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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 ブルーの背丈は一向に伸びる気配もないのに、草木はぐんぐん育って、茂って。日射しも肌には痛いほどになって、蝉の鳴く夏がやって来た。間もなく学校も夏休みに入り、終業式の翌日は平日なのにハーレイが訪ねて来てくれて…。
 午前中は柔道部の指導をしてきたとかで、来訪は午後。生まれつき身体が弱いブルーには想像も出来ない世界だったけれど、柔道部員は朝の涼しい内に外を走って、その後は体育館で柔道三昧。
「…凄いね…。ハーレイも一緒に走ってきたの?」
「決まってるだろう! 俺がついていれば気合も入るし、俺も運動は好きだしな」
 部員たちと一緒に走ってきた上、柔道の技の指導まで。学校からブルーの家までの距離も普通に歩いてきたのだと言うし、ハーレイの体力は凄すぎる。
「ハーレイ。もしかして今も体力、余ってる?」
「そうだな、プールがあったら軽く泳ぎたい気分だな。…学校で少し泳いではきたが」
「ええっ!?」
 まさかプールに入ってきたとは思わなかった。それも水泳部の生徒に混じってコースを何往復も泳いだだなんて、少しと呼ぶには多すぎだ。ブルーは水泳の授業は大抵見学、たまに入っても少し泳げば疲れてしまう。コースの端から端まで休み無しなんて絶対に無理だ。
「…ぼくって、ホントに弱過ぎなんだ…」
「しょげるな、頭はいいんだろうが」
 それで充分いいじゃないか、とハーレイの手がブルーの頭をクシャクシャと撫でた。
「俺と一緒に走れとは言わんし、泳いでくれとも言わないさ。お前には似合わないからな」
「でも……」
 ハーレイと一緒に並んで走ってみたかったな、という気もする。水泳の授業も大嫌いだけれど、ハーレイの隣で泳げるのならば悪くない。それが出来ない自分の身体は…。
「…やっぱりハーレイと走ってみたいし、泳いでみたいな」
「馬鹿! それでお前が寝込んだりしたら、俺は思い切り寝覚めが悪いぞ」
 無茶はするな、と言い聞かされる。ハーレイに迷惑はかけられないから、走るのも泳ぐのも我慢あるのみ。出来たらいいな、と夢見るだけで終わりにしておくべきなのだろう。



 ともあれ、今日から夏休み。平日でもハーレイが来てくれる日が多くなる。そう、明日だって。
 会社から帰った父も交えての夕食の席で、ブルーは普段よりずっと気分が良かった。いつもなら夕食の後はお別れ、土曜日だったら翌日も会えるが日曜の時はそうはいかない。次の週末まで食卓にハーレイの姿は無いわけで…。
(ハーレイ、明日も来てくれるものね。日曜じゃないのに)
 考えただけで頬が緩んでしまいそうになる。そんな自分を抑えつけていたら、父が立ち上がって棚からお気に入りのウイスキーのボトルを持って来た。
「ハーレイ先生。休みに入られたことですし、一杯どうです?」
 美味いんですよ、と父が勧めてグラスも並べる。
「ありがとうございます。遠慮なく頂戴させて頂きます」
「どうぞ、どうぞ。いつもブルーがお世話になっていますから」
 グラスに注がれた琥珀色のそれを、ハーレイは氷も入れずに口に含んでみて。
「…いい酒ですねえ、これはこのままで頂かないと」
「ハーレイ先生、いける口ですね。水割りもなかなかに美味いんですよ」
 御遠慮なく、と父は嬉しそうに言い、夕食の後は母がチーズや軽いつまみを用意しての時ならぬ宴会となった。酒が飲めないブルーと母は紅茶とクッキーだったけれども、父たちの話を聞くのも楽しいものだ。
 最初の間は仕事の話も混じっていたのが、いつしかブルーとハーレイが共に持っている前の生の記憶へと移っていって。
「シャングリラでは酒といったら合成でしたよ、仕込むなどは夢のまた夢でしてね」
「…そうでしょうねえ、補給の問題もあったでしょうし」
「いえいえ、その前に嗜好品に手間はかけられませんよ。あれば充分、そんなものです」
 ブルーが好きだった紅茶にしても、とハーレイはグラスを傾けた。
「香りは二の次、三の次でした。その紅茶も酒も、今では地球の水で淹れたり仕込んであったりと最高の贅沢なんですよ。…思い出す前の私は有難さに気付いていませんでしたが」
 実にもったいないことをしてしまいました、とハーレイが笑う。
「酒は色々と飲んできましたし、地酒なんかもあれこれと…。あの頃に記憶が戻っていたなら、格別の美味さだったんでしょうなあ」
「はははっ、そういう楽しみ方もありますか! …お一人で二人分ですねえ」
 父とハーレイとの弾む話に、ブルーは微笑みながら聞き入っていた。前世の話は今までにも何度か出てはいたのだが、今日のハーレイは本当に楽しそうに話す。辛かった筈の頃の話を、懐かしい昔話のように…。



 次の日、ハーレイは昨日と同じように午後から来てくれた。柔道部に加えて軽く泳いで、歩いてブルーが待つ家まで。その体力もさることながら…。
「ねえ、ハーレイ。お酒ってホントに美味しいの?」
 ハーレイと自分の部屋のテーブルで向かい合ったブルーは昨日からの疑問をぶつけてみた。父と二人でグラス片手に大いに語り合っていたハーレイ。二人とも酔っていなかったのに、普段よりも滑らかだった口調は恐らくは酒のお蔭であって…。
「酒か? 美味いぞ、昨日お父さんに御馳走になった酒なんかは、もう最高に美味かった」
「……そうなんだ…」
 分かんないや、とブルーは呟く。十四歳の今はもちろん、前の生でもブルーは酒を好んで飲みはしなかった。合成の酒が不味かったというわけではなくて、実のところ、酒に弱かったのだ。
 ハーレイの部屋に行けば酒があったし、美味しそうに飲む姿を目にして「ぼくにも」と強請って飲んでみたことも少なくはない。ところが下手をすれば翌日は頭痛の二日酔いコースで、そこまで酷くはなかった時でも身体は熱いしフラフラするしで…。
「お前は酒は駄目だったしなあ…。それで美味いとも思わなかった、と」
 ハーレイの指摘に「うん」と頷く。
「だけど今度は飲めるようになってみたいんだけど…」
「何故だ? 無理に飲んでも二日酔いだぞ」
「…そうなんだけど…」
 ハーレイと一緒に飲みたいな、とブルーは赤い瞳で見詰めた。
「一緒に走るのは絶対無理だし、泳ぐのだって…。でも、飲むだけなら出来ると思う」
「………。お前、幾つだ? 酒は何歳からだった?」
 呆れたような顔のハーレイに「二十歳……」と法律とやらで決まった年を答える。
「話にならんな。まだ六年も先のことだぞ、お前」
 それにお前には多分無理だ、とハーレイは指でブルーの額をつついた。
「前と同じで身体は弱いし、すぐに倒れてしまうしな? そういうヤツには酒は向かない」
「体質は変わっているかもだし!」
 食い下がるブルーにハーレイが可笑しそうに笑いを堪える。
「そっくり同じに弱いくせして、体質も何もないもんだ。きっとお前は酒にも弱いさ」
「今度は耳は聞こえてるし!」
「生憎だったな、その点は俺も全く同じだ」
 補聴器要らずの耳ってな、とハーレイは自分の耳に手をやった。
「しかし、まあ…。お前がそこまで言うんだったら、二十歳になったら飲んでみろ。酔っ払うのも頭痛がするのも俺じゃなくってお前だからな」
 二日酔いに効く薬くらいは買ってやろう、と笑われた。やっぱり自分は今の生でもアルコールに弱い身体なのかもしれない。けれど……。



 ハーレイと一緒に走るのも無理、泳ぐなんてことも絶対に無理。
 どちらもハーレイの大好きな趣味で楽しそうなのに、自分はそれを分かち合えない。それならば父と酒を酌み交わしていた時のハーレイの笑顔、あれを自分も分かち合いたい。運動はとても無理だけれども、酒ならばきっと…。
「…ハーレイと飲んでみたいんだよ。ハーレイが好きなお酒を、一緒に」
「俺が美味いと言ったからか? しかしだな、お前にとっても美味いかどうかは分からんぞ」
「好きになるよ!」
 頑張って飲んで好きになるよ、とブルーは言った。
「最初はダメでも何度か飲んだら平気になるかもしれないし! そして好きになる!」
「……お前なあ……」
 無理をして飲む馬鹿が何処にいるか、とハーレイがブルーの頭に手を置く。
「それに美味くて飲むならともかく、我慢して飲むのは美味い酒にも失礼だ」
「だけど…! ぼくもハーレイと飲みたいよ!」
 ブルーはムキになって返した。昨日はあんなに楽しそうだったのに、と。
「絶対、ハーレイと飲むんだってば! パパしかハーレイと飲めないなんてずるい!」
「…お前のパパなあ……」
 問題は其処か、とハーレイはさも可笑しそうに笑い始めた。
「なるほど、お前はお父さんが俺と飲んでいたのが羨ましかったわけだ。…将来、お前が頑張って酒を克服するとしてだな…」
「克服するよ! 絶対、飲めるようになる! 美味しいって言う!」
 ブルーが懸命に主張しているのに、ハーレイの笑いは止まるどころか大きくなって。
「ははは、克服するんだな? それはいいとして、酒はだ、二十歳からだ。それは分かるな?」
「分かってるよ!」
「うんうん、お前が十八歳で俺と結婚するなら、俺は当分、お父さんと飲むしかないんだなあ…。お前、二十歳じゃないんだからな」
「えっ……」
 予想もしなかったハーレイの言葉にブルーは目を丸くしたのだけれど。
「そうだな、お父さんしかないな。…よし、結婚したらお前の家に住むことにしよう。飲み友達が出来そうだしな」
 昨日の酒は実に美味かった、とハーレイがパチンと片目を瞑る。昨夜、父とグラスを傾けていたハーレイの顔は傍で見ていても心が暖かくなるようなもので…。



「ずるい、ずるい、ずるいーっ!!」
 それに酷い、とブルーは椅子から立ち上がらんばかりの勢いで抗議した。
「ぼくがいるのにパパとだなんて、そんなのずるいし、酷すぎるよ!」
「仕方ないじゃないか、お前は十八歳なんだから」
 二年間ほど我慢しておけ、とハーレイはいとも涼しげな表情で返す。
「なあに、たったの二年の我慢だ。そうすれば二十歳になる。それまでは俺はお父さんと飲むさ」
「絶対やだっ!」
 ブルーは今度こそガタンと立つと、テーブルにダンッ! と両手をついた。
「ハーレイがそんな意地悪言うなら、飲めないようにしてやるから!」
「…ん? 俺の大事な酒を捨てる気か?」
「そんなのしないよ!」
 いくらブルーが腹を立てても、酒を捨てるような真似は出来ない。自分には飲めない嗜好品でもシャングリラでは貴重だった酒。ましてや合成品ではなくて地球の水で仕込んだ酒ともなれば…。
 けれどハーレイが父と二人で酒を酌み交わし、自分が其処に入れないなど論外だ。
 そんな結末を迎えるだなんて、とんでもない。それを防ぐには手段は一つ。
 ブルーはテーブルについた両手をグッと握ると、ハーレイに向かって宣言した。
「もう決めた! パパと一緒に飲めないように、ハーレイの家に住んでやるからっ!」
「……俺の家にか?」
「そうだよ! 結婚したら絶対、ハーレイの家に住んでやるっ!」
 そしたらパパと飲めないもんね、と言い放ったブルーの顔には「ざまあみろ」と書いてあったのだけれど、ハーレイの方はプッと吹き出し、必死に笑いを堪え始めた。それが何故だか分からないブルーは得意の絶頂から突き落とされた怒りも併せて背後に回ると、広い背中をポカポカと叩く。
「ハーレイ、何が可笑しいわけ!? ねえ!」
「いや、まあ、なあ…? ははは、俺の家にお前が来るんだな?」
「そうだってば!」
 決めたんだからね、とブルーは唇を尖らせた。
「ぼくが二十歳になったら一緒に飲むから、家で飲み友達は無し! パパとはダメっ!」
「分かった、分かった。結婚したら俺の家に住む、と」
「うんっ!」
 勢いよく「うん」と返事してから、ブルーはハタと気が付いた。
 ハーレイと一緒に飲むことだけを考えて突っ走ってしまったけれども、自分は何を言ったのだ?



(……も、もしかして……)
 結婚したらハーレイの家に行くと宣言しなかったか?
 あまつさえ、酒が飲めるようになる二十歳までは二年もかかる十八歳で結婚することを前提に。今の学校を卒業するのが十八歳だし、すぐに結婚出来たらいいなと思ってはいたが…。
(……い、言っちゃった? 十八歳で結婚したいって言っちゃった?)
 おまけにハーレイの家で暮らすと言ってしまったし、どうしたら…。
(ダメダメダメ~~~ッ!)
 耳の先まで真っ赤に染まったブルーは慌てて口を開いて叫んだ。
「い、今のは無し! ぼくは何にも言ってないから!」
「………。そうだったか? 十八歳で俺と結婚するとか、俺の家に来るとか聞こえたが…」
 俺の耳は昔と違って確かなんだが、とハーレイがニヤニヤ笑っている。
「補聴器もしていないしな? お前が十八歳で俺のものになると確かに聞いたが」
「言ってないってば!」
「…ふうん? だったら我慢をするってことだな、十八歳では結婚せずに」
「……そ、それは……」
 絶対無理! とブルーは悲鳴を上げた。
 恥ずかしすぎる宣言は撤回したいが、結婚が延びるのは何よりも困る。ハーレイがいるのに結婚しないで我慢なんて出来るわけがない。それくらいなら多少、恥ずかしくても…。
「やっぱり言った!」
 今のは取り消し、と全身が赤く染まりそうな顔で俯けばハーレイの笑い声が大きく響いた。
「そうか、言ったか。…今日の所は忘れておいてやるよ、お前、脱線しただけだしな」
 ……酔っ払いの寝言だと思っておくさ。
 そう告げたハーレイが囁いた言葉に、ブルーはもうこれ以上は赤くなれないと思ったものだ。
「…寝言はともかく、俺と結婚してくれよ? いつかプロポーズはちゃんとするから」
 ハーレイがそれをどんな顔をして言ったのだろう、とブルーが視線を上げた時には何も無かったかのように穏やかで優しいいつもの笑顔。鳶色の瞳も普段通りで、特別な所は何処にもなくて。
(……今のも一応、プロポーズだよね?)
 縋るような瞳を向けてみたけれど、答えは返ってこなかった。
 夏の午後の日射しに目が眩んで白昼夢を見た、というわけではないと信じたい。
 でもハーレイはあまりにも普通で、だからブルーは首を傾げることになる。



 ハーレイ、本気?
 …それとも、冗談?
 ねえ、ハーレイ…。本当に分からないんだけれど…。



 そしてハーレイも心の奥で苦笑する。
 自分と一緒に酒を飲みたい、と言ってくれるブルーは可愛いけれども、まだまだ子供。
 飲み友達の座を自分の父に取られないよう、結婚したら家に来るなどと言い張られても…。
(ブルー、其処はな…。もう少し色気のある理由と言い回しとを選ばないとな?)
 それから俺の家に来い、とハーレイはブルーに気取られないよう、小さな姿をじっと見詰めた。
 まだ身長が百五十センチしか無いブルー。
 ゆっくりゆっくり幸せに育って、いつか前世と同じ背丈になったなら…。
 いつまでかかるか分からなくても、それを待つ時間も幸せだった。
 遠い昔に失くしてしまった愛するブルーが、自分の許に帰って来たのだから……。




      羨ましいお酒・了


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 ブルーの背丈は百五十センチから全く伸びなかったけれど、この世界の時間は流れてゆく。
 大好きなハーレイと再会した時は春だったのが、夏の先ぶれの爽やかな青葉の季節へと。ブルーたちが暮らす地域には遙か昔は梅雨と呼ばれる長雨があったそうだが、SD体制崩壊後の地殻変動のせいで今は無い。消えてしまった梅雨の代わりに光が眩しい六月がある。
 暑さにはまだ少し早くて、窓を開け放って過ごすのにちょうどいい季節。いつものように訪ねて来てくれたハーレイと一緒の土曜日の午後をブルーは部屋で満喫していたのだけれど、ハーレイが「すまん」と椅子から立ち上がった。
「少しだけ下へ行ってくる。お母さんに用事があってな」
「…ママに?」
 行かなくってもその内に来るよ、とブルーはハーレイを引き止めてみたが、「いや」とハーレイは部屋から出て行ってしまった。閉じた扉の向こうで階段を下りてゆく足音がして…。
「すみません」
 下りて直ぐに母と出会ったのだろう、ハーレイの声が聞こえて来た。
「明日、ちょっとしたものを持って来てもかまいませんか?」
(…ちょっとしたもの?)
 なんだろう?
 聞こえないや、とブルーは階下に聞き耳を立てたが、分からなかった。階段の下からリビングにでも移動したのか、声を落として話しているのか。
(…内緒の話?)
 ブルーが聞いてもかまわないのなら、わざわざ下りては行かないだろう。母が来た時に言えばいいのだし、それをしなかったということは…。
(ぼくに内緒で持って来るもの?)
 ほんの少し首を傾げている間に「すまん、すまん」とハーレイが戻り、それきり忘れてしまったブルーだったが…。



 父と母も交えての夕食が済んで、ハーレイが「また明日な」と手を振って帰っていった後。
 一人きりになってしまった自分の部屋で「あーあ…」とハーレイがいない寂しさに溜息をついたブルーは、ふと思い出した。昼間、階下へと行ったハーレイ。多分、ブルーには内緒の話。
(…何か持って来てくれるんだよね?)
 聞き取れた部分は其処と、「ちょっとしたもの」という言葉。
(ちょっとしたもの…って、何なのかな?)
 何だろう、と思いを巡らせて「あっ!」とブルーの顔が輝く。
「お土産かも!」
 今週、研修で何処かへ出掛けて行ったっけ。ほんの一日だけだったけれど、学校で会えなかったお詫びに何か買ってきてくれたとか?
(うん、そうかも…)
 研修先が何処だったのかでお土産は変わる。お菓子かもしれないし、名産品とか。
(お土産だったら、ハーレイとお揃いの何かだといいな)
 だって恋人同士だもんね、とブルーは夢を膨らませた。お揃いで可愛いマスコットなんかも素敵かも、と考えてからハーレイの好みではなさそうだと気付く。何と言っても大人なのだし…。
(んーと…。お揃いだったら文房具とか?)
 お揃いのペンとか、手帳とか。想像しただけで胸がドキドキしてきた。ハーレイとお揃いの何かを持っているなんて、如何にも恋人同士らしくて嬉しい。学校に持って行ったらお揃いだとバレてハーレイとの仲を勘ぐられそうだし、家でコッソリ大切にして…。
(…でも…)
 違うのかな、という気もした。お土産だったら直接渡せば済む話。わざわざ母に断らなくても、持って来て「ほら」と手渡せばいい。
(ママに言わなきゃいけないってことは…)
 もしかしてハーレイの手作りの何か?
 料理は得意だと聞いているから、ケーキを焼いてくれるとか。それとも手作りのお弁当?
 食べるものなら予め母に言っておく必要があるだろう。お菓子や食事の支度があるし、ハーレイが作ってくるものに合わせて変更するとか、揃えるとか。
「うん、ひょっとしたら食べる物かも!」
 ハーレイの家で御馳走になった料理は美味しかったし、ブルーが学校を休んだ時に作ってくれる野菜スープも懐かしくて好きだ。細かく細かく刻んだ野菜を基本の調味料だけで煮込んだスープ。ハーレイ曰く、「野菜スープのシャングリラ風」。
 他にもハーレイの得意料理が沢山あるに違いない。明日はその一つを食べられるのかも…!



 日曜日の朝、いつもより早く目覚めたブルーはハーレイが来るのを今か、今かと待ち焦がれた。掃除を済ませた部屋の窓から庭の向こうの通りを見下ろす。
 いい天気だから、ハーレイは今日も昨日と同じで歩いて訪ねて来るだろう。背の高いハーレイは生垣越しに二階のブルーに手を振ってくれて、それから門扉のチャイムを鳴らして…。
「…あれ?」
 ハーレイが歩いてくる筈の方から一台の車がやって来た。見覚えのあるハーレイの車。晴れた日には歩くのが「軽い運動に丁度いいんだ」と言っているのに…。
「寝坊して急いで来たのかな?」
 きっとそうだ、とガレージに入ってゆく車を眺める。ハーレイは何を持って来てくれたのか。朝から料理をしていたのなら、そのせいで遅くなったかも…。
(寝坊だなんて言ってごめんね、ハーレイ)
 作るのに時間がかかるものなら、色々な食べ物がギッシリ詰まったお弁当? 手の込んだ料理? ハーレイお手製のそれに胸がときめく。何が出て来るかと窓からガレージを覗いていたのに。
「………???」
 車から降りたハーレイは何も持ってはいなかった。運転席のドアをバタンと閉めて、母が開けた門扉から入ると家の方へと。
(…昨日のアレって、聞き間違いかな?)
 確かに聞いたと思うんだけど、とブルーは期待が裏切られたことにガックリとする。それでも僅かな望みをかけて待っていたのに、部屋を訪ねて来たハーレイはやっぱり何も持ってはいない。
「ブルー、おはよう。…どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない」
 勝手に一人で勘違いして、そのせいでガッカリしているだなんてハーレイに言えるわけがない。せっかくハーレイが来てくれたのだし、うんと甘えて話をして…。
 そうしよう、と気分を切り替えたブルーは「あれ?」とハーレイを案内してきた母を見詰めた。
「ママ、お茶とお菓子はどうしたの?」
 普段だったら母はとっくに階段を下りてお茶の用意をしている筈だ。でなければ案内してくる時にトレイを持っていて、手際良くテーブルに並べてゆく。どうしたのだろう、と思ったら。
「用意してあるわ、下にあるわよ」
「…え?」
 今日はいきなり母も交えてのお茶なのだろうか。ハーレイに甘えたかったのに…。こんな筈ではなかったのに、とブルーは先刻の勘違いの分も含めて更にガッカリしたのだけれど。



「すみません、お手数をおかけしまして」
 ハーレイが母に声を掛け、母が「いいえ」と笑顔を返した。そしてブルーに微笑みかける。
「ブルー、ハーレイ先生がね。今日のお茶は外にしましょう、って仰ったのよ」
「…外?」
 言われた意味がサッパリ分からず、ブルーはキョトンと赤い瞳を見開いた。ハーレイが「ん?」と腰を屈めて視線を合わせて。
「ついて来い、外と言ったら外だ」
 行くぞ、と先に立って階段を下りて行ったハーレイは庭に出た。それから「其処で待ってろ」とガレージに入り、車のトランクをバタンと開けると…。
(わあっ…!)
 ブルーの心臓がドキリと跳ねた。
 まるで魔法のようにハーレイが引っ張り出してきた折り畳み式のテーブルと椅子。それは簡素なものだったけれど、庭で一番大きな木の下にしっかり据え付けられて。
「どうだ、木の下にお前の椅子が出来たぞ」
 座ってみろ、と促されて座るとハーレイが向かいに腰掛けた。体格のいいハーレイの体重を軽く受け止める椅子は見かけよりも随分しっかりしているらしい。
「お前、壊れるかと思っていたな? キャンプ用だぞ、こう見えて頑丈に出来ているんだ」
 教え子たちを招いた時に庭で活躍する椅子たちだ、とハーレイは言った。
「バーベキューとか、色々とな。お前も呼んでやりたいんだが…」
 ハーレイの声は其処で途切れて、トレイを持った母がやって来た。
「外だから冷たいレモネードにしたわ。アイスティーの方が良かったかしらね?」
 お菓子はハーレイ先生がお好きなパウンドケーキよ、とテーブルの上に支度を整え、母は家へと戻ってゆく。その姿が家の中に消えてから、ハーレイは先刻の言葉の続きを口にした。
「本当は呼んでやりたいんだがな、どうして駄目かは分かっているな?」
「……うん…」
 残念だけれど、ブルーは呼んで貰えない。クラスメイトたちと一緒だったら行けるのだろうが、それではブルーも「その他大勢」と同じ扱い。かまわないと思って出掛けて行っても、きっと不満が募るのだろうし…。
「お前を家には呼んでやれんし、俺もあれこれ考えてみた。それでこういう結果になった」
 木の下のテーブルと椅子は気に入ったか? とハーレイはパチンと片目を瞑った。
「前に俺に言っていただろう? 違う所で食べてみたい、と」
「あっ…!」
 ブルーの脳裏に自分の言葉が蘇った。何処でもいいから違う所で食事をしたい、と頼み込んだら断られた上に、それはデートの誘いのようだと指摘されてしまい…。



「…ハ、ハーレイ、忘れてなかったの!?」
 耳の先まで真っ赤に染まったブルーの姿にハーレイが喉の奥でクックッと笑う。
「こらこら、大きな声を出すなよ? 此処はお前の部屋と違って庭なんだからな。一階の窓と同じ高さで、お母さんたちから丸見えだ。窓が開いてりゃ大きな声だと丸聞こえだぞ」
「……ハーレイの意地悪……」
 ブルーは上目遣いにハーレイを睨み、小さな声で文句を言った。それとは知らずにデートの誘いをしてしまった事件。ハーレイには忘れていて欲しかったし、自分では綺麗に忘れていたのに…。
「そう怒るな。…あの時、俺は言った筈だぞ、嬉しかったと。この椅子たちの季節が来たんで思い出してな、お前に普段とは違う所で食事をさせてやろうと思った」
 食事じゃなくてティータイムだが、とハーレイがレモネードのグラスを指で軽く弾く。それからテーブルでチラチラと揺れる光たちの欠片をチョンとつついて。
「どうだ? シャングリラでは見られなかった本物の木漏れ日というヤツだ。おまけに地球の太陽なんだぞ、素敵じゃないか」
「……ホントだ…」
 ブルーはグラスに、ケーキの皿に、テーブルの上に零れる光たちが描く模様に目を細めた。木の葉の間から射してくるそれは繊細なレースの細工にも似て、吹いてゆく風に揺られて踊り回って。
「綺麗だね…。こんな風に見たこと、一度も無かった」
「そりゃまあ、なあ…。普通に生きてりゃ、木漏れ日なんかは何処でもあるしな」
 木さえあればな、とハーレイが頭上に広がる枝と重なる葉を仰ぎ、またテーブルに視線を戻す。その鳶色の瞳が何か宝物でも見付けたかのように不意に煌めいて。
「ブルー、これ。此処を見てみろ」
「えっ?」
 トン、トン、とテーブルを叩く指先。ブルーにはただの木漏れ日にしか見えなかったけれど。
「…分からないか? ほら、この光。ちょっとシャングリラに似ているだろう?」
「あっ…!」
 そう言われてみれば、其処に懐かしい白い船の形が揺れていた。
 遙か上空から見たシャングリラ。ブルーが守って、ハーレイが舵を握っていた船。
「…似てるね、ホントに」
「そうだろう? もうシャングリラは何処にも無いがな…」
 時間が連れて行っちまったな、とハーレイが青い空の遙か彼方を見上げる。
「だが、俺たちは此処に居るんだ。お前が行きたかった地球の上にな」
 とりあえず昔を懐かしみながら今は健全なデートをしよう。……お母さんたちの目もあるしな。
 ハーレイの言葉にブルーの顔はまたしても真っ赤になったが、今度は怒る気はしなかった。



 庭で一番大きな木の下で、レモネードとパウンドケーキのティータイム。
 それをデートと呼ぶのか否か、ブルーには今一つ分からなかったし、色っぽい話をしたわけでもなくて昔話をしていただけ。白い船の中しか無かった頃を思えば、今はどれほど幸せなのかと。
 そんな時間を二人で過ごして、ちょっぴり特別な気分になった。
 やっぱりあれもデートと呼ぶのだろうか、とブルーがしみじみ考えるようになった頃に夏休みが始まり、平日でもハーレイに会えるようになって。
 あの日のことなど忘れ去っていたら、カラリと爽やかに晴れた日の朝、またハーレイがテーブルと椅子とを持って来てくれた。其処で母が淹れてくれたアイスティーを飲み、昼食も其処で。
 ブルーの部屋で過ごす時間と違ってハーレイに甘えたり抱き付いたりは出来ないけれど、真夏の強い日射しを遮る木の下で笑い合ったり、互いに微笑み交わしたり。
 そういうデートを何度か重ねて木の下の席がブルーのお気に入りの場所になって間もなく、父がハーレイに申し出た。
「ハーレイ先生。いつも持って来て頂くのも申し訳ないですし、買いますよ」
「いえ、私が好きでしていることですから」
 それに重くもないですよ、とハーレイは笑って言ったものだが、両親は本当に申し訳なく思っていたらしく、数日後には新品のテーブルと椅子が庭の木の下に据え付けられた。



 母が「私も庭でお茶にしたいわ」と白に決めてしまったテーブルと椅子。
 ハーレイにはちょっと似合わないかも、とブルーは秘かに心配したというのに、いざハーレイが其処に座って向かい合ってみれば、なんだか意外に似合っている。
「……不思議…」
「何がだ?」
 怪訝そうに尋ねるハーレイに「白いテーブルと椅子は似合わないかと思っていた」と答えたら。
「…俺にシャングリラは似合わなかったか?」
 白かったぞ、と大真面目な顔で返事が返って、ブルーはストンと納得した。
(…そっか、シャングリラも真っ白だった…)
 どおりでハーレイに似合うわけだ、と白いテーブルと椅子とを眺めて、其処に座る恋人の褐色の姿に遠い昔の記憶を重ねる。今は半袖のシャツを着ているハーレイだけれど、前の生ではカッチリとキャプテンの制服を身に着け、いつも威厳に満ちていて…。
(ぼくたちが暮らした白い船。ハーレイが舵を握っていた船…)
 シャングリラはぼくたちの楽園だった、とブルーの思いは過去へと飛んだ。
 懐かしい船。ハーレイと暮らした楽園という名の真っ白で優美な大きかった船。
(……だけど……)
 この木の下の白いテーブルと椅子も、ぼくたちが二人で過ごす楽園。
 シャングリラよりもずっと小さいけれども、幸せな時だけが満ちた楽園…。



 こうして木の下のテーブルと椅子は、天気のいい日の定番になった。
(ふふ、今日もとってもいい天気だよね。…ハーレイは柔道部で出掛けちゃったけど)
 夏休みも残り僅かとなった平日、ブルーは朝食の後で白い椅子に一人チョコンと座った。
 ハーレイが訪ねて来られない日も、腰掛けて見上げると世界の何もかもが変わって見える。
(…ハーレイ。ぼくはとっても幸せだよ、ハーレイ…)
 君の椅子が此処にあるんだもの、とブルーは向かい側にハーレイが居る日を思い浮かべた。
 今日は一人で座っているけれど、向かい側はハーレイの指定席。
 ハーレイと二人で生まれて来た地球に、自分とハーレイのためのテーブルと椅子があるなんて。
 なんて幸せなんだろう。
 いつまでもハーレイとぼくと二人で、此処に座って居たいけど…。
 そう考えながら幸せな溜息を一つついた時、視界の端がブルーの家を捉えた。
 さっき飲み物を持って来てくれた母がリビングかキッチンに居る筈で、夜になったら父が仕事を終えて帰って来る家。
 ハーレイと二人、この木の下のテーブルと椅子をいつまでも使うということは…。
(…パパとママの居る家で、ハーレイとずっと一緒に暮らすの?)
 いつか本物の恋人同士になった後もずっと、この家で…?
(ダメダメダメ~~~っ!)
 ハーレイとキスを交わして、それから、それから…。
 そういうことをしているんです、なんてパパとママに言えるわけがない。
 でもこのテーブルと椅子もお気に入りだしどうしよう、とブルーは耳まで赤く染まって考える。
 いつかはきっと、ハーレイと一緒。
 だけど木の下のテーブルと椅子も欲しいんだけど、と真剣に悩むブルーは十四歳の小さな子供。
 お気に入りの席と、恋人と共に歩む未来を秤にかけてしまう辺りが、まだまだ幼い。
 そんなブルーが伸ばそうと懸命になっている背丈は今でも百五十センチ、ハーレイと会った春の頃から少しも変わっていなかった……。




        木漏れ日の下で・了


※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 ハーレイ先生のお誕生日は8月28日という設定。
 お祝いに更新いたしましたが、お誕生日ネタではなかったりして…。
 今年中には必ず書きます、お誕生日の公式発表は暫しお待ちを~。

 ←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv




(…金曜日かあ…)
 今日を入れてもあと五日、とブルーは授業中に机の下でコッソリと指を折ってみた。
 朝のホームルームで担任が告げた今週の予定。金曜日に身体測定があるらしい。
(……ぼくの背、ちゃんと伸びてるかな?)
 ハーレイと出会ってから初めての身体測定。入学してすぐの測定で身長は百五十センチと言われたブルーだったが、その時はさほど気にしなかった数字が今は切実な問題だった。
 前世でのブルーの背丈は百七十センチで、そこまで大きくならない限りはハーレイはキスさえ許してくれない。ゆえに急いで背丈を伸ばしたいのに、全く変化が無いような…。
(気のせいだよね? 自分で測るからダメなだけでさ)
 ちゃんと測れば一センチくらいは伸びている筈、とブルーは金曜日に期待をかける。前の測定から二ヶ月近くも経っているのだし、伸びていないことはないだろう。
 それに発表があったホームルームの直後はクラス中がとても賑やかだった。
 将来はバレリーナになりたいから身長は低い方がいい、と伸び少なめを期待する子や、スポーツ選手を目指すためにと飛躍的な伸びを望んでいる子や。
 早い子はそろそろサイオンが外見に影響を与え始める年頃だけに、皆の期待はかなり大きい。
 しかしサイオンで調節出来るからといって、「いつまでも子供料金でバスや施設を利用したい」などと企んでも成長が止まるわけではなかった。それを本気で考える時点で子供失格、立派に成長してしまう。
 逆に「早く大きくなりたい」と望んでいても、精神年齢が実年齢よりも幼い場合は、子供の姿を残したままで義務教育を終えてしまったり…。
 今の時代、平均寿命は三百歳を軽く超えているのだし、義務教育さえきちんと終えれば成長速度は個人の好みだ。
 義務教育を終了した後は上の学校へ進むのも良し、社会に羽ばたいて行くも良し。
 上の学校も種類は色々、授業内容は全く同じでも「姿も精神も子供なんです」という者ばかりが通う学校もあったりする。他にもスポーツに特化した学校や実験三昧の学校などなど。
 ブルーに確たる目標は無いが、ハーレイと出会って以来「絶対に避けたい」と思うものが子供の姿を残した者たちが通う学校。其処へ行く羽目になるということは、つまりは前世と同じ背丈に育たなかったわけで…。
(それだけは絶対、嫌だから! ホントのホントに困るんだから!)
 卒業してもハーレイと本物の恋人同士になれないだなんて最悪すぎる。それは困る、とグルグルしていたブルーだったが…。
「ブルー君、今の続きを読んで」
「……えっ?」
 いきなり当てられてキョトンとしてから大パニック。いけない、授業の最中だった…!



「いやー、ブルーでも失敗すんのな」
 あれは笑えた、と昼休みの食堂でランチ仲間が可笑しそうにブルーをからかってくる。
「お前、普段は失敗しねえし、余計悲惨になっちまうんだよな」
「うんうん、ああいう時にはさあ…。コソッと隣に視線を向ければ」
「普通は教えて貰えるって! 次は此処だ、って」
「…………」
 やってしまった大失敗。ベテランならば「コソッと視線で」お願い出来るらしい助け舟とやらをブルーは思い切り逃してしまった。教師から顔を逸らすことが出来ず、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた挙句に「聞いてませんでした…」と素直に白状した次第。
 優等生なブルーとも思えぬ答えに教師の方も苦笑したのだが、其処は本職の教師である。いくら日頃の行いが良くても、授業のルールは変わらないわけで…。
「ブルーが音読、二倍の刑ねえ…」
「そうそう見られるモンじゃねえよな、俺たちはうんと助かったけどよ」
 読み間違えたら直されてしまう音読は皆が逃げたがるもの。一人で二人分を担ったブルーは助けの神となったのだったが、ブルーにしてみれば赤っ恥だ。
「ブルー、次の授業でもよろしく頼むぜ!」
「やらないってば!」
 二度とやらない、と言い返しながら恥をかいた原因を頭の隅へと必死に追いやる。身体測定の日までに同じ轍を踏んでたまるものか、と思えば思うほど意識はそちらへと向いてしまって…。
(……あっ!)
 いいな、とブルーの瞳が大柄な同級生たちの群れを捉えた。
 運動系のクラブに属するクラスメイトや、その仲間たち。朝も放課後も運動している彼らが空腹を訴えないよう、ランチは常に大盛りだった。
(…毎日あれだけ食べてるんだもの、大きくなるよね…)
 羨ましいな、と考えていて気が付いた。大盛りランチは普通の生徒も食べることが出来る。お腹の具合は人それぞれで、普通のランチが物足りなければ大盛りを頼めばいいだけのことだ。
(ぼくも頼んでみようかな?)
 変更は当日でも出来るけれども、基本は前日までに要予約。
 身体測定の日までに効果は出ないのだろうが、今後を思えば大盛りランチは食べる価値があるとブルーは一大決心をした。日々の積み重ねが大切なのだし、早く大きく育つためには…。
(これでよし、っと)
 ランチ仲間が食事を終えて出て行った後で、ブルーは食堂に届けを出した。明日の昼食は大盛りランチ。首尾よく全部を食べ切れたならば、これからは大盛り一筋でいこう。



 背丈を伸ばすには日々の努力が欠かせない。大好きなハーレイの決まり文句も「しっかり食べて大きくなれよ」だったから頑張って沢山食べるようにしようと思ってはいても、食の細いブルーは家での食事さえ残しがち。しかし…。
「ママ。キッシュ、もう少し大きく切ってよ」
 夕食の席でブルーは母に頼んだ。
「キッシュもなの? さっきはスープも多めがいいって…」
「どうしたんだ、ブルー? お前、そんなに食べられないだろう」
 怪訝そうな両親に「食べられるよ!」と威勢よく宣言したまではいいが、やはり些か多すぎた。スープはなんとか飲み終えたものの、キッシュは半分も食べられなくて。
「ほら見ろ、だから言ったのに…。寄越せ、残りはパパが食べてやる」
 ママのキッシュは美味いからな、と父がブルーの残したキッシュを頬張る。ハーレイの身長には負けるけれども、父も長身な方だった。それだけに食欲も旺盛で…。
「…パパはいいなあ…」
「ん? 何がだ?」
「子供の頃も沢山食べてた? だからそんなに大きいの?」
「そりゃまあ…。お前よりは沢山食べてたっけな。どうした、大きくなりたいのか?」
 父の問いにブルーはコクリと素直に頷く。 
「…金曜日に身体測定だって…。前よりも大きくなってるといいな、と思うんだけど…」
「あら、小さくてもかまわないでしょ? ちゃんと幼年学校もあるし」
 母がブルーの一番避けたい学校の名前を口にした。
「ブルーには向いているんじゃないか、ってパパとも何度か話してたのよ。そうよね、パパ?」
「ああ。お前はその方がいいんじゃないか、とパパは思うな。…お前はソルジャー・ブルーの記憶を持っている。それを一生隠しておくのか、公表するか。そういったことをゆっくり考えるためには時間が要るぞ? 急いで大きく育たなくても、ゆっくりの方がいいと思わないか?」
「でも、ぼくは…!」
「早く大きくなりたい、ってか? …それは神様次第だよ、ブルー」
 お前にピッタリの道を神様が選んで下さるさ、と父の手がブルーの頭を撫でた。
「パパとママはお前にゆっくり育って欲しいんだがなあ…。神様が駄目だと仰った時は仕方ない。…しかしだ、これだけは覚えておきなさい。パパもママも、お前の幸せが一番なんだよ」
 一番幸せになれる道を行くといい、と父と母は暖かく微笑んでくれた。幸せへの道が何処にあるのか、ブルーにはちゃんと分かっている。それはハーレイと一緒に生きて行く道で、早く其処へと辿り着くには、まずは大きく育たなくては…。



 少しでも早く、少しでも大きく。
 次の日の朝もブルーはミルクをおかわりしようと頑張ってみたが、カップに一杯が限界だった。そんなブルーが学校に行って、ランチの時間が訪れて。
「えーっ! ブルー、お前、本気でそれ食うのかよ!?」
 無茶じゃねえの、とランチ仲間が目を瞠った。他の友人たちも仰天している。
「うわー…。お前には無理! いや、絶対に無理だって!」
「減らして貰えば? 間違えましたって言えば替えてくれるよ」
 皆が騒ぐのも無理はない。ブルーが頼んでおいた大盛りランチは、どう見ても食べ切れる量ではなかった。これでも一年生用の量で、最上級の四年生用に比べればかなり少ないのだけれど…。
 友人たちより一回りも大きいカップに満杯のスープ。トーストは分厚く、サラダだって軽く二倍ほどある。何よりチキンのソテーのサイズが段違いだった。
(……どうしよう……)
 誰よりも当のブルー自身が困っていた。途惑いながらも飲み始めたスープはポタージュ、それだけで満腹してしまいそうだ。なのに分厚いトーストにサラダ、ドカンと大きいチキンのソテー。
(…無理だよ、こんなに食べ切れないよ…)
 賑やかに喋りながら食べている友人たちの中、黙々とスープと戦っていると。
「誰だ、食べられもしない大盛りランチを注文した馬鹿は」
 声と共にコツンと軽い拳が降ってきた。見上げれば、褐色の肌の優しい笑顔があって。
「……ハーレイ先生?」
 次の言葉を発する前に、周囲からワッと声が上がった。
「先生、今日は食堂でランチですか?」
「俺たちと一緒に食べませんか!?」
 ハーレイは柔道部の顧問だけれども、その人柄のせいで一般の生徒たちにも人気が高い。早くも席を空けようとしている仲間たちの姿に、ハーレイが少し苦笑して。
「うーん…。柔道部のヤツらと先約があるんだが、たまにはいいか。ちょっと待っててくれ」
 ランチのトレイを持ったままでハーレイは別のテーブルに行き、声を掛けて直ぐに戻って来た。その間に仲間たちが椅子を動かし、テーブルの上も整理して。
「先生、此処でいいですか?」
「すまんな、俺は何処でもかまわないんだが…。其処に馬鹿がな」
 あの馬鹿の分を何とかしないと大切なランチが無駄になる、とハーレイが笑い。
「そうでした! 先生、助けてやって下さい」
「無茶ですよ、こいつ」
 こうしてハーレイはブルーの隣の席に座ると、残る筈だった大盛りランチをアッと言う間にパクパクと食べて自分のランチに取り掛かった。その食べっぷりに皆が歓声を上げる。
(…凄いや、ハーレイ…。やっぱり沢山食べられる人は、うんと大きくなれるんだ…)
 それに比べて、自分ときたら。ハーレイと一緒のランチは嬉しかったけれど、自分の食の細さを改めて思い知らされたブルーは少しだけ悲しくて情けなかった。



 大盛りランチはとても食べ切れず、家での夕食を増やしてみても父が笑って残りを食べるだけ。毎朝のミルクも二杯目は無理で、トーストを分厚くしてしまったら他には何も食べられない。
(…もう明日なのに…)
 木曜日の夜、自分の部屋でクローゼットの隣に立ったブルーは微かな鉛筆の印を見上げた。前に自分が目標として書いたソルジャー・ブルーの背の高さ。床から百七十センチの所に付けた印まで背が伸びたなら、ハーレイと晴れて本物の恋人同士になれる時がやって来るのだけれど。
(……少しでもいいから、前よりも大きくなっていますように……)
 そう祈りながら仰ぐ印は少しも近付いたようには見えない。けれど百五十センチと言われた時から伸びていないこともないだろう。二センチは無理でも一センチくらい、とブルーは祈る。
(一センチ伸びたら残りは十九センチだものね)
 あまり沢山食べられなくても、自分は多分、成長期。一センチ伸びれば次はまた少し、その次は更にもう少し。少しずつでも伸びてくれれば、いつかは目標の背丈に届く。
(…今週、うんと頑張ったのに…。その分、伸びててくれればいいのに)
 ハーレイや父に助けて貰いはしたが、普段よりは多く食べていた。その努力が数字に現れることを真剣に祈るブルーが思っているほど、食事の量は増えてはいない。育ち盛りの子供だったら摘み食いにしか過ぎない程度で「多めに食べた」と信じるブルーに神が報いてくれる筈もなく。



 待ちに待った金曜日、身体測定の結果を告げられたブルーは失意のドン底に突き落とされた。
「はい、百五十センチちょうど。前と同じね」
 測ってくれた養護教師が笑顔で数値を入力する。ブルーが懸念する幼年学校コースの子供でなくとも、今の時期はまだ目に見えて伸びない子供も多い。それだけに何の注意も無ければ、栄養指導などの「成長のため」のアドバイスも貰えず、あっさり終わってそれっきりで。
(……どうしよう……)
 一センチも伸びていないなんて、と帰宅したブルーはクローゼットの印を見上げて大きな溜息をついた。目標まで残り二十センチ。一センチどころか一ミリすらも縮まらなくて、おまけに背丈を伸ばすための指導も受けられなかった。
 帰って直ぐに母に向かって「全然伸びていなかった…」と零してみたら、「これからでしょう? それより、おやつにしない?」と微笑まれた上に「幼年学校も楽しそうよ?」と言われる始末。
 誰が自分の悩みを分かってくれるだろう?
 前世と同じ背丈まで育たない限り、一番幸せになれる道には辿り着けない。
 その道が何処に在るのか分かっているのに、手を伸ばしても届かない。
(…早くハーレイと恋人同士になりたいよ…。今と違ってホントに本物の恋人同士…)
 キスを交わして、それから本物の恋人同士の関係になって。
 自分がハーレイの家に行くのか、ハーレイがこの家に来てくれるのかは分からないけれど、二人一緒に同じ家で暮らして、食事だっていつも一緒に食べて…。
(…そうだ、明日はハーレイが来る日だったっけ…!)
 身体測定のことばかり考えている内に金曜日が残り少なくなってしまったが、金曜日が終われば土曜日が来る。ハーレイから何の連絡も来ていない以上、土曜日は空いている筈で。
(うん、ハーレイならきっと分かってくれるよね)
 ぼくが大きくなれない辛さを、とブルーの胸がグンと軽くなる。
 ソルジャー・ブルーと同じ背丈に育つまではキスも駄目だ、とブルーに告げたのがハーレイだ。そのハーレイなら、ブルーが大きくなれない悩みを分かち合ってくれるに違いない。何かといえば「しっかり食べて大きくなれよ」と言うハーレイ。
 きっとハーレイだって、ブルーが前世と同じくらいに大きく育つ日を待ち侘びている。その日が来たら本物の恋人同士になれるし、別々の家で暮らさなくてもよくなるし…。



 そして土曜日。
 ブルーはいつものように部屋を綺麗に掃除し、訪ねて来たハーレイを迎え入れた。母が紅茶と菓子とを置いて行った後、足音が聞こえなくなるまで待ってから強請ってハーレイの膝の上に座る。
「…ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「昨日の身体測定だけど…」
「ああ、そういえば昨日だったな。…どうだ、少しは伸びていたか?」
 ん? と至近距離で顔を覗き込まれて「ううん」と俯く。
「…頑張って沢山食べてたのに…。全然伸びていなかったんだよ、どうしたらいい?」
 きっとハーレイも自分と一緒に悲しんでくれるに違いない、とブルーは悩みを口にしたのに。
「全然? …たったの一ミリもか?」
「…うん…」
「ははっ、そりゃいい! そいつはいいな」
 百五十センチのお前のままか、とギュッと強い左腕で抱き締められて右手が頭をクシャクシャと撫でた。まるでペットの猫か何かのように、可愛くてたまらないという表情で。
「そうか、全然変わらなかったか…。うん、俺はまだまだ可愛らしいお前を見られるわけだ」
「ちょ、ちょっと…! ハーレイ、悲しいと思わないの!?」
「何故だ? なんでそういうことになるんだ」
 可愛いお前もいいじゃないか、とハーレイは鳶色の目を細めてブルーに微笑む。
「育ってしまったら、もう逆戻りは出来ないしな? 子供の間は子供らしいお前を見ていたい」
「だけど、ぼくの身体が小さい間はキスも出来ないし…」
 その先は言葉に出来なかったけれど、ハーレイは「まあな」とブルーの頬に優しく触れた。
「…俺はお預けを食らうわけだが、別にかまわん。いつかは食べ頃に育つわけだし」
 それからゆっくり食べることにするさ、とパチンと片目を瞑ってみせる。
「ブルー、お前は今、幸せだろ? 優しいお父さんとお母さんがいて、暖かな家も飯もある。前のお前とは比べ物にならん幸せな場所で生きているんだ、今の生活を満喫しておけ」
「でも…!」
「安心しろ、俺にだって我慢の限界はある。いつかはお前が嫌だと喚いても攫いに来るし、貰って行く。…そうなった時に後悔されてはたまらないからな、今の内にうんと甘えておくんだ」
 ……俺のものになってしまったら、もうお母さんたちには甘えられんぞ?
 そう囁かれた耳元が熱い。上手く丸めこまれたような気がしないでもなかったけれども、優しい言葉に嘘は無かった。確かに今の幸せな日々は子供の特権だったから…。



 そうやって一度は納得したものの、アッと言う間に忘れ去るのも子供というものの特権で。
 二人で過ごした穏やかで幸せな時間が終わってハーレイが家に帰ってしまうと、ブルーは視線をクローゼットの方にやる。其処に付けた印まで背丈が伸びない間は、こうして別れがやって来る。
「…早く伸びないと困るんだけどな…」
 ハーレイが自分の家に帰ってお別れだなんて酷すぎる。二人一緒に暮らしていたなら、日暮れになっても夜になっても別れなど来ず、ましてや夜がとっぷりと更けたとなれば…。
(……ハーレイと本物の恋人同士だったら、夜が一番大切なのに)
 これからの時間が大切なのに、ハーレイは家に帰っただなんて。おまけに自分の背丈が伸びないことを喜ぶだなんて、あんまりだ…!
「ハーレイの馬鹿っ!」
 ブルーはプウッと頬を膨らませ、此処には居ない恋人を睨み付けた。
 明日から頑張って沢山食べて、早く大きくなってやる。小さいだなんて言えないくらいに。前と変わらない背丈になるまで、急いで大きくなるんだから…!
(次の身長測定までには絶対大きくなってやる! 同じだなんて言わせないから!)
 百五十センチで止まってたまるものか、と決意を固めるブルー自身は全く気付いていなかった。
 背が伸びなかった本当の理由は自分の中にあることに。
 ブルー自身にも自覚など無い心の奥底の深い所で、ブルーはハーレイの本当の願いを読み取り、それを自らの身体へと映す。
 前の生では叶わなかった分まで、ブルーが幸せに育つこと。ゆっくりと幸せに大きくなること。
 ハーレイ自身にも把握出来ていない「真の願い」を、ブルーはその身に体現していた。
 十四歳の小さなブルーの、百五十センチしかない背丈。
 それが前世と同じ背丈に伸びる日までに、どれほどの幸せがブルーに訪れるのか。
 ハーレイと手を取り合って歩み出せる日がまだ見えなくても、ブルーは幸せに満たされる。
 優しい両親と恋人に守られ、ゆっくりとブルーは育ってゆく。
 愛するハーレイと共に歩む未来へ、その恋が実る日を夢に見ながら……。




        伸びない背丈・了


※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 ハーレイ先生のお誕生日は、実は8月。そういう設定になっております。
 お誕生日は8月28日です!
 肝心のお誕生日を巡るお話はまだ先ですけど、お祝いに今月は3回更新。
 来週月曜、8月25日がお祝い更新となります、よろしくです~。
 
←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv
 




※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv






シャングリラ学園、本日も平和に事も無し。いえ、異変と言えば異変が一つ。キース君が欠席しているのです。秋のお彼岸でさえ欠席せずに登校したのに、風邪を引いたか何かでしょうか? グレイブ先生は「キース・アニアン、欠席だな」と言っただけでしたから、ちゃんと届けはあったのでしょうが…。
「キース、結局、来なかったね」
遅れて来るかと思ったのに、とジョミー君。それは私も考えてました。どうしても抜けられないお葬式などで六時間目にしか出られなくっても登校するのがキース君です。放課後の部活と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で過ごす時間を合わせれば充分値打ちがあるのだそうで…。
「キースかい? 学校どころじゃないだろうねえ…」
明日は来られるといいけれど、と会長さんが紅茶のカップを傾け、シロエ君が。
「えっ、キース先輩、病気ですか?」
「違うよ、ただのボランティアさ」
欠席届もそう書いた筈、と会長さんはのんびりと。
「ただ、今日中に全部終わるかどうか…。終わったとしても、明日はグッタリお疲れだろうね」
「「「???」」」
「その辺は本人の口から聞きたまえ。それよりさ、これ」
こんなチラシが、と会長さんが地味な茶色のチラシをテーブルの上に。文字とイラストが入ってますけど、色刷りなんかではありません。手作り感漂う黒ペン一色。
「ぶるぅが貰って来たんだよ。スーパーの前で配っていたらしい」
「かみお~ん♪ マルシェをやるんだって!」
「「「マルシェ?」」」
「本来の意味だと市場かな。それっぽく賑やかに手作り世界のグルメ市さ」
デパートの物産展のようにはいかないけれど、との説明どおり、会場からして小規模でした。外国からの観光客が拠点にしているユースホステルの庭が舞台です。でも本場の手作りソーセージとか、本格派カレーのお店とか。これはなかなか面白そうで。
「ねえねえ、みんなで行ってみようよ♪」
キースのお疲れ休みにもピッタリでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。開催は今度の土曜日です。うん、キース君が登校して来たら誘ってみるとしましょうか…。



ボランティアに出掛けたというキース君は次の日も欠席。いったい何のボランティアかと会長さんに尋ねても「本人に訊けば?」の一点張りで、疑問は膨らむ一方で。二日間休んで学校に現れたキース君は早速取り囲まれたのですが…。
「話は放課後にさせてくれ」
俺は現実に戻りたいんだ、と席に着くなり鞄を開けるキース君。教科書をチェックし、ペンケースなどを机に入れて授業の用意をしています。それが終わるとマツカ君とシロエ君に欠席中の部活の確認。話す気は全く無さそうです。
「…どうしたのかな?」
変だよね、とジョミー君が呟けば、サム君が。
「ボランティア先で何かあったんだろうなぁ、まあ、放課後まで待ってみようぜ」
「そうね、訊くだけ時間の無駄よね」
そうしましょ、とスウェナちゃん。それからのキース君は普段通りに振る舞ったものの、ボランティアの話は微塵も出さずに放課後になって、部活に出掛けて。ジョミー君とサム君、スウェナちゃんと私は一足お先に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で待つことに…。
「ダメだよ、キースも口が堅いよ」
ブルーと同じで、というジョミー君の嘆きに、会長さんは。
「口が堅いと言うよりは…。どちらかと言えば忘れたいんだよ、休んでた間の地獄をね」
「「「地獄?」」」
「そう、地獄。本人が来れば堰を切ったようにブチまけてくれると思うけどねえ、二日間の愚痴」
まあ楽しみにしていたまえ、と微笑む会長さんの手には例のチラシが。
「このマルシェ。キースもきっと喜ぶさ。非日常の憂さを晴らすには非日常ってね。ぶるぅの料理じゃ日常だからさ」
「んとんと…。お料理は色々作れるけれど、ぼくじゃ普段とおんなじだよね」
違うのはお料理の見た目だけ、と言いつつ今日も素敵なスイーツが。ちょっと黄色いモンブランだな、と思っていたら、なんとカボチャのモンブラン! 柔道部三人組のためにキノコたっぷりの焼きそばの用意も始まって…。
「かみお~ん♪ 部活、お疲れ様~!」
「ああ、すまん。…ぶるぅの料理も久しぶりだな」
此処の空気も懐かしいぜ、とキース君はソファに腰掛けました。たった二日間お休みしただけで懐かしいとか、朝の「現実に戻りたい」発言だとか…。キース君に何があったのでしょう? 早く焼きそばを食べて落ち着いて、ゆっくり話してくれないかな…。



会長さん曰く、地獄を見て来たらしいキース君。どんな地獄か気になります。焼きそばをお代わりしている柔道部三人組を眺めつつ、待ちくたびれた気持ちでいると、ようやく三人組の前にも紅茶やコーヒー、それにモンブランが。
「美味いな、やっぱりインスタントはダメだ」
キース君がそう言ってコーヒーを啜り、私たちを見回すと。
「…思いっ切り聞きたそうな顔をしてやがるな、どいつもこいつも」
「そりゃ気になるよ! たったの二日休んだだけで、どうしたらそんなになるんだろうって!」
懐かしいなんて普通じゃないし、とジョミー君は遠慮がありません。
「ボランティアだって聞いたんだけどさ、何処に行ってたわけ?」
「お前の嫌がる所だが?」
「…ま、まさか……」
「気付いたようだな、いわゆる寺だ。璃慕恩院の御役目だったら文句も言わんし、何をやらされても忍の一字だが、流石に普通にタダ働きでは…」
酷く疲れた、とキース君はモンブランを大きめに切って口の中へと。甘い物が欲しい心境というヤツでしょう。
「大学の先輩が晋山式をすることになってな」
「「「シンザンシキ?」」」
「住職就任の儀式のことだ。先輩は自坊……自分の家の副住職だが、近所に長年住職のいなかった寺があったらしくて、璃慕恩院から兼務しろとのお達しが」
それで就任式なのだ、とキース君。ところが、長年お寺を守る住職がいなかっただけに、お寺の中は大変なことに。
「境内と建物は檀家さんが維持管理をしてくれていたらしい。だが、本堂の中身の方が…。檀家さんは素人集団だけに、御本尊様の埃を払うのが精一杯で…。仏具の類がすっかり曇って」
それを磨きに行って来たのだ、とキース君は自分の肩をトントンと。
「しかも先輩がうるさい人でな、ピカールを使わせてくれんのだ! ニューテガールなんぞはもっての外だ、と言われてしまってどうにもこうにも」
「「「…ピカール???」」」
名前からして磨くための道具みたいです。ニューなんとかもそうなのかな?
「そうか、お前たちに言っても分からんか…。ピカールは仏具専用の磨き材だが、これで磨くには時間がかかる。ニューテガールも仏具用でな、こっちは浸けておくだけなんだ」
引き上げて専用クロスで拭けばOK、とキース君。しかし件の先輩さんは仏具に敬意の人だったらしく。
「梅酢で拭って重曹で磨け、と言われても…。仏具磨きのプロもそれでやるんだし、ウチもそうだが、あそこまで曇った仏具が山積みとなると…」
二度と勘弁願いたい、とキース君は遠い目をしています。丸二日間も仏具磨きの地獄を過ごしてきたという手は気の毒なほどに荒れていました。会長さんがハンドクリームを差し出し、例のチラシを。インスタントコーヒーと仏具磨きの日々だっただけに、飛び付いたのは無理もありませんです~!



キース君の手荒れも癒えてきた週末、私たちはユースホステル主催のマルシェへお出掛け。秋晴れの行楽日和とあってマルシェは人で賑わっています。
「かみお~ん♪ あれ、食べたい! あっ、そっちも~!」
グルメ大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」は本場の味に大喜びで、私たちもバナナの葉っぱに盛り付けてもらえる本格派カレーやハーブたっぷりソーセージなどに舌鼓。中でも一番目を引いたのは…。
「アレって見るのも楽しいよね」
「うんうん、それに美味いんだよな!」
また食おうぜ、とサム君とジョミー君が先頭に立ってケバブの屋台へと。ドネルケバブと呼ぶらしいソレは屋台の店先で串に刺された肉のタワーがゆっくり回転しながら炙られていました。注文すると大きなナイフでそぎ取ってくれて、野菜と一緒にナンに似たパンに挟んで渡してくれます。
「一つ下さい!」
「俺も一つ!」
ジョミー君たちが注文する後ろに並んで私たちも。一番後ろに会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も並びましたが…。
「あ、キャベツは抜きでお願いしたいな」
「ぼくもトマトとタマネギだけでお願いしまぁーす♪」
会長さんたちの注文に屋台のおじさんは満面の笑顔。ケバブの本場の人っぽいですが、流暢な言葉で「通ですね」と。そっか、キャベツたっぷりは邪道なんだ?
「そうだよ、本場じゃキャベツ無し! ね、ぶるぅ?」
「うん! それに炭火の直火焼きだよ♪」
屋台じゃ炭火焼きは難しいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。本場でも最近はガスや電気が増えたそうですけど、田舎では今も炭火が基本。肉もタワーみたいな垂直ではなく、羊なんかの丸焼きみたいに横倒しで回転させて焼くとか。
「あれはホントに美味しいよ。…食べたくなってきちゃったな」
「ぼくも食べたい!」
久しぶりに食べに行こうよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんの袖を引っ張っています。あの二人なら瞬間移動で今すぐにだって行けるでしょう。いいなぁ、本場のドネルケバブ…。
「ん? 君たちも食べたいわけ? でもねえ…」
この人数を連れて飛ぶのは流石に無理、と会長さん。
「テイクアウトで我慢したまえ、ちゃんと買ってきてあげるから」
「んーと、んーとね、今は無理だけど…」
向こうは夜の夜中みたい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そういえば時差がありましたっけ。とりあえず昼間はマルシェで色々食べて、本場モノは夜のお楽しみかな?



夕方までをマルシェで過ごすとお腹いっぱい。それでも本場のケバブは別腹とばかりに、私たちは会長さんのマンションにお邪魔しました。リビングで紅茶やコーヒーを淹れてもらって待っている間に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はパッと姿を消しまして…。
「かみお~ん♪ お待たせ―!!」
「はい、お待ちかねの本場のケバブ! 焼き立てだよ」
どうぞ、と配られた本場モノの味は絶品でした。マルシェのケバブも美味しかったですけど、もっとスパイシーでいい感じ。炭火焼きだとこうも違うか、と味わい深く噛み締めていると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「やっぱり美味しい~! 作りたいなぁ…」
「「「は?」」」
「えっとね、作り方が気になったから、みんなの分を待ってる間に、おじさんの頭の中を覗いてみたの! そしたら凄くビックリしちゃって…」
お肉は塊じゃなかったんだね、と言われましても。…ケバブ屋台で回っていたのは大きな肉の塊でしたよ? 他のみんなも怪訝そうな顔をしています。
「…塊だったよ、昼間に見たヤツ」
ジョミー君がストレートに口にし、キース君も。
「塊でなきゃ切れんだろう? それともアレは一種のハムか?」
「えとえと…。なんかハムより凄いみたい!」
ドカドカ重ねちゃうんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。えっ、重ねるって……串にグルグル巻き付けるとか? バウムクーヘンを焼くように…?
「違うの、ホントに重ねるの!」
「そう。ぶるぅが目を丸くしていたからねえ、ぼくも失礼して覗かせて貰った。秘伝のタレに漬け込んだ薄切り肉をね、串に何層にも刺していくんだよ。座布団を積み重ねるように」
「「「えぇっ!?」」」
ビックリ仰天とはこのことでしょう。塊だとばかり思っていた肉のタワーが何十段だか何百段だかの積み重ねだなんて…。今齧っている本場のケバブもそのようです。でも……お肉を見詰めてみても境目なんかは分かりませんよ?
「肉の境目が分かるようではダメなのさ。切ったらバラバラになっちゃうし…。肉を刺したら次は牛脂で、また肉で牛脂。そんな感じで固めるようだね」
なんと、牛脂が接着剤? そんな舞台裏を聞いてしまうと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作りたがるのも分かります。食欲の秋に手作りケバブ。これはとっても素敵かも…?



ドネルケバブが作りたくなった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は着々と準備を進めました。屋台用の電動で焼ける回転機械は保管するのが面倒だから、と串は手回しする方向で。私たちが交代しながら順番に串を回すのだろうか、と一応覚悟はしていましたが…。
「ふふ、そういった力仕事は最適なのがいるだろう?」
アレを呼ばずにどうするのだ、とニヤリと笑う会長さん。
「ハーレイにグルグル回させるのさ、そしてぶるぅが肉をスライス! これなら誰もが楽しめる。ハーレイだって、ぼくと一緒にケバブを食べる会なんだよって言えば感激するからね」
「「「………」」」
教頭先生、一人で串を回すんですか! でもまあ、それが楽でいいかな…。
「そうそう、楽しくやらなくちゃ! 串も買ったし、今度の土曜日に肉のタワーを作ろうかと…。見学も兼ねて遊びに来るだろ?」
会長さんの提案に私たちは大歓声。そこへ…。
「ケバブの串を追加でよろしく」
「「「!!?」」」
いきなり聞こえた会長さんにそっくりの声。バッと振り返った先で紫のマントがフワリと翻り、ソルジャーが笑顔で立っていました。
「今日は黒イチジクのタルトだって? ぼくにも一つ」
スタスタと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を横切り、ソルジャーはソファに腰を下ろすと。
「ぼくもケバブを作ってみたいな、串を回さずに済むならね」
肉のタワーがいいんだよ、と言ってますけど、マルシェからこっち、ソルジャーは遊びに来ていませんよ? 覗き見しただけでケバブの味が分かるもんか、と思っていれば。
「ケバブかい? わざわざブルーが買いに出掛けたのを見たからねえ…。これは美味しいに違いない、とノルディに頼んで色々と用立てて貰ってさ」
言葉の壁はブルーと同じでサイオンでスパッと解決だ、と嘯くソルジャー。つまりエロドクターに本場の通貨を用意させた上で、買い食いにお出掛けしたわけで。
「食べに行っただけのことはあったよ、美味しかったなぁ…。もちろんハーレイにもお土産に買って、ぶるぅにも山ほど買ってやったよ。ハーレイもケバブが気に入ったらしい」
だから手作りしたいのだ、とソルジャーは膝を乗り出しました。
「作るんだったら是非、混ぜて欲しい。肉作りから参加するからさ」
「…串くらいは買ってあげてもいいけど…。君の肉作りは手伝わないよ?」
自分で肉の面倒を見ろ、と会長さんに言われたソルジャーはコクリと頷いて。
「うん、ちゃんと自分で用意する。土曜日は肉を持参で来るから、漬け込み用のタレだけ教えて貰えるかな? 漬け込んでおかないとダメなんだよね?」
「かみお~ん♪ でないと味が馴染まないしね! えっとね、薄切り肉だから前の日の晩に漬ければ充分なんだけど…。タマネギとニンニクをすりおろしてね、オリーブオイルにヨーグルトに…」
トマトペーストにオレガノ、クミン…と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はズラズラズラ。料理なんかとは無縁のソルジャー、悲鳴を上げて「メモに書いて!」と泣きを入れる羽目に陥ったのは至極当然だと思いますです…。



約束の土曜日、私たちはバス停で待ち合わせてから会長さんのマンションへ。エレベーターで最上階のお部屋に着くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお出迎え。
「かみお~ん♪ お肉の用意、出来てるよ!」
もうすぐあっちのブルーも来るから、と案内されたキッチンの料理用テーブルに大きな串が立っていました。長さ一メートルくらいの銀色に光る太い串。本場モノだという串は二本で、片方がソルジャーのための串です。
「凄いや…。これに順番に刺すんだよね?」
薄切り肉を、とジョミー君が長い串を上から下まで何度も眺め、マツカ君が。
「とっても手間がかかりそうです。ぼくもお手伝いしましょうか?」
「んーとね、ぼくは大丈夫! お料理とかは慣れてるし…。お手伝いなら、あっちのブルーを手伝ってあげればいいんじゃないかな?」
きっと上手に出来ないと思うの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は心配そう。それは私たちも同じでした。自分でやるとか言ってましたが、相手はソルジャー。あまり器用ではなかったような…。
「こんにちは。…なんか手伝ってくれるんだって?」
ありがとう、と空間が揺れてソルジャーが姿を現しました。ケバブ用に漬け込んだ肉が入っているらしい大きな袋を抱えています。
「まだ手伝うとは言っていないぞ」
アテにするな、とキース君が切り返したものの、ソルジャーはまるで聞いてはおらず。
「自分でやるとは言ったんだけどね…。肉を薄切りにする所からしてまるでダメでさ、仕方ないから奥の手を…。ちょっと悪いとは思ったけれど…」
「何をしたのさ?」
会長さんの咎めるような目つきに、ソルジャーが肩を竦めてみせて。
「時間外勤務」
「「「時間外勤務?」」」
なんじゃそりゃ、と私たちの声が引っくり返り、ソルジャーは。
「そのまんまの意味だよ、時間外! ぼくのシャングリラにも厨房専属のクルーたちがいる。その連中に私的なお願い。だけどバレたら始末書くらいじゃ済まないからねえ、何をしたかは忘れて貰った。残業したのも忘れているよ」
「それがソルジャーのすることかい!?」
「仕方ないだろ、君と違って不器用なんだよ! 一応、フォローはしといたし…。ソルジャー自ら視察した上で労いの言葉って喜ばれるんだ。次の日の朝に行っといた」
昨夜は肉の漬け込みをお願いしたから今日の朝も、と言うソルジャーのフォローとやらは軽すぎるような気がします。御苦労様の一言よりも、何か一品つけるとか…。
「ダメダメ、それだと頼みごとをしたのがバレちゃうし! 御礼の言葉と握手で充分」
「「「………」」」
ソルジャーの世界のシャングリラ号をケバブ作りに巻き込もうとは夢にも思っていませんでした。私たちが本場のケバブを食べたがったばかりに、この始末。ホントのホントにごめんなさいです…。



私服に着替えたソルジャーがエプロンを着けて串の前へと。隣の串は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の担当ですけど、なにしろ身体が小さいですからテーブルの上に立っています。
「えとえと、お行儀が悪いんだけど…。こうしないと串に刺せないし…」
「いいって、いいって! 気にすんなよ」
子供だしな、とサム君が豪快に笑い、私たちも拍手で応援。さあ、ケバブ肉作りの始まりです。会長さんが冷蔵庫からタレに漬け込まれた薄切り牛肉と牛脂の山を運んで来て。
「はい、ぶるぅ。ブルーも自力で頑張って欲しいんだけどさ、そもそも根本からして分かっていないみたいだし…」
なんで薄切り肉を買わなかったのだ、と会長さんは冷たい視線。
「肉の分量が分からなかったかもしれないけどねえ、そういう時にはお店で訊けばいいんだよ! このくらいの塊の肉を薄切りで買ったらどのくらいですか、と言えば量ってくれるから!」
「そうなのかい? でもねえ…」
あちこちで買ったものだから、とソルジャーは抱えて来た袋を開けて沢山の袋を取り出しています。薄切り肉と牛脂なのでしょうけど、こんなに小分けにしなくても…。それともアレかな、こだわりの肉が産地別に分けて詰めてあるとか? あちこちで買ったと言ってましたし…。
「うん、まあ…。産地と言うより種類別かな」
ああ、なるほど。ヒレとかロースとか、お肉にも色々ありますもんね。たかがケバブに、この凝りよう。そんなタイプとは知らなかった、と感心していると。
「ケバブを食べたいって言った時にさ、ノルディに教えて貰ったんだけど…。ドネルケバブの肉って牛肉だけじゃあないんだってね? 豚とか羊とか鶏だとか」
それがヒントになったのだ、とソルジャーは幾つもの袋を開けながら。
「ぼくのは究極のケバブなんだよ、思い切り自信アリってね」
まずはどれから刺そうかな、と悩みつつ、まずは一枚、危ない手つきでグッサリと。タレに漬け込まれたせいで豚だか牛だか分かりませんけど、なんとか下まで刺せました。お次は牛脂。ソルジャーがモタモタしている間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は既に何層も重ねています。
「んしょ、んしょ…。こんな感じかなぁ?」
精一杯の体重をかけて押し込み、ペタペタ叩いて形を整え、次のお肉と牛脂をグサリ。手際良く伸びてゆくお肉のタワーと、見るも危なっかしいソルジャーの殆ど高さが伸びないタワーと。とうとうキース君が見かねて声を掛けました。
「おい、良かったら手伝おうか?」
「いいのかい? 助かるよ」
ソルジャーの顔がパアッと輝き、キース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」にエプロンの置き場所を尋ねています。うーん、ダテに仏弟子だの副住職だのはやっていませんでしたか、キース君! 困っている人を助ける役目って、お坊さんの基本ですものね。



助っ人に入ったキース君はソルジャーの肉のタワーをキッチリ押し込み、形をしっかり整えてから「ほれ」と右手を差し出しました。
「次に刺すのはどの肉なんだ? 言ってくれんと手伝えんぞ」
「ええっと…。コレかな、それじゃよろしく」
ソルジャーが渡した薄切り肉をキース君が上手く突き刺し、牛脂を重ねて「次!」と右手を。
「それじゃ、これ」
「よし。…ん? この肉は小さすぎないか?」
「いいんだってば、最終的には塊なんだし! その分、何処かで調整すればね」
「そういうものか? まあ、いいが…」
あんた専用のケバブ肉だしな、と素っ気なく口にしつつも、キース君は小さめの肉と次の牛脂を念入りに叩いて押し付けています。少しでも調整しておこうという心配りが凄かったり…。ソルジャーとキース君の共同作業は順調に進み、隣のタワーとの差も縮まり始めて。
「どんどん渡せよ、あんたは刺すのに向いてないしな」
「感謝するよ。はい、次」
「ああ」
薄切り肉をグサッと刺して押し込もうとしたキース君の手が不意にピキンと固まりました。肉を手にしたまま、震える声で。
「お、おい…。こ、此処に尻尾のようなものが…」
「えっ、尻尾? …ごめん、クルーが取るのを忘れたのかも」
「「「尻尾!!?」」」
どうして薄切り肉に尻尾なんかが、と覗き込んでみれば確かに尻尾。細くて短い尻尾です。牛とか豚の尻尾にしてはサイズが小さすぎる気が…。キース君は尻尾つきの肉をタワーに押し込み、ソルジャーをギロリと睨み付けると。
「…この尻尾、何の肉なんだ? 俺の知識が確かだったら、牛だの豚だのの尻尾ではないな」
「スッポンだよ。さっきの小さい肉も同じさ」
ケロリと答えたソルジャーに誰もが唖然。なんでスッポンがケバブ肉に…?
「え、だって。薄切り肉を固めて塊にするんだろう? バラエティ豊かに仕上げるチャンスさ、いろんな肉をね」
「ちょ、ちょっと…」
会長さんが隣のタワーから移動してきて。
「もしかして薄切り肉を買えなかった原因はソレなのかい? スッポンの薄切り肉なんて売っているのは見たことないしね」
「そうなんだよ! 何処も塊とか丸ごとばかりで、どうにもこうにも」
薄切りにするのも一苦労だった、と愚痴るソルジャー。その作業、ソルジャーじゃなくて向こうの世界のシャングリラ号のクルーたちがやった筈ですが…?
「だから余計に苦労したんだよ、普段に厨房で扱ってるモノと違うしさ…。ぼくも捌き方なんて分かっていないし、もう適当にやれとしか…。それで尻尾の取り残しがね」
申し訳ない、とソルジャーがキース君に謝り、袋の中から次の肉を。
「こっちは尻尾は無いと思うよ、最初から塊で買ったから」
「…何の肉だ?」
「パワーみなぎるオットセイ! でもって、こっちのが馬で、こっちがアザラシ」
「……分かった、もういい……」
説明しなくても大体分かった、とキース君は大きな溜息。スッポンにオットセイ、馬肉とくればソルジャーが何を目指しているのか嫌でも分かるというものです。万年十八歳未満お断りでも、長年ソルジャーに付き合っていれば精の付く食べ物オンパレードだというくらい…。
「悪いね、手伝ってくれているのに嫌な思いをさせちゃって。…尻尾の件は本当にごめん」
「い、いや…。気付いた俺が悪かった。ほれ、次!」
「了解。これはね、龍と名高い蛇の肉でさ」
「……へ、ヘビ………」
ぎゃあぁぁぁぁ!!! とキース君の叫びが響き渡って、それ以降、ソルジャーのタワー作りに新たに加わる人は誰一人としていませんでした。乗りかかった船のキース君だけが泣きの涙で積み重ねた肉、センザンコウなんていう御禁制の品もしっかり混じっていたようです…。



ソルジャーが嬉々として作った精力目当てのケバブ肉のタワーと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」作の牛肉オンリーのケバブ肉タワーは余分な肉をナイフで切り落として形を整え、型崩れしないよう食品用ラップでグルグル巻きに。出来上がったら串から外して冷蔵庫に保管。
「…ブルーの分は持って帰ってくれて助かったよ…」
あんな肉なんか預かりたくない、と呻く会長さん。あれから毎日、ソルジャーのケバブ肉は何かと話題になっています。タワーを作り終えたキース君が洗面所で三十分も手を洗い続けたとか、あれ以来、朝夕の勤行で本堂の『三界万霊』と書かれた位牌の前で五体投地だとか、色々と。
「…あいつのことだ、一つくらいは殺生したかもしれんしな…」
キース君が嘆けば、会長さんも。
「そうだよねえ…。全部お店で買ったと言うけど、活けで買ってたら殺生だしねえ…。君には本当に同情するよ、ダメージが半端なさそうだ」
ヘビ肉だけでも大ダメージ、と会長さんが呟く横でキース君は合掌とお念仏。ヘビ肉を串に刺してゆく作業よりかは、先輩さんに苦労させられた仏具磨きの地獄の方が遙かに極楽らしいです。それに文句を言ったばかりに罰が当たった心境らしく。
「阿弥陀様、申し訳ありません…。荘厳具を磨かせて頂く有難さも忘れ、至らぬ凡夫でございました。どうかお許し下さいませ。…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
「もうそのくらいにしとけよ、な? キリがねえぜ」
サム君がキース君の肩をポンと叩くと、親指を立てて。
「それより明日はケバブ焼きだろ? あっちのブルーの肉は忘れて楽しまなきゃな」
「そうだったな…。俺が延々と落ち込んでいたんじゃ、せっかくのケバブも味が落ちるか…」
「かみお~ん♪ ハーレイにお手伝い、頼んであるもん! 沢山パンを焼いとくね!」
トマトとタマネギのスライスも、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌です。念願の手作りドネルケバブ。本場のお店からレシピを盗んだヨーグルトソースもバッチリ仕込んで、明日の土曜日を待つばかり。ソルジャーが肉を抱えてやって来ることは分かってますけど、忘れにゃ損、損!



こうして迎えたドネルケバブ焼きの日。会長さんのマンションの屋上に炭火焼き用の竈が二つ並べて据えられ、冷蔵庫から出された肉とソルジャーが持参した肉が串に刺されて竈へと。タワーではなく横倒しにされ、いわゆる丸焼きコースです。
「じゃあ、ハーレイ。君は間に立って串を回す、と」
会長さんの指示で、今日から参加の教頭先生がスタンバイ。右手と左手、それぞれに串を回すための取っ手を握ると、点火と共にグルリグルリと回してゆきます。炭火で炙られた肉は香ばしい匂いを漂わせ始め、ソルジャーの肉も何で出来ているかを考えなければいい焼き色で。
「えとえと…。ブルーのお肉も、もう削ってもいいと思うの!」
頑張ってね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちの分をナイフで削いで、野菜と一緒にパンに挟んで特製ソースをたっぷりと。うん、美味しい! これぞまさしく本場の味です。ソルジャーはと言えば、私たちの方のケバブを頬張っていて。
「おや。あちらの肉は召し上がらないのですか?」
教頭先生が不思議そうに訊くと、ソルジャーは。
「あれはお土産用なんだよ。ぼくのハーレイ、今日は来られないものだから…。焼き上がったヤツをお持ち帰りで食べて貰うしかなくってさ」
「そうでしたか…。それは残念でらっしゃいますね」
焼き立てが最高だと思うのですが、と教頭先生はソルジャー夫妻を気遣いつつも会長さんとのケバブ・パーティーに感動中。なにしろ両手が塞がっているわけですから、たまに会長さんが「はい」と口許にケバブ入りのパンを差し出してくれるという特典が…。
「はい、じゃなくって「あ~ん♪」なんだよ、君はイマイチ配慮が足りない」
ソルジャーの指摘を受けた会長さんは。
「お手、おあずけって言わないだけでもマシだと思って欲しいんだけど? ぼくには「はい」が精一杯だね」
「おあずけねえ…。犬にするのもプレイとしては燃えるよね」
「その先、禁止!」
余計な台詞を喋る暇があったら肉を削れ、とピシャリと叱られ、ソルジャーはナイフ片手にブツブツと。焼き上がった肉を削る作業はさほど下手ではないようです。ソルジャー曰く、「ナイフも剣も似たようなもの」。物騒な気もしますけど…。
「あっ、分かる? 昔ね、海賊たちの拠点にいた時にはさ、サイオンで剣を振り回したり…ね。海賊相手に勝ったんだってば」
だからケバブの肉くらい、と焼けた分から削るソルジャー。精力抜群を目指す特製肉がお皿に山盛り、冷めた分からラップに包んで保冷ケースへと。「そるじゃぁ・ぶるぅ」にパンのお裾分けを頼んでいますし、キャプテンに食べさせてパワーアップということでしょうねえ…。



あんなに大きかった肉の塊も、みんなでワイワイ食べている間に小さくなっていって、ついにフィナーレ。串の周りに残った肉を削いで落として、もう無くなったパンの代わりに野菜と一緒にお皿に盛ってソースをかけて…。
「ハーレイ、今日はお疲れ様。お蔭でたっぷり食べられたよ」
はいどうぞ、と会長さんがお皿を差し出し、ソルジャーも。
「ぼくからも御礼を言わせて貰うよ、ありがとう。焼いてくれた肉はいいお土産になるし、今日の思い出に何度にも分けて食べなくっちゃね」
はい、あ~ん♪ と特製ソースがかかった肉を目の前にぶら下げられた教頭先生、躊躇ったのは一瞬だけで。
「「「………」」」
パクン、と頬張った教頭先生は、それは幸せそうでした。頭の中では妄想爆発、ソルジャーの姿が会長さんとダブっているに違いありません。
「ふふ、美味しい? それじゃ、あ~ん♪」
「…………(はあと)」
涎の垂れそうな顔で無言の内にもハートマークな教頭先生、緩んだ顔でモグモグと。会長さんは怒り心頭、ソルジャーを教頭先生の前から引っぺがそうとしたのですけど。
『……シッ! これから面白くなるんだからさ』
あ~ん♪ と肉を頬張らせつつ、ソルジャーが思念でクスクスと。
『食べさせてるのは特製肉! ジワジワ効いてくると思うな、じきにズボンがキツくなるかと』
『なんだって!?』
『そうなった時は、今日の御礼にしっかりサービスしようかなぁ…』
ふふふ、と笑ったソルジャーは肉を咥えて「ん…」と教頭先生の顔の前へ。夢見心地の教頭先生はポ~ッとしたまま口で受け取り、モグモグモグ。必然的にソルジャーの唇を引き寄せてしまい、あわや触れるかという寸前で。
「はい、ここまで~♪」
続きは君のベッドでしようか、と耳元で熱く囁かれた教頭先生、一気に鼻血。ソルジャーはサッと身を翻すと。
「あっ、悪いけど、ぼくはヘタレはちょっと…。続きはブルーにお願いしてよね、パワーだけなら充分みなぎる筈だから!」
後は努力でカバーしたまえ、と艶やかなウインクを残し、ソルジャーは特製肉の山を抱えて消え失せました。取り残された教頭先生は耳まで真っ赤で、もじもじと。
「…す、すまん…。ブルー、今のは、そのぅ……」
「分かってるってば、君がどういう目でぼくを見ていて、何をしたいと思ってるかは……ね」
「…で、では……。お、お前さえ良かったらの話なのだが……」
これから私と、と鼻血を堪えての告白が出来た裏には特製肉の凄いパワーがあったのでしょう。しかし会長さんの答えはといえば…。



「ふん、君の貧弱なケバブ肉には特製ソースがピッタリなんだよ」
これをしっかりまぶしたまえ、と頭の上からヨーグルトソースの残りがドボドボと。
「トマトとタマネギを添えておいたら、ブルーが戻って食べに来るかも…。それまでベッドで待つんだね。それじゃ、さよなら」
今日はお手伝いありがとう、と瞬間移動で放り出された教頭先生の行き先は自宅の寝室辺りでしょうか? ソルジャーはキャプテンに特製ケバブを食べさせた上でお楽しみでしょうし、戻って来るわけがありません。えーっと、教頭先生は…?
「いいんだってば、あんなスケベは!」
面白いけれど愛想も尽きる、と会長さんはツンケンと。
「ぼくのジョークを真に受けたらしいよ、本気でソースをまぶすつもりだ」
「えとえと…。ハーレイ、ケバブ肉のお土産、持っていないよ?」
あっちのブルーがあげてたっけ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が首を捻って、私たちは顔を見合わせるばかり。会長さんの言ってたケバブ肉って……もしかしなくてもアレだろうな、と思うんですけど…。
「ケバブ肉っていうの、アレだよねえ?」
ジョミー君の疑問に、キース君が。
「どうだかな…。とにかく俺はドッと疲れた」
仏具磨きに精進するぞ、と誓うキース君の肩を会長さんがトントンと。
「磨きついでにケバブの串も磨いてくれると嬉しいんだけど…。また機会があったら作りたいから、きちんとメンテをしておかないと」
「く、くっそぉ…。えーい、梅酢でもピカールでも、ニューテガールでも持ってきやがれ!」
ヘビもスッポンももう沢山だ、とキース君は沈もうとしている夕陽に向かって絶叫でした。とんでもない肉を焼かされた串の始末は、仏具磨きのプロの腕前で綺麗に拭って欲しいです。ついでにソルジャーの煩悩なんかも綺麗に消えると嬉しいですけど、そっちは無理な相談ですかねえ?




      ケバブの誘惑・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 ケバブの屋台、最近は増えているようですねえ、移動屋台で。
 来月は 「第3月曜」 9月15日の更新になります、よろしくお願いいたします。
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、8月はお盆。ソルジャーがスッポンタケの初盆を希望?
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv






 上も下もなく、時すらも無い白い空間。
 ただ暖かく、穏やかな光に包まれてブルーは眠る。
 どのくらい、こうしているのだろう。どのくらい、こうしていたのだろう。
 意識すらも心地よく溶けて定まらない眠りの中で、時折、胸がツキンと痛む。



 失くしてしまった。
 …何を?
 もう会えない。
 …誰に?



 それが何なのか思い出せないし、思い出すことすらも億劫に思えてしまうのだけれど…。
 違う、と心に小さな漣が立つ。意識が目覚めそうになる。
(ぼくはもう何も失くしたくない)
 嫌だ、とブルーは目覚めを拒否して胎児のように手足を丸めた。この穏やかな光の中では自分は決して傷つきはしない。何ものもブルーを傷つけはしない。
 かつて何かに傷ついたのか、あるいは傷つけられたのか。それすらも此処ではどうでもいい。
 それなのに胸がツキンと痛む。何故なのか、それを探りたいとも思わないのに。
(…もう何も、誰も失くしたくない…)
 何を失くしたのか、誰を失くしたのか。
 胸がツキンと痛むのは嫌で、ずうっと眠っていたいのに…。
 眠りの中でキュッと握った右の手が冷たい。此処は暖かくて心地よいのに、こんなにも穏やかで暖かい光の中で眠っているのに、胸がツキンと痛む時には右の手だけが冷たくなる。
(……何故?)
 暖かいのに。何もかもが優しくブルーを包み込むのに、どうしてこの手は冷たいのか。
 それを知りたいとは思わない。…知ったならばきっと辛くなる。きっと悲しくて泣いてしまう。
 何も考えずに眠ればいい。眠っていればいつか右手は温かくなるし、心も再び光に溶ける。
 そう、眠ってさえいれば痛みも辛さも、何も感じはしないのだから……。



 自分は何を失くしたのか。誰を失くしてしまったのかも、いつしか眠りと光とに溶けて。
 けれど時々、胸がツキンと微かに痛む。右の手が凍えて冷たくなる。
 ブルーはむずかる幼子のように「嫌、嫌」と首を振り、丸くなってそれをやり過ごす。
 痛いのは嫌。手が冷たいのも、心が痛くなるから嫌。
 忘れたいのに。何もかも忘れていたいのに…。
(……嫌だ)
 また冷たい。手が冷たくて胸が痛い、と丸くなろうとしたブルーの右の手が、ふっ、と柔らかな温もりに包まれた。
 柔らかだけれども、がっしりとした感触と確かな温もり。
「ブルー」
 穏やかな声に名前を呼ばれた。低く優しい響きの声。
(……誰?)
 この声を自分は知っている。そう、ずうっと前から知っていた声……のような気がする。
(…ううん、そうじゃない)
 知っているのではなくて、待ち続けていた。
 ぼくはこの手を、この温もりを、この声が呼ぶのを長い長い間、待っていた。
 此処で独りで眠り続けながら。
 上も下も無く、時すらも無い場所で心を光の中に溶かして、傷つかないように眠りながら……。



「ブルー、やっと会えた。…やっと見つけた」
 くるり。
 光の世界がくるりと回って、穏やかな渦がブルーを包んでふうわりと回る。
 上も下も無い空間がゆっくりと回ってそれを止めた時、ブルーは一人ではなくなっていた。
 側に在る優しい、懐かしい温もり。
 おずおずと閉じていた瞳を開ければ、広い胸の中に抱かれていて。
「……ハーレイ……」
 褐色の肌に鳶色の瞳、逞しく大きな身体を持ったブルーの恋人。
 ブルーをそうっと抱き締めながら、懐かしい声が問い掛ける。
「…ブルー…。何故、こんな所に一人きりで?」
 訝しむ声に問われて思い出した。
 どうして自分が一人きりで此処で眠っていたのか、どうして時々、胸が痛んだのか。
 胸がツキンと痛む時には、どうして右手が冷たくなってしまったのかを。
「……もう何も失くしたくなかったから。温もりを失くしてしまったから」
「…温もりを?」
 怪訝そうな声に小さく頷く。
「……最期まで覚えていたかった…。最後に君に触れた手に残った温もり。あの温もりがあれば、ぼくは一人じゃないと思った。……それなのに、ぼくは失くしてしまった」
 メギドで撃たれた傷の痛みがあまりに酷くて、それに耐えるのが精一杯で。身体に弾が食い込む度に右手に残った温もりは薄れ、最後には何も残らなかった。
 一人きりで死んでゆくのがとても辛くて、悲しくて…。
 そうして暖かな光の世界で眠り続けて、心すらも光に溶かして眠った。
 もう何も自分を傷つけないよう、何ひとつ失くさないように。一人きりでもかまわなかったし、それで充分だと思っていた。
 温もりを失くしてしまったから。これ以上は何も、誰も失くさないでいられるのならば、一人で眠っていたかったから…。
「ブルー……」
 ふわり、と右の手を温かく包み込む温もり。ハーレイの手がブルーの右手を優しく包んだ。
「一人じゃない。もう、あなたは一人きりじゃない」
 側に居るから。いつまでも側を離れないから、と抱き締められてブルーはコクリと頷く。
「…うん…。ぼくはもう、一人きりじゃない…」
 その幸せ。その幸い。もう胸がツキンと痛みはしないし、右の手も冷たくなったりはしない。
 自分は全てを取り戻したから。…失くしたものも、失くした存在も……。



 ブルーが守った白いシャングリラは遠く旅立って行ったという。青くなかった地球を離れて、新しい世代のミュウたちを乗せて。
 地球の地の底で命尽きたジョミーや長老たちもまた、行くべき場所へと旅立った、と。
「…あなたも其処に居ると思った。なのに、あなたは見付からなかった」
 どんなに捜し回ったことか、とハーレイがブルーの背を何度も撫でる。
「もしや何処かに新しく生まれてしまったのでは、と焦っていたのに、あなたときたら…」
「……ごめん。でも、ぼくにはそんな勇気は無いよ」
 だから此処にずっと一人きりで居た、とブルーは言った。
「新しい命を貰ったとしても、君がいなければ意味が無い。…君と一緒にいられないなら、そんな生には何の価値もない。それくらいなら一人で良かった。…そうすれば何も失くしはしないし、君を失くしてしまいもしない」
「本当にそうか? 何を失くしたかも忘れてしまうような世界でも?」
「…忘れていないよ」
 本当だよ、とブルーはキュッと右の手を握る。
「思い出すと辛いと分かっていたから、思い出さないようにしていただけ。……それでも胸は痛くなったし、右手が凍えて冷たくなった。ぼくは忘れていなかったから。誰を失くしたのか、何を失くしたのか、どうしても忘れられなかったから…」
 だから、とハーレイの胸に縋ってブルーは大粒の涙を零した。
「ぼくは何処へも行きたくはないし、君とも二度と離れたくない。ずうっと此処で二人きりでも、君がかまわないのならそうしたい。…誰にも会うことが出来なくても」
「…ブルー……」
 ほうっ、とハーレイが溜息をつく。
 もしかして行ってしまうのだろうか? ハーレイはブルーを此処に残して、皆の後を追って行くのだろうか。
(でも、ぼくは…。ぼくはハーレイを忘れたくない)
 ハーレイが行ってしまうのであれば、また一人きりで眠ればいい。…今度はハーレイの温もりを失くさないよう、大切に抱いて眠ればいい。そうすればハーレイが居なくなっても…。
 そう思って握ろうとした右の手をハーレイが捕え、自らの指を絡ませた。
「…私もあなたを忘れたくない。あなたの望みが同じだと言うなら、何処へも行かない」
 二人でずっと此処に居よう、とハーレイは言った。
「あなたさえいれば、それだけでいい。…他には何ひとつ望みはしない」



 上も下も無く時間すらも無い、白い光に満たされた二人だけの世界。
 其処で他愛ない言葉を交わして、寄り添い合ってブルーはハーレイと過ごす。
 外では時が流れているのだろうけれど、二人きりの世界に時間などは無い。それでも時が経ったことをブルーに教えるものは、ハーレイがブルーを呼ぶ時の言葉。
 いつの間にか「あなた」が「お前」に変わって、ハーレイが自分を指して言う言葉もいつしか「私」から「俺」へと変わった。
 遠い昔にアルタミラで初めて出会った頃のそれと変わらない言葉。それが心地よくて、ずっとこのままでいいと思った。
 上も下も、時間すらも無い白い空間でも、こうして二人きりで居られるのならば。
 けれど少しずつ欲張りになる。
 もっと、もっとハーレイを強く感じてみたい。
 光の中で二人溶け合ったように寄り添い合ったまま、もうどのくらいになるのだろう。
(…もう一度、君を感じてみたい)
 ハーレイの広い胸に身体を擦り寄せる。
(失くしてしまったヒトの身体で、もう一度ヒトとして君に会いたい)
 此処で過ごしてきた緩やかで長い時に比べれば一瞬のような、ほんの短い生であっても君と同じ『時間』を過ごしてみたい。
 遠い日に白いシャングリラでそうであったように、ヒトとしての温もりを分かち合いながら…。
 そしてブルーは口にしてみる。
「もう一度、君と一緒に生まれてみたいな」
「…ブルー?」
「ミュウが人として生きていられる世界で。…もう一度、君と生きられるのなら」
 夢なんだけれど、とブルーは呟く。
「……本当にただの夢なんだけれど、叶うのならば君と一緒に人の身体で」
「そうか…」
 ハーレイの腕がブルーを抱き締め、離すまいと強く力を籠めた。
「…お前の夢なら叶えてやりたい。此処を離れてもう一度、人になりたいのならば」
「うん……。でも、それで終わりになるのは嫌だ」
 ぼくは欲張りで弱虫だから、とブルーはハーレイに縋り付く。
「人として生きる生を終えたら、二人で此処に還ってこよう。また二人きりで長い長い時を一緒に過ごして、また人になって生きてみたくなる日まで…」
「そうだな。…俺もお前と離れたくはない」
 この世界に居よう、とハーレイも頷き返した。此処こそが自分たちのために在る世界だと。



 二人きりで過ごすためだけに在る、上も下も時も無い白い空間。
 ハーレイに寄り添ってその温もりを感じる幸せの中で、ブルーは夢を言の葉に乗せる。
「ぼくは地球がいいな」
 もう一度ヒトとして生まれられるのなら地球がいいな、と遠い日の記憶をうっとりと追う。
「…地球がどうなったのかは分からないけれど、もしも蘇っているのなら…。ぼくが行きたかった青い水の星が在るのだったら、その上に生まれてハーレイと一緒に暮らしてみたい」
「俺は地球にはこだわらないが…」
 しかし、とハーレイがブルーの頬に両の手を添えて赤い瞳をひたと見詰めた。
「…俺はお前の姿を見たい。今とそっくり同じ姿に生まれたお前を見たいと思う」
「ぼくもだよ、ハーレイ」
 それはぼくも同じ、とブルーは鳶色の瞳を見詰め返して、ハーレイの背に自分の両腕を回す。
「…ぼくもハーレイに会いたいよ。「さよなら」も言えずに別れてしまって、見詰めている暇さえ無かったから。…また人として生まれられるなら、好きなだけハーレイを眺めていたいよ…」
「俺もだ。同じ人として巡り会えるなら、この姿をしたお前でないとな。どんな姿でも俺はお前を見付けられるが、今の姿が何よりも好きだ」
 同じ姿に生まれて来てくれ、と願うハーレイに「うん」と頷き返したけれど。
(…そんな時はきっと来やしない)
 来るわけがない、とブルーは桜色の唇を噛んだ。
 長い長い時をずうっと此処で過ごして、いつまでもきっと、このままで…。でも…。
「…ハーレイ…」
「なんだ?」
「……もしも神様が居るんだったら。願いを叶えて欲しいよ、ハーレイ…」
 もう一度、君と生きてみたいな、と夢に思いを馳せるブルーをハーレイは優しく抱き締める。
「お前の夢なら叶うんじゃないか? …俺の夢なら難しそうだが、お前は世界を、ミュウの未来を守ったんだからな」
 いつか叶うかもしれないな、とブルーを大切に腕に抱きながら、ハーレイは心の中で祈った。
 神よ。
 もしもあなたが居るというなら、ブルーの願いを、私の愛しい者の願いを叶えて下さい。
 その身を、命をミュウの未来に捧げて散った、私のブルーの願い事を……。



 そうして恋人たちは寄り添い続ける。
 上も下も、そして時も無く、ただ二人きりの空間の中で。
 穏やかに笑い合い、寄り添い合って眠り、目を覚まし、また二人で眠って、時の流れからも遠く離れた二人だけの世界で夢を語り合って。
「…ねえ、ハーレイ…」
 ブルーは幾度も繰り返してきた夢の続きを歌うように紡いだ。
「もう一度生まれて、地球の上で君に会ったなら。……ぼくは必ず思い出せるよ、君が誰なのか、ぼくは誰なのか」
 ……でなければ会う意味が無いだろう?
 思い出すよ、ぼくは誰で君が誰だったのかを…。
(……でも……)
 どうやって思い出したらいいんだろう、とブルーは自分自身に問い掛ける。
 此処へ来る前に自分が失くしてしまったもの。
 それを失くしたことが悲しくて、何もかも忘れて眠ろうとした。胸の痛みも、右の手に時折感じた冷たさでさえも、忘れたいという願いの元にはなっても思い出す縁にはならなかった。
(…君の温もりさえも失くすようなぼくが、どうしたら思い出せるんだろう?)
 今度は決して忘れるわけにはいかないのに、と考え続けて一つの答えに辿り着いた。
 ハーレイの温もりを失くした理由。それがあるなら、それを逆手に取ればいい。そうすれば…。
「…ハーレイ。ぼくは今度は忘れないよ」
 ぼくは絶対に忘れない、とハーレイの身体に腕を絡めて抱き付いた。
「本当か? …随分と自信がありそうに見えるが、いったいどんな根拠があるんだ?」
 お前は俺を忘れかかっていたじゃないか、と笑うハーレイに「内緒」と囁く。
「でもね、本当にぼくは忘れない。…もしも願いが叶えば、だけど」
 地球の上に生まれられなかったら出番なんか無い方法なんだよ、とブルーは微笑む。
「…確かにな。その時までは内緒なんだな」
「うん。…そういう時が来たら、だけれどね」
 それまでは内緒、とハーレイの温かな胸に身体を押し付け、ブルーは遠い過去を思った。
(……大丈夫。今度は思い出せる)
 きっと、きっと、ぼくは思い出すことが出来る。
 君の温もりを失くしてしまったのが、あの酷かった痛みのせいならば。
 あの時の傷を生まれ変わったぼくの身体に刻むよ、今度は何ひとつ失くさないように……。



 穏やかな白い世界にハーレイと二人、其処には上も下も、時すらも無くて。
 その暖かな光の世界で過ごしながらも、ブルーはその身に傷を刻んだ。
 ハーレイに決して悟られないよう、けして身体には出さぬよう…。
 魂だけで存在する身に「見えぬ傷痕」を刻み付けることはとても難しく、辛く悲しかったメギドでの時を思い返すことも嫌だったけれど、あの時の傷に頼るより他に道は無い。
(…もしもハーレイと、もう一度生まれて地球で会えるなら)
 その願いがもしも叶うのならば、と切ないまでの祈りをブルーは自らの傷痕に託す。
(いつかハーレイと出会った時には、ぼくに教えて。…ハーレイなんだ、と。…ぼくが誰なのか、ハーレイはぼくの何だったのかを、その痛みでぼくに思い出させて)
 いつかそんな日が来るのならば、と刻み付けた傷痕に思いを託して、願い続けて。
「…ハーレイ。…ぼくは必ず思い出すから、いつか一緒に地球に生まれたい」
「お前の願いが叶うといいな。…お前の夢が叶うんだったら、俺はいくらでも祈ってやる」
 神様ってヤツに祈り続けて頼んでやるさ、とハーレイはブルーを強く抱き締めた。
 腕の中のブルーがその身に刻み付けた傷痕に気付きはしなかったけれど、ブルーの願いを叶えてやりたいと心から思い、ただ神に祈る。
 愛しいブルーがいつの日にか地球の上に生まれて、もう一度、人として生きられることを。
 その時は自分も共に生まれて、今度こそブルーを守るのだと。
(神よ。…どうかブルーの願いを叶えて下さい)
(…ねえ、ハーレイ…。今度こそ、ぼくは忘れない。ぼくは必ず思い出すから)



 いつの日か、蘇った青い水の星の上で。
 今と寸分違わぬ姿で、もう一度人として巡り会いたい。
 此処で過ごす長い時に比べれば短いものでも、人の身体で同じ時間を過ごしたい。
 そして寿命が尽きた時には、また二人きりでこの上も下も無く、時も無い白い世界へと…。
 二人して願うようになってから、どのくらいの時が流れたのかは定かではなく、謎だけれども。
 神はハーレイの切なる祈りを、ブルーの願いを聞き届けた。



 時は流れて、十四歳を迎えたブルーの右の瞳の奥がツキンと痛む。
 瞳から零れた鮮血こそが、かつてブルーがその魂に刻んだ傷痕が蘇る証。
 年度初めに少し遅れて赴任してきた古典の教師、ハーレイに出会い、ブルーの身体にメギドでの傷痕が浮かび上がって大量の血が溢れ出す。
(……ハーレイ?!)
(…ブルー?!)
 ブルーは全てを思い出した。
 自分が誰であったのかを。ハーレイは自分の何だったのかを。
 ハーレイもまた記憶を取り戻し、二人の時間が再び流れ始めた。
 上も下も無く時すらも無かった白い空間は遠いものとなり、いつか二人で還る日までは思い出すことも無いだろう。今の二人には重力を持った地球の大地と、時の流れとがあるのだから。
 ブルーがその魂に刻み付けた傷痕を見た人々は『聖痕』と呼んだ。
 それは神の業ではなかったけれども、ブルーの切なく強い願いが刻んだもの。
 愛する者を二度と忘れることがないよう、出会えば思い出せるよう。遠い昔に失くした温もりのように、儚く消えてしまわぬようにと。
 こうして出会った二人の時間がどれほど幸せに満ちたものかは、二人だけにしか分からない…。




     時の無い場所で・了


※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 実は8月、ハーレイ先生のお誕生日という設定になっております。
 ブルー君は3月31日です、と3月に公表いたしましたが、知られてないかも…。
 此処ではなくて、毎日更新なシャングリラ学園生徒会室の方での発表でしたし。
 それはともかく、ハーレイ先生は8月です。
 ゆえに今月は3回更新の予定であります、ハレブル別館。
 ハーレイ先生のお誕生日が8月の何日なのかは…。
 待て、次号! 次回更新時にお知らせです~。


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