シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
青い地球の上に生まれ変わって再会を果たしたハーレイとブルー。
しかしブルーは十四歳を迎えたばかりの少年であって、ハーレイはブルーの学校の教師。いくら前世の記憶があっても家は別々、立場もあくまで教師と生徒だ。
再会した時にブルーが起こした原因不明の大量出血。聖痕現象と診断されたそれの再発を防ぐという名目の下に頻繁に会えるよう配慮はされたが、二人一緒に過ごせる時間はとても少ない。
毎週末の土曜と日曜、後はハーレイの仕事が早めに終わった時にブルーの家を訪ねる程度。
そういう生活が始まった最初の週末は呆気なく終わり、次の週末まではハーレイの来訪も無し。学校で顔を合わせるだけの日々に、ブルーは毎夜一人で涙を零した。
前の生では毎日会えて、恋人同士の時間を過ごしたハーレイ。そのハーレイに自由に会うことも出来ないだなんて、今の生はなんと寂しいのかと。
けれど時間はきちんと流れて、また週末が巡って来た。土曜日の朝、ブルーは先日までの塞いだ気分もすっかり吹き飛び、いそいそと部屋を掃除して。
ハーレイと二人で向かい合うためのテーブルと椅子の位置を整え、首を長くして来訪を待った。窓から下を見下ろしていれば、颯爽と歩いてくるハーレイ。やがて門扉のチャイムが鳴って、母が出てゆく。ハーレイを案内してきた母は、紅茶と焼き菓子をテーブルに置くと。
「ハーレイ先生、ブルーをよろしくお願いします」
「すみません、こちらこそお世話になります」
挨拶が済んで、母の足音が階段を下りて消えていった。それを待ち兼ねていたブルーは椅子から立ってサッと移動し、ハーレイの膝に腰掛ける。
「またか。…まったく、お前は甘えん坊だな」
「だって…。ハーレイと会える日は殆ど無いもの、学校ではハーレイ先生だもの」
「分かった、分かった。ついでに長い長い間、俺に会えなかったから寂しいわけだな」
「うん…」
だけど会えた、とブルーはハーレイの広い胸に頬を擦り寄せた。
「…メギドに向かって飛んだ時には、もう会えないと思ってた…。いつかハーレイの命が尽きたら会えるかもとは思っていたけど、まさか生きて地球で会えるなんてね…」
「そうだな、まるで奇跡のようだ。俺もお前に会えて嬉しい。もう一度、生きたお前に会えて」
ハーレイはブルーを強く抱き締め、その小さな背を撫でてやる。前の生で死が待つメギドへ飛び去った時は、今よりも大きかったブルーの背中。それを見送るしかなかった辛さが、深い悲しみが小さなブルーの温もりに溶けて癒されてゆく。
十四歳のブルーは小さいけれども、その存在には前の生のブルーと変わらぬ確かさがあって。
「…うん、小さくてもお前はお前だ」
俺のブルーだ、と語りかける声にブルーの心も暖かくなる。
そうだ、自分は帰って来た。誰よりも愛し、求め続けたハーレイの強くて逞しい腕の中に。
ハーレイの胸に甘えていたら、「お茶も飲めよ」と促された。
「お母さんが来た時に置きっ放しはどうかと思うぞ、それに俺だってこれでは飲めない」
「頑張ってみれば? ぼくの頭に零さないように」
「生憎と零さない自信はないな。頭から紅茶を被りたくなきゃ、早く椅子に戻れ」
「……うん…」
もう少しハーレイの膝の上にいたかったけれど、紅茶を飲まずに放っておくのも母に悪いし仕方ない。ブルーは名残惜しげにハーレイから離れ、テーブルを挟んで向かい合った。
すっかり冷めてしまった紅茶をコクリ、コクリ、と飲んでいると。
「お前、三月生まれだったのか。小さいわけだな」
不意にハーレイが口にした言葉がブルーの神経を逆撫でする。
「小さいっていうのは余計だってば!」
それが今のブルーの一番の悩み。十四歳の小さな身体になっているせいで、せっかくハーレイと再会したのにキスすら許して貰えない。とにかく急いで育たなければ、と焦っているのに、キスを禁じたハーレイの口から小さいだなんて聞きたくもない。
そんな心を知ってか知らずか、ハーレイはまたしても笑いながら言った。
「おまけに三月の一番末とは恐れ入った。本当に一番のチビってわけだな、学年一の」
「チビは酷いよ!」
ハーレイの言う通り、ブルーは学年の中で一番小さい。背丈もそうだが、年齢も同じ。遠い昔は春に新年度が始まる学校は四月一日に生まれた者までを「早生まれ」と呼び、前年に生まれた子供たちと同じ学年に組み入れたと聞く。それが今では三月末まで、つまりブルーが一番幼い。
前は大して気にしなかったし、成績だって悪くないから問題無いと考えていた。それがハーレイと再会してから大問題へと発展する。小さいことはマイナスでしかなく、恋の大きな障害で。
(…ハーレイにチビって言われるだなんて…。ホントのことでも酷すぎだってば!)
身体もチビなら年齢も学年一番のチビ。それをわざわざ指摘せずとも…、と恨みがましく恋人を睨み付けていて気が付いた。
背丈はともかく、自分の誕生日。三月末に生まれたことなど、まだハーレイには話していない。
ハーレイは何処で知ったのだろう?
自分は話していないけれども、父か母が知らせていたのだろうか?
教えるよりも前に知られてしまった誕生日。
そういう話題を持ち出さなかった自分が悪いが、なんだか少し悲しい気がする。この地球の上にいつ生まれて来たのか、生まれ変わった生を生き始めたのか。
前の自分の悲しすぎた最期が奇跡に変わった大切な日が今の誕生日。それに相応しく、新しい生への感謝と思いとをたっぷりとこめて、ハーレイにそっと教えたかった。
ぼくはこの日に生まれたんだよ、と。
しかし、今更どうにもならない。ハーレイは知ってしまったのだし…。ブルーは心の中で小さな溜息をつくと、向かい側に座る恋人に尋ねた。
「ハーレイ、ぼくの誕生日を誰に聞いたの?」
父か、それとも母なのか。どちらかだろうと思ったのに。
「ん? 学校のデータベースがあるだろうが」
ハーレイの答えはブルーが予想していた以上に呆気なさすぎるものだった。よりにもよって教師だったら誰でも見られるデータベースとは酷すぎる。
今の自分が生まれて来た日を、生まれ変わって来た奇跡のその日をデータベースで知るなんて。いくらハーレイの仕事が教師で、日常的な作業の一つであってもあんまりだ。誕生日のことは直接尋ねて欲しかった。そしたら心躍らせながら、奇跡の日を教えられたのに…。
「………。調べるよりも前に訊いて欲しかったな」
ポツリと不満を零すブルーに、ハーレイが不思議そうな顔をする。
「なんだ、それは。誕生日にプレゼントを贈って欲しい、と強請る女の子でもあるまいし…って、お前は俺の恋人だったか」
「そうだよ! 酷いよ、勝手に調べただなんて!」
ブルーは八つ当たりじみた感情をハーレイにぶつけ、「すまん」とハーレイが謝った。
「すまない、俺が悪かった。…だがな、言い訳にしか聞こえんだろうが、お前のことを知りたくてやったことなんだ。…今のお前がいつ生まれたのか、知りたくなったら止まらなかった」
教師失格だ、とハーレイは詫びる。生徒の個人情報欲しさにデータベースにアクセスした、と。
「…すまない、ブルー。…もう二度とやらん。それに俺はお前の誕生日だけしか見ていない」
他のデータは何ひとつとして見なかった、と謝り続けるハーレイは嘘をついてはいない。それが分かるから、ブルーはハーレイを責めようなどとは思わなかった。
ハーレイはほんの少し急ぎ過ぎただけ。ブルーに訊きに来るよりも先に、自分だからこそ出来る手段で一刻も早くと急いで知ってしまっただけだ。
寂しい半面、それも嬉しい。仕事上の禁忌を侵してまでも、知りたいと思ってくれたのだから。
ハーレイが謝って、ブルーが咎めずに微笑んで。
誕生日の件が一段落した時、母が来てお茶のセットを入れ替えていった。昼食前だからお菓子の追加は無かったけれども、温かい紅茶が湯気を立てるカップを眺めてハーレイが呟く。
「しかしだ、誕生日がきちんとあるっていうのは嬉しいもんだな」
「…えっ?」
何のことか、とブルーは小さく首を傾げた。誕生日は誰でも持っているもので、ついさっきまで自分の誕生日を巡って危うく喧嘩の危機だったのに…。
するとハーレイが「そうか…」と鳶色の瞳を曇らせた。
「そういえばお前、知らないままで逝っちまったか…。自分が生まれた日がいつだったのか」
「…何の話?」
「前のお前だ。…前のお前は誕生日なんか無かっただろうが」
「あっ…!」
そう言われるまで気に留めたことすら無かった事実。ソルジャー・ブルーであった自分は誕生日など知りもしなかった。成人検査を受けた日までは誕生日は確かに在ったのだろうが、アルタミラでの長く苦しかった日々の中で記憶から零れ落ちてしまい、二度と戻りはしなかった。
けれど、目の前のハーレイの顔。もしかしたらハーレイは知ったのだろうか? 前の自分がいつ生まれたのか、それを知る機会があったのだろうか?
「…ハーレイ…。ハーレイ、ぼくの誕生日を知ってるの? ソルジャー・ブルーの誕生日を」
恐る恐る口にしてみた疑問に、ハーレイは「ああ」と頷いた。
「……アルテメシアを落とした時にな、あそこのデータベースに入っていたんだ」
そしてハーレイは教えてくれた。
前の生でのぼくの宿敵、テラズ・ナンバー・ファイブが後生大事に抱え込んでいたデータの山。其処にはアルタミラでぼくたちが失くしてしまった沢山の記憶が詰め込まれていて、生まれた日のデータもその中に在った。
ソルジャー・ブルーだったぼくの誕生日に、キャプテン・ハーレイの誕生日。
それから顔も思い出せない養父母の名前や写真などもあって、育った家までも分かったらしい。
ハーレイが前の生で見て記憶したそれを、ぼくにも伝えてくれたのだけれど。サイオンを使って映像までをもちゃんと渡してくれたのだけれど、なんだか、なんて言うんだろう…。
まるで実感が湧かなかったし、養父母の名前も姿も育った家すらも、全然ピンとこなかった。
もっと感動の出会いと言うのか、そういうものを期待したのに、他人事のように思えてしまう。どうしてだろう、と考えたけれど、実感を伴っていない記憶だから?
自分が生まれた季節すらも記憶に全く無かったのだから仕方ない。…それにとっくに死んだ後で聞いても、まるっきり意味が無いような…。
そう言ってみたら、生きていた頃にデータを見たハーレイがその時に抱いた感想も全く同じで、ちょっと可笑しかった。
やっぱり失くしてしまった記憶は「忘れる」のとはまるで違うのだろう。忘れたことなら機会があったら思い出せるし、その時に感じた光や匂いも鮮やかに蘇るものなのに…。
ソルジャー・ブルーだったぼくは誕生日さえも失くしてしまって、その日を聞いても特別な日という気がしない。確かにぼくが生まれた日なのに、明日にはすっかり忘れていそうだ。
でも、今のぼくにはちゃんと本物の誕生日があって、生まれた季節も毎年きちんと巡って来る。パパとママが誕生日のケーキや御馳走を用意してくれて、季節までがぼくを祝ってくれる。
冬の間中、寒そうに縮こまっていた草木が一斉に芽吹く春。
あちこちで桜の花が開き始めて、もう少しすれば郊外の野原はレンゲやスミレで一杯になる。
花いっぱいのぼくが生まれた季節。
身体の弱いぼくが寒さで凍えないよう、神様が暖かくなる春を選んで送り出してくれた。ぼくにそう話してくれたのはママで、小さな頃は本気で信じていた。
そして今また、「そうかもしれない」と思ってしまう。
神様はハーレイに会わせてくれたから。ソルジャー・ブルーだった頃のぼくが焦がれた青い星の上で、ぼくはハーレイに会えたのだから……。
そんなことをつらつらと考えた後で、ハタと気付いた。ぼくの今の誕生日もハーレイに知られてしまっているのに、ぼくは今のハーレイの誕生日を知らない。キャプテン・ハーレイの誕生日なら話のついでに聞いたけれども、肝心の今のを聞いてはいない。
だから急いで訊こうと思った。大好きなハーレイの誕生日だもの、絶対に聞いておかないと…。
「ねえ、ハーレイ。…今のハーレイの誕生日はいつ?」
直ぐに答えが返って来ると信じていたのに、ハーレイときたら、ニヤリと笑った。
「当ててみたらどうだ? 出来るモンなら、俺の心を読んでもいいぞ?」
「えっ?」
どうやらハーレイは本気らしくて、笑みを浮かべたままで黙っている。それならそれで、と普段使わないサイオンをハーレイの心に向かって精一杯集中させてみた。
「んーと…。……えーっと……」
思わず声が出てしまうほどに頑張ってみても、表層意識の欠片も見えない。前の生のハーレイの心もそう簡単には読めなかったけれど、今も全然読み取れやしない。もっとも、ぼくは前と違って凄い力を持ってはいないし、サイオンの使い方さえ覚束ないほんの十四歳に過ぎない子供で…。
「どうした、ブルー。もう降参か?」
からかうようにハーレイが腕を伸ばして、ぼくの額を指先で軽く突っつく。
「うー…」
「ほらほら、ガードを少し緩めてやったぞ、少しは読めたか?」
「読めるわけないよ!」
ハーレイが緩めたガードとやらも突き抜けられない今のぼく。鉄壁の要塞みたいに固い心の表面すらも読めはしなくて、降参するしか術が無かった。
これで教えて貰えるだろう、と白旗を掲げたぼくにハーレイは尚も笑顔を崩しもせずに。
「だったらカンで当ててみろ。お前、予知能力は昔から皆無に近かったがな」
「ええっ?!」
「当たるまで気長に付き合ってやるさ。たまにはゲームも楽しいもんだ」
ゲームと言われて思い出した。前の生でハーレイと二人で遊んだゲーム。羽根ペンが好きだったハーレイはゲームもレトロなボードゲームが好みで、チェスとかオセロ。囲碁なんかもした記憶がある。そういう時間は懐かしいけれど、誕生日を当てるゲームだなんて…!
当てられる気が全くしないハーレイの今の誕生日。ヒントも無ければ手がかりも無しで、何処をどうすれば辿り着けるのか分からないままに考えてみる。
神様がぼくに選んでくれた誕生日は暖かい春が訪れる時期。ハーレイにはいつを選んだだろう?
前の生でも丈夫だったハーレイは今もそっくり同じに丈夫で、スポーツなんかも大好きで。柔道や水泳が得意なほどだし、特に季節を選ばなくても何処でも元気に育てたと思う。
(うーん…。ホントに真冬でも平気そうだよね)
だったら季節はアテにならない。でも…。
(似合う季節なら夏だと思うな)
うららかな春と違って、何もかもが眩しく輝く季節。抜けるような青空と、ぽっかり浮かぶ白い雲とが頭上に広がり、影が一番小さくなる夏。
ハーレイには影は似合わない。前の生でも忍び寄って来る不安という名の影をその身一つで払うかのように、いつだって前を向いていた。だからきっと、今のハーレイも…。
「…もしかして、夏?」
思い付きだけで言ってみたそれに、ハーレイが目を丸くした。
「なんで分かった?」
「お日様が似合いそうだから」
ふふっ、と笑って「当たっちゃったね」と言えば「やられたな…」と、ぼくの大好きな笑顔。
ハーレイの笑顔はとても明るい。大きな身体も、大好きでたまらない声も、明るい夏の日射しがよく似合う。そうか、今のハーレイは夏生まれなんだ…。
「ねえ、七月? それとも八月?」
ハーレイは笑って見ているだけ。でもきっと、夏の真っ盛り。そう思ったから。
「じゃあ、八月!」
「ほう…。なかなかにいいカンしてるな、だが、流石に日までは分からんだろう?」
ゲームは此処まで、とハーレイが告げて。
「同じ八月でも初めだったら良かったんだがな、生憎と俺は終わりの方なんだ。夏休みの終わりが見える頃だな、そいつがとても残念だった」
そう語るハーレイの瞳は懐かしそうに昔を振り返る目で。
「お前くらいの年の頃には、もうちょっと八月が延びないもんかと本気で祈ったこともあったな。そうさ、宿題が終わらなかったんだ。…お前にはそれは無さそうだがな」
夏休みの宿題と戦うハーレイ。それは全然想像出来ない。ぼくが知っている一番若いハーレイの姿は青年だったし、体格も今と殆ど同じ。子供のハーレイってどんなのだろう、と考えながらも、追究することは忘れない。ぼくが本当に知りたいことは…。
「それで、いつなの? ハーレイの今の誕生日って」
「八月の二十八日さ。あと三日しか夏休みが無い」
「あははっ、そうだね!」
「そうだろう? 実に悲惨な子供時代だった」
上の学校へ行ったら夏休みがググンと延びたんだがな、とハーレイが笑う。
柔道と水泳、どっちもやりたくて行った学校の夏休みはうんと長かったらしい。そこでハーレイは先生になれる資格を貰って、先生になって。
それから幾つもの学校で教えて、二週間前にぼくの学校に来た。ぼくも今年の春に入学した。
まるで最初から見えない糸で繋がっていたかのように、ぼくたちは出会ったのだけど…。
(…ぼくもいつか上の学校に行くのかな?)
ハーレイは好きな道を進んで今日まで歩いて、ぼくが居る学校へやって来た。
そんな風にぼくも何処かへ歩いて行くのだろうか、と考えてみたけど分からない。
(…ぼくって、何になるのかな? ハーレイみたいに先生とか?)
先生のぼくも、パパみたいに会社に出掛けるぼくも、なんだか想像がつかないけれど…。
だけど、これだけは分かってる。
上の学校へ行っても行かなくっても、どんな未来になったとしても、必ずぼくが歩いて行く道。
そこにはハーレイがぼくと一緒に立ってて、手を繋いで二人、歩いて行くんだ。
三月はぼくの、八月はハーレイの誕生日が来て、ケーキを買って、お祝いをして。
そうやって何処までも、何処までもぼくたちは歩いて行く。
前の生ではぼくが繋いだ手を離したけれども、今度こそ絶対に離れないから……。
大切な誕生日・了
←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
シャングリラ学園に入学式の季節がやって来ました。会長さんは今年も首尾よく1年A組の仲間入りを果たし、クラブ見学などの行事も終わって授業開始。それから間もない週末、私たち七人グループは会長さんのマンションにお邪魔していました。
「かみお~ん♪ ゆっくりしていってね!」
お昼御飯はお茶尽くしだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お茶尽くしって和食かな、と思ったのですけど、さにあらず。なんとフレンチにお茶だそうで。
「ブルーと何回か食べに行ったの! 美味しいんだよ♪」
楽しみにしててね、と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」に、キース君が。
「…その茶というのは意味があるのか?」
「えっ? お茶は身体にいいんだよ?」
「そうじゃなくて、だ。今度、俺たちが行こうとしている御忌には献茶もあるわけで…」
それに引っ掛けたんじゃないだろうな、とキース君。しかし「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとするばかりで、私たちだって『?』マーク。献茶って…なに?
「神様や仏様の前でね、お茶を点ててお供えするんだけれど?」
会長さんが教えてくれました。
「もちろん普通の人が点てるんじゃないよ。お茶のお家元がやるものさ。その辺もあって、お坊さんの修行の中には茶道も含まれてくるわけで…。ジョミーもそろそろ覚えたら?」
「嫌だってば! ぼくは絶対やらないからね!」
御忌も行かない、とジョミー君は脹れっ面。御忌は璃慕恩院の年中行事の中でも最大の法要で、宗祖様の法事のようなものだそうです。四月の下旬に一週間に渡って行われ、一般の人も参列可能。本職のお坊さんも全国からやって来る一大イベントなのだとか。
「…いずれはジョミーも行く日が来ると思うんだけどねえ…。専修コースに入学すれば御忌のお手伝いは必須だしさ。今の間から慣れておくとか」
「絶対、嫌だ! ブルーだって長いこと行ってないって言ってたくせに!」
「それは君たちがシャングリラ号に行きたがるから、色々と…。ゴールデンウィーク合わせで行くとなったら事前の準備が大切だしね」
「「「……準備……」」」
ズーン…と落ち込む私たち。ゴールデンウィークをシャングリラ号で過ごすことは素敵経験であると同時に、ドツボな思い出も多々ありました。会長さんが精魂こめて歓迎イベントを催すお蔭で、天国だったり地獄だったり。大抵、最後は私たち全員、もしくは誰かがババを引く結末に…。
「あれっ、どうかした? とにかく今年は君たちと地球で過ごすってことで暇になったし、どうせなら御忌に行こうかなぁ…って」
そうだよね、と訊かれて頷くキース君。璃慕恩院の御忌はお坊さんにとっても晴れ舞台。特にお役がついていなくても、行くだけで御仏縁が深まるらしいです…。
会長さんの正体は伝説の高僧・銀青様。高校生の外見で最高位のお坊さんしか着られないという緋色の法衣を纏えることが自慢の種。その会長さんに「御忌に行くから一緒に来ないか」と声を掛けられたキース君は大喜びで承諾したものの…。
「で、今日の集まりには何の意味があるんだ? 御忌には俺しか行かないようだが」
「そうなんだよねえ、サムを連れてってもジョミーと同じで一般席しか入れないし…。君とぼくなら中まで入れて貰えるけどさ」
坊主の世界は上下に厳しい、と会長さんは残念そう。サム君も熱心に修行を積んではいますが、住職の資格は持っていません。修行中の身では纏える法衣も決まってくるため、一般参加の檀家さんたちと同じ席にしか入れて貰えないらしいのです。
「だけど一人で行くのもアレだし、君を誘ってみたってわけ。アドス和尚はどうだった?」
「都合がついたら行くそうだ。葬式が入ったら終わりだからな」
「確かにね。…じゃあ、アドス和尚も来るかもってことで考えようか」
「…だから何をだ?」
分からんぞ、と怪訝そうなキース君と私たちに向かって、会長さんはニッコリと。
「ぼくの晴れ着を決めるんだよ。ファッションショーって所かな?」
「「「晴れ着?」」」
「そう、晴れ着。御忌に行くのは久しぶりだし、どうせなら華やかに決めたいじゃないか。だけどキースとアドス和尚が一緒となったら一人で浮くのもマズイしねえ…。どんな感じがいいのかなぁ、って」
普通の人の意見も聞きたい、と会長さんが言えば、シロエ君が。
「どれでも同じじゃないですか! 素材は違うかもしれませんけど…」
「ですよね、見た目は同じですよね」
何処から見たって緋色ですよ、とマツカ君が相槌を打ち、私たちも揃って「うん、うん」と。けれど会長さんはチッチッと人差し指を左右に振って。
「それは衣の色だろう? 大切なのは其処じゃない。坊主のファッションで差がつくのはねえ、その上に纏う袈裟なんだよ。お袈裟を見れば法要の格が分かる、と言われるほどでさ」
「「「は?」」」
なんですか、それは? 袈裟なんてどれも同じなのでは、と思いましたが、キース君が深く頷いています。まさか本当に袈裟で変わるの?
「あまりハッキリ言いたくはないが、まあ、そうだ。…お袈裟ってヤツもピンキリでな。通販で普通に買えるヤツから特注品まで、値段の方も月とスッポンで…。それだけに保管や手入れにも気を遣う。どんな法事にも高級品で出ろと言う方が無理な話だ」
「「「………」」」
お布施の額で使い分けだ、と舞台裏を聞かされ、唖然呆然。それじゃ、同じお寺に法事を頼めば、お坊さんの袈裟で奮発したのかケチったのかが丸分かり? 坊主丸儲けとはよく聞きますけど、そこまでシビアな世界でしたか…。
知りたくなかった法事の密かなランク分け。実にコワイ、と皆でコソコソ囁き合っていると、会長さんが両手をパンと打ち合わせて。
「はい、そこまで! 問題はぼくのファッションなんだよ、まずは基本の部分かな」
ちょっと失礼、とキラリと光る青いサイオン。会長さんの私服はアッという間に緋色の法衣に変わっていました。ただし、衣だけで袈裟は無し。
「コレの上にね、キースに合わせてあげるとしたらコレになるわけ」
こんなヤツ、と出現した袈裟はお馴染みの品。でも、キース君に合わせるっていうのは、どういう意味になるんでしょう?
「ああ、それはね…。キースの僧階……いわゆるお坊さんの位ってヤツはまだ低め。これよりも上の袈裟は着けられないんだ」
「「「へ?」」」
なんとも間抜けな声が出ました。袈裟のランクはお布施だけじゃなく、お坊さんにも関係してるんですか?
「そういうこと。ぼくに相応しい袈裟となったら、この七條になるんだな」
パアァッと青い光が走って、袈裟だけがグンと大きめに。左肩だけではなくて両方の肩、いえ、全身を包むような形をしていて、キンキラキンで。
「もうワンランク下げるんだったら五條もある。それだと、こうで」
今度は右肩までの袈裟ではなくて左肩。それでもサイズは大きいです。そしてやっぱりキンキラキンの眩い代物。
「…どれにするのがいいだろう? 普通か、五條か、七條か」
「「「うーん…」」」
そんな専門的なことを訊かれても、と思いましたが、会長さんが求める答えはフィーリング。キース君やアドス和尚の法衣とかけ離れていても派手に着飾るか、控えめか。
「別に派手でもいいんじゃねえの?」
ブルーなんだし、とサム君が七條袈裟を推し、マツカ君が。
「ぼくもそれでいいと思います。キースとキースのお父さんだって、多分、最高のを着て行くわけでしょう?」
「ああ、まあ…。そうなるだろうな」
御忌だけに、とキース君が応じ、袈裟は七條に決まりました。が、それで終了とはいかなくて。
「七條も色々持ってるんだよ。どの袈裟が一番似合いそうかなぁ?」
季節なんかも考えてよね、とズラリ出てきた七條袈裟のオンパレード。鳳凰の模様だったり、一面にキンキラキンの模様だったり、そんなに出されても分かりませーんっ!
会長さんに似合う七條袈裟はどれなのか。次から次へとファッションショーを繰り広げられて、キンキラキンの輝きに目をやられそうです。フィーリングだと言われましても、意見は一向に纏まらなくて…。
「遠山柄にしとけばどうだ?」
それが一番インパクト大だ、とキース君。指差す袈裟には山の模様が。
「それって地味だと思うわよ?」
こっちの方が、とスウェナちゃんが楽器の模様を挙げ、私たちも山よりはソレだと思ったのに。
「…遠山柄ねえ…。確かに一番、人を選ぶね」
いいかもね、と会長さんは遠山柄とやらを纏ってみて。
「どう? 地味な柄には違いないけど、この模様には約束事があるんだよ。若い人は着ちゃいけないんだ。緋色の衣が七十歳以上でないとダメなのと同じ。うん、ぼくの真価を出すにはいい模様かも」
分かる人なら分かってくれる、と得意げな会長さんの実年齢はとんでもないもの。せっかく御忌に出掛けるのですし、目立ちたいに違いありません。そのくせに関係者席に行くのは嫌で、一部の人に崇められるのが大好きで…。
「よし、決まり! 御忌で着るのはコレにしよう。アドス和尚にも伝えといてよ」
「分かった。あんたの迫力に飲まれないよう、俺たちの方も考えておく」
「三人セットで目立つのがいいね。君も出来ればキンキラキンで!」
「…俺に七條は無理なんだが……」
キンキラキンにも限度があるぞ、と額を押さえつつ、キース君も悪い気分ではないようです。銀青様のお供で御忌ともなれば、同期の人に出会った時に自慢できますし…。
「かみお~ん♪ 決まったんなら、お昼にしようよ!」
「そうだね。みんな、お付き合い感謝するよ」
この袈裟はしっかり風を通しておいて…、と会長さんが元の私服に戻った所へ。
「あっ、脱いだんなら着てみたいな、それ」
「「「!!?」」」
会長さんそっくりの声が聞こえて、フワリと翻る紫のマント。赤い瞳を煌めかせたソルジャーは法衣に興味津々でした。
「君の御自慢のヤツだよねえ? 一回くらい着せてくれてもいいだろう?」
「何度もダメだと言ってるってば!」
どうしても着たいなら修行してから出直してこい、と会長さんは法衣と袈裟とをササッと畳んで「そるじゃぁ・ぶるぅ」に渡して片付けさせると。
「何の修行もしてない君にね、コスプレ感覚で着られたんでは困るんだよ。どうしても着たいと言うんだったら仮装用衣装の専門店で作って貰えば? ノルディのお金で」
「ぼくは本物がいいんだけれど…」
「ダメなものはダメ! じゃ、そういうことで」
さっさと帰れ、と冷たく言われてしまったソルジャー。法衣は諦めたようですけれど、その代わりにとお茶尽くしのフレンチのテーブルにドッカリと。
「えーっと…。お茶って、飲むお茶?」
「うん! 味付けとかに使ってあるの! でね、好みでトッピングするのがこっち♪」
お魚にもお肉にもかけてみてね、と抹茶や刻んだお茶の葉などが。お茶尽くしって、こういう意味でしたか! あっさり上品なコース料理はなかなかに美味で、ソルジャーも満足してお帰りに。会長さんのファッションも決まりましたし、御忌の日、いいお天気になりますように~!
さて、御忌とは縁の無い私たち。会長さんとキース君が参加する日は普通に平日、授業の日です。登校してみればキース君が欠席なだけで、放課後には御忌も終わってますから「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行こうと思っていたのですけれど…。
「キース・アニアン。…欠席だな」
璃慕恩院か、とグレイブ先生が出席簿に書き入れ、残りの出欠を取っている最中に教室の扉がいきなりガラリと。
「ブルーはいるか!?」
「「「??!」」」
飛び込んで来たキース君の姿に教室中の人の目が点に。グレイブ先生も硬直しながら。
「な、なんだ、その格好は、キース・アニアン! 制服はどうした!」
「あっ…。す、すみません、急いで走って来ましたから…。ブルーはいますか?」
「来ていないが?」
「し、失礼しましたぁーっ!」
ピシャリと扉を閉め、駆け去って行ったキース君。萌黄の法衣に刺繍を施した袈裟を纏ってましたが、いったい何が? この時間には璃慕恩院で御忌の法要に出席なのでは…?
「そこの特別生ども、今のは何だ!?」
「「「…し、知りません…」」」
「新手のドッキリか、悪戯かね? …朝から風紀が乱れたようだが」
カツカツカツ…と踵を鳴らし、神経質そうに出席簿の表紙を指先で叩くグレイブ先生。
「もういい、今日の諸君には何も期待せん。この上、ブルーまで来たら1年A組の規律は終わりだ。そうなる前に災いの芽を摘まねばな。…出て行きたまえ」
「「「えっ?」」」
「二度言わせる気か? 特別生に出席義務は無い。今日の授業は出なくてよろしい。いや、出ないことを希望する。お前たち六人、早退だ!」
あちゃー…。停学ならぬ早退だなんて、どうしてこういう展開に? そりゃ、居残ってもキース君の坊主ファッションとか会長さんに絡む質問とかの嵐になって迷惑かかりまくりでしょうけど、早退ですか…。
「さっさと荷物を纏めたまえ! 出る時は後ろの扉から!」
「「「…は、はいっ!」」」
机に入れていた教科書、筆箱、その他もろもろ。現役学生の必須アイテムを鞄に詰め込んだ私たち六人はガックリと肩を落として廊下へと出てゆきました。キース君の姿はありません。これからどうすればいいのでしょう? いつもの溜まり場、開いてるかなぁ…?
早退を命じられ、トボトボと中庭まで歩いた所でブラウ先生に声を掛けられました。一時間目は授業が無いのだそうで、校内ウォーキング中らしいです。
「なんだい、集団サボリかい? さっきはお仲間が凄い格好で走って行ったし…」
「キース先輩に会われたんですか!?」
シロエ君の問いに、ブラウ先生は「ああ、見かけたよ」とウインクして。
「全速力で走る坊主をこの目で見たのは初めてさ。…墨染じゃなかったし、あれは正装だろ? なんで学校にいるんだい?」
「それはこっちが訊きたいですよ! キース先輩のせいで、ぼくたち…」
「ん?」
「ぼくたち、早退になっちゃったんです!」
グレイブ先生に追い出されました、というシロエ君の激白は大ウケでした。ブラウ先生はお腹を抱えて笑い転げて、目尻に涙が滲む勢いでケタケタと。
「ご、ご、御愁傷様だねえ、早退かい…! あんなのが走り回っていたんじゃ無理ないか…」
「キース先輩はどっちの方へ?」
「ああ、ぶるぅの部屋の方だけど? そこから先は知らないよ」
別ルートから走り去ったら目に付かないし、と言われてみればその通り。ともあれ、袈裟を靡かせたキース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かって駆けて行ったことは確実で。
「…ぼくたちも行ってみましょうか?」
「寄ってみるつもりではありましたしね…」
手掛かりがあればいいんですけど、とマツカ君。会長さんが登校しない日は「そるじゃぁ・ぶるぅ」も学校に来ないと聞いています。今日も御忌が終わった後でお部屋に行くのだと言ってましたし、影の生徒会室こと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は閉まっている可能性大。でも…。
「とにかく行くだけ行ってみようよ」
もう教室には戻れないし、とジョミー君が言い、サム君が。
「おう! 閉まってた時は食堂に行こうぜ、この時間でも何か食えるだろ」
隠しメニューがある日だといいな、との台詞に思わずゴクリ。食堂には特別生向けの隠しメニューがあるのです。ゼル特製とエラ秘蔵。ゼル先生の特製お菓子と、エラ先生の秘蔵のお茶の組み合わせが売りで美味なレアもの。
「あんたたち、とことん運が無いねえ…。隠しメニューは昨日だったよ」
残念でした、とブラウ先生に肩を叩かれ、「強く生きな」と励まされ…。運が皆無の早退組に明るい未来は無いかもです。こんなことなら御忌に行っとくべきでした~!
しおしおと生徒会室のある校舎に入り、生徒会室の奥の壁に飾られた紋章の前へ。この紋章はサイオンが無いと見えません。これに触れれば瞬間移動で「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入れる仕組みになっています。ただし、お部屋が開いている時だけ。
「…開いてるのかな?」
恐る恐る触れたジョミー君が壁に吸い込まれて消え、どうやらお部屋は開いている様子。こうなれば話は早いです。私たちは我先に紋章に手を伸ばし、折り重なるように部屋に雪崩れ込み…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ、早退になっちゃったって?」
大変だよねえ、と会長さんがソファで紅茶を飲んでいました。御自慢の緋色の衣ではなく制服姿で、その隣では萌黄の法衣のキース君がギャンギャンと。
「全部あんたのせいだろうが!」
「違うだろ? 君がグレイブのクラスに飛び込まなければ早退はねえ…」
「あんたがいるかと思ったんだ! まるで連絡が付かなかったしな!」
「「「………???」」」
いったい何が起こったのだ、とキョロキョロするだけの私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソファを勧めてくれ、紅茶やコーヒーが出て来ました。お菓子は手早く作れるホットケーキで、ホイップクリームが添えてあります。
「ごめんね、今日は授業が終わる頃に開ける予定だったし…。お昼御飯はオムライスでいい?」
「素うどんでもいいけど、どうなってるわけ?」
なんでブルーが此処にいるの、とジョミー君。会長さんとキース君は今頃は璃慕恩院で御忌の大法要に出ていた筈です。それが二人とも「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にいるなんて…。
「…えっと、えっとね…。ぼくが失敗しちゃったみたい…」
「「「は?」」」
「あのね、みんなに選んで貰ったブルーのお袈裟がなくなっちゃったの…。ちゃんと毎日風を通して、昨夜は縫い目とかもチェックして…。衣とかと一緒に和室に揃えて置いといたのに、朝になったら消えちゃってたの…」
何処に行ったか分からないの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞳から涙がポロリ。
「アレで行くんだって決めていたから、他のお袈裟は用意してなくて…。樟脳の匂いはサイオンで誤魔化して着られるんだけど、ブルーはケチがついたからって…」
「おい、ぶるぅまで泣いてるだろうが!」
全部あんたが悪いんだ、とブチ切れているキース君。つまりアレですか、会長さんは予定していた袈裟が無いから御忌に出るのをやめちゃった……と? そりゃキース君だって走って来ますよ、すっぽかされちゃったんですよねえ…?
遠山柄の袈裟が消えたから、と御忌に行かなかった会長さん。そうとも知らないキース君とアドス和尚は璃慕恩院で待っていたのだそうです。しかし法要の時間が迫って来ても会長さんは現れず、アドス和尚はキース君を残して朋輩と一緒に会場の御堂へ。
「親父は朋輩に誘われたからな、御忌の後は打ち上げに出掛けるんだ。俺には一人で帰るようにと言って行ったが、それ以前にブルーが来ないとなると…。メールも電話もサッパリ駄目だし、思念を飛ばしても返事が無いし」
それで家まで行ってみたのだ、とキース君は会長さんを睨み付けました。
「タクシーを飛ばしてマンションに着いたら、管理人さんが今日はお出掛けになりましたよ、と。どんな服だったか尋ねてみたら、お会いしていないので分かりません、だと!?」
よくもトンズラこきやがって、とキース君は眉を吊り上げています。
「あんた、瞬間移動で出掛けて留守にする時は「行ってきます」と言うだけだしな。御忌に行くのに瞬間移動は有り得ない。さては学校か、と駆け付けてみれば…」
「なんで教室に行ったんだい? ぼくは普通はこっちだろ?」
「普通じゃないから教室なんだ! 何かイベントの匂いでもしたかと!」
それで御忌の方をすっぽかすのならまだ分かる、と拳を握り締めるキース君。
「袈裟が無いから来なかっただと!? あれが無いと格好が付かないなんてことはないだろう! 他にも山ほど持ってるんだし、適当にだな!」
「…君がそれを言うのかい? お袈裟ってヤツは法要に合わせて事前に準備をしておくものだよ、急に引っ張り出すものじゃない。まして七條ともなれば相応に……ね。急いで出して来たんです、と一発で分かる樟脳の匂いはNGだってば」
「匂いはサイオンで誤魔化せる、と、ぶるぅが言ったぞ!」
「ぼくのポリシーに反するんだよ。…どちらかと言えば美学かな」
袈裟と法衣はキッチリ着こなしてこそ、と会長さんが反論すれば、キース君が。
「だったらきちんと管理しろ! ぶるぅ任せにしておくな!」
小さな子供を泣かせやがって、とキース君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を優しく撫でて。
「ぶるぅ、お前は悪くなんかないぞ。袈裟がどうなったのかは知らんが、自分のを管理していなかったブルーが悪い。…ジョミーたちの件については全面的に俺が悪いんだがな」
申し訳ない、と平謝りのキース君に、サム君が「いいって、いいって」と。
「仕方ねえよ、キースも焦ってたんだし…。ブルーに何かあったんだったら大変だけどよ、袈裟が消えたってだけのことなら心配ねえしさ」
「しかし…。お袈裟が消えたくらいで御忌に出ないとは、何処まで外見が大切なんだ…。それともアレか、お袈裟はあんたの羽衣なのか?」
羽衣なら天人の証だが、とキース君がチクリと嫌味を言えば、会長さんは悪びれもせずに。
「そんなトコかな、銀青のシンボルの一つではある。…最初から適当に決めていたなら、そこまでこだわらないんだけどね」
「ふうん…。やっぱり羽衣だったんだ?」
「「「!!?」」」
バッと振り返る私たち。そこには紫のマントを纏ったソルジャーが立っていたのでした。
「…ぼくには絶対貸せないって言うし、試着もさせてくれないし…。もしかして、ってピンと来たんだよねえ、あれがブルーの羽衣なのか、って」
羽根みたいに軽くないようだけど、とソルジャーはソファにストンと腰掛けると。
「ぶるぅ、ぼくにもホットケーキ! それと紅茶で」
「はぁーい!」
ちょっと待ってね、とキッチンに走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はすぐに紅茶を淹れて来ました。ホットケーキも間もなく焼けて、ソルジャーは御満悦ですが。
「羽衣なんて発想、何処から来たのさ! 七條は真逆で重いんだけど!」
刺繍たっぷりでサイズも大きめ、と噛み付く会長さんに、ソルジャーはホットケーキにホイップクリームを塗りながら。
「羽衣かい? 君のファッションショーの次の日だったか、その次だったか…。ノルディとデートをしたんだよ。能っていうんだっけ、なんか舞台を観てから食事で」
「…それが羽衣?」
「うん。ぼくにはサッパリ分からなかったし、ノルディに話を教えて貰った。羽衣ってヤツは天女専用なんだって? それを隠せば空を飛べなくなって人間と結婚するしかないとか」
「大雑把に言えばそうなるかな? バリエーションも色々あるけど、お袈裟と羽衣は別物だから! 坊主と天人は違うから!」
一緒にしないでくれたまえ、とピシャリと言ってから、会長さんはアッと息を飲んで。
「…ま、まさか…。お袈裟は君が盗んだとか…? 軽くないとか言ったよね…?」
「盗んだなんて、人聞きの悪い…。隠しただけだよ、羽衣は隠すものだろう?」
ノルディに聞いた、とソルジャーが胸を張り、キース君が。
「あんた、自分が何をやらかしたか分かっているのか!? 御忌というのは俺たちの宗派の宗祖様の御命日の法要なんだぞ、それに出るためのお袈裟をだな…!」
「代わりは幾つもあるだろう? 君だってそう言ったじゃないか。羽衣認定したのはブルーで、こだわってるのもブルーの勝手だ。御忌ってヤツより羽衣なんだよ」
貸してくれないなら隠すだけ、とソルジャーは嫣然と微笑みました。
「あ、着るなと言われたからには着てないよ? それに羽衣って、天女以外が身に付けたって空は飛べないみたいだし…。ぼくが着たってお経は読めない」
「当然だろう!」
よくも大切なお袈裟を大切な日に、と激怒している会長さん。
「お蔭で御忌には出そびれちゃったし、ジョミーたちは巻き添えを食って早退になるし…。ぶるぅだって責任を感じて泣いちゃったんだし、落とし前はつけさせてくれるんだろうね!?」
高くつくよ、と睨み付けている会長さんの隣では萌黄の法衣のキース君までが怖い顔。此処で修羅場になるのはマズイ、と誰かが言い出し、場所を変えることになりました。瞬間移動で会長さんのマンションへ。…ソルジャー、逃亡しないでしょうね?
お袈裟を盗んだ張本人が逃げ出さないよう、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が両の手首をガッチリ確保。経験値の高さが売りのソルジャーだけに、それでも逃げるかと思われましたが、大人しく連行されまして…。
「かみお~ん♪ 喧嘩の前にお昼御飯を食べなきゃね!」
腹が減っては戦が出来ぬと言うんでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が予告していたオムライスを作ってくれて昼食タイム。キース君は法衣が汚れては大変だから、と割烹着姿でモグモグと。これはこれで平和な時間です。けれど昼食が終わった後は…。
「まず、お袈裟を返して貰おうか。それから落とし前をつけるってことで」
何をして貰うかは君の態度で考える、と会長さんが袈裟の返還を迫れば、ソルジャーが。
「うーん…。隠した場所は分かってるけど、羽衣なら自分で見付けたら? そういうお話なんだろう? 見付からなければ結婚だよねえ、隠した人と」
「ふざけていないで、さっさと返す!」
君と結婚する気は無い、と会長さんは怒っていますが、本音はソルジャーの世界に隠された品物を見付けるだけの能力が無いといった所でしょう。
「どうしても返すつもりが無いなら、弁償ってことでもかまわない。…ただし、七條は高いからね? おまけにぼくのは特注品の一点ものだし、ノルディといえども多少の打撃は蒙るかと」
しばらく食事もデートも無しだ、と会長さん。あのぅ……七條って、そんなに高いの?
「まあな」
キース君が指を三本立てて。
「これくらいは軽くいくだろう。一点ものならもう一本とか、二本とか。一本は百だ」
「「「そ、そんなに…?」」」
恐ろしすぎる、と凍り付いている私たち。いくらエロドクターが大金持ちでも、その値段だと一日分のお小遣いの半分くらいは飛ぶかもです。金銭感覚がズレていたって認識できる程度の損害なわけで…。会長さんはソルジャーに指を突き付けると。
「今の話は聞いていたよね? 返すか、でなきゃ弁償か。どっちの道を選ぶんだい?」
「…どっちだろう?」
選ぶのはぼくじゃないんだよね、と大きく伸びをするソルジャー。
「実はさ、羽衣かもって思ったからさ……」
ゴニョゴニョゴニョ、とソルジャーが小声で呟き、ウッと仰け反る私たち。
「「「隠させた!?」」」
「そうなんだよねえ、ブルーの羽衣を隠して得をする人間は一人!」
捜しに行く? と訊かれた会長さんがテーブルに突っ伏し、私たちの視線は窓の彼方へ。よりにもよって羽衣伝説をパクりましたか、ソルジャーは! おまけに大喜びで隠した人が存在しますか、そうですか…。
会長さんが御忌に着て行こうとファッションショーを催してまで選んだ、遠山柄の七條袈裟。キース君曰く、指が三本分だか五本分だか、あるいはもっとお高いかもな一点モノの特注品は羽衣伝説でピンと来たらしいソルジャーのせいで隠されてしまい。
「……よりにもよって、なんでハーレイ……」
君の世界に隠された方がマシだった、と会長さんが嘆く横では、ソルジャーが。
「え、だって。羽衣を隠した男は運が良ければ天女を嫁に貰えるらしいし…。日頃から君と結婚したいと言ってるハーレイの家に隠すのが王道だろう?」
早く見付けて回収したまえ、とソルジャーはニコニコ笑っています。
「今ならハーレイは学校にいるし、家探ししてでも持って帰れば羽衣回収完了ってね。見付けられなきゃ返してくれと頼みに行って、そのまま嫁になってくるとか」
「却下!」
こうなったら意地でも探し出す、と会長さんは教頭先生の家の方角に目を凝らし、サイオンを集中させたのですけど…。
「どう? 何処にあるのか見付けられた?」
「邪魔をしないでくれたまえ!」
ぼくは忙しいんだから、と突っぱねた会長さんが頑張り続けること一時間、二時間…。そろそろ下校時刻です。教頭先生はまだお仕事がありますけれど、夜になったら御帰宅でしょう。えーっと、羽衣ならぬ遠山柄の七條袈裟は見付かりましたか、会長さん?
「…ダメだ、どうして…。なんで何処にも無いんだろう…」
「ふふ、ぼくがハーレイに隠させたんだよ? 見付けられるようなヘマをするとでも?」
ばっちりシールドのガード付き、とソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってくれた苺ミルクのパウンドケーキを口に運んで。
「もちろんハーレイには袈裟が何処にあるか分かってる。頼めば返してくれるかもだけど、その前に何か注文しろとは言っといた。能だと舞を見せるのが返す条件だったし、ストリップとかね」
「「「ストリップ!?」」」
「結婚するよりマシだろう? まあ、そのまま袈裟を放置するのも一つの選択ってヤツではあるよ。ただし、君が残した羽衣ってことで、どう扱われるかは保証出来ないかも…」
「取り返す!!!」
夜のオカズにされてたまるか、と会長さんは瞬間移動ですっ飛んで行ってしまいました。それきり戻って来る気配は無く、ソルジャーが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に夕食の注文をしています。キース君が萌黄の法衣に襷を掛けて、私たちに。
「…おい。手伝いに行った方がいいと思うぞ、俺たちも」
「そうかもね…。教頭先生が帰って来ちゃったら最悪だよね」
大惨事になる前に助っ人に、とジョミー君が腰を上げかけた所で、つんざくような思念波が。
『…誰か、助けてーーーっ!!!』
「おやおや、天女が捕まったかなぁ?」
今日はハーレイ、残業をしないと言ってたからね、とソルジャーの声がのんびりと。
「寝室で家探ししていた所へ、ハーレイが帰って来たらしい。ベッドに上っていたっていうのも悪かったよねえ、ストリップで済めばいいんだけれど…」
「畜生、あんたに関わってる場合じゃなかったぜ!」
タクシー! とキース君が草履をつっかけて飛び出してゆき、私たちも後ろから転がるように。結局、教頭先生宅に辿り着いた時には、何故かベッドは鼻血の海で。
「「「………???」」」
「なんか勝手に妄想が爆発しちゃったようだよ、ハーレイだけに」
ストリップを頼むのが精一杯なヘタレの憐れな結末、と会長さんがベッドに転がっている教頭先生をゲシッと蹴飛ばし、ギャッと短い悲鳴を上げて。
「…ぼ、ぼくの七條……。シーツの下に……」
鼻血まみれ、と顔面蒼白の会長さん。キース君がシーツを引っぺがし、其処から鼻血が点々と付いた遠山柄の七條袈裟が…。
「…こ、これって、とっても高いんだよね…?」
ジョミー君が声を震わせ、シロエ君が。
『ぶるぅ、聞こえますか!? そこのお客さんを捕まえてて下さい、しっかりと!』
『かみお~ん♪ ブルーはお食事中だよ!』
デザートを食べ終わるまで帰らないって、と無邪気な声が。いい根性をしているようです、今回の騒動の張本人。会長さんと今すぐ戻ってフルボッコの上に弁償コースで! 私たちの早退の分も含めて、落とし前つけさせて頂きます~!
飛べない羽衣・了
※いつもシャングリラ学園番外編を御贔屓下さってありがとうございます。
お坊さんのお袈裟、実は色々あるようですよ?
次回は 「第3月曜」 10月20日の定例更新となります、よろしくお願いいたします。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月はスッポンタケの卒塔婆事情から始まったようですが…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
夏休みまで一ヶ月足らずとなった、とある日の朝。教室で気心の知れた友人たちと他愛ない話をしていたブルーの耳に、少し離れた場所で上がった叫びが届いた。
「えーーーっ!?」
時ならぬ大声に友人たちも一斉にそちらの方を見、其処には数人の男子生徒が群れていて。
「声変わりって、あの先輩が?!」
「嘘だろ、先輩、まだまだ行けそうだったのに!」
「そうなんだけどさ、こないだから喉が調子悪いって言っててさ…」
ワイワイと騒ぐ群れの中心は合唱部所属の男子だった。
「みんな喉を傷めただけかと思ってたんだよ、そしたらなんか違うらしくて」
「んじゃ、夏休みのコンクールはどうなるんだよ?」
「もうメチャメチャだよ、今から代わりに歌えるヤツっていないしさあ…」
俺たちの合唱部の期待の星が、と頭を抱える男子生徒を周りの者が気の毒そうに見詰めている。その輪の中には入らないまでも、ブルーの友人たちも「なんだかなあ…」と複雑な顔で。
「どの先輩だろ、合唱部のことは分かんねえけど」
「期待の星って言ってるんだし、よっぽど上手いか声が凄いかだったんだろうなあ」
「コンクール直前はキツイよね…。合唱部、これから大騒ぎかも」
合唱部はクラブ活動の一つ。十四歳からの四年間を過ごす学校だったが、人類が皆ミュウである今、サイオンが成長速度に影響する者も多かった。ゆえに四年生でも素晴らしいボーイソプラノを保つ生徒もいるから、合唱部の中には少年だけで構成される部門も存在する。
件の男子生徒は其処の所属で、夏休み中に開催されるコンクールでの優勝を狙っていたようだ。それなのに夏休みまで一ヶ月を切った今頃の時期に、期待の星が声変わりだとは…。
「…あればっかりは分かんねえしな、いつ始まるのか」
「早い人は早いって聞くけどね…」
「とりあえず俺たちはまだまだ先かな。…特にブルーは」
「ぼく?」
いきなり自分に話を振られて、ブルーはキョトンと目を見開いた。
「…なんで、そこでぼく?」
「小さいからだよ、決まってるだろ」
「そうだ、合唱部に助っ人に行ってやらねえか? お前、歌だって上手いじゃねえかよ」
仲間たちは賑やかに騒ぎ始めたが、彼らに話を合わせながらもブルーの思考は違う方へと向かいつつあった。
背丈ばかりを気にするあまりに忘れ果てていた前世での声。ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃、自分の声は今よりもずっと低くて落ち着いていて、まるで別物だったのでは…。
その日、ブルーは帰宅してからも自分の声が気になって仕方がなかった。
深く考えれば考えるほどに、前世の自分と今の自分の声の違いを思い知らされる。ソルジャーとして皆を指揮していた頃、ブリッジで、あるいは青の間で、何度も何度も指示を飛ばした。
長く潜んだアルテメシアを離れて宇宙へと飛び立った時も、その決断を下したのはブルー。あの時、「ワープしよう」とブリッジに指示した声が今の自分のものだったならば、皆は従ってくれただろうか?
(えーっと…)
ブルーは勉強用の椅子に座って息を大きく吸い込み、精一杯の威厳を保って言ってみた。
「ワープしよう!」
それから録音していた今の声を再生してみてガックリとする。
「……全然ダメだよ……」
もう一度、と試してみても結果は同じ。どう聞いたって子供の声で、ソルジャー・ブルーが下す指示とも思えない。それに…。
(…あれは青の間から言ったんだっけ…。それに叫んでもいなかったし…)
つまりは「ワープしよう!」と勢い込んで叫ぶのではなく、「ワープしよう」。ごくごく普通に話す口調で、けれど重々しく、皆が異論を唱えられない説得力をも声音に乗せていた自分。
今の自分にはそんな芸当、とても出来ない。
録音した声が示すとおりに甲高い声で、まるで劇中の台詞よろしく叫ぶのが自分の精一杯。
(……どうしよう……)
前世の自分とは全く違った子供そのものな自分の声。こんな声でいくらハーレイに「好きだよ」と告げても、実は可笑しいだけかもしれない。「大きくなったらパパと結婚する!」と叫ぶような幼児とレベルはさほど変わらないのかも…。
(…ハーレイが全然相手にしてくれないのも、声のせいかも…)
キスを強請ろうとしては叱られ、「駄目だ」と頭を小突かれる。それはそうだろう、子供の声で「キスしてもいいよ」と誘ってみたって、ハーレイがその気になるわけがない。
一向に伸びてくれない背丈の方もさることながら、声も行く手に高く聳える恋のハードルだったのだ。今の今まで気付かなかったが、声変わりだって急がなければ。
(でも……)
これまた背丈と同じ理屈で、ただ成長を待つしかない。クラスメイト曰く「ブルーは遅そう」。
(…前のぼくって、いつ声変わりしたんだろう?)
懸命に記憶を遡ってみたが、あの頃の自分は忙し過ぎた。気付けば背丈はすっかり伸びていて、声も低く落ち着いたものになっていて…。
(何の参考にもならないってば!)
ブルーは心底、悲しくなった。いつになったら自分の声は昔と同じになるのだろうか…?
その週末。訪ねて来てくれたハーレイとテーブルを挟んで向かい合わせに座ったブルーは、単刀直入に切り出した。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「…ハーレイ、ぼくの声は好き?」
「声?」
唐突すぎるその質問に、ハーレイは何を訊かれたのか分からなかった。ブルーとは恋人同士なのだから「ぼくのこと好き?」なら自然な流れだ。
しかし、好きかと問われたのは声。何処をどうすればその問いになるのか意図が全く掴めない。どう答えればブルーが満足するのか、それすらも分からないままに…。
「…お前の声なあ……。俺は好きだが」
「本当に? 前の声よりも?」
「前?」
今度こそ意味が不明になった。前の声とは何のことか、と暫し考えてハタと思い当たる。
「…前って、前のお前の声か? …ソルジャー・ブルーの?」
「そうだけど…。どっちが好き? 今と、前のと」
「……うーむ……」
ハーレイは腕組みをして視線を天井に向けた。ブルーと再会して間もない頃なら、迷うことなく「前だ」と答えられただろう。前の生で愛して結ばれたブルーは今のブルーよりもずっと大きく、それは美しくて声も甘くて柔らかだった。
けれども今のブルーと二ヶ月近くも日を過ごす内に、年相応に愛らしくて無垢なブルーもいいなと思い始めた自分がいる。背伸びして一人前の恋人気取りで纏わりついてくるブルー。子供らしい声で強請られるキスを「駄目だ」と叱ってはいるが、強請る仕草もまた可愛い。
(…前はゆっくり聞いているどころじゃなかったからなあ…)
その分、今を楽しみたいな、と思う自分が確かに居る。
前世で今と同じ声をしていた頃のブルーは、とうに十四歳ではなかった。アルタミラの収容所で長い時を過ごし、十四歳の姿を留めてはいても皆を指揮するリーダーだった。
後にシャングリラとなる船を奪って脱出した後、ブルーは幼さを残した身体で一人戦い、物資を奪いにその身一つで宇宙を駆けては頑張りすぎて倒れたりもして…。
十四歳の子供の身体に相応しい言葉を喋るよりも前に、小さくても既に戦士だったブルー。皆の命をただ一人背負い、前だけを見詰めて走り続けたブルーの子供らしい声を自分は知らない。
(…そうだ、あいつはいつだって見かけどおりじゃなかった)
それに比べて目の前のブルーはどうだろう。くるくると変わるその表情も、愛らしい唇から飛び出す言葉も十四歳の子供そのもの。背伸びしてみても子供から決して抜け出せはしない。
「……そうだな…」
ブルーが心配になるほどの時間を考えた末に、ハーレイはようやく口を開いた。
「俺は今のお前の声が好きだな、もちろん前のお前の声も好きだが」
「それって両方、好きだってこと?」
「ああ。俺はお前の今の声が好きだ。いつまでも聞いていたいとも思う」
いつかは聞けなくなってしまうが、とハーレイはブルーの赤い瞳を見詰めた。
「俺はな、今の幸せそうなお前が好きなんだ。子供らしい顔で、子供らしい声で、嬉しそうに笑うお前が好きだ。今のお前と同じ姿だった前のお前に、幸せな時があったのかどうか…。お前自身は全く気にしていなかったろうが、今から思えば可哀相でな」
「……可哀相? 前のぼくが?」
「そうだ。お前は俺より年上だったし、それに相応しく生きていたんだと思う。それでも、お前は随分と無理をしていたんだろう。…子供らしく見えたお前の記憶は俺の中には無いからな」
「…だって、子供じゃなかったもの」
その頃の自分の年がとうに成人に達していたことはブルー自身も覚えている。そんな自分が子供らしく振舞う必要などは無かったのだし、第一、子供だからと甘えられる余裕も皆には無かった。
けれどハーレイは「いいや」と首を左右に振ると。
「お前が見かけどおりの年じゃないことは、皆、知っていたさ。……だがな、身体は子供だった。いくらサイオンが強いと言っても体力は子供並みだってことを気遣う余裕が誰にも無かった」
お前に無理をさせ過ぎたんだ、とハーレイは辛そうに顔を歪めた。
「お前が十四歳の姿のままで自分の時間を止めていたのが何故だったのか、今なら分かる。…あの頃は気付きもしなかったんだが、幸せそうな今のお前を見ていれば分かる」
「…なんで? ぼくが子供のままだったのは多分、栄養が不足していたからで…」
「俺だってそう思っていたさ。…しかしだ、あれだけの実験を続けようってヤツらが貴重な唯一のタイプ・ブルーを栄養失調にさせると思うか? 栄養は足りていた筈なんだ」
足りなかったのは別のものだ、と続ける。
「お前に不足していたものはな、幸せってヤツだ。お前には辛い毎日だけしか無くて、育ったって何一ついいことはない。今を保つのが精一杯で、必死に自分の心を守っていたんだろう」
育つよりも、ひたすら現状維持。そのために成長しなかったのだ、と言われればそんな気もしてきた。あの頃は毎日が人体実験の繰り返し。何もかもどうでも良かったけれども、いつかは生きて此処を出るのだと何処かで常に願っていた。そのためだけに自分は成長を止めて待ったのか…。
自分でもまるで気付かなかった、前の生で止めた成長の理由。
それを恐らくは言い当てただろうハーレイの言葉は、更に続いた。
「俺はな、お前が止めていた時の分まで、お前に幸せに過ごしてほしい。子供らしい声で話して、俺の名前を何度も何度も、その声で呼んで欲しいんだ」
そして嬉しそうに笑ってくれればいい、と鳶色の瞳が愛しい者を見守るように細められる。
「…俺はお前の今の声が好きだ。幸せそうに笑う今の小さなお前が好きだ。だからそのままでいてくれ、ブルー。声変わりなんてしなくていいから。小さいままでかまわないから」
それはハーレイの心からの願い。前の生でブルーが失くしてしまった子供としての時の分まで、幸せな時を過ごして欲しい、と。
何かと言えばブルーに「しっかり食べて大きくなれよ」と決まり文句を言ってはいても、小さなブルーを見ていたい。前の生では痛々しいほどの重荷を背負って駆け抜けていった姿だけが記憶に残る幼い戦士が、年相応に幸せに笑って生きる姿を。
何度も何度もブルーにそう言い聞かせて、納得させて、指切りをして。
背丈が百五十センチのままでも、声が幼い子供のままでも、それでいいのだと約束をした。
ブルーには急ぐ必要はなくて、幸せな今を満喫しながらゆっくり成長してゆくのだと。
そうして二人頷き合った後、向かい合って紅茶のカップを傾けていたら、ブルーが尋ねた。
「でも、ハーレイ…。ぼくが今の姿のままだと、本物の恋人同士になれるのはいつ?」
キスを交わすのはブルーの背丈が前世と同じになってから。
ハーレイが決めて、ブルーが渋々「うん」と言ったのは、二人が再会した日から間もない頃。
もしもブルーの背が伸びなければ、キス出来る日すらもやっては来ない。キスの先など夢のまた夢、ブルーが夢見る「本物の恋人同士」になれる日とやらは遙かに遠い未来のことだ。
ブルーにとっては大問題だが、ハーレイにはそれは些細なこと。だから笑って答えてやる。
「ははっ、そうだな、いつになるかな? だが、お前は俺の所に戻って来てくれたんだ。…何十年だって俺は待てるさ、一度はお前を失くしたんだしな」
「……ぼくは小さいままでもかまわないよ?」
「こらっ! 背伸びするなと言ってるだろうが!」
誰が子供を相手にするか、とブルーの頭をコツンと軽く小突いたものの。
(…待てよ? ブルーがこのまま卒業した時はどうなるんだ?)
ゆっくり大きくなれとは言った。今の姿が好きだとも言った。ついでに固く指切りまでも。
しかし本当にブルーが育たなかったなら、四年後に卒業を迎える時もブルーは今と変わらない。
ハーレイが教鞭を執り、ブルーが通う義務教育の最終段階である学校。其処を卒業してゆく生徒は誰でも十八歳か、近日中に十八歳か。
十八歳は結婚が認められる年。
卒業式が終わった後の三月の末にブルーは十八歳を迎えるわけで、結婚出来る年齢になって…。
(…見かけが十四歳の子供ってヤツと結婚するのはどうなんだ?)
それはマズイ、とハーレイの心の中でタラリと冷汗が垂れた。
身近でそういう事例は無いし、噂すら聞いたこともない。けれど十八歳になったブルーは絶対に結婚したがるだろう。
(……諦めて幼年学校へでも行ってくれればいいんだが……)
身体が幼いままであるということは、心も今と全く変わらず幼いまま。いくら前世の記憶があるからと言って、いわゆる本当の結婚生活を送るには心身共に無理が有りすぎる。
ブルーの言う「本物の恋人同士」の関係こそが結婚生活の真の姿なのだし、結婚はちょっと…。
(…しかしだ、ブルーが諦めるとは思えんぞ?)
何が何でも結婚すると言い張るだろう、とハーレイは天を仰ぎたくなった。
諦めないブルーもさることながら、ブルーの両親が何と言うやら…。ただでも大事な一人息子のブルーが同性のハーレイと結婚となればパニックだろうし、そのブルーは見た目が十四歳で。
(……やはり普通に育ってくれと言うべきだったか?)
そうは思うが、小さなブルーも捨て難い。何十年だって見ていられる上に、待てるのだが…。
(結婚するんだ、と言い出した時が実にマズイぞ)
十四歳の子供にしか見えないブルーと結婚という事態になったら何が起こるか…、とハーレイはブルーの方にチラリと目をやる。するとニッコリと嬉しそうに笑い、首を傾げるものだから。
(…いかん、こいつは結婚どころか俺と深い仲になりたい奴だった…!)
俺にそういう趣味は無いんだ、と思いたいのに、ブルーが微笑む。
「ハーレイ、さっきからどうしたの? ぼくはきちんと指切りしたよ。…ホントは早く大きくなりたいんだけど、ハーレイはゆっくりがいいんだよね?」
「あ、ああ…。そうだな、うんとゆっくり幸せになれよ」
「うんっ! だけど結婚するのは忘れないでよ、十八歳になったら出来るんだから!」
ブルーの言葉はハーレイの予想と寸分違わぬものだった。ゆっくり育つと約束しながら、十八歳での結婚を希望。もしもそれまでに前世と同じに育たなかったら、今と見かけが変わらぬブルーが結婚したいと言ってくるわけで…。
(…ほ、本人がいいと言っているなら、それでいいのか?)
ハーレイの向かい側にチョコンと座って無邪気な笑みを湛えるブルー。その身体はソルジャー・ブルーであった頃より遙かに小さく幼いけれども、桜色の唇も透き通る肌も前世そのままで、その顔立ちもまたいずれ花開く美を匂わせるもの。
(……す、少し小さいが…。いや、かなり小さいが、結婚したならかまわないのか?)
ブルー自身が望むからには、体格的に多少無理があっても深い仲になっていいのだろうか。そう思いかけて「駄目だ」と自分自身を叱咤する。
(…俺はよくてもブルーの負担が…。こんな小さな身体には無理だ)
もしも結婚する羽目に陥ったならば我慢あるのみ、とハーレイはテーブルの下で拳を握った。
(ブルーが何と言ってこようが、俺は絶対に手は出さん! 育つまで待つ!)
どんなにブルーが小さかろうとも、結婚して共に暮らす間に少しずつ育ってゆくだろう。上手く運べば真の結婚生活をしたいがために劇的に育つかもしれないのだから。
そう決めたものの、「ハーレイ?」と呼び掛けてくる声に心がグラリと揺らぐ。
(……この声は今しか聞けないんだよな?)
ソルジャー・ブルーよりもずっと高くて愛らしい響きのブルーの声。
この声が前世で何度も耳にしていたあの声のように、腕の中で震え、喘いだならば。
あるいは高く、甘く啼いて掠れたならば…、と頭を擡げようとする欲望。
(いや、いかん! …それだけは絶対にやってはいかんぞ、腐っても俺は教師だからな!)
教え子の前で不埒なことは…、と更に強く、強く拳を握って懸命に耐えているというのに。
「ねえ、ハーレイ?」
約束だよ、と小さなブルーが右手の小指を差し出して来た。
「ぼくが十八歳になったら、結婚! 別に誕生日じゃなくてもいいから!」
「た、誕生日…?」
「うん! その頃ってハーレイ、忙しいよね? 三月の末だし、新婚旅行に行けそうにないし」
年度末と年度初めの教師が多忙なことにブルーは気付いていたらしい。しかし…。
「お前、本気で十八歳で結婚する気か?!」
「…んーと…。とりあえず今日はそのつもりだけど、どうしようかな…」
考え込んでいる様子のブルーに、ハーレイは辛うじて心の平静を取り戻してから。
「今日は、ってことは未定なんだな? 明日になったら気が変わるかも、と」
「明日はどうだか分からないけど、他にやりたいことが出来たら」
「そうか、それなら今、約束をしなくてもな?」
別にいいだろ、と返したハーレイの右手の小指にブルーの右手の小指がグイと絡んだ。
「ダメーッ! 結婚だけは絶対、約束!」
「お、おい、ブルー! 俺の都合も考えろ、ブルー!」
強引に絡められた指ごと一方的に押し付けられてしまったブルーと結婚する約束。
それはブルーの小さな姿と愛らしい声とを伴い、暫くの間、毎夜ハーレイを苛んだけれど。そういう約束を交わしたことすら忘れているのが十四歳の小さなブルー。
ブルーにとってはハーレイと共に歩む未来は約束せずとも、あって当然。
ゆえにブルーは今日も夢見る。早くハーレイと結婚したいと……。
前と違う声・了
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今日はハーレイが来てくれる日。
朝食を終えたブルーはいつものように部屋を掃除してテーブルを拭いて、椅子もきちんと向かい合わせになるように据えて。抜かりはないかとグルッと見回し、勉強用の机の上を視線でチェックしていて「あっ…!」と小さく声を上げた。
どうして今日まで全く気付かなかったのだろう。自分の机には無くて当然のものだから?
(でも……)
あんなに何度も目にしていたのに、と自分の記憶力に少し自信が無くなる。とはいえ、せっかく思い出したからには今度は覚えておかなければ。ハーレイが来たら訊いてみようと思うけれども、会った途端に忘れる方には自信があった。
(ハーレイの顔を見ていられるだけで幸せだものね)
そのハーレイが部屋を訪ねて来てくれる。テーブルを挟んで向かい合って座って、母が用意してくれるお茶とお菓子が揃ったらお喋りをして。食べる暇も無くハーレイの膝に座って甘えてしまう日もあれば、向かい合わせのままの日もあって…。
(いけない、もう違うことを考えちゃってる!)
これでは絶対に忘れてしまう。二人きりの時に尋ねたいから、父や母も交えての夕食の席で思い出しても、もう遅い。
(…んーと……)
忘れないようにするためには…、と考え込んだ末に、ブルーは机の上にペンをコロンと転がしておくことにした。いつもならペンも鉛筆もペン立てにきちんと立ててある。それを片付けずに放置してあれば、いくら自分がウッカリ者でも見た時に思い出すだろう。
何のためにペンを放ってあるのか、ハーレイに何を訊きたいのかを。
案の定、ブルーはハーレイの顔を見るなり質問をすっかり忘れてしまった。大好きな声を聞いて膝の上で甘えて、ようやっと自分の椅子に戻った所で勉強机が目に入って。
「あっ、いけない!」
忘れてた、と叫んだブルーをハーレイが「どうした?」と鳶色の瞳で見詰める。
「お母さんならまだ来ないだろう。それとも、お前がお茶のおかわりを淹れに行くのか?」
母の来訪を減らしたいブルーは自分でお茶を取りに行こうと考えるのだが、これまた毎回忘れてしまう。だからこそのハーレイの発言であって、それもいいなと思ったものの。
「んーと…。そうじゃなくって…」
紅茶のポットはまだ温かいし、取り替えに行くには些か早い。何事かと母が訝りそうだ。それに自分が忘れ去っていたのはまるで別のことで、思い出させるための仕掛けは一度きりしか効果無しかもしれないのだし…。
(…忘れちゃったら大変だものね)
お茶の取り替えなら、この先もチャンスは何度でもある。今日でなくてもかまわない。今は質問を優先しよう、とブルーは向かい側に座るハーレイに赤い瞳を向けた。
「…お茶とは全然関係なくって、訊きたいことがあったんだけど…」
「俺にか? それを訊き忘れたら一大事なのか?」
怪訝そうなハーレイに「…そうでもないけど…」と曖昧に返し、立ち上がって机の上に転がったペンをペン立てに戻す。それから椅子に座り直して、やおら質問を口にした。
「ねえ、ハーレイ。…今も羽根ペン、使ってる?」
「羽根ペン?」
ハーレイの目が丸くなった。それは前世のハーレイが愛用していた白い鳥の羽根で出来たペン。あの時代ですらレトロなペンで、ハーレイの他には誰も使っていなかった。もちろんブルーも例外ではなく、ハーレイの部屋でしか羽根ペンを見た覚えは無い。
羽根ペン自体は人類側から失敬した物資に混じっていたもので、ドカンと一箱はあったと思う。ハーレイ以外に使う者が無いから、とても全部を使い切れはしないと皆で笑い合ったものだ。あのペンたちもシャングリラと一緒に時の彼方に消えたのだろう。
ハーレイが好きだったレトロな羽根ペン。一度だけ遊びに出掛けたハーレイの家の書斎でそれを目にしたかどうか、覚えが無かった。だからこそ訊いてみたのだけれど。
「使ってるわけがないだろう。持ってもいないな」
ハーレイの答えは当然と言えば当然すぎるものだった。今のハーレイは柔道と水泳が好きな古典の教師で、キャプテンだったハーレイではない。あの頃よりも更にレトロなアイテムになった羽根ペンなんかを持っている筈もないではないか…。
やっぱり前世と今の生は違う。
ブルーが十四歳の子供になってしまっているのと同じで、ハーレイにはハーレイの人生がある。羽根ペンを愛用していた頃のハーレイと今のハーレイとは違うのだ、と悲しい気持ちになるよりも先に。
「使ったことなんか無かったんだがな」
ハーレイが指先でテーブルをトン、トン、と軽く叩いて言った。
「…最近、欲しいような気もしてきたんだ。おかしなもんだな、俺の趣味ではない筈なんだが」
その言葉に胸が暖かくなる。ハーレイの中にはやっぱり前世のハーレイがちゃんと居るんだ、と嬉しさと喜びとがこみ上げて来る。ブルーはクスッと笑って答えた。
「おかしくなんかないよ、ハーレイ。…だって、ハーレイの大好きなペンだったもの」
「それはそうだが…。買っちまったとしても使いこなせる自信は無いな」
「平気だってば、すぐ思い出すよ。何回か書けば」
「…そうだといいがな」
羽根ペンにも申し訳ないし、と指をペンを持つ形にして動かすハーレイを眺めていたら、またも疑問が浮かんで来た。それをそのままぶつけてみる。
「じゃあ、日記は?」
「……日記?」
「ハーレイ、いつも航宙日誌をつけてたよ。今は日記はつけていないの?」
「…ああ、あれな…。確かにあったな、そういうヤツも」
日記については触れないハーレイに、ブルーは更に言い募った。
「航宙日誌じゃなくって日記だってば! 羽根ペンと同じで日記も無し?」
「……いや、今も書いてはいるんだが…」
どうにもハーレイは歯切れが悪い。これは絶対に秘密の日記に違いない、という確信がブルーの中に生まれてくる。大きな声では言えない日記。前の生での航宙日誌も「俺の日記だ」と読ませてくれずに隠していたけれど、あれは一応、日誌ではあった。
日誌はシャングリラの日々の出来事を記すものだし、如何に閲覧不可といえどもハーレイ個人の日記ではない。だが、今のハーレイはキャプテンという公人ではなく、普通の教師。日記に色々なことを綴って仕舞いこんでいるかもしれないわけで…。
(ふふっ)
訊いてみちゃおう! と、ブルーは赤い瞳を煌めかせた。
「ねえ、ハーレイ。その日記って、ぼくと会った日のことも書いてある?」
学校じゃなくてぼくの家で、と身を乗り出す。学校で会うのは当たり前だけれど、ブルーの家で会う日は特別。キスさえ許して貰えなくても恋人同士で過ごす時間だ。ハーレイは何処まで書いているのだろう? まさか話の中身まで?
嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちで待っていたのに答えはいとも素っ気なかった。
「なんで一々、日記に書くんだ。休日は大抵、会ってるだろう」
「えーっ!?」
ガッカリしたものの、思い直して尋ねてみた。
「それじゃ、初めて会った日のことは?」
「生徒の付き添いで病院に行った、とは書いておいたが」
「…たったそれだけ?」
あんまりだ、とブルーは唇を尖らせたのだが、ハーレイは涼しい顔で続ける。
「生憎と、俺の日記は覚え書きでな。毎日の出来事とその日の天気くらいで充分だ」
「ひどい!」
劇的な再会を遂げた日ですら、日々の出来事と同じ扱い。生徒の付き添いで病院に行った事実に違いはなくても、其処は「前世で恋人だった生徒」と何文字か足して欲しかった。実はそう書いてあったのかも、と確かめてみたら「いや」と一言で片付けられて。
「ホントのホントに何にも無し? ぼくは血だらけだったのに!」
「大怪我だったらそのように書くが、異常なしじゃな」
どうやらハーレイは本当に何も書かなかったらしい。ブルーの心が不平不満で一杯になる。
「少しくらい書いておいてくれたって…。もしかして、航宙日誌にも何も書かなかったわけ?」
「何って、何をだ?」
「ぼくのこと! ソルジャー・ブルーのことじゃなくって、ぼくのことだよ」
流石にそれは書いていた筈、とブルーは思った。そうでなければ閲覧不可とは言わないだろう。なんと言ってもブルーはキャプテンよりも上のソルジャーで長だったのだから。しかし…。
「書かなかったな、ソルジャーではないプライベートなお前については」
「あれにも書いていなかったわけ!?」
今度こそブルーは泣きそうになった。今はともかく、前世での自分はハーレイと身体も心も固く結ばれた恋人同士。それなのに何ひとつ日記に記されていなかったなんて、悲しいどころか虚しい気分になってくる。いったい自分はハーレイにとって何だったのか。
前の生ですらその扱いなら、キスさえ出来ない今の生では本当に毎日の天気並みだとか…。
あまりのことに瞳から涙がポロリと零れそうになり、慌てて拳でグイと拭った。そのまま俯いてテーブルをぼうっと眺めていたら、大きな手が頭をクシャリと撫でて穏やかな声が降って来る。
「お前な…。そういうのを書いておいた場合に、後で困るとは思わないのか?」
好きでたまらないハーレイの声。悔しいけれども心がふわりとほぐれてしまう。でも…。
「なんで?」
どうして困るの、と顔を上げたブルーの瞳に苦笑しているハーレイが映った。
「いいか、よくよく考えてみろよ? 俺の日誌は超一級の歴史資料で、そっくりそのまま出版されちまっているんだが?」
「あっ…!」
言われてみればその通りだった。手軽に読める文庫本サイズから原寸大まで。歴史書コーナーの定番品で、図書館はもちろん、大きな書店なら揃えているのが当たり前。紙の本からデータベースと至れり尽くせり、いろんな言語でズラリ出揃い、それこそ宇宙の至る所に…。
ブルーはたったの十四歳の子供だったから、航宙日誌に用は無かった。手に取ったことすら一度も無いが、もしもあの中に自分とハーレイとのプライベートな出来事が書かれていたのなら…。
(ど、どうしよう…。ハーレイは書いていないって言っているけど、もしかしたら…!)
ハーレイだって人間なのだし、万が一ということもある。
(…ぼ、ぼ、ぼくとキスをしたとか、ぼくの部屋に泊まっていったとか…!)
恥ずかしすぎる、と真っ赤になったブルーの頭をハーレイがポンポンと優しく叩いた。
「安心しろ。お前とのことは本当に何も書いてはいない。現に誰も気付いていないだろうが」
「…えっ?」
「ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが本当は恋人同士だったってことさ」
誰も知らん、とハーレイが微笑む。
「どんなに細かく読み込んだって、何処にも書いてはいないんだからな」
「…そっか…」
前の生での自分とハーレイの仲は誰も知らない。だから今の両親も当然、知らない。ハーレイと一緒に過ごすためには有難い事実だったけれども、ちょっと寂しい気持ちもした。
シャングリラの中だけが世界の全てだった遙かな昔。其処でハーレイと育んだ恋はブルーの殆ど唯一と呼べる幸せな記憶で、どんなに未来が見えない時でもハーレイが居たから生きていられた。
もしもハーレイが居なかったならば、ソルジャーとして毅然と立っていられたかどうか。脆くも心を病んでしまって、道半ばにして倒れ、朽ち果てていたかもしれない。
その日々が何処にも記されないまま、シャングリラと共に消えてしまっただなんて…。
残っていないことに安堵する半面、悲しくも思う遠い日々のこと。
白いシャングリラをブルーが守って、ハーレイが舵を握っていた日々。他の誰にも悟られぬよう隠し通した仲だったけれど、二人抱き合ってキスを交わして、それから、それから…。
しょんぼりとするブルーの肩にハーレイがそっと手を置いた。
「…どうした。残っていたら困りはするが、無いのも寂しい。…そんな所か?」
「……うん……」
言い当てられて、ブルーは頷く。その瞳に宿る悲しそうな光にハーレイが「そうか」と柔らかな視線を返して、その目をすうっと細めて言った。
「確かに何も残ってはいない。…しかしな、ブルー。俺にだけはちゃんと分かるんだ」
「……何が?」
不思議そうな表情を浮かべたブルーに、ハーレイはパチンと片目を瞑った。
「俺の日誌に書いてあることさ。どの日に何があったのか、とかな」
ハーレイがそれに気が付いたのは、小さなブルーと再会してから間もない頃。
転任教師としての多忙な日々が一段落して、休日はブルーの家を訪ねて束の間の逢瀬。前の生の記憶を取り戻すまでは思いもよらなかった幸せな日々だが、平日の自分はあくまで教師。ブルーと恋を語れはしないし、頻繁に訪ねるわけにもゆかず…。
そんな平日のとある夜のこと、ふと思い付いてデータベースにアクセスしてみた。前世の自分が毎日欠かさず記録していた航宙日誌。それを見ればきっとブルーのことも、と考えたのに…。
(…おいおいおい…)
なんてつまらない日誌なのだ、と我がことながら愕然とした。淡々と日々の出来事を綴った遊び心すらも無い文章。心から愛したブルーのことさえ『ソルジャー』と尊称で記してあるだけ。
(……いくら航宙日誌でもなあ……)
後々、次の世代の標になれば、と思って綴ったものではあったが、それが彼らの目に触れる時は自分は鬼籍に入っている。恥など関係ない身なのだし、戯れに書いた悪戯書きの一つや二つくらいあっても良かった。ブルーとのことも深い友情と受け止めて貰えそうな範囲で記しておけば…。
(…まったく色気のない日誌だな…)
スクロールする内に指が滑って、原文をそのまま記録してあるデータベースに入り込んだ。前の生での自分が綴った文字をそっくり写し取ったもの。それを見た瞬間、思わず息を飲んでいた。
羽根ペンで書かれた文字の微かな滲みに、ペンの運びに、鮮やかに蘇ってくるそれを記していた時の記憶。その時の自分の息遣いまでが聞こえてきそうな、その確かさ。
夢中になって時の記録を遡った。
今やソルジャーとなったブルーに募る想いを打ち明けようか、どうしようかと迷っていた頃。
迷っているのが自分一人ではなかったことに気付いて、秘かに心躍った日のこと。
そして…。
初めてのキスも、初めてベッドを共にした時のことも、何もかもが其処に残っていた。
(……ブルー……)
彼を喪った日に深い悲しみの中で記した日誌を読んでから、ハーレイはデータベースを閉じた。
何もかもが色を失くしたあの日。自分の生すら呪わしく思い、生きる意味すら失ったあの日。
逝ってしまったブルーの許へと旅立つ日だけを、それからの自分は待ち続けていた。そうやって前の生は終わって、気付けば自分は地球の上に居て。そしてブルーも、また地球に居た。
今度の生では、いつが始まりになるのだろう。
ブルーとの日々はとうに始まっているが、まだ十四歳にしかならないブルーはハーレイの想いを全て受け止めるには幼くて無垢で、小さくて。
そう、今、目の前で聞き入っている小さなブルーがあの頃のように大きくなったなら……。
ハーレイの航宙日誌に纏わる話を目を輝かせて聞いたブルーは、もう嬉しくてたまらなかった。他の人間の目には歴史資料としか思えないそれに、前の生での自分とハーレイとの懐かしい日々が全て記してあるという。
「ねえ、ハーレイ。ぼくもハーレイの日誌、読んでみたいな」
「何も書いてないぞ、つまらんことしか」
強請ってみたら、ハーレイの返事は予想通りで。ブルーはもっと我儘を言ってみたくなる。
「だから、ハーレイの解説付きで! データベースなら、ぼくの端末でも読めるから!」
「…………」
ハーレイの眉間にグッと皺が寄り、それは珍しい仏頂面。ブルーはいそいそと勉強机に置かれた端末を起動し、「ほら」とハーレイに画面を示した。
「えーっと…。初めてキスをしたのって、この頃かな? そして初めてベッドに誘われた日は…」
「そういう話をするんじゃないっ! お前、幾つだ!」
「十四歳だよ。だけど年齢制限は無いよ、航宙日誌」
「揚げ足を取るな!」
この馬鹿者、と褐色の手が横から伸びて端末を操作し、消してしまった。素知らぬ顔でテーブルに戻ったハーレイと再び向かい合って座り、ブルーは「うーん…」と小首を傾げる。
「データベースがダメなんだったら、パパに頼んで買って貰おうかな? 本になったヤツを」
「こら! 超一級の歴史資料をオモチャにするな!」
高いんだぞ、と頭をコツンと小突かれた。
「俺の文字をそのまま写したヤツはな、研究者向けの専門書だから普通の本とは違うんだ。買って貰うなら文庫版の航宙日誌にしておけ、全部揃えても専門書よりはうんと安いぞ」
研究者向けの航宙日誌は一巻だけでもブルーが普段に読んでいる本の何十倍もするらしい。遠い昔にそれを綴ったハーレイ自身ですら、購入を躊躇するような高価な本で。
(でも、欲しいなあ…)
読んでみたいな、とブルーは思う。
父とそう変わらない年のハーレイにだって、そう簡単には買えない値段の航宙日誌。全部の巻を買うとなったら大散財だ、とハーレイは言っているけれど…。
(でもいつか、買って読ませてほしいな)
大好きな声の解説つきで、ハーレイの褐色の指でページをなぞって。
そう、ぼくたちが一緒に暮らせるようになったら、あの頃と今とを重ねてみたい。
ハーレイのことを好きになった頃も、キスをした日も、其処には全部あるというから。
(そんな宝物を一人占めするなんてずるいよ、ハーレイ)
きっとブルーには内緒なだけで、ハーレイは今も度々データベースにアクセスしては、遠く昔に過ぎ去った日々の思い出を読んでいるのだろう。自分だけが持っている秘密の鍵を使って、誰にも読めない懐かしく暖かい日々の記録を宝箱からそっと取り出して。
(…ぼくだって読んでみたいよ、ハーレイ。君の声でちゃんと聞かせて欲しいよ、君の記憶を)
シャングリラに居た頃は「俺の日記だ」と読ませて貰えなかった航宙日誌。
こっそり読もうとは思わなかったし、それは失礼だと思っていた。
でも今は違う。航宙日誌は超一級の歴史資料で、図書館にもデータベースにも在って…。
(誰だって自由に読んでいいんだし、読めるんだしね)
いつか絶対、ハーレイが羽根ペンで書いていた文字をそのまま写した航宙日誌を読んでみたい。自分で読んでも日々の出来事しか読み取れないから、もちろんハーレイの解説つきで。
ソルジャー・ブルーが生きていた頃の日誌はもちろん全部欲しいし、いなくなった後に書かれた日誌も。…其処に自分は居ないけれども、ハーレイの想いはきっと残っている筈だから。
(…うん、やっぱり全巻揃えたいよね、キャプテン・ハーレイの航宙日誌!)
いつかハーレイと結婚する時には家に揃えておきたいな、とブルーは大きく夢を膨らませた。
今の生と前の生とを重ねて、比べ合わせて過ごせば幸せはきっと何倍にもなるに違いない。
欲しくてたまらなくなった航宙日誌は、ハーレイに揃えて欲しいのだけれど。
(…ハーレイが嫌がって買わなかったら、パパとママにお願いすればいいよね)
結婚のお祝いに欲しいと頼めば、高価な本でも喜んで買ってくれるだろう。そうしよう、と思うブルーは全く気付いていなかった。
航宙日誌を結婚祝いに買って貰うのなら、ハーレイとの結婚が大前提。
まずはハーレイと結婚したい、と告げる所から始めなくてはいけない現実に気付かないのが子供たる所以。そんなブルーとハーレイの新居が何処になるのか、其処にキャプテン・ハーレイの手になる超一級の歴史資料な航宙日誌がズラリと全巻並ぶのか否か、それはまだ誰も知らない未来…。
遠い愛の記録・了
※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
こちらは只今、第1&第3月曜更新となっておりますが…。
第5月曜のある月は第5月曜にも更新して月3にしようかな、と考え中です。
しかし本来、ハレブルは 「別館」 、メインは 「シャングリラ学園番外編」。
更新回数は増やさない方がいいのだろうか、とアンケートを実施しております。
拍手部屋にて9月21日までです、ご協力よろしくお願いします。
第5月曜の更新希望が多かった時は、9月29日から第5月曜更新が始まります。
9月29日に更新する場合は、予告を出します。
更新の有無は毎日更新の 『シャングリラ学園生徒会室』 にて御確認下さいv
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←アンケート会場へは、こちらからv
御礼ショートショートの下に、アンケートフォームを設置してます。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
夏、真っ盛り。恒例の柔道部の合宿とジョミー君とサム君の璃慕恩院修行体験ツアーも済んで、ホッと一息のお疲れ休みといった所です。会長さんのマンションに集まり、マツカ君の山の別荘行きをいつにしようか相談中で。
「卒塔婆書きの方は順調だからな、俺はいつでもかまわないぞ」
いざとなったら今年は親父に押し付ける、とキース君は今回、なんだか強気。アドス和尚に押し付けるなんて、そんな裏技が可能でしょうか? サム君もそう思ったらしく。
「お前の親父さん、怖いじゃねえかよ。押し付けたりしたら後が大変だぜ?」
「親父には貸しがあるからな。月参りのピンチヒッターで」
「「「ピンチヒッター?」」」
なんですか、それは? 月参りと言えばお葬式と違って日時が決まっている筈ですが…?
「だからこそのピンチヒッターだ。親父のヤツ、仲間とゴルフコンペに行ったのはいいが、日程を勘違いしていやがってな。当日の朝に気が付いたんだ。その日は月参りがフルに入っていたことに」
「「「………」」」
あちゃー…。やっちゃいましたか、ダブルブッキング。以前のアドス和尚だったらゴルフコンペをドタキャンですけど、今はキース君が副住職です。代理で月参りに行って貰えば問題ないというわけで。
「よろしく頼む、と言って来たから「高くつくぜ」と返しておいた。卒塔婆の五十本や百本くらいは丸投げしたって許される」
あっちはゴルフに行ったんだしな、と鼻で笑っているキース君。お坊さん同士のゴルフコンペって全く想像つきませんけど、ゴルフばかりか野球チームもあるそうです。キース君にも入らないかと声が掛かるのを断り続けているらしく。
「…野球自体は面白そうだが、年に何度か試合があるんだ。その打ち上げがパルテノンの高級料亭らしい。舞妓さんを呼んで派手にやるから、と言われても俺にはそういう趣味が…」
「ついていけない世界なわけだね、万年十八歳未満お断りじゃねえ…」
お気の毒さま、と会長さんがクスクスと。
「君はそういう世界よりかは柔道部の合宿で騒いでる方が好きだろう? 今年は鼠花火だったんだって?」
「「「鼠花火?」」」
何故に柔道部で鼠花火が出てくるのでしょう。花火で遊んでいたのかな?
「…ああ、まあ…。俺はやめとけと言ったんだがな…」
「かなり酷い目に遭ったようだねえ、ハーレイにバレてボコボコではねえ…」
度胸試しもほどほどに、と会長さんは楽しげですけど、柔道部の合宿で何をやったの?
鼠花火で度胸試しをやらかしたという柔道部。教頭先生が顧問で指導係なだけに、ボコボコってことは叱られたに違いありません。シロエ君とマツカ君もバツが悪そうで。
「ぼくもやめるように言ったんですけど…」
「合宿の打ち上げでしたから…」
ハイになった後輩たちには無駄でした、とマツカ君たち。打ち上げってことは最終日?
「正確には最終日前夜というヤツだ。最終日は朝稽古をして帰るだけだし、ハードな練習は前の日で終わりになるからな…。夜の食事もちょっと豪華に、食後の遊びもOKで」
他の日は夕食が終わったらミーティングなどで、自由時間は無いらしいです。終了前夜は翌朝の練習に響かない程度に打ち上げをやるのが毎年恒例。今年もみんなで花火をやろうと買い込んであって、ワクワクの花火大会を。
「最初の間は良かったんだ。花火を持って振り回すくらいは普通だし…。そこへ鼠花火を握るヤツが出て来て、いつまで持っていられるかと度胸試しを」
「危ないじゃないの!」
スウェナちゃんが叫びましたが、キース君は。
「危ないと言えば危ない遊びだが、反射神経の問題だしな。ほどほどにしろよ、と注意しておいた。そしたら更にエスカレートして、鼠花火をよける方向で」
「「「よける?」」」
「そのまんまだ。点火した鼠花火は何処に走るか分からない。その上をだな、飛び込み前転とかバク転で飛んで逃げようという遊びになってしまったんだ。これぞ究極の度胸試し、と」
「「「………」」」
流石は男の世界な柔道部。ウッカリ鼠花火に突っ込んでしまったらどうするのだ、と驚いていれば、シロエ君が。
「現に突っ込んじゃってましたよ、何人か…。でもですね、全体重でブチ当たるだけに花火の方が負けるんです。蝋燭の火を指で摘んでバチッと消すのがあるでしょう? あれと同じで当たった途端に消えちゃうんですよ、鼠花火は」
「へえ…。だったら別に危なくないんだ?」
ジョミー君は好奇心を刺激されたみたいです。
「なんだか面白そうだよね、それ。ちょっとチャレンジしてみたいな」
「…叱られるぞ?」
お前もボコボコにされたいのか、とキース君は怖い顔。
「確かに花火に当たると消えるんだがな、どういうはずみで事故が起こるか分からない。柔道部のヤツらもヒートアップしてきた所へ教頭先生が様子を見に来て、凄い剣幕で怒鳴られて…」
道場で正座一時間の上、翌朝の練習メニューが三倍に増やされて誰もがヘトヘトな結末だった、という話。練習の中身が三倍になっても適宜な休憩などを挟んでいるため、体罰とは無縁。誰も文句を言えないままに稽古三昧でボコボコに…。
教頭先生がブチ切れてしまった鼠花火の度胸試しは非常にインパクト大でした。イレギュラーな動きが売りの鼠花火を飛び越えるだけでも難しそうなのに、飛び込み前転にバク転だなんて…。そんな遊びをやらかしていれば、キース君だって舞妓さんと遊ぶより楽しいでしょう。
「まあな…。俺も一度は飛んだわけだし」
「え、まさかキースもやったわけ?」
止めてたんじゃあ、とジョミー君が驚くと、キース君ばかりかシロエ君たちまでが。
「合宿は集団生活ですしね、やっぱりノリが大切ですよ」
「皆さんが楽しくやっている以上、先輩のぼくたちが注意するだけでは悪いです」
「…そういうことだ。そしてガッツリ叱られた」
思い切り連帯責任なのだ、と顔を顰めつつもキース君たちは満足そう。合宿を満喫してきたという達成感が顔に出ています。ちなみに三人とも、鼠花火に突っ込むことなく見事にかわしたそうでして…。
「…俺はバク転で行ったんだがな、運が良かったという所か」
「キース先輩、クソ度胸ですよ。ぼくも負けてはいられませんからやりましたけど…」
「ぼくはバク転は無理でした。普通に飛び込み前転です」
「それだって充分すげえじゃねえかよ!」
俺だと頭から突っ込むかも、とサム君が褒めちぎり、ジョミー君は。
「バク転に前転で鼠花火かぁ…。マツカの別荘でやってみたくない? 山の方なら教頭先生は来ないんだしさ」
「おい、お前な…。突っ込んだら笑い物確定だぞ?」
そしてお前は突っ込みそうだ、とキース君。
「日頃から要領が悪すぎる。何かと言ったらブルーに坊主、坊主と言われまくりだ」
「…そりゃそうだけど…。でも、逃げ足の方にも自信はあるよ?」
未だに坊主にされていないし、とジョミー君は親指を立てましたが。
「甘いね、君はとっくに僧籍だろう?」
僧籍となれば立派な坊主、と割り込んできた会長さん。
「徐未って法名も持ってるわけだし、坊主じゃないとは言わせない。逃げ足の速さは認めてあげてもいいけどね。…で、鼠花火を飛び越えたいわけ?」
「だって面白そうじゃない!」
「同じ花火ならもっとスリリングで、度胸試しも鼠花火の比じゃないヤツがあるけれど?」
それはもう半端ないヤツが、と会長さんはニコニコと。…もしかして今年の山の別荘、度胸試しで決定ですか? それも花火で?
鼠花火を飛び越えるよりもスリリングな度胸試しの花火。会長さんは何を知っているというのでしょう? 私たちは顔を見合わせましたが、てんで見当が付きません。
「知らないかなぁ、手筒花火」
「「「…てづつ?」」」
聞いたこともない花火です。手筒と言うからには打ち上げ式ではなさそうですけど…。
「昔はマイナーだったけどねえ、ホントに地域限定で…。それが今では出張サービスをする会社もある。花火大会に花を添えるってことで」
こんな感じで…、と会長さんが検索してくれた花火会社のホームページ。『手筒花火』の文字があります。それをクリックして動画をクリック。画面に出現したものは…。
「な、何、これ……」
「火を噴いてますよ!」
ジョミー君とシロエ君が同時に声を上げ、画面の中では法被姿のおじさん達が直径二十センチくらいの大きな筒を抱えています。筒の上からオレンジ色の火柱が勢い良く噴き上げ、高さはそれこそメートル単位。火の粉が降り注ぎ、文字通り炎の噴水の下でおじさん達は仁王立ち。
「凄いだろ? これだけでも充分に度胸試しと言えるんだけどね、最後が凄くて」
「「「最後?」」」
何が起こるというのだろう、と見詰めているとバァンッ! と大きな爆発音が。会長さん曰く、手筒花火のフィナーレはコレ。筒の底から景気良く火薬が炸裂するそうで、根性無しだとこの瞬間に筒を手放してしまうとか。
「ここまでやり遂げてなんぼなんだよ、手筒花火は。…ね、ぶるぅ?」
「かみお~ん♪ 見てるだけでもビックリだよね!」
目の前で見ると凄いんだから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんと一緒に何度か見ていて、子供でも出来る缶ジュースサイズのヨーカン手筒とかいう手筒花火を上げに行ったこともあるのだとか。
「…ぶるぅもやったの? 小型のヤツを?」
ジョミー君の問いに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は元気良く。
「うん! おっきいヤツはね、ぼくだと小さすぎて持てないし…。だけど一回やってみたくて、ブルーに頼んで連れてって貰って」
「じゃ、じゃあ、ブルーは……本物のアレを……」
凄すぎる、と腰が引けているジョミー君ですが、会長さんはアッサリと。
「やるわけないだろ、ぼくは儚げな美形が売りなんだ。ああいうヤツには向かないよ。…やってやれないことはないけど、絶対やらない」
ヨーカン手筒もやっていない、とキッパリ告げる会長さん。確かにイメージに合ってませんけど、そういう理由で大却下ですか、そうですか…。
会長さん曰く、手筒花火は柔道部なんかを遙かに超えた男の世界。花火からして自分で手作り、ハンドメイドのマイ手筒。
「花火で度胸試しをするなら手筒くらいはやらないと…。鼠花火を飛び越えるよりも男が上がるのは間違いないね。ただし、思いっ切り違法だけどさ」
「「「は?」」」
「手筒花火を自作するのも、上げるのも、免許とか許可が要るんだよ。そのための講座も存在するけど、そこまでやってちゃ面白くない。やるなら無許可で無免許だね。シャングリラ号だって違法なんだし」
届け出もしていなければ何処にも税金を払っていない、と言われてみればその通り。専用空港は正規の空港らしいのですけど、其処を発着するシャトルなんかは無届けで飛んでいるわけで。
「あれに比べれば手筒花火の無届けくらいは可愛いものだよ。夏休みの記念にやりたかったら技術をサイオンで盗んでくるけど?」
どうするんだい、と訊かれた男の子たちは。
「…面白そうな花火ではある。やってみるかな」
「キース先輩がやるんだったら、ぼくもやります!」
「俺だって! 俺もキースには負けないぜ」
「ぼくもやる! 一人だけ負けてられないし!」
怒涛の勢いで決意表明の四人に続いて、マツカ君がおずおずと。
「…ぼ、ぼくはヨーカン手筒でいいです、あんなのはちょっと無理そうです…」
「なに言ってんだよ、やりゃ出来るって! なあ、キース?」
サム君がマツカ君の背中をバンバンと叩き、キース君が。
「無理強いするのは良くないが…。挑戦するのも心身の鍛練になると思うぞ、どうしても無理だと思った時には勇気ある撤退というヤツだ」
手筒花火は無駄になるが、という言葉を聞いた会長さんの赤い瞳がキラリ。
「もったいないねえ、その手筒…。それ、ハーレイに上げさせようか?」
「「「えっ?」」」
「そうだ、どうせならハーレイも一蓮托生! 手筒花火の会の顧問になって貰ってハーレイの分も作らせるんだよ。ヘタレのベクトルが違うかもだから、見事に実演するかもね」
それが最高、と会長さんがブチ上げ、その場で電話。教頭先生、違法行為をやるというので暫く渋っておられましたが…。
「ふふ、男を上げるチャンスだと言ったら食い付いたし! 後は場所だね、花火作りと上げる場所とをどうするか…。マツカ、使える場所はあるかい?」
「なんとか出来ると思います。帰ったら父と相談して…」
最適な場所を見つけ出しますよ、とマツカ君が答えた時です。
「いいねえ、男が上がるんだって?」
ぼくも混ぜてよ、と優雅に翻る紫のマント。えっと、ソルジャー、まさか手筒花火を上げるんですか? 会長さんは自分のキャラじゃないとか言ってましたが、ソルジャーだったらお似合いかも…?
スタスタと部屋を横切ったソルジャーは空いていたソファにストンと腰掛け、アイスティーとケーキを注文。運ばれてきたライチのムースケーキにソルジャーは御機嫌でフォークを入れながら。
「あっちから覗き見してたんだけどさ、手筒花火って凄い発想だよね。火の粉をかぶって花火を上げて、最後の最後にドカンだろ? まさに究極の度胸試し! 男の中の男ってね」
「だからって君がやらなくても…!」
ぼくと同じ顔でやらないでくれ、と会長さんが泣きを入れると。
「ぼくがやるとは言ってないけど?」
「…じゃあ、誰が?」
「こっちのハーレイがやると聞いたら直接対決させなくちゃ! ぼくのハーレイはヘタレていないし、絶対、勝つに決まってるんだよ」
男同士のタイマン勝負、とソルジャーはニヤリ。妙な所で闘争心を燃やしているようです。
「だけどハーレイは忙しい身で…。ほら、海の別荘行きがあるだろう? あれに備えて根回し中でさ、花火を作りに来る暇が無い。ぼくが代理で作っていいなら参加させたいと思うんだけど」
「…君が代理で花火作りねえ……」
「ダメなのかい? だったらハーレイのスケジュールを組み直して…」
「要するに、やらせないという選択肢は無いわけだね?」
畳みかける会長さんに、ソルジャーは「うん」と頷くと。
「こっちのハーレイが男を上げるチャンスだというのに、ぼくのハーレイが現状維持ではつまらない。一緒に男を上げてこそだよ、ぼくのパートナーなんだから!」
ヘタレに負けるなんて有り得ない、と自信満々で言い放つソルジャー。何が何でもキャプテンの株を上げたいらしく、キャプテンの都合にはお構いなしで。
「スケジュールの調整が必要だとしてもね、ハーレイは頑張ると思うんだ。ぼくのためなら徹夜の二晩や三晩…。ぼくが頼めば明け方近くまで付き合ってくれる日もあることだしさ」
「「「???」」」
「あ、分からなかった? 徹夜に近い勢いでヤリまくるよりかは、普通に徹夜が楽だと思うよ。そしてヤリまくった次の日も疲れた様子は見せずにいられるのがハーレイで…」
本当に最近ヘタレなくなった、とソルジャーの話が更にアヤシイ方向へ行こうとするのを会長さんがピシャリと止めて。
「その先、禁止! 代理の花火作りは認めるからさ、余計な話はお断り!」
「これからがいい所なのに…。昨夜も二人で」
「退場!!!」
花火作りをやりたかったら大人しくしろ、と会長さんは柳眉を吊り上げています。手筒花火の会の顧問は教頭先生、おまけにソルジャーとキャプテンつき。山の別荘へ出掛ける計画、今年はオジャンになりそうですねえ…。
マツカ君の山の別荘へ行く予定だった夏休み前半。キース君には卒塔婆書きという仕事が山積みのお盆を控えた暑い盛りは、手筒花火なる熱いアイテムに費やされることに決定しました。顧問に迎えられた教頭先生の引率で、初日はマツカ君のお父さんが所有する竹藪へ。
「いいか、竹選びが大切らしいぞ。そのぅ…。何だったかな…」
マニュアルが印刷された紙に目を落とす教頭先生の横から、会長さんがチッチッと。
「ダメダメ、ちゃんと頭に入れて来るようにって言っといたのに…。顧問がそれではマズイと思うよ、これは特別にオマケだからね?」
キラリと走る青いサイオン。会長さんがゲットしてきた手筒花火に関するノウハウが伝達されたみたいです。教頭先生はマニュアルをサッと眺めて、竹藪の竹に向き直ると。
「選ぶ竹だが、まず二年物だ。今年生えた竹はこういう青。二年物は少し茶色くなる。この色だな。こういう色で、太さは中に大人の握り拳が入るサイズで…。そして曲がった竹ではダメだ」
真っ直ぐな竹でないと手筒花火が作れないぞ、と選び出された一本の竹。それが理想の竹らしいですが、使える部分は根元から五節分ほどで。
「これ一本で二人分だな。私と、あちらのブルーの分しか作れない。自分の竹は自分で探す!」
「「「はーい!」」」
男の子たちが竹藪に散ってゆき、アレかコレかと品定め。ようやっと全員分を確保出来るまでには長い時間がかかりました。お昼までには帰れるだろうと思っていたのに、切り倒した竹を運搬用のトラックに積んだら昼過ぎです。
「かみお~ん♪ 竹藪に来たんだし、そうめん流し~!」
お昼にはボリューム不足だけどね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が冷たい麺を竹の樋から流してくれて、みんなで昼食。ボリュームが足りない分はドカンと山盛りのちらし寿司が。
「「「いっただっきまーす!!!」」」
「しっかり食っておくんだぞ。午後も作業があるんだからな」
手筒花火への道はまだまだ遠い、と教頭先生。一足お先にトラックで運ばれて行った竹を花火のサイズにカットし、加工しなくちゃいけないそうです。うーん、なかなか大変みたい…。
竹の加工はマツカ君の家の庭でやることになりました。広い芝生にテントが張られて、その下で竹を六十センチほどにカットしてから節抜き作業。
「一番下の節は残しておきなさい。そっちが発射口になる」
「「「え?」」」
竹が丸ごと発射口かと思ってましたが、違うようです。要らない節を抜くのも慎重に。
「うーん、こんな感じでいいのかなぁ?」
「ジョミー、竹は丁寧に扱うようにと言った筈だが?」
下手にぶつけたりしないように、と教頭先生の注意がビシバシ。小さなヒビが入ったりすると点火後に割れる危険があるのだとか。もっとも、そこは違法行為を働こうという会長さん主催の手作り会。サイオンでコーティングという安全確保の裏技アリです。しかし…。
「コーティングは油抜きをしてからなんだよ、まずは油抜き! 頑張るんだね」
今日は暑さが厳しいけどさ、と会長さん。…えーっと、油抜きっていうのは何ですか?
「竹の油と水分を抜いて乾かすわけ。自然乾燥だと間に合わないから、火を使う」
「「「火!?」」」
この暑いのに、と嘆く男の子たちは穴掘りに駆り出され、裏庭の使われていないスペースに大人が一人埋められそうなほどの大きな穴を。その底に一面に炭を並べて点火し、節を抜いた竹を穴の上に並べて干してジュウジュウと…。
「……暑いな……」
「なんか朦朧となってくるよね…」
キース君やジョミー君が汗だくでブツブツこぼせば、教頭先生の厳しい声が。
「今から暑くて手筒をどうする! 本番では火がついた筒を抱えるんだぞ!」
「「「はーい…」」」
でも暑い、と文句たらたらの男の子たちの隣ではソルジャーが涼しい顔をしていました。シールドを張って冷却中に違いありません。スウェナちゃんと私も会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のシールドの中にいるわけですから、高みの見物に限りますよね!
乾かした竹は翌日、中を滑らかにヤスリがけ。それから後は竹の周りに縄をギッチリ巻き付ける作業の開始です。会長さんに見せて貰った動画にあったような太さになるまで幾重にもガッチリ、ギッチリと。驚いたことに縄巻き用の機械なるものが登場で…。
「ふふ、本場のをお借りしてきたよ。使ってない時は無用の長物だしね」
倉庫の奥から無断借用、とウインクしている会長さんが調達した機械のお蔭で作業は劇的にスピードアップ。手作業だったら数日はかかったであろう過程を一日で完了、残るはハイライトの火薬詰めというわけですが。
「いやもう、これをマツカの家の庭でやろうというのが最悪」
火薬詰めの日、会長さんが呟くと、ソルジャーが。
「なんで?」
「火薬だからだよ、人家の近くで扱うモノじゃないんだってば! 手筒花火を作る時もね、これだけは花火工場に行くという決まりになってる。花火工場の敷地を借りて詰めるわけ」
花火工場は人里離れた山奥なんかにあるものだ、と会長さん。万が一、火薬が爆発しても周囲に被害が及ばないよう、そういう立地になっているとか。…ということは、いくら敷地が広いとはいえ、マツカ君の家の庭というのは…。
「そう、違法行為も此処に極まれり…ってね。花火工場よりも安全なんです、と説明しようにもシールドなんかは警察に説明出来ないだろう?」
「「「………」」」
だったら花火工場に行けば、とは誰一人として言えませんでした。内緒で作ろうというのですから当然です。いよいよ違法行為の域に足を踏み入れるのか、と緊張の面持ちでジョミー君たちは縄を巻いた筒を節の方を下に固定して火薬詰め。これにも順番などがあるようで…。
「一番最初は赤土だぞ? 蓋の部分になるからな。火薬は棒でしっかり突き固めるように入れなさい。これだけ入れる度に百回くらいは突かないとダメだ」
「「「ひ、百回…」」」
この暑いのに、とゲンナリしつつも男の子たちは頑張りました。ソルジャーはと言えば、キャプテンの男を上げるためのアイテム作りの大詰めとあって嬉々とした表情でトントントン。隣で作業している教頭先生に負けじと根性で火薬を詰めて、詰めまくって…。
「ハーレイ、こんな感じでいいのかな?」
「そうですね。最後がハネ粉です、爆発用の火薬です。和紙に包んで、こう、真ん中に置いて…。後は新聞紙を詰めて下さい」
なんと、大トリは新聞紙ですか! 固く丸めた新聞紙が幾つもも突っ込まれて火薬詰めは無事に終了。筒の上下を引っくり返して残してあった節の真ん中に穴を開け、点火用の口粉を詰めてから紙で穴を覆って、丸めた新聞紙を置き…。
「この紙を上に被せて蓋をするんです。被せたら紐で強く縛って…。はい、出来上がりですよ」
お疲れ様でした、と教頭先生がソルジャーを労い、男の子たちの手筒花火も完成しました。街のド真ん中で危険な火薬を詰めていたなんて、ちょっと人には言えませんねえ…。
ついに完成した違法アイテム、ハンドメイドの手筒花火。上げるのも違法行為ですから、マツカ君が提供してくれた場所はお父さんが所有している山奥の駐車場でした。観光シーズンしか開かないとあって、花火をやるには最適で。
「湿気も風も無いし、絶好の花火日和だね」
空気も最高、と会長さん。私たちは夕方に会長さんのマンションに集合してから、瞬間移動で駐車場まで。なにしろ危険な手筒花火があるのですから、マイクロバスでの移動はマズイです。腹が減っては戦が出来ぬとばかりにスパイスたっぷりエスニック料理の夕食の方もたっぷり食べて…。
「ブルー、この衣装はどういう趣向なのです?」
キャプテンが自分の衣装を改めて見回し、ソルジャーが。
「手筒花火の制服らしいよ、そういう衣装が正式だそうだ。そうだよね、ブルー?」
「うん。手筒花火は本来、神様に奉納するもので…。お祭りに法被はお約束さ」
みんなそういう格好だろう、と会長さんが示すとおりに男の子たちは全員、法被。この日のためにと会長さんが誂えて来た、襟に『シャングリラ組』の文字が入ったお揃いです。背中には大きく『祭』の一文字。教頭先生も法被姿で、颯爽と前に進み出て。
「ブルー、そろそろ始めるか?」
「そうだね、最初はぶるぅのヨーカン手筒からかな」
「かみお~ん♪ ぼく、いっちば~ん!」
手筒花火作りが羨ましかった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、教頭先生に頼んでヨーカン手筒を作って貰っていたのです。手筒花火を初めて目にするキャプテンのためにも、初心者向けの演技は欠かせませんし…。
「ぶるぅ、点火するぞ?」
「うんっ!」
教頭先生が種火から採った火を入れ、子供法被の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が握った缶ジュースサイズの筒からシューッと噴出するオレンジ色の火花。一メートル以上も噴き上がる火にキャプテンは仰天したようですけど、それは手に持っているからであって。
「あれが手筒花火というものですか…」
「正確にはヨーカン手筒だけどね。お子様向けの小型版かな」
会長さんが解説している間にシューシュー噴いていた花火は終わりました。時間にしてほんの二十秒ほど、大した長さじゃありません。ハネと呼ばれる爆発も無く…。
「今のが小型版ですと、私が上げるというコレはどういうサイズなのです?」
どうも想像がつかないのですが、とキャプテンがソルジャーが作った手筒花火を見下ろし、教頭先生が。
「今から私が始めますので、どうぞご覧になって下さい」
「ああ、二番手でらっしゃいましたか。よろしくお願いいたします」
見学させて頂きます、と深々と頭を下げたキャプテンでしたが…。
「な、なんですか、あれは…!」
とんでもない火が、とキャプテンが叫んだ点火の瞬間。手筒花火は地面に横倒しにして火を入れ、そこから起こしてゆく仕組みです。点火と共に噴き出した炎は数メートルの彼方まで…。
「ああ、あれが手筒花火の目玉らしいけど?」
「…め、目玉……」
どうなるのですか、と慌てるキャプテンの目の前で教頭先生が筒を抱え起こして仁王立ちに。片方の足を後ろへと引いたポーズは最後の爆発で火傷しないためらしいです。火柱は思い切り高く上がって、会長さんが言うには地上から十メートルくらい。
「も、燃えてます、ブルー、燃えていますよ!」
パニック状態のキャプテンの肩をソルジャーがポンと軽く叩いて。
「そりゃあ燃えるさ、火薬が詰まってるんだしね。あの火花だけど、法被が多少焦げる程度で火傷は滅多にしないらしいし! 火薬に混ぜる鉄粉がダマになって落ちたら火傷というから、そこは気を付けて混ぜておいたよ」
心配せずに堂々とやれ、とソルジャーは言ってますけど、キャプテンの顔は真っ青です。
「ま、まさかこういう花火だとは…。か、抱える花火だとは聞きましたが…」
「クライマックスは最後だってさ、なんかドカンと」
「…ドカンと?」
何が起こるのですか、とキャプテンが身体を震わせた途端にバァン! と耳をつんざく爆発音がして手筒の底が吹っ飛びました。花火終了、教頭先生は燃え尽きた筒を抱えて、にこやかに。
「如何でしたか? 次、なさいますか?」
「…い、いえ、私は…!」
もう少し見学させて頂きます、と逃げ腰のキャプテンに代わってキース君が進み出、点火したマイ手筒花火を抱えて不敵な笑み。ジョミー君たちが写真や動画を撮影し始め、キャプテンは後ろでオロオロと。
「…ど、どうなっているのですか、ブルー! この花火はあれが普通ですか?」
「普通だってば、キースがやってるヤツもそろそろ…。あ、ほら」
バァン! と底が抜け、驚愕のキャプテン。続いてシロエ君が、ジョミー君が、サム君が…。キャプテンの恐怖は最高潮に達し、そこでマツカ君が。
「…あのぅ……。やっぱり、ぼくには無理みたいです…」
すみません、と謝るマツカ君に、教頭先生が大らかな笑顔で。
「気にするな、マツカ。無理をして火傷や怪我をするより、引き下がるのも男だぞ」
代わりに私が上げておこう、とマツカ君が作った花火を抱えて火の粉を浴びる教頭先生は男の中の男でした。一方、最後に残った手筒花火を上げるべき立場のキャプテンは…。
「む、無理です、ブルー! わ、私にはとても、あんな花火は…!」
「そう言わずにさ! 男の世界な花火なんだよ、こっちのハーレイには負けられないだろ?」
「……し、しかし……!」
そういうレベルの問題では、とキャプテンが絶叫し、バァン! と吹っ飛ぶ手筒の底。残るはキャプテンの手筒だけです。ここで上げずに退散したら、法被が泣くと思うんですけど…。
「…なんだかねえ……」
ぼくは心底ガッカリしたよ、と肩を落としているソルジャーと、「すみません…」と項垂れているキャプテンと。男の中の男を夢見てソルジャーが作った手筒花火は、教頭先生の逞しい腕に抱えられて火柱を噴き上げていました。キャプテンの背中の『祭』の文字が寂しそうです。
「…すみません、ブルー…。あなたの期待を裏切ってしまい…」
「うん…。お前の方がヘタレだったなんて、ぼくにも信じられないよ…」
なんでこういう展開に、と愚痴るソルジャーを他所に、教頭先生は勇壮に火の粉を降らせています。会長さんの前でキャプテンに勝つという快挙を成し遂げ、自信に溢れてヘタレも返上。この勢いなら会長さんにもアタック出来てしまうかも…。間もなくバァン! と底が抜けて。
「見てくれたか、ブルー!?」
やり遂げたぞ、と引き揚げて来る教頭先生に、会長さんが。
「そのようだねえ…。君の男は上がったようだよ、代わりに犠牲者が約一名」
「…犠牲者?」
「あっちの世界のハーレイさ。ブルーもガックリきたみたいだから、離婚の危機かも」
ヘタレに負けたらキツイよねえ、と会長さんは同情しきり。手筒花火の度胸試しは意外な結末を迎えてしまい、キース君たちも困った顔で。
「…もっと事前に学習してきて貰うべきだったな…」
「でもさ、それ、ぼくたちの仕事じゃないし!」
やるべき人が他にいた筈、と非難の視線はソルジャーに。キャプテンが男らしく見えるイベントに違いない、と勝手に思い込んで割り込んだ挙句、落ち込まれても私たちに責任は取れません。教頭先生の男が上がった件についても同様で。
「ブルー、これから祭りの打ち上げだったな? 成功した祝いに一杯やろう」
「そ、そりゃあ……。君は今回の殊勲賞だけど…」
乾杯するなら全員で、と必死に逃げを打つ会長さん。男を上げろと煽っただけに、いつもの調子で突っぱねるわけにもいかないようです。たまにはビールの一杯くらい、お疲れ様と注いであげるしかなさそうですねえ…。
駐車場で手筒花火を上げた後始末はマツカ君のお父さんにお任せとあって、私たちは再び瞬間移動で会長さんのマンションへ。使用済みの手筒花火の筒は、お祭りに使った花火の場合は魔よけなどに人気で高く売れたりするらしいのですけど…。
「ふうん…。だけどハーレイはヘタレちゃったしねえ…」
どちらかと言えば厄を呼びそう、と生ビールをガブ飲みするソルジャー。教頭先生は会長さんに注いで貰ったジョッキを上機嫌で傾け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意していたローストビーフや唐揚げ、タコスなんかをパクパクと。
「ブルー、もう一杯、頼めるか? いやぁ、花火の後の飯は美味いな」
「はいはい、手筒を上げた数だけ入れてあげるってば。…三発分ね」
これで二杯目、と会長さんがビールを注ぐのを横目で見ていたソルジャーですが。
「…聞いたかい、ハーレイ?」
「は?」
何でしょう、と恐る恐る訊き返したキャプテンに、ソルジャーは。
「…三発だってさ。確かに花火は一発、二発と数えるかもねえ……。で、お前は肝心の一発すらも上げられなかったわけなんだけど」
「…も、申し訳ございません…」
「その分、もっと素敵に一発! 男がググンと上がる勢いを込めて、吹っ飛ぶほどの勢いで!」
「…ですが……」
あの花火だけはどうしても、と俯くキャプテンの顔をソルジャーがグイと上げさせて。
「分かってないねえ、一発だってば! ぼくが壊れるほどの凄さで一発やって、と言ってるんだよ、一発どころか二発、三発!」
とりあえず三発はお願いしたい、と思いっ切りのディープキス。えっ、三発って……手筒花火ではなくて、何を三発?
「ふふ、君たちにも分からない? 三発と言えば三発だってば、ハーレイの特製手筒花火が炸裂ってね」
「「「???」」」
なんのこっちゃ、と首を傾げた私たちの後ろで火柱ならぬ教頭先生の鼻血がブワッと噴出。会長さんがテーブルに拳を叩き付けて。
「退場!!!」
「言われなくても退場するよ。ハーレイ、手筒花火は盛大にね!」
あやかりたいから貰って行こう、という声を残してソルジャー夫妻は消えました。ついでに手筒花火の筒もソルジャーが作った一個だけしか残ってなくて。
「と、盗られた―っ!」
ぼくの手筒、とジョミー君が叫び、キース君たちも。いくら魔よけとはいえ、六個も持って行くなんて…。自分のを持って帰ればいいじゃないか、と騒いでいると、会長さんが。
「全部で六個ね…。はいはい、分かった、ヌカロク、ヌカロク」
「「「ヌカロク!!?」」」
どういう意味だ、と問い詰めた結果は徒労に終わってしまいました。教頭先生は更に鼻血ですし、ソルジャー夫妻があやかりたかったヌカロクって何のことでしょう? 手筒花火の筒は記念に欲しかったですよ、リベンジのチャンスがありますように~!
勝負は花火で・了
※いつもシャングリラ学園番外編を御贔屓下さってありがとうございます。
手筒花火は実在してます、興味のある方は是非とも検索してみて下さい、勇壮です。
来月は 「第3月曜」 更新ですと、今回の更新から1ヵ月以上経ってしまいます。
ですから10月は 「第1月曜」 にオマケ更新をして、月2更新の予定です。
次回は 「第1月曜」 10月6日の更新となります、よろしくお願いいたします。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、9月はソルジャーがスッポンタケの戒名を熱く語り始めて…。
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