シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(えーっと…?)
ブルーがしげしげと眺めたカード。学校から帰って、おやつの時間に。
母宛に届いたカードだけれども、テーブルの上に置いてあったから。母の友人の一人らしくて、近況などを知らせる文面。飼っている二匹の猫の話に、通っている趣味の教室の話。
短い文でも充分伝わる、差出人が過ごしている日々。カードに添えられた小さな押し花。それも習ったものなのだろうか、カードに貼ってある押し花。傷まないよう、剥がれないよう。
(これ、知ってる…)
ぼく知ってるよ、と思ったカード。花の名前は分からないけれど、優しいカード。
とても懐かしい誰か、と差出人の名前を眺めてみても、何故だかピンと来てくれない。カードと一緒にあった封筒、それに書かれた住所を見ても。
(誰なんだろう…?)
カードは確かに知っているのに、心当たりのない名前。住所の方も。
此処からは少し離れた町。母とお茶の時間を楽しむために来るには遠すぎる。他にも会いに行く人がいるとか、旅行を兼ねてやって来るとかいった距離。
(…ぼく、会ったことも無さそうだけど…)
父や母の友人の家まで、遊びに出掛けたことはある。幼かった頃に、呼んで貰って。
けれど、身体が弱かったのだし、家から近い所だけ。せっかく招待してくれたのに、先方の家に着いた途端に眠ったのでは悪いから。「気分が悪い」と言い出したならば、大変だから。
(こんな所まで行かないよね…?)
わざわざ母の友達に会いに、身体の弱い自分まで。どう考えても、幼い自分だと旅行つき。大人だったら日帰りだって出来そうだけれど、弱い自分は今だって…。
(日帰りなんて、出来そうにないよ…)
朝一番に家を出たって、家に戻る頃には夜になる。そういう所なのだから。
絶対に無理、と思うのだけれど、何度眺めても懐かしい気持ちがするカード。添えられた小さな押し花を見たら、名前も知らない花の姿を目にしたら。
(この押し花のせいだよね…?)
カードに惹かれる理由はそれ。綴られた文字より、押し花の方に目が行くから。
きっとそうだ、と見詰めていたら、通り掛かったカードを貰った人。押し花のカードの持ち主の母。訊いてみたなら分かるだろう、と母を呼び止めて尋ねてみた。
「ママ、このカードなんだけど…」
ぼく、これをくれた人に会ったこと、ある?
住所は遠い所だけれども、前は近くに住んでいたとか…?
「昔から其処よ、ブルーが生まれる前から、あの町」
でも、会ったことはあるわよ、ブルーも。今よりも、ずっと小さい頃にね。
用事があってこっちに来たから、って家に寄ってくれて、ブルーも遊んで貰ったから。
「押し花のカード、ぼくも貰った?」
こういう押し花がくっついたカード。この人、ぼくにも出してくれたの?
「カードって…。ブルーはお手紙、出してないでしょ?」
まだ本当に小さかったし、ちょっぴり遊んで貰っただけで…。
お土産のお菓子は貰っていたけど、お礼状を書くような年じゃなかったから…。
貰うわけがないわ、という答え。「カードを貰うには、先に手紙よ」と。
「ブルーが手紙を書いていたなら、ちゃんと返事が来るけれど…」
小さな子供でも、返事を貰えるものだけど…。
そうでないなら、ママ宛ね。「ブルー君にもよろしくね」って。
「…ぼく、このカードは貰ってないんだ…」
貰ったのかな、って思っちゃった。
この人の名前は知らないけれども、カード、懐かしい気がするから…。
押し花がくっついたカードだよ、って思って、「これ、知ってるよ」って…。
「たまに来るから、そのせいじゃないの?」
いつも見ているカードが来た、って。
ママ宛のカード、よくテーブルに置いてあるでしょ?
こういう可愛い押し花付きだと、ゆっくり眺めていたいものだし…。今度も素敵、って。
「…そうなのかな?」
ママが置いてたのを見ていたからかな、押し花のカード…。
おやつの時とかにチラッと眺めて、それで覚えているのかな…?
「押し花のカードをくれる人なら、他にも何人かいるけれど…」
この人のは、いつでも押し花つきよ。花が少ない冬になっても。
本当に花が好きな人なの、それに押し花のカード作りも。…押し花の栞なんかも作ってる人よ。
そのせいで懐かしく思うんでしょ、と説明されたらそうかもしれない。
何度も目にしたカードだったら、「小さい頃から見ているカード」と。
今日はたまたま、心に引っ掛かっただけ。「押し花のカードが届いているよ」と。
ようやく解けたカードの謎。名前も知らない差出人でも、懐かしく思った押し花のカード。
やっと分かったよ、と帰った二階の自分の部屋。おやつをすっかり食べ終えてから。
勉強机に頬杖をついて、さっきのカードを思い出してみる。母に届いた押し花のカード。
(そういうことって、ありそうだものね)
自分宛ではないというのに、心に刻み込まれるカード。それがテーブルに置かれていたら。
とてもいいことがあった日などに、たまたまカードが届いていたら。
(幼稚園から帰って来たら、押し花のカード…)
テーブルの上に置いてあったら、御機嫌な気持ちとセットで覚えてしまいそう。押し花がついたカードまで届いた素敵な日だ、と。
添えられた押し花が可愛いから。温かな手作りのカードだから。
(ぼくに届いたカードなんだよ、ってママから取り上げちゃったとか?)
幼稚園の頃なら、やってしまっていたかもしれない。カードの文字もろくに読めないくせに。
押し花つきのカードが欲しくて、特別なカードが欲しくなって。
母が忘れているだけのことで、強引に貰ってしまったカード。「これは、ぼくの」と。
強請って、母から奪い取って。
如何にも子供がやりそうなこと。欲しい物なら、そのカードが母の持ち物だって。
どうしても欲しいと駄々をこねた末に、大喜びで自分の物にしたカード。押し花つきの。
(きっとそうだよ)
そうしていたなら、懐かしい気持ちにもなるだろう。カードは自分が貰ったのだから。自分宛に来たカードでなくても、嬉しい気分で手にしたカード。「ぼくが貰った」と。
そうに違いない、と頷いたのだけれど。
押し花のカードは幼かった自分が貰ったカードで、大切な宝物だったのだろうと思ったけれど。
(でも、もっと…)
本当に懐かしい気持ち。心の底から湧き上がるように、ふうわりと温かい思い。
まるで身体ごと包み込むように、こみ上げてくる懐かしさ。押し花のカード、と。
これほど懐かしくなるものだろうか?
幼かった頃の我儘だけで。「ぼくに来たんだ」と、母から奪ったらしいカードの思い出だけで。
もっと色々あったにしたって、子供の記憶は頼りないもの。
(三つ子の魂百まで、って…)
今の時代はそう言うけれども、それはあくまで性格のこと。
三歳の頃に起こった出来事、そんなことまで覚えてはいない。百歳でなくても、十四歳でも。
(覚えていたって、ほんのちょっぴり…)
好きだったオモチャや、そういったもの。懐かしいと思い出しはしたって、これほど心を持って行かれるとは思えない。たった一枚の押し花のカード、それを目にしたというだけで。
(…前のぼくなの?)
もしかしたら、と心に引っ掛かったこと。今の自分とは違う自分が見ていただろうか、押し花がついた優しいカードを…?
けれど、そこまで。一向に戻らない記憶。
「押し花のカード」と自分に言い聞かせたって、遠い記憶を探ってみたって。
三世紀以上にわたるソルジャー・ブルーの記憶。とても全部は手繰れないけれど、キーワードがあれば事情は違う。押し花つきのカードだったら、ポンと出て来そうなものだから…。
(やっぱり違う…?)
前の自分の思い出ではなくて、今の自分の方の思い出。母から取り上げてしまったカード。
そっちだろうか、と考え込んでいたら、聞こえたチャイム。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせに腰掛けるなり訊いてみた。
母が運んでくれたお茶とお菓子があるというのに、放り出しそうな勢いで。
「ハーレイ、押し花のカード、知ってる?」
押し花がくっついているカード…。本物の花だよ、それが模様になっているカード。
「あるなあ、色々綺麗なのがな。手作りもあるし、売ってるヤツも」
生徒から貰うことだってあるぞ、女子だと好きなのがいるからな。押し花つきのカード作りが。
「こんなのを作りましたから」って、半分は自慢してるんだな、アレは。
「そうじゃなくって、前のハーレイ…」
今のハーレイは、もちろん知ってて、生徒からも貰うみたいだけれども、前のハーレイだよ。
貰ってたかどうかは知らないけれど、押し花のカードを覚えていない?
今日、ママ宛にカードが来てたんだよ。…押し花のカード。
それがとっても懐かしい気がして、前のぼくかと思うんだけど…。
「…前の俺だと?」
つまりはキャプテン・ハーレイってことだな、押し花のカードの記憶はあるか、と。
シャングリラのことなら、俺の管轄ではあるんだが…。
薔薇のジャムが似合わないという評判だったし、押し花事情に詳しかったとは思えないがな…?
押し花がついていたカードか、と腕組みをして記憶を手繰るハーレイ。
「あったとしたなら、白い鯨の時代だが」と。
「前のお前が奪ったヤツなら、お前が覚えているだろうしな。…忘れたりせずに」
忘れていたって、アレだ、と思い出す筈だ。気になり始めていたんだったら。
だから、お前が手に入れて来たカードじゃない。誰かが作ったカードだってことだ。
押し花のカードを作るとなったら、花がふんだんに手に入らないと作れないんだし…。
そうなると白い鯨なわけだが、あの船の中だとカードってヤツは…。
押し花はともかく、カードがなあ…。
「郵便なんかは無かったものね、シャングリラには」
今の時代は郵便ポストも、郵便屋さんもあるけれど…。
ポストに手紙を入れておいたら、ずっと遠くの星にも手紙を出せるけど…。
「其処が問題だ、シャングリラではな」
いくら頑張って作ってみたって、カードの出番というヤツが無い。
まるで無いってわけではなくても、今の時代とは事情が全く違うんだから。
「限られちゃうよね、作ったカードの使い道…」
招待状くらいしか思い付かないよ、シャングリラでカードを出すんなら。
仲のいい友達に「部屋に遊びに来てね」って出すとか、そんな感じで。
「招待状か…。ああいうのはエラが好きでだな…」
やたらと書き方にこだわってみたり、何かと凝っていたもんだが…。
待て、それだ!
エラだ、とハーレイがポンと打った手。カードと言えばエラだった、と。
「前のお前のためにと作っていたんだ、あいつがな」
お前が言うような押し花のカード、それを幾つも手作りしてた。あの船の花で。
「エラは分かるけど…。前のぼく?」
前のぼく、花が好きだった?
押し花のカードをエラに作って貰うくらいに、前のぼくは花が好きだったの…?
「違う、お前はカードを選んでいたんだ」
エラが作った押し花つきのカードの中から、「これにしよう」と。
直ぐに決めたり、考え込んだり、カードを幾つも見比べながら。
「花が好きだから選ぶんじゃないの?」
どれか一枚選ぶだけなら、迷う必要は無いんだもの。これ、って一つ選んでおしまい。
だけど色々見比べてたなら、前のぼく、花が好きだったんだよ。
どの花を使ったカードを貰うか、決められない時もありそうだものね。素敵な花が沢山あれば。
「花好きだったとは言っていないぞ、俺は一言も」
エラが作ったと言っただろうが、前のお前のために手作り。
その中からお前が選んでたわけで、カードはお前が選ぶためにあった。
思い出さないか、エラがせっせと作っていたのは、招待状ってヤツなんだが…。
押し花つきのカードの他にも、仰々しいのを拵えたってな。
ソルジャー主催の食事会用の招待状を。
「ああ…!」
そういうの、エラが作ってたっけ…。
白い鯨になった後には、食事会なんかを始めちゃって。
あれだ、と蘇って来た記憶。遠く遥かな時の彼方で、ソルジャーだった前の自分。
シャングリラを白い鯨に改造した後、エラが始めたのがソルジャー主催の食事会。とても大袈裟だった行事で、呼ばれるのは船で功績のあった者やら、様々な部門の責任者やら。
開催される時は、招待状が配られた。もちろん、出席する者にだけ。
招待状にはミュウの紋章、金色のフェニックスの羽根。シャングリラの船体にも描かれた模様。
それが如何にも偉そうな感じで、堅苦しく見えたものだから…。
ある日、会議で提案してみた。長老たちが集まる会議。次の食事会は誰を招くか、そんな議題が終わった後に。
「…食事会の招待状だけど…。このデザイン…」
堅苦しすぎるよ、今のはね。まるで昔の王様みたいだ、ミュウの紋章まで描いて。
もう少し、優しい感じの招待状に出来ないのかい?
こんな招待状を貰ってしまうと、受け取っただけで誰でも緊張しそうだけどね?
「ソルジャーにはこれがお似合いです」
船で一番偉いのはソルジャーなのですから、と答えたエラ。
デザインを変える必要は無いと、今の招待状は遠い昔の招待状を真似たものだから、と。
王侯貴族が配ったらしい、晩餐会などの招待状。そのデザインを元に作ったのだ、と。
「…すると、子供たちを呼んだ時でも、これを出そうとするわけかい?」
他のデザインは駄目だと言うなら、小さな子供たちにも、これを…?
「子供たち…ですか?」
ソルジャー、子供たちなどは…。何の仕事もしておりませんし、功績だってありません。
そもそもお呼びになれませんが、と大真面目な顔で返された。
ソルジャー主催の食事会に招かれることは、シャングリラではとても名誉なこと。
その食事会に、子供が招かれることなどは無い、と。
招く理由がありませんから、と切り捨てられた子供たち。シャングリラのために役立つことは、何一つしてはいないから。次の世代を担うとはいえ、どちらかと言えばお荷物だから。
(だけど、前のぼく…)
子供好きだったソルジャー・ブルー。養育部門に出入りもしていた。
他の部署で仕事を手伝おうとしたら、断られてしまうものだから。場合によっては邪魔になる。視察と同じ扱いになって、仲間たちの仕事が中断される。
けれど、養育部門は違った。子供好きなソルジャーが子供たちと一緒に遊んでいたって、止めに来る者は一人もいない。ソルジャーは遊んでいるのだから。
(ぼくが子供たちの相手をしてたら、他の仲間は手が空くんだし…)
別の仕事を進められるわけで、結果的には手伝いになるのが養育部門で遊ぶこと。だから頻繁に出掛けて行っては、子供たちと遊ぶのを仕事にしていた。他に仕事は無かったから。
それだけに、子供たちは親しい存在なのだし、「駄目だ」と言われたら呼びたくなる。
ソルジャー主催の食事会にも、あの子供たちを。
「…子供たちを呼んでも、いいと思うけどね?」
ぼくは子供たちと遊んでるんだし、たまには一緒に食事したって…。
「とんでもありません!」
相手は子供なのですよ。お分かりですか、食事会に出る資格など無いのが子供たちです。
さっきも申し上げましたでしょう、何の功績も上げてはいない、と。
それに仕事もしておりません、とエラに一蹴されてしまった。
単に招かれる資格が無いというだけではなくて、もっと厄介な存在なのが子供たち。
じっとしてなどいられないのだし、食事会など向いてはいない、と。
いけません、としか言わないエラ。子供たちを食事会に招くなんて、と厳しい顔をするばかり。
「本当に駄目かい?」
ソルジャーのぼくが呼びたいと言っても、子供たちは招待出来ないと…?
招待状はぼくの名前で出しているのに、そのぼくが呼んであげたくても…?
「当然です。…いくらソルジャーの御希望でも」
ソルジャー主催の食事会に出席するとなったら、招かれた方も礼儀作法が大切です。
招待して下さったソルジャーに対して、失礼があったら大変ですから。
大人でもそういう席なのですよ、食事会は。
其処へ食事のマナーも覚えていないような子供たちを招待するなんて…。
有り得ないことです、とエラは眉を顰めていたのだけれど。
「食事のマナーねえ…。使えそうじゃないか、そのマナーってヤツがさ」
あたしはいいと思うんだけどね、とブラウが横から割って入った。
ソルジャー主催の食事会だと思うから、子供は駄目なだけ。マナー教室ならいいだろう、と。
「マナー教室ですって?」
何なのです、それは。いったいどういう意味なのです?
「そのまんまだよ、マナー教室さ。ヒルマンも一緒に出りゃいいんだよ、食事会に」
子供たちにマナーを教えるってね。将来、食事会に招待された時に備えてさ。
食事のマナーも分かってないなら、教えてやればいいんだから。…それこそ一から。
現場で教えりゃいいじゃないか、というのがブラウの意見だった。
食事会という名のマナー教室、ミュウの未来を担う子供たちを集めて開くもの。
「面白そうじゃの、食事のマナーを学ばせるんじゃな」
そういうことなら問題ないわい、作法を覚える会なんじゃから。ソルジャーの望みも叶って一石二鳥じゃ、と賛成したゼル。
「私も全く異存はないね。…教育者として」
やると言うなら子供たちを連れて出席しよう、とヒルマンも穏やかな笑みを浮かべた。
子供たちにはきちんと目を配るけれど、子供なのだし、お手柔らかに、と。
思いがけないブラウの提案。食事会という名のマナー教室、それをソルジャーが主催すること。それならば何の問題も無いし、子供たちを呼んでも大丈夫だから。
「エラ。…ヒルマンたちはいいと言っているけれど?」
食事会には違いないけれど、子供向けだからマナー教室だ。これでも駄目だと言うのかい?
ハーレイからも反対意見は出ていないからね、キャプテンも賛成しているわけだ。
この状況でも、まだ駄目だと…?
「仕方ないですわね…」
一理あることは認めます。子供たちには、食事のマナーを覚える機会も大切ですから。
考えましょう、と折れたエラ。「次の会議の議題の一つは、この件です」と。
数日後に開かれた会議の席では、決定事項だった子供たちのためのマナー教室。開催するには、どういう風にすればいいかと。
ソルジャー主催の食事会には欠かせないものが、ミュウの紋章入りのソルジャー専用の食器。
子供たちを招く時には、専用の食器は使わないこと。食堂で使う普段の食器で、メニューも子供向けの料理と皿数に。他にも色々、案が出されていったから…。
これはチャンスだ、と招待状の話を持ち出した。
「あの偉そうな招待状も、なんとかならないのかい?」
デザインは変えられない、と前に言われてしまったけれど…。相手は子供たちなのだし…。
「子供たちだからこそ、正式なものを、と思うのですが」
本物に触れるということは役に立ちます。たとえ招待状一つでも。
専用の食器などを一切使わない分、招待状の方は大人と同じものを配ってこそです。
「そういうものかもしれないけれど…」
子供たちだよ、もう少し優しいデザインにしてあげられないのかい?
紋章は外せないとしたって、もっと子供たちが喜びそうな招待状は作れないのかな…?
可愛らしい絵を添えるとか、と食い下がってみたら、エラは暫く考えてから。
「…絵を添えたのでは、ソルジャーの威厳が保てません。どう見ても子供向けですから」
ですが、仰りたいことは分かります。子供たちのための招待状を、という御意見も。
押し花というのは如何でしょうか、絵の代わりに。
「…押し花だって?」
「はい。…そういうカードを作ったことがあるのです」
作り方を本で読みましたので、どういうものかと試しに幾つか。
この船では出番がありませんから、出来たカードは誰にも出してはおりませんが…。
押し花をあしらったカードなのです、とエラが思念で披露したイメージ。出席していた全員に。
白いカードに貼られた押し花。白いシャングリラの公園で咲いた花たち、それの形に。
押し花だから、生きた花とは色が違っているけれど。色褪せた花や葉っぱだけれども、花の姿は充分に分かる。元はどういう花だったのかも、何処に咲くかも。
「いいね、これなら子供たちだって喜びそうだ」
絵よりもずっと大人びているし、招待状の端に添えたら、いいアクセントになるだろう。
でも、これを誰が作るんだい?
招待状なら、印刷すれば済む話だけれど…。押し花つきの招待状だと、そうはいかないし…。
「私しかおりませんでしょう」
言い出したのは私ですから、子供たちの分の招待状には、私が押し花をつけることにします。
元々、趣味で作っていたものなのですし、それが仕事になるだけです。
嫌いな作業ではありませんから、暇を見付けて作ってゆけば…。
食事会までには充分出来ます、押し花つきの招待状が。
お任せ下さい、とエラが引き受けてくれた、子供たち用の招待状作り。
大人用のと同じカードが出来て来たなら、端に押し花をつけてゆく。一つずつ丁寧に、花の形がよく分かるように。剥がれてしまわないように。
そうやってエラが幾つも作った、子供たちのための押し花つきの招待状。完成したら、青の間に届けに来てくれた。「今回の分は、これになります」と。
押し花の種類は、いつも色々。エラは心を配って選んだ。その時々の花を、公園に行って。
招待状に貼られた押し花、どれ一つとして同じ形になってはいなかったものだから…。
(前のぼく、カードを選んでたんだよ…)
受け取る子供たちの顔を思い浮かべながら、どのカードを誰に送ろうかと。
これはあの子に、これはこの子、と。
招待状を入れる封筒、それに書かれた宛名を眺めて、決めたものから封筒の中へ。全部入れたら部屋付きの係や、ハーレイに渡した。「これを頼むよ」と。
招待状には大人用のと同じに専用の封が施されて、子供たち一人一人に配られて…。
初めての食事会の時には、胸を弾ませて会場にやって来た子供たち。ヒルマンの引率で、騒ぎもしないで行儀よく。きちんと列を乱さずに。
食事が始まったら、はしゃいだ声が弾けたけれども、誰も会場を走り回りはしなかった。大声で叫ぶ子供もいなくて、ヒルマンがマナーを教える時には、真剣だった子供たち。
「いいかね、ナイフはこう使って…」と示されたお手本通りに、子供たちは皆、頑張った。肉や魚を上手く切ろうと、上手に口へ運ぼうと。
そうして食事会は成功、時々やろうということになった。子供たちにも正式な席を、と。
ソルジャー主催の食事会が決まれば、子供向けの時は、招待状のカードに添えられた押し花。
エラが作って、前の自分が子供たちのためにと選び出して。
どの花のカードを、どの子に届けてやろうかと。この花が好きそうな子供は誰か、と。
「…そっか、子供たちのための食事会…」
あれの招待状が押し花のカードだったんだ…。いつでもエラが作ってくれて。公園の花を幾つも探して、季節の花で飾ってくれて。
それで懐かしい気持ちがしたんだ、押し花のカード…。
ママ宛に届いたカードだったけど、前のぼく、押し花のカードを何度も選んでいたから…。
「俺もすっかり忘れていたがな、カードどころか食事会さえ」
子供向けの食事会の時だと、俺は出番が無かったからなあ…。ヘマをしなくてもいいわけだし。
本物の食事会の方なら、招かれたヤツらが緊張する度、お前に目配せされてたもんだ。
「場が和むようにヘマをしろ」とな。
合図されたら、肉を皿から飛ばしちまうとか、ナイフを派手に落っことすとか…。そいつが俺の役目だったが、子供たちだと必要無いし…。
なにしろマナー教室だからな。失敗するのは子供たちの方で、手本はヒルマンだったんだし。
「だけどハーレイ、来ていたじゃない」
子供たちのための食事会でも、ハーレイ、いつも来ていたよ?
ぼくの頼みで失敗をしていないだけ。ちゃんと食事をしていたよ。子供向けの料理ばかりでも。
「出席したというだけだ」
エラがきちんと出ろと言うから…。本物の食事会の時には、キャプテンは必ず出席だからな。
キャプテン用の席に座って、大真面目に食うしかないだろうが。
大人用にと量が多めなだけでだ、子供たちが喜びそうな料理ばかりが出て来たってな。
まあ、好き嫌いは全く無かったんだし、まるで困りはしなかったが。
賑やかだった、子供たちとの食事会。ソルジャー主催の食事会という名のマナー教室。
ソルジャー専用の食器は使わず、割れてもかまわない食堂の食器で、子供向けのメニューで。
招待状にはエラが作った押し花のカード。
正式な招待状の端っこ、其処に貼られた綺麗な押し花。白いシャングリラで咲いた花たち。
食事会に招く子たちを思い浮かべながら、押し花のカードを選んでいた。どのカードを選んで、封筒に入れてやろうかと。この花だったら、あの子だろうかと。
(…子供たちを呼ぶ食事会…)
最後はカリナたちとやったのだったか。ジョミーが来るより、ほんの少し前に。
とうに身体は弱っていたけれど、命の終わりが見えていたけれど。
(…ぼくの思い出、ちゃんと持ってて欲しかったんだよ…)
ニナやカリナや、トキたちに。青い地球まで行く子供たちに。
そう思いながら選んだカード。押し花がついた招待状。これはカリナにと、これはニナにと。
何も知らなかった無邪気な子たちは、いつもと同じに元気一杯。
その姿にずいぶん励まされたのだった。まだ死ねない、と。
ジョミーを迎えて、ソルジャーの跡を継いで貰うまで。白いシャングリラを託すまで。
一緒に食事をしている子たちを、ニナやカリナやトキの未来を託す時まで。
あれが最後の食事会になってしまったけれども、ジョミーのお蔭でナスカまで生きた。ミュウの未来を、新しい世代を見ることが出来た。
赤いナスカで生まれた子たちを、トォニィやアルテラや、タージオンたちを。
七人のナスカの子供たちとは、最後の最後に出会えたけれど…。
「…出来なかったね、食事会…」
ナスカの子たちと出来なかったよ、トォニィやアルテラたちとはね。
ちゃんと会えたのに、食事会は無し。…押し花のカードも選べなかったよ。
「やりたかったのか、食事会?」
あの頃のお前の身体だったら、座っているだけでも辛かったろうに…。
飯はなんとか食えたとしたって、子供たちの前で笑っているのも大変だったと思うんだが…。
「そうだろうけど…。ぼくの分だけ、別のメニューになっていたかもしれないけれど…」
初めての自然出産で生まれた子供たちだよ、招待状を出したいじゃない。
赤ちゃんだったツェーレンとかは無理でも、トォニィやアルテラ。
あの子たちなら、きっと来てくれたよ。招待状の字は読めなくっても、食事会に。
「そうかもなあ…」
カリナやユウイに招待状を読んで貰って、ナスカの家からシャングリラに来て。
ヒルマンと一緒に行儀よく座っていたのかもなあ、どんな料理が出て来るだろう、ってワクワクした顔で。目だって、キラキラ輝かせて。
「うん、きっと…。きっと、そうだったと思う…」
招待状を出せていたなら、トォニィたちと食事会だよ。ホントに小さい子供向けのメニューで。
ナスカで採れた野菜も使って、子供が喜びそうなお料理、色々、作って貰って…。
きっと出来た、と思うけれども、出せなかった押し花のカードの招待状。
前の自分が長い眠りから目覚めた時には、ナスカは滅びに向かっていたから。
子供たちのための食事会をしようと提案するよりも前に、自分の命も終わったから。
「押し花のカード…。トォニィたちには、出せないままになっちゃった…」
それに、今のぼくだと、出す人、いないね。
ソルジャーじゃないから食事会なんかは開けないんだし、招待状も無理…。
「そうでもないぞ。俺のおふくろに出せばいいだろう。親父にだって」
もちろん、お前のお母さんとお父さんにも。押し花のカードで、招待状を。
「え?」
招待状って…。それに、ハーレイのお母さんたちとか、ぼくのママたちって…。
なんでそういうことになるわけ、どういう招待状なの、それは?
「決まってるだろうが、本当に本物の招待状だ」
ミュウの紋章は入っちゃいないが、「家へ遊びに来て下さい」とな。
今じゃなくてだ、ずっと未来の話だが…。まだ何年も先のことだが、お前、結婚するんだろ?
俺の嫁さんになって、俺と一緒に俺の家で暮らす。
そうなった時に出せばいいんだ、押し花のカードの招待状を。
子供用の料理を用意する代わりに、俺が美味いのを作ってやるから。…うんと豪華な料理をな。
「そうだね…!」
ぼくも出せるね、押し花のカードで作った招待状。
ハーレイのお父さんとお母さんにも、ぼくのパパとママにも、「遊びに来てね」って。
子供用の食事会じゃなくって、みんなでパーティー。
ぼくも手伝うよ、パーティーの料理。ハーレイの邪魔をしちゃわないよう、気を付けて。
前の自分がナスカの子たちに、出し損なった招待状。押し花がついていたカード。
けれど、ハーレイが素敵なアイデアをくれたから。
ナスカの子たちに出し損ねた分を、幸せ一杯の今の自分が出せるから。
今度は自分で作ってみようか、エラの真似をして、庭に咲いている花たちを摘んで。
押し花がついた招待状を、温かな手作りの優しいカードを。
大切な人たちの顔を思い浮かべて、これはパパにと、これはハーレイのお父さんに、と。
ママにはこれで、ハーレイのお母さんに出すのは、このカード、と。
きっと幸せが溢れるのだろう、ハーレイと暮らす家の食卓。
大切な人たちを其処に呼ぶために、「遊びに来て下さい」と送る招待状。
前の自分が出し損ねてしまった押し花のカード、それを今度は自分で作って。
出来上がったら、ハーレイと二人でポストに入れに出掛けてゆこう。
大切な人たちの家にきちんと届くようにと、押し花がついた素敵な招待状を…。
押し花のカード・了
※前のブルーが子供たちのために選んだ、押し花つきのカード。食事会への招待状に、と。
ナスカの子たちとは、出来なかった食事会。でも、今度は自分で、カードを手作り出来そう。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(ふうむ…)
美味いんだよな、とハーレイが眺めた麩饅頭。
ブルーの家には寄れなかった日、いつもの食料品店で。食材を買いに行ったのだけれど、入って直ぐの特設売り場に麩饅頭。艶々とした笹の葉でクルンと包まれて。
生麩の中に餡が入った麩饅頭。美味だけれども、何処にでも売っている菓子ではないから…。
(買って帰るか)
久しぶりに見たぞ、と「一個下さい」と注文した。麩饅頭は日持ちしない菓子だし、一個だけ。店員も充分に分かっているから、嫌な顔もしないで包んでくれた。会計だって。特設売り場だと、会計は其処でするものなのに。「レジでどうぞ」とは言えないのに。
「またどうぞ」と笑顔で渡してくれた店員。「うちの店の人気商品です」と。
気分良く買えて、他の食材なども揃えて帰った家。夕食を済ませて、片付けの後に緑茶を一杯。急須から注いだ、熱いのを。
(麩饅頭には、こいつが合うんだ)
ほうじ茶よりも、断然、緑茶。コーヒーなどは論外、酒だってまるで話にならない。
せっかくの味が台無しだから。麩饅頭ならではの繊細な持ち味、それを殺してしまうから。
緑茶に限る、と一口飲んで喉を潤し、剥がし始めた麩饅頭を包んだ濃い緑色。艶やかな笹の葉、それを綺麗に巻いて仕上げた三角形。まるで笹の葉のおにぎりみたいに。
こうやって、と解いた笹の葉の包み。中から出て来た麩饅頭。こちらはコロンと丸い饅頭。
美味そうだな、と齧り付いたら、笹の香りと柔らかな生麩。滑らかな舌触りの生麩の皮に、いい素材だと分かる絶妙な味の小豆餡。
(大当たりだぞ、これは)
なんとも美味い、と頬張った。菓子作りだって得意だけれども、麩饅頭は家では作れない。餡は作れても、皮の生麩は無理だから。
やってやれないことはなくても、途方もない手間がかかるから。
買って食べるに限るんだ、と味わって食べた麩饅頭。美味かった、と空になった笹の葉を畳んでいった。クシャリと潰してゴミに出すのは、申し訳ない気がしたから。
大きな笹の葉、艶やかな緑。麩饅頭には笹の葉がつきもの、これでこそだと折り畳んでいて…。
(ん…?)
待てよ、と眺めた濃い緑色。当たり前のように剥いた笹の葉。麩饅頭を包んだパッケージ。この笹の葉はそういったもので、麩饅頭用の個別包装。キャンディーの包み紙のようなもの。
笹の葉は粽などにも使うし、笹の葉で包んだ寿司なども多い。殺菌力があるから、食品に合うと聞いている。中の粽や麩饅頭などや、寿司の類が傷まないように保存出来るから。
挙げていったら多い笹の葉、七夕飾りも笹だけれども。七夕の頃には、あちこちの家で笹飾りを目にするのが普通だけれど…。
(笹の葉、あったか?)
今では当たり前の笹の葉、それを自分は見ていたろうか。前の自分が生きた時代に、遠く遥かな時の彼方で。
(シャングリラに笹は無かったが…)
ブリッジが見える一番大きな公園はもちろん、居住区に幾つも鏤められていた公園だって。どの公園でも笹を見てはいないし、笹の仲間の竹も無かった。
(笹はともかく、竹は大いに迷惑だしな?)
宇宙船には向いちゃいないんだ、と断言出来る。シャングリラの中で竹を育てるのは無理、と。
青竹の藪は美しいけれど、心が和む景色だけれど。
風が通れば届く葉擦れの優しい音や、しなやかに曲がる姿に似合わず、竹は逞しすぎる植物。
竹の地下茎、地面の下でぐんぐんと伸びる根の破壊力は凄いもの。遮断用にと入れた鉄板、その下だって潜って通る。固い地面や床を破って、ある日ニョッキリ顔を出すのがタケノコだから。
あんな代物は植えられない、と考えれば直ぐに分かるのが竹。いくら姿が美しくても。
地下茎を伸ばしての破壊活動、けして楽観視は出来ない。公園だけで止まる筈だ、とは。
(しかし、却下した覚えというのも…)
記憶に無い笹、ついでに竹。
キャプテンとして「駄目だ」と言ってはいないし、「駄目じゃ」と止められた覚えも無い。白い鯨に改造する時、何度も会議を重ねたのに。何を植えようか、育てようかという会議。
どうして笹は無かったろうか、と首を捻って、気付いたこと。
そもそも無かったのだった。笹や竹を植えて観賞しようという文化。それが無かった、白い鯨の時代には。前の自分が生きた頃には。
(今じゃすっかり馴染みなのにな…)
竹も、笹の葉も。こうして麩饅頭を包んであるほど、よく見掛けるのが緑の笹の葉。笹で包んだ寿司があるほど、粽などの菓子が売られるほどに。
(日本の文化というヤツか…)
その一つだな、と頷いた。竹取物語を生み出した日本。遠い昔の小さな島国。
七夕飾りも、考えてみたら、元は笹ではないのだから。別の植物だったのだから。
(前にブルーと七夕の話をしたんだが…)
七夕の頃に、授業で教えた催涙雨。七夕の夜に降る雨のこと。
それについてブルーと話していた時、「天の川も泳いで渡ってやる」と約束をした。二人の間を天の川で隔てられたなら。一年に一度しか会えない恋人、そんな二人になったなら。
七夕の夜に、天の川に架かるカササギの橋。何羽ものカササギが翼を並べて作る橋。
けれど、その夜、雨が降ったら溢れてしまう天の川。カササギの橋は架からない。
そうなった時は、泳いで渡るとブルーに誓った。どんなに広い天の川でも、泳いで渡ると。
ブルーにはそう言ったのだけれど…。
(あいつ、笹飾りだと思っているな?)
七夕の季節に飾られるものは、笹飾り。遥かな昔は、笹飾りではなかったのに。
それにブルーは、白いシャングリラに笹が無かったことにも気付いていない。あの時、竹の話はしたのだけれども、「シャングリラには竹は無かった」で終わりだった筈。
(竹があったら、大迷惑だと俺が話して…)
地下茎を伸ばして破壊活動をする竹は、キャプテンとして許可出来ないと。植えられないぞ、と笑い合っていたという記憶。それで終わって、笹の話はしていなかった。
(…麩饅頭でも買って行くかな)
小さなブルーに、「土産だ」と持って行ってやる麩饅頭。きっと喜ぶことだろう。
幸い、明日は土曜日だから。
麩饅頭を売っていた特設売り場は、明日も営業しているから。
次の日の朝、目覚めた時にも覚えていたのが麩饅頭。それに笹の話。
いい天気だから歩いて出掛けて、途中で昨日の食料品店に立ち寄った。特設売り場で、麩饅頭を二つ。艶やかな笹の葉に包まれたもの。
それを提げてのんびり散歩しながらブルーの家まで、出て来た母に「買って来ました」と渡しておいた。「午前のお茶の時にお願いします」と。
ブルーは二階の窓から目ざとく見ていて、「お土産は?」と訊いて来るものだから。
「じきに出て来るさ、お母さんに頼んでおいたから」
そう言っている間に、届いた緑茶と麩饅頭。ブルーの赤い瞳が輝いて…。
「これがお土産?」
「昨日、買ったら美味かったからな」
絶品だぞ、と褒める言葉は嘘ではない。本当に美味しい麩饅頭だし、笹の葉の話が絡まなくても土産に持って来たいほど。「食べてみろ」と促したら、ブルーは早速、笹の葉を剥いて。
「ホントだ、美味しい…!」
皮も美味しいし、中の餡だって…。それに笹の香りがとっても素敵。
ありがとう、と笑顔で頬張るから。
「その菓子、何か気が付かないか?」
「えーっと…?」
なあに、とキョトンとするブルー。「何か特別な麩饅頭なの?」と。
「特別じゃなくて、平凡なんだが…。麩饅頭と言えば、そういうモンだし」
笹の葉で包んであるもんだろうが、麩饅頭ってヤツは。そうすりゃ皿にもくっつかないし…。
その笹の葉だな、粽も笹の葉で包んであるだろ?
「粽…。今は季節じゃないけれど…」
そうだ、粽、食べ損なっちゃった…!
ハーレイの授業で粽が出た時、ぼくは食べ損なったんだよ…!
端午の節句、と叫んだブルー。端午の節句は五月の五日。
聖痕が現れて救急搬送されたのが五月三日で、念のためにと学校を休まされていたから、端午の節句の粽は食べていないのだ、と。
「…ハーレイの授業だったのに…。古典の時間に、他のみんなは食べたのに…」
ぼくは食べられなかったよ、粽。ハーレイの話も聞き損なっちゃって、後からプリント…。
「そういや、そうか…。端午の節句も俺の管轄だしな」
とんだ藪蛇というヤツか。そいつはすっかり忘れちまってた、あの時の粽。
「…その話じゃないの?」
粽だって言うし、笹の葉の話らしいから…。粽なのかな、って…。
「違う、粽の中身じゃなくって、外側の方だ」
この麩饅頭と同じで、粽を包んでいる笹の葉。あっちは包み方が全く違うわけだが…。
粽だと笹の葉は一枚じゃなくて、何枚も使って巻き上げるんだが…。
笹の葉ってヤツを、前のお前は知っていたのか?
シャングリラの公園とかもそうだし、アタラクシアだのエネルゲイアだの。
何度も地上に降りてたわけだが、前のお前は、笹の葉、何処かで目にしてたのか…?
「…笹の葉…。シャングリラの中には無かったね…」
アルテメシアの山の中でも見ていないかも…。町の中だって。
前のぼく、笹の葉、見たことがないよ。…全然気付いていなかったけど。
「ほらな、お前でも知らないってな」
今じゃ馴染みの植物なんだが、あの時代の文化じゃ、笹の葉ってヤツは使われない。
麩饅頭だの、粽だのはだ、何処にも無かった時代だからな。
ついでに七夕、と挙げた例。笹の葉が欠かせない、今の時代の七夕飾り。
「七夕の時には笹飾りだが、シャングリラには七夕、無かったろうが」
笹も無ければ、七夕も無い。そういう時代だったんだな。…前の俺たちが生きた時代は。
「そうだけど…。今はあるでしょ、七夕がちゃんと」
ハーレイ、ぼくに言ってくれたよ。
もしも、ぼくたちの間に天の川が出来ちゃったら…。七夕の夜に溢れちゃったら、どうするか。
カササギの橋が架からなかったら、ハーレイ、泳いでくれるって…。
ぼくの所まで、天の川、泳いで渡って来てくれるって…。
「覚えてたんだな、その話は」
端午の節句の粽の授業は、綺麗に忘れていたくせに。…俺のプリントを読んだ程度で。
粽を食い損なった事件も、すっかり忘れちまっていたのに。
「だって、七夕の時にお祈りしたもの」
催涙雨が降りませんように、って。雨が降ったら、天の川、溢れちゃうんだから…。
彦星と織姫がちゃんと会えますように、ってお祈りしたから忘れないよ。
「そうなのか?」
お前、彦星と織姫のために、雨が降らないようにとお祈りしてたのか…?
「会えないなんて可哀相でしょ、カササギの橋が架からなくって」
彦星、ハーレイみたいに泳いで渡れはしないだろうし…。天の川、とっても広そうだから。
でもね、そういうお願いしてたら、ぼくのお願い、忘れちゃった…。せっかく七夕だったのに。
短冊に書いてお願いをしたら、叶えて貰える日だったのに…。
「忘れちまったって…。何を頼みたかったんだ?」
「ぼくの背、伸びてくれますように、って…」
前のぼくと同じ背丈にして下さい、って短冊に書けば良かったのに…。
「お前の背丈か、そいつは切実な願い事だな」
チビのままだとどうにもならんし、願い損なったのは残念だったと言うべきか。
だがな…。
願い事ってヤツは、元は短冊に書くものじゃないぞ、とニヤリと笑った。
「あまり知られちゃいないがな」と。
「七夕と言えば、今は短冊になっちまったから…」
SD体制が始まるよりも前の時代に、もう短冊になっていたしな。
「え…?」
まだ七夕があった頃から、短冊になっていたって、なあに?
元は短冊に書くんじゃないなら、願い事は何に書いて吊るしていたの…?
「梶の葉ってヤツだ、桑の葉に少し似ているが…」
もっとデカくて立派な葉だ。それに書くんだ、サトイモの葉についた夜露を集めてな。
夜露そのもので書くんじゃないぞ?
あの時代は筆の時代だからなあ、夜露を使って墨を磨るんだ。他の水では駄目だったそうだ。
そうやって願い事を書いたら、梶の葉を祭壇に吊るしておく。笹飾りじゃなくて、祭壇だった。
芸事が上達しますように、と楽器を飾ったり、五色の糸を飾り付けたり。
「…そうだったの?」
短冊じゃなくて梶の葉っぱで、笹飾りだって無かったの…?
「最初の頃の七夕はな。それが日本の文化だった」
平安時代に貴族が始めて、優雅に歌を詠んだりしたのが七夕なんだ。蹴鞠もしてな。
そいつが何処かで変わっちまって、いつの間にやら、笹飾りと短冊になっちまった、と。
「七夕、変わっちゃったんだ…」
それじゃ、ホントにお願いを聞いて欲しかったら、梶の葉っぱに書かないと…。
ぼくのお願い、お星様にきちんと届けるんなら。
みんなは短冊に書いてるんだし、梶の葉っぱに書いて頼んだら、お願い、聞いて貰えそう…。
正しいお願いのやり方だったら、願い事も叶えて貰えそうだ、と小さなブルーは大真面目な顔。七夕の日にお願いするなら、短冊よりも梶の葉っぱ、と。
「お前なあ…。そこまで頑張らなくてもな?」
梶の葉っぱを探すトコから始めなくっちゃいけないんだぞ。あまり植わっていない木だから。
それにだ、今のお前の願い事なんか、本当に知れたモンだろうが。
せいぜい背丈を伸ばす程度で、叶わなくても困りやしない。…いつかはちゃんと育つんだしな。
前のお前の願い事なら、多分、切実だっただろうが…。
アルテメシア中を端から探し回ってでも、梶の葉っぱに書いて頼みたかっただろうが…。
「うん…。前のぼくなら、そうしたと思う」
それで願いが叶うんだったら、梶の葉っぱを探しに行ったよ。…サトイモの葉についた夜露も。
七夕の時にちゃんと書いたよ、地球へ行くことと、ミュウの未来と…。
「そんなトコだろうな、前のお前は」
梶の葉っぱを探し当てたら、大喜びで書いたんだろう。…これで叶ってくれれば、と。
「それとハーレイだよ!」
「はあ?」
俺って、どうして俺が出てくるんだ?
キャプテンの命令で梶の葉っぱを探せと言うのか、アルテメシアに降りる潜入班のヤツらを動員して。「こういう葉っぱを探して来い」と。
「違うよ、ハーレイそのものだよ」
ハーレイと幸せに暮らしたかったよ、シャングリラで地球まで辿り着いて。
恋人同士だってことも誰にも隠さずに済んで、ハーレイと一緒に暮らすんだよ…。
それをお願いしたかった、と揺れるブルーの瞳。二粒の赤く澄んだ宝玉。
シャングリラに七夕があれば良かったと、梶の葉に願いを書きたかった、と。
「梶の葉も何も…。あの時代には七夕自体が無かったんだぞ?」
笹飾りをする笹も無かったわけでだ、今日はそういう話をしようと麩饅頭をだな…。麩饅頭には笹の葉なんだし、ついでに本物の七夕の話もしてみるか、と。
「本物でも時代で変わったんでしょ、七夕の中身!」
願い事を梶の葉に書いて吊るしていたのが、笹飾りになって短冊だよ?
同じ七夕でも中身が変わっていったんだったら、シャングリラでも七夕、出来たんだよ。
梶の葉っぱに書いてお願い出来たら一番いいけど、それとは違う形でも。
「これがシャングリラの七夕です」って、彦星と織姫にお願いくらいは…。
どんな形になっていたかは知らないけれど。
笹飾りの代わりに何を使ったか、短冊が何になっていたかは分からないけど…。
「うーむ…。シャングリラの七夕か…」
シャングリラ風だか、シャングリラ流だか、とにかくそういう七夕だな?
俺たちの船ではこうやるんです、と強引に七夕をやるってわけか…。
それは思ってもみなかった、と腕組みをして唸ったけれど。とても驚かされたのだけれど。
確かにブルーが言う通り。
本物の日本の七夕でさえも、時代に合わせて変わって行った。梶の葉を吊るしていた祭壇から、短冊を吊るす笹飾りへと。いつの間にやら。
だからシャングリラでも、やろうと思えば七夕は出来た。そういう行事を知ってさえいれば。
シャングリラ風にアレンジして。笹が無いならこれを使おう、と。
「…やってやれないことはなかったな、確かにな…」
だが、前の俺たちは知らなかったんだ。七夕っていう行事そのものを。
知らない行事は出来ないからなあ、誰もやろうと言い出さないから。
「そうだけど…。それは分かっているんだけれど…」
願い事が叶うのが七夕なんだよ、とても素敵な行事じゃない。叶わなくても夢が一杯。
そういう行事は何か無かったの、七夕じゃなくても願い事を叶えて貰える行事。
「…万能のは無かったんじゃないのか?」
今でもそうだが、願い事と言えば目的別だろ、おまじないにしても。
この願い事を叶えたいなら、こういうおまじないをする、って具合に。
「うーん…。だったら、やっぱり七夕が一番?」
前のぼくたちは知らなかったけど、夢があるのは七夕だった…?
「夢があるヤツなあ…。あの時代にも、あったかどうかは知らないが…」
幸せになれる菓子ってヤツなら、心当たりがあるってな。
中に入れてあるフェーヴっていう小さな陶器の飾り。そいつが当たれば、一年間は幸運が来る。
そう言われてる菓子がガレット・デ・ロワで、元はフランスの菓子なんだが…。
クリスマス・プディングにも、似たような話がある筈だ。
作る前に中に色々な物を仕込んでおいて、食べる時に出て来た物で未来を占うってヤツ。
金持ちになれたり、運命の相手が見付かったりすると聞いてるな。
そんな菓子だから、中に仕込む物を入れた後には、順番に一度ずつかき混ぜるそうだ。いい物が当たりますように、と。いい物、つまり幸せな物が当たるようにと祈りながらな。
そういう菓子なら今の時代の名物だが、と教えてやったら、「他には?」と訊いた小さな恋人。もっと他にも、幸せになれる行事の類は無いのか、と。
「七夕みたいなのは無さそうだけど…」
何をお願いしてもいいのは、七夕だけしか無いみたいだけど…。
もっと他にも、幸せが来る行事は無いの?
前のぼくたちが生きてた頃でも、何かあったら良かったのに…。
「他には知らんな、俺もそれほど詳しくはない」
そういう研究をしてるわけじゃないし、本とかで読んで「面白いな」と思って覚えただけで…。
前の俺だと、まるで管轄外だろうが。教師じゃなくてキャプテンなんだし。
ヒルマンやエラなら、その手のことにも詳しそうではあるんだが…。
だが、あいつらも…。
七夕は知らなかっただろう。知っていたなら、やっただろうしな。
さっき、お前が言った通りに、夢を託せる行事なんだし…。
一年にたった一度だけでも、好きなことを願える日なんだから。
それこそシャングリラ風にアレンジだろうな、ヒルマンとエラが気付いていたら。
ブリッジが見える一番デカイ公園、あそこに笹飾りの代わりに何かをドカンと立てて。
船の全員が短冊だか、いろんなカードだかを書いて吊るせるように。
全員分の願い事なんだし、小さな笹飾りじゃ間に合わん。どうせ笹なんかは無い船なんだ。笹の代わりに公園の木の出番だな。でなきゃ、専用のポールみたいなのを立てるとか。
大々的に七夕を始めそうだが、全くやっていなかったんだし…。
七夕も知らなきゃ、ガレット・デ・ロワも、クリスマス・プディングの幸運ってヤツも…。
あいつらは知らなかったんじゃないのか、と口にした途端に掠めた記憶。
シャングリラにも幸運の来る行事があった、と。ヒルマンとエラは知っていたんだ、と。
「…あったぞ、ブルー。前の俺たちの船にもな。…幸運が来る行事というヤツが」
一つだけだが、あったんだ。…残念ながら、俺たちのためには無かったが…。
全員の分の幸運は無くて、ごくごく一部に限られていたが。
「一部だけって…。あったって、何が?」
どういう行事があったって言うの、シャングリラに?
誰かが幸運を貰えるんだよね、一部だけでも。…船のみんなの分は無くても。
「うむ。本当にほんの一部だけでだ、相当に運がいいヤツだけしか幸運は貰えない行事だが…」
さっき言ったろ、今の時代の名物の菓子。ガレット・デ・ロワだ。
「えっと…?」
フランスのお菓子だって言ってなかった、それ…?
シャングリラにあったの、今のフランスの名物のお菓子が?
「どういう理由で生まれたのかは知らないが…。俺も覚えちゃいないんだが…」
人類の世界でやっていたのを取り入れたのか、ヒルマンとエラが探し出した行事だったのか。
それは謎だが、ガレット・デ・ロワは確かにあった。
新年の菓子で、一月六日に食べるんだったか…。今の時代は一月六日だし、シャングリラの頃も同じだったろう。どっちもガレット・デ・ロワなんだから。
王様の菓子って意味の名前だ、子供たちのための菓子だった。
ミュウの未来を担うのは子供たちだしなあ…。子供たちを優先してやらんとな?
フェーヴの入ったパイだったぞ、と話してやった。子供たちの人数に合わせて焼かれた、新年の菓子のガレット・デ・ロワ。ただし人数分を焼くのではなくて、それよりもっと少なめに。
「一個のパイにフェーヴが一個。…パイを分ける子供は六人だったか、八人だったか…」
そいつも多分、年によって変わっていたんだろう。食べる資格のある子供の数で。
子供たちだけが切って貰って食べた菓子だが…。
そういや、お前、あの中に混ざっていなかったか?
いつも子供たちと遊んでいたから、「ソルジャーも食べよう」って誘われちまって。
覚えていないか、こう、王冠を被った菓子で…。
王冠と言っても紙で出来たヤツで、金色の紙で作った王冠。それを乗っけたパイなんだが。
「あったっけ…!」
思い出したよ、ガレット・デ・ロワ。
幸運のお菓子で、中のフェーヴが当たった子供は、一年間、幸運が来るんだったっけ。
紙の王冠を被せて貰って、その日は一日、王様になれて…。女の子だったら女王様。
一番偉い子供になるから、好きな遊びをしていいんだよ。その日だけは。
「覚えてたか…。今から思えば、ちょいと怪しい菓子だったかもしれないが…」
俺はもう厨房を離れていたから、ガレット・デ・ロワのレシピは知らん。
だから確かめようがないんだ、本物のガレット・デ・ロワを作っていたのか、偽物だったか。
シャングリラ風にアレンジされてた菓子だったかもしれないなあ…。
中にフェーヴが入るってトコが重要なんだし、菓子の方はそれのオマケだから。
パイの形に焼いておいたらいいだろう、と味や作り方はシャングリラ風。
その可能性は大いにあるなあ、見た目は立派に本物のガレット・デ・ロワだったんだが。
シャングリラ風の七夕ならぬガレット・デ・ロワだ、と浮かべた苦笑い。
今の時代は、ガレット・デ・ロワのコンクールがあるほどだから。人間が地球しか知らなかった時代と全く同じに、その菓子を作る腕だけを競うコンクール。
遠い昔のフランスを名乗る地域だったら、菓子職人になるための試験の課題になるとも聞いた。この菓子を上手く焼けないようでは、菓子職人になる資格は無い、と。
それほどの菓子がガレット・デ・ロワで、多分、決まりも多いのだろう。材料も味も、見た目も細かく吟味されそうな菓子がガレット・デ・ロワ。
白いシャングリラで本物を作れたとは思えない。作れたとしても、素人料理の域を出ないもの。菓子職人の試験には合格しなくて、コンクールなどは夢のまた夢。
(…きっと、そういうトコなんだ…)
今の自分が作る所を目にしたならば、「ちょっと待て!」と言いたくなるような。
「其処はそうじゃない」と、「俺が知ってるレシピじゃ、こうだ」と口を挟みたくなるような。
それでも立派にガレット・デ・ロワ。…白いシャングリラの中だったなら。
陶器で出来た小さなフェーヴを一個仕込んで、オーブンで焼かれたガレット・デ・ロワ。
焼き上がったら、きちんと冷まして、一月六日に子供たちの前へ。
紙で作った金色の王冠、それを被せられて誇らしげだったガレット・デ・ロワ。
囲む子供たちの顔も輝いていた。フェーヴは誰に当たるだろうかと、王様は誰になるのかと。
フェーヴが何処に入っているのか、誰も透視はしないようにと、サイオンは禁止された菓子。
子供たちが取り囲んで見守る中で、養育部門の係の女性が切り分けた。紙の王冠を外してから。一つのパイを分け合う子供の人数分に、均等に。
(切り分ける間は、一番のチビがテーブルの下…)
そういう決まりになっていた。これまた今の時代と同じ。遠く遥かな昔の地球とも。
一番年が小さな子供は、テーブルの下に入るのが役目。切り分ける所が見えないように。
ガレット・デ・ロワが切り分けられたら、テーブルの下から出て来る子供。その子が決めていた菓子の配り方。「これは、あの子」と、「こっちは、この子」と。
(…切る係だって、フェーヴの在り処は見てないからなあ…)
サイオンを封印して切ってゆくのだし、ナイフがフェーヴに当たることもある。そんな時には、押し込まれるフェーヴ。「こっちに入れよう」と選んだ一切れの内側に。
テーブルの下に入っていた子は、それを見ていないものだから…。
(ちゃんと公平に配れるわけだ)
全く何も知らないからこそ、「これは、こっち」と無邪気に決めて。
そうやって菓子を配り終えたら、子供たちが一斉に手にするフォーク。食べ始めた菓子の中からフェーヴが出たなら当たりで、その日の王様、女王様。
それに一年間の幸運、どの子もドキドキしていた行事。
子供だけのイベントだったのだけれど、ただ一人だけ混じっていたのがブルー。
誘われるままに、子供たちと一緒にパイを囲んで。「ソルジャーは、これ」と渡して貰って。
いつもあいつが混じっていたな、と懐かしく思い出していて…。
「あのフェーヴ…。お前、当たっちまっていたぞ」
俺の記憶じゃ一度だけだが、子供たちに誘われて食べに出掛けて。
お前が食べてたパイの中から、見事にフェーヴが出ちまったとかで…。
「あったっけね…。そういう年が」
ぼくもサイオンは使ってないから、まさか入ってるとは思わなかったし…。
ビックリしたけど、ホントにフェーヴ。
子供たちは拍手してくれたけれど、子供たちの幸運、ぼくが貰うわけにはいかないから…。
「譲ろうとしたって言ってたっけな、お前と同じパイを切って貰っていた子に」
何人いたのか忘れちまったが、皆でクジ引きでもするように、とな。
「そうなんだけど…。誰も貰ってくれなかったんだよ」
ぼくは大人だから要らないんだ、って説明したって、子供たちの方が上だったよ。
「それなら、今年は大人用の幸運なんだ」って、「誰かにあげるなら、大人の人」って。
どうしても貰ってくれなくて…。ぼくの幸運…。
「だからと言って、俺の所に持って来なくても…」
お前が貰っておけばいいのに、わざわざ届けに来るんだから。王様の印の紙の王冠。
これはキャプテンに、って俺の頭に被せやがって…。
「あの時も言ったよ、ぼくより君が相応しいんだよ。一年分の幸運だから」
君はキャプテンだったわけだし、船のみんなの幸せを守っていく立場。
シャングリラの一年間の幸運になると思うよ、キャプテンの君が受け取ったらね。
「これを貰って」と、ブルーに被せられた王冠。「シャングリラの一年間の幸運だから」と。
金色の紙で出来た王冠、それを一日、被っていた。ブリッジでも、通路を歩く時でも。
前のブルーがくれた幸運。「シャングリラのために」と貰った幸運。
「…お前の幸運、俺が貰ってしまったのに…」
すっかり忘れちまっていたなあ、今の今まで。
あの日は一日、王冠を被ったままだったのに…。船の仲間も笑ったりしないで、シャングリラの幸運を喜んでくれていたのになあ…。これで一年間、いいことがある、と。
「ぼくも忘れてしまっていたよ。…ガレット・デ・ロワも、ぼくにフェーヴが当たったことも」
ハーレイに幸運をプレゼントしたのも、何もかも、全部。
きっと子供たちのための遊びだったからだね、大人用じゃなくて。…ガレット・デ・ロワは。
こんな風に忘れてしまうほどだし、シャングリラで七夕、やりたかったね。
七夕だったら、大人だって願い事が出来たのに…。好きなことをお願い出来たのに…。
ガレット・デ・ロワだと、幸運を貰えるのは一つのパイに一人だけだよ?
それじゃ駄目だよ、そんな行事だから、ホントに忘れてしまうんだよ。
…大人のくせに、フェーヴが当たっても。
ガレット・デ・ロワで貰える幸運、キャプテンのハーレイに譲りに行っても。
「仕方ないだろ、お前も自分で言ってるだろうが。子供用だと」
遊びみたいなものだったんだし、忘れる程度の行事ってことだ。…一年分の幸運でもな。
「でも、七夕なら、船のみんながお願い事…」
叶うかどうかは分からないけど、色々お願い出来たんだよ?
ガレット・デ・ロワより、七夕の方が、ずっと良かったと思うんだけど…。
どうして無かったんだろう、とブルーはとても残念そうで。「シャングリラ風で良かったのに」などと繰り返しているから、「過ぎたことだろ」とチョンとつついた緑の笹の葉。
麩饅頭を包んでいた艶やかな葉は、少し乾いて来ているけれども、まだ充分に綺麗な緑。
「前の俺たちが生きてた時代は、七夕という文化自体が無かったんだから、仕方がないさ」
ヒルマンもエラも気付かないままで、シャングリラ風の七夕は生まれないままになっちまった。
だが、俺たちは地球に来ただろ、短冊は書いていないのに。
…俺もお前も、七夕の星に何も頼んでいなかったのにな?
それでも地球まで来られたわけで、今じゃ本物の七夕だ。七夕の時には短冊だろうが。
「短冊もいいけど…。梶の葉、探して書いてもいい?」
サトイモの畑も見付けて来ないと駄目だけど…。夜露を集めて墨を磨らなくちゃ。
梶の葉に書くのが本当なんでしょ、七夕の時のお願い事は…?
「その通りだが、何と書くんだ?」
約束事をきちんと守って、梶の葉にサトイモの葉に溜まった夜露の墨で…。
どういう願い事を書くつもりなんだ、そこまで律儀に頑張ってまで…?
「ぼくの身長…」
うんと急いで伸びますように、って書くんだよ。
今のままだと、ハーレイとキスが出来るようになるの、まだまだ先になりそうだから…。
前のぼくと同じ背丈になれるの、何年先だか分からないから…。
「もっとマシなのを思い付け!」
背くらい、いずれ伸びるだろうが、放っておいても!
梶の葉とサトイモの夜露に失礼すぎるぞ、そんなつまらん願い事は!
同じ書くなら、前のお前の願い事のように大きいのを書け、と叱ったけれど。
「ミュウの未来とまでは言わんが、背丈を頼むのは失礼すぎる」と言ったら、ブルーはプウッと膨れてしまったけれど。
(…身長なあ…)
それが梶の葉を探し出してまで頼むことか、と呆れてはいても、ブルーの夢なら叶えたい。
ブルーの願い事だというなら、大きな夢でも、小さな夢でも。
(背丈ばかりは、俺にもどうにも出来ないんだが…)
いつかブルーが大きくなったら、願い事を全て叶えてやりたい。どんな大きな夢だって。
そして自分も願い事をしよう、七夕の時には笹飾りをして。
梶の葉ではなくて短冊に書いて、ほんの小さな願い事でも、ブルーと二人で吊るしてみよう。
「お前の願い事はそれか」と、「ハーレイはそれ?」と笑い合いながら。
短冊を二つ並べて吊るして、他にも飾りを色々とつけて。
今は笹の葉がある時代だから。七夕があって、笹飾りが出来る時代だから。
願い事を書いて吊るしておいたら、叶えて貰える時代だから。
ブルーの夢は、きっと自分が叶えよう。
短冊に書かれた願い事を読んで、「今年はこれか」と、七夕の星たちよりも先に自分が。
誰よりも愛おしい人だから。
前の生から愛し続けて、これからもずっと愛してゆくから…。
笹と七夕・了
※シャングリラには無かった七夕の行事。幸運が来るお菓子を楽しんだのも、子供たちだけ。
もしもあったら、素敵なイベントになっていたのでしょう。本物の笹が無かった船でも。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(ふうん…?)
知らなかった、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
スイートピーの花に似ている、桃色の花。写真に添えられた説明によると、豆の花らしい。その花の記事につけられた見出しが…。
(最初の植物…)
青い地球が宇宙に蘇った時、一番最初に地球の大地に根付いた植物。それがこの豆。
テラフォーミング用の植物たちではないのに、たっての希望で植えられたもの。植物が根付いていない惑星、其処で育つよう改良された色々な植物たちと一緒に。
今の青い地球の最初の植物、そう呼ばれる花。テラフォーミング用の植物だったら、様々な星で最初に育つものだから。いわば基本の植物たちで、あって当然。
それとは別に育った植物、まるで奇跡であるかのように。青く蘇った水の星の上で。
(豆だったんだ…)
地球に根を張った最初の植物。
死の星だった地球が燃え上がった後、戻って来た澄んだ青い空と海。清らかな水が流れる大地。まだ生命の影が無くても、それらが生きてゆける環境。
もう大丈夫、とテラフォーミングが始まった時に、この豆も一緒にやって来た。蘇った地球で、青い星の上で育つようにと、専用の植物たちに混じって。
遠い昔に、赤いナスカで一番最初に根付いた植物。メギドの炎で滅ぼされた星。
ミュウが手に入れた、打ち捨てられた植民惑星。何を育てようかと若い世代が色々試して、この豆が立派に根を張った。赤い大地でも生きてゆける、と。
(とっても強い植物だから…)
赤いナスカで産声を上げた、初めての自然出産児。SD体制の時代に生まれた「本物の」子供。
トォニィがこの世に誕生した時、母のカリナに夫のユウイが被せてやった花冠。豆の花を編んで作り上げて。「この豆はとても強いから」と。
その話ならば、今のハーレイからも聞いたのだけれど…。
(パパのお花…)
桃色の花を咲かせる豆には、そういう名前があるらしい。「パパのお花」と呼ばれる豆。
トォニィがそう呼んでいたから、と書かれた記事。
幼かった頃に、父のユウイをシャングリラでの事故で亡くした後に。
(ユウイが育てた豆だったから…)
葬儀の時に、トォニィが摘んで来て墓標の前に置いた花。「パパのお花、一杯、咲いてた」と。
赤いナスカが無くなった後も、トォニィはそれを忘れなかった。
桃色の花を咲かせる豆は、ナスカに根付いた最初の植物。父のユウイが育てたのだ、と。
ミュウと人類が和解した後、残された聖地、死の星の地球。人間が生まれた母なる星。
地殻変動が続く地球には、誰一人降りることは出来ない。あまりにも危険で、降りたとしても、人に出来ることは何も無いから。
白いシャングリラも地球を離れて去ったけれども、そのシャングリラにあった桃色の花。ただの平凡な豆の花でも、トォニィにとっては父の思い出の花だった。赤いナスカで咲いていた花。
トォニィはそれを、どうしても地球に根付かせたかった。父がナスカでそうしたように。
いつの日か、地球が蘇ったら。
青い水の星が宇宙に戻って来たなら、この豆を地球に植えたいと。
父の、ナスカの思い出のために。地球を目指しての旅の途中で、死んでいった多くの仲間たち。彼らの、ミュウたちの思いをこめて、地球の大地に父が育てた豆を植えようと。
(ぼくの名前も入ってる…)
遠い昔に、トォニィが悼んで名前を挙げた、白いシャングリラの仲間たちの中に。
カリナやユウイの名前と並んで、ソルジャー・ブルーも、ジョミーも、ハーレイたちも。
けれど、トォニィが生きている間には、ついに叶わなかった夢。
もちろん、白いシャングリラが宇宙を飛んでいた間にも。
(…シャングリラの解体、トォニィが決めたことだったもんね…)
箱舟の役目はもう終わったから、とシャングリラを解体させたトォニィ。もう要らない、と。
そのトォニィは、豆の種子を残しておくことにした。
トォニィには予感があったのだろうか、後の世代に託すことになるかもしれない、と。
「いつか」と保存用のケースに密閉した豆。いつか地球へ、と。
白いシャングリラで育てていた豆が、最後に結んだ種たちを入れて。
(…あの船で採れた最後の豆…)
シャングリラが解体された後にも、豆はあちこちの星で育ったけれど。船の仲間たちが豆の種を運んで、様々な場所で育てたけれど。
白い船で採れた最後の豆は、ケースで保存され続けた。誰も蒔かずに、植えることなく。
トォニィがいなくなった後にも、いつか地球へと運ぶ日のために。
それがトォニィの望みだったから。…ミュウの思いを、と託した種子だったから。
長い歳月と共に、少しずつ命を取り戻した地球。毒素をすっかり洗い流して、澄んだ海と空とを蘇らせて。地形は変わってしまったけれども、生命が生きてゆける大地も。
(地球が昔みたいに青い星になって…)
テラフォーミングを始めることが決まった時。
トォニィの願いを叶えなければ、と種子の一部が取り出された。密閉されていたケースから。
全部の種子を植えてしまったら、駄目になった時に取り返しがつかないことになる。トォニィが残した豆だからこそ、地球に植える意味があるのだから。
(他の星におんなじ豆があっても、あの豆の子孫っていうだけだもんね?)
見た目は全く同じ豆でも、トォニィが託した豆とは違う。重さが、意味が、存在意義が。
誰もが充分に分かっていたから、ケースを開いて、その一部だけを取り出した豆。
試験的にと、テラフォーミング用の植物たちと一緒に、豆は地球へと運ばれて行った。根付いてくれればいいのだが、と研究者たちの祈りを乗せて。
(…後の手順は、普通のテラフォーミングと同じ…)
地球の生命力に任せて、其処で育てる植物たち。人間は手を加えることなく、見守るだけで。
そうして地球が幾つもの命を育て始めて、最初の植生調査が行われた時。
豆は立派に根付いていた。
青い地球の上に、トォニィが望んでいた通りに。
丁度、花が咲く季節だったという。桃色の豆の花が開いて、風に揺れていたと。
(残りの豆も運んだんだ…)
豆たちは地球で生きてゆけると分かったから。トォニィの夢が叶ったから。
今がその時だと、ケースから出された残りの種子。
白いシャングリラがあった時代を、今の時代の礎になったミュウたちの思いを地球に運ぼうと。
豆たちは地球の大地に蒔かれて、幾つもの花を咲かせたという。
花が咲いたら実を結んでは、どんどん増えていった豆たち。青い地球の上で。
(だけど、見ないよ?)
パパのお花は、この辺りで見掛けたことが無い。郊外の野原でも、林や森の中でも。
この町には咲いていないみたい、と記事を読み進めたら。
(咲いている地域、違うんだ…)
パパのお花が咲いているのは、マードック大佐とパイパー少尉の墓碑がある辺り。
そういう遠く離れた地域で、自然に咲く花になっていた。広い野原や、河原などで。
生命力が強い豆だから、何処でも育つらしいけれども、あえて広げることもない、と。
一番最初に、その花が確認された場所。其処で咲かせておくのがいいと、自然に咲いて広がってゆくのが似合いの豆だと。
(この辺で、パパのお花を見るなら…)
植物園に出掛けてゆくか、種を買って花壇で育てるか。
それ以外に見られる方法は無くて、何処にも自生していない。パパのお花は、遠く離れた地域で咲いているものだから。その場所でしか、自然の中にはいないのだから。
植物園に行くか、種から自分で育てるか。それが桃色の豆の花を此処で見る方法。
種は園芸店に行ったら、手に入ると書かれているけれど…。
(パパのお花かあ…)
そこまで頑張って花を見なくても、という気もするから。植物園まで見に出掛けるのも、自分で種を蒔いて育てるのも、どちらも少し面倒だから。
(あの豆に、別にこだわり、無いしね…?)
ナスカの時代を自分は知らない。深い眠りに就いていたから、パパのお花も目にしてはいない。その花を編んで、ユウイが作った花冠も。
前の自分とは縁が無いのがパパのお花で、「地球に最初に根付いた植物」と新しい知識が増えただけ。赤いナスカの最初の植物、それが地球でも一番最初、と。
それだけだから、「いつか本物を見られたらいいな」と思う程度で帰っていった自分の部屋。
勉強机の前に座って、広げたシャングリラの写真集。ハーレイとお揃いの豪華版。
(パパのお花…)
咲いてるのかな、と写真をチェックしていったけれど、公園には無い桃色の花。季節が違うかもしれないけれども、写真を撮らせたのはトォニィ。
(…パパのお花が、無いわけないよね?)
いつか地球に、と種子を託したトォニィだから。
パパのお花が咲いていない時期に、写真を撮らせた筈がないから。
きっとカメラマンを何度も呼んでまででも、花の咲く季節に撮らせると思う。ミュウたちの命を乗せた箱舟、其処で開いたパパのお花を。
白いシャングリラの写真を後世に伝えるのならば、パパのお花も忘れたりせずに。
何処かに咲いている筈だから、と思い浮かべたシャングリラ。
幾つもあった公園の他に、植物が育つ場所といったら…。
(…農場かな?)
パパのお花は、豆科の植物。今の時代は観賞用でも、あの時代ならば食用に育てていただろう。野原や河原に咲くのではなくて、実を食べるために農場の何処か。
(…ウッカリしてた…)
今のぼくのつもりで考えてたよ、とページをめくって開いた農場の写真。懐かしいな、と大きな写真を眺めて、「あった」と見付けた小さな桃色。
広い農場の隅っこの方に、豆らしき畑が写っていた。其処に桃色の花が幾つも。
ルーペを使って拡大してみたら、新聞で見た写真そっくりの豆。パパのお花という名前の豆。
(トォニィ、大事に育ててたんだね…)
自給自足で生きる時代が終わった後にも、白いシャングリラでパパのお花を。
豆を食べるなら、好きに選べる時代になっても。シャングリラを降りて店に出掛けたら、新鮮な豆も調理した豆も、選び放題の時代が来ても。
父のユウイが育てていた豆、それをいつの日か青い地球へ、と。
蘇った青い地球に植えようと、その時まで大切に育ててゆこうと。
(…シャングリラ育ちの豆でないとね…)
地球まで運ぶ意味が無いから、白い鯨を解体するまで育て続けていたトォニイ。
写真を撮らせる時期も決めたに違いない。農場の写真を撮るのだったら、この花の時期、と。
トォニィらしい、と写真集を閉じて、棚に戻して。
(パパのお花かあ…)
もっとトォニィと話したかったよ、と考えていたら聞こえたチャイム。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。パパのお花は知ってるよね?」
「はあ?」
なんだそりゃ、と鳶色の目が丸くなったから、「パパのお花」と繰り返した。
「トォニィのパパのお花だよ。桃色の豆の花だったんでしょ?」
前にハーレイが教えてくれたよ、ナスカに最初に根付いたんだ、って。
トォニィが生まれた時に、ユウイがカリナに贈った花冠の花もその豆だった、って…。
「あれか…。そういや、今じゃそういう名前だな」
パパのお花と呼んでるらしいな、あの豆のことを。
「そのパパのお花…。地球に最初に運ばれたってこと、知っていた?」
トォニィが種を保存させてて、それを地球まで持ってったって…。
シャングリラで育てた最後の種が、今の地球に最初に植えられたんだ、って…。
「そりゃまあ…。けっこう有名な話だからな」
前の俺の記憶が戻る前から知っていたなあ、あれが最初の花だってことは。
テラフォーミング用の植物以外じゃ、一番最初に地球に根付いたヤツなんだ、と。
「ぼくは今日まで知らなかったよ」
新聞にパパのお花が載ってて、写真も、記事も…。それで分かったんだよ、パパのお花のこと。
この地域だと咲いてないから、話を聞けるチャンスも無いし…。
「まあ、学校でも教えないしな」
義務教育の範囲じゃないから、お前の年じゃまだ知らんだろう。
お前が今日の新聞で読んだみたいに、いつの間にか覚えていくもんだ。あれが最初、と。
パパのお花が咲いてる地域じゃ、事情は少し違っているかもしれないが…。
学校に行ったら一番最初に、習う話かもしれないけどな。
蘇った地球に来たユウイの豆。トォニィが種を保存させたお蔭で、パパのお花が地球で開いた。今の地球の最初の植物として。シャングリラ育ちの豆が芽吹いて。
「トォニィ、とっても偉いよね…」
色々なものを、ちゃんと伝えていったよ。今の時代まで。
アルテラがボトルに書いたメッセージも残しておいたし、前のハーレイの木彫りだって。
「…そいつは例のウサギだな?」
宇宙遺産になっちまった、俺のナキネズミ。あれはウサギじゃないっていうのに。
お前までウサギにしか見えないと言うが、俺が彫ったのはナキネズミなんだ…!
「苛めるつもりじゃないんだってば。ウサギはどうでもいいんだよ、今は」
トォニィはきちんと残したよね、っていう話。ハーレイの木彫りも、パパのお花も。
パパのお花が一番凄いよ、シャングリラ育ちの種をそのまま、ケースで保存させたんだから。
畑で育てていくんだったら簡単だけれど、毎年、種が採れるけれども…。
それじゃ駄目だ、ってシャングリラがあった時代の種。
地球が青くなるのは、いつになるかも分からないのに…。それまで残しておいてくれ、って。
トォニィがいなくなった後にも、約束を守って貰えるように。
「それはまあ…。偉いソルジャーではあったんだろう」
あいつが最後のソルジャーだったし、それに相応しい立派な人間に育ってくれた。導いてくれる大人は誰もいなかったのにな、若い世代のヤツらばかりで。
しかしだ…。
間違って伝わっちまったよな、とハーレイが口にした不思議な言葉。
どういう意味で言っているのか、まるで分からない言葉の中身。木彫りのナキネズミがウサギに化けてしまったように、他にも何かあるのだろうか?
「…間違ったって…。何が?」
ウサギの他にも間違っているの、トォニィが残してくれた何かが…?
「そんなトコだな、間違ってるのはパパのお花だ」
パパのお花で知られているのに、丸ごと間違いなんだから。
「間違いって…。パパのお花は、パパのお花だよ?」
トォニィのパパのユウイが育てていた豆。食べるための豆が、普通の花になっちゃったけど…。
それは時代の流れなんだし、間違いなんかじゃないと思うよ。
あの豆を育てて船で食べてたミュウの思い出で、ナスカの思い出。
みんなの思い出が詰まっているけど、トォニィのパパが育てていたから、今はパパのお花。
「パパのお花と呼ばれちゃいるが、だ…」
それ以前に、お前の思い出だろうが。ユウイやトォニィが出て来る前に。
あいつらより古い世代のお前で、前のお前の思い出なんだ。
「…前のぼく?」
パパのお花が咲いてた時には、ぼくは眠ってしまっていたよ…?
ユウイがカリナに被せてあげた花冠も、ユウイのお葬式も、何も知らずに…。
なのにどうして思い出なの、とキョトンと瞳を見開いたら。
「前のぼくには関係ないよ」と、鳶色の瞳の恋人の顔を見ていたら…。
「お前、忘れてしまったのか…」
あの豆、誰が作ったのか。
パパのお花と呼ばれている豆、前のお前が作ったのにな…?
すっかり忘れちまったんだな、と言われたけれども、忘れるも何も、不可能なこと。前の自分が如何に強くても、最強のタイプ・ブルーでも。
「作るって…。ぼくは植物、作れないよ?」
前のぼくのサイオンがいくら強くても、神様じゃなかったんだもの。
エラがどんなに「ソルジャーは偉い人ですから」って宣伝したって、神様になんかなれないよ。
だから無理だよ、植物を作り出すなんて。…パパのお花を作るだなんて。
「確かに一から作れやしない。それはお前の言う通りだが…」
パパのお花は、前のお前が改良したんだ。
シャングリラの中でも元気に育って、ナスカでも地球でも立派に根を張る植物にな。
「え…?」
改良って…。そういうのは係がいたじゃない。品種改良が専門の仲間。
シャングリラでも丈夫に育つように、って色々な工夫をしていたよ。
ヒルマンだって研究してたし、前のぼくの出番は無い筈だけど…?
「専門の係もヒルマンもいたが…。そいつが上手くいかなかったんだ」
パパのお花になっちまった豆に関しては。
あの時代はまだ、ヒルマンが研究の中心だったな、白い鯨じゃなかったから。
覚えていないか、育ててた豆が全部枯れそうになってしまって…。
「ああ…!」
思い出したよ、枯れそうだった豆。うんと弱くて、ホントに枯れそう…。
あったんだっけ、と蘇って来た遠い昔の記憶。前の自分と豆の思い出。
パパのお花は、前の自分が作り出した奇跡の豆だった。…本当かどうかはともかくとして。
シャングリラを白い鯨に改造する前、将来を見据えて試験的に作っていた畑。自給自足で生きてゆくための船にするなら、そういう技術も必要だから。
其処で育てていた農作物。小麦にジャガイモ、キャベツやトマトも作ったけれど…。
「どうしても豆が上手くいかんのう…」
サッパリ駄目じゃ、とゼルがぼやいた会議の席。豆の栽培だけは難しい、と。
「船ってヤツと、相性が悪いんじゃないのかい?」
宇宙船だしさ、とブラウが即座に言ったくらいに、駄目だったのが豆の栽培。ヒルマンも溜息をつくばかりだった。
「豆は本来、強い植物の筈なのだがね…」
どういうわけだか、この船では順調に育ってくれないようだ。豆は保存にも向いているのだし、出来れば上手く育てたいのだが…。
世代交代させるどころか、蒔いた種を成長させるだけでも精一杯だし…。
諦めるしかないのだろうかね、ブルーが奪って来てくれた種が尽きるようなら。
出来る限りは頑張ってみるが、とヒルマンが条件を色々と変えて育ててみた豆。
けれども、豆はどんどん弱くなっていって、これが最後だと蒔いた種さえ…。
「ハーレイ、聞いたよ。豆が枯れそうなんだって?」
前の自分の耳にも届いた、豆たちの噂。最後の豆を蒔いたけれども、駄目なようだと。
「そのようです。日に日に弱っていきまして…」
ソルジャーも御覧になりますか?
今の苗が最後の種ですから。…これが枯れたら、豆の栽培はもう致しませんので…。
「…そうなるだろうね、船では生きられないようだから…」
無駄な労力はかけられない。最後の豆なら、ぼくも苗を見ておきたいよ。
「分かりました。ご案内させて頂きます」
この通りです、とハーレイが連れて行ってくれた、豆を植えた畑。他の作物が立派に育っている中、見るからに元気の無い豆の苗たち。
ヒョロリと細い茎をしていて、育ちそうもない弱々しさ。何処から見ても。
「…枯れそうだと噂が流れるわけだね、こんな姿だと…」
生きて欲しいと思うけれども…。この苗が無事に育ってくれたら、この船でも豆が採れるのに。
「我々もそう願っていますが、難しいでしょう」
今までで一番、発芽状態も悪いそうです。
宇宙船という環境が悪いのでしょうか、豆の種には悪影響を及ぼすのかもしれません。
最初の頃に植えた分の種は、もう少し丈夫でしたから…。
あれも育ちはしませんでしたが、次の代の種を収穫できるくらいにまでは…。
この船で豆は無理なようです、とハーレイがついた深い溜息。
苗を眺めても育ちそうになくて、明日にでも枯れてしまいそうだけれど。なんとか無事に育ってくれないだろうか、と見ている内に思い付いたこと。
「この苗に触ってもいいかい?」
傷めないよう、気を付けるから。…ほんの少しだけ。
「どうなさるのです?」
怪訝そうな顔をしたハーレイに、「励ますんだよ」と声を返した。
「元気づけようかと思ってね…。この苗たちを」
本で読んだよ、植物は声を掛けてやれば元気に育つんだろう?
それに音楽も聴くらしいからね、思念波も届くかもしれない。だから…。
頑張って、と順に触れていった豆の苗たち。弱々しい茎を損ねないよう、指先でそっと。
ぼくがいるから大丈夫、と思念で語って、「強くなって」と。
枯れてしまわないで元気に生きてと、心からの祈りをこめて思念を。
聞こえているなら生きて欲しいと、きっと元気になれる筈だと。
そうしたら…。
祈るような気持ちで豆の畑を後にしてから、何日か過ぎて訪ねて来たハーレイ。
まだ青の間では
なかったけれども、ソルジャーとして住んでいた部屋に。
「ソルジャー、どんな魔法をお使いになったのです?」
そう言われたから驚いた。ハーレイが何を言っているのか、まるで分からなかったから。
「魔法?」
何処から魔法になるんだい?
最近は物資を奪いに出ていないから…。サイオンも殆ど使っていないと思うけれどね?
「先日の豆です、枯れそうだった豆の苗です」
ソルジャーが触っておられた苗が…。
あの苗たちが、見違えるように元気に育ち始めて…。
御覧下さい、と促すハーレイと畑に出掛けて行ったら、他の者たちも騒いでいた。
奇跡のようだと、枯れそうだった豆が生き返ったと。
本当に元気になっていた豆。これがあの時の苗だろうか、と目を瞠ったほどに。
「…ぼくは何もしていないけど…」
思念で励ましてやっただけだよ、一本ずつ。「頑張って」とね。
生きて欲しい、と豆たちに伝えてやっただけで…。
「それではやはり、サイオンでしょうか?」
ソルジャーのサイオンが豆たちに作用したのでしょうか、それで元気に生き返ったと?
この通り、とても生き生きとした丈夫な姿をしておりますが…。
「さあ…?」
それは、ぼくにも分からないよ。
ただ励ましてやっただけだし、言葉を掛けるのと同じ。
偶然なんじゃないのかな…。この苗たちは、元から強い豆だったのかもしれないよ。
最初の間はひ弱そうでも、育つ時期が来たら丈夫になるとか。
たまたまだろう、と言ったのだけれど、ぐんぐん育っていった豆。日毎に大きく、蔓を伸ばして花も咲かせて。
やがて次々と実った豆たち、どの豆も充分に次の世代を育てられそうなものばかり。立派な豆を選んで蒔いたら、次の代からも健康そのもの。
そうして代を重ねる間に、どれよりも強い作物になった。どんな畑でも育つ豆。畑のスペースが足りないから、と畝の間に蒔かれた時も。
「お前、忘れていたようだが…。だからこそナスカに行ったんだ、アレが」
何を植えればいいだろうか、って話になったら、あの豆に限る。
「そうだったんだ…」
ユウイが植えたの、あの豆が丈夫な豆だったから…。
「選ばれて当然の作物だろうが、何処に植えても育つ豆だぞ。畝の間の固い土でも」
お前は眠っちまっていたから知らないだろうが、誰が見たって強い豆だし…。
ナスカで一番最初に根付いたことも、何の不思議もないってな。元々、丈夫な豆なんだから。
白いシャングリラの時代になったら、豆は強くて当たり前だった。植えておいたら、育って茎を伸ばすもの。ぐんぐんと伸びて花を咲かせて、ドッサリと実をつけるもの。
若い世代も増えていったから、とうに誰もが忘れ去っていた「生き返った」こと。
頑丈な豆の初代は弱くて、今にも枯れそうな苗だったのに。駄目だと皆が思っていたのに。
「あの豆なあ…。今から思えば、本当にお前のサイオンじゃないか?」
生き返って丈夫になっちまった理由。
前のお前をジョミーが生かしたみたいにな。…アルテメシアで。
「そっか、そういうのもあったっけね…」
ぼくの命、あそこでおしまいになる筈だったのに…。
ジョミーが「生きて」って願ってくれたお蔭で延びたよ、ナスカまで行けたくらいにね。
あれと同じだね、豆の苗が元気に生き返ったの…。
強い祈りは奇跡を起こすから。…前のぼくだって、生きられたから。
だから、あの豆の苗たちも、弱っていたのに元気になって…。
強くなって、って願っていたから、本当に強くなっちゃった。
シャングリラで一番丈夫な作物はアレだ、って畑の係が思うくらいに。
「まったくだ。…前の俺だって、そういうつもりになっていたしな」
たまに、キャプテンの指示を仰いでくることがあった。…農場担当のヤツらがな。
空いたスペースに何を植えるか、候補を幾つも並べ立てて。
そういった時に豆がリストに入っていたなら、迷わなかったな。豆だ、と指示を飛ばしてた。
他の作物なら出来が悪くなることもあるが、豆だけは優秀だったんだから。
何処に植えてもドッサリ実るし、豆は保存に向いているしな。
そのシャングリラの丈夫な豆…、とハーレイが浮かべた穏やかな笑み。
「あれは、お前の豆なんだ」と。
「前のお前が、一番最初にあの豆を作り出したのに…。初代はお前が生み出したのに…」
お前がいなけりゃ、あの苗は枯れて、シャングリラに豆は無い筈だった。
船と相性が悪い作物、頑張るだけ労力の無駄なんだから。
なのに、お前が豆を作った。…凄すぎる豆を。
そうやって、ナスカでも地球でも根付くような豆が出来たのに…。頑丈な豆が生まれたのに。
誰もが綺麗に忘れちまって、トォニィの時代は誰も覚えていなかったってな。
最初はお前の豆だったことも、生き返った奇跡の豆だったことも。
お蔭で今ではパパのお花になっちまったぞ、お前の豆。
あれをユウイが育てられたのも、前のお前が丈夫すぎる豆を作り出したお蔭だったのに…。
「パパのお花でかまわないよ。ぼくも忘れていたんだから」
新聞で読んでも、「凄い」って感動していただけ。
トォニィがシャングリラで採れた最後の豆を、地球のために残しておいてくれたこととか…。
その豆がホントに地球に運ばれて、一番最初に根付いたこととか。
とても凄くて、夢みたいな話なんだもの。
シャングリラで最後に採れた豆が地球に来たんだよ?
ちゃんと地球まで運んで貰って、テラフォーミング用の植物でもないのに立派に育って…。
植生調査の時には花が咲いていたなんて、もう本当に夢みたい…。
だからね、パパのお花でいいよ。
ユウイが育てた豆だったから、トォニィは種を残しておいて地球まで運ばせてくれた。
前のぼくが作ったシャングリラの豆を、ミュウの自慢の丈夫な豆をね。
もしもユウイが豆を育てなかったら、種は残っていないよ、きっと。
地球で最初に根付いた植物、別の何かになったんだよ。
ユウイが育てて、トォニィが残して、あの豆は地球まで旅をしちゃった。
青くなった地球で一番最初に、頑張って花を咲かせるように。
種を落として次の世代も、ちゃんと生まれて次々に育っていけるようにね…。
パパのお花のままでいいよ、と微笑んだけれど。それでかまわないと思うけれども…。
「…でも、残念。パパのお花は、ぼくたちの地域じゃ咲いていないから…」
いつか見たいな、咲いているトコ。
今は食べるための豆じゃなくって、花を楽しむ植物になっているみたいだけれど…。
「あれを見たいって…。植物園か?」
何処の植物園にも、パパのお花はあると思うが…。この町でも、他の町のでも。
有名な花だし、もしかしたらだ、一年中、咲かせているかもしれないな。
ほんの少し気温を弄ってやったら、いくらでも育つ豆なんだから。…元が頑丈な豆なわけだし。
「ううん、植物園じゃなくって…」
本当に自然に生えている場所。種を落として、その種からまた生えて来る場所。
其処で見たいな、ちょっぴり遠い場所だけど…。
マードック大佐とパイパー少尉の墓碑がある場所、その辺りの地域の花らしいから。
「そうだな、いつか行くとするかな」
元々は前のお前が作り出した豆で、お前の豆と呼ぶのが正しい豆なんだし…。
そいつが一番最初に地球に根付いたわけだし、それが咲くのを見に行かないって手はないな。
きっと綺麗だぞ、広い野原に一面にアレが咲いていたなら。
それにだ、マードック大佐とパイパー少尉の墓碑と言ったら、恋人たちの名所じゃないか。
結婚式を挙げたカップルが花を捧げに行くって場所。
最後まで一緒だった二人にあやかりたいから、と墓碑がある森の入口までな。
俺たちも豆を見に出掛けたら、二人に報告しようじゃないか。
お蔭で地球まで来られましたと、今は幸せですから、とな。
いつか二人で行ってみような、とハーレイも頷いてくれたから。ハーレイは決して約束を破りはしないから…。
前の自分とそっくり同じ背丈に育って結婚したら、二人であの豆を見に出掛けよう。
此処からは遠い地域だけれども、桃色の花を咲かせる季節に、パパのお花を。
マードック大佐とパイパー少尉の墓碑にも、二人で挨拶をして。
「ねえ、ハーレイ…。いつか行こうね、パパのお花が咲いてる季節に」
一番綺麗に咲いている時に、二人で散歩。…パパのお花で一杯の野原。
豆が実ってる時期じゃ駄目だよ、パパのお花を見に行かなくちゃ。名前はパパのお花だもの。
「パパのお花ってことでいいのか、本当に…?」
元はお前が作り出した豆で、ブルーの豆とか、ソルジャー・ブルーの豆なんだろうに…。
そっちの名前はなくなっちまって、豆は食べずに花を見る植物になっちまったのに。
「いいんだってば、今はそういうことみたいだから」
ぼくも新聞で感動しちゃったくらいだよ?
トォニィはとっても素敵なことをしてくれたんだ、って。
それにね、豆は、うんと美味しいのが山ほど採れる時代だから…。
パパのお花の豆を食べなくても、食べる豆、選び放題だから…。
豆じゃなくって、パパのお花がピッタリだよ、名前。
だから二人で花を見るんだよ、パパのお花は眺めて楽しむ植物だものね。
きっと行こうね、とハーレイと交わした、パパのお花を見に行く約束。
青く蘇った水の星の上に、一番最初に根付いた植物。
トォニィの思いを受け継いだ花で、シャングリラから地球までやって来た花。
元は丈夫な豆だったけれど、優秀な作物だったのだけれど。
今の時代は、パパのお花の名前通りに、花を愛でるのが桃色の花を咲かせる豆。
花が咲く季節に出会えた時には、摘んだりしないで、ハーレイと二人で眺めよう。
桃色の花が風に揺れるのを、パパのお花が咲いているのを。
前の自分が作り出した豆、トォニィが地球に植えて欲しいと残した豆。
豆よりもずっと遅くなったけれど、ハーレイと一緒に青い地球まで来られたから。
今度は幸せに生きてゆけるから、パパのお花は摘んだりしない。
パパのお花にも、幸せに咲いて欲しいから。
咲いた後には種を落として、青い地球の上で、いつまでも咲き続けていて欲しいから。
パパのお花に負けないくらいに幸せになろう、地球に着くのは遅れたけれど。
きっと遅れて着いた分だけ、幸せのオマケも増えるだろうから、幸せに歩いてゆくのだから…。
ナスカの豆・了
※蘇った地球で最初に育った植物は、トォニィが保存させていた豆。名前は「パパのお花」。
けれど、その豆を最初に作り出したのは、前のブルーだったのです。丈夫になった奇跡の豆。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
ゴールデンウィークも真っ最中で、春真っ盛り…いえ、初夏という気もする季節です。今日は会長さんの家でダラダラ、何処も混んでるというのが理由。シャングリラ号に行きたい気もしましたけど、会長さんが催してくれる歓迎イベントが困り物ですし…。
「あれさえ無ければいいんだけどなあ、シャングリラ号…」
歓迎イベントが嬉しくないし、とジョミー君が零して、キース君も。
「まったくだ。ロクな目に遭ったことが無いしな、ブルーのせいで」
「心外だねえ…。ぼくはソルジャーとして心を砕いているんだけどね?」
どうして分かってくれないのだ、と会長さんは不満そうですが。
「心を砕くだと? 俺たちの心を砕きまくるの間違いだろうが、もう粉々に!」
「そうです、そうです。完膚なきまでに打ちのめされると言うか、再起不能と言うべきか…」
会長の気持ちは分かるんですが、とシロエ君からも嘆き節。
「狙って外すのか、狙っているのか知りませんけど、いつも何処かがズレてるんです!」
「そうかなあ…? ババを引くのはハーレイになるよう、ちゃんと気を付けてるつもりだけど…」
「そのババが余計だと言っているんだ!」
だからシャングリラ号はパスした、とキース君。
「混んでいようが、つまらなかろうが、ゴールデンウィークを平和に過ごすなら地球に限る!」
「…本当に何処も混んでますけどね…」
空いてる所はマツカ先輩の別荘くらいなものですよ、とシロエ君がフウと。
「でも、マツカ先輩にも、そうそうご迷惑はかけられませんし…」
「ぼくはかまいませんけれど?」
何処か手配をしましょうか、とマツカ君が訊いてくれましたけど。
「いいよ、別に。ブルーの家でもゆっくりできるし」
御飯もおやつも美味しいし、とジョミー君が答えて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ 毎日お客様だもん!」
今日ものんびりしていってね! と笑顔一杯、元気一杯。家事万能でお料理大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」に任せておけば、手作りお菓子や素敵な食事がドンと出るのが会長さんの家、此処で過ごせるなら特に問題ないですよね?
そんなこんなで今日も集まっているわけですけど、何故だか話題はお祭りへと。混んでいるから行かないくせに、露店巡りの醍醐味がどうとか。
「やっぱりアレだよ、クジつきのだよ」
当たると串カツもう一本とか、そういうのが…、とジョミー君。
「当たった時の嬉しさが凄いし、本気で当たれば串カツどころか豪華商品だよ?」
「あれなあ…。当たらないのがお約束だろうが」
少なくとも俺は当たったことがないが、とキース君が難しい顔を。
「大当たりです、と言われて喜んだことはあるがだ、その大当たりがまた問題で…」
「キース先輩、今、当たらないと言いませんでしたか?」
シロエ君が突っ込むと。
「話は最後まで聞いてくれ。俺が欲しかったのはゲーム機でだな…」
親父は買ってくれなかったからな、と言われて納得、アドス和尚が駄目と言ったら駄目でしょう。子供のお小遣いで買うには高すぎる品、露店の当たりを狙うしか道が無さそうです。
「とにかく当てようと小遣いをせっせとつぎ込みまくって、やっと大当たりを引いたんだが…」
「ゲーム機、貰えなかったわけ?」
当たりなのに、とジョミー君が尋ねると。
「当たりは当たりでも、別物だった。…空くじ無しが売りの露店で、クジを引いたらハズレでもデカイ煎餅が一枚貰えるヤツで」
「あー、ソース煎餅な!」
あれは美味いよな、と頷くサム君。お店によって形は色々、ソース煎餅。お好み焼き風にソースを塗ってくれて、青海苔なんかもついたりします。露店ならではの味で、会長さんたちとお出掛けしたら誰かが買ってる定番で…。
「お前、ソース煎餅で大当たりなのかよ、すげえじゃねえかよ」
まず当たらねえぜ、という言葉通りに、私たちのお出掛けでも会長さんがサイオンで反則しない限りは二枚当てるのも難しいヤツ。でも…。
「いや、俺は当てた。だが、ゲーム機が当たる方じゃなくてだ、煎餅を十枚貰ったんだ!」
「「「じゅ、十枚…」」」
それは非常に豪華ですけど、食べるのもとても大変そう。キース君も食べ切れずに友達に大盤振る舞いしちゃったんだそうで、ゲーム機は貰えず仕舞いだったとか…。
「あの手の露店はまず当たらん。当たったとしても、煎餅十枚がオチだ」
俺の知り合いで目的の物を当てたヤツはいない、とキース君はキッパリと。
「まだ宝くじの方がマシなんだろうが、これまた当たったヤツを知らんな…」
「分かります。当たったとしても金額少なめ、本当に凄いのは当たらないって聞きますよね」
だからこそ夢が大きいんでしょうが…、とシロエ君が相槌を打つと。
「あら、当たる時には当たるでしょ? でないと成立しないわよ、あれは」
当たり番号も発表されるんだし…、とスウェナちゃん。
「私たちの周りに強運な人がいないってだけで、誰かは絶対当たっているのよ」
「それは言えるね、宝くじならね」
露店と違ってズルは出来ない、と会長さんが。
「露店の方ならチェックされてるわけでもないから、当たりくじ無しとか、大当たりが出たってキースの時みたいに誤魔化すとかね」
「おい、あれは誤魔化しだったのか!?」
ソース煎餅十枚は実は本物の当たりだったのか、とキース君が目を丸くすると。
「当たり前だよ、煎餅用と景品用のクジを使い分けてはいないんだし…。大当たりです、って差し出されたクジをどう扱うかは露店の人の心ひとつだよ」
「ちょっと待て! だったら、あそこで俺がゴネてたら…」
「ゲーム機が貰えていたんだろうねえ、仕組みが分かる年だったらね」
少なくとも大の大人相手に誤魔化せはしない、という指摘。
「付き添いで親が来ていたとかでも、ゲーム機は貰えた筈なんだよ。ソース煎餅十枚じゃなくて」
「…俺は騙されたというわけなのか?」
「そうとも言うけど、ソース煎餅で納得したなら、君にも落ち度はあるからねえ…」
過失がゼロとは言い切れない、と会長さんは可笑しそうに。
「露店のクジだと、売ってる人も海千山千、相手を見て結果を決めるってね!」
「くっそお、俺はゲーム機を当てていたのか、あの時…」
「そういうことだね、今となっては時効だけどね」
露店のクジでも当たる時には当たるんだよ、と会長さん。
「だからね、宝くじだって当たる時は当たる! 運が良ければ!」
「会長、やっぱり運なんですか?」
「運次第だねえ…!」
露店のクジも宝くじも、と会長さん。世の中、やっぱり運が大切…?
どうやら露店で大当たりしたらしいキース君。海千山千の店主に陥れられ、ゲーム機の代わりにソース煎餅十枚というオチですけれど。それにしたって当たる時には当たるものだ、と理解しました。宝くじだって、きっと…。
「うん、宝くじは当たるよ、絶対に!」
「「「???」」」
誰だ、と思わず振り返った声。会長さんではない筈だ、と見れば紫のマントがフワリと揺れて。
「こんにちは! 遊びに来たよ、ぶるぅ、おやつは?」
「かみお~ん♪ 今日はヨモギと胡桃のパウンドケーキなの!」
草餅が美味しいシーズンだしね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンに走り、ソルジャーの分のパウンドケーキと紅茶をササッと用意。ソルジャーは早速、ケーキにフォークを入れながら。
「宝くじはね、当たるものだよ、狙っていけば!」
「「「は?」」」
「だって、一種の博打だろ? こっちの世界のを見てた感じじゃ」
「それはまあ…。博打と言えないこともないけど…」
当たらなかったら紙屑だし、と会長さんが答えると。
「そう、そこなんだよ、外すと紙屑! でもねえ、宝くじだと狙えるからね」
「…何を?」
どう狙うんだ、と会長さん。
「馬券とかなら、事前の情報で狙うというのは常識だけど…。宝くじだと狙えないよ?」
どの番号が当たりそうとか、当たりやすいとか、そういうのも無いし…、と言ってから。
「待てよ、アレかな? 当たりが出やすい売り場で買うっていうヤツかい?」
「あるらしいねえ、そういうのも! 買いに行くツアーもあるんだって?」
「「「ツアー!?」」」
なんだそれは、と驚きましたが、ソルジャーが言うには宝くじを買いに出掛けるツアー。エロドクターから聞いたのだそうで、会長さんも「あるね」と証言。
「当たりくじが出ると評判の売り場へ連れてってくれるツアーだよ。けっこう評判」
「人気らしいね? でもねえ、ぼくが言うのはそれじゃないしね」
買っただけでは狙いようが無いし、と言うソルジャー。当たりくじが出やすい売り場で買うのが限界っぽいんですけど、そんな宝くじをどう狙うと?
宝くじは絶対に当たる、と豪語しながら出て来たソルジャー。しかも「狙っていけば当たる」という話ですが、相手は馬券じゃありません。ただの抽選、狙って当たるようなものでは…。
「普通ならね! だけど、ぼくたちなら狙えるから!」
「「「ぼくたち?」」」
「ぼくとか、ブルーとか、ぶるぅとか! そこはサイオン!」
抽選の時にズバリ細工を、と飛び出しました、反則技が。確かに百発百中でしょうが、それってフェアではありませんから…!
「あのねえ…。流石のぼくもね、それだけはやっていないから!」
ウッカリやってしまわないよう、宝くじだって買わない主義だ、と会長さんは苦い顔。
「宝くじを買ってしまえば、当たって欲しいと思うものだし…。無意識の内にやらかさないとは言えないからねえ、サイオンで介入」
「なんだ、宝くじ、やらないんだ?」
「ぼくは露店のクジまでだよ!」
それも大当たりは狙わない、とキッパリ言い切る会長さん。
「ソース煎餅だの串カツだのを当てる時にも、数は少なめ、煎餅十枚の大当たりなんかは避けて通るのが鉄則だから!」
サイオンはそういうズルをするための能力じゃない、と珍しく正論。いつもだったらサイオンを使って悪戯するとか、そういった方向で遠慮なく使っているくせに…。
「なるほどねえ…。宝くじはやらない主義だった、と」
「一般人の感覚ってヤツを忘れちゃったら駄目なんだよ!」
世間を上手く渡って行けない、と会長さんは大真面目。
「君みたいに一般社会から弾き出された世界で生きているならともかく、ぼくたちは普通の人との交流もきちんとあるからね!」
「うーん…。ぼくの感覚、ズレているかな、宝くじなら狙えばいい、って…」
「ズレまくりだよ! 少なくとも、此処じゃ通用しないね!」
やるんだったら自分の世界でやってくれ、と会長さんが言うと、ソルジャーは。
「やりたい気持ちは山々だけどさ…。ぼくの世界には宝くじが無くて」
「「「え?」」」
「不健全ってことになるみたいだよ? 宝くじを当てて一攫千金というのはね」
ぼくの世界には向かないらしい、という話ですが。…不健全ですか、宝くじ…?
年に何度か大々的に宣伝されるほど、お馴染みなのが宝くじ。夢を当てようと買う人だって多いんですけど、不健全だとは思いませんでした。馬券はともかく、宝くじにハマッて身を滅ぼしたという例はそうそう無さそうですし…。
「こっちの世界じゃそうだろうけど、ぼくの世界はSD体制! そこが問題!」
完全な管理社会だから…、とソルジャーは顔を顰めました。
「職業だって機械が決めるほどだよ、つまりは貰えるお金なんかも決まってるわけで…」
「そうか、臨時収入なんかは駄目なんだ?」
会長さんが訊くと、ソルジャーは「うん」と。
「アルバイトくらいは出来るけどねえ、働きもしないで大金がドカンと入るのはマズイ。宝くじが当たりましたから、って楽な人生を送る人がいたんじゃ駄目なんだよ」
それを真似たい人が出て来て社会がメチャメチャになってしまう、と頭を振っているソルジャー。
「きちんと計算されてる社会で、例外なんかは有り得ない。大金を稼ぎたいと言うなら、それなりのコースに乗るしかない!」
機械に配属された就職先で出世する以外に道は無いのだ、と聞かされて、改めて知ったSD体制の世界の怖い側面。宝くじで夢も見られないなんて…。
「ね、夢が全く無い世界だろう? …そういう世界が嫌になったら、もう飛び出して海賊になるしか道は無いねえ、それなら略奪し放題だし、一攫千金も夢じゃないしね!」
もっとも追われる身になるけれど…、と当然な話。
「捕まらなければ楽な世界だよ、海賊ってヤツは。ぼくたちも一時期、お世話になったし」
「そう聞いてるねえ…。君の性格、そっちで色々と影響された?」
「さあ…? 宝くじがあったら狙いたいというのは、海賊仕込みかもしれないけどね!」
一攫千金は狙ってこそだし、と言ってますけど、ソルジャーの世界には無い宝くじ。私たちの世界で狙っていくのは会長さんが駄目出ししてますし…。
「…駄目かな、宝くじを狙っていくというのは?」
「当たり前だよ、第一、君は狙わなくてもお小遣いには不自由していないだろ!」
ノルディに好きなだけ貰える筈だ、と会長さん。
「ノルディはたっぷり持ってるんだし、そっちで貰ってくれたまえ! 宝くじなんかには手を出さないで、健全に!」
「…不健全なのも好きなんだけど…」
社会から弾き出されちゃったのがぼくたちだから、と言われましても。宝くじには介入しないで露店のクジくらいにして貰わないと、私たちの世界がうんと迷惑しますってば…。
サイオンで宝くじを当てられるらしい会長さんやソルジャーたち。なんとも凄い能力ですけど、会長さんはそれを封印中。宝くじだって買わずに封印、なのに別の世界から来たソルジャーがやってみたいのが宝くじ。会長さんはブツブツと。
「君が不健全なのが好みだろうが、SD体制が何と言おうが、宝くじだけは駄目だからね! それこそ、ぼくたちの世界がメチャメチャだから!」
夢を買いたい人たちが大いに迷惑するから、と文句を言われたソルジャーは。
「うーん…。宝くじの世界を楽しみたいけど、露店じゃイマイチ…」
「ソース煎餅十枚でいいだろ!」
「そんなのはつまらないんだよ! もっとワクワクするのを希望!」
宝くじ的なワクワク感を…、と刺激を求めているソルジャー。いっそ馬券でも買ってみたら、と思わないでもないですが…。
「そうだ、買うのが駄目なら売ればいいんだ!」
「「「へ?」」」
宝くじを売るって…。ソルジャーがですか…?
「そう! 買ってドキドキ、それが駄目なら売ってドキドキ、ワクワクだよ!」
「…勝手に宝くじを売ったら犯罪だろうと思うけど?」
確か決まりがあった筈だ、と会長さん。
「露店レベルならいいんだろうけど、宝くじとなると…。一般人は扱えないと思うよ、それを誤魔化して売るとなったら、宝くじを買うのと同じくらいに迷惑だから!」
「そうなのかい? でもね、ぼくのは露店と変わらないからね!」
露店よりもっと慎ましいかも、と妙な発言。露店より慎ましい宝くじって…?
「え、どうして慎ましいかって? 大勢の人に売り出すつもりじゃないからだよ!」
ターゲットはたった一人だけ! とソルジャーは指を一本立てて。
「その人が何度も買ってくれればいい仕組み! もう、当たるまで何度でも!」
「…その一人って、まさか…」
ぼくの知ってる誰かのことではないだろうね、と会長さんが訊くと。
「ピンポーン! 君もとってもよく知ってる人!」
それに此処にいるみんなも知ってる、と私たちをグルリと見渡すソルジャー。
「ズバリ、こっちのハーレイってね!」
「「「ええっ!?」」」
教頭先生だけに売り出す宝くじって…。当たるまで何度でも、だなんて、どんな宝くじ…?
ソルジャー曰く、ターゲットは教頭先生一人だけという宝くじ。何度も買ってくれるリピーターを狙うみたいですけど、教頭先生が宝くじなんかを買うんでしょうか?
「宝くじねえ…。ハーレイも買ってはいないけどね?」
ぼくとは全く違う理由で、と会長さん。
「運が悪いという自覚はあるんだ、どうせ買っても当たらないから買ってない。そんなハーレイが手を出すとは思えないけどねえ…」
たとえ販売者が君であっても、と会長さんが意見を述べましたが。
「それは普通の宝くじだろ、ぼくが狙いたかったヤツ!」
「そうだけど?」
「ぼくが売るのは露店のクジの御親戚だよ、ハーレイにだけ美味しい宝くじだよ!」
空くじ無しでハズレ無し、ということは…。しかも美味しいなら、ソース煎餅とか串カツ系のクジを売るんですか?
「違うよ、もっと美味しいもの! 当たったら、ぼくの下着とか!」
「「「下着!?」」」
「そう、下着! いわゆるパンツ!」
そういうのが当たる美味しいクジで…、とソルジャーは笑顔。
「もっと素敵な当たりクジになれば、ぼくとキスとか、添い寝だとかね…!」
「ちょ、ちょっと…!」
そんなクジは困る、と会長さんが肩をブルッと震わせて。
「不健全にもほどがあるだろ、その宝くじ! そりゃあ、ハーレイには美味しいだろうけど!」
「ぼくは不健全なのが好みなんだよ、健全すぎる世界に追われる身だしね!」
SD体制の世界で苦労してるし、とソルジャーお得意の必殺技が。
「日頃から苦労をしまくっている、ぼくの楽しみをこれ以上減らさないで欲しいね! 宝くじを買うのが駄目なら、売る方で!」
こっちのハーレイに不健全な宝くじを売り付けるのだ、とソルジャーは譲りませんでした。
「心配しなくても、宝くじだから! そう簡単には当たらないから!」
「でも、当たったらパンツなんだろう!?」
「当たればね!」
当たらなかったらパンツなんかは貰えないから、とソルジャー、ニッコリ。でもでも、さっき、空くじ無しとか言いませんでしたか、パンツでなくても何か貰えるんじゃ…?
ソルジャーが売りたい、空くじ無しの宝くじ。当たればソルジャーのパンツとかが貰えるだけに、その他のくじが心配です。ハズレた場合はどうなるんでしょう、串カツとかソース煎餅とか…?
「…串カツも美味しいんだけどねえ…」
仕込んでおくのもちょっといいかな、とソルジャーは首を捻りました。
「ぶるぅ、串カツの美味しい店と言ったら、やっぱりアレかな? パルテノンの…」
「んとんと、活けの車海老とかを揚げてくれるトコ?」
「うん! あそこがぶるぅもお勧めかい?」
「んーとね、美味しいお店は色々あるけど…。食材がいいのはあそこだよ!」
お肉もお魚も野菜も最高! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「こだわりの食材を揚げるお店だから、お値段も高くなっちゃうけれど…」
「値段は別にかまわないんだよ、ぼくが支払うわけじゃないから! 食べるだけだから!」
「「「は?」」」
またエロドクターとデートだろうか、と思った私たちですが。
「違うってば! ぼくと一緒に食べに行くのは、こっちのハーレイ!」
「「「教頭先生!?」」」
「そうだよ、空くじ無しだからね!」
ハズレくじだとハーレイに尽くして貰う方向で…、とソルジャーはニヤリ。
「ぼくと一緒に食べに行けるなら、まだしも当たりな方なんだよ、うん」
「…もっと外れたら?」
会長さんが心配そうに尋ねると。
「そういう時はね、ぼくのハーレイの分まで持ち帰りコースで豪華弁当を買わされるとか!」
「「「あー…」」」
つまりソルジャーの財布代わりにされるのか、と理解してしまったハズレくじの正体。けれど当たればソルジャーのパンツや、キスや添い寝をゲットなんですね?
「そう簡単には当たらないけどね、宝くじだしね!」
ついでにこっちのブルーの分も混ぜておこう、とニコニコと。
「ぼくの以上に当たりにくいけど、ブルーのキスと添い寝もね!」
「勝手に決めないで欲しいんだけど!」
「パンツよりかはマシだろう?」
それともパンツを当てて欲しいのか、という質問が。会長さん、もしやピンチですか…?
ソルジャーが教頭先生だけに売り付ける宝くじ。当たればソルジャーのキスや添い寝で、パンツなんかも貰えるとか。それの会長さんバージョンも混ぜたいソルジャー、キスや添い寝よりもパンツを当てて貰った方がいいのかという逆襲で。
「いいかい、キスとか添い寝だったら、その場限りで済むんだよ? 最悪、サイオニック・ドリームで逃げるという手もあるけど、パンツはねえ…」
ハーレイの手元に残るからね、とズイと前へと。
「そんな記念品を当てられるよりは、キスと添い寝の方がいいかと思うけど…。君がパンツを希望だったら、ここはパンツで!」
「ぱ、パンツ…?」
「もちろん使用済みに限るよ、洗濯はしても一度は履いたパンツでないと!」
まるで値打ちが無いからね、と言われた会長さんは顔面蒼白。
「な、なんでパンツなんかをハーレイに…!」
「じゃあ、キスと添い寝! 大丈夫、そうそう当たるわけがないから!」
ぼくの分の方が当たりやすいようにしておくから、とソルジャーは自信たっぷりで。
「なんて言ったっけ、組違いだっけ…? そんな感じで仕込んでおくよ」
沢山の組の中に君の分は一つだけ、と言い切るソルジャー。他の組だと同じキスや添い寝でもソルジャーになるのだそうで、会長さんバージョンはとてもレアなもので。
「平気だってば、君の分のクジはただの釣り餌! まず当たらない!」
そして君のを混ぜるからには儲けは山分けでどうだろうか、と殺し文句が。
「宝くじだよ、暴利をむさぼるつもりなんだよ! 君も是非!」
「…山分けというのは魅力的だね、それに当たりはまず出ない、と…」
「出ないね、本物の宝くじが滅多に当たらないのと同じでね!」
ぼくと二人で儲けよう! と唆された会長さんは…。
「その話、乗った!」
「そうこなくっちゃ! それじゃ早速、宝くじ作りを!」
「いいねえ、本物っぽく凝って作ってみようか?」
「どうせならこだわりたいからね!」
第一回の分を二人で作ろう、と結束を固めた会長さんとソルジャーは宝くじ作りを始めました。第一回ってことは二回、三回と続くんでしょうか、毎週、毎週、抽選だとか…?
フカヒレ丼の昼食を挟んで、宝くじ作りを続けた二人。ああだこうだと凝りまくった末に出来た宝くじの山、全部を買ったらお値段、いくらになるんでしょう?
「このクジを全部…? えーっと、一枚これだけだから…」
ソルジャーが電卓をカタカタ叩いて、「はい」と見せられた数字に目を剥いた私たち。とてもじゃないですが全部は無理です、本物の宝くじの一等賞より強烈な値段じゃないですか~!
「そりゃね…。そうでなければ宝くじとは言えないからねえ…」
当たりクジを確実に買えるようなのは駄目じゃないか、とソルジャーが言って、会長さんも。
「ハーレイの懐具合からして、一度に無理なく買える枚数、十枚くらいって所かなあ…」
「そんなトコだね! でもって空くじ無しだからねえ、ぼくに御馳走もしなくっちゃ!」
「…使うかどうかは、ハーレイ次第になるけどね…」
宝くじだから、と会長さん。
「交換しなけりゃ一等賞でも手に入らないのが宝くじだし、君に御馳走するかどうかも…」
「そうなるけどねえ、宝くじをまた買いたかったら、交換しないと!」
売っているのはぼくなんだから、と得意満面。
「ぼくの機嫌を損ねちゃったら、もう買えないよ? 君は売りには行かないだろう?」
「…一人で売りに行く気は無いねえ、ボロ儲けでもね!」
ちょっとアヤシイ宝くじだけに…、と会長さんは腰が引け気味。それはそうでしょう、キスと添い寝が当たるかもしれない宝くじです。パンツは当たらないみたいですけど。
「パンツはぼくの分だけだね! もちろん、当たればプレゼント!」
本当に履いたパンツをプレゼントする、と平気な顔で言えるソルジャー、きっと心臓に毛が生えているというヤツじゃないかと…。
「え、心臓? 毛なら他にも…。でも、流石にパンツについているのをプレゼントはねえ…」
「もういいから!」
下品な話はお断りだ、と会長さんがブチ切れました。
「そんな話をしている間に宝くじ! ハーレイに売りに行くんだろう!」
「そうだったっけね、二人で行くのがいいのかな?」
「ハーレイの気分を盛り上げるには、他の面子はいない方がいいね」
だけど様子は見たいだろうから…、と中継画面が用意されました。教頭先生のお宅のリビングが映し出されています。私たちは此処から見物なんですね、行ってらっしゃい~!
瞬間移動で飛び出して行った、会長さんとソルジャーと。二人の出現に教頭先生はビックリ仰天、けれども直ぐに立ち直って。
「ホットの紅茶でいいですか? それとクッキーで」
「どうぞ、おかまいなく。今日は勧誘に来ただけだからね!」
ソルジャーが浮かべた極上の笑み。
「宝くじを買ってみないかい? 君にしか売らない宝くじでね、今回が第一回で!」
「宝くじ…ですか?」
「そうなんだよ! 空くじ無しが売りなんだけどさ、当たればキスとか添い寝とかがね!」
「…キスに添い寝…」
ゴクリと生唾を飲み込む教頭先生。ソルジャーは「そう」と大きく頷いて。
「ぼくからのキスに、ぼくの添い寝が当たるんだけど…。大当たりの時は、これがブルーになるんだな! 君の大好きな本物のブルーに!」
こっちのブルー、と会長さんを指差すソルジャー。
「大当たりだけに、そう簡単には出ないけど…。こまめに買っていれば、いつかは!」
「…当たるのですか?」
「君の運も関係するけどね! それから、クジの交換を忘れないことと!」
ハズレくじの方でも疎かにしてたら罰が当たるよ、とニコニコと。
「でもって、当たりの中にはパンツもあって!」
「パンツですか?」
「うん、本物の下着のパンツ! こっちはブルーが嫌がっちゃってね、ぼくのパンツしかないんだけれど…。同じブルーだし、当てるだけの価値は!」
「ありそうですね!」
鼻息の荒い教頭先生、ソルジャーのパンツでもいいらしいです。会長さんが「スケベ」と呟き、ソルジャーと二人、仲良く並んで。
「それで、宝くじ、買うのかな? …ブルーの説明で中身は分かったようだけど」
「買うに決まっているだろう! もう全部でも!」
「ふうん…? 全部買ったら、この値段だよ?」
買えるわけ? と訊かれた教頭先生、もうガックリと肩を落として。
「…では、十枚で…」
「オッケー、今日の所は十枚ってことで」
それじゃ抽選をお楽しみに、と宝くじを売り付けた極悪人が二人。当たりますかねえ、宝くじ?
第一回の抽選会は、その日の内に行われました。サイオン抜きでの抽選を売りにしたいから、と会長さんが用意したダーツ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで凄い速さでクルクル回転させている所へ私たちが矢を順番に。
「…これって一応、フェアなんだよなあ?」
俺たちのサイオンは思念波くらいが限界だしよ、とサム君が。
「そうだな、俺もサイオニック・ドリームは髪の毛限定でしか使えんし…」
あんな速さで回っているダーツの的なんかが見えたら凄すぎだ、とキース君も。こうして順番に投げていった矢、当たりの組や番号なんかが決まりましたが。
「…やっぱり簡単には当たらないねえ…」
サイオン抜きじゃね、と笑うソルジャー。教頭先生がお買いになった十枚は全て外れたらしく。
「ぼくと串カツでデートが三枚、豪華弁当を買ってくれるのが五枚、ケーキを買ってくれるのが残りの二枚だね!」
「「「うわー…」」」
気の毒すぎる、と思いはしても、抽選はズルはしていません。ソルジャーと会長さんは何番が何のクジだったのかを書き付けた紙を瞬間移動で教頭先生に届けに出掛けて、その様子も中継してくれました。教頭先生、なんとも残念そうですが…。
「…次回の宝くじはいつですか?」
「君次第だけど…。御希望とあれば、次の土曜日でも!」
ねえ? とソルジャーが会長さんの方を眺めて、会長さんも。
「もっとペースを上げろと言うなら、毎日だってかまわないんだよ? 君の財布が大丈夫なら」
「それなら、毎日買わせて貰う! 抽選も毎日になるのだろう?」
「それはもちろん。…だけど外したクジの分はちゃんとフォローしなくちゃね」
今日の所はブルーと串カツでデートが三回、豪華弁当プレゼントが五回にケーキが二回、と指折り数える会長さん。教頭先生は「よし!」と財布を取り出して。
「…では、豪華弁当お二人分が五回と、ケーキが二回と…。その分がこれで」
「ありがとう! 串カツはいつ出掛けようか?」
「そうですねえ…。あなたがお暇でらっしゃる時に御馳走させて頂きますよ」
パルテノンのあの店ですね、と教頭先生は約束を。あのお店、私たちもたまに出掛けますけど、お値段、半端じゃありません。教頭先生、宝くじを当てるよりも前に破産コースじゃあ…?
毎日抽選コースを選択なさった教頭先生は、順調に搾取されてゆかれました。当たりそうで当たらないのが宝くじ。ここの数字が一つ違えばソルジャーのパンツだったのに、なんていうのもお約束です、キスも添い寝もそういった具合。
「…なんだか申し訳ない気がするぞ、俺は」
この数字は俺が投げた分の矢だ、とキース君が当たりの番号を見詰めて、シロエ君が。
「それを言うなら、昨日のぼくもそうでしたよ。一つズレていたら、パンツだったんですよ!」
「…この際、パンツでいいから当たらねえかなあ…」
でないと教頭先生の財布がマジでヤバイぜ、とサム君が心配する通りに、教頭先生の懐具合は悪化の一途を辿っています。宝くじを毎日十枚ずつはいいんですけど、なにしろ空くじ無しが売り。宝くじを売るソルジャーに訪ねて来て欲しければ、ハズレくじのフォローが必須なわけで。
「今日のハズレくじ、確かステーキハウスよね?」
スウェナちゃんが訊いて、マツカ君が「ええ」と。
「それと、そこの名物のカツサンドですよ。特上の分と、そうでないのと」
「とんでもない値段のカツサンドだよね、特上の方でなくてもね…」
美味しいけどさ、とジョミー君。ステーキハウスの自慢のお肉を挟んだサンドイッチは何度か食べましたけれど、ちょっとしたお店のランチコースが食べられそうなお値段です。特上ともなれば老舗フレンチのランチの値段で、それをソルジャーにプレゼントするのがハズレくじで…。
「…このまま行ったら、もう間違いなく破産だな…」
せめてパンツが当たってくれれば、とキース君が溜息をついた所へ、当たり番号を教頭先生に告げに出掛けた悪人二人が御帰還で。
「やったね、今日はカツサンドを買って帰ろう! ハーレイの分も、特上で!」
「あそこのは特別美味しいからねえ…。ついでにぶるぅの分もどうだい?」
「いいかもね! 特上のクジは六枚もあったし、ぶるぅに一枚プレゼントもね!」
一枚で二人前だから、とソルジャーはウキウキ、教頭先生から毟ったお金を数えています。明日もこういう光景だろうと思うと誰もが溜息三昧、ソルジャーが「なんだい?」と顔を上げて。
「宝くじが全く当たらないのはハーレイの運の問題だよ? 間違えないで欲しいね」
「ぼくもブルーに賛成だね。ハーレイが好きで買っているんだ、何の問題も無さそうだけど?」
それに…、と会長さんが浮かべた微笑み。
「ハーレイだって努力をするみたいだよ? 自分の運が良くなるように」
「「「はあ?」」」
運って鍛えられるものだったでしょうか、努力で何とかなるものですか…?
教頭先生が買う宝くじは全く当たらないまま、迎えたその週の土曜日のこと。会長さんの家へ遊びに行ったら、先にソルジャーが到着していて。
「今日はハーレイ、運を貰いに行くらしいね!」
「「「えーっと…?」」」
何のことだろう、と悩む私たち。教頭先生が運が良くなるよう努力をなさると聞きはしたものの、あれから何も変わっていません。どういう努力かも謎だと思ってたんですが…。運を貰いに出掛けるだなんて、運って貰えるものでしたっけ…?
「行く所に行けば貰えるようだよ、そういう運をね!」
ズバリ宝くじが当たる運、とソルジャーの口から謎の台詞が。それってどういう運ですか?
「宝くじが当たるようになるって運だよ、これから貰いに出掛けるんだよ!」
「…何処へだ?」
話がサッパリ見えないんだが、とキース君が訊けば、会長さんが。
「宝くじが当たると有名な神社! そこへお参りに行こうと決めたらしくて、今から出発!」
ほら、と出て来た中継画面。教頭先生が愛車に乗り込み、ご出発で。目的地まではかなりかかる、とパッと消された画面が再び登場した時にはお昼すぎでした。美味しく食べたレモンクリームソースとチキンのパスタ、その味がまだ舌に残ってますが…。
「…御祈祷ですか?」
神社の中っぽいんですが、とシロエ君。教頭先生は如何にも神社といった感じの建物の中に座っておられて、其処へ神主さんが登場、バッサバッサと大きな御幣を振って。
「…願わくばパンツとキスと添い寝が当たりますようにと、かしこみ、かしこみまお~す~」
「「「うわー…」」」
なんてこったい、と誰もが愕然、凄い祝詞もあったものです。こんな祝詞を上げて貰って大丈夫なのかと青ざめましたが、会長さんが言うには、この神社は宝くじの当選祈願で名高い神社。当てるための御祈祷料さえ納めてくれれば、後は何でもありなのだそうで。
「それにね、祝詞というヤツはさ…。定型文は一応あるけど、毎回、作るものなんだよ」
「「「え?」」」
「御祈祷の度に新しく書くのがお約束! だからパンツと言われれば書く!」
キスも添い寝もきちんと書くのだ、というわけですから、神主さんが朗々と読み上げていた紙にはしっかり「パンツ」と書かれていたのでしょう。キスも添い寝も。そこまでキッチリ頼んだからには、御利益があるといいですけどねえ…。
パンツとキスと添い寝が当たりますように、と御祈祷して貰った教頭先生。再び車を運転して戻って来られた頃には夕方でしたが、絶大な自信に溢れておられるようで。
「今日は宝くじを三十枚買ってみることにするか…」
パンツとキスと添い寝にそれぞれ十枚、と当てる気満々、そこへ会長さんとソルジャーが宝くじを売りに出掛けて行って。
「三十枚ねえ…。大きく出たねえ?」
「あの神社の御利益、どうなんだろうね?」
楽しみではある、と私たちに今日も任された抽選、みんなでダーツを順番に投げて。
「「「あ、当たった…?」」」
それも添い寝が、と何度も眺める当たり番号、教頭先生がお買いになった三十枚の内の一枚としっかり重なっています。もしやレア物と噂の会長さんの添い寝では、と焦りましたが…。
「組違いだねえ…」
この組だとぼくの方の添い寝、とソルジャーがクッと喉を鳴らして。
「でもまあ、当たったんだしね? ちょっと行ってくるよ、今夜は添い寝に」
「…添い寝だけにしておいてくれるんだろうね?」
会長さんが念を押したら、ソルジャーは。
「さあ、どうだか…。御祈祷までして当てた添い寝だよ、ちょっとサービスするのもいいかも…」
痴漢行為の一つや二つ…、と瞬間移動で飛び出して行ったソルジャーでしたが…。
「当たったのですか!?」
添い寝のクジが、と感極まった教頭先生。私たちは中継画面に目を凝らしていて、会長さんは監視モードに入っています。ソルジャーが不埒な真似をしたなら止めようというわけですけれど。
「当たったんだよ、ぼくの添い寝が! それでね、今日まで色々とお世話になったから…」
ハズレのクジで御馳走して貰った御礼をしなくっちゃ、とソルジャーは教頭先生の腕をグイと掴んで引っ張りました。
「せっかくだからね、添い寝ついでにお触りタイム! ぼくの方から!」
「…は?」
「分からないかな、もう、この辺とか、この辺とかをね…!」
じっくりしっかり触ってあげる、とソルジャーの手が伸びた教頭先生の大事な所。途端に教頭先生の鼻からツツーッと赤い筋が垂れ、次の瞬間…。
「「「あー…」」」
いつものパターンか、と見入ってしまった鼻血の噴水、教頭先生は仰向けに倒れてゆかれました。添い寝して貰ってもいない内から、もうバッタリと。
「うーん…。床で添い寝は趣味じゃないけど…」
ソルジャーが零して、会長さんが中継画面の方に向かって。
「床でいいから! 余計なサービスはしなくていいから!」
「じゃあ、床で…。なんだか寝心地、良くないけどねえ…」
背中とかが痛くなってしまいそう、とソルジャーはブツクサ、「次はパンツにしてくれないかな」なんて文句を言ってます。えーっと、宝くじ、まだ売り付けると…?
「当然じゃないか! 売れる間は売るってね! そうだろ、ブルー?」
「まあねえ、素敵な儲け話だしね?」
当たりが出ることは証明されたし、まだ売れる! と会長さん。教頭先生、破産なさるまで毟られそうな感じです。それまでにレア物の会長さんの添い寝が当たるか、ソルジャーのパンツが当たるのか。教頭先生、ご武運をお祈りしておりますから、しっかり当てて下さいね~!
当てたい幸運・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
教頭先生限定で、ソルジャーが作った宝クジ。教頭先生、せっせと散財したくなるわけで…。
ついに御祈祷を頼んだ結果、当たりクジが出たのに、お約束な結末に。気の毒すぎかも?
次回は 「第3月曜」 7月19日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、6月は雨がシトシトな季節。気分が下がってしまうわけで…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
(ツバメが低く飛ぶと、雨…)
学校の帰り道、ブルーが思い出したこと。バス停から家まで歩く途中で。
何故だか、不意に。雨が降るどころか晴れているのに、空には雲の欠片も無いのに。
(さっきの鳥…)
シジュウカラだろうか、身体が小さかったから。道路を挟んだ家の生垣、垣根から垣根へ飛んで渡っていった鳥。歩いてゆく道の少し前の方、其処をスイッと。道路を横切って、低い所を。
ツバメみたいに空を滑るような飛び方ではなかった、小さな小鳥。
きっと、そのせいで思い出したツバメの言い伝え。
ツバメが低い所を飛んだら、雨が降るのが近いのだという。人間が地球しか知らなかった頃に、日本の人たちがそう伝えていた。
前にハーレイの授業で聞いたこと。雑談の時間に、「知っているか?」と。
ツバメの餌は虫らしい。雨が近くなると空気は湿気を帯びてゆくから、虫たちの翅は重くなる。高い所を飛ばなくなるから、それを捕まえるツバメも低く飛ぶという。
時には、地面すれすれなくらい、人間の目よりも低い所を。
その言い伝えを思い出したけれど、さっきの小鳥はツバメではなくて別の鳥。
(…ツバメ、見ないよ?)
今日だけではなくて、昨日も、もっと前の日だって。
最近、いない、と気が付いた。春にツバメがやって来てから、何度も姿を目にしていたのに。
(もう渡っちゃった…?)
季節は秋になっているから、南の国へ。
それほど寒いとも思わないけれど、昼間は暑いくらいの日もあるけれど…。
(ツバメ、身体が小さいから…)
冷えてしまうのも早いだろう。人間には大したことはなくても、小さな小鳥の身体では。
凍えたら長い旅は無理だし、早い間に飛んでゆくのに違いない。暖かい間に、南の国へと。
きっとそうだ、と考えながら帰った家。ツバメには出会わないままで。
制服を脱いで、ダイニングでおやつ。それから戻った二階の部屋。勉強机の前に座って、眺めた窓の向こうの空。やっぱりツバメは飛んでいなくて、違う小鳥が飛び過ぎて行った。
知らない間に姿を消したツバメたち。子育てを済ませて、群れを作って南の国へ。
ハーレイの授業で教えて貰った、ツバメたちの飛び方の天気予報。それも来年までは無理。
いないのだから、低く飛んではくれないから。ツバメは旅に出たのだから。
(南の国まで…)
頑張るんだね、と思ったツバメ。寒い冬に凍えてしまわないよう、暖かく過ごせる南の国へと。
小さい身体で海を渡って、信じられないほど遠い所まで。此処とはまるで違う地域へ。
でも…。
(ツバメ、寝る時はどうするの?)
眠りもしないで飛び続けるなんて、どう考えても無理なこと。人間だって寝不足になれば、頭が働かないのだから。うっかり居眠りしてしまっていて、机に頭をぶつけるのだから。
小さなツバメが旅をするには、何処かで眠らなければならない。一日で着けるような場所とは、全く違う南の国。何日かかるか、想像もつかないほどの距離。
途中で眠るしかなさそうだけれど、その寝場所。
上手い具合に島があるのか、それとも船に降りるのか。海の上なら、船も通っている筈だから。
(えーっと…?)
ツバメでなくても、旅をする鳥。渡りのルートは決まっているらしいし、それに合わせて…。
(島ってあるの?)
休める島がある場所を通ってゆくのだろうか、と考えたけれど、広がっている筈の大海原。南の国まで辿り着くには、島伝いでは無理そうな感じ。肝心の島が途切れてしまって。
船だって、いつも同じ場所にあるとは限らない。
人間の都合で動いてゆくから、鳥たちのために海に浮かんではいないから。
考えるほどに、無さそうなツバメの休憩場所。翼を休めるだけならともかく、眠れる場所や島が無ければ、南の国には着けないのに。疲れてしまって海に落っこちそうなのに。
(…どうなってるの?)
ツバメの寝場所は何処にあるの、と首を捻っていたら、チャイムの音。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、訊いてみようと切り出した。テーブルを挟んで、向かい合わせで。
「あのね、ツバメのことなんだけど…」
「ツバメ?」
いきなり何だ、と怪訝そうだから、「ツバメだよ」と繰り返した。
「小鳥のツバメ…。前に教えてくれたでしょ。授業の時に、雑談で」
ツバメが低く飛ぶと雨だ、って昔の日本の言い伝えを。
今日の帰りに思い出したけど、ぼくが見た鳥はツバメじゃなくって、別の小鳥で…。
気が付いたんだよ、最近、ツバメを見ないよね、って。
「ああ、ツバメか…。行っちまったろうな」
南の国へ飛んでったろう。此処はこれから寒くなるから。
「もう行っちゃったの?」
ツバメにはやっぱり寒すぎるんだね、今の季節でも。
「そいつはどうだか分からんが…。年にもよるしな、気温ってヤツは」
しかし、ツバメは九月の終わりには集まるもんだ。旅に備えて、あちこちからな。
決まったねぐらというヤツがあって、河原が多いと聞いてるが…。茂ってる葦に隠れられるし。
其処に沢山集まって来てだ、暫くの間は大騒ぎらしいぞ。ツバメだらけで。
渡る仲間が全部揃ったら、一斉に旅に出るわけだ。
春に南からやって来たヤツも、今年生まれた若いツバメも。
ねぐらに集まるツバメたち。旅に出る前に、あちこちの場所から集合して。
何日か賑やかに騒ぎ続けて、それから南へ旅立つという。隠れ場所だった、ねぐらを離れて。
「群れで渡って行くんだね」
お父さんのツバメも、お母さんのツバメも、子供のツバメも。
ねぐらで初めて会った仲間も、みんな一緒に群れを作って。
「まあ、最初はな」
群れなんだろうな、最初の間は。
「最初?」
なんなの、最初の間って。…群れを作って旅に出るんでしょ、みんなでねぐらに集まってから。
「そういう仕組みになってはいるが…」
集まってから旅に出るわけなんだが、ツバメってヤツは、群れじゃ渡らん。
「え?」
群れじゃないって、どういうことなの?
みんなで一緒に旅に出るんでしょ、途中でグループに分かれちゃうの?
仲良しの仲間と一緒に飛ぶとか、家族で飛んでゆくだとか。
「グループでもない。一羽ずつ飛んでいるんだそうだ」
海の上でツバメの渡りに出会った人たちがそう言っている。一羽ずつ飛んで来るんだ、と。
群れでドッサリ来るんじゃなくって、一羽通って行ったと見てたら、また一羽、とな。
「一羽ずつって…。それじゃ、寝る時だけ島に集合?」
ねぐらに集まる時と同じで、夜になったら、みんなで島に降りるとか。
「そうなるな」
島でもバラバラってことはないだろう。集まっている方が安全だから。
何処にでも天敵はいるもんだしなあ、一羽だけだと狙われやすい。その点、群れだと安心だ。
沢山いるな、と敵の方でも腰が引けるってことはあるから。
群れでは渡らないツバメ。海の上では一羽ずつ。けれど夜には島で一緒に眠るらしいから…。
「やっぱり島はあるんだね」
ツバメが旅をする時には、島。ちゃんとみんなで降りるんだから。
「島って…。今度は何の話だ?」
お前、ツバメと言ってなかったか、ツバメの次は島なのか?
「そっちを訊こうと思ってたんだよ。ツバメ、どうやって旅をするのか」
南の国には、一日で着けるわけないし…。うんと遠いし、どうするのかな、って。
寝ないと飛べなくなってしまうし、休憩できる島が要るでしょ?
南の国まで渡る途中に、降りて眠れる島とかが無いと…。
島があるなら、安心だよね。地図に載らない小さな島でも、ツバメには充分、広いだろうし。
「おいおい、島って…。いつもあるとは限らんぞ?」
まるで無いってこともないがだ、島が途切れる場所だってある。何処まで飛んでも海って所。
昼の間にせっせと飛んでも、島なんか見えて来ない場所がな。
「島が無いって…。じゃあ、どうするの?」
船があったら降りられるけれど、船があるとは限らないんだし…。
ツバメ、寝ないで飛んで行くわけ、降りられる島が見えて来るまで…?
「それじゃ身体が持たんだろうが。飛ぶだけの力は蓄えてるから、飛び続けられるが…」
人間と同じで、寝ないと馬鹿になっちまう。頭が回らなくなって。
だからツバメは飛びながら寝るんだ。寝不足で馬鹿にならないようにな。
「飛びながら寝るって…。落っこちちゃうよ?」
居眠りしちゃって、机に頭をぶつけるのと同じ。気が付いたら海の中じゃない…!
「それが、片目は開いているらしい。ちゃんと起きてて、周りも見ている」
身体が半分ずつ眠るわけだな、目を瞑っている方の半分だけが。
「半分ずつって…。器用すぎるよ!」
身体の半分はグッスリ寝ていて、片方は起きているなんて…!
それで寝られて疲れが取れるって、ツバメ、物凄く器用なんだけど…!
前のぼくでも絶対に無理、と悲鳴を上げた。
片方の目を瞑りながら飛ぶツバメたち。目を瞑った方の身体の半分、それは飛びながらも眠って休憩。寝不足で頭が鈍らないよう、身体の半分を眠らせて飛ぶ。
そんな飛び方は、ぼくでも無理、と。
「ぼくがツバメなら、落っこちちゃう…」
身体を半分、眠らせるなんて出来ないから…。疲れてしまって落っこちちゃうよ。
寝不足になって頭が疲れて、アッと思ったら海の中だよ、落っこちちゃって。
「落ちるって…。今のお前がか?」
サイオンがとことん不器用だしなあ、落ちるよりも前に飛べんと思うが。
「前のぼくでも落っこちるよ!」
身体を半分眠らせるんだよ、それで飛べると思っているの?
前のぼくが目を片方閉じたら、そっちの半分、寝られると思う?
其処まで器用なことが出来るなら、前のぼくの寿命はもっと長かったよ、絶対に…!
休憩時間が倍になるから、身体が疲れないんだもの。
「そんなトコだろうな、前のお前でも無理だろう」
人間の身体はツバメと違うし、半分だけ起きているのはなあ…。
出来ないのが普通で、出来たら、それこそ化け物だ。ミュウどころじゃない、別の生き物。
ツバメは器用に出来ちゃいるがだ、そのツバメ…。
もしも、と鳶色の瞳に見詰められた。「お前がツバメだったとしたら…」と。
「お前、不器用なんだしな?」
ツバメになっても、そいつはきっと変わらんだろう。
お前がツバメになっていたなら、俺が一緒に飛んでやるから。
普通は一羽ずつ渡るらしいが、そんなことは言っていられないってな。
「え…?」
ハーレイが一緒に飛んでくれるって、どういう意味?
「片方ずつ眠れないんだろ、お前」
身体の半分は眠らせておいて、もう片方は起きるってヤツ。
それが出来なくて落っこちちまうと、お前、自分で言ったじゃないか。
「うん…。多分、ツバメになっても無理…」
不器用だから、他のツバメなら出来ることでも出来そうにないよ。
片方だけ眠ればいいんだから、って他のツバメが教えてくれても、ぼくには無理そう…。
「ほらな。だから俺が一緒に飛んでやるんだ、お前とな」
前に話してやらなかったか、比翼の鳥というヤツを。
二羽で一緒に飛んでゆく鳥だ、いつも決して離れないで。
一緒に飛ぶから、翼も目玉も片方ずつしか持っていないってな。身体は一つなんだから。
「聞いたね、そういう鳥のお話」
雄と雌とがいつも一緒で、何処へ行く時も離れないって。
「俺たちは雄のツバメ同士だが、そんな感じで支えてやるさ」
身体は一つになってなくても、お前が眠って落っこちないよう、俺が頑張って支えてやる。
海に落っこちそうになるよりも前に、お前の翼を俺が支えて。
眠くて飛べないお前の身体を、俺が半分ずつ眠らせてやれるわけだな、うん。
俺と一緒なら飛べるだろ、お前。自分では眠れなくてもな。
「そうかも…!」
身体を片方休められら、きっと落ちずに飛んで行けるね。
ぼくが眠ってしまっていたって、身体の半分、ハーレイが起こしてくれそうだから。
そう、ハーレイとなら何処までも飛べる。
海の上に降りられる島が無くても、翼を休められる船が何処にも見えなくても。
眠りながらでも、ハーレイの翼に支えて貰って。きっと落っこちたりはしないで。
「良かった…。ツバメになっても、ハーレイがいれば落っこちないよ」
うんと不器用なツバメでも。…身体の半分、寝ながら飛べないようなツバメでも。
「安心しろ。俺は絶対、お前を落としはしないから」
前の俺みたいに、お前を失くすのは御免だからな。眠る時間が無くなったって、お前を支える。
俺は半分寝たりはしないで、両方とも起きて、お前と飛ぶんだ。休める所に降りられるまで。
だが、ツバメか…。
ツバメなんだな、とハーレイが溜息を零したから。
「どうかしたの?」
ハーレイ、ツバメに何か思い出でもあるの?
「思い出というか…。幸福な王子って話、知らないか?」
王子様の像と、ツバメが出て来る話なんだが。
「知ってる。古い童話だよね」
前のぼくたちが生きてた頃より、ずっと昔に生まれた童話。人間が地球しか知らなかった頃に。
「ツバメは幸せの鳥なんだが…。世界中、何処でもそうだったらしい。昔からな」
日本でも同じで、ツバメは幸せを運んで来ると言われていたんだが…。
あの話、思い出しちまった。幸福な王子。
ハーレイの顔は、溜息と同じに少し曇っているようで。
ツバメは幸せを運ぶ鳥なのに、何故、そうなるのか分からないから。
「幸福な王子…。幸せを運ぶよね、あのお話に出て来るツバメも」
お金が無くて困っている人に、宝石や金を届けてあげて。…貧しい人たちを沢山助けて。
王子様の像は、すっかり剥げてしまうけど…。
宝石も金も剥がれてしまって、最後は捨てられちゃうんだけれど。
「それだ、それ。…俺が言うのは、そこの所だ」
前のお前みたいだと思ってな。幸福な王子の話が、そのまま。
「えっと…。前のぼくって、あのツバメが?」
王子様のお手伝いで幸せを配りに、あちこちに飛んで行ってたツバメ?
「ツバメじゃなくて、王子の方だ」
とても綺麗な像だったのにな、町の自慢の立派な像。
なのに、王子は優しかったから…。自分の身体を飾る金も宝石も、何もかも全部与えちまった。
それがあったら助かる人たち、そういう人が貰うべきだと、ツバメに頼んで運んで貰って。
まるでお前だ、前のお前にそっくりだ。
シャングリラに乗ってたミュウの仲間たちに、自分の幸せを分けて、せっせと分け与えて。
自分の幸せは全部後回しで、いつも仲間が優先だった。「みんなのために」と。
そうやって生きて、最後はメギドで命まで捨てて…。
前のお前の生き方ってヤツは、幸福な王子そのままなんだが…。
その生き方、とハーレイがまた零した溜息。フウと大きく、辛そうな顔で。
「俺が手伝っちまったような気がしてな…」
前のお前が王子の像なら、俺はツバメの方なんだ。
お前の身体を飾る宝石や金を、お前に言われるままに剥がして、運んだツバメ。
すっかりみすぼらしくなるまで、最後に残った金箔を剥がしちまうまで。
「そうだった…?」
前のハーレイがツバメだったなんて、どうしてそういうことになるわけ?
ハーレイはいつも守ってくれたよ、ぼくのことを。
いつだって優しくて、チビだった頃からずっと一緒で…。ツバメとは違うと思うけど…。
「それはお前の心のことで、お前とはまた別だってな」
前のお前という存在。ソルジャー・ブルーと呼ばれた人間。
俺が一番古い友達で、お前の恋人だったのに。
友達にしたって、恋人にしたって、俺はお前を誰よりも先に守らなきゃいけなかったのに…。
俺がキャプテンだったばかりに、お前の幸せ、どんどん分けてしまったような…。
お前を優先してやる代わりに、他の仲間に届けに行って。…前のお前の分の幸せ。
しかもメギドに行くと知ってて、前の俺は止めなかったんだ。
あの話のツバメそのものだろうが、王子の像から目の宝石を抜き取ったツバメ。
それを抜いたら、王子の目は見えなくなっちまうのに。
そうなることが分かっているのに、ツバメは王子に頼まれるままに、抜き取っちまった。
やっては駄目だと思っていたって、それが王子の望みだったから。
前の俺がしたのも、それと全く同じだってな。
メギドに行くんだと分かっていたのに、お前を止めはしなかった。
そうすることが前のお前の望みで、お前が行ったら仲間の命を助けることが出来るんだから。
本当にツバメそのものだった、とハーレイが悔しげに噛んだ唇。
「俺は幸福な王子の像から、何もかもを剥がしたツバメなんだ」と。
「ツバメが最後に剥がしていくのは、金箔だったが…。目の宝石じゃなかったんだが…」
順番なんかはどうでもいいんだ、俺がそいつをやっちまったことが問題だ。
前のお前の幸せを全部、仲間たちに配って分けちまったこと。
金箔や宝石を剥がす代わりに、あの船で皆が生きてゆくのに必要な幸せというヤツを。
本当だったら、前のお前が持っていた筈の幸せを。
…悪いことをしちまった、前のお前に。
俺は運んじゃいけなかたのに…。
いくらお前の望みがそれでも、運んじまったら、お前の幸せも命も、全部…。
「それがハーレイの仕事だったんだもの、仕方がないよ」
キャプテンなんだし、船の仲間を守らなきゃ。仲間たちの命も、幸せだって。
船の仲間が幸せでないと、キャプテン失格になっちゃうよ?
それにハーレイも、あのお話のツバメとおんなじ。
ツバメは王子様のお手伝いをしている間に、南の国へ渡り損ねて死んじゃった…。
寒くなってしまって、身体が凍えて。
王子様に「さよなら」って伝えるのだけが精一杯で。
ハーレイは凍えて死んでしまう代わりに、地球に着くまで、ずっと悲しんで泣き続けてた。
ぼくが死んだのは自分のせいだ、って何度も何度も後悔して。
…ごめんね、ぼくの手伝いをさせて。
前のぼくの幸せ、仲間たちに運んで分けてあげて、って頼んでしまって。
ごめん、とハーレイに謝った。「そんなつもりじゃなかったんだよ」と。
ハーレイが前の自分の上に重ねた、幸福な王子。遠い昔に書かれた童話。
幸福な王子は、自分の身体を飾る宝石や金を失くして、みすぼらしくなってゆくけれど。輝きを失くしてゆくのだけれども、前の自分はそうではなかった。
宝石も金も無かった船でも、ソルジャーとして皆を導かねばならない立場でも。
最後はメギドで命まで捨ててしまったけれども、輝きはきっと失くしていない。みすぼらしくもなってはいない。大切なものは持っていたから、それを失くしはしなかったから。
「前のぼく、幸せを分けてしまったかもしれないけれど…」
多分、本当にそうだったんだとは思うけれども、幸せだったよ。…どんな時でも。
前のぼくは幸せだったから…。シャングリラで暮らしていられただけで。
幸せじゃないと思ったことなんか一度も無いよ。
ぼくの幸せ、いつもしっかり持っていたから。…誰にも分けてしまわないで。
「そうなのか?」
お前、何もかも分けちまったのに…。俺がそいつを配っていたのに、持っていたのか?
誰にも分けずに持っていたなんて、俺には信じられないんだが…?
「ちゃんと持っていたよ、分けないままで独り占めだよ」
分けてしまうわけないじゃない。…ぼくの側にいてくれた、友達で恋人だった前のハーレイを。
誰にも分けるつもりなんか無いし、頼まれたって分けてあげない。
前のハーレイは前のぼくだけのもので、一番大切な友達で恋人だったんだから。
いつも頑張っていられたのだって、ハーレイが一緒に飛んでいてくれたからなんだよ。
ツバメになって海の上を飛んでいく時みたいに、支えてくれて。
ぼくが眠って落っこちないように、ハーレイが隣を離れずに飛んでいてくれて。
前のハーレイと一緒に飛んでいたから幸せだった、と微笑んでみせた。
ハーレイと二人で海を越えて飛んで、いつも支えて貰っていたと。
「ホントだよ? 前のハーレイと、いつでも一緒」
眠っちゃっても、ハーレイが隣を飛んでくれていたから、落ちずに飛んでいられたよ。
もう駄目だ、って海に落ちたりしないで、最後まで飛んで行けたんだよ。
…地球までは飛べなかったけど…。南の国には着けなかったけど。
「お前もツバメか、王子じゃないのか?」
王子の像だと思うんだがなあ、前のお前は。
幸せを全部ツバメに配らせちまって、何もかも失くしちまった王子。…命さえもな。
「王子様じゃないよ、あのお話の王子みたいに偉くはなかったよ」
ぼくの幸せは誰にも分けずに、最後まで独り占めだったから。誰にも配らなかったから。
ハーレイを分けてあげたりしないよ、ぼくの大事な恋人だもの。
だから幸せは失くしていないよ、全部配ってはいないんだよ。…一番大切だった分はね。
それで失敗しちゃったのかな?
自分の幸せを独り占めして抱えていたから、罰が当たって落としたかな…?
ハーレイの温もり、最後まで持っていたかったのに…。
メギドで失くして右手が凍えて、前のぼく、泣きながら死んじゃった…。独りぼっちで。
幸せを独り占めしていた罰かな、誰にも分けてあげないよ、って。
「馬鹿。…前のお前は配り過ぎたくらいだ、王子よりもな」
自分の幸せを配り続けて、全部みんなに分けちまって。
最後は俺とも離れちまった、前のお前は独り占めしようとしていたのにな…?
俺を誰にも配らないのが、お前の幸せだったのに…。
その俺を仲間たちのために分けちまったんだ、最後の最後に。
キャプテンの俺がいなくなったら、シャングリラはどうにもならないんだから。
お前は俺まで配っちまった、とハーレイが零した深い溜息。「本当に全部配ったんだ」と。
「幸せを配る手伝いをしてた、ツバメまでお前は配っちまった」
ツバメは俺だったんだから。…俺がお前の幸せを分けて、仲間に配っていたんだから。
そのツバメまでも、前のお前は仲間たちのために残していった。
シャングリラを地球まで運ばせるために、みんなが幸せになれるようにと。
幸福な王子は、ツバメを失くしやしなかった。
ツバメは最後に凍えて死ぬまで、王子の側にいたんだから。…何処へも飛んで行かないで。
王子に「さよなら」のキスをした後、ツバメは王子の足元に落ちて死んじまうがな…。
その瞬間に、王子の鉛の心臓も壊れてしまうだろうが。
王子は最後までツバメと一緒だったんだ。死んで天国に昇る時まで。
…だがな、前のお前は最後は一人きりだった。仲間たちのために俺を残して行ったんだから。
そうじゃないのか、と言われれば、そう。
幸福な王子はツバメと離れなかったけれども、前の自分はツバメと別れてメギドに飛んだ。
ツバメの仕事は、幸せを運ぶことだったから。
前の自分がいなくなった後も、皆に幸せを配り続けて欲しかったから。
キャプテンとして船の舵を握って、宇宙の何処かにある筈の地球へ。
青く輝く水の星まで、シャングリラを運んで欲しかったから。
(…前のぼく、ツバメまで配っちゃったの…?)
幸福な王子は宝石も金も失くした後にも、ツバメと一緒だったのに。
鉛の心臓が壊れる時まで、ツバメは王子の側にいたのに。
それを思えば、前の自分は本当に幸せを全部配ってしまった、幸福な王子だったのだろう。
皆に幸せを運ぶツバメを、前のハーレイを皆に配ってしまったから。
ツバメがいないと青い地球まで行けはしない船、それをツバメに託したから。
誰にも分けずに独り占めしていた、前のハーレイ。
そのハーレイを皆に配って、一人きりでメギドに飛び去った自分。
これでいいのだと、ハーレイの温もりだけを右手に持って。
ずっと一緒だと、心はハーレイと一緒なのだと、ツバメとも別れて、たった一人で。
そうやってメギドに飛んだというのに、温もりを落として失くした自分。
幸せのツバメを仲間たちに配って、独りぼっちで泣きじゃくりながらメギドで死んだ。ツバメは側にいなかったから。幸福な王子でも配らなかった、ツバメまで配ってしまったから。
自分の幸せを配り尽くして、独りぼっちで死んでいったけれど。
死よりも恐ろしい絶望と孤独、それに包まれて前の自分の命は終わってしまったけれど…。
「えっとね…。前のぼく、ホントに配り過ぎちゃったかもしれないけれど…」
前のハーレイまで配ってしまって、独りぼっちになっちゃったけど…。
ちゃんと幸せだよ、またハーレイと生まれて来たよ?
青い地球まで来られたんだよ、前のぼくは地球まで飛ぶよりも前に落っこちたのに…。
南の国には辿り着けなくて、海に落っこちちゃったのに…。
ハーレイと離れて飛んでいたから、支えて貰えなくなって、もう飛べなくて…。
だけど地球だよ、ハーレイと二人で青い地球に生まれて、また会えたんだよ。
「そいつが神様の御褒美ってヤツだ」
幸福な王子の話と同じで、頑張ったから。
神様が天国に運ぶ代わりに、地球に連れて来て下さったってな。
お前、その方が嬉しいだろうが。天国で暮らしていたかもしれんが、青い地球の方が。
「青い地球、ずっと見たかったから…。天国よりも、今の地球の方がいいよ」
ハーレイも御褒美、貰ったんだね。ぼくと一緒に地球に来たもの。
頑張って幸せを配っていたから、神様が御褒美、くれたんだね。
「どうだかなあ…?」
俺の場合は、お前が貰った御褒美のオマケ、そんな所じゃないかという気がするんだが…。
なにしろ幸せを配っただけだし、配っていたのは前のお前の幸せだから。
お前、俺がいないと、どうにもならないようだしな?
側でしっかり支えてやれ、って神様が俺をオマケにつけたんじゃないか、御褒美のオマケ。
「オマケじゃないと思うけど…。ハーレイがいないと駄目なのはホント」
落っこちてしまうよ、寝てしまって。…半分眠って飛ぶなんてことは出来ないんだから。
「今度も支えてやらんとなあ…」
前よりも不器用になっちまった分、余計に一人じゃ飛べそうにないしな、今のお前は。
しかし…、とハーレイが顰めた眉。「今度は俺と飛ぶだけだぞ」と。
「俺と一緒に飛ぶのはいい。…いくらでも支えて飛んでやるから」
前の俺と同じで、お前の側で。お前が不器用なツバメだったら、海に落っこちないように。
だが、幸せは配るんじゃないぞ、前のお前とは違うんだから。
幸せを分ける仲間はいないが、今から念を押しておく。…配るんじゃない、と。
お前だけの幸せをしっかり持ってろ、誰にも分けたり配ったりせずに。
欲張りなヤツだと思われたってだ、今度のお前は分けなくていい。お前の幸せはお前のものだ。
お前が一人で大事に抱えて、誰にも分けずに独り占めってな。
「独り占めって…。誰にも分けずに、欲張りだなんて…」
それでいいの、そんなことをしちゃっても…?
お菓子でも何でも、独り占めより、分けた方がいいと思うけど…。
その方が幸せな気分になれるし、分けて貰った人も幸せになれるのに…。
「絶対に分けちゃいかん、と言ってはいないぞ、俺は」
お前だけの幸せを分けちゃ駄目だ、と言っているんだ。…前のお前がやったみたいに。
俺まで配ってしまっただろうが、お前は独り占めしたかったのに。
幸福な王子の話でさえもだ、王子はツバメを配ってしまいやしなかったのに。
それなのに、お前は配っちまった。
前のお前の幸せをせっせと、皆に運んで届け続けていたツバメをな。これも要るだろう、と。
確かにツバメを配らなければ、シャングリラは地球まで行けたかどうか怪しいが…。
それでも配りすぎだぞ、あれは。
ツバメまで配った幸福な王子じゃ、可哀相すぎる。いくら立派な王子でもな。
だから今度は配るんじゃない。お前だけの幸せは配らないで持ってろ、神様も許して下さるさ。
前のお前が配り過ぎたからな、仲間たちのことばかりを考え続けて。
ツバメも配っておかないと、と俺を仲間たちのために船に残して、一人で飛んで行っちまった。
幸福な王子でも、ツバメは最後まで配りはしないで、一緒に天国に昇るのに…。
ツバメの方だって、王子を残して南の国へは行かずに残っていたのにな…?
凍えて死ぬんだと分かっていたって、ツバメは王子の側にいたんだ。
王子には自分が必要だからと、支えて一緒に飛ばなければ、と。
そのツバメを配ってしまったのが前のお前ってヤツで、配られたツバメの気分ときたら…。
俺も悲しい気持ちだったが、お前はもっと辛かったよな、と大きな手で優しく撫でられた頭。
「ツバメまで配っちまったなんて」と、「何もかも配っちまったなんて」と。
今度のお前は、ちゃんと幸せにならないと…、と微笑むハーレイが側にいてくれるから。
前の自分を支え続けて、飛んでいてくれたのがハーレイだから…。
(きっと幸せになれるんだよ)
いつか大きく育ったら。
前の自分と同じに育って、ハーレイと二人で暮らし始めたら。
眠ってしまって海に落っこちないよう、今度もハーレイと一緒に飛ぼう。
ツバメは一羽ずつ海を渡って飛んでゆくけれど、ツバメだとしても、ハーレイと二人。
前の自分がそうだったように、ハーレイの翼に支えて貰って。
いつまでも、何処までも、ハーレイと二人で青い地球の上を飛び続けよう。
二人なら、きっと幸せだから。
今度はハーレイと離れないから、もうハーレイまで配らなくてもいいのだから…。
幸福な王子・了
※幸福な王子そのものだった、とハーレイが言う、前のブルーの生き方。全てを皆に配って。
最後はツバメまで配ったのですが、今度はツバメと何処までも一緒。長い渡りをする時にも。
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