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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(えーっと…?)
 猫だ、とブルーが見詰めた張り紙。学校の帰りに、家の近所のバス停で。
 学校の近くから乗って来たバス、それを降りたら目に入ったもの。バス停の邪魔にならない所にペタリと貼られて、カラーで刷られた猫の写真。
(迷子…)
 たまに見かける迷子捜し。こんな具合に、写真を添えて。
 前にハーレイが遅刻して来た休日もあった。ハーレイの家から歩いて来る途中で出会った子猫。その子が迷子だと分かったから。迷子の張り紙があったから。
 回り道になってしまうけれども、子猫を送って行ったハーレイ。張り紙に書いてあった住所へ、小さな子猫をしっかりと抱いて。
 大遅刻をしたハーレイだけれど、子猫を助けて遅刻だったし、自分も怒りはしなかった。それにお土産も貰ったから。ハーレイが子猫を届けた御礼に貰った、色々なケーキの詰め合わせを。
 今日の張り紙も、そういったもの。いなくなった猫を捜して下さい、と。
(ハナちゃん…)
 迷子になった猫はハナちゃん、縞模様になった三毛が特徴の猫。茶色と黒の模様の部分が、全部縞になっているらしい。茶色や黒の一色ではなくて。
 まだ子供だという小さなハナちゃん。日本風の名前だよね、と読んでいったら…。
(大変…!)
 てっきり近所だと思っていた家。ハナちゃんの飼い主が住んでいる場所。
 その家は此処からうんと遠くて、何ブロックも離れた所のハーレイの家よりまだ向こう。きっと子猫の目から見たなら、世界の果てかと思うくらいの距離だろう。
 小さな身体で、小さな足で、せっせと歩いても帰れない場所。どんなに頑張って歩き続けても。



(どうして…?)
 迷子の張り紙が此処に貼られているのだろう。ハナちゃんにとっては、世界の果てより遠そうな場所に。子猫の足では辿り着けそうもない場所に。
(…何かの事故に巻き込まれちゃった…?)
 ハナちゃんの家から、こっちの方へと向かうトラックに乗ったとか。何かを配達する車。
 子猫は好奇心が強いものだし、飼い主の人が知らない間に潜り込むこともあるだろう。配達用の車はそのまま出発、飼い主の人が届いた荷物を開けたり片付けたりしている内に。
(気が付いたら、ハナちゃん、消えちゃってたとか…?)
 慌ててトラックの会社に連絡、そのトラックが次に向かった配達先が此処だったとか。
(そうなのかも…)
 だったら本当に大変な事態。ハナちゃんは知らない所に連れて来られてしまって、今でも迷子。
 見れば、張り紙の側には、貼ってあるのと同じチラシが何枚も纏めて吊るされていた。
 「お願いします」という文字を添えて。「貼って頂けると有難いです」と。
 飼い主の人が貼れそうな場所はバス停くらい。他所の家には勝手に貼れない。貼りたくても。
(貰って帰って…)
 貼ればいいだろうか、家のポストにも。ハナちゃんが早く見付かるように。
 そう思ったから、一枚手にした。「お願いします」と吊るしてあるのを、外して取って。
 家に帰って、ちゃんと読んでから貼っておこうと。
 でも…。



 迷子捜しのチラシを手にして、家へと歩き始めたら。住宅街の道を歩いて行ったら…。
(あちこち、貼ってる…)
 家のポストや、門柱などに。
 ハナちゃんを捜すための張り紙、協力している家が何軒も。道を曲がって入ってゆく先、其処を覗いても見える張り紙。右に曲がっても、左側でも。
 沢山あるよ、と確かめながら帰って行ったら、隣の家にも貼ってあったから。
(ぼくの家には要らないかな?)
 お隣さんが貼ってるから、と眺めて持って入ったチラシ。
 二階の部屋で制服を脱いで着替えて、おやつの時間に持って下りて行った。ダイニングへ。まだ読み終わっていなかったから。
 テーブルに置いたら、おやつを運んで来てくれた母が気付いたチラシ。
「あら、持って来たの?」
 家に貼ろうと思ったのね。お隣さんがもう貼っているけど。
「これ、ママも見たの?」
「ええ。お隣さんのも、ご近所のも。…お買い物に行ったお店にも貼ってあったわよ」
「そうなんだ…。ハナちゃんの家、うんと遠くだよ?」
 やっぱりトラックに乗って来ちゃったのかな、配達用の…。お店にも貼ってあったんなら。
「読めば分かるわよ、書いてあるから」
 ママも読んだの、いったい何が起きたのかしら、って。
「ふうん…?」
 トラックに乗って来たんじゃないとか…?
 ハナちゃんが自分で歩いて来るには、此処、遠すぎると思うんだけど…。



 読んでいなかった迷子の理由。ハナちゃんがどうして行方不明になったのか。
 おやつの前に、とチラシの続きを読んでいったら…。
(いなくなった場所、分からないんだ…)
 ハナちゃんが消えてしまった場所は、此処ではなかった。トラックに乗ったわけでもなかった。
 同じ町でも、此処からは遠い所に住んでいる、飼い主の御夫婦。
 奥さんが焼いたフルーツケーキを配るためにと、ハナちゃんも乗せて車で出発。運転は御主人、奥さんは助手席。ハナちゃんは後ろのシートでウトウト眠っていた筈。籠に入って。
 町のあちこちへケーキを届けて回って、家のガレージに帰ったら…。
 空っぽだったハナちゃんの籠。ハナちゃんはいなくなっていた。
 甘えん坊だから、普段は勝手に降りないのに。「降ろして」と、ミャーミャー催促なのに。
 それが昨日の夕方のことで、大急ぎで作られた迷子捜しの張り紙が今朝からバス停に。出掛ける時には見なかったけれど、その後で貼られたのだろう。
「ママ…。ハナちゃん、どうなっちゃったの?」
 車から一人で降りちゃったなんて、何処で降りたかも分からないだなんて…。
「ママにも分からないけれど…。気になるものを見付けたのよ、きっと」
 子猫が飛び付きたくなる何か。それがあったんじゃないかしら?
 人間は全く気付かなくても、子猫の目には素敵な何か…、と母が言うのが正解だろう。
 籠に入って寝ていたハナちゃん、ふと目覚めたら、ちょっと触ってみたくなる何かが外に。丁度降りようと開けられたドアの、その向こう側に。
 とても魅力的で、惹かれる何か。
 甘えん坊でも、車を降りたくなるほどに。「降ろして」と頼むより先に。
 飼い主の御夫婦が気付かない内に、スルリと降りてしまったハナちゃん。あれが欲しい、と。
 まっしぐらに走って行ったのだろうハナちゃん、御主人たちは知らないまま。寝ているとばかり思っていたから、車を出してそれっきり。
(帰れるのかな…)
 ちゃんと家まで、と心配でたまらないハナちゃんの行方。
 チラシに書かれた範囲はとても広いから。御夫婦がケーキを配った範囲。ハーレイの家の辺りも入っているほど、他の方向にもケーキを配った家が幾つも。
 子猫の足では遠すぎる距離で、世界の果てが多すぎる。何処で車を降りたにしても。



 おやつを食べ終えて、部屋に帰って眺めたチラシ。迷子捜しのために貼るもの。
 隣の家にも貼ってあるから、明日、学校に持って行こうか。二軒並んで貼っておくより、友達の誰かの家が良さそう。このチラシを貼っていないなら。
(ハナちゃん…)
 迷子になってしまった子猫。それも昨日から。まだ子猫だから、本当に心細いだろう。家の外で一晩過ごしただけでも、きっと泣きそうな気持ちの筈。自分の家も、御主人たちの車も無くて。
 無事に帰れればいいけれど、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれて、勉強机に置いてあったチラシに目を留めて。
「おっ、チラシ…。この辺りにもあったのか?」
 俺は車で走って来たから、よく見なかったが…。そういや、あちこち貼ってたかもな。
「え? チラシって…」
 ハーレイも読んだの、このチラシを…、と勉強机から取って来た。迷子捜し、と。
「学校の所にもあったからな。お前がいつも乗ってるバス停」
 だから俺も一枚貰って帰って来たんだ。家の前に貼っておくかな、と。
「バス停って…。ぼく、帰る時には見てないよ?」
 チラシが貼ってあったんだったら、気が付くもの。…降りた時だって、直ぐ分かったから。
 猫が迷子になっちゃったんだ、って張り紙を読んで、これを貰って…。
「お前が学校を出た時間には、まだ貼りに来ていなかったんだろう」
 それから後に貼りに来たのを、俺が見付けて、チラシも貰った。…車の中に置いてあるがな。
「でも、張り紙は朝からだ、って…」
 ママに聞いたよ。ぼくが学校に行った後に貼りに来たみたいだけど…。
「この辺がだろ。…朝から貼ってあるっていうのは」
 他所へ行ったら違うわけだな、この張り紙が貼られた時間。
 こいつを貼って回る他にも、色々と手を尽くさんと…。何処で消えたか謎なんだから。



 ハナちゃんを捜しながら貼って回っていれば時間もかかる、と言われればそう。
 張り紙を貼ったら次の場所へと急いで行くより、聞き込みもして行くだろう。フルーツケーキを配った家の近所で、「こういう子猫を見ませんでしたか?」と。
 きっと何軒ものチャイムを鳴らして、庭にいる人にも声を掛けて。散歩をしている人にだって。
 誰かが手掛かりを知っているかもしれないから。「お願いします」とチラシも渡して。
「ハーレイ…。ハナちゃん、見付かる?」
 ちゃんと見付かって家に帰れるかな、自分で歩いて帰れそうにない場所ばかり…。
「大丈夫だろ。こうして張り紙をしておいたらな」
 この猫だ、って気付いた誰かが届けに行くか、連絡をしてくれるだろう。此処にいます、と。
 俺だって前に見付けてやったし…。迷子だった子猫。
 家まで送って行ってる間に、大遅刻になってしまったがな。
「そうだけど…。でも、ハナちゃん…」
 まだ子供だし、いなくなったの、昨日だし…。お腹ペコペコで死にそうかも…。
「心配するな。子猫も意外と逞しいもんだ」
 猫好きの人は多いからなあ、腹が減ったって顔をしていりゃ、おやつを出して貰えるぞ。迷子の子猫だとは気付いてないから、家の食事に差し支えない程度だろうが…。
 少しずつでも、あちこちの家でおやつを貰えば、案外、腹が膨れるもんだ。
 それに町中の人が張り紙を見て捜してくれるし、腹を空かせて弱っちまってても見付かるさ。
 迷子の子猫がいるらしい、と気が付いた人は、注意して歩いたりするからな。弱っちい鳴き声を聞いたら覗き込んだり、家に帰っても庭にいないか捜してみたり…。
 大勢の人がそれをやってりゃ、まず間違いなく見付かるってな。



 誰かが見付けてくれる筈だ、とハーレイがチョンとつついたチラシ。迷子になったハナちゃんの写真。「何処で見付かるかは分からないがだ、大丈夫さ」と。
「特徴もハッキリしてるしな。真っ黒とか、真っ白とかじゃないから」
 全身のブチが縞模様な上に、三毛と来たもんだ。あれだな、とピンと来る人は多い。
 昨日、チラッと見掛けただけでも、「あの猫だ」と。気付けば捜しに出掛けるだろうさ、昨日と同じ場所にいないか。
「そうだといいけど…。誰か、見付けてくれるといいけど…」
 ハナちゃんが動けなくなっちゃう前に。…お腹ペコペコで、鳴き声だって出せなくなって。
「心配は要らん、誰かが見付ける。これだけ張り紙を貼っておけばな」
 その内に「お蔭で無事に見付かりました」って、御礼のヤツが貼られるさ。これの代わりに。
 迷子捜しの張り紙を剥がして、見付かった子猫の元気な写真が刷ってあるのをペタリとな。
 まずは子猫の世話が先だし、その張り紙を貼りに来るのは、直ぐってわけではないだろうが…。
 しかし…。今はいい時代だよな。
 うん、本当にいい時代だ。
「いい時代って…。何が?」
 何の話、とキョトンと首を傾げたら。
「これだ、これ。…迷子捜しの張り紙のことだ」
 迷子になった一匹の子猫を、町中の人が懸命に捜してくれるってな。
 俺やお前も、こいつを貼ろうとしたわけだろう?
 お前は貼ろうと持って帰って、俺も車に乗っけてて…。今はそういう時代なんだが…。



 前の俺たちはどうだった、とハーレイに投げ掛けられた問い。鳶色の瞳で真っ直ぐ見詰めて。
「…どうなんだ? このハナちゃんじゃなくて、前の俺たち」
 ずっと昔の、前の俺たちが生きた時代は…?
「え…?」
 前のぼくたちって…。それにハナちゃんって…?
「そのままの話だ。ミュウだ、ミュウ」
 ハナちゃんは、こうして捜して貰える。張り紙を見た人たちが捜して、張り紙を自分の家にまで貼って。…この子を助けてやらなければ、と。
 だが、前の俺たちが生きてた時代のミュウってヤツは、どうだったんだ?
 いなくなっても誰か捜してくれたのか、という質問。
 成人検査で発覚したミュウの場合はともかく、もっと幼かったミュウの子供たち。
 目覚めの日を迎えた子供が姿を消すのは当たり前だし、誰も変には思わない。それが普通のことなのだから。
 けれど、幼い子供は違う。ミュウだと知れて姿を消したら、町から一人子供が消える。昨日まで確かに家にいたのに、突然に。
 まるでハナちゃんが消えたみたいに。…何処へ行ったか、飼い主が捜し回っているハナちゃん。
 猫のハナちゃんは、今この瞬間も、町中の人が捜しているけれど。張り紙も増えてゆくけれど。
 消えたのが前の自分が生きた時代の、幼いミュウの子供だったら…。
「…誰も捜さないね…。ミュウの子供なんか」
 ユニバーサルに処分されちゃっていても。…二度と姿を見せなくても。
「捜すどころか、消えた理由をデッチ上げられて終わりだったぞ」
 俺たちが助けてシャングリラに迎え入れてた子供も、処分されてしまった子供たちも。
 もっともらしい理由を作って、消えちまったことを変に思うヤツが出て来ないように隠蔽工作。
 みんな、そいつで納得するから、誰一人捜しやしなかったってな。
「そうだっけね…」
 ご近所の人も、学校とかで一緒だった子も、誰も捜しはしなかったよ。
 存在ごと消されてしまったんだし、捜す理由が無いもんね…。



 そういう時代だったのだ、と蘇って来た遠い遠い記憶。前の自分が知っていたこと。
 白いシャングリラで立派に育った、シドも、ヤエも、リオもそうだった。人類の社会から消えてしまった子供。ミュウだと判断された途端に。
 ユニバーサルはミュウを端から処分するけれど、その前に救うのがシャングリラ。白い鯨だったミュウの箱舟。…危うい所で救い出したり、もっと早めに船に迎えたり。
 そうやって姿を消した子供は、人類が暮らす育英都市では、病死だったり、事故死だったり。
 死んだ子供は、もう捜しては貰えない。何処にも存在しないのだから。
 「うちの子供は何処かおかしい」と通報したのが養父母だったら、彼らは疑問も抱きはしない。子供が突然消えてしまっても、「死にました」という知らせを受け取っても。
 周りの者にも「突然のことで…」と説明するだけ、ユニバーサルからの通知そのままに。
 逆に養父母が消えた子供を愛していた場合は、諦めさせられていた時代。
 ユニバーサルから来た職員の、「お子さんは行方不明になりました」という一言で。
 もう戻らない、と告げられた上に、子供の行方を尋ねられたら「死んだ」と説明するように、と言い含められた。
 その養父母が泣いていたって。戻らない子供の名前を何度も繰り返したって。
 「これが社会の仕組みですから」と言われた時代。
 消えた子供を諦めるのなら、新しい子供を育てられるように手配するから、と。
 それを聞いたら、もう本当に諦めるしかない。消えた子供は戻らないから、新しい子を、と。
 次の子供を愛してゆこうと、今度こそ立派に育て上げようと。



 存在そのものを消された子たち。ミュウに生まれたというだけで。
 処分された子も、白いシャングリラで成長した子も、表向きは皆、病死や事故死。死んだ子供は何処にもいないし、誰も捜そうとは試みない。死んだ者は戻って来ないのだから。
 「…思い出したか?」とハーレイに瞳を覗き込まれた。「そういう時代だっただろうが」と。
「ある日突然いなくなっても、誰も捜しちゃくれなかったんだ」
 前の俺たちが生きた時代に、ミュウに生まれた子供たちは。…殺されていても、逃げ延びても。
 今じゃ、迷子の子猫でも捜して貰えるのに…。
 このハナちゃんって猫の名前は初めて聞いた、って人までが捜して、張り紙を家に貼るのにな。
「…みんな、存在ごと消されちゃったね…」
 そんな子供は何処にもいません、って。…死んじゃったから、もういないんです、って。
 死んでしまった子供は捜せないしね、本当に何処にもいないんだから。
「それで納得出来ない親だと、次の子供を用意するからと説得されてな」
 どういう子供を育てたいですか、と訊かれちまったら、そっちに心が傾くし…。
 いなくなった子供にこだわるよりかは、条件のいい新しい子供を育てたい気持ちになるもんだ。
 普通だったら「この子供です」と一方的に渡される所を、少し譲って貰えるんだから。
 髪の色とか、瞳の色とか、その辺を好きに選べるだとかな。
 「いなくなった子供に似ている子がいい」という希望も、きっと通っただろう。
 それで大人しくしてくれるんなら、いそいそと用意したろうな。その条件に合った子供を。



 だから親たちも諦めたんだ、とハーレイが眉間に寄せた皺。「酷い時代だった」と。
「…今の時代は、猫が消えても大騒ぎなのに…」
 飼い主は必死に捜し回って、知らない人たちだって協力するんだ。見付け出そうと。
 なのに、人間の子供が消えても、誰も捜さなかっただなんて…。消えてしまった子供を愛してた筈の、優しい養父母たちでもな。
「…捜した親って、いなかったのかな?」
 急に子供が消えちゃうんだよ、元気に学校とかへ送り出したのに。…朝には元気だったのに。
 死んじゃいました、って言われたって、それで納得出来る?
 行方不明になっちゃったなんて、余計に諦め切れないよ。何処へ行ったか、気になるじゃない。
 捜しに行く人、いそうだけれど…。
 死んだんだったら死に顔を見たいし、行方不明なら、誰か手掛かりを知ってる人は、って。
「俺たちは知らんぞ、そんなケースは」
 前のお前も、俺だって知らん。…一つも耳にしていない。
 自分の子供を通報した酷い養父母だったら、嫌というほど知っているがな。
「そうなんだけど…。前のぼくたちは知らないけれど…」
 アルテメシアでは見ていないけれど、他の何処かの育英都市で。
 前のぼくたちが見ていない場所で、処分されちゃった子を捜し回った人がいたかも…。
 シャングリラがいなかった星の子供は、殺されちゃうか、研究施設に送られちゃうか。
 どっちにしたって、二度と戻って来ないけれども、その子を捜し回った人たち…。
「さてなあ…。そいつはどうなんだろうな」
 あの時代は機械が支配してたし、完璧な管理社会というヤツだから…。
 何処も似たようなモンだと思うぞ、アルテメシアじゃない星でもな。



 消えた子供を捜そうとする親は何処にもいなかったろう、というのがハーレイの意見だけれど。
 そうだったろう、と今の自分も思うけれども、ふと引っ掛かった養父母の顔。
 偶然にも、ミュウの子供を二人続けて育てた人たち。前の自分は一人目までしか見ずに終わってしまったけれども、彼らの顔はよく覚えている。…そう、今でも。
「消えちゃった子供…。ジョミーのお母さんたちなら、捜したかもね」
 ジョミーは成人検査の後に消えたから、変だと思わなかっただけ。無事に成人検査をパスして、何処かの教育ステーションに行ったと信じていただろうから。
 …だけどジョミーが、もっと早くに消えてたら…?
 ユニバーサルがミュウだと判断しちゃって、学校の帰りに消えちゃったとか…。前のぼくたちに救出されて、シャングリラに連れて行かれてしまって。
 そうなっていたら、捜さない…?
 行方不明になりました、って言われたんなら、アルテメシア中を。エネルゲイアにも出掛けて、こういう子供を見ませんでしたか、ってチラシを沢山配って回って。
 死んだんだ、って説明されたら、「顔を見させて」って言いそうだよ。会わせて欲しいって。
 最後のお別れを言いたいから、って…。ジョミーが好きだった服も着せたい、って。
 …きっと絶対、諦めたりしない。ジョミーを育てたお母さんたちなら、ジョミーのことを。
「その可能性は有り得るなあ…」
 成人検査の前の日だって、ジョミーを大事にした人たちだ。
 あれが普通の養父母だったら、自分たちの方を心配するんだが…。目覚めの日の直前に、とんだ騒ぎに巻き込まれた、とな。このせいで自分たちの評価が下がらなければいいんだが、と。
 しかし、ジョミーの養父母は違った。ジョミーばかりを心配していた。
 …それに、二人目の子供の時は…。
 レティシアの時は、コルディッツにまで行っちまった。子供を離してたまるものか、と。
「でしょ…?」
 とても優しい人たちだったよ、ジョミーを育てた人たちは。
 コルディッツの時は、前のぼくはもう、とっくに死んでいたんだけれど…。



 優しかったジョミーの養父母たち。二人目の子のレティシアと共に、コルディッツにまで行った勇敢な夫婦。ミュウの強制収容所などに行けば命が危ういのに。
 けれど、二人は逃げ出さなかった。ジョミーを守れなかった分まで、守ろうとした彼らの子供。
「…あの人たちなら、捜していたと思わない?」
 もしもジョミーが消えちゃっていたら。…目覚めの日よりも前に消えたら。
 ユニバーサルが何と説明したって、絶対に諦めてしまわないで。…ジョミーは何処、って。
 その内に記憶を処理されてしまいそうだけれども、そうなるまでは、必死になって。
「やっていたかもしれないな…。あの二人なら」
 お前が言う通りに諦めないで、チラシを配って、手掛かりは無いかと懸命に二人で捜し回って。
 そうしただろう、という気がしないでもない。…ジョミーが消えていたならな。
 だとすると…。そういう時代がもう、来てたってことだ。
「…時代って?」
 どういう時代が来てたって言うの、ジョミーのお母さんたちが諦めずに捜していたのなら…?
「SD体制の時代の終焉ってヤツだ」
 機械がコントロールし切れない時代。…管理社会の限界だな。
 それまでだったら、「消えた子供は諦めなさい」で済んでいたのが、もう無理だった。
 血縁関係の無い子供でさえも、ジョミーのお母さんたちは守ろうとして戦ったんだ。自分たちが行けば守ってやれる、と一緒にコルディッツに行ったくらいに。
 機械はそういう教育なんかは、全くしていない筈なんだがな…?
 どちらかと言えば、ユニバーサルが何を言おうが、頭から信じるような教育。そいつをせっせと施した筈で、ジョミーの親たちもその教育を受けたのに…。
 習ったことより、人間としての感情の方が遥かに強かったんだ。子供を守らなくては、と。
 強い愛情を持っていたわけで、それは教わるものじゃない。…自分で身につけていくものだ。
 そうやって育んだ子供への愛が、機械を否定したんだな。もう従ってはいられない、と。



 ミュウも進化の必然だったが…、とハーレイは腕を組んで続けた。
 機械が支配していた時代は終わろうとしていたのだろう、と。ミュウはもちろん、人類の方でもシステムに疑問を感じる時代。「これはおかしい」と考える時代。
 だからジョミーの養父母のような人間が現れた。機械に逆らい、子供を守ろうとした人間が。
「…たとえキースの野郎が出て来なくても、SD体制は自滅したんだろう。…遠くない未来に」
 既にあちこち綻び始めて、子供が消えたら捜しそうな親がいたんだから。
 機械はそうしろと教えなかったのに、自分たちの意志で判断して。…収容所にまで行くほどに。
 放っておいても、あのシステムは滅びただろうな、内側から壊れ始めていって。
 人類のためのシステムの筈が、その人類たちに背を向けられて。
「そっか…。そうだったかもね…」
 人類が疑い始めていたなら、システムの終わりは近いよね。誰も従わなくなったなら。
 いくら機械が叫んでいたって、命令を聞く人がいなくなったら駄目だもの。
 「うるさい機械だ」ってメンテナンスを放棄されちゃったら、機械は壊れてゆくだけだしね…。
 グランド・マザーも、マザー・ネットワークも、何もかも全部。パーツが古くなっても誰も交換しないし、交換用のパーツも作って貰えないから。
 …前のぼくたち、ちょっぴり急ぎ過ぎたかな?
 のんびり、ゆっくり旅をしていたら、戦わなくてもミュウと人類は和解したかな…?
 ジョミーのお母さんたちみたいな人ばかりが暮らす時代が来たら。
 子供が消えたら頑張って捜す、そんな人間ばかりになったら…。
「多分な。…その時代は遠くなかった筈だ」
 いずれ人類は機械を捨てて、人間らしく生き始めたんだろう。
 管理出産のシステムもやめて、俺たちがナスカでそうしたように、自然出産の時代に戻って。
 そうやってSD体制が終わっちまえば、人類もミュウも、ちょっと種類が違うってだけだ。同じ人間には違いないから、手を取り合うことになっただろうが…。



 だが…、と真剣なハーレイの瞳。「それを待ってはいられなかった」と。
「前の俺たちは急ぎ過ぎちゃいない。…そういう風にも思えるがな」
 慌てずにゆっくり構えていたって、ミュウの時代は来ただろう。…今に繋がるミュウの時代が。
 しかし、そいつを待っていたんじゃ駄目だった。
 それまでに無駄に流される血が多すぎる。機械が統治している限りは、ミュウは端から殺されてゆくだけなんだから。…シャングリラが救えるミュウの命は、ほんの一部に過ぎないってな。
 だから、急ぎ過ぎたようでも、あれで良かった。
 前の俺はお前を失くしちまったが、それだけの価値はあったんだ。…前のお前が選んだ道。
 メギドを沈めてシャングリラを守った他にも、きっと大勢の仲間の命を救った。前のお前は。
 あそこでお前が守らなかったら、シャングリラは沈んで、それっきりだ。
 SD体制が自滅してゆくまで、ミュウは殺され続けただろう。シャングリラが地球まで行けずに沈んでいたなら、何万というミュウが死んだと思うぞ。
「…そうなのかな?」
 もっと早くに終わりそうな気もするけれど…。SD体制と機械の時代。
 綻び始めていたんだったら、ミュウが殺される時代の終わりも、そんなに遠くは…。
「それじゃ駄目だと言っただろうが」
 前のお前は正しかった。そうに決まっているだろう。
 急ぎ過ぎたなんてことはないんだ、あの道が正しかったんだ。
 沢山の血が流れたようでも、それが最短距離だった。もっと多くの血が流れるより、あれだけの血で全てを終わらせちまうのが一番だ。
 機械を止めて、SD体制そのものを壊しちまってな…。



 無駄な血は決して流されちゃいかん、とハーレイは強く言い切った。
 平和は早く来るに限る、と。「青い地球だって、こうして蘇ったじゃないか」と。
「あの戦いが無かったとしたら、もっと時間がかかっていたぞ」
 SD体制が終わるまでには、もっとかかった。…ミュウも大勢殺されただろう。機械はミュウを認めないから、殺されるしか道は無いってな。SD体制が終わる時まで。
 人類たちが「何かが変だ」と気付かない限り、ミュウは殺されるし、和解も出来ん。SD体制も終わりやしない。…それはお前も知ってる筈だ。前のお前が、誰よりもずっと。
 実際の歴史よりも長い時間が必要だったことは確かだな。自然に崩壊するのを待つなら。
 それに、ミュウと人類の和解もそうだが、地球が見事に再生したこと。
 こいつは荒療治が欠かせないしな、のんびりゆっくり和解してたら、青い地球は自分たちの手で作ってゆくしかないんだぞ?
 なかなか効果が出ないもんだ、と試行錯誤の繰り返しで。あれこれと研究を重ね続けて。
 其処をすっ飛ばして、古い地球をすっかり焼き尽くした後に、今の青い地球があるんだろうが。
 お蔭で、こういう迷子の子猫を捜す張り紙もある、というわけだ。
 行方不明になっちまった猫を知りませんか、と貼ってある場所、地球の上だろ。
「そうだ、ハナちゃん…!」
 見付かったのかな、この張り紙で…?
 誰かが見付けて連れてったかなあ、ハナちゃんの家へ。…でなきゃ、連絡してるとか。
 ハナちゃんを家で預かってるから、車で迎えに来てあげて下さい、って。
「どうだかなあ…?」
 そっちの方は俺にも分からん。子猫ってヤツは気まぐれだしなあ…。
 張り紙を見ていない誰かの家でだ、その家の猫と一緒に遊んでいるってことも充分にあるぞ。
 子猫を産んだお母さん猫に出会っちまって、他の子猫と一緒に遊んで、食事も一緒。
 そうなっていたら、張り紙を見て貰えるのは、いつになるやら…。
 まあ、明日には気付くんだろうがな。張り紙は増える一方なんだし、何処かで見かけて。
 「この猫だったら、うちにいる子だ」と、大慌てで家に戻って行って。
 そうなれば後は早いもんだぞ、送って行くにしても、迎えを頼むにしても。
 連絡さえつけば万事解決、ハナちゃんは家に帰れるってな。



 心配要らん、とハーレイが言う通り、きっと明日には見付かるだろう。
 行方不明になったハナちゃん。縞模様の三毛の小さな子猫を、町中が捜しているのだから。家の表にチラシを貼ったり、あちこちを覗き込んだりして。
 明日、学校から帰る頃には、あのバス停に…。
「ありがとう、って張り紙、きっとあるよね」
 ハナちゃんは無事に見付かりました、っていう張り紙。…ハナちゃんの元気な写真付きで。
「今頃はもう、貼ってあるかもしれないぞ」
 でなきゃ、作っている真っ最中とか。何枚も撮った写真の中から一枚選んで、そいつを使って。
 ハナちゃんはグッスリ寝ているかもなあ、「やっと家まで帰って来られた」と。
 車の後ろに乗っけてたらしい籠に入って、冒険していた間の夢を見ながら。
「そうかもね…!」
 大冒険だものね、一晩も他所にいたんなら…。
 何処かの家で大事に飼われていたって、自分の家じゃないんだし…。
 冒険の夢を見てるといいよね、ちゃんと大好きな家に帰って。
 美味しい御飯を沢山貰って、お腹一杯で、幸せ一杯…。



 そうだといいな、とハーレイと眺めたハナちゃんの写真。迷子捜しを頼む張り紙。
(…ハナちゃん、きっと見付けて貰って帰っているよね…)
 張り紙のお蔭で、何処かの誰かに。車から降りてしまった場所の近くで、「この猫だ」と。
 御主人の家まで送り届けて貰っただろうか、それとも迎えに来て貰ったのか。
(…どっちの方でも、ハナちゃんは家に帰れるものね)
 今の時代は、迷子の子猫もきちんと捜して貰える時代。町中の人が捜すハナちゃん。
 遠い昔のミュウの子供たちのように、存在を消されはしない時代。とても小さな子猫でも。
 だからハナちゃんも、きっと自分の家に帰れる。
 今は平和な時代だから。行方不明のままにされたりはしないから。
(…ホントに平和で、幸せな時代…)
 此処に来られて良かったと思う、青く蘇った地球の上に。
 誰もが優しい、今の時代に。
 またハーレイと巡り会って二人、此処で幸せに生きてゆく。
 迷子の子猫を懸命に捜す人たちが暮らす、温かな今の時代の地球で…。




            迷子の子猫・了


※今の時代は迷子の子猫を、町中が捜してくれるのですけど、SD体制の頃は違ったのです。
 人間の子供が消えても、誰も捜さなかった時代。ジョミーの両親なら、捜したのでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




シャングリラ学園、夏真っ盛り。期末試験も無事に終わって、あと一週間もすれば夏休み突入なんですけれども、どうしたわけだか夏風邪が流行り出しました。事の起こりは多分、期末試験。私たちの1年A組は会長さんのお蔭で勉強しなくても全員、全科目満点ですけど…。
「…やっぱり期末試験だよねえ?」
今の夏風邪、とジョミー君が愚痴る放課後、いつもの「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。クーラーの効いた部屋でフルーツパフェを食べつつ、毎度の面子で過ごす時間で。
「明らかに期末試験だろうな。…犯人は肩身が狭いと思うぞ」
この流行の発信源、とキース君。
「欠席して追試を受ければいいのに、無理して出て来た結果がコレだと来た日にはな」
「そうですけれど…。そうする気持ちは分からないでもないですよ」
三年生の男子らしいですしね、とシロエ君が。
「聞いた話じゃ、スポーツ推薦を目指してるみたいなんですが…。コケた時が大変ですからね」
「「「あー…」」」
スポーツ推薦な男子だったか、と風邪の威力に納得です。身体は相当頑丈な筈で、そんな生徒が罹った夏風邪、多分、相当強力なウイルスだったんでしょう。
「スポーツ推薦のヤツだったのかよ、確かにコケたら内申だけが頼りだしなあ…」
普通に受けても何処もヤバいぜ、とサム君が言えば、会長さんも。
「あんまり勉強してないだろうし、定期試験はきちんと受けていたんです、というアピールだけでもしたいだろうしねえ…」
受けてさえいればフォローをしてくれるのがウチの学校、とシャングリラ学園ならではのセールスポイント登場。追試の点数は手加減無しですが、そうでない試験は多少の細工をして貰えます。その生徒が本当にピンチに追い込まれていて、内申だけが頼りという時は。
「しかしだな…。出て来るにしても、マスクくらいはして欲しかったぞ」
御本尊様が相手であってもマスクは必須で、と妙な話が。
「「「御本尊様?」」」
何故、御本尊様を相手にマスク、と誰もがビックリ。御本尊様は仏像だけに、風邪なんか引かないと思うんですけど…?
「風邪の予防じゃなくて、失礼がないようマスクなんだ!」
生臭い息がかからないよう、紙のマスクをするものだ、と言われてみれば、たまにニュースで見るかもです。仏像の掃除とかをする時にお坊さんの顔に大きなマスク。埃除けだと思ってましたが、あれって、そういうものだったんだ…?



プロのお坊さんなキース君曰く、仏像が相手でもマスクは必須。
「あれって、いつでもマスクってわけではないですよね?」
キース先輩の家に行っても見掛けませんし、とシロエ君が訊くと。
「息がかかったら失礼になる時だけだな。お身拭いだとか…。後はお茶とかをお供えするとか」
「「「お茶?」」」
それは基本じゃないのでしょうか、御本尊様にお茶。お仏壇のある家だったら毎日お茶だと聞いていますし、元老寺だって…。
「そういう普段の茶ではなくてだ、茶道の家元とか、その代理だとか…。とにかく非日常なお茶をお供えする時は、お茶を淹れる人が紙マスクなんだ」
抹茶の人なら紙マスクで点てて、煎茶の人なら紙マスクで淹れる、そういう作法があるらしく。
「…それはウイルス対策ですか?」
お茶だけに、とシロエ君が首を捻って、キース君が「なんで仏様が風邪を引くか!」と。
「お供えするお茶に息がかからんようにするんだ、人間の息は生臭いからな」
「そこまでですか?」
前の日にニンニクとかを食べていなければ済むんじゃあ…、とシロエ君が言い、私たちもそう思いましたが、そうはいかないのがお寺の世界で。
「人間の息は不浄なものだというのが定義だ、蝋燭も息をかけて消すのは厳禁だ!」
手で扇いで消す、というディープな世界。そんな世界で暮らすキース君にしてみれば、マスクをしないで登校して来たスポーツ推薦男子は非常識極まりないそうで。
「風邪など引かない仏様が相手でも気を遣うんだぞ、人間相手にも気を遣えと!」
「でもですね…。スポーツ推薦を目指す人ですよ?」
どちらかと言えばデリケートの反対な性格じゃないでしょうか、とシロエ君。
「風邪でゴホゴホやっていたって、自分がなんとか呼吸出来ればいいと思っていそうですが」
「そうかもしれんが…。事実、そうだったからこうなったんだが!」
なんだってこの暑いのにマスクをせねばならんのだ、というキース君の叫びは、私たちにも共通の叫びで。
「…マスクしないと罹りそうだもんね…」
凄い勢いで流行っているし、とジョミー君。
「マスクをしたままで昼御飯は食べられませんからね…」
その辺が防ぎ切れない原因でしょう、とシロエ君が大きな溜息。夏風邪、絶賛流行中です、引きたくなければ暑くてもマスク、当分はマスク生活かと…。



学校に登校して来たらマスク着用、そんな毎日。クーラーが効いている教室はともかく、校舎の外へ出て移動の時には外したくもなるというものです。けれども外したら夏風邪かも、とマスクをし続け、外せる場所は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋だけという日々が続いて…。
「やっと終わったぁー!」
もうマスクとはサヨナラだ、とジョミー君が歓声を上げた終業式の日。一学期の終業式とくれば、シャングリラ学園名物、夏休みの宿題免除のアイテムが登場する日で、今年もそれを探しに奔走していた生徒が多数。
会長さんは校内に隠されたアイテムを幾つか確保し、例によって中庭で高い値段をつけて販売、ボロ儲けをしていましたけれど…。私たちも暑い中で呼び込みだとか列の整理だとか、色々お手伝いしましたけれども、やっぱりマスクで。
「…今日のマスクは特に暑かったな…」
中庭に長時間いただけに、とキース君がアイスコーヒーを一気飲み。私たちも冷たいレモネードだとか、アイスティーだとか、冷たい飲み物補給中です。ともあれ終わったマスク生活、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でリラックス。
「夏風邪、とうとう最後まで引き摺っちゃったわねえ…」
相当強力なウイルスなのね、とスウェナちゃん。
「仕方ねえよな、最初に持ち込んだヤツのがパワフルすぎたんだぜ」
それにしても…、とサム君が。
「ブルーはマスクはしてねえんだよな、ぶるぅもよ。今日の客にもゴホゴホやってたヤツがけっこういたのによ…」
ヤバくねえか、と心配になる気持ちは分からないでもありません。サム君は会長さんと今も公認カップル、会長さんに惚れているだけに、夏風邪を引いたら大変だと思っているのでしょう。
「え、ぼくかい? ぼくとぶるぅは…」
「かみお~ん♪ マスク無しでも平気だもーん!」
そのためにシールドがあるんだもん! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「身体の周りをシールドしとけば、ウイルスなんかは平気だもん!」
「そういうこと! マスクなんていう無粋なものはね、ぼくには似合わないんだよ」
せっかくの顔が見えなくなるし、と会長さん。
「この顔もポイント高いんだからね、マスクなんかは論外だってば!」
坊主の立場で紙マスクならば仕方ないけど、それ以外は絶対お断りだ、と超絶美形が売りの人ならではの台詞です。そっか、シールド、ウイルスにも有効だったんだ…?



季節外れのマスクで通った学校にサヨナラ、翌日からは夏休み。会長さんの家に出掛けて夏休み中の計画を練るのが恒例です。朝からジリジリと暑い日射しが照り付けてますが、会長さんの家は快適、窓の向こうの夏空なんかを眺めながらマンゴーとココナッツのムースケーキを頬張って。
「山の別荘、行きたいよねえ…!」
馬に乗るんだ、とジョミー君が言うと、シロエ君が。
「今年は登山もしてみたいです。日帰りじゃなくて、山小屋泊まりで」
「「「山小屋?」」」
そこまで本格的なのはちょっと…、と遠慮したくなる登山コース。でも…。
「山小屋と言ってもお洒落なんですよ、フレンチなんかも食べられたりして」
「「「フレンチ?」」」
どんな山小屋だと思いましたが、オーナーの趣味。いわゆる普通の山小屋として泊まるのも良し、お値段高めでフレンチを食べて洒落たお部屋に泊まるのも良し。
「食材はキープしてあるらしくて、予約さえすればフレンチを作ってくれるそうです」
「面白そうじゃねえかよ、それ」
山でフレンチ、とサム君が乗り気で、キース君も。
「山登りの後にフレンチか…。それはいいかもしれないな」
非日常な気分が満載だな、とこれまた乗り気。男子は一気に山小屋コースに突っ走りましたが、別荘地からどれだけ登ってゆくのかと思うとスウェナちゃんと私は…。
「…パスした方が良さそうよね?」
別荘から見えるあの山でしょ、とスウェナちゃんがブルブル、私だって。二人揃ってお留守番でいいやと決めた所へ、会長さんが。
「もったいないと思うけどねえ? 山小屋でフレンチ、夜は満天の星空だよ?」
「でも、あんな山なんかは登れないわよ!」
高すぎるわよ、とスウェナちゃんが返しましたが。
「ぼくが誰だか忘れてないかい? 瞬間移動で登山くらいは楽勝だってね」
「「「あーっ!!!」」」
それはズルイ、と男子全員が叫んだ所へ。
「こんにちはーっ!」
遊びに来たよ、と聞こえた声と、フワリと翻る紫のマント。別の世界から来たソルジャー登場、まさか山の別荘にも来るとか言ったりしないでしょうね…?



今年の山の別荘ライフは山小屋でフレンチ、そんな方向。素敵なプランが出来つつあるのに、ソルジャーなんかに割り込まれては困ります。そうでなくても海の別荘の方を乗っ取られているも同然なのに…。毎年、毎年、結婚記念日合わせで日程を組まされているというのに…。
なんて迷惑なヤツが来たのだ、と誰の顔にも書いてありますが。
「あれっ、今日はマスクはしてないのかい?」
ソルジャーの口から出て来た台詞はズレていました。
「「「マスク?」」」
「そう、マスク! この所、いつ見てもマスクだったと思うんだけど…」
放課後以外は、と私たちをグルリと見回すソルジャー。
「キースもシロエも、ジョミーもサムも…。全員、いつでもマスクを装備で」
「あれは要らなくなったんだが?」
もう夏風邪の危険は無くなったからな、とキース君が。
「この面子だったら心配無いんだ、あんな面倒なのを着けなくてもな」
「え…? それじゃ、本気でウイルス対策だったわけ?」
あのマスク…、とソルジャーは目を丸くして。
「そりゃあ確かに、風邪だって馬鹿に出来ないけれど…。ぼくのシャングリラも航行不能に陥りそうになったこともあるけど…」
「「「航行不能?」」」
なんで風邪で、と驚きましたが、ブリッジクルーの殆どが風邪に罹ってしまって危なかったことがあるらしいです。見習い中みたいな人まで駆り出して乗り切ったという風邪騒ぎ。
「でもねえ、あれは油断していたって面があるしね、最初の患者が出た時に」
きちんとシールドを張っていたなら大流行は防げた筈だ、と言うソルジャー。
「だから君たちもそうだと思って…。酷い夏風邪だと分かってるんだし、シールドしておけばウイルスは入って来ないしね」
ウイルス対策はそれで充分! と最強のサイオンを誇るタイプ・ブルーならではの発言。
「それなのに何故かマスクだったし、何か理由があるのかと…。殆どの人がマスクを着けているのをいいことにして」
「「「へ?」」」
いったいどういう発想でしょうか、私たちのマスクは純粋にウイルス対策だったんですが…。シールドなんかは張れないからこそ、みんなでマスクだったんですけど…?



私たちのサイオンは未だにヒヨコなレベルで、思念波くらいが精一杯です。ウイルス対策のシールドなんぞは夢のまた夢、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が張っていたことにさえ気付かなかったというくらい。マスクに特別な理由なんぞがあるわけなくて。
「あんたが何を期待しているのかは知らんがな…。俺たちのマスクは普通にマスクだ」
風邪の予防だ、とキース君が代表で答えました。
「暑い最中にマスク生活は実に辛かったが、風邪を引くよりマシだからな」
「そうです、そうです。強力すぎる夏風邪でしたからね」
引いたら終わりなヤツでしたから、とシロエ君も。
「クシャミに鼻水、ついでに頭痛と高熱で…。インフルエンザも真っ青ですよ」
「…なんだ、ホントに風邪用のマスクだったのか…」
深読みしすぎた、とソルジャーが。
「言われてみれば、君たちにシールドは無理かもねえ…。そこまで気付かなかったから…」
「どう深読みをしたんだ、あんた」
そっちの方が気になるんだが、とキース君が尋ねると。
「ぼくにも意味が掴めなかったし、ランチついでにノルディに訊いてみたんだよ」
「何をだ?」
「クソ暑いのにマスクなんかをしてる理由だよ!」
他に何を訊くと、とソルジャーはフンと鼻を鳴らして。
「みんな揃って学校でマスク生活だけど、とノルディに訊いたら、教えてくれてさ」
「風邪の予防だと言われなかったか?」
あれでも医者だが、とキース君。エロドクターは何かと問題アリとは言っても名医で、マスクの理由もきちんと説明してくれそうです。ところがソルジャーは「ううん」と返事。
「学生運動だったっけか…。顔を隠すことに意味があるんです、と言ってたけれど?」
「「「学生運動?」」」
「そう言っていたよ、今はまだマスクの段階だけれど、もう少し経てば色々出ます、って」
「「「色々…?」」」
何が色々出ると言うのだ、と顔を見合わせた私たちですが。
「えーっと、サングラスにヘルメット…? それから角材」
「「「はあ?」」」
マスクの次にはサングラスが来て、それにヘルメットと角材ですって? なんですか、その建設現場の作業員みたいな装備品は…?



何を言われたのか、意味が不明なラインナップ。マスク着用でサングラスとくれば、どちらも埃除けっぽいです。更にヘルメットで頭をガードで、角材となれば建設現場くらいしか思い付きません。ただでも暑い夏だというのに、誰が建築現場に出たいと…?
「おい、角材で何をしろと言うんだ」
俺たちに何を建てさせる気だ、とキース君がウンザリした顔で。
「今は夏だぞ、クソ暑いんだぞ? 卒塔婆書きでも汗だくになるほどに暑いんだが…」
そんな真夏に誰が建築現場に出るか、と一刀両断。
「本職の人でも夏の盛りはキツイんだ。慣れない俺たちだと、確実に熱中症になると思うが」
「建築現場とは言っていないよ、学生運動と言った筈だよ」
「何なんだ、それは? 運動会…。いや待て、もしかしてアレのことか?」
ずうっと昔に流行ったヤツか、とキース君。
「学校をバリケード封鎖するとか、機動隊相手に乱闘するとか、そういう激しいヤツのことか?」
「そう、それだよ! ノルディが言ってた学生運動!」
そして君たちは学生だしね、とソルジャーはそれは嬉しそうに。
「分かってくれて嬉しいよ! ぼくはね、そういう方面でマスク生活なんだと信じてたから」
「派手に勘違いをしやがって…。あれは普通にマスクなんだ!」
ついでにマスクの出番も終わった、とキース君はキッパリと。
「学校は昨日で終わりだったし、柔道部にも風邪に罹ったヤツはいないし…」
「ええ。明日から始まる合宿にマスクは要りませんよね」
もうマスクとはサヨナラなんです、とシロエ君も相槌を打ちましたが。
「えーーーっ!?」
不満そうな声を上げたソルジャー。
「マスク生活は終わりだなんて…。ぼくの期待はどうなるんだい?」
「「「期待?」」」
まさか学生運動とやらを期待してましたか、ソルジャーは? マスクに加えてサングラスにヘルメット、角材も要るとかいうヤツを…?
「そうなんだよ! ノルディがそうだと言ってたから!」
それが始まるんだと思っていたのに、とソルジャーはなんとも悔しそうです。でもでも、学生運動なんて名前がついてるからには、多分、学校とはセットもの。終業式が済んで夏休みに入ってしまったからには、学生運動、無理っぽいと思うんですけどねえ…?



シャングリラ学園は今日から夏休み。登校日なんかはありませんから、恒例の納涼お化け大会に行きたい生徒や部活の生徒を除けば、学校とはキッパリ縁が切れるのが夏休み期間。その上、ただでも暑いんですから、誰がわざわざ学生運動をしに学校へ行くと…?
「うーん…。学生運動ってヤツは、別に学校と限ったわけでは…」
ノルディの話を聞いた感じじゃ、とソルジャーは未練たらたらで。
「デモに出掛けて機動隊と衝突したりもしてたって言うし、バリケードだって…」
いろんな所でバリケード封鎖、と語るソルジャー。
「とにかく建物とかを占拠で、凄く過激な運動らしいし…!」
ちょっと仲間に入りたかった、と斜め上な台詞が飛び出しました。
「「「仲間?」」」
「そう! ぼくは激しい闘争が好きで!」
根っから好きで、と赤い瞳を煌めかせるソルジャー、そういえば名前どおりにソルジャーで戦士。日頃、何かとSD体制の苦労が云々と言っている割に、ソルジャー稼業が好きでしたっけ…。
「あっ、分かってくれた? でもねえ、人類軍が相手だとシャレにならなくて…」
下手をすれば本当に死にかねないから、と尤もな仰せ。人体実験で殺されかけた経験も多数なソルジャーですから、人類軍が相手の時にも危険な橋ではあるわけで。
「一つ間違えたらヤバイっていうのも多くてさ…。だから、こっちで!」
こっちの世界で学生運動をしてみたいのだ、と言われましても。シャングリラ学園は夏休みですし、そうでなくてもソルジャーの存在自体が極秘だと言うか、何と言うか…。
「分かってないねえ、そこでマスクの出番だってば!」
それとサングラスでヘルメット、とグッと拳を握るソルジャー。
「それだけ揃えば、マスク以上に誰が誰だか分からないしね!」
「…君は、ぼくたちに何をさせたいわけ?」
ぼくたちには学生運動をしたい動機が全く無いんだけれど、と会長さん。
「ノルディがどういう説明をしたか知らないけどねえ、学生運動には主義主張がね!」
授業料の値上げ反対だとか、と会長さんは例を挙げました。
「そういった理由が何も無いのに、なんでやらなきゃいけないのさ?」
それに学校も夏休み中、とバッサリと。
「勝手に誤解して期待したんだろ、ぼくたちの夏休みの邪魔をしないでくれたまえ!」
山の別荘に行って登山でフレンチ、と話は元へと戻りましたが。妙な誤解をしていたソルジャー、これで諦めてくれますかねえ…?



今年の夏休みはマツカ君の山の別荘から登山に行く予定。フレンチが食べられるらしいお洒落な山小屋、其処に泊まろうというのが目的。学生運動なんかをやっているより断然そっちが楽しそうですし、それに決めたと思っているのに。
「フレンチな山小屋は逃げないじゃないか!」
また来年の夏にだって、とソルジャーはしつこく食い下がって来ました。
「人気のある宿は廃れないものだし、来年行けばいいんだよ!」
「来年まではまだ一年もあるんだけれど!」
どれだけ待てという気なんだ、と会長さんが切り返すと。
「それを言うなら、ぼくは一年後があるかどうかが謎なんだけどね?」
なにしろ毎日が命懸けの日々、とソルジャーの方も負けてはいなくて。
「此処でこうして話していてもね、明日にはシャングリラごと沈められてしまって、なんだったっけ…。お浄土だっけ? キースにいつも頼んでいる場所!」
あそこの蓮の上に引越しかも、と最強とも言える脅し文句が。
「そんな明日をも知れない身の上がぼくなわけでね、一年先なんて、とてもとても…」
君たちみたいに待てはしない、と頭を振っているソルジャー。
「一年先が無いかもしれないぼくと、一年後にはまた夏休みが来る君たちと…。どっちの希望を優先すべきか、普通は分かると思うけどねえ?」
「…ぼくたちに学生運動をしろと?」
マスクにサングラスでヘルメットなのか、と会長さんが嫌そうな顔で。
「ぼくの美意識に反するんだけどね、マスクってヤツは!」
「それはマスクだけで考えるからだろ、学生運動は誰が誰だか分からないんだよ?」
そのためのマスクでサングラス、とソルジャーは指を一本立てました。
「そうして隠せば顔は見えないし、君の自慢の顔がどうこう以前の問題! それに頭にヘルメットだから、髪の毛だって見えないから!」
銀髪なんだか金髪なんだか…、と言われてみれば一理あります。もちろん、よく見れば分かるんでしょうが、少なくとも真正面から見ただけではハッキリ分かりませんし…。
「ほらね、分からないだろうと思っている人間、ぼくの他にも大勢いるから!」
此処にいる面子の殆どがそういう考えだから、とソルジャーは強気。
「この夏休みは学生運動! ぼくも一緒にバリケードだよ!」
顔を隠してヘルメットを被ろう! とブチ上げているソルジャーですけど、何処でバリケードを作る気でしょう? シャングリラ学園、これだけの人数で封鎖するには広すぎませんか…?



ソルジャーがやりたい学生運動、目指すは何処かをバリケードで封鎖。とはいえ、シャングリラ学園の敷地は広大です。私たち七人グループに会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、ソルジャーを足しても全部で十人、バリケード作りからして思い切り大変そうですが…?
「え、学校を封鎖したいとは言ってないけど?」
そもそも封鎖する理由がぼくには無いし、とソルジャーが先刻の会長さんの台詞と同じようなことを言い出しました。理由が無いなら学生運動、やらなくってもよさそうですが…。
「ダメダメ、ぼくはバリケードとサングラスにマスクの世界に憧れているんだよ!」
それに角材も持ってみたいし、とニコニコと。
「角材で殴りに行くんだってねえ、学生運動! そのレトロさがたまらないよ!」
ぼくの世界では角材はとっくの昔に消えた武器、と角材にまで魅力を感じるらしいソルジャー。
「銃は現役なんだけれどね、角材なんかじゃ戦えないねえ…。ぼくの世界じゃ」
流石のぼくでも角材は無理、とソルジャー、力説。
「サイオンを乗せて殴るにしたって、メンバーズとかを相手に角材はちょっと…。ましてテラズ・ナンバーだとか、戦闘機とかになってきたらね、角材なんかを持って行ったら馬鹿だから!」
もう絶対に馬鹿としか思って貰えないから、という見解はよく分かります。いくらソルジャーがミュウの長でも、最強の戦士という認識でも、武器に角材。その段階で失笑を買うだろうことは確実、たとえ勝っても後々まで記録に残りそうと言うか、語り草になっていそうと言うか…。
「そこなんだよねえ、やっぱりメンツにこだわりたいしね!」
同じ戦うならカッコ良く! というソルジャーもまた、会長さんと同じで自分を美しく見せたいタイプみたいです。角材で戦うなどは論外、笑いの種など作りたくないという発想で。
「決まってるじゃないか! ソルジャーはあくまで最強の戦士!」
それに相応しい戦いをすべし、とソルジャーは持論を披露しました。
「スマートに戦ってなんぼなんだよ、剣でも、銃でも!」
見た目にカッコいい武器がいいのだ、と言いつつ、どうやら憧れているらしい角材。どの辺がどうカッコいいのか分からないんですけどね、その角材…。
「カッコいいとは言わなかったよ、レトロなのがいいと言ったんだよ!」
もう素朴すぎる武器が角材、とソルジャーは夢見る瞳でウットリと。
「殴りようによっては人も殺せるけど、ただの木の棒なんだしねえ…。人類最古の武器だと聞いても驚かないねえ、角材はね!」
それで戦えれば充分なのだ、と言ってますけど、その前にバリケードが必須です。何処かを封鎖してしまわないと角材バトルも無理ですけれども、ソルジャーに動機は無いんですよね…?



角材でのバトルに憧れるソルジャー、レトロな武器で戦いたいという御希望。けれど戦うには相手が必要、学生運動とやらをやるならバリケードで封鎖で、それからバトル。シャングリラ学園を封鎖したい動機が無いというのに、何故に封鎖で角材バトル…?
「ぼくに無いのはシャングリラ学園を封鎖する動機! 角材バトルはまた別の話!」
だだっ広い学校を封鎖せずとも学生運動は充分出来る、とソルジャーは胸を張りました。
「要は学校関係者とバトルが出来ればいいんだよ! 角材で!」
「「「…関係者?」」」
理事長先生とかなんでしょうか、それとも校長先生とか?
「そういう人たちを殴りたいとは思わないねえ…。面識も無いし」
「ちょっと待て!」
面識だと、とキース君がソルジャーの言葉を聞き咎めて。
「あんたが直接顔を知ってる学校関係者といえば、教頭先生だけしか無いんじゃないのか?」
「ピンポーン!」
それで正解、とソルジャーは笑顔。
「他の先生もまるで知らないとは言わないけどさ…。ブルーのふりをして入り込んでたこともあるから、接触は何度もしているけどさ…。向こうはぼくだと知らないからねえ!」
ブルーだと思っているからね、とアッサリ、サラリと。
「だから、狙うならハーレイなんだよ! バリケード封鎖も、角材バトルも!」
「「「きょ、教頭先生…」」」
どんな理由で教頭先生を相手に学生運動なのか。授業料は教頭先生の管轄じゃないという気がしますし、角材で殴られるほどのことも全くしてらっしゃらないのでは…?
「してないだろうね、学校という組織の中ではね」
でも、外へ出ればどうだろう? とソルジャーは視線を会長さんへと。
「ブルーも生徒の内なんだけどね、そのブルーに惚れて色々とねえ…」
プレゼントなんかは序の口で、とニンマリと。
「結婚を夢見てあれこれ妄想、何かと悪事を働いてるよね?」
「君もせっせと焚き付けていると思うけど?」
今までにどれほど迷惑を蒙ったことか、と会長さんは冷たい口調ですが。
「それはそれ! ぼくがやりたいのは学生運動!」
日頃の夢より、角材バトル! とソルジャーは学生運動のターゲットとして教頭先生をロックオンしたみたいです。どういう要求を突き付けるんだか、バリケード封鎖は何処でやると…?



夏風邪防止のマスク姿に端を発した、ソルジャー独自の勘違い。エロドクターから学生運動と聞いたばかりに、ソルジャーは角材バトルをやろうと決めてしまって…。
「…なんでこうなるわけ?」
山の別荘と山小屋フレンチは何処へ…、とジョミー君が嘆く炎天下。あれから恒例の柔道部の合宿とジョミー君とサム君の璃慕恩院での修行体験ツアーが終わって、昨日は打ち上げの焼肉パーティーでした。クーラーの効いた会長さんの家で美味しいお肉を食べまくって。
それなのに今日は一転した境遇、炙られそうな酷暑とセミがミンミン鳴きまくる中でマスクにサングラス、ヘルメットという完全装備に、誰が誰だか分からないよう長袖シャツに長ズボン。
「くっそお、暑い…。暑いんだが…!」
これくらいならまだ墓回向の方が遥かにマシだ、とキース君も文句たらたらですけど、同じ格好をしたソルジャーと会長さんは「そこの二人!」と名指しで「サボらないように」と。
「早くバリケードを作らないとね、ハーレイが帰って来てしまうからね!」
「そうだよ、せっかく出掛けたくなるようサイオンで細工したのにさ!」
ぼくの努力を無にしないで欲しい、とバリケード封鎖の言い出しっぺのソルジャー。
「とにかく急いで仕事をする! ご近所からは見えていないんだからね!」
「そのシールドの能力とやらで、暑さもなんとかして欲しいんだが…!」
暑くてたまらないんだが、とキース君が訴えましたが、ソルジャーは。
「夏のマスク生活、学校で充分やっただろう? 慣れればいいんだよ、この環境も!」
「しかしだな…! あの時はヘルメットとかは無くてだ、長袖とかも…!」
「君の正体がバレてもいいなら、外してくれてもいいんだよ?」
マスクもヘルメットもサングラスも…、というソルジャーの台詞は間違ってはいませんでした。間もなくお帰りになる予定の教頭先生にバレていいなら、マスクもサングラスも要りません。半袖シャツを着てもオッケー、誰も駄目とは言いませんけど…。
「…俺だけ正体がバレると言うのか?」
「そりゃねえ、他のみんなが完全防備で顔も見えない状態だとね?」
背格好でも分からないようサイオンで調整中だからね、とソルジャーが言う通り、同じ格好をしている面子はその状態にあるらしいです。そしてスウェナちゃんと私は会長さんに暑さ防止のシールドを張って貰っていますから…。
「女子だけシールドをサービスだなんて、差別だと思う…」
なんでぼくたちだけが暑い思いをさせられるのさ、とジョミー君がブツブツ、他の男子もブツブツブツ。会長さんもソルジャーも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もシールドつきなんですよね…。



こうして教頭先生のご自宅は完全にバリケードで封鎖されてしまいました。庭までは入って来られますけど、家の中へは入れません。玄関前には一番堅固なバリケード。その前にズラリ並んで待っている間に、何も知らない教頭先生がお帰りで…。
「な、なんだ!?」
何事なのだ、と門から庭へと入った所で固まっておられる教頭先生。行き先は本屋だったらしくて、ロゴが入った紙袋を提げておられます。其処でソルジャーが拡声器を手にして、スウッと大きく息を吸い込んで…。
「我々はぁーーーっ!!」
マスク越しでもガンガン響く声、ただし庭より外へは聞こえないよう、バリケードと同じくサイオンで細工。音声もキッチリ変えてありますから、ソルジャーの声とは分からない仕組み。教頭先生がギョッと後ろへ一歩下がると、ソルジャーは。
「断固、抗議するーーーっ!! 教え子に惚れるなど言語道断、絶対反対ーーーっ!!」
「…お、教え子…?」
嫌というほど身に覚えのある教頭先生、オロオロとして。
「そ、それはブルーのことなのか…?」
「他に誰がいるとーーーっ!! 我々は断固、戦うのみでーーーっ!!」
その関係を撤回するまで戦い抜くのみ! と大音量でのアジ演説が始まりました。会長さんには今後一切手を出さないと約束するまでバリケード封鎖を解く気は無いと。
「し、しかし…! 私はブルーに惚れているわけで…!」
三百年以上もブルーだけを想って一筋に今日まで来たわけで、と教頭先生も諦めません。どうせ遊びだとなめてかかっている部分もあるのか、「私はブルーを諦めないぞ!」と言い放った後は、クルリと背を向け、庭から外へと出てゆかれて…。
「…どうなったわけ?」
武器でも取りに行ったんだろうか、とジョミー君が首を傾げると、会長さんが。
「違うね、暑いからアイスコーヒーを飲みに喫茶店へね」
「行きつけの店で休憩らしいよ、これは持久戦コースかもねえ…」
それでこそ戦い甲斐ってものが、とソルジャーはウキウキしています。マスクにサングラス、ヘルメット装備で、長袖シャツに長ズボンで。
「ぼくのシャングリラは、ぶるぅに見張らせてあるから安心! 持久戦でもドンと来いだよ!」
バリケードを守りながらの食事とかもまたいいものだしねえ…、とソルジャーは学生運動もどきを楽しんでいます。角材も用意していますけれど、角材バトルまで行くんでしょうか…?



教頭先生は喫茶店からファミレスに移動、夏の長い日が暮れる頃に戻ってこられましたが。
「我々はぁっ、断固、抗議するーーーっ!!」
断固戦う、というアジ演説をブチかまされて深い溜息、また出てゆかれてビジネスホテルに泊まるようです。私たちの方は交代で会長さんの家まで瞬間移動で、お風呂に仮眠に、食事タイムも。基本が高校一年生な肉体、それだけ休めばもう充分というもので。
次の日も教頭先生と睨み合いの一日、バリケードを守って日が暮れました。山の別荘と山小屋フレンチな登山の代わりに男子は汗だくコースですけど、三日目ともなれば出て来た余裕。
「…こういう経験も悪くないかもしれないな…」
今どき学生運動なんぞは無いからな、とキース君がマスクの下で呟き、サム君が。
「此処まで来たらよ、角材も振り回してみてえよなあ…」
「だよねえ、相手は機動隊とは違うしね」
逮捕ってことはないわけだから、とジョミー君も角材バトルをやりたいようです。ソルジャーは元からそれが夢ですし、会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も…。
「ハーレイを角材で殴れるチャンスはそうは無いしね、最初で最後かもしれないからねえ…」
「かみお~ん♪ ぼくも大きく見えてるんだし、ぼくがやったってバレないもんね!」
角材で一発やってみたいよう! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャーはレトロな憧れの武器の素振りに余念が無いという有様、後は教頭先生の強行突破を待つのみで…。
「…ん? 来たかな?」
ついに戦う気になったかな、とソルジャーが庭の外へと目を凝らしたのが三日目の夕方。ビジネスホテル住まいで過ごした教頭先生、武器は持たずにズンズンと庭へ入って来られて…。
「私も男だ、ブルーを諦める気にはなれんのだーーーっ!!」
入れないなら突入する! とダッと駆け出し、玄関へ突進、バリケード突破を目指されましたが。
「させるかーーーっ!」
マスクでサングラスなソルジャーが振り下ろした角材の一撃、教頭先生の肩に見事にヒット。これは痛そうだと思ったんですけど、ぼんやりと光る緑のサイオン、シールドで防がれてしまったみたいです。突入すると決めた時点で想定してましたか、角材攻撃…。
「ふん、角材か。私には効かんな」
これでもタイプ・グリーンだからな、と威張り返った教頭先生、そういうことなら何の遠慮も要りません。効かないんだったら殴り放題、これは私も殴らなくては…!



たかが角材、されど角材。いくらダメージを受けないとはいえ、総勢十人分の攻撃、面子の中には歴戦の戦士のソルジャーだとか、柔道部で鳴らしたキース君とかもいるわけで。バリケードを破ることが出来ない教頭先生、何を思ったか、庭の方へと走ってゆかれて…。
「「「…???」」」
武器でも取りに行ったのだろうか、と眺めていたら、ズルズルズルと引き摺っておいでになった水撒き用のホース。教頭先生はそれを構えて。
「こういう時の定番は放水銃なのだーーーっ!!!」
食らえ! と景気よくぶっ放された水、こちらもシールドで楽勝で防げる筈なのですが。
「何するのさーーーっ!!!」
よくもぼくに、と会長さんがマスクとサングラスをかなぐり捨てました。ヘルメットもポイと。長袖シャツとズボンはずぶ濡れ、明らかに意図的にシールドを解いていたわけで…。
「す、すまん…! ま、まさかお前だとは…!」
「ぼくの見分けがつかなかったって? ブルーと間違えるよりも酷いよ、それは!」
君のぼくへの愛の程度がよく分かった、と会長さんが怒鳴って、その隣から。
「…ぼくもずぶ濡れになったんだけどね、こういう時には大乱闘でいいんだっけね…?」
バリケードを巡ってバトルはお約束らしいよね、とマスクとサングラスを捨てたソルジャー、手に角材をしっかりと。
「…そ、それは…! いえ、決してわざとやったというわけでは…!」
「どう考えてもわざとだろう? 君の愛するブルーと、ぼくとがずぶ濡れだしねえ…?」
この落とし前はつけて貰う、とソルジャーが角材を振り上げ、会長さんも。
「総攻撃してかまわないから! 誰が誰だか分からないから!」
「「「はーい!!!」」」
こんなチャンスは二度と無い! と構えた角材、顔を隠したマスクとサングラス、それにヘルメットな私たち。戦いは夜まで続くんでしょうか、なんとも貴重な夏休みの思い出になりそうです。教頭先生、遠慮なく殴らせて頂きますから、頑張ってガードして下さいね~!




           マスクで隠せ・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 コロナでマスクな夏も二年目。シャングリラ学園にも流行る夏風邪、暑くてもマスクな日々。
 そこから転じて学生運動、教頭先生の家をバリケード封鎖。こんな夏休みも楽しいかも。
 次回は 「第3月曜」 8月16日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、7月は卒塔婆書きに追われるキース君。まさに地獄の日々で…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv










(おや?)
 ハーレイが覗いたポストの中。ブルーの家には寄れなかった日、学校から家に帰って来て。
愛車をガレージに入れてやった後の、いつもの習慣。ポストの中をチェックすること。郵便物に夕刊、たまにチラシや町の情報紙なども。
(ふうむ…?)
 郵便物が幾つかある中、目を引いた封筒。凝った模様がついてはいないし、珍しい絵柄の切手も貼られていないけれども…。
(あいつからだな)
 封筒に書かれた宛名と住所。この家が建っている場所の。その文字たちに見覚えがあった。誰が書いたか直ぐに分かった、懐かしい昔馴染みの友達。
 もうそれだけで弾んだ心。彼の顔を見るのが当たり前だった、青春時代に戻ったように。
(楽しかったな…)
 あの頃は、と持って入って、早速開けた。夕食の支度を始める前に。裏を返して、差出人の名を確かめただけで。「やっぱり、あいつからだよな」と。
 封筒の中から出て来た便箋、畳まれたそれを広げてみたら。
(そうか、地球を離れていたのか…)
 久しぶりだ、と書かれた手紙。新しい家にも慣れて来たから、手紙を送ると。地球を離れても、日々の暮らしはそれほど変わらないのだが、と。
 封筒を裏返してみたら、本当に変わっていた住所。さっきは全く見ていなかった。見慣れた文字だけで差出人が分かっていたから、住所も彼のものだとばかり。この地球の上の、同じ地域の。
(思い込みってのは、酷いもんだな)
 まるで違うと気付かないのか、とコツンと叩いた自分の額。
 ソル太陽系でさえもないじゃないかと、見ただけで分からないのかと。ウッカリ者が、と。



 手紙を読み終えてから、作った夕食。帰りに買って来た食材で。
 味わいながらゆっくりと食べて、後片付けが済んだら、いつものコーヒー。愛用のマグカップに熱いのを淹れて、手紙も持って向かった書斎。其処で手紙をじっくり読もうと。
(…遠くに引越しちまったんだなあ…)
 俺に知らせも寄越さないで、と思うけれども、彼らしい。書斎の机で広げた手紙も、もう本当に彼らしいもの。「引越すと知らせたら、みんなに迷惑かけるからな」と。
 あの頃の仲間は、皆、それぞれに散っているから。同じ地球でも別の地域に行った者もいれば、家は同じでも仕事であちこち飛び回っている者だっている。それを集合させるとなったら…。
(日を合わせるのに、まずは連絡…)
 この日ならば、と決まったとしても、仕事を休む者も出るだろう。遠い地域から旅行鞄を提げて来る者も。たった一日のお別れパーティー、そのためだけに。引越してゆく友に会うためだけに。
(そいつは悪い、と思ったんだな…)
 皆が揃って会うだけだったら、機会は何処かである筈だから。
 引越す彼を見送るためにと集まらなくても、早い時期から通知が回って、誰もがその日を開けておける会。集まる名目は何だっていいし、「この日にするぞ」と決めさえすれば。
 彼だってきっと、次の会には何食わぬ顔で来るのだろう。「久しぶりだ」と、手紙さながらに。
 遠い星へと引越したことさえ、会った途端に忘れるほどに。
 飄々と、土産でも提げて。「俺の星では、これが美味い」と酒の肴か、酒そのものを。



 地球からは遠く離れた星。けれども距離を感じさせない、友からの手紙。今も覚えている、彼がこの地球で暮らしていた場所、其処で出された手紙のように。
 昨日か一昨日、彼がポストに入れたかのように。「じきに届くな」と。
(あそこからだと、何日くらい…)
 かかって届くものだろうか、と消印を見れば、意外に速い。思ったよりも、ずっと。
 たまたま定期便が出るのに間に合ったろうか、地球へと直行する船に。あちこちの星などに寄港しながら飛ぶのではなくて、地球へ真っ直ぐ。
 宇宙の中心は、今の時代も地球だから。前の自分が生きた時代は、それは名目だったけれども。
(聖地ってだけで、本当の首都はノアだったんだ…)
 死の星だった地球に人は殆どいなかった。地球再生機構だったリボーンの者だけ、廃墟と化した地表に聳えるユグドラシルの住人だけ。
 そんな所へ定期便など飛ばないけれども、今なら何処の星からも出る。頻繁に出るか、一週間に一度くらいか、もっと少ない星もあるのか。
 けれど何処でも、地球に向かって、真っ直ぐに飛ぶ船はあるものだから…。
(それに乗ったってこともあるよな)
 友が投函しただろうポスト、其処から集められて、仕分けをされて。地球宛は此処、と。
 上手い具合に定期便が出る日に間に合ったならば、何処の星にも寄港しないで一気にワープ。
(どういう旅をして来たのやら…)
 この手紙は、と手紙に訊いても、答えが返るわけがない。
 手紙は言葉を話さないから、思念波だって持っていないから。…友の言葉を伝えるだけで。



 思いもかけない速さでやって来た手紙。友がいる星から、漆黒の宇宙を地球まで飛んで。
(遠いって書いていやがるのに…)
 なんだかなあ、と拍子抜けするほどに早く届いてしまった手紙。
 実際、友が住んでいる星は遠いのに。地球からは遥か離れた彼方で、夜空に見えもしないのに。
 キャプテン・ハーレイだった頃の記憶を辿ってみても…。
(この速さで手紙を配達しようと思ったら…)
 一気にワープしか無いだろう、と出した結論。寄港していては間に合わない。
 前の自分が生きた時代の宇宙船でも、今の船でも。
 地球までワープで飛んでゆくなら、何処の星にも寄らないのなら…。
(こう、上昇して…)
 重力圏を離脱すること、それが肝心。亜空間ジャンプをする時の基本。
 懐かしい感覚が蘇って来る。今の自分は宇宙船など動かせないのに、出来るかのように。
 遠く遥かな時の彼方で、シャングリラで指揮をしていた自分。
 白いシャングリラの舵も握った、シドが主任操舵士になった後にも。重要な時は。やらねば、と自分が思った時は。
 他の者ではとても無理だと、自分しかいないと考えた時は。
(地球までの最後のワープっていやあ…)
 気分が高揚したものだ。操舵していたのはシドだけれども、地球への最後の長距離ワープ。
 ついに地球へ、と躍った心。ブルーが焦がれた地球に行ける、と。
 其処で自分の旅は終わって、役目をシドに引き継いだ後は、ブルーの許へ、と。
 もっとも、そうして飛んだ先では、メギドが待っていたけれど。
 六基ものメギドが狙いを定めて、シャングリラを待っていたのだけれど。



(物騒な時代だったんだ…)
 ワープアウトしたら、目の前にメギド。危うく、船ごと焼かれる所。戦場だった漆黒の宇宙。
 其処を今では手紙が旅する時代なのか、と友からの手紙を感慨深く眺めたけれど。
(手紙か…)
 白いシャングリラで生きた頃にも、手紙というものは一応はあった。SD体制の時代にも。
 けれど、シャングリラでは手紙を出してはいない。手紙が届くことだって無い。
 船の中だけが世界の全てだった、ミュウの箱舟には必要ないもの。手紙を届ける仕組みなどは。
 誰もが船の仲間なのだし、わざわざ手紙を出すまでもない。
 せいぜい、招待状くらい。ソルジャー主催の食事会とか、仲間たちが開く集まりなどの。
 それに、招待状を出すにしたって…。
(こんな具合に、住所をだな…)
 封筒に書きはしなかった。住所などありはしないのだから。皆、シャングリラの住人だから。
 受け取る相手の名前を書いたら、それで充分。封筒に書くのは宛名と、差出人の名前だけ。
 たったそれだけ、手紙も住所も無かった船がシャングリラ。
(今の俺だと…)
 友から届いた、この手紙に返事。「遠い所へ行きやがったな」と、「俺に黙って」と。
 手紙を書いたら封筒に入れて、住所や宛名もきちんと書いて、ポストに入れる。学校の近くにもポストはあるし、近所にもあるから、何処だっていい。
 すると手紙が宇宙に旅立つ。ワープして遠い星系まで。
 直行便に乗らなかったとしたって、幾つもの星に立ち寄りながら、友の星まで、家のポストへ。



 返事を書いてやらなければ、と思うけれども、何と書こうか。「俺に黙って引越しやがって」の他には何がいいのだろうか。
 「その星の酒は美味いのか?」と書いてやるべきか、「どんな具合だ?」と星の気候でも尋ねてみるか。書きたいことは山ほどあるから、直ぐに書かずに考えて書こう。
 遠い星まで旅をする手紙に相応しく。地球からの手紙だ、と懐かしく開いてくれそうなものを。
(手紙を書いたら出せて、届いて…)
 相手に中身を読んで貰える。今日の自分がそうだったように。「あいつからだ」と心が弾んで、遠い昔に戻ったように。
 なんと幸せな時代だろうか、と気付いた手紙。出せば届いて、それに返事が来る手紙。
 白いシャングリラには無かったもの。遠く離れた星の友にも届けられるもの。
 古典の授業をしている時には、遥かな昔の手紙についても教えるのに。手紙だけが相手の人柄や教養、そういったものを知る唯一の手段だった時代もあったんだぞ、と話すのに。
(俺としたことが…)
 この幸せに気付いていなかったのか、と見詰めた友からの手紙。それが教えてくれたこと。
 誰かに手紙を書ける時代は幸せだと。それに手紙が届く時代も。
(灯台下暗し、といった所か…)
 お前、古典の教師だろうが、と小突いた額。しっかりしろよ、と。
 手紙を出すことが出来る素晴らしい世界、お前は其処に来たんだろうが、と。
(今の暮らしに慣れちまっていて、まるで気付きもしなかったよな…)
 シャングリラの時代は違ったことに。白い鯨で生きた頃には、手紙なるものは無かったことに。
 手紙を出したら届く幸せ、ポストに手紙が届く幸せ。
 ブルーにも話してやることにしよう、せっかく気付いたのだから。
 幸い、明日は土曜日なのだし、ブルーと二人で過ごせるから。



 次の日も覚えていた手紙。友からの手紙を見るまでもなく。
 いい天気だから、歩いてブルーの家に出掛けて、いつものテーブルを挟んで尋ねた。向かい側に座る恋人に。
「お前、ポストを覗きに行くか?」
 でなきゃ帰った時に覗くか、ポストの中を?
「…ポスト?」
 なあに、とブルーはキョトンとした顔。「どうかしたの?」と。
「ポストと言ったら、郵便が届くポストだが…」
 新聞とかも入るだろうが。お前の家の前にもあるヤツ。あれを覗くか、と訊いているんだ。
「んーと…。覗く日もあるし、忘れてる時も…」
 だけど、配達の人が来たのが分かった時には、ちゃんと取りに行くよ。ポストのトコまで。
「お前宛の手紙も届くのか?」
 ポストまで取りに行くってことは。…それとも、お母さんの代わりに取って来るのか?
「そっちの方だよ、ぼく宛の手紙は少ないし…」
 滅多に来ないし、届くのはパパとママ宛ばかり。それをポストまで取りに行くだけ。
「だろうな。お前の年だと、まだまだなあ…」
 友達は近所に住んでいるのが殆どだろうし、手紙の出番は無いってな。会って話すのが一番だ。
 だが、俺くらいの年になると違う。友達も仕事で他所へ行ったり、引越したりもするからな。
 お蔭で、昨日は…。



 こんなに遠い所から俺に手紙が来たぞ、と昨日の手紙が投函された星の名を口にした。地球では滅多に聞かないくらいに、遠く離れた星系からだ、と。
「知らない間に、引越しちまっていたらしい。…あいつらしい、とは思うんだがな」
 手紙の中身も、普段の調子とまるで同じだ。別の町に引越しましたから、とでもいった感じで。
 あんな遠くに行っちまったなんて、今も実感が無いってな。…確かに其処の住所なんだが。
「その手紙…。何日くらいかかって届くの?」
 地球まで届いて、ハーレイの家のポストに来るまで、うんと時間がかかるんだよね?
 それだけ遠く離れた星なら、手紙を出しても、地球に着くまでに何日かかるか…。
「俺だって、そう思ったんだが…。どのくらいだろう、と消印を見てみたんだが…」
 聞いて驚け、手紙はワープして来たらしい。
 運よく、地球への直行便に間に合ったんだろう。長距離ワープの連続で飛ぶしな、直行便は。
 地球の辺鄙な所で出すのと、多分、変わりはなさそうだ、うん。
「へえ…!」
 そんなに短い時間で地球まで来ちゃったの?
 ホントに地球から出したみたいだよ、此処からは遠い地域の何処かで。
 高い山の上とか、海に潜る人が出して遊べる海の中のポスト、毎日集めはしないだろうし…。
 そういう所で手紙を出したら、同じ地球でも、きっと時間がかかっちゃうしね。



 遠い星なのに凄い速さ、とブルーの顔が輝くから。「手紙もワープしちゃうんだ…」と、とても感動しているから。
「手紙のワープも凄いんだが…。凄い速さで、俺の家まで来ちまったんだが…」
 今の俺たちも凄いってな。ワープして来た手紙に負けないくらいに。
「え?」
 凄いって、何が?
 今のぼくたちの何処が凄いの、生まれ変わりっていうこととか…?
 ハーレイと二人で地球に来ちゃったし、おまけに地球は、前のぼくが思った通りに青いし…。
「そいつも凄いが、手紙だ、手紙」
 手紙を出したら届くんだぞ。とんでもなく遠い星に出しても、場合によっては凄い速さで。
 それに手紙を貰えもするだろ、お前宛の手紙は滅多に来ないとしても。
「当たり前でしょ、手紙だよ?」
 郵便屋さんは、そのために走っているんだから。…配達用のバイクとかで。
 他の星まで届けるんなら、バイクじゃ走って行けないけれど…。宇宙船の出番になるけれど。
「うむ。郵便物はコレ、と決まっている袋に入って、貨物室とかに積み込まれてな」
 そうやって宇宙を飛んで行ったり、地球の上をバイクで走って行ったりするのが郵便だが…。
 シャングリラにあったか、そういうシステム。
 出したい手紙は此処に入れろ、とポストがあってだ、係が集めて配りに行くとか。
「…無かったね…。手紙を入れるポストも、それを配りに行く係も」
 シャングリラは大きな船だったけれど、郵便のシステム、無かったよ…。
 思念波を飛ばせば相手に届くし、そうでなくても、会って話せば済むんだし…。
 船の中だけで用事が済むから、手紙なんかは要らないよね。…潜入班からも手紙は来ないし。
「そうだったろうが。…人類の世界には、手紙も存在したんだが…」
 だからと言って、アルテメシアに潜入していた仲間たちから手紙は来ないぞ。
 シャングリラ宛の郵便物なんか、人類は運んでくれないからな。
 もしも住所が書いてあったら、手紙を届けてくれる代わりに爆弾だ。ミュウの船が此処に潜んでいるぞ、と爆撃機を山ほど飛び立たせてな。



 手紙なんぞは出せなかったのが前の俺たちだ、と話してやった。今では普通のことなのに、と。
「当たり前だと思ってることが、意外に幸せだったりするな、と気が付いてな…」
 あいつから手紙が届いたお蔭で。…返事は何と書いてやろうか、と色々考えている内に。
 それで手紙の話をしたんだ、「ポストを覗きに行くか?」とな。
 今の平和な時代だからこそ、俺たちにも手紙が届くんだから。…爆撃機が来る代わりにな。
「ホントだね、今は幸せだよね…」
 シャングリラはもう何処にも無いけど、今の時代なら、シャングリラ宛に手紙を出せるよ。
 飛んでいる間は無理だろうけど、何処かの星に降りた時には、其処で届けて貰えるから。
 宇宙を飛んでいる時にしたって、手紙、届くかもしれないね。
 物資とかの補給に飛んで行く船に預けておいたら、補給のついでに。
「出来るだろうな、そのやり方も」
 実際、やっているようだから…。
 俺も詳しい仕組みは知らんが、長距離航路を長い時間をかけて飛ぶ船。客船とかだな。
 そういう船だと、乗っている客に手紙を出せるらしいから…。
 「この船です」と、船の名前とかを指定しておけば、そいつが住所の代わりってことだ。
 届くまでの時間は、きっとタイミングによるんだろう。俺に届いた手紙と同じで。
「補給船が出る時に上手く間に合うとか、その船が何処かに降りる時だね」
 あと何日かで此処に入港、って分かっているなら、その星とかに運べばいいんだし…。
 タイミングが合えば、アッと言う間に届いちゃうよね、船宛の手紙。
 宇宙船にも手紙を出せるだなんて、凄すぎるよ。今のぼくたちが生きてる時代。
 前のぼくたちだと、手紙なんかは誰にも出せなかったのに…。
 何処からも手紙は届かなかったし、そっちが当たり前だったのに…。
 だけど今だと、住所が分かれば、何処にだって、手紙…。
 宇宙船でも、うんと遠くの星に住んでる人にでも、ちゃんと手紙を出せる時代で…。



 そうだ、と不意に煌めいたブルーの瞳。素敵なことを思い付いた、という顔で。
 赤い瞳の小さな恋人、桜色の唇が紡いだ言葉。
「ねえ、ハーレイの家の住所を教えて」
 お願い、住所は何処なの、ハーレイ…?
「住所って…。お前、知ってるだろうが、俺の家なら」
 一度だけだが、遊びに来たしな。眠ってる間に、瞬間移動で飛んで来ちまった夜もあったし…。
 それに名刺もプレゼントしたぞ、欲しがったから。
 名刺を見れば分かるだろうが、番地まで全部。
「そっちじゃなくって、隣町のだよ!」
 隣町にあるでしょ、ハーレイの家が!
 そっちの住所を知りたいんだよ!
「はあ? 隣町って…」
 俺が育った家のことなのか、親父とおふくろが住んでる家か?
 あそこの住所を聞いてどうする、地図を見て何処か探すつもりか…?
「違うよ、手紙を出すんだよ」
 ハーレイのお父さんたちの家に出したいよ、手紙。
 いつも夏ミカンのマーマレードを貰っているから、その御礼…。
 一番最初は、ぼくにくれたマーマレードだったんだもの。だから、マーマレードの御礼の手紙。
 美味しいマーマレードをありがとうございました、って書きたいから…。
「おい、本当にそれだけか?」
 マーマレードの礼を書くためだけに、親父とおふくろに手紙なのか?
「んーと…。ぼくが御礼の手紙を出したら、それの返事が貰えるでしょ?」
 そしたら文通を始めるんだよ。貰った返事に、ぼくがきちんと返事を書いて。
 ポストに入れたら、また郵便屋さんが届けに行ってくれるから…。暫く経ったら、それの返事を書いて貰えて、ぼくの家のポストに届く筈だから。
「こら、お前!」
 親父やおふくろと文通だと?
 俺に伝言を頼むならいいが、俺は抜かして、直接、手紙を交換すると…?



 勝手なことを始めるな、とブルーの頭に軽く拳を落としてやった。痛くないように。
「親父たちと直接、連絡を取ろうとするなんて…」
 お前にはまだ早いんだ。早すぎるってな、お前みたいなチビにはな。
「なんで?」
 ぼく、手紙だって上手く書けると思うけど…。相手が大人の人でも、ちゃんと。
 ハーレイだって知っているでしょ、ぼくの字だとか、文章とかは。
 呆れられるような、下手な手紙は出さないよ。挨拶だって、忘れないようにきちんと書くし…。
 それに子供でも、大丈夫。
 今から覚えて貰っておいたら、将来、絶対、役に立つから。
「ほらな、やっぱり俺の思った通りだ」
 お前、文通を始めちまったら、きっと調子に乗り始めるぞ。…最初はただの御礼状でも。
 何度も手紙を遣り取りしてたら、おふくろたちが知っているのをいいことにして、すっかり俺の花嫁気取りというヤツだ。
 違うのか、チビ?
「えーっと…。それは…」
 ぼくだって今から、色々と覚えておきたいから…。
 ハーレイのお父さんとお母さんのこととか、どういう風に毎日、暮らしてるのか。
 夏ミカンのマーマレードの作り方だって、手紙で教えて貰えるよ。作る時期とか、コツだとか。
 そしたら、直ぐに手伝えるから…。マーマレードを作る時には。
「駄目だ!」
 一足お先に知ろうだなんて、これだからチビというヤツは…。
 そういうことはな、直接会って話を聞くのが一番なんだ!
 遠い所に引越しちまった友達とかとは、全くわけが違うんだから!
 俺と一緒に出掛けて行って、「はじめまして」の挨拶からだろ、親父たちとは!



 俺がきちんと紹介するまで、全部お楽しみに取っておけ、と叱り付けた。悪知恵の回る恋人を。手紙と住所で閃いたらしい、小さなブルーの思い付きを。
「お前、その内に、「写真を送って下さい」とも書いたりするんだろうが!」
 俺の親父と、おふくろの写真。…それも色々注文をつけて。
 夏ミカンの木の下で写してくれとか、家もちょっぴり一緒に写ると嬉しいだとか。
「そうだけど…」
 文通するなら、写真くらいは…。
 ぼくの写真はママに頼まないと焼き増せないから、ぼくからは送れないけれど…。
 ハーレイのお父さんとお母さんなら、写真、送ってくれそうだから…。
「写真を送って貰おうだなんて、チビのお前には早すぎるんだ!」
 もっと大きく育ってから言え、前のお前と同じ背丈に!
 俺と結婚出来る年になって、親父たちに挨拶してから貰うことだな、そういう写真。
 もっとも、チビのお前が頼んだとしたら、おふくろは喜びそうだがな…。
 何処で撮ろうかと、写す場所をあれこれ探し始めて、大張り切りで。
「…ハーレイのお母さん、喜んでくれるみたいなのに…」
 ホントに駄目…?
 ハーレイのお母さんたちが住んでいる家、住所は教えてくれないの…?
「当然だろうが、お前の良からぬ計画を聞いちまったらな」
 逆立ちしたって、俺は教えん。…もちろん、逆立ちはお前だぞ?
 そんな芸当、出来っこないのが頑張って披露したとしてもだ、親父たちの住所は教えてやらん。
 泣こうが、強請ろうが、駄々をこねようが、絶対に教えないからな!
「ハーレイのケチ!」
 頼んでるのに、住所、教えてくれないなんて…。大きくなるまで駄目だなんて…。
 ぼく、本当に、ハーレイのお父さんたちに手紙を出したいのに…。
 どうしても住所、ハーレイが教えてくれないのなら…。



 夏ミカンの木が目印です、って書けば届くかな、と言い出したブルー。隣町宛に。
 まるで宇宙船に宛てて手紙を出すように。「この船です」と指定する代わりに、目印になるのが夏ミカンの木。隣町の家のシンボルツリー。金色の実がドッサリ実るから。
(…全部の区域宛てで、それを出されたら…)
 ブルーが図書館か何処かで調べて、書き抜いて帰る、隣町の幾つもに分かれた区域。郵便を出す時に必要な住所、それの大まかな区分けの仕方。
 それの数だけ手紙と封筒、準備が出来たら区域までを書いて、「夏ミカンの木が目印です」。
 住所の代わりに夏ミカンの木。「これを手掛かりに届けて下さい」と。
 もしも実行されてしまったなら、届きかねないブルーの手紙。
 夏ミカンの木はよく知られているから、手当たり次第に何通も出した内の一つが。
 郵便を配達する係だって、ピンと来るだろう。自分が受け持つ区域の中に、そういう家が確かにあると。郵便局の係が「知りませんか?」と尋ねたならば、「ありますよ」と。
 分かってしまえば、後は配達。
 「夏ミカンの木が目印です」としか書かれていない手紙でも。
 あの家のことだ、と他の郵便物と一緒に、郵便配達のバイクに乗せて。
 郵便物を順に配る途中で、「この家だな」とポストに入れてゆく手紙。庭の夏ミカンの木を確認してから、「間違いなし」と。



 郵便局員たちはプロだし、仕事に誇りを持っている。幼い子供が下手くそな字で書いた、とても読めそうにない住所や宛名も、読み解いて配達するのが彼ら。
 だからブルーが出した手紙も、届いて不思議は無いのだけれど。夏ミカンの木だけで、ポストに配達されそうだけれど。
(しかしだな…)
 隣町だって、相当に広い。住所を聞いたら「あの辺りだな」と見当はついても、実際に出掛けて歩いてはいない区域も多い。
 町全体ということになったら、他にも多分、あるだろう。
 夏ミカンの木がシンボルの家が何軒か。近所の人なら、郵便配達の係だったら、「あの家だ」と思う家が、他にも、きっと。
 ブルーが全部の区域に宛てて、同じ中身の手紙を出した場合には…。
(そういう家にも届くってわけで…)
 庭に夏ミカンの木はあるけれども、両親は住んでいない家。届いた手紙の差出人にも、心当たりなどまるで無い家。
 「誰からだろう?」と不思議がるだけで。「隣町の人が出したようだが」と。
 ブルーの名前を知らなかったら、封筒を開けて読んでみる筈。手紙を読めば分かるだろうかと、前に夏ミカンの実を幾つか渡した人だったかも、と。
 散歩中の人に木を褒められたら、そうしたくなるものだから。「どうぞ」と幾つか袋に入れて。
 「荷物にならないなら、持って帰って食べて下さい」と、相手の名前を訊きもしないで。
 その中の一人だっただろうか、と開けそうな手紙。本当は他の人宛のもので、開いて読んでも、首を傾げるしかない手紙なのに。
(マーマレードをありがとうございました、だしな?)
 ついでに、「結婚したら、ぼくをよろしくお願いします」とも書いてあるのだろう。両親の家に届き損ねた手紙で、ブルーがせっせと綴った自己紹介だから。
(なんのことやら、と家族全員で回し読みだぞ?)
 もう間違いなく、そうなる筈。そして手紙の返事が書かれて、ブルーの家に届くことだろう。
 「受け取りましたが、人違いです」と。「開けてしまってすみません」とも。



 郵便局の者たちが優秀なせいで、如何にも有り得そうな郵便事故。別の家にも届いてしまって、読まれてしまうブルーの手紙。
 これは使える、と考えたから、夏ミカンの木を手掛かりに、と企む恋人にこう言った。
「おい、その住所…。夏ミカンの木が目印です、ってヤツなんだが…」
 親父たちにも届くかもしれんが、別の家に配達されるってことも充分にあるぞ。
 あの町もけっこう広いからなあ、俺が知らない場所も沢山あるってな。その中の何処かに、同じような家があるかもしれん。夏ミカンの木が目印の家が。
 其処に届いてしまった時には、「誰からだろう?」と開けられちまって、お前の手紙…。
「読まれてしまうの、知らない人に?」
 ハーレイのお父さんたちとは違う誰かに、人違いで…?
「そうなるだろうな。手紙が届いた家の人にとっても、知らない人ではあるんだが…」
 住所が合ってりゃ、開けるだろうが。
 夏ミカンの木は、確かに庭にあるんだし…。散歩中の人にプレゼントしたことも、きっと何度もある筈だからな。
 そいつの礼か、と思って開けてみるだろう。そして中身がお前の手紙だったなら…。
 親切に返事をくれるだろうな、「人違いです」と。「間違えて開けてしまいました」とも。
「…そうなっちゃうんだ…」
 間違えて他所に届いちゃったら、ぼくの手紙、知らない誰かが読んで…。
 それだけじゃなくて、「人違いです」って手紙が来ちゃって、ぼくが大恥…。
「分かったか、チビ」
 だから手紙は出さないことだな、そんな目に遭いたくなかったら。
 赤っ恥をかいて、俺に泣き付くような末路が嫌だったらな。
「…うん、分かった…」
 いいアイデアだと思ったんだけど、失敗したら、とても恥ずかしいから…。
 他所の家に届いて読まれちゃったら、ぼく、本当に泣きそうだから…。
 出さないよ、手紙を書くのはやめる。…ハーレイのお父さんたちには書かないよ、手紙…。



 残念だけど、とブルーが項垂れているから、「仕方ないだろ」と叩いてやった肩。
 「チビはチビらしく、大人しくしてろ」と、悪だくみは身を滅ぼすぞ、と。
「安心しろ。いつかは出せるさ、親父たちに手紙」
 俺が住所を教えてやるから、そいつを書けばきちんと届く。親父たちの家に。
 間違えて他所に届きはしないし、のびのびと好きに書くといい。マーマレードの作り方だとか、お前の知りたいことを山ほど。
 文通だって悪くはないなあ、親父もおふくろも張り切るぞ、きっと。
「ホント?」
 本当にちゃんと教えてくれるの、ハーレイのお父さんたちの家の住所を?
 手紙を書いて文通しちゃってもいいの、ハーレイは抜きで…?
「かまわないぞ。…俺の悪口を書いたって、俺は怒らないってな」
 ハーレイはこんなに意地悪なんです、と密告されて、親父の雷が落ちてもかまわん。
 お前は好きなように手紙を書けばいいんだ、書きたいことを。…親父たちに知らせたいことを。
 親父たちだって、きっと喜ぶ。中身が俺の悪口でもな。
 ただし、住所を教えてやるのは、俺と一緒に出掛けてからだぞ?
 親父とおふくろに会って、挨拶をして、「はじめまして」じゃなくなってからだ。
「…なんで?」
 挨拶に連れて行ってくれるんだったら、もう、結婚は決まってるのに…。
 ぼくがお父さんたちと文通してても、おかしくないと思うんだけど…。
「それはまあ…。その点は問題ないんだが…」
 住所が分かれば、親父たちの家が何処にあるのか、お前にも分かっちまうだろうが。
 地図を広げて、其処を探せばいいんだから。…どんな家かは分からなくても、場所だけは。
 それじゃ、つまらないと思わないか?
 俺の車で出掛けてゆく時、お楽しみが減ってしまうだろうが。何処で曲がるのか、まだまだ先は長いだろうか、とドキドキ出来なくなっちまうぞ、お前。
「…そうかも…」
 場所を知ってたら、そうなっちゃうね…。もうすぐだよね、って分かっちゃう…。
 ぼくのドキドキ、減ってしまうよ、ハーレイの言う通りだけれど…。



 でも出したいな、とブルーが惜しそうにしている手紙。隣町に住む両親の家へ。
(…夏ミカンの木が目印です、と来やがった…)
 それをされたら、届いたかもしれないブルーの手紙。間違って他所に配達されても、正しい家に届く一通もありそうだから。…手当たり次第に、全部の区域に宛てて出されたら。
 危ない所だったけれども、これも手紙を出せる時代ならではの、幸せな危機。
 前の自分たちが生きた船には、手紙は届きはしなかったから。出すことも出来なかったから。
(…しかし、本当に危険だぞ、こいつ…)
 本気で手紙を出しかねないから、ブルーには決して喋らないよう、気を付けなければ。
 隣町の家の住所の手掛かり。此処の区域だ、とブルーに教えてしまいそうな何か。
 地図に載っていそうな店の名前や、施設は決して口にしないこと。
 「夏ミカンの木が目印です」という住所で手紙が届いてしまったならば、文通だから。
 小さなブルーが調子に乗るから、花嫁気取りで手紙を交換し始めるから。
 まだ結婚も出来ない年でも、チビのままでも、得意になって。
 「ハーレイのお父さんたちから手紙が来たよ」と、届く度にウキウキ報告をして。
 「もうすぐお嫁さんになるんだから」と、子供のくせに。
 キスも出来ないチビのままでも、ブルーならきっと、幸せ一杯で文通するだろうから…。




           手紙が届く今・了


※シャングリラの時代は、手紙を出せなかったブルーたち。けれど今では、出せるのです。
 宇宙船にでも、届けられる手紙。ハーレイの両親の家にも、いつかブルーが書いた手紙が…。
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(えーっと…?)
 ブルーがしげしげと眺めたカード。学校から帰って、おやつの時間に。
 母宛に届いたカードだけれども、テーブルの上に置いてあったから。母の友人の一人らしくて、近況などを知らせる文面。飼っている二匹の猫の話に、通っている趣味の教室の話。
 短い文でも充分伝わる、差出人が過ごしている日々。カードに添えられた小さな押し花。それも習ったものなのだろうか、カードに貼ってある押し花。傷まないよう、剥がれないよう。
(これ、知ってる…)
 ぼく知ってるよ、と思ったカード。花の名前は分からないけれど、優しいカード。
 とても懐かしい誰か、と差出人の名前を眺めてみても、何故だかピンと来てくれない。カードと一緒にあった封筒、それに書かれた住所を見ても。
(誰なんだろう…?)
 カードは確かに知っているのに、心当たりのない名前。住所の方も。
 此処からは少し離れた町。母とお茶の時間を楽しむために来るには遠すぎる。他にも会いに行く人がいるとか、旅行を兼ねてやって来るとかいった距離。
(…ぼく、会ったことも無さそうだけど…)
 父や母の友人の家まで、遊びに出掛けたことはある。幼かった頃に、呼んで貰って。
 けれど、身体が弱かったのだし、家から近い所だけ。せっかく招待してくれたのに、先方の家に着いた途端に眠ったのでは悪いから。「気分が悪い」と言い出したならば、大変だから。
(こんな所まで行かないよね…?)
 わざわざ母の友達に会いに、身体の弱い自分まで。どう考えても、幼い自分だと旅行つき。大人だったら日帰りだって出来そうだけれど、弱い自分は今だって…。
(日帰りなんて、出来そうにないよ…)
 朝一番に家を出たって、家に戻る頃には夜になる。そういう所なのだから。



 絶対に無理、と思うのだけれど、何度眺めても懐かしい気持ちがするカード。添えられた小さな押し花を見たら、名前も知らない花の姿を目にしたら。
(この押し花のせいだよね…?)
 カードに惹かれる理由はそれ。綴られた文字より、押し花の方に目が行くから。
 きっとそうだ、と見詰めていたら、通り掛かったカードを貰った人。押し花のカードの持ち主の母。訊いてみたなら分かるだろう、と母を呼び止めて尋ねてみた。
「ママ、このカードなんだけど…」
 ぼく、これをくれた人に会ったこと、ある?
 住所は遠い所だけれども、前は近くに住んでいたとか…?
「昔から其処よ、ブルーが生まれる前から、あの町」
 でも、会ったことはあるわよ、ブルーも。今よりも、ずっと小さい頃にね。
 用事があってこっちに来たから、って家に寄ってくれて、ブルーも遊んで貰ったから。
「押し花のカード、ぼくも貰った?」
 こういう押し花がくっついたカード。この人、ぼくにも出してくれたの?
「カードって…。ブルーはお手紙、出してないでしょ?」
 まだ本当に小さかったし、ちょっぴり遊んで貰っただけで…。
 お土産のお菓子は貰っていたけど、お礼状を書くような年じゃなかったから…。



 貰うわけがないわ、という答え。「カードを貰うには、先に手紙よ」と。
「ブルーが手紙を書いていたなら、ちゃんと返事が来るけれど…」
 小さな子供でも、返事を貰えるものだけど…。
 そうでないなら、ママ宛ね。「ブルー君にもよろしくね」って。
「…ぼく、このカードは貰ってないんだ…」
 貰ったのかな、って思っちゃった。
 この人の名前は知らないけれども、カード、懐かしい気がするから…。
 押し花がくっついたカードだよ、って思って、「これ、知ってるよ」って…。
「たまに来るから、そのせいじゃないの?」
 いつも見ているカードが来た、って。
 ママ宛のカード、よくテーブルに置いてあるでしょ?
 こういう可愛い押し花付きだと、ゆっくり眺めていたいものだし…。今度も素敵、って。
「…そうなのかな?」
 ママが置いてたのを見ていたからかな、押し花のカード…。
 おやつの時とかにチラッと眺めて、それで覚えているのかな…?
「押し花のカードをくれる人なら、他にも何人かいるけれど…」
 この人のは、いつでも押し花つきよ。花が少ない冬になっても。
 本当に花が好きな人なの、それに押し花のカード作りも。…押し花の栞なんかも作ってる人よ。
 そのせいで懐かしく思うんでしょ、と説明されたらそうかもしれない。
 何度も目にしたカードだったら、「小さい頃から見ているカード」と。
 今日はたまたま、心に引っ掛かっただけ。「押し花のカードが届いているよ」と。



 ようやく解けたカードの謎。名前も知らない差出人でも、懐かしく思った押し花のカード。
 やっと分かったよ、と帰った二階の自分の部屋。おやつをすっかり食べ終えてから。
 勉強机に頬杖をついて、さっきのカードを思い出してみる。母に届いた押し花のカード。
(そういうことって、ありそうだものね)
 自分宛ではないというのに、心に刻み込まれるカード。それがテーブルに置かれていたら。
 とてもいいことがあった日などに、たまたまカードが届いていたら。
(幼稚園から帰って来たら、押し花のカード…)
 テーブルの上に置いてあったら、御機嫌な気持ちとセットで覚えてしまいそう。押し花がついたカードまで届いた素敵な日だ、と。
 添えられた押し花が可愛いから。温かな手作りのカードだから。
(ぼくに届いたカードなんだよ、ってママから取り上げちゃったとか?)
 幼稚園の頃なら、やってしまっていたかもしれない。カードの文字もろくに読めないくせに。
 押し花つきのカードが欲しくて、特別なカードが欲しくなって。
 母が忘れているだけのことで、強引に貰ってしまったカード。「これは、ぼくの」と。
 強請って、母から奪い取って。



 如何にも子供がやりそうなこと。欲しい物なら、そのカードが母の持ち物だって。
 どうしても欲しいと駄々をこねた末に、大喜びで自分の物にしたカード。押し花つきの。
(きっとそうだよ)
 そうしていたなら、懐かしい気持ちにもなるだろう。カードは自分が貰ったのだから。自分宛に来たカードでなくても、嬉しい気分で手にしたカード。「ぼくが貰った」と。
 そうに違いない、と頷いたのだけれど。
 押し花のカードは幼かった自分が貰ったカードで、大切な宝物だったのだろうと思ったけれど。
(でも、もっと…)
 本当に懐かしい気持ち。心の底から湧き上がるように、ふうわりと温かい思い。
 まるで身体ごと包み込むように、こみ上げてくる懐かしさ。押し花のカード、と。
 これほど懐かしくなるものだろうか?
 幼かった頃の我儘だけで。「ぼくに来たんだ」と、母から奪ったらしいカードの思い出だけで。
 もっと色々あったにしたって、子供の記憶は頼りないもの。
(三つ子の魂百まで、って…)
 今の時代はそう言うけれども、それはあくまで性格のこと。
 三歳の頃に起こった出来事、そんなことまで覚えてはいない。百歳でなくても、十四歳でも。
(覚えていたって、ほんのちょっぴり…)
 好きだったオモチャや、そういったもの。懐かしいと思い出しはしたって、これほど心を持って行かれるとは思えない。たった一枚の押し花のカード、それを目にしたというだけで。
(…前のぼくなの?)
 もしかしたら、と心に引っ掛かったこと。今の自分とは違う自分が見ていただろうか、押し花がついた優しいカードを…?



 けれど、そこまで。一向に戻らない記憶。
 「押し花のカード」と自分に言い聞かせたって、遠い記憶を探ってみたって。
 三世紀以上にわたるソルジャー・ブルーの記憶。とても全部は手繰れないけれど、キーワードがあれば事情は違う。押し花つきのカードだったら、ポンと出て来そうなものだから…。
(やっぱり違う…?)
 前の自分の思い出ではなくて、今の自分の方の思い出。母から取り上げてしまったカード。
 そっちだろうか、と考え込んでいたら、聞こえたチャイム。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせに腰掛けるなり訊いてみた。
 母が運んでくれたお茶とお菓子があるというのに、放り出しそうな勢いで。
「ハーレイ、押し花のカード、知ってる?」
 押し花がくっついているカード…。本物の花だよ、それが模様になっているカード。
「あるなあ、色々綺麗なのがな。手作りもあるし、売ってるヤツも」
 生徒から貰うことだってあるぞ、女子だと好きなのがいるからな。押し花つきのカード作りが。
 「こんなのを作りましたから」って、半分は自慢してるんだな、アレは。
「そうじゃなくって、前のハーレイ…」
 今のハーレイは、もちろん知ってて、生徒からも貰うみたいだけれども、前のハーレイだよ。
 貰ってたかどうかは知らないけれど、押し花のカードを覚えていない?
 今日、ママ宛にカードが来てたんだよ。…押し花のカード。
 それがとっても懐かしい気がして、前のぼくかと思うんだけど…。
「…前の俺だと?」
 つまりはキャプテン・ハーレイってことだな、押し花のカードの記憶はあるか、と。
 シャングリラのことなら、俺の管轄ではあるんだが…。
 薔薇のジャムが似合わないという評判だったし、押し花事情に詳しかったとは思えないがな…?



 押し花がついていたカードか、と腕組みをして記憶を手繰るハーレイ。
 「あったとしたなら、白い鯨の時代だが」と。
「前のお前が奪ったヤツなら、お前が覚えているだろうしな。…忘れたりせずに」
 忘れていたって、アレだ、と思い出す筈だ。気になり始めていたんだったら。
 だから、お前が手に入れて来たカードじゃない。誰かが作ったカードだってことだ。
 押し花のカードを作るとなったら、花がふんだんに手に入らないと作れないんだし…。
 そうなると白い鯨なわけだが、あの船の中だとカードってヤツは…。
 押し花はともかく、カードがなあ…。
「郵便なんかは無かったものね、シャングリラには」
 今の時代は郵便ポストも、郵便屋さんもあるけれど…。
 ポストに手紙を入れておいたら、ずっと遠くの星にも手紙を出せるけど…。
「其処が問題だ、シャングリラではな」
 いくら頑張って作ってみたって、カードの出番というヤツが無い。
 まるで無いってわけではなくても、今の時代とは事情が全く違うんだから。
「限られちゃうよね、作ったカードの使い道…」
 招待状くらいしか思い付かないよ、シャングリラでカードを出すんなら。
 仲のいい友達に「部屋に遊びに来てね」って出すとか、そんな感じで。
「招待状か…。ああいうのはエラが好きでだな…」
 やたらと書き方にこだわってみたり、何かと凝っていたもんだが…。
 待て、それだ!



 エラだ、とハーレイがポンと打った手。カードと言えばエラだった、と。
「前のお前のためにと作っていたんだ、あいつがな」
 お前が言うような押し花のカード、それを幾つも手作りしてた。あの船の花で。
「エラは分かるけど…。前のぼく?」
 前のぼく、花が好きだった?
 押し花のカードをエラに作って貰うくらいに、前のぼくは花が好きだったの…?
「違う、お前はカードを選んでいたんだ」
 エラが作った押し花つきのカードの中から、「これにしよう」と。
 直ぐに決めたり、考え込んだり、カードを幾つも見比べながら。
「花が好きだから選ぶんじゃないの?」
 どれか一枚選ぶだけなら、迷う必要は無いんだもの。これ、って一つ選んでおしまい。
 だけど色々見比べてたなら、前のぼく、花が好きだったんだよ。
 どの花を使ったカードを貰うか、決められない時もありそうだものね。素敵な花が沢山あれば。
「花好きだったとは言っていないぞ、俺は一言も」
 エラが作ったと言っただろうが、前のお前のために手作り。
 その中からお前が選んでたわけで、カードはお前が選ぶためにあった。
 思い出さないか、エラがせっせと作っていたのは、招待状ってヤツなんだが…。
 押し花つきのカードの他にも、仰々しいのを拵えたってな。
 ソルジャー主催の食事会用の招待状を。
「ああ…!」
 そういうの、エラが作ってたっけ…。
 白い鯨になった後には、食事会なんかを始めちゃって。



 あれだ、と蘇って来た記憶。遠く遥かな時の彼方で、ソルジャーだった前の自分。
 シャングリラを白い鯨に改造した後、エラが始めたのがソルジャー主催の食事会。とても大袈裟だった行事で、呼ばれるのは船で功績のあった者やら、様々な部門の責任者やら。
 開催される時は、招待状が配られた。もちろん、出席する者にだけ。
 招待状にはミュウの紋章、金色のフェニックスの羽根。シャングリラの船体にも描かれた模様。
 それが如何にも偉そうな感じで、堅苦しく見えたものだから…。
 ある日、会議で提案してみた。長老たちが集まる会議。次の食事会は誰を招くか、そんな議題が終わった後に。
「…食事会の招待状だけど…。このデザイン…」
 堅苦しすぎるよ、今のはね。まるで昔の王様みたいだ、ミュウの紋章まで描いて。
 もう少し、優しい感じの招待状に出来ないのかい?
 こんな招待状を貰ってしまうと、受け取っただけで誰でも緊張しそうだけどね?
「ソルジャーにはこれがお似合いです」
 船で一番偉いのはソルジャーなのですから、と答えたエラ。
 デザインを変える必要は無いと、今の招待状は遠い昔の招待状を真似たものだから、と。
 王侯貴族が配ったらしい、晩餐会などの招待状。そのデザインを元に作ったのだ、と。
「…すると、子供たちを呼んだ時でも、これを出そうとするわけかい?」
 他のデザインは駄目だと言うなら、小さな子供たちにも、これを…?
「子供たち…ですか?」
 ソルジャー、子供たちなどは…。何の仕事もしておりませんし、功績だってありません。
 そもそもお呼びになれませんが、と大真面目な顔で返された。
 ソルジャー主催の食事会に招かれることは、シャングリラではとても名誉なこと。
 その食事会に、子供が招かれることなどは無い、と。



 招く理由がありませんから、と切り捨てられた子供たち。シャングリラのために役立つことは、何一つしてはいないから。次の世代を担うとはいえ、どちらかと言えばお荷物だから。
(だけど、前のぼく…)
 子供好きだったソルジャー・ブルー。養育部門に出入りもしていた。
 他の部署で仕事を手伝おうとしたら、断られてしまうものだから。場合によっては邪魔になる。視察と同じ扱いになって、仲間たちの仕事が中断される。
 けれど、養育部門は違った。子供好きなソルジャーが子供たちと一緒に遊んでいたって、止めに来る者は一人もいない。ソルジャーは遊んでいるのだから。
(ぼくが子供たちの相手をしてたら、他の仲間は手が空くんだし…)
 別の仕事を進められるわけで、結果的には手伝いになるのが養育部門で遊ぶこと。だから頻繁に出掛けて行っては、子供たちと遊ぶのを仕事にしていた。他に仕事は無かったから。
 それだけに、子供たちは親しい存在なのだし、「駄目だ」と言われたら呼びたくなる。
 ソルジャー主催の食事会にも、あの子供たちを。
「…子供たちを呼んでも、いいと思うけどね?」
 ぼくは子供たちと遊んでるんだし、たまには一緒に食事したって…。
「とんでもありません!」
 相手は子供なのですよ。お分かりですか、食事会に出る資格など無いのが子供たちです。
 さっきも申し上げましたでしょう、何の功績も上げてはいない、と。
 それに仕事もしておりません、とエラに一蹴されてしまった。
 単に招かれる資格が無いというだけではなくて、もっと厄介な存在なのが子供たち。
 じっとしてなどいられないのだし、食事会など向いてはいない、と。



 いけません、としか言わないエラ。子供たちを食事会に招くなんて、と厳しい顔をするばかり。
「本当に駄目かい?」
 ソルジャーのぼくが呼びたいと言っても、子供たちは招待出来ないと…?
 招待状はぼくの名前で出しているのに、そのぼくが呼んであげたくても…?
「当然です。…いくらソルジャーの御希望でも」
 ソルジャー主催の食事会に出席するとなったら、招かれた方も礼儀作法が大切です。
 招待して下さったソルジャーに対して、失礼があったら大変ですから。
 大人でもそういう席なのですよ、食事会は。
 其処へ食事のマナーも覚えていないような子供たちを招待するなんて…。
 有り得ないことです、とエラは眉を顰めていたのだけれど。
「食事のマナーねえ…。使えそうじゃないか、そのマナーってヤツがさ」
 あたしはいいと思うんだけどね、とブラウが横から割って入った。
 ソルジャー主催の食事会だと思うから、子供は駄目なだけ。マナー教室ならいいだろう、と。
「マナー教室ですって?」
 何なのです、それは。いったいどういう意味なのです?
「そのまんまだよ、マナー教室さ。ヒルマンも一緒に出りゃいいんだよ、食事会に」
 子供たちにマナーを教えるってね。将来、食事会に招待された時に備えてさ。
 食事のマナーも分かってないなら、教えてやればいいんだから。…それこそ一から。
 現場で教えりゃいいじゃないか、というのがブラウの意見だった。
 食事会という名のマナー教室、ミュウの未来を担う子供たちを集めて開くもの。
「面白そうじゃの、食事のマナーを学ばせるんじゃな」
 そういうことなら問題ないわい、作法を覚える会なんじゃから。ソルジャーの望みも叶って一石二鳥じゃ、と賛成したゼル。
「私も全く異存はないね。…教育者として」
 やると言うなら子供たちを連れて出席しよう、とヒルマンも穏やかな笑みを浮かべた。
 子供たちにはきちんと目を配るけれど、子供なのだし、お手柔らかに、と。



 思いがけないブラウの提案。食事会という名のマナー教室、それをソルジャーが主催すること。それならば何の問題も無いし、子供たちを呼んでも大丈夫だから。
「エラ。…ヒルマンたちはいいと言っているけれど?」
 食事会には違いないけれど、子供向けだからマナー教室だ。これでも駄目だと言うのかい?
 ハーレイからも反対意見は出ていないからね、キャプテンも賛成しているわけだ。
 この状況でも、まだ駄目だと…?
「仕方ないですわね…」
 一理あることは認めます。子供たちには、食事のマナーを覚える機会も大切ですから。
 考えましょう、と折れたエラ。「次の会議の議題の一つは、この件です」と。
 数日後に開かれた会議の席では、決定事項だった子供たちのためのマナー教室。開催するには、どういう風にすればいいかと。
 ソルジャー主催の食事会には欠かせないものが、ミュウの紋章入りのソルジャー専用の食器。
 子供たちを招く時には、専用の食器は使わないこと。食堂で使う普段の食器で、メニューも子供向けの料理と皿数に。他にも色々、案が出されていったから…。
 これはチャンスだ、と招待状の話を持ち出した。
「あの偉そうな招待状も、なんとかならないのかい?」
 デザインは変えられない、と前に言われてしまったけれど…。相手は子供たちなのだし…。
「子供たちだからこそ、正式なものを、と思うのですが」
 本物に触れるということは役に立ちます。たとえ招待状一つでも。
 専用の食器などを一切使わない分、招待状の方は大人と同じものを配ってこそです。
「そういうものかもしれないけれど…」
 子供たちだよ、もう少し優しいデザインにしてあげられないのかい?
 紋章は外せないとしたって、もっと子供たちが喜びそうな招待状は作れないのかな…?



 可愛らしい絵を添えるとか、と食い下がってみたら、エラは暫く考えてから。
「…絵を添えたのでは、ソルジャーの威厳が保てません。どう見ても子供向けですから」
 ですが、仰りたいことは分かります。子供たちのための招待状を、という御意見も。
 押し花というのは如何でしょうか、絵の代わりに。
「…押し花だって?」
「はい。…そういうカードを作ったことがあるのです」
 作り方を本で読みましたので、どういうものかと試しに幾つか。
 この船では出番がありませんから、出来たカードは誰にも出してはおりませんが…。
 押し花をあしらったカードなのです、とエラが思念で披露したイメージ。出席していた全員に。
 白いカードに貼られた押し花。白いシャングリラの公園で咲いた花たち、それの形に。
 押し花だから、生きた花とは色が違っているけれど。色褪せた花や葉っぱだけれども、花の姿は充分に分かる。元はどういう花だったのかも、何処に咲くかも。
「いいね、これなら子供たちだって喜びそうだ」
 絵よりもずっと大人びているし、招待状の端に添えたら、いいアクセントになるだろう。
 でも、これを誰が作るんだい?
 招待状なら、印刷すれば済む話だけれど…。押し花つきの招待状だと、そうはいかないし…。
「私しかおりませんでしょう」
 言い出したのは私ですから、子供たちの分の招待状には、私が押し花をつけることにします。
 元々、趣味で作っていたものなのですし、それが仕事になるだけです。
 嫌いな作業ではありませんから、暇を見付けて作ってゆけば…。
 食事会までには充分出来ます、押し花つきの招待状が。



 お任せ下さい、とエラが引き受けてくれた、子供たち用の招待状作り。
 大人用のと同じカードが出来て来たなら、端に押し花をつけてゆく。一つずつ丁寧に、花の形がよく分かるように。剥がれてしまわないように。
 そうやってエラが幾つも作った、子供たちのための押し花つきの招待状。完成したら、青の間に届けに来てくれた。「今回の分は、これになります」と。
 押し花の種類は、いつも色々。エラは心を配って選んだ。その時々の花を、公園に行って。
 招待状に貼られた押し花、どれ一つとして同じ形になってはいなかったものだから…。
(前のぼく、カードを選んでたんだよ…)
 受け取る子供たちの顔を思い浮かべながら、どのカードを誰に送ろうかと。
 これはあの子に、これはこの子、と。
 招待状を入れる封筒、それに書かれた宛名を眺めて、決めたものから封筒の中へ。全部入れたら部屋付きの係や、ハーレイに渡した。「これを頼むよ」と。
 招待状には大人用のと同じに専用の封が施されて、子供たち一人一人に配られて…。
 初めての食事会の時には、胸を弾ませて会場にやって来た子供たち。ヒルマンの引率で、騒ぎもしないで行儀よく。きちんと列を乱さずに。
 食事が始まったら、はしゃいだ声が弾けたけれども、誰も会場を走り回りはしなかった。大声で叫ぶ子供もいなくて、ヒルマンがマナーを教える時には、真剣だった子供たち。
 「いいかね、ナイフはこう使って…」と示されたお手本通りに、子供たちは皆、頑張った。肉や魚を上手く切ろうと、上手に口へ運ぼうと。



 そうして食事会は成功、時々やろうということになった。子供たちにも正式な席を、と。
 ソルジャー主催の食事会が決まれば、子供向けの時は、招待状のカードに添えられた押し花。
 エラが作って、前の自分が子供たちのためにと選び出して。
 どの花のカードを、どの子に届けてやろうかと。この花が好きそうな子供は誰か、と。
「…そっか、子供たちのための食事会…」
 あれの招待状が押し花のカードだったんだ…。いつでもエラが作ってくれて。公園の花を幾つも探して、季節の花で飾ってくれて。
 それで懐かしい気持ちがしたんだ、押し花のカード…。
 ママ宛に届いたカードだったけど、前のぼく、押し花のカードを何度も選んでいたから…。
「俺もすっかり忘れていたがな、カードどころか食事会さえ」
 子供向けの食事会の時だと、俺は出番が無かったからなあ…。ヘマをしなくてもいいわけだし。
 本物の食事会の方なら、招かれたヤツらが緊張する度、お前に目配せされてたもんだ。
 「場が和むようにヘマをしろ」とな。
 合図されたら、肉を皿から飛ばしちまうとか、ナイフを派手に落っことすとか…。そいつが俺の役目だったが、子供たちだと必要無いし…。
 なにしろマナー教室だからな。失敗するのは子供たちの方で、手本はヒルマンだったんだし。
「だけどハーレイ、来ていたじゃない」
 子供たちのための食事会でも、ハーレイ、いつも来ていたよ?
 ぼくの頼みで失敗をしていないだけ。ちゃんと食事をしていたよ。子供向けの料理ばかりでも。
「出席したというだけだ」
 エラがきちんと出ろと言うから…。本物の食事会の時には、キャプテンは必ず出席だからな。
 キャプテン用の席に座って、大真面目に食うしかないだろうが。
 大人用にと量が多めなだけでだ、子供たちが喜びそうな料理ばかりが出て来たってな。
 まあ、好き嫌いは全く無かったんだし、まるで困りはしなかったが。



 賑やかだった、子供たちとの食事会。ソルジャー主催の食事会という名のマナー教室。
 ソルジャー専用の食器は使わず、割れてもかまわない食堂の食器で、子供向けのメニューで。
 招待状にはエラが作った押し花のカード。
 正式な招待状の端っこ、其処に貼られた綺麗な押し花。白いシャングリラで咲いた花たち。
 食事会に招く子たちを思い浮かべながら、押し花のカードを選んでいた。どのカードを選んで、封筒に入れてやろうかと。この花だったら、あの子だろうかと。
(…子供たちを呼ぶ食事会…)
 最後はカリナたちとやったのだったか。ジョミーが来るより、ほんの少し前に。
 とうに身体は弱っていたけれど、命の終わりが見えていたけれど。
(…ぼくの思い出、ちゃんと持ってて欲しかったんだよ…)
 ニナやカリナや、トキたちに。青い地球まで行く子供たちに。
 そう思いながら選んだカード。押し花がついた招待状。これはカリナにと、これはニナにと。
 何も知らなかった無邪気な子たちは、いつもと同じに元気一杯。
 その姿にずいぶん励まされたのだった。まだ死ねない、と。
 ジョミーを迎えて、ソルジャーの跡を継いで貰うまで。白いシャングリラを託すまで。
 一緒に食事をしている子たちを、ニナやカリナやトキの未来を託す時まで。



 あれが最後の食事会になってしまったけれども、ジョミーのお蔭でナスカまで生きた。ミュウの未来を、新しい世代を見ることが出来た。
 赤いナスカで生まれた子たちを、トォニィやアルテラや、タージオンたちを。
 七人のナスカの子供たちとは、最後の最後に出会えたけれど…。
「…出来なかったね、食事会…」
 ナスカの子たちと出来なかったよ、トォニィやアルテラたちとはね。
 ちゃんと会えたのに、食事会は無し。…押し花のカードも選べなかったよ。
「やりたかったのか、食事会?」
 あの頃のお前の身体だったら、座っているだけでも辛かったろうに…。
 飯はなんとか食えたとしたって、子供たちの前で笑っているのも大変だったと思うんだが…。
「そうだろうけど…。ぼくの分だけ、別のメニューになっていたかもしれないけれど…」
 初めての自然出産で生まれた子供たちだよ、招待状を出したいじゃない。
 赤ちゃんだったツェーレンとかは無理でも、トォニィやアルテラ。
 あの子たちなら、きっと来てくれたよ。招待状の字は読めなくっても、食事会に。
「そうかもなあ…」
 カリナやユウイに招待状を読んで貰って、ナスカの家からシャングリラに来て。
 ヒルマンと一緒に行儀よく座っていたのかもなあ、どんな料理が出て来るだろう、ってワクワクした顔で。目だって、キラキラ輝かせて。
「うん、きっと…。きっと、そうだったと思う…」
 招待状を出せていたなら、トォニィたちと食事会だよ。ホントに小さい子供向けのメニューで。
 ナスカで採れた野菜も使って、子供が喜びそうなお料理、色々、作って貰って…。



 きっと出来た、と思うけれども、出せなかった押し花のカードの招待状。
 前の自分が長い眠りから目覚めた時には、ナスカは滅びに向かっていたから。
 子供たちのための食事会をしようと提案するよりも前に、自分の命も終わったから。
「押し花のカード…。トォニィたちには、出せないままになっちゃった…」
 それに、今のぼくだと、出す人、いないね。
 ソルジャーじゃないから食事会なんかは開けないんだし、招待状も無理…。
「そうでもないぞ。俺のおふくろに出せばいいだろう。親父にだって」
 もちろん、お前のお母さんとお父さんにも。押し花のカードで、招待状を。
「え?」
 招待状って…。それに、ハーレイのお母さんたちとか、ぼくのママたちって…。
 なんでそういうことになるわけ、どういう招待状なの、それは?
「決まってるだろうが、本当に本物の招待状だ」
 ミュウの紋章は入っちゃいないが、「家へ遊びに来て下さい」とな。
 今じゃなくてだ、ずっと未来の話だが…。まだ何年も先のことだが、お前、結婚するんだろ?
 俺の嫁さんになって、俺と一緒に俺の家で暮らす。
 そうなった時に出せばいいんだ、押し花のカードの招待状を。
 子供用の料理を用意する代わりに、俺が美味いのを作ってやるから。…うんと豪華な料理をな。
「そうだね…!」
 ぼくも出せるね、押し花のカードで作った招待状。
 ハーレイのお父さんとお母さんにも、ぼくのパパとママにも、「遊びに来てね」って。
 子供用の食事会じゃなくって、みんなでパーティー。
 ぼくも手伝うよ、パーティーの料理。ハーレイの邪魔をしちゃわないよう、気を付けて。



 前の自分がナスカの子たちに、出し損なった招待状。押し花がついていたカード。
 けれど、ハーレイが素敵なアイデアをくれたから。
 ナスカの子たちに出し損ねた分を、幸せ一杯の今の自分が出せるから。
 今度は自分で作ってみようか、エラの真似をして、庭に咲いている花たちを摘んで。
 押し花がついた招待状を、温かな手作りの優しいカードを。
 大切な人たちの顔を思い浮かべて、これはパパにと、これはハーレイのお父さんに、と。
 ママにはこれで、ハーレイのお母さんに出すのは、このカード、と。
 きっと幸せが溢れるのだろう、ハーレイと暮らす家の食卓。
 大切な人たちを其処に呼ぶために、「遊びに来て下さい」と送る招待状。
 前の自分が出し損ねてしまった押し花のカード、それを今度は自分で作って。
 出来上がったら、ハーレイと二人でポストに入れに出掛けてゆこう。
 大切な人たちの家にきちんと届くようにと、押し花がついた素敵な招待状を…。




            押し花のカード・了


※前のブルーが子供たちのために選んだ、押し花つきのカード。食事会への招待状に、と。
 ナスカの子たちとは、出来なかった食事会。でも、今度は自分で、カードを手作り出来そう。
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(ふうむ…)
 美味いんだよな、とハーレイが眺めた麩饅頭。
 ブルーの家には寄れなかった日、いつもの食料品店で。食材を買いに行ったのだけれど、入って直ぐの特設売り場に麩饅頭。艶々とした笹の葉でクルンと包まれて。
 生麩の中に餡が入った麩饅頭。美味だけれども、何処にでも売っている菓子ではないから…。
(買って帰るか)
 久しぶりに見たぞ、と「一個下さい」と注文した。麩饅頭は日持ちしない菓子だし、一個だけ。店員も充分に分かっているから、嫌な顔もしないで包んでくれた。会計だって。特設売り場だと、会計は其処でするものなのに。「レジでどうぞ」とは言えないのに。
 「またどうぞ」と笑顔で渡してくれた店員。「うちの店の人気商品です」と。
 気分良く買えて、他の食材なども揃えて帰った家。夕食を済ませて、片付けの後に緑茶を一杯。急須から注いだ、熱いのを。
(麩饅頭には、こいつが合うんだ)
 ほうじ茶よりも、断然、緑茶。コーヒーなどは論外、酒だってまるで話にならない。
 せっかくの味が台無しだから。麩饅頭ならではの繊細な持ち味、それを殺してしまうから。
 緑茶に限る、と一口飲んで喉を潤し、剥がし始めた麩饅頭を包んだ濃い緑色。艶やかな笹の葉、それを綺麗に巻いて仕上げた三角形。まるで笹の葉のおにぎりみたいに。
 こうやって、と解いた笹の葉の包み。中から出て来た麩饅頭。こちらはコロンと丸い饅頭。
 美味そうだな、と齧り付いたら、笹の香りと柔らかな生麩。滑らかな舌触りの生麩の皮に、いい素材だと分かる絶妙な味の小豆餡。
(大当たりだぞ、これは)
 なんとも美味い、と頬張った。菓子作りだって得意だけれども、麩饅頭は家では作れない。餡は作れても、皮の生麩は無理だから。
 やってやれないことはなくても、途方もない手間がかかるから。



 買って食べるに限るんだ、と味わって食べた麩饅頭。美味かった、と空になった笹の葉を畳んでいった。クシャリと潰してゴミに出すのは、申し訳ない気がしたから。
 大きな笹の葉、艶やかな緑。麩饅頭には笹の葉がつきもの、これでこそだと折り畳んでいて…。
(ん…?)
 待てよ、と眺めた濃い緑色。当たり前のように剥いた笹の葉。麩饅頭を包んだパッケージ。この笹の葉はそういったもので、麩饅頭用の個別包装。キャンディーの包み紙のようなもの。
 笹の葉は粽などにも使うし、笹の葉で包んだ寿司なども多い。殺菌力があるから、食品に合うと聞いている。中の粽や麩饅頭などや、寿司の類が傷まないように保存出来るから。
 挙げていったら多い笹の葉、七夕飾りも笹だけれども。七夕の頃には、あちこちの家で笹飾りを目にするのが普通だけれど…。
(笹の葉、あったか?)
 今では当たり前の笹の葉、それを自分は見ていたろうか。前の自分が生きた時代に、遠く遥かな時の彼方で。
(シャングリラに笹は無かったが…)
 ブリッジが見える一番大きな公園はもちろん、居住区に幾つも鏤められていた公園だって。どの公園でも笹を見てはいないし、笹の仲間の竹も無かった。
(笹はともかく、竹は大いに迷惑だしな?)
 宇宙船には向いちゃいないんだ、と断言出来る。シャングリラの中で竹を育てるのは無理、と。
 青竹の藪は美しいけれど、心が和む景色だけれど。
 風が通れば届く葉擦れの優しい音や、しなやかに曲がる姿に似合わず、竹は逞しすぎる植物。
 竹の地下茎、地面の下でぐんぐんと伸びる根の破壊力は凄いもの。遮断用にと入れた鉄板、その下だって潜って通る。固い地面や床を破って、ある日ニョッキリ顔を出すのがタケノコだから。



 あんな代物は植えられない、と考えれば直ぐに分かるのが竹。いくら姿が美しくても。
 地下茎を伸ばしての破壊活動、けして楽観視は出来ない。公園だけで止まる筈だ、とは。
(しかし、却下した覚えというのも…)
 記憶に無い笹、ついでに竹。
 キャプテンとして「駄目だ」と言ってはいないし、「駄目じゃ」と止められた覚えも無い。白い鯨に改造する時、何度も会議を重ねたのに。何を植えようか、育てようかという会議。
 どうして笹は無かったろうか、と首を捻って、気付いたこと。
 そもそも無かったのだった。笹や竹を植えて観賞しようという文化。それが無かった、白い鯨の時代には。前の自分が生きた頃には。
(今じゃすっかり馴染みなのにな…)
 竹も、笹の葉も。こうして麩饅頭を包んであるほど、よく見掛けるのが緑の笹の葉。笹で包んだ寿司があるほど、粽などの菓子が売られるほどに。
(日本の文化というヤツか…)
 その一つだな、と頷いた。竹取物語を生み出した日本。遠い昔の小さな島国。
 七夕飾りも、考えてみたら、元は笹ではないのだから。別の植物だったのだから。



(前にブルーと七夕の話をしたんだが…)
 七夕の頃に、授業で教えた催涙雨。七夕の夜に降る雨のこと。
 それについてブルーと話していた時、「天の川も泳いで渡ってやる」と約束をした。二人の間を天の川で隔てられたなら。一年に一度しか会えない恋人、そんな二人になったなら。
 七夕の夜に、天の川に架かるカササギの橋。何羽ものカササギが翼を並べて作る橋。
 けれど、その夜、雨が降ったら溢れてしまう天の川。カササギの橋は架からない。
 そうなった時は、泳いで渡るとブルーに誓った。どんなに広い天の川でも、泳いで渡ると。
 ブルーにはそう言ったのだけれど…。
(あいつ、笹飾りだと思っているな?)
 七夕の季節に飾られるものは、笹飾り。遥かな昔は、笹飾りではなかったのに。
 それにブルーは、白いシャングリラに笹が無かったことにも気付いていない。あの時、竹の話はしたのだけれども、「シャングリラには竹は無かった」で終わりだった筈。
(竹があったら、大迷惑だと俺が話して…)
 地下茎を伸ばして破壊活動をする竹は、キャプテンとして許可出来ないと。植えられないぞ、と笑い合っていたという記憶。それで終わって、笹の話はしていなかった。
(…麩饅頭でも買って行くかな)
 小さなブルーに、「土産だ」と持って行ってやる麩饅頭。きっと喜ぶことだろう。
 幸い、明日は土曜日だから。
 麩饅頭を売っていた特設売り場は、明日も営業しているから。



 次の日の朝、目覚めた時にも覚えていたのが麩饅頭。それに笹の話。
 いい天気だから歩いて出掛けて、途中で昨日の食料品店に立ち寄った。特設売り場で、麩饅頭を二つ。艶やかな笹の葉に包まれたもの。
 それを提げてのんびり散歩しながらブルーの家まで、出て来た母に「買って来ました」と渡しておいた。「午前のお茶の時にお願いします」と。
 ブルーは二階の窓から目ざとく見ていて、「お土産は?」と訊いて来るものだから。
「じきに出て来るさ、お母さんに頼んでおいたから」
 そう言っている間に、届いた緑茶と麩饅頭。ブルーの赤い瞳が輝いて…。
「これがお土産?」
「昨日、買ったら美味かったからな」
 絶品だぞ、と褒める言葉は嘘ではない。本当に美味しい麩饅頭だし、笹の葉の話が絡まなくても土産に持って来たいほど。「食べてみろ」と促したら、ブルーは早速、笹の葉を剥いて。
「ホントだ、美味しい…!」
 皮も美味しいし、中の餡だって…。それに笹の香りがとっても素敵。
 ありがとう、と笑顔で頬張るから。
「その菓子、何か気が付かないか?」
「えーっと…?」
 なあに、とキョトンとするブルー。「何か特別な麩饅頭なの?」と。
「特別じゃなくて、平凡なんだが…。麩饅頭と言えば、そういうモンだし」
 笹の葉で包んであるもんだろうが、麩饅頭ってヤツは。そうすりゃ皿にもくっつかないし…。
 その笹の葉だな、粽も笹の葉で包んであるだろ?
「粽…。今は季節じゃないけれど…」
 そうだ、粽、食べ損なっちゃった…!
 ハーレイの授業で粽が出た時、ぼくは食べ損なったんだよ…!



 端午の節句、と叫んだブルー。端午の節句は五月の五日。
 聖痕が現れて救急搬送されたのが五月三日で、念のためにと学校を休まされていたから、端午の節句の粽は食べていないのだ、と。
「…ハーレイの授業だったのに…。古典の時間に、他のみんなは食べたのに…」
 ぼくは食べられなかったよ、粽。ハーレイの話も聞き損なっちゃって、後からプリント…。
「そういや、そうか…。端午の節句も俺の管轄だしな」
 とんだ藪蛇というヤツか。そいつはすっかり忘れちまってた、あの時の粽。
「…その話じゃないの?」
 粽だって言うし、笹の葉の話らしいから…。粽なのかな、って…。
「違う、粽の中身じゃなくって、外側の方だ」
 この麩饅頭と同じで、粽を包んでいる笹の葉。あっちは包み方が全く違うわけだが…。
 粽だと笹の葉は一枚じゃなくて、何枚も使って巻き上げるんだが…。
 笹の葉ってヤツを、前のお前は知っていたのか?
 シャングリラの公園とかもそうだし、アタラクシアだのエネルゲイアだの。
 何度も地上に降りてたわけだが、前のお前は、笹の葉、何処かで目にしてたのか…?
「…笹の葉…。シャングリラの中には無かったね…」
 アルテメシアの山の中でも見ていないかも…。町の中だって。
 前のぼく、笹の葉、見たことがないよ。…全然気付いていなかったけど。
「ほらな、お前でも知らないってな」
 今じゃ馴染みの植物なんだが、あの時代の文化じゃ、笹の葉ってヤツは使われない。
 麩饅頭だの、粽だのはだ、何処にも無かった時代だからな。



 ついでに七夕、と挙げた例。笹の葉が欠かせない、今の時代の七夕飾り。
「七夕の時には笹飾りだが、シャングリラには七夕、無かったろうが」
 笹も無ければ、七夕も無い。そういう時代だったんだな。…前の俺たちが生きた時代は。
「そうだけど…。今はあるでしょ、七夕がちゃんと」
 ハーレイ、ぼくに言ってくれたよ。
 もしも、ぼくたちの間に天の川が出来ちゃったら…。七夕の夜に溢れちゃったら、どうするか。
 カササギの橋が架からなかったら、ハーレイ、泳いでくれるって…。
 ぼくの所まで、天の川、泳いで渡って来てくれるって…。
「覚えてたんだな、その話は」
 端午の節句の粽の授業は、綺麗に忘れていたくせに。…俺のプリントを読んだ程度で。
 粽を食い損なった事件も、すっかり忘れちまっていたのに。
「だって、七夕の時にお祈りしたもの」
 催涙雨が降りませんように、って。雨が降ったら、天の川、溢れちゃうんだから…。
 彦星と織姫がちゃんと会えますように、ってお祈りしたから忘れないよ。
「そうなのか?」
 お前、彦星と織姫のために、雨が降らないようにとお祈りしてたのか…?
「会えないなんて可哀相でしょ、カササギの橋が架からなくって」
 彦星、ハーレイみたいに泳いで渡れはしないだろうし…。天の川、とっても広そうだから。
 でもね、そういうお願いしてたら、ぼくのお願い、忘れちゃった…。せっかく七夕だったのに。
 短冊に書いてお願いをしたら、叶えて貰える日だったのに…。
「忘れちまったって…。何を頼みたかったんだ?」
「ぼくの背、伸びてくれますように、って…」
 前のぼくと同じ背丈にして下さい、って短冊に書けば良かったのに…。
「お前の背丈か、そいつは切実な願い事だな」
 チビのままだとどうにもならんし、願い損なったのは残念だったと言うべきか。
 だがな…。



 願い事ってヤツは、元は短冊に書くものじゃないぞ、とニヤリと笑った。
 「あまり知られちゃいないがな」と。
「七夕と言えば、今は短冊になっちまったから…」
 SD体制が始まるよりも前の時代に、もう短冊になっていたしな。
「え…?」
 まだ七夕があった頃から、短冊になっていたって、なあに?
 元は短冊に書くんじゃないなら、願い事は何に書いて吊るしていたの…?
「梶の葉ってヤツだ、桑の葉に少し似ているが…」
 もっとデカくて立派な葉だ。それに書くんだ、サトイモの葉についた夜露を集めてな。
 夜露そのもので書くんじゃないぞ?
 あの時代は筆の時代だからなあ、夜露を使って墨を磨るんだ。他の水では駄目だったそうだ。
 そうやって願い事を書いたら、梶の葉を祭壇に吊るしておく。笹飾りじゃなくて、祭壇だった。
 芸事が上達しますように、と楽器を飾ったり、五色の糸を飾り付けたり。
「…そうだったの?」
 短冊じゃなくて梶の葉っぱで、笹飾りだって無かったの…?
「最初の頃の七夕はな。それが日本の文化だった」
 平安時代に貴族が始めて、優雅に歌を詠んだりしたのが七夕なんだ。蹴鞠もしてな。
 そいつが何処かで変わっちまって、いつの間にやら、笹飾りと短冊になっちまった、と。
「七夕、変わっちゃったんだ…」
 それじゃ、ホントにお願いを聞いて欲しかったら、梶の葉っぱに書かないと…。
 ぼくのお願い、お星様にきちんと届けるんなら。
 みんなは短冊に書いてるんだし、梶の葉っぱに書いて頼んだら、お願い、聞いて貰えそう…。



 正しいお願いのやり方だったら、願い事も叶えて貰えそうだ、と小さなブルーは大真面目な顔。七夕の日にお願いするなら、短冊よりも梶の葉っぱ、と。
「お前なあ…。そこまで頑張らなくてもな?」
 梶の葉っぱを探すトコから始めなくっちゃいけないんだぞ。あまり植わっていない木だから。
 それにだ、今のお前の願い事なんか、本当に知れたモンだろうが。
 せいぜい背丈を伸ばす程度で、叶わなくても困りやしない。…いつかはちゃんと育つんだしな。
 前のお前の願い事なら、多分、切実だっただろうが…。
 アルテメシア中を端から探し回ってでも、梶の葉っぱに書いて頼みたかっただろうが…。
「うん…。前のぼくなら、そうしたと思う」
 それで願いが叶うんだったら、梶の葉っぱを探しに行ったよ。…サトイモの葉についた夜露も。
 七夕の時にちゃんと書いたよ、地球へ行くことと、ミュウの未来と…。
「そんなトコだろうな、前のお前は」
 梶の葉っぱを探し当てたら、大喜びで書いたんだろう。…これで叶ってくれれば、と。
「それとハーレイだよ!」
「はあ?」
 俺って、どうして俺が出てくるんだ?
 キャプテンの命令で梶の葉っぱを探せと言うのか、アルテメシアに降りる潜入班のヤツらを動員して。「こういう葉っぱを探して来い」と。
「違うよ、ハーレイそのものだよ」
 ハーレイと幸せに暮らしたかったよ、シャングリラで地球まで辿り着いて。
 恋人同士だってことも誰にも隠さずに済んで、ハーレイと一緒に暮らすんだよ…。



 それをお願いしたかった、と揺れるブルーの瞳。二粒の赤く澄んだ宝玉。
 シャングリラに七夕があれば良かったと、梶の葉に願いを書きたかった、と。
「梶の葉も何も…。あの時代には七夕自体が無かったんだぞ?」
 笹飾りをする笹も無かったわけでだ、今日はそういう話をしようと麩饅頭をだな…。麩饅頭には笹の葉なんだし、ついでに本物の七夕の話もしてみるか、と。
「本物でも時代で変わったんでしょ、七夕の中身!」
 願い事を梶の葉に書いて吊るしていたのが、笹飾りになって短冊だよ?
 同じ七夕でも中身が変わっていったんだったら、シャングリラでも七夕、出来たんだよ。
 梶の葉っぱに書いてお願い出来たら一番いいけど、それとは違う形でも。
 「これがシャングリラの七夕です」って、彦星と織姫にお願いくらいは…。
 どんな形になっていたかは知らないけれど。
 笹飾りの代わりに何を使ったか、短冊が何になっていたかは分からないけど…。
「うーむ…。シャングリラの七夕か…」
 シャングリラ風だか、シャングリラ流だか、とにかくそういう七夕だな?
 俺たちの船ではこうやるんです、と強引に七夕をやるってわけか…。



 それは思ってもみなかった、と腕組みをして唸ったけれど。とても驚かされたのだけれど。
 確かにブルーが言う通り。
 本物の日本の七夕でさえも、時代に合わせて変わって行った。梶の葉を吊るしていた祭壇から、短冊を吊るす笹飾りへと。いつの間にやら。
 だからシャングリラでも、やろうと思えば七夕は出来た。そういう行事を知ってさえいれば。
 シャングリラ風にアレンジして。笹が無いならこれを使おう、と。
「…やってやれないことはなかったな、確かにな…」
 だが、前の俺たちは知らなかったんだ。七夕っていう行事そのものを。
 知らない行事は出来ないからなあ、誰もやろうと言い出さないから。
「そうだけど…。それは分かっているんだけれど…」
 願い事が叶うのが七夕なんだよ、とても素敵な行事じゃない。叶わなくても夢が一杯。
 そういう行事は何か無かったの、七夕じゃなくても願い事を叶えて貰える行事。
「…万能のは無かったんじゃないのか?」
 今でもそうだが、願い事と言えば目的別だろ、おまじないにしても。
 この願い事を叶えたいなら、こういうおまじないをする、って具合に。
「うーん…。だったら、やっぱり七夕が一番?」
 前のぼくたちは知らなかったけど、夢があるのは七夕だった…?
「夢があるヤツなあ…。あの時代にも、あったかどうかは知らないが…」
 幸せになれる菓子ってヤツなら、心当たりがあるってな。
 中に入れてあるフェーヴっていう小さな陶器の飾り。そいつが当たれば、一年間は幸運が来る。
 そう言われてる菓子がガレット・デ・ロワで、元はフランスの菓子なんだが…。
 クリスマス・プディングにも、似たような話がある筈だ。
 作る前に中に色々な物を仕込んでおいて、食べる時に出て来た物で未来を占うってヤツ。
 金持ちになれたり、運命の相手が見付かったりすると聞いてるな。
 そんな菓子だから、中に仕込む物を入れた後には、順番に一度ずつかき混ぜるそうだ。いい物が当たりますように、と。いい物、つまり幸せな物が当たるようにと祈りながらな。



 そういう菓子なら今の時代の名物だが、と教えてやったら、「他には?」と訊いた小さな恋人。もっと他にも、幸せになれる行事の類は無いのか、と。
「七夕みたいなのは無さそうだけど…」
 何をお願いしてもいいのは、七夕だけしか無いみたいだけど…。
 もっと他にも、幸せが来る行事は無いの?
 前のぼくたちが生きてた頃でも、何かあったら良かったのに…。
「他には知らんな、俺もそれほど詳しくはない」
 そういう研究をしてるわけじゃないし、本とかで読んで「面白いな」と思って覚えただけで…。
 前の俺だと、まるで管轄外だろうが。教師じゃなくてキャプテンなんだし。
 ヒルマンやエラなら、その手のことにも詳しそうではあるんだが…。
 だが、あいつらも…。
 七夕は知らなかっただろう。知っていたなら、やっただろうしな。
 さっき、お前が言った通りに、夢を託せる行事なんだし…。
 一年にたった一度だけでも、好きなことを願える日なんだから。
 それこそシャングリラ風にアレンジだろうな、ヒルマンとエラが気付いていたら。
 ブリッジが見える一番デカイ公園、あそこに笹飾りの代わりに何かをドカンと立てて。
 船の全員が短冊だか、いろんなカードだかを書いて吊るせるように。
 全員分の願い事なんだし、小さな笹飾りじゃ間に合わん。どうせ笹なんかは無い船なんだ。笹の代わりに公園の木の出番だな。でなきゃ、専用のポールみたいなのを立てるとか。
 大々的に七夕を始めそうだが、全くやっていなかったんだし…。
 七夕も知らなきゃ、ガレット・デ・ロワも、クリスマス・プディングの幸運ってヤツも…。



 あいつらは知らなかったんじゃないのか、と口にした途端に掠めた記憶。
 シャングリラにも幸運の来る行事があった、と。ヒルマンとエラは知っていたんだ、と。
「…あったぞ、ブルー。前の俺たちの船にもな。…幸運が来る行事というヤツが」
 一つだけだが、あったんだ。…残念ながら、俺たちのためには無かったが…。
 全員の分の幸運は無くて、ごくごく一部に限られていたが。
「一部だけって…。あったって、何が?」
 どういう行事があったって言うの、シャングリラに?
 誰かが幸運を貰えるんだよね、一部だけでも。…船のみんなの分は無くても。
「うむ。本当にほんの一部だけでだ、相当に運がいいヤツだけしか幸運は貰えない行事だが…」
 さっき言ったろ、今の時代の名物の菓子。ガレット・デ・ロワだ。
「えっと…?」
 フランスのお菓子だって言ってなかった、それ…?
 シャングリラにあったの、今のフランスの名物のお菓子が?
「どういう理由で生まれたのかは知らないが…。俺も覚えちゃいないんだが…」
 人類の世界でやっていたのを取り入れたのか、ヒルマンとエラが探し出した行事だったのか。
 それは謎だが、ガレット・デ・ロワは確かにあった。
 新年の菓子で、一月六日に食べるんだったか…。今の時代は一月六日だし、シャングリラの頃も同じだったろう。どっちもガレット・デ・ロワなんだから。
 王様の菓子って意味の名前だ、子供たちのための菓子だった。
 ミュウの未来を担うのは子供たちだしなあ…。子供たちを優先してやらんとな?



 フェーヴの入ったパイだったぞ、と話してやった。子供たちの人数に合わせて焼かれた、新年の菓子のガレット・デ・ロワ。ただし人数分を焼くのではなくて、それよりもっと少なめに。
「一個のパイにフェーヴが一個。…パイを分ける子供は六人だったか、八人だったか…」
 そいつも多分、年によって変わっていたんだろう。食べる資格のある子供の数で。
 子供たちだけが切って貰って食べた菓子だが…。
 そういや、お前、あの中に混ざっていなかったか?
 いつも子供たちと遊んでいたから、「ソルジャーも食べよう」って誘われちまって。
 覚えていないか、こう、王冠を被った菓子で…。
 王冠と言っても紙で出来たヤツで、金色の紙で作った王冠。それを乗っけたパイなんだが。
「あったっけ…!」
 思い出したよ、ガレット・デ・ロワ。
 幸運のお菓子で、中のフェーヴが当たった子供は、一年間、幸運が来るんだったっけ。
 紙の王冠を被せて貰って、その日は一日、王様になれて…。女の子だったら女王様。
 一番偉い子供になるから、好きな遊びをしていいんだよ。その日だけは。
「覚えてたか…。今から思えば、ちょいと怪しい菓子だったかもしれないが…」
 俺はもう厨房を離れていたから、ガレット・デ・ロワのレシピは知らん。
 だから確かめようがないんだ、本物のガレット・デ・ロワを作っていたのか、偽物だったか。
 シャングリラ風にアレンジされてた菓子だったかもしれないなあ…。
 中にフェーヴが入るってトコが重要なんだし、菓子の方はそれのオマケだから。
 パイの形に焼いておいたらいいだろう、と味や作り方はシャングリラ風。
 その可能性は大いにあるなあ、見た目は立派に本物のガレット・デ・ロワだったんだが。



 シャングリラ風の七夕ならぬガレット・デ・ロワだ、と浮かべた苦笑い。
 今の時代は、ガレット・デ・ロワのコンクールがあるほどだから。人間が地球しか知らなかった時代と全く同じに、その菓子を作る腕だけを競うコンクール。
 遠い昔のフランスを名乗る地域だったら、菓子職人になるための試験の課題になるとも聞いた。この菓子を上手く焼けないようでは、菓子職人になる資格は無い、と。
 それほどの菓子がガレット・デ・ロワで、多分、決まりも多いのだろう。材料も味も、見た目も細かく吟味されそうな菓子がガレット・デ・ロワ。
 白いシャングリラで本物を作れたとは思えない。作れたとしても、素人料理の域を出ないもの。菓子職人の試験には合格しなくて、コンクールなどは夢のまた夢。
(…きっと、そういうトコなんだ…)
 今の自分が作る所を目にしたならば、「ちょっと待て!」と言いたくなるような。
 「其処はそうじゃない」と、「俺が知ってるレシピじゃ、こうだ」と口を挟みたくなるような。
 それでも立派にガレット・デ・ロワ。…白いシャングリラの中だったなら。
 陶器で出来た小さなフェーヴを一個仕込んで、オーブンで焼かれたガレット・デ・ロワ。
 焼き上がったら、きちんと冷まして、一月六日に子供たちの前へ。
 紙で作った金色の王冠、それを被せられて誇らしげだったガレット・デ・ロワ。
 囲む子供たちの顔も輝いていた。フェーヴは誰に当たるだろうかと、王様は誰になるのかと。



 フェーヴが何処に入っているのか、誰も透視はしないようにと、サイオンは禁止された菓子。
 子供たちが取り囲んで見守る中で、養育部門の係の女性が切り分けた。紙の王冠を外してから。一つのパイを分け合う子供の人数分に、均等に。
(切り分ける間は、一番のチビがテーブルの下…)
 そういう決まりになっていた。これまた今の時代と同じ。遠く遥かな昔の地球とも。
 一番年が小さな子供は、テーブルの下に入るのが役目。切り分ける所が見えないように。
 ガレット・デ・ロワが切り分けられたら、テーブルの下から出て来る子供。その子が決めていた菓子の配り方。「これは、あの子」と、「こっちは、この子」と。
(…切る係だって、フェーヴの在り処は見てないからなあ…)
 サイオンを封印して切ってゆくのだし、ナイフがフェーヴに当たることもある。そんな時には、押し込まれるフェーヴ。「こっちに入れよう」と選んだ一切れの内側に。
 テーブルの下に入っていた子は、それを見ていないものだから…。
(ちゃんと公平に配れるわけだ)
 全く何も知らないからこそ、「これは、こっち」と無邪気に決めて。
 そうやって菓子を配り終えたら、子供たちが一斉に手にするフォーク。食べ始めた菓子の中からフェーヴが出たなら当たりで、その日の王様、女王様。
 それに一年間の幸運、どの子もドキドキしていた行事。
 子供だけのイベントだったのだけれど、ただ一人だけ混じっていたのがブルー。
 誘われるままに、子供たちと一緒にパイを囲んで。「ソルジャーは、これ」と渡して貰って。



 いつもあいつが混じっていたな、と懐かしく思い出していて…。
「あのフェーヴ…。お前、当たっちまっていたぞ」
 俺の記憶じゃ一度だけだが、子供たちに誘われて食べに出掛けて。
 お前が食べてたパイの中から、見事にフェーヴが出ちまったとかで…。
「あったっけね…。そういう年が」
 ぼくもサイオンは使ってないから、まさか入ってるとは思わなかったし…。
 ビックリしたけど、ホントにフェーヴ。
 子供たちは拍手してくれたけれど、子供たちの幸運、ぼくが貰うわけにはいかないから…。
「譲ろうとしたって言ってたっけな、お前と同じパイを切って貰っていた子に」
 何人いたのか忘れちまったが、皆でクジ引きでもするように、とな。
「そうなんだけど…。誰も貰ってくれなかったんだよ」
 ぼくは大人だから要らないんだ、って説明したって、子供たちの方が上だったよ。
 「それなら、今年は大人用の幸運なんだ」って、「誰かにあげるなら、大人の人」って。
 どうしても貰ってくれなくて…。ぼくの幸運…。
「だからと言って、俺の所に持って来なくても…」
 お前が貰っておけばいいのに、わざわざ届けに来るんだから。王様の印の紙の王冠。
 これはキャプテンに、って俺の頭に被せやがって…。
「あの時も言ったよ、ぼくより君が相応しいんだよ。一年分の幸運だから」
 君はキャプテンだったわけだし、船のみんなの幸せを守っていく立場。
 シャングリラの一年間の幸運になると思うよ、キャプテンの君が受け取ったらね。



 「これを貰って」と、ブルーに被せられた王冠。「シャングリラの一年間の幸運だから」と。
 金色の紙で出来た王冠、それを一日、被っていた。ブリッジでも、通路を歩く時でも。
 前のブルーがくれた幸運。「シャングリラのために」と貰った幸運。
「…お前の幸運、俺が貰ってしまったのに…」
 すっかり忘れちまっていたなあ、今の今まで。
 あの日は一日、王冠を被ったままだったのに…。船の仲間も笑ったりしないで、シャングリラの幸運を喜んでくれていたのになあ…。これで一年間、いいことがある、と。
「ぼくも忘れてしまっていたよ。…ガレット・デ・ロワも、ぼくにフェーヴが当たったことも」
 ハーレイに幸運をプレゼントしたのも、何もかも、全部。
 きっと子供たちのための遊びだったからだね、大人用じゃなくて。…ガレット・デ・ロワは。
 こんな風に忘れてしまうほどだし、シャングリラで七夕、やりたかったね。
 七夕だったら、大人だって願い事が出来たのに…。好きなことをお願い出来たのに…。
 ガレット・デ・ロワだと、幸運を貰えるのは一つのパイに一人だけだよ?
 それじゃ駄目だよ、そんな行事だから、ホントに忘れてしまうんだよ。
 …大人のくせに、フェーヴが当たっても。
 ガレット・デ・ロワで貰える幸運、キャプテンのハーレイに譲りに行っても。
「仕方ないだろ、お前も自分で言ってるだろうが。子供用だと」
 遊びみたいなものだったんだし、忘れる程度の行事ってことだ。…一年分の幸運でもな。
「でも、七夕なら、船のみんながお願い事…」
 叶うかどうかは分からないけど、色々お願い出来たんだよ?
 ガレット・デ・ロワより、七夕の方が、ずっと良かったと思うんだけど…。



 どうして無かったんだろう、とブルーはとても残念そうで。「シャングリラ風で良かったのに」などと繰り返しているから、「過ぎたことだろ」とチョンとつついた緑の笹の葉。
 麩饅頭を包んでいた艶やかな葉は、少し乾いて来ているけれども、まだ充分に綺麗な緑。
「前の俺たちが生きてた時代は、七夕という文化自体が無かったんだから、仕方がないさ」
 ヒルマンもエラも気付かないままで、シャングリラ風の七夕は生まれないままになっちまった。
 だが、俺たちは地球に来ただろ、短冊は書いていないのに。
 …俺もお前も、七夕の星に何も頼んでいなかったのにな?
 それでも地球まで来られたわけで、今じゃ本物の七夕だ。七夕の時には短冊だろうが。
「短冊もいいけど…。梶の葉、探して書いてもいい?」
 サトイモの畑も見付けて来ないと駄目だけど…。夜露を集めて墨を磨らなくちゃ。
 梶の葉に書くのが本当なんでしょ、七夕の時のお願い事は…?
「その通りだが、何と書くんだ?」
 約束事をきちんと守って、梶の葉にサトイモの葉に溜まった夜露の墨で…。
 どういう願い事を書くつもりなんだ、そこまで律儀に頑張ってまで…?
「ぼくの身長…」
 うんと急いで伸びますように、って書くんだよ。
 今のままだと、ハーレイとキスが出来るようになるの、まだまだ先になりそうだから…。
 前のぼくと同じ背丈になれるの、何年先だか分からないから…。
「もっとマシなのを思い付け!」
 背くらい、いずれ伸びるだろうが、放っておいても!
 梶の葉とサトイモの夜露に失礼すぎるぞ、そんなつまらん願い事は!



 同じ書くなら、前のお前の願い事のように大きいのを書け、と叱ったけれど。
 「ミュウの未来とまでは言わんが、背丈を頼むのは失礼すぎる」と言ったら、ブルーはプウッと膨れてしまったけれど。
(…身長なあ…)
 それが梶の葉を探し出してまで頼むことか、と呆れてはいても、ブルーの夢なら叶えたい。
 ブルーの願い事だというなら、大きな夢でも、小さな夢でも。
(背丈ばかりは、俺にもどうにも出来ないんだが…)
 いつかブルーが大きくなったら、願い事を全て叶えてやりたい。どんな大きな夢だって。
 そして自分も願い事をしよう、七夕の時には笹飾りをして。
 梶の葉ではなくて短冊に書いて、ほんの小さな願い事でも、ブルーと二人で吊るしてみよう。
 「お前の願い事はそれか」と、「ハーレイはそれ?」と笑い合いながら。
 短冊を二つ並べて吊るして、他にも飾りを色々とつけて。
 今は笹の葉がある時代だから。七夕があって、笹飾りが出来る時代だから。
 願い事を書いて吊るしておいたら、叶えて貰える時代だから。
 ブルーの夢は、きっと自分が叶えよう。
 短冊に書かれた願い事を読んで、「今年はこれか」と、七夕の星たちよりも先に自分が。
 誰よりも愛おしい人だから。
 前の生から愛し続けて、これからもずっと愛してゆくから…。




            笹と七夕・了


※シャングリラには無かった七夕の行事。幸運が来るお菓子を楽しんだのも、子供たちだけ。
 もしもあったら、素敵なイベントになっていたのでしょう。本物の笹が無かった船でも。
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