
「落ち葉はともかく、雪の中だと? シールドを張れないお前がか?」
「…だって、ハーレイとデートがしたいよ。ちょっとくらい風邪を引いてもいいから」
「馬鹿!」
 一喝すればブルーは首を竦めたけれども、それでも縋るように揺れる赤く澄んだ瞳。
 こういう瞳で見詰められると、ハーレイは弱い。
 どんな我儘でも聞き入れたくなる。ブルーの望みを叶えたくなる。
 前の生から愛し続けて、一度は失くしてしまった恋人。奇跡のように戻って来てくれたブルーのためなら、全力を尽くしてやりたいと思う。
 まだまだ幼い小さな恋人。十四歳にしかならないブルー。
「お前なあ…。ちょっとの風邪でも命取りだと分かってるだろう、弱いんだから」
「早めに寝てればちゃんと治るよ、それとハーレイの野菜スープがあれば」
「お前は平気なのかもしれんが、俺の心臓が持たないんだ」
 俺がお前の側についていながら、風邪を引かせるなんて真似はしたくない。
 お前の分までシールドを張れればいいんだが…。
 生憎と俺はタイプ・グリーンで、前のお前みたいに広い範囲をシールド出来るわけじゃない。



「お前の分までシールドを張るとなったら、くっつかんと無理だ」
 それでブルーが諦めてくれれば、と思う一方で微かに期待もしていた。ハーレイが心の奥の奥で願った答えを読んだかのように、ブルーの顔がパッと輝く。
「じゃあ、くっつく!」
「こら、お前! 本気で俺にくっつく気なのか?」
「うんっ!」
 ブルーは嬉しそうにニッコリ笑った。
「それなら堂々とくっついてられるよ、ハーレイに! ぼくはシールドなんか張れないってこと、パパもママもちゃんと知ってるもの!」
 シールドに入れて貰っているなら、くっついていても変だと思われないよ。
 くっつきやすいようにハーレイの膝に乗っかっていても、パパもママも何も言わないよ。きっと「先生にあまり迷惑をかけちゃ駄目だぞ」って言われるだけだよ、だからお願い。
「ねえ、ハーレイ。秋の終わりも冬になってもデートしようよ、くっついて此処で」
「お茶が冷めるのはどうするんだ?」
 俺は其処まで面倒見きれん。そうそう器用じゃないからな。
「ポットだったら保温用のがあるじゃない。それにポットに帽子みたいに被せるカバーもあるよ」
 ティーコジーって言ったかな?
 シャングリラでは使っていなかったけれど、ママは寒い季節になったら使うよ。綿とか断熱材が入ったカバーで、ポットにすっぽり被せておいたらお茶が冷めにくくなるんだから。
「ママはポットの大きさに合わせてカバーを幾つか持ってるよ。あれ、使おうよ」
 保温ポットより断然いいよ、と主張するブルー。
 SD体制の時代よりも遙かに古い昔の道具で、寒い季節のお茶の時間にピッタリなのだ、と。



 ティーコジーはハーレイも知っていた。ハーレイの母はそういった昔の道具が大好きで、ティーコジーも愛用していたから。
 保温ポットなど無かった時代の素朴な道具。SD体制よりも古い時代の先人の知恵。
 それはともかく、保温用の道具が要るような季節になっても庭でのデートとお茶の時間を諦める気配も無さそうなブルー。
 ティーコジーだなどと言い出した以上、少なくとも晩秋は店じまいとはいかなくなるだろう。
 冬になってもブルーを膝の上に乗せて、庭でのお茶が続いてゆくかもしれないが…。
 まずは、とハーレイは我儘な恋人に釘を刺す。
「とりあえず、お前が風邪を引かずに無事なことが第一条件だな」
 これだけは譲れん、と厳めしい表情で言い渡しておいて。
「その上で焼き芋から始めてみるか」
「焼き芋?」
 ブルーはキョトンと赤い瞳を丸くした。
「石焼き芋を買ってくれるの? 寒くなったら、そこの道を車が通って行くけど…」
 SD体制の時代には無かった石焼き芋の移動販売車。
 遙かな昔にこの地域の辺りに在った小さな島国、日本の古い文化の一つ。笛の音にも似た独特の音を響かせ、石焼き芋を焼く釜を載せた車が寒い季節に住宅街を巡ってゆく。
 ブルーはそれだと思ったらしいが、ハーレイが考えたものは違った。
「やったことないのか、落ち葉で焼き芋。美味いんだぞ」
「…落ち葉?」
 怪訝そうな顔の小さな恋人は知らないらしい。
 生まれつき身体が弱いのだから、落ち葉で焚き火をするような季節は家に閉じこもって過ごして来たかもしれない。ハーレイにとっては子供時代のお楽しみだった焼き芋すらも知らないままで。



(参ったな…)
 本当にやる羽目になるかもしれんな、と思ったけれども、ブルーを楽しませてやりたいから。
 前の生では叶わなかった分まで幸せにしたいと思っているから。
 ハーレイはブルーに教えてやる。庭に落ちた木の葉を集めて焚き火をして芋を焼くのだ、と。
「ホント!? 本当にそれでちゃんと焼けるの?」
「上手く焼くには、ちょっとしたコツが必要だがな。だが、これが実に美味い」
 俺は焼くのが上手くてな。ホクホクの焼き芋が出来上がるんだぞ。
 もっとも、その前に、お前のお父さんとお母さんに訊かんと駄目だがな。
 庭で焚き火をしていいですか、と。
「やりたい! 焚き火で焼き芋、やってみたいよ」
 パパとママに頼んで許して貰うよ、とブルーの赤い瞳が煌めく。
 一人息子の願い事とあらば、ブルーの両親は快諾するだろう。
「ふむ…。許可が出たなら、焼き方のコツを伝授してやろう。だが、もう少し先の話だ。木の葉が色づいて散らんことには芋は焼けない」
 庭中に散った落ち葉を集めて、枯れ枝なんかもあるといい。
 お前と二人でこの庭をせっせと掃除するかな、焚き火と焼き芋作りのためにな。
「うんっ! じゃあ、それまではデート続行だね?」
 ねえ、とブルーは弾けるような笑顔になった。
「まだまだ終わりにしたくないんだ、ハーレイとデート」
 焚き火が出来る季節になるまで、此処でデートでいいんだよね?
 落ちて来る紅葉がケーキのお皿に乗っかる頃になっても、デートしていていいんだよね?
 ぼくが風邪さえ引かなかったら。
 学校で引くのは仕方ないけど、庭に居る時に風邪を引かなかったら…。




 ちゃんと暖かい服を着るから、とブルーは強請る。
 両親が心配しないように服も下着もしっかり着込んで
落ち葉の季節に備えるから、と。
「だって、ハーレイ。…学校の体育の授業は普通に外だよ?」
「お前、見学専門じゃないのか、そういう季節は」
「…ふふっ、見学と言うより体育館専門」
 だけど、とブルーは付け加える。
 身体が弱くて寒い季節は体育館でしか授業に参加出来ないけれども、今よりもっと小さい頃には雪だるまくらいは作っていた、と。雪合戦に参加するのは無理だったけれど、ほんの少しだけなら雪遊びだってしていたのだ、と。
「だからね、雪の季節も大好きだよ? 雪が降るのを見るのも、雪景色も好き」
 それに地球だ、とブルーは微笑む。
 前の自分が憧れた地球で迎える初めての冬で、初めての地球の雪景色なのだ、と。
「お前、そいつを俺と一緒に眺めるつもりか? この庭の椅子で」
「そうだけど? ハーレイと一緒に地球の上に生まれて来たんだもの。一緒に見なくちゃ」
「つまりは雪の季節になっても、此処でのデートを終わりにする気は無いんだな? …俺と一緒に雪景色だなんて言うってことは、だ」
「そうだよ、何回くらい雪が積もるかな? 春になるまでに」
 雪の中なら、ハーレイのシールドつきだよね?
 いくら厚着をして出て来たって、庭はやっぱり寒すぎるもの。
 ハーレイにくっついてシールドで包んで貰うのがいい。パパもママも絶対、気にしないから。
 ぼくがハーレイに迷惑をかけることしか心配しないし、堂々とくっついていられるから…。



 ブルーが頬を紅潮させて、寒い季節の庭でのデートを夢見るから。
 それは駄目だと突っぱねられなくて、ハーレイは「ふむ…」と暫く考え込んで。
「仕方ない、覚悟はしておこう」
 お前をくっつけてシールドで包んで、雪の最中に庭でデートという覚悟をな。
 お茶が冷めないようにティーコジーを出して来ると言うなら、あれだな、俺も工夫をするか。
 いっそ火鉢でも持ってくるかな、きちんと本物の炭を入れてだ。
 そうなると古典の世界になっちまうがな…。
 知ってるか?
 うんと昔の枕草子だ、「火など急ぎおこして炭もて渡るも、いとつきづきし」だ。
「火鉢! あれに出て来る炭櫃と火桶?」
「ああ。炭櫃は角火鉢で四角い火鉢だ。火桶は円形の火鉢だな」
 俺の実家に置いてある火鉢は円形のだから火桶ってトコか。親父の趣味でな、炭だってあるぞ。
 炭火を熾すための火熾し器まで揃えているんだ、柄杓みたいな形のヤツだ。
「そんなのもあるの? それも見てみたい!」
 持って来てよ、とブルーは自分の家には無い火鉢だの火熾し器だのに夢中になった。
 古典の授業でしか知らない道具がハーレイの実家にあるという。
 ブルーをハーレイの未来の伴侶として認めてくれている、ハーレイの両親が住んでいる家。庭に夏ミカンの大きな木がある隣町の家。
 その家の火鉢を一度借りてみたい。雪の舞う日に庭でのデートに使ってみたい…。



「おいおい、本気で火鉢なのか? 俺は火鉢で餅を焼くしかないような気がして来たぞ」
 半ば嘆きにも似たハーレイの言葉に、ブルーは素早く反応した。
「火鉢でお餅? 美味しく焼けるの?」
「ん? そりゃまあ、なあ…。火鉢で焼いた餅は美味いぞ、たまに焦げるが」
「焚き火の焼き芋と同じでコツが要る?」
「そうだな、火力が均等ってわけではないからな」
 間違えるなよ?
 芋は焚き火に埋めて焼くが、だ。餅は炭だの灰だのには埋めないからな。
 炭の上に網を乗っけて焼くんだ、でないと灰だらけになって食えなくなるぞ。
「ハーレイ、上手い?」
「当然だろうが。俺の実家じゃ餅は火鉢で焼くのが一番ってことになってたからな」
「それじゃ、お願い。冬になったら、火鉢で、お餅!」
 ぼくのお願い、とペコリと頭を下げられてしまい、こうなるとハーレイは断れない。
 我儘が過ぎる願い事だろうが、ブルーの頼みにはとことん弱い。
 無理ではないかと思いながらも「分かった、分かった」と微笑みながら頷くことになる。
「ただしだ、お前が風邪を引いてないのが大前提だぞ」
 其処をお前が間違えなければ、焚き火で焼き芋だろうが、火鉢で餅を焼く方だろうが、此処でのデートは通年営業にしといてやるさ。
 いいか、絶対に風邪を引かないことだぞ?
 風邪っぴきでダウンしちまったお前は、どう転んだって外には出られないしな。
「うん、頑張る!」
 だから約束、とブルーはハーレイの小指に自分の小指を絡み付かせた。
「約束だよ、焚き火で焼き芋をするのと、火鉢でお餅!」
 どっちも楽しみにしているから。
 ハーレイのシールドの中でくっついて此処で雪を見るのも、とっても楽しみにしているから…。



 そろそろ店じまいかとハーレイが口にした筈の、木の下の白いテーブルと椅子。
 店じまいどころか通年営業になってしまいそうな気配で、ハーレイは苦い笑みを浮かべる。
「やれやれ…。とんだ物を持って来ちまったんだな、俺というヤツは」
 庭に置くテーブルと椅子ってヤツはだ、本来は夏の間に使う物で、だ…。
「とんでもなくないよ、デートの場所だよ?」
 そしてこれからの季節が本番、とブルーは幸せそうに微笑んでみせた。
「ハーレイとくっついて座れるだなんて、寒い季節の方がいいよね。…ぼくのサイオン、不器用で良かった! ハーレイのシールドに入れて貰えるなんて最高だもの」
「だからだな、それはお前に風邪を引かせないための苦肉の策でだ、このテーブルと椅子は本来」
「店じまいは無し!」
 夏よりも冬、とブルーは言い張っているのだけれど。
 早々に風邪を引いてしまったなら、庭で一番高い木の下の白いテーブルと椅子とは出番を失い、来年の春まで何処かに仕舞われてしまうだろう。
(…多分、そのコースで間違いないさ)
 ハーレイはそう思うけれども、もしもブルーが望むのならば。
 風邪を引かずに頑張ったならば、焚き火も火鉢も夢を叶えてやらねばなるまい。
 前の生から愛し続けて、再び巡り会うことが出来た恋人。
 今度こそ幸せにしてやりたいと願ってやまない愛しいブルー。
 愛おしいブルーが望むことなら、どんな我儘でも叶えたいから……。




        店じまいの季節・了

※ハーレイとの初めてのデートの場所を、冬も維持しておきたいブルー。雪の季節も。
 火鉢でお餅も楽しそうです。ブルーの我儘、ハーレイはなんでも聞くのでしょうね。
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 週末の休日は、仕事が無ければブルーの家へ。それがハーレイの今の習慣。
 今日もそういう土曜日なのだが、普段よりも一時間ほど早い時間に目が覚めた。
(…寝なおすという程でもないしな…)
 規則正しい生活を心がけているから、疲れは一晩眠れば取れる。もう充分に起きていい時間。
(ひとつ起き出してゆっくりするか)
 コーヒーを淹れて早めの朝食を摂るのもいいだろう。よし、とハーレイは起き上がった。



 いつものように歯磨きをして、顔を洗って。
 髭を剃ろうとしていた所で脳裏を過った懐かしい記憶。鏡に映った自分の顔を覗き込む。
(…こうして見ると本当にあの頃と変わらん顔だな)
 遠い遠い昔に、青の間で今と同じことをしていた。
 一緒に眠って目覚めたばかりのブルーをベッドに残して、青の間の奥のバスルームで。
 青の間はブルーの部屋だったから、ブルーは急いで起きなくてもいい。しかしハーレイは本来は其処に居る筈のない者で、キャプテンの部屋で寝起きしていると皆が信じて疑わない者。朝一番に青の間を訪れ、ソルジャーと朝食を共にしながら報告をするのがハーレイの役目。
 そう思わせておかねばならない。ブルーとの仲を明かせはしない。
 だからハーレイはブルーと「おはよう」のキスを交わした後、急いで身支度を整えていた。
(あの頃と違うのは場所だけか…)
 それにブルーも家に居ないな、と考えながら視線を落としてみれば。
(置いてある物も違うようだな)
 洗面台に揃った様々な物。青の間のバスルームにあった物と同じ物もあれば違う物もあった。



 青の間のバスルームで慣れ親しんで見ていたもの。
 ハーレイにしか用の無い髭剃り用の剃刀。ブルーの頬は滑らかなままで、柔らかな産毛だけしか無かった。髭剃り用の剃刀などはブルーにはまるで要らないもの。
 それから二人分の歯ブラシ。ハーレイの分と、ブルーの分と。
 ブルーは使わない筈の髭剃り用の剃刀、それに一本余計な歯ブラシ。そういったものが置かれていることに、誰一人として気付かなかった。
 ハーレイが朝、青の間からブリッジに行くための身支度に使っていたもの。それらの存在すらも知られず、朝の報告に来るハーレイが実は泊まっていたということも誰も知らないままだった。
(ブルーは実に器用に隠していたからな)
 物理的に隠していたわけではなく、視覚のマジック。「此処の掃除くらい自分でするよ」と部屋付きの係に言って自分で洗面台を整え、ついでにサイオンで仕掛けをしていた。
 其処に「在る」ものが見えないように。
 髭剃り用の剃刀と余分な歯ブラシ、恋人の存在を示すそれらを知られないように。



 キャプテンだった頃のハーレイの部屋にはブルーの歯ブラシが置かれていた。
 洗面台に置かれた二人分の歯ブラシ。
 そちらも誰一人気付かなかった。ブルーがサイオンで細工をしたから。
 二人分の歯ブラシの隣に、ブルーには用が無かった剃刀。髭剃り用のハーレイの剃刀。
 誰も気付きはしなかった。
 青の間で眠っている筈のブルーがハーレイの部屋に泊まりに行っていたことを。
 朝早くに目覚めるハーレイに起こされたブルーは、シャワーを浴びた後、瞬間移動で青の間へと帰って行ったから。
 身支度を整え、何食わぬ顔でハーレイの来訪を待って、朝食を共にしていたから。
(本当に誰も気付かなかったな)
 青の間と、ハーレイが使っていたキャプテンの部屋と。
 どちらの部屋の洗面台にも歯ブラシが二本あったというのに、皆、一本だと信じていた。
 青の間に在った髭剃り用の剃刀は存在すらも知られないままで、ブルーが長い長い眠りに就いてしまった後、ハーレイが秘かに持ち帰った。使う機会を失くしてしまった歯ブラシと共に。
 自分の部屋に置かれていたブルーの歯ブラシの方は、長い間、そのままにしていたけれど。
 歳月と共に古びてゆくのが不吉に思えて、思い切って捨てた。
 少しずつ朽ちてゆく歯ブラシと同じように、ブルーの身体も目覚めることなく朽ちてゆきそうな不吉な予感に囚われたから。
 恐ろしい予感が当たらないよう、不安の影を拭い去ろうと歯ブラシは捨てることにした。
 ブルーが目覚めたら、新しいものを置けばいい。古びたものより新品がいい、と言い訳をして。



(…そのままになってしまったな…)
 ブルーは再び目覚めたけれども、二人分の歯ブラシを並べる前にメギドへ飛んでしまったから。それきり二度と戻っては来ずに、宇宙に散ってしまったから…。
 青の間の歯ブラシもハーレイの部屋の歯ブラシも二本には増えず、一本のまま。青の間にあった分はブルー亡き後、一本きりのままで何処かへ消えた。誰かが処分したのだろう。
 青の間からブルーが生きていた頃の名残りがすっかり消えて無くなったあの日、どれほどの涙を流したことか。枠だけになってしまったベッドや、何もかも無くなったバスルームや…。
 ベッドは「これでは寂しい」という声が出たから寝具が元通りに戻されたけれど、バスルームにタオルや歯ブラシなどは戻らなかった。
 ブルーがいなくなってしまった青の間。其処を訪れ、独りきりで何度も何度も泣いた。
 たまに、先客がベッドの上で丸くなって眠っていて。
 そういう時には先客を起こして思い出話をしていたものだ。青い毛皮のナキネズミのレイン。
 レインは自分の毛皮が青い理由を知らなかったけども、それもブルーの思い出だから。
 幸福を運ぶ青い鳥を飼いたいと願ったブルーが、思いを託した色だったから…。



 つらつらと考えごとをしていた間も、ハーレイの手は休みなく動いていたから髭剃りが終わる。もう一度ザッと顔を洗って、タオルで拭いて。
(…今も一本きりのままだな…)
 歯ブラシを眺めて心の中で呟いた。
 ハーレイの家に二人分の歯ブラシは無くて、ブルーの家にもありはしない。ブルーの家には家族全員分の三本の歯ブラシがあるのだろうが、その中にハーレイの分は無い。
(二本置きたくても、置く理由ってヤツが無いからなあ…)
 今のハーレイは気儘な一人暮らしなのだし、歯ブラシが二本でも誰に見付かることもない。前の生のようにブルーのサイオンで隠さずとも並べて置いておけるのだが…。
(ついでに今のブルーは器用に隠すなんて真似は出来んしな?)
 とことん不器用になってしまったブルーのサイオン。ハーレイの方がよほどマシと言える。
(そういう所も可愛いんだが…)
 ブルーがサイオンの力を伸ばさなくても生きていける世界。
 平和な地球の上に二人生まれて、巡り会えたまでは良かったのだが…。
(歯ブラシを二本並べて置ける境遇じゃないからな、俺たちは)
 そもそも、どちらも相手の所へ泊まりに行けない。前の生でのようにはいかない。
 それ以前にキスさえも交わしていない間柄。
 ブルーは小さく、まだまだ幼く、背丈も百五十センチしか無い。



(…夢のまた夢か…)
 ハーレイの家に二人分の歯ブラシを置くとしたなら、それはブルーを迎えてから。
 共に生きる伴侶としてブルーを迎えて、この家で二人一緒に暮らせるようになってからだ。
(それまではブルーを呼びたくてもなあ…)
 ブルーには「前の背丈と同じくらいに育つまでは駄目だ」とキスを禁じておいたのだけれど。
 その背丈までブルーが育ったとしても、厄介なことになりそうだった。
(あいつの家じゃ、俺は思い切り信用されちまっているからな…)
 ブルーはともかく、その両親。
 自分たちの前世が誰であったかを知る両親だが、恋人同士だったことは知らない。ゆえに息子を大切に扱ってくれる優しい教師としてハーレイを歓待してくれる。
 彼らの信頼を得てしまった今、結婚もせずにブルーとベッドを共には出来ない。いくらブルーが大きくなっても、そのために泊まりには来させられない。
(…ただの教え子なら良かったんだが…)
 教師としてはどうかと思うが、ただの教え子なら泊めても問題無いだろう。ブルーも自分も男性なのだし、恋人同士の時を持つために泊めたとは誰も思うまい。
(しかし、頼れるハーレイ先生となれば話は別だぞ)
 ハーレイがブルーを自分の家に招かない理由を、ブルーの両親は「自分たちの目が届き易い所でブルーと共に過ごすため」のハーレイの心配りだと勘違いしている。
 一度だけブルーが遊びに行った日は一人息子の我儘をハーレイが聞き届けただけで、一度限りの例外なのだ、と。
 そんな状態だから、ブルーを泊まりに来させて自分のベッドに連れてゆくなど、とんでもない。ブルーは念願叶って大満足だろうが、あまりにも後ろめたすぎる。



(…本当に信頼されちまったしなあ…)
 ハーレイを「頼れる教師」と信じて疑いもしないブルーの両親。
 学校のある平日、帰りにいきなり訪ねて行っても「来て下さってありがとうございます」と礼を言われて、家族の食卓にハーレイの席を設けてくれる。
 ブルーが寝込んでしまって見舞いに寄る時も、ブルーのための野菜スープを作る間に食べられるようにサンドイッチが用意されたり、見舞いの後で両親と三人で食卓を囲むことになったり。
 もはや家族の一員と言っても過言ではない、今の状態。
 ただしブルーの伴侶としての家族ではなく、年の離れた従兄か、叔父か。ブルーの父とはたまに一緒に酒を飲むから、従兄よりかは叔父かもしれない。
(…どう考えても家族扱いだぞ? でなきゃ古くからの馴染みの御近所さんだ)
 これではブルーが大きくなってもキスすら出来ないのではないか、と思う。
 前の背丈と同じになるまでは駄目だとブルーに告げた時には、その時が来たなら直ぐにでも、と考えていたし、そのつもりだった。
 けれど今では時間の経過と共に状況も変わり、ハーレイは家族の一員扱い。ブルーの両親が一人息子を安心し切って預けてくれる「ハーレイ先生」。
 その両親の信頼を陰で裏切り、ブルーとキスを交わすことは非常に良心が痛むし、気が咎める。きっと、途轍もなく申し訳ない気持ちになるだろう。
(あいつは間違いなく大感激に違いないんだが…。俺も感激するんだろうが…)
 その前後に激しい葛藤がありそうな気がして、それは嬉しいことではない。
 前の生から愛し続けて、奇跡のように再び巡り会えたブルー。
 愛してやまないブルーと交わす初めてのキスを、後ろ暗いものにしたくはない。
 だから、と最近、思うようになった。
 ブルーの両親の許しを得てから婚約に漕ぎ付け、其処で初めてキスなのでは、と。
 キスを交わせても婚前交渉などは夢のまた夢、結婚するまで自重せねばならないような…。



(…それ以前に、何と言ってブルーを貰ったもんかな)
 まずは婚約、それから結婚。
 そういった手順を踏まねばブルーを伴侶に迎えられない。堂々と手に入れることが出来ない。
(そこまでの道のりが大変なんだ…)
 世間的には「守り役をしている間に情が移った」で済むのだろうが、自分とブルーの前世が誰であったかを知るブルーの両親の場合はどうなるだろうか。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
 前世での仲は隠し通したし、だからこそ歯ブラシが二本あったことは秘密。青の間にハーレイの髭剃り用の剃刀があったことも秘密。
 前の自分は航宙日誌にも書かなかったから、長い時が流れた今の世の中でも誰も知らない。実は二人が恋人同士で、互いの部屋に泊まり合う仲であった事実を。
 ゆえにブルーの両親だって知りはしないし、お蔭でブルーの部屋で二人きりで過ごせる。もしも両親が知っていたなら、二人きりで過ごすどころか家に招いて貰えるかどうか…。
(ブルーが十八歳になっていたなら、家に入れてもくれるんだろうが…)
 そうでなければ邪険に追い払われそうだ。
 可愛い一人息子に手を出されてはたまらないから、門前払い。でなければ文字通り監視付き。
 小さなブルーが泣いて怒っても、二人きりの時間は持てないだろう。
(うーむ…)
 キスさえ交わしていない仲でも、恋人同士の会話なら出来る。それさえ叶わない事態だったら、互いにとても耐えられはしない。何処かでこっそり逢い引きするとか…。
(そっちの方がよっぽどマズイんだが…)
 SD体制よりも遙か昔のシェイクスピアの戯曲ではないが、ロミオよろしくブルーの部屋の窓を目指して忍び込むしかないかもしれない。バルコニーならぬ窓越しの語らいで済めばいいものの、うっかり部屋へと入ってしまって一線を越えてしまったら…。
(…絶対に無いと言い切る自信が全く無いな)
 ゆっくりと二人きりの時間を過ごしていられるからこそ、自制心も充分に働いてくれる。しかし限られた時間しか無く、それも隠れての逢瀬となったら歯止めが利かない可能性が高い。
(……当分、隠しておくしかないぞ)
 ブルーが結婚出来る年齢、十八歳を迎えるまでは前世での仲を隠し通すしかないだろう。迂闊に話して引き裂かれたが最後、自分もそうだが、ブルーもどう出るか分からない。
 祝福されて共に歩みたかったら、今は黙っていることだ。



(…しかしだ、ブルーが無事に十八歳になったとして…)
 ついでに前世と同じ姿に育ったとして、と考えた所で次の難関へとぶつかった。
 ブルーを伴侶に迎えたいから、とブルーの両親に申し出る時、何と話せばいいのだろうか。
 前世からの恋人同士であることは是非とも伝えたいのだが、それを明かしたなら…。
(実は前世から恋人同士で付き合ってました、と言ったらマズイぞ)
 自分たちの可愛い一人息子をとっくに押し倒して深い関係になっていたのか、と誤解されそうな上に、キスさえ交わしてはいないと言っても恐らく信じて貰えまい。
 それまでの信頼が深かった分、裏切られた衝撃と落胆は大きいだろうし、ハーレイへの評価だけならともかく、ブルーの評価も地に落ちそうだ。親に隠れてコソコソと何をしていたのか、と。
(黙っていたとしてもマズイ方へ転がっちまうかもなあ…)
 前世での仲を伏せた場合は、いつからブルーに惹かれていたのかということになる。ハーレイの想いをブルーが受け入れ、結婚に同意したのはいつなのか、とか。
(…やっぱりとっくにキスしていたとか、それ以上だとかを疑われるな…)
 そうならないよう、二人きりで過ごす時間を放棄しようか?
 ブルーの部屋で過ごす時には扉を開けておくことにするとか、ブルーの部屋ではなく両親も居る階下で過ごすことにするとか…。
(今からそうしておけば俺の潔白は証明できるが…)
 そうなると恋人同士の会話が出来ない。自分は将来のためだと思えば我慢も出来るが、ブルーの方はそうはいかない。今でさえキスを強請ってくるのに、恋人同士の会話すらも禁じられたなら。
(…それこそロミオとジュリエットだぞ)
 小さなブルーならきっと言い出す。
 両親が眠っている夜の間に窓越しでいいから話したいとか、会いたいだとか。
 そうした逢瀬を重ねていたなら、さっき恐れたとおりの展開。
 互いの想いが募った挙句に一線を越えて、ブルーの両親に顔向け出来ない深い仲になってしまうだろう。それこそブルーの両親が知らない間に、よりにもよってブルーの部屋で。
 最悪だとしか言いようが無いが、そういう事態も充分あり得る。
 自分の潔白を証明するつもりで取った行動が却って仇となり、潔白どころか逆の結果に…。



 ブルーとはいずれ結婚したいし、結婚しようと決意している。
 前世で叶わなかった分までブルーを幸せにしてやりたかったし、そのためにも正式に伴侶として自分の側に置きたい。
 自分の両親にはとうに話して、二人とも快諾してくれた。
 だが、肝心のブルーの両親。どう持ち掛けても、自分への信頼が揺らぎそうだという現実。
 それでもブルーの両親に申し込まねば、ブルーを手に入れることは出来ない。
 自分との結婚を夢見るブルーを幸せにしてやることが出来ない。
(…どうしたもんだか…)
 自分一人の評価だったら、どうなろうともかまわない。
 長の年月騙していたのかと罵倒されようが詰られようが、自分一人なら濡れ衣も着るし、泥でも被る。けれどブルーはどうなるのだろう?
 両親に可愛がられて育ったブルーが自分のせいで親不孝者になってしまったら…。
 ブルーはキスさえ我慢したのに、とんでもない濡れ衣を着せられたなら。
 いいや、濡れ衣だったらまだしも、それが濡れ衣で無かったならば。両親に内緒で自分とキスを交わし、ベッドも共にしていたならば…。良心の呵責にブルーの心は耐えられるだろうか?
 今度こそ幸せにすると誓ったブルーに悲しい思いをさせたくはない。
 自分との結婚は幸せだけを運んで来るものであって欲しいのに…。



 考えるほどに、難関だとしか言いようがないブルーとの婚約、そして結婚。
 ブルーの両親を失望させずに話を運ぶ方法が全く見付からない。
(…どう転んでも俺の評価はボロボロ、ブルーまで巻き込んじまうんだが…)
 困ったものだ、と鏡の中の自分を眺めて、大きな溜息を吐き出して。
 だが待てよ、とハーレイはキャプテン・ハーレイそのままの自分の姿に思う。
 十四歳の小さなブルーが結婚出来る年になるまでには丸々三年以上もある。
 三年もあれば、その間に妙案が浮かぶかもしれない。
 そうに違いない、と自分自身を慰める。
(…なんとかなるさ)
 なんとかなる、と一本しか無い歯ブラシを見詰め、おもむろに髪を撫で付け始める。
(…いかんな、せっかく早起きしたのにな?)
 一時間も早く起きたというのに、気付けば普段と変わらない時間。ブルーの家を訪ねるためには急いで支度をしなければ。
(うんうん、あいつが待っているしな)
 二階の窓から手を振ってくれる小さなブルー。
 キスさえ我慢し、ひたすらに自分を慕ってくれる十四歳の小さなブルー。
 ブルーを傷付けず、ブルーの両親を決して裏切らず、必ずブルーを手に入れてみせる。
 何処かにきっと、いい案がある。



(…頑張って名案を見付け出すさ。そして結婚を申し込む、と)
 まずはブルーに、それからブルーの両親に。
 どんなに高いハードルを越える羽目になろうとも、いつかはそれも笑い話だ。
 そして歯ブラシは二本になる。
 今はまだ一本しか無い歯ブラシと並んで、もう一本。
 かつてのような秘密の二本の歯ブラシではなく、其処にあるのが正しい歯ブラシ。
 ブルーを伴侶に迎えた時には、歯ブラシは二本要るのだから…。




         二本の歯ブラシ・了

※ブルーを伴侶に迎えるまでのハードルが高そうだ、と悩むハーレイですけれど。
 運命の二人ですから、きっと大丈夫。早く二本の歯ブラシを並べられるといいですよね。
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「ふむ。まだまだ充分に時間があるな」
 ハーレイが左腕の時計をチラリと眺めた。週末の午後、ブルーの部屋でのティータイムの途中。昼食もブルーの部屋で摂ったが、食後のお茶が無くなる頃合いでお茶とお菓子が運ばれて来る。
 ポットにたっぷり入った紅茶と軽い焼き菓子やクッキーの類。ケーキやタルトといった本格的な菓子は午後の三時を回ってから。ゆえにティータイムと呼ぶべきか否か、微妙な時間。三時までは一時間以上あったが、この時間帯はブルーの母は二階に上がっては来ない。
「ママが来るまでゆっくり出来るね」
 ブルーも部屋の時計で時刻を確認した。ハーレイが訪ねて来てくれる休日、ブルーの母は来客を気遣って「お茶のおかわりは如何ですか」と顔を出す。午前中はもちろん、午後のお茶の時も。
 どのタイミングで部屋に現れるか分からないから、初めの間はブルーもハーレイも階段を上がる母の足音を聞き逃さないよう、聞き耳を立てていたものだ。なにしろブルーはハーレイの膝の上に座ったり、抱き付いていたりと甘え放題。そんな現場を母に見られるわけにはいかない。
 そうこうする内に、ブルーの母が現れない時間帯があると二人は気付いた。
 昼食の後に運ばれて来る、お茶と軽く摘めるクッキーや焼き菓子。それが出されてから午後三時までは、お茶のおかわりは出て来ない。どうやら母の考えでは三時のお茶が大切なもので、其処で供する菓子を食べるのに響かないよう、あえてお茶のおかわりを出さないらしい。
 それと気付いてから「本当に来ない」と確信するまで暫く時間はかかったけれども、間違いなく来ないと分かった時から「食後のお茶の後」のティータイムは二人の憩いのひと時となった。



 今日も二人きりで寛げる時間。三時になるまでブルーの母は決して階段を上がっては来ない。
 もっとも、ブルーもハーレイと再会して直ぐの頃に比べればかなり落ち着いたし、以前のように始終ベッタリとくっついているわけではなく、テーブルを挟んで向かい合って他愛ない話を交わすことだって多いのだけれど。
 そう、今のように。
 ハーレイが目をやっていた腕時計。前の生でもハーレイが好んだアナログの時計で秒針つき。
(…ハーレイ、ああいう時計が好きだったよね)
 ブルーは懐かしく思い出す。
 遠い昔にシャングリラで共に暮らしていた頃、ハーレイの部屋にはレトロなアナログの置時計があった。いつも微かな音を立てながら規則正しく時を刻んでいた時計。秒針つきの置時計。
 キャプテンとしてブリッジに詰めている時、ハーレイが時刻を確認するために覗く時計は秒単位どころのものではなかった。銀河標準時間を示す時計も、アルテメシアの時間を示す時計も、表示単位は秒より更に細かく、正確さを要求されるもの。シャングリラの行く手を左右するもの。
 アルテメシアの雲海に潜んでいた頃はワープなど必要なかったけれども、ワープするなら時間を正しく読まねばならない。一つ間違えればシャングリラは宇宙の藻屑と消える。そうならないよう常日頃から正確な時刻を確認し続け、表示に慣れておかねばならない。
 それがキャプテンが見るべき時計。目まぐるしい速度で変わり続ける表示される数字。
 ブリッジの時計がそうだった反動からか、レトロなものを好んだハーレイの趣味のせいなのか。ハーレイの部屋の時計はアナログ、秒針つきの置時計。もちろんキャプテンの部屋だけに銀河標準時間とアルテメシア標準時間を示す時計もあったけれども、主役はアナログの置時計。
 ハーレイの部屋を訪ねてゆく度、静かに時を刻み続ける置時計が時刻を教えてくれた。正確さを求められる時計の表示とは違った優しい文字盤。置時計が刻む時の流れはゆったりと流れる大河のようで、決して見る人を急かしはしない。
 ゆっくりと時を刻む時計はブルーの心にも穏やかな時間をくれたから。
 いつしかブルーもアナログの時計に惹かれ始めて、青の間のベッドサイドに置いた。秒針が一周するまでの時間はこんなにも長いものだったのか、と飽きずに何度もそれに見入った。



(…でも、無くなってしまったんだよね…)
 ベッドサイドに置いてあったブルーの置時計。
 お気に入りの時計だったというのに、アルテメシアを離れて宇宙に出た後、十五年もの長く深い眠りに就いていた間に、誰かが奥の部屋へと仕舞った。昏睡状態とも言えたブルーの体調管理には不向きな時計だったからなのだろう。
 目覚めた時には味気ない時計、医療スタッフがチェックするための正確な時計。
 置時計は何処へ行ってしまったのかと、あの慌ただしかった時の最中にブルーは捜した。そして奥の部屋で見付けたけれども、元の場所へと運び出したりはしなかった。
 自分に残された時間がいくらも無いことが分かっていたから。
 ゆったりと流れる時間を楽しむ余裕も無ければ、そんな時間が自分には二度と訪れることなく、ひたすらに死へと急ぐだけだと自覚し、覚悟していたから。
 置時計をベッドサイドに置かなかったから、メギドへ飛ぶ前、これが最後だと青の間を見回した時に時計は見ていない。自分が何時に部屋を出たのか、記憶していない以前に全く知らない。
(うーん…)
 青の間を離れた後、立ち寄ったブリッジでも時計を見たりはしなかった。
 自分が何時にシャングリラを出て、それからメギドへと向かったのか。まるで分からない上に、今も知らない。
(でも、ハーレイは知っている筈なんだよね)
 青の間を後にした時間はともかく、シャングリラを出た時間は把握していただろう。そういったことはキャプテンの仕事の範疇だったから、ハーレイに話し掛けてみる。
 自分は全く見なかった時計を、あの日、ハーレイは見ていたのか、と。



「…時計か…」
 何度も見たな、とハーレイは辛そうに顔を歪めた。
「ナスカがどのくらい持ち堪えるのか、次の攻撃はいつ来るのかと時計も他の計器も見ていた」
「そっか…。やっぱりハーレイはキャプテンなんだね」
 ぼくは時間なんて気にしてなかった。
 もう時間なんて関係の無い所へ行くから、どうでも良かったっていうことだろうね。
 死んじゃうんだもの、時間なんか関係なくなっちゃうもの…。
「…お前はそうだったのかもしれん。しかし俺にとっては、そうではなかった」
「えっ? ぼくが何時にどう動いたのか、それ、シャングリラに必要な情報だった?」
 そう尋ねてから、ブルーは「そうか」と思い当たった答えを口にした。
「ワープする時のタイミングなんだ? ぼくがメギドを止められるかどうかは分からないものね」
 自分が失敗してしまったなら、ワープして攻撃を避けねばならない。シャングリラは第二波に耐えられはしない。そのために自分の動きを予測しながら時計を見たのだ、と思ったのに。
「…そうじゃない。シャングリラがどうこうというんじゃなくって、俺のためだな」
「……ハーレイのため?」
 ブルーには意味が掴めなかった。
 あの日に自分が取った行動と、それに関連する時間。
 シャングリラに必要な情報だったと言われれば分かるが、ハーレイのためとは何なのだろう…?



 言われた言葉を理解しかねて、ブルーは首を傾げたのだけれど。
 ハーレイは先刻よりも一層辛そうな表情になって、鳶色の瞳が翳りを帯びた。
 あの日に引き戻されたかのように。ナスカが燃えた日に、ブルーがメギドへ飛び去ったあの日にもう一度戻ってしまったかのように。
 苦しげに何度も溜息をついて、ようやっと紡ぎ出された声は深い悲しみに満ちていた。
「…あの日のことはどうでもいい。あの日に俺が取るべき行動は一つを除いて間違ってはいない」
「一つ?」
「…お前を行かせてしまったことだ。一人きりで行かせてしまったことだ」
 お前を止めるか、お前を追い掛けてメギドへ飛ぶか。
 その選択を俺は誤った。どちらかを選ぶ代わりにお前を一人で行かせてしまった。
 そうしてお前を失ったんだ。…俺が間違った道を選んだせいで。
「ハーレイ、それは間違いじゃないよ。どちらも選ばないのが正しいキャプテンなんだよ」
「…そうかもしれん。…そうなんだろうが、俺は今でも後悔している」
 そんな俺がどうこう言える問題じゃないんだが…。
 あの日、一つだけ知りたかった時間が俺にはあった。
「分かるか、ブルー?」
 …あの日の俺には知りようもなかった時間だったが、その時間を俺は捜し続けた。
 前の俺が死ぬ直前まで捜し続けて、最後まで掴めなかった時間だ。
「何なの、それ? …何の時間?」
 ブルーの問いに、ハーレイは深く大きな溜息をついて。
「…お前の死んだ時間が知りたかった」
 それだけが知りたかったんだ、と絞り出された苦しげな声。
 息を飲んだブルーとテーブルを挟んで向かい合いながら、ハーレイの言葉はなおも続いた。



「俺はどうしても知りたかったんだ。…お前が死んでしまった時間を」
 その日、その時間に祈りたかった。
 お前を失くしてから俺が独りで生きていた間、あの日が巡って来る度に皆で祈った。
 シャングリラ中の皆が祈った、ナスカで死んでいった仲間やお前のために。
 ジョミーがブリッジの中央に立って、皆で黙祷していたものだ。…もちろん、俺もな。
 だが、それだけでは足りなかった。俺はお前のためだけに祈ってやりたかった。
 お前が死んでしまった時間に、何処に居ようと一瞬だけでも祈りたいと思って捜し続けた。
 それなのに分からなかったんだ。
 人類軍の最高機密で、メギドの件だけは掴めなかった。
 アルテメシアを落としても駄目で、ノアを落としても駄目だった。
 グランド・マザーが情報をブロックしてしまっていて、何処からも引き出せはしなかった…。



 最後まで捜し続けていたのだ、とハーレイが呻く。
 死の星だった地球を目にした時にも、今度こそ分かると思ったのだ、と。
 グランド・マザーを倒しさえすれば情報はブロックされなくなる。
 そうしたら分かると、その時間に祈ることが出来る、と。
「…もっとも、それで分かったとしても…。多分、祈るのは一度きりだったろうな」
「なんで?」
「グランド・マザーを倒せたのなら、俺はもうジョミーを支えなくてもいいんだろうが。…お前が俺に残した言葉を守らなくてもいいってことだ」
 だから一度だけ、お前を失くした時間に祈って。
 それからお前を追って行くのさ、先に逝っちまったお前をな…。
「…ハーレイ…」
「どうした? 俺が追い掛けて来たら困るのか、お前?」
「……困らないけど……。困らないけど、でも、ハーレイが…」
 死んでしまう、とブルーは泣きそうな瞳になったのだけれど。
「泣いてどうする、俺が死なない限りは会えないだろうが。…それとも、お前、嬉しくないのか」
「…嬉しいけど…。嬉しいけど、でも……」
 ハーレイが死んでしまうのは辛い。辛くて悲しい。
 そう訴えるブルーに「馬鹿」と応えが返った。
「俺は生きている方が辛かった。お前がジョミーを頼むと言い残したから死ねなかったんだ」
 どれだけ苦しかったか分かるか?
 どんなに寂しくて悲しかったか、生きていることが苦痛だったか、今でも俺は覚えている。
 役目を終えてお前の所に旅立つ日だけを、俺はひたすらに待っていたんだ…。



 お蔭で罰が当たったがな、とハーレイは苦い笑みを浮かべた。
 ブルーのために祈るどころか、その前に死んでしまったと。
 ブロックされていた情報を引き出すことも出来ずに、地球の地の底で死ぬ羽目になったと。
「お前のために祈りたかったのに…。そうする前に俺は死んじまった。俺は一度も、お前のために祈ってやれなかった…」
「…そうだったんだ……」
 ハーレイが最後まで捜していたという時間。
 前の生でブルーがメギドで逝ってしまった時間。
 ソルジャー・ブルーだったブルー自身は全く意識していなかったけれど、ハーレイはその時間を知りたかったという。グランド・マザーがブロックしていた人類軍の最高機密を。
 今の地球にはグランド・マザーはもう在りはしない。SD体制は過去のものとなり、蓄積された情報は機密も含めてデータベースに入っている筈。
 そう、今ならば分かるだろう。だからブルーは口にしてみる。
「今は分かるね、ぼくが死んだ時間」
「知ってどうする、お前は俺の前に居るのに。…祈る意味がもう無いだろう」
「ふふっ、そうだね。調べても意味は無いかもね…」
 それでも少し気になったブルーは「調べてみよう」と思い立った。
 前の自分がいつ死んだのか、何時に死んでしまったのか。
 ハーレイが捜し続けたと聞いたから知りたくなって、勉強机の上の端末を起動しようとして。
「こらっ、調べるつもりか、お前!」
 馬鹿なことをするな、とハーレイの手がブルーの手を掴んで止めた。
「調べたりしたら、また夢を見るぞ。お前の嫌いなメギドの夢を」
「ちょっと調べるだけだってば!」
「その情報にはもれなくメギドが絡んでいると思うがな? 下手をすれば映像があるかもしれん」
「…えっ……」
 ブルーが沈めたメギドの映像。
 それが存在していることをハーレイは身を持って知っている。偶然見付けた写真集の中に入っていたから。『追憶』という名のソルジャー・ブルーの写真集。最後のページが爆発するメギド。
 ブルーはそれを知らなかったけれど、映像と聞いて震え上がった。
 そういったものを目にしたが最後、メギドの悪夢は確実に来る。大慌てで端末の起動を放棄し、元の椅子へと座り直した。



(…あの夢は見たくないものね…)
 何度見ても慣れることのないメギドの悪夢。
 前の生の自分が死んだ時の夢。ソルジャー・ブルーだった頃の自分の最期の瞬間。
 それが何時頃の出来事だったか、前の自分は意識していない。今のブルーも全く知らない。
(うん、前のぼくがいつ死んだのかなんて、ぼくには意味が無いことだしね?)
 ぼくもハーレイも此処に居るんだから、と考えた所でブルーは気付いた。
 前の自分が死んだ時間はデータベースに在るのだろうが、目の前に居るハーレイは…。
「そういえばハーレイは何時に死んだか、記録も残ってないんだね…」
「まあな。俺はお前みたいに華々しく死んでないからな? 地球の地の底でひっそりと…、だ」
 どうなったのかを知っていたのはフィシスくらいで、正確な時間は多分、分からなかったろう。
 ジョミーやキースと一纏めになって「この辺り」という曖昧なモンだ。
 第一、誰もが地球から逃げ出す真っ最中だしな?
 記録する余裕なんかは何処にも無くって、後で通信記録などから割り出した時間なんだろう。
 実に大雑把な時間だからなあ、午後の四時には全て終わっていました、だからな。
「そうだっけね…」
 人類軍の指揮官だったマードック大佐が地球を破壊しようとするメギドに旗艦ごと体当たりして沈めた時間は記録に在る。直後にシャングリラに長老たちによる瞬間移動で戻されたフィシス。
 この二つだけが正確な時間が分かっているもので、ジョミーとキースの死亡時刻も公式な記録は残されていない。マードック大佐よりも先にメギドに立ち向かったトォニィが生きた彼らを見てはいるのだが、その後の消息は謎だとされる。
 ゆえにシャングリラが地球に居た人々の回収を終えた午後四時が全ての終わりの時間。
 午後四時には生存者は誰も居なかった、というのが公式見解であり、誰が何時に生を終えたか、詳しいことは何も分かってはいない。
 全ては午後四時よりも前の出来事。マードック大佐の最期とフィシスの帰還が午後の二時頃。
 その間の何処かがハーレイや長老たち、ジョミーとキースの死亡時刻というだけの記録。



「ハーレイ、午後の二時頃には生きてたんだよね?」
「そうらしいな。…ただ、その後がなあ…」
 フィシスをシャングリラに送って直ぐに死んだのか、一時間くらいは生きていたのか。
 天井が崩れ落ちてくるまでが長かったような、短かったような…。
 記憶自体が曖昧なのだ、とハーレイはフウと溜息をつく。
「ああいう時には時間の感覚がおかしくなるしな? 時計を見ておけば良かったなあ…」
「だったら、今くらいの時間だったかもね?」
 午後の三時にはまだ早い時間。ブルーの母がお茶とお菓子を持ってくるには早過ぎる時間。
「そうかもなあ…。それを言うなら、お前も今かもしれないな」
 ナスカからワープアウトしたのが午後三時になる少し前だった、というハーレイの話にブルーは「そっか…」と小さく頷く。
「…前のぼくたち、今頃の時間に死んじゃったのかもしれないんだ…。だったら二人でお祈りしておく? ハーレイもぼくも生きてるけれど」
「そうだな。これも何かの縁ってヤツだな、俺たちの新しい命に祈っておくか」
「幸せになれますように、って?」
「そんな所だ。よし、ひとつジョミーを真似るとしよう。黙祷!」
 一分間だぞ、というハーレイの合図で二人は揃って瞼を閉じた。
 テーブルを挟んで向かい合わせで、一分間。
 ハーレイの腕のアナログの時計の秒針が、文字盤の上を六十秒かけて一周するまで。



 二人同時に目を開けた後、お互い、日付こそ遠く隔たっていても似たような時間に前の生の命が尽きたらしい偶然を語り合ってから。
 ブルーは「今度は本当に一緒がいいな」と切り出した。
「今度こそ二人一緒がいいな。二人一緒に幸せに生きて、命が終わる時も二人一緒で」
「其処も一緒にしようと言うのか?」
「うん。ぼくはハーレイと一緒がいい」
 絶対に一緒、と言い張るブルーに、ハーレイは「うーむ…」と腕組みをする。
「どうやって一緒にするべきなのかが悩ましいんだが…。そうそう一緒に死ねるものか?」
 考えたくはないが事故ならともかく…、と口ごもるハーレイだったが、ブルーは「なんで?」と無邪気に微笑んだ。
「簡単だよ、きっと。サイオンできちんと結び合っていれば。心をきちんと結んでおけば」
 心が一緒に結んであったら、心臓もきっと一緒に止まるよ。
 だから絶対に大丈夫。ぼくのサイオンは不器用だから、ハーレイがきちんと結んでおいてよ。



 ハーレイ、ぼくより年上だよね、とブルーは笑みを浮かべて続けた。
「前にハーレイ、「今度は先に逝かせて貰う」って言ってたけど…。ぼく、あの時はビックリして泣いてしまったけれども、今なら平気。ハーレイが先に死ぬのなら一緒に連れてってよ」
 いとも簡単に言ってのけたブルーだけれども、ハーレイにすれば心穏やかではない。
 まだ十四歳にしかならない小さなブルーは、三十八歳のハーレイよりも遙かに年下で幼い存在。一緒に連れて行けと頼まれても、二十年以上もの年の差がある。
「おい、ブルー。…そいつは無茶だぞ、お前の寿命が俺よりもうんと短くなっちまうんだが…」
「かまわないよ」
 そんなの全然気にならないよ、と赤い瞳が煌めいた。
「ハーレイ無しで生きていくより、一緒がいいよ。ぼくも一緒に連れて行ってよ」
 前のぼくがハーレイを独りぼっちで置いてった罰に、今度の命は短めでいいよ…。
「いいのか、それで? …本気にするぞ?」
「本気でいいよ。冗談なんかで言いやしないよ、今度こそ二人一緒がいいよ」
 連れて行って、とブルーは微笑む。
 今度は何時何分なのかは分からないけれど、秒まで一緒で二人がいい。
 同じ日に二人同時がいい。
 ハーレイと一緒に連れて行ってよ、ぼくの寿命が短くなってもかまわないから。
 サイオンが不器用なぼくの代わりに、ぼくたちの心を結んでおいて。
 ねえ、ハーレイ。今度こそ二人一緒がいいよ。何時何分、何秒まで一緒。
「はい、約束。絶対に、一緒」
 ブルーが強引に絡めた小指をハーレイは「ああ」と絡め直した。
 お前がそれでいいと言うなら、一緒に行こう。いつか俺たちが結婚する時に心を結ぼう。
 今度こそ二人で一緒に行こうな、お互いに置いて行かずにな…。
 なあ、ブルー……。




       時計と時間・了


※今度は二人、死ぬ時も一緒。ブルーの真剣なお願いです。ハーレイと絶対に一緒、と。
 それがブルーの心からの願い。この二人ならきっと、そうするのでしょう。幸せに生きて。
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 ぼくの大事なシャングリラの写真集。ハーレイとお揃いの写真集。
 勉強机の上に飾ってあるハーレイとの記念写真を収めたフォトフレームが家に来る前は、唯一のお揃いだった写真集。だからとっても思い入れがあるし、写真集そのものもお気に入り。
 載っている写真はすっかり頭に入っているけど、でも今だって新しい発見があったりもする。
 豪華版の写真集だから、印刷も綺麗。ルーペで拡大すれば細かい部分も見えることがあるんだ。
 例えば、公園。
 普通に見てればただ一面の芝生だけれども、十倍のルーペで覗き込んだら懐かしい花たちの姿が見えてくる。クローバーだとか、タンポポだとか。子供たちが摘んで遊んでいた花。ぼくも一緒になって摘んだり、四つ葉のクローバーを探したりもした。
 もっとも、前のぼくは四つ葉のクローバーを一度も見付けられずに終わったんだけど。
 キャプテンだったハーレイまで動員して探してみたって、一つも見付からなかったんだけど…。
 それがシャングリラでのクローバーの思い出。
 なのに今では、ぼくの家でもハーレイの家でも四つ葉のクローバーがちゃんと見付かったんだ。不思議だけれども、本当のこと。
 シャングリラのクローバーは前のぼくとハーレイの悲しい別れを予言していたのかもしれないと思った。ハッピーエンドになりはしないから、四つ葉は見付からなかったんだ、と。
 そのクローバーが写った公園の写真。ちょっぴり悲しくて、でも幸せな気持ちにもなる。ぼくの家にもハーレイの家にも、今は幸運の印の四つ葉のクローバーがあるんだから。ぼくは今度こそ、幸せに生きて行けるんだから…。



 十倍のルーペを使って覗けば色々なものに出会える写真集。
 だけど全部の写真がそういう仕様になってはいなくて、拡大できるのは一部だと分かった。
 公園とか、ブリッジとか、いわゆる公共のスペースと呼ばれる部分に限られるみたい。
 だって、青の間は拡大できなかったから。
 半ば公共のスペースと化していた感があるけど、あそこは一応、ぼくの私室だった。
 どうやら個人の部屋を拡大して眺めることは出来ないらしい。
(元になった写真がそうだったのかもね)
 時の流れが連れ去ってしまったシャングリラ。
 ぼくが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 消えてしまう前に撮られた写真が編まれて写真集になっているわけだけれど、それらを写す時に色々と配慮したかもしれない。
 ジョミーの後を継いだトォニィは、ぼくたちの思い出を残した部屋をそっくりそのまま、まるで持ち主が生きているかのように手を触れないでいてくれた。掃除だけをして残してくれた。
 お蔭で青の間もハーレイが使ったキャプテンの部屋も、記憶にある姿で写真集に在る。
 そうしたプライベートな空間は拡大できないように撮影したかもしれない。もう持ち主がいない部屋でも、其処は持ち主のプライベートな空間だったのだから。



(きっと、そうだよね)
 ぼくは青の間を拡大して眺めてみたいと思うけれども、それは青の間が自分の部屋だから。前のぼくでも、ぼくはぼく。青の間はぼくのための部屋。
 その部屋を写真集を買った何処かの誰かが拡大して見てたら、それはかなり嫌だ。
 部屋の中央にある大きなベッド。ハーレイと過ごした思い出のベッドを拡大されたら、とっても悲しい。詳しく見たいと思う気持ちは分かるけれども、あれはぼくのベッド。
 あのベッド、ぼくがいなくなった後には誰も使っていないから。
 一時期、マットレスとかを全部外して空っぽの枠だけだった時期もあったらしいけれど。
 ぼくが居た頃と同じように青の間に集まって会議などをしていたジョミーや長老たちが「これは寂しい」と思ったらしくて、元通りに寝具が整えられた。
 だけど寝る人はいなかった。ジョミーも昼寝にすら使いはしなかった。
 ナキネズミだけがたまに寝ていたとハーレイに聞いた。



 ハーレイは一人で青の間に行って、ベッドの上のナキネズミと思い出話をしていたらしい。
 其処で寝ていたぼくの話を。
 ハーレイからそれを聞かされた時に、ぼくはビックリしてしまって。
「ハーレイ、それって…。どういう話をしていたの?」
 語れるほどの思い出をナキネズミは持っていたんだろうか?
 そう思ったから尋ねてみたら。
「心配するな。あいつは覗きをしてはいないぞ」
「…覗き?」
「俺たちが一緒に寝ていた所は見ていないようだ。良かったな、おい」
「そうならないように気を付けてたじゃない!」
 当たり前だよ、覗かれないようにしておかなくちゃ。
 そういう時間に入られちゃ困る。
 いくら思念波で会話が出来ても、ナキネズミは所詮、動物だから。
 秘密なんて概念、何処まで分かるか怪しいものだ。
 ぼくとハーレイがベッドで何をしてたか、シャングリラ中で喋りまくられてはたまらない。
 だからナキネズミは徹底排除。
 何処にもいない、と確認するまで恋人同士の時間はお預け。



 そのナキネズミも作ってから何代も代替わりをして、ジョミーに渡したのは何代目だったか…。
 ジョミーは「レイン」と名付けたらしいけど、その前は名無しのナキネズミだった。
 いつかジョミーに、と思っていたから名前を付けずに放っておいた。
 そうしたらジョミーも名前を付けずに放ったらしくて、ナキネズミ曰く、名前は「お前」。
 トォニィが生まれて、父親のユウイが「トォニィ」と名前をプレゼントした時に分かった真実。
 後から生まれたトォニィの方が先に名前を貰ったという凄い話をハーレイに聞いた。
 トォニィの誕生を祝って集まった仲間たちの前で「お前」と名乗ったナキネズミ。そのせいで、ジョミーが名前を付けずに放置していた事実がバレた。
 皆に散々笑われたジョミーが大慌てで付けた名前が「レイン」。
 たまたま雨が降り始めたから、「恵みの雨のレイン」と強引にこじつけたらしい。いい名前ではあるんだけれども、由来を知ったら笑わずにはとてもいられない。



 なりゆきで名前を貰ったレインと、ぼくを失くしたハーレイが青の間でぼくの思い出話。
 ハーレイはナキネズミにぼくが自分の恋人だったと言えはしないし、話せる内容は当たり障りのないものだけだったみたいだけれど…。
 それでもハーレイの話相手がいて良かった。
 フィシスじゃ駄目だと思うから。
 長老たちでも駄目だから。
 ぼくを失くして独りぼっちになったハーレイの、誰にも言えない孤独と悲しみ。
 それが何なのか明かすことの出来ない深い悲しみと孤独から来る寂しさと痛みを、何も訊かずに受け止めてくれるの、ナキネズミくらいしか居なかっただろうと思うから…。
(…でも、ナキネズミは写っていないね)
 写真集の中にはハーレイが彫った木彫りくらいしかナキネズミの名残りは見当たらない。
 トォニィの部屋に置いてある木彫りのナキネズミ。
 ミュウの子供が沢山生まれますように、という願いと祈りを籠めた豊穣のシンボルのウサギだと勘違いされて、宇宙遺産になってしまった実はナキネズミな木彫りのウサギ。
(…ふふっ)
 ぼくもウサギだと信じていたっけ。
 ハーレイの口から「あれはナキネズミだ」と衝撃の事実を聞かされるまでは、ホントのホントにウサギだと信じていたんだよ。
 何処から見たって立派なウサギで、おまけに今では宇宙遺産。
 それなのにホントはナキネズミだなんて、誰が信じてくれるだろう?



 もっと面白いものは無いか、とページをめくって、ハーレイの部屋。
 シャングリラのキャプテンだったハーレイの部屋は、ぼくにとっても懐かしい部屋。どっしりとした木の机が持ち主のレトロな趣味を反映していて、机の上には白い羽根ペン。
(ナキネズミを彫ったナイフって……多分、引き出しの中だよね?)
 机の上には置いていないと思う。
(置いていたって、羽根ペンがこんなに小さく写っているんだものね…)
 ナイフの有無はちょっと分からない。
 十倍のルーペで覗いてみたけど、プライベートな部屋だから拡大出来ない仕様。
(うーん…)
 なんだか残念。
 ハーレイの持ち物が分からないなんて、とても残念。
 残念だけれど、それよりも…。
(うん、この部屋のベッドも、何処かの誰かに拡大されて見られていたなら悲しいしね?)
 ハーレイと何度も一緒に眠ったベッド。ぼくたちが愛を交わしたベッド。
 恋人同士の時間は青の間で過ごすのが普通だったけれど、たまに泊まりに出掛けて行った。
 ハーレイは朝が早かったから、起こして貰って瞬間移動で青の間に帰った。
 そして何食わない顔をしてハーレイがやって来るのを待つんだ。
 朝の報告をするために、ソルジャーの部屋を訪れるキャプテン・ハーレイを。



「ソルジャー、おはようございます」
 その挨拶でぼくが起きると皆が信じていた時代。
 キャプテンの制服をカッチリ着込んだハーレイが、ソルジャーのぼくにする朝の挨拶。
 本当はぼくはとっくの昔に起きてしまっていたんだけどね?
 ハーレイが青の間で過ごした時には、二人で目覚めて「おはよう」のキス。
 ぼくが泊まりに行った時には、ハーレイの部屋で起こして貰って帰って来て…。
 ハーレイが朝の挨拶を済ませた頃合いで朝食係のクルーが来る。ぼくの分と、ソルジャーと共に朝食を摂りながら報告をするハーレイの分と、二人分の朝食を用意するために。
 青の間のキッチンで最後の仕上げがされる朝食。ハーレイの朝食を何にするかは、前の日の間にハーレイが自分で注文していた。ぼくの分は前の日の夜に部屋付きのクルーが注文を取った。
 朝食はホットケーキが一番好きだったかもしれない、前のぼく。
 トーストももちろん好きだったけれど。
 厨房のクルーが焼き上げる色々なパンだって好きだったけれど…。
 ホットケーキはシャングリラで初めて作られた「贅沢な朝食」だったから、ぼくの中では特別な食事。いつか青い地球まで辿り着いたら、地球でも食べてみたかった。
 ミュウと人類とが和解出来たら、青い地球でホットケーキの朝食。
 本物のメープルシロップをたっぷりとかけて、地球の草を食んで育った牛のミルクから作られたバターを添えて。
 そんなささやかな、ミュウの置かれた状況を思えば大それた夢を見ていた、前のぼく。



(そういえば…)
 ハーレイの部屋では一度も朝御飯を食べなかった。
 何度も泊まりに出掛けていたのに、朝食はいつも青の間で食べた。ハーレイと二人一緒に食べていたのに、いつでも青の間。ハーレイの部屋で食べてはいない。
(そうなると…)
 今のぼくが瞬間移動で飛び込んで行ったハーレイの家。
 メギドの夢を見たのが怖くて、今のぼくは死んだソルジャー・ブルーの魂が見ている夢の産物で本当は何処にもいないんじゃないかと思ってしまって、何もかもが消えてしまいそうで。
 ぼくの人生は夢じゃないんだと、本当に生きて地球に居るんだとハーレイに言って欲しいのに、真夜中だったから会うことなんか出来なくて…。
 会いたくて、声が聞きたくて、抱き締めて欲しくて、泣きながら独りぼっちで眠った。そしたら自分でも知らない間に瞬間移動をしてしまっていて、目を覚ましたら朝でハーレイのベッドの上に居たぼく。
 ハーレイは困ったような顔をしていたけれども、パジャマ姿のぼくを車で家まで送ってくれた。朝御飯も作って食べさせてくれた。「オムレツの卵は何個なんだ?」なんて訊きながら。
 あれがハーレイの部屋……ううん、部屋どころじゃなくて、ハーレイの家での初めての朝御飯。部屋なんか軽く飛び越してしまって、ハーレイの家で食べた朝御飯。
 前のぼくですらハーレイの部屋では朝御飯を食べていないというのに、ハーレイの家で朝御飯。ぼくが初めてハーレイのプライベートな空間で食べた朝御飯…。
(そこまで貴重だとは思わなかったよ、あの朝御飯!)
 もっと味わって食べれば良かった。
 ハーレイの家へ行けた幸せで胸が一杯でドキドキしていて、夢みたいな時間だったけど…。
 落ち着いて味わえと言われた所で無理だったろうとは思うけれども、もっと味わうべきだった。
 だって、初めてのハーレイのテリトリー…っていうのかな?
 ハーレイのためにある場所で、初めて食べた朝御飯。
 前のぼくでも未経験だった、ハーレイのための空間で食べる朝御飯……。



 とはいうものの、シャングリラに居た頃はハーレイの部屋で食べたいなどと思ったことは…。
(…あったかな?)
 どうだったかな、と遠く遙かな記憶を探れば、あったような気もする。
 たまにはハーレイの部屋で朝御飯を食べてみたいのだけれど、と考えたことがあったみたいだ。
 考えたくせに、ハーレイの部屋で自分が一緒に朝御飯を食べるというのは変だから、と、いとも簡単に諦めてしまった前のぼく。
 もうちょっと頑張ってみればよかった。
 打ち合わせをするのにキャプテンの部屋の方が都合がいいとか、理由を捻り出すべきだった。
 ハーレイの部屋には何十年どころか百年単位での航宙日誌が揃っていたのだし、それを見ながら相談したいことがあるとか何とか…。



(バカバカ、前のぼくのバカ!)
 そう思ったけど、スペースの関係で無理だと諦めた気がしないでもない。二人分の朝食を並べて置けるテーブルが無いから、と結論付けたような…。
(えーっと、テーブル…)
 写真集の中のハーレイの部屋を眺めてみる。
(…ヒルマンやゼルとお酒を飲んでいたのは、この机だよね?)
 ハーレイが航宙日誌を書いていた机。羽根ペンが乗っかった木製の大きな机。
 机の上は充分広いけれども、お酒ならともかく、朝御飯を食べるには向かないような…。第一、机の構造上の問題もあって、向かい合わせでは座れない。
(お酒だったらグラスを置ける場所さえあればね…)
 隣り合って座って飲んでいようが、机の角を挟んでだろうが、飲むだけだったら何とでもなる。けれど報告だの打ち合わせだのという名目がついた、ソルジャーとキャプテンの朝食は無理。
 あの朝食は向かい合わせで大真面目な話題を語り合う席だと皆が信じていたのだし…。
(うーん…)
 ハーレイが一人でお酒を飲む時に使っていた寝室のテーブル。
 ぼくはお酒に弱かったから、大抵は美味しそうにグラスを傾けるハーレイの姿を見ていただけ。たまに強請って少し飲んでは、酔っ払ったり二日酔いに苦しむ羽目になったり。
 そのテーブルは机よりもずっと小さいから、二人分の朝食は…。
(ちょっと置けないかも…)
 卵料理やサラダなんかもついた朝食。何枚ものお皿はとても置けない。
 だけどトーストと紅茶くらいの簡単な朝食だったら、詰めて並べれば何とかなりそう。
(手早く食べたいからトーストだけで、って言えば用意をしてくれたよね?)
 トーストとか、サンドイッチとか。お皿の数を減らす工夫をすれば充分、其処で食べられた。
 それをしないで無理だと諦めてしまったぼく。
 諦めの良すぎた前のぼく…。



(…一度くらい、ハーレイの部屋で朝御飯をゆっくり食べればよかった…)
 ハーレイと本物の恋人同士だったくせに、ハーレイの部屋で朝御飯を食べたことが無かった前のぼく。いつも青の間で食べていたぼく。
 アルタミラを脱出した後、ずっとハーレイと一緒にシャングリラで暮らしていたくせに。
 恋人同士になったのは青の間が出来てからだけど、長い長い年月を共に暮らして、毎日のように朝御飯を一緒に食べていたくせに…。
(ホントに、なんでハーレイの部屋で食べたいって思わなかったんだろう…)
 食べてみたいと考えたのなら、諦める前に努力してみるべきだった。
 ハーレイに相談を持ち掛けて大きなテーブルを置いて貰うとか、「ソルジャーとの会食」に必要だからと、その日だけ何処かからテーブルを運んで貰うとか…。
(ホントに諦めが良すぎなんだよ、前のぼく…)
 もっと我儘を言えばいいのに、と思ったけれど。
 前のぼくは十四歳の子供でもなければ、我儘を言えば叶えて貰える幸せな世界も知らなかった。成人検査でミュウと判断された後には地獄の人体実験の日々。脱出してからも苦労の連続。
(…やっと落ち着いた時にはソルジャーになってしまっていたっけ…)
 皆を導く立場のソルジャー。
 我儘を言っても多分、許されたんだろうけど。
 唯一の戦えるミュウだったんだし、皆よりも我儘を言える立場に居たんだろうけど…。
 そういったことを良しとしなかった、前のぼく。
 ソルジャーたるもの、我を通すよりも忍耐強く、我慢強くと懸命に己を律したぼく。
 朝御飯くらいで我儘なんかを言いたがる筈が無かったんだ。
 言いたくても言わずに、望むよりも先に諦めることが前のぼくの生き方だったんだ…。
(…だからメギドで死んじゃったんだよ、本当は地球が見たかったのに)
 思い出した、と溜息をつく。
 今のぼくだから我儘なことを考え付いたり、やりたいと願ってしまうだけ。
 ハーレイの部屋での朝御飯なんて、前のぼくなら強く願う前に諦めてしまうだけなんだ…。



(…後悔するのも、きっとぼくだからだ)
 前のぼくはハーレイの部屋で朝御飯を一度も食べられなかったことなんか、きっと後悔しない。そういうものだと諦め切って納得してるし、それでかまわないと思ってる。
 でも、ぼくは違う。
 前のぼくが青の間でしかハーレイと朝御飯を食べていないことを「もったいないよ」と考える。本当に本物の恋人同士で、ハーレイの部屋へ泊まりに行っていたのに、朝御飯を食べずに青の間に帰っていたなんて。
 せっかく恋人の部屋に泊まったのに、朝御飯も食べずに帰っただなんて…。
(それって絶対、もったいないから!)
 今のぼくがハーレイの家で食べた朝御飯が「初めての」ハーレイのテリトリーでの朝御飯。
 そんなことになってしまっただなんて、前のぼくの人生は何だったのかと思ってしまう。
 前のぼくが後悔していなくっても、今のぼくが代わりに後悔している。
 どうしてハーレイの部屋で朝御飯を一緒に食べなかったのか、と。



(バカだよ、ホントに大バカなんだよ…)
 なんで、と前のぼくの諦めが良すぎたことを嘆かずにはとてもいられない。
 ハーレイの部屋での朝御飯くらい、我儘とも言えないレベルなのに。
 皆はソルジャーとキャプテンの会食なのだと信じていたから、我儘どころか「必要でしたら」と喜んでハーレイの部屋での朝食を整えてくれただろうに。
(…そんな大嘘、つけないのが前のぼくなんだけどね…)
 そうしてメギドで死んでしまった。
 焦がれ続けた地球を見ることさえも諦めて、独りぼっちで死んでしまった。
 ハーレイに「さよなら」も言えず、別れのキスも抱擁も無しで、最後にハーレイに触れた右手に残った温もりだけを抱いて逝こうとメギドへと飛んだ。その温もりさえも失くしてしまって、前のぼくは泣きながら死んでしまった。
 温もりを失くした右の手が凍えて冷たくなったと、独りぼっちになってしまったと…。



 我儘も言わず、後悔もせずに死んでしまった前のぼく。
 たった一つだけ後悔したのが、ハーレイの温もりを失くしたこと。
 そんな前のぼくがハーレイの部屋で朝御飯を食べなかったことを後悔するわけないんだけれど。
 分かっているけど、ぼくは代わりに後悔をする。
 前のぼくの分まで後悔していて、諦め切れなくて悔しくて悲しい。
(本当に一度くらい食べれば良かったんだよ、ハーレイの部屋で…)
 後悔先に立たずと言うけど。
 ぼくの場合は取り返しがつく。
 シャングリラはもう何処にも無いから、あのキャプテンの部屋は無いけれど、ハーレイの家なら同じ町にある。ぼくの家から何ブロックも離れた場所でも、ハーレイの家は存在している。
 そのハーレイの家で一度だけ食べた朝御飯。
 ハーレイのテリトリーで食べる初めての朝御飯だと気付かなかったけど、ぼくはハーレイの家で確かに食べた。前のぼくには叶わなかったハーレイのテリトリーでの朝御飯を。
 貴重なチャンスを引っ掴んだ、ぼく。
 幸運すぎる今のぼくだけど、まだハーレイとは結婚どころか本物の恋人同士になってもいない。
 チャンスはこれから山のようにあるし、結婚したならハーレイと一緒に食べるのが普通。
 ハーレイの部屋で朝御飯。
 二人一緒に、毎日、毎朝、ハーレイの部屋で朝御飯。



(うん、これからだよ)
 前のぼくの分もハーレイの部屋で、ハーレイの家でゆっくり食べよう。
 後悔の分を取り返すんだ、と決意した所で、ふと引っ掛かった。
(…ハーレイの家?)
 ハーレイの家というからには、ぼくはあの家にお嫁に行くんだろうか? 一度だけ遊びに行ったハーレイの家。一度だけ瞬間移動で飛び込んでしまった、ハーレイの家。
 それともハーレイがぼくの家に来て、ぼくの家にハーレイの部屋が出来るわけ?
 空いている部屋は幾つかあるけど、その一つがハーレイの部屋になって其処でゆっくり朝御飯?
 ぼくの家にはパパとママもいるのに、ハーレイの部屋で朝御飯…?
 それは何だか恥ずかしすぎる。
 ハーレイの部屋で何をしていたのか、結婚した以上はパパとママには丸分かり。そういうことをしていた部屋で朝御飯をハーレイと一緒に食べるだなんて…。
 朝御飯の後、どんな顔をしてパパとママに会えばいいんだろう?
 どんな顔をしてハーレイと一緒に「おはようございます」と言えばいいんだろう…?
 なんだか困る。とっても困る。恥ずかしいなんて言葉くらいじゃ言い表せない恥ずかしさ。



(…お嫁に行った方がいいんだろうか…)
 パパとママを気にせず、ハーレイの部屋でゆっくりしたければお嫁に行くしかないらしい。
 ぼくの部屋も気に入っているんだけれど…。この家も気に入っているんだけれど…。
(でも、ハーレイの部屋で朝御飯…)
 ぼくがこの部屋に住んで、ハーレイと一緒に夜を過ごして、この部屋でハーレイと朝御飯。
 それじゃハーレイのテリトリーで食べたことにはならない。青の間で朝御飯を食べるのと同じ。
(全然ダメだよ…)
 この部屋で朝御飯だと意味が無い上に、ぼくの家だから、やっぱりパパとママが居る。
 言葉に出来ない恥ずかしさの極み。
(…やっぱり、ぼくがお嫁に行く?)
 ハーレイの家に、お嫁に行く。
 一回だけしか遊びに行っていないハーレイの家。一回だけしか飛び込んでいないハーレイの家。
 あの家へお嫁に行くのかな、ぼくは…?
 ハーレイのテリトリーで朝御飯を食べたかったら、それしかなさそう。
 パパとママとが居ない所で食べたかったら、それしかなさそう。
 だけど、ぼくの部屋も、ぼくが住んでいる家も、とってもお気に入りなのに…。



 どうしようか、と悩み始めたぼくだったけれど。
 前のぼくが生きた長い長い生に比べれば、まだちょっぴりしか生きていない、ぼく。
 たったの十四年しか生きていなくて、背丈だって伸びていないぼく。
 百五十センチしかない背丈が前のぼくと同じ百七十センチにならない限りはキスさえも駄目で、結婚なんて夢のまた夢。
 考えるための時間は山のようにあるし、前のぼくの分まで後悔だって出来る。
 だから、ハーレイの部屋を何処にするかくらい、うんと沢山悩んで検討すればいい。
(ゆっくり決めればいいんだよね、うん)
 パタリ、とシャングリラの写真集を閉じた。
 憧れのハーレイの部屋での朝御飯。
 その部屋が在るのがハーレイの家でも、ぼくの家でも、今度こそゆっくり食べるんだから…。




         朝御飯の場所・了

※前のハーレイの部屋で朝御飯を食べておけば良かった、と今になって後悔するブルー。
 今度は何処で朝御飯を食べることになるのか、それは結婚してからのお楽しみ…?
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