シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ハーレイの家、楽しかったのに…」
ブルーは自分のベッドの上で膝を抱えて蹲っていた。今日は初めてハーレイの家に招かれ、母が焼いてくれたパウンドケーキを手土産に提げて出掛けて行った。家の中をぐるりと一周して見せて貰ったり、ハーレイが作ってくれたシチューなども食べた。
それは楽しい時間を過ごして、明日も行きたいと思ったのに。今日は土曜日だから明日は日曜、ハーレイが家に来てくれる予定だったし、代わりに自分が訪ねて行きたいと思ったのに。
「…もうハーレイの家に行けないだなんて…」
ブルーの表情が年相応ではなかったから、と大きくなるまで来てはいけないと言われてしまって次の機会は無くなった。ハーレイにバス停まで送って貰う時から、もう悲しくてたまらなかった。
バスが来て、ハーレイと別れて乗って。手を振っているハーレイの姿が遠くに見えなくなったら涙が零れた。そのまま泣き出しそうになるのをグッと堪えて我慢した。
ハーレイの家には行けなくなってしまったけれども、それは小さい間だけ。いつか身体が大きくなったら呼んで貰えるのだし、その時はいつかやって来る。ほんの数年待つだけなのだし、何より自分は前の生より幸せだから…。
懸命に自分にそう言い聞かせて、「今日はとっても楽しかったよ」と両親に告げた。
夕食の席ではハーレイの家での出来事を笑顔で二人に話して聞かせた。素敵な時間をたっぷりと味わって来たことは事実だったし、話したいことは山ほどあった。
それでも自分の部屋に戻って、後は寝るだけになると寂しくなる。ハーレイが暮らしている家に明日も遊びに行きたかった、と悲しくなる。
(…でも、明日はハーレイが来てくれるから…。また会えるから…)
前の生でメギドへ飛んだ時には明日など無かった。
最後にハーレイの腕に触れた右の手。その手に残ったハーレイの温もりだけを抱いて逝くのだと覚悟して飛んだ。それなのにキースに撃たれた痛みが酷くて、大切な温もりを失くしてしまった。独りぼっちになってしまったと、ハーレイには二度と会えないのだと泣きながら死んだ。
あの時の絶望と悲しみを思えば、今の自分はどれほど幸せなことか。
明日もハーレイに会うことが出来て、明後日も、その先のずっと先までも…。
そしていつかはキスを交わして、本物の恋人同士になれる。結婚して共に歩んでゆく。
ほんの少しの我慢なのだ、とブルーはベッドにもぐり込んで丸くなった。
(…今は一人だけど、大きくなったら…)
いつかは一人で眠らなくてもいい日が来る。ハーレイの優しい腕に抱かれて眠れる日が来る。
ハーレイの家に行けるくらいに大きくなったら、そうなる日もきっと近いのだ…。
そんな思いで眠った次の日。約束通りハーレイが午前中からブルーを訪ねて来てくれた。普段と変わらない顔だったけれど、母がお茶とお菓子をテーブルに置いて部屋から出てゆくと…。
「ブルー、昨日はすまなかったな。…大丈夫か、あれから泣かなかったか?」
ごめんな、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「お前を呼んではやりたいんだが、色々と…な。本当にすまん」
「ううん、ぼくなら大丈夫。泣いていないよ」
本当は帰りのバスで泣きかかったけれど、ブルーは笑顔で「平気」と答えた。ハーレイがホッとしたのが分かる。自分を心配してくれていたのだ、と感じて嬉しくなる。
(…本当のことを言わなくて良かった…)
ハーレイを悲しませたくはなかったから。本当のことを告げたところで、ハーレイの家に呼んで貰えるわけではないと分かっていたから。そんな判断が出来る自分がちょっぴり誇らしく思えて、自慢したい気持ちになっていたら。
「そうだ、昨日の約束な」
ハーレイが胸ポケットに手を突っ込んだ。
「約束?」
昨日交わした約束と言えば、ハーレイの家へ二度と訪ねて行かないこと。もしかして誓約書でも作って持って来たのだろうか? そんな書類にサインしなくても、約束はちゃんと守るのに…。
(ぼくって、信用されてない?)
少しガッカリしたのだけれど。
「ほら、ブルー。約束通り持って来てやったぞ」
ハーレイがポケットから取り出したものは、折れ曲がらないように透明なケースに収めた一枚の写真。日だまりの床にチョコンと座った真っ白な可愛い猫の写真で。
「アルバムにあるか探しておくと言ってただろう? おふくろの猫だ」
「これ、ミーシャなの?」
「そうさ、お前に約束したから探してきたんだ。約束はきちんと守らないとな」
お前もだぞ、と写真をテーブルに置きながらハーレイが微笑む。
「寂しいだろうが、大きくなるまで俺の家には絶対来るなよ。前とそっくりに大きくなったら、好きなだけ遊びに来ればいいから」
「うんっ!」
ハーレイが約束を守ってくれたことが嬉しかった。ブルー自身はすっかり忘れてしまっていたというのに、写真を探して持って来てくれた。ほんの小さな約束をきちんと守ってくれたハーレイ。だから自分も応えなければ。ハーレイの家に行けないことは悲しいけれども、約束だから。
テーブルの真ん中に置かれたミーシャの写真。ハーレイの家で聞いた話に出て来たとおりの白い猫。ハーレイが生まれるよりも前から、ハーレイの母が飼っていた猫。
「可愛い猫だね、ホントに真っ白」
「この頃で何歳くらいだったかなあ…。今のお前よりも年上の筈だが」
「ええっ?」
ブルーは写真を覗き込んだ。そんな年にはとても見えない可愛らしい猫。
「お前より上には見えんだろう? それがミーシャの凄い所さ、おまけに甘えん坊だったしな? 俺の家に来た客はすっかり騙されていたもんだ。年寄り猫だとは誰も気付かん」
「それでおやつを貰えてたの?」
「可愛いですね、なんて言われてな。撫でて貰って、おやつ付きだ」
「そうなんだ…」
写真の猫は確かに可愛い。道端で会ったらブルーだって声を掛けずにはいられないだろう。声を掛けて、そっと撫でてみて。甘えてくるなら抱き上げてみて…。
「ミーシャは本当に甘えん坊でな。その辺りはお前にそっくりだったな」
「ぼく?」
「甘えん坊な所がな。…俺の方が後に生まれて来たのに、俺が学校に行き始める頃にはミーシャに甘えられていたもんだ。自分よりでかくて抱っこしてくれれば甘えていいと思ったんだろうな」
うん、本当にお前に似ている。
ハーレイは向かい側に座ったブルーを見ながら目を細めた。
「前のお前は俺より年上だったしな? それなのに俺に甘えてばかりで、本当にミーシャそっくりだった。…ミーシャと違うのは俺にしか甘えて来なかったっていう所だな」
「……ソルジャーだったし……」
「それだけか? お前が一番年寄りだったからだろ、ゼルよりもな」
「…そうなのかも……」
年長者としての遠慮も確かにあった。長老だけしかいない席では冗談なども飛び交っていたが、其処でもブルーは一番年上。砕けた口調で話しはしても、甘えた覚えは一度も無かった。
前の生でブルーが甘えられた相手はハーレイだけ。アルタミラを脱出して間もない頃から甘えていたと記憶している。誰よりも頑丈で体格の良かったハーレイは、少年の姿で成長が止まっていたブルーを壊れ物のように扱い、何かと言えば「しっかり食べろ」と言っていたものだ。
ブルーがソルジャーになってからはハーレイも敬語で話したけれども、それまではブルーを年下扱いするかのような言葉遣いが多かった…。
懐かしく遠い過去へと思いを馳せていたら、ハーレイが「おい」と呼び掛けて来た。
「まさかお前、今度は狙って生まれて来たんじゃないだろうな?」
「えっ?」
「俺より小さく生まれて来ようと、わざと後から生まれなかったか?」
怪しいぞ、と言われたブルーは「違うよ!」とムキになって反論した。
「そんなわけないよ、ぼくは小さすぎたから困ってるのに!」
しかしハーレイは可笑しそうに笑う。
「そうか? 小さすぎなければ俺がデカイ方が良かったんじゃないのか、その辺の加減を間違えて生まれてしまっただけで」
予定ではもっと早く生まれて、充分大きく育った姿で出会うつもりで…、と揶揄われると自信が無くなってきた。十四歳を迎えたらハーレイと出会う運命だったのだろう、とブルーは固く信じているのだけれど、もしかしたら、もっと大きく育った姿で再会するつもりだったかも…。
(…失敗しちゃった? 今のハーレイに出会う時にはもっと育ってる筈だった?)
前の生での姿そっくりに育っていたなら、待ち時間などは必要無かった。出会って直ぐに本物の恋人同士になれたし、ハーレイの家に来てはいけないと言われることも無かった筈で…。
「……ぼく、計算を間違えちゃった…?」
シュンとするブルーに、ハーレイが「いいじゃないか」と穏やかな笑みを浮かべて語る。
「たとえ計算ミスだとしても、俺はその方が嬉しいな。今度こそお前を守ってやれるし、俺の方が年上なんだから正真正銘、保護者になれる。教師と生徒じゃなくても、だ」
自分がブルーを何処かへ連れて出掛けるのならば立場は保護者だ、とハーレイは言った。
「実際は何処にも連れてはやれんが、海でも山でも俺が保護者ということになる。遊園地でもな。そして今は保護者として出掛けられない代わりに、将来は俺がお前の保護者になるんだろう?」
お前のお父さんとお母さんに代わって、お前をしっかり守らないとな。
軽く片目を瞑るハーレイに、ブルーの頬が赤く染まった。いつかハーレイと一緒に暮らす時にはハーレイが保護者。保護者と呼ぶのかどうかはともかく、ブルーは守られる立場なのだ。
小さすぎたのは失敗だけれど、ハーレイに守って貰える立場だと思うと嬉しい。前の生でもそうだったのだが、あの頃はハーレイの方が年下。その事実を思い出す度に心配になった。ハーレイは優しくしてくれるけれど、何処かで無理をしてはいないか、と。
(今度は心配しなくていいんだ…。ハーレイ、ホントにぼくより大きいんだもの)
ハーレイは今のブルーよりもずっと年上。倍以上も年が離れている。だから甘えても可笑しくはないし、ハーレイにもうんと余裕がある。そういったことを考えていたら、尋ねられた。
「ブルー、お前はどうなんだ? 俺よりも早く生まれていた方が良かったか? 姿は前と同じだとしても、今の姿の俺に出会うには、お前、三十七歳以上でないとな」
俺は三十七歳だから、とハーレイは自分を指差した。
「…そっか、ハーレイよりも年上だったら三十七歳以上になるんだ…」
ブルーは赤い瞳を丸くした。
自分の外見の年は前の姿で止めているにしても、三十七歳のハーレイに会うには自分の年はそれ以上でないといけない計算になってくる。
(んーと…。一歳だけ年上でも今で三十八歳なわけ? ぼくは十四歳だから、今の年に二十四年も足すの? そんなに足さなきゃいけないの?)
今の生では十四年しか生きていないが、前の生での記憶があるから二十四年という歳月の長さは見当がつく。それだけでも長すぎると思えてくるのに、ハーレイと出会うまでには三十八年という年数が必要なわけで、最小限の年齢差でさえ三十八年。
(…前と同じくらいに年上だったら…)
想像するのも恐ろしかった。そんなに長い間、一人で待てない。ハーレイに会えずに一人きりで何十年も待ちたくはないし、待てるわけがない。
「ぼく、待てないよ…。ハーレイと会うまで、そんなに待てない! 今が限界!」
十四年でも長すぎだよ、とブルーは叫んだ。出来るものなら少しでも早く出会いたかった。同じ地球の上で、同じ町で二人とも暮らしていたのに、この年になるまで会えなかった。記憶が蘇っていなかったから平気だったけれど、それでも今から思えば悲しい。
もっと早くハーレイと出会いたかった。子供扱いの期間が長くなっても、それでも幸せだったと思う。大好きなハーレイと同じ町に住んで、休日になればこうして会って…。
切々と訴えたブルーに向かって、ハーレイがニヤリと笑ってみせた。
「…俺は三十七年間ほど待ったんだが? 寂しい独身人生ってヤツで」
「ハーレイ、凄い…」
ブルーは心の底からそう思った。三十七年も待ったハーレイは偉い。今の生がどんなに充実していようと、三十七年という歳月は長い。その間、ブルーは何処にも居なかったのに。十四年前には生まれていたけれど、ハーレイとは出会えなかったのに。
「ハーレイ、一人で寂しくなかった? 独身人生とか、そんなのじゃなくて」
「ん? …そうだな、誰かが家に居てくれたらいいのにな、と思ったことなら何度もあったが…。その先を考えられなかった。俺の家には子供部屋もあるのに、嫁さんはなあ…」
全く想像出来なかった、とハーレイは不思議そうに首を傾げた。
「親父もおふくろも嫁はまだかとも言わなかったし、そのせいってこともないんだろうが…。どういうわけだか、嫁さんも子供もまるで頭に浮かばなかった。今から思えばお前のせいだな」
こんな美人を貰う予定ではどうにもならん、とハーレイが笑う。
「俺にとってはお前が最高の美人だからなあ、それ以外は目にも入らなかったんだろう。ずいぶん長いこと待たされた上に、まだまだ嫁には貰えそうもない」
「ごめんね、ハーレイ…。ぼくだったらそんなに待てないと思う…」
だから急いで大きくなる、とブルーは言ったが、ハーレイは「いや」と優しく微笑んだ。
「ゆっくりでいいさ、焦らなくてもゆっくりでいい。…俺はお前にもう会えたんだし、長い時間を待つのも慣れた。三十七年も待っていたんだ、お前の顔を見ていられるなら何年でも待てる」
「でも…」
「お前が大きくなりたいってか? そうだな、俺の家にも来られないしな、今のままだと」
だが焦るな、とハーレイの手がブルーの頭をポンポンと叩く。
「俺は小さなお前が好きだし、俺がお前を守れる大人で良かったと思う。前みたいに外見だけってわけじゃなくてだ、中身の方も俺が年上なんだ。…その年上の俺が言うんだ、子供の時間をうんと楽しめ。前に叶わなかった分まで幸せに生きて、ゆっくり大きくなるんだ、ブルー」
「…うん……」
早く大きくなりたいけれども、ハーレイが「ゆっくり」と何度も繰り返すのだし、それは大切なことなのだろう。
(…だけど、やっぱり早く大きくなりたいよ…)
どっちの方がいいのかな、とブルーは思う。ゆっくり大きくなるのがいいのか、早く大きくなる方なのか。でも、どちらでもきっと幸せになれる。大きくなったら、きっと幸せに…。
(…ハーレイより後に生まれて良かった)
テーブルの上のミーシャの写真を眺める。甘えん坊で可愛らしくても、ハーレイより年上で先に生まれていたミーシャ。前の生の自分はミーシャとまるで変わらない。年下だったハーレイの胸に縋って甘やかされて、その温かさに酔っていた。
けれど今の自分は前とは違う。ハーレイはブルーよりも遙かに年上で、立派な大人。ハーレイの方がずっと大きくて、ブルーは小さな子供に過ぎない。今はその差が悲しいけれども、ハーレイが先に生まれていたから、今度は本当に守って貰える。
前の生のようにハーレイの負担になっていないかと気にしなくていい。ハーレイは本当に守れる立場に生まれたのだし、ずっと年上なのだから。
(ちょっぴり小さすぎちゃったけど…。でも、いつか必ず大きくなるから)
そして今は行けないハーレイの家にも、何度でも呼んで貰えるようになる。またハーレイの家に行けるようになったら、本物の恋人同士にもなれる。
(…それまでは我慢しなくっちゃ…。ハーレイの家に行けないのは寂しいけれど、でも…)
ブルー自身も忘れ去っていた約束を守ってくれたハーレイ。
アルバムからミーシャの写真を探して、ブルーの家まで持って来てくれたハーレイ。
(ハーレイ、約束を忘れずにいてくれたもんね…)
だからぼくも寂しいけど、約束を守る。
いつかハーレイがいいと言うまで、ハーレイの家には行かない約束。
今のぼくはハーレイよりもずっと小さな子供だから。
ぼくより年上なハーレイの言うことはちゃんと守るよ、ハーレイはぼくより大人だから…。
白い猫の写真・了
※今回のお話はシリーズ第9話、「初めての訪問」の後日談でした、今更ですけど。
これもじっくり書いておきたかったんです。それに、ブルーとハーレイの絆も。
先に生まれて待っていたハーレイ。今度こそブルーは本当に甘えていいのです。
そして、このお話。
管理人的には「すっげえターニングポイント」ってヤツです、どうでもいいですが。
このお話のプロットを作ろうとしていた日の朝、別のプロットが頭にありました。
そこで「おっと、牛乳瓶、出しておかないと」と玄関先に向かった管理人。
牛乳配達用の箱の蓋をパタンと閉めた瞬間、プロットを綺麗に忘れていました。
どう頑張っても思い出せなくて、「まあいいか」と別の話を作ったわけですけれど。
あの日、牛乳配達用の箱にプロットを突っ込まなかったら、連載は残り僅かでした。
牛乳瓶と一緒に突っ込んだばかりに、別の方向へと向かったお話。
御存知の方は御存知でしょうが、ストック、100話をとっくに超えてます。
別コンテンツとのしがらみで「出せずにいる」という小心者です、ここ、別館だし…。
144話目を某ピクシブにフライングでUPしてみました。
「早くそこまでUPして!」という方がおられましたら、拍手から一言お願いします~!
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それは十四歳の小さなブルーがメギドでの出来事を夢に見て飛び起きてしまった夜のこと。前の生での悲しすぎた最期をもう何度夢に見ただろう。その度にとても怖くなる。自分は本当に生きているのかと、何もかもが儚い夢ではないかと。
(…怖いよ、ハーレイ…)
ハーレイに側に居て欲しい。ブルーは確かに生きているのだと、強く抱き締めて教えて欲しい。前世よりも小さな今の身体が本物なのだと、メギドで撃たれた身体の代わりに手に入れたのだと。
けれどハーレイの家は何ブロックも離れた所で、夜の夜中に一人で行くには遠すぎた。前の生と違って瞬間移動が出来ないブルーには越えられない距離。ハーレイだけに届く思念も紡げない。
(…会いたいよ、ハーレイ…。怖いよ、ハーレイ…)
側にいてよ、と涙を零してもハーレイが来てくれるわけもない。ハーレイの家はとても遠いし、そうでなくても「来てはいけない」と言われてしまった。一度だけ出掛けたハーレイの家。其処でブルーが見せた表情が年相応ではなかったとかで、大きくなるまでは行けなくなった。
そういったことを考えてゆけば「今」は確かにあるのだけれど。
その「今」が揺らぎそうになる。ハーレイとの日々はメギドで死んだソルジャー・ブルーが見ている夢で、十四歳の小さな自分は地球に行きたかった彼の魂が作り出した幻なのではないかと。
気が付けば全てが消えていそうで怖かった。自分は死んで独りぼっちで、ハーレイも今の両親も誰もいなくて、この部屋も家ごと消えてしまって…。
(怖いよ、ハーレイ…。側にいてよ…)
会いたいのに、と泣きながらブルーは眠りに落ちていった。前の生の最期にハーレイの温もりを失くして凍えた右の手をキュッと握り締め、その手をいつも温めてくれるハーレイの大きな温かい手を思い浮かべて…。
怖くて恐ろしくてたまらなかったのに。辛くて悲しくて寂しかったのに、何故か優しい温もりに包まれ、それを求めて縋り付いた。すると温もりはブルーをすっぽり包んでくれて、暖かな眠りが訪れる。温もりが何なのか分からないけれど、恐ろしさも怖さも何処かへ消えた。
(…気持ちいい…)
それに温かい、と心地よい温もりに身体を擦り寄せ、それに包まれてぐっすり眠った。そうして夜が明け、ぱっちりと目を覚ましてみたら。
「…あれ?」
夢だとばかり思っていた温もりがまだ側に在る。どうしてだろう、と見回してみるとハーレイの腕の中に居た。これも夢かと瞬きをしたが、ハーレイは消えるわけではなくて。
(そっか、ハーレイ、来てくれたんだ…!)
怖い夢を見て泣いていたから、気付いて来てくれたのだろう。もう嬉しくてたまらない。幸せな気持ちが溢れ出すままに、ハーレイに向かって微笑みかけた。
「…おはよう、ハーレイ。もしかして、気が付いて来てくれた…?」
ところがハーレイの答えはブルーが予想だにしなかったもので。
「違う、来たのはお前の方だ。…お前がいるのは俺のベッドで、この家は俺の家なんだが…」
言われた途端に気が付いた。自分のベッドよりも大きなベッド。ならば自分は飛んで来たのだ。出来ない筈の瞬間移動で空間を超えて、ハーレイの家まで。
(ぼく、飛べたんだ…!)
ハーレイの家まで飛んで来られた。喜びで胸が弾けそうになる。昨夜見た夢は怖かったけれど、ハーレイはちゃんと目の前にいる。ハーレイの家も本当に在る。この幸せな今が現実。
「ハーレイ…!」
大きな身体に抱き付き、広い胸に頬を擦り寄せた。もう今度から怖い夢を見ても大丈夫。自分は飛ぶことが出来るのだから、こうして飛んで来ればいい。
そう言ったらハーレイは「怖い夢を見たらいつでも来い」と許してくれたし、普段は来られないハーレイの家も夢を見た時は例外にして貰えるのだろう。
嬉しくて幸せでたまらないのに、ハーレイは何処か遠い目をしていて。
「…ハーレイ? どうしたの、何か迷惑だった?」
心配になって尋ねれば、苦笑いしながら。
「い、いや…。今日は学校は休みだったな、と思ってな」
朝飯にするか? と訊かれてブルーはコクリと頷いた。そういえば今日は土曜日だった。学校のある日でなくて良かった、とブルーも思う。ハーレイの家で一緒に朝食を食べられるのだから。
「よし、お前のために腕を奮うとするか。これでも料理は得意なんだぞ」
沢山食べて大きくなれよ、とハーレイがブルーの髪をクシャクシャと撫でてベッドから降りた。そのハーレイが徹夜でブルーへの欲望と戦っていたことをブルーは知らない。だから急いで自分もベッドから降り、ハーレイの腕にギュッと抱き付く。
「こらっ、俺はこれから歯磨きと着替えだ! ついてくるなよ!」
「なんで?」
「お前の視線は心臓に悪い!」
此処で待ってろ、と二階の寝室から一階のリビングへ連れて行かれた。ソファに座らされ、目の前の床にスリッパが置かれる。
「足が冷たいなら履いていろ。裸足でもいいぞ」
じゃあな、と出てゆくハーレイは裸足。シャングリラに居た頃と違って、今の生では家の中では靴は履かないのが基本だった。来客用のスリッパをじっと見詰めてから、履かない方を選択する。次はいつ来られるか分からないハーレイの家なのだから、素足で床を感じていたい。
(…ふふっ、フカフカ)
リビングに敷かれた絨毯の柔らかな感触を味わい、それから部屋をあちこち眺めた。壁際の棚のトロフィーはハーレイが柔道や水泳で勝ち取ったもので、前に来た時に見せて貰った。ハーレイの好みらしい落ち着いた壁紙などは前の生でのハーレイの部屋を思わせる。
キョロキョロしていると、半開きの扉の向こうからハーレイの声が聞こえて来た。
「ええ、ええ…。はい、怖い夢を見たのが引き金だったようで…」
(あれ?)
ぼくのことだ、と耳をそばだてた。話している相手は多分、母か父。
「大丈夫です、後で送って行きます。…元々、伺う予定でしたから」
ご心配なく、という声を最後に会話は終わって、暫く経って。
「待たせたな、ブルー。食事にしようか」
着替えを済ませたハーレイが来て、「寒くないか?」と訊かれたけれど、パジャマ姿でも風邪を引くような季節ではない。
「うん、平気!」
「すまんな、お前が着られそうな服は無いからなあ…。じゃあ、飯にするか」
こっちだ、とダイニングに向かうハーレイの腕にブルーはまたしても抱き付いていた。
ハーレイの家を一度だけ訪ねた時に、二人で昼食を食べたテーブル。そこの椅子の一つに座ったブルーに、ハーレイが隣のキッチンから声を掛けてくる。
「ブルー、オムレツの卵は何個……って、訊くまでもないな、一個だな?」
「ハーレイ、二個なの?」
驚いたものの、身体の大きなハーレイだったら自分の倍は食べるだろう。そう思ったのに。
「それだけじゃ足らんし、俺はソーセージも焼くんだが」
「……嘘……」
「ということは、お前、ソーセージは要らないんだな? うんうん、分かった」
すぐ作るからな、と笑いの混じったハーレイの声。やがてホカホカと美味しそうな湯気を立てるオムレツの皿が運ばれて来て、大きい方のオムレツの皿にはソーセージが一緒に乗っかっている。
(…凄いや…。ハーレイ、朝からこんなに食べるの?)
トーストだってハーレイの分はうんと分厚く、ブルーのトーストは薄くてたったの一枚。そう、ハーレイのトーストは分厚くて二枚。
「ブルー、ミルクはこれに一杯でいいか?」
温めるか、と出て来たマグカップの大きさにブルーは仰天した。いつも家で使っているカップの倍くらいは入りそうな大きなカップ。そんなカップに一杯だなんて言われても…。
「そ、それの半分くらいでいいから!」
「遠慮しなくていいんだぞ? お前、大きくなりたいんだしな」
勢いよくミルクを注ぎ入れるハーレイを「ダメ!」と叫んで必死に止めたら、「冗談だが?」とニッと笑われた。
「これは俺のだ。お前にはこっちで充分だろう」
普通サイズのカップが出て来てホッとするブルーに、ハーレイがクックッと喉を鳴らした。
「お前、これだけしか飲めないのか…。そんな調子じゃ、いつになったら育つやら…」
「もうすぐだよ!」
「どうだかな? 朝食ってヤツは大事なんだぞ、それがこんなにちょっぴりではなあ…」
俺ならとても昼まで持たん、とハーレイは豪快に食べ始める。オムレツにソーセージ、ミルクもたっぷり。分厚いトースト、サラダもブルーの倍以上はあった。どれもとっても美味しいけれど。
(…あんなに沢山、食べられないよ…)
幸せだけれど、少し悔しい。お前はまだまだ小さいままだ、とハーレイにからかわれてしまったようで…。
朝食が終わるとハーレイが手際よく後片付けを済ませ、「さてと、お前を送らないとな」と口にしたものの。自分のベッドから瞬間移動をして来たブルーはパジャマしか着てはいなかった。家の中なら問題は無いが、ブルーの家まで車で移動をするにしても…。
「うーむ…。お前の服をどうしたもんかな…」
ハーレイはブルーの姿を眺めて考え込んだ。デザインは普通のシャツに見えるし、襟だって一応ついている。一見してパジャマと分かりはしないが、パジャマには違いないわけで。
(…だが、俺のシャツを貸した方が余計に変だよな? 致命的にサイズが違うしな…)
上から羽織るものでもあれば、と思ったけれども、良いものを全く思い付かない。バスタオルは却って可笑しいだろうし、毛布の類は言わずもがなだ。
「ハーレイ、ぼくはこのままでいいよ?」
ハーレイの服は着られないでしょ、とブルーが自分のパジャマの襟を引っ張りながら。
「パジャマなんです、って言わなかったら普通のシャツに見えると思うし」
「どうだかなあ…。しかし、それしか無いようだな。仕方ない、堂々と座っていろ」
「うん、そうする」
裸の王様みたいだね、とブルーはニッコリ微笑んだ。裸という言葉にハーレイの心臓がドキリと跳ねたが、それはブルーがベッドに飛び込んで来てから徹夜で己の欲望と戦い続けていたからで。
(…いかん、童話のタイトルに反応していてどうする!)
己を叱咤し、ハーレイはブルーの足元に目をやった。スリッパを履いていない裸足の足。小さな足に合うサイズの靴は家には無い。服はパジャマで済ませるとしても、裸足で外には出られない。
「…俺の靴ではデカすぎるしなあ…」
ハーレイの呟きに、ブルーも自分の足を見た。ハーレイの足より遙かに小さい自分の足。
「でも、ハーレイの靴しかないよね?」
「脱げちまいそうだな、いっそスリッパにしておくか? 一足くらいならダメになっても…」
ハーレイが言うスリッパは来客用のもの。本来は家の中で履くものなのだが、ブルーのためなら一足くらい外に出しても、と考えた。それならばブルーの足にも合う。けれど…。
「もったいないよ!」
ブルーが叫んだ。
「それにハーレイの靴、履いてみたいよ、脱げてもいいから」
「履いてみたいって…。お前…」
「ぼく、ハーレイの恋人だもの! ハーレイの靴、履いてみたいな…」
ダメ? と上目遣いに強請られ、ハーレイは折れた。ブルーの愛らしく小さな素足に自分の靴という美味しい眺めはハーレイ自身も惹かれるものがあったから…。
こうして履物は決まったのだが、いざ履いてみるとハーレイの靴はブルーの足には大きすぎた。歩けば小さな足だけが前に出てゆき、重たい靴が取り残される。これでは駄目だと最初の案だったスリッパに手を伸ばすハーレイをブルーが「待って」と止めた。
「ハーレイ、あれは?」
指差す先に大きなサンダル。ハーレイが愛車を洗う時などに履くもので、お世辞にも綺麗だとは言い難い。もちろん綺麗に洗ってはあるが、使用感があると言うべきか。
「あれか? …あれは洗車と水撒き用ので、外に出掛ける靴じゃないしな…」
「あれでいいよ」
決めた! とブルーはピョコンと飛んだ。サンダルの上に着地し、両足に履いて一歩踏み出す。
「うん、これだったら大丈夫! 引っ掛かるから!」
でも大きい、と自分の足の周りに余ったスペースをまじまじ見回しているブルー。
「そりゃ大きいさ、底の面積は靴よりもうんと広い筈だぞ」
「そうなの? 靴もずいぶん大きかったけど…」
脱げちゃうんだもの、と借りそびれてしまった靴を見つつも、ブルーは満足そうだった。たとえサンダルでもハーレイが普段、履いている物。それを自分が履いているのが嬉しいのだろう。
(しかし本当に小さな足だな…)
ハーレイの唇に笑みが零れる。前の生のブルーも細くて華奢だったけれど、今のブルーはもっと小さい。ハーレイの大きな靴を履かせても、その眺めに胸が高鳴る代わりに愛らしさばかりが目につくほどに…。
パジャマ姿で、足にはハーレイの大きなサンダルを履いて。ブルーはドキドキしながら離れ難いハーレイの家の玄関から出た。次に来られるのはいつだろう?
(また来たいけど…。でも、どうやって飛んで来たのか分からないしね…)
恐ろしい夢を見ないと来られそうになく、必ず来られるわけでもない。メギドの夢なら今までに何度も見たのに、飛んで来られたことは一度も無い。
(…当分、来られないのかも…)
名残惜しげに覗き込んでいた扉をハーレイが閉めて鍵をかけた。
「さあ、行くか。お前、俺の車は初めてだったな」
「うんっ!」
ブルーの胸のドキドキは車のせい。前に来た時には見ていただけのハーレイの車。学校の駐車場でも目にするけれども、乗せて貰えるとは思いもしなかったハーレイの車。
ハーレイと二人で庭を横切り、ガレージに行って。助手席のドアを開けて貰ってハーレイよりも先に乗り込んだ。ブルーの身体には些か大きすぎるシートだったが、座り心地はいい。
(…ふふっ)
まさかハーレイの車に乗れるなんて、と嬉しい気持ちがこみ上げて来る。ハーレイのサンダルにハーレイの車。パジャマ姿でも気にしない。
「おいおい、なんだか嬉しそうだな」
隣に乗り込んだハーレイがエンジンをかけながら言うから、「うん!」と答えた。
「だって、ハーレイの車だもの」
「なるほど、ちょっとしたドライブ気分か」
行くぞ、とハンドルを握るハーレイ。
「シャングリラみたいに飛びはしないが、車もけっこう面白いもんだ」
走り出した車はゆっくりと住宅街の中を抜けてゆく。前にハーレイに「もう来てはいけない」と言われたブルーが、それを告げたハーレイに送られてションボリと歩いて帰った道。あの時と同じ道をまたハーレイと通っている。今度はハーレイが運転する車に乗って。
(…夢みたいだ…)
ハーレイの車、とドキドキしているブルーはろくに景色も見ていなかった。真っ白な猫が尻尾をピンと立てて道を横切り、ハーレイが「おっ!」と声を上げても生返事。
「ブルー、今の猫、ちょっとミーシャに似ていたな……って、聞いちゃいないか」
見えてもいないな、とハーレイは苦笑しながら助手席に座った恋人をチラリと横目で眺める。
(まったく、何を見ているんだか…。そんな所も可愛いんだが)
この小さすぎる恋人を本物のドライブに連れ出せる日はいつのことやら、と考えつつハンドルを握るハーレイの横顔をブルーがドキドキしながら見詰める。
(…かっこいいよね…)
シャングリラに居た頃は、舵を握るハーレイに見惚れていることは出来なかった。ハーレイとの仲を悟られないよう、常にソルジャーの貌をしていた。
(あの頃もこういう顔だったのかな、キャプテン・ハーレイ…)
それとも今は自分を隣に乗せている分、優しい顔をしているだろうか? あるいは穏やかで甘い顔なのか、運転中だから厳しいのか。
(…よく分からないや…)
もっと見ていたい、とブルーは願う。家までの道が少しでも混んでいるように。信号で少しでも長く止まっているように…。
けれど夢のドライブは呆気なく終わってしまって、気付けば見慣れた住宅街。ブルーの家を取り巻く生垣が見えたかと思うと、ハーレイが車を来客用のスペースに入れる。もう少しだけ、と強く願ったのに、車は停まった。
「ブルー、着いたぞ。…ほら、お母さんだ」
そう言いながらハーレイが運転席から降りて助手席のドアを開けてくれたから、ブルーは車から出るしかなかった。ハーレイの大きなサンダルを履いた足を地面に下ろせば、扉を開けに来ていた母が「あらっ!」と気付いて声を上げる。
「ハーレイ先生、すみません、ブルーが色々とご迷惑を…。この子ったら、もう、パジャマだけで靴も履かないで…! ブルー、靴を持ってくるから其処にいなさい」
パタパタと急いで戻って行った母は直ぐにブルーの靴を持って来て履き替えさせた。ハーレイの大きなサンダルがブルーの足から消えて無くなる。
(…ハーレイのサンダル…)
もう少し履いていたかったのに、と思う間も無くサンダルは消えた。ハーレイの手がサンダルをヒョイと掴んで助手席の床に放り込み、ドアをバタンと閉めてしまった。さっきまでブルーが独占していた乗り心地のいいシートもサンダルと一緒にドアの向こうに消えた。
「ブルー? ハーレイ先生にきちんと御礼を言うのよ」
そして急いで着替えなさい、と指図する母はハーレイにしきりに謝っている。家の中から父まで出て来た。「ハーレイ先生、すみません!」と謝りながら。
「いえいえ、どうせついでですから」
今日はこちらに来る日でしたし、とハーレイは両親と挨拶を始めてしまって、ブルーの大好きな恋人の顔ではなくなった。そう、今のハーレイは「ハーレイ先生」。
(…なんだか魔法が解けたみたいだ…)
ハーレイのサンダルを脱いでしまったら魔法が解けたシンデレラ。お姫様ではないのだけれど、そんな気持ちがしてしまう。魔法のサンダルを探してハーレイの車を覗こうとしたら、母の声。
「ブルー、いつまでパジャマで立ってるの? それとハーレイ先生に、御礼!」
「う、うんっ! …ありがとう、ハーレイ。それに、ごめんね」
頭を下げると「いいや」と大きな手でクシャリと頭を撫でられた。
「さあ、着替えて来い。俺は後からゆっくり行くから」
「はーい! ハーレイ、また後でね!」
魔法が解けてしまった小さな足にサイズぴったりの自分の靴。ブルーはハーレイに向かって手を振り、玄関の方へと駆け出した。魔法の時間は終わったけれども、今日は一日、ハーレイと一緒。此処は夢でもメギドでもなくて、青い地球の上。
(ずっとハーレイと一緒なんだよ)
これから先も、ずっと、ずっと、ハーレイと一緒。いつかハーレイと結婚して……。
夢のような朝・了
※今回のお話はシリーズ第2話、「君の許へと」の裏話でした、今更ですけど。
一度じっくり書きたかったのです、あの日の二人の朝御飯とかを。
ブルーの足には大きなサンダル、パジャマ姿でも幸せな朝。
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前の生の最期にハーレイの温もりを失くしたブルー。メギドへと飛ぶ前、ハーレイの腕に最後に触れた右手に残った温もりを抱いて逝くつもりだったのに、撃たれた痛みで失くしたブルー。右の手が冷たいと、独りぼっちになってしまったと泣きながら死んだ前の生のブルー。
その悲しみを覚えているから、ブルーは右の手をハーレイが握ってやると喜ぶ。温もりが戻って来たと幸せそうな顔で微笑む。
凍えた右手が前世の最後の記憶だったから、右手を握ることが一番多いのだけれど。ハーレイと再会した時にブルーの身体に浮かび上がったメギドで撃たれた時の傷痕。小さな身体を血に染めた傷痕が現れた場所に手を当ててやることもブルーは好んだ。
後ろからそっと抱き締められて、両方の肩に、左の脇腹に、順に当てられてゆくハーレイの手。最後に撃たれた右の瞳に手を当ててから、ハーレイはブルーの右の手を握る。傷の痛みで失くしてしまったという温もりを移してやるために。
メギドでブルーが撃たれた傷痕。キースが弾を撃ち込んだ数も、容赦なく撃ちながら狙った順もハーレイはすっかり覚えてしまった。
小さなブルーはもちろんだけれど、ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも細くて華奢な身体をしていたというのに、そんな身体に何発もの弾を撃ち込むとは、何処まで残虐な男なのか。獲物を狩るような気持ちで楽しみながらブルーを撃ったのだろうか、と考えてしまう。
死の星だった地球でキースに再会した時は、ブルーの死の真相など知らなかった。だから冷静に会談に臨むことが出来たが、彼がブルーをどう扱ったかを知っていたなら、どうなったことか。
キャプテンとしての立場も忘れてキースを罵り、あるいは殴っていたかもしれない。八つ裂きにしても足りないくらいに憎いけれども、あの時のハーレイは知らなかった。目の前の男がブルーを撃ったことも、その傷の痛みのせいでブルーがハーレイの温もりを失くしたことも。
皮肉なことに、ハーレイが全てを知った時にはキースは何処にも居なかった。遙かに過ぎ去った時の彼方で英雄になってしまっていた。人類とミュウとの和解を促し、SD体制を終わらせた男。遠い日にブルーを撃った男は、生ある間にブルーに心で詫びただろうか。
それすらも今は分からない。自分もブルーも青い地球の上で新たな生を生きているのだし、前の生での恨み言など口にしても仕方ないのだけれど。過ぎたことだと思いたいけれど、ブルーを抱き締めて傷の痕に順に手を当ててゆく時、ハーレイの胸がキリリと痛む。
ブルーが味わった苦痛と悲しみ。それをブルーに与えた男を殴ることすらしなかった自分。
知らなかったからと済ませてしまうには、あまりにも苦しい戻れない過去。
ミュウと人類の懸け橋となったキースを憎むわけにはいかない。ブルーもまたキースを恨んではいない。
キースを殴れる機会は二度と来ないし、殴るべきでもないのだが…。
今となってはどうしようもない遠くへ流れ去ってしまった時間。小さなブルーの身体に順に手を当てる時は温もりを移すことだけを…、と考えていても、たまにこうして囚われる。過去に戻ってキースを捕まえ、力の限りに殴りたくなる。
(…どうして気付かなかったんだ…。あいつがブルーに何をしたのか、あの時、俺が気付いていたなら…!)
思わず腕の中のブルーを強く抱き締め、愚か過ぎた過去の自分を激しく悔やむハーレイの耳に、遠慮がちな声がかけられた。「…ハーレイ?」と呼び掛けてくるブルーの声。
「ねえ、ハーレイ…。どうかしたの?」
いつから呼ばれていたのだろうか。我に返ったハーレイの顔をブルーが心配そうに見上げる。
「考えごと? 今日はもしかして忙しかった?」
「…いや、なんでもない。すまん、傷の手当てが途中だったな」
後は右目か、とブルーの左の肩に当てていた手を離し、その手で右目を覆おうとしたら。
「ハーレイ。…キスは額と頬っぺたしかダメ?」
唐突なブルーの言葉に、ハーレイは驚いて動きを止めた。
「キス?」
「うん。ハーレイ、いつも言ってるよね? ぼくへのキスは頬と額だけだ、って」
「その通りだが?」
いきなり何を言い出すのか、とブルーを見下ろす。今はブルーがメギドで受けた傷痕を順に辿る途中で、キスをせがまれるような覚えは無かった。しかしハーレイが暗澹たる思いに囚われていた間に、ブルーの方も考えごとをしていた可能性はゼロではなくて。
(…キスというのが怪しいな…)
ハーレイが傷の痕に手を当ててゆく時、ブルーはいつも目を閉じている。手のひらから伝わってくる温もりを逃してしまわないよう、余さずその身に取り込めるよう。全身で温もりを感じる内に心地よさに酔い、前の生の自分と重ねてしまうのか、キスを強請ってくることもあった。
そういう時には腕を絡ませてくるのが常なのだけれど、何度も「駄目だ」と叱り付けただけに、戦法を変えて来たかもしれない。此処は軽くあしらっておくに限る、と判断をして。
「なんだ、手の甲にでもキスしろってか?」
お姫様か、と冗談めかして言えば、「そうじゃなくって…」とブルーが返した。
「手の甲じゃなくて、右目、ダメかな?」
「右目?」
ハーレイは思わず目を見開いた。
ブルーが最後に撃たれた右目。サイオンシールドで防ぎ切れなくて撃たれてしまった。その時の痛みがハーレイの温もりを完全に消してしまったという。
今は傷痕すら無いブルーの右の目。けれどハーレイは小さなブルーの瞳から流れた血の色の涙を覚えている。あれが全ての始まりだった。ブルーの身体に撃たれた傷痕が浮かび上がって、夥しい血が溢れ出して…。駆け寄り、抱え起こした瞬間、自分が誰かを思い出した。
メギドで撃たれたブルーは右の瞳も、ハーレイの温もりも失くしてしまった。その痕跡を微塵も留めていない瞳で、小さなブルーがハーレイを見詰める。
「次に温めてくれる場所って、右目だよね? ハーレイの手だと大きすぎるよ、いつも言ってる」
「そうだな、文句を言われるな。肝心の目が温まらないから指で触れ、と」
ブルーの右目を覆って温めてやるには、ハーレイの手は大きすぎた。顔の半分を覆わんばかりの手は額や頬を温めはしても、窪んだ目には届かない。ついつい忘れて手で覆っては苦情を言われ、指を揃えて瞼を温めることになる。
「…それね、指先だけで温めて貰うよりキスがいいな、って思ったんだけど…」
ダメ? とブルーは小首を傾げた。
「ハーレイ、キスはやっぱり額と頬っぺたにしかしてくれない?」
「…お前の右目か…」
ハーレイは暫し考え込んだ。ブルーへのキスは頬と額だけだと決めていたけれど、それは唇へのキスを欲しがるブルーを戒めるため。まだ十四歳にしかならないブルーに唇へのキスは早過ぎた。しかし瞼はどうだろう?
(…前は何度もキスしてたんだが…)
前の生では宝石のようなブルーの瞳が愛おしくて瞼にキスを落とした。おやすみのキスも幾度となく瞼に落としてやった。頬と額へのキスも、瞼へのキスもさして変わりはないとも思える。
(…それに右目だしな…)
ブルーが最後に撃たれた右の目。
小さなブルーがそれを語るまで知らなかったが、キースは薄い笑いさえ浮かべて撃ったという。勝ち誇ったように「これで終わりだ」と言い放って。
あの頃のキースのやり口からして、如何にも最後に撃ちそうな場所。ブルーの息の根を止めるのではなく、ただ悪戯に傷つけ、貶めるために。無意味に苦しめ、優越感を味わうために。
強い意志を宿して煌めいていたブルーの瞳。
深い憂いと悲しみとを底に湛えてもなお、美しく澄み切っていたブルーの瞳。
それを撃つなど狂気の沙汰だ。どうすれば撃つことが出来るというのだ、あの瞳を。
あの忌まわしいキースしか撃てない。あの悪魔にしか撃てるわけがない…。
「……ハーレイ?」
またしても自分の思いに囚われてしまったハーレイの心をブルーの声が呼び戻す。十四歳にしかならない小さなブルーが愛くるしい瞳で見上げてくる。
ソルジャー・ブルーだった頃とは違うけれども、ハーレイを捕えて離さない瞳。撃たれた痕跡を残してはいない、一対の赤く輝く宝石。その宝石の中にハーレイの姿が映っている。
「ハーレイ、右目はやっぱりダメ?」
少し悲しそうな色を浮かべる赤い瞳は、前の生で潰れてしまった右目。キースに撃たれて潰れた右の目。それを思うとたまらなくなる。その場を見てはいないけれども、この瞳が潰されてしまうなど耐えられはしない。決して潰してはならないと思う。だから…。
「…分かった。右目はキスがいいんだな?」
「うん」
嬉しそうにブルーが頷いた。
「キスだけでいいよ、じっと温めてくれなくてもいい」
「当たり前だ。…そういうキスをしろと言うなら俺は断る」
額や頬と同じキスだからな、とハーレイはブルーに念を押した。触れるだけのキスを軽く落とすだけで、温めるためのキスではないと。
「…じゃあ、お願い」
よろしく、とブルーが瞳を閉じる。それ自体は普段と変わらないもので、傷痕に順に手を当てる時のブルーの習慣。現にさっきまでも目を閉じていたし、何ら問題無いのだが…。
(…お、おい…。この状態でキスなのか?)
右目へのキスを承諾したものの、ハーレイは窮地に陥った。
頬や額へのキスと同じつもりでいたのに、何かが違う。ブルーの瞳が閉じているだけで胸の奥が微かに波立ってくる。
(…こ、これは……)
額や頬にキスを落としてもブルーは目を閉じてしまうけれども、最初から目を瞑ってはいない。目を閉じてキスを待ってはいない。それなのに今は二つの宝石が見えない状態。
これでは、まるで…。
(…どう見てもキスを待ってるんだが! いや、本当に待っているんだが!)
ブルーの注文は右目へのキス。右の瞼に落とされるキス。それを待って瞼を閉じているのだが、ハーレイの心はあらぬ方へと向かってしまう。
前の生でブルーが瞳を閉じてキスを待っている時、それはおやすみのキスでは無かった。
頬や額へのキスでもなくて、待っていたのは恋人同士が交わすキス。唇を重ねる本物のキス。
(…ま、まずい……)
こんな筈では、と焦れば焦るほど前世の記憶が蘇ってくる。ブルーと交わした本物のキス。瞳を閉じて待つブルーの顎を捉え、そうっと唇を重ねた記憶。噛み付くようにキスしたこともあった。
美しかったソルジャー・ブルー。
幼い顔立ちの小さなブルーとは違うのだ、と分かってはいても重なって見える。その内面を映し出す瞳が見えないせいで余計に二人が重なってしまう。ソルジャー・ブルーと小さなブルー。前の生で愛したソルジャー・ブルーと、今の愛らしい小さなブルーが。
(…こ、これは厳しい…)
キスをしなければならない右の目。それなのに唇にキスしたくなる。右の瞼にキスする代わりに唇にしてしまいそうになる。そんなハーレイの心を知ってか知らずか、ブルーの唇が小さく動く。
「ハーレイ、まだ?」
「…あ、ああ…」
キスだったな、と返して咳払いをするのが精一杯だった。
ブルーには少し待っていて貰おう。ざわめく心が凪いでくるまで、胸の鼓動が鎮まるまで…。
無理難題を持ち出したブルーの方には、ハーレイを困らせる気など全く無かった。本物のキスを強請る気も無く、右目へのキスが欲しかっただけ。
前の生の最期に撃たれた右の目。それまでに撃たれた傷の痛みも酷かったけれど、弾を防ごうと張ったシールドを貫かれるとは思わなかった。弾が飛んで来るのが見えていたのに、避けるだけの力がもう残ってはいなかった。
右の瞳に走った激痛。真っ赤に塗り潰された視界は直ぐ闇に変わり、右目を失くしたと気付いた時には右の瞳よりも大切なものを失っていた。右の手に残ったハーレイの温もり。最期まで抱いていようと思ったハーレイの温もりを痛みで失くした。
持てるサイオンの全てをぶつけてメギドを破壊したけれど。
メギドの制御室に満ちた青い光とサイオン・バーストの光との中で、ブルーは独りきりだった。ハーレイの温もりがあれば一人ではないと思ったのに。ハーレイからは遠く離れた場所でも、心は最期まで共に在るのだと思っていたのに。
ハーレイの温もりを持っていた筈の右手は冷たく凍えて、ブルーは独りぼっちになった。右手が冷たいと泣きじゃくっても、温もりは戻って来なかった。
独りぼっちになってしまったと、右手が冷たいと泣きじゃくりながらブルーは死んだ。
あの時、右目さえ撃たれなければ。
右の瞳さえ撃たれなければ、ハーレイの温もりを持っていられた。傷の痛みの前に薄れて微かなものになってしまってはいても、まだハーレイの温もりは在った。それがあればブルーは一人ではなくて、ハーレイと共に居た筈なのだ…。
(…右目が最悪だったんだよ、うん)
だから温めて欲しいと思った。ハーレイの武骨な指で温めて貰うのも好きだけれども、たまにはキスが欲しいと思った。額と頬にしか貰えないキス。それでも心が温かくなる。幸せで胸が一杯になる。ハーレイの温かな唇が降ってくるだけで。柔らかな感触が触れてゆくだけで。
(…まだかな、キス…)
欲しいんだけどな、と待ちくたびれて「ハーレイ、まだ?」と促した。そうしたら…。
「…あ、ああ…。キスだったな」
ハーレイらしくない少し狼狽えた声と、咳払い。おまけにキスはまだ貰えない。
(……なんで?)
いったい何がダメなんだろう、とブルーは懸命に考えた。やっぱりキスは頬と額にしか貰えないもので、右目といえども例外ではないということだろうか?
日頃から唇へのキスを強請っているくせに、小さなブルーは気付かなかった。今の状況が唇へのキスを待っているのとそっくり同じであることに…。
「…ねえ、ハーレイ…」
やっぱりダメ? とブルーはパチリと目を開けた。ソルジャー・ブルーの瞳とは違う、無邪気な光を湛えた瞳。それは追い詰められていたハーレイを救うには充分すぎる煌めきで。
「こら、目を開けたらキス出来んだろう!」
「ごめんなさいっ!」
慌ててギュッと瞑った瞼にハーレイのキスが降って来た。
キースに最後に撃たれた右の目。瞳と一緒にハーレイの温もりまで失くしてしまった悲しすぎる記憶。その右の目を癒すかのように温かな唇が優しく触れて、心がじんわり温かくなった。ほんの一瞬、触れて離れていった唇。それでもとても嬉しくなる。手で温めて貰うよりも…。
(うん、これからは右目にはキス!)
それがいいな、とブルーは瞳を閉じたままウットリと考えていたのだけれど。
ハーレイの方は夢見心地のブルーの顔をまともに見られず、不自然に目を逸らしていた。
(…まずいぞ、やっぱりこのパターンはまずい)
ブルーが子供らしい表情でダメ押しをしたからキス出来たものの、次回は上手く運ぶかどうか。それに毎回、躊躇してはブルーに強請られてキスということになったら、ブルーもいつかは気付くだろう。何故ハーレイがキスを躊躇うのか、その裏に隠された事情なるものに。
(…そうなったら絶対、こいつは調子に乗ってくるんだ)
何かといえば「キスしていいよ?」と口にするブルー。普段は鼻であしらっているが、右目へのキスにかこつけて目を瞑ったまま言われたら…。
自分がそれでキスをするとは思わない。そうしないだけの自制心はある。けれど波立ち騒ぐ心をその度に抑えつけ、穏やかな笑みを浮かべ続けることは拷問に近い。だから…。
「…ブルー、悪いが……」
お前へのキスはやっぱり、頬と額だけだ。
そう告げられたブルーは心底ガッカリしたのだが、元々、キスはそういう約束。
「…うん、分かった…」
とても温かかったのに、と残念がるブルーの右の手をハーレイが握る。
「ほら、ブルー。最後は右手を温めるんだろう?」
「うんっ!」
ハーレイの温もりを失くした右の手。前の生の最期に凍えてしまったブルーの右の手。
その手にハーレイは温もりを移す。ブルーが気に入ったらしい右目へのキスをしてやれない分の謝罪をこめて。
どうかブルーの今度の生が幸せなものであるように。
この手が二度と凍えないよう、何処までも自分が守ってやるから、と……。
右目へのキス・了
※ブルーの瞳が閉じているだけで、瞼へのキスを躊躇うハーレイ。無理もありませんが。
その原因に全く気付かないブルー、まだまだ小さなお子様ですね。
※聖痕シリーズの書き下ろしショート、50話を超えました。何処まで行くのやら…。
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ハーレイが教えてくれたシャングリラの写真集。白く優美な船が表紙を飾る。
それをブルーは大切そうに本棚から取り出して机に広げた。
(ふふっ)
夕食を終えて、お風呂に入って。ベッドに入る前のひと時、これを眺める時間が好きだ。
(ハーレイも今頃、これ、見てるかな?)
父に買って貰った本だけれども、この写真集はハーレイが持っているものと同じ。ハーレイとのたった一つのお揃い。
ページを捲りながら「ハーレイも同じページを見てるといいな」と考えたりする。同じページでなくても、この本を同じ時間に広げてくれているだけでいい。手に取らずとも、本棚に目をやって存在に気付いてくれればいい。
ブルーの本とお揃いなのだと、ブルーもこれを広げているかもしれないと。
たった一つだけの、ハーレイとお揃いのブルーの持ち物。
前の生で共に暮らした白いシャングリラの写真集。
ブルーが守ったミュウたちの船。ハーレイが舵を握っていた船。
シャングリラはもう何処にも残っていないけれども、ブルーもハーレイも確かにこの船で生きていた。この船だけを拠り所にして地球を目指した。
ブルーは辿り着けなかった地球。ハーレイが辿り着いた時には死の星だった母なる地球。
長い長い時を経て蘇った青い地球の上に生まれ変わって、またハーレイと生きている。今はまだ共には暮らせないけれど、ブルーが前世と同じくらいに大きくなったら…。
(そしたら結婚するんだよ)
ハーレイと結ばれて、同じ家で暮らして、もう「さよなら」を言わなくてもいい。離れる時には「行ってきます」と「行ってらっしゃい」、帰って来た時には「ただいま」と「お帰りなさい」の言葉があればいい。
その時が来たら、きっと沢山の「お揃い」が出来るだろう。お揃いのカップはもちろんのこと、サイズがあるならスリッパなんかも。同じものを揃えて当たり前の暮らし。
でも、それまでは…。
(…この本だけで我慢するしかないのかな……)
本当はお揃いで使える何かが欲しい。文具でもいいし、ノートでもいい。
けれど両親でさえハーレイの前世はキャプテン・ハーレイだとしか知らないのだし、そういったお揃いの品を持つことは難しそうだ。
(ハーレイが何かくれればいいんだけれど…)
お揃いの何か、と思うけれども強請るわけにもゆかなくて。
だから本だけが唯一のお揃い。前の生で暮らしたシャングリラの写真集だけが…。
恋人同士だった前の生でもハーレイとの仲は隠し通したから、「お揃い」の物は持てなかった。もっともシャングリラの中だけが世界の全てな生活だったし、誰もが似たような物を支給されては自分好みに手を加える程度の暮らしだったけれど。
衣服さえもが制服であったシャングリラ。小さな子供たちから大人に至るまで、基本のデザインが似通った服を纏っていた。
ソルジャーであったブルーとキャプテンだったハーレイ、それに長老と呼ばれた四人。その六人だけが皆とは違った服を着ていたが、ブルーの服はハーレイの服と実は模様がお揃いだった。
デザインも色も全く違うし、身に着ける人間の体格も違う。あまりにも見た目が似ていないから直ぐにそれとは分からないけれど、同じ模様をあしらった上着。
ブルーの上着と同じ模様の服を着ていたのは、後継者となったジョミーの他にはハーレイたった一人だけ。次のソルジャーだったジョミーの服よりも、ハーレイの服の方がブルーのものに近い。ウエストの部分を飾る模様よりも下に描かれた線はジョミーの服には無かったのだ。
そのようにしろ、とブルーが指示したわけではない。ただ偶然にそうなった。
ハーレイとブルーの服にしても同じで、特に頼みはしなかった。デザインした者からも何ひとつ聞かされたことがなかったし、出来上がった服を身に着けただけ。
お揃いなのだと気付いた後でそれとなく尋ねたら、「ソルジャーとキャプテンはシャングリラに欠かせないお二人ですから」という答えが返った。
まだ跡を継ぐ者が必要なのだと考えもしなかった若かった頃。
ハーレイとお揃いの服が嬉しくてたまらず、見た目にお揃いと気付かれないデザインがまた秘密めいていて胸がときめいた。
誰も知らないハーレイとの仲。それなのに服はお揃いなのだ、と。
ソルジャーとキャプテン。
シャングリラを守るブルーと、その舵を握るハーレイと。
どちらが欠けてもシャングリラの安全は守れない。そんな二人だから同じ模様の上着になった。その服が出来て纏った頃にはまだハーレイとは恋仲ではなく、親しい友人だったと思う。
お互いに特別だったけれども、お揃いの服だと気付いて嬉しい偶然を喜び合うには想いが熟していなかった。青の間で、あるいはハーレイの部屋で何度も二人でお茶を飲んだし、向かい合わせで語り合ったのに、服の模様に気付くほどには意識し合っていなかった。
二人の間の距離が近くなり、少しずつ心が寄り添い合って。
恋が実って結ばれた後、ブルーが先にそれと気付いた。
青の間で夜を共に過ごして、ハーレイは其処からブリッジに行く。そんな日々を重ねたある朝、上着を身に着けるハーレイを見ていて「服の模様が同じだ」と気付いた。
しかし、直ぐに告げるには不向きな時間。
ハーレイはキャプテンとしてブリッジで指示を下さねばならず、ブルーは万一の時に備えて青の間に待機せねばならない。人類側との不幸な遭遇は日が昇っている間が一番多い。
幸せな発見を胸の奥深く大切に仕舞い、ハーレイをブリッジに送り出して。青の間で一人、その幸せを何度も何度も繰り返し噛み締めて、笑みを浮かべて。
その夜、勤務を終えて訪れたハーレイに「お揃いだね」と自分の上着を指差して見せた。
怪訝そうな顔をしたハーレイだったが、「この模様だよ」と指で辿れば、「ああ」と自分の服を眺めて、それは嬉しそうに頷いたものだ。「同じですね」と。
シャングリラの中に、同じ模様をあしらった上着が二人分だけ。恋人同士の二人だけが着ているお揃いの上着。
まるで初めからそのために作られた服だったようで、そのことがとても嬉しくて。
ハーレイと二人、お互いの服の模様を指で何度も辿り合っては笑みを交わした。
その夜は服が乱れることも構わず、お揃いの上着を羽織ったままで抱き合い、幾度も幾度も愛を交わして、そして眠った。
誰にも明かすことが無かった秘密の恋。
お揃いの上着がその恋を守ってくれているように思えて頼もしかった。
ジョミーを後継者として迎え入れた時、ハーレイとの「お揃い」の服が無くなってしまいそうで悲しかったけれど、ブルーがデザインに口を出したなら、隠してきた仲が知れるかもしれない。
そう思ったから諦めた。ブルーの寿命は幾らも残っていなかったのだし、ハーレイとお揃いの服を着ていられる時間もあと僅かなのだと分かっていたから。
それなのに、どういう偶然なのか。あるいは神が誰にも明かせない恋人同士の仲を憐れみ、力を貸してくれたのか。ブルーが危惧したジョミーの上着はブルーのものに似ていたけれども、模様が少し違っていた。
基本のデザインが似ているせいで、ブルーの上着とそっくりに見えるジョミーの上着。見た目は殆ど同じに出来ているのに、それに施された模様が違う。ブルーとジョミー、それにハーレイとが並んで立っても誰も気付きはしないだろうけれど、模様が同じなのはブルーとハーレイ。
ジョミーの服をデザインした者に確かめなかったから意図は不明だが、ブルーがハーレイと喜び合った「お揃いの模様」は二人だけのものとして残された。傍目にはブルーとジョミーがお揃いの上着だとしか見えないけれども、本当のお揃いはハーレイの上着だったのだ。
ハーレイとの「お揃い」はこうして守られ、ブルーは嬉しくてたまらなかった。残り少ない命であっても、ハーレイとの恋は続くのだと。最期までハーレイが側に居てくれるとブルーは信じた。
自分の命の灯が消える時にも、自分の側にはハーレイの姿があるだろう。キャプテンとしての顔であっても、自分の魂が飛び去る時には手を握っていてくれるだろう…。
きっとそうだと夢を見ていた。
現実はそうはいかなかったけれど。
切なくも甘い別れの代わりに、言葉さえ交わせない最後の別れと独りきりの死がブルーを待っていたのだけれど…。
最期の瞬間まで抱いていたかったハーレイの温もりを失くしてしまって、ブルーの右手は凍えてしまった。その手が冷たいと泣きじゃくりながら、たった一人で死ぬしかなかった。
ハーレイとの絆が切れてしまったと、もう会えないのだと泣きじゃくりながら…。
あまりにも悲しすぎた永遠の別れ。ハーレイに会うことは二度と叶わず、独りぼっちになったと思った。そうやって終わった前の生の後に、ブルーは青い地球の上に生まれて来た。先に生まれたハーレイを追うように、彼が住んでいる町に生まれて来た。
再び巡り会えた前の生からの恋人同士の二人だというのに、今の生に「お揃い」の服は無い。
お揃いの物さえ、シャングリラを収めた写真集の他には何ひとつ無い。
それがブルーには少し寂しい。
ハーレイと二人だけの秘密であった、前の生で着ていたお揃いの上着。
自分たちは対の存在なのだと、互いが互いのために在るのだと示すかのようなお揃いの上着。
せっかく二人で生まれて来たのに、前世で焦がれた青い地球の上に生まれて来たのに、お揃いの上着を纏うどころか、同じ写真集を持っているだけ。
もっとハーレイとの絆が欲しい。
二人の間を結び付けてくれる強い何かが欲しいのだけれど、それを求めるのは我儘だろうか?
ハーレイはブルーの守り役として頻繁に訪ねて来てくれるのだが、その前に教師と生徒の関係。学校ではブルーは制服を着なくてはならず、ハーレイはスーツ。
好きな服を着ていい下校後や休日もお揃いの服は無理そうだった。前の生のように仕立てて貰うなど夢のまた夢、既製品の服で揃えたくてもブルーの両親はハーレイとの仲を知らないのだから、揃いの服など買って貰える筈もない。
ましてやハーレイがブルーとお揃いの服を買って来て贈ってくれるわけもなく…。
(…やっぱり、お揃いの本が限界なのかな…)
欲しいんだけどな、とブルーは呟く。
誰一人気付く者など無くてもいいから、ハーレイとお揃いの何かが欲しいと。
出来ればいつも二人で着ていられる服。それが一番欲しいけれど、と。
いつかハーレイと恋人同士だと堂々と言えるようになったら、お揃いの服を着られるだろうか?
ハーレイとブルー、二人だけのためにデザインされた服を誂えることが出来るだろうか?
前の生と違ってソルジャーでもなく、キャプテンでもない自分たち。特別な立場にいるわけではなく、その責任や地位を表す服は作って貰えそうにない。
(…普通の服なら作れるかな?)
スポーツをやる友人たちが揃いのシャツを作っていたり、子供たちのためのキャンプに出掛けた友人が「キャンプ中はコレを着るんだぜ!」とマーク入りのシャツを得意げに着ていたりしたから誂えられることは知っているけれど、そういった服はあくまで普段着。
(ハーレイ、学校に着て行けないよね…)
お揃いは休日か仕事が終わった後にしか着られないのだろうか、と溜息をつく。
前の生のお揃いの上着は何処へでも着て行けたのに。それが自分たちの正装であって、着ていることが普通だったのに…。
(…今のハーレイが仕事で着るならスーツなんだけど…)
お揃いのスーツが作れたとして、その時は自分がどうなるか。
ハーレイとお揃いのスーツを身に着けた自分の姿など、ブルーには想像もつかなかった。
(…ぼく、先生になれるんだろうか?)
スーツを着るなら、ハーレイと同じ教師を選べば同じ職場に通うことも夢ではなさそうだ。父のような会社員もスーツが多いし、選択肢としては無難だけれど…。
(どっちかと言えば先生なのかな…)
生まれつき身体の弱いブルーは、友人たちが夢見るようなスポーツ選手や宇宙船のパイロットといった花形職業を思い描いたことは無かった。本を読むことが好きだったから、学者になろうかと思っていた。具体的に何を専攻するのか、其処までは考えていなかったけれど。
(…学者も先生も似てるよね、うん)
先生になるのもいいのかも、と思ったのだが、弱すぎる身体が問題だった。病欠の多い教師など聞いたこともないし、ブルーには不向きな職かもしれない。ハーレイと同じ職場が魅力とはいえ、「なりたい」と「なれる」が違うことは分かる。
(…学者だったら、弱くてもなんとかなりそうだけど…)
研究室に籠もって実験三昧は無理だし、ハードなフィールドワークをこなすのも無理。学者なら何でも出来るわけではなさそうだったが、教師よりはまだマシだろう。
(そのくらいしかないのかなあ? 学者だってスーツは着てるよね?)
でも…、と前の生を思い浮かべてガックリとした。
死の星だった地球が再生するほどの時を経てもなお、語り継がれているソルジャー・ブルー。
伝説のミュウの長、タイプ・ブルー・オリジンとして誰もが畏敬の念を抱く存在。
それほどの人間であったからこそ、ハーレイとお揃いの上着を纏ってシャングリラに居た。皆が上着を作ってくれた。
(…ぼくはスーツが限界っぽいよ…)
ハーレイとお揃いの上着を着ていたソルジャー・ブルーのようにはとても生きられそうもない。
前の自分が偉大すぎて近付けそうもない。
(…ぼくって、何になれるんだろう…)
ハーレイと結婚することしか思い付かない、小さすぎる自分。
学者になるという目標さえも、ハーレイとの結婚という夢の前には雲散霧消してしまう。
(もしかして、ぼくはハーレイと結婚するだけ?)
学者になってスーツを着ている自分の姿よりも、その方が何故かしっくりと来た。
母がやっているように仕事に出掛けるハーレイを見送り、家事や料理をしながら帰りを待って。ハーレイが家に帰って来たなら、二人でゆっくりと夕食を食べて、寛いで…。
そういう姿しか浮かんでこない。ハーレイとお揃いのスーツどころか、それさえ要らないらしいポジション。前の自分が偉大すぎた分、今度の生はうんとちっぽけになるのかも…。
(…ぼくってダメかも……)
よりにもよって、なりたいものが「お嫁さん」。そういう呼び方をするのかどうかは分からないけれど、ハーレイと結婚して温かな家庭を守る職業。伝説のタイプ・ブルー・オリジンと呼ばれたソルジャー・ブルーの生まれ変わりが、そんな未来でいいのだろうか?
(…前はシャングリラを守ってたのに…。今度は家を一軒、守るだけなの?)
落差が大きすぎて情けない気持ちになってきた。
いつもならハーレイとお揃いの写真集を広げて幸せな気持ちに浸る筈なのに、お揃いの上着まで思い出して欲しくなったばかりに大失敗。今の自分にハーレイとお揃いの上着は似合わない。
「…でも、この写真集はお揃いだよね?」
いつかハーレイの分と並べて同じ本棚に入れるんだもの、と呟いたら少し心が温かくなった。
将来、自分が何になろうと、隣には必ずハーレイが居る。
(…うん、お嫁さんでも別にいいよね)
小さすぎるけどぼくの本当の夢だもの、とブルーは写真集を抱き締めた。
母のような料理上手でなくても、ハーレイなら許してくれるだろう。学校へ出掛けるハーレイに「行ってらっしゃい」と手を振って、帰って来たら「お帰りなさい」と抱き付いて…。
ハーレイと自分が持っている写真集が並べて棚に置かれる時には、きっと幸せな自分がいる。
(…ハーレイもこの写真集、見てるといいな)
そうっと写真集を本棚の元の位置に戻して、ベッドに入って目を閉じた。
(小さな夢でもいいよね、ハーレイ? お嫁さんでもいいよね、ハーレイ…)
お揃いの上着は着られないけれど、ハーレイの側に居られればいい。
ちっぽけな未来しか無さそうな今の自分に、ハーレイとお揃いの上着は要らない。
守らなければならなかった船はもう無いのだから。
ハーレイが舵を握っていた白いシャングリラは何処を探しても、もう無いのだから。
大きな船を守る代わりに、小さな家を守ってゆくのが今の生。
お揃いの上着を作る代わりに、お揃いのカップやスリッパなどを揃えて二人で暮らせばいい。
ささやかに生きていければいい、とブルーは願う。
早くハーレイと自分の写真集を並べて、同じ家で暮らせますように…、と。
お揃いの上着・了
※ソルジャー・ブルーの上着の模様と、キャプテン・ハーレイの上着の模様。
お揃いなのです、パッと見ただけでは分からないのが素敵です。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
毎度お馴染み、元老寺での除夜の鐘イベントで明けた新年。アルテメシア大神宮への初詣も終えて残る冬休みを満喫中の私たちは、会長さんのマンションに来ていました。正月寒波の真っ最中でも中はぬくぬく、美味しいお菓子なんかも沢山あります。
「かみお~ん♪ 今夜は餃子鍋だよ!」
寒い季節はお鍋が一番だもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。餃子鍋とは楽しみです。豚肉入りやら海老餃子やらと何種類もの餃子が入るお鍋はお出汁も特製。締めは雑炊にして良し、ラーメンも良し。出来れば両方食べたいな、などとジョミー君たちが騒いでいたり…。
「両方食べるの? じゃあ、雑炊のお鍋とラーメンのお鍋と、両方だね!」
お出汁を取り分けておいても具を入れて煮込まないと味に深みが出ないから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はウキウキと。どうせ複数のお鍋で煮るわけですし、これは両方食べなくちゃ! 先に雑炊かな、それともラーメン? どっちにしよう、と食べる前から頭を悩ませていると。
「…ラーメンかぁ……。いいかもね」
会長さんが紅茶のカップを傾けながら口にしました。夕食の時間にはまだ早いものの、窓の外はもう暗くなってきています。
「今の季節は日が短くて気温も低い。ラーメン向きの季節かも…」
「そうか? まあ、真夏ならラーメンよりも冷麺だがな」
真逆の冬ならラーメンか、とキース君が言えば、シロエ君が。
「移動のラーメン屋台も冬が多いですよ。たまに夜食に食べるんです」
機械いじりの息抜きに、と話すシロエ君は毎年、三学期になれば大役が。卒業式に合わせて変身させる校長先生の像の仮装の制作です。衣装をまるっと作る年とか、「そるじゃぁ・ぶるぅ」との共作とか。どちらにしても機械仕掛けは外せません。
「チャルメラの音が聞こえてきたら、ついつい食べたくなりますよね」
「…俺は食わせて貰えないんだが……」
ガキの頃からダメだったんだ、と嘆くキース君の肩をサム君がバンッ! と。
「仕方ねえよな、お寺じゃなあ…。あれだけデカイ山門なんだし、買いに出てったら目立つしよ」
「…俺も分かってはいるんだが…。同じラーメンなら、ぶるぅの方が美味いってこともな」
分かっていても憧れる、と移動ラーメン屋台への夢を語るキース君の姿に、会長さんが。
「うんうん、ラーメンはロマンだよねえ? だからやっぱり、冬はラーメン!」
これぞ男のロマンなんだ、とか言い出しましたが、会長さんは餃子鍋の締めはラーメンですか? 雑炊は要らないというわけでしょうか、そこまでラーメン好きだったかなぁ?
とっぷりと日が暮れ、夜空から白いものが舞う中、暖かいお部屋で餃子鍋。キース君のチャルメラへの憧れも、会長さんのラーメン発言も誰もが忘れて「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製のお出汁に色々な餃子を次々と。フカヒレ餃子なんてゴージャスなのも…。グツグツ煮立ってきた頃合いで。
「「「いっただっきまーす!!!」」」
さあ食べるぞ、と男の子たちは大量に掬い、スウェナちゃんと私も遠慮なく。締めにラーメンか雑炊かなんて、餃子の前には吹っ飛びます。もう入らない、と思うくらいに食べまくっても、締めはやっぱり別腹だったり…。
「えとえと、こっちとあっちがラーメンで…。これとこれとが雑炊だね!」
おもてなし大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意してくれ、いい感じにラーメンと雑炊が。そこで雑炊を器に掬った会長さんに、キース君の突っ込みが入りました。
「おい、ラーメンだとか言ってなかったか? それとも雑炊が先で締めにラーメンか?」
「え、どっちでもいいんだけれど…。そういえばすっかり忘れていたよ」
ぼくとしたことが、と苦笑いする会長さんの姿に不吉な予感が。会長さんの「忘れていた」は相当な高確率でロクでもないことが多いのです。ラーメン絡みでまた何か…?
「なにさ、みんなでジロジロと…。ラーメンとくればサバイバルだろ」
「「「は?」」」
なんですか、それは? 何故にラーメンでサバイバル?
「そうか、君たちは知らないかもね。とある有名食品会社の幹部候補生の研修がサバイバルなんだよ、チキンラーメンくらいしか持って行けない」
「「「チキンラーメン?」」」
そんな話は初耳でした。他にも僅かな水と小麦粉、釣り針と糸にビニールシートが貰えるらしいですけど、たったそれだけ。しかも研修期間は三日。
「これが一時期、話題を集めていたんだな。思い出したからには是非やってみたい」
「そんな趣味、無いし!」
お断りだよ、とジョミー君が即答すればキース君も。
「同感だ。それにサバイバルには冬は向かんぞ、坊主の修行なら話はともかく」
あっちは寒行もあることだし、とのキース君の言葉にコクコク頷く男の子たち。こんな季節にサバイバルだなんて、やりたいのなら一人で出掛けて下さいよ~!
恐ろしげな提案を回避するべく、私たちはラーメンと雑炊に集中しました。しかし会長さんは思い付いたら一直線が売り物というか、お約束。
「なるほど、寒行ってのもあったっけ…。ちょうどピッタリのシーズンかな? 三日間なら成人の日の三連休がすぐそこだしね」
「俺たちは断ると言っただろうが!」
一人で行け、とキース君が突き放したのに、「そう言わずに」と会長さん。
「君たちもきっと行きたくなるよ。…サバイバルをするのはハーレイだしさ」
「「「…えっ?」」」
「だから、ハーレイ! 君たちの仕事は監視役兼ギャラリーってことで」
もちろん食事は食べ放題、と言われれば話は別物です。おまけにテントどころか組み立て式のログハウスで暮らせると聞くと、俄然、興味が。
「…そっか、ぼくたちは普通にキャンプと思えばいいんだ?」
面白そう、とジョミー君が食い付き、シロエ君が。
「でも、なんで教頭先生なんです?」
「面白いからに決まってるだろう? ぼくにぞっこんの男だよ? サバイバルに耐えられればコレ、と適当な御褒美を出せばホイホイ来るって!」
おめでたい馬鹿を釣ってみせる、と会長さんの指がパチンと鳴ると、餃子鍋の匂いが立ちこめるダイニングに私服の教頭先生が立っていました。
「…な、なんだ? ブルー、私に何か用か?」
「用ってほどでもないんだけれど…。せっかく来たんだし、食べて行ってよ」
あまり残ってないんだけどね、と会長さんが手ずから器に入れて渡したラーメンに教頭先生は大感激。一人きりの夕食よりも遙かに美味い、とガツガツかき込んでおられます。
「ふふ、美味しい? 君に提案が一つあってさ…。それをこなしたら、孤独な食卓に花を添えてあげてもいいかなぁ…って」
「……花? 花束でもプレゼントしてくれるのか?」
「違うよ、花の名前はブルー。…ぼくが一緒に夕食を食べてあげてもいいかな、と思ったわけ。そこで素敵なムードになったら、もっといいことが起こるかも…」
君と二人きりの夕食なんだ、と切り出した会長さんに、教頭先生は耳まで真っ赤に。元から夢と妄想の世界に浸りっぱなしの教頭先生、サバイバルが条件と聞いても全く動じることもなく。
「分かった、やればいいのだな? 三連休には予定も無いしな」
「本当かい? じゃあ、決まりだね」
サバイバルの栞を作ってお届けするよ、と会長さんがニッコリと。一本釣りされた教頭先生は歓喜の内に瞬間移動で送り返され、サバイバルが決定したのでした…。
翌日から会長さんは教頭先生のサバイバルに向けて準備を始め、まずはサバイバルをする場所の選定から。
「王道は無人島だと思うんだ。候補は幾つもあるんだけども、ぼくとしてはサルが欠かせない」
「「「サル?」」」
何故に、と首を捻る私たち。サバイバルにサルって……大事な食料でも盗まれるとか?
「違う、違う。食料を盗んだりはされないようにキチンと対処しておくさ」
山から下りてこないように、と会長さん。サイオンでシールドを張るのだそうです。
「…そこまでするのにサルが要るとは、どういうわけだ?」
脅しなのか、とキース君が尋ねました。
「チラリと姿が見えるだけでも脅威だろうしな、サバイバル中は。食料を盗られる恐れがある上、寝場所も荒らされるかもしれないし…」
「脅しと言えば脅しかなぁ? サバイバルの華はヒャッハーだから」
「「「…ヒャッハー?」」」
なんのこっちゃ、と派手に飛び交う『?』マーク。チキンラーメンなサバイバル研修も初耳でしたが、ヒャッハーの方も初耳です。サバイバルの世界って深いのだなぁ、と思っていれば。
「ヒャッハーも通じないなんて…。昔ね、とても流行った拳法漫画があったわけ。「お前は既に死んでいる」って決め台詞で一世を風靡したけど、ヒャッハーは其処に出て来るんだな」
「「「………???」」」
「モヒカン刈りとかの悪漢だよ。大勢で群れて主人公に襲いかかる時の威勢のいい掛け声がヒャッハーだったのさ。それが転じて、そういう凶悪な集団のことをヒャッハーとね」
「それがサバイバルにどう関係すると?」
分からんぞ、というキース君に私たちも揃って「うん、うん」と。サバイバルに凶悪な集団なんて必要ないと思うんですけど…。
「普通は関係しないと思う。ヒャッハーなんか無人島にはまず居ないから」
だけど居ないと面白みに欠ける、と会長さんは悪魔の微笑み。
「サバイバルだと決めた以上は情報集めが必須だろう? そして見付けた。三日間のサバイバルだけなんて生ぬるい、って意見をね。最終日にヒャッハーを投入します、と予告しておいて対策を練らせるくらいのことはしないと、と言われてみれば納得だよ」
ゆえにサルの軍団が山を出るのは最終日、とニッコリ笑う会長さん。
「ヒャッハーなサルの大群が出ないと面白くない。…というわけで、行くなら此処かな」
行きと帰りは瞬間移動でいいだろう、と会長さんが選んだ島は、その昔、キース君が卒業旅行でお遍路の旅に出掛けたソレイドの北に沢山散らばる無人島の一つ。温暖な気候が売りの地方ですし、そこなら真冬でも大丈夫かな?
新学期が始まり、恒例の闇鍋に紅白縞のお届け物に…、と忙しい週の終わりが三連休。会長さんは栞を仕上げて教頭先生の家のポストに放り込み、いよいよ明日は出発だという金曜の放課後になったのですけど。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
サバイバルの前はオーブンを使ったおやつだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がふんわり膨らんだオレンジ風味のスフレを熱々で出してくれました。私たちが泊まるログハウスにもキッチンはあるそうですが、流石にオーブンまでは無く…。
「オーブンを使ったお料理するなら、瞬間移動で持ち込みかなぁ?」
家で作って運んでもいいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」もサバイバルを楽しみにしています。チキンラーメンと小麦粉で生きる教頭先生にコッソリ差し入れな計画なんかも。
「ブルーがね、ハーレイが匂いだけで釣れそうな料理もいいかもね…って!」
「しかしだ、もれなく狙撃だったな?」
水鉄砲で、とキース君。
「明日から寒波の予報だぞ。水鉄砲を食らうと分かっていても教頭先生がおいでになるか?」
「ふふ、そこはハーレイだけに無いとは言えない」
見付からなければ差し入れゲット、と会長さん。
「栞には差し入れはぼくの手料理だから、と嘘八百を書いておいたし、絶対に来ると踏んでるけれど?」
「……あんた、鬼だな……」
「そうかなぁ? 最終日のサルの軍団の方がよっぽど怖いと思うけどねえ?」
何の対策も出来なかったらスッポンポン、と会長さんはニヤニヤニヤ。なんでもサルには教頭先生が服の中に餌を隠し持っている、との偽の情報を与えるらしいのです。
「サル相手には細かい暗示は利かないからねえ、とにかく服の中とだけ! 服も下着もサルにしてみれば同列だから、捕まったら最後、紅白縞まで引き裂かれるかと…。ハーレイは単にサルが襲ってくるとしか知らないわけだし、どういう策を取るんだろうね?」
餌を撒いても回避不可能、と楽しそうな会長さんですが…。
「…ハーレイがサバイバルだって?」
「「「!!?」」」
いいねえ、という声が聞こえて優雅に翻る紫のマント。来ちゃいましたよ、ソルジャーが! ニューイヤーのイベントが一段落して暇になりましたか、そうですか…。
スフレを追加で焼いて貰ったソルジャーはソファに腰掛けてスプーンでモグモグ。至極ご機嫌な様子です。
「サバイバルもいいけど、スフレもいいね。…これが暫く食べられないって?」
「えとえと…。みんなが食べたいって言うんだったら家で作るよ!」
そして瞬間移動でお届け、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が得意そうに答えると、ソルジャーは。
「スフレは別に要らないかな? だけど三度の食事は欲しいね」
「「「は?」」」
いきなり何を言い出すのだ、とソルジャーの顔を見詰めれば。
「ぼくは料理は全くダメだし、ハーレイも上手いとは言い難い。だから届けて貰えると…。届けるのが面倒だったら同居でいいけど」
「「「同居?!?」」」
「うん。君たちが暮らすログハウスにさ」
部屋数はそこそこあるんだろう、との指摘は間違いではありませんでした。快適な無人島ライフを目指す会長さんはバスルームまでついたログハウスを用意しているのです。平屋とはいえ一戸建ての小さな家くらいのサイズは充分にあって。
「一部屋くれれば、ぼくとハーレイはそこに住むから! それが嫌なら食事の宅配サービスを…ね。ぼくとハーレイが住むログハウスのアテはちゃんとあるんだ」
ノルディに買って貰ったよ、とパチンとウインクするソルジャーに、ウッと仰け反る会長さん。
「き、君も来るわけ? …サバイバルに?」
「サバイバルは遠慮しておくよ。無人島での別荘ライフと、こっちのハーレイの努力を見物」
なかなかに楽しそうだったから、と語るソルジャーは早い段階で目を付けていたものと思われます。エロドクターにログハウスを買わせているのですから、下準備はもうバッチリで…。
「行ってもいいだろ、ぼくたちも? 特別休暇は申請したし、ハーレイは明日の出発に備えて大車輪で仕事を片付け中! ここは是非ともお邪魔したいね」
「………嫌だと言っても押し掛けるくせに…」
いつもそうだ、と呻く会長さんに、ソルジャーは「分かっているならいいんだよ」と満足げ。
「で、ぼくたちは一部屋貰って同居? それとも隣にログハウスを建てて食事を宅配?」
「宅配コースに決まってるだろう!」
誰がバカップルと同居するか、と会長さんがブチ切れました。ソルジャーは「ありがとう」と口先だけの御礼を言うと。
「君がハーレイに渡した栞に、ぼくたちのことは書いてないよね? 食事を恵んであげてもいいかな、可哀相だと思った時は?」
「……好きにすれば?」
どうとでもなれ、とヤケクソ気味の会長さん。ヒャッハーなサルの軍団も問題ですけど、ソルジャー夫妻が乱入となると、教頭先生のサバイバル生活は厳しさを増すか甘くなるのか、どっちでしょうねえ…?
翌日までに会長さんはログハウスを設置したようです。そのお隣にはソルジャー夫妻のログハウスが建っているのだとか。出発の日の朝、会長さんの家に集合した私たちとソルジャー夫妻がリビングで待つ内に玄関のチャイムがピンポーン♪ と。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよ!」
出迎えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が足取りも軽く跳ねて来て、その後ろから防寒用のウェアを着込んだ教頭先生がやって来ました。
「おはよう、今日から頑張らねばな。…おや、あなた方もおいでになったのですか?」
ソルジャー夫妻に驚く教頭先生に、キャプテンが。
「ブルーが是非行きたいと言い出しまして…。私は正直、見物などという悪趣味なことはあまり好みではないのですが…」
「ダメだろ、ハーレイ、それを言っちゃあ」
こっちのハーレイは頑張るんだからね、とソルジャーが窘め、ニコニコと。
「君が持ってるサバイバルの栞にぼくたちは載っていないんだって? そこを大いに活用してくれていいからね。いざとなれば食事も分けてあげるし、寝る場所だって提供するよ」
「…はあ…。お気持ちは有難く頂きますが、それはサバイバルとは言わないのでは?」
大真面目に返した教頭先生に、ソルジャーは。
「えっ、それでも充分サバイバルだろ? そこにある物を最大限に活用してこそ生き残れる。ぼくたちに取り入るっていうのも技術の内だよ、なかなかに難しいからねえ…」
「そうなのですか?」
「うん。ぼくたちは特別休暇を取って来たんだ。つまり三日間、自由なわけ。おまけに地球の無人島だよ、満喫しなくちゃ損だろう? 取り込み中の時も多いし、ドアを叩くのは度胸が要るかと」
「…と、取り込み中……」
教頭先生の鼻からツツーッと赤い筋が垂れ、それを見たソルジャーは艶やかな笑み。
「あ、ちゃんと分かってくれたんだ? そういうわけでね、取り込み中だとノックされても出られない。その代わり鍵は開けておくから、勝手に入って来てくれていいよ」
食料でも寝場所でもお好きにどうぞ、とソルジャーが言えば、キャプテンも。
「ええ、どうぞご自分の家のおつもりで。…ただ、私は見られていると分かってしまうとダメな性分ですからねえ…。その辺をよろしくお願いします。ブルーがキレたらおしまいですので」
「そう! そこが取り入るためのコツ! ぼくのハーレイを萎えさせないよう、ぼくの怒りを買わないよう……って所かな。そこを押さえればサバイバルはうんと楽になるかと」
美味しい食事と寝床つきだよ、とソルジャーは誘ってますけれど…。教頭先生、ソルジャー夫妻から食料とかをゲットですか? えーっと、取り込み中っていうのは多分、大人の時間のことなんですよね…?
こうして会長さんと二人きりでの夕食を目指す教頭先生のサバイバル生活が始まることになりました。無人島へと瞬間移動する前に会長さんが教頭先生の荷物を取り上げ、柔道部三人組に服のポケットの中まで調べさせた後、キチンラーメン三食分と水などが入った袋を渡して準備完了。
「かみお~ん♪ しゅっぱあ~つ!!」
パアァッとタイプ・ブルーの三人の青いサイオンが迸り、降り立った場所は海辺の砂浜。夏だったらさぞかし綺麗なのでしょうが、冬の最中でおまけに寒波襲来中。海は時化気味で空は鉛色、海の色もくすんでしまっています。
「さて、ハーレイ。今日からこの島で三日間だよ」
何処に住むのも君の自由、と会長さん。
「ただし山にはサルがいるから、住まいは海辺がお勧めかな。そして栞に書いておいたとおり、サルは最終日に山から下りる。襲われないよう策を講じておくんだね」
それじゃ、と会長さんは軽く手を振って。
「グッドラック、ハーレイ。…ぼくの手料理も是非食べに来てよ?」
狙撃されても構わないなら、と言われた教頭先生はグッと拳を握りました。
「もちろん頑張って食べに行く! なんとしても御馳走にならねばな」
「はい、はい。じゃあね」
行こうか、と促された私たちは教頭先生を砂浜に残して林の奥へと。枯れ草が広がる小さな草原があって、そこに立派なログハウスが二軒並んで建っています。大きな方が会長さんので、こじんまりとしたのがソルジャー夫妻のログハウス。
「うわー、けっこう本格的だね!」
ジョミー君が歓声を上げ、私たちは早速ログハウスの中をチェックして…。リビングの他に寝室が4つ、ちゃんとベッドも設置済み。バスルームもゆったりと足を伸ばせるサイズのバスタブが。
「いいだろう? ハーレイとは三日間、差をつけなくちゃ」
お隣さんも似たようなもの、と会長さんに言われましたが、見学会に出掛ける度胸は誰も持ち合わせていませんでした。ソルジャー曰く、お取り込み中が多い特別休暇。私たちと別れてログハウスの中に入った途端に大人の時間に突入している恐れ大です。
「あいつらの方は見て見ぬふりだな」
既に危ない雰囲気が、とキース君が指差す窓の向こうには全部のカーテンがピッチリ閉められたソルジャー夫妻のログハウス。あんな家より、断然、教頭先生です。サバイバルの模様、キッチリ見させて頂きますよ~!
サバイバル生活の成否を握る飲み水の確保。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が交代で見せてくれる中継画面の向こうで教頭先生は水場を求めてウロウロと。ようやく見付けた湧き水は塩味がしたらしく、更に彷徨って小川を発見。しかし…。
「飲用可能な水かどうかが謎だからねえ…」
山の中にはサルもいるし、と会長さん。安全な水を飲みたかったら沸かすしか道が無いのですけど、沸かすためには火が必要。ライターもマッチも持っていない教頭先生、空を仰いで深い溜息。
「…どうして太陽が出ていないのだ……」
冬の日差しでも使えるのに、と袋から出て来た飲料水入りのペットボトル。お水だったら、そのまま飲めばいいんじゃあ?
「一応、知識は仕入れて来たか…」
この天気では使えないけど、と会長さんがニンマリと。知識って……なに?
「水が入ったペットボトルが一本あればね、太陽さえ出れば火は楽勝。虫眼鏡で紙とかに火が点くだろう? あの要領で点火オッケー!」
でも曇りでは話にならない、と聞いて教頭先生が気の毒になってしまいました。ただでも寒いのに火も点けられず、飲み水を沸かす術も無し。歩き回ってお腹が空いたのか、ビニールシートを地面に敷いてチキンラーメンを齧っておられます。お湯は無いですから、そのままで…。
「ふふふ、いい感じに追い詰められてるね。ぶるぅ、晩御飯は何だったっけ?」
会長さんの問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ビーフシチュー! お昼は簡単に五目チャーハン!」
「じゃあ、ビーフシチューの仕込みを始めてくれるかな? ハーレイが夕食に釣れるようにね」
「うんっ!」
素直で良い子な「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキッチンで料理に取り掛かり、間もなく具だくさんのチャーハンとふんわり卵の中華スープの出来上がり。ビーフシチューを煮込む匂いも漂ってきます。
「夕方になったらビーフシチューを玄関の前に置かなくちゃ。そして君たちは狙撃班だよ」
ハーレイを見付けたら容赦なく撃て、と水鉄砲が配られました。付属のチューブをタンクに繋いでおけば弾ならぬ水は切れない仕組み。教頭先生、果たして訪ねて来られますかねえ?
午後も日は射さず、教頭先生はペットボトルでの着火を諦めて木を擦る方法を試みたものの、やっとの思いで点火した火は海風に吹かれてあえなく消滅。一日目は飲料水の確保どころか火も使えないみたいです。これでは釣り糸とかの出番も無くて…。
「そろそろシチューを出しておこうか、日が暮れる前に」
会長さんが大きな器にビーフシチューを入れ、ログハウスの外に出して間もなく、林の間から様子を伺う人影が。教頭先生登場です。ん? あの格好はいったい…。
「ビニールシートを被ってますよ?」
寒さよけでしょうか、とシロエ君が首を捻ると会長さんが。
「違うね、あれは防水用! 水鉄砲で狙撃されても濡れないようにってことだろうけど…」
如何せん身体が大きすぎ、との指摘通りに、たった二枚のビニールシートで覆い尽くすには教頭先生は些か大きすぎました。頭から被ったシートと腰に巻き付けたシート、どちらも胴体や足がはみ出しています。おまけにビニールシートは本来、寝場所を作るためのものでは…?
「そのとおり! 目先の欲に囚われてるとね、全体が見えなくなるんだな」
狙撃班、位置に! という号令で私たちは窓辺に素早く分散。教頭先生はシチュー目指して一直線に飛び込んでこられましたが、そこで会長さんの命令が。
「撃ち方、始めーっ!!」
ビシューッ! と発射される水鉄砲。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も水鉄砲を構えています。教頭先生、負けじとシチューのお皿を抱え込み、必死の勢いで逃げてゆくものの。
「は……は……ハーックション!!」
やはり身体がビッショリ濡れたのでしょう。寒風が吹き付ける中、走りながらクシャミを発したはずみに石に躓き、ドオッと転んでシチューのお皿が空を飛び……。
「………。ぼくは手出しはしてないからね?」
今のはホントに偶然だから、とケラケラと笑う会長さん。教頭先生が決死の思いでゲットしたシチューはお皿ごとパアになってしまいました。ビニールシートもずぶ濡れですし、今夜の寝床はどうなるのでしょう? 食事の方はチキンラーメンの丸齧りでいいなら残ってますけど…。
その夜、教頭先生はソルジャー夫妻のログハウスの軒下で寝たようです。特別休暇を満喫中のソルジャーが親切心に目覚めたらしく、ビーフシチューと毛布の差し入れ付きで。
「…まあ、あれでもサバイバルなんだろうけどさ…」
ブルーは甘すぎ、と会長さんが翌朝、ブツブツと。サバイバル転じてホームレス人生を歩み始めた教頭先生、今日も未だに、火を起こせないまま。いざとなったらソルジャー夫妻に泣きつけばいい、と開き直ったらしく、昼食のチキンソテーを狙って濡れ鼠になった後はお隣の窓の下でクシャミ三昧。
「…おや、風邪かい?」
お大事に、と窓とカーテンが開いてソルジャーが顔を出し、ポイとバスタオルを投げました。
「ぼくたち、これからシャワーなんだ。運動して身体が温まったし、お裾分け」
そう言うソルジャーが窓から覗かせた上半身には服も下着も無く、教頭先生は勢いよく鼻血。ソルジャーは妖艶な笑みを浮かべてみせると窓をピシャリと。ついでにカーテンも…。
「…おい。あいつ、サバイバルの意図を理解してるか?」
どうも間違っているとしか、とキース君が顎でしゃくる隣のログハウス。軒下では教頭先生がバスタオルにくるまってチキンソテーを齧っておられます。
「ブルーなりの解釈だろうねえ、とにかく生き残ればいいって感じ? ホームレスでもさ」
SD体制を生き抜いてきたブルーの性格を読み間違えた、と会長さんは悔しそうです。お取り込み中さえ邪魔しなければ、ソルジャー夫妻の好意に甘えて生き残れそうな教頭先生。ログハウスに足を踏み入れることなくクシャミだけでタオルが降ってくるなら楽勝っぽく…。
「会長、このままだと教頭先生と夕食ですよ?」
知りませんからね、とシロエ君。
「ぼくたちの仕事は狙撃だけですし、それも隣がバスタオルを投げてくれるとなると…。教頭先生、火を起こせなくても明日まで充分生き残れます」
「だよなぁ…。今日の予報も曇りだけどよ、火が要らねえなら太陽もなぁ…」
寒さだけなら隣の毛布で大丈夫だしな、とサム君も。ソルジャーは教頭先生にあげた毛布を取り上げるつもりは無いようですし、もしも湿って冷えるようなら毛布の追加も有り得ます。ソルジャー夫妻を利用するのもサバイバルの技術の一つだとしたら、会長さんの行く末は…。
「ブルー、間違いなくフラグ立ってるよね…」
教頭先生と仲良く夕食の、とジョミー君が呟き、マツカ君が。
「ですよね…。お隣さんが今更見捨てるとも思えませんし」
「自業自得よ、いい薬でしょ」
たまにはババを引けばいいのよ、というスウェナちゃんの言葉に全員が頷いたのですけれど。
「………。ブルーも甘いけど、君たちも甘いね」
会長さんの瞳に怪しい輝きが。今から逆転出来ますか? どう考えても無理そうですが…?
サバイバルならぬホームレス生活に活路を見出した教頭先生。釣り針と糸があるのに魚なんかは獲ろうともせず、木を擦っての火起こしも放棄。雨露を凌ぐためのビニールシートも会長さんの手料理ゲットのための鎧と化してしまいましたけど、逞しく生きておられます。
「…うへえ、今夜も軒下かよ…」
暗くなった窓の外をサム君が覗き、私たちもソルジャー夫妻のログハウスの軒下に丸まっている教頭先生を確認しました。水鉄砲攻撃を食らいつつゲットなさった海老ドリアは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が家に戻って焼いてきたもの。本当だったら海老は海で捕まえなくては食べられないのに…。
「あんたには悪いが、リーチだな。サバイバルは明日の昼までで終わりだろう?」
諦めて一緒に夕食して来い、とキース君。そう言う間にも隣のドアが開き、キャプテンが教頭先生に熱いコーヒーを差し入れに。…あれ? なんでコーヒーで鼻血になるの?
「イブニング・コーヒーのお裾分けです、と言われたようだよ」
フフンと鼻で嘲笑う会長さん。
「大人の時間の定番と言えば二人でモーニング・コーヒーでねえ…。それに引っ掛けて持ってったらしいね、お取り込みの時間が終わったらしい」
ああ、なるほど…! 大人の時間が終わったので、というお裾分けなら鼻血を噴くのも当然です。ここまで甘やかして貰えるんなら、教頭先生、余裕で明日のお昼どころか夕方まででも…。
「それが甘いと言うんだよ。…ハーレイもホームレスに馴染んで平和ボケして忘れたようだね、栞にしっかり書いといたのに…。明日はヒャッハーを投入します、って」
「「「!!!」」」
忘れてましたよ、ヒャッハーの名を持つサルの軍団! 教頭先生、何の対策もしておられません。もしかしなくても、明日のお昼には…。
「お隣のドアが開かない限りは裸祭りさ、サルに身ぐるみ剥がれてね。…ぼくはきちんと警告をした。それを忘れて低きに流れてサバイバルどころかホームレスなんだ、素っ裸にされるのがお似合いだってば!」
ぼくと夕食なんて百万年以上早すぎる、と会長さんは高笑い。教頭先生はサルの群れに対抗出来るのでしょうか? …出来ないんじゃないかな、この状況では…。
そしてサバイバル生活の最後の朝。凍てつく中で目覚めた教頭先生はキャプテンにモーニング・コーヒーを貰い、また盛大に鼻血を噴いてから私たちの方の玄関先へとやって来ました。会長さんの手料理だと信じて濡れ鼠になりつつオムレツを持ち去り、ソルジャーにバスタオルを投げて貰って…。
「…なんだか幸せそうですねえ…」
すっかり馴染んでおられますよ、とシロエ君が呆れ、キース君も。
「風呂も無い生活なんだがな…。日頃から心身を鍛えておられるとホームレスでもOKなのか」
「だけど、アレでもサバイバルだよね?」
生きてるんだし、とジョミー君。貰い物だけで生き抜いてこられた教頭先生、ようやく雲間から射した弱々しい太陽を仰がれましたが、ペットボトルの出番はありませんでした。火なんか無くても今日で三日目、最終日。今になって火を起こしても…。
「だから馬鹿だと言うんだよ」
火があればサルを防げるのにさ、と会長さんが窓から眺めてチッと舌打ち。
「松明を振り回していればサルは絶対、寄っては来ない。これが究極の対策なんだけど、それも忘れてしまった男に容赦する必要は無いってね。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪ シールド、解くんだね!」
おサルさん、山に閉じ込めちゃってごめんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。それから間もなく押し掛けて来たサルの軍団は百匹以上は群れていたかもしれません。会長さん曰く、野生のヒャッハーな大群に気付いた教頭先生は顔面蒼白。
「…な、なんなのだ、これは…!」
マズイ、と叫んで避難場所を求め、ソルジャー夫妻のログハウスのドアを思いっ切り開けて中へと駆け込んでゆかれましたが…。
「何するのさーーーっ!!!」
いいトコなのに、とソルジャーの怒りの絶叫が響き、鼻を押さえて飛び出してきた教頭先生。
「し、失礼しましたーーーっ!!!」
すみません、と言い終わらない内にサルの軍団は教頭先生の服の中に隠されていると思い込まされた食べ物を求めてビリビリ、バリバリ。厚着した防寒着もアッと言う間にボロボロで…。
「た、助けてくれーっ!」
服が、服がぁ…! と泣き叫ぶ教頭先生の声に、ソルジャーが窓から顔だけを覗かせて。
「なんだ、そんな所で脱いでるわけ? 混ざりたいなら後で来てよね」
ぼくは只今お取り込み中、とピシャリ閉まった窓とカーテン。えーっと、会長さん…。教頭先生の着替えって用意してますか? えっ、なんですって?
「それも隣から貰えばいいだろ、サバイバル技術を生かしてさ。もっともヒャッハーに負けた時点でサバイバルは失敗ってコトなんだけどね」
最後までサバイバルを貫き通せ、と会長さんは冷たい口調。あぁぁ、残った紅白縞が…! ビリビリ破かれる音がしますが、ソルジャー夫妻は服を恵んでくれるでしょうか? 教頭先生、御武運をお祈りしておりますから、大人の時間をものともせずに服を貰って下さいです~!
無人島の戦い・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
チキンラーメンなサバイバルは実在しますです、今もやってるかは謎ですが…。
ペットボトルで火を起こせるというのも本当なんです、覚えておくと役に立つかも?
次回、6月は 「第3月曜」 6月15日の更新となります、よろしくです~!
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こちらでの場外編、5月はソルジャーがレア物のスッポンタケに御執心で…。
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